『ルパン三世―王妃の首飾りを追え!―』は、人気公演だった。

 なんだかぴんとこないんだが、実際そうだった。
 劇場に行くと、平日でもわんさか人がいて、土日は立見まで出てた。立見まで完売した日もあったようだ。

 千秋楽も当然、立見まで完売。

 ……えーと、ムラのいいところは、千秋楽でも新公でも、手ぶらでふらりと行って観られることだったんだがな……。

 いつもの感覚で劇場へ行き、立見しか買えなかったり、千秋楽はチケットなくてマジでぽかーんだった。サバキ取れたのは、ほんと運が良かった。

 なんつーか、「100周年バブル」だなあ、と感慨深かった。
 や、雪組だけでなく、いろんなところでチケット取れなくて、友人たちと「100周年バブルすげえ」と言い合っているもので。
 ヅカヲタやってると、「この公演ならこんな感じ」というチケット事情が肌でわかるじゃん? それをことごとく覆されるのなー。今年はなんか変、いつもとチガウ、と。

 宝塚歌劇100周年! って、2014年冒頭からマスコミへの露出が多くなって、それが積み重なって集客というかライト層を動かすところに結びついたのが、2014年後半になってからかなあ、と思う。
 その勢いに乗って、『ルパン三世』も注目を集めたなと。
 プロデュースがヘタな劇団にしては、うまくやってくれたなあと。

 や、もちろん、作品や出演者の力もある、それはどの組も前提ですよ。
 その上での、100周年というお祭りが持つ、勢い。

 それを、感慨深く思う。

 というのもだ。

 昔は、途方に暮れたもんじゃったんだ。

 大劇場の客席が、ガラガラで。

 全国からファンが駆けつけるであろう、トップスターのお披露目公演初日の2階席が、両サイドブロックごと誰もいないとか。

 平日3時公演の2階S席に、最前列センターにようやく数人しか客がいないとか。
 それを自虐っぽくこぼしたら、別の組ファンの人から「うちの組なんてこの間、1階席15列目までしか人がいませんでしたよ」と、さらにすげー自虐を返されて、反応に困ったりとか。

 そんなのが、あたりまえだった。

 このままタカラヅカ、なくなっちゃったり、しないよな?
 それが心配になるほど。

 なくなりさえしなければ、別に客席が寒くても、一観客でしかないわたしは、別にかまわないんだけどね。
 でも、わたしの好きな物が、好きな人たちが、世間的に求められていない、というのを見せつけられるのは、やっぱさみしいよ。
 こんなにステキなんだから、もっともっとたくさんの人に観てほしいと思うよ。

 いちばん肩を落としたのは、『スカーレット・ピンパーネル』と『ソロモンの指輪/マリポーサの花』のときだな。

 わたし、『スカピン』は初日に観て、震えたの。
 すごい。
 この作品、すごい!! って。
 今わたし、歴史に立ち会ってる、ものすごい作品が生まれた、その瞬間に立ち会っているんだ!! てな、震え。

 物語自体は他愛ないんだけど、舞台ってのは総合芸術だから。音楽・脚本・役者・美術、すべてが揃ってものすげーエンタメになっている。

 ……が、客席は、ガラガラだった。
 2000円の当日B席だけ客がいて、目の前に誰もいないからとてもすっきり舞台を観られるわー、てな。
 アフタートークもいろいろやってたから、わたしはそれ目当てでリピートしたりもしてたんだけど。

 こんなにこんなに面白い、上質のエンタメなのに、どうしてみんな観に来ないんだろう?

 海外ミュージカルだから?
 「タカラヅカ」のオリジナルじゃないから? ショーがないから?
 トップスターらしい役じゃないから?
 他愛ないおとぎ話だから?

 …………まあ、そうかもな。
 オリジナルじゃなくて、海外ミュージカルだもんな。
 楽しくて浅くて、広く一般向けで、ディープさはまったくないもんな。

 そう思った直後が、『ソロモンの指輪/マリポーサの花』で。

 これがまた、すっげー、不安になるくらい、ガラガラで。
 これまた当日B席だけ客がいて、その前はS席最前列まで誰もいない、てなブロックもふつーにあってだな。

 『スカピン』は、広く浅くのエンタメだった。誰にでもお勧め出来ます、てな勧善懲悪のライト作品だった。
 それゆえに濃いヲタからそっぽ向かれたのだとしたら……。

 どうして『ソロモンの指輪/マリポーサの花』に駆けつけないの??

 『ソロモンの指輪/マリポーサの花』は、『スカピン』とは正反対、まさに対極にある作品だった。
 ディープで間口が極細、「わかる人だけわかればよし」「ライト層お断り、深く深く耽溺出来る人だけリピートしてくれ」というスタンス。

 オギーの最後の作品『ソロモンの指輪』は、クオリティはめちゃくちゃ高いが、その分めちゃくちゃディープで、めちゃくちゃヲタ向きだった。
 ハリーの『マリポーサの花』はいい出来ではまったくないが、トップと2番手ファンならば狂喜して通い詰めるようなパワーを持った作品だった。そして、トップと2番手ファンってのは、組ファンをグラフ化した場合かなり多くの割合を占めているはずなので、ここがオイシイ作品は人気になるはずだった。

 ヅカファンに大人気のオギーのショー、そしてトップと2番手ファンだけが楽しい芝居。
 これってある意味すげー「タカラヅカ!!」という公演。
 ……まあ、ドレスのお姫様と白い王子様がラヴラヴする芝居でも、スターたちが歌い継ぐ定番ショーでもなかったから、そういう意味ではヅカ王道公演ではなかったが。
 「タカラヅカ」の濃縮エッセンスで出来上がった公演だったのよ。

 なのに、そのものすげー「タカラヅカ!!」なディープな公演も、浅く広くライトなエンタメ公演も、どちらも、客が入らない。

 どうしろっていうんだ。

 エンタメもダメ、ヅカヅカしたものもダメ。
 これでダメなら、ほんとにもう、タカラヅカってダメなのかも……。

 そう、震撼した。

 方向性のまったく違う、だけどどちらも上質な公演だったのに。
 どちらもまったく求められないんじゃ、他にどうすればいいんだ。

 翌年は95周年で、劇団は伝家の宝刀、「トップスター退団公演」と『ベルばら』を連発した。それによって、なんとか乗り切った。

 乗り切ったけどさ……。
 なんか、ねえ。

 しょぼん。


 それをおぼえているから……つーか、忘れられない苦い記憶だったりするから。

 100周年が盛り上がってうれしい。

 たくさんの人が劇場に来て、たくさんの人がタカラヅカを楽しんでいる。
 わたしの好きな物が、たくさんの人によろこばれている。

 それが、うれしい。
 ただもう、シンプルに。


 トップお披露目公演、って、ふつー客足は厳しいはずなのに、ちぎくんの『ルパン三世』が大盛況で、すごくうれしい。誇らしい。
 これが有名原作の力だとしても、それによって足を運んだ人たちが、タカラヅカや雪組の魅力に目覚めてくれるといいなと思う。
 次の公演も、観に来てくれたらいいなと思う。

 もっともっと、タカラヅカ。
 100年先も、この花園が美しく咲き誇っていて欲しい。
 雪組公演『ルパン三世―王妃の首飾りを追え!―』の千秋楽を観に行こう。
 そう思って、ムラへ行った。

 サバキでチケットGETして、千秋楽観て。
 ふつうに楽しくて、笑って、わくわくして。

 そして。

 るりるり、ほたっちゃんの袴姿見て。挨拶聞いて。

 んで。

 ともみんの挨拶で、号泣した。

 なんだろ。
 なんだろこれ。

 終わる。
 終わるんだ。
 これでほんとうに、終わるんだ。

 ちぎくんがトップになって、だいもんが来て、新生雪組がスタートした。
 それはわかってた。祝福した。わくわくした。
 だから、「変わる」こと、「変わった」ことは、わかってた。

 だけど。

 「終わる」とは、思ってなかった。

 まっつがいなくなって、えりたんがいなくなって、ひとつの時代が終わるとは思った。思ってたけど、それでもほんとのとこ、わかってなかったんだと思う。
 だってタカラヅカは続き、雪組は続く。わたしはタカラヅカが好きで雪組が好き。まっつがいなくても、好きな人・見ていたい人はいっぱいいる。だからこのままヅカファンやって、劇場に通い続ける。
 なにも変わらない。
 ただちょっと、位置取りを変えるというか、贔屓がいたときみたいにバカみたいに通わないだけ、適度に観劇して適度にファンする。
 それだけ。

 それだけだと。

 新生雪組初日、だいもんがいて良かった、思ったほどつらくないと思った。まっつがいない雪組本公演、まっついなくても、だいもんいるから別物ハート、「ひとりだけいない」じゃなくて「別の人がいる」だと、ダメージがチガウ……そう思って胸をなで下ろした。『Shall we ダンス?』はほんとつらかったんだ、「いるはずのひとがいない」、トラウマかっつーくらい、つらかった。それをまた味わうのかとびびって構えていた分、なんぼかマシだった。
 って、そうか。
 わたし、きちんと、終わらせてなかったんだ。

 まっつがいない、まっつのいた世界は終わってしまった、と、現実を見ることを、していなかった。
 だいもんがいる、そこに、逃げ込んでた。
 新生雪組、新しい、ということに、救いを見いだしてた。
 新しいんだもん、違ってて当然じゃん、て。新しくて、違っているんだから、***が、いないの。
 ***。
 考えないようにしてた。
 何故いないのか。
 新しいから。チガウから。だから、***はいない。

 ほんとうなら、初日に思い知るべきなんだよね。
 いないんだって。
 もう、いないんだって。

 まっつはもう、いないんだって。

 二度とこの舞台で、この世界で、会えないんだって。


 ともみんという、えりたん時代の象徴のようなスターが退団することで、ほんとうにえりたん時代……まっつのいた時代が「終わる」んだと思った。
 思い知った。

 そして。
 ともみんの袴姿で見ようとしてこなかった現実を突きつけられ、ダメージ喰らっているところに、だ。
 ともみんの、あの挨拶ですよ。

「ファンのみなさまが、私の太陽でした」

 太陽な人が、わたしたちのことを太陽だと言っている。

 その明るさで、わたしたちを照らし、癒してくれていた人が。
 きっときっと、いろんなひとから言われていたんだろう、「ともみんは太陽のような人」「あなたは私の太陽です」って。
 そう言われ続けてきたからこそ、最後の最後に、その言葉を返してくれたんだね。私の太陽。最上級の言葉だから、最上級の感謝の言葉として、ファンの人たちへ。

 その最上級の感謝の言葉は、わたしを包む。
 ふわっと、あたたかく。
 それこそ、太陽みたいに。

 えぐられて息の詰まっているところを、抱きしめられた、ような感じっす。
 さーっと光が射して、顔を上げることができた、ような。
 そんな感じ。

 あああ、ともみん。
 ほんとにほんとに、あなたは太陽だ。
 だーだー泣きながら、そう思った。

 ついでにやっぱり、まっつのバカ、と思ったし(笑)。これからもずっと、しつこくそう思うと思う。
 それでも、まっつは好きだし、タカラヅカが好きだよ。


 千秋楽を観るとか、思ってなかった。選択肢がなかった。
 でも、行って良かった。
 思い立って、行って良かった。
 観られて良かった。

 これからも、わくわくする。
 タカラヅカを観て。
 雪組を観て。
 雪楽を観に行こう。
 そう思ったのは、『ルパン三世―王妃の首飾りを追え!―』公演期間中、半ばあたりのことだ。
 思ったというか、思いついた。

 わたしはヅカヲタで、同じ公演を何度見ても楽しめる人だけど、「千秋楽はなにがなんでも観る」というこだわりは持ってない。
 初日は観たいけど、楽はわりとどーでもいー。や、もちろん機会があればよろこんで観るけど、チケットもないのに苦労して大金使ってまで手に入れて「なにがなんでも観なければならないっ!!」とは思ってない。

 こだわっていたのは、ご贔屓にだ。
 贔屓の公演は何度でも観たい。その姿を見られるのが最後だというなら、観納めたい。同じ公演をフタ桁観るのと同じハート、好きな人を見たい。だから、千秋楽も行く。絶対行く。

 贔屓のいない公演は、そんなこだわりがない。

 雪組はずっと特別で、思い入れのある組だけれど、そこに贔屓はいない。
 だから、「千秋楽を観る」という選択肢が、最初からなかった。

 選択肢がないから、思いつきもしない。
 初日に観て、あとはお茶会の日とか新公とか、自分の休日とか、自由に観たいときだけ観に行っていた。
 ご贔屓いなくても週一で観に行ってるわけだから、ほんと雪組好きよね、わたし(笑)。
 そうやって公演に通いながら。

 ふと、思いついた。そうだ、千秋楽。
 千秋楽を観に行こう。
 観に行っても、いいんじゃない? アリじゃない?

