新人公演『バラの国の王子』キャスト感想、覚え書き。

 虎@たまきちは体格勝ちというか、やっぱ彼は「男役」としてきれいだなあ。
 集団の中にいても、その姿全体で目を惹く。
 が、美貌かというとそーゆーわけでもなく。

 虎さん役ってほんと、出番と台詞(と、歌)が多いだけで、どーしよーもねー役だなと思った。
 人格がないというか。
 演じている人のキャラクタがすなわち役であるというか。

 本役のみりおくんは、とにかく「美貌」というわかりやすいキャラクタがあり、その美貌を愛でるという意味で、人格なんてなくても、出番と台詞が多い、とゆーことに価値がある。
 んじゃみりおくんほどの美貌がない人は、この役でなにをどうしろと? とりあえず歌って喋ってる姿を愉しめと? って、芝居ってそーゆーものなのか?

 と、キャストにではなく、これは制作側への疑問(笑)。

 虎くんに限らず、野獣家臣のコーラス隊はそれぞれキャラクタを創っているのだと思う。演じている人たちは。
 だけど毎回あの人数で出てきてあれっぽっちの台詞で、キャラクタの違いをどう読みとればいいのか、わたしにはわからない。

 プログラムには役名がびっしり載っているけれど、なにがなんやら。
 たまきち姿きれいだな、まんちゃん動きがきれいだな、ちゅーちゃんかわいいなー、ちゃぴが男役でうれしーなー、でも性別関係ない役だなーとか、そんなことぐらいしか。

 
 妹君@みくちゃんって、そんなに小さかったっけ? なんか登場するなり「小さっ」と思った。本役さんが大きいだけかなー。そして最初の歌が大変なことになっていた気がしたんだが、わたしの耳の問題か。や、あとになればふつーに歌えていたけれど。
 癖の強い役はみくちゃんに合うだろうなと期待しすぎていた面があったかもしれない。わりと手堅く、あ、こんなもんか、つー感じに収まっていたような。や、それこそが新公ではすごいことなのかもしれないが。

 アンリ@からんくんのみなぎっている感じが微笑ましいです(笑)。いやキミ、力入りすぎだろソレ。
 王様@ゆりやくんに家来が彼ひとりであることも相まって、いつもきっかり悪人顔のアンリと浮世離れした王様コンビが不思議なコントラスト。
 からんくんには何故か星組のかほりがする……(笑)。

 長女@鳳月くんは、ふつーにきれいなおねーさんで、困る(笑)。
 笑いを取らなきゃいけない役なのに、そんなにきれいじゃおかしくない!
 オカマにも見えず、ふつーに女性。
 本役のマギーは出オチってくらい笑わせてくれるからなあ……美人なのにカマっぽくて。
 若者が演じると、女装した男に見える女性、ではなく、ふつーに女性に見えてしまうんだ。
 で、男役のときはナチュラルに大人というか、おっさんくさいのに、女役だとそれほどでもないんだ……芝居って不思議だなあ。

 次女@晴音アキちゃん、前回新公に続き抜擢ですな、95期。ふつーにうまい……。
 でも本役さんのような出オチ感はない。新公だからそれでいいのか。

 いぢわる姉妹は体当たりな演技で笑わせてくれたけれど、小粒というか、視覚的にも芝居的にもどーんっと来るモノはなかった。
 ドタバタ喜劇的なビジュアルには、あえてしなかったんだろうと思う。阿呆な外見を作って笑わせることは簡単だけど、お勉強の場である新公でソレは必要ないと。
 でもその分やっぱ、地味だったかなあ。

 村の青年たちが、なんか愉快だった。
 十把一絡げの家臣コーラス隊より、村の青年がオイシイような。
 それぞれ個性的な顔立ちの子たちで、目、エラ、頬、耳、てなふーに特徴付けて覚えられる。残念ながら鼻!な子がいなかったけど(華ではナイ。わたし的に鼻!は重要・笑)
 なんか楽しい。次からも彼らを探してみよう、と思えた。おかげで、兵士役で出てきても一発でわかった(笑)。

 野獣の少年時代@咲妃みゆちゃん、かわいかった。きれいな声。

 ママ@白雪さんもきれいな声。ただ役としてはハッタリが足りないというか、ラスボスとしての貫禄がちがっているような……って、ラスボス言うな!てか?(笑)
 『記者と皇帝』、さくっとキャスト感想。

 マーク@いりすさんが、いい男だ。
 役が好みど真ん中なこともありますが(笑)、それにしてもかっこいいわー枯れた感じ、ヘタレ具合、それにそぐわないビジュアルの良さ。

 まさこさんは別に、芝居がうまい人ではないと思うのね。持ち味に合う役以外は技術の低さで表現しきれない。スタイルとダンスという武器があるからそれで良し、あとは本人のキャラ勝負……という。
 成長を見守るのがタカラヅカの楽しみ方のひとつ、変な役しかできなかったあのいりすくんが、上級生になるにつれ「できる役」を増やしていくのが、うれしいやらときめくやら。
 わたしは新公主演する彼を見たかったクチで、なんで七帆と1回ずつ分けなかったんだろうと当時は思ったけれど、今思うと無理もなかったかなあと。
 まさこ、ヘタすぎたよね。いろいろと。研7時点であの実力に懸けるよりは、堅実な七帆くんひとり推しと劇団が判断しても仕方ない。
 でも、なまじ新公主演しなかったからこそ、まさこはその後いろんな役をして。
 路線スターじゃないからこそ、求められる役割ってのがある。スターの高学年化が進み、舞台に年期のいったスターとぴよぴよのひよっこしかいなくなった今、その高学年な路線スター様より「大人」に見える役者がどんだけ必要になっているか。
 早くから「大人」役を振られたことで、まさこはそっち方面へ伸びていった。
 動く背景だったたかはな時代のあと、いきなりトップスター様の父親役とかするよーになったもんなあ。まさこだけでなく、『A/L』っていろんな意味で宙組の転機となった公演だよなあ。
 新公時代もWS主演も、ナマで観てきてますから。アレな時代も記憶に焼き付いてますから。そんな彼が今。……うわーん、ときいりがいい男過ぎてきゅんきゅんするー!(笑)

 志を忘れ権力にへつらうようになり、そんな自分を嫌悪したまま生きる男が、すべてを捨てても失っても、初心を取り戻す。お約束だけどわくわくする展開、キャラクタ。
 彼のカタルシスが、主人公アーサー@みっちゃんによってもたらされるのが、物語として正しい機能。アーサーの初恋の人だったんだねえ……ほろり。(チガウ)

 
 アーサーを追いかけ回す婚約者クリスティ@ちさきちゃん。
 コメディやるとすげーたのしそーだよなー。すでに貫禄を感じる(笑)。
 なんだろ、お約束であるこその動きというか、華がうれしい。安心して眺めていられる。
 ほんとに舞台にいることが楽しそうで、かわいいなあ。
 コトコトのポジションなのかあ。(え?)

 そのクリスティの相手役……ぢゃないけど、ラストで突然相手役に躍り出たブルース@愛ちゃん。
 かっこいーねー!! こーゆー役似合う~~。
 わたし愛ちゃんは顔立ちよりも体格萌えだなー。
 抑えて硬質にしてきた分、ラストの崩れっぷりがかわいいし。
 てゆーか、なんでこの男がよりによってアレに惚れているのか、バカバカしくもかわいい(笑)。

 
 ダグラス@ちーちゃんは、これまたお約束というか予定調和なキャラクタで。
 かわいくていいけど、不思議と「知っている」ちーちゃんの気がして、新鮮味がない。
 別にこんな役を他でやっていたかどうか、おぼえてないんだが。
 役自体がありがちすぎるせいかな。
 かわいい役をやっていても、ちーちゃんがキモく見えなくなったので、わたし的には進歩したなと。あ、ちーがではなく、わたしの目が。そして、キモく見えていたのもすべてわたしの責任で、ちーちゃんにはなんの責任もございません。ちなみにわたし、バウ出演組ではちーちゃんがいちばん好きです、でも彼をキモいとか言う。や、もう言わずに済みそう、目が慣れた!(ヲイ)
 しみじみ彼は好みの顔です。眺めているだけでシアワセ。

 
 桜木みなとくんと伶美うららちゃんはかわいいカップルだなー。
 桜木くんは美形さんだが、横顔の顎のラインが惜しい。これからもっと美しくなっていってくれるかなー。
 ところで、アーサー・キングの妹といえば、ギネヴィアだろう! と、偏った思い込みゆえ(笑)、名前の違和感からスタートしました、セーラ・キング。

 ふーりじんは良い役者さんだなあ。星の美城れん君と共に、貴重な大人役者。84期万歳。
 専科さんとサシで芝居して違和感ない、って、そんだけで尊敬だ。

 役があったのかどうかわかんないが、あちこちで出てくるたびに、あっきーの顔を好きだと思った。
 彼を個別認識した『薔薇雨』新公では別に、そんなこと思ってなかったのに。どんどん好みの男になってくる。
 鈴奈さんのステージ場面で、彼が登場したときに、どんだけうれしかったか……いやその、ビジュアル的に……(笑)。

 
 ロッタ@れーれなんだが、実はわたし、彼女が登場していることにしばらく気付いてなかった。
 アーサーがコナかけてる踊り子さん、たくさんわらわら出てきたダンサーチームのひとり、脇役の女の子だとばかり……思い込みってこわい。
 新聞記者として登場したときにはじめて、「あ、れーれだ! よーやく出てきた。かわいー」と思い……話を聞いていたら、さっきまで出てた踊り子さんがれーれだったのか!とびっくり。

 等身大のかわいい女の子。ツンツンしてるのがイイんだろうなってゆーか、大野くんの洋ものコメディ作品のヒロインってみんなツンデレじゃあ……?

 歌は相変わらずでうまいヘタ以前。
 だけど芝居歌だと気にならないな。歌がアレなのはわかってるから実際にすごくてもご愛敬っていうか、あーはいはい(笑)みたいな。
 かわいいからいいんじゃね?(素)
 かわいいは正義。……たしかにまあ、トップスターがコレじゃアレだが、バウヒロならまあ、アリなんじゃないかと。

 
 楽しい物語で萌え(られたかどうかはともかく)もあって、良い作品だと思います。
 贔屓が出演していたら絶対うれしい!

 ただ、この作品とこの役が、ほくしょーさんに合っていたのか、彼の魅力をこれまで以上に開花するモノだったかは、ちょっと疑問です。
 もちろんうまかった。それはたしか。
 でも、みっちゃんがうまいことなんて最初からわかっているので、こーゆーハートフルな二枚目半が「こんなみっちゃんはじめて見た! 素敵!!」な役だったかどうか。
 みっちゃんへのアテ書きではなく、あくまでも「大野作品」なんだなという印象でした。

 ラストシーンの蛇足感もなあ……。下手側だったわしは、ベッドにダイビングするほくしょーさんの丸いお尻が最後のアーサーの記憶なんですが……。

 フィナーレがあって良かった(笑)。
 ろくに数を数えられない(「1、2、3……いっぱい?」的な)キムシンの演出に当たってしまった、数えてもらえなかった役の人たちの悲しみはわかります。
 その昔、わたしの贔屓も台詞4つしかもらえませんでしたから。贔屓より下級生で、出番も台詞もある人がいるのに。

 それでもわたしは、彼の作品が好きです。脇ファンだとリピートしんどいだろうなあ、と思いつつも。
 でれでも、『バラの国の王子』は好きです。

 ええ、とりあえず叫びます。

 野獣@きりやん好きだー!!

 なんですかあのかわいいイキモノ!
 不器用で鈍くさくて独りよがりで、かわいくてしょーがない。

 武骨で優しい、不器用なきりやさん、というのは、わたしの好きなきりやさんです。
 きゅんきゅんきます(笑)。

 あの小さな身体に大きなかぶり物して、両手を前に出したみょーな立ち方して、ディズニーの野獣みたいなシルエットでのそのそ歩いて。
 あのもふもふ欲しい、ぬいぐるみを売ってくれ!! 中身はキューピーでもなんでもいいから、かぶり物取れるようにして。
 少しも早くキャラクターグッズ化を望む!

 ラスト、王子にならなくてヨシ! ってくらい、野獣なきりやさんが好きです。
 ディズニーアニメでも、野獣は野獣のままの方が美形と思ったけど、まさかタカラヅカでまで(笑)。

 で、その大好きな野獣の相手が、これまた素敵な女の子で。

 
 ベル@まりもちゃんの、すこやかな強さ。
 ぶっちゃけ、絶賛されているほどの美女には見えないんだが(笑)、それはともかく、彼女のキャラクタが好き。

 人間らしい弱さやずるさを持ちながらも、光に向かって歩く女の子。
 この子だからこそ、野獣を救えるんだと思える。

 ベルが野獣の屋敷に来た最初の夜、自分の闇を吐露して泣くところから、一緒に泣いてます(笑)。泣けるもん、彼女の独白。
 そして、父親を起こさないよう、声をひそめて、それでもずーーっと泣いているとか。なんて悲しいの。
 それを見守る家臣たちも切ない。手をさしのべたいのに出来ないで、ただ見ているだけって、つらいよね。

 野獣のコンプレックス、それゆえの引きこもり。
 ベルの気づき。

 キムシンらしいテーマの押しつけがましさが、快感っ。

 や、わたし彼と波長合いますから。
 あれくらい「書きたいこと」がはっきりあって、それを表現するクリエイターは好き。

 自分自身を革命出来るのは、自分だけなんだよ。

 他人を変えることなんか出来ない。それは神様の仕事。
 だけど自分は変えられる。
 まちがったら、やり直せる。

 野獣を救えるのは他人の愛かもしれないけれど、引きこもりを間違いだったと気付くのは、野獣自身なの。
 愛する人を信じるという選択肢を選び取るのは、自分自身なの。

 キムシンのサムい台詞センス……というか、「おばかさん合戦」には、かなりムズムズしますが……。

 
 ところでわたしは、「お釈迦様の手のひらの上」ストーリーが苦手。
 誰かの作為の上で展開する物語が嫌い。
 なので、野獣ママ@あーちゃんの存在だけがこの物語の苦手ポイント。

 せっかく愛し合い、自分たちの力で幸せを掴んだはずの野獣とベルが、「みんな私の計算通り」とママが出てくることで台無し。と、思うんだけどなあ。
 みんなみんなママが何十年前に仕組んだことで、野獣もベルも自分で愛し合ったのではなく、ママの台本通りに操られたみたい。やばくなったらママが横から手を出して、自分の思い通りにする。ムカつく妹@りっちーに仕返しするためなら手段は選びませんわ、オーホッホッ!てか?
 ママの存在がお伽話感を高めているので、必要なのかもしれないけれど、わたしは不要だと思っている。
 ラスボスではなく、ピーチ姫ポジションにしておいてくれればいいのに。野獣の魔法が解けたから、ママも救われました、だけでいいのに。

