妄想配役を考えるのは楽しかった。
 大抵の男役スターは豊太郎がハマるし、相沢もハマる。
 しかし。

 エリスができる娘役は、ほとんどいなかった。

 花組公演『舞姫』は、エリス@ののすみあってこそだと思う。

 すみ花ちゃんの巧さは、いったいなんなんだろう。

 天才少女現る! と、シンプルに思う。

 この子をきちんと意識して見たのが『スカウト』のときなもんで。
 や、それまでの子役もうまかったけど、所詮子役だし。文化祭では、芝居は観ていないし。
 ちゃんと大人の女性を演じているのを見たのは、『スカウト』のジェシカ役。

 ドライな価値観を持つ、大人の女。セクシーで自信家。そののちコワレてギャグキャラになる。

 セクシーキャラだったんだってば。

「アタシの色気じゃ不満?」なんつって男の前でポーズを取ってみせる、コケティッシュな大人の女だったんだってば。
 ふつーにうまくて、セクシーだったんだってば。
 女の子が殴られるシーンはわたし大嫌いなんだけど、この子の吹っ飛び方があまりにうまいんで、嫌悪感を持たずに素直に笑えたくらい、ギャグっぷりも突き抜けていた。

 それが次は『MIND TRAVELLER』で等身大のイマドキ女子大生で、『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』ではいくつもの顔を見せる(なにしろ替え玉)お嬢様に、新公の黒蜥蜴。

 で、トドメがこの聖少女エリス。

 なんなんだ、このすごさ。この巧さ。
 まだ研3? ハタチそこそこ、学生の年齢? あああありえねー。
 ちくしょー、文化祭見たかったなー、準ヒロインやってたはずなのにー。てゆーか、太田哲則作の超絶駄作だったからヒロインも準ヒロもないよーな、つまんない話だったんだけどねー。
 ののすみがやっていたら、あの駄作もマシに見えたのかもしんないじゃん。

 正直、外見は苦しい。
 スタイルいいわけじゃないし、顔大きめだし、なによりそのお顔がタヌキちゃん。とくに初日の化粧はすごかった。「みわっち、助けて! なんとかしてやって!」と心から思った。

 もとが美少女ってわけじゃないのに……。

 「エリス」として舞台にいると、可憐な美少女に見えてくる。

 どこの北島マヤですか。

 『舞姫』のエリスは、難しいキャラだ。
 原作ではウザいのひとこと、女がいちばん嫌うタイプの女。
 それをウザくなく、女性が共感を持つキャラクタに昇華するのは、至難の業。
 景子せんせの脚本がいいのもあるが、それにしたってののすみ、巧すぎ。

 エリスが「夢」そのものに見える。
 儚く美しい。

 白一色の世界に一筋の朱が走るような、静かなあでやかさ。
 静謐ゆえに煌めく雅。

 彼女のかわいらしさといじらしさ、そしてエキセントリックさが棘のように胸に残る。
 刃物の傷のように肌を切り裂きはしないけれど、ちくちくと痛み続ける。

 エリスがあまりにかわいらしく、いじらしいから、豊太郎が彼女をとことんまで愛し、壊れていくことが不思議ではない。説得力になる。

 狂う演技が秀逸なのも、言うまでもなく。

 得難い娘さんだ。大切に育てて欲しい。や、ほんとに。

 
 この儚いキャラで目を奪うエリスとは対照的に、現実的な力強さのある美少女マリィの生命力。

 由舞ちゃんの美しいこと! 他になにか足りないものがあるとしたって、その美しさとまばゆい華だけですべて帳消し!みたいな。
 ののすみとは正反対の女の子。

 一般的に由舞ちゃんというと「大根」の代名詞みたいに言われていたよね。「顔(と胸)はいいけど、大根だから」みたいな。
 たしかに博多『マラケシュ』の棒読みぶりは衝撃的だった。伝説になって語り継がれても仕方ないかもしれん。

 でも、わたしが知る限り、棒読みだったの博多『マラケシュ』だけなんだけどなあ。
 あとは、そりゃうまくはないかもしれんが、許容範囲の演技だったぞ? ホンモノの大根っつーのはりおんちゃんみたいな人のことを言うんじゃないの?(や、りおんちゃんに含みはない。ただ事実として)

 役があり、台詞を喋って演技をしていた『Appartement Cinema』も『MIND TRAVELLER』も、たしかに等身大というか「演技してる? 素のままでやってない?」てなキャラだったことも、たしかだが……。

 今回のマリィ役も、「演技」という上では、どこまでやっているのかはわからない。
 今まで彼女が演じてきた役と、どうチガウのかはわからない。素のまま、いつもやっているキャラのままだと言われれば、その通りかもしれないと思う。

 でも、泣けたんだから、無問題。

 原よっしー@みつるの最期を盛り上げたひとつに、まちがいなくマリィの存在がある。
 気の強い派手な女の子が、恋人のそばに寄ることもできず、ひとりで哀しみに震えている様が泣ける。
 ぽんぽんと言いたいことを言い合い、それぞれの人生に互いがいることがあたりまえのようだった、よっしーとマリィ。
 幸福な時間があざやかだったからこそ、その最期がかなしくて。

 レマルク作『凱旋門』で、死の間際ジョアンは母国語で話しはじめる。それまで話していたであろうフランス語ではなく。死に逝く彼女にはもう、フランス語を話すだけの気力や知力が無くなっていたのだろう。
 そんな彼女に対し、ラヴィックもまた母国語であるドイツ語で話しはじめる。無意識に。
 死を前にして、すべての装飾が消える。
 生まれた国の言葉で、むきだしの魂で、愛を語る。
 相手には伝わらない。相手の言葉もわからない。
 それでも、愛を語り続ける。最期のときに。

 その、ドイツ語で語るラヴィックの愛の言葉が壮絶で。
 魂の痛みに満ちていて。

 帰る場所を持たない異邦人たちが、異国で堕ちた恋の結末。

 ドイツ語がわからなくなり、マリィのこともわからなくなったというよっしーに、わたしはこの『凱旋門』のクライマックスを思い出していた。

 よっしーは、マリィへの愛より望郷の想いの方が、強かったんだなあ。
 原芳次郎は、いろんなことに負けてしまったんだなあ。
 もちろん、負けたからいけないとか悪いとかいうわけではなく。
 ただ、そうなのか、と。

 ドイツ語がわからなくなっても、日本語のままでも、マリィに愛を語ってくれればよかったのにね。

 言葉もわからない、自分のこともわからなくなっている、そんな恋人に、マリィは愛の言葉を告げ続けたんだ。
 自分より日本を恋うてコワレてしまった、つれない恋人に、それでも愛を語り続けたんだ。

 そして、「自分ではダメだ」からと、日本人の豊太郎を呼び、よっしーに残された貴重な時間を豊太郎に譲ったんだ。
 よっしーを、愛しているから。

 最期の最後、よっしーがマリィの名を呼んでくれたのが救い。
 彼にとって「望郷」の次の想いであったとしても、たしかにマリィへの愛はあったのだから。

 繊細な演技ではないと思う。
 マリィは「苦しんでますっ!」てな、とても派手でわっかりやすいことをやっていた。
 でも、それも彼女のキャラクタとしてまちがってはおらず、素直に感情移入できたよ。

 ヌードモデルだと言っても「そりゃそうだろう」という、納得のカラダつき。
 露出度の少ないドレスでは胸が大きく突きだしていて、なんか苦しそうだし、モデルをやっているときの下着?みたいなドレスでは胸の谷間がくっきりだし。
 いやあ、すばらしいですなあ。

 すみ花ちゃんと、由舞ちゃん。
 なにもかも正反対の女の子ふたりが、なにもかも正反対な役を演じていた『舞姫』。

 すみ花ちゃんの演技も、由舞ちゃんの美貌と華も、ともに天賦の才。
 色はまったく違うけれど、大輪の花を咲かせて欲しい。

 
 公演期間中はあまりに消耗が激しく、リアルタイムに感想を書くことが叶わなかった花組バウホール公演『舞姫』

 公演も終わったことだし、『あさきゆめみし』初日までまだ間があるし、ゆっくりちんたらうだうだと、語っていきましょう。や、『あさき』はチケ難民してますんで、初日観られるかどうかわかんないんですけどね。サバキありますように!!

 さて。
 まっつ以外の出演者について、ぜーんぜん語っていないよーな気がするんだが。
 でもって今も、放っておくとえんえん「まっつまっつ!」と言うだけで終わってしまいそうなので、それは置いておいて、他の人の話。

 主演、太田豊太郎@みわっち。

 まず、単独初主演おめでとう、みわさん!!

 これまで、『春風さん』とか『くらわんか』だとか、みわっちにはキツい演目での主演が続いていたので、はじめてニンに合った役と作品で主演だっつーことが、素直にウレシイです。

 みわっちは「釣り」の人という認識(笑)で、彼の芝居についてなにか考えたことはほとんどなかったんだが、今回ふつーにうまい人だとわかってうれしいおどろき。
 ふつーにうまいだけなら、ふつーに「芝居が出来る」だけなら、ソレだけで終わるんだけど、彼はかなりわたし好みの芝居をする人だった。

 ギュンター@博多『マラケシュ』が当たり役だと思っているので、もともと「狂気」「毒」「黒」を得意とする人だとは思っていた。ムラと東宝で同じ役をやっていたらんとむさんが、健康的なお笑いの人「ギュン太」もしくは「源太(漢字が似合う……何故だ)」になっていたのに(ごめん、らんとむ)、みわさんは耽美の人ギュンターだったからなあ。
 でも、あーゆーイッちゃった役ができるからといって、それだけではとくになにも思わなかったのよね。所詮イロモノじゃん、って。

 それがこの『舞姫』で、正真正銘の白い役、端正な二枚目をを演じてくれて。
 発散型の役ではなく、内側を充実させなければならない役をきちんとこなす様を見て「なんだ、ふつーに芝居できる人だったんだ!」と思った。
 そして。

 その、「正統派の白い役」「端正な二枚目」を、ただ「きれいなだけ」にせず、みわさんらしい「狂気」「毒」を入れて演じてくれたことに、ハートを鷲掴みされた。

 景子先生は、アテ書きはしない人だと思っている。
 『舞姫』はこのキャストだから成功したのであり、豊太郎にしろ相沢にしろ原よっしーにしろ、他の人で見たくない! てかエリスは絶対他の子じゃ無理だし! キャストがひとりでも変更されたらソレは『舞姫』ぢゃない! ってくらいに愛しているけれど、それとは別に、『舞姫』って、誰が演じても名作だよね? と思っている。
 豊太郎に関しては、ある程度の男役スターなら誰でもハマる。誰でもステキ。
 ぶっちゃけ、タニちゃんと壮くん以外の新公主演経験有りの研10以上キャリア有り男役なら、誰でもOKだと思う。相沢も同じ。
 ただ、エリスだけはできる子が相当限られているってゆーか、景子せんせがアテ書きというか、「この子にやらせてみたい」と思ったのはののすみエリスのみで、他のキャストは順不同って感じじゃねーの?と思っている。
 だもんで、終演後に『舞姫』の妄想キャスティングやって、「たか花で見たい」と結論が出、ツッコミ担当ドリーさんに「ソレって結局『ごはんが食べたい』っていうのと同じじゃん」とあきれられたりもしたさ。
 いやあ、豊太郎@たかこ、エリス@花ちゃん、相沢@水しぇん、原@タニで『舞姫』やったら、すげーことになってたぞヲイ(笑)。

 とまあ、「タカラヅカ」の白いごはん……もとい、タカラヅカらしさという点でスタンダードの美を誇ったたか花率いる宙組で見てみたいと思わせるくらいには、スタンダードに美しい作品である『舞姫』。

 豊太郎は、みわっちの魅力を最大限に引き出す役ではない。
 もちろん、「路線男役スター」としての魅力を引き出す役ではあるけれど、みわさん限定の魅力と豊太郎はまったく別物。
 だから、アテ書きではない。
 オギーの博多版ギュンターだとか、『TUXEDO JAZZ』の幻想の女こそがアテ書きだろう。

 アテ書きじゃないから、誰でもできる……と言いつつも、豊太郎は、みわっちでなきゃ嫌だと思う、この矛盾(笑)。

 そう思わせてくれることが、愛音羽麗という役者を「好き」だということなんだよな、と思う。

 初日に観たときは、役としての端正さがほとんどだった。脚本通り、演出通りのスタンダードなかっこいい太田豊太郎だったんだろう。
 それが、回数を重ねるにつれ、レールからはずれはじめる。
 なにかが、にじみ出はじめる。

 1幕最後の「愛している」と歌い出すあたりの狂気っぷりは、鳥肌もの。

 みわっちキターーッ!
 うわ、みわっちだ。この黒さ、この毒。「きれい」なだけに収まらないのがみわっちだ。
 豊太郎としての「白さ」を壊すことなく、静かに狂っている。

 誰がやってもかっこいい役、と言いつつ、ただの善良な白い二枚目なら、わたしはそれほど萌えなかったろう。や、わたし主役とか真ん中の人、そもそも好みじゃないから。
 みわさんの持つアヴないところ、エキセントリックなところが垣間見える豊太郎だからこそ、こんなに萌えたんだと思う。

 狂気を持つ男だとわかっているからこそ、2幕はじめの方の、ベッドの中でエリスを抱きながら遠くを見ている姿が胸苦しくなるほど切ないし、コワレそうなくらいやさしい瞳でエリスを包む姿に涙する。
 甘いやさしさを裏切るほどの熱、強い抱擁。抱きしめているときに、なーんかいつも動いている指のやさしさとリアルなエロさ(笑)。
 
 うおおお、みわっちトヨさん好きだ〜〜。

 毒全開だとソレは「スター」として正しくないので、豊太郎をきちんと枠に収めて演じられる能力を見せつけてくれたことに感動。
 こんなに「スター」な人だったんだなあ、みわさん。

 軍服とフロックコート姿の美しいこと。
 大きな瞳が印象的。
 小柄だし、スタイルはそりゃめっちゃいいわけではないんが、そんなこと無問題。
 エリス@ののすみともお似合いだー。ハァトがきゅんきゅん(笑)するカップルだわ。

 
 この作品にフィナーレがないことは正しいことだと思う。
 余韻を残したまま静かに終わるのが、ふさわしい。

 ふさわしいんだが……。

 これまた、相反するキモチがあるのだ。

 フィナーレがなくてよかった、と思うことも本当。しかし。

 フィナーレで「愛音羽麗全開!」で目線絨毯爆撃、ウインク、投げチュー大安売り! のみわっちも、見てみたかった。

 トヨさんとのギャップに、憤死しますよ!!(笑)
 や、フィナーレのみわさんこそがみわさんですから! いつもの愛音さんですから!

