『アイラブアインシュタイン』をつらつら考える。

 トーマス@マイティーが愉快だ。

 1幕のマイティーは反則だと思う(笑)。
 なにが反則って、いちばんひどいのは作者だけどな。脚本めちゃくちゃ、トーマスという役に整合性ナシ。
 でも、そのめちゃくちゃな役を、マイティー自身楽しそうに盛り上げている。
 めちゃくちゃな役でも、割り切って持ち上げられるのかな。それとも気づいてないピュアボーイなのかしら。
 どんなひどい作品でも役でも、ジェンヌは文句言わずに演じるしかない。ならば、毒入りでもなんでも皿まで喰らう覚悟と突き抜けた開き直りを持つのが、スターの資質だと思う。
 また、どんなひどい作品でも役でも、まーったく気づかずに「先生様の書かれる作品はすべて神作品です!」と信じるピュアハートの持ち主であることも、スターの資質だと思うし。本気で感動しているからこそ演じられる、という。
 ただ、わたしは前者の方が好みだな。
 マイティーが作品と役のめちゃくちゃさを理解してなお、それをものともせずに暴れてくれているのなら、あたしゃ彼に惚れ込むわ(笑)。

 それくらい、トーマスが愉快だ。
 ぶっちゃけ、変態的だ。(全力で褒め言葉)

 目玉はずして恍惚と歌われた日にゃあ、客席で悶えたわ。笑いこらえるの必死で!
 いい! このマイティーいい!!
 オベ様@ともちんが大好物だったわたしですわ、このテの変態はOKです、ストライクゾーンです。

 トーマスという役がナニ考えてんのか、トーマスというより作者がナニ考えてんのか、アホなわたしには理解不能ですが、んなこたぁーどうでもいい。
 わたしはただ、マイティーがエンジン全開でぶっ飛ばしている様を楽しんだ。わくわくした。

 役者が役に出会うことって、幸福なことなんだな。
 どの時代にどの役とめぐり会うか、てのは、ほんと運命なんだなと。

 たとえばマイティーは、わずか研3で別箱3番手役に抜擢された。
 2番手主演のドラマシティ公演。3番手も4番手も出演していた……のに、組4番手で7学年も上級生を差し置いて、その公演での3番手役。ちなみに、同期の柚カレーはモブ役で出演していた。
 ものすごい抜擢だ。今なら、ベニー主演公演で、ことちゃんもかいちゃんも出演しているのに、かいちゃんが脇役で、100期の無名の男の子が3番手やってる感じ?
 そうやって、いい役を与えられたけれど……当時のマイティーはあまりいい仕事は出来てなかった。
 いい役を得ても、本人がその役に相応しいだけの力量を持ってなければ、持てあますだけだ。

 その役者の「そのとき」に相応しい役は、その都度チガウのだろう。
 いつもいい役が当たることが「幸運」なのではなく、「そのときに必要な役」とめぐり会うことが、「幸運」なんだ。

 出会うべきときに、出会うべき役にめぐり会う。
 ソレは役者にとって幸福なことで……観客にとっても、しあわせなことだと思う。

 その昔、キムくんがルキーニをやっているのを見たとき、感動したんだよなあ。
 その「正しきめぐり会い」に。
 役者としてもっとも伸びる次期に、これだけやり甲斐のある役に出会い……若者が芝居を役を空気感を、どんどん吸収して成長しまくっているのが、見るたび伝わってきたの。
 歌唱力や滑舌がどんどん上がって行き、表現力も広がっていった。えええ、もともとうまかったけど、さらにうまくなるんだ?!って、びびったなあ。
 伸びる次期にこれだけの役をやれる、吸収出来る、ってなんてしあわせなことなんだろう。舞台上のキムくんがすっげーしあわせそうで、充実感に細胞がびくんびくん脈打ってるのが伝わってきて、見ているだけでこっちも高揚した。
 しあわせってのは、伝染するからなあ。

 それを思い出したんだ。
 楽しそうに舞台上で「生きて」いる役者って、その楽しさが伝わるもんなあ。
 ただ楽しいだけでなく、その楽しさが、充実感が血肉となって、むくむく成長している、レベルアップしている感じ……が、伝わってくる。

 今のマイティーに、この役が必要だった。

 正しきめぐり会い、だ。
 舞台での居方が整理されてなかった下級生の頃じゃなくて、鈍くささを滲ませながら新公主演した去年でもなくて。
 美貌に目覚めたバウ2番手をすでに経験していて、新公主演経験後に脇として支える新公も経験して、役替わりで大劇場本公演で大役も務めて。
 そんな「今」だからこそ、この変態(笑)役を、ここまで振り切って演じられるんだな。

 見ていて楽しい。
 風が吹いている人は、見ていて楽しい。
 マイティーに風が吹いているよね。
 劇団が起こしているのかもしれないけど、まず、マイティー自身がぶんぶん風起こしてるよね。
 上昇気流に乗って、どんどん飛んで行っちゃえよ!


 2幕の尻つぼみ感がひどくて、いろいろ残念ではあったけど。
 それは脚本のせいであって、マイティーのせいじゃない。むしろマイティーは、脚本的に突然はしごを外されて、パワーを持てあましている感じだ。
 1幕のパワーのまま、走らせちゃえば良かったのに。

 変な役だけどね、トーマス。トーマスだけでなく、作品自体がどうしようもないわけなんだけど。
 そんなことを吹き飛ばす勢いで、トーマスが愉快。

 マイティーが美しい。
 『アイラブアインシュタイン』について、思いつくままに。


 ヒロインのエルザ@みれいちゃん。
 アンドロイドみれいちゃんがかわいくて。
 みれいちゃんは不思議な子だなあ。強い太い持ち味ゆえに、フェアリーは似合わなく思えるのに、ちゃんと2.5次元の存在を形作ってくる。
 華やかで、濃い輪郭。この子の実力が、作品を引っ張ってる。


 べーちゃん、女神。
 主人公アルバート@あきらの死んだ妻、ミレーヴァ@べーちゃん。
 物言わずたたずむだけで美しく、悲しい。
 そこにいる。それだけで、そこに「物語」を感じさせる。

 1幕はほんと、期待したんだ。
 べーちゃんの存在が、神秘的でさ。いったい、どんなドラマが展開されるんだろう?って。

 あきらというと野郎系というか、男臭いタイプを得意としてたじゃないですか。間違ってもフェアリータイプじゃない。オスカルよりはアランが似合うタイプ。
 若い頃からそうだったのに、学年が上がったのでますます大人の男の需要が増えたし、トップのみりおくんが少年・中性タイプであることもあり、あきらにはますます立役的なモノを求められるようになったし。
 今後もますます、そういった役が増えるのだろう。ますます、ますます。

 てなところで、まさかの優男役。
 今回のアルバート。

 科学者という設定からして肩幅自慢のワイルド系のはずもないが、それにしたって中性的なビジュアルの、線の細い美青年キャラですがな。
 あきらなのに。
 若い頃ならいざ知らず、この学年になって。

 やだー、ときめくー(笑)。

 あきら氏のこのビジュアルは予想外というか、画像が出たときからわたしは内心きゃーきゃー☆でした。携帯の待受は迷わずアルバート@あきらにしたしなっ。

 でもって、このビジュアルはただの気の迷いではないらしく、アルバートさんが「ふふ……」てな笑みを浮かべてソファに「美形坐り」してたりするのを見て、「作者はマジであきらにこのキャラやらせてるんだ!」と震撼しました。みりお様がやりそうなキャラを、ナニを間違ってかあきらに!!
 よっしゃあーーっ!(ガッツポーズ)

 うん。
 こんなあきらを見られることはないだろうと、無意識にあきらめていたものを見られて、うれしいのことよ。
 中性的な美形あきら様。いいじゃんいいじゃん。

 あきら自身の持つ無骨さが、なにをやってもどうしても出てしまって、それゆえにいい味になっている。
 受け身のキャラを演じても、必要以上になよなよしないのな。
 放っておいても骨太な部分が残る。

 そんな美形科学者様に、だ。
 美しく哀しく、近づくことも突き放すことも出来ないところに、べーちゃんがいることが、とても切ないの。

 べーちゃんの持つ包容力と温度のある光が、この立派な肩幅の耽美キャラを包み込むの。

 あー、あきら&べーちゃんっていいなあ。
 あきらの持つ、ゴツッと尖った部分を、べーちゃんのまろやかさが溶かすんだわ。


 べーちゃんがみれいちゃんになる演出がある。
 ミレーヴァとエルザが瓜ふたつである、ということを表す演出。

 ふたりは似ている。
 そして、似ていない。

 ビジュアル的には、似ている部分があると思うの。
 丸と四角だとしても、顔の形の大枠は似ている……つか、少なくとも真逆じゃない。
 だから、舞台で同じ役をやっても「ああ、そうか」と思うのみ。

 ただ、ビジュアル以外の部分で、まったく似てないよなあ、と思う。
 べーちゃんの持つ包容力を、みれいちゃんは持たない。
 みれいちゃんは、他人を慰撫するのではなく、自分ひとりで立つ。根本から、別の魂だと思う。

 それが、「人間」だったときのミレーヴァと、「アンドロイド」になったエルザの「違い」を表していることになるのかも。


 わたしは、べーちゃんもみれいちゃんも好きなので、彼女たちの持ち味が真っ向からぶつかっている、「ミレーヴァとエルザ」が楽しい。

 異なる強さを持つべーちゃんとみれいちゃんが、持ち味ど真ん中の役ではないあきらを支えている、このパワーバランスにわくわくする。

 ……そして、勝手に大暴れしている、マイティーとあれんくんとか、なにこの配置楽しい(笑)。
 『アイラブアインシュタイン』について、作品自体への疑問がまず爆発したけど。

 だからこの作品を嫌いかというと、そうでもない。
 文字作品だったら救いがないけど、舞台だから。タカラヅカだから。
 物語が壊れていても、間違っていても、他に魅力があればいいんだもの。

 とてつもなくつまらないけど、絵がきれいだからなんとなく見ちゃう深夜アニメとか、話はどーでもいいけど絵柄が好みのマンガとかと同じ。文字作品じゃないモノは、総合的に魅力があればヨシ。
(反対に、話は面白いのに、絵が残念すぎるアニメとかあるよねー、絵柄がこんなにキモくなければもっと楽しんで見られるのに、とか、話が良くても絵柄が無理過ぎて見られなくなったりするから、人間って視覚情報が大きいんだよなとしみじみ)

 画面がきれいで、キャッチーな盛り上がりがあって、キャラに魅力があれば、ストーリーがどうでも、ぶっちゃけあんまし関係ないと思う。
 ……わたしはストーリー重視したいクチなんだけど。辻褄とか整合性とか、すごく好きなんだけど。
 それでも、エンタメってのは、そんな部分よりも、重要なことがあると思う。

