ダンサーとお友だちと。@記者と皇帝
2011年3月27日 タカラヅカ 大野先生の新作だー! みっちゃん主演だー! ってことで真面目にチケ取りしたのに、取れなかったんですけど『記者と皇帝』。
バウは満員御礼、みんながこの公演を待っていたんだね、とわかる。
なんとかチケット入手して行ってきました。
お金持ちのおぼっちゃまアーサー@みっちゃんは婚約者から逃げて市井暮らしスタート。新聞記者になるはずが、ライバルのロッタ@れーれに初戦敗北、正式採用ならず。今求められているのはサンフランシスコで絶大な人気を誇る自称皇帝@ソルーナさんの記事、アーサーとロッタは皇帝の記事を得ようと競ううちに惹かれ合う……わけだが、この愛すべき皇帝が、権力者たちに利用されようとしている?!
大野先生のタップ好きに、はじめて意味があった!
と、まったく関係ないところにもっとも感心してしまったんですが、どうしましょう(笑)。
大野作品といえばタップダンス。
どの作品だろうと、脈絡がなかろうと、とにかくタップ。
大野くんの洋モノ作品か、んじゃタップだな、と直結して考えていいくらい、とにかくタップ。
それがはじめて、タップを踊る意味があった。はじめて、物語にタップが必要だった。
タップでモールス信号を打つ、というのがキーになっているわけです。
わたしは音楽的才能もなく、運動能力も低く耳も悪いので、タップダンスでモールス信号な人々を見て「天才ってすげえな」と思いました。や、天才なんて物語には出てこないので、ダンスができる人にとっては「あたりまえ」のことらしいです。
が、わたしはいくらモールス信号を勉強して知識としてアタマにあったにしろ、それをダンスから信号部分だけ抜き出して読みとったり、仲間内でダンスに信号を入れて会話したり、1回だけ見た(聞いた)ステップをあとになって間違いなく再現してみせたり、とにかくなにひとつ一切合切出来る気がしないので、天才しかいないのかこの物語、という気分でした(笑)。
やたら英才で特別だと描かれてる主人公や、才能あるダンサーのヒロインだけなら、かれらが優秀だからそんなことができるんだ、と思えるけど、ヒロインの仲間たちでさほど将来大物にも大スターにもなりそうにない、ふつーのダンサーたちも、ふつーにやってのけてたからなあ。
現実にそんなことが可能なのか、ではなく、可能かもしれないと思わせることが、フィクションの醍醐味。
魔法やテレパシーで会話しました、ではなく、ありそうなものやできそうなことでやってのけるのが、たのしい。
ただ、「盗聴が平気。悪いことではまったくない」世界観にはびびりました。
ヒロインのロッタがスクープを得られたのは、友人の父親が通信会社勤務だから、そこで個人的に使われた電信内容を勝手に記事にしたもの。
たとえば、宝塚スターの北翔海莉さんではなく、本名の**みちこさんが、恋人にネット通販でメッセージ付きのプレゼントを送ったとして、その通販会社の社員が「あ、これタカラヅカの北翔さんの個人的なラヴレターだわ!」と気付いたからといって、みちこさんが入力したメッセージ内容を他人にコピーして渡したり、ましてやそれを「スクープ」として新聞に売るような交友関係を持っていたら、酷いのひとことだなと。
でもソレが平気だから、ラストのどんでん返しも同じように電信盗聴で得たものを「動かぬ証拠」として突きつける。
そういう時代だったのか……。郵便局とか電話会社とかのスタッフは利用者のプライバシー全部「娘の友だち」程度の間柄の人に流して平気な時代だったのか……と、アタマが現代でしかないわたしは、なかなかどーして混乱しました(笑)。
ま、それはさておき。
改めて、大野せんせの作品のいいところは、主役たちに、友だちがいることだと思いました。
主人公に友だちがいる。ヒロインに友だちがいる。
……人間としてあたりまえのことで、主役を張るからには友だちのいる人間的に魅力のある人でなきゃ、見せられる方はたまったもんじゃない、と思うが、通常のヅカ作品の主役たちは、友だちもいないよーな人ばかりなんだ。
せいぜいは「友だち」という名前だけで、ただ隣に立っているだけの人格も物語もない人とか。
まだ主人公はいい、友情寄りに描かれることもあるので。
問題は、ヒロイン。
ヒロインに友人がいる作品なんて、どれだけある? 名前だけで横に立っているとかルームメイトだとかではなく。
大野せんせのヒロインは、みんな友だちがいて、わいわいやってていいなあ。
ほんと、同性の友だちもいないよーな子には感情移入もしにくいし、女性が好むタイプの女性ではない場合が多いと思うんだけど。ヅカの観客の大半は女性、なのに「同性の友だちもいない女」つまり、「同性から嫌われる女」をヒロインにするのはどうかと思うよ、男性演出家のみなさん。
とはいえ、大野せんせのヒロインがダンサー(とか女優とか)以外の職業だったことはあるのか?