 年齢不詳のあーちゃんの美貌は、さすがのフェアリーっぷりですが(笑)。

 
 とまあ、野獣とベルのラヴストーリーに心からときめき、涙しているのに、それとは別に野獣と商人@リュウ様のラヴストーリーを妄想してしまうのは、腐女子のサガというものでしょうか……(笑)。
 わたしの癖といいますか、自衛手段でもあるのですが。
「人生がけっぷち、2度目があると思うな、いつだってこれが最初で最後」という意識があります。
 なにかうれしいことがあっても、この幸運が毎回続くはずがない、幸せなのは今だけで、あとできっと悲しい目に遭う。だから次に悲しい目に遭っても大きく傷つかないように、「いいのは今だけ、次はそうじゃない」と思い込むというか。

 ヲタをやる自分への言い訳でもあります。

「もう大人だもの、いい加減落ち着かなきゃ」と思うべきところを、「こんなことはもう2度とないかもしれないのよ? 今よ、今。今暴走しないでいつするのよ?!」と欲望を肯定したり。

 つーことで、わたしは昔からいつも「最初で最後」という言い方をします。
「ゆーひくんはこれからまだバウ主演あるかもしんないけど、ケロは最初で最後だろうから、悔いないよーに通わなきゃ!」と、10年前にもふつーに言ってましたね……いやまさかその10年後にゆーひくんが、バウ主演はおろかトップスター様になっているとは思わず。

 今の口癖は「全ツ2番手なんて最初で最後だもの! 堪能しなきゃ!!」だしな(笑)。
 その前は「好きな作品でしかも名作で、好きな役でしかも出番が多いなんて奇跡! もう2度とナイわこんなこと、今通わないでどーするのよーー!!」つって、二日に1度の割合でムラへ行っていたわけですな(笑)。

 少しは落ち着けよとツッコミつつ。
 「いつだって最初で最後」の覚悟のもと、ひとつひとつを大切に大袈裟(笑)に、堪能していきたいと思っています。

 てことで。
 最初で最後かもしんないから、騒いでおく。

 ある日の『ロミオとジュリエット』貸切公演。
 といっても、それが貸切公演だったとは、わたしはわかっていなかった。
 1幕が終わって、わたしはふつーに座席でメールをしたり、本日のベン様の素敵ポイント(笑)をメモしたり、のんきにしていた。
 すると、場内アナウンスが流れた。
「厳選な抽選の上~~」
 抽選? なんだ、ナニか当たるの? そーいやコレ、貸切公演だっけ? ふつーにサバキで買って入ってるから、区別ついてない。
「音月桂さんのサイン色紙は各階各列**番……」
 ああ、よくある貸切公演のプレゼントか。列関係なく、席番号で当たるやつ。
 わたしはこの公演中すでに何回も貸切公演を観ており、そのうち2回は幕間にプレゼント抽選会があった。サイン色紙はトップスターのキムくんと、そのときのジュリエット役、その2種類のみ。今回の公演に限らず、最近の貸切公演ではサイン色紙のメンバー数も削減しているようで、トップコンビのみとかふつーなんだよな、と大した興味もなくアナウンスを聞いていた。
 キムくんやみみちゃんのサインに興味がないわけではなく、単にわたしが当たるはずがないので、気にすることがないのだ。なにしろ当たった色紙は大浦みずき様のフェルゼンのみなんだもの、この20年間で。
 貸切公演のサイン色紙? ナニソレおいしいの? もらったことないからわかんない。
「早霧せいなさんのサイン色紙は~~……」
 え? ジュリエットじゃなくて2番手の色紙なの、この貸切。ジュリエットはトップぢゃないからの応急処置? そんなこと気にする貸切元なんだ?と、思っていたら。

「未涼亜希さんのサイン色紙は各階各列70番……」

 えええっ?!

 座席から、腰が浮きました、マジで。
 番号まで言ったところで反応するなら「当たったのかな、あの人」って感じかもしれないけど、番号以前、名前が読まれた段階で反応しまくりだったので、すげー恥ずかしかった。

 みすずあき? 今みすずあきって言ったよね??
 信じられなくて、おろおろした。
 や、当たってませんとも、当たるわけないでしょ、伊達に20年以上ナニも当たってないわけぢゃない、わたしのくじ運は最凶よ、ほんっとに当たらないもの!(おみくじの「凶」ならよく引き当てます)
 自分の当落よりも、みすずあき。
 今のマジですか、わたしの幻聴ですか? ひとり観劇なので誰にも聞いて確かめられない。

 まっつがサイン色紙メンバーに入っている……だと……?
 そんなことが、ありえるのか?

 取り乱したわたしは、フラフラとロビーまで行きました。
 プレゼント引換場所は劇場内ロビーではなく、改札を出たインフォメのあるロビーでした。
 もぎりのおねーさんを踏み越えて、外に出ました、わざわざ。
 で、当たったわけでもないのに、引換所真ん前行って、置いてある色紙を眺めました。

 ほんとだ……ほんとにまっつだ……。

 ぼーぜん。

 左上にスチール写真が貼ってあり、劇団発行の色紙で、劇団名の入った封筒に入れられている。
 それがたくさん、積み上げられている。

 あれは『太王四神記』の幕間トーク付きの日。
 平日公演の客寄せに、幕間に出演者を日替わりでトークさせるイベントがあった。喋るのはほんの数分、5分に満たない。そして、そのトークする生徒のサイン色紙を3名様だっけかプレゼント。
 なんともチープな、微妙すぎるイベントだった。
 だけど、日替わりであったために、ふつうならイベントに出してもらえないようなポジションの生徒にも順番が回ってくる。
 スターさんではないご贔屓が、まさかのイベント出演ですよ! ひとりだけ舞台に出て、司会者のじゅりあにインタビューなんかされちゃうんですよ! 大事件ですよ、行くしかないでしょう!!
 と、わざわざその平日に駆けつけた。連れのまっつメイトは茨城から駆けつけたさ。ふたりそろって「こんなの最初で最後ぢゃね?」と張り切ってSS席連番で、ヒョンゴ村長をガン見したさ……。
 そのときのサイン色紙が、わたしは本気で欲しかった。
 左上にスチール写真が貼ってあり、劇団発行の色紙で、劇団名の入った封筒に入れられている、貸切公演でプレゼントされているのと同じ形式のサイン色紙。
 トップさんたちなら貸切公演で毎回プレゼントされているけれど、脇の人はそんな機会はない。ふつーは一生ナイんだよ?
 こんなイベント最初で最後かもしんないし、するとマジであの3枚が、「未涼亜希」としての最初で最後の劇団公式発行サイン色紙かもしんないじゃん。
 ……もちろんわたしたちは当たらず、指をくわえてみていたさ。ヒョンゴ村長のサイン色紙なんて、もらった人うれしいんだろうか? てゆーかオレだ、オレによこせ~~!!と、内心身悶えながら。

 そっか……『太王四神記』のサイン色紙3枚が、「まっつ人生最初で最後の3枚」じゃなかったんだ……。
 こうやって、本日70番に坐った人全員の枚数があるんだ……。てゆーかまっつ、ここに積んである色紙に全部、1枚1枚サインしたんだ……。

 すごい。まるで、スターさんみたいだ。

 色紙の束を横に置いて、機械的にサインしているまっつを想像し、また実際に積み上げられた色紙の束と飾られた写真、名前を見てしみじみする。

 こんな日が来るとは、夢にも思わなかったナリ……。
 このうろたえっぷりも含め、忘れずにいたい。
 最初で最後、次はないかも、と自戒しつつ。

 あうう。
 まっつのサイン、欲しいなああ。ベン様の写真付きで。
 そのうちヤフオクとかに出るかなあ。
 貴重だよな、絶対。
 最初で最後かもしんないし!←
 まだ書き切れていない、『ロミオとジュリエット』の話。
 ほんとに、どんだけ好きなん、とあきれるくらい。思いと言葉が止まらないんだ。
 いやまあその、このテキスト書いたのははるか以前……2月中のことで、アップする機会がなかっただけなんだが。
 

 ムラの『ロミオとジュリエット』、ベンヴォーリオ@まっつは日替わりになにかしらやっていて、見るたび微妙に印象が違っていて。
 よわよわで萌えだった日の話は書いたので、反対に、ノリノリで萌えだった日の話。

 その日はどーゆー気分だったのか、ベン様の中の人はノリノリで、なんかすげーホットなベン様でございました。

 まず、オープニングのかっこよさが半端ナイ。びしばしキレのいいダンスもそうだが、ティボルト@ヲヅキに向ける敵愾心がまたテンション高め(笑)。うっわー、嫌な奴~~。
 そしてこれはまっつの持ち味っつーか、テンション高いからといって暑苦しくはならず、むしろ、ドSなクールさが増すのが素敵です。
 やーん、こわいー、かっこいー。
 物騒さが増すというか(笑)。

 そんな調子だから十分「今日なんかすげぇな」と思ってたのに、極めつけはヴェローナのコーラス&ダンス場面ラスト、吠えてましたよこの人。
 「~決して終わらない♪」でみんなそれぞれアツく挑みかかるよーにしていると思うけど、ベン様がくわっと吠えるよーに歌ったのには、心底びっくりした。今ベン様吠えた?! ベルナール@『外伝ベルばら』でよくやってたけど、ベン様でもやるなんて?!

 いつもより5割り増しでコワくてイヤな奴になっているベン様。
 ティボルトに唾を吐きかけられ、自分では怒らず、怒って掴みかかろうとするマーキューシオ@ちぎを制止……という流れは同じだけど。
 そのあと、ティボルトやキャピュレットたちを見ながら、ゆーーっくりと頬を指でぬぐった。首を傾げ、あざ笑うように……しかし冷え冷えとした眼差しで。

 そのゆっくりとした指の動きと、冷たい目にぞくぞくした。なんなのあのエロさ!

 エロさを見せつけてる? 挑発している? 暴力の挑発というより、性的な挑発に見えてうろたえる。ベン様待って、ティボルト相手にそんなことしちゃダメ、危険だわ!!(ナニが)

 匂い立つイヤラシサに、まだオープニングだっつーに息も絶え絶えになる(笑)。

 テンションの高さはかわいこちゃん度の高さ、悪のり度の高さでもあった。
 ロミオや仲間たちに見せる顔がかわいこちゃん全開。
 ちょ、ベン様いくつの設定?! 年齢さがってないか?

 そしてマーさんとのいちゃつき方が大判振る舞い。スキンシップ多すぎ、くっつき過ぎ! 「憎しみ」でもやたらいちゃくらして、ストップモーションは互いの肩や腰に手を回して抱き寄せて、顔を寄せて見つめ合って。ちょ、そのキスの前後みたいな体勢で止まるのかっ?!!

 「綺麗は汚い」でも犬ころマーさんにお手をして立たせたあと、抱き合ってラヴシーン。ふたりしてタコクチして「ちゅ~~♪」ってやってた。ベン様が女役、膝を折って小さくなって。

 タコクチでチューをねだるまっつ!!

 我が目を疑う。未涼さん、どーしちゃったのあーた!!
 そのあとのデフォルトのカップルのふり(愛について歌うマーさんにしなだれかかるベン様)も、もちろんノリノリのカマっぽい腰つき。

 ナニこれやばい。お前らラヴ過ぎ! いちゃつき過ぎ!

 てゆーかなんでいつもベン様が女役なの、マーさんとベン様の間には不文律があるの? 「ふたりでいちゃついてふざけるときは、オレが男でお前が女な」とか、前もって決めてあるの? ベン様ソレでいいの? 受なの? ベン様受としての自覚あるの?!(落ち着け)

 「どんなかわいい女の子でも♪」の、「かわいい」のところでベン様、両手の人差し指を自分の頬に向けてにっこり小首傾げて笑ってた……かわいいって、アンタ……。

 みすずあきさんの中の人が別人に入れ替わっているのか、コワレているのか。
 とにかくもー、あまりの豹変ぶりに開いた口がふさがりません! これがこの間まで『EXCITER!!』で黒タキでまとぶさんに後ろから迫っていたエロ男ですか??!

 ピーター@ハウルのいじり方も激しい。ベン様ソレすでにセクハラ! そんなウブな子、口説いちゃダメ!!
 とまあ、スケベ心も上がっているのか、仮面舞踏会ではいつも3人の女の子にキスして4人目はお持ち帰りなのに……4人目にもキスしてた?! ちょっ、今ナニしたよヲイ!と、目が点になった。
 ベン様軽い……チャラ過ぎますよちょっと。アナタその容姿でそんなことしてたら罪作りだってばー!

 とにかく1幕のベン様は大暴れ。なんなのよこの男。
 敵に対してはすげーこわい人で、仲間内ではかわいこちゃん、マーさんとはやばいくらいラヴラヴいちゃいちゃ、ホモネタも好き、反面女タラシで手が早い。
 そんな、やたらとテンション高く生き生きとしていたベンヴォーリオ。2幕でどうなるのかと思ったら。

 ロミオ@キムの裏切りに対しては、こわいモード。すごく硬質な態度で、怒ってる感じがこわい。
 強いな、固いなという印象だった。
 まっつの中の人的に、かなり高温位置で安定したまま演じている感じ。高温だけど暑苦しくはなく、固い、こわい(笑)。

 で、そんなテンションのままマーキューシオを失うと、どうなるのか。

 喪失が、すごいことになっていた。

 続くー!
 『ロミオとジュリエット』ムラ公演にて、やたらとノリノリだったある日のベンヴォーリオ@まっつ。
 敵と裏切りにはひたすら硬質にこわい人で、仲間に対してはかわいこちゃん全開。

 で、そんなテンションのままマーキューシオ@ちぎを失うと、どうなるのか。

 喪失が、すごいことになっていた。

 臨終の際のマーさんが「愛する友よ」と、ベン様の方へ手を伸ばす。その手をがっしり握りしめる。
 マーさんの手を握りしめたまま最後の言葉を聞く……のは、いつもと同じっちゅーか、「手を握るバージョン」でよく見る光景。でもこの日は。

 一度勢いだけで握った手を、握り直した。
 単に角度が悪くて持ちにくかったとかいう、身も蓋もない理由があるのかどうかはわからないが、わざわざ再度ぎゅっと握った。
 そして、マーさんを見つめる。
 ロミオ@キムにばかり必死で話しかけ、歌いかけるマーキューシオを、ずっとずっとひたすら見つめる。手を、握ったまま。
 そうやってマーさんだけを見ていたのに。
 この日のベンヴォーリオは、マーキューシオが事切れたのを彼が目を閉じたとか首をがくりと折ったとかいうことで知ったのではない。

 自分の手を握りしめたマーキューシオの手が、すべり落ちていくことで、彼の死を知ったようだ。

 しっかり握りしめていた手。
 ただ握っているだけに留まらず、ときには臨終の苦しみゆえ強い力が加わっていたんだろう。
 その手から力が抜け、すべり落ちていく。
 それは、マーキューシオの命が、魂が、抜け落ちていく、そのままの姿で。

 ロミオをはじめ、その場の全員がマーキューシオの顔を見て嘆き悲しみ、声を上げている中、ベンヴォーリオひとりが違うところを見ている。
 仲間たちの輪の中で、ただひとり。

