和物ショー『宝塚ジャポニズム~序破急~』に絶望したが、ありがたいことに、この公演は3本立てだ。
 30分の休憩のあと、芝居が上演される。

 3本立てで良かった。

 お芝居とショーがあれば、救われる。

 実際、救われた。

 『めぐり会いは再び 2nd ~Star Bride~』、面白かったーーっ!!

 『宝塚ジャポニズム』のあとだから、どんなものでも面白く感じるかもしれないけど、それで底上げされてる可能性がゼロじゃないけど、とにかくわたしは好き。

 泣いた。

 かわいくてしあわせて、泣けてきた。

 ストーリーはガチで『めぐり会いは再び』の続編。
 冒頭にストーリー説明がある。

 元の『めぐり会いは再び』自体がとても他愛ないモノなので、知らなくても問題なし、『めぐ会い2』から観ても大丈夫だろう。
 あくまでも、ストーリーだけなら。

 問題があるとすれば、そこじゃない。

 他愛ない物語なのに、キャラ多すぎなのだわ。
 ラルゴ伯爵夫人とかリュシドールとかコレットとかアジスとかレオニードとかマリオとか、名前羅列されても、きっと初心者にはなにがなんだかわからない。
 1回説明されたって、人間関係とキャラクタとその物語は理解できない。
 また、初日だからかもしんないが、みんな滑舌悪くて聞き取りにくいし。

 だから結局のところこの話は、ガチで続編、元の話を見てから、観に来てね♪ってことだと思う。

 冒頭のストーリー説明は、「1年前の話だけど、思い出してね!」「いなくなっちゃった人の演じていたキャラの始末は、こうつけたよ」という意味であって、『めぐり会いは再び』を知っている人へ向けてのものだ。

 完全なる、ファンサービス、ファンアイテム。

 組本で仮装したりぴったり配役をやったりする、あのノリで出来上がった作品。
 買うのはファンだけだ、という前提。

 で、わたしはファンなので無問題。

 もー、もー、めちゃくちゃ楽しかった。

 同じモチーフを使い、別の絵を組み立て、同じ結末へ帰着する。
 わたし、こういうの好きだなー。自分でも、書くとたのしいよ、こういうの。

 1年前となにひとつ変わらない世界にて、元気に口げんかしているドラント@れおんくんとシルヴィア@ねねちゃん。これだけなら犬も食わないなんとやら、周囲も相手にしないくらいの、どーでもいいことで大騒ぎ。
 でもそこへ、シルヴィアの婚約者だと名乗る騎士クラウス@いりすが現れた。
 このクラウスは食い詰め役者、職にあぶれて結婚詐欺を思いつく。
 記憶にないプロポーズの話をされても、なにしろシルヴィアなので、持ち上げられているウチに「そんなこともあったかも」なキモチになる。

 旅芸人、役者、脚本、芝居……前回と同じように、最後は一芝居打って大団円へ。

 エルモクラート先生@マカゼは、相変わらずスランプでヘタレてるしなー。(萌え)
 プルギニョン@ベニーはぎゃあぎゃあバカだしなー。(褒め言葉)

 そして、主人公のふたり、ドラントとシルヴィアが、バカで一直線で、かわいすぎー。(全力で、褒め言葉)

 前作よりさらにドタバタ感アップっつーか、ブラッシュアップするヒマなく、造形だけ出来たから完成ってことにしました感ありありだけど、そーゆーことは置いておいて、とにかく楽しい。

 なんでこんなに楽しくてかわいくて、愛しいのか。

 根底にあるものが、「やさしい」からだ。

 売り言葉に買い言葉で婚約解消しちゃいそうなドラントにしろ、シルヴィアにしろ、根っこにあるのは相手への愛情。
 相手のことを思う、やさしいキモチがまずあって、その上でねじれてしまっている。

 スタートが正だから、その上で足したり引いたりしても、正のまま。

 他のキャラクタたちも、みんなみんなやさしい。
 やさしくて、大切な物があって、しあわせになりたいと思っている。
 だからそのキモチは、素直に「しあわせ」へ向かう。

 ドラントとシルヴィアの痴話喧嘩に巻き込まれはするけれど、基礎部分は変わらない。
 誰もがやさしいまま、誰もがしあわせに向かう。
 ひとりで、ではなく、みんなで。

 そのやさしさに、泣ける。
 かわいくて、泣ける。
 愛しくて、泣ける。


 前作のキャラクタを、とても大切にしているのも、ヲタク目線としてすごくポイント高い。
 ヲタク業界にスピンオフも第2期もいくらでもあるけれど、キャラを大切にしないものがいちばん嫌われるんだってば。
 **役の人は退団していません、じゃあ別の人にやってもらいましょう、名前と衣装が同じなら誰がやっても問題ないでしょ、なんて、ありえない。
 「役替わり」を楽しむのとは別。
 中の人が変わったら、そのキャラは別人だっつーの。アテ書きなめんな。……という、こだわりはヨシ!!

 卒業してしまった人、組替えした人、もう星組のこのメンバーと同じ舞台には立たないだろう人……彼らもまた、今この瞬間も、しあわせに暮らしているんだ、この世界で。
 そう思えることは、泣けるほどうれしい。

 かわいかったれみちゃんのリゼット。
 彼女は消えたわけじゃない。プルギニョンの妻として、愛し愛されしあわせに暮らしている。
 笑顔が見えるようだ。プルギニョンとのバカップルぶりが、見えるようだ。

 二次元まんまだったマリオお兄様@すずみん、彼もまた、いまだにツンデレやってるんだ。
 あの美貌にややこしい性格と毒舌で、ドSプレイやってるんだ。

 もう二度と会えない。
 そう思っていた人と、思いがけず再会できた。……そんな喜び。

 ひとつひとつが、「裏切らない」、「やさしい」作りなんだ。


 エマさんが変わらずに、シルヴィアのパパ役で出演しているように。
 ひとつひとつ、とてもやさしい。


 まさこはすげーいい役だなあ。恋敵役なので、2番手に見える……。
 麻央くんがいろいろとマシになっていたような。

 ルーチェ@礼くんがもう、かわいいのなんの。
 宙組のユリアン@うららちゃんよりも、「娘役が演じる少年役」に見えるあたりが、なんとも……。

 旅芸人@しーらんが色男だ……あのジョニデヒゲでお兄様コスプレがたまらん……。


 エルモ先生と絡むのがプルギニョンだっつーのだけ、不満だ(笑)。
 エルモ先生には、プルギニョンじゃダメなのよ、チガウのよ! 大人の男とかシリアスキャラと絡めてよ! その方が萌えなんだってば。


 あたし、ドラント好きだなあ。
 素直に、きゅんとする。

 甘い言葉を吐くよりも、命を懸ける方が楽だと、晴れ晴れした顔で言われたら、もう恋するしかないでしょ。
 宝塚歌劇には、日本物ショーというジャンルがある。
 着物を着て、日舞を中心とした舞を、オーケストラの洋楽で踊る。
 それはタカラヅカのタカラヅカらしさであり、決して絶やしてはならない伝統だ。
 「和物は人気がない」と、生前小林一三翁自ら言っていたくらい、和物が現代人に好まれないのは何十年と変わっていないのだろう。
 それでも、タカラヅカの和物は作り、守り続けなければならない。

 それは、わかっている。異存はない。
 だから、植爺が「この伝統を何としても護らなくてはならない」と、プログラムに書いてあることにも、うなずける。
 彼の言葉に、異論はない。

 しかし。

 今日見せられた、『宝塚ジャポニズム~序破急~』は、いったいなんなのか?

 『宝塚ジャポニズム』は、宝塚歌劇の和物ショーではない。

 わたしはたかだか、20年ほどしかタカラヅカを知らない。
 だから、100年の歴史を持つ宝塚歌劇団の言う「護らなくてはならない宝塚の和物ショー」というものがどんなものか、わかっていないのかもしれない。

 しかしこの20余年、一度も「護らなくてはならない宝塚の和物ショー」とやらは、上演されていないのか?
 『宝塚ジャポニズム』が植爺の言う「護らなくてはならない宝塚の和物ショー」だとするなら、わたしは生まれてはじめて見た。
 この20年間に、タカラヅカで一度も、こんなショーは観たことがない。

 わたしは、タカラヅカのショーとは、和物洋物関係なく考えていた。

 つまり、トップスターがいる。トップ娘役がいる。
 全員が女性で、男役と娘役がいる。
 大劇場には銀橋というエプロンステージがあり、花道がある。
 スターたちは主題歌を歌いながら、銀橋から花道まで、華やかにラインナップし、右に左に2階席に、そのきらびやかな姿を披露する。
 オープニングと中詰め、そしてフィナーレは必ず、銀橋にスターが勢揃いする。
 ショーの最中にも銀橋は使われるし、トップをはじめとする主立ったスターたちは、ひとり、もしくは少人数で銀橋を歌いながら渡る。
 くり返される主題歌。
 ショーの中の歌と踊り。

 それが、タカラヅカ・ショーだと思っていた。

 和物だから洋物だから、関係ない。


 銀橋もなければ、主題歌もない、スターの歌もない、花道もない、大がかりなセットもない、こんなものは、「タカラヅカ」じゃない。


 はじまって何分経っても、誰も歌わない。「さくらさくら」の音楽だけが流れる。
 銀橋は「ないもの」とされている。
 スター勢揃いもない。
 コーラスで「さくらさくら」が部分的に入るだけ。同じ曲の使い回しなので、場は持たない。
 そのまま、15分。
 舞台奥のナナメひな壇の下級生たちの、「揺れる大道具」ぶりもひどい。

 それでも洋楽で踊ってるから、タカラヅカの範疇といえばそうだし、さくらのボレロがタカラヅカの定番なのはわかっている。
 でもその「定番」の使い方がひどい。
 平面的な舞台に、平板な群舞が続く。

 タカラヅカというより、どこかの発表会のようだ。
 タカラヅカは、ガチに日舞を見せるところではない。日舞だけを一筋に、人生懸けてやってきた舞踊家たちではない。
 ナントカ流の発表会なら、その道の大家のみが踊るからスバラシイのかもしれないが、タカラヅカはそもそもカテゴリがチガウ。
 本格日舞を見せる場ではなく、「タカラヅカ」のショーとして見せるところだ。
 生徒たちの日舞が、ものすごくスバラシイ出来なのか、わたしにはわからない。その道の大家と比肩する出来なのかもしれない。
 でもわたしは、日舞を観に来たんじゃない。「タカラヅカ」を観に来たんだ。出演者たちはそりゃー真摯に務めているが、1観客として心が沈んでいくのを止められない。

 和物ショーならではの、華麗なオープニングではない、いきなり、どっかの作品の真ん中部分とかを切り取って見せられたような、ぽかーんさ。

 いや、それでもまだこれは、「タカラヅカ」なのかもしれない。
 こんなつまらないオープニングを見たことが、たかが20年しか記憶にないハナタレ小僧のわたしがないだけで、本物の「タカラヅカ」には銀橋もスター勢揃いも主題歌もないのかもしれない。

 だが、次の場面は、「これは、タカラヅカではない」と胸を張って言える。

 タカラヅカは、女性だけで構成された劇団だ。
 男役がいて、娘役がいる。
 これだけは、20年ぽっちしか知らないわたしでも、タカラヅカの基本だと知っている。

 なのに。

 男性の声を背景に、1場面まるまるマツモト大先生様の踊りだった。

 男の人に歌わせるなら、男性の歌声が必要だというなら、外部でやれ。
 タカラヅカじゃない、そんなの。

 歌ですらない。
 お経なんですかね、あれ。
 大音響でおっさんの声がずーーっとがなり続けられていて、無知無教養のわたしはただただ苦痛でした。

 声明、という、仏教音楽らしいですな。

 そーゆー文化があることはかまわない。わたしが興味ないだけで、ありがたいものなんでしょう。

 だがしかし、どんだけありがたいものであったとしても、タカラヅカでやるな。

 「護らなくてはならない宝塚の和物ショー」と言いながら、やっていることは、「タカラヅカ」否定、「タカラヅカ」無視。

 全員女性、海外ミュージカルの男性俳優の難しい歌だって、女性である男役が歌ってきた。
 それを、真っ向から否定した。
 外部の男性を使うことによって。


 そもそも、マツモト大先生様は、現代に求められていない。
 すばらしい芸の持ち主なのかもしれないが、彼女をありがたがるキモチと、それを拝見して楽しいかということは、まったく別だ。
 それでも彼女の芸は守り、伝えなければならないのだろう。
 だとしたら、「見せ方」を考えるものだろう?
 どんなに高尚な芸術様であっても、求められなければ居場所がなくなる。

 マツモト大先生様の踊りには、美形男役のエスコートを付け、「マツモト大先生様のすばらしい芸がわからない阿呆どもには、美形男役スターの顔でも見ていろ」と、観客へ選択肢を差し出すべきなんだ。
 もしくは、かわいらしい娘役たちを背後で踊らせ、「若手娘役の点呼でもしていろ」とやるとか。
 歌ウマさんのソロを朗々と響かせ、そっちに集中していられるようにするとか。

 舞台にはマツモト大先生様ただひとり、音は耳障りなおっさんのがなり声のみ。

 逃げ場が、ナイ。

 ショー作品を観ていて、途中で席を立ちたくなったのは、20年来、はじめての経験だ。


 すみません、ありがたいお坊様の声明を、おっさんのがなり声扱いして。
 いくら無教養なわたしでも、お寺だとか、相応しい場所で聞くならそんな風には思わないと思うの。

 大好きな「タカラヅカ」を観るんだ! と思って客席にいたのに、夢にも思わないモノを聴かされたから、そう思ってしまったの。


 トップスター、れおんくんの「声」を聴いたのは、幕が開いて、実に30分経過してからでした……。
 ちなみに、45分間のショーなんですよ。
 しかも、完全なソロじゃなく、コーラスかぶってるしね。

 や、もーネタとしてね、時計確認しちゃったのよ。あんまりなことの連続なんで。

 銀橋はれおんくんひとり、言い訳のようにささーっと1回だけ歩き去ったのみ。
 まともにソロがあったのは、ベニーひとり。で、その歌も花道手前からカーテン前扱いで、銀橋の存在はガン無視。


 植爺は前述のプログラムにて、タカラヅカのみならず、テレビ界でも和物が激減している昨今を嘆き、それを「世の中の趨勢」と述べている。
 そのうえで、「しかし、テレビはテレビ、宝塚は宝塚である。」と演説しているんだ。
 だから、「護らなくてはならない宝塚の和物ショー」を今、自分が上梓するのだと。

 そのまま、返したい。

 テレビはテレビ、宝塚は宝塚だ。
 「宝塚」を見せろ。これは、「宝塚」じゃない。

 主題歌を歌いながら、トップスターが登場し、銀橋にスターが勢揃いするタカラヅカを見せろ。
 華やかな「和物ショー」を見せろ。

 こだまっちの『仮面の男』初日と同じ憤りだな。

 これは、「タカラヅカ」じゃない。


 海外公演へ使い回し予定だから銀橋もろくなセットもないんだ、は言い訳にならない。
 同じ台湾公演予定のフジイショー『Étoile de TAKARAZUKA』が、いつものフジイくんショーで、銀橋も舞台装置も使いまくった華やかなモノだからだ。


 こんな「タカラヅカ」じゃない作品を、「タカラヅカの伝統でござい」とどや顔で海外へ持って行くのはやめて。
 「タカラヅカ」は、もっともっと素晴らしいんだから。
 えーと、とりあえず。

 ミラーボールが、4回、回ります。

 『Victorian Jazz』初日観劇……したはいいが、なにから語ればいいやら(笑)。

 たった2時間の芝居で、ミラーボールが4回、回ります。や、わたしが数え損なっていなければ。……もっと回っているのかもしれない。
 最初に回り出したとき、内心吹き出したもん。ミラーボール回るか!!と。
 なのに、何度も回り出すし。

 この作品の第一印象をいちばん物語っているのが、この「ちょ……っ、ミラーボール!!」だったりする。


 だいもん、初バウ主演おめでとー!!

 えーっと、「手錠でつなぎたい男No.1」とか、「鎖と呪縛が似合う男・2012」とかのキャッチフレーズが相応しい、我らがだいもんくん。
 ……あの抱腹絶倒『CODE HERO』で、だいもんの手錠プレイが見どころだったのは、記憶に新しい……というか、刻まれていることと存じます。
 そんな彼の初主演作が、ポスターからして手錠だもん。も、狙っているとしか……(笑)。

 あのだいもんが、よーやく初主演。年功序列の花組でなければ、もっと早く主演できた人だと思うけど、劇団推しの大スター様でないおかげで、谷せんせを押しつけられなかったことを、心から祝います。(劇団推しスターはみな、バウで谷作品をやらされる)
 この公演は、演出家の田渕大輔せんせのデビュー作でもあります。

 いやあ……若いっていいね!!

 デビュー作って、いいなあ。
 演劇の道を志してから、劇団に入ってから、何年も何年も夢見てきたわけでしょ? あたため続けてきたわけでしょ?
 それを、念願のデビュー作に、全部ぶつけてくるわけでしょ?