『ヘイズ・コード』『NEVER SLEEP』『フェット・アンペリアル』と、洋モノは全部ヒロインがダンサーですがな。そして主人公は同じダンサー系職種ではなく、外側から彼女に出会う、と。
『ロシアン・ブルー』だけが唯一違うんだけど、結局ダンサーチームは作中に出てくるし、ヒロインのいる組織と彼女の立ち位置が他作品のダンサーヒロインとそのチームと同じ手法で形成されてるのよね。
またしてもヒロインがダンサーで、チームで登場したため、強い既視感に襲われた(笑)。
いつも同じヒロインを書き続ける大野せんせは、たったひとつのパターンのみでどこまで作家を続けるのか、それはそれで興味深いっす。
今は登板が少なく、年1本とかしか書かせてもらえないから、同じ話ばかり書いていてもバレないっつーか、観客には別の話に見えるけど、近年の正塚せんせみたいに短いスパンで次々書くことになったらどうなるのかしら。マサツカだってこんなに続けざまに書かなければ、ファンから「また同じ話」「自分探しと革命とあの戦争でしょ」とか言われずに済んだかもしれないのに。
それでもわたしは、正塚せんせのいつもの話を好きで眺めていられるように、大野せんせのいつもの物語も好きです。
これ前にも観た(笑)、と思いつつ、新作として愉しめます!
『記者と皇帝』も好きだー。
かわいいたのしい。
宙組さんに詳しくないわたしですら、目が足りないくらいあちこち隅々まで気になって楽しいんだから、組ファンにとっては、隅々まで楽しいんだろうな。
もちろん、主演のみっちゃんにファンにとっても。
わたしは思わぬところでみちこさんに一本釣りされて、どっかんと煙あげて爆発しました(笑)。わたしのそんな反応を見て、「にやり」とされたのがくやしくてなりません。うわーんっ。
友人たちに確かめたところ、みっちゃん的にはソレ、ふつーのことのようです。日常だそうです。あの人一本釣りしてニヤリってふつーにするのね。うおお、そーゆーとこかっけー! スターは傲慢なくらいがいいのよ、そーゆーとこに一般市民はときめくんですから!
バウは満員御礼、みんながこの公演を待っていたんだね、とわかる。
なんとかチケット入手して行ってきました。
お金持ちのおぼっちゃまアーサー@みっちゃんは婚約者から逃げて市井暮らしスタート。新聞記者になるはずが、ライバルのロッタ@れーれに初戦敗北、正式採用ならず。今求められているのはサンフランシスコで絶大な人気を誇る自称皇帝@ソルーナさんの記事、アーサーとロッタは皇帝の記事を得ようと競ううちに惹かれ合う……わけだが、この愛すべき皇帝が、権力者たちに利用されようとしている?!
大野先生のタップ好きに、はじめて意味があった!
と、まったく関係ないところにもっとも感心してしまったんですが、どうしましょう(笑)。
大野作品といえばタップダンス。
どの作品だろうと、脈絡がなかろうと、とにかくタップ。
大野くんの洋モノ作品か、んじゃタップだな、と直結して考えていいくらい、とにかくタップ。
それがはじめて、タップを踊る意味があった。はじめて、物語にタップが必要だった。
タップでモールス信号を打つ、というのがキーになっているわけです。
わたしは音楽的才能もなく、運動能力も低く耳も悪いので、タップダンスでモールス信号な人々を見て「天才ってすげえな」と思いました。や、天才なんて物語には出てこないので、ダンスができる人にとっては「あたりまえ」のことらしいです。
が、わたしはいくらモールス信号を勉強して知識としてアタマにあったにしろ、それをダンスから信号部分だけ抜き出して読みとったり、仲間内でダンスに信号を入れて会話したり、1回だけ見た(聞いた)ステップをあとになって間違いなく再現してみせたり、とにかくなにひとつ一切合切出来る気がしないので、天才しかいないのかこの物語、という気分でした(笑)。
やたら英才で特別だと描かれてる主人公や、才能あるダンサーのヒロインだけなら、かれらが優秀だからそんなことができるんだ、と思えるけど、ヒロインの仲間たちでさほど将来大物にも大スターにもなりそうにない、ふつーのダンサーたちも、ふつーにやってのけてたからなあ。
現実にそんなことが可能なのか、ではなく、可能かもしれないと思わせることが、フィクションの醍醐味。
魔法やテレパシーで会話しました、ではなく、ありそうなものやできそうなことでやってのけるのが、たのしい。
