朝のスカステニュースを見て、いそいそと「宝塚GRAPH」2011年1月号を買いに、近所の書店へ行きました。

 「GRAPH」の発売日を忘れて久しいですが(キャトレへ行ってはじめて「あ、出てる」と認識する程度)、今回は「新生雪組」を意識して待ちわびてました。

 ちぎ&まさお、美しー!!

 表紙の美人さんコンビにドッキドキですわ。
 ちぎくんはほんとに端正。よくぞここまでってくらい整った美形。
 まさおくんは、デフォルト装備で瞳が潤んでて、ウケる(笑)。ナニその必殺技。ちぎと見開きで脚絡めてるとこ以外は、みんな瞳うるうるって、すごすぎ。この瞳が狙ってできるなら、どんどん極めて欲しい。

 この美しいふたりが存分に輝ける舞台を観たいと、心から思い、また、今後が楽しみだと思う。

 でもってこの美形の片方、ちぎくんが雪組2番手。
 わたしのご贔屓のいる組の2番手さんなんだ。うわー、あらためて考えるとテンション上がるなー。

 てことで、わたしのお目当てはもちろんまっつまっつ、我がご贔屓さんの記事であります。


 きらきらキムくんと、超美形ちぎくんと一緒に写る……。
 すげーハードル高い話だなヲイと、3人写りだと聞いたときは思いました。
 「雪組新トップ音月桂特集」

 雪組1・2・3とゆー意味なんでしょう、このトリオの写真を最初に見たときの最初の感想は。

 よかった、ふつーだ。

 いやその、美人なふたりに比べ我がご贔屓だけあきらかに失敗していたり、老けていたりしたら、つらいぢゃないですか。バリ路線人生のふたりに比べ撮影慣れしてないし、実際ひとりだけ年上なわけだし。キムちぎが同い年で、まっつは2つ上だっけ?(ジェンヌはフェアリーです、年齢などありません)

 でもよかった、ふつーだ。ひとりだけあきらかに変!って感じぢゃないっ。
 てゆーかさ、すごくない? この美人なふたりと並んで「ふつー」って。
 ああ、まっつってほんとに美人さんなのかもだわ!!

 や、わたしの目にはオールウェイズ美人さんですが、世間的にどうなのかわかってなくて(笑)。

 んで、個別撮影でキムくんを語っているとこのまっつ写真は、マジにきれいだし。
 まっつのいかにもまっつな顔で、とてもきれい。

 雪組1・2・3つってもまあ、まっつの場合は「3番目」ってやつなんだろうけど、それでも今こうして雪組の3番手格で『タカラヅカスペシャル2010』のプログラムや「GRAPH」に載っているのはうれしい。
 まだ実際の舞台(本公演)観てないからわかんないにしろ。

 そんでもって、まっつのキムくんへの呼び方は「ケイ」なんだ。

 その昔、「TAKARAZUKA REVUE 2007」とゆー雑誌において、まっつがキムくんを「桂」呼びしていた。
 そのときはなんとなく、「芸名でそのまま呼んでるなんて、ほんとに親しくないんだな」と思った。
 んでそのあとになってふと、「あ、桂って考えてみりゃキムの本名じゃん」と気付いた。

 まっつって、キムのファーストネーム呼び捨てにしてるんだ。

 と思うとなんか突然、萌えましたね(笑)。
 特に接点もなさそうで、仲良くもなさそうなのに、本名のファーストネーム呼び捨て。
 また雑誌の表記も良かったのよ、なんの愛想もなく「桂」って漢字で書かれてて。
 カナで「ケイ」にすると愛称っぽいけど、漢字だとまさに「名前」って感じでしょ?
 名字さん付け<名字呼び捨て<愛称=名前ちゃん付け<名前呼び捨て の順で親密感が増すというか。
 沖田くんが最期の瞬間に「ナッキー」ではなく「尚子」と呼ぶことに萌えたよーに(笑)、名前を漢字で呼び捨て表記はイイですなっ。

 とはいえ、キムまつはわたしの興味の範囲外だったので(笑)、当時はそれでスルーしてましたが。

 そうか、なまじ親しくなかったおかげで、まっつはずーーっとキムのことは音楽学校時代と同じ、芸名のなかった頃と同じ呼び方なんだ。

 と、キムまっつゆめみの同期鼎談を読んで思った。
 ゆめみちゃんはキムをキムと呼び、まっつはケイと呼ぶ。

 考えてみりゃ、わたしだって最初はキムを「桂ちゃん」と呼んでいた。彼が抜擢・注目されはじめた頃。今はなき、花の道沿いの仮設店舗(震災であのあたりの店舗が全壊していたため)の2階に貼ってあったプリクラシールの美少年ぶりに注目して以来。
 それがあるときから「音月桂の愛称はキムになりました」と発表され、違和感はあったが大衆に従い切り替えた。
 愛称は上級生とかぶってはいけないから、新参者が変更するしかないんだよね? それで「ケイ」は使えなかったと聞いたおぼえがある。

 でもそもそもは本名からきた「ケイ」が愛称だった……。(キムも本名からきてるけどさ・笑)

 ゆめみちゃんもきっと、昔はケイって呼んでたんだろう。でも同じ雪組で「愛称変更する」にも立ち会って、ずーっと一緒にいたから呼び方はキムになった。
 一方、まったく親しくなくて一緒にいなくて、そしてマイペース(笑)なまっつは、世の中がどうあれ最初のケイ呼びのまま通していた。
 07レビュー本のときは、ケイは公式愛称ではなかったために、漢字表記。

 そして、晴れてキムはトップスター。しかも雪組で組長の次の上級生。誰とも愛称かぶりを心配しなくてイイ。

 つーことで、昔の呼び方が復活したのか。
 ちぎくんも「ケイさん」呼びしてるー。

 カタカナ表記だから愛称認定なんだねええ。芸名をそのまま呼んでいるという設定ではなく。

 これから世間的にもキムの呼び方は変わるんだろうか? ……タニちゃんの悠河さん呼びは定着しなかったけどなぁ。

 
 それはともかく、まっつファンとして、キムくんがあちこちで「まっつウェルカム!」という意味のことを、言葉にして発してくれるのがうれしいです。スカステでも、こういう誌面でも。
 なんつーんだ、「居場所」を作ってくれているというか。

 いちばん外側の外側にいる、遠い遠いところでやきもきしている1ファンでしかない身としては、ジェンヌさんたちのことなんてほんとのとこわかんない。
 ナニが起こっているかなんてわかんない。

 だから、わたしにわかるところで、わかるカタチで、こうやって「ウェルカム!」「まっつが来てくれてうれしい」と言ってもらえると、すごく安心する。うれしくなる。
 素直に、ありがたいと思う。
 そうやってファンを安心させてくれるキムくんの心遣いに感謝する。

 ああそして、まっつがたのしそうなのが、ただもおうれしい。
 鼎談のまっつの最後の台詞は「一番になろう!(笑)」ですよ、ナニそのテンション。
 『タカラヅカスペシャル2010』でイイ笑顔で踊っていた姿とか思い出してね。
 彼は前へ進んでいるんだなと思う。

 ……んで、巻末の「はみだしSHOT」のなさけないカオがまた……(笑)。
 明確な根拠があるわけではないが、全組単位でのイベントモノ=組カラー着用、と思い込んでいた。

 だから『タカラヅカスペシャル2010』に出演が決まったとき、まっつは緑色の燕尾を着るんだと、心準備をした。

 今までまっつが着ていたのはピンクの燕尾だ。
 オサ様筆頭に花男たちがかわいらしいピンクの衣装で登場、そこにまざっているまっつを見るたび、似合わねー(笑)、とにらにらしていた。

 それが、緑色になるんだ。
 まっつはもう、ピンクの燕尾は着られないんだ……。
 いやその、全組単位のイベントでは。組カラーとしては。

 そう思い込んでいただけに。

 今年の『ヅカスペ』、幕開き板付きで颯爽と歌い出した月組の3人、まさお、そのか、宇月くんがピンク燕尾だったところで、「あれ?」となった。

 続いて登場の花組が、まさかの緑。えええ?

 まっつは緑、と覚悟していたのに、まっつのいない花組が、緑着てる……。

 この肩すかし感はナニ。
 いやその、わたしが勝手に覚悟していただけなんだけど。こう、電車に乗ったつもりがエレベータだったっていうか、横に異動する、横に揺れると思っていたのに、まさかの上下運動だったっつーか。

 まとぶさんはじめとする、なつかしい仲間たちの中に、まっつがいない……。

 そしてその次に登場した雪組、組カラーはすでに着られてしまっているわけだからどーなんのかと思ったら。

 黄色だった。

 どっ・わー……。にににににあわねえええ。(失礼です)

 きらきらキムくんにはいいんだが、いぶし銀まつださんが黄色て。

 雪組デビューが、よりによって黄色。

 そこでなんか、アタマがスリープモード、再起動に時間かかるっつーか(笑)。
 スリープモードなんで完全に落ちているわけではなく、キムくんの左側……下手側にいるまっつの図をぼーっと眺める。
 ちぎくんが上手側なので、キム-ちぎ-まっつで三角形。1、2、3の位置。

 まっつは黒髪でした。いつものまっつ。
 先月この梅芸で見かけた、茶髪まっつはどこへやら、黒々した漆黒の毛並みの猫科のイキモノが踊っています。
 つか、髪、長い。
 サイドは気合い入れてなでつけてあるけど、後ろ髪長い。襟にあんだけ髪がかかってると美しくない。通常公演なら「切れっ!」レベル。
 イベント公演のために本公演用の髪型をいじれない、だから変な長さでもしょうがない……って、そーゆーこと? いつぞやのイベント公演でトウコちゃんの髪が大変なことになっていたのを思い出した。

 とゆーことで、舞台のブラックまっつは記録更新中です。

 2007年2月の『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』から、2010年12月まで、ずーーっと黒髪キャラです、まつださん。
 丸4年……。
 これで『ロミオとジュリエット』も黒髪ベン様なら、記録はさらに更新。
 ここまで黒髪一本なジェンヌって近年いましたか??

 
 でもってさらに予想外だったのは、組パロ。

 『ヅカスペ』概要が発表になった8月19日の日記にも書いてます。

>第1部では、今年の大劇場を中心に各組公演を振り返り、各組のスターたちが
>顔を合わせ、名場面をパロディも交えてお届けするバラエティーショー。

 大劇作品のパロディに、雪組子として、ナニするの??!!と。
 
 まだ雪組生としてなんの実績もないままに「雪組の1年を振り返る」お遊び場面に出るより、花組にまざっちゃった方がいいじゃん。
 過去に例はあった、元の組に混ざって出ちゃうの。イベントのどさくさで。
 「1年を振り返る」ところだけ花組で、ふつーに組ごとに踊るときは雪組でいいじゃん。雪組ファンだって「知らない人」が「思い出アルバムにあとから丸囲み合成で追加」されるより落ち着いて観られるんじゃ?と。

 だからまっつメイトの木ノ実さんに「まっつは看護師」と言われ、最初に「今年1年の花組で病院が出てきた舞台は?」と連想し、『相棒』かと思ったんだ。

 それがまさか、ほんっとにがっつり雪組オンリーで出演するとはねー。
 しかもしかも、看護婦ってねー。

 わたしの植爺アレルギーは年々悪化しており、贔屓組公演すら「観劇しない」という選択をするほど彼の作品が苦手になっています。『EXCITER!!』はフタ桁観たんだっけかなのに同時上演だった『外伝ベルばら』は観ないかあるいはラスト20分だけ観劇とか、実に大人げないことをしていました。
 そしてもちろん、『ソルフェリーノの夜明け』も1回しか観ていません。同時上演の『Carnevale睡夢』だけは何回か観ましたが(笑)。
 ほんっと苦手なんですよ。

 『ソルフェリーノの夜明け』は作品がというより、実は主題歌がダメなんですよわたし。
 歌が1曲しかないミュージカルなんて、ありえない。TPO関係なく、歌詞も関係なく、ひたすら同じ歌を歌い続けるなんて、どんだけ乏しいの。
 だからストーリーよりなにより、歌が嫌。できればもう2度と聴きたくないと、別にクチにするまでもなく無意識レベルで思ってました。1回観ただけで6回とか7回観たのと同じだけ聴かされちゃう歌なんだもの。

 わたしの人生に、『ソルフェリーノの夜明け』の主題歌は不必要だ。
 そう思っていただけに。

 堪えました(笑)、『ソルフェリーノの夜明け』を歌うご贔屓。@しかも看護婦姿

 人を呪わば穴二つっつーかねー……安易にキライ!と拒絶していると、こーゆーしっぺ返し喰うんだなー。

 でもまつださんはあーゆーの、実は得意です。

 しれっとして、変なことをするの。よーっく考えると変なんだけど、さらーっとやっちゃう系のお笑いモノ。

 だから「♪十字を赤く染める」で看護婦たちが一糸乱れずフィンガーアクション決めるのも、絶対得意分野(笑)。

 わざとらしいナヨり方も、そのあとの一転してオトコらしい『ロック・オン!』熱唱も。
 日曜日に観劇した友人から「まっつとキタロウは、余興のなんたるかをきちんと心得てる」とお褒めの言葉をいただいたほどの突き抜けた看護婦ぶりに、さらに、惚れ直しました。いやあ、いい男だなー、我がご贔屓(笑)。

 
 ところで日曜日はまつゆひ?ゆひまつ?の執事プレイがあったと聞き、心から見たかったと思いましたのことよ。
(上記友人から、ゆーひさんの汗を拭きに出てきたまっつが執事のよーだったと報告アリ)
 『タカラヅカスペシャル2010』です、初日です、スカステでは稽古場放送すらなく、情報ゼロです、そんな状態で梅芸です。

「緑野さんのことだから、ぎりぎりに駆け込んでくるかと思った」
 開演35分前に家を出れば梅芸の客席に着くことがわかって以来、ますますぎりぎり滑り込みが常になっているわたしです、30分前に劇場にいたらカオ見るなり友人にこう言われましたよ。

 いやその、プログラムを先に買って眺めたくてね。まっつがどんなことになっているのか、気になって。

「まっつは張良先生ではなくて、看護師だよ」
 と友人に言われ、?マークが飛ぶ。まっつメイトな友人は、先にキャトルレーヴへ寄ってプログラムをGETしていた。

 えっとそれって、花組の『相棒』パロに出ているとか、そーゆーこと? 病院のシーンがあって、あそこに看護師いたよねええ?

