『Bow Singing Workshop~雪~』初日。
 席に着いてまず最初の衝撃。

 2幕ラストがレオ様だ!!

 座席にプログラムが置いてあるの。はじまる前にそれをチェックできるから、最初の衝撃は開演前。

 宙組、星組と、1幕ラストソングが香盤2番目の人、2幕のソロ曲ラストが公演長の人、になっていた。
 いくら前2組がそうなっていても、わたしはそれを「法則」だとは思わない。
 だって雪組の香盤2番目は、翼くんだもん。われらが天月翼が、1幕ラストに熱唱して緞帳が下りる、なんてトップスター仕様の役目を振られるわけがない。

 1幕ラストソングは路線スター様の役目。すなわち、ひとこ。これはもう、疑う余地もない。
 問題は2幕のソロ曲ラストだな。ここはトップバッターの宙組さんからして歌うまくない人がやっていたし、星組さんもまた明らかに歌苦手な人がやっていたので、公演長の「ごくろうさま、がんばってくれた人に活躍の場を」枠なのかもしれない……と、うすうす思ってはいた。
 いたけど、だからといってレオ様がやるのかなあ? だって、美月くんはうまくないけど一応うまいっぽい雰囲気はある人だったし、まおくんは音痴だけど主演経験とスター力があったし。
 レオ様は音痴で悪声、かつ新公主演すらしてない人だよ?
 それでもレオ様がやるんだろうか??

 そう思っていたので。
 実際にレオ様が「公演の大トリ」役だと知り、驚愕する。

 マジかー。
 すげーなー。

 いや、レオ様も5年前なら「新進スター」として売り込まれていた。研4で新公2番手やったり、研5で本公演にはない銀橋ソロを新公オリジナル演出で披露したり、なんかすごかった。オスカル役だってやったし、劇団的が推していたスターのひとりだったと思う。
 でもあまりに、実力が伴わなかった。
 音痴だけならともかく、悪声でな……。声のコントロールが出来ないと芝居も壊滅するしな……。
 今の「歌唱力重視」時代になる前の「路線スターとは音痴がなるモノ」時代ですら、実力のなさが目立ちまくっていた。や、美貌とダンスの実力は十分にあったけど、新公は芝居と歌が必要だからね……。

 明らかなトップ路線推しはなくなっても、やっぱりレオ様はスター枠で、歌ウマ同期のあすくんがモブで、歌へたレオ様がソロを歌う、なんてのはタカラヅカがタカラヅカである以上当たり前にある図だったが。
 翔くんにしろ大ちゃんにしろ、「スターは歌唱力不問」。無名の歌ウマさんがモブでマイクすら付けてもらえなくても、スターさんは音痴であってもソロ歌を披露する。
 歌唱力重視傾向の昨今、「今後発掘されるスター」は最低限の歌唱力を求められているけれど、それ以前に「スター」枠に入っていた人は関係ない。

 とまあ、雪ファンならレオ様が(トップ路線でないにしろ)スターだってことを知っているし、ソロ歌だって何度も見聞きしているし、実力のほどもわかっているけど、それにしたって「歌バウ」の大トリって……。い、いいのか……?

 とまあ、こんな考えでおりました。
 でもって、そう言いながら、レオ様大トリでかまわないけどな。だって好きだから!! てのが正直なところだったんだけどな(笑)。

 レオ様が長だからって、がんばって初日チケ取ったんだし!
 レオ様大トリ、ブラボー!! どんだけへろへろソングになったって、わたしは勝手に感動して、勝手に楽しむわよ!!
 てな。


 えーと。
 出演者順に感想書いていこうかと思ってたんだけど、ここまで書いたらもう、先にレオ様だな。

 結論を書こう。

 レオ様、歌うまくなってた!!

 え、なんで?
 ふつうに歌えてる。ふつうにうまい。
 そりゃ歌ウマ枠ではないにしろ、タカラヅカスターで、男役で、このビジュアルでこんだけ歌えるならなんの問題もない。

 えええ??

 煌羽レオ=歌ヘタ、だったよね?
 久城あす=歌ウマ、と同じく、常識的な感じで。

 うまくなるもんなんだ!!

 レオ様の歌を聴きながら、わたしはもう、混乱しまくりでした。
 この美貌で、これぐらいタカラヅカらしいパフォーマンスが出来て、これだけの歌を歌える。
 って、素晴らしいスターじゃん。

 『ドン・ジュアン』でも押し出しと美貌で、「あの人は研いくつですか? 路線スターではないのですか??」と、ライト層が「こんなスターがいたの?」と刮目した印象を受けたけど。
 スポットライトを浴びて、燦然と輝く姿にびびる。いやそのだって、ずっとヘタ過ぎてもごもご。
 『BJ』とか、声を出すなり二度見する勢いでクラッシャーだったのに……!

 ああ、レオ様。
 惚れ直しました。

 大昔から語ってますが、ほんとわたし、レオ様の顔が好きで。
 好きで好きで。
 黙って踊っている姿が大好きで。
 ……声と歌と芝居のアレさにはもう、肩を落としっぱなしというか、もういいよ気にしないよ、と意識の外に追い出すくらいには、「欠点があっても好き」ポジションにいたスターさんです。

 その人が、あきらめていた歌を克服して、再度我が前に降臨したわけですよ。
 惚れますって。

 なんかもうね、見ながらね、なんで新公のときにコレが出来なかったんだ!!と、歯がみしましたね。

 や、あきらめてたのよ。先天的にもう歌は、声を使うモノはダメなんだろう、って。だから、研4で2番手やったのに、その後も路線役だったのに、学年が上がるにつれ扱いが落ちていく様を見ながら、それを受け入れてきたのね。仕方ないよ、あんだけ歌えないんじゃあ、って。
 あきらめる必要なかったのか!! まだ、成長途中だったんだ!

 わーん、レオ様~~!

 レオ様は抜擢が早すぎたんだな。今にして思えば。
 男役としてのビジュアルが早くに出来上がっていたから、早期抜擢され、露出が上がった。
 しかし、そのビジュアルに見合うだけの実力がなかった。抜擢されて大役をやるたびに、実力のなさが晒されて、いくら美貌があってもこれ以上のポジションは無理かなと思わざるを得なくなる。
 もしもレオ様がずっと脇のままで、研7の最後の公演で新公主演していたら、「それなりにうまいスター」認識だったかも。
 レオ様が壊滅的だったのはもっと前で、研7になるころにはそれほどヘタではなく……学年相応の実力があり、なにより美貌だけはずっと人一倍あるわけだから、十分評価されるスターとしてデビュー出来たと思う。
 そして今、こんだけ美しくて、歌も歌えるようになってるんだから……あああ、劇団の早期抜擢は諸刃の剣だよなあああ。

 や、路線スターでなくてもレオ様好きだけど。ただ、めぐり合わせというものについて、感慨深く考えてしまう。
 それくらい、歌バウのレオ様は衝撃だった。
 『Bow Singing Workshop~星~』は千秋楽も観ました。

 いやあ……まおくんのぐだぐだぶりが、素晴らしかった(笑)。

 公演終了後のご挨拶が長い長い。
 えー、公演の長ではあるけど、主演ナシで全員横並びという建前の公演で、ひとりでがんがん喋る。
 千秋楽だからいいのか……と思っていたら、そんだけひとりで喋ったあとに、「では、全員ひとことずつ挨拶を」と言い出して、客席で「え?」と思った。
 全員挨拶がある……場合の前振りだと、ふつうあそこまで長々喋らない……よね? 大劇場本公演含め、どの公演でも。
 まおくんがずいぶん時間取っちゃってたけど、これから全員とはいえ、まあ、ひとことずつならいいのか……と、思ったら!

 ひとことじゃないんだこれが!!(笑)

 全員、喋る喋る。
 ふつうこういう「全員ひとことずつ」って、「しあわせです」とか「感謝の気持ちでいっぱいです」とか、ほんとひとこと言って終わるモノなのに。
 全員が、ひとりずつ、「こんなことがあって、こう思って……」と語り出した!!

 ……すまん。
 ツボ入った……(笑)。

 次の子も、次の子も、みんなみんな自分語りはじめちゃって、客席で笑いこらえるの必死だった。
 空気読もうよ、上演時間大幅オーバーしてるよ。今まで舞台立ったことなかったの? 他の人がやってるのを観たことナイの? 「全員ひとことずつ」ってそうじゃないだろ、自分語りの場じゃないだろ?
 なのにもう、誰も止めないの。止まらないの。
 一種の興奮状態になっちゃってて、あきらかにおかしいんだけど、みんな大真面目なの。

 ああ、もお……愛しいな!!

 真面目で一生懸命で、手順も約束事もみんなわけわかんなくなっちゃって、自分の感動しか見えなくなっちゃってる。
 プロとしてはどうかと思うけれど、ここはタカラヅカだから、そういう姿をそのまま見せちゃうことも、アリなんだと思う。
 その証拠に、劇場内が、とてもやさしい。
 泣きそうな出演者たちと一緒になって、泣き笑いしながら拍手してる。

 でもって、思ったよりかなり時間かかって、ようやく全員の挨拶が終わった。
 ……のに、今度はまたまおくんが喋りまくる。止まらない。
 文脈もなにもめちゃくちゃな、気持ちばっかり焦ってナニ言ってんだかなことをえんえん喋っている(笑)。

 えーと、いいのかこれ。おもしろいからいいのか。
 そう思っていたら。

 よくなかったらしい。

 まおくんのエンドレス喋りの、言葉の切れ間に、強引に緞帳が降ろされた。

 や、喋ってる途中だってば!!

 現にまおくん、緞帳が降りて来てるの、気づいてない!! まだ喋ってる!!

 緞帳が目の高さまで降りて来てはじめてまおくん「はっ」て顔した。
 で、あわててお辞儀した。

 んでもってさらに、緞帳降りきるかどうかのタイミングで、容赦なく客電が付き、終了アナウンスが流れた!!

 劇団からの叫びが聞こえた。
 「時間オーバーし過ぎてんだよ、さっさと帰れ!!」

 …………星組ファン、すごいです。
 いつも思うことなんだけど、このまとまりの良さはなんなんだ。

 星組公演の拍手の熱さは、他とはチガウ、と常々思っている。
 音量も熱量も半端ナイ。
 そして、カーテンコールに懸ける意気込みも、他組の比ではない、と思っている。
 類を見ない音量と熱さの拍手で幕が再び上がるまで粘り続けるのが星組ファンじゃないですか。他の組なら「〇回カテコあったからもういいよな」というその回数をさらに超えてくるっていうか。
 そのアツいアツい星組ファンがですよ?

 緞帳降りる→客電点く→帰れアナウンス流れる、のコンボに対し、ぴたりと拍手をやめた。

 やめるんだ……!!

 震撼した!

 星組だから、それでもカテコしようとするのかと思ったのに。
 えーと、このままじゃ、カテコ回数星組史上最低記録になっちゃうよ?(笑) 幕降ろすことなく、えんえん喋り続けてたから。

 回数を競うのではなく、ほんとに劇団の意図をくんでやめたんだ。
 誰が音頭を取るでなく、自発的に。

 すげえええ。
 星組さん、かっけーー!


