ああ、映画の感想が溜まっていく……。あと何本あるんだ、まだ書いてないやつ??

   
 バカであることの愛しさを堪能できる映画。

 『下妻物語』、監督・中島哲也、出演・深田恭子、土屋アンナ。

 我が道を行く竜ケ崎桃子@深田恭子の人生とは、ひらひらフリフリのロリータなお洋服を着ることだ。茨城県のド田舎・下妻でTPO皆無にロリータ人生を快走。
 桃子がロリータ服を買うための資金繰りで、売りさばこうとしたバッタもんの某ブランド品。それを買いに現れたのが、これまたTPOどころか時代も無視した80年代テイスト全開のヤンキー娘・イチゴ@土屋アンナだった……。

   
 わかりやすいバカはイチゴの方。
 こーゆーバカは昔からいた。ツッパリ漫画(笑)とかのなかに、今もまだあたりまえにいる。
 日本人が大好きな、じつに日本的なバカ。
 義理人情に厚く、一途で信じやすい。信念のために死ねる。
 昔はこーゆータイプがかっこよくて、笑いの入り込む隙もなくヒーローだった。
 今はこーゆータイプはなまぬるく笑いながら眺められている。かっこわるいから。
 ただ、この「かっこわるい」、「バカ」には、ウエットな意識があり、実はそれなりに愛されている。

 これは現代感覚で描かれている映画だからもちろん、イチゴのよーな日本的バカは「バカ」として笑いの対象として描かれている。うっわー、バカだこいつ。恥ずかしー、のーみそ足りてなさそー。
 だがそのバカっぷりを愛をもって描き、観客の心も絡め取っていく。うっわー、バカだこいつ。恥ずかしー、のーみそ足りてなさそー。でも、この子好きー。てなもんで。

 古い時代のヒーローを、現代に立って笑いながら、それでも泣かせてしまう力技。

 結局、みんなが好きなものは変わってないね。
 義理人情は大好きだし、恩だとか友情だとかのために命懸けちゃうのはかっこいいよね。
 ひとを信じる心意気は、すかっとするよね。

 ひとり時代をまちがえているような、全力疾走ヤンキー娘イチゴに、喝采するよね。

 一般にロリータとヤンキーという異文化コンタクト物語だと言われているけれど。
 これはファッションの話ではなく、「時代」の話だと思うの。
 昭和と21世紀の異文化コンタクト物語。

 イチゴが代表する古き良き昭和。個人より義を尊ぶ。
 桃子が代表する現代。他人なんかどーでもいー。大切なのは自分の生き方。

 ふたつのイデオロギーがぶつかり軋み、そして新たな展開を見せる。

 昭和の感覚ならば桃子は改心して、他人のために生きる子にならなければいけないが、この映画は21世紀作品。桃子は改心しない。他人のためには生きない。
 ただ、他人の生き方を認めるようになる。どーでもいーと思うのではなく、他を知ったうえでなお、自分の生き方をするんだ。

 根っこはシンプルで古さを新しさでブレンドし、テンポのいい展開と愉快な画面で快走する。
 気持ちいい映画だー。

 男前な女の子たちの友情ものはいいなあ。

 イチゴの受っぷりのよさも注目でしょう。
 この子に愛されたいと、心から思ったなあ。この子に愛されたら……友だちだと認められたら、きっとこの子、あたしのために死んでくれるよねえ。それをあたりまえだと思ってるよねえ。ありえないねえ。
 クールな桃子がイチゴにどんどん墜ちていくさまがもー、気持ちいいやらかわいいやら。
 そりゃ惚れるって! いいよ、がんばれ、応援するよー(笑)。

       
 うおー。日記書くのひさしぶり。
 てゆーか、ネットできる環境がひさしぶり。
 日記自体はハンドヘルドPCに書いていたんだけど、ケーブル紛失しちゃってて、サイトにはUPできないままでした(だめじゃん)。

 そしてこの使えない日記サイトときたら、1週間前に見た映画の感想は認めるけど、10日前に見た映画は認めてくれないのよ(笑)。
 だから、「映画」カテゴリが使えない。ほんっとに使えねー(笑)。

           ☆

 『キューティーハニー』を見た足で、次は『キル・ビル2』だ。我ながら節操のないチョイス。
 1を見たからという強迫観念ゆえに見た感じ。続き物だからねー。
 もう上映しているスクリーンが少ないから、すごい混みようだったわ。

 さて。復讐に燃えるザ・ブライド@ユマ・サーマンの戦いやいかに。
 監督・脚本クエンティン・タランティーノ、出演ユマ・サーマン、デヴィッド・キャラダイン、ダリル・ハンナ。


 続き物だから仕方ないな、という、鑑賞理由と同じ感想だった。
 というのも、ほんとーにただの「続き」であって、「パート2」ではなかったんだ。

 つまり、1と同じテンションで作られた2は、見ている者には失速して感じられるということ。

 1の方がおもしろかったな……。
 2は同じことをやっているだけで、目新しくないし、なんか飽きちゃった。

 もともと1本の作品だったのを、2本に分けて公開したんだよねえ。これは諸刃の剣だよなあ。まったくもって。せっかく作ったんだから、カットしてしまうのはもったいないし、全部見て欲しいけど、かといって飽きられちゃったら元も子もないよなあ。
 いくら期間を置かずに上映したとしても、ふたつに分かれていることで、水が差されているよーなもんだもんなー。
 いやはや、難しい。

 舞台が日本でなかったことも、トンデモ度を下げることになって、つまらなくなったんだろうな。あのみょーちくりんな日本語も出なくなったし。
 ふつーにアメリカな殺し合い。

 愉快にいろいろ戦っていて、画面は華やかだし、いちいちつっこみどころにあふれていて、とてもたのしかったんだけどねー。
 愛だとか復讐だとか、情緒的なものが動機になっているわりに、登場人物の情緒のなさがいっそすがすがしいし。
 どういう決着をつけるのかと思ったら、ほんとーにただ「ビルを殺せ」で終わったし。

 こーゆー情緒無視の仕方って、日本ではありえないと思うから、興味深い。
 日本人の感覚なら、あのラストはありえない(笑)。
 よーやく復讐相手の男もとへたどりついたヒロイン。死んだものと思っていた我が娘が、父親である男の愛につつまれて育っていた。幼い娘は無邪気に男をパパと呼び、ヒロインをママと呼ぶ。
 ところがパパとママは殺し合い、パパを殺したママは幼い娘を抱いて幸福に笑う。
 ……娘の立場は?
 ずっと待っていたママが現れたと思ったら、パパが殺されて、今日からママと暮らすの、って。しあわせしあわせ、めでたしめでたし。
 ……めでたくない(笑)。

 悪とふつーの感覚があたりまえに同居している。それは1の最初からそうだったけど。
 ひとを愛し、社会生活をし、ふつーに過ごす感覚と、暴力と殺人がなんの疑問もなく融合しているの。
 そういう世界観はアリだと思うが、やっぱ「こいつら情緒ねえ」と思ってしまうわ(笑)。

 まあシンプルにたのしめました。1ほどおもしろくなかったにしろ。

 もしもこの作品がふつーに一本ものだったら、すっごくおもしろかったんだろうなと思う。

     
それにしても、なつかしタイトルがどんどんリメイクされちゃうね。
 というのも、今最前線で活躍するクリエイターたちが、わたしと同世代だってことなんだよねえ。
 だから同時代意識を共有できちゃうんだねえ。

 たぶん今がいちばんいい時代なんだと思う。
 人生の充実期ってやつ。

 あと10年もすれば、ひとつ下の世代のクリエイターたちが活躍する時代になって、わたしがぜんぜん知らない文化を「なつかしいでしょう?」と発表されたりするんだわ。
 時代はそうやって流れていくんだわ。

 今が人生の夏。
 青春ではなく、激しく熱い夏なの。
 ガキではなく、大人として、社会の中にいる者として。

 ……わたし自身はちっとも充実してないが、世の中的に30代はもっとも充実した年代でしょう。
 年々精神年齢は低くなってきてることだし、寿命は延びていることだし。

 人生の夏を、たのしむべし。

 
 とまあ、能書き垂れつつ、『キューティーハニー』。監督・庵野秀明、出演・佐藤江梨子、市川実日子。

 こーゆー映画は、絶対映画館で見なきゃ魅力半減。わかっているからいそいそと映画館へ。
 
 
 さて、この21世紀によみがえった実写版『キューティーハニー』。実写とアニメの融合、「ハニメーション」とやらで元気な画面。
 いちいちアニメのお約束や名シーンを再現してくれるたのしみに満ち、実写ゆえのはったりとバカバカしさもすばらしく。

 それでもアニメと完璧にちがっていることがひとつあった。
 いくらチガウったって、これがちがったらまったく別物でしょうってくらいの、相違点。

 ハニーに、のーみそがなかった。

 如月ハニー@佐藤江梨子は美人でおっぱいばいんばいんだが、のーみそは3歳児並。今日もまた、からっぽののーみそを入れたナイスなバディでOL業。あまりの低脳さゆえに周囲にひんしゅくをかっても、ぜんぜん平気。てゆーか、それすら理解できていない、のーみそないから。
 何故ハニーはそこまでバカですか。
 理由はひとつ、本物のハニーはすでに死んでいて、今ここにいるハニーは天才如月博士によって作られた“愛の戦士・キューティーハニー”だったからだ!!
 如月博士の研究を狙って、謎の秘密結社パンサークローの魔の手が……さあ大変!!

 
 いやあ、ここまで別人だとはおどろきました。
 昔見たアニメのハニーは、聡明でやさしく理性的で、常識をわきまえた女の子だったんだがなー。
 かっこいい女の子だったんだがなー。

 まさか、3歳児並とはな……おそれいった。

 3歳児だから、人前で裸になっても平気なの。恥じらったりしないのー。

 
 いや、それが悪いと言ってるワケじゃない。
 びっくりしただけ。
 
 ハニーを白痴にすることでストーリーを成立させているので、それはそれでヨシ。
 ハニーに年相応の知性があると、物語が暗くなってしまうんだと思う。年頃の女の子が人間以外の姿になって悪と戦うわけだから。人(怪人)を殺すわけだから。リアルにやると、ヒロインのダークサイドも描かなくてはならなくなる。
 それじゃ、『CASSHERN』みたいになっちゃうから、ハニーにのーみそがないのも計算として正しいと思う。

  
 たのしく見ました。
 潔いバカっパワーを堪能。

 ハニーよりも、パンサークローの四天王たちにウケました。
 しょっぱなから片桐はいりだもんよ!
 いいなあ、片桐はいり。
 怪人のごついコスチュームが似合い過ぎ。

 そして、もっともすばらしかったのが、なんつってもミッチー王子!!

 四天王のひとり、ただひとりの男性キャラ。
 美形悪役とはかくあるべき。
 突然歌い踊る姿にクラクラ。

 ミッチー王子を見るためだけでも、この映画の価値があったわ……!!

 なにしろハニーが白痴なので、恋愛とか色っぽい話にはなりようがない。
 かわりになっちゃん警部@市川実日子と、謎の男・青児@村上淳がいい感じでかわいい。
 恋愛も好きだけど、女同士の友情も大好きなので、なっちゃんとハニーのラヴラヴっぷりは見ていてたのしかった。

 白痴ハニーは白痴ゆえにかわいい。白痴ゆえに物語が成立している。
 それをちゃーんとたのしんだ。

 続編があったら見に行くぞー(笑)。

 
 この物語はこの物語で成功だと思う。
 思うけど。

 やっぱり、ちょっと残念だ。
 ハニーが白痴であることが。

 ……白痴って使っちゃいけない言葉だっけ? 無神経な使い方をしてしまっているのだろうか。
 えーと、物語の計算としてあえて、成人女性を3歳児並の精神年齢に描いていることを客観的事実のみの意味で、白痴と書きました。侮蔑の意味はないです。障害を持つ人を指しているつもりもないです。

 ハニーが外見年齢に相応しい精神的発達を遂げていないために、原作が持つ「淫靡さ」がなくなっているのね。
 それがわたし的には残念だった。

 『キューティーハニー』といえば「おねえさま」なんだもん。
 女同士で、「おねえさま」と呼び合う世界なんだよー。コメディ部分は多分にあっても、「エッチ」だけではない「淫靡さ」にどきどきしたもんだよ……。

 この映画の世界観はアリだと思うし、評価もしている。
 原作とはべつもん上等、そうでなくては作る意味ナシと思っている。

 だからほんと、ただのつぶやきさ。

 のーみそのあるハニーが見たかった……。

         
 あああ、次郎さん!!
 なんて素敵なの次郎さん、なんてぷりちーなの次郎さん!!