 生田くんもそうだったけど、田渕くんもまあ、鼻息荒っ(笑)。

 「やりたいこと」が渦を巻いていて、もー大変。
 あれもやりたい、これも表現したい。創作欲ががるがるうなりを上げていて、リビドー垂れ流し状態。

 その「若さ」が、見ていてこそばゆい。

 ただ、生田せんせとは、まったく違う方向の創作欲だけど。
 生田くんはなー、厨二病まっしぐらに、キャラクタの「カルマ」を描くことに夢中になっていた。
 田渕せんせは、「ミュージカルを創る」ことに必死。

 全編、無駄にミュージカル(笑)。や、無駄言うな、(笑)付けるなって。
 ここがタカラヅカである以上、無駄ではないんだが、その、過剰にミュージカル表現ぶっ放し続けてるもんでなあ。
 いろんな技巧を凝らすことに必死になって、その分ドラマ性、キャラクタ性は薄い。

 田渕せんせはデビュー作。
 だいもんは、初主演。

 これはもお、ステキに最強カード。

 だってさ。
 苦節何年で、念願のデビュー作でさ、望海風斗主演、って言われたら、クリエイターなら誰だって、夢を見るさ!

 タカラヅカ的美しさをがっつり持った男役、しかも歌唱力抜群、芝居もダンスも安心任せろ!な人ですよ?
 実力軽視の現タカラヅカ界において、ガチの実力派ですよ?

 ナニを要求しても、絶対応えてくれる、実力がある。

 描けるものの幅が、すげー広がるってもん。
 この歌を歌わせたいけど、このスターさんにはちょっとな……、てな縛りがないのよ? 芝居にしろダンスにしろ、表現したいと思うモノを、だいもんならほんとに表現してくれるのよ?

 わたしが演出家なら、泣いて喜ぶわー。
 ファン目線ってだけでなく、創作者目線でも、すげーありがたい人だもんよー。

 てことなんだろう、と思った。
 だってさ、だいもんドリーム爆発してますよ、舞台(笑)。

 無駄に難しい曲の数々、無駄にミュージカルの数々、だいもんにがんがんやらせてるの!

 いやソレ、すごい濃度っちゅーか密度。演出家、だいもんにどんだけドリーム持ってんの……?!
 彼の仕事量の多さ、比重の高さ、半端ナイ……! 初主演の人に、ナニやらせてんだ、くらいの勢い。

 わたしは、だいもんさんが千手観音ばりに、背中から何本も手をはやして、ひとりでいろんなもん背負って高速回転しているよーに見えました……。
 がんばれ、だいもん。

 んでもって。
 この、演出家が「デビュー作、うれしくてたまらないっ。やりたいこと多すぎてたまらないっ」という鼻息を隠しもせずに創った作品を、花組っこたちが、真正面から受けて立っているのが、もう……(笑)。
 やたらこそばゆい。

 だいもんも高速高熱回転中だし、演出家は鼻息荒いし、他出演者は下級生から組長まで(笑)みんな前のめりだし。

 このテンションの高さ、キモチのやり過ぎ感が、ミラーボールに現れているなー、と。
 2時間の芝居で、どんだけ回るんだミラーボール。ふつーナイぞ、ミラーボール(笑)。


 ナイジェル@だいもんのキャラクタがいまいちよくわかんないのは、話の真ん中が女傑とマザコン息子の和解話であり、主人公の話じゃないせいだろうなあ。
 主人公が主役の話を書こうよ、田渕くん……。

 話の主軸のズレっぷりが気になる。もう少し、ほんの少し角度をいじるだけで変わるのに。主人公の一人称視点が少なすぎる。……出番も仕事量もやたら多いのにね。

 ヒロインのサラ@べーちゃん、かわいい。眼鏡っ娘っすよ。
 しかし、恋愛色薄い、デュエット唐突……でも『Je Chante』に比べればマシかあ、と他の新人演出家のバウデビュー作を思い出した。あっちは一度ふたりで歌ったら、それ以外ナニもないのに次の場面から「運命の恋人」扱いになってたからなー。
 1幕で思わず「原田くんみたいだったらどうしよう(笑)」と思ったけど、大丈夫だった。薄いだけで、間違ってるわけじゃない。

 もうひとりのヒロイン(えっ?)、ドイル@鳳くんもかわいい。
 ヒロインよりも、ヒロイン的役どころ。いいのか。なんせ、傷ついて仲違い、とかしちゃうからな。で、主人公が気に病むのは、こっちのヒロインのことだしな。

 「あたし、騙されてたんだ!」と泣きながら退場したドイル、うろたえるナイジェル……それに対し「放っておけばいいんじゃない? それより今は事件を追う方が大切よ」と言い切るサラの温度が、さら~~っとしているだけに、ちょっとこわかった。ツボだった(笑)。
 女ってこわい。本能的に、敵を排除するよね(笑)。

 皇太子@柚カレー、すげー「美形スター」っぷり。

 彼が出てくると、「スター、来た~~~~っ!!」というキモチになる。
 マジすげえや、彼のタカラヅカっぷり。
 新公では十分うまい人だと思うけど、ここでだいもん相手に3番手役だと、未熟さは目に付くなー。
 しかし、マジ美形、マジかっけー。
 なにしろ年功序列の花組、今までは経験積みたくても積む機会がなかった。この作品と役で、どーんと経験値上げして欲しい。

 いちか貫禄。ほんとに素晴らしい女優さんだ。
 仙名さん、未来のいちかポジに向けて修行中か(笑)。こちらもうまいなー。

 和海くん、最初「こんなに喋って芝居してる和海くんはじめてかも?!」と喜んだのに、……最初だけかよ。いいキャラなのに、出番あれだけってもったいない。議長はいい声で、説得力あった。
 あと、ネコちゃんもいい声、いい押し出しだー。あのスポットライトと突然のソロにツボる(笑)。

 色悪のさおたさん。……大人の美形キャラですが、えっと、……金庫の中身の件で、びっくりしたさ。彼女とそんなことになっているとは思ってなくて……というか、思えなくて。
 さおたさんって、ある意味ナガさん系かもなー、と思った。


 チケット持ってないけど、もう一度行きたい。
 初日はいろんな意味での情報量が多すぎた(笑)。
 キムみみ千秋楽の翌日に、月組を観に行ったわたしが悪い。
 でも、そこしか日程が取れなかったんだ……なんなのこの過密スケジュール。ジェンヌも大変だけど、ファンも大変。

 翌日だからってナニよ、平気よ。
 そう思っていたけど、ショーで撃沈した。
 いろいろ込み上げてきて、もうダメだ。

 大泣きしながら、思った。

 まさちゃぴ万歳、大好き、幸せでいて。

 彼らへの好意、幸あれ、というキモチが込み上げる。
 キラキラした彼らの姿が、ひたすらまぶしく、切なく、愛しい。

 若くキラキラした、新しいトップコンビの姿に、キムみみの門出が重なって、切なくて仕方ない。
 キムみみも、全ツがスタートだったんだよ。
 謎のヒロイン役替わりを経て、キムくんの相手役はみみちゃんだけに決まった。

 まさおくんとちゃぴちゃんも、準トップという謎の制度の呪縛を離れ、この全ツではじめて、まさおの相手役はちゃぴ、ちゃぴの相手役はまさおひとり、という状態になっている。

 トップコンビがいて、2番手がいて、という、当たり前のタカラヅカ。
 それを見られるだけで、感激するってなんなの、劇団。
 該当ポジションのジェンヌのせいとか、その人に対してどうとかではなく、あくまでも劇団のやり方に心がヒリヒリする。

 で、『Heat on Beat!』を観ながら思った。

 これって、まさおのはじめてのショー作品なんだ。

 芝居は新公や他の箱で主演経験できるけど、ショーは無理。まさおは『Young Bloods!!』をやっているけれど、バウはあくまでもバウ。

 トップスターとして、大劇場のセンターに立ち、ショー作品1本を牽引しきる。
 そのためのプレ公演だよね。全ツでいろんな劇場をまわり、いろんなお客さんに接し、時々にチガウ場を盛り上げるのって。
 ここで腕を磨いて、大劇場で披露するんだよね……、って、次もまた月組はショーなしかい。

 真ん中で大車輪の如く全力で動き回っているまさおくんが、愛しかったっす。
 うっわー、真剣勝負。抜きナシかい。

 でもってわたしは改めて、ちゃぴ、好きだなあ、と思った。

 文化祭で彼女しか見られなかった(笑)、あのときからはかなり蛇行したのちに、やっぱり落ち着いた先っていうか。
 そうだよな、似てたから云々で、かえって回り道しちゃったけど、結局好きだよな、顔も含めて、ちゃぴちゃん自身。
 のびのびと踊る姿に注目したんだった。そこがスタートだったからか、やはりショーで踊るちゃぴにウロコが落ちるキモチだった。


 『Heat on Beat!』は、わたしにとってあさこちゃんの記憶が強い。それなりに通ったからなー。きりやんの中日は1回しか観てないし。
 そして、あさこの公演、以外に、だ。

 雪組全ツ『ロック・オン!』に、通いまくったんだよ。

 そーだった、『ロック・オン!』は三木せんせ渾身の手抜き作、直近自作の切り貼りでお茶濁しした作品だったよ。
 『ロック・オン!』観たときに「月組……」とアゴを落としましたっけね。そのかバウと『Heat on Beat!』、そのまま使ってたもん。

 『Heat on Beat!』が本家。それはわかっている。
 だけど『ロック・オン!』と同じ場面が再現されて、混乱しまくったわ……。
 そして、『Heat on Beat!』の方が演出いいの、『ロック・オン!』は変えた部分こそがひどかったのほんと。

 本家『Heat on Beat!』観て、「『ロック・オン!』ひどかった……」という、苦い記憶まで甦ったわ。とほほ。

 ちゃぴの活躍を見て、「なんでトップコンビお披露目だったみみちゃんは、あんな扱いだったんだろう」と、これまた切なくなった。
 『カノン』でも相当だったけど、三木株がまた下がったわ(笑)。

 とまあ、雪絡みの感想は置くとして。


 やっぱ『Heat on Beat!』って好き。
 これでもかといろいろ詰め込まれていて、トップ娘役の扱いも、パレード以外はちゃんとしていて、とても楽しめた。

 トップサヨナラ公演作品だったわけで、作品のベクトルがよそ見なしに「トップスター」にだけ向けられている。
 それが、心地いい。
 まさおがそのベクトルの中心に立っていること。その荷を真正面から受け止めていること。
 トップスターってのは、こうあるべき。

 みやるりも大活躍。
 てゆーかみやちゃん、大人になったなああ。
 こんなに芯の太いかっこいい男になるなんて……ほろほろ。
 しかし、痩せすぎだ……大丈夫か。


 それはそうと、客席にきりやんとまりもちゃんが来ていた。
 客席下りで自分のサイン入りカードを配るまさおくん、きりやんにも配ろうとした。
 差し出すまさお、懸命に遠慮するきりやん。
「あたしはええから、他のファンの人にあげて」
 という意味だろう、「とんでもない」と手を振って、周囲を指さす。
 まさおは困ってしまって、一瞬逡巡したあと、差し出したカードをきりやんの膝の上にぽんっと置いて、ささーっと走り去った。

 きりやんもいい人だし、そこで先輩の言葉通り身をひるがえして他の人に渡す……ことのできないまさおもかわいい。
 ちなみに、まりもちゃんは終始ニヤニヤ……ぢゃない、にこにこと見守ってました。まりもちゃんが通路際だったんだけど、まさお、まりも素通りしてきりやん直撃だった。……なのに受け取ってもらえないまさお、かわいそ(笑)。

 客席下りの間は客席も明るいし、みんな身をよじってスターの行く手を追いかけているしで、きりやんとのやりとりはよく見えた。


 ショー後半は泣き通しだったので、ちょっと記憶が薄い。

 まさちゃぴが良かったこと、好きだと思ったこと。
 それだけ、残っている。

 でも、たのしかった。
 わたしに精神的・時間的余裕があれば、何度でも観たかった。今度はもっと後ろで観たいなー、びんぼーなわたしの定位置、3階でまったり眺めるのもいいなー。
 そう思ったけど、スケジュールが合わない……残念……。

 次、『ベルばら』だもんなあ。
 まさちゃぴが見たいし、オリジナル芝居とショーが観たいのになあ。
 いやその、まさみりも好きだけどさあ。「ふつーの」タカラヅカが好きなんだよなあ。男×男は、男女がふつーに成立した上で萌えるものであってだな……。
 千秋楽が終わると、すぐにショックな発表がある……ことが続いたので、身がまえていたら、出たのは『ブラック・ジャック 許されざる者への挽歌』の告知画像だった……。
 わたし的には大発表だが、世の中的にはどーでもいいことだろうから、つつがなく済んだ1日かな。

 千秋楽のまっつは、なんというか、距離感がまっつっぽくてステキ(笑)だった。


 トップスター退団時の入りは、テレビカメラも入るイベントである。

 組子たちが白い服を着て楽屋口前に勢揃いして、神輿を用意する。
 ついいつもの癖で、その群れの中にまっつを探した。

 まっつは群れの中ではなく、別枠で登場した。

 そっか、3番手なんだ。
 今まで花組で見てきた入りでは、ずっと「その他の組子」の中だった。でも、雪組でキムくんを見送るときは、群れから一歩出て、直接キムくんを迎えることができるんだ。

 3番手でよかったなあ。ハチマキしてうちわを持つ姿にじーんとなる。キムくんのためにあんな格好までして、キモチを直接伝えられるわけだ。

 とはいえ。
 ノリノリのちぎくん、ほんわかみっちゃんと違い、まっつはなんだか……一歩引いている、ような?

 楽屋口前に集まって、みんなで相談しているときも、まっつひとりぽつんと離れて立っているあたりが……ええっと。や、話は聞いているというか、見守っているんだけど、自分から積極的に発言する気は、ハナからなさそうっていうか。

 キムくんが登場すればしたで、わーーっと過ごしていたと思うけれど。

 キャラクタ的に、ここで盛り上がっちゃう人ではないのかな。
 それはさもありなん、って感じで。

 ここでまっつがノリノリで、周囲を押しのける勢いで仕切っていたら、それはまっつぢゃないっていうか。
 もちろん、他に仕切る人がいないなら、総責任者がまっつなら、まっつがすごく真面目に仕切っていそうだが、そうじゃないわけだし。

 トップさん出迎えの責任者って、2番手さんだよね?
 コム姫を迎えるときの水先輩が、顔に「使命感!!」って書いてる勢いで、ガシガシ仕切っていた姿を、つい昨日のことのように思い出す。
 反対に、水くん出迎えのとき、仕切っていたキムくんのことはよくおぼえてない……みんな大雨想定のてるてる坊主姿だったからなー(笑)。

 まっつはまっつらしい温度感で、それでも律儀にハチマキしてうちわ持って、キムくんを出迎えた。


 舞台はもちろん、しっかりと勤め上げて。
 私情を出すことなく、乱れることなく。

 余裕はないのか、ダンスも赤鳥も基本忠実にまとまっていた印象。

 その分、サヨナラショーでの爆発ぶりがすごい。
 劇場の空気を震えさせる歌声。
 歌ウマトップスター・音月桂の歌声を彩るために、それに負けない美声を響かせる。

 自分の役目を、忠実に、誠実に、完璧に勤め上げる。


 そして、退団者へのお花渡し。
 幕が開いた瞬間、「キムくんへのお花じゃない」とわかった。半分の花を、咲ちゃんが持っていたから、みみちゃんへのお花だ。

 てことは、キムくんへのお花渡しが、組からはちぎくん、同期からはみっちゃんってことになる。……みっちゃん、組子じゃないやん。
 組子に同期がいたら組子優先、がタカラヅカのお約束でしょ? 成績順ではみっちゃんがトップなのかもしれないけど、専科さんで組子よりえらいのかもしれないけど、ここは組子同期の役を取らないで欲しいわ。

 そう思ったけれど。

 実際に、キムくんへのお花渡し場面を見たら、すごく納得した。

 上級生になると組内同期の人数が少なくなり、お花渡しは実際に花を持っている子だけでなく、同期全員出てきて退団者を囲む、という図がいくらでもある。

 キムくんの場合もそうだった。
 ちぎくんが渡し、みっちゃんが渡し、ゆめみさんが胸ポケットに花を挿し。

 んで、まっつは。

 立ち位置から数歩、前へ出ただけ。

 花を持っていなくても、退団者のそばへ寄って言葉を掛けることは、いくらでも出来るのに。トップじゃなくても、もっと下級生でも、みんなやっていることなのに。
 まっつは、しなかった。

 ただ、お花渡しを見守るだけで、また元の位置に戻った。
 キムくんと目が合ったかどうかすら、わかんないくらいの、控えめさ。

 そーだよな。
 みっちゃんが、組内同期の役割を取るわけないじゃん。自分からそんなことするわけないじゃん。
 まっつが、望んだろう。

 お茶会でも、キムくんのことは一切語らなかった。誰の退団公演だから、ではなく、ただ、舞台を真摯に務めると言っていた。この人は、自分の卒業時にも、きっと同じことを言うんだろう。
 キムくんのことは、なにも語らない。
 だからといって、キムくんへのキモチがないとは、誰も思わないだろう。

 今まで、キムくんと見せてくれた、すばらしい舞台の数々。
 今回のサヨナラショーでもそうだ。
 あの「ニコライとプガチョフ」を見て、心の所在を問う人はないだろう。

 同期としてはもとより、舞台人として、あれだけの相性の良さ、素晴らしい芝居をする間柄で。

 その別れのセレモニーで、もっと近くに行くことが出来るのに、声を掛けることも触れることも出来る立場なのに、そうしなかった。

 離れた位置で見守る、ことを選んだ。

 そのことこそが、まっつのキモチを、心を、表している気がした。


 ……や、勝手な妄想に過ぎませんが。

 ちょろっと前へ出て、それだけで、なにもせずに引っ込んだまっつを見て、「うっわー、まっつだ~~(笑)」と泣き笑いしました。絶対、なんもする気なかっただろ~~、って。
 なんてなんて、裏切らずに「まっつ」なんだろ、あのひと(笑)。


 あと、みみちゃんへのお花渡しは、萌えました。
 お花を渡して、彼女の耳元で「おめでとう」のひとこと。
 低音・低温の、超美声で。

 え、えろすぎる……。
 ここでフェロモンだだ流しってどうなの兄上!!

