スカステが見られなくなって、早5日目の緑野です。
 衛星放送全部、まるっと映りません。
 画面には、

「信号が受信できません。E202
 悪天候やアンテナ設置に問題がある場合もあります」

 と出ております。
 断線したんだろうか……自分では直しようがない。

 つーことで、花楽映像も見られずにおります。

 千秋楽、退団挨拶をするわかなちゃんを見つめながら、顔を硬直させたままべそをかいていたまっつは、映っていたのでしょうか。
 ……映るわけないか……。

 わかなちゃんとのデュエット、ものごっつー好きだったよ。
 てゆーかまっつ、ソロより、デュエットの方がきれいだよね? ……あああとことん地味道を行くまっつ……いや、そーゆーのを、わたしが好んでいるだけのことか?

 まぁともかく、今回の公演のまっつのツボを語ろう。

 需要がなくてもいいんだっ、わたしが書きたい、わたしが書き残したいんだから!!

 ★★こあらった目線の、見どころまっつ。★★

『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』

 冒頭のクラブ黒蜥蜴において、まっつは客の男を演じている。
 マダム緑川が思わせぶりに背中のタトゥを披露したとき、「出たぞー、トカゲちゃんがー!!」と叫ぶ。
 いちお、台詞のときはスポットライトが当たっているんだわ。暗めだけど。
 軽薄な場面、軽薄な人々。
 そのなかでも最初にピンで軽薄な声を上げなければならない役。

 似合ってないんだわ、コレが。

 無理矢理テンション上げて、無理矢理軽薄ぶっている。
 でもさー、キャラに合ってないんだよね。
 嘘臭くて薄ら寒くて、めっさ萌える(笑)。

 なんでまっつってこー、軽い役が似合わないんだろう。

 あとはコーラス時の「まっつの声の聴き分け」に燃える。
 全部聴き取れるわけじゃないけど、部分部分は低音が耳に飛び込んでくるぞっと。
 あああ、まっつの声好き〜〜。
 

 次は岩瀬家の書生さん役。
 台詞はひとつ、「ボクとピアノの連弾を」。

 こっちの役は、似合いすぎていて萌えです。

 カラダに合っていない大きめの学ランを着た、育ちはよさそうだが、頼りなさそうな青年。
 漂いまくるヘタレ感。

 これぞ、まっつ!!

 知性と育ちの良さ、そしてヘタレ。この3つを備えてこそまっつ!!

 まっつは成り上がりより貴族が似合う。
 馬鹿よりは秀才が似合う。
 だけど、天才は似合わない。ヒーローも似合わない。
 馬鹿役は、「学校の成績はいいけど、まぬけ」系なら似合う。

 知的クールビューティも似合うけれど、ヘタレ善人の方が、たぶん似合う。

 ……そんな「まっつ観」はファンとして正当なのでしょうか?
 まともなまっつファンはどう思ってるんだろう?

 なんにせよ、書生さんは萌えです。
 特技がピアノってのがたまらない。育ちいいんだ。でも押しは弱くてヘタレなんだ。あああ、これぞわたしのまっつ。

 早苗さん@ののすみちゃんにまともにプロポーズできず、その他大勢しているところも大変美味です。強引に突き進めないのね(笑)。

 公演後半戦では、自分の唇の下にひとさし指一本あてて「たよりない甘えっ子」ポーズで早苗さんを見つめることが多々あった。
 しかも、小首かしげてみたり!
 しかも、上目遣いしてみたり!

 なんのプレイですかっ?! そのかわいこちゃんぶりは、なにごとなのっ。
 あの書生さん、誘拐して帰りたいんですが!! 人間椅子に閉じこめて、持って帰りたいっす!!(鼻息)

 そしてなにより、縦にも横にも巨大な書生@きよみと仲良しなことも、大変萌えです。

 きよみ書生と、まっつ書生の体格差はすごいです。身長だけじゃなく、横幅もチガウ。
 なのにふたりは仲良しで、いつも一緒にいます。
 まっつが「ピアノの連弾を」とポーズを取るところで、どさくさにまぎれてきよみも同じポーズでアピってます。……ほんとに、仲良しです。
 きよみくんはまっつくんがスキなんですかね。後ろからまっつにしがみついたり、肩を抱いたり、毎回スキンシップ過多。(でも、まっつは気にしていない)←重要(笑)。

 書生さんシーンはすべて(プロポーズのときと酔っぱらい登場と「早苗がいない!」のとき)、自由に遊んでいいところなのか、観るたびなにかしらやってます。
 いちばん愉快なのは、波越@壮くんの「プロポーズ」の歌を聴きながら、きよみとまっつが、うっとりと手を握り合うとき。
 いつもやってるわけぢゃないが、何回かは遭遇したぞ(笑)。
 恋人の手を握るよーに手を重ね合い、途中ではっとして振り払う、とゆーやつ。

 まっつくんもヘタレだけど、きよみくんもヘタレキャラなのが惜しい。
 きよみくん、東宝ではキャラを変えてくれ。オトコマエ系になるんだっ。せっかく眼鏡っこなんだから、クールビューティを狙ってもいいぞ。
 そーしてまっつにちょっかいかけてくれ。腐女子が大喜びすること、請け合いだ。
 

 で、次が黒蜥蜴の手下役。
 黒尽くめに青いネッカチーフがオサレです。
 ボリュームのあるオールバックがまた、かっこいーです。

 上手側で慟哭芝居やってるみわさん書生に見とれていると、出てくる瞬間を見逃すので、みわさんの台詞が終わったらすぐに下手を見ること。サソリの台詞は耳だけで聞くこと。

 見どころはまず、みわっち書生とすれ違うところ。

 クールビューティーまっつは、みわっち書生さんとすれ違いざま、冷笑します。

「フッ」

 ……です。
 この、「フッ」が、たまらないんですよ!!(鼻息)

 無表情なくせに、一瞬だけクッと笑うの。そしてまた、人形のような顔に戻るの!!
 そして冷たく「黒蜥蜴様がいらっしゃいました」と報告するのよ。この低い声とテンションがいいのよー。

 やーん、かっこいー。

 で、さらにわたし的にハズせない見どころは。

 明智がソファの中に隠れていると思い込んだ黒蜥蜴の命令で、まっつたち手下がソファをロープでがんじがらめにする。
 このときまっつは客席に背中を向けているので、顔はろくに見えない。
 ここでぼーっと、客席に顔を見せているふみかの眉毛に見とれていちゃダメなのよ。
 ここで注目すべきなのは、まっつのお尻。

 この手下たちのお衣装は、黒蜥蜴様の趣味なのかしら。
 なんつーかこー、イヤラシイお衣装でね。

 黒のパンツを穿いているんだけど、身体に沿った、ラインがまんま出るパンツなのよ。

 で、客席に背を向けて、しゃがんで作業するまっつのお尻が、モロにラインが見えるというか、想像できるというか。

 肉の薄い、小さなお尻がぷるぷる動いているわけですよ。

 ある意味、裸よりエロいんぢゃねえか? と、ハァハァできます。(変態注意報!!)

 そのあとで、まっつ手下さんはわざわざ客席に向き直って、
「名探偵の最後だ!! はぁーっはっはっ!!」
 と、やる。

 このキレた感じの言い回しと、高笑いがねー。

 うすら寒くて、たまらないの!!

 似合ってない。テンション高い役、似合ってないよママン。
 なのに無理からテンションあげて、とーとつにキレて高笑いするの!!

 このいたたまれなさが萌え!!

 冷笑も無表情も、まっつ的に素敵なの。
 でもそこからテンションMAXに急激にメーター振り切って高笑い、は、無理がありすぎて、嘘くさくて痛々しくて、たまりません。

 だからまっつ、秀才は似合うけど天才……と紙一重の役は似合わないんだわ……わたし的に。

 さて、手下ズはそーやってすぐにソファと共に奥へ消えてしまうのですが、実はそのあとも舞台にはいるのよ。
 クローゼットから出てきた明智さんが波越くんにラヴコールしている間、手下くんたちは船室セットの裏側で、「海に放り込まれるソファ」を見守る演技をしている。……照明もないっつーに。
 まっつはわりと手前にいるので(シルエット確認)、ちゃんとがんばって演技しているところを見届けましょう。

 
 そのあとは、ラストの全員集合、ヘタレちゃった明智を見守る会の人々。

 ここでのまっつは、高確率で埋没していて見えません。

 角度の問題か? 1階席からでは、見えない率高すぎ。
 スーツの男たちだから、最初のクラブの客たちなのかな。みわっちもいるし、書生さんではないんだろう。
 そこにまざってしまった小さな小さなまっつは、周囲の男たちに埋没して顔が見えない。
 まあここは、全員無表情にギャラリーに徹しているので、まっつの深刻顔を愉しむのもいいけど、やっぱ明智くんの「コマがなんだーっ!!」プレイを眺めるのも良いかと。(プレイ言うな)

 階段に上がったあとなら、いくら小さなまっつでも顔は見えるよーになりますんで、無問題。

 うお。
 これっぽっちの出番(全部で何分よ?)なのに、芝居だけで長くなってしまった。
 ショーはまたいずれ。


 『TUXEDO JAZZ』の、まっつについて。

 今までからはとても想像が付かないほど、いろいろとありがたい扱いをしてもらい、まっつファンとしては感涙ものなんだけど。

 それとは別に、ヘコんでいることもある。

 下級生だったころや、扱いがその他大勢見せ場ナシのときは、わからなかったけど。
 学年が上がり、DCで2番手役させてもらったり、今回の『TUXEDO JAZZ』のよーに大劇場でまともに役がついていたりすると、見えてくるものがある。

 まっつってさぁ、器が小さいよね。

 小柄だとか華奢だとかゆー、外見的な意味ではなくて。
 性格だとか言動だとかゆー、人間としての意味でも、もちろんなくて。(そんなもん、会ったこともないんだから知らん)

 「タカラヅカスター」として。

 『MIND TRAVELLER』でアタマを抱えた欠点が、「足りない」ものが、『TUXEDO JAZZ』でクローズアップされて突きつけられて、もー、どーしよーかと。

 『マラケシュ』博多版で、まっつクリフォードは、オサリュドヴィークのもうひとつの姿だった。
 ラストシーン、向かい合うふたりが「同じモノ」に見えた。リュドの選ばなかった(選べなかった)もうひとつの可能性、もうひとつの人生がクリフォードであると、痛感できて、せつないラストだった。
 『マラケシュ』ムラ・東宝版で、まっつウラジミールは、オサリュドヴィークのイミテーションだった。
 彩音ソフィアはリュドヴィークを愛していたけれど叶わず、ウラジミールを選んだ。女をしあわせには出来ないリュドと、よく似ているけれど確実に平凡に、しあわせを与えられるだろうウラジミール。

 過去作品での、オギーによる「未涼亜希」の使い方が印象的過ぎて。

 どうしても、その目線で見てしまう。

 オギーって他の作品を見ても、キャラクタに対するイメージはずーっと共通しているし。
 オムニバス形式の長編小説みたいに。
 別の舞台の別の短編なんだけど、それらを続けて読むと「あ、これってシリーズなんだ」とわかるような。

 オサ様とゆー「強い個性と輝きを持つキャラ」の相似形としてまっつを使いながら、いつも必ず「平凡なモノ」として描く。

 非凡な春野寿美礼に対し、外見は似ているかもしれないけれど所詮凡庸なモノ、まったく別のモノとして未涼亜希を配置する。

 ……イタイよ、ソレ。

 かといって、その凡庸さを否定しているわけでもなさそう(ex.クリフォード)なあたり、さらにキツい(笑)。

 『TUXEDO JAZZ』のまっつは、やはりオサ様の「もうひとつの姿」として、なんかうろちょろしている。

 オサ様が出てきた窓から、遅れて出てくる、タキシードの男。
 オサ様と彩音ちゃんが出会い、とまどいがちに踊る舞台の隅で、女の子とラヴラヴに踊っている男。
 オサ様が歌う「夢」の歌を唯一ソロで歌い継ぐ男。
 オサ様が消えてしまったあと、彼を探す彩音ちゃんに急き立てられ、オサ様が歩いた道を歩けず逆戻りしていく男。
 オサ様を探す彩音ちゃんのドタバタに巻き込まれ、街の住人として一緒に走り回る男。
 マフィア・オサと同じ組織の人間として、彼を見つめる男。
 服を買いに来たオサ様に、服を勧める店員。彼と共に一喜一憂する男。
 タキシードを着て踊るオサを見つめる男。
 踊り終わったオサに、女を通し、幻想へ誘う酒を渡す男。
 幻想の夜にオサと共に存在し、別れと祈り、別世界に生きる愛する人への想いを歌う男。
 ジャズバーではお揃いの白スーツ。仲間らしい。
 その後のカオスではあっさり「あちら側」に行って、いちかといちゃくらしているし。

 基本その他大勢の中に存在、要所要所でちょろっと、オサの心情を代弁。
 『タランテラ!』のキムほどの、明確な存在ではなくて。
 歌の人・春野寿美礼について回るエコーのように、もっと薄い、軽い意味でつかず離れず存在する。
 ……そんな、いかにもまっつアテ書きな役。

 オギー作品はいつも、そのキャストの特性が残酷なほど浮かび上がってくるから。
 アテ書きゆえの容赦なさというか、まっつの「スター」としてのダメっぷり、足りなさぶりを突きつけられて、目眩がする。

 いやその。
 立場が人を作る、とゆーことがある以上、これからまっつが変わっていく可能性だってあるんだけど。
 今のところは、なかなか現実はキビシイなと。

 わたしのうがちすぎ、だといいなあ。
 他の人には、まっつがちゃんと「スター」に見えている、といいな。
 『TUXEDO JAZZ』で求められている「仕事」を、タカラヅカスターとしての「仕事」を、ちゃんと果たせている、といいな。

 トップスターだけが「スター」ぢゃない。
 立場に相応しい「華」と「技術」を持ち、「仕事」をするスター……まっつが現在の学年や立場に対しての責任を果たせる人であることを、心からのぞむ。
 

 つってもね。

 できていよーがいまいが関係なく、ダイスキなんだけど。

 ダメだろーと足りなかろうと、器が小さかろーと、ぜんっぜんかまわないんだってば。

 んなもん、好きになってしまったあとでは、多少の欠点なんか無問題だ。
 トホホとは思うし、ヘコみもするけれど、かえって愛しさが加熱するつーもんだよ。ははは。(ちょっと自棄)

 そうそう、最近、山本耕史@『華麗なる一族』が、まっつに見えてさー。
 今までそんなふーに思ったことなかったし、山本くん単体で見てもとくに思わないんだけど、『華麗なる一族』限定で、なんか似てるー。銀平役の地味さと助演体質、兄への憧憬とコンプレックス、クラシカルな佇まいとスーツ姿、そしてが、まっつっぽいのー。

 小雪を見るたびにまっつを思い出すのはデフォルトだけど、山本くんもになるとはねー。

 なんか、まっつに見える人が、どんどん増えてる感じ?(語尾上がる)

「『Ernest in Love』かよっ?!」
 と、ツッコミ担当ドリーさんには即ツッコミされました。

 ほほほ、今になにを見ても、誰を見てもまっつに見える日が来るかもよ。ソレはソレでしあわせよねっ。(落ち着け)

 まっつまっつまっつ。


 軽やかに駆け抜ける彼女はたぶん、なにも考えていない。
 彼女は彼女として「在る」だけ。
 でも彼女は「糸」としての役目を持つ。

 いくつかの世界を縫い合わせる、赤い糸。

 赤いストライプのスカートをひるがえして、ときにはハンドルを持って。
 小さくて甘い、無邪気な毒@いちか。

 いちかの甘さと軽さとは対照的に、街の語り部@シビさんが大人の香りで物語のはじまりを告げる。
 
 
 窓から、ひとりの男@オサが現れた。
 なにかを期待する、高揚感と共に。
 たぶんこれは、特別な時間。

「ショータイム!」
 スター然とした男@まとぶが太鼓の音と共に現れ、しあわせな、光にあふれた世界が広がる。

 オサは、雨の中ひとりの少女@あやねと出会った。
 雨が涙に見える、なつかしい少女。
 男と少女は手を取り合い、愛をたしかめ合う。

 少女と出会った男は目を線にして笑い、光の中で歌う。
 幸福な時間。
 夢のような時間。

 だが、すべては幻か。
 オサはまた、暗い世界に立っている。
 彼が生きる現実は、光とはほど遠い。

 その現実の中で、オサはひとりの少女@ののすみと出会う。
 雨が涙に見える、なつかしい少女。
 この少女がリアルならば、やはりあやねは幻なのだろうか。

 それでもオサは、あやねを思い切ることが出来ない。
 あやねとの出会いは、現実のモノなのか?

 闇社会で生きていたオサは、ののすみを見かけてしまったので、もう元の社会へ戻れなくなる。
 今までの彼なら、愛人@としことつきあいつつも、組織のボスの娘@ゆまの手を取り、いくらでも他人と自分を汚し、生きていくことが出来たのに。
 組織と彼の抱える現実……その合間合間に、ののすみの姿が見える。オサが見ているのはののすみではない……彼女を通して愛する少女・あやねを見る。
 闇に生きる彼が見る、光。
 手の届かない幻。

 ゆまの手を振り切って走り去るオサの前途にあるのは、破滅。

 それまで組織のひとりとして、ふつーの「人間」のふりをしてオサの現実に混ざっていたまとぶが、突然「人でないもの」として歌い出す。
 なにもかもわかっていたかのように。
 そう、彼はオープニングでオサと彩音の「ショータイム」を告げていた男だ。
 彼が「この物語」を操っている……?
 

