宙組トップスターお披露目おめでとう、かしちゃん!!

 はるばる博多まで駆けつけました。
 ファンならとーぜんだよねっ。トップスターお披露目公演初日だよ? 国内ならまず駆けつけるよね? 聞いたこともない地方公民館ぢゃないよ、定期公演やってる設備の整った美しい劇場・博多座だよ? 駆けつけてとーぜん……。

 何故、初日チケット売り切れてないの??

 何故、当日券並びに誰もいないの??

 前もってチケット用意していたけど、もっといい席が手に入らないかしら、と張り切って当日券に並んだんだ、博多座の。

 …………わたしひとりでした、並んだの。
 えええっ?!
 もう当然、わたしより先に何人も並んでいるもんだと思っていたの。だから、劇場前が閑散としてるのを見て、「並ぶ場所、まちがえてる?!」って不安になって劇場周辺探しちゃったよ……。
 朝8時半を過ぎてから、よーやく次の人(ふたり組)が来てくれたけど……。
 その人たち、去年も初日に並んでいた人たちでね。つまり、かしちゃんファンだとか宙組ファンだとかぢゃなくて、博多座初日には必ず来る人たちみたい。「去年もお会いしましたね」って和んじゃったよ……。

 結局、当日券に並んだのはわたしと、常連さんふたり組の、計3人だけ。
 だ、誰も来ないの?
 そうか、お披露目初日だもん、完売が当然で当日券なんか出るわけナイとみんな思っているんだな、と納得して「チケット販売状況一覧表」を見ると。

 ……売り切れて、ナイ。
 絶賛発売中かよ?!

 どうしてえ? お披露目初日だよおおお?!! かしちゃんおめでとー!な気持ちだけで駆けつけるもんぢゃないのおー?!
 記憶に新しいとこでいうと、梅芸のあさこお披露目だって「初日だけ」は超チケ難だったよお?!

 自分がチケットを押さえた段階で発売状況に興味をなくしていたわたしは、はじめて見る「現状」に呆然でした。
 いや、博多座公演が「売れてない」とは聞いていたけどね……他日程はともかく、初日と楽は売れるものだと思っていたし、楽が売れるのはみんなの力だけど、初日の売れ行きはトップお披露目のかしちゃんの力だと思っていたからさ。

「武田鉄矢より売れてませんねぇ(笑)」
 一緒に並んでいたおねーさんたちは、この「現状」をにこやかに一刀両断する。
 宝塚歌劇公演と次の武田鉄矢主演公演のチケット販売状況一覧表が並んでるもんでさ……ふふふ、一目瞭然(泣)。

 
 そーなんだ。
 コンサートの売れ行きを見てもわかるけど、みんなかしちゃんのことは「わりと好き」あたりなんだよね。
 「近くでやっていたら、見てもいい」「予定が合えば、見てもいい」であって、遠征したり、平日に無理をして休みを取ってまで見たい人じゃない。犠牲を払ってまで追いかけたい人ぢゃないんだよね……。
 熱狂的ファンは少ないけれど、「ふつーに好き」な人は多い。こ、こーゆー人は「便利ないつもの劇場」で「白くアクのない主役」を演じていれば人気が出るもんなんだ。そ、そーだ、かしちゃんはこれからの人さっ。
 と、自分を鼓舞してみる。
 

 さて、宙組博多座公演『コパカバーナ』

 かしちゃんは、真ん中が似合います。

 ファンの欲目もあるだろーけどさ。
 真ん中に輝く白い光、つーのは、必要だよ。

 とにかくきれいなんだ、スティーヴン/トニー@かしげ。
 登場するなり、「あっ、きれいだ」と心が浮き立つ。

 最初のスティーヴンのとき、なんだか演技にクセがあるというか、ねばっこい感じがしたんだけど、杞憂だった。話が進むと、いつものかしちゃんに戻った(笑)。
 最初は力みすぎてたんだねー。

 サマンサ/ローラ@るいちゃんとの並びもきれい。
 少女マンガの世界がソコに。

 タニちゃん、らんとむ、あすかちゃん、ともちと、みんなみんなきれいで、ナニ組を観ているのかさっぱりわからないが、とにかくきれい。すごーくトクした気分になる。

 
 かしちゃんが笑っている。
 目を線にして、るいちゃんにおでこをくっつける勢いで笑っている。

 それをこの目で見ることが出来ただけで、しあわせ。
 うれしくて幸福で、泣けてくる。

 るいちゃんが、信頼した目でかしちゃんを見つめてくれている。

 それをこの目で見ることが出来ただけで、しあわせ。
 うれしくて幸福で、泣けてくる。

 ひどい政略結婚だったけどさ。
 それでもふたりがしあわせなら、それでいいんだ。
 祝福するよ。見守るよ。
 しあわせになってくれ。そして、宙組を盛り立てていってくれ。

 この笑顔を見るためだけに、わたしは博多まで来たんだ。

 
 星組からの続演で、やっぱりかしちゃんは地味だし(笑)、宙組も宙組ファンも星組に比べて地味でおとなしい。
 客席のテンションの低さにちと面食らいつつ、それでもスタンディングで拍手する。
 ……星組が変なんだよね。あそこはアツすぎる、なにもかも(笑)。

 
 おめでとう、かしちゃん。
 これからも応援するからね。


 三木章雄はセンスのない人だと思う。
 『コパカバーナ』、星組版のとき、すでにそれは露呈しきっていた。
 日本語の芝居として、タカラヅカとしてありえない破綻を抱えながら、それでもキャラクタのハマり具合とキャストの力技で星コパはなんとかなっていた。
 それを、宙組に移行するにあたって。

 彼は、なにがしたかったんだろう?

 トニー@かしげとローラ@るいちゃんはいい。主演コンビは真っ当にラブストーリーを演じられるだろう。
 リコ@タニは……ええっと、まあ、なんとでもなるだろう。コンチータ@あすかちゃんは続演だから問題なし。

 問題は、3組目のカップル、サムとグラディスだ。

 『コパカバーナ』は二重構造でオチつきの物語だ。
 一人二役を完璧にこなせる人たちが演じなければならない。
 この一人二役を完璧にってのは、「演じ分ける力」というだけのことではない。ぶっちゃけ、演じ分けなくてもいいんだ。どちらかというと、逆。

 別の役だけど、同じ人だよね?

 と、観客に思わせなければならない。
 衣装やカツラを変え、立場や年齢が変わっていても、「同じ人がやっている」とわからせないと。

 タカラヅカ初心者は口を揃えて言う。「みんな同じ顔だから、誰が誰かわからない」「登場人物の見分けがつかないから、話の筋がわからない」「衣装が次々意味もなく替わるから、余計混乱する。なんでいちいち着替えるの?」
 それでも主役と相手役くらいは「なんとなくわかる」から、団体客のおっちゃんおばちゃんも物語について来られるんだ。
 髪型が変わっても衣装が替わっても、一見さんに見分けてもらう力。脇役はAとBが入れ替わっていてもわからないが、主役と脇が入れ替わっていたらわかる。
 今回の場合で言うなら、かしちゃんはボーイの制服を着て給仕をしていても、「あれ?あの人主役やってる人だよね?」とわかるってこと。
 でもボーイAとボーイBが入れ替わって給仕をしていても、一般客は気づかない。
 コパガールCとコパガールDが立ち位置を入れ替えて踊っていても、気づかない。
 スター力というもの。
 どこにいても「あの人、メインキャストだ」とわからせる力。
 それは歌だとか踊りだとかという技術とは、ちょいと異なる特別の能力。もちろん後天的に取得する技術でもあるけれど。

 二重構造でオチつきの物語である『コパ』では、メインキャストにこのスター力が必須。

 オチの部分で、ふたつの世界が融合する。別人のハズのキャラクタが、リンクする。
 出てきた瞬間に「同じ人? 別の役? あれれ?」と観客を混乱させなくてはならない。

 宙版サムとグラディスは、この構造の構築に、失敗していた。

 
 グラディス役は何故、美風舞良ちゃんだったのだろう?

 うまい人だしキュートだということもわかる。サム@らんとむと同期だから組ませやすいというのもあるかもしれない。
 しかし。

 グラディス役としては、チガウだろ。

 彼女では「スター」として「一人二役」をこなせない。
 真ん中教育を受けてこなかった彼女は、ライトを跳ね返す力に欠けている。……今は。将来どうなるかはわからないけれど、今この時点では。
 オチの部分が、彼女ではまったく活きない。

 そもそも、キャラ立てがチガウのだ。

 グラディスは元コパガールで、人生経験とハッタリを重ねた頼もしい「おねーさん」だ。小娘ではない。
 まいらちゃんのグラディスでは、彼女が語る「アタシはコパガールよ!」の歌が、全部嘘に聞こえる。
 今はおばさんだけど、たしかに若いころは大富豪だの王子様だのを足蹴にして吠えていた高慢なコパガールだったのかも、と思わせる迫力が必要なんだ。
 そのへんのショーガールと差異のない、オーラのない「ふつーにかわいいよね?」程度の女の子が吠えてみせても、「ぢゃなんでアンタ今、そんなに平凡なの?」ということになる。
 グラディスの語る「栄光のコパガール時代」は多分に嘘くさいけど、「嘘だとしても信じたいファンタジー」としての魅力がなきゃダメだよ。
 まいらちゃんのグラディスは、なんなの? おばさんなの? ふつーに若くてかわいいけど? じゃあなんで今、コパガールじゃないの? 

 最後のオチの部分で、星版ではサムもグラディスも「そのまんま」で登場したのに、宙版ではふたりともわざわざ「老けて」登場する。
 つまり、物語部分のグラディスは「若い」という設定なんだろう。

 何故?
 物語部分と現代部分が「そのまま」リンクするから「オチ」になるのに何故、ソレをぶち壊す?

 しかも、グラディスが「若い」と彼女のキャラクタが崩壊する。ローラに説教し、励まし、世話を焼く「先輩」としてのキャラが壊れる。

 何故、グラディスを壊した?
 何故、物語を壊した?

 なにをしたかったんだ?

 
 サムもまた、キャラクタを壊されている。
 わざわざ「サムの息子サミー」という別人にされている。
 「ライナスの毛布」を肌身離さず持っているガキンチョ。カラダは大人だが、中身は幼児。
 「こんな人いるよね?」というコメディ枠を超えて、「こんなヤツいねーよ」のギャグ枠。
 ただ笑わせることだけを目的としたキャラ設定、言動。

 サムがあまりに幼児でギャグキャラなので、グラディスとの「恋愛色」が消えてしまった。
 
 グラディスとサムは、オチ部分で「夫婦」として登場する。
 恋愛色の消えたこの構成でソレをやられても、意味がない。オチにならない。

 何故、サムを壊した?
 何故、物語を壊した?

 なにをしたかったんだ?

 
 理由の見当は付く。

  
 らんとむの役がない。
 

 コレだけだろ、理由?
 たったこれだけの、あさはかな理由で、なにもかも壊したんだよな?

 花組のバリバリ路線男役、御曹司らんとむの演じる役がない。
 組替え直後の公演だ、扱いは落とせない。
 タカラヅカのタカラヅカらしい理由で、らんとむになにかしら役を付けなければならなかった。

 そしてすべてを、台無しにした。

 どこまでアタマ悪いんだ、この演出家。溜息。

 
 らんとむに「路線男役」としての面子を潰させない扱いでサムを演じさせるなら、脚本全部作り直す必要があった。

 サムが毛布を握りしめたガキでなければならないというなら、それに合わせて全部作りかえないと。
 まず、最後のオチの「親」というのはやめる。
 「そのまま」のガキで登場させられる、サマンサの兄だとか弟だとかにするしかない。そうして毛布を持って、うっとりさせるしかない。……「親」としての登場より、確実にインパクトは落ちるが仕方ない。

 それから、グラディスと恋愛させる。
 幼児程度のーみそのサムと、若い女の子のグラディスだが、それでも見ているモノにわかるようにラヴを入れなきゃ。
 でないとオチでサムとグラディスがカップルで登場できない。

 グラディスがコパガールを辞めた理由を作る。もしくは、彼女もまたコパガールにあこがれて、でも結局なれなかった女の子という設定を作り直す。
 おばさんだったら説明しなくても「トシのせいで辞めたのね」とわかるけど、「サムとも長いつきあいなのね」とわかるけど、若い女の子設定なら、全部一から作って説明しないと。

 ローラに対して「姉」のように導くのではなく、「夢を追う同志」として「親友」として存在させる。

 ここまで作りかえないと、「サムの息子サミー@のーみそ幼児」を使えない。
 それをなにもしないで、ただ「あさはかに笑いを取る」目的でサムを幼児にして、「ハゲオヤジ役ぢゃないから、路線に相応しいだろ」という理由で、らんとむに演じさせる。
 サムの年齢に合わせてグラディスも若返らせ、あとは全部、もとのまま。
 物語が壊れているのに、キャラクタが壊れているのに、オチが壊れているのに、おかまいなし。

 演出家、バカですか。
 つか仕事しろよ。

 パズルと一緒なんだから、勝手にピースをいじったら、他も調整しないと1枚の絵にならないっつーの。
 バカじゃないなら、手を抜いたとしか思えない。


 ぶっ壊れた宙組『コパカバーナ』

 壊れた理由は、らんとむに立場に相応しい役を付けるため、だろうと思う。
 では何故、サムは幼児でなければならなかったのだろう?

 大人の男では、ダメだったのか?
 路線男役なら、しぶい大人の男を演じてもおかしくないぞ?
 ハゲにさえしなければよかったんだろう?