 や、まおくんがトランス状態で止まらなくなっていたのは、客席からでもわかったしねえ。
 まだ喋り続けようとするまおくんを無視して降りてくる緞帳、目の前まで来て「はっ」と気づくまおくん……に、観客、容赦なく爆笑するし。

 客電とアナウンスで追い出しされることにも、みんなウケてるし。

 みんなみんな、「わかって」いるんだねえ。

 なんかもー、ものすげーモノを観たわあ。体験したわあ。
 舞台って、タカラヅカって、面白いなああ。

 しっかし、この幕引き、余韻もナニもないわ。
 ヅカヲタ長いけど、こんなのはじめて(笑)。

 あー、面白かったっ。
 まおくん、かわいいーー!!
 ところでわたし、歌バウでこそヅカソングを歌って欲しいと思ってます。

 歌バウ以外ではまずあり得ない、「ステージでたったひとり、1曲まるまる歌う」という機会を得て、なにを歌うか。どんな曲を選ぶか。

 歌バウは基本、本人の選曲だと思ってます。
 演出家や音楽監督その他スタッフとも相談するだろうし、指示を受けたりもするだろうけれど、基本本人の意志。
 演出家が全員の曲を完全に決めて一方的に歌わせているのではナイと思います。……だとしたら、あれだけまとまりのない、おかしなコンサートにはならないはず。テレビのカラオケ番組かってぐらい、テーマもジャンルも余韻もナニもない、選曲めちゃくちゃだもん。
 生徒自身の希望が1ミリたりとも入っていない曲はない、と思っています。

 だから、2曲の持ち歌になにをチョイスするかに好感や落胆を抱く。

 いちばんわくわくして好感度アップするのが、ヅカソングばかりを歌う人。
 だってここは「タカラヅカ」だもん。

 ヅカソングを歌えるのは、現役タカラジェンヌである今だけ。
 100年の歴史のなかで燦然と輝く名曲の数々、マイナーでも美しい曲、思い入れの1曲などを、選んで披露してくれるとうれしくなる。
 ああ、タカラヅカが好きなんだねえ。わたしも大好きよ。わたしが好きなモノを好きでいてくれる人は好きになっちゃうわ。

 ただ、ヅカソングは1曲が短かったり、単調だったり時代遅れだったり、「歌曲」としてのレベルはあまり高くないモノも多い。
 もっと難曲を歌いたい、挑戦したい、とオペラだったり海外ミュージカル曲だったりを選ぶ気持ちもわかる。
 せっかくの歌バウ、あえて高みへ挑む、身の丈より上を目指す、という意味で、ヅカソングだけでなく外部曲もチョイスする……のも、アリだと思う。
 ただし、1曲はヅカソングで。だってここはタカラヅカ、外部曲をどんだけ高品質に歌い切っても「技術披露」にはなっても、「タカラジェンヌとしての本領発揮」とイコールではない。
 1曲は純粋に技術を磨くため、ヅカにナイものを歌う。
 1曲は「タカラヅカ・スター」として、「タカラヅカ」でしかないものを歌う。
 というのは、とてもバランスがいいと思う。

 がっかりするのが、2曲とも外部曲。
 えーと、その曲、「今」歌わなきゃダメっすか……?
 現役タカラジェンヌである今?
 ぶっちゃけ、卒業してからも歌えるよね? タカラジェンヌじゃない、他ジャンルの芸能人でも歌えるよね?
 ひょっとしてもう卒業したいのかな? タカラヅカ以外で歌唱力を活かしたいっていう意思表示かな?

 でもって、いちばん残念なのが、すべて外部曲で、さらにそれが日本語以外だった場合。
 タカラヅカは日本語で上演される舞台なので、それ以外の言語でどんだけ完璧に歌われても、「日本語で表現する」タカラヅカの前提を気にせずにいる感じがして、前述の「卒業してから歌えばいいじゃん?」という疑問と重なって、とても残念。
 歌バウは「技術披露」の場である前に、「タカラヅカの公演」なんだけどなあ。「タカラヅカ」でないものを見せられてもなあ。
 や、タカラジェンヌがやる以上、なんだって「タカラヅカ」だけど……そういうことではなく、せっかくの機会に何故「タカラヅカでしかできないこと」をやらないのか疑問。


 ということで、『Bow Singing Workshop~星~』の歌ウマ娘役さんふたりが、外部の英語曲ばかり歌う姿に肩を落としました。

 や、うまいよ? カトリさんもりらちゃんも、すっげーうまい。
 りらちゃんとか、曲に合わせてキャラまで変えて、芸達者でキュートでたまらんさ。
 しかし。
 巧さに感心することと、選曲にがっかりする気持ちは同時に存在する。

 歌ウマなのはわかったから、それは知ってるから、「タカラヅカとして」どううまいのかを見せて欲しかった。
 わたしが欲しているのは、「ヅカ以外でも通用する歌唱力」ではなく、「タカラヅカで観客を魅了する力」なんだ。

 まあなあ、娘役さんはしょうがないところがあるんだよなあ。
 ヅカは男役中心だから、娘役さんのソロ曲で「ある程度の尺のある高度なテクニックも必要な名曲」って、そんなにナイよね……?
 娘役のソロは短く終わるし、見せ場は男役のモノだし。
 歌ウマ娘役さんが技術発揮したい場合、外部曲になっちゃうのは仕方ない。
 それでも1曲はヅカ曲を選ぶとか、せめてタカラヅカと同じ日本語で歌うとか、してほしかったなあ。
 「ヅカでなくてもいいじゃん」ばかり続けられると、タカラヅカ大好き人間としては、寂しいっす。

 そうか、歌ウマさんにとってタカラヅカは、そんなに魅力のない劇団なのか……。しょぼん。

 楽しみだった歌ウマお嬢さんたちの選曲が残念だった分。

 みねりちゃんの「2曲ともヅカソングです!!」が好感度うなぎ上り(笑)。
 しかも2幕の「白い花がほほえむ」はこれぞタカラヅカの娘役です! という正統派っぷり。
 そうそう、そうなのよ、これがタカラヅカなのよ! 古いけど時代錯誤だけど、良くも悪くもこれが「タカラヅカ」。
 こういう古典的タカラヅカを体現してくれる女の子はいいなあ。
 可憐でちょっと大仰で(笑)、実に気持ちよかった。
 『Bow Singing Workshop~星~』について、よもやま話。


 1幕ラストがひろ香くんの『エル・アルコン-鷹-』主題歌。
 宙組が、ずんちゃんの歌唱で幕を閉じた「路線スターの役目」を、星組ではひろ香くんがやるのか。
 もちろんひろ香くんはめっちゃうまくて、選曲も良くて、ヅカファンならば星組ファンならば、もれなくテンション上がりまくる。
 ひろ香くんは2幕もトウコちゃんの「星を継ぐ者」だし。トウコファンとしては胸熱です。いい声、いい音色。曲に必要なパワーも備えた歌声。これからももっともっと、この歌声を聴かせてほしいと、切に思う。

 ただ、この役目を路線スターがやらない……この役目が「出来る」路線スターがいない、ことが、星組の今後の課題なんだろうな。
 『エンカレッジ・コンサート』でもそうだったけど、やっぱ1幕ラストソングは「新公主演済みスター」がそのスター力でもって幕を下ろすべきだと思うの。

 歌を1曲まるまるひとりで……舞台上に本当にひとりきりで、歌える機会自体、ごく一部のスター以外は一生経験出来ない……から、若手歌バウは貴重であり、しかも、1曲まるまる熱唱してその歌声で幕が下りて割れんばかりの拍手に包まれるとか、トップスターでも滅多に経験出来ない演出。や、ふつーのタカラヅカ公演はフィナーレあるから、歌で緞帳降りないから。せいぜいカーテンが降りて次の場面になるだけだから。
 その、「トップスター仕様の特別演出」は、未来のために路線スターに経験させるべきだと思う。そのために、歌バウはあるんだと思う。

 たぶん、次の雪組ではひとこがやるだろうし、花組ではどんなに歌が苦手でもカレーくんがやるだろう。
 「トップスター路線」として育てたい子に、させるはずだ。

 なのに星組だけ「明確なトップスター路線」の若手スターがいない。
 95期のことちゃんが、予定外に早く育ってしまったせいもあるのだろうが、「次代の」スターを決めあぐねている感じ?

 雪の歌バウと違って、星バウはちゃんと新公主演済みスターが複数いて、さらにバウ主演スターまで出演しているのに。
 そう、新公までならともかく、バウ主演まで出来る人ってかなり期待されたスターだったはずなのに。

 まおくんはほんとに、はしごを外されてしまったんだなあ。
 歌バウのプログラムを見て、実感した。
 新公初主演後の囲み取材がスポーツ新聞に載るくらい、特別な人だったのに。(ふつー、新公主演程度で新聞には載りません。最近はトップスターでもなかなか載りません。せいぜい新聞社のネット記事になるだけ)
 そのインタビューで、「将来トップが約束されているんだな」と読めるくらいのことを答えていた記憶がある。ここまで大言しちゃっていいのか、とはらはらするくらい。
 まおくんではなく、彼のおじいさんの名前が本人の写真よりも大きく誌面を飾り、まおくんは「~~の孫」という扱いでしかなったにしろ。
 偉大な祖父を持つ若者が成功し、大言壮語する様は読者のニーズに合致したのだろう。

 時代は変わったのだと、改めて突きつけられた。
 100周年より前なら、まおくんはトップ路線まっしぐらだったのだろう。
 そして、歌バウでも1幕ラストに熱唱し、幕を下ろしていたんだろう。
 でも今は、最低限の実力、技術のない人は路線スターにはなれなくなった。特に歌唱力のない人は厳しい評価をされるようになった。

 まおくんが押されまくっていた時代を知っているだけに、なんだかすごく不思議で……そして、これだけわかりやすく「方針変更」する劇団のシビアさに震撼する。
 や、社会ってそういうものだけど。その集まりのトップが変われば、あるいは考え方が変われば、白かったモノも黒になる。

 そして。
 「路線スターは歌唱力不問」だったときと、「歌劇団全体で歌唱力重視」になった今と、扱いが見事に変わり、下級生にポジションを抜かれ……それでも、変わらず「らしさ」を貫いているまおくんにファンタジーを感じる。
 扱いとかポジションとか、そんな外側のことは関係ない、まおくんはまおくんなのだと。

 まおくんの選曲は、『王家に捧ぐ歌』の「エジプトは領地を広げている」と、『オーシャンズ11』の「JACKPOT」。
 ワタさんの曲は、まおくん向きだ。
 なんというか、「星組スターの曲っ!!」って感じなとこが。
 技術ではなく、スター力で歌う。
 おおらかで力強くて、まおくんの魅力を存分に発揮出来ていた。
 『オーシャンズ11』は勢いと雰囲気で歌い切った感じ。
 どちらにせよ、うまくはない。
 まおくん比で良くはなっているけど、うまいわけじゃない。

