「それで結局、最後はきりやんなのね」
「ねー。ハッピーエンドよねー」
「んでさ、さえちゃん、アレなによ?」
「『ボクも昔は遊び人だった』? ……ナイナイ」
「『遊ばれてた』のまちがいよね?」
「でもあそこは、ああ言うしかないでしょう。男としてはねえ」

 初日にはキティちゃんと一緒。
 そしてその翌日には、WHITEちゃんと一緒でした。
 月組『シニョール ドン・ファン』。
 1日ズレてるけど、5日の土曜日の日記ナリ。

 初日とその翌日と、全席完売、サバキもナシとは、なんと剛毅な。
 初舞台生効果かな。

 とゆーのも、客席の雰囲気が異様なんだもん。
 普段は静か。つーか、寝てたり。
 だが、初舞台生が登場すると、途端活気づく。ざわざわする。喋り出す。

 身内の方々が多いのね……。

 とゆーわたしも、たまたまサバキでGETした席が、身内席のど真ん中でした。
 前の列全部と、わたしの隣は通路までずっと、同じ生徒さんの関係者。その隣の群れも似たよーなもんらしい。幕間に同じお菓子が配られてたから。……ものすごい数だ……。

「どこに出るんだ」
「わからないわ、探さなきゃ」
「見てもわからないよ」
「端から2番目だろ」
「えっ、今日出てるのか? 挨拶はチガウだろ」
「口上はチガウけど、出てるんだってば。なにしに来たと思ってるの」
「ええっ、出てないと思ってた」
 ……など。横で聞いてるとなかなか笑えたぞ。
 思わず聞いちゃったよ、どなたのお身内なのか。

 はい、成績がブービーの、あの方です。
 成績がビリから2番目だからって、「端から2番目ばかり見てたけどわからなかった」としきりに首をひねっていた男性……あの、舞台の並びは成績順じゃなくて「身長順」だと思います……。

 初舞台生ではなんといっても、凪七瑠海ちゃん……目立つなあ。
 どこにいてもわかる。
 ロケットが終わったあと、弓矢を持ってちらりと登場するんだけど、そのときのあの、マンガみたいなスタイル。顔小さっ、胴短っ、手足細長っ。
 ほんとにナルセ系だよ。
 将来有望。

 凪七瑠海ちゃんとは別に、わたしがちょいと気に入っている純矢くんの方は、残念ながら初日ではどこにいるのかわかりませんでした……。
 ショーは全員白塗りおかっぱ頭だし。ロケットはやはり全員同じかぶりものだし。しかもわたし、立ち見だったし。
 ……それでも凪七くんはわかった。どこにいてもわかった。

 だから5日の目的は、純矢くんを探すこと。

 2回目はとりあえず、顔の識別はつきました。そっか、そんな顔になんのね、大劇の板の上だと。
 なんつーか……友だちのジュンちゃんに似てる……友だちに似た顔だから余計親近感あるのかもな。

 『シニョール ドン・ファン』は、リカときりやんの愛の行方で盛り上がる。えーと、役名で言うと、レオとジョゼッペね。
 最近忘れてたけど、WHITEちゃんってきりやんファンだったわ。

「でもさ、コウちゃんもそのうち戻ってきて、また3人組になるだろうね」
 とWHITEちゃん。
 そうね。コウちゃんの役、ロドルフォも絶対、レオのとこに戻ってくるだろーなー。んで三角関係再スタート?
 でもコウちゃんの演じ方だと、ちっともホモに見えないんだもん。色気のないきりやんの方が腐女子的においしいとは、これいかに?

「でもあのラストはラヴラヴよねえ」
「レオとジョゼッペねー。しあわせそうよねえ」

 ねえWHITEちゃん。どっちが攻だと思う?
 やはりジョゼッペかしら。
 なんか昔わたし、マウロ×ドイル書いたからなあ……かぶるのやだなあ。でもどーしても攻だよなあ、きりやん。

 きりやんが受だったのって、『更に狂わじ』ぐらいのもんよねえ。
 まああれは、攻が天下の箙かおる様だったからなあ。

 そうしてこの腐女子会話は、8日のやおひソウル・フレンド、かねすきさんとの会話につづくのだった……(笑)。

 『シニョール ドン・ファン』について、語りたいことはいっばいあるんだが。
 やおひ的なことじゃなくて、もっとまともなことでも(笑)。
 しかし、ネタバレするとまずいかもしんないからさー。
 今はまだ自重中。
 そのうちやります。

 
 つづけて月組大劇場公演初日だー。

 東京から帰るバスの中、わたしの前の座席の女性ふたりは、どーやらどこぞのFCの方でした。『花の宝塚風土記』と書かれた、とても内々な書類をお持ちでした。
 わたしは花組千秋楽からの帰り、あなたたちは月組初日の往き、人生はこうして交差するのね……てなことをキティちゃんに言うと、
「そういうアンタも初日にここにいるじゃん」
 と、つっこまれました。
 はい。わたしも初日にムラにおりましたです。
 

 トシのせいだろうか。
 若者がまぶしいのだ。

 初舞台生を観るのが好きなのは、彼らの若さが愛しいからだろう。

 今回、初舞台生のラインダンスを観ながら、「今わたしは、とんでもない場面に立ち会っているんだぞ」と思った。

 人生の中で、正念場の勝負どころ、ほんとうの意味での区切り、魂懸けたスタート、って、いったい何回あるだろう?
 たとえば、膝ががくがくして立てないくらい緊張することって、人生の中にどれくらいあるだろう?

 ただなんとなく生きているだけじゃ、そうそうあることじゃないよね。

 わたしは今、とんでもない場面に立ち会っている。
 ぜんぜん知らない49人の女の子たちの、人生の正念場に、立ち会っているんだ。
 そうそうあるこっちゃないぞ。
 人生変わるくらいの場面なんて。

 桜は毎年咲き、初舞台生は毎年同じように舞台に立つけれど。
 今観ているのは、たった一度の永遠。
 共有。
 その一瞬たしかに存在し、あとかたもなく消えるもの。
 舞台芸術というのは、そーゆーモノだ。
 映画や活字とちがって。
 消えることを前提としたモノのために、人生懸けた女の子たちのスタートに立ち会っている。

 それって、すごいことだ。

 トシを取ったせいかな。
 それがとても、愛しいんだ。

 月組初日。うっかりと立ち見でした。
 場所取りする気はハナからなかったので、幕前はえんえんキティちゃんとおしゃべり。立ち見は大した人数いなかったので、余裕です。ええ、わたしの身長なら楽勝だって。
 直前に行ったのに、あっさり手すりゲット。空いてるからそこにコートをかけて観劇開始。
 でも幕が開いたのちに、後ろにセーラー服の女の子がやってきたので、譲っちゃったよ。わたしの後ろじゃ見えなかろう。
 女の子は恐縮してなかなか前に出ようとしなかったけど……いいんだよ、遠慮しなくても。だってさ。
 あの手すりってね、わたしには「低すぎる」んだよ(笑)。
 他の人のよーに、腕を載せたりオペラグラスを構える台にしたりするのには、低すぎるのよ。
 かえって疲れるの。だからいつも、大して使わないんだわ。
 とゆー、とても自分本位な理由もあったんだが……傍目から見るとわたしって、ものすごーく「親切な人」よねっ(笑)。

 
 今回は日本物のショー『花の宝塚風土記』と芝居『シニョール ドンファン』の二本立て。

 最初はその、『花の宝塚風土記』。
 日本物……月組で日本物……。

 なんつーかね、わたし、いったいいつから日本物のショーを好きじゃなくなったんだろう、と感慨にふけっちゃったよ。

 昔はね、好きだったの。
 あれは何年前だ? 雪組公演『花幻抄』。あれ、ものすごい好きでねえ。
 「チョンパ」で幕が開いた瞬間の胸の高鳴りを、おぼえているよ。

 きれいだ。

 素直に感動した。
 そのあとにあった『花扇抄』はいまいちだった。『花幻抄』とそっくりだけど、かゆいところに手が届いてないなあ。と思った。
 ……でもそれすら、なつかしい思い出。
 『花扇抄』だって、『花は花なり』だっけか? 金返せ学芸会よりははるかにマシだったし、名前もおぼえていない他の日本物ショーよりマシだったさ。
 この『花の宝塚風土記』も、作り的には『花幻抄』とまったく同じなんだよね。作者が同じじゃしょーがないのか?
 でもさ酒井センセ。落ちる一方だよね、レベル。それって創作者として、いかがなものか。
 『花幻抄』を観たのはほんとに何年も前なんで、細かいことはおぼえちゃいないが、今回の作品が「あー、焼き直しなんだな」ってことだけは、わかったよ。
 『花幻抄』も半ばは民謡ってゆーか、祭囃子なんだよね。たしか町人髷の男役たちが、太鼓叩いていたよーな。
 それから「素踊りの男」たちが石庭のイメージで舞うのよね。
 中詰めのあとにトップの男役スターと娘役スターと、それから松本悠里大先生が舞うのさ。
 構成とコンセプトがまるっと同じ。
 そしてその中身が……劣化してる。
 うー。
 つまんないよー。

 いちばんがっかりしたのが、メイン部分。「桜花夢幻」とかゆータイトルのとこ。
 たしか『花幻抄』では「花夢幻」ってタイトルだったかなあ。何回同じコンセプトを劣化コピーするんだかむにゃむにゃ。
 同じ構成なだけに、「ここでいちばん気合いの入った美しいシーンが来るぜ!」てのがわかるわけだ。心してそれを待っていたのよ。
 そしたら。
 めいっぱい、拍子抜け。
 幽玄の世界はどこにもなく、色だけ金色と派手になったどこかびんぼーくさいお衣装で、ばさばさ両手をはばたかせる。
 衣装のセンスにも首を傾げたが、振り付けにもかなり疑問を持つ。なんだ? この大雑把な舞は?
 両手ばさばさ、円になってくるくる? えーと?
 人数だけは増えて、スタークラスが全員出るんだけど、なんだこのびんぼーくささは?
 どうあがいても華やかに見えない。な、なにが起こっているんだ?? と、わたしがとまどっているうちに。
 次に出演者たちは、フィナーレのときの持ち物のよーな羽扇を手に手に集結。
 これがまた、ばさばさ大きな羽をあおぐだけの振り付け。
 羽さえあれば豪華だと言うのかっ?!
 あっけにとられているうちに、終了。階段が出てきてフィナーレ突入。

 なんだったんだ、アレ……。

 羽をばさばさあおぐだけで許されるのは、大階段のフィナーレだけだよう。
 ショーの大詰めでやっていいことじゃないよう。泣。

 ……日本物ってさ、ある意味洋物ショーより、派手でないとイカンと思うのよね。
 着物ってのは、それができるアートだと思うのよ。
 それを期待してしまうのよ。
 「チョンパ」で幕が開く、あの高揚感をね。

 さみしかったっす……。めそめそ。

 あとどーしてもつらかったことが、もうひとつ。
 リカちゃんの書生さん。
 アレ、どーしてもやらなきゃいけない? やめようよ。なかったこと、観なかったことにしない?
 せめて白塗りはやめようよ。ホラーだよ。『スクリーム』の顔みたいだよ。

 
 そして、作品の内容とは関係ないことで、わたしはちょっくらショックを受けていました。
 「チョンパ」で幕が上がったそのときに。

 ゆーひが美しくない。

 我らがゆーひくんから美しさを引いたら、なにが残るのよっ?!(暴言)
 相も変わらず無表情……つーか、仏頂面だしさ。ふてくされてんのか? つー顔で踊ってるしさ。
 笑顔が見たいよ。春の踊りなんだぞ? よろこびの舞なんだぞ? も少し景気のいい顔してくれよー。

 ああ、しかも。
 ゆーひの扱い、さららんと同格だし。

 さららんと同格……。
 プチショック。
 オープニングがね。
 ゆーひとさららん、同じ衣装なんだわ。対の位置なんだわ。

 エンディングでは、さららんと同じ衣装に、上掛けのお引きずりがついただけのもの。

 ああ、これが現実なのね。ゆーひくん……。

「ゆーひのこと、すっかり忘れてたわ」
 と言うのは、幕間のキティちゃん。
「ひとりで歌い出すまで、ゆーひがいること忘れてた」
 ひどいっ。
「つーか、コウちゃんと見分け付かなかったし」
 ひどいひどいっ。
「コウちゃんがふたりいる? と思ったら、片っぽゆーひだった」
 ひどいひどいひどいわっ、ひどすぎるわっ。
 わたしがなにを言っても、
「ゆーひがどこにいるのかさえわからなかったから、なにもわからない」
 って言ってスルーするのよ。ひどいわっ。

 真っ白膨張の仏頂面でも、わたしはゆーひくんを見ているわ!
 

 とゆーことで、芝居の感想は翌日欄。


 突然ミステリが読みたくなった。
 なんでもいいから、「殺人事件」と名の付いた小説が読みたかった。

 そうして手に取ったのが、『ベルガード館の殺人』ケイト・ロス著。

 予備知識はなにもありません。タイトルも作者名も、聞いたこともなし。有名なんすか? わたし、最近とんと疎くて。

 19世紀初頭の貴族の館で起きた殺人事件を、社交界きっての伊達男が探偵役になって調べる……とゆーあらすじをちらっと眺めて、この本を読むことに決めた。

 ……大当たりでした。
 めちゃくちゃたのしい(笑)。

 つーか、わたしの頭の中には、花組のみなさんが闊歩しています!
 19世紀っすよ! お貴族様っすよ!
 探偵役はロンドン社交界きっての色男、黒尽くめのダンディ。彼のファッションを、紳士たちはこぞって真似し、淑女たちは狂喜乱舞するのよー。
 これは寿美礼ちゃんでしょう。おさ様以外の誰がやるのよーっ、と、現在彼に夢中なわたしの頭は、自動変換いたしました。

 物語は、由緒正しき貴族のおぼっちゃまが、家名のために意に染まぬ婚約をするところからはじまる。
 この善良で世間知らずのおぼっちゃまがゆみこ。
 ゆみこの従兄弟で、ハンサムで世慣れた遊び人があさこ。
 ゆみこおぼっちゃまは、遊び人あさこに連れ出されて、いかがわしい店に入る。いつもならそんなことしないけど、なにしろ彼は今日、愛する両親と家の名誉のために、顔も知らない女と婚約したのだ。ヤケにもなるさ。
 飲んだくれてカモにされて、さんざんな目に遭っているゆみこをさりげなく助け出したのが、おさ様だ。
 世間知らずのゆみこは知らなかったけれど、あさこに言われて、自分を助けてくれた人が社交界きっての伊達男、みんなのあこがれの人おさ様だと知る。……ここであさこが、「あのおさ様と、いつの間にそんなに親しくなったんだ」と、ゆみこにジェラシーめいた態度を取るのがツボです(笑)。そうか、おさ様にやさしくしてもらえる、てのは嫉妬されるよーなことなのか。
 すっかりおさ様に心酔したゆみこ、たった一度、わずかに言葉を交わしただけのおさ様を、結婚式の介添人に指名、自分の屋敷に彼を招く。まああ。強引だわ。たった一度の逢瀬で、そこまでしますか。
 社交界の華ではあっても、実は身分をもたないおさ様は懐具合が悪い。いきなり名門貴族のおぼっちゃまから結婚介添人に指名されて、訳がわからないけど今ちょーど金がないから招かれてしまおう。と、従僕のらんとむを連れて、タイトルになっている「ベルガード館」へ。
 そこは緊張感あふれる人々の坩堝。
 ゆみこの結婚は、決して祝福されたものではないのだ。どうやら彼の家族は、脅迫されているらしい……。
 そこで殺人事件が起こるわけだが、なんとおさ様の従僕、らんとむが容疑をかけられてしまった。おさ様はらんとむの無実を証明するために、真犯人を捜さなければならない!!

 ヒロインはふたりいる。
 ゆみこの従姉妹で、意志の強い、凛とした美少女。おさ様はひと目見たときから、彼女に惹かれる。……これはやはり、ふーちゃんになるんでしょうなあ。
 そして、ゆみこの婚約者。ゆみこの家を脅迫し、無理矢理婚約させてしまった男の娘。おどおどとした気の弱い少女。ちょっと両目が離れ気味なんだって。……あすかちゃんよね(笑)。

 ゆみこの両親は、組長と副組長の出番でしょう。これぞ貴族の見本、という感じの夫婦。誇り高く公正で理知的なハッチさん、貞淑で慈悲深いその妻梨花さん。

 それに対する悪の化身、目的のために手段を選ばずのしあがってきた男、脅迫によって自分の娘あすかと、貴族のおぼっちゃまゆみこを結婚させようとする商人が、もちろん、ちはる兄貴。

 ハッチさんの妹のヒステリー女と、あさこの父親でプレイボーイの大佐は、適当な上級生に。
 おさ様のワトソン役となる医者は、専科のおじさまに。

 おさ様の従僕らんとむは、元下町の掏摸。抜け目がなくてかわいい若者。おさ様命(笑)。

 いやあ、キャスティングもたのしいし、物語もたのしかった。
 とくに、おぼっちゃまとその婚約者の恋!!
 「脅迫」によって仕方なく婚約させられたふたりなんだけど、結局恋に落ちちゃうのね。
 でも、「あの人は嫌々結婚を承諾したんだ」とお互いに思っているもんだから、誤解に誤解を重ね、読んでいるこっちはとってもじれじれ。ミステリより、こっちの方が気になったわ。

 とにかく、登場人物もやたらと多いし、見せ場も多いし、華やかだし、大劇場向きですわ。
 主人公の伊達男と令嬢の関係をもっとクローズアップすれば、十分イケると思います。主人公至上主義だし。会話もいちいちかっこいいし。……時代モノだから、どんなにもったいつけたキザな言い回しもOKなんだもん。
 あの優雅な台詞を、おさ様に言ってもらいたいもんだわ……。うっとり。

 そして、愛のミステリである、というのがものすごくツボだ。
 「動機は愛」。
 やっぱコレだなあ。最強だわ。

 プロットのこみいった恋愛小説、としての側面もたのしめました。
 幸運な出会い。

 
 うっきゃー、寿美礼ちゃんラ〜ヴ!!