ただ、「盗聴が平気。悪いことではまったくない」世界観にはびびりました。
ヒロインのロッタがスクープを得られたのは、友人の父親が通信会社勤務だから、そこで個人的に使われた電信内容を勝手に記事にしたもの。
たとえば、宝塚スターの北翔海莉さんではなく、本名の**みちこさんが、恋人にネット通販でメッセージ付きのプレゼントを送ったとして、その通販会社の社員が「あ、これタカラヅカの北翔さんの個人的なラヴレターだわ!」と気付いたからといって、みちこさんが入力したメッセージ内容を他人にコピーして渡したり、ましてやそれを「スクープ」として新聞に売るような交友関係を持っていたら、酷いのひとことだなと。
でもソレが平気だから、ラストのどんでん返しも同じように電信盗聴で得たものを「動かぬ証拠」として突きつける。
そういう時代だったのか……。郵便局とか電話会社とかのスタッフは利用者のプライバシー全部「娘の友だち」程度の間柄の人に流して平気な時代だったのか……と、アタマが現代でしかないわたしは、なかなかどーして混乱しました(笑)。
ま、それはさておき。
改めて、大野せんせの作品のいいところは、主役たちに、友だちがいることだと思いました。
主人公に友だちがいる。ヒロインに友だちがいる。
……人間としてあたりまえのことで、主役を張るからには友だちのいる人間的に魅力のある人でなきゃ、見せられる方はたまったもんじゃない、と思うが、通常のヅカ作品の主役たちは、友だちもいないよーな人ばかりなんだ。
せいぜいは「友だち」という名前だけで、ただ隣に立っているだけの人格も物語もない人とか。
まだ主人公はいい、友情寄りに描かれることもあるので。
問題は、ヒロイン。
ヒロインに友人がいる作品なんて、どれだけある? 名前だけで横に立っているとかルームメイトだとかではなく。
大野せんせのヒロインは、みんな友だちがいて、わいわいやってていいなあ。
ほんと、同性の友だちもいないよーな子には感情移入もしにくいし、女性が好むタイプの女性ではない場合が多いと思うんだけど。ヅカの観客の大半は女性、なのに「同性の友だちもいない女」つまり、「同性から嫌われる女」をヒロインにするのはどうかと思うよ、男性演出家のみなさん。
とはいえ、大野せんせのヒロインがダンサー(とか女優とか)以外の職業だったことはあるのか?
『ヘイズ・コード』『NEVER SLEEP』『フェット・アンペリアル』と、洋モノは全部ヒロインがダンサーですがな。そして主人公は同じダンサー系職種ではなく、外側から彼女に出会う、と。
『ロシアン・ブルー』だけが唯一違うんだけど、結局ダンサーチームは作中に出てくるし、ヒロインのいる組織と彼女の立ち位置が他作品のダンサーヒロインとそのチームと同じ手法で形成されてるのよね。
またしてもヒロインがダンサーで、チームで登場したため、強い既視感に襲われた(笑)。
いつも同じヒロインを書き続ける大野せんせは、たったひとつのパターンのみでどこまで作家を続けるのか、それはそれで興味深いっす。
今は登板が少なく、年1本とかしか書かせてもらえないから、同じ話ばかり書いていてもバレないっつーか、観客には別の話に見えるけど、近年の正塚せんせみたいに短いスパンで次々書くことになったらどうなるのかしら。マサツカだってこんなに続けざまに書かなければ、ファンから「また同じ話」「自分探しと革命とあの戦争でしょ」とか言われずに済んだかもしれないのに。
それでもわたしは、正塚せんせのいつもの話を好きで眺めていられるように、大野せんせのいつもの物語も好きです。
これ前にも観た(笑)、と思いつつ、新作として愉しめます!
『記者と皇帝』も好きだー。
かわいいたのしい。
宙組さんに詳しくないわたしですら、目が足りないくらいあちこち隅々まで気になって楽しいんだから、組ファンにとっては、隅々まで楽しいんだろうな。
もちろん、主演のみっちゃんにファンにとっても。
わたしは思わぬところでみちこさんに一本釣りされて、どっかんと煙あげて爆発しました(笑)。わたしのそんな反応を見て、「にやり」とされたのがくやしくてなりません。うわーんっ。
友人たちに確かめたところ、みっちゃん的にはソレ、ふつーのことのようです。日常だそうです。あの人一本釣りしてニヤリってふつーにするのね。うおお、そーゆーとこかっけー! スターは傲慢なくらいがいいのよ、そーゆーとこに一般市民はときめくんですから!