 だけどほんと、スター力はあるんだよ……。

 このスターらしい持ち味の人がトップスターになれない時代になったんだな……。

 まおくんがトップになるかどうか、なったとして成功するかどうかではなく。
 現在のタカラヅカのスタンスを目の当たりにして、感慨深かった。

 わたしは最低限の技術・実力は欲しい人なので、スターには実力が必要だということに劇団が気づいてくれたことを喜ばしく思っている人間だ。
 でもその実力重視だって、やっぱ判断基準は難しいよな。
 スターには容姿と華が必須なのだし。
 「スターには最低限〇〇が必要」で、その「最低限」の値をどこにするのか。美貌でも華でも歌唱力でもダンス力でも、なんでもいい、それを計るのは誰。

 難しい。


 ともあれ、まおくんは経験値とスター力で歌い切った。
 ああ、タカラヅカだ。ああ、スターだ。
 そう思える姿だった。
 雪組公演メモ。

2016/07/07 ポスター画像UP
2016/07/19 制作発表会
2016/07/21 公式に制作発表会の記事が出る

 でもって謎なのが、
2016.07.22 雪組 宝塚大劇場/東京宝塚劇場公演『私立探偵ケイレブ・ハント』一部の配役決定
主な配役
ケイレブ・ハント早霧 せいな
イヴォンヌ咲妃 みゆ
ジム・クリード望海 風斗
※その他の配役、新人公演配役は、決定次第ご案内致します。

2016/07/23雪組 宝塚大劇場/東京宝塚劇場公演『私立探偵ケイレブ・ハント』一部の配役決定
主な配役
ケイレブ・ハント早霧 せいな
イヴォンヌ咲妃 みゆ
ジム・クリード望海 風斗
カズノ・ハマー彩風 咲奈
※その他の配役、新人公演配役は、決定次第ご案内致します。

 と、2日に亘って「主な配役」を発表したこと。

 「主な配役」はポスター掲載者の場合が多いから咲ちゃんまでが入っていてもおかしくない。
 おかしいのは、最初の発表ではちぎみゆだいもんの3人だけで、わざわざ翌日になってから咲ちゃんを付け加えたこと。
 「制作発表会に出たのがちぎみゆだいもんの3人だから、最初は3人だけ発表したんです」ということかな、と思ったけど、その言い分が通るのは制作発表会の記事と同日に主な配役も出した場合よねえ。
 配役出したのは制作発表会の記事の翌日なんだから、ふつーにポスターメンバー全員の役名発表すれば済むことなのに。
 変なの。

 どーでもいいことだけど、とりあえずメモしておく。
 てゆーか、7月19日に制作発表会やってニュースサイトには記事が出ているんだから、公式もその日のうちに全部1回で発表しておけば済んだ、ってことだよなー。
 公式がいちばん情報遅い、的な?


 ……制作発表会でのだいもんさんの蝶ネクタイ姿にショックを受けてます……に、似合わなねええぇ……(笑)。
 宙組『エリザベート』初日を観劇し、長年の疑問に答えを得た。

 初演から20年間ずっと思っていた。
 どうしてトートが黒髪ではないのか。
 日本人が「死神」に持つ一般的なイメージは「黒」、したがって髪色も黒だろう。
 マンガやアニメでも死神は黒髪だし。耽美でダークな美形キャラは黒髪だし。
 なのにヅカのトートは銀髪基本。色を使っても基本変わらず、そのバリエーションにすぎない。

 今回の宙組で、20年目にして初の黒髪トートが誕生した。
 これが観たかったんだ!と喜び勇んで観劇し。

 どうしてトートが黒髪ではないのか、の答えを目の当たりにした。

 『エリザベート』の舞台で黒髪だと、背景に溶けて見えなくなる。

 巨大なデコレーションケーキがくるくる回るよーな、植爺『ベルばら』とはチガウから。
 『エリザ』の舞台って、暗い。
 基本、背景が黒っぽい。
 そして、トートの衣装は黒基調。いろんな色を着てはいるけど、どれも色調が暗く、落ち着いたものだ。蛍光ピンクとかイエローとか、全身純白とか、ヅカでよくある色は着ない。

 暗い舞台で暗い服を着て、そのうえ髪の毛まで黒だと、背景に溶けてしまう。

 トートが、目立たない……。

 そして、タカラヅカの男役は基本肌を出さない。衣装で補正しているため、顔と手首くらいしか肌を出さないんだ。
 黒尽くめのトートの白い部分というと、ほぼ顔のみになる。

 まぁくんの丸い顔だけが、暗い舞台に浮かんでいる。

 まるい……。
 もともと丸いまぁくんの顔が、髪の毛が背景に溶けて見えない分、より丸さが強調されて見える。

 まんまるトート……。
 あ、新しいな……。

 衣装は黒一色じゃないからカラダは見えるけど、首から上は顔だけ状態。髪の毛がナイ。丸い顔とあの特徴のある大きな目だけが見える状態。
 時間が経てば目が慣れて髪も見えてくるけど、場面や照明が変わるたびにリセットされる。顔だけ→あ、髪の毛も見えてきた!
 また、こちらが他のところを見たり全体を眺めているときは、髪が見えなくなって顔だけになるし。

 いやー……ごめん、イケコ。イケコが正しかった、トートに黒髪はナイわ。
 どうして歴代トートが明るい髪なのかわかったわ。黒だとこんなことになるんだ。
 マンガやアニメとはチガウね。黒は舞台だと光を吸収しちゃうんだね。

 雪組『ロミオとジュリエット』のエピソードを思い出した。
 ベンヴォーリオ役のまっつが黒髪のカツラを用意していてスチール撮りもそれで済ませていたのに、舞台稽古の段になって突然イケコがNG出して、カツラを変えさせられた件。
 舞台に乗ると、黒髪だと沈んでしまうからだって。
 それでベンヴォーリオは初日直前に、あの金黒ツートンの不思議なカツラになった、と。用意するの大変だったらしい……お茶会で語ってたんだっけ。
 ベンヴォーリオだけでなく、マーキューシオもそれで急遽カツラの手直しが入ったんだっけ。スチールとはまったくちがう派手な色になってるもんな。やっぱ実際に板の上に乗ってみないとわからないことなんだろうな。

 『ロミジュリ』も舞台が概ね暗いからなー。キラキラ系じゃないからなー。
 黒は沈んでしまうんだ。

 それと同じことなんだ。

 たぶん、前方席で観れば、髪色が背景に溶けて白い顔だけ見える、なんてことはないんだと思う。前方席と後方席では認識出来る明るさがチガウから。
 後方からだと暗転はナニも見えないけど、前方だと暗転しても舞台で動いている人は見える。
 イケコにしろ小柳タンにしろ、前方席に坐って舞台稽古を観たんだろうなあ……。

 まぁ様が細面の人ならまだよかったんだけど、髪色のせいで輪郭の弱点が剥き出しになってるっす……これは気の毒だ……。

 1幕はほんと、トートの「髪の毛ナシ顔だけ」状態に慣れなくて、気になってしょーがなかった。
 「生まれてはじめて観る『エリザベート』」なら最初から「そういうもん」と思って気にならなかったかもだが、なまじ初演からずっと通っている者としては、「歴代と圧倒的にチガウ」部分には反応してしまう。
 2幕になれば目も慣れて、「そういうもん」と思えるようになったけど。
 ……ふつーの髪色のまぁ様トートが観たかったな……。輝度の高い髪色は、まぁ様の丸顔を膨張させたかもしれんけど、そこは髪型と差し色メッシュで工夫してだね……。

 今回の『エリザベート』は舞台の光がよく届くSS席でこそ、良さを味わえる演出になっているんだろう。まあ、生の舞台だからそういうことがあるのは仕方ないね。
 SS席で観る日もあるので、それを楽しみにしよう。

 見た目はともかく、キャラとしてまぁ様はトート合ってるのにな。歌もよく歌えてるし。
 まぁ様は毒のあるキャラがハマる人だと思う。ガラスは歪みがある方が陰影があって美しく色づくの。
 『NOBUNAGA<信長>』感想も星歌バウ感想も途中だが、宙組『エリザベート』初日だー!!

 『エリザベート』は作品自体が好きなので、「また観られる」こと自体はうれしい。
 そして初日は上演回数900回記念日!!
 ポストカードもらえるぞー。や、前回のみりおくん『エリザベート』初日、800回記念の日ももらったからさ。
 記念ノベルティは大好物です、俗物ですから!(笑)

 入場すると、インフォメ前に人だかり。
 「上演回数900回達成」という看板と、イケコ&小柳タンが並んでいるもんだから、お客が記念撮影するのに必死なのな。
 演出家のサイン会はやらなくなったみたいだけど(以前は初日名物だった)、こうやって看板と共に並ばれちゃうと「観光スポット」となり果てること必至よね……。
 わたしも人垣の後ろから1枚撮影しました。や、俗物ですから!(笑)

 出迎えパンダ状態の先生様に気を取られて忘れていたけど。
 あれ? ポスカは?
 記念公演では入場時に入口でノベルティ配布があるんだけど……あれれ?

 ……もらえなかった。

 変だな。たしかになんかやるとかプレゼントするとか、予告はされてなかった。でも、いつだって予告のあるなしとは関係なく、配ってたのに。

 まあ、ノベルティ目当てで初日に来ているわけじゃないからな。変だなとは思うけど、それ以上ではナイ。

 『エリザベート』初日を観る。
 初演からずっと観てきた大好き作品だもの。真っ先に味わいたい。


 宙組再演『エリザベート』初日を観て、第一に思ったこと。
 というか、発見したこと。

 どうしてトートが銀髪なのかがわかった!!

