今さら『Shining Rhythm!』語り、の続き。

 第4章は中詰め、ラテンメドレー。
 ラテンだからといって、中村Bはエリマキトカゲ衣装にしたりしない。ストイックに燕尾服です、女子はドレスです。
 ただし色は蛍光カラーです(笑)。

 スターたちの歌い継ぎ、コマくんターンにひそかにツボる。
 だって、コマくんを取り巻く美女たちの、学年……!
 副組長から、いちばん下級生でもあゆみちゃん、という「大人の女」揃い。
 中村B、ほんとに上から順番、ナニも考える気ナシ!

 この雪組きっての強面……ゲフンゲフン、麗しのおねーさまたちをはべらして歌うコマくんの男っぷり!! がんばれコマ!
 や、コマだから出来るんだよ、コマ以下の子だったら無理。
(おねーさまズの真ん中で歌うきんぐを想像して、身もだえる)


 次のまっつのターンは、なんといっても大人数のまっつステップ。
 ナガさんまで一緒になってやってるんだもんよ……すげえ。


 ちぎみみ銀橋はえっと、歌が……。
 みみちゃん、キムくんとだと歌がうまくなるけど、ちぎくんとだと一気にヘタになる……このふたり、見た目は美形同士なのに、歌わせちゃ駄目コンビなんだよなあ。
 歌は気にしないで、キラキラした美貌を楽しむのだ。

 んで、銀橋のふたりの後ろ、本舞台には黄色いドレスの女の子たちがぞろりと登場。センターはキラキラドレスのあゆっち。
 ここの女の子たちの歩き方がかわいいの。特にあゆっち! 踊りながら歩くんだけど、その振りがかわいくて、いつもガン見してた。
 あゆっちはこーゆードレスとこーゆーダンスは、ほんとかわいい。舞台全体に広がった女の子たちの、真ん中が似合う華やかさがある。


 キムちぎの男同士のデュエットダンスの色気のなさは、なんなんだろう……。
 キムくんもちぎくんも美形なのに、美しい絡みであるはずなのに、色気に欠けるために、なんとも残念感が漂う。

 キムちぎが体育会系の先輩後輩スキンシップ(「先輩、よろしくお願いします!」「よしっ、かかってこい!」「オスッ!」)をしている横で、ひとりでエロくシャウトするまっつ。……不思議な図だわ。


 キムは歪んだ真珠、正統派美形と正統派な「男同士ですよ、萌えていいんですよ」場面だと正しく輝きを発揮しない。
 キムくんはなんつーんだ、もっとヤバイところで輝く人、醸す人だと思う。
 その昔、ハマコと黒燕尾でタンゴ踊って「美少年とパトロン、しかも力関係は美少年が上、中年紳士は愛の下僕」的、シャレにならん背徳感を見せつけたように。


 中詰めの最後はスターの銀橋ラインナップ、キムくんは客席登場。
 ここではまつださんのきんぐいじりばかり見ていました。
 2回きんぐに絡むんだけど、1回目はさらっと、2回目は笑顔で肩抱き……大変だな、きんぐ。まつださんに翻弄されるのは彼的運命?(笑)

 あと、みみちゃんの腰を抱くまっつ!!

 まつださんは両手に花、きんぐとみみちゃん、両方に手を出している。
 きんぐにちょっかい出して、次のターンではみみちゃんの腰を抱いて、次またきんぐの肩を抱いて、みたいな調子。

 や、他の人たちもみんな、隣の人となにかしらやってたんだと思うけど、視界固定だったもんで他はわかりませぬ(笑)。


 中詰めのあと、クライマックス前のつなぎ場面は中村B定番のムード歌謡。
 きんぐとあゆっち。
 あゆっちにはやっぱこれくらいタッパのある男役相手でないと、体格的に以下同文。

 ここのきんぐの歌はえーらいこっちゃ、おかしい、きんぐって確か歌える若手スター認識だったはず。新公主演していた頃はそう言われていたはず。
 なのになんでこんなことになっちゃってるんだろう……ってくらい、歌が激ヤバだった。

 曲が彼に合っていないのか、あゆっちとの相性なのか、とにかくすごかった……。
 東宝まで行くと少しマシになっていて「よかったよかった」と言っていたら、東宝で初見だった人が「ええっ、あれで?!!」とさらに驚愕していたなあ。「マシになってアレなら、ムラはどんなことになっていたの」と。いやだから、すごかったんだよ、としか……。

 てゆーかきんぐとあゆっち、って、新公主演コンビじゃん……。
 なつかしいね……。


 第5章「光と影」。ここがクライマックス、この作品で最も描きたかった場面。
 他の章が全部「なんちゃらリズム」なのに対し、ここだけは「光と影」。

 この場面、2階席から観るのがイイの。
 最初の影のターン、歌うまっつと踊る彩彩を照らすライトの美しさ。
 お馴染みのいろんな色の混ざったステンドグラスみたいなライトが、万華鏡みたいに照らしているんだけど、輝度が低いために全体的にはやっぱ「影」って感じなの。そこに、翔くんをすっと照らすライトが走るとか、ぞくぞくする演出。

 ところでここのまっつの歌、彼は影なのよね、光はキムくん。でもって影であるまっつは「光が影を抱きしめる」と歌う。
 つまり。

 音月さんが未涼さんを抱きしめるってことですか。

 黒尽くめのまっつさんを、キラキラのキムさんが後ろから抱きしめるわけですね。

 毎回毎回、「なんちゅー歌詞や」と思って観てました(笑)。
 実際、この歌詞のとこでまっつ、自分で自分を抱きしめるしね、そりゃあもうエロエロに。
 あれってつまり……。

 影たちの激しいダンスのあと、さーーっと光が射すように、まさに神々しく、光S@キムくんが登場する。
 闇を払い、光が満ちる。
 それは確かに、「光が影を抱きしめる」かのよう。

 前述の通り、キムくんは正統派の腐った絡みで客席を萌えさせるタイプの男役さんぢゃない。美しいキムちぎがデュエットダンスしても、何故か健康的すぎて残念になる。

 彼に耽美的なもの、腐ったモノを客の目に心に喚起させるには、正攻法じゃダメなんだな。

 闇の中に光が射し、神々しい感動が満ちる……! のと同時に、「これって、闇の中で立ち尽くしているまっつを、光のキムくんが抱きしめている演出なんだ」と想像の翼を広げさせる、そーゆーストレートではない方法が必要なんだ!(笑)

 観客の想像力、これに勝る演出はありませんから。
 直接的に絡ませるより、ファンの萌えハートに丸投げした方が耽美なモノになるって!

 すごい中村B! 萌えさせてもらったわ! ごちそうさまっす!!

 ……いやその、他の人がどうか知らんが、わたしは何重にも楽しみました、「光と影」。

 キムくんの髪型には最初びっくりしたけど(笑)、すぐに見慣れたし、彼のあの素晴らしい歌唱力と真ん中力、「神」であることになんの疑問もない確固たる強さと存在感に感動しまくりでした。

 この場面、大好き過ぎる。
 今さら『Shining Rhythm!』の話。

 んで第3章「大地のリズム」。いわゆるスペイン場面。

 ここのストーリー、わかんない。

 「歌劇」の座談会やプログラム他で補完できてるからいいものの、ふつーに舞台だけ見てたらわかんないよね?
 ショーだからなにもかも説明する必要はないけれど、それにしてもわかんないことだらけ。

 えーと、キムくんは、まっつに陥れられ、無実の罪で投獄されていたのね? んでよーやく帰ってきてみたら、恋人のみみちゃんがまっつのものになっていた。だからまっつに復讐して、みみちゃんを取り戻しているのよね?
 ……って、そんなの舞台上だけだとわかんないよー。

 そーゆー設定があるなら、そこからやるべきじゃん?
 カーテン前でいいから、らぶらぶキムみみが引き裂かれて、キム投獄、陰で糸引くまっつの図を。
 それなしにいきなり、きれーな豪華衣装で現れたキムが、まつみみカップルを引き裂くのって……。
 キムが悪役にしか見えない(笑)。

 このまっつへの復讐もさー。
 ナニやってんだかわかんないんだよなあ。
 素手で乱闘、拳で殴っただけなのにまっつお亡くなりに……。
 いっそ刃物出した方がすっきりする。もしくは、殴ってすぐにお亡くなりではなく、生きて動いて、そのあと赤い砂に翻弄されて終了、とかにすればいいのに……。因果応報的に。

 さらに、みみちゃんの扱いが謎。
 なにしろ設定説明がされていないもんだから、舞台上だけ見ると、まつみみでふつーにお似合いカップルやってるところへ、突然キムが乱入して暴力事件、彼氏が殺されたのにそのままキムへお相手スライド、という役割に。
 えーそれどんな女??

 中村Bって芝居は書けないよな、書かなくていいよな、と改めて思う、構成のゆるさ(笑)。
 というわたしは、中村Bの芝居も観たことありますけれど。

 それはさておき、萌え場面なので、文句はない(笑)。

 まずなんつっても、赤い砂かっけー。

 赤一色衣装で踊る娘役ダンサーたち。
 炎を表す象徴的な衣装。でも役名は「砂」。炎であり生(血潮)であり運命であり死である。闘牛における「砂」って重い意味があるよね。
 それが美しい「女性」の姿をしていることに、心震える。

 赤い砂のお嬢さんたちは、みんなすごく「女性」を表に出した髪型をしているの。長いボリュームのある髪に赤いリボンを付けている。
 コロスなんて、性別不明でももっと記号的でもいいのに、彼女たちはとてもしなやかに女性で、あでやかに女性なの。
 あきらかに女子力の高い美しい女性たちが、運命を操るように人々の人生の端々で激しく踊り狂う様が、こわくて美しい。

 赤い砂A@あゆみちゃんの美しさってばもお。
 あゆみちゃんマジで赤似合うよなー。

 そしてわたしはナニ気にあだちゅうがお気に入りだ。カラダのラインの出る衣装だと、彼女はとにかくわたしの目を引くのだ(笑)。

 そして、みみちゃんが、美しい。

 みみちゃんといえば少女、全ツ『ロック・オン!』でも色気がなくてあちこち残念だった……のはついこの間のこと。(サイトーショーは色気とかゆーカテゴリ自体ナイのでカウント外)

 なのにいつの間に、こんなにも美しい大人の女になっていたのか。大人の女も演じられるようになっていたのか。

 また、まっつとみみちゃんが、似合う。

 カラダのサイズ的にも合ってるし、硬質な美形同士でばしっとパーツがハマる。絵柄が合うというか。
 まっつが必要以上にエロいので(笑)、みみちゃんの背徳感も上昇、結果とても素敵なカップルに。

 ドS全開なまっつと、対等なみみちゃんが素敵。
 怯えて相手をしている、とかじゃないの、ふつーにつきあってる感じがイイ。

 キムくん乱入をどう思っているのかは、よくわかんないけど(笑)。それは中村Bの責任。

 んで、お亡くなりになってセリ下がっていくまっつがめちゃくちゃ美しい。

 人形みたい。
 マジ顔立ち整ってるんだなあ。

 砂に飲み込まれていくそうなんですけどね。
 わかりにくすぎです中村B。

 まあそれはともかく、残ったキムとみみ。
 このふたりが、運命の男と女って感じで、ぞくぞくする。

 キムくんははっきりいって悪役にしか見えないし(笑)、そんな彼の暴挙を黙って見守り、受け入れているみみちゃんも悪に見える。

 罪を犯しても、寄り添い合うことが宿命付けられている男と女。
 デュエットダンスになっても、しあわせラヴラヴって感じじゃないのね。まあ人殺してんだから当然かもしれんけど。

 最後にふたりで客席に背を向けるところのキムくんの表情にぞくぞくっ。
 悪だ、悪の顔だよ、黒キムだよ~~!!
 それにぴったりついていくみみちゃんもまた、黒みみだよ~~!!

 このふたり好き、かっこいいかっこいいかっこいい!

 このスペインの場面は、音楽もドラマティックでさー。ヒメの超音波歌唱も含め、ただならぬ感じが素敵だった。

 てゆーかここを誰か、ミュージカルに仕立て直してください。
 中村Bはいいです、彼に芝居書いて欲しいとは思わん(笑)。
 設定通りのストーリーで、たしかにまっつも悪だが、彼を殺してみみを手に入れるキムも、そんなキムを選ぶみみも悪、狂気の赤い砂が織りなす物語……ってことで。


 このドラマティックなラストシーンのあとに、ころりと変わって中詰めのラテンメドレー開始。
 第4章「魂のリズム」。

 キムみみのラストあたりで、本舞台真ん中のセリが開いていることがわかる。
 さあここから誰かせり上がってくるんだ、『ラブ・シンフォニー』を観すぎたモノとしては、パイナップルの彩音ちゃんが登場するんだと身がまえてしまうタイミングですよ(笑)。

 背中を向けた燕尾姿の男役登場。
 順番からいってちぎくんだなっ。なにしろトップ娘役の彩音ちゃんと同じ役回りだもの、センターせり上がりで中詰めスタートなんて、2番手スター様の仕事ですよ当然!

 と、思っていたから。

 あ、あれ? ちぎのわりに、いつまでたっても下がある……えっとそのつまり、カラダが長い……つか、でかい。
 ちぎぢゃない!!

 まさかのヲヅキ様。

 背中向けてせり上がり、振り返りで場面スタート、って……トップスター並の演出キターーッ!
 すげえすげえ!(笑)

 ここでヲヅキを囲む若手メンバーに、イリヤくんが入ることに地味に驚く。
 上から順番1、2、3の中村Bだから、これが正しい順番なんだ、と感心。男役にもしナンバリングするなら、上はもちろんキムくんからで、下はイリヤくんまでってこと? ほほお~~。
 忙しさにかまけて書けなかった、『Shining Rhythm!』の感想。

 過去の作品に激似の中村B、わたしにとっては『ラブ・シンフォニー』まんまでなにかと笑いツボにハマる作品ではある。
 でも大好き。

 なにが好きかって、上から順番1、2、3。なところ!!

 劇団の思惑は無視して、目に見える番手や学年を重視してくれる「明瞭会計」ぶりが好き。

 はじまりからわかりやすい順番。
 幕が上がりました-、はい、トップスター登場しましたー!
 次、2番手来ましたー! 次、3番手でーす!

 さらにそのあと、4番手からぞろりと番手順に並んでせり上がりました~~!!

