新人公演『金色の砂漠』観劇。

 新人公演を観たあと友人たちとごはんしながら、しみじみ語った。

「ギィは、みりおくんの役だね」

 拗らせ少年。
 鬱屈と爆発、そして歪み。
 この役をやって違和感なくハマリ、かつ魅力的に見せる、ってナニその高すぎるハードル。

 ふつうの男役には、無理だわ。

 つか、無理でイイよ。
 タカラヅカの正統派スターには、そんなスキルはなくても無問題。
 いじけててステキ、とか、歪んでて美しい、が出来なくても、堂々としてステキ、とか、まっすぐで美しい、が出来ればそれでいい。

 だからほんと、この役で新公主演するあかちゃんは、大変だなあと。
 出来なくても仕方ないよなあと。
 彼もきっと、ふつうのかっこいい主人公役なら、きっとふつうにかっこよく出来たんだと思う。

 新公のギィくんは、なんかずっと怒ってました。
 表情がずっと一緒。なにをしていてもどの場面でも、印象が変わらない。
 難しかったんだろうなあ。それしか出来なかったんだろうなあ。

 しかもこの主人公、途中で役者替わるし。
 子ども時代は別の子が演じる。
 子役を使う場合は通常なら1場面だけであっという間、のはずなんだけど、この作品の子ども時代は何場面もえんえん続き、しかもそこで語られるのがかなり重要な内容だ。
 作品の核のひとつを、主人公の核のひとつを、主人公役のあかちゃんは演じることが出来ない。別人が演じたモノに乗っかって芝居を続けるしかない。

 タルハーミネはふたりの演者が乖離しすぎていて、その後も見ていて混乱した。
 ギィに関しては、そこまでの違和感はなかった。子役の子、うまいなー、娘役ちゃんなのかー、と思って眺めたのみ。
 下級生娘役であっても、トップスターみりおくんの役だから、みりおくんと比べて「薄いなあ、軽いなあ」とは思ったけれど。
 この子ども時代をあかちゃん自身で演じていたら、もう少し違っていたのかな?
 鬱屈した時代のみだったためか、とにかく眉が逆八の字で固定されていた。

 自分のために恋人を裏切り死に追いやるタルハーミネも大概なキャラだけど、ギィもレイプに復讐とやってることだけ見れば問題アリまくりキャラ。
 そういうキャラクタを演じてかつ、観客に「それでも好き」と思わせるのは、大変なことだよなと。
 表面的な出来事を超えた魅力がないと。

 このややこしい役は、みりおくんのためにある役。こんな大変な役でそれでも成り立ってしまう明日海りおの美形力を改めて実感した。

 あかちゃんは、役の持つ複雑さは感じなかったけれど、若さゆえのアツさがあったから、アレな行動はすべて「若さゆえ」ってことでアリかなー、という感じはした。

 実力に破綻はないし、ナニより歌えるのはありがたい。や、一観客として、歌えるスターさんはありがたいんだ。ヅカの「スター」は音痴でも務まるジョブだけど、歌ウマであるにこしたことはない。
 今度はふつーのタカラヅカらしい二枚目役を見たい。

 て、ゆーか。
 役替わりではなく、通し役が見たい。

 ……今日の欄の冒頭に、「あかちゃん、単独新公主演おめでとー」と書きかけて、あ、コレなんかチガウ、とあわてて消したんだもん。
 みりおくんの演じる「ギィ」を、あかちゃんひとりで演じてない。子役の華優希ちゃんと分け合っている。公式には「主演・綺城ひか理」だけど、実質的には華ちゃんとふたりで「ギィ」というひとつの役を演じている。
 次はぜひ単独主演を……って、でも『ミーマイ』と『金色の砂漠』と2作主演しちゃったら、次は難しいか。3作主演だとガチ路線ってことになるから、劇団も慎重になるもんな。

 しかし劇団は、ひとりのスターに新公で日本物ばっか当てたりマンガ原作ばかり当てたり、役替わりばかり当てたり……なんでこう偏ってるんだ。

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