「なんか、1日1時間、ママにパソコン教えてる気がする……」

 と言ったら弟、

「うひゃひゃひゃ」
 と笑いやがりました。

 笑うとこですか、ソレ?!
 
 

消耗する大晦日。

2003年12月31日 家族
 大晦日は忙しいです。
 誰だって忙しいです。
 特にわたしは、冬祭りに長々と参加していたので、やるべきことが溜まっています。

 その忙しい大晦日の夜に、何故ママにインターネット講座を?!

 緑野母、ついにネットデビウ!!

 母のパソコンがネットにつながりました。
 メールアドレスも取りました。つーか、取るまでめちゃ大変だったんですが。

「アドレスにする名前考えて」
「緑野龍子」
「それは本名でしょう、本名まんまじゃきっともう取れっこないから、もっと人とかぶらないようなものを考えて」
「じゃあ、りゅうこ」
「だから、本名だとすでに他の人が使ってるから無理なんだってば!!」
「えー、アタシの名前と同じ人がそんなにいるのぉ?」
「いる。確実にいる。日本の人口なめてんのか」
「じゃあ、R.M」
「だから、本名はやめろっつてるだろう!!」
「そんなこと言われても、名前なんて急に考えられないわ。……じゃあ、***」
 なんと言ったのか、聞き取れなかった。耳覚えのまったくない単語だった。
「……スペルは?」
「知らない。山用品のメーカー名」
「言っておくけど、自分でそのスペルを入力することになるんだからね。おぼえられるものにしなきゃいけないのよ?」
「えーっ、そんな、おぼえられるわけないじゃない、***なんて!!」
 自分で言ったんだろう!!

 万事この調子でね……。
 メールアドレス取るだけでも、疲れ切ったよ……。
 あと、パスワードの設定もね、同じ意味で大変でね……なんでああも日本語が通じないんだろう……。

 とりあえず、Yahooの見方を教えて、路線検索と天気予報と辞書と、それからGoogleの使い方……。

 ぜえはあぜえはあ。
 息も絶え絶えです。

 一方弟は、父に「携帯電話の使い方」をレクチャーしているし。父が買った最新型携帯電話は、機能いっぱい便利モノ、しかし彼は使い方がいっさいわからないという……。
 とりあえずわたしが写真の撮り方だけ教えてあったので、彼は毎日たのしそーに、猫の写真を撮り続けていたようだが。
 メモリ登録すらわかんないままだったのね……。
 今ごろになって、弟にメモリ登録の方法を教えてもらっている。(弟の携帯と機種が一緒なのだ。わたしのとはチガウから、くわしいことはわかんない)
 てか、「入力して欲しいんだけど……」と愛想笑いで差し出してきたアドレス帳、全員女の名前でしたけど、どーゆーことですか、父よ?

 大晦日の夜、緑野姉弟は両親相手の先生業で大忙し。つーか、消耗。

 いつものよーに、弟とふたりで近所の神社に初詣に行ったんだが、すでにへとへとだったよ。

 また1年、思いやられるよーな。

 
 母が鼻息荒く、わたしの部屋に現れた。
 国土地理院のHPで、地形図閲覧がしたいと言うのだ。
 ……まったく、早く母のパソコンでもインターネットできるようになればいいのに。

 母のパソは数年前、弟が笑えるくらい安くどこかから購入してきたモノで、ほとんどただの「箱」状態だった。なんにも入ってない。なにもかもひとつひとつ、インストールしていくしかない、という。
 ワープロソフトと住所録ソフト、デジカメの補助ソフトと、何故かPhotoShop EL。入ってるのは、これだけ。なんてシンプル。
 シンプルでないと、母には使いこなせないだろう、という配慮のもとに購入されたパソだ。
 シンプルすぎるもんで、とーぜんネットができる環境はなかった。
 母も、ネットに興味を持ってなかったし。

 しかし最近、余計な知恵がついてきたというか、母はどこからか、見たいHPのアドレスを手に入れ、鼻息荒くわたしの部屋にやってくる。
 突然現れ、こちらの都合もお構いなしにわめきたてられるのも迷惑だが、母のパソでネットができるようになったらなったで、いちいちわたしが呼び出されて操作するハメになるんだろうから、迷惑さは同じかなあ。

 とにかく、山オタクの母のために、国土地理院で地図を検索して。
 母の意味不明な要求を、忍耐力を総動員して叶えるべく努力して。
 彼女の気の済むように、納得するように、できるだけのことをして。

 しかし。

 母の登場で、わたしの部屋は雪崩が起きる。

「なによこの部屋。なんでこんなに雪崩が起きるの」

 踏まないで、って、最初から注意してるでしょう? ああそこ、その本の山には気をつけて。

「アタシのせいじゃないわ。アタシは触ってないもの」

 じゃあなんで、本の山が崩れるのよ?

「こんなに積んであるからよ」

 積んであっても、わたしひとりが生活する分には、雪崩なんて起きないわ。
 母があちこちぶつかりまくるからでしょう?

「失礼ね、ぶつかってなんかないわ。勝手に崩れるのよ」

 だから、触りもしないのに勝手に崩れることはないって。
 どーして素直に落ち度を認めないかな。

「積んであるから悪いの!」

 だったらこの部屋に入るなっつーの。ぶつからずに歩けないなら。
 ちなみに、弟は毎日のよーにこの部屋に入ってくるけど、どこにもぶつからないよ? てきとーにそのへんで坐ってるよ?

「この雑誌の山、なんとかならないの? この高さまで積むなんて、信じられない」

 ママがぶつからなきゃ、ぜんぜん平気な高さなんだけどな。
 その雑誌は毎月勝手に送られてくるから、溜まりまくってるのよ。分厚いマンガ雑誌だから、少しの量でもものすごーく嵩張る。
 Be-Puちゃんが「欲しい」って言ってるから、捨てるわけにもいかず、積み上がってるの。そのうち彼女が来たら、持って帰ってもらう予定。Be-Puちゃんはいつも車で来るから。わたしは1ページも読んでないからまっさらなのよ、ママ、崩さないでよ、ちょっと。

 言ってるそばから、雪崩発生。……だからママ、それはBe-Puちゃんにあげる雑誌だから傷めないでって……。

「だから、こんなに積んでる方が悪いのよ!」

 絶対に、なにがあっても、一切合切、母は悪くないのだ。

 母の鼻息は、わたしの部屋を崩壊させる。

 
「でーぶいでーってなに?」
 と言っていた母に、『マトリックス』を見せた。いやたんに、手近にあったDVDソフトだったもんで。シリーズ1作目ね。

 ウチの母に、『マトリックス』が理解できるだろうか?
 はなはだアヤしいが、たんにわたしと弟が見たかったので、見ることにした。
 わたしはその昔試写会で1回見ただけだったので、ものすごーくひさしぶり、弟は全編通しで見るのははじめて、母に至っては「映画を見るのってひさしぶり!!」だ。

 『マトリックス』は、なんせ、話題だのブームだのになる前に試写会で見ただけだから。
 もう一度見ると、笑える映画だなあ。
 有名すぎるシーンが、今じゃあちこちでパロディされてるから、そっちを思い出してしまうんだ。

 心配だったのは、母。
 映画はおろかテレビドラマさえ見ない人に、こーゆー映画って理解できるもんなのか?
 つーか、顔の見分けついてる? 固有名詞は理解できてる?
 世話を焼く必要はないのに、つい、解説してしまったりする。
 わたしの解説に、母はちゃんと返事をする。どうやら理解しているらしい。

 時間がなくて、上映会は中断することになった。
 母は古いロボットなので、夜11時になるとスイッチが切れるのだ。タイムリミットがやってきたため、母は、
「もうこんな時間。電池が切れるわ。あんたたちだけで続きは見なさいよ」
 と言って就寝してしまった(眠くて起きていられないことを、母は「電池が切れる」と言う)。

 映画がわからなくて、眠かったのかな?