 とゆーだけで、デイジーちゃんと電話で盛り上がる。
 赤坂ACTも行くこと決定です。
 理屈はこの際置いておきましょう。
 おさファンは昇天必至です、『不滅の棘』。

 
 本日は映画+観劇+仕事の3コンボ。多忙ナリ。
 そのうえ、帰宅するなりデイジーちゃんから煩悩爆発TEL。ふたりでおさ語りGOだ。
 なんて長くて濃い1日。

 
 永遠の生命を持った男の、愛と慟哭の物語。『不滅の棘』。
 正しくヒーローもの。
 問答無用で、主人公ただひとりの人生を描いている。
 欲張りすぎて失敗する作品が多い中、主人公ひとりだけの物語にしてしまったのが勝因かと。
 ひとり芝居に描き直すことも可能な作りのミュージカルでした。

 テーマはべつに深くもなんともありゃしません。
 めーっちゃ「ありがち」で「お約束」で「普遍的」なものです。
 だからいいんです。

 世の人々が大好きな「お約束」というのは、「金よりも愛が尊い」です。これが基本で、あとはこのバリエーションです。
 「金」の部分には、「うらやましいもの」全部があてはまります。「若さ」「美しさ」「権力」「地位」なんでもよし。
 一般に、「物語」はこれらを「否定」することで成り立ちます。
 たとえば「若くなくても、君は素敵」「外見的な美しさより、心の美しさの方が大切さ」「悪の権力者と戦う!」「与えられた地位を捨てて、夢に生きる」など。
 『不滅の棘』で描かれる「不老不死の美貌の男」は、このお約束の「金」の部分を持ち合わせているわけですね。ならばやることはひとつ、「金」部分の全否定です。
 「不老不死」で「美貌」で「誰からも愛される」……しかし彼は「孤独」で「不幸」なのだ。
 「不老不死」とくれば、お約束、「限りある命こそが素晴らしい」。「金」は否定してこそ「物語」です。

 あとは、この「お約束」をどう描くか。
 これが「物語」の醍醐味です。

 
 『ひとり芝居・不滅の棘』は、真っ向勝負で「お約束」に挑んでいます。
 主人公のエリイは意志に反して不老不死になってしまった美貌の若者。
 幕開きから、彼の孤独と慟哭が全開です。
 なんせ「金」部分を全部持ち合わせてしまっているわけですから。超絶お金持ちの美人さんがしあわせいっぱいハッピーなだけの物語なんぞ、誰も見たくありません。すべてを持ち合わせた人間が実は孤独だったりしてはじめて、観客は感動するんです。
 エリイは孤独。エリイは悲劇。これが大前提。
 白。
 世界は白。
 エリイの目に映る、色のない世界。彼の孤独、彼の慟哭を映した世界。
 登場人物も背景も、なにもかも白一色。わたしたち観客は、エリイの目に映る絶望を、そのまま見せられるわけです。
 だってわたしたちは、不老不死ではないのですから。つまり「金」を持っていないのです。「金」を持っていることが幸福で、それ以外は不幸だと言われたら、観ているわたしたちの立つ瀬がありません。わたしたちが持ち得ないものを持っているエリイには不幸になってもらわなければ。そして、「金」を持っていないわたしたちこそが幸福なんだ、という結論に着地してくれなくてはなりません。
 しかし、テーマをただ叫ぶだけでは「物語」ではありません。
 どれほど彼がかなしいのかをエピソードを交えて表現していかなければ。
 とゆーことで、幕開きで全開だったエリイの孤独は一旦ナリを潜めて、元気な現代物の殻をかぶって物語は進みます。

 舞台は現代(正確にはちょっくら昔だけど)のプラハ。
 ブルス男爵家の財産をめぐる、100年にも渡る長い裁判が行われている。100年前に死んだブリーダ・ブルスの財産を受け取るのは誰だ?
 なんせ100年前のことなので、ブリーダ・ブルスの真意などわかりようがない。なのに、その「100年前のこと」を見てきたかのように語る男が現れる。男の名はエロール・マックスウェル、超絶スーパースター様。彼は裁判の原告被告両方に近づき、なにかを得ようとしている様子。
 エロールは何故、100年前のことを知っているのか? 弁護士助手のアルベルトは彼のたくらみを暴く。100年前の書類と、今生きているエロールの筆跡が同一のものである。これはエロールがブルス男爵家の財産を目当てに、書類を偽造した動かぬ証拠!!
 ミステリならば、これでよし。アルベルトは探偵役。
 しかし観客は知っている。
 エロールこそが、幕開きで壮絶な孤独にあえいでいた、不老不死の青年エリイなのだ。
 100年前彼は、ブリーダ・ブルスと愛し合った。書類は偽造でもなんでもない、彼自身が100年前に書いたものだ。

 この裁判とそれをめぐる事件を通して、一貫して描かれるのが、エロール=エリイの孤独。慟哭。
 スーパースター様で、女たちに騒がれて、なにもかも持ち合わせている美貌の若者は、なにゆえにか、壮絶な孤独にあえいでいる。絶望している。
 彼の華やかさと、かなしみの対比。

 事件と、彼をとりまく女たちで「物語」を回し、正しい「お約束」の結末に着地する。

 すなわち、

「限りある命を大切に生きよう!!」
「人は必ず死ぬ。でも、それだからこそ、命は尊いんだわ!」
「わたし、今日からもっとやさしくなるわ」

 とか、観客に思わせる、正しきエンタメの姿よ。

 
 お約束に徹し、舞台上を主人公の心象としての「白」に統一してまで「ひとり芝居」にし、主人公をひたすらかっこよく美しく、そしてかなしく、終始した。
 ブラボー。
 素晴らしいです。

 なんつっても「ひとり芝居」なので、主人公エロール=エリイ役の寿美礼ちゃんの役割の大きさは、並大抵ではありません。
 よくもやった、演じきった。
 主人公に説得力がなければ、すべてコケる作品だった。
 なんせ「スーパースター様」だよ。自分で自分をスタァだと名乗って失笑されないオーラが必要。

 なんつーか、「正しき花組のトップスター」の姿を見たよ。

 「スーパースター様」としての「唯我独尊! 俺の前にひざまずけ!!」な姿と、その孤独っぷりに、ヤラれました。
 好みっす。アンタもー、わしの好みっすよー。
 いちばんの見せ場は、派手こいショー・シーンでもなければ、美しい姿で愛だのかなしみだのを歌うところでもなく、あの椅子のシーンだと思うよ。
 真っ白な舞台に痛い、黄色い椅子。そこに背を向けたまま坐った姿。顔は見えないし、背中も見えない。椅子の背と、腕、頭のてっぺんがちょいと見えるかな程度の露出。
 そして呼ぶのは、今はもういない女の名。

 想像力、という力。

 顔もなにも見えない状態で、観客は想像する。
 彼のかなしみを。

 ……ええ。想像しましたとも。
 なにもかも持ち合わせた、超俺様なスーパースター様の、真の顔を。
 疲れ果てた老人のような、苦悩と哀しみに満ちた寝顔を。

 も、萌え〜〜。

 
 ひとり芝居だったんで、他の登場人物たちの比重は軽いです。
 エロール=エリイの「運命の恋人」であったブリーダ・ブルスも、幕開きにちょろりと出てくるだけ。印象は薄いです。しかも出てきた瞬間から「恋・最高潮!」なもんで、唐突といえば唐突です。
 でもわたしゃ、それで十分です。
 ひとり芝居っすから! 舞台全部が白一色の段階で、「これはエロール=エリイの物語」ってことで納得。彼の「ファム・ファタール」としてのイメージってことで、薄くてもOK。そればかりか、残像があればいいくらいだ。
 むしろ、弁護士助手で探偵役のアルベルトくんが突然歌い出したことの方が違和感あったよ。
 だって彼、ただの脇役でしょ? 探偵役でしょ? 突然愛の歌、歌われてもな……びっくりしたよ。
 そこではじめて、「そーいやこの男、二番手男役だっけか」と思い出した……すまんなあさこ……ハッチさんと2個イチでしかなく、君を個別認識してなかったよ。(もちろん、あさこちゃんが演じている、ってことで注目はしていたが、あまりに影が薄いのでスルーしていた)

 エロール=エリイをとりまく女たち、という構図は大変よかったです。
 ただ、タカラヅカだから、トップ娘役のふーちゃんの処遇に首を傾げたりはするんだけどな。
 老女も中年女も妖艶な未亡人も小娘も、なんでも来い!! な、エロール=エリイが素敵。来るもの拒まず、差別はせず、な態度が、彼の孤独を一層印象づけるよ……。

 
 ここで問題です。
 究極の女たらしエロール=エリイ様は、妖艶な未亡人タチアナとの一夜のあと、なーぜーか、服をしっかり着込んでおられました。
 そして、タチアナは大層ご立腹。彼との情事に傷ついたようです。

「あの男、服脱がなかったんじゃない?」
「自分はネクタイしめたままで、女だけ脱がせたのよ」
「そりゃ女も怒るわなー」

 てな話を、わたしとかねすきさんはしておりました。
 ここまではいい。
 問題は次だ、かねすきさん。

「そればかりか、挿れてやらなかったんじゃない?」

 ……かねすきさん……。
 そこまで、言いますか……。年頃のお嬢さんが……。

「挿れてもやらなかったんじゃ、女も怒るよー、ひどーい」

 エロール=エリイ様、真実はどうですか?


 本日はかねすきさんとデート。
 花組バウホール公演ナリ。
 これでワークショップ、全組制覇だ!!

 人気の花組だから、定価を出すつもりでいたのに、またしてもチープなお値段ですんでしまいました。
 全組制覇して、かかった値段は……あれ? よくおぼえてないや。たぶん、12000円でおつりが来るはず。価格破壊の恩恵ですかな、植田理事長(皮肉)。
 

 それにしても花組『おーい春風さん』。

 ……すごかったっすよ!!

 わたしとかねすきさん、悶絶しかかり。
 月組『長い春の果てに』の初日のようでした。

 『春風さん』って、あんな話だっけか??

 観ていない方のために、解説しておきましょう。

 親に売られた角兵衛獅子の子どもたちがいます。親方に置いて行かれたと思った彼らが、ひもじさと心細さに泣き出すと、子どもの神様であるお地蔵様が登場。彼らに愛を与えて癒してあげるのです。
 そこへ「主役」の親方登場。親方は子どもたちを足蹴にします。それに怒ったお地蔵様が、親方を懲らしめようとするのですが……被害者のハズの子どもたちは、なんと泣きながら親方をかばうのです。
 そう、子どもたちはみんな、親方の「お手つき」なのです。どんなに乱暴されても理不尽に扱われても、彼らは親方を愛しているのです。お地蔵様がどんなにやさしく愛してくれたとしても、彼らの愛は親方にのみあるのです……。
 悲しい愛の姿がここに。
 やさしい男の愛にすがればいいのに、あえてヤクザな男の鬼畜愛に身も心も溺れていくかなしい受たち……。
 そんな、せつないラブストーリーでした。

 って。
 いいのか?
 いいのか、コレ?!

 親方役は、我らがちはる兄貴です。
 出てきた瞬間、場をかっさらいました。
 主役です。
 彼が主役なのです。
 それまでの子どもたちのあわれな様子やけなげな様子は、すべて彼のキャラクタを際立たせるための布石だったのです。

 兄貴、フェロモン全開。

 それまでの世界観を見事にちゃぶ台返し。
 別世界を繰り広げます。

 あの頬の傷はなんなんですか。
 一座を率いる前は任侠の世界にいた人ですね?
 暗い過去や禁じられた過去を、1ダースは背負ってますね?
 おまけに、ロリコンでショタコンですね?
 子どもたち全員、あなたのお手つき、アンタ児童虐待の性的異常者ですね? そこに愛はあっても子ども相手は大人としてどうよ? な、イケナイ男ですね?

 ……びっくりした……。

 そもそも、主役の愛音羽麗ちゃんが、えらく「年長」な役作りであることに首を傾げていたのよ。
 「子ども」ではなく、「少年」だったの。
 宙組のあいりも、星組のれおんくんも、みんながんばって「子ども」として作ってきた役なだけに、みわっちの大人っぽさに驚いていたの。
 まっつの役も、他組の「善良な、子どもらしい優等生」ではなく、大人びた少年だった。みわっちがスネているだけなのをお見通しでいるような、ちょっとこまっしゃくれた少年。
 えらくキャラクタ設定がちがうなあ、と思って観ていた、その答えは最後にありました。

 そうか、彼らはみんな、親方の手によってすでに「大人」にされていたんだわ。
 だからあんな、年齢とちぐはぐな大人びた雰囲気を持ってるんだ……!!
 すごい! 伏線だったのか!!

 
 もー、めちゃくちゃ愉快で、わたしとかねすきさんは肩をふるわせて笑っておりましたが。

 どうなんですか、アレ?

 演出家は自分がなにやってるか、わかってやってるの?
 それともあれは、ちはる兄貴のスタンドプレイ?
 兄貴が主役になってていいの?
 それってまちがいじゃないの?

 わたしは腐女子で兄貴の大ファンだから、全開な兄貴を見て大満足だけど、「作品」としてまちがってるんじゃないの?

 おそろしい一作。
 『春風さん』なのに、『風と木の詩』になったよ……。

 
 破壊力MAXの『春風さん』の余韻を残したまま、『恋天狗』へ。

 えーと。
 こっちも兄貴、すごかったです。
 笑いをとりまくってました。
 うまいです。
 場を動かすことを知っている人だ。舞台の中心を動かすことができる人。
 しかし……。
 アンタ、脇役やん……。
 2作連続だと、やりすぎだということがよくわかった。
 下級生たちのワークショップなんだから、場をかっさらうのやめようよ……。

 スタンドプレイだらけな印象の残る『恋天狗』。

 幕開きから、村人その1が引く引く、引きまくる。長い。この人主役? と首を傾げるほど、長い。
 だって客席から登場だよ。そして観客いじりするんだよ。今日は雪組のお客様がいたんで、そこで長々話し込む。
 おもしろいんだけどな。
 雪組トップ娘役は「サル」と呼ばれておりました。……同期なんだね……。でなきゃあそこまで「サル」を連発しないわなあ(笑)。
 おもしろいけど、バランス悪いよ。
 短い芝居なのに、何分の一かは、ただの村人その1、彼ひとりだけのシーンなんだよ??

 小天狗はちゃんと「少年」で「妖精」でした。
 ほっとしたわ。雪組はひどかったからな……。
 涙と鼻水流しての大熱演。感情移入激しい子だなあ。泣くのか……。さすがだ花形みつる……(漢字チガウ)。

 お八重ちゃんとお春さんの絶叫系娘も、役が役だから、全力疾走だし。

 なんというか、ひとりひとりスタンドプレイに必死というか、個人技競演、な舞台だった。

 愉快だけど散漫な印象。

 そのなかで、不思議なほど沈んでいたのが、らんとむ。
 主役だっけ……。
 忘れてたよ。
 もちろん、うまいんだよね。安定感あって。
 それが災いしたかな。
 スタンドプレイ上等! カチコミ上等! な舞台だったから、手堅く地味な彼は、沈んで見えたよ……。

 でも、主役カップルの歌は素晴らしかった(笑)。
 

 このメンバーの中では、兄貴をのぞいたらわたし、そのかのファンなんですが。
 いやあ、『春風さん』の猿回し、よかったっす。
 場が華やぐよー。
 そして顔が好みだー。
 ケロ系だよね?
 このまましぶい男に育ってくれ。

 短いながら、フィナーレめいたものがついていたのがうれしい。
 最後にまた、親方兄貴と角兵衛獅子の子どもたちに会えて、わたしとかねすきさん、悶絶(笑)。
 

 さて。
 せっかく全組観たんだから、個人的な順位付けなんかしてみようかと。
 世間の評価は知らん。
 わたしの価値観。好き嫌い。

『春ふたたび』
 作品最悪。大嫌い。という前提のもとで(笑)。
 いちばんマシだったのが、月組。演出家……ええっ? こだまっち?! びびびびっくりだ。
 つーか、ママ役の城火呂絵さんがよかった。ママが主役の話だから、ママ次第で出来が変わる。
 だから最悪なのが、宙組。最初にコレを観ていたから、ある意味最強。なにを観ても平気。演出家、川上氏。

『おーい春風さん』
 いちばん好きだったのは、宙組。演出家は小柳女史。登場人物のキャラクタが素直に表現されていて、好感大。

『恋天狗』
 文句なしのぶっちぎりで、オギー演出の月組。プロローグの「痛さ」だけで、わたしの好みをクリア。
 次が星組のお笑い作品。稲葉氏演出。
 次が花組のカチコミ上等! 小柳女史演出。
 最悪なのが、雪組。文句なしのこだまっち。作品の本質を理解せずにぶちこわし。

 そして、べつの意味で花組『おーい春風さん』を愉快だと思う。
 これほど笑えた作品はないぞ。
 ただ……今、こうやって全作品を思い返してみて気づいたんだが。
 川上氏という演出家は、出演者を野放しにしているのか?
 最悪だった宙組の『春ふたたび』と、花組の『おーい春風さん』の演出担当で、両方とも同じ失敗してるよ?
 宙ではタキちゃん、花では兄貴、のさばりすぎ。
 アンタたちだけの舞台じゃないっつーの。場をぶちこわしてワンマンショーするのは、役者としてどうよ?
 たまたま、宙はわたしの逆ツボを直撃、花はわたしのツボを直撃していたから、評価は変わってきたけど、それを考えなければ、どちらも演出家の欠点として目に余るよ。
 役者は演じすぎてしまう場合がある。故意にか無意識か知らないけど、加速して止まらなくなることがある。それをいさめるのが演出家でしょ? 手綱を取るのが仕事でしょ?
 たぶんタキちゃんも兄貴も、川上氏より年上で、新人演出家としてはやりにくいのかもしれんが、そこんとこは間違えないでくれよー。

 役者より、作品と演出ばかりを気にしてしまうのは性格か、職業柄か。
 生徒さんたちはみんながんばってたし、誰だけが特別「素晴らしかった!!」というわけでも「最悪!! へたっぴ!!」というわけでもなかった。……あ、ごめん、タキちゃん最悪だった。
 主役クラスの子たちに関しては、順位付けは無意味っしょ。
 やっぱ演出だよなあ、ポイントは。

 そして腐女子なわたしは、いづるんで『春ふたたび』か、ちはる兄貴親方の『春風さん』を観てみたいと思うのことよ……(笑)。


 結局行って来ました、トド様トークショー。
 あまり行く気はなかったんだが。5000円だし。ひとりだし。発売日をおぼえていたら、電話ぐらいしてみようと思っていたが、忘れてたし。
 ……でも昨日、掲示板に「譲ります」が出てたからさー。

