あのー、この「DiaryNote」のカウンタって、いつ7桁になったんですか?

 2006/06/17の時点で、「6桁しかない」と嘆いてます。
 (http://koalatta.blog48.fc2.com/blog-entry-194.html

 6桁しかない現状で、99万9999に達してしまったら、次はどうなるんだろう? やっぱ0から再スタート?
 ……てなことを書いている。

 んで、2006/06/17に実際に「999999」を超えてしまって。
 「000000」になるかと思いきや、何故か「100000」から再スタート。
 ほんとに「DiaryNote」のシステムってわからない……。

 と、日にちは忘却の彼方だったが、たしか「桁数が足りない」と書いていたことをおぼえていたので、過去ログを自分であさって、上記の記事を発掘した。

 つーことは、いつの間にか1桁増えてるんじゃん。
 「桁数増やして」って「DiaryNote」にメールしたの、叶えてくれてるんじゃん。

 知らなかった(笑)。

 や、たまたま昨日の夜「もーじき30万になるなー。たしか100万ヒットで桁数超えちゃって、何故か10万からやり直しになったんだよなー」と、ぼーっと眺めていたのよ。
 んで。
 なんか変だな、30万って、こんな桁数だっけ? と、改めて数え直した。
 1、2、3……7桁? 一、十、百……百万?
 あれええ??

 桁数増えてんじゃん。
 7桁だから、百万の位まで表示可能じゃん。

 つーと「もうじき30万」じゃなく、「もうじき300万」かー。

 ……へ?
 たしか、2006/06/17で100万ヒット達成だったのよ? あれから2年弱で、290万ヒットしたってこと?
 2006/06/17の時点で「10万」からスタートしたわけだから、「300万」になったら、「300万−10万=290万」だよねえ?

 なんか計算ちがってる……かな。わたし数字弱すぎて。

 そして昨夜ふと思いついてカウンタ数メモしたんだけど……あれからちょうど24時間で、3000以上回ってるっす……。
 なにしても回る、同じ人が何度でも回せるバカウンタだから、実際の訪問数ではまったくないわけだけど……今日は溜まっていたテキストを一気にUPしたりもしたけど……えらい数字だなヲイ。
 100万突破したときからカウンタ壊れたみたいだったから(しばらくまともに回らなくなっていた)、気にしたことなかったんだけど……ちゃんと回るようになっていたのか。そしてまた、バカウンタぶりに拍車が掛かってるのかな。
 「DiaryNote」は日々の訪問者数とか、なにもわかんないからなー。

 倉庫の方はカウンタも壊れてないし、日々の訪問者数をあとからでも眺められるからときどきヒマなときに、「わーい、今日は60人だぁ」とか、「『まっつ』で検索来てるわー、まっつファンの人かしら、わくわくっ」とか、平和に眺めてたのしんでいたんだが。
 はりきって8桁ものカウンタつけたのに、恥ずかしいわねー、心配しなくてもまだ5桁にようやく達したところよー、てな現状(笑)。

 やっぱこっちはバカウンタだからなぁ。数字なんかまったくわかんねえや。
 信頼できる数字ではないが、勝手に「すごーい、300万だってぇ」と思っておこう(笑)。
 継続は力なり、だねえ。ながながだらだら、が信条ですもの(笑)。


 世の中も、『どうぶつの森』のまっつ村も、桜満開です。
 「金のなる木」も桜になるんだね……知らなかったよ……。

 いろいろいろいろ出遅れているので、今ちょっと真面目にチケット探してるんですが、そこでちょっくら略語の話。

 全国ツアー、って、なんて略してる?

 
 たとえばわたしは、「キャトル・レーヴ」を「キャトレ」と略している。
 これは「“キャト”ル・“レ”ーヴ」つー意味だ。
 ふたつの単語のそれぞれ頭文字を取ってつなげている。キムタクみたいなもんだな。

 でもこーゆー略し方をしている人は少数派のようで、周囲はふつーに「キャトル」と言っている。「キャトル・レーヴ」の前半の単語だけ発音しているわけだ。

 べつにどっちがいいも悪いもないから、たんに「たくさんの人が使っている」方が使うのに便利だろうし、「よーするに意味がわかればいい」から、どっちでもいいってことになる。

 
 でもわたしはなんか、「キャトル・レーヴ」という、ふたつの単語でできている言葉を略すのだから、両方の単語から音を取りたいと思ってしまう。
 前半の単語だけで呼ぶんだったら、別の言葉と混同するかもしんないじゃん? 「キャトル・なんとか」という別の店があって、そこのお客もそこを「キャトル」と呼んでいるかもしれない。
 わたしが差しているのは「キャトル・以下別の言葉」のなにかではなく、「キャトル・レーヴ」なんだ、っつー意味で、「キャトレ」と呼ぶ。
 キムタクが木村拓哉であり、キムラだけだと誰のことかわかんないのと同じで。
 
 「マクド」で「ミスド」な大阪人だからかなー。
 「マック」でも「ミスター」でもないっすよ。

 
 んでもって、ゲームの『おいでよ どうぶつの森』だって、「おい森」とは略さない。
 本タイトル『どうぶつの森』その中のサブタイトル「〜おいでよ どうぶつの森〜」なんだから、略するときは「ぶつ森」。
 意味を考えて略す。

 ささやかで、ほんとどーでもいいことだが、わたしの言語感覚はこんなもん。

 
 でもって、「全国ツアー」。
 どう略す?

 「全国」と「ツアー」というふたつの単語から出来た言葉なので、「キャトル・レーヴ」のときと同じ、それぞれの単語から1音ずつ取る。
 「全ツ」と呼ぶ。

 わたしの周囲もみんな、「全ツ」と呼んでいるかな。「宝塚ホテル」を「宝(タカ)ホ」と呼ぶように。

 しかし、ネットで時折見かける「全ツー」という表記。

 これって、どういう略し方なんだろう。
 「全国」「ツアー」という言葉を、飛び石で略しているってことよね?
 1文字目と3文字目と5文字目。
 「宝塚ホテル」なら、「宝ホル」? 「キャトル・レーヴ」なら、「キャルー」?
 不思議な略し方……。書くときはそれでもいいけど、発音するのめんどくさくないのかな。

 略し方は単語冒頭の1音ずつで、たんになまっているだけかしら。「全ツ」を「ゼンツウ」と発音しているため、表記するときもつい最後の音を伸ばしてしまう?
 話しているとき「ふいんき」と発音する癖が付いているから、書くときも「喋り言葉、生きた言葉で書く」という主張の元に「ふいんき」と書くよーなもん?
 わたしはそもそも「ふいんき」とは発音しないけれど、もししていたとしても、表記するときは「ふんいき」にする。話しているときに使う言葉と書くときの文字はチガウから。

 略し方の法則はよくわかんないけど、「全国ツアー」の略し方が「全ツー」であるというならば、その人からは「全ツ」と表記されているものはみんな田舎の茶店の手書きポスターの「コーヒあります」とかと同じに映ってるのかな。
 「コーヒーあります」だろうに、田舎の人って、「コーヒ」って書くのよねー、なんでかしらね〜〜、みたいな感じ?

 
 全国ツアー、どう略してる?

 あ。
 そーいやわたし、『メランコリック・ジゴロ』の略し方もわかんないや。
 いつもの法則でいくと「メラジゴ」? いやソレ、聞いたことないし。

 言葉を略すことなく、正しく発音・表記して生きるのが、いちぱん良いことだとわかってはいますがね。


 昭和58年7月1日に始動した壁掛け時計が、ついに使えなくなった。

 実に四半世紀動いていたことになる。
 わたしのヅカファン人生より長い。

 とゆーことで。

 新しい時計を求めているわけですよ。

 まずネットでいろいろ検索してみた。……いまいち。
 某ショッピング・エリアへ行き、実際にいろいろ探してみた。……いまいち。

 いざ探すとなると、ないもんだねえ……。

 直径25〜30cmくらいの壁掛け時計。
 実用性を考えるとなんとも無骨な「どこの事務所用?」てな面白みもナニもないものになるし、デザイン重視になると時間がわかりにくいし。
 第一、好きなデザイン、一目惚れして「コレだ、コレしかないっ」てものがまーーったくない。
 せいぜい、「まあ悪くないんじゃない?」レベル。

 つまんないなあ。

 いっそのこと、自分で作るか?
 たしか東急ハンズとかに、時計を自作するキットって売ってなかったか?
 時計の心臓部分と針と外枠がセットになっているやつ。枠の背景部分に好きな写真入れて、後ろから心臓部分、前から針を取り付けて、透明カバーつけて出来上がり、ての。見たことあるぞ。大きさもいろいろあって、箱の大きさからして、わたしの求めるサイズもあったんじゃあ?

 ハンズでなくても、ネットにも「好きな写真でオリジナル時計を!」ってサイト見かけたわ。
 選択肢はいろいろあるわ。

 よーし、それだ。
 ないなら作ろう、フェイバリットな時計。

 ええ、もちろんまっつ時計ですよ。

 まっつの写真使って、オリジナル時計作るの。
 どーせキャトレも歌劇団も、まっつのグッズ作ってくれませんよ、販売してくれませんよ、それなら自分で作るしかないじゃん。
 どーせわたしの部屋には他人は入れないんだし(客は1階の仏間までだ!)、2階はわたしの天下、わたしだけの空間、どんな恥ずかしいグッズで埋め尽くしても平気よ〜〜♪

 と、ここまで考えて。

 まっつの写真、どうする?
 という現実問題にぶちあたる。

 もちろんそれは公式グッズに頼るしかないので、キャトレで舞台スチールを購入することになる。や、ふつーに売っている2L版の舞台スチールは毎公演全種類買っているし。
 問題は、大きさだ。
 ちんまい目覚まし時計の文字盤ではなく、壁掛け時計の文字盤にするのだ、いつもの2Lサイズでは足りない。

 イメージ的に四つ切りだな。

 ……四つ切り?
 まっつの、四つ切り写真?

 そんなもの、売ってるのか?

 いえもちろん、知ってますよ。
 キャトレの舞台スチールは、注文さえすればどれでも四つ切りに焼いてくれるって。
 限られた店頭スペースに陳列してあるのは売れ筋だけ、その他は注文制だって。

 まっつの舞台スチールは、その「売れ筋商品ラインアップ」にまざってないよねえ?
 たとえばジオ様@『アデュー・マルセイユ』とか、クラブの男@『ラブ・シンフォニー』とか、相沢くん@『舞姫』とか。ふつーに店頭に並んでないよね?