 アタマ悪い言い方をすると、萌えがあるかどうか、だ。

 萌えという言葉が出来る前は、どう説明してたのかなあ。この言葉、わたしが最初に見かけたのは「あめぞう」だった……それ以前は、別の言葉で説明していたはずなのに、人間楽な方に流れるよね、「萌え」で済むから、言葉を忘れてしまった。

 『アイラブアインシュタイン』は、「萌え」を刺激する部分があると思う。
 主人公アルバート@あきらの突き抜けたビジュアルもだし、アンドロイドのエルザ@みれいちゃんの萌えキャラ的記号っぷりもだし。
 そしてなにより、トーマス@マイティーの壊れっぷりが、実にアニメ的だ。

 わたしはこの作品にもキャラクタにも残念ながら萌えられなかったけれど、それは私が若くないからだろう。

 あきらとマイティーで、マイティーが絶賛攻オーラ排出中、って、時代も変わったなああ……あきら、攻キャラだったのに……とか、時の流れを感じていたくらいか(笑)。
 トド様だって若い頃はそりゃもう元気なやんちゃ攻だったのよ、それがトップになって可憐受とかに属性チェンジして、今またラスボス攻とかも出来るところまで両属性備えるようになってきてね……ってなんの話だ、ええっと、年代によって属性は変わるものでね……って。

 あきら氏がいい感じに大人だー。主演ゆえの気負いがあってなお、枯れた風情があるのがイイ。大人の持つ味っすよ! 若いと気負いとアツさばかりが前面に出ちゃうからね。

 あきら氏はなにがうまいわけでもなく、なにができるわけでもない。彼の最大の武器は「かっこいい」こと。
 そんなあきらが、本気でかっこいいビジュアルで、かっこよく見せてくれている。
 それだけで「よっしゃああっ!!」な気持ちになる(笑)。
 はー、あきらかっこいい。

 3回目の観劇は2列目でした、あきらの美しさをこれでもかと堪能しました。ありがとうありがとう。(ええ、短い公演期間、3日もムラまで行きました! あきらスキーですから!)

 とりあえず、初日はフィナーレのあきらの黒燕尾で、涙出た。
 不意打ちだったからな。ここで黒燕尾くるとか、思ってなかったし。
 黒燕尾が花男で、「うおお花組ーー!」と拳握る感じで、センターにあきらがいて。うわーーん!! 泣くやろこんなん!!

 ……いろいろいろいろぽかーんだった、『アイラブアインシュタイン』。
 えーとそもそもナニが「アイラブアインシュタイン」? とか、「??」しかない作品なのに。

 それでも、フィナーレのあきらの黒燕尾だけで、すべて許せる気がした。

 ……から、ヅカヲタってチョロい。自分でツッコミ入れるけど、事実だから仕方ない(笑)。

 黒燕尾あきらが美しくてな。
 それだけでな。
 それだけで、胸がぶわーっとアツくなってな。

 くそー。
 あきら好きだなー。
 うまくないけど。もっとうまくなるはずと、昔は思ってたけど。さすがにもう無理なのかなと今は思いつつあるけど。
 それでもやっぱり、好きだなあ。
 メモ。
2017年版『宝塚カレンダー』の発売について(追)
2016/09/23
※各詳細を追加いたしました。

株式会社宝塚クリエイティブアーツでは、宝塚歌劇のスターが勢揃いする、恒例の「宝塚スターカレンダー」、「宝塚卓上カレンダー」「宝塚ステージカレンダー」「宝塚パーソナルカレンダー」「宝塚パーソナル卓上カレンダー」「宝塚ポスターカレンダー」を今年も発売いたします。詳細は下記の通りです。
  
1. 宝塚スターカレンダー
◎発売日:10月21日(金)
◎規格:B2判/13枚(表紙とも)
◎価格:1,500円(税込)
◎掲載メンバー(計15名) ※下線は今回初登場者
[表紙]美弥 るりか綺咲 愛里
[1月]早霧 せいな
[2月]花乃 まりあ・咲妃 みゆ
[3月]珠城 りょう
[4月]実咲 凜音
[5月]紅 ゆずる
[6月]真風 涼帆
[7月]明日海 りお
[8月]愛希 れいか
[9月]朝夏 まなと
[10月]芹香 斗亜
[11月]轟 悠
[12月]望海 風斗

2. 宝塚卓上カレンダー
◎発売日:10月21日(金)
◎規格:A5判/13枚(表紙とも、両面仕様)
◎価格:850円(税込)
◎掲載メンバー(計22名) ※下線は今回初登場者
[表紙]コラボレーション
[1月]礼 真琴
[2月]月城 かなと
[3月]十碧 れいや・麻央 侑希・瀬央 ゆりあ紫藤 りゅう
[4月]愛月 ひかる
[5月]彩凪 翔
[6月]水美 舞斗・優波 慧・真那 春人・永久輝 せあ
[7月]柚香 光
[8月]桜木 みなと
[9月]鳳月 杏
[10月]凛城 きら・蒼羽 りく・和希 そら・瑠風 輝
[11月]彩風 咲奈
[12月]朝美 絢・暁 千星

3. 宝塚ステージカレンダー
◎発売日:11月11日(金)
◎規格:A2判/13枚(表紙とも、リング式・両面仕様)
◎価格:1,500円(税込)
◎掲載メンバー(計26名) ※下線は今回初登場者
[掲載頁]A面・B面
[表紙]桜木みなと綺咲愛里
[1月]轟悠・花乃まりあ
[2月]芹香斗亜・凪七瑠海
[3月]実咲凜音・明日海りお
[4月]礼真琴・望海風斗
[5月]彩風咲奈・咲妃みゆ
[6月]瀬戸かずや・美弥るりか
[7月]早霧せいな・華形ひかる
[8月]柚香光・愛月ひかる
[9月]真風涼帆・珠城りょう
[10月]愛希れいか・七海ひろき
[11月]彩凪翔・朝夏まなと
[12月]紅ゆずる・月城かなと

4. 宝塚パーソナルカレンダー(全10種類)
◎発売日:11月18日(金)
◎規格:B4判/8枚(表紙とも)
◎価格:700円(税込)
◎発売メンバー ※下線は今回初登場者
[専科]轟悠
[花組]明日海りお・芹香斗亜
[月組]珠城りょう美弥るりか
[雪組]早霧せいな・望海風斗
[星組]紅ゆずる
[宙組]朝夏まなと・真風涼帆

5. 宝塚パーソナル卓上カレンダー(全6種類)
◎発売日:11月18日(金)
◎規格:15cm×15cm/13枚(表紙とも)
◎価格:700円(税込)
◎発売メンバー ※下線は今回初登場者
[専科]轟悠
[花組]明日海りお
[月組]珠城りょう
[雪組]早霧せいな
[星組]紅ゆずる
[宙組]朝夏まなと

6. 宝塚ポスターカレンダー(全13種類)
◎発売日:11月18日(金)
(本商品はキャトルレーヴ各店および通信販売での限定販売商品となります。)
◎規格:A3判/1枚(両面仕様)
◎価格:500円(税込)
◎発売メンバー ※下線は今回初登場者
[専科]華形ひかる・星条海斗・沙央くらま・凪七瑠海
[花組]瀬戸かずや
[月組]宇月颯紫門ゆりや
[雪組]鳳翔大・香綾しずる
[星組]壱城あずさ・七海ひろき・天寿光希
[宙組]澄輝さやと

 ……ますますちぎくんのフラグが立ってるなと。
 『アイラブアインシュタイン』すげえよ、お手上げだよ!話の続き(笑)。

 それでこの話、どうやって終わらせるのかなあ。
 悪者政党のお飾り党首が実はアンドロイドだった! しかも感情あります、悪の博士と親子愛おっぱじめました!
 てな展開はともかくとして。

 主人公のはずのアルバート@あきらとヒロインのはずのエルザ@みれいは、どうするの?
 身体は機械でも、中身は人間のアルバートとミレーヴァ@べーちゃんなのよね?
 ただ、エルザはミレーヴァの脳を移植されたわけじゃないから、アルバートほど完璧にミレーヴァコピーになっておらず、スピリッツを受け継いだのみ。ゆえに「感情」部分でも不完全かつ不安定だった。

 知恵の実を使うと感情(愛)を得ることができる。代わりに、アンドロイドの寿命を縮める。
 エルザは知恵の実によって愛を知り、代わりに近々死ぬことになった。
 変な設定だが、フィクションだからアリだと思う。昭和時代の純愛モノが白血病大安売りだったみたいなもんで、「ヒロインが不治の病」てのは、簡単プーに話を盛り上げることの出来る、ドーピング剤。
 簡単プーに「軍事利用」という魔法の言葉を使って、さらに「不治の病」まで使うか……なんて安直なデビュー作なんだ、と鼻白む気持ちとは別に、鉄板ネタを使うこと自体はアリだと思っている。

 エルザはそれはいいとして、何故アルバートも?

 アルバートには最初から感情も愛もあった。
 死んだミレーヴァの姿が見えているのもそのためだし、愛にオーバーヒートして停止したエルザと違い、アルバートはふつうに動いていた。
 自分を人間だと疑いもしない存在だった。
 つまり彼には、知恵の実は必要なかった。
 大体、アルバートはアンドロイドじゃないしな。機械の身体を持った人間=サイボーグだし。
 なのに突然自分も知恵の実を使うと言い出した。
 すでに愛のある者が知恵の実を使う意味はナニ。ただ自殺するため? ストーリー上の都合だよね。

 なんか感動的に「愛のために死を選ぶ」的な話になってるけど、わたしは盛大に置いていかれた。
 え、ちょっと待って、意味わかんない。


 だからさー、そもそもアルバートが脳移植された意味がわからないんだって!

 この設定、必要なの??