 と、わたしのハートを直撃、興奮しまくりでした、映画『死に花』

 監督・犬童一心、出演・山崎努、青島幸男、谷啓、宇津井健。

 老人老人老人ばかりの映画。
 高級老人ホームで余生を過ごす仲良しじーさん5人組だったが、そのうちのひとりが先に死んでしまった。彼の遺品に「死に花」というタイトルのノートがあり、そこにはなんと銀行の地下金庫襲撃計画が詳細に記されていた!
 死んだ友の意志を継いで、老人たちが挑む金庫破り!!
 愛と友情と人生と、夢とロマンの物語。

 
 じじい好きにはたまらない映画です。『世界の中心で…』を見なくても、『死に花』はなにがなんでも見ますわよ!(笑)
 山崎努ファンのわたしは、わくわくと見に行きましたとも。……映画館、ヒト少ねぇ。つか、若者いねぇ(笑)。
 出てくるのはたしかにじじいばかりだけど、映画自体はふつーに「ファンタジー」なのになあ。

 物語はそりゃーもー、あっけらかんと「ファンタジー」です。「あ、ありえねえ(笑)」が満載。
 金庫破りの最後のオチの派手さは、痛快です。

 
 人間はいつになっても、「夢」を忘れられない生き物なんだと思う。
 いくつになっても「居場所」を探している生き物なんだと思う。

 わたしはなんで生まれてきたの?
 わたしはなんのために生きているの?
 わたしらしいってなに? わたしは誰? わたしはなに?
 わたしはここにいていいの? 
 誰かわたしを肯定して。わたしを好きだと言って、わたしに価値があると言って、ここにいていいんだと言って。

 思春期になれば誰もがぶつかる壁。抱く悩み。

 これはもうエンドレス。
 いくつになってもなにを得ても、一生ぐるぐる抱えたままなんだな。

 誰がなにを言おうとも、結局ひとは自分で答えを出すしかない。

 自分で、自分を好きにならなきゃいけない。自分を赦さなきゃいけない。

 ああどーして人間は、こんなに面倒くさい生き物なんだろうね。お金があっても自由があっても、それだけじゃしあわせにはなれないなんて。

 中学生の男の子も、そして70歳を過ぎた老人も、同じコトでぐるぐる傷つき、悩んでいる。

 ボクはほんとうに、ここにいていいの?
 今のボクでいいの?
 ボクに意味はあるの?

 永遠の、自分探し。

 
 さて。
 この普遍のテーマを胸に、老人たちが立ち上がる。
 夢に向かって進む姿に、「意味」を見つける。

 老人だからこそのせつなさと、かっこよさを見せつけて。

 荒唐無稽なクライム・ストーリー(笑)であり、男たちの友情物語であり、夢を追う冒険物語でもある。
 明るいユーモアに満ち、元気にテンポ良く笑わせながら、画面の端々にあるやさしいウエットさがときおり胸を突く。
 がんばれ男たち。永遠の少年たち。
 青臭い悩みと傷みを抱え、前に向かって走り続けてくれ。そんな男たちに、女は恋をするんだ。

 人生が愛しくなる物語。愉快で少しせつない物語。

 
 主演俳優たちはそれぞれいい味を出して、いい仕事をしておりました。
 そして、脇にちらりと出てくるボケ老人@森繁久彌が、これまたすばらしい。ラストシーンは号泣しました。

 
 ああそして、次郎さん……!!

 わたしのもっとも愛するじじい俳優、高橋昌也様が出演されておったのですよ!!
 しかもしーかーもー、超絶プリチーなお姿で!!

 高橋昌也扮するじじいには、台詞のひとつもありません。老人ホームのシーン限定、画面の端にちょろちょろ映るのみ。
 しかしそのかわいらしさときたら!

 サッカー好きのベッカム好き、という設定なんでしょう。
 いついかなるときにも、ベッカムのユニフォーム着用、サッカーボールと友だちというじじいなのです。
 葬式のときは、黒いユニフォームですよ。なにがあってもベッカムなんですよ。ボール持ってんですよ。

 かーわーいーいー。

 抱腹絶倒ツッコミ嵐ドラマ『年下の男』において、年下の恋人・高橋克典に対し、「ワシとあの女とどっちが大切なんじゃ?!」「ワシを捨てるのか?!」などなど、どこまでも爆走怒濤愛を繰り広げてくれた次郎さん役でfall in LOVE したわたしは、以来彼のことを「次郎さん」と呼び続け、愛でつづけています……。

 次郎さんファン必見!!
 かわいすぎですよ。ハァハァですよ。

 他のすべてが吹っ飛ぶくらい、次郎さんが素敵でした(笑)。

       
 さて、ヅカの感想ばかりにかまけて(萌えて・笑)、映画の感想が溜まっています。今で6本かな〜。ゲームの話も最近書いてないしなー。テレビドラマの感想も、いろいろ書きたいことあったのになー。やっぱ『澪つくし』はおもしろいよなー。かをるの結婚式でマジ泣きしちゃったよ。照れ。『新選組!』は抱腹絶倒のすばらしいドラマですよねえ。とりあえず佐藤浩市受派のヒトには、これほど美味な作品もないでしょう。
 と、改行ナシにだらだらしたあとで。

 
 アホ映画の『ヒューマン・キャッチャー』を見ました。

 なんでこんな映画、見るかなわたし(笑)。
 自分でつっこみつつも、誘われたらけっこーなんでも見ちゃうもんで。
 試写会じゃないよー、ちゃんとお金払って見たんだよー。350円だったけど。
 なんせ350円、ビデオのレンタル代と変わらない金額だったんで、たぶん点数かなり甘いと思う。定価払って見たら怒り心頭でも、この値段なら「脱力系とはいえ、笑えたからまあいいか」と思っちゃうからなー。

 ジャンルは、ホラーです。……笑えるけど。脱力するけど。

 監督・脚本ヴィクター・サルヴァ、出演レイ・ワイズ、エリック・ネニンジャー。
 2001年に公開された『ジーパーズ・クリーパーズ』の続編。原題は『ジーパーズ・クリーパーズ2』なのに、何故かまったく無関係な邦題がつけられた。

 邦題の意味がまたすごいんだ。
 人間を食料にする、謎のクリーパー。そいつは自在に空を飛び、地上を逃げまどう人間を襲う。
 そう、獲物である人間のアタマをひょいっと掴み、空に連れ去るんだ。
 まるでUFOキャッチャーのように。

 UFOキャッチャーって……固有の商標だったよーな気がするんだが。一般にはクレーンゲームっていうのかな。SONYのウォークマンと同じで、商標が一人歩きしちゃってるんだろうけど。

 それにしても、UFOキャッチャーみたいに人間を連れ去るから、ヒューマン・キャッチャーって……。
 タイトルからしてすでに、相当アホっぽいんですけど。

 まあきっと、すべてわかったうえで宣伝しているんだろうなあ。

 わたしもさすがに、マジなホラーだとは思わずに見に行ったので、気持ちよくとほほな笑いを堪能しました。

 1作目を見ていないんで、クリーパーの正体とかさっぱりわかりません。
 とにかくヤツは存在していて、とにかく人間を襲う。理屈はないし、理由も知らない。
 化物といっても、翼があるだけで基本は「人間の男」に近い姿をしているし。

  
 それにしても。
 素直に笑えるところと素直に疑問なところはまったく同じ。

 ねえねえ、ホラーっていうとやっぱ、主人公は女性であるべきだよねえ?
 美女が恐怖に顔を歪め、逃げまどってこそ華というか。
 かよわきものが襲われるからこそ、感情移入もしやすいっていうか。

 しかしこの作品。

 狙われるのは、ムキムキのマッチョ・ボーイズなんだわ……。

 笑えるところと、疑問なところはまったく同じ。

 なんで女じゃないの?! なんで筋肉男たちなのっ?!

 こんなに漢くさいホラーって、どうよ……。

 狙われたのは、高校のバケットボール部員たち。
 なんせアメリカ人だから、日本の高校生とはワケがチガウ。でかいわごついわ筋肉だわ。腹筋きれーに割れてます、てゆーかこいつら露出度高すぎ、みんな一度は脱いで肉体美を披露、いちいち脱ぐなよ、誰が誰だか余計わかんなくなるよ。

 なんか、臭ってきそうな男臭い画面……。

 そこへ襲いかかるクリーパー!!
 カラダはムキムキでも、まだ高校生だ、みんなパニックを起こして逃げまどう!

 次から次へと殺されるんだが、クリーパーには好みも趣味もあって、わざわざ選り好みしてるんだよねー。いやあ、クリーパーくんの趣味ってわかんないわぁ。
 わかったのは男が好きなんだなってことぐらいだ。

 バスケ部員には、マネージャーの女の子も数名まじってたんだけど、彼女たちには見向きもしない。
 監督とかバスの運転手とかの「中年」というくくりの生き物は好みではないらしく、かなりおざなりに捕獲。若者たちを孤立させるためだけに中年たちを先に殺したのねー。本命はぴちぴちの筋肉野郎どもなのよねー。

 ものすっげーたのしそーに襲いかかるクリーパーと、逃げまどう筋肉野郎ども。
 どすこい悲鳴が轟き渡る。

 なんか、チガウ意図の映画を見ている気分に……。


 
 へんなところでツボに入って、笑えて仕方なかった。
 
 ホモでおちゃめなクリーパーくんは、手作りの武器なんか使っちゃうしなっ。
 お気に入りの獲物の「カラダ」で作った武器。
 骨と皮でできてるのー。
 とくにお気に入りだったのが、カラダのあちこちにタトゥを入れた少年。
 わざわざ少年の「タトゥ入りのへそ」の皮を使って、手裏剣作って愛用してんだよ……。
 愛した少年のカラダを使って、身の回りのモノを作るんだね……すごいね……マメだね……。

 なんか思わず、『スサノオ』を思い出しちゃったよ……。
 スサノオの死体から、月読様は笛を作ったんだよねええ。
 ホモスキー仲間のかねすき嬢は、そのシチュエーションにやばいくらいハァハァしてたなあ。
 月読様が、弟の死体から服を脱がせ、裸のカラダを撫で回し舐め回し、いろいろなさったあとに笛を作ったのだと。
 彼女のあまりの煩悩の深さに、さすがのわたしも両手を挙げて降参したっけ。

 それを思い出した……。

 クリーパーくんも、お気に入りの筋肉少年を裸に剥いて、撫で回し舐め回ししてたのしんでるのかしらー。
 殺して食べて、残った骨やら皮やらで工作しちゃうんだー。ほえー。

 
 それにしても、クライマックスが納得いかない。
 息子の仇としてクリーパー退治に燃えた戦うお父さん@レイ・ワイズが、あんな始末の仕方をするなんて、あまりにご都合主義。あわよくば続編を、てなハートですか?
 それまではアホ・ホラー映画だと割り切ってたのしんで見ていたのに、展開の「ずるさ」に見ていていらいらした。

 仇を討つなら、なんでそこでガソリンぶっかけて火を付けないんだよー? あそこでやっていれば、時間内に殺せたのに。
 時間切れしたって、どこぞの処理場の硫酸のプールにでも自らの手で沈めてしまえよ。それでこそ復讐だろーに。

 嘘を嘘だとわかったうえで笑えていただけに、ラストで制作側のせこさが見えたことに水を差され、一気に現実に戻ってしまった。
 おかげで、後味悪いぞ。

 まあ、最後までしょぼかったし、そのしょぼさを笑うには、いい温度なんだけど。

  
 臭いそうなぴちぴちの筋肉男たちが逃げまどう、サバイバル・ホラー。
 いちお、クリーパーくんが若い筋肉男を狙う理由を、ひとから聞きました。獲物の皮をかぶって新しい肉体になりかわったりするんで、元気な筋肉男を好むそうです。
 でもソレ、ただの言い訳にしか思えないなあ(笑)。

       
いやあ、なにがショックだったかって、この映画を見てなにを連想したか、だよ。

 歴史大作『トロイ』
 古代ギリシアで起こったトロイ戦争を描いた作品。
 監督ウォルフガング・ペーターゼン、出演ブラッド・ピット、オーランド・ブルーム、ブライアン・コックス、エリック・バナ。

 映画を実際に見るまで、そんなことになるとは思ってもみなかった。
 なにも考えず、予備知識もなく、いつもの映画館の座席に坐って、そして、おどろいた。

 パリスだとかヘレンだとかいうと、わたしは『イブの息子たち』を連想してしまうんだ。

 『イブの息子たち』?!
 ちょっと待ってよ、なんでそんなもんを??
 今の今まで、忘れてたよ、そんなタイトル。
 なのに何故、よりによって『イブの息子たち』なの。
 そして、いったん思い出すと次々記憶はよみがえってきて、アタマの中を3人の人騒がせ男たちが走り回り、ニジンスキーが眉間に縦じわよせてチュチュで踊ってるよ……「ヒース、わたしを見て……」。

 ああああ。
 こんなはずではなかった……何故、『イブの息子たち』……。がっくり。

 
 とまあ、映画本編とは関係ないところで萎えておりましたが。
 それでも3時間、たのしみました。

 歴史巨編なんてものに、多大な期待はしておりません。退屈なんじゃないかとか、そっちの心配をするくらいだ。

 予告編ではアキレス@ブラピとパリス@オーランド・ブルームばかりが取り上げられていたけれど、コレ、オーリー目当てで見に行ってはならんのでは……?
 主役は、アキレス@ブラピとヘクトル@エリック・バナでした。

 てか。
 萌えるんですけど、アキレスとヘクトル(笑)。どっちが受かは悩みどころですが(笑)。

 大昔の出来事。
 ギリシャのスパルタの王妃ヘレン@ダイアン・クルーガーと、トロイのパリス王子は禁断の恋に落ち、なーんとかけおちしてしまった。不倫はそりゃまずいだろう。かけおちはもっとまずいだろう。
 ふたりの無謀な愛が原因で、ギリシャVSトロイの戦争がはじまった。ギリシャ軍の問題児、超絶強いけど傲岸不遜の戦士アキレスは、いつもの命令無視で突っ走り、トロイのアポロン神殿で運命の出会いをする。アキレスの運命の出会いは、トロイのヘクトル王子相手だった……とわたしは思うが、いちおー建前として、神殿に仕える王族の娘(名前忘れた)と出会い、彼もまた恋に落ちるわけですなー。
 個人の事情からはじまって、個人の事情なんか置き去りに怒濤の流れが人間たちを翻弄する、壮大な戦いの物語。