「あ、看護師ぢゃなくて、看護婦か」
 と、友人は言い直す。

 ますますわからない。
 看護フ? フの文字は、夫? 看護夫?←相当混乱中

「花組じゃなくて、雪組に出てるってこと。雪組のパロディは『ソルフェリーノの夜明け』らしいよ」
 そう言いながら、プログラムを見せてくれる。

 1幕は公演パロディ。雪組は『ロジェの夜明け』。「リオン 音月桂」のあとに、「看護婦」とあり、…………未涼亜希筆頭に、男たちの名が連なっている。

 看護婦 未涼亜希。

 す、すみません、ちょっとアタマが白くなりました。
 未涼亜希という人の役名に、あってはならない単語だと思います。

 未涼さんの下には「緒月遠麻」とありますが、彼はいいんです。ヲヅキさんはれっきとしたヲカマ役者、今まで数多くの素晴らしいヲカマ役を見せてくれています。や、女装姿で注目を集めるヲヅキさんの芸の確かさは好きです、マジ。ハンパな男がやっても面白くないわけで、ヲヅキさんだからこその迫力、それに対する信頼感。
 そして、ひろみさん他の男たちも美人さん揃いなので安心できます。

 しかし、未涼亜希さんは……。

 わたし、まっつファンになってからただの一度も彼の女装を見たことがありません。
 路線寄りの男ならふつーに経験しているはずの女装。芝居で女役をやるのはレアケースでも、ショーの1場面で女装はありがちなのに、誰だって大抵経験しているのに、まっつはない。
 そのまっつが、看護婦?

 はじめて見るご贔屓の女装が、よりによって看護婦なんですか?

 何故そんな、イロモノの中のイロモノ……。

 そして、まっつの名前は当たり前だけど「雪組」のところに載っています。
 パロディ場面だけでなく、組ごとに行動している場面で雪組にいる。

 さらに、全員集合表記だと、今までよりずーーっと下にいる。

 組順で、学年順なの。

 今までは花組で、こういった選抜公演だと大抵みわっちの次、1~2行目に名前があった。1番目の組で出演上級生だから。
 それが今は雪組だから、3番目の組。花組メンバー全員、月組メンバー全員のあとに、よーやく載っている。

 表記順が下になってぷんぷん!というわけではなく(笑)、単に見慣れなくて、うろたえる。

 そして、写真ページ。

 みわっちとみっちゃんの間にいる……!!

 トドロキ様、まとぶん、キム、ゆーひと1ページずつ。
 蘭ちゃん、すみ花ちゃん、壮くん、まさお、ちぎ、らんとむ、みわっち、まっつ、みっちゃんが半ページずつ。
 あとは、4分の1ページの大きさになる。

 う・わー。

 写真大きい方へ載せてもらうの、はじめてだー!!
 いつだってどこだって、「その他の出演者」的な位置・大きさでしか掲載されなかったのに。
 みっちゃんの右半分は空欄。つまり、意志を持ってここで区切ってある。

 すごーいすごーい。はじめてだー。
 でもって最後かもしんないから、このプログラムは大事にしよう!!(笑)

 そーやって写真は大きくなっているのに、肝心の出番はかなり少ない。しかも、少ない出番はみんな大勢出演している場面。少人数口皆無。パロディ場面ですら「看護婦」で9人一緒。

「……まあ、こんなもんだよね」
 まっつメイトとプログラムで出番をチェックして頷き合う。個別化された出番なんかないんだ、いつもと変わらず。あとは大勢で登場した中で、歌い継ぎで何小節かソロがあったらめっけもん、みたいな?

 「看護婦」のインパクトと、写真のインパクト。
 観る前から、なんかくらくらする(笑)。

 
 で。

 
 「看護婦」っていったらアレ想像するよね? 白衣の天使、ミニスカナース。
 キムの役がリオンだからスーツ物だし、そしたらもちろん看護婦はいわゆる看護婦、白いミニスカ……。

 しかし。
 看護婦は看護婦でも、『ソルフェリーノ』だ、時代劇だ。つまり。

 ロングのエプロンドレスだ。

 『ソルフェリーノの夜明け』の、汚れた看護婦姿でぞろりと並んだ雪男たち。みんなふつーにかわいい。若干名のぞき。

 そっか……看護婦って、ナースコスぢゃなくて、コレか……。
 まっつ様がそんな、ミニスカ履いて膝小僧見せるわけないよな……そうだよな……。
 長袖にロングスカート、アタマすっぽり隠すキャップ……ヅラさえ必要なし。
 下、ズボン穿いてても、わかんね?

 ヲヅキが愉快なのは想定内。しかし、まっつ……。
 小柄で華奢で、素顔は美人なのに。ナマだと男になんかカケラも見えない、きれーなおねーさんなのに。

 何故、女装が似合わない?

 まっつはまっつらしいしれっとした無表情で、かついつもの低音美声で歌う。
 ええ、あの歌を。

 無表情なのは歌っているときだけで、芝居になるとわざとらしい女性の表情、仕草。
 や、だから、小柄で華奢で素顔は美人なのに、ふつーにきれーなおねいさんなのに。
 なんでそう、嘘くさい?

 わざとらしい台詞もあるにはあるんだが、それがまた裏声で。男の人が女の真似をするときの、ひっくり返ったよーなアレ……。
 元は女性のはずなのに、何故裏声で女声を作らなきゃならないんだ、まつださん。
 女声で話すまっつに、客席からどよめきが。

 いやもちろん、女装ネタである以上、いちばんオイシイのもいちばんすごいのもヲヅキさんで、彼がオチになるわけなんだが。
 隣にヲヅキさんがいてくれるおかげで、女装まっつはかなり救われていると思うんだが。
 しかし……なんでああも女装が似合わないんだ……つか、ナニを着ても、まっつはとことん、まっつだ。

 『ソルフェリーノの夜明け』は突然『ロック・オン!』になり、キムをセンターにみんなビシバシにキメまくって歌い踊る。……看護婦姿で。
 まつださんも、看護婦姿で、ロングスカートで、キザりまくってました。

 あー……スカートの下、いちおーズボンは穿いてないようです。脚がチラ見できた。裾にはペチコートも見えた。
 まつださんのペチコート……。…………。

 
 出番や扱い的には、いつものまっつ? 大勢で出てきて大勢ではける、歌い継ぎすらソロなし。
 でも、雪組にいるのは、不思議な画面だ。

 みわっち、そのかとの並びも数回あり、すごくなつかしい、『ファントム』3兄弟。
 そして、まさこ、ともちんに囲まれるまっつ、も数回アリ……ある意味貴重な画面……。
 もうじき『タカラヅカスペシャル2010』ですね。
 年に一度のタカラヅカの祭典……つっても、大劇場でもないし、銀橋ないし、劇場設備悪いし、全組揃うわけでもない、『TCAスペシャル』と呼ばれていた頃や、『TMP音楽祭』と呼ばれていた頃の華やかさはないものの、それでもお祭りはお祭りなわけです。

 お祭りならば、人が集まる。

 それならば、分母の少ない人だって、集まっているかもしれない。

 てことで。

 『モンハン』すれ違い通信募集っす。

 発売数日で200万本だか売れた、あの『モンスターハンターポータブル3rd』
 売れた本数からして、プレイヤー数はかなり多いはず、実際電車に乗っているとプレイ中とおぼしき男子たちを数多く見かける、国民的シリーズ。
 なのになのに、ヅカファン・ハンターはいないの??
 今まで会ったことない。
 ゲームをする友だちも、誰ひとり『モンハン』はやってないし。何故だ。

 『モンハン』プレイヤーの数百万人のうち、ヅカヲタは何パーセントいるんだろう。
 相当少ないとしても、ヅカファンが組の枠を超えて梅田に集結する祭典の日なら、その少ない人たちが少ないながらもすれ違えるかもしれない。

 えっと、「すれ違い通信」ってのはDSの呼び方で、『モンハン』の説明書には「オトモ配信」と書いてあります。
 説明書読んだことなかったんだけど、弟から「『モンハン』にもすれ違い通信があるぞ」と聞いて、あわててチェックした(笑)。
 見知らぬ人とオトモアイルーを交換できるんだって。
 交換、といっても、育てたアイルーが手元からいなくなるわけではなく、データがお互いに増えるだけ。

 じゃあじゃあ、アイルーにご贔屓の名前付けてハンティングに精を出しているどこかのヅカファンと、交流できるかもしれないのねっ。

 基本引きこもり生活のわたしは、オトモ配信未経験っす。
 ヅカファンかつ狩人の皆様、『ヅカスペ』初日、梅芸界隈をオトモ配信しながら歩いてやってください。
 うちのアイルーを配信しまっつ。

 ウチの子は、名前はもちろん「まっつ」。毛並みは「漆黒」、攻撃方法は「近接のみ」、標的傾向は「大型一筋」、性格は「こざかしい」でございますわ。
 装備は初期状態でしか配信できないそうで残念。今、王様コスしてるのに(笑)。コメントはそのまま送れるのかな? まっつらしい?コメントを入力してあります。

 ……ってたしか昔もこーやってお願いしたことがあったよーな……たしかあれは『どうぶつの森』……結局誰ともすれ違えなかったっけ……。
 今回もまた、空振りになる気はする(笑)。
 でも、言うだけ言ってみる!

 
 『モンハン』をひとことで解説するとしたら、どう言う? と、弟に聞いたところ。

「猫と仲良く生活しながら、ついでに狩りもするゲーム」

 という、とても偏った回答でした(笑)。
 『実況パワフルプロ野球』が「人生シミュレーションゲームやりながら、たまに野球もするゲーム」であるように(笑)、猫好きが猫を愛でるゲームでもある、『モンハン』。

 さて、「まっつ」と「えりたん」を連れて一狩りしに行こうっと。
 『タクティクスオウガ』も忙しいし、『モンスターハンターポータブル3rd』も忙しい……だけど本日は、『サントリー1万人の第九 ~歌のある星へ~』の日でした。

 今年のゲストは平原綾香。
 今までのゲストの中で最大の、4曲披露っす。うち1曲は、もちろん「Jupiter」です。
 リハーサル、ゲネプロ、本番と、その歌声を堪能しました。
 すばらしい歌声だし、美人だし。本日の赤い豪華ドレスより、前日の白のロングシャツにジレ、緩く結んだ細めのタイ、ジーンズにニーハイブーツ姿の方が素敵だと思った。結い上げ着飾らなくても、きれーだなーと。
 歌声も、リハからすでに安定だし。
 で、わたしたち1万人の第九合唱団に対して要望も出してくるし、このコンサートに「関わろう」「一緒に創ろう」としてくれている姿勢がまた素敵。

 「一緒に歌ってください」「参加してください」……あーやは簡単に言うけど、わたしたち合唱団の「思い通りにならなさ具合」を知っている佐渡せんせはとまどい顔。
 「決めるのはやめよう。自由ってことで」「歌いたかったら歌ってヨシ、踊りたかったら踊ってヨシ」……うん、なまじ決めると、1万人全員がその決めた通りに「できる」よーになるまで、練習しなきゃいけなくなるから。そして、1万人全員にそんだけの練習をさせる時間は、すでにナイから。
 なるようになれ。それも「ライヴ」ってもんじゃん?と。

 つーことで、なるようになれ。

 23日のテレビ放送でどこまで流れるかわかんないけど、マイクが音拾ってるかどうかもわかんないけど、あーやの「JOYFUL, JOYFUL」で1万人の合唱団が総立ちで揺れながら声出したりしてるのは、ヤラセぢゃないです、もともとの台本にはありません(笑)。
 還暦あたりの人たちが主な年齢層であるにも関わらず、一緒になってラップで歌い踊ってます。

「ベートーヴェンもだけど、ラップ歌うの、生まれてはじめての人がいっぱいいると思うよ」……佐渡せんせもしみじみ。

 白髪のおばーちゃんも揺れながら手を打ち鳴らし、「ゆのーみー!」って叫んでるもの。(注・you know me)
 ベートーヴェン歌いに来て、「ゆのーみー!」はナイよな……びっくりだよなー(笑)。

 観客が着席したままおとなしく聴いているのに、1万人の合唱団は総立ちで手拍子入れてるんで、そーゆー演出かと思われたかもしれませんが、わたしらが練習したのは「Jupiter」のコーラスだけです。

 佐渡せんせが「自由でヨシ」と投げた……ゲフンゲフン、自主性に任せた立ち上がるタイミングも、ほんとに決まってないんで、リハよりゲネ、ゲネより本番と、みんな立つのが早くなってる。実際本番は「早っ、もう立つのかよ?!」と思った(笑)。みんなテンション上がりすぎ。
 間奏の「第九」のフレーズは、みんなてきとーにハミングしたりなんだりしてるし。ははは、フリーダム。

 にしても、どうしようもないね。
 「Jupiter」というとわたしの中では彩音・まっつ・だいもんの三重唱だし、「JOYFUL, JOYFUL」ではコム姫率いる雪組が脳内再生されてしまうのですよ。
 そして、平原綾香が素晴らしい歌手だということとはまったく別次元に、寿美礼サマが恋しくなるのですよ。女性シンガーの歌声をしみじみ聴くと、わたしの「オサ様スキー」スイッチが入るみたい。
 寿美礼サマに会いたいなあ。あの歌声を聴きたいなああ。
 わたしにとって、春野寿美礼は永遠のディーヴァなのですよ。
 

 今年のテーマは「ワイルド」だそうです、佐渡せんせ曰く。
 それは乱暴になることとか暴力をふるうことではなく、人間として、イキモノとしての本来の力、愛ややさしさ強さを取り戻すことだかとなんとか。プログラム買ってないんで、よくわかりません(笑)。
 ひとの持つ「野生」がやさしさなら、愛なら、素敵だと思う。だから、信じたいと思う。
 そんだけ。

 わたしはここんとこずーっと『1万人の第九』にひとり参加。友だちのひとりもいないし、新しく出来ない……つか、作る気がない。
 でも、なんの問題もない。
 そのとき隣になった人と話す。「今日1日、よろしくお願いします」からはじまって、共に「歓喜」を歌い、「お疲れ様」「今日はありがとう」「また来年会いましょうね」で別れる。
 一期一会。来年会える保証なんかナイ。
 だけどみんな、再会を口にして、別れる。感謝と、希望を口にして、別れる。

「去年、テレビでこの『1万人の第九』を見て……自分が歌っているわけでもないのに、涙が出てきて」「あー、私もよお」……後ろの席の見知らぬおばさま方の会話。
「緊張する~~。ね、今練習していい?」「……て、ほんとに今歌い出すとは思わなかった」……ナニそのコントみたいな会話。

 ナニがどうじゃないけど、愛しい。
 いろんなことが。

 それらが全部詰まって、一緒になって、それで「1万人の第九」が出来上がる。

 
 ベートーヴェンは心底すげえと思い、1万人で、佐渡裕の指揮で「第九」を歌えることは心底楽しい、うれしいと思い、平原綾香の歌声を素晴らしいと思い。

 終わったあともずっと音楽がある。
 わたしのなかを、回っている。

 
 で。
 帰宅して改めて、まっつたちの「Jupiter」聴いちゃったけどね(笑)。
 ヲタは進行するばかりで、冷めることはないのかしら。

 次回花組公演の友会入力をするにあたり、まとぶん卒業だから楽だけでなく前楽もひとり1枚と制限がされている。
 そのことに改めて、まとぶんが退団するんだと実感する。

 まとぶんの卒業が寂しい。
 なんかもお、すごくすごく寂しい。

 タカラヅカは出会いと同じ数の別れがあるところ。特にトップスターは、就任と同時に卒業のカウントダウンがはじまるようなもの。
 任期からして、まとぶんの次作卒業は妥当といえるのだろう。
 そういったことからも、やめちゃやだー、というキモチよりは、ただ寂しい。

 まとぷんのお披露目公演だった、3年前の中日公演をあざやかに思い出せるんだ。
 この人が、ウチの組のトップさんだ。この人を中心に、この人を盛り上げて、ついて行くんだ。
 わたしはただの1ファンでしかないが、すごくわくわくして興奮して感動して、そう思ったんだ。

 別れが前提のヅカだから、長くヅカヲタをやっていれば、好きなスターさんを見送る経験が比例して増える。
 そのなかには、まとぶんより好きなスターさんだって、何人もいた。
 贔屓はただひとり、ファンは各組数人、好きはそのときのブームで、わたしはいつもお気に入りのスターさんがいて、きゃーきゃーヅカヲタをやっている。
 贔屓を見送った経験は1度しかないが、ファンと名乗っていたスターさんのことは、何人も見送ってきた。
 その別れの経験、別れた記憶と、今回なんだかチガウんだ。

 好きの度合いがチガウというよりは、愛着濃度の違い?