 あまり熱意はなかったさ。でもさ。
 いざ、生トド様見たら、舞い上がったよ。
 ああ、やっぱわたし、ファンだったのだなあ、と再確認。
 阪急インターナショナル紫苑の間。ディナーショーで使われるところね。わたし、入るのはじめてナリ。なんせディナーショーは昔、新阪急ホテル時代に一度だけ行って、あんまりたのしくなかったので、それから一度も行ってない。……トド様にプロデュースの才能を期待してはイカンのだと思い知ったのさ。高い金だしてアレなら、ふつーに劇場に通うよ、と思った。
 トド様本人ではなく、舞台の轟悠が好きなんだ。
 それでも、こうして生の姿を見られるのはうれしい。
 思った通り、トークはとりたてておもしろくもないんだが(笑)、生だから許す(笑)。

 トド様はお美しゅうございました。

 そして、とってもとっても、小さかったです。

 ……いいんだ、色男だから。男の価値は身長じゃないさ。若造なら身長も重要ポイントだが、壮年の色男は身長じゃないのさ。

 個展開催記念、ということで、話題は絵のことが多かった。
 わたしにチケットを譲ってくれた人(岡山からの参加だそうだ)と話していたんだけど、トド様の絵には、トド様の性格がまんま出ていると思った。
 きれいで、繊細。とっても細かく細かく、描き込まれている。
 んでもって、トド様ファンばかりの集まりの中では言えないが……。

 トド様の絵は、たしかにきれいだ。しかし、退屈だ。

 トド様の性格がよく出てる……。
 真面目な人なんだろうなあ。こつこつと努力する人なんだろうなあ。
 そして、退屈な人なんだろうなあ。

 トド様の絵がうまいことは知っていたよ。今までも劇団発行の書籍にちょくちょく載ってたじゃん。
 最初に見たときは驚いた、あんまりうまいから。プロのイラスト(素描きだったから)を、ページの効果として載せているんだと思ったくらい。そしてすぐに納得した。お化粧がうまい人は、絵を描くのもうまいだろうさ。マンガ描いてる人たちが似たよーなことを言っていたもの。
 とってもうまい。でも、つまんない。そのときでさえ、わたしはそう思った。ページを盛り上げる効果としてプロの「カット」を載せていると思ったんだもん。……ページを盛り上げるためだけの「カット」ね。ただの効果。スクリーントーンみたいなもん。
 つまり、単品の「絵」としては、どーでもいー。
 「うまい」だけの絵なら、どこにでもある。写真をトレースしたら、わたしだってある程度のものを描けるさ。
 トド様の絵は、そういう「うまさ」だった。
 見たものを、そのまま写してあるような絵。写真でもいいじゃん系っていうかな。青年マンガの背景みたいな。

 個展のほとんどは油彩だったので、以前に印刷物で見たような「写真まんま」「青年マンガの背景」ってほど没個性ではなかった。
 さすがに油彩になると味が出るよね。
 ほんとに、きれい。
 初日だったからとても混んでいたんだけど、閲覧しているおばさま方(見渡す限り、おばさまばかり……あとはおじさまがぽつぽつ)が細かい草や葉の表現ばかりに感心しているのを、こちらも感心して眺めたり。「細密である」っていうのは、こんなにもわかりやすくおばさま方を感心させるんだな。
 細密さはトド様の性格から想像できるし、なまじ「写真系のうまさ」を持つ人だとわかっているだけに、わたし的にはどーでもよかった。写真を見ながら描いたんだろーなー、とか思ったし。(フランスの絵が多かったので、現物を見ながら1から10まで描いたとは思えん。秋のパリに何日も逗留して街角にイーゼル立ててたハズないよなあ)←実際、写真を見ながら自宅で描いたものが多いとトークでおっしゃってましたさ。
 それより注目したのは、構図と色だ。
 もとが写真だとしても、その写真を撮ったのはトド様自身だろうし、その写真を見ながら色を塗ったのはトド様自身だろうからだ。
 ……空が多い。
 ふつーならこの絵、中心点はもっと上にくるよね? てな感じに、微妙にバランス悪く空が多い。
 トド様、空が好きなんだな。
 それに気づいたから、空の色ばかり見ていた。
 きれい。
 自在に色を変える。
 宙としての空間と、そこに浮かぶ立体としての雲。それらが、とてもきれい。

 だとしても。
 純粋に「絵」として見るなら、どーでもいー絵だった。
 うまい。きれい。でも、つまらない。

 個展をする意味があるのかといえば、もちろんあると思う。たとえトド様がド下手であったとしても、彼が「轟悠」である限り、絵を描いたなら個展をしていいし、小説を書いたなら出版していいでしょう。
 TVタレントは本を出していいし、ブランドを作ってもいいのさ。
 だって、「売れる」もの。
 実力だけで売れるものなんて、そうそうないさ。ネームバリュー、それは立派な財産だ。趣味でしかないものをスポンサーがついて発表の場が与えられた、それだけの「名前」を作り上げたことを誇ればいい。……絵の実力とか才能とかではなくね。いや、トド様に絵の才能があるのかどうか、わたしは知らんが。

 「轟悠」という名があってこその商品価値。
 その名を誇れ。

 そしてわたしは、その名に踊らされるクチだ。トド様が描いたというだけで、眺めていてたのしいぞ、と。あの人がこんな絵を描くんだ、へええ、と感心するぞ。
 好みの絵ではまったくないけど、最初から好意を持って見るぞ。

 トークショーでトド様は、空や樹が好きだと言っていた。田舎育ちなので、どうしても自然を重点的に描いてしまうらしい。その話から、どれほど田舎で育ったかを語る。そこへ、対談相手のすばらしいツッコミ。

「信号はあるんですか?」

 ハラショー。
 トド様のお答え。一応、あるそうです。信号機。
 わたしは大阪生まれの大阪育ちなので、さっぱりわかりません。田舎って持ったことも見たこともないので、ぴんと来ない。鹿児島娘のBe-Puちゃんがよく語ってくれるけど。そしてそのたび、「緑野さんには想像がつかないだろうけど」と言われるくらい、ぽかんとして聞いているのだろうけど。

 生トド様もさることながら、トド様ファンばかりの空間が快適でした。
 ほら、わたしの周りにトドファンいないからさー。
 わたしのテーブルは「開始15分で電話がつながった人」の席だそうです。チケット発売日。「開始7分でつながった人」はその半分の数字のテーブルでした。情報収集。
 テーブルでの話題は、この間のディナーショーのこと。……すみません、わたし、まったく興味なかったんで知りません。「がんばって電話したけど、ぜんぜんだめだったわ。つながったときには売り切れよ」とか言われ、「売り切れるものなのか」と驚いていたなんて、秘密です。言えません。
 テーブルのナンバーは55までありました。1テーブル12席だったので、660人。……この会場って、こんなに詰め込むものなの? ものすごい圧迫感。「今日はケーキだからいいわよ。ディナーだってこの狭さよ」と教えられました。きっつー。
 はー。久しぶりにトド様を見て、トド様の話ができてたのしかった。
 同じテーブルだった方々、チケットを譲ってくださった方、ありがとうございます。とてもたのしかったです。
 ……純粋なトド様ファンには言えないいろーんなことを腹に詰め込んだ、ちょっとヨコシマなトドファンに親切にしてくれてありがとう。
 次の花組では華麗なホモを期待しているなんて……オサちゃんを転がして欲しいなんて……ちはる兄貴と攻対決して欲しいなんて……最近受なトドロキばかりでつまんねー、とかな。
 口が裂けても言えません。


 ちょっとというか、けっこう悲しいことがあって、悪夢にうなされました。
 神様、わたしなんか悪いことした? なんでこんなにひどいめにばかり遭うの?
 最近グレてもいいくらい、ひどいめに遭ってるよね?
 踏んだり蹴ったり、泣きっ面に蜂。

 運と幸運の秤はつりあいが取れるというなら、わたしの幸運はいつやってくるんだろう……。遠い目。

 ま、それはさておき、宙組新公。

 たとえばコム姫がピエール役をやったら、どうだろう。
 コム姫の実力はこの際問わず、仮定として語らせてもらうが、たとえ迫真の演技をしたところで、説得力に欠けていただろう。
 そして、たとえばワタル兄貴がピエール役をやったら、どうだろう。
 兄貴の実力の真偽は問わず、仮定として語らせてもらうと、ただのウドの大木演技力皆無の立っているだけ男だとしても、説得力にあふれていたことだろう。

 つまりは、そういうことだ。

 本役のたかこより、新公のともちんの方が、説得力があったのさ。

 それってどうかなあ、と首を傾げるけどさ。
 たかこのピエールはやっぱり、どこかしら王子様で、線の細さはぬぐえない。彼がもっとはじけてくれたら別だと思う。やってやれない役ではないだろうから。
 だが、ともちんの場合、たとえ立っているだけでなにもできなかったとしても、その姿だけで「傭兵部隊のシェフ」たりえる。
 身長190cm(推定)の巨体だけで、十分荒くれ男だよ、アンタ……。

 いやあ、大男はいいねえ。かっこいいよ。甲冑の似合うこと。
 そして、横に立つ娘役たちの可憐なこと。

 だってさ。

 彩乃かなみが、「小柄」なんだよっ?!

 ピエールの腕に抱かれるジャンヌが、頭ひとつ小柄で肩幅半分華奢なんだよ?!
 あの、かなみちゃんがだよ?!
 信じられる?!

 ああ、視覚のマジック!!
 >−−−<
 <−−−>
 上記の線は、どちらが長く見えるでしょう? てな世界だよ。

 トマ役の七帆ひかる(推定身長185cm)、ロベール役の十輝いりす(推定身長189cm)と、冗談のような巨人ぞろいの傭兵部隊。
 とりあえずビジュアル勝ち。
 実力以前に見た目で勝負。
 タカラヅカですから、それは正しい。
 あとは正しく実力をつけてくれ。この大男たちが華麗にはばたくとき、コスプレの宙組は正しく昇華されるのだ。

 ……腐女子なわたしは、新公には多少期待してたんだけどね。
 本公演はホレ、腐女子のドリームに水を差しまくるあの方がいらっしゃるので、まったく萌えられないが、新公ならあるいは……!! と、期待してましたのよ。
 がっくり。
 なんか、薄いよ、みんな……。お手本通りに一生懸命演じてるのはわかるけどさ。そしてビジュアル勝ちしてるからそれでなんとか体裁は取り繕ってあるけどさ。
 本役を超える萌えは、どこにもなかった。
 たとえばトマなんかはさ、原作がどーなのか知らないが、もっとガチガチの冷静真面目小姑男にしてもいいんじゃないの? 中途半端に二枚目ぶらないで。本役の水差し男まんまのハンパな二枚目がさみしい……。トマとロベール、キャラかぶりまくってるから、「どっちかひとりでいいよ……ふたりいても意味ねーよ」な印象になる……。
 新公ってのは、たしかにお勉強の場だが、本役のコピーに成り下がらず、つたないながらも試行錯誤が欲しいと思うのことよ。

 そー思うと、雪組のいづるんは得難い男だなあ。ひとりで耽美突っ走ってくれるもんなあ。……地味だけどね。

 しかし、この巨人トリオには今後期待したいところです。大きいことはいいことだ。こいつらの横に並んだら、たとえわたしでも、「小柄で可憐」に見えるかもしれないじゃないか!!(笑)
 そして大きく強く育って、たかこ相手に攻をキメてくれ!! あのヘタレ受男にがつんと一発カマシてくれ!!(笑)

 ……ともちんといえばわたし、前回の新公、ともちんのFCでチケットを取ってもらったのです。
 チケットに添えられていたメッセージカードの、とーってもかわいい女の子女の子した文字と、ピエール隊長の男っぷりのギャップを思うと、大変愛らしく思います……。

 
 前日も寝ていません、死兆星がまだ頭上に輝いている状態なのに。

 なのに、それでも行くか、雪バウ。
 それでも行くのさ、雪バウ。

 だってもう、ネットでチケット押さえてたんだもん。
 ありがとう、配達記録代込み900円!!
 今回のワークショップは定価出したことなかったけど、いちばん格安は雪組でした。
 1000円切るとは思わなかった……。送料引いたら、610円だよ……。

 しかし。

 体力気力とも最悪なときに、よりによって『春ふたたび』。

 ……いっそ死ねと言ってください……とゆーほど、つらかったっす……。

 や、悪いのはすべてわたしです。
 こんな体調で行ったわたしが悪い。
 絶好調のときに観たって眠いものなのに!!

 覚悟はしてたけど、ほんとにつらかった。

 ねえ、『春ふたたび』ってさ、あんなに長かった……?
 もちろん、もう3回目だっけ、観るの?だから、わかってるよ? ウザくて長くてつまらない作品だってことは。
 それにしても、長かった。
 ひとつひとつの演出の「タメ」の部分が長いの。これは演出家の好みかなあ。「あ、ここでタメてるんだな」ってわかるところが、明らかに、長い。
 「タメ」の部分だってわかるもんだから、観ているこっちも力入んじゃん。次にこうくる、って。まだかまだか、まだこないのか……と、じれじれしたあとでよーやく、くる。
 この「まだかまだか」が長すぎて、疲れた。
 ちょっとやりすぎなんじゃないのかな。「感動」させたいのはわかるけど。タメすぎると、緊張感が途絶えるよ。
 ……わたしの体調のせいも、そりゃあるだろうけど。

 主役のいっぽくんはさすが、美しかったです。
 てゆーか、この子から美しさを引いたらなにも残らん……とまで言ってはならんだろうが、いちばんのウリは「美しさ」だもんねえ。そりゃ美しくなきゃ嘘よねえ。
 とか言いながら、今回なんか良かったのよー。
 あれ、かなりいい感じだぞ、どーしたんだ、壮くん!
 押さえた感じが好感。演出かなあ。今までのアホ領主さまたちのなかでは、いちばん好みだった。
 おだやかな青年が思いあまってここにいる、って感じがしたの。

 ママ役はいまいち。月組のヒトがよかった……。でも宙組よりは遙かにイイ。

 『恋天狗』は、なんだかとっても薄い作り。

 びっくりしたわ、登場人物の少なさ。
 バウの舞台って、広いのねー。たった10人だと、こんなに広々しちゃうんだわ。

 『春ふたたび』を観たときはなにも感じなかったのよ、こだまっち。
 でも『恋天狗』はぜんぜんダメだわ。
 オギーのあとってのも、気の毒だけど。

 すべてにおいて中途半端だった。

 笑いも、美しさも、感動も。

 好みかと言われるとつらいとこだが、とりあえず星組はお笑いに徹していた。
 月組はファンタジーだった。
 そして雪組は……なんだろねこれは。
 笑いは、薄かった。少なかった。笑えなかった。
 かといって美しくもない。……まあ、この演目では仕方がない、ってのはあるが。
 そして、人物が薄くなっていたぶん、感動もなかった。

 こまったなあ。

 まず、いちばん大きなちがいは、小天狗。
 役の解釈のちがいなのかな。
 この小天狗は「男役」だった。
 星組も月組も、小天狗は「少年」だっんだよね。妖精的っていうか、声もボーイソプラノのお子ちゃまがやっていた。
 小さな男の子が「恋」にあこがれて起こす騒動、だから、罪のない笑いになっていたのね。なんつったって、最後に「おっかさぁーん!!」だよ? 子どもでなきゃあまりにサムい。
 しかし、雪組の小天狗は「男役」。大人の男ではないけれど、子どもでもない。高校生くらいかな。もちろんもう、男女のコトは知ってます、てか。恋愛=えっち、ぐらいの知識はあるだろー、年齢。
 そんな子が、他の男に化けて、好きな女の子をたぶらかす。しかも、草むらでどーやらえっちをしてたのしんでいた模様。最後までやってないにしろ、Bまではしてるよなお前らっ?! という演出。
 小天狗がえっちOKの発情期だと、物語の質が変わってきます……。
 小天狗が「子ども」じゃないので、主演のキムくんは大変。弥太と小天狗の年齢差がほとんどないもんだから、それほど変化がないんだよね。器用なキムくんだから、ちゃんと小天狗の演技をコピーしてるんだけど、もともと小天狗が「男役」だから、星や月ほど「別人」にならない。
 ヒロインも、くさむらでえっちしちゃうよーな、イカレた女の子になってるしなあ。両想いになったらすぐさまくさむらで「あっはぁん」か、ヒロインよ。『傭兵ピエール』よりすみれコードぶっちりぎりだと思うんだけど?
 うーん、やっぱ、小天狗のキャラ造形をまちがえために全部壊れてるとしか思えない。
 小天狗が純粋で人間の常識を知らない妖精くんだから、なりたつ話だよね、これ。
 人間の男の話にしちゃったら、すべて壊れる。
 そして、小天狗を人間の男と同等に描いたもんだから、このままのストーリーですすめると、すべてのキャラの人格が薄く、「情緒のないヒト」になってしまう。

 こだまっちはなに考えて、小天狗をただの男にしてしまったんだ?
 なにかチガウことをしたかったのか?
 それにしても、小天狗の解釈をまちがえる、てのは、それってそもそも「作品」を理解していないってことだぞ?
 作品の本質を理解しないで、演出していいのか?

 開いた口がふさがらないです、いつものことだが。

 キムくんはうまかったです。ええ。がんばれー。
 となみちゃん、貫禄。君の存在感で持ちこたえていた舞台だ。
 小天狗のくらまちゃん、かわいかったよ。がんばってたよ。ちゃんと男役だったよ。……それがすべて、裏目に出てるけどさ、それは君のせいじゃないものね。
 晴華みどりちゃんが、妙にうまかった……。だが、彼女の役の設定もよくわからなかった……。美女なのか? バカなのか? ただ笑いをとるためだけのキャラ? 人格が見えなかった……。

 とりあえず、『春ふたたび』も『恋天狗』も、薄かった。
 さらりと終わった。
 いや、『恋ふたたび』は長くて閉口したけど、それとは別に感想としては、薄かったのよ。

 そして、4組観たなかでは、いちばんおもしろくなかった……。
 いや、わたしの体調も悪かったよ……悪かったけどさ……。
 でも、ベストコンディションで観ても、感想はそう変わらないと思うよ……。

 
 宝塚音楽学校文化祭、初体験。

 わたしは浅いヅカファンですから。FCにも入ってないし、関係者の知り合いもいない。
 そんな一般ヅカファンは、チケットが手に入らないものだと思ってあきらめていました、文化祭。
 ふつーに一般発売しているもんなんだって知ったのも最近だし。それを知っても、わたしなんかじゃ無理だと思ってスルーしてたし。
 ……インターネットって、すごい文化だよね。わたしなんかが文化祭を観に行けちゃうんだから。ありがとうインターネット、ありがとう譲ってくれた見知らぬお嬢さん!!
 ネットがなかったら観ることのできなかった公演がいっぱいあるわ、ほんと。

 どきどきしながら客席へ。
 ……だってプログラム売ってるの、音楽学校生なんだもん。領収書出ないの知ってて、それでもそこで買っちゃったよ……いつもはキャトレで買うのにさー。
 バウの窓口前も、音楽学校生でいっぱいだし。
 客層いつもとぜんぜんチガウし。客同士があちこちで挨拶してたり、出演者の話をしていたり、落ち着きがないし。

 わたしはいちおー、すみれ売りのとき撮った写真で予習してから行ったんだけどね。
 2人だけだけど、「写真いいですか?」つって、撮らせてもらった美人男役さんがいたからさー。あの子たちを観るぞーっ、という心構えで行ったのよ。

 ……わからなかったよ……どの子か。

 芝居で役がついていれば、見分けもついたのに。
 文化祭は「第1部 日舞&ヴォーカル」「第2部 芝居」「第3部 ダンス」の3部構成で、芝居は役替わりでした。
 わたしがチェック入れていたふたりは、わたしの観た回には出てなかったの……とほほ。
 わたしが観たのは千秋楽、つーか、最後の公演でした。テンション高いぞー。

 感想は。

 おもしろかったっっ!!