 自分の手のひらを見つめ、放心している。

 彼は多分、その中に握っていたんだ。愛する親友の命を。
 人間の手のひらは、包み込むことが出来る。獣とは違い、他者を包み、守ることが出来る。
 ずっとずっと当たり前に、マーキューシオの手を、腕を、身体を触ってきた手。
 その命に触れてきた手。

 「憎しみ」でも「綺麗は汚い」でも触れていた。抱き合っていた。
 いちばん、近くにいた。いちばん、愛していた。

 変わることなどないと信じ、親友を抱きしめてきた手を、見つめる。
 最期の瞬間、マーキューシオの手は、命は、たしかにベンヴォーリオの手の中にあって。
 どこへも行かせないと、指を絡めて握りしめて。
 なのに。

 その手は、すべり落ちた。

 ベンヴォーリオの手から。

 マーキューシオの命が、魂が、消えた。

 たしかに握りしめていた、そこにあったものを見つめて、ベン様は呆然としている。そこにあった……自分が握りしめていたものを、見つめて。

 周りが動いている中、叫んでいる中、ひとりだけ動かない姿。
 ひとりだけ、マーさんの亡骸すら見ずに、自分の手のひらを見つめている姿。

 どんだけ。
 どんだけの悲しみよソレ。

 こわれる。
 あの人、壊れちゃうよ。

 も、心配で心配で。他の人どころぢゃない、オペラでベン様ガン見。ちなみにSS、4列目、この距離でオペラ使いますかアンタ、てな。周り誰もオペラ使ってないのにー。

 ロミオの歌声に合わせてベン様も泣き声を上げるんだが、ここでも彼はマーさんを見ず。
 自分の手を見たまま、天を仰いで慟哭して。

 みんながマーキューシオを見て嘆いている、その群れの中でただひとり、ちがうところを見ている、ベンヴォーリオ。
 その壊れ方の激しさ、こわさに、震撼した。

 そのあと、ロミオ乱心ゆえあわてて立ち上がるけど、それがなかったら立てなかったんじゃないかな。放心しきっていて。
 立ったはいいけど、結局ロミオを止められず、ティボルト@ヲヅキ殺害を目の当たりにして。
 ベン様、ナニか切れちゃった模様。
 仲間たちに声掛けられても、反応しないし。ぼうっと突っ立ってるベン様に、一方的に女の子がなんか言ってる図。女の子が腕を取るんだけど、ベン様反応せず、女の子があきらめて放したベン様の腕が、彼の胴に当たって跳ねる。
 唯一、モンタギュー夫人@ゆめみさんに「なにがあったの?!」って詰め寄られたときだけ、弱々しく話している様子。夫人にはよく躾られてるんだろうな、詰問されたら答えます的な。(例・「ロミオを探してきてちょうだい」「はーい、仰せの通りに」)
 でもほんとのとこ、思考できる状態ではないようで。
 ロミオを守るために右往左往、「僕たちは犠牲者だ」とか歌ってみたりするのも、思考手放してる。どこか呆然としたまま、本能だけで動いてる。ロミオを守らなきゃ、って。
 幼児が泣きながら大人の胸をぽかぽか殴る、あの感じというか。自分がなにを言ってなにをして、それがなんの意味があるのかわかっていない、おぼえていないような。
 ロミオ追放決定には崩壊して、(涙の有無ではなく)すごい泣き顔だし。

 「狂気の沙汰」は無力感半端ナイ。
 登場したときからすでに虚無入ってる。止められると思って止めているのではなく、絶対無理だとわかってすがっている。その、絶望。
 それでもよく、立ち上がると思った。
 途中がっくりと膝を折って。ほんとにもう立てないんじゃないかこの人、と思った。それでも「やめろ」って立ち上がるんだけどね。

 で、目玉のソロナンバー「どうやって伝えよう」とその直後のロミオへの伝言は、ここでは省略、また別欄で(笑)。

 ラストの霊廟シーン。
 その前の場面でけっこう持ち直していた、落ち着いていたテンションだったが、ロミオの姿を実際に目にしちゃうとスイッチ入っちゃったみたいで。
 ぺたんと坐り込んだまま、人形のようになっていた。
 ロミオとジュリエットが横たわる石壇の縁にたどりついたときには、そのまま泣き崩れちゃって、顔上げないし。
 縁の端に両手を残したまま、顔だけ沈んでるの。
 縁に残った指の、力の入り具合ったら。かきむしるように、指を立てて。すがりつくように。

 そのあと「罪びと」の感動的な大合唱シーンになるんだけど、ベン様群衆のセンターでなんかぶちキレてて。
 みなさんイイ笑顔で希望を込めて歌う場面、実際ベン様の声が朗々と響いてるんだけど……しかしベン様あーた、壊れてるよね??
 どこか呆然とした笑顔がこわいです、この人ココロ戻ってません、整理ついてません!!

 そんな彼を後ろから抱くよーに長い腕を広げて促す大公様@しゅうくんに、望みを託します、お願い閣下、その人助けて、救ってあげて!!と(笑)。
 あまりにもベンヴォーリオが哀れすぎて、壊れきっていて、こわかった。

 あんだけものすごい喪失ぶりで、最後笑うんだもん……! いや、あそこは笑顔だと決められているんだろうけど、ベン様その精神状態で笑ったらそりゃすでにあちら側の人ですよ!という。

 
 終始一貫して、テンションの高い日だった。
 そして、テンション高いとえらいことになるんだなと。

 ベンヴォーリオを演じるまっつは、面白すぎる……。
 さて、まだ『ロミオとジュリエット』の話。とゆーか、ベンヴォーリオ@まっつの話。

 それで結局、ベンヴォーリオって、どんなヒトなのよ?

 東宝のベンヴォーリオはだいぶん変わっていたけれど、ムラでは場面ごとに別人すぎた。
 オープニングの「ヴェローナ」ではクールなドS、しかしその直後の「憎しみ」から銀橋ロミオとの会話は滑稽でわざとらしい道化、「世界の王」はにこにこ少年。
 ナニこれ。

 場面ごとにちがいすぎて、一貫性がない。
 特にいちばんひどいのが「憎しみ」でモンタギュー夫人@ゆめみちゃんと話すところと、銀橋のロミオと話すところ。
 脚本にある「粗忽者」らしい物言いかもしれないけれど、変に滑稽で浮いている。星組版を観たときも、オープニングのあとモンタギュー側の最初の会話……「物語スタート」となるベンヴォーリオ@すずみんの喋り方のわざとらしい滑稽さにびっくりしたし、ロミオ@れおんに対するわざとらしい子どもっぽい喋り方にびっくりした。
 ので、雪組でまっつが同じ喋り方をしているのを見て、演出家指示なんだと思った。なんでかわからないけど、このキモチワルイ滑稽さや幼さが、イケコのこだわりなんだ、と。

 このいちばん浮いている部分について、ムラでは後半になるにつれまっつベン様は対モンタギュー夫人には皮肉っぽくなることで対処していたと思う。大人をバカにしているから、あえて滑稽な調子で話しているんだ、と。対ロミオは相変わらずだったけど。
 が、イケコの目を離れたからか、東宝ではがらりと演技を変えて、「ここだけ浮いている」場面のカラーを統一していた。
 対モンタギュー夫人にもさらに冷ややかに、対ロミオにもクールな年長の友人風に。これなら「ヴェローナ」からそれほど浮いていない。
 こんだけ芝居をがらりと変えるんだから、やっぱ変だったんだよなあ、当初の芝居。てゆーか、イケコのこだわり。

 ムラでのこの部分だけは変だと思ったけれど、そこは星組でも最後まで引っかかり、混乱した部分だったのでもうあきらめるとして。(日本初演の『ロミオとジュリエット』の星組初日、ベンヴォーリオ@すずみんのキャラクタを把握するのに時間が掛かったのは、この場面の変な喋り方のせい。ここだけ別人過ぎる)
 この場面を除いたとしても、ベンヴォーリオは場面ごとに印象が変わる。チガウ。

 それはどういうことなのか。どういうヒトなのか。

 って、実は気にならなかった。
 そのまま、そーゆーもん、と思った。
 そりゃ初日はそんなキャラクタ見慣れていないのでびっくりしたけど、リピートすればなんの問題もナシ。

 というのも、この『ロミオとジュリエット』という作品で描かれている若者たちは、とてもマンガ的だからだ。

 ベンヴォーリオもマーキューシオ@ちぎも、コミックから抜け出てきたよう。髪型といい、振る舞いといい。
 中世を舞台にした名家同士の争いの話なんだが、現代的な衣装や髪型、音楽や演出で、無国籍かつ時代考証無視。古典劇ではなく、現代に新しく創られた作品。
 争っている若者たち、パンクなファッション……ああコレ、マンガだ。てゆーか、少年マンガなんだ。

 わたしはもともと少年マンガ育ちで、今も女性向けコミックは読んでないが、少年誌は読んでいる。
 そこにはツッパリ物というかヤンキー物というか、不良少年たちがケンカに明け暮れるマンガが必ず載っている。
 で、そーゆージャンルのマンガは大抵、主人公たちは仲間内ではギャグ満載でゆるい姿を見せているんだけど、いざケンカとなると絵柄まで変わってかっこよくなる。
 アホアホギャグとドシリアスで血を流す姿が、当たり前にひとつの世界にある。

 それがふつーなので、場面ごとにキャラクタの変わるベン様も、なんの違和感もない。
 少年マンガじゃん。
 敵の前では超クールだけど、仲間と一緒のときはゆるみまくってる。いたずらしたりアホなことしたり。でも、いざってときはすげー大人。でもって純粋で友情のために命懸けたり泣いたり。
 きょうびのマンガで、ずーっとカッコイイだけ、シリアスなだけで通るわけないじゃん。笑いもクールさも必要だっての。

 と、まあ。
 今わたしが好んで読んでるのが『A-BOUT!』というヤンキーマンガであるためか、ときどきベン様たち『ロミジュリ』のみなさんが、『A-BOUT!』キャラの絵柄で脳内再生されて困る(笑)。

 ようするに、「面白ければ、なんでもアリ」。
 イケメンとかお持ち帰りとか、シェークスピアが絶対に使わない単語が出てもアリ。
 「ヴェローナ」でとことんかっこよくドSにクールに舌出してるベン様が、ロミオ相手に小学生みたいに話していてもアリ。
 仮面舞踏会でマーさんとふたり、にっちゃあ☆と笑っていてもアリ。

 ふつーに少年マンガのクールキャラ。ヤンキーキャラ。
 ケンカ大好き高校生。
 仲間内では大人。
 それが、親友の死を通してほんとうの大人になる。
 そーゆー物語。

 特別でもなんでもない。
 等身大の、男の子。

 だからこそ愛しい、ふつうの少年。
 ふつうだからこそ、彼の心の葛藤や傷にも興味があるし、妄想がわく(笑)。想像の余地があり、また翼も開く。

 そんな風に思っている。
 わたしにとっての、ベンヴォーリオ。
 ある日の『ロミオとジュリエット』のベンヴォーリオ@まっつ。
 その日はあまりにノリノリでテンション高くて、格好いいところはさらに格好良く、かわいいところはアゴが落ちるくらいかわいく、そして親友を失ってからの喪失感・絶望感は半端なく、どえりゃーことになっていました。
 高テンションで安定、しかも物語的にどんどん盛り上がっていく、その盛り上がり最高潮!なところで、ベンヴォーリオには最大の見せ場、長々としたソロがある!

 ふつーここまでくれば、ものすごーく期待するでしょ。
 こんだけハイテンションな芝居をしていて、クライマックス、最大の見せ場突入なら。
 どんだけものすごいカタルシスが待っているのかと!

 「狂気の沙汰」からジュリエット自殺、絶望のベン様は振り返り、悲しく歌い出す「どうやって伝えよう」。

 はい、リセットされました。

 いやはや。
 機嫌良くムラ通いしていろんなベン様見てきて、その中でも目を疑うようなテンションで、この人いったいどうしちゃったの? どーなっちゃうの?! と思わせる勢いと温度だったのに。

 最大の見せ場で、最低のテンションになる(笑)。

 すんげー、肩すかし。
 いっそ笑える。

 それまでは、感覚でぶっ飛ばしてきたのに、最大の見せ場、逃げ隠れも誤魔化しもできないカーテン前ソロになると、一気に理性復活。
 いつも通り、技術駆使して歌い出す。
 計算された芝居と歌い方、少しずつクレッシェンド、はいここで喘いで、ここで一旦落として、ここで上げる!みたいな。

 失敗するわけには、いかないからだ。
 長丁場のソロ、ふつー芝居歌は1番のみだろうに、2番まで歌いますってな曲だ。ここから物語は佳境、一気に持っていく重要な場。
 責任重大だからこそ、絶対にコケられない……ので、暴走はしない。それまでどんだけ無茶してても、ここでクールダウン。

 って、気持ちはわかるけど、ここで?!
 ベンヴォーリオ的にいちばん盛り上がるところで、何故盛り下がるの?!

 いや、盛り下がる、と観客にわかるレベルではないのかもしれない。彼はちゃんと演技している、計算された技術と表現で歌っている。その通りに歌えばちゃんと感動的だ。
 しかしこの日は、いつもとチガウ温度であったがために、「いつも」に戻ったソロとの落差が「いつも」がどんなもんか知るリピーターにはわかったというか。
 や、あくまでもわたしひとりが勝手に言っていることに過ぎないが。

 そっかあ、ココでサーモスタット掛かるのかあ。リセットされちゃうのかあ。

 この人はとことん脇の人なんだなと思った。
 勢いだけで感情だけで、暴走していいのは、主役のみだ。
 お勉強の場ですと銘打たれている新人公演じゃない、安くはない観劇料の必要なプロの舞台で、役者が個人の感情で芝居を壊していいはずがない。
 タカラヅカは暴走上等というか、役者個々のスタンドプレイもある程度容認されていると思う。芝居よりもスター個人を見に来るところだから。
 だから「スター」として、トップ路線にいる人たちなら自制はしない、とにかく派手に感情を爆発させる、自分の感情に他人を巻き込む、観客を同調させることを学ぶ。
 ぶっちゃけ、正しい音階で美しく歌うより、泣きながらボロボロの歌声を聴かせた方が観客は泣くんだ。
 そうやってスターは「主役」になる方法を肌で学んでいく。
 が、脇はそうじゃない。そんなことをやっていいのは真ん中の人だけ、脇がいちいち大泣きして場をさらっていたらウザすぎる。小芝居は小芝居だからいいのであって、真ん中を喰ったり邪魔になってはいけない。
 脇の仕事は理性的に技術でもって、暴走するスターを支えること。真ん中の人を輝かせること。

 そうやって、育って来ちゃったんだね。
 暴走する習慣がないんだ……。
 台詞のないモブでいろいろ楽しく遊んでいても、いざ自分の唯一の台詞の順番が来ると、失敗しないようみんなの足を引っ張らないよう、きちんと正しく前へ出て言う、そしてまたモブに戻る……なんて正しく脇育ち。

 真ん中やったことナイ人だからなあ。
 育った過程っていうのは、こんなところにも出るもんなんだ。
 と、しみじみ感心しました。

 いやもちろん、性格もあると思います。
 どんなに脇でも……というか、一応新公主演やって、まったくモブではなく真ん中寄りのところにいたんだから、「暴走上等! 真ん中じゃなくオレを見ろ!」な人なら十分、感情爆発させた演技はすると思う。
 でもそんなタイプの人だったら、この学年まで花組のあの立場で残ってなかったと思う。
 きちんと脇の仕事をする人だから、ここまでタカラヅカの舞台に残り、またその実力を買われてきたんだと思う。

 まっつがもしも、ちゃんと「真ん中」としての教育を受けて育っていたら、どんな舞台人になっていたのかなあ。
 今は「どうやって伝えよう」でテンションをリセットしちゃう人だからなあ(笑)。

 ……でもソレは、今まで真ん中に無関係な立場だったからで。
 芝居でもショーでも、自分ひとりで場面任されたことがなかった、いつも誰かのバックにいるだけの人だったからで。
 今後、場面のセンター務めるようになったら、「真ん中」がどういうものかわかるよねえ。いつまで、どんな立場で、タカラヅカにいてくれるのかわかんないけど、少なくとも次の全ツは2番手だから、真ん中立たなきゃなんないだろーし。

 これから彼がどう変わり、また変わらないのか、楽しみです。

 今はただ、こんだけハイテンションで感情暴走! 喪失すげえ絶望すげえ!の直後の見せ場で、一気に冷静沈着、テクニックで歌い上げます。という展開に、いっそツボった(笑)。

 おかげでそのあとのマントヴァにて、ロミオ@キムくんにジュリエットの死を告げるところも予定調和。はい、いつものベン様。

 とまあ盛大に肩すかし喰らったあとだったんで、ラストの霊廟もふつうかなと思ったら、ここでもちゃんとテンション高かったし……ほんとに、「自分ひとりの場面」だけセーブしてやがる……(笑)。
 逆だから、セーブするところと暴走するところ!