 前にも書いたけど、わたしはトートが銀髪なのが違和感だった。初演からずっと。
 「死神」って黒髪のイメージじゃん?
 耽美な「死」ですよ、黄泉の帝王ですよ、ロン毛イケメンですよ。髪色は黒に決まってるじゃないですか。少女マンガなら黒髪一択です、他はありません。人気キャラは黒髪です、人気を出したかったら黒髪です、鉄則です。
 なのに何故トートだけが輝度の高い髪色なのか、マジわかんなかった。
 「イケコのこだわり」とやらで、歴代トートたちは変なメイクに金だの銀だの膨張カラーを押し付けられ、大変なことになっていた。
 黒にすれば男前度が上がるのに、わざわざ難しい髪色にしてビジュアル下げるのがヅカの『エリザ』ポスター。
 最近はマシになってきたけど、最初の方のトートたちはえーらいこっちゃ!だったもんなあ。

 20年間がんとして黒髪を認めなかったのに、まぁ様トートではじめて黒が解禁された。
 なんだよ、黒でもいいんじゃん、イケコよーやく折れたんだ! と、よろこんだ。

 そしてわくわくと、念願の黒髪トートを観て。

 わかった。
 どうして歴代トートが銀髪だったのか。
 どうして黒髪がNGだったのか。

 という話は翌日欄に回し、今はまず、900回記念公演だという点。


 観劇中はすっかり忘れてた、900回記念ノベルティのこと。
 終演後の挨拶ですっしーさんが説明していた、用意してあるから帰りに受け取ってくれと。

 あー、やっぱなんかアクシデントがあって、入場時に配れなかったんだ。舞台上で出演者が事務連絡させられるとか、ありえねー(笑)。
 ちなみに、当日夜だっけか、とにかくかなりすぐさま公式HPに「ノベルティ配りました!」と記事がアップされたのを見ても、最初から配布予定で報告記事まで先に用意してたんだ。……のに、入場時に配れなかったんだね。

 ノベルティ配布はわたしが知るだけで何十年も前からなにかとやっているけれど、すべてもれなく入場時だった。
 理由はわかる。それがもっとも労力を押さえられるからだ。

 入場と退場では人の流れがまったくチガウ。入場ゲートは数カ所で、観客は30分かけてゆっくり入場する。
 だけど、帰りは広い大劇場の改札ゲートが全部開くし、2600人が一斉に出る。
 終演後の人波ってすごいよ。ざっぱーんって感じにすごい勢いで出て来るもの。圧がまったくチガウ。
 その波を真っ向から受け止め、配り物をするってすごい労力のはず。

 退場時の配布光景は、なかなか圧巻だった。
 スタッフが足りないためだろう、劇場制服を着ていない事務方らしいスーツ姿の人たちまで総動員してるの。かき集めてきたんだろうな……。ゲートのすべての出口に人が立ち、みなさんすげー形相で配っていた。
 う・わー……。

 たぶん、もう二度と退場時にはやらないだろ……こんだけ大変だと。

 お仕事ドラマとかでよくあるよなー、こういうの。アクシデントが起こって主人公が奔走するの。そして、なんとかギリギリ間に合わせるってやつ……。
 舞台裏を想像しながら、ありがたくカードを受け取りました。
 『Bow Singing Workshop~星~』感想つらつら、続き。曲ごとの感想メモ・その1はタイトル違うけど前日欄っす。


 「かわらぬ思い」を歌うさやかくん、トウコに似てる……。でもところどころるうくんにも見える。トウコとるうくんを足しっぱなしにした感じ?
 気持ちよさそうに歌ってる。


 夕陽くんの「退位の歌」がいい……! もともとの楽曲がいいんだけど、聴いていて泣ける。
 素直な歌声なんだけど、それ以上に「伝えたい」と切望していることがわかる。語りかけるような歌い方。
 大切に歌っているのがわかるんだな。


 天路くんは自信家? 自分に自信がないとこの選曲はないわー。
 「さあ行こう、マキシム」……えっと、『THE MERRY WIDOW』。彼はもう1曲も『WEST SIDE STORY』だったし、自信必要。
 前のめりなのはいいことだ。舞台人はそうでなきゃ。
 で。たしかにうまいんだけど、この曲が歌いこなせるほどうまいわけじゃない。けっこう聴いていていたたまれなさがあった。
 歌唱力以前に、やることが多すぎるんだよなあ。舞台経験が少ないと「やること」に振り回されてしまって、「歌」まで手が足りてない感じ。
 もっと経験を積めばよくなるんだと思う。2回目のほうがよかったもの。


 桃堂くん、せっかくの『THE SCARLET PIMPERNEL』の名曲「君はどこに」なのに、なんで英語?
 わたしに英語発音のうまいヘタはわからないんだけど、たとえ英語で完璧に歌えたとしても、タカラヅカでは日本語でどう表現して歌うかが求められるんだけどな。
 2幕では『銀ちゃんの恋』、こっちは歌以外に表現力・芝居力が必要な選曲。
 銀ちゃんのテーマ曲を歌うにはスター性と経験値が足りない感じ。でもチャレンジ精神はいい。
 2曲の選曲バランスはいいかなー。そして、どっちも身の丈より上をチョイスしてる。そうか、彼にとってこの歌バウは大いなるチャレンジの場なんだね。
 自分で目標決めて、達成するべく挑んでいる感じがいい。


 んでもって音咲いーちゃん、「ALL By Myself」……選曲いいなあ!! いーちゃんの魅力を最大限に打ち出してくる。
 2幕の『魔法にかけられて』の方がテクニカルでより野心的というか、「ここまでやれるんだぞ」と打ち出してきているんだとは思うけど、技術よりも魅力という点で、「ALL By Myself」に軍配を上げるわ。


 キサキちゃんは『レミゼ』から「夢やぶれて」。
 や、わたし、けっこう穿って観ていたの。
 トップ娘役就任発表済み、以来はじめて出演する公演。本人の気合いも大きいだろうな、でも、なまじ発表後だと目線がきびしくなって大変なんじゃないかな、いや、決まっちゃったんだからもうあきらめというか、観客も実力は不問にしてくれるっていうか、もう今さらどうしようもないんじゃない?的な?
 キサキちゃんというと、「きれいだけど、音痴」「きれいだけど、大根」という、タカラヅカのスターにとても多いタイプの美少女。
 天は二物を与えない、きれいな人は実力不足、実力派はビジュアル難。両方兼ね備えた人なんて、数十年に一度出るか出ないか? そして、そんな人がいたとしても、劇団が路線スターにするかどうかわかんないし、人気が出るかどうかもわからない。完璧な人に惹かれるとは限らないからなー。
 きれいな人が実力をつけてくれるのが、いちばん平和。ビジュアル残念さんが美形になるより、可能性がある。
 美貌は持って生まれるモノで、技術は努力で得ることが出来るからだ。例外はあるにしろ、概ねそれが常識で、だから劇団は「きれいだけどなにもできない」人をスターに抜擢し続けているんだ。
 キサキちゃんは抜擢された当初は思わず二度見するくらい大根だったけど、最近はよくなってきているし、歌だって改善されてきている。
 トップが決まって、まあアリだよねくらいの実力はあるんだし、なによりきれいだからもうそれでいいんじゃないかっていう……。
 あれ?

 歌、うまくなってる。

 えええ。なんか、思ってたよりぜんぜんうまい。
 たまたまかと思ったけど、2幕の『オペラ座の怪人』もふつうにきれいな歌声だった。

 そりゃ、このコンサートには真の歌ウマ娘役さんたちが出演しているので、彼女たちに比べれば不安定で余白がないんだけど、それにしたってちゃんと歌ってる。

 ごめん、キサキちゃん。わたし穿ってたわ。
 これだけ歌えればOK、ヒロインとして問題ない。
 次期トップ娘役、楽しみだよ。

 歌うだけでわりといっばいいっぱいな感じに見えたけど、今でコレなら大丈夫だよねー。1ヶ月歌い込む本公演ならきっと、もっとステキな歌声を聴かせてくれるはずだもの。


 続きは7月25日(月)欄予定。
 『Bow Singing Workshop~星~』最終日に2回連続観劇。……や、チケット手に入っちゃったから(笑)。予定外だけど、これもまたよし。
 月新公と同じ日だったから書くの遅くなっちゃったけど、観劇時のメモをもとに感想をば。
 2回連続で観たので、2回分混ざってます。


 今回ちょっと感動したのは、吉田優子せんせ。
 生バンド入ってるのは歌バウお約束だし、イベント公演の指揮が音楽監督を務める先生なのもお約束だけど。

 優子せんせ、キーボード兼指揮なのね。

 キーボード弾きながら、要所要所で片手で指揮をする。
 それがかっこいいのー。
 おおっ、ここでこうくるのか!てな、曲の演出と先生の動きがシンクロしてて、すげー興味深い。なるほど、舞台はこうやって作られるんだなと。
 見とれちゃったわ。

 あと、舞台の使い方が偏っていることが、ちょっと気になった。
 中村Bはわざとやってるのかしら?
 出演者の大半が下手から登場して下手で歌うの。舞台の占有率が、センターと下手がほぼ同じくらい、上手はほとんど空きっぱなし。
 誰もがセンターで歌うのは当然として、歌いながら移動して、センター以外で立ち止まってしばらく歌うでしょ。それがほぼ下手側なの。
 途中から気になって、2回目は意識して観ちゃったわ。気のせいじゃない、下手ばっかだー。
 左右均等にしなければならない決まりはないけど、前方上手端に坐ってたら切なかったろうな。せっかく前方席なのに、生徒さんがほとんど目の前に来ない、対角線上に立たれると遠いばかり、と。
 月組のときは気づかなかったけど、全組こんな感じなのかな?


 でもって、出演者の感想。
 ほぼプログラム順……だけど、まんまでもない。人によって1幕2幕まとめてたり、あとでまとめて書いてたり。
 宙組の歌バウのように全員分の感想メモがない。月新公と同日だったため、メモ書きする時間が少なかったの。帰りの電車の時間は同じだからねー。


 オープニングのノバボサのあと、先頭切るのはしどりゅー。
 『太陽王』から「太陽のごとく輝け」。
 しどりゅーは声がいいな。なんかとっても正統派。初回はそれでも詰まるというか聴いていて不自然なところがあったんだけど、2回目は気にならなかった。

 単体で観るとこうしてかっこいいのに、大劇場の大勢の中にいるとそれほどでもなくなっちゃうのはなんでなんだろ。


 あやなちゃんは『ロミジュリ』から「いつか」。
 イントロの甘いメロディを聴きながら、登場してきたあやなちゃんの甘い姿に期待感が高まる。美形キター! ロミオキター!
 ……が、その甘い美貌の君の歌声は、べつに甘くはなかった……。

 歌バウに出るから、あやなくんは歌ウマなのかと思った……。『こうもり』新公でもふつうに歌っていたと思うし。
 そうか……歌はいまいちなのか……歌がんばれ枠での出演だったのか。
 音痴というほどではなく、ちょっと前のヅカならこれくらい歌えれば路線として無問題、むしろもっと破壊力ある音痴の方が路線スターっぽい、ってくらいだったけど。
 でも今は歌えるスターがどんどん出て来ているから、この実力だといろいろと不自由かも?

 歌が苦手だからなのか、歌う姿が固くてな……。歌唱力以前に表現力が課題か? 借りてきた猫みたいだ。もっとどーんとやっちゃっていいのに。


 ゆうほくん、タータン……!
 なんか、すげーイメージがかぶった。タータンよりも丸くてスタイルも残念なことになってるけど、歌唱力とか歌い方がすごくタータンを彷彿とさせた。
 タータンがネバセイ歌ってる! タメるわクドいわこんなのネバセイぢゃない(笑)。
 や、マジうまいです。


 次の子はぜんぜん知らない子だ。さくらくん、101期、まだ研2か。若っ。
 『誰がために鐘は鳴る』の主題歌。
 2回目の方がやばい? 声裏返りかけまくる。ヘタではないんだけど、声を制御できてない。練習不足かな? 腹筋足りてないイメージ。


 今回わたし、はじめてみねりちゃん個別認識した。
 「エル・アモール」を慎くんとデュエット。
 え、この子かわいい、声きれい、歌うまいー!
 慎くんとふたり、ドラマティック。互いしか見ていない歌が好き。終わった後素に戻るギャップもいい。
 いかにも「タカラヅカ」っぽくて、慎くんともども「いいもん観たー」という気持ちになった。


 続く~~。
 『グランドホテル』の主な配役が発表になった。

 とりあえず。

 男爵主役バージョンだー!!