 いやあ、マジ見たかったなー。
 ダンスのほとんどない作品だから、フィナーレでは踊りまくってさー。
 みわっちがキザりまくってクサ味放出して、「ザ・花組!」みたいなことやって……。

 本編とあまりに別人のみわさんに度肝を抜かれた観客は、その横にいるまっつの本編との変わらなさ、に、さらに混乱するとゆーことで(笑)。

 男たちの黒タキ群舞、そこに絡むロングドレスの娘たち……見たかったなー。鼻息荒く花組らしく、みんな客席アピりまくってさー。

 ソレはソレで、絶対おもしろいと思うんだけどなー。

 や、そう思わせてしまうみわさんのキャラクタに乾杯! ってことで。


 豊太郎は、エリスを捨てた。
 そのためにエリスは発狂した。

 が、豊太郎の犯した罪は、エリスを捨てたことではない。

 そもそも、「エリスを選んだこと」が罪だった。
 彼女が自分を理解しない、ふたりでいても決して幸福にはなれないと本能でわかっていながら、愛に流された。母を殺してまで、愛を選んだ。

 己で道をゆがめてしまっただけ。
 相沢や天方大臣の説得により帰国を決めるのは、過ちでも罪でもなく、「本来の道に立ち帰った」だけ。

 道を誤り続けていることを自覚しているから、豊太郎は夢の世界の住人ではいられない。
 エリスが「永遠」を信じ酩酊しているときでも、豊太郎は棘の痛みを感じている。
 ここが有限の楽園であることを理解している。いずれ壊れること、去らなければならないことを本能で知っているからこそ……切ないまでのひたむきさでエリスを愛し、守ろうとする。

 「現在」しか持たないエリスは、すなわち「永遠」を手にして生き、「過去」「現在」「未来」すべてを持つ豊太郎に「永遠」はない。
 「現在」はいずれ過去になる。エリスが望むように「現在」だけが永遠に続くはずがない。

 帰国要請に頷いたあと泣き崩れる豊太郎は、自分の「返答」を後悔したわけではないだろう。
 後悔などしようがない。それは罪ではない。

 知っていた答えにたどり着いた。その慟哭。

 ずっと「現在」のままでいたかった。「未来」を選び取りたくなかった。
 時を止めて、「青春」というモラトリアムの中にいたかった。

 あの柱時計のように。

 
 豊太郎の罪は、エリスを捨てたことではない。
 エリスへの死刑宣告を、相沢に告げさせたことだ。

 愛だけがすべて、この世界とはチガウ場所にいるエリスという少女にとって、「愛」を否定することは「全世界」の否定だ。死刑宣告だ。
 それがわかっているからこそ、豊太郎は「答え」が出たあとすぐに、彼女に真実を告げることが出来なかった。
 体調不良により物理的に叶わなかった、わけだし、そんな豊太郎に代わって手切れ金まで用意してエリスに別れるよう迫ったのは相沢のスタンドプレイだ。
 仕方がなかった、のだとしても。

 エリスを殺すのは、豊太郎であるべきだった。

 彼女の愛を、世界を殺すのは。
 豊太郎だけが、その権利を持ち、義務を得ていたのに。

 母を殺したように、妻を殺すべきだったんだ。

 そうすることで彼はようやく正しい道に戻れるはずだったのに。

 相沢がそこに割り込んだ。
 彼に割り込ませる余地を作ってしまった。

 それが、豊太郎の罪。

 豊太郎が魅力的なのは、彼が絶対に責任転嫁しないことだ。
 なにごとも、自分で決め、自分で責任を負う。
 自分が犯した罪がなんなのか、見極め、受け止めるだろう。

 「永遠」に成長しない、「大人」にならない「少女」エリスとともに、豊太郎は自分の中の「少年」をも葬る。

 花組バウホール公演『舞姫』は、希望に燃えた若者・太田豊太郎の旅立ちからはじまり、大人になった豊太郎の青春回顧で終わる。
 少年が大人になる物語。少年のままではいられない物語。

 雛はまず、殻を破って生まれ出る。
 破壊することによって、誕生する。

 ひとは、きれいなままでは生きられないのだ。
 壊す。汚す。傷つける。
 そうやって、世界は広がる。

 豊太郎、エリス、相沢。
 3人はみな、悪人ではない。
 それぞれ善良で、誠実に生きている。
 だが、それだけではどうしようもなかった。
 心の正しい、やさしい人々が、罪を犯す物語。犯さざるを得なかった物語。

 そして。
 誰もが他人の罪を責めず、赦し、己の心のうちに傷みを抱きしめて生き続ける。

 エリスは豊太郎を責めない。
 狂ってしまった彼女は、閉じた世界の中で豊太郎に微笑みかける。
 はじめて出会ったときのように、彼の手に頬を寄せる。

 豊太郎を、赦す。

 その、聖なる光。
 他人を、人間を、救うことの出来る力。

 豊太郎は相沢を責めない。
 相沢は豊太郎を責めない。
 互いを信頼する男たちは、黙って共に歩み続ける。
 もしも相手に対する恨みの心があるならば、それゆえの罪悪感や依存心があるならば、ふたりは手を取り合い同じ道を歩くことは出来なかったはず。
 祖国のために前へ進む武士たちは、痛みを飲み込んで戦い続ける。

 心の傷は、魂の一部になる。
 身体の傷がそうであるように。
 彼を形成するひとつとなる。

 犯した罪も、それゆえの慟哭も。

 これは、彼らが罪を犯す物語。
 罪を犯し……そして、逃げずに、生き続ける物語。

 だからこそ、たまらなく切なく、美しい物語である。


 相沢謙吉は、善人である。

 わたしはふつーに性善説の人間なので、相沢くんが善人であることを、とくに「すごい」ことだとは思わない。
 ひとは誰でも基本善人だから、彼は善良であるという前に、凡人なのだと、思う。

 ふつーなんだと思う。
 そのふつーの人が、取り返しのつかない罪を犯す。

「いかなる善意からはじまった行いも、終わりがすべてを決める」@『暁のローマ』

 相沢は、罪を犯す。
 親友・太田豊太郎のために。祖国・日本のために。そして、親友の愛した女性・エリスのために。

 『舞姫』という作品で、もっとも大きくわかりやすく「罪」あるいは「過ち」とされるのが、相沢がエリスを発狂に追いやること、だ。しかも豊太郎の意識のない間のスタンドプレイとして。

 相沢のキャラクタは1幕から丁寧に創られている。
 豊太郎を愛し、尊敬し、誇りにしている男。一種盲目的。
 豊太郎の免官騒ぎのときも、豊太郎の母が自害してまでその行動を責めたのに対し、相沢は一貫して豊太郎を守る立場を貫く。

 世界を敵に回しても、ボクだけは君の味方だ。てなノリですな。

 なにがあろうと揺るぐことなく豊太郎を愛し、信じ、彼の側に立つ。
 溺愛し盲信しているよーだが、強く苦言も呈する。
 こんな参謀がいたら、天下取れるんぢゃね?(笑)
 副官タイプの男だなー、つくづく。で、トップのために汚れ役・憎まれ役を進んで引き受ける。

 相沢が善人であることについては「ふつー」認定だし、愛する人のために努力することも、「ふつー」認定なんだ、わたし的に。
 誰だってそうでしょ? 知らない人のためだとか、軽蔑したり嫌っている人のために粉骨砕身してわざわざなにかしてやったりしなくても、夫や子どものためならなんでもするじゃん? 愛してたらそれがふつー。
 別に、偉大なことでも素晴らしいことでもない。

 相沢だって、豊太郎相手だからそこまでするわけで、他の人相手に同じことをするとは思えない。
 だから彼は、ふつーの人。

 1幕から丁寧に、彼がどれだけ「ふつー」の人かを表現している。
 ふつーであるがゆえの、自然な言動。

 それゆえに彼は、豊太郎にエリスと別れろと言い、実際にエリスに別れ話を直接切り出すんだ。

 
 豊太郎もエリスも、「至上の愛」に踏み込んだ人たちだ。
 「ふつー」を捨て、「それは人としてどうよ?」な領域に踏み込んだ非凡な人々。
 エリスは狂っているし、豊太郎は母親を殺しているし。
 彼らの域まで到達することは、凡人にはあまり考えられない。
 だから彼らはアンタッチャブル、観客はあくまでも「観客」の立場で美しい慟哭を見ていられる。

 しかし、相沢は。

 主要人物のうちで彼ひとりが凡人だ。わたしたち側の人間だ。

 わたしたちがよく見知っている常識で考え、理性や建前で行動する人。

 つまり。

 わたしたちは、いつでも相沢たり得るんだ。

 相沢が犯した罪は、わたしたちが明日犯す罪かもしれない。
 正しいことを善意ゆえにして、取り返しのつかない事態になる。
 それは、十分ありえることだ。いつでも、起こりうることだ。

 横断歩道をよぼよぼ渡っているおばあさんがいて、親切心で声を掛け、手を取って一緒に渡ってあげた。そんなことをしているうちに、目を離した小さな息子が道路に飛び出して事故に遭った。……そんな感じの罪。
 正しいことを、善意でしただけなのに。それゆえに悲劇が起こったとしても、それはもう避けられなかったことで、誰がどうすることも出来なかったことのはずで。
 だけど、悲劇は悲劇で。

 相沢の罪は、そんなやるせない悲劇。

 相沢を悪者にせず、きちんと「凡人」であるスタンスを描ききっているところがすごい。
 ステレオタイプの悪人は、ある意味非凡で、観客からかけ離れた存在だからだ。
 豊太郎とエリスを「純」とし、ソレに対する「悪」(俗、でもいい)として対比させるのではなく、「純」(狂、でもいい)に対する「凡」(正、でもいい)としてあざやかに対比させた。
 白いドレス姿で、日本の舞扇を手に踊るエリスのように。
 相反するモノを配置し、美を際立たせる。

 そして「凡人」である相沢の救いは、彼が「とことん誠実」であること。
 彼もまた、自分の行いから決して逃げない。凡人であるかもしれないが、いや、凡人であるからこそ、卑劣な真似はしない。

 わたしはふつーに性善説の人間なので、相沢くんが「自分の罪から逃げない」のは、彼が「ふつー」であるがゆえだと思うのですよ。
 ふつーの人ってみんな、程度の差こそあれ、善良だよね?

 その程度の差を考えたときに、それでも、相沢くんは、強い人だと思うのだけど。
 ふつーだけど、ふつーより強い人だと。
 常識の範囲内で生きる人だけど、天才ではないけれど、強さを持った人なんだって。

 相沢が犯した罪は、誰でも犯しかねない罪。
 人間は、誰だって罪を犯す。誰ひとり、なにひとつ傷つけないで生きられる者はいない。
 人間は、誰だって転ぶ。一度も倒れずに生きることなんてありえない。

 だから、問題は。

 罪を犯したあと、どう生きるかだ。

 転んだあと、どう立ち上がるかだ。

 罪を犯すところまでは、平凡。
 相沢くんはわたしたち、凡人代表、観客代表だ。

 エリスを発狂させたあとに、彼の真価が問われる。

 相沢謙吉は、太田豊太郎の親友である。
 豊太郎が魅力的なのは、彼が絶対に責任転嫁しないことだ。
 なにごとも、自分で決め、自分で責任を負う。
 相沢もまた、豊太郎の親友たる男である。
 友人を見れば、その人となりがわかる。
 豊太郎が一角の人物であるのならば、相沢もそうであるはずだ。豊太郎より凡人だとしても。

 わたしたち凡人側だった相沢くんは、あくまでもわたしたち側に立ったまま、未来を見せてくれる。
 天才ゆえの慟哭だの悲劇だのではなく、等身大の奇跡を見せてくれる。

 立ち上がれ。
 逃げるな。
 立ち向かえ。

 自分自身に。
 愛する者に。

 日常に。

 人間たちが、罪を犯す物語。
 罪を犯してまで、誰かを愛する物語。
 罪と向き合い、背負い、生きていく物語。

 語られるのは過去。
 そして、見えてくるのは、未来。


 エリスは無垢な少女である。
 彼女は光、彼女は夢。
 ただただ美しい存在。

 主人公・太田豊太郎の目線で描かれた「青春の幻影」の物語である『舞姫』において、ヒロイン・エリスはただ美しく、それゆえに哀しい。

 森鴎外原作ではあるが、植田景子作のこの作品は、名前だけ借りた別物、景子先生のオリジナルだと言ってもいいと思う。
 主役の人格も物語のテーマもなにもかも違い、名前と基本設定・物語の流れだけが同じ、じゃ、「実在の人物を主人公に物語を作りました。実在の人物なんで人物関係も出来事も史実通りですが、他は全部フィクションです」とゆー『THE LAST PARTY』と同じじゃん。

 つーことで、そのオリジナルな『舞姫』。
 豊太郎とその恋人・エリス、親友・相沢。3人の主要人物それぞれが罪を犯す物語

 「夢」の具現であるエリスの犯した罪は、もちろん彼女が純粋すぎ、汚い現実世界で生きられなかったことにある……が。
 愛ゆえに壊れた美しい人、という、「よいイメージ」だけで終始するのではなく、彼女が具体的に犯した、致命的な罪について。

 もしも武士を相手に町人の娘が、
「名誉のために死ぬなんてバカじゃないの?」
 と言ったら、斬り捨てられても仕方ないよな? 斬り捨て御免、死を持って償え、てな致命的犯罪だわな。
 それも、今まさに「名誉のために自害」した武士の家族の前でソレを言ったら。
 
 エリスは、豊太郎にソレをした。

 豊太郎が本来の豊太郎なら、「日本人」であり、「武士」である豊太郎のままであったら、その場でエリスを殺し、自分も自害していると思う。
 豊太郎が魅力的なのは、彼が絶対に責任転嫁しないことだ。
 なにごとも、自分で決め、自分で責任を負う。
 彼は自分の意志と責任で、エリスを殺し、己の生命でもってけじめをつけただろう。
 本来ならば。

 エリスはそれだけ徹底的な、取り返しのつかない過ちを犯しているが、そもそもの過ちの根幹であるところの無知さにより、自分の罪にすら気づかない。

 日本人だからドイツ人だからとかゆー話ではなく、生命を懸けた価値観を、浅慮さゆえに全否定する愚かさ。無神経さ。
 「わからない」ことは仕方ないかもしれないが、何故ソレを今ここで口に出す? いくらなんでも無神経すぎるだろう。愚かすぎるだろう。殺されなかったのは、相手が豊太郎だったからであって、武士でなくても死んだ家族をあのタイミングで貶められたら激昂するぞ? ドイツ人同士でも殺されたかもしれないぞ?