 アルバートの脳を移植した機械人間、だから、アンドロイドではなくサイボーグになっちゃって、「アンドロイドに愛はわかるか」というテーマが死滅しちゃったし、「愛を知るために知恵の実を使って自殺する」というネタも破綻しちゃったのよ。

 脳の移植ネタ不要。
 サイボーグ不要。
 出て来るのはアンドロイドのみ。HPの作品解説に書いてある通り。

 ……と、どうして出来ないんだろう。素朴な疑問。

 1幕ラストの「アルバートはアンドロイドだった!!」をやるのはいい。そこはそのまま。
 ただ。

 アルバートはふつーにアンドロイドで、脳の移植なんてしてない。

 アルバート自身が、生前すでにプログラムしていた。
 永遠に生きたいとかじゃなくて、シンプルに科学者として、アンドロイド研究を続けるため、自分自身の「バックアップ」としてプログラムしていた。
 自分が不慮の事故で死ぬなり脳が破壊されるなりして、研究が続けられなくなってしまったときのために。研究者として、いちばん意欲的にばりばりやっていたころに、雛形を作っていた。
 彼の人生が傾いてからは、放置されていたけれど。

 アルバートの事故死(自殺?)後、トーマス@マイティーがそれを見つける。で、彼がそのプログラムを元に「アンドロイド・アルバート」を完成させる。
 ……でないと、「真の天才科学者はトーマス」で、アルバートは「カンチガイした脇役」になってしまう……つか、今のままだとそういうことだよね? アルバートもエルザも、作ったのはトーマスじゃあ……。

 で、アルバートではないけれど、自分をアルバートだと思い込んでいる「アンドロイド・アルバート」が舞台ではずーっと登場していたわけで、1幕ラストは「アルバートはアンドロイドだった!!」とネタバレさせて、舞台上も観客も「!!」で幕。

 ゆえに、2幕は「偽物だった」、と知ったアンドロイド・アルバートの葛藤がメインになる。
 葛藤するってことは、心があるってことだしね。

 アンドロイド・アルバートはあくまでもアンドロイドなのか、アルバート自身の魂が宿っているのか。
 それは、観客の想像に委ねれば良い。答え合わせは必要ない。ただ誠実に、ひたすらに、「アルバート」という人物を描けば良い。

 アルバートの脳移植設定、マジいらん……。

 が、エルザの心臓移植はよしとする……っていうか、アンドロイドに心臓移植してなんになるのかわかんないんだけど、それゆえに奇跡が起きて、彼女だけ心があるってのは、アリだと思う。や、なくてもいいけど(笑)。やりたきゃやってもいいと思う。エルザを「特別」にする理由付けをそんなとこに求めるのも、まあアリかなと。(わたしならもっと他に理由作るけどなー)

 純粋にアンドロイド・アルバートと、奇跡のアンドロイド・エルザの恋、でよかったと思う。


 だけど、サイボーグのアルバートは謎の自殺をして、人間に生まれ変わったアルバートとエルザが出会って完、……って。
 最後まで、「アンドロイド」否定かよ。

 びっくりした。
 見ながら、「全否定ENDかよ!!」って全身で突っ込んだ(笑)。
 アンドロイドに愛が芽生えるのか、がテーマなら、アンドロイドのまま愛し合ってよ……。
 結局、人間でなきゃ、愛せないのか……。

 こんだけテーマを踏みにじる作品もすごい。
 『アイラブアインシュタイン』がものすごいぞ!という話の続き。

 1幕まるまる使って解説やって、2幕の前半使って回想編やって、本編まだはじまってないけど、上演時間はあと何分あるんだっけ……? と不安になるところで、よーやくストーリーが動き出す。

 これがまたひどい。

 悪役たちは、アンドロイドを軍事利用するために、「アンドロイドは悪! 危険! 排除!」と民衆を扇動する。
 このままだとアンドロイドが危ない……! なんの罪もない彼らが、悪のレッテルを貼られて戦争の道具にされてしまう……!

 と、危機感を煽られたところへ。
 悪役たちの前へ、彼らと戦う意志を示すために、銃を構えたアンドロイドのハンス@タソたちが現れる。

 え。
 目が点になる、口が開く。

 アンドロイドが「差別されている社会的弱者(人間)」なら、この展開はアリだ。
 いじめっこに乱暴されるままメソメソすることしか出来なかった子が、「負けるもんか!」と拳を握って立ち上がる、のは感動話に出来る。
 しかし、扱っているのは「社会的弱者(人間)」じゃない。洗濯機や自動車と同じ、「便利な機械(道具)」だ。

「洗濯機はいらない、洗濯機のせいで手洗い業者が仕事を失った! 洗濯機を排除しよう!」と言っている場に、「銃を持った洗濯機」がぞろりと現れたら……。
 こわい。
 そんな洗濯機、廃棄するしかない。

 作者が、「アンドロイド」の扱いを雑にしているせい。
 「人間なら感動的なエピソード」を、安直にアンドロイドに行わせている。
 でもさ。

 これ絶対やっちゃいけないことでしょ。

 人間に銃を向けるアンドロイドを、人間が許容するはずないじゃん。

 結局撃てなかったことはどうでもいい、銃を向けることができる存在だ、ということが問題。
 人間に武器を向ける洗濯機だのロボット掃除機だのを使い続ける家庭はない。向けるだけです、使いません、は意味ない、それ以前の話。

 わたしは個人的に、「アンドロイドが自我を持つ=反乱」という発想が好みではない。
 や、最初からそれをテーマにしているならともかく、「アンドロイドに愛は理解出来るか」がテーマで、主人公以外のアンドロイドにとって「感情=不満、反感、復讐心」って描き方はフェアじゃないっつーか、好きになれないわー。
 まあこれはわたしの好みの話なんで、作者はテーマパークのアトラクションとかで「ロボットが人間に対して反乱を起こした!」「未来の地球は、ロボットが人間を支配し、人間がレジスタンス活動をしている!」とかいう話が大好きで、「ロボット=反乱」に萌えちゃうのかもしれないけども。体感アトラクションやCGバリバリのハリウッド映画なら、画面を楽しむ意味でその単純明快なストーリーは価値があるけど。
 タカラヅカでソレって、短絡的過ぎて、わたしはつまんない……。

 わたしの好みはともかくとして。
 べつに、「アンドロイドが自我を持つ=反乱」でもいいのよ。そうしたいというなら。
 でもさ、アンドロイドが一律そう考えるのが当然、となるほどひどい扱いを受けているのか描かれていない。
 雇用を奪われた不満でいじめが起こっている、という解説があるだけ。
 反乱を企てるほどの扱いには見えない。出て来るアンドロイドは着飾って歌い踊ったり、ハウスキーピングをしているだけで、人間以下の扱いを受けている様子はない。人間の方がつらい仕事してるよねえ。
 自我=反乱としたいなら、それだけの証拠を提示しなきゃ。結果を導くためには、要因を提示しなくちゃ。
 必要な情報を描くことなく、作者の都合だけで「反乱だーー!」「きゃーこわーい!」とやられてもなあ。


 えーと、ともかく、だ。
 どうやらすべてのアンドロイドには、自然と感情が備わっているように見える。……が、それでも「アンドロイドに感情はない」ということになっている。
 ハンスやアンネ@イブちゃんやヨハン@ひらめちゃんの感情は、感情に含まれないらしい。
 感情がないのに、アンドロイドは虐げられるとつらいらしいよ。反乱を企てるくらいに。
 大変だね、みんなのうちの家電も、きっとなにも言わないだけで、つらい思いをしてるんだろうね。

 アンドロイドは感情なんてないし、さらに、ハイクラスの感情である「愛」は絶対に得られない。
 愛を理解するには知恵の実という、特殊アイテムが必要。
 そして、ここでいう「愛」とは男女の性愛のみをいうらしい。
 親子愛とか友愛とか、愛にもいろいろあるけれど、恋愛だけは特別ですから! だってタカラヅカだもん!
 「自我に目覚める=反乱」「愛は至上のもの!」……思考回路がシンプルだ……。

 エンタメはシンプルな方がいい、ってのはあるから、それはそれでいいと思うのだけど。
 物語の嘘や省略と、ダブスタや設定のいい加減さ、不誠実さは、イコールではないと思うの。
 すべてが謎に包まれた『アイラブアインシュタイン』

 テーマも設定もわけわかんないんだけど、その上、物語の流れっちゅーか構成もおかしいの。

 この物語はたぶん、1幕ラストの「アルバート@あきらはアンドロイド」だという爆弾を派手にぶち上げることを基軸として、構成されている。
 この「引き」はいい。エンタメはこれくらい派手にやるべきだ。

 ただ、1幕ラストで大どんでん返しをやるために、容量配分が難しくなってくる。
 起承転結の「起」だけで1幕、「承・転・結」を全部2幕でやるはめになる。

 アルバートがアンドロイドだった、ということが物語の最終回答になるなら、1幕で「起・承・転1」とやって2幕で「転2・結」にできるけど。
 アルバートがアンドロイドだった、ということがわかったあとで、さらに話が進む・むしろここからスタートする、作りだよね?
 なのに、尺は2幕(しかもフィナーレ分、時間が短い)しかない。

 コレって相当大変なこと。

 なのに、だ。
 その貴重な尺を使って、どーでもいい情報をだらだら見せられる。

 1幕の「起」で描かれているのは、現在の社会情勢、アルバートやトーマス@マイティーなどキャラクタ紹介、悪役たちの主張。アルバートとエルザ@みれいちゃんが出会い、心が近づく様。
 説明が主で、物語自体は進んでない。
 まあ、バウホールの1幕なんて大抵そんなもんだ。
 その説明の一環でもある、1幕ラストの爆弾「アルバートはアンドロイド」。

 さあこれで、事前解説は終わった。ここから物語がはじまる、本編がはじまる……!
 はずの、2幕。

 なのに、何故かえんえん、アルバートとミレーヴァ@べーちゃんの昔話。

 えーと。
 今ソレ、必要……?

 や、ちょっとだけ描いてくれる分にはいい。言葉で解説するだけでなく、実際にふたりがラブラブしているところを見せてくれるのはいい。
 ただ、長い。
 全10話の連続ドラマなら過去回があってもいいけど、120分(フィナーレ込み)の短編で、ナニやってんだ? 「こんなふたりでした」というだけなら数行で済む内容を、何十ページかけて解説するの……?

 それでも、これからはじまる「本編」に必要な情報があるんだと思って、長い長い過去話を眺めていた。
 ……けど、肝心なことはスルーされた。

 えええ。

 必要なのは、「ふつうの男女のラブストーリー、しあわせいちゃいちゃ→夫婦にはすれ違うこともある→でも愛してるんだよ」とかいう、ふつーのカップル話ではなくて。

 何故、肝心な「事故」が語られてないんだ?

 アルバートをかばってミレーヴァが死に、アルバート慟哭、憑かれたように研究没頭、その後壮絶な最期……を描くべきじゃ?
 肝心なとこを描かずにだらだら時間だけ取って。
 そこがないと、トーマスが何故偽アルバートを作ったか説得力ない。

 アルバートの罪はナニ?
 アンドロイドなんてもんを作ろうとしたこと?
 ミレーヴァを死なせてしまったこと?

 アルバートの最大の罪は、自殺したことじゃないの?