 主演のたまきちが男爵、ちゃぴがグルーシンスカヤ。

 よかった。
 たまきちは絶対オットーじゃないもん。

 演目発表時はカチャ異動は未発表だったから、みやちゃんとカチャのどちらかがオットーだろうと思った。
 カチャがいないから、必然的にオットーはみやるりになる。

 さすがの劇団も、暁くんにオットーをやらせる愚行は決断しなかったか。よかったよかった。
 タニちゃんにネイサン@『ガイズ&ドールズ』をやらせた劇団と月組だから、持ち味も学年も実年齢も実力も無視して、強引な配役をしないとも限らないもんな。


 つか、「主な」配役が多くてびっくり。

 初演時の主役オットーと相手役フラムシェン、男爵とバレリーナ、その付き人のレズ女の5人しか記憶にナイ、しがない初心者っすから。
 実際に見れば役割から思い出せると思うけど、ぶっちゃけ役名おぼえてないのだわ……。

 そして、月組名物、怒濤の役替わり祭り。

 月組って、宝塚歌劇団で唯一「役替わりがナイ方がめずらしい組」だよね……。

 2012年
『ロミオとジュリエット』役替わり
 2013年
『ベルサイユのばら』役替わり
『ルパン』ナシ
 2014年
『宝塚をどり』『TAKARAZUKA 花詩集100!!』役替わり
『PUCK』ナシ
 2015年
『1789』役替わり
『舞音-MANON-』ナシ
 2016年
『NOBUNAGA<信長>』ナシ
 2017年
『グランドホテル』役替わり

 現トップお披露目公演から次代トップのお披露目公演まで、9本中5本が役替わりアリ。
 他の組は数年に1本あるかないかなのに、月組は毎年。
 いびつだなあ……。

 組の体制が整った方が、人気が出る。
 れおんくんの星組、ちぎくんの雪組で、劇団は学ばなかったのか……。
 お披露目から役替わり祭りってことは、番手誤魔化しのその場しのぎ人事を継続するってことかニャ……?

 あーさはまた女役だけど、やっぱ気を遣われてるなと思う。男役も役替わりでやるんだもの。(それに比べてだいもん桃娘は……笑)
 また、暁くんとの差を大きく開けすぎないようにも、気を遣われているなと思う。

 そういうことも含めて、暁くんの育て方が数年前のたまきちとダブる。
 たまきちを上げたい、2番手にしたい。でも実力も人気も整わないから、上級生スターのみやるりとカチャを押しのけてまで2番手に出来ない。
 とはいえポジションを上げたくて仕方がないから、無理にでもいい役を付けたり、上級生スターをさしおいて別箱主演をさせたりする。大スター天海祐希の役をやらせれば人気出るよね? 大スター天海祐希の役をやらせるんだから、次のトップだとわかるよね?
 柱の陰から、チラッチラッとファンの顔色をうかがってる感じ。
 本命のたまきちが弱すぎるから、いずれ番手から外す予定の上級生スターも、現状では無碍には出来ない。あっちもこっちも気を遣って、たまきちの扱いを上げきれない。
 中途半端にいい扱いをして、中途半端だからファンも外野もとまどう。
 わたしとしては、そんなに気を遣ってなにもかも中途半端にしなければならない下級生を「隙あらば上げたい」とやるのではなく、ふつーに学年も舞台スキルも人気も上のみやるりを2番手にしちゃえばいいのに、と思うけどなあ。や、たまきちに含みはまったくない、ただの外野として。

 ……この「たまきち」を暁くんに「みやるりとカチャ」をみやるりそのままでカチャをあーさに置換すると、現在の状況を表す文章にそのまま使える。わあ、リサイクル出来てエコ(笑)。

 マギー主演バウは、ほんとのとこ暁くんを鍛えるためにあるんだと、劇団発表からして匂わせてるもんな。みやちゃんバウ主演したことないのに、あーさだって0.5しかしてないのに、暁くんだけ0.5ずつとはいえ、2年連続。
 『月雲の皇子』やって『Bandito』やったたまきちみたいな?

 劇団はまだ同じこと繰り返し続けるのか……。

 暁くんが早く、痩せて垢抜けて、男役として魅力的な芝居が出来るようになればいいなあ……。でもって人気もタカラヅカ1~2を争うようになればなあ。
 そうすれば劇団もすぱっと2番手に出来るだろうし、そうしても誰も不思議に思わないだろう。
 そうなってほしくて、何年も何年も特別扱いを続けているんだから、そして、そうならない限りは彼の特別扱いと組の番手誤魔化しが続くのだとしたら、ほんと、みんなのために早く成長して欲しいと思う。(あ、この文章も暁くん→たまきちに置換可能だな)

 思う……のに。
 次、メインが女役なんだね……。
 なんでそう、育てるのヘタなんだろうな、劇団……。
 たまきちに似合わない耽美だとかはじけた若者だとかをやらせ続けた劇団らしいわ……。


 役替わり祭りに、「新生」のはずの月組が「なにも変わらない」気配を感じてちょっと肩を落としましたが。

 作品も男爵主役バージョンも楽しみです。
 久しぶりに大劇場でみつるが見られるのも、楽しみです。
 千秋楽を観る予定も、観るために抽選にチャレンジする予定もないため、前楽が最後。
 『NOBUNAGA<信長>』『Forever LOVE!!』を、生のまさお氏を見るのは、これで最後。
 あとは東宝楽の中継を見るだけかな。

 まさお氏のことは長く愛着もって眺めて来ただけに、とても寂しい。
 まさお節は苦手なんで、あさこトップ時代のまともな芸風に戻ってくれればいいのにと、ずっと切望してきたけどね(笑)。

 まだ『NOBUNAGA』の感想途中……っていうか、あれ、初日の感想が途中なんですが、もうムラ公演終わっちゃうとか、あり得ない。

 初日に観たときはそれでも「まさお節がマシになってる! 時代劇との相性いい」と思ったのに、観に行くたびまさお節はひどくなっていって、前楽は絶好調にぶわんぶわん言ってました。イントネーションの愉快さに気を取られて、日本語が聴き取れない……(笑)。
 わたしやっぱり『NOBUNAGA』はダメで、ちっとも楽しく観られなかった。
 設定は面白いのに、何故こうなった、としか言いようがない。
 大野作品で、ここまで感情移入出来ないのははじめて。多少粗があっても大野せんせの物語は「心を裏切らない」から、好きだった。
 なのに今回、裏切りもしないがそもそも最初から「心がない」ような作り……。純粋に不思議だ。なにがしたかったのか。

 ストーリーを気にせずに画面だけ観ていればいいんだろうけど、画面も見どころが極少でなあ……。
 まさおがまさおらしく美しいのって最初のちょろっとだけなんだもん。あとは全編、いちばん似合わないチョビ髭姿で。
 史実通りでもなく、かといってフィクションとしても振り切れず、中途半端でつらい。

 ショーがあってよかった。
 『Forever LOVE!!』はそれほどいい作品とも思わないんだけど……だってやっぱバランス悪い、トップとトップ娘役がまともに組んでないの……でもまさおさんが大暴れしているのを観られるのは、うれしい。

 3人のヲカマ……ゲフンゲフン、美女と絡むところ、カチャだけ特別にいじってた。そうか、カチャはこれで月組サヨナラなんだもんな……。
 カチャさんは放置プレイされてました(笑)。

 まさお、楽しそうだな……。

 そして、個人的に思い入れありまくる、ナガさんを観ていました。
 次にショーでナガさんを観られるのはいつだろう……。
 『Shining Rhythm!』のときも思ったんだよ。あのときナガさん、歌にダンスに大活躍だったしね。ああ、これが最後なんだ、ひょっとしたらもうショーに出ることはないのかもしれない、だからこそ餞別としての見納めとしての大活躍なのかもしれないと。
 組長はショーにももちろん出るけれど、専科さんは出ないからね。たまに出ることがあっても、スパイス的な役どころと、階段降りだけになるし。
 こんなに、ふつうに組の一員として出るのは、最後。
 実際、雪組から専科に異動になっても、ナガさんは続けて雪組に出演していた。でも組長ではなく専科だから、芝居のみ。続けて出演するなら専科に行く必要はないだろうにそれでも専科なのは、やっぱショーに出る・出ないが大きいよなと思う。
 まさかまた組に所属することになるとは、『Shining Rhythm!』のときは思ってなかったけど。
 今度こそ、最後かもしれない。体力的にもたぶん。
 そう思えるから余計に、ナガさんナガさん、うああ、寂しい。

 ナガさんはほんと、まさおのために月組に来た人だったね……。
 まさお時代の月組を守ってくれた人。
 そして、まさおの卒業と共に役目を終えて去って行く。
 時代が変わる。
 ひとつの時代が終わる。

 クライマックスの合唱が胸に迫る。ひとつになる力。
 まさおと、大階段に電飾点く演出にぶわーっと泣ける。

 タカラヅカはすごい。
 また改めて、そう思う。
 『NOBUNAGA<信長>』『Forever LOVE!!』前楽に行って、無事『龍真咲サヨナラショー』も観てきました。

 サヨナラショーはそのトップさんの個性がよく出るというか、それぞれ特色があるもんですよね。
 昔はともかく、今の「サヨナラショーをソフト化して販売する」商売が根付いてからは。

 まさお氏のサヨナラショーもとても特徴的で……感心しました。

 わたしの記憶では、まさおくんは2012年に『ロミオとジュリエット』でトップスター就任したと思うんですが。
 サヨナラショーを観て感じたことは。

 まさおの中では、みりおくん準トップという体制は、「なかったこと」になってるっぽい。

 サヨナラショープログラムに、みりおくんがいた気配は皆無でした。「まさみりの思い出」的なモノは一切なし。
 まあ、仕方ないか……。異様だったもんなあ。トップスターなのに、2番手の役をさせられたり、「トップ娘役」が自分だけの相手役じゃないとか。
 どう言葉を繕っても、おかしかったよ。まさおも、そしてみりおも、つらかっただろう。

 まあ、ここまではわかる。
 問題は。

 まさおの中では、ちゃぴが相手役だった、ということも「なかったこと」になってるっぽい。

 …………おーい。

 最後の芝居『NOBUNAGA<信長>』でもラブシーンなし、そもそもふたりで絡むこともほとんどなく、同じ場面にすら出ない。
 最後のショー『Forever LOVE!!』でもがっつりした絡みなどなく、デュエットダンスもなし。
 ちゃぴは「トップ娘役」ではあっても、「トップスターの相手役」ではない、という扱いだった。
 それでもせめて、サヨナラショーではふつうに、……多くは望まない、「ふつう」のことをしてくれるかと、期待していたんだ。

 そしたら、もお、見事でした。
 ちゃぴの扱い。
 相手役ではまったくない。
 デュエットダンスがないどころか、まともな絡みもない。
 てゆーか。
 他のスターたちと同列扱い、トップ娘役ですらない……。