 ところが今日、屍人どもと必死に戦っているわたしのもとへ、母がやってきた。
「今、忙しい? 昨日のでーぶいでーの続きが見たいんだけど」
 DVDプレーヤーの操作方法がわからないので、教えてくれと言って、リモコンを差し出された。
 自分の家から、リモコンだけ握ってきたんかい。
 リモコンだけで操作方法を説明しても母が理解できないのはわかりきっているので、結局母の家まで行って、昨日母が見ていたところから再生してやった。

 そしてわたしは、再び屍人との戦いに戻る。

「おもしろかったわ!!」

 『マトリックス』を見終わった母は吠える。

「おぼえたわ! でーぶいでーはおもしろいわ! 他になにがあるの、なんでも見るわよ!」

 なんでもって……『踊る大捜査線』全話あるけど見る? BOXで買ったからさ。
 あと、『エリザベート』とか……。

「タダなら見てあげるわよ」

 母、吠える。
 ゴリラのよーに「うほっ、うほっ」と吠える。

「有名洋画なら、たぶんいろいろ持ってるよ? 探そうか?」
 と、弟。持ってるだけで見てないので、なにを持っているかどこにあるのか、わかっていない口調。

「母には『少林サッカー』とか見せたらウケるんじゃないか?」
「あー、たしかに母向きかも」
 こうして、母の「でーぶいでー」ライフははじまるのかしら。

          ☆

 屍人との戦闘日記。
 猟銃じじいのシナリオで、タイムトライアルがあったので、またしても絶望して電源を切った。
 このくそ難しいゲームで、タイムトライアルなんか、わたしにできるもんかっ。なんでEASYモードないのよ、難しすぎるよー。
 ……努力を重ねて、なんとかそのじじいシナリオ、クリア。二度とできないかも。

 ストーリーが錯綜しまくってるので、Excelでリンク表を作ってみました。
 医者と神父、3時間以上もふたりで歓談してたの? 看護婦妹が屍人に襲われたりしてるっちゅーのに?(笑)

 
 家族そろって『プロジェクトX』鑑賞。
 なんでかっつーと、「大阪万博 史上最大の警備作戦」だからだ。
 緑野家の面々は、70年万博にただならぬ思い入れがある。

 当時は健在だった祖父母と、2歳半だったわたしを連れて、両親は何度も万博へ行った。
「おばあちゃんが止めなかったら、もっと行ったのに」
 と言う母は、弟を妊娠中だった。大きなおなかをかかえて、それでもけっこうな回数通ったらしい。

 テレビでは、史上最大の万国博覧会を警備する人たちの汗と涙の物語が、トモロヲの感動ナレーションでつづられている。いつものことながら、すごいわ、『プロジェクトX』。
 番組も半分を過ぎ、どうやら最大のクライマックスに近づいている模様。
「9月5日の話は出るかな」
「そりゃ出るでしょう」
 緑野家、わくわく。

 1970年9月5日。
 万博の最多入場者を記録した日。
 あまりに人間が多すぎて、帰ることができず、多数の人々が会場で野宿したという、未曾有の出来事のあった日。
 ちなみに、弟の誕生日。

 『プロジェクトX』のクライマックスは、この9月5日だった。

 入場者数、83万人。島根県の人口を超えていたそうな。1日で、この数字。
 他のどんなイベントからも想像できないこの人数。
 こうやって21世紀の現代から見れば、正気とは思えない。こいつら狂ってる。
 たかが博覧会に、そこまでしなくても。

 だけど、そこまでしてしまったのが、「時代」なんだと思う。

 70年万博が他のどの万博ともちがうのは、この「時代」というノスタルジーを持つからだろう。

 日本がいちばん夢を見ていた時代。
 人類が月に一歩を踏み出した時代。
 誰もが「なにかできる」と信じていた時代。

 そーゆー目に見えないモノを、カタチにしたのが「人類の進歩と調和」というテーマを掲げた万国博覧会だったのだと思う。

 わたしは当時ガキ過ぎて、真の意味でこの祭りに参加していない。
 70年に人間としての人格や記憶を持ち得た人々が、うらやましいよ。
 この目でこの心で、感じたかったんだ。
 手の届かないものに、今痛切に憧憬を抱いている。

 さて、運命の9月5日。
 正気とは思えない入場者数。
 わたしの弟が生まれた日。

「おばあちゃんが止めなかったら、もっと行ったのに」
 母は繰り返す。

 よくぞ止めてくれたよね、おばーちゃん。
 母のことだ、「大丈夫、予定日まであと少しあるし!」と言って、問題の9月5日に行っていたら……。

「今ごろ、『プロジェクトX』に出てるな」

 万博会場で突然産気づき、交通機関マヒゆえ病院に運べず、前代未聞の万博出産!!

 弟、予定日より早く出てきたんだよね。予定外の日にちだったんだよね。

 弟は苦く笑って聞いている。
 よかったね、万博出産なんておそろしいことにならなくて!
 もしそんなことになってたら、アンタの名前はまちがいなく「博(ひろし)」だったよ(笑)。

 それにしても、こーゆー人数大変大行列モノを見ると、コミケを思い出すよ……。
 スタッフも参加者も、よくできてるよね、コミケ。
 そーゆーことに関しては、一般人の方がルールなしで非常識だからなあ。

 

殺ヤモリ事件。

2003年10月23日 家族
 ヤモリが死んでました……。

 とのさんとかねすきさんと、「ヤモリは‘家守’という意味もあって、家の守り神として殺しちゃいけない」という話をしていた矢先。

 死んでましたがな、うちのヤモリ。

「親の家に連れて行け!」
 と鳴く猫を抱いて、玄関のドアを開けると。

 そこには、ぺしゃんこになったヤモリ様が。

 どうやら、ドアに挟まれて圧死した様子。
 ドアの桟のカタチに段状になってつぶれてます。

 だだだ誰よっ、ヤモリをドアでつぶしたヤツ!

 わたしは猫を肩に乗せて、わたわたと親の家に逃げ込む。
 だって、こわいじゃない、桟のカタチにつぶれたイキモノなんて!
 ドアを閉めたら、しっぽだけが外から見えている状態なのよ?!

「ヤモリがつぶれてる〜〜っ!!」
 誰が犯人?
 殺ヤモリ犯。いや、殺意はなかったはずだから、過失致死?
「あたしじゃないわっ」
 母は無実を主張する。
「ヤモリがいたら、わかるはずだもの」
「あたしだって気づくよ」
 わたしたちは、共に無実を主張、互いを認め合う。
 では、犯人は他の誰かだ。

 つーか、明るいときならドアを開閉する際、5cm以上もあるイキモノに気づくだろう。

 夜になってから、このドアを開閉した者といえば……。

 弟だ!
 ヤツは暗闇の中、うちの玄関ドアを開けた!

「あいつだわ!」
「そうよ、あの子なら気づかずにヤモリを殺すわ。動作が大雑把だから!」
「あの身長だから、足下なんかろくに見えないしねっ」

 つーことで、殺ヤモリ犯は弟に決定。
 本人の自供は無効。それ以前に決定。

 で。
 ヤモリの死体は誰が片付けるのよ?
 わたしはいやよ、こわくて直視もできないんだから!

「男どもにやらせましょう」
「そうね、男どもの仕事よね」

 こんなときだけ、母と娘は仲がいい。
 無実のはずのふたり。何故だか、漂うのは共犯者のかほり……。

 

フルムーン旅行。

2003年10月13日 家族
 両親は旅行に出発しました。

 足が不自由な父はともかく、やたら元気な母は月に1回旅行に出かける。
 いったい何ヶ月連続で旅行してるかなー。おぼえてないや。
 今回は、父と母は一緒。10月10日が結婚記念日なので、フルムーン旅行だとか言っていた。いや、アンタら旅行しまくってるから、フルムーンもなにもただの言い訳にしか聞こえませんがな……。

 いつもいちいち日程やら旅先を聞かないのでよく知らないんだが、今回はたまたま話題に上った。

「新幹線に乗れる」
 と、父がはしゃいでいたからだ。
 父は鉄道ファン。電車に乗ることが生き甲斐。
 わたしが仕事で東京に呼びつけられ、必然的に新幹線に乗ったときも「いいなあ! 新幹線に乗れて!」とうらやましがるような感性の持ち主だ。

 ふーん、新幹線か。どこへ行くの?

「青森」

 は?
 青森って、青森ですか? 東北の?
 新幹線で?!

 ……あの、ここ、大阪なんですけどっ?!

 横から母が苦笑まじりに口を出す。
「早朝に出発して、青森には夕方に着くの」

 ぽかーーーーん……。

 父はご機嫌。
「10時間も新幹線に乗れるんだぞ!!」

 ぽかーーーーん……。

「2種類の新幹線に乗れるんだぞ!!」

 ぽかーーーーん……。

「どーだ、すごいだろう!!」

 ぽかーーーーん……。

「他の誰もつきあってくれないそうだから、アタシとふたりで行くの。アタシはまあ、仕方ないからつきあうわ」
 母はなまぬるく笑っている。日本地図を広げながら。
 日本地図だよ?
 新幹線の路線を確認するのに、日本地図!! ふつー一部分が載っている地図でいいはずだろう。それが、全体図……。

「それにしても、途方もない距離よねえ……」
 日本地図を見ながら、溜息をつく母。

 途方もないよ。
 10時間もあったら、地球を相当距離移動できるよ。
 つーか、あんたら何泊の予定でなにしに行くのよ?
 飛行機で行くより、高いんじゃないの??

「新幹線に乗るのが目的だから、そんなことはどうでもいいんだ」
 って父、あんた変。
 そんな旅行、わたしなら絶対イヤだーーっ!!

 つーことで、両親は旅行中です。
 いつ帰ってくるのか知りません。

 
 血相を変えて、母がわたしの部屋にやってきた。

「虫に刺されたの! アンタ、なにか薬持ってたわよね?!」

 虫って、なんの虫?

「わからない、朝起きたらこんなことになってたの!」

 母の首筋やら腕の内側は赤い斑点でいっぱい。
 それ、虫さされっていうより、じんましんかなんかじゃない?