 や、声が聞こえたわけではありませんから、わたしのイメージに過ぎません。
 でもでも、あのささやきは、絶対エロ全開の「おめでとう」だよ、耳元だよ、腰砕けるよ。

 まつみみも大好物でした。
 まっつのエロさと、みみちゃんの美しさと若さが、禁忌のニオイを醸し出して、すげーハクハクしたんだよなあ。
 今回の『GOLD SPARK!』の中詰め銀橋も、『Shining Rhythm!』に引き続き、良いまつみみでした。つか、まっつ、どんどんみみちゃんに接近するようになって、後半はおでここっつん状態で、千秋楽も見事におでこくっつけてたもん……。あーた、旦那の隣でナニやってんだ……(笑)。


 『ブラック・ジャック』画像もまた、どえらい美形っぷりで。
 原作忠実でありながら、タカラヅカ!な美しさ。
 すすすすげえ。

 どんなポスターになるんだろう?
 マサツカせんせのポスターは「スター棒立ち基本」ってイメージなので、ともみんたちと一緒に載るなら、棒立ちじゃなくドラマの感じられるものに仕上げて欲しいなあ。

 と、進んでいく未来を受け入れつつ。

 梅芸へ月組さん観に行って、芝居はともかく、ショーの途中から崩れ落ちるように泣いて、顔も上げられない状態になり、自分でもうろたえた。

 最近情緒不安定がひどい自覚はある。
 絶望感に囚われながら、「がんばれ」「大丈夫」と自分に言い聞かせるのが習慣になっている。

 自分を好きになるために、できることをがんばらないとな。がんばれ。大丈夫。
 前楽を観られて、よかったのだと思う。

 わたしはもともと千秋楽より初日を取る人間で、フィクションやエンタメなどは、まず「自分で」受け止めたいと思う。
 人様の解説も前評判もいらない。
 わたしはわたしで知りたい。

 だから、前楽ははずせない。
 「音月桂サヨナラショー」の初日だから。

 前楽の予習があったから、千秋楽はただ「これで最後」「お別れ」に集中できた。
 キムくんの「思い出・集大成」というテーマで作られたショーは、それだけで破壊力がある。
 前楽を観たあとは息も絶え絶え(笑)。『JIN-仁-』初日に帰り道が大変だったように、前楽の帰り道も大変だった。

 前楽はいいよ、あとはただ帰るだけだもん。
 でも千秋楽は、そのあとパレードがある。貧血起こして坐り込んでるわけにはいかない!

 前楽の挨拶で、自分を「雨男」と言い切ったキムくん。
 水さんですら、「雨女」って言ってたのに……男、なのか……さすがだ(笑)。

 初日も千秋楽も雨が当然の、キムくん。今までも大変だったさ……。

 しかし、水しぇんのムラ楽が晴れたように、キムくんの楽も快晴、あたたかな良い日和だった。お天気までもが、最後にとっておきの笑顔をくれるみたい。

 入りから、最後のパレードまで、参加した。人混みの後ろから眺めた。
 儀式のようなものだ。
 「別れ」をひとつずつ、例に則って消化する。そうすることで、カラダと脳に「別れ」を教え込む。
 漢字の書き取りみたいに、テニスの正しいフォームみたいに。
 脳を、カラダを、正しい形に動かすことで、覚え込ませる。

 心が、ついてゆかなくても。

 これが「別れ」であると。


 キムくんのことは、長く眺めすぎていた。
 好きでいる時間が長すぎた。
 10年超えてるし。
 トドロキ時代、コム姫時代、キムくんの薔薇色の未来を疑いもしなかった。
 キムくんで観たいモノがいっぱいあった。

 気がついたらスター、だったのではなく、スターとして歩み出すあたりからずっと、見ていた男の子。
 彼の時代が来るのをゆっくりと見守り、待ち続けていただけに、こんなカタチで彼の時代が断ち切られることが、納得できていない。

 キムくんは、トップになってからさらに伸びた。
 立場は人を成長させる。真ん中になり、組を背負い、彼はさらに高見へ昇った。
 まだ、これからだ。
 これから、その実力を発揮できるとき……長い間かけてようやくひらいた花を、堪能する前に摘み取られてしまう嘆き。


 それらを昇華するために、儀式はある。

 キムくんは笑っている。幸せだとくり返している。
 彼がそう言うのだから、わたしはそれを信じる。
 なにがどうなって、雪組の御曹司がこんなに不自然な任期で卒業するのかわからないが、それらを全部超えて、ただ、わたしはキムくんの笑顔を信じる。

 キムくんがファンに「見せたい」と思っている音月桂の姿だけを見る。

 納得できていないのは、あくまでもわたし個人の「欲」だ。
 わたしが、音月桂を求めている。彼で見たいもの、表現して欲しい役、聴きたい歌が山ほどあった。
 こんなはずではなかった、わたしはもっと音月桂を堪能し、もっともっと音月桂に浸り、楽しく幸せな観劇が出来るはずだったのに。
 という、とても自分勝手な憤りだ。

 それはわたしだけの都合なので、キムくんには関係ない。
 そしてわたしは、その憤りや不服さと同じだけ、キムくんの笑顔に癒され、彼を信じたいと思っている。

 キムくんが幸せだと笑うなら、もうそれだけでいい。


 『JIN-仁-』にて、この2日間、いろんなところで咲さん@みみちゃんを見ていた。

 仁先生@キムくんを一途に慕い、見つめ続ける咲さんに注目することで、わたしもまた仁先生を……キムくんを、見つめていられた。
 彼に、恋をしていられた。

 咲さん、ほんとはこわかったんだと思う。
 南方先生を好きで、尊敬して、ついていこうとしているのは本当。
 だけど、彼がときどきこの世のモノではないナニか……「神の国」の人のような言動を取る、それは、こわかったと思う。
 本能的なモノでしょ、未知の存在への恐怖ってのは。
 一瞬こわいと思う、ひるむ……だけどその次の瞬間、咲さんはそれを超えて仁に向かう。彼を愛している気持ちが勝つ。

 超えてゆく。
 彼を想う、その気持ちで。

 そのひるみと、飛躍。
 交互に訪れる感覚を、みみちゃんを通して味わう。

 仁友堂開院の場面、「巡り会えた奇跡」をひとり銀橋で歌う仁。
 本舞台には、仁友堂の仲間たちと、江戸の人々。
 「すべてが愛しい」と言う仁。

 ライトを浴びて歌う仁ではなく、彼を後ろから見つめる咲さんを見ていた。

 おだやかな微笑を浮かべている……だけではなく、切ない、悲しい顔もする。
 少しずつ動く。
 愛しさが静かに動く。幸せだけでなく、切なさにも。

 みみちゃんの姿は、素直に胸に入ってくる。
 わたしもまた、あんな表情で恋をしていたのだろうか。しているのだろうか。
 いやその、みみちゃんみたいな美少女と自分を重ねるのはおこがましいを通り越して異世界過ぎるけど、あくまでも、表情とか想いの話。


 『GOLD SPARK!』の大階段前のデュエットダンス。
 大技リフトのあと、ふたりはそれぞれ上手と下手に別れて花道から銀橋へ出る。
 すぐにじゃない。その、両の花道上から、一旦立ち止まって微笑み合うんだ。

 あの広い大劇場の両花道の上から。

 あんなに遠くで、でも自分を見つめて、笑いかけてくれる。
 そして、ふたりの前にはまっすぐな道。
 走り寄って、手を取り合う。抱き合う。

 銀橋が、ふたりのためにある。

 ふたりが駆け寄り、抱き合うために。
 それだけのための、一本の道。

 こわい顔をしたキムくんが、くちゃっと笑う、その瞬間が好きだった。
 そして、走り出すのが好きだった。

 好きだった。


 キムくん、みみちゃん、杏奈ちゃん、ハウル。
 みんなとても、いい顔で笑っていた。

 杏奈ちゃんの経歴紹介映像、しょっぱながルーシーちゃん@『ホップスコッチ』だもん、ダダ泣きしましたよ、緞帳開く前から!

 ハウル氏の「雪組の優しいみんなと出逢えて、人間を好きになれた」というメッセージには、大いに突っ込みたいところだ。それまで人間キライだったんかい。
 ハウルには厨二病っぽいイメージがあったんで、やたら凝りまくった挨拶文といい、さもありなん、つーか、さすがハウル!なキモチ(笑)。

 みみちゃんは、キムくん見すぎです(笑)。カーテンコールの退団者トークとか、いちいちキムくん見るの。客席とキムくんと半々くらい見ながら喋ってる。

 何回目かのカテコ、ふつーならトップスターひとり立っているだろうタイミングで、キムみみがくっついて立っていた日にゃ……!!
 ナニこのバカップル!!

 卒業式に来たつもりだったけど、結婚式の間違いだったんかい!!と、盛大に突っ込んだよ(笑)。

 キムみみが幸せそうに笑っている、それがうれしくてならない。
 みみちゃんと公然といちゃこらすることで、客席がわくの、キムくん絶対楽しんでる!……という感じもまた、大好きだ(笑)。


 わたしは欲張りだから、未だに欲が疼くけれど。
 もっともっと。そう思うけれど。

 しあわせだったのも、ほんとう。

 キムくんの笑顔を見られて。
 「しあわせです」と言う、彼を見ることが出来て。
 1998年。
 宝塚歌劇団に5つめの組、宙組が出来た。

 最初の公演は、『エクスカリバー』『シトラスの風』。
 発売日、いつものように梅田へ並びに行ったわたしは、とんでもなくいい番号を引いて、好きな日時のチケットを買うことが出来、やたらめったら興奮していたと思う。
 贔屓組でないと、いい番号引けちゃうんだ。そんな話を、友だちとしていた。

 たかちゃんと花ちゃんが好きだったわたしは、複数回観劇した。雪組ファンだったので、元雪組の宙組っこに客席からエールを送っていた。

 初舞台生公演だったから、もちろん研1生口上とラインダンスがあった。

 しかし、当時のわたしは初舞台生になんの興味もない。出来上がったスターさんに夢中で、全員同じ顔に見えるロケットはただぼーっと眺めていただけだ。

 初日を観たかどうかおぼえていないのだが、千秋楽は観に行ったはず。たかちゃんのアドリブにきゃーきゃー言っていたので。

 今、自分が確実に見たはずの回の、初舞台生口上のメンバーを確認した。

 音月桂・舞城のどか・高宮千夏

 今なら全員わかる。でも当時はまったく眼中にないままだった。

 あそこに、彼らはいた。
 あのとき、あの舞台に、彼らはいた。

 音月桂サヨナラショーにて、『シトラスの風』を歌う84期の4人、みっちゃん、まっつ、キム、ゆめみちゃん。

 あれから、15年。

 長いよ。
 長い時間だよ。

 わたし自身変わった。わたしの周囲だって変わった。タカラヅカも変わった。世の中も変わった。
 その年生まれた赤ん坊が、中学3年生になっている、そんな時間。

 わたしがまだ知らないときに、知らないところで、彼らはいて、歌い踊っていた。彼らはもう、彼らとして存在していた。

 いやそれは、当たり前のこと。
 すべての人が、わたしと出会う前にもふつーに存在しているわけで、ふつーに人生を送っている。
 彼らだけでなく、世界中の人々が、そう。

 でもわたしには、とてつもないことに思えた。

 あの頃、わたしは知らなかった。

 あのラインダンスの少女たちの中に、音月桂がいること。未涼亜希がいること。

 こんなに、大好きになる人がいることを、知らなかった。

 ただぼーっと見ていた。なんの疑問も感動もなかった。あるのが当たり前、与えられるのが当たり前と、なんのキモチもなく受け止めていた。

 当たり前のことなんて、なにもないのに。

 ものすごい確率の偶然だとか努力だとかめぐり合わせだとか、人為と天意が重なって、現在がある。
 きっとなにかひとつボタンが掛け違っていても、現在はなにかしら違った形になっていた。

 15年、と思うと、途方もない。
 15年前の自分を、周囲の人を、思い返すだけで、どれだけ大きく変わっているか。
 その途方もなさを超えて、キムくんがいる。まっつがいる。

 『シトラスの風』の同期並び場面を観たときにわきあがったのは感動であり……感謝だった。

 ありがとう。

 15年前、ただの固まりだった、個別に考えることもない、ラインダンスの少女たちだった。
 そこで終わることなく、ここまで来てくれた。
 こんなに魅力的になり、大好きにさせてくれた。

 ありがとう。

 こんなに、こんなに、好きにならせてくれた。

 出逢えて良かった。
 好きになれて良かった。

 人生ってすごい。
 生きるってすごい。

 なんとも思わなかったあの「ヤッ」の女の子たちの中から、こんなに大好きになれる人たちができるんだ。
 最初から「運命の出会い!!」である必要はない。
 すべての出会いは無駄じゃないんだ。人生は無駄じゃないんだ。
 「ふつう」だったあの頃に、宝物が眠っていたように。

 だからもう、なにもかもが愛しい。


 とまあ、『シトラスの風』に限らず、泣き通しだったんですがね。

 「エメ」@『ロミオとジュリエット』ではじまったサヨナラショー。
 舞台には、キムくんひとり。
 『ロミオとジュリエット』、なのに、ロミオだけ。どうしてソロで歌うの、みみちゃんは?

 すぐにわかった、わたしたちが、「ジュリエット」だ。

 あそこにいるのはロミオ。
 客席にいるのが、わたしたちが、ジュリエット。

 「永遠」の愛を、彼は誓ってくれている。

 わたしたちに。


 キムくんのサヨナラショーでどの曲があるか、あまりちゃんと考えていたわけじゃないけど、安心していた。
 わたしが聴きたい「ニコライとプガチョフ」「世界の王」は絶対あるだろう。あと、「心から心へ」も絶対ある。これはラストソングで雪組全員で歌い上げかな。
 これだけははずれないと、勝手に思い込んでいた。
 で、これだけ聴ければあとは構成がどうとか演出がどうとか、まったく気にならない。

 なんの根拠もなく、そう思っていた。

 そしてそれは、裏切られることなく、舞台で歌われた。
 望んでいた、以上のカタチで。

 「世界の王」。
 わたしが、最も愛する曲。

 2011年、1月1日。
 この宝塚大劇場で、この曲を聴き、この場面を観て、震撼した。
 心臓がしびれるような感動、高揚感を味わった。

 キム、ちぎ、まっつ。この3人で、新しい雪組を盛り立てていく。

 トップ娘役はおらず、決まっているのはこの3人の序列のみ。

 「世界の王」を歌いながら銀橋を渡る彼らに、「新しい時代」を感じて高揚した。
 胸が高鳴り、きゅーーっと痛んだ。
 拳を握った。

 強い喜びや期待は、切なさに似た鋭さで胸を焼いた。

 あれから、まだ2年経ってない。
 あれは、ついこの間のこと。


 期待と幸せの記憶が生々しいだけに、今、別れの形見として再現される姿に、胸の痛みをもてあます。

 あのとき、幸せだったのに、うれしかったのに、あんなに切なかったのは、未来のこの痛みとリンクしていたのか。
 そう思えるほどに。


 1年と11ヶ月前の姿をそのまま、再現してくれた。
 キムちぎまっつ、そして青チーム。


 そして、「ニコライとプガチョフ」。

 この曲は絶対入っているだろうけれど、キムくん主演作メドレーの中のひとつに差し込まれている、くらいかと思った。

 ガチに1場面来た。

 しかも、銀橋だ。

 ニコライ@キムとプガチョフ@まっつの掛け合いをまんま、銀橋でやってのけた。
 瞬時に役に入るキムくん。
 歌い出すまっつはもとより、その歌を黙って聞いているキムくんの入り込み方がすごい。