 雪組好きなんだもん。
 まっつはいないけど、やっぱり雪んこたちが好きなんだもん。
 ショー嫌いだけど(笑)、それでもちぎくんたちを観るのは楽しいんだもん。

 思いついた。……ほんと、それまで、考えもしなかった。何年も雪楽観るの当たり前だったのに。それくらい、まっつの存在は大きかった。まっつがいない、それだけで、わたしとタカラヅカの距離感は変わった。

 変わった……けど。
 それでも、タカラヅカが好きで、雪組が好き。

 チケットないけど、とりあえず行ってみよう。
 この公演チケ難で、立見まで売り切れることがわりとあるわけで、千秋楽はもちろん立見まで完売だろうけど、まあそれでも、行くだけは。


 なんだか、不思議だった。


 数ヶ月前、同じように劇場に白い人たちがいた。
 卒業するジェンヌを見送る人たちがいた。
 わたしも、そのなかのひとりだった。

 なんか、自分ひとりが取り残されて、周囲だけ時間が進んでいる感じ?
 ドラマなんかでよくあるじゃん、主人公だけ止まってて、周囲の人たちが早回しで動いてくの。あれ。

 大劇場のロビーで、ぽかんとしてさ。
 あれ、あたし、なにやってんだろ、って。
 ここでナニしてんだろ。
 今はいつで、なにをやってるんだろう。
 10年前から変わらずこうしていて、ヅカヲタで、まっつファンで。
 10年間同じことやってたから、時間がすぱんと断ち切られてしまっても、はい終わり、こっから先は新章です、と切り替えて進めない。
 トシ取ると、そういう柔軟性が衰えるのよ。

 あたし、なにやってんだろ。
 立ち尽くしたまま。


 不意の、空虚。
 ぽつん。
 ぽかん。

 足元が抜ける、そんな感覚。
 ところで『Bandito-義賊 サルヴァトーレ・ジュリアーノ-』の、わたしの今回の萌えキャラは、サルヴァトーレ・ロンバルド@まゆぽんでした。

 ひさしぶりの、若者役のまゆぽん!!
 アホかわいい大男! でもあちこちちゃんとかっこいい!
 てゆーか銃似合う! 銃のマテリアルに負けてない!

 もともとまゆぽん好きだけど、ふたつ前の新公の大階段デュエットで大泣きして以来すごく好きなんだけど、今回またしてもわたしの中で株を上げてくれました。

 三枚目的役割からはじまるから、ときどきすっとカッコイイのが、胸にクるのね。はうっ、カッコイイ!!って。
 強く温かい持ち味。まだ頼りなくはあるんだけど、将来いい男になるぞてな予感。

 声フェチのわたし的に、声がいまいちなのが惜しいです。や、単に好みの問題っす。これで声まで好みだったら、かえってやばいわ(笑)。

 まゆぽんを見ると、なんか胸が痛いのです。切ないのです。
 いろんな記憶がもつれてるせいだな。
 彼には活躍して欲しいし、長く長くヅカにいて欲しい。
 頼むよ劇団、まゆぽんを離さないで。GOアカツキみたいに、ぽろっと辞めちゃったりしないように、大事にしてね。(なんかGOとかぶるのだ、わたし的に)


 ヴィトー・ルーミア@としくんは、わかりやすくステキです。
 100人見たら100人が「ステキ!」って言うわ、絶対だわ! という素敵さです(笑)。

 ステキなんだけど、今回脚本というか設定というか、あまりに狙いすぎで、わたしはちょっと鼻白んだというか、かえって素直に萌えられなかったのが残念。
 たぶん、こういう役はたまきちぐらい無骨さのある男が演じた方が、わたしのハートに突き刺さったと思う。

 ヴィトーさんの男ぶりを下げたのは、相棒のジェンコ・ルッソさん@まんちゃんの責任も、あると思う……(笑)。
 いやあ、まんちゃん、大変だね。苦しいね。
 芝居がヘタなのは知ってたけど、ほんと出来る役が狭いな! 露出が少ないと誤魔化せるんだけど、ここまでよく喋る役だとボロが出るというか、実力のなさがまんま出ちゃって、大変だな。
 や、黙って踊ってたらめっさかっこいいんだけどな。月組観るときの楽しみのひとつは間違いなくまんちゃんのビジュアルとダンスなんだけどな。
 芝居は……。

 としくんがどんだけ重々しく芝居してても、まんちゃんの浮いた台詞回しで台無しというか、この男が治めてる程度の話かよ、つーことになるっちゅーか、大野くん的にはあれで良かったの?
 ルッソさんは真の悪役ではない、小物扱いだからいいんだ、ということは、ナイと思うな。小物なのと、へたなのはチガウもん。

 まんちゃん、ほんとビジュアルはステキなんだよなあ。黙って踊ってれば最強!なんだけどなあ。
 今回はかなり残念。
 いい役だからさあ。この役がもっとうまい人だったら、すごく萌えてたと思うんだけど。ヘタレ大好物だからさー。役としてのヘタレは好きだし、うまくなくても味だとは思うけど、今回は、ごめん、味の域を超えてた……。
 ひたすら、残念。


 まんちゃんの実力をさらに印象づける、アントニオ・ディ・マッジオ@るうくんの巧さ!!
 この人と肩を並べるくらいの実力が欲しいのよ、ルッソさんにも。
 アントニオさんとルッソさんが同じくらいの芝居をしてくれてたら、どんだけ見応えあったかなと思う。

 るうくんはいい仕事するよなあ。
 技術だけじゃない、キャラクタとしての「香り」がある。書き込みの浅い部分も、彼が「こういうキャラです」と埋めちゃうのね。香りを立てるのね。だから、すとんと納得してしまう。

 や、この役がほんっと、やな男でね!! 文句なしの悪役! 心から憎める、どんでん返しでやりこめられてすっとする、コレ重要。
 るうくんいい役者だ。


 マイケル・スターン@からんくん、なんつーかほんとに、からんくん(笑)。
 大野せんせ、からんくん好きだよねえ。
 こういう人を食ったような役は、からんくんの分野だと思う。距離感というか、役と役の撫で方がいいバランス。べったり触るのではなく、もたれかかるのでも突き放すのでもなく。

 からんくんは、声が残念な役者のひとりだと思う。
 ベビーフェイスでも、声が良ければまたチガウ色の男になるだろうに。
 彼の独特な高い声は、「男役」の声としては、かなりイレギュラーじゃないかな。子役だと気にならないんだけど、「大人の男」が発する声としては。
 せっかく歌ウマさんなんだけど、歌唱力以前に、台詞声を聞くたび最初はぎょっとする。
 でも、聞いてるうちに気にならなくなるし、かえってその個性的な声が、「味」だと思える。……から、彼はこれでいいのかもしれない。
 その「声」ごと、彼が確固たる芸風を確立してくれるといいなと思う。それこそ、ヒロさんやミサノエールみたいに。


 ガスパレ・ピショッタ@あーさは、ヒゲのかわいこちゃん。なんかマリオっぽい。ゲームの、アレ(笑)。
 せっかくの美貌に何故あんな残念ヒゲ……。
 と、最初は思ったけど、なるほど、美少年すぎても役割的に面倒だな、ヒゲで落としていた方がいいのか、と納得。

 『PUCK』のときとか、少人数口でキラキラしている分には美貌ゆえに目立つんだけど、今回は思ったほど目立たない……というか、視界に入ってこない。
 ふつうに脇キャラっぽい。
 役割的にそれでもいいんだけど……えー? どうせなら、もっとがんがん来てよぉ。もっと目立ってくれても、良かったと思うよぉ?
 他の山賊さんたちと混ざっちゃったとき、ピンライトなくてもそこだけ光ってる。くらいに見せてほしいなー。新公主演済み若手スターさんには。

 でも、彼の持つ「かわいさ」はいいよな。この役はかわいくないとダメなんだもん。顔のことではなくて、キャラクタ。憎めない、許したくなる……そういうモノが必要。
 どんなにトホホな展開でも、かわいい、そう思わせてくれるから、あーさはイイ!


 とまあ、ここに上げたのは、好きな男たちばかりです。
 残念とか言ってるけど。
 好きだから見てる。好きじゃナイ人は、目に入らない。
 昔からずっと好きで見ている人たちだから、今回も彼らに注目して、楽しみました。
 なんやかんや言ったって、みんなステキなんだもん、楽しいんだもん。

 それに、わたしが観たのは初日だから、わたしが「残念」と思う部分も、あとの公演では「どこが? 素晴らしかったよ!!」てなことになってるのかもしれない。
 バウ公演ののち、青年館公演があるんだもの。きっと発見の多い楽しい公演だったのだろうと思うよ。
 『Bandito-義賊 サルヴァトーレ・ジュリアーノ-』を観ながら『NEVER SLEEP』を思い出したのは、ヴィトー@としくんの役が、『NEVER SLEEP』の七帆にオーバーラップしたためだ。
 ああ、これが大野くんの萌えなんだなあ、と。
 そしたらするするとわたしののーみそは、『ロシアン・ブルー』のヲヅキさんを引っ張り出す。
 ああはいはい、ユーリさんですね、「革命が俺を裏切っても、俺は革命を裏切らない」ですねーー!!

 過去に友人絡みの傷を持ち、スーツをびしりと隙なく着こなす無表情基本のクールガイ。

 大野せんせの萌えの凝縮。何度も何度も何度も、同じシチュエーションのキャラを書き続ける。

 ほんとのとこ、この役をじっくり書き込みたいんじゃないかなと思ってみたり。いやいや、あまり尺を割かないからこそのクールさなのかも、あえてそうしているのかも、と思ってみたり。

 でも、思い入れのある役は、比重を大きくしていい場合の方が、作品的によくなるというか、萌えが大きくなっていいんじゃないかい?
 タカラヅカには番手制度がある。大野くんが「萌えクール男をやらせたい」と思う生徒が2番手だったら問題はないんだけどね。
 『NEVER SLEEP』の七帆、『Bandito』のとしくんは、この公演の2番手だから存分に「クールだぜ! 美形だぜ!! もうひとりの主人公だぜ!」とやれる。
 でも、『ロシアン・ブルー』も『一夢庵風流記 前田慶次』も、萌え役をさせたい生徒は2番手じゃない、2番手は親友をさせたいキャラだから、萌え役は比重落とそう。
 比重落としても、もともと思い入れのある役だから、出番少なくてもインパクト大、てな感じにはなる。それはそれで楽しいけれど、今回の『Bandito』みたいに、素直に2番手が萌え役やってる方が収まりがいいな。

 と、いろいろ考えてしまうのは、大野せんせの嗜好のひとつのど真ん中を行く作品だなあ、と思ったせい。

 主人公と、彼に惚れ込んでる親友、そしてもうひとりの主人公たる黒い役。この3つが基本設計。
 んで、真の敵は別にいる。3人がそれぞれの立場で、最終的に真の敵と対峙することになる、てな。

 直近だから『一夢庵風流記 前田慶次』を思い出すんだけど、せっかくの2番手が演じる親友役だったのに、ちぎくんはともみんとひとつの役割を分け合ってしまったから、いまいちおいしくなかったんだよなあ。

 と、『Bandito』のまゆぽんを見て思う。

 二枚目寄りなら『ロシアン・ブルー』のゆみこの役だし、三枚目寄りなら『Bandito』のまゆぽんの役。だけどちぎくんは、三枚目的なおいしさをともみんに取られ、その分比重が下がってゆみこにもなれず、ああいう役に落ち着いたんだなあ。
 せっかく原作があるのに、オリキャラのともみん(親友)、まっつ(黒い役)に自分の萌えを託し、原作キャラの活躍を減らしたのはどうかと思うよ、創作姿勢として。