 この構成に、「七本槍か!!(笑)」とウケていた友人がいました。
 いやまったく、そんな演出だよね~~(笑)。

 オープニングの気合いの入ったキムくんの髪、気合いの入ったちぎくんの髪、ときて、次に登場したまっつのいつもの感じにウケる。いやあ、髪型遊ばないよね~~、立てたりしないよね~~。にやにや。

 オープニングのスター顔見せ歌い継ぎ、ちぎの歌はソロ、まっつにはコーラス付き、番手順とはいえ、逆にすればいいのにといつも思っていた。……ごめんよちぎくん、その、純粋に歌唱力的に……ゲフンゲフン。

 みみちゃん登場に拍手が入らない、入れにくいのはどうかと思う。
 強引に入ったときもあったけど、構成的に無理があるのなー。

 ヲヅキとあゆっちはコンビで登場、やっぱこのふたりって似合う。あゆっちくらい体格のいい娘さんには、ヲヅキさんくらいの体格が必要なんだよなあ。
 と、『インフィニティ』で大変そうだった小柄で華奢な贔屓を思う(笑)。

 オープニングの目に痛い蛍光オレンジの衣装って、過去はどの作品で使われてたんだっけ? 新調ではないのよね?
 このテの色は色だけものすごくて目の裏に残って、デザインは記憶に残らない……。

 わたし、オレンジ色って大好きだけど、このオープニング衣装はあまり好きではないなー。キライでもないのは、腐っても燕尾だから(笑)。
 この色で草野せんせ的なエリマキ・手ビレ足ビレ衣装だったら嫌だったかも。
 中村Bは衣装で奇抜な「カタチ」のモノは使わないよなー。その点安心~~。

 別にこの衣装でもかまわないんだが、ひとつ謎がある。
 何故、下級生娘役数名だけ衣装が違うのか。
 コーラスの子だけ、とかなら、わかるの。役割がチガウから別衣装なんだって。
 でも、役割も立ち位置も関係なく、コーラスに数名、モブのダンサーに数名、隅っこの子とかにぽつんぽつんと別衣装の子が混ざっている。
 明らかに「別衣装です・下級生なので元衣装を簡略化したデザインです」と主張した衣装ではなく、「色が同じなだけ」のキラキラのついた衣装……。

 それってやっぱり、衣装が足りなかったってこと……?

 オープニングでキャスト全員分衣装を用意できないのが、現在のタカラヅカの台所事情??
 と、苦いキモチになりました。とほほ。

 そして、衣装の数が足りないなら、最初からこの衣装を選ばなければいいのに。
 全員の数がある衣装を、過去の膨大な衣装財産からチョイスしてくればいいだけじゃん?

 なのに、足りない分を他の衣装で水増ししてまで、蛍光オレンジの大群にこだわったのかと思うと、そこにも苦いキモチになりました。中村B……(笑)。とほほ。

 えーと、あと、ちぎセンターで男役が逆三角形に登場する場面、それを舞台上で客席に背を向けて見守るキムみみ、という演出が、なんか新鮮だったっす。
 いやその、まっつばっか見ていて、それに気づいたのはずいぶんあとになってからだったんですがね(笑)。

 ここのみみちゃんがなんかかっけーんだわ!

 んで、ちぎくんがこの短いオープニング中に、髪型をしっかり変えてくることに感動したさ。
 んで、まったく変わらない安定したまっつの髪型にも、感動したさ。←


 蛍光オレンジの洪水、オープニングが終わったあとはキムくんの銀橋ソロ。
 甘い歌詞に余裕の歌唱力。


 で、次の「Cool Rhythm」。
 最初のウチは、この場面の楽しみ方がわからなくてとまどった。
 アタマ固いのよー、年寄りなのよー。

 カッコイイ!ことはわかるけど、同じテイストでものすげー人数が踊り続けることに飽きてしまって。
 お金かけて外部の振付家を連れてきた場合、その場面が無駄に長くなる。過去の例からいって。『王家に捧ぐ歌』の凱旋場面とか、『レビュー・オルキス』とか……ここはタカラヅカで、タカラヅカを観に来ているのに、なんでタカラヅカでないモノを長々とえんえん見せられるのよー、って。

 今まで苦手だったから、先入観で構えてしまっていたのね。
 外国人振付家投入、きっともー辟易するぐらい長い場面だわ、と。
 そしたらほんとに長い長い、いつまで続くんだ、と。

 最初はどうしても真ん中を見るから、あゆっちの体型の短所をこれでもかと強調する衣装や振付にも、目を覆ったの。
 他の子はともかく、あゆっちにソレはないだろう!と。

 でも、回数観たら、ぜんぜん印象違った。

 クールリズムかっけー!! 大好きーー!!

 長いとかぜんぜん思わない、むしろ「えっ、もう終わり? もっと観たい!!」と思う。
 いやあ、こんだけ手のひら返しの感想もすごい(笑)。

 最初はやはり、真面目な雪組っこたちははじけ方が足りていなかったのかなあ、とも思う。
 恥ずかしそうに、申し訳なさそうにやられちゃうと、いたたまれなくなるタイプの場面であり、振付なんだ。
 それが回数を重ねるにつれ、男たちが、ナルシスに目覚める(笑)。

 男の子たちの成長に伴って、この場面の楽しさが段違いだったと思う!

 ああこの場面って、「アイガッチャ」なんだ! と胸を熱くした。
 その昔、「どの組も『アイガッチャ』をやるべきだ」と思った、その夢が今叶っているのだわ、と。

 とにかく大勢いるから、目がいくつあっても足りない。

 そのときによって、いろんな子を見てたなー。翼くんを見ている日もあったなー。や、翼くんの場合は、ここだけでなく、ショー全編通して彼ばかり見ていた……ってゆーか、ほんといろんなとこ出てるよね彼。
 あと気になったのが凰くん。かっけーなヲイ。

 で、最初の方はともかく、女の子が登場したら、あとは女の子ばかり見てた(笑)。
 だってもお、かわいいんだもん、かっこいいんだもん! 雪娘すげー!

 さらさちゃんのボンバーぶり! 大胆かつ派手派手なダンス、アピール力! 何回ウインクしたら気が済むんだ(笑)、けしからんもっとやれ!

 下手見ることが多かったんだが、とにかくもお、あんりちゃんかわいいっ。

 ここのあんりちゃんが好みすぎる。
 ロリータ具合とセクシー具合がなかなか素敵にブレンド。

 あと、さらちゃんのハクチ美っていうか、記号としての金髪美女ぶりがすげーツボ!! ああいうキャラ好き、大好物。

 上手を見るとのあちゃんの、なんつーんだこう、ビッチな感じの「女」っぷりに釘付けになる。
 この場面に合ってるの、ぞくぞくするの!

 みんなすごかった、素敵だった。

 ここでナガさんとゆめみちゃんがクローズアップされているのもうれしい。
 ニクい演出。

 大好きな場面。
 未だにちゃんと書いていなかった、『Shining Rhythm!』の感想。

 わたしはこのショーが好き。
 イレギュラーばかりの昨今、ワンパターンの王道レビューはそれだけでうれしくなる。タカラヅカっていいなあ!と心から思える。
 別にものすごい名作ではないんだろうし、キャストに思い入れがなければ「可もなく不可もない」レベルだろうし、過去の中村B作品と区別付かないだろうけどなっ(笑)。
 タカラヅカのタカラヅカらしい、ふつーにいい作品だと思う。
 単調になりがちないつの中村Bなんだけど、振付を場面ごとに変えることで差別化しているし。


 わたしは好きだけど、この「可もなく不可もない」あたりを簡単に考えてみた。

 過去の中村B作品もそうだとはいえ、『Shining Rhythm!』が単調に感じるとしたら、ソレはどのへんに原因があるのか?

 オープニング - 王道のスター顔見せ。番手や学年に合わせ、順番に見せ場をもらって華々しく歌い踊る。蛍光オレンジのトンデモカラー燕尾。

 ショータイム1 - ちぎくんを中心に、黒スーツの男たちが都会的に粋に踊る。セクシーな黒ミニドレスの娘役たちも絡む。外国人振付家による、スタイリッシュ場面。

 ショータイム2 - 中村B定番のスパニッシュ。ふたりの男がひとりの女を争う系。トップコンビの情熱愛。マタドール衣装。

 中詰め - ラテンメドレー。番手や学年に合わせ、順番に見せ場をもらって華々しく歌い踊る。黄色燕尾とドレス。トップコンビは黄金色。

 ショータイム3 - エジプト調の音楽だけど、わりと無国籍系。トップコンビ以下総力戦。衣装はファンタジック。

 フィナーレ - コマ銀橋ソロ→ロケット(ロケットボーイ@翔くん付き)→大階段黒燕尾→みみちゃんたち娘役いっぱい→若手スター銀橋歌い継ぎ→みんな登場黒燕尾+ドレス→トップコンビのデュエットダンス→パレード。


 「タカラヅカ」のルールに則った、端正でシンプルな作りだと思う。
 「タカラヅカのショー作品を作る」という講座があったら、お手本として「初心者用キット」に出来そうなスタンダード感。

 大昔に確立され、ずっとずっとくり返されてきたショーのひな形的構成。
 なのにソレが単調だったりしたら、「タカラヅカ」が単調ってことになる。
 ナニがいけないんだろう?

 作品構成がルール通り順番通りの上に、その場面ごとの人間使いまでもが番手通り・学年通りだからか。
 縦の線も横の線も、ずっと同じなんだよねえ。
 それが中村Bの特徴なので、ソレはそれでアリだと愛でてるけどなー。

 ならばせめて、中詰めで変化を付けるべきだったかな、とは思う。

 オープニングからフィナーレまで、場面ごとに全部「番手順・学年順」。全体を通して俯瞰しても、「番手順・学年順」。場面は今までの中村Bのお約束通り、過去にどこかで見たモノ通りで、人使いは同じことの繰り返し。
 ならばそれらのお約束が集約された箇所にひとつ、どかんとイレギュラーを入れたら、印象が大きく変わるんじゃないかな?

 お約束の集大成といえば、オープニングと中詰めとフィナーレだ。
 しかしオープニングとフィナーレは変えちゃいけない。ここを変えると「タカラヅカの伝統」からはずれてしまう。
 だとすれば、変えられるのは中詰め。

 中詰めは、ある意味オープニングの繰り返しだ。
 仕切り直し、もう一度ここからはじまりますよ的な。
 主題歌にのってスターの銀橋ラインナップ、キャスト全員舞台上に登場して歌い踊る。
 や、別に主題歌でなくてもいいんだけど。そーゆーノリの場面だよね。

 他の作家ならそれでいいけど、なにしろ中村B。
 他の部分が全部同じ方程式で作られているから、方程式がもっとも剥き出しになるオープニングと中詰めは「同じことしている」感が強い。
 オープニングですでに同じことをやっているのに、中詰めでさらに時間かけて同じことをやっちゃうのは、なあ。

 ここをどんと方程式無視でぶちかましたら、いいコントラストになったろうな。
 メリハリになったろうな。
 とは思う。

 ……だからといって、それをやっちゃうと中村Bではないと思うので、結局はこのままでいいんだけどなー(笑)。


 ビバ・ワンパターン。


 ……て、実はこのテキスト、最終更新日が3月11日になってるヤツなんだけどな、初日観たあとすぐに書いた日記の、テーマからぶれるからと削除した部分(笑)。
 日記書きながら、話がとっちらかっちゃって、こりゃダメだと軌道修正、ズレた部分を切り取って、またいつか使うこともあるかと保存してあるんだけど、整理能力がないもんで、どこにナニを書いたやら……。テキストデータ膨大すぎてわけわかんない……。
 年寄りなので、懐古話になる。

 『トークスペシャル in 東京』は息の長いイベントだ。はじまったのはいつからだっけ? もう何年もずーっとやってるよね。

 東京の人はいいなあ、と思う。
 友会限定のトークイベント、ムラでは『新人公演ステージトーク』であり、出演者が新公主演コンビと限られている。新公独占する劇団推しスターがめずらしくない昨今、いつも同じ顔ぶれ。また、トーク内容も「新人公演」主演コンビである以上、かなり限られている。
 イベントがはじまった当初、わたしはどの組のどの生徒のときもわくわくと参加したりしていたけど、早々に飽きてしまった(笑)。
 よっぽどその、新公主演ジェンヌに興味や愛情がなければ、参加してもテンションの上がらないイベントなんだ。ジェンヌがどうこうというより、企画的に。

 それに比べ、『トークスペシャル in 東京』は出演者の縛りがない。
 中堅から下級生にスポットを当ててはいるが、上級生スターの登場も可能。
 また、「新公主演コンビ」と決められてない以上、組み合わせが新鮮。個人もそうだが、顔ぶれによって新しい魅力が発見できたり、イベントとして盛り上がったりして、企画時点でポテンシャルが高い。

 東京はいいなあ。同じ顔ぶれのトークがムラか梅田で開催されていたら、とりあえず観に行っただろうなあ。

 と、隣の芝生の青さに指をくわえ。

 うらやむだけでなく、実際に大阪から遠征して参加したのは、過去ただ一度。

 2006年、花組『ファントム』のときの『トークスペシャル in 東京』。
 出演者は、まっつ(研9)、だいもん(研4)。

 ナマまっつを観るのがはじめてで、大変意気込んで駆けつけた。

 あれから、6年。
 『トークスペシャル in 東京』はずーーっと変わらず開催されているが、まっつ出演はそれきりだった。
 学年も上がってしまったので、もう二度とないんだろうと思っていた。

 まさかの二度目!!

 出演者は、まっつ(研15)、あゆみ(研10)、ホタテ(研6)。

 えええ。なんかすげー学年だー。
 あゆみちゃんですら、当時のまっつより上級生なのか……って、あゆみちゃんとだいもん同期じゃん。
 まっつと89期、という取り合わせなのは同じか-。

 会場はチガウのに、デジャヴでくらくらした。
 記憶が二重写しになるというか、「あのときはこうだった」「ああだった」といろんなことを思い出しちゃって。
 舞台の上のまっつとだいもんもだけど、当時の自分や友人のこと。
 ほんとについこの間のことのようで、いろいろと切ない。胸が熱い。

 研9で一本モノ芝居で台詞ふたつしかもらっていない当時のまっつから、「雪組で3番手やって、プログラムに1ページ載りしてたりするんだよ」てな現在のまっつの姿が、想像ついただろうか。

 立場は変わった……が。

 印象の変わらなさに、びびる。

 あれから6年経ってるのか……。6歳トシ取ってんのか……。
 細部を見ればもちろんそうなんだろうけど、印象が変わらない。
 昔から目の下のシワはあったしほうれい線も目立ってたし、肌も……ゲフンゲフン。

 昔から年齢不詳だったとはいえ。
 現在もまた、絶賛年齢不詳だなああ。

 その分、旬が長い人なのかもしれない。

 いやほんと、先日のお茶会での「美少年」ぶりといい……まっつって、フェアリーだなあ。(素)

 外見だけでなく、話し方とかも、6年前からすでに「男役スター」として出来上がってたもんなー。
 親心(笑)ではらはらすることなく、素直に「芸能人のトーク」を1ファンとして楽しめる。


 とまあ、終始「6年前」の幻影越しに眺めて、じんじんしてました。

 あのころはオサ様がいた、そのかがいた、ゆみことまとぶんがいて、みわっちとまっつとそのかで三兄弟って言われてて……って、なんかなつかしさだけで泣けてくる。

 年寄りってのはどーしよーもねえな。


 トークショーの内容については、今コレを書いている時点でスカステで放送済みなので、今さら書く必要もないだろう。
 ってゆーか、細かいことはすでに忘れた(笑)。
 だから印象のみ、感想のみを記す。

 スカステ放送が1時間だから、トークショー自体は90分くらいあると思ってたんだ。樹里ちゃんの『GOGO5』が90分基本だから。
 スカステで流してはいけない、編集することを前提として、長めの尺を用意するんだと思っていた。
 なのに、トクスペはジャスト1時間で終わったのでびっくりだー。編集ほとんどナシで流す予定の番組なのか。
 そんだけ予算かけずに、お手軽に作ってるんだろうなあ。すげえな歌劇団。

 実際、ほとんどカットされてなかった。
 客席が沸いて拍手が長くなったところだけ切ってある感じ。

 唯一カットされたのって、まっつが女の子の声を無理に出したあとの数秒くらい?