 これがもう、センスのなさだと思う。
 理由は、「笑いを取るため」だと思うから。
 二枚目男役が、のーみその足りない幼児役をやる。滑稽な声で滑稽な言動を取る。それで笑いを取ろうというのだ。
 溜息。

 サムのキーポイントを、ハゲとカツラではなく「ライナスの毛布」にする。これはべつにいい。
 だが。

 ふつーにおっさんでいいじゃないか、サム。横柄で頑固なおっさんだが、毛布を失うとパニックを起こす。毛布に顔を押し付けてニコォっとし、はっと周囲を見て元の威厳を取り戻そうとする。
 らんとむなら、本気でうさんくさくもかっこいいおっさんを演じられただろう。
 リコ@タニちゃんとの「とっちゃん坊や対決」も見物になったはずだ。

 とことんエロに、うさんくさくもかっこよく。
 そして毛布のギャップで笑わせる。

 リコとのキャラかぶりが心配なのかもしれないが、大丈夫、タニちゃんが誰かとかぶるワケがない。
 リコはものすげー真面目キャラぢゃん。トウコはともかく(笑)、タニちゃんのリコは真面目だった。抜くところのない真面目でクールなリコと、毛布ネタで笑わせまくるサムでいいじゃないか。

 サムがおっさんなら、オチをいじる必要もない。ちゃんとサマンサの「親」でいい。
 頑固オヤジとして登場し、ジャケットのポケットからのぞいている毛布にスティーヴンが反応する。……これでなんの問題もない。

 サムがおっさんなら、もちろんグラディスだっておばさんだ。設定をいじって「ローラを応援する若い女の子」にする必要もない。
 元のまんまでいい。

 ただ、キャスティングは変えよう。
 まいらちゃんでは若い若くない以前に、オーラがなさすぎる。

 グラディスはローラやトニーの「人生の先輩」でなきゃダメだ。かっこつけたらんとむサムに負けないだけのアクの強い、そこに立っているだけで「あのおばさん、タダモノぢゃない」と思わせるキャラじゃないと。
 専科のシビさんだとか、ちと若いがまゆみ姐さんだとか、それクラスの女傑を持ってこないと。
 宙コパ出演者内でまかなうなら、すっしーかともちがやってもよかったよ。

 どっちも女に見えないかもしれないけれど(笑)、だからこそ「若いころはさぞかしブイブイ言わせたんだろうな」という迫力になるだろー。

 個人的にはともちで見たい。チュチュ型ワンピースを着た、悠未ひろ。
 その脚を見るだけで、そのでかさを見るだけで、「このおばさん、若いころはさぞかし……」と思わせることだろう。

 大丈夫、らんとむならともちが女でも、ふつーにカップルに見えるだけの包容力があるよ。ドーンと任せなっ。

 ラストのオチも、現代のふつーの夫婦、としてらんとむと女ともち@キャリア風パンツスーツ姿、が出てきたら、かしげぢゃなくても後ろにぶっとぶって!! インパクト強すぎ!! アレがボクのお義母さんですか! うひゃー!! てなもんで。

 
 てかふつーに、グラディス@らんとむ、ハゲオヤジサム@すっしーにしておけば、いちばんなんの問題もなくスライドできたのにな。

 グラディスは重要なキャラクタだから、「組替えできた御曹司」にやらせても問題のない役なのに。
 おつむの足りないボクちゃんで、笑わせるためだけにおつむの足りない演技をさせる今のサムより、よほど、面子の保てる役だろうに。
 フィナーレで一箇所だけ、「男役」としてかっこつけて登場させればそれで問題ナシだっつーの。

 演出家にセンスがないと、なにも考えていないと、こーなるんだなー……。はー……。

 宙版として手を加えたところが見事に全部壊れているので、目眩がしたよ。

 ただそのまま翻訳したんだろうな、といういびつな星版もアレだったが、宙で続演するにあたり演出家が余計な手を加えたら、そこだけさらにぶっ壊れるとは……。
 なんのためにいるんだ、演出家。

 ま、それはともかく。

 
 漢らんとむの、膝小僧萌え。

 
 アホウなボクちゃんキャラだが、それゆえのショタコン衣装に萌えておこう。

 しかし蘭寿とむでショタって……。三木章雄、悪食。


 作品は壊れていたけれど、それでもまあ、観られる範囲だろう、宙組『コパカバーナ』

 スティーヴン/トニー@かしげは、納得の美しさと破綻ない実力で主役をつとめあげた。
 ちと地味な気はするが、ギラギラしてればいいってもんでもないんだろう。
 きれいで誠実で、そして愛がある。
 ワタさんを見たあとだと温度が低いのが気になるが、あのナチュラル高温男と比べても意味ないだろう。
 かしちゃんの「ぬるさ」は彼の持ち味であり、魅力だと思う。ぬるま湯だからこそ、安心して長時間浸かっていられるというか。じわじわとあたたまってくるというか。
 ……薄いけどな。いや、髪の毛のことぢゃなくて。

 
 ローラ@るいちゃんは、ふつーだった。
 てゆーかとなみちゃんのローラが、どれほどふつーではなかったかということだな。

 あれえ?
 ローラがバカキャラじゃないー。
 空回りしているふつーの女の子だー。

 えーと。
 かしちゃんトニーには、るいちゃんローラが合っていると思った。
 ふつーだからこそ、薄いトニーに似合う。あの暴走とにゃみを受け止められるのは、やっぱ漢ワタさんだよ……。

 ふつーに少女マンガなんだ、るいるい。
 等身大の女の子。

 サマンサの方はとくに違和感なし。眼鏡はあんまし似合わないかも(笑)。

 
 ある意味とても興味深かったリコ@タニちゃん。
 えーと、年齢設定は謎ですね? トニーたちの親世代のようですが、見た目は若い。
 とても端正な、抑えた演技。「気を抜かない」演技だと思った。でもその存在は謎。浮世離れしまくってる。
 てゆーか、ナニ考えてんのか、わかんない……(笑)。なにも考えていないよーにも見える。リコは「悪役」「障害」というわかりやすい型キャラなので、わかんなくてもきれいで、華があればそれでヨシ。
 そーいや歌、うまくなったよね。覚悟して(期待して?)聴いたのに、べつにヘタぢゃなかったわ。もちろんぜんぜんうまくもないけれど。
 ちょっと残念(笑)。

 オチ部分の車椅子のリコが、すごいかわいい。なんなのあのセンターパーツ。タニちゃんの「かわいこちゃん青年ヘア」ってすっごいひさしぶりで見た気がする。
 タニちゃんと安達祐実ってわたし的にけっこーイメージかぶるんだけど、「大人になりたい」「大人だと認めて欲しい」と無理をして、せっかくの自分の持ち味を壊しているのがもったいない。他の人には真似できない武器を持っているのに、それを自分で否定して、他の人がふつーに持っているモノを欲しがっている。
 タニちゃんがタニちゃんだけの武器で勝負していたころを彷彿とさせてくれた、センターパーツでかわいこぶるリコ。いいなあ、こーゆータニちゃんにまた会いたいよー。

 
 コンチータ@あすかちゃんは、星版に引き続きいい女。
 深刻芝居が映えるアクトレス。
 タニちゃんとはあまり合っていない気がする……。濃さというか存在感というか、ぶっちゃけ演技の質というか。

 
 サム@らんとむは、うまいよなー。
 のーみそ足りないボクちゃんを熱演。
 二枚目シーンが皆無なのがつらい。ギャップで笑わせてくれないと。ずーっとただのバカなんだもん。まやさん演じるハゲオヤジの方がまだ二枚目って、演出絶対まちがってる。

 初日はキャラのとんでもなさに客席が引いて、「笑っていいの?」「笑うモノなの?」というとまどいが舞台にも伝わったんだろうなあ、らんとむの緊張もまた伝わり返ってきて……大変だー。
 尻上がりに役者も観客も慣れて、キャラをたのしめるようになったけれど。

 漢湖月わたるの後を継げる、ホットな漢蘭寿とむ。飛翔を期待する。

 
 グラディス@まいらちゃんは、かわいかった。歌もきれい。
 ただアクがなさ過ぎて、存在が謎。
 ふつーのかわいこちゃん、ぢゃダメな役だからなあ。かといって、この役を完璧に演じてしまったら、タカラヅカの娘役としての寿命を削りそうな気がする。専科一直線というか。
 ミスキャストなんだろうなあ。罪なことをする。

 
 スキップ@初嶺麿代。謎。
 宙組でのはっちゃんの役付は、いつも謎だ(笑)。
 はっちゃんに対してどうこうというより、純粋に役付が謎だ。

 宙組プロデューサーが川で溺れたときに、はっちゃんが飛び込んで助けた、命の恩人だから役付がいいという噂は、ほんとうかしら……。(嘘です。信じないよーに)

 オカマではなく、ふつーの人だった。
 ふつーにかっこつけてる、ふつーの振り付け師。だからさらに謎。

 
 ウィリー@ともち。
 ヘタレ男。てゆーか、でかい。

 なんだか、ともちのでかさが、悪目立ちしている気がした。
 かしちゃんもタニちゃんもらんとむも、すっしーもはっちゃんもべつに、大きくないからなー。
 脇の若者たちは大きいけれど、真ん中はふつー。
 そこにまざるともちは、ひとりだけでかかった。

 ちょい猫背気味に、キョドりながらまざっている感じ。
 ヘタレててかわいいんだけど。
 ダンスシーンでもっとギャップを出して色男になってほしかったのに、それほどでもない気がして。
 もともとの組子なのに、借りてきた猫っぽいのが不思議。

 ともちともちともち。がんばってともち!

 
 あとは暁郷を見て、春風弥里を見て。
 うきょーさんとタマちゃんと八雲氏を見て。
 いづみちゃんを見て、対で踊っているのは誰かとしばし考える。いつものことだが、誰が出ているかも調べてないからさー。考えて考えて、ひょっとしてまちゃみ?!と驚愕する。マジでわかんなかったよ……。
 

 まだ、自分がナニ組を観ているのか、本能の部分で理解していないんだと思う。
 TCAとか、特別な公演を観ている感じ。

 だけど新生宙組、きれいできらきらしていて、たのしそう。
 続演だけど星組と比べて地味で薄い(笑)のも、宙組的には正しいことなんだと思う。

 これからがたのしみだ。
 もう変な組替えとかなく、今あるものをおちついて観ることができますように。
 観客だって、慣れるのに時間かかるんだよー。組を理解し、愛着を持つまでに時間かかるんだよー。
 その時間をください。


 お願い、ここにいて。
 どこへも行かないで。

 かなしいのは、その祈りが届かないことを知っていること。
 不可能だと知っていること。

 出会いは偶然、別れは必然。

 あのね、わたしたちは、必ず別れるの。
 わたしたちは、必ず失うの。

 すべて。

 出会ったすべてと別れる。
 得たすべてを失う。

 どれほど愛しても。
 どれほどの過ちも。
 美しいものも醜いものも。
 等しく。

 繰り返される物語。
 どこにも行けない、ここにいることもできない男と、彼を愛した女の物語。
 空洞を抱えたまま、南へ向かう男と、残される女の物語。
 場に満ちているのは破滅と悲しみなのに、清浄で静かなんだ。
 どこかで見た、だけど新しい物語が、いくつものキーワードを含み、乱反射する。

 痛みが降り積もっていく。
 繰り返される物語。繰り返される痛み。

 お願い、ここにいて。
 どこへも行かないで。

 叶うはずのない祈りだけが、宙に浮く。

 お願い、ここにいて。
 どこへも行かないで。

 繰り返し祈り、繰り返し裏切られる。

 お願い。
 お願いです。

 ここにいてください。

 祈りと同じ重さの絶望が返る。
 絶望するためだけに、祈り続ける。

 傷付くためだけに、愛し続ける。

 救われないまま。

 仕方がない。
 わかっていて、愛したのだから。
 
 出会ったすべてと別れる。
 得たすべてを失う。

 見ないふりで生きてきた、気づかないふりで生活していた、悲しい嘘をあばきたてて。

「拍手って、飛べない鳥のはばたきのようだね」
 −−昔、愛しい少年が口にしたつぶやきが、今も胸の奥にくすぶる。


 愛した人を失ったことがある、すべての人へ。

 オギー最新作、コム姫主演バウ公演『アルバトロス、南へ』

 1部はコム姫出演作をコラージュしたショー、2部が同じ手法の芝居で、4つのサブタイトルのある「物語」。
 そのうちのひとつに、コラージュではなくまったくのオリジナルとして「アルバトロス、南へ」がある。
 オギー芝居、そして朝海ひかるというオギー役者を、周囲を気にせずつきつめてくれたシーンだと思う。オギー芝居と合わない人はここで爆睡するみたいだ(笑)。
 そのシーンを含み、過去のコラージュと現在と未来を万華鏡をのぞくように「物語」がつづられる。
  

 この物語が「痛い」のは、記憶に訴えかけるためだと思う。
 生きていれば、どんな人でも「別れ」を経験する。精神的な別れも、物理的な別れも。
 美しい記憶に昇華されていても、今別離の苦しみのなかにいるとしても。
 誰もがみな、一度は泣いたことがあるはずだ。
 失うことに。

 コム姫の過去の舞台をコラージュしながら、描かれ続ける「喪失」。
 「過去」の断片を使って「現在」の新しい物語を作り、今現在の別れを物語として描きながら、やがて来る「未来」のコムとの別れを暗示する。
 その手腕の秀逸さ。

 ただコム姫との別れを思って泣いていたはずだったのに、毒はいつの間にか魂に浸透する。

 コム姫との別れもつらい。
 もちろん。
 直接、その痛みに泣くさ。

 でも。

 それだけで、とどまらなくて。

 何故コム姫と別れなければならない?
 こんなにこんなに、想っているのに。

 「今」を愛しているのに。
 「過去」を愛しているのに。
 「未来」を愛しているのに。

 何故、「今」は過ぎ去り、「過去」は触れることが出来ず、「未来」は失われるのか。

 そこにあるのは、普遍的なモノなんだ。

「タカラヅカの男役スターが退団する? それで泣いてるの? バッカみたい」
 ……って、それはその通りなんだけど、それだけぢゃなくて。

 わたしがコムを失うという事実は、わたしが出会ったモノといつか必ず、すべて失う・別れる、という事実と、同じなんだよ。

 それがコムでなくても。
 他の誰かでもいいさ。
 母親でも恋人でも夫でも、息子でもいい。
 家でもいいし、宝物でもいいし、記憶でもいいし、自分の腕や脚、目でもいいさ。

 そこになにをあてはめてもいい。
 普遍的なものなんだよ。

 繰り返し繰り返し、『アルバトロス』で描かれる「喪失」と「絶望」は。

「タカラヅカ興味ないから、退団が悲しいとかわかんない」
「コムキライだから、やめてくれてぜんぜんかまわない」
 とか、そーゆーことですらなくてな。

 コム姫を失う、別れる、置いていかれる。
 この物語を、ただそれだけの想いで、うつくしいものとして観ていたら、もっともっとチガウ、ヤヴァイものに魂を浸食されていたんだ。

 
 愛したものを失ったことがある、すべての人へ。
 
 「喪失」の痛みを知っている人へ。

 どうか、この物語に触れて欲しい。
 痛くて痛くて痛くて。
 立ち上がれないくらい痛くて。

 だけど、それだけぢゃないから。

 それほどに「痛い」と思えるくらい、「愛しい」ものを持つことに、誇りを持って。

 なにも愛していなければ、こんなに痛くない。
 「喪失」なんかこわくない。

 この物語を観て、「痛い」と思った、その心を愛して。

 
 誰かを、なにかを愛したことのある、すべての人へ。

 いつかは消えてしまうこの心ごと、魂ごと、愛し続けたい。


 あいかわらず、なんの予備知識もなく観た。
 芝居なのかショーなのか、なにも知らない。
 わかっているのは『アルバトロス、南へ』というタイトルと、出演者だけ。

 ハマコ、キム、いづるん、ゆめみちゃんとゆー出演メンバーを知ったとき、興奮したねー。オギーのお気に入りばっかぢゃん!!と。
 オギー世界を表現しうる舞台人を集めましたか、そうですか。有沙姉さんと舞咲りんちゃんが過去のオギー作品でどういう使われ方をしていたかわたしの記憶にないんだけど、有沙姉さんはコム姫の同期だからそーゆーことだろうと納得。
 6人の共演者のうち、4人までが確実にオギー系芝居のできる人だよ。期待するでしょそりゃ。

 構えて観た、青年館初見時。
 1部のショーは正直言って、肩すかしだった。
 あ、なんだ、こんなもんか。
 過去のコム姫出演作品を細密につなぎあわせ、オシャレでたのしい小品として再構築。うまいと思うし、鋭さと甘さ、かろやかさのなかにわずかな棘、と絶妙に作ってあることには感嘆するよ。
 でも。
 わたしはすっかり身構えていたから。
 「オギー×コム」(受攻ではナイ)なら、そしてハマコ、キム、いづるん、ゆめみなら、どれほどオギー全開の痛いものを持ってくるかと、警戒しまくっていたのね。
 なんだ、こんななんだ。ぜんぜんふつーの範疇じゃん?
 映像の使い方や、要所で輝くコムのダンス、「鳥」「旅」「羽ばたく」「旅立つ」など美しく痛いモチーフは随所にちりばめられているけれど。
 純粋にコムのダンスをたのしみ、お別れを惜しめばいいのかー、とぼーっとしていたところに、最後に『銀の狼』がキて、胸を突かれたが。
 朝海ひかる、という舞台人のハマり役は、そして代表作は、よりによって全国ツアーでやったシルバ@『銀の狼』なんだなあ。本拠地公演ぢゃないから、観ることができた人が通常より少ないだろうに……そんなイレギュラーぶりも、コム姫らしいなと思ってみたり。