 で、そのあと、自分のオリジナルで、『前田慶次』のフラストレーションを発散するべく、同じラインの話を、さらに欲望に忠実に爆発させてるのを見ると(笑)。

 大野くん、ほんとヲタクだなあ、と。


 まあそれはともかく。

 たまきちが男っぽい持ち味のスターだから、より男っぽい物語を与えたくなるのはわかる。たまきちだから、というのもわかる。

 でも。

 わたしは今回、改めて思った。

 大野せんせの男子ハートで書かれた作品ってさ、真ん中は、タカラヅカ的キラキラを持つスターでなくてはならないんじゃないかって。

 本物の銃とか刀とかに凝るマジヲタ男の書く、「男が萌える男の話」っすよ。
 これをそのままやってしまったら、タカラヅカ度が下がる。それこそ、公演ポスターが物語っているように。どこの石原裕次郎っていう。

 今回と同じ物語、同じキャラクタを、たとえばあさこ様がやったらどうよ? 同じ衣装と髪型と小道具とポーズで同じポスター撮っても、「これこそタカラヅカだわ! かっこいい!」になったろう。
 本編だって、どんだけ泥臭いモノを描いていたって、キラキラしたモノになったろう。
 『NEVER SLEEP』だって、らんとむだったから、小洒落た作品になった。無骨にやられたらいくらでもハードさが上がったろうに、タカラヅカらしい甘さが前面に出た。

 大野せんせの作品には、タカラヅカタカラヅカしたスターが真ん中に必要なんだと思う。
 プロットの面白さとか骨太な演出とかは、真ん中がキラキラすることで化学反応を起こし、佳作へと発展するんだと思う。

 『記者と皇帝』 が面白いプロットなのに、いまいちいい方向へ発展しなかったのも、真ん中の持ち味ゆえか。と、今頃気づく。
 あんときは反対に、「座付きなら、みっちゃんをかっこよく見せる脚本を書くべき」と、主役目線で思ってたけど。

 大野作品が、真ん中を選ぶんだわ。ヅカのど真ん中持ち味スターなら面白いことになる、そうでないと、作品の泥臭さに足を取られる。
 や、作品自体は繊細なんだけど……でも、その繊細さって、戦車の設計図が細かいとか姫路城の設計図が細かいとか、そういう繊細さで。ガラス細工の繊細さとかクリームで出来たお花の繊細さじゃないっしょ。

 男っぽいたまきちはいいんだけど……物語も硬質でいいんだけど……全体として感じるコレジャナイ感。
 たまきちを真ん中にしてやるなら、コレジャナイ。この物語をやるなら、たまきちじゃない。

 恋愛脳のキラキラ持ち味スターなら、これっぽっちの恋愛要素でも十分「大恋愛モノ!」の雰囲気を醸し出したろうし、骨太ストーリーでも石原裕次郎ではなく、少女マンガ的にまとまっただろう。
 たまきちなら反対に、もっと真正面から恋愛やって、ロマンチックにした方が良かったと思う。そんだけやっても、彼の肉厚かつ誠実な持ち味は、甘ったるいだけの物語にはせず、地に足の付いた骨のある男の物語になったろうから。


 面白い話だけれど、いろいろもったいないなあ、と思った。『Bandito』。
 わーい、大野先生の新作だ~~!
 と、よろこんで行ってきました、『Bandito-義賊 サルヴァトーレ・ジュリアーノ-』初日。

 もちろん、プログラムを購入。他の公演では買わないことも多いけど、大野作品は買うと決めている。なにしろ情報量半端ナイから(笑)。

 表紙はポスターと同じ画像。
 漂う昭和のかほり。石原裕次郎とか、そっち系。
 つまり、あんましヅカ的でも女性向けでもない……。
 てゆーかたまきち、オールバック似合わないなあ。ブーツインしたパンツ姿も、土木作業員的泥臭さを感じる。
 たまきちは美貌売りでもフェアリー売りでもないので、「漢」売りは正しいのかもしれんが、もう少し一般客がときめく絵面にしても罰は当たらないんじゃないか、大野くん……。

 と思いつつページを繰ると。

 ちょ……っ!!

 真紅の薔薇の花びらの上に寝そべるたまきち様。
 いきなりの、お耽美。

 片手に拳銃、背中には血のり。
 散った花びらは、血なのでしょう。
 乱れて頬に落ちる前髪、息絶える寸前の、憂いある表情。

 石原裕次郎からのギャップひどい(笑)。

「なんでこっちをポスターにしてくんないの……」「これがあるなら、どうして……!」客席のあちこちから聞こえてくる声。
 みんな、あのポスターに疑問持ってたんだなあ(笑)。

 ほんと、最初からこっちの画像出してたら、集客も変わっていたんじゃないかと思います。
 それくらい、タカラヅカ的にきれいな、みんなが見たがるだろうときめきのあるたまきち様でした、プログラム中の写真は。

 しかしラストページはまたしても石原裕次郎なたまきちで、あー、やっぱこの路線なのかぁ、と肩を落とし、最後にページを閉じて裏表紙を見ると。

 「漢」の背中、キターーッ!

 せっかくの主演公演プログラムの貴重な写真ページなのに、後ろ姿。顔映ってません。
 これきっと大野せんせのこだわり。絶対そうだ。

 その「後ろ姿」の「漢」っぷり。

 ジェンヌ(性別・女性)の背中じゃないねっ! 男だよ、リアル男性。男子じゃなく、男性。
 そのへんにいるもやし男たちなんか束になってもかなわないよ、このままやくざ映画に出られるよ! な、肉体派男優の立ち姿だね!(笑)

 かっこいいかどうかはともかく、そのなみなみならぬこだわりに感銘を受ける。
 いや、かっこいいよ。かっこいいけど、タカラヅカ王道のかっこよさじゃないので……女性ではなく、男性目線のかっこよさじゃないの、これ? という疑問を持つ。
 そーいやポスター画像も石原裕次郎、すなわち男性目線のかっこよさだなあ。男が惚れる男、「団長ォッッ!!(滝涙)」ってやつ。

 まあそんなプログラムに「大野くん……」と薄笑いを浮かべつつ。

 幕が開きました。

 たまきち様の、「漢」の背中、キターーッ!

 プログラム裏表紙です、同じことやってますっていうか、どんだけこだわってんの!!(笑)

 ああもお、ほんとにほんとに、やりたかったんだ……好きなんだ……。
 タクジィの意気込みに、幕開きから笑いツボ押されまくりました……た、たいへんだなあ、たまきち……体格良しさんだからって、大野せんせの萌えを託されちゃって……(笑)。

 いやいや、ともかく。

 物語は、「男たちの青春」でした。
 女はいらん、ちゅーか、飾りとか象徴とか、心の奥の聖域に安置、という、男性向けフィクションにありがちなヤツ。
 望まずして英雄の名を得た青年ジュリアーノ@たまきちの自分探しと友情メイン。
 男男した話だから、男っぽいたまきちに似合うと思う。つか、たまきちだからこうなった、という面は大いにあると思う。

 でも、なんつーか……。

 観ながら思いだしていたのは、『NEVER SLEEP』だ。『ロシアン・ブルー』も脳裏をかすめた。直近だから、『一夢庵風流記 前田慶次』も。
 とゆーのもだ、暗い過去(裏切り関連)を持つクールガイというヴィトーさん@としくんの立ち位置がねー……またしてもコレですか、「暗い過去」「心の傷」というとコレしかないのかと、まったくもってブレない大野くんの萌えキャラ造形に草が生えるっつーかもう(笑)。

 主人公はアツいハートの男、それに対峙する「黒い役」はクールで寡黙。ポイントは、この対峙する相手は、悪役ではない。むしろ、心の友たり得るナニかを有する役どころ。もうひとりの主人公。
 主人公には親友や仲間がいて、対峙する男は孤独。主人公は男たちから愛され頼られる人間的な魅力を、対峙する男は孤高の格好良さを描く。
 大野せんせのこのワンパターンっぷりが剥き出しで、どうにも気恥ずかしい。

 昔、サイトーくんが判で押したように同じ話ばかり書いていて、彼のリビドーが剥き出しで恥ずかしかったのを思い出した。
 谷作品の主人公もみんな同一キャラで、彼の萌えと興味があからさますぎてつらかった。

 大野せんせは設定ヲタク入ってる分、うんちく垂れつつ結局いつも同じ話、つーのに、バカッパワー丸出しのサイトーくんより気恥ずかしさが強いのだわ……いやそのわたしにとって。

 んで、過去に体感した大野タクジィ作品を脳裏にまたたかせつつ、彼が同じ萌えツボで描いていても、ヅカのスターシステムの壁により、ストレートに配置出来ていないんだなと思ってみたり。

 主人公と、彼に対峙するもうひとりの主人公。
 これを、トップと2番手でやっていい場合は、対峙する男側のエピソードも挿入可能。
 だが、それが適わない場合は、対峙する男はスパイス的な扱いになる。この場合、2番手は主人公の親友。

 んで、より2番手の「美形度」が上がるのは、対峙する役の場合。
 そりゃ親友もオイシイけど、主人公とラヴラヴなので「かっこよさ」は減る。男はしあわせでにやけているより、傷を抱いて孤高の方が美しさが上がるからねえ。

 2番手役の美形度が上がれば、相対的に主人公の男前度も上がる。

 てことで、2番手のとしくんが「対峙する男」を割り振られている『Bandito』は、なかなかどうしてえらいことになっている、と。

 いくらでも萌えていい作りになっているからだ。
 ……や、大野くんが(笑)。
2015/01/29
花組 退団者のお知らせ


下記の生徒の退団発表がありましたのでお知らせいたします。

(花組)

華耀 きらり
神房 佳希
桜帆 ゆかり
夢花 らん

2015年6月14日(花組 東京宝塚劇場公演千秋楽)付で退団

 そうか、ついに来たか……。
 きらりちゃん。

 研13、4月からは研14になる学年だから、卒業は近いだろうと思っていたけれど、ついに、卒業してしまうのか。

 わたしの花担時代に、華やかに輝いていたスターのひとり。
 わたしの観劇回数順は、贔屓のいる雪組がいちばんで、次が贔屓のいた花組だった。だから、担当が雪組になったあとも他の3組よりは花組を多く観ているし、花組を見るときの視点は贔屓が花にいた頃に活躍していた人たち中心だった。
 いちか、じゅりあ、きらり。……娘役ではやっぱ、彼女たちを眺めないと「花組を見た」という気がしない……ってくらい、いつも当たり前にわたしの視界にいた。

 いちかが去り、きらりも去るのか……。

 きらりちゃんをはじめて認識したのが、『NAKED CITY』だったな。そのヒロイン度の高さに驚いた。ちょい役だけど、この子きれい、かわいい、目立つ!
 きっと早々に新公ヒロして、ヒロイン道を進むんだろう……と思った矢先の休演。復帰して、さあ今度こそ、と思ったらまたしても休演、休演……。
 タカラヅカってやっぱ、タイミングだなあ……。あのとき休演が続かなければ、きらりのジェンヌ人生はどうなっていたんだろう?
 新公ヒロできなかったのは痛い。というか、もったいない。
 つくづくヒロイン向きの人だと思うから、路線として育てられるきらりも見たかった。
 いやその、歌はものすごかったけど(笑)。

 でも、新公ヒロしてないからこそ、この学年までいてくれたのかもしれないね。
 おかげで長くその美貌を、華を楽しむことができた。
 歌だって、きらり比ですごく良くなったし!

 かわいこちゃんから年増美女、個性的な役までなんでもこなすスター力のある人。
 いちかは芝居巧者だと思ったけれど、きらりはやっぱり、スター枠の人だな、わたしにとって。

 花組の視点が、またひとつ減ってしまうのか。
 寂しいなあ。
 『ルパン三世―王妃の首飾りを追え!―』の感想あれこれ。

 ロアン枢機卿@きんぐ、楽しそうだな(笑)。

 きんぐはいつも楽しそうに舞台に立っていると思って見ているけれど、今回はいつもにも増して楽しそうに見える。
 ロアン枢機卿って、きんぐの得意分野の役だよね? 任せろ!だよね? つか、アテ書きだよね?(笑)

 だからこそ……なんか「チガウ」と思うなあ、今回。

 悪のりしてるように見える……。

 きんぐのきんぐらしい役で、本領発揮で、見せ場も出番もあって、今までのきんぐの扱いからいって格段にいい役で、だからすごくうれしいのはわかるけど……。
 むー……。

 もう少し、「芝居」として作って欲しいなあ。

 小柳たん作品ではきんぐの扱いは総じて良いし、買われているんだと思う。
 人柄の良さの見えるところが、きんぐの美点。きれいな顔でスタイルも良くて、笑顔がかわいくて、ガンサーで釣り師で赤面系で、実力的にはいろいろ微妙だけど、すべてひっくるめて愛しくて仕方ないキャラクタ。
 くそーっ、きんぐ好きだーー!!