「近所の皮膚科ってどこよ? アンタ、インターネットで探してよ!!」

 ママはプチ・パニック中。
 聞けば、父も同じ症状らしい。
 それって、なにか食べ物にあたったんじゃないの? 同じ家で暮らしている夫婦がそろって同じ症状ってことは。

 とりあえず、皮膚科を探して、そこへ父を送り出した。
 症状が同じなら、ふたりそろって行く必要はない。なんせ父は障害者手帳のおかげで医療費がタダなのだ。まずは父が行って、タダで診察してもらうよろし。

 父を待つ間、なんとなく母の話し相手をつとめる。
 笑えたのは、母が父の友人から借りた本。
 お手製のブックカバーがかかっていたんだが、そのカバーは、「父が出した手紙」の封筒だった。
 表紙を見るためにカバーをはずしたら、そこには父の名前が。
 エコロジーだわ、使用済み封筒の裏を使ってブックカバーにするなんて。ステッカーを貼って、おしゃれにリメイクしてあったし。
 しかしまさか、手紙の差出人の奥さんに、本を貸してしまうことになるとは、思ってなかったんだろうなあ。

 そうこうしているうちに、父が帰ってきた。

 病院に行くなり、待合室で知人にばったり会ったらしい。
 そんなところで会うとは思わない相手だから、
「どーしたんですか?」
 という話になる。

「いやあ、なにやら湿疹ができましてね」
「わたしもですよ、首の後ろとか腕とかに湿疹ができてしまって……」
「え、それ、同じですよ、ほら」
「ああっ、同じだ」

 オヤジふたり、カラダを見せ合って声を上げるの図。

「わたしは今、診察を受けて出てきたところなんです。緑野さん、ソレ、わたしと同じ、山茶花のせいですよ!!」

 山茶花? さざんか。「さざんか さざんか 咲いた道 たき火だ たき火だ 落ち葉たき」の、あの山茶花。

「ええっ、山茶花? ウチにもあります、山茶花!! 庭に2本もあります!」

 父、驚愕。庭の山茶花のせいで、湿疹が?

「正確には、山茶花にわいた毛虫のせいです」
「ああっ、そーいえば毛虫がわいたって妻が言ってましたっ」

 でも、毛虫がどーやって人間に湿疹を?

「毛虫の出す毒が、風で洗濯物についたりするんですよ。それで湿疹が出るんです。山茶花のそばに洗濯物を干してないですか」
「干してます、山茶花のそばで!」

 言いながら父、思い当たる。

「ああっ、そーいえば、数日前にテーブルに毛虫がいて、大騒ぎになりました。家の中にどーして毛虫がいるのか不思議だったけど……そうか、洗濯物についてきたんだ!」

 お医者さんに診察してもらう前に、原因発覚。
 そのあと、実際に診察してもらったけれど、答えは同じだったらしい。

 山茶花に異常発生した毛虫のせい。
 アレルギーですな。

 毛虫自体は、数日前に母が大虐殺をし、今では一匹も残っていないらしいが、当時の洗濯物が今ごろ肌に害を及ぼした模様。

 今年は特に、毛虫が異常発生してるんだって、あちこちで。
 そうなの?
「自分ちの庭ぐらい、ちゃんと眺めなさいよ。家の前の花壇、パンジーを植え直したのよ、ちゃんと見た?」
 ママは言うけど、知らねーよ、そんなこと。

 わたしが季節を感じるのは、わたしの猫が膝の上やベッドにあがってくるよーになったことぐらいさ(夏の間は寄りつかない)。

 
 母の家の前に、折りたたみ椅子を持参して、坐っているおばあさんがいる。その連れらしいおばさんもいる。
 ……他人の家の前だよ? ふつーの住宅地だよ?
 椅子を出して坐って、ナニしてるの?

「ねえねえアレ、なに?」
 わたしが聞くと、母は
「なんだアンタ、知らなかったの?」
 と言う。どうやら以前から同じ時間に同じよーにいるそうだ。

 答えは、孫が小学校から帰ってくるのを待っている、らしい。

「今はぶっそうだからね。心配なんですってよ」
「それならなんで、学校の前で待たないの? ここにたどりつく前に、ぶっそうなことになるかもしれないじゃん?」
「……それもそうね。何故かしら」
 まあ、よそさまの事情は知らんが……大変だなあ。足が丈夫じゃないからだろうな、あの椅子は。……客観的に見て、すごく変な光景だけどな……ふつーの住宅地の道に椅子を出して坐っているおばあさん……。

「そーいやわたしは、迎えに来てもらったことなんかなかったよね? 幼稚園のときから、一度も」
「そういえばそうね?」
「ずいぶん雑に育てられたよーな」
 たしかわたしは私立の幼稚園に通っていて、集団登下校のコースからはずれている園児は、親の送り迎えがルールだったはずだけど? わたし、いつも自力で登園して、自力で帰ってきたよねえ?
「いいじゃない、無事に育っているんだから」
 そりゃそーだ。

 今はぶっそうな世の中で、子どもたちには危険がいっぱい。
 ……だけどほんとーに、そうなのかな。
 昔から、危険なのは変わってないんじゃないの?

 というのも、わたしが子どものころにも危険はあたりまえにあったからだ。
 わたしのよーなごくふつーのガキですら、ちょくちょくこわいめに遭ったもの。知らないバイクのにーちゃんに追いかけ回されたり、「おかあさんが呼んでるよ」って言ってきた知らないおじさんに手を握られて、どこかへ連れていかれそうになったり。

 いちばんよくおぼえているのは、知らない男の子に首を絞められたこと。
 わたしは小学生だった。夕方だったな。まだ明るかった。家の近所を歩いていて、ゆっくり走ってきた自転車とすれちがった。
 そのすれちがいざま、自転車がわたしの横で急に止まり、乗っていた高校生ぐらいの男の子が首を絞めてきた。
 ……いやあ、びっくり。
 なんでそうなるのか、なにが起こってるのかわからないまま、暴れたんだったかな。どの程度抵抗できたのかわからないけど、気がついたとき男の子は自転車で逃げていき、わたしはアスファルトにへたりこんでた。
 ぜんぜん知らない相手。顔は最初からおぼえてもいないが、ただの通行人、風景にしかすぎない相手だよ。なのになんで、首絞められたの?
 あわてて家に逃げ帰ったよ。さすがに、こわかった。

 しかし、誰にも言わなかった。
 だって言ったら、「叱られる」と思ったもん。
 よくわかんないけど、叱られるのはわたしで、これから自由に外を歩かせてもらえなくなると思った。

 もしも、今くらいマスコミが騒がしかったら、わたしは堂々と親に報告し、警察に届けたと思う。
 だけどあのころは、知識がなかったんだよ。大人に言ってもいいことだと、知らなかったんだ。

 てな、乏しい経験からも、思うんだ。
 今が特別にぶっそうってわけでもないんじゃないかって。
 もちろん、ぶっそうだとは思っているよ。
 ただ、昔もやはり子どもが襲われる危険は多分にあったけれど、それがマスコミにまでは届いてなかったんじゃないかなあ、と。
 多くの子どもたちが、「言ったら叱られる」と口をつぐんでいたんじゃないか?
 今の事件の多さは、子どもたちの危険に対する意識が変わってきているから、ちゃんと事件が事件として報告されている、とゆー要因もあると思うよ。

 そして、大人も意識が変わってきていると思う。
 子どもが「知らない人から、こわいめに遭わされた」と報告したら、「お前に隙があったからだ」「そんなところを歩いているお前が悪い」と子どもを叱りつけて終わりにするのではなく、ちゃんと事態を重く受け止めて警察に届ける、てな。
 今考えても、「知らないおにーちゃんに首を絞められた」と泣きながら報告したとしても、わたしの育ての親であった祖母は、わたしの方を叱ったと思うんだ。
 祖母は古い人だったからねえ。自己を律することのみを、突きつけてきたと思う。隙のあった己を恥じよ!てなもんだ。
 だけどこれくらいマスコミで問題になっていたら、いかに頑固な祖母でも、わたしを叱らずにちゃんと警察に届けてくれたかもな。
 やっぱ時代ってのは、あると思うよ。

 そして、いつの時代も、弱いモノは危険にさらされる。
 毎日持参した椅子に坐り、孫を待つおばあさん。
 あなたの孫も、他の子どもたちも、みんなみんな無事に元気で過ごせますように。

 

優勝翌日。

2003年9月16日 家族
「優勝ってことは、セールよねっ。お買い物よねっ。なんか掘り出し物ないかな!」

 と言うわたしに、弟がにやりと笑って教えてくれた。

「ぼくはカラープリンタを狙ってるけどな。エプソンの6色インクのヤツ、通常店頭価格29800円だけど、優勝の翌日だけ7700円で販売予定の」

「なにソレなにソレっ、いいじゃんソレ、あたしも欲しいあたしも欲しいっ。絶対買いに行くー! 取っておいてよ!」
「取り置き不可。自分で買いに来い」

 弟の勤務先は、某家電量販店。
 よっしゃあ、狙いはそのプリンタだ!

