自分がナニに惹かれるかなんて、体験してみなきゃ、わかんない。
 いやまったく。

 『1789-バスティーユの恋人たち-』初日観劇。

 楽しかったし、見どころいっぱい、語りたいこともいっぱいある。
 だがわたしが、もっとも声を大にして語りたいことは。

 コマが、めちゃくちゃカッコイーー!!

 ちょっと、ノーマークでしたわよ、油断しまくりですわよ。
 なんなのあれ、コマさんがあんだけカッコイイとかナニそれ、聞いてないよ、どういうことよ、うきゃ~~。

 こちとら無教養ですから、原作ミュージカル知らないし、歴史も『ベルばら』以上には知りません。予習もしないから、コマつんがどんな役なのかもわかってない。
 最初の革命チームの顔見せらしき場面にいないから、もうすっかり存在を忘れてた。
 突然あたりまえみたいな顔して出て来て、ああコマつんいたんだ、と思い出し、あー、いつものコマつんねえ、男役はいいわねえ、前回は女役だったものねえ、と気楽に思いつつ眺めていただけだったんだけど。

 ダントン@コマ、かっこいい……っ。

 ダントンは出オチキャラっていうか、登場した最初の場面しか目立つところがない。あとは仲間の中にいるだけ。
 ……なんだけど、この仲間の中にいるだけ、が、かっこよすぎて息詰まる。

 台詞とか演出とか、ついてないからこその、かっこよさ。

 怒り、焦燥、決意、不安、……全部全部、演技だけでわかるの。
 でもってその台詞も見せ場もない、革命家チームでいちばんの脇キャラが、美しいの。
 コマつんやせた? 昔のほっぺたぱつんぱつん時代も知ってる身としては、シャープな男性らしい頬のラインにどきどきですよ。
 なんか理想的な「美しい青年」を形作ってる。
 その特上の外見で、男らしくて野性味のあるキャラクタで、そのくせ知性がしっかりと見えるのよ。

 そして。
 ああ、そして。

 哀しそうなの。

 台詞もなく踊っているとき、戦っているとき。
 孤独や悲哀が、その瞳に宿っているの。

 強い男なのに。戦士なのに。行動は男性的で力強く垂直に進んでいるのに……なのに、どこか哀しそうなの。

 そのかなしさは弱さではなく……もっと、暗いもの、よくないものに思える。
 狂気や、歪みといったもの。

 どこか、タガがはずれる恐怖。
 ひとつ掛け間違ったら、破滅に向かって、内側に向かってはじけそうな、そんな、言葉にならないあやうさ。

 強いガサツな男なのに、一抹のはかなさを持っている。

 それが……そっれっがっ、もおっ、好み過ぎて!!

 コマつんだ。
 うわああ、コマつんだ。
 わたしの好きなコマつんだーー!!

 『雪景色』のときの、狂気。
 死んでも、生き残っても、彼にあるのは狂気でしかない……そう背筋が寒くなった、あの美しさ。
 諦観でもない楽観でもない、不思議な乾きと暗さ、クリッツィ@『はじめて愛した』の魅力。
 シヴァーブリン@『黒い瞳』の荒んだ瞳。
 ちょー萌えキャラ、カーベットさん@『ルパン』の色気っ!!

 わたしの大好きなコマつん、大好物のコマつんが、史上最大のビジュアルと共に眼前に……!

 これはもう、猫にかつおぶし状態っすよ。ごちそうさまです、コマつんしか見えません。

 や、初見だからできるだけ全体観ようとがんばったんだけどね。
 どうしてもコマつんに引き寄せられてしまう……見逃すのがもったいない、惜しい。

 ちょっとほんと、楽しいな、『1789』。
 ダントン@コマのドラマをオペラで追いかけるだけでも、何回リピートしても楽しめそう。
 で、ダントンは単独キャラじゃない。友人がいて、仲間がいて、恋人もいる。
 友人たち、仲間たち、そして恋人と、リピートするたびドラマの輪は広がり、ダントンを中心に各キャラを追いかけるのも、彼らとの関係性を読み解いたり妄想したりするのも、楽しくて仕方ないはず。

 わたしはコマつんが好みだからコマつんに着地したけど、他のキャラもきっと、同じように楽しいはず。自分のご贔屓が、それぞれの立ち位置で、この世界に生きているなら、そのキャラを観てどきどきできると思うの。
 贔屓ってことは芝居の好みが合っているってことだろうし、この作品とこのキャラ配置で好みの芝居をしてくれたら、絶対観るのが楽しい。

 あー、予想外だったわ。
 そりゃもともとコマくん好きだけど、ここでこんなにど真ん中来るとは思ってなかった。
 体験してみなきゃわかんないねえ。
 幕が上がる前は、自分のオペラグラスがコマつん追いかけて終わるなんて、まったく思ってなかったよ。

 あああ、ダントンかっこいー……。
 『1789-バスティーユの恋人たち-』初日に行ってきました。

 日本初演海外ミュージカル初日! わくわくっすよ!
 『スカーレット・ピンパーネル』初日はすごかった……舞台も客席も、興奮が渦巻いてた。
 『ロミオとジュリエット』初日も楽しかったなー。こんなに美しい世界が……と胸熱だった。

 だから期待はむくむく。
 イケコの日本初演海外ミュージカル初日。
 過去の感動を新たにまた、体験出来るのか?


 えーと。

 期待していたモノとは、違いました。いろいろと。

 わたしはどうしても、『スカーレット・ピンパーネル』初日の記憶が大きくて。
 すごいものを観ている……あたし今、すごいものを観ている……!! と、心が奥の方からふつふつと沸き立ってくる感じ。
 アレをおぼえているから、どうしても比べちゃうのね。
 『スカピン』のときみたいに、わくわくしない、と。

 いちばんわかりやすくしょんぼりしたこと。

 オープニングが、地味。

 や、地味どころじゃないな。
 オープニングありました、って、だけ。ほんの一瞬、言い訳程度に、ちょろっと。

 テンション上がらねーー。
 むしろ、急落した。
 「イケコの日本初演海外ミュージカルよ、初日よ、どんなんかなー、わくわくっ」とふわふわしていた気持ちが、どーーんと地面まで落ちた。

 そして、どんだけオープニング期待していたか、ミュージカルのオープニングが大切かを、身をもって知った。

 はじめて観た、『エリザベート』。
 2階2列目だっけかで観た、初演初日。仮面の女たちが柩を開けて、そこから死者たちが甦り……波のように重なりつつもワンフレーズずつ耳に飛び込んでくる歌声、不気味に不吉に、だけど美しく、死者が語る……「あのひと」のことを。
 はじめて観る「美しさ」にドキドキした。
 「死」……トートの登場、自在に場を操るルキーニの狂気。静からはじまった舞台は、強い脈動へ駆け上る。
 タカラヅカといえばキラキラぴかぴか、ミラーボールみたいな美しさだと思っていた。煤の中で鈍く光る美しさがあるなんて、表現出来るなんて、思ってなかった。

 『スカーレット・ピンパーネル』、舞台の中央で異彩を放つギロチン、本能的な禁忌、おぞましさとおそろしさが背中を這い上がってくる……暗い咆哮「マダム・ギロチン」の歌声。
 そこから、一条の光、清浄な輝きが伸びるかのように、「ひとかけらの勇気」につながる……あの、ドラマ。幾重もの襞を持つ塊を、鋭利な刃物でそこだけ切り取って差し出されたような、息を飲む感覚。
 こんな濃密な感動を、この短い間に創り上げてくるなんて……タカラヅカってすごくね?? と、改めて思った。

 『ロミオとジュリエット』、ここはヴェローナ、生まれたときから憎む敵がいる……そう歌い、踊る男女。
 ぞくぞくする美しさ、狂気、憎悪、破戒。負の感情が満ち、歪みは渦となって華を咲かす。いびつだからこそ、目が離せない魅力。吸引力。死の影、哄笑、愛の光、またたきの夢。
 血が沸き立つ感覚。かっこいい……!! 拳を握る、握らずにはいられない、高揚感。

 イケコ印の海外ミュージカルって、そういうもんよね?
 それを期待していいのよね?
 それを期待していたのよ。
 どんなものすごいオープニングを観られるのかしら、って。
 血がふつふつと沸き立つようなかっこよさかしら、背筋がぞくぞくするようなドラマチックさかしら、耽美と退廃の究極の美かしら。

 そう期待しまくっていた、だけに。

 単品の門いっこに群がる群衆、そこを登っていく男ひとり、どこかで聞いたよーなデジャヴと空耳に気を取られる、録音台詞ひとつ……で、終了。

 え?

 オープニング、は?
 オープニングはどこ?
 まさか今のが、オープニング?
 『エリザベート』の霊廟、『スカーレット・ピンパーネル』の「マダム・ギロチン」、『ロミオとジュリエット』の「ヴェローナ」に相当する場面……?
 まさか? ちがうよね?
 そ、そうか、これからかっこいいオープニングがはじまるのよ、今のはいわばルキーニの銀橋、愛と死のカーテン前ダンスよ。
 幕が開いて、ここから本物のオープニングがはじまるのよ……!!

 そう気持ちを持ち直し、迎えた次の場面は。

 カーテン前芝居、でした。
 みんな横に並んでわいわい。

 えええ。
 これって本編……?
 もう本編はじまっちゃってんの?
 じゃあやっぱり、さっきのしょぼいのがオープニング??

 ショボっ!!

 なにこれ、しょぼすぎーー!
 つまんなーーい!

 わたしの期待に盛り上がった気持ちをどうしてくれるの、どこへ持っていけばいいの。

 開始数分で、盛大に、心が折れました……(笑)。

 や、勝手なんだけどね。
 派手なオープニングを付けなければならない、という決まりはないんだし、そんなの些末なことかもしんないけど。
 わたしには、かなりのダメージだった。

 しかも、次に繰り広げられているドラマがなんか唐突というか、わざとらしい感じで。
 まさおが突然「このカラダだけ」と言って服をはだけるし。

 ぽかーん。

 はだける必要、ナイよね……?
 いっそマジに裸になるなら意味もあるけど、エア脱衣プレイだけ、って、それ誰得……ファンサービス?
 トップスターのエア脱衣にファンはハァハァ?

 すみません、かなり引きました……。
 ナニこの演出、大丈夫かこの芝居。

 掴みでコケた物語は、仕切り直すのに多大な労力が必要。


 や、結局のところ、ちゃんと楽しかったし、感動したんだけど。
 ただ、初日初見時のわたしは、1幕最初からかなりしょぼくれて眺めていた、という話です。
 かなとくんバウ主演キターーッ!!
2015年 公演ラインアップ【宝塚バウホール公演】<2015年11月・雪組公演『銀二貫』—梅が枝の花かんざし— >

2015/04/23

4月23日(木)、2015年宝塚歌劇公演ラインアップにつきまして、宝塚バウホール公演の上演作品が決定いたしましたのでお知らせいたします。   

雪組

主演・・・月城 かなと

浪華人情物語
『銀二貫』—梅が枝の花かんざし—

原作/髙田 郁(幻冬舎時代小説文庫刊)
脚本・演出/谷 正純  
大阪の書店員らが大阪ゆかりの小説の中から“ほんまに読んでほしい”本を選ぶ「Osaka Book One Project」の第1回(2013年)選定作であり、「みをつくし料理帖シリーズ」等で人気の時代小説家・髙田郁氏による「銀二貫」を舞台化。
舞台は商人の町・大坂天満。仇討ちで父を亡くし、自分も討たれるかというところを、居合わせた寒天問屋井川屋の主人・和助に銀二貫で命を救われた武士の息子・鶴之輔は、松吉と名を改め商人として生きることとなる。商人としての厳しい修行に耐え、数々の困難に立ち向かっていく松吉が、情け深い人々に支えられながら成長していく様を、得意先の料理屋の娘・真帆との淡い恋を交えてお届け致します。関西風情を随所に盛り込んだ、涙あり笑いありの人情物語をお楽しみ下さい。

 他組の主演状況と、雪組内の扱いにより、バウ主演はかなとくん以外にないと思っていた。
 期待通りのかなとくん主演。うれしい。

 が。

 演目でへこむ……。

 『銀二貫』て……。

 ドラマは見ました。いいドラマでした。泣きました。キムくん出演もうれしかったです。
 が。

 舞台で……タカラヅカで観たいかというと、疑問……。

 主人公、丁稚っすよ……。
 町人物だから地味だし。
 テレビでNHKで視聴率もスポンサーも関係なく、お年寄り向けにまったりやる分はいい話だけど、「男装の麗人」が歌い踊ることを主にした宝塚歌劇団で、「少女マンガの世界、現実にあり得ない美しい理想の男性に会えるのね、きゃーー♪」なハートを満たす作品だとは、とても思えない……。

 しかも、脚本・演出/谷 正純
 大野せんせでもウエクミでもなく、谷。

 ………………あー…………えーと。
 つまり劇団的に、客入りは不問、ってことかな?
 営利団体であり、企業である以上、劇団経営陣にもたぶん気づいてる人はいると思うの。谷せんせが「地雷扱いの人気なし演出家」だと。
 権威だけあって登板させなくてはならないから、最近ではみっちゃんみたいな「絶対にチケット売れる」とわかっている人にしか、あてがわないのね。
 「谷か、んじゃ観なくていいな」っていう人も「仕方ない、みっちゃんだから観に行こう」と腰を上げる、そうお墨付きの人でないと、集客出来ないのだってこと。
 もしくはすでにトップスターで、集客と未来がイコールでない人しか、持ちこたえられない、盛大な地雷。

 若手バウなんかやらせたら、その若手スターを潰しかねない危険物だと、劇団もいい加減、わかってる……よね?