 このことからわかる通り、彼女はただ「愛している」と言うだけで、豊太郎を理解する気がまったくない。
 人間として、あまりに幼く、矮小だ。

 彼女の美しさ、純粋さは、ただの愚かさだ。
 なにも知らないからきれいなだけ。汚れる前だからきれいなだけ。汚れたらそのことに耐えきれずに逃げ出してしまう。

 彼女の「罪」は「愛している」と言いながら、その愛する相手を「まったく理解しない」ことだ。
 なにが相手を傷つけるかも考えず、ただ自分が気持ちいいことだけを追求する。
 蝶の羽、足を、ひとつずつもぎ取り、嬲り殺す子どもと同じ「純粋」さで。
 

 「エリスの罪は純粋すぎたこと」ではない。
 それもあるっちゃーあるが、それだけではない。

 えー、いつも語っているが、わたしは「まちがっていることを『正しい』とする世界観」が嫌い。
 たとえば「世界でいちばん尊いのは愛だから、自分と恋人以外はどーなってもヨシ、仕事なんか投げ出して当然、不倫も当然、自分たちに説教するよーなヤツは悪人、卑怯者、自分だけが正義」とかな。や、植爺作『ベルサイユのばら』のフェルゼンとかゆー人の言動ですが。
 この例題が気持ち悪いのは、この自分勝手極まりない万年留学中(30過ぎてまだ遊ぶだけの学生)不倫男を「正しいことをしているのに、愚かな人々から攻撃される悲劇の主人公」と描いていること。
 主人公を「正しい」とするために、他のすべての世界観、価値観がゆがめられているの。
 どう考えてもまちがっているのは主人公なのに、彼をマンセーするために彼以外のすべてが「悪」になっている。

 「まちがっている」ことは、悪いことではない。
 リアル界でどーだかは置いておいて、「物語」の中では、だ。
 「まちがっている」ことは「まちがっている」こととして公正に描き、「過ちを犯してまで、なにをしたいのか」「何故その過ちを犯したのか」を描くことこそ、「物語」だろう。
 ある殺人者の物語だとしたら、植爺作品ではもれなく価値観倫理観がゆがめられ殺人が正しいことになるだろうが、そーではなく、殺人は悪い、だが殺人を犯してまでなにを求めたのか、殺人を犯したのは何故かを描くのが「物語」の醍醐味だろう。

 エリスは美しいだけの少女ではなく、身もフタもなく愚かなだけの罪を犯している。

 だが、彼女は美しく、この物語もまた美しい。

 それはエリスを正当化するために世界観をゆがめた結果得られたモノではない。

 彼女の罪や愚かさをきちんと描いたうえで、それを認めているゆえだ。

 視点となる主人公豊太郎が、エリスの罪と愚かさを理解し、それでもなお彼女を愛しているから、だ。

「わたしにはわからない」
 と、豊太郎の人生を全否定するエリスに、豊太郎は、

「愛している」

 と返す。


 この少女のために、母を殺した男が狂気の目で「愛している」と歌う。
 返り血をあび、汚れ、歪んだ顔に、目だけがぎらぎらと光る。

 まちがっている。
 これは罪だ。

 それでもなお、愛さずにはいられない。

 その壮絶さが、激しい琴の音と相まって目眩のような美に昇華される。

 人間たちが、罪を犯す物語。
 罪を犯してまで、誰かを愛する物語。

 だからこそエリスは美しく、豊太郎は美しく、この物語『舞姫』は美しい。


HAPPY BIRTHDAY!@まっつまっつまっつ
 ゲームをはじめるなり、フルメタルさんに襲撃された。
「誕生日おめでとう、アズ!」

 あ、そっか。
 今日はまっつ村のアズの誕生日だ。

 べらんめえキャラで意地っ張りのフルメタルさんが、テレながらもお祝いしてくれたよ。
 ヨカッタヨカッタ。

 アズくんは今、シルクハットがトレードマークのクラシカルな紳士だ。
 ついこの間まではずーっと学ランだったんだけどね。今も学ランでもいいかもしんないけど、なにしろ2月からずーっと学ランだったからさすがに飽きた。で、今はこの格好さ。
 次の『さらば港町』のころには、どんな服装になっているんだろうな……。

 
 とゆーことで今日は、まっつの誕生日です。

 『舞姫』通いですっかり消耗したわたしは、夕方になってからよーやくのそのそと出かけ、「せっかくまっつの日だから、なにかまっつにちなんだものでも買おう」と、わけわかんない理屈を付けて、東急ハンズをウロついてました。
 や、もう世の中サマーグッズ商戦入りしてるだろうからさ、タツノオトシゴ・グッズが出てないかと思って。
 ドリーさんからもらったタツノオトシゴのストラップ、落としちゃったんだもん……それ以来ずーっと、ネットでもリアルでも探しているんだけど、売ってないんだよ……。
 わたし、海洋生物大嫌いだから、リアルな海洋生物はダメ。デフォルメされた、かわいい嘘くさい海馬グッズが欲しいのよーっ。
 なんで売ってないのよーっ、イルカは山ほどあるし、魚もタコもイカも、エイやサメだって売ってるのに、どーして海馬はないのよーっ。

 あまりにも売っていないから、海馬はあきらめて黒ヒョウでも探そうかと思ったんだけど。
 いざ探すと、ないんだわ……黒ヒョウも……。
 
 なんで黒ヒョウかとゆーと、まつださんが「自分を動物に例えると黒ヒョウ」だとゆーてるからです。
 「まっつ=黒ヒョウ」つーと、大抵の人は「はあ? ありえねー」と言いますが、わたしもびっくりしましたが、本人がそうゆーてるんですから、仕方ありません。
 今年のレヴュー本に書いてあるんですわ。いちお、「動物占いで黒ヒョウだったから」という、トホホ感漂う理由も書いてありましたが……。

 ちなみにわたしは「コアラ」で、「黒ヒョウ」さんとはあんまし相性よくないっす……。てゆーか性格正反対すぎ。
 でもどりーずメンバーは黒ヒョウ多いんだよなー。みんなテキパキさんだからなー。(わたしはダラダラ族)

 海馬にも黒ヒョウにも関係なくても、なにか身につけるモノでも買っておけば、日にちと共に記憶に残るのになー。
 たとえば今日履いてるミュールは、かしちゃんトップお披露目初日を観に行くために、前日に買った物だわ、とか。おかげで博多の街ではひどい靴擦れだった、とかな(おろしたての靴で旅行はやめましょう)。
 ソレを見るたびに「思い出」がよみがえるから。
 『舞姫』と黒髪のまっつとみわっちとのいちゃいちゃと、そしてまっつの誕生日を全部いっぺんに「思い出」にするために、なにか買おうと思ったんだが……。
 とくになにも、ぴんとくるものがなかった……。ストラップが欲しかったのになー。

 ロデム@『バビル二世』のストラップでも売ってないかな?

 ロデムって、まっつっぽいと思う。ね? ね?

 
 誕生日おめでとう、まっつ。

 てゆーか、わたしがめでたい。**年前の今日、まっつが生まれてくれてよかったっ。すげーめでたいわー!!
 おかげでわたしは、こんなにハッピーだ。

 まっつまっつまっつ。


 緑野こあら、出待ちしました。
 花組バウホール公演『舞姫』千秋楽。
 入り出待ちは一切しないで生きてきたわたしが、数年ぶりでバウホールの出待ちをした。なにか用があって残っていて結果的に生徒さんの出を見られた、とか、「出待ちする!」という友人につきあって出待ちをした、とかいうことは何度かあったけれど、自分の意志で出待ちをしたのは数年ぶり。
 それが、この作品の、わたしのなかの「位置」だ。

「『血と砂』以来かなぁ」
 と、出待ち歴を振り返るわたしにつきあって、最後まで一緒にいてくれたパクちゃん、ありがとう。

 黒髪のまっつが、大変美しゅうございましたっ。 

 わーいわーいナマまっつだー。
 黒髪に黒いシャツ、シルバーのアクセ。コンパクトなまっつ(アタマ小さいっ、カオ小さいっ)がファンの人たちから手紙を受け取る様を、ぼーっと眺めていた。
 で、明日がお誕生日のまっつのために、FCの人たちが「はっぴーばーすでー」を歌い出した。たぶん雰囲気的に、その場にいた人たちみんな参加OK。てことで、わたしもどさくさにまぎれて一緒に歌ってみた、小さな声で(笑)。
 そこにちょうどみわっちも現れた。
 彼も一緒になってまざる。

「はっぴばーすでーでぃあ、ケンちゃん♪」

 ケンちゃんかよっ?! てことで、まっつ爆笑。みわっちもウケている。
 歌が終わったあとも、まっつとみわっちでひとしきりじゃれていた。
 みわっちがことさら、「ケンちゃん」って呼ぶんだよ、まっつのこと!!

 で、まっつは「謙吉」と指示し、みわっちがはいはい、て感じに「ケンキチ」って呼び直してあげて。

 なんだよヲイ、ラヴラヴだなっ。
 名字呼びしかしない関係だった太田豊太郎@みわっちと相沢謙吉@まっつ、千秋楽に至って急接近?!(笑)
 

 本日の楽はとくにアドリブもなく、ストイックに、ただ熱だけを静かに発して終わった。
 わたしは相変わらずガーガー泣いて、カオをガビガビにしていた。

 ミトさんの挨拶はよどみなく、花組名物はっちさんとの差異を強く感じる。まあ、はっちさんのは名物だから……(遠い目)。
 みわっちは男らしくきちんと挨拶、途中泣き出しかけたけれどぐっとこらえ、主演としての仕事を最後まで全うした。
 意外なことに出演者全員のひとこと挨拶があり、下級生順に口を開いた。
 みんな大抵「ありがとうございました」と言ってお辞儀するだけなんだが。

 個性を出したのは、らいらいとマメとまっつ。……ん?
 らいらいだけはナニも話さず、ただ一礼。すっげーかっこつけて。うおおお、なんてらいらしい、キザったらしさ。
 マメはすごい。自分の番になるなりくしゃみ一発。岩井くんキャラでご挨拶。すげーすげー。とっさにここまでできるってナニモノ?!

 で、まっつ。
 個性を出す、で、らいとマメの名前があがるのはいいとして、まっつが並列していると変な気がするんだが……。

 まっつは、自分の番が来るなり、みわっちに、抱きついた。

 後ろから、がしっと。

 ……ええええ?!

 あの、ふつーなら客席も反応しますよね? 主演の男役と2番手男役がアドリブで抱き合ったりしたら、「きゃあっ☆」てな黄色い声が上がりますよね?
 あまりに意外だったからか、客席が置き去りにされていた。いまいち反応薄い……。

 だって、まっつがそんなアクションするの、はじめて見た……。
 みんながぐちゃぐちゃに抱き合ってよろこびあってます、てなときじゃなく、整然とひとりずつ挨拶してるんだよ?
 抱きしめますか……後ろから……強引に……で、すぐに放してふつーに挨拶しますか……。

 びびりました。
 ら、ラヴラヴやね、あんたら……。
 

 そんなこんなで。
 出のときにも仲良しさんで、いいもん見ました。

 ファンの人に対してふつーに標準語で喋っていたまっつが、みわっち相手になるとまんま大阪弁になるのもすごい。
 うわー、素の喋りはこうなんだー、と。
 「いややわー」と言うまっつのベタベタな大阪弁具合にびっくりだ。わたしでもそこまでベタな発音しないぞ?

 先に現れたわけだから、先に去っていくまっつは、何度もみわっちを振り返り、「さっさと自分のファンのところへ行け」とゼスチャー。
 まっつの指さしポーズはなにか元ネタあり? 何度か同じポーズをしているのを見た気がするんだが。たとえば、ウラジミール@『マラケシュ』のときとか。
 みわさんはまっつにウケていて、なかなか自分のFCのところに行かない(笑)。

 みわさん会の人たちは、みんなお揃いの「トヨ様写真入り扇」を手に待ちかまえていた。(いいなあアレ、あたしも欲しい……)
 で、要返しは無理だとして、くるりと回すだけ回して「トヨ様」と声をそろえて挨拶をしていた。
 いいよな、トヨ様。サマ付けできるキャラだよなー。相沢くんは「ケンちゃん」だけど(笑)。

 マメの私服のオサレさに大ウケしたり、しゅん様が舞台と同じカオしていることに驚いたり(メイクしてなくても、あれだけ濃いんだ……)、とーってもシンプルな風情のちゃーが「うわ、素顔も好みだ……」と唖然とさせてくれたり、りおんちゃんの素の喋りと舞台台詞が変化ないことに震撼したり、まあ普段入り待ち出待ちしないだけに今さらな発見を繰り返しつつ。

 終わってしまうんだ、ということを痛感した。
 

 よい作品だった。すばらしい公演だった。
 しかし、観劇することでの消耗度もすごかった。
 繰り返し観ることで、体力と気力を削ぎ取られるかのよーだった。
 毎回あんなに泣いてたんじゃあ、そしてそれがほぼ毎日じゃあ、そりゃ消耗するわ……食事も睡眠も不規則になるしな。

 自分の泣きポイントは、さすがにもう熟知していたはずなんだが。

 本日千秋楽。
 何度目かのカーテンコールで幕が上がり、白い軍服姿のみわっちひとりが、なにもない舞台に立っていた。

 それを見て、泣いた。

 なにがなんだか。
 でも、泣いた。

 美しい、と思った。

 真っ白なみわさんが。
 美しくて、泣けた。

 みわっちはすぐに仲間たちを呼び、舞台は色彩で溢れたけれど。

 
 出会えたことが、愛しい。
 大切に大切に、全身で抱きしめたい。
 そんな公演だった。

 ありがとう。


 すみません、貴城優希さん、どこですか?

 またしても青木さんからご招待いただいて、盛大にしっぽを振りながら観に行きましたよOSK、『カウボーイズ〜地平線の向こうには夢がある!?〜』
 ミツバチ・トミー@高世麻央さんと、濃いぃいおっさん俳優@貴城優希さんの舞台だって! 男役5人だけのミュージカルだって! わくわくわくっ。

 『舞姫』公演中ですが、なにしろあっちは消耗度が激しいので……他の舞台も観なきゃ続かないよ〜〜! と、朝から別の劇場へ。や、どーせ午後からはムラへ行くんですけどね。

 前回の『春のおどり』がマジたのしかったし、高世さんも貴城さんもカオわかるし、あと若手の楊琳くんもチェックしてた子だし、たのしみだわー。計5人ってことは、あとのふたりのこともこれでおぼえられるだろーし、カオと名前をおぼえれば何倍もたのしく観られるのはヅカもOSKも一緒、たのしみたのしみっ。
 キタの人間なので梅田より南の地理にうとく、方向音痴なんでどきどきしながら弁天町へ。環状線沿線はマジでわからん……。
 OSKの劇場、世界館初体験。横からと正面とで、ここまで外観のチガウ劇場もめずらしいのでは……? 公式HPの劇場外観写真を目印に行ったので、びっくりした(笑)。
 や、なんかおもしろいっす。ミもフタもなく「倉庫」な感じと、デコラティヴな部分が。
 「劇場だ」と思った。小劇団とか観に行く、あの感じの濃密な空間。

 で、相変わらずHPの公演案内以上の知識もなく観て。

 貴城さんがいないっ?!
 変だな、この公演の2番手だよな、貴城さん。なんでいないんだ? えーと、高世さんから数えて5人、ちゃんともう5人舞台にいる。
 なのに、わたしの知っている貴城優希がいない。貴城さん、どこですか?

 ……ひょっとして……あの、めちゃくちゃかっこいい人が、貴城優希?!

 えええっ?!

 混乱。
 ち、ちょっと待て。わたしの知ってる貴城さんはだ、濃いぃい芸風のおっさん顔の人で。OSK初体験だった去年の『春のおどり』でやたら目線くれてたホクロの人で、「貴城優希って名前、かしげ+ハマコだけど、間違いなくハマコ系の人だわー」と思っていたのに。
 実際、今年の『春のおどり』でもお笑い担当、吉本みたいなおもろいおっさんだったぢゃないの。

 か、かっこいいっ。
 マジ美形?!
 なんでなんで?
 ほんとはこんなイケメンだったの?!