 つーことはだ、キャトレのカウンターに行って、過去商品ファイル見せてもらって注文書に書かなきゃイカンわけだな。
 この写真を四つ切りに焼いて下さい、って。
 もちろん予約販売だから、連絡先とか名前とか書かされて。

「未涼亜希さんのこの写真を、四つ切りサイズで1枚ですね」

 とか、声に出して確認されたりとかな。

 そのうえ。
 いざ写真が出来上がって、引き取りに行ったら。

「こちらでお間違いありませんか」

 って、写真を見せられるわけよね。まっつの四つ切りに引き伸ばした写真を。

 
 ………………。
 ………………。
 ………………。

 無理っ。

 わたしには無理だっ、そんな羞恥プレイっっ。

 そ、想像するだけで恥ずかしい。
 うわああああ。

 
 つーことで、まっつ時計案は消え去りました。

 地道になんか時計探そう……。

 
 他のことは恥ずかしくないのに、まっつが絡むとなんでこんなに恥ずかしいんだろう……。
 あうあう。

 
 去年の今頃の日記ときたら、あちこちにオサ様退団におびえることばかり書いてある。
 エイプリルフールの日記はそのことだけだし。

 『アデュー・マルセイユ』というタイトルが前年末に発表になったときから、こわくてこわくてしょうがなかった。

 『TUXEDO JAZZ』のオサ様暴走っぷりに心酔し、心から日々をたのしんでいるのとうらはらに、確実におびえていた。

 
 ひとつのことしかできないので、普段のわたしの生活には「音楽を聴く」という習慣がない。
 音楽を流してしまったら、音楽を聴くことだけに集中して他のなにもできなくなるので日常生活からそれだけ時間が減ってしまうことになる。
 他のなにを置いても聴きたい場合でないと聴かない。CD1枚聴くと決めたら、50分時間を捻出しなければならないわけだから。(それくらいなら音楽ではなくDVDを観るなりして聴覚視覚両方でたのしむ……ために、ほんっとーに音楽だけ抽出してわざわざ聴かない)

 ところがまあ、ここんとこちょっと時間があって。
 やりくりして捻出しなくても、なにをしていてもいい時間、というのができた。

 つーことで『TUXEDO JAZZ』を聴いていた。『舞姫』もえんえんえんえん聴いていたけれど。

 堪えたのは、『TUXEDO JAZZ』だ。

 天才・春野寿美礼の才能が野放しになっていた、あの公演。
 音は自在に伸び、遊び、枠を超えて、未知の世界で自由に踊っていた。

 なんてすごいものを観たのかと思う。

 そして、今はもうこの歌声に「会えない」のだということに、たまらない喪失感を抱く。

 CDなんかじゃダメだよ。
 ナマでなきゃヤだ。

 会いたいよう、オサちゃん。

 カオスを支配する、あの音楽の帝王に会いたい。ひれ伏したい。

 『TUXEDO JAZZ』から、1年かぁ。
 2007年2月から5月。歌詞に歌われていたので、上演期間は忘れようもない(笑)。
 あのころ、不安だったけれど、幸福だった。
 春野寿美礼がいる、存在する幸福。

 タイムマシンがあるなら、1年戻りたい。
 『TUXEDO JAZZ』で、混沌の中で哄笑するあのひとに会いたい。あの歌声を聴きたい。


 海馬教授に会えるんですか?

 ふだんスカステの番組表なんかろくに見てないんですが、まあいろいろあって、真面目にチェックしてしまいました。

 5月のスカステはまとぶさんのお披露目特集。
 そーだよな、本拠地お披露目公演スタートだもんな。

 そーなると当然放映されるわな、まとぶんのDC主演作『MIND TRAVELLER』が。

 …………。
 …………。
 …………。

 えーと。

 まとぶんは、ものすげーいい男です。
 ビジュアルの美しさも、男役としての技術も、そして彼特有のアツさあたたかさ、それらを存分に発揮した作品です。
 ヒロインがちょっくらバービー人形ですが、それでもまとぶさんがハートフルさで押し切ってます。

 作品はアレです。
 小池修一郎のアホアホ・オリジナルです。5分置きにツッコミと爆笑・失笑が待ってます。
 今まで見た小池作品とまったく同じ、「何回焼き直ししたら気が済むんだろう(遠い目)」と思いつつ、そのワンパターンぶりを指折り数えるのもまた一興。

 そして。

 その、作品のいちばんのアホアホ部分、「人間の記憶をスキャンしちゃうぞ」「上書き自在だぞ」「電気ビリビリ機械造っちゃうぞ」とかゆー、とほほな部分を愛しのまっつが、一身に受けています。

 あー。
 ついにアレが、白日の下にさらされるのかぁ。

 なにしろ観た人が少ない作品だったから、アホな作品でアホな役だったけど、まだ救いがあったよーななかったよーな。

 まとぶさんはいいのよ、かっこよかったから、誰が見ても大丈夫。
 しかしまつださん……せっかく相沢くんで二枚目が上がった?のに、あのトホホな姿がさらされてるのか……。

 しかも『舞姫』バウホール版と同時に放送って……。

 おまけに、『TAKARAZUKA Cafe Break』再放送でもまつださんの名前がありますよ。コレってアレよね、『天使の季節』新人公演よね。あのびみょー過ぎるヅラ@キムタクがモデル、のアレよね……?

 「海馬の帝王」と「俺だって彼を愛してる」と「90歳じじい」のトリプル・コンボに、くらくらしてます。

 まっつもほんと、地味にいろんな役やってるよね……。

 
 や、ぶっちゃけ、うれしいんですけどね。

 海馬の帝王に会えるぞぉーっ。
 リチャード教授、それでもスキだぁーっ。

 わたしがスキだったりうれしかったりするのと、世間様が「ナニあのアホな役」と笑うのはまた別の話。
 あの、ほんとアホアホなんです、『MIND TRAVELLER』って。でも、でもね、まっつ、かっこいいのよ?
 クール・ビューティなんですってば。
 初見で悶絶死しそーなほど笑い転げましたが、2回目以降は「……ステキ☆」と思い込んじゃうくらいには、かっこよかったんだってば。
 ほんとよ? あたしだけの思い込みじゃないはずよ? 世界共通認識よね? ね? ……そうよねっ?(キモチ涙目)

 
 もちろんDVDは買ってないので(まっつアングルがあったら買ってた)、青年館楽以来のリチャードとの再会になるわけっす。

 あー、たのしみだなー。
 「海馬に乗った征服者」とゆー、トンデモ・ソングが聴けるんだなー。


>宙組 梅田芸術劇場メインホール公演における 主演娘役 陽月 華の休演について
>
>宙組 梅田芸術劇場メインホール公演『雨に唄えば』(2008年7月5日〜7月21日)につきましても休演させていただくことになりましたので、お知らせさせていただきます。


 ウメちゃん、本公演に続いて梅芸の『雨に唄えば』も休演なのか……。

 あれは何年前、日生劇場で元気にタップを踏んでいた、はじけるよーな輝きの女の子の姿を思い出す。
 もう一度会える日を、たのしみにしていたのに。残念だ……。ただ、残念だ。

 健康第一、しっかり治して次の本公演には戻ってきて欲しい。

 いやもお、ほんと……。
 なんかすごい、かなしくなったよ……あたしが悲しんでも仕方ないんだけどさ……。つらいだろうなあ、ウメちゃん……。

 
 花WSの感想をupしたとこなんで余計に気になったんだが、ほんとWSのキャスティングってわからないねえ。
 現在大劇場や東宝で堂々とヒロインを務めている人が、今更「ワークショップ」のヒロインやってどうするんだろう。
 トップ娘役代役を務めるほどのキャリアのあるヒロインを相手に芝居をするのと、かろうじて台詞を発音しているだけの子を相手に芝居をするのでは、主役の背負うモノも得られるモノもちがいすぎると思うんだが……。

 タカラヅカは不思議なところだ。

 
 や、個人的に、たっちんとちぎのコンビは好きなので、観られることはうれしいぞっと。


 どうもわたしは、『ME AND MY GIRL』に縁がないらしい。

 人気絶頂を誇った天海祐希。
 ヅカに興味のない友人たちもが「天海祐希の舞台が観たいの、どうすればいい?」と言ってきた、驚異の人。

 初心者・一般人へのキャッチーさがずば抜けていた人だと思う。
 わたしも最初に月組の舞台を観たとき印象に残ったのは「トップスター」と「天海祐希」だけだった。2番手さん他誰も記憶になかったもの。
 ディープだなー、と思うヅカの友人たちは全員天海を好きではなかったが、ライトな人たちは口をそろえて好きだと言っていたのが印象的。
 かくいうわたしも、最初はいいなと思ったはずなのに、すぐに天海自体には興味が無くなった……好みではなかったらしい。顔は好きなんだけどなー。でもって、退団後、女優になってからは大好きなんだけどなー。

 その天海祐希が退団する、しかも自身が新公主演した伝説の作品……『ME AND MY GIRL』で。

 つーことで、なんかえらい騒ぎ。

 しかしわたしは、祭りに参加しそびれてました。
 チケット発売日に大阪にいなかったの。恒例の家族旅行に出かけていたんだったか。
 発売日の朝から並べなかったら、もう手に入らないんだろうなと思っていた。

 当時はネットもないし、会に入っていない一般人にはなんの情報もない。
 梅田の前売りで手に入らなかったら、もうどんな公演も観られない。

 ……結果、1回だけ、1階A席で観たのかな。
 発売日当日の夕方、旅行からの帰り道梅田をわざと通ったところ、ありえないほどの長蛇の列がうごめいていて。
 夕方5時くらいだったと思う。朝7時半からのチケット販売が、その時間になっても終わらず、ものすごい人数の人たちが梅田で並び続けていた。
 そこで友人に声掛けられたんだ。「並んだ人が多すぎて、販売が遅れに遅れてるの! まだ前の時間の人たちが買い終わってないって」……用事があるというその友人とバトンタッチして、そこから代わりに並んだんだ。で、1枚チケットを買うことができた。

 天海の『ミーマイ』は全公演チケット即日完売、超チケ難。
 テレビでは天海のCMが流れ、「天海は、レイスビーホール」というキャッチコピーでUCCの新商品が大々的に売り出されていた。
 この「レイスビーホール」という紅茶が死ぬほどまずかったんだが、シールを集めると抽選で『ミーマイ』にご招待、というんでまずいのを我慢して泣く泣く飲み続けた。
 一口飲んでそのまずさに感動、回し飲みして「こんなにまずいものがあるなんて!」とみんな口々にわめき、のちのちまで話題になる、素敵なドリンクだったなあ。遠い目。まずすぎるからふつーの人たちに「飲んで、シール集め協力して」とは言えなかったさ……。
 あ、もちろん公演が終わってすぐに発売中止になったよ。あんなもん、売れるわけない……罰ゲーム専用以外、使い道ない味だったもん。

 そうまでして応募した「ご招待」は、もちろんはずれたし。

 まあ、発売日に朝から並べなかった(夕方から交代しただけ)のに1回観られたんだから、それでよかったんだよなあ。

 しかし。

 チケ取りに苦労しすぎたせいか、席が悪かったせいか。レイスビーホールがまずすぎたせいか。
 前評判で「どれほど『ミーマイ』がすばらしいミュージカルか」を聞かされ続けていたせいか。

 ものごっつー期待に期待を重ね、わくわくと劇場に行ったたった1回の観劇で……。

 どうも肩すかしにあったんだ。

 えーと。
 こんなもん、なんだ、『ME AND MY GIRL』って?