 ……てなことは置いておいて、今回はちょっと残念。
 得意分野でアテ書きで、というときにこそ、ガツンと濃いぃのをカマして欲しかった。

 それでもノリノリの壁ドンからおしり撫で回しまで、いつもオペラでがっつり見てますけどね、きんぐ好きーー!! おいしくいただいてますけどね、きんぐステキーー!!(言動不一致)


 相棒も悪かった。
 マリー・ルゲイ@ヒメも、悪のり系の人。
 つーかきんぐと違って確信犯(間違った意味で)だと思うな、この人は。それも含めてヒメというキャラクタ、というイメージ。

 きんぐとちがってヒメには、舞台的な実力がある。ダイレクトに客席へ伝える力は、彼女のが絶対強い。
 それをうまく使うときのヒメはすげー心強いんだけど、暴走するとなかなかにクラッシャーなのよねえ。

 リピーターだから日替わりのお笑いシーンは楽しいけれど、初見の人向けではないよなあ。
 笑いを取ることに情熱を傾けすぎて、「ナニをしているか」という情報を伝えることが二の次になっている。

 ヅカをほとんど観ない(見ても理解出来ない)母が「久しぶりにタカラヅカ観たい」と言い出したので連れて行ったんだけど、やっぱりなにひとつ理解出来なかったらしい。
 「お話も出ている人もなんにもわからなかったけれど、生の音楽を聴いて、きれいなものを観て楽しかったわ」と言う母がただひとつ、「きんきん声の歌がつらかった」とだけ触れていた。

 初日はあそこまできんきん声の歌ではなかったと思うし、ロアンを騙す場面も、台詞の意味が汲み取れないほどおかしな抑揚はつけてなかったと思うんだが?
 テクニックがある分、遊びすぎている気がする。

 ヒメはそれでも技巧を感じるんだけど、きんぐを巻き込むのはやめて、きんぐのゆるさとかわいさは、そーゆーとこにはナイの。
 ってわたしほんとに、きんぐに甘い。


 この公演のヒメの躍進ぶりというか、新体制になってポジションアップしたのって実はヒメがいちばん顕著なんじゃ?と思った。
 ゆめみちゃんが卒業したことにより、「歌手」ポジを独り占め、っつーか。別にヒメひとりですべての歌を歌っていたわけじゃないが、これまでの倍的な体感量。芝居もショーも併せて。
 わたしはヒメの歌声が好きなので、初日はおおっとよろこんでたんだけど、回数観るたびにそのパワーアップぶりに置いてゆかれた。
 も少し落としてくれるとうれしい……。

 ヒメには長くいてほしい。その実力、そのパッション、その個性に感動している。ヒメに活躍の場があるのがうれしい。
 だからこそ、全開出力で周りを吹っ飛ばす癖をなんとかしてほしい……。たぶん、ヒメはヒメが思っている以上に力があるんだよ。昔のヒメならいくらフルスロットルでもクラッシュしなかったろうけど、昔とは学年が違うんだ、経験が違うんだ。
 「ザザちゃん絶好調!!」の『ノン ノン シュガー!!』は拍手喝采だったけど、今はもうザザちゃんじゃダメだと思うの。

 と書きつつも、ヒメのフルスロットル舞台を観てみたい気持ちもある。
 『New Wave!』の上級生版が観たい。みとさん、ヒメ、にわにわ中心に『Old Wave! -雪-』やってくれたら大よろこびで行くけどなー。
 みとさんの歌声も好きだー。にわにわはもちろんのこと。


 ポリニャック公爵夫人@きゃびいが、なんか好きだ。

 や、新しいポリニャック夫人だわ。
 アントワネット様に、タメ口。てゆーか、ナチュラルに、上から。

 でもこのポリニャック夫人ゆえに、アントワネット@みゆちゃんの人となりがわかる。

 つまり、ふつーに、友だちのいる女の子。

 『ベルサイユのばら』のアントワネットには、取り巻きはいても友だちは皆無なのね。ポリニャック夫人を「大切なお友だち」と呼んでいるけれど、ポリニャック夫人は野心家だし、アントワネットも身分と立場で一線を引いてるし、ぜんぜん友だちに見えない。
 ただ、アントワネットをヨイショしているだけの存在に見える。
 そんな相手にころっと騙されて大金をむしり取られるアントワネットの愚かさだけが印象に残る。

 現実的に考えて、友だちひとりいない成人女性って、どうよ?
 なにかしら問題あるから、他人が近づかないわけよね?

 そんな「本人の問題」を軽々否定したのが、今回のアントワネット。
 「ふつーの女の子」だから、もちろんふつーに「友だち」がいる。

 ポリニャック夫人は打算ありでアントワネットに近づいたのかもしれないが、それはそれとして、このアントワネットとポリニャック夫人には友情があるんだろうと思う。
 でないと、王妃様へのタメ口なんて、許されてないでしょ。

 窓からの侵入者、怪しい上に無礼なルパン@ちぎくんに対しても、じつに素直な対応だったアントワネット。好意の上でなら、タメ口をきかれても怒らない子なんだ。

 ふつーにタメ口でガールズトークできる友だちがいて、ナンパしてきた男に気安く対応出来る、そんな「ふつーの女の子」アントワネット。
 ポリニャック夫人の一言で、なにもかも線でつながる。

 マリーちゃんとポリニャック夫人が、普段どんな風に話しているのか、想像出来るもんなあ。
 その厚みのある設定が、楽しい。

 きゃびいがまた、いかにもな強さを持っていて、頼もしい。
 そりゃこの貫禄ある貴婦人なら、王妃様相手でも臆さず親友するでしょうよ、と。
 小柳タンの作品がマンガ的である、ということについてうだうだ語る。

 日本のコミックのすごさは、どんな題材も「現代」に自動変換されることだと思う。
 もちろん程度の差はある。時代感を大切に再現した作品もある。

 でも、大半は自動変換機能付きで描かれている。だってそれがマンガという表現手段の持つ特色であり、強みなんだもん。武器は使ってなんぼっしょ。

 たとえば江戸時代が舞台だからって、史実のみで描く必要はない。着物だって「絵として映える」ものにしていいし、生活習慣や文化も「わかりやすくデフォルメ」していい。
 言葉も時代劇にしなくていい。ふつーに現代の若者語を喋っていいし、巨乳やツインテール、ツンデレなどの言葉もOK、それが通じる・当たり前に在る世界観。
 「江戸時代ですよ」という説明があり、それらしく見えるモチーフさえあればいい、あとは全部「現代感覚」でOK。
 描きたいのは歴史書ではなく、その時代を使った「別のナニか」だから。

 現代と同じ生活をしている人間が、現代と同じ価値観で繰り広げる物語を、何故わざわざ江戸時代でやるの? それなら現代でいいじゃん。……てコトはない。
 だって、チャンバラやりたかったら現代じゃ無理じゃん。
 幕末とかの「その時歴史が動いた」系の話も無理じゃん。
 そんな大きなことでなくても、身分違いの恋も、ご近所人情モノも、かけおちも心中も、命懸けの友情も、義賊や怪盗、名探偵ものだって、現代でリアルに描くとなると大変じゃん。
 それより別世界を借りた方が手っ取り早い。

 もちろん、別世界を構築する苦労は別にある。手っ取り早い、というのは簡単という意味じゃない。
 手段と特長の話。

 どんな世界の話でも、ふつーに現代感覚で表現出来るジャンル。
 マンガすげーー。


 で、小柳タンの『ルパン三世―王妃の首飾りを追え!―』
 タカラヅカのお家芸であるフランス革命、マリー・アントワネットを使っているから余計に強く感じた……「マンガ的」であること。

 フランス宮廷の描き方、その時代の人々の喋り方などが、「現代」なのね。
 自動変換済みなの。
 当時の人々の価値観や文化に合わせた表現じゃない。

 たとえばルパンがアントワネットに語る自身の冒険譚。「モナリザの笑み、ギザのピラミッド」……観客であるわたしたちにはわかるけれど、アントワネットに理解出来るのか?
 「キリストの爪、ブッダの髪」って、わたしたちには別にどーでもいいことだけど、ガチの宗教民にはやばくないか?
 18世紀の人々の生活や価値観は関係ない、そこにあるのは「現代のわたしたちの目線」。
 だからそこになんの説明もない。
 もっとわかりやすい例だと、ルパンは「イケメン」という単語を使う。それがどういう意味かの説明はない。通じてるんだ、18世紀のフランスで。
 それをいったらそもそも日本語で上演してるじゃん、という話ではないよ。
 作品中のルパンたちは18世紀のフランス語を話しているんだろう、ただそれを日本語で演じているだけで。
 その前提だとしても、「イケメン」はおかしい。現代ではふつーの言葉だけれど、10年前にはなかったような言葉だ。10年後にも、ないかもしれない言葉だ。
 ついでにいうと、ルパンがいうところの「現代」も、いつかわからない。2015年なのか、アニメ『ルパン三世』がガチに放映されていた昭和時代なのか。2015年を表すような表現はなかったと思う。首飾りの警備も実に昭和的だったし。
 時代感むちゃくちゃ。
 でも、それでいい。細かい時代考証なんか重要ではないんだ。「現代の」わたしたちがわかりやすいから。

 だから18世紀のアントワネットは「現代のふつーの女の子」の感性で生きているし、カリオストロ伯爵もまた「現代のふつーの青年」の鬱屈を抱えている。

 どんな題材も現代へ自動変換。とてもマンガ的な手法。
 小柳タンが自覚してやっているのかどうかは、よくわかんない。
 『ルパン三世』でなくても、他の作品もみんな、マンガ的なんだもの。
 だから無意味な「アニメ手法をそのまんま舞台で再現しました」などたばたを、心から不要だと思う。
 そんなことしなくても、全体を通してマンガなんだもん。小柳タン作品は。

 それより「タカラヅカ」を尊重して欲しかったなあ。



 てな話ののちに、ひとりごと。

 先日、このヅカ版『ルパン三世』を元に、個人的趣味でパロディ小説書きながら、自分に言い訳してたのね。
 18世紀人のカリオストロの一人称小説を書くなら、もっとそれらしくしなきゃいけないのよ、本当なら。
 彼の生きた時代を根幹に、言葉を選び、文章を構築しなければならないの。
 たとえ舞台が現代であろうと、カリオストロが現代にタイプワープして現れたのであっても。
 18世紀の人間が知らない言葉や概念は、使ってはならない。その言葉や概念を知らないという前提で、その言葉や概念に反応しなければならないし、知らないことは別のアプローチで表現しなければならない。
 三人称ならともかく、一人称はなー。地の文=世界観だからなー。現代日本でのみ使われている安直なカタカナ語とか使っちゃいかんよなー。
 それは小説を書く上で、当たり前のことだ。
 でもわたしは、まったくの現代の言葉と感覚で、カリオストロを書いた。
 だって、めんどくさいし。←
 いちいち「これって18世紀ヨーロッパにあったかな?」とか調べて書くのめんどくせーよ。や、仕事なら調べて書くけど、遊びで書いてる二次創作でそこまでしたくないし。
 というのが本音の大部分だが(笑)、それとは別に「だって小柳タンの『ルパン三世』ってそういうもんでしょ?」というのが、ある。
 あの舞台の上の人たち、みんな現代人だったもん、感覚も言葉も。キャラのイメージを大事に描いたらどうしても、現代語になっちゃった。
 や、本気でこだわって描くなら、たとえ原作舞台で現代人が現代語を使っていたとしても、小説ではあえて18世紀っぽい表現で、現代感覚を描くというめんどくせーことをするんだけど。
 そーゆー手間をかけるよりも、パッションのままに筆を走らせるの優先、だってだって萌えなんだもの、萌えを文章にしたいだけなんだもの。
 しちめんどくさい技法やら考証やらよりも、萌え優先。
 そーゆーとこも全部ひっくるめて「『ルパン三世』パロ」だと。