 パンダがうらやましい、パンダだってだけで「かわいい~~」とか言われて、てなことを言う際に、まっつがなんか無理な黄色い声(笑)で「かわいい~~」と言ったところでテレビは終了していたけれど、たしかそのあと、客席がわーわーウケていて、そのどさくさであゆみちゃんが、

「まっつさんもかわいいですよ」

 と、さらりと言ったんだよね?

 あゆみちゃんはナニかとすごいよ?

 最初っから、「もともとまっつさんのことが好きだった」と公開告白、花組時代のまっつを、知り合いでもなんでもないときに、「タンゴ教えてください」とナンパしたエピソード披露。

 あゆみ、おそろしい子!!(白目)

 てゆーかタカラヅカってすごいとこだな。
 や、なんかいろいろと(笑)。
 みみちゃんには、残ってほしかった。

 キムくんの発表が出てから1週間、息を潜めるようにして、おびえていた。
 男役上位のタカラヅカにおいて、同時退団が決まっていたとしても、娘役の発表はわざと日にちをずらす。遅らせる。
 数日後から、1週間。大体それくらいで、発表がくる。
 年をまたいだののすみですら、ゆーひくんの10日後の発表だった。

 1週間経ち、10日経ち、わたしはそろそろと丸まっていた穴蔵から出てきた。
 もう大丈夫だよね? こわいことなんか、ないよね? なくなったよね?

 みみちゃんはテレビの中で笑っていて、「タカラヅカ大好き!」と語っていて、ああよかった、大丈夫なんだ、残ってくれるんだ、と胸を撫で下ろしていた。
2012/6/11

雪組トップ娘役・舞羽美海 退団会見のお知らせ


雪組トップ娘役・舞羽美海が、2012年12月24日の東京宝塚劇場公演(『JIN-仁-』『GOLD SPARK!-この一瞬を永遠に-』)の千秋楽をもって退団することとなり、2012年6月12日に記者会見を行います。

なお、会見の模様は当ホームページでもお知らせ致します。


 みみちゃんが、好きなの。

 キムの相手役だからとか、雪組トップ娘役だからとか、とは別に。
 もちろん、キムの相手役で贔屓組のトップ娘役だから特別に好きなんだけど、それだけじゃないの。
 みみちゃん自身が好きなの。

 残ってほしかったの。

 みわっちの退団が発表され、この日はこれだけでいっぱいいっぱい、これで終了だと思っていた。
 油断していたところに、がつんときた。

 おかげで泣き言だけつぶやいて、あとはもう知らない、現実逃避、ネット切ってテレビ切って、もういい、なにも見ない、聞かない。


 しばらくブログ更新もせず丸まっていた。
 いやその、忙しすぎてネットに戻ってこられなかったってのも、大いにあるけど。
 テレビでみみちゃんの笑顔を見て、救われたんだかより切ないんだが、よくわかんないけど、それでもキムみみを見届けるために奔走するぞって気持ちは強くて。

 『ロミジュリ』も『黒い瞳』も、奇跡みたいな公演だったなと。
 キムくんが主人公で、みみちゃんがヒロインで。
 このふたりの絆を見られたこと、そして同じ舞台に贔屓が出ていて、共に舞台を濃く深く作り上げていたこと。
 好きな人たちや実力ある人たちが複数いるとして、彼らが同じ舞台に立つ確率は低いし、一堂に会したとして、好きな作品や好きな役を演じてくれる確率は、さらにさらに低い。
 天文学的な確率を経て、めぐりあった公演だった。
 奇跡みたいに。


 愛しさと切なさがいっぱいで、さみしくてかなしい。
 『近松・恋の道行』にて、みわっちの「急いでいる」感が、気になった。
 悪い予感というか。
 相手役のみりおんが走れなくても気にせず、自分ひとり走っていた。
 いつものみわっちなら、そんなことにはならないだろうに。
 余裕がないというか……「生き急いでいる」感じがして、不安だった。

 たぶん、そういうことなんだろう、ほんとうにこの人には「時間」がないんだろう。
 そう思った。
 考えたいわけじゃないが、ただもう、そういうことなんだろうと、思った。
2012/06/11

花組 退団者のお知らせ


下記の生徒の退団発表がありましたのでお知らせいたします。

 (花組)
  愛音 羽麗
  輝良 まさと
  銀華 水
  愛羽 ふぶき
  雪華 さくら
  

     2012年10月14日(花組 東京宝塚劇場公演千秋楽)付で退団

 青年館で観た人は、「みわさんの退団者オーラが半端ナイ」と言っていた。青年館まで行けば、あの焦燥感は昇華され、光になっていたのかもしれない。
 でもわたしが観たのはバウで、初日と楽の前々日でしかなくて。
 初日はそれほど感じなかったけれど、舞台全体がギアの回ってきた感のある、バウ楽カウントダウン入った頃には、みわさんの余裕のなさが顕著でこちらが焦った。

 みわさんにはどこか行きたいところ、目指しているところがあって、そこに行こうとあがいている。
 だけど相手役のみりおんは、みわっちと同じスピードでは走れない。だからみわっちは自分ひとりで走っていた。みりおんのことはとりあえず抱えて。

 時間がない。
 みりおんの成長を待って一緒に走るとか、彼女のペースに合わせて走るとかは、しない。
 焦燥感がある。なにかに急き立てられているような、余裕のなさ。
 ただもう物理的に、時間がないのだと、思った。

 『近松・恋の道行』という作品で、心中モノで、主役がひとりで走る姿は、落ち着かなかった。
 ただの心中モノではなく、景子せんせの作為的な仕掛けを凝らした舞台だから、それはそれでアリなんだけどね。
 みわっちが「男役人生の途中、まだまだ続く長い道の中のひとつ」として嘉平次役と向き合ってくれていたら、どんな役に、作品になったのだろうか。
 豊太郎@『舞姫』もまた、生き急ぐ状態での初演だったら、あの豊太郎ではなかったんだろうなと、今にして思った。や、エリス@ののすみなら、みわっちが暴走しても、それについていったろうけど。

 退団公演自体はきっと、焦燥感ではなく、もっと落ち着いた豊かな物になるんだろう。
 それこそ、退団者オーラで神々しく発光する。その美しさに胸を締め付けられる。
 そうやって何人も何人も、見送ってきたように。

 そこへたどり着くのはわかっているけれど。

 『近松・恋の道行』で、……つらかったなあ。や、わたしがつらがってどうなの、とは思うけど、みわさんへの愛着半端なく、彼を視てきた時間や記憶や思い出や、いろんなものがごっちゃになって、ただもお、苦しかった。

 バウをあとにして、花組集合日を確認したもの。
 答え合わせの日というか、このなんとも言えない苦しさに、決着がつく日のことを。

 ……ただの杞憂、あれは役に入り込むあまりのことだったのね、と笑い飛ばせる可能性だって、ゼロじゃないし。

 でもたぶん、そういうことなんだろうと、思っていた。

 苦しかったな、『近松・恋の道行』。
 退団者オーラにまで昇華できてなくて、ただ、みわさんの焦燥感に巻き込まれていた。
 それでも、観られて良かった。


 答えは出た。
 行き場のないぐるぐるした感じはとりあえず、終わった。

 あとはただ、さみしい……。


 輝良まさと、銀華水くんも卒業しちゃうのか。ふたりとも若くして大人の男ポジを確立したいい男たちなのに。

 でもって、遅れて気がついた。
 サヨナラショー、ないのか……。

 サヨナラショーの基準がよくわかんないなー。別格スターでもやる人はやるのに。
 わたしがナマで「3番手単独退団」を観納めた記憶がないもんで、前例にうといんですが、友人によると真織さんが3番手としてサヨナラショーやってるので、「劇団の方針として決してあってはならないことだから、断固としてやらないのだ」というわけじゃないんだよね? 3番手はサヨナラショーやっていい立場の人なんだよね?

 わたしにとってみわさんは、そりゃーもー下級生時代から特別扱いされ続けたスターさんだもんで、番手はともかくとしても、サヨナラショーなしで卒業していくのがわかんないです。
 花組をろくに観てないころだって、新進スターとして名前だけは知っていたくらい、10年前の公演ビデオ観たって、ちゃんとスターとして舞台でにこにこしている、一貫した扱いを受けていた人だもの。
 あのころ、まさかこんなに扱いが停滞するなんて、思わなかったさ……。


 『舞姫』に奔走し、『メランコリック・ジゴロ』に鈍行乗り継いで名古屋へ通った、あの日々が懐かしくて……遠くて、とても遠くて、切ない。
 そこに、なつかしい壮くんがいた。

 挫折専科と呼ばれていた頃の、壮くん。
 Sキャラとして花開く前の。

 『長い春の果てに』再演、クロード@壮くんは楽しみだった。
 作品も役も好きじゃないけど(笑)、それでも壮くんが演じる限り、楽しみだった。

 例に漏れずクロード先生も変な役なので、壮くんが演じたらさらにトンデモないことになって、どんなに愉快だろうかと。

 とまあ、勝手にハードルが上がってたんだと思います。

 わりとふつーで、拍子抜けした。

 トンデモぢゃない……!
 銀橋ソロの「愛なんて信じないッ、俺は厨二病だ文句あるか!」ソングがどんだけ抱腹絶倒か、勝手に想像してワクテカしていたので、ふつーに「美形悪役・キラキラ2番手です」とやられて、かえってびっくり。

 えええ。なんでそこでふつーになるかなあ(笑)。

 初演のワタさんの方が、トンデモ度が高いとは、意外だった。ワタさんはどーん!とした、突き抜けた人だったなあ。真ん中に置くしかしょうがないスター性の人だったもんよ……。

 や、ナニをやってもえりたん、というか、ここ数年そんな役ばっかだったから、ここいらで毛色の違った役……というか、もうひとつのえりたんで来たのかなあ、とか。

 雪組時代の壮くんを思い出して、なつかしかったっす。
 でもって、雪で、花組出戻り初期で、やっていた挫折専科の頃と比べて、大人になったというか成長したなあと、おばちゃんは勝手に胸熱です。
 えりたんならではの「てかー☆」とした光でなくても、正攻法で真ん中で輝くことが出来るんだね。

 相手役(決めつけてますがナニか?)のジャン@キキくんとの体格差がまたいいですな。つか、ジャンでけえ! 縦にも横にも!

 ピエール@がりんくんは、素直な芸風だなあ。ピエールってこんなにすっとした役だったのか(笑)。初演がクドかったというか、いろいろ引っかかる芸風(褒め言葉・笑)のさららんだったため、引っかからない、するっと過ぎていく感じに、かえってびっくり。

 ピエールの影が薄い分、よりジャンが正妻の位置に来たなあと(笑)。


 ブリス@だいもんがかわいい。
 あー、そうだった、ブリスってこういう役だった。だいもんの引き出し内のキャラだなあ。

 あの海千山千のきらりおねーさまの相手役なんて大丈夫かと思ったけど、きらりちゃんはもちろんうまいから無問題だし、だいもんもふつーにステファン@らんとむの友だちやって、フローレンス@きらりの相手をしていた。

 初演は年代差や格差がありすぎて、主人公の友人に見えなかったもんなあ……。フローレンスも良くも悪くも迫力で、そりゃブリスなんか眼中にナイだろうと思わせたもんだった……。新公のブリス@もりえが好きだったなあ、とか、いろいろ思い出した(笑)。

 ラストのフローレンスとの場面、思いがけず近い通路でやってくれて、びっくりだった。
 えっ、そこでやるの? 通路にしてもそこじゃないと思ってたよ!と、びびっているうちに終わったような。

 手をつないではけていく姿にきゅん。


 アルノー役は、わたしにとって思い出のある役。
 わたしはきりやんが好きで、彼をとっても愛でておりました。
 きりやんは将来トップスターになると思っていたし、それが相応しい人だと思っていた。美形だし、キラキラした派手な芸風の人だし、なにより実力派で歌もダンスも芝居もうまいし。小柄なのは残念だけど、小柄なトップスターなんていくらでもいたから無問題だし。
 んで、視野の狭いわたしは、凡庸な自分がそう思うくらいだから、世の人々はみんな同じように思っているだろう、と、なんの根拠も熱意もなく、ふつーにそう思っていた。
 欠点らしい欠点もない、楽しみな若手スターさんだと。

 それが。

 気がついたんだ。
 気が、ついちゃったんだ。

 つなぎ姿のアルノーを見て。

 手、短い?

 ……知らなかったんだってば!! それまでほんと、きりやんのことはただ「小柄」だと思ってた。
 小柄でも、ケロもコムちゃんも手は長かったし、トウコだって気になったことはなかった。
 身長と手の長さは、別モノなんだ!
 ということに、はじめて思い至った。

 小柄だからどうこうではなく、きりやんは手が短い。同じ身長の人よりも、短い。

 そのことに、気づいた。
 気づいてしまったからには、もう戻れない。いろんなところでそれは気になった。
 や、だからといって、きりやんを好きなことは変わらず、彼がトップになる人だという認識も揺らぎませんでしたが。
 ただ、事実として、わたしの脳内に書き加えられたの。

 のちに出会った友人が、「きりやんトップは自分的にはありえない」と言っていて、タニちゃんがトップになるのが当たり前なのと同じくらい、きりやんトップも当たり前だと思っていたわたしはびっくりし、その理由に「手が短いから」と言われて、そんな観点もあるのか!とさらにびっくりした。
 てなこともあり、さらにこの「気づき」となった役は、わたしにとってキーとなる。

 それまで気づかずにいられたのは、きりやんが男役としてバランスの取れた着こなしや、所作の人だったからなんだと思った。
 そして、思うんだ。あのとき、つなぎさえ着ていなかったら!と。
 どんだけ能力の高い人でもスタイルのアレさが強調される、つなぎなんてもんを、何故着せたんだ、イシダよ。小柄なきりやんに。
 つなぎ姿でさえなければ、もうしばらくわたしは、そのことに気づかずにいたかもしれないのに。

 ……という、思い出の役。

 そっから先は、きりやんの手の長さも含めて、愛しかったですけどね。それもまたきりやん!なバランスなわけで。
 アルノーを演じるきりやん、好きだったしな。

 きりやんを語る上で、はずせない役。あくまでも、わたしのなかで。

 とはいえ、作品もイシダも好きじゃないため、通常は思い出さない。んな精神衛生上悪いことはしない。

 だから。

 再演を観て、アルノー@まぁくんがつなぎ姿で現れて、ぎゃふんな気持ちになった。

 ……イシダェ……。

 わたしに、きりやんの手の長さに着目させたこの役、この衣装を、よりによってまぁくんで突きつけますか……。

 まぁくん、スタイル良い、手ぇ長い!