 だからだろうか、谷せんせ作品に当たる若手スターは、劇団推しの特別な人たちばかりだ。
 人気なしどころか「谷 だ か ら、観に行かない」とまで言われる人の作品を当てられ、実際集客出来ず大変なことになっても、それでも、劇団は変わらず推し続け、やがてトップになる。
 権威ある大先生なので、「谷作品で主演した」という事実こそが大切なのであり、出来映えも興行成績も不問なのだ……! てなもんか?
 もしもふつーのエンタメみたく興行収入が役者の扱いに関わるというなら、伝説の『CODE HERO/コード・ヒーロー』主演のまぁくんは、トップスターになっていないはずだ。

 演目が江戸人情モノで、演出家が谷、とわかった段階で、「客こねーな」と思ったよ、ごめんよかなとくん。
 かなとくん自身に興味や好意を持ってないと、演出家のマイナスイメージを乗り越えられない。
 他組の若手バウではあるかもしれない、演目や演出家ゆえに「ちょっと観てみようかな」という層は、雪バウにはいないと思えってか……。

 という不満。

 そしてもちろん、もう日本物やだーー!! という、大きな不満!!

 なんで雪組だけ日本物ばっかなのよー。しかもちょんまげ時代ばっかじゃん。日本物といっても、平安より前なら華やかなのに、ちょんまげ時代は地味一直線ですがな。
 いちばんヅカファンが食指を動かしにくいジャンル。

 日本物好き、青天好き、人情モノ好き、という人もそりゃいることはわかっているが、「そういう人もいる」だけで、多数じゃない。
 また、「そういう人」も、「それだけを観たい」わけじゃなかろう。だったらハナからヅカではなく、えんえんちょんまげ人情モノやってる劇団を観に行っているだろう。
 タカラヅカはあくまでも、華やかなミュージカルだのレビューだのをやる劇団で、日本物はそのなかのひとつ、「守らねばならない伝統」でしかない。

 雪組が「日本物専用組」なのはおかしいと思う。

 ぶーぶーぶー。
 盛大にブーイング。

 好きだけどな、日本物(笑)。ちょんまげも大好物だけど!
 日本物をきちっとやり遂げる雪組も好きだし、そういうところを誇らしいとも思っているけど。
 それとは別だ。ぶーぶー。


 わたしはそれでも谷せんせは、わりと好きだ。
 こんだけ好き勝手言っておいてなんだが、わたしは所詮古いヅカヲタで、年寄りなので、谷せんせの浪花節とか子守歌とか皆殺しとか、べたべたのお涙頂戴に載せられて泣いちゃうクチなのだ。
 キライな部分は大いにあるし、文句も山ほど言いたくなるけど、谷作品の持つ美学っちゅーか心意気っちゅーかは、好きなんだ。
 好きだからこそ、口を出さずにいられないっちゅーかね……。

 『銀二貫』もきっと、泣ける話になるだろう。
 井川屋の主人@汝鳥サマが、泣かせるんだわ……目に浮かぶわ……もう観た気になるくらい、ありありと浮かぶわ……。

 そしてかなとくん。
 『Samourai』でも扱いよかったし、なんといっても『心中・恋の大和路』だし、絶対谷せんせに気に入られてると思ったよ。
 初主演が谷せんせか……。大変だろうけど、がんばれー。
 ぐるぐる悩むばっかの繊細な男の子役は、かなとくんに合っていると思う。……てゆーか、美形でなかったらウザくないか、あの主人公。(美形はどんだけウザ男でも許されるの法則)


 主演バウで日本物で谷が来たってことは、かなとくんは雪組御曹司就任決定ってことっすかね……。
 ちぎ、キム、かしげ、トドと、みんな谷日本物バウ主演してるのよねえ。ちぎくんはトップ路線として組替えしてきて一発目の主演バウだし、かっしーは最後は組替えになったけれど、ずっと雪組御曹司だったしねえ。雪で上に上がっていくためには、谷の洗礼を受けなきゃいけないのよね。
 トップコンビって面白いよな。

 どうやってトップコンビが決まるのか、このトップスターの相手役がこの娘役だと、どうやって決まるのか、市井のファンに過ぎないわたしにはわからないのだけど。
 どう決まったのであれ、結果としてどのトップコンビもそれなりに味を出し、しっくりといくから、面白い。

 トップスターだけの特権だしね。「相手役がいる」というのは。
 いかなる場合も、「僕のオンナノコ」と言い切っていい相手がいる、って、特別なことだよな。
 互いだけを見つめる、共に生きる……そういう関係性を築く、ことによる、舞台での効果。それはやっぱ、タカラヅカの面白さのひとつだと思う。


 最終的に決めるのは劇団だとして、どのコンビもいい組合わせだと思っている。

 あのトドロキに、よくぞグンちゃんを持ってきてくれたな、とか。
 たかはなは最強だったなとか。

 嫁に興味なさそうなコムちゃんには、自分で立って走って踊れる、放置しても大丈夫なまーちゃんとか。
 ワタさんに檀ちゃんとなみちゃんと、多少技術に粗があってもゴージャスな美女をあてがうとか。

 わたしが苦手過ぎてつらかったってだけで、ふーちゃんの空気読まなさっぷりは、制御不能なナチュラルボーンオサ様に合っていたのだろうなあ、とは思う。

 合ってなくて大変なんじゃ……? と思ったのは、リカくらぐらいか。
 リカちゃんの大人っぽくてダークでエロい持ち味と、健康的女子中学生のえみくらちゃんじゃなあ。ロリータ風味でも、人形のような美少女、ならよかったんだけど、えみくらちゃんはテディベア系だったからなあ。

 同じ理由で大人の男役らんとむ氏と幼い蘭ちゃんはあまり相性がよかったとも思えないんだが……蘭ちゃんは踊れたから、ショーでの相手役っぷりは素敵だったしな。

 いちばん狂喜乱舞したのは、トウあす!!
 大好きなトウコが、大好きなあすかとコンビを組む……! って、発表があっただけで泣けてきたもんなあ。なにこの俺得状態、ごっつぁんです!!

 なんやかんやいって、うまいことやるよなあ、劇団。
 多少の「?」コンビもあるにはあるが、概ねイイ感じになるよね、と。

 最近ではみち風とか、得意分野が同じふたり、って期待が膨らむよね、わかりやすくていいよね、と思う。
 企画考えやすくていいんじゃない? 「大人」「歌ウマ」というキーワードだけで、どんだけいろんな作品をやれることか……!
 これでどっちかが「歌は無理」だったりすると、演目限られてしまうものね。


 トップコンビは、トップスターだけの特権。

 『Ernest in Love』初日を観ながら、なんか微笑ましかった。
 みりおくんにとってかのちゃんは、「はじめての、僕のオンナノコ」。
 入団当初から「スター」として特別コースを歩んできたみりおくんだから、「相手役」はけっこうな数いるはず。
 だけど、「これからずっと、どちらかが退団するまで相手役」「もう他の人の相手役にはならない、自分だけのヒロイン」というのは、かのちゃんが唯一無二。

 実年齢も年下の、経験値も少ない女の子を「自分だけの相手役」として、みりおくんが気負っていること、男として、トップスターとして「立とう」としていることが伝わってきて、くすぐったかった。
 また、かのちゃんも、「足元定まってない・よくわかってない」感じであっても、とりあえず「みりおくんを見る」ことだけは迷っていない……この人に付いていく、という姿勢が見えて微笑ましい。

 あー、かわいいなあ。
 組んだばかりの若いトップコンビってかわいいなあ。

 そう思った。

 かのちゃんはでかいというかごついというか、体格的にはみりおくんに合っていない感じはあったけれど、わたしはトウあすファンですから、ノミの夫婦どんと来いっすよ。つか、トウあすほど体格逆転してないよね、みりかの、大丈夫大丈夫。


 そして、『カリスタの海に抱かれて』を観て。

 『Ernest in Love』初日を観た以来だもの、きっとふたりはさらにしっくりお似合いに進化しているはず……、と、思った、んだけど。

 えーと。

 あんまし馴染んでない……?

 なんか、『Ernest in Love』のときに感じた違和感が、さらに大きくなっていたような、気がした。
 なんだろ、みりおくんはみりおくんというカタチがすでにあって、かのちゃんはかのちゃんというカタチがすでにある。それはおのおの別モノだから、ただ並べるだけだと親和しない。
 そこになにか別の力を加えて……馴染もうとする意志だとか、自分を変える覚悟だとか?……はじめて、親和する類いの個の強さ。

 トウあすも個は強かったけど、高いスキルと豊富なキャリア、そしてクド派手な持ち味という方向性の一致があったからなあ。
 ふたつの個性がひとつになって、一気にどぎつい花を咲かせた……印象。

 たぶん、みっちゃんと風ちゃんも、得意分野の一致と方向性ゆえに、問題なく親和すると思うんだよな。
 ちぎみゆは最初から得意分野一致で、違和感なさ過ぎお似合いコンビだし。

 みりかのも大丈夫だろうとは思う……けど。
 『カリスタの海に抱かれて』『宝塚幻想曲』の段階では、コンビとしての魅力が発揮出来ている気は、あまりしなかった。


 アリシアは「トップスターありき」の「タカラヅカのヒロイン」ではなく、外部脚本家の手による「ドラマの主人公タイプ」だ。
 スキルの高い娘役さんならうまく料理したのかもしれないが、かのちゃんはまだキャリアの少ない下級生。脚本にあるまま自分ひとりで立ってしまい、主人公カルロとうまく噛み合わなかった……のかもしれない。
 お披露目公演ではなく、宝塚歌劇団台湾公演作品である『宝塚幻想曲』では、「トップ娘役、かつ、真ん中で空気を動かせるクラスのダンサー」としての役割を求められ、もともとダンス苦手なのにさあ大変! 自分の仕事だけで手一杯、みりおくんどころじゃない……のかもしれない。
 だからかのちゃんが変わるのは、はじまるのは、これからなのかも。

 みりおくんは……下級生時代の強い光が、トップになってから色を変えたなあ、という印象。
 大人になった、ということなのかもしれない。

 トップコンビ本公演お披露目、であるこの公演では違和感が残った。
 今後彼らがどう変わっていくのか楽しみに、今の感触を記しておく。
 ここ数日欄は、昔話だの自分語りだのをしている。ヅカの話だけど、公演感想でもなんでもない、ただの雑談。

 わたしは、雑談をしたかったのだなと思う。

 いつもいつも、公演感想を書くことばかりに必死になってて、それ以外を書くヒマがなかった。
 昔、わたしにもっと時間と元気があったころは、もっと自在にいろんなことを書けたのだけど。
 老いた今ではなにをするにも時間が掛かる。
 「まっつの次の公演がはじまる」「まっつについての『今』の感想を書かなければ」と追い立てられて、書きたいことがあってもスルーして、ただひたすら「必要最小限の記録」を残すことしか、出来なかった。
 ヅカ絡みのだらだら雑談も、今のわたしの思うところなのだから、書き残したかったのに。
 雑談と公演感想なら、公演感想優先。
 劇団のいろんな発表に関しても、思うところはいろいろあるのに、「リアルタイムに書けなかった」から、書かずにスルーすることが多かった。
 たとえば「**さんが退団!」という発表を、その情報が出た当日に「ショック……!」と書くなら書く意味もあるだろうけれど、1ヶ月後にいかにも今知ったかのように「ショック……!」と書くのは馬鹿げてないかい?
 だから、スルーしてた。書きたくても、タイミングを逸したら、もう書けない。

 ツイッターじゃダメなのよ。つぶやくだけなら、長年利用しているmixiでつぶやいてるし、観劇幕間のリアルタイム感想メモとか上げたりもしているけど。それは、わたし的にはチガウ。
 そんな脊髄反射でしかないものではなく、思考して記述する、文章というカタチでないと、「残す」カテゴリにないの、わたしには。
 だからブログでなきゃダメだ。が、ブログを更新する時間がない。だからリアルタイムの感情を残せない。やだわ、負のスパイラル。

 でもさ。

 リアルタイムにブログを更新出来ないのだから、リアルタイムの感情は記さない、……というのは、誰のため? ふと思った。
 少なくとも、わたしのためじゃない。
 他人の目を意識してのものだ。
 ネットで発信する以上、他人の目に触れることを理解しているが、これはちょっとチガウんでないかい?

 わたしが「リアルタイムで書けなかったから、もう今さら書けないわ、と書くことをやめる(記事はすでにあるけれど、UPするのをやめる)」のは、なんのため?

