なんでこんなんになっちゃったんだろう? と、『華やかなりし日々』を考える。

 間違いまくっているので、考えずにはいられない(笑)。
 あくまでも、脚本の話。
 実際の舞台は、ゆーひくん他、キャストの力で別モノに仕上げているし、華やかな演出も加わって、きれいな舞台になってるのよ。サヨナラ公演なんて、何十回リピートするのが前提だろうから、これくらい薄い話の方がいいってのは、あると思う。

 原田くんの、脚本についての感想です。


 ロナウド@ゆーひくんは、ジュディ@ののすみに、「自分に似ている」と恋をする。

 この考え方はわかる。
 つーか、組み立ての基本っちゅーか、お約束。
 詐欺師だが、表向きは成功者として優雅に振る舞っている。
 そんな二面性のある主人公には、「本当の俺」ですよ。

 だが待ってくれ。

 ロナウドと、ジュディは似ていない。

 一緒にしたら、ジュディが可哀想だ。
 何故なら、「底辺の生まれだが、大きな夢を持って努力する」という立場は同じでも、ジュディは「間違ったことをしない」娘だ。
 せっかくのオーディションを、スターの横暴が許せずに棒に振るような子だ。

 ロナウドは反対。
 夢を叶えるために、いくらでもズルをする男。犯罪者ですから。

 「劇場を手に入れる」という夢を叶える方法が、全うに商売して富を得て、ではなく、人を騙して手に入れた金を元手に、さらに興行師@ともちんを騙して、だ。
 ジュディとは似ても似つかない。


 もちろん、そーゆー汚れた男が、純粋な娘に恋をするのはいい。
 その場合は、悩まないか?
 彼女の夢を叶えるのが、自分の汚れた金だってことに。
 他人を騙し、陥れ、泣かせて手に入れた金で、トップスターになることを、ジュディは喜ぶ性格だろうか?

 それとも、出会って最初のデートで「ロシア貴族なんて嘘、のし上がるために汚いこともしてきた」と告白したことで、みそぎは済んだと思ってる?
 今現在絶賛犯罪中だとは、伝えてないよね?

 それとも、ジュディはロナウドの現在の犯罪も知っていて、それでスターになることを受け入れたの?
 チガウよね? わざわざ正義感の強い子だと描いてあるんだから、そんなお金で夢を掴むことは拒否するよね?


 対ジュディへの、ロナウドの気持ち悪さは、そこにある。
 ジュディがもっとも嫌う方法で、彼女を幸せにしようとして、平気だということ。
 それは自己満足であって、彼女のためではナイ。

 どれほど汚い手であっても、彼女が成功すればそれでいい。
 結果、彼女に憎まれ、軽蔑されたとしても、彼女自身が悩み傷つくとしても、まず成功を収めれば世間が彼女の才能を正しく認識し、遠回りしても夢を得られるだろう、俺はそれでいい。
 ……てことなら、まだわかる。
 なにもかも納得の上で、地獄が待っていたとしても、その先にあるものを信じてあえて修羅に身を落とす覚悟があるなら。
 でも、そこまでも考えてない。
 のんきに花束持って、カードに「本当の俺」の名前を書いて、浮かれてデートに誘いに来る。

 ただ単に、鈍いとしか思えない。

 人の心ってものに。

 だから、人を傷つけても平気、詐欺だってしちゃう。
 そーゆー人に思える。

 ジュディとラヴラヴできて、そのとき楽しければそれでよし。本当に愛しているわけじゃない。
 だから、自分の身が危うくなると、すべて捨てて投げ出して、自分だけ逃げちゃう。
 そーゆー結末なんでしょう。


 原田作品に致命的なのは、「薄っぺらさ」だと思ってきた。
 どこかで聞いたことを、本人が理解せずに、そのまま使っている感じ。

 きれいなものを小器用に並べて体裁を整えて、及第点取りました的な。

 失敗してもいいから、これを訴えたい、これを表現したい、が感じられない。

 まあ、そうやって見た目のいい物を借りてきて、てきとーに並べてあるだけなので、毒はない。所詮借り物、本人はナニもしていないので、毒にもならない。
 「偉人の伝記」という、あらすじがあった過去のバウ作品では、ストーリーのガイドラインがすでにあったために、破綻もしなかった。
 2時間かけて主役だけを、すでにあるあらすじに載せて展開するだけ、他の出演者は全員モブか都合のいいその場限りの出番、まとまりのいい話、一丁上がり。
 きれいで薄くて主役には出番がたくさんあるので、主役のファンには楽しい。

 バウなんて主演のファンしか基本観に行かないモノだし、ファンアイテムとしてはいい出来なんじゃないかと思ってきた。
 きれいで薄くて主張も個性もなくて、かわいい贔屓やかっこいい贔屓がいろいろ見られて、ファンにとっては名作。
 それで十分。

 そう思ってきた。

 いつも通りの薄っぺらい意識で描いたために、大劇場のトップスターのサヨナラ公演でも、主人公がこんなに薄っぺらいキャラクタになってしまったのか……。

 ゆーひくんが自力でかっこよく仕上げちゃってるもんだから、脚本上の薄っぺらさ、致命的な欠陥には、気づいてないのかな。


 ロナウドは、すべてにおいて、ひどいんだよ。
 親友のニック@みっちゃんを平気で見捨ててしまえることも、幼なじみのロイ@りんきらを見殺しにすることも。

 いや、酷いことをしてもいいんだ。
 酷いことをした、と本人がわかっているならば。

 悪いことをしたからといって、それを悔やむ必要はない。俺は悪なんだと笑ってくれたっていい。騙される方が悪いんだ、死ぬなんて負け犬だと。
 なのに、いいも悪いもない、自分がなにをしたのか、本当の意味を理解していないんだ。

 詐欺をしました、だから悪いです。
 って、小学生程度の認識。
 そのことによって、もっと深いところで人を傷つけているとか、理解に及んでいない。

 心の動きが、鈍い。
 想像力がない。
 どこかで借りてきた台詞だけを喋っている。
 その奥に、訴えたいものがない。

 それは、今までの原田作品に共通してきたことだ。
 上っ面だけの作劇。

 バウではなく大劇場であること、ゆーひさんという大きな力を持つ人が主演しているということ、それらによって、欠陥がなお大きく被害を広げている。


 同じ設定と同じラストシーン、ゆーひさんのカッコイイ場面や演出はそのままで、ストーリーだけ書き直したいとうずうずするよ……(笑)。
 ほんと、おーぞらゆーひを格好良く描くという点においては、いい仕事してるんだってば。

 芝居でなく、ショーなら良かったのにね。
 なんの苦労もなく手に入れたモノなんか、その程度の価値しかない。

 買ったばかりのブレスレットを落とした。まだ身につけて出かけるのは2回目だった。
 なのに、失ってしまった。
 残念だけど、それほど落胆はしなかった。びんぼーなので、お金が惜しい、てなことは思ったけど(笑)。仕方ない、もう一度同じの買うかー、みたいな。や、わたしのことですから、安物のアクセの話ですよ。

 それではない、別のブレスレットの付属チャームを落としたときの方が、へこみ方が半端なかった。1年以上使い倒したネックレスを、自分でリフォームしてブレスにしたんだ。
 あきらめられず、いろんなところに「落ちてなかったですか。見つけたらここへ連絡してください」と頼み込んだ。
 値段は大したことないものだったけど、とても愛着のある、大切な大切なものだったんだ。

 そういうことだったのかなあ、と、『華やかなりし日々』のロナウド@ゆーひくんのことを、考える。

 ロナウドは詐欺師。
 びんぼーな移民の少年で、孤児。劇場前の新聞売りから20年掛けて、劇場を買い取れるまでに財を成した。
 彼にとって大切なのは、その20年。
 それ以外のモノは、大した意味がない。

 ロナウドは、歌手志望のジュディ@ののすみと恋に落ちる。
 地下酒場で歌う彼女に一目惚れ……なのかな、「君は俺に似ている」とかゆーてましたが。
 貧しい底辺にいた者が、マンハッタンに夢を見てのしあがる、そこにシンパシーを持ったらしいよ。

 ジュディとの恋が、とても中途半端。
 シンデレラ・ストーリーを夢見る人間なんかごまんといるだろーに、何故ジュディなのか……って、顔? 美女だから?
 華やかにステージに立つ姿に反応して、だから、ほんとにただ外見に惹かれたよーに見える。「俺に似ている」「昔の俺を思い出す」は言い訳にしか聞こえない。

 で、会ってすぐに彼女を囲いモノ……手は出していないにしろ、自分の力でトップスターにすることに決めて。
 ジュディに才能があったからいいようなものの、音痴で踊れなくても、トップにしたんだよねええ。こわいね、裏の力って(笑)。
 実際、スポンサーの力でトップになる女、ってことで、他の劇団員からいじめられてるし。彼女たちを納得させるほどの、絶対的才能の持ち主ではなかったらしいよ。

 すぐにカラダを要求することなく、理解者っぽくトップスターにしてくれた、若くハンサムな大富豪貴族様に、気持ちが動かない女はいないでしょう。貴族ってのは嘘だと話すけど、お金持ちの成功者なのは確かだし。
 最初のデートでラヴラヴに。
 コレで名実ともに「スポンサーの恋人兼、トップスター」。

 出会って数日で手に入った女だ。
 運命だの自分に似ているだの昔がどうだの言ったところで、所詮濡れ手に粟だ。
 トップスターにしてあげられる財力抜きに、彼女がロナウドになびいたかどうかは、わからない。

 わずかな労力で手に入ったモノなんか、捨ててもさほど惜しくない。

 それよりロナウドは、自分が大切だった。
 20年もがんばってきた自分の方が。

 ジュディを本当に愛しているなら、自分よりも大切だとまで思っているなら、そもそも犯罪で手に入れた金で彼女をトップスターにしないし、そうしたとしても、犯罪が世間にばれたあとは服役するだろう。
 でないと彼女は「現在進行形の犯罪者の金で、スターの地位を買った女」になる。
 ジュディが、スキャンダルを武器にしてのし上がる女ならそれでいいけど、正義感の強い女性として描かれていたので、それは無理っぽい。
 マスコミは彼女と偽ロシア貴族の仲を猥雑に書き立てるだろうし、純粋な娘には致命的な傷になるだろうなあ。

 運命の恋でも、なんでもなかった。
 ただのつまみ食い、「20年来の夢=劇場を手に入れる」が叶うときに、ちょうどいいショーガールのジュディが登場したので「運命」と思っちゃったんだ。
 心の流れとしては、成り立つ。
 「夢を叶える俺」が手にするトロフィーとして、「その劇場のトップスター、しかも俺が見つけてきた美女」は実に相応しい。

 買ったばっかのきれいなブレスレットを落としたときより、使い古しのモノを落としたときの方がへこんだ。
 思い入れって、そんなもんだ。
 買ったばっかだったブレスも、1年後、それを身につけているときの思い出が増えたあとで落としてしまったら、もっとへこんだろうなあ。
 まだなんの思い入れもナイ、真新しい状態で失ったから、「買ったばっかなのにもったいない」と、お金のことだけ残念だった。……びんぼーなんよ、わたし。

 ロナウドにとって、ジュディはその程度の女だった。

 ここがタカラヅカだから、勝手に「トップスターとトップ娘役は真実の恋をする」という思い込みがあるだけで。

 そんなもんはナイ。
 手紙ひとつで捨てていい程度の女。その程度の関係。

 そういうことだ。
 人として、それならわかる。

 ……そうでなく、本当に「真実の恋」だとしたら、ロナウドは人でなしすぎる。
 そこまで愛した女をあの温度で捨てて、粋に明るく去って行くなんて、人としてアウトだ。


 ニック@みっちゃんだって、弟分でも親友でもなかったんだよ。
 ただ、利用していただけ。
 ニックもロナウドと一緒にいるとうまい汁を吸えるから、兄貴とおだててそばにいただけ。
 だから、捨てても平気だし、ニックも捨てられても傷つかない。

 ……そうでなく、本当に「親友」だとしたら、ロナウドは人でなしすぎる。
 そこまで信頼し合った友をあの温度で捨てて、粋に明るく去って行くなんて、人としてアウトだ。


 ジーグフェルド@ともちんを騙すのが平気、見捨てて逃げるのが平気、と同じ温度、同じ感覚。
 ジーグフェルドと同じくらい、どーでもいい相手だったんだよ、ジュディもニックも。


 ロナウドには、友だちも恋人もいなかった。
 彼は孤独で自由な男なんだ。
 だから、あんなにかっこいいんだ。

 そう思うおう。うん。
 大空祐飛が、カッコイイ。

 ……それに尽きる、というか、それしかない話でした。

 ゆーひくんの退団公演、『華やかなりし日々』初日観劇。

 ラストのゆーひくんの去り方、その格好良さに息をのんだ。
 それまでの疑問を全部吹っ飛ばす勢いで。
 あのゆーひさんを見るだけでも、価値がある。


 でもやっぱり、ストーリー的にはかなり首を傾げる。
 原田せんせの大劇場デビュー作なわけだけど、彼の過去作品と比べて明らかに退化しているのは、どーゆーわけか。
 『Je Chante』『ニジンスキー』『ロバート・キャパ 魂の記録』と全部ナマで観てきている。わたしの目には、原田せんせの腕が1作ごとに上がっていると映っていた。
 『Je Chante』はひっでーもんだったが、『ニジンスキー』はよくなっていたし、『ロバート・キャパ』はうまくまとまっていた。
 なのに、まさかの4作目『華やかなりし日々』で、『Je Chante』レベルに落ちるとは、思わなかった。
 大劇場だからかな。大劇場ゆえのいろんな制約で、また初心者に戻っちゃった?
 それとも、「偉人の伝記」というあらすじがないと、ナニも出来ない人なのかな?

 画面演出は、相変わらずきれい。タカラヅカを観たわー的満足感を得られる。
 問題は、ストーリー。このめちゃくちゃさは、いったい……。

 主人公ロナウド@ゆーひくんは、天才詐欺師である。
 偽物の宝石や偽造為替で儲けているそうですよ。で、億万長者になって、ロシア貴族ってことにして、高級住宅街に屋敷を構え、毎夜パーティなんぞやって盛り上がっている。

 なんでロシア貴族ってことにしているかというと、ロシア貴族はオールマイティだからです。
 大金を持っていても「ロシア貴族だからです」、宝石を持っていても「ロシア貴族だからです」、生計を立てるための表向きの事業などをしていなくても「ロシア貴族だからです」。
 便利だな、ロシア貴族。

 さて、この天才詐欺師。
 いきなり殺されかける。
 パーティに乱入してきた男@りんきらに銃で撃たれる。ロナウドも客も無傷、男は警察に取り押さえられた。
 刑事のアーサー@かなめくんに、「知らない男だ。こーゆーのはよくあること。うらやまれる立場は大変だ-」と説明して、終了。これ以上探るなよ、と、市長を買収してあることをチラつかせて。

 表面的にそう収めるのはいい。
 しかし、明らかにロナウドを狙って殺しに来た男が、警察に捕まっている。
 天才詐欺師として、それはまずくないか?
 その男がどーゆー事情でロナウドを狙ったかはわからないが、彼は「ロシア貴族が金持ちでねたましい、ムカつくー」という理由で襲ったのではない、あくまでもロナウド自身の関係者だろう。
 口を封じるなり、警察を買収して男の自供を無効にするなり、なんとかしなきゃいかんだろう。
 
 しかしこの天才詐欺師は、ナニもしない。
 自分の正体を知っている男が警察に捕まっているのに、放置。てゆーか、忘れてる?