 なにしろ歴史物なんで、エンタメ性なんぞあまり期待せずにいたんだが。
 見ていて感心したのは、ヒーロー・アキレスの描き方。
 あ、ちゃんとエンタメなんだ、と思った。
 アキレスは天才型の男なんで、観客の感情移入はむずかしい。むしろ凡人たる観客は、実直なヘクトルの方に感情移入するだろう。それでもアキレスをヒーローとして主役として描くならば、彼のキャラを立てなければならない。
 最初は「ふーん」程度の気持ちでいたのに、見ているうちにどんどんアキレスが魅力的に思えてきた。ブラピだとか彼の脱ぎっぷりのよさだとか、カラダのラインの美しさだとか(笑)、そーゆーこととは関係なく、アキレス個人がいい男に見えてくる。
 この荒ぶる魂をもてあましたよーな男が、いとしい戦士に思えてくる。
 アキレスを好きになれるかどうかで、この作品への感情は変わってくるだろう。
 わたしは彼を好きだと思えたので、たのしめたんだな。

 ヘクトルは、いい男過ぎ(笑)。
 アキレスが険のあるキャラな分、観客のハートを掴む意味ではヘクトルがひとり勝ちしている気がする。
 アキレスが天才型なら、ヘクトルは努力型の秀才って感じなんだよなー。常識の範囲内で誠実に生きる有能な男。「神を敬い、妻を愛し、国を守る」だっけか。彼のとてもシンプルな信条。素直に「いい」と思うよ。こーゆー男は好き。
 こういう努力型の男がこつこつ築いてきたモノを、天才型の男に一刀両断されるのが物語のお約束ってやつだけど……わかっていてもせつないなあ(笑)。
 まあ、いつの時代も長男は大変、ってことで。

 パリスはあんなもんかと。あの役は、ある意味むずかしいよねえ。あれだけ最低ヘタレ野郎であっても、「憎まれない」キャラが必要。……ヅカでいうと、タニちゃんあたりがやるといいのでは(笑)。
 狭い世界で大切に育てられた青年なんだってことが、よくわかるよ。理想と現実がイコールでない、ある意味リアルな存在。
 それでも愛されている、ある意味とてもファンタジーな存在。

 原作が先にあるからか、たくさんいるキャラクタたちの描き方はとても薄くて、もったいないことしきり。
 てゆーか、パリスとヘレンはあれでいいのか。戦争起こっちゃってるんだけど、それに対する彼らの立ち位置っていうか、トロイでの反応はどうなのよとか、いろいろつっこみはある。
 ギリシャ側にしても、なんかいろいろキャラはいるわりに、ちゃんと描かれていないというか。
 神を信じて行動したことがすべて裏目に出る展開は、なにか含むところがあるのかとか。
 主題が絞り切れていない散漫さとか、パリスとヘレンの愛なんぞに時間かけるヒマがあったら他に描くことがあるだろう(笑)とか、クライマックスが消化不良っていうかもっと他に描き方あったんじゃないのとか、ほんとにもー、言いたいことは尽きない。

 それでも、終わってみれば、駆け抜ける獅子アキレスの黄金のたてがみや、愛しそうに子どもを抱くヘクトルの姿に満足しているんだな、これが。

 アキレスという男を理解した上で2回目を見れば、きっともっとたのしいだろうなと思う。……つか、わかりにくすぎるんだ、この男。

 ついでに、アキレス×ヘクトルだと思って見れば、さらにたのしいだろう。(日記を書いているうちに、ヘクトルが受だと答えが出たらしい・笑)
 肉体的とゆーか、出来事的(つまり、ヤるとすればだ)にはアキレス×ヘクトルで、精神的には逆でよろしく。

  
 しかし、エリック・バナがあんなにいい男だとは……お笑い『ハルク』からは想像もつかなかったよ……。

   
 試写会は好きです。
 誘われれば大抵なんでも見ます。
 交通費その他もろもろを考えれば、ふつーに映画館で見た方が快適で安い場合も多いけど、それでも試写会に誘われるとよろこんで行きます。

 出会いだと思っているから。

 自分で選んでお金を出すならば、絶対に選ばない、そもそも選択肢にのぼらないよーなものに出会える可能性があるから。

 自分で選ばないような映画だから、まあおおむねハズレなんだけど、たまに愉快なモノに出会えたりもする。
 福袋が好きなわたしとしては、そーゆーサプライズをたのしみたいんだ。

 
 つーことで、誘われるままに出かけていった試写会、『ランダウン ロッキング・ザ・アマゾン』
 試写会場は家の近く。でもたしか、雪組千秋楽の日だったんだよねー。ムラで『スサノオ』観たあとに、あわてて大阪の自宅まで帰り、自転車にまたがったっけ。ぎりぎりだったわ。

 監督ピーター・バーグ、出演ザ・ロック、ショーン・ウィリアム・スコット、クリストファー・ウォーケン。

 賞金稼ぎのベック@ザ・ロックは、依頼を受けてトラビス@ショーン・ウィリアム・スコットを探しにジャングルへやってきた。
 トラビスはジャングルに眠る秘宝を探しているトレジャーハンター。秘宝を狙うのはトラビスだけじゃなく、ジャングルの現地人たちを不当に支配している悪人ハッチャー@クリストファー・ウォーケンや、それに対するレジスタンスたちもだった。トラビスを探すベックは、その三つ巴の争いに巻き込まれるが……。

 
 あー……ここまでなにもかも中途半端だと、いっそ愉快かも。
 わたしは終始、首をひねっていたよ。
 最初はLAで、暗黒街の肉弾戦。なにしろ主役ベックを演じるのはプロレスラーあがりのタフガイだ。やりたいのは男たちをちぎっては投げする巨漢ヒーローのアクションなんだろーなー。なんか意味もなくセンスもなくどったんばったん。
 この調子でずっといくのかと思いきや、いきなり舞台はジャングルへ。
 あ、あれ?
 ジャングルの街では、「えーと、今って21世紀だよね?」と首を傾げるよーなアナクロな世界が展開中。進んだ文化を持った白人たちが現地人たちを奴隷のよーに働かせ、暴力と恐怖で君臨する独裁国家を建設中。
 しかもそこで、もうひとりの主要キャラ・トラビスは秘宝探しときたもんだ。
 秘宝ってなに? どーゆー文化で、どーゆーことがあってそんなモノが存在して、どーゆー経緯で君はそんなことをしているんだ?
 まったくわからないまま、ベックとトラビスはふたりでジャングルの奥地へ。
 ベックは依頼されているわけだけだから、トラビスをLAへ連れて帰るのが仕事。トラビスは帰りたくない。いわば敵同士のよーな、殺伐とした関係だが、とりあえず今は手を取り合って進むわけだ。
 わたしは「手錠でつながれた刑事と犯人の逃避行」萌えとゆーものを持っている。敵同士なんだけど事情があって仕方なくひとつの目的のために協力し合う、という関係萌えだ。
 だからこのベックとトラビスの関係は、萌えの範疇なんだが。

 萌えなかった……。

 ベックにしろトラビスにしろ、あまりにも魅力に欠ける人物だった。

 キャラ立てに失敗した見本のよーなふたりだった。
 それぞれ類型的だとはいえ、「売り」を持ったキャラであるというのに、「押し」に欠け、ただのご都合主義キャラで終わってしまっている。
 個人的に、彼らのキャラのいちばんの失敗は、愛のなさだと思う。
 ベックもトラビスも、言動にあまりにも愛がなかった。誠実さに欠ける、と言ってもいい。
 自己中心的である、というより、たんにストーリーの都合上その場しのぎの言動を繰り返す、そーゆー「愛のなさ」であり「不誠実さ」だった。彼らの自己中な言動に意味があればよかったんだけど、どー見ても「だってここはそーした方がなんとなくおもしろいしぃ」「ここでそう言わせないと、話が進まないしぃ」という、制作上の都合が透けて見える。
 結果、ふたりの主人公は自己中心的で誠実さに欠け、かといってそれが魅力には繋がらず、場面ごとに別人格のよーな言動を繰り返すキャラとなった。
 ……ひでえ。

 さて、この魅力に欠けるふたりの男は、ジャングルの中でレジスタンスと出会う。リーダーはセクシーでワイルドな美女だ。
 なにしろ現地人たちを支配しているハッチャーは、水戸黄門に出てきてもいいくらいのわかりやすい悪党だ。虐げられた現地人を解放するため、レジスタンスの勇気ある若者たちは、今日も正義の戦いを挑む。
 そのレジスタンスの若者たちと、ベックは拳で語り合って友情を掴んでしまったりする。……まあ、肉弾戦をやってなんぼの映画だとわかってはいるが、ものすごい強引な展開。
 LA暗黒街ではじまった物語はいまや、20世紀の香りのする「我らに独立を!」もの風に変貌。
 するかと思いきや、今度は秘宝探検もの風に変貌。ベックとトラビス、そしてレジスタンスの女リーダーは、秘宝探しでGO!
 まあジャングルだし秘宝だし、遺跡が出てきて、遺跡ならではの罠なんかが待ち受けていて……インディ・ジョーンズを期待してちょっとわくわくしたら。
 あれ? も、もう終わり?
 早っ。てゆーかお手軽っ。
 見つけた秘宝も脱力風味。ものすげー宝に見えねえ……バックボーンの説明も設定も薄いから……。
 んで次はなにがくるかと思えば、街の支配者、悪のハッチャー一味にベックが単身殴り込みときたもんだ。たったひとりで、悪の帝国の本拠地に突撃なのよ。正義のために。
 えーと、そんな話だっけ、コレ……。
 たぶん物語中、いちばんの見せ場になる1対100くらいの大決闘なんだけど、これがまた、盛り上がらない……。
 ベックのいいところは、その巨体でもって素手で戦うことだったんだか、さすがに素手では無理なんで、ついに銃を使うのねー。
 無理なのはわかるけど、ここで銃を使っちゃったら、ベックというキャラの意味が崩壊するんだけどなー。あーもー、なにがやりたかったんだか。

 アクションものであり、ジャングルという治外法権で絶対悪の帝国との対決であり、秘宝探検ものであり……と、ものすっげー盛りだくさんなんだけど、見事にすべて空回り。
 ここまで中途半端だと、かえって愉快かもしれない。

 
 まあ、とりあえずわたしは。
 トラビスを連れて帰れとベックに命令したLA暗黒街のボス。トラビスとは親子だと言ってたけど、わたしは最後まで信じてなかった。
 息子? 恋人なんじゃないの?
 息子を連れ戻すために、という設定はなんかものすげー嘘くさかったからさ。

 ま、それくらい妄想して見なきゃ、やってられないよーな作品でした(笑)。

 
 でも、これもまた、出会いのひとつ。
 試写会あったら、誘って下さい。なんでも見ます(はぁと)。

         
 最近忙しくて、映画の感想書くのすっかり忘れ続けてます。溜まっていく一方だわ……。

 とりあえず、映画館で見なきゃだめでしょう! とわかりきっている映画は、率先して見ておかねば。
 ってことで、『CASSHERN』を見てきました(いつ見たのか、日付はすでに忘却の彼方)。

 ええ、あの『キャシャーン』です。
 最初に実写映画になるって聞いたときは、正気か?!って思いましたけどねー。
 ほんとに作っちゃうんだもんねー。21世紀ってのはすごいよねー。

 監督・脚本・撮影・編集・紀里谷和明、出演・伊勢谷友介、麻生久美子、唐沢寿明。

 いつもの通り、なんの予備知識もなく見たもんで、顎は落ちたまんまというか、目が点のままというか。

 コレ、「キャシャーン」チガウし。

 
 わたしはもういいトシですが、実はアニメの『キャシャーン』のことは、よくおぼえていません。リアルタイム世代なんだがな。
 子ども心に、あのアニメはなんか暗くておもしろくなかったのだわ。
 ただ、「キャシャーンがやらねば、誰がやる。」というあおりと、スワニーという白鳥ロボットの目から光線が出て、月夜だけママに会えるとか、犬型ロボットのフレンダーがものすっげー変形をすることだとか(子どもの目にさえ「ありえねえ」と思えた。大きさとかなー)、ヒロインのルナのピンクのミニワンピのスカートが超絶短かったことや、キャシャーンの声が素敵に棒読みでイケてなかったことぐらいは、おぼえている。
 敵に関しては、同じカタチのロボットが行進しているあたり、『ヤッターマン』のミニメカたちと混同しているらしく、口々に単語をつぶやいていたとか、おだてブタがどーしたとか、どうも不明瞭だ。
 てゆーか、なんで世界があんなことになって、キャシャーンが戦っているのか理解できてなかった。
 外国にしか見えないのに、キャシャーンは日本人らしいし。
 人間の味方なのに、差別されてるし。

 アタマの悪いガキだったもんで、理解できなかったのよ。

 そして、いくつのときだったかな。
 たしか、再放送をちらりと見たことがある。もうすでにわたしは大人で、アニメを見る年齢ではなかった。
 なにかの拍子に、画面に映ったんだ。

 びびびびっくり。

 目が飛び出ました。
 いいの? コレ、いいの? と、ひとりでうろたえました。

 だってあまりに、いやらしくて。

 キャシャーンってさー、なんであんなコスチュームなの?
 全身白タイツだよ?
 なんかやたら丁寧に、カラダのラインが描いてあるんですが。

 裸(同然のカラダのラインばっちりのコスチューム)の男の子が、盛大に身をよじり、「あッ」だの「うッ」だの呻きながら戦ってました……。

 やややややんらすぃ。
 なんなの、あのお尻のラインはっ。胸のラインはっ。
 なにもあそこまで、忠実に描かなくていいんじゃないの?
 しかも、適度にアニメらしく丸みがあるあたり……さらにいやらしいというか……。
 少年AVでも見ている気になって、うろたえてチャンネルを変えました。

 びっくりしたなもー。
 キャシャーンってあんなにえっちくさいキャラで、あんなにえっちくさい戦い方してたんだ……子どものころはわかんなかったよ……。

 
 え?
 わたしだけですか? そんなふーに思ったすけべ野郎(女ですが)は?