 あの痛くて美しい物語、『銀の狼』のコーラスが流れ、「うわっ、キたか!」と身構えたところに、「かわらぬ想い」@『ブラックジャック』が来た。この構成には、うならされた。絶望の入口を見せておいて、希望に続けるの。
 よかったー、「かわらぬ想い」だー、人間肯定のあたたかい歌だー、と安心させておいて。
 最後の最後、幕が下りる寸前のメロディは『銀の狼』なの。
 ……持ち上げたくせに!
 ほっとさせたくせに!
 最後に突き落とすのかよ!!
 しかもメロディだけだよ。言葉に頼らず、言葉で判断させず、これがなんのメロディなのか、どういう意味のメロディなのかを知っている人間だけを、奈落へ叩き落とす。

 ほっとした直後だっただけに。
 ラストのどんでん返しに硬直した。

 呆然としている間に、幕が下りるし。

 ……ラストのどんでん返しは、すごかったけど。明るくおしゃれな作品だっただけに、ラストの毒でトドメ刺されたけど。
 それでもなお、肩すかしだったんだ。

 オギー×コムだよ? 『パッサージュ』ぐらいはやってくれるだろうと思っていたから。
 『パッサージュ』を再現しろと言っているのではなく、『パッサージュ』レベルという意味ね。
 『パッサージュ』を観たあとわたし、マジで立てなくなって大変だったからなあ。駅で倒れて、道で倒れて。ヨッパライにからかわれ(夜に倒れていると、ヨッパライ女だと思われるらしい)、親切な人に助けられ、ヨボヨボになって家に帰り着いたなー。

 それくらいの破壊力を期待していたから。
 1部が終わって、「なんだ、ぜんぜんふつーだ」と思った。
 これはこれでいい舞台だけど……『アルジャーノンに花束を』を観たときと同じかな。すばらしいクオリティだけど、「それだけ」だ。
 わたしが求めていたモノではない。

 なんの予備知識もなかったから。

 2部がはじまり、「芝居」であることにおどろいた。
 あ、なんだ、芝居あるんだ。1部がショーだから、もう芝居はやらないんだと思ってた。

 2部構成なら、どーしても2部がメインで、1部が前座になる。
 わざわざショーを前に持ってきたのは、「芝居」をメインにしたかったからだ。
 本領を発揮するのは、この「芝居」の方だ。

 コムちゃんだから、てっきり「ショー」がメインだと思っていたから。
 「芝居」か。「芝居」なのか。

 「物語」を見せてくれるのか。

 
 そして。
 この「物語」が、すごかった。

 「朝海ひかる」というファンタジーの魅力を、あますところなく見せてくれた。
 それを目的にしているよーでありながら、ゆっくりと、静かに毒を浸透させていった。

 
 「芝居」のものすごさに、正気を保つのに必死になっているところへ、だめ押しのよーに、「Holiday」@『パッサージュ』がはじまる。
 いやはや。
 たぶんこれで、息の根を止められた。

 
 作品の流れに沿って、アレはこう、コレはソレ、と感想羅列だとかシーンの読みときだとか、しよーかとも思ったけど、トシだからやめた。
 や、ほんとにもー、体力ないんですよ、ばばあだから。
 つきつめてがんばるとバテるんで、ほどほどに。

 だもんでこの公演に関しては散漫なままいきます。
 具体的なことは語らず、説明もせず、感想だけだー。なにのどこをどう語っているのか、はたして読んでいる人にわかるのだろーか。

 
 青年館初見で貧血起こして立てなくなったけど、翌日の2回目はなんとか大丈夫。よいお席だったし、素直に作品を堪能して「世界」に自分を浸す感覚を味わった。
 わたしが細胞レベルまで分解して、『アルバトロス』世界の空気と同化する。
 あのとき同じ客席にいたみなさん、みなさんが吸っていた空気のなかに、分子レベルまで細かくなったわたしがいたかもよー(笑)。

 あとは、バウホールで1回。
 残念ながらそれ以上のチケットは取れなかった。
 かしちゃんお披露目初日をあきらめれば、もう1回観られたんだけど。……わたしはかしちゃんファンでもあるんだ。生涯にただ一度きりの、トップお披露目初日を見逃すことは出来なかった。

 欲を出せば、きりがない。
 ずっとずっと、何度でも観たかったよ、『アルバトロス』。

 だけどわたしは正直こわがっていたし、疲れてもいた。

 立てなくなるよーな破壊力のあるモノを、過分に摂取するのはカラダに悪い。
 どれだけそれが甘美だとしてもだ。

 わたしはわたしを守るため、楽な方に逃げた。
 丸1日サバキ待ちをし、「これで手に入らなかったら、それを理由にあきらめよう」と思った。
 朝からバウホール前に行き、夕方までチケットを探した。開演したあとも、別日程が出ないかと探し続けた。

 本当に観たかったら、札ビラさえ切れば、観られる時代だ。
 それをせず、「タカラヅカの良心」であるサバキに懸けたのは、わたしなりのけじめだった。

 まだ観たい、と思う心を、理由をつけてあきらめさせた。
 そーでもしないと、カラダが保ちませんて。わたしもう、若くないんだから。

 まだ、大劇場公演があるんだから。
 大劇ではきっと、毒は薄められ、もっと一般的になっていることだろう。もっとわかりやすく、やさしくなったなかから、それでも「オギー×コム」らしいものを、わたしは探し、感じ、味わうだろう。
 それを味わいつくすために今は引かなければ。

 
 しあわせだなあ。
 オギーがいてくれて、コム姫がいてくれる。
 このふたりが出会って、舞台をつくりあげてくれる。
 なんて、幸運なことだろう。


「天使の夢を見たわ」
 という少女の透明な歌声ではじまる、美しい悪夢。

 天使、として描かれるのは、ひとりの美しい少年。性を超越した美しさ、重力を超越した軽やかさ。
 最初少年は無邪気に踊る。無垢という美しさ。
 壊れる寸前の、水で出来た王冠のよう。

 次に少年が現れたとき、彼はまがまがしい色に身を染めている。黒衣の堕天使として、地獄の王の僕として踊る。人間を誘惑する。

 そして、最後に。
 無垢な天使の姿で、この世のうつくしいものはかないものの象徴のように光の中に現れた少年は、泣く。
 うつくしいひかりのなかで、なく。
 そして、背を向けて去っていく。
 世界では、男と女が別れていく。恋人たちが壊れていく。うつくしいはずのものが、終わっていく。
 背を向けた少年は、重力を超えた天使ではなく、疲れた人間のようにその脚で大地を踏んで去っていく。つかれたにんげんのように、こわれたにんぎょうのように。

 そして。

 時は流れた。

 同じ白い光の中に、あのときの少年がいる。
 いや、彼はもう少年じゃない。天使でもない。
「天使の夢を見たわ」
 同じ歌が響くけれど、そこにはもう、あのときの天使はいないの。
 人間の青年が、踊っているんだ。

 すべてにおいて。

 いつかのコムの舞台なのに、コムが演じた役なのに、すべてが「今の姿」になっているの。
 なつかしい記憶と、そこにはもう戻れないことを、見せつけて。だからこそ、愛しさに胸がかきむしられる。

 時が流れている。
 決して止まることはない。

 それがいとしく、せつない。

 コムの運命を変えた『エリザベート』のルドルフだって、今演じればまったく別のものになってしまうんだね。
 「舞台」という「リアルタイム」の芸術は、なんて興味深く、そしておそろしいんだろう。
 なんて、おもしろいんだろう。

 リアルタイムで、触れて。感じて。
 過ぎて戻らないものだからこそ、「時を刻印」して。

          ☆

 ところで、阪急交通社「朝海ひかるBOXプラン」、ショボすぎ。

 『アルバトロス、南へ』のバウホール公演を、阪急交通社企画のツアーで取ると、「朝海ひかるBOXプラン」という謎の商品になり、9300円かかる。
 チケット代は7000円だから、差額の2300円の言い訳として、「朝海ひかるBOX」という「中身は、届いてからのおたのしみ♪」なおまけが付くらしい。

 自力でチケットを取る甲斐性のなかったわたしは、チェリさんからこのツアープランをひとり分譲ってもらった。
 2300円UPで『アルバトロス』を観られるなら、安いもんだ。そのうえなにか、おまけが付く……? ありがたいありがたい。わたしは「非売品」とか「レアグッズ」とか「初回特典」とか大好きな俗物だ。このすばらしい公演絡みのレアグッズが手に入るなら、それほどうれしいことはない。

 「朝海ひかるBOX」……なんだろう?
 食べ物ではないらしい。
 イメージとしては、白い小さな箱だ。
 白地に箔押しで小さく「アルバトロス、南へ」とか「朝海ひかる」とかロゴが入っている。
 中身はブロマイドとかかな。あとはしょぼいステイショナリーにロゴだけ付け加えました、程度の。下級生お茶会のおみやげレベルというか、そのあたりの小物かな。ポスター写真使い回しのポストカードとか。そこに「阪急交通社」とか、いかにも「ウチのオリジナル企画ですからね!」と自己主張文字を入れてみたり?
 まあ、公演ロゴが入っていれば、「これも記念か」と思えるから、どんなものでもいっかー。
 たしかに「参加した」とわかるもの、「時を刻印」したのだとわかるものなら、どんなにちゃちいものでもいいや。

 
 で。
 公演数日前によーやく、チケットと「朝海ひかるBOX」が到着し。
 梅田の某喫茶店で、チェリさんから受け取った。

 
 ……ショボっ!!

 「朝海ひかるBOX」つったじゃん。BOXって!!

 箱ではありませんでした。
 袋ですらなかった。

 コム姫のサイン色紙がナイロン袋にそのまま入れられておりました。
 言い訳のように、黄色いリボンがかけてある。

 な、なんじゃこりゃ。

 たしかに、サイン色紙は、まあ、うれしい……かな……。
 わたしはコム姫好きだし、コム姫のサインなんか持ってないし。
 でもぶっちゃけあんまし興味な……ゲフンゲフン。

 わたしが欲しかったのは、『アルバトロス、南へ』関連商品だ。
 だってコレ、『アルバトロス、南へ』ツアープランなんだから。

 なのにどう見たって、そのサイン色紙は、『アルバトロス、南へ』とはなんの関係もない色紙だった。

 コム姫の写真が貼ってあるけれど、『アルバ』の写真じゃない。いつかの公演のスチールっぽい。

 極めつけは、色紙に同封されていたポストカード。

 過去の阪急交通社貸切公演無料配布の、残り物でした。

 うわー……『霧のミラノ』だぁ……『ワンダーランド』だぁ……。

 色紙もポスカも、残り物かよ……っ!!

 『アルバトロス、南へ』のオリジナルぢゃないんだ。
 倉庫にあるものてきとーに詰めただけで、「朝海ひかるBOX」のできあがりかよっ。

 いやその、コム姫グッズはうれしいんですよ。わたしはグッズ好きですし。
 ただ。

 ひとめで残り物とわかるクオリティにされてしまってもな……。
 せめて色紙の写真、『アルバ』のものと貼り替えればよかったのに。いつかの「貸切公演、座席番号で抽選、縦一列同じ番号の人にサイン色紙プレゼント」の残り物であったとしてもだ。
 阪急交通社め……(笑)。

 
 つーことで、わたしの部屋には今、コム姫のサイン色紙(黄色いリボン付き)が飾ってあります。
 サイン色紙は、トドロキ(92.12.18の日付入り。サイン会に行った)のしか持ってなかったから、これで記念すべき2枚目ですな。


 『アルバトロス、南へ』初見のとき、わたしは貧血起こして立てなくなった。へろへろになりつつ、つきそってくれていたkineさん相手に、よーやく口を開いた第一声は。

「あたし、キムにマジ落ちするかもしんない」……だった。

 や、もともとキムのことは好きだったよ。
 これまで何度も語ってきたよーに。
 『さすらいの果てに』のときなんか、そこまで褒めるかヲイってくらい大絶賛カマしたさ。
 しかし。

 「好き」とか「ファン」とか、ひとことに言っても、いろいろあってだね。ダーリンとして好きだったりネタとして好きだったり役者として好きだったり、一概には言えないのだわ。
 キムのことは大絶賛カマしてその実力に感服しているけれど、ときめくことはないんだよなあ。『さすらいの果て』語りでさんざん書いたけれど。

「緑野さんにとってのキムくんは、トウコちゃんに近いんじゃないですか」
 と、『さすらい』のときにkineさんがずばり言い当ててくれた。

 そーなんだよ。
 わたしにとってキムって、トウコちゃんなの。
 役者として尊敬し、愛しているけれど、恋の対象じゃない。
 ダーリンとしてときめくことはなくても、めちゃくちゃ好き。このひとがなにか演じるなら、なにがなんでも観たいと思う。この人が舞台に立つなら、その舞台のクオリティを上げてくれるだろう、という信頼感を持つ。
 ふつーのミーハーな恋心よりはるかに、信頼し、愛している。

 もちろん、トウコとキムはまったく別の人だよ。ただ、わたしのなかでの「好き」の分類が似ているの。
 

 『アルバトロス』のキムは、ものすごかった。
 アイドルキャラとしての役目を軽々とこなし、かつ豊かな歌声で舞台を支える。
 舞台慣れと舞台度胸。仕事の的確さと、華と存在感。

 無邪気さと、生意気さ。

 若さと、老練さ。

 熱さと、冷ややかさ。

 純粋さと、邪悪さ。

 いろんなものを、あたりまえに内包する強さ。

 この子、こんなにうまくて、路線として大丈夫なんだろうか。と、危惧してしまうほどの安定っぷり。

 タカラヅカのトップスター路線ってのは、実力的にはいろいろやばいところや欠けたところがあって、周囲の実力者たちに支えられながら真ん中に立ち続ける。そーやって成長していくのを、ファンはドキドキ見守り応援するものであって。

 巧すぎると、真ん中より脇が向いているって言われちゃうものなのよー。
 大丈夫か、キム。こんなにこんなにうまくて。
 脇の実力者No.1ハマコ大先生とナチュラルにコンビ組めるほどうまくて。
 心配になってしまう(笑)。

 キムについて考えて、あらゆるものを持ち合わせた子だけど、唯一持たないモノがあるなと思った。
 身長だとかオヤジ臭い顔だとか、身体的なことぢゃないよ(笑)。
 舞台人スキルの話ね。

 この子が持ち得ない唯一のモノは、弱さだ。

 
 2部の芝居で、キムはいろんなものに変わる。
 迷彩服の兵士、ナイフ投げの男、皇太子の忠臣、スペインから亡命してきた青年……。
 彼が冷ややかにたたずめば、それだけで危険な獣に見えるし、熱く語れば誠実な人に見える。
 彼があたりまえに持つ熱は、自在に温度を変えられるのだろう。
 平熱が高いからこそ、それを消したときの冷ややかさが際立つ。

 その力強さが、心地いい。

 そう……強い。
 彼はいつも、強い人だ。
 傷つき、うずくまるときですら、それは「強い人」の挫折でしかない。彼ならきっと耐えられるだろうと思えてしまう。
 ふつーの人なら倒れて泣くだけの傷を受けても、彼なら耐えられるだろう。
 血のにじむ傷口を押さえ、立ち上がり、また歩き出すだろう。
 そう思える、強さ。

 傷の痛みは同じなのに。
 倒れて泣いていた方が楽なのに。
 それでも立ち上がってしまう、強さ。

 「弱さ」を持たない、知らないゆえの残酷さや傲慢さを、キムには突きつめて欲しい。
 その「強さ」こそが彼の「いびつさ」であり、陰影であり、見ていてぞくぞくする。

 いや、その。

 2部の芝居のナイフ使いの男のまがまがしさにヤラレました。
 なんなのあの黒さ。

 コム姫に絡んでいないときね。
 ひとりでナイフを弄んでいるとき。
 あのぶ厚い唇を歪めて、邪悪な笑みを、残酷で鬼畜な笑みを浮かべている。
 壮絶な、色気。

 キムのことは、いつもすごいと思っているよ。
 実力を認めている。華を、美貌を認めている。
 だけど、それだけだったのに。

 どうしよう、あたし、ときめいてる?!(笑)……笑うのか……

 フィナーレの『エリザベート』のトートのまがまがしさにヤラレました。

 ルドルフ@コムとトート@キムで、「闇が広がる」を大真面目に再現。
 歌の力もあるが、ソレだけに留まらず、キムが持てる力を一気に解放しているのがわかる。
 円熟期のトップスターと対峙するには、それだけのオーラを返さなければならない。
 喰らいつくすだけの覚悟を持って、大人の男ルドルフに向かう若いトートの、力。

 コム演じるルドルフは、宙『エリザベート』上演当時のはかなげな幼さを持つ青年ではない。人生がなんたるかを知った、大人の男だ。それを喰らい尽くそうと牙を剥き出しにして襲いかかる、赤裸々な欲望。

 なにコレ。なんなのコレ。

 わたしは、ナニを見ている?
 なんか、ものすげーもん見てるんですけど?