 そ、そうか。
 本公演で「相手役じゃない」と示して、サヨナラショーでは「トップ娘役じゃない」と示すわけか……。

 徹底してるわ……。
 まさお……。

 トップ娘役を残して、トップスターのみが退団する場合でも、ふつうはデュエットダンスがあるし、思い出の場面を再現したりして、互いに哀惜を示すものなんだけど。
 一切ナシっすよ……。
 すげえ。
 もう、「すごい」としか言いようがない。

 加えて、まさおのあとに月組を率いることになるたまきちへの「引き継ぎ」場面もなかったけど……これはある人とない人があるから、それを言及する気はないけども。
 ソロ曲が全部、「相手役がちゃぴでない作品限定」とか、「ちゃぴが出演していない作品」とか、ナニその徹底ぶり。
 他のなにをさておいても、トップ娘役否定は、びびりましたわ……。


 それはともかく。

 『1789』という作品を持つまさおは強いな。

 サヨナラショーは全部で何曲歌ったんだっけ? そのうちの半分とか3分の1とか、とにかくけっこうな割合で『1789』が占めていたと思う。
 わたしの体感としては『1789』コンサートの合間に他の楽曲も入れました、的な。長く歌うのが『1789』、最初と最後に歌うのが『1789』。

 『1789』ガラコンサート状態なら、そりゃ盛り上がるわ。
 曲がヅカオリジナルとは段違いだもん。

 好きだな、『1789』。

 日本初演で、まさおと月組が作り上げた作品。
 きっとこれからも再演されるだろうけれど、この作品を「最初にこの世界に送り出した」のはまさおと月組。
 この世界、ってのは、タカラヅカね。

 『1789』はオレのもの!!っていう、誇りが見える。
 いいなあ。
 『1789』を歌うまさおはいい。
 ロナンでも『1789』という作品でもなく、「まさおの『1789』」なの。まさおとして歌っているの。
 それが、心地いい。
 まさおの暴れっぷりが。
 まさお節はさらにひどくなって、せっかくの名曲もぶわんぶわん節回ってるし(笑)。
 だが、それがいい。

 まさおはまさおらしく、大暴れしてくれれば。
 『ドン・ジュアン』DC公演がはじまっちゃったから、UPするのが後回しになっちゃってた、新人公演『NOBUNAGA<信長> -下天の夢-』ゆるい感想の続き。これでラスト!


 弥助@風間くんが、萌えキャラになってた。
 本公演を観て、じれったく思っていたから。新公で、期待する方向へ踏み出してくれて膝を打った。よっしゃあ!

 このひどい脚本の『NOBUNAGA』で、唯一、ほんっとーにただひとりだけ、心から信長を愛している弥助くん。
 このキャラをクローズアップせんで、ナニをするのよ。
 新公は弥助の比重上がってたよね? 正しいわ~~。

 風間くん、美形だよねえ。
 『リンカーン』のときに思い知ったんだけど、黒人メイクにするとイケメンも美女もビジュアル度が下がるんだよね。よくある黒塗りぐらいだと(今回のぐっさん秀吉とか)かえって男前度が上がったりするんだけど、本気の黒人はな……。
 カレーくんがそれでも美形だったように、黒人メイクでも男前な人は、ほんとに整った顔立ちなんだと思う。
 芝居も悪くないし、今後楽しみな子だわ。


 ナガさん役の蒼瀬くん、るうくん役の颯希くんが、うまいしかっこよかったー。
 こうやって脇に二枚目がしっかり育っているのはいいねえ。

 うまいというと、佳城くんはいつもながら堅実にうまい。今回のオルガンティノさん役なんかは、彼の得意分野だろう。
 得意だからか、ちょっとやりすぎというか、楽な方面に持って行きすぎていた気がする。
 もうちょいタカラヅカっぽくていいんじゃないかなあ。お笑い風味は抑えて。

 ルイス・フロイス@とっきーが、とっきーまんまで……いいのかあれ(笑)。や、とっきーくんがどういう人か知らないけれど、それでもなんかイメージまんまだったので、かえってとまどった。
 えー、なんというか、ひょろんぬらりんとしているというか。(擬音やめなさい)
 今回は役的にそれでいいんだけど、一度ちょーキリッとシリアスなとっきーが見てみたいっす……。

 毛利良勝@せれんくん、ふつーに、学年相応にうまくて容姿も整っていると思う。今回、良かったよね?
 いつもいまいち役付きがよくないのがわからん……きれいだし、もっと使ってもいいだろうに。


 女の子たちは役名はあるけど役割がないというか。
 まつ@さくらちゃん、ねね@時ちゃん……ふつうにうまいけど、印象に残らない。
 むしろ、象使い役のアルバイトの方が、きれいで目立つわ……。

 ハリボテ象の従者(象の横を並んで歩いて、ハリボテのストッパーいじったり、アタマを動かすスイッチ入れたりする人たち)が、新公では全員女の子だった。
 全員男の本公演の方がリアルだけど、全員女の子の新公の方が、華やかでいい。
 てゆーか、象使いが時ちゃん、くらげちゃん、小雪ちゃん、さくらちゃんって……ヒロイン経験者限定。ナニこのゼイタク感!! 美少女ばかり!
 って、ちょっと待て、小雪ちゃん、今作のヒロインがアルバイトって……?!(白目)

 戦国時代モノの宿命よね。娘役に出番も役もない、のは。
 にしても、ヒロインすらこんな扱いだもんなー。


 演出も幾人かのキャラクタも、新公の方がよかった。好みだった。
 新公も大野くん自身で演出しているんだから、「わかって」やってるんだろうなあ。
 えっ……。
専科 退団者のお知らせ
2016/07/15
下記の生徒の退団発表がありましたのでお知らせいたします。   
専科
美城 れん

2016年11月20日(星組 東京宝塚劇場公演千秋楽)付で退団

 さやかさん退団……?!

 大活躍している充実期真っ只中の専科さんの退団だ……と……?

 近年専科へ異動する人は多いけれど、本当の意味での専科さんはまりんさんとさやかさんのみだった。
 特にさやかさんはまりんより3学年も若い分「若い専科さん」というイメージもあり、活躍を期待した。若いってのは、ジェンヌ人生がそれだけ長く残っているということだし、若めのおじさまから本格的爺役までフォロー可能で役幅も広いし、体力もあるってことだもんね。

 専科に残る、というのは、それほどに難しいことなのか……。

 なんだか、改めて考えさせられる。
 専科に行っても、元いた組にばかり出るよね。そんなにも「組を超えて出演するスペシャリスト」は生きにくいのだろうか?
 番手役しかしない、スター専科さんじゃない、本専科さんであっても、他の組では生きづらいものなのか。
 そして結局、元いた組で退団。
 若い専科さんからいなくなる、新たな補充はなし、って、やっぱり「専科不要」ってことなんだろうか。

 ヒロさんとかはっちさんとかエマさんとか、必要な方々なのにな。(あれ? この人たちみんな元星組?)
 その後継者があまりいないのは不安だ……。
 ……まりん、辞めないでね……ずっといてね……。


 歌の84期、あの華やかな実力者たちの期が、これで全員いなくなってしまうのか……。
 えー、『ドン・ジュアン』話をとりとめもなく続けておりましたが、ここで突然月組新人公演『NOBUNAGA<信長> -下天の夢-』の話。

 新公配役が発表になったとき、わたしの周囲のごく狭いところでポイントとされていた、「森蘭丸役の有無」。
主な配役新人公演
妻木(帰蝶の家臣)朝美 絢/海乃 美月
森蘭丸(織田信長の小姓)朝美 絢/  *  

 わざわざ森蘭丸役の欄が * になっている。発表されてないけど、実は出るんだよ、などという意味ではなく、ガチに削除されているんだよ、この役は新公では存在しないんだよ、という意味での * だ。

 どうして?
 一本モノでもないのに。

 んでもって、実際本公演の幕が上がってみると、森蘭丸役は超ちょい役で、いてもいなくてもかまわないよーな役だった。
 これならたしかに、削られても問題はないかも……って、そんな、削ってもいいような役をなんで出すかな。わざわざ配役表に書いて発表するかな。
 「主な配役」に記載されない役だって、実際の公演にはいくらでもあるんだもの。ルドルフ@『エリザベート』役だって、公演によってはモブ役でアルバイトをしていたが、「主な配役」にはアルバイトまでは記載されなかった。

 おかしな話。

 で、新人公演にて。

 森蘭丸役は、本当になくなっていた。

 蘭丸の台詞は、別の人に振られてた。それでなんの問題もなかった。
 てゆーか、突然出て来た「誰?」という蘭丸より、それまでずっと従ってきた毛利良勝の台詞の方が納得だし、信長に心酔していたただひとりの家臣・弥助の比重が上がる方が正しいわ。

 ほんとに、本公演の森蘭丸は、いらない役なんやなー。

 じゃあどうして、こんないらない役をわざわざ作ったのか。

 ひとえに、男役スター朝美絢のためでしょう。

 公演初日の蘭丸の扱いを見たとき、舌を巻いたもの。
 あーさ、大事にされてんだなあ、と。

 タカラヅカの華は男役、ファンは男役を観に来る。
 美形男役スターの女装をファンは喜ぶけれど、それはあくまでも「男役の女装」であること、ほんとうに女役に転向することは望まない。
 それと同じで、公演通して女役だけだと、せっかく得た人気を失う危険性がある。かっこいい男役を見たいのに、ふつーに女になって娘役と同じことをしていたんじゃ、意味がないもの。
 「娘役にだってファンはいる! 娘役軽視するな!」というツッコミはなしね、わたしがどうこうではなく、「タカラヅカ」がそうやって100年続いてきた劇団だという話。

 妻木@あーさはいい役だ。
 男役でモブに毛の生えたよーな「武将のひとり/初見ライト観客からは個別認識されず」よりも、トップスターとエロい絡みのある美形くのいち役の方がいい役に決まっている。
 でも、いくらいい役だからといって、女役だけだと、本当の意味で「いい役」ではないんだ。
 ファンは女役を求めているわけじゃないから。

 だから、わざわざ男役もさせる。
 いなくてもいいような、どーでもいい役を無理矢理作って、しかも「森蘭丸」という超有名美少年役で。
 「男役として美しい朝美絢」を見せつけられる役を、わざわざ、あーさのためだけに、作ったんだね、大野くん。

 森蘭丸がどーでもいいような役だからこそ、震撼したわ。
 こんな無理矢理なことするほど、配慮されてるのかと。
 劇団主導なのか、大野くんの趣味なのかはわかんないけども。

 新人公演で「蘭丸がいない」方が、作品として正しいことを見せつけられると、より一層嘆息する。

 あーさ、いいなああ。
 こんなに気を遣ってもらって。
 大切にしてもらって。


 ええ。
 『NOBUNAGA<信長>』初日に思ったもの。

 あーさにとってつけたような男役させるなら、『虞美人』の桃娘@だいもんにも、3分でいいから男役をやらせる配慮が欲しかった。
 一本モノで女役のみだったんだよ……アルバイトもナシだよ……「未来のある男役スター」と考えるなら、「男役としてかっこいい場」を用意すべきだったのに……そんな配慮はしてもらえなかったさ……はは、は……遠い目。

 ということで、結局はだいもん(笑)。

 まともな月新公の話は7月16日欄にて。
 『ドン・ジュアン』千秋楽。
 全体を観たい気持ちはたしかにあったのに、最後の最後で前方席を得られた。
 どういうめぐりあわせなのかはわからない。

 ただ。

 最後の最後に、この位置から舞台を……だいもんを観られたことを、奇跡だと思う。感謝する。

 物語が進み、深まり、そしてついに最後の瞬間。

 だいもんが「ドン・ジュアン」である最後。
 ライトが落ち、暗闇になる。
 次にライトの中に登場するのは、もう「ドン・ジュアン」ではない。ドン・ジュアンを演じた、望海風斗だ。
 だいもんがドン・ジュアンである最後の瞬間を、「視る」ことが出来た。

 ライトが落ちる寸前。ほんとうに、一瞬のこと。叶う限りの近い距離から肉眼で、その変化を視ることが出来た。
 ドン・ジュアンから、だいもんに変わる瞬間が、視られた。

 目の光が消え、空虚になった。
 なにかが抜け落ちるように。

 本来なら、完全に暗転するまで「ドン・ジュアン」であるのだと思う。今までだってそうだったのだから。
 でもこのときは暗転の一瞬前に「ドン・ジュアン」が消えた。

 だいもん自身が、とまどい、惜しんでいるように見えた。
 自分の中から、「消えた」男のことを。

 ああ。
 消えたんだ。
 たった今、ドン・ジュアンは消えた。
 もうどこにもいない。
 ドン・ジュアンの衣装を着ただいもんが立っているけれど、彼はもうドン・ジュアンじゃない。

 役者って……!