 で、天才詐欺師が次にすることは、某劇場買収。
 少年時代、その劇場前で新聞売りをしていたので、そこを手に入れることが彼の夢だった。
 次の興行が失敗したら劇場をもらう、という条件で興行資金を融資。失敗するようにとトップスターをライバル劇場へ引き抜いて。

 貧しい少年時代を送った男は、劇場を手に入れる夢を持つモノなのです。タカラヅカのお約束です。
 少年時代のロナウドと、その親友ロイのエピソードが、「いい話」的に作中2回も語られる。ああ、このロイって男が重要人物なのね、わざわざ回想シーン2回だからな。

 夢に向かって前進する天才詐欺師さんは、地下酒場の歌手ジュディ@ののすみに一目惚れ。……一目惚れなんだよね? 温度低いからよくわかんなかったけど。
 歌う姿を見る→悪党から助ける→投資するよと持ちかける、が、一晩……つーか、1時間くらいの出来事?

 ジュディを自分が融資した劇場のトップスターにして、最初のデートで天才詐欺師は、自分のことをすべて打ち明ける。
 まだ恋人にもなっていない、会って間もない女に、自分からぺらぺらと。
 て、天才詐欺師?

 ジュディとラヴラヴになった天才詐欺師は、本名のサイン入りカードを添えた花束を持ってジュディに会いに行く。
 何故、本名……。誰の目に触れるかわからんのに……。天才詐欺師……。
 案の定、そのカードを刑事のアーサーに見られる。

 都合のいいことに、ロナウドを殺そうとした男はなにも喋らず、自殺したそうだ。その男が、「我が友ロナウド」と書いた少年時代の写真を持っていた。
 え。
 ちょっと待て。
 この男がロイ? ロナウドのかつての親友?
 わざわざ回想シーンまで使って表現したキャラクタの扱い?
 「我が友」と書いた写真を持ち歩くくらい深い絆のあった親友が、自分の命を奪いに来たってのに、あの温度だったの?!
 しかも、そんなすべてを知っている男が警察に捕まって取り調べを受けていたのに、放置していたの?!
 しかも自殺までさせて、その温度なの?!
 て、天才詐欺師??

 天才詐欺師の詐欺の腕とやらも相当疑問だが、ここで「人としてどうよ」疑惑が強くなる。
 そこへ、追い打ち。
 ロナウドにはニック@みっちゃんという弟分がいる。ヤスと名前を変えても問題ないタイプの男だ。ロナウド大好きでしっぽを振っていたが、偽宝石のことでアーサーに詰め寄られると、ロナウドを守ることはしなかったらしい。
 アーサーがロナウドを詐欺師だと自白を迫りに現れた。ニックが「全部オレひとりでやった、主人は無関係」と通せばあんな展開にはならないはず。
 ニックは口を割らなかった、みたいなことをアーサーが言っていたようだが、決定的なことを言わなかっただけで、そうとしか思えないようなことは言っていたんだろう。
 なーんだ、一の子分もこの程度の関係なのか。あんなに慕っていたけど、命がけでロナウドを守ろうとはしないんだー、自分や恋人の方が大事なんだー、と思っていたら。
 さらに、ロナウドがすごい。
 ニックを、見捨てた。
 詐欺で捕らえられたニックは、そのまま。自分だけはアーサーを脅迫して身を守った。
 裏切り者のニックなんか、どうなってもいいってか?
 そ、そーゆー人だったんだ、天才詐欺師……。
 親友ロイへの態度がアレでも、そりゃ仕方ないわ……。

 それでもさすがに観念したのか、「オレってひどいよな」と悔い改める気があったのか、愛するジュディの初日を見守ったあとでなら捕まっても仕方ないよ的なことを、アーサーに告げていた。
 アーサーはそのつもりで劇場を包囲して待っていた。
 昔の親友裏切って自殺へ追い込んで、今の親友見捨てて、さすがに自分だけのうのうと生きることはできなかったのか、まだ人の心が残っていたんだなと思ったら。

 最後の殊勝さも、詐欺でした。
 逃げやがんの。

 ええええ。

 ニックもジュディも全部放置? その程度の関係?
 スポンサーが詐欺師だったとばれたからには、初日の出来がどうあれ興行中止、興行主@ともちんは破産、劇場を失い、その詐欺師の愛人扱いのジュディは舞台人生命を絶たれる?
 なんなのこの悲劇エンド?!!


 ……びっくりした。
 原田くん、なんだってこんなひどいストーリーに?

 あぜん。開いたまんまの口がふさがらなかった。

 が。

 それでも、おーぞらゆーひは、カッコイイ。

 こんだけすごい話でも、ゆーひくんの美しさ、格好良さで全部持って行ってくれる。

 ゆーひくんの男役芸を堪能できる。
 これほど薔薇の花束を持って絵になる男がいるだろうか。

 ストーリーはあまり考えず、ゆーひくんのみを見ている分にはいい。
 とにかく、ゆーひくんがカッコイイ。それだけを優先した作品。
 作品のひどさをぶっ飛ばす、おーぞらゆーひの力を見せつけてもらえる!
 タカラジェンヌは大変! と、改めて思いました。

 『フットルース』制作発表会の感想、その2。

 この制作発表の2日前が、大劇場公演の千秋楽だったわけです。彼らは16世紀のスペインを生きることに心血を注いでいたわけです。
 これが東宝の千秋楽なら、またチガウかもだが、終わったのはムラ公演、これから東宝もある。まだまだ彼らは、16世紀のスペインで生きなければならないわけです。

 なのに、「1980年代のアメリカが舞台ですね。どんなダンスを踊りたいですか?」だもんなー。


 制作発表のトーク部分を見ての感想は、「タカラジェンヌは大変!」でした。
 彼らが、今、制作発表している作品について、まだなにも知らないことが、丸わかりで。

 ただ、連れてこられたんだね……。

 制作発表なら去年の『H2$』もあったけど、ヅカで上演済みの再演作で予備知識も舞台映像もあるモノと、タイトルだけしかわかっていない新作ミュージカルとでは、スタート地点がチガウ。
 また、制作発表のタイミングもチガウ。全ツやバウがそれぞれ終わって、心身共に切り替えたのちではない。

 彼らは作品についてナニも知らず、演出の小柳せんせに説明されたことしか、知らない状態。

 世に流通しているのは『フットルース』の映画版のみ、ブロードウェイ版はないよね? で、今回はまだ脚本もできてないよね?
 こんな状態であってなお、前もって個人で作品について知識を深めよ、役だの音楽だの振付だのを研究しておけ、というのではあれば、それができる態勢を劇団が用意するべきだった。
 今現在の大劇場公演がもっとも大切であり、そこに全霊を挙げている彼らに、そこまで求めるならば。

 結果、劇団もナニもしておらず、出演者もナニもしていない。
 演出家も「一昨日、制作発表で作品の見どころを語れと言われ、昨日あわてて考えた」と言い、梅芸社長は「今日披露したパフォーマンスは、昨日やっつけでやった」と言う。

 いやあ、社長の「やっつけ」発言には、びびりました。言っちゃったよこの人!と(笑)。
 そんなもんだったんだろうなと、客席も察していたとは思うけど、それは言っちゃいけないことっていうか、双方見て見ぬ振りをするところだと思っていたから。
 場内の空気が微妙になって、社長は自分の失言に気づく。で、あわてて「やっつけ」発言をフォローする。

 どんな作品になるのか、漠然とアタマにあるのは、この場では小柳たんだけ。
 その小柳たんだって、具体的にはナニも決まってない状態。「明日、装置のスタッフと打ち合わせをします」とか、あるのはイメージだけ、ここで「どんな風にします」と言って、本当に出来るかどうかわからない状況。

 まだ、ナニも話せないんじゃん。

 こうしたいな、こんな感じかな、そうするつもりです。
 どこまで話して責任が取れるのか、わからないんだろう。手探りで言葉にしている。
 唯一作品を理解している演出家が、このレベル。

 衣装を着て坐っている出演者たちは、その言葉にいちいち「ええ?!」「そうなんだ、初耳」と驚いているレベル。

 制作発表、だからこれでいいのか? まだなにも語れることはないし、ナニも知らない人たちばかりがステージに乗ってますけど、これからがんばりまーす、と言うのが趣旨の場ってことで、世の中的に認識合ってる?
 わたしは、これから作るわけだから未知の部分ももちろん大きいけれど、なによりもまず「宣伝の場」だから、商品のことは熟知した上でガンガン宣伝する場かと思ってたんだ。……それは「完成披露発表会」のことで、「制作発表会」だと、こんなもんなのか。

 それならいっそ、小柳たんに出演者たちが「私こんな衣装ですが、どういう役なんですか?」と聞く形式のトークショーにすればいいのに、と思いました。
 で、マスコミの質疑応答は「さっき小柳先生から**だと言われて、どう思いましたか」とかにすれば、生の声が聞けていいんじゃね?

 いやあ、フリーライターの人から「役をダンスでどのように表現したいですか」と質問されたときの、出演者たちの困惑顔がねえ。
 役のこともぜんぜんわかってないのに、それをダンスで、どう表現するかって、三重にわけわかんないこと聞かれましたよ??
 通常の制作発表会なら、これくらいの知識は出演者にあってしかるべきなのかなー。
 でも、今の彼らにソレを求めるのは酷っていうか、……ライターさん、空気読もうよ(笑)。

 てな一幕があったので、余計にこの制作発表の意義に疑問を持った。


 世の中の制作発表会がどんなもんかは知らんが。
 一昨日が大劇場公演の千秋楽で、昨日一日でやっつけでパフォーマンスのお稽古して、役も作品もわかんないままお化粧して衣装着て、ここにいる彼ら。

 ナニがすごいって、そんな状態でも、パフォーマンスは完璧だからだ。

 こんな感じの役、ぐらいの知識で、それでも役になって演技し、踊っちゃうんだもの。

 やっつけ発言しちゃった社長さんも、言いたかったのはそこじゃない。
 やっつけ、にしか思えないような、タイトなスケジュールしか取れなかったのに、真摯に努力する音月桂と雪組っこたちを讃辞したかったんだ。
 それでもやってのける、プロな彼らを表現したかったんだ。

 ちとKYな質問したライターさんも、きっとあの完璧なパフォーマンスを見たあとだから、「役と作品について熟知している」と勘違いしちゃったんだね。

 で、「聞かれても困るよそんなこと」「答えられることなんてナニもないよ」状態で。

 キムくんの腹の据わり方と、機転に感動した。

 答えられない質問をされたわけですよ。まだ役についてなにもわかってないのに、そんなこと聞かれても答えられるだけの素地がない。
 だけどキムくんは「答える」ために、自ら名乗り出た。そこにあるのは、トップとしての責任。
 ここで答えることが、自分の仕事であると理解し、責任を果たすために前へ出た。困惑している他のメンバーを背中にかばって。(注・イメージです。キムを含め、みんな椅子に坐ってます・笑)

 ああ、この子が雪組のトップスターなんだ。
 こうやって、矢面に立つんだ。
 その覚悟と責任感のある子なんだ。

 キムくんを研3だかくらいから眺めてきている者としては、彼の大人の男っぷりに胸熱ですよ。
 見た目少年だから軽く見えがちだけど、彼は研15の大人の男だもんよ。

 結果として、小柳せんせが、その質問を引き取ってくれたんだけどね。
 や、彼女だってわかってるもんね、この質問に生徒たちが答えようがないこと。
 小柳たんの解説を得た上で、キムくんがなんとか語り、それを受けて他のメンバーもようよう乗り切ることが出来た。……かなり、苦しかったけど。


 タカラジェンヌは大変!
 なんにもわかってないのに、仕事だから連れてこられた。
 一昨日が大劇場公演の千秋楽。まだ東宝公演も控えている。
 時間も気力も体力もぎりぎりのところで、今、ここにいる。

 それでも。

 制作発表は、おもしろかった。

 パフォーマンスに大盛り上がり。
 テンション上がった。

 今の状態で、コレなんだよ?
 彼らが今の本公演をきちんと終え、心身共に切り替えて全力で向き合い、作り上げる『フットルース』は、どれほどすばらしい作品になるだろうか!

 なんか、すごくわくわくする。
誰だって踊れるさ。@『フットルース』製作発表会
誰だって踊れるさ。@『フットルース』製作発表会
 制作発表、おもしろかった!!

 『フットルース』制作発表会行ってきました。
 梅芸ネット会員枠で。梅芸のイベントものが当たるのはじめてだわ、わーいわーい。

 座席位置は抽選。
 受付でチケット袋を引く方式。けっこう前方席が当たってびびった。ネット会員は真ん中通路より後ろで、前は関係者のみだと勝手に思い込んでいたので。
 通路より前のセンターブロックはまるまるプレス席で、サイドブロックのセンター寄り数席は、関係者席、ネット会員はそれ以外のところ、だった模様。

 入場時にペンライトをもらった。
 タイトル名入りで全八色、どの色が当たるかはお楽しみ……って、ペンライトちゃうやん、サイリウムやん。
 使い捨ての、ぽきっと折るヤツでした……なーんだ、記念品ではなく消耗品やん。

 ま、それはともかく。

 進行は去年の『H2$』制作発表と同じ。
 まず出演者のパフォーマンス、それからトーク、マスコミからの質問、挨拶して終了。

 幕が上がると、舞台にはただひとり。背後からのライトを浴びて、シルエットが浮かび上がっている。

 アリエル@みみちゃん。

 うわわ、みみちゃんひとりからスタート?!

 音楽は「Holding Out For A Hero」。『フットルース』でもっとも有名なあの曲。
 横顔からはじまり、みみちゃんが振り返り、歌い出す。

 みみちゃん、かっけーー!!

 いやその、髪型も衣装も、ポスターのアレです、正直すごいです、センスが(笑)。
 でも、かっこかわいい。

 歌い、踊り出すみみちゃんの周囲に、同じような女の子たちが……って、制服コスプレ!!