「他になんか、おいしいモノないの?」
「デジカメのメディアが1001円。これも、ぼくが自分で買おうと思ってる」
「ソレって、シグマリオンも使えるヤツ? んじゃソレもあたし買うー!」

「ところで、なんで7700円なのか、知ってるか?」

 と、弟。
 わたしは首を振る。

「知らない。なんで?」
「やっぱり知らなかったか。ぼくも知らなかったんだけどな。星野監督の、背番号」
「なるほど〜〜」

「んじゃ、なんで1001円か知ってるか?」
「知らない。誰かの背番号?」
「ぼくも知らなかったんだけどな。星野監督の名前」
「なるほど〜〜」

 緑野姉弟、野球に興味なんぞ、まーーーったく、ありません。

 そんな会話をした翌日、つまり今日優勝セール本番。

 売り切れてるじゃないですか、目当てのプリンタ様ってば!! わざわざ買いに行ったのに!

「なんで売り切れなのよーっ、アンタ、余裕で買えるみたいな口ぶりだったじゃん!」
「ぼくも知らなかったんだが、優勝が決定するなり本部が新規客に宣伝メールを送ったらしい。それで朝イチで速攻売り切れた。1台も残らなかったから、ぼくも買えなかった」
「宣伝メールなんてあたし、受け取ってないわよ? あたしだってアンタの店のメルマガ登録してあるけど」
「新規客にだけだってば。アンタが登録したのは何年も前だろ。……てゆーか本部、現場に無断で宣伝打つなーっ、混乱するっつーの!!」
 どーやら朝から大変だったらしい。相変わらず本部と現場の連携が悪いようだ、弟の会社。

 午前中からキタとミナミをうろついたあと、CANちゃんの会社へアルバイトに行ったわたし。

 買ったモノは結局。

「コレ? セブンイレブン限定のガチャガチャ。コレはFROG STYLEっていってね……(8/31の日記参照)」

「阪神と関係あらへんやん!!」

 大阪弁の即ツッコミありがとう、CANちゃん。

「阪神百貨店も、行列だけ見てきたよ。すごかったよー、地下を半周してディアモールまで行って、そのあと地上に出て信号のはるか向こうまでつづいてて……最後尾が見えなかった」

「花バウの発売日と重ならなくて良かったよ……(溜息)」
 と、CANちゃん。

「あとねあとね、戎橋に行って記念撮影してきたー。阪神ユニフォーム・グリコ看板と、『優勝』の文字の入った看板と……」

「緑野ちゃん……アンタ、なにしに行ったの……(溜息)」
 と、CANちゃん。

 わたし?
 たんなるイベント好きですよ!!(笑)
 つーか、7700円のプリンタ様しか買う気なかったんだもん!

 
 その昔、緑野家のおたのしみは、梅田の紀伊國屋書店だった。

「今日は帰りに紀伊国屋に行こう」
 と父が言えば、家族全員が「やったー!」とよろこんだ。
 家族でおでかけした日、帰りに梅田の紀伊国屋に寄る。それが、お決まりのコースだった。

 入口を入るときに、父からおこずかいをもらう。大抵は1000円。クリスマスや誕生日など、特別のときは2000円のこともあった。
 もらったおこずかいは、紀伊国屋で自由に使っていい。どんな本を買ってもいいのだ。
 わたしも弟も母も、同じように1000円もらって、紀伊国屋に入っていった。
 待ち合わせは、1時間後。決められた時間の中で、本を探す。

 それが、緑野家のおたのしみだった。

 家族そろって、本が好きだった。
 紀伊国屋で何時間でも過ごせる連中だった。
 梅田での待ち合わせは、大抵紀伊国屋だった。
 店の中では、ほとんど顔を合わせることはない。母は彼女の本業のコーナーにいるし、わたしはSFやミステリ、あるいは絵本やアートのコーナーにいる。弟はどうやら歴史関係のコーナーにいるらしい。父は旅の本を見ている。
 たった1000円、されど1000円。なにを買おうか、足りない分は自分で出して……父にねだって、もう少し出してもらえないかな。あの画集が欲しいけど、どーしてああも高いんだろう……。

 まだ若かった両親と、子どもだったわたしたち姉弟にとって、大きな書店はとてもたのしめる場所だった。
 約束の時間ぎりぎりまで、好きな本を立ち読みして過ごしていた。
 そして、買った本を大切に小脇に抱え、4人そろって店を出るのだ。
 次に行くレストランで、自分たちが買った本をそれぞれ自慢するのだ。

 あれから何年経っただろう。
 もう、わたしたち家族は、そろって紀伊国屋に行くことはなくなった。
 わたしも弟も成人し、入口でおこずかいをもらわなくても、自分の稼いだお金で好きな本を買うようになったからだ。

 母から電話がかかってきた。
「今、父と千中にいるんだけど、中華街で一緒にごはん食べない?」
 わたしはいいけど、弟は? あいつはどうしてるの?
「自分の家にいるんじゃない? 今日休みだって言ってたから。ふたりで今すぐ千中まで来なさいよ。飲茶の食べ放題のところ、並んでるから!」
 今すぐって、アンタ……。わかったよ、行くよ。弟に連絡して、ふたりで千中をめざす。

 阪神優勝まで秒読みのニュースを尻目に、わたしたちは千中にたどりついた。
「今、千中に着いたとこ。んで、母たち今どこにいるの……」
 エレベータを待つわたしの横で、弟が母に電話をかけている。
「母たち、どこにいるって?」
「田村書店」
 電話を切った弟が言う。
 飲茶の店で並んでるんじゃ、なかったんかい。

 待ち合わせは、大型書店。
 なんか、昔みたいだね。家族4人顔を合わせたけど、またそれぞれ店内に散っていく。もちろんもう、おこずかいをもらったりは、しないけれど。

 今はわたしと弟は同一行動。ふたり並んでミステリだのゲーム雑誌だのをひやかす。……まさか、同じジャンルを読むようになるとは思わなかったよ、あのころは。
「そーいや京極の新刊が出たよなあ」
「何年ぶりよ? もう出ないかと思ってたよ」
 なんて会話をしながらな。
 母は自分の本業から離れ、山の本しか手に取らなくなってるし、父はあきっぽくすぐに坐り込みたがる。
 時は流れるのさ。
 18年前、猛虎とやらが大騒ぎしていたあのころは、緑野家はたのしく紀伊国屋で時間を過ごしていたよ。
 変わらないようで、変わっていくようで。

 それでもたぶん、紀伊国屋は我が家にとって、特別な場所でありつづけるだろうさ。

 
 WHITEちゃんはいつも、夜中に現れる。
 時間は確認していないが、今回もまた夜中に現れた。わたしはオレンジと長電話していたので、玄関にいるWHITEちゃんにそのまま子機を渡し、トイレに駆け込んだ。

「トイレに行きたかったのね?」
 と、WHITEちゃん。
「そうよ。でも、電話中だったから我慢してたの。WHITEちゃんが来てくれて助かったわ」
 わたしがいない間、オレンジと喋っていてくれたから。

 トイレから出て、また受話器を受け取る。オレンジと喋りながら、客間に座布団を出して、WHITEちゃんを迎え入れる。
 電話を切ったのはそのあとだ。んじゃ今はバイバイ、オレンジ、またいずれ話しましょう。

 WHITEちゃんは、東京みやげをわざわざ持ってきてくれたんだ。
 何故、東京みやげ?
 わたしにしろWHITEちゃんにしろ、東京にはしょっちゅう行っているので、今さらわざわざみやげというのも、変。
 だけど、気持ちがうれしい。ありがとうありがとう。

「弟くんと、一緒に食べてね」
 と、わたしてくれたおみやげは、サザエさん一家の人形焼き。
 ……何故、弟?
 わたしひとりで食べちゃいけないの?
 まあいいや、弟にもやることにしよう。
 つーことで、WHITEちゃんとはそのままだらだらお喋り突入。
 彼女がわたしの家をあとにしたのは、午前2時半くらいでした(時計を見た)。

 半日仏壇に供えたあと、人形焼きを持って親の家へ。
 弟と一緒に食べるために。
「弟は何時頃に帰るの?」
 と聞いたところ、
「さっきメールがあって、今日はごはんは食べて帰るそうだから、すごく遅くなるみたいよ」
 と、母。
「ええっ、そんじゃ一緒に人形焼き食べられないじゃん!」
 WHITEちゃんのおみやげを父と母に見せたわたし。肝心の弟がいないんじゃ、封を切れないよ。
「そうねえ。やっぱり弟もそろったときでないと、コレを開けるのはやめた方がいいわねえ」
 と母も言う。
 仕方ないな、人形焼きは親の家に置いて帰ろう。明日の夜になれば、弟と一緒に食べられるだろうし。

 そして、さらに翌日の夜。
 家族4人で外食して帰宅。

「外食すると、喉が渇くなあ」
 と言って弟は、帰って来るなりお茶を飲む。そしてさらに、
「お茶請けもあるし、ちょーどいいよな」
 と、どっかで見た包みを出す。
「ちょっと待ってよ、それって……!!」

 弟がとーぜんの顔をして取り出したのは、WHITEちゃんのおみやげの人形焼き!
 しかもすでに開封済み。
 つーか、あと3個しか残ってないっっ。

「なんで先に食べてるのよーっ、あたしは、アンタがいないから、あえて開けずに待っていたのに!!」
「んなもん、いつまでもあると思う方が悪い。緑野家は弱肉強食だ」
 と言いつつ弟、ワカメちゃんだかカツオくんだかを口に入れる。
 残っているのは、タラちゃんとタマのみ。
「ひどーい、ひどーい、ひどーい!」
 わたしはあわてて、タラちゃんとタマを奪取。サザエさんもマスオさんも、ナミヘイさんもフネさんも残ってない〜〜っ。
 もらったのはわたしよ?! 開封するのもわたしであるべきでしょう?!