 瞼に焼き付いた、きりやさんとの差が……。うわー……。

 くらくらしました(笑)。

 で、アルノーはいい男ですよ。ええ。
 ナタリー@いちかがわけわかんない、ヤな女なんだけど(脚本のせい、いちかの罪じゃない)、彼女に詰め寄られてなびくアルノーはわけわかんないけど、アルノーの男ぶりだけを眺める分にはいいです。

 まぁくんといちかの、身長差に萌え。


 正直、ブリスとアルノーは逆で観てみたかったなあと思いました。
 や、ブリス@まぁくんとアルノー@だいもんじゃ、イメージ通りで発見がないかもしんないけど、予定調和な定番のものも、おいしくいただけたかなあと。
 ないものねだりですね。今のキャスティングもおいしいもの。
 初演はアテ書きだった。アテ書きならではのハマリ方、魅力が満載だった。

 それは再演モノの宿命、ソレ言っちゃダメ!なことである。
 にしても『長い春の果てに』の初演と再演は、ただ役者がチガウ、というだけではなく、役者の属性がチガウという、タカラヅカならではの変化があった。

 つまり、男役の演じる女の役と、娘役の演じる女の役、という。

 タカラヅカ初見で、「みんな同じ顔に見える」「役は服装で見分ける」というレベルの人がどう感じるのかはわからない。
 でもわたしは役者自身の顔も名前も、それまでの経歴も熟知している。役者自身の特性やイメージも、わたし個人の思い込みに過ぎないにしろ、いわゆる固定観念がある。

 だから、男役が演じる女の役というのは、ある意味「祭り」だと認識する。
 その役者が「男役」であるか、「娘役」であるか、見るとわかるんだもの。意識しなくても、区別できるし、してしまうんだもの。
 わざわざ「男役」「娘役」と分けている劇団が、あえてその基本設定を捨てるのだから、それは「通常ではないこと」=「祭り」。

 男役も娘役もナイ、「みんな同じ顔に見える」人なら、そんな風に思わないのかもしれない。「スカート穿いてるのは女の人」「背広着てるのは男の人」レベルの認識なら、ナニも感じないのかもしれない。
 でもわたしは、「男役」があえて演じる女の役には、男役ならではの味や力を感じるのです。

 ……と、いうことで。

 男役が演じなかった女の役って、こんなにイメージが違ってくるのか!と、感心しました。


 初演を見たとき、女装祭りは楽しいけど、腑に落ちない部分はあった。
 ひとりだけアメリカ人で毛色の違うフローレンスはともかく、大人の女ナタリーなんかは、男役が演じる意味がない。
 単に新専科制度の弊害に思えた。
 お客様である新専科様に役を付けなくてはならない。でもそれによって、劇団が大切にしたい組内の若手路線スターたちの役付を落とすわけにはいかない。
 将来トップにする予定の大切な新専科様と、円満に卒業していただくための言い訳としての特別専科扱いの人と、同じ「新専科」という名前でありながら、劇団の扱いはとても顕著で。
 だから、後者の新専科さんは、女役である意味はとくにないけど、女役にした。
 フローレンスだって、ナタリーよりはまだマシってだけで、娘役が演じてもかまわない役だと思ったし。単に役がなかったから男役にやらせた、としか思えなかった。
 下級生男役の番手を上げたかったら、それより上の男たちを、みんな女にしちゃえばいいんだもんなあ。

 そんな無理のある配役だったから、再演は女性役をふつーに娘役がやることを、肯定した。
 男がやる意味なかったもの、ふつーに娘役でいいよ。なんのために男役がいて娘役がいるのよ。

 そう思っていたけど。

 実際に、娘役が演じている『長春』を見て、初演とのギャップ、イメージの差の大きさに、驚いた。

 女性の役を娘役がやると、キツイ……!


 脚本が、変だから。
 キャラクタが、変だから。

 男役が演じるとそれは「祭り」で、「通常ではないこと」なので、多少変でも誤魔化される。
 祭りだわっしょい!と御輿担いで騒いでいるうちに終わる。

 しかし、娘役が演じてしまうと、逃げ場がナイ。
 それは祭りではなく日常、日常にこんな人がいたら、変。

 男役が演じることで、初演はかなり誤魔化されてたんだなあ、脚本の粗が。

 フローレンスって相当変で、痛い女だわ……。
 それでも成立していたのは、男役がやってたからだったんだ……。

 再演フローレンス@きらりがまた、うまくてなあ。
 うまくて美しくて、それだけに、逃げ場がナイ。
 リアルに変でヤな女だ……。

 ナタリーってウザくて重くて、作為臭きつい女だなあ。
 それでも成立していたのは、男役がやってたからだったんだ……。

 再演ナタリー@いちかがもう、マジうまくてなあ。
 説得力ある芝居で、リアルに息づいていて、それゆえもおほんとに逃げ場がなくてつらかった。
 こんな女、たしかにいるでしょう。でもそれを、タカラヅカで見たいわけじゃない……。

 男尊女卑のイシダせんせの持つ、歪んだ女性観がこれでもかと押し出されていて、キツイっす。

 もっと「祭りだーー!!(笑)」と勢いで流せると良かったんだけどなー。
 なまじうまい人たちを配しているので、裏目に出た感じ。


 あと、ステファンママ@じゅりあは、すごくがんばってたし、笑わせていたけど、この役こそ男役が演じるべきだったなあと。
 だってじゅりあ、美人なんだもん。ふつーに若くてきれいでステキで、笑われる対象じゃないんだもん。
 落ち度のない美女が、笑いを取るためだけに滑稽なことをするのって、わたし好みの笑いじゃないです。

 初演のゆらさんは、ひと目で年配だとわかる人だったから、アリだった。
 舞台上で「対象外」だと納得できる年代の女性、だからこそバニーちゃんのイタさもわかる。
 ゆらさん個人のキャラは強烈かつ組名物だし、全ツではなくジェンヌのキャラを理解したヅカヲタ相手の本拠地公演だし。

 再演は、腹筋が割れていると言われてそりゃそうだろうと思わせる、大柄な男役が演じるべきだったんじゃ?
 「スカートを穿いているから女の人」としかわからないような、地方のお客さんたちもが「あれってひょっとして、男役の人?」とわかるくらいに、あからさまに。
 じゅりあという色濃いキャラを理解していない、「みんな同じ顔に見える」客層が多い全国ツアーだからこそ、体格も顔立ちもふつーに美しい娘役に、わざと滑稽なことをさせても効果は薄いだろうに。


 なんとも役柄違いというか、「初演マンセー」という意味ではなく、ほんとにただ、属性違いという意味で、違和感が半端なかった。

 初演と再演は別モノだし、初演コピーを推奨するわけじゃないが、属性は沿った上で、個性を出すべきだったんじゃないかなあと。

 ……『長春』が名作なら、キャラたちがイタくなければ、別にかまわないんですが。
 アレな作品だと思っているから、キャストの力が必要、キャストの力だけでなく祭りっぷりが必要だったんだ、と思いました。


 ほんとに、花娘ってうまいわ美しいわ、すげえわ。
 彼女たちが実力で前へ出てくれたからこその、作品への違和感なんすよ。添え物に終始する子たちなら、こんなにとまどわない(笑)。
 初演のアテ書きぶりのすごさは、なんつっても少女とおっさんであることに尽きる、よなあ。

 タカラヅカのトップスターは、基本「大人の男」である。
 子どもの頃は「主人公が30代」があったりまえのタカラヅカにどん引きした。なにしろマンガもアニメも、ヒーローはみんな10代、主役じゃない大人の二枚目でも20代前半だったから。
 でも、自分が大人になればわかる。タカラヅカの主人公は大人でなくてはならない。

 だから、おっさんが主人公の物語も、別にめずらしくないし、トップスターなら余裕で演じてしまうものだ。

 反対にあり得ない・相当めずらしいのが、ヒロインが「少女」ということ。
 大人の男と恋をするわけだから、ヒロインも大抵大人の女性、少女と呼ぶくらい若い設定でも、最低限「子ども」ではない。
 子どもに見えるトップ娘役なんてものは、必要とされていない。

 そのため、少女とおっさんのラブストーリーが難しいのは、トップ娘役に「子役」をさせるのはどうよ、って意味で。

 トップスターの持ち味ではなく、トップ娘役の持ち味あってこその演目だよな。
 『長い春の果てに』という作品は。

 てことで、花組全国ツアー。

 蘭はなちゃんは少女役者、だから『長い春の果てに』なのね、はいはい。
 そう思っていたんだけど。

 エヴァ役が似合わなくて、びっくりした。

 14歳のエヴァ@蘭ちゃんが、初恋のステファン先生@らんとむのところに押しかけ厨する話でしょ?
 弱者であることを盾に取り、強引に居座る話でしょ?

 エヴァが明らかに子どもで、恋愛にも性愛にもまったく対象にならないから、独身男性と同居しても問題にならないわけでしょ?

 そんな、「明らかに子ども」なのに、ひとりの女として年上の男性に恋しているから、切ないわけでしょ?
 相手にされないのは無理もない、と観客だってひと目でわかる、だけどエヴァが真剣に恋していることも、ひと目でわかる……そのギャップが胆でしょ?

 蘭ちゃんエヴァは、ふつうに大人じゃん。

 頭身からして、大人。
 若いことはわかるけど、子どもじゃない。
 恋愛も大人の関係も、ふつーに成立するだろう。

 14歳に、見えない。
 16歳以上、結婚だって出来る年齢に見える。

 大人なのに、押しかけ厨するのを正当化するため、わざと子どもぶっているように見える。
 若作りした服装が痛々しいし(趣味悪すぎるし)、無理したような話し方が不自然すぎる……! 
 既成事実でも作って結婚をたくらんでる……? なにそれこわい……!


 えみくらは、特殊だったんだなあ。
 頭身からして、子どもに見えたもの……。

 蘭ちゃんが若いから、この企画が出たんだろうけど、これでいいの?
 蘭ちゃんは若いけれど、かわいいけれど、「子役」ではないのよ。「若い女性」なのよ。
 だって、タカラヅカのトップ娘役なんだもん。トップ娘役は子役ではないんだもん。子ども役が出来なくて問題ないんだもん。

 ……その、お花様なら、学年がいくつになっても子役も出来たと思いますが。
 彼女レベルのことをおいそれと他の娘役に求めてはいけないと思うの……。だからこそ彼女は、12年間もトップの座に君臨できたわけだし。

 えみくらは子役も違和感のない、特殊なトップ娘役だった。
 子役がハマる反面、できない役も多々あったが、彼女には、彼女ならではのリアルな少女像があった。
 えみくらのえみくらならではの当たり役を、「少女っぽさが持ち味」程度のことで、若い娘役にならなんでもハマる、と思う劇団が、浅はかだよなあ。

 ところでエヴァの服装、えみくらちゃんとチガウよね? えみくらもすごい取り合わせの上下着せられていたけど、ちゃんとかわいかった。
 何故蘭ちゃんはここまで悪趣味なコーデを強いられているの……? エヴァの性格のアレさを、正気とは思えないファッションセンスで表現しているの……?


 なんつーか、エヴァがきつかったっす……。
 そして、この作品はエヴァが「チガウ」と、作品自体苦しすぎるっす……。

 蘭ちゃん単体ではもちろんかわいいし、よくやっていると思うのだけど。
 この作品、この設定が、苦しいっす……。


 初演に匹敵する力で作品を支えているのは、やはりなんといってもステファン@らんとむ氏。
 もともとこういうハートフルな役は似合うし、派手な筋運びでない以上、盛り上げるのはトップスターとしてのらんとむさんの圧倒的な力ゆえ、だよな。

 しかしそのらんとむさんを持ってしても、ステファン先生がいつエヴァを愛したのかわかんなかった……。
 エヴァが「見た目大人」で「わざとらしいほどに子どもぶっている」ために、ステファンも彼女に心を動かす演技が、かえって難しかったのかなあと。
 だってそんなことしたら、ふつーに浮気になっちゃうもんなー。
 昔の恋人よりも現在の恋人よりも長身の若い女性を、これまた無理に子ども扱いしている様が、不自然でなあ。

 エヴァとのラヴストーリーに見えなかったし、フローレンス@きらりのことはまったく愛しているように見えなかったし、いちばん雰囲気が良かったのはナタリー@いちかで、むしろ彼女とよりを戻す(フローレンスは当て馬)話かと思ったよ……。
 エヴァの手術のあと姿を消すのはかなり不自然だが(医者なら術後を見届けろ)、ナタリーにふられたから、その場にいられなかったんだと思えばぎりぎり納得できるし。

 だからこそ、ラストが唐突すぎてぽかーん。
 20歳になったエヴァと……って、エヴァ、見た目はまったく変わってないやん。最初から、実はハタチだったんだけど、成人して押しかけ厨やったら逮捕されるんで、年誤魔化して子どもの振りしてたとか?
 年齢的には変わってない、だが確かに外見は画期的に変わった。自称14歳のときは、二度見してしまうほど悪趣味な服装をしていたが、ハタチになるとふつーのおねーさんだった。
 ステファンが許容できなかったのは、服装か!!
 そーだよな、あの地味なナタリーが好みだったヒトだもんなー。

 あら、オチがついた?(たぶんチガウ)
 悪徳医者が札束を突っ込むのが、内ポケットじゃない!!