 わたしは20年超えのヅカヲタだけど、たとえば20年前は今ほどのヲタではない。贔屓組だけを1公演1回観るだけ、他の組は演目次第で観るかな程度?
 ヲタは続ければ続けるほど、濃くなってくる。
 最初の贔屓はトキメキより普遍的な愛情へ移行し、今も好きだけど贔屓と呼べる人ではなくなった。や、まさか理事になって研25超えで在団する人になるとは、ハマった当時は思ってなかったから(笑)。
 そして次の贔屓からよーやく、ふつーにヅカファンってこんな感じ?な、贔屓持ちのヲタ生活。主演バウのために、早朝からぴあに並んでみたり。舞台姿を見てきゃーきゃー、公演は複数回観劇あたりまえ、遠征だってしちゃうぜ。ついでに、高額チケットにまで手を出す(笑)。
 とまあ、最初の贔屓と次の贔屓とでは、わたしのヅカヲタ・ランクが明らかにチガウ。
 贔屓卒業で祭りだわっしょい、涙腺とか金銭感覚とか、あきらかにおかしくなったままディナーショー、退団公演と駆け抜け、なんか引き返せない泥沼に。
 ここまでヲタではなかったはずなのに。
 そして、しばらく恋なんかしないわ、心もお金も使いすぎてボロボロ、ヅカとは距離を置いてまったり眺めていよう……と思った矢先に、まさかのフォーリンラヴ、現在の贔屓にずっぽりハマる。

 最初の贔屓より、次の贔屓。次の贔屓より、現在の贔屓。
 愛情がチガウというよりは、ヅカヲタ・ランクがチガウ。
 最初の贔屓のことだって大好きだったが、当時のわたしはヅカとの距離が違っていた。
 ヅカヲタ度が高くなるに従って、贔屓への没入度も違ってくる。
 病が重くなっているというか。

 だから、今まででいちばん重いヅカヲタ生活のなかで贔屓に夢中になっている、そこでのはじめてのトップさんが、まとぶんだ。
 
 わたしが現贔屓への恋(笑)を自覚し、「星担だったけど、今公演から花担当になる」と切り替えたまさにその公演で、まとぶんも星組から花組にやってきた。
 まとぶんは、わたしのヅカヲタとしてのランクアップ時に、まるまる居合わせた人だ。
 花組3番手から2番手へ、そしてトップスターへ。
 それまでいたトップさんではなく、トップになるところから見ていた、はじめてのトップさん。
 ヲタは進行するばかりで冷めることなく、過去にないほどの濃度でヅカヲタ人生を突っ走る緑野こあらが、その情熱(笑)をかけて通った花組公演にずっと出演していた人だ。

 愛着が、半端ナイ。

 まとぶんの卒業は、わたしのヅカヲタ人生のひとつの区切り、時代の区切りのように感じる。
 あとを引き継ぐのが現花組2番手のえりたんでないこともあり、ますます時代の終焉的寂寥を増す。
 それは、らんとむ氏と共に訪れる新しい花組への期待とは、別の次元の話だ。

 スカステニュースで毎日のように、全国ツアーの『メランコリック・ジゴロ』や『ラブ・シンフォニー』の画面が流れることもあり、キモチは3年前のお披露目時にトリップする。
 冬のさなか、凍えながら在来線を乗り継いで名古屋まで通った、あの日々を。
 舞台の上のまとぶんの笑顔を、ハイタッチしてもらった冷たい手を、繰り返し繰り返し思い出す。

 そして、切なくなる。
 寂しくなる。

 こんなにもヲタが進行した今、出会ったトップさんだから。
 フタ桁観劇や遠征が当たり前になった今、出会ったトップさんだから。

 ただもお、寂しい。
 みみちゃんの株が、上がりまくりました、わたしの中で。

 『オネーギン』のヒロイン、タチヤーナ@みみ。

 みみちゃんは早くから抜擢されているため目にする機会は多かったけれど、可もなく不可もなくというか、わたし的にはあまり印象に残っていなかった。
 歌がアレなことはわかっているが、それを含めてなお、可もなく不可もなく。わたしは芝居>歌>ダンスの人なんで、歌がうまいかどうかよりも芝居ができるかどうか。芝居声がきれいかどうか。みみちゃんは声に問題ないので気にならない。

 スカフェとしてテレビに出ているときは、そのあまりのかわいらしさに眼福を感じていた。
 でも舞台では素顔のテレビタレント的かわいらしさが生かし切れていないっちゅーか、地味で不景気な感じになるのが残念な子、という認識。
 芝居に出ている分はいいとして、ショーになるとこの暗さはどうなん……つーか、隣に立つのがキムだとなあ、彼の輝きに負けて陰にすっぽり隠れちゃってるよと嘆息した『RIO DE BRAVO!!』。

 それが。
 『オネーギン』ではハマりまくり!! タチヤーナかわいいっ、タチヤーナ素敵!
 彼女の持っている暗さがいい方向に開花。
 美貌と知性、そして慎み深さ。

 『忘れ雪』のときみみちゃん演じるヒロインがとてもホラーだったのは、深雪というヒロインに、あってはならないはずの「知性」があったせいかなと今頃思い返してみたり。
 深雪がのーみそ10歳で止まったままの女の子なら、彼女の行動もあそこまでホラーにはならなかったろう。知性のある年相応の女性に見えたからその言動の裏に悪意や計算があるとしか思えず、恐怖の対象にしか見えなかったわけで。

 タチヤーナはめっちゃアタマ良い才女、秀才天才、というのではなく、常識の範囲で利口な女性に見える。そこに育ちの良さと奥ゆかしさが加わって、地味だけれど魅力的な女の子になっている。

 地味で魅力的。
 これって少女マンガには必須のヒロインキャラ(笑)。
 読者はそんなヒロインに感情移入して読むの。最初から美女でモテモテでなんでも手に入れてる女の子の物語ではなくて。
 今は地味でイケてないけど、この先絶対華やかに変身する!という予感を持ちつつも、地味な現在も女性が共感するタイプの魅力を持つ女の子。

 おしゃれと男の子にしか興味を持たない派手な女の子グループとは離れたところで、そんな人たちにちょっと劣等感を抱きつつも迎合はせずに自分の世界を大切に守って生きている、そんな女の子。

 そんな彼女の前に現れた、夢の王子様オネーギン@トド。
 都会からやってきた洗練された美形で、そのくせ彼女が大切に守っているヲタクな世界を笑い飛ばしたりせずに肯定してくれた。
 そりゃ惚れるわ。

 でもって、タチヤーナの恋がすごく気持ちいい。
 彼女の心が動いていることが、手に取るようにわかる。
 彼女にシンクロして、初恋のときめきを追体験できる。

 ああそうだ、そうだったよ、初恋ってやつぁよぉ。……そんな感じ。

 そこまでが丁寧に「少女の恋」を描いているから、彼女の「恋文」の爆発力につながる。
 そりゃあそこまで書くわ、盛り上がるわ、と。

 わたしは基本トド様ロックオン状態で、ほぼトド様しか見ていない偏った視界しかなかったんだけど、タチヤーナの恋文でだーだー泣きましたことよ。

 かわいいけど地味だよなー、と思っていたみみちゃんが、タチヤーナとして一気に輝きを放つ。
 愛を語る、愛を放つ、愛していると愛する人に告げる、あるべきものをあるべきところへ、あるものをあると世界の真理を告げる、その光。

 ここに在るから、在ると告げる。正しく真理を告げる。
 それはこれほどまでに、力を持つことなのか。快感を伴うことなのか。

 そうだよな、こんなへっぽこブログでもそうだけど、好きなモノを好きだと叫ぶのは快感だよな。
 誰にともなく叫ぶのでも自分のためになっているのに、それを好きな相手に叫ぶのだから、そりゃあ快感だろう。高揚感があるだろう。
 タチヤーナが手紙を書きつつどんどんクレッシェンドしていくってゆーか、自分でエンジン掛かっちゃって止まらなくなっていくのがわかる(笑)。気持ちいいんだもの、そりゃ止まらんわ。

 タチヤーナがぴかーっと発光し、まさに愛することの喜びにきらきらしていることに、泣けて仕方がない。

 その光を背後っちゅーか横の方に置いておいて、手紙を黙ったまま読んでいるオネーギンがまたすごいし。

 タチヤーナが輝けば輝くほど、オネーギンはびびっちゃうんだよね。
 少女の初恋が清らかな幸福感にあふれているだけに……まだ腰の据わっていない若造は、逃げ腰になる。
 あんだけの光、受け止められないって、ハタチそこそこの男の子に。

 いや、そこで正しく逃げ出すのが、オネーギンがある程度の恋愛スキルもあり、人生経験もある大人だったってことだろう。
 ただの若造なら、ただ舞い上がって一緒に爆走したろうし。
 でも本当に成熟した大人の男でもなかったので、ケツを割って逃げた。

 どちらの気持ちもわかる。
 タチヤーナも、オネーギンも。
 だから切ない。

 ふたりの今この段階での別れは仕方のないことだった。
 もう少し時間をおけば、関係は変わっていったろう。しかし。

 レンスキー@ひろみとの決闘事件があり、ふたりの「時間」は断ち切られたままとなった。

 この「仕方がない」まま、対外的な圧力で引き裂かれる、てのはもー、少女マンガのお約束ってゆーか、恋愛ドラマの基本ですよねっ。
 キミら両思いじゃん?! なのに、現段階では泣く泣く別れることが「仕方ない」、どちらの気持ちもわかる……そこへ事件発生、引き裂かれてキモチを再確認し合うこともできないまま、時が流れる。あのとき再確認できていたら、ハッピーエンドだったかもしれないのに!!
 という、もどかしさ(笑)。
 これぞ恋愛モノの醍醐味!

 こんな感情移入できる、ヲトメツボ突きまくりのラヴストーリーを、みみちゃんがあのトド様相手に負けることなく繰り広げている……そのことに拍手喝采。
 観る前は、トド様とみみちゃんの実年齢差ゆえ、「恋人同士というより親子ぢゃ……?」なんて危惧しておりましたのことよ。

 トド様の演技も役と世界に合わせて変わったにしろ、トドみみがこんなにお似合いの美しいカップルになるとはうれしい驚き。
 フィナーレのデュエットダンスも素敵でした。美男美女、美しいモノはこんなにわたしをシアワセにする……。

 いやその、歌はやっぱりすごかったですけどね(笑)。「みみちゃんの歌がうまくなってた」と前評判を聞いていたが、みみちゃん比ではそうなのかもしれないが、やっぱりわたしは彼女のソロで「うわー(笑)」と思っちゃったよ。
 今まで歌があんまし気にならなかった、トータルして可もなし不可もなしだったのに、今ここで「歌が……」と思ったのは、彼女への好意というか興味が上がったためだと思う。今まではマイナス面を気にするほど彼女自身を気にしていなかったというかね。

 歌はかなりアレだと思ったが、そんなことを差し引いても、素敵だった、タチヤーナ。
 彼女の恋に、泣いた。
 『オネーギン』がどんな話かは、あまりわかっていません。

 オネーギン@トドは親友@ヲヅキとの蜜月(笑)に区切りをつけ、少年時代を過ごした伯父@ヒロさんの屋敷に戻った。つか、若いよトド様若い。そこで昔なじみの友人レンスキー@ひろみと再会、彼の婚約者オリガ@さらさとその一家と出会う。
 オリガの姉・タチヤーナ@みみはヲタクのメガネっ子(@イメージ)。純粋培養奥手でフェアリー。彼女はオネーギンに一目惚れ、ヲタクなめんなアクション早いよアツいよ、熱烈なラブレターを書く。
 でもオネーギンはお断りしちゃう。ヲタだから嫌だっつーわけではなく、その反対、ピュアすぎる彼女は手に余る。揺れる思いを断ち切るためにも、オネーギンはオリガと踊っちゃったりする。
 そしたらレンスキーがキレた、決闘だ! 彼こそ本物の夢見る夢子ちゃん、夢の中で生き続けるためには死ぬしかない、迷惑な情熱に巻き込まれ、オネーギンは友人殺しの十字架を背負う。
 それから数年。ヒゲのダンディとなり、若過ぎてないありがたい外見に落ち着いてくれたトド様……ぢゃねえ、オネーギンは心とカラダの放浪を続けていたが、あるとき人妻となったタチヤーナと再会。メガネっ子のお約束、メガネを取ると美少女! 引きこもりヲタを卒業し、メガネをコンタクトに替えて華麗な美女にスキルアップした(@イメージ)タチヤーナに、オネーギンの恋がめらめら盛り上がる。てことで、彼もラブレター書いて渡しちゃうんだけど。
 ラブレターは実ったためしがないなこの話、やっぱりお断りで突き返される。
 そしてオネーギンは革命への道を選ぶのでした。

 物理的に主な出来事だけ拾うと、ラストにつながらない(笑)。
 出来事の合間合間に出てくる少年時代のオネーギン@彩凪くんや、要所要所に登場するちぢれっ毛の友人@ヲヅキと彼の思想、全体を囲む閉塞感など総合的なモノではじめて、ラストのカタルシスへたどり着く。

 トド様の作り込まれ磨き抜かれた「男役」としての美しさと存在感ゆえに、この一見地味な物語がどーんと牽引されていることはたしかだが、それ以外の人たちもまあ、よくぞトド様についていったなと。

 なにしろトドロキ様はこの道25年超えの大ベテランっす。トド様が天才でなかったとしても、ひとつの道をこれだけの年月極めてきた人に、たかだか数年かじっただけの人は太刀打ちできません。
 トドが齢**を超えてなお、ヅカに留まり続けてくれるのは1ファンとしてうれしいけれど、彼と他ジェンヌとの芸風の差が年々広がっていくのは、やるせないことだった。(ジェンヌはフェアリーです、年齢などありません)
 巧い下手ではなく、今どきの少女マンガに昭和時代のキャラがひとりだけ登場しているような、画風の差。『メイちゃんの執事』のマンガのコマの中に、『ベルサイユのばら』のキャラがひとりだけ描かれてるよーな違和感。
 それはもう、どうしようもないことで。
 仕方ないことだから、それはあきらめるというか、スルーするしかない。