 トーマスが許せなかったのはソコじゃなかったの? ミレーヴァを事故死させたことより、その死から逃げたこと。

 でなければ、アルバートの脳を移植して「死んだ人間を甦らせる」ことをしないだろう、トーマス。甦らせた偽アルバート相手に、友だちの振りして生活しないだろう。

 記憶を取り戻したアルバートも、トーマスも、そこをスルーしてるのが理解できない。
 それよりもアンドロイド研究が大事?
 や、人間の脳と心臓を移植して作ってる段階で、アンドロイド計画はブレている。
 人間の臓器を移植しないと心は得られないってことじゃん? 答え出てるじゃん、自分たちで。


 ほんとに、心から、「何故、アルバートをアンドロイドにしなければならなかったのか」がわからないの。わたしには。
 物語としての、必要性が、わからないの。
 てゆーか「不要」だと思う……このストーリーラインに。
 ただ「1幕ラストでびっくりさせたかった」以上のモノを感じない。

 わかんないけど、そういうことになっているから、そのまま話を進める。

 1幕で状況説明とキャラ紹介やって、2幕でえんえん回想編やって。
 それでようやく、「すべての説明が終わった」ところから、本編がはじまる。
 アンドロイドの人権問題(ダブスタ)と、軍事利用しようとする悪の組織との対決だ。

 これがもー、ひっどい内容で。
 ここまでかけてえんえん説明された「アンドロイドとこの世界」と整合しない、破綻しまくった内容なの。

 つづく。
 わたしがこの『アイラブアインシュタイン』を観て、初お目見えの新人演出家の谷貴矢先生に対して抱いた、いちばん端的な、最大の感想は。

 バカなの?

 ……だった。

 すんません、自分もバカなくせに、ナニ言ってんだか。でも、バカだからひとさまをバカだと思わないわけもなく、いやひとさまをバカだと思うこと自体がバカの証明、アタマいい人はひとさまにそんなこと言いません……って、めんどくさいなヲイ、とにかく、自分のことは棚上げして、シンプルにそう思ったのよ。

 「アンドロイドに感情はあるのか?」というテーマだったり、「アンドロイドと人間の対立」だったり、「アンドロイドの軍事利用」だったり、「アンドロイドは冷酷」だったり、道具と社会的弱者の混同とダブスタだったり、いちいちいちいち、アタマ悪いとしか思えないことばかりしている作者。

 でも、それらすらぶっ飛ばす、最大の間違いが、2幕で披露される。


 えー、『アイラブアインシュタイン』は、アンドロイドを取り扱った物語です。
 タカラヅカでアンドロイドを扱うなんて! という、新人作家らしいモチーフで、新風を期待させました。

 だからわたしも、アンドロイド物だと思って観ていました。
 アンドロイドの描き方が破綻しまくっていて目眩がしたけど、それでもアンドロイド物だと信じていました。

 1幕ラストに、主人公が実はアンドロイドだった! と告げられ、「おおっ、すげーな!」と思いました。この大どんでん返しをやりたくて、あえてアンドロイド物だったんだ! と、思いました。

 しかし。

 new谷せんせは、「アンドロイド」がナニかを、知らない??

 ここまで、アンドロイドアンドロイド言っておいて。
 「アンドロイド」を知らない。

 主人公アルバート@あきらは、人間ではなかった。
 彼は、トーマス@マイティーによって作られた、アンドロイドだったのだ!

 アンドロイドは感情を持たない。でも、アンドロイド・アルバートには、感情もアルバートとしての記憶もある。何故か。
「死んだアルバート博士の脳を移植したからだ」

 ソレ、「アンドロイド」チガウやん!!

 アンドロイドとは、人造人間のことだ。ロボットのことだ。
 中身(脳)が人間ならばそれは、ロボットではない。

 ソレは、「サイボーグ」だ。

 サイボーグは、もとは人間であったモノを、機械化したもの。
 脳だけオリジナルで、あとは全部機械、とかもあり。

 今までずーっと「アンドロイドに感情はあるのか」とやってきておいて、全否定。

 アルバートとエルザ@みれいちゃんにだけ感情があるのは、それぞれ死んだ人間を移植したから。

 つまり、アンドロイドに感情はない、ということになる。

 さんざん「エルザはふつうのアンドロイドとチガウ」ってやっておいて、「アンドロイドではなく、サイボーグだからです」って。
 そして、感情を持ち愛を知るアルバートもまた、サイボーグ。

 アンドロイド関係ないやん。

 感情はないとされたアンドロイドたちが、結局感情を持つように描かれるのだが、それはアルバートともエルザとも無関係だ。だって彼らはサイボーグ、アンドロイドたちがどう変化しようと別次元。

 なのに、すべてが混同して描かれる。
 ダブルスタンダードだらけ。
 作者都合にあわせて動物になったり鳥になったり、おいしいとこ取りのコウモリ行動のみで展開する物語。

 この作者、バカなの??
 ちょっと類を見ない混迷ぶり。

 物語を読んだりしないのかしら?
 おかしいところだらけで、目眩がする。
 誰かプロット段階で添削してあげないの? おかしいって指摘してあげないの?

 アンドロイドというSF用語さえ使えばなにやってもいいと思ってる?


 あー、こーゆーこと書くと、「アンドロイド」と「サイボーグ」の定義論に発展します? 法律があるでなし、全人類が納得する明確な定義はないのでしょう。
 「人間の脳を移植してもアンドロイドだ」とnew谷先生は思っていて、それを間違いだと決めつけるわたしが間違っているのかも。

 だとしても、「人間の脳を移植したアンドロイド」と「ただの人型機械」を同じ俎上で「感情はあるのか」と語る物語には「アホか」と言わしてもらいます。
 『アイラブアインシュタイン』が変だー! タスケテクレー! という話の続き。


 悪役チームのおかしさを書いてきましたが。

 同じレベルで、主人公のアルバート@あきらもひどい。

 アンドロイドに感情はあるか。愛を理解出来るか。
 というテーマだから、テーマ自体崩壊しているこの作品では、主人公アルバートも避けて通れないのよ……おかしすぎるのよ……。

 アルバートの前に現れた、謎のアンドロイド、エルザ@みれいちゃん。
 亡き妻ミレーヴァ@べーちゃんに瓜ふたつだというこのアンドロイドは、他の「言われたことしか出来ない」アンドロイドたちと違い、自分の感情で行動しているように見える。
 そして彼女はアルバートに、「感情を教えて欲しい」と言う。「愛を理解したい」と。

 アルバートとエルザはデートをしたりして、心が近づいていく。
 ふたりは盛り上がり、良いムードになって、そして。
 エルザは突然ショートしてしまう。
 感情回路が高まりに耐えられなくなったらしい。

 えーと。
 メーターぶっちぎったためにショートした、ってことは、感情がある、ってことよね?
 そのメーターを動かしたエネルギーはなに? 感情よね? そして、現段階では100までしかメモリがなく、感情が高ぶり100を超えてしまった。ショートした。
 「愛」はメモリ100なんてもんじゃないぜ、200は必要だぜ! なんたって「愛」だからな!
 というなら、単に容量の問題だよね。200まで昂ぶることができるように、改良すれば良い。や、100とか200とかはただの例ですよ。

 エルザがショートした、というのは、物理的な出来事だ。
 現実に故障したのだから、原因がある。感情論じゃない、洗濯機が故障するには原因がある。
 耐えられない負荷が生じた……その負荷ってナニ、これまで存在するモノではそんなもんは生じてない。「感情」というモノが生じたために、そしてそれが大きすぎたために、故障したんだ。

 なのにアルバートは、エルザに向かって突然、「君に愛を理解するのは無理だった」と言い出す。
 ちょっと待て科学者。
 おかしいだろう。
 ショートした、ということ自体がアンドロイド科学の大きな進歩ですがな。

 アルバートが突然キレる意味がわからなくて、マジにぽかーんとした。
 キレ方がまた、感情的だし。失敗を分析してその先につなげる意欲ナシで、脊髄反射みたいな完全否定。子どもか。
 や、もともとアルバートが「子どものような、気まぐれで感情的な天才科学者」「気に入らないことがあるとキレる、人格に問題のある人物」として描かれているならそれでいいけど、「クールでかっこいい大人の男」として描かれてきただけに、突然の人格崩壊にはびびった。

 や、「彼は科学者である前に、ひとりの男なのです」という意味で、「妻と瓜ふたつの存在」へ複雑な思いを抱いていた、それゆえにあんなキレ方をしたのです、ってか。
 繊細論で齟齬を覆い隠すやり方。「なんで彼はそんなことをしたの?」「繊細 だからです」「どうして彼女はあんなことを言ったの?」「人間の心は複雑なんです」……整合性に欠けるときは、なんでもかんでも「繊細だから」「人間だから」と言っておけばOK、だって無の証明は出来ないからね! というやつを発動? 魔法の言葉「軍事利用」と同じく。

 ともかく。
 ここで「感情が高ぶってショートするなんて素晴らしいよ!」と肯定してしまうと、このあとのストーリーにつながらない。
 ストーリー展開の都合で、「ここで拒否」という手順を踏んでいるようにしか見えない。
 アルバートは科学者でありながら、論理的な思考がまったく出来ない。彼にあるのは破綻した感情論のみ。

 『相続人の肖像』と似ている。何故そこで主人公がそんな支離滅裂な言動を取るのか理解不能、いや、理解は出来ないが、理由はわかっている、作者の都合だ、そうしないと話が進まないから、主人公の人格を壊しても、わけのわからないことをさせる。


 とまあ、1幕ですでに相当おかしかったんだけど。
 1幕終わりに、大きな爆弾が来る。

 アルバートは人間ではなかった!!
 本物のアルバートはすでに死に、今ここにいるアルバートは、トーマス@マイティーが作ったアンドロイドだった!!

 えええっ!!