 花組全国ツアー『長い春の果てに』で、いちばん驚いたところは、そこです(笑)。

 ここ2回の花組全ツは東はじまりで寂しいです。なかなか大阪に来てくれないんだもの。
 わたしは千秋楽より初日に行きたい人。

 ようやく観に行けたのが、千秋楽の前日です。梅芸が千秋楽公演なのね。

 えー、『長い春の果てに』は好きじゃありません、もちろん。
 わたしの苦手な石田作品、しかも、イシダせんせの嫌なところがぎゅーっと濃縮された作品です。
 いい意味でも悪い意味でも「イシダ」って感じの作品で、いいところもあるんだけど、わたしがもともとイシダせんせ全般苦手なので、最初から1回だけの観劇予定。

 石田作品は1回観るのがいい、1回だけだと楽しいの。2回以上観ると、嫌なところばかり目について、精神衛生上よろしくない。
 それがわかっているので、自衛する。

 で、それが正解。

 1回だけだと、楽しかった。

 らんとむのメガネ+白衣プレイや、ウサギちゃんたちをネタとして楽しみ、挫折専科悪役の壮くんをなつかしくいただき、だいもんの活躍ぶりに胸を熱くする。
 出演者を好きなので、彼らの姿を愛でるだけで、1時間半過ぎてしまう。

 あー、楽しかった。かわいかった。


 しかし。
 やっぱこれって、アテ書きだったんだなあ。
 初演はキャラのハマり具合だけで突っ走っていた。再演はそこが欠ける分、作品に力がなくなってるよなあ。


 と思うわたしは、「1回観るのがいい」と理解しつつも初演を複数回観てしまってたんですなー。
 当時ご贔屓がこの作品に出演していたもので、仕方なく(笑)。

 えー、当時のご贔屓は、正義の新聞記者役をやっていました。
 昔はゴシップ記者、それが改心して今は正義の新聞記者。暴け不正!と熱血。

 悪徳医者をストーカーし、彼の罪を本人に言いつのり、「記事にしてやるもんね、ペンは剣よりも強し!」とやるもんだから、悪徳医者はびっくりして「記事にしないでくれ、金なら払う!」と札びらを切る。

 ええ、この札びらを切る、ところが。

 体格のいい悪徳医者は、小柄で華奢な新聞記者をがしっと抱き寄せ、いきなり服の中に手を入れ、ジャケットの内ポケットに金を入れようとしたのですよ。

 ……大劇場初日に観たときは、びっくりしましたよー。

 スーツ姿の男が、スーツ姿の男を抱き寄せ、服の中をまさぐるわけですから。抱かれた男はすげー抵抗するし。

 ナニを見せられているんだ……。目が点……。

 初日はまた、なかなかお金が入らなくてねー。
 抱き寄せたままじたばたする時間が長かった。

 それが、回を重ねるごとに出演者がどんどん慣れてきて、抱き寄せなくてもすっと内ポケットに札束を入れられるようになっちゃったの(笑)。
 初日とその周辺だけだったのね、あの愉快な光景は。

 しかし、初日はすごかったから。
 目に焼き付いたから。
 『スターの小部屋』のカメラにも、しっかり捉えられていたから。
 『スターの小部屋』の『長春』初日映像、該当部分を音を消して再生すると、立派なホモドラマの一場面……(笑)。

 いやあ、大ウケしたよなあ。

 それがあるもんだから、今回の再演『長春』。

 キャストが発表になったときに、期待したわけですよ。

 えりたんが、キキくんを抱き寄せ、服の中に手を突っ込むわけですね!!

 で、病魔に冒されたえりたんを、キキくんが愛で支えるわけですね。がりんくんと三角関係になるわけですね。

 わはは。なかなか楽しそうだー。


 ……内ポケットちがうやん。

 クロード@えりたんは、ジャン@キキくんの胸ポケットに、紙幣を突っ込んでました。

 いやむしろ、何故内ポケットだったんだ、初演。
 変だよなー。
 なんで内ポケットにお金を入れようなんて、思いついたんだ、イシダ。
 相手の服、はだけさせなきゃならんわけやん。
 無理があるやん。

 再演の演出変更により、初演が変だったってことが、よーっくわかりました。

 でも、変でありがとうごちそうさま、でした。初演(笑)。
 で、正塚芝居は個人の華の有無、輝度の量が明確になるなあと、毎度のことだけど思った。
 新人公演『ダンサ セレナータ』

 マカゼ氏が真ん中にいると、わーっと思う。高揚する。
 やっぱこの子はセンターだよなあ、と。

 本公演のガチなダンスでセンター、とかと違い、なにしろ新人公演だ。
 下級生たちの間にいれば、彼の存在は段違い。
 ……てゆーか、大劇場本公演で、役替わりとはいえ2番手を務めたスターは、新人公演卒業していいと思うんですよ……。


 もうひとり、華と美貌で群を抜いていたのが、ヒロイン・モニカ@わかばちゃん。

 どうして顔だけ赤黒くて、他とまったく色が違ったのか、どーしてそんなことになっているのかわからないが(笑)、それでも彼女は美しかった。

 正塚芝居のヒロインはほんとに地味でしどころがなくて、華のある美女が演じないとモブに埋没しかねないんだが、わかばちゃんはちゃんとヒロインしていた。
 独特の正塚喋りが、わりと合っている気がする。ちょっとぶっきらぼうな感じが、もともと抑揚の少ないわかばちゃん向きなのかもしれない。

 ただし、イサアク@マカゼとふたりして、なにをどうしたいのかわからない人たちだったけどねえ(笑)。
 これは脚本が悪いと思うの、ハリー。


 存在感と押し出し、プラス美貌で注目を集めていたのが、アンジェリータ@風ちゃん。
 や、マジうまい!
 いろんな役の出来る子だなあ。今までのバウにしろ新公にしろ、役柄がかぶらないというか、実にいろんな役をやって来て、しかもちゃんとモノにしているのがすごい。

 ぶっちぎりのうまさでした。
 車椅子がつんのめったときは、マジびびったよ……。熱演ですわ。


 カロリーナお嬢様って、浮き世離れ感を棒読みで表しているのかと思ってたんだ。
 だから、新公が、棒読みじゃなくて驚いた。

 棒読みになっても仕方ない脚本だと思うんだけど、語尾のニュアンスとか工夫していて、棒読みじゃない。
 城妃美伶ちゃん、まだ研2かあ。お化粧はこれから研究だと思うけど、芝居がうまかったので楽しみだー。


 反対に、リタ@綺咲ちゃんが棒読み度が上がっていたので、彼女の持ち味らしい。
 きんきんした棒読みテイスト。
 バウではスタイル良く思ったんだが、リタ役では特に思わず。

 リタは難しい役だなあ、と新公を見て思った。
 本公ではいい役だと思ったんだけどな-。リタがバカだから救われている、と。
 新公では救われなかったナリ……難しいわ。

 美貌か技術か、どっちかがずーんと垢抜けてくれるといいなあ。


 美貌か技術か、どっちか欲しいなと、今回も思いました、ジョゼ@麻央くん。
 あれだけ恵まれた男役体格を持って生まれてるんだ、きれいになるかうまくなるか、せめてどっちか頼むよ……。

 ジョゼは台詞のタイミングが難しい。激しく喋るアンジェリータに絡むわけだから。
 アンジェリータと格が違いすぎるわ、台詞のタイミングがいまいちだわで、なにかと大変。いやその、アンジェリータ@風ちゃんが。ジョゼの台詞を間に入れなきゃいけないんだもん。やりにくそうに感じた。


 アンジェロ@礼くん、悪くはないんだけど、なにか足りない……。
 『オーシャンズ11』新公のときのような、「娘役が男たちにまざっている」感じはしなくなった。ちゃんと男役だとわかる。

 それに、演技はふつーにうまい。
 声がいいのは強みだ。

 見るからに子ども、少年、という風でもない。
 でも、なんつーか、やっぱ「新公の男役」って感じだった。
 そりゃ新公だし、礼くんはまだ研4なんだからそれで当たり前なんだけど。

 同期のひろ香祐くんの自然な男ぶりに比べると、ねえ……。いやその、ひろ香くんは音校生時代から安定のおっさんぶりを誇った人だから、比べるのはアレだが。


 そのひろ香くん、かっこよくなったねええ。
 ダンサー役でわらわら出てきているんだけど、ちゃんとかっこいいです。

 あとダンサーチームで目についたのが、朝水くん、音咲くん? くどかったよーな。(誉めてます)


 ローザ@ゆふちゃんが良かった。
 本役さんとはチガウ、独特のやわらかさと、浮き世離れ感。完全に浮いているのではなく、ちょっと離れた感じが、心地いい。
 この女性がみんなから愛されるのがわかるよ。

 その相方、フェルナンド@飛河くんは……この役、実はいちばん難しいのか? 新公だと浮きっぷりが痛々しい。
 飛河くんが悪いわけではなく、新公としてはよくやっていたと思うけど、なにしろ役が難しすぎて。
 正塚芝居にありがちな、間で笑わせるキャラ。KYで人間くさい役。しかし、その「同じ台詞だけ、使い方を変えて言う」とか、「それを言ったらおしまいでしょ」な台詞を、空気を顧みずに言うとか、難易度高すぎ。
 出てくるたびに「大変だなー。がんばれー」という感じだった。


 あとちょっと、なにがどうじゃないけど、瀬央くんが気になった。
 ナニが気になったのかわかんない(おぼえてない……)ので、次の機会にちゃんと見てみたい。
 ……顔かなあ。
 『ダンサ セレナータ』新人公演を観て、いちばん強く感じたことは。

 正塚せんせ、この作品、キツイわ。

 ということでした。


 本公演ではキャストが力業でなんとかしているから観られるけれど、新人公演だと剥き出しの駄作、ということが多々ある宝塚歌劇。

 その中でもいろいろと癖の強い正塚芝居。
 独特の台詞回しと、間。
 衣装や音楽の力を借りることは出来ず、個人の能力、持って生まれた華で勝負する、硬派な作り。

 正塚作品の新公が、他作品の新公より悲惨なことになるのは実によくあること。

 なんか、新公を観ることで、正塚作品である、ということをより大きく感じました。

 きつかったわー……。
 作品自体が。


 正塚せんせは、せんせ自身の美学に基づいてストーリーやキャラクタを作っているわけだが、それでも基本アテ書きだと思っている。
 誰でもイイわけじゃなく、この人だから、ってのは根底にある。
 「正塚役者」と呼ばれる人を重用したりするのも、それゆえ。生徒の特性を見た上で、その生徒に「やらせたい」と思う役をやらせている。
(ソレがハリーの独りよがりだったりして、観客からは首を傾げる結果も多々ある。それでも確かに、アテ書きだ)

 ただでさえ難しい正塚芝居。
 その上、キャラ違い、アテ書き無視の配役。
 行動ではなく、出来事や会話の奥や余白を読み取る・想像する、ことでしかナニを考えているのかわからないキャラクタだらけの話。
 これを新人公演で、って……。

 きついわー。

 なんというか、なめらかでないことを楽しむハイキングコースが、でこぼこもなにもなくなり、ただの道になってしまった印象。

 つまんない話だなあ。
 なにをどう楽しめばいいのか、さっぱりわからん。

 と、新公出演の生徒のみなさんのことよりなにより、正塚せんせに頭を抱えました。はい。

 本公演はいろいろ感じるところがあって、もともと正塚スキーなわたしは楽しめるんだけどなあ。
 やっぱそれって、本役キャストあってのことなんだなあ。


 さて、主人公イサアク@マカゼ。
 正塚作品の主人公は、大変だね。
 自分探ししてらっしゃるもので、ナニがしたのかナニを考えているのか、さっぱりわからん。
 主人公に吸引力がないと、こんなに大変なことになるのか、と正塚作品に改めて危惧をおぼえた。

 役者にはまず「声」が大切だなあ、と、今回特に思った。

 ナニを考えているのかよくわからない主人公であるからこそ、声の力強さ、心地よさで観客の意識を集める必要がある。
 また、その声の力によって「ナニを考えているのかわからないけど、きっとナニか考えているんだろう」と思わせないといけない。その奥を想像する意欲を持たせるというか。

 説得力のないへにゃっとした声で喋られても、「で、結局ナニがしたいんだろう?」としか思えない……。

 マカゼ氏がいろいろとうまくない人なのはわかっているが、彼の場合声や滑舌が改善されたら、かなり変わるんじゃないかなあ。
 なんでああも聞きにくい声なんだろう。

 マカゼの声は、気泡の入った透明シートみたいだ。
 液晶画面とかに、保護シート貼るじゃん? 大抵うまく貼れなくて、いくつか気泡ができてしまう。シートの上から気泡をぷにぷに押す、あの感じ。
 アレがなければなあ。

 声自体はいいと思うんだけどな。わたしは水しぇんの顔も声も好きだった人ですから。
 水しぇんの声は気泡入りではなく、かすれてすり切れた感じだった。触ると表面がざらっとしている。それは味として好きだった。

 マカゼがあの顔で、実力さえ付けてくれればなあ。
 毎回言っていることだが、ほんとにもどかしいです。

 真ん中に立つ、華は十分だと思うの。彼が真ん中にいることは、違和感がないの。
 だからあとは、技術……。

 『オーシャンズ11』のときはそれほど「主役なのにこれは……」てなことが気にならなかったので、ほんとに正塚芝居が大変なんだと思う。
 新公はアテ書きしてもらってないもんねえ。


 で、新公はアテ書きでないために複雑だった、ふたつの役。
 ホアキン@れいやくんと、ルイス@レイラ。

 えーと……どっちも、ふつうだった。

 つまり、その、変な人じゃなかった。

 本公演は、このふたりって、変だよね?

 ホアキンの変さは、イサアクへの惚れ込み方。なんでそこまで彼を好きなのかわからない、ってくらい、ぶっちぎりで片想いしている。
 ホアキンの言動や立ち位置に疑問があっても、「まあ、イサアク好きなんだから仕方ないか」で済まされるっていうか。
 作品とキャラの粗を「変な人だから仕方ない」でアンサーしちゃってる感じ。

 ルイスは別に変じゃないけど、なにしろヘタレキャラ。空気読めないまっしぐらカンチガイキャラってことで、笑いを取っている。
 ハードボイルド命の正塚作品の、彩りのひとつ。

 しかし、新公ではこのふたりが、「ふつうの人」だった。

 ホアキンはふつーに秘密警察の人だし、ルイスはふつーの恋する男だった。
 どっちもふつーにかっこいいです。イケメンです。

 しかし。

 このふたりがふつーだと、作品はさらにガタつく。

 ホアキンがふつーに仕事している風だと、より「この国、変」に見える……。
 ホアキンが変だから仕方ないな、と思えていた部分が、コアな設定自体への疑問にすり替わるんだもの。

 や、悪いのは正塚ですよ? こんな脚本書いてる方が悪い。
 しかし現実問題、本公演はホアキンのキャラで持っているし、アテ書きである以上生徒のキャラ頼みってのは別にマチガイじゃないしなー、と。

 ルイスに至っては、彼がふつーだと、まずいと思う。

 ルイスはカンチガイ爆走キャラだからいいの。イサアクに相手にされていなくても、勝手に盛り上がっている。
 これで彼が「ふつう」だと、友人の一大事に本気で相手をしていない、イサアクが、やばい人になる。

 新公はルイスがふつーの人なので、イサアクのアレさが際立ってました……。

 仲間に対してこんな態度取る男に、「仲間を見捨てるようじゃ、密度の濃いステージなんか出来ない」とか責められてもなあ。
 モニカ@わかばちゃんが秘密警察に連行された、関わり合いになりたくないとびびるダンサーたちを責めるイサアクの、白々しいことってば……。単に自分の女だから大事なだけで、仲間なんかどーでもいい、が本音でしょうに……。

 ルイスは空気ぶちこわしに笑いを取ってなんぼだと、よくわかりました。
 いやその、そもそもそんな役を作る必要があるのかとか、問題はハリーにあるんですけどね。
 しかし現実問題、本公演はルイスが笑いを取って成り立っているし、アテ書きである以上マカゼには合った役だし別にマチガイじゃないしなー、と。

 れいやくんもレイラもかっこよかったっす。
 レイラなんか、こんなに喋って演技しているのを観るの、文化祭以来だよ……かっこよくなったねええ、とめちゃ感慨深いっす。
 しかし、せっかくかっこいいのに、作品的にアタマ抱えるのは、ほんとにもお。

 正塚せんせ、この作品、キツイわ。

 ということに、尽きました(笑)。
 ヲヅキさんが、ヤン・ウェンリー!!