 ちょ……っ、無地ジャケット+チェックミニスカ!!

 い、今月組さん、公演中だよね?
 サイトーショーのAKB衣装借りてきたわけじゃないよね? 『メイちゃんの執事』はチェック柄だった??

 すげえ、ザ・ジャパニーズ萌え画面キターーッ!!

 ミニスカ制服女子に、ブレザー姿の男子も加わった!
 めがねっこコマ、ワイルドきんぐも加わった!
 音楽は序盤が終わり、さあこれから盛り上がるぞ! ……ってときに。

「アリエル、なにをしているんだ!」

 って、まっつパパ、キターーッ!!

「ダンスは禁止されている。神はそんなものはお認めにならない」
 とかなんとか。台詞はちがってると思うけど、そーゆー意味のことをもっともらしく言うパパ。

 いや、もお……。

 これからパフォーマンスという名の、ショー場面がはじまると、こちらは思っているわけですよ。
 『H2$』は実際、歌とダンスだけだったし。

 なのに、はじまったのは芝居。

 観客の意表を突いたもので、ムーア牧師@まっつが登場するなり、客席どよめき、笑いが起こる。
 で、制服姿の若者たちの中で、黒スーツに緑色のストール?を掛けた、牧師ルックのまっつがしれ~~っと、エエ声で芝居をはじめるとこが、もお、みょーーにおかしい。

 別に、なにも笑うことはやってないし、言ってないんだ。
 なのに、まっつが喋るたびに笑いが起こっている。

 なにこれ。
 まっつ……オイシイ。

 ダンスを否定する牧師。
 反発するアリエルたち。

 そこへ。

「ちがう!」

 凜々しい声が響く。
 ライトが客席をパンっと照らす。
 そこには、レン@キムくんが!!

 ダンスを踊ることは悪くないだっけ、乱れたことではないだっけ、そんな意味のことを語るレン。

 舞台も客席も騒然。きゃーきゃー上がる声。……客席、雪組っこたちもどさくさまぎれに、来てるんだもんよ。後方席の雪っこたち、ケイさん登場にはしゃぎすぎよ~~!(笑)

レン「あなたも踊ってみればわかる!」

 若者たち賛同、きゃーきゃー。

牧師「私は踊らない」
レン「踊らずにはいられなくなるさ」

レン「みんなも協力してくれ!」

 ってことで、わたしたち客席に呼びかける。立ち上がって、一緒に踊ろう、と。

 あの。
 ここでの「ダンス禁止」を言う敵はムーア牧師ただひとり。
 それで、レンをはじめ若者たちと客席とで、ダンスのすばらしさを体現しようって運びで……同じ意志の群れの中、まっつひとり立ち位置がチガウため、みょーにオイシイ(笑)。

 ノリノリで踊る人々の中、まっつはひとり「やってらんねーよ」的風情で踊るというか、動く。周りの若者たちに絡まれてツンっとしたり(笑)。
 それがだんだん、一緒に踊るようになり、最後はふつーにポーズ決めてます、と。

 ちょっ……パパ、かわいい~~!!

 じたばたするくらい、かわいかったっ。
 どうしよう、テンション上がった。

 キムくんのダンスレッスン、「サイリウム右手に持って……私たちは鏡なので、左手に持ちまーす」とか、懇切丁寧。

 サイリウムがなかなか折れず、苦労しているまっつパパ……か、かわいい……。
 女の子たちも簡単にぽきっとやってるのに、パパってば……。

 みんなで踊る曲は、テーマ曲。
 下級生たちはみんなわーーっと客席下り。
 わたしの席はレオくんがわりと近かった。

 『フットルース』は客席参加型。
 みんなで一緒に立って踊ってくれ!てな作品になるそうな。
「誰だって踊れるさ♪ 君だって踊れるさ♪」
「誰でも!」「あなたも!」……てな。
 なんかもー、よくおぼえてない……きゃーきゃー騒いでるうちに1曲終わってた(笑)。

 で、キムくんがぜーはー言いながら、みんなを坐らせて。
 他の出演者はいなくなって、キムとみみちゃんだけが残る。

 ふたりのラブソング「Almost Paradise」。

 ふたり向かい合って。

 みみちゃんの、うっとり瞳がすごい。

 わたしの席からは、みみちゃんばっか見えたんだけど。
 この子ほんとに目にハート浮かべてキムくんを見つめるよ……。恋していることがわかるよー。
 くそー、うらやましいぜキム!(笑)

 で、わたしから見えないけど、きっとキムくん、すげーオトコマエな顔してみみちゃんを見つめてるんだろうなあ。
 みみちゃんをあんだけめろめろな目で見つめさせちゃうくらい、キムが素敵なんだわ……おおお。

 一昨日まで大劇場公演やっていて、お稽古期間なんてほとんどないだろうに、キムの、歌声がすごい。
 ほんっとに歌ウマだわ……すげえわ。


 と、パフォーマンスはここまで。
 暗転ののち、トークコーナーになる。

 客席のダンス参加は楽しかった。
 わたしもやる気満々、身軽に立ち上がって、キムくんの指示のもと、踊りはじめた……んだけど。
 は、腹の傷が……っ。
 途中から、傷がひきつるよーに痛み出して、ダンスどころぢゃなかった……(笑)。

 退院した翌日に、ダンスはしちゃいかんってことが、今回よくわかりました。
 なんか今も痛いんですが……大丈夫か、わたし(笑)。
 雪組『ドン・カルロス』『Shining Rhythm!』千秋楽を、スカステで見た。

 千秋楽、行けなかったんだ……。
 まっつオチして7年目、はじめて千秋楽に行けなかった……。
 いやその、ちょっくら入院中だったもので。くそー、予定より観劇回数少ないよー、担当組公演中に身動き取れなくなるなんて、くやしいわー。
 年寄りだから、仕方ないっすね。よぼよぼ。

 千秋楽はどう考えても行けそうにない。
 それならせめて、『フットルース』制作発表は? それまでに退院か、あるいは外出許可でもなんでも無理矢理取り付けて、絶対行ってやる~~!!てのが、心の支えでした。
 や、制作発表のチケットが手に入るかどうか、入院前もさっぱりわかってなかったけれども。
 梅芸の「S席チケット2枚買ったら、制作発表参加権利の抽選に参加できるよ!」というキャンペーンにノせられて、エントリーだけはしてましたから。
 当たったら、なにがなんでもその日までに退院! 当たらなかったら……ベッドの上で掲示板とかオークションとかチケット探しの旅に出るの……? うわ、それ嫌すぎる。
 とまあ、「行く」という前提で生きてました。それくらいの希望がないと、やっとれん。
 最近もう、いろいろとボロボロでねえ……。

 術後経過も良しってことで、予定より早く退院勝ち取りました。担当医師や看護師さんたちへの「ほーらわたし、こんなに元気!」アピールもがんばりました(笑)。

 家を空けるとHDDの空きが心配だし(1テラのブルーレイレコーダ買ってまだ3ヶ月ですがナニか?)、親に預けた猫が心配だし、仕事は溜まるしで。
 HDDは大丈夫でしたが、猫は痩せて、やさぐれてました(笑)。ストレスすごかったみたいで、誰が触っても「フ~~~~っ!!」と唸る状態。
 母親は「ちゃんと面倒見たわよ! エサだって水だってやったわよ!」と言うけど、親の家にはいじめっこがいるからなあ……。カラダはちっこいけど、うちの猫と気の合わない、計算高い猫がいるからなー。
 親の家の猫に、いじめられたんだろうと思うよ。うちの猫は今、わたしの膝の上で丸くなってます。


 スカステで楽映像を見、しみじみと「終わっちゃったんだ……」と寂しくなる。
 今まで、絶対に楽を観て、名実ともに「最後」を味わってきた。
 公演はまだ続くけど「これがMY楽」ってのは、贔屓に関してだけはなかった。なにをさておいても、贔屓の舞台を優先してきたから。そうするよう、努力してきたから。
 それって、恵まれてたんだな。

 自分の中で、「千秋楽」に参加していないのにもう公演を観られない、「終わってしまった」ことが、整理つかない。
 しょぼん。

 うわーん、フェリペ二世にもう一度会いたかったよおお。
 マタドールまっつの冷酷な目が見たかったよおお。
 まっつステップとオラオラな掛け声、ドスの聞いたラテンソロが見たかった、聴きたかった。

 影の歌声が、乱れ髪が、ダンスが、見たかったよおおお。

 エロ黒燕尾が見たかったよおおお。

 ヲヅキさんの挨拶も、生で見たかったよ。
 のあちゃんとリサリサの袴姿も、見たかった。

 退団者挨拶を見守る、まっつの表情の変わらなさも、見たかったよ……(笑)。


 って、実は入院の前日まで観劇してましたけどね。Wヘッダーして、そのあと友人とだらだらお茶してましたけどね。そのあたり仕事で睡眠時間は1日3時間とか続いてましたけどね、婆のくせに(笑)。

 人間、健康第一ですな、まったく。
 月組『ロミオとジュリエット』の配役が出た。

 いやそのわたし、『ロミジュリ』大好きで。
 作品が好きなので、どの組で上演してくれてもうれしいし、「この作品は*組のものよ、他の組なんか認めないわ!」とか「**役は**ちゃんだけのものよ、他の人なんか見たくないわ!」てなキモチは一切ありません。
 もちろん初演も再演も外部も観ているので、それぞれの違いを比べることはあるけれど、それはどれかを貶める意味ではなく、純粋に違うモノを違うと思っているだけ。

 ほんと、ただ楽しみなんだ。
 また、タカラヅカの『ロミジュリ』を観られること。
 (ケータイ電話の活躍する、外部『ロミジュリ』は再演されてももう観に行かないと思う・笑)

 で。

 宇月くんに役がないって、どーゆーこと?!

 としくんのベンヴォーリオが見たかったんだよー。あうあう。

 で。
 ヴェローナ大公@ゆうまくんって、どーゆーこと?!

 ちょ……っ、95期、この4月に研4になったばかりの少年ですがなっ。……見た目おっさんだけど(笑)。
 いやあ、すごいねー。新公でえんえんおっさんだーのじじいだーのをやってはいても、いちおー研4なわけで、上の学年のおにーさま方を差し置いて、白髪まじりの大公閣下を演じることになろうとは……。
 甥のマーキューシオ@みやるりは6期も上ですよ……。ゆうまくんがランドセル背負って小学校に入学したとき、みやるりにーさんは学ラン着ているわけですよ。
 ランドセルの小学生が伯父さんで、学ランの中学生が甥かあ……。あるいは、高校生の伯父さんに、大学出てリーマンやってる甥、かあ……。ふふ……ふ。(ナニか萌えるらしい)

 ピーター@あちょうさん、にも引っかかりましたけどね……そうか、ハウルじゃなくて美城れん路線で決めるのか……。

 愛と死はどっちもガタイ良しで肉弾戦って感じだし。
 てゆーか、死ってビジュアル枠じゃないんか……マカゼはそれだけで演じたと思ったんだが。
 雪、月と路線枠であってビジュアル度外視か……。いやその、咲ちゃんもたまきちもスタイル良しさんだが、顔はいわゆる「死」のビジュアルぢゃないよねってことで。

 ベンヴォーリオがマギーだと、ベンひとりでモンタギュー圧勝、長年争わなくても、最初から終わってね?ってイメージっす……(笑)。

 そーいやとしくんって、イケコのとき役付悪いよなあ。歌ウマ好きのイケコなのに、としくんは好みではないのか。


 今回の配役で、ヅカの『ロミジュリ』ファンとしていちばんの注目は、乳母のキャスティングだった。

 試行錯誤の結果、乳母役は専科枠に落ち着いたのか。

 初演星組で、れみちゃんの乳母に感動、涙したけれど、違和感はぬぐえなかった。
 きれいな顔の娘役が、きれいな顔のまま、胴布団つめて滑稽な老け役をやる。
 「娘役」の枠を取り払うことは出来ないし、かといって海外ミュージカルの役を勝手に改ざんすることも出来ない。
 半端さが、どうしてもあった。

 再演雪組では、男役のコマが乳母を演じた。男役ならば、どれだけ外見をくずしてもいい。「娘役」という縛りがないためだ。だから、胴布団の他、頬に丸くチークを入れ、おてもやんしてわかりやすく道化を演じた。
 おてもやんメイクは不評だったのか、すぐになくなったけれど、イケコ的に「乳母」ってのはそこまでやっちゃう役なんだろう。
 乳母としての外見、キャラ立てはOK。しかし、男役だと、ソプラノで歌えなかった。

 雪組新公さらさちゃんは、歌えたけれど乳母という役には小さかった。娘役という枠の中から出られずに終わった。

 うわー、ジレンマ。
 娘役がやるとチガウし、男役だと合うけど歌えない。

 だけど、『ロミジュリ』という作品で、女性キャラで2番目にいい役が、この乳母なんだ。
 娘役2番手がやるだろう比重の役なんだ。

 海外ミュージカルは役がなく、その点ではタカラヅカに合わない。
 『ロミオとジュリエット』は内容がとてもタカラヅカ的な作品で、役に関しても、「名前のある役」は少ないけれど多数が「かっこいい」姿で長時間舞台にいることができる分、マシだと思っている。
 だから、乳母役が、タカラヅカと合わない最大のネックだと思っていた。

 そっか。
 ついに、専科枠になったか。

 娘役の枠と作品との齟齬、両方を守ることにしたんだね。

 専科さんは、娘役ではない。
 どんだけくずした外見でもいい。
 そして、歌唱専科さんなら歌声もばっちりだ。

 娘役にヒロイン以外、路線の役がない。娘役にはつらい結果になったけれど、大きな意味では「タカラヅカの娘役」というものを守ったのだと思う。
 ……また、「タカラヅカの娘役」の限界も、知らしめたか。乳母のような役は、できない、と。


 や、作品ファンであり、圭子ねーさまファンなので、圭子ねーさまの歌が聴けるのはうれしいです。

 たのしみです、新しい『ロミオとジュリエット』。
 実は星組初日を控えた時期にUPしていたりする。前公演を消化しないと、次へ進めない。

 『天使のはしご』のキャスト感想、続き。

 ヒロインのパパ@みきちぐ、ママ@じゅんこさんって……!!
 もお、これだけでおなかいっぱい(笑)。
 あああ、みきちぐかっけー。あの落ち着き、あの包容力。
 そしてじゅんこさんの安定感あふれる仕事ぶり。必要な役割を、華々しく演じてくれる。

 2回目の観劇時、わたしは上手最前列におりまして。
 フィナーレがすごかった。
 目の前が、英真&美稀!! めちゃかっこつけて踊りまくるナンバー、ナニこの夢の並び……ってゆーか、胸やけしそう……(笑)。

 てゆーか、すでに英真くみちょがくみちょでなくなっていることがショック……。ずーっと組長って呼んできたもんなあ。専科からの特別出演なんだね……。

 ヒロインの姉妹たち、みんなそれぞれかわいい。
 リディアちゃんが棒読み風なのは、わざとなのかな? そーゆー役だから?