 この人、今頃ナニ言ってんの? 1ヶ月も前のことを、今さらなんで騒いでるの??
 と、他人に思われるのが恥ずかしい。
 かっこ悪い。
 そう思っている、ということ。

 や、実際かっこ悪くて恥ずかしいし。

 でも。
 それって自意識過剰ぢゃね?
 誰もわたしのことなんて、気にしてないわよ。その記事がUPされたのがいつであろうと、ブログの日にちに起こった出来事についての感想なら、それでいいじゃん。

 わたしは、わたしのために書いているのだから。
 リアルタイムに更新出来ない、それがわたしの今の現実なんだから、わたしはわたしの現実の中で、できることをするしかない。
 わたしの中を流れる時間に沿って、そのときの思いを残す。
 人は変わるものだから、わたしの思いも変わっていく。実際、このブログの最初の方とでは、演出家や作品、各ジェンヌに対してのイメージ、感じ方はいろいろ変化している。それを楽しむために、書いている。

 どんだけ現在の日付から遅れようと、臆さずに記録していこう。
 雑談もしよう。そのときのわたしの、気持ちのままに。

 たかがブログ、されどブログ。
 たかが緑野こあら。されど。
 んで、もしも自分で芸名を考えるなら、どうするか。

 ヅカヲタ人生長いけど、ただの一度もマイ芸名は考えたことがない(笑)、そういう思考回路は持ち合わせてなかった。
 公演二次は書くけど、夢小説は興味ないクチだからなー。

 ヲタなのでペンネームやハンドルネームは過去に複数あるけれど、毎回考えるのもめんどーなので(笑)、毎回同じテーマの別単語を使ってるなあ。
 唯一違う意識で付けたペンネームは、占い大好き上司が「縁起のいい画数」を調べてくれて「絶対この画数の漢字を使って!!」と言ってきたので、漢和辞書使って画数のみで決めた……変な音のつらなりになったけど、仕方ない。
 そんな縛りがない限り、名前のつけ方には本人の好みが出ると思う。

 でも、タカラジェンヌの芸名こそ、いろんなしがらみやルールに縛られていそうよね。きっと使いたくても使えない文字や音があったり、尊師とやらに押し付けられたり、自由にはできないんだろうなあ、と無責任に想像しつつ。

 わたしがタカラジェンヌになれるはずがないので、まったくもって意味のないことなんだけど。
 わたしなら、どーするかなー、と生まれてはじめて考えて。

 あ、男役で考えました。
 タカラヅカの花形は男役だし、浮き世離れ感は男役名の方が重要だし。娘役の名前だと、今の時代ふつーの女の子でも十分ありえそうだもんね……ここはあえて男役で考える!
 自分が男役だったら、どんな名前か。

 で、ひらめいた。
 御堂筋線乗ってぼーっと車内広告見ているときに(笑)。

 貴加サレド(たかが・されど)

 突拍子もない字面と音。
 や、名字の漢字はどーでもいいっちゅーか、もっと地味にしてもいい……というか、わたし本来の好みだともっと地味なチョイスになるんだけど、タカラヅカなんだから!と、キモチ派手目に。でも、「鷹」とか「雅」とかキラキラし過ぎな強い字は回避。また、「た・か・が」と一音に一字当てるのは好きじゃないので、これも避けた。
 名字の表記にこだわりが薄い反面、名前は絶対カタカナ(笑)。
 「レ」って好きなのよね、何故か。んで、ラストの音は「と(ど)」、自分的萌え音。
 現実にはあり得ない音の名前だけど、言葉としては実際にある音だから、耳に入りやすいと思う。

 たかが。
 されど。

 たかがタカラヅカ、されどタカラヅカ。
 たかがヲタク、されどヲタク。

 ダジャレじゃないけど、テーマのある名前はツボである。

 タカラジェンヌにこだわらず、PNでもHNでも使えばいいじゃん! とは思えない。
 PNやHNにするには、「貴加サレド」という音と文字は、わたしには強すぎる。キラキラし過ぎる。タカラヅカだから、という意識があるからこそ、あえて普段の自分にはない「強い」「キラキラした」音と文字を選んだ。

 暁郷でもそうだけど、「強い」名前が好きなんだろうな。
 自分がへなちょこだからこそ、夢の世界にこそ「強さ」を求める。憧れる。
 もしも自分が「もうひとりの自分」を生きられるなら、たとえそれがファンの前限定の架空の姿であったとしても「強い」人間であると、示したい。
 それはつまり、わたしがタカラジェンヌへ求めているものなんだろう。「フェアリーである」「他人の夢として生きる」責任。強く、それを貫いて欲しい。


 ところで。
 101期生の縣千くんは、なんだってこの名前なんだろう……。浮き世離れした名前ではあるけど、その離れ方がこう、ナナメ上ってるというか、流行りのキラキラネームでもないし、女子の好きな漢字でも音でもないし……なんとも不思議な名前。
 タカラジェンヌの芸名についてあれこれ、自分語り。

 どんな芸名が好きか。
 これはもう、好みの問題、趣味の問題。
 だからただ、「わたし」の好きな芸名について語る。

 「好きな」「名前」だ。
 わたしが「好きじゃない名前」という意味で語っていても、こうだからしょぼん、と言っていても、それはその名前にまつわる思いのみで、ジェンヌ本人への評価でも好悪でもなんでもない。
 そこんとこヨロシク。


 わたしの好きな名前の傾向。

 第一に、「読みやすい」こと。
 これすべての基本。
 日常の範疇での文字と読み方。
 個性的な漢字を使うなら、読み方は現実の範疇にするとか、個性的な音を使いたいなら漢字は平凡なものにするとか、バランス大事。
 日常でまず使われない難解漢字を、現実社会に存在しない音の連なりで読ませるとか、いちばん苦手だ。

 第二に、「タカラヅカらしい」こと。
 清く正しく美しく、ファンタジー感のある名前。
 加えて、タカラヅカでしかあり得ない、他の社会でこの名前だと生きにくいだろう、という名前が好き。
 退団後の進路まで考えて「つぶしの利く」半端な名前は潔くないと思う。
 退団後になにをするにしろ、ジェンヌであるうちはタカラヅカのことだけ考え、タカラヅカで燃え尽きて欲しい。

 そして、男役は、「男らしい名前」が好き。
 一目で「男役だ」とわかる名前。卒業したら困るだろうな(笑)、と思えるくらいのやつ。
 また、「この名前だと、娘役への転向はないな」と思えるやつ。

 文化祭で好きになった男役の「純矢ちとせ」くん、「愛希れいか」くん。文化祭は本名だから、どんな芸名になるんだろ、とわくわくしてたんだが、はじめて芸名を見たときは、ちょっと落胆した。
 なんか、かわいい名前……娘役みたい……。純矢くんはともかく、愛希くんは、コレもう、娘役転向が前提みたいな名前……。
 で、実際下級生のうちに、娘役になっちゃうし。
 10代のうちに進路を決めるのは難しい、途中で転身はアリだと思っているけど、最初から「二兎を追うぜ!」な感じはちょっとしょぼん。
 最初から娘役なら、かわいい名前だと思うけど。

 ちなみに「未涼亜希」さんも、名前だけだと娘役なので、好みではないです(笑)。実際、「花組の未涼亜希さんのファンです」と言うと、「…………娘役さん?」とよく返された。無名の場合、名前で判断されちゃうからね。

 タカラヅカの「男役」名ってのは、なにも現実の男性名のことではなく、「中性」名のことだと思っている。
 現実社会で男女ともに存在する、共通の名前。ユウ、コウ、マコト、ケイ、トモ、リョウ、ツバサなど、男性が使っていてもおかしくない、だけど女性の名前。
 そういう「中性」の名前を付けるのが男役、「女性」の名前を付けるのが娘役。……という認識。わたしは。

 だから、中性で十分なのに、わざわざ「男!」という名前を付ける男役には、その分好感度が上がる。
 「卒業後なんか考えてない、男役として生きる今がいちばん大事!!」って感じで。

 今までいちばん好きだった名前は、「暁郷」です。ダントツで。
 初舞台生一覧見た瞬間に吹いたもの、ツボにはまったもの。

 潔いまでの男臭い名前!!
 特撮ヒーローかっつー。

 四文字五文字と活字が並んでいる中、二文字ですよ。少ない漢字でずばり勝負。

 もともと二文字名前は好きなんです。プログラムで出番を探すときも、探しやすい。
 その昔、まだ下級生だったご贔屓をその他大勢から探すため、開演前に買ったばかりのプログラム開いてマーカーでラインを引いていたのだけど、「轟悠」の二文字は実に探しやすかった。
 「轟悠」もいい名前だとは思うけど、わたし的に「轟」という文字が好きでないため、「いちばん好き」にはならないのね。あくまで名前として。「トドロキ」という音は好きなんだけど。

 「アカツキ・ゴウ」は漢字のいかつさと、音のわかりやすさのバランスもいい。
 だから、断然「暁郷」。

 名は体を表す、暁郷はいかにも暁郷なキャラクタだった。とっても素敵にGOアカツキだった。
 でかくて歌ウマでおっさんで。下級生時代からある程度出来上がっていて。
 新公主演できてたら、もっと残ってくれたのかな。そうそうに退団してしまった……退団後は改名しちゃったし。や、女性として芸能活動するのに「暁郷」はおかしいもんな。

 今でいうなら、まゆぽんかな。でかくて歌ウマでおっさんで。
 まゆぽんも潔く「男!」な芸名でいいよな。


 娘役でいちばん好きな名前は、なんといっても桜一花!

 簡単な漢字で明瞭な読み方、余分なモノはナニもなく、シンプルに美しい。そして名字と名前でひとつのテーマを形作っている。
 本人も名前通りに、過分なく整った美しい人だった。シンプルである分、イメージが多彩であるというか。


 あと、傾向として最近気づいたんだけど、わたし、男役の「〇〇と」という名前が好きみたい。

 朝夏まなと。月城かなと。桜木みなと。
 ……む? 「〇なと」が好きなのか??

 別に、「なと」とまで限定せず、名前の最後が「と」だと好感度上がるみたい。
 自分でも無自覚だったんだけど、この記事を書くためにつらつら考えていて、気がついた。
 そーいやだいもんも「〇〇と」になるのか。「望海風斗」は男役らしいきれいな名前だと思う。

 上の音がなんであろうと、最後を「と」でくくると、男性名になる……その感じが好きみたい。「お」と同じね。子どもの頃やらなかった? 自分や女友だちの名前になんでも「お」付けて男の名前にしちゃうの。
 わたしにとって「と」「お」は、「男性名テンプレート」なのね。これにあてはめるだけでなんでも男性名になっちゃいますよ、てな。
 で、子どもの頃遊びすぎたせいか、「お」にはときめかない(笑)。不思議と「と」にときめく。
 「と」で終わる名前は好きだなあ、と。
 なかでも「なと」は好きみたいだなあ(笑)。
 毎年、初舞台生の芸名が発表になるわけですが。
 そして毎年、キラキラネーム化が進んでいる気がしてびっくりするわけですが。
 最初「正気か?」てな斬新な芸名すら、見慣れるとなんとも思わなくなるのも毎年のこと。

 てことで、芸名について雑談。

 昔わたしは、「いかにもタカラヅカ」な芸名は好きじゃなかった。
 女性なのに嘘くさい男名前で、女優になったときどうするんだろう、テレビドラマのテロップに、他のテレビ俳優たちと並んでこんな名前が流れたら嫌だわ、と思っていた。
 娘役にしても、いかにもキラキラした、現実にありえない名前は嫌だった。特に「夢」という漢字の入った名前は好きじゃなかった。
 10代の頃かなー。
 イラストだのマンガだの小説だの書いて、ひとり悦に入っていた頃。仲間うちで「マンガ家ごっこ」「作家ごっこ」をしていた頃。や、マンガや小説を書いて互いに回し読みして「マンガ家気取り」「作家気取り」だったわけですね。
 よーするに、厨二病たけなわ。
 当時はヅカファンではなかったが、大阪生息女子の常識としてヅカは2年に1回くらいは観るし、電車や街中でポスター見かけるしで、ジェンヌの名前はふつーに目にしていた。
 ヅカに限らず、当時のわたしは「いかにもペンネーム」という、キラキラした名前を嫌っていた。難解な漢字を連ねた凝りまくって誰にも読めないような名前を付ける人を上から目線でプゲラしていた。
 ……なにしろ、当時のわたしのペンネーム「長谷川加代」だもん……。ナニその本名より本名っぽい名前……。
 や、「マンガ家ごっこ」をしているから、ペンネームがあるのよ。仲間うちで、ペンネームで呼び合ったりするのよ。いたたた……。
 本名だと思われるほど地味でありふれた名前をペンネームにしている、というところに、こだわりを持っていた。
 「他の『私は他の子とは違うのよ!』と思ってマンガや小説を書いている子たちは、みんなキラキラした現実にあり得ない名前を付けている。わたしはそんな子たちともチガウのよ!」……という、一周回ってさらにこじらせた厨二病ですな。

 その頃は、タカラヅカのヅカヅカしい芸名が嫌だった。


 で、実際自分がヅカヲタになって。

 ライトなファンだったころは、やっぱり「あまりヅカヅカしいのはNG」だと思っていた。
 ヅカだと一目でわかるような名前は恥ずかしい。そう思っていた。
 いい芸名は、「テレビのテロップに出て『元タカラヅカ』とわからない、だけどきれいな名前」という認識。
 意識が「テレビ芸能人>タカラジェンヌ」だったんだと思う。
 まずテレビ受けを考え、そこからタカラヅカの芸名を考える、感じ。
 ヅカを知らない一般視聴者が「きれいな名前の女優さんね」と思うような芸名が、いちばんいい。「げっ、タカラヅカくせー名前」と思われるのは嫌。
 「黒木瞳」なんかふつーに本名でありそうだし、「紺野まひる」は本名? 芸名? と迷う感じが、いいバランスだなと思う。

 ヲタ度が上がるにつれ、「テレビ受け」は気にしなくなっていった。
 とはいえ、「春野寿美礼」という名前を最初に見たときはヲタじゃない頃のように失笑したし、「愛音羽麗」には「夜露死苦」をカッコイイと思って使う人たちのような、感性の隔たりを強く感じた。

 そして、立派なヅカヲタになり果てた今は。

 昔と、正反対の好みになっている。

 つまり。
 ヅカヅカしい、ヅカでしかあり得ない芸名こそよし!!