 いっそ面白いけど、いろいろとがんばれー(笑)。
 タカラヅカファンをやめてもいいかなと思った。

 『ロミオとジュリエット』が終わったあと。
 牛のようにいつまでも『ロミジュリ』を咀嚼していて、別の公演に興味がわかなかった。
 わたしにはもう、『ロミジュリ』さえあればいいんじゃないかな。なにも他の公演を観る必要はないんじゃないかな。

 別にタカラヅカが嫌いになったわけではないので、またいつか、そのうち観に行くだろう。
 だけど今はもういいや。

 歌劇団のスケジュールはよく出来ている。
 客を飽きさせないというか、立ち止まることを許さないようになっている。
 それに踊らされて、ここまで走り続けてきた。
 それは幸福なことだった。
 ひどい人事に泣いたりすることも含め、立ち止まることを許さない劇団の手腕、ヅカファンをやるおもしろさだと思う。喜怒哀楽すべてを味わえるわけだから。
 自分の人生とは別に、他人の人生の喜怒哀楽紆余曲折を追体験できるシステムに踊らされ、走り続けてきたのは幸福なこと。
 時間もお金もいっぱい使って、はたから見りゃ間違いでしかないだろうけど、わたしは楽しかったからいい。

 でもそのスケジュールに、ついていけなくなった。
 息切れしてきた。

 まだ『ロミジュリ』しか考えられないのに、手帳には観劇予定がびっしり。
 もういいか、観に行かなくても。
 あと半年くらい、タカラヅカ観なくても、毎日しあわせでいられる気がする。
 それくらい、『ロミジュリ』がしあわせだった。

 タカラヅカファンをやめる、というのは正しくない。
 タカラヅカはずっと好きで、またいつか観に行くつもりなんだから。

 今のヘヴィな生活をやめる、てのが正しいか。
 全公演観劇なんてアホなことはやめて、年に数回、気が向いたときに観るの。
 それでも世の中的には「タカラヅカを年に何回も観るの? すごいファンなのね」ってもんだし。

 それでいいじゃん。
 もうしばらくは、タカラヅカ観なくていいや。

 

 と。

 と、思いました、マジで。

 それくらい、大好きで、しあわせでした。『ロミオとジュリエット』。
 わたしのヅカヲタ人生はじめて。
 もしもコレで贔屓退団だったりしたら、素直にヅカから足を洗っていたと思います。
 満足感、達成感半端ねえ。

 そう思っただけで、やっぱりわたしは劇団のスケジュール通りに走り続け、ヅカヲタを続けているわけですが(笑)。

 贔屓在団しているし、他組にもそれぞれ好きな人たちがいるし、人だけでなく「タカラヅカ」を観たいと思うし。

 ただ、あまりに『ロミジュリ』に傾倒していたため、他組はともかく、贔屓出演の次の公演、すなわち全国ツアー『黒い瞳』に出遅れたのは、痛かったです(笑)。
 なんつー本末転倒。贔屓がいてこそ『ロミジュリ』にハマったはずなのに、その贔屓出演の次公演にアタマが回らず、チケットをぜんぜん用意していなかったという。
 せっかくプガチョフなのに……(笑)。

 結局なにひとつ変わらずヅカヲタをやっているわけですが、己れの存在意義を問うところまでいった公演は、『ロミオとジュリエット』がはじめてだった、と。

 こんなに好きになれる作品があるって、すごい。
 作品クオリティと物語の好みと、贔屓の出演有無と出番。これらがすべて一致する公演なんて、奇跡みたいなもんだ。
 トップさんや路線さんのファンなら、奇跡というほどの確率ではないけど、なにしろわたし、脇スキーだから(笑)。良い作品、好きな作品は年に何本かはあるし、ものすごく好きな作品も数年に一度はあるけれど、そこに自分の贔屓がちゃんとした役で出演している可能性となると、一気に分母の桁が増えますよっと。宝くじ並の分母、それで当たるんだから、奇跡でしょう。

 長くヅカヲタやっていて良かった。
 奇跡に出会えた。

 幸福だった。
 ものすごい作品を見た! と興奮する、なんかよくわかんないけどすげえ!! と思う公演は、全方向的な力を持つんだと思う。
 ヅカファンで、ヅカのお約束や楽しみ方を知っている人でないと理解できないモノではなく、ご贔屓が出ているとか贔屓組だからとかではなく。
 最低限、舞台だのミュージカルだのを楽しめるスキルのある人になら、属性関係なく有効なオールマイティアイテムなんだと思う。
 初演『エリザベート』とか、初演『スカーレット・ピンパーネル』とか。
 予備知識ないまま観て、客席でほえーっとなった。
 作品力もそうだけど、キャストのハマリ具合も半端なかったし。なにしろミュージカルですから、主要キャラは一定レベル歌えないと。出演者全員歌ウマである必要はないけど、少なくとも目立つところに音痴はいないぞっと。その上で、スター力も含めた、キャラクタの合った役者が概ね演じているぞっと。
 そういうものは、ヅカだから、とヲタゆえの謙遜やら卑下やらには走らず、いろんな人に素直に「面白いから観て!」「すごいから体験してみて!」と言えた。
(クオリティの高さで言えば『タランテラ!』がすげーレベルだと思ってるけど、こちらはマニアック性も高いため、全方向性は低いと思う……ので省く)

 とゆーことで、『ロミオとジュリエット』
 わたしはこの作品大好きだけど、『エリザベート』や『スカピン』のように全方向性作品だと思えない……。
 作品品質は、全だと思う。エンタメとして正しい力を持っていると思う。
 しかし、ぶっちゃけ、キャストがね……ははは。
 再演されまくりの『エリザベート』が玉石混合になり、全方向性の「なんかすげえ!」作品から、「ふつーのタカラヅカ作品」になったように。

 初演の星組版にしろ再演の雪組版にしろ、キャストに足りていないところがいろいろある。
 主人公のロミオに関しては星も雪も素晴らしい、全方向、誰に見せてもOK、胸を張れると思っているんだが、まあ、それ以外は、技術的に個人の好きずき補正を掛けないとクリアできないんぢゃないかなと。
 雪はなんつっても、大人の事情っつーか、劇団事情に振り回されまくった謎の配役だったしね。
 過去の『エリザベート』がそうであるように、スターシステムや大人の事情による玉石混合、「ふつーのタカラヅカ作品」でしかないと思う。

 だけど。
 過去の『エリザベート』たちがそれぞれ魅力であったように、タカラヅカの『ロミオとジュリエット』もまた、魅力的なんだ。
 全方向性、誰にでも「すごいから観て!」と言えるモノでないとしても。
 一般大衆アテに「すごい」と言えるレベルでなくても、「タカラヅカとしてすごい」とは言える。
 そしてわたしは、タカラヅカファン。

 「タカラヅカとしてすごい」モノこそが、もっともの快感だ。

 ヲタクですから!
 ちえねねが好きだから、美しい彼らがいちゃいちゃしている、それだけでとろけて、しあわせになれる。
 ヘタレテルが好きだから、美しい彼がジャイアンやってる姿に萌えまくる。
 キムちぎまっつのちびっこトリオに拳握ってときめく、うおー好きだー。
 歌唱力? ナニそれ、オイシイの?

 ヅカヲタであるがゆえに、楽しめる。
 ヅカならではお約束、生徒への好意、予備知識、そんなもんを下敷きにした上ではじめて心底楽しめる、そーゆーところが好きだ。

 雪組版を好きでそればっかきゃーきゃー言ってるのは単に、贔屓が出演している、贔屓組公演だからってだけだ。星組版と比べる気はハナからない、だって贔屓の有無は作品クオリティなんかひっくり返す重要要素だもの。それがタカラヅカだもの。
「**ちゃんが出ている公演は全部名作。出ていない公演は全部駄作」と言い切るのがヅカヲタの心意気。
 や、心意気だと認めるだけで、そーゆー極論はどうかと思いますが(笑)。
 
 わたしが『ロミジュリ』大好きなのは、そーゆーことでしかないんだよなと。
 そして、そーゆーことでヨシ、贔屓の引き倒し上等!と思っている(笑)。

 いや、『ロミジュリ』は十分素晴らしい作品だと思っておりますが。
 それにしても、贔屓の存在が大きいのは、やっぱコレがタカラヅカだからだよなと。

 他ではない、タカラヅカで『ロミジュリ』が上演されたことを、とてもうれしく思う。
 外部のカンパニーでてはなく、ね。
 『エリザベート』日本初上演がタカラヅカであったことをうれしく思うように。

 タカラヅカって面白いもの。
 公演が終わり、加美乃素の緞帳が下りるのを見て、落胆した。
 具体的に考えたというより、違和感にぎょっとした。
 宝塚大劇場の緞帳で、もっともにぎやかな色とデザインなのが、加美乃素だ。この緞帳はデザインが主張しすぎていて、「緞帳」として以外には使用できない。

 つまり、映像を流すスクリーンの代用は出来ない。

 『バラの国の王子』『ONE』千秋楽。
 ここのところ、スタークラスの退団楽ばかり観ていたせいか、楽の緞帳前での組長コーナーでは、退団者の思い出の映像付きだったから、今回もそうだと思い込んでいたんだ。
 高砂熱学工業の白い緞帳をスクリーン代わりに、初舞台ロケットから前回の公演まで、主立った映像を見ることが出来るんだと思い込んでいた。

 なのに、下りてきたのは色彩が目に痛い加美乃素で。
 はたして、スタンドマイクもセンター0番にするすると上がってきて。
 そこに、越リュウ組長が立った。
 ……映像があるときは、上手側のスタンドマイク使うんだよね。センターは映像とかぶるから。
 そっか、そのかもルイスも映像ナシなんだ……。ふたりとも、結構な上級生でスターなのに……。

 
 この日はもう、「そのかだけを見る」と決めての観劇でした。
 お金のないわたしは東京まで追いかけられないので、これが最後のそのかになる。ああ、びんぼーが憎い……。

 そのかを「美しい」と思う。
 や、舞台の彼はもちろん美形なわけだけど、どっちかっつーといつも「かっこいい」とかで、ストレートに「美しい」という言葉では表現していなかった気がする。
 それが、『Dancing Heroes!』で「美しい」と唸り……退団が発表された。

 タカラジェンヌは、もっとも美しいときにこの花園を卒業していく。
 それは前提というかお約束だけど、それゆえいっそう別れを惜しむものだけど。

 でも、でも、惜しい。つらい。
 そのかが、これほど美しい男役が、退団する。

 『バラの国の王子』は着たきり雀……もとい、Mr.モンキー。最初から最後まで黒燕尾。肩章付きで厳つさのある、いかにも「男役」らしい衣装。
 お猿さん役なので挨拶ポーズやちょっとした動きに愛嬌のある役なのだけど、それでもとことん美しい。
 着こなしや立ち姿の美しさは経験から極められたものだとして、あの削げた頬の美しさはどうしたもんだか。
 わたしには好みの顔のラインつーのがあって、理想とする額から頬のラインというものがあって、まさか今ここでそのかが、そのビューテホーラインに近いものを打ち出してくるとは、思ってなかったのですよ!
 うっわ、マジきれいだ。
 頬の輪郭と、鼻が素晴らしい。ええ、人間の顔のパーツでわたし的に最重要なのは鼻ですから、もともとそのかの鼻は好きだった……そこに輪郭まで加わるともお。

 飽きずに、そのかを見ていた。
 なにしろその他大勢の家臣役、何十人で一斉に出てきて、ただそこにいるだけ。
 お猿さん役で滑稽な振付がされているわりに、Mr.モンキー自身はおどけた表情はしない、いつもシリアスな美青年だった。

 『ONE』では、動くそのかを堪能する。
 かぶり物の多い草野ショー、顔が咄嗟に見えなくても動きでそのかだとわかるよね。
 美しい、タカラヅカ男役としてのダンス。
 そして……彼はやはり、花組の男役なんだと思った。月組での彼を否定するわけではなく、育った組っていうのはそれだけ深い意味を持つ、だからこそ組制度ってのは素晴らしいんだって意味で。
 花組のそのかが、月組で場を与えられ、こんなに美しくなって卒業していくんだから。ここまで彼を美しくしたのは月組だから。
 てゆーか、ユニコーンダンスでいちばんかわいいダンス踊ってる人を注目すると、そのかなんですけど(笑)。いろいろ見せてくれるなあ。

 退団者へのライトは控えめ? というか、雪組はやりすぎだったの?
 大階段に勢揃いした男役で、トップスターのキムくんと、退団するれのくんだけピンスポもらって、暗い舞台にスターふたり!って感じでものすごかったんだけど。最後のキメも暗い花道にれのくんだけピンスポで浮かび上がっていて、舞台演出壊しそうな勢いだったんですけど(笑)。
 アレを期待したんだけど、そこまではしてくれなかった。よく見ると、群舞の中そのかとるいすんだけ顔がはっきり見えるからライトもらってるんだなとわかる程度。