 破滅したはずのオサは、再び幻の中にいた。

 それまでの闇社会の服から、「着替える」ためにこの世とあの世の境にある「店」にいる。
 オサを導くのは、愛する少女の顔をした、別人。
 そしてもうひとり、最初の幻場面から、オサのあとを追うように、あるいはもうひとりのオサであるように、幻にも現実にも混ざっていた男@まっつが、ここでもオサの代弁を努める。

 数々の服、さまざまな世界。
 オサが選んだのは、タキシード。
 最初の夢の中で着ていたように。
 オサにその服を選ばせたのは、まとぶ。彼が操るままに、オサと彼の世界は動く。

 幻と現実、あやねとオサの世界の間を自在に縫う赤い糸の少女@いちかが現れる。
 いちかと踊るオサ、そして彼の代弁者でもある傍観者@まっつが、ここでもまた彼の心情を歌う。

 求めたように、あるいは誘導されたように、オサはいつか見た幻にたどりつく。
 少女あやねのいる世界。
 キラキラと輝く夢の世界。

「ショータイム!」
 スター然とした男@まとぶが、あたりまえにオサとあやねの元で踊る。
 アリスのティーパーティ、全員集合。
 語り部@シビさんも、赤い糸@いちかも、傍観者兼オサの相似形@まっつも、誘惑者@としこも、人間代表@壮も、一緒になってキラキラ歌い踊る。
 

 夢の終わりは、物語の最初と同じ。
 サックス吹き@はっち、警官@大伴、ジャンパーの男@まりんら、物語の最初の顔ぶれが行き交い、語り部@シビさんが再び物語を牽引していく。

 死んだはずのオサは、前回とは正反対の白いスーツに身を包んで現れる。
 「回転扉」をくぐって、「着替えた」から、リセットされたのか。今彼が生きる現実は、前回の現実とは別なのか。
 オサを取り巻く仲間たちも、ダークスーツではなく、白スーツ。
 生きる焦燥感、閉塞感が男たちを追いつめる。

 現実のはずの舞台に、「ヒトでないモノ」たちが跋扈する。
 赤いスーツの男@まとぶと、赤いベストの男たち、そして誘惑する美女たち。赤い糸のはずのいちかも、ここに混ざっている。

 いつもいつも、「ヒト」のふりをしてオサの前に現れた男、まとぶ。
 だがついに彼は、本性でオサの前に現れた。

 追いつめられ、追い立てられる。
 逃げ場などないのに、行くあてなど見えないのに、ただただ「ここではない」と急き立てられる。

 幻のショータイムに明るい歌声を響かせていた金色の歌姫たちが、狂気のスキャットを歌い継ぐ。

 そして。

 光が射す。
 闇を照らす、清浄な光。

 天から、救いの少女が舞い降りる。

 絶望するオサの前に、あやねが現れる。

 まるで操られるように、惹きつけられるように、オサとあやねはシンクロする。
 同じ踊り、同じ動き。
 魂の相似形、だからこんなにもなつかしい?

「♪もしも昨日の朝 あなたと出会ってたなら ちがう明日への扉開けたでしょう」
 過去形の未来が哀しく美しく響く中、オサはほんのわずかな間、あやねと触れあう。

 それを遮るモノが、まとぶ。
 彼はなんなのか。
 物語はいつも、彼と共にあった。

 あやねは消え、彼女によく似た別の女……いや、似ても似つかぬ毒を持った女@みわっちに代わった。
 赤いシャツの男@まぁくんが暴力的な狂気を歌い、赤ベストの男たち、誘惑者たちが踊り狂う。
 語り部@シビさんも現れ、すべての物語がここに集約される。
 いつか見た幸福な夢と同じ顔ぶれ。キラキラ光にあふれていた、あのときと同じ世界。
 だけど今。
 仲間だった白スーツの男たちも同じ色に染め上げられ、狂気は渦となってうねりをあげる。

 これは現実? それとも幻?

 オサはあやねの姿を追って走る。
 だけど彼女はまとぶの腕の中。最初から全部仕組まれていたことなのか。
 オサは奈落へ落ちていく。

「ショータイム!」
 告げるのは、いつもまとぶ。
 物語は、彼の手のひらの上。

 まとぶが手に入れたかったのは。
 この物語のほんとうの目的は。

 役目を終えたあやねは、ふつーの女の子の顔に戻り、同じ世界で生きる男の子たちの元へ帰る。

 オサの相似形@まっつが、陽気にあやねを口説きに現れる。いつもいつも彼は、オサの心情を歌うために出てくるから。……結局振られるけどね。似ていたとしても、実際彼はオサにはぜんぜん届かない、別のモノだから。

 赤い糸の少女@いちかが陽気に世界を縫っていく。
 でたらめな縫い目。
 でも、美しいの。

 美しいの。

 語り部が歌う。いつか愛する人と出会う日のことを。


              ☆

 てな筋立てだと思っているので、まとぶ氏の薄さ、弱さに肩を落としております。
 なろうと思えば、主役になれるのに!! と。

 そして、そんな筋立てをまるっと無視してオサ様はたのしそーに暴走しているし。

 公演がはじまった当初は、オサ様ちゃんと翻弄されていたのよ。カオス場面で苦悩していたのよ。
 なのにちょっと目を離した隙に(笑)、誰よりも狂気を愉しんでいる。
 ほんとにこの人は……。溜息。(でもスキ。ダイスキ)

 
 勝手に解釈してたのしんでいるだけなので、コレが答えだなんて思っていません。
 てゆーかわたし自身、これからだってずっと変わっていくと思う、どう感じるか、どう解釈するか。

 登場人物が多すぎて、とても整理しきれないし、書ききれない。
 壮くんは相変わらず「人間」らしくてツボだし、みわっちは両極端な役割だし、さお太さんもナニ気に謎だし、まぁくんとマメが気になって仕方ないし、ストーリーとは別に、ふみかが目について目についてしょーがないし(ナマふみかの「眉毛」にハマって以来、舞台でも「眉毛」を探してしまうの……ふみかLOVE)。

 楽しみは尽きない、『TUXEDO JAZZ』

 うわぁああん、もうムラで観られないなんて〜〜!!


 「オギー作品」だから、すべてのシーンが意味を持ってつながっていなくてはならないとか、ストーリーがあるべきだとか思っているわけではなくて。メインキャラは通し役に違いないと思っているわけでもなくて。
 ただわたしは、わたしが観たいように観て、感じて、たのしんでいる。(前提なので、再度掲載)

 『TUXEDO JAZZ』はいつものオギーショーと同じように、「ふたつの世界」が描かれている。

 「こちら側」と「あちら側」。

 わたしたちのいる世界と、そうではない世界。
 もちろん、わたしたちがいる側であっても、そこはあくまでも舞台の上だけど。
 大きくふたつに割ると、「人間」と「人外」とに分けられるよね、ってこと。

 今回オギーは、あえてオサに「人間」をやらせた。
 オサ様に「人外」をやらせるのは簡単だと思う。その方が持ち味に合っているのだから。トップスターは白い役でなければならないから「人外」はやらせられない、というのは、コム姫にタランテラをやらせたことで詭弁だとわかる。
 他の演出家はともかく、オギーなら、ありえる。
 なのに、オサ様を「こちら側」に置く作品にした。

 作品の作り方としては、『ドルチェ・ヴィータ!』に近い。
 翻弄される「人間」の主人公をトップスターが演じ、彼を弄ぶ「人でないもの」を2番手が演じる。

 オサに「人間」を演じさせることで、彼の持つ「やわらかさ」を描きたかったのではないかと思う。
 春野寿美礼の持ち味は、「やわらかい」ことだと思う。ワタさんなら「大きい」、コム姫なら「クール」、トウコちゃんなら「熱い」。
 オサ様は、やわらかい。軽妙さもあるし、柔軟さもある。そーゆー陽の意味の他に、毛皮とか肉とか、なまなましい陰のやわらかさも持つ。

 オサが「白い役」「人間」として、軽快なジャズの世界で遊ぶ。惑う。「音」を愉しむ、「音」で遊ぶことの出来る人。
 矢代鴻という稀代の歌手を相手役に、自在に声を広げられる春野寿美礼が「音」の世界で自由に泳ぐ作品。

 ……だったんだけど。

 繰り返し観、世界にどんどんどんどんハマればハマるほど、真飛聖のダメっぷりに、頭を抱えたくなる。

 オサが「こちら側」の人間である以上、まとぶは「あちら側」の存在として立ってくれなきゃいけないんだよ。
 『ドルチェ・ヴィータ!』でいうところのディアボロなんだよ彼は。
 なのになんなんだ、あの薄さ。
 あれほど登場場面を、役をもらっておきながら、責任をまったく果たせていない。
 ただの「その場面のライバル」「女をめぐって争う相手」で停まっている。

 おかげで目に入らなくて困る。
 役割を果たせないと、混沌の渦にまぎれてしまうんだよ。

 まとぶがオギー的にかなりヤヴァイ役者であることは、わかっている。
 彼はオギー世界に合わない。オギー作品を演じることが出来ない舞台人のひとりだ。過去の彼の出演作『バビロン』『ドルチェ・ヴィータ!』を見てもわかる。
 オギーもまとぶには、分にあった役割しか与えてこなかった。

 オギーに興味を持たれていないといえば、『タランテラ!』の水くんもそうだったが、彼の場合は「いてもいなくてもいい役」を与えられることで、作品の質に関わることはなかった。
 しかし今回のまとぶは、「主演が白い役」であった場合の「単独2番手」という役割を求められている。
 2番手が2番手としての「役割」を果たしてくれないと、作品の出来に関わってくるんだよ。

 あああ。
 まとぶがまとぶでなければ、『TUXEDO JAZZ』はどんな作品になっていたのだろう……。

 とゆー嘆きに陥りつつ。
 や、まとぶ単体はダイスキなんだけど(そのうち語る予定)。『タランテラ!』ファンでありながら水ファンであったよーに、個人への愛情と作品へのこだわりは別のところにあるんだ。

 まとぶのダメっぷりに毎回肩を落とし、歯がみし。

 そして、春野寿美礼の困ったちゃんぶりに、ツボる。

 だからオサ様。
 あなた、「人間」なんだってば今回。

 ディアボロ@まとぶに翻弄される、かよわいアリスなんだってば。

 まとぶが「人外」としての役目を果たせていないもんだから。

 オサ様が、ひとりで勝手に「あちら側」へ行ってしまう。

 『ドルチェ・ヴィータ!』でいうと、トウコちゃんがなにかのアクシデントで舞台にずーーっと出てこなくなった隙に、ワタさんがディアボロになっていた、みたいな感じ。
 や、ソレ、おかしいから! ありえないから!!

 春野寿美礼、暴走中。

 クライマックスの、カオスシーンにて。

 まとぶに翻弄される無力なアリスであるはずの場面で、絶望のうちに奈落に落ちていく場面で。

 オサ様、誰よりも「あちら側」に馴染み、ノリノリで愉しんでらっさいます。

 誰かこの人の手綱取って!(笑)
 放っておくと、好きに暴れ出す。
 役目もなにもあったもんぢゃねー。

 ディアボロ@まとぶ? どこにいるのよ、悪魔は寿美礼サマでしょ?

 2番手に、トップに対抗するだけの力がないと、こーゆー事態になってしまうのか。
 まとぶに特別力がないというより、今回は相手が悪かっただけのことだとは思うけれど。

 それにしたって、ここまでしっちゃかめっちゃかになるなんて。

 オサ様に悪気はない。
 てゆーか、ジェンヌはみんな天然で、本能で舞台の上にいるから、役割とか裏の意味とか抽象的なことは考えていないだろう。
 彼らがなにを考えて演じているかなんて、興味ない。彼らの考えと、彼らが「結果として表現していること」はまったく別物だ。
 だからオサ様は、自分が「あちら側」に行ってしまっていることも、まとぶの役を喰ってしまっていることも、なーんにも気づいていない。
 ただ、自分が「心地いい」ことをやっている。

 まとぶ自身には、あせりが見えるんだけどなあ。すっげー「がんばっている」のも見える。
 ……ただ、ぜんぜん足りていないだけで。
 ミス・キャスト。それだけのこと。
 『TUXEDO JAZZ』の「2番手」としては、力不足だった。

 えーと、「オギー作品」として見ずに、「タカラヅカ」として見れば、まとぶさん、ちゃんと仕事してるんじゃないですか?
 出番も歌もたくさん、彼が目立つように演出されているらしいし。「オギー作品」として見てしまうわたしには、「まとぶ、あのシーン出てた? 知らなかった」とかゆー事態が起こってしまうだけで。

 オサがあそこまでナチュラル・ボーンでなければなあ。
 もう少し、手加減してもらえただろうに。まとぶさん、オサ様の下は大変(笑)。
 でも、天才に振り回される、努力型の凡人ってゆー図は、大変好みでございます、うまうま。

 そう、オサ様は「天才」であり、「アーティスト」であると思う。
 無から有を創る人。瞬時に別世界を構築できる人。

 オサ様が簡単に「あちら側」へ行ってしまい、誰よりも「あちら側」に馴染んで、活き活きとしているのを見ると、トホホな気持ちを感じつつも、うれしくて、愛しくてなりません。

 人間の会話ができそうにない、だけどやたらと人間から愛される、無邪気な魔性のイキモノ。
 魔性の人外キャラといえばコム姫だけど、コム姫よりかなりトホホな手触り。だってオサ様、「やわらかい」から。クネクネしてるから。
 コム姫も「あちら側」の人だけど、コム姫はオサ様みたいに陽気に狂気に周囲巻き込んで爆発しないから。クールで硬質で孤高だから。

 なんか、すごく「手放し」なの。
 トホホなのに愛しい。トホホなのに天才。

 わたしが行くことの出来ない、超えることの出来ない「あちら側」で、あたりまえに呼吸している「ヒトでないモノ」。

 手放し。
 だって、手が届かない。手がつけられない。

 彼はあまりにも自由で、次元が違いすぎる。

 
 本日、『TUXEDO JAZZ』は宝塚での千秋楽。
 前楽の方が、イッちゃってたと思う。いろんな意味で。

 舞台はイキモノであり、なによりも春野寿美礼があまりにもイキモノだ。ナマモノだ。

 本日でムラを卒業するわかなちゃんが、カーテンコールでオサ様に「最後に一言」と促され、退団にあたっての最後の言葉だから、「ありがとう」とか「しあわせです」とか、あるいは「宝塚万歳」的なことかなと思いきや。
「オサさん、ダイスキです」
 って。……いやあーたソレ、今ここで言うことぢゃないだろう(笑)。
 オサ様、愛されてるなあ。
 こまったヒトなのに、どーにもこーにも魅力的なんだよなあ。

 愛されることが「あたりまえ」の、いつでも簡単に「あちら側」へ行ってしまえる人。
 春野寿美礼は、おもしろい。

 『TUXEDO JAZZ』も、オサ様が好き放題やって、壊してるよ。
 どーなるんだコレ?(笑)
 まあ、ソレも「味」かなあ。

 ディアボロがちゃんとディアボロとして機能する、正しい『TUXEDO JAZZ』も、観てみたいんだがなぁ。


 どうしようどうしよう。『TUXEDO JAZZ』が終わっちゃう!!

 『ドルチェ・ヴィータ!』のときも、『タランテラ!』のときも思ったんで、わたしはどうも、オギーショーが終わってしまうことに耐えられないらしい。

 大体週2くらいのペースで通っていたんだけど、今週末は「これが最後!!」と思うとつい、たまらずに予定外に観てしまった……。
 そもそも今日は、ゆみこのラジオ公開録音に行くつもりだったんだってば。
 阪急の「エリザベート展」トークショーは、水くんの方に参加し、阪急の裏事情が透けまくっていたことに盛大に萎えたので、ゆみこの方まで参加する気力がなくなったのよ……。
 路上の特設ブースで行われる三番街公開録音の方なら、整理券もいらないし一般人視聴者相手の気軽なトークになるだろうと踏んで、そっちにまざるつもりだった。

 そのつもりだったの。
 16日の金曜日に、maさんとSSセンターで観劇したこともあり、「これで気が済む」「あとは千秋楽」でいいと思っていた。
 たとえ楽の前日を観るとしても、午前午後どちらか1回でいいと思っていた。空いた時間に梅田まで戻ってゆみこトークショーだー、と。ゆみこファンのこうめさんと、「じゃあ次はゆみこのトークショーで会おうね」と、気軽に約束だってしていたんだ。

 昨日、17日の夜に。
「やっぱり、『TUXEDO JAZZ』が観たいっ」
 と、心から思ってしまった……。

 だってだって、もう終わっちゃうんだよ? もう会えなくなっちゃうんだよ?
 そんなこと、ゆるせる? 受け入れられる?
 無理だよ。『TUXEDO JAZZ』ナシで生きていけっていうの?!

 カウントダウン、残り3つ。
 すげー切羽詰まった気持ちでムラへ駆けつけた。
 や、もうほんとお金ないから、当日Bや値引きBでしか観られないんだけど。
 オギーショーに関しては、2階席ぜんぜんOK、大好きだから問題ナシ。

 オサ様とまっつと、そしてショー全体が観たくて、キリキリ舞いのてんてこ舞い。

 春野寿美礼が好きだ。
 未涼亜希が好きだ。
 『TUXEDO JAZZ』が好きだ。


 まっつがこんなにまっつでなかったら、こんなにあたし、テンパってないのに!!