 が、覚悟していたほど、トドひとり浮き上がっていなかった。
 そりゃどうしても、いろいろと違いはあるし、下級生たちと次元が違って当たり前の人だから浮いていていいんだけど、危惧していたようなやるせないモノではなかった。

 クラシックな世界観はトドに似合うし、トドも空気に合わせた芝居をしているし、そして主要メンバーが予想以上にがっちり芝居していて、出来ていて、トドを孤立させていなかった。

 いちばん感心したのが、親友@ヲヅキだ。

 トドと、ちゃんと親友に見える。

 ここがあまりに乖離していると、物語の根幹を失う。
 いい男になったなああ、ヲヅキ……。

 大人の男で、体格にリアリティのある「厚み」を持つ。
 ビジュアルの良さから、男女問わず好かれるだろうモテるだろうと思えるけれど。
 彼の魅力はその魂にある「やんちゃさ」だと思う。
 大人の男を作り、演じてなお老成しきらない。小柄な子より体格的に「大人」を作りやすいと思うがそこに収まりきらない「魂の若さ」を持つ。

 ヲヅキはこれからも大人の役を演じるだろう。それでも彼は魂に「少年」をひそませているだろう。
 そう思える、魅力。そう思わせる、期待感。

 「友だち」と言いながら、なんでこの人たち友だちやってんだろう?という、中身や感情の伴わない「作者の都合だけで友人関係」になっている設定だけの友だちも、フィクションには数多く存在する。
 そーゆーモノではなく、本当に「友だちなんだな」と思う心の距離感が心地いい。
 いつも一緒にいるから友だちじゃない。その「いつも一緒だから友だち」の少年時代を経て、それぞれの意識でそれぞれの場所で生きながら、「いつも一緒」時代に培った信頼や絆を血肉にしている。
 考え方や生き方が違ったとしても、会えば変わらず一杯やって語り明かせるような。

 「オネーギン」の物語である以上、そんな「友だち」の存在はありがたい。オネーギンを中心とした視界で世界を見ている中、彼がどれほど救いであるか。
 オネーギンと観客たるわたしはある意味シンクロして、その人生をロールプレイングしている。だからオネーギンからちぢれっ毛の友人への好意が伝わるんだ、感じられるんだ。わたし自身の感情として。そこに観客であるひとりの女性として、素敵な男性への好意も加わるから、最強だ、ちぢれっ毛の君(笑)。

 物語の最後に、このちぢれっ毛の友人こそが『オネーギン』の作者プーシキンだとわかる。
 ナニこの二重構造。
 つまりこれってヲヅキのトド様へのラブレターってこと? ヲヅキが愛情持って描いた物語だからトド様もあんなにかわいらしくて魅力的だってこと?(役名で言いなさい)

 
 ストーリーなんかある意味投げてますのよ。これがこうだからこうなった、ではなく楽しみました。いや、ストーリー自体はとても神経質に(笑)計算されて描かれているのですが。彼がここでこう思ったのは、あの場面でこれがあったからだ、とかいちいち伏線の応酬されているので、かえってそんなもん無視してやらあなキモチというか(笑)。
『オネーギン』には、なんとフィナーレがあったんだよ! 群舞もデュエダンもアリ、音楽に乗って出演者が出てきてお辞儀、とかゆーんじゃなく、ミニ・ショーみたいな、真っ当なフィナーレだよ!」
「すごい、はじめてじゃない? ちゃんとしたフィナーレって」

 『オネーギン』観劇後に、未見の友人nanaタンとそんなことを話した。
 正確にははじめてでもないのか。89期生のお披露目だった『シニョール ドンファン』はショー先行型で、芝居のあとにフィナーレがあった。初舞台生ロケットに大階段パレードまで。

 でもそれは、「フィナーレを付けなければならない」というルールがまず先にあって。
 付けても付けなくてもイイ、演出家の自由意志に任されているところで、ここまできちんとフィナーレを付けているのは相当珍しいんじゃないか、景子作品として。

「じゃあ景子タン、最後に蛇足付けるのやめたんだ(笑)」

 未見のはずの友人が、見事に言い当てる。

 そう。
 その通り。
 景子せんせのお約束、最後の蛇足。

「うん、トドロキが突然『ディア、オネーギン!』とか言い出すんぢゃないかってハラハラしてたんだけど、なかったの!! 代わりにフィナーレがあったの!!」
「すごーい、景子せんせー、やっと蛇足が蛇足だって気付いたんだ!!」

「後日談もなかったの。ヲヅキが作家でこの話を書いたことになってるんだけど、最後にヲヅキが出てきて『オネーギン、キミはうんぬんかんぬん』って、景子タンの言いたいことをまとめて語り出したりしないのー」
「すごーい!」
「後世にどう伝えられたかとか、その後どうなったかとか、物語が終わったあとでいちいち解説者が出てきて一席ぶたないの!」
「すごーい!」

 ……これがネタになる、景子タンの作風って……(笑)。

 でもほんとーに、『オネーギン』は景子せんせらしくないのよ、主人公のオネーギン@トドが決意して旅立つ、ほんとソレだけで幕なの。
 なんの説明もないの、解説もないの。
 通常の景子タンなら、まず作家@ヲヅキが出てきてオネーギンの人生について語り、そのあと彼に関わったいろんな人が出てきてさらに解説したり、当時の歴史や考え方、それによってどうなったかとか、1から10まで全部言葉で解説、答え合わせ、それ以外の感想なんか持っちゃいけないとばかりに絶叫してくるのに。
「オネーギン、キミを忘れない!」とか、ヲヅキさんが宣言してくれちゃったりするだろーに。
 それがなかったんですよー(笑)。

 こんだけ細かく作中でテーマを叫んでおきながら、出来事より心情の変化で物事を進めながら、まだ最後に言葉によってテーマをまとめあげる、小論文テスト、「作者の言いたかったことを50字でまとめましょう」的作風が特徴の景子せんせ。
 わかったわかった、キミの言いたいことはわかった、十分伝わってるから少し黙ってくれ。観客はバカじゃない、10のことを20も30も繰り返さないでくれ、ふつーに10聞いたらわかるから!(笑)
 てゆーか、7か8あたりで止めてくれた方が、残りの2や3は想像で補うのに。
 なんで何回も何倍も説明し直すんだろう。
 と、常々残念だったんだ。

 ちゃんと10の話は10で止めてくれました。7か8あたりで止めてはくれなかったけど(笑)、蛇足はやめてくれた。
 そして、いつもなら「作品全解説」をやる時間を、まんまフィナーレに回してくれました! ハラショー!!

 ロシアだから首まできっちり詰まった重苦しいドレス姿ばかりだった雪娘たちが、フィナーレで首筋や肩をばーんと出して踊ってくれることに、見ているこちらも一気に解放、爽快感!
 やっぱ美しい画面を作れる人ってすごいわー!

 トド様とみみちゃんのデュエットダンスもまるまる1場面、逃げ口上無しに作ってくれて、すごいお得感。
 いいもん見たわー、と素直に思う。

 オネーギンのモラトリアムを軸に進む物語だけど、実際のところは幾重かの時間的・空間的構造になっている。
 そのいちばん外枠が、ちぢれっ毛の友人@ヲヅキ。ラストにオネーギンが彼の名を呼ぶことで、「物語」が完成する。
 ぱたんと、開いていた扉が閉まる……あるいは、表紙が閉じられる。

 そこで終わってくれて、ほんっとーに良かったっ。
 多重構造であるがゆえに、いつもの蛇足を付けることが出来たのに……見ているこちらも「うわ、こりゃいつものが来そうだ」と身構えるくらい、用意は調っていたのに、あえて付けずにいてくれたことがうれしい。
 おかげで、素直に余韻を楽しむことが出来た。
 「物語」についての思考という、ゼイタクな森で遊び、「フィナーレ」という視覚と聴覚で潤いながら、澱みがちな思念を前向きに解放できた。

 「タカラヅカ」のタカラヅカたる所以。
 どんな悲劇のあとにも、フィナーレがつき、キャストみんながきらきら笑顔で歌い踊り、大階段に羽根にシャンシャン、きらきら別世界に昇華すること。
 結ばれなかった恋人たちも、それが答えであるかのようにデュエットで踊る。

 ある意味大きなお世話、これ以上ない蛇足なんだうけど、わたしはこの「タカラヅカ」な蛇足は大好きだ。
 「ダンディズムとは」と台詞で解説する陳腐さに比べれば、美しい音楽に乗って踊ることで表現してくれることが、どれだけ洗練されているか。
 「テーマを50字以内」で解説されるより、主人公とヒロインが黙って踊ってくれた方が、主人公がかっこよく美しく男たちを率いて踊ってくれた方が、どんだけ説得力を持って彼の人生を、物語を肯定できるか。
 いやはや、改めて思いましたね。

 良い作品でした(笑)。
 で。

 『オネーギン』って、どーゆー話?

 アタマ悪くてごめん。マジでわかんなかった(笑)。

 原作は知りません、オペラもバレエも知りません。無教養ですから!

 ナニがしたくてどんな起承転結、なんの話?
 なんか淡々とメリハリなく、どーってことのないエピソードがただ流れていたような?

 ああしてこーしてこーなって、ストーリー型っちゅーか、出来事で話が進むハリウッド映画型の物語ではなく、心の動きを追った小説型の話なんだなあ。
 だもんで、出来事だけ見ると、ストーリーがつながらない(笑)。

 ナニがどーしてそーなって、つかそもそも起承転結と呼べるほど出来事としての事件はないよーな。
 クライマックスと呼べるほどの、出来事としての事件はないよーな。

 だから、出来事のつながりとしてのストーリー、起承転結はわからない。
 あらすじを起こしたいとは思わない。

 いやその、わかるよ? あらすじはわかってる、ちゃんとつながってる。わかんないってのは言い過ぎだ、誇張だ。
 正確には、「どーでもいい」かな。
 「わからなくてもいい」かな。
 理詰めであらすじを理解し、ここがこうしてああなった、と計算式を作りたくないというか。
 景子せんせ自身は、かなり真面目に計算式を作って実践していると思うけれど。それをそのまま受け止めたくはないというか、もっと曖昧なまま、感覚だけでいたいというか。

 だから「わかんない」ということにする。その方が、「わたしが」楽だからだ(笑)。
 どこがどーしてこーなって、なんて、まるでわかんない。ってことにする。

 そして、その上で。

 最初から最後まで、すげーたのしかった。

 コレといってナニがあるわけでもなく。
 オネーギン@トド様見てるだけでしあわせだった。楽しかった。
 ドキドキしたし、きゅんとしたし、えんえん泣き続けることが出来た。

 理屈の部分ではなく、感情とか本能とか、プリミティヴなところが静かにざわめいて、涙になった。
 それはとても、心地よかった。

 計算された、美しいモノを見る。
 細部までこだわられた、美しいモノを見る。
 それは、こんなにも幸福なキモチになるんだ。

 わからない、わかりたくない。
 そうありたいと思いつつ、わたしはわたしたる所以で、やっぱりここがこーしてああなって、と説明したい、読み解きたい思いに駆られる。
 ペテルブルク社交界の虚無と虚飾、そこからはじまり少年時代のきらめきを随所に垣間見せながら逆行することのない時間軸、立ち止まることを象徴する夢の住人たる友人、影あるいは鏡のように関わっては遠ざかるちぢれっ毛の友人、ひととひとの間をつなぐ手紙、心を伝えもするし突き返すことも出来る「カタチ」を持ったもの、手紙。長い深い森を抜け、オネーギンが意志と決断を持つことによって、物語の幕が下りる。

 この作品が、もっと衝動的に創られているなら、かえって細かく読み解きたいと思ったろう。
 技術や丁寧さより、「これを書きたいんだっ」という抑えきれない衝動ゆえに書き散らし書き殴り、荒削りだけどおさまりきらない息づかいが聞こえるよーなモノならば。
 それが正解かどうかではなく、わたしの言葉でひとつの角度から残しておきたいと思うのだけど。

 でもそうではなく、細かい計算でもって隙なく書かれたことがわかるだけに、細かい解説は蛇足な気がして、二の足を踏む。
 ただでさえ細かい表現がされているのに、それをさらに言葉で書き表してしまうのも、つまらないなあと。ああ、コマカイコマカイウルサイ文章だ(笑)。

 だからこう、ざっくりとアタマ悪く印象のみ書き記す。
 このアタマぬるめな感想が、わたし自身にとって居心地イイ。

 リアルタイムに観劇時に、きちんと感想を書けなかった、もう今さらだからこそ、自己完結したまま言葉を連ねてみる。
 グレアム@『はみだしっ子』のノートみたいに。

 
 過去は過去であるというだけで、人を切り裂く。
 若さは傲慢であり、老いが救いになるとは限らない。
 立ち止まることをヨシとするかしないかは、選択のひとつであって正誤ではない。
 美しくまとまりすぎ、計算という枠の中でしか作品が存在しないのは景子作品の特徴のひとつだが、そのまとまりとこだわり抜いた美しさは武器だと思う。
 てゆーか今回は、景子タン独特のアレがないし。(あとでネタにする)
 計算式を作って、ココを足すからこちらが減る、ここの仕掛けがここに関係して展開する、この伏線はココで昇華する、それがいちいちマメでウザいと思うのは、たぶんわたしがそういう物語作りをするからだ。ひとは似たものには過剰反応する(笑)。でもわたしは景子タンほど真面目ぢゃない。てゆーか怠惰だから、叱られているみたいでちょっとヤだ(笑)。
 美しさ自体が救いであり、この物語に「醜さ」は必要ない。醜さとは視覚上のことではなく、精神的な意味で。真の闇の存在しない世界はあっていい。いや、在るべきだ。
 だからわたしは肯定する。否定だけで成り立つ世界をわたしは認めない。
 枠の中で小宇宙作成、だけど枠の向こうには借景。そして呪術は完成する。いや、共通認識を形成する上でのお約束か。
 枠にとらわれているのはわたしだ。無駄なプライドが軋むのか、ったくくだらねえ。
 逃げは逃げとして、いじることで出口は見つかるかもしれない。まあそれもまたよし、いずれ、いずれ。
 忘れずにいたいのは、少年の彼も現在の彼も、等しく過去であるということだ。ここには現在が存在しない。視点は利口すぎ、それゆえに過去しか見ていない。未来は見えないので語れないんだ。
 人は未来へ向かって、前を向いて進むけれど……進むしか、ないけれど、創作自体は後ろを見つめることかもしれない。
 後ろを向いて進むから、光は影となり諦念は増す。だがそれこそが快感なのかもしれない。
 チョークを手にとって、アスファルトの地面に線を引く。ここから、ここまで。A群とB群とを正しく線で結びなさい、てゆー、アレ。彼の足下から線を引き、わかっている答えにたどり着く。たどり、着かせる。その快感。
 いいなあ。だから好きなんだよなあ。

 ……って、この調子で書いていたらいくらでも続けられるので自重。
 楽に垂れ流してないで(笑)、ちゃんと組み立てて書かねば。
 轟悠が、おもしろい。

 感想周回遅れどころぢゃない、公演自体終わってしまってもまったく書けないままでいるあれやこれ、すでに開き直っているのでカレンダーの日にち無視して書いていく(笑)。
 ったく、ミニパソが使えないせいで、外でテキスト打てなくなったのが大きいんだよなー。ノートにメモするの疲れたー、ソレを写すのもめんどくさいー。