 最初、ジェーン役が誰かわからなかった。配役はおろか、出演者名までチェックしていないのはいつものこと、組替え組のほとんどはバウに出演しているとわかっていても、ジェーンが誰か思い至らない。
 わたしはどうも、りりか嬢の顔がおぼえられないらしく、いつも消去法で彼女だとわかるようになる。
 ふつうにうまいけど、この地味な娘さんは誰かしら。上級生にこんな人、いたっけ。星の中堅以上なら、おぼえていそうなもんだけど……。
 途中からりりかちゃんだと気づき、その大人っぽさにびびる。ふつーに上級生だと思ってた……。
 性格の良さそうな素朴なお嬢さんではあるが、美貌という印象がないため、ビングリー@みやるりがジェーンの美しさを讃えるたびに違和感。それに、ビングリーよりずーっと年上に見えるナリ……。まあこれは、ビングリーにも問題はあるのか。

 姉妹の中では、やっぱヒロインのリジー@はるこがぶっちぎりで生気にあふれる美少女でした。正しいよな、これは。

 てゆーか姉妹たちの年齢設定はどうなんだろう。
 リジーの親友、シャーロット@コロちゃんが「もう27歳だもの」と言っていたので、びっくりしたんだが。
 リジーって若い娘だと思っていた。しかし、親友が27歳だと彼女もそれくらいだよねえ。ため口ばりばり「もうっ、そんなことゆーと、親友やめるわよ!」みたいな会話してたから、同世代だよなあ。
 リジー27歳、ジェーンは三十路とか? するとビングリーさんやダーシーさん@すずみんは30代半ばとか?
 リジーがダーシーさんの叔母@柚長に「ハタチにはなってない」てなことを言われるくだりがあったと思うが、リジーははっきりと年齢を答えなかった。ほんとにそれくらいの若さなのか、若く見られたから本当の年を誤魔化したのか。
 つか、30前後のジェーンが美女としてモテモテな世界観でいいのか、時代的に?

 勝手なイメージで、リジーがハタチ前後、ダーシーさんが20代半ばかと思って見ていたので、シャーロットのみが違和感。
 27歳と19歳でも親友になることはもちろん可能だが、それなら断りを入れるのが作者の務めだろう。
 「年は離れているけど親友」とリジーに言わせるとか、「あなたはまだ若いから理解できないでしょうけど」とシャーロットに言わせるとか。
 もしくは、年齢差のある友人同士だとわかる喋り方にするとか。
 テレビなら本当にそれぞれの年齢の女優が演じるから、説明は不要だろうけど、ここはタカラヅカ。老いも若きもみんな若く美しい女性が演じているんだ、解説が必要なところはしっかり解説しないと。

 って、単にわたしがいろいろ見落としているだけなのか。

 まいけるがおっさん役でびっくり。ついこの間まで子役専科だったのに。
 小柄な男の子って、子役の次はおっさんや老人役になっちゃって、青年役が回ってこないもんなんだなあ、とタカラヅカの法則を再確認する。
 しかしおっさんまいけるかっけー。
 そしてナニより、アルバイトでヒゲなしで踊っているときがめちゃかっけー。

 汐月くんは相変わらず目を引くイケメン。なんかくるくる回ってたっけ。
 しかし、男子たちは概ね見せ場なしのモブだよなあ。まあ、スズキケイにしたらまだ、マシな方か。

 麻央くんは痩せて欲しいと今回も思う。咲ちゃんもホタテも痩せて格好良くなってるんだから、麻央くんだって出来るはずじゃあ……と考え、りんきらが痩せてなかった……ゆうきくんも痩せてはいないよなあ、と、各組にいるデビュー当時ぷくぷくスターくんたちを思い出してみる。
 麻央くんとりんきらは、スリムスターになる日が来るのだろうか。
 そいで、麻央くんはも少しうまくなってくれると、なおいいんだがなあ。歌と芝居もだが、今回はダンスも目に付いた。
 フィナーレでピックアップで踊る場面にて、他のメンバーがぴたっと振りを決めているところで、ひとりだけ手探りなのか場が持たないのか、手をわなわな揺らしている姿に、首を傾げた。なにをやってんだろう、あれは。
 もう研5なんだし、美貌か実力か、どちらか希望ナリ。や、一観客の身として。


 『天使のはしご』は感動巨編でも稀代の名作でもないけれど、ふつうに楽しい、とてもタカラヅカ的なかわいいお話。
 ダーシーさん主役バージョンとして、またいつか観てみたかったのにな。
 すずみん、辞めちゃうのか……。

 わたしが「贔屓の組替えにより、星担になる」と決めて観に行った最初の公演から、すずみんはすずみんだったよなあ。
 あのころのすずみんは、ゆーひくんにとても似ていた。
 スタイルの残念なゆーひくんと、スタイルのいいきりやんのいる舞台に、月組から組替えになった贔屓が立っていて、とても複雑なキモチになったっけ。
 名古屋のどっかの会場にて、贔屓とすずみんが上になり下になり、やってたんだよねええ。
 あれから、もう9年経つのか。

 切ないな。
 だから、日記はリアルタイムでなきゃダメなの。
 何度後悔したら学習するのわたし。

 すずみんの退団発表を知って、後悔したもの。
 どうして『天使のはしご』の感想を、ちゃんと書き切っておかなかったの、と。

 退団を知ってからでは、内容が変わってしまう。わたしに、別の意識が入るから。どうしても、「すずみん、いなくなっちゃうんだ」というキモチ抜きには、彼を思えなくなるから。

 贔屓組公演中なので、日程ぎりぎり、時間なさ過ぎ、それでもなんとかやりくりして、バウホールへ行った。すずみん好きだし、みやるり好きだし、星組を観たいからこそ。

 すずみんがタカラヅカを卒業するなんて、まーーったく考えてない。
 彼はこの花園に骨を埋めてくれる人だと信じ切っている。他の誰を失っても、彼はここに彼のままいてくれる。
 ただ、そうなると今の立ち位置のままではいられないだろうから、華々しいところから少しずつ退いていくのだろう、その布石としてのバウ主演なのかな、とは思った。

 ついでに言うと、わたしは劇団を信じていない。「餞別公演」なんてモノは都市伝説だと思っている。
 退団するからその前に餞別をあげる、なんて、あの非情な営利企業がするもんか。
 餞別公演ってのは、「退団したら観られなくなるよ、さあ劇団に金を落としなさい」公演だと思う。すなわち、退団発表をしたあとにするもの。
 だから、退団発表前に主演やいい役が来たって、「餞別」じゃない。いなくなる人に充実した場を与えたって、劇団は儲からないじゃない。いなくなる当人やそのファンにいい思いをさせたって、そのあとも続く劇団の儲けにはつながらないじゃない。

 だから、「バウ主演が決まった、餞別公演だ。そのあとの本公演で退団するんだ」とは通常思わない。
 劇団は餞別をくれるよーな甘い企業じゃない。ええ、すっかり不信感(笑)。

 それでも、主演バウのあとに退団するスターが多いのも事実。
 それは生徒自身がバウ主演したことで、自分のジェンヌ人生に区切りを付けるためだと思う。
 タカラヅカは永遠にいられるところじゃない。どこかで、自ら幕を下ろさなければならない。
 その区切りを、きっかけを、主演公演に置く場合がある……のは、人の意識の流れとして、とても納得できるから。

 それで「バウ主演=卒業が近いのかな」と不安になることもある。

 しかし、すずみんに関しては、それがなかった。

 彼は昔からタカラヅカ愛を語り続け、卒業しない、ずっとずっと劇団にいると公言していると人づてに聞いてきた。
 実際彼の舞台やテレビ・雑誌などで垣間見る姿から、その言葉の熱が真実であると伝わってくる。
 だからバウ主演したって、それを「区切り」とか「満足」とかにしちゃう人じゃない、これからもずっとずっと続く、タカラジェンヌ涼紫央の歴史の一部でしかないんだわ、と。

 安心しきってました。

 ひとりだけ空気読まずに豪華な衣装なのも、「さすがすずみん!」と喜んでいられた。
 気合い入っててなんぼだもの。
 タカラヅカのタカラヅカらしさを愛している人の舞台なんだから!

 星組次代のスター構想には入っていなくても、また何年かあとには、こんな風に主演公演を観られるんだと、疑ってなかったんだよ。


 と、知ってしまったあとではどうしても感傷的になるけれど。

 それはともかく。

 ダーシーさん@すずみん、かわいい。

 すずみんは、「かわいげのある貴公子」を演じるとピカイチっす!
 ダーシーさんのツンデレ具合がたまらんっす。

 彼のお貴族様ぶりと、悶々とした部分を眺めているのが、楽しくてならなかった。
 あのすました顔で、「バカはキライ」と顔に書いてあるよーな性格で、リジー@はるこにめろめろなのが、もお。
 周囲の人が、どんだけニヤニヤしながら、でろでろなダーシーさんを眺めていたんだろうなあとか、想像するだけでごろごろ床を転がりたくなる。

 だからこそ、ダーシーさん主役で見たかったんだよなあ。
 リジーというキャラクタも、はるこちゃんも大好きだけど、やっぱここはすずみんを主役にしてほしかった。

 ところでなんで、ダーシーさんは「ダーシーさん」なの?
 リジーはわざわざ愛称と名前と名字と3つもあって、なんでダーシーさんたち男性陣は名字だけなの?
 名前で呼ばないのがすごい違和感……。
 幼なじみでダーシー家の使用人だったウィカム@ともみんまで、何故共に名字呼び……。ふつー名前で呼び合うだろう……。ジャルジェ家の使用人アンドレが、主家の人間であるオスカルを「ジャルジェ」と呼ぶよーなもん。
 原作縛りなの? だとしても、タカラヅカである以上、かなり変だ。


 この作品で、いちばん驚いたことって実は、ともみんが悪役をやってる・悪役に見える!ってことだったりする(笑)。

 今まで、ナニをやっても悪役に見えなかったともみん。
 ダーク・ヒーローのティリアン@『エル・アルコン』を演じてなお、「いい人」でしかなかった彼が……胸熱……。

 星担友人曰く「『ノバ・ボサ・ノバ』を半年やったのが大きかった」そうです。
 中日あたりでは、ちゃんとワルな顔が出来るようになったとか。……中日って、4都市目にしてよーやくかよ!(笑)

 軍服がめちゃ似合うし、今までトホホ感残るところが売りだっただけに、そこを突き抜け上のステージに上がった彼は、とにかくカッコイイ。

 しかしウィカムってマジロリコン……。
 ダーシーさんの15歳の妹に手を出して、次はリジーの16歳の妹……少女にしか興味がないのか……リジーは彼の守備範囲の年齢ではなかったってことか。


 ビングリー@みやるりは、微妙にもったいない役と出番だなあと。
 最初だけで、あとは存在忘れられてるし。スズキケイェ……。
 こーゆー役はもう、軽々だよなあ。

 コリンズ@みっきー、楽しそうだなー。
 実力派だからこその役というか。
 しかし、脚本のせいなのか、演出のせいなのか、がんばりのわりにあまり笑えないのがつらいかな。
 友人曰く、「大阪の人は笑いの沸点が高い」。青年館では笑いを取れていたらしいが、バウではあまり笑いが起こらない。うん、この程度では笑えない……。
 でも、タカラヅカにお笑いは求めてないから、別にいいんじゃないかと。

 みっきーはアルバイトで踊ってるときがめちゃくちゃ格好良かった。


 男たちみんな、美しくてかわいくて、愛すべきキャラクタたちだった。
 タカラヅカはこうでなきゃ。
2012/04/06

星組 退団者のお知らせ


下記の生徒の退団発表がありましたのでお知らせいたします。

 (星組)   
  涼 紫央
  碧海 りま
  白華 れみ
  南風 里名
  稀鳥 まりや
  ひなたの 花梨

     2012年8月5日(星組 東京宝塚劇場公演千秋楽)付で退団

※なお、宝塚大劇場公演千秋楽(6月18日)および東京宝塚劇場公演千秋楽(8月5日)には、公演終了後引き続き、涼 紫央サヨナラショーを実施予定です。
 入院中はすっかり情弱でした。いや、もともと世界の狭い年寄りですが。
 仕事の都合でPC持ち込んでたけど、ネット環境はなかったしなー。
 モバタカからのメールだけが頼り。で、この日は手術の翌日で、メールどころぢゃなかったしな。
 その翌々日あたりだっけか、体調復活してから、ぽつぽつ打ったテキストの一部を、それでもここへ残しておく。……一部、なのは、UPするまでに日にちが経ちすぎて、もー今さら過ぎる部分をカットしたため。ほんと、リアルタイムに書かなきゃダメだな……。日記なんだもんなあ。


 涼紫央が、退団する。

 すずみんがタカラヅカからいなくなるなんて、一度も考えたことがなかった。
 タカラヅカは有限の楽園、みんないつかは卒業する。
 そうわかっていても、すずみんはその対象ではなかった。
 時が流れ、人が変わっても、すずみんだけは、そのままいてくれる。そう思っていた。

 やめちゃうのか……。

 このブログをはじめたころ、わたしはまだすずみんの顔も名前も知らなかった。
 主演者の名前も知らないまま、鳴り物入りの新人スター・れおんくん目当てで観に行った新人公演。
 あのとき舞台にいた、役のあったほとんどの人は、もうタカラヅカにいない。本公演で演じていた人たちも、ほとんどいない。
 すずみんだけは、いてくれた、のに。

 いかなるときにも「タカラヅカ・スタァ」でいてくれた人。
 とびきり華やかに、「タカラヅカ・スタァ」として卒業するんだね。
 サヨナラショーがあってよかった。

 ……DS行きたいなあ。


 そして、れみちゃん。
 星組に行ってからの彼女は、娘役としての殻を破りまくりだったから。
 「娘役」である以上、ここには留まれないのかな。
 娘役の新しい可能性として、今のれみちゃんのまま、ここにいて欲しかった。今のれみちゃんは、個性的な別格女役系だけでなく、可憐な娘役だって演じられるんだもの。

 ここがタカラヅカであるから、無理なのか。
 そして、タカラヅカが大好きなれみちゃんだからこそ、あえて留まらないのか。

 ……しかし、マサツカ芝居だと、すずみさんはともかく、れみちゃんに役はあるのだろうか……。
 『天使のはしご』で気になるのは、視点の混乱。
 一人称小説に、突然主人公以外の人の経験や感情が混ざる、気持ち悪さ。