 物語は、田舎者のカウボーイ5人組が「ビッグになってやるぜ!」と地に足着かないあこがれだけでNYにやってきて、それぞれが自分の生き方を見つける、という、めっちゃ他愛ない話。
 なにしろ1時間ほどの小品だ、んなこねくった話であるはずがない。
 正直ストーリーはかなりアレだった。
 よーするに、スター5人の「魅力」を見せるためだけのプロモーションビデオみたいなもんだ。物語だとかミュージカルだとか、とにかくまとまった「ひとつの作品」を観たい人には「なんじゃこりゃ?」だと思うけど、スターシステムで成り立つカンパニーなら、ソレはソレでOKかと。

 実際、マーロン@貴城優希、ステキだし。

 ガキ5人組の中で、マーロンひとり年長。かっこいい、みんなのにーちゃん。センシティヴな主人公デイブ@高世麻央もマーロン大好き。
 マーロンのときもすげーかっこいいし、ヤクザ男をやっているときなんか、さらにさらにかっこいいんだこれがっ。
 濃い。すっげー濃い。そして、嘘臭い。(誉めてます)
 やりすぎなまでに「野郎」な感じがもお。
 ざんばらな髪がまたいいんだー。どこのロックやってるにーちゃんだよー、ってかっこよさ。

 あまりにも、わたしが勝手にイメージしていた貴城さんとチガウのでびびっていたんだが。
 カーテンコール時はふつーに貴城さんだった。
 表情が、見知ったものだったの。にかっとした、三枚目全開の笑顔。

 つまり。
 役によって、あそこまで変わるってこと?!
 すすすすげー!
 今まで彼を三枚目とかおっさんだとか思っていたのは、彼がそーゆー役をやっていたからか。本気で「二枚目」を演じれば、あれだけトキメキな美形になるんだ。

 いやあ、深いなー。

 
 デイブ@高世さんは美少年です。
 他のダメダメな3人とはちがい、まっとーな「悩める少年」。
 「自分だけの夢を見つけることが夢」とか言う、モラトリアムまんまの健康で善良な男の子。
 さらさらの髪、大きな瞳。ヲイヲイ、かわいいぢゃないか。
 

 劇場が小さく、また少人数の舞台だからか、今回強く感じたのは彼らの、作り込まれた美だ。

 フィナーレ、白いシャツ姿で踊る彼らを観て、しみじみ思った。
 「男役」というアクター。
 女性が当たり前に持つ丸みを削ぎ落し、あるいは隠し、矯正し、もうひとつの性をカタチ作る。
 それは生まれたままの才能でどうこうなる次元の話じゃない。
 努力と経験と年月をもって作り上げられるものだ。

 高世さんの細いカラダからほとばしるパッションに、貴城さんの潔い二の腕の筋肉に、彼らが舞台の上でまちがいなく「別の性」を生きる「別の存在」だと思った。
 や、男性ともチガウんだよ。
 「男役」なの。
 世の野郎共ともまたチガウ、もっと魅力的なイキモノなの。

 スタイルがそれほどいいわけでもないし(すまん)、ぴっちぴちに若いわけでもない(すまん)、でも彼らは、まちがいなく美しいの。

 
 でもって、残りの若手くんたち。
 アンディ@楊琳くんが、めーーっちゃかわいい!!
 なんなの、あのキュートさ!
 ヒロイン?も彼だよね?
 両足そろえてちょこんと坐って、ニンテンドーDS(旧型・笑)やってるのがすごいかわいい。
 丸眼鏡に「アキバ系」シャツ。とてもわかりやすいヲタク少年。
 だからこそ、ラストにホスト姿で出てきたときのギャップがステキ。うおー、かっこいー!
 まだ入団3年目とかそんなもんだよね? 去年の『春のおどり』で新人として出てたよね?
 声が女の子のままだけど、あのビジュアルだけでもめっけもんだわ。

 ピート@香月蓮くんはそのう、たしかにめちゃくちゃ目立つ。あまりに、そのう、ふっくらしていて。
 女好きのおデブキャラ、なんだよね? ラストは中年太りのタイコ腹だし。
 彼があまりに女の子まんまで、男役度が低かったために、ヤクザ男にボコられるところがわたし的にきつかった。女の子が一方的に殴られているみたいに見えて。コミカルにしてあって、「ああ、ここは笑うところなんだろうなあ」と思いつつ、ちと引いた……。
 きっとこれから男っぽくかっこよくなっていくんだろう。顔はかわいいんだし。

 ラストひとり、ジム@真麻里都くんは役としてちょっと印象薄いかな。や、わざとらしいまでの巨乳美女はキュートだったが。ボクサー志望の元気少年、ラストもジャージ姿だから美的にかっこよく見せにくいしな。割を食った感はある。あ、ヒゲオヤジはかっこよかった(笑)。
 元気に踊っていたなー。ダンサーカテゴリだからひとりだけ体育会系キャラなのかな?

 
 フィナーレの白シャツでのダンスは、若者にはちとキツい部分が目立つ。「男役は1日にて成らず」ってな、高世&貴城と若手くんとのキャリアの差が出まくっていた。
 ダンスの実力とは別のところにある、「男役」としてのビジュアル。

 とにかく「目の前」感がすごくて。段上がりセンターの観やすい席だったんだけど、舞台の上の人たちと目が合いまくる気がして、落ち着かない。やーん、どうしよう(笑)。
 「巻き込まれる」感じに浸れて、すげーお得感のある舞台でした。
 いいなー、たのしーなー。
 ヅカでもこんなのやってくんないかなー。


 あのね、『舞姫』はね、ダブルヘッダーするもんぢゃないわよ。
 すっげー消耗するからね。
 1日1『舞姫』が正しいわね。
 2日〜3日に1『舞姫』×1ヶ月、ぐらいが、ちょうどよかったかも。
 『TUXEDO JAZZ』も週2で通っていたし、わたしにはそれくらいのペースが合ってるみたい。
 なのにうっかり1日2『舞姫』とかやっちゃった日にはさぁ、偏頭痛起こすわ、目眩するわで大変よ。早々に寝込んだわよ。

 
 とまあ、『舞姫』の話は置いておいて。

 今日は、シールの話。

 わたしは自分で「観劇用スケジュールシール」を作っている。
 各組ごとに色分けした小さなシールで、観劇日も初日や楽、友会入力日や発売日もばっちりだ!

 その「観劇日」シールが。

 花組だけ、使い切ったの。

 えええ?
 だってわたし、ちゃんと計算して作ったのよ?
 去年使った枚数から、今年必要であろう枚数を推測し、十分な枚数のシールを作ったのに。
 現に、他の組はたっぷり残ってる。3分の1も使ってない。

 「観劇日」シール、組ごとに42枚ずつあったんですが。

 花組シール、42枚全部、使っちゃったってこと?
 それってつまり。

 今年もう、花組を42回観たってこと?!

 いやいやいや! 落ち着けわたし。
 今まだ6月だから。
 まだ今年半分しか終わってないから。
 花組だけで42回とか、ありえないから!

 「スケジュールシール」なので、「予定」として手帳に貼るので、「予定していたけど、結局行かなかった。チケットはさばいた」などの場合も、シールは消費している。

 そのためだ。
 うん。

 42回……そうさ、ありえない……そのうち20回が『TUXEDO JAZZ』だったりするけど、ありえない……。

 
 ちなみに、花の次に減っているのは星組。
 いちばん減っていないのは、意外なことに、月組でした。
 なんでだ? ゆーひくんとそのかがいるのに……あ。1月の公演、植爺だったからだ。

 
 なんにせよ、花組シールがなくなってしまったので、急遽追加印刷しなければ。
 何枚必要だろう……まさか42枚は、いらない、よ、な……?


 その昔、『宝塚ファミリーランド』のいちばん奥に「スペースコースター」というアトラクションがあった。
 室内型のジェットコースターで、宇宙を模した暗い空間を走るというのがウリだった。

 わたしは、この「スペースコースター」がダイスキだった。

 当時、他のアトラクションが200円とか300円だったのに、この「スペースコースター」だけ600円だか800円だかしたと思う。
 1000円の「乗り物券」を買っても、1回しか乗ることが出来ない、高価なアトラクション。
 それも、長い長い行列に並び、何十分も待たなければ乗れない。

 家族と遊びに行ったときも、「スペースコースター」に乗るのはわたしひとり。両親はジェットコースターなんか乗らないし、弟は遊園地が嫌いなので、動物園エリアに入り浸っていた。

 わたしはいつもひとりで、列に並んで、ひとりで乗っていた。

 「スペースコースター」の入口は高いところにあって(3階くらい?)、まず長い長いエスカレータを上らなくてはならない。行列が出来ているときは、エスカレータは停止、横の階段に並ばされていた。
 その長い階段にいるときに、不思議な音楽が流れていた。

 いかにも「宇宙」って感じの、電子音。
 わたしはその音楽を聴くのが好きだった。

 わくわくした。
 これから体験する「夢」の世界の旅に思いを馳せて。

 階段を上がりきり、建物の中に入っても、まずは通路で並ばされるだけ。少しずつ進んでいくと、「宇宙基地内部」のような部屋を通る。
 これから「宇宙」の旅に出るんだ、という期待をふくらませる演出。

 で、さんざん焦らされたあとによーやくコースターに乗り、宇宙空間に旅立つ。広さのわからない闇の中にある無数の星たち。
 耳に届く電子音、不思議な音楽。
 遠くに見える土星。

 ほんとうに、好きだった。
 とびっきりの「夢」の時間だった。

 ……大人になってから、わかるんだけどね。
 よーするに「スペースコースター」って、ディズニーランドの「スペースマウンテン」のパクりだったんだけど。
 当時、ディズニーランドはまだ日本にはなく、アメリカにでも行かなきゃ体験できないものだったから。
 日本の小学生にとっては、パッタもんでも「とびっきりの夢」だった。

 宙組公演『宙 FANTASISTA!』を観て。

 「スペースコースター」の長い階段に「乗り物券」を握りしめてひとりで並んでいた、あのときの気持ちを思い出した。

 どきどきする。
 わくわくする。
 「夢」の時間への期待。興奮。
 なんて幸福な旅。

 しあわせの記憶が、せつなくよみがえる。

 今、自分が「夢」の中にいるのだという自覚が。

 幸福だった。

 なんかもー、すごいしあわせなショーなんですけど。

 メルヘ〜ンな感じにはじまる。
 宇宙版おとぎ話。
 孫悟空が石から生まれるみたいに、タニちゃん王子が卵(らしいよ)から生まれ、メルヘン全開、かわいこちゃん全開。
 幼児タニ王子は幼女ウメと出会い、これまたピヨピヨと仲良しこよし。
 されどタニ王子は宇宙漫遊しなければならない。ちぎの運転する空飛ぶ車に乗って出発!! てゆーか、タニ+ちぎってナニ、かわいすぎる!!
 最初に王子ちゃまがたどりついた月の世界には、お尻にしっぽつけた男たちがいるし、このままおとぎ話路線で行くのかと思いきや。

 次の火星がすごかった。

 砂色の衣装のともちと女装すずはるきがねっとりと踊り、「な、なんだ?! なにがはじまるんだ?!」と、今までといきなり世界観チガウぞ?!と驚かせておいて、さらに。
 白っぽいドレスのウメちゃんが張り付けにされ、赤い服の男たちが周囲で禍々しく踊る。
 なんかダークだわー、と思っていたら。

 ウメが戒めを解き、白ドレスを脱ぎ捨てる。

 黒いウメ、キターーッ!!

 ダーク&セクシーなウメが、ワイルドに踊りまくる!!
 男たちを率い、センター取って踊る踊る!!

 カッコイイっ!!

 ウメだ。ウメちゃんだよーっ。ステキステキステキ!!
 彼女と絡むのはみっちゃん。ちょっとらんとむ、なんでここにいないのよ、こーゆーアダルト+セクシーは君の持ち場だろー?!(や、みっちゃんに含みはありません)

 娘役が、1場面まるまる主役を務めましたよ。
 すげえや。

 で、次にいきなり舞台が水色になる。あー、火星の次は水星かー。
 登場するのはタニ王子。そして、彼と踊るのは……えええ、らんとむ?!

 タニ王子とらんとむ(パツキンロン毛)は、うつくしいぶるーのいしょうで、たんびにあやしくおどります。

 デジャヴ。
 強烈な、デジャヴ。

 ナルキッソス@『TAKARAZUKA舞夢』!

 何故だ。
 何故だ藤井大介。
 『TAKARAZUKA舞夢』で懲りなかったのか? らんとむ×水で同じよーな場面をやり、あきらかに失敗だったのに、何故同じことを繰り返す?
 てゆーか、あのときだって、水くんはいいんだ、問題はらんとむだ。らんとむに、耽美をやらせるな。
 ラグビー部主将にチュチュを着せて踊らせても耽美にはならないってことが、どーしてわからないんだっ、藤井!

「『TAKARAZUKA舞夢』のナルキッソスも、藤井的には失敗ではなかったってことか……」
 いつもの店でごはんをしながら、ドリーさんはつぶやく。
 なんておそろしい事実だ……つまり藤井は、これからもらんとむでまちがった耽美シーンを作り続けるかもしれないっつーんだな。

 プログラムを見せてもらって、さらに驚愕。

「タニの前に美しいらんとむが現れる。二人は互いに恋に落ち、めくるめく官能に溺れていく。らんとむは妖しい色気でタニを湖の底に誘おうとするが……」(プログラムのまま。ただ、名前は役名で記載)

 正気か藤井。
 タニとらんとむでめくるめく? 官能?

 せ、せめてみっちゃんにしよーよ。みっちゃんでもアレだとは思うが、らんとむよりマシだろー。(や、らんとむにもみっちゃんにも、含みはありません)

 七帆とらんとむなら、見たかったかもなー。ぼそっ。

 ここまでで、すでに盛大にツボに入り、大いにたのしんでいたんだが。
 耳慣れた音楽とともに、舞台は木星へ。

 タニちゃんを中心に、みんなで、みんなで、集まってくる。
 歌う歌は、タニちゃんを讃える歌だ。
 新しいトップスターの誕生を祝う歌だ。

 今、新しい組がはじまる。
 あたらしい夢がはじまる。

 どうしよう。
 なんか、泣ける。
 泣けてしょーがない。

 おめでとう、タニちゃん。おめでとう、ウメちゃん。
 おめでとう、宙組。

 んで、巨大な美女たち(脚見せアリ)が歌いながら銀橋を渡ったあとは、黒タキ、ホストクラブ、キターーッ!!
 や、衣装は黒タキじゃないし、たぶんホストクラブでもないけど!(笑) このショー、かなり『TAKARAZUKA舞夢』とかぶってんるんで。
 黒スーツ男たちのセンター取るのは我らがらんとむだ!!
 そーだよ、これぞ正しい蘭寿とむだよーっ。感涙。コレが見たかったんだよーっ。
 かっこいーよー、いい男ぞろいだよー。
 でもって、さっき銀橋を渡っていった巨大な美女たちも、気がつくと男たちの間にまざってキザってるし! キャッホー!