 まっつは当時よりさらに歌がうまくなっている。凄みが利いている。
 キムくんとの掛け合いが、ハモりがすごい。

 並び立つ。
 そんな言葉を思う。

 一歩も引かず、対峙する。
 舞台人として。役者として。同期として。

 心の表面が直に「世界」に晒されるような感覚。

 このふたりは、役者としての相性が半端なかった。最初はどうかと思った部分はあった、しかし共に舞台に立つうちに、ふたりで作るもの、その相乗効果は半端なかった。

 キャラクタもスターとしての育ちもまったく正反対のふたり。
 でもこのふたりもまた、見えないなにかに導かれ、同じ舞台に立ったんだろう。


 キムみみのなれそめ作『忘れ雪』から、次の『ノンノンシュガー』の歌い出し「いろんなことがあったね」で、キムくんがみみちゃんに語りかけるように歌った瞬間、隣の席の人の喉が鳴った。
 いずこも同じ、あれは、決壊する。
 客席、泣き崩れ。

 大好きだ、キムみみ。
 握った手を放さない、そんな夢。
 少女のころ見た夢。はじめて好きになった男の子、「この手は放さない」「ずっと一緒ね」……遠い日の夢、儚い夢。
 その具現。


 退団者の場面もあり、キムくんのなつかしい曲もたくさんあり。

 ラストは全員で、黒燕尾と薄ピンクのドレスで、「心から心へ」。

 まっつが、この歌を歌うのか。父上はこの歌、歌ってなかったよね。あの場にはいたけれど、コーラスには参加してなかった。
 今ここで、こんなカタチで歌うことになるのか。

 ラストの衣装で退団者挨拶を見守ることになるはずだから、明日の千秋楽、組子は黒燕尾と薄ピンクのドレスか。『GOLD SPARK!』のギンギラ衣装よりいいか、……なんてこともちらりと考える。


 そして、こんだけ客席大泣きで拍手ものすごくて、空気がひとつになっているのに。
 スタンディングもなくカーテンコールも少なく、ぴたりと終わって席を立つ雪組ファンの行儀の良さに、内心ウケた。
 これもまた、組カラー。
 培われる、伝統。

 愛しい。
 まっつに、ナニが起こっているんだろう……。
2012/11/08

雪組公演『ベルサイユのばら』-フェルゼン編- 主な配役と役替わりについて

雪組公演『ベルサイユのばら』-フェルゼン編-の主な配役(一部)と宝塚大劇場公演の役替わり日程が決定いたしましたので、お知らせいたします。

◆主な配役(一部)
役名 出演者
フェルゼン 壮 一帆
マリー・アントワネット 愛加あゆ
オスカル 早霧せいな
(宙組)凰稀かなめ ※4/23~30
アンドレ 未涼亜希
(星組)柚希礼音 ※4/23~30
(月組)龍 真咲 ※5/24~26

※壮一帆は12月25日に雪組へ組替え
※雪組東京宝塚劇場公演では、特別出演・役替わりは実施いたしません

 まっつが、アンドレ?

 ………………『ベルばら』と演目が発表になったとき、まっつメイトと交わした会話は、「まっつに、役がない」。
 ジェローデルなら御の字。ベルナールが存在すれば、ベルナール? 確実に出る役なら、スウェーデン国王とか。ルイ16世とか。そのへんになるんじゃないかとか。
 『ベルサイユのばら』における主要4役、オスカル・アンドレ・フェルゼン・アントワネットとは、無縁であるという前提でしか、ナニも考えてなかった。
 ネタとしてすら、考えたことなかったわ……。
 雪組3番手として2年過ごしたスターさんにナニ言ってんだ、てなもんかもしれないが、下級生がフェルゼンやってる横で、台詞が「引け」の2文字しかないベルナールをやっていた人なんだよ? 絶対に主要4役に混ざることはないと思っていた。

 第一今回、特出祭りだし。主要4役は特出トップさんと2番手のちぎくんで埋まるわ。
 てことで、ほんっとーに「関係ない」と思ってた……。

 正直、ぽかーん……。

 夢にも思わないことが、起こってる……。

 まっつ本発売決定といい、いったい、まっつにナニが起こっているんだろう。

 まっつが、トップスター様と同じ役をやる……。ぽかーん。


 と、とりあえず、今まで「他人事」でしかなかった『ベルばら』が、自分の庭の話になった。
 キムくん退団公演と『BJ』に燃え尽きて、『ベルばら』はお休みするキモチだったのに。

 「あり得ない」という前提で、友人に「まっつに主要4役が来たら『ベルばら』でも通うわ。来るわけないけど(笑)」と言っていたことが、現実になってしまった。
 少年マンガでよくある「へん、ほんとにそんなことになったら、裸で逆立ちして、校庭一周してやるよ」的なキモチで言ってたのに~~。

 『ベルばら』は毎回中身がチガウので、どの場面があるのか、役名がどうだからといって、どのくらい出番があるのか、幕が上がるまでわからない。
 とはいえ、他組のトップスター様に特出していただくのに、有名な名場面皆無、登場シーンもほとんどナシ、にはならんだろう。

 そして、オスカルはちぎくん。

 ちぎまつキターーッ!

 わ、わたし、まだ、まっつのクチから「愛してる」というストレートな台詞を聞いたことがないのです。
 「君を海馬帝国のファーストレディに迎えよう」とか、「私も彼を想っている」とか、そんなのしか!!
 「君の心の中に 私はまだ住んでいるのだろうか?」てな、回りくどいラブソングは聴いたけど。「君と歩く 美しき季節」という目が合ってぽっとするよーな気恥ずかしい初恋ソングは聴いたけど。
 「愛してる」は聞いてない。

 は、はじめて聞く愛の言葉が、あの『ベルばら』台詞なの?
 しかも相手が、ちぎくんなの?!

 今までさんざん、海馬教授(ヘンタイ)と相沢(ホモ)とプガチョフ(ホモ)とかやって、まっつには、女より男、恋愛より友情、とやってきて。

 直裁な愛を語る相手が、男役……(笑)。

 ちぎくん大好き、ちぎまつ萌えなわたしに、このカップリングって。

 なんかくらくらする。


 しかし、他組トップが同時にふたり出演して、オスカルとアンドレやる、って、豪華だけど、それってもう雪組公演というよりタカスペとかのノリじゃ……?
 『ベルばら』は特出・役替わりてんこ盛りがお約束だけど、それにしてもガイドラインぶっちぎってる気がする。

 や、どの組合わせも楽しみですが。


 中日・DCの振り分けも出て、この雪組情報過多っぷりに、キムくんのムラ公演があとわずかなのに、もう少しキムくんだけに、今の公演だけに集中させて欲しいと思いつつも、友会の関係とかで発表せざるをえないのか。

 『BJ』のまっつとともみんのワンツーは、初演のヤンさんみきちゃんを彷彿とさせるなあ、と思ってみたり。


 ムラ楽まであと4日。
 新人公演『JIN-仁-』キャスト感想つれづれ。

 高岡@あすくん、かっこよかった!(笑)
 何故か語尾に(笑)が付いてしまうのは、サイトーくんが萌えている「高岡」というキャラクタに対して。ほんと恥ずかしいよな、サイトーくん(笑)。

 あすくんは本公演で大活躍しているから、新公の方が出番が少ない気がする……。

 ところであすくんが悪役やるとほんとに悪い人に見える。

 いやその、当たり前のことだけど、悪役やっても悪役に見えない人っているからさー。
 あすくんの高岡様と、えーちゃんの楓は、ふたりして本格的に「悪っ」て感じで、楽しそうにやりすぎてる感じにウケた……(笑)。
 や、高岡様は別に悪役じゃない、彼は彼の使命を全うした人だけなんだけど、サイトーくんの「萌え悪役」ってことで、単純に「悪役」と呼ぶ(笑)。

 しかしあすくん、本公演で瓦版屋で生き生きお調子者、新公でダークな高岡様、っていいなあ。
 かわいいあすくん、かっこいいあすくん、両方見られてお得だ。

 で、個人的にあすくんに、満面の笑顔でしっぽ振って近づいていくレオくんを見られて、大変うれしゅーございました。
 なんかいいね、萌えるね(笑)。


 龍馬さん@翔くんは、今まで見た翔くんの中でいちばん好きかも。
 素直な「大きさ」を出していい役だと、翔くん自身の大らかさが出る。
 繊細とか苦悩とか、スキルの必要な役は難しいよね。あんりちゃんもだけど、翔くんはできないことに足をとらわれて動けなくなるより、得意分野をのばす方がいいと思う。
 できないことがあっても言及されないくらい、魅力を得ればいい。

 ただ、龍馬さんのビジュアルは、もう少し美形にしてくれても良かったんだけどなー。翔くんのいちばんの武器は、美形ってことなんだからさー。


 美形といえば、かなとくんと凰くん、注目の美形ふたりがじゃれているのは麗しかったです。
 かなとくんは芝居できる人だし歌えるし、もっと比重の高い役で見てみたいっす。
 凰くんはビジュアル以外ナニができるのかわかってないんだけど、そして今回の近藤勇役を見てもよくわかってないんだけど、とにかく目に付く人なので、今後もまったり眺めます。

 娘役では、夕霧@桃ひなちゃんが納得の美形さ。
 ただ、夕霧さんの演出が、退団と絡んでないと唐突でバランス悪いなあ。仁せんせ、ほんとにナニもしてないな、役に立ってないなと強調された感じ。
 桃ひなちゃんの夕霧は、やっぱどこか「強い」気がする。悪いわけではなく、伝説の花魁としてアリな範囲で強い……かたい、こわい、部分があるような。


 あと、野風@夢華さんは、ある意味本役さんより野風っぽかった。
 あゆっちは華やかでかわいい娘役スターさんだけど、「超絶No.1美形花魁野風」とは、どうしてもイメージが違いすぎてなあ。声と芝居はいいんだけど、外見が。
 白塗り+日本髪は、まるぷくさんにはキビシイ。
 本役の夕霧@杏奈ちゃんがビジュアル最強!であるように、すっとした輪郭の女性でないと、着こなせないんだよなあ。

 夢華さんはあゆっちほど華やかなわけではないけれど、丸顔ではないので、あゆっちよりはカツラや衣装が似合っていた。
 そしてしみじみと、この役は難しいと思った。

 サイトーくんの脚本のせいなんだけど、結局のとこ野風がどんな人物か、作品中ではまったく描けてないんだよね。
 野風の生き方を見て仁が咲にプロポーズするんだが、なんでそんなことになるのか、さっぱりわからん。
 あゆっちはこんなわけわからん描き方されて、それでも雰囲気を創り上げることによってなんとか観客を煙に巻いてくれている。
 でも新公ではそこまで雰囲気を瞬時に作れないから、ぽかーんとしている間に終わっちゃった。結局野風がどーゆー人なのか、さっぱりわからん……。

 野風に限らず、大抵のキャラクタがそんな感じ。野風は出番だけそこそこ多いわりに、中身が描かれてないから目に付いた。
 本公演はどの役も、ジェンヌへのアテ書きで乗り切ってるもんなあ。


 あと、運命の舞夢S・Aって通し役じゃないの? なんか部分的に違ってたような?
 ふたりの体格がどーんとチガウもんだと思っていたから最初、同じような体格のふたりが出てきて「そこはサイトーくんのこだわりじゃないんだ」とびっくり。(サイトーをなんだと思っているんだ)
 でもまたなんか、体格が違ってたり。
 通し役だとばっかり思っていたから2度見した。……顔はよく見えなかったんだけど。

 そーいや恭太郎さんをちやほやする武家娘も人数減ってて、茜ちゃん@妃華ゆきのちゃんもガチに取り巻き人数に加わってたなー。
 刺客といい、恭太郎さん関連はちと寂しいな……。

 最後の刺客は減ってなくて良かったよ、ほんと。
 ということで、長々と『フットルース』組の新人公演『JIN-仁-』メンバーの話をしておりましたが。
 よーやく主演コンビの話です。

 『フットルース』でもカップルだった、咲ちゃんとさらさちゃん。

 咲ちゃんは1年半ぶりの4回目の主演、さらさちゃんは初ヒロイン。
 ジーターとユーリーンが大好きだったので、このふたりのカップルがもう一度見られる!ってだけで、テンション上がりました。


 咲ちゃんは抜擢が早すぎて、学年からすりゃうまいけど、ぷくぷくまるまるオンナノコまんまのうちから主演独占、オイシイ役独占、無理な立ち位置連続で、組ファンどん引き、拍手皆無の初日、とか、いろいろいろいろありました。

 でも確実にうまくなっているし、かっこよくなってきている。
 今年になってからの伸びはすごい! 特に『フットルース』のイケメンぶりときたら……!!

 と、期待値は高かったっす。

 なんつーか、今回が初主演なら良かったのに、と思いました。

 無理な抜擢で反感買いまくるよりも、ちゃんと実力とビジュアルが付いてきて「あの子誰、カッコイイ」「あの子が主演したら、絶対観に行く!」と観客に思わせてから、ここぞとばかりに主演させれば、観客は「あたしたちの思いが届いた!」と驚喜して駆けつけるのにねえ。
 主演独占に見合うだけのモノを放てない場合、劇団の思惑と観客の気持ちは反比例するのにねえ。

 仁先生@咲ちゃんは、ふつうにうまかったです。

 ……そう、ふつうに。
 新人公演として。


 「主役」って、特別のことなんだなと思う。

 『フットルース』で、主人公の友だちのひとりとして、モブより一歩前、という立ち位置にいるときは、そりゃステキだった。
 イケメンで目を引いた。小芝居も楽しかった。

 『JIN-仁-』本公演で、悪役としてちょろっと出てきてキメポーズにキメ台詞を言う、それもまたステキだった。
 体格イイし、声も通るし、オイシイ役だった。

 しかし。
 脇としてかっこよかったりおいしかったりするのと、真ん中で2時間近くすべてを牽引するのは、まったく別のことだ。

 咲ちゃんは、ふつうにうまい。
 なにが出来ない、というわけじゃない。
 歌も芝居もダンスも破綻はない。
 あとはカラダが絞れていないとか、所作がゆるいとか、男役として年月を積まないとどーしよーもない部分くらいしか、目に見えて欠けているところはない。

 ふつーにできる、ふつーにうまい。
 ……それだけで、何故こうも「足りない」感が残るんだろう?

 脇でちょこっとおいしいことをする分には、とてもステキなスターさんなのに。

 なにかひとつでも、圧倒的なものがあれば、チガウのかな。

 なにかがとてつもなく欠けていたとしても、それを覆い隠してしまうくらい、とんでもないナニかが。
 歌唱力でも空回りするくらいの熱度でも、なんでもイイから、ナニか。

 そしてそれは、新公主演3連続やって、バウ主演もやって、その他いろんな公演で主要キャラやって、経験値だけでいったらそのへんの上級生スターよりはるかに高い、そういう「安定期に入った人」が出すのは難しい「ナニか」なのかもしれない。

 無理な抜擢をせず、少しずつ大切に育てて、はじめての主演にこの素材をぶつけてくれたら、どんな爆発力を見せてくれたんだろうか?
 安定ではなく、崖っぷちの情熱を。

 はじめての主演でこの出来なら、それだけで騒がれたろうになあ。
 咲ちゃんのキャリアだと、「出来て当たり前」だもんなあ。

 うまかったよ。
 いい新公主演ぶりだった。
 キムくんを忠実になぞっている感じ。彼から出来るだけ多くのモノを吸収しようとしているのがわかる。

 でも、主演って、真ん中のスターって、難しい。……そう思った。


 初ヒロイン、咲@さらさちゃんは……。

 役と立場を、ほんっとーに選ぶ人だなあ、と、思った……。

 さらさちゃんのパーツが派手で造作の大きい顔は、舞台人として武器だと思う。どこにいてもわかるし、表情もよく見える。
 ただ、「タカラヅカのヒロイン」という狭く小さなカテゴリからは、大きくはずれていると、思う……。

 現代の結命役はいいんだけど、日本髪が致命的に似合わない……。

 本公演の茜ちゃんもそうなんだけど、あちらはヒロインじゃないので、ファニーフェイスでも「かわいい」で済む。
 しかし、ガチにヒロインとなると……「チガウ」としか。

 また、彼女の芝居の質も、ヒロインとはチガウ気がする。
 大芝居というか、技術に頼っている感じというか。まず外側の芝居をどーんと見せつけて、そこから奥がわかりにくい。
 技術に頼った芝居が強くて、その強さばかりが目について、それ以上の心の動きがわかりにくい。
 植田歌舞伎っぽい感じ?
 たぶん、わたし好みのお芝居ではなかったんだと思う。

 ユーリーンがそうだったように、脇にいるときはそれが心地いい。
 スポットライトや物語の中心が彼女には当たっていないため、歌舞伎的な強く大ぶりな芝居をしてくれると、目に入りやすい。
 真ん中を見ていても、同時に、脇でなんかやっている彼女が視界に入る。芝居は真ん中だけでするものじゃないし、世界は主人公だけで作られているわけじゃない、脇の子たちも生き生きと生活している……それが世界観を深めている。
 さらさちゃんの濃さと大きさは、その舞台の世界観を多層的にするのに必要だった。

 でも、彼女が真ん中だと……物足りない。
 大きいばかりで、繊細さがチガウ。や、芝居なんて好みでしかないから、わたしにとって、というだけで、世間様の感想はわからないが。
 あくまでも、わたしにとっては、違った。

 外見か芝居か、どちらかがわたしの求める「ヒロイン」と合致していればよかったんだけど……両方かけ離れていたので、今回はきつかった。

 アントワネット役だったら、ハマったかもなー。
 それを思うと残念だ。


 さらさちゃん、うまいのに。華と押し出しのある、よいスターさんなのに。
 ヒロイン決まったときは喜んだ。実力派キターーッ、と。
 ショーでもさらさちゃんのボンバーなダンスを見るの好きなのに。目を奪う子なのに。

 主演って、真ん中のスターって、難しい。……そう思った。


 あくまでも新人公演、あくまでも現時点でのことだから、彼らがこの先どんだけステキに花開いて、真ん中とは彼らのためにあるっ!という、スターさんになるかもしれない。
 ソレに期待する。
 新人公演『JIN-仁-』を観てナニに驚いたかってそりゃ、恭太郎さんが、ホモじゃない!ってことだったりします。

 いやその、ホモというとイメージ限定されて不適切かもしれんが。

 本役の恭太郎さんは、とてもややこしい人でした。旗本として生きるまっすぐな瞳の若者だったのが、同門の友人・坂本龍馬の影響で、どんどん変わっていく。……歪んで、行く。
 恭太郎は、龍馬をライバル視していた。真面目でお堅い恭太郎からすれば、龍馬のいい加減さ軽薄さは侮蔑の対象。ああいうタイプの人間はキライ、だけど無視できない、彼の才能と魅力を認めている、師が彼を高く評価し、世間も彼を必要としている、その理由がよくわかる……わかるけど、好きになれない。
 その葛藤と、対抗心。
 龍馬がいなかったら、恭太郎は別の人生を歩んでいただろう、そう思わせるほど、大きな影響を受けている。
 その姿がいちいちすごくて。
 「龍馬が嫌い」と全身で訴える姿は、「龍馬が好き」と声なき叫びをあげているよーにしか見えなくて。

 好きな人に好きだと言えるよーな、ごくあたりまえの、ふつーの人間なら良かったのにね。
 龍馬への思いを認めることは、負けを認めること、だったんだよね。武士として将軍様の旗本として、それだけは絶対できなかったんだね。

 という、「なんでそこまで……!」と見ている方がびびるくらい、恭太郎兄上はややこしいツンデレ様でした。

 それが「橘恭太郎」という役のデフォルトなのかと思っていたから。
 新公で、ややこしさなんてまーったくない、台詞にあるだけのメンタルを表現する、素直で子どもっぽい恭太郎さんに、びっくりしたのです。

 恭太郎がホモだったのは、中の人の演技ゆえか!!