 この「引き」自体はいい。整合性はともかく、フィクションにはこれくらいの盛り上げ必要。

 アルバートがアンドロイドだったとしたらおかしいことが1幕にはいろいろあったけど、それは1幕ラストのどんでん返しを効果的に盛り上げるためだとしたら、その程度の齟齬はOKだと思う。
 や、ほんとうならそこまで計算し尽くしてほしいけど、大筋さえ誠実なら、些末な部分の嘘はかまわないと思うの。完璧に正してモノより、面白いモノが見たいから。

 だから、それはいいのよ。
 でも、この「アルバート=アンドロイド」設定には、どうしても看過出来ない問題があった。

 せっかく1幕ラストでこんだけ盛り上げたのに。
 この盛り上げ自体は、多少の構成上の粗を吹っ飛ばす、よいエンタメぶりなのに。

 ってことで、new谷せんせを見習ってここで「引き」を作ります。
 翌日欄へ続く!!
 『アイラブアインシュタイン』の破綻っぷりについて、続き。

 悪役チームはアンドロイドを軍事利用しようと企む。
 軍事利用、っていい言葉だよね。整合性なくても「軍事利用」って言葉を出すだけで「悪!!」ってことになるの。
 だから、すべてのクリエイターは、悪役を出すときにこの魔法の言葉を使うといいのよ。読者も視聴者も観客も、他になんの説明も不要、反射的に「悪!!」と思ってくれるから。
 や、わたしも嫌ですよ、軍事利用。アンドロイドでも洗濯機でも、その用途で作られたものではないのに、軍事利用する組織がいたら、「悪!!」だと思う。「宝塚歌劇団を軍事利用しようとする政治家が現れた」とか、「絶対許すな!」と思うよ。
 現実の「戦争反対」ハートと、作劇のご都合主義「軍事利用」はまったく別の意味で捉えているだけで。

 まあともかく、軍事利用。
 悪役チームは、現在の日常作業で活躍しているアンドロイドを、軍事利用しようと考える。
 だがアンドロイドは「人間を傷つけられない」設計になっている。
 その設計を崩すには、対象の区別なく攻撃出来るよう仕様変更するのではなく、何故か「アンドロイドの感情を暴走させ、破壊衝動を起こさせる」そうな。

 アンドロイドに感情はない、はずなのに、それを暴走させる……。
 ひどいダブスタだけど、まあ、そういうことが出来るとして。

 暴走して破壊行動に出るよーな危険な存在を軍事利用できるはずがない。

 軍事利用=安全性無視、じゃないよ?
 戦場にはアンドロイドだけしかいないわけじゃないでしょう?
 軍事利用……つまり、高い戦闘力を持つ道具であるならば、安全性は日常生活レベルを超えて重要になるんですが。

 戦闘用アンドロイドに必要なのは「暴走する破壊行動」ではなく、「どの対象を破壊するか、指示・制御する」技術ですよ……?

 もー、聞いていてアタマが痛くなるレベルでアホアホなんだが、この理屈で悪役チームは動く。
 そしてやることが、「アンドロイドが人間を傷つけた」と自作自演して、民衆の恐怖心をあおること。
 いや、おかしいから。

 「人間を傷つけるよーなモノ」を軍事利用させよう! って、恐怖におののく市民に演説しても、逆効果だから!
 そんな危険なモノに、さらに高い殺傷力を与えるってことでしょ?
 ふつう、「危険なモノ」を見たら、「鎮圧・排除」を望むよね?
 無差別殺人犯が銃を乱射してます、この殺人犯に武器をたくさん与えて軍事利用しましょう! って、誰が思うよ? 「そんな危険なモノに、危険な武器を与えるのはやめてくれ!」だよね?
 この方法おかしすぎる。

 さらに。
 「人間から物を奪い、攻撃した」と濡れ衣を着せられたアンドロイドの少年は、なにを言われても言い返せない。人間に逆らえない設定だからだ。
 その段階で、人間を傷つけたというのがおかしいとわかる。反論ひとつできず、拘束を振り払うこともできないモノが、奪い攻撃できると?
 この自作自演は、この段階ですでに「悪役たちの主張は嘘」「アンドロイドは安全」と証明しているようなものだ。

 この自作自演はアンドロイドを「道具」としてではなく、「社会的弱者」として扱っているゆえに成立するエピソード。
 アンドロイドは「道具」だから、軍事利用しよう、という流れなのに。
 作者はここでダブスタを発揮し、罪を着せられる少年アンドロイドを使い、「社会的弱者が虐げられる」ことでわき上がる観客の義侠心を利用している。
 なのに、台詞でだけは「アンドロイドは道具」と主張し続ける。

 さらにこの自作自演話はトンデモ理論を主張する。

 少年アンドロイドが責められているのに、少年アンドロイド自身もなにも言えず、他のアンドロイドもなにも言い返さない。
 悪役たちはそのことを「冷酷だ」と言う。だからアンドロイドは危険だと。

 あのー、人間になにを言われても、されても、一切逆らえない、というのぱ従順さを表しているわけで。
 そこは「アンドロイド安全!」と考えなければならないところ。

 なのにみんなそろって「アンドロイドは冷酷!」って。
 「使えない洗濯機だ!」って蹴っても、洗濯機はなにも言い返さないよね? それに対して「仲間の洗濯機が蹴られているのに、冷蔵庫も電子レンジもナニも言わない。家電は冷酷だ」って言う?

 アンドロイドに感情はない、っていう設定はどこへ……。

 なにもかもおかしい。
 あまりに破綻しまくりで唖然とした、『アイラブアインシュタイン』

 2日続けて観劇しても、感想は変わらなかった。や、作者が手を入れるなりしてくれるかなと期待したけど、変わってなかった。(サイトーくんの『血と砂』は初日だけ演出違ってた。つまり、翌日から変更される可能性はある) 

 この作品がぶっ壊れている原因は、そもそもの設定とテーマにある。ってそれ、土台から間違ってるってことやん!

 敗因は、アンドロイドの扱い。

 この作品のテーマは、HPの解説文にある通り、「果たして、「AI」は、「愛」の感情と「I(自我)」を持つ事が出来るのか。」なわけでしょ?

 これをやるためにまず存在する「前提」「基本設定」は、

 アンドロイドは機械人形であり、感情はない。

 だから、ヒロインのエルザ@みれいちゃんがアルバート@あきらに、「感情を与えて欲しい」と頼むのよね? 公式にも書いてある通り。「ない」から、「欲しい」。最初からあれば、こんな話にはならない。

 アンドロイドに感情はない。これが第一の設定。
 なのに、幕が開いて最初に提示される情勢が「アンドロイドと人間の対立」。
 アンドロイドに感情がなく、人間を傷つけることができない設計である以上対立は不可能だ。

 民衆が反発すべきはアンドロイドではなく、安易な労働力として使用している企業に対してだ。
 服の手洗いをしていた労働者が、「会社が洗濯機を購入したせいで、労働を奪われた、洗濯機は敵だ!」とは言わないよね? 街中で洗濯機を見かけたからといって攻撃しないよね?

 そして、洗濯機のせいで会社をクビになる人が続出したからと言って、「洗濯機と人間が対立している」とは言わないよね?

 最初から「???」だった。
 アンドロイドの扱いが「感情もない道具」ではなく、「人種差別」として描かれている……。

 政府が難民を受け入れるから、俺たちの職が奪われた……! 政府は国民ファーストを心がけよ! と同じ扱い?
 アンドロイドって、そういうもんとチガウよね……?


 また、民意を操ってなにやら画策している、悪役チームの主張がおかしい。
 アンドロイドに雇用を奪われる、だからアンドロイドはいらない。ここまではわかる。
 いらないなら、廃棄が正当。しかし彼らの目的はアンドロイドの軍事利用だという。

 戦争をアンドロイドに任せるのはアリだと思う。命令を受け行動出来る、「感情のない道具」なのだから、工業用機械と同じで、高所とか難所とか、人間だと危険な場所を機械を使って作業する、それと同じ考え方。

 だが、アンドロイドは人間を傷つけることができない。人間の生活の中で作業する以上、安全対策が取られており、「人間を傷つけられない」ように最初から設計されている。

 この理屈でいくなら、レオ博士@エマさんの目的は「アンドロイドが人間を殺せるように設計変更する」ことだ。
 アンドロイドはただの道具。使用目的に合わせて、仕様変更をする。
 イマドキの自動車に自動ブレーキが付いているようなもん。街中では事故が起こらないよう、自動ブレーキは必要だけど、人間をひき殺す目的で使うならいらないから、この機能はなくすよね?

 なのに何故かここで「アンドロイドの感情を暴走させ、破壊衝動を起こさせる」→「感情のリミッターを外させるための知恵の実が必要」になる。
 自動車で置き換えて考えてくれ。
「自動車の感情を暴走させ、破壊衝動を起こさせる」→「感情のリミッターを外させるための知恵の実が必要」……なんだこれ。

 あのー、「アンドロイドには感情はない」という前提はどうなりました?
 感情がないから、アンドロイドは洗濯機や自動車と同じ「道具」なわけでしょ?

 「人間と対立」したり、アンドロイドのダークな利用法が「感情を暴走させる」って、最初からすでに「アンドロイドには感情がある」という前提で、話が進んでますが。

 アンドロイドがまるで人間のように動いたり喋ったりするのは、すべてプログラムされたことなんでしょ?
 そういう設定だよね?
 なのに、アンドロイドが「人間と同じ姿」をしているだけで、作中の人々だけでなく、作者本人が混同している。
 自動運転する洗濯機や自動車と同じなんでしょ? なんで混同して作劇しているの?
 プロット段階で「おかしい」って気づこうよ。

 アンドロイドに感情はない、だから感情を持っているように見えるエルザは異端、興味深い、アンドロイドは恋をするのか、愛を理解出来るのか……というテーマ部分と、実際にアンドロイドが在る世界、生活をどう描くか。
 これがひどいダブルスタンダードになっているんだ。
 アンドロイドの扱いがそのときの都合で「洗濯機(ただの道具)」「社会的弱者(差別される人間)」と変化するんだ。

 作者自身が、この矛盾に気づいていないのではないかと思う。
 いかなる場合も「洗濯機」は「洗濯機」として描くべきで、「ストーリー上の都合」で勝手に「社会的弱者」にしてはならない。
 アンドロイドを「社会的弱者」にしにければ成り立たないストーリーなら、テーマを「アンドロイドの人権」にして、「アンドロイドには感情がある、愛も理解するし、恋もする」という設定にするべき。その上で、「なのに社会はそれを認めない、おかしい」という流れにすべきだ。

 それならば、「アンドロイドを軍事利用」を「道具なんだから当然」と思う人々と、「感情のある存在に対して非道だ」と思う人々で対立が起こる。
 また、レオ博士の言う「アンドロイドの感情を暴走させ、破壊衝動を起こさせる」も成立する。

 基本設定を間違えたまま、イメージだけで話を作るからおかしくなるんだ。

 こういうアタマの悪い間違い方って、すごく引っかかるわ、わたし。
 『アイラブアインシュタイン』初日観劇。
 宝塚歌劇団って一定の名字の人しか演出家になれない、それ以外はハードル上がるから入りにくいとか、ナニかルールがあるんだろうか?と思うくらい、名字かぶりが確率を超えて多いところだよな。
 この作品でもってデビューする演出家は、谷貴矢先生。……ふたりめの「谷」先生。
 ナカムラがふたり、ウエダが3人、そしてタニがふたりか。演出家はそれほど人数いないのに、かぶりまくってる不思議。

 ともかく、あきらスキーだし、新人演出家のデビュー作だもん、絶対初日観なきゃ。先入観や他人の評価がない状態で観なきゃ!
 わくわくバウホールへ駆けつけて。
 そして。

 あまりにトンデモ過ぎて、アタマを抱えた(笑)。

 帰りの電車で感想を書くのはわたしのデフォルトだが、めちゃくちゃ筆進んだ。すっげー熱意と勢いで書いた。書きまくった。書かずにいられない。

 脚本ひでーー!