 テレビ受けだ? 退団後のことを考えて日和って芸名付けるとかあり得ないし!! タカラジェンヌは、タカラヅカでだけ通用する芸名を付けるべきなのよ!
 一般人が名前を見たり聞いたりしたとき「げっっ」と思うような芸名こそタカラヅカ!!

 だからキラキラネームもアリですよ、現実にはあり得ない、嘘くさいほどの愛だの夢だの名前にしてよし!!

 男役は、むしろ「男!!」だとわかる芸名を付けるべし!
 「出演者」として名前だけが並んだとき、芸名で性別がわかるのが望ましい。「男役? 娘役?」と迷うような名前や、「娘役だと思った」と言われるような名前はつまらない。

 タカラヅカは架空の世界。ルールを守って楽しむゲームのようなもの。
 「芸名」も、ルールのひとつだ。ゲームを楽しむために必要。
 それならとびきり楽しもうじゃないか。


 いやあ、人の意識って変わるもんですなああ。

 ただ、昔から一貫して変わらないことはある。

 「読みにくい名前はキライ」、という。
 名前だけでなく、あらゆる文章、文字表現に対してもそうなんだけど。
 凝りまくった難しい漢字や、あり得ない当て字、読み方、どこで切るのかわからない字の連なり、日本語以外の言語を使うこと……。
 どれも「読みやすい」ものではないよね?
 他者に対して発する文章、文字表現なら、まず「読みやすい」こと、「読んで欲しい」と思っていることが伝わること、それが大切だと思う。
 わたしはアタマが悪いので、難しい字面や誌面を見ただけで拒絶反応出ちゃうのよね。うわ、難しい、わたしには無理だ、つまりわたしには関わるなと向こうから拒絶されている、てな。
 だから反対に、やさしい、わかりやすい文字表現で構成されたモノには「どうぞ!」と両手を広げられているような気がするの。

 商売として使う「芸名」なら、「どう読むの? つかこれ名前??」と思わせるより、「どうぞ!」と開放的な方がいいと思うなー。
 もちろん商売で使う「商品名」なんだから、地味でありきたりだと「おぼえてもらえない」という危険性があるのはわかる。
 だからあとは感性の問題よね。
 地味でありきたり、を避けるための手段が、難解で読みにくい、しかないわけではない、と思うから。

 まあジェンヌの名前は、100年の歴史があるがゆえに制約がいろいろあって、その意味でも大変だと思うけど。
 思いつくままに、年寄りの昔語り。

 『大海賊』は東宝の新人公演を観た。
 ……わたしが東宝で新公を観たのって、ほんと数えるほどだ。前日欄で語った通り、ムラと違って東宝は「当日劇場へ行きさえすれば、ほぼ観られる」ものではないためだ。

 えーとえーと、東宝で新公を観たモノは。

1995年 雪組『雪之丞変化』 たかこ
2001年 月組『大海賊』 タニ
2004年 月組『飛鳥夕映え』 みっちゃん
2006年 花組『落陽のパレルモ』 みつる
2013年 花組『オーシャンズ11』 キキ
2014年 花組『エリザベート』 カレー

 花組多いなー。

 わざわざ東京まで行って新人公演を観た……理由のほとんどは、「そこでしか、観られなかったため」だ。
 『大海賊』は東宝のみの公演だったから、当然東宝に行くしかない。
 『オーシャンズ11』は『ブラック・ジャック』があったため、ムラで観られなかった。や、まっつ主演作は全公演制覇が基本なので、『ブラック・ジャック』を1回観ないで花新公を観る、という選択肢は最初からなかった。
 『エリザベート』はチケット取れなかったんだっけ。ついでに忙しくて、ムラまでサバキ待ちに行くことすら出来なかったんだよなー。

 『オーシャンズ11』東宝新公は友会で良席が当たったことと、本公演でベネディクト@だいもんをもう一度観たい! という本能の求めるままに、遠征することにした。
 『エリザベート』はムラでチケットが取れなかったので、東宝は本気で探した……ムラのときにこんだけやってろよ、そしたら遠征せずにすんだのに(びんぼーなので交通費がナイ)、と反省しきり。
 『オーシャンズ11』のときは本公演チケット選びたい放題だったのに(そこそこの席をヤフオクでふつーに定価落札できる……てゆーか公式が売り切れてない状態だったっけ)、『エリザベート』は手に入らず……新公チケで無理をしたので、本公はあきらめて、おとなしく『伯爵令嬢』観て帰ったっけね。

 ここ10年くらい、全組新人公演を観ている。下級生がわかるとヅカの楽しさが何倍も上がるため、できるだけ観たいと思っている。
 10年……全組の新公を観ることにしたのは、2002年からだなー。それまでは、基本雪組しか観てなかった。
 が、なにしろ1回こっきりの公演だ、観られないことだってある。
 ムラで観られなかった公演は、ええっと、

2003年 星組『王家に捧ぐ歌』 れおん
2007年 月組『マジシャンの憂鬱』 まさお
2009年 星組『太王四神記II』 マカゼ
2010年 星組『愛と青春の旅だち』 キキ
2013年 花組『オーシャンズ11』 キキ
2014年 花組『エリザベート』 カレー

 ……こんだけかな? 抜けがあるかな?

 そのうち『オーシャンズ11』と『エリザベート』は前述の通り、遠征してフォローしたので、まったく一度も目にしてないのは、上4つ。
 観てないの、星組率高いな! 3公演か。
 『王家』は新公よりも本公演優先だったから、本公演チケットに全精力を注いでた。
 『マジ鬱』は旅行と重なったんだっけ。良席チケ持ってたのになー。
 『愛青』は第九レッスンの日だったから、行けなかった。レッスンと月組『ジプシー男爵』・星組『愛青』の両新公がかぶり、休めるのは1回だけ、観られるのは片方だけ、どちらかをあきらめねばならない……というと、そりゃとしくんの新公主演公演を観るわ。
 キキくんは突然の抜擢で大人の事情が透けて見え、「今回観られなくても、どうせ複数回主演するんだろう」と想像がつき、切迫感がなかった。まだ舞台で見つけられないような知らない下級生より、長い下積み生活、実力あるけど劇団愛薄い苦労人が、最後の最後で新公主演来ましたーー! キャッホウ~~! てのを取るよなー、ヲタとしては。や、たんにわたしはとしくんスキー(笑)。がんばれ90期!
 で、「まっつ主演公演はフルコンプ」ゆえに観られなかったのが、『太王四神記II』と『オーシャンズ11』。まっつ主演公演なんて100年中たった3公演なのに、どうしてかぶるかなー。

 舞台はナマモノ、そのときだけのもの。
 だから観られなかった公演はあきらめる。映像はあまり興味ないので、観られなかった公演をわざわざ映像で観ることはほとんどしない。……ので、上記公演は映像でも見ていない。

 思えばわたしが映像で見るのって、まっつだけだなあ。まっつが出てない公演で、映像で見返したモノを思い出せない……。むー。
 まっつオチする前から大好きな作品は、何度も見直してるけど。
 『二人だけの戦場』とか『Crossroad』とか初演『凍てついた明日』とか初演『エリザベート』とか。各種オギーショー作品とか。
 映像に興味ないからこそ余計に、ナマにこだわるんだろう。ナマの体験、この海馬に刻むことこそがすべて。
 そして、年々海馬が衰えているので、駄文だろうが独りよがりだろうが、なんとか書き留めておきたいと思う。
 ……あ、まっつ以外でわざわざ映像見たモノ、思い出した。『BUND/NEON 上海』だ(笑)。中国語字幕だとか、揺れる画面に爆笑したはず。

 閑話休題。
 ムラで観られなかったわけでもないのに、わざわざ東宝まで行って観ている……のが、
 『雪之丞変化』
 『飛鳥夕映え』
 『落陽のパレルモ』。
 何故? 他のあまたの新公と、どこがチガウの??

 てまあ、この3作品のうちふたつは、「たまたま」観ることになった、というだけ。
 『雪之丞変化』は本公演を観に行く際、当時ツテがあったので新公を取ってもらうことが出来た。東宝で新公観たことなかったから、すっげーわくわく観劇し、出待ちのギャラリーまでしちゃった。
 新公を観て新公の出待ちをしてるんだから、出演者の……主に主演者のファンだと思われるよね、隣にいた人に「たかちゃんのファンですか?」と声を掛けられ、否定するのもなんだし、好きなのは事実だからとうなずいて、えんえん「たかちゃん素敵ですよね!」会話をしたのもいい思い出。
 そして、楽屋から出て来たたかこがえらくナチュラルというか、フリーダムでびっくりしたのもいい思い出。
 『飛鳥夕映え』はまったくのノーマーク、観るつもりはなかったんだけど、ふつーにサバキが並んでたので、観られた。……東宝の新公でも、サバキはけっこうあるもんなんだ?と知った公演だった。

 そして唯一。
 強い意志で、自ら観に行った、「ムラで観たのに、東宝も観た」新人公演……それが、『落陽のパレルモ』。
 いやあ、あの盛り上がりはなんだったんだろうなあ。
 本公よりも新公の方が好みだ、なんてことは、ままあることだ。技術の高低云々ではなく、単純な好悪の話だからだ。ヘタだろうと足りなかろうと、好みに合致すれば「新公の方が好き」。
 新公のニコラ@めぐむが、めーーっちゃ好みだったんだわー。あのめぐむ氏にもう一度会いたくて、わざわざ行ったんだわ、東宝まで。
 新公学年の子のファンをするのは楽しいだろうなあ、と思った。ショタの気のないわたしはどうしても、ある程度出来上がった男が好きだからさー。
 少年に興味ない、大人の男が、おっさんが好き。ぷりけつぱっつんほっぺの男装したオンナノコも好みじゃないし、最低限の技術を持たない子にもときめけないし……好きになる人は大抵新公関係ない学年なんだよねえ。
 まっつだって新公時代から観てたけど、マジオチしたのは新公卒業後だもんよ。
 男役10年とは言ったもんだ、味が出るのは大人になってからだよなあ。

 だから下級生なのに技術があって、歌ウマで、持ち味が大人……というか、おっさん系の子には、わくわくします。
 めぐむ氏はそういう下級生でしたな。
 ただ、わたしにはまっつがいたから、どんなに魅力的な人が現れても、「本命まっつ、余白部分で他の子にきゃあきゃあ」というスタンスはこの10年まったく揺らがなかったのな。

 どうせなら下級生時代からファンしたいよなああ。
 で、新公を追いかけて東宝へ行くの。

 そんな日が来るといいな。
 そういや『大海賊』って、新人公演まで観たよなあ。
 と、考え、首をかしげる。

 『大海賊』は東宝のみの公演、本拠地宝塚大劇場で上演されていない。従って、ムラでは新公も行われていない。
 つまりわたしは、東宝で新公を観たことになる。……わざわざ?

 ということで、年寄りの昔話、記憶を辿るだけの記事。

 ムラの新公は、当日劇場へ行きさえすればなんとかなることが多い……のは、今も昔も変わらない。
 なんのツテもない初心者でも、観劇自体は可能である場合の方が多い。無駄足を恐れず、当日現地へ行きさえすれば。
 そうやってわたしは、なんのツテも情報もない万年初心者として、なんとかチケットを手に入れてきた。

 が、東宝はそうじゃない。
 東宝の新公チケットは、「取れない」。
 友会で抽選に当たるか、人づてに取ってもらうか、とにかくなにかしらのルートがないと、無理。
 一般人お断りの公演。
 ……という認識だ、昔も今も。

 まあ新公なんて、一般人お断りでいいと思うけどな。身内とファンのみで。「生まれてはじめてタカラヅカを観ます、タカラヅカって女の人しかいないの?」レベルの初心者さんが観るには適さないから。

 ともかく、そんな認識なのに、なんであたし、『大海賊』新公観てるんだ?

 もう記憶があやしいわ……。
 たしかわたし、ディズニーシーの開園翌日に行ってるのよ。「ディズニーシーがオープンしました! 祭りです!!」てことで大騒ぎしてた(実際テレビではえんえんそのニュースが流れてた)ときに、わざわざ。
 開園翌日なんて、初日ほどじゃないにしろ絶対混んでる、そんなときに行きたくない……けど、その日に行ったのは、なにか理由があったためだと思う。
 その日に東京にいたんだな。だからついでに、祭りになってるシーに行くことにした。
 なんで東京にいたのか……『大海賊』新公のため。……だよな??
 今、日付確認したー。ディズニーシー開園日2001年9月4日、『大海賊』新人公演2001年9月4日……これだ、間違いない!