 
 とまあ、わたしにとってのアニメ『キャシャーン』は、そんなもんです。
 だからアニメに比べてどうこうとか言う気はまったくありません。

 ただ、純粋に映画を見て、「キャシャーン」ちゃうやん(笑)。と思いました。

 
 「キャシャーン」というタイトルである必要性が、あまりなかったなと。
 だってまったく別物だし。
 ラストは『イデオン』だし(笑)。

 
 ストーリーはわけわかんないので、もういいです。早々に手放しました。
 いや、わかるけど、つっこみどころが多すぎて、もういいやって感じ。

 だからそんなことは全部置いておいて、ひたすら画面をたのしみました。

 「大亜細亜連邦共和国」という、スチームパンクな暗い(文字通り、画面が暗いの)未来社会を受け入れられたら、それでこの映画はもうOKでしょう。
 街並みとか服装とか小物とか、そーいった美術を眺めているだけで、わたしはとてもたのしかった。
 なんたって、街のあちこちに大滝秀治の顔(しかも立体)よ!! 愉快じゃないすか!

 この映画をたのしめるか否かは、映像の好みが合うか合わないかにつきる、気がする。
 この映像をたのしむことができたら、それだけで値打ちはあると思うよ。

 あくまでも、映像。
 映画としてのストーリーとか、演出は、問うな(笑)。

 そこに描かれている世界観も、軍事帝国の姿も、5万回は見たよーな垢まみれの独創性に欠けるモノなんだが、まあビジュアルが愉快だからヨシ!! 齋藤吉正作品が意味もなくナチスでハイル・ヒトラー!!なのと同じだよねー。
 叫んでいるテーマもかなりアレで、お尻がかゆくなる部分が大いにあるっていうか、結局こーゆーふうにするしかないのかとか、監督の情緒の限界なんだろうなとか、嘆息するよーなモノなんだけど。

 これはフィクションでエンタメなんだから、陳腐だろーと辻褄あってなかろーと、愉快ならばそれでいいのよ。
 画面がこだわりまくりの美しさにあふれていたので、すべて許します。

 わたし的にいちばんよかったのは、ミッチー王子。『白い巨塔』の弁護士といい、この人はうさんくさい役をやるとハマるんですよなぁ。うっとり。
 あと、要潤がかっこよかった……。この人はだんだんいい男になってるよなー。『新・愛の嵐』のときはどうしようかと(笑)。あえて『仮面ライダー』時代は語らない。

 残念ながらわたしは唐沢寿明が超絶苦手なので、彼が演じているというだけで、ブライ役はきつかったっす。

 
 エンドロールでつい笑ってしまったのは、監督の名前があちこちにしっかり出ていること。
 監督たるもの、最後に1回出るだけでいいじゃん。
 なのに、「撮影」の欄でも「編集」の欄でも、いちいち出まくり。
 わかったわかった、ほんとに創りたかった映画なのね。力入りまくってるのね。自分がやったって、いちいち声を大にして言わないと気が済まないのね。
 これだけ、何度も何度も何度も自分の名前を書かないと気が済まない監督の鼻息の荒さに、ひとりでウケてました。クリエイターとして愉快だけど、友だちにはなりたくない(笑)。

 
 ほんとに、映画館で見てよかった。
 わたしはたのしかった。

 でもさ。
 テレビで見たら、ただのつまんない映画だと思うよ。

         
 またしても、感想書くのすっかり忘れてた。いつ見たんだっけ。公開すぐに見たはずなんだが……日付忘れた。

 なんか大作大作だと耳うるさく宣伝されている『コールドマウンテン』

 宙組『ファントム』の梅田の並びに参加した人なら、つい見たくなっちゃってるんじゃないかしら。
 並んでる間中、阪急百貨店の動く看板を見せられていたわけだから。
 わたしとキティちゃんは、なんとなーく『コールドマウンテン』の看板を見ながら、「見てみたいわねえ」って喋ってたよ。
 監督・脚本アンソニー・ミンゲラ、出演ジュード・ロウ、ニコール・キッドマン、レニー・ゼルウィガー。

 
 舞台はアメリカ、南北戦争。しかもヒロイン、エイダは南部のお嬢様ときた。嫌というほど(ほんとにもう嫌だ。二度と再演して欲しくない)『風共』を観せられてきたヅカファンとしては、連想するなという方が無理。まあともかく、そのお嬢様エイダ@ニコール・キッドマンと、村の青年インマン@ジュード・ロウは恋に落ちるなり、戦争によって引き離されてしまう。CMで謳っている通り、たった一度キスしただけだ。
 勝っていればなんの問題もなかったんだろうけど、知っての通り南部は敗北するわけよね。敗色の濃い軍隊は悲惨。エイダに会うために、愛のために、インマンは軍を脱走する。
 敗色の濃い南部の人たちの生活も悲惨。なにもできないお嬢様だったエイダは、ルビー@レニー・ゼルウィガーの助けを借りて、逞しく成長し、愛するインマンを待ち続ける。
 ふたりの愛はどうなるのか? てな。

 
 どーしても某植田理事長のまちがった日本語の台詞が脳内をかすめていくんだけど、それをのぞいていちばん気になったのは。

 なんでこの役が、ニコール・キッドマンなんだろう?? ということだった。

 えーと、当時のアメリカの未婚女性の年齢っつーのは、いくつぐらいが平均だったんでしょう。
 たとえば日本では、いくら未婚でも、30過ぎて振り袖は着ないよね? 着てもいいけど、ちと恥ずかしいよね?

 物語の中のエイダお嬢様がいくつなのかは、知らない。
 しかし、彼女の着ているドレスも身につけている小物も、なんかものすっげー若いデザインに見えた。
 それこそ、嫁入り前の箱入り娘が着て納得の衣装。実際エイダお嬢様は、嫁入り前の箱入り娘だ。
 しかしニコール・キッドマンって……もう30を気前よく過ぎてるよねえ? たしか、わたしと同い年だったと記憶しているんだが。
 30代半ばで、ぴちぴち世間知らず娘役ですか……。
 それともエイダお嬢様は、やもめのパパの世話をして婚期を逃したオールドミス? 21世紀の現代なら、30代半ばで独身はめずらしくないけど、あの時代でそれって、かなり風当たりきつかったんじゃあ……?
 でも、作中にはまったく、「この行き遅れめ」という表現はなかったよね。あるのはただ、「美しい適齢期のお嬢様」という扱いのみ。

 30代半ばは適齢期で、日本でいう振り袖みたいな若いドレスを着ていても、いい時代だったのか……?

 たしかに、ニコールはとても若い演技をしていた。ぴちぴちの10代の娘さんのように、恥じらったり微笑んだりしていた。
 しかし。

 しかし、30代だし。
 10代には見えないよ。
 いや、エイダの設定年齢は知らないけどさ。時代背景から推察して、少なくとも30代半ばじゃないだろう。

 なんでニコール・キッドマンなんだろう。
 もっと若い女優でもよかったのでは?

 その方が、より「純愛」に見えたと思うんだけど……。

 
 「純愛」と「反戦」の二本立て映画なので、落ち着きはあまりよくない。残酷シーンはけっこうリアルだが、恋愛部分はかなりおとぎ話的、というバランスの悪さ。
 そしていちばんおもしろい部分が、世間知らずのお嬢様が、したたかな相方(女友だち)と共にたくましく地に足をつけて「生活」していくところにあるというのも、「純愛」「反戦」という二大テーマから微妙にはずれているんだよなー。
 恋愛ぬきにして、「反戦」と「女の成長」ものにした方がよかったんじゃないかと思う。
 それくらい、肝心の「恋愛」部分はおとぎ話的なお手軽さで誤魔化されていた。

 てか主役のはずのインマン@ジュード・ロウ、いらないし。

 「反戦」だけなら、エイダお嬢様の村の姿だけで十分表現できるよー。
 そこで成長するエイダの姿を丁寧に描けば、インマンは名前だけの存在でいい。「戦争に行っている恋人がいる」という設定で、実際に顔も出ないし、登場もしない。イメージだけの存在。
 エイダの手紙形式でナレーション入れて、愛する人へ語りかけながら、過酷な現実と戦い、成長していく様を描くの。恋人への愛が、彼女を支えているんだな、って感じで。

 ルビーの台詞にあるように、戦争を起こしたのは男たち。そして男たちが降らせた雨にぬれるのは、女たちも同じ。
 戦争という現実の中で、エイダをいちばん変えたのは恋人のインマンではなく、親友のルビーなんだもの。その時点ですでに、インマンがいらないってことよねえ。
 本来、恋人の役目だよね、ルビーの役目は。
 ヒロインを支え、甘えをぶっとばし、ともに成長する。
 もちろん、同性の友人がその役割を担うのは、小気味よくていいけど。彼女の存在があざやかで力強いだけに、インマンの設定の薄さが致命傷となる。

 ラストシーンも同じでいいよ。
 ただ、最後までインマンは出なくていい。
 村のバカ野郎どもとエイダ&ルビーが勇気と機知で戦い、勝利、そして一気に数年後、エイダ未亡人はインマンの忘れ形見を育てている、でいいよ。
 ああ、インマンは生きて帰ったんだな、でも戦傷がもとで死んじゃったんだ、戦争は残酷だな、でいいじゃん。

 
 と、思うくらいには、エイダとインマンの恋愛は、薄かったです。

 
 いや、きれいなんだけどな、ニコール・キッドマン。かっこいいんだけどな、ジュード・ロウ。
 美男美女の純愛、という設定はいいんだが、中身を伴わない話でした。

 
 とにかく、いちばんたのしかったのは、エイダとルビーの関係だ。
 男前なルビーと、彼女との出会いによって強くなっていくエイダが、見ていて気持ちよかった。ああルビー、すてきー。

       
 いかん。日記に書くのをすっかり忘れていた。いつ見たんだっけか……2週間くらい前かな?
 毎日なにかしら書くことがあって(『愛しき人よ』の感想だけで4日も使ってるし・笑)、映画の感想が溜まっていく……。

 美男美女を見たくて、行ってきました、『ディボース・ショウ』
 監督・脚本ジョエル・コーエン、製作・脚本イーサン・コーエン、出演ジョージ・クルーニー、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ。

 マイルズ・マッシー@ジョージ・クルーニーは、ロサンゼルスで活躍する離婚訴訟専門の弁護士。『離婚弁護士』っちゅーと今放映中の天海祐希のドラマと同じだが、立場は180度チガウ。人情なんぞどこにもなく、情け容赦なく依頼人の利益「だけ」を守って戦う苛烈な人。負け知らずで人生退屈♪なくらい、天上天下唯我独尊。
 そんな彼の前に立ちふさがったのが、美貌の結婚詐欺師マリリン@キャサリン・ゼタ=ジョーンズ。彼女は財産目当てで億万長者と結婚し、離婚によって多額の慰謝料をせしめるとゆー、根気と計画力のある「はした金に用はないわ」なゴージャスな悪女。
 結婚前に、離婚を含めたいろーんな権利を謳った「婚前契約書」がかわされる世界での、一筋縄ではいかない美男美女の欲と愛の一騎打ち。騙し騙され、ふたりの進む未来はall or nothing !