 いやその、予想してなかったわけじゃないけど、それにしても想像以上に落差の大きい、完璧な別人ぶりでした。

 はー。
 恭太郎、って、面白い役だなあ。演じ方ひとつで、こうまで変わるんだ。

 まっつの役作りがややこしすぎるのかもしれない。
 恭太郎さんはややこしいけれど、「わかりやすい」。彼が言葉に反して龍馬を好きすぎるのは、一目瞭然。その「言動と内心がチガウ」様を、まっつはとても細かく創り上げ、それゆえに複雑さ半端ナイ人になっている。で、その複雑さや屈折っぷりは、「言動と内心がチガウ」ことをさらに「わかりやすく」見せる効果がある。
 そこまでややこしく創り上げなくても、記号的なものは伝わる。
 前回のフェリペ二世にしても、同じことを思ったはず。
 新公のフェリペ二世は、本役ほどの複雑さはないけど、これも十分アリだと。
 今回の恭太郎も、本役ほど複雑なことをしなくても、恭太郎としてぜんぜんアリだ。

 まっつってほんとに、複雑なキャラクタにしちゃうんだなあ。
 あー、アトスのときは新公でそーゆーのを感じなかった。あれは役が悪かったのかなー。こだまっち脚本が理解できない、といろんなところで言ってたもんな、まっつ。複雑に作り込むよーな役でも作品でもなかったからか。
 また、新公のあすくんがうまかったし、まっつまんまのイメージを踏襲していたことも、あるのかも。


 恭太郎役が面白すぎて、興味深くて、まずそこに言及しちゃったけれど。

 新人公演の恭太郎@レオくんは、素直な役作りでした。
 本役さんが必要以上に複雑にしているだけで、脚本にあるだけの情報を、そのまんま板に載せた感じ。
 まっすぐで、幼くて。清潔で。
 幼いからがむしゃらで、「自分もなにかしなきゃ!」と焦って、自滅した感じ。
 ラストの方の、高岡一味になったあととか、すねて地団太踏んでる中学生みたいだった。対する龍馬@翔くんも、器量の大きさよりは大雑把さの方が強かったから、どっちもどっちっぽかったなあ。

 あー、あと、これは新公だから仕方ないんだけど、最初の刺客に教われるとこ、刺客がふたりしかいなくて……恭太郎さん、弱っ、と、思った……。
 本公演は4対1だから、そりゃ斬られても仕方ないけど、「剣の達人」設定なのに、2対1で一方的に斬られちゃうのは、なんだかなあ。
 や、現実なら2対1じゃ負けて当然だけど、フィクションで「剣の達人」でこれはちとサミシイ。
 また、新公だから、あまり洗練された動きでもないしね。みんなこわごわ手順通りにやってるから、余計に強そうに見えない……みなさんが。

 外見はもちろん美しい。
 レオくん、きれいだなあ。男役としてシンプルに美しいわ。青天からデコのラインがきちんと美しいって素晴らしいことだと思う。
 また、顔の造作が微妙にまっつと共通項多し。
 外見の出来上がり度が高いだけに、相変わらず声が残念。声で損をしているので、芝居もうまく見えない。
 黙って芝居してるときがいちばんカッコイイなー。


 てことでわたしは、BJの影@レオくん希望です。
 来年のまっつDC『ブラック・ジャック』。
 BJメイクで台詞なし、ただひたすら踊る役。
 まっつと顔のタイプが似ているし、小柄だし、ダンサーだし。適任だと思うんだけどなー。

 ところでまつださん、「本番前にレオくんの手を握って『がんばって』と言った」って、ななななんですかそのプレイ。
 まつださんって、そんなことする人なんだ……? いつも? それとも今回だけ?
 たとえば、扇めぐむ氏の手を握って「がんばって」と言うまっつさんは想像が出来ないっす……。
 レオくんがはにかみながら、上記のエピソードを話す、というだけで、なんかすごいなー、という気分になりましたよ、byスカステ。


 新人公演『JIN-仁-』についてあれこれ、続き。

 ホタっちゃんのうまさについて、考えた。
 そしてそれは、コマくんを考えることでもあった。

 『JIN-仁-』においてのお笑い担当、佐分利先生。大阪弁の三枚目。
 この役を、本役のコマくんは実に愉快に愛らしく演じている。
 スタンドプレイではない、やり過ぎない範囲でのアドリブ。佐分利さんが出てくると、場がほっこり明るくなる。
 コマつんはマサツカ芝居でも、よく「間」が命の三枚目芝居や掛け合いを任されている。また、『フットルース』にて場を持っていく力のある三枚目キャラ、ウィラードを見事に演じて見せた。
 ほんとにこの人、「うまい」んだと思う。
 コメディのセンスのある役者さんだ。

 そして、そのコマくんの役を演じるのが、ホタテくん。
 我らがホタテマン、研6にして「若い役が久しぶり」と『フットルース』のときに言っていたくらい芸達者に大人役をこなす芝居の人。
 『灼熱の彼方』の裏主役だったよなあ。「こんな上級生いた?!」と、観客の口に上るくらい、堂々と主人公の父親役を演じていた。

 もちろん、ホタっちゃんはうまかった。

 新人公演『JIN-仁-』において、うまかった!と手放しできゃーきゃー言えるうちのひとりだ。
 佐分利先生は本公演と同じように、そして期待通りに、ちゃんと観客を笑わせてくれた。
 だがその「笑いの取り方」は、本役のコマくんとはまったく違う性質のものだった。

 ホタテくんの「笑い」は、計算された演出だった。

 ああなるほど、ここでこうしたら、こう笑いにつながるよな、という、理詰めのものだった。
 演出家がそう指導したのか、結果的にそうなったのかはわからない。
 ただ、彼はとてもうまく、「笑い」を演じていた。

 発声やら間やら、うまいなあと思う。
 舞台の上で、1回こっきりの新公で、ちゃんと決めてくるんだから、センスが良く、舞台度胸もあるんだろう。

 それに比べ、コマくんの「笑い」は、キャラクタで笑わせていた。

 別に、大したことはやってないんだ。他愛ないことなんだ。
 だけどもう、佐分利先生は「佐分利先生である」というだけで、笑いが成立してしまっているんだ。
 それはリピーター基本のタカラヅカだから、てのもあるが、それを超えたところで、コマくんは「キャラクタ」を成立させる力を持っている。

 なるほどなあ。
 マサツカが気に入ってるわけだ。
 ウィラードが出来たわけだ。
 コマくんって、とても貴重な、強い武器を持った役者さんだ。

 タカラヅカの真ん中としての武器かどうかはわかんないけど。
 ヲヅキさんが持つ武器と、同じカテゴリで色の違う武器だわ。

 こういう役者は、いいよ。
 舞台に必要な人だ。
 なんかしみじみ、思った。

 そして、ホタっちゃん。
 彼は、コマくんではない。
 コマくんのようなタイプの役者ではない。
 ホタテマンだし、外見を含めたキャラ的に、三枚目を演じる機会が多い人だとは思う。
 今回の佐分利せんせも、期待通りハートフルで愉快な佐分利せんせだった。よく笑わせてくれた。
 でも彼の真骨頂は、そこにはない。
 ホタテくんって、シリアス芝居の人だよね? 実は二枚目ど真ん中をやる方が映える芸風なのかも?
 一度、マジでダークにシリアスな美形役を見てみたいぞ。


 うまいといえば、辰五郎親分@ザッキーが、めちゃくちゃうまかったっ。
 本公演でも、ドリーム5で見得を切るところがサイコー。これぞ「歌舞伎役者」、浮世絵から出てきたみたいだもん。
 なんかしみじみと、つくづくと、ザッキー好きだわ……。
 てゆーかキミさ、まだ新公出てていいんかい。『フットルース』で大人組だったじゃんよー(笑)。ふつーにもう本公演レベルじゃん。や、辰五郎親分役のはっちさんと比べてどうというんじゃなくて、他の役でも、十分本公演で上級生たちと並んで仕事が出来るってこと。
 千吉@永久輝くんが手探りっぽいからこそ余計に、ザッキーがどーんっと親分を演じてくれているのが、救いだった。


 『フットルース』で役がついていた子たちは、みんな新公では安定したうまさを披露。そーだよなあ、みんなうまいからこそ、『フットルース』は組をふたつに割った公演でも、あんだけのクオリティだったんだよなあ。

 勝先生@まなはるは得意分野っぽい感じで堂々と演じていたし、亜聖くんはますますおっさん役をきわめて来たよねー。

 ひーこは相変わらず芝居はうまくないんだけど、今回キャラ勝ち。お米ばーちゃんと看護師なら、カタチから入ることでなんとかなる。
 とにかくかわいいもん、ひーこはそれでいい。

 楓@えーちゃんには、ウケさせてもらった。
 最初の登場、あのめちゃ短い場面と台詞ひとつで悶えたわ(笑)。
 えーちゃん、こわすぎ。
 くノ一を通り越して、極道の女みたい……その鋭すぎる眼はナニ、こわいよーかっこいいよー。
 役に入り込みすぎてて、もお。
 あのウェンディ=ジョーを演じた子だとは思えない鋭さ……。
 いやあ、サイコーっすよ、えーちゃん!! 
 いつも前もってろくに配役をチェックしないのは、単にアタマが悪いからです。メインどころだけしかおぼえていられないので、最初からあきらめちゃって、あまりチェックしない。
 あとはまあ、実際に見てみりゃわかるわ、と。
 見てみてわかんないとか、印象に残らなかったら、ソレはそれで、それこそがリアルな「感想」ってもんだろう、と。

 てことで、誰がどの役かなんてあんましわかってなかったけれど、ひとつだけ大変楽しみにしていたことがある。

 新人公演『JIN-仁-』の配役。

 初日を観たときに、新公を思って一気にテンション上がったのは、瓦版屋@翼くんです。

 舞台のセンターで歌い踊り、台詞をガンガン喋る本公演の瓦版屋@あすくん!!
 日頃のあすくんの役付がとーーっても不満だった、きれいな上にうまいのに、どーしてもっと彼を使わないのよ!!とじれじれしていただけに、良い役を得て本領発揮しているあすくんを見て、喝采したのでありんすよ。

 で、たしかこのあすくんの役って、新公で翼くんじゃん?
 配役発表になったとき、歌ウマのあすくんの役が歌ウマの翼くんなのを見て「歌があるって期待していいのかな」って思ったんだもん。
 その昔、まっつの役がめぐむさんなのを見て「歌があるって期待していいのかな」と思ったように!
 初日のあすくん見て、テンション上がった。
 やったーーっ、翼くんが新公で歌い踊るんだー!

 翼くんの、素直で滑舌の良い声が好きなんですよ。
 いつも笑ってるみたいな、薄い感じのファニーフェイスもかわいいと思ってるし。
 歌が聴きたかったけれど、なにしろ『フットルース』ではモブでしかなかったもんねえ。

 えーと。
 期待値がやたら大きかったためか、それほど感動的にうまかった、とは、思えませんでした(笑)。
 学年にしてはよくやってたんじゃね?的な。
 緊張してたのかな、台詞が急ぎすぎっていうか、すべりがちだった気がする。もっとちゃんと「聞かせる」喋りが出来るといいな。

 でも、ちゃんと真ん中で歌ってたよ! 歌詞もはっきりわかる。
 これでもっと「男役の声」になるといいなあ。


 『フットルース』組にはやたらと思い入れがある……わけなんだが。
 『フットルース』にて名もなく台詞もないモブだった男の子の中で、いちばんの躍進というか、大抜擢はなんといっても、千吉@永久輝くん。

 97期、研2ですがな。
 しかし、『フットルース』のときすでに、そのかっこよさで目に付いていた。
 黙って踊ってると、ほんと学年を忘れる。
 『GOLD SPARK!』でも、ちぎくんセンターのダンス場面9人のうちに入ってるし。

 ビジュアルはなかなかどーして出来上がった大物、では、それ以外は……?

 えーと、よくやっていたんではないかと。
 めっちゃうまい!!というほどではないけれど、舞台に立ってまだ1年半で、声を出す経験もほとんどなくて、それでも男役として良く存在しているな、と思った。
 最近の若い子は器用だなあ。舞台度胸あるなあ。
 ほとんどキャリアなくてこれなら、新公だけであと5年あるんだし、いいスターになってくれるのでは。……ぶっちゃけ『灼熱の彼方』の翔くんくらいには、芝居出来てたと思うし。

 ただ永久輝くんの場合、相手役が悪すぎた……。
 千吉がわかりやすく絡む相手は、相手役のお駒@あんりちゃん。彼女が、その……明らかなミスキャストでなあ。
 経験不足な永久輝くんに、役がすべりまくってるあんりちゃんで、ふたりの場面がきついのなんのって。

 『灼熱の彼方』の翔くんの相手役もあんりちゃんだったな……でもあのときは、ヒロインは名ばかりであまり出番も絡みもなかった。翔くんの相手役はホタっちゃんか咲ちゃんかって感じで、ちゃんとうまい人たちだった。

 今回はもお、あんりちゃんの芝居のアレさを誤魔化すすべがなかった……のが問題かな。

 あんりちゃんは本公演の喜市役がかわいくてうまい。『ドン・カルロス』のクララだって良かった。子役なら、とてもうまいんだ。また、ショーでコケティッシュに踊っているときも、とても魅力的だ。
 しかし、致命的に、芸幅が狭い。
 大人の女が、演じられない……。

 徒っぽい大人の女、って、あんりちゃんの鬼門じゃん……。

 サイトーよ、何故あんりちゃんに、本役まんまのお駒をやらせたんだ。(新公演出もサイトーくん)
 キャラ変えちゃえば良かったじゃん。色気ダダ漏れの劇画ちっくな峰不二子キャラではなく、深夜アニメのキュートな萌え萌え美少女キャラに。
 きゃぴりん、と魔法少女っぽいお駒にして、てへぺろしてるなら、あんりちゃんにもハマったんじゃないのか?