 なんかあって、『大海賊』新公チケットが手に入ったんだな。
 『大海賊』本公演は観に行くつもりだったから、新公を中心に本公演観劇予定も組んだんだと思う。
 で、ついでにディズニーシーも行ってみた……と。
 あんだけ大騒ぎしているんだから、シーは連日超満員で大変なことになっているだろう! と、覚悟して行ったのに、ぜんぜん混んでなくて、むしろガラガラで、「大丈夫かこのテーマパーク」と心配したのもいい思い出(笑)。つか、オープンはしたものの、「未完成。工事途中だけど大人の事情でとりあえずオープンしました」感ゆんゆんだったもんなあ。それで客も少なかったんだろうな。
 あ、当時のわたしはテーマパーク好きで、いろんなテーマパークに行ってました。若かったなー。

 しかしそもそもなんで、『大海賊』新公チケットが手に入ったんだ……?

 当時はネット販売などなく、チケットはぴあなどショップの店頭に並んで先着順購入だった。んで、ぴあには大抵ダフ屋さんたちプロが人を雇って徹夜並びをしていて一般人は太刀打ち出来なかった……はず。
 だもんでヅカファンは口コミネットワークを駆使して、「ダフ屋の餌食になっていないぴあ」「凄腕おねーさんのいるぴあ」を求めて走り回っていた。
 発売開始時刻に端末を操作してチケット入手するわけだから、端末を操作するぴあの窓口おねーさんの腕に、チケットが手に入るかどうかがかかってるのなー。
 発売時刻前に申込書記入して、先に端末に入力して、朝10時00分ジャストに送信してくれるおねーさん必須。
 10時に窓口開けて、「希望チケットを申込用紙に記入してください」じゃ間に合わない、そんなまぬけな接客をする店はガン無視だ!(実際にあった、こういうぴあ。他の業務のついでにぴあ窓口もあります系)
 どこの店が客優先で動いてくれるか、どこなら並びやすい場所にあるか、どこの店ならあまり人に知られてなくてダフ屋&ライバルがいないか……何時に並ぶか、始発か、始発前か、徹夜か……情報戦と高度な駆け引き。
 東京・大阪など都会のぴあはライバル多すぎ、知名度高すぎ、ってことで、前日から地方のぴあに遠征する人たちもいたな。情報誌ぴあの「全国の店舗一覧」を見ながら、どこに並べばいいか作戦会議。

 あー……あの頃はツレとふたりして、そーゆーのに燃えてたっけ。
 ゲーム感覚というか。攻略しがいがあるよねー。

 そうやって、ある大型ショッピングビル内の旅行代理店片隅にあるチケット販売窓口が穴場だと突き止めたんだ。ショッピングビル自体は午前10時オープンだから、チケットの発売時刻に間に合わない……ってことで、ダフ屋&ライバルたちにはスルーされている。
 が、広大な建物の中、たったひとつだけ9時半に開く扉があった。たぶん開店準備に必要だからだと思うけど。そこから中へ入り、開店準備をしている店員さんたちの間を抜け、チケット窓口まで行く。窓口のおねーさんは、10時10分前には端末を立ち上げ、申込書も渡してくれる……ので、10時ジャストに参戦可能だったんだ……知る人ぞ知る!!
 これで『凱旋門』1000days劇場千秋楽とか、手に入れたっけ……。

 『大海賊』新公を手に入れたとしたら、それでだなー。
 ツレとふたりして観劇したはず。本公演は、ヅカヲタでない東京在住友人の分まで入手したし。(友人をヅカにはめたかったんだが、はまってはくれなかった……)

 今はそーゆーのもないしね。
 ネットで一律販売。
 便利だし、公平だと思うけど。
 努力でチケット入手できたあの時代が、ちとなつかしくもあり……いやいや、若かったから出来たんだよなー、このトシでは無理だわー。
 並びのライバルだったおばさまふたり組、どうしてるかしら。
 この穴場店、最初はわたしとツレだけのパラダイスだったけど、途中からライバルが現れて。
 「いちばん」を争って、少しでも早く並ぶ! てのを発売日ごとに繰り広げてたなー、他にもっと早く開く扉はないかと探ったり、出し抜いたり抜き返されたり……よくやってたなあ……。
 あのおばさまたち、今のわたしぐらいのトシかなあ? もっと上かな? や、今のわたしより確実にお元気だったわ……よぼよぼ。

 なつかしいな。梅田のムラ前売りチケット並びも含め、一昔前のヅカチケット狂想曲。
 それゆえに観ることが出来た、『大海賊』本公演&新公。
 わたしは男役の「声」が好き。
 女の子まんまじゃなく、舞台人として努力して研究して創り上げた、後天的な声。

 芝居や歌のうまいへただけでなく、「声」が特徴的な人を好きになる傾向がある。

 トドはあの声だから、いいんだと思う。
 滑舌良くないし、ナニ言ってんのかよくわかんないときも多々あるんだけど、あの野太い声が好き。
 『バロック千一夜』だっけ? 黒塗りチリチリ前髪に刈り上げヘアで、アフリカ語でなんか叫んでたの。あれときめいたわー。

 ケロは絶対あの声だから萌えた。悪声、と言われるかもしれない、しゃがれ声。おまけに歌がえーらいこっちゃ!な人だったし。
 わたしにとっては、耳に入りやすい、いい声だった。どこにいても声だけで「あ、ケロだ」とわかる、差別化された響き。

 まっつの美声っぷりは、言うまでもなく。

 姿が好みで、声がそれに拍車をかける。説得力を持たせる。
 反対に、静止画では好意や興味を持っていたのに、声を聴いて苦手になった人たちもいる。
 声って大事。


 タカラジェンヌはいずれ退団するし、男役は女性に戻る。
 芸能活動をする人たちは、とりあえず髪を伸ばしてスカートを穿くわけだけど……「声」の違和感は大きいままだ。
 10年以上かけて作った男役の声……女性としては不自然な低く太い声を、女性の声に戻すことにも、苦労する印象。
 女優やるのに、だみ声はマイナスだもんな。やっぱ透き通った高い声が求められるもの。

 それがあたりまえ、仕方ないことだとわかっちゃいるが。

 男役の声を、矯正して無くすことを、もったいないと思う。

 10年以上かけて、得た声なのに。
 創り上げた声なのに。
 それをまた変えていくなんて。
 もったいない。
 惜しい。

 もちろん、一度身についたモノは、その後は必要に応じて取り出して使えたりするんだろうけど、日常で使っていたときと、音色が変わるのは必然。
 女性の姿で男の声を出す必要は、日常にはもうないものね。


 ああほんとうに、わたしは、磨き抜かれた男役の声が好きなんだなあと、久々にキムくんの男役声を聴きながら思った。
 タカラヅカを卒業して丸2年以上経つのか。それでも舞台のキムくんはわたしの記憶にあるまんまのキムくんに見えたし、その美声もそのまんまだった。
 この声を、もっともっと、聴いていたかった……。

 未練だな。
 キムくんが好きで、彼の時代の雪組が好きだった。あのころは、いろいろあったにしろ、しあわせだった。
 過去の記憶なんてもんは、いつだって美しく、そして切ない。
 年寄りの昔語り、その2。『王家に捧ぐ歌』への思い入れを語る。
 『王家』、好きだーーーー!! 響子さん好きだーー!的な絶叫。(通じるのかコレ)


 んで、当時のキムシン作品といえば「北京の民」。
 わずかな主要キャラ以外は全員「北京の民」「エジプト兵」「大和の民」とちょー雑なひとくくり。同じ衣装に同じ場面、ただ出て来るだけそこにいるだけデコレーション。
 『スサノオ』の大和の民役なんて、「民」という役名で1場面に100人以上出てたんだよ、初舞台生もいたから。ヅカ史に残るんじゃね? タカラヅカ版ギネスブックがあれば、不動の1位、これを超える作品は未来永劫現れない、いや現れなくていいよレベルぢゃね?

 まあそんな芸風の人ですから。
 贔屓が下級生で、贔屓組で『王家』やることになったら、ちょっとつらいかもしんないけど。

 上から5~6人目くらいの番手にいる男役ファンだったら、楽しいと思うな。

 男役の主要キャラは、主人公ラダメスの他は、ウバルド、カマンテ、サウフェ、ケペル、メレルカ。名前のあるこれらの役なら、それぞれリピートする楽しみがある。

 わたし、『王家』のキャラクタたちがほんと好きで。
 ご贔屓がウバルドだったから、ウバルド中心に観ていたけれど、他のキャラも観たくてしょーがなかった。目がたくさんあれば、他キャラも観るのに!! と、じれったかった。
 それぞれドラマがあってさー。1回観るだけの一見さんなら、真ん中の芝居しか観ないから、ラダメス・アイーダ・アムネリス以外は全部ただの「脇役」、「役がなくて可哀想」かもしんないけど、リピート基本のファンには、1幕2幕通し役で「人生起承転結」を眺められるキャラは楽しいよー。


 キャラが立っているのはエチオピアチーム。
 ウバルドはワイルドで激しい男。「王子様」という言葉がここまで似合わないキャラもないよな、てな猛々しさ。最終的には狂気へ至る。……妹アイーダを、男として愛しているように見えたのは、初演の中の人のせいかもしれない。

 カマンテは、ウバルドの副官ポジかな。いつもそばに付き従うイメージ。あの王子にしてこの右腕あり、という、こちらも荒っぽい男。ただし、ウバルドよりは冷静というか、冷めた部分あり。突き放しているというか、荒んでるというか。底光りするクールさを、ワイルドさの中に持つ。
 もっとわかりやすくクールにした方が、ウバルドとの差が出ると思うんだけど、エチオピアさんたちみんな黒塗りだし熱いしね。

 でもってエチオピアチームでわたしのいちばんのお気に入り、サウフェ。乙女ゲームに絶対いる、優しい文系美青年。チームではたぶん最年少、癒しキャラだったんじゃないかな?
 この優しい若者が、エジプトへの憎しみに壊れていく様は、実にわたし好みだ。
 泣き虫で、いつも大体泣き崩れているだけに、狂気が蝕んでいく様は、戦慄っすよ。うわ、こわい、この子こわいよ~~! って思ってた。わたしがウバルドのファンじゃなかったら、サウフェだけガン見する日を作れたのに!


 一方エジプトチームは、あまりキャラが立っていない。
 ラダメスとその友人たち、という感じ。
 星担の友人が「『王家』観たことナイ人から、『宙組てっきり役替わりあるんだと思ってた、主役以外の主な配役で役替わりすればよかったんじゃ?』って言われたんだけど、無理だし。ケペルとメレルカで役替わりしても、意味ナイし、観客見分けつかないし!(笑)」と言ってたけど、まさにソレ。
 カマンテとサウフェは違いもわかるけど、ケペルとメレルカを見分けるのは上級スキルが必要じゃね?
 初演のイメージが強すぎる……というか、初演のれおんがあまりにナニも出来ずに突っ立っているだけだったから。衣装同じ体格同じ、いつもふたり一緒に出て同じ意味のことをふたりで分け合って喋る、歌う。それがエジプトチームのふたり。学年ゆえにケペルの受け持ちが多い、という。
 それでもわたし、ケペル好きだった(笑)。しいちゃんの暑苦しさと大芝居っぷりが、役に合ってた。

 ケペルは既婚者で、家に帰ればいいマイホームパパなんだよ、とか、当時友人たちとよく話したなあ(笑)。
 そんな背景を想像出来るくらいには、キャラ立ってたよ。

 ケペルがキャラ立ちしてる分、メレルカは空気だったけどなー。
 いちばんおいしくないというか、扱いに困るのがメレルカ。
 ケペルを演じていたしいちゃんへの配慮だろうけど、「ラダメスの友人ふたり」としてひとまとめにされているわりに、いちいち「先に立つのがケペル」だったのよね。登場する、声を出す、動く、触れる。それがいつもわざわざ、ケペル。んで、ひとりで済む役割の動きのときは、ケペルだけで終了、メレルカはただその場にいるだけ、になる。だから、その行動から「ケペルってこんな人」と見えてくるけれど、メレルカはわからない。
 そのへん、再演ではなにか工夫がされているだろうか?