 も、すっげーおもしろかった。
 第1部が終わったあとの休憩時間で、わたしはすでに「おもしろかった、来てよかった!」と、隣席のお嬢さん相手にわめいてました(笑)。隣席のお嬢さんが、わたしにチケット譲ってくれた人なんだけど。感謝を言葉にしまくりましたとも。

 若いって、いいなあ。うっとり。

 若い子たちが、至近距離で(4列目の隅にいました、わたし)がんがん踊って歌って演奏してるの観て、ものすごくどきどきした。元気づけられた。
 「タカラジェンヌ」として出来上がってる子と、そうでない子がはっきりしていたりね。観てて発見の連続。
 写真で予習していったことなんか、ほとんど役に立たず(笑)。
 でも、3時間弱もこの距離で舞台観てたら、目立つ子の顔はおぼえるって。
 何人かはどこで踊っててもわかるよーになった。

 とくに、最後に挨拶をした男役さん。彼女は、すごかった。
 き、きれー。
 顔はそーでもないんだが(失礼)、スタイルめちゃヨシ。踊ってると、目がいくよ。なんなの、その身体の細さは。あんたその腹のどこに内蔵あるんですか? なんなのその腕の長さは。彼女が腕を上に伸ばすことで、舞台の空間を改めて知ったよ。
 ナルセを失った心の穴を、彼女で埋められるでしょうか……(チガウ)。

 でも、そのカラダ美人さんよりも、べつの子がいちばんお気に入りだったんだけどな。
 最初の日舞でソロを踊っていた子。……メイクした顔が、めちゃ好みだった……。
 一発でおぼえた。以来、どこにいてもワカル。
 芝居にも出てたんだけど、これがまた、好みの表情するのさ……クドいっちゅーか、クサイ男役の顔をね。

 芝居の主役をやっていた子も、好きな顔だ。うまいし。
 ヒロインには大してこころが動かなかったが、ヒロインの姉をやっていた巨大な娘役さん(男役から転向したと聞いた)や、悪役娘などが、とてもいい感じだ。
 芝居は正塚晴彦作の短編。現代パートを演じた娘役さんたち、正塚っぽい短いセリフ回しがいい感じ。

 それから、幕開きからソロを歌っていた娘役さん。すばらしい歌声、かつ、お顔もかわいい。たのしみだ。

 他にも、踊っているときの表情が愉快な子とか、表現するぞオラオラ、オレを見な!オーラ出しまくってる子とか、とにかく愉快。

 計算じゃなく、ありのまま体当たりしているからなんだろうね。
 加減のできない一生懸命さとか緊張とかが、生で伝わってくるから、たのしいのなんのって。

 それに、レオタードだしなあ……。
 男役のレオタードって、なんかものすげーエロいなあ……(感性がすでにオヤジ化)。
 カラダの線、そのまま出るもんなあ。みんな、おしりの形がきれいだー。
 あ、ひとりものすごく立派な肩と胸板を持っている子がいて、「男役としてソレは財産だが、年頃の娘さんとしてはどうよ?!」と余計な心配をしてしまうよーな子がいたよ……。

 そしてラストは、カーテンコールでもらい泣き。
 いいねえ、青春だねええ(笑)。

 ああ、たのしかった……。
 文化祭にハマる人の気持ちがわかったよ……。

 来年はわたし、自分でチケ取りがんばるわ!(でもきっと取れない)

 
 たかちゃんはいつからこんなふうになってしまったんだろう。

 このところ、「きれいなだけのたかちゃん」ばかり見ている気がする。

 たかちゃんはきれいだ。
 ほんとーにきれいだ。
 少女マンガや、アニメの中の美青年そのまんまだ。

 昔のある一時期ほど、顔はきれいだと思っていない。たかちゃんはお化粧が下手だから、昔は顎が落ちるほどヘンな顔だし、今もまたヘンになってきてる。
 たかちゃんの「顔」が目を疑うほど美しかったのは、バウ作品『晴れた日には永遠が見える』から、大劇場『真夜中のゴースト』までだ。
 とくに『晴れた日…』のエドワード。「おれの小鳥ちゃん」とゆー、ものすげえセリフも浮かない、すばらしいイッちゃった系プレイボーイ。あのときの美しさは、すばらしかった。わたしゃたかこを見るためだけに、クリスティーナさんとふたりで必死こいてチケット取ったよ。
 あとはショー『ゴールデン・デイズ』。周りの人たちが、ボロボロたかこに落ちていくサマが、いっそ愉快だった。トド様ファンのわたしが、「トド様を見てね」と言ってつれいった初心者たちが、次々とたかこに落ちていった。見知らぬ客席の人たちが、「あの髪をかきあげながら踊ってた人、かっこよかったーっ」と大騒ぎしていた。(トド様も見てやってくれよ……いちおー2番手だったんだからさ……)
 たかこのお化粧はあるとき美しさの頂点を極め、あとはどんどん落ちていった。……その裏には、お化粧名人高嶺ふぶきの存在があるのではないかと、わたしは推理しているんですが。
 ……たのむよたかちゃん。もっとお化粧がんばって……。

 顔はともかく、姿の美しさは年々上がっている。
 今の美しさはどうだ。
 『聖なる星の奇蹟』なんか、人間離れした美しさだけでできあがっていた舞台だったぞ。
 たかこは美しい。

 だが……美しいだけだ。

 何故? どうして?
 いつの間に、こんなことになっちゃったの?

 昔、たかちゃんは色の濃い男役だった。なんたって『嵐が丘』のヒースクリフだからな。
 カーテンコールのときですら眼力ぎらぎら、客席をにらみつけている人だった。
 雪組にいたときはね、攻だったのよ!! 攻男だったの!
 おおらかにのんきに育った、ひとのいい攻。だけどときと場合によっては剥き出す牙を隠し持った、野生のしなやかさのあるおぼっちゃま。
 ……だったのに。
 宙に行くなり、真っ白な受子ちゃんになったのは何故?

 どんどん漂白されて、気がついたら「お人形さん」になっていた……。
 きれーなだけの、お人形さん。

 何故だ、あんなに黒かったのに。アクがあったのに。

 たかちゃんてさあ、影響されやすいのかな。
 雪にいたときは、トドだのタカネくんだの、濃い色の兄貴たちに影響受けて、黒塗りメイクの似合うジプシー役者。
 宙にいったら、真っ白ずんちゃんの影響受けて、どんどん漂白。ずんちゃんがいなくなっても、永遠のお姫様、天下の花總様の影響受けて、どんどん王子様化。
 たかちゃん、カムバークっ。熱い魂を持った「役者」の君が見たいよー。わーん。

 とゆーのもだ。
 『傭兵ピエール』がこんなにもきっつい理由のひとつとして、主役の役者不足が要因のひとつに思えるのだわ。
 なんでたかちゃん、そんなにきれいなの?
 きれいなだけのおにーさんが、荒くれ男をやっても違和感があるよ。セリフと本人の姿が合ってないよ。
 昔のたかちゃんなら、十分演じられた役だろうに。
 今のたかちゃんだと、無理だなんて。
 ……かなしいわ。

 もちろん、「美しい」というのは、すばらしい財産だ。実力だ。
 その美しさだけで、真ん中に立つ理由になる。
 それ以上を求めるのがまちがっているのかもしれない。

 あの駄作『聖なる星…』だって、アンドロイド・フレデリックは、他に演じようがなかったのか? たかちゃんがでくのぼうをやっている横で、お花様はけなげにできる限りの努力をしていたぞ。
 『傭兵ピエール』は、アンドロイド・フレデリックとどこがちがうんだ? セリフの数? それだけ?

 『鳳凰伝』のカラフは、キチガイ爆走男だったので、たかちゃんのお人形さん的持ち味とうまくミックスして、趣があった。アレを熱血キャラの男役がやっていたら、ウザくて仕方なかっただろう(ごめん、ここでハマコを想像してしまった……ハマコの演じるカラフ……キチガイ度傍迷惑度無限大UPだ……)。

 『傭兵ピエール』はセックスの話題満載の芝居だから、たかちゃんが主役でなければ生々しくて、ヅカの舞台としては不適格だったかもしれない。
 だけどたかちゃんの「人形的な美しさ」の方が強く出ていて、なんとも感情移入しにくい主人公になっていた。

 
 それにしてもわたし、石田先生の舞台って、場面場面がぶつ切りな気がして、感情移入できないんだわ。
 なめらかな舞台は作れないのかなあ。
 時間も人間も感情も、シーンごとに全部バラバラな作品。
 ……疲れるわ。

 芝居だけで言うなら、「1回観たら十分」。
 それなら、ショーは?
 

 てことで、ショーの感想。

 『満点星大夜總会』。……タイトルだけ見たら、「勝った!」って感じなのにねえ。
 オール漢字のショーのタイトルって、お洒落だと思うよ。インパクトすごいもん。

 ただ、幕が開いてこの「満点星大夜總会」ってゆー字がどーんっと出てきたときは、客席から笑いが起こってた。
 タイトルで笑わせる……すごい……。

 齋藤くんのファンだからさ、期待してましたのよ。『BMB』大好きだしさー。

 で、オケ席からたかちゃん登場、のオープニングですでに。
 思い出していたよ。

「そうだった……齋藤くん、言葉のセンス、最悪なひとだった……」

 歌詞はセンス最悪ですとも!!(笑)
 よくもこれほど、趣味の悪い単語を並べるなー、って感じ。ある意味感心。
 言葉を選ぶセンスに著しく欠けていても、わたしは齋藤くんのファンだけどさっ(泣)。

 それにしても……ものすごいショーだった。

 相変わらずわたし、予備知識なかったから。

 熊猫娘たちが「パンダパンダ♪」と歌いながら出てきたときに、椅子から落ちそうになった。

 ウサギの次はパンダかいっっ。
 どこまでフェチなんだ齋藤!!

 しかしこのパンダ娘たち、めちゃくちゃかわいい。まともに見ればイカレた格好なんだが……不思議だ……かわいい……。

 パンダから立ち直れないでいるうちに、GO! GO!HANCHANGだよ。
 こ、殺す気ですか?
 客席で酸欠になりそーになったよ。
 齋藤くんって、なに考えてこのショー作ったんだろー?

 解説しておくと、天下無敵の花總様が、アイドル歌手HANCHANGとしてはじけきって歌い踊る、というシーンです。「GO! GO! HANCHANG!」って、自分で言ってます。
 設定年齢は16歳くらいかな。もっと下か? モー娘。とか、そのあたりの雰囲気だよな?

 いや、HANCHANGはかわいかったです。
 つーか、あまりの事態に考えちゃったよ。いったい他の誰なら、この役ができるだろうかと。
 トップ娘役の顔を一通り思い描いてみたが、やはりお花様以外には無理だと判断しました。
 ……いっそコムに女装させて、アイドルやらせるのは可だと思うけどな……トップスターはやっちゃイカンしな……。あ、タニなら男役のままでやってヨシ。

 とんでもない両刃の剣だなあ。
 お花様しかできない役、お花様の価値を再確認させる役、だけど、そもそもこんなシーンやる必要あるのか、っていう疑問のある、すばらしいシーン。
 齋藤くん、お花様になにを見たんだろう。

 パンダとHANCHANGがあまりにすごすぎて、他の印象がなにも残っていない……。

 ショーを観に、もう一度行かなきゃなあ。かねすきさん、ムラに来ないかしら。ご一緒するのに。

 『BMB』が大好きだったもんで、全体としての不満はいっぱい。
 隠微さが足りーんっ。
 えっちシーンがかな水だけっての、どうよっ?!
 かなみ×みずしぇんは良かったわ。えっちぃくてすげえ好き。「あれは水受だよねっ」とデイジーちゃんとふたりでウケたわ。

 主役は?
 たかこがまったく色っぽくないのは、どういうわけですか?
 てゆーか、たかこのことちっともおぼえてません。わたし、たかこファンなのにー。
 どうしてたかこ、こんな薄くなっちゃったんだ……(冒頭の話題、ループ)。
 
 齋藤くんなら、たかこの忘れていた色気を引きずり出してくれるかと思ってたのに。
 たかこはねっ、男と絡めた方が色っぽい男なんだってばっ。
 お花様と絡めるとただのお人形さんになるし、他の女とでもだめなのよー。(でもこのショーではお花様以外と組んでくれていたので、目にたのしかった)
 とことんフェチな、エロいたかこと男たちが観たかったのことよ。しょぼん。

 『BMB』を宙組でやってくれてもいいぞ、この際。たかこと水の愛憎劇をやってくれー。たかこを誘惑するみずしぇんが見たいよー。

 ……仕事が終わったら、自分にご褒美、ってことでもう一度観に行くかな。パンダ娘たち見に。(目当てはパンダかいっ?! ←セルフつっこみ)


 すっかり忘れていた宙組初日。
 とりあえず行ってきました。仕事が切羽詰まっているので、仕事目的でもありました。家にいると誘惑が多くてはかどらないけど、電車の中とかだと他にすることがないからはかどるのよ。
 往復の電車と、客席で仕事する気満々で、出掛けました。

 ……仕事できたの、往きの電車だけだった……。

 早く客席に坐って仕事しようと、大して選り好みもせず、てきとーなチケットを買った。
 にもかかわらず。
 たまたま、隣席のサバキを同時に買った人がいて、なんかなりゆきでその人と同行。ずっとお喋りしてました……なんのために早く行ったの、なんのためにあんなどーでもいい席を早々に買ったの。
 その方は、サバキには慣れていらっしゃらないのか、とっても純なことをいろいろとおっしゃっていました……。
「初日なのにサバキがあるなんて、ラッキー」
 あの、初日は大抵サバキの嵐です。
「この間の星組の初日がサバキだらけだったから、トップサヨナラでもなんでもない宙組も、サバキあるかもと推理してみたの! 当たってたわ!」
 星組初日はすごかったらしいですね。1000円あれば観られたと報告を受けていました。
「しかも、こんないい席を安く買えるなんて! なんて幸運なのかしら!」
 2階S席が4000円なんて、ぜんぜんすごくないっす……。今まではもっと……。
「**のときとか、**のときとか、当日券に並んで、やっと取れたのよ。B席の端っこだったけど」
 ……サバキでならその公演、ふつーに1階S席取れたと思います……。しかも、安く……。
 とまあ、全部この調子で。
 なんだかわたし、自分がとってもヨゴレた人間のように思えました。
 もっと謙虚にならなきゃだわ。そうよね、前売りを押さえていない身でふらりと劇場に行って、S席を4000円で買えたんですから、もっと感謝しなきゃいけませんね。どこでもいーや、早く席に着きたいから、と適当に買っただけだなんて……罰当たりな。
 なんかいろいろ、心洗われる想いで、その方とお喋りしていました。
 また「学生さん?」と聞かれた。いやその、たぶんわたし、あなたと似たよーな年齢だと思います……。

 んでもって帰りは、大劇場勤務のワゴンねーちゃんとばったり会う。
 そのまま、おねーちゃんと一緒に帰った。おねーちゃんちとわたしんちは、駅2つしか離れてないのよ。つまり電車の中で仕事をする予定は、崩れ去った……。

 なんのためにわざわざ今日行ったんだーっ。仕事するためだろーっ?!
 純粋に観劇だけなら、来月でも良かったのに……めそめそ。
 すべて、流されやすいわたしが悪いのよ……。

 
 で。宙組公演。

 最近とんと本を読まなくなったわたし。
 そーいや、本業でひどいめに遭ってから、小説ってほとんど読まなくなってるんだよなあ。昔は活字中毒の小説中毒だったんだけど。今じゃさっぱりさ。……まだ立ち直ってないのかな、わたし? あれから8年くらい経ってると思うんだが。
 いやとにかくわたし、原作読んでないんだわ。読んでないどころか、存在も知らなかった。昔のわたしからは、考えられないことに。

 原作なんかなーんにも知らないまま、なんの予備知識もないままに観る。
 『傭兵ピエール』。

 いちばん「こまった……」と途方に暮れたことは。

 ピエールがかっこよく見えない。

 ってことですなー。
 わたしはたかこファンなので、たかこがやっているってだけで、ピエールには好感を持っています。持っているけど……こまった。この男、どーでもいー。
 感情移入できない……どこを観ればいいんだ、この芝居?

 荒くれ傭兵部隊の隊長ピエールは、ジャンヌ・ダルクという少女と出会う。略奪者とその被害者として。「神の声」に導かれ、フランスを救おうとしているジャンヌは、「使命を果たしたあとに純潔を捧げるから、今は見逃してくれ」と懇願し、ピエールはそれを受ける。
 ジャンヌはそののち「救世主」として有名人に。ピエールと再会してすったらもんだら、戦争しながら純潔をどーするのなんのと大騒ぎ。ならず者と聖女の恋はどーなるの?!てか。

 そのままの勢いで走ってくれればいいのに、途中でピエールはただののんだくれになるわ、時は流れるわ、たるいっす……。
 個人的に、クライマックスが最大の引っかかりなんだが、あれはいいのか? 原作がああなのか?