 すげー破綻しまくり。

 こんなにテンション上がるのって『相続人の肖像』以来か。2015年ワースト作品(笑)。あんときも帰りの電車でタブレットに入力しまくりでしたなあ。

 あちこち『相続人の肖像』思い出すし、破綻ぶりが似ている。new谷先生って田渕先生の直属の後輩かなんか?
 いろんな先生いるけど、大きく分けると植爺系?

 植爺-谷-鈴木-田渕-new谷?

 物語の構成の相似点による分類。

 植爺なら「愛」、谷なら「命」など、耳ざわりのいいテーマを掲げるけれど、作者自身そのテーマに興味が薄い。
 やたら愛愛言葉だけ垂れ流す植爺が興味あるのは「母の愛」だけで、男女の愛は興味ない。母だけは大事だが、女という生き物は下等、それを基準にした恋愛観。大切な命、と繰り返す谷せんせの得意技は皆殺し、大切だと持ち上げるのは、殺してお涙頂戴するため。
 あー、田渕せんせのデビュー作、マジック生き甲斐のマジシャンの話なのに、マジックの軽んじ方がひどかった。マジック生き甲斐にする人が決してしてはいけないこと、するはずもないことをさせまくっていた。
 テーマはただの道具なんだね。
 テーマは愛です、と言えば、誰も文句言えない「愛は素晴らしい」「愛は大切」、「命」だってそう。耳ざわりいいこと言って、はいOK。
 利用はするけど、敬意はない。だってただの道具だから。

 という、植爺ラインの構成パターンを、new谷せんせに感じました。

 アンドロイドをテーマにしているわりに、アンドロイドに興味なさそう。すげー雑な扱い。
 てゆーか設定自体破綻しまくり、興味以前の問題……?
 観ていてびびった(笑)。

 もう少しなんとかならんかったんか……。

 画面はきれいだし、意欲作ではあるんだけど。
 脚本というか、「物語を作る」というのは、かくも困難なことなのか。
 「物語る」という点において、ウエクミはやっぱ飛び抜けていたんだなあ、と改めて思ってみたり。そして、生田せんせもまた、違った意味で飛び抜けていたんだなあ、と思ってみたり。

 でも、『相続人の肖像』ほどの嫌悪感はないな。基本設定と構成が壊れているだけで、キャラクタ自体は毒にも薬にもならない感じだからか。『相続人の肖像』は主人公が偽善者の卑劣漢だったからなあ。

 とにかく愉快なことになってるわ、新人の谷せんせ作品。
 新人公演『桜華に舞え』の感想つらつら。

 役が多すぎて、かえって誰のこともろくに見られていないという、ダメっぷり。アタマ悪いと人生つまらないね。
 だからほんと、真ん中あたりしか見えていない。


 ぴーすけ&あやな、男ふたりは美形で目に楽しいのだけど。
 ヒロインの小桜ほのかちゃんはなんつーか、ファニーフェイスだなあ。
 今までわたしの目に入ることがなかったゆえに、この新公ではじめて顔を観たのだけど……うん、おぼえた。モブにいても見分けられる。特に横顔。めっちゃ特徴ある。

 歌うまいね! おおう、安定の歌声。
 お芝居もうまい。初ヒロインとは思えない。
 声が良いからかな。ヒロイン芝居に無理がなく、説得力をもって進んでいく。

 歌のうまい子は、芝居もうまい場合が多い。特に新人公演ではそれが顕著になる。
 たぶん、声の制御が出来ると、芝居も格好が付くのだろう。学年が上がるとそれだけでは足りなくなるが、新人公演において「声を制御出来る」と、「女子校の文化祭」っぽい駆け出しさんたちとは一線を引くことが出来る印象。

 ほんとに今の歌劇団は歌唱力重視なんだね。出て来る子、出てくる子、みんなうまい。
 音痴しか抜擢されなかった頃からすれば、夢のようだ。耳に優しい。

 ……しかし、ヒロインはもう少し、きれいな子だといいな……。
 や、カツラも衣装も難しすぎる題材だから、仕方ないんだとは思う。本役の風ちゃんだってえらいことになってるし。
 もっと女の子をかわいく見せるカツラと衣装の役なら、ここまでファニーではないんだと思う。

 ほんと、女の子たちはみんな大変。

 竹下ヒサ@真彩ちゃんも、カツラ似合わないね……(笑)。史実無視でいいから、女の子たちにはかわいく見える格好をさせてほしかったよ、サイトー。

 真彩ちゃんは、なにをやっても役不足に思えるから困ったもんだ。
 ヒサはいい役。女の子に役がない男子ハートで描かれた戦記モノで、それでも最大限クローズアップされた役だ。
 それを真彩ちゃんはすごく軽々と、余裕綽々にやってしまい、「うん、役が小さいね、君はもっと出来るよね!」と頷きたくなる感じ……に見える。
 なにをやってもいっぱいいっぱいには見えない度量の大きさは、舞台人として頼もしい。同時に、娘役としてはマイナスなんじゃないだろうかと老婆心。ほら、タカラヅカって成長を見守るのが楽しい文化だから。


 八木永輝@しどりゅーが美形だ!
 いつもの通り、前もって配役チェックしてないから、出てきたとき誰なのか、一瞬わからなかった。つか、しどりゅー今回顔違くね? こんな顔だった?
 しゅっとした薄い美形出てきたー、誰だあれ? 知ってる顔だが誰だろう、ふつーにうまいよね……え、しどりゅー?
 怒り顔だとこんなに美形なのか! 口元特徴あるから? 笑わないと美形度UP?


 西郷隆盛@いーちゃん、うまいわー、違和感なく西郷隆盛だわー、すごいわー。
 ……でもわたし、ダンディないーちゃんが観たいっす。やっぱこの役、わたし求めてない……。

 犬養毅@遥斗くんがすごい……。
 本役のまおくんを観たとき、「こんな神スタイルのじじいいねえ」と思った。青年時代だって、スタイル良すぎて「日本人じゃねえ」だった。
 そのシルエットが脳にインプットされているだけに……、落差すごい……。
 いやその、まおくんがスタイル良すぎるので、そこと比べられたら誰でも大変なんだけど。
 ……遥斗くんが西郷隆盛の方が、違和感なかったんじゃ……? や、うまいから。うまい人だから、ここは是非、難しい専科さんの役を。
 華と押し出しが必要な役は、路線スター候補のきれいどころに割り振った方がタカラヅカ的だったんじゃないかなあと。

 ビジュアルの違和感というと、岩倉具視@朝水くん。
 この役がなんか美形キャラになっててツボった。ここで美形が現れると思ってなかったんで、え? この大仰な感じで美形が出て来ちゃうと、重要な役っぽく見えてまずくね? と焦った(笑)。
 星組新人公演『桜華に舞え』観劇。

 いやはや。
 本公演でも鹿児島弁キツイのに、新公になるとお手上げだな。字幕なしの洋画を観ている気分で観る(笑)。まあ、聴き取れなくても話を追う分には問題ない。

 そして、もひとつお手上げだったのは、役の多さ。
 星組さん馴染みが薄いもんで、誰が誰やら。
 これまた早々にあきらめました。せめて台詞が無理なく聞き取れれば意識を視覚のみに集中できるかもだけど、台詞は聞き取れないわわらわら出てすぐいなくなるわで、わたしには無理、アタマ悪いんだってば。

 ということで、いつもにも増して、視野が狭いっす。真ん中あたりしか観てません。

 本公演でも「役が多い」とは思っていたけど、ほら、本公演だとある程度見分けがついているから、わらわら出てきても意識する以前に認識出来るわけよ。自動的に「この役は**くん」とか仕分けして収めるところに収めている。だから、負荷が少ない。
 新公はいちいち「誰?」となって、のーみそ本体から読み込みしなきゃで、ずっとういーんと起動音たててる感じというか、負荷が大きいのよ。で、「役多いわー、無理ー」となった。

 『JIN-仁-』のとき、役が多くて目が足りなくて楽しかったな。
 下級生まで見分けの付く組担なら、とても楽しい新公だと思う。
 キムシンとか正塚とか、役が極端に少ない演出家の作品より、サイトーくん作品がいいよね、新公は特に!


 初主演おめでとー!の、ぴーすけくん。
 若くてきれいな桐野利秋! おー。
 まず、そんなところに感心する(笑)。

 なんかよく喋ってよく動いてる。
 歌もふつうに歌えてるよね、芝居も出来てるよね、初主演なのによく出来てるよね、すごいね。

 ハンサムだしガタイもよくてかっこよくて。
 なるほどなー、と思うのに。

 何故だ、今こうしてパソコンに向かっていて、顔が思い出せない……。
 表情は思い出せるんだ。や、表情に対する、自分の感情を思い出せる、ということなのかな?

 全組通して、新公主演するような位置の子は、本公演でも大抵見分け付いてるもんなんだけどな。で、新公主演が発表されると「ああ、あの子が!」となる。
 で、ぴーすけくんだって名前と立ち位置は知っていたから「ああ、あの子」とわかった……が、舞台で見つけられていない……。

 本公演で見つけられない・顔がおぼえられないので、主演を観ればわかるようになると期待したんだけど……「かっこいいわねー」ってオペラで追いかけていたのに……だ、大丈夫かわたし。
 年寄りはつらい……海馬がどんどんポンコツになっている。


 衣波隼太郎@あやなくんは、とてもベニーっぽい。線の細い、女顔の男の子。
 剣客にも軍人にも見えないあたりが、とってもベニーテイスト。
 こちらも破綻なく演じているし、歌っている。歌バウではいまいちだった印象なんだが、新公では毎回歌えるんだよな……って、芝居歌ならOKなのか?