 言い訳ですねー(笑)。


 小柳タン作品はマンガ的だからこそ、もともとマンガ・アニメ畑のヲタであるわたしは、とても素直に「遊べる」。
 世界観やキャラを使って。

 てことで。
 好きですよ、小柳作品。
 カリオストロのことばかり語ってますが。

 『ルパン三世―王妃の首飾りを追え!―』のヒロイン、マリー・アントワネット@みゆちゃんがかわいい。

 タカラヅカには『ベルサイユのばら』という有名作品があって、名前だけは超有名だし、実際大昔は本当に名作だったのだろうけれど、現在現実に在るタカラヅカの『ベルばら』は駄作の中の駄作、物語とも作品とも呼べないようなひどいシロモノで、なかでもキャラクタの人格破壊は凄まじく、アントワネットは「他人から嫌われるための完全装備完了」ってくらい、人間として終わっているレベルのひどい描かれ方をしている。
 それを見慣れた目にはもう、同じ元ネタ(歴史上の人物)を使って作られているのが奇跡のように、かわいくいじらしいキャラクタになっている。

 お忍びデートで「被害者ぶるのはみっともないぜ」とルパン@ちぎくんに言われたあと、初見時わたし、身がまえたんだ。「だって!」と言い返すアントワネットを想像して。
 囚われの塔の上から助け出してくれた王子様に、可哀想なわたしモードで泣き言を口にしたんだよ、優しい言葉を期待してるに決まってるじゃん。なのにまさかたしなめられるなんて……ふつーならここで言い返す、言い訳する。植爺キャラなら間違いなく逆ギレする。
 だけどマリーちゃんは、言い返さなかった。言い訳も責任転嫁も、後ろ暗さを隠すために攻撃に転じることもなかった。
 「ええ、そうね」とそのまんま受け入れて、消沈する。
 なんて、素直な子だろう。
 実際、宮廷での態度は大人げなかったし、バカな王妃だったんだろう。でもそれは、本人が認めている通り、無知な子どもだったからだ。未熟さゆえに自分のことで精一杯、周囲を見ることも、他人の立場を想像することも出来なかった。
 無知なだけで、邪悪ではない。
 無知を恥じることが出来るのだから、変わることも出来るはず。ただ、その一歩を踏み出せずにいるだけで。
 新しいことをはじめるには、勇気がいる。めんどくさいだろーしさー、しんどいだろうしさー。やらなきゃいけないとわかっていても、ついつい後回しにしちゃうよね。

 そんな風に、もともと善良で、自分がナニをすべきなのか、自分である程度考えて進むべき方向を見つけて、そちらをすでに向いている、ただ、まだ歩き出せずにいる……そんな女の子だったんだな、マリーちゃん。
 放っておいても、いずれ自分の力で最初の一歩を歩き出したかもしれない。だけどそれは先のこと、今現在は立ち止まったまま。
 そんなマリーちゃんの背中を優しく押したのが、ルパンだ。


 なんていうか、すごく「ふつう」なんだ。
 18世紀とか王妃とか革命とか、そういう背景があるにはあるが、そこで描かれていることが、「ふつう」……現代モノ。
 現代のふつーのドラマみたい。
 それが、この作品が「マンガ的」であるということなんだろう。

 日本のコミックはすごいよー。どんな時代のどんな世界を舞台にしていたって、ふつーに「現代」の感覚で表現できちゃうんだからね。

 小柳タンは当たり前にマンガやアニメやゲームという、「とびきり柔軟な文化」を呼吸して育ってきた作家なんだろうな。
 題材がなんであろうとみんな「マンガ」にしてしまう。

 今回は『ルパン三世』というアニメが原作だから、小柳タンは正しい。小柳タンのカラーで正しい。
 マンガ的な「等身大の女の子、マリー・アントワネット」が正しい。

 だからこそ、マリーちゃんはかわいいんだ。
 いじらしいんだ。

 現代にふつーにいる、ふつーの女の子だから。
 彼女のことを、応援したくなる。


 みゆちゃんの演じる立体感が好きだ。
 脚本に書かれている以上のことを表現する力。
  わたしとチャンネルが合うだけなのかもしれないけど、みゆちゃんのアントワネットに、「人生」を感じて泣けるんだ。
 彼女の抱えている不安や孤独、この先の運命、全部勝手に受け取って、騒動して、切なくなる。
 だから、「一晩だけのデート」で無邪気に笑うマリーちゃんに泣けるんだ。

 かわいい。この子かわいい。
 この子は、しあわせになってもいいはずだ。しあわせになってほしい。
 切なくて、胸が締め付けられて、苦しくて、ルパンを見る。「ヒーロー」である、ルパンを見る。
 助けてルパン。
 不可能を可能にして。奇跡を起こして。

 わたしの願いを受けて、ルパンは動く。
 マリーちゃんを助けるために。

 歴史を変えて、運命を変えて。

 だから、『ルパン三世』。
 絶体絶命のピンチを、あざやかにひっくり返す。深刻ぶらずに、軽やかに。

 マリーちゃんを助けて、は、観客であるわたしの願い。それを叶えてくれるから、ルパンは物語の中でも、そして、舞台を観ているわたしにとっても「ヒーロー」なんだ。

 うあああ、かっこいいーー!

 脱出のどたばたは心底いらねーと思うけど、プロット自体は気持ちよく機能してるよなー。

 ちぎみゆいいよな。
 ちぎくんの少女マンガめいた美貌に、みゆちゃんのヒロイン力は絶大な効果を生む。
 これから楽しみだ。
 わたしにとって『ルパン三世―王妃の首飾りを追え!―』が面白くなったのは、カリオストロ@だいもんの面白さに気づいたとき。まあぶっちゃけ2回目からなんですけどね、初見では「これ『タカラヅカ』ぢゃねーし」ということに引っかかってて。

 いやあ、カリオストロ面白いわ。萌えだわ。

 ルパンは主役だけど物語の本筋じゃない。彼は最初から完成形で、徹頭徹尾なにも変わらない。
 物語の中で変化し、カタルシスを形成する者こそが「主人公」、起承転結があるのはマリー・アントワネット@みゆちゃんとカリオストロのみ。
 このふたりは、主役ルパンに出会うことで運命が変わる。本筋の中心にいるキャラクタだ。
 で、どっちがより重要キャラかというと、そりゃもちろんヒロインであるアントワネットだ。彼女の首飾りが発端でルパン一味は時を超え、彼女を救うためにルパンは奔走することになる。カリオストロに出会うのは、その過程でだ。
 しかし。
 面白いのは、カリオストロ。
 「ルパンに出会って、もっとも変化した人物」だからだ。

 マリーちゃんはルパンによって人生が変わる。
 断頭台の露と消えるはずの彼女が、愛する家族とともに生き長らえ、現代にまで子孫を残す。歴史すら変えてしまう大泥棒ルパン三世すげーー! や、表向きはなにも変わってないことになっているし、誰も不幸にせずひとりの女性を救ったんだもん、すごいよね。
 でもさ。
 マリーちゃんがルパンによって変わったのは人生だけ。

 人生プラス、生き方まで変わったのは、カリオストロ。

 アントワネットは起承転結の転がなく、ルパンが再び彼女に出会ったとき、彼女はもう大人になっていた。生き方が変わる、人生の起承転結の転にルパンは関わっていない。
 死ぬ運命を変えただけで、彼女の生き方には関与していない。

 ところが、カリオストロはどうだ。
 ルパンによって生き方を考え直し、人生も変わるんだ。

 マリーちゃんとカリオストロの、ルパンとの関わり方の差が、その後の彼らの生き方に反映されている。
 マリーちゃんはルパンに救われ、感謝しているけれど、そこで終了、彼女の人生にルパンは必要ない。ルパンは彼女の人生を変えただけで、生き方にはタッチしていないためだ。
 が、カリオストロはだ。
 時を超え、奇跡を起こしてまで、ルパンを求めている。
 数年後に獄死する運命だったカリオストロの人生を変えただけじゃない、大切なモノを否定し心を閉ざしていた彼の「生き方」自体を変えたんだ。
 マリーちゃんとの差。ヒロインのはずのマリーちゃんはルパンのことは「青春時代の思い出」として終わらせているのに、カリオストロは現在進行形で終わらせない。
 ルパンと出会うことによって「本当の錬金術師」として目覚めたカリオストロは、さらに腕を磨いて自在に時を操れるまでになった。ステップアップしてまで、ルパンと関わり続ける。
 ヒロイン以上に、ルパンを強く求めている存在。

 そう。
 『ルパン三世』が俄然面白くなったのは、カリオストロの面白さに気づいたとき。

 この話ってさ、カリオストロがルパンに恋して奇跡を起こす話ぢゃね?(笑)

 ヒロインよりも、よっぽどヒロイン。
 ルパンとは二度と会わずに家族と平和にしあわせに生きるマリーちゃんより、奇跡を起こしてまでルパンを追い求めるカリオストロの方が、はるかにヒロイン度高い。

 ラストシーンのカリオストロは、ちゃんと現代の服を着ている。
 つまり、18世紀から直接、はじめて現れたのではなく、もうちゃんと現代で生活しているんだろう。
 現代に来たのがはじめてでない以上、そこでルパンを探すことはできたはずだ。だが、そうはしなかった。
 アントワネットの首飾りという、ルパンとの思い出のアイテムを絡めて……もしルパンが自分を忘れていたとしても絶対に思い出すであろうシチュエーションで。
 どんだけがんばったんだ、カリオストロ。何度もふつーに現代に来て、衣装も文化も学んだ上で、ルパン一味のことも調べて、あのときあの瞬間を狙って、わざわざあんな大仰な登場をしたんだよ? あのとんでもない口上まで付けて。
 全部全部、ルパンのため。

 ラストシーンはツボにはまって、笑えて仕方なかった。
 どんだけルパン好きなん、カリオストロ!!
 ヒロインのはずのマリーちゃんはルパンなんか関係なく天寿を全うしたろうに、カリオストロひとり、こんなにこんなにルパンにこだわって、がんばって。
 200年懸けて、会いに来た。

 おかしいやら、切ないやら。

 ルパンに恋して200年。
 時を超え、時代を超え、奇跡すら起こして。

 ああこれってマジ、カリオストロの物語。ルパンと出会って人生変わって、これからも彼と関わり続ける。エンドマークなし、to be continued、ネバーエンディング、変わらない終わらない、ああそれってなんて『ルパン三世』。アニメの『ルパン三世』は決して変わることなく終わることなく回り続ける。

 だから俄然、面白くなった。
 カリオストロは「タカラヅカ」なキャラクタで、そして、『ルパン三世』の世界観に着地するんだ。
 キミに恋して200年、追いかけろ恋泥棒、萌えは正義。
 新人公演『ルパン三世―王妃の首飾りを追え!―』、キャスト感想いろいろ。

 えーちゃんがこわい、えーちゃんがこわい、えーちゃんがこわい……(笑)。

 誰だ、えーちゃんに悪役(←)やらせたの!!

 ジャンヌ@えーちゃんが、ものごっつーこわかった。
 いやあ、えーちゃん全開! こっええええ。

 悪役といっても、かわいげのある悪党役なんだけど。
 えーちゃんが演じるとマジ悪役。冷酷。悪の女王。こえええ。

 本当の悪役なら、あんなにこわくても問題ないというか、かえって記憶に残らないかも。
 味方側の「悪ぶってるけどほんとはいい人」の役割だったりするから、その容赦ない冷酷さに震撼。

 いやはや、ええもん見ました(笑)。
 美人はあれくらい冷たくても絵になるね。悪でもステキだね。こわいけど。(まだ言う)


 その相棒、レトー@まからくん。
 あ、ふつーだ。
 って、ナニを期待してるんだ自分(笑)。
 『心中・恋の大和路』、『一夢庵風流記 前田慶次』新公とトリッキーな役割が続いたので、はたして「ふつーの二枚目」を演じるとどうなるのか。レトーは悪党だけど、主役チーム側の優男ポジション。少女マンガにもタカラヅカにも、ありがちなキャラクタ。
 今までそういうありがち二枚目を演じたことのない、個性派くんはどう出るのか……それを楽しみにしておりましたの。

 えーと、ふつうでした。
 ふつーにうまい。へたじゃない。まだ研3なら、十分うまい。
 が、舞台で眺める分には学年関係ないじゃん? 首から学年章ぶらさげてるわけじゃなし。だから新公らしいうまさの他は……二枚目に、見えない、というところに足を引っ張られる感じ。
 台詞で「イケメン」と言い切られている役なんだから、少女マンガ的甘さや美貌が必要な役なのよ。まからくん、うまいけど、学年からすれぱかなりうまいけど、美貌という点では……学年相応?