 大人に見えないあんりちゃんに、圧倒的に経験不足の研2男役で、なにをどうしろというんだ……。

 いやその、難しい役、できないことにあえてチャレンジするのが新公ってもんかもしれんが。
 あんりちゃんは初抜擢以来、あんましうまくなってくれないままなので、それなら彼女に合った使い方で、彼女の魅力を伸ばすべきなんじゃないかと思うんだ。
 あんりちゃんにできないことをやらせて、新人の永久輝くんまで共倒れするのは、誰得なのかと。
 一観客として、わたしは得をしなかったナリ……。


 あと、『フットルース』のモブの子どもたちで「動き出した!」と感慨深いのは、大樹くん、真地くん、和城くん。あー、喋ってるー、ってか。
 おっさん役や子役は、「作る」ことができるから、うまいヘタがあまりよくわかんない、わたしには。どっちもよくやっていたと思う、違和感なかった。
 真地くんは『黒い瞳』のときから、あまり変わってない印象……。むー? きれいなんだけどね。
 女の子たちはあまりこれぞという役がなくて……ららちゃんぐらい? 吉原の人たちは個別に確認する余裕なかったっす……。
 新人公演『JIN-仁-』は、わたしにとって、動き出した『フットルース』だった。

 『フットルース』は、特別な公演だった。
 これほど素晴らしい作品に、次出会えるのはいつだろう……ってくらい、なにもかもが光り輝いた、特別の空間だった。
 甲斐性がないため全部で20回くらいしか観られなかったんだが(わたしに金と時間があれば……っ!!)、その限られた観劇時になにもかもできるだけ網膜に焼き付けようと必死だった。

 キムみみまっつ他、役のある人たちみんなを、必死に見ていた。
 でも、それだけじゃない。
 名前も台詞もない、モブの男の子たち女の子たちも、夢中で見ていた。

 海外ミュージカルの宿命というか、主要人物以外はみんなモブ。名前も台詞もない。
 だけどみんな、それぞれ役作りして生き生きと舞台にいた。
 彼らの声が聞こえてくるようだった。

 だから。

 『フットルース』にて、無音で芝居していた子たちが、喋り出した。
 そのことに、感動した。

 あの子もそうだ、この子もそうだ。
 役として動いて、喋るあの子を見たかった。この子を見たかった。

 二重写しになる感動。
 あの夏、あの舞台で。
 あそこにいたあの子たちが、今、目の前で息づいてる……!!


 いやあ。
 なにかと感傷的な今日この頃、それだけで胸熱な新公でした。


 で、順不同に思いつき語り。

 蒼井美樹ちゃんが、男役やってた。

 ちょ……っ。
 んな配役、HP載ってなかったやん!!

 蒼井美樹ちゃんというと、アレです、『フットルース』を観た人がほぼ100%食いついていた「ハンサムな女の子」です。
 「女子高生役にひとり、男の子が混ざってる!」「タカラヅカに入って男役になるしかないような男顔の子が、スカート履いてた」「ひとり男の子みたいな娘役がいたけど、あれ誰?」……みんな見事に反応してた、何人にも聞かれた。
 顔だけ見てると男役、とびきりハンサムだし、ショートカットだし、ふつーの娘役には見えなかったけど、間違いなく娘役です。
 本公演では、恭太郎さん@まっつに黄色い声を上げる武家娘のひとりをやってます。チャラ男きんぐにも口説かれてます(笑)。
 あの蒼井さんが、しれっと男役をやっていた……!!

 いやあ、びびったわー。

 で、あれほど見た目男っぽくて、「なんで男役じゃないんだろう」ってハンサムな彼女なんだけど、いざ男役として見得を切られると……うーん? あんまし男男してなかったなあ……って、当然か。
 声が素人の女の子っぽくて、役者らしい通り方をしてなかった……って、娘役なんだから当然か。
 きつめの顔立ちの美人さんなんだが、期待したほどきれいでもなかったし……って、それ以外は娘役やってるんだからお化粧を変えられなくても当然か。

 蒼井さんがやっていたのは、本公演ではかなとくんがやっている美形歌舞伎役者の役でした。
 最初の町中の場面とか、本公演では澤村田之助@ホタテと城月鉋之助@かなとのふたりが登場しているんだけど、新公では田之助@橘くんひとりになっていた。だからかなとくんの役はなくなったのかと思っていたよ……そーか、人数少ない新公でも、ドリーム5はやらなきゃいけないんだ。だからそこでだけは城月鉋之助役も登場するんだ。
 歌舞伎役者なら、女形なら、娘役がやっても問題なしなのかもしれないが、他の歌舞伎役者は全員男役なのに、わざわざひとりだけ娘役を使ったのは……サイトーくん……(笑)。
 蒼井さんが男顔だからの抜擢だろうなあ。

 彼女が今後どう成長していくのか、楽しみです(笑)。


 蒼井さんと反対に、顔が女の子っぽいかわい子ちゃん男役、イリヤくん。
 本公演ではその歌舞伎役者のひとりで、必死になってキメ顔を作っている印象。
 新公では突然ナガさんの緒方洪庵役。
 いやその、『仮面の男』ではアラミスだったし、『ドン・カルロス』では翔くんの役だったし、路線系美形役ばっかやってきたイメージだったので、ここで渋い役が来たのは「突然」という気がしてな。

 『フットルース』にて、ぷくぷくかわいい童顔のくせして、がんばってエロっぽいことをしていた、あの意欲的な男の子。
 やってることはライル@レオくんと同じなんだけど、なにしろ外見がぷくぷくちゃんなので、「がんばってるなあ(笑)」と微笑ましく映りました。
 やる気のある子は好きです、男役として色気を付けようとあがいている様は心地よかったっす……たとえ、彼が目指しているだろう姿に足りていなくても。

 で、今回の老け役。
 やっぱ難しい役なんだなあ。
 役としての「大きさ」を出すためだと思うけど、柔和な表情ひとつしかない感じなのが、気になった。
 学年と外見のわりに声のいい子、という印象だったんだけど、白髪まじりの老け役には声が軽すぎたしなー。
 でも、若者役一辺倒でいるより、ナガさんの役をやったことは、彼の男役人生のプラスになったはず。


 やる気っ!がゆんゆん見える気がした、山田先生@おーじくん。
 この新公でも、がるがるうなり声が聞こえる感じで、愉快だった(笑)。

 『フットルース』にて、実はわたし、よくイリヤくんとおーじくんを見間違えていたのな、最初。
 もちろん、ちゃんと見るとわかるんだけど、ぱっと見、「イリヤくんかおーじくん」認識。
 誰かわからないけど他の誰かではなく、イリヤくんかおーじくんだな、とふたりにまで絞れる。で、次の段階で、どっちかがわかる。
 梅芸ではそんな感じだったのに、博多では間違えようがなかった。

 おーじくんのリアル男子っぷりが、際立っていて。
 イリヤくんは下級生男子らしいまるい雰囲気を持ったままで(だけど、めちゃエロ男を目指してなんかやっている)、おーじくんは男役として外見が落ち着いてきた感じ。
 うわ、あの子かっこいい。……そーゆー外見になっていた。

 楽しいんだろうな、男役をやるのが。
 名前も台詞もない『フットルース』の舞台で、それが伝わってきた。

 その子が今、舞台の上で「声」を出している。
 男役として声を出すことが、芝居をすることが、楽しくてならないみたい。
 それが伝わる、それだけでなんか、わたしは楽しくなる。

 おーじくんを舞台上で最初に認識したのは、『ロミオとジュリエット』だったなあ。
 モンタギューチームの中でひとりだけ、顔のわからない男の子がいた。ひとりだけだったから、かえって目に付いた。きっと下級生だ、だって、丸い。
 しかし身体能力すごいのか、ガシガシとアクロバティックに踊っていた印象。丸くて小柄なのが惜しいなあ、的な。

 あの男の子が、こんなにかっこよくなるなんてなあ。
 や、『フットルース』のときと違って、ちょんまげと着物だとそれほどかっこいいわけでもないんだが(笑)、表情のくわっとした感じ(伝わりません!)とか、楽しげでいいなと。
 とりあえず、叫ぶ。

 金髪+羽織袴最強。

 未涼亜希『JIN-仁-』『GOLD SPARK!』お茶会にて、未涼さんってば和服姿で登場でした。

 歓声上がったもんなー。

 金髪に和服ってふつう変な取り合わせだと思うけど、タカラジェンヌってすごい、ただもう美しい。かっこいい。

 わたしにルポ機能はないので、あくまでも「お茶会」に参加しての感想ONLYっす。

 涼やかな美しい姿で登場したまっつさん、席についてまず最初に、「ここ、暑くないですか」と、しきりに繰り返し、扇子を取り出した。

 和服のときって、扇子も常備するもんなんだ……。
 手ぶらだったけど扇子を出したってことは、どっかに差してあったのか。そしてそれは飾りではなく実用品なんだなと、和装に対する知識がまったくないわたしは、そんなことに感心。

 そして、着席+羽織袴+扇子の3コンボに、タカラジェンヌっつーより、噺家に見えた……。

 暑いのは、アナタが和服ぴっしり着てるためだと思いますよ……(笑)。
 それでも、そのびしっと感がうれしい。

 和服(袴)姿の男役さんのお茶会がはじめてで、写真撮影がどうなるのか、地味に興味あった。

 通常、写真撮影ってグループごとにジェンヌさんを囲んでじゃないですか。ジェンヌさんが真ん中の椅子に坐り、他の参加者は左右の椅子に坐る人と後ろに立つ人に分かれる。
 つまり、ジェンヌは坐る。

 男役さんであっても、舞台じゃないんだから、股を開いては坐らない。膝は揃えつつ足を前後に出すモデル坐りが定番?

 しかし、男物の羽織袴姿で「膝を揃えてモデル坐り」はおかしい。
 服装に合った坐り方は、どっしりと両足を開いて、ということになる。
 「男役として」坐るまっつを見られるのか、それでも女性として膝を閉じるまっつを見られるのか。

 ワクテカしてたんだけど(笑)。

 まつださん、坐りませんでした。

 立ったまま。
 真ん中に立つまっつ、なのに左右の人は着席。
 不思議な光景。

 羽織袴だと、坐れないのか……。
 やはり坐り方のジレンマで?

 和服だとヒールも履けないし、潔く小柄なまつださんがそこに。

 ……いいなあ、うちに連れてかえって飾りたい……。←そこまで小さくない(笑)。


 今回、場をわかせたのは「プレゼントの渡し方」。

 抽選会にて、まっつの舞台写真プレゼントがあった。公式に発売されている舞台写真にサインを入れて、だから全部で6枚、6人にかな。
 全部違う写真なので、当たった6人に、どの写真を渡すかはまっつに丸投げされている。

 まっつは今まで大抵、当選した人たちに選ばせていた。
 写真を扇みたいに広げて、「早い者順」みたいな感じで。

 それが今回は、なにを思ったか、自分で選び出した。

 当選者が1列に並んでいるのを見て、「誰にどの写真」とひとりずつにチョイスしていった。

 その、選んでいる顔の楽しそうなこと。

 ナニあのいたずら小僧みたいな顔。なんでそんなに楽しそうなの、なんで笑ってるの?

 当選した人が全員コアなまっつ会の人で、個別にどんな人か、性格とかなにが好きかわかっていた……のかもしれない。
 それでまっつも「この人にはこの写真」と選べたのかもしれない?

 でも、少なくともひとりは非会員で、今回はじめてお茶会に参加した人だぞ? わたしの友人のツレだったから、間違いない(笑)。
 なにを思って選んでいるんだ、まっつ。

 そのはじめて参加で当たった人にサイン写真を見せてもらったんだけど、彼女も「なによりも、あの楽しそうな顔でこれを選んでくれたのがうれしい」と言っていた。
 「この写真は、私のためにまっつさんが選んでくれた写真」と。

 いいなあああ。うらやま~~~~!!

 わたしはもちろん、こういった抽選に当たることはない。抽選会がはじまっても、半券も用意しないくらい、もう達観している。お茶会に限らず、すべての抽選にて。
 どーせナニも当たらないさ。まっつのサインなんかもらえないさ~~、フッ。
 あ、まっつさんはお茶会に参加すると、サイン付きのお礼状くれますよ! だからわたしも、「まっつのサイン」だけなら持ってる。そうじゃなくて、目の前でサインをもらうという栄誉には……まあ、あり得ないわな、わたしのくじ運では(笑)。
 あ、サイン付きお礼状は非会員でももらえますよ、と、宣伝してみる(笑)。


 今回、その写真を選んでるときのまっつのどや顔が超絶かわいかったことと、もうひとつ。
 お茶会恒例の、「参加者からのプレゼント」。
 わたしたちの払った参加費の一部が、まっつへのプレゼント購入費にあてられている。
 まつださんは「旅行券」とか「バッグ」とか、プライベートな嗜好品を欲しがることはあまりなく、大抵「仕事で使うもの」を選ぶ。
 わたしはそれまで、個人で使うものをプレゼントする系のお茶会にしか行ったことなかったので、まっつの「仕事で使う消耗品」などをリクエストするその堅実さに、最初かなりびっくりしましたのよ。いやたしかに必要だろうけど……そっち方面なのか、と。そして、なんともまっつらしいなと(笑)。
 いつも100%そうなのかは知らないし、そうでないときもあるんだろうけど、「ショーのどこそこで履いている靴」とか「撮影で使ったシャツ」とか「舞台のドーラン」とか……プレゼントっちゅーか、必要経費なノリ……(笑)。

 でも今回は、プライベートなものを欲したようで。
 炭酸水メーカーが欲しい、ってことで、それがどんだけ良いか、欲しいのかを説明するんだが……そのときの、まっつが。

 めちゃくちゃかわいい。

 ナニ? なんなのコレ。
 上目遣いでまばたきぱちぱち、両手でマイク握って、萌えキャラ美少女みたい。

 ナニ、舞台の必要経費以外をねだるのは、自分的に照れくさいとか、そーゆー意味? マジおねだりモード??
 いやいやいや、お茶会プレゼントは必要経費請求の場じゃないし、他のスターさんはふつーに舞台関係ない日常嗜好品求めてるし、ファンからすりゃ喜んでさえくれりゃ、「仕事に必要なもの以外を欲しがるのはおかしい!」なんて思うわけないし、舞台の上もだが、生身のあなたにも充実した生活を送って欲しいわけで、とどのつまりが、ナニを欲しがってくれてもイイんだ。
 なのに、ここでおねだりモード……って!!

 あまりのかわいらしさに、参加者たちは総崩れ。「かわいい……っ」とあちこちから漣のような声、溜息が……っ。

 だって、まっつだよ?
 あのクールで売っている大人の男役さんが、お目々ぱちぱち小首かしげーので、はにかみながらの「おねだり」っすよ?
 ギャップどころの話ぢゃない。
 想像もしたことのない、未知の物体がそこに……!!

 いやあ、タカラジェンヌおそるべし。
 マジ妖精、アレ、この世のもんぢゃないわ……。


 わたしの目に、録画機能が付いていればいいのに。あのクソかわいいまっつを、映像に残したいわ(笑)。
 でも刺激が強すぎて、そうそう見返せないな。
 やっぱいつもの、すっとしたまっつの方がいいのか(笑)。

 はー。
 まっつさんすげえ。フェアリーすげえ。
 で、恭太郎さん@まっつって、ラストどうなったんだと思います?

 龍馬@ちぎくんを守るために戦い、斬られて。
 龍馬が斬られるところまで見て、なんかすげー「クライマックス!」って感じにあえいで暗転しますよね。

 わたしは、「贔屓の死に芝居って見たことないわ」という人で、「今度こそ見られるかも。仁@キムくんの腕の中で息絶えるまっつを見られるかも」とワクテカしていたので、初日はがっくりと肩を落としました。

 なーんだ、死んでないじゃん。
 生き残るのかー。

 わたしにとっての「恭太郎の死」ってのは、仁先生の腕の中で云々、だったもので(笑)。

 でも、次に観たときは「あれ? 死んでるかな?」と思った。
 原作は死んでるキャラだしなー。ドラマの方で生き残っていたのは、出番も見せ場もエピソードも、みんな削られた結果、死ぬ必要もなかった、って感じだったもんなー。
 ここまでがっつり描かれていたら、死んでるかそりゃ。

 結果的に死んでいる、んだと思うようになった。
 でも、舞台の上でちゃんと死んでいるわけじゃないので、やっぱ「贔屓の死に芝居」を見たという気はしていない……。
 やっぱ「ガクリっ」てのを見ないことにはなー、見た、っつー気になれないよなー。

 死んでるんだろうな、とは思ったけど、わたし的には生きてる方が好みです。
 龍馬@ちぎくんの死を自分の責任だと、一生背負って生きればいい。
 あの性格だから、苦しみますよ~~。苦悩の日々ですよ~~。や~~、楽しいだろソレ、萌えるだろソレ(笑)。

 実際問題、仁は消え、龍馬も刺客たちも死に、自分も斬られてケガをした状態で、死体ゴロゴロの中にただひとり生き残る咲さん@みみちゃんが悲惨すぎるので、恭太郎には生き残って欲しいです。
 兄上に息があれば、咲さんは医者見習い、治療道具は仁の荷物にあるだろうし、必死になって兄上を手当するだろうさ。それで兄上、助かるんじゃないか?
 恭太郎の治療、という当座の目的があれば、咲さんはなんとか心を強く持てるだろうし。

 恭太郎は結果的に長生きはしない、明治維新と共に果てるタイプだと思うけど、あの場で死ぬのはいろいろとNGじゃないかな。

 てのが、わたしの見解だったわけですが。

 未涼亜希『JIN-仁-』『GOLD SPARK!』お茶会にて、「最後、恭太郎さんはどうなったんですか? かなり重傷のようですが」という質問に対し、恭太郎さんの中の人は……。