 たのしかった。
 たしかに、とってもたのしかったし、ハッピーだった。
 でも、それだけだった。

 作品に古さとセンスのズレを感じ、首を傾げた。
 周囲との温度差に、とまどった。

 その後「初演は神!」論者に初演ビデオを見せてもらったり、のんちゃん主演版を名古屋まで観に行ったりしたけれど、「たのしい」ことはたしかだけれどそれ以上の感銘はなく。

 役がないからヅカファンとしてはたのしくないなあ、贔屓組にはやってほしくないなあ、という感想しか残らなかった。

 たんに好みの問題だろうとは思うけれど、周囲との温度差は埋まらないまま、現在に至る。2008年、同じく月組で再演。

 わたしの好み云々は置くとして。 
 せっかくの再演だ。かなみん最後だ。祭りは楽しんだものが勝ち、参加するからにはたのしむぞ。
 前向きに前向きに。

 いつも後方席で空気に乗り遅れている感があったのはたしかだから、ここはひとつ前方席でたーーっぷり堪能してみようじゃないか。
 それまでの『ミーマイ』よりずっとキャストに愛着も知識もある状態だから、否が応でも楽しめるはず。

 そう思って、たった1枚、タケノコ最前列チケットを握りしめ、たのしみにしていたんだ。

 最前列でミーマイ! 最前列でミーマイ!
 端からの観劇は観劇にあらずってひとは言うけどそんなの関係ない。あの巨大な劇場のいちばん後ろのセンター席より役者の表情が全部わかる、小芝居まで観られる前がいいもん。

 ……観られませんでした。

 たった1枚の『ミーマイ』チケット、諸事情により手放しました。
 
 ほんっとーにわたし、『ミーマイ』に縁がないんだなー。
 今度こそ、ずっぽり体験できると思ったのに。

 いつもなら初日にこだわって行くところだけど、『舞姫』があったので断念、初日を観られなかったらあとはもういつでもいいや、と、てきとーな日程で押さえていたのだけど。

 最前列なんて二度と手に入らないし、あとはおとなしく立ち見でもするかな。
 すごい差だな、いっちゃん前から後ろって(笑)。

 めそめそ。


 報告。

 ここ数日、携帯にメールが届いていません。
 携帯を替えてから海外からのスパムが1日に50通から届くのにキレて、受信設定をいろいろいじっていたのは事実。
 でもここ数日はいろいろあって、新たに設定をいじることはしていなかった。
 なのに突然、メールが届かなくなったのだわ。

 最後にメールがまともに届いたのが3/26かな。

 でもってわたしは、その翌日には「花組発売日の並びに行けない」ことがわかっていたので、何人かの友人に「お願いメール」を出したの。
 発売日、梅田に並んでほしいな。

 わたしは全組観劇することもあり、また浮き世の義理があったりなんだり(笑)で大抵の発売日には所定プレイガイドへ並んでいる。
 いちいち他人に予告しないし、わたしが大抵並んでいることを友人たちも知っているので、「並びに行けば緑野がいる」とわかってお茶しがてらやって来てくれたりもする。何人か集まったときは、当たった購入番号を分け合ってそれぞれチケットを買うし、誰も友だちがいないときは、ひとりで寡黙に並んで、ひとりで買って帰る。
 という、前もって拘束するわけではない、自由っちゅーかアバウトな並び参加っぷりなので。

 前もって「並んで(はぁと)」とお願いメールをすることは稀だった。

 なのに、誰からも返事が来ない。
 そっかあ、誰も花組やわたしのためには並んでくれないのかぁ。人望ないなあ、オレ……。と、しょんぼりしていた。

 そしたら今日、いきなり電話が来て。

「緑野どこにいるのよ? メール何回送っても返事来ないし」

 えええ? たしかにお願いメール出したけど、返事来なかったからダメなのかと。
 ……返信は、していたそうです、友人たち。
 そこではじめて、メールが届いていないことを知った。

 わたしが並べない事情を話したら無理をしてでも並んでくれるかもしんないから、理由も並べないこともメールには書かず、ただ軽く「お願い(はぁと)」とか、「並び行く?」とかのお伺いに留めていたの。簡単に断れる程度の。
 無理をしない程度で、並んでくれる人だけでいい。もともと並ぶ予定の人とかだけで。

 そしたらみんな、並んでくれたみたいで。
 結果的にわたし、「並んで」とか「並び行く?」とか短いメール送りつけただけで音信不通だったのに。

「緑野がわざわざ『並んで』とか言うから、まっつ○団(伏せ字!)するのかと思って、びっくりして公式確認しちゃったよ」

 ……いやその。普段ほんとわたし、並び依頼なんかしたことなかったね、そういや。
 だってひとさまの手を借りずとも自分で並んで、抽選にはずれたらぶーぶー文句言って嘆いて、それで終わりだったし。
 並びにすら参加できないなんて、ほんとめずらしいことだし。

 そんなわたしがわざわざメールしてくるから、友人たちは「なにごとっ?」と思ったらしい。
 びっくりさせてすまん……。たんに、いつものタケノコ席が欲しかっただけなの。ここでしか手に入らないんだもん。

 我が友人ズはわたし同様とってもくじ運が悪いので、みんないい番号は引けなかったようだが、いい番号を引き、かつ2枚までしか購入予定のない知人、とやらを見つけ、その人に頼み込んでわたしの希望するチケットを買ってくれたらしい。……感謝。マジありがとう。
 おかげで最前列でまっつを見ることができるっす。

 どりーずのみんなもネットや電話での協力を申し出てくれていたし。
 相変わらず敏腕のチェリさんが、その腕を披露してくれたし。

 あああ、みんなありがとおお。わがままでごめんよぉ。

 や、前方席を数枚押さえられたらあとはびんぼー人に相応しい席で、地道にリピート予定ですから。

 
 にしても、携帯メール未着は問題だ。
 わけわかんねえからとりあえず、設定全部白紙に戻した。
 これでメールが来るよーになるハズなんだけど……?


 昔から、いちばん欲しいものは手に入らないの。

 ……宝塚友の会に入って以来、ご贔屓の出る公演は当たらない、というのがわたしのジンクス。いや、宿命、カルマ。
 ケロがいたときは月組がまったく当たらなかったし、組替え後は星組が当たらなくなった。
 そしてもうひとり、ケロとは違うハートかもしんないが、たぶん彼の次に好きだよな、の水くんの出る公演も当たらなかった。宙組が当たらないのはいちばん人気だったから、とも言えるけれど、水くんが特出・組替えになるなり、それまでいくらでも当たっていた雪組がぴたりと当たらなくなり、たか花の宙組が当たり出したんだなこれが。

 そっかぁ。神様が見ているんだな。
 いちばん好きな人の公演は、簡単に手に入らない。努力して手に入れろ、ってことだな。わたしの愛の深さを試しているんだな。
 苦労して手に入れた方が、より愛情もありがたみも深まるってもの。それこそ人生ってもん。

 なんてべつに思いたいわけではないが、そうでも思わないと納得いかんくらい、ご贔屓の公演は当たらなかった。

 ケロが卒業したあとは、ずっと水くんチケットのみに見放されていた。

 でもわたし水くんの他に、オサ様にくらくらになってたよね? まっつにハマってたよね?

 されど花組チケットもまっつの出る公演も、友会でそれなりによく当たっていたのだわ。
 さすがにオサ様サヨナラショーとかは無理だけど、通常公演は千秋楽も平日の最前列とかも、ちらほら当たってくれていた。

 今の友会に入ってからずっと、いちばん好きな人の公演は当たらないものだと思っていたけれど、花組はふつーに当たるなあ。そしてやっぱり雪組は平日も入力してるのに全滅ばっかだなあ。
 わたしが意識していないだけで、わたしの真のご贔屓は実は水しぇんで、まっつのことはネタとしていじっているだけなのかしら。

 そう思っていたのに。
 なんかここ数回、水くんのチケットが立て続けに当たっている。
 梅芸も、友人に頼まれて入れた相模大野もふつーにチケット入手。
 あれえ? いつものわたしなら、絶対はずれているはずなのに?

 そしてぴたりと、まっつの出る公演チケットが当たらなくなった。
 中日はもちろん全滅したし、『舞姫』も同じく。そして今回の『生と死のアラビア』まで全滅した日にゃあ……。

 どーゆーことよ、「腐っても『ベルばら』」で大阪・首都圏はチケ難だと聞く雪組が当たって、「ガラガラ」だと前評判の高い花組大劇場公演がフルエントリーしたのに平日すら1枚も当たらないの?!

「神様が、緑野さんのご贔屓はまっつだって認めたんだよ」

 友人たちはそう言う。

 そっかあ、わたしのまっつへ愛が、神様に認められたのね。

 ……って、認められるまで2年もかかったんですかっ?
 つか、これからずっとはずれ続けるの、花組?

 明日が一般発売日。
 いつものよーに梅田に並ぶ気満々だったんだが、諸事情でかなわず、ますますまっつチケット運がなくなっている現実に途方に暮れる。

 神様、愛の試練はもっとお金のかからないとこにお願いします。


 思いがけないことでした。

>花組 退団者のお知らせ
>下記の生徒の退団発表がありましたのでお知らせいたします。
>
>(花組) 
>舞城のどか
>貴 怜良
>2008年8月17日(花組 東京宝塚劇場公演千秋楽)付で退団


 みほちゃんと、かりやん。

 ダンサーとして有名だけど、実は歌も歌えて、芝居も堅実なみほちゃん。
 『ハロー!ダンシング』で見事に長を務め、スカステではレポーターを務め、舞台人としての技量だけでなく、心からその将来を期待していたうちのひとり。
 『舞姫』でりおんちゃんとふたりして「癒し系」だった、かわいい清さんが……。

 『蒼いくちづけ』でいい感じに美形エロオヤジや、ダークサイドの男を演じてくれて、やっぱりどこでも輝くその美貌とダンスともども、改めて見直しているところだったかりやん。

 つか、まっつの同期ばっかじゃん!!

 花組84期がふたり同時に辞めるの?
 残るのって……まっつひとりじゃん。

 まっつがふたりを見送るの?

 
 えー、集合日が近づくと毎回「まっつは? まっつは?」と不安で不安でわたわたする緑野です。
 今回はちょっと落ち着いていたんだけど……まさか、こう来るとは。
 

 正直なとこ、まっつが見送る側だとは思ってなかった。
 具体的にどうこう考えていた訳じゃないけれど、まっつは「最後のひとり」にはならないだろうなと。
 「マイ・フェイバリット」だっけ、スカステのあすかちゃんの番組。
 あすかちゃんがホステスで、ゲストがまっつとそのか。坐り位置的に、まっつがあすかとそのかの間にいる感じ。
 同期のそのかとあすかが次々と組替えし、まっつだけが残された。その話をしている最中にまっつの顔がどんどん硬直して行き、両側から「大丈夫?」と突っ込まれていた。
 テレビ番組の収録だっつーに、ふたりの組替えはずっと以前のことで「今」の話じゃないのに、「今まで居た人がいなくなった」「ひとり残された」ことを話題にしているうちに、マジに泣きそうになって「大丈夫?」と言われてしまうような人。
 そんな人が、「最後のひとり」になるなんて。

 人生を決めるのは、そのひと自身。個人のこと。
 みほちゃんも、かりやんも、そしてまっつも、自分で退団すること、残ることを決めているのだから、わたしなんぞがどうこう言っても仕方ないが。

 みほちゃん、かりやんの、退団が惜しい。
 みほちゃんの娘役としての力も、きれーな兄ちゃんだけでなく大人の男も視野に入ったかりやんの可能性も、現在の彼らだけでなく彼らの持つ未来ごと、惜しい。

 そして。
 今回もまた、まっつがこの花園に残る決意をしてくれたことがうれしい。
 同期をふたり見送ってでも、残ってくれることが。

 や、「最後のひとりにはならないんじゃ?」って、わたしが勝手に思っていただけだけど。
 かりやんはわかんないけど、スカイ・レポーターズのみほちゃんは長くいてくれるってこれまた勝手に思い込んで、安心してたんだもん。

 みほちゃん、かりやんがよい退団公演を過ごせますように。

 
 それと。

>花組 天宮菜生 娘役転向について
>花組・天宮菜生が2008年3月26日付で娘役に転向いたします。

 ナニ気にショックです。
 そんな自分にもショックです。

 なんだかんだいって、花担途中転入のわたしが初期におぼえた男の子のひとりなんだもん。
 『蒼いくちづけ』よかったのにー。つか、女役きれーだったけど、ルナくんの方が似合ってた、って書いたとこなのにー。(この日記書いてる時点でまだ感想upしてないっつの)