 
 いやー……キャサリン・ゼタ=ジョーンズ、美しい……。溜息。
 ジョージ・クルーニー、うさんくせえ(笑)。このテのハンサムは、存在自体がうさんくさい。でもなんか、いいなあ。
 そう、阿部寛が本気の二枚目役をやっているより、上田次郎@トリックをやっている方がしっくりくるような。そんな良さ(笑)。

 たのしく笑って見ました。
 騙し騙され、で、どんどん話が転がっていくので、難しいことは考えず、変に理屈はこねず、ただふつーに眺めていました。
 まあわたし、笑いのツボが人より少ないんで、笑えない部分もいろいろありましたが。
 
 しかしわたしはウエットな日本人なんで、もう少し、ハートがあるといいな、とは思いました。
 ストーリー優先、笑い優先なんで、感情移入できるキャラクタがいなくて。
 やっぱ世の中、愛だよな。愛を描いてくれー。ほんの少しでイイから。ラヴコメの体裁を持っているわりに、愛がゲーム感覚以上には感じられなかった。今のままでイイから、あとほんの少し、まともに愛を……!
 と思うのはわたしの趣味でしかないのかしらん。

 息を止めて一気に走り抜ける系のコメディとして、この映画はとてもたのしかったけれど。
 萌え、という観点で言えば、天海祐希の『離婚弁護士』の方が100倍萌えるわ。

    
 とりあえず、美男美女を堪能。ふぅ〜。

         
 わたしが以前買った「ビッグイシュー」に、メグ・ライアンのインタビューが載っていたので。
 見ることに決めていました、『イン・ザ・カット』
 監督・脚本ジェーン・カンピオン、出演メグ・ライアン、マーク・ラファロ、ケヴィン・ベーコン。

 大学講師フラニー@メグ・ライアンの住居のそばで、猟奇殺人事件が起きた。フラニーはその事件の聞き込みにやってきた刑事マロイ@マーク・ラファロに惹かれるが、彼への不信感もぬぐえない。フラニーが目撃した犯人と、マロイは同じタトゥをしているのだ……。

 えーと。
 とりあえず、メグ・ライアンがメグ・ライアンらしくありません。それが彼女の目的だったんだろうけど。とりあえず、ラブコメの女王らしからぬ役であり、演技です。

 しかしなあ。
 どーなんだろうなあ、コレ。

 監督が男性なら、「またまた男が勝手に都合のいい女を描いてるよ」で済むんだが……監督、女性なんだよね。
 女が描いて、コレか……。

 というのも、物足りなかったのだわ。
 すごーく。

 描いてあるのは、「女の性」。
 過激なセックス描写、オナニーシーン、猟奇殺人、血と暴力。

 しかし、生ぬるい。
 女の赤裸々な性ってのは、欲望ってのは、こんなもんか? チガウだろ?
 もっとどろどろしてていいと思うんだけどなあ。
 すげえ半端なので、男が想像して描いたえっちな女、みたいだ。

 フラニーがマロイに興味を持ったのって、「バーで女にしゃぶらせるような男」だからでしょ?
 そこをもっと、突き詰めて描いてほしかったなあ。エロい男に惹かれる、お堅い女教師。いいじゃん! それを女性の感性で描ききってくれたら、気持ちのいい作品になったと思うんだ。
 彼に対する不安と疑いと、それでもいったんついた官能の火は消せないわ的な内面を、じーっくりねーっとり容赦なく、描いてほしかった。

 でも結果は、フラニーにまったく感情移入できないまま終わった……。

 
 惜しいなぁ。
 同じプロットで、わたしならもっとこうするのに、が山ほどあった。
 心理描写することで、補完したいことばかり積もったので、小説向きの題材なのかもな。あ、原作が小説だってのは置いておいて。

 とりあえず、事件サスペンスと女の性モノ、両方やろうとしたのがまずかったのかも?
 どっちかにしておけば、まだなんとかなったのかもなー。しかし、事件モノとするには、メリハリに欠けるから、やっぱ女モノに焦点絞って、事件はスパイス程度にしておくべきだったのでは?
 ……まあ、わたしがたんに、ねっとりした女の性モノを見たかっただけかもしれんが(笑)。

 
 あ、映像はきれいだった。
 最初から最後まで、「赤」の使い方がいい。
 花の赤、服の赤、血の赤。
 ヒロインはわりと地味めの色ばかり着ているんだが、最後によーやく「赤いドレス」を着るのさ……そしてそのドレスは、もうひとつの赤に濡れるのさ……。
 この色の使い方は、好き。

 あと、最後の最後に流れる歌も。
 ブラックでイイ(笑)。
    
   
 いちばんおどろいたのは、鈴木京香の胸の谷間かもしれない……。

 哀川翔アニキ主演映画『ゼブラーマン』鑑賞。

 いやあ、ヒット作はいいねえ、今ごろでも映画館で見られるんだから。
 封切館で終了し、2番館で終了し、今は場末の3番館あたりでレイトショーです。それでもまだ、上映してるよ。

 監督・三池崇史、脚本・宮藤官九郎、出演・哀川翔、鈴木京香、渡部篤郎。

 いつものよーに、予備知識ナシで見に行きました。
 アニキ主演100本めの記念作だということと、ヒーローものだということと、クドカン脚本ぐらいしか知らなかったっす。他の出演者も知らなかった。そっか、ヒロインは鈴木京香かー。篤郎、出てたんだー。

 
 ひとこと。
 渡部篤郎ファンには、見る価値アリ。

 
 かっ、かっこいー。
 篤郎、かっこいーよー。あの制服姿!!
 篤郎のコスプレ見るだけでも、500円の価値アリですよ!(500円で見た)
 防衛庁ですよ。特殊機密部の指揮官ですよ。軍服萌えの人にはオイシイっすよ。
 篤郎は顔ではなくスタイル美形だから、コスプレ似合うんだよねえ。
 キャラも、ダーク面に落ちていない真山@ケイゾクって感じで、けだるそーなやる気なさそーなツッコミ男で、見ててたのしい。

 
 あとはなんといっても、鈴木京香のおっぱいだな……。

 
 冴えない小学校教師・新市@哀川翔の秘密の趣味は、子どものころあこがれた特撮ヒーロー「ゼブラーマン」の衣装を作ること。そうやってお手製のコスチュームを着て、こっそり外に出たところ、まさかの怪人と遭遇。そのまま戦闘に。
 新市の住む街では、おかしなことが立て続けに起こっていた。防衛庁がひそかに調査を行っているくらい、ほんとーにやばい状況だったんだ。
 そう、宇宙人の魔の手がのびていたんだ……。

 
 変身ヒーローものだとは聞いていたけど、宇宙人モノだとは知らなかったから。
 おどろいたよ。
 謎の宇宙人が出てきてくれて。
 それなりにこわかったし(笑)。
 閉鎖された体育館とか、なんとなく『SIREN』っぽいし(笑)。

 
 いや、コメディ映画なんだけど!
 よく笑いました。
 とほほな笑いがいっぱい。
 たぶん、わたしぐらいの世代がいちばんたのしめる映画じゃないかな。新市と同世代だから。
 そのあたりの年代ネタがいっぱいさ。

 漢たちのアイドル哀川翔の、記念すべき100本目が変身ヒーローって、どうよ、と思ったけれど、実際に見て納得した。
 なるほど、たしかにコレは、「漢たちのアイドル映画」だと。

 男ってさあ、バカな生き物だよねえ。
 いくつになっても「少年ジャンプ」をたのしめる精神年齢なんだもの。
 現実主義の女という生き物からすりゃ、笑えるよーなガキっぽさ。
 哀川翔の映画なんて、大人の男向けに作られた「少年ジャンプ」でしょ? 剥き出しの男の夢や欲望が子どもくさ過ぎて、大人の女が見ても、ちっともおもしろくない。(腐女子萌えは置いておいてな・笑)
 任侠映画も変身ヒーローも、等しく「男の夢」なんだ。
 女が、青年実業家にプロポーズされる夢を見るか、アイドルスタァにプロポーズされる夢を見るかのちがいっしょ。根っこは同じ。
 女の「いつか王子様が願望」、男の「オレだってヒーロー願望」。
 そーゆー根元部類に位置する願望を具現化した映画。
 だから『ゼブラーマン』なんだ。漢たちのアイドル、哀川翔なんだ。
 
 哀川翔は、あくまでも漢たちのアイドル。男たちにだけ愛されている男(アイドル歌手だった大昔はともかく、Vシネ俳優になったあとはな)。
 だから彼の主演する作品は、あくまでも男たちのためだけにあった。
 そーやって、99本だ。
 そして100本目に、「老若男女向け」の映画を作った。このスタンスに、拍手。
 いいぞ、哀川翔。それは正しい戦略だ。
 変身ヒーローものだ、おとーさんが子どもとおかーさんを連れて映画館に行けるぞー。息子とふたりで「ゼブラーマンごっこ」なんかできちゃうぞー。
 おとーさんひとりのものだった、アイドル哀川翔を、家族でたのしめちゃうぞ!

 それは、正しいことだと思うの。

 男の夢が詰まった映画だったよ、『ゼブラーマン』。
 漢たちのアイドル映画らしい映画だったよ。
 男の夢炸裂で、それが、微笑ましい映画だったよ。

 
 とゆーことで(とゆーことで?)、鈴木京香のおっぱいの話。

 新市の勤める小学校へ転入してきた車椅子の少年・晋平@安河内ナオキの母親・可奈@鈴木京香。ちなみに母子家庭。
 特撮ヒーロー「ゼブラーマン」のファンだということで、新市と晋平は年齢や立場の差を超えて親友となる。
 親友だから、家にも遊びに行く。
 晋平の家には、美人の母親・可奈がいる。可奈は看護師。白衣の天使。
 ヒーローにあこがれる新市は、ゼブラーマンである自分を助けるゼブラナースを夢に見る……。

 そのゼブラナースが、可奈@鈴木京香なんだよな……。

 パツ金に、ボディコンに太股見せ、ワンピの胸にはダイヤ型の窓が開き、そこから谷間がくっきり。

 ちょっと待て鈴木京香。
 あんた、ナニやってんのっ?!
 そーゆーことをしていい女優ですか?!
 グラビアアイドルじゃなく、気品系美女のあーたがっ。「未亡人がハマる女優No.1」のあーたがっ。(同一首位・石田ゆり子)

 てゆーか。
 わたしと同い年で、その衣装着ちゃいますか……。
 チャレンジャーだな。
 いくら美女だからって、このトシで……。

 他のすべてを忘れさせるくらい、強烈な印象だったよ、ゼブラナース。
 鈴木京香のちちが見たい人は、映画館へGo! ……あっ、もうじきDVD発売されるか。

 
 たのしい映画でした、『ゼブラーマン』。いや、いろんな意味で。

   
 『バイオハザード』というゲームがある。
 前評判も宣伝もほとんどなく発売され、口コミで人気爆発、一世を風靡したゲームだ。
 その『バイオ』は、日本制作でありながら、舞台はアメリカであり、登場人物もアメリカ人だ。当然彼らは、英語を喋る。日本語は字幕が出るのみ。
 スタッフは語る。
「日本語吹き替え版も作ったんですよ。でも、日本語でやると、ダメなんです。危機に陥った仲間が『先に行け!』と言うからって、『じゃ、先に行くわ!』と言ってくるりと背を向けられてしまっては、身も蓋もない。英語でやりとりして、日本語字幕だから、多少やりとりや展開に無理があっても雰囲気で流せるんです」(記憶のみの記述っす)
 このコメントを読んで、爆笑した。
 英語だからOK、ってのある。わかる。
 あいつら言動強引で大雑把でつっこみどころ満載だもの。日本語でやってたらついていけなかったろうな。でも英語で会話されちゃうとなんか納得してしまう。字幕ってのはそもそも情報量が極端に少ないわけだから、大雑把でも気にならないし。

 
 この映画を見ながら、『バイオハザード』のことを、思い出していた。
 言葉というファンタジー。
 日本人って、自分に理解不能な言葉に、幻想持つよねえ。
 洋画にはそーゆー意味でのフィルターかかってること、わりとあるよねえ。字幕主義で、吹き替えは劣悪唾棄すべき存在とか、言う人は言うしねえ。生で英語を理解できるわけでもないのにさぁ。
 字幕で見ると、日本語で見るよりなんとなく、いい映画に見えたりするんだわ。
 少ない情報を、脳内で補完するせいでしょう。

 
 『ホテルビーナス』鑑賞。

 相変わらず、予備知識ナシ。
 この映画を見た理由は、
1・邦画らしい。
2・今週で終了。
3・映画館に着いたとき、ちょうどあと少しではじまる時間だった。
 ……ので、主演者さえ知りませんでした。

 草なぎ剛主演だったのか!!
 てゆーか、「なぎ」って漢字、出ないんだ! 今はじめて知った。

 しかも、全編韓国語だし!
 モノクロ映像だし!

 なにも知らないで見ると、けっこーびっくりするぞ!(笑)
 監督・タカハタ秀太、出演・草なぎ剛、中谷美紀。

 
 どこかの国のどこかの街。
 オカマのビーナス@市村正親が経営するホテルビーナスの住人たちは、みんな心に傷を持つ人たち。恋人を失ったチョナン@草なぎ剛、飲んだくれの元医者ドクター@香川照之、その妻ワイフ@中谷美紀、花屋を持つ夢を追うソーダ@チョ・ウンジ、捨て子で全身トゲいっぱいの少年ボウイ@イ・ジュンギは殺し屋希望、というよーに。
 そこにワケありの男ガイ@パク・ジョンウが、幼い娘サイ@コ・ドヒを連れて現れ、新しく住人になった。それをきっかけに、住人たちの事情が少しずつ変化をはじめ……。

 
 どこなのかよくわからない、異国情緒あふれる街並み。とりあえずアジアではないらしい。
 しかし、ホテルビーナスの住人たちは全員アジア人で、ついでに韓国語を話す。生活感のない、ちと浮世離れした人たち。
 彼らがやたらめったらオシャレできれーな映像の中で、悩んだり泣いたりハートウォーミングしたりする。
 過去を抱えて傷を抱えて、でもそれを克服して成長して、「やっぱり人間っていいな」という結論に達して終わったりする。
 とてつもなく「お約束」の物語。

 わたしは「お約束」好きなんで、たのしんで見ました。

 でも、いちばん盛り上がるクライマックスだとか、ビーナスばあさん(じいさん?)が「いいこと言ってますよ」なあたりは、しみじみ、「韓国語だから救われた」と思った。
 日本語だったら少々引くかもなー。
 あまりにも「お約束」まんまで。

 『バイオハザード』が、英語だから許されたように。

 
 「お約束」をたのしめる人には、いい映画だと思う。
 いちばん泣かせるシーンに子どもを使ってみたり、いちばん泣かせることを「台詞で表現」してみたり。
 ここまでやるかってくらい、「お約束」。
 あざといくらい、「お約束」。
 べったべたに、「お約束」。

 ああ、日本語映画でなくてよかった……!!
 字幕マジックでよかった……!!