 景子タンの新作バウ『オネーギン』、せっかくだからいろんなところを見よう、全体を楽しもう。そう思っていたんだ。
 贔屓が組替えになり、これからはまた雪組がホームになる。雪組は好きな組で、花組の次によく観ていたと思っているが、下級生までよくわかっているわけじゃない。
 バウ公演は新しい出会いの宝庫、少人数を近くで観られるんだもの、いろんなところを見るわよお。
 ……と思っていたのに、早々に白旗。

 トドに釘付け。

 オペラグラス、ガン見。トドしか見ていない状態に。

 いやその、誰がどの役で、どこにいて、とかの最低限の確認はしていますが。
 台詞があろうがなかろうが、とにかくトド様の表情の変化のみに夢中になって、終わった。
 みみちゃん、ヲヅキ、リサリサ、ルーシーちゃん、みんなみんな素敵で彼らも見たくて仕方なくて、目がいくつあっても足りない!だったんだけど。それが本気で本音の感想だったんだけど。
 それでも。

 初見がそんな観劇結果になったため、2回目は全体を見よう……とは、思わなかった。
 2回目は、ストーリーわかったから安心して、最初から最後までトドロキのみアングル敢行(笑)。

 そーだわたし、トド様ファンだった。……という、最近自分でも忘れがちなことを、骨の髄まで思い出させてくれました。

 だってトドロキユウ。
 それにしても、トドロキユウ。

 はじめて見る、トド様がソコに。

 彼がいたから現在のわたしがいる、普段意識しないよーになっているとはいえ、わたしはトドファンだし、トド様が出演する公演はトド様だから観てみるよーな人。
 とゆーのはたしかだが、彼を好きなことと、彼の芝居にハマるかどうかは、別問題。

 彼がうまい人だということはわかっているが、たとえばイシダ芝居の彼には、心が動かない。
 だって、いつも同じだもの。

 タイトルと役名がチガウだけで、同じキャラ、同じ話。大味で一本調子。
 イシダせんせは商業演劇を作る力はある人で、作品的にはおおむね破綻していない。だから役者が力尽くで支えたり、立て直したり、別の話に作り変えたりする必要もない。
 そしてまた、イシダせんせがトドに求めるモノが一貫しているため、トドはいつものトドで、引き出しの中にあるモノだけで楽々演じているよーに見える。

 植爺作『長崎しぐれ坂』とかは、作品のぶっ壊れぶりがものすごく、キャストが一丸となって戦い、ムラ初日と東宝では別物に作り直していたりとか、いろいろと実験作だった谷作『Kean』はチャレンジしまくりあがきまくりだったりと、トドも自分の枠を超えて演じていたけれど。
 手抜きとかではなく、「出来る」モノに関しては、手堅くテリトリー内で演じてしまうため、トド様の芝居はおもしろくない。

 彼はプロなので、一か八かの挑戦だの実験だのはしない、的確に堅実に、与えられた役割をこなす。
 それは当たり前で、正しいこと。
 トップ専科で理事で宝塚歌劇団の代表みたいな立場なんだ、冒険より堅実を選んで当然、当たり前。

 そんな彼のスタンスや芸風を受け止め、まったり眺めてはいるけれど、わかっていても好意があっても、彼の芝居が予定調和でおもしろくないのは事実。
 だからいつも、1回観れば十分。彼が好きだからといって、彼から目が離せない、他の人が見られない、なんて事態にはまずならないから平気。

 それが。
 どーしたこったい、今回はいつもの予定調和、引き出しの中、失敗しないかわりに冒険もしません、ぢゃ、ないっ!!
 大味で、ヒーローで、どーん! でーん! ガオー!!の、トドロキぢゃないっ!!

 若く、繊細な青年が、そこにいる。

 演出家がチガウと、こんだけチガウの?!

 男性的無神経さにあふれた作家の、無神経の権化(ソレこそ男性視点でのカッコイイ男の中の男!)ばっか演じていた、漢トドロキが。
 繊細な作品を与えられたら、繊細な芝居をするんだ? 繊細に演じてみせるんだ?

 トドにハマったが故にヅカにハマったわたしです。良くも悪くも、トド様を長く眺めて来ました。
 しかし、22年目にしてはじめて、トド様の演技を繊細だと思いました。
 トド様の演技を、おもしろいと思いました。

 表情や仕草のひとつひとつに内面が見え、感じられ、その多面体な輝きが、動きが、変化が、おもしろくて目が離せない!!
 こんな人だったの? こんなことも出来たの?

 ときめいちゃって、どうしてくれよう(笑)。

 や、今さら困る。わたしご贔屓いるんだってばー!

 たしかにトド様は初恋の人だが、初恋は初恋でもう美しい思い出になっていて、今はもう夫(笑)……ぢゃないが、ゆるがない決まった人がいて今さら20年前の初恋の人に再登場されて当時は知らなかったカオなんか見せられて、しかもソレがめっちゃいい男で好みで、もともとカオで一目惚れした男がそんな内面の魅力ひっさげて登場って、強いばかりで押しの良さだけで男の中の男だったのに、そんな今さらヨワイとこ見せるってなんなのよもお、困るわよ、ただでさえ今、夫(笑)ぢゃなく本命様がしばらく公演なくて会えなくて不在でまっつ切れで人生グレーでつまんなくてうじうじしているとこにソレはないわよ、なんで今なのよもおおおっ……って、ナニ言ってんだかわかんねえ(笑)。 どこの夜10時台主婦向けドラマだ、なノリだな(笑)。

 それくらい、びびりまくった。
 ニュー・トド様が素敵で。

 思いもかけないところからトキメキが飛び込んできて、うれしいやらうろたえるやら(笑)。

 再演である以上、以前の記憶をめぐる時間旅行になるのは仕方がない。

 花組全国ツアー公演は、3年前に同じ2本立てで中日劇場で公演済み。同じ顔ぶれで同じことをしていて、そこに取り返せない「時間」があるから切ない。
 芝居はそれでも物語に没頭できるから忘れていられる部分もあるが、ショーになると記憶の答え合わせみたいになる。
 ああ、ここはこうだった、ここはこうなるのか。

 なまじ『ラブ・シンフォニー』は再再演、3回目だ。短い期間に3回も公演してりゃー記憶も新しい。
 てゆーかわたしは、いったい何回『ラブ・シンフォニー』を観たことになるのか。オサ様退団で通いまくり、まとぶお披露目にも通ったんだ。まさかまた、観るはめになるとは思わなかった。「いかにも中村B」な、「悪くはないけど、良くもないショー」を。

 タカラヅカはスターありきだが、中村Bはスターに合わせて作品や場面を作れない……だけでなく、アレンジもできない。
 デビュー当時から使い続けているテンプレートに曲や衣装を当てはめていっているだけ。自動生成マシンみたいなもんだな、「いかにもタカラヅカ」なモチーフを放り込んでおけば、お約束通りのいつもの「中村B作品」が出来上がるので、あとはそこに出演者を上から1、2、3とあてはめていけばいい。
 テンプレ通りだから、それは「タカラヅカ」であることに間違いはない、とても普遍的なモノが出来る。「タカラヅカ」自体をよく知らない人が1回だけ観ると、「うわあ、タカラヅカだわあ。きれいー!」と思える作りなので、需要のある作風だと思う。
 ただ、贔屓組はヘビーリピート前提で、全組全公演まんべんなく観劇、それを10年以上続ける……ごくふつーレベルのヅカファン(笑)には、いつどの組でナニを観てもまったく同じ、という作風はつらい。
 たとえ今回の『ラブ・シンフォニー』を観るのははじめて、であったとしても「この作品、既視感しかない……」ということになるので。

 そんな毒にも薬にもならない『ラブ・シンフォニー』。
 現実に何十回観劇済みだがそれ以上におなかいっぱいになりつつ、作品が平板であるから余計に思考はいろんなところに飛ぶ。

 オサ様の歌声や、まとぶんの気合い入りまくりのあれこれ。彩音ちゃんの笑顔。
 まっつがいないことは、それほど気にならない……彼の立ち位置は全部無意識レベルに刻み込まれているため、いちいちそこを見てしまい「あ、いない」となるが、それは大してなんとも思わない。
 組替えでいないというより、バウに出演中だからいないとか、『巴里祭』出演中だからいないとか、過去にもあった不在感覚でしかない。まだ、実感していないんだ、まっつが花組にいないこと。全ツとバウの出演者一覧に名前がなかったときの方が、ずっと寂しかった。

 初日初回はまさに答え合わせ。
 花盗人な壮くんが、センターパーツで現れたときに、ぶはっと吹いた。
 そうか、ここも昔のままか!
 初演でまとぶんが気合いのセンターパーツで歌い踊った場面、再演で壮くんまでもが同じ髪型にして現れ、「髪型まで決まってるのか!」とウケた。
 2度目の再演でもまた、同じ髪型なんだ。そうそう、そうなんだね、えりたん。そこはそうなんだ!
 すっかり忘れていたのに、思い出した。

 みわさんの小雨降る♪のタメと吐息っぷりに悶絶したこと、キンバラのゆまちゃんの胸、スパニッシュの壮くんのダンスのやばさ(笑)、女の子にキスするときはクチを開けてのらいらい……順不同に書いてますが、流れの順番に次々思い出してくる。

 初回は3階席でまったりと、そして2回目は1階センターブロック通路際……てことで、まとぶんのハイタッチ狙います!席(笑)。

 答え合わせをしているうちに、甦ったんだ。
 中日で、まとぶんにハイタッチしてもらったこと。(それも、1回2回ぢゃない・笑)
 この人が、ウチの組のトップさん……敬意と憧憬とトキメキを込めて、毎回手を出していた。

 最初にそうやってタッチしてもらった、その人に、最後が見えてからまたタッチしてもらう……それは、とても大切なことに思えた。
 けじめというのもおかしいが、節目を受け止める心構えとして。

 ……実際は、よりによってその回に、今回あたり現れるんじゃないかと思ってはいたけどほんとーにまっつが客席にいて、しかもわたしの席から丸見えなところに坐っていて、こちらがさらに平常心でなくなってしまったため(笑)、まとぶさんのハイタッチ狙いが微妙に遅れてしまいましたが。
 なんとかタッチしてもらえたけれど、中日のときほどばしって手のひら全体でなく、かすめた程度。

 狙うぜ!とか思っていたくせに、自分的にダメダメな結果に落ち着くあたりが、まあわたしらしいかと。
 
 それでも、客席の手をいちいちぱしぱししていくまとぶさんのことは、正面から見られたわけで。
 お披露目公演でそうだったように。
 記憶が、二重写しになる。

 その姿に、切なくなる。

 時が経つ、それは切ないことだ。
 出会いと別れの繰り返し。それを、改めて思う。

 
 贔屓が舞台にいない分、いつも無意識に贔屓ばかりを見ていたいろんな箇所で、いろんなところを見られる、それは楽しい。
 大好きな花組。贔屓の組替えは寂しくてならないが、良かったと思えることは、花組のみんなをたっぷり見ることが出来る、ようになること。何十回観たってダメなんだよ、まっつが出てたらまっつしか見られないの、いつも同じ顔して踊ってるだけとわかってるのにさ、他の人たち見たいのに!!
 だからある意味新鮮な画面。まっつしか見えていなかった場面が、あららフリーダム、あっちもこっちも見放題!

 で、めおくんの腰振りに釘付けになったり、襟が片方出ていないあきらにはらはらし、仕方ないかまだ若いし経験不足だし……と思った目線の端に同じように片方襟が出てない人がいて、誰かと思ったら王子だったり(笑)、じゅりあの靴を見たり、よっちのエロ流し目を見ていたたまれないキモチになったり、らいのウインクを捕獲したりと大忙しだ。

 いつも同じ中村B作品、何十回と観た『ラブ・シンフォニー』。
 既視感と答え合わせ、切なさと発見と。
 ウチの組のトップさん、ウチの組。
 ハイタッチしてもらった、指先。

 楽しいのに、ふいに鼻の奥がつんとする。
 思わぬところで、泣きたくなる。
 雪組ラインアップ、キターーっ!!
2010/11/22

2011年 公演ラインアップ【全国ツアー】<4~5月・雪組『黒い瞳』『ロック・オン!』>

11月22日(月)、2011年宝塚歌劇公演ラインアップにつきまして、全国ツアーの上演作品が決定いたしましたのでお知らせいたします。

雪組
■主演・・・(雪組)音月 桂

◆全国ツアー:2011年4月23日(土)~5月22日(日)

ミュージカル・プレイ
『黒い瞳』
-プーシキン作「大尉の娘」より-

脚本/柴田侑宏 演出・振付/謝 珠栄

1998年に真琴つばさ、風花舞、紫吹淳ら月組により上演され大好評を博した、ロシアの文豪プーシキンによる「大尉の娘」をモチーフにした作品。

ショー
『ロック・オン!』
作・演出/三木章雄

2010年、水夏希を中心とした雪組により上演された『ロック・オン!』を、雪組新トップスター・音月桂のためにリメイクして上演いたします。

2010/11/22

2011年 公演ラインアップ【宝塚バウホール、東京特別】<4月~5月・雪組『ニジンスキー』>

11月22日(月)、2011年宝塚歌劇公演ラインアップにつきまして、宝塚バウホール、東京特別公演の上演作品が決定いたしましたのでお知らせいたします。

雪組
■主演…(雪組)早霧 せいな

バウ・ミュージカル
『ニジンスキー』-奇跡の舞神-
作・演出/原田諒
  
伝説の天才バレエダンサー、ヴァーツラフ・ニジンスキーの半生を描いたミュージカル。生涯を共にした妻ロモラとの愛、ロシアバレエ団「バレエ・リュス」を率いるディアギレフとの確執。20世紀初頭、“レザネ・フォール”と言われた時代のパリを舞台に、豊かすぎる美貌と才能が、一人の男にもたらした栄光と破滅をドラマティックに描き出します。


 毎年恒例の「まっつ手帳」を作りながら、愕然としたの。

 2010年、まっつは『虞美人』と『麗しのサブリナ』と『EXCITER!!』しか出演していない……!(『相棒』は2009年カウント)

 まっつ手帳っつーのはだ、その年のまっつ公演写真を使って表紙をオリジナルで作るスケジュール帳のことだ。1年間を振り返る内容なわけだ。

 通常は大劇場の「芝居&ショー」×2と、全ツやらバウやらDCやらで1年間に5~6作品はある。
 なのに、今年のまっつは、3作品だけ。花組が大劇場+大劇場で、秋になってはじめて全ツとバウに分かれるスケジュールだったから。そしてまっつは、全ツとバウには出ずに異動したから。

 出演した公演数が大劇の2公演のみ、しかもそのうちひとつは1本物。通し役なので、写真が「同じ」。張良先生の衣装は2着きりなので、公式発売写真も会販売写真も代わり映えしない。
 さらに、たった2公演3作品のうち、ひとつは去年の再演。同じ役同じ衣装ゆえ、写真も「同じ」。ナマ舞台なら別だけど、静止画で見る限り、去年となんら代わり映えしない。

 1年間の舞台写真を集めて2011年のスケジュール帳表紙を作ろうってのに、選択肢の少なさよ……。

 組替えのおかげで、まっつは大劇場+大劇場+大劇場なのよ。間に他のハコがナイの。
 大劇場公演3回連続やって、よーーっやく、別の公演が回ってくるの!!(笑)

 んで。
 雪組組替えが発表された日、混乱しまくりながら2011年の年間スケジュールを眺めた。
 4月の東上付きバウはちぎくんだろーから、まっつは全ツだ。まっつが全ツ? 雪組で? トップ交代後の全ツって大抵、前トップの退団ショーで回るよね?
 てことは、まっつ、『ロック・オン!』に出るの?!と、くらくらしましたことよ……その翌々日、前楽観ながら混乱しまくりだったさ……。

 や、振り分けが出るまでまっつがどちらに出るかはわかんないけれども、ちぎがバウである以上、ふつーに考えたら全ツだろうなと。

 ああやはり、『ロック・オン!』かぁ。定番だなあ。
 退団公演ショーで新トップが全ツや別ハコ公演は定番だけど、前トップファンは複雑になるもんなんだよなあ。

 まったく知らない再演ショーに出演するまっつ、って、観たことナイから、観てみたいなああ。(見飽きた再演ショーばっかだったもんよ、花組。『エンレビ』はもうほんとノーサンキュー・笑)

 『ロック・オン!』は想定内つか多分コレだろと思っていたけれど、『黒い瞳』はびっくりだ!