 オサ様が素敵なのは世界の常識だし、オサ様が真ん中なのも地球の摂理だから、それに対してテンパることはない。

 まっつだよ。
 まっつが前代未聞の使われ方してたりするから、まっつがありえないくらいかっこいいから、うろたえまくっちゃうんだってば。

 レアだよね?
 かっこいいまっつなんて。
 二度とないかもしれないよね?
 真ん中にいるまっつなんて。

 飢餓感と焦燥感で、もー、どうなっちゃうんだろうあたし。

 おろおろおろ。
 めちゃバカな、イタイファン丸出しっす。

 はあはあはあ。オギーはどーしてこう、いつもわたしを殺しそうになるんだろう。
 『ドルチェ・ヴィータ!』のときも、死にそうだったもんな。ケロの扱いだけでも、ファンとしては昇天ものだった。

 どうしよう。
 東宝初日から、行くべきか。
 楽だけにする予定だったのに。第一チケットないのに。あああ、でもでも、まっつ……。(ぐるぐる悩んでいる)

 
 とまあ、イタさぶっちぎりのひとりごとは置いておいて。

 本日、千秋楽の前日。

 オサ会総見だったのね。
 2階席、真っ白。
 正確には薄いスミレ色らしいんだけど、ぱっと見、真っ白だもんよ。
 す・げー……。
 さすがオサ様、ファン多い〜〜。

 芝居はそれでもまだおとなしかったんだけど。

 『TUXEDO JAZZ』になると、もお。

 オサファン、騒ぐ騒ぐ(笑)。

 最初のオサ様窓から登場!シーンで「きゃああああっ!!」と歓声が上がる。

 す、ずけえ。ここはコンサート会場か?!
 オサ様がなにかしらするたびに、上がる悲鳴。歓声。
 オサ様もまた、サービスいいんだ。会席に向かってアピるアピる。

 やーん、たのしー。
 わたしは実際声に出すことはないが、気持ちは同じだもんよ。

 オサ様素敵。オサ様かっこいい。
 心は歓声上げているもんよ。めろめろだもんよ。
 わたしの心の声が、他のオサファンの方々の声を借りて上がっているというか。
 あああ、オサ様素敵〜〜。きゃあ〜〜。

 舞台も客席もノリノリ。オサ様もご機嫌で、カオス場面で好きに歌いまくっていた。毒女みわっちと咬み付き合い(真似だってば)みたいにしながら、彼女の名前を歌詞にしてたり。(今までも、たまにやっている)
 たのしそうなオサ様と、たのしさいっぱいの客席。もー、すっげー気持ちいい。

 オサ様のノリが良ければ、組子のノリもいい。ハイテンションで舞台は回る。

 仕立て屋まっつのヘタレぶりが上がっていて、素敵(笑)。
 オサ様に顔近づけられて、びびって顔を引く……とゆーのは最近いつもやっているが、本日はソレを2回もやっていた……1回逃げたのに、なおも顔をぐぐっと近づけられて、さらに引く。いたずらっこなオサ様と、腰引けまくりのまっつ。観客も大ウケ。だって迫るオサ様かわいいし、逃げるまっつは愉快だし。
 ねえねえこのシーンさ、まっつが逃げなかったらどうなるの? チュー? チューしちゃう? してくれて、ぜんぜんいいんだけどな。(真顔)

 ここは、オサ様の王国だなあ、としみじみしてみたり。
 ここはタカラヅカで、オサ様は正しく「タカラヅカのトップスター」だ。
 彼を中心に世界が回っている。

 彼の一挙手一投足で、世界が色を変える。
 なにもかもが、彼を中心にして、つながっているんだ。森羅万象、彼が統べる。彼が神。

 彼の王国ですべてを彼にゆだねているのが、気持ちいい。

 オサ様って絶好調になるとナニか発するよね? フェロモン? オーラ? 個人としての意識はたしかにあるのに、もっと大きなモノに意識を乗っ取られる感じ。
 わたしはわたしとして、たしかにここにいるんだけど、わたしよりももっと高次の意識帯に侵されている感じ。オサ様の意識をそこに感じ、彼に操られることの快感と幸福にすべてを委ねる。

 『TUXEDO JAZZ』は、春野寿美礼のそーゆーヤヴァイ部分、「カリスマ」としての要因を解放するショーだと思う。
 気持ちいいけど、ある意味こわい作品。

 明日は千秋楽。
 終わってしまう。

 『TUXEDO JAZZ』と別れるのがつらい。


 現れちゃったんだよ、アルセーヌ・ルパン

 つーことで、『A/L−怪盗ルパンの青春−』の話の続き。

 ヴィクトワール・ル・ブラン@まいらちゃんの書く小説の中のキャラクタ、架空の人物アルセーヌ・ルパン。
 ソレが、小説の中と同じように予告状を出してきたんだ。

「『怪盗紳士』の発売再開し、作者を釈放しろ。でないと娘のアニエスをもらう」

 スーピーズ伯爵家宛に。
 発禁騒動を指示したのはフェチ男レオン@ともちだけど、表向きはスーピーズ伯爵家が仕切ったことになっていたので。気の毒な伯爵家。

 『怪盗紳士』の主人公ルパンに恋していた妄想娘アニエス@ウメは大喜び。
 彼女ははじめからルパンにさらわれる気満々だったので、自ら望んで護衛を突破、現れたルパン@タニと共に逃避行。

 このルパンは、もちろんニセモノ。
 架空の人物が現れるわけない。
 彼の本名はラウル。『怪盗紳士』の作者の関係者だ。
 言いがかりで逮捕された身内を助けるために、一芝居うっただけのこと。

 そう。

 公式のあらすじに、

モーリス・ルブラン著「怪盗紳士」をもとに、文学界が生んだヒーローの一人、アルセーヌ・ルパンの生い立ちから怪盗へと至るまでを描いた冒険活劇。明るく躍動感に溢れ、クラシックな雰囲気が漂うミュージカル作品。

 と書いてある、この作品。

 「アルセーヌ・ルパンの生い立ちから怪盗へと至るまで」とは、ずばり、首飾りフェチ男が、妄想娘の気を引くために引き起こしたゴタゴタのことなんですねっ!!

 レオンが首飾りフェチでさえなければ、怪盗ルパンは誕生しなかったの!!

 たとえアニエスが現実と妄想の区別のつかないイタイ娘だったとしても、レオンが「架空のヒーローが恋敵だ、それなら本をなくして作者を逮捕してしまえ!」とわけのわからない行動に出なければ、ルパンは生まれなかったの。

 すげえよ、このオチ!!

 少年ラウルが「王妃の首飾り」を盗んだ真犯人だとかゆー話は、ぶっちゃけどーでもいい。

 首飾りが「スーピーズ伯爵家にある」という前提のみで話が進んでいるんだもの。
 首飾りはほんとはニセモノなんだけど、レオンがソレを知らない(疑っていたはずなのに)から、意味がないの。
 首飾りが本物でも、話は同じ展開だもの。
 レオンは、首飾りを手に入れるために本を発禁にし、作者を逮捕する。そして、ラウルはルパン・コスプレをする=ルパン誕生。

 すべては、おかしなフェチ男が巻き起こしたんだ。

 レオンが「女の子の気を引くために」、その女の子が好きな「小説を抹殺」するとゆー、めちゃくちゃな行動に出なければ、ルパンは誕生しなかった。

 ラウルは平和に大学生をやって、それで終わり。アニエスともスーピーズ伯爵家とも無関係で一生を終えただろう。

 あのー。

 どう考えても、おかしいから。

 レオンの行動。

 『エリザベート』のトートに恋していた娘が、
「トート様がいつかきっと迎えに来てくれる。トート様は寿美礼様バージョンよ! あの美声で迫られたいわ♪ 現実の男と結婚なんか絶対しない!」
 と言い続けているからって、現実の男に目を向けさせるために、ミヒャエル・クンツェだのシルヴェスター・リーヴァイを逮捕させるか? 春野寿美礼を逮捕させるか?
 んなこと、考えないだろ? まともな思考回路があったら。

 悪役が、信じられないくらいバカでないと、この物語は存在しなかった。

 つまり、物語をでっちあげるために、うまく描けなかった部分を全部「悪役がバカ」ということにして、逃げた。

 と、ゆーことですねっ。

 レオンが全部バカだからなのよ。なーんにも問題ナシ、だってレオンがバカで変態だからなの。
 変? 辻褄が合わない? そんなことないって、広い世の中、そんなわけのわからないことを考えたり、したりする人もいるって。
 いないなんて誰にも断言できないでしょ? 世界中の人の考えがわかるの? 世界中の人の行動がわかるの?
 レオンはたまたま、そーゆーわけわからない人だったの。
 ま、そーゆーことで。

 ……ふふ、ふ。
 デジャヴですわ。
 リチャード教授@『MIND TRAVELLER』も、そんな人でしたわね……。
 テオ、アンジェラ、フィリップの3バカトリオ@『MIND TRAVELLER』も、そんな人たちでしたわね……。
 人としてあり得ないくらいバカでわけわかんないけど、「そーゆー人だったんだ」つーことで、物語のゆがみ全部押しつけられた人たちがいたわよね……。

 簡単でいいよなー。
 辻褄が合わないこと全部、「バカで変態だからだ」で悪役のせいにしてしまえるんだから。
 バカな悪役が信じられないくらいバカなことをするから、それで物語がはじまるんだ。
 簡単でいいよなー。

 つーことで。

 アルセーヌ・ルパン誕生のヒミツは、フェチ男。……すばらしいFAだ、サイトーくん。

 ルパンはなんちゃってルパンで、怪盗でもなんでもないの。
 べつに美学があって盗みを繰り返すわけでもなんでもない。
 最後ラウルは旅立つけれど、「怪盗になるため」でもないよな。必要がないし。
 ヴィクトワールはこれからも『怪盗紳士』を執筆するんだろーし、あくまでも「ルパン」は架空の人物だよね。

 ねえねえ、どのへんが「怪盗ルパンの青春」なの?

 大学生のラウルはたしかに青春まっただ中だったけれど、ルパンとはまったく関係なかったし。
 レオンがいなければ、ルパンになることもなかったし。

 やーもー、めちゃくちゃすぎて、すげーなぁ(笑)。

 
 でもね。
 『MIND TRAVELLER』と同じ、物語がどれだけぶっ壊れていても、贔屓が出ていれば楽しい作品だと思うよ。

 罪なく愉快なバカコメディだもん。

 役割は壊れていても、キャラクタの造形は魅力的だから。

 タニちゃんのコスプレは麗しいし、ウメちゃんの「おてんぱ天使」はアニメの萌えキャラそのまんまだし、ホームズ@ほっくんは「みっちゃん」キャラまんまでかわいいし、銭形警部@はっちゃんは最後に男臭い男役で人生真っ当だし、探偵と警部の相方たちも、ラウルの相方のちぎ太も、またしてもちぎ太とカップル(笑)のたっちんも謎の黒塗りをのぞけば出番やたらとアリだし、ラヴシーンありますのラウル父@いりすも、やりすぎマッド・サイエンティスト@すっしーも、とにかくみんなオイシイから! すべてのツケを押しつけられた悪役@ともちも、外側だけは見栄えしまくりだから!!
 宙組ファンならたのしく見られるよ。

 キャストにろくに出番も見せ場もない、後味の悪いつまんない作品より、ずーっとマシだ。
 ぶっ壊れていてくだらなくても、かわいくて愉快な後味のいい作品の方が。

 『MIND TRAVELLER』がそうであったように。

 大丈夫。たのしい作品だよ。


 『A/L−怪盗ルパンの青春−』初日を観て。

 『A/L−怪盗ルパンの青春−』と『MIND TRAVELLER』、どっちが駄作か?

 という設問を自らに課してみた。

 終演後、ドリーさんと話しているときに、つい、『MIND TRAVELLER』を例に出してしまったので。

「それで、『A/L』っておもしろいの?」
「ファンなら通えるんじゃない? 『MIND TRAVELLER』に通った人間がいるんだから」

 Q1 サイトーくん新作『A/L』ってどんな話?
 A1 イケコ新作『MIND TRAVELLER』くらい、おバカな話。

 Q2 『A/L』と『MIND TRAVELLER』って、どんな風におバカなの?
 A2 両方とも、マッド・サイエンティストが出てきます。それで、察してください。

 Q3 ……それで、どっちの方がマシ?
 A3 『A/L』は最初からコメディと謳った上で、おバカなネタを使って、おバカな話を明るく罪なく展開。マッド・サイエンティストもはじめからギャグキャラ。
    『MIND TRAVELLER』はアレ、作者もキャストもドシリアスのつもりで作っているので、おバカだとは誰も思っていないところがサムい……。

 Q4 『A/L−怪盗ルパンの青春−』と『MIND TRAVELLER』、どっちが駄作か?

 A4 どっちもどっち。

 そしてここはタカラヅカだ。
 質問を変えよう。

 『A/L−怪盗ルパンの青春−』と『MIND TRAVELLER』、どっちがリピートに値する?

 結論。

 贔屓が出演している方が、リピートできる作品。

 わたしはまっつファンなので、『MIND TRAVELLER』に通った。
 記憶喪失で殺人事件でサスペンスで、電気椅子出てきてビリビリで、海馬の帝王で世界征服で、こんなに阿呆丸出しの話なのに、作者がシリアスの「いい話」のつもりで書いていることがさらにもの悲しさを加速させた、おバカな駄作。
 それでも、最低限後味は悪くないし、主役はかっこいいし若手にも見せ場があるし、役はバカだけどまっつはオイシイしで、通うことはできた。

 それと同じだと思う。

 『A/L』はたしかに、『MIND TRAVELLER』と張るぐらい、アレな作品だ。
 話はめちゃくちゃ。
 ツッコミだらけ。
 だけど、キャストにそれぞれ見せ場があるし、薄っぺらかろーとどーしよーと、後味は悪くないし。
 たか花時代には考えられないくらい、主役以外に役があるから、「贔屓がオイシイ役」になっている確率が高い。

 それなら、通えるレベルだよ、『A/L』。

 『MIND TRAVELLER』に通ったわたしが言うんだから大丈夫。『A/L』だって、贔屓が出演していればリピートできるよ!
 もしもまっつが『A/L』に出ていたら、どんなに「DC高い!」と泣きゴト言いながらでも、わたしは通ったことでしょう(笑)。

 
 さて。
 『A/L』の物語だが。

 ……コレはすべて、おかしなフェチ男が巻き起こしたんだ。

 なんのフェチかって?

 首飾りフェチ。

 よくわかんないけど、そーゆー性癖の男がいるんだ。
 若くてハンサムで大貴族で、商売が巧くて大金持ちで、頭が良くて趣味で大学の講師をやっていたりする、スーパーマン。その名もルイ・アントワーヌ・レオン@ともち。
 ここまでなにもかも持ち合わせているのに、彼は、首飾りフェチなのだ。

 首飾りにハァハァするんだ。
 首飾りがないと生きていけないらしいんだ。

 つーことで彼は、スーピーズ伯爵家の家宝「王妃の首飾り」を欲していた。
 スーピーズ伯爵家は事業に失敗したとかで落ちぶれており、経済援助してくれる人を募集中だった。
 そこでフェチ男レオンは、「娘婿になってあげよう。そうすれば家宝の首飾りは私のモノですね?」と、女当主に詰め寄った。

 なにも結婚しなくても、破産寸前の伯爵家から宝石を取り上げることぐらい、できそーなもんだが。
 レオン様の方が、身分も富も名誉もあるっつーに、なんで婿養子なんだろう?
 「伯爵家の家宝」とか言ってるけど、そんなの嘘っぱち。わずか10数年前に女当主が手に入れただけのモノなんだよ、「王妃の首飾り」。
 もともとソレはスーピーズ伯爵の親戚、ローアン枢機卿@いりすの持ち物だったんだから。
 代々守り継がれてきた家宝ならともかく、たかが10数年の歴史しかない家宝、婿養子にならなくても手に入れられるだろうに。
 フェチだから、他のすべてを捨ててもいいと思ったんだろーか。

 だがこの「王妃の首飾り」は、なんとニセモノだった!
 10年前だかに、何者かに盗まれ、女当主はイミテーションを作って身につけていたんだな。
 なんだレオン騙されているのか?! と思いきや、彼はどーやらそのことに気づいている模様。……「疑う」というレベルであったとしても、まずその疑いを晴らしてから結婚しないか? 一生の問題だぞ?
 フェチだから、他のすべてを捨ててもいいと思ったんだろーか。

 イミテーションかもしれないっつーに、レオンは首飾りを手に入れるために、何故か伯爵家の娘アニエス@ウメと結婚しようとした。
 ところがアニエスは夢と現実の区別が付かない妄想娘。
「あたしは『怪盗紳士』の主人公、アルセーヌ・ルパンと結婚するのよ! 現実の男なんか嫌よ!」
 女の子だから、まだマシなのか? 同じコトを男が言うと大変だぞ?……「ボ、ボクはPCゲームの中の、ナナコちゃんと結婚するんだ。げ、現実の女なんか嫌いだ。ナナコちゃんは現実の女みたいにひどいことを言ってボクを傷つけたりしないんだ。いつかナナコちゃんがボクを迎えに来るんだ。そそそしてボクたちはしあわせになるんだ」……えーと。

 フェチ男VS妄想娘。
 「あんたなんか大嫌い」と言われたレオンは、妄想娘の「心の恋人」ルパンを奪おうとした。
「『怪盗紳士』さえなくなれば、彼女の心は私に向かうはずだ」
 金も権力も有り余っているレオン、『怪盗紳士』を発売禁止、作者を「泥棒をヒーローとして描く、秩序良俗に反する犯罪者」として逮捕させた。

 ……本を発売禁止、って……。作者を逮捕って……。

 アホですか?

 そんなことをして、アニエスに愛されると本気で思ったのか?
 もちろん、アニエスは大激怒。

 いやそもそも、そんなことをする権力があるなら、破産寸前の伯爵家から、首飾りだけ取り上げろよ……。

 これで「実は、レオンはアニエスを愛していたのだ。だから彼女を手に入れたかったのだ」というオチがつくなら救われるんだが。
 わたしもそー思って、そうすがりつきたい思いで、見ていたんだが。
 リチャード@まっつが「海馬に乗った征服者〜♪」と歌い出したときに、すべての思いが崩れ落ちたように、結局レオンにも裏切られるのさ。
 レオンはアニエスを愛してなんかいないの。ほんとーに、欲しかったのは首飾りだけなの。そう本人が言うの、クライマックスで。
 ただの首飾りフェチかよ……っ!!
 ただの海馬ヲタクかよ……っ!!と、愕然とした記憶再び。
 いやその、いっそ笑えていいっちゃーいいんだが。

 まあソレは置いておいて、レオンが『怪盗紳士』発売禁止、作者逮捕! とか、ろくでもないことをやるから。
 ほんとに無意味で馬鹿げていて、発売中止まではともかく、作者逮捕ってなんだそりゃ、ありえないだろ、と顎を落とさせるよーなひどい展開を、無理矢理するから。

 やぶ蛇が現れた。

 架空の人物、アルセーヌ・ルパンが本当に現れたんだ。

 続く〜〜。


 タニちゃん、ウメちゃん、宙組トップスター就任お披露目公演初日、おめでとうございます。

 開演1時間前にチェリさんから「今どこですか? 開演前にお茶でも……」とTEL。

 あー……まだ家です。DVDレコーダの整理なんかやってました。

 開演10分前、チェリさんから「ジュンタさんとロビーにいます。今どこですか?」と再度TEL。

 あー……今、三番街歩いてます。大丈夫、5分前には劇場に着くし!
 着いたらまっすぐロッカーに行って、コート放り込むし! 座席では身軽がいいもんねっ。(←慣れた行動)

「観劇が日常になっていて、まったく緊張感ないな」

 と、本日もまたツッコミ係のドリーさんに突っ込まれました。
 ええっと。……たしかに、「特別なお出かけ♪」とか、まったく思ってないな……ムラは遠いし寒いしで気も遣うけど、場所が梅田だとホームグラウンドっちゅーか、「近いし都会だからなんとでもなる♪」と、すごく気楽。

 ドラマシティは好きなんですよ。きれいだし便利だし都会の真ん中にあるし家から近いし。チケット代以外は、好きだ。チケット、高すぎ……。

 まあともかく、『A/L−怪盗ルパンの青春−』初日観劇。

 他のことはともかく。
 まず、これだけは叫ばせてくれ。

 ともち、かっこいいぃぃいいっ!!