 鳥肌の立つ瞬間。
 長い研鑽の時を経て、男役として最終段階、最高峰に到達するコムを相手に、キムが野生の魔性を解放している。

 キムのいちばんエロい部分は、計算をはずれた「野生」にあると思う。
 彼はどこか、野蛮だ。
 どこか、土の匂いがする。
 農耕民族の土ではなく、獣の踏みしめる土。弱肉強食のジャングルの地面。

 どうしよう。
 ねえ、どうしよう。

 このままぢゃ、キムにマジ堕ちしちゃうよおお。

 おろおろおろ。
 これ以上、ダーリン増やしたらカラダが保たないよお。

 てゆーか、キムみたいなガキに惚れるのは、なんか、なんか、オトナのオンナとしてどうなのよ、とか、いらん矜持がうずいたりな……って、なに言ってんだわたし〜〜!!

 2005-05-08の日記で、わたしはこう書いています。

 いつか音月桂に、「ヲトメ」としてときめくことがあれば、すこーんと恋に落ちそうな気がする。


 これは、予言だろうか。


 ハマコは、雪組の至宝である。

 それを痛いほど噛みしめた、『アルバトロス、南へ』

 巧い人だ。
 歌手としての名がいちばん高いけれど、それだけではなくダンスも、芝居も巧い。舞台人としての華、存在感もある。

 それはわかっていたし、十分理解していたつもりだ。

 だが今回、『アルバトロス、南へ』で自在に場を操る姿を見て、痛感したんだ。

 もしもハマコが30年早く生まれていたら、あたりまえにトップスターだったんぢゃないだろーか。

 それも、誰もが唸るよーなカリスマトップ。
 たしかな実力、そして三枚目にも善人にも、色悪にもなれる説得力あるキャラクタ。
 周囲を巻き込む情熱。
 なにより、ストレートに伝わってくる舞台への愛情。

 ふつーにトップスターでもおかしくない。昭和中期〜後期なら。

 だが、時代はハマコを真ん中としない。
 21世紀の今は、ハマコ氏は実力云々以前に「ビジュアル」でトップ路線から撥ねられてしまう。
 素顔はすげー美人さんだし、舞台でだっていくらでも色男になれる人なんだが……今はそーゆー時代ぢゃない。

 そーゆー時代ぢゃない今に、ハマコがいてくれる。これほどの能力を持ちながら、時代がちがえば真ん中にいたかもしれない人が、脇で真ん中を支えてくれる。
 それは、得がたいことだ。

 なんてありがたいんだろう。
 なんて贅沢なんだろう。

 未来優希ほどの舞台人を、支えとして使えるカンパニーの存在に、震撼する。

 すごい。
 すごいよそれ。

 ハマコがうまいこと、すばらしい舞台人であることもありがたいことだと思っているけれど、わたしがいちばんうれしいのはさ。

 ハマコが、たのしそうに舞台に立っていること。

 あれだけの人がさ、すっげーたのしそうに、舞台や共演者や客席への愛情だだ洩れに、脇役やってんのよ?

 時代がちがえば真ん中だったかもしんない実力者が、あたりまえのよーに脇役を、たのしそーに演じている。
 この『アルバトロス、南へ』でも、彼がどれほどコムを愛し、コムを支えたいと思っているかが、伝わってくる。
 舞台を愛し、作品を愛し、タカラヅカを愛しているかが伝わってくる。

 ありがとうハマコ。
 ありがとう。

 タカラヅカにいてくれて、ありがとう。

「こんな劇団より、わたしの実力を過分なく発揮できるところが、他にあるはずだわ」
 って、見限って出て行ってしまわないでくれて、ありがとう。

 タカラヅカには、アナタが必要だから。
 雪組には、ハマコが必要だから。

 
 安定した実力ゆえの、ゆたかな表現。
 歌とダンスと芝居。
 ショースターとしての存在感。
 コミカルなシーンでの的確な仕事と、発散型の歌声による場面転換、空気を変える力。

 なにより、芝居の巧みさ。

 ハマコがいなければ、『アルバトロス、南へ』はありえなかった。
 流れるように変わり続ける役と、表情。
 狂言回しであり、すべてを支配する存在のようでもあり、悪意と毒に満ちたアルルカンとして舞台を俯瞰しながら、場面場面で別の役になりきる。
 苦渋に満ちた父親に、愛情深い友人に、冷酷な軍人に。
 その瞬間瞬間を、切り取る力。
 この人は、どれほどの引き出しを持っているのか。
 どれほどの仮面を持つ役者なのか。
 底が見えない。

 
 ただもう単純に。

 ハマコが、かっこよかった。

 いつも三枚目としてばかり使われているひとだけど、まぬけな善人として使われている人だけど、チガウから。たしかにソレもうまいけど、ソレだけぢゃないから。

 ハマコの真骨頂は、色悪だよう。

 その熱ゆえに、本気でエロい悪役をやったら映えまくる人だよう。
 芝居のアルルカンで、台詞もなくただ舞台の奥で「物語」を見つめているときのエロカッコイイことときたらっ!!
 若造には出せない、華奢な美青年には出せない、オトナの男の黒さとエロさだよう。

 
 たぶんハマコは、ほんとうの「悪」や「絶望」を表現できる人だと思う。
 言葉だけで人を殺せる「言霊」を操れる人だと思う。
 もちろん、作品によるよ。彼は「役者」であり、「脇」としての仕事をする人なんで、濃度を作品によって変えているから。

 オギー芝居『アルバトロス、南へ』では、ハマコが全開だった。
 ここまで、できる人なんだ。
 それを見せつけてくれた。

 ……それでいて、彼の魂の持ち味は、「健康」なんだ。
 彼自身は正しい人なの。
 強いから。
 その強さで、「邪」をその身のうちで浄化してしまえるの。「邪」を表現できるくせに、「邪」がなんたるかを理解しているくせに、彼自身は「邪」を必要としないの。

 その、健康さで。
 その、正しさで。

 どれほど、救われただろう。

 オギー全開芝居で、わたしは死にそうだった。
 毒が魂に浸透し、叫びだしたいのをこらえるので必死だった。両手で口元押さえて、嗚咽しないようにするのに必死だった。

 「アルバトロス、南へ」……脱走兵と彼を助けた女の、対話だけの芝居。追いつめられていく感覚。研ぎ澄まされていく感覚。
 皮が消え、肉が消え、剥き出しになっていく感覚。
 銃声が響き、「物語」ははじめのつづきに戻る。
 いつか失うことがわかっている男の手を取り、女が笑う。今はここにいるのだと。
 そして、それぞれの「物語」で男を見送った女たちが、黙って男を見つめる。
 ひろがる痛み。
 まもっていたものを全部削ぎ取られ、剥き出しになった神経は、誰に触れられなくても痛み続ける。空気ですら激痛になる。

 こんなにいたかったら、しんじゃうよう。

 ……そんな、ときに。

 ハマコが、救ってくれるんだ。
 空気を変えてくれるの。

 剥き出しの、痛い痛い感覚に、ふわりとコートをかけてくれる。

 キムとハマコ、「強い」男ふたりが、その強さで、絶望の淵でうずくまって泣いているわたしを、「こちら側」に引っ張り上げてくれるの。

 ハマコが、空気を変えてくれるの。
 キムは「美形キャラ」としての仕事が別にあるから、ほんとーの意味での「空気を変える」仕事は任されていないのね。
 ハマコなの。

 あのぐたぐたに痛い世界から、一気にひっぱりあげてくれるのは、救ってくれるのは、ハマコなの。
 にっこり笑ってさ。
 わかってるよ、って。大丈夫だよ、って。

 うわああぁぁん。
 ハマコ、大好きだー!!

 健康な人でいて。正しい人でいて。強い人でいて。
 そのまっすぐさで、わたしを……わたしみたいなまちがったコワレた弱い人間を、救い続けて。

 ずっとずっと、その強さを舞台の上で示し続けて。

 
 観劇後、kineさんとごはん食べながら、ハマコを思い存分絶賛していたんだが。
 kineさんが言うのさ。

「知ってました? ハマコって、コムちゃんより下級生なんですよ」

 え。

 ………………えーと。

 もちろん、知ってますよ。ハマコは水と同期だもんね。79期だよね。2学年も下だよね。しいちゃんと同期で、かしちゃんよりも下だもんね。新公学年からずーっと観てるんだもん、そんなの知ってるよおおお。

 …………。

 …………。

 ……嘘だろおぉっ、コム姫より下級生だなんてっ!! ありえねーっ!!


 「ふつーでないこと」を賛美するのが物語の常、「こうして貧しい少女は、王子様に愛されしあわせに暮らしました」ーー日常の否定、夢の成就、愛の勝利はエンタメのお約束。
 平凡なままじゃダメ、手に入れろ、勝利しろ、ステップアップしろ。
 現状よりも上の状況を手に入れることを「ハッピーエンド」とする価値観。
 そうでなければ反対に「セレブな生活にあこがれていたけど、実際に玉の輿に乗ったら大変だったわ、やっぱり平凡がいちばんね」な「青い鳥は家にいました」思想。
 もちろんそれは当然のこと。
 みんな平凡な日常にあきあきしているもの。「物語」の中でくらい非日常を味わいたい。もしくはその非日常のあとで「平凡な日常が一番」と持ち上げて、満足するようにする。
 それが「物語」ってもん。

 でも、『愛するには短すぎる』は、そうではなくて。

 留学が終わり、さあ帰国して待っているのは途中下車できないエリート列車、結婚も仕事も決められていて墓場まで進むレールが見えている……そんなフレッド@ワタさんがモラトリアム最後の船旅で、バーバラ@となみというショーガールと出会った。
 彼女はなんとフレッドの幼なじみで初恋の相手だ。バーバラもまたこの船旅が終わればショーガールを廃業し、故郷で母親の介護をして地味に生きることが決まっている。
 人生最後の「自由時間」でフレッドとバーバラの恋がはじまる。
 ……はじまってみても、終わりは見えている。船が港に着けば、非日常はおしまい、待っているのは長い長い日常。限られた時間の中で、フレッドははじめて「自分の人生」と対峙する……。

 非日常と出会い、結局日常に帰っていくストーリーラインだけど、どちらを否定しているわけでもない。
 なにも否定しない。

 封印されていた初恋、住む世界のちがう男女の船の上でだけの恋ーー非日常ーーも。
 そして、彼らが生きてきた、これからも生きていく「人生」ーー日常ーーも。
 否定しない。

 平凡な日常を捨てて、ドラマティックな恋愛至上主義、「ほんとうの恋に生きてこそ!」的価値観を満たすチャンスなのに。
 フレッドもバーバラも恋だけにすべてを懸けない。「物語」ならふつー、ここでなにもかも捨てて恋に生きることをヨシとするけれど。
 「なにも捨てない、犠牲を払わないなんて、所詮その程度の恋だったんでしょ」というわけでもない。

 フレッドもバーバラも、誠実に自分の人生を生きてきた。
 思い通りにならなかったこともあるし、後悔していることもある。
 だけど。

 誠実に生きていたら、それら全部を捨てることなど、できるはずがない。

 なにもかも捨てて、走れない。
 両手に抱えているものは清も濁もあわせて全部かけがえのないものだし、カラダに残る傷のひとつひとつは誇りである。すべてが叶った人生ではなかったけれど、踏みしめてきた一歩一歩の意味、出会ってきた人との絆の大切さを知っている。
 だから、走れない。
 だから、別れる。
 今、人生が交差し、この瞬間だけ同じ時を過ごすことが出来た。
 今までフレッドとしてバーバラとして生きてきたからこそここで出会い、愛し合った。
 そして。
 今までフレッドとしてバーバラとして生きてきたからこそ、他の誰でもないフレッドでありバーバラであるからこそ、ここで別れる。
 今までの自分や出会いや思い出や、ひととひとの絆すべて裏切り捨てて、己れの欲望だけで走り出せる人間なら、ここで恋などしなかった。

 なんて愛しい物語。

 なにも否定しない。
 人生は素晴らしい。
 この世は生きるに値する。

 失われることがわかっている有限の楽園で、男と女は恋をする。
 困惑し、あがきながら。
 きれいなだけぢゃなく、みっともなく迷いながら、立ちつくしながら。

 フレッドとバーバラだけでなく、出てくる人たちみんなが、なにかしら「呼吸」していて、やさしく、おかしい。

 あたたかな、せつなさに満ちた物語。

 なにも否定しない。
 これまでの人生も。
 これからの人生も。
 今、この決断も。

 泣けるくらいやさしい目線で描かれた物語。
 人間賛歌、人生肯定。
 ごちゃごちゃと画面のあちこちでなにかしらもつれている人たち。ただのモブなのに、表情豊かに個性豊かに「存在」している。
 フレッドの人生も、バーバラの人生も、脇のごちゃごちゃした人々の人生も、わたしの人生も、偶然隣に坐った誰かの人生も、愛しくなる。

 そして、これは「仕掛け」の部分だろう。
 今までの湖月わたる時代の星組作品を彷彿とさせる作り。

 『ドルチェ・ヴィータ!』の、まぶしい笑顔で甲板掃除していたセーラーC@しいちゃんは出世して船長に。
 『それでも船は行く』のジョニー・ケイス@すずみんは、セレブなプロデューサーに。今の名前はペンネームだよね(笑)。家に帰れば美人だけどめっぽー気の強い奥さん@せあらがいて、船の上ぐらいしか浮気できないのかも(笑)。
 七つの顔を持つ怪盗(笑)@きんさんは、やはりここでも変装の名人の宝石泥棒。相棒のにしきさんとふたりして、うさんくささはタダモノぢゃない。
 『それ船』のジョニーとマイクのような、身分(笑)はちがいまくってるのに気の置けない親友同士、フレッドとアンソニー@トウコ。
 『1914/愛』のアリスティドと執事長アナトールのような、おぼっちゃまと執事の関係、フレッドとブランドン@まやさん。
 誘惑者で脅迫者、今回悪役のれおんは、『永遠の祈り』風味かな?
 みらんくんは『コパカバーナ』に続いて振付師?(チガウって!・笑)
 「コレってアレだよね?」と、にやりとしながらたのしむ作り。