 
 緞帳が下りた後、退団者の着替えの間組長が手紙を読むのはお約束。……なんだけど、ふたりの手紙はちょっとさみしい内容だった。
 そのかとるいすんからの手紙は、内容の3分の2が出演した公演名羅列(!)で、手紙部分は3分の1ほどだった……。何故そんなことに。
 印象に残っている公演をいくつかピックアップして、それについての思い出語りにしてくれたらいいのに、初舞台から現在までの芸歴披露タイムになっていた。ふたりとも在団年数長いから、出演舞台全部ではないにしろ、長い長いいつまでも続く(笑)。
 どの公演にも思い入れがあり、それを全部入れたら公演名を読み上げるだけでそれについての解説や思い出を語る余地がなくなったのかな。なんとまあ、不器用な印象の手紙。

 
 ところで、そのかの同期からのお花渡しがまっつだっつーのは、意外すぎてびびりました(笑)。
 組内に同期がいない場合の同期からのお花は、今ムラでお稽古している組の同期、ふつーは次の公演の組……だから星組だろうと思っていた。
 美城くんが来るとばかり思っていて、めっちゃ油断していたよ。
 そしたら「雪組の」とリュウ様がアナウンスして、まさか!と。

 雪組も今お稽古中なので、お花渡しに登場するのは不可能ではない。でもその場合は成績順だと思っていた。タカラヅカには学年順成績順があって、在団中はもとより卒業してもそれらに縛られる。絶対の縦社会。だからこのカンパニーはここまで歴史をつないできた。
 雪組84期で末席のまっつに、出番はない。たとえそのかといちばん親しい同期がまっつであったとしても。まっつがお花渡しをするためには、彼より上席のキムくんとゆめみちゃんと、3人でお花を持って登場、とかしない限りは無理だ。
 と、思っていたんだ。

 「雪組の未涼亜希が駆けつけてくれました」とアナウンスされ、あわててオペラのぞいたってば。

 東宝千秋楽以来ぶりに見るまっつが、そこにいて。

 そしてまっつが、そのかにお花を渡す。
 花組で切磋琢磨していたふたり、同期コンビで仲良しで、持ち味も得意分野もチガウ、柔と剛の理想的なふたり、そのふたりがそれぞれ生まれた組を離れて、今、別れるために同じ舞台にいる。
 それはなんだか、現実味のない光景で。

 そのか、ほんとに卒業しちゃうの?
 まっつと一緒に「山寺の和尚さん」歌ってたぢゃないか。ビスコを取り合ってたぢゃないか。
 あれはついこの間のことなのに。

 こんなに美しくなって。

 そして、卒業の言葉がまた、すげーしっかりした、端正な大人の言葉で。

 大人になって、極めて、卒業してしまうんだ。
 寂しい。
 仕方ないことだとはいえ、寂しいよ。
 彼のこれからの躍進を祈りつつ、それでも今はまだ、別れの寂しさが勝つ。……めそめそ。
 野獣は何故野獣なのか?

 今さらですが、『バラの国の王子』の話。

 野獣@きりやんの臣下は、虎さんだのライオンさんだの、既存の動物たちだ。
 野獣だけが、野獣。架空のイキモノ、バケモノ。
 これは、何故なのか。

 野獣だけが「人間」で、他の者たちは人間ではない、ということではないだろうか?

 って、これはみんな知っていることで、「はあ? 今さらナニゆってんの?」かもしれないが、わたしは最初わかってなかったんだ。

 屋敷にやってきたベル@まりもが最初の夜ひとりでずっと泣いているのを見守りながら、動物たちは「昔はそんな風に泣いたことがあった」と歌う。
 ……人間だった頃は涙を流した。しかし今はチガウ。
 今の彼らは「泣く」ことがナイ。
 何故なら、動物だから。

 ヒトの言葉はわかるし、思いやりもあるけれど、根本が「人間」ではない。
 それぞれ、姿通りの動物になってしまっている。
 たとえば、彼らが人間のベルに恋することはないし、主人である野獣に恋することもない。
 人間を動物と隔てる、根本的なナニかが失われている。

 だが、ただひとり野獣だけは。

 彼は、人間である。

 これがアニメーションならなんの混乱もなかった。
 臣下の動物たちは間違いなくただの動物の外見になっているだろうし、野獣だけは直立歩行して服なんか着てる、人間らしい姿なんだろうし。
 だけどコレは舞台で、動物たちも野獣もみんな人間だ。臣下たちは動物のお面持ってるけど姿は人間のまま、野獣はお面は持ってないけどかぶり物付きの人間。
 差異がわからないっつーか。
 のーみそ少ないわたしは、特になにも考えず眺めていた。野獣も、動物たちも。みんな等しく人間で、魔法で動物にされてしまったと。

 あとになってよーやく気付いた。
 長男王子様は野獣という、架空の存在にされた。
 既存の動物に、つまりは魂まで動物にされたわけじゃない。
 魔女@りっちーに掛けられた呪いは、醜い人間にされてしまったということなんだ。

 野獣っていうから、ややこしいんだよね。
 喋る動物たちと暮らしている、喋る野獣。同じカテゴリだと思うじゃん。
 そうじゃなくて、醜い人間。オペラ座の地下に住むファントムみたいなもん。
 外見がバケモノなだけで、ふつーに人間。

 だから野獣はあんなに、哀れなんだと思う。

 彼自身も動物なら、野獣という獣なら、よかった。
 虎でもライオンでも愛し合えるじゃん。同じ次元の存在なら。

 だけど彼ひとりは「人間」で。

 いくら人間の言葉を話せるからって、動物だけと暮らしたら、きっと孤独だと思う。誰だって。
 ファントムにされてしまったのが幼い頃なので、その意味もわからないまま。
 自分ひとりが「人間」であると、きっと、気付かないまま。

 動物たちは自分たちが「人間」でなくなっているから、あえて教えなかったんだろうか。動物と人間の違いを。
 王子が自分たちとはチガウ存在だとは知らせず、ただ大切に育てた。

 動物って、動物と人間の違いってよくわかってないよね?
 天敵として敵対関係にあるときは区別しているだろうけど、それは人間に限らず動物間でも同じだし。
 共同生活していると、区別していなそう。犬でも猫でも、飼っていたら「こいつ、自分を人間だと思ってるな」と思うし。犬猫に限らず、チガウ種類の動物たちが共存している場合も、ままあることだし。
 それらは動物たちの知能や利害に合わせて変化はするけれど、彼らは人間ほど明確に区別したり思考したりしないんだろう。

 だから臣下たちも、野獣がなんであるかは考えないまま、自分たちと同じ存在だと大雑把に受け止めて、守り育てた。王子様だから敬うけれど、人間のソレとは違い、動物ののーみそで。

 だから野獣はいまいち自分がなんなのか、臣下たちとどうチガウのか、考えることなく成人した。

 仲間だと、自分と同じ次元にいるイキモノだと思っていた……その臣下たちが、実は自分とはまったく別の存在だったと、気付いたら。
 今自分が生きている世界、ひとりずつ顔や名前がチガウと思って生活していたら、実は自分以外全員エイリアンだった、とか、そんな感じ?
 え、オレひとり人間? あとみんな、チガウの?
 言葉は通じるし、やさしいし、仲良しだけど……でも、「人間」なのはオレひとり?

 ってソレ、どんだけの孤独。
 どんだけの絶望。

 野獣が「ひとり」だと気付いたのは、たぶんベルと出会ってから。

 自分同じ「人間」の少女と出会い、彼女に「嫌われたくない」と思った。醜い自分を「恥ずかしい」と思った。
 動物たちとはチガウ、人間だから。

 だから彼にとってベルが唯一無二の存在で、彼女を失うこと=死なんだ。
 臣下たちのために生きることはしない。
 動物たちは動物たちで生きればいいけれど、野獣はもう、動物たちのなかでたったひとりで生きられないから。

 言葉を話さない薔薇を育てられるられる野獣は、たぶん臣下たちが言葉を話さない動物まんまであっても、同じように今まで城で暮らしてきただろう。
 言葉に意味はない。動物相手、薔薇相手には。
 だけど、「人間」には。

 ベルには、そして彼には、「言葉」が必要。

 伝えたいことが「言葉」に出来ず、滅びることを選ぶ野獣。
 「言葉」に気付くベル。

 そしてふたりの物語はハッピーエンドへ。

 
 野獣の孤独と絶望、そしてあのやさしさと不器用さは、好みだ。
 彼はきっと、ベルと出会わなくても、やさしく悲しい物語を織ったことだろう。
 年寄りなので、昔話をする。

 その昔、『ノバ・ボサ・ノバ』を観たときの話だ。
 残念ながら、初演・再演は観ていない。さすがに無理だ。わたしが言う「昔」はひと昔、干支一回りの1999年、再々演のことだ。

 よくわかんないけど「名作」らしい。そして、昔を知る人々から「トドロキに『シナーマン』が歌いこなせるはずがない」と言われ、前夜祭で初の歌声披露、前述の台詞を言った人からは「あの声が保つはずがない、きっと途中で声を潰すわ」と言われた。
 「歌えるはずがない」→「保つはずがない」と意見が変化したってことは、初演ファンの人に「歌えてる」と判断されたんだと思った。でも初演信者さんからしたら「そのうち歌えなくなる」という、あくまでもマイナス感想になる、と。
 わたしも自虐系ファンなので(笑)、「よくわかんないけど名作で、ものすごく難曲らしいから、きっとトドには歌えないんだわ」と思ったし、前夜祭で「なんかすごい歌を聴いた」と思っても、素直に「きっと声を潰してしまうんだわ、あんな品質で歌い続けられるはずがないんだわ」と思っていた。
 わたしはトドファンだけど、彼を「歌手」だとか「歌ウマ」だとか、思ってなかったし。トップスターとして、「歌える」方だとは思ってたけど、なにしろあのクセのある歌い方と声質だし。名曲・難曲様には相応しくないでしょう、と。

 別にトド様、声を潰すことなく歌いきったけどねえ。

 さて、そうやって外側から「名作だ」「名作だ」と言われ、「絶対無理」「トドと雪組で再演なんて身の程知らずな」と言われ、正直、どんだけすごいものなのかと、身構えていた。

 今のようにスカステでいくらでも昔の作品の映像が見られる時代じゃない。
 人の記憶と噂でしか語られない、昔の「名作」とやら。芝居ならストーリーだの台詞だのである程度伝わるモノがあるが、ショーの記憶なんてものは「すごかった」「名作だ」以外にない。
 先輩ファンのお姉様たちから、一方的に「昔は良かった」「今はダメ」を聞かされ続け、どんだけすごいものなのか、さらに妄想はふくらむというか。
 期待というほどストレートに期待していたわけじゃない。どんなに名作でも、自分の好みかどうかは別、と思っていたし。
 でも、好みを超えてとにかく、「すごい!」と思えるようなものが再演されるんだ、現代ではあり得ない未曾有の感動がそこにあるんだ、と素直に思い込んだ。

 で。
 実際に、初日を迎えて。
 23年ぶりの再々演とやら、前夜祭までやった注目の「名作」様とやらで。
 プログラムでは同時上演の芝居『再会』の演出家イシダせんせが「みんな『ノバ・ボサ・ノバ』観に来たんでしょ? くっついてる芝居なんかどうでもいいと思ってるでしょ? わかってますよ、だから『ノバボサ』だけ観るつもりだったけど、ついでで観た芝居も悪くなかったわ、と言ってもらえるように作りました」みたいな、ひどい挨拶文書いてるし(笑)。
 内部ですらそんな扱いなんだ、『ノバ・ボサ・ノバ』様ってどんだけおエライんだ。
 そんだけ言われ、持ち上げられまくるほどの名作ショーって、どんなんだ??

 はい。
 初日初見では、ぽかーん、でした。

 さんざん聞いていた、空前絶後の名作!!とかなんとか、抱いていたモノとかけ離れすぎていて。

 えーっとコレ、名作……?
 ど、どのへんが……?

 みんな真っ黒だし、チリチリ頭だし、裸足だし、きれいっていうような画面でも衣装でもキャラクタでもないし、筋は単純を通り越してつまんないし、変な場面ばっかだし、ダンスがどうの言ってたけど上下運動だけ激しくてバカみたいな振付だし。

 いちばんの感想は。

 古っ。
 ダサっ。

 でした。

 それでも組ファンなので、雪組のみんなが演じている、それだけで楽しめる面はあった。顔もキャラもわかっていて、あの人があんな役を、という楽しみ。
 そして、トドは美しく、歌声の迫力も素晴らしいモノでございましたので、そこは十分楽しい。

 しかし、前評判ほどの「名作」とは、とても思えない。

 身構えていた分、ぽかーん。

 もちろん、初演ファンのお姉様たちにはフルボッコ。
「名作が汚された!」と。
 演出が良くない、出演者が良くない。完全否定は当たり前。『ノバボサ』が名作なのは前提、名作が名作に見えないのはすべて演出と出演者のせい。

 いや、その……これって演出がとか出演者がとか以前に、古いですよ、どう考えても。
 四半世紀前なら良かったかもしんないけどさあ、今1999年ですよ、来年ミレニアムですよ? こんな時代に見せられてもさあ。
 組子たちみんな黒塗りアフロで格好良くないし見分けつきにくいし、数名の真ん中さんたちしか美味しくないし、ストーリー仕立てで通し役だから、ここは美味しくないけど次の場面ではオイシイとか好みとかいう、ショーにありがちな「逃げ道」がないし。
 これリピートすんのって、きっつー。

 ただでさえ、その前の前の公演で2名、この公演でさらに2名、雪組には男役スターが組替えしてきている。わずか1年でスターが4名増え、組替えで出て行ったスターは1名。
 組の生え抜きスターは番手が上がらないばかりか、扱いが落ちるばかり。
 下級生ファン的にはきつかったろうなあ。
 『真夜中のゴースト』で単独3番手だったトウコ、4番手だったかしげは、その次の『春櫻賦』で4番手、5番手に落ち、この『ノバボサ』ではトウコがトリプル4番手、かしげに至っては何番手? 7番手、って言葉あるの??てな状態へ。

 芝居で役がないのは仕方ないけど、ショーまでストーリー仕立てで芝居と同じように「役のある人」と「モブ」にされちゃったらなあ……ここ1年、生え抜き生徒はポジション据え置きか格下げ続きだもんなあ、そこにコレはきついよなあ。

 と、思いました。
 初見では。

 リピートつらい、と思ったんだけど。

 『ノバ・ボサ・ノバ』の神髄は、リピート観劇にこそあった。
 ……わたしには(笑)。


 年寄りの思い出語り、続く。
 年寄りの昔話、続き。

 名作だ名作だと言われ、実際観てみたらぽかーんな作品だった、『ノバ・ボサ・ノバ』、再々演時の話。

 古さと趣味の悪さにびっくりした、鳴り物入りの「名作」様。
 見た目ひでえ、なにあの衣装、色彩センス。
 歌詞のダサさは「ザ・昭和」。
 力任せ体力任せで繊細さのないダンス。