 
 画面はエピローグ部分でカラーになるのだけど、ホテルビーナスは色がものすごくきれい。てゆーか、こんなにきれいなら、カラーで見たかったわ……てなくらい。

 
 たのしんで見たのはたしかなんだが、他のこともいろいろ考えたわ。
 『バイオハザード』もだけど、幻のドラマ『ランデヴー』のこと。
 ホテルビーナスのコンセプトが、なーんか『ランデヴー』とかぶるもんで(笑)。
 異国情緒つーか無国籍な、安ホテル。住んでいるのは心優しき異邦人たち。そこで出会った人のたちのハートウォーミング物語。
 ……テンプレ的な設定なんだろうな、きっと。
 設定が同じだから雰囲気も似ちゃうのかもな。
 そしてわたしは、『ランデヴー』が好き。

 『ホテルビーナス』もファンタジーだけど、同じファンタジーなら『ランデヴー』の方が好きだなあ。

   
 あ、でもこの映画って、韓国の人たちの目にはどう映るのかしらね。
 わたしたちには韓国語のうまい下手やリアリティはわからないから、素直に「字幕マジック」に酔っていられるけど。

 日本人が『キル・ビル』を見てなまあたたかーい気持ちになるような感じかしらね。

   
 あれは何年前になるだろう。

 WHITEちゃんが「緑野、映画に行こう」と言った。
 当時わたしは「映画」というものを、あまり見ない人間だった。映画を見る、わざわざ見に、映画館まで行く、というのは、はてしなく面倒で非日常的で特別なことだった。……梅田で働いてたのにな。映画館、いっぱいあったのにな。

 そんなわたしがごくまれに映画を見るのは、大抵、ツレがいるときだった。
 ツレが見たがるから、それにつきあう。
 生理的にいやなタイトル以外は、なんでもつきあった。
 第一、「映画」というもの自体に興味がないため、タイトルを言われてもそれがどんな映画なのかさっぱりわからなかった。

 そんなわたしに、映画好きのWHITEちゃんは半ば強引に言う。
「映画に行こう」と。

 なにかしら説明はしてくれていたよーな気もするが、悪いがわたしは興味も知識もなにもなかった。だからいつも、まったくわけがわからないまま、WHITEちゃんにくっついて数ヶ月に一度くらい、映画館へ行っていた。
 自分がなにを見るのか、実際に映画館に行くまで知らないことなんか、あたりまえだった。
 わたしにとって「映画を見る」のは、「WHITEちゃんとデート」という意味しかなかった。WHITEちゃんと出かけるのが好きだから、彼女の好きな映画につきあう。そんな感じ。

 そのときも、わたしはわけがわからないまま、彼女にくっついて行っていた。
 当時のわたしは、「ミニシアター」というものを知らなかった。映画館ってのは、大きなものだと思い込んでいた。
 梅田のはずれ、一見ふつーのビルにしか見えない建物に連れて行かれ、ふつーのお店の中に入った。
 雑貨が売っているふつーのお店の中に、列ができていた。
 お店の奥にあるミニシアターの、列だった。

 こんなところに映画館が。
 てゆーかここ、ほんとに映画館??

 まったくわかっていないまま、列に並んだ。

 ところでわたし、なにを見るの?

 並んでいながら、なにを見るのかさえ知らなかった。
 WHITEちゃんはいつも前売り券を買ってくれていて、当日映画館でそれを渡してくれるのだ。
「緑野、1300円」
 と、代金と引き替えに。

 言われるままにお金を払って、はじめてわたしは、
「そうか、今日はこの映画を見るんだ」
 と、わかる。

 WHITEちゃんは映画好きで年間100本以上軽く見ている人。マニア属性の人なので、わたしなんか足元にも及ばない知識とこだわりがある人。
 その映画マニアが、「これは緑野が好きそう」と思うヤツだけをピックアップして、わたしを誘ってくれるのだ。
 わたしはなーんにもわかっていないまま、ただ、「WHITEちゃんがわたしと一緒に見たいと思ってくれたタイトルだから」という理由で、それをそのまま受け入れる。
 そーやって、いろんな映画と出会った。

 その日、生まれてはじめてのミニシアターの列に並びながら受け取った前売り券は、『Love Letter』。主演・中山美穂の横顔が美しい。

 それが、岩井俊二監督との出会いだった。
 えーと、『Love Letter』公開は1995年だから、10年近く前か。

 それからわたしは、WHITEちゃんとふたり、彼の作品を追いかけた。
 同じミニシアターで『Undo』と『打ち上げ花火』を見、『PICNIC』や『FRIED DRAGON FISH』を見に行った。

 ミニシアターがあたりまえだと思っていたから、『スワロウテイル』がロードショー公開だったことに、心底おどろいた。初日にいそいそ見に行ったら、ものすげー混みようで、これまた心底おどろいた。

 WHITEちゃんと一緒、あるいはオレンジと一緒。
 岩井俊二は、感性の合う友だちと一緒に。

 
 なんか、昔をつらつらと振り返ってしまったよ。

 10年前であっても、わたしは花やアリスの年齢ではないんだけどね。

 岩井俊二最新作、『花とアリス』鑑賞。出演・鈴木杏、蒼井優。

 ストーリーはあるような、ないような。
 いちおー、花@鈴木杏が好きな先輩を「記憶喪失」に仕立て上げてつきあい、彼女の親友のアリス@蒼井優がそれに事後協力、しかし問題の先輩はアリスの方が気になってきて……と、三角関係勃発? という話なんだけど。
 でもやっぱり、ストーリーはあるようなないような(笑)。

 それよりも、とりとめのない花とアリスのやりとりや日常、美しい画面をぼーっと眺めているだけ、というのが、この映画の醍醐味かと。

  
 いやあ、映画館がガキばっかでおどろいたよ(笑)。
 10代の若者しかいないのよ。
 おばさん、わたしだけかよ?

 そして、あちこちツボに入って吹き出してるのが、これまたわたしひとりなんですが。

 若者たち、おもしろくなかったの? たんにお行儀良すぎるだけ?

 わたしはもー、花とアリスがかわいくて、ふたりのなんてことのないやりとりとかがかわいくて、おかしくて、しあわせな笑いがいっぱいあったんですが。
 爆笑するんじゃなくて、「くすっ」とか、「ぷっ」とかの、クリティカルヒットが連続コンボでやってくる感じ。

 視聴対象年齢からはてしなくはずれたおばさんが、ひとりでウケている図、だったのかしらね……。

  
 この映画の制作背景だとか、前身だとか、興味ないんでまったく知りません。
 映画は映画として、単体で見ました。
 ふつーに1000円分たのしめて、しあわせしあわせ。

 
 そしてなんだかとても、ノスタルジック。
 映画のことなんかなにもわかってないまま、WHITEちゃんに連れられて行った、いろんな映画館。
 まったく未知、無知のまま、握りしめていた前売り券。
 あのころは「レディースデー」なんてなかったからさ。映画は高価な娯楽だったよ。前売りを買うのは必須さ。少しでも安く見るために。
 映画がおもしろくなかったときは、「ごめんね」と謝ってくれたけどWHITEちゃん、べつに君が謝る必要まったくないんだよ。たしかに、その映画を選んだのも誘ったのも君だけど、わたしはそんな君を信じてうなずいてたんだからさー。てゆーかわたし、たんにWHITEちゃんとお出かけがしたかっただけだからさ(笑)。映画がおもしろかったら儲けモノ、おもしろくなくてもご愛敬、ぜんぜん平気だったのにね。

 わたしが映画好きになったのは、まちがいなくWHITEちゃんの影響。あの人がいろいろ連れ回すもんだから、自分でも見るよーになっちゃったよ(笑)。
 ああお互い、トシとったね。
 あのころは若かったね。幼かったね。
 今も精神年齢は低いままだけどさ。

 
 そんなことを、漠然と思う。
 そんな効果のある映画。
 『花とアリス』。

  
 ……でもわたし、岩井俊二でいちばん好きなのは『スワロウテイル』で、いちばんこわいのは『PICNIC』、いちばんキライなのが『四月物語』なのよ(笑)。
 『四月物語』がダメで、『花とアリス』がOKなのはやはり、主演女優に原因アリかしらね(笑)。

  
  
 賛否両論、つーか、否定意見の方が多いかな、の、『マスター・アンド・コマンダー』 を見てきました。
 監督・脚本ピーター・ウィアー、出演ラッセル・クロウ、ポール・ベタニー。

 19世紀はじめ、イギリスはフランスと戦争中。英国海軍の漢たちは、艦長ラッキー・ジャック@ラッセル・クロウのもと軍艦サプライズ号で元気に戦争している。
 彼らの今回のターゲットは、フランスのアケロン号。こいつは最新鋭軍艦で、性能面ではサプライズ号をはるかに上回っているし、奇襲をかけてきたりと艦長の腕もなかなからしい。派手に大負けしたまま本国に逃げ帰るなんてとんでもない。ジャック艦長は再戦を挑むぞっと。

          
 いつものよーに、予備知識ナシ。
 映画館でやたらと流れ続けていた、あのクソ長い予告編しか知らない。
 そして、あの予告編は大嘘すぎるってことで、問題になっている、ということぐらいしか、知らずに見に行った。

 ので、わたしはこの映画に対しての「正しい見方」など知りようもありません。原作があることさえ知らなかったさ。
 わたしには、わたしの感想だけがすべてです。

 ははははは。

 断言しときます。

 腐女子は見ろ。

 いやあ、おもしろかったっすよ。
 膝叩いて笑えますぜー。

 艦長と軍医のラヴラヴっぷりが!!

 なんなの、こいつら。
 かわいすぎる。
 てゆーかコレ、19世紀の軍人萌えで描かれたBL? BLの医者モノとか社長モノとかと同一に語っていいレベルだよね?

 すべてにおいて、BLの「お約束」をハズさないキャラだてとエピソードと展開に、ひとり身もだえしながら見ました。

 幸運のジャックとふたつ名で呼ばれる統率力あふれる艦長様と、ゴッドハンドの持ち主の軍医様。このふたりは戦場でそれぞれの仕事をばりばり完璧にこなしちゃうかっくいー漢たち。
 そしてふたりは親友で、平時には「ふたりっきりで」「楽器演奏」なんかしちゃって愉しむの。
 そしてなにかっちゃー、「それは親友としての質問か? それとも艦長としての?」「親友としての質問だ」とかのラヴい会話を繰り広げておりますのよ。
 艦長様が弱いところや迷うところを見せるのは、軍医様とふたりっきりのときだけなのよ。そして、艦長様に対して忌憚ない意見をずけずけ言えるのは軍医様だけなの。信頼し合っているからこそ、ときに言葉が過ぎちゃって、とげとげしい雰囲気になっちゃったりもするのよ。
 艦長職はつらい立場、任務遂行のためにはあえて部下を見殺しにだってする。なのに、いざ軍医様が大ケガしたときには、前言撤回して彼を助けるためだけに進路を変えてみたりしちゃうのよ。うわ艦長ソレ、思い切り公私混同やん!とか即ツッコミ入れちゃったよ(笑)。
 どこまでもどこまでも、「お約束」のBLカップル。

                  
 たしかに予告編は大嘘だったねえ。
 アレに騙されて見に行った善良なふつーの人には、いろいろお怒りな作品かもしんないなあ。

 人間ドラマに割く時間はあまりなく、ただえんえん、わいわいどんどん戦闘シーン。
 なんかやったらめったらこだわっていそうな画面。

 わたし、なんの知識もない人間なんですけど、この映画がすごーくがんばっている部分って、「再現」してることなんじゃないのかしら。
 当時の生活とか、意識とか、戦闘とか。
 
 知識はなくても時代物はそれだけでわくわくするので、「お貴族様」系はいいなあ、と素直にたのしめましたわ。
 軍艦に子どもたちがいるのって、彼らが「お貴族様」だからなのよねえ。でもってあったりまえに「士官」になるべき試練を受けていくんだわ……そーゆー「意識のちがい」とか、見ていてたのしい。

 あ、でもわたし、いちおー子どものころに青池保子を読んでたからなあ。予備知識なしで座席に坐って帆船が出てきてネルソン提督とかの名前が出てきて、「ああ、あの時代かぁ」と納得しちゃうのは一応、ささやかなりとも知識があったうちに入るのか?

       
 しかし、もう少しわかりやすく盛り上げることもできただろうになあ、とは思う。BL以外の意味で。
 艦長と軍医と士官候補生美少年以外のキャラ、薄すぎ。もったいない。これじゃ、わーわー戦争してるだけで終始してるよーなもんじゃん。
 ……戦闘シーンを描くのがテーマだと言われちゃったらそれまでだけどさー。
 戦闘シーンはアレでいいからもう少し、キャラを整理して見せ場作るだけで、さらにエンタメ的に盛り上げることは可能だったと思うよ。
 それをしないでひたすらやりたいこと(ネルソン時代の海軍の再現ね)ばっかやってる気がする……。ああ、男の作る映画って……。

 ああなんにせよ、たのしい映画でした。
 コスプレ時代軍人職業上官部下BL……うっとり……。

 てゆーか軍医、かわいよー、かっこいいよー。
 眼鏡っこだしな!(ポイント大幅UP・笑)。

          
 画面の美しさに惹かれて、見に行きました『ドッグヴィル』
 監督・脚本ラース・フォン・トリアー、出演ニコール・キッドマン、ポール・ベタニー。

 黒い床に白い線を引いただけのセット。『ガラスの仮面』のマヤのひとり舞台を思い出すわ。ここが玄関、ここが階段。マヤがひとつひとつパントマイムで説明するだけで、「世界」が浮かび上がってくるあの不思議。
 それをまさか、映画でやるなんて。

 美しいと思うの。
 黒い床と白い線だけの世界。
 ここがトムの家、隣は集会所で、向かいはジンジャーさんのお店。……てなことが、全部床に白線で書いてある。
 壁も建物もなにもない。あるのは最低限の家具と、人間だけ。

 この不安な美しさに惹かれた。

 予備知識はない。どーゆー映画なのか、なんのことなのやら。なんにもわからないまま、見に行った。

 こ、こわかったんですけど……っ!!