 あわてて食べた、タラちゃん。
 ……甘い。

「メープルシロップ味かあ。中にナニも入ってなくてよかった……」
 これでカステラの中にクリームでも入ってた日にゃあ、やってられなかった。
「なんで? 中にナニも入ってないなんて、皮ばっか食べてるよーなもんじゃん」
 と、弟。クリームが入ってなかったのが不服な様子。
「この甘党めっ」
「甘いモノが嫌いだなんて、文化レベルの低いヤツめっ」

 人形焼きの行方。
 大半は、弟の腹の中。

 ……そうね。甘いモノは、ヤツの腹に収まるのがいちばん正しいかな、WHITEちゃん。

 
 鉄道オタクの父がまた、「電車に乗りたい」と言い出した。
「京阪の2階建て特急に乗って、比叡山に行こう」
 あの……京阪特急って、思い切り通勤特急ですが? ふつーの勤め人が通勤のために乗っている電車ですが?
 それに、なんでわざわざ比叡山なの?
「比叡山に行けば、ロープウェイとケーブルカーに乗れるんだぞ」
 乗れる、って……目的はソレかい。

 父の旅行はいつもこうだ。
 目的地は後付け。先に「なにに乗りたいから」という発想で決められる。
 乗り物が先。乗り物にさえ乗ることができたら、どこにも行かずに帰ってきてもいいくらいらしい。

 予定段階でモメにモメて(なんでこー、父も母もわがままで気まぐれなんだ?!)、行くのが相当嫌になったりもしたが、とりあえず比叡山に向けて日帰り旅行出発。

 比叡山に行くのは何度目だろう。寺社仏閣好きの家庭に育ったために、近畿地方の主な寺には大抵行ってるからな。記憶が混ざってしまって、どこがどこやら。
 しかし、こういう大きなお寺と、テーマパークと化した空間は素晴らしいね。外国の教会とかもそうだけど、信仰の場というのはとても美しい独特の宇宙がある。
 根本中堂の、厨子の中で見ることはできないご本尊と、その前を照らす1200年間途絶えたことがないという不滅の法灯、そしてそれらとわたしたちを隔てる深淵。
 美しいものはどこか、こわさを秘めている。
 ……娯楽のない時代に、この空間を作ったわけだから、すげえよな。ディズニーランドもUSJもないわけだからな。ふつーの人が苦労して山のてっぺんまで登ってきて、そこにこの空間が広がっていたら、そりゃびっくりするさ。こんな世界があったなんて!と感動するさ。はじめてのヴァーチャル・リアリティ。ひとの手によって構築された別世界を見るという経験。神も仏も、信じたくなるだろうさ。
 とくに信仰を持っていないわたしでも、ははぁっ!とひれ伏したくなる空間だからな。

 愉快だったのは横川の角大師だ。
 わたしたち家族も、横川にまではそれまで行ったことがなかったんだ。はじめて横川に行って、清水寺に似た作りと、似てもにつかないカラーリングの横川中堂に驚嘆した、そのあと。
 おみくじの元祖だとかいう元三大師堂に行ったのね。
 そこにはあちこちに、とても愉快なお札が貼ってあった。
 ひとめで「悪魔」だと思える姿形。
 お寺に、悪魔?
 それは角大師という疫神らしい。角大師の姿を写したお札を入り口に貼れば疫病封じになるし、また身につければ魔よけになるらしい。
「じつにいい味をだしている」
 と、弟。デジカメにその姿をおさめながら、しみじみと言う。
 ほんとに素晴らしい造形だ。角大師。ここでしかグッズが手に入らないのがまたレアだわ。わたしは角大師様の根付けを買った。だってわたし、今年厄年なんだよ。
「なんつーか、ゲームキャラみたい」
「それを見た人に『モトネタなに?』って聞かれそうだよな」
「『メガテン』とかに出てそう」
 あやしくていい感じだ、角大師様。かなりお気に入り。今度また、時間のあるときにゆっくりと来よう。4時閉堂ってことで、ここにたどりついたときにはもう時間切れ、ろくに見ることができなかったのよねえ。

 帰りは琵琶湖花火大会へ。
 淀川花火大会がホームグラウンドなわたしたち、琵琶湖のことはなにもわかっていません。ビューポイントがどこなのか、どうすればいいのかさっぱりわからないままに、行きがけの駄賃程度の気持ちで参加。
 琵琶湖花火大会は、淀川花火大会の半分の規模。だけど人出は同じ40万人。……これだけは前もって情報誌で押さえてあった。
 半分の規模なのに、人出は同じ、ってなによそれ。さいてーじゃん。
 淀川のものすげえ混雑ぶりを知っているだけに、辟易してたんだけど。

 やっぱ田舎はいいよなっ。

 大阪とは都市の作りがまったくチガウのだ。
 なんなの、この道路のだだっ広さは。
 淀川とちがって開放感あふれている。しかも。

 その大きな道路が、完全に交通規制され歩行者天国になっているのだ。

 最寄り駅から湖岸まで、歩行者天国だよ?
 かなりな距離だよ?
 相当な広さだよ?

「祭りとは本来、都市機能をストップさせて行うものなんだ」

 と、史学科卒の弟が感慨深くつぶやく。
 これだけの距離、これだけの道路をたかが「祭り」のために機能停止させるなんて。大阪ではありえない。そんなことをしたら経済に支障を来す。パニックになる。
 だけど田舎では、それが可能なんだ。すごい。

 都市をあげての「祭り」だ、淀川と同じ40万人が参加しているはずなのに、人混みの密度は比べモノにならない。ガラガラ。ストレス最小。湖岸へとまっすぐ伸びた大きな道路は、どこからでもよく見える。なんて楽なの、この花火見物。

 打ち上げの規模は半分だとしても、演出のちがいで遜色ないモノになっていた。
 淀川の花火は、縦に重ねて上がる。
 琵琶湖の花火は、横に連なって上がる。
 淀川では、打ち上げられる花火のあまりの数に、空が煙で白んでしまう。重ねて重ねて、同じところに打ち上げられるからだ。
 琵琶湖の花火は、空間の広さを最大限に利用し、夜空全体に広がる。ひとつずつが重なることはないから、奥行きはない。
 どちらがすばらしいと決めるものではないだろう。

 まったくチガウふたつの花火大会を見て、とても感動した。

 まあ、なんといっても琵琶湖は遠い。そうそう見に行けるところでもないけどな。

 「電車に乗る」という手段のためだけにチョイスされた目的、日帰り比叡山。
 手段のおかげで、目的にもなってなかった花火が見られてラッキーだった。

 
 昨年、あんなに鼻息の荒かった叔母がなにも言ってこない。
「変ね」
 と母は言うが、わたしには予想がつく。
 叔母にはきっと、連れができたんだよ。だって今年は日曜日だし。
 一緒に行く人が他にいれば、わざわざわたしたちを誘いに来たりしないって。

 1年に1度のおたのしみ。
 淀川花火大会。

 叔母がなにも言ってこないので、わたしと母だけで行くことになった。
 が。
 直前に母に仕事が入り、終わったのが午後7時過ぎ。
 花火大会は8時から。

 昨年は5時過ぎには出発していたから、2時間も遅い。
 こんな時間じゃたぶん、会場にたどり着けない。
 ……のに、母には通じない。
「時間的に間に合うわ!」
 あの、時間だけなら間に合います。電車の時間、歩く時間。
 でもな、それはなんの障害もない場合だ。
 花火大会開始時刻間際なんて、交通渋滞や規制があって、進むに進めないに決まってんじゃん。

 日本語の通じない母に噛み砕いて説明したけれど、自分の聞きたいことしか聞かない母は、やっぱり聞いてなかった。
 わたしは最初からあきらめモード。どこでもいいから、花火が見られればいいや、てな気持ちで出発。
 しかし母は、例年通りの特等席で見る気満々。
 規制され、進めないっちゅーのに、平気で「奥へ行くのよ、奥へ!」と言い続ける。
 だから、通れないってば。放送聞きなさいよ。
「そっちは通行止めだって放送で言ってるけど、それでもあえてそっちへ行くのね?」
「通行止め? なんで? いつそんなこと言ってた?」
「駅でさんざん警察の人が言ってたよ。そっちは通行止めで会場には行けませんから、右折してくださいって。それでもママはずんずん左へ進んだよね? わかっててだよね?」
「そんなの聞いてない!」
「あれほど耳元で拡声器で怒鳴ってたでしょ?」
「あのときは帰りの切符を買うことしか考えてなかったもの!」
「帰りの切符を買う話をしながら、わたしはちゃんと聞いてたし、聞こえてた。聞こえない方がおかしい」
「どうして? わたしは聞いてない! そんなこと知らない! 切符のことしか考えてなかったもの!」
「で? 通行止めの道をわざと進むのね?」
「進まない! なんでそんなことしなきゃなんないの」
「だってママがずんずん行くから。わたしがなに言っても聞かないで」
「聞いてないもの!」
「聞けよ」
「だって周りがこんなにうるさいんだもの! 人がいっぱいで! 放送なんか聞こえないのがふつうよ!」
「わたしには聞こえた」
「わたしは聞いてない!」
 万事この調子だ。
 母は絶対に「わたしのミスです、ごめんなさい」とは言わない。悪いのは他人、母は悪くない。
 大変だよな、警察の人も。あれほど動員して放送しても、聞く耳持たない人はまったく聞かないで「周りがうるさいから、放送なんか聞こえなくて当然。ちゃんと案内しない警察が悪い」ってことになるんだもんな。