 クライマックスというのは、物質的な盛り上がりと、精神的な盛り上がりが必要でしょう。
 物質的っちゅーのは、「動き」、アクションとしての派手さ。戦争だったり人の生き死にだったり、とにかく見た目に派手に盛り上げる、「動いている出来事」。
 精神的っちゅーのは、「成長」、主人公の心が、物語の最初とはちがったところへ変化すること。悪人が改心したりとか、劣等感を乗り越えたりとか、そういうやつね。
 このふたつを派手にぶちかましてこその、クライマックス。

 『傭兵ピエール』のクライマックス、アレは……。
 物質的には、修道院襲撃とそのあとの宮廷のシーンだってわかる。
 んじゃ、精神的には?
 ……ヅカに精神を求めるなってか? まあ、そりゃそーなんだが。
 精神的クライマックス(=目に見えないものの盛り上がり)をヅカでは無理だとあきらめたとしても、わたしはあのクライマックスが納得できない。
 だって主人公、なにもしてないじゃんよ?
 すべてお釈迦様の掌の上、かよ。

 わたしの逆ツボのひとつなのよー、「お釈迦様の掌の上」ってやつ。
 我ながら逆ツボ多いとは思うけどさー。

 タカオくんは内気な男の子です。ある日タカオくんは、クラスのいじめっ子が子犬をいじめているところを見つけました。タカオくんは内気です。いじめっ子と戦うなんてこと、到底できません。ああ、でも、子犬が可哀想です。タカオくんはついに、勇気を振り絞って、いじめっ子の前に出ました。
「弱いものいじめはやめろ!」
 そこに現れたのは、学校の先生や、タカオくんのお母さんです。いじめっ子も一緒になってタカオくんに拍手を送ります。
「すごいわ、タカオ! なんてやさしくて、勇気のある行動なんでしょう。お母さんは内気なタカオが勇気を出すことができるように、お芝居を頼んだのよ」
「嘘ついててごめんな、タカオ。お前が勇敢な男の子になれるように、わざといじめっ子のふりをしていたんだ」
 勇敢なタカオくん! やさしいタカオくん!
 よかったね!!

 ……てな話が、大嫌いなのよーっ。
 タカオくん、それでほんとにいいのか? アンタそれ、操られてるだけじゃん。
 「タカオのため」だからって、嘘ついていいのか、お母さん。だましていいのか、クラスメイト。
 この場合、お膳立てがすべて嘘でも、そこでタカオが勇気を出したことは本当だから、ってことで、すべての嘘が正当化されるのよね。
 嘘は嘘。罪は罪。
 なのになんで、ぜんぶ「善」になるの? 「すばらしいこと」になるの?
 それ、「偽善」って言わないか?
 タカオが勇気を出さずに逃げ帰った場合は、どうなるんだ? いじめられていた子犬の立場は?

 ママというお釈迦様のお膳立てなしに、タカオが自分で悩んで傷ついて、それでも勇気を振り絞って立ち向かうこと。
 それでなきゃ、いやだ。
 主人公が、強大なものに都合良く操られて、それゆえに都合良くハッピーエンドなんて、いやだ。
 クライマックスならば主人公よ、自分で動け。他人の掌の上で棚ぼたの幸福で終わらせるな。

 ピエールがかっこよく見えない……。
 クライマックスでなにもしてない、他人に操られ、流されるだけの幸福をうれしそーに恭順する男なんか、ちっともかっこよくないよー。

 
 お花様のジャンヌは、とってもかわいかったです。さすがだなー。
 『聖なる星の奇蹟』の日記では文字数制限で書きそびれていたが、あの超絶駄作をそれでもなんとか支えていたのは、ひとえにお花様の踏ん張りがあったからだ。あのときのお花様は、痛々しいほどがんばっていたよ。ひとりで舞台全部背負ってたよ……涙。
 今回の役も、お花様だからこその清涼感がある。さすがだ。

 たかちゃんはなー、もう少しはじけてくれ。たのむ。

 みずしぇん(こう呼ぶとWHITEちゃんが嫌がるので、呼ぶ・笑)はかっこいー。女を使ってどんどん出世、が納得できる色男ぶり。

 かなみちゃん、いい女だ。うまい。
 アリスちゃんはお花様の二役かと思った。声で区別するしかない……。
 あいり、とても美しい……が、何故に退団公演で女役?
 リッキー、また悪役ですか……(笑)。健康的な丸い顔に貼り付けた悪の表情が、いかにも小物っぽくてよし(笑)。

 右京くん……あなたまたそんな役ですか……。脛が美しいけどさ……。

 コメディなんで、もっと日が経った方がたのしめるだろーなー。初日の喜劇はきついわ。

 とゆーあたりでもう、文字数がない。

 
 ちらしとはなんぞや。

 通常、ちらしとは広告・宣伝文を印刷した紙のことだ。つまり、「売りたいもの」が先にあり、それを「売る」ための手段のひとつである。
 ちらし自体は「売り物」ではない。
 不特定多数の、「客」もしくは「客になり得るかもしれない相手」に配ることを目的とした印刷物だ。

 ……んだけど、どーも最近、そうでもないようで。

 わたしとWHITEちゃんは、ある芝居のチケットが欲しかった。
 今日はそのチケットの発売日だ。店頭発売は抽選のみ、座席配分が悪いのでそっちにはもともと期待してない、本命はやはり電話でしょう。
 電話をする場合、公演日程が必要だよね? なにもないと、電話がかかった場合にしどろもどろになってしまう。
 情報誌を買うという手もあるが、ここはちょうどその芝居が上演される劇場のすぐそばだ。どうせなら、劇場でちらしをもらって、そのちらしを見ながら電話をしよう。

 だが、劇場にちらしはなかった。

 他の芝居のちらしなら腐るほどある。べつの芝居を観に行ったときになど、欲しくもないのに無理矢理押しつけられる。
 問題の芝居のちらしだけがない。
 今日がチケット発売日なのに。

 もちろん、予想はしていた。
 以前から、「ある劇団の芝居」だけ、ちらしを置かなくなっているのだ。
 繰り返すが、他の芝居のちらしは「ご自由にお取りください」とスタンドに配備されている。また、無理矢理配布されたりもする。
 「ある劇団の芝居」に限ってだけ、例外なのだ。

 昔はふつーに「ご自由に」コーナーに置いてあったのに、ここ数年、見かけなくなっていた。
 それでも、窓口で「ちらしをください」と言えばよかった。
 勝手に取られたらこまるけど、ほんとうに欲しい人は係員に言ってね。……というのは、客としては面倒に感じるが、まだ理解できる。
 枚数が少ないのかな、とか、大量に持ち去る奴がいて問題になるなりしたのかな、とか考えるしな。

「うん、たしかに前は窓口で言えばもらえたけどな。……前回の『星の奇蹟』のときは、それですらなかったよ」
 と、WHITEちゃんは言う。
「『本当にチケットを買ったんですか?』って、確認されたんだよ」

 ……「チケットを購入した人」だけが手に入れることのできる、「限定特典」なのか、ちらしって??

「で、1枚しかくれなかったから『2枚買ったんですけど、それでも1枚しかもらえないんですか?』って聞いてはじめて、2枚くれた」

 チケットを買ってない、でもこれから買うかどうか検討する、って人には、くれないのね?
 それって、「ちらし」じゃないのよね?
 「購入特典」だよね?

 納得のいかないのことだ。

 話題の「前回の芝居」において、わたしは実際に芝居を観たあとで、ロビーの案内カウンターにいた劇場の人に「今日の芝居のちらしをください」と言ったのよ。
 そしたらぎょっとした顔をされて、「こちらへお願いします」って、別室に呼び出されちゃったのよ(笑)。
 ……なにごとかと思ったねー。
 「ちらしをくれ」ってのは、犯罪なのか? 事務室に連行されるほど?
 連れて行かれた事務室で、大仰にちらしを1枚いただきました。はい。ありがたいことです。
 あー、びっくりした。

 そんなことになっている「ある劇団の芝居」の新作だ。
 わたしたちは、ちらしをもらうために窓口に行った。
 ……チケットをすでに買った人しかもらえないちらしでしょ? それがわかってて、「これから買う人」が行っても意味ないよね?
 大丈夫。
 実は、すでにその劇場FCの先行発売において、チケット2枚は押さえてあるんだ。その先行発売のときには「まだちらしはできていません」と断られていた。
 さすがに今日は発売日だし、友人のデイジーちゃんからちらしの配布がはじまっているという情報も得ている。
 わたしもWHITEちゃんも「チケットを買った人」だ。それを言えばちらしをもらえるはず。

「今日発売の、この芝居のちらしをください」
 窓口で、WHITEちゃんは言った。
 チケットを買うために、公演案内の載ったちらしを欲しがるのは客として当然のことだ。
 だがもちろん、窓口のおねーさんは拒絶する。
「チケットの購入をされましたか?」(この窓口では今日は発売をしていない。明日以降、残券取り扱い予定)
 金を払わない奴にはやらねーよ、ということだ。商売としておかしいのだが、ここではそれがまかり通っているのだから仕方がない。
「会員の先行予約で買いました」
 わたしは客よ、とWHITEちゃんは返す。
 すると窓口のおねーさん。

「会員証を見せてください」

 はあ?
 わたしもWHITEちゃんも口ぽかーん状態。

 疑うんですか?
 窓口にやってきた客を?

 WHITEちゃんは言われた通り、会員証を見せました。
 すると窓口のおねーさんは「何枚ですか?」と事務的に聞き、購入枚数分のちらしを出してくれました。

 返却されたWHITEちゃんの会員証には、「チ」というサインが入れられています。
 つまり「もうちらしは渡したからね、もう一度もらってないふりして来ても無駄よ」という意味です。

 ……とことん、疑われています。
「あんたたち、嘘つきでしょ? え、ちがうの? でも疑わしいわ。嘘がつけないようにしておくわね」と、言われているわけです。

 もらったちらしには、「2月9日前売開始」と、白々しい言葉が印刷されています。
 前売、の状態では、手に入らないもんじゃん、これ。
 購入特典なんだもん。

 なんてばかばかしいんだ。
 んな、ちらしごときで嘘なんかつかねーよ。

 そんなにご大層なものならはじめから、「購入特典」とわかるように掲示してくれ。「ちらし」ではなく、「購入特典ミニポスター」とか名前をつけて。
 そして、「ちらしが欲しい人は会員証提示で要求しろ」と看板でも置いてくれ。
 一切明記していないのに、「ちらしはチケット購入者のみ」「会員証提示」と勝手に言われてもな。

 よーやく手に入れたちらしを見ながら、わたしたちはチケット発売番号に電話をかけました。
 ……ちらしってのは、本来そーゆー使い方をするもんなんじゃないの??

 なんかまちがってると思うんだけど、ドラマシティ?

 
 デイジーちゃんは今ごろ東京です。

 金曜日から日曜日まで行くのだと言っていました。
 彼女の会社は休暇に厳しくて、なかなか休めないのだそうです。だから彼女は「月組のためにしか休まない!」と宣言していました。愛するゆーひくんのためだけに、数少ない休暇を捧げる所存でした。

 BUT。
 現在月組が公演しているのは、名古屋です。東京ではありません。
 では、なにゆえにデイジーちゃんは、「ゆーひのためだけにある有給」を消費してまで、東京にいるのでしょう。

 ええ。
 すべては、おさトート様のためです(笑)。

 彼女は今、おさトート様に夢中なのです。

「トート様はいかがでしたっ?!」
 と、東京から帰ったわたしに、デイジーちゃんからTELがありました。生のトート様情報が聞きたかった模様。

 わたしが見たとき、1日目は逆ギレ系の陽気トート、2日目はウエットな受トートだったと言ったら、とてもよろこんでいた。
「日替わりなんですよねっ。だから、前にわたしが見たときは……」
 と、トート様語り。

 そーいや去年の今ごろは、わたしたちえんえん、ゆーひ語りをしていたわねええ。
 わたしとデイジーちゃんは男の趣味が似ているようで。
 たかこアルフォンソにハマり、ゆーひプルミタスにハマり、今度はおさトートですか……。
 一目惚れ経歴が同じだなんて、イヤンですわ。

 もっとも、デイジーちゃんの方がドラマチック恋愛体質なので、わたしなんかより遙かに激しく恋に落ちるのですが。
 今も、彼女のトート様への恋の激しさには、とても勝てません。「わたしの分も、がんばってね」としか言えないよ……。

「ゆーひのこともべつに、忘れてませんよ」
 って嘘だアンタ。
 月組のチケット売り渡して、代わりに花組のチケット買ったくせにー。

「歌えなくてもなんでもいいから、ゆーひにトートやってほしいとか、ファンの子と話してたりするんですよ」
 ゆーひを忘れていない、という例として彼女はこう言う。……それでもトート様からは離れられない模様。
 ま、それはいいか。
 誰でも一度は思うよね。好きなジェンヌがトートだったら、と。
「ビジュアルだけなら、絶対似合いますよ」
 うんうん。
「そして、冷たさにかけては、歴代トートなんかメじゃないですね。冷酷っぷりはゆーひの武器ですから」
 うんうん、まったくだ。
「ただし。……エリザベートを愛している演技は、きっとぜんぜんできないと思います」
 …………。
「ただの冷たいだけのトートですね」
 デイジーちゃん、ちょっと質問。
 ゆーひってさ、今まで誰かを愛していた役、したことあったっけ? コメディとかじゃなくて、シリアスで。本気で。
「ありません」
 仮にも、新公主役をやったことのある、路線の端っこに引っかかっていた(過去形かい)美形男役が、「ない」……?
 恋愛したことが「ない」ってぇ?
「そーですよ、ないんですよーっ、ゆーひさん」
 そ、それはどうよ。愛が命の宝塚歌劇団の男役としてどうよ。
「あ、一個だけあります、『ウエストサイド』のトニー」
 それ、新公やん!! 本役ちがうやん!!
「『血と砂』。おにーちゃんのこと愛してました!」
 相手女ちがうやん!! つーかあれ、ケロじゃん!!
「……でも緑野さん。正直な話、ゆーひに人を愛する演技ができると思いますか?」

 思いません。

「でしょーっ?!」
 デイジーちゃん大ウケ。

 因果なキャラだな……ゆーひ。
 そこが好きなんだけどな。

「おさはあくまでも浮気です。……浮気ですってば」
 と言うデイジーちゃんは、ゆーひのために中日には行かないけど、おさのために東宝には行くのだ。貴重な有給を使ってまで。
 戻ってこいよ? な?(笑)

 わたしもおさトートにはめろめろだが、ゆーひへの愛は失ってはいないのだ(笑)。うん。

「緑野さん、『さらば月組。次から星ファン』って言ってたくせに」
 はっ。
 だだだだ大丈夫よ。月組だって忘れてないわ。ゆーひがいるんだもの、ちゃんと観に行くわ、応援するわ。
「わたしのことばっかり、言えませんよね」
 ……うわーん。デイジーちゃんが揚げ足とるー。

 大丈夫、わたしはケロトウコゆーひに萌えてるから!!(いろんな意味でな。にやり)

 
 ああああ、いづるん、ラ〜ヴ。

 
 雪組新公『春麗の淡き光に』観劇。
 この公演のいちばんの収穫は、いづるんの検非違使男でした。本役はハマコね。

 わたしはハマコが好きだし、彼のあの、やりすぎてしまう超うっとしー演技が好きだったりする。うざッと思いつつも、それでも応援していたりする。
 そしてなにより今回の芝居では、気の遠くなりそーな駄作を、ハマコのあのクドイ演技で力業で支えている感があるだけに、ハマコ演じる検非違使男が好きだ。

 それでもなお。
 新公の検非違使男、いづるんが好きだーっ。
 も、萌え……。
 どーしましょー、いづるん検非違使さいこー。

 はっきり言って、ハマコの演じる検非違使男とは、別人でした。あらゆる意味で。
 まず、最大の相違点。

 いづるんの検非違使男は、美形でした。

 ……ごめん、ハマコ。ごめんな。素顔の君がガイジン系の美形さんだとは知ってるよ。でも君、舞台ではカケラも美しくないんや……。

 それに比べて、いづるんの美しいこと。
 出てきたときから、「なんなのこの検非違使男っ、背景にはいつもお花、アップになると点描とんでますがなっ」とびっくり。
 たおやかな美青年でさ。一目見て、「こ、この男、いぢめたい、泣かせたい……」と思いました。
 そりゃー、悪役大臣もいぢめるでしょう。足蹴になんかしちゃってさ。ああっ、転がる様がすてきだわ。やーん、もっといぢめて〜〜っ。
 とにかく、いづるんが色っぽすぎるので、この物語がまったく別の物語に見えました。
 悪役大臣は絶対、いづるん検非違使男を、いぢめたくていぢめているわっ。キム朱天童子のことは建前よ、本音はただ、いづるんを足蹴にしたいのよ。ハァハァ。

 とまあ。外見つーか、キャラですでに萌え萌えだったんですが。
 そのうえこのいづるん検非違使男、ハマコと役作りがちがいました。や、もちろんそりゃ、あの暑苦しさはハマコだけのものであり、他人が真似できるものではないと思ってますが。
 それにしても、まったく別人に作ってきたあたり、感心しました。
 なんていうかとても、納得のできる人でした。
 ハマコだと、勢いだけで空回ってるかわいいバカ男って感じだけど、いづるんはもっと深かった。
 二流大学出のサラリーマンが、コツコツ努力して出世して、よーやく現在の地位を築いたのに、努力むなしく失脚するはめになって。35年ローンのマイホームと、専業主婦のお嬢さん育ちの女房と、病弱な息子を抱えた29歳、この微妙なトシで俺、これからどうすればいいんだ?! てな、哀惜がふつふつと伝わってきました。
 なまじまだ若い分、断ち切られた出世の道が恨み節、あきらめきれないっていうか。
 銀橋の復讐ソングで、力一杯彼に感情移入しました。
 そして、いちばんの見せ場であるキム朱天童子を斬る斬らないのところ。
 あの、空虚な瞳が忘れられません。
 復讐だけを支えにどん底を這いずっていた男が、それをぽきんと失う瞬間。そして、そこに浮かぶ笑み。……ぞくぞくしました。
 この男、今すぐ犯してください、と思いました……。はっ、わたしったらなんてハシタナイことをっ。

 いやあ、いづるん見てると、自分の中にある「攻属性」がむくむく頭をもたげてくるのがわかります。(注・わたしはふつーの女の子……つーかおばさん……なので、もちろん普段は攻属性なんて持ち合わせておりません)
 前回の『追憶のバルセロナ』でも、ナルセの役をやっていたとき、それまではどーってことない手堅い演技でしかなかったのが、拷問されたあとになると、いきなり色気爆発、ごごご拷問てアンタ、ナニされたわけっ?! と取り乱してしまうよーなものすごさだったことを、思い出します。
 いづるん……いいキャラだ……。