 ホラーじゃないです。オギー系です。痛くてこわくてかなしいのです。

 山の中の小さな村ドッグヴィルに謎の女グレース@ニコール・キッドマンが逃げ込んでくる。どうやらギャングに追われているらしい。ドッグヴィルに匿われることになった彼女は、閉鎖的な村の人々のもとで懸命に生活しようとするが……。

 前半はけっこー眠いです。
 謎の女グレースと、善良な村人たちの生活。
 村人たちはそれぞれ癖が強いけど、ふつーに善良な、どこにでもいそうな人々。毎日働き、糧を得、自分を愛したいと思っている・愛している、ふつーの人。
 そして、ギャングに追われているといってもグレースもまた、悪人には見えず、ひたすら美しく、善良に思えた。
 「私はこれまで傲慢な生き方をしてきたわ。だから謙虚になることを学ばなければならないの」……登場してすぐのこの台詞で、あー、いい子なんだなー、と思った。
 みんな悪人ではなく、ふつーにいい人たち。どこにでもありそうな生活、いそうな人たち。

 それが。

 変貌しはじめる。

 邪悪に。
 善良な平凡な人々の持つ「牙」が、徐々に明らかになっていく。

 閉鎖されているからこそ顕著だった安定した世界。絶妙だったパワーバランス。そこへ迷い込んだ異邦人。
 「善良なる人々」が持つ「暗黒面」がすべて、その異邦人へ向けられる。
 はじめは「新しい友人」「共に暮らす仲間」として迎えられただけに、壊れていく力関係が残酷。

 セットのない、床に線が引かれただけの空間。隣の家も外を歩いている人も、全部あけすけ、全部丸見え。
 小さな小さな村、村人にプライバシーなんてものはない。なにかも知られている、監視されている。
 壁がないからこそわき上がる、閉塞感と緊張感が秀逸。

 小さな村を舞台にしているけれどコレ、他の場所が舞台でもぜんぜんあったりまえにあり得る話だよね。

 親しみやすいところでいくと、「教室」。

 小学校でも中学校でもいいよ。
 ひとつの教室を舞台にしても、同じ物語を構築可能。

 はじめはみんな「仲間」だった。対等なクラスメイトだった。
 でも、そのうち、パワーバランスが変化する。
 たとえば、ひとりの親が破産して多額の借金をしていることがクラス中に知られてしまった。たとえば、ひとりの子が万引きするのを見られてしまった。
 とにかくなにかしら「きっかけ」があった。
 「大義名分」があった。
 あいつは人より劣っている。あいつには悪い部分がある。
 それを「理由」にしてたったひとりを、いじめる。全員で。とてもたのしく。あたりまえに。日常的に。
 だってあの子は、そうされても仕方ないもの。あたしたちだって、したくてしてるわけじゃないわ。
 掲げるのは大義。行為の正当化。その世界を共有する全員で行う正義。
 いじめられている子も、だんだん感覚がマヒしてくる。だって、自分以外の全員から「お前は悪だ。悪だから制裁されているだけだ」と毎日言い続けられてるんだ。判断基準は狂い、自分が受けている仕打ちを「当然の報い」と受け止めるようになる。

 そーゆー物語。
 やろうと思えばどこでも、起こそうと思えばどこでも起こすことができる、起こりかねない物語。

 実際、グレースに対する仕打ちの残酷さは、ものすごかった……。村人全員の「奴隷」。
 足枷と首輪をつけられ、毎日女たちは酷使し、男たちはレイプする。
 両腕でようやく持ち上げることができる錘をつけられ、足を引きずって歩く。重すぎて、ふつうに歩けないんだよね。首には、ベルのついた首輪。少しでも動けば大きな音が耳元で鳴る。しかも、いつも首を曲げていないといけない形。……こんな、人間としての尊厳を踏みにじられた姿で労働させられ、犯される。

 物語のラスト、「審判の日」は想像通りの終わり方をするのだけど、それが「想像通り」っていうのがまた、痛いんだよな。

 ここまで邪悪さ残虐さを披露した村人たちを、被害者のグレースが「赦して」しまうことを、わたしは「傲慢だ」と思った。
 「彼らは、善良で弱い人たちなの」と言ってしまうヒロインに、腹が立ったさ。
 床に線を引くだけで表現された村、ドッグヴィル。すべてを神の目線で俯瞰することができる閉鎖空間。
 罪を犯すのは人間、偽善に酔うのは人間。

 罪と罰と、赦すことと糾弾することと。

 なにが正しいのかなんてわたしは知らないし、それは人の数だけ答えがあっていいものだと思っているけれど。

 けれどわたしは、傲慢だと感じたんだよ、グレース。

 罪は罪だよ。
 人を裁くことは、自分をも裁くことだよ。
 人を殴ったら、自分の手だって傷つくんだよ。
 自分の手が痛くなるのは嫌だから、殴るのはやめておこうって、そういうことだろ?
 赦すってのは、そういうことだろ?
 「善良で弱い人たち」って見下して、完全無欠の被害者でいるってことだろう?

 …………そう感じてしまうわたし自身に、わたしは、痛みを感じるんだ。
 わたしもまぎれもなく、「罪人」であるのだという自覚が、胸を貫くから。

 慈悲は素晴らしい。
 赦すことは素晴らしい。
 暴力は悪だし、殺人は悪だ。
 それは誰もが謳う真理。ひとのみち。

 だけど「裁き」はあるんだ。

 という、こわくて痛くて、せつない映画だった。
 画面の美しさと、ニコール・キッドマンの美しさ。
 かなりオギー系。ヅカ以外のオギー芝居好きにはおすすめです。

     
 あと、作者が『サイレントヒル』にも影響を受けた、と語っているのが個人的にツボです(笑)。なるほど、『静岡』ファンかよ……わかるわ、このダークさ。

「『静岡』は、ヘボゲーだし、日本じゃぜんぜん売れてないけど、クリエイターとかでアレを好きだという人は多いからなあ」
 と、弟は言う。
 たしかに、モノを創る人間の琴線に触れる世界観だよな、アレは。

               
 スクリーンで歌い踊る春野寿美礼を見た。見てしまった……。

 ええ、VISAの新CMが流れたんですよ……よりによって、ナビオTOHOプレックスのシアター1で見ちゃったんですよ……スクリーン巨大ですよ……。

 CMの新バージョンが放映されてることは、知ってたよ。でもまだ見たことなかったんだよね。
 まさか、最初に見るのが巨大スクリーンとは……。
 しかしVISAグループ、よりによって映画館でアレを流さなくてもいいだろうに。一般人は引くよ、絶対。
 ファンでも引くのに。

 それでも。

 身の置きどころもなく恥ずかしいモノを見せられたっちゅーのに。
 やっぱり春野寿美礼はいいなあ、と思う、1ファンなのでありました。

          ☆

 春野寿美礼はともかく。

 『ペイチェック 消された記憶』を見てきました。
 監督ジョン・ウー、出演ベン・アフレック、ユマ・サーマン。

 天才エンジニアのマイケル@ベン・アフレックは記憶を失った。
 とゆーのも、商売のうち。彼は自分の関わった極秘仕事の記憶を消して、報酬(ペイチェック)を得ている、ある意味身売りしてるよなコイツ、という男。
 しかし今回はどうもおかしい。億万長者になれるはずだったのに、彼に残されたのは19個のガラクタだけ。しかも、FBIには追いかけ回されるわ、殺し屋たちには狙われるわ、もう大変。
 彼が「報酬」を受け取るために「消した記憶」にはなにがあったのか。過去の彼が、現在の彼に送ったメッセージ、19個のガラクタはなにを意味しているのか。


 えー、主人公のマイケルは、コンピュータ・エンジニアです。「技術者」です。

 技術者に必要なこと。

 まず、体力。
 ムキムキのマッチョであることが好ましい。
 次に、戦闘力。
 格闘技の達人であることが必要。
 さらに、運転技術。
 カーチェイスで複数の車をぶっちぎれる腕前は標準装備。

 マイケルの恋人、レイチェルは博士、「植物学者」です。

 学者に必要なこと。

 まず、体力。
 脂肪など一切ない、実用的な筋肉を備えること。
 次に、戦闘力。
 屈強な男たちを蹴り一発でぶっとばせることが必要。
 さらに、運転技術。
 実験用機械をリモコンひとつで操作、何十人もの敵を一掃する腕前は標準装備。

 ……とまあ、ものすっげー説得力あふれる技術者と学者のカップルが大暴れしてました。

 フィリップ・K・ディック原作の近未来映画らしいんだけど、「近未来」だとはまったく思えなかった。どっから見ても現代じゃん……街並みも服装もセンスも。記憶を操作できるのがふつーになっているみたいだが、それくらいか、現代とチガウ部分って。
 あとは、十分現代で通用するよー。

 記憶を任意に消去できるのはいいが、何故かその記憶が全部「三人称」なのが気になってしょーがなかった(笑)。
 マイケルの見てきた世界、経験した記憶をモニタに映しながら「ここは消去するね」とかやってるんだけど、そこには全部マイケルが映ってるの。
 マイケルの記憶なら、彼の目線であるべきでしょ? なんで神の視点でマイケルが映ってるの? マイケルひとりしかいない部屋のシーンとかで、彼が映ってるのよ? 変だよー。

 とゆーことを皮切りに、あちこちツッコミ満載(笑)。

 それでもたのしく見ました。
 謎の19個のアイテムが、どう使われるのか、パズルを見ている感覚で。
 ひとつずつはただのガラクタなのに、そのシーンそのシチュエーションにぴたりとハマって役に立つんだよね。
 失われた3年分の記憶を逆からたどっていく展開は、お約束がいっぱいでとてもスリリング。

 ストーリーの流れを愉しむものなので、細かいことにはこだわるべきじゃないんだろう。
 ええ、ツッコミなんて入れちゃだめなのよー。入れたくて入れたくてうずうずしちゃうけど!(笑)

 できれば主役はもっと、「技術者」に見える人が、「技術者らしい戦い方」をして欲しかったわ。
 あんな分厚い体格のアタマわるそーな体育会系にーちゃん(失礼)がコンピュータ・エンジニアっつーのもねえ……ばりばり肉弾戦して、棒術で戦っちゃったりするし。
 いやわたし、ベンくん好きなんだけどね(笑)。

 「失うことがわかっている記憶」のなかで恋をする、という設定はとても好みなのでそのあたりに期待したんたけど、とにかくはてしなく体育会系の物語だったので、恋愛とか精神的なことは一切描かれてなかった。ひたすらアクションと謎解きに終始した娯楽作品。
 伏線きれいにひろって、気持ちよくフィニッシュしてくれたんで、数々のツッコミを心に秘めつつもたのしく映画館をあとにすることができたから、それでいいや。

   
「やっぱドラゴンナイトはいいよねえ」
「ロマンだねえ」

 という会話を弟としたのはいつだったっけな。

 書くのをすっかり忘れていたが、『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』を見に行った。映画館にいる子どもが嫌いなので、ガキの見そうな映画は早々に見てしまおう運動の一環で。
 監督ピーター・ジャクソン、出演イライジャ・ウッド、ショーン・アスティン、ヴィゴ・モーテンセン。

 たのしかったです。
 映画であること、映像であることを心から愉しみました。

 ただ、こうやって3作全部見て思ったのは、「やっぱ物足りない」ってことでした。

 たしかに映像はすごいんだが、そのすごいことが第一条件で、それ以外のことはあとからついてきているのが、ちと寂しいっつーか。
 描かれていることは、「すごい映像」があってはじめて通じるというか、「すごい映像」ゆえに観客が勝手に脳内補完して盛り上がっているだけなんじゃないかというか。

 もっと奥まで表現することができたんじゃないかな。
 だけど、限界だったのかな。

 そんなことを、つらつら考えながら見ていました。

 たのしかったんだから、それ以上を求めるべきではないのかもしれん。
 見に行ってよかったっす。

 それにしても、この映画を見た日の弟との話題は、『ファイアーエンブレム』一色でした(笑)。

「やっぱドラゴンナイトはいいよねえ」
「ロマンだねえ」
「でもさあ、せっかくのドラゴンナイトが剣で戦うってのはどうよ」
「届かないよねえ、空中なのにねえ」
「いちいち地面に降りて戦ったらソレ、ドラゴンの意味ないじゃん」
「ドラゴンって結局、ただの移動手段で、戦闘はふつうの馬に乗ったナイトと同じなんだよなあ。アレ変だよな」
「ドラゴンを戦闘に使う醍醐味は、地上爆撃でしょ。空から地上を一方的に攻撃する。手槍攻撃ならわかるけど、ふつーの槍や剣は意味ないよねえ」
「『ロード・オブ・ザ・リング』ではちゃんと、空から攻撃してたよー」