 謝作品キターーっ!!
 わーいわーい、謝せんせの作品で、まっつが観られるかもーー!!

 『黒い瞳』『激情』『凱旋門』は謝作品カウントです、わたし的に(笑)。

 『黒い瞳』大好きだった。マミさんが美しくて、リカちゃんがうさんくさくて(笑)。このときわたしはまだ、ゆーひくんを個別認識していない。この直後の風花ちゃんバウでオチたんだ……あああ、新公観たかったーー!!

 プガチョフ役が誰かが気になります。
 持ち味的にはヲヅキがハマる。

 が、わたしはまっつファンですから、まっつ希望です(笑)。
 言うだけはタダ、希望するのはタダ!
 先のことなんざわからんが、願っておく。

 ラインアップ発表になるなり、まっつメイトから来たメールが笑えた。
「縄で縛られて歌いながら歩くまっつ?」

 ソコか、友よ?!!(笑)

 マニアックなとこに食いつくなー。
 ニコライ@キムくんとがっつり男の友情とか、「先生」って呼びかけとか、ヒゲとかぢゃないのねっ(笑)。

 
 ちぎくんバウも、題材が魅力的で楽しみです。
 演出家が、わたし的にいまいちな人なんですが……同じ新人なら、生田せんせが良かったなー。
 生田せんせはイケコやサイトー系だけど、原田せんせは中村A的だからなー。わたし中村Aの芝居苦手なんよ……。
 いやその、原田せんせはこれからの人なんで、『ニジンスキー』で脱中村Aしてくれることを祈ってます!

 でもってわたし、ニジンスキーってゆーと、「ヒース、私を見て……」しか思い出さないんですが。
 無教養なもんでなあああ。

 まっつがバウっつー可能性もあるんだよなー。バウだとどんなあたりの役になるんだろう?

 
 なんにせよ、組替えして舞台に立つ姿をまだ見ていないので、どんな立ち位置でどうなるのか、今から予想してもはじまらない。
 だからこそ、勝手にわくわくもできるわけで。どきどきもできるわけで。

 雪組のまっつ。
 ……って、どうなんだろう??

 なんであれ、早く見たいっす。
 ファンタジー感が薄れ、ふつーのドラマになっていた全ツ版『メランコリック・ジゴロ』

 ふつーの範囲内で地に足付けて芝居する人たちの中、ひとり愉快に浮き上がっていたのは、マチウ@めおくんだ。

 めおくんは、独自の世界に入ると強いね!

 芝居がうまい人だという認識はないが、うまい下手とは別の魅力を持っている。それがハマったときは他の役者にはない存在感を放つ。

 弁護士マチウは三枚目。かっこつけることもなく、わかりやすくお笑いキャラ。
 だから素直に笑いを取りに行っていい分、やりやすいっちゃーやりやすいのかもしれない。
 にしたってマチウ。ああマチウ。

 オープニングから、素敵にマチウ。

 なんの説明もなく、役の姿で歌い踊るオープニング。
 マチウはなんとも不思議なダンスをしていた。
 ヘタレ三枚目としてのダンスで、笑いを取ることを真面目に考えていそうなんだけれど……なんだろう、あの期待感のある三枚目ぶりは。
 ただ滑稽というのではなく、長い手足をもてあましている感じが……隠された可能性を洞察したくなるってーか。

 あ、あの人おもしろい……けど、背も高いし手足長いし、あれ、なんかかっこよくない? ほんとはあの人かっこいいよね? 髪型と眼鏡でわかんないけど、ほんとはかなり美形だよね???

 と、初心者(主役以外に惹かれがちタイプ)が目をとめるナニかを持っているんですよ!!(笑)

 マチウは三枚目のなさけないキャラクタ。結局のところ最初から最後まで三枚目のまま。
 だからもちろん、中日版のまりんのように、芝居巧者のおじさんでがちっとまとめることもできる。
 でもめおくんぐらい、アニメ的な美形が演じてしまうのもイイ! 最後まで滑稽なままだからこそ、興味がその後も持続する。「あの弁護士役の人、ショーではどんな風なのかしら」と。
 三枚目の役だからあんなだったけど、あの人絶対美形! という、確信を持ってショーで捜すことが出来る……そんなマチウ。
 初演は美貌のタモさんが演じていたんだから、こっちが正しい使い方なんだろうな。ショーと2本立てのタカラヅカだからこそやっていい、美形の贅沢な使い方。

 なんにせよ、この全ツ版の『メランコリック・ジゴロ』。
 ダニエル@まとぶんとフェリシア@蘭ちゃんの恋愛のリアルさが増し、ヲトメハートでどきどき恋愛に集中できるのはすごーくたのしいんだが、その分「タカラヅカ」的なファンタジックさが減ってしまった。
 それぞれの役を、現実的な持ち味で演じることによって、作品自体がファンタジーからドラマへ移行した。

 舞台はみんなで創りあげるものなんだなと思う。
 たとえばフォンダリ@みわっちは、かなりファンタジックなキャラクタだ。中日版では特に、その仰々しさが活きていた。
 だけど全ツ版ではそれほどでもない。一緒にいるバロット@みつるとルシル@さあやが現実的なキャラクタである分、フォンダリひとりが異次元でいいわけがない。
 芝居センスのイイみわさんは、変わらずに「フォンダリ」でありながらも、悪目立ちすることなく世界観に調和している。

 また、ティーナ@ゆまちゃんがすごーくふつーの女性になってしまっているため、その相方のスタン@壮くんもファンタジー度が下がっている。
 壮くんはタカラヅカ的なファンタジーに満ちあふれた人で、本人のキャラだけで突き進んでヨシなタイプ。
 詐欺師のスタンは壮くんに合った役だけど、今回はちょっと半端な印象。
 ティーナがエイリアンでない分、彼女に冷たくするとスタンの男ぶりが下がるのよー。生身の女の子にあーゆー態度取る男はいかんですよ。もともと正塚脚本がリアルであるため、男女間のモメ方がうれしくない方向に生々しくなる。
 こんな男も、こんなも女もいそうだけど、こんなケンカをしそうだけど、それでも離れられずに共依存していそうだけど、ソレをタカラヅカで、よりによって壮くんで見たいわけじゃない、と。

 フォンダリとティーナという、2大ファンタジーキャラが「現実の範囲内」に収まっている全ツ版は、ほんとに地に足のついた恋愛ドラマになっていた。舞台よりも、映画で見たい感じに。

 それはいい。ソレはソレでイイ。
 でもやっぱりわたしはタカラヅカファンで、タカラヅカでしかありえない「ファンタジー」が好きで、ソレの下がった全ツ版はちょっと寂しかったりもする。

 そんな中で。
 マチウ@めおくんの「タカラヅカ」っぷりは、イイ。

 ほっとする。うれしくなる。
 ああ、「タカラヅカ」だ。コレがアリなのが、いかにも「タカラヅカ」だ。

 めおくんはほんっとに、「タカラヅカ」な人だなああ。

 タカラヅカ度をあえて下げた芝居だからこそ、あえてマチウがめおくんなんだと思う。
 タカラヅカらしいサーモンピンクやグレイッシュピンクな中日版(それでもマサツカだから、鈍いピンク・笑)から、落ち着いたセピア一色になったよーな全ツ版。そこに、アクセントとしてひとりだけ輝度の高い色を置く。
 
 昔、よく絵を描いていたころ。
 セピア一色で描いて、最後の仕上げにホワイトを入れていたことを思い出した。
 ハイライト効果以外にも、ちょっとした輪郭とか、強調したいところとか。
 そうすることによって、下手の横好きの素人ポンチ絵も、なんかまとまって見えたもんだった。
 アクセント・カラーは大切です。どこにどう入れるか。入れすぎてもうざくなるし。

 めおくんは素敵にタカラヅカ。

 パンダを求めて、白浜へ。

 まっつまっつなの、パンダなの! そう言うわたしに、弟は、

「前は海馬って言ってなかったか? タツノオトシゴ・グッズを探し回っていたような」

 うん、海馬だったね!(笑顔)

「で、ついこの間、玄武グッズが欲しいって飛鳥まで行ってたよーな」

 うん、玄武だったね!(笑顔)

 でも今はパンダなの。まっつの中の人がパンダ好きで、パンダ=まっつファンに必須!なの。(笑顔)

 生パンダを見て、パンダグッズを買いまくるのよおー!

「わざわざ見に行かなくても、パンダ柄の猛獣ならウチにいるだろう!……牛柄かもしれないが」

 弟の目線の先には、白地に黒ブチの我が家の猛獣様@先日はパソコンをラックから叩き落としました、がいる。
 ソレはパンダ柄ぢゃない、牛柄よ! 凶暴さは牛というよりパンダかもしれないけど。

 「愛・地球博」でデザートローズを探して歩き回るところから、わたしのまっつグッズ探しにつきあわされ続けた弟は、パンダグッズの旅の同行は拒否しやがりました。どーして? 姉と姉の友人(ヅカファン)と一緒は嫌か、パンダ大好きなくせに。

 
 つーことで、どりーず西組で「白浜アドベンチャーワールド」へ。

 JRの「白浜パンダきっぷ」を買って、「パンダ列車」に乗って、本気のパンダ旅!!(笑)
 
 今、アドベンチャーワールドでは、8月に生まれた双子の赤ちゃんパンダで話題騒然。
 白浜駅に降り立ったときから、どっちを向いてもパンダパンダ、パンダ好きにはたまらない画面。

 わたしはもともとパンダ好きなんです。
 そこに、贔屓のことまで重なり、パンダがいっぱい=まっつがいっぱい、な間違いまくったフィルターかかって、もーシアワセっす!!
 あー、パンダかわいいなあ。あー、まっつかわいいなあ。(だからソレ間違い)

 赤ちゃんパンダを見るための行列は30分待ち当然、体重測定を見るためにはどれくらい前から並ばなければならないのか?てな状況。
 赤ちゃんパンダは生後101日目でおにーちゃんが5.5kg、妹が5kgってとこで、一緒に行ったチェリさんちの猫よりはるかに小柄・体重軽いということがポイントですね。そっかあ、猫より小さいんだあ……ってゆーより、チェリさんちの猫の大きさにびびる……(笑)。ちなみに猫の平均体重は4kgだそーですよ。
 赤ちゃんパンダはめちゃくちゃかわいかったっす。
 あの口元! あのお尻!!

 が、赤ちゃんパンダより、青空の下、仰向けになって両手両足を開ききって熟睡している大人パンダの方がある意味強烈でした……うわー……。

 パンダだけぢゃなく、他の動物も堪能。

 てゆーかみんな、「あ、あさこだ!」→シロクマ、「ゆーひくんもいる」→レッサーパンダなど、他の人にはわからないコトバで会話している(笑)。
 「なんでカッパはいないのーっ?!」……いないよ(笑)。

 わたしは海獣苦手なんで、海獣関係はみんなが「かわいー!」と言うなか、ひとり「きもいー、きもいー、ぎゃ~~!」とゆーてましたが、魚を連想する姿・質感・動きが苦手なだけで、動物を連想する動き・表情などはかわいいと思っているのよ。

 その海獣ショー。
 まず、アシカのショーを観てから、イルカショーを観たわけなんだが。
 アシカや他の小動物のショーは、小さな会場で、ストーリー仕立て。目玉のイルカショーは大きな会場で、観客も多い。

「結局カワウソくんは芸をしなかったね」
「舞台横切ってたじゃん!」
「かわいいから許されるんだよ」
「檀ちゃんだってしずくちゃんだって、黙って舞台横切るだけで芸になってたわ! かわいいっていうのはそれだけでひとつの芸なのよ!」
 
 アシカショーの感想がソレだし。

「やっぱこっちは大劇場?」
「アシカたちは若手なのよ、だからバウホール。やっぱ大劇場は広いし、観客数も多いわ」
「出演者も多いねー、さすが大劇場」
「トップスターは誰? 今のイルカ?」
「うわ、3組のデュエットダンスだー!」
「スターが銀橋に勢揃い!」
「すごい、やっぱトップスターって最後までひとり銀橋に残るんだ」
「中詰め華やかー!」
「銀橋のダンスソロ、あれはダンス得意な中堅?」
「そのか?」
「そのかー!!」(呼ぶな)
「フィナーレ! パレード!!」

 イルカショーはソレだし。
 や、客席の前にエプロンステージがあってねー。そこを勝手に銀橋呼びしてねー(笑)。
 イルカがそこに勢揃いして、最後に1匹だけ残る演出とかもお。

 ナニゴトも、ヅカ変換。

 お子様向きなテイストのアシカショーと比べ、イルカショーは「やたら感動的」な演出のショーでした。愛とか未来とか、感動的なテーマ曲にのってナレーションすらなく淡々と芸を披露。
 愉快なナレーションをしてお笑いに走るのではなく、「感動壮大路線直球」なのが、すごいなと。

「弟さん来なくて正解だったね。イルカショーのときとか、ヅカファン以外はわかんないよね」

 うん、共通言語は大切だね。
 弟とは趣味や感性が合うのだが、唯一ヅカだけはまったく理解してくれなくて、いつもどかしい思いをしている。
 まあヤツとはゲーム言語で話してるけどさー(笑)。

 
 生パンダを見て、パンダグッズを買いあさり、パンダランチやパンダスウィーツを飲み食いし、パンダ充しまくりました。
 パンダグッズしかない店とか、入るなりテンション上がりまくり。うおおお、まっつ~~!!(落ち着け)

 
 そーやってパンダ尽くしで大阪に戻り。

「ふつー白浜って泊まりで行くとこだよね。でも緑野さんとはふつーの人が何泊するところを日帰り強行ばっかしてる気がする」

 うん、博多とか東京とか、日帰りが基本だよね(笑)。特に東京は日常的に日帰り範囲だよね?
 とゆーnanaタンとは、最後梅田で動くポンズ広告捕獲まで一緒。
 や、我らが89期ポンズ5の巨大ポスターが10枚10種類、梅田のムービングロード脇の壁に貼ってあるのな。ムービングロードに乗っていると、広告が動くよーに、次々見ることが出来る、という。
 梅田の広告って値段の関係かサイクルが早くて、1週間で消えることが多いため、「トウコちゃん観に行くときでいいや」とか思ってたら、見逃す可能性もある!
 ビデオカメラ持ってる今、捕獲しておくべきでしょう!と、梅田の真ん中でカメラ回してみる(笑)。自分的記念っつーか記録っつーか、「こんな広告もあったんですよ」とゆーか。
 いつか、なつかしく思い出すだろうから。

「だいもんと記念撮影しなくていいの?」

 ……だいもんも大好きだが、この広告群と記念撮影ですね、したいのは(笑)。
 タカラジェンヌがイロモノとしてではなく、美しく扱われているのはうれしいの。

 
 そんな、ヅカ尽くしな1日。
 ……nanaタンと別れたあと、深夜まで開いている書店に寄って、「GRAPH」を補完。
 ポートレイトの、麗しまっつ!!
 