 
 新公主演がまぁくんであることにも、実はショック受けてます。
 まぁくんには一度、ヒーロー以外をやらせて勉強してもらおうよお。その方が成長するってば。
 ひとりっこ政策は利よりリスクの方がかなり高いのに……。
 
 原作知らないので、配役についてはなんもわかってなくてコメントしようがないし。
 まっつの役はどーゆー役なんだろう? 端役であるにしろ、長く舞台の上にいてくれたらいいなあ……遠い目。


 『凍てついた明日』の友会入力を忘れていた、と言ったらチェリさんに「オギーファンじゃなかったんですか」と言われたけれど、や、入力期間中オレ入院してたわけだし。……って、点滴のスタンドをゴロゴロ引っ張って、病院内好きに歩き回っていたから入力も可能っちゃー可能だったんだがね。

 『舞姫』観に東京へ行っているとき、ドリーさんから「『舞姫』と日程調節して、『WILDe Beauty』も観ると思ってた」と言われ、ぎくりとした。「『舞姫』でいっぱいいっぱいだから」と答えたけれど……嘘ではないけれど……。

 『A-“R”ex』の後遺症で、ただいまオギー不信です。

 
 『A-“R”ex』の感想は、あまり書いていない。
 マジで書き出すとちょっとやばいなと思えて、自重。

 ただ、わたしはとてもつらかった。
 作品が重いとか救いがないとかはわたしの好みなのでいくらやってくれてもいいんだけど、出演者への残酷な扱いは見ていてつらい。

 たとえばオギー作品でのまとぶんの扱いは、総じていつもひどかった。
 彼に興味がないのが丸わかりの、番手を考えて出番を振っただけ、という。
 番手が低いうちはよかったけれど、花組2番手としてオギー作品に出演していたまとぶんのあがき方は、そりゃー痛々しかった。彼がものごっつー努力してそこにいることが感じられて。役目を果たそうと必死になっているのが見えて。……ああもー、いい人だー。真面目な人だー。

 脇役である分にはいいんだけど、番手が上がった人でオギーの興味の対象外な人は、ひどい扱いをされる。
 番手を考慮した「見せ場」だけ与えられ、作品のテーマからは遠ざけられる。
 やはり2番手としてオギー作品に出演した水くんは、「いてもいなくてもいい役」を与えられた。だけど2番手だから要所要所でストーリーとは無関係な「見せ場」だけはもらって、銀橋で歌っていたりする。

 2番手でコレだもんよ。
 もしオギー的にアレな人が「主役」になったら、どーなるの?
 はい。
 たしかに興味津々でしたよ。
 野次馬的好奇心はありましたよ。

 でもさ。
 『A-“R”ex』見て、ヘコんだってばよ。

 2番手でもあーゆーことをする人だった。ではトップスターだったら?
 ……『A-“R”ex』になるのか。こんなことをするのか。

 あさこちゃんファンでなくて良かった、と思った。
 自分のご贔屓がこんなことをされたら、わたしはつらくてつらくて泣き暮らしている。
 そして、痛々しい贔屓を無視できず、何度も観劇してはそのたび奈落に落ちて苦しみ続けるんだと思う。

 わたしはべつに、あさこちゃんファンではない。ファンでなくても、これだけつらいのに。
 これがご贔屓だったら……と、ぞっとして。

 や、まっつにしろケロにしろ、オギーにはなんか好意的に扱われていた人たちなんで、わたしのご贔屓はオギーの好みの中には入る人たちだと思う(「ミューズ」ではなくても)。
 だからソレはいいし、第一主演の心配はしなくていい人たちなんで、置くとして。

 
 今年、水くんがオギー作品に出演するじゃないか。主役として。

 『タランテラ!』であーんなひどい扱いを受けたのに、次は主役なんですよちょっと。

 オギーは水くんに、どんなことをする?

 『A-“R”ex』みたいなことするかもしれない?
 と、思ったら、こわくてこわくて。

 アタシの水しぇんにそんなことしたら許さないわよおおお、というキモチになって(笑)、なんかその、オギー作品に対して盛り上がれないのですよ……。アホな話ですがね。

 
 全部全部、ただの痛いオギー信者のたわごとですが。
 彼の作品に勝手にあーだこーだ自分なりの解釈をして、勝手に「この役者には愛がない」とか決めつけて、勝手に憤慨しているだけのことです。
 わたし以外の人には「はあ? ナニ言ってんの? 言ってること自体わけわかんないんですけど?」なことを、わたしはひとりでえんえん言ってるんだと思う。
 てか『A-“R”ex』大好きなあさこちゃんファンにはごめんなさいです、ほんと。わたしにはそう見えた、というだけで事実でも真実でもございません。勝手にヘコんだり痛々しがったりしてすまん。余計なお世話も甚だしい。興味深い、クオリティの高い作品なのは確かなのに。

 ただまあ、こんな経緯で今、わたしはずっぽりオギー不信です。
 いちお、『A-“R”ex』観たあとも「『凍てついた明日』たのしみだねっ」とか言ってはいますが、そしてソレは嘘ではないですが、なんかちょっと、こわいです。
 ジェンヌに思い入れがあればあるほど、オギーは両刃の剣だと思う。

 
 あああ水くん〜〜。
 水くんがステキなショーになりますように。頼むよオギー。水くんにひどいことはしないでよ〜〜。

 同時上演の正塚芝居も不安だしなー。いやその、正塚も役者の好き嫌い激しいイメージがあるし、『Romance de Paris』『La Esperanza』『ホテル ステラマリス』と3作連続して水くんの扱いアレだったし。『銀の狼』が良かったんだから、水くんへのイメージを変えてくれるといいんだけど……。

 オギーも正塚も大好き作家なのに、新作がたのしみでならないのに、何故こんな心配を……ううう。


 『舞姫』は大好きだ。
 奇跡のような作品だと思っている。
 作品的にも、キャスト的にも、スタッフ的にも。
 この作品と出会えたことを、心から感謝し、愛している。

 つーことで、わたしのなかでこの作品ってどのあたりにランク付けされるんだろー。
 なんてことを考え、ドツボにハマってしまった(笑)。

 
 なにをもって「好き」とするか。

 これがもう、最高に難しい。

 タカラヅカの作品のなかで、もっとも「好き」なものはなにか?
 「順位」をつけるとしたら、ベスト5はなんになるか?

 ……こまった。
 わけわかんない。

 好きな作品、好きな順位、といっても、だ。
 ナニを持ってどこを取って「好き」とするかで、まったく変わってくる。

 「作品」としてハイクオリティだから好きなのか、キャラクタがツボだから好きなのか、ご贔屓がツボな役や重要な役をやっているから好きなのか、腐女子として萌えだから好きなのか。

 どこに重点を置いて選別するかで、順位は変わってくる。
 なんせ、わたしが「作品」としていちばん好きな作品は、主演男役がかなり苦手、という大きなマイナス点がある(笑)。作品は大好きだけで、こうやって心に描くだけで泣けてくるくらい、めちゃくちゃに好きだけど、主演さんのことを思うと心が冷える(笑)という、バランスの悪さ。
 えーとそれは、「いちばん好き」ではないような気がする……? や、作品はいちばんだけど、心が浮き立たないっつーか、えーと。
 たのしさでいけば、大して名作でも佳作でもないけど、キャラが良くてキャストみんな大好きで、ご贔屓がステキで萌えがあって、きゃーきゃーにたのしい方が、「好き」順位は上なんじゃないの?

 好きなジェンヌがツボな役を演じ、他のキャストとの相性も良く、作品のクオリティも高く、好みのテーマやストーリーで、しかも腐女子的に萌えがある。
 ……なんて神バランスな作品、あり得ませんて。
 クオリティのほか、ジェンヌへの好意の濃度、萌えやツボをすべて数値化して作品を評価した場合、「ただクオリティだけが高い」作品は、上位に残らない……。

 ジェンヌになんの思い入れもないなら、作品とか技術だけで語れるのになー。ヅカファンではない方が、純粋に「作品の品質のみ」で評価できるんだと思う。
 でもわたしは、ヅカファンでありたいと思う。ジェンヌをただの記号でなくキャラクタとして認識し、感情移入や好悪の対象にしたいと思う。でないとヅカ見てる醍醐味に欠ける。
「贔屓の**ちゃんが出ている公演はすべて名作、何十回観てもあきないけど、出てない公演は駄作ばかりで観る気がしないわ」と、本気で言うヅカファンをまちがっていないと思う。や、正しい作品の評価とは思わないが(笑)、ヅカファンとしてまちがってない。
 ジェンヌを愛するがゆえに、作品評価が変わるのは、ヅカファンとしてはふつーのことでしょう。

 
 でもって、『舞姫』。
 たしかに大好きで大好きで、宝物な作品なんだけど……。
 ほんとうの意味で、わたしの好みにジャストミートしているわけでも、ないんだよなあ。景子せんせの作品は好きだけど、わたしの真の好みからははずれているのよ……きれい過ぎてダメなの。
 まっつが出ていなかったらたぶん、総合評価はどーんと落ちるよな、わたしの中では(笑)。
 わたしの「総合評価」って作品クオリティなどの技術面より、別のものの項目が多すぎて。
 でもまっつはじめ好きジェンヌが勢揃いしている作品のため、評価のどの項目も平均して高いのだ。
 
 だけから結局、かなり好き作品、つーことでまちがいはない。

 でもいちばんか、と言われると悩むし、なにがいちばんか、と言われても悩む。

 やー、難しいね。
 自分のキモチに順位を付けるなんて。

 わたしはそのときどきにいろんな人を「大好き」と言ってはばからない人間だし、ほんと気が多くて「いちばん」がわからない人間なんだと思う。

 そんななかで、まっつを好きで、まっつをいちばんと思えるのは、奇跡のよーなことかもしれない。
 彼の足りない部分もいろいろ見えるけれど、それでも、いつでも、ご贔屓は彼である、と思えるのだから。

 と、最後はのろけになって終了。

 まっつまっつまっつ。


 豊太郎@みわっちと、黒沢@ちゃー。
 このふたりの関係が、すごく好きだ。

 はい、まだしつこく『舞姫』の話です。

 黒沢は確実に豊太郎に悪意を持っている。豊太郎の前に立ち塞がる障害として現れる。

 「舞台」をおもしろいなと思えるのは、こうやって対立する、異なる意見を、客観的に受け止めることが可能である、ということ。
 小説は文字だけだから、出来事の他に心情まで描写することによって主役寄りの視点を確立する。(神視点の小説はもちろん存在するが、まったくの客観ではないし、そんなもんはたとえあってもおもしろくないだけだろう)
 映画やドラマ、マンガといった視覚を必要とするジャンルでも、そこにはカメラワークという演出が加わる。
 ただ役者ふたりが立って話しているだけ、どちらを見るかは観客次第、受け取り方は、自由。
 オペラグラスを使わなくたって、そのときの舞台の流れと見ている者の感性次第で、登場人物の誰かがアップになっているかのように感じられたり、するもんな。

 わたしは黒沢が豊太郎を嫌うのがよーっくわかる。
 それは豊太郎が、黒沢の出来ないダンスが出来るとかドイツ人マンセーで日本人とのつきあいをないがしろにしているからとか、天方大臣に取り入っているとか、そのくせ黒沢のご機嫌伺いをしない、取り巻きに入らないとか、そーゆーことではなくて。や、もちろんソレもあるだろうけど。