宙組 宝塚大劇場公演/東京宝塚劇場公演『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』一部の配役 決定(2012/06/04

ラインハルト・フォン・ローエングラム@凰稀かなめ
ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ@実咲凜音
パウル・フォン・オーベルシュタイン@悠未ひろ
ヤン・ウェンリー@緒月遠麻
ジークフリード・キルヒアイス@朝夏まなと
オスカー・フォン・ロイエンタール@蓮水ゆうや
アンスバッハ@凪七瑠海
ウォルフガング・ミッターマイヤー@七海ひろき

 「一部」として、すげー人数の配役が発表になった。
 先に発表になったということは、この人数がポスターに載っちゃうんでしょうか。
 別枠の切手状態で載せるには不思議なメンバーなので、全員「役」としてポスターになるんだよね?

 8人って、本公演ポスター掲載者数として、最多?

 2006年の星組『ベルサイユのばら~フェルゼンとマリー・アントワネット編~』のように、各組から特出役替わり祭りでもない限り、通常は載ることのない人数。

 わたしが知る、もっとも掲載者数の多い2000年の月組『ジャズマニア』8人とタイ記録っすよ。

 2000年は新専科旋風により、いろいろイレギュラーだったよなあ。新専科は載せなきゃいけないし、組内路線も無碍にはできないし、みたいな?
 タニちゃんを載せるために、彼より上の番手や学年の人全部載せたら8人になっちゃった、という大人の事情が見えるポスター人数でしたなー。

 最近では『オーシャンズ11』のポスターが華やかだったので、『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』にも期待……って、全員軍服なわけだもんなあ、トップ娘役@みりおんまで。
 すごい画面になりそう。

 なにはともあれ、ヲヅキさんのヤンが楽しみです。

 演目発表時の

> ヲヅキさんがヤンだったら、彼の持つみょーなおかしさやかわいさが生きる
>のになあ、とか。(ティーカップ片手にテーブルの上に置きたいです。絶対かわ
>いい・笑)

 という希望が叶ってうれしいっす。
 帝国中心である以上、ユリアンとのエピソード@ティーカップ片手にテーブルの上、はないと思うけど。

 でもって、ともちんがオーベルシュタイン!! オベ様ともちん!! わ~~、すばらしい~~。
 黒ともちが見られるわけですね。

 ロイエンタール@ちーちゃんも、楽しみすぎる。
 わたしはちーちゃんの顔が好きです。
 あの顔で、本気の美形役をやるわけですよ、どんなことになるんだー、うおー。

 ミッターマイヤー@カイくんは……でかいミッちゃんやなあ(笑)。
 道原かつみ氏の「男女逆転銀英伝」で、ミッちゃんがトランジスタ・グラマーだったのが忘れられない……ミッターマイヤーっつーと小柄、だからなあ。

 で、カイくんが宙組組子の上から13番目、カチャが10番目だっつーことに、時代を感じます……そうか……89期ってもうそんな学年なんだね……。

 カチャの役から、やはり物語は2巻で終了ですかねー。いちばん無難なとこだよなー。

 となると、ヒルダ@みりおんはヒロインたり得るのか、とか、他のときならいざ知らず、トップコンビお披露目でそれはないよなー、とか。

 ふつーに考えれば、ラインハルトの相手役って、キルヒアイスだよね?

 ラインハルト@テル、キルヒアイス@まぁくんで、将来の宙組、引いては未来のタカラヅカのために、がっつり人気を取る仕掛けをするのは良いことだと思いますが。

 まぁくんが赤毛ののっぽさんかあ。あのちびっこ(ヅカ的下級生を表す言葉)だったまぁくんがねえ……胸熱。


 なにがどうなるのかさっぱりわかりませんが、楽しみです。
 『近松・恋の道行』覚え書き。

 プログラムの左開きが嫌すぎる。

 バウホールのプログラムは、基本右開きです。
 中身が横書きだろうと、右開き。

 おかしな話だけど、そうなっている。

 理事長や演出家の挨拶、あらすじなどが横書きでも、肝心の「Cast」欄が縦書きの場合が多々あるため、そこを中心に考えているのかなと思う。

 また、わたしたちは日本人であり、和書は基本右開きであるため、たとえ横書きの内容でも右開きであることに、違和感は少ない。

 だからこそ、逆は、気持ち悪い。

 右開きの中身が横書きでも「違和感」で済むが、左開きの中身に縦書きがあると、「気持ち悪い」。
 しかも『近松・恋の道行』は、日本物だ。
 今までどんな洋物演目でも右開きで通してきたのに、何故日本物を左開きにするんだ。
 古典の教科書が左開きになっているような、気持ち悪さ。

 実際、ページを開けると出演者写真と主な配役が縦書きで、どう目を運べばいいのか混乱する。

 「Cast」ページが横書きなので、そこだけ見れば左開きでもいいのかもしれないが、そもそもなんで和物を横書きにするんだって話だ。

 洋物だって縦書きにしているのに、なんで「近松」を横書きにして、左開きにするんだ。
 プログラムを作った人のセンスと常識を疑う。


 言い尽くされたことだろうが、浄瑠璃人形@柚カレーくんが、美しい。
 彼の美貌が、なによりの説得力。
 作品のファンタジー感を底上げし、高クオリティを決定づけている。

 彼の唯一のアルバイト、「大店の若旦那」っつーのはアレですか、顔の見えない人? 大勢わらわらいる場面だから点呼できてないんだが、ぱっと見、あれなのかなと。
 だとしたらすごいなー。景子たんの作為っぷりがもお。

 相方の人形役の女の子が、あまりかわいくないのが残念。お化粧がこれから、の子なのかな。

 フィナーレの登場の仕方に驚いた。
 女の子の方はそうでもないが、柚カレーはみわっちに次ぐ扱いですか……。いやその、役割的にそうなんだけど。
 役割がどうあれ、番手や学年を優先するのがヅカのフィナーレ順なので。


 悪役あきらがかっけー。

 とてもわかりやすく悪役で、これに騙される嘉平次@みわっちってどんなん?と思えるが(笑)。

 アルバイトの番付売りにしろ、真ん中でどーん!と歌うのが様になってきたなあ。
 あきらは「遅れてきた路線」なので、今まで露出がなかった分、成長が楽しみだ。

 長作は記号めいた悪役。「嘉平次の純粋バカなところがムカつく」という意味の台詞があるにはあるが、ほんとのとこ掘り下げなくてイイ役だと思う。
 長作を「人間」として掘り下げると、話がややこしくなる。彼は脇役なので、これ以上のキャラ立ちは「物語」に不要。
 そういう意味も含めて、あきらの長作は過不足なくいい仕事しているなと。
 群衆にまぎれることなく「悪」でいるしね。

 幕が下りるときの長作がすげーかっけーので、「『近松・恋の道行』1回しか見られないんだけど、ここは見ておけ!ってポイントは?」と聞かれた折はもれなくオススメしてました。ラストのあきら、上手側にいるから見て!と(笑)。


 『近松・恋の道行』のアンドレ清吉@みつるはまた、安心のクオリティ。

 オスカルを毒殺しかけて我に返るアンドレだよね。
 いやあ、いい男です。

 忠義者、武士としての清吉ばかりが表に出ていて、「世慣れた商人」としての清吉が薄かったのが残念。
 彼の登場は世慣れた色男風だったのに、そっから先は「不器用な男ですから」的な面ばかり強調。
 対外的には飄々とした社交的な男で、だけどほんとは忠義一途な侍なんだよってギャップが、もっとあってもステキだったろうなと。

 しかし、みつるは、ピカイチのベッドシーン役者だねえ。

 『舞姫』『銀ちゃんの恋』『フィフティ・フィフティ』と、彼に主要キャラをやらせるときは、もれなくベッド(布団)シーンがついてくる……(笑)。

 ベッドで語らせたい男なんだな。
 や、気持ちはわかる、みつる!みつる!みつる! 腕を振り上げてみつるコールしたくなる。

 小弁@べーちゃんとの質感が合っていたのがまた、ポイント高し。

 ……べーちゃんはお化粧がんばってほしいけど……って、女の子たちは大概そんな感じだったか。
 日本物は難しいよなあ。


 ふみかとらいらいは、えらい勢いでいろんな役をしていたような。
 彼らクラスのスターがモブとして活躍するとは思ってなくて、出てくるたびに混乱した。
 ひと目でさっきの役と別人なのはわかるが、ひとめで彼らだとわかる押し出しの強さがあるもんで、モブには向かない……。

 ふみかの赤穂浪士生き残り、とか、らいらいの「悪ではない、これが世間」という感じの女郎屋の主人とか、いぶし銀の魅力。
 いい舞台人だほんと。

 あとらいらいは、気合いの入ったナマ足見せに、「これぞ夕霧らい!」を感じた初日(笑)。
 ならず者役で走ってはけるときにねえ、そりゃあもおステキに裾を捲り上げててねえ。太もも全開ですよ、さすがですよ。

 はっちさんは専科さんなんだー、とか、まりんの副組長ぶりが違和感なくそつなく挨拶うめえ!とか、さあやのリアルで肉のある芝居っぷりとか、すっかり大人のレアくんとか、子役専科のななくらパネェとか、きららちゃんきれい、いい役、花奈ちゃんがわりと目に入るとか、最近神房くん気になるんだがとか。


 日本物はいろいろ大変だけど、この世界観は好き。タカラヅカならではの貴重なジャンル。大切にしていって欲しい。
 きれいで濃くて楽しかったっす、『近松・恋の道行』。
 と、紹介されてました、まっつ(笑)。

 まっつの『ぐるっと関西おひるまえ』出演にきゃーきゃーしてきました。
 ナマまっつ、ナマまっつ!

 『ぐるかん』自体はまあ、地域密着の、いかにも地方限定NHKって感じの番組です。

 そこで司会を務める、ったって、番組に奥行きはないし余白もない、渡された台本通りにただ短く「次は**です」系のことをひとこと喋るだけのお仕事。
 司会者はがっつり存在していて、そのサブ、後付けにアシスタントをやっている感じ。
 トップスターがバラエティ番組に出てコメンテーターをしたりするのとは、まーーったく趣がチガウ。
 顔を眺める以上に楽しみはないだろうから、きっと該当ジェンヌのファン以外は、あえて見ることもしないだろう……。

 それでもっ、その該当ジェンヌのファンはうれしいし、ありがたいと思っています。
 わーいわーい。

 まつださんはとても既視感あふれる服装(笑)と、最近お気に入りなのか、前髪のある髪型で出演。『カフェブレイク』と同じ髪型かな?

 スカステ以外のテレビだしNHKだし、気合い入れてものすごいヒールで現れるかと思ったんだが、そうでもなかった。
 たしかに高いヒールをパンツの中に隠していたけれど、タカラジェンヌとしても現代女性としても一般の域に収まるヒールだと思う。
 その昔、わたしがまっつにはまったばかりの頃は、びびるくらい高いヒールをパンツの中でひっそり履いていた……靴脱いだらあれ、松の廊下ごっこが出来るぞ、ってくらい。

 お茶会でも、トークイベントでも、もうあそこまでのヒールは履かなくなった印象。や、あくまでもわたしの知る範囲で。
 高い身長に固執することなく、自然体に、美しい女性で在る感じ。


 スタジオ観覧席を埋め尽くしているのは、もちろんまっつファン。
 パンダのぬいぐるみを持参したり、きらきらうちわやシャンシャンを自作し、コンサート会場のように詰めかけている。

 本番前に、出演者としてスタジオに登場したまっつは、そんなわたしたちをちらりと一瞥した。

 レギュラー司会の方が「未涼さんを応援に、こんなにたくさんのみなさんが」てな感じに、わたしたちのことをまっつに振ったんだな。
 それで、一瞥。コメントなし。

 えーと。
 他のジェンヌさんはどうだったんでしょうか。スタジオに行った人に教えてほしいわ~~。
 にっこり笑って手を振ってくれるとか、会釈してくれるとか、なにか言ってくれるとか、反応はあったんでしょうか。

 チラ見して、無反応。

「父上は、私をちらりと見ると、ものも言わずに立ち去りました」
「ものも言わずに……!」

 どこのフェリペ二世?!(笑)
 『ドン・カルロス』初日、まっつメイトと「どんだけアテ書きなのよ、キムシン!!」とウケていたことを思い出した。

 や、チラ見したときに、曖昧な笑みは浮かべていたと思うけれど、それはそのとき以外にも浮かべていたので。
 キムくんとかみみちゃんとか、笑顔が印象的なジェンヌさんがいつもにこにこきれいに自然な笑顔でいる、笑っている顔がスタンダードっていう感じに比べると、曖昧というか微少な笑みだなと。

 その反応がね、まっつらしくてなんかすごくすごく、きゃ~~っ!!なキモチになった(笑)。

 その昔、某イベントで某ジェンヌの横断幕を振ったことがあるんだが、当のジェンヌさんはそれを見つけて、そりゃうれしそーに破顔してくれました。うれしい、だけじゃなく、指さしながらウケてくれたよーな。4人がかりの横断幕だったもんなあ。

 詰めかけたファンにコンサートグッズ振られて、満面の笑みを返したり、「ありがとー」と手を振ったり、そーゆーリアクションをしないまっつだからこそ、まっつ!