 で、余計なナレーションのあとに、これまた『TAKARAZUKA舞夢』と同じ展開で争う人々の世界、土星。
 で、『舞夢』と同じ展開で世界は光に向かうんだが……。

 黄金の世界に立つのは、太陽の王子タニなの。

 すべてのことが、タニちゃんを中心に収束していく。
 まばゆい光。

 ここでもまた、ぶわーっと泣く。
 泣くってばよ。

 昔わたしは、わくわくしながら「スペースコースター」の列に並んだ。宇宙基地内部のような部屋を通り、ついにはコースターに乗り、宇宙の旅に出た。
 あの、わくわくだ。
 あの、よろこびだ。

 純粋に、夢。
 つくりものだとかバッタもんだとか、そんな「オトナ」の目線ではなく。
 ただ、夢は夢だった。

 タニちゃんという光。
 それは、純粋な夢なんだ。

 デュエットダンスもすごくいいんだよー。
 ダンステクニックがどうとかじゃないの。
 さんざん踊って、銀橋まで走り抜けて(走るだけ!・笑)、そこまでやったあとで、まるで「はぢめて相手に触れる」みたいに、おずおずとウメちゃんが手を差し出し、タニが、手の甲にキスするの。これまた、たどたどしく。

 ヲトメゴコロがキューーン☆

 なにアレ〜〜!! 反則〜〜!!
 抱き合ってセリ下がっていくのもいいの。うわーん、かわいいよう!

 続くみっちゃんとたっちんのエトワールのハーモニーもすばらしいし。

 もう、たのしくてたのしくて。
 ショーだけなら何度でも観たい!!

 芝居が終わったあとかなり荒れていたんで(笑)、ショーで思いっきり救われた!! らんとむとタニで耽美やっても、それでもステキだ藤井大介!
 出演者への愛が見える作りがなによりうれしい。

 心から言うわ。

 タニちゃん、ウメちゃん、トップスターお披露目初日おめでとう。

 よい旅を。


 ひとは、きれいなままでは生きられないのだ。

 『舞姫』は、太田豊太郎というひとりの青年の成長の物語だ。青春と呼ばれる時代との決別の物語だ。

 それと同時に。
 豊太郎とその恋人エリス、親友・相沢。3人の主要人物それぞれが罪を犯す物語でもある。

 3人はみな、悪人ではない。
 それぞれ善良で、誠実に生きている。
 だが、それだけではどうしようもなかった。
 心の正しい、やさしい人々が、罪を犯す物語。犯さざるを得なかった物語。

 そして。
 誰もが他人の罪を責めず、赦し、己の心のうちに傷みを抱きしめて生き続ける。

 だからこそ、たまらなく切なく、美しい物語である。

 太田豊太郎は、武士の子として、太田家の嫡男として、厳しく育てられた優秀な青年。母の言いなりになっているのではなく、彼女への愛、彼女の期待に応える息子でありたいという願いに加え、彼女の求める美学を、豊太郎自身正しいと思っているからこそ。
 ひとつの道しか知らなかった豊太郎が、ドイツにて新しい思想と出会う。今までの日本的なものを否定するのではなく、そのうえでの展望。和の心を尊びながらも、くさびから解き放たれ自由になることは可能なはずだ。
 向学心にあふれ、欧米への卑屈さも拒絶反応もない豊太郎は、積極的に新しい世界へとけ込み、知識を吸収し、感性を豊かにしていく。
 そーゆー素直なキャラクタだからこそ、異国の少女エリスと愛し合った。
 日本人だけで寄り集まって完結している他の留学生たちには、ありえないことだ。

 豊太郎が魅力的なのは、彼が絶対に責任転嫁しないことだ。
 なにごとも、自分で決め、自分で責任を負う。
 その決断でどれほど苦しむことになっても、自分の意志で動き、誰のせいにもなんのせいにもしない。あまりにも、まっすぐな性格。

 エリスを選んだために、彼は仕事と名誉と、母を失う。
 名を汚す、というのは、今までの彼の生きてきた世界での価値観でいえば、死に等しい。名誉を守るために切腹するのが常識であるからだ。
 実際、豊太郎の母はそのために死んだ。名を汚すくらいなら死を選ぶ。その価値観を貫いた。

 豊太郎がエリスを選んだのは、ほんとうにえらんだのは、免官か帰国かを突きつけられたときではない。
 免官となり、母の自害を知ったあとだ。

 それまでの自分の世界と、今自分がいる場所の差を思い知らされ、どちらの価値観を選ぶかを迫られた。

 
 わたしは、この作品を「出演者へのアテ書き」だとは思っていない。
 景子タンまたしてもアテ書きはしなかったんだな、いつもと同じ「ニュートラルに主役がカッコイイ話」を書いたんだな、と思っている。
 『THE LAST PARTY』や『Le Petit Jardin』がそうであるように。
 ある程度の男役スキルを持つ人ならば、誰でも演じられるし、誰が演じても「カッコイイ! こんな役を、こんなストーリーを見たかった!」と思える作品。
 別配役でも観てみたい、と思える作品は、アテ書き作品ぢゃないぞっと。
 景子先生の作品は、見終わったあとに妄想配役で盛り上がれるんだよなー。「スコット役は別の人で見てみたかったなー」とか、「豊太郎役は誰々で見てみたい」とかさー。

 そして、やはりこれもいつもの景子せんせ作品と同じように、「少女マンガ」だと思う。
 きれい。ひたすら、きれい。
 闇の部分、濁の部分が存在しない、ただ甘くきれいなだけの作品。
 裏切りや慟哭があってなお、絶対に「きれい」。少女マンガの域を決して踏み外さない潔癖さ。

 わたしは景子先生の作品が大好きだけれど、今のところ真の意味で彼女のファン……というか、信者と呼ばれる熱狂的ファンにはなれないと思う。
 わたしが愛するのは、「闇」であり「濁」であるからだ。
 きれいなものは大好きだけど、その根幹にあるのが「闇」や「絶望」であるものにこそ、惹かれるからだ。
 彼女の作品は、「きれいすぎる」。
 「毒」がない。
 それがわたしには、物足りない。

 もちろん、植田景子を語るときに必ず明記していることだが、その「きれいなだけ」「醜いモノは徹底排除」した、「少女マンガまんま」の世界観は、タカラヅカというジャンルに相応しいんだ。
 よくぞここまで正しくタカラヅカな作品を作ってくれる、と感動しているのも本当。
 だからこそ好きなのも本当。

 
 と、ちと脱線して植田景子とその作品語りをしたうえで、話は『舞姫』に戻る。
 そーゆー景子タン作品だが、ときどき「景子タン」の枠を超えて「毒」を持つことがある。
 脚本にどれだけ「毒」が存在しなくても、舞台は役者のモノだ。役者がどう演じるかで色は変わる。

 わたしがこの『舞姫』を好きなのは、……おそらく、景子タンの書いた脚本以上に好きなのは、豊太郎@みわっちの持つ狂気だ。

 べつにコレ、みわっちアテ書きぢゃないし、みわっちの魅力をいちばん表現できるような役でもないし、みわっち以上に豊太郎をうまく演じられる人はいくらでもいるだろう。
 でもわたしは、みわっちの豊太郎が好き。

 ただきれいなだけの脚本で。きれいなだけに終始できる役で。

 みわさんが、狂気を放つ。

 豊太郎がエリスを選んだとき。
 免官となり、母の自害を知ったあと。

 豊太郎が慟哭する意味が、エリスにはわからない。

「愛より生命より大切なモノがあるの?」

 そう歌うエリスを、豊太郎は見つめる。
 彼がほんとうの意味で選んだのは、このとき。
 それまでの自分の世界と、今自分がいる場所の差を思い知らされた。

 今までの価値観を捨てるということは、ほんとうに、すべてを捨てるということ。
 べつに、ドイツがどうとか日本がどうとかじゃない。そんな物理的な話ではなくて。

 今、エリスを愛するということは、彼女を選ぶということは、豊太郎のこれまでの人生すべてを否定するということ。
 幼い頃から「名誉のために、義のため死ね」と教えられてきた彼のアイデンティティーの放棄。

 だってエリスは、豊太郎の価値観を「わからない」と否定したんだ。母親がその価値観で死んでいるっつーに、「わからない」と一刀両断だよ?
 ふつーなら、ここでふたりの関係は終わりだ。
 ここまで根本的な考え方がチガウなら、好意を持ちようがない。

 エリスを受け入れる、選ぶということは、自害した母親を彼女の言う通りの「犬死」に貶めることだ。や、エリスは別に明言してないけど、そーゆーことだよね、「体面のために自殺するなんて、理解できない。世の中にはもっと大切なことがあるのに」というのは。
 母親の死を貶められてまで、豊太郎は彼女を選ぶ。

「わたしにはわからない」
 と、豊太郎の人生を全否定するエリスに、豊太郎は、

「愛している」

 と返す。


 その瞳に宿る、狂気。

「愛より生命より大切なモノがあるの?」
 と否定を歌うエリスと、
「この少女が変えた」
 と、己の世界を歌う豊太郎。

 エリスは豊太郎を理解しない。それどころか、否定する。豊太郎はそれがわかっていてなお、彼女を選ぶ。

 世界を滅ぼしても、この女を選ぶ。

 豊太郎の狂気は、そーゆーことだ。
 免官されたとか祖国に帰れないとかそーゆー次元のことではなくて。
 豊太郎は「世界」を敵に回したんだ。エリスを愛するために。

 それを豊太郎自身痛感しているからこその、狂気だ。
 彼は母を殺した。
 あれほど愛し、誇りにしてきた母親を、殺した。
 自殺させたことじゃない。それまでは「自殺」だったが、彼女の生命を懸けた訴えを「わからない」と否定した少女を肯定したときに、豊太郎は母を殺したんだ。

 豊太郎が魅力的なのは、彼が絶対に責任転嫁しないことだ。
 なにごとも、自分で決め、自分で責任を負う。
 彼は自分の意志と責任で、母を殺した。

 その手を罪に染めた瞬間。
 エリスを見つめる豊太郎の瞳に輝く狂気。

 あ、狂ってる。
 ……そう思える、太田豊太郎。

 だからこそ、みわっちなんだ。
 他の人じゃダメ。
 きれいなだけの脚本を、きれいなまま演じる人じゃ、わたしは嫌。

 豊太郎の犯した最初の罪。
 母親殺し。


 すみません。
 今さらでなんですが。
 叫ばせてください。

 相沢@まっつ、好きだ〜〜っ!!

 花バウ『舞姫』にて。
 腐女子的にオイシイとか、役割がオイシイとか、歌があるとか、そーゆーことではなくて。
 や、そーゆーのもいちいちうれしいけれど。

 そうじゃなくて。
 そーゆー次元のことじゃなくて。

 「相沢」というキャラクタが好き。そして、相沢を相沢たらしめている、まっつが好き。

 観劇3回目、今度こそ「まっつONLY視界」完遂。
 初見で全体、2回目で豊太郎@みわっちを中心に作品を脳髄に叩き込み、3回目ではじめて、他を捨ててまっつだけを堪能した。
 まっつを「視る」ためだけに、1幕と2幕で席を替わったぐらいだ。
 1幕目は上手側、2幕目は下手側。……nanaタン協力ありがとー!

 「相沢」という男がどんな表情でなにを言っているか、なにを考え、なにを感じているか、それだけを追った。
 オペラのいる席ではなかったのに、オペラ握りしめてた。てゆーかわたし、この公演のために、オペラグラス買い直しましたから。おニューですよ、ははは。

 あいかわらず、まっつの演技は地味だ。
 しかし、嘘がない。
 そのときどきの感情を、大切に、丁寧に表している。

 情があふれ出ているところ、哀切なところ、強い意志で前へ出ているところ、そして、切り捨てたかのように、冷酷になる一瞬。それらが、細かく細かく変化する。
 同じ感情、一本調子でなにか言っていることなんかない。

 常に、揺れ動いている。
 ひとの「こころ」がそうであるように。

 それがね。
 その姿がね。

 泣けるほど、好きだ。

 対豊太郎、そして対エリス@すみ花、それぞれなんと誠実な演技をしているか。

 わたしは黒い人、毒のある人が好みなので、相沢は残酷なまでに正しい人、鬼畜な人の方がうれしかったと思うの。
 実際、まっつが相沢役だとわかったときはクールビューティ&鬼畜を期待したくらいだし。

 でも、まっつはそうではないのね。
 『MIND TRAVELLER』のときも、そうだった。いっそわかりやすいマッド・サイエンティストとして突き抜けてしまった方がキャッチーなのに、地味に「まとも」な研究者を演じていた。
 相沢もまた、クールで強引な男にしてしまった方がよりキャッチーだと思うのに(愛のために暴走する男って、女子の好きなタイプだってば)、なんかまたしても地味にリアルなキャラクタを創っている。

 相沢は、誠実な男だ。

 悪人ではまったくない。
 誠実さ、やさしさがベースになって、なにもかも動いている。

 そして、彼がかなしいのは、自分を「正しい」と思っていても、その「正しい」ことをするために、「斬り捨てられるモノの痛み」を理解していること。

 正しい人というのは、多くの場合とても無神経だ。
 『炎に口づけを』の狂信者たちほど極端でなくても、「正義」の名の下にはナニをしてもいい!と思い込んでいることが多い。
 本人が「正しい」と思い込むことで、すべての悪・身勝手・自己愛が正当化される。
 そーゆーキャラクタの方が、動かしやすいんだろう。や、たんに作者が無神経だっちゅーだけの場合も多いだろうけど。

 相沢も、「正義」を振りかざすだけなら簡単なんだ。だって、彼はほんとうに「正しい」んだもの。
 自信を持って、正しさを貫けばいい。
 卑しい踊り子との愛欲に溺れた親友の目を覚まさせ、相手の踊り子には分不相応だということを教えてやればいい。
 たとえ、心弱き親友に一時恨まれたとしても、いずれ目が覚めたときに感謝されることはたしかなのだから。

 この「正しさ」を、強く冷たく、表現する。
 そーゆー「相沢」を見たかったんだ。
 「正しい」ゆえの残酷さを、わたしは「鬼畜」だと受け取るし、萌えたと思う。

 だけど、この作品の相沢は、そうではない。

 「正しい」のに、傷ついている。
 これしか方法がないし、いちばんみんながしあわせになる決断だとわかっている。

 このまま豊太郎がエリスとドイツに残っても、ふたりはいずれ破局する。
 エリスが病気だからとかではなく。
 鳥と魚は一緒には生きられないんだよ。どちらかが、窒息してしまう。

 豊太郎と、豊太郎の愛した女性を守るためにも、ふたりを別れさせなければならない。

 正しいことをしているのに、それは愛情や誠実さから来ている行動なのに、それでも彼は、苦しんでいる。
 今現在、相手を傷つけることに。
 相手の痛みを理解して。

 傷つけることで傷ついている。

 オペラグラスで、まっつだけを見ていた。

 今、まっつが一瞬、迷った。弱い表情をした。次の瞬間、なにかを振り切るように、すみ花ちゃんに辛い言葉を投げた。
 すみ花ちゃんが傷ついた。たぶん、彼女の胸から血が流れた。すぱっと、肉が裂け、鮮血があふれた。
 同じように、まっつの胸からも血が流れた。
 彼は言葉を発するたび彼女を血まみれにし、自分もまた血を流す。