 思い出と現実とを同時にたのしみつつ、船は進む。別れに向かって。

 これは、湖月わたるの退団公演でもある。

 別れがまず前提にあり、ソレが覆されることはない。
 別れを、旅立ちを、人生を、「終わってしまう時間」を意識させながらも、そこにあるのはかなしみだけではない。
 別れてなお、別の人生を歩んでなお、輝く想いがある。

 胸を張って、自分の人生を生きよう。

 あの人を愛したことは、灯火となるから。
 たとえ海が荒れて、進む方角がわからなくなっても。
 遠く道しるべとなる灯台のように。

 たくさん笑って、しあわせで、しあわせなのに涙が止まらない、やさしいせつなさに満ちた物語。

 大好き。


 わたしはコミケに行きたかった。

 星組初日とコミケが日程丸かぶりだった。
 ワタさん退団公演の初日だ、絶対行きたい。でも、コミケにも行きたかった。
 それで結局わたしは、コミケを選んだ。
 星組公演は1ヶ月やっているけれど、コミケは3日間だけだからだ。

 正直なところ、今のわたしは同人誌にもコミケにもあまり魅力を感じていない。
 マンガもろくに読んでいないし、アニメも見ていない。二次創作を読みたいほどハマっているものもない。
 カタログチェックをして、愕然とする。興味のない、知らないものばかりなんだ、コミケにあるサークルが。
 昔、わたしがまだ若くてぴちぴちに痛かったころ。それこそ、コミケに参加するために徹夜で並んじゃうよーなイタイガキだったころは、カタログに載っているものほぼ全部知っていたし、大半を占めるジャンルに萌えていた。(徹夜は禁止です、絶対しちゃダメっす)
 有名サークルや有名作家はチェック済みだし、友だちと分散して人気サークルに並んだり、目当ての本をGETするために、あくなき情熱をかけていた。

 当時はお目当ての作家さんに「差し入れ」をするのが流行っていて、みんな花束やお菓子、貢ぎ物を抱えて行っていたなあ、遠い目。コミケに行くときの荷物に、「好き作家さんへの差し入れ」という項目があったもんよ。友だちと「今回はなにを持っていく?」と話し合ったりな。
 某巨大サークルで売り子をしていたことがあったんだが、ファンからの貢ぎ物でえらいことになっていたよ……花束だけで荷台付きタクシー1台埋まる勢いでさー。(花以外の貢ぎ物はダンボールに詰めて宅配便で送っていたけれど。花だけはどうしようもない。某サークルでは、とても持って帰れないので売り子ちゃんに分配、それでも持てない分は会場に捨てて帰っていた……)

 祭りの記憶は、遠く、愛しい。
 若くてがむしゃらだったころ。
 わたしはディープなヲタクで、コミケは半年に一度の大舞踏会だった。
 特別な時間だった。

 あー、有名巨大サークルになると、「お茶会」つーものもあってだね。
 先生を囲んでのイベントがあるのさ。
 ヅカの「お茶会」にはじめて参加したときは、おどろいたよ。同人サークルの「お茶会」とまったく同じだったんだもの。同人の「お茶会」では、わたしはスタッフ側だったんで裏方として走り回ってただけで、客として参加したことはなかったけどさ。
 先生のトークがあって、ゲームやクイズ、質問コーナーがあって、抽選会があって。握手会もあったかな。グッズ販売もあるし、おみやげもあるし。テーブルがあることもあるし、シアター形式もあって。
 ヅカのお茶会とまったく同じ。ただ、壇上にいるのがタカラジェンヌか同人作家かのちがい。
 現在の同人サークルでそーゆー文化があるのかは知らない。ただ、わたしがいちばんディープにヲタクだったころは、大手ならそーゆーイベントはめずらしいものでもなかった。ほんと、ファンが数百人単位で集まるんだよ、同人作家のために。

 わたしはずーっとヲタクだけど、「書き手」であることはあまりなかった。文章も書くし創作もするけど、「本を作って売る」というスキルに欠けていたので、もっぱら「読み手」としてヲタク文化に、そしてコミケに参加していた。

「あたしたち、一生ヲタクだよね」
 と、誓い合った仲間たちがたくさんいた。「大人になったら卒業しなきゃね。ヲタクなんて恥ずかしいし」と前置きした上で、それでも「一生」と言うのさ。

 「ヲタク」だから、「ププッ(冷笑)」て感じだけど。
 「ヲタク」のかわりに「ミュージシャン」だとか「演劇人」だとか、障りの良さそうな単語を入れてみてくれ。
 10代から20代にかけて、いちばんイタくて夢だの希望だのに燃えている時期のガキが、「ツマラナイオトナになんか、なりたくない。自分はならない」と思い込んで無駄に鼻息荒く吠えている。そーゆー感じだよ。「宣誓・一生ヲタク」てのは。

 10代のころに「好きだ」と思うモノを、一生好きでいる。
 心を老けさせたりしない。
 つまらなそーに生きている世の中の「良識人」たちなんかに理解できない世界を持ち続ける。
 そーゆー意気込みだな。

 モノが「ヲタク」だからバカげて聞こえるけど、まあアレだ、ふつーの自意識過剰なガキが持つであろー「オトナナンテバカバッカリ」「ニンゲンナンテバカバッカリ」「デモアタシハソウハナラナイ」「アタシハトクベツナアタシデイル」関連の、ごくありきたりな感覚だ。

 どんなに誓いを立てたって、仲間たちはひとりふたりと減っていった。
 みんなふつーに、「大人」になり、子どものころの「バカな夢」を卒業していった。

 わたしはどうも大人になりそこねたようで、ふつーの大人がやっていることがなにひとつできないまま現在に至っているのだけど、「大人のとしての義務は果たしたい」と思っている。や、だってもう「子ども」ぢゃないし。それだけは対外的にどーしよーもない事実だし。
 でも、「子どものころの自分を否定したい」わけでもないんだ。

 わたしは「大人」でありたい。トシに見合うだけの常識をわきまえて生きたい。
 ここでイタイことを書き散らしているが、まあソレはソレ、現実のわたしはどーってことのないふつーのおばさんで、ふつーに世の中に迎合して生きている。

 大人でありたい。
 でも。
 子どものころ夢中だったものを、失いたいわけではないんだ。

「あたしたち、一生ヲタクだよね」
 そんな誓いのことを、当時の仲間たちが誰もおぼえていなくても、わたしはヲタクでいたい。
 わたしは「ヲタク」という文化を愛しているから。

 だからわたしは、コミケに行きたかった。

 星組初日をあきらめてでも。
 前回の冬コミは行かなかった。たかちゃんの『W-WING』の千秋楽を取った。(公演中止になったのは、また別の話)
 その前の冬コミも行かなかった。ケロの退団公演を取った。『ドルチェ・ヴィータ!』の千秋楽を取った。
 前回の夏コミはかろうじて参加したけれど、檀ちゃんの退団公演とセットだった。いつも全日参加していたコミケだったけれど、参加日数を減らし、『ソウル・オブ・シバ!』千秋楽を取った。
 コミケとタカラヅカ、選択肢を挙げられれば、わたしはいつもタカラヅカを選ぶようになっていた。
 だからこそ。
 今回は、コミケを選びたかった。
 これ以上コミケに行かないと、ほんとーに行かなくなってしまいそうだからだ。
 コミケを好きでいるために、コミケに行くことを「日常」にしておきたかった。

「コミケに行くの? なんのジャンルにハマっているの?」
 と聞かれて。

「特になにも。だから、なにか出会いがないかなと思って、ウインドーショッピングに行くの」

 こう答えると「広大なウインドーショッピングね」と絶句されるんだけど、ほんとに、ほんとのことなんだもの。

 好きでいたいなら、好きでいるための努力は必要だよ。
 倦怠期になったカレシにそれでも会い続けるよーなもんで。「好きでいたい」と思うならね。「どうでもいいや」と思うなら、なにもしなくていいけど。

 わたしはコミケを「好きでいたい」。
 ヲタクなままでありたい。
 現代の広義なオタクではなく、ほんとーに昔ながらの純粋な意味でのオタク。
 あきらめの悪い性格なんだよ。変わりたくないんだ。「卒業」なんてキライなんだ。

 いつか、タカラヅカのことも「あんまり興味ない」「無理して行かなくてもいっか」になるのかもしれない。
 「あのころは、がむしゃらだったなあ」と遠い目で今のイタイヅカファン生活を振り返るのかもしれない。……ちと、ソレもいいかもしんない、つーくらいに、今自分ががむしゃらすぎてイタイことも自覚しているが。

 それでも思うよ。
「あたしは、一生タカラヅカを好きでいる」
 いついかなる時代の「自分」も否定したくない。

 だから。
 コミケに、行きたかった。

 
 ……行けなかったんだけどね。
 体調不良で、夜行バスに乗れなかった。

 ヘコんだ。

 もうわたしは、コミケに行けないのかもしれない。
 もうわたしは、変わってしまったのかもしれない。

 もうわたしは、ほんとーに「若く」ないんだ。心すら、年老いてしまったんだ。

「あたしたち、一生ヲタクだよね」
「あたしは、一生タカラヅカを好きでいる」

 生活するのに必要ない、ほんとーに心のためだけにある「趣味」の部分すら、いつか磨り減って消えていく。「なくてもいいや、今生活できてるんだから」となるのが厭だ。

 人は変わる。興味や好意の対象が移るのは当然、仕方ない、ある意味前向きなこと。……そうわかったうえでね。

 わたしはあきらめが悪く、ウエットな人間なので。

 
 で、ヘコみながら行ったさ、星組初日。
 ヘコんだままでいるの、いやだからさ。
 どりーずのみんなも、西から東から(西から? ……当日朝まで博多にいる人がいるんだコレが)集まってくるしさ。どりーず総見ですよ、とりあえず当日参加ですよ。

 ジャンルがなんであれ、わたしはヲタクである。
 ヲタクなまま、生きていく。


 なにをどの順番で書けばいいのやら。
 先に星組大劇書くべきなのかしら。大爆笑した雪エンカレはいつ書けるかしら。てゆーか月東宝の話を、今さら書けるかしら……。今日の段階で実はもう、七帆バウも観てるんだけど。
 でもこれ以上遅れても忘れちゃいそうだしな。とりあえず、時系列に従って。

 『アルバトロス、南へ』の、女の子たちの話。

 わたしはオギーが、いづるんをどうするのか、とても興味があった。

 『パッサージュ』のとき、天勢いづるの新しい魅力を開花させたのがオギーだ。
 もともと、そーゆー使い方をしていい子だった。小柄で美形、耽美系の少年だったんだから。
 コム姫ほど人間離れしてはおらず、影も体重もありそうな、小悪魔。
 コム姫の役を演じることになった博多座『パッサージュ』では正直「足りていない」と思ったけれど……大劇版では見事に魅力を発揮していた。

 いづるんが性転換してから、はじめてのオギー作品。
 さて、オギーは女となったいづるんをどう使う?

 
 わたしは男役いづるんのファンで、彼の耽美っぷりと被虐とヘタレが似合う芸風に魅力を感じていた。
 娘役転向はショックだったけれど、性別が変わっても変わらずファンでいられると思っていた。

 が。

 性別が変わるっていうのは、ただズボンからスカートに変わるだけじゃないんだ。
 芸風が変わるんだ。

 いづるんが持っていた繊細さや弱さを表現できるしなやかさは、「男役」としての持ち味だったんだ。
 「娘役」になると、別人になってしまうんだ。

 それをいちばん感じたのが、『DAYTIME HUSTLER』のとき。
 繊細であってしかるべきヒロインが、どーにも大味だった。
 女らしい仕草、女らしい喋り方、なにかと「女」を前面に押し出したわざとらしい女……うわー、きっつー。
 女らしい仕草をする前に、どう感じているのか、心の揺らめきを見せてくれよ。男の前でシナを作る、女が嫌う女のいやらしさを見せつけないで。
 繊細な少年、いづるんはどこへ……こんな無神経系の女、あたしの知ってるいづるんぢゃないー。

 ま、そのあとのルイーズ@『ベルばら』はある意味よかったんだけどね。正しく、無神経な女で。

 苦手な女の子になっちゃったなあ、いづるん……。
 そうしょんぼりしていただけに。

 あああ、ありがとうオギー。

 女いづるんの、「無神経」なところをとても魅力的に使ってくれて!!

 すばらしいと思ったのは、2幕のサーカスのシーン。

「囚われた鳥が歌う もがれた翼の歌 遠い国に売られ 喉をからし歌う かなしいさだめから 助けて誰か」

 『パッサージュ』でまひるが悲劇のヒロイン的に歌っていたこの歌を、ゼンマイ仕掛けの人形のように歌ういづるんに、ぞくぞくした。

 いづるんを無機質にすることで、無神経さが「こわい」意味で、「毒」の意味で映える。
 悪夢のサーカスで歌うに相応しい美少女。

 そして、「4人目の女」としてアルバトロス@コムに絡む、内戦の続く土地の娘……裸足で、膝を抱えている孤独な少女。
 ヲイヲイ、『DAYTIME HUSTLER』のときと同一人物とは思えないよ。あの「女」が鼻につく演技がぬけている? 表に出ていない?
 男だったときの繊細さに、女である今の強さが加えられたような。

 この「強さ」がいいな。
 強い、でも傷ついている。
 吹けば飛ぶようなか弱い娘じゃない。だからこそ、こうしてここにいる。でも、それ以上の強さはないから、ここで膝を抱えている。そのせつなさ。

 いい感じに乾いている。
 なのに、舞台にはずっと雨が降り続く。
 湿った夜の、乾いた女。
 それは、アルバトロス@コムの持ち味とも調和している。

 女の子のいづるんのことも、愛していけそうだ。
 この作品と、このいづるんに、出会えてよかった。

 
 いづるんが「ヒロイン」という記号を持った女の子なら、舞咲りんちゃんは「アイドル」という記号を持っていると思う。
 キティお嬢様から何年経つんだっけ。あれ以来わたしにはどうも強烈に刷り込まれていて。
 4人の女の子キャストのなかで、「アイドル」ポジが舞咲りんちゃん。
 現実のアイドルとか、本公演で通用するほどの華だとか美貌だとか、そーゆー話をしているのではなくて、「記号」としてね。微妙だろうとイロモノっぽかろーと、彼女の記号は「アイドル」。
 ヒロインよりももっと比重は軽く、そのぶん無責任に「華」を添える。
 かわいいことが第一条件。キュートでガーリッシュ。等身大で感情移入しやすく、気まぐれで一途で、そして、ときに残酷。
 どこのシーンでだっけ、舞咲りんちゃんが「ミッフィ」のぬいぐるみを抱いているのがこわかった。
 芝居では道化の衣装を着た男女がいつもアルバトロスを冷ややかに見守っているのだけど、無表情なキティお嬢様が無表情なミッフィを抱いているのは、ものすげーこわい。

「ミッフィって、こわいよね?」
「ミッフィはこわいよ!」

 と、終演後にkineさんと話したけれど(笑)。
 ミッフィって「無表情」だから、かわいい半面、一歩間違えるとすごーくこわいんだよ。
 ソレを、あーゆー使い方されると、こわさ倍増。

 毒を含んだ無表情で人形のように立つ少女が、無表情な人形を抱いているのよ?
 こわいって!