 もともと主人公はリジー@はるこ。彼女の心の変化、彼女の経験のみで物語は展開する。
 だけどここはタカラヅカ。女の子主人公は許されない。だから無理矢理、主人公の相手役、でしかないダーシーさん@すずみんを主役ということにした。

 ダーシーさんが主役でもいい。
 それなら、完全に、主役にしろ。
 リジー側の事情も心の変化も描く必要はない。だって主役じゃないんだもの。
 描く必要があるのは、ダーシーさんのみ。
 リジーを描くのは、ダーシーさんを通して。
 両サイドの「高慢と偏見」を描く必要がある、なんて言い訳。リジー主役の今でもやってるんだから、ダーシーさんを完全主役にしてなお出来る。

 ダーシーさんは、ふつうに主人公に出来ると思うんだ。少なくとも、植爺のフェルゼンよりは描きやすいだろう。

 違う階級の者同士が恋に落ちるこの『天使のはしご』という物語にて、ダーシーさんは登場シーンですでにリジーにオチている。
 彼女の率直な物言いや、聡明さに惹かれている。
 身分違いという偏見を持っているので、そのあとのセレブだけの会話ではツンツン。でもそこからしてほんとは惚れちゃってるのがわかるようになっている。

 ダーシーさんが主人公と言いながら、彼の心の変化は描かれない。
 一応ツンツンしていたはずなのに、そこからデレへ至る過程が、まったく描かれていないんだ。
 リジーの心の変化は全部追っていっているのに、ダーシーさんは事後承諾、次に出てきたときはもうデレ期、リジーにプロポーズしちゃいます。
 ちがうだろ? 描くのは主役の心の変化、ダーシーさんがリジーをどう思い、それがどう変化したかを描かなければならない。
 いちばん肝心なところをガン無視しといて、どの口が言うの、彼が主人公だって。

 スズキケイって、主人公がどういうモノなのか理解せずに創作してるんだねえ……こわいねえ。
 主人公と視点となる人が別の場合もあるが、この作品のリジーは視点じゃない。
 素直に主人公も視点もダーシーさんにするべきだし、視点と分けたいならビングリーさん@みやるりを使うべき。

 メインになるべきは、ダーシーさんの家庭問題、ウィカム@ともみんや妹ジョージアナ@りこちゃんの話、投げっぱなしの友人ビングリーさんのこと。
 彼を「主役」に描くべきことは山ほどあるのに。

 ダーシーさんがリジーに振られて雨の中絶唱→幕、という構成にしたいなら、そこまでをちゃんと描けよ……。ダーシーさんはいつどのようにナニがあって恋を自覚したんだよ……。
 作品中、いちばん浮いているところが、主役の心情を歌った場面ってなんだよ。

 リジーとダーシーさんの比重を全部ひっくり返して描くべきだ。
 リジーが家族とばたばたやっているところは全カット、そこをダーシーさんサイドの物語にする。
 ウィカムの物語を描いてあれば、彼がリジーに嘘情報を教える場面は書けるから、それで彼女が誤解してしまう流れは健在。
 リジーについて描くべきは「誤解ゆえに、ダーシーさんを嫌っている」という一点のみだ。後は全部カットしていい。

 1幕最初に上流階級の豪華な、されど感じ悪い宴の様子、中流階級以下の人々を偏見だらけでこきおろす。聡明なダーシーさんは自分から悪口は言わないけれど、セレブ様たちの会話を否定もしない。
 次にパーティにて、リジーと出会う。
 ひと目で好ましく思ったけれど、自覚はしない。
 リジーたち一家を悪く言うセレブ様たちと、そんなことにはおかまいなしで恋に浮かれるビングリー。
 中流階級の人間にひどい目に遭ったことを匂わしつつ、それゆえにビングリーをたしなめ、ふたりを別れさせる。それに自分の思いも重ねる。リジーへの気持ちにエンドマーク。
 このへんで、ウィカムがリジーにイイ顔しつつ、嘘を並べ立てている描写。
 階級ゆえに別次元の人だと切り捨てたはずなのに、なにかっちゃーリジーの話をしてしまい、周囲をにやにやさせたり、あきれさせたりしているダーシーさん。本人無自覚。
 で、リジー再登場、姉とビングリーを別れさせたのがダーシーさんだと知り激怒。
 そうとは知らないダーシーさん、生身のリジーに再会できたおかげで恋めらめら、プロポーズしてしまう。当然リジーは怒って拒絶。
 ダーシーさんは雨の中でハートブレイク絶唱。

 ……で、いいじゃん。
 2幕は微調整必要だけど、ほぼそのままでよし。

 ダーシーさん主役なら、これくらい彼サイドの物語にしなきゃだめだ。
 なんでこんな間違いをしちゃうのかなあ。


 今のままなら、主人公はリジー。
 ダーシーさんはその相手役。

 別にそれでもかまわない。
 主役じゃないけどダーシーさんはかわいいし。(かわいいのはすずみんの手柄で、作者の力ぢゃないけどなー)

 リジー主人公ならば、1幕ラストはリジーで締めて欲しかった。物語のバランスとして。
 主役の心が激しくなったところで幕、いいじゃないですか。主役じゃない人がいきなり1曲歌うから変なだけで。
 ポスターもリジーがアップで、ダーシーさんはその後ろに小さく横顔で載る程度でいいっすよ。

 また、はるこちゃんがねえ。
 ステキに、主人公芝居。

 『メイちゃんの執事』のときもそうだったけど、彼女は「主役」になっちゃうのね。
 リアルで地に足着いた女の子。フェアリーっぽさが薄いこともあり、彼女に主役をやらせると、本当に主役になってしまう。
 主演であるはずの男役を食ってしまう……リアルさにおいて。


 『天使のはしご』、おもしろかったよ。
 おもしろかったけど、構成の間違いっぷりは、気になった。
 スズキケイめ。
 ぽつぽつと、『天使のはしご』の感想。

 中流階級の娘リジー@はるこは、姉が上流階級の男と破局したこともあり、超セレブなダーシーさん@すずみんに先入観と偏見バリバリ。ロリコン男ウィカム@ともみんの悪意もあり、誤解とすれ違いが重なる。ダーシーさんの方は、最初からリジーにラヴラヴ(ツンからスタート)なんだけどね。
 だけどまあ、徐々にリジーの誤解が解けて、あらダーシーさんって実はいい人じゃん、とハッピーエンド。

 観ながら思ったことは、これって、『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』みたい、だった。

 マンガの『ベルサイユのばら』において、フェルゼンは主役ではない。主要人物ではあるが、あくまでも脇役だ。その証拠に、彼が戦争に行っている4年間は一切画面に登場しない。ベルサイユではなくアメリカにいるにしろ、主役ならば、彼がなにを思いなにをしていたか、描写されたはずだ。
 主人公はオスカルとアントワネットだ。アンドレはまだオスカルとずっと一緒にいるので書きようもあるが、フェルゼンは出番もろくにない、なにもしない人だから、書きようがない。
 ……なのに、植爺版の『フェルゼン編』は、無理矢理その「なにもしなかった人」を主役にしている。なにもしないのにしたことにしようと、道理をねじ曲げ倫理を破壊して、無理にエピソードを作って「主役ですよ」とやる。
 植爺の価値観では「豪華な服を着ているのが主役」「何行も台詞をしゃべるのが主役」なので、無意味に豪華ないでたちで、無駄でしかないことをえんえん話す。
 所詮本筋の外側、というか、物語的にはなにもしていない人なので、長々しゃべって時間を取るわりには、ストーリーと無関係、なにも話は進まない、という酷い扱い。でも、たくさん出てくるから、主役。
 この人メインで出てくる場面、なくても本筋に支障ないじゃん……という主役。

 それを、やたらと思い出しました。

 というのも。

 主役は、リジーだよね?

 ダーシーさんの物語自体は、彼が登場する最初の場面から同じ。リジーと出会ったときから、フォーリンラブ。
 登場場面でもう、彼の物語は終わっている。
 偏見がどーの意識変革がどーのと言ってはいるが、彼レベルでは大きな要因ではない。

 変わっていくのは、リジーだ。
 リジーがダーシーさんを愛するまでが、物語。

 ぶっちゃけ、ダーシーさん、出なくてもいいよ?

 リジーとその家族だけで芝居してよし。
 ダーシーさんは名前が出てくるだけでも話は通じる。

 最初から最後まで、リジーが主役で、彼女の目線で物語が進むから、ときどき無理矢理ダーシーさんサイドの話が出てきてバランス悪い。
 1幕の最後なんて、その最たるもの。

 脇役だと思っていた人が、いきなりひとりで舞台に立って、心情を歌いあげるんだもの。えええ?
 今までヒロインの目線で物語を追体験してきたのに、突然知らない人の感情が入るから、混乱する。
 頭の中を、テレパシストに乗っ取られたような気持ち悪さ。わたしの心、わたしの感情に、突然違う人の感情が降ってきた……!

 ……へただなあ、スズキケイ。
 すずみん主演バウなんだから、ちゃんとダーシーさん主役で書こうよ。わたしなら、そうする。

 その昔、『THE SECOND LIFE』という、ひどい作品があって、作者は「主人公」というものを理解していないんじゃないのか?と危惧した。
 あれから5年。
 スズキケイ、変わってないんだね……。

(『THE SECOND LIFE』って、主演がみっちゃんで、見せ場もほとんどない、名前ばかりの2番手がちぎだったんだよね……時代は変わるなああ)

 作者が主人公っつーのがどーゆーものか理解していないから、ダーシーさんってば、主役のはずなのにすっかり脇役。
 すずみんが自力で真ん中ににじり寄り演じきっているので救われているけれど、これが「タカラヅカ・スタァ」スキルの低い若手くんとかだったりしたら、どうなったことか。ぶるぶる。

 ダーシーさんを主役に同じ物語を書くの、絶対楽しいと思うけどなー。なんでしなかったんだろう。
 リアルタイムに感想を書かないと、人事によって書けなくなってしまうもんなんだと、何度痛感していることか。
 変化があったあとでは遅い。

 すずみん主演『天使のはしご』
 組替え者のほとんどが出演していることもあり、上演前から劇団思惑が透けて見えて、ちょっと残念な部分はあった。
 つまり、『REON!!』組が今後の星組のメイン、次代の体制のお試しというかプレステージなんだなと。
 んで、すずみんは今後、2番手スターの座を後進に譲り、脇を固める人になるんだなと。
 だから、次代のスターたちはみんな『REON!!』組、すずみんバウには次代の星組にはいない人ばかりをメインどころに配置、バウでどんだけ活躍しても成功しても、星組本公演に合流しても『REON!!』組をおびやかすことはない、と。
 わかりやすすぎて、いやだなあと。

 劇団も商売なんだし、れおんくんの星組は、タカラヅカを背負って立つ期待の星、頼みの綱、本気で万全の体制をと問えるのも当然。
 わかるけど、わかりやすすぎ(笑)。

 最近のスズキケイ株暴落により、作品にはあまり期待していなかった。
 ムカつかなければいいな、ぐらいの低い位置からスタート。

 で。

 まず、なんつっても。
 すずみんの衣装、すげーーっ!!

 いつも涼さんひとり衣装が特別なのは星組名物、めずらしいことじゃない。ただの脇役ですら、ひとりだけ衣装が豪華な涼さんだもん、主役ならどんだけすごいことになっているだろうかと期待してはいた。
 それにしても、すごい。
 ここぞとばかりに、すごい(笑)。

 ちょ、すずみさん自重、同じ階級のみやるりと衣装の差が激しすぎて、テーマがブレてるよ~~(笑)。

 そして、なんといってもスズキケイ。
 ものすごく、スズキケイ。

 主題歌フル回転!!

 『灼熱の彼方へ』がトラウマになっているレベルなので(笑)、スズキケイの「ストーリーと無関係に垂れ流す主題歌」に、大いに反応してしまう。
 スズキケイの師匠、植爺が『ソルフェリーノの夜明け』でやってみせたように、どのキャラクタでもどの場面でも、どんな感情でも、判で押したように同じ曲だけを歌うってのが、わたしは大嫌い(笑)。
 ミュージカルってのは、その場面に合った曲を、その役に相応しい歌を、そのときのキモチが歌詞になったものを、歌うべきだと思う。
 わかりやすいだけの「いかにもタカラヅカ」なメロディに、「いかにもタカラヅカ」なキレイゴトな歌詞を載せて、えんえん垂れ流すだけを、「ミュージカル」認定したくないっす。

 『天使のはしご』もまた、期待(笑)に違わぬ植爺&スズキケイな主題歌使いだった。
 とにかく主題歌、なんでも主題歌。

 1幕がはじまってから、40分のうちに、主題歌3回!
 さすがに3回目が流れたときに、時計見たもんよ。また同じ曲歌うの? ついさっきも聴きましたよ、と。
 10数分おきに主題歌歌ってるのだわ……。

 1幕でコレだから、もちろん2幕はもっとすごかった。
 中盤からいったい何回歌うんだと。途中から数えてられなくなるくらい、隙あらば歌う。なにかっちゃー歌う。フィナーレまで入れると笑える回数だった。
 さすがだスズキケイ……(笑)。

 あとは星空と海辺のラブシーン、デュエットを期待しました。
 まあ、それの代わりのロマンチック・アイテムとして「天使のはしご」が乱用されてましたが。

 とまあ、ツッコミどころもとてもスズキケイではありましたが。

 おもしろかった。

 スズキケイに絶望して久しかったんで、すっかり忘れてた。
 彼は、アレンジは得意だったんだ!
 元があるモノを、体裁を整えタカラヅカの舞台に載せるのはうまい人だった。

 スズキケイには、要原作。

 原作があれば、阿呆なことにはならないんた! いやもうほんと、原作付きだけ、アレンジだけやっててくださいよ!
 原作付きだと、すっげーよかったよ、おもしろかったよ。
 キャラクタが狂ってないし、ストーリーが破綻してないし。耳を疑う日本語もないし。
 植爺弟子ならではのウザいクドクドしさはあるけれど、許容範囲。

 彼の男性的ロマンチシズムが、いい方向に作用していた。

 すずみさんはいいすずみさんで、「タカラヅカを見た!」「すずみんを見た!」ってキモチにさせてくれるし、素直に楽しかった。


 しかし、見事なソルフェリーノ効果……。
 一度観るだけで、主題歌が耳から離れなくなること請け合い。ソルフェとどっちがたくさん同じ曲歌ってるんだろう。公演時間はバウの方が長いわけだから、『灼熱の彼方』と比べるべきか。
 『天使…』は2回しか観られなかったんだけど、2回とも主題歌の回数数え切れなかった……(笑)。
 キムシンは、アテ書きの人である。
 原作付きであろうとなかろうと、キャストにアテ書きをする。その生徒が魅力的に見える部分をクローズアップしてくる。
 ときどき、本人の趣味が走りすぎて大変なことになるが、概ね的確にアテ書きされている。