 叔母さん……今回ばかりはあなたが恋しいです。
 母とふたりきりだと、わたしのストレス度は跳ね上がります。
 ママと旅行した今年のはじめ、わたしは神経を磨り減らしたせいで頭痛を起こしてたっけ。

「奥へ行くのよ、奥へ! 河原に降りるの」
「無理だよ、河原に行くにはスロープを降りなきゃ。スロープは数が限られてるから、どこにでもあるわけじゃないって」
「どうしてみんな立ち止まってるの? 河原に降りればいいのに」
「だから、河原に降りる道が規制されてるんだってば。聞けよ、ひとの話」

 もうここでいいじゃん、ここで見ようよ。疲労。

 人混みより騒音より、母の手綱を取るのに疲れ果てる。
 堤防の上、ガードレールの向こうへ行くために、母は四つん這いになってガードレールをくぐろうとした。
「ママ、下をくぐるならリュックサックは下ろした方が……」
 ひとの話なんか聞いちゃいねえ。案の定、リュックサックがガードレールにつっかえた。お尻だけ出した無様な格好で、前にも後ろにも進めなくなる。
 周囲の失笑。
 ……なまじ、「はい、ごめんなさいよっ」と人々を蹴散らしたあとだからねえ……。
 なんでそう、テレビの中の「大阪のおばちゃん」まんまなことをするかな。そして、お尻だけ突き出して動けなくなるなんて、ドリフでもやらないよーなネタを、身体を張ってやるかな。

 
 疲れたな……今年の花火大会。

 それでも、花火自体はすばらしかったのだけど。

 今年の新作はなんといっても「ドラえもん」だよね? あと「キティちゃん」。
 昨年感動したデイジーや魚はなかった。ハートや星は健在だったけど。

 花火は生で見なきゃダメだと思う。
 この目で見て、この耳で聞く。
 広がる光、太い音。

 そして、歓声。

 集まった人たちの声を聞くのが好き。
 よろこびに、声を上げる。
 感動に、声を上げる。
 なんて素直で、無私の響き。

 凝った仕掛けに声を上げ、賞賛の言葉を贈る。
 だけど。

 いちばん単純に感動を呼び起こすのは、

 大きい、花火なんだね。

 ただ大きい、小細工なしの直球勝負、シンプルに純粋に、ただ、大きいこと。
 そのことに、歓声と拍手が起こる。

 そしてそんなことに、わたしは感動する。

 やっぱ花火は生だよなあ。
 混雑がつらくても、わたしは人混みのなかでこそ、花火を味わいたいなあ。
 だってやっぱし、人間が好きだもの。
 テレビで見てもいいだろう、見なくても人生変わらないだろう、美しいモノを見るために苦労して集まってきて、感動して拍手をする。
 人間って、愛しいイキモノだよね。

「今の花火は5段階で言うと『3』ね。んー、今度のは『4』かな」

 ママ……。
 隣で点数つけるのやめてください……がっくし。肩が落ちる娘の図。

 
「シャツはLサイズでなきゃダメなの。わたしは腕の付け根が太いから、袖が苦しいの。それ以外はMでもいいのに」
 と、母が言う。
 腕の付け根、てのは二の腕のことだよね。
 そこまでは、ふーん、と聞いていた。問題は、次だ。
「やっぱり長年手仕事をしてきたせいね。水泳選手とかも、腕の付け根が太いものね」

 をい。

「水泳選手は関係ないでしょ」
 と、わたし。母は不思議そうに。
「だって水泳選手は腕の付け根が太いわ」
「そりゃ水泳選手はそうだけど、それと母は関係ないじゃん」
「だからわたしも、腕の付け根が太いんだってば」
「女性はトシを取ると二の腕が太くなるんだよ」
「わたしは若いころから腕は太かったわ!」
「そりゃアンタ、デブだったからじゃん!」
「水泳選手はデブじゃないわ!」
「だから水泳選手は関係ないだろ」
「長年手仕事をしてきたから……」
「腕の力で全体重を支えるよーな仕事を何十年もしてきたっての?」
「わたしはそんなことしてないけど、水泳選手はしているわ」
「だからアンタは水泳選手じゃないだろ」
「水泳選手は腕が太いわ」
「水泳選手の腕は筋肉で太いの、ママの腕は脂肪で太いの。女はトシとると二の腕に脂肪がつくの!」
「だから、若いころから太かったのよ! トシとってから太くなったわけじゃないわ!」
「だからアンタ、若いころは今よりはるかにデブだっただろ! 若いころはデブだから腕も太ってた、そのあと身体は痩せたけど、今はトシとったから腕と腹には脂肪がついているんだって」
「水泳選手の腕も脂肪だっていうの?!」
「だから、水泳選手の話はしてないっっ」

 ………………誰か助けてください。涙。

 
「今日は弟くんとデートの約束はしてないの?」
 とCANちゃんに言われ、なんでバレてるんだ? とびびる。
「してるけど……めんどくさくなったから、メールして帰ろうかと思ってる」

 CANちゃんの会社でアルバイト。
 CANちゃんの会社はミナミにある。そして、弟の会社もミナミにある。つーか、CANちゃんの会社に行く途中に、弟の会社の前を通る。
 だから、CANちゃんの会社でバイトをするときは、終業後の弟と待ち合わせてごはんを食べることがわりとある。
 ……そうか、わたしの行動を読まれているんだ。

 弟の仕事の方が、2時間くらい遅いんだよね。ヤツは「そのへんで時間つぶして待ってろ」と昨日言っていたし、昨日はたしかに待つつもりでいたが、本日の姉はもう待つ気にならず。先に帰ってやる。
 というのも、体調が悪いんだ。外食する気になんねー。
 どの店に食べに行くか、弟は昨日いろいろ言っていたけどな。結局決まってなかったから、会ったあとで一緒に探すのもめんどーだし。

 朝、起きたときから気分が悪かった。
 目眩と頭痛、吐き気。
 それでも仕事は仕事。なにくわぬ顔でCANちゃんの会社に出勤。
 ……不思議だな、仕事の能率は過去最高だった。気分悪い方が手が早くなるのか、わたし? CANちゃんにも誉められちゃったよー。
 いや、わたしのやっている仕事は、ほんとに単純な手作業なんだが。気分が悪い分、急き立てられるような感じで早く手が動くのかな? 迷惑かけちゃいかん! てことで、気が張っているせいかな?

「あんたの体調いいときって、いつよ?」
 北海道の山から無事生還した母は皮肉を言う。母は健康至上主義者。虚弱な者が大嫌い。またしても体調の悪いわたしは叱られる。
 いやでもほんと、最近わたし、いつもいつも体調が悪い。昔のわたしはこんなじゃなかったのに。
 目眩がひどくて、頭を起こしていられない。
「緑野家の人間の特徴ね。緑野家の人はみんな、重い軽いはあっても同じ症状で寝込むわ」
 ってソレ、遺伝ってことじゃん。わたしより弟の方が症状は重い。アイツは一端発病すると、動けなくなる。子どものころはそれで病院をいくつも回った。
「なんでそんな、悪いところばかり遺伝するの? アタシに似ればいいのに」
 母の家系はすこぶる元気だよなあ。そして元気すぎるもんだから、病人のつらさはわからないのだ。うがー。病人を叱るなー。
「瀞峡の写真は見た? アンタ、体調悪いからひどい顔で写ってるわよ」
 だーかーらー、じんましんで発狂しかかっていたわたしにカメラを向けるなと言っていただろう! どうしてそうデリカシーないのよう。
「病気になるのは、本人が悪いのよ。心がけが悪いから、そんなふうにすぐしんどくなるの。アタシなんかこんなに健康よ!」
 お説教はエンドレス。
 ママに言わせると、不慮の病気やケガはすべて本人のせい。自業自得なのだ。せっかくの旅行なのにじんましんになっていたわたしは、「たのしい気分に水を差す迷惑なヤツ」で、叱られて当然なのだ。あー……。