 本来の顔立ち云々の話じゃない。や、まからくんの素顔認識してないんですが、わたし。
 舞台の上で、美形であること、って、やっぱ技術だと思うのね。
 持って生まれた顔立ちだけじゃなくて、技術で「イケメン」に見せる。
 まからくん、『大和路』でも『前田』でも「うまい!!」ということは見せつけてくれたけれど、タカラヅカのもうひとつの重要なスキル、「美しさ」という課題がどーんと立ちはだかってきたかなあ。
 ……なんてのも、彼が学年のわりにちゃんと「うまい」から、ワガママに「もっと!」と求めてしまうのだ。


 ロアン枢機卿@おーじくん……本役さんとすげー印象チガウ役……(笑)。
 おーじくんの方が正しいんじゃないかな……あくまでも「物語の中の人」って感じ。きちんと作られた、芝居として成立した感。バカな男の役なんだけど、きちんと役割を果たしている立体感がある。

 本役さんはアレ、「芝居」としてはチガウと思うの……素人っぽいというかなあ。ヒメとふたり、悪のりが過ぎているというか。
 きんぐはそこがかわいいんだけどな。(きんぐに甘い)


 マリー・ルゲイ@ありちゃんが、肉厚。や、身体の大きさぢゃなくて(笑)。
 女優としての存在感が、気持ちいいの。
 そしてなんつっても、歌。
 歌詞がはっきり聞こえる。

 ヒメの金切り声は、キャラとしてはアリだと思うし楽しいんだけど、せっかくの「ストーリーに関係している」歌詞が聞き取れないのはマイナスだと思う。
 ありちゃんはきちんと芝居しながらも、しっかり歌で「聴かせる」。
 その技術の高さ。
 聴いてて気持ちいいっすよ。


 わたしのお気に入り翼くんは、研2の陽向春輝くんと組んで、銭形@あすくんの部下コンビ。
 「ニコイチ」の面白さを狙った役だから、個性を出す必要はないんだろうけど……研2の子と差もなくまとまっちゃってるのはなんだかな。や、陽向くんがよくついていってるんだろうけど。

 翼くんは「小物」をやるとほんとに小物になっちゃうというか、埋没してしまう。
 わざとなのか、そう指導されているのか。
 新公で専科さん系の役をやるたび「うまい」と言われるけれど、本公演その他ではモブにまざって「うまさ」が目立つことはない。
 抜擢を受ける子ってやっぱ、モブだとしても「あの子かっこいい」とか目に留まる・人の口に上るんだよなあ。
 『Shall we ダンス?』ムラ公演にて、代役の探偵助手役でナレーターも務め、そのうまさと存在感で一躍名を馳せたであろうホタテマンが、東宝公演で本来のモブ役に戻ったとき、どこにいるのかわからなくなった……あの感覚を思い出す。
 うまいんだよ、それはたしかなんだよ、ソロで役割を与えるときちんと見せてくれるんだよ……でも、それ以外だと埋没してしまう。
 そういう人も必要で、「オレ様スター様」な人だけでは芝居は成り立たない……わかっちゃいるが、ちょっと寂しい。

 いやほんと、ただわたしが翼くんを好きだという、それだけのタワゴトです。このままモブの人になってしまっては、スター制度のタカラヅカでは実力があったとしても役も台詞もろくにもらえず、結果「わたしが」活躍する翼くんを見られないから残念、という、あくまでもわたし中心の考え方です。


 セラフィーナ@彩みちるちゃん、うまいなーー!
 わたしが観た貸切公演で、抽選のお手伝いで出て来たときは、ガチガチに緊張してたけど、素で喋るときとお芝居とではこんだけチガウのか!!
 あやうげのない芝居で、研2とは思えない。
 イメージ的に本役さんにかぶるので、もっと娘役さんらしい繊細さがあればもっとステキかなと。……本役の有沙ちゃんが娘役というより女役さん風味なので、そこは踏襲しなくていいぞってことで(笑)。
 新人公演『ルパン三世―王妃の首飾りを追え!―』、キャスト感想いろいろ。

 次元@まちくんの「なにやってんのかわかんない感」を見て、本役の咲ちゃんの仕事ぶりに感心する。
 次元があまりに背景だ。いてもいなくてもわかんない。
 雪組一でっかい、明るい美形のまっちだが、帽子で顔わかんないし台詞も見せ場もないもんだから、存在感だけで居方をキメる、そんな芸当は到底出来ないんだなと。

 ていうか、台詞も見せ場もなく主役の周囲になんとなくいる、って、ふつうにまっちたち下級生がいつもやっていることで、同じことをやって「モブ」と「役名のある役」との差を出すのは……難しいことだろうなあ。
 個人的にまちくん好きなので、若いうちにもっと役を与えて鍛えて欲しい。どう育つのか見てみたい。


 反対に、五エ門@レオくんは、色をよく出していたと想う。
 まちくんよりずっと、真ん中寄りの育ちをしてきただけのことはある。ひとりだけ着物だからとか、そういう意味合いではなく、特異な空気を出していた。
 なにより、美しい。
 やっぱきれいだなー、レオ様。
 黙って坐ってるとお人形さんみたい。それがまた、異様な感じでステキ。そりゃカリオストロ@れいこもこわがるわ……なんか遠巻きにおそるおそるするわ……(笑)。
 五エ門は美形枠なので、ここでマジに美形極めてくれるのはうれしい。
 加えて、本役さんより動きがきれいなので、腕が立つっぽく見えた(笑)。このまま回数重ねればもっと洗練されて、より五エ門っぽく動けるようになるんだろうなと。
 相変わらず芝居はそれほどうまくないんだけど、台詞がよく聞こえたのは助かる。本公演で聞き取れない台詞がすっと耳に入ってきた。
 レオ様新公主演見たかったなああ。あすレオ1回ずつ主演してくれたら、どんなにうれしかったろうなあ。


 本役の不二子ちゃんに満足出来ていないわたしは、新公にちょっと期待していた。
 男役が演じる不二子は女らしさと色気に不満がある、それなら娘役の演じる不二子はどうだろう、と。
 ただ、新公不二子役の子は、前回の新公で「女らしさと色気」はあまり感じない子だったから(笑)、期待はちょっと止まり。

 うーん。
 不二子@ゆきのちゃんは、とりあえずもうせしこの役はやらない方がいいんじゃないかなー。
 せしこの「元男役が演じる女役」の色を受け継いでしまっている気がする……。
 新公ってほんと大きな経験になるっていうか、ダイレクトに血肉になってしまうんだね。
 ゆきのちゃん自身はやわらかい持ち味のかわいこちゃんだと思うんだが、そこにみょーな骨っぽさを加えてしまったような。そこは真似なくていいんだよなところを、しっかり真似てしまっている、ような。

 せしこと同じくらい色気がなくて、そして、娘役ゆえの押し出しの弱さで、なんとも半端な不二子ちゃんっす。


 ヒロインのアントワネット@のぞみちゃんは、思ったよりはうまかった。
 もっとすごいものを想像してた(笑)。
 前回の新公とか、「兄様!」の一言で、うわ棒読み!!と震撼させてくれたもの。
 それを思えば、上達したと思う。思ったよりぜんぜんふつー、最初の抜擢がこれくらいのレベルならアリだったと思う。
 ただ、すでに抜擢されてから何作か経ってるもんで、成長の遅さは気になるところ。
 旬の短い「娘役」には即戦力性が求められる。研4くらいで出来上がってないと、活躍出来ない。のぞみちゃんは研3になるのか……ぎりぎりやなー。このままどんどんうまくなればいいな、かわいこちゃんだし。
 今の実力のままだと、別箱であれ大きな役を任されたら、観客がつらいなあ。


 ヒロインがのぞみちゃん、という面で、ひとこは劇団から信頼されたスターなのかなと思う。
 新公主演とヒロインは、共倒れを防ぐためか、実力バランスは気をつけて配役している印象。(かわりに、持ち味バランスはスルーしている印象・笑)
 どちらも初主演は避ける、とか、ふたりとも初の場合は片方は実力安定した子にするとか、片方を研7の子にするとか。
 柚カレー初主演には、同じく初とはいえ上級生のかがりりヒロインにする、とか、ダンス以外なんにも出来ない暁くんには、すでにベテランの風格の海乃さんをヒロインにするとか。
 娘役の方が上級生の新公ってのは、主演を倒れさせないための配置なんだと思う。

 れいこ初主演時も、ヒロインはそうそうたるヒロイン歴を持つベテランあんりちゃんと大劇場ヒロイン経験者の夢華さんで挟んでたしな。

 その観点からいけば、ひとこはヒロインがのぞみちゃんでも倒れないだろう、と劇団から思われたんだなー。
 いっぱいいっぱい感とか悲壮感がないのは、ひとこのいいところだと思う。
 可憐なのぞみちゃんを支えて引っ張り上げて、ここはひとつ男っぷりを見せつけてくれ!
 面白かったのは、かなとくん。
 良くも悪くも(笑)。

 新人公演『ルパン三世―王妃の首飾りを追え!―』、カリオストロ伯爵@かなとくん。
 わたしは、新公主演経験者が主演以外をやるのを見るのが好き。
 主演独占ほどつまらないものはない。主演経験者はぜひそのあと脇に回って支え役をやるべきだ。
 そこではじめて、見えるモノがあるから。

 かなとくんは美形だし、歌ウマだし、カリオストロ伯爵は役として面白いし本役だいもんだし、いろんな意味で期待大。どんなことになるんだろう。

 が。
 期待はいろいろ、はずされた(笑)。

 まず、ビジュアル。
 …………期待したほど、きれいじゃない…………。
 てゆーかそのカツラ、それっていったいナニがどうしてそうなった。
 せっかくの派手ガオ美形なのに、自己プロデュースいまいち……。

 そして、歌も映えない。
 うまいヘタよりも、映えない。
 かなとくんの路線人生の明暗を分けたんじゃないかなと思っているベルナール@『ベルばら』のソロの良さからはえらく隔たれた感のある、どんくさい歌声。
 ベルナールではここぞっていうそのときに、どーん!と映える歌声を響かせることが出来たのに。
 なんでカリオストロの登場ソロはこんなに薄ぼんやりしてるんだ? ってそれは単純に、楽曲の難しさにあるのかもしれないけど。

 カリオストロは、芝居がかったハッタリ上等のソロ曲から登場する。
 ビジュアルと歌。最初に印象付けられるふたつの面で、なんとも残念な出来。

 そのあとはルパン@ひとこたちに振り回される役どころで。
 ひとこくんはすでに温まっているというか、調子を上げてきている。そこにぽーんと登場して、もたついた感じのかなとくんは、なんとも分が悪いというか。
 ひとこはぱーっとした明るさでマイペースにやってるし、それに翻弄されるかなとくんのおとなしさが強調されて、どうしたもんか。
 本公演のレトー役もだけど、よく見るといろいろ芝居してるんだけど、よく見ないとわからないというか、なんなんだあのグレーかかったような芸風は。
 前田慶次のような、ばぁーんと派手な役はばぁーんと派手でも、そうでないとくすむ。役に左右されるだけでなく、地味な方に傾きがち。
 これはかなとくんの持ち味なんだろうな。
 タカラヅカの真ん中向きではないが、「向きではない」ってだけで、十分真ん中を目指していいと思う。くすみも個性として、大劇場の大きさに負けない存在感を発揮出来れば。

 ただ、今の時点では弱いと思う。

 てな風に、ちょっと残念?と眺めていたら。

 カリオストロの銀橋ソロあたりから、エンジンかかってきました。
 明るく強いルパンのターンが終わり、暗く迷っているカリオストロのターンだ。
 かなとくんの得意分野キターーッ!

 月城かなとは苦悩させてナンボだと思いますよ(笑)。
 泣かせたい系っつーかね。ヘタレ与平@『心中・恋の大和路』で、みょーな色気ゆんゆんだった人ですから。

 鬱屈したカリオストロのソロから自分探しクライマックスまで、どんどん調子が上がって行く。
 あー、なんかくすみが取れていく? グレーがかった画面から、輪郭が濃くなっていく?
 このまま彼の変化を見ていたい、と思っているのにカリオストロの出番はそこまで。
 そっから先はラストまで出番なし。


 面白かったのは、そのラストシーンだ。

 現代に戻ったルパンたちの前に、仰々しく登場するカリオストロ。
 ここが(笑)。

 「ばぁーーん!」来た、「ばぁーーん!」!!←アタマ悪い表現。

 前田慶次で華々しく見得を切っていた、あの堂々たる美丈夫ぶり。
 それが復活してました。
 ばぁーんと派手な役はばぁーんと派手なんです。
 主演経験者の真ん中力、空間掌握力。
 最後のカリオストロのラスボス感。

 ひとこルパンは魅力的で、しれっとした明るさがあって実に気持ちよかったのだけど。
 ラストシーンで、「あれ、これってWトップ作品だっけ?」と思った。

 本公演だと、ちぎくんのトップ力、真ん中力は揺るがなくて、だいもんがどんだけ濃く現れても、ちぎくん主演感は揺るがない。
 だけど新公では、ラストシーン限定で、カリオストロも主演のひとりに見えた。

 だから、新公主演経験者が脇に回ると面白い。主演独占していたのでは、見えないモノが見える。
 ここで主役喰う勢いになるか。すげーなヲイ(笑)。

 最初の残念感から、ラストの「ヲイヲイ!」まで、いやあ、面白かったよ、かなとくん!