 今回の『ドン・カルロス』も、アテ書きの見事さに感心する。

 カルロスの聡明さと哀れさ、そして強さは、音月桂ならではだろう。

 キムくんは「王子様キャラ」だと言われる。ロミオ役がハマり、キラキラした砂糖菓子男子をイメージされる男の子だ。
 今回のカルロスもぴっちぴちの若い王子様。
 生まれたときからすべてを与えられ、愛されることが当然の恵まれた人。
 幼い頃から超路線スター様でビッグなスポンサー様も付き、トップスターになることが当たり前とされ、育ってきたキムラさん。
 キラキラ微笑みながら、ふと空虚な瞳で歌う。
「ただひとり私だけが ナニも持たない 私を知る」

 カルロスはいろんな意味で、キムくん自身とシンクロして切ない。

 『ドン・カルロス』は、あちこちで『ロミオとジュリエット』を彷彿とさせる演出がしてある。
 主人公カルロスの登場シーンもだし、ヒロイン・レオノール@みみちゃんとの場面も、バルコニーを使っている。

 『ロミオとジュリエット』はキムくんのトップお披露目作品であり、キムくんのハマり役のひとつだ。
 むしろ、「ロミオ? 似合うだろうね」で終わらされてしまう危険性があるほど、似合いすぎた役でもある。

 『ロミジュリ』と似た演出をしているところを、わたしはキムシンによるアンチ『ロミジュリ』提議かと思った。

 『ロミジュリ』という作品をどうこう言うのではなく、「音月桂と『ロミジュリ』」に異議を唱えているのでは、と。

 たしかにキムはロミオが似合う。わたしは大好きだ。
 でも、ロミオというキャラの持つ「甘ったれたお坊ちゃんが、それゆえに巻き起こす騒動」=ピュア、少年性、みたいなモノをキムそのものとするのはチガウだろ、と言っている気がしたんだ。

 たしかに少年である輝きは、キムの魅力だ。
 しかしキムはそれだけの男じゃない。
 もっと悲しい強さを持っている。
 世間知らずゆえの強さではない、傷ついた大人ゆえの強さだ。

 すべての傷を飲み込んで、穏やかに微笑むカルロス。
 自分ではどうにもできないことがたくさんある、だから人の役に立ちたい。自分の悲しみを、他人には味わせたくない。
 悲しい微笑みを浮かべ、そう言い切れる人。

 愛を叫ぶことで他人に迷惑を掛けるロミオと、真逆。
 他人を思いやるがゆえに、愛を封じ込めるのがカルロスだ。

 レオノールもまた、ジュリエットと真逆の耐える少女だ。

 『ロミオとジュリエット』と同じシチュエーションをあえて取っている、そう思えるんだ。
 同じモチーフを使いながら、わざと真逆のことをする。
 そして、最後もまた反対。
 愛を封じ込め、立場をわきまえて生きようとしたカルロスとレオノールは、生きて愛を成就させる。愛を叫んで破滅した、ロミオとジュリエットと、反対に。

 「死」に取り憑かれたロミオも、間違いなく音月桂の魅力を発揮できる役だった。
 が、一見キラキラしい王子様でありながら、その実誰よりも大人で聡明なカルロスは、とんでもなく音月桂だ。

 みんなの愛を糧に、たったひとりで戦い、勝利を得る強さも。

 わたしがキムくんを好きで、もともと好きだけど、ロミオ以降自分でもちょっとびびるくらい好きで(笑)、何故キムがこんなに好きなのか、言葉にする以前の部分をこの「カルロス」という役に集約された気がする。


 レオノールも、泣けるくらいみみちゃんアテ書きだし。
 こちらも『ロミオとジュリエット』を下敷きに、あえて真逆なものを提示して、舞羽美海の魅力を凝縮したレオノールというキャラクタを作り上げている。

 キムみみの学年差や、コンビを組むまでの距離感を含め、みみちゃんがいつも一歩下がってキムくんを見上げている感じ、でもいざというときの爆発力、ふたりの手が重なったときのパワー全開ぶりとか、カルロスとレオノールでよくぞこれだけ表現してくれたというか。


 キムシンはあまり緻密に計算して作劇するタイプに思えないので、このアテ書き能力って、感性ゆえなんだろうなと思う。
 ここがこうだからこうに違いないと数学的計算で答えを導き出すのではなく、「こんな感じー! そうそう!」と書いちゃうみたいな。
 で、わたしはキムシンと好みが合うので、彼が感性で「こんな感じー!」とアテ書きするモノが、「そうそう! まさにこんな感じー!」とツボに入るんだ。


 で、実はさらに「アテ書きすげえ!」と思っているのは、ポーザ侯爵@ちぎくんだ。

 ポーザ侯爵をどう描くか、親友を裏切る男をどう設定するかは、クリエイターのフリースペース、腕の見せどころだと思う。
 それを、真面目で、繊細な男にしたのは、キムシンGJ! それこそ、ちぎくんありき、なんだよなと。

 美しすぎるちぎくんに、いちばん振りやすいのは、実は渡会@『Samourai』みたいなキャラクタだと思う。
 二枚目半というか、三枚目というか。
 なまじ正統派の美形ゆえ、美形役をやらせてもおもしろくない……というか、沈んでしまうのね、色合いが。
 イロモノの方が、美形を活かしやすい。
 それで結局、タカラヅカにおいて真の美形って、割を食う。かのトドロキ様も、若い頃から一貫して「いわゆる美形」役はほとんどやってないよ。トップになってからだよなー、正統派二枚目役も回ってくるようになったの。

 そんなちぎくんに、あえて正統派二枚目役。
 シリアスで、文武両道の正義感あふれるヒーロー。
 「抜き」どころのない、正味苦悩する美形様だ。

 彼が苦悩する理由が、鈍感な者ならスルーできるようなことで。
 「目的のためには手段を選ばず」とするならば、ふつうは「恋人を殺された」「家族が不幸になった」など、直接の被害があり、私怨ゆえの復讐劇にするところだ。
 しかし、そうはしなかった。
 無関係な少女のために立ち上がる。
 それは義憤であり、同時に己れのためでもある。
 少女の死が引き金となり、自分の中の闇、深淵をのぞき込んでしまった苦悩と絶望が、ポーザ侯爵を動かす。

 彼のまっすぐ過ぎるゆえの「生きにくさ」、強さと表裏一体の「弱さ」、自分自身を焼き尽くす炎をそれでも燃やし続ける様が、ちぎくんという人に似合いすぎている。

 てゆーかポーザ侯爵好きだなあ。
 このキャラクタの複雑さ、弱さが好き過ぎる。
 それは、この役を演じているちぎくんのことが、好き過ぎるってことだ。

 うおおお。
 楽しいよー。『ドン・カルロス』、楽しいよー。
 『Samourai』は重い話だから、感想書くのつらいなー。
 死は最高のエンターテインメント、谷せんせはずるいよな。

 あとはいろいろ雑感。

 オープニングの連獅子、かっけー!
 日本物の雪組! いいわー、こーゆーの観ると雪組好きの血が騒ぐ(笑)。

 で、フィナーレも正統派タカラヅカで良かった。
 つーか、ここでキタちぎがあるのはナニ?(笑) なんのサービスよ、谷せんせ。

 マリー@みみちゃんのツンデレもいいが、彼女の変化をどーんと受け止めるモンブラン伯爵@ナガさんがまた良かった。
 モンブラン伯爵は、筋の通った人だよなあ。
 言動に、生き方に、ブレがなくて気持ちいい。

 ねえねえ、咲ちゃん格好良くなってない?
 痩せた? 頬のラインがすっきりして、ガスパールくんいい男だわー。

 ブランシェ@リサリサの店の男の子、シモン@かなとくんが、美形。

 最初この役、けっこう注目だわ、いい男だわ、と思ったのに、ほんとのとこ谷は、ナニも考えてなかった模様。
 当時のフランス人なら、日本人を見下していて当然。
 日本人が死のうが生きようがどーでもよし。
 なのに、テンパっちゃった日本人の五島@ホタテが、傍迷惑にもひとんちの店で切腹騒動。
 ふつーのフランス人なら「勘弁してよ、死ぬなら外で死んでよ、店を汚すなっつーの」ってなもんだろうに、ブランシェは五島を助けようとしたし、その死を知って花を手向けようとする。
 そのブランシェの店の男、シモンは、自ら率先して背中を貸し、五島を医者へ診せようとする。

 おお、この男の子、いい人なんだわ。切腹した男を背中に、ってシモンだって血まみれになっちゃうよ、それをいとわず日本人にそこまでしてあげるなんて。
 と、思ったんだ。日本人に差別感情のない男なんだー、わーい。

 ところが、だ。
 次に彼に台詞がある場面では、他の市民たちと同じように日本人差別してた……。

 谷せんせはナニも考えてない、五島切腹場面にいたモブの男としてかなとくんを使い、日本人差別するフランス人のモブとしてかなとくんを使っているだけ。役名があっても、理解してないわこりゃ、演出家自身が。
 谷せんせに多大なモノを期待しても無駄だってば(笑)。
 レティシア@あんなちゃんだってブランシェだって、ただのモブとして殺されちゃう演出家なんだから。

 その五島さんは、大変な役だなー。せっかくのホタテくん大役だけど、外見も含めてあまりふるわず。
 谷せんせの大雑把な世界観と演技は、ホタテくん向きではないのかも?

 チプリアニ@がおりはもうけ役。つか、ほんと谷せんせがおり好きやなー。
 安心の出来映え、素直に泣ける。

 マリーの侍女コンビ@ほのり・あんりが可愛すぎる。
 谷せんせ、美少女侍女コンビ好きやなあ。みみちゃんも『ZORRO 仮面のメサイア』のときはこのこちょこちょした侍女コンビをやってたんだよなあ、と胸熱。

 渡会@ちぎの描き方は残念すぎる。
 戦争好き以外ナニもまともに描かれてないんじゃあ……。
 恋愛ぐらいさせてやってくれよ、別に相手が正名でもキタさんでもいいから。(ヲヅキは役名じゃないんかい)

 たしかにヲヅキは目立つ舞台人で、歌とかダンスとかコレといった特技はないし、芝居がものすごくうまいとも、わたしは思ってないんだけど……でも、舞台で映える人だよな。観客の目を奪う人だよな。
 ヲヅキにいい役をやらせると、ばーんと持ってくよなー。
 てのはわかるけど、ちぎくんの舞台での地味さは、ちょっと気になった。
 ヲヅキに食われてちゃいかんやろう、雪組正2番手。
 ちぎくんも組替えと代替わりであれよあれよと飛び級して、気がついたら2番手ってって人で、まだ経験が足りていないだけかもしんないけど。
 劇団はちぎくんに期待しているのだろうし、実際彼は良いスターだし、さらに伸びていって欲しい。


 はあ。やっと『Samourai』まで書けた……あとまだ『インフィニティ』がある……書き終わってない……。
 時間があれば、書きたいこといっぱいあるのになあ。(入院中にナニやってたんだこの人、ってくらいずーっとナニか書いていたらしいよ・笑)
 どの番組で見たんだっけ。
 下級生男子たちが、斬られて「うわあぁ~~」って死んでいく姿を必死に自主練していて、自分も昔はそうだったと胸熱、てなことをキムくんが語っていた。

 うんうん、男の子たちは大変だね。
 兵士役で出てきては斬られ、出てきては撃たれ、何度も死んでは何度も出てくる。
 そうやって、リアルかつカッコイイ斬られ方や、主演さんを格好良く見せる死に方をおぼえ、成長していくんだね。

 だけど。

 男たちよりもすごいのは、女たちだ。

 谷正純本領発揮、皆殺し上等!の『Samourai』

 男たちは、所詮芝居なの。
 だって、何度も出てきて死ななきゃならないからね。
 斬られても「うわあぁ~~、やられた~~」って痛がって、袖にはけていく。
 撃たれても「うわあぁ~~、撃たれた~~」って袖へはけていく。
 で、また次の瞬間別の兵士の顔して出てくる。
 死んでないやん。
 なんで斬られた人がみんな、等しく歩いて袖に引っ込むのよ。いかにも「斬られた芝居」でしかないやん。

 つーことで、男たちに関しては、斬られようが撃たれようが「所詮芝居」と割り切って見られる。

 問題は、女たち。

 女たちは何度も別人の振りをして出てきてその都度「うわあぁ~~、やられた~~」ってやる必要がない。
 彼女たちはパリの女たちってことで、個別に描かれていないモブレベルとはいえ、人生一度限りだ。つまり、一度死ねばそれでいい。
 何度も別人になって出てこなくていいので、撃たれたら最後、いちいち袖にはけなくてもその場で死ねる。

 撃たれた。
 倒れて死ぬ。
 ……この当たり前のことを、やる。

 女の子たちほぼ全員が。

 きついよ?