 
 主役のキムちゃん朱天童子。
 OK。も、ぜんぜんOKっす。明日から主役でも、わたし的にはぜんぜんかまいません。
 というか、最初の「宝塚よいとこ一度はおいで踊り」(えっ、こんなんじゃなかったっけ?)で出てきた瞬間、「あんたがトップスター!」と思いました。
 あの広い舞台の、どこが「中心」であるか。
 それは立ち位置や衣装じゃないんだよね。
 オーラなんだよね。華なんだよね。
 出てきた瞬間、「彼のいるところがセンターだ!」と観客にわからせる力。
 キムはそれ、当たり前に持ち合わせているね。
 しかもなんだ、その不敵な笑みは。
 舞台には性格が出るという。たとえばタニちゃんなんか、なにをしていても、「ああ、君は舞台が大好きなんだねえ、ものすごーく素直ないい子なんだねえ」とわかる。
 キムは……アンタ性格、ものすげー悪い?(笑)
 て言い方は、語弊があるかもしれないが。
 ものすごく、生意気そう。友だちにはなりたくないー。いやなヤツっぽいー。
 でもそれが、舞台ではものすごい魅力である。
 か……かっこいー……。
 あの、ぶあつい唇を歪めて、意地悪くいやらしく笑う、あの笑い方がたまらん……。
 朱天童子ときたら、弓矢持って現れた瞬間、たしかに「カリスマ盗賊」でした。説得力。歌がなんかハズれてたみたいだか、それはまあご愛敬。
 なまじ出がかっこよすぎたから、そのあとの頭の悪い落ちぶれっぷりには違和感絶大。いいや、あんたはそこで泣きを入れるよーな男ではないはずだ、もっともっと、したたかで悪い男だろっ?! と思ってしまったよ……。
 よわよわな演技もうまかったけどさ……。前半と後半で別人だったぞ……? それっていいのか? 脚本の問題でもあるけどさ。
 滑舌と声がいいのが、得点UP。台詞と歌がはっきり聞こえるよ、ママン……こんな歌だったんだね。
 

 シナちゃんヒロイン、第一印象はやっぱ「小さっ!!」。
 びっくりするミニマムさでした。
 なのに、バランスいいプロポーション。顔が相当小さいんだろうなあ。
 前にものすごい歌を聴いたよーな思い出があったんで、歌のとき身構えてしまったが(笑)、べつにふつーに歌ってた。
 やりようのないヒロインを好演してました。

 かしげの役をやってたひじりんは……。
 かしげも相当アレだったが、やっぱり伊達に年月を重ねていないんだなと再確認しました。はい。
 つーか新公も完全に、検非違使男が2番手でした。最後にこの男がいい役で出ているのが何故だかわからんくらいに、ただの脇役に成り下がってた。

 美貌に目を奪われたのが、真波そら。
 なんですか、あの美形はっ。思わず家に帰って「おとめ」をチェックしちゃったよ。四天王のひとりね。

 あと、どこの組にも、「好みの顔」の男がいる。
 一般的観点において美形かどうかは関係ない。わたしにとっての「好みの男」だ。
 それが宙組では貴羽右京くんであり、雪組では安城志紀なのだわ。
 新公のパンフレットを最初にざーっと見て、「あっ、しっきー、役ついてんじゃん。『酒田公時』ってどんな役だろ」と、たのしみにしてました。わたしゃ本公演のパンフは買ってないんで、役名だけじゃなんのことやらさっぱりわかりませんからのう。
 ……たのしみにしてました。
 「顔」のファンですから。『猛き黄金の国』の新公の、顔に傷付き男で一目惚れして以来、彼の「顔」が大好きなのです。
 「酒田公時」って……四天王の赤鬼ぢゃん……。
 あまりのショックに、開いた口がふさがりませんでした……。
 顔が……顔が目当てだったのに……赤鬼……顔、作りすぎてて見えねー……。
 いや、似合ってたし、がんばってたよ。ただ、顔のファンとしてはさ……かなしかったよ……最後の挨拶も、とーぜんその化粧のままだしな。
 思わず同じ四天王の真波そらに浮気しそーになったよ……。

 
 なにはともあれ、有意義な新公でした。

 そして、後日書き直しってことで、人目に触れることが少ないだろーってことで、タイトルも内容も暴走中(笑)、な日記でしたー。


 今日はWHITEちゃんとデートでした。

 あぜんとしたのは、コムサカフェのランチメニュー。
 一度どんなもんか食べてみたかったので、今回チャレンジしました。
 オサレなお店でオサレなランチ。一汁三菜つきの鶏ごはん。ここのランチはすべて和風。
 運ばれてきたのは、黒塗りの盆に黒塗りの箱。
 知ってます、この箱の引き出しの中がお料理ですね。和風レストランでよく「**弁当」とかいう名前で使われている、重箱に似た箱。引き出しの数は3つありました。
 その横に黒塗りのお椀、こちらがお吸い物ですね。中は赤だしでした。
 さあ、一汁三菜の三菜はなにかしら、と期待を込めて、いちばん上の引き出しを開けてみます。

「!!」

 黒塗りの引き出しの中は、お約束の朱色でした。
 その朱色の正方形のなかに。
 500円玉より小さなおまんじゅうが1コと、野菜チップスが3枚入っていました。

 これは、なにかのまちがいでしょうか。
 料理名は「お膳『空』」です。時間限定ランチメニューです。
 なのに、3つある引き出しのうちひとつに入っていたのは、小さな小さなおまんじゅうと、チップス3枚。
 その小さな引き出しは、ほとんど空です。朱色の内塗りをむきだしにしています。
 そりゃそーです。いくら小さな引き出しとはいえ、500円玉より小さなおまんじゅう1コと、薄く小さなチップス3枚で、うまるはずがありません。
 ……これは、どっから見ても「ただのお茶請け」だよな? お茶を出したときに、受け皿に添える程度のささやかなお菓子だよな?
 まちがっても、「1食のおかず」ではないよな??

 気を取り直して、2つめの引き出しを開けました。今度こそ、ちゃんとした「三菜」に会えることを願って。

「!!」

 またしても、内塗りの朱色がまぶしかったです。
 小さな引き出しの中には、つくねが1本と、いわしの切り身が4コ入っていました。
 すかすかです。せっかくの空間が余りあまって、目に痛いです。
 えーといわしって、小さいですよねえ。そいつの切り身4コですよ。4匹ではなく、切り身が4つ。いえ、4匹もいりませんが。
 つくねは1コ10円玉程度の大きさのものが2コ、1本の串に刺さっています。
 それだけです。
 そりゃ、いくら小さな引き出しとはいえ、それっぽちではうまるはずがありません……。
 あ、言い訳のようにさくら漬けが、薄く引き延ばして空間うめをしていました。……ちっともうまってなかったけどな。

 3つ目のひきだしは、鶏ごはんです。薄く薄く敷き詰められたごはんの上に、鶏の切り身がのってタレがかけてあります。

 ……なんともすばらしい「ランチ」で「お膳」でした。
 つーか、どのへんが「一汁三菜」なんだろうなあ。
 あの野菜チップは「一菜」なのか? それともミニミニまんじゅう(中はつぶあんでした)が「一菜」なのか?

 オサレななお店でオサレなランチ。
 それならすべてにオサレであってほしかった。ここまで脱力するよーな、カッコワルイことはしないでくれよ。
 器を変えれば良かったのに。あそこまで量が少ないならば。
 どこぞの料亭のように、美しい皿などに、ちょこっと盛りつければ、体裁だけは取り繕えたはず。この皿のこの美しさを、この空間感覚を表現するために、あえて料理は少ないのだ、てなふーにさ。
 それを安っぽいプラスチックの引き出しに、びんぼーくさくちょびっとだけ入れて持ってこられたら、「ナメとんかい、ワレ?!」な感じになるよ。
 オサレだからあえて少ないの、ではなく、ケチだから少ないんだ文句あんのか、としか見えない……。
 かっこわるい……。

 とりあえず、コムサの「お膳」はもう生涯口にいたしませぬ。
 料理だけでなく雰囲気にも金を払う客の身として、あのよーなものに払う金は一文たりとも持ち合わせておりませぬ。

          ☆

「ねえあたしら、なにしに来たんかなあ、今日」
 と、わたしたちは梅田の某和風喫茶店で話しました。コムサカフェの和風メニューに玉砕した仇を討つために、わざわざこれまたオサレ系の店に並んでまで入りましたともさ。

 いちおー、わたしたちがやってきたのは、宙組のチケット発売日だからです。
 目的は新人公演。わたしもWHITEちゃんも新公好きなのよ。
 でもって朝から並んだんだけどさ。

 今回はくじ運悪し。
 最悪ではないにしろ、うれしくない番号を引く。……まあ、前回の雪組がよすぎたんだよなあ。
 購入時刻までの間、ふたりで梅田をぶらぶら。

 本公演のチケットは買いませんでした。
「3列目があったら買ってもいいな」
 と言っていたわたしたち、購入時刻にカウンターで訪ねたところ、希望の席は完売しておりましたのよ。だから買わなかった。3列目がないなら、あとはサバキの方がいい席売ってるよ、きっと。……そんなクズ席しか売らない、グループ直営プレイガイド。

 新公しか買わなかったので、お財布に余裕。
 んで、ついついバーゲンに燃えました。

「よく言うわ。もともとチケット買う気、ほとんどなかったくせに」
 とWHITEちゃんに言われたのは、わたしが6000円しか現金を持ってきていなかったせい。6000円じゃあ、3列目は買えませんて(笑)。

「バーゲンでも、ちょっと目を離したすきに試着してるし」
 わたしの姿が見えなくなったため、WHITEちゃんは広い店内を2周もしたそうです。
 チケットではなく、服の方を買う気満々だったじゃないの、と彼女は言うのです。

 いやあ、バーゲンの方が予定外だったんだけどなあ。
 でも気がついたら、革手袋とロングブーツとブラウスを買っていたよ。
 わたしの買ったブラウスを見てWHITEちゃん、「Lでいいの?」と心配してくれたけど、大丈夫、試着しましたから。MYサイズはMかモノによってはL。いちばんいいのはMTなんだが、そんなもんそうそう売ってないから、長めのMか細めのLで代用するナリ。
 しかし店員のねーちゃん、「お客様の身長なら、Lです」って……S・M・L、サイズの差は横幅の差で、身長の差ではないだろうに。わたしの胸囲も肩幅も、Lサイズほどはないんだがなあ。
 現に、わたしよりアタマひとつ近く小さなデイジーちゃんはLサイズ。彼女は巨乳なのだ。「胸が邪魔で、ファスナーがあがらないんです。前をとめるのは無理だと開き直って買いました」と彼女が言うMサイズのジャケットを借りて着てみたら、ぴったりでした。ちゃんとファスナーもあがりましたとも。……胸がないだけ、とも言いますがな(笑)。
 WHITEちゃんはSサイズのお嬢さんなので、わたしの買ったLサイズのブラウスが驚異の大きさに見えたのでしょう。……お互い着るモノには苦労するね。

「ねえあたしら、なにしに来たんかなあ、今日」
「チケット買いに……でしょ?」
「でもなんか、そんな気がしない……」
「でもいちおー、新公買えたじゃん」
「買えたっていうか、まだ売ってるんじゃない? 明日でも売れ残ってたりして」
「それはいくらなんでも、ないんじゃない? 仮にも新公だし」
「それにしても、チケット売れなさすぎ」
「並ぶ人、減ったねー」

 宙組だからダレだから、というわけではないと思うよ。
 座席配分が目に見えて悪くなったから、みんな並びに来ないんだと思う。わたしたちだって、3列目以外は買う気ないし。

 その昔、2000人とかが当たり前に並び、10列目程度のサブセンターが当たり前に売っていたころがなつかしい。
 昔は取り扱う枚数も多く、並んだ人は全員買えていたよ。

 ところが今は、800人ほどしか並んでいないのに、買える人は700人程度。買えるったって、クズ席ばかり。
 今回のようにスター級の退団があれば、みんな狙いは千秋楽だけ。抽選のときにいた700人は、実際の購入時刻には現れない。楽を買えないなら、ふつーの日のクズ席なんかいらねーよ、ってことだろう。
 当然だわな。

 しかし、さみしくなった。
 喧嘩と火事は江戸の華、ヅカの並びは梅田の華だったのにー。
 まあ、阪急グループとしては、並びをやめさせたい・もしくは縮小したいんだろーけどよ。

 おかげで、ちっともチケットを買いに来たんだって気がしない。
 わたしに至っては、バーゲンで戦いに来たとしか思えない……。つーか荷物、重い……。

 今日はWHITEちゃんとデートでした。
 お買い物して、オサレなお店でランチして、オサレなお店でお茶して。

 ついでに、ヅカのチケットも買いました。
 そんな日。


 仕事が切羽詰まっていると、別のことをしたくなる。
 ……てことで、ついつい行ってしまいました、宙バウ・ワークショップ。千秋楽。……どーせ行くなら挨拶付きがいいなー、と。
 つっても、往復の電車内と休憩時間はちゃんと仕事してましたよ、パソコン持ち込みで。家にいるよりはかどっているよーな……。

 相変わらず、予備知識はナシ。

 んでもって。
 順番逆だが、『春ふたたび』を語らせてくれ。

 この作品の出来がどうこう、わたしには言えない。わからない。
 何故ならば、「生理的に」大嫌いだからだ。
 生理的だ。ゴキブリ見て悲鳴あげるのと同レベルの反応だ。なんでゴキブリ見て悲鳴あげるのか、自分でもよくわからないし、論理的に説明もできない。「生理的に」嫌いだからとしか、言いようがない。
 わたしがこれまで観てきたヅカ作品で、「生理的に嫌い」だった作品がひとつだけある。
 それが、植田紳爾作『皇帝』だ。
 『皇帝』は、とにかく気持ち悪くて気持ち悪くて、わきあがる嫌悪感と戦うのに体力気力を総動員した。
 それと似た嫌悪感を持った。
 たぶん、『皇帝』の方が作品的に壊れている分、嫌悪はひどかったと思う。しかしもう喉もと過ぎてるから、どれほど気持ち悪かったか、比べようがない。二度と観るつもりがないので、完全に忘却の海に沈めてしまったさ。

 『春ふたたび』の物語は簡単、出世した息子が生き別れの母親を捜して、ある老婆にたどり着く。だが老婆は認めない。証拠も挙がって、どっから見てもあんたら親子、なのに、ひとり強情に真実を拒絶しつづける。我が子を捨てたことを恥じているのさ母は。それでお涙頂戴ときたもんだ。

 描きようによっては、おもしろくすることは可能だと思う。人間的な弱さ故に過ちを起こし、その過ち故に、差し出された手をこばむことしかできない、よわく愛しい人間の姿を描くわけだから。
 だがな。
 この作品はダメだ。
 わたしの逆ツボ直撃。逆鱗ジャストミート。
 わたしは弱い人間やまちがった人間が好きだが、それはその人物の持つ「弱さ」や「まちがい」をフェアに描いたものに限る。それらを歪めて描かれるのが、いちばん嫌いだ。

 たとえば、ある女がいたとする。女は現在恋をしていて、それに夢中だ。仕事なんか手につかない。彼のことを考えていてつい、ケアレスミスをしてしまった。そのことで、嫌味な上司にねちねちと叱られた。
 ドラマでよくあるよーなエピソードだわな。
 ここで、この女の行為を正当化して描かれた場合が、わたしの逆ツボだ。
 公私混同して仕事でミスしたのに、正しいのは女で、まちがっているのが上司、という描かれ方をすると、ゆるせない。
 ヒロインの苦しみばかりを正当化して、彼女を叱る上司は、その苦しみを理解せずに、さらにひどい言葉をあびせ追い打ちをかける悪役なのな。
 大抵の恋愛ドラマはこーゆー描き方をする。とほほなことに。

 どーしてそこで、女をプラスの存在のみにする?
 仕事を放り出している段階で、彼女はマイナスの存在だ。人としてマイナスな地点に陥ってまで、それでもこの恋を捨てられないのだ、という描き方を何故しない。
 もちろん、何故女の行動が正当化されるのかはわかっている。
 恋愛ドラマの視聴者が「女性」だからだ。
 視聴者の気分が悪くなるよーな描き方はしないのさ。
 だから、ヒロインが人としてまちがった行動をしても、カメラは彼女を「正義」として映し続ける。そうすることで、彼女に同調して見ている視聴者に媚びているのさ。

 それと同じ不快さで描かれていたのだわ、この『春ふたたび』という作品は。
 この場合の「母」はまちがいなく「悪」なんだわ。てめえ勝手に子どもを捨てたのも悪なら、せっかく過去を水に流して迎えにきてくれた子どもをまた拒絶し、捨てるのも「悪」。
 どー考えたって、客観的に見れば彼女は「悪」。
 なのに、カメラは彼女視点。彼女が「正義」。歪められる世界。
 「悪」である彼女を正当化するために、あらゆる努力が成されている。
 泣け、さあ泣けッ!! 彼女は可哀想なんだ、けなげなんだ、さあ泣け!!
 悪を転嫁し、お涙頂戴に。

 わたしは嫌悪感と戦うので精一杯。
 「悪」ならば「悪」として描け!! 卑怯者め。偽善者め。
 たとえばオギー作の『左眼の恋』は、とことんまで「悪」を描ききったぞ。容赦なく心の深淵を、闇を描き、絶望の泥のなかの人間を描こうとしていたぞ。完成度なんぞわたしは知らないが、少なくともオギーははじめから「悪」を描こうとしていた。「彼が悪なのには、理由があるんだよ。彼だって、可哀想なんだ。根っからの悪人じゃないんだ」なんて描き方はしてないぞ。

 道理を曲げて無理を通すわけだから、「悪」を「同情」と「偽善」に転嫁するためにかなりの労力が使われている。
 つまり、「悪」の母親の「お涙頂戴」シーンがやたらめったら長い。語る語る。ひとりで語りまくる。
 それくらいやらないと、「悪」を転嫁できないからなのさ。

 この悪の母親役は、タキちゃん。さすがにうまい。すごい。
 しかし。
 彼女がうまければうまいほど、熱演すればするほど、わたしには反感だけがつのる。気持ち悪い。

 そして、この舞台が梅コマではなく、腐ってもタカラヅカであることを思うと、よけいに気持ち悪さが強くなる。
 この舞台の主役は、はるひくんだ。
 公達姿も美しい、売り出し中の若手だ。なのに。
 はるひくんに出番はない。ほとんどない。
 登場してきたところぐらいだ、見せ場らしい見せ場は。
 あとはほぼ出ずっぱりで、ただ舞台の上にいる。
 主役のはずなのに、物語の中心にいないのさ。
 物語の中心は、タキちゃんなんだ。タキちゃんの一挙一動によって、物語がすすむ。はるひくんは、その他大勢と同じ。彼女の言動に揺れ動くだけ。
 しかも、舞台の上に役者ただひとりで長台詞、ここがいちばんの決め所!!てゆーのが、主役のはずのはるひくんでなく、タキちゃんってのは、どうよ? どーゆーことよ?
 わたしの目には、はるひくんはただのまぬけに映りました。悪のタキちゃんが自己正当化するためにやっているお涙頂戴に、ころりとだまされるおつむの弱い美形。30歳近くにもなって「ママ〜、どこなの、そばにいてよ♪」な大男。
 悪を偽善でお涙頂戴に転嫁させるから、こんなことに。

 しくしく。
 こんなものすごい話だったんですか、『春ふたたび』って。

 わたしはただ、美しいはるひくんを観られるんだと思って、たのしみにしていたのに。

 いちばん長いシーンが、登場人物全員が舞台上でまったく動かず(坐っているので、動きようがない)、タキちゃんひとりがセンターで芝居をする(立っているのが彼女だけだから、動けるのが彼女ひとり)、ての、「舞台」として見た場合にも相当まずくないか? いちばん長いシーンなんだよ?
 ストーリーが破綻していない、とゆーだけしか評価ポイントがないんだが……それでもこれは「佳作」なのか? 世の中的に?