 これが天下の名作様かあ。
 一般人が「タカラヅカってこんなだろ?」とてきとーに想像してプゲラする系の古さとダサさ満載って感じ。

 どんだけ素晴らしい作品なのかと期待していた分、落胆は大きくて。

 それでもわたしはトドファンで雪組ファン。
 贔屓組の公演は複数回観ますよ、リピートしますよ。
 当時は週1で観劇、1公演7回が基本だったかな。

 役替わりもあったことだし、思ったような名作様ではなかったけれど、機嫌良く通っておりました。

 初日初見の印象は、落胆だったのに。リピートきついわ、だったのに。

 『ノバ・ボサ・ノバ』は、リピートすると、ハマる。

 ということが、わかった。

 それはなんつっても、音楽の力だと思う。

 最初、あまりのダサさと古さに目眩がした。
 どの曲もどの曲も、直球っちゅーかあまりにヒネリのない単語に意味のない擬音、おぼえたてのガイコクゴの単語使ってなんてカッコイイの!的安直さとか。
 ショーの歌詞なんてどれも幼年向けアニメソング並の語彙だけど、それにしてもこの童謡みたいなセンスはなんなの。
 と、ひたすら苦手感をかき立てられるものだった。

 だが。
 この原始的歌詞と音楽は、単純であるからこそ力強く、脳細胞に浸透するのだ。
 小難しいことはナニもない、幼児でも歌える言葉とリズム。
 同じメロディの繰り返し、きどった変調はナシ、ずーっと安定安心。

 単純で力強い音楽に、これまた力押しでパッション一途なダンスが加わる。
 大地に近い、裸足の人々。
 土着的原始的、舞楽による神事のような。
 や、実際描かれているのはカルナバルだ、祭りだ、神事だ。
 日常を離れ、あの世との境を遊ぶ、原始の祭りだ。

 音楽がカラダに刻まれ、呼び起こされる。
 それはプリミティヴなナニかかもしれないし、ヅカヲタの血かもしれない(笑)。

 いかにも「ザ・昭和!」で、世間的に見たら失笑でしかない独特のセンスは、古き「タカラヅカ」。
 現代の目で見ると勘弁してよな古さも、「タカラヅカ」という文化固有のモノ。「タカラヅカ」を愛する以上、このコテコテ世界はアリなんだ。

 わたしの中のヅカヲタの血が目覚め、沸き立ち、この音楽を受け入れている。
 いや、歓迎している。

 楽しい。

 そして、単純を通り越してつまらない、と思ったストーリーも、リピートすることで想像がふくらみ、なんとも味わい深いモノになる。
 なんつーんだ、シンプル過ぎるからいくらでも自分好みに脚色できるっていうか。勝手に哲学的にできるっていうか。

 役があり、キャラクタが決まっている上に、なかなかどーして適材適所の配置。アテ書きと思えるハマり具合。

 ラテン男トドの美形さ、死と再生の咆吼。
 ぐんちゃんの目の覚める美貌、清らかさ。
 タータンのクドさと歌唱力。
 幸ちゃんのすっきりしょうゆ系うさんくささ。
 マヤさんの存在感とウザかわいらしさ。
 トウコの二枚目力、コム姫の美貌としなやかなダンス。かしげのキュートさ、まひるちゃんのかわいらしさ。(成瀬のことはこの時点でナニも思っていなかったのでスルー)

 なんかすごく楽しい。
 何回観てもあきない。
 あたしコレ好きかも。てゆーか、好きだわ!!

 ……はい、初日初見と反対意見になだれ込みました(笑)。

 なんか名作な気がする。
 こんだけ血が沸き立つ感じのショー、そうそうない。
 ただ、最初はあまりに「タカラヅカ」というか、古い「タカラヅカ」の持つ根幹みたいなモノが全面に出ているから、現代人はとまどうんだと思う。

 もともとわたしは黒塗りショーより、耽美なレビューの方が好きなこともあるし、実はナニ気にコレが大きい気がするんだが、草野作品が性に合わない。
 「初演神! 再演は演出が悪い!」とは別に思わない。たぶん、初演をそのまま見せられても、同じようにわたしは最初引いたと思うし。だから再演の草野せんせが戦犯みたく言われているのはどうかと思う。フィナーレが付いたのだって劇団の仕様であって、草野せんせの意志だとも思えないし。
 だが、わたしが草野せんせと気が合わないのも確か。草野せんせならではの感覚がわたしの苦手感を高めていた可能性は、大いにある。

 マール、ブリーザ、メール夫人の役替わりは、わたし的にはどーでも良かった。
 せっかくの役替わりだからいろいろと見るけれど、やっぱり「本来の配役」がいちばん正しいと思った。
 すなわち、マール@トウコ、ブリーザ@コム、メール夫人@成瀬。
 公演期間を3つに割っての役替わりだったんだが、ご丁寧に千秋楽だけはこの配役に戻してあったんだ。初日から3分の1期間と、千秋楽はトウコがマールバージョン。これが正規の配役で、あとは客寄せ目的の役替わりだとわかる。

 というのも、トウコが意外に役幅が狭く、マール以外はいまいちだと思えたんだ、わたしには。
 トウコちゃんの初の女役ブリーザは、単体で見れば良かったのかもしれないけれど、なにしろコム姫ブリーザを見たあとなわけで。
 コム姫の「え、もともと娘役だよね?」という完璧なスタイルと美貌を見たあとだと、顔の大きさと芸風の下品さが見ていてきつかった。
 トウコの役替わりはマールとブリーザのみだけど、メール夫人をやっても、成瀬くんが演じていたほどの面白さは出なかったろうなと思った。……だってふつーに小柄だし。

「トウコって女役だと下品になるんだ……」
 と、発見したのもこのときだ。タカラヅカ的ではないというか。

 もっとも、そーゆーところが「男役」としてのトウコちゃんの魅力だった。あの生身の魅力というか、抱きしめられたら汗のにおいがしそうなところが。
 トウコは男役だから、女役がアレでも問題なし!と、結論を出したのもこのときだ。
 まさかそのあと、代表作ともいえるアイーダ@『王家に捧ぐ歌』が来るとも思わずになー(笑)。

 マール役のトウコは素敵だった。コム姫と成瀬くんも同じ役をやっていたけれど、キャリアの差というか「スター!」としての格がチガウ気がした。「この役は俺の役」と、トウコ自身が発しているかのような舞台姿だったし。
 ブリーザ@コムちゃんともお似合いだった。

 役替わりナシで、ずっとマール@トウコ、ブリーザ@コムで良かったんだけどなあ、わたし的には。

 スカステのない当時は、千秋楽映像が残ってないので、この正規配役での公演ビデオはナイんだよね。残念だ。
 それでもわたしの中では、マール@トウコ、ブリーザ@コムという配役で、「アテ書きかと思うようなハマリ具合」の素敵キャスティングとして、雪組『ノバ・ボサ・ノバ』は大好き公演になっている。
 さんざんリピートし、脳内でいろいろ盛り上がって楽しむことも覚えた、1999年『ノバ・ボサ・ノバ』

 この作品楽しい!!
 に、なっているだけに。

 いろいろとフクザツだった、月組続演。

 はい、年寄りの昔語りの続きです。
 99年の再々演は、雪組・月組の続演だったのだわ。
 大劇場で3ヶ月以上同じショーやってたの。なまじ「名作」様の再演だから、組ごとにオリジナル場面を作るとかもなく、そのまんまを続演。

 『ノバ・ボサ・ノバ』目的というよりも、荻田浩一の大劇場デビュー作『螺旋のオルフェ』とこの公演で大劇場組替えデビューのケロちゃんを見るために、わざわざ初日から駆けつけました。

 当時のわたしは初日への興味がなくて、贔屓の雪組だけは初日新公千秋楽と絶対観るけど、他組はてきとーに観られる日に観ていただけだった。だから、他組……月組の初日ってのが、初体験だった。
 いやあ、驚いたね、雪組とちがいすぎて。
 客席が。
 雪組はおとなしいというか、拍手も控えめだし、歓声を上げるなんて想像の範囲外。観劇ってのは背筋を正して静かにするものだと思っていたから、月組の歓声ありーの拍手手拍子なんでもありーのには、心からびびった(笑)。
 マミさんが銀橋出てきたら、歓声上がるんだもん。え、そーゆーのアリなの?!と。マミさんもガンガン客席煽るし。
 アイドル系だったんだよなあ、当時の月組。

 わたしは全組機嫌良く観劇する派で、組ごとにカラーの違いはあると思っていても、技術についてはさほど違いを感じていなかった……と思う。
 しかし、同じ演目を続演することで、わかった。
 雪組と月組の、歌唱力の違い。
 これはけっこー、キツかった(笑)。

 同じ曲に、思えない。

 月組初日はもお、この違和感に振り回されて。
 雪組をリピートして、歌声が、メロディが、カラダに刻まれている。
 なのに同じ作品の続演なのに、同じ楽譜のはずなのに、月組ではえーらいこっちゃになっている!

 月組って、真ん中あたりに歌える人がほとんどいないんだ……! という、衝撃。

 マミさん、リカちゃん、檀ちゃんと、真ん中の3人は歌が得意な人ではない。この中ではリカちゃんがいちばんうまい?
 んで、ナニよりこれがすごかった、ルーア神父@タニちゃん!

 ルーア神父の歌は、はっきりいって難しい。
 雪組新公で若手を代表する歌ウマのハマコが演じていたが、歌い切れているとは言えなかった。あのハマコですら持て余す難曲だ。
 それを、タニちゃんが……。

 物語の外側で解説をする役目のルーア神父役は、実力者がやってはじめて作品の外殻となる。
 なのにそこがえーらいこっちゃになっていて、もうどうしたもんかと(笑)。

 マール@ガイチとブリーザ@あつは歌ウマだけど、このふたりだけじゃ全体のアレさはどうしようもない。

 すごいことになってるな、月組『ノバボサ』。
 雪組って歌唱力高かったんだ、知らなかった。トドなんか、組内では歌ウマと言われたことないけど、路線であれだけ歌えたわけだから他組でなら歌手扱いされたかも?
 と。
 雪組贔屓の言うことだから、偏った意見になっているんだろうけど、当時の正直な感想。

 それでも、オギーファンなので芝居目当てに複数回観劇したんですよ、この公演。千秋楽だってわざわざ当日券に早朝から並んだわ(笑)。

 歌唱力の違い、同じ歌に聞こえない……ことを乗り越えれば、コレはコレでたのしい、月組『ノバボサ』。

 なんつっても、マミさんの、エンタメ力。

 歌えない歌は最初から歌わないの。出ない音は出さないの。
 クズ拾いの歌なんか、ラップになってるし。「シナーマン」だってトドが歌い上げる何分の一かでばっさり切って、出るとこだけ歌うし。
 彼は、歌唱力で勝負しない。
 「タカラヅカ」力で勝負する。

 客席に働きかける力。空気を自分が掌握し、自在に動かす。
 歌唱力は副次的なモノ、トップスター真琴つばさの魅力はそんなとこにナイ。
 トドが力任せに歌って動かした空気を、マミさんは別の方法で動かす。

 すごい。
 ふたりの同期トップのカラーの差。
 どちらが正しいとか上だとかではなく、どちらもすごい。面白い。

 そして、それを許してしまうのが『ノバ・ボサ・ノバ』という作品。

 後年いろんなイベントやコンサートで「アマール・アマール」を聴く機会があり、そのたびにあまりの「タカラヅカ」らしさに身悶えして喜んでいる。
 この曲はきれいに歌っちゃイカンのだ。
 恥ずかしいまでにアツくるしく「ザ・昭和!」に、古き良きタカラヅカを全開に歌ってナンボなんだ。
 「アマール・アマール」に限らずこの『ノバ・ボサ・ノバ』という作品は、「タカラヅカ」力を試せる作品なんだ。

 ストーリーがシンプルすぎて、いくらでも膨らます余地があるのと同じ。
 この単純で原始的な歌、「タカラヅカ」の根幹を表すかのよーな作品は、シンプルであるがゆえに、幅がある。
 いかようにも料理できるというか、出演者の力量、カラーで輝き方を変えられるというか。

 雪組の重厚で土臭い『ノバボサ』もアリだし、月組のにぎやかなエンタメとしての『ノバボサ』もアリなんだ。

 面白い。
 やっぱ『ノバボサ』って面白いわ。名作って言われるだけのことはあるわ。
 と、月組続演でもそう思いました(笑)。

 
 しかし、わたし的にこの月組版はまた違った楽しみ方をしてしまった公演でもある。
 ほら、雪組でさんざんリピートしてストーリーは頭に入ってるし。
 真ん中のストーリーは雪でおなかいっぱい観たから、月では別のところを観てしまうというか。
 もともとわたしはケロファンで、ケロ目当ての観劇でもあるわけで。
 どーしてもケロ中心に観てしまうわけで。そんでもってもともと月組ではゆうひくんがいちばんのお気に入りの男の子なわけで。

 こんな状態で、月組『ノバボサ』を観ると、どうなるか。

 メール夫人とボールソのラヴストーリーとして観ました。

 娘を連れ観光客として訪れたリオ・デ・ジャネイロ、そこでメール夫人@ケロは現地の若者ボールソ@ゆうひと出会った。
 カルナバルの熱気と狂乱の中、メール夫人はかわいい年下の男の子とボールソを口説き、ボールソはそれをうとましく思う……が、次第にふたりの間に愛が芽生え、ボールソが本気になる。
 カルナバルは終わり、別れのときが来る。大人であるメール夫人はひとときの恋を引きずることはしない。が、若いボールソはチガウ。彼にとってこの恋は本物の恋なのだ……。

 てなストーリーが出来上がってしまってですね(笑)。
 いやあ、楽しかったですよ、ケロとゆーひのラブストーリー。←チガウから。

 ゆーひくんって、ケロが組替えして最初に組んだ相手役(キスシーンや姫抱っこもアリ)なわけね。そりゃ仲良しにもなるか、っていう(笑)。
 なにしろ、合言葉は「最初で最後」(笑)。

 全国ツアー公演『黒い瞳』『ロック・オン!』のポスターにまっつが載ったときに大騒ぎしました、ポスターに載るまっつを見る日が来ようとは!
 ポスターのまっつが見てみたかった、そんなことは永久にないと思っていた……と。

 欠員埋めでも棚ぼたでも、なんでもいいよありがとう。こんなことはきっと最初で最後、もう二度とナイかもしれない。
 と、思っていたので。

 隣の席の人がなんかにぎやかな色彩のチラシを眺めているのが、別に見るともなく目に入り。
 『ハウ・トゥー・サクシード』のチラシ。

 なんだ、もう出てるんだ、と思い、え? と2度見する。
 まっつが、載っている?!
 だから、隣の人のチラシなんですってば、わたしのじゃない。横からガン見するのも憚られる。
 7月の梅芸のチラシがもう出ているんだ、劇場内の梅芸ラックに置いてあるだろうことは見当がつくから今すぐもらいに行けば、いくらでもじっくり眺められる、ああでも開演5分前、もう今さら動けない……!