 「かわいい女の子」という設定を、逆手に取ったこわさ。
 ああ、女の子ってほんとにいいなー。女の子大好きだー。

 放浪者アルバトロスをいっときつなぎとめる港町の少女、としても、とてもいい。
 彼女がかわいくて、力無い少女なのがいい。
 「行かないで」「ずっとここにいて」と言葉にしない彼女の、心の祈りが聞こえてくる。

 かわいいこと。でも、絶世の美女だったりなにか「特別」なものがあってはいけないこと。
 記号は「アイドル」。「ヒロイン」ではない。でも、とても重要な持ち味。

 
 有沙姉さんがいちばん、違和感があるままだったかな。
 いろんな意味で「足りない」ものを感じてしまった。「ココ」で必要なモノは「コレ」で、有沙姉さんだと「コレ」の何割かの仕事しか果たしていない気がした。
 わたしが感じただけなので、好みの問題、感性の問題だと思うけれど。
 彼女の役割はやはり、「同期」ということだろうなと納得して観ていた。
 平均点の仕事をする人だけど、容量が少ないからそれ以上がはじめからなさそーで、それがつらいかなと。
 愛着のある娘役さんなので、彼女がいい役でやりがいを持って舞台に立ってくれたことは嬉しい。ただ、作品ファンとしてはちょい疑問が残った。

 
 博多座『パッサージュ』の歌姫、ゆめみちゃんは歌担当だよね。……そのわりに、彼女ひとりが歌いまくるわけではなく、他の女の子たちもみんな歌っていた。わー、みんな歌えるんだね、この公演すげえや。
 でも、「天使の夢を見たわ」の『パッサージュ』部分を歌うのは、世界を導くのは、ゆめみちゃんの歌声。

 てか、演技しているゆめみちゃん見るの、ずいぶんひさしぶりな気がする……。役者として、あんまし役ついてないもんなあ。『追憶のバルセロナ』新公以来か? や、ピンポイントではいろいろやってるけど(ハマコの女房とか・笑)、がつんと芝居をしていたのは、準ヒロだった『バルセロナ』かなと。はっ、あんときの旦那役はいづるん(男)ぢゃん。
 ふつーに大人の女性として、リアルに余裕で演技できちゃうんだ。かっこいー。
 1部の浮気者キムの彼女役も、かわいかったけれど。

 えー、そんでもってやっぱし、ケロに似ていると思うの……顔……。
 ようするに好みの顔なんだと思う。
 ゆめみちゃんは、広大な大劇場のどこにいてもわかる(笑)。月組のフジコちゃんがどこにいてもわかるよーに。

 
 にしても、オギーの衣装センスはすごいなー。
 あの全員パーツ色違いでおそろいの、黒い道化衣装、すげー素敵。かわいくて、ユーモラス、そして毒まである。
 みんなみんな、かわいくて魅力的だった。


 ぼそっと、つぶやいてみる。

 ハマコとキムで、濃ぃ〜いホモが見たい。

 『アルバトロス、南へ』を見て、しみじみ思った。やっぱいいよ、このふたり!!
 あ、上下は問いません。ハマコ×キムでも、キム×ハマコでもどちらでもよし。……まあ、ビジュアル的に無難なのはハマコ攻かな。

「いくら緑野さんがハマコファンだからって、カップリングにハマコ絡めるのやめてよ。ハマコを絡めた段階で、ソレもう、やおいぢゃないから」

 と、ヲタク友人に言われたのは、いつだったか。
 たしか、『スサノオ』のときだったかな。アシナヅチ@ハマコ×スサノオ@コムとゆーカプで萌えていたとき。

 し、失礼なっ。
 好きな生徒ならなんでもホモにしてるわけぢゃないわ。世の中には、好きなタレントが演じている、とゆーだけでなんの関連も脈絡もなくカップリングしてよろこんでいるヲタクがいるようだけど。
 わたしはそーゆーんじゃない。
 純粋に「作品」萌え、「作品」としてカプをたのしんでるんじゃないの。

 と言いつつ。
 今ちょっくら、萌えタレントでカップリングをたのしみたいハァトですわ。ハマコとキムって、わたし的には萌えキャラなのー。

「やおいは美しくなきゃやおいじゃないの。ハマコじゃ、やおいにならない」

 と、前述の会話の続き。

 えええっ?!
 ハマコ、いい男ぢゃん!!

 そりゃ、いわゆる美形ぢゃないけどさ。「美形にも、なれる」男ぢゃんよー!!
 ハマコを「恋愛論外男」認定するなんてひどいわ、ぷんぷん。

 ……まあ、大抵の場合彼は「論外」な位置とキャラにおりますがな……。(たとえば、ベルナール@『ベルばら』で萌えろと言われてもこまる)

 『アルバ』ではだんぜん、ボリス×ハイメですなっ。
 ボリス@ハマコはラヴッィク@コムを愛しているのがデフォルト。だーけーどー、ラヴィックはボリスと行くことを拒絶した。ボリスのそばにいるのは、ハイメ@キム。
 あのやたらとテンションの高いボリスのペースに巻き込まれて、ついつい行動を共にしてしまう足の不自由な青年ハイメ。どっちも女っ気ナシだし、ボリスはいかなるときもホモくさいキャラだし(誰がやってもホモっぽかったが、タータンは特にすごかった・笑)、『アルバ』では及び腰のハイメをボリスが拉致っていく感じで共に退場するしで、じつにオイシイ展開だった。あのあと、どこでどう過ごしたんだ(笑)。
 身分証明書を手にいったん国外に出た彼らは、大劇版の『凱旋門』通りに戦火のパリに戻り、共に銃を取って戦って欲しいですな。ハイメはずーっと杖をついたままがいいなあ。ハイメはそれでも戦うし、ボリスはそんな彼をかばいながら戦うのー。萌え〜。
 

 ハマコとキムだとね、なんつーか「本物くさくて、やべえ」感じがして、たまりません。
 本物、つーのは、あくまでも「野郎同士」としての本物っぽさですよ。

  
 『アルバ』を離れて、ハマコ×キムで想像の翼を広げるとすると。

 
 中年男と若者……ハマコが「情けないおっさん」でキムが「計算高い学生」とかだったりすると、援助交際ムード満点で素敵! とか(笑)。
 ハマコの前ではしおらしくふるまっているキムだけど、実際はしたたかな遊び人で何人も食い物にしているとか。「両親が死んでしまったので学費を稼がないといけない」とかゆー身の上話(笑)を、ハマコは本気で信じて必死にキムに貢いでいる、とかな。
 で、とーぜん、キムはハマコのことを最初鼻で笑って利用していただけなのに、気がついたら情が移ってしまっていた……とか、定番展開でいいですなっ。

 あとねあとね、ハマコがかっこいー大人のオヤジバージョンのヤツが見たいっす。
 『ゴールデン・ステップス』のオープニングであったじゃないですか。ハマコ×キムで黒燕尾でタンゴ踊ってたやつ。あーゆーのです。
 金も地位も助平心もある色男ハマコと、高級男娼(笑)のキムとかな。
 どっちも一筋縄ではいかなそうなとこが、よいのです。

 『銀の狼』の鬼畜飼い主@キム×のーなし犬@ハマコの関係は、心から萌えでしたよ……ああ、キムのぶ厚い唇がいやらしいったら(笑)。

 少女マンガ系とかライト系BLのノリではなく、こってりデコラティヴにJUNEっぽいというか。生身の重さと厭らしさを引きずっているというか。
 それがハマコ×キムのいいところだなと。

 ハマコ先生はお笑いもなさけねーおやぢも大得意(笑)だけど、じつは『アルバ』の狂言回しのような毒のある大人の男がハマる人だからさ。
 若手スターで実力と美貌を兼ね備えるキムが跳ねっ返るのを、余裕で抑えることができるはず。

 ハマコとキム。
 歩く道はちがうはずなのに、敷かれたレールはちがうはずなのに、どこか似ている。
 それが萌え。

 や、ハマコ寄りになりすぎると、キムの路線人生が危うくなるんでやばいけど(笑)、スマートになりきれないキムの持ち味が好き。

 
 ああ……このふたりで、なんか萌えな作品来ないかな〜〜。


 思うんだけどね、フレッドのベッドには、あたりまえのよーにアンソニーがいるよね? そう思うよね? なんかこー、見てきたかのよーに、想像できるよね?

 『愛するには短すぎる』の話。

 えー、イギリスからアメリカまでの船旅を舞台とした物語。
 大富豪の御曹司フレッド・ウォーバスク@ワタルは、とーぜん特等だか一等だかの広い豪華な個室に滞在。
 そこにあたりまえのよーに入り浸っている、自称劇作家のアンソニー@トウコ。たぶん彼の部屋は三等客室あたりで、んなとこで過ごすのがヤだから友人のフレッドの部屋に入り浸っているのでしょー。

 この「身分違い」の友人同士。
 たぶんイギリスで、フレッドがアンソニーに引っかけられたんだと思うのよ。

 セレブなオペラだのミュージカルだのコンサートだのを観に行った帰り、劇場近くのカフェで一杯やっていたフレッドのテーブルに、アンソニーが紛れ込んでくる。
 劇作家だとうそぶくアンソニーは、立て板に水の演劇論などを披露、素人なうえ今劇場を出てきたばかりで昂揚しているフレッドの目に「興味深い人物」「教養ある人物」「才能ある個性的な人物」と誤解させる。
 そんなの付け焼き刃っちゅーかぶっちゃけただのカンチガイなんだけど、あまりに「畑違い」だからフレッドはつい一瞬だけ誤解してしまうのね。
 そこにつけ込むアンソニー。
「じつは今晩、泊まるところがないんだ」
 不運な出来事が重なり、不可抗力で行き場をなくしていること、たかだか数日やり過ごせれば事態を打開し、また劇作家として華々しく生きられることを強調。
「一晩だけなら、僕の下宿に来ないか?」
 と、何気なく誘ってしまったのが運のツキ。

 アンソニーはあたりまえのよーに、フレッドの部屋に居着いてしまった。

 追い出そうとしてもダメ。
 口八丁手八丁。泣き落としに脅しに開き直り。なにをやってでも居座る。
 で、フレッドの方が根負けしてしまい、現在に至る。

 アンソニーは宿を見つければ勝手にいなくなるけれど、あぶれればまた勝手にフレッドの部屋に帰ってくる。
 気まぐれな猫。
 でも、憎めない。

 フレッドの下宿(といっても、絶対何部屋かある高級マンション・笑)には、根負けしたフレッドが、アンソニー用のベッドを購入済み。
 でないとアンソニーは理由をつけてはフレッドのベッドに潜り込んでくるから。
「ソファーで寝ろと言っただろう!!」
「ちゃんと寝たよ、5分間だけ」
「残りを全部ここで寝ようとするな、ここは僕のベッドだ!」
「いいじゃないか、こんなに広いんだし。せこいことを言うな」
「そういう問題じゃない!」
 てな不毛なやりとりを5万回繰り返した結果、アンソニー用のベッドを置くはめになった、と。

 でも、船旅中はそうはいかないよね。
 フレッドの部屋に、アンソニー用のベッドはない。スウィートルームだがひとり旅予定(執事ブランドン@まやさんは別の部屋)だからな。
 あるのは、キングサイズの豪華ベッド。おねーさんたちを何人か泳がすことができそーな。……クソ真面目なフレッドがんなことするはずもないが。
 コレを、アンソニーが見逃すはずがない。

「ソファーで寝ろと言っただろう!!」
「いいじゃないか、こんなに広いんだし。せこいことを言うな」
 とゆー、いつかの会話をもう一度繰り返すこととなる。

 で、根負けして、同衾がスタンダードに。
 がんばれフレッド。

 
 あ。
 ただ、寝ているだけですよ?
 ナニもありませんよ?(笑顔)

 
 この運命の船旅が終わって。
 フレッドは自分の人生に戻る。敷かれたレールの上を走りはじめる。
 あたえられたものを享受し、期待されることを返して生きていく。
 自分で望んだもの、イレギュラーなものなど存在しない、端正な人生。

 そんな彼の横に、何故かアンソニーがいる。

 なにひとつ、余分なモノなどないはずのフレッドの人生に。
 あたりまえに、余分なことだけでしか構成されていないアンソニーがいる。

 イギリス時代と同じように、アンソニーは食うに困るとフレッドのところへやってくる。
 あたりまえの顔で新婚家庭の食卓に混ざり、新妻ナンシー@ウメを笑わせたりよろこばせたりする。
 客室をひとつ、自分の部屋にしてしまう。

 勝手に現れ、勝手にいなくなる。

 フレッドの息子とキャッチボールをしたり、本気で投げすぎて泣かしたりする。同レベルの口げんかをして、本気で怒ったりする。

 フレッドの娘の成長過程になにかと口を出し、「大きくなったら僕のお嫁さんにしてあげるよ」「うん、アンソニーのお嫁さんになる〜〜」とかてきとーな会話をおませな娘と展開させてはフレッドをやきもきさせる。
「娘に変なことを教えるな、キミにだけは絶対にやらんっ」
「まあまあ、未来の義父よ、今からそんなに青筋立てなくても」
「誰が未来の義父だっ」

 劇作家として成功したと思ったら、次の瞬間にはスキャンダルまみれで失脚、とか、山あり谷あり人生やりまくり。
 お前の人生にはレールってもんがないのか? 道を走れ道を、どーしてわざと道のない方へ行ってぶつかったり転んだりするんだ。
 アンソニーは無駄ばかりの人生を快適そうに生きている。

 ナンシーが先に亡くなり、再婚話の山に目もくれないフレッドがひたすら仕事に打ち込むときも、仕事に打ち込みすぎて「パパは家族より仕事が大切なんだっ」と子どもたちがグレたときも。
 アンソニーおじさんはあたりまえの顔でウォーバスク家に入り浸り、子どもたちの味方になったり怒らしたりして、引っかき回している。

 早々に自立した子どもたちが外国の寄宿舎だ結婚だと家を出て行ったあとも。

 気がつけば、アンソニーだけがいる。
 フレッドの側に。

 余分なモノなどなにひとつないはずの、フレッドのレールのかたわらに。
 いつも勝手に、気まぐれに、アンソニーがいる。

「自分のベッドで寝ろと言っただろう!!」
「いいじゃないか、こんなに広いんだし。せこいことを言うな」

 50万回繰り返した会話を、繰り返しつつ。
 自分の部屋を、自分のベッドを与えても、アンソニーは時折フレッドのベッドに潜り込んでくる。

 モラトリアムの渦中にあった、あの若い日のように。

 変わり続ける世界のなかで、彼だけが変わらずに。

 自分勝手に、気まぐれに。

 
 そーして、フレッド・ウォーバスク氏はその日もまた眠りにつくのだ。
 背中に友人のぬくもりを感じつつ。
 きっと彼が持ついちばん近くて遠い「永遠」が、この気まぐれな友人なのだ。

 
 …………なーんてな。
 なんの根拠もない話ですが、初日を見た段階で、ここまで物語がアタマの中を走っていきました(笑)。

 さいこーだ、『愛短』!!
 近年なかった萌え度だ!!

 フレッドとアンソニー、かわいすぎ!!