「生きてると思う人ー。このまま明治の世を生きたと思う人ー。……死んだと思う人ー」

 と、質問に質問で返し、客席に、答えを求めた……。

 マイク両手で握って、大きな目で客席見回して。

 その答え合わせよりなにより、この話題のときのまっつの顔が、興味深くて。
 真面目で、探るような、疑うような、なんともいえない顔で話す。
 ぶっちゃけ、こわい(笑)。1対1だったら、謝ってる。なにに対して謝るのかわかんないけど、ごめんなさいなキモチになる。

 まっつの表情口調からは、「死んでいる」が正解なんだろうと思えた。
 ここで「生き残った」と答えたら、怒られそうだ。そう思っていたとしても、勇気のある返答になるぞ。

 実際、「死んでいる」に手を上げる人が圧倒的。
 わたしも、そっちに手を上げた。や、あれは死んでるでしょう。上記の通り、生きている方が好みだし、「ガクリっ」てのがないと「死に演技を見た」にカウントできないけど、暗転のあと死んでるよなーと。

 だからまっつの答え、「サイトー先生からは、『生きてるのか死んでいるのかわからないようにしたい』と言われた」が、意外だった。

 えええ、そうなの? サイトーくん、そんなこと考えてたの?
 観客の想像の余地、ってやつらしい。
 たしかに、わたしなんかは「生きてる方が萌え」だと思うわけだしな。
 演出家としては正しいんだけど、サイトーくんがそんな、演出家として正しいことをするなんて意外。(齋藤先生をなんだと思ってるんだ)

 と、演出家の答えを言っておいて。

「でも私としては、死にますね」

 ばっさり。

 この「死にますね」の言い方が超まっつ、超ツボった。
 私なら死にますね、だったかな、でもなんかしら文章的には変で、それゆえにおかしい言い方だった。

 6年前に死んでいたはずの命だから、結果的に死ぬ運命だったんだと。
 6年だけでも長く生きられて良かったのだと。
 そういう意味のことを話していた。
 だからまっつ的には、死んでるそうだ、ラスト。

 そのおまけの6年があったから、茜ちゃん@さらさちゃんと恋が出来たのではないか、と話を聞きながら思ったんだけど、司会者さんは突っ込んでくれず。

 つか、茜ちゃんの話、一切なかった……。何故だ、司会者さん。
 あのクソ恥ずかしくも初々しい「初恋銀橋デート」なんか、お茶会でいじるネタとして最適だろーになー。
 『ドン・カルロス』のとき、奥さん絡み(指輪関連)の話題でまっつをいじり過ぎて、ストップかかったのかなあ(笑)。

 ラストが死んでるのかどうかより、茜ちゃんの話の方が聞きたかったし、死んでるのかどうかより、観客がどう思って見ているのかを知りたがるまっつ、が興味深かった。

 あのこわい雰囲気で客席見回して「死んだと思う人ー」となげやりに語尾を伸ばしてくる、あの聞き方!!

 これはもお、文章だけでは伝わらないだろう、快感に浸れる瞬間だ(笑)。


 未涼亜希、って、面白い人だと思う。
 サービス精神旺盛でもないし、ホストに徹してお客様をもてなします、笑わせます、という気合いもないし、かといってファンを軽んじているわけでもない。

 飾るでなし作るでなし、とても自然体に、ぶっきらぼうに、ある意味Sに、そしてなんかもーめちゃくちゃかわいく、存在している。

 や、わたしの目にそう映る、ってだけで、真実がどうとか、他の人の目にどう映っているかなどは、まったくわかりませんが。

 役者バカなのかなあ、と思う。

 自分の芝居について、舞台の上でのことについて、語る言葉も意義も見いだせない、感じ。
 彼が「伝える」のは舞台の上のみで、こういったトークの場ではないんだろう。

 なにしろ、ショーの赤鳥の場面。
 ここって日替わりというか、見るたびにまっつの演技が変わっていて、ファンとしてはもっとも食いつくところである。
 「今日は**バージョンだった」「今回は**だった」と毎回感想を言い合うような。

 よほどなにかしらこだわりが、意気込みがあるのかと思えば。
 赤鳥の日替わり演技について、どういう意気込みで演じているのか、てな質問に。

 まつださん、「え?!」って、マジに驚愕して、言葉を失っていた。

 ナニも考えてなくて、アレなのか!!

 赤鳥は、確実に毎回違います。日替わり、回変わりです、赤鳥さんの性格が、出来事に対するリアクション、心の動きがいちいち違います。
 なのに中の人、無意識です。

 いやあ、たまらんわー。
 ほんとにこの人、役者バカなんだー。

 あんだけ舞台で「生きて」いながら、本人わかってないとか。

 生きる、って言葉、ナマ、って言葉でもあるんだよね。
 未涼亜希って、ナマでそこで存在しているんだ。そのときそのときに、ナマの感覚で、たしかに「生きて」いる。
 それは計算して作るものじゃない。
 彼自身は、「赤鳥の場面は人数が多いから、位置や動線がきっちり決まっていて、周囲の迷惑になるから勝手に暴れたり出来ない」的な約束事、動きや段取りの計算をしながら舞台にいるのだとしても。
 そういった基本部分以外のところで、無意識に「生きて」いる。

 質問されて、ふつーに「なにも考えてない、段取りがどうこう」てな話をはじめ、客席が驚愕しているのに気づき、「えっ?!」と驚愕して言葉を切る、その姿が楽しすぎる。
 本気でわかってない、そのナチュラルさがすごい。

 で、「ここはひとつ、ものすごく考えて計算して、日替わりでなんかしらやってますよ、ふふふ、と答えるのが正しかったのか? ……でもチガウんだよなー」てな反応を見せる、回転の良さがまた、素敵。

 面白い、興味深い人。
 万人向きのエンターテイナーではないけれど、濃い魅力を持った人。
 実際に幕が上がるまでは、仁先生@キムくんと、恭太郎さん@まっつの絡みを期待していたわけですよ。
 『JIN-仁-』において。

 江戸へタイムスリップしてきた仁が最初に出会い、助ける相手が恭太郎。
 で、6年ののち、原作では恭太郎さん、死んじゃうじゃないですか。仁は必死に彼を助けようとするけれど。

 キムくんの腕の中で絶命するまっつ、を期待した(笑)。

 恭太郎の話をどこまで書いてもらえるかわかんないにしろ、最初と最期はアリかなー、と。

 わたし、まっつヲタやって何年か経つわけだけど、贔屓の死に芝居を、見たいことがナイの。

 蘭寿さんとか、死に芝居が十八番と言われているけれど、それは超路線育ちゆえ。
 死はオイシイエンタメなので、スターしか尺を取って描かれない。
 脇人生だと、死ぬ場面なんか与えてもらえないもの。

 舞台上で死ねるとしたら、モブまで皆殺しになる作品でなきゃ無理。
 ってことで、『愛と死のアラビア』の上演が決まったときに、贔屓の死に芝居が見られる、と期待した(笑)。演出家的にそこぐらいしか、期待できることなくってなー(笑)。
 なのに、死ななかったんだもん。
 その他大勢でどっかーんと皆殺し、も、なかったから。

 長い時間を掛けて、脇からじわじわと真ん中寄りになってきた今、よーやく「モブまで皆殺し」以外で贔屓の死に芝居が見られるかもしれない!と、ワクテカした。

 ドラマでは違うけど、原作では死んでるし。
 キムくんの腕の中で、を見られるかもしんない?!


 えーと。

 キムまつを期待してました。
 仁×恭太郎を。

 や、かけ算がまずいとしてもだ、恭太郎は仁先生を敬愛しているんだし、仁せんせも恭太郎に親しみを持っているし、てな、ごくふつーに良い人間関係を。

 ところが、フタを開けてみるとだ。

 仁先生、恭太郎に興味なし。

 勝@みっちゃんは「ふたりの弟子」と龍馬@ちぎと恭太郎を等しく扱っている。大物なのは天才なのは龍馬の方、恭太郎は天才ではないただの優等生だと、わかってもいる。
 だけど勝様からすりゃ、ふたりともかわいい教え子。
 勝先生はとても平等に、ふたりの弟子を思ってくれている。このへん、正しい感覚だと思うし、いい人だ、人情家だと思う。

 なのに仁先生ときたら。

 勝せんせが恭太郎のことも等しく話題にしているのに、「龍馬さんが?!」としか言わない。龍馬のことにしか、反応しない。

「こいつ(龍馬)とおいらたち(勝と恭太郎)はいずれ敵味方になるかもしれねぇな」→「おふたり(龍馬と勝)が戦うことになるなんて!」

「あいつ(龍馬)はどうなる? 都には恭太郎も勤めている。先生はふたりの命を救ってくれ」→「定められた命を守ることが云々(龍馬を守る決意へ)」

 勝せんせが「龍馬と恭太郎」というたびに「龍馬」単体にすり替えて受け取ってる(笑)。
 もっと直接的に言われたときは、恭太郎のことにも反応するけど、そうでなかったらごく自然にスルーするっぽい。

 龍馬暗殺は歴史的事実だから、ってのがあるにしろ、歴史に残っていない恭太郎だっていつ死ぬ運命かわかんないのに、「龍馬を助ける」ことしか、仁のアタマにはない。

 仁せんせひどいわー、恭太郎は眼中になしか(笑)。

 最初に恭太郎の治療をし、命を救ったのは仁せんせだけど、そもそもあれ、仁せんせを助けようとして斬られたんですけど? 仁に斬りかかった刺客を防いだために隙だらけになって、もうひとりの刺客に斬られたんですけど?

 仁せんせ、そのへんまったくわかってないけど。
 恭太郎が助けなかったら、仁はあそこで斬られて即ゲームオーバーだったんですが?

 仁せんせのアタマには、龍馬さんしかないみたいです。


 おかげで、キムくん最後の公演なのに、キムまつ萌えがナイという……。
 ちぇっ。
 最初の、恭太郎を助けるとこだけですかー。
 でもあれ、ただ「医者として」治療しているだけで、関係性のない場面だから萌えにはつながらないんだよなー。
 サイトーめ(笑)。


 トップスター演じる主人公が愛情関係を持つのが、恋人であるヒロインと、親友である2番手のみ、ってのは、正しいです。タカラヅカとして。
 だから、仁せんせが咲さん@みみちゃんLOVEで龍馬LOVEなのは、いい。それで正しい。
 ただ、勝手に寂しがっているのです、ええ(笑)。


 てなもんで、キムまつを期待していたもんで。

 まさかのちぎまつに、びびる(笑)。

 ちょ……っ、恭太郎さん、龍馬好き過ぎですがなーーっ!!

 人生歪めるほど、龍馬LOVEですか。

 龍馬の方は、一貫して恭太郎のこと、好きでいるんだよね。

 龍馬が仁の前に登場する最初の場面でも、「わしは恭太郎の恩人になんちゅうことを」と言っている。
 この台詞だけでも、友だちだってわかるよね。
 茜ちゃん@さらさちゃんとデートする恭太郎をからかうにしろ、酒の席に誘うにしろ、恭太郎への好意を隠してない。

 自分と敵対することになっても、それが恭太郎の選んだ道ならばと責めもしない。

 あの愛情の寛く大きい龍馬に、直接的にラブコールされて、その都度恭太郎さんはツンツンしてきたわけですか。

 で、ツンツンする恭太郎さんに、それでもへこたれず愛情表現してきたわけだ、龍馬さん。

 出会ったばかりの仁を吉原へ連れて行く龍馬だ。「悪い癖」と勝先生に言われるくらい、日常的におせっかいで助平ならば、間違いなく、恭太郎相手にも、やっている(笑)。

 恭太郎はもちろん完全拒絶だろうなあ(笑)。

 龍馬と恭太郎の日常を想像するだけで、ニラニラが止まりませんわ。

 「坂本さん」にだけツンツンする兄上が、デレるのは最後の最後。

 命がかかった土壇場になって、「坂本さん好きじゃあああ」と自分の心に膝を折る。

 龍馬を斬ることが出来ず、崩れ落ちる。

 でもって恭太郎さん。
 「使えぬ男め、どけっ」と高岡さん@咲ちゃんに隅へ追いやられるわけだけど、そこで終わりじゃないんだよね。
 「龍馬を殺せない」だけなら、使命と本心の葛藤で答えが出ないなら、そのままうずくまっていればいい。

 なのに恭太郎は、龍馬を守るために刀を握る。

 それまで仲間だった侍たちへ、斬りかかる。

 ほら、恭太郎さん、剣の達人設定じゃないですか。
 他の侍たちに1対1で負けるわけないんですよ、一応。
 その彼が斬られるのは、龍馬を助けようとしてなんだよね……。

 高岡と斬り結んでいる龍馬を助けようとして、別の侍に斬られてるの。

 龍馬も、自分を斬ることが出来ずに泣き崩れた姿と、そののち龍馬を守ろうと立ち上がり、自分を助けようとして斬られる恭太郎を、人生の最期に見ているわけだ。
 仁せんせは途中退場っていうか、乱闘の最中にわけわかんないことになってるからねー。

 龍馬の最期に見たモノは、自分のために戦う恭太郎、自分のために斬られる恭太郎なんじゃないかっていう。

 ……それなら、良かったね。
 龍馬にとって恭太郎は、どんな立場でも変わらぬ友人だったわけだし。その友人が、敵のまま死んでいくのと、なによりも友情を取った、真の友だったのだとわかって死んでいくのでは、まったくチガウだろう。

 恭太郎さんは、龍馬を守りたかったわけで、その死を目の当たりにしてどん底かもしんないけどなー(笑)。自分のことめちゃくちゃ責めそうだよなー。
 でも恭太郎さんは、その方が萌えだよなー(笑)。

 いやあ、まさかの龍馬×恭太郎。
 かけ算であってもなくても、えーらいこっちゃ。

 ごっつぁんです。
 ところで、『JIN-仁-』の恭太郎さん@まっつ。
 23歳の役だそうです。
 仁先生@キムくんより、一回り年下です。
 23歳に見えているのかどうか、世間様のことは知りません。

 でもとりあえず言えることは。

 青天、似合いすぎ。

 この人、このまま生まれてきたんじゃないですか? タイムスリップして現代にやって来ちゃったんですよね?
 ヅカイチ青天が似合う人は蘭寿さんだと思ってたんですが、まつださんも負けてませんな!
 侍髷ならNo.1かも?!
 ってな勢いで似合ってます。ファンの欲目であろうとも(笑)。

 タイトな侍髷だと、顔の輪郭がむき出しになるんだなー。それこそスキンヘッド的に。
 頭部からデコのラインの完璧さに震える……(笑)。
 横顔の美しさが際立って、眺めているだけで楽しい。


 見た目が美しい侍だから、もーそれでいいのかなと思う。
 実際、それだけの役割なのかなとも思う。


 ただわたしは、ひたすらまっつを眺めているわけで。
 オペラロックオンして、恭太郎さんばかり見ているわけで。

 恭太郎の、細かい演技に震撼する。

 この物語の中で、いちばん「変わる」のは恭太郎だと思う。
 他のみなさんは、仁を見て「うさんくさい奴」→「神の手の仁先生万歳」になるけど、それは仁に対しての認識が変わるだけで、性格や生き方が変わるわけじゃない。
 劇中で6年経っているというけれど、誰も変化しない。年を取らない。

 恭太郎だけ、明らかに変わる。

 最初の方は、素直で屈託ない若者。まだ「少年」という方がしっくりくるあどけなさ。……いやその、まつださんの外見がそこまで若く見えているかどうか、わたしには判断不能だが(笑)、キャラとしてはそうだよなと。
 「もう子どもではありません」ってのは、少年が大人に向かって言う定番台詞。
 「咲は武士の娘です!」で暴走する咲さん@みみちゃんと同カテゴリの若さ。

 幕府のため国のため、シンプルに未来を信じて自分の能力を信じて、キラキラしている。

 たぶんそれが、挫折するんだろうな。

 ライバル、坂本龍馬@ちぎの存在によって。

 原作ともドラマとも違い、この作品では龍馬と恭太郎を「同門の仲間」として描いている。
 勝@みっちゃんはなにかにつれ、龍馬と恭太郎を同等に語る。共に自分の弟子であると。

 同じ師から教えを受け、恭太郎自身は十分優秀なつもりでいたし、実際の世間的な評価も恭太郎>龍馬なんだろう、公務員たちだーの武家娘たちだーのの間では。
 だけど実際、歴史に名を残す英雄は、龍馬で。
 龍馬と自分の違い、才能や器の違いは、如何ともしがたく。
 その、挫折感。
 周囲の評価ではなく、自分がいちばんわかっている。

 龍馬に対する敗北感が、恭太郎を歪ませていく。

 描かれていないところで、龍馬に対して恭太郎が思うところはいろいろあったんだろうと思うが。

 舞台上で、恭太郎がいちばん変わるのが中詰めショーパートのあと。
 茜ちゃん@さらさちゃんとの仲をからかわれ、龍馬の誘いをけんもほろろに拒絶して。

 「京に行く」と言い出した龍馬を見つめる、恭太郎の瞳。

 「日本」の未来を、そのためになにをすべきかを語る龍馬に、恭太郎の表情はどんどん変わっていく。
 彼自身の台詞「私は旗本。この命、徳川将軍様のために全うする」と言うときには、すでに表情が変わり終えたあと。