 ヅカ尽くしではなく、まっつ尽くしの1日として締める! まっつまっつまっつ!
 作品を好きだと、再演は「役替わり公演」として楽しめる。
 演じる人が変わることで、新しい発見や、解釈があったり。

 ダニエル@まとぶんとフェリシア@蘭ちゃんの年の差恋愛に萌えられるのも、そういった再演ならではの楽しみ。

 路線・脇関係なく、大胆なシャッフル配役をしてくれた、全国ツアー『メランコリック・ジゴロ』
 期待していましたとも、いろんな役を、人々を!

 そして。

 3年前の中日公演とはかなり色が変わったなと。

 なんつーんだ、ファンタジー色が薄れて、よりふつーの恋愛モノになったというか。

 主人公のダニエルと、相棒のスタン@壮くんは、基本あまり変化はしていないと思う。同じ役だから、いきなり役の解釈を変える必要はない。
 ただ、彼らをとりまく人々が大きく変わった。

 現実的な人々に。

 初日の2公演を観て、驚いたんだ。展開されている物語の、ふつーさに。

 同じ物語なのに、タカラヅカ的ファンタジー色が薄くなってる。すごくふつー。ふつーの、ミュージカルだー。

 あまりにふつーで驚いた、いちばんはなんといっても、ティーナ@ゆまちゃん。
 浅慮で生活が派手な、ふつーの女の人だった。
 ちんぴらを恋人に持ち、ふたりで組んで美人局とかやってる、テレビドラマや映画によく出てくるタイプの美女。
 ぶっとんでもいないし、エイリアンでもない。
 「ふつー」「日常」の枠の中で、「ありがち」な言動と生活をしている、顔とカラダのイイ女の子。

 そ、そうか、ティーナって脚本的にぶっとんでるわけじゃなく、ふつーの人が演じればふつーのキャラクタだったんだ。

 改めてののすみの化け物ぶりを思う(笑)。ののすみティーナのぶっとびぶりは半端なかった。
 そこを舞台の中心にしてしまう、華と存在感。
 他の誰とも比べられない「ティーナ」という女の子を創りあげていた。ドラマや映画というよりは、マンガやアニメ的。二次元をよくここまで三次元化したってゆーか。
 彼女の作り出すファンタジーっぷりは、すごかったんだ。

 次にふつーで驚いたのは、バロット@みつる。
 なんの違和感もなく「オレに任せりゃ一発だ」な男。
 そう、違和感がない。みつるが腕っ節だけが自慢の乱暴者を演じていても、ふつーに納得してしまう。
 あ、あれ? ふつーだ、違和感ない、納得……って、バロットってそーゆー役だったのか??

 改めて、まっつはバロットキャラではなかったんだなと思う。任ではないというか。
 まっつがあのひょろっこい姿で、カケラも強くなさそうな姿で「オレに任せりゃ一発だ」ってのは……キャラ違いも甚だしい。
 わたしは最後までわからなかったさ、まっつバロットが本当に強いのか、強いと思い込んでいるだけのバカなのか。

 外見と演じているキャラのミスマッチ……それゆえにまっつバロットは「そこにいるだけで笑える」キャラクタだった。
 ふつーにカーテン前を歩いているだけで、客席から笑い声が起こる。別におもしろいことをしているわけでも、言っているわけでもないのに、とにかく笑い声が上がる。
 まっつのバロットしか知らないわたしは、バロットってのは、そーゆーキャラかと思っていた。

 が。みつるバロットは、別に笑いは起こらない。
 ふつーに強そうだし、強くてもアタマは弱くてかかあ天下なんだなと、見た目から納得できる。
 ドラマや映画によく出てくるタイプ。会話としておもしろいところは笑いが起こっていたけれど、存在自体がおかしいわけではまったくない。
 「ふつー」「日常」の枠の中で、「ありがち」な言動と生活をしている、愛すべきちんぴらキャラ。

 みつるバロットのふつーさを後押ししたのはもうひとつ、奥さんのルシル@さあやにも原因がある。
 さあやは美人で手堅い仕事をする人だが、やっぱりその、地味だ。うまくて地味な人とコンビ芝居をすると、さらにバロットはふつーの男になる。みつるには、巧さより華やかさのある女の子と組む方が合っている気がした。

 ふつーといっても、バロット自体かわいくてイイ役なので、見ていて楽しいからいいんだが。
 つか、そもそも役が正しい、任に合っている、のはみつるバロットだよな?

 でもって、次にふつーで驚いたのは、ノルベール@まりん。
 はっきり言って、すげー巧い。
 芝居巧者のまりんが、余裕で本領発揮している。浮浪者のときも、一転して元大物犯罪者と正体を明かすときも、フェリシアの父として対峙するときも。
 途方もない話なのに、まりんが演じればそこにリアルが生まれ、なんかすげー感動物語発動。彼の人生の重みが感じられ、親子の対面で泣かされる。

 さおたさんノルベールは、リアルではなかったなと。彼は二枚目過ぎた。彼には生活臭がなかった。罪と秘密を背負い10年以上逃げ隠れしていたとか、実感できない。
 ただの「種明かし」「どんでん返しを語る人」であり、生きた人間ではなかった。
 でもそれが、中日版のノルベールに相応しかった。
 ティーナやバロットが派手にファンタジーを構築しているように、ノルベールもリアリティよりは「物語」としての美しさが必要だった。フォンダリ@みわっちが異世界なくらいファンタジックなキャラなんだし。
 

 とまあ、中日版と比べ、全ツ版は地に足がついている。
 「ふつー」「日常」の枠の中で、恋愛ミュージカルやってる。
 同じ脚本なのに、こんだけ変わるんだ。

 つか、中日版はほんとファンタジーだったんだ。
 「いそうで、いない人」という半リアルな設定で、そこからさらに斜め上にぶっとんだキャラ造形だった。
 笑いもどっかんどっかん、総じて派手。
 でもって、ここに彩音フェリシアという、これまた現実離れした妹キャラが加わるわけだ。リアルな蘭ちゃんではなく。
 ラストシーンがダニエルとフェリシアのデュエットダンスっつーのも、いかにもタカラヅカな「ファンタジー」だよなあ。全ツはソレもカットされてるしさー。

 中日はファンタジックなコメディ、全ツは恋愛ドラマって感じか。
 どちらがいいとか悪いとかではなく、それぞれおもしろい。

 ふつーな世界観だからこそ、今回はさらにダニエルとフェリシアの切ない関係にドキドキきゅんきゅんできる。

 
 中日版に比べ、リアルにふつーにまとまった全ツ版。
 そこでただひとり、正反対にファンタジーキャラをぶっ飛ばしているのは、マチウ@めおくん(笑)。
 それはまた、別の欄で。
 『CODE HERO/コード・ヒーロー』って、どんな話?

 ロックがやりたくて、演歌に着地した話。

 とゆーことで、花組バウホール公演、まぁくん怒濤の連続主演初日に行ってきました。

 舞台は1974年のアメリカ、らしい。数字は多少チガウかも、でも74年前後だったと思う。
 でもって当時のロックをガンガンに生演奏で使った、ゼイタクな公演、らしい。

 いやはや。
 あれはロックなのか?
 演歌ぢゃなくて?(真顔)

 日本海の荒波と和服の演歌歌手が似合いそうな音楽に、充ち満ちてました。

 使われていた曲が実際に当時あった曲なのか、それ風に作ったオリジナル曲なのか、うといわたしにはわかりません。いや、わたしがとんちんかんなだけかもしれない。70年代アメリカはあれがロックだったのかも。
 だとしたらごめんなさい。

 で、音楽のことはともかくとして。

 1974年のアメリカが舞台、らしい。
 しかし、時代劇が繰り広げられていた。

 谷先生って、ひょっとして1974年を18世紀くらいだと思ってる?
 
 もんのすげー、大芝居。

 古典劇ですかコレ、スーツ物なのにみんなえーらいこっちゃな芝居、台詞回し。
 ずーっと苦悩している主人公なんか大変ですよ、たかが日常会話で顔をゆがめたまま片手で自分をがしっと抱き、次にもう片手でさらに自分をがしっと抱き、両腕で自分を抱きしめて叫びながらがくりと膝を折る、でもって1曲歌っちゃう、とかですよ? ふつーの会話中ですよ? クライマックスぢゃなくて!!

 万事このノリでねええ。

 大劇場でコスチューム物の時代劇やってるよーな感じなの。
 バウホールでスーツ物の現代ドラマやってるなんて、演出家が気付いてないんだと思う。2500人劇場のいちばん後ろからでも、感情がわかるようなお芝居なの、ヅカ歌舞伎なの。

 これならまだ、大昔に作られたとかゆー、隣の大劇場でやってる『誰がために鐘は鳴る』の方が自然な演技だし、この間同じバウでやってた、コスチューム時代劇の『オネーギン』の方が断然自然な現代劇だった。

 復讐物で大芝居なもんで、みんな終始怒鳴りっぱなしの怒鳴り芝居。……大変だニャ。

 で、芝居が時代劇なことはともかく。

 1974年のアメリカが舞台、らしい。
 VHSビデオテープが一般家庭に普及しているけど。

 ※VHSビデオテープは1976年に日本で開発されました。

 他にも出てくる単語やテーマが、いちいちこれって現代日本だよね?と思わせる。

 35年前のアメリカの空気感ナッシング。
 作者がただなんとなく脳内で「ちょっと前の、自分の知っていること」を書いた、のよね? ちょっと前だから携帯はないの、ちょっと前だからビデオテープなの、と。
 自分の知っていることだけで作っちゃったから、舞台が日本なの。

 
 えー、そんでもって見どころは。

 だいもんの手錠と、くまくまのチェーンソー。(えっソコ?!)

 ジャスティン@まぁくんは殺人犯として10年も刑務所にいた。んで、模範囚として無事仮出所。彼はほんとのとこ無実で、自分を陥れた真犯人に復讐を誓っているのだ。
 つっても手がかりがないもんで、とても大雑把に「自分が殺人犯になったのは、犯行を目撃したという嘘の証言をしたヤツがいたためだ。その証言をしたのは郵便配達人だった。だから、郵便配達人が証言をしている他の殺人事件の関係者に会おう!」というんだ。ザッパーにも程がある、キミはどこのクリストファー@『BUND/NEON 上海』やねん。
 んで郵便配達人が決め手の証言をした、まったく別の事件の、殺された被害者の娘で犯人の婚約者だというヴァネッサ@みりおんに会いに来た。おとなしく婚約者の刑期が終わるのを待っているヴァネッサをたき付け、復讐心をあおる。
 そこへ飛び込んできた手錠の男、ハル@だいもん。彼もまた、身に覚えのない殺人の罪で警察に追われていた。
 3人は共通の目的のために手を取り合い、己れの掟に従い立ち上がった!!

 ……いやもお、なんというか。
 すごいよ?(笑顔)

 友だちと並んで観劇したんだが、ふたりとも肩震えっぱなし。
 ツッコミどころ満載!!
 ひとりで観るより、お友だちと一緒に! より楽しめると思う。幕間、終演後に会話がはずむぞっ!

 とりあえず、2回観たくなる作品です。

 3回はいらんかもしれんが(笑)、2回は観ておけ? な? てな話。

 でもって、ネタバレ厳禁。
 知らない方が楽しめる。
 挨拶時にまぁくんが何度も「真犯人が誰かは言わないでください」と念を押してました。

「真犯人って、あの人だよね?」
「そう、あそこで笑ってる……」

 まぁくんの念押しを聞きながら、わたしと花坦ドリーさんはそんな会話をしました。
 真犯人ってゆーかねー……(笑)。

 
 ストーリーはツッコミどころ満載!!
 でもって、出演者は見どころ満載!!

 谷せんせの「かっこいい男はロング衣装着せておけ」っつーことで、まぁくんロングコートばっさばっさひるがえしてまつ。
 幻想のダンスシーンも、みんなロングコートばっさばっさひるがえしてまつ。
 ついでにいまっちも、ロングコート(ベスト?)ばっさばっさでつ。

 だいもんは手錠プレイえんえん、おちゃめでホットな映画ヲタクです。放っておくと映画と現実混同したよーな台詞を空気読まずに垂れ流します(笑)。
 そして、謎の衣装で、突然1曲オンステージ。
 空舞台にたったひとり、ストーリーの流れぶった切ってまるまる1曲ソロ……すげえ。

 まぁくんもみりおんも怒鳴りっぱなし……テンション一定だから表情も同じ、だがしかし、がんばれ。美男美女だからこその華、説得力。
 アーサー、しゅん様かっこいー。ふみか、うさんくさいー。さおたさんがすごくさおたさん(笑)。まゆくんかわいい、台詞のない葛藤部分がイイ! でもはるちゃんは年上女房だよね?
 くまくまが素敵すぎる。でもくまちゃんがほんとは兄より年上だよね?(笑) そしてヒッピーな妹たち……。
 いちか巧い、そして突然のソロ……。イブちゃんといちかが時折恋人同士に見えた……ナニあれサービスなの?(サイトーなら間違いなく趣味でやってると思うが、谷せんせなのでそれはナイか)
 ネコちゃんもナニ気にいい役、びっく大きいよびっく、モブで踊ってるときのきらりがハンサム過ぎる!(笑)。
 みんないろいろ役ついてます、台詞あります。

 ネタバレ禁止ゆえ語りにくいのだが。
 ラストを見て、いちばんに思ったことは。

 ケネス@タソはどーなったの?です。

 ヴァネッサ、ひどい(笑)。
 ダニエルがロリコンになってる……っ!