 どーしよーどーしよー、もー、ともちが、ともちがかっこいいのっ。
 素敵なのっ。

 ときめきまくり。
 ぐるぐる回っちゃうよおーっ!!

 オープニング、役とかまったく関係なく出てきて踊っている段階でね、ときめいたの。

 あ、あたしほんとにともち好きなんだなと思った。

 彼と再会した、それだけのことですっげーどきどきしている。
 あああ、ともちが舞台にいる。あああ、ともちかっこいー。
 それだけでなんか、しあわせだったのよ。

 なのに。

 そのうえ。

 彼、悪役なんですけどっ?!

 いつものとーり、予備知識まったくナシです。実のところ、ともちが出演していることも、わからずに客席にいました。や、主演でポスターに写真載ってる人以外、知らないのがわたしの「ふつー」だから。
 どーせ全公演観に行くので、だれがどの公演に出るのか、基本気にしていない。振り分け発表時にはチェックするけど、そんなのすぐ忘れるし(わたしの海馬は不良品)。

 オープニング観て、「あ、ともちがいる!」と発見してうれしくなって、そんでもってなにも知らないまま本編を観ていると。

 ともち、悪役です。
 しかも、美形悪役です。
 わざわざ台詞で「色男」とか言われているから、設定からして美形なのよっ。

 でもってほんとーにともちが、悪なのっ、いやらしいのっ。

 かーーーーっこいーーーーっ!!

 幕間。
 チェリさんの腕にすがりつき、

「ともち、かっこいーーっ!!」

 と、叫んでました。

 マジ、そればっか繰り返してた。
 チェリさん、おつきあいありがとう。緑野はきゃーきゃーにミーハー丸出しで大騒ぎしてました。
 ほんとにほんとに、しあわせだった。
 ともちダイスキ〜〜。

 ……2幕が終わったあとは、冷静になってましたがね。いやその脚本がアレだったので、冷めざるを得なかった(笑)。

 なんにせよ、ともちファンはDCへGO!っす。
 背景扱いだった彼が、よーやくまともに役をもらってますよ。

 
 作品は、ウメちゃんアテガキ作品でした。
 つくづくウメとゆーのは、ヲタク心を刺激するキャラクタなんだなと。
 こだまっちといい、サイトーくんといい、ヲタクはどーしてウメちゃんに「わかりやすい夢」を見るのか。
 そして、ウメちゃんがまた、その「夢」に応えられるんだよなー。
 「見たい」と思うヒロイン像を「見せてくれる」んだよなー。

 ヒロイン・アニエス@ウメがどんなキャラクタかって?

 作品中で繰り返される、彼女への呼びかけの言葉に、すべてが集約されています。

「アニエス、僕のおてんば天使さん♪」

 おてんば天使……っ!!

 両手両膝を大地について、叫びたいです。
 おてんば、って。天使、って。

 ありえない。
 ありえない夢を見ているだろう、さいとーよしまさっ!

 『キャンディ・キャンディ』とか、あの時代の単語ですな、「おてんばさん」って。
 もー、このドリーミングな世界観をなんとかしてくれ。ツボ直撃で笑い死ぬかと思ったぞ。

 ウメちゃんアテガキ。
 「おてんば天使」。

 そしてまた、ウメがキュートなんだ。

 かわいいんだよ、「おてんば天使」!

 主人公のはずのラウル@タニは、「おてんば天使」の相手役。もちろん主役だから出番も多いし、彼中心で物語はいちおー進んでいるんだけど、彼に対する設定が、まずアニエスありきであとから作られた……もしくは、アニエスさえちゃんと設定できていればぶっちゃけ相手役はどーとでもなる作り。
 ラウル自体に個性はナイ。タニが演じているからタニになっているだけのこと。ただの「白い主役」。いくらでも塗り絵可。

 いやあ、萌えどころがはっきりしていて、潔いよな、サイトーくん。

 
 とはいえ、ラウル役が悪いわけじゃない。

 「人格設定のない、白い二枚目役」というのは、ヅカの主人公として正しいからだ。

 トップスターがその個性で演じればいい、スターたる華と光のみで演じればいい役だもの。
 たとえば、ワタさんがラウル役を演じたら、男らしくてハートフルなラウルになったろうな、とか、コムちゃんだったらクールでマイペースなラウルだったろうな、とか、いろいろ想像できる。
 アクション(物語の中での行動)は多いわりに、キャラクタ設定に「余白」が多い役、つーのは、演じる人間次第でどうにでもなる。

 だから、タニちゃんはタニちゃんのラウル。
 とてもきれいで、眼福なラウル。
 ……演技はまあ、いつものタニちゃんというか、何故そこでそーゆー表情なのか、何故そこでうっとりしているのか、わたしにはわからないつーか共感できないことが多いので、語る言葉を持たず。
 演技ってのは「好み」の問題だから、巧い下手ではなく、「好みに合うか合わないか」だけ。
 わたしはタニちゃんと波長が合わないらしく、いつも彼の役がナニを考えているのかわからないのだ……。

 タニちゃんとウメちゃんは、うっとりするほど美しいふたり。
 このふたりが並んでいるだけで眼福。

 ……ただなんつーか、愛し合っているよーに見えないことだけが引っかかる……。
 たぶん、「好み」の問題なんだと思う。わたしに伝わらないだけで、他の人にはちゃんと伝わっているんだと思うよ。

 タニちゃんとウメちゃん、ふたりのまばゆい光を眺めるだけでも、価値のある並びだと思う。
 ほんとにきれいだー。

 や、案の定歌はすごいことになっていて、あちこち椅子からずり落ちかけた。「トキメキ」の歌の掛け合いなんてもー、すげーよ!!
 でも歌の下手さは別に、かまわないんだ。わたしは歌手が好きだけど、タニウメに関しては歌はどーでもいー。下手は下手だと思うけれど、マイナスだとは、とくに思わない。気にならないんだもん、マジで。
 好きってのは、こーゆーことだろうと思う(笑)。
 無問題無問題。

 
 えー、作品的には「齋藤吉正・劇画シリーズ第2弾」って感じ?
 第1弾は言わずと知れた、『Young Bloods!! 』−青春花模様−花の武蔵!!ね。
 マンガです、まるっきし。

 気楽に楽しめるよ。ツッコミどころ満載。

 
 朝も早くから『阪急百貨店 ミュージカル「エリザベート展」水夏希トークショー』に行ってきました。

 や、水ファンですから! 水先輩ダイスキですから!
 朝焼けを見たのは久しぶりです。
 折りたたみ椅子持参で並びに行ったのも久しぶりです。てゆーか、ケロのトークショー以来だよ。

 トークショー90名×2回、って、何時に並びに行けば整理券GETできるのか、見当が付かなかったんだもん。
 水先輩のことだから、熱狂的ファンが前日から徹夜で並んで定員すでにオーバー、当日早朝に行っても意味ナシ、とか、あるかもしれないぢゃん?!
 ……なんて、本気で思っていたわけでもないけれど、のんびりでかけて見られず後悔するより、努力だけはしておこうぜ、と、がんばりました。はい。

 わたしはまあ、そこそこの並び順でした。前方席で1回がっつり見るか、2回見るか選べる感じ。ええ、定員には微妙に達していなかったので、並んだ人たち。

 それにしても、微妙すぎるイベントだ。

 水くんのトークショー単体の話ではなく、『阪急百貨店 ミュージカル「エリザベート展」』とやらが。

 イベントスペースを「間借りしました」て感じの、狭い狭いスペースに、わずかばかりの『エリザベート』舞台写真(ヅカ・東宝・本場)と、言い訳のようなヅカ衣装が展示してあるだけ。

 びっくりしたよ。
 えっ、これだけ?! って。

 あー、あと、『エリザベート』のDVDが流れていたな。ヅカと本場のと。

 なんの努力もコンセプトもない、「並べました」だけのイベント。
 並べてある資料も、ささやかなんてもんぢゃない。「とりあえず、倉庫から持ってきました」とか、「既存書籍から拡大コピーして貼りました」でしかない。
 「オリジナル」なものがなにもないの。

 中学校の文化祭でも、もっとマシな展示するだろ……。

 今までも「トホホ感」漂うタカラヅカ展はいくらでも見てきたけれど、そのなかでも最低ランクだ。予算もない、やる気もない、「仕方ない」からスペースだけ埋めました、てなものすごいレベル。

 タカラジェンヌのトークショーは、その最低イベントの「言い訳」だ。

 トークショーでもなければ、「エリザベート展」は成り立たない。
 小さなスペースの半分以上が、トークショーのコーナーなの。トークショーやってるときは、「エリザベート展」とやらはほとんど見ることもできないの。

 あー、「エリザベート展」だと思うからおかしいんだな。
 トークショー会場に、写真パネルが賑やかしで貼られている。これが正しい。
 ほら、宝塚ホテルにヅカ公演写真が貼ってあるじゃん、あのノリ。廊下の賑やかしに貼ってあるレベル。

 だから、トークショーがないときは、どうするんだろう?
 あれだけの展示物で「〜展」は名乗れないって。

 
 なんつーかね。
 「台所事情」が見えてしまうと、萎えるのよ。かっこわるいと思うのよ。

 「エリザベート展」ってさ、いつ企画されたの?
 前もってちゃんと企画されたイベントではなく、急遽決まったんでしょう?
 だからコンセプトもなければ資料も揃っていない。宣伝すらろくにできていない。

 何故、こんな中学生の文化祭以下の展示を大人がやらなければならなかったか。

 『エリザベート』ウィーンオリジナル版チケットの売れ行きが、悪いからでしょう?

 「チケットを売りたい」それだけの意図で、無理矢理作ったイベント。
 展示材料はナニもないけれど、強行したイベント。

 それがあまりに丸見えで、格好悪すぎる。

 ミュージカル『エリザベート』にしろハプスブルク家にしろその周辺の歴史にしろ、本気で展示をしようと思うなら、いくらでもできる題材だ。それだけの厚みがあるものなのだから。
 なのに、なんの努力もなく、既存の写真を拡大して(粒子粗すぎ)パネル展示するだけ、なんて作品をかえってバカにしてないか?
 既存(売店で発売中)のDVDを垂れ流しするだけ、なんて作品をかえってバカにしてないか?

 チケットを売るための苦肉の策なのかもしれないが、なんかすっげー情けない気持ちになった。
 こんな宣伝しか打てない会社が企画してるんじゃ、そりゃ売れないだろ、『エリザベート』……。

 とゆー、「ウィーン版のチケット買ってね!!」が言いたいだけのイベントなので、その客寄せパンダとして連れてこられた水くんも、大変です。

「ウィーン版『エリザベート』は素晴らしい」
「私たち、雪組全員でウィーン版『エリザベート』を観に行きます」
「ウィーン版『エリザベート』も観に行ってください」

 ……宣伝宣伝、仕事仕事。
 司会者も水くんも、すっげー真面目に「仕事」してます。
 なにもかも、「ウィーン版『エリザベート』」に絡めてトークしなきゃならないから大変(笑)。

 この調子で、日曜日のゆみこもウィーン版『エリザベート』の宣伝をさせられるんだろうなあ。大変だなあ。

 
 水くんのトークはおもしろかった。
 なにしろ「ウィーン版のチケット買ってね!!」がテーマのトークショーなので、2回とも話の内容は同じ。台本通りに会話をしてくれます(笑)。
 でも、2回目の方が話がおもしろかった。1回目はリハーサルね。同じ会話だから、2回目は間の取り方や盛り上げ方がうまくなってるの。水先輩のフィンガーアクションも派手になってる。
 ウィーンツアーの話や、制作発表のときのこと等、ほんとに広く一般向けな話題。

 わたしとnanaタンは2回目を超良席でじっくり堪能したせいか、すげーたのしかった印象のみが残っている。
 いやあ、水くん喋るのうまいなあ。同じコト2回話しているわけだから、うまくなっているのは当然としても、ちゃんとおもしろいからすごいや。
 でも、カメラが入っていたのは1回目なんだよねー。スカステで放送するのかなー。どうせなら2回目の方がよかったのに。
 あさこシシィに対しての、水くんの忌憚ない意見がぽろりと飛び出したのも2回目だよな(笑)。カメラがないから気がゆるんでいたとか?

 でも「シシィもやってみたい」発言は1回目だったか。あまり本気ではなさそーな、サービストークっぽい感じ。「あの豪華な衣装が着てみたい」というノリで。
 それに対し、「じゃあ白羽さんがトートで」と、司会者さん。
 「そんな黄泉の国嫌だ」と、水夏希さん。
 ……正直だなヲイ(笑)。

 司会者さんも容赦がないっちゅーか、水くんシシィからの会話の流れで「水さんの明石の上、素敵でしたよね」と、心にもないことを言う。
 場に流れる、微妙な空気。
「忘れてください。ビデオを持っている人から全部回収したいくらいです」
 でも当時の舞台写真、再販されてるんじゃなかったっけ、今?
 大変だな、水先輩。

 衣装は2回とも同じ? わたし基本、人の服装よく見ないから。
 ただ、司会者さんの「すてきな水夏希」解説台詞が2回とも同じ、ギャグも同じだったので、2回とも同じ衣装かなと。
 司会者さんはブーツばかり言及していたけれど、せっかく水先輩なんだから、ベルトに注目して欲しかったっす(笑)。

 
 日曜日に1日4回同じコンセプトでトークショーをさせられるゆみこが心配っす……。
 が、がんばれー。


「まっつとキムって、同期なんだよねー。で、つい、この役をまっつがやったら、どうなるかって、考えちゃったよ」

 わたしがそう言うと、パクちゃんは固まった。沈黙ののち、「想像しちゃったぢゃないですか……」と、実に複雑そーな顔で言った。

 『ノン ノン シュガー!!』、主人公のジョニー役の話。

 『ノン ノン シュガー!!』は歌ばかりでつづる作品なんで、歌手属性のまっつだって、できないわけじゃない。
 ないけど。
 ジョニーは、ジーンズを穿き、固有名詞を逆さまにしたバンド用語を話す、ぴっちぴちのハタチ。
 
 ぴっちぴち。
 青くてがむしゃらで無駄にエネルギッシュで、意味なく傷ついて夕陽に向かって走って、海に「ばかやろーっ!!」、校庭で親友と殴り合い最後はふたりして寝ころんで星空を眺め、「青春っていいな」とつぶやく……そんなキャラクタ、ジョニー。(多少の語弊あり)
 ハンドルだけのバイクにナオン(女の子)を乗せて、青春ソング歌いながら客席降り。コードを鳴らすだけのギターで弾き語り。昭和テイストぶっちぎりの世界観。

 まっつの芸風では、ありえません。
 
 ジョニーは、キム当て書き、キムだからこそ成立する少年。いくらサムい青春モノばかり書く藤井くんでも、まっつにぴっちぴち少年をやらせることはないでしょう。(そもそもバウ主演があるかどうか……てなことは置いておいて)

 まっつはおとなしく正塚芝居あたりやっていた方がいい人だよなー。正塚せんせのときだけ、不自然に役付きがいいので(不自然言うな)、正塚好みの役者なんだと思う。正塚お気に入り役者だったノンちゃん、ナルセときて、そこにまっつを並べると、見事に同系色だし。
 たとえキムと同期でも、ぜっったいにジョニー役はできない。カラーがちがいすぎる。

 ちがいすぎる……けど。

 つい、想像してしまう。
 ジョニー役をやる、まっつ。

 ジーンズ穿いて若ぶっているまっつ。
 青春ど真ん中なまっつ。
 ロケンロールなまっつ。
 腰を回しながらシャウトするまっつ。
 目に涙をためて、「ママーーっ!!」と叫ぶまっつ。
 友情に恋愛に、中学生日記なまっつ。
 2幕合計2時間、ほぼオンステージ歌いまくりなまっつ。
 スタンドマイク斜めに抱きかかえて歌う、スタァなまっつ。

 ……い、痛々しくて、見ていられない。

 似合わない。なにもかも似合わなさすぎて、それでもそーゆー役を一生懸命やるまっつを想像すると、痛々しすぎて、萌える。

 思わず息が荒くなるわ……そんなまっつ、見てみてぇ。

 はあ。
 キムは偉大だ。
 ぴっちぴちのハタチで昭和中期の青春(アレは絶対アメリカではない)を、無理なところを実力でねじふせて演じきってしまうんだもの。
 キムのすばらしさ、かっこよさを思う心の隅で、まっつのことをつい、考える。
 このキラキラした男の子と、同期なんだ……同じ年代に見えない。や、実年齢もまっつの方がふたつ上なはずだけど、それにしたって別カテゴリ過ぎ。
 おもしろいなー。
 キムを好きな分、さらに心奮える(笑)。

 まっつにも、キムみたいにがなって歌ってみてほしーなー。まっつっていつも、きれいに歌い過ぎるんだもん。
 キムのがなる歌い方、すごい好きだー。

 
 と、ひさびさにまっつまっつな話。
 ひさびさですよ?
 書きたくてうずうずしてたけど、他に書くことありすぎて、ちっともまっつの話が書けない。うずうず。

 ポケカレ、買いましたとも。
「売り切れるわけナイ」とタカをくくっていたので、わたしが買った翌日に品切れしているのを見てびびったり。(完売ではなく品切れだろーから、そのうち入荷されると思うが)

 会う人会う人に「見せてください、わたしまだ見せてもらってません!」とせがまれるわたしのまっつ手帳に挟むのではなく、いつも持ち歩いているカードケースに入れた。
 でもこのカードケース、「たくさんのカードを持ち歩く」のが目的で作られているだけで、「カードを眺める」には適していないの。
 カードポケットが半透明なんだもの。それじゃ、せっかくのリチャード教授@まっつが見えないわっ。(トド様ポケカレをその半透明ポケットに入れていたくせに)
 つーことで、半透明ポケットには入れず、わざわざポケットの外側にセロテープで貼り付けました。
 これならいつでもまっつを見られる♪
 ……ポケットの意味、ありません……。

 毎年買っていたトド様ポケカレ、今年は買えませんでした……。偽善『オクラホマ!』の若作り男写真では、いくらわたしがトドファンでも買えないっす。
 フィナーレのスーツ姿とか、イベントの日本物姿だったら買ってたのに。

 あとは毎年恒例のオサ様と水くんとゆーひくん。
 ……そのかが欲しかったのに、ずーっと売り切れ。わーん、園松で並べたかったのよう。

 
 とってもまっつな話といえば。

 宝塚ホテルで毎公演ごとに写真展示してあるでしょ?
 いつもまっつなんかろくに写ってねー、スターさんだけ撮影して飾ってある舞台写真集。

 でもねでもね、今回はまっつ写ってるんじゃないかと、期待したのよ。
 芝居はともかく、ショーは活躍しているし。出番もちゃんとあるんだし。
 スカステでわざわざまっつのソロシーンをヌキで撮ってくれたりするくらい、今までとちがっているんだし。

 それで、まっつメイトのモロさんとふたり、いそいそ見に行ったのよ。

 
 ………………まっつ、写ってない。

 
 フィナーレで、彩音ちゃん中心にりせ・みつると3人で歌うところがあるでしょう?
 あそこの写真があるのに。
 まっつ、いないの!!
 彩音ちゃん真ん中で、りせとみつるのみ。……あのー、まっつは?
 学年順命のタカラヅカにおいて、まっつさん、見事に扱いとばされてます……。
 その昔、かしげ、トウコ、ケロと3人で並んで歌うシーンがあったのに、発売された舞台写真はかしげとトウコのツーショット、トウコの隣にいたケロは肘だけ写ってます状態だったことを思い出す。トリオなのにわざわざひとりだけはずすなんて!! その労力はナニ?!
 それと同じか……トリオなのに、わざわざひとりだけ……。あたしの好きになる人って……。

 唯一写っているのは、仕立て屋のシーン、しかもフレーム右端に半分身体が切れた状態で、小さく引っかかっているのみ。

 あとは見事に写っていない。

 ……いやあ……まっつらしくて、泣けてきます。

 そーだよなー、それでこそまっつだよなあ。
 このものがなしさが、まっつだよなあ。

 と、感慨に耽るわたしの横で、まっつメイトのモロさんは、

「コレ、写真撮ってもいいんですかねっ?!」

 と鼻息荒く、まとぶんのアップ写真に食らいついていた……。
 携帯で必死になってまとぶさんを撮影。
 ほんと、きれーだしかっこいいしドMだし、まとぶはいいよねえ……。

 まとぶファンのみなさん、宝ホのまとぶ写真、きれーでしたよー。
 オサ様ももちろん素敵さぁ。

 ……あああ、まっつ〜〜。


 禁断の演歌スタァ、キング@萬ケイ様。ロッケンロォルなスタァ様のはずが、ひたすら演歌歌手テイスト、おひねりとお札の首飾りが似合うのはどーゆーことなのか。
 ……なんて、ヤボは申しません。

 だってそもそも『ノン ノン シュガー!!』って、昭和中期の日本が舞台だよね?