 まあ、世の中「お涙頂戴」好きだからなー。
 自分の中の「よわさ」や「まちがった部分」は見たくないから、そーゆーところから目をそらして、「お涙頂戴」にしてしまうのよね。
 彼だってつらかったんだ! 彼だって根っから悪い人じゃないんだ!! てさ。
 根っから悪人じゃなくても、罪は罪、悪は悪なんだけどな。
 だから人間は救われなくて、痛くて哀しくて絶望的で、……そして、いとしいんだがな。

 ああそして、『おーい春風さん』の感想を書く文字数がない……。
 明日の欄に続く。

 
「16歳のときの緑野の写真見たら、大爆笑した」

 と言うのは、ミヤビンスキー。
 をい。どーゆー意味だ、それは。

 またも1日ずれてます。1月4日、帰阪しているダイコを囲んで、わたしとミジンコとミヤビンスキーの計4人。

「この間うっかり、昔の写真見ちゃったのよね。自分の写真にも笑ったけど、いちばんすごかったのは、緑野だわ。大爆笑」
「失礼だぞ、お前」
「緑野ってば、白のミニスカートなんか穿いてんだよーっ。大笑い」
「それのどこが悪いんだ」
「顔もさあ、『清純っ!!』って絵に描いたよー顔なんだよねー」
「それのどこが笑えるんだ」
「今はこんなに『ヨゴレ』きってるってのにさあ」
「失礼なっっ」

 ミヤビンスキーは、本日の集まりの中では、わたしといちばんつきあいが古い。
 16歳の緑野を知っているのは、彼女だけだ。

 そしてこいつは昔っから、わたしで「遊ぶ」ことを好んでいる。

 たとえばだ。
「緑野が万が一結婚して(万が一ってなんだ)、ダーリンとラヴラヴになったとするよ。そんでもって、裸エプロンなんかしちゃったら、どーする?」
 ……その仮定がすでに、どうをどうつっこんだらいいのか悩むくらいに、問題発言なんだがな。
 彼女はさらに言うのだ。
「緑野の裸エプロンだよ? 考えただけで、大爆笑!! 腹の皮がよじれる」
 じっさい、腹を叩いてそっくり返って爆笑する。
「ああ、笑いすぎて涙が出てきた。これからあたし、人生つらいとき、死にたくなるよーなとき、思い出すことにするわ。『緑野の裸エプロン』」
 言葉にするだけで笑えるよーで、「緑野の裸エプロン」と言うときは、いつも声が震えている。
 どんなにつらいときでも、「緑野の裸エプロン」のことを考えさえすれば、大爆笑。ノープロ、ノープロ、強く生きていける!!
 ……てなふーな、「遊び方」だ。
 今回の「16歳の緑野」も、大変ツボに入ったらしい。
「今度見せてあげるよ、16歳の緑野の写真。笑えるから」
 と、仲間たちに大推薦。
 ええいっ、見せんでいいわ、そんなもの!!

「16のころはそりゃー、キヨラカさ。なんせまだ、ダイコに出会ってないからな」
 と、わたし。

「えっ、なんであたしっ?!」
 人ごとだと思って涼しい顔をしていたダイコ、あわてる。
「ダイコに会うまで、やほひもコミケも知らなかったからなー」
 とわたしが言えば、
「そーいやあたしがはじめてイベントに行ったときも、ダイコに連れていってもらったんだっけ」
 とミヤビンスキーもうなずく。
「そっかぁ、みんなダイコに教えられたんだね」
 と、ミジンコが天然ぶりを発揮して言う。

「やめてよ、あたしが教えなくても、みんなどこかで開眼していたはずよっっ」
 ダイコは往生際悪くわめいているが。

 もし17のとき、ダイコに出会っていなければ。
 わたしの人生はどのよーなものになっていたのせう?

          ☆

 んで、前日書ききれなかった追記分。
 雪組の今回のショー、『Joyful!!』の感想。昨日の欄に書こうとしたら、文字数エラー出ちまったんで、改めてこちらで書き直し。

 ショーはたのしかったです。きれいで、かわいかったよみんな。
 しいちゃんまでもが、場面を持たせてもらっていることに瞠目。びっくりした。いっぽくんやキムちゃんならべつに「ああ、そうか」と思うんだけどねえ。しいちゃんがそーゆー扱い受けると、おどろくねえ(それでもファン)。

 その昔、カリンチョさんが退団したあとの、いっちゃんお披露目公演観たときのことを思い出したよ。
 たかちゃんが1場面持たせてもらってるのを観て、「トップの退団って、こういうことなのか」と感心した。
 カリンチョさんは、わたしがヅカにハマッたときの、トップさんだ。つまりわたしは、カリンチョ、いっちゃん、ミユさん、タカネくん、トド、タータン、たかこという「順番」しか知らなかった。カリンチョさん、4年トップやってたっけ? つまり4年間、同じパワーバランスの舞台を観続けていたんだ。
 その「当たり前」が崩れたのを観て、ものすごーく感慨深かったのをおぼえている。それまでは「トップ退団」ってのは単に、退団するトップさんにもう会えないだけだと思ってたから。

 その感慨を、あれから10年以上経って、思い出しますか。この10年ほどの間、多くのトップさんを見送ってきたけど、とくに思い出しはしなかったというのに。
 つまりそれくらい、違和感に満ちているんだな、新生雪組。わたしにとって。

 ショーがはじまってホッとしたのは事実だ。
 芝居の、しかも日本物のコム姫を観ているのはけっこーつらかった。いつものきれいなコム姫を観て、胸をなで下ろした。
 しかしショーになってようやく、これが「今」の雪組なんだと認識。芝居ならトップ以外主役のバウがあるし、本公演でも持ち味や役の数によって多少変化がある場合もあるから、誰がどんな番手で出ていてもめずらしいことじゃない。
 しかしショーとなると。
 番手があからさま、ヅカのスターシステムが前面。

 コム姫、トップなんですか!!
 てなことに、今さらおどろいてみたり。

 しかも、かしげ2番手ですか!
 こんなにこんなに薄いのにっ?!(いや、髪のことじゃなくて)

 な、慣れない……。ここはどこ? わたしはいったい、なにを観ているの?

 きれいになったなあ、雪組。
 きれいで、きらきらしていて、……薄くなったなああ。
 ぱすてるぴんくとか、ぺぱーみんとぐりーんとか、らいといえろーとか、そーゆー感じ?
 ああ、きれーだわ……。きれーなだけな気もするが……。

 落ち着かないのは、3番手がいないことだと思った。
 もー、いまいましいスターシステムめ。システム上等!なら、はっきりさせろよ。いっぽくんなんだろ? 彼が3番手なんだよな? だったらなんで、ちゃんと彼を3番手として使わないんだよ。
 しいちゃんに気兼ねするなっ!!
 スターシステムによって作られた世界なのに、変に「人情」を絡めて変なキャスティングをする。それで作品を壊す。……本末転倒。人情が大切なら、そもそもスターシステムなんてやめちまえ。

 トップのコム姫が出て、次の場では2番手のかしげが出て、またコム姫、かしげ、それから合間に3番手のいっぽくんが若手を率いて出て……てなふーに構成するのがお約束。ヅカの伝統。スターシステム。
 それが今回、3番手がいない、決めてはいけない、つーんで、なんともはがゆい作り。
 コム姫とかしげ、大忙し。ふたりしかいないんだもん、中央に立っていい男役。しい、いっぽ、キムは「平等に」「学年順に」扱わなくてはいけないから、扱いはデリケート。割れ物注意の赤いシールがベタベタ貼ってある。ああ、うざい。

 取り立てて新しさのない「どこかで観たよーな」ショーであるだけに、この落ち着きの悪さが気になった。
 衣装がどう、音楽がどう、以前の問題。作者がどう、さえ以前だ。劇団の考え方、ってやつだな……作者も苦労が絶えないだろーよ、こんなのって。

 あと、個人的にわたし、コム姫とかしげの並びは好きじゃないのさ。3番手不在のうえ、トップと2番手の並びが好きじゃない、とゆーのは、きついなあ。
 かしげ……なんであんたはそんなに健康的なの。せっかくせっかく、コム姫と絡んで踊っても、心は冷めるばかり……しくしく。
 コムもかしげも、もっとくどい男らしい男の隣に配してください。たのんます。

 とにかくきれーで、「とにかく歌います」の音神6人組と、「とにかく踊ります」のコム姫以下組子のみなさんが、とにかくがんばっているショー。

 とりあえず、わたしは好き。出演者のひとりずつが好きで、きれーなものが好きだから。
 出演者のファンなら、もっと好きになれるだろーし、そうでなければたのしくないレベルの作品だろうさ。
 わたしのネックは、ひとりずつが好きでも、並びが好きじゃない、ということなんだよなー。うーん、微妙だ。

「コムちゃん、歌うまくなったねえ」
 と、WHITEちゃんが言っていた。
 え? そ、そうなの? ……そうかもしれない。でも、わたし。

「ごめん、わたしのアタマの中はハマコ仕様にシフトチェンジされたみたいで。コム姫が歌うたびに、つらくてつらくてしょーがなかった」
 かしげはいい。りらちゃんもいい。しいちゃんだって、まだいいさ。ただ、コム姫の歌は……つ、つらい。

 どうも今回の公演ではわたし、ずっぽりハマコファンらしい。や、もともと好きだけど、今回は特に。ショーでもハマコばかり見ていたよ。
 だもんで、耳もうるさくなってたみたいね。『聖なる星の奇蹟』だっけ? 宙組の。あれで水くんの歌が平気だったこの耳が、なんでコム姫の歌がだめだなんてワガママ言うの。それはやはり、ハマコ仕様になっているせいとしか……。

「とりあえず、もっぺん観てもいいなあ」
「もっぺん観たいねえ」
 と、わたしとWHITEちゃんは所詮出演者のファンなのだ。なにを言っても。

 つーことで、ショーはよかったです。わたしにとって。
 しいちゃんが短いとはいえ1場面もらってるんだ、好きに決まっているだろう(笑)。


 昨日からの続き。『春麗の淡き光に』の話。

 この物語のなにがいけない、って、いちばん壊れてる要因は、「主役の薄さ」だと思う。
 主役がなにをしたいのか、どんな人なのかが、見えてこない。
 あのさー、作者はそりゃ、主役がどんな人なのかわかってるよ。だって自分が作ってるんだもん。でもな、観客にはな、説明しなきゃわかんないのよ? 作者のアタマの中だけでわかってたって、意味ないよ。

 まず、「主役」に注目する。「主役」を活かすことだけを考えて、物語を組み直すんだ。

 主役は、今の腐った世の中を憂い、新しい時代を求める正義感の強い青年である。
 彼には、彼の志を理解する親友がいる。
 彼には、彼と相愛の恋人がいる。

 これだけの情報を、まず観客に示すのだ。

 勧学院つーんですか? のシーンからはじめるんだ。主役と親友が共に「夢」を「理想」を語るシーンは必須。彼らがどれだけラヴラヴか……失礼、信頼し合っているかを、印象づけるのだ。
 現在の世の中に危機感を持つ主役、いずれ武士の世にしてみせると語る、武門の家に生まれた親友。キャラを立てろ。線の細いインテリ貴族の主役と、細身だが武人なんだぞの親友と。
 ちゃんと伏線を「エピソード」として表現してくれ。「説明台詞」で流すなんて最悪だ。
 そこに、親友の妹のヒロイン登場。ヅカの定番、一目惚れでいいから、ふたりにエピソードを。

 これだけのシーンを挿入するだけでいいんだよ。
 あとは、そのままでいいよ。
 悪役大臣の屋敷に盗賊「朱天童子」として押し入る主役、悪役大臣の手下となっている、親友。冒頭のシーンそのままでよし。ふたりの視線が一瞬絡むとか、ちらりと刀を交えるとか、わずかに付け加えるだけでいい。いいシーンになるじゃないか。
 朱天童子の正体が恋人ではないかと心配して取り乱すヒロインも、これで説得力ができるだろ?

 主役弟のエピソードは削除。意味なし。
 たんにあれって、トップスターの二役をたのしんでね♪的な、ただのお遊び、サービスでしょ? 昔はそんなもんがサービスだったのかもしれんが、現代ではお寒いだけ。いらん。

 そんなもんに時間を割くなら、主役と親友とヒロインの葛藤のシーンを入れろ。
 実際に会って「なぜこんなことを?!」「時代を変えるためだ」てなやりとりをしてくれ。
 こんなことをしても時代はかわらないかもしれない、でも、今の時代に一石を投じる行為なのだ、てな主義主張を明確に表現する。
 あくまでも「主役」が「なにをしたいのか」「どんな人なのか」を描きつづけるのだ。それがいちばん。それが最優先。
 コム姫なら、繊細に苦悩してくれれば、それだけで絵になるってもん。
 主役がなにをしたい/している、かをはっきりとわかったうえで、親友とヒロインもまた、自分の生き方を決めるわけだ。彼を否定するか、ついていくか。

 この三人の葛藤があったからこそ、野に下った主役は「自分ひとりでは新しい時代を作るのは無理かもしれない……」と思うよーになるわけだ。
 復讐に燃えるライバル強襲! のシーンとかもそのままでよし。
 悪役大臣の命で、親友が主役を討ちに来るのも、そのままでよし。
 つーか、主役と親友の絆をなんにも描かずにあのラストに持っていくから、壊れてんだよ。説明台詞で「親友だった」とか言われて、それたけで観客が納得すると思うなよ。……なんか、している人も多いみたいだけど、わたしはできん。

 立ち位置がはっきりしているから、主役はヒロインを捨てるし、ヒロインはそれでも主役について行こうとするし。そう、ヒロイン、家なんか飛び出せ。なにもせずに脇でぎゃーぎゃー言うだけじゃ意味がなさすぎる。
 覚悟を歌え。家も親兄弟も捨てて、逆賊の女として生きる、と。銀橋で一発歌って、主役を追って大江山へ行け。

 もちろん、物語は変わらない。植田のまんまのあのラストさ。
 主役は次代を親友に託し、親友は主役を殺したことにして逃がしてやり。
 なにも知らないヒロインは、命がけでやってきただけに悲劇性UPで観客の涙を誘え。

 わたしはあくまでも、『春麗の淡き光に』の改定案の話をしているわけだ。
 わたしはこの芝居を見て、うわ駄作、ぶっ壊れてる、と思った。
 んじゃ、こいつをどうすれば、「壊れている」部分を補修できるかな?
 とゆー観点で考えてみた。
 だから、本筋もシーンももとのまま。
 まったく別の話にしたら、意味ないもんね。できるだけ、もとの姿のまま、できあがっている部分は手を加えずに。
 ただ、「主役のキャラを立てる」という一点にのみ焦点を合わせ、冒頭にシーンをひとつ付け加え、二役である弟のくだりを削除、主役+親友+ヒロインの「キャラを立てる」シーンに差し替える。
 たったこれだけのことで、物語が正常になる。
 ……と、言っているわけだな。

 えらそーに語っていて「何様?!」だが、これはそーゆー日記なのだ(笑)。

 せっかくホモな話なのにさ。
 親友がラストまで出番ないし、親友たる由縁も台詞で解説されてるだけなんだもん。
 もったいないっつーの。

 ただでさえ、かっしー薄いんだよ?! いや、髪の毛の話じゃなく。

 途中まで、かっしー、いてもいなくても同じ、透明人間、見えてない人みたいなんだもんよ。
 ハマコが二番手じゃまずいだろ。がんばれかっしー、負けるなかっしー。
 ああ、わたしはいつもかっしーの応援ばかりしている気がする。だってかっしー、いつもいつも歯がゆいんだもん。

 腐女子的に解説するならばこの『春麗の淡き光に』というのは、「コム姫モテモテ!! コム姫争奪戦物語」と簡単に言ってしまえます。
 いちばんわかりやすく「コム姫ラ〜ヴ」と言っているのはライバル・ハマコですが、ひねくれ者の仲間・みやたんも負けてません。みやたんは、好きな子をいじめることで歓心を買おうとするタイプの男です。
 正統派のダーリンは親友かしげでしょう。「お前の手にかかって死にたい」とコム姫に言われ、めろめろりん。
 さあ、コム姫は誰の手に?!
 ……どーやら最終的には、お頭命のしいちゃん兄貴のものになったよーです。
 しいちゃんはオイシイ役で、コム姫の片腕です。しい×コムならば上官受の部下攻、みんなが大好き下克上、ってやつですが、いかんせんしいちゃんには色気がなさすぎ。なんであんたはそー、「いい人っ」「体育会系っ」を全開にしてるかな……ちっ。

 これが植田ではなく谷演出なら、もっとねちこくホモになっていたかもしれないと思うと、ちと悔やまれます(笑)。

 まあなんにせよ、駄作でした。
 眠い……。
 コム姫、日本物の化粧似合わねー。つーか真ん中が似合わな……げふんげふん。

 ハマコにおなかいっぱい。
 ……てゆー、芝居。それもいかがなものか……。

          ☆

 んでもって、ショーの感想を書くだけの、文字数あるかなあ?