 でも彼は、自分の血などかまわず、強い目をする。
 冷酷な眼で、とどめを刺す。

 一気に刺し貫く方が、痛みが少ないから。
 彼女のために。

 自分も、血まみれになりながら。

 エリスが発狂したとわかったとき、相沢は子どものように顔をゆがめる。
 暗転の間際。

 幼い子どもの顔になる。

 血まみれになりながらも冷徹に剣を振り下ろした、誠実な大人の男が、子どもの顔になって叫ぶ。

 その、痛々しさ。

 そして。

 舞扇を手にするエリスと、彼女を抱く豊太郎。
 ふたりを見守る相沢は、自分の罪を、受け入れている。

 正しいことを、愛ゆえに、思いやりゆえにしただけでも。
 正しさを言い訳にはせず、「罪」であることを認めている。

 最後に豊太郎に問うのは、ただの確認だと思う。
 なにかを決したかのように「私を恨んでいるか」と問う相沢に、豊太郎は否定を返す。
 そう、相沢は知っていたはずだ。
 豊太郎が、相沢を恨むはずがないと。己こそを責める男だと。
 わかっていた答えを得て、噛みしめるのは、相沢自身の罪だろう。

 「恨んでいない」と言われて、ほっとしているようには見えない。
 むしろ、それゆえに決意が深まったように思える。

 この罪を、一生背負うことを。

 豊太郎が、相沢を逆恨みするよーな男なら、「私のせいじゃない、お前の自業自得じゃないか」とも思えたかもしれないけれど。

 ひとりの少女の心を破壊してまで、進もうとした道だ。親友を傷つけてまで、貫こうとした想いだ。
 まっすぐに前進することで、彼の償いは続くのだろう。

 相沢が、あまりに善良で。愛を基盤にした人で。そしてある意味、とてつもなく、まともな人で。
 クールビューティ&鬼畜を期待していたわたしは、アテがはずれたことにおどろきつつ、感動するの。

 ああまたこんな、地味でリアルな役作りをして。
「私は正しい」って善意ゆえの強引さで、取り返しのつかないことをする人、でよかったじゃん。わかりやすくて。派手で。

 あああもお、まっつ好きだ〜〜……。

 傷ついて、傷ついて、それでもスパッと冷酷な顔になるときが、すごい好き。
 意志の力による、冷酷さ。
 それがもお、痛々しくて。

 地味でいいよ、小さくていいよ、「バウホールサイズの演技」って言われてもいい。

 この人の、演技が好き。


 退団者のいない千秋楽。
 ただしあわせに、拍手を続ける千秋楽。

 おめでとう。
 これがはじまり。
 これから、このしあわせが続いていくんだ。そう思えることのしあわせ。

 東宝チケットが手に入らなかったわたしにとって、これが最後の『エリザベート』
 2巡目がはじまったのだから、これからまたどこかの組で再演されるのだろうけれど、それがいつかわからないし、同じように愛せるかもわからない。
 さようなら『エリザベート』。
 わたしはやっぱり、『エリザベート』が好き。
 正直見飽きた感はあるし、初演への懐古とこだわりが強く、ヅカで上演するのは芝居とショーの2本立てがいいと思っているけれど。
 それでもやっぱり、好きだ。

 『エリザベート』という、作品が持つ力。

 千秋楽だからっつーんで、『エリザベート』なのにお遊びがありました。
 ルキーニ@キムは「ハトが出ますヨ」の場面で本当に鳩を出すし。……いまいち、失敗していたよーな気もしたんだが(笑)。音声さんとの打ち合わせはしていなかったのか、シャッターの音が派手にずれていたぞ。
 公演期間中、ずーっとアドリブがんばったねえ、キム。ますます骨太ないい男になった。

 あと、ラウシャー大司教@にわくんが、「宅配疑惑」をグリュンネ伯爵@雪組きってのフェアリ−(笑)、初演からトシとってません、のナガさんに押しつけていたし。

 もひとつお遊びシーン。
 ゾフィー@ハマコが昇天するとき、黒天使だけでなくトート閣下まで登場。
 閣下は客席に向かってにっこり笑ってくれたけど、あまりに意外だったから、みんなついて行けていない。

 トート登場。 
「…………?」

 トート、にっこりアピって、ゾフィーと一緒に退場。
「…………(息をのむ)…………えええ?(よーやく反応)」


 って感じ。
 トートがいなくなってから、客席からかすれた声が長く上がっていたのが印象的。

 退場してからよーやく観客が声を上げたせい?
 終演後、何回目かのカーテンコールで水くん、「アドリブしたのに反応がなかった」と嘆いてました。
 や、反応する間もなかったんだよ。
 みんなの「えええ?」ってかすれた声は、水くんには届かなかったのかな?
 そもそも雪組ファンはおとなしいし。花とか星ならもっと大騒ぎしていたかも(笑)。

 水くんがアドリブの話をしたとき、ゾフィー@ハマコがやたらうれしそうにしていた。同期愛、同期愛。
 てゆーかトート閣下、いっそのこと「死の接吻」までしちゃえばよかったのに。
 そしたら、ゾフィー・シシィ・ルドルフと親子三代喰っちゃうことになって爽快でしたわよ(笑)。
 水×ハマコかぁ……濃いぃなー。(好み的には、ハマコ×水だなっ)

 そう。
 初演ゾフィー@朱未知留ちゃん(いつもこの子のことはフルネームで呼んでいたわ、その実力に敬意を込めて)が言っていたんだよね。
「ゾフィーが死ぬときにも、トート閣下に迎えに来て欲しい」って。
 初演『エリザベート』で卒業だった朱未知留ちゃんのため、ムラ楽ではルキーニ@トドがアドリブで「トート閣下の迎えが来た」って歌ったんだっけ。
「すごくうれしかった」と、朱未知留ちゃんがどっかのインタビューで言っていたことを、おぼえている。

 それをほんとに舞台でやってのけるとは思わなかったぞ、現雪組! 

 あ、90年代雪組が誇った歌姫・朱未知留ちゃん、キャラクタは今の雪組で言うとヒメちゃんです。最近のヒメを見て、「誰かを思い出す……」と思ってたんだけど、そーだ、朱未知留だー。
 顔立ちでなく、「キャラクタ」ね。ええ、朱未知留ちゃんってアレ系の芸風だったのよ。『ライト&シャドウ』の女優役とか、ぶっとび方がすごかった。

 
 泣いても笑っても、『エリザベート』は今日で最後。
 長かったような、短かったような。

 アンサンブルも熱が入り、雪組生全員、モブの下級生ひとりひとりまで意志を持って演じているのが感じられて、わくわくした。
 トート閣下の「黄泉の帝王」としての切れ味もすばらしく、その魅力を堪能。あああ、かっこいー。
 フランツ@ゆみこはねえ、歌声がさらにクリアに豊かに響いてね、鳥肌もの。この人の声は、どこまでのびるんだろう、と感心した。

 やっぱり好きだもの、『エリザベート』。
 いろんな萌え、いろんな解釈を展開できる深さと寛さを持った作品。

 東宝ではみんなさらに進化するんだろうな。
 観られなくて残念だ。

 シシィ@となみちゃんは、わたしにはよくわかんなかったんだけど、彼女もまた、わたしが見た・感じただけがすべてではなく、これからも変わっていくんだろう。
 ナマモノっておもしろいよなー。

 これがはじまり。
 それが、うれしい。

 千秋楽オメデトウ。


「日曜日はチケット持ってないからあきらめる」……と書いた舌の根も乾かないウチに、結局ムラへ行って『舞姫』観てきました。
 だって明日は(日付は今日だが)水くん観るんだもん、今日観ないと火曜日まで観られないんだもん……てなわけで、「まっつ〜〜!」と叫びつつムラ通い。はい、今日は17日です。日付追い越してます(笑)。

 
 やばい。

 2回目の方が、ハマる。

 「わかって」から観ると、泣きツボ全開。
 全編通してただひたすら、美しく切ない。

 豊太郎@みわさん、最高っす。
 彼がすげー愛のこもった、「愛しい」と書いて「かなしい」と読ませるような瞳でエリス@すみ花ちゃんを見つめています。

 すべてが「夢」だからこそ、壊れること、失うことが前提だからこそ、なにもかもがきらめいて、はかなくも美しい。

 みわっちって、こんなに演技できるひとだっけ?
 ……と考え、そーいやわたし、愛音羽麗主演『くらわんか』で大泣きした人だった。らんとむ版ではべつに、泣かなかったのに。
 ひょっとしたらみわっちって、わたしのツボに入る役者なのかもしれない……。

 
 とまあ、本筋のことは置いておいて。(いずれ腰を据えて語る)

 相沢です、まっつです。

 今日気づいたこと。

 相沢くんは、親友・豊太郎くんを「太田」と名字で呼びます。「お前」呼ばわりしているけれど、あくまでも名字で呼ぶのみ。(ちなみに豊太郎くんも相沢くんのことは「相沢」と名字で呼びます)

 されど。

 「豊太郎」と、名前で呼ぶときがある。

 遠く離れた日本の地で、ドイツにいる豊太郎からの手紙を受け取り、うれしそうに読んで……そして。

 「豊太郎……」と、名前で呼ぶ。呼びかける。

 本人のいないところで。
 ごく自然に。

 心の中ではいつも、「豊太郎」って呼んでるわけ?!

 本人には、名字で呼びかけ。
 本人がいないところでは、名前呼び捨て。

 ちょ、ちょっと待った、ソレって。

 あと、東大卒業時の「我が親友絶賛モード」で語っているときも、「すごいよ太田!」って豊太郎には名字で呼びかけ、そのあとどんどん相沢の中で幻想が盛り上がり、豊太郎本人を見ることなく夢見るよーな目つきで客席に向き直り、「豊太郎……」と、うっとりとつぶやく。(学ラン着用・笑)

 どこまで、豊太郎のこと好きなんだよ、相沢!!(笑)

 心の中では、いつも「豊太郎」と呼んでいる。呼びかけている。
 てゆーか、毎日話しかけてるんじゃないのか? 「ボクの豊太郎(はぁと)」とか言って?!

 景子先生が狙って書くわけナイから、素でやってんだよなあ、コレ。
 で、まっつはどこまでわかってやってるんだろう……。お茶会がいつか知りませんが、誰か聞いてきてくださいよ、「豊太郎のことどう思ってますか」「あ、建前と本音、両方お願いします」って。わくわくっ。

 まっつの出番は多くはないけれど、歌声が、すごいです。

 曲がキレイだし、物語はいつも深刻にドラマティックだし。

 まっつの低音が、響き渡ってる。

 掛け合いで歌うところとか、まっつが歌うと「うわ、低音キター!」って感じでゾクゾクする。
 他のアンサンブルを、下から支えている。

 最後のソロは圧巻。
 キモチいい。

 世界征服を歌うより、愛を歌う方が、まっつには合っている。

 いや、その「愛」っつーのが、ラヴラヴな主人公カップルを別れさせるための歌なんだけどな(笑)。
 なにしろ「あなたが彼を愛するように 私も彼を想っている」つー、トンデモな「愛の歌」だからなー。
 「海馬に乗った征服者」という歌詞を聴いたときとはまーーったくチガウ意味で、しかし同じように耳を疑ったわ。は? あのちょっとアナタ今なんと歌いました?って。
 
 相沢って、豊太郎本人には告げられずにいるけれど、他のところでは彼への愛を全開にしてるんだよなー。
 天方大臣@星原先輩とか、きっともーえんえんえんえん「豊太郎マンセー」を聞かされて、
「わかったわかった、このプロジェクトにそのラヴリー豊太郎くんも入れるから、ちょっと落ち着け」
 根負けしたんじゃないだろうか。
「君のことは相沢から聞いている」……って、どんだけ聞かされたんだか。
 大変だな大臣。愛にコワレてる男を部下に持つと。

 
 基本クールなんですけどね、相沢くん。
 豊太郎絡みだと、コワレる……。

 たのしいです、『舞姫』。


 バウホール公演『舞姫』において。

 相沢@まっつのいちばんの萌えシーンは、

「君に私の気持ちはわからない!」
 と豊太郎@みわっちに言われたときの、

 ぎゅっ、と握った拳だ。

 豊太郎を愛し、彼のために必死で助言しているというのに、聞き入れてもらえない。
 拒絶される。

 突き放される。

 だが相沢は、顔は冷静なままなんだ。
 なじられて言葉を失うけれど、表情は大して動かない。

 ただ、拳を握る。
 甲を半分隠したフロックコートの袖の中で。

 その拳が、震えている。

 ……めちゃくちゃ、傷ついてるんじゃん。
 なのに顔には出ない。
 クールビューティのまま。

 だから豊太郎は気づかない。自分がどれほど親友を傷つけたのか。
 や、もともと彼は自分の不幸に手一杯で、暴言を吐いたあとは背を向けてしまうのだけど。

 感情を出さず、黙って痛みを飲み込む男、相沢。

 あのクールな横顔と、震える拳のギャップに、クラクラきました。

 
 えー、つーことでまっつ語り行きます。
 日曜日はチケット取れなかったんで、バウ日程中ムラ詣で皆勤はあきらめます(笑)。平日だけ観に行くっす。

 1幕は、予想通りあまり出番がありません。

 ただ。
 そんなことを吹っ飛ばす勢いで、わたしは舞い上がっておりました。

 て、ゆーのもさ。
 幕が開いて、みわっちが登場して、わたしはすっげ油断してみわっちを眺めていたのよ。
 主役ひとりが舞台に現れ、えんえんやるのは当然ですから。疑いもせずそーゆーもんだと眺めていた。

 ……ら。
 一瞬だけ、わたしの目の前にライトが当たった。
 当たって、すぐに消えた。

 さすが初日。あちこちライトのミスは目についたんだが、一発目のミスは幕開きすぐ。

 舞台上手にライトが当たり、あわてて消えた。
 それでわたしははじめて、そこに誰か立っていることに気づいたんだ。

 わたしは、前補助の上手隅にいた。ドリーさんが譲ってくれた席だ。

 舞台はまさに目の前。そこに、誰か立ってる……と思った次の瞬間、今度こそちゃんとライトが当たった。

 まっつだった。

 まっつが立っていた。

 目の前。
 触れそうなところに、スーツ姿の美形まっつ。

 えええっ。

 そう。
 1幕は日本にいるので出番のない相沢くんは、なにかっちゃー舞台端に現れては手紙を読んだりするのですよ。
 しかも最初のウチは、上手限定なんですよ。
 出てくるたび、上手なんですよ。

 今この劇場で、まっつのいちばん近いところにいるのは、あたし?!

 ……こあらったは舞い上がったまま、しばらく帰ってこられませんでした。
 ああああありがとードリーさん。よくぞこの席をわたしに!!

 まっつの顔だけ眺めてハクハクして、最初のうちはなにがなんやら。

 んで、よーやく落ち着いてきたし、まっつも上手だけでなく下手にも登場するようになったと思ったら。

 学ラン姿キターーッ!!

 『明智小五郎の事件簿』に続いて、学ランまっつ!!(笑)
 またしても学ラン!!

 明朗快活、親友ベタ惚れの純な笑顔が、まぶしいです。
 豊太郎のことを誉めちぎってやがんの。もー、恥ずかしいほどに。その全開の笑顔はなんだ、見ているこっちがうろたえるだろおっ?

 学ラン姿を目にするなり、笑いツボ入っちゃって、声殺すのに必死(笑)。

 あ、学ランは下手ですよ! まっつ学ラン目当ての方は下手をGETだ!