 なんども「うわあぁ~~、やられた~~」って死んでいく男たちなんか、へでもないわ。
 問題は女の子たちだよ。

 死に方、リアルすぎ。

 戦って死ぬんじゃない、市街戦を怖がって逃げ惑っている、そのときに撃ち殺される。
 生きて、逃げ延びようとしていた若く健康な娘が、銃声と共にがくんと崩れ落ちる。
 次々に、女の子たちが、死んでいく。生きるための一歩を遮られ、ぶち切られて、倒れる。
 そのあとは、動かない。
 イキモノじゃない。
 ただの、モノになる。

 また、射殺した兵士たちがご丁寧に、彼女たちの死体を銃床で小突いて確かめるんだ。本当に死んでいるのかを。
 さっきまで生きて走っていた娘が、ただのモノとなって、ごとりと転がる。

 きついって。

 みんな、死に方うますぎ。てゆーか、絶対どんどんうまくなってる。
 撃たれ方、倒れ方がリアルすぎて、見ていて息が止まる。ひっ、て思う。

 袖にはける必要がないから、死体としていつまでも転がっている。

 レティシア@杏奈ちゃんとか、いちおードラマらしきものを最初の方で描いてもらっていたキャラクタもいる。
 彼女たちも、ただのモノとして皆殺しになる。

 クライマックスでは主要キャラたちが袖にはけることなく死んで、死体をその場に残すけど、一応彼らはそれなりに見せ場をもらっている。ノエル@にわにわとか、まさかのいい役。
 女の子たちは、「今死にますよ、ドラマチックですよ!」という演出もなく、ただモノとして、モブとして皆殺しになる。
 だからきつい。
 見せ場もらって死ぬのは、いかにも「芝居」、「ファンタジー」として別チャンネルで楽しめる。死なないで~~とか、可哀想~~とかで泣く行為もまた、「エンタメの楽しみ」だからね。
 そういった演出なく殺されていく女の子たちこそが、トラウマレベルでキツイっす。

 いやあ、『エヴァンゲリオン』のどれだったかの映画を思い出した。ネルフが襲撃されて職員が皆殺しになるやつ。
 モブの皆様の殺され方がリアル過ぎて嫌だった。
 名もなきただのモブが無力に殺されるときに、おびえやかなしみを表すのは勘弁してよ。皆殺しにするモブなら、がんがん戦って死にましたとかにしてよ。
 いちばんきつかったのが、死体だらけの廊下を、女性職員が泣きながら男性職員の死体をひきずって歩いているところ。もう男は死んでるんだし、周り中死体だらけで放置されてるんだし、そのままにして自分だけでも逃げればいいのに。彼女は泣きながら、男の死体を引っ張っている。女の力では、男を持ち上げられず、引っ張ってもろくに動いてくれない。そんなことをしてもなんにもならない、男は生き返らない。だけど女は、男を見捨てて逃げられずにいたんだ。
 や、そんな長い場面ではなく、みなさんが皆殺しにされる場面のほんとの一部、数秒の場面。殺される人々の中に、そういう女がいた。死体だらけの廊下を、泣きながら男の遺体を引っ張っている女がいた。襲撃者たちはとにかく生きて動いている者を区別なく殺していくので、そうやって男の遺体を引っ張っている女のことも、簡単に殺して前へ進んでいった。
 モブにドラマはいらない。そんな、ひとりだけ生き残って男の遺体を引っ張っている女、なんて。それだけでドラマが浮かぶじゃん。その男は恋人だったのか、夫だったのか。第一次の襲撃のとき、身を挺して女をかばって死んだのか。だからその場の者みんな死に絶えているのに、女ひとり生き残ったのか。男は女を守りたかったのに、女はひとりで逃げず、男の遺体と共に逃げようとその場に留まり……結局、殺されたのか。

 そんな、殺される人々のドラマが、数秒の断末魔ですばーーって脳裏に浮かぶような殺戮場面は、嫌ですよう。
 トラウマになりますよう。

 『Samourai』の女たちの最期は、トラウマレベル……(笑)。

 レティシアはまだ、最期に愛する男の名を呼んで、人生完成させた感があるので、まだいい。

 問題は、ブランシェ@リサリサ。

 彼女はめーーっちゃ訳あり気に登場する。
 いや、所詮脇で、物語の本筋にないキャラだとわかるから、訳あり気な描き方自体はあれでいい。
 人生いろいろ背負い、昇華した大人の女だ。
 酒場の女主人で、差別されていた日本人にも情をかける。その手のさしのべ方が、よくあるお人好しとか肝っ玉母さんとか人情家タイプではなく、ぶっきらぼうでアンニュイな、突き放したような優しさなんだ。
 いい女、としか言いようがない。
 心に傷をたくさん抱えて、一種の諦観をまといながらも浮き世を軽蔑していない女。
 リサリサがまた、うまいんだ。
 出番も台詞もろくにないけど、短い場面だけで「この女のドラマを知りたい」と思わせるキャラに作ってくれている。
 彼女の弟のガスパールが、ニュートラルな感覚の好青年で。
 この男が弟である、ことが納得できるいい女なんだ、ブランシェ。

 このブランシェもまた、市民兵として銃を取る。
 『Samourai』の主要キャラ以外の皆さんは、登場場面だけなにかしら書き込みがあるんだけど、そのあとはモブ扱い。キャラの人格もキャラ同士のつながりもなかったことになっているのか演出家が忘れているのか、なんにも描かれていないんだな。
 だからブランシェも、訳ありに登場したわりに、あっさりただのモブとして殺される。

 でも、この殺され方がさー。
 まず先に、彼女の店の女の子が横で撃たれるんだわ。それでブランシェは「あ」って感じでその子を見て、助け起こそうとして、そのまま自身も撃たれる。
 その一連の流れが、すごく自然で。
 ……きつい。

 先に長々と語った、『エヴァ』の女を思い出したよ。

 ただ歩いていて、出会い頭に敵と鉢合わせして、銃を構えるまでもなく撃たれる、てまでなら、許容範囲。戦おうとした兵士が殺されるなら。兵士ってのは記号だから。
 でも、親しい者が撃たれて意識するまでもなくそちらへ気持ちが行っているとき、つまり兵士ではなく生身の人間として反応しているときに、横から撃ち殺されるってのは。
 友人や家族がつまずいてうずくまったら、そっち向くじゃん。「大丈夫?」って言うじゃん。そーゆー日常の、ごく当たり前のことをしているだけのにときに。

 ブランシェは、彼女自身のドラマや人生を、わたしに想像させる女性だっただけに。
 その無残な最期が、きつかった……。

 人生の悔いだとか、反対に愛だとか、語ったり歌ったりしてスポットライト浴びて「がくり」と息絶えてくれたら、泣きはしてもトラウマにはならないよ。だって芝居だもん、エンタメだもん。
 しかし、この死に方は……。

 女の子たちはそうやってめちゃくちゃリアルに、見ているこっちの息が止まりそうなくらいの痛々しい、恐ろしい死に方をする。
 そして、死体はそのまま。
 ただのモノとして転がっている。

 死体の海となった市街を、さらさちゃんが歌いながら歩く。
 心の壊れてしまった、空白な表情。
 パリが花の都だったときに、女の子たちで踊り、歌った歌を。
 そのさらさちゃんも、射殺される。
 一発の銃声で、彼女は崩れ落ちる。
 彼女の足下に転がっていた死体の一部に、なる。


 皆殺しの谷、本領発揮。

 …………発揮しすぎ。
 『ドン・カルロス』の公演たけなわ、ブログもソレ語りでみっちり、なんだけど、遠く年末から書きたくて書ききれずにいた『Samourai』の杏奈ちゃんの役についての感想。
 3月4日欄http://koala.diarynote.jp/201204151130138951/からの続き。

 杏奈ちゃんが演じるのはレティシア。
 コメディフランセーズの女優で、KYでうるさいバカ女。ヒモのジャン・ルイに貢いで追いかけ回す日常。
 だけどそのジャン・ルイは、パリを守るために戦死してしまった。

 あれほど盛大に泣き崩れていたレティシア、2幕では力強く復活していて、「ジャン・ルイの意志を継ぐ」って、自分が市民兵に参加する。他の女たちと一緒に。
 レティがいても、ぶっちゃけ役に立ちそうにないんだけど……(笑)。

 女子どもまでもが戦う戦争ほど、悲惨なものはない。
 勇ましく武器を取って集まって来た女たちだけど、彼女たちはみな虫けらみたいに皆殺しになる。
 その様があまりに痛々しく、この作品がヅカファンから敬遠される理由の一端になっていると思う……。

 レティシアも、もれなく殺される。
 なんのドラマも見せ場もなく、十把一絡げに皆殺し。その場にいた女たち全員、あっけなく。
 皆殺しの谷、本領発揮。

 もう誰が誰だとか、どんなキャラでどんなドラマが、とか、演出家自身わかってねーんじゃ?ってくらい、もう少し書きようがあるだろうに、ばっさばっさ殺していく。
 気を遣って売り出さなきゃならない新進スターの咲ちゃん演じるガスパールだって、姉のブランシェ@リサリサが戦死しているのに無反応だし。なにかしら反応させてあげた方が、物語的にも劇団的にもオイシイんじゃないの?
 谷せんせは基本、「英雄に女は不要」で、女にも恋愛にも興味がない。男が男の腕の中で死んでいくのはすごい鼻息で本腰入れて描くけど、女が死のうがどうしようが萌えにつながらない人だ。
 おかげで女たちはみんな犬死に。

 そんな扱いの女たち。
 全員まとめて一気に出てきて、一気に死にました。はい終了。
 そんななかで。
 杏奈ちゃんが、芝居をしていた。
 マイクは特に入ってないと思う。ライトも特別に当たっているわけでもない。
 ただのモブにしか過ぎない扱いだ。
 だけど彼女は、「レティシア」という役を、完遂した。

「ジャン・ルイ……」とつぶやいて、息絶えた。

 戦争がはじまってからは、レティシアもブランシェも固有名詞なんかなくなったみたいにモブ扱いなのに。役名「パリ市民(女)」ぐらいの扱いなのに。
 もちろん、ジャン・ルイの名前も出てないのに。
 もうそんな名前も、コメディフランセーズの女優役のことも、谷せんせも観客も忘れていそうなのに。

 それでも、彼女はレティシアだった。
 愛する男の意志を継いで銃を取った女だった。
 だから。
 息絶える最後の瞬間、呼ぶんだ。
 愛する男の名を。

 …………泣いた。

 最初から最後まで、アホっぽい女だった。KYというか浮き足立っているというか、現実味のない女だった。がちゃがちゃうるさいし、台詞棒読みだし。
 そのアホっぽさ、足りていなさが、リアルだった。
 歴史の陰に、本当にいそうだ。権力者たちがいいようにしている中、利用されて、なにもわからないまま無力に殺されていく一市民。
 そんなモブでしかない女だけど、彼女には人生があった。ドラマがあった。確実に。彼女自身のドラマが。

 権力者たちや、小説や映画になるような華々しい人々たちから見れば、名前もない「パリ市民(女)」だけど、彼女は精一杯生きた。
 自分で決めて自分で生きて、前へ向かいながら、力尽きて倒れた。
 すごい、人生だ。すごい、ドラマだ。

 泣かされたって。
 ルーシーちゃんなのに!!

 2回目に観たときは、さらにマイクに声が入ってなかったから、脚本にはない台詞なんじゃないかと思う。
 最後の「ジャン・ルイ……」の台詞。

 杏奈ちゃんは芝居はうまくない。ぶっちゃけ大根だ。
 だけど彼女は舞台人であり、タカラジェンヌだ。
 ファンタジーを作る人だ。

 『Samourai』では、花帆杏奈の作る「ファンタジー」に、泣かされた。
 新人公演『ドン・カルロス』、感想の続き。これでラスト。

 ルイ・ゴメス@まなはるに、まなはるの、まなはるらしさを見た。

 えー、ルイ・ゴメス・デ・シルバです。カルロス@翔くんの教育係のおじいちゃんです。
 じじい役でも姿勢すっきり美形おっさんが基本のこの舞台で、唯一腰の曲がったおじーちゃん役です。
 愛嬌のある、かわいいおじいちゃんです。
 この役を、まなはるくんがそりゃーもう楽しそうに、チャーミングに演じていました。

 ……まなはる……。
 前回の新公『仮面の男』で、あんだけ不自由な様子で舞台に立っていたのに。
 ドシリアス二枚目役だと自爆して、今回のような愉快なじじい役だと、生き生きしまくるのか。
 まなはるって、ほんとにまなはるだなあ……。胸熱。


 アルバ公爵@ザッキーが、美形。
 ヒゲ似合うってば。
 顔芸は相変わらず濃いんだけど、今回役が抑えた役なので、二枚目ぶりが際立つ。

 フアン@咲ちゃんは、余裕だなと。
 まっすぐな若者役って、咲ちゃん的には引き出しの中だけで余裕で演じられてしまう役じゃないか?
 あまりに易々しすぎていて、かえって目立たなかった印象。
 しかし咲ちゃん、きれいになったね。

 んで、カルロスの友人たちのメインどころにナニ気に混ざっている、フェルディナンド@真地くん。
 いやあ、美形だねー。
 同期の橘くんの方がいろいろうまいと思うんだが、美形度でいうと真地くんだなあ。
 うまいヘタを述べる以前かなあ、この役じゃあ。大してナニもしてないもんなあ。それでも、友人たちの中ではまだ、目立つ役。
 喋っても歌っても、椅子からずり落ちるほどヘタではなかったので、学年的に及第点か。
 本公演芝居でも、ショーでも、さりげなくいい位置にいるので、これから出てくるのかな。美形ってのは才能ですから。

 ハイメ@翼くんは、代役やってた本公演でかなり注目したあとなので、新公はあんまし見なかった……。

 んで、友人ズで目を引く美形がいると思ったら、まさかのりーしゃ。
 なんでまさかというと、なんつーんだ、本当なら新公卒業しているはずの91期がよりによって「若者役」をしているとは、思ってなくて(笑)。91期が出ているのは知っていても、「ソコ?!」とウケた。
 もちろんりーしゃは美形だし、貴族の若者でいいんだけど……他の役の子たちと比べ、学年が……。
 いや、豪華衣装を着るりーしゃは眼福だからいい(笑)。

 アレハンドロ@イリヤくん、声がいいときとそうでないときがある。いい方の声で安定してくれるといいなー。前回新公よりうまくなってる……けど、役的にしどころがないので、あまり印象に残らず。

 つか、やっぱ友人たちは一度に出てきてわさわさーっとやっているので、個別認識しにくいし、誰が誰だかわかんないなあ。
 衣装もおぼえにくい色なんだよねえ。だから、誰が誰の役をやっているか、いまいち理解せずに見てしまったわたし……。

 ヲヅキ-咲ちゃん、翔くん-イリヤくん、せしる-りーしゃ、まなはる-橘くん、咲ちゃん-真地くん、あすくん-桜路くん、レオくん-永久輝くん、かなとくん-翼くんか……。
 いやほんと、8人は多いよ!!
 単純に、見切れない、わけわかんない……。


 トレド大主教@央雅くんもかっこよかったー。おっさん芝居がどんどんうまくなるね。

 あ、ハウルはとってもハウルでした(笑)。

 意外に侍従@空波くんがうまかった。
 前回の新公でいいと思った記憶がなかったので、顔は見えなかったけれどしっかりした台詞回しに感心した。


 役というほど役はなく、モブのみなさんはとにかく大勢で登場するので、役割が被っている子も多かったんじゃないかと。
 ハンドダンスとか、わざわざ別のパートで新公バージョンの練習とか、大変だなと思う。
 それでもきらきらした笑顔で、全霊をあげてこなしちゃうんだから、タカラジェンヌってすばらしい。


 新公の演出の変化は、教会場面にカルロスの友人たちも登場、一緒になって机を叩いてた(笑)。
 本役たちでも見てみたいと思ったさ……ええ、ぶっちゃけ、ヲヅキさんが(笑)。あのかわいい振付を、真顔でしれっとやって欲しい……。

 それと、フェリペ二世の台詞が増えてた。
 何故? 別になくてもかまわないだろう、説明台詞。兆しと仄めかしの間を取り持つ解説が必要だと、新公担当演出家が判断したのか?