 明日にでもまた、追記しませう。わたしは今、ずっぽりハマコファン……(笑)。
 ハマコの芝居は濃すぎて周りを見ていなくて、うざいんだが(笑)、それでもわたしはハマコ大好き。
 とゆー話をまたいずれ。

 とゆーことで、後日追記分。

 ショーを観ていちばん、どーしよーもなく、気になって仕方なかったことは。

 りらちゃんの胸の大きさ!!

 りらちゃん……衣装によって胸の大きさが「そこまで」チガウのは、まずいよ……。
 特に中詰めあたりの、紫のドレス。そのおっぱいの内容量は、ものすごいっすよ。いくらなんでも、そこまで詰めなくてもいいんじゃあ?
 女として、気持ちはわかるんだけどねえ。巨乳にしたいなら、全部の衣装に同じだけ細工をしなきゃだめだよー。谷間が見えそーなデザインになると、突然貧乳になるのは、いかがなものか。
 3列目にいたもんで、りらちゃんの胸の大きさの変化と、あばら骨にくらくらしてました。そっか、あばらか……。その昔見た、星奈のゆりちゃんのシックスブロックはすばらしかったなー……女でも腹筋って6つに割れるもんなんだ、と感心したもんだった。 

 りらちゃんとコム姫のカップルは、とてもかわいらしいです。お人形さんのよう。
 ただわたしは、コム姫にそーゆーものを求めていない人なので、目はスルーしていました。ごめんね、りらちゃん。
 コム姫はやっぱり、男たちと絡んでなんぼだなあ、と、スーツの男役を率いて現れたときに思いました。……まあ、それで単身絡む相手がかしげでは、これまた役者不足としか思えないんだがな……げふんげふん。

 と、ちんたら書こうとしていたら、文字数限界が。
 翌日につづく。


 なんだか、タカラヅカがとっても久しぶりな気がする。星組公演をほとんど観なかったせいだなあ。

 1月3日「小林一三生誕130年記念」に行ってきました。

 新生雪組。コム姫トップスター。んでかっしーが2番手。りらちゃんトップ娘役。芝居が植田の日本物。
 ……わたしの予備知識は、これだけです。

 つーことで、感想いってみよー。

 芝居『春麗の淡き光に』。
 わはは。正しく植田紳爾。正しく駄作でした。わはは。
 笑うしかない。

 時代は藤原北家が権力を握っていたころ。「朱天童子」とゆー「盗賊」が元気に跋扈していたそうな。どーやらひどい政治をしているらしい汝鳥伶サマ藤原大臣の屋敷に押し入り、かといってなにをするでもなく消えていったりな。
 この盗賊・朱天童子を、検非違使のリーダー、ハマコが追いかけるわけなんだが。

 わたしはまず、主人公らしい「朱天童子」つー男のことが、よくわからなかった。
 いきなり悪役大臣の屋敷に現れ、パフォーマンスして去っていった男。
 盗賊でしょ? 押し込み強盗、殺人とかやってんだよね? 悪の権力者の家を地道に回って、盗んで殺して、ってやってんのよね?
 ……それ、なんの意味があるの?
 お金にこまってやってるなら、わかるけど。どーやら彼は貴族のぼんぼんらしい。目的は金ではなく、悪の権力者にいやがらせをすることなのか?
 わざわざ悪の巨魁、汝鳥伶サマ大臣の屋敷にやってきたのに、したことはただの「いやがらせ」。嫌いな子の机にらくがきして逃げていく悪ガキのよう。
 もうすでにここで、「?」だった。なにがしたいんだろう、この人。なにを考えてるんだろう……。
 いや待て、彼の謎を追うのが、この物語のメインかもしれないぞ?

 検非違使リーダー・ハマコは罠を張って、朱天童子とその一味を襲う。そして、朱天童子の頬に傷を付けるのだ。その傷が証拠、次の貴族の集まりで頬に傷のある者が朱天童子だー!
 だけど朱天童子コムはぬかりなし。なんと彼には瓜二つの弟がいるのさ。弟に代わりにその貴族の集まりに出てもらえばそれでOK、問題なし。

 ここでまたわたしは、展開に取り残される。
 わたしには、朱天童子コムがなにをしたくて「盗賊になって貴族にいやがらせ」をしているのかがわかっていない。なにを考えているのか、どんな人なのか、さっぱりわからない。
 ひょっとしたら、歌でなにかしら心意気を語っていたのかもしれんが、ごめんコム姫、わたしあなたの歌、歌詞が聞き取れません。
 朱天童子コムのことが理解できていないのに、突然コム弟(コム姫二役)が登場。はぁ? いきなり主役交代?!
 いくら大臣がひどい政治をしているとしてもだ、盗賊やって「いやがらせ」してなんになるというんだ……そんな兄の所行を部下の、しい@お頭命、に聞かされ、影武者を引き受けるコム弟。
 待ってくれ、勝手に納得してないで、わたしにも教えてくれ。「なにがしたいのか」を。「盗賊」をやる意義を教えてくれええ。
 コム兄のキャラがわかってないのに、主役は突然コム弟へ。ああまた、わからない人が増えちゃったよお。

 せっかく影武者たててコムと朱天童子は別人ですよ、とやったわりに、どーやら意味なんかなかったらしい。
 頬の傷、という証拠はなかったが、「疑いをかけられた」ということでコム家はお取りつぶしだそーだ。ははは。無駄骨ですな、コム弟の影武者。
 つーか、なんのために出てきたんだ、弟。いなくていいだろう。しかも弟、一旦は影武者を引き受けたのに、あっさりと「兄のしたこと(だから盗賊家業ですな)は許されることではありません」と豹変。だからお前はなにをしに出てきたんだと小一時間、以下略。
 この影武者騒動でなにか変化があったのかというと、ハマコ検非違使リーダーが、職を失ったことだけだ。頬の傷という証拠が意味をなさなかった、つーことの責任を取らされて、クビにされたハマコ、復讐の鬼となる(笑)。

 ここまでの「あらすじ」には、おかしいですね、二番手のはずのかしげちゃんの名前が出てきていません。舞台にはちらりちらりと出てきてはおりますが、大筋に関係ない人なので、「あらすじ」には書きようがないのです。
 かわりに登場しているハマコ。
 ああ、ハマコ。嗚呼、ハマコ。

 あんた、二番手だったんですか。

 突然、「復讐の鬼の歌」を歌いながら、ひとりで銀橋渡っちゃいます。

 これにはびっくり。
 目が点。

 どーゆー話なんだろー、これは。

 主役らしいコム姫の人格はさっぱり見えませんが、とりあえずライバル(笑)らしいハマコの人格だけははっきりわかります。ああ、濃いわ、ハマコ。
 主役らしいコム姫の歌はなに言ってんだか、なにを考えてるんだかさっぱりわかりませんが、ライバル・ハマコの歌の、ものすごいこと。
 劇場中に朗々と響き渡り、この瞬間「ひょっとして君が主役?」と思わせてくれます。
 いや、それはまずいけどな。ちとやりすぎだけどな、ハマコ。(それはいつもか)

 復讐の鬼ハマコは、お家取り潰しで野に下った朱天童子コムを見つけ、斬り捨てようとするのだが……コム姫に口説き落とされ、あっけなく刀を収める。あらま。
 コム姫はなにかしら、黄昏れていらっしゃいます。どーやら彼には、大望があったよーだ。新しい時代とか、みんなが平等にしあわせな世界とか、なんか、そんなことを考える、夢多き青年だったよーだ。
 でも、現実はそんなに甘くない。おれひとりでは時代は変えられない……そんなことをつぶやいて、遠い目をしている。

 濃すぎるハマコを見て、わたしが考えたことは、「植田芝居にハマコは合うなあ」ということと、「ハマコでよかった」ということ。
 植田芝居ははっきりいって、古い。見ていて苦しい。お笑いに近いくらい、大袈裟でまわりくどくてお約束に満ちている。ハマコの濃さは、それに合う。……つまり、ふつーの芝居では悪いけどハマコちゃん、浮いてるんだよねー、いつも。
 そして、なにを考えてんだかわかんねー、薄っぺらぺらな主人公朱天童子コム相手に、ハマコひとりがもー、空回りもここまで行けば大車輪、摩擦で炎が燃えてるぜ! な、くどすぎる演技が映って(移って、ではない)、なんとなく「朱天童子はこういう人」って、観客が理解できたよーな気になれるものなあ。
 ハマコがアツければアツいほど、コムの薄さを誤魔化すことに成功しているというか。

 ……なんにせよ、つかれるがな。

 んでもって、このあたりでよーやくわたしは、朱天童子コムがなにをしたかったのかを理解する。
 理解するが……それはもー、驚愕の事実ってやつだった。

 革命を起こしたかったのか、あんた。
 目点、アゴ落ち。
 
 今の世の中はよくない → みんなしあわせなすてきな世の中にしよう!

 てことでやってたことが、「嫌いな子の机にらくがきして逃げていく悪ガキ」と同レベルの「盗賊」?!
 悪役大臣の屋敷にやってきて、「いやがらせ」して逃げる……こ、これであんた、「新しい時代」を作ってるつもりだったの?!

 バカすぎる……。

 貴族による腐りきった社会、とは言いますが、コム姫あんたも確実にその、貴族社会の弊害に染まってます。世の中が見えてません。バカすぎます、おぼっちゃま。

 さて、物語も終盤にきてよーやく、忘れられていた二番手、かっしー登場。ハマコがクビになったんで、代わりにかっしーが朱天童子コムの討伐を命ぜられるのだ。
 かっしーはコム姫とはお友だちらしい。植田お得意の説明台詞のなかに、そんな部分があった。
 ひとりでは世の中を変えられないと悟ったコム姫、「どーせならお前の手にかかって死にたい」と親友かっしーを逆指名。かっしーは源氏の統領、武門の男。貴族政治の次の時代を担う期待の星。かっしーがここで手柄を立てれば、彼の権力が増すから一石二鳥、コム姫の大望も叶えられる。
 かっしーはコム姫の心意気に打たれ、彼を討ち取ったことにして、こっそり逃がしてやることに成功。
 コム姫は僧としてひっそり時代を見守る覚悟のようだ。完。

 あれ、終わっちゃった。
 えーと、娘役は? いたでしょ、トップ娘役。たしかに役はあったし、出番もあったけど、大筋になんにも絡んでないから、「あらすじ」に書く必要なかったわ。
 りらちゃんはかっしーの妹。コム姫の恋人。
 大望に生きるコム姫はりらちゃんを捨て、かっしーはコム姫の命を助けたことを完全黙殺するので、りらちゃんにも真実を教えない。
 りらちゃん、いつもひとりで空回り役。恋人も兄も、彼女のことを軽んじている。だから本筋に関係なし。物語の脇の方で、ぎゃーぎゃーわめいている印象。
 ……ひでえ。こんなトップ娘役の扱い、アリか?

 『Practical Joke』を彷彿とさせるな。あれのヒロインも、物語の大筋には入れてもらえず、脇の方で勝手にぎゃーぎゃー言ってるだけだった。
 んでもって、『Practical Joke』も、ぶっこわれたひでー作品だった。(萌えがあったので、好きだけど・笑)

 植田作品が壊れているのなんか、あたりまえというか、大前提なのでもー、気にするよーなことでもないんだろーけど。
 せっかくホモだから(をい)、ちょっと検証してみようかなと思う。以下翌日。


 いきなり「HAPPY BIRTHDAY」。

 タカラヅカ デスクトップ カレンダーですよ。
 去年の誕生日、東京にいたもんで、せっかくの「スターからの誕生日メッセージ&フォト」が見られなかったのよ。
 帰ってから見ようとしたら、もうダメ。「誕生日過ぎたから、見せてあげません」とメッセージが出た。
 なんじゃそりゃー。わしゃ客じゃぞ、見せんかいっ。誕生日のあとはいつでも何度でも、好きなときに見せるとか、融通を利かせてよ。
 ……でも、結局ダメ。
 2002年版は見ることができませんでした。

 だから、2003年版。
 同じ過ちは繰り返しません。
 迷わず1月1日、元旦を「MY誕生日」に設定。元旦は家にいるはずだから、次こそはメッセージを見ることができるわ。

 ……と、設定していたのを、きれーに忘れていたのよ。

 開くなり、「HAPPY BIRTHDAY」。
 ああ、びっくりした。

 トド様にお祝いしていただきました。
 音声付きなのか……。ほほお。フォトはパーソナルの表紙です。きゃあ、トド様男前。

 元旦にとっとと誕生日メッセージを見てしまったわたし。さあ、日にちを替えてもう一度、と思ったら。……あら。もう変更できないでやんの。
 はい、躊躇なくアンインストール。さくっとな。
 再びインストールし直しました。だってまだ、なにも書き込んでなかったもん。2002年版はもうずっと使っていたわけだから、そうはいかなかったけど。

 トド様の声で「お誕生日おめでとうございます」を言ってもらえたわたし、実は内心期待したの。
 デスクトップ カレンダーに収録されている人なら、OKよね? んじゃんじゃ、わたしのケロ様(突然、様付け)に言ってもらうのもアリ? よし、次はほんとに自分の誕生日に設定して、ケロ様にお祝いしてもらおう!! どきどきっ。

 …………スターカレンダーに載ってる人だけじゃん、メッセージが収録されてるの。
 しょぼん。
 ケロちゃんのメッセージは存在しないんだー。しくしくしく。

 悩んだ結果、たかこに設定。たかちゃん、わたしの誕生日に癒しヴォイスを聴かせてね。

          ☆

 のんきにBSの『タカラジェンヌ広州に踊る』を見ていたら、母が鼻息荒くやってきた。

「伏見稲荷に行くわよ!」

 はい? 伏見へ?
 伏見稲荷詣では我が家の年中行事。正月中に行くのはわかっていたけど、今日元旦ですよ? 元旦に行ったことなんか、ありましたっけ??

 なんでもテレビで伏見稲荷が映っていて、父がすっかりその気になったらしい。
 ……そんな理由で、今? 今から行くの? あの、超絶混んでると思いますけど?

 混んでました。
 ものすっげー、混んでました。
 本殿にたどり着くまでに渋滞ができてたのなんか、はじめてだよ……。

 京都の伏見稲荷大社。
 全国にある「お稲荷さん」の総本宮であり、日本人なら一度は「見た」ことがあるだろう超有名神社。

 わたしがはじめてこの神社に行ったのは、いったいいくつのときだっただろう。たしかまだ、小学生だったよな。
 いっぺんで、魅せられた。
 惹きこまれた。
 おそろしいまでの、吸引力。

 わたしも日本人だから、それまでに「見た」ことがあった。テレビか、写真か。なにかで、「見た」ことがあった。

 見渡す限りの、朱い鳥居。

 無数の朱色の鳥居が連なり、トンネルのようになっている。
 それが、えんえんつづく。
 いつ果てるともしれない、異次元空間。

 無数の鳥居、無数の祠、無数の狐像。
 リボンのようにのびる石段、木々の深い山。そして、目を刺す朱色。

 一度行ったら、忘れられない。
 他のどんな神社ともチガウ。この、強烈なちから。

 ここに迷界がある。
 ひとの想いと祈りでできた、異次元がある。

 一度行ったらハマってしまい、以来毎年参拝に行くことにしている。
 初詣とか、宗教とか関係なくても、純粋におもしろい場所だ。アートを志す者ならば、一度はその目で見よ、その魂で触れよ。……そーゆー場所だわな。

 わたしはオタクだから感じ入ることがいろいろあるが、そうでなくても愉快なところだ。
 正月三が日に行っていいところじゃない。
 ……人の、多さ。
 混みすぎだよーっ。歩けないよーっ。ぜえぜえ。

 今日行く予定じゃなかったのに、突然行くことになったので、いつもより着いた時間が遅かった。
 わたしたちは毎年、本殿参拝だけではなく、稲荷山の上まで登ることにしている。今年もそうしたんだけど。
 中腹の四ツ辻まで行ったあたりで、日が暮れだした。

 日暮れですよ。
 夜ですよ。
 闇ですよ。

 稲荷山には、1万基だかの鳥居が立ってるんすよ。参道すべて、朱色の鳥居のトンネルですよ。
 昼間に登ったって、異次元空間ですよ。
 なのに、そのうえ「夜」ですよ。

 ……す、すげえ。

 黄色い明かりに照らされて、朱色の鳥居がてらてら光る。
 足元の闇。
 空の闇、隙間の闇、木々の闇。
 ここ、どこ?
 ほんとうにこの世? わたしの知ってる世界?
 鳥居の隙間から、ひとでないものが躍り出てきそう。和服姿の狐面の子どもたちが、不意に走り去る気配が見えそう。

 いやあ、もー、めちゃくちゃおもしろかった!!
 ファンタスティック!! 幻想世界だよ、あれは。

 こわがりの人には向かないけどな。
 あちこち、マジこわいから。
 昼間でもこわいのに、夜はものすげえよ。
 得しました。
 こんなに美しいものを見ることができるなんて。
 弟とふたり「シャレならんぞ、こわすぎー」と言いつつも、心からたのしみました。

 実際、わたしはとてもツイていた。
 ささやかなことばかりなんだけどな。でもその、ささやかな「あ、ツイてるわ」が重なると、なんかとってもしあわせな気持ちにならない?
 大大吉を引いただけのことはあるってこと?

 そのささやかな「ツキ」の一例。
 150円のペットボトルを、わたしひとり100円で買うことができた。(ネコババしたとかゆーことではない。正価で買ったの。なんて不思議)
 ……ささやかでしょ? でも、こーゆーことがどんどん重なっていく日だったのなー。

 ラッキー☆ と、よろこぶわたしに。
「150円のペットボトルを100円で買うことだけで、大大吉の運を使いきったか……」
 と、弟。
 縁起でもないことを言うなっ。こんなことで運を使い切ってたまるかっ。

 ささやかな「ツキ」が重なる不思議な一日。
「たった一日で、大大吉の運を使いきったか……」
 と、弟。
 縁起でもないことを言うなっ。こんなことで運を使い切ってたまるかっ。

 ……そして帰ってきてパソコン立ち上げたら、トド様に「お誕生日おめでとうございます」だしな。
 なんて一日だ(笑)。

 

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