 課題山ほどあるにしろ、この目の離せない感じは、ファンにはたまらん持ち味だろうな。
 でもとりあえず、ビジュアルは舞台に出る前からなんとか出来るだろーから、セルフプロデュースがんばれー(笑)。
 『ルパン三世―王妃の首飾りを追え!―』新人公演にて、もっともうまかったのは、間違いなく銭形警部@あすくんだ。

 他の出演者と、段違いだったと思う。
 格が違うというか。

 さすが、あすくん。

 客席も、もっともあすくんに対してアツく盛り上がっていた。実力正直、観客正直。

 でも。

 わたし、今回のあすくん、ダメだ。

 最後の最後に、こんなにがっかりすることになるとは。

 ずっとずっとあすくん好き好き言ってきて、新公主演出来なかったと肩を落とし劇団にぐちぐちこぼし、実はお茶会行ったこともありますテヘ、てな、ゆるいけどいちおーあすくんスキーであるわたしです。

 あすくんは、すごかった。うまかった。
 見事なまでに、アニメの銭形を、コピーしていた。

 下睫毛描いて、顔もアニメに似せて。
 声もアニメのだみ声。
 動きや演技も、もちろんぬかりなく。

 すごいよ。こんなに、アニメになりきるなんて。

 でもさー。

 アニメまんまになりきることに、なんの意味があるの?

 わたしは、タカラヅカでアニメの銭形なんか、観たくなかったよ。
 本役のともみんも大概だと思うけど、彼は技術的に高い人ではナイので、そこまでコピーしきることは出来ないのな。
 でもあすくんは、やってしまう。出来てしまう。

 うまいこと、器用なことはわかった。
 でもわたし、そんなの求めてない。

 最後の新公なんだよ。
 あすくんの立場で、次に銀橋ソロもらえることが、いつあるだろうか。
 わたしは、「久城あす」が観たかった。アニメの銭形ではなくて。

 あすくんの、きれいな声が聴きたかった。

 器用なあすくんは、最初から最後まで、「銭形の声」で喋り、「銭形の声」で歌った。
 あすくんの声じゃない。
 あすくんの、きれいで聞きやすい、聞き取りやすい男役声じゃない。
 彼が7年間培ってきた、美しい芝居声でも、歌声でもなかった。

 求められているのが「アニメのコピー」じゃないか、銭形の役割は原作ファンによろこんでもらうことであって、タカラヅカファン向けじゃナイ。むしろ、銭形がアニメまんまであるからこそ、タカラヅカとのコラボが際立つんだ……という意義は、よくわかってる。
 わかっていて、なお、ってことだ。

 あすくんなら、やってくれると思ってたんだ。
 アニメコピーまんまの小柳タンの脚本でも、「タカラヅカ」として料理してくれるんじゃないかって。
 だってあすくんには、それだけの実力がある。技術がある。
 ビジョンがあったって、やる気があったって、それを実行出来るだけの技術がなけりゃ、空中分解だ。どんだけ素晴らしい演技プランを持ってたって、現実に表現出来なければ「ナイ」のと同じ。
 あすくんなら、あのひどい「銭形」を「タカラヅカ」として表現してくれるんじゃないかと、勝手に期待してたんだよ……。
 まさか、さらに「タカラヅカ」とは反対方向へ行くとは思ってなかったさ……。

 脚本が「アンチ・タカラヅカ」だからなあ。
 『ジャン・ルイ・ファージョン』の景子たんもそうだったし、古くは『ワルフザケ』のマサツカとか、『ベルばら』題材にする人って「アンチ」入るよなー。ヅカの『ベルばら』否定っていうかさ。みんなそれだけ植爺の『ベルばら』に疑問持ってるんだろうけど。
 「タカラヅカ」を軽んじているというか、愛の薄い作りだから、描かれていることをそのままやると、「タカラヅカ」から離れてしまう。
 あすくんが脚本の悪いところを加速させてしまったのが、わたしにはすごく残念。

 ……なーんてことを言っているのは、偏屈なわたしだけで、きっと世の中的にはあすくんの銭形は絶賛なんだと思う。

 うまかったもの。
 圧倒的に。


 ……東宝では役作り変えてくんないかなあ。

 「あすくん」の銭形が観たい。
 や、チケットないからもう観られないんだけど。
 ひとこ、新公初主演おめでとー。

 ってことで、『ルパン三世―王妃の首飾りを追え!―』新人公演に行ってきました。

 ひとこくんはなにしろ抜擢され続けた人なので、なんかもうかなり「観てきた」気がするんだけど、まだ研4なんだよねえ。
 そして、抜擢され続けてきただけに、「あれ? まだ新公主演してなかったっけ??」的なハードルの高さがある。
 たとえば、ひとこくんが銀橋センターでソロ歌ってた新公にて、その後ろの本舞台で、上級生のかなとくんは、台詞もろくにないモブ役やってたり、したわけですよ。
 かなとくんは路線外、ひとこくんは御曹司候補、ってことで、はっきり区別して育てられていたわけです。

 スターにはスターの重責がある。
 出来て当たり前、輝いて当たり前。
 大変だとは思うけれど、がんばれー。

 てなもんですが。

 ひとこには、持って生まれた明るさがある。

 重責背負ってるよーには、見えないんだなこれが(笑)。

 『ルパン三世』のルパン役。
 本役コピー以前に、アニメのコピー必須という、変わった役どころでの主演。

 初主演としては及第点、問題ない出来、だったと思う。
 最初はちょっと固かったかもだけど、あとになればなるほど調子を上げてくる。
 男役声はまだまだだけど、聞きやすい声で芝居がよく「動く」し、歌も歌えてる。

 でもなんつっても、ひとこのいちばんの武器はこの素直な明るさだと思った。

 あっけらかんと明るい。
 でも、乾いてない。
 しっとりした、やわらかさがある。
 ある意味、ふてぶてしい(笑)。

 最後、「ルパン三世のテーマ」を歌いながらの銀橋にて、なんかもうつくづくと、この子、好きやわー、と思った。

 や、もともと好きですよ? オサファンがあのテの顔、好きにならないはずないぢゃないですか! 友人のオサファンもソコ(顔!)に食いついてたし。
 でもわたし、ショタの気がナイもんで、少年に興味ないんです。好きな顔だけど、ガキすぎる、もっと育ってからだな、わたしの食指が動くのは、的な感覚で眺めておりましたのよ。

 それでもなお、思う。
 好きやわー……。

 この、舞台の上からまっすぐに届く光。明るさ。
 矢印が見えるの。まっすぐ、すとんと。
 届く。こちらまで。

 前回は不利だったよなあ、辛抱役のちぎくんの役でさあ。銀橋ソロも、それほどうまく聞こえなかった。
 そうか、抑える役じゃなくて、素直に客席に向かって明るさを発揮していい役だと、こんな「届く」んだ。
 真ん中向きの持ち味。
 真ん中で、発散するのが気持ちよさそう。
 そういう部分が、技術を超えたところにある。

 ルパンとしての「アニメコピー」、下級生としての「本役コピー」を押さえつつも。
 なんか後半、チョーシこいてましたよ?(笑)
 コピーなんだけど、それは型のみにして、あとは自分のキャラでやりきったような。
 オリジナルの役作りというより、本人のキャラ。
 作ってないよね、漏れてるだけだよね、でもその素直な明るさは、ルパンとしてはともかく、「タカラヅカの真ん中」としてアリなキャラだから、問題なし。

 そんな感じ(笑)。


 まだ子どもだからわたしの琴線には触れないんだけど、このまま大人になってくれたら、どんな男になるのか、楽しみです。はい。
 ねえねえねえ、カリオストロ伯爵って、すげーいい役じゃないですか?

 『ルパン三世―王妃の首飾りを追え!―』が俄然面白くなったのって、カリオストロ@だいもんの役の面白さに気づいたときだ。

 初日に観たときは、作品の「タカラヅカでなさ」に落胆し、反射的に反発した。
 わたしはタカラヅカを観に来たんだ、こんな、よその劇団でもできそうな話を観に来たんじゃナイ。

 でも2回目、「タカラヅカじゃない」ことはあきらめて観たら、楽しかった。
 所詮、雪組が好きなんだもの。出演者が彼らである限り、好きになる。

 に、しても、だ。

 ちぎくんたち、ルパンチーム+銭形は、アニメありきの役だ。
 アニメキャラになりきることが最優先。
 そして、ここが重要、彼らには、「ドラマ」がナイ。

 ルパンたちは、ドラマしてはいけないのだ。
 つまり、登場して、どんな人なのか説明して、壁にぶつかって、それを乗り越えて、成長して、終結する……そういう「ドラマ」をやってはいけない人たちなんだ。

 彼らは「すでに存在していて」「なにひとつ変化してはいけなくて」「終わってはならない」んだ。

 だから、ルパンは主役でありながら、「主人公」であってはいけない。
 本筋と主人公は別にいて、それに外側から絡む・手を出すだけの人になる。

 変化も成長もない、終わらないキャラを使ってストーリー作る以上、彼らが手を貸すことになる「本筋」と「主人公」が魅力的でないと、成り立たないのよほんと。
 ゆえに重大任務。
 本筋部分の人たち。

 で、本筋ってのはつまり、マリー・アントワネット@みゆちゃん。

 とっても安直に「タカラヅカと言えば『ベルばら』。ルパンに『ベルばら』絡めれば、それで『タカラヅカのルパン三世』」というのが、今回の小柳タンの創作スタイル。
 んで、安直であるがゆえに、たしかにアントワネット救出が本筋なんだけど……アントワネット自身の物語は、描かれていない。

 エンタメのお約束。起承転結。
 主人公が壁にぶつかって、悩んで、乗り越えて、成長する。
 ところがマリーちゃんの物語は、「ヅカファンなら知ってるでしょ?」と、肝心の彼女の成長部分が描かれていないのよ。
 おバカな王妃姿を気まぐれ謁見場面で描き、悩んでいる姿を「ローマの休日」場面で描き……起、承、と描いているのに、肝心の転はナシ、いきなり牢獄場面で結、彼女はすっかり大人になっている。
 この手抜きな描き方が、この作品の「ヅカファンに甘えている」部分。
 大切な場面をスルーして、おちゃらけ場面に尺を割く。間違ってると思うよ、小柳タン。

 だから、わたしはマリーちゃんの物語を「本筋の一部」とのみ認識。彼女を「本筋の主人公」とは認識しない。

 では、主人公は誰か。

 この物語で唯一、起承転結する人物がいる。
 その人物を、「主人公」だと思う。

 カリオストロだ。

 心の傷から世を拗ね、詐欺師として生きている男。でも、そんな自分に疑問を持ち、鬱屈した日々を送っている。
 そんな彼がルパンと出会い、生き方を変える。
 その、自分の本当の望みに気がつく場面、「変わる」瞬間をも、きちんと作中で描かれてるんだわ。

 壁にぶつかって、悩んで、乗り越えて、成長する。きちんと、起承転結。
 カリオストロだけが、描かれている。
 マリーですら、「みんな知ってるから、描かなくていいよねー、てへぺろ」と終わらされているのに。
 彼だけが、「物語」「ドラマ」として、成立している。

 だから、これは、「カリオストロの物語」だ。

 主役はもちろんルパン、だけど「本筋の主人公」はカリオストロ。

 そして何故、カリオストロが主人公として成り立っているか。カリオストロが主人公でなくてはならないのか。

 彼が、「タカラヅカ」だからだ。

 なにも変化しないルパンは、「タカラヅカ」ではない。外部のキャラクタだ。
 だが、カリオストロは「タカラヅカ」なんだ。
 「タカラヅカ」の方程式で作られた、正しい「タカラヅカ」のヒーロー。
 美しく登場し、歌い、踊る。
 ルパンたちしか登場していないとき、舞台には歌もダンスもなく、「タカラヅカ」ではない、外部の舞台のようだった。
 カリオストロが登場してはじめて「タカラヅカ」がスタートする。
 『ルパン三世』という世界観と、「タカラヅカ」が「出会う」……それが、カリオストロ登場の場面なんだ。

 「タカラヅカ」のヒーローだから、カリオストロは悩むし、乗り越えるし、成長する。
 恋人もいる。

 変化しない、成長しない、恋のハッピーエンドもない、ルパンとは違うんだ。

 カリオストロは、「タカラヅカ」だ……。その凝縮だ。
 そして彼が、「ルパン」と出会う物語なんだ。

 そう気づいたときから、俄然面白くなった。
 わくわくは加速した。

 『ルパン三世』、楽しい。
 素朴な疑問なんだけど。

 三木せんせの「だいもん観」って、ゆがんでね?