 涙が、あふれだした。
 ドン・ジュアンが消えた瞬間。
 そして、かくん、となにかを失ったように、空虚さにとまどうだいもんを見て。

 なにこれ。
 なにを見たんだ、わたしは、今。

 公演が終わったあとも、その瞬間のだいもんばかりが脳裏をぐるぐる回り、平静でいられない。

 だいもんの芝居がすごいのは、ああやって入り込んでいるからなんだろう。
 「終わった」途端、中身が別になった。姿は変わらないのに。そしてそれは、本人ですら、どうしようもない次元のことなんだろう。
 ドン・ジュアンは消えた。
 もういない。

 何ヶ月もかけて少しずつ作り上げたものが、一瞬で消えた。永遠に失った。
 もしも次に同じ作品と役を得たとしても、あのドン・ジュアンはもういない。

 カーテンコールで、なにか言えとだいもんから振られた咲ちゃんが、「ドン・ジュアンに会いたい」と言ったのがわかる。
 「再演したい」でも「観たい」でもなく、「会いたい」。
 そこにいるのはドン・ジュアンの格好をした、だいもんだもの。彼はもうどこにもいない。

 ドン・ジュアンのいちばん近くで、ドン・ジュアンを恋する瞳で見つめていた咲ちゃん。
 同じ姿をした別人を前に、その言葉が出てしまう、気持ちはわかる。わかるよ。

 わたしも、ドン・ジュアンに会いたい。

 もう会えない。
 どこにもいない。

 かなしい。
 さみしい。
 つらい。
 苦しい。

 切なくて切なくて、泣けて仕方がない。

 もう会えない。
 大好きな人を、失ってしまった。


 そして、あの瞬間の、消失の目をした、だいもん。
 その身に別人の人生を刻んで、燃焼し尽くす人。
 舞台に生きるために、生まれてきた人。

 わーん、舞台の神様、この人に役目を。
 神様が与えた正しい役目を、果たさせてあげて。
 舞台の真ん中で、表現し尽くすこと。空気を動かし世界を変え、観る者に楔を打ち付けるような痕を残す。
 この役者に、使命を果たさせて。
 本人の望みと、才能が正しく融合した、稀有なひとりなの。

 だいもんに舞台を。
 彼がその才能を、表現欲を、とことん発揮出来る舞台を与えて。

 彼に正しい役目を与えたら、これだけのことをやってのけるのだから。

 ドン・ジュアンを失うことが、心底つらかった。
 だけど、希望はある。
 ドン・ジュアンの中の人は、健在だ。今、役者として充実期を迎えている。
 彼がいる限りまた、こんな風に愛しい人に出会えるはず。再演して欲しいとかではなくて、だいもんが「だいもん力」を発揮出来る、器のある役と作品に、めぐり会える可能性があるということ。

 それを心の支えにするよ。
 わたしはまた、「だいもん」と再会したい。
 そしてついに、『ドン・ジュアン』最後の日がやって来た。
 DC千秋楽。

 千秋楽は全体を観て、海馬と心に刻み込むのよ……と、思っていたの。
 この作品が好き。物語が好き。
 フィクション好きの者として、最後に全体を観て、わたしの血肉とするのよ。

 と、思っていたのに。

 2列目を、サバキで手に入れてしまった。

 DC初日に引き続き、なんつー強運。
 DC初日もサバキ待ちで埋まった劇場前で、たまたま声をかけてもらえて、7列目センターなんつー神席で観ることが出来た。
 もうそれが最初で最後、そんな幸運は二度とめぐってこないとハナからあきらめていたのに。

 最後の最後に2列目て……!!

 センター寄りのサブセン。DCは舞台が低くて座席のすぐ前にあるから、1~2列目って出演者が触れそうなくらい目の前に見える、すげー席。
 そう、目の前。
 つまり、キャストばかり見えて、舞台全体は見えなくなる。『リンカーン』のときに最後の星条旗がカケラも見えなかった・わからなかった。『アル・カポネ』だってタルの中が見えなかったわ。
 舞台全体を観たいなら、選んではいけない席。
 出演者の顔しか見えないよーな席。

 わたしは、この『ドン・ジュアン』という作品が、物語が好きで、それで、最初と最後は作品全体を味わおうと決めて……。

 …………。
 一瞬、迷った。

 迷った。ほんの一瞬。たかが一瞬。されど一瞬。

 ええ、譲っていただきましたとも。あわてて財布出した。現金入っててよかった、自分がいくら持ってるかも意識してなかった。
 や、サバキ待ちしてたわけじゃなかったの。劇場入る前に隅っこで立ち止まってメールしてたの。でもこんなわたしに声掛けてもらえた! 神! 神ですか!!
 んで、自分のチケットはすぐさま他の人にさばいた。真ん中通路上のセンター、全体を観やすい席。めちゃよろこんでくれた、いやいや、わたしの方こそありがとう、助かりました。

 舞台全体より、だいもんを取っちゃった。
 作品よりも、だいもんを取っちゃった。

 だいもんガン見したい!! という、それだけの欲が勝ってしまった。
 作品好きだって言ったくせに~~。物語好きだって言ったくせに~~。

 いやはや。
 前言撤回、お恥ずかしい。人生矛盾に満ちている。

 もー、むっちゃドキドキして2列目に坐ったわ。『アル・カポネ』は超前方でしか観たことなかったくらいなのに(後方で観てみたくて、あとから入手したくらい)、この公演はほんっとにチケ運に見放されていて。
 前方で観たことなかったの。
 この公演こそ、前で観たかったのに。
 全体とか物語とか手放して、気になるキャラクタひとりをガン見してみたかった。

 もっと思う回数観られていたなら、他の人を観るのもいいけれど。
 唯一の機会だもの。

 ドン・ジュアン@だいもんを視る。

 他は手放す。
 二兎は追えない。
 わたしが「視たい」「識りたい」いちばんの人、主人公ドン・ジュアンを視る。

 ドキドキしながら。
 偏頭痛起こしそうなくらい、集中して。

 ドン・ジュアンを理解しようとは思わない。
 ただ、魅せられて。
 惹きつけられて。
 その豊かな歌声を、饒舌な声音を、表情のひとつひとつを、注視し続ける。

 なんかずっと、ドキドキしていた。
 何故こうも動悸が激しいままなのか、わからない。

 終わってしまう。
 消えてしまう。
 なくなってしまう。
 たぶん、そのことにずっと、煽られていた。

 待望の座席、切望した画面を堪能しながら。
 今ここにあり、そして、消えてしまう「舞台」というものを、惜しみ、愛しさに身を灼いていた。

 最後の最後にこんな画面を得て。
 せ、せめてもう1回猶予があるときでなきゃ、無理。許容量限界起こしてる、受け止めきれない。

 最初の最後で全部得なければ、って、焦燥感でおかしくなりそう。
 苦しい。ちょっとマジ苦しい。

 幕間に鎮痛剤飲んで、糖分取って、貧血起こさないよう予防線張って。

 大好き。
 苦しいほど好きなモノに出会えた。

 大好き。
 そしてそれほど大切なモノを、今、失おうとしている。

 大好き。
 だから、苦しい。

 …………ぜえぜえ。
 年寄りには過ぎた快楽じゃ……消耗したわー……。
 若いときはもっと、余裕を持って受け止められた気がするのだけど。
 でも舞台はいつだって一期一会、そのときのわたしが出会えたモノがすべて。
 今の老いたわたしが受け止められるものを、精一杯浴びるだけ。


 衰えた脳と心でナニを得られたかわかんないけども、とりあえず。

 ラストシーンの「だいもん」が脳裏に焼き付いた。

 ……てことで、翌日欄へ続く。
 『ドン・ジュアン』不満点。

 翼くんに、歌がない。

 えええ。
 せっかくの歌重要ミュージカルで翼くんに歌ナシとか、つまんないーー!

 や、単にわたしが翼くんスキーなもので。
 モブでは翼くん眺めるのが常なので。
 歌えるし踊れるし芝居できるし、お顔はちょいとファニーだけどスタイル良しの素敵な男の子なのになー。なんで扱い上がらないんじゃろ……と、勝手に残念に思っています。

 で、翼くんと言えば死に芝居! ですよ。
 わたしは彼の死ぬ芝居が大好きです。
 今回も戦場場面に出てきたのを見て「これは……!」と期待を込めてロックオン、キタよキタ、来ましたよ、死に芝居!