 と、じれじれしました、大劇場で(笑)。

 はい、未涼亜希さん、2度目のポスター掲載です。『黒い瞳』が最初で最後ぢゃなかった! 2回目があった、神様ありがとう。

 幕間にいそいそ取りに行きましたよ、チラシ。

 まさか載るとは思ってなかったので。
 てゆーか、「ポスターに載った」という喜びと、「配役発表になったのか!」というどきどきのコンボでした。
 ポスターに載るからには役がわかっているわけで、彼らは役になりきって撮影しているわけで、ぱっと見スーツ姿だったまっつはなんの役だろう……というか。

 とりあえず、男の役で、良かった……っ。

 おびえていました、女役だったらどうしようと。
 すでに発表になっている主役と相手役、そして2番手のパド役以外、ろくな役のない海外ミュージカル。
 客寄せパンダとして男役が女役を振られる可能性は、大いにある。
 そして、今まで女役経験ナシ(タカスペのナース以外・笑)で歌ウマ枠であるまっつに、そのあたりが回ってこないとは、限らない。
 これが『ME AND MY GIRL』のジャッキーとかの花形な女役なら、劇団が売りたい男役スターにさせるだろうけど、『H2$』の脇の女役はそういうカテゴリぢゃない、もっと容赦なく配役させられそうで、おびえていた。

 ええ、ぶっちゃけミス・ジョーンズ役でも、おかしくないと。

 どんな役でも贔屓である以上ありがたく観劇しますが、さすがにミス・ジョーンズだったらどうだろう、目が泳がないだろうかとおびえていたので。
 いやその、イベントで3日間とかでやってくれる分にはいいんですが、1公演まるまるはちょっと……ええっと。

 良かった、スーツ着てたっ、てことは男だ、男の役だ、万歳男のまっつが見られる!
 と、そんな基本レベルの喜び方をしました。

 ……でも、なんだ、まだ配役出てないんだ。
 チラシをGETしたけれど、ナニも載ってない。

 まあ、すでに発表になっているキムちぎ以外の男の役なんて、五十歩百歩、どれでもいいよな、てなもんだから別になんでもいいや、男の役なら。

 で、スーツの男は3人載っている。
 まっつとヲヅキとコマ。
 3人ともかっけー! スーツ似合うー!

 まっつはコーヒーカップを持っていることもあり、角田課長@『相棒』風味だし、ヲヅキさんは『忘れ雪』の人みたいだし……ああ、男役のコマがうれしい、ちゃんとオトコマエなコマだわー。
 ヲヅキさんはポスター初掲載? イヤッホウ!

 このリーマントリオの全身写真が見たいです、是非。
 まっつさんがナニ気にかなりかっこつけて立っているのが気になります。
 ヲヅキさんのおとーさん鞄が気になります。
 コマくんの黒電話の位置の不自然さが気になります(笑)。

 キムくんの笑顔は素敵だし、みみちゃんかわいいし。
 ちぎくんは……いちばんの美形なのに、容赦なく素敵な表情だし(笑)。

 お菓子の包み紙みたいに、かわいくてわくわくするポスターだわ。

 『H2$』といえば、黄色のイメージが強かったのでピンクは意外。そーいや公式サイトの先行画像も背景は黄色だったよね。
 思わず96年時の『H2$』チラシを引っ張り出してきちゃったよ。わたしの中の黄色のイメージは初演ポスターゆえ、かな。

 宝塚歌劇団が梅芸で『H2$』を上演する、主な出演者が誰か知っている、状態でこのチラシを手にし、掲載されていることでいちばん重要な情報は※著作権上の理由により、本作品のDVDは発売されませんってところだわ。
 わざわざチラシに掲載する情報なんだ……という点に驚いてみたり(笑)。
 や、ヅカは映像が残ることを売りにしている劇団だから、ソフト発売ナシは大きなニュースだけど。

 わたしは映像ソフトを買うことがほとんどナイ人間だし、舞台はナマモノ、自分の目で劇場で楽しむモノだと思っている。や、単にわたしが映像で繰り返し見たいと思うほどの人は、販売ソフトの画面外、映り込むことが少ないとわかっているので興味なかった、つーのもある(笑)。
 が、自分が買わないからといって、発売されなかったり、使用曲が差し替えられたり場面がカットされたりは、うれしくない。
 舞台が肝心、映像ソフトはその次でしかないとわかっちゃいるが、出すことが当たり前ならば出せ、完璧なカタチで出せ、と思う。
 それができないよーな作品や曲を使うな、と思う。
 本末転倒なのはわかるけどさ。
 作品で売るカンパニーならともかく、出演者で売るカンパニー、ぶっちゃけその作品、その曲でなくても、そのスターが出ていることに意義がある、なのに、その作品、その曲のせいで、そのスターのソフトを販売できないんじゃ、「宝塚歌劇団」としては、そっちの方が本末転倒だと思うよ。
 わたしが基本的に海外ミュージカルの輸入物が好きでないこと、『H2$』にまーーったく愛も興味もないことも、大きいかもしれんが。タカラヅカとしての「ふつう」の興行形式が取れないような作品、上演しなければいいのに、と思う。

 そして、確実な収入源であろうDVD販売ナシだなんて、無事にペイできるのかしら、今の宝塚歌劇団で。チケット代だけでなく、映像ソフト販売までひっくるめての売り上げ計算だろうになあ。

 
 それはともかく。
 『H2$』のポスターかわいい。
 贔屓が出演するとわかってなお観劇意欲のわかない作品ではあったが、ポスター効果で少しわくわくした(笑)。
 観れば観たで、きっと楽しいんだろう。

 まっつの写真写りがよくてうれしい。失敗してないのがうれしい。(ソコ?!)
 そんでもって、現代の再演、星組の『ノバ・ボサ・ノバ』

 再演の報を知ったときは、演出家変更以外の意味で特に感慨はナシ。
 名作だからいいんじゃね? という思いと、ショーで再演はうれしくない、という思いがあった。
 ショーは芝居以上に時代を映すというか、古いモノは容赦なく古いからなあ。
 それに『ノバ・ボサ・ノバ』はストーリー仕立てなので、画面もテイストも終始同じで主要な役以外は基本モブ。下級生ファンはつらいよなあ。芝居もモブ、ショーもモブだなんて。
 99年の再々演時は、所詮わたしは真ん中の人のファンだったので、この作品にただの黒塗りモブとしてご贔屓が登場するだけだとしたら、うれしいだろうか、楽しいだろうか、という疑問はあった。

 でも、贔屓がモブで出ているわけじゃないし、今の星組ではわたしはちえねねファンだし、役が付いているあたりの人たちもみんな大好きだし、真ん中を好きなら楽しめるとわかっているので、安心して出かけた。
 パッションくん(笑)の口上も観たかったので、初日に行きたかったんだけど無理だったんで、その翌日。

 なまじ99年雪組をリピートして、それが無意識レベルに刷り込まれているから、あっちこっちアレンジされたフジイくんバージョンのこの公演には、いちいち違和感。
 なにがどうという明確な説明以前に、感覚が、本能がチガウ!と叫ぶ。

 でもそれは、再演モノの宿命、お約束。
 いーんです、そんなことは。

 それよりも。

 『ノバ・ボサ・ノバ』楽しい!!

 やべえ、楽しい。やべえ、たぎる。
 客席でテンション上がりまくり(笑)。

 99年の雪組を観たとき、初見ではぽかーんだった。古いと思った、ダサいと思った。
 しかし、リピートするとクセになる。
 一旦音楽がカラダに刻まれると、この音楽が流れ出すだけでわくわくする。

 わたしにはすでに、『ノバボサ』が刻まれている。
 だからこの音楽が流れ、場面が再現されると、原始の血が騒ぎ出すのだ。ヅカヲタの血が、たぎるのだ。

 プロローグは99年版と違ったのでしばらく静観、礼くん活躍ねー、ぐらいの気持ちで眺めていた。
 が、よく知る曲、よく知るオープニング開始で、一気にテンション上がった。
 わーい、『ノバボサ』だー!!
 ソール@れおんかっけー! ボーロははるこちゃんかな、かわいー!
 エストレーラ@ねねちゃんきれい、かわいい! メール夫人@真風、でかっ(笑)。でもふつーに女の人だー。

 そして。
 ルーア神父@すずみん、歌がんばれ(笑)。

 ルーア神父役は白いスター。黒塗りな人々の中で、唯一の白人男性、傍観者で狂言回し。
 コントラストでハイライト、そこに明確な光を。
 ……なだけに、オープニングで堂々けっこー長いパートを歌う神父様の歌唱力にびびりました(笑)。
 いやその、タニちゃんがやった役だからいいっちゃいいんだが。
 「ソル・エ・マル」って、わかりやすい歌詞とメロディで、「歌う」というだけならすごく歌いやすい歌だと思うけど、「聴かせる」レベルで歌うのは、ナニ気に難しい歌なんだなあと。

 役替わりをチェックせずに行っているので、誰がどの役かわかっていなかったんだけど、オーロ@ともみんなのね。
 つーと、マール@ベニーか。

 「わかっている」安心感で眺めていたんだけど、最初にまずがつんとやられたのが、オープニング半ばの、マールとブリーザの登場場面。

 群舞の輪の中心、みんながさっとしゃがんで、マールとブリーザだけがライトを浴び、ソロダンスを披露。

 なにコレ、かっけー!!

 すごいぞくぞくした。
 もちろん、この演出は知っている。雪組初日、組替え初日でもあるコム姫のブリーザに、ハートを打ち抜かれた瞬間(笑)。
 と、すでにわかっている演出なのに、今回改めてその格好良さに刮目。

 でもって、ブリーザ@れみちゃん、かっけーっ!!

 ナニあの野生の美女!
 匂い立つ色香。
 伸びやかな肢体をさらし、挑発的に踊る踊る踊る!
 どうしよう、どきどきする、あのブリーザ好きだ。

 でもってマール@ベニー、胡散臭くオトコマエ。べちょっとした湿り気で、野生の美女を抱く姿に、なんかときめく。
 このカップルいいわ。美男美女なのに、きれい過ぎない。イヤな感じの生々しさがある。その「イヤな感じ」にときめく!(笑)

 思えば、ベニーの湿り気が、マールのそのあとの悲劇につながっているんだと思う。この男なら確かに、女を盗られたからってすぐにナイフ出すわ、と。
 納得できる歪み方。……いやその、オープニングではふつーにかっこよく幸せカップルとして歌い踊っているだけなんだけど。
 でもなんかマール、引っかかる……そこが気になる……はっ、引っかけられているのかわたし?!

 とまあ、マールとブリーザにときめきまくり、細胞に刻まれた音楽にノリノリになり。
 れおんくんの歌声はトドファンのわたしに違和感なく入る。音の太さが似ているのかな、彼が歌うとうれしい。

 も、オープニングだけで「立ち上がって踊りたい」くらい、わくわくしました。
 わーん楽しい。
 『ノバ・ボサ・ノバ』好きだー。
 『ノバ・ボサ・ノバ』楽しい!!
 目がいくつあっても足りない、何回か観劇しないと見切れないわ。なのに役替わりとかやめてー、次来たときキャスティング違ってたら、また「目がいくつあっても足りない」状態のまま、改善されないよー(笑)。

 ということで、役替わり。
 99年雪組も役替わりはあったし、そうでなくても最近のタカラヅカはふつーのどうってことない公演でも役替わりが当たり前になってるし、宝塚・東京・博多・名古屋と4都市公演が決まっている『ノバ・ボサ・ノバ』で、役替わりがないなんて思ってない。
 あるだろうなと思っていたけれど、正直オーロ役を含めた役替わりは驚いた。

 2番手役を含めたシャッフル役替わりは、作品クオリティを落とすから、やめてくれ。Wキャストならともかく、シャッフルは……。

 作品を作る上で、主役とヒロインと2番手は必要だと思うの。がっちりと。
 役替わりをするということは、その役以下は「主要ではない」ということ。重要な役だとしても、主要ではない。公演を通じて成長したり深化したりはしなくてイイと判断されたってこと。キャストが変わるたびリセット、1から作れと言われたってこと。
 複数キャスト当然の外部舞台の話ではなく、ファミリーでもある組子が一丸となって成長していくタカラヅカの舞台において。
 雪組『ロミオとジュリエット』でもヒロインがWキャストであるがゆえ、舞台の深化に問題が生じていた。作品力で乗り切ったし、なんやかんやでみみちゃん単独ヒロインのよーなものになったから、彼女を正式ヒロインとして深化を開始したけど。月組『スカーレット・ピンパーネル』も大変そうだったなあ。

 客の入らない昨今、役替わりは仕方ないけど、3番手役以下にしてくれ~~。
 人事事情、番手事情があるゆえの役替わりは不自然だぞ~~。
 まず「舞台」を、「作品」を作ることを最重要としてくれ~~。

 と、今回また思いました。
 「役替わり」が純粋にファンサービスに見える、のどかな時代がなつかしいなあ。

 正式な2番手のいなくなった星組だから、暫定の苦肉の策なんだろうか。
 てゆーか、今まで2番手のいない組なんてあっただろうか。2番手はおいしいポジションで、人気も出るしチケットを売る意味でも重要な商品、ファン的にも劇団的にも「2番手」はいる方がありがたいだろうに。
 トウコトップ時代にれおんくんを強引に2番手に上げたときも、学年がどうあれ周囲の番手スターがどうあれ、れおんは正2番手だったし、月組のまさみりもW2番手と言われながらもとにかくは2番手だった。2番手「不在」ではない。
 2番手がわかりにくいとか、3番手だーの別格だーのの方が目立ってるとかオイシイとか、そーゆー事態はいくらでもあったけれど、とりあえずは正式な2番手がいた。
 トップ、娘トップ、2番手まではお約束、タカラヅカのルールだったから。

 劇団がナニをやってるのか、この迷走はいつまで続くのかはわからない。
 役替わりのメンバーが活躍の場を得たことで実力を付け、どーんと花開いてくれることを祈るばかり。

 とりあえず、今の段階でわたしの目には『ノバ・ボサ・ノバ』には2番手がいないとしか、映らなかった。

 びっくりしたんだ、オーロがこんなに目立たない役なんだってことに。
 タータンにしろリカちゃんにしろ、濃かったからなあ。ソールよりオイシイ役に見える部分もあったのに。
 オーロって2番手の役ぢゃなかったのか……2番手が演じていたから2番手に見えていたのか。
 ソール@れおんくんひとり勝ちで、オーロ@ともみんはライバルにはなっていない。
 オーロと肩を並べるのはマール@ベニーだ。
 オーロとマールは女を取り合うわけだけど、あくまでもオーロが2番手で、準ヒロインを脇の男から奪う、という設定だと思っていたんだ、99年観劇時は。オーロとマールだったら、誰がどう見てもオーロが主、マールは副、という比重に思えたから。
 それが、ソールと肩を並べるはずのオーロが一段下りてきて、マールと肩を並べている……。
 ソールは終始一貫ひとりで、どの男とも絡まずにエストレーラ@ねねちゃんと恋愛している。
 ソールの恋愛パートと、オーロ以下とがぱっきり分かれちゃってふたつの物語が絡まない……。

 ソールと対等に肩を並べるあの曲者オーロが、恋にはこんなことになっちゃってるんだ、てなところがときめきでもあったのになあ、『ノバボサ』。
 最初からマールの恋敵、横恋慕男でしかないっていうのはなあ。

 そう、横恋慕男で終わっているから、オーロは2番手ががつんと演じなきゃダメなんだろう。
 マールという婚約者のいる女ブリーザ@れみちゃんを、オーロは横から奪う。
 三角関係なんだけど、ブリーザが最終的に選ぶのがオーロ。ここまでなら、恋の勝者はオーロで、横恋慕ではなく「真実の愛を勝ち取った」ことになる。
 だが問題はそのあと。
 逆上したマールが誤ってブリーザを殺してしまう。
 「真実の愛を勝ち取った」のならば、亡くなったブリーザにすがって泣くのはオーロであるべきだ。ヅカのショーで繰り返し演じられている三角関係で女が死ぬダンス場面では、その場面の主となる男がヒロインの亡骸にすがって泣く。
 だけど、『ノバボサ』ではマールなんだ。オーロは恋人の亡骸をそのままにその場から逃げ出し、突然出てきた(ように見える)女に慰められながら嘆く。なんだ、アンタ女いるんじゃん、ただのつまみ食い、横恋慕だったのかー。となる。
 それでも観客の視点がオーロだと、主がオーロの方ならば、それはそれでアリになる。
 が。
 オーロが2番手として成立していないと、幸せカップルの間を引き裂いて逃げ出した横恋慕男で終わってしまう。
 準ヒロインの亡骸にすがって泣くマールこそが主になってしまう。

 また、ブリーザを演じるれみちゃんの存在感が半端ナイので。彼女のいる側が2番手の物語に見える。

 観ていてびびった。
 マールってこんなにイイ役だっけ?!