 ぴーすけくんと対照的に、あやなくんは本公演でもやたらめったら目に飛び込んでくる。
 帽子かぶっていても、あ、今のあやなくんだー、とわかる。

 顔は目立つんだが、表情はいまひとつかな?
 「見せる」ための表情ではなく、「自分が今こう思っている」表情をしている感じ。
 や、心のままの表情なんだろうけど、それではまだ伝わることが少ないし、えーっとその、あんまりきれいでないことが多いような。
 せっかくの美形さん、心をどう表現すると効果的なのかを会得してくれると助かるなあ。や、観客として。
 なまじ顔が目立つから、余計にそう思うのかも。あの顔で、所作も表情もいつも完璧に美しかったら、そりゃすごい武器ですぜ。


 ぴーすけとあやなだと、親友設定が自然というか、そりゃ同期だもんな、と空気感に安心出来る。
 腕の中で死ぬならどっちも美形がいい、新公はそこが楽しみと言っていた友人に、心から同意。

 2作連続で、トドの腕の中でかしげが死んでいったよなあ、演出家が違っても同じことをさせてしまうくらい、美形の腕の中で美形が息絶える、のは鉄板シチュだよなと。
 宙組新人公演『エリザベート』あれこれ。

 思うのだが、大作ミュージカルのときの新人公演のチケットの取れなさはすごい。
 純粋に「いい作品だから、新公も観てみたい」と思う人が多くなるのはわかるが、それ以外の部分が大きい気がして、理不尽に思う。
 チケットが市場に出回る数が、圧倒的に少ない。
 友会とネット頼みの一般人ゆえ、チケット動向にはアンテナを立てるのだが、『エリザベート』新公チケットはほんとうに、なかった。
 定価譲渡・交換サイトにも、高額転売サイトにも、ほとんど出ない。
 市場に出回っていれば良くも悪くも転売サイトには出る。そこにどんな価格や付加価値を載せるかはともかく、倫理や感情論はともかく、母体が大きければ、目に見えるところにあふれる。
 それが、『エリザ』新公は極少だった。

 ほんっとうに、一般には下ろしてもらえなかったんだな。
 聞く限りでは、会チケも壊滅していたみたいだし。

 通常公演よりも、関係者に吸い上げられるんだろうと思う。
 友会枠は変わらないと思いたいので、少なくなったのは会チケとかその周辺の浮動票という、わりとグレーなあたりと、一般発売枠と推測。
 友会枠が変わらないと思うのは、一応有料会員だからだ。年会費を取っているんだから、規定の枠は最低限守られているだろうと。甘いかな? そこで客を騙す必要はないと思うし。
 一般発売枠が減っているのではないかと思うのは、高値転売目的の業者がろくにチケットを入手できていないことから推測。先着順の一般発売は、素人ではとても購入出来ない、設備や並び屋など、「商売」として本気でつぎ込んでいる組織にはかなわない。なのに、そんなプロの転売屋がチケットを入手できない……ほどに、そもそも一般発売されていない。
 あとは、劇団がチケットの卸先として明言してない私設後援会やその周辺など、流通経路がグレーなあたりに下ろす枚数で、いろいろ調整しているんだろうなと思う。

 ともかく、新人公演チケットは、『エリザベート』のときは末端に降りてくるチケット数が極端に減る。

 新公は誰が主演でどんな演目でも、表向きは即日完売するけど、実際のところ、チケットの「入手しやすさ」はそれぞれまったくチガウ。
 その「即日完売」した上での、市場に出回るチケット数の話ね。
 『エリザベート』だけ、段違いなんだもの。
 タカラヅカの人気作は他にもいろいろある、人気作はチケットが少なくなる、その中でも『エリザベート』別格。ダントツ。

 そりゃ主演スターの人気も関係はするだろうけど、過去の新公『エリザ』だって無駄にチケ難だったよ。トップにならずにコースから逸れた人が主演だった新公『エリザ』だって。

 それにしても、チケ難が年々ひどくなっている気がする。
 チケットを要求する関係者が、年々増えているんじゃないかな。『エリザ』の市場価値が上がるのに比例して。


 今回、あまりのチケ難ゆえに友人たちが誰も観られず、従って観劇後のごはん会も出来ず、寂しかったこともあり、チケット流通量の露骨な変動にぷんすかするのだった。
 ……次の『エリザベート』新公はさらに過酷になるんだろう、そう思うとマジ、チケット取れる気がしない。
 全国ツアー『Melodia-熱く美しき旋律-』は、任せて安心中村B。セットが少なく代わりに人海戦術、「いつも同じ」の基本に忠実なダンシングショーで、全ツ向き。

 トップと2番手がそのまま出演しているから、それほど変化した印象もない。や、わたしみたいなゆるいファンには。
 カレーくんいないけど、歌って踊れるちなつくんがいるしねー。

 とりあえずびっくりしたことは、黄金郷のあきらパートが組長さんだったこと。
 そうか……ここに入るスター枠はいないのか……。
 たかしょーさんはかっこいい系おじさまなので、スター枠でもかまわないのだが。ただ。
 髪型が、すごいことになっていた。
 
 ど、どうしちゃったんだ、さおたさん……!
 思わずオペラで見ちゃったよー。

 えーとえーと、あのカツラ、必要? 地毛でいいんじゃないかな……? 地毛で十分かっこいいと思うよ……?


 中詰めで、ヲカマだったちなっちゃんが、男になってる!
 や、大劇場ではちなっちゃんが脚線美のヲカマさんで、カレーくんが「ヲカマぐらい、手の内で転がしてやるぜ!」って、スカシて踊っていた、あの場面。
 ちなつくんが男でした。
 そして、ここはヲカマ限定なんでしょうか、相手役はヲカマさんでした。……ヲカマに見えるなら将来有望です(笑)。

 ゆーなみくんがなんかスターっぽかったです。
 歌いながら踊れる、はじめてでもあわあわせずに務められる、頼もしいっすね。

 あちこちでいい位置にいる、帆純くんと聖乃くん。帆純くんの方が顔がわかる……のは、あのテの顔が好きだからだろう。聖乃くんもきれいよね。女装はいまいちだったけど(笑)。

 ロケットセンターも大劇場とは違ってヲカマさんだったので、なんかヲカマ推しなショー……(笑)。


 かのちゃんはショーの方がかわいい。
 中村Bショーは、トップ娘役が娘役を率いて踊るのがデフォだから、牽引力が必要。
 かのちゃん、真ん中が板に付いてきたなと思う。


 全国ツアーは客席降りありまくりだから、1階席がおいしいよなあ。
 チケ運のないわたしはもちろん、今回も1階席ではありませんので、指をくわえて見ていました。最近、2階席が多いんだよなあ、梅芸。


 ところで。
 この公演、2番手キキくん、3番手ちなつくんなんだよね。
 ヅカファン相手の別箱公演ではなく、非ヅカファン相手に全国回るわけよね。

 キキちなつを並べるのは、一般客の混乱を招くのでは?

 初心者は絶対見分け付かない(笑)。

 芝居はちなっちゃんがヒゲ男だからいいとして、ショーはどっちも二枚目さんだもの。
「あ、ダンスニー役の人出てきた!」「右手に引っ込んだのに、一瞬で左手側から出てきた!」「しかも服着替えてる!」「手品? タカラヅカすごい!!」「あ、また出てきた!」「あ、また出てきた、ダンスニーの人、ほぼ出ずっぱり!」……てな。
 そしてついに、「また出てきた……えっ、ここにいるのに、また出てきた??」「ふたりいる?!」「双子?!」てなオチに。

 初心者を惑わし、注目させる目的か。
 そして気がついたらキキ&ちなつのファンに……(笑)。
 花組全国ツアー『仮面のロマネスク』についてあれこれ。

 トゥールベル夫人@仙名さんは、……うーん、期待したほどじゃなかった。
 柄違いかな。彼女はメルトゥイユ夫人の方がハマる人だと思うし。
 初演のゆりちゃんが大好きで、再演のえりちゃんも大好物だった……だけに、仙名さんのトゥールベル夫人は、なんだろ、わくわくしない作りだった。
 この女性を口説いても楽しくなさそう、って感じでなあ。旦那さんのさおたさんが好々爺っぽい感じだし、その好々爺とお似合いの、きれいだけどすでに枯れた女性に思えた。貞淑というより、年齢的にそこへ落ち着きました的な。
 ヴァルモンとのラヴシーンも、あんましドキドキしなかったなあ……。
 仙名さんには、背徳の色気はなさそう。そこかな、いちばんの問題。


 ジェルクール伯爵@ちなつくんがかっこいい。や、わかっていたことだけど、かっこいい。

 ロベール@らいらいが、好みだった。
 わたし、初演の泉つかささんが好きでね。わたしの弁慶様(はーと)。悪役専科みたいな人だったんだけど、最後の公演で、ロベールというステキな大人の男の役をやってくれて……すごくすごく、好きだったのね。
 その泉つかささんのロベールを思い出した。大人で、穏やかで、程よく枯れてて。
 再演のロベールではそんな風に思わなかったから、らいらいのロベールはほんと好みなんだと思う。

 相方のヴィクトワール@くみちゃんは、もうちょいかわいくてもいいかなあ。大人に作りすぎてるような……いや、役割的にこれでいいのか。初演厨だからつい……!

 若手スター枠の、アゾラン@ゆーなみくんとジュリー@うららちゃん。手堅いな。
 ゆーなみくんはそつなくうまい。うららちゃんはかわいい。


 しかし、組を3つ……4つ?に割っての公演だから仕方ないんだろうけど……。

 台詞のある出演者たちが、あまりにへたでびっくりした。
 舞踏会の貴族たち、ジェルクールの取りまき、ブルジョアや市民たち……声を出すたび、「えっ?!」とびびるくらい、素人声。
 これからうまくなっていく下級生たちなんだろうけど、現時点ではほんとがんばってくれと。いちいち二度見しちゃうと、物語に没入出来ない。

 そして、あまりにへたっぴで感動したのは、メルトゥイユ家のこそ泥トリオたち。
 帆純くん、お芝居苦手なんやね……。まず、声かなあ。女の子声のまま、舞台用でもない感じの発声で喋ってる……。
 聖乃くんもまた、経験値不足モロ出しの素人っぽさ。
 ふたりとも、きれいなんだけど……お笑い担当のイロモノキャラだから、最低限男役としての発声さえできれば、なんとかなると思うんだけど……現時点ではつらいっす。
 トリオの芝居があまりにすごいので、もうひとりの女の子も研4以下の下級生かと思ってよく見れば……かがりりだった。えっ、下級生チガウ、94期……。
 かがりりなら、もっとうまく芝居できそうなもんだが、今回は男の子たちにつられちゃってるのか、トリオでうまくない……つらい……。

 空気を変えるお笑いキャラ、うまい人がやらないと、こんなに痛々しいことになるんだなと。
 ちなみに初演では、「実力不問の若手のかわいこちゃん」ではなく、組きってのバイプレーヤーたちが務めてました。配役見ただけで「こりゃ笑えるぞ」と観客が期待するほどの。


 へたでびっくりしたというと、なんつっても五峰さん……。
 どうしちゃったんだ。
 もともとお芝居のうまい人ではなかったが、芝居にも発声にも違和感ありまくり。
 あとから友人がチェックしてたんだけど、五峰さん、舞台に立つの2年ぶりとかなんだね。使わない線路が錆びるように、役者をしばらくしてなかったんじゃ、そりゃ芝居力も落ちてるでしょう……。
 花組全国ツアー『仮面のロマネスク』についてあれこれ。

 はじめて、「正しいダンスニー」を観た。

 『仮面のロマネスク』は初演・再演ともに観てます、初演厨です、ついでに、当時のご贔屓が初演のダンスニー役でした。

 されど。
 ダンスニーというキャラクタに、初演も再演も、まったく合ってなかった!