 感想が短めなのは、日記が消えまくって、書くのが2回目になっているから。同じこと2回もつらつら長々書けない……。

 
 『ワンピース 呪われた聖剣』話のつづき。

 たしかに、耳に挟んではいた。
 テレビで会見の模様も見たし、新聞で記事も読んだ。
 しかしわたしは、スルーしていた。

 芸能人という名の素人が、出演することを。

 世の常識として、素人をいきなり主役にして舞台には出さない、ちゅーのがある。
 一流ホテルの厨房に、素人のわたしを連れて行って「さあ、本日のメインディッシュを作りなさい。それを何万円のディナーとして販売します」なんてやらないからな。

 芸能人が声優出演することは、かなしいかな「よくあること」なので、あまり気にしていなかった。
 いくらなんでも、ずぶの素人を主役クラスにはしないだろうし、また、そうするとしたらそれは、視聴に耐えうるだけのクオリティが見込める場合だろう、と。

 安心していた。
 信頼していた。

 安直な金儲けのために「作品」を壊すような真似はしないと。

 いや、基本中の基本だから。
 いちいち考えるまでもない前提ってやつ。

 昔、わたしが若かったころの素人声優たちは、そりゃーひどいもんだった。
 日本語が発音できる、というだけしか取り柄のない、ここまで下手な人間を捜す方が難しくないか?てな超絶下手くそが主役クラスでまかり通っていた。アイドルだかなんだかよく知らないが、わざわざ彼らを使わねばならなかったらしい。

 アニメというジャンル自体が、そういうことをするしかない、かなしいジャンルだった。

 そして時は流れ。
 吹き替えだとか声優だとかの、社会的地位は相変わらず低いままだ。
 プロがいるにも関わらず、畑のチガウ素人が宣伝のために抜擢されるのが日常。

 だが、時の流れと共に芸能人のレベルが上がってくれた。
 昔は顔さえかわいけりゃ、音痴で大根でダンスもできないという三重苦の人間でもアイドルでいられたが、今は顔以外のスキルも求められる。
 てゆーか、顔がいいだけの人間なんていくらでもいる現状だから、そこで生き残っていくために、他の能力が必要になったんだな。

 今のアイドルとかタレント、みんなそこそこなんでもできるじゃん。うまいじゃん。
 昔に比べれば、大したもんだよ。

 てな認識もあり、さらにわたしは安心していたんだ。
 素人芸能人が出演しても、作品のレベルを壊すまでには至らないだろう、と。

 甘かった……。

 すごかったよ、『ワンピース 呪われた聖剣』。
 耳障りなのなんのって。

 3人いたのがたぶん、致命的だった。

 ひとりは、今回の物語の主役ともいえる、敵キャラ・サガ@中村獅童。
 役者としての中村獅童は好きだし、声優としてもそれほど下手じゃなかった。でもやっぱり、素人だってのがわかるレベルの演技だった。
 物語の主役のひとりが「素人」だってのは、かなりイタイ。
 ただ、もう少しグレードの低い役なら、彼程度の演技でもOKだとは思う。
 もしくは、これがテレビシリーズで、1クール以上あるならば、きっともっと慣れてうまくなっていくだろうから、この役でもOK。

 あるいは、素人出演が彼ひとりならまだ、なんとか耐えられた。
 たとえ主役であったとしても、他がプロの仕事をして、支えてくれていたならば。

 しかし現実は、過酷だった。

 彼の横には、超絶下手っぴ、「日本語が発音できるだけ」しか取り柄のない少年がいた。

 サガの弟子トウマ@某アイドルグループのひとり。

 いやあ、すごい下手っぷりのよさ。
 21世紀だとは思えない下手さ。
 わたしが昔目眩を覚えていた、80年代のかほりのする下手さだった。

 ここまで下手なのに、使っちゃうんだ……。
 ある意味感心したけどな……。こんな感心、したくなかったわ……。

 今のアイドルは、大抵なにやってもそこそこうまいもんなのにな。
 さすがだよな、ジャニーズ。
 またしても、わたしのジャニーズ観を強固なものにする出来事だった。

 この男が死ぬほど下手だったせいで、うまくない程度の中村獅童も余計に違和感を醸しだし、手のつけられない状態に。

 そして、さらに。

 ヒロインの祖母イザヤ@久本雅美。
 これがまた、素人丸出し以前に、声質がまったく合ってなかった……。

 老婆イザヤは、絵を見ればわかる通り、ものすっげーインパクトのあるキャラ。
 主役ではまったくないが、この役が「活きる」かどうかで世界のニュアンスが変わってくるだろう、重要な役。
 正塚芝居でいうところの未沙のえるみたいなもんですな(そんな喩えを……)。

 そんな大切な役を、うまい下手以前に、「老婆の声」が出ないタレントにやらせること自体、まちがってるよ……とほほ。
 ふつーの女の人の声で、あの素敵なばばあの役をやるんだもんよ……。
 ばばあがアップになって喋っていても、今聞こえているこの声がばばあの声だって思えない……。

 演技上の計算で、わざと「ふつーの女の人の声」にしているというなら、わかる。
 でもそんな計算はどこにもなく、ただ書いてある通りの台詞を喋ってるんだよね……。溜息。

 わたしは予備知識なく見るのが好きなので、誰がどの役で出るのかも知らずに見ておりました。
 最後のテロップを見るまで、この素人さんたちの名前も認識しておりませんでした。
 だから、彼らに対する含みはまったくないです。
 久本雅美だから嫌!とか、イメージちがう!とか、思いながら見たわけじゃないっす。
 なんにも知らずに映画を見て、「うわ、下手すぎ。……そーいや素人が出演するっていってたな。これがソレか」と気づいたクチっす。「で、誰なんだろ、この声」と首をひねったクチっす。
 もともと、現在活躍している声優さんのこともまったく知らないんで、知らない声だからといって拒絶反応がでるわけでもないっす。

 ただ純粋に、下手くそがキライなんです。

 プロの仕事を、大切にしてくれよ。
 『ONE-PIECE』なんて、素人のネームバリューに頼らなくても成功が約束されたタイトルじゃん。

 下手くそたちに邪魔されて、映画をたのしむことができなかったことも、つらい。

 しかしそれだけでなく、作品創りとは別のところにある大人の事情によって、創作物が歪められる現実と、プロの仕事を軽んじる現実に、とても滅入るのです……。

 ああ、かなしいわ……。

 
 世の中に職種はあまたあり、それに従事することによって「プロ」となる。
 プロ、エキスパート、専門家、熟練者、職業人。
 呼び方はいろいろあるわな。

 プロっちゅーのは、それによって糧を得ている、という意味もあるが、ここでこだわりたいのはやはり、熟練度だわな。

 誰だって、やるだけならできる。
 パンを作ることだってそばを打つことだって、小説を書くことだって、舞台で歌い踊ることだって、やろうと思うなら今すぐにでもできるよ。
 うまい下手は別としてな。

 道具と材料とレシピがあれば、わたしにだってパンは作れるよ。そばは打てるよ。1日体験教室で、たのしく作ったさ。
 でも、わたしが作ったパンも、打ったそばも、職人さんの作るものには遠く及ばないさ。てか、比べること自体失礼さ。
 それくらい、プロと素人の差ってのはあるんだ。
 べつにソレ、いちいち言わなくてもいいくらい、当たり前のことだし。世の常識だし。

 わたしは、プロの仕事ってのはすごいもんだと思っているのよ。
 ひとつの事柄を極めるってのは、すごいことだよ。
 真似できない技術なんだよ。
 傍目には「なんてことない」ものに見えても、そこにはとびきりの技術と経験と工夫があるものなのさ。

 だから、プロの仕事を大切にして欲しい。
 傍目には簡単でも、やってみたらものすごーく難しいんだから。
 誰にでもできるというなら、その職に「プロ」がいるわけないじゃん。わざわざ「専門家」がいるってことは、それが「必要」だからだよ。
 プロの仕事を、軽んじないで。

 と。
 心の底から思いました。

 『ワンピース 呪われた聖剣』鑑賞。

 映画館にいるガキは超絶苦手なので、災難に遭遇しないために鋭意努力中。ガキの見る映画は、春休みになる前にとっとと見てしまわなくては。
 つーことで先日、公開すぐに見に行きました。
 子どもはいなくて、泣かれたり暴れられたり蹴られたり髪の毛ぐしゃぐしゃにされたりはしなかったけど、かわりにオタクがうるさかったです。はー、なんであんなに喋りまくるんだろーねー。

 いつものことだが、予備知識はナシ。
 『ONE-PIECE』命!のWHITEちゃんがなにやら浮かれたことを口走っていたが、あまり記憶には残ってない。サンジファンの彼女は、サンジ中心にしか喋らないからな。WHITEちゃんの話だけだと、サンジ主役の映画に聞こえるよ……。
 芸能人が声優として出演する旨のニュースは目にしたけど、それも興味がなかったのでスルーしていた。
 わたしの頭にあったのは、「『ONE-PIECE』の映画、2本目」ということだけ。
 ポケモンだっけデジモンだっけかと同時上映だったヤツは、「映画」のうちのカウントしてません。単独上映になってからが、「映画」。だからこれが2本目。

 1本目がおもしろかったから、期待していた。
 まっとうな「映画」としての作り。徹底したエンタメ力とサービス精神。売れている作品の余力のある勢い。1本目は、それらがとても気持ちのいい作品だったから。

 そして、今回の『ワンピース 呪われた聖剣』。

 ……たのしくなかった……。がっくり。

 他タイトルと同時上映だったころの『ワンピ』は、むきだしのエンタメであり、ストーリー以前のお約束だけのサービスアイテムでしかなかった。
 ソレを経て晴れて単独上映となり、テレビシリーズで培った土壌をバネに「独立した物語」を作った。彼ら麦わら海賊団が、原作には描かれていないところで出会っていた冒険のひとつとして、長編ならではの起承転結のある「正しい物語」を展開した。
 映画であることの、わくわく感。テレビとはチガウ、「いつもよりすごいことになるにちがいない」という期待を裏切らず、「いつも」を大切にしたまま、「いつもより派手に愉快に」ぶちあげてくれた。

 さて、ここまではとても正しい作りだ。
 娯楽作品シリーズの流れとして、とても王道であり、まっとうな構成だ。

 では次は?
 1本目は「いつもより派手に」で、きれいにまとめることができた。
 じゃあ2本目はどうしよう。「派手に」するのは基本だけど、それには限界がある。

 そして来ました、これまた王道。
 「仲間割れ」。

 いつもの仲間たちで派手にするのが限界なら、仲間同士で戦わせればいいんだ。
 物語作りの基本中の基本、テンプレといってもいいネタです。
 王道OK、お約束上等。
 エンタメとはお約束をどう料理するかですよ。
 だから、ゾロが敵になる、というネタは直球ど真ん中キターー!てなもん。
 この王道ネタを、エンタメ力の安定したスタッフがどう見せてくれるのかを、期待していましたよ。

 で、実際に見て思ったことは。

 えーと。
 さすがです。
 お約束でありテンプレであるので、なんの問題もなく、料理しきってました。
 敵となったゾロと戦うのが、ルフィではなくよりによってサンジだというのも、キャラを理解したうえでのことだとわかります。ニクいなぁ、と思います。
 ゾロという男のシンプルな頭の中には、ルフィというくっきりはっきりしたキャラの他は「仲間」というややぼけたビジュアルのキャラが数人いて、あとはくっきりした「宿敵」とか、顔のない「敵」とか「その他の人」とかがいるんだと思っています。
 だから、ゾロがルフィと戦うのは、NG。戦わせるならもっとちゃんとした前振りと深い物語が必要。どーぶつ並のゾロの頭の中で、唯一無二の位置にいるのが、彼の認めた「海賊王」なのだから。
 じゃ、残りの仲間のうち、誰と戦わせるか。……消去法でサンジしかいないでしょう。ゾロは弱いモノに剣は向けないから。女にも乱暴はしないから。戦闘員であるサンジくんになら、多少ナニかしても大丈夫です。
 「お約束」だけでいうなら、いちばん盛り上がるのは対ルフィだとわかっていながら、あえてルフィとは戦わせず、対サンジなのが、スタッフが「作品世界」を大切にしているんだなと思わせてくれる。
 ……腐女子的にも、ゾロVSサンジはオイシイはずだしな(笑)。

 作品の構成はまちがっていない。
 キャラの人格と言動を大切にし、オイシイネタをあちこちふりまいて、つっこみどころも満載だが元気よく派手に盛り上げてくれる、正しいエンタメ。

 なのに。

 わたしには、たのしめなかったんだわ……。がっくり。

 なんでかなあ。
 なんでこんなに、世界に入りにくいのかなあ。なんでこんなに覚めた気持ちで、萎えた気分で、「長いなあ、今何時? まだ終わらないのかー」なんて考えながら見てしまったんだ?

 物語としての構成がまちがってないのに、オイシイのに、ここまで萎える原因。

 頼むから、素人を出演させるのはやめてくれ。

 これに尽きるのだわ……。

 ヅカを観ていて、ときどき椅子から転げ落ちそうになる下手な歌を聴いたりするが、この映画では歌じゃなく通常の「演技」で、椅子から転げ落ちそうになった。
 歌なら、1時間半の芝居の中の数分ですむけど、演技だと、そいつらが出ている時間全部が、苦痛でしかないのよ……。

 つーことで、冒頭のプロうんぬんの話になるわけだが、ここで文字数限界。つづく。

 

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