 トウコやガイチが演じていたときは、ふつーに4番手役に見えたんだけど、なんかベニーが2番手に見える……!

 バウ主演2回、全ツ3番手でショーの真ん中も経験しているともみんが、オーロ役でこんだけ苦戦するとなると、それ以下の経験値の人々が演じるとどうなってしまうんだろう……と、ちょっと震撼。
 れおんくん独走態勢、オンリーワン体勢はいつまで続くんだ。かなめくんがいなくなって、さらに拍車が掛かっている。
 芝居は内容次第で2番手不在でも底上げ可能かもしれないが、ショーは露骨に響くよなあ。

 
 と、そんなことを言いつつ今の星組も好きだ。不在の今だからこそどーんと経験積んで、ばーんと花開いて欲しいよみんな。
 てゆーかやっぱ『ノバボサ』楽しいよなああ。ともみんオーロ見る日とベニーマールを見る日、両方作らないといかんのか……しかしソール見たい、エストレーラ見たい、ブリーザ見たい……わーん、目が足りないよおお。
 モバイル端末欲しいなあ……。
 びんぼーだから買えないんだよ……。未だに、ノートに手書きしてるんだよ……。

 つーことで、手帳に走り書きしたまま、写すのがめんどーで放置していた感想をぼちぼち打っていこうと思う。

 『ノバ・ボサ・ノバ』雑感。
 役替わり第1パターンの話ね。

 エストレーラ@ねねちゃんの美少女ぶりとプロポーション、ハンパネェ。
 中詰めのドレスにスリット、別れの衣装がパンツって……どんだけバービー人形。

 オーロ@ともみんの武骨さ。
 ああいるいる、こんな男、日本に。と、思わせる(笑)。

 メール夫人@真風はいろいろ微妙。男役修行中の若手がやる役じゃないよなあ。
 もちろんきれいなんだけど、でかいしごついし、エストレーラの母なのか姉なのか友だちなのかわからん。
 おばさん役よりも、男役修行に集中させた方がよくないか?
 メール夫人は、すでに男役として出来上がった人がやってはじめて意味のある役だよなあ。

 シスターマーマ@エマくみちょは、エグ味が足りない気がする……のは、わたしの初見がミサノエールだったせいか。
 どっから見てもアリエナイ、ゲテモノ系のおばさんが、若くカッコイイ神父様に惚れてるからおかしいんであって、そして見た目はアレでもどんどん彼女のかわいらしさがわかってきて、その上で最後、神父さんとくっつくところがファンタジーなわけであって。
 くみちょはゲテモノではなく、かわいい寄りなんだよな。
 月の嘉月さんでも思ったけれど、見た瞬間から「こりゃナイわ」なおばさんにしてくれた方が、より物語が盛り上がる。シスターマーマとルーア神父のラヴストーリーが引き立つのになあ。
 嘉月さんもエマくみちょも、ふつーにキレイなおばさんができる人だ。だから見た目はふつーにかわいいおばさんになっているのが、残念。
 で、見た目がふつうだと、「こりゃナイわ」にするために、他の部分を崩すことになる。
 くみちょの場合は、下品になっていた……。
 見た目は不細工おばさんだけどかわいいキャラクタより、見た目はふつーだけど下品なキャラクタの方が、タカラヅカとしてはNGだと思うの……。
 下品なのはエマさんの芸風っちゅーか得意技だけど、シスターマーマとしてはどうかと思う。

 ボールソ@みやるりはハマってるなあ。てゆーか、またしてもかしげデジャヴ(笑)。しかし、かっしーより少年っぽい。
 メール夫人と踊る姿に、「このふたりはこの間もみやるりが少年で、真風は“おじさん”だったなあ」となまあたたかくなったり。
 ボールソは今回3人の男役とキスするのか……(笑)。

 あ、中詰めで真風が女のまま登場してびびった。ケロは男に戻ってたよなあ。

 中詰めといえば、しーらんとはるこちゃんの歌がすごかった(笑)。

 中詰めのダンサー、礼くんのビキニにびっくり。いやその、『ノバボサ』のお約束だとわかっているが、見た瞬間思ったことは「この衣装で開脚するの?!」だった。たしかそーゆー振付だよね?と。
 そして、ほんとにやったので、さらにびっくりした……。
 たぶんわたしの中でこのビーナス役っつーのがひーさんだからだな……ひーさんのビキニ姿は礼くんとはチガウ意味で驚愕だったし、開脚もチガウ意味で……あああ。

 ヅカのお約束、中詰めのメドレーはスターがやる。技術なんか二の次だ。
 だから、しーらんはるこのように歌がえーらいこっちゃ、な人たちだっていいんだ、だって彼らは「スター」だから。
 そうやってアレレな人をスターとして出しておきながら、何故か突然スター制度無視の実力・技術のみのダンサーを登場させるから、ルールの混乱が起こってびっくりするんだ。
 礼くんはまだ路線スターさんだと思うので、そこまで違和感はないけれど、むしろオープニングの歌手といい「売り出し中なのね」という劇団意志を感じてすごーくタカラヅカらしい使い方だと思う。

 だけど、ひーさんは……。
 中詰めセンターはスターのみ、それが身に染みついているから99年の雪組『ノバボサ』にて、突然ひーさんが出てきて驚いたんだよなあ。
 組ファン的にはダンサーだと知られていても、対外的にはまったく無名で、もちろん路線スターではまったくなく、ついでにその、美形さんでもなかったので……観劇後、いろんな人から「ナニあれ」と言われて困ったのを思い出す。「たしかにダンスはうまかったけど……」と。いや、ひーさん好きだったけど、それとは別ですよ、ビキニはなー。
 いわばアレだ、ロケットセンターでハイレグ姿でソロを歌うりりこみたいなもんだ。「たしかにすごい歌ウマだったけど……」と、観客が首をかしげるアレ。りりこがビキニでエトワールやる感じ、つーか。いや、りりこ好きだけど、それとは別ですよ、ロケットセンターはなー。
 と、技術も必要だけど、見た目も必要なのがタカラヅカのセンター。

 礼くんがふつーに踊れる若手スターで良かったっす。

 ピエロはやりがいのある役だよな。
 どいちゃんがここでもしっかりトワラーとして実力を示しているのがイイ。
 3人のサイズ感が合っていてかわいい。

 それと、ナニ気にこの変更がいちばんジャストミートしたんだ。
 レズの館の衣装がふつーになってた。

 99年版の衣装ひどかったっ。
 悪趣味極まる。レズだからキモいってこと?!と、物申したいキモチだった。いや、現実のそういうお店がそうなのか知らないけど、なんかわざとキモく悪趣味にしている感じがしてやだったんだよなあ。

 それが、ふつーのドレスになっていて、ふつーにきれーなおねーさんたちが集う場になっていた。
 キモ系ぢゃない!! 女体強調の悪趣味エロ衣装ぢゃない! フジイくん万歳!!

 で、柚長の気合いの入りまくった胸の谷間(フェイク)にも、瞠目しました……(笑)。
 雪組全国ツアー公演『黒い瞳』初日2公演観てきました。

 『黒い瞳』、面白かった!!

 出演者のファンなので、客観的ではまったくありませんが、とにかく楽しかった。

 みみちゃん、娘役トップお披露目おめでとー!!
 キムみみコンビ、おめでとー!!
 ふたりの並びを見るのが、すごくうれしかった。

 マーシャ@みみちゃんのかわいらしさ!
 マーシャってとにかく可愛くなきゃダメなの。可憐でなきゃダメなの。
 マーシャに説得力がないと、すべて成り立たないの。だって『大尉の娘』だもんね。

 オープニングの雪の少女役からはじまり、マーシャ登場の1シーン、それらが納得の美少女っぷり。ここで「かわいい!」と思わせてくれることが重要。
 可愛くていじらしくて、すごく好きだ。

 
 ニコライ@キムのおぼっちゃまぶりに萌え。

 かわいい。こいつ、かわいいっ。
 同じ世間知らずのおぼっちゃま役なんだけど、ロミオ@『ロミオとジュリエット』とはまったくチガウ。
 もっと俗な、血の通ったおぼっちゃま。(ロミオは天使、もしくは異世界へ片足突っ込んだキャラ)
 ニコライという、この俗物な若者が、生と死、恋と友情を通して成長していく様がイイ。
 傷つきもするし、遠回りもする。でもニコライはピュアなの。
 純粋な部分は揺らぐことなく、デコピンしたいよーなおぼっちゃまから、大人の男になってゆく……彼のブレなさが好き。

 そして、これはキムくんの持ち味、揺るがない強さが心地良い。

 彼が正しいのか間違っているのか、そんな次元を超えて、ニコライは終始一貫ニコライである。
 おぼっちゃまだとか甘ちゃんだとか、それは表面のことに過ぎず、芯の強さ・固さはものすごいと思う。

 キムを見ていると、救われる思いがする。
 彼の強さと明るさが、ほんと好きだ。

 
 そして、プガチョフ@まっつ。
 小さいです、そりゃーもー、いろんな意味で(笑)。
 でも、カッコイイ。
 素敵ですとも、欲目ゆえだとしても!

 初日初回はおっさん臭すぎてどーなることかと思いました。
 貫禄を出そうと声のトーンや喋り方をやりすぎている感じ。
 え、プガチョフってこんなに年配の役だっけ?! と、びびった。史実だの当時の年齢の見た目云々ではなく、タカラヅカの『黒い瞳』のプガチョフはそこまでおっさんではないだろう?と。
 が、2回目ではそんなこともなく、オトコマエなプガ様でした。
 てゆーか昼公演と夜公演でぜんぜん違ったんですが(笑)。
 昼はガチガチに緊張してたんだろうなあ……。まっつって初日から平均点は出してくるけど、本領発揮するのはエンジン掛かってからだよね?
 夜公演は「皇帝」として登場したときの格好良さが半端なかったっす。えええ、この人マジかっけー!!

 小さくて華奢なことはもうどうしようもないけれど、それでもまっつのプガチョフは、まっつのプガチョフ。
 どうあがいても気品のあるところとか、知的なところとか、たまりません(笑)。

 女の子たちをはべらしてニヤニヤしているところも、男たちにかしずかれたり、センターで踊っているところも、パルミラ@ひーこと踊っているところも、そりゃー素敵なんだけど。

 いちばん素敵なのは、なんつっても、ソリの場面。

 まつキムの歌声の相性がよいこと、それぞれが歌ウマなことも、そりゃあるけど。
 いちばんツボったのは、むしろ歌っていないとき。
 ニコライに痛いところを突かれ、彼の歌声を黙って聞いているとき。

 あの哀しそうな瞳は。

 哀愁というのか、悟りというかあきらめというか。
 部下たちの誰にも見せない、野卑で剛胆なリーダーとして振る舞うプガチョフの、本当の顔……あの寂しげな整った顔が、哀しい瞳が、たまりません。

 ちょ……なんなのこの萌えキャラ。
 もともと美味しいキャラクタだけど、さらに多面的につっこめるっつーか、わたし好みの楽しいキャラに出来上がってますわ、プガ様ったら!

 
 シヴァーブリン@コマのあの毒と色気。
 すっげーヤな奴なんだけど、無視できない魅力がある。彼の歪みと陰が気になる。
 つか、本気でやらしいよね、彼(笑)。

 乳母@『ロミオとジュリエット』で二重アゴになっていたのが気になっていたんだけど、ちゃんとすっきりハンサムなコマくんに戻っててうれしい。

 
 エカテリーナ@かおりちゃんの貫禄ときたら。
 この作品の見せ場のひとつである、エカテリーナとマーシャの対話場面。
 マーシャ@みみちゃんがほんと歌うまくなって、感心して聴いていたんだけど、その歌を受けて歌い出す女帝陛下の格上感ときたら!!(笑)
 みみちゃんうまーい、とか思ってたのが、吹っ飛んだ。「うまい歌ってのは、こうよ!」みたいな(笑)。陛下、ちょっと手加減を、ヒロインが吹っ飛びます(笑)。
 でも夜公演ではそれほど陛下ひとりがぶっ飛ばしている風ではなくなっていた。みみちゃん健闘! 女帝陛下もより芝居歌へ!

 
 マクシームィチ@がおりはイマイチ目立っていない気が……。
 それよりパラーシカ@あゆみちゃんがガンガン来てたー。

 ペロポロードフ@ひろみちゃんは、最初ひろみちゃんだとわからなかった……こーゆー役もできるんだね。

 フロプーシャ@朝風くんがもお、好みすぎて(笑)。
 悪い顔全開ですよ、死ぬときの顔芸の凄まじさも含め、大好物だ。

 イヴァン中尉@央雅くん、マジいい男! かっこいいし大人だし、これで新公学年とか嘘でしょ?!
 セルゲイエフ@ハウルもかわいいよー。めがねっこ! めがねっこ!(笑)

 ヒロさんはさすがの存在感と緩急自在の芝居ぶりだし、ヒメがまた素敵な女性だし、ひーこは男役がカッコ良すぎだし(笑)。
 トリオはそのうちふたりが見た目同じタイプなだけに、レオくんが目立つ目立つ(笑)。こんなに歌って喋ってるレオくんはじめて見た。びっくりした『ロジェ』新公よりうまくなってるよね?

 『黒い瞳』楽しい。
 再演だけど、ふつーにアテ書きオリジナルなノリで楽しんでます。過去にとらわれすぎてもつまんないし。てゆーか、シブキジュン様は属性シブキジュン!という特別なキャラクタなの、誰にも真似できないし、近寄ることなんて出来ないのよ(笑)。

 次は梅芸で観劇します。進化が楽しみだ。

1 2

 

日記内を検索