 黒沢がいちばん豊太郎を嫌う理由は。

 豊太郎に帰国を言い渡すときのやりとりの中にある、

「貴様ひとりの力で社会を変えられると思ったのか」

 というひとことにある、と思う。

 うん。
 豊太郎は、思っていたんだよ。

 自分が、世界を変えられるって。

 だから黒沢に言われたとき、言葉に詰まるのね。無意識であろうとなかろうと、図星だから。思い上がりを、叩きのめされるわけだから。

 ベルリンにやってきた豊太郎は、希望に燃えている。与えられた立場以上のものを吸収し、また役立てたいと思っている。
 自分には無限の可能性があり、世界が自分に微笑みかけていると、無邪気に信じている。
 ……若いんだ。ほんとうに。
 ただ闇雲に、「自分には、なにかが出来る」と思い込んでいる。具体的なビジョンがあるわけではなく、ただわくわくしている。
 そして彼の夢はひたすら善意に満ちている。自分になにが出来るか、ではなく、よくわかんないけど世の中のためになにかするぞぉー、と意気をあげている。
 今は貪欲に知識を取り込んでいるところだから無軌道だけど、そのうち明確なビジョンが出来、「みんなの役に立つためには、まず世の中をこう変えなければならない。そのためにはこれをしないければならない」とか、わかってくるんだろう。そのころにはもう少し「現実」というものも見えてくる……かもしれない。
 だけど今の彼は、自分の善意と能力を信じてキラキラしているだけの若者だ。
 善意でしていることだから自分は正しい、となんの疑問もなく思い込んでいる。
 正しいことをしているのだから、といつも正々堂々としている。

 そりゃムカつくだろ、こんなヤツ。

 厨め、半年ROMれ、と言いたくもなるだろう。

 「正しい」と思っているのは豊太郎の価値観の中の話であり、先に存在しているルールの中では、思い上がりのカンチガイ者でしかない。
 そのルールが正しいかどうかではない。ルールはすでにある。そして黒沢はルールの管理者だ。新参者が空気を読まずにルール無視して暴れたら、処分しなければならないだろ。

 豊太郎が粛正されるのは、女関係のスキャンダルが理由ではない。
 「自分は正義だから、先にあるまちがったルールを破ってもかまわない」と心から思っていることだ。

 ルールがまちがっているというなら、まずそのルールを正すべく、外から働きかけなければならない。豊太郎自身そのルールの中で生かされている(国費留学生)のに、自分都合でルールを破って(領域侵犯・命令無視)正義漢を気取っていた。
 「自分は特別だから、世界を変えられる」と信じ、「まちがったルールなんか、気にしなくてもイイ」「私欲ではなく、みんなのためにやっているんだから、清廉潔白」と、したい放題。

 あー、黒沢が管理をしているBBSがあってだな、そこで彼と彼の仲間たちは機嫌良く会話しているんだ。
 そこへ豊太郎がやって来て、BBSのテーマも流れも関係なく「正しい私が考える、みんなのためのすばらしいこと」という熱の入った長文書き込みをはじめる。
 たしかに書いてある内容はすばらしいし、正しいことではある。
 しかしソレを、ココで言われても困る。どんなに正しくても、TPOをわきまえない発言はただのカンチガイでしかない。
 はじめは放置していたが、目に余るほど暴れ続けているので、理由をつけて出て行ってもらうことにした。
 「あなたはBBSの某ルールを破ったので、今後書き込みをしないで下さい」と言うと、「管理人だって某ルールを破っている、他のみんなだって同じことをしている、私だけを責めるのはおかしい」と言い返してきた。
 いや、他人がやっているからといって、君が今ルールを破っているのは事実だし、第一君が嫌われているのは某ルールのことだけじゃないし。
 うるさく反論してくるのを無視して、さくっと書き込み全削除、アクセス禁止処理。ふう、やれやれ。
 不服ならば、自分でサイト立ち上げるなりすればいいのに。それをするスキルがないので、すでにあるBBSにゲストとして書き込んでいるだけの子どものくせに、そのBBSの在り方を正義の名の下に批判するな。自分でなにかできるようになってから言えよ。あー、ムカつく。
 ……てなもんで。

 でも「上からの圧力」というカタチで強制的に黙らせちゃったもんで、豊太郎は自分の過ちに気づかない。

 黒沢が鉄槌を下したのはエリスとのつきあい云々ではなく、黒沢にへつらわなかったからでもない。

 「世界を変えられる」という無邪気な驕りゆえだということが、わからない。

 もちろん黒沢は相応に小物なので、私怨的意味でやっているんだけど。
 でも、無意識であろうと彼は、豊太郎の犯す罪の、真髄を批判しているんだよね。

 その後豊太郎は、エリスを捨てる、という決断を自ら下すことで、自分の驕りを叩き潰されることになる。

 善意だから正義だから、未来が、可能性が……と、美しいものだけでキラキラしていられた若者は、自分ではどうあがいてもどうすることもできない現実に打ちのめされる。
 不当な圧力ゆえに免官になる、という逃げ道のある挫折ではなく、「自分の決断」で愛する人を捨てる、という絶望。

 できないことがある。
 愛とか夢とか、そんな美しいモノだけでは、どうしようもないことがある。

 世界は、変えられない。

 豊太郎は神ではないのだから。
 こんなにも無力な、ただの男だから。

 
 「自分は特別」という驕りを叩き潰されたあとの豊太郎は、黒沢にとって敵ではない。
 日本で再会したときは、ふたりはもう過去の確執を超えたところにいる。

 できることとできないことを知り、過信した正義がどれほどはた迷惑かも知り、己れの限界を知るからこそできることで力を振り絞る。

 「大人」になった豊太郎は、かつての自分に似た国費留学生・青木くん@ネコをまぶしいものを見る目で見つめる……。

 なにを得られるか、どれほど得られるかだけに胸を躍らせ、失うものがあるなんて夢にも思っていない……そんな無邪気な驕りにキラキラ輝く若者に、せつない愛情を向ける。
 いつか壊れることがわかっているガラス細工を愛でるように。

 
 有限の楽園、を愛する者にとって、豊太郎と黒沢の関係は大変好みです。
 豊太郎の純粋な幼さと、そこに立ち塞がる障害としての、黒沢の汚れた大人っぷりが。


 『舞姫』(再演)の舞台スチールって、出ないんですか?

 あると信じてキャトレへ行き、売り場はおろか、「発売予定」にすら載っていないことに愕然。

「プログラムのスチールは? 変わってた?」
 nanaタンに指摘され、はじめて「そーいや、プログラム買ったけど1ページもめくってない」ことに気づく。

 んで、改めて確認した。
 スチール、バウのまんまだ。撮り直してない。

 てことは、舞台スチールもナシ?!

 オーマイガッ。

 バウのあと10日後に青年館、だったなら写真を新しくする必要ないかもしんないけど、半年以上、2公演以上開いてるんだよ、その間みんな成長してるんだよ。
 リアルタイムの写真が欲しかったんだよ……。

 しくしくしく。

 それともFCなら写真売ってるのかなあ……オレ、一般人だからわかんねーよ……。

 あああ、相沢くん@まっつ〜〜。

            
 グッズ・ハートはさておき、しつこく『舞姫』の話。
 や、グッズ・ハートゆえの話かな。

 バウ公演版のスチール写真で、謎だったの。

 何故、相沢とドクトルのツーショット写真を販売する?

 http://kageki.hankyu.co.jp/goods/quatre/bro/flower/maihime.html
 ↑を参照して下さい、キャトル・レーヴの舞台スチール一覧表。

 主要人物のひとり写りスチールに加え、「名場面」的グループ・ショットが発売されている。
 豊太郎@みわっちとエリス@ののすみ、よっしー@みつるとマリィ@ゆまちゃんのラヴラヴ・ツーショットや、よっしーが息絶える場面。

 これらはいい。
 なにゆえに発売されたか、わかる。

 謎なのは、相沢@まっつと、ドクトル・ヴィーゼ@ふみかのツーショット。

 このふたりが「会話」するのはほぼこの1シーンだけで、ドクトルも相沢も所詮豊太郎ラヴなので、あとは目線すら合わせずトヨばっか見ている(笑)。

 なのに何故、このふたり?
 関係性もなければ、名場面ですらない。

 ふみか好きだからふみかの写真が多くなるのはうれしいし、まっつとふみかという、好きな男ふたりで写ってくれているのはコスト・パフォーマンスよくてありがたいけど。

 でも、謎だ。

 学年順で写真の数が必要、というなら、ドクトルはトヨとのツーショにしておけば問題なかったのに。
 関係性がある方が自然。

 相沢とドクトルって、「未涼単体3枚+複数写り1枚、紫峰単体1枚+複数写り1枚出さなきゃなんないけど、コストかけたくないから、この複数写りの分は、このふたりでまとめて1枚にすりゃいいべ?」という、大人の事情で出たのかと勘ぐってしまいましたよ……ふふふ。(自虐系)

 わたしは、「豊太郎と相沢のツーショット」が欲しかったのよ。

 いちおー、主役と2番手の友情も描かれている作品なのに、ツーショなしですかい……。

 清さん@みほちゃんとのツーショでもよかったけどさ……。
 関係性のある、ドラマのある舞台スチールが欲しかったのさ……。

 バウではかなわなかったけれど、再演では今度こそ、「ドラマ」を切り取った、豊太郎と相沢のツーショットが手に入るかと、わくわくしておりましたのよ……。

 単体の写真もそりゃいいけど、うれしいけど、それだけだと、何故この姿でこの表情をしているかわかんないじゃん?
 「物語」の中で、息づいているからこそ、その瞬間その姿をしているんだ。
 ただ「美しい」とか「かっこいい」とかなら、スタジオでポーズ取って撮影した方がいいものが撮れるだろう。
 そうではなく、多少歪みやブレや何故そのポーズ、何故その表情、とかその他イロイロ支障があるにせよ、わざわざ舞台で実際に演じている姿を写真として販売するのは、彼らが「役者」であり、「舞台の上が本来の場所」であるからでしょう。
 だからわたしは、ドラマティックな「場面」を切り取った舞台スチールこそを求めている。
 本公演とちがって写真集『ル・サンク』が発売されない特別公演はなおさら。

 『MIND TRAVELLER』のパメラ@きほちゃんの手にキスする海馬教授@まっつの写真がいちばん好きだ、近年のものでは。
 どーゆー話で、どーゆーキャラなのか、見事に表しているショットなんだもの。
 プロポーズで手にキス、なのに、教授はすごい冷たい眼をしているの。そしてパメラも、すげー厭そうなの(笑)。
 絶品です、はい。

 そーゆー「ドラマ」を求めたのよ、わたしは。
 たかがグッズ、されどグッズに。

 
 愛するがゆえに苦い助言をし、厳しい顔で豊太郎を見つめる相沢、そしてそんな相沢に背を向け苦悩する豊太郎、とか。
 再会したときの笑顔で見つめ合う相沢と豊太郎とか。
 いくらでも、ふたりの「関係性」を、「ドラマ」を切り取ることはできるだろうに。

 
 発売されないんだ……。くすん。


 腐った話は、こっそりと。

 うっかり入院していたもんで、『舞姫』千秋楽のスカステニュースを見ることが出来たのは、放送からずーっとあとだ。
 病院から「誰かニュース録って!!」と取り乱して某mixiに書いたりしていたのは、「このままじゃ『舞姫』楽映像が見られない」という焦りゆえだ。(友人諸姉、お騒がせしました)