 アメリカぢゃないよ。
 だってアメリカ人ひとりも出てこないし。

 必死にアメリカぶってるけど、日本以外のどこでもない感覚で描かれている。

 登場人物たちが一斉に悩み事を打ち明けはじめる場面があるんだけど、そこなんかもー、完璧日本だよ。彼らの抱える事情、背景、なにより感性が日本人以外のなにものでもない(笑)。

 まだ海外旅行が一部のブルジョア(セレブとは言わない)にだけ許されたステイタスだったころの日本人が夢見ていた「アメリカ」。昭和40年代とかの少女マンガで描かれていた「アメリカ」。
 アメリカに一度も行ったことがない作家が、マンガや映画でしか知らない夢の国を一生懸命イメージして描きました、的な「アメリカ」。

 あまりに昭和テイスト満載で、あちこちツボってたし、明智@『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』の「コマがなんだーっ!!」で爆笑するのと同じ感覚で「あたし、鍵っ子!」には爆笑させてもらったりしたけど。

 昭和物語で、ぜんぜんいいよ。

 観ているの、日本人だし。作っているのも演じているのも観ているのも、みんな昭和生まれだし。観客の一部に平成生まれもいるだろうけど、ごく少数だからこの際我慢してもらって。
 昭和人が昭和人のために物語作ったって、いいと思うよ。
 タカラヅカって、そーゆー時代遅れ感をたのしむところだし。

 だからこそ、ロケンロールの神様が演歌テイストで問題なし!!

 派手派手キラキラのプレスリー衣装が、マツケンサンバ風に見えてもぜんぜんOK!!
 萬ケイ様素敵。
 とことん濃くクドくキメまくるキング@萬ケイ様にメロメロ(笑)。

 キングの楽屋に、「ポーズをキメたキング様のポスター」が貼ってあって、初日観たときすでにソコにウケていたとゆーのに。
 千秋楽には、2枚になってる! しかも別アングル!!
 すげーささやかだが、そんなことすら愛しい、キング様。

 わざわざ写真撮ったんだなあ……あの衣装着て、あのポーズで。そう思うとたまりません(笑)。

 キング様関係はあちこちツボったんですが、キング様専用マイクにも、ひそかにツボってました。
 ジョニー@キムが真面目な顔して用意するんだコレが。
 キンピカの、バカみたいな派手派手マイク。あの安っぽさがたまらん。

 嘘臭さ、がすでに「芸」になる、萬ケイ様は素晴らしい人です。

 さて、そのキング様の恋人、ザザ@舞咲りんちゃんが、すごかった。
 娘役は男役よりできあがるのが早い分、プラスアルファを作りやすいとはいえ。
 見事だわ〜〜。

 初日に観たときも舌っ足らずのコワかわいこちゃんで、まんがちっくな美女を悠々と演じていたけれど。
 千秋楽のあのキャラはナニ。

 わざとおかしなイントネーション(選挙カーのウグイス嬢系)で立て板に水の高音マシンガントーク、この女に異を唱えられるモノがこの世に存在するか? いや、ない。(反語表現)ってな、見事なまでのキャラクタ。
 あまりの出来映えに圧倒されるのみ。
 ……すると、こちらの気持ちを読んだかのよーに、「ザザちゃん、絶好調♪」とキメる。

 ヒメちゃん、絶好調。
 完敗。
 この子、すごすぎ(笑)。

 『アルバトロス、南へ』以来、加速度付けて成長しているよね彼女。もちろん、それまでだって十分素敵に独自の道を突き進んでいたけれど……わたしのキティお嬢様@『アンナ・カレーニナ』は、どこまで行ってしまうのだろう。
 

 ジョニーママ@圭子女史は、登場シーンのインパクト絶大。
 オープニングでの若作りは置いておいて、本領発揮の「レヴュースター」シーン。
 安酒場のしがない歌手、だそうだが、その迫力たるや……! たこ足ドレスからのびたおみ足の美しいこと。
 圭子女史は年齢と共に美しさを増していると思う。わたしが彼女を個別認識したのは93年の『天国と地獄』だったと思うのだけど、そのときは「外見はええっと……」な娘役さんだった。
 今も、いわゆる「美形」ではないものの、舞台人としての「美しさ」を体現している、すばらしい人だ。
 実力に裏打ちされた存在感、歌声だけでなく演技にも情感と幅があって、いい女優さんだよなぁ。

 
 若者たちは「お勉強中」で、みんな大変だったけれど。

 K・BOY@キングは、どーしちゃったの?
 新公を見る限り彼は、なかなか健闘してくれる子だと思っていただけに、『ハロダン』と『ノン ノン シュガー!!』2作続けて空回り、見ていて首をひねっちゃったよ。
 剣幸かトウコちゃんかという美貌に加えて長身、スタイルよし、なのに何故にああまで存在感がない……?
 なにより声が女子校の演劇部系だったんだが。あれは演出家の意図なの? 男役以前だったぞ? こんな子だっけ?

 ヘタレおぼっちゃまK・BOYは、役作りを思い切り失敗している。
 子どもっぽい、のではなく、なにか障害があって精神発達が遅れているように見える。
 いくらなんでもありえないほど声も仕草も言動も幼稚なんだ。幼稚園児程度の精神で、「僕もうハタチだもん!」とやられてしまうと、かわいいというより、不安になる。
 子どもっぽさをキャラにするなら、せめて「男役」であるべきだった。身長だけはあるキングに女の子の声のままクネクネ幼児ぶられても、笑う以前に引いてしまう。
 「かわいい」と思わせなきゃダメなんでしょう? たよりないけれど放っておけない、そう思わせなきゃダメなんでしょう?
 そーゆーレベルぢゃないよアレは。
 笑わせることだけを考えて、他を全部捨てている。演技プランをまちがえているとしか思えない。

 「笑える」レベルなのは、ヤクザの息子@衣咲真音だ。
 男役を最低限作った上でなら、ヘタレキャラをやっても可愛げになる。
 彼はがんばって、ヘタレで愛すべきヤクザ……ギャング青年を演じていたよ。
 千秋楽までの間に大分落ち着いたよねー。足場が出来てきたというか。ほっとしたわ〜〜。これからに期待。

 少年役だからやりやすいという利点はあったにしろ、冴輝ちはやくんはかわいかったな。男役を作らなくてもいい、かわいさ勝負。
 ん? この子って『エリザベート』の子ルドルフやるのか……子役ばかり続くのは、男役としての成長を妨げることにならないか? と、老婆心。

 プログラム買ってないんでわかんないんだけど、ジョニーママの愛人役の子、学年のわりに健闘していたよな。圭子タンの演技で底上げされていたにしろ、笑止な年齢差にはなっていなかったし。
 その他は不良役で出ていたよね?(だから、プログラム持ってないから未チェック……)

 女の子たちもかわいかった。
 ジョニー子役の子、スタイルいいなあ。
 丸いあゆちゃんの横に並ぶと、その差が……ゲフンゲフン。いや、あゆちゃんも『堕天使の涙』新公のものすごい太さから比べれば、ずいふんすっきりかわいくなっていたし。(アレは衣装がまずかった)

 そーいやヒメちゃんとじん嬢がシンメで踊ったりすると、目がくらむとゆーか「同じ人がふたりいるよ、ママン」てな感じで惑乱させられたなー(笑)。
 このふたりにおそろいのドレスで、「うふふ・あはは」と観客を翻弄するよーなダンスを踊ってほしー……(笑)。

 
 なんやかんや言って、みんな好きよ。なにかしら注目したもん。
 がんばれー。

 
「サソリって、普段は黒トカゲの秘書で、そのくせ若者たちの間に入って洗脳ダンスを踊る、いわば『LUNA』のケロの役だよね?」

「コマくんって、自分の若い頃の小説を回想して書いている、いわば『ICARUS』のケロの役だよね?」

 と、どっちもケロファン視点で作品を語り、ドリーさんにあきれられました。「そんなこと、考えたこともなかった」と。
 あれ?

 まあ、それはともかく『ICARUS』で「作家」役をやったとき、ケロは研7ですか。中卒だからまだ24歳……それでも子持ちのおっさん役がとても自然でございました。「若い頃」を回想しても不思議のない落ち着きがありました。

 でもって『ノン ノン シュガー!!』の「作家」ジョニー@コマくんは現在研6だよね……ケロと1学年ちがいかー……。たった1学年ちがい……なのにこの差はいったい……遠い目。
 ヒゲつけて、がんばっておじさまやってました。

 おじさまの出来はともかく。

 あいかわらず、沙央くらまはおもしろい。

 『エンカレッジコンサート』で大爆笑させてくれたコマくん。
 超二枚目を目指しているのだろーに、路線としての鼻息が見えるのに、でも彼が情熱かけてやっていることは、イロモノ一直線とゆーのは、いったい……(笑)。

 技術はまあアンタッチャブル・ゾーンに置いておくとして、やる気だけはあふれていた初日の姿。その記憶のまま、間をすっとばして千秋楽を観に行ったわたしは、感心しました。
 技術も上がってるってばよ。
 気合いだけじゃなくなってる。
 もちろん、いきなり巧くなっているわけじゃないんだけど、場数を踏んだ分「見せ方」を心得てきた。
 あちこちほんと「あちゃー」なんだけど、それでも「男役」っちゅーものがなんなのかを、真正面から表現しようとしている姿勢に、感動する。

 千秋楽は全体的にえらいことになっていたし、なかでもコマはものすごーくぶっとばしていたけど、もともと軽いコメディだったことも幸いして、やりすぎのアドリブが作品の邪魔になっていない。
 ただの「お遊び」ではなく、「芸」であることを考え、実践してる。

 ライヴハウス「ノン・ノン・シュガー」にて、トサカリーゼントの不良@コマが難癖を付け、乱闘、となるシーンにおいて。
 楽ではその難癖を付けたあと、「オレが本物のロックンロールってのを見せてやる」てなことを言って、ステージに上がった!!

 てっきりそこまでだと思ったのに。
 ほんとーに、歌い出した!!
 バンドのみなさんも演奏するし。

 てゆーか、不良仲間たち、ちゃんとデュエットダンスはじめるし。

 振付までしてあるのかよっ?! 楽の1回限りのアドリブなのに!!
 バンド、出演者、スタッフ、一緒になっての本気の演出。

 そこまでやるのか。

 ヅカファン人生長いけど、ここまで完璧にネタ仕込んでアドリブやる舞台、はじめて観た……。本演出でもおかしくないクオリティですがな。
 楽が初見のnanaタンは、この展開がアドリブだと気づかなかったそうな。それくらい、ふつーに作品にハマっていた。

 そして、その仕込みのなかで、なんといってもコマ。
 ここまで完璧にネタ合わせしてあるのだから、思いつきの一発芸ではなく演出家まで巻き込んでの仕込みだとは思うけれど、ソレを上滑りにさせないだけの気合いを見せてくれた。
 ひとりの舞台人として、観るたびに成長している。そのことがうれしい。

 トサカリーゼントの不良姿で、ノリノリで格好つけて、溜めまくって、クドくてギラギラに糸引いて、下手っぴーに音をはずしながら歌う。あ、わざとね(念のために言ってみる)。
 とことんギャグに徹する。
 ベタベタのドリフ芝居。

 てゆーか、おもしろいなあ、コマ。

 花組で言うところの、マメですよ、イメージ的に。
 なのに彼、新公オスカルやって、次はトートかな? てな路線スターなんですよ。

 花組ファンのみなさま、マメがオスカルやってトートやるとこ想像してくださいよ。……すごいでしょ?
 芸風がマメで、顔があさこ。きりやんでもいいし、れおんでもいいや。とにかくヅカのスター顔。
 ええ、彼はバリバリの若手路線スタァ。

 や、彼が新公トートかどうか、まだ発表されてないんで知りようがありませんが、順番的には彼だろうし、エンカレで予行演習済みだし、可能性大だよね?
 彼が痩せてフェイスラインやお尻その他を整えてくれりゃー、ほんと力強い戦力になりますよ、雪組! エンカレのころより痩せてるし、大丈夫だよな。トシを取って大人の男になれば、きっと自然と頬もそげるよな? オスカルはビジュアルがえらいことになっていたが……だ、大丈夫だよなっ。

 この子の成長を眺めるのは、とてもたのしそうだ。
 舞台に対し、そして自分自身に対し、貪欲な子は好き。

 
 なんかコマだけで長くなってしまったので(笑)、他の子の話は別欄で。


 作品がどんなにアレでも。

 『ノン ノン シュガー!!』は、おもしろかった。

 いろいろいろいろ問題はあった。
 だがわたしは「タカラヅカ」ファンだ。タカラヅカっちゅー特異な文化を愛している。それゆえに、『ノン ノン シュガー!!』は赦されるべき作品なんだ。

 キャスト全員に、なにかしら「役」があり、「見せ場」がある。
 ただの群舞、ただのその他大勢ではなく、その子個人の役であり見せ場だ。ひとつの作品に出演するにあたり、「これは、わたしの役」と思い、大切に向き合い育てていけることが、役者として舞台人として、どれほど意味のあることか。
 タカラヅカは「バックダンサー養成所」ではない。結果的にバックダンサーにしかなれなかったとしても、ひとりひとりは「タカラヅカスター」を目指して切磋琢磨するべきところだ。名もなき脇役人生であったとしても、「わたしの人生では、わたしがスター」という自覚で舞台に向き合うことで、「タカラヅカ」を形成する。
 名もなき星屑たちが懸命に輝こうと努力するさまを愛(め)で、その成長を家族のような気持ちで応援する。それが「タカラヅカ」という世界の特色。

 だからこそ、『ノン ノン シュガー!!』は正しいんだ。
 どんなに物語が破綻していても。

 初日に下級生たちの実力を見せつけられ、かなり絶望的な気持ちになったさ。『ハロー! ダンシング』も雪組は相当アレだったのに、バウもアレなのか。中日だってメインキャスト以外はアレな子たちが目についてしょーがなかったっちゅーに。大丈夫なのか雪組! いやその、芝居の下手さで言えば花組下級生も相当やばいんだが、まだあっちは気合いで誤魔化すのが組クオリティ。雪はそーゆーのがない分、下手が剥き出しに下手っちゅーか……あああ。
 金を取っていいレベルなのは、キムを含めた上から数名だけだよ。通常バウ公演なんて嘘だろ、どっから見てもワークショップじゃん、お勉強発表会じゃん……。
 唖然とはした。したけど。

 この作品なら、ゆるそう。

 下級生たちは、成長する。
 下手なままなんかじゃいない。
 自分の役と向き合い、見せ場の空間をどう埋めるかを、舞台の上で学んでいる。今。

 大きくなれ。
 演出家が、そして観客が、そう言ってぺーぺーたちを見守る……そーゆー作品なんだ。

 アリでしょう。
 他のプロの舞台なら、商業作品ならありえなくても、「タカラヅカ」ならアリでしょう、これ?