 もちろん、めーーっちゃ緊張していたんだと思う。
 油断すると顔がきびしくなるため、あちこち意識して微笑もうとしていた様子。
 本番中はそりゃーもお、スイッチ入れて微笑んでいた。

 いちばんそれがよくわかったのが、ラスト部分かな。
 トークゲストたちのコーナーが終わったあと、一旦スタジオから退場したまっつは、気象情報やっている間に再登場、中央セットの前で次の場面に備えているわけなんだが。
 顔つきがきびしすぎて、めっちゃこわい。
 ラストに来週1週間の『ぐるかん』の予定を案内するんだが、その内容がカメラの下に書いてあるのね。正確には、カンペのスケッチブックを持ったおにーさんが、カメラ下にいる。
 まっつはすっげー真剣な顔で、そのカンペを凝視、口の中で台詞のおさらいをしていた模様。

 そんだけ「こわっ」て感じだったのに、カメラが回り出すと表情が変わる。

 おおお。
 プロだわー。

 仕事自体には「こわい」「怒ってる?」くらい、きびしい表情をして、だけど他出演者さんたちや、スタッフさんたちにも全身で気を遣っている様子で曖昧な笑顔とか浮かべて、オンエア中はもちろん懸命に笑って。

 真面目さと一生懸命さが、伝わってくる。

 クールが売りだけど、生きる姿勢を低温だと感じたことはない。仕事には熱い人だよね。


 ゲストの落語家さんのお話を聞いているとき、この世界に入った当初の話題で「上下関係がめちゃくちゃきびしい」という話になった瞬間、まっつの背中がぴっと伸びたのがステキ。
 無意識だよね、あれ。
 音楽学校時代とか思い出したのかな-。

 や、落語家さんのお話はとても感動的でした。さすが喋りのプロだ、テーマトークが流暢かつ面白い。
 今うち、父が喋れなくなって筆談の日々なので、余計に身につまされたっつーのもあるかも。 


 番組ラストに、『フットルース』宣伝うちわ(でも写真は『インフィニティ』・笑)と、大きなパンダ顔面うちわが紹介されていた。
 アナウンサーさんもまっつも、説明足りてなかった気がするんだが……なにも知らないお茶の間の方々に、意味は通じたんだろうか。
 まっつがパンダを好きだと公言しているからまっつファンはユニフォームのようにパンダグッズを持ち寄り、こーゆー場でも振っているのだということ。
 このグッズは観覧席のファンから借りたモノであるということ。

 咄嗟に説明できず、「私の大好きなパンダです」と答えて終了のまっつがデラかわいかったっす。


 番組終了、お疲れ様。
 出演者さんたち互いに挨拶して、スタッフさんに挨拶して、観覧席を改めて振り返ることはせずに、迷わずスタジオをあとにするまっつに、またウケまくりました(笑)。
 わーい、まっつはそうでなきゃ!

 集合日だもんね、お仕事詰まってるもんね。
 まっすぐ進んでくれ、ついて行くから。


 で、集合日ってことで発表された『フットルース』の配役では、なんつってもきゃびいがまっつの嫁ってところに、反応しまくりました。

 まっつ、きゃび様に指輪贈るの? また舞台稽古のどさくさで?(笑)
 主役カップルがいちばん物足りなかったと書いた。
 では、『近松・恋の道行』でいちばんツボったカップルはというと。

 幾松@鳳くん×きは@りりかだ。

 いやあ、まさかここに行くとは思わなかった。
 初日に観たとき、なんか気になって。次に観たときは、がつーんとキた(笑)。
 幾松の盲目の理由をわかった上で観る、リピート観劇のときの方が破壊力大きい。

 ちょ……っ、好みだわ、この子たち!!


 きはの正しさがいい。
 控えめで、じっと耐える誠実さのある娘。
 なんの落ち度もないのに振られて、どんどん身の置き場がなくなっていく。
 いや実際、たまらんでしょ、彼女の立場だと。
 長男の嫁に、この家の若女将に、と幼い頃から引き取られ、育てられてきたのに、当の長男に拒絶されるって。

 存在意義の否定キターーッ!

 嘉平次@みわっちに視線逸らされたりするのもつらいが、そのことで嘉平次パパ@汝鳥伶様に謝られたり、嘉平次弟幾松に気を遣われたりすると、さらにきついよなー。
 いっそ罵ってくれ、「お前が至らないから嘉平次が他の女に迷ったんだ」と。
 そうすれば謝ることも泣くことも出来る。
 しかし今のままだと、それもできない。

 ただ、苦しむだけ。

 黙って慎み続け、苦しみ抜くきは。

 その彼女が、2幕アタマの幻想場面で、嘉平次への想いを表す。
 うちに秘めて耐える、日本人女性の鑑のような彼女が、熱情をこぼす。嘉平次へ本心を解放する。
 いや、幻想ですら、彼女は自分を律しようとするのだけど。相手を炎に焼いたりはしないんだけど。

 自分の心の炎にとまどい、また苦悩する。


 そして、そんなきはを愛する、幾松。

 愛を封じるために、自ら目の光をあきらめる。

 盲目のままでいる、というのは、彼が選んだ戒め。
 彼が健康な青年ならば、道を誤った長男に代わり、棚ぼたなことになるかもしれない。
 家督を継ぎ、兄と沿うはずだった許嫁を娶る。それって万々歳じゃん、幾松はきはを好きなんだから。
 だけどそれじゃダメなんだ。だってきはは嘉平次を愛している。
 愛する人に、幸せになって欲しい。愛を成就して欲しい。きはの幸せは嘉平次と一緒になることだと信じている。
 幾松の目が見えないままなら、こんな身体で跡取りにはなれないから、父はなにがなんでも嘉平次を家に戻し、きはと一緒にさせるはずだ。

 きはのために、目をあきらめる。

 きはのため?
 そうじゃない。

 自分の、ためだ。

 もしも目が見えたなら、兄と遜色ない健康で聡明な若者だったなら。
 きっと、恋をあきらめられない。
 きはの幸せが嘉平次にあったとしても、彼女を得たいと渇望することだろう。

 それがわかっているから、盲目でいる。
 こんな身体だからと、彼女をあきらめられる。

 所詮は、自分のためにやっているんだ……。

 献身とか自己犠牲とか、美しいものをまといながら、本当はこんなに醜い。
 醜い私は、彼女に相応しくない。

 闇のスパイラル。

 傷つきながらも微笑むきはを必死で気遣う幾松は、彼女に言われる。

「幾松さんは、やさしいのね」

 この「やさしい」と言われた瞬間の幾松が。
 鳳くんが。
 かなしい、痛い顔をした。

 優しい、いい人、は「対象外」の男に投げられる常套句だから、そこに傷つく、という意味もあるのかもしれない。

 でも、「やさしい人」と言われちゃったら、きついよね。

 私は優しい人なんかじゃない。あなたにだから、優しくしているだけ。
 人格者だから徳のある言動しているんじゃなく、その奥に欲があってのこと。

 弱った彼女に優しくして、無意識に見返りを求めている。

 彼女の美しい言葉が、素直な感謝の心が、幾松の闇に刺さる。清浄さが汚濁を照らし、やりきれなくなる。

 だから彼は、目を開いてはいけない。
 このまま、闇に沈むべきだ。盲目のまま、不具のまま、家督を継ぐ資格も彼女を得る資格もないまま、朽ちていかなければ。

 2幕最初の幻想場面は、切ないよなあ。

 嘉平次とさが、清吉@みつると小弁@べーちゃんは、それぞれ苦しんでいるけれど、とどのつまりは相思相愛、ふたりの間に葛藤はない。
 幾松ときはだけが、心のベクトルがチガウ。

 嘉平次を恋い、叶わぬことに苦しみ、恋うことすら律しようと葛藤するきは、そんなきはを恋い、叶わぬことに苦しみ、恋うことすら律しようと葛藤する幾松。

 きはは正しい。
 まっすぐな女性。

 そのきはに対し、幾松は、歪んでいる。

 いやあ、幾松ってやばいよね(笑)。『春琴抄』系のやばさだよね。
 愛する女のために、目をつぶしますよ、っていう。

 嘉平次の弟だなと思う。
 嘉平次は狂気を秘めた男、その弟もまた、十分狂っている。

 その歪みが、ステキすぎる。

 鳳くんはこういう「ふつうの優しい人」が、ちょっくら道はずしちゃった系を演じるとイイ人ですなー。『CODE HERO/コード・ヒーロー』のときとかさー。
 天才とか華のある色悪とかだと、持ち味が違いすぎていろいろ大変なことになるけど。


 ところで、あちこちで七変化、すばらしい芸達者ぶりを見せているタソですが。
 「盲目の美青年・幾松」のお世話係がタソって……!!

 いやその、タソはうまいよ? めちゃくちゃうまいのはわかってる。
 しかし、この役は……誰か別の人で見てみたかった、かなあ。

 幾松の手を握ってよりそって歩く男が、タソだと、なんの広がりもない……っ!(笑)

 学年的にありえないのかもしれないが、この役割が「ただならぬ色気標準装備」のふみかやらいらいだったりしたら、別の物語がそこに。

 『春琴抄』ならぬ「幾松抄」がスタートですよ。美しい盲目のぼっちゃま、幾松をひそかに愛する男の物語ですよ……!(笑)

 景子たん、わかってないなあ。
 とも思うし、景子たんはわかっていて、あえてはずしたのかなとも思う。タソなら、そっち系への発展はあり得ないもんね、そっち系に考えて欲しくないから、腐女子ブロックの意味でタソなのかも。

 タソかわいいよタソ。君がタカラヅカに長くいてくれることを望む。


 閑話休題。

 幾松ときはが良かった。好きだった。

 惜しむらくは、ふたりともビジュアルが要研究、だったことかな……。
 鳳くんの顔かたちにあのヅラは似合わないものなのか……なんかとても特徴的な頭部になっていたような。
 りりかちゃんはお化粧改善なんとかならなかったんだろうか……。初日より後半マシになっていた、か、なあ?

 日本物は難しいよね。

 タカラヅカの楽しみのひとつは、ジェンヌの成長していく姿を眺めること。
 鳳くん、りりかちゃん、よいお芝居をしてくれるジェンヌさんたち。まったり眺めていきますわ。
 行き詰まっていたのは、彼だ。

 決められた道、迷いもなく親に敷かれたレールを歩んできた。
 一流の学校を出て、今は父の会社に勤めている。すべて、父が望み、父が決めた。
 結婚相手も決められている。父が気に入った娘だ。

 父は、祖父の失敗を目の当たりにし、苦労してきた人だ。そこから這い上がってきた人なので、確固たる信念を持っている。
 逆らうなどという選択肢は、彼にはなかった。
 夢にも思ったことはないし、自分の生活に疑問も持たなかった。

 仕事が趣味で、それ以外ナニも持たない彼は、あるときふと、話題の映画を見に行った。たまたま時間が空いたとき、目の前に映画のポスターがあったんだ。
 会社の若い子たちが噂してたっけ。面白い映画だって。泣けるとか感動するとか。
 最後に泣いたのはいつだっけ? 最後に感動したのはいつだっけ?
 おぼえていない。
 不満も悲しみもない代わり、喜びも感動もない。

 そして。
 久々に見た映画に、彼は夢中になった。
 こんなに感動的な作品と出会えるなんて。
 まるで主人公になったかのような気持ちで、スクリーンに見入っていた。

 それは、命がけで愛を貫く男と女の物語だった。
 ふたりは死んで愛を貫くのだ。

「ひとりの女のために、仕事も将来も命までも投げ出す。そんな恋が、本当にあるんだろうか」

 その映画が、脳裏から離れない。胸から消えない。
 主人公の男そのものに、ヒロインに恋をした。いや、焦がれたのは主人公自身にだろうか。

 それまで背負い生きてきたものすべてを投げ出す、主人公……。

 彼の中で、ナニかが切れた。
 ぷつん、と、音がした。

 彼の間の前には、ひとりの女。
 罪な春雨、雨から逃れて出会ったふたり。

 そのときから、彼は変わった。

 雨の日出会った彼女のために、道を誤った。

 彼女は多額の借金を抱えて風俗店で働く夜の女だった。
 彼女の店に通い詰め、彼女のために指名と散財を繰り返し、会社の金にも手を付けた。
 父に叱られ姉になじられ、それでも彼は恋をあきらめられないと主張した。

 恍惚。
 彼は彼女を抱く。
 彼は彼女に愛を語る。

 欲しかったモノを、手に入れた。
 たったひとつの愛。
 命以上に大切な愛。

 彼女の借金には、やくざも絡んでいた。
 すべてを捨てて逃げるしか、ふたりが共に生きる道はない。

 ふたりが共に生きる……?

 ちがう。
 共に、死ぬ。

 心中するしか、ふたりが愛を貫く術はない。

 彼は彼女と共に逃げた。
 すべてを捨てて。

 恍惚。
 彼は彼女を抱く。
 彼は彼女に愛を語る。

 欲しかったモノを、手に入れた。
 たったひとつの愛。
 命以上に大切な愛。

 ……という、自分。

 あの映画のように、愛のためにすべてを捨て、心中する自分自身。

 恍惚。
 欲しかった自分を、手に入れた。

 共に死ぬ彼女を見つめる。
 実は、彼女がどんな顔をしているのか、よくおぼえていない。こうしてふたりでいるときはおぼえていられるが、他の中にまざってしまうと、どれが彼女かわからなくなる。
 それくらい、平凡な女。
 気に入ったのは、彼女の背景だ。多額の借金、やくざ絡みの店……映画のヒロインと同じように不幸な身の上。

 あの映画の主人公のように、なりたかった。
 あのように生き、死にたかった。
 決められた道、決められた人生を、投げ捨てて。

 行き詰まっていたのは、彼だ。

 彼の中で、ナニかが切れた。
 ぷつん、と、音がした。

 彼は愛を語る。
 なんて愛しい愛しい、顔もおぼえていない恋人。
 誰でもいい、今この瞬間、別の女と入れ替わっていても、問題ない。
 このシチュエーションさえあるならば。

 美しく心中して果てる。
 その目的さえ、達成できるなら。

 彼は、しあわせだった。

          ☆


 言っても詮無きことだが、エリス@ののすみはすごかったんだなあ……。
 あのみわっちの熱と狂気をがっぷり受け止め、さらに輝かせていたよ……。

 『近松・恋の道行』で、いちばん物足りなかったのは、実は主役カップルだった。

 というのも、さが@みりおんが、足りてなくてなああ。

 嘉平次@みわさんは、みわさんらしいいい仕事っぷりなんだが。
 心中するほどの相愛カップルなのに、ふたりのパワーバランスが悪すぎてなあ。

 さががすごくうれしそうに、うっとり平様を見ていることはわかる。恋しているのだろうとわかる。
 でもそれは、みわっちの嘉平次に相応しい恋だろうか。小娘ではない遊女さがとして、あの熱と狂気を孕んだ嘉平次と同じ世界に生きる女の姿だろうか。

 みりおんが悪いというわけじゃない。
 新進娘役として破綻なくそつなく舞台にいるのだと思う。歌唱力はすばらしいのだし。
 『カナリア』のように、やることがたくさんあるというか、きりきり舞いに動き回るアクティヴな役ならば、表面的な技術で形作ることもできる。
 『ファントム』のように、歌がメインのものは、他のなにをさておいても歌唱力があればなんとかなる。
 しかし今回のような「受けの芝居」は、実力や経験がまんま出るなああ。
 いろんなことに経験不足な、下級生娘役の姿が、そこにあった。

 相手がみわっちではなく、ワークショップの下級生スター主演さんだったら、こんなに残念な気持ちにはならないだろう。
 新公にしろWSにしろ、周囲のレベルが一定なら違和感なく楽しめる。

 がっつり恋愛しているふたりを楽しむ場合、わたしはどちらかの視点のみになるのではなく、彼女になって彼に恋をしたり、彼の目に映る彼女に切なくなったり、相乗効果で味わい尽くす。
 だからパワーバランスが悪いと、その感覚の行ったり来たり、相乗効果が楽しめなくて寂しいのですよ。

 ぶっちゃけ、嘉平次が何故さがを愛したのか、わからない……。

 遊女たちの間に混ざると、さがが見分けられなくなってしまう。物売りの清吉さん@みつるが店に来て子弁ちゃん@べーちゃんのことを聞いているときに、あとから声を掛けてきた姐さんがさがだと、マジで気づかなかった……。

 みわっちがどーんと走り出し、足りていないみりおんを抱きしめ、彼女が転ばないようにしていた。
 それはそれでみわっちのすごさがわかったけれど、わたしはみわっちひとりで走る姿を見たかったんじゃなく、ヒロインも一緒に走る姿を見たかったんだ。
 置き去りにするんじゃなく、抱きしめて彼女が走れていないことを隠してしまうのは、みわっちらしいフォローの仕方だと思うけど……たとえまともに走れないにしろ転んでしまうにしろ、彼女自身の足で走らせてみるべきだったんじゃないかなあ?