 迫力のヲカマキャラで「マック・ザ・ナイフ」歌わせたり。

 ……だいもんさん、雪組デビューです。芝居は「役」があるから別モノ、ショーではじめて「スター」として登場の銀橋ソロが強烈なヲカマ…エロエロ全開…って……客席凍ってましたがな……(笑)。

 マントとかベールとか、無機物相手にひとりで悶えてるキャラとか。

 ……既視感、コレ前も観ました、ねえねえ、フェチなの? こだわりなの? イメージなの? 萌えなの?

 これまた謎なテンションで「愛の賛歌」を熱唱させたり。

 ……初日の元旦に観たときは、紅白歌合戦で美輪明宏サマの「愛の賛歌」聴いたところだったこともあり、かなり脳髄を揺すぶられる思いでしたよ、ええ(笑)。

 大劇場三木ショーでのだいもんってば、基本ステキにヘンタイって感じ。

 や、だいもんが勝手に変態にしてるのかもしんないけどさー。
 『カノン』で止めてなくて、今回の『ファンシー・ガイ!』でも同じ……いや、グレードアップさせてる、ってことは、ミキティの意志ってことよね?

 全部が全部そうじゃないけど、ふつーにさわやかスターやってるけど、なんか目に付くヘンタイぶり。
 これがミキティのだいもん観?
 何故??

 ともみんを耽美キャラ認識のミキティだから。
 彼の目に、世界がどう映っているのか、さっぱりわかんねー。

 でもま。

 だいもんに関しては、OKだと思う(笑)。

 ステキにヘンタイ(はぁと)。
 だいもんGO! GO! ヒャッハー!!!
 三木先生への不満は多々あれど、やっぱ人員配置の謎は気になるところだな。
 ともみんへの餞が「耽美ホモ」、ともちぎのサービス場面が「耽美ホモ」という、キャラクタ無視っぷりが憤懣ものであることは、言うまでもなく。
 偏った出番、偏った扱い、見た目の立ち位置だけ花を持たせているのに、実際はぞんざいな扱いをしていることも、不快。

 しかし、『ファンシー・ガイ!』における、最大の人員配置の謎って、カメラマン@翼くんじゃないの?

 ちぎ・ともみん・だいもん、この3人はショー全体通して大体セットで使われている。
 オープニング、第1場面、第2場面、中詰め、第3場面、フィナーレという構成で、3人が出ない場面はひとつだけ。あとはちぎみゆ場面をのぞいていつも3人セット。……変な構成。

 その変な構成の唯一の3人が出ない場面にて。

 唯一の単独役名あり・台詞ありが、翼くん。

 なんじゃそりゃあ??

 オープニングが終わって、さあ次の場面はどうかしら、と期待した観客の前に、翼くんひとり現れる。喋る。
 ……えーとこれ、スターの役目、だよね?

 他にも同じような子が現れて喋るのかと思いきや、翼くんのみ。

 『エリザベート』でいうところのルキーニ。狂言回しで客席いじり、アドリブを交えながらその場面を外側からつかず離れずいじる。

 わたしは翼くんスキーなので、うれしい。
 翼くんは出来る子、もっともっと使って欲しい、常々そう思っている。
 だから彼が活躍するのはうれしい。
 また、実際彼はとてもよくやっている。口跡よく通る声、若手男役らしいさわやかな姿。口上が終わればスタンドプレイはせず、脇で楽しそうに務めに励んでいる。
 実力なしの子ならともかく、組ファン以外に認知されてない脇の実力者のひとりだ、突然の大役でも見事にこなしている。

 出来ていることと、わたしが好きなことは、ともかく。
 何故、この子なの?

 実力のみで選ぶとしても、彼以上にうまい子はふつーに複数いる。
 そして、ふつー、実力のみでは選ばれない。タカラヅカはスターシステムがあるためだ。
 実力ONLYなら、あの子とかあの人とかあのお方とか数え切れないお歴々が、ピンスポあびてソロ歌ってたり、新公主演したり、トップスターになってたり、してないでしょう宝塚歌劇100年間。

 翼くんがこれからトップ路線に乗り、爆上げがはじまる……というのなら、この扱いもわかるんだけど。
 その気配は、微塵もない。
 (ちなみに翼くんは新公で組長さん・専科さん系の役をやる人です。路線系の役はついてません。今回はまなはるさんの役です)

 まあわたしは、翼くんが路線スターになってくれてもぜんぜんいいんだけどさー、実力あるしかわいいし。素顔はファニー系でも、舞台では小顔で手足長くてきれいだもん。
 でも劇団、そんな気さらさらないよね?

 だからほんと謎。

 これまでの雪組を観てきて、人事事情も考えて、ふつーその役、ホタテじゃね?

 この公演で卒業する中堅スター。代役とは言え、大劇場本公演でまるまる1公演、銀橋でナレーションしたりもしている実力派。
 声と滑舌の良さは定評あり。キャラ的には美形よりも三枚目、味のある個性派枠。

 ホタテじゃなかったら、まなはるとか。あのあたりの立ち位置・キャラの子がやりそうな役。

 ミキティ、翼くんお気に入りなのか……。
 じゃあどうしてアーサーはあんな扱いだったんだ。
 ……って、いやその、ぜんぜん関係ない話なんだけど、わたしの中で翼くんとアーサーは同じカテゴリにいるもんで。
 脇の歌ウマさん、実力派、顔立ちはファニーだけど、男役としてのスタイル良し、てな。
 ミキティの『カノン』において、アーサーの扱いはそりゃあひどいもんじゃった……この公演で卒業する中堅、新公で3番手くらいまでの役付はあった人に対して、餞別ナシどころか退団者ピックアップ場面からはずしたりとか、出番自体ほとんどなしだったり、なんか恨みでもあるのかっつーくらい、ひどい扱いだった。
 あのテのタイプが嫌いなんじゃないのか……。
 アーサーだけでなく、他の人たちも偏った使い方をしていたので、ミキティの人員配置能力には大いに疑問を持ったもんじゃった。

 や、アーサー云々はただの言いがかりです、それと今回は無関係。
 わかってる。わたしが勝手に記憶を結びつけているだけで。

 でもほんと、なんで翼くん?


 翼くんスキーのわたしは、おいしくありがたく、食いついてるけど。
 あの場面、翼くんオペラで追いかけてるけど。
 はー、かわいい。

 しかし、わからん。
 タカラヅカは、男役中心の劇団です。
 「トップスター」という言葉は「男役」を指し、娘役のトップスターは「トップ娘役」と呼びます。これは、男役中心の劇団だからです。
 男尊女卑という、現実の考え方には相当しません。思想ではなく、システムだからです。
 男役というファンタジーを商品とし、対価を得ているのです。
 娘役ももちろん大切な商品ですが、男役ほど高く売れません。利益率の高いものを中心に商売をするのは、当然のことです。

 ということで。

 ヅカヲタとして、わたしが経験から学んだこと。

 ひとつ。
 男役スターの役替わりは、集客のためである。

 男役あってのタカラヅカ。男役スターのために、ファンは奔走し、お金を落とす。
 娘役にもそりゃファンはいるけれど、男役の比ではない。もしも娘役が男役と同じ位お金になるのなら、劇団はとっくに娘役主演公演をやっているはずだ。

 男役スターが役替わりすれば、そのファンたちが役替わりパターンの数だけ、観劇数を増やす。
 経費・労力最小限で、もっとも簡単に利益を得られる。
 ……えっ? 役替わりによる、ジェンヌの負担? 役替わりする本人たちも、共演者たちも、倍ではなく二乗三乗の負担がかかるはず。……って、もちろんそんなもん、計算外ですよ、ジェンヌの労力はプライスレス、カタチがないからいくら使ってもかまわない認識。

 てな。
 わたしの勝手なイメージです、思い込みです、根拠ナイデスヨ、うふふ・あはは。

 そんなヅカヲタの、経験から学んだこと。あるいは、想像すること。

 ひとつ。
 娘役の役替わりは、大人の事情ゆえである。

 男役あってのタカラヅカ。娘役には、男役ほどの集客力はない。
 男役スターが役替わりすれば、そのファンたちが役替わりパターンの数だけ観劇数を増やすが、娘役はまず、その固有ファンの分母が小さい。そして、コアなファン以外は「どっちか片方観れればいいわ」てなもんだろう。役替わりがストレートに集客に結びつかない。
 懸ける労力と釣り合わないだろう。

 では何故、大きな利益にならないのに、わざわざ役替わりするのか。

 集客以外の利点があるため。

 それがなんなのかは、わからない。
 たとえば、のちの雪組トップ娘役みみちゃんと、研一のヅカ素人夢華さんを役替わりさせたみたいに。
 「集客」「利益」「ブランド力」に対し、すべての意味でマイナスでしかないのに、それでも役替わりさせた。
 なにか、ファンにはわからない理由があったのだろう。
 わざわざ損をするためだけにやらないだろうから、なにかしら利点があったのだろうと思う。

 男役の役替わりの意味は、1ファンに過ぎないわたしにもわかる。
 だが、娘役の役替わりの意味は、わたしには想像も付かない。
 わからないから、思うんだ。

 なにか、大人の事情があるのだろう、と。

2015/01/16

月組公演『1789 -バスティーユの恋人たち-』主な配役と役替わりについて

月組公演『1789 -バスティーユの恋人たち-』[宝塚大劇場:4月24日~6月1日、東京宝塚劇場:6月19日~7月26日]の主な配役と役替わり期間が決定いたしましたので、お知らせいたします。

◆主な配役
ロナン・マズリエ(官憲に父親を銃殺された青年):龍 真咲
マリー・アントワネット(フランス王妃):愛希 れいか
カミーユ・デムーラン(革命家でジャーナリスト、ロナンの友人):凪七 瑠海
シャルル・アルトワ(ルイ16世の弟):美弥 るりか
マクシミリアン・ロべスピエール(第三身分出身の若い議員):珠城 りょう
オランプ・デュ・ピュジェ(王太子の養育係、ロナンの恋人):早乙女わかば、海乃 美月
ソレーヌ・マズリエ(ロナンの妹):花陽みら、晴音 アキ
ハンス・アクセル・フォン・フェルゼン(スウェーデンの将校、王妃の愛人):暁 千星
ラザール・ペイロール(貴族将校):星条 海斗
ジョルジュ・ジャック・ダントン(弁護士、カミーユ・デムーランの友人):沙央 くらま
ルイ16世(フランス国王):美城 れん

◆役替りする配役
A.オランプ・デュ・ピュジェ = 海乃 美月  ソレーヌ・マズリエ = 晴音 アキ
B.オランプ・デュ・ピュジェ = 早乙女わかば  ソレーヌ・マズリエ = 花陽 みら
C.オランプ・デュ・ピュジェ = 海乃 美月  ソレーヌ・マズリエ = 花陽 みら
D.オランプ・デュ・ピュジェ = 早乙女わかば  ソレーヌ・マズリエ = 晴音 アキ

 ヒロインがトップ娘役以外、しかも役替わりと来ましたよ。
 いったいどんな事情があるんだろう。

 トップスターとトップ娘役がいる、それがタカラヅカの魅力なのになあ。

 コマつんはせっかく専科になったのに結局月組で、この位置なんですか。なんか、しょぼんです。

 あと、暁くん……。
 劇団が彼をトップスターにしたいのはよーーっくわかったから、頼むから、扱いに相応した実力を付けてくれえ。思わず二度見しちゃう舞台クラッシャーぶりは、早く卒業してほしいっす。
 男役としての美しさと、実力さえ得てくれれば、それでいいのだから。

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