 自己満足優先で歌っていいエンカレでも、バックダンサー養成の『ハロダン』でもなく、「タカラヅカスター」を育てるという意味では、『ノン ノン シュガー!!』は最適だ。
 ひとつの「役」として、人間を生きる。その人物として、話し、踊り、歌う。スポットライトを浴びる。本名や芸名のまま歌ったり踊ったりして終わり、のコンサートやダンスショーじゃない。
 これは、「タカラヅカ」だ。

 そして実際、若者たちは、体当たりで演じている。

 もらい泣きしそーなひたむきさで、あがいている。
 それが見えるから、まんま伝わってくるから、この昭和テイストの「アメリカ青春物語」が、脚本の粗を超え失笑モノのダサさやかっこわるさを超え、キラキラしているんだ。

 「タカラヅカ」が好きだから、『ノン ノン シュガー!!』が好きだよ。
 レベルはともかく、藤井くんが生徒への愛情たっぷりに書き下ろしたことがわかる作品だから、好きだよ。
 レベルはともかく、生徒たちが愛情たっぷりに演じていることがわかるから、好きだよ。

 そして、萬ケイ様や圭子ねーさまが納得の実力で支え、ヒメちゃんやにわさんが端正に責任を果たし、足りていないなりにコマくんとさゆちゃんが色を添えようとし、スター音月桂が、「主役」としての仕事をしている。
 いいじゃん、『ノン ノン シュガー!!』。

 たしかに、下級生たちの芸だけぢゃ「通常のバウ料金取るなよ」と思うけど(例『ハロダン』)、真ん中の人たちがびしっと「これは、プロの舞台」と示してくれているのでOKだ。

 観に行って、よかったよ。
 キャストのひとりひとり、それまで知らなかった子も含め、みんなをさらに、好きになった。
 好きメーターがひとつずつ上がったよ。最下級生までなにかしら見せ場アリだから、全員おぼえられるんだもん。
 圭子ねーさまとヒメちゃん、コマは3つくらい一気にメーター上がった(笑)。

 なによりキム。
 あーもー大好き。
 どうしよう。
 この子、本気で「スター」だ。本気で「プロ」だ。
 かっこいい。役の上の話だけではなく、音月桂という人間自体が、かっこいいよ。ベビーフェイスに騙されちゃダメだ、「舞台人」としてはすげー肝の据わった「大人」だー。
 そこがすっごくかっこいい……。

 それからわたし、キムの「がなる」歌い方、すごく好きだー。
 いろんな歌い方するよね、この子。曲によってカラーを変えてくる。
 圭子ねーさまのドスのきいたがなり歌も大好物のわたし、『タランテラ!』東宝でキムもポイント決めてドスきかせてくれるよーになっていて、すげーときめいた。
 今回ソレを、一部分でなく、曲単位でやってくれて至福。
 ああ、キム好きだ〜〜。

 この子を、ずっとずっと見ていたい。
 丁寧な演技のひとつひとつ、光に向き合う覚悟の深さ、なにひとつ、見逃したくない。


 絶好調に悩み苦しんでいるジョニー@キム。
 彼は子どもの頃からの夢をあきらめたのだ……。

 『ノン ノン シュガー!!』ストーリー追体験その3。

 そこへやたら高いテンションでやってくるシェイラ@さゆ。

「わたし、ウィーンに行くのやめた! ジョニーと一緒にいる!!」
「夢をあきらめるのはオレだけでいい。オマエはウィーンへ行くんだ!!」

 えーと。

 シェイラの夢は、ブロードウェイぢゃなかったっけ?

 ウィーンに行くのが嫌で、家出してきたんだよね?

 ほんとーはバイオリンを愛しているのだが、親の命令で弾き続けていたシェイラはそのことがわからなくなっていた。ブロードウェイ云々は、ただの無責任な憧れと、親への反抗心で言っているだけで、本気ではない。
 不良に盗まれた鞄に入っていたのは、愛用のバイオリン。それを失うことでシェイラは「バイオリンが弾きたくても弾けない」状態になり、はじめてどれだけバイオリンを愛しているかに気づく。
 そんなシェイラの気持ちを察し、ジョニーとその仲間たちは不良たちと対決、ケンカが弱い分友情パワーと機転で無事シェイラのバイオリンを取り返した。
「やめて。バイオリンなんて……」
「自分に正直になれよ。ほんとうは、弾きたかったんだろう?」
「……っ!!」
 バイオリンを抱きしめて号泣するシェイラ。彼女の肩をやさしく抱くジョニー、それを見守る仲間たち。
「一度家に戻れよ。親に心配かけたこと謝って、ちゃんと自分の意志で留学することにするんだ。それで、世界一のバイオリン弾きになれよ」
「でも……」
「みんな、ここにいるさ。いつでも『ノン・ノン・シュガー』に来いよ!」
 てなこんなでまた歌とダンス。

 両親としっかり話し合ったシェイラは、留学準備をしながら「ノン・ノン・シュガー」に遊びにやってくる。公園で寝泊まりしているわけではなく自宅から遊びに来るわけだから、ドレスもちゃんと毎回着替えているし、血色もいい。
 そしてついに明日、ウィーンへ旅立つ……てなときに、ザザが自殺したのだ。

 ……てゆー話が、わたしが知らないウチに展開されていたんでしょーか?

 でないと、ありえないんですけど。
 わけわからなさすぎなんですけど。

「わかった。オレも夢をあきらめない。1年後のオレはスーパースターだ」
「ジョニーが夢をあきらめないなら、あたしも夢をあきらめない。1年後、絶対会おうね」

 シェイラの夢は「世界一のバイオリニスト」に変換されています。なんの説明もないまま。
 彼女をウィーンへ行かせるために、ジョニーは苦しい嘘を付く。自分も歌手になるから、と。

 なんかもう、どこから突っ込めばいいのか。

 とにかくこれで、「そして少年は、大人への階段を一歩上った」てなふーにまとめているのよ。

 なんだそりゃ。

 でもって、すっかり忘れられている、50才のジョニー@コマと、28才に見える、たぶんまだ10代の家出娘マライア@さゆ。

 空港では何者かに追われていて、「シュガーレス・カフェ」ではなんの脈絡もなく「本当の恋をしたことがないだろ」と言われて言い合いになり、またべつのときには、「おじさんの子どもの頃の夢って?」と夢を語ることになっていた、シェイラそっくりの女の子。
 いったい彼女にはどんなドラマが……?!
 これらの伏線から、ものすげー背景があり、ものすげー物語が展開されるはず。

 ところが。

 なーんの物語も、伏線のフォローもなく、マライアは「バイバイ」と去っていった。

 ぽかーん……。

 えーと?
 あの、もしもし?

 あの女、なんのためにいたの?

 まったく無意味で無価値でしたが?
 シェイラと同じ顔でも、ただの他人のそら似? 思わせぶりな台詞の数々も意味無し?
 出す必要、なかったじゃん。
 50才ジョニーと「シュガーレス・カフェ」のマスター夫婦だけでよかったじゃん。
 マライアがかわいいならともかく、さゆちゃん気の毒なくらいカツラも衣装も似合ってなくて、オバサン臭くて、早変わりばかりで消耗させて、物語のノリをそのたび止めて、ひどすぎる扱いだったじゃん!!
 さゆいじめが目的か?

 大富豪のお嬢様であるマライアは、結婚が嫌で逃げてきた。
 彼女を捕まえようと、父に雇われた男たちがあちこちを見張っている。
 追っ手の目をかいくぐってなんとか逃げ出したマライア。この街にやってきたのは、幼なじみの憧れの従兄弟が住んでいるためだ。
 彼ならきっと、あたしを助けてくれる! 彼はあたしの王子様よ。あたしは彼に恋しているんだわ。
 たまたま助けてくれたヒゲの中年男に「本当の恋をしたことがないだろ」と言われ、うろたえる。恋ぐらいしているわ。そのために政略結婚を蹴ってここまで来たんだから。
 ところがいざ会ってみると、従兄弟は夢ばかり見ているまだまだ青い子どもだった。男の子の方が、女の子より成長遅いからね。たしかにいい子だけど、恋の対称としては足りなさすぎる。がっかり。これならまだあのヒゲのおじさんの方がいい男だわ……やだあたしったら、なに言ってるの。
 だけど従兄弟と話しているうちに、「夢」について真剣に考えるようになった。そう、ここで政略結婚しちゃったら、あたし、なんにもできないじゃない。
 従兄弟の母親、マライアの伯母もやさしく力強く、背中を押してくれる。
「マライアは、ママの若いころにそっくりなんだよ、知ってた?」
 独身時代はヨーロッパを中心に活躍したバイオリニストだったという伯母は、10代のころの恋の物語をマライアに語ってくれた。
 歌手志望の素敵な男の子との、恋の思い出を。彼のおかげで、両親とも和解できたし、夢をあきらめることなく前に進めたのだと。
 その話を聞いてマライアは、父と話し合うことを決意。恋も夢もこれからだもの!
 「シュガーレス・カフェ」に逗留して自叙伝を書いている、ムカつくけれどどこかときめく、ヒゲのおじさんに挨拶して、と。
 マライアは背筋を伸ばし、自分の人生の新しい一歩を踏み出した。

 ……てゆー話が、わたしが知らないウチに展開されていたんでしょーか?

 でないと、ありえないんですけど。
 わけわからなさすぎなんですけど。

 
 そーして50才のジョニーは、自叙伝『ノン ノン シュガー!!』を脱稿する。
 絶対、おもしろくないだろーけどな、ソレ(笑)。

 ただの独りよがり「自分史」ってやつでしょ、お年寄りが自費出版しているよーな。
 ジョニーは作家になっているけれど、「大切な人が死んでも、仕事を続けた、使命を果たした」キングを見て「オレはキングにはなれない」と逃げ出した男だ。
 歌でも小説でも、同じコト。べつに八百屋でも郵便配達でもいいさ。
 哀しみや苦しみを言い訳に責任を放棄するよーでは、ほんとうの仕事はできないだろう。
 だれだって、なにかを抱え、乗り越えて笑っているのだから。
 シンガー・キングはおそらく、歌うことでザザへの想いを昇華させたことだろう。歌い続けることが鎮魂であったろう。
 作家ならば、その哀しみをペンに込めたことだろう。大切な人を失ったから筆を折るのも作家らしいのかもしれないが、その哀しみごと表現する、書き続けることが鎮魂となるだろう。
 八百屋なら、新鮮な美味しい野菜を売ることで、郵便配達なら人の想いの詰まった手紙をつなぐことで、みんなみんな、自分の出来ることで、愛を紡いでいくだろう。

 ジョニーはソレで、なにか成長したんだろうか。
 キングの姿を見て、ケツをまくった……それ以上のことが、なにも描かれていないのだが。

 ただ、キムがかっこよく歌うことだけで、全部誤魔化してしまった。

 ジョニーの小説『ノン ノン シュガー!!』は、おもしろくない。
 だってそこには、起承転結も成長もカタルシスもない。
 出来事が羅列されているだけだ。

 「夢をあきらめた」のではなく、「逃げた」だけである。
 …………痛い…………。

 ほんとうに、徹頭徹尾一貫して、ストーリーがない。

 出来事の羅列のみ、しかもエピソードはとびとび。
 歌とダンスでそれをつなぎ、水増ししてある。

 ストーリーがない分、「なんとなく、よさそうなシーン」を並べてあるので、歌の印象で「なんとなく、青春っぽいいい話を見た?」イメージだけは与えるよーになっている。

 この作品の正しい見方は、初日感想で書いた通り、ストーリー仕立てのショーとするべきだろう。

 「物語」としては、ありえないよ。


 さて、ひょっとしたら公園生活者?のヒロイン、シェイラ@さゆ。
 鞄を盗まれ無一文の着た切り雀、のわりにドレスをいろいろ着替えて現れる。どうやってるんだろう……。やっぱり、キング@萬ケイ様から「ジョニーの手当に使え」と言って渡されたお金を着服したのかしら。服は買えても、住むところは買えない……よね? どうしてるんだ?
 最後の最後に「ホテルに宿泊している」ということがわかるのだが、ソレもまた謎だ。そのお金はどこから……。

 なーんて謎がゴロゴロしていてめずらしくもない素敵作品、『ノン ノン シュガー!!』の、あってなきがごとしストーリーを追ってみよう、その2。

 シェイラは超お嬢様で、幼いころから自由に遊ぶことも許されず、えんえんバイオリンのレッスンを強制されてきたらしい。
 家出の直接の原動力は、「ウィーンに留学、1年後には世界的なバイオリンのコンテストに出場」が親に決められてしまったため。
 シェイラの夢はバイオリニストではない。ブロードウェイに立つことだ。

 夢は大きい方がすばらしい。
 ジョニー@キムをはじめとする若者たちは、そんな彼女を仲間として暖かく迎え入れる。

 ……のは、べつにいいんだけど。

 2幕になってまた謎の展開をはじめる。

 シェイラの鞄を盗んだ不良@コマたちが、ライヴハウス「ノン・ノン・シュガー」に現れた。「鞄を返して、あれがないとウィーンに行けない」てなことをシェイラは主張する。
 ここまで言うからには、「鞄」は大切なアイテムなのだろう。
 だが、「鞄」ネタは、これ以降出てこない。

 てゆーかシェイラ、ウィーンに行くのが嫌で家出して来たんだよね? 実はウィーンに行く気満々なのか。

 不良どもは「ノン・ノン・シュガー」で大暴れ、ケンカの弱いジョニーはあっさり敗北。
 不良たちが出ていったあと、ジョニーも店を飛び出す。弱っちい自分が許せなくて、落ち込んでいるらしい。

 ここまではいいんだが。
 ジョニーを心配して追いかけてきたシェイラに、ジョニーは怒鳴り散らす。
「お前とオレは住む世界がちがうんだ。オレがどれだけびんぼーだったと思う、お金持ちのお嬢様にわかるもんか!」

 ケンカに負けたことと、びんぼーに、なんの関係が?!!

 お金持ちのK・BOY@キング蓮城もケンカに負けてましたが、なにか?

「びんぼー経験なんかわかんないわ! わかんなかったらジョニーのそばにいちゃいけないの?!」
 シェイラも負けちゃいない。
 ふたりして、身分違いの恋のクライマックスをやる気満々で演じはじめる。

 えーと……どっからこんな展開に?
 不良にボコられた、かっこわるかった、ってだけだよね?
 それともナニ、わたしの知らないところで、「身分違いの恋」ネタのエピソードが展開されていたの?!

 さんざん怒鳴りあったあと、ジョニーは気が変わってシェイラを抱きしめる。
「『ノン・ノン・シュガー』へ行こう。オレたちが出会った店へ」

 ……展開に、ついていけない。
 なにがあったの?
 いつの間になにがあって、大河ロマンのクライマックスみたいなシーンが繰り広げられているの?

 なんか、公演時間数時間分、話がとんでる?
 これってなにかのダイジェスト?

 くらくらしている間に、舞台ではさらに大変なことが。

 1幕で「愛はタイフーン」つーかストーカーっつーか、男の職場に押し掛けて「愛してるのよ!」「どーして会ってくれないの?!」と大騒ぎをし、でも「歌ってよ」と周囲におだてられるとノリノリで歌っちゃうとゆー、ぶっとんだキャラクタを披露した女優ザザ@ヒメ。
 存在を忘れられたころによーやく再登場、いきなりドシリアス。
 キング@萬ケイ様相手に「大人の恋の破局」をドラマティックに演じる。
「おれはひとりの女を愛することはできないんだ」
「あたしはアナタなしでは生きていけないっ!!」
 てなやりとりののち。
「最後にキスして……思い出にするの」
 なんつー、ベッタベタな展開てんこ盛り、昭和中期気分をさんざん味あわせてくれたあと。

 ザザ、自殺。

 あちゃー。やっちまったよヲイ。のーてんき内容無しコメディなのに、「盛り上げるためには、とりあえず殺しておけ」系の展開。
 てゆーかまぁ、お約束?
 「青春群像モノ」っていったら絶対誰か自殺しなければならないからなー。テレビドラマでも、「青春群像劇」「仲間たちとの友情」をメインに謳う場合は新番組予告段階で「さーて、自殺するのは誰かな」と予想ゲームができるくらい定番だもんな。

 ザザの死が引き金になって、さらにベッタベタ展開スタート。

 1幕で長々と時間を取ってジョニーのママ@圭子女史のエピソードが回想シーンとして挿入されていたが、だからナニ? という、意味のない使われ方をしていたんだ。
 ジョニーにはやさしいママがいたが、死んでしまった。これだけのことを、歌とダンスでえんえん説明するの。で、そこまでやって、なにか現在につながるのかと思えば、ソレはソレで終わり。
 ……なんのための回想シーン?! 圭子女史に見せ場を作るためだけ?! たこ足ドレスを着て、ドスをきかせて歌う圭子女史はすばらしかったけれど! 見せてくれてうれしかったけれど。でも、なんて意味のないシーンなんだ。

 その意味無しシーンのオチが、2幕にあった。
 なんと、あのやさしいママは、男に振られたその足で、我が子の前で投身自殺するのだ。

 ヲイヲイヲイ! 1幕の意味のないシーンで、いやな予感はしていたけれど。
 6才の息子残して投身自殺。
 しかも、彼の目の前で。

 「母親」として、やっていいことぢゃない……。同じパターンでも精神を病んでいた『パレルモ』より、さらにひでー展開だ。正気なのに、わざわざ息子の前で死んでみせるんだから。

 もちろん、ジョニーは母の自殺がトラウマになっている。

 取り乱すジョニーを、シェイラが慰める。はいはいはい。
 なんとか落ち着いたジョニーは、「キングのためにザザは死んだんだ」つーことで、キングの元へ。

 哀れな最期を遂げたザザのために、1日ぐらい喪に服してもいいじゃないか、と言うジョニーに、キング様はまったく取り合わない。
 彼は信念を持ってステージに上がる。何故ならば、彼は「スター」だからだ。彼の歌を必要とする人々がいるのだから、彼はなにがあっても歌い続けなければならない。
 その責任と覚悟を目の当たりにし、甘ちゃんジョニーは猛反省。

「オレはキングにはなれない……歌手になる夢をあきらめるよ!」

 この思考回路が、よくわからない。

 キングはひとつの生き方であり、この世の価値観のすべてではない。
 なのに、あるひとつの行動パターンの真似が出来ないからといって、「歌手」をあきらめるっちゅーのはなんなんだ? キングと歌手はイコールではないぞ?
 いくらジョニーがキングにあこがれていたといってもだな……。

 思考が短絡的すぎて、目眩がする。

 もちろん、ジョニーの夢が「キングになること」であったなら、コレはコレでいい。
 だがその場合、「夢をあきらめる」のではなく、「目が覚めた。オレはオレであって、キングのコピーじゃないんだ」であるべきだ。
 でもって「目が覚める」のだから、「キングを尊敬する」「キングの真似をしたい」というエピソードではそこにつながらない。