 みわっちに余裕がなかった、ようにも見えた。
 舞台人として、役者としての余裕ではなくて。
 嘉平次として『近松・恋の道行』を演じるということなら、みわっちは問題なく過ごしている。そのことではなくて。
 なんだろ、時間を気にしている意味での、余裕のなさ。
 みりおん云々ではなく、みわっちはとにかく今、前へ進むしかないんだ、みたいな焦燥感。
 時間がないんだ。……そんな感覚。

 もどかしさが、残る。
 理屈はともかくとして、『近松・恋の道行』において、鯉助@みーちゃん萌え。

 もともとヘタレ男スキーなので、あの通常営業のダメっぷりがツボです。

 ヘタレ男スキーってのは、もちろんそのヘタレ男が男前であることが前提です。ルックスが良くて、それだけで人生勝ったよーなもんなのに、もっとうまく生きる術もあるだろうに、ヘタレて負け犬やってる男が好みです。

 初日のみーちゃんはお化粧かなりやばかったと思うけど、次に観たときは気にならなかった。
 てゆーか、彼はいつだって色男ですよ。遊び人設定に説得力。

 鯉助の魅力は、ダメ男であっても、悪人ではないというところでしょう。
 親の七光りにあぐらを掻いて、ナメた人生送っている男。尊大に振る舞うこと、他人を下げることでしか自分を保てない。浅慮さにより、あわや人殺し……心中教唆という犯罪まで犯す。
 が、残念なことに彼は、悪人ではない。どんだけ行いが悪であろうと、本人は悪人ではないんだ。

 そう、残念なことに。

 悪人ならよかった。本人も、周りも。
 心底邪悪な人間が、悪意でもって悪を成すのなら、それは憎しみにも排除にも科刑にも、簡単につなげることが出来る。

 しかし、鯉助はそうじゃない。
 本人も周りもつらいのは、彼が悪人ではないから。
 邪悪でない、ごくふつうにやさしさも正しさもある人間が、曲がってしか生きられない、それがつらい。

 やさしいなら、それを隠さず拒絶せず、そのまま生きていけばいいじゃん。
 そう思うけれど、そうはできない。
 だって彼は、弱いから。

 ありのままの自分を受け入れて生きるには、彼は弱かった。
 それゆえに歪んでみせる。
 歪むことで、自分と向き合うことから逃げている。

 本来はやさしいけれど、弱さゆえに歪み、悪の道へ。その逃げた悪人生ですら楽しそうではなく、うじうじ悩んでいる。
 ……というところが、鯉助のステキさ。

 きっと彼は、多くの人の共感を得ていると思う。

 自分自身にパーフェクトの自信や納得を得ている人は、少ないと思う。
 他人から見ればどんだけすばらしい、なにもかも持ち得る人でも、なにかしら「足りない」部分を持ち、悩んでいると思う。
 そんな、人間の普遍的な姿に、鯉助はモロにハマるキャラクタだからだ。


 初見時は、「いつ改心するのかしら」と思って見ていた。
 弱くて現実から逃げてばかりいるキャラクタは、フィクション内では通常、途中で改心するものだからだ。
 半端な不良やってきたけど、うっかり人殺ししそうになり、そこではじめて自分のアレさに気づき、このままではいけない!と一念発起……するのかと、思ったよ。
 えええ。殺人未遂してなお、変わらないのか-。
 親の金と名声で事件揉み消してもらって、それで終了、なにも変わらないのー?

 刑事ドラマに出てくる「権力者の息子が殺人犯」の場合、改心は絶対しないのね。大抵、少年法とか精神鑑定とかを利用して、どんだけ無体な罪を犯していようと数年で放免。対外的には殊勝な態度を取り、被害者家族や弱者相手には本性丸出し、殺人マンセー。
 この「改心しない犯人」は、心底邪悪として描かれる。
 だから視聴者は単純に犯人を憎むことが出来る。

 なのに鯉助は、「改心しない犯人」であるにも関わらず、真の悪人じゃないのだわ。
 ごくふつうの人間として、描かれる。
 改心することすらできない、ふつうに弱い人間。
 改心した方が楽なのに、それすら出来ずに苦しむ様が描かれる。


 では何故、彼がここまで弱っちくなっているのか。
 もちろんそれは、偉大すぎる父親・近松門左衛門@はっちさんのせい。

 鯉助の不幸は、人生における二大重要事項がひとつに要約されてしまっていることにはじまっているんだよなあ。
 パパのことが好き。パパのようになりたい。パパに認められたい。
 浄瑠璃が好き。素晴らしい浄瑠璃を書きたい。尊敬する浄瑠璃作家・近松先生に認められたい。
 別々なら良かったのに、それらは全部、ひとつのことで。
 愛と仕事が同じところに終始しているんだ。それを損なってしまったら、もうなにも残らないだろう。

 自分が望むように得られないから、父を否定し、浄瑠璃を否定し。
 自分が求めているすべてを自分で否定しているわけだから、空っぽのまま荒れて。

 楽になる方法はたったひとつ、自らが否定している自分の大切な物を、認めること。なのにそれが出来ずに、他人も自分も傷つけて。
 お蝶さん@きららちゃんに「それでも、親父様のようになりたいのでしょう」と、言い当てられてしまうのが、痛い。
 まさに、胸を突かれる。
 お蝶さん、それ急所……。クリティカル入っちゃったよ、HP一気に減ったよ……。まあ、鯉助の場合、HPゼロにして、セーブデータからリトライした方がいいのかもしれないね。だからこその致命傷攻撃なのかもね。
 いや、お蝶さんの場合、急所を握ることで鯉助を一気に支配した感があるんだが……(笑)。
 アレを言われちゃったら、鯉助はもうお蝶さんから離れられないと思う。いい意味でも、とても悪い意味でも。


 さて、このどーしよーもない鯉助くんの、最後の場面は高笑い。
 フィクションのパターンとして、悪人や弱い人は改心してハッピーエンドなんだが、鯉助はいつ改心するんだろう……と観てきて、最後まで改心せえへんのかい!というツッコミで終わる。

 嘉平次@みわっち、さが@みりおんが心中して果てて、それがただのきれいごとですまない市井の人々の評と、心中ごっこに興じる子どもたち。
 その現実の中で、高笑いをはじめる鯉助。

 たしかに「改心」は描かれていない。
 しかし。

 わたしはこの最後の高笑いで「動いた」と思った。

 それまでうすらぼんやりと広く映っていた視界が、ぎゅいんと集約される感覚。広いかわりにぼんやりしていたのが、見えるものがピンポイントになったかわりに鮮明になった。

 周囲が「背景」になり、鯉助が「主役」になる。

 この作品の中では鯉助は主役ではない。でもわたしの中で、その高笑いがあるからこそ、彼が「主人公」として刻まれた。

 彼の「これから」が見たい。

 そう思える人。
 彼は変わる。これから。
 あんな風に笑う人が、このままのはずがない。これから彼は変わる。たとえ本人が望んでなくても。

 さらなる苦しみが待ち受けているとしても、彼はそちらへ足を踏み出した。

 それが「クリエイター」である宿命だろう。

 えらんでしまったんだから、しょうがない。
 市井の徒ではなく、修羅の道を。「創る」側っつーのは、そういうことだ。
 選んだのは鯉助自身であり、本人の意志なんか超えた次元のモノでもある。

 だから、切ないね。

 だけど、しあわせだね。

 市井の徒ではなく、修羅の道で苦しみ抜く権利と義務を得た人。
 あれほど「ふつうの人」として弱さを持ちながら。もう彼は、「ふつう」には戻れない。

 そこが、鯉助というキャラクタの、壮絶なまでの魅力だと思う。
 わたしにとって。

 いや、もお、ほんと。
 鯉助の「これから」が見たいよ。

 きっと景子先生自身も書けないのだろうけど。(前日欄参照)
 わたしは景子せんせの作品を好きなんだが、引っかかりっつーか、「これさえなければもっと、作品に(わたしが)没入できるのに」と惜しくなる部分がある。

 作品に存在する、作者(景子先生)自身。

 景子たんはブレがないっちゅーか、ほんとに書くこと・創造することが好きで、つまりは自分大好きなんだろうなあ。
 それは共感できるし、わたしもジブンスキーな人間なんで、否定するわけではまったくない。自分で自分の作品に萌えてる人、こだわりやら自負やらが見える、自意識過剰のうるさい作風のクリエイターは好みだ。

 しかし、景子作品は「うおおお、オレはオレが好きだー!!」という、アッタマ悪い叫び方をしておらず、むしろその対極にあるよーな、理性とか理屈とかで固めている風なんだよなあ。
 そのくせ、作者の自己愛が見えているところが、引っかかる(笑)。

 なんというか。

 植田景子は、「クリエイター」の存在しない作品を、書く気はないのか。

 と言いたくなるんだなー。

 デビュー作の『Icarus』から「作家」が狂言回し。
 バウ作品『シンデレラ・ロック』『THE LAST PARTY』『Le Petit Jardin』『HOLLYWOOD LOVER』、大劇場の『シニョール ドン・ファン』『Paradise Prince』『クラシコ・イタリアーノ』と、みんなクリエイターが主人公。
 主人公でなくても、狂言回しに重要な役として登場する、『オネーギン』や『近松・恋の道行』。

 今ぱっと思いつくだけでも、クリエイターだらけ。
 調べればもっとあるかもしれん。

 クリエイターが登場しなくても、ラストに「作品のまとめ」を解説するコーナーがあり、作者自身が演説しているに等しいものも、多々あるし。

 クリエイター主人公ものは、つまり、景子たん自身が主人公だ。
 いろいろと手を変え切り口を変えてはいるが、クリエイターである景子たん自身の思いを元に、作ってある。

 作者の手の内というか、計算が見えてしまった瞬間、わたしは作品に完全には没入できず、どこか俯瞰した部分を意識に持つことになる。
 わたしはフィクションが好きで、架空の世界に遊ぶことが好きだ。が、そこに「あ、景子たんだ」と作者自身の姿を見つけると、完全な架空世界でなくなってしまうために、「それはそれ。そこは置いておいて、作品を楽しみましょ」という意識が働き、二重目線になる。作品を楽しもうと努力するわたしと、「景子たん、恥ずかしいなあ」と思うわたしとに分裂してしまう。
 自分でももったいないなーと思う。

 それはわたしの自意識過剰ゆえに起こる。
 同族嫌悪ではないけれど、それに似た意識の働き。
 自分の中にある、「恥ずかしいな」と思っている部分を、見せつけられてしまうためだ。

 景子先生はわたしのよーな、ただブログで勝手な駄文を書き散らかしている人間と違い、社会的にも実力を認められた、才能あるクリエイターである。
 次元が違うんだよ、勝手に同族扱いしてんぢゃねーよおこがましい、ということも十分わかっているんだが、わたしが景子作品に「引っかかる」のは、そこに原因があるのだろう。

 わたしがもっとも安心して夢中になれた『舞姫』は、「クリエイター」が存在しない。
 遠く因子を探すことは出来るが、直接には現れない。
 だから、素直に大好きでいられた。

 景子たんはますます腕を上げ、『近松・恋の道行』のクオリティの高さは半端ナイ。
 だけどここでも景子たん自身が大手を振って存在し過ぎていて、わたしはかなり鼻白んだ。

 今までは大抵単品だったのに、今回はふたりもいるんだもんよ……。
 近松門左衛門@はっちさんと、杉森鯉助@みーちゃん。

 近松は今までの景子作品の狂言回しや作品解説者、鯉助は主人公系のキャラクタ。
 ふたつに分かれている分、濃さ倍増。

 うわ、またコレかよ、と思いつつも、結局は景子たんの描く「クリエイター」は好きです。だって、景子作品好きなんだもの。


 てことで、鯉助。
 自己模索中の二世作家。近松という巨星の息子に生まれ、その名の陰から這い出ることが出来ずにあがいている。
 ふつーはそーゆーキャラクタが作中に登場する場合、彼が改心したりきっかけを得て次のステージへ進んだりするもんだが、この作品ではそれは描かれていない。
 だから鯉助にあるのは弱さとダメダメさのみ。心中教唆(幇助?)しておいて、それでも人生改めないとか、人として終わってるレベルのダメさ。

 鯉助は主人公系の景子たん自身を担うキャラクタとはいえ、ここがタカラヅカである以上、主人公としては描けない。
 闇キャラはいろいろあるが、全年齢向けの娯楽であるタカラヅカでガチな闇は描くべきではないし、それを観客は求めていない。
 また、景子せんせ自身も、鯉助主人公だとせいぜい『クラシコ・イタリアーノ』になるだけで、今の鯉助の闇を真ん中に置いた創作はできないんだろうなと思う。
 良くも悪くも景子先生は闇というか「病み」の薄い作家さんだと思うし、またそこが彼女の魅力っつーか長所だと思うので。

 鯉助がステキな闇キャラなのは、彼が主人公ではないから。
 描かれ方が単純に「少ない」ため、観客がひとりずつの好みでいかようにも闇の度合いを調節して受け止めることが出来る。
 景子たん的「主人公」でありながら、描かれ方が「少ない」。……これは、めっちゃ魅力です。
 改心もステップアップも「答え」として提示されていない、「To be continued...」っぷりは、オイシイです。
 わたしは彼が好みど真ん中だし、彼にもっとも興味を持った。

 「クリエイター」というカテゴリで表現されるけれど、つまりは「人生」に迷う姿をその職業を例題に表現しているだけなので、すべての人に感情移入可能な作り。
 なんで人生を語る例題が創作業なのかというと、景子たん自身がその職業だから。語りたいことはよく知らない場所ではせず、自分の庭に持ち込んで語るのが景子たん(笑)。

 得意分野に持ち込んで、全方向性の迷いを描いてある、鯉助はとてもいいキャラクタだ。
 きっと多くの人の心に波紋を起こしたと思うよ。

 また、その役をみーちゃんに託すあたりがニクい。
 『Paradise Prince』の新公で、影の主役を演じたみーちゃんだもんなあ。景子たんがどんだけ役者としての彼を信頼しているか、伝わってくる。


 ただわたしが、「クリエイター」主人公には引っかかるため、純粋に没入できない。
 そこが残念。
 わたしが、残念。
 あああもったいないー。くやしいー。

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