 2幕は相沢くん、渡独しているので元気です。豊太郎にまとわりついています。

 フロックコートとシルクハットが、どーしてあんなに似合うんだ!!
 クラシカルな格好が似合いすぎだまっつ。

 豊太郎を天方伯爵@星原先輩に引き合わせた相沢、意気揚々。豊太郎を誉められると、自分もすっげーうれしそう。
 そんな相沢を慮って、天方氏とドクトル・ヴィーゼ@ふみかは身を引くのだ。
「ここから先は、お若い人同士で……」
 てな、見合いの仲人みたいなことを言って、相沢と豊太郎をふたりっきりにさせる。

 やったー、太田とふたっりきりだーっ!!
 と、内心大喜び、デートだデートだ、どこへ行こう、なにを食べようなにを飲もう、それからそのあとは……と、いろいろ計画をドリームしていただろう相沢の前に。

 ダメダメめがねっこ岩井くん@マメが現れた!

 ふたりっきりだと思ったのに! これからデートなのに!
 ダメめがねっこは、豊太郎相手にえんえんラヴコール。
 なんだよこの男、俺の知らないうちに、こんな男と仲良くしてたのか……?

 豊太郎と岩井くんが話している間、相沢は何故、あんなに不機嫌なのデスカ?!!

 
 この作品でのいちばんのアイドル・ポジションは、豊太郎ではなく、じつは岩井くん@マメだと思っている。
 岩井くん、なんかもー、すげー愛されキャラでね。
 かすが・しゅん様・らいらいの色男3人の誰がマメのラヴァーなのか、はっきりさせたくてうずうずしてますよあたしゃ。

 
 とまあ、愛くるしいマメがみわっちを独占していたりすりゃ、そりゃまっつだって妬くよなあっ?!

 いやはや。
 スカステの稽古場映像でも流れていた、エリスVS相沢のまっつソロも、いい感じでございました。
 誠実さと真剣さが感じられる親友っぷりです。……もっと情念の世界を展開してくれてもいいんだが、なにしろまっつだから、どうだろうな。

 エリス@すみ花は野生の勘で、相沢が恋敵だと察していたようだ。

 豊太郎が最初に相沢の名前を出したときに、ものすっげー反応するの。まだ相沢が誰なのか、どーゆー人物なのかもわかんないのに。

「相沢……? 不吉な予感……!」(白目)

 で、実際会ってみたら、豊太郎を日本へ連れて帰るって言うし。マジ敵じゃん!!
 つーことで、エリス発狂。

 ははは。

 
 相沢と豊太郎のステキ・ポイントは、相沢は豊太郎を「お前」呼びで、豊太郎は相沢を「君」呼びするところですなっ。

 「お前」……お前呼びかよ、相沢! 男らしいなヲイ!! まっつのくせに!(こらこら)

 豊太郎を想って悶々としている相沢さんを想像するだけで、ごはん三杯いけます、はい。

 まっつまっつまっつ。


「豊太郎さいてー。女の敵!」

 とゆーのが、森鴎外作『舞姫』を読んだ女子高生の感想のほとんどだった。
 わたしもそうだったし、周囲の反応もそうだった。

 マザコンで優柔不断で大勢に流されて、おなかの赤ん坊ごと女を捨てる男。いちばんつらい役目を親友に押しつけて、自分はなにもしなかったくせに、その親友のことを恨んで終わる男。

 ふつーにやっても、これらの基本設定が変わらないのなら、主人公・豊太郎は女性の共感を得られるヒーローにはならないだろう。
 ソレをどう料理するのか。
 演出家の腕の見せどころ。

 花組バウホール公演『舞姫』
 景子タンは見事に、上記のマイナス要因をひっくり返し、豊太郎@みわっちを、悲劇のヒーローとして描ききった。

 すげえ。

 「主人公をかっこよく描く」という、それだけのことを終始一貫完遂させた。
 アタマのいい人の作品って、見ていてキモチいいなあ。

 や、『舞姫』初日行ってきましたよ、もちろん!
 

 武士の誇り、武家の嫡男であるという、「日本人の志」を最初からがんがん描く。
 『大坂侍』もそうだけど、武士というのは、愛よりも生命よりも、別のモノを尊ぶものなんだ。愚かかもしれない。不器用すぎるのかもしれない。だけど彼らは、「美しい」ものを魂に抱いて生きる。

 豊太郎の「仕事」がなんであるかを描く。
 日本が近代国家として「世界」に認められるかどうかの瀬戸際。日本が他のアジア諸国のように、欧米列強の植民地となるか、独立国として生き残るか。
 そんなギリギリの時代に、「国」の未来を背負った「戦士」であるということを描く。

 太田豊太郎は、戦場にいた。
 彼は愛する祖国のため、愛する人々の未来のために戦う、ストイックなソルジャーなんだ。

 原芳次郎@みつるという志半ばで倒れる「戦友」を配置することによって、豊太郎の戦いはさらに重さを増す。
 「日本の未来を頼む」と、戦友が腕の中で息を引き取った。
 彼の分まで、豊太郎は戦わなければならない。
 色恋にかまけて、「使命」を投げ出せるはずがない。

 と、ここまで彼の「外側」の理由を完璧に創り上げて。

 そして。
 これがいちばん感心したことなんだが。

 エリス@すみ花を、妄想女設定にした。

 彼女の母親が、なにかっちゃー豊太郎との交際を反対する理由が、コレ。
 変だな、原作ではたしか、エリス母は「金ヅルを逃がすんじゃないよ!」的モーレツババアだったよーなイメージがあったんだが。父親の葬式代のために娘を売ろうとしたよーな母親が、なんで「どうせ幸せになんかなれないから」と金を運んで来そうな男との交際に反対するんだ?

 エリスはもともと、精神を病んでいる娘だった。
 豊太郎と出会ったときは、まともだったけれど。
 今は正常なまま生活しているけれど、いつどこで再発するかわからない。
 だからエリス母@光さんは反対したんだ。恋にのめりこむことで、エリスの病気がひどくなるかもしれないから。

 エリスの妊娠は、彼女の妄想だった。
 だから豊太郎は子どもを捨てる男にはならない。

 豊太郎は日本のために戦うソルジャー。国のために愛を捨てなければならない。彼は日本の、武士なのだから。義のために生き、死ぬことをヨシとする哀しい戦士なのだから。
 愛がすべてのエリスには、豊太郎の価値観は理解できない。
 ふたりが破局を迎えるのは、仕方のないことなのだ……。

 と。
 見事に、豊太郎の行動が、正当化された。

 加えて、エリスを狂気に追いやった親友・相沢@まっつと、
「私を恨んでいるか」
「恨むのは自分自身だ」
 とゆー会話をわざわざさせることで、「親友を逆恨み」という原作のマイナス面もクリア。

 さらに駄目押し、ラストシーン。
 昔の豊太郎のように、無限の未来と可能性に瞳をキラキラさせた若者@ネコちゃんが、豊太郎と同じようにドイツに留学すると言って現れる。
 彼は、あの日の豊太郎。
 ご丁寧にも、昔の豊太郎と同じ衣装で、演じているのは豊太郎の学生時代を演じていたネコちゃんだ。彼はまちがいなく「もうひとりの豊太郎」なんだ。

 その、「失ってしまった青春」を懐古するように、「大人」になってしまったひとりの男が、胸の痛みを抱きしめながら終わる。

 弱い男が女を捨てた物語、ではなく、ひとりの若者が、青いモラトリアムを完全に脱し、「大人」になる物語。
 恋愛ドラマであるが、テーマ自体は恋愛ではない。それを内包した、もっと大きなモノだ。

 失われた青春、失った楽園を見つめる、切なさ。
 イメージの中のエリス=青春の、神々しいまでの美しさと、哀しさ。

 ままごとのように恋をする若いふたりの「しあわせの象徴」だった「舞扇」が、ラストシーンでは「哀しみの象徴」となる、小物使いの巧さ。

 すげえよ、見事だ。

 みわさんの凛とした美しさ、誠実さが際立つ。
 歌も十分許容範囲だよね? うまくなったよね?

 すみ花ちゃんの可憐さ。いじらしさ。

 まっつの堅実さと、みつるの輝きとゆまちゃんの美貌と胸の谷間とふたりのかわいらしいラヴラヴっぷり、嫌味日本人トリオのいやったらしい二枚目ぶり(笑)と、マメの達者さ、ミトさん、星原先輩の存在感。

 舞台の美しさと、音楽の美しさ。

 派手な作品ではないけれど、しみじみといい作品だわ。
 みわさんファンは絶対見逃しちゃだめだよー! 後悔するよー!

 ……つーことで、まっつ萌えは別欄にて。


 異世界トートと、たのしそーなルキーニを中心にしての、独断と偏見、思いこみだけでここまで語るか『エリザベート』をやってみましょー。
 

 トートは異次元生物だから、わたしたちと同じ理で生きていない。
 だから彼は、愛情表現としてシシィを苦しめまくる。
 それが、いざ彼女から「死なせて」と言ってきたときはじめて「チガウ」ことに気づく。
 それ以降トートとシシィの場面はないが、おそらくトートは愛情表現を変えたのだろう。人間の側にまで、堕ちてきたんだ。

 「最終答弁」のトート閣下は、「変わった」あとの閣下だ。
 あれほど喜怒哀楽が人間離れしていたのに、フランツごとき(ごめん)を相手に「ただの人間」のようなうろたえ方をする。
「アナタは恐れている。愛を拒絶されるのを!」
「チガウ!!(絶叫)」
 で、ルキーニを使ってのシシィ暗殺。「拒絶なんかされないもん! ちゃんと愛されてるもん!」てか?

 重要なのは、「描かれていない部分」だと思う。
 すなわち、トートがシシィを拒絶したあとから、シシィ暗殺までの、間。
 トートが「人間」になり、「人間」の感性でひとりの女を愛した部分。

 トートは「人間」だから、迷ったんだ。
 エリザベートを見守ってきた。彼女とはたしかに心の交歓があったと思う。愛があると、思う。
 でも……ほんとうに?
 自分のカンチガイ、思いこみに過ぎないんじゃないだろうか。
 フランツが言うように、自分は黄泉の帝王なのだから、人間の女が愛するはずがないんじゃないのか?

 だから彼は声を荒らげ、「チガウ!」と絶叫する。
 それでも、己の正しさを証明するために、ルキーニにナイフを渡す。

 トートとエリザベートの関係は、今回の新演出で答えが出た。

 では、残りはルキーニの裁判、最終答弁とはなにか? ってことだけど。

 そもそもコレはすべて、ルキーニの「中」の物語なんじゃないの?

 裁判も、トートもシシィも、なにもかも。

 だから、時代も場面もとびまくる。ルキーニが選ぶままに。
 たのしそうなルキーニ。
 脳内世界、彼のインナーワールド。彼が「神」である世界。

 登場人物は、実在だと思うよ。
 彼らが痛みを持って生きたのはほんとう。
 だが、それを物語るルキーニが、好きにゆがめ、脚色しているのだと思う。

 トートだけが、虚像かもしれないと思うんだ。

 エリザベート、フランツ、ゾフィー、ルドルフたちは全部ホンモノ。
 そこに「トート」という「ありえないもの」を組み込み、創作した。
 史実を元にしたファンタジー。

 トートが「人間」になってシシィと愛し合う場面は全カット。
 「夜のボート」のときにシシィはもう、トートとの愛を無意識にでも認めているのに。そうなるに至った場面は描かれない。

 「最終答弁」も話途中。
 なんの決着もつかないのに、突然ぶった切り。
 そしてルキーニは、今までの「語り手」から「登場人物」になる。

 彼のこの豹変ぶりがねー。
 物語の作者が、自分の作品の中に自分役で登場して、うれしがって張り切りすぎているよーに見えるのよー(笑)。

 トートがルキーニの「創作」した唯一の「オリジナル・キャラクタ」ならば、その思い入れは特別だと思うのよ。

 ほら、アレだ。
 「新撰組」の大ファンが「新撰組」の小説(でもマンガでも舞台でもいいや)を書いてさ、隊士のひとりを「自分自身」に置き換えて視点とし、オリジナル・キャラクタを主人公にして物語を描くの。
 たとえば、山崎さんが語り部で、田中一郎というオリジナル・キャラクタ(剣の達人で沖田の親友、でもじつは男装の美少女、とか。妄想炸裂)を出して「新撰組」の物語を展開、「自分自身」でもある視点の山崎主役の回とかは、すっげー力入ってます、てへ☆ てなもん。
 語り部で視点は山崎だけど、描きたかったのは男装の美少女・田中一郎と土方歳三の恋だから! みたいな。田中一郎こそが、実は「自分自身」の妄想の権化だから! みたいな。

 ルキーニは、シシィが好き。
 語り手でしかないくせに、シシィとだけはラヴラヴ遊んでいる。

 トートがかっこよく「黄泉の帝王」としてシシィをはじめ、人間たちを翻弄している場面は描く。
 でも、ほんとうの恋に落ちて、「人間」として、みっともなく悩んだだろう、展開が地味になっただろう場面はさくっとカット。
 語り手であった自分が「登場人物」として、物語の中に登場する場面は描く。活き活きと、「狂気のテロリスト役」を演じる。過剰なほどの狂気っぷりで。
 そして、シシィがトートを選び、ふたりはハッピーエンド。

 トートが、ルキーニの「妄想」ならば、すべて辻褄が合う。

 トートはルキーニの、「夢の自分自身」。ドリーム小説の主人公だ。
 ルキーニが好きなシシィを、「夢の自分自身」であるトートも好き。もちろん。「閣下」と敬ってみせるのも、「自分を好き」なだけ。
 そして、「夢の自分自身」になって、好きな女の子とハッピーエンドになるんだ。

 田中一郎、というキャラを生み出して、脳内ストーリー「新撰組」で大好きな土方さんと恋に落ちるよーなもんだ。

 ルキーニは「ニヒル・キャラ」ってことで、物語すべてを俯瞰し、「神」の傲慢さで嘲笑しながら眺めている。
 活き活きと、自由自在に歌い、たのしそうに。

 行き過ぎた爬虫類系トート、彼が強い分弱く淡くなったルドルフ、革命家たち。
 全部全部、ルキーニの思いのまま。

 ルキーニはトートを好きだと思うよ。
 大切な、「夢の自分自身」だもん。
 でも、この物語を創作した「神」である自分の方がもっともっと好きなんだけどね。

 ルキーニが「人として」あんなにコワレているのも、ここが彼の脳内だから。
 現実の社会の彼は、もっとまともかもよ?
 ネットでえらそーに書き散らして悦に入っている人が、リアルでは地味で小心なふつーの人だったりするようにな。(えっ、あたしのことですか?!)