 ぶっちゃけ、みわまつ抱擁シーンのためだけに、取り乱していたんだわ(笑)。

 千秋楽はスカステで全編放送されるとわかっているので、1年も待てば目にすることが出来る。
 1年も待つ気がさらさらないのは、ソコが見たいがゆえですよ、ええ。

 maさんがわざわざ「舞姫楽のニュースですが、抱き合うみわっち&まっつは通常のニュースだけで、総集編はカットでした。」と教えてくれ、わたしのために通常ニュース分を録画しておいてくれたりとかな。
 ああもお、なんの説明もしてないのに、ソコを理解して録画してくれるって、なんつーありがたいことだ……。ほろほろ。

 そうなの、ソコなのよ、みわまつ抱擁こそがポイントなのよ。
 ソレが見たくて騒いでたんだってば。
 つか、最近のスカステはカテコを全部映さなくなっているので、抱擁シーンがちゃんと放送されたか謎だったし。
 maさんのツボを押さえたメールで、ちゃんと見たいシーンが放送されたことを知ったのでした(笑)。

 
 んで、今ごろ(じつは4/7)になってわくわくと『舞姫』千秋楽ニュースを見た。

 見た。

 ええ。

 みわまつ抱擁シーンを。

 繰り返し、見た。
 ついでに、コマ送り再生もした。

 ……思い出すなぁ。
 『長い春の果てに』だっけ『長すぎた冬』だっけ、そんなタイトルの芝居で、悪党医者@ワタル兄貴が正義の記者@ケロを金で黙らせようとするシーンがあった。
 ガタイのいいスーツ姿の男が、ひとまわり小柄なスーツの男を抱き寄せ、服の中に手を突っ込んでまさぐるという、ものすごいことになっていた。
 ジャケットの内ポケットに金を入れる、という謎の演出ゆえ、ワタル兄貴はケロを抱き寄せ、服の中に手を入れることになったわけですな。
 これは初日とその近辺だけで、回数を重ねるごとに当人たちがこの行為に慣れ、抱き寄せなくても服の中で手をまさぐらなくても、ワタル兄貴はケロの内ポケットに金を入れることができるよーになっていったのですが。
 初日は、びびったなー。
 激しく抱き寄せるワタル、これまた簡単に腕の中に収まってしまうケロ。

 そしてこの初日の映像が、『スターの小部屋』で放送されたんだ。

 音声無しでここだけ見ると、どっから見てもリーマンものBLだった。
 うわー。ラヴシーンだー。激しー。恥ずかしー。

 それを、思い出した。
 みわまつ抱擁@コマ送り再生中。

 抱き合っているときより、その直後の方がラブシーンっぽい(笑)。
 まっつがナニ気に色っぽい顔をしている。

 しかし。
 如何せん、みわさん、笑いすぎ。

 みわさんが全開で笑っているため、まっつひとりがチュー前後のような顔をしていても、BLには見えません(笑)。

 惜しい。じつに惜しいっ。
 みわさん、口閉じて、口。歯、見せすぎ!!(笑)

 せっかくの豊太郎×相沢(受攻苦悩中。相沢攻切望)なのになー。
 残念だわー。

 や、実際にみわまつがどうとかいうわけではなく、あくまでも「豊太郎」と「相沢」の扮装をしている彼らが抱き合っていることに、需要があるのよ。
 豊太郎と相沢の関係が萌えなんだもん。みわまつが好きなのとは、また別に。

 もう二度と、彼らは豊太郎でも相沢でもなくなってしまうの。
 この関係性は、愛憎は、今だけのものなの。

 豊太郎とエリスであったみわっちとののすみが抱き合うことがかわいらしくて微笑ましいように、豊太郎と相沢であったみわっちとまっつが抱き合うことに、意味があるの。
 
 
 や、腐った心を置いておいても。

 いいものを見た……。

 じーん。


 わたしは、語彙が少ない。
 表現力に乏しい。

 役者の演技に関するナニかを感じたとき、それを表現する術を持たない。
 語彙が少ないのも、表現力に乏しいのも、わたしの本能の部分だと思う。
 あるスイッチが押されたとき、その作用をどう表現するか。
 ふつうの人ならさまざまに語られるのだろうが、わたしの本能はそれをせず、「このスイッチを押したら、ここにつながる」と単純な回路ができあがってしまっているようだ。
 そのスイッチを押したら、他になんの表現もなく、ただひとつの事柄につながる。

 ある感覚、ある感動があった。
 すると、わたしのアタマはソレがなにかを考えたり表現したりせず、直感的にケロに似ていると判断する。

 このスイッチが押されると、「ケロに似ている」パネルが点る。

 なんでそのスイッチが押されたの? そのスイッチはどういうときに押されるものなの?
 そもそも「ケロに似ている」って、ナニ? どういう状態を言うの?

 てなことに、すべて説明無し。
 スイッチ → ケロに似ている
 ……それだけ。

 『舞姫』において、またしてもこのスイッチが押された。
 豊太郎@みわっちを見ているときにだ。

「みわっちの演技って、ケロに似ているとこがある」

 と、大真面目に言い、

「似てない」

 と、ドリーさんに速攻叩き落とされた(笑)。

「『ハリラバ』のそのかもべつに、ケロに似てるとか思わなかったし」
 てなふーに、ツッコミキャラ・ドリーさんに容赦なく言い切られておりますが。

 さすがにねえ、みわっちを「ケロ」だと言い出したあたりで、いくらわたしでも気づくですよ。
 なんかオレの表現、まちがってねえ? と。

 「ケロ」ってのは、タカラヅカOG、栄光の77期・汐美真帆さんのことですが、わたしが言うところの「ケロに似ている」っつーのは、いわゆるケロちゃんのことではないのではないかと。

 ようするに、感覚の語彙の問題かと。

 言葉で説明できない、なにかすごくわたし好みの演技とか姿とか。そーゆーものを表現する方法として、わたしののーみそは「ケロ」を引っ張り出してくるらしい。

 冷静に見て、みわっちは、ケロには似ていない。
 や、冷静に見なくても、ふつーそうだろう。
 それでもわたしは、ある一瞬、「ケロだ!」と思ってしまった。

 スイッチが押されたの、みわっちを見ていて。「ケロに似ている」スイッチを。

 あー、つまり。

 わたしは、わたしの好きなものを「ケロ」と呼んでいる、つーだけのことですね。

 好きなものは全部「ケロに似ている」って。
 どんだけケロが好きやねん。や、好きだけど。

 こうなってしまうと、すでに生身の汐美真帆とは別。
 わたしの中だけにある表現として、独立して考えるべきだろう。
 なにかしらすごく好みのナニか……それを「ケロに似ている」とわたしは表現する。本物のケロとは無関係に。
 おそらくケロちゃんがそれを象徴するよーなナニかではあった、ケロがソレを具現していた、というのはあるにせよ。

 これはわたしだけの感覚で、本能で、理屈ではないらしい。
 なにをもって、どこに響いたのか。これをひとに伝えるためには、人間の言葉に置き換えなければならないのに、わたしののーみそはそれを怠り、わたしにだけわかる「ケロに似ている」というサインを出す。

 なんて短絡な……。

 そしてソレをそのまま口にしては、ひとにあきれられる日々。

 語彙が少ないから、他に表現する術を持たないから、そう言う。
 すべてを「ケロ」と言うことで済ませようとする。

 つまり、緑野が「ケロに似ている」と言い出したら、その人を相当好きだということです。
 ほんとにケロに似ているかどうかは別問題として。

 そーいや友人のBe-Puちゃんはピカチュウが大好きで、自分の好きなものを全部「ピカチュウに似ている」と表現していたっけな……。
「チャーちゃんはピカチュウにそっくり!」
 って言ってきかず、「ソレ、誉め言葉になってなから、他のチャー様@匠ひびきファンの前では言わない方がいいよ」とハラハラしたっけ。
 Be-Puちゃん自身は最大級の賛辞の言葉と信じていたが、客観的に見て彼女が「ピカチュウに似ている」と言い出すモノには、理解できないものが多かった……。

 そうか……Be-Puちゃんと同じことしてんだ、あたし……。

 まっつのことも、「ケロに似ている」と言ってnanaタンにあきれられたっけね……。
 ゆーひくんのことも、ケロのDNAとか、勝手に言ってたね……。

 ほんとに、好きな人はみんな「ケロ」なんだ。わたしの表現力の限界により。

 
「ケロに似ている」
 そう思う瞬間の胸の痛みは、とことん純度の高いヲトメ心のときめきだと思う。


 
 『舞姫』千秋楽。

 日にちの感覚が狂ったまま、とにかくバスに乗って駆けつける。
 みわさんって雨男だったの? 初日も楽も雨。……バウではそんなことなかったよなあ?

 朝バスで東京駅に着いて、そっから開演までヒマなので、わたしよりさらに早朝に「夜行列車」で着いていたという剛の者・木ノ実さんに拾ってもらう。
 「入り待ちしようね」って誘われていたのだけど、雨なので、ふたりともあっさり断念。ともにまっつファンのはずなんだが、なんて根性のない……(笑)。
 だって青年館ってよく知らないところだから、どこでギャラリーすればいいのか、わかんないし。楽屋口がどこかも知らないし。

 わたしは初日とその翌日と観劇したっきり、間の数日間は観ていない。
 地元以外の場所での1週間公演なんて、そこに滞在するのでもなければ一瞬で終わってしまうものなのだと実感した。
 自宅ですごしたのがたった2日であとは夜行バスか東京で過ごしていた1週間なんて、もーなにがなんやら。感覚どっかトんでいて、日常との境が妖しい感じ。

 でもって数日ぶりの『舞姫』。
 最後の、『舞姫』。

 たった数日間で、印象はかなり変わっていた。
 わたしは相沢くん@まっつ中心で観てしまうので、主に相沢くんが変わっていたことを全身で追う。
 相沢くんは温度が上がっていて、クールさは少なくなっていた。初日近辺の「固さ」よりも、バウで観ていたときに近く、そのバウ時代がさらにパワーアップした印象。
 わりと「知っている」ケンちゃんに近かったので、ほっとしたやらびっくりしたやら。
 それでも確実に「大人」になっている。なんていうんだろ、「規定演技」だとしても、そこに深みを持たせることに成功しているような?
 余白が感じられる芝居になっていたというか。
 あー、まっつ、地味に進化してるんだなー、とうれしく思う。

 『舞姫』は毎回泣けるところがチガウからおそろしい。
 「ここは絶対泣ける」というお馴染みポイントはあるにしろ、それ以外の場所で、予期しない感動がどーんと襲ってくる。
 よくできた作品なので、発見が多いのだと思う。また、出演者たちの「その世界に存在していること」が、生きたもの、今ここで流れ展開しているナマモノとして、そのときどきにチガウ感動を与えてくれるのだろう。

 千秋楽はみわさんもすみ花ちゃんも声がかなりヤバくなっていて、歌も台詞声も「うわっ」と思うことが何度もあった。
 過酷な公演だったんだなと思う。バウでは、このふたりがここまでキツそうになっていなかったと記憶しているから。
 持てるものを全部出し切っている。
 それが感じられる、ヤバさのある声だった。がんばれ、と心の中で拳を握ったよー。
 でもスカステの放送として残るのが、この楽だけだということが、ちょっと残念だったり。エリス@ののすみ、もっとかわいい声なのになー。ところどころ低くなってて残念だー。

 本日をもって退団するりおんちゃんには、総じてあたたかい拍手が。
 芝居は伝説なほどにアレだが、ほんとうに美しく、かわいらしい人だ。
 彼女がドレス姿で登場すると、ぱっとそこが「タカラヅカ」になる。得難い存在。

 
 豊太郎@みわっちを、ほんとーに好きだと思う。
 芝居巧者だとは、ごめん、今でもとくに思うわけじゃないんだが、それでもこの人の芝居が好きでしょうがない。
 時折クリティカルにすこーんとハマる。そのときのカタルシスが、快感がすごい。
 好み、としか言いようがない。これだけわたしをキモチ良くさせてくれるんだから。「好きだああぁぁぁああっっ」と大声で叫びたくなるんだから。
 みわさん自身を好きというより、彼の「芝居」が好きなんだよなあ。彼の「芝居」をもっともっと観たい。主役とか、主要な役が観たいよおおお。(次の大劇はどーなんだろう?)