 わけわかんねぇ……。

 途方に暮れつつ、続く。


 さて、「内容は無いよう」(……)な、とっても藤井くんらしい作品『ノン ノン シュガー!!』について。

 「話がない」のはデフォルトだが、それにしてもめちゃくちゃすぎてすごいので、いちおーがんばってあらすじを書いてみる。

 ダンディなちょいワル親父イケてる50才のジョニー@コマはメンフィスに戻ってきた。作家である彼は、自分の青春時代を過ごしたライヴハウス「ノン・ノン・シュガー」を舞台に自叙伝を書く予定なのだ。
 そんな彼の前に、マライア@さゆという、年齢不詳の女が絡んできた。推定年齢28才くらい? 不自然なぼさぼさ髪と、まちがったファッションセンス。突撃取材を売り物にする体育会系のライターとか、そーゆー感じ? オシャレにも女であることにもキョーミ無しって感じ?
 彼女は誰かに追われているらしい。やばい相手の取材でもしたのか?
 マライアの事情とは無関係に、ジョニーは彼女を見て「似ている!」と盛り上がる。

 マライアが誰に似ているのか。
 それは、30年前に別れたきりの恋人、シェイラ@さゆ2役にだった。

 舞台変わって30年前、ぴっちぴちのハタチのジョニー@キムの夢は、歌手になること。
 彼はライブハウス「ノン・ノン・シュガー」でボーイをやりつつ、スターシンガー・キング@なんと萬ケイ様の前座をしていた。

 よくわかんないけど、キングはエルヴィスを超える(かもしれない)大スターらしい。メンフィスという街の位置づけも、「ノン・ノン・シュガー」というライヴハウスの位置づけもわからないので混乱するのみだが。
 エルヴィスの街、つーことでメンフィスは音楽の街なのかな? ロックのブロードウェイ的位置づけでいいのかしら? ロックンロールを志す若者たちが「オレもいつかメンフィスに行ってビッグなスターになるんだ!」と夢を語るよーな? 田舎から若者たちが闇雲に駆けつけてくるよーな街、つー位置づけで合ってる?
 とにかく、世紀の大スター・キングは、メンフィスという街の小さなライヴハウスで常連相手に15年スターをやっているらしいから、たしかにそれはそれですごいことだ。
 この時代、テレビも映画もレコード文化もあったんだが、そーゆーものとは無関係に、ライヴだけにこだわり、小さな舞台で少人数を相手にスターでいることが重要だったのだ……たぶん。
 通天閣の歌姫とか、あーゆー感じかしら。
 まあそんなこんなで、ジョニーにとってキングは憧れの人。

 そこへやってきた押しの強い少女シェイラ。めっさカンチガイ入りまくりのブリブリ衣装で家出中。
 80年代の松田聖子みたいなワンピース……と思ったらコレ、『Young Bloods!! 』宙組でヒロインが着ていた、「正気とは思えないセンスのメルヘンドレス」?!(白目)
 お笑いナンチャッテSFでも浮きまくりの阿呆な衣装だったのに、使い回しますか……。そうか、藤井くん的に「美少女と言えばコレ!!」な必殺ドレスなわけだな。たった半年で使い回し! あああ、またひとつ藤井くんのダメメーターが上がったわ(笑)。
 ヒロイン=メルヘンドレス。記号だから、時代も舞台も関係なし。2007年の日本が舞台でも、ヒロインはこのドレスを着て出てくるんぢゃないだろーか。藤井くん的「萌え衣装」なんだろう。
 ドレス自体はかわいいの。ただ、TPO無視だから、に見えるだけで。

 やはりコレは、シェイラが「変」であることを表現するためにわざわざこのドレスを着せている、と考えるべきだろう。
 つーことで、街いちばんのライヴハウスのコーラスガールよりはるかに派手なドレスを普段着にしているシェイラは、空気を読めない田舎モノ。「ロックの大都会メンフィスに行くんだから、気合い入れなきゃ!」とがんばってハズしまくった結果の姿。
 そんな無惨な家出娘はもちろん不良@コマ2役に絡まれ、鞄を盗られてしまった。
 で、なにしろ変で空気読めない女の子なので、不良から彼女を助けようとしたジョニーに「あんたのせいで鞄盗られちゃったのよ! どうしてくれるの!!」と絡み出す。言いがかりのあとはもちろん泣き落とし。「家出してきて行くトコもないってわかってるくせに放り出すなんて、なんて冷たいの」と天下の往来で泣きわめく。
 定番の迷惑女ですな。少年マンガによくあるヤツ。美少女だからナニやってもヨシ、みたいな。ブスが同じコトをやったらコロスゾテメー扱いされるのがわかりきっている電波な登場。
 でもジョニーは彼女にほんとに興味がないので、「そこで待ってろ、仕事終わったら拾ってやる」と言ったまま、忘れてしまうのだ。
 すげー展開(笑)。
 「ノン・ノン・シュガー」で働く間、客として店内に混ざっているシェイラを気にはかけるんだけど(ナンパ男から守ったりね)、それだけなの。「家出娘」としての彼女を助ける気なんか、さらさらないのね。
 キング登場ですばらしー歌声とパフォーマンスを披露してくれたり、キングの恋人ザザ@ヒメがこれまたすばらしー歌声とパフォーマンスとキャラクタを披露してくれたりと、とにかく歌とダンスだけで、終始する。
 
 それであっさり翌日。
「ごめん、お前のことすっかり忘れてた。昨夜はどうしたんだ?」
「ちゃんと寝たよ」
「どこ泊まったんだ」
「公園」

 ……こ、公園?!
 「飛び込んできた家出娘」を主人公が拾う、という設定の物語の中で、最強の展開。 

 拾った家出娘を忘れる主人公。それで公園で浮浪児となるヒロイン。
 すげえすげえすげえ! なんて斬新な展開!

 このあとシェイラがどこで暮らしているのか、まったく触れられない。
 彼女はどーやらジョニーに惚れたらしく(何故っ?!)「ノン・ノン・シュガー」に毎日入り浸るんだが、どこに住んでるんだ? やっぱり公園?
 鞄を盗まれたシェイラは一文無しの着た切り雀、のハズなんだがな。キングが気前よく財布ごと彼女に渡していたが、「もらえないわ!」「返さなきゃ!」とか言っていたんだが……あのお金はどうなったんだろう。やっぱりもらってしまったんだろうか。
 彼女がどうやって生計を立てているのか、謎のまま。

 でも、そんなささいなことは、誰も気にしない。

 「ノン・ノン・シュガー」に集う若者たちがそれぞれ夢を語り、とにかく歌ばっかり歌う。

 えーと、そうだ忘れてた、歌の合間合間(話はナイので、歌の合間)に、30年後のジョニーの話も入る。

 彼は以前のライヴハウス「ノン・ノン・シュガー」、今はコーヒーとサンドイッチの店「シュガーレス・カフェ」を訪れる。
 謎の女マライアを連れて。
 マライアはジョニーを「おじさん」呼ばわりする。
 ジョニーは50才にはまったく見えない……というか、じゃあ何才なのか、丸いフェイス&ボディラインからはよくわからないんだが……まあ、28才の女から見れば「おじさん」設定なのかなぁ。
 なにかに追われていたはずのマライアは、いつの間にか家出娘ということになっている。
 28才で、家出? じゃあひょっとして、姑と折り合いが悪くて飛び出してきた主婦?
 「尻の青い小娘」「なによ、おじさん」……やりとりを聞きながら、首をひねる。
 ひょっとして、マライアって、若い設定?
 混乱しているところへ、追い打ち。

「本気で男に恋したことないだろう」

 ジョニーがえらそーに言い出す。
 はあ?

 あの、文脈が見えません。脈絡がわかりません。
 50才を「おじさん」呼ばわりする、生意気な家出娘……というだけの会話に、突然なんのつながりもなく、「恋したことないだろう」というところへ会話が飛び、心から面食らう。
 とゆーか、置き去り……。

 本当の恋をしたことがない=半人前、なんだそうだ。
 まあそう思いたい人は思っていてもまったくかまわないが、何故ソレを今ここで、この会話の流れで言う?

「テレビゲームはやめて、いいかげん宿題をしなさい、マライア」
「いやよ、おじさん」
「本気で恋をしたこともないくせに!」

 ……えーと、宿題と恋がなんの関係が?
 コレくらい、脈絡ナシ。しかも正義の顔で、説教スタート。

 「宿題をしなさい」という説教ではなく、「真実の恋」についての説教。
 ……えーと、宿題は?

 ただソレ、「真実の恋」の話がしたかっただけ? 長く生きてきた自慢話?
 てゆーか、ぶっちゃけ、セクハラ?

 まったく関係ない会話の最中に、女性のプライベートに踏み込む発言をする中年親父。
 セクハラですな。

「で、彼氏いるの? 彼とはどれくらいのつきあい? もうチューくらいしてるよね、くくく」……てのと一緒にされるぞ?

 トンデモ会話展開(話はナイので、会話展開)に口を開けたまま、続く。


 さあてメインだ、中詰めのあとのカオスシーンだ、『TUXEDO JAZZ』物語、その3。歌詞はネットで拾ったり耳で覚えているだけだったりするので嘘八百の可能性アリだぞっと(笑)。

 救いとなる清浄なシーン、運命の恋人とよーやくめぐり逢うことの出来たオサなのに。

 赤い色が、ソレを阻む。

 全編通してオサの「敵」として登場するまとぶが、深紅のスーツ姿でオサと彩音を引き裂く。

 なんかねえ。
 オギーがまとぶんに興味ないのはこれまでの作品からわかっていたことだけど、それにしてもやっぱり、あんまりだよなあ。
 『TUXEDO JAZZ』ってさ、油断していると、まとぶんが目に入らないんだよ……。単独2番手だから、つーことで気は遣われているんだけど、ソレだけなんだもん。

 そしてまた、どーしてオギーがまとぶに興味がないのか、このシーンで痛感できるんだよ。

 弱い。

 存在も、毒も。
 オサの「敵」であるはずなのに、ある意味彼こそが「運命」であるはずなのに、そう見えない。周囲の毒(つっても、それほどでもない濃度)の中に、彼はすっぽり埋没してしまうの。

 役割に応じた仕事が出来ていない。
 この作品がぼやけてしまった理由のひとつは、まとぶだと思う……や、他にも原因はあるが、まとぶは2番手だから負う責任が大きいのなー。
 彼がコム姫やトウコ的持ち味の人なら、絶対「いちばんオイシイ役」になっていたし、「影の主役」になれたのに。

 恋人@彩音と入れ替わりに登場する毒女@みわっち。いやあ、これがまたわかりやすく毒々しい。
 いくら同じドレスを色違いで着ていたって、まちがうわけないよ、アンタ別人! オデットとオディール以上に別人だー(笑)。

 みわっちの方が、まとぶより強いんですが。

 みわっちを操るのがまとぶでしょう? なのに、みわっちが黒幕に見えちゃダメだってば。

 まとぶの弱さに目眩がしつつも、とりあえず惑乱のカオス。

 響く狂気の歌声は、なんと赤いシャツの男@まぁくんだ。
 オギーは「音」の使い方が巧い。その「音」には、「声」も含まれる。
 みとさんの高音もそうだし、まぁくんの声がこんなにダークに響くことも、はじめて知った。

 まぁくんは歌手ではない。てゆーかどっちかっつーと歌はアレな人。なのにわざわざ彼の「声」を使う。

 まぁくんの持つ、「若い無神経さ」が暴力的な「音」として混沌感を盛り上げるのだわ。すげーや。……歌詞はよく聞こえないけどな。(何回聴いてもよくわかんねー・笑)

 回る回る。
 狂乱の不思議の国。

 現実と夢が境界線をなくし、オサは翻弄され、飲み込まれていく。

 毒々しい赤をまとった男たちが歌い踊り、オサの同僚(仲間?)のようだったジャズバーの男たち(同じく白スーツ)も、狂ったように歌い出す。
 現実と、陸続き。
 だけどここは、ワンダーランド。

 アリスは目的を見失って歌い出す。

 汚れること。
 壊れること。
 すべてすべて、渦の中。

 過ぎた苦痛は悦楽にも似て。

 えーとここって、全員登場? とにかく、すごい人口密度。基本まっつしか見ていなかった初日、ずーっと目で追い続けていたのに見失ったくらいだ。(1階席からぢゃ無理)

 コーラス隊をのぞいた人々が、渦を作って踊り狂う。
 その頂点で。

 翻弄されたオサが、まるで投げ出されるように静止する。人の群れからも、音楽からも。
 
 そして、ひとり歌い出す。

 メロディは、運命の恋人@彩音が現れたときの、「過去形の未来」と同じ。
 清浄な光……が、あったはずのメロディ。

 だけど歌うのは、「♪止めた時計の針 真夜中少し前 やがて腐り落ちる 今日をまた繰り返す」、過去でもなく未来でもない。

 永遠に続く「今日」。

 レコードは傷ついたまま、狂ったよーに同じフレーズを繰り返し続ける。

 
 さて、もうひとりの主人公、お気楽な女の子彩音は。
 どーやらふたりの世界はこのカオスで交差しているらしい。
 オサが背負うモノを、彩音は背負わない。彼女は明るい世界に生きている。

 オサの前にグリーンのドレスで現れた彼女は、そこに運命の恋人がいることがわかっているのに、実際彼の元へ行こうとするのに、まとぶにさえぎられ、流されてしまう。

 あまりにも彼女は、「ふつー」の女の子だった。
 だからこそ、ダークサイドに生きるオサが、彼女を救いとしているのかもしれない。

 アリスであるオサの目から見れば、彼女は聖なるウサギ。彼女を追いかけて不思議の国を彷徨っていた。

 だけど彩音サイドから見れば、オサがウサギなんだ。彼女は彼女なりに、オサを追いかけていた。
 そして、このカオスに巻き込まれて。

 オサの前にみわっちが現れたよーに、彩音の前にもオサのふりをしたもうひとりの男@まとぶが現れた。
 オサと同じ白スーツ姿で、さらに彩音とお揃いのカラーを押さえて。

 王子がオディールだと気づかずに彼女の手を取ったように、彩音もまた、まとぶの手を取る。
 わたしの白ウサギは彼だと、疑うこともなく。

 オサの背負うモノを、彩音は背負わない。
 彼女が善良で、その分浅はかなのも、仕方のないことだ。タクシー探して大騒ぎしていた、明るくおバカな女の子なんだから。
 完璧な女神を愛したわけじゃない。そんな彼女だからこそ、愛したのだから。

 過去形で歌う未来のように。

 出会うことが運命だった、でも共に生きられない、なつかしいあなた。
 

 止まっていた渦が、再び回り出す。
 まとぶと彩音を追って、オサが走る。

 狂ったような歌声、ダンス。
 どこまでも回り続ける。壊れたレコード。
 昨日も消え、明日も消えた。
 あるのはただ「今日」、永遠の一瞬。

 不思議の国はなにもかも飲み込んで。

 オサの愛した彩音はまとぶの腕で微笑み、オサはひとり奈落へ落ちていく。

 
 ……ええっと。
 な、なんかすげーラストなんですが。

 しかもこの「ふつーの女の子」彩音ちゃん。
 にっこり笑ってまとぶから帽子をもらい、とりまきの男たち@まっつ、みつる、りせと恋を歌い踊るんだよ?!
 んまあ、ブラック(笑)。
 でもある意味、とても、「少女」らしい。

 無邪気な残酷さ。
 これこそが、「アリス」的かもな。
 彼女にとって「恋」はたのしいもので、心を軽くするものなんだ。それを与えてくれないオサは、やはり彼女と共に生きることはできなかったろう。

 それでも、ふたりは運命の恋人同士なんだよね……だから、かなしい。

 ここからフィナーレ、「レヴュー・シーン」なので、ここでだけまた、オサと彩音は共に過ごすことが出来るんだ。

 キラキラキラ。
 幸福な、光の洪水。
 現実と隔絶した、あきらかな夢。夢。夢。

 現実には手を取り合うことの出来ない恋人同士が、幸福そうに微笑む夢。

 そう、オディールに簡単に騙されたくせに、彩音は運命の恋人としてオサと共に踊る。
 弱い彼女は、きっとこれからもふらふら迷い続けるだろう。女神でも聖女でもない、「少女」。
 こうして触れあうことで確認しながら、逃げ込みながら。きっとまた、迷子になる。
 愛し合っていることは、たしかなのに。過ちが尽きることなんかない。

 それもまた、決まっている未来だね。

 ずっと探していた。
 アリスのように。
 あなたを探して、彷徨い続けていた。

 出会うことが運命だった、でも共に生きられない、なつかしいあなた。

 キラキラ、幸福感がまぶしい。
 そして、かなしい。

 「♪目が覚めれば夢の続き いつも嘘になる」……なにもかもわかっていて見る夢だと、オサが歌う。

 そう、彼は知っている。絶望も焦燥も狂乱も、なにもかも、受容しているんだ。
 「自由」に歌うジャズのよーに。
 心だけは自由であると、解き放たれた笑顔で歌う。

 もどかしい運命も、完璧でない恋人も、なにもかも。
 なにもかも。

 カオスもワンダーランドも、ここにある。

 それを知るからこそ、彼は豊かな声で歌うんだ。ひょうひょうとした笑顔で。
「♪思い出の街 ここに生まれて たとえ遠くに旅しようと また帰り来る」
「♪誰もが皆ここでは自由に生きている」

 あああ、オサ様、好きだ〜〜っ!!(勝手に叫ぶ)


 えー、わたしにはこう見えている『TUXEDO JAZZ』、あるいは、『TUXEDO JAZZ』の楽しみ方こあら風、話の続きっす!