 初演はご贔屓が出ていたため、どうしてもご贔屓中心の視界になってしまって、気になるところ、見たいところがあるのに、そこまでオペラを向けることが出来なかった。
 好きな作品の再演はうれしい。初演で追うことが出来なかったあの役をオペラで追うぞ!と。
 今からわくわくしている。
 年寄りは過去を懐かしむモノです。
 『王家に捧ぐ歌』への思い入れを語る。

 『王家』ってとどのつまりはただの恋愛モノ、ひとりの男とふたりの女が三角関係やってるだけ。三角関係といってもよろめきモノではなく、主人公とヒロインは最初から互いだけを思い、脇目よそ見ナシ。そこに権力のある女が横恋慕してきたから大変、という骨組み。
 やっていること事態はお茶の間感あふれるというか、とてもとても小さなことなの。
 高校の教室ひとつではじまり終わっていそうな、会社の事務所ひとつで完結していそうな、ありがちな、どーってことない話。

 だがそれを、生きるの死ぬのとやって、地球規模の壮大な話にでっち上げる。……それが、当時のキムシンのすごいところ(笑)。

 ラダメスとアイーダが愛し合い、アムネリスが横恋慕したけど結局相手にされず、振られました。
 これだけの話が、ただの男女間の話が、世界平和へつながる。地球規模の歴史が変わる。って、すげえよ。

 戦いは正義、正義だからナニをしてもいい、他国を征服しても敵を殺しても奴隷にしても、なんでもOK! 正義ヒャッハーー!!
 ……だったエジプトの武将ラダメスは、もちろんその考えで生きてきたけれど、「戦いは新たな戦いを生むだけ」という未知の思想を持つアイーダと出会い、新たな思想に目覚める。もともと彼は、「正義万歳! 強者至上主義万歳!」というエジプトの思想に疑問を持っていた……それしか知らないから従っていただけで。
 「なんだ、他の考え方もあるんじゃん! オレの疑問、孤立無援とチガウやん!」……同じハートを持ったラダメスとアイーダが惹かれ合うのは必定。
 「エジプトは勝ち続けなければならないのです」という、エジプトの姿勢まんまの意識で生きているアムネリスには、ラダメスが理解出来ない。彼女は自分こそが正義と信じ、「ものごとはいつもあるべき道を辿る」のだから、ラダメスがナニを言おうとスルーして、父ファラオの力で結婚にこぎ着けようとした。
 でも、ラダメスは揺るがない。彼はアイーダを愛し、アムネリスを……エジプトを、否定する。
 そして、ラダメスが歌った歌……タイトルでもある「王家に捧ぐ歌」は、最初ラダメスの独唱、それがアイーダの賛同を得てデュエットになり。
 最後の最後は、アムネリスも歌うようになる。ラダメスからはじまった歌は、アイーダ、アムネリスを経て、全員のコーラスへつながっていく。
 アムネリスは言う。「戦いはしない」と。ファラオとなった彼女は、自分の代では戦争をしないと宣言する。
 世界最強の軍事国家、常時戦争国家が、戦争をやめる……つまり、世界から、戦争が消える、ということ。

 アイーダという、ひとりの少女の小さな信念が、ひとりの男の胸に届き、男が愛に目覚めたことでより強い信念を築き、ついには世の支配者の意識まで変えた。
 ひとりの少女の思いが、世界を変えた。

 お茶の間的小さな物語。だけど、その、わたしたちの誰もが持つ、経験する、あたりまえの物語は、世界を変える力をも持つ。

 それが、すごい。

 ささやかな話を、地球規模の感動巨編まで持ち上げるキムシンすごい。
 彼のこーゆーエンタメ感が好きだなー。
 物語なんて、エンタメなんて、盛り上げてなんほですよ。爆発させてなんぼですよ。
 書きたいテーマがあって、叫びたいナニか、訴えかけたいナニかがあって、それを世に問いたいそれだけで、フィクションのカタチを借りて叫ぶ。「これを言いたいっ」という強い動機があるもんだから、ソレがいちばんになりすぎてて、あちこち強引というか雑になっているのはご愛敬。
 クリエイターたるもの、それくらいの自己愛と厚顔さが必要ですよ。

 『王家』はほんと、キムシンのキムシンらしい作品だと思う。


 でもって、音楽がいいんだなー。
 キムシン作品の基礎力が薄かったり破綻している部分を、甲斐先生のドラマティックな曲がどーんっとカバーしちゃうんだなー。音楽の良さで、細かい粗は見えなくなるんだよなー。
 だから反対に、キムシンが甲斐先生と決別したあとの作品は、粗隠しが出来ず悲惨なことに。
 キムシン&甲斐せんせ時代はよかったよ……このコンビで新作が観たいよ……。
 そーいや先日のラインアップと一緒に、『王家に捧ぐ歌』「前夜祭」の発表があったっけ。
 とりあえず、備忘録として貼り付けておく。
宙組公演『王家に捧ぐ歌』 「前夜祭」について
2015/03/24
2003年に星組で初演。第58回芸術大賞を受賞した『王家に捧ぐ歌』本年、6月の宝塚大劇場公演に先立ち、『王家に捧ぐ歌』前夜祭を開催いたします。宙組出演者に加え、ゲストとして初演の出演メンバーを迎え、12年ぶりとなる名作の再演を盛り上げます。
概要は以下のとおりです。   
開催日時
2015年5月18日(月)18時30分~    
会場
宝塚大劇場   
構成・演出
木村 信司   
主な出演者
(宙組)朝夏 まなと、実咲 凜音、真風 涼帆 ほか
(ゲスト)湖月わたる、安蘭 けい、檀 れい   
料金
SS席5,200円、S席4,100円、A席3,000円、B席2,500円(税込)
※当日B席の販売はありません。(2階17列も2,500円で販売)

 月組の2015年 公演ラインアップ【宝塚大劇場・東京宝塚劇場】<11月~2016年1月~2月(予定)・月組公演『舞音-MANON-』『GOLDEN JAZZ』>と同日でした、発表。
 月組ラインアップだけ触れて、前夜祭をいじってなかったなと思い出す。

 へー、前夜祭やるんだー。てゆーか。

 『王家に捧ぐ歌』って、そんなビッグタイトルなんだ。
 知らなかった……。

 今まで前夜祭ってゆーと、『ベルサイユのばら』とか『ノバ・ボサ・ノバ』とか『風と共に去りぬ』とかのヅカオリジナル大作や、『ME AND MY GIRL』『ガイズ&ドールズ』とかの鳴り物入り海外ミュージカルの、再演を重ねられてきた超有名作、特別にスペシャルにエクセレントな、他とは一線を画した選りすぐりの作品にのみ行う、というイメージがあって。
 1年の何本かは再演作を上演するリサイクルふつーの劇団だけど、前夜祭した回数は、そんなに多くないよね? 現にここ数年は行われてないよね? 星の『ノバ・ボサ・ノバ』以来?
 滅多にやらないことなのに……。
 やるんだ、わざわざ。
 びっくりだー。

 や、やる分にはいいです、祭りは大きい方がいい、なんでもやらないよりやる方がいい、盛り上げ上等。
 ただ、そんなご大層な作品だと知らなかったから、驚いているだけで。

 世間様の評価や位置づけは知らないが。

 わたしは、『王家に捧ぐ歌』が好きだ。

 どんくらい好きかというと、わたしがヅカファンとして、道を踏み外したきっかけとなったくらい、好き。

 ええ。
 今だから言える。
 わたし、『王家』ではじめて、高額チケットに手を出しました。

 それまでは、チケットに定価以上出すなんて邪道だと思ってたの!! タカラヅカは定価かそれ以下でチケットを融通し合う、清く正しく美しいところよ、儲け主義のダフ屋なんかに頼るもんかっ、高額チケットなんか買ったら負けよっっ。
 ……てなふーに、思ってました。
 ふふふ。青かったわね……。

 どうしてもどうしても『王家』が観たい……。
 その誘惑に、欲望に負けて、ついに、高額チケットに手を出しました……ふふふ、あはは。

 そっからですねー。「なんだ、お金さえ出せば、観たい公演が観られるんじゃん」と、身をもって知ってしまったのは。
 やってみたら、なんてないことだった。
 所詮びんぼーなわたしのことなので、それほど大した単価のチケットは買ってないけれど、いざというときはネットで購入することをおぼえました。
 観られなかった、と落胆の日々を送るより、さくっとポチりましょう、その方がはるかに心穏やか。値段やレートの吟味もするし、購入タイミングでもアタマひねるので、そういう意味では面倒があるけど(笑)。←予算が少ないためです。

 そして、先日のまっつ卒業公演なんかは、ヲタ人生最大級の金額をつぎ込みましたね(笑)。
 体験とお金を秤にかけたら、真に大切なモノに、出し惜しみなんかしてられないってことで。
 あとで後悔するかもしんないけど、なにしろ後悔ってのは「あとで」するもんだから、今は突っ走る。今のわたしの血肉になるモノを惜しんで、10年後20年後のわたしが豊かでいられるとは、思えない。
 実際、使ったチケット代を後悔したことって、今まで一度もないんだなあ。なにしろびんぼーなので、ほんとに魂が欲するチケットにしか、大枚ははたかないから。
 大枚、ったって、わたしにとっての大枚であって、世のヅカヲタさんからしたら「そんなはした金で高額出したって騒いでるの?」とあきれらる程度の額かもだし。

 そうやってはじめて、定価以上出してチケット手に入れて。
 東宝千秋楽へ駆けつけたんだ。
 で、鼻血吹いたし。
 『王家』観ながら、鼻血出してんの!(笑) どんだけ興奮したんよあたし。自分が鼻血出してることもわかんなくて、血まみれになって焦りまくったという。や、大泣きしてたんで、区別ついてなかったのね。

 あー……なんて香ばしい思い出だ……。若かったなあ。

 それくらい好きで好きで、好きというキモチに従って全力疾走した。
 その経験はプライスレスよねえ。

 しかし、罪作りだわ、『王家』。
 わたしが、ヅカヲタとして、道を誤ったきっかけの作品。
 ここから、高額チケット買っちゃう人になったのだわ……。
 くくぅ。


 ところで、この「前夜祭」出演者。

「ウバルド役のマカゼが出るのに、どーして初演ウバルド役が出ないのっ?!」
 と、仲間たちと憤慨しました(笑)。
 や、理由はわかってるけどさ。
 それが、タカラヅカのトップスターとそれ以外、ということだ。
 新人公演『カリスタの海に抱かれて』感想あれこれ。

 ロベルト@ゆーなみくんは、あまり発見なく。
 これはわたしの先入観の問題かもしれないと自覚はあるんだが、ゆーなみくんは「うまい人」「出来る人」だから、点数が辛くなりがち。歌えるよね? 出来るよね? あれ? 思ったよりふつーだぞ? てな。
 彼も早くから役付のよかった人なので、見慣れて来ちゃったかな。で、その「慣れ」を覆せるほどの成果を、わたしに見せつけてくれてないんだ。
 実力に破綻がない、というだけでもう研6になってしまうのは、路線スターを目指す人にはちょい厳しい状況かも。

 ロベルトというのは、ほんと気の毒な役で、作品の粗をすべて押し付けられている。2番手役ってふつーもう少しおいしいんだけどなあ。
 このよくわかんない役をねじ伏せるだけの正統的な実力も、圧倒的な熱量も、次元を超えるような美貌も華も、現時点のゆーなみくんには感じられなかった。
 ので、ただ「気の毒な役」に振り回された、気の毒なスターさんに見えた。
 他の肉弾戦なキャラたちに吹っ飛ばされて、印象薄いっすよ……。
 や、ほんと、役が悪かったからな……ドンマイ、としか。

 今回思ったんだけど、ゆーなみくんって、陰と陽なら、陰の人なんだね。
 ロベルト役をやってなおサンサン太陽キャラのキキくんを思い、ゆーなみくんはちゃんと陰キャラやってるなと。
 だから彼の魅力の生きる役って、ダーク系じゃないかな。ロベルトみたいなよく喋ってさらに自爆する系じゃなく、もっと寡黙にワケありげなやつ。
 なんかハマリ役が来て、ばーんと飛躍してくれるといいな。


 ナポレオン@矢吹くんは、……よかった……と、ほっとした。
 こちらは陽の人。陽の人が正しく陽のナポレオンを演じ、持ち味が合っているおかげで、ムリがなかった。ほっとした。
 ……本役さんはどんだけ無理があるんだと小一時間……。
 そしてそして、矢吹くんの場合、前回の本公演『エリザベート』の記憶が強すぎて。
 誰の得にもならない抜擢の見本みたいな、ひどいことになってたもんなー。
 矢吹くんってダンスの人だよね? なのに、少年ルドルフという歌の役を押しつけられて、縦にも横にも貫禄ある系なのに体格に合わない子ども演技を強いられ、ぱっつんしたほっぺを強調するポコちゃんヘアーを強いられて……なんのいじめか、という状態。や、本人はやりがいもあって、誠心誠意務めていたんだと思うけど。
 観客にはつらかった、うまくない歌を、かわいくないごつい男の子にかわいこぶって歌われても。
 彼を売り出したいと考えている層は、彼の舞台を観たことがナイんじゃないかな? 舞台の矢吹くんを見たことあったら、少年ルドルフは絶対チガウ、とわかりそーなもんなのに。
 まあそんなキツイ記憶が、キツイゆえに強く残っていて、今回の高笑い豪傑キャラは、見ていてほっとした。

 陽の気を持った、おおらかさのある男役。
 せっかく武器があるんだから、それを磨いて欲しいナリ。
 顔がヲヅキさん系なので、愛着あります、そっち系で育ってくれたらうれしいです。……華奢で中性的な美少年、ではナイと思うのよ、劇団の中の人、彼をそっち系で売ろうとするのやめてー(笑)。子役も女役も天使もチガウと思うのー。(そんな役ばっかやってる印象っす……)


 本役ナポレオンで「わ、笑っていいのかな……?」と途方に暮れる、耽美まかせろ!な美形様カレーくん……初日は客席の空気困惑に固まってたけど、次に見たときは笑い声があがっていたような……笑っていい役なのアレ?……は、新公ではぐっと下がって士官ベルトラム役。
 組3番手様が新公出てるなんて、新鮮だわ……昔のタカラヅカみたい。

 いやあ、余裕ですなっ。
 や、本公演で3番手してるわけですよ、新公では番手外の役ですよ、余裕であたりまえ。
 あたりまえだけど、その力の抜けた感じが、素敵。
 緊張びしばし、悲壮なまでの張りつめた甲子園球場か?!てな学生アスリート舞台も、生の醍醐味だけど、やっぱ余力を残したプロの仕事も見たいじゃないか。
 カレーくんから、とてもプロっぽさを感じました。経験値から来る、格の違い。カレーくん自身、技術的には研7相応の足りなさはあるけれど、それとは別に、舞台での居方が、新公レベルじゃなかった。
 立場が人を育てる、ってのは、あるよなあ。抜擢すれば、応えていくんだなあ、フェアリーたち。