 
 『舞姫』はたしかに作品ありきというか、景子先生の作品がまずよかったから、まさかの東上・再演がありえたのだとは思う。
 そして景子作品は「タカラヅカ・スターとしての一定スキルを持った人なら、誰でも演じられる」汎用性の高いものだと思っている。誰々へのアテ書きで、それ以外の人は演じられない、てなものではないと思っている。(一部例外はあるが)
 『舞姫』もまた、別キャストでの上演はアリだし、それでも成功はしただろうと思う。

 それでも、なお。
 『舞姫』が、今、このキャストの手によって上演されたことの意義を、強く信じている。

 低予算が透けて見えるバウホール単体公演で、たった20人、モブの男役が輝良まさとひとりしかいないよーな状態で幕を開けた、この小さな小さな作品。
 張り切って公演開始前にチケットを集めすぎたわたしはさばくのに大変で、なのに公演がはじまるとあれよあれよという間にチケ難で。
 白く美しい、手のひらの中でだけ輝く小さな星のような作品だった。

 それが今、再演というカタチでいろいろ大きくなって、ここにある。
 このキャスト、このスタッフが集結した奇跡。

 その意味を、意義を、噛みしめる。

 
 これから『舞姫』は、何度も再演されるだろう。
 何年後かは知らないが、きっと再演される。

 誰が豊太郎を、エリスを演じるのかわからないが、今、このメンバーで存在する『舞姫』を体験できたこと、この作品が産声を上げるところから見守れたことを、誇りに思う。

 そして、まっつ。
 ありがとう、まっつ。
 まっつが出演していなかったら、わたしはこんなにこの作品に耽溺していない。
 ケロがいたから『凍てついた明日』を観ることが出来たように、人との出会いが作品との出会いになる。

 まっつがいてくれて、よかった。
 まっつを好きでよかった。

 
 ……と言いつつ、寒くておなかがすいていたので、出待ちもせずにとっとと青年館をあとにする(笑)。
 終演後はどりーず東組と一緒。楽を観劇していたジュンタン、kineさん、パクちゃんに、ドリーさんが加わってみんなでごはん。わーいわーい。
 ジュンタンはなんだかんだで夜行バスの時間までつきあってくれたよ、ありがとう。

 
 『舞姫』が、終わってしまう。
 いや、終わってしまったんだ。

 カーテンコールで、すみ花ちゃんがみわっちに抱きついていた。
 微笑ましくてかわいくて。
 ……で、そのふたりの後ろで、まっつが順番待ちみたいになってるのが、愉快だった。
 バウではまっつが突然、抱きついたんだよね。
 あー、今回は正妻に先超されてるー(笑)。
 ひたすらかわいらしいみわすみの抱擁のあとで、野郎ふたりは予定調和っぽくしっかり抱き合ってました、観客の歓声をあびつつ。
 まっつ、みわさんになに話しかけてたのかなあ。

 出演者が下級生ばかりの公演で、みとさんが専科さんになってしまったため、みわっちひとりで長としての挨拶、ゲスト紹介、退団者紹介、次回公演案内までやり、そのうえで主演としての挨拶をしていた。感極まって声を震わせながら、それでも言うべきことを言い切り、オトコマエ度を上げていた。いやあ、みわさんすごい。
 見守るまっつの目線のやさしさも堪能しました。

 カテコで幕が上がり下がりするたびに、ひざまずいてりおんちゃんのドレスの裾をさばくマメのスタンドプレイっぷりにマメらしさを実感しつつ(笑)、出演者全部を見たいと思いつつもまっつから視線がはなれない、なんて正直なわたし。
 フロックコートに黒髪まっつ、ビジュアル好み過ぎ。大好きだ〜〜。

 終わってしまう。
 終わってしまった。

 マイネ・リーベ、わたしの『舞姫』。


 よっしー@みつるの、目の下のシワが、大層好みです。

 それでもまだ『舞姫』の話。

 
 わたしは「好きな男のタイプ」の中に、「目の下のシワ」つーのがあるようで。
 何故そうなのか自分でもわからんが、そんなところにときめくようだ(笑)。

 原芳次郎は、大人の男だと思う。

 夢に命懸けて、無鉄砲なことやって死んじゃうわけだから、「若者」であることも確かなんだけど……彼のいちばんの魅力は、大人であることだと思う。

 豊太郎@みわっちより先に渡独しており、外国でひとり暮らす辛酸を知っている……ということで「大人」だと言っているわけではなくて。や、もちろんソレもあるけど。

 彼も別に、最初からみじめな生活をしていたわけではなくて。

 お金持ちのぼんぼんとして成長したわけでしょう?
 明治時代に親の金で海外留学って、どんだけ富豪の令息だったんだ?
 しかも「絵」ですよ。商売のためとかじゃなくて、絵の勉強。親としては「物見遊山に金を出す」くらいの余裕がなきゃできんでしょー。息子を「天才」だと思っていたにしろ、「西洋画」なんつー日本でどうしようもないもののために大枚はたくんだから。
 若いウチは好きなだけ遊んでいらっしゃい……くらいの気概がなきゃ、絵の勉強のために留学はさせないでしょう。
 それくらいの、桁外れのぼんぼん。

 お金があり、美術学校にいたころは、ちゃんとその才能を評価されてもいた……らしい。

 よっしーが真の意味で「若者」だったのは、このあたりまで。
 実家が破産して仕送りがなくなり、学校に通えずベルリンの下町に落ちて来た今は、もう純粋キラキラなおぼっちゃまではなく。

 汚れることを知った、大人の男。

 アトリエにやってきた豊太郎がエリス@ののすみとの恋を語り、それまでの枠を超えて輝きだしたのを見て「お前は俺と同種の人間だ」とうれしそうに言っておきながら……言葉を、濁す。

 この、言葉を飲み込むよっしーが好きだ。

 エリスとの恋……新しい自分、真の自分の姿に気づき、希望にキラキラしている豊太郎になにか話しかけ、「いや、いい」と言葉を飲み込み、話を変える。

 言いたかったはずなんだ。
 豊太郎は、かつての自分。
 挫折を知る前の、幼い自分自身。

 自分ひとりで世の中を変えることが出来ると、世界を革命する力(笑)があると無邪気に信じている純粋な姿。

 それがどれほど危険なことであるか……高く舞い上がった分、地面に墜ちるときの痛みが、被害が、尋常ではないことを、忠告するべきだったのに。

 もしもそれを言ったところで激情が止まらないこと、心の中の獅子が治まらないことも全部全部見通した上で、言葉を飲み込む。

 それは彼が、大人だから。
 たしかにあったはずの翼を失い、傷ついたカラダを引きずり、2本の足で歩いているところだから。いつかまた、翼を広げ飛び立てる日を信じて。

 
 2幕での芳次郎の絶望が深いのは、彼が大人だから。

 子どもや青年の挫折なら、とっくに経験しているんだ、彼は。
 美術学校を辞め、芸術のためだけでなく「生活のため」に絵を描きはじめたときに、味わっている。

 それを乗り越えた、泥にまみれてなお絵を描くことにこだわった大人の男だからこそ……今度の絶望は、とことん深く、超えることが出来なかった……。

 
 世間知らずの若者が、勢いだけで吠えて、浅はかさから自滅するなら、そこまでかなしくない。
 悲劇は悲劇だけど、ありがちっていうか。
 だから原芳次郎は、小僧っこになってはいけないと思うの。

 若さゆえの獰猛さ、精神力、野生は必要だけど、子どもっぽくてはいけないの。
 だから。

 青年館でのよっしー@みつるは、バウより大人びていて。

 だからこそ、彼の最期が、かなしかった。

 1幕で大河内@しゅん様や丹波@らいらい相手に吠えているときからすでに、彼が小僧っこではない、ちゃんと挫折を、人生を知り、それでもなおあがいている男だと感じられて、せつなさが大きかった。

「野良犬の方が飼い犬より強いんじゃ!」
 と吠える彼の、経験から来る誇りが輝いて見えた。

 挫折を知る前の豊太郎の純な瞳を、マリィ@ゆまちゃんの肩を抱きながら見つめるまなざしが、ひたすらやさしくてせつなかった。

 この男だから、こんな男だからこそ、志を遂げて欲しかった。
 彼が絶望に苛まれ、崩れ落ちていく様を見るのはかなしかった。

 病床で「くやしいなあ、こんな死に方……」と絞り出す彼に、拳を握って同意した。
 くやしいよ。くやしい。

 やせ細ったライオン。
 百獣の王でいてほしかった。
 傷だらけでも毅然と顎を上げる姿を、見ていたかった。

 
 子どもの挫折ではなく、大人の男の絶望。
 純なものも汚れたものも、全部飲み込んだ上での破滅。

 だから、やるせない。

 よっしーはバウよりさらに、大人だった。
 みつるは成長していた。美貌も、演技も。あああもー、美しいってばー。

 そして、目の下の、シワ。

 や、だって、「大人の男」ですから。苦労してるわけですから。
 わたしの好み云々だけでなく、役としても良い感じにマッチしてるでしょ? でしょ?