 恭太郎を変えたのは、龍馬。

 もともと幕臣として旗本としての矜持も忠誠心もあったけれど、それをよりコアに研ぎ澄まさせることになったのが、自分とは反対の考え方・生き方をする龍馬の存在だ。
 龍馬がいなければ、恭太郎はそこまで過剰に「我が使命」に反応することはなかったのではないか。
 京にまで行くことはなく、生まれ育った江戸で、江戸城にて、旗本としての勤めを果たすのみだったんじゃないか。

 恭太郎が「使命」を語る口調が、どんどん行きすぎていくんだよね。
 龍馬の前で最初に語ったときは、まだ彼自身の意気込みが感じられるのだけど。

 次の勝先生とふたりで銀橋で話すときは、京へ行くことを事務的に報告する。
 勝に責められてはじめて、心を見せる。仁や龍馬に影響を受けたことを吐露する。
 責められなかったら、あの事務的な、心を見せない報告のまま終了してたんだよね。

 で、次の高岡@咲ちゃんの一味として登場するときの恭太郎の歪み方が、ひどい。
 心を閉ざした、不自然な姿。
 自分の選択、生き方に疑問を持ちながら、それを懸命に押し殺した結果、アンドロイドみたいな喋り方になっている。
 高岡さんがドSだから、わざと恭太郎を嬲るし。
 龍馬の名前を出されて、アンドロイド恭太郎は動揺する。心が揺れたことを認めまいと、外に出すまいと葛藤する。

 龍馬を斬ることを使命だと、納得している……しようと、自分に言い聞かせている。

 そして実際に、龍馬暗殺の場にて。
 龍馬はあまりに龍馬で。自分を殺しに来たかつての友を、責めることもせず。
 龍馬だけでなく、仁と咲というプライベートな関係のある人たちまでもがそこにいて、取り繕ってきた仮面が剥がれる。
「私はあなたが嫌いだった」
 使命忠実な旗本なら、その台詞はない。それは幕臣としての台詞ではなく、橘恭太郎自身の言葉だ。心の声だ。

 「嫌い」という言葉は、「好き」という意味。

 恭太郎は古い考えの武士、江戸という時代、オールドタイプの具現のようなモノだろう。
 真面目で実直、与えられたモノを守り続ける。
 龍馬は新しい時代、考え方そのもの。
 江戸という閉鎖された時代が、新しい時代の波に翻弄される。最初は強固に拒絶するが、やがれ関は崩れ、明治維新へつながる。

 龍馬に対して反発しながら、憧れていた。
 惹かれていた。

 龍馬という今までの自分の世界にない考え方があったからこそ、それに対峙する形で恭太郎は自分の生き方を模索した。
 龍馬は鏡だった。
 鏡を見ながら、恭太郎は自分の姿を改めて見ることになった。

 鏡に映った自分自身は、自分が「こうありたい」と望んだ姿だったのか。

 突きつけられる現実。
 極端な方向へ走ることでしか、守れなかったもの……。

 使命を語る恭太郎はどんどん「心」を失っていく。
 不自然に固く、無表情に。

 その歪みが、龍馬を前にして、壊れる。

 「私には出来ぬ」と泣き崩れる。
 龍馬を殺すことが「使命」だと言っていたのに。使命に忠実に生きるのが自分のアイデンティティだと言い聞かせてきたのに。

 幕臣であること、旗本であることは、間違いなく恭太郎の使命だったのに。キラキラした笑顔でそう語っていたのに。
 歪んだ無表情でしか、同じ言葉を語れなくなっていた。
 どこで間違えたのか。歪んだのか。

 龍馬に対峙するために創り上げた「使命」。
 ひとりの男として、龍馬と比肩するために、龍馬と別の道を行くしかなかった。

 龍馬によって歪んだ道は、龍馬によって正される。

 龍馬を斬れないと泣く姿こそ、恭太郎のほんとうの姿。
 歪みがなくなり、やわらかくも真っ直ぐな青年の顔が現れる。


 これら一連の芝居が、やべえ。
 この「祭りだわっしょい!」な作品の中で、恭太郎のドラマは起承転結、一本筋が通っている。

 わたしが恭太郎さんばかり見ているからそう感じるだけ、他の観客には特に伝わるものでもないのかもしれん。
 侍髷の似合うきれーな姿で花を添えている、それだけの役なのかもしれない。

 しかしわたしは、今回もまた、うろたえる。

 まっつって、すごいんじゃ?
 マジ芝居うまいんじゃ? と。

 主役ではないのだから、自分のドラマを派手に展開して、場を壊してはいけないのだし。
 自分の持ち場で、見事にひとりの人物像を演じきっている。

 どうしよう。
 さらに惚れる(笑)。
 
 思いつくままに『JIN-仁-』の話。

 なにしろサイトーくん作の『JIN-仁-』は、芝居というよりショー、なんかのイベントみたいな終始がちゃがちゃやっているだけの作品で。

 祭りだわっしょい! な感じなので、組替えしてきたふたりに、違和感が、まったくない。

 はじめまして、になるはずなのに。

 や、わたしは全組観ているから、ともみんと大ちゃんのことを知らないわけじゃない。
 ともみんは『双曲線上のカルテ』で雪組デビュー済みだし。

 でもやっぱり、全員揃っての大劇場本公演は、別じゃないですか。

 雪組子としての正式デビューじゃないですか。
 はじめまして、じゃないですか。

 なのに。

 はじめまして、と思う暇がない(笑)。

 祭りだ祭りだ~~、わっしょいわっしょい、どたんばたん。
 そんな大騒ぎの最中、知らない人が混ざっていても、気づかない。
 気づいてはいても、気にならない。
 あ、はじめて顔会わせますね、よろしく。それはそうと、わっしょいわっしょい。

 はっちさんだって花組組長のイメージが強く、専科というよりも組替え的な「あれ、何故この人がここに?」な印象があるし。

 みとさんだって前に雪本公演出演時は専科さんだったし。

 我らがナガさんは、ずーーっと雪組のお父さんだったし。

 特出ですよ、スターですよと謳われたみっちゃん以外の顔ぶれは、もうなにがなんやら、カオス。

 サイトーくんのドタバタ芝居と相まって、さらにカオス。

 わたし的には、ずーっとおっさん役ばかりだったまっつが、ケツの青い若造役をやっていることも、さらにカオス(笑)。

 なんかよくわかんない、わかんないけど、祭りだ、キャッホウ!!

 みんな一緒でうれしい!
 みんないっぱいでうれしい!
 わいわいがやがや、がちゃがちゃ、どんどん。
 大盤振る舞いで楽しい、うれしい!


 ……そんな感じっす。

 ともみんと大ちゃんの芝居とか、存在に別の組のカラーを感じたりするのは、また次の公演以降からかなあ。
 今は正直わからんわー。

 『JIN-仁-』はストーリーなしのキャラクタ萌え作品であるだけに、みんなもお、ジェンヌ自身のキャラクタ勝負。

 ともみんはアツい男で、これまた彼の星組時代からのイメージまんま。

 大ちゃんなんか、ひとり異人さんですよ。のっぽの宙組でも十分のっぽの部類だった彼が、コロボックル雪組にやって来て、雪組限定長身スターのきんぐよりはるかに長身なのを見せつけてますよ。
 なんにせよ、大ちゃんに投げチューさせてくれたサイトーくんエライ(笑)。
 これぞ大ちゃん。

 ハートフルでみんなから愛され尊敬され、でも彼自身はひそかに葛藤を抱える「主人公」としての宿命を持つキムくん。
 そんなキムくんを敬愛し、全霊を挙げてついて行くみみちゃん。

 男前で華々しいちぎくん。
 真面目で頑固なまっつ。
 愛らしい三枚目ぶりで客席を沸かせるコマ。
 美形で勝ち気、粋なせしる。

 男臭くてエロくてかっけー大人の男、はっちさん。
 慈愛の人、ナガさん。
 毅然としたみとさん。
 大きく懐深く、みっちゃん。

 みんないちいちアテ書きっつーか、「役」という外枠だけ与えて、中身は本人のキャラが見えればそれでヨシな感じ。

 花形花魁役はあゆっちのキャラクタではないんだけど(あゆっちはキュートなアメリカンガールが持ち味)、彼女の持つ「ヒロイン度」が合っているんだと思う。
 野風はただ美人がやればいいってもんじゃない、華やかなヒロインとしての風格が必要。

 まかせて安心にわにわ、おかみさんならゆめみちゃん、大暴れのばーちゃんヒメ。
 美声と美しい立ち居まかせろ、きゃびい、カレン、いのり、雛ちゃん。

 美貌と娘役としての矜持をばーんと見せつけてくれた、杏奈ちゃん。
 小動物系かわいらしさと、小柄で端正な雪男らしさ、両方を見せてくれたハウル。

 てゆーか、いつもやりすぎの香音くん、最初の立ち回りでの斬られたあとの倒れ方、素晴らしいんですが(笑)。火消しの暑苦しさも含め素敵。

 サイトーくん、さらさと桃ひなちゃん、さり気に好きだよね、と今回も思う(笑)。
 どちらもわざとらしい(笑)かわいらしさが素敵。

 朝風くんは老け役遜色ない実力だし、モブでの存在感がまた素敵。
 央雅くんがなんかかわいい役で、表情豊かな姿にきゅんとする(笑)。
 まなはるもにぎやかで、画面のあちこちでうるさいし!(誉めてます)

 唯一合ってないなーというか、設定が浮いちゃって大変そうなのは、翔くん。
 おっさんには見えないわー……。
 ただ、彼の持つ明るさと単純さ(笑)は、いい方向に働いていると思う。

 ホタテの女形がキマリ過ぎててヤバイ(笑)。いる、絶対いる、こんな女形。
 かなとくんの「美貌担当」っぷりがすごい。
 ザッキーのクドさは、浮世絵まんまだし。

 きんぐとがおりは、本役よりバイトの江戸の男がたぶん、持ち味まんま勝負(笑)。優男と酔っ払い。
 や、本役ももちろんかっこいいんだけど。

 レオくんもまた、本役よりバイトの方が出番も見せ場も多いような……。
 タラシな町の男とか、吉原の男衆、どちらもレオくんっぽい。
 沖田総司は演出意図もあるのかもだが、声が少年過ぎて第一声でびびったなあ。

 あすくんはキャラ勝負かどうかわかんない……けど、美声と滑舌で勝利。

 咲ちゃん色悪がんばれー。ここから未来へつながっている役だ-。

 おーじくんがいい感じに育ってるなあと思う。コロス役、小柄なるりるりとコンビだからなおのこと、おーじくんの男役っぷりがシルエットでもわかるっちゅーか。
 邪悪な笑みとかいいわー。
 るりるりは芸達者だなほんと。そしてわたし、何故かえーちゃんが目に付きます……かっこいいわー。(娘役だってば)

 ひそかにうきちゃんブームの来ているわたし。
 吉原ではうきちゃんですよ、いろっぺー。あの高慢そうなとこがいいの。コケティッシュな上目遣いがたまらんっ。

 ひーこのくノ一は、「ひーこがくノ一」ってだけでもう完成した役だと思う!(笑)
 あんりちゃんの子役も。


 とにかく見切れなくて困るわ。
 祭りだわっしょい!

 みんなわいわいがやがや、がちゃがちゃ。

 キャラクタ勝負だ、辻褄とかストーリーとか、小さいことは気にスンナ!

 楽しいよ。
 思いつくままに『JIN-仁-』の話。

 勝海舟@みっちゃんに、違和感はない。
 大芝居だなーとは思うけど、役的にあれくらいでもいいと思う。

 そしてわたしは、見れば見るほど「雪組にいるみっちゃん」になつかしさを感じるのだ。
 最初はなんなのか、わからなかった。
 大芝居だとか浮いてるとか、そのテの感想も耳に入るんだが、それも含めてわたしはなつかしさを感じる。

 そしてふと、思い至った。

 ハマコだ!!

 うまくてクドくておっさんで!
 派手だけどヅカ的な華とはちょっとチガウ、空気読まないくらいにどーんとした存在感で。
 ヘタすると真ん中食うくらい、実力も押し出しの良さもあって。

 ちょっとハマコ、セーブしてよ、やり過ぎよ。……そう思うことが何度も……つーか、毎公演それがあって、それを楽しんでこそ雪組観劇!って感じだった、あのころ。

 「雪組の男役スターは、まずハマコを倒さなければならない」って、仲間内で定説だったなあ。
 劇団推しのきれいな若手くんは、新公にて、主演したあとに絶対ハマコの役をやらなければならない、とか、全国ツアーのショーにて番手を懸けて挑まなければならない、とか。
 ハマコは放っておくと、周囲を食っちゃうから。彼こそがスター!などーんっとした色を出すから。
 劇団様が「路線スターです」と見せ場を用意した若手スター様が、ハマコの横で空気になってしまう、観客はハマコしか記憶に残らない、なんてことが多々あり。
 ハマコを制して輝けるようになってこそ、はじめて「スター」になれるのだ。
 ……それが、当時の雪組(笑)。

 雪組の若手スターは、あいようこお姉様の相手役をする、お姉様に男にしてもらう、てのもまた、当時の定説だったなあ……。遠い目。
 ハマコとあいようこは、雪組の裏トップコンビと呼ばれてたなあ……。遠い目。

 そんな、なつかしい時代を思い出した。


 そーいや昔わたし、「ほっくんが路線スターなら、ハマコも路線スターでいいじゃん」ってなこと書いてたっけ。
 みっちゃんが新公やってた頃ですな。
 圧倒的な巧さと、……ビジュアルの残念さ。いやその、新公の頃のみっちゃんはそりゃあもお、すごいことになっていてね……よりによってセンスのとんがったリカちゃんと、美貌売りのさえちゃんの役をやっていたわけだからね……。
 ハマコが新公主演して、今は別格として舞台を締めているのだから、ほっくんも脇で長くその芸を見せてくれればいいなと、ブログのどっかに書いていたと思うんだが、探しても見つけられない……記事数3000超えてるから不可能だ……(笑)。

 最初わたし、みっちゃんは真ん中ではなく、脇が相応しい人だと思ってたんだ。
 派手さはある。押し出しの良さもある。
 でもそれは、タカラヅカ的なものじゃない。
 実力があり、持ち味が大人……つーか、おっさん。
 ハマコと、まんまかぶる。

 そう思うところからスタートして、あんまり実力があるもんだから、考え方を変えようと思った。
 きれいじゃなくて実力があるから脇、ではなく、実力があるんだからあとは美貌さえ得てくれれば真ん中になれる、と。

 んで、新公主演のたびに「君に必要なのは美貌だけだ」と書き続けた……(笑)。

 なつかしいなー。


 まさかほっくんが……みっちゃんが、雪組に降臨するとは思ってなかった。
 わたしの中の、なつかしいものを揺さぶられる。

 また、勝海舟ってのが、たしかにハマコの演じそうな役で。もしくは、専科さんが演じそうな役っていうか。
 みっちゃんの演技も、台詞がコブシ回ってるっていうか、周りと空気チガウし。
 それで余計に、そう感じるのかもしれない。


 みっちゃんが「スター」としてどういう位置にいるのか、劇団が彼をどうしたいのかは、知らない。
 ただ、宙組時代はるか下の番手だったちぎくんの下に位置づけての出演は、複雑だなと思う。や、本人たちはそんなの関係ないのかもしんないけど、外野として見ている身には。
 みっちゃん主演『THE SECOND LIFE』は5年前か……あのときちぎくんは2番手で。
 新専科制度による特出は過去にあったけれど、こうまであからさまに立場を逆転しての出演はめずらしいよね。
 ちぎは雪組正2番手、みっちゃんは宙組3番手だったんだから、雪に特出する場合も3番手相当なのは正しいんだけど、劇団は今まで、かつて同じ組の番手下だった下級生の直下に特出させることは避けていたはず。
 いきなりこの扱いか……。

 いやその、いつも気分は崖っぷち、の、微妙路線ファンやってるもんで、人様のこのテの扱いには人ごとじゃないというか、心がヒリヒリします……。


 みっちゃんは、タカラヅカ的な華ではないかもしれんが、舞台人として無視できない「派手さ」を持っている。
 それは実力云々以前に、とても大きな武器。

 彼がこれからどういうジェンヌ人生をたどるのかわからないけれど、彼が正しく才能を発揮し、その舞台姿が、本人もファンも喜ぶカタチであることを祈る。


 とりあえず今は、わたしはなんか郷愁。
 なつかしい雪組のことを、思い出す。

 わたしがガチな雪担だったのはトド様時代なんだけど、コム姫時代もずっと通っていたし、実はナニ気に観劇回数多いのは水しぇん時代だったりする。
 雪組がずっと同じだったわけではないし、ガチ担と「雪組も好き」では感じ方もチガウのだろうし。
 わたしがなにをもって「なつかしい雪組」と思うのか、実は自分でもわかっていない。
 ただ、キムくんは「雪組」の具現、雪の御曹司だと思っているし、それだからこそなお愛しい。

 ひとつの時代の終焉に、「雪組らしさ」にこだわっているのかもしれない……わたしが、無意識に。
 それゆえに、みっちゃんにも雪組の記憶をこじつけているだけかも、しれない。
 すまんのう。年寄りは順応性低くて、懐古主義でのう。

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