 
 なんか、自分的に辻褄合っちゃったんですけど、ダメかなっ?
 ルキーニに愛はある、ということで(笑)。


 ルキーニ@キムの歌唱力が、どんどん上がっていっている。

 もともと歌える人だということは知っていたけれど、どこまで伸びるんだろう、この子。
 年齢的にも今がいちばん伸びる時期だとは思うし、この年齢、学年でこれだけの機会を与えられることは、今のタカラヅカでは希有なこと。
 貪欲に吸収し、伸びていって欲しいと思う。

 声が伸縮自在で、聴いてて気持ちいい。
 音を愉しんで、ミュージカルのなかに存在しているのがイイ。

 エロさもいいなー。エロス、というより、ずはりスケベって感じで(笑)。
 マデレーネちゃん@愛原実花ちゃんとナニやってんですか。どさくさにまぎれて2回はキスしてる? ルキーニが味見してどーすんだよ、ソレは陛下への献上品だってば。

 歌うことに余裕が出た分、演技の幅も広がっているようで。

 といっても、キムの歌にはフランツ@ゆみこのような「きれいさ」はないんだけどなー。
 歌声のタイプがまったくチガウよね。

 わたしは歌手スキーなので、歌ウマさんはそれだけで好感度UPなのさ。

 さて、このルキーニ。

「フランツのことは嫌いというか目にも入ってなくて、トートのことも好きじゃなくて、シシィのことだけは好きみたい」
 と、評したのはnanakoさんだが。(たびたび名前が出てすまんな、なにしろ毎週ムラで会ってるもんで・笑)

 ほんとに、その通りだわ。
 まずまちがいなく、フランツのことは歯牙にもかけてない。

 シシィのことは、好きみたい。
 バートイシュルでのふたりのじゃれっぷりが、かわいいのなんの。
 ルドヴィカとゾフィーがあーだこーだやってる間、シシィとルキーニはラヴラヴ(笑)。
 幼なじみみたい。……同期だからなー。今まで夫婦だの恋人だの姉弟だので組んできてるしなー。
 ルキーニの帽子をとぼけてかぶるシシィと、ソレを見て「ヲイヲイ」ってあきれて取り返すルキとか、かわいすぎ。

 そして、トートは。
 好きじゃない、というか、なんかチガウ気がするなー。

 ルキーニとトートの距離の取り方が、なんか独特で。

 今回のルキーニに強く思うことは、たのしそうだなってこと。

 キム自身が「成長期」である今を愉しんでいるんだと思う。
 自分が変わっていくこと、伸びていく実感は、役者としておもしろくてならないだろう。
 努力が確実に実って結果として返ること、手応えがひとつひとつ感じられること、って、そりゃーたのしくてならないだろうよ。

 その上昇気流の役者の生命力まんまに、ルキーニが活き活きとしている。

 一般的にルキーニとは「狂気」が必要だとされる。
 狂気の定義なんて人それぞれだから、なにをもってソレを「ある」「ない」と言うのかは知らんが。

 キムのルキーニは、「狂ってはいない」と思う。
 精神病云々で言うならば。

 だけど、「人として」は十分別世界にいる人だと思うよ。

 たとえば、人が真面目に話しているのに、聞きもしないでおちゃらける人。
 努力している様を笑う人。
 他人を傷つけて平気な人。ソレをおもしろがる人。
 そーゆー人たちは、病気として判定はされないかもしれないが、「人として」十分やばいだろ。

 ルキーニは、嗤い続ける。
 懸命に生き、もがき苦しむ人たちを見て。

 自分だけが理の外側にいて。
 安全な場所、高見にいて、悦に入って見下ろしている。

 たしかに彼は狂ってはいない。
 だが、人として「おかしい」。確実に。

 このたのしそうなルキーニに、「狂気」のスイッチが入るのが「最終答弁」のあとだ。
 この豹変こそが、あきらかに「おかしい」だろ。

 
 なんかねえ、今回の『エリザベート』って、今までの『エリザベート』で疑問に思っていても「ま、そんなもんなんだろ」とスルーしていたことが、いちいち浮かび上がってくるの。

 「生きたお前に愛されたい」って言って、夫を浮気させたり息子を殺したりして、なんの意味があるの? 生きてるのを嫌にさせるってこと?
 絶望させて自殺させることが「人間が死を愛する」ことなら、何故死にたがったシシィをトートは「死は逃げ場ではない」と言って拒絶するの?
 ルキーニはなにを裁かれているの? 裁判官って誰?
 最終答弁はなにを争っているの? フランツに言い負かされたトートが実力行使に出て終わり、ってソレひどすぎない? 都合が悪くなったら暴力で解決、みたいな。
 で、結局ルキーニは有罪なの? だとして、なにがどうなるの?

 タカラヅカらしい色つけで、今までは解釈できていたけれど。
 でもそもそも、基本として、疑問を持つよね?
 『エリザベート』初見の人がよく言ってる、上記の疑問。

 それらのことが、クリアになっていく。
 今回の『エリザベート』。

 異世界トートと、たのしそーなルキーニを中心にしての、独断と偏見、思いこみだけでここまで語るか『エリザベート』をやってみましょー。

 はい、翌日欄へ続く!


 ルドルフって、どーゆー人なんだろう。

 今回の『エリザベート』を観ながら、真面目に考える。

 わたしずーっと、ルドルフってオイシイキャラクタだと思っていたのね。
 この役をやれば絶対人気沸騰する、劇団が将来を期待する人にやらせる役。もしくは、なにかしら「この人がルドルフをやる」ことが客寄せになる「売り」を持つ役。

 タータン、たかこ、ブンちゃん、コム姫、樹里ちゃん、ゆみこ、ゆーひ。
 歴代のルドルフは、やはり「オイシイ役」だと思う。

 だが、何故だ。
 なんか今回、オイシく見えないんですけど?

 かなめくんは、この役をやることで人気がブレイクしているのでしょうか……。

 で、考える。
 ルドルフ役って、なんなんだろ。
 ルドルフって、どんな人なんだろ。

 わたし的には、彼の人となりをいちばんに表す台詞だと思っているのは、シシィに助けを求めるところ。
「最悪の事態に陥ってしまったんだ」
 と歌う彼が、ママに「助けて」と懇願する内容は、「パパがボクを皇位継承者からはずすって言うんだ、大ピンチ! ママから取り直して、ボクの地位を守って!」ではない。
 流れからいって、そう訴えても不思議ではないのに。

 彼が歌うのは、帝国の未来だ。

「今ハプスブルクを滅亡から救える道は、ドナウ連邦しかない」

 この青年は、本気で祖国の未来を考えているんだ。自分の保身よりも、世界の行く末を憂いているんだ。

 この、「政治家」としての「未来の皇帝」としての部分が活きることで、ルドルフというひとりの男の「強さ」になる。

 たしかにマザコンで「ママ、ママ」で、トートに誘惑されて革命家たちに持ち上げられて、後先考えずに行動して破滅するおバカさんだけど。
 それだけではない、一国の皇子としての気骨を持った人物であるということ。
 繊細さとは別。美しさとは別。

 かなめルドルフには、この「政治家」としての部分が感じられないんだ。
 多感な男子中学生みたいだ。
 はじめて万引きして現行犯逮捕され、親が金を使って黙らせました、でも学校は転校させるからな、今の友だちとは縁を切れ! ……てなことを父親に言われて、その日のうちに自殺した、よわよわな中学生みたいだ。
 一度の失敗で人生全部投げ出しちゃうよーな。小さな擦り傷でも、傷ついたことがショックで、耐えられなくて逃げ出してしまうよーな。

 ルドルフという役の持つ、耽美だとか美しい部分だけがもてはやされてきた結果の、ルドルフ役という印象。
 ただきれいなだけ。

 弱いことだけがすべてなのかな、この役?

 「もうひとりのエリザベート」であるはずなのに?

 ルドルフを思春期の少年として描くのもべつに、悪くはない。少年だからこそ持つ、青臭い理想論を胸に若さで突っ走って破滅した、という設定はアリだと思う。
 万引きが見つかって自殺する中学生のよーなメンタリティでも、べつにいいっちゃいいんだが。

 かなめくん……外見が中学生に見えないんだもんよ……。
 ハタチ過ぎているよーに見えるから、精神年齢が低すぎて、つらい……。

 ルドルフ自身の「欲」や「闇」が見えないので、トートのひとり勝ちになってしまう。
 革命家たちと同じ。
 トートが一方的に支配して、弱い人間を利用して終わり。

 拮抗してくれないと、緊迫感が生まれないっす……。
 いやその、ビジュアルは最高に美しいんですがね。

 なんかかなめくん、「翻弄される=ヘタレ」だと誤解してないか?
 もう少し、知性とか精神年齢とか、上げてくれるとうれしいんだが……ってまあ、つまりはわたしにショタ属性がないってことなんですがな。
 幼児プレイには萌えないんですよ(笑)。
 大人が好きです、はい。

 かなめくん自身は、今までになくテンション上げてがんばっていると思うのだけど。
 その姿にエールを送ってはいるのだけど。

 でもさあ、このルドルフ、シシィ@となみが「ママはボクの鏡」には見えないよねえ?
 シシィはすげー強いしさー。
 

 新公のキングにも、かなめくんとまったく同じモノを感じたので、今回の『エリザベート』の演出意図なのかもしれないとも思う。

 トートのトンデモなさ、人間じゃないっぷりを表現するために、出てくる人間たちをみーんな弱くした。
 ルキーニ、シシィ、フランツ、ゾフィ以外のキャラはモブと同じ、ひたすら弱く、色を薄く。
 その淡い色合いの世界で、トートの毒々しい緑が浮かび上がる。

 それが、狙いなのかもな。

 
 新しい演出ならソレで仕方ないけれど、わたしの好みはルドルフもモブではなく「主要キャラクタ」である演出の方だな。


 雪組再演『エリザベート』に、予定外に散財している。
 オサ様退団公演もあることだし、他の公演は抑えよう、と思った矢先なのに。
「結局あたし、初日からこっち1階S席でしか観てない……当日B席2000円でリピートする予定だったのに」
 と言えば、同じく予定外に良席観劇しかしていないため絶賛散財中!というnanaタンに、
「水さんファンだから仕方ないってことでしょ」
 と返された。
 そうなの。とどのつまり水しぇんのカオを眺めているだけで幸せなので、前方席があるとつい、金もないのにふらふらと買ってしまうのですよ!!

 とゆーわたしは、この日は最前列観劇でした……や、タケノコですけどね……マジ深刻に金ナイのに、ナニやってんだ。
 nanaタンもまた、やっぱり前方席を押さえていて、「お金ナイ……でも、陛下がステキすぎるの……」と、幸福そうにコワレていた(笑)。

 さて、そのトート@水くんですが。

 初日にあまりの異次元っぷり(メイクも、演技も)でびっくり仰天させてくれたのち、途中「わかりやすい、スタンダードな『エリザベート』」の方向へ進み、公演期間後半は、初日方面へ戻ってきてました。

 トートは、異次元生命体です。
 いちいちキモいです。言動全部含めてヘンです。
 過去のどのトートともチガウ。
 新しい、水くんだけのトート。

 それが成功なのかどうかはわかりません。
 ぶっちゃけ「新しさ」なんか求められていない気がするし。
 もっとわかりやすい、「いつものトート」の方がファンのニーズに適っているんじゃないかと思ってみたり。

 でもわたしは、このトートが好きです。

 そもそも外見が好きなのでどんなにキモくても、嫌だとは思えない。
 この異次元感、爬虫類系所作、アリでしょう!
 べつにエロいとは思えないんですが。エロさではなく、別のナニかを醸し出しているよなー。

 ただ彼は、エリザベートを愛しているように見えない。

 愛してはいるんだと思う。思うけれど、そう見えない。
 だって彼は、人間ではないから。
 人間が理解できるようなカタチで愛を表現するはずがない。
 だから彼は彼のままで、「正しい」のだと思う。
 そうであるからこそ、切ない。
 彼の愛は、人間であるエリザベート@となみには伝わらないから。人間が「死」を愛する、なんてことがあるんだろうか?……そうルキーニ@キムが問いかけるように、ふつうはありえない。
 ありえないのに、愛してしまった。

 その姿が、せつなくて、キュンキュン(笑)する。

 初日に感じたように、トートは異世界生物で、ルドルフの死後シシィを突き放すときまでは「別次元」の感覚で生きていたのだと思う。
 「死は逃げ場ではない!」と彼女を拒絶し、銀橋で「愛と死のロンド」を歌うとき……彼は「人間」になったのだと思う。や、概念上のことですが。
 今までは、あまりに別次元にいた。エリザベートがどう思うかなんて関係なく、自分の感覚とやり方でアプローチしていた。だが、真の意味で「愛」を知ってしまったトートは、もうもとには戻れない。
 翼を失い、地に堕ちた。

 そこから「物語」がすこーんと断絶するのは、そういうことなんだ。
 トートが「愛」を知ってしまったから、今まで通りの物語は展開できなくなったんだ。

 ここで「トート」の物語が断ち切られてしまうことで、ルキーニの意図を強く感じる。
 そうだ、そもそもこれは、彼が語る物語だった。
 ではトートたち登場人物すべて、どこまでが彼の「創作」なのだろう?

 はじめての疑問。

 主人公って、実はルキーニなんじゃないの?

 今まで、トドのルキーニが秀逸で、彼の自由自在ぶりから「黄泉の帝王トートすら操っていそうだな」と思ったことはあったけれど。それでも、ルキーニを「主役」と感じたことはなかった。

 トートがあまりに人間離れしているので、「通訳」が必要だ。誰か「人間」の目を通して言葉を借りて「物語」を展開する必要がある。
 それが、ルキーニだ。
 今までの歴代『エリザベート』はトートが人間の理の内側にいたから、別に通訳なんか必要なかった。トート自身を見ていればそれで彼の感情は理解できた。トートはたしかに「主役」でいられた。
 でも、今回の『エリザベート』は。

 なんか、おもしろいことになってるよなあ。

 トートがチガウだけで、こんなになにもかも、物語の根幹から変わって来るんだ。

 ルキーニとトート、ルドルフとトート、そしてエルマーとトートに、アンテナがびんびん動きます(笑)。なんと想像力を刺激するトート像だろう。

 水夏希を好きで良かった。
 こんなに興味深いトートと向き合うことができる。

 ……で、そのために金欠なんですよ、どうしよう(笑)。

 最前列観劇、全体を眺めるのではなく、ただただ役者のカオを見るためだけにある席。
 最初の宮廷場面では本舞台そっちのけで(ヲヅキのソロだけ見た)、下手花道にいるルキーニ@キムをガン見してたし。
 ミルクの場面は銀橋鈴なりの市民たちがめっさこわいし。目の前が新公小ルドルフくんで、めちゃかわいかったのだが。
 なんつっても「闇が広がる」の色男ふたりが目の前だし。
 かなめくんと水しぇんですよ! 目の前、触れそうなところでモツレてくれてるんですよ?! 呼吸荒くなりますってば!(落ち着け)

 でも、いちばん感動したのは、最後のパレード。

 なんかみなさん、目線ふりまきまくってくれるんですわ。
 以前の雪組は、こんなに真下に目線くれなかったと思うんだけど。なんか今回、みんなみんなすごくって。
 コマくんに目線もらった、となみちゃんに微笑んでもらった、と心臓ハクハクさせて大喜びしていたんですが。

 トート閣下に、手を振ってもらった。

 えええっ。手ェ振ってくれるの、トート閣下?!
 隣の席の人が、水くんが目の前に来たときに手を振ったの。そしたら水くん、にっこり笑って手を振り返してくれた。持ってるシャンシャンごと。
 わたしもつい、便乗してみる(笑)。

 めっさこわいトートメイクなのに、愛想良さ全開の水しぇん。

 あのカオの水くんに、笑顔で手ェ振ってもらった……。
 震撼。

 閣下、どこまでもついて行きますっ!!(鼻息)


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