 いやあ、いいなあ、華形みつる……。(芸名とあだ名の区別がつかなくなってます)


 時間がない。
 ……変だなあ、どうしてこんなに忙しいんだろう。

 と思ったけど、考えてみたら14日・15日と観劇して夜行バスで帰って、19日にはまた夜行バスの中だもんな。
 17日と18日の2日間しか、まともに家にいない。
 そしてもちろんその2日間は母親の病院行ったりなんだり、走り回っているうちに終わったし。

 ミニパソは壊れたままだし買い直す甲斐性はないし(笑)、日記の更新がぜんぜんできません。
 そしてさすがになに書くつもりだったか忘れていくしな……。
 『メランコリック・ジゴロ』は書くつもりだったことがついに海馬の奥深く埋まってしまった印象。『舞姫』はがんばって書かなきゃ〜〜。忘れたくないよー、まっつ〜〜。

 
 まっつまっつと言いつつ、まっつではなく全体感想。

 青年館になって大きく感じたのは、出演者の放出するパワーの大きさ。
 ハコがでかくなった分、演技で満たさなければならないのだから、さらに大きなオーラが必要だったことはわかる。

 ひとりずつがほんとうに、大きくなっていた。

 なにがどう、じゃないけれど。
 舞台って、芝居って、目に見えない「空気」って、こんなにチガウものなのかと思った。

 こう、前に向かって手を伸ばしている感じ?
 みんながみんな、一斉に前へ向かって両手を伸ばしている。
 もっと多くの、もっと大きな、目に見えないナニかを掻きながらそこに存在しているような。

 それが「青年館サイズの芝居」なのかはわからない。
 わたしは今回の公演、結局前方席でしか観なかった。最前列と2列目、あとは4列目と7列目。
 表情が肉眼で見えないような後方席で、この繊細な作品がどう見えるのか、感じられるのかは、結局わからず仕舞い。

 ただ、前方で観るとバウよりもみんな力強くなっていた。

 そのパワーに圧倒されはしたけれど、バウ時代の静謐な繊細さにも心が残る。
 こんなにぐわあああっと発散する芝居ぢゃなかったんだけどなあ……みたいな。

 
 とくに残念だったのが岩井くん@マメだ。
 ものすごーく大袈裟になっていて、笑わせるための滑稽な芝居というか、妙に前へ出ている感じがして、最初から最後まで違和感をぬぐえなかった。
 ひとりだけ演技の質がチガウような。世界観がチガウような。
 そりゃ滑稽なことをすれば客は笑うけれど……これは「笑わせたもん勝ち」みたいになっていた『メランコリック・ジゴロ』千秋楽じゃないんだけどなあ。大仰に、大袈裟に、目立つだけっつーのはどうかなあ。

 マメはうまい人だし、やればやっただけできちゃうから、特に目に付いちゃったんだと思う。
 にしてもやりすぎだよ、岩井くん……。

 それとも、後方席から観たらちょうどいい演技だったのかな。
 同じよーなとこばっかで観ちゃったからわかんないや。

 
 あとは下級生のひとりひとりまで成長していて、「自分がなにをすべきか」わかってここにいる、目の輝きがぞくぞくさせてくれた。
 自負のある姿、っていいね。
 モブのひとりひとりまでもが、作品に誇りを持って、それを担う自分自身に矜持を持って、そこにいるの。
 青年館から参加した子たちも。……や、くまくまちゃんに台詞がないのはすごい残念なんですが。それでも相変わらず顔芸すごいし(笑)。

 
 ところで「切っても切っても輝良まさと」って誰が言い出したんですか?(笑)
 バウのとき役がついていない男役が彼ひとりだったため、すべてのモブを彼ひとりで担当、まさに「切っても切っても」状態。
 ほんの下級生なのにヒゲまで付けて大活躍……だったわけだが、もちろん口を開けば「うわ、下級生」まんまだったのに……うまくなってますよ、輝良まさと!
 や、そんな芝居巧者とかじゃないけど、成長してます。すげー。

 今回男役が増えている分「切っても切っても」ぶりが多少緩和されていて、ちょっと残念(笑)。
 でも今の段階でも充分「切っても切っても」だとは思う。バウがすごすぎた。

 
 中日公演で「ネコちゃんがいない」と、友人たちと話していたんだ。

 ふつー、ネコちゃんは目に付く。舞台のいちばん隅でギラギラにキザってやりすぎて、スベっていたりする、花男らしい花男。
 だから放っておいても目に入ってくる。
 が、中日ではどこにいるのかわからなかった。
 わたしだけでなく、ドリーさんやnanaたんも、初見ではネコちゃんを見つけられず、「そーいやネコちゃん見てない」「いなかったよね?」「バウ組なんだよ」とか話していた。
 や、中日組だって。

 正塚せんせは役者の好き嫌いが激しいイメージがある。ネコちゃんは彼の好みではなかったということか。
 やりすぎることのできない位置に配置され、なんとも彼らしくなく地味に役目を終えていた。

 その反動だかなんだか。

 『舞姫』では、すっげーはじけっぷり。誰かこの子のにぎやかすぎるエンジン抑えて〜〜(笑)。

 はじけるポップコーンみたいだ。中の圧に押されて、ぽーんと爆発している。
 それがいいことなのかどうかはわからないが、やたら貪欲にあからさまな上昇志向を見せつけて舞台にいた。
 たのしそうだ。
 シリアスに表情を凍らせているときですら、今ここにいることを「愉しんで」いることが伝わってくる。

 わたしは正直なとこ彼の演技はあまり好みではないんだが……それでも、貪欲に輝いている姿を見るのは心地良い。

 
 ハコの大きさに真っ向から立ち向かうような、ある意味好戦的な(笑)『舞姫』だった。青年館版『舞姫』。
 なにもかもがクローズアップ、パワーアップ。

 微妙な時を置いての再演って、おもしろいな。


 寝ても覚めても「相沢くん相沢くん」ゆってるのもなんなので、『舞姫』感想の、別のキャラの話。
 

 黒沢中尉のヲトメ度が上がっていたことについて。

 初日の席が上手の2列目でした。ええ、手紙を読む相沢くん@まっつも目の前ですが、舞踏会の日本男子ズも目の前です。

 センターから下手で物語が進んでいることはわかってるんですが、ダメっすよ、黒沢中尉@ちゃー以下イケメン日本男子がずらりと並んで小芝居してるんですよ、目が離せませんよ!!

 その初日からすでに、黒沢中尉がバウと別人なことに驚愕しておりました。

 なんなの、あの典型的萌えキャラ?
 なんのプレイですか、ってくらいえらいことになってますがな。

 
 えー、わたくしバウ公演のとき、黒沢中尉のカップリングは岩井くん@マメとを希望しておりました。
 あのうざい便所水男を、とりまきのひとりとして容認している強面中尉に萌えだったんですが。

 今回は岩井くんなんか眼中にないっす。

 大河内@しゅん様でガチです。

 腐った話の中で語ってしまってなんですが、この新公学年の下級生だけで構成された「敵役トリオ」は、ものすげー成長してました。

 そりゃあどうしても学年的にみわっちの上官とか無理があるんだけど、それでもちゃーはバウのときのような「うわ、がんばってる」「いっぱいいっぱい」「それ以上そっくり返ったら、ひっくり返るよ?」てなハラハラ感がなくなってました。
 役者を育てるのは舞台だよね。本当に、そう思う。背伸びしなければできない役を与えられ、大きすぎる服を着せられ、それにほんとーに役を合わせカラダを合わせてしまうんだもの。

 ようやく「役」としての手応えや、呼吸をしている感じがした。

 そしてトリオである分、キャラが弱かったのに、他のふたりも性格が見えるようになっていた。

 文官・丹波@らいらいは、すげー嫌味な伊達男に。
 おしゃれで見栄っ張り。些細な動作にそれが顕れてる。いちいち気障なの、気に障る、と書いてキザと読む、な男なのよ。
 らいがまた、すっげー活き活きと厭さ満開にキザってるのよ。
 いちいち衿とか直すな、カフス気にするな、誰もアンタ見てないから! みたいな(笑)。
 自意識過剰ぶりが、ツボすぎる。

 そして武官・大河内@しゅん様は……融通の利かない、潔癖性気味の四角四面な男。そして、女嫌い。

 もちろん、女性とダンスはしない。踊れない、こともそりゃーあるだろうが、同じように踊れない岩井くんと丹波くんはそれでも踊っているからね。
 女とどうこうするより、黒沢中尉のお相手の方が大切、とばかりにそばにいる(笑)。

 原よっしー@みつるに対するときも、丹波くんは軽蔑ゆえにいじめを愉しむというか、「劣ったものを攻撃するのは優越感に浸れてたのしいなあ」モードなのに、大河内は本当に「けしからん!」と怒って責め立てている。

「女の裸で稼ぐ、それでも日本男児か」
 と言い捨てるときの嫌悪感。
 この男だからこそ、豊太郎@みわっちが「いやしい踊り子と親密な関係」ということを「スキャンダル」だと思って黒沢中尉に報告するんだわ。
 免官になった豊太郎がエリスの家で同棲していることを、吐き捨てるように言うんだわ。

 とにかく女について口にするとき、すげー厭そうなんだよ、大河内。
 男尊女卑の意識が強く、女は不浄なものとでも思っているんだろうさ。
 ガチガチにお堅い、体育会系なのーみその軍人さんなんだろう。

 
 はい、この硬派で女嫌いでガタイの良いいかにもな軍人さんは、自分より縦にも横にも小柄な上官に絶対服従、飲み物用意します、身の回りのお世話もしちゃってますかね、レストランではドアを開け、椅子を引いてさしあげるんですかね。……てな勢いで、なついてます(笑)。

 そして、黒沢中尉。
 演技に余裕が出てきたちゃーくんが、バウのときのような痛々しさはなく、より自然に大人の男を演じています。
 冷徹に。威厳を持って。傲慢に。だけど卑小さも忘れずに。

 作り込まれた苦い表情、嫌味な顔で「台詞」を言い、「演技」をします。
 これぞ「黒沢中尉」の顔、という顔で、そこにいます。

 が。
 「台詞」のないとき、物語の中心からはずれ、モブになっているとき。
 もちろんそのときも「黒沢中尉」として苦い顔をしているのですが。

 大河内に対してだけ、すっげーかわいく笑うの。 

 談笑してやがりますよ、黒沢中尉と大河内。
 黒沢中尉はやわらかい、くつろいだ表情で大河内を見ています。
 が、「あ、天方大臣が」とかゆーとぱきり、と顔がいつもの苦い顔になり、また大河内にだけにっこり笑いかけ、「あ、太田が」とかゆーとぱきり、と顔がこわばり……。

 普段公に見せている硬い強い顔と、大河内にだけ見せるくつろいだ笑顔の、差。

 これはなんの釣り? 腐女子を釣り上げるのが目的? ってくらい完璧な姫ぶりでした。

 バウでは笑わなかったぞ、黒沢中尉。一貫してクールだった。脇の小芝居で談笑していてなお、あそこまで顔をくずさなかった。

 あー……。
 あんな素敵でかわいい上官がいたら、そりゃ大河内も女嫌いになるわ……。
 いや、そもそも女嫌いの大河内が黒沢中尉を落としたんだろうか?
 とにかく中尉と大河内が「物語」のフレームの外なのをいいことに、えんえんラヴラヴいちゃこらしていて、びびった。

 
 中尉にはフランス人の愛人がいるそーだが、あんなにかわいくなってしまった今の彼にはあまりそーゆーことをしているのがぴんと来ない。
 愛人とは名ばかりで恵まれない少女を保護していて「黒沢のおじちゃま」とか呼ばせていたら笑えるな、とか。あしながおじさんを気取っているけれど、いずれその少女のことは捨てなければならない、はじめからそのつもりだ……と思っているところへ、同じように貧しい少女と恋愛して「遊びではありません」とか言い切っちゃう太田には、そりゃキレるしかないわな、とか。

 いっぱいいっぱいで痛々しかったバウのときより、余裕ができて大人の男らしくなった今の方が、女を囲っているのがそぐわない、つーのもなんだかなー(笑)。

 
 なんにせよ、黒沢中尉@ちゃーが愛しくてなりません。
 なんなの、あの愛らしい生き物。
 2幕冒頭の黒のロングコート姿なんて、完璧にハァハァもんです。

 キャラが立ってきた大河内くんとのコントラストも素敵。
 しゅん様はほんと、あのガタイが魅力をさらに上げているわ。たとえ中身が「泣き虫さっちゃん」だとしても、『舞姫』ではいかつい攻男として、どーんと立っていてもらわなければ。

 黒沢中尉と大河内がすーぐ「ふたりだけの世界」していて、ひとりかっこつけている丹波がソレにまったく興味ない(彼の興味は自分自身のみ)という、この愉快なトリオっぷりがじつにツボです。ジャストミートです。

 たのしすぎるぞー、日本男児ズ!(笑)


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