 『カメロマ』好きだけど「2番手ろくな役じゃないよ、男役がおいしくない作品なんて……ぶちぶち」と文句を言ったりするくらい、ダンスニーというキャラクタが嫌いでした。

 まぬけな三枚目ですよ、空気読めないアホの子ですよ、周囲から失笑されたり憐れみの目で見られちゃう人ですよ。NTRですよ。
 や、それならそれでいい、アホの子ですかっこ悪いです、タカラヅカ的ではありません、と突き抜けてくれるなら。
 わたし、バカとかヘタレとか大好物なんだけど、なんでもいいわけじゃない、愛せないバカもいる。バカさの足元が定まっていない、日和見的というか、観客への媚びのあるバカは無理。
 あと、笑わせるためにわざと滑稽な言動を取る、お笑い特化キャラとか。

 初演のトドロキがほんと、知能の低いダンスニーで。
 トド自身この役を持てあましているのか、「お笑いキャラで行こう」「アドリブ命」と思ったのか、とにかく滑稽な芝居を過剰にするのね。
 毎回毎回、ヴァルモンの「恋愛講座」でこれでもかとアドリブしてくる。叫び声とか動作とか、どんどん過剰になっていってね。
 客席が笑うもんだから、芸人芝居ばかりがんばるようになって。

 もともとそんなに芝居うまくないのに、アドリブ職人目指すのヤメテ。
 ダンスニーという男が嘘臭くて、メルトゥイユ夫人が彼を愛人にするのが、本気でわからなかった。彼女の性格なら、あのアホは選ばんでしょ。

 なまじトドファンだったから、トドの最後の2番手役がこれかい、という憤りと、ユキちゃんのことも好きだったから、最後のトドユキがこれかい、という憤りもあり、ほんと嫌だったのだわ。

 ご贔屓だから過剰反応してしまった、というのはあるだろう。
 たかこがこの役だったらきっと、「かわいいー」とにまにましていただろうし。(たかちゃんは当時このテの役が得意だった)

 だからほんと、持ち味大事。トドのキャラクタじゃなかったんだ、この役。そして当時のトドは、柄違いの役をねじ伏せる実力はなかった。


 ああなのに、再演のダンスニーもまた、柄違いの人がやってます。
 みちこ様です、ええ。
 芋にーちゃんの役を、芋にーちゃんにやらせてどうする!(暴言)
 みっちゃんは役によって色男にもなるけれど、芋にーちゃんをやらせると救いなく芋になってしまうのです。
 しかも彼は芸風に「あざとい」というスキルを基本装備している。みっちゃんの演じる「いい人」って悪い方に作用するのよ……あざとさが見えるのよ……。
 みっちゃんがハマるのはヴァルモンです、ダンスニーではありません。色悪みちこ様は観たいけど、アホの子みっちゃんは観たくありません。
 みっちゃんがまた、お笑い方面にがんばりすぎちゃう癖があるしね……。

 トドのようにわざとらしいアホっぷりではないけれど、みっちゃんだとビジュアル面でメルトゥイユ夫人が食指を動かす意味がわからん。トドはお笑い芸人だったけど、とりあえず美形だった。

 そんな、わたしの逆ツボ直撃の過去のダンスニーたち。
 ダンスニーという役自体、嫌いになっていた。

 それが。

 今回はじめて、ダンスニーをいいと思った!

 キキダンスニー、天使。

 おぼっちゃまぶりに、嫌味がない。
 低脳なんじゃなくて、純粋なのよ。
 ああ、ほんとーに素直に育った子なんだ……見ていてほっこりする。
 癒される。

 ダンスニーって、かわいい子がやると、こんなにかわいい役なのね。

 無邪気にセシルに恋している様子も、ヴァルモンに転がされちゃう様子も、セシルを愛しているのに、あっさりメルトゥイユ夫人の愛人になっちゃうのも、すんなり納得出来る。
 そして、ヴァルモンに決闘を申し込むのも。
 この子なら、そうなんだろう、と。

 キキくんの透明感っていいなあ。
 このジャングルみたいなカラーリングの世界観で、彼だけふわりとパステルカラーなの。

 いい人を含みなく「いい人」に演じられるって、路線スターとして得がたい資質だわ。
月組 退団者のお知らせ
2016/09/08
下記の生徒の退団発表がありましたのでお知らせいたします。   
月組
花陽 みら

2016年10月21日(月組 宝塚バウホール公演千秋楽)付で退団

 驚いた。
 新公ヒロインし、一時は大劇場本公演で準ヒロインをやったりしていたし、去年は本公演で役替わりまでしてたよね……そんな子が、バウホールで退団って。
 マギーと暁くんのバウ公演、『FALSTAFF』の集合日だったんだね。東上もなし、正味バウだけの短期間公演。次の大劇場公演はビッグタイトルなのに、そこまで待たないんだ。
 研10という娘役にしては高学年であることも、スカイ・ナビゲーターズをやっていることも、特別感ある娘役スターさんなのに。

 顔もかわいいし、歌えて芝居の出来る、押し出しのいい娘役さんだ。
 ただ、もう何年も太ったままで……脇の女役さんとか本専科さんならいいけど、スター枠で出演するには難しくなってはいた。
 一向に痩せないので、このまま別格スターさんになるか、卒業するかの岐路に来たのかもしれないが……まさか、バウで卒業、袴姿で大階段降りないとは、夢にも思わなかった。

 『HAMLET!!』のみくちゃん、すげーかわいかったなあ……。
 もう、まさおも卒業しちゃったんだもんなあ。時は流れてるんだよなあ。


 あ。
 UPするために読み返してて気がついた。
 みくちゃんがこの公演で退団を決意する理由のひとつ。
 谷先生だ。

 谷先生って生徒の使い方に特徴のある人、という印象。超路線様に優しいのはもちろんのことだけど、それ以外にも決まった人だけ重用する癖がある。
 たとえば、雪組のがおりは、別箱の谷作品は皆勤賞で、他演出家作品の方に出たことは一度もない。そして、谷作品では番手関係なく見せ場やソロがある。ちなみに、昔から別格風味だったにも関わらず、谷作品で新公主演もしている。
 どんだけ谷先生のお気に入りか、わかるというもの。

 月組ではとしくんをお気に入りだよね。マギーも気に入っていて、専科になってからは谷作品だと組を超えて出演するし、今回はバウ主演することになった。

 でもって、みくちゃんの唯一の新公ヒロインも、谷作品だ。
 それほど谷せんせのお気に入りという印象はなかったんだけど、谷せんせの作品で退団したいとか、思っちゃうのかも。
 花組全国ツアー『仮面のロマネスク』を観て思った。

 なにはさておき、ヴァルモンに美貌必須。

 主人公ヴァルモンも、ヒロインのメルトゥイユ夫人も、やってることはとてもひどい。ガチに犯罪者。
 でも、それを観客に感じさせてはいけない。
 「ブスは黙ってろ」と醜男が言ったら弾劾案件だが、美形サマが言ったらドSな萌えシチュエーションになる、ようなもので。

 主人公がさいてー行動を取るならば、それを演じる人は、超美形でなくてはならないっ。

 美は正義なのだ。

 それをしみじみと、思い知った。
 今回の『仮面のロマネスク』は、ヴァルモンが人生経験豊富な大人の男に見えず、狭量な若者に見えた。
 となると、彼のやってることにファンタジー要素が加わらず、そのまんまの非道な行いに見えた。

 えー、ヴァルモン、マジひどくね?
 引くわー……。

 そう思う、端から。

 でも、美しい。

 と、思うのだ。

 うわさいてー、でも美しい……、ちょっとこれシャレなんない……でも美しい……。
 マイナス要素が、いちいち「美しい」に塗り直されていく。

 あ、なんか楽しくなってきた。

 わたしもともとダメ男スキーだから。
 ヴァルモンさいてー、と思う方が、萌えるのです(笑)。

 初演も再演もナマで観ているけれど、わたしはヴァルモンではなくメルトゥイユに感情移入して観ていたのね。ヴァルモンにはあまり注目していなかった。
 それが、今回はヴァルモンの方が楽しい。
 初演も再演も、ヴァルモンは大人の色男で、包容力と余裕があったし、メルトゥイユが切ない女性だとわかって観ていたこともあり、そんな彼女を愛するヴァルモンは(多少やってることが難アリでも)いい男!だと余裕で思えた。
 今回メルトゥイユが理解不能だし、ヴァルモンはさいてーだし、イイ感じに楽しい。

 ヴァルモンはメルトゥイユを手に入れて、どうしたかったのかなあ。
 彼女を愛しているようには、うーん、別に見えなかったんだけど……かといって、ゲームにのめり込んでいる風でもなく。
 なにをどうしても不幸そうで、ステキ。ヴァルモン様、メルトゥイユを落としたとしても、きっと今と同じ不満そうな顔してると思うわ。

 なにが欲しいのかわかっていない、才能あふれる美青年。
 ヴァルモンはとても孤独そうだ。
 メルトゥイユ夫人より、トゥールベル夫人@仙名さんの方が欲しかったんじゃないかな、と思う。でも「ゲーム」としてスタートしたために、あとには引けず、トゥールベル夫人を傷つけるしかなかった。
 欲しいものがわからない、孤独な子どもは、苛立ち続けるしかないのかな。

 『カメロマ』は女性キャラが多く主人公に絡むのだけど、……うーむ、みりお様に合う娘役さんって難しいのかも、と思った。

 かのちゃんはあまり、みりおくんには合っていないなあ、と。
 もう退団しちゃうわけだけど……そうか、お芝居でこんな風に噛み合わない芸風の子だったんだねえ。
 わたし、かのちゃんのことはあまり……というか、ほとんどまともに観たことなくて、そのあたりよくわかってなかった。

 仙名さんもあまり合っているとは思えない……きらきらした満ち味の人じゃないからな、みりおくんと組むとかすんでしまう。仙名さんのいいところが、みりおくんの陰に隠れてしまうのな。

 音くりちゃんは、容姿も芝居も浮いてる。すっごくうまいんだけど、タカラヅカ的じゃないので、とてもタカラヅカ的なみりおくんとは画風のチガウ絵みたいに、いろんな素材が違っている。

 うーむ、せっかくみりおくんが美女を取っかえ引っかえする作品なんだから、彼に似合う美女を揃えて欲しかったな……って、誰が似合うのか、門外漢のわたしはぴんときてないのだけど。

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