 その昔、『マラケシュ』を観たときに誰かと話したんだよな。kineさんとだっけ?
 リュドヴィーク@オサとオリガ@ふーちゃんの「パリの傷」の重さが、同一に語られているけれど、じつはまったくチガウって話。
 同じ傷を持つ男と女、という設定のわりに、リュドとオリガが背負うモノがちがいすぎる。
 たかが色欲のために結婚詐欺に遭った世間知らずのバカ娘の過去と、愛する女性を守ろうとしたけれど叶わず、自分のために彼女に人を殺させてしまい、その罪をかぶって闇社会へ落ちた男の過去が、同じ重さなわけないだろ。
 しかもオリガの方は腹いせで金持ち貴族のぼんぼんと衝動結婚、なんの不自由もない若奥様生活だ。今なお手を汚しあがき続けるリュドとはちがいすぎるっつの。

 でも、脚本上は「同じ」とされている。

 このワンダーランド『TUXEDO JAZZ』でも、オサと彩音は同じように迷宮を走り回りながらも、背負っているモノがチガウ。

 彩音はポップに明るい世界観にいるのに、オサは重く深い、狂気の沈む世界にいる。

 オギーの「春野寿美礼」へのイメージなんだろうか。
 「他と同じだよ♪」と見せかけておいて、じつは彼だけめちゃヘヴィだっての。
 やさしくゆるいふりをしていて、『TUXEDO JAZZ』にも毒がうすーく塗り伸ばしてあるように。
 ライトユーザーには安全。でも、何度も何度も観るリピーターはもれなく中毒。後戻りできない。うひゃあ。

 さて、交通事故で終わりを告げた、表と裏の物語。

 暗い重い物語の主人公だったオサは、次の場面ではいきなりコミカルになる。
 ボロボロの姿で現れた彼は、街の女たちに促されるまま仕立て屋へ。

 ここもすごーく、『不思議の国のアリス』ちっくだよなー。

 次々差し出されるとんでもない服。ダークスーツしか着てこなかった渋いギャングになにを薦めるんだ(笑)。

 ここでオサを手玉に取るのが、彩音とまっつ。客であるオサの言うことを聞いてあたふたしている、わけなんだが、追うモノと終われるモノ、回転ドアをくぐれば別世界、振り回すモノと振り回されるモノが逆転している。
 ほんとうなら、客が自分のペースで買い物をするのに、選ぶのに、彩音たちが自分たちのペースで主導しているんだ。
 加速するファンタジー感。現実ではないテンポ。

 結局オサはまとぶの来ているタキシードに惚れ込み、ソレを購入することに決定。

 まとぶはこの作品において、終始オサの「敵」「障害」として登場。
 だけどここでのみ「彼の着ている服がイイ」になる。
 そしてふたりでシンクロして踊ることになる。

 敵とは、同等の能力を持ってはじめて敵になりうる。あるときは彼に憧れ、共に踊るくらいに。

 明るいオサ、コミカルな彩音、敵ではないまとぶ……でもこれは、どうも現実とは少しチガウようで。

 仕立て屋からバーへ変わった舞台は、オサが酒を飲んだあとから幻想シーンへと展開する。

 回転ドアをくぐって現れたピンクのドレスの女@いちか。その姿は、妖精めいていて。
 酒一杯でトリップ……というより、もともと現実ではなかったのかもしれない。
 首からメジャーをかけた仕立て屋@あやね、友人のように共に踊るタキシードの男@まとぶ……全部夢?

 ブルードレスの女たちが踊る中、わかなちゃんが歌うのは、別れの歌。
 仕立て屋からバー、そして幻想までずーっとオサを見守っていた男@まっつが重ねて歌うのは、別れゆくモノへの哀惜と祈り

 ナニが現実? ナニが夢?
 不思議の国は回り続ける。

 幸福な夢は、覚めたときがかなしい。
 夢だとわかって見る夢もまた、せつない。

 あやふやな夢は一気に「完全な夢」、中詰めの「レヴュー・シーン」に変わる。「ザ・コンチネンタル」ですな。
 プロローグと同じ、オサと彩音は幸福な恋人同士として並んで踊る。敵のはずのまとぶも隣で笑う。

 まとぶは歌うのさ、「♪夢ならば覚めないで」と。
 キラキラキラ。
 幸福な、光の洪水。
 現実と隔絶した、あきらかな夢。夢。夢。

 現実には手を取り合うことの出来ない恋人同士が、幸福そうに微笑む夢。

 ずっと探していた。
 アリスのように。
 あなたを探して、彷徨い続けていた。

 出会うことが運命だった、でも共に生きられない、なつかしいあなた。

 キラキラ、幸福感がまぶしい。
 そして、かなしい。

 プロローグや中詰め、現実を離れた「レヴュー・シーン」でないと愛し合えない、オサと彩音。

 それでも、ふたりは運命の恋人。

 オサが背負うほどのモノを、彩音は背負わない。いや彼女はきっと、なにも知らないだろう。オサもあえて教えないだろう。
 それでもふたりは「同じ」ようにすれちがい、「同じ」ように出会えたことをよろこび、愛を語るんだ。すばらしき世界を讃えるんだ。

 夢はいつか覚める。
 幕はいつか下りる。
 華やかなレヴューは終わり、現実がはじまる。

 いつか見たサックス吹き@はっち組長がけだるく音を奏でる。
 舞台は、プロローグの街の雑踏とリンクする。

 スタートに戻ったのか。
 夢の中でだけ出会うことの出来る恋人同士、オサと彩音はどうなる?

 「♪たしかにここにある 夢の名残」シビさんが歌う。
 ……夢だったんだね、みんな。
 あれは幸福な夢。

 倦怠と退廃が支配するジャズバーで、白いスーツの男たちが現実を憂いて歌う。
 暴力的なまでの、ゆるいゆるい絶望感と閉塞感。

 とどめを刺すような強い絶望でなく、ゆっくり窒息していくような慢性的な失望。

 これが、オサのいる現実。

 閉塞感に押されるように、急き立てられるように、ナニかが変わっていく。
 白い服のオサを侵すよーに、赤い色が画面のそこかしこに見えはじめる。

 赤。

 それは、幸福の色だったはずなのに。
 プロローグで、その色を着て愛する少女と共に踊っていたのに。

 赤を着た男たちが浸食をはじめ、不安なソプラノが響く。
 ちあきさんのソロから、みとさんへ。

 みとさんの歌声が、すごい。
 『マラケシュ』のときもそうだったが、彼女の声には狂気がある。
 金属的な、不安をかき立てる音。
 オギーのみとさんの高音の使い方は、いつもぞくぞくさせてくれる。

 追いつめられる。
 底のない恐怖。
 喧噪。焦燥。加速する不安感、絶望感。叫び出す一歩手前の窒息感がじりじりと続く。

 絶望が最高潮に高まったその瞬間。
 狂う、このままでは狂ってしまう……その、最後の瞬間に、光が差す。

 暗闇を照らす、清浄な光。

 詰まっていた呼吸が、止まりかけていた心臓が、ふたたび動き出す。その、光を受けて。

 光とは、彩音だ。

 ただただ美しく、運命の恋人はオサの前に現れる。

 「♪もしも昨日の朝 あなたと出会ってたなら ちがう明日への扉開けたでしょう」……透明な少女の声が歌うのは、過去形の未来。

 叶わない未来を、美しく歌う。
 叶わない夢が、美しく舞う。

 ……ありえねえって。
 なんなのこの痛さ。

 オサの生きる「現実」って。

 
 続く〜〜。


 「オギー作品」だから、すべてのシーンが意味を持ってつながっていなくてはならないとか、ストーリーがあるべきだとか思っているわけではなくて。メインキャラは通し役に違いないと思っているわけでもなくて。
 ただわたしは、わたしが観たいように観て、感じて、たのしんでいる。

 NOWONも見てないし、雑誌も読んでないし、キャストがお茶会などあちこちで話しているらしい設定等も、関係なし。
 オギー自身の話は聞いてみたいが、それ以外の人の目や口を通した舞台裏にも真実にも興味はない。

 わたしは、わたしが実際に見て、感じたものだけを俎上にあげる。

 『TUXEDO JAZZ』

 そのうえで、思うこと。

 このショーは、不思議の国を駆け抜ける、ウサギとアリスの物語みたいだ。

 ウサギとアリス。
 オサと彩音。
 もしくは、彩音とオサ。
 どちらもアリスであり、アリスにとってのウサギである。

 このふたりは、それぞれ別の次元で互いに出会い、追いかけっこを繰り返しているのではないか、と。

 えー、そもそも、友人ドリーさんのツッコミから、わたしの思考はスタートしました。

「まっつばかり見てるから、気づいてないでしょ」

 なんて容赦ないツッコミ。ええ、その通りです。言われるまで、知りませんでした。
 プロローグ、オサ様は、彩音ちゃんを置いて消えてしまうんだって?

 初日、プロローグの最後、銀橋に勢揃いしたメンバーの中、まっつだけをオペラグラスでガン見していて、まさかの銀橋ソロに驚愕、ふとオペラを下ろしてさらに驚愕、銀橋にいるの、まっつと彩音ちゃんだけ?! とびびりきっていた、あのシーンですよ。

 なんで、まっつと彩音ちゃんがふたりきりになっていたか。
 オサ様もいたはずなのに、彩音ちゃんだけなのか。

 まっつばかり見ていたから、ドリーさんに指摘されるまで気づきませんでした。
 彩音ちゃんがよそ見をしているうちに、オサ様は背中を向けて消えてしまうわけですよ。

 なんで?
 どーしてオサ様は消えるの? や、まっつと彩音ちゃんのシーンは大好きだから、うれしいけど。

 何故、オサ様は消えるのか。
 そこから、スタートした。
 
 改めて考えると、オサと彩音は微妙にすれ違っている。
 ラヴラヴしていない。……しているところもそりゃあるが、「ドラマ」のあるところでは見事に恋人同士設定になっていない。

 いつもいつも、互いが互いを探している。

 ウサギを追いかけるアリスみたいに。
 

 NYの雑踏からはじまるこの作品。
 街を歩く彩音ちゃん、そこに響く姿の見えないオサ様の歌声。
「♪あなたは知らない さびしい時には こんなに近くに 僕がいることを」
 「知らない」のか。
 歌声に反応した彩音ちゃんは舞台から消え、そのうえで窓からオサ様登場。

 最初からすれちがっているふたり。

 ふたりが出会うのは雨の中。
 「なつかしい、でもはじめて出会う」と「雨が涙に見えた」……過去のオギー作品でも定番(笑)ですな。
 ふたりは出会うべくして出会った恋人同士なのか。現実なのか夢なのか、判別の出来ない青い雨の中の、美しい場面。
 ここではたしかにラヴラヴ、一緒にはけていく。

 次に、華やかなプロローグ総踊り最中、ふたりは共にペアルックで現れる。
 わかりやすく「レヴュー・シーン」なので、ふたりがそろっていてナンボ、だと思う。
 幸福そうな陽気な場面。
 なのにこの直後、山高帽の紳士@まっつが「夢」を歌っている間に、オサ様は消えてしまうんだ。
 ラヴラヴの恋人・彩音を残し。

 それで彩音ちゃんは、オサ様を探しはじめるわけっす。まっつにぶつかったり、急かして追い立てたりして。
 本舞台に戻った彩音ちゃんはタクシーに乗りドタバタGO! JAM! JAM!

 彩音の大冒険(笑)は、自動車事故で一旦終わる。
 コメディシーンのオチとして出てくる、ユーモラスな風情の怪我人にまざり、シリアスな怪我人の少女@ののすみが現れる。

 彩音サイドの物語は、ののすみのリンクによって、オササイドの物語につながる。

 ダークサイドに生きる男、オサ。
 そこにいるのは、オープニングで陽気に踊っていた青年とは、別人のようで。
 雨の中で出会った少女にやさしくコートをかけてやり、踊る彼は、なにを思うのか。

 小雨の中のデュエットダンス。
 それは、オープニングのオサ&彩音と同じモチーフ。
 ここで流れるもえりちゃんのソロが、小雨のプロローグとまんまリンクしてる。
 「なつかしい、でもはじめて出会う」と「雨が涙に見えた」……言い回しはチガウけれど、同じ意味のことを歌っている。

 なのに、オサの生きる世界も彼自身も、あの無邪気な幸福感とはほど遠い。
 遠いけれど、探しているんだ。
 雨の中出会った運命の恋人を。

 幻かも知れない。
 幸福すぎたもの。
 青い雨、おとぎの国の王女様のような彩音と、満ち足りた紳士のオサ。
 赤いペアルックで踊っちゃったりしたのも、全部全部まぼろし?
 幸福感の余韻が、傷ついた少女@ののすみとの、なにかをいたわりあうよーな静かなダンスに、切なさを加速させる。

 探している。
 なつかしい彼女を。
 夢かもしれない、だけどたしかに共に踊った、彩音を。彼女の横で、無邪気に笑っていた自分自身を。

 つかの間のやすらぎは、マフィア世界を象徴するよーな、エロとバイオレンスな(笑)としこ姐さん乱入でぶった切られる。
 そっから先はよくあるひとりの女とふたりの男モチーフのダンスシーンへ。
 強気な美少女@由舞は、組織のボスの娘風。
 組織ともめるオサ、不安に鳴り響くクラクションとエンジン音。

 同じ世界の裏と表、ついさっき彩音がコミカルに車に乗って大騒ぎしていた記憶も新しいのに。
 同じモチーフであるはずなのに、ふたりの物語はまったくチガウ。まるで、ふたりの生きる世界の断絶感を、印象づけるように。

 もしもめぐりあうことができたって、あの幸福なデュエットダンスのよーな関係には、きっとなれっこない……そんな負の予感に、胸をかきむしられる。

 ふたつの世界の物語の、オチも同じ。交通事故。
 だけど、オサの物語はあまりにも重い苦しみに満ちていて。

 追いかけている。
 不思議の国を、ウサギとアリスが走り続ける。
 彩音にとってウサギはオサ。オサにとってウサギは彩音。
 ひとつの舞台の上で、ふたりは互いを追いかけて迷い続ける。

 現実との境があやうい、巨大な街で。

 続く〜〜。


 箇条書きだとかえって長くなるんだよな、どーでもいいことまで書いてしまうから。
 とゆーことで、まさかの3回目、新人公演『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』箇条書き感想。

 場面は、黒蜥蜴の島、明智が正体を現すところから。

・あれ? まぁくんの光が、少なくなっている。
・明智の「プロポーズ」の歌は、聴かせどころのひとつのはずが、そりゃーもー、大変そうで。
・つたない歌を歌うことに必死になっている明智と、そんな歌を聴いているのかいないのか、なんか勝手にひとりで苦悩している黒蜥蜴と。
・ヲイヲイ、このふたり大丈夫か。
・でもまぁくん、歌の途中からまた発光しはじめる(笑)。へたくそなのに。
・黒蜥蜴も、途中から明智を見はじめる。
・あ、歌が終わるかどうかぐらいでよーやくこのふたり、目が合った。それまで、てんで勝手に演技してたのに。
・「おいで」のラヴシーンは好きだ。
・最初、案山子のよーだったのにね、まぁくん。同じように抱き合っていても、まぁくんの質量が冒頭とはちがってきている。
・さて、ののすみちゃん得意のひとり芝居。明智を兄だと知った黒蜥蜴ちゃんの苦悩と自殺。
・ののすみちゃん、ひとりの方が活き活きして見えるのは、新公でいっぱいいっぱいなのと、相手役の力不足も関係しているのだと思う。いまいち相手に合わせて演技していない。本人に余裕があるか、相手に実力があれば、またちがった黒蜥蜴を見ることが出来たんだろうなあ。そう思うと惜しいなあ。
・それにしても、黒蜥蜴の最期と明智の慟哭で、泣けたんですが。
・実は本公演では、まったく泣けません。オサ様の美声には酔いしれてますが、ソレだけです。唯一泣けるとすれば、むしろまとぶの「プロポーズ」だったりする(「マックス好き。素敵」「アレ、マックスぢゃないから!」ツッコミ役のドリーさんに突っ込まれ済)。
・歌下手なのに、まぁくん! それでもなんか、泣けるんですけど。なんかいろいろ大変なことになってるのに!! ついでにゆーと、髪型似合ってないし、なんかユニークな顔の明智なのに!
・まぁくんの光が、ぎゅいーんと放出されています。
・ああなのに、泣けているっつーに、横っちょに波越警部@かすがが出てくると「ああっ、楽園のヲトメのくせにー、またそんなくたびれたコートなんか着ちゃって、おじさん!(笑)」と気もそぞろに。
・連行されるめぐむを見送り、またまぁくんへ視界を戻す。

・ラストシーンの大合唱。人数少なっ。これだけでやってたんだ……楽園のヲトメたちは、あんなにたくさんいた気がするのに。
・アレは、インパクトの勝利か……。
・きらりちゃんのソロが、大変だー。
・『ファントム』でもすごかったよなあ、きらり……(笑)。その歌声で、どんなにソロパートが短くても注目を集めることが出来る。「ぇっ、今のものすごい声、なに?!!」と。タニちゃんと似た能力だな。
・葉子さん、前髪がふつーだ。オンザ眉毛(時代を感じさせる言葉)でなきゃいかんのかと思っていたよ。分け目を作ってもいいキャラだったんだ?
・メイド@彩音ちゃん、かわいー。
・明智が上着を脱がない。なんで? わざわざ一度脱いで、わざわざもう一度着る、のはオサ様ならではのファンサービス?!
・脱がなかったら、どーするつもりだ、最後の「立ち直った明智」の表現は?
・結局まぁくんは脱ぎ脱ぎプレイナシ(プレイゆーな)。
・きっちり背広を着込んだまま階段を下りてきて、襟を正したのみだった。
・並ぶと小林くん、やっぱでけぇな。
・コーラスの人々のなかに現れる黒蜥蜴の亡霊……人が少なく、階段上が空いているので、よく目立つ。
・結局、主役は黒蜥蜴だった。

 オサ様明智を相手に、ののすみ黒蜥蜴が見てみたいっす……。

 まぁくんはまだ「大人の男」だとか「辛抱役」はできないんだよなあ。いつかできるよーになるんだろうか……無理っぽ……ゲフンゲフン。
 ルーク@『MIND TRAVELLER』や、本役の帽子の書生さんの方が明智より絶対魅力的だー。ルークはともかく、書生にも負ける明智像って……。
 それでも、なんか不安定でわけわかんない魅力があるので、見ていてたのしい。わくわくする。

 そして、改めてこの芝居、トップと2番手が一切絡まないのだと痛感。
 明智、雨宮って男がいたこと、知ってる? 手下その1@本役だとまっつと同じ程度にしか思ってないんぢゃ?
 主人公にその程度としか認識されていない2番手の役って……。

 せっかく同期コンビなのよ、まぁくんとめぐむ!!
 華のまぁくんと実力のめぐむ。コンビとして互いにないものを補い合うことのできる、素敵コンビなのにー。雪組のテルキタみたいにさー。どっちも長身でスタイルよし、中卒で若さぴちぴちの研5(今年度研6)なのにー。めぐむは若く見えないけどー(笑)。

 ふたりががっつり絡む話が見たかったわ。

 長の期が研6という1学年少ない新公で、拙さも拡大されていたけれど、それでもなんかたのしかったっすよ。

 
「花組『ハロダン』がしゅん様中心だったらいいねえ」
「そんなの、絶対観に行くよー」
「しゅん様と、マメだったら、えらいことになるかも」
「ソレ、組ファンがこぞって駆けつけるよ?!」

 てな会話を、ドリーさんやnanaタンとかわしては、花組下級生を愛でておりますよ。

 がんばれー。


< 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 >

 

日記内を検索