 花組全国ツアー『メランコリック・ジゴロ』初日観劇。

 『メランコリック・ジゴロ』自体は、中日公演に通って何度も観た。大好きな作品。
 ダニエル@まとぶんはまさに「お兄ちゃん役者」で、そのアツさと誠実さ面倒見の良さっつーか「関係ないよ」と手を離せない投げ出せない生真面目な不器用さ……そーゆーのがハマって、ものすごく素敵だった。問題は、ジゴロに見えないこと……(笑)。ジゴロだと悪ぶっているだけの、ふつーに誠実な若い男に見えた。

 それはまとぶんの愛すべき持ち味。クールやドライになる必要はない、ホットでウェットでいいじゃない。
 中日公演から約3年経ち、トップスターとしてのキャリアは重ねたけれど、この人は変わらず地に足をつけている印象。
 女を食い物にするワル=かっこいい、ではなく、年上の金持ち女にふつーに恋してたのに、浮気がバレて捨てられて、その言い訳に「オレはジゴロだ、あんな女ただの金ヅルに過ぎなかったんだ」と虚勢を張る、等身大の青年の好ましさ。

 ワルが純真な少女と出会い、恋することによって改心するのではなく、もともとふつーのオトコノコ。ふつーだから、一攫千金の「完璧な計画」にも乗ってしまうし、嘘からはじまった関係や過去や現在の自分の生き方を恥じて、愛する少女に素直に告白できない。
 それってものすごーくふつーだ。
 納得できる、感情移入できる、キモチの流れだ。

 クールだったり格好良すぎたりしない、感情移入できる等身大の男の子、ダニエル。

 そんなふつーの青年だからこそ。

 フェリシア@蘭ちゃんとの関係が、リアルにロリコン味を増す……!(笑)

 
 フェリシアの初登場場面、オープニングはほんと、大変なんだなとはじめて思った。
 それぞれ派手に歌い踊る人々の中、紺の事務員的ワンピで本を手に登場するのは……相当華がないと埋もれるんだなと。

 蘭ちゃんのスターとしての素質に疑問はないが、それでもこの初登場シーンにぎょっとした。あまりに、地味で。
 地味でグズな女の子役だから当然なんだが、それは本編でそうあるべきで、オープニングのショー部分では華やかに「この物語のヒロイン」と、輝きと存在感をばーんと出してくれてもいいんだがな。
 うわ、かわいいきらきらした子が出てきた! でもなんか地味なカッコしてる?? と思わせるのが、このオープニングでのフェリシアの役割では?
 そして、彩音ちゃんは華やかな娘役だったんだなと、改めて思う。実力面でいろいろ足りないところはあったけれど、とりあえず地味服着て出てきても、「あ、なんかヒロインっぽい人が出た!」とわからせる力のあった人なんだ。

 蘭ちゃんの良さは、初見初登場の数秒で視覚にがつーんと来る系の、大輪の薔薇や牡丹のあでやかさではない。彼女をずーっと見ていることによって、じわじわと伝わってくるんだ。
 タカラヅカの娘役トップスターとしてそれはどうよ?な気もするが、初見での客席の掴みは技術として後天的に得られる部分もあるので、それは今後に期待。

 とりあえず、フェリシアとしての初登場時に、あまりに地味で埋もれていて、びびった(笑)。
 ナニこの子……って、はっ、そうだこの子がヒロインだったっ。
 
 地味ではかなげで、他の花の陰に埋もれて揺れているかすみ草みたいな女の子。小動物というか、ハムスターみたいな女の子。
 肉食獣だの大型獣だの間で、このか弱い女の子はどんなはたらきをするのかしら……?

 彩音フェリシアにあった押し出しの良さと鈍くささがない分、際だつのは幼さ。

 彩音ちゃんのフェリシアって、たしかに鈍くさいっつーかスローモーな感じだった(笑)。ちゃきちゃき先輩@さあやからすりゃ、そりゃ耐えられない時間感覚だったろうなと。

 でも蘭ちゃんのフェリシアは、それほどトロそうに見えない。おどおどはしているけれど、それは人生経験の少なさから立ち居振る舞いに迷いがあるせいで、それほど鈍くさいわけでもなさそう。
 まあ、彼女のスローさを対比で表す役目の先輩@仙名さんが、ちっともきびきびして見えなかった、むしろフェリシアよりもドジッ娘☆に見えたせいもあると思うが……。(がんばれ仙名さん・笑)

 フェリシアが人生生きにくそうにしているのは、彼女がグズキャラだからではなく、単に子どもだから。
 戦争と親の死と、幼い彼女が社会に出てひとりで生きなければならない状況があったから。

 15歳のナニも知らない女の子が、家庭の事情でいきなり就職してもばりばり仕事できないし、大人の同僚からは役立たずだと思われるし、おどおどしちゃうのは仕方ないって。

 子どもだから、父親のニュースに即仕事辞めて飛び出して来るし、「お兄ちゃん!」とダニエルになつきまくるだろう。

 フェリシアが本気で「少女」だから……ダニエルとの年齢差がすごいことになってるから……。

 おもしろいな、コレ(笑)。

 ダニエルがフェリシアに対して保護本能を発揮するのも、惹かれていてもそれを打ち消そうとするのも、騙しているとかジゴロだからとゆーことに加え、年齢差のタブーがありそう。

 「ひとりって嫌ね」と言うフェリシアに「これからは一緒にやっていこう、兄妹なんだから」と言うダニエルがより無心に見える。
 きれいな若い女の子と暮らすのは男としてまずいけれど、かわいくてもまったくもって子どもで対象外、大人としていたいけな孤児を保護する意味だから、ぜんぜんOK。……って感じ。
 この子の兄として、この子を守って生きていくのも悪くないかもしれない。より無心に、なんの下心もなくそう思う。

 そーやって、大人として子どもを拾った感覚だったのに……その対象外の子どもに、どんどん惹かれていく。
 ちょっ待て、相手子どもじゃん、女じゃないじゃん。オレってロリコン?!
 自分のアイデンティティまで揺らぐダニエル(笑)。

 そしてまた、蘭ちゃんの演技は繊細系。
 いたいけな少女フェリシアが、すげーリアル。
 むらむらわき上がる保護欲。
 この子を守りたい、しあわせにしてやりたい……っ。

 「ずっとひとりだった」と言う彼女、「でももう孤独じゃないよね」と笑う彼女。
 フェリシアの背負ってきた孤独とか悲しみが、そこに透けて見えて一気に切なくなる。

 そりゃダニエルも「お兄ちゃん」をかってでるわな!
 オレに任せろ!てなもんだな。

 でもあまりにフェリシアが素直に心を預けて、頼ってくれるから……罪悪感と恋心が表裏一体にわき上がるわな。

 ナニこの萌え物語。

 すげえツボな話になってますよ。や、もともとそうなんだけど、中日版より、さらに。
 今日は毎年恒例の『1万人の第九』レッスンの最終日だった。

 恒例であり日常なので、なんかもお、鈍感になっているようで。
 とくにナニも思わず、考えず、それが当たり前であるがゆえにルーチン化していたというか。
 もちろん、自分なりに一生懸命歌ってはいるんだけど。……音楽的才能、カケラもないからな、わたし。

 先生の指示で、フーガの第一声をアルトパートみんなで繰り返し練習。そこがなんとか良くなったので、じゃあその先も歌ってと言われ、一斉に歌い出す……が、すぐさま先生に止められる。
 練習した第一声だけ良くて、そこで安心してそのあとが弱くなってる、と。

「アルトさんは、第1テーマなのよ。最初のSeidだけじゃダメ、Seid umschlungen, Millionen! Diesen Kuß der ganzen Welt! までがんばって歌って。 ganzen Welt!よ、ganzen Welt!。みんな、言葉の意味わかって歌ってる?」

 言葉の意味っすか。えーと、なんだったっけ? みんな目が泳いでる(笑)。

「もっとより良い世界を!! そう思って歌ってる?!」

 何故だろう。

 ここで、ぶわっと涙が出た。

 より良い世界か。
 誰だってそれを望んでいるのにね。悪くするためにすることなんて、ひとつもないのにね。

「ソプラノさんは第2テーマ、Freudeは歓喜、喜びよ!」

 第九は「歓喜の歌」。喜びを歌う歌。
 なんであたし、こんなときに喜びの歌なんか歌ってるんだろう?
 けっこう今、オチてるんだけどな。こんな気分で、喜びって、歓喜って。

 第九が喜びの歌だとわかっているのに、なんか今さら苦しくなった。

 そして、一通りの注意が終わり、再度合唱開始。
 アルトの歌声からはじまる、フーガ。
 一小節遅れてソプラノが加わる。第九の特徴的なあのメロディ、Seid umschlungen, Millionen!とFreude, schöner Götterfunkenが女声だけで絡み合う。

 テーマを1回歌い終わったところで、男声が加わる。4つのパートがそれぞれ別の歌詞を、メロディを追い掛け合うように歌う。

 歌う内容はみんな同じ。
 喜び。

 気を取り直して歌っていたのに……何故だ、この男声が加わり、「第九」の本領発揮な音の重なり、フーガが加速したところで、またもガツンとキた。
 一気に泣けた。

 4つのパート、4つの声は、まさにganzen Weltを表すのだろう。全世界。いろんな人々。
 みんなみんな、より良い世界を、美しい世界を望んでいる。
 それが得られることを、望んでいる。

 
 わたしがもしも、壮くんのファンサイトを運営するなら、ブログでもいいや、ファンブログをはじめるのなら、あるいは元同人女らしくファンジン(笑)を出すなら、タイトルは「Elysium」にしようと、決めていた(笑)。

 第九の主題、あのもっとも有名なフレーズ。
 第九と聞いて思い出す、あのメロディ部分の歌詞。

 Freude, schöner Götterfunken,Tochter aus Elysium

 その、Elysium。
 いつもいつも、ここでえりたんのことを思い出していた。

 えりーずむ。
 えり・イズム。

 タイトルは絶対「Elysium -えりイズム-」。
 Elysiumは「楽園」という意味の単語。

 楽園という意味で、読みがえりたん!!
 もお、壮くんのファンサイトにつけるしかないわ!と(笑)。

 語学さっぱりなので、楽譜に書いてある語句の意味としてしか、知らないんですが。
 教養がナイため、第九の歌詞でも勝手にジェンヌを思い浮かべてます。
 Millionenではみりおくんだし、eine Seeleで愛音さんだし、Ahnestで『Ernest in Love』だし。Todはもちろんトート様だし。

 「タカラヅカ」はわたしにとって、楽園なのです。
 歓喜の歌で歌われる、Freude, schöner Götterfunkenなんですよ。
 
 所詮は絵空事、誰もほんとうにそんな世界が作れるなんて思っちゃいないでしょう?な、歓喜の歌に歌われる、Alle Menschen werden Brüderな世界なんですよ。

 そこで起こる、切なさや悲しみも含めて、全部ひっくるためて、「タカラヅカ」なんだと思う。
 「楽園」なんだと思う。

 わたしは、いちばんえりたんの境遇についてショックを受けたけれど、きっとすべてのヅカファンが、それぞれの立ち位置、それぞれの想いで受け止めていると思う。
 傷ついたり悲しんだり混乱したり。もちろん、喜んだり。
 わたし個人の中ですら、えりたんのことはえりたんのこととして、らんとむがトップになることはうれしいのだ、というややこしさがあるのだし。
 ひとつの事象は、受け止める人によってちがっている。そのひとのなかですら、刻々と色を変える。

 それでいいのだと思う。
 わたしが傷ついたから、喜んでる人が信じられない!とかゆーのではなく、ひとりずつがチガウ受け止め方をする、それもが「宝塚歌劇」というモノなんだなと。

 それすら内包するモノなんだ。なにしろ「Elysium」だからな。

 劇団に対し憤ったり絶望したりはしょっちゅーだし、愚痴もさんざんこぼしているけれど、それすら含めてが「タカラヅカ」のファンであるわけだ。

 
 美しき神々の火花、楽園の乙女。
 彼らと出会えたこと、彼らを、そして彼らの生きる世界を愛している、喜び。

 
 レッスン最終日にして、いちばん気持ちよく歌えた。腹の底から声を出した。
 泣いて、ナニかぶっちぎれたみたいに、声が出るよーになった。周囲の人ごめん(笑)。
 蘭寿とむは、トップスターになるべき人である。

 彼がトップスターになることはわかっていたし、タニちゃんほど極端ではなかったものの、「未来のトップスター」として下級生時代から大切に帝王道を劇団から用意されていた、特別な人だ。
 劇団の期待や扱いという意味だけでなく、彼自身の資質、実力、人間味ともに、トップになるべき人だとわたし自身思っていた。
 だから、彼がトップになるのは、あるべき人があるべき地位に就くことであり、自然な美しい姿だ。祝福されることだ。

 ただ。
 その当たり前の、自然な姿は、このようなカタチである必要があったんだろうか。

2010/11/15

花組 次期トップスターについて

この度、花組 次期トップスターに蘭寿とむ(宙組)が決定致しましたのでお知らせ致します。

尚、蘭寿とむは2011年4月25日付で宙組から花組に組替えとなります。
トップスターとしての公演は、2011年6月24日に初日を迎える花組宝塚大劇場公演(演目未定)からとなります。


組替えについて


この度、下記の通り、組替えが決定致しましたのでお知らせ致します。

【星組】
凰稀 かなめ・・・2011年2月25日付で宙組へ
(今後の出演予定)
・~2011年2月24日 星組中日劇場公演『愛するには短すぎる』『ル・ポァゾン 愛の媚薬II』に出演
・2011年5月20日~ 宙組宝塚大劇場公演(演目未定)に出演

【宙組】
蘭寿 とむ・・・2011年4月25日付で花組へ
(今後の出演予定)
・~2011年1月30日 宙組東京宝塚劇場公演『誰がために鐘は鳴る』に出演
・2011年3月      宝塚及び東京にてディナーショー開催予定
・2011年6月24日~ 花組宝塚大劇場公演(演目未定)にトップスターとして出演

 思い出すのは、一昨日見た、壮くんの笑顔だ。
 加えて、わたしは今日またムラにいた。宙組観劇だって、していた。今日のぐだぐだな避難訓練も一応参加したさ。だから、らんとむの笑顔も、見たばかりだ。

 タカラジェンヌはみんな、いろんなものを内側に抱え込んで、それでもあのきれいな笑顔を見せているんだ。
 その事実に、泣きたくなる。
 彼らはフェアリーでありながら、こんなにも「人間」だ。
 ひとりずつなにかしら重いモノを抱え、背負い、それでも笑うのは、「人間」だからだ。
 そんな彼らだからこそ、わたしたちは愛し、夢を見る。

 らんとむトップ発表おめでとう。
 かなめくん、宙組でもがんばれ。

 そして。

 そして。
 大好きな壮くんと、大好きな花組が、美しくあれますように。輝き続けられますように。

 まとぶんから壮くんへの引き継ぎが見たかった、いずれ来るだろうゆーひくんの卒業時、らんとむへの引き継ぎが見たかった、ちえねねテルの並びが大好きだった……言っても仕方のないことでも。
 それらの「美しいこと」を捨ててまで決行するこの人事が、さらなる輝きを得られると、願うばかりだ。祈るばかりだ。

 でなければ、やりきれない。

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