「明日はゆっくり寝ていなさいよ」
「あ、ダメ。明日はタカラヅカ」
「…………病気になるのは……………」
 はい。
 わたしの場合、たしかに自業自得です。

 
 弟と近所のファミレスでごはんを食べたんだが。
 どーしたことだ?
 ウエイトレス、おばさん率高し。
 つーか、おばさんばっかし。

「……変じゃないか?」
「変だよな」

 夜のファミレスは、若いアルバイトくんたちの職場だ。このファミレスはできてから20年くらい経ってるんだが、その改装改築主義主張の迷走いろいろあった長い歴史のなか、夜におばさんたちが働いているなんてこと、一度もなかった。

「この時間帯なんて、主婦が働く時間じゃないだろ? 家庭はどうしてるんだ? 亭主や子どもの晩ごはんは?」
「たしかに、昼間はおばさんが働いているけど……今は夜なのに」

 ファミレスやコンビニ、それからファストフード。それらの店は、昼間はおばさん率が高い。彼女たちは、夕方になると若いバイトに交代して家へ帰っていく。夕方の主婦は忙しい。
 反対に若者たちは、昼間は学校に通っているので、夕方から夜に働く。若者とおばさんは、こうやって時給いくらのアルバイト業界を回していく。

 それが今までの常識だったのに、今日のこの店は、おばさんばかりが働いている。
 若者向けのかわいい制服を着て、ゴールデンタイムに働いている。

「……不景気ってこと?」
「一家の主婦が、家庭を放り出してこんな時間に働かなきゃ、やっていけないほど逼迫しているのか?」
「今の若い子は、ファミレスなんかでバイトしないのかしら。時給安いから?」
「安い時給でも、おばさんならそりゃ働くだろうけど」

 それにしても、雰囲気がチガウ……。
 おばさんがウエイトレスだと。なまじ制服がかわいいぶん、ブラックな雰囲気。

「会議している客はいるし。なんか、変な店だな」
「なんでこんな時間まで会議してるのよ」
「自社ビルじゃないから、もう時間外ってことで追い出されたとか。ありえるぞ」

 いつもなら、若い客でにぎやかな店なのに。
 いちばん目立つ大テーブルでは、書類を広げたスーツの人たちが本気で仕事中。食事のついでに、とかではなく、食器すらすでにないテーブルでふつうに会議をしている。

 雰囲気がチガウ……。なんなの?

「どーでもいいけど、スープの補充はいつしてくれるのよう」
「聞いてくれば」
「もう一度言ったもん。2度も言えないよー」

 おばさんしかいないウエイトレスは、人数が明らかに足りていない。
 サラダバーもスープバーもなくなりかけている。でも、補充されない。人数が足りなくて、そこまで手が回らないのだ。料理を運び、レジを打つだけでいっぱいいっぱい。
 3種類あるスープの、2種類が空になっていたので、わたしは補充を訴えた。……のに、補充してくれたのは1種類だけ。もうひとつは空のまま放置。
 つーか、あの大きなスープタンクが空になっているのをはじめて見た。ふつー、空になる前に補充されるから、底が見えるなんてことあり得ないんだよね。本気で人手が足りていない模様。

「パンプキンスープ〜〜。飲むまで帰らないからね〜〜」
「あー、うるさい。スープなんかどうでもいいだろう」
「よくないわっ。スープバーがたのしみで来てるんだからねっ」

 わたしは汁物好きなんだ。わざわざスープバー料金を別途払ってるんだから、スープは5杯以上飲むことにしてるんだいっ。
 しかも今日は大好きなパンプキンスープがメニューにあった。大喜びで飲んでいたのに。
 よりによって、パンプキンスープの補充をしてくれない……あと1杯は飲んでやるー。そーでなきゃ帰らないぞ。

「不景気ってことか……どこもかしこも」
「夜中のファミレスで仕事をする人たち、人件費を抑えるために少ない人数で店を回すファミレス、しかもおばさんばかり。不景気は目に見えるかたちで、こんなところに。……嫌すぎ」

「まあ、ウエイトレスの年齢は、現在の店長の趣味、て可能性もあるかもしれないけどな。熟女趣味とか」
「それ、もっと嫌すぎ」

 
 わたしたちが泊まった日の出館は、いい宿でした。
 建物はきれいで、眺めがいい。朝焼けの水平線が一望できる。山上館を望む気持ちは変わらないが(笑)、第2の宿も悪いところじゃなかったよ。
 それと、浴衣によるあからさまな差別も気づかなかった。なくなったのかもしれないし、わたしが気づかなかっただけかもしれない。いちおー、第2ランクの施設だったからな。昔、差別されたときは最低ランクの施設に泊まっていたの。
 今回は、ちゃんと丹前が用意されていました(笑)。

 不思議なのは、施設に名前が変更になっていたこと。
 10日前から、日の出館は「日昇館」という名前になっていた。
 あちこちにそれについての説明がされているんだが、細部の記載は変更が行き届いておらず、結局は「日の出館」のままだ。なんでこんな意味のない名前の変更をしたんだろう?
「分与でモメて骨肉の争いがあり、部分的にオーナーが変わったんじゃないの?」
 とか、
「嵐で道路は閉鎖、船も出せずに日常世界から切り離され、孤島となりはてたうえで連続殺人事件でも起こったんじゃないの?」
 とか、弟とふたりで想像してみたり。
「ゲームとかミステリ小説とかで、『こんな意味のない複雑なつくりの建物、現実にあるわけない』っての、よくあるけど、この宿はまさにソレだなー」
「なにも考えずに改築してどんどん増やしていって、手に負えなくなってる感じだよねー」
 ゲームの舞台としてゾンビと戦うのにもいいし、ミステリ小説の舞台として密室殺人事件を起こすにもうってつけのロケーションだぞ、この宿は(笑)。

 ところでわたしは、この朝ヘコんでました。
 前日、大事を取って温泉を我慢したのに、翌朝目覚めてみれば、じんましんはさらにひどくなってましたのよ。
 注射が効いたのか、前日はわりと沈静化していたの。だからまだなんとか、観光することもできた。このまま治るのかな、とも思ったけれど、念には念を入れて、温泉を我慢したのに。
 発病3日目だよ? なんでひどくなる一方なの?
 ムカついたんで、温泉に入ったけど。あんまりひどくなっていたんで、なにをしてもこれ以上ひどくなることはないだろう、と思って。

 父ひとりご機嫌さん。
 思い存分温泉めぐりをして、スタンプを集めて。足が悪いので、我慢しているところももちろんあるんだろうけど、自分が楽しめる範囲でめいっぱい楽しんでいる様子。
 ……よかったね。とりあえず、父がたのしめたんんなら、この旅行の価値はあったわけだから。わたしは心底、へとへとだったけどさ……。

 前日に那智の滝へ行き(よりによって年に一度の火祭りの日だった)、幽玄の世界を堪能。家族の体調もあり、火祭り本体はスルーしたんだけど、霧の中の滝は空の一部が落ちてくるようで、これはこれで眼福。
 宝塚歌劇団雪組・大凪真生の千社札が目に新しく光ってたけど……滝そばの社に貼ったの、本人? ファン? ちと恥ずかしい……。(古いモノでは真矢みきもあった)
 本日はウォータージェット船に乗って瀞峡めぐり。深い山と山の間、切り立った崖の狭間を高速で移動するパノラマ見物、水上でしか得られない目線。わたしがこの船のオーナーなら、船を造り直すよ、絶対。船のデザインの陳腐さで損をしている。せっかくの景観がもったいない。
 そのあと新宮で城跡見物。……うちの弟が城跡マニアなので。我が家は鉄道マニアと山オタクと城跡マニアとヅカオタクで成り立っているのよ……。
 新宮あたりではもう、わたしの意識はかなり朦朧。じんましんがさらにひどくなっており、まともにモノが考えられない。ついに顔もまだらになり、「誰もわたしを見ないで」状態。
 そんなわたしにビデオカメラを向け「辛気くさい顔しないで、ほら、笑って」と母。笑えるかー。こんな顔、撮るんぢゃねえ。

 健康第一。
 とにかく、じんましんのおかげで、わたしは散々だったよ。
 なにもしてなくても、体力が剥ぎ取られていく感じ。めそめそ。

 で、でも、親孝行だしな……体力気力のつづく限り、がんばったよ、わたし!(息絶え絶え)

 
「リベンジ、山上館!」
 と言ったのは、あれはいつのことだったろう。
 そのころ、わたしも友人たちもまだ若く、金も地位もない小娘たちだった(わたしは今もびんぼーな傘張り浪人のよーな人生を送ってますがな)。
 わたしたちは、温泉旅行を計画した。
 目指すは勝浦、日本一の滝を眺め、海の見える温泉に入ろう!
 決めた宿はそこいらでいちばんの有名どころ。海が眺められる洞窟温泉をはじめ、いくつもの温泉を施設内に持つたのしそうなところ。
 よくわかっていないまま、安いツアーを見つけて旅立った。
 宿に着き、「さあ、温泉だ!」と部屋で浴衣に着替えた。
「……あれ? 丹前がない」
 部屋に置いてあったのは、白くちゃちい浴衣だけ。下着の線が映りそうなぺらさ。
「置き忘れかな? フロントに聞いてみる」
 季節的に言っても、こんな薄い浴衣1枚のはずがない。上に羽織る丹前があるのがふつうだろう。
 だが、フロントは「そんなものは、はじめからない。浴衣だけで我慢しろ」てな意味のことを丁寧に返しただけ。
 そろそろ肌寒いこの季節に、丹前の用意がない温泉宿なのか……。ちょっとびっくりしたが、「そんなところもあるんだ」と、まだ若いわたしたちは納得した。
 浴衣1枚で廊下を歩くのは肌寒く、上にジャケットを羽織って対処した。
 ところが。