 余裕のカレーくん、って、なんかとても新鮮で、いいモノ見た気がしました。
 はー、かわいいしかっこいい。美形は正義(笑)。


 でもって花組の路線スターさんって、次は誰なんでしょう。
 不勉強でわかってないっす。
 来年は誰が新公主演してるんだろうなあ。各組わりと、「次のこの子かなあ」と思う子が何人か控えているもんだけど、花組よくわかんニャい……。

 『風の次郎吉』では綺城ひか理くん、けっこういいなと思ったんだけど、今回の新公ではいろいろ苦戦……? 期待したほどビジュアルに萌えない……。や、単なる好みの問題か。

 好みの問題といえば、カリスタ青年団にけっこー好みの子がいたんだが、名前がわからんっす。
 そんでもって、新人公演『カリスタの海に抱かれて』の感想、続き。

 アリシア@みれいちゃんはうまかった。
 安心安定の出来。
 だがしかし、カルロ@マイティと合っていたかは、わからない。

 あとから新公のことを思い出すとき、浮かぶのはアリシア単体だ。
 カルロは関係ない。
 みれいちゃんはあまりにも、みれいちゃんひとりで、存在していた。

 カラダの厚みがしっかりした、立体感のある女の子。
 実際の体格のことではなく、舞台の存在において。
 なにしろ舞台だから、背景はハリボテ、板や布だと見ればわかる。そんななか、みれいちゃんには厚みがある。彼女が絵に描かれたモノでもCGでもない、生身の人間だとわかる。そこに存在していることがわかる。

 それが魅力でもあり、タカラヅカ的にどうかな?という点でもある。

 アリシアはひとり色濃く存在し、物語を進めていた。彼女こそが主人公だった。
 マイティも濃さでは負けていないので、彼女の横にいてかすむことはないんだけど、色が融合していないから、ただ「主張の激しい色がふたつ並んでいる」状態になっていたような。
 トップコンビが演じる役、親和することが前提のタカラヅカの主人公とヒロインは、そーゆー「色がふたつ並列」だと、なんとも違和感があった。わたしには。


 みれいちゃんが面白かったのは、アニータ@乙羽ちゃんとの絡み。
 アニータは別格役というか、物語の外側で煽るだけの特殊なキャラクタ。……そういう役なんだけど、乙羽ちゃんはそれでも、「タカラヅカ」の娘役さんなんだ。本役さんに倣い、独特のおばさんキャラを作ろうとしているのかもしんないが、持ち味が「娘役」。逸脱してない。
 タカラヅカ作品とは違い、外部作家の書いた「女主人公モノ」の色を持つこの『カリスタの海に抱かれて』で、ヒロインではなく「主人公」であるアリシアを、みれいちゃんがほんとに力強く「私が主人公!」と演じている横で、特殊な別格おばさん役を乙羽ちゃんが「タカラヅカの娘役」として可憐さを残して演じている……。
 ふたりがたたみ掛けるように歌う場面が、すてきにドラマティック。
 ヒロインな姿でヒロインではなく「主人公!」と吠えるアリシア、黒眼帯の胡散臭い魔女のような姿で、凛とした涼やかさを持って歌うアニータ……。

 本役のかのちゃんに足りない部分をいろいろ感じてはいるんだけど、新公を観て、彼女には「ヒロイン」力はあるんだなと思った。
 タカラヅカのヒロイン、という、特殊スキル。きれいなだけ、うまいだけでは務まらない、フェアリー性。
 みれいちゃんは安定しまくりだけど、代わりにヒロイン度が下がり、フェアリー性が薄くなっているのかもしれない……。うまいだけだと、「外部ミュージカルの女主人公」になっちゃう。ヅカって難しい。

 ともあれ、そんな実力派のみれいちゃんが、気持ちよく疾走出来るアリシアVSアニータ場面が心地いい。
 役の上で、強いのがアニータで、それに下から刃向かうのがアリシアなのね。だから、この新公舞台でもっともマッチョなのがみれいちゃんだとしても、役割が「か弱い女の子」なので、アニータという強いキャラの力を借りて、乙羽ちゃんが善戦している。


 んで、そのアニータ@乙羽ちゃんだけど。

 わたしは、このキャラの方が好き。

 新公のアニータは、「人間」だった。

 ふつーに人間だった。人間の女だった。
 ちょっと変わってるし、人騒がせの面倒な人だけど。それでも、生身の人間の範疇だった。
 世界から浮いてなかった。実力も見た目も存在感も、周囲と合っていた。

 本役の圭子ねーさまのアニータこそが、疑問。
 あそこまで「異次元存在」にする必要あるのかと。
 ひとりだけ明らかに違うもの。人間世界にロボットがいるくらい不自然。
 彼女の歌唱力と存在感でねじ伏せられるし、一瞬にして異世界へ放り込まれるので、エンタメとして楽しいけれど、彼女が出るたび空気がぶつ切りにされるので、物語としてはアウトじゃなかろうか。
 テレビドラマじゃなく、舞台の醍醐味だと思うけどね、ああいうキャラ……しかし、やりすぎっていうか……。

 乙羽ちゃんのアニータは、変な人ではあっても、宇宙人ではなかった。
 変な人だなー、あー、こーゆーことがあって恨んでるのかー、ふーん。にしてもやっぱ、変な人だなー、こわいなー、おおっ、迫力だー、すげー。
 と思って見てきたのが、彼女が眼帯をはずすシーンで。

 あ、可哀想……。
 かわいそうだ、この子。

 そう思えた。

 今まで「変だ」と思って来た言動が、すべて納得いった。答えがわかった。
 この子、可哀想なんだ……。
 これだけの哀しみに耐え、痛みに耐え、それゆえにあんな風におかしくなってたんだ。壊れてたんだ。
 震える背中が、痛々しくて。
 華奢な身体が、哀れで。

 カリスタの男たちが言葉を失うのも、納得。
 無残な傷跡を見せられて絶句したのではなく、彼女の哀れさに言葉を失ったんだよね……ふつーの感覚を持つ男なら、女の子が痛々しさ全開で決死の訴えをしてきたら、なにも言えなくなるよね……。

 アニータはカルロの親世代だから、女の子って年齢じゃないだろうけど。
 心を病んでからは、まともに年を取れなくなっている、20数年前のあの日のまま心の成長は止まった、てな説もアリだろうから、「女の子」でもいいかも。

 アニータが生身の女性である、そう思えたことで、完結した。
 ただの「作劇都合優先の煽りキャラ」ではなく、「悲しい女性」だと納得した。
 だから新公のアニータの方が好きだな。

 乙羽ちゃんは美人ではないけれど(ごめん)、タカラヅカ娘役的な清涼感がある。それが見ていて気持ちいいんだな。
 乙羽ちゃんのアニータは、とても「タカラヅカ的」だと思うよ。
 ところで、ミキティつながりで、思い出したこと。
 雪組公演期間中に見つけた。

 http://koala.diarynote.jp/200508101531310000/

 ミキティ作『ネオ・ヴォヤージュ』で退団する専科スター、ガイチ。
 特別出演の3番手格、トップスターと同期。出演する組によっては2番手格だったりもした。もちろん新公主演済み、バウ主演、単独コンサート主演など、スターとして一通りのキャリアを持つ。
 そんなスターの最後の作品なのに、センター場面ナシ。餞別エトワールのみ。
 専科からの特出なのになー。

 そして、全編に複数ある耽美場面の、キャストの謎っぷり。
 美形だけど「耽美」という概念ともっとも対極にあるキラキラぴかぴか色気ナッシングスターのタニちゃんを「耽美キャラ」として、男役同士の妖しい場面等に使う。

 すっげえデジャヴ。

 てゆーか、『ファンシー・ガイ!』で嘆いていること、まんまじゃん?

 2番手格?で退団する、トップスターの同期スターともみんの、センター場面ナシ。スターならあるはずのソロ歌すらなく、彼が声を出したのは短い歌い継ぎとだいもんとのデュエット、歌苦手なのに歌ウマがやるはずのエトワールのみ。
 「スター」だから作中で歌わせ、「エトワール」は歌ウマにさせるのがふつーでしょうに。それを逆にすると、「スター」じゃないから歌わせないよ、でも退団だから気を遣って歌ウマ娘役がやるはずの「エトワール」を特別にさせてあげるよ、ていう、とても感じ悪いことになる。
 そして、体育会系熱血キャラのともみんに、ひたすらお耽美役。トップスターは白い貴公子、2番手は黒い個性的な役、だからお耽美や誘惑者はすべて2番手の仕事、と、ともみんに。
 持ち味無視、本人の魅力全否定で、型に押し込めておいて「トップと絡むオイシイ役だよ」。

 や、わたしの勝手なイメージに過ぎませんが、わたしはそう受け取って憤慨した。ヅカの座付き作家なのに、何故アテ書きしないのかと。

 三木せんせの気遣いのなさ、センスのなさに目眩がした……あらやだわたし、10年前すでに、書いてるじゃん!!

 やーねえ、すっかり忘れてたわ~~。
 10年前も、同じことに憤慨してたんだわ。

 『ドリーム・キングダム』は名作。あれこそ「耽美」。だから三木せんせは、耽美を作ることはできる。
 ただ、キャスティングのセンスがなさ過ぎる……。
 『ドリキン』はトップがトド様で2番手がコム姫という、「耽美まかせろ!!」なコンビだったから、なーんにも考えずに型にはめただけで、素晴らしい耽美作品になったんだなあ。
 『ドリキン』をタニちゃんやともみんでやったら、もちろん彼ら単体は美しいけど、「耽美」としてはかなりチガウものになっただろう……。


 あー、重ねて言いますが、わたし個人のイメージです。
 わたし以外の人は、タニちゃんとともみんが「耽美の権化」「耽美の申し子」、ダークでクールで淫靡で退廃的で背徳的な青い血の持ち主だと思っているのかもしれません。
 でもわたしは、真逆のイメージだからさー、太陽でホットで健康的な、見ていてわくわくする系のキャラだと思ってるからさー。

 結論。
 ミキティめ。
 『New Wave! -宙-』の「主な出演者」があっきーひとりである、と発表された次点で、わたしがつらつら考えたこと。
 あっきーの「バウ単独主演」だとは、わたしには思えない。『New Wave!』という公演の性質から、あっきーがこの公演の「トップスター」位置なのは間違いないと思うが、それでもなお、劇団は彼に「主演歴」を付けさせたくなかったのだ……現時点では。
 と、思うところからスタートした、「主な出演者」表記をめぐるアタマの体操。や、まず実際に『New Wave! -宙-』を観る前に考えたことを語る、その2。


 役替わりやダブル主演の場合、劇団が「主演させたい」「推したい」と思っているのは、下級生スターの方。上級生ひとりで主演で問題ないのに、そこに下の立場の子を押し込むのは、劇団事情。
 『New Wave!』の「主な出演者」も同じ。最上級生単体の主演公演で問題ない作りなのに、数名並記してカムフラージュ。


 ただ、あえてあっきーひとりの名前しか発表しなかった『New Wave! -宙-』では、劇団がカムフラージュさせつつも「主演させたい下級生スター」が誰なのか、は、わからない。
 可能性があるのは、りくくんとずんちゃん。
 「主な出演者」の最下級生の法則は、なにしろ「主な出演者として発表されたメンバーの、最下級生」がわかってはじめて、わかることだから。
 公式発表されてないと、劇団的には「りくが最下」で、ずんちゃん以下は「その他の出演者」なのかもしれないし、「ずんが最下」でりくくんはあきら・としポジションかもしれない。
 これはもう、実際に舞台を観てみるまでわかんないかなー、と思っていたんだが。
 オープニングで特別な衣装や登場の仕方をする人が、「主な出演者」だからねー。その最下級生が、きっと次のバウ主演なんだわー、と。

 それが。

 『New Wave! -宙-』初日、別の可能性を発見して、混乱した(笑)。
 はい、ここからは、初日観劇時に考えたことです。

 混乱した、のは。
 『New Wave! -宙-』の「主な出演者」……公式HPの「公演案内」に載っている「主な出演者」ではなく、実際の舞台で総スパン衣装着てセンターでパフォーマンスする、プログラムに大きな写真で主役として掲載される人のことね……が、4人いたからだ。

 あっきー・りく・ずん……プラス、りんきら。

 あれえ???