 ところでわたし、みみちゃんの男装見てません。
 つか、みみちゃんが出演していると思ってなかった。
 その思い込みか、目には映っていたのに、それがみみちゃんだと思わずスルー。くやし~~。

 反対に、あゆっちはどこにいてもわかる。
 同じよーにおばーちゃんやっていて、「おばーちゃんがふたりだー、かわいー」と思っても、あゆっちに目が釘付けになる。
 やっぱ華やかだよなあ、あゆっち。
 新人公演『ドン・カルロス』の感想、主役あたりの話。

 カルロス@翔くんをひとことで言うと、幼かった。

 若々しいのではなく、幼い。
 カルロスがいくつの設定なのか知らないが、カラダの年齢よりも精神年齢の低い青年に見えた。
 純粋培養のおぼっちゃまだから、世間知らずなんだろう。
 本公演のカルロスが痛々しくも「人間」であるのに対し、新公カルロスは「天使」に見えた。

 カルロスが傷ついているとしたら、それは幼いためであり、同時に、傷つかずにすんでいるのも幼いためだ。
 だからあまり、可哀想には見えなかった。彼が年相応の大人に成長すれば済むような問題に、つまずいているように見えたから。

 家族の関係、問題はとてもシンプルなものに見えた。
 フェリペ二世@ホタテはまともな大人で、ふつうの人だ。歪んでもないし、繊細すぎるわけでもない。話せばわかる人だし、話したいと思っている人だ。
 カルロスは幼く、話すきっかけや機会を得られないだけ。
 この親子はほんとーに、ただボタンがかけ違っているだけに思える。

 カルロスは父と和解することで、なにかしら成長したのだろうか。
 天使のまま、子どものままのよーな……。

 フェリペ二世が最後、カルロスに旅を許したのは、幼い息子に大人になる機会を与えようとしたのかもしれない。


 で、この天使の恋人、レオノール@あんりちゃん、だけど……。

 レオノールが聡明で快活な女の子なのは、脚本がそうだからってわけじゃ、ないんだなあ。
 同じ脚本・演出であるはずなのに、新公レオノールは聡明でも快活でもなかった。
 おとなしいというよりは……鈍重な女の子に見えた。
 心の動きが鈍いというか。
 こちらも、幼い、ということなのかなあ。子どもだから自我が固まっていないのか。

 このカルロスとレオノールを旅に出すのは、すごく心配(笑)。


 翔くんもあんりちゃんも、よーするにあまりうまくない人たちだ。
 学年相応? いや、抜擢されたのが同期の路線の子たちより遅い分、成長が遅いだけかもしれない。

 んで、同じように「あまりうまくない」ならば、熱量のある方が良く見えるんだな。

 翔くんのがむしゃら感、出来ないことをぶっ飛ばす勢いの「やる気っ!」ぷりは、彼の魅力を底上げしている(笑)。
 『灼熱の彼方』でもそうだったけど、彼があんまり高温で空回っているので、それに巻き込まれて「なんか、それなりに良かったかも?」と思わせてしまう、という。
 んで、その『灼熱の彼方』がものすごかったせいで、翔くんに関してはナニを見ても「うまくなった!」と思える(笑)。
 誰もが合言葉のように言う、「『灼熱の彼方』のときより、うまくなった(笑)」……語尾の(笑)付きで。「あのときは、どうしようかと思ったけど」とか、後ろに続くのも特徴(笑)。
 劇団は翔くんを短期間で鍛えようとしているみたいだし、その期待に応えていってほしい。

 翔くんと対照的なのが、あんりちゃん。
 実力的には似たよーなものかもしれないが、彼女はどうも温度が低い。クールなのではなく、いろんなところが「鈍い」。

 彼女の芝居は、スポンジの床にボールを投げたような感覚だ。
 床にボールを落とすと、ぽーんと跳ね返ってくるよね、ふつうは。確かめるまでもない常識としての思い込みがある。だから床に落ちたボールが跳ね返らず、そのままずぶずぶと床に沈んでいくと「あれっ?」となる。受け取るつもりでいた手が空振りして、おっとと、となる。
 なんで跳ね返らず、沈み込むんだろう? 帰ってこないボールを待って、首を傾げる。

 沈み込むまで行かなくても、通常の高さ、このボールをこの高さから落としたら、ここまで跳ね返ってくるだろう、というところまで、跳ねてくれない。
 だからやっぱり、あれれ?となる。

 内側にあるモノを、出すことが苦手なんだろうか。しかし、役者なわけだから、出して、表現してもらわないと、困るんだがなあ。
 本公演でモブをやっているときとか、ショーで生き生き踊っているときに、その鈍さは感じない。つか、いろいろぱぁーっと表現してくれてるじゃん。
 なのになんで、大きな役が付くと鈍くなっちゃうんだ? 内側にこもっちゃうんだ?
 「喋る」ことが苦手なのかなあ? 歌も苦手っぽいけど、「声に出して表現する」ことに苦手意識でもあるのかなあ?
 本公演を観る限り、レオノールはけなげでかわいい、いい役だ。若さや幼さを武器に演じることもできる、若手向きの役だ。その役の良さを表現できないのは、もったいない。
 娘役らしいかわいらしい容姿を持っているんだ、実力面でも是非容姿に追いついてくれ~~。 


 設定年齢より子どもっぽかった主人公たちと対照的に、大人びていたのはイサベル@桃ちゃん。
 カルロスとひとつ違い、という設定だけど、余裕で「カルロスの父の妻」に見える。
 気品あふれる美しさで、安定した芝居。「王妃」であること、「フランス王家から嫁いできた姫君」ってのが、納得できる。

 ただ、とても聡明な女性に見えて、お子ちゃまのカルロスに恋愛相談(違)するのは、違和感……。OLのおねーさんが、チェリーな高校生男子に相談することぢゃないよ的な。

 最初から最後までかっこいい系の女性で、異端審問で異議を唱える姿がすげーかっこよかった。
 フェリペ二世、ちゃんと彼女をかまってやれよ……いい女じゃん……。

 本役のイサベルは、なんつーかこう、優柔不断でうだうだしてばかりで、見ていて「イラッとする」感じがあるので、旦那に置き去りにされていても仕方ない的なところがある。(そして、そんなイサベルが劇的に変わることで、クライマックスが盛り上がるわけだ)
 桃ちゃんイサベルは、脚本上にあるイサベル像とは違うかもしれないけど、「王妃」という点ではとても説得力があった。
 あとは、カルロスやフェリペ二世に合うキャラクタかどうか、だよなあ。いやその、カルロスが幼すぎるのは本来のキャラのあるべき姿ゆえではなく、役者の力不足から来ているわけだから、他人がそれに合わせるのは難しいかもしんないけどなー。


 フアナ@さらちゃんは……かわいいなー、やわらかいなー。
 ふわふわのお姫様がそのまま大人になった感じ? 臣下たちに傅かれて登場しても、「威厳」というよりは、「慈愛」を感じた。
 カルロスの「母」なんだろうなあ。
 このやさしい女性のもとで、あのおぼっちゃまは育ったわけだ、と。
 あえて少女っぽい役作りにしたのか、結果的にそうなってしまったのか。


 女の子の役はこんなものか。ヒロイン含めて4人も大きな役があるのは、良いことだよね。……って、問題は、それ以外にまったく役がないという極端さか。
 女官や公女は十把一絡げ、芝居がうまいも悪いも判別つかないよー。

 あ、「心から心へ」の冒頭アカペラソロ、ありちゃんうまかった。
 かなとくん、間に合ってよかったー。

 新人公演『ドン・カルロス』、休演していたかなとくんも無事出演。

 てことで、異端審問長官が、美形で驚いた(笑)。

 あの役、美形でやってもいいのか……。
 アルバイトの関係で、白塗りできないのは予想が付いていたけれど、ふつーに麗しいおにーちゃんが登場したので、ツボりました(笑)。
 また、歌うまいし。
 押し出しいいし。

 新公のかなとくんを、ちゃんと見られて良かった。


 で。
 あすくんの、歌。

 なんかあすくんって、歌う機会を与えられるたび、確実にうまくなっている気がする。
 ティツィアーノは仮面舞踏会にしか見せ場がなく、そこで歌がどーんとあるのはいいが、それだけっつーのがちと残念。お芝居もできるのになー。台詞声もいいのになー。
 ティツィアーノ役はヒゲもがんばり(唇の下~~・笑)、美形なおじさんでした。や、老人役だけど、本役さんからして老人には作っていない(老人キャラはルイ・ゴメスのみ)ので、色男キャラで正しいのだと思う。
 余裕でうまいよなー。

 あすくんは顔がらんとむさんだけど、わたしの中で芸風がだいもんのイメージ。若いうちから堅実にうまくて小芝居上等、アピールキメキメ、歌ウマの優等生。小柄で美形。
 だいもんも、歌の機会を得るたびに「あ、またうまくなってる」と感心させられる子だったなあ、と。

 通し役をきちっと演じるあすくんを見たかった。
 今の役が悪いわけではなく(異端審問でも役として演技してるし!)、あちこちアルバイト姿は愛でましたが。
 単にわたしが、もっとあすくんを見たかった、声を聞きたかった、という。


 ポーザ侯爵@レオくんもまた、1公演ずつ確実にうまくなってる。
 どこにいても目に付く、タカラヅカ的な派手な顔立ちとダンスを武器に、ギラギラやってきた、という印象の彼。
 見るたびに「あ、またうまくなってる」と思わせてくれるのは、見ていて気持ちいい。

 てゆーか、辛抱役は、はじめてだよね?

 レオくんって、いつもぷわーーっと発散する爆発系の役ばっかやってきたような?
 前回の『仮面の男』新公では銀橋ソロまで付いたサンマール。
 『灼熱の彼方』ではなんか高温で空回っている暗殺団のリーダー。
 『黒い瞳』ではトリオのひとりとして縦横無尽、『ロック・オン!』ではラテンでソロもらってはじけてたり。
 『ロミジュリ』新公ではトートまんまな死で、たのしそーにやってたし。

 持ち前の美貌と華だけでやっちゃってOK!な役ばっかやってきたような。芝居うまくなくても、勢いで底上げされます的な。

 今回ははじめての辛抱役。……というか、ガチで演技力が必要な役。
 ちぎくんって芝居の人というか、演出家から難しい芝居を要求される人なんだよなああ。
 だから彼の役をやるのは大変なはず。

 えーと。

 ポーザ侯爵が、悪役でした(笑)。

 レオくん、苦悩が行きすぎて、たくらんでる人だ……(笑)。

 エボリ公女@夢華さんもまたたくらみ系な人だっつーこともあり、ふたりの場面がとても悪役風味(笑)。

 いや、美形悪役上等!ですが。

 芝居も歌も進歩しているレオくんの、最大の課題は「声」だと思う。
 まだ女の子のまんま、つーのがなあ。
 顔や姿はあんなに「男役」として出来上がっているだけに、声が惜しすぎる。

 あー、とりあえず、レオくんの主演も見てみたいっす。
 機会与えると伸びるタイプみたいだし、次あたり重責与えてみてくんないかなー、劇団様。


 話が出たので、エボリ公女@夢華さん。
 貫禄十分、あやうさはない。
 経験値からいって、新公に出なくてもいいくらいだもんな、彼女は。

 そして、経験値の割に、芝居はうまくない。
 新公としては、すごくうまいけど。

 脚本に書いてあるまんまを演じるのはうまい。しかし、それ以上を表現するのは苦手なまま。
 だからエボリ公女は台詞と手紙を破る一連の場面も、表面的な部分では間違いなく演じているんだけど、「その奥にあるモノ」が見えてこない。
 この女性のドラマを見たい、と感じさせるナニか。

 芝居をうまくない、と思わせるもうひとつの理由は、今回もまた、いきなり台詞のタイミングを間違えていたこと。
 『ロミジュリ』のとき、彼女が何度も台詞のタイミングを間違えていて「そこでその台詞を言うと、ジュリエットのキャラが変わってしまう」と思っていたことを、思い出した。
 芝居の流れを、その役を理解していたら、そこでその台詞は言わないだろう、ってところで、焦って台詞を言ってしまう。

 冒頭の淑女たちとの場面で、若い乙女たちを微笑ましく、しかし貫禄十分に統べるエボリ公女……なのに、淑女の話をまともに聞かず、自分の言いたいことを喋り出した。
 淑女の話をちゃんと聞いた上で、自分が話を進めて場を支配するのが、ここのエボリ公女じゃないの?
 カルロス王子はちょっと変わり者♪の歌のあと、「いつもおひとりでどこかへ」と淑女が言ったあとで、エボリ公女の台詞になるんだが、歌が終わるなりエボリ公女が喋り出してしまった。
 おかげで、淑女と声がかぶった。
 ……聞いてやろうよ、エボリ公女。若い娘さんたちの話を聞く場面だろうに。

 台詞のいっぱいあるエボリ公女と違い、その淑女を演じた研2娘役ちゃんはたったひとつの台詞だったかもしれないのになあ。人生初台詞だったりしたら、さらに気の毒だが、そのへんはどうだったんだろう。

 新公なら、表面が破綻なく演じられていれば、それで及第点。
 ただ、大劇場でトップスターと同じ扱いを受けた、劇団史に残る100年に一度の逸材という触れ込みの大スターとして考えると、足りないなあと。
 ほんとになんで劇団は、あんなわけわかんないことをしたんだろうなあ。ふつーに、学年相応なら「うまいね」で済むのに。

 レオくんもまだ、脚本にあるものを演じるのでいっぱいいっぱい。
 それで、ポーザ侯爵とエボリ公女の場面は、ふたりそろって悪だくみ風味。
 夢華さんがレオくんと同じレベルでは、経験値的にまずい気がした。


 フェリペ二世@ホタテくんは、安定のうまさ。
 翔くんのパパ役、2回目だねー(笑)。
 ストレートな王様で、本役さんの複雑さというか、ややこしさ神経質さはない。
 カルロス@翔くんとの持ち味に、この骨太まっすぐな王様が、合っているんだと思う。
 本公演のカルロスとフェリペ二世が親子だってのがあちこちで納得できるように、新公のカルロスとフェリペ二世も、親子だってのがよくわかった。

 このフェリペ二世はちゃんと語る言葉を持った人だ。朴訥で男性的な不器用さがある。
 ちょっとしたズレで、息子と対話が出来なくなっている。
 カルロスもまた、父と語ることの出来る子だ。たまたま、すれ違っちゃってるだけで。

 新公の親子関係は、とてもシンプルなものになっている気がした。
 ……それでいいんだろう。1時間半で終わる話なんだし、変にややこしくしなくても。……本公演のややこしさはなんだっつーんだ、いや、大好きだけど(笑)。

 てことで、次はカルロスの話。

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