 フレッドが誰を失っても、ナニを失っても、アンソニーだけは変わらずにそばにいるんだろうな。
 アンソニー、一生フレッドに養ってもらうつもりな台詞、言ってたしな(笑)。

 したいようしか、しない。生きたいようにしか、生きない。
 アンソニーは、存在自体がファンタジーだ。……とても迷惑な(笑)。

 あ、もちろん。
 ひとつのベッドで、うっかりデキあがっちゃっていても、ぜんぜんかまいません。にやり。

 アンソニーは経験アリだと思うしなっ(笑)。なにしろ劇作家志望だしなっ。絶対イロイロ経験してるよ。
 フレッドにドン引きされるのがわかってるから、言ってないだけで。

 くすくす。


 さて、星組ショー『ネオ・ダンディズム!』

 えーっと、とりあえず。

 つかみはOK。

 オープニングは秀逸。かっこいー。
 大階段を埋め尽くすように並んだ、チャイナスーツの男たち。彼らを従えてひとりずつ登場する色ちがい柄ちがいチャイナスーツのワタさん、トウコ、となみちゃん。ポスターの衣装ですな。ものすげーハッタリ具合。
 3人とも、とことんかっこいー。
 うさんくさいまでの色悪っぷりが似合う似合う。ワタさんやトウコは男だからいいよ、女の子のとなみちゃんまで負けてないんだからすげーよ。

 このすばらしーオープニングにわくわくしたあと。

 どーんっ、と落とされる(笑)。

 なんぢゃこりゃあ(笑)。
 大階段を片づける間の時間稼ぎに、ひとり登場したトウコちゃん。古い古い時代(昭和とかな)の王子様ルックに身を包み、自慢の滑舌で歯切れ良くもうさんくさく、「ダンディズムとはなにか」を語る。

 興ざめ。

 わくわくした、ときめいた気持ちが、みるみるうちにしぼんでいく。
 ダサ……。
 かっこわる……。
 うざ……。

 トウコちゃんのせいじゃない。むしろトウコだからこの程度ですんでいる。もっと「スター力」だとか「ハッタリ力」の少ない人がやっていたら、さらにさらに悲惨なことになっていただろう。

 またこれが長いんだわ……。まだ語るの? と、ほとほとうんざりしたところで、よーやく幕が上がる。

 で、幕が開いて。

 超絶ダサい主題歌だらだらスタート!!

 盆にひしめいたドレスの娘役たちが「ダンディ〜ダンディ〜」とカラダを揺らすだけのみょーな踊りを踊り、昭和の香り漂う古い古い王子様ルックのワタさんが中央で「ダンディ〜」と歌う。

 う・わー。
 なんぢゃこりゃあ。
 椅子からずり落ちそうになった(笑)。

 キムシンの「すごつよ」にも「カエサルはえーらいー」にもおののかなかったこのわたし(笑)が、言葉のひどさにひっくり返った。

 えー、タイトルが「ダンディズム」なわけよ。
 で、タイトルまんまに、「ダンディとはなにか」を表現するのがテーマなわけよ。
 で、やっていることが。

 「言葉でダンディとはナニかを語る」という、ダンディとは対極のかっこわるさ!
 しかも、その言葉が美しかったりかっこよかったりすりゃいいが、ダンディとは対極のセンスのなさ!

「ぼうや、道ばたにゴミを捨てはいけませんよ」と教える母親が、そう言いながら噛んでいたチューインガムを道ばたに吐き捨てるよーな行為。
 お前が言うなーっ! 説得力のカケラもねーっ! てゆーか逆効果だっつーのっ!

 次々登場する、昭和スターたち。
 女の子のとなみはまだマシだけど、しい・すずみん・れおんもそりゃー素敵に悪趣味。
 なんなんだこのシーン。
 最悪な主題歌とビジュアルとダンスのダサさがコンボを決めて、素晴らしい破壊力。

 かえってツボに入り、笑ってしまう。

 星男たちの、昭和スターぶりがまた素敵でね。
 ワタさん、トウコ、しいちゃん、すずみん、れおんと5人がそれぞれ、王子様ルックをキメていて、そのダサ……いやその、タカラヅカらしい似合いっぷりが素晴らしいの。みんな個性出てるわ。
 個人的にはすずみんのストレートロン毛が好き。すずみんってこーゆー、時代錯誤なセンスの王子様、似合うわー。

 ここで充分ドン引きしていたのに、追い打ちを掛けるように、ダサシーンが続く。

 シルクハットのヒゲ紳士たちが銀橋に登場、またしても「ダンディとはナニか」を口で説明する。

 3連発。
 3シーン続けて、言葉で「ダンディとはナニか」を語り続けるの。
 ショーなのよ。
 芝居ぢゃないのよ?
 なのに、「口で」言い続けるの。ダンスや演出で見せるのではなく、言葉で。

 キムシンもビックリだ。なんなの、このアタマの悪さ。

 そしてまた、ここで「歌詞」としてあげられる「ダンディの化身」である男たちも、「あー、そうね、昭和時代はそれがかっこよかったのね」って感じの「前時代的」な人選。
 価値観が多様化している今、そんなふうに「これがダンディ」と決めつけて、現代の若者が知りもしないだろう名前をありがたがって連呼する行為自体、かっこわるい。

 若手男役にわざとらしいヒゲをつけさせ、滑稽にしょーもない歌を歌わせることのどこが「ダンディ」なのか。

 ……まあ、その「ダンディの化身」とされる男たちの中に湖月わたるが入ってなくてよかった。
 いやあ、びくびくしたよ、植爺たち年寄りが大好きな内輪受けってやつを、ここでやられたらどうしようって!!

 たしか、初演の『ダンディズム』では、同じよーな運びのシーンで、ハリウッド俳優だのなんだのと並べて、「真矢みき」の名前も出てたからな。
 しかもわざわざ肖像画付きで。
 音楽室のベートーヴェンだのバッハだののノリの絵の中に、真矢みき。親父ども並べて、真矢みき。

 ……よかった。
 初演まんまぢゃなくて。
 あのノリで写真付きで、ワタさんが出なくてよかった。

 この3連発がすごくてねえええ。

 オープニングがすばらしかっただけに、一気に萎えてしまって、ドン引きしてしまって、戻ってくるのに大変だった(笑)。

 この3シーンさえ「なかったこと」にしてしまえば、あとはたのしいショーですよ。

 アルゼンチンタンゴは粋にたのしく、中詰めのキャリオカはタカラヅカらしい華やかさで。
 しい&すずみの客席降りもわくわくする。いやあ、前方通路際席欲しいわ〜〜。すずみんのウインク率の高さも堪能(笑)。

 そして、後半の目玉、謝振付のシーン。これも解説台詞がうざいんだけど、そんなことは忘れさせるくらいにドラマティックで美しい。
 トウコの熱唱、ワタさんを中心にした星組メンバーたちのダンス。うおお、かっこいー!!
 人数は多いわ、みんながみんなかっこいいわで、どこを見ていいか迷う。あかしかっこいー!(そこか!) ざんばら髪のウメちゃんかっこいー!(そこか!)

 オープニングの大階段シーンと、このポラリスのシーンだけで、このショーはすべてを許せる。
 ダサさにドン引きもしたし、腹を立てたりそれすら超えて笑えたりもしたけれど、それもどーでもいー。
 大好きなシーンがあれば、それだけのために通えるのがショーの醍醐味だ。

 ロケットの謎の人選にクラクラしつつ(ウメはいいんだ、問題は他のふたりだ。……何故あんなにしぶい人選?・笑)、さらに、赤いミニワンピでかわいらしくロケットガールを務める水夏希にクラクラしつつ。
 大階段から銀橋という破格の扱いでトウコのソロがまるまる1曲、退団者のソロパート有りコーラス付きで披露されることにびびり、ワタさんととなみの力技リフトにびびりきる。……こ、こわかったんですけど、初日。落とすかと思ったよ……ワタさん、力技で持ちこたえてたけど。
 コロちゃんエトワールにもびっくりする。おお、そうきたかー。がんばれー。

 で。
 初日だっつーに花組千秋楽よりはるかにアツい盛り上がりっぷりに、星組クオリティを実感する(笑)。
 いやあ、いいよなあ星組。無駄にアツくて。お祭り上等で。

 これが、ワタさんの退団公演か。

 よかった。
 これなら、通える。
 芝居は素敵だし、ショーも及第点。
 退団公演が好みの作品と好みの役だなんて、タカラヅカにおいては奇跡のような幸運だもの。(『NEVER SAY GOODBYE』とジョルジュが相当つらかったらしい)

 ワタさんをきちんと、見送れるよ。
 それが、うれしい。
 星組万歳。

 
 ……はっ。今気づいた。わたし、花楽の感想、書いてないよねええ?
 なにやってんだー、自称花担!


 水くん、雪組トップスター内定おめでとう。

 水夏希という人はトップになるにふさわしい人であり、その就任になんの疑問もない人だ。
 いつか絶対トップになると思っていたし、それを疑ったことは一度もなかった。

 わたしが最初に「水夏希」を認識したとき、すでにそういう立場の人だったんだもん。
 いずれトップになる人。
 ……だからわたしは、反対に興味がなかった。トップ確実の人って、脇役スキーには魅力的に思えないんだもの。

 わたしが水くんを最初に認識したのが、真矢みき武道館ライヴであることは、以前に書いた。
 そして、その後の花組での公演を観て、けっこー引いていた時期があった。彼がエロいこともかっこいいこともわかるけれど……当時は今のように全組観ていないから、月組からやってきた彼は「知らない人」で、その「トップ当然の大人気スター」が花組にやってきたために、オサちゃんの出番が少なくなるのが嫌だったんだな。
 で、花組でわたしがその存在に慣れる前に、宙組組替え決定。しかも、花組東宝公演のチケット発売後の発表、東宝には出ないことが判明。
 劇団のこーゆーやり方に反発を覚え、水くんのせいぢゃないっつっても、いい感情を持てなかった。
 しかも、宙組はたかこが「代理トップ」「短期トップ」と言われながらの就任。大人気ズンコのあとを、たかこが支えられるはずもないから、大人気の水くんを投入するのだと、噂されていた。
「たかこさんに人気がないせいで、水くんが宙に組替えになる。水ファンにとって迷惑」
「たかこさんは2〜3作でクビ、すぐに水くんが次のトップになる」
 と、どれだけ聞かされただろう。
 新専科制度で混乱するなか、たかこファンでもあったわたしは、これまた苦い思いで「水夏希中心」にささやかれる噂を聞いていた。

 つーことで、わたしは長い間、水くんのことはスルーしていた。
 水くんの公認相手役のように言われていたかなみちゃんまで宙組に組替えになり、いつたかこが水くんに受け渡すカタチで退団することになるのか、はらはらしていた。や、短期短期言われてたんだってば、当時のたかこは!(笑)

 いつもいつも、思っていた。「水夏希は、トップスターになる」これは前提だ。わたしが知る限り、いつも彼は、そーゆーポジションにいた。

 いやあ、まさかなぁ。
 「トップ確定済み」「すごい人気スター」と言われるがゆえに、わたしの意識からスルーされていた水くんに、スコンとオチるとはなぁ。

 このブログをはじめた当初は、まだ水くんに対していろいろモニョっていたのよね。だから「水夏希がかっこいいかどうか」について、友人のWHITEちゃんといろいろ話し合っていたり(笑)している。
「あたしの目がおかしいのかな……水夏希がかっこよく見える……」
「おかしくないよ! あたしもかっこよく見える!!」
 2002年はまだ、そんな会話を大真面目にしているの。

 そして、わたしが水くんを大好きになると、なんだかどんどん彼のトップへの道が蛇行していったというか、就任が遅れていったというか……わたしの好きになる人って、脇へ脇へとポジションが逸れていくきらいがあるからなー……ははは。
 なんか思いのほか回り道しているというか、就任が遅れていたけれど、前提を疑ったことなんかなかった。「水夏希は、トップスターになる」

 まさかそれが雪組だなんて、ブログをはじめたころのわたしは、思いもしなかったよ。
 雪組はわたしにとって特別な組。最初の贔屓組で、ヅカにハマって数年は雪しか観てなかった。平みち、杜けあき、一路真輝、高嶺ふぶき、轟悠、絵麻緒ゆうとトップを見送ってきた。コム姫のことも、後悔ないよう見送りたいと思っている。
 大好きな雪組を、水くんが継いでゆくのだと思うと感慨もひとしおだ。

 おめでとー、水しぇん。
 とてもうれしい。

 
 いや、その。
 大劇お披露目演目には、いろいろいろいろ、心配も言いたいこともあるんだけど、今日はもーいいや(笑)。
 てゆーか、相手役は誰さ?

          ☆

 で、現花担といたしましては、キムシン『黒蜥蜴』とオギー新作ショーという来年ラインナップに震撼しとります。
 すげーすげーすげー。
 なんてすばらしい演目でしょー。

 あたしゃ、ヲタクの基本スキルとして江戸川乱歩ダイスキーでありますことよ。
 オサが黒蜥蜴だといいのになあ。でもって明智がまとぶだったりしたら、うれしすぎるのになあ。オサに翻弄されるまとぶが見たいなぁあ。
 まあオサが黒蜥蜴だと、エロール@『不滅の棘』まんまって気がするから、無理か。

 まっつが気弱な書生役だったりしたら、ほんとにすばらしいですよね、モロさん!(と、こんなところでまっつメイトに語りかけてみる・笑)

 オギー再び、もうれしすぎる。
 オギーショーがすばらしいクオリティであろうことも、うれしい理由ではあるけれども。
 オサにあのリュドヴィーク@『マラケシュ』を、まっつにあのウラジミール&クリフォード@『マラケシュ』をやらせたオギー、キャストの持ち味を最大限に生かす作品を期待できるもの。

 
 どの組のどの演目も、たのしめるもの・ファンがしあわせな気持ちになれるものでありますように……(いやその、月組にもっとも不安を募らせてますが……き、杞憂となりますように……)。


 なんだかんだ言っても、終わってしまうのが寂しかった。

 わたしが求めているものとはチガウけれど、それでも好きだったんだ『ファントム』
 再演に耐えられるレベルの脚本でも演出でもないこの作品を、力尽くで「感動」まで押し上げたキャストに拍手。

 花組公演千秋楽の話を書いていないことに、今ごろ気づいた。もー、他のことでいっぱいいっぱいだからなあ。
 千秋楽だからといって、アドリブはとくにナシ。アラン・ショレ@はっちさんが、カルロッタ@タキさんのことを、「春のようだね」からはじまってエスカレートし、「春のすみれだ!!」と叫んだことぐらい。

 あとわたしは、最初のパリのシーンで3兄弟をガン見していた(いつものことですが)ので、まっつのビスコの行方に涙したぐらいのもんですね、アドリブ?としては。

 千秋楽だからといって、「いちばんクオリティの高い演技」になるとは限らない。とくに寿美礼サマのよーな気まぐれな人は(笑)。『マラケシュ』のときも、『パレルモ』のときも、楽とは関係ないふつーの日に「こっ、これはっ!」てなものすごい密度の演技をしてくれたなー。
 だから、クオリティとかゆーんじゃなく、思い入れの問題で、「千秋楽」はあるんだよな。もちろん、この公演で卒業する人を見送るという意味でも。組替えしてしまう人を見送るという意味でも。

 東宝楽を観ることの出来ないわたしにとって、『ファントム』楽と言えば、この日だけだ。や、チケット取れないもん、東宝なんて。
 だから、組替えするふたりの挨拶があったのが、とてもうれしかった。

 てゆーか、そのか。

 舞台であれほどオトコマエなのに。目ヂカラぎんぎんで踊っている色男なのに。
 いざ挨拶となると、ヘタレ全開!
 なんなの、そのうわずった女の子声。直立不動なのに挙動不審な目線。言ってることもたどたどしいわで、とても大人の挨拶だとは思えない。
 あああもー、かわいいっ!!(笑)

 そのあとのゆみこの挨拶が「あー、ふつーに大人の挨拶だー」と思えましたよ。
 花組に組替えして8年、それからまた雪組に戻るんだね。
 雪組時代のキラキラした若手スターだったころを、ついこの間のことのよーに、思い出すよ。そーか、あれから8年も経つのか……。雪にいたころは派手だったのに、花に行くとすげー地味に見えて、雪ファンとしては微妙な気持ちになったのもまたいい思い出さ……。
 雪に戻れば、相対的に派手に……見える……かな?