 すみません、りんきら氏はほんとに、わたしの予想外の人でした。
 というのも、『New Wave!』シリーズのセンターを張る資格のひとつ、必要不可欠なのが「新公主演」だと思ってたの。
 月にちなつくんが混ざっているのは、彼もまた半分だけとはいえ新公主演したと劇団がカウントしているのだと思った。
 新公主演していないりんきらのことは、ハナから人事予想に入れていなかった。
 や、ポスターでりんきら氏が他の出演者とチガウ衣装でいることはわかっていたけれど、ポスターはあまり重視していなかった。何故なら『New Wave! -花-』でだいもんは他のふたりと同じ衣装、『New Wave! -月-』でみやるりだけがスター仕様衣装を着ていたが、実際の舞台ではどちらも単独主演、トップ扱いだったので、ポスターの差異は意味ねーじゃん、けっこーいい加減だなヲイ、という先入感があった。

 『New Wave!』で「主な出演者」になれるのは、新公主演者のみ、という前提が、りんきらの登場で崩れ落ちた。ガラガラガラ。
 だもんで、ここまで積み上げてきたわたしの仮説は、すべて意味がなくなるのだ(笑)。

 や、最下級生の法則は『New Wave!』に限らず、すべての役替わり・複数主演モノに当てはまる割合が高いので、置くとして。
 最初に挙げた命題、「何故『New Wave! -宙-』の主な出演者はあっきーひとりなのか?」についての仮説がくずれる(笑)。
 や、まだ有効だけど、他の可能性が出てしまった。

 すなわち。
 「主な出演者」に挙げていいのは、新公主演者のみだから、今回は全員を発表出来なかった。という、可能性。

 花・月と、主な出演者は新公主演者のみだった。
 劇団としては、今後も「『New Wave!』は新公主演者の公演」と位置づけたい。だが今回、なんらかの事情で、新公主演していない者をメインに入れなくてはならなくなった。
 あっきー主演公演には出来ない、だが、他のメンバーと並列することも出来ない、そんなことをしたら「なんだ、『New Wave!』は新公主演してなくてもいいんだ」ということになる。
 苦肉の策で、「主な出演者、あっきーひとり」。
 ひとりなら主演でいいじゃん! と言われても、「いいえ、あくまでも主な出演者です、主演じゃありませんっっ」という態度。

 「2回連続バウ主演にはさせれないから、今回はあえて名前を出さなかった」と、「新公主演してない人もメインに入ってるから、今回はあえて名前を出さなかった」……仮説がふたつになりましたー!!

 ふたつに増えただけで、前者も有効だから、次のバウ公演は、りくくんかずんちゃんが主演かも。
 わたしとしては、ふたりのダブル主演かなあ、と思う。
 理由は、前述の「最下級生の法則」にて、最下がずんちゃんだと、初日を観てわかったから。そして、今までのずんちゃんの扱いから、いきなり単独主演はないだろうから、りくくんとダブルかなと。
 んでもって、「最下級生の法則」により、ダブル主演の場合、劇団が期待しているのは下級生の方、すなわちずんちゃんで……りくくんがんば!!と思い、センターで演じるりくくんを観て、文化祭思い出して過剰に想い入れたり、していたわけだ。


 ルール判別や予想など、アタマの体操が楽しいだけで、名前の出た人たちに含みはない。
 大人の事情とかなんらかの事情とか書いちゃってるけど、根拠はないし、それも含めてタカラヅカだと思っている。好悪や是非は別として。

 一ヅカファンとして言えば、あっきーセンターの公演がうれしいし、りくくん・ずんちゃんにもバウ主演して欲しいし、りんきらセンターを観られたこともうれしい。
 楽しかったーー!
 『New Wave! -宙-』はあっきー単体で「主な出演者」だったけど、花・月と観てきて、ごめん、「あっきー主演」とは思ってなかった。最初から。
 花・月の『New Wave!』が3人・4人が連名で発表されていても、実質トップ・2番手・3番手……と序列のある公演だった。ゆえに、ひとりしか名前が出てなくても、実際には3~4人が「主な出演者」扱いで、あっきーはそのうちのひとりなんだろうなと。

 そもそも『New Wave!』の「主な出演者」ってなんだろう?
 実際には「だいもん主演」「みやるり主演」だったわけだ。それならいっそ、ふつーに「主演」にしてしまえばいい。
 だいもんもみやるりも、間違いなくスターで、今と未来のタカラヅカに必要な人材だ。舞台人スキルも人気もある。劇団がそれなりの扱いを今後もしていくだろうスターに「バウ主演」歴がひとつ多くあっても、なんの問題もないはずだ。

 だから、「主演してもおかしくないスター」が、「主な出演者」扱いで「主演」にならなかったのは、「大人の事情」ってやつだろうと思う。

 役替わりと同じだ。
 あるスターがいるとする。番手からしても学年からしても、次の公演はある役が相応しい、それがふつう。誰もが想像・納得する配役。
 だが、そこにわざわざ、ふつーでないことをしてまで、その役に「イレギュラーな誰か」をぶち込み、ダブルキャスト・トリプルキャストにする。
 「その役をするはずのスター」より下級生で、通常ならそんな立場ではない、だけどその役をさせなければならない「事情」のある人に、「その役」をやらせる。それが、「役替わり」。

 それと同じルールが発動したかな、と勝手に思う。
 それゆえに、花も月も、だいもん・みやるりの「主演」ではなく、「主な出演者」が複数名いる公演になった。
 舞台は消えモノだから、公演が終われば「主な出演者」という「名前」だけが残る。実質だいもん・みやるりが主演だったことなんて、関係ない。彼らは「主な出演者」のひとりであり、主演に公式カウントはされないし、反対に、彼ら以外の「主な出演者」は実質主演でなかったのに「あれは主演に数えられるんだっけ?」とファンの記憶に残る。

 この「大人の事情」ゆえに存在する、「主な出演者」。
 花・月ときて、宙の「主な出演者」があっきーひとり、ということで、さらにうさんくささが増した(笑)、とわたしは思う。
 あっきーひとりなら、「主演」にしてもいいじゃん? 新公主演済み研11ですよ? 彼より上に「先にバウ主演しちゃまずい」年功序列のスターがいるわけじゃなし、下級生の愛ちゃんがすでにバウ主演済みなんだから、序列を崩すことなく「主演」させられる。
 それでも「あえて」主演ではなく「主な出演者」にしかならない『New Wave!』公演を行った。

 が、これでは前述の「主演させたい大人の事情」ゆえに「主な出演者」という都合のいい表記を利用した、というケースにあてはまらない。
 しかし、同じルールでもって動いていると想像するわたしは、今回もまた、同じことが起こっているのだと思った。

 すなわち、『New Wave! -宙-』にも、花・月と同じく、「主な出演者」は3~4人いる。内部ではそのつもりである。が、今回に限り、あっきー以外名前を出すことが出来ない。
 ……ちょっと待って、実質なんて意味ナイ、「主演者として名前を出す」ことが目的なのだと前述した。実質はだいもん主演だったのに、名前だけはだいもん・あきら・キキの3人が「等しい扱いの興行」ということになっている。実質なんて関係ない、必要なのは「キキくんが主演した」という「名前のみ」。そう語っているくせに、何故?
 今回に限り、「名前を出せない事情」が優先した、のだと。

 出演者を見回して、前例の「主な出演者」に該当するのはあっきー・りく・ずんの3人だ。新公主演済みの若手スター。だから本当なら、この3人の名前がラインアップ発表時に並記されなくてはならない。
 そして、花・月のルールでいうと、「主な出演者」欄に並記される最下級生こそが、「本当なら、主演させたかった人」になる。今の彼の学年・実力・人気では、とても他のスターたちを差し置いてショー公演でバウ主演させるなんてことは出来ない。だが、させたい。スター候補生には、ショーの経験を積ませる必要があるのだ。
 これはガチなルールだろうと思う。下級生は「下級生だから」という理由で、「主な出演者」にしなくてもいいんだもの。それをわざわざすくい上げて「主演のひとり」にしているのは、劇団の意志。役替わりやダブル主演の下級生理論と同じ。ほんとうにその役をさせたいのは、下級生の方。
 『New Wave! -宙-』も、この法則は有効なんだと思う。ルールに基づいて興行されていると思う。
 劇団が主演させたいのはあっきーではなく、あっきーもおいしいですよ、とカムフラージュさせながらも、「主な出演者」としてメインを張る下級生スターの方なんだろう。

 じゃあなんで、「主な出演者」として宣伝しないのか。

 これはずばり、「もうひとつのバウ公演」のためだと思う。

 宙組には今年、もう1回バウホール公演がある。
 この公演を、誰が主演するのか。
 卒業・組替えのあったばかりの新生宙組では、バウ主演出来る人が限られている。
 かいちゃんがいたら、彼が単独主演したかもしれないけれど、いないし。マカゼはすでにDC主演経験者だ、今さら格下のバウ主演はない。
 愛ちゃんは去年バウ主演した。2年連続主演というのは、過去の歴史でもかなり限られた一部のスターのみが行っている。過去の例から見て、愛ちゃんの主演はかなり可能性が低い。
 そして、順当に主演が回ってくるだろうあっきーが、わざわざ『New Wave!』で「主な出演者」……つまり「主演させる気は、現時点ではない」と発表された。
 んじゃ、あっきーの下は?
 宙組で新公主演済み男役スターは、りく、ずん、そらだ。
 この中の誰かが、バウ主演する……と、仮定。
 そして、『New Wave!』に出ていないそらくんは除外。
 りく、ずん、このふたりのうちどちらかが、あるいはふたりがダブルで、次のバウで主演するとしたら。

 辻褄が合う。

 『New Wave!』で「主な出演者」に彼らの名前を入れてしまうと、「1年間に2回、連続主演」になってしまうからだ。

 1年に2回、連続主演、って、そりゃまずい。そんなことをしていいのは、「どんなことがあっても絶対にトップにする」と劇団が決めていろんなイレギュラーを強行した、さえこやタニちゃんレベルのスターのみだ。
 さえちゃんと同じ扱いには出来ない。だから、主演のうち片方は、「ほんとは主演だけど、あえて、名前は出さないよ」とした。

 これが、『New Wave! -宙-』の主な出演者があっきーひとりである理由かなと。


 翌日欄へ続く。

 『New Wave! -宙-』、感想っちゅーか、思ったことあれこれ。

 わたしはちょうど、段上がりど真ん中席だった。
 つまり、目線が来まくる。
 きゃーー、あっきー! あっきー! あっきー!
 あっきーが、わたしを見つめて歌ってる~~! てな、シアワセなカンチガイゆんゆん(笑)。
 いやあ、楽しかった。

 でもって、客席降りでいちばん近かったのが、ずんちゃんだ。
 彼がもう、すっげー積極的に釣ってくれるのな。
 彼のキメ顔というか、流し目というかが、わたしにはみょーに照れくさい。うっわ、こっち見てる、うっわ、アピってくれてる、うっわ、うっわ。
 ときめく、とはちょっとチガウのかもしんないけど、彼にアピられるたびにハートが揺れ動いた(笑)。

 そういう意味で縁がなかったのが、りくくんとりんきら。
 りくくんのことは、わたしが積極的に見ていたし、オペラで追いかけていたんだけど、ぜんっぜん見てくんなかったっ!(笑)


 この公演、なんで副組長が出てるの?
 花も月も、センター=最上級生で公演の長だったのに。
 花と月は当時だいもんとみやちゃん、共に研11で、今のあっきーと同じ学年。研20の副組長という保護者付きで公演するなんて、補助輪付き自転車みたい。
 あっきーのいっぱいいっぱいぶりを見ても、仕方なかったのかなあと思うけど……やっぱ宙組ってスターの成長が遅いのかな。スターはよそから組替えが基本、一本モノ公演連発で下級生は動く背景、ショーの経験が他組より少ない……そういう「宙組の特色」ゆえ?

 まあそれはともかく、あおいちゃんの「HOME」は耳福でした。


 ずんちゃんは月でいうところのちなつポジ? 女装してヒロインとして登場してびっくりした。
 きれいだけど、やっぱごついな(笑)、男役だな。
 そうさ、女装して「女装」になってこその男役スター!!

 ……なんだけど、ときどき「あの子きれい、男役の女装かな?」と思って焦点合わせた先にうらら様がいて、ギャフンとなる。うらら様……ほんと、すでに才能かもな、娘役に向いてないけど娘役、という。

 パッションくんはどんどん顔が変わっていっているなあと思う。
 若い子は変わるよねえ。
 もっと活躍する場があると思った。闇広ぐらい??
 もう研5でしょ、新公2番手?(宙組の番手不明瞭)とかやってるわけでしょ? 当時研5の『New Wave! -花-』のマイティぐらいには、見せ場があるかと期待した。てゆーか歌を聴かせろ~~! 演出家め~~!

 りんきらとかけるが同一人物今昔、という場面には、とても納得というか、こう来たか!と膝を打った(笑)。なんか、わかるよねー。
 りんきらさんは、一歩一歩いい男になっていると思う。痩せればハンサムなはず、と昔から期待をかけていたが、わたしが予想したハンサムではなく、もっと違うタイプの男に育っていってるんだなあと。
 せっかく組替えしたんだから、新公主演してほしかったけれど、それがないからこそ、もっと自由に舞台にいられるのかもしれない。

 ある程度顔の見分けの付く子たちは『TOP HAT』の方に出ているため、『New Wave! -宙-』は知らない子がいっぱい。
 それを見分けるぞ、おぼえて帰るぞとがんばるけれど、新たに区別が付いたのはすばるくんだけかもしんない……だがしかし、大劇場で見つけられるかは、定かではない……。

 また、新公のたびに瑠風くんいいなと思うんだが、ここではよくわかんなかった……。
 反対に、実羚くんはよくわかる……。うーむ、わたしの目って。

 くり返し見たらきっと、真ん中以外も観る余裕が出来るし、もっともっと下級生をおぼえられるのになあ。

 楽しかったので複数回観たいけれど、チケットないからムリ。バウなんてファンアイテムだから、出演者のファンががんがんリピートして、我が世の春を楽しむべきだ。

 『インフィニティ』は楽しかったな……と、遠く、バウで行われた2幕モノのショー公演に思いを馳せる。出演者全員、顔と名前インプットできたさ……以後大劇場でもわかるようになったさ……。バウ公演の楽しみのひとつよねー……。

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