 舞台の隅っこ、ろくにライトも当たらないところで、翼くんはまた見事に死んでいきました。
 撃たれてから絶命するまで、表現が細かくて「うわーー」と思う。崩れ落ちるときはすでに意識がないんだよね……生き物から物体になって、重力に引かれて身体が折れていく。
 見ててこわい死に方する……リアルで、ぞっとする死に方。
 ……映像には残ってないんだろうなあ。いい死に方するのになあ。

 翼くんの役はスガナレル。ドン・ジュアンの家の執事ポジションかな。お芝居の相手はジュアンパパのドン・ルイ@エマさん限定。たぶん、それなりの年齢の役。少なくとも小僧っこじゃない。
 悪くはないけど、とくにどうとは思わない演技だったなと。

 翼くん、見た目は老けてないというか、ほんとのとこ年配役は柄じゃないと思う。ひょろっとしていて小顔の「若いにーちゃん」体型なのよね。大顔小柄の「年代が主人公たちとはチガウと思われる」体型ではない。
 声も低くないし、全体的に「軽い」から、彼にアテ書きしちゃうとまぬけな警官@『るろうに剣心』みたいなのになっちゃうんだと思う。
 おっさん役が出来れば重宝されるけど、翼くんはどうなんだろう。新公では年寄り役ばかりだけど、それは向いているからではなくて立場的にそういう役割が回ってくるというだけだろうし。(路線ではなくて芸達者だと、管理職や専科さん役が回ってくる)
 『ローマの休日』でまなはるの年配役を観て「ほんとのとこは向いてない」ことを改めて考えちゃったからなあ。や、まなはるは年寄り役をよくやっているけれど、やはりそれは「路線ではなくて芸達者だと、管理職や専科さんがやるような役が回ってくる」というだけのことで、小顔のスタイル良しさんは、ヒゲぐらいではおっさんにはならないのよね……頭身が若者なんだもん。
 がおりくらい極めればいいのか……がおりさんもスタイル美形だけど、それでも年配役総ナメしてるもんな。
 年寄りまで8頭身とか、とんでもないのがタカラヅカらしさではあるのだし。

 今回つばさくん、役は付いているとはいえ、「タカラヅカ」的には縣くんやすわっち以下の扱いに思える。
 つまり、今後立ち位置はさらに厳しくなっていくんだろう。
 長くいてくれるといいな……。
 ライトも当たらない舞台の隅っこで、あんだけ本気で死ぬような人だから、ほんとに舞台が好きなんだろう。
 まだまだいてほしい、いてくれると思いたい。


 『ドン・ジュアン』は真ん中の圧が大きすぎて、周囲を観る余裕がない。
 ドン・ジュアン@だいもんから目を離せないし、離したくない。彼単体で情報量が多すぎて、受け止めるだけで精一杯。
 加えて、ドン・カルロ@咲ちゃん、エルヴィラ@くらっちも、ずーっとドラマを追い続けていたいと思わせる。
 そのうえ亡霊@がおりさんですよ、もうひとりのドン・ジュアンですよ。
 真ん中4人がこんな重い人たちだと、ほんとに目が足りないのよ。

 きれいどころがたくさん出演しているのに、モブだろうがなんだろうが眺めたい人たちもいるのに、ろくに意識を向けられない。

 モブでもうきちゃんきれいだし、ひまりちゃんが小悪魔的だし、色気はないけど(笑)踊っているひーこには振り向かされるし、星加&眞ノ宮という美形若手気になるし、まさかのブリッジ状態でタップを踏むジジくんすげーし、すわっちはナニしてても目に飛び込んできて困るし。
 あー、男役は全体的に下級生メインな分、いろいろ大変そう。女の子たちは下級生でも「アタシ、いい女よ!!」とスカートたくし上げて色香振りまいてますが、男の子たちはそんな女性陣に押されているというか。や、愛しいな雪オトコたち(笑)。

 もっともっと観たいのにな。
 マジ、チケットないんで観られないっす。

 現在のだいもんにDCは狭すぎたな……。
 KAATぐらいのキャパが必要な公演だったと思う、『ドン・ジュアン』。
 マリアがヒロインとして機能していたら、『ドン・ジュアン』はどんな物語だったか。
 残念ながら、それはわからない。

 だから、わたしは今あるモノだけで、考える。

 ドン・ジュアンが何故マリアを愛したのか。

 ……やっぱ、巷でよく言われている「亡霊の呪いです」に行き着いてしまう。

 別に、マリアでなくても良かった。ちょうどいいからたまたまマリアになっただけ。
 すべては亡霊に仕組まれた。
 マリアだけ歌も芝居も浮いていて、作品に水を差す出来なのも、亡霊の策略。「このマリアに恋するなんておかしい」と誰もが思うように、あえてひとりだけヘタなのだ。
 観客も他のキャラクタたちもすべてが「おかしい」と思っているのに、「ドン・ジュアンだけがおかしいと気づいていない」「この恋はドン・ジュアンを破滅させる」と予感させるために、あえてこのマリアなのだ。

 という。

 ぶっちゃけ「マリア」ってキャラ、難しいと思う。誰が演じても「なんかちがう」「なんか足りない」と思ってしまったかも?
 みちるちゃんだけの問題ではなく、マリアが難しい。
 ドン・ジュアンの特異性をさんざん描いたあとで、「このドン・ジュアンが恋に落ちる相手って?」とさんざんハードル上げてるんだもの。
 無理やわー。


 それならいっそ、「マリア」はナシにしてしまえば?


 マリアという女性がそこにいる、とみんな振る舞っている。実際、舞台上にはいる。
 でも、マリア役の役者はいない。
 他の役者たちの演技だけで、観客が自由に「マリア」を想像するの。

 それってすごいかも。楽しいかも。

 誰もいない彫りかけの石像の前で、恋にとまどうドン・ジュアン。
 ひとりきりのベッドの上で、ふたりの愛を歌い上げるドン・ジュアン。

 や、だいもんならやれる。つか、見てみたい。
 どんだけ濃いやろ……(笑)。

 すべては観客に委ねられる。
 理想の女性、マリア。

 「存在しない」「観た人が自由にイメージする」……これほど最強のマリア像があるだろうか(笑)。

 そして。
 マリアとはほんとうに実在するのか。ドン・ジュアンの妄想ではないのか。亡霊の呪いではないのか。
 ドン・ジュアンだけでなく、他の者もマリアが見えているようだ……ほんとうに? なにかトリックがあるのではないだろうか?
 マリアの歌はナシ、どうしても必要なところはカゲソロで、「幻想? ドン・ジュアンにだけ聞こえている?」って感じにして。
 どこまでが現実で、どこからが幻想?
 語り部がドン・カルロならば、彼があえてマリアを語らずにいるのか……?

 などなど。
 すっげーいろいろ広がる!

 『ドン・ジュアン』は自由に妄想出来る深さと濁りを持っている。
 ヒロインが弱いからって、そこで枷を作るのはもったいない。それすらも、自由に作品を遊ぶ要素にしてしまおう。


 マリアがみゆちゃんだったら、とは、考えた。
 みゆちゃんだと歌はやっぱり弱かったかもしれないけれど、彼女の演技力ならどんなマリアを見せてくれただろうか、と。
 わたしはみゆちゃんの「役を立体的に見せる力」を買っている。その役の生きている世界を想像させる力。脚本にあるものだけではない、行間をカタチにする力。
 タカラヅカは一期一会、寿命の短いジェンヌに「次の機会」はまずない。だけどもし、いつかだいもん主演のまま『ドン・ジュアン』が再演されて、ヒロインがみゆちゃんだったら……。
 トップ制度とか、ポジションとか、そういうことは今は置いておいて。
 ただ、物語好きとして、見てみたい。
 物語る力のある主人公とヒロインが創る、『ドン・ジュアン』という激しいファンタジーを。
 ドン・ジュアンが何故マリアを愛したのか。

 それがわからない、のがいちばんつらい。

 脚本から読み解くことは出来る。
 マリアはこの時代の女性にはめずらしい、己の仕事に誇りと生き甲斐を持つ、自立した女性だったんだろう。結婚と生き甲斐を別に考えるとか、わたしたちなら当たり前のことだけど、当時の世界観では異端なのだろう。

 異端ではあっても、マイナスの意味には捉えられていない。
 むしろ、彼女が「特別に素晴らしい」という装飾になっている。
 彼女には友人がいて、群れの中で親愛と尊敬を持って受け入れられている。
 ただの異端なら、そうはならないはず。彼女の「ふつうでない」ところは、彼女の魅力として捉えられている。

 プライドの高いラファエルが選んだ、ということもマリアという女性の設定を読み解く要因のひとつ。
 ラファエルは、群れの中で「とびきりのいい女」だからこそマリアを選び、妻にと望んだ。
 ラファエルこそ、群れの中で「とびきりのいい男」として描かれている。他の男たちが「ラファエルにはかなわない」というスタンスを取っているし、「ラファエルだからこそマリアを口説ける」「マリアのような素晴らしい女は、ふつうの男では口説けない」と思っている。

 タカラヅカではよくある手法。グループの中で、「特別な立場」のキャラクタを作る。現実の友人関係で、ここまであからさまな上下関係を作り、かつ円滑であるとか、なかなかに難しいことなんじゃないかと思ったりもするけれど、ヅカはフィクションだから、手法としてアリだと思っている。
 「お蝶夫人よ。今日もお美しいわ」とか「きゃあ、藤堂さんよ。ドキドキする~~」とか、周囲に言わせることで、そのキャラクタの「特別感」を表現するのね。周囲に語らせるのがいちばん手っ取り早いから。

 そうやって、「素晴らしいラファエル」が、「素晴らしいマリア」を選んだ。周りは「素晴らしいふたり、自分たちとはチガウ」と拍手。

 それくらい、「マリアは特別」と説明してくれてるのになあ。
 いまいち、彼女の魅力がわからない……。

 ふつうにかわいい女の子だけど……かわいい、だけじゃなあ。
 それまで語られていた「いい女」設定も、突然石像を叩き割るエキセントリックさも、響いてこない。
 てゆーか石像を叩き割るような子に見えないんだわ……そんなことをしそうにない、ふつうの地味な女の子に見える。
 ファム・ファタールに見えない。

 ドン・ジュアンのような歴戦のプレイボーイが、ごくふつうの女の子に恋をする、というギャップを狙っているならこのマリアでいいけれど。
 設定からマリアは「ふつうの女の子」ではなさそうなので、混乱する。

 なにがあれば、マリアは設定にある通りの「運命の女」になるんだろう?
 圧倒的な美貌とか、圧倒的な歌唱力があれば、もちろんねじ伏せられると思う。
 でも、そのどちらもない場合は、なにをどうすればいいのか、よくわからない。

 みちるちゃんの芝居は、「マリア」の設定からズレを感じる。
 ふつうに、わたしたちが想像する「恋する女の子」に見える。相手がドン・ジュアンではなく、クラスメイトの男の子とか、職場の先輩とか。日常の恋愛。
 ドン・ジュアンは恋を知り、「ふつう」の男になった、だから「ふつうの恋愛」でいい。としても、彼らの世界の「ふつう」は現代の「ふつう」ではないはずで、クラスメイトとの恋愛になっちゃうのは、違和感。

 芝居は好みの部分が大きいので、今回のみちるちゃんの芝居がわたしの好みではないということなんだろう。
 弥彦@『るろうに剣心』では毎回泣かせてくれたんだから、「今回は」チガウんだろう。
 最初は歌唱力のなさにストレスを感じたけれど、どうも芝居もチガウようだ、と遅まきながら気づいた。
 だいもんはじめ、他の人たちに圧倒されていて、ヒロインへの違和感をまともに考え出したのが遅かった。や、考え出すのが遅い、って段階でもう、ヒロイン存在感ナッシングに気づいてなかったってことで、どんだけ「ヒロイン」として用をなしていないか、ってことだけども。

 この激しい愛の物語で、ヒロインに琴線が反応しないのは、とても残念だ。
 マリアがヒロインとして機能していたなら、さらに感動出来たろうに。
 もったいないわー。
 わたしの好みのせいだから、わたしが残念な人ってこと。

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