 組替えはさみしい。
 そのまつ大好き、オサゆみ大好きなのに、もう並びで観られないなんてさみしーよー。

 だけど「タカラヅカ」を好きだから、変わらずに彼らを好きだから、これからも見守っていくんだ。

 雪組からの組替え、といえば退団者の橘梨矢くん。わたしが雪組しかちゃんと観ていなかったころの雪っ子だから、花に組替えしたあとも彼のことはあたりまえに目の端に止めていた。顔、濃いし(笑)。モブにいても目立つって。
 思い出の博多座『パッサージュ』で、キムの役をやっていたのが忘れられないなぁ……。キムとはチガウ毒、チガウ角度の鋭さを感じさせてくれたっけ。
 タイガースファンだとは知らなかったがな……ははは。

 花担になって日が浅いので、もうひとりの退団者紫万新くんのことはよく知らないのだけど、よい挨拶だった。まっすぐに話す人だなあ。

 
 えーと。
 わたしは基本的にムラしか行かないので、東宝のことは知りません。
 わたしが知っているのは、ムラ楽ONLY。

 で。
 今回の『ファントム』楽と、前回の『パレルモ』楽と、前々回の『マラケシュ』楽を比べて……やはり、愕然とするのですよ。

 『マラケシュ』楽は、そりゃーもー、盛り上がりましたとも!
 舞台も客席もアツい!!
 鳴りやまない拍手、カテコだ、スタオベだ、と大騒ぎ。や、星組には到底かないませんが、当時まだ星担だったわたしが違和感を持たないくらいにはアツかったのですよ。
 なにしろ、樹里ちゃんサヨナラショーがありましたからね。樹里×オサによる『ファントム』再現。響き渡るすばらしー歌声。
 エンターティナー樹里ちゃんはみんなに愛され、割れんばかりの拍手で見送られていました。

 その記憶があるだけに。
 とまどってびっくりして、ついにはおびえて、日記にはなにも書けなかった『パレルモ』千秋楽。
 いやあ、わたしの花担デビュー公演だったから、「は、花組っていつもこうなのっ?!」って、びびったなー(笑)。
 いつも……というか、わたしの知る限り「乾いた」印象のある客層だったけど。星の汗くさい高温に慣れていたので、「えっ、こんなにさばさばした空気なのに、それでもスタオベってするの?」とおどろいたりしてたよな。
 だから乾いているのはべつにかまわないんだけど……『パレルモ』のときは乾くを通り越して、凍ってた……。
 あの空気。
 拍手の少なさと、まるで打ち合わせでもしていたかのよーな、少なすぎる、儀礼的なカーテンコール。
 前回の楽をおぼえている身としては、「さあ、これからまだまだカテコが続くのよねっ」と身構えていたのに、ぴたりと拍手が止み、みんな一斉に席を立って帰りはじめる、あのタイミングに置いてけぼりにされた。
 一緒に観ていたハイディさんと、おびえたなあ。「なんなんですか、この空気」って。
 ……こわかった。
 で、とても日記には書けなかった。だから、まっつの話を書いた。逃げるときはまっつの話。まっつの話ならいくらでも書けるから。
 や、半年以上経った今でも、そのものズバリには書けません。何故にあそこまでこわかったか。空気が凍っていたか。
 ただ、「さあ、この公演からは花担だ」と思って通った公演のラストがそーゆー雰囲気だったので、相当びびったんだよ、小心者のあたしは(笑)。

 そして、今回の『ファントム』。
 いい千秋楽でした。
 盛り上がっていたし、退団者や組替え者を送る空気もあたたかかった。カテコもふつうにあったし、スタオベもあった。
 よ、よかった……。ふつうだ……ふつーの組で、ふつーの千秋楽だー。
 そうだよ、『マラケシュ』楽はアツかったじゃん。前回が特殊だっただけで、ちゃんとあったかい組とファンなんだよ。
 心からほっとし、素直に拍手をすることが出来ました。

 
 でも、こうして考えると、舞台ってのはキャストだけでどうこうするものではないんだなあ。客席のムードもたしかに「舞台を作る」要因なんだ。
 タカラヅカを愛し、客席からそれを伝えて行きたいと思う。


 需要がないことはわかっているが、花組『ファントム』千秋楽のまっつの話。てゆーか、ビスコの話。

 3兄弟のビスコといえば、すでに有名な話。
 最初のパリの街、とにかくうるさい花組子たちが弱肉強食で小芝居しまくっている場面で、みわっち、まっつ、そのかがパンを食べているんだな。
 パン屋から食い逃げしたり、末っ子のそのかがにーちゃんたちの分も払わされていたり、日替わりでいろいろなんだけど。
 舞台でほんとーに食べてるのね。そのかは2回、みわまつは1回ずつ。パン屋のパン……に見せかけた、ビスコを。

 3兄弟が「ナニか」やるシーンとしてリピーターには有名になっているシーンなんで、千秋楽にはそりゃー「ナニか」やるだろうと思っていた。わたしだけぢゃなく、きっと多くの人たちが。
 そしてソレはたぶん、組替えするそのか絡みで……。

 
 思った通り、みわっちとまっつは自分たちのビスコを、そのかに食べさせようとした。
 そのかは自分の分2個食ってるっつーに、さらに2個食えと(笑)。

 ダンスに入らないフリータイムを使って、そのかに「食え!」とビスコを突きつける。そりゃーもー、無理矢理。
 このときのそのかがねー、かわいいの。
 まだ、自分の分が口に入ってるからモゴモゴしたまま、すごく困惑した顔で突き出されたビスコを見てるの。
 てか、悩んでる。
 きっと、咄嗟にいろいろ考えたんだろうな。
 食べるべきだ、と思う。が、まだ自分の分が食べ終わっていないのでこれ以上入らない。無理にでも詰め込むべきか。でも、アドリブ(お遊び部分)でそんなことして、本来のダンスやコーラスに支障をきたしたらどうしよう。
 そのかの、硬直した表情とふたつのビスコを交互に見る目の動きが、許容量オーバーにてフリーズ中って感じで、地団駄踏んで転げ回りたいくらい、かわいかった。
 あまりアタマよくないんだろーなー、という印象のそのか(勝手な印象だ、すまん)が、一生懸命考えた結果は。

 「がんばって、あとひとつだけ食べる」だった。

 決めて、次にどっちのビスコにするか、また目線を泳がせて、ついに、みわっちのビスコを食べた。

 えーと。
 みわさんのことが、好きなんですか?
 同期のまっつを見捨ててでも、みわさんのビスコを食べたかったの?

 ……という想像もOKです。たのしいです。おいしいです。

 逆に。
 上級生の顔を立てることを選んだ。同期のまっつのことは無視しても大丈夫、だって仲良しだからわかってくれる。

 ……という想像もOKです。たのしいです。おいしいです。

 いやあそのか、ほんとにおいしいなっ。みわっちともまっつともカップリングOKだ!(笑)

 てな想像はともかく。

 そのかはみわっちのビスコだけを食べ、まっつのは食べなかった。
 問題は、食べてもらえなかったまっつのビスコ。……どうなるの?

 まっつはあきらめきれないようで、いつまでもそのかへと突きだしていた。
 でもそのかはモグモグ必死。まっつの分まではとても手が……口が回らない。

 可哀想なまっつ。
 「食べろ」ってやってるのに、食べてもらえないまま放置プレイ。

 そしてそのまま、ダンスに突入。まっつはちょっとこまったよーに、それでもビスコを持ったまま踊る。踊ってなくても、ここではこの位置でこの人と、など段取りが決まっているから、手のビスコをどうこうすることもできない。

 まっつはそのかをちらちらと見ては、どこかで食べてもらえないかと思っているようだがそのかは、無視。そのかとしては、あのシーンで食べなかったことで「終わったこと」なんだろう。
 でもさー、まっつにはまだ「終わってない」んだよ。だって彼まだ、ビスコ持ってるんだもの。

 そのかに片想いのまっつ……! ハァハァ。(誤解を受ける表現はやめましょう)

 隙あらば、そのかに突っ込みたいまっつ……!ハァハァ。(ナニを? いやだから、ビスコを)

 だけど、どーしてもタイミングが合わない。
 まっつはいつまでもビスコを持ったまま。

 ソレリ@きほちゃんと絡むシーンで、彼女にビスコをすすめてみたり、そしてここでも無視されてみたりと、すっごい可哀想!
 なんでそう間が悪いの、まっつ!
 誰もキミのビスコ、食べてくんないぢゃん!!

 
 で。

 まっつは結局、自分で食べてました。

 かなり後の方で。もう他にしょーがなかったんだろー。ソレリに見せながら食べていたと思うけど、相手が欲しがっていないから、んなことしても無意味だし。

 千秋楽のアドリブ、まっつ的には不発……。失敗だよね、アレ。

 そんなまっつが、愛しくてなりません(笑)。


 なんてゆーかさぁ。
 自分ちの茶の間で、テレビを見ていたわけよ。
 テレビではなんかすごいことやってるけど、所詮テレビの中のことだし。すげーなー、へー、と阿呆面して眺めていたわけよ。
 それが。
 ふと気づいた瞬間。
 自分が、テレビの中にいるの。
 自分ちの茶の間でテレビ見ていたはずなのに。のんきにしていたはずなのに。
 えええっ?! なんであたし、こんなとこにいるの?
 周囲はテレビの中で広がっていた世界で、テレビの中にいた人たちで。あたしの茶の間はどこ?!
 くわえてたポテチもそのままに、びびりきってきょろきょろ辺りを見回している。

 ……そーゆー感じでした、服部有吉×首藤康之『HS06』
 いやはや、アタマ悪い感想もここまでくるとすごいっすね。

 nanakoさんのダーリンに会いに行った。
 友だちの彼氏に会う、つーんでドキドキ(笑)。

 すんません、「友だちがひとり行けなくなった、チケ代不要」というお誘いに「タダなら見たい」と正直すぎる返事をしました。譲ってくれたお友だちさんによろしくです。
 や、今さらだけど。だってコレ、7月の話だし。
 テキストだけはすぐに書いてたんだけど、まとめる時間と気力、UPする時間とタイミングがなかなかなくて……。

 予備知識皆無だ! そのうえあたしはダンスを理解する能力なんぞ皆無だ! 
 nanaタンのダーリン服部王子が出演する、以外のことはなにも知らない! せっかくnanaタンが事前にパンフ見せてくれたのに、予備知識入れるの好きぢゃないからろくに見なかった! 2幕構成で2幕が「セロ弾きゴーシュ」らしい、つーことぐらいしかアタマに入れずに見た!
 ……なんてことを、開き直って言ってちゃイカンて。まさに猫に小判だよ……。

 
 よーするにわたしは、「わかんないなら、わかんないでいーや」と思っていた。
 世の中の「すばらしいもの」全部理解できるアタマも感性もない。自分にナニが欠けているかは、何十年も生きてきたからわかっている。
 ただ、あるものをあるがまま、受け止めよう。理解できるできないは二の次。ソレ自体に「力」があるなら、ただ眺めているだけでもなにかしら跡は残していくだろう。

 そして、安心感があった。
 nanakoさんが絶賛している人の、舞台だから。
 世界的な位置だとか名声だとか、そんなの関係ない。だってわたし、そんなのはじめから知らないし、興味ないし。
 見て損はない。そう思えるのは、nanakoさんが「いい」と熱く語るモノだから。
 世間の評価より、信頼できる友だちの評価の方がはるかに重い。
 nanaタンのカレシだから、見てみたい。……ソレって、そーゆー意味だ。

 わたしは無知で無教養だから、ほんとのとこは理解できないんだろうけど、それでも、そんなバカがバカなりに観る価値も意味もある。それだけのものが残る。
 そう安心していたから、いつものよーに予備知識皆無、すっぴんのわたしが感じるものだけがすべて!状態で劇場へ。

 そして、油断して「客席」から、ぼーっと舞台を観ていた。

 舞台は、うつくしくてこわい物語を、展開していた。
 まっしろな空間で、ロボットたちが人間と同じ姿で、でも人間とはチガウ動きをしているの。
 無機質なまま調和していたロボットたちに、変化が起こる。とりあえず1体。その1体を起点に、波紋が広がる。軋みが広がる。
 1体、また1体動かなくなる。
 白い壁で区切られた四角い舞台。白く美しい、不安な世界。

 つっても「所詮舞台の上のこと」で、わたしとは「直接関係ない」から、どんなにこわくてもぼーっとしていられた。

 でも。

 倒れて動かなくなったロボットたちの間で、主人公ロボットが手を伸ばす。
 正面に。
 わたしたち、客席の方に。

 それは、不思議なことじゃない。舞台の上の人が客席に向けて演技するのはあたりまえのことだから。

 ただ。
 のばしたその手が、なにかにはばまれたんだ。

 壁。

 そこに、見えない壁があった。

 客席に向かって開かれた空間、じゃない。
 四方を壁によって閉ざされた箱の中なんだ。

 閉ざされた。

 あそこに、見えない壁がある。ずっとあった。でもわたしは知らなかった。彼らも、知らなかったのだろうか。それとも。

 断絶。
 今、なにか切れた。
 目に見えない壁に触れた、そのときに。
 いや、「つながった」のか。
 ロボットの彼と、わたしが、一瞬シンクロした。
 彼が視た「四角い箱」が、わたしにも見えた。

 こわかったの。びっくりしたの。

 わたし、自分ちの茶の間にいたのに! いきなりテレビの中なんだもん!!

 のんきに眺めていたのに、油断していたのに、一気に心臓鷲掴み。
 どきどきしながら夢中で観た。
 閉塞感に喘ぎながら。

 ロボットたちは結局みんな動かなくなって、作業服の人間たちによって運び出される。まさしく「モノ」として。
 箱は開かれ、また閉ざされる。
 そしてまた、次のロボットが上から降りてくる……はじまりと同じシーンにつながって、幕。

 技術的なことはわからないから、ただ「作品」としてしか見ない。無知なわたしが「観た」だけの「作品」。
 ロボットたちは美しく不安だった。
 それがどういう意味を持つのであれ、「規則」のなかに「不規則」なものが混ざるのはこわい。
 波紋のように、1体ずつ動かなくなるロボットが、そして不自然な形のまま止まり、打ち捨てられた姿がこわい。
 ひとごとだと思って眺めていたのに、そこに「壁」があることで舞台と客席の「壁」が消えてシンクロしてしまった現実がこわい。
 そこにあるのは、みんなうつくしいものなのにね。
 
 
 わたしがあんまり疲れた顔をしていたからか、幕間のnanaタンは、
「2幕はたのしいから!」
 と、はげまして(?)くれた。

 その言葉の通り、2幕の「セロ弾きゴーシュ」をモチーフにした作品はとてもキュートで、素直に楽しかった。
 「セロ弾き」を「ダンサー」に置き換えて、みそっかすダンサーくんのところに、動物たちがやってきてダンスを披露、一緒に踊っているうちにみそっかすくんはダンスの達人に!

 着ぐるみが出るとは思わなかった。
 てかみんなかわいー!!

 1幕であんなに無機質で、こわかったロボットたちが、なんて表情豊かにキュートに踊ってくれることか。
 素直に単純に、たのしみました。

 にしても、服部王子、妖精属だなあ。
 終演後真っ先に、王子の年齢をnanaタンに聞いちゃったよ(笑)。

 
 大変興味深い体験をしました。
 nanaタンありがとー。
 猫に小判でごめんよう。


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