 他の人たちは、丹前を着ているのだ。

 なんで? わたしたちは、フロントに確認して「そんなものはない」と言い渡されたのに。
 しかも、浴衣にも種類があった。わたしたちが着ているぺらぺらの白い浴衣ではなく、もっとしっかりした生地の、きれいな色の付いた浴衣を着ている人たちが大勢いた。色つきの浴衣を着ている人たちはみんな丹前を着、白い浴衣の人は寒々しく1枚きりで歩いている。
 どういうことかは、すぐにわかった。
 その宿は、泊まる施設によって完全な階層があり、高額の施設に泊まっている人たちはいい浴衣と丹前を着ることが出来、安い施設に泊まっている人たちはみじめな浴衣しか与えられないのだった。
 がーん……。小娘たちは、ショックを受けた。
 旅行のパンフレットには、たしかにいろんな金額のツアーが記載されていた。高いコースと安いコースがあるのだから、値段に応じた差別が存在することはわかっていた。
 しかしそれが、こんな、「ただ歩いているだけ」で一目瞭然な差別だったとは!
 同じ宿の中だというのに、「金持ち」と「貧乏人」がひとめでわかる仕組みだったのだ。
「ここまで差別されるんだったら、パンフレットに書いておいてくれればよかったのに。そしたら、高い方のコースにぐらい、したのに」
 いくら金のない小娘たちでも、1晩高い宿に泊まることぐらいできる。ただ、どーせ観光で1日走り回るのだから、宿は温泉と寝るだけ、それならスタンダードでいいじゃん、スペシャルルームにしなくても、てぐらいの気分だった。
 機能的な判断だったはずの値段設定が、こんなことになるなんて。
 わたしたちは、心に誓ったのだ。
「リベンジ、山上館!」
 4つある施設のうち、もっとも高額なのがその山上館と呼ばれる施設で、色つき丹前つき浴衣の客たちは「ここから先は山上館ご利用のお客様以外立ち入りを遠慮願います」のガラスドアに消えていくのを、わたしたちはキッとにらみつけた。
 いつかお金持ちになって、山上館に泊まってやる……!!(涙。唇噛)

 いや、もちろん冗談半分でだけどな。
 とりあえずわたしたちは「次にくるときは絶対山上館にしようね」と約束して別れた。
 繰り返すが、いくらそのタカビーな山上館とはいえ、一般人が泊まれないよーな値段設定じゃないよ。小娘たちがギャグにするのにふさわしいエピソードだったということさ。
 宿の値段設定はいろいろあり、人の価値観は様々だ。わたしたちは、たかが宿の値段程度であからさまな差別に直面した思い出を「若かったわねー、あのころは」と記憶に刻んだだけのこと。
 その友人たちとは結局、二度と旅行することはなかった。人生いろいろだ。
 誓いは果たされないまま、わたしのなかには「リベンジ、山上館!」という言葉だけが残った。

 入院→手術→退院→障害者認定→リハビリの日々、というコースを歩んでいた父が「山上館に泊まりたい!」と言い出したのは、彼が退院して間もないころだった。
 ストレスが溜まっていたのだろう。鉄道マニアの彼は「オーシャンアローの海側の席に乗るんだ!」と言ってきかない。
 発病してからこっち、大好きな鉄道旅行をしていない彼の希望を、家族全員できくことになった。
 いつの間にか幹事はわたしになり、わたしが父の希望を書き付けたメモを持って旅行代理店を往復した。
 乗る電車、坐る座席の番号、泊まる部屋と夕食。通る希望と動かぬ現実、旅行代理店のカウンターから携帯電話で自宅にいる父と何度も話しながら、なんとか話がまとまったのが、6月半ばくらいだったかな。
 なんせわたしは、その昔「リベンジ、山上館!」だった人間なので。父が「絶対山上館。他はダメ」と言う気持ちはよーっくわかった。父も以前その有名宿に泊まったことがあり、「次にくるときは絶対山上館だ」と心に誓ったらしい。

 結局、山上館には泊まれなかったのだけど。

 いや、いろいろ事情があってねー。苦笑。
 山上館に泊まれないなら、次は第2ランクの日の出館だ、絶対日の出館じゃなきゃヤだ! ってことで、またばたばた。
 山上館に泊まるつもりで予定していた資金が余ったんで、それはまた次回の旅行にでもプールしておきましょう。

 とまあ、いろいろがんばって組んだ旅行だったわけだよ、緑野家。

 なのになのに、前日から幹事のわたしは、じんましん発病!
 温泉どころの騒ぎじゃない。

 今さらキャンセルできないので、予定通りオーシャンアローに乗って旅立ったけれど。
 ……トラブル連続の旅でしたよ、まったくもー。

 とゆーことで「リベンジ、山上館!」はまだ有効だなあ。
 またいつか、チャレンジする日も来るでしょう。

 

草原のキリン。

2003年7月8日 家族
 病気になると、叱られる。
 病気になる、=自己管理がなっていない。つまり、本人が悪い。
 ケガをしても、叱られる。
 ケガをする、=不注意。つまり、本人が悪い。

 ええ、ええ、その通りさ。わるいのはわたしだよ。
 でもなあ、熱出してふらふらしているときに、だらだら説教だの嫌味だのは勘弁してくれよー、ママン。

 ムラに行くたび風邪をもらってくるのは、劇場に保菌者がいるせいだと思う。
 だけど、いくら保菌者がいるところに出かけたって、感染する人としない人がいる。
 それはやはり、自己管理の問題だろう、わたしの場合。
 免疫力が低下しているために、ふつーの人が平気な場合でも、簡単にウイルスの侵入をゆるしてしまうのだと思う。

 そして、いつものよーにわたしは、風邪を引き、熱を出した。

 それでも、目の調子は悪いままだ。
 痛痒くて泣けてくるので、ふらつきながらも眼科へ行ったさ。風邪は2、3日寝てれば治るが、目は治りそうにないから。『血と砂』のころからわたし、目が変なのよー。定期的にものもらいができるのよー。

 前に行った眼科は、友人諸氏に話したところ「ヤブなんじゃない、そこ?」とさんざん言われたので、ちがうところへ。
 症状的には以前と同じ(よりひどくなっているが)だったのに、今度のお医者さんはまったくちがう薬を出してきたよ。
 そして、以前かかった医者よりはるかに安くついた。いや、前が高すぎたんだと思うけど(周りから「それ変」とさんざん言われた不自然な高額ぶり)。

 これで治ればいいんだが。
 問題は、「当面コンタクトレンズ使用禁止」と言われたことさ。
 あ、あの、星組の初日があるんですけど。立ち見でチープに、作品とキャスティングだけを確認するつもりなんですけど。
 コンタクトレンズ禁止ってことは、オペラグラスも使えないってこと。
 うわああぁぁぁん。

 病気になると、叱られる。
 嫌味を言われる。
 周囲に迷惑をかけるわけだから、責められても仕方がない。
 だが、できることなら、治ってからにしてほしい。
 つらいときに追い打ちをかけられると、さらにつらい。
 ……それがいやなら病気になんかなるな、たわけ者め、ということだが。

「草原のキリンなら、あんたはとっくに死んでるわ」
 と、母は言う。
「病気になるってことは、群れに置いてゆかれるってことよ。群れからはぐれたらもう、生きていけないわ。そうでなくても、ライオンが襲ってきたときに走れないようじゃあ、おしまいね。あんたはとっくに死んでるわ」
 今回の母のお説教は、動物界の摂理バージョンでした。自分の不注意で病気になるなんて、動物以下のイキモノだということです。

「よかったわね、人間で」
 と、母は言い捨てます。

 虚弱は罪悪。ママは弱い者が嫌い。
 体調を崩すたびに、針のむしろ。
 あー、草原のキリンかあ。
 たしかに、わたしがキリンならもう生きてないかもな。弱いから。
 そして、こんなに強いママから、こんな弱いわたしが生まれたことも、ちと不思議だぞ?

 ちなみにママは、わたしの知る限り病気になったことがほんの数回しかありません。
 すげえよ。30年間に寝込んだ回数が、ほんの2、3回なんだよ。
 健康な肉体も驚異だが、それ以上に賞賛されるべきなのは、彼女の強靱な精神でしょう。徹底した自己管理。心の強さで、身体を律するのですわ。
 わたしも心が強ければ、こんなに簡単に病気にはならないのでしょう。ママがわたしを叱るのは、わたしの「心の弱さ」ゆえでしょう。
 しかし。
 心の弱い病気のキリンを叱っても、さらに病気が重くなるだけのよーな気がしている……つーか、だらだらお説教されているうちに、熱が上がったよーな。

 

1 2 3 4

 

日記内を検索