ファン・アイテムだから、を言い訳に。@THE SECOND LIFE
2007年11月19日 タカラヅカ 要するにファン・アイテム、主演ファンがよろこぶ作りだからそれで正しい、『THE SECOND LIFE』。
タカラヅカとしては正しいけれど……。
あちこち、まちがってますよね、作劇。
『銀薔薇』や『A/L』の方がずっと出来がいいぞ。
植爺系の失敗してるぞ。これって相当致命的なんだが……。
いちばんの失敗。
マンガスクールにコレで投稿したら、絶対ハネられてる(笑)大失敗。
主人公が誰か、わからない。
これは芝居だから、人間が演じているから、「主役は北翔海莉」だと観客はわかっている。
そうではなく、脚本上の主役が誰かがきちんと書かれていない。
ギャングのジェイクなのか、ピアニストのマークなのか。
主役が傍観者になり、ストーリーを動かさない、とかゆー失敗をする作家・作品はいくらでもある。
しかし、「主役が誰かわからない」話は、そもそもプロット段階でハネられるから客の目には触れないものなんじゃないのか?
プロローグは棺の前。ジェイク@ほっくんを中心としたマフィアの男たちがスーツで踊る。
そこから本ストーリーに続き、シチリアのマフィアたちの物語になる。登場するのはプロローグにいた男たち。そして、マフィアのジェイク。
どれだけジェイクがかっこいいかを、コメディタッチに描き続ける。
観客は主演が誰かを知っている。ほっくん演じるジェイクという男が主人公であり、このかっこいいのかおかしいのか、微妙なところでキザり続ける(笑)心優しい男を愛しはじめる。
一方、ヒロインのルシア@たっちんが登場。彼女には死んだ恋人がいる。ストーリー開始時点から、ルシアの恋人マーク@かいくんは「死んだ恋人」であり、「過去の人」だ。
マークがどんな人なのかはわからない。なにしろもう「過去の人」だし。
これからルシアがジェイクと出会い、新しい恋がはじまるのだろう。そう思わせる設定。というか、それがふつーのルール。
だがこの物語はコメディなので。死んだマークはアタマに天使の輪っかを付けて登場。
1年も前に死んだマークはルシアが忘れられず、人間界に降りてくる。とーぜんルシアには彼が見えない。
ここまでは、まだアリだ。
幽霊が出てきたり、よみがえったりする話はアリだと思っている。「フィクション」なんだから、荒唐無稽でも嘘くさくてもなんでもいい。
そんなことはどーでもいいんだ。
ただ、「物語を作る」上でのルールさえ守られているならば。
たとえばジェイクにだけはマークが見えるとか、彼が成仏(仏教用語)するためにルシアになにかしら働きかけをしなければならず、マークに手を貸しているうちにジェイクとルシアが愛し合ってしまうとか。そーして「次の愛を見つけしあわせになったルシア」を見届けてマークが昇天するとか。
5万回は見たよーな話だが、主人公とヒロイン、ヒロインの死んだ恋人の幽霊、でできる話はこんなもんだろ。
あくまでも、主人公はジェイク。何故なら本ストーリー最初から、ジェイクを「主人公」として描き、主演俳優が彼を演じているから。
なのに。
このジェイクがあっけなく死ぬ。
死んでしまう。
そして幽霊のマークが、コレ幸いとジェイクの死体に入り、マークのままルシアと再度恋をする。
えええ。
ちょっと待った、いくらなんでもそれはないだろ。
それでは、主人公はジェイクではなく、マークということになる。
ほっくんではなく、かいくんなのだ。
ほっくんが演じているが、彼の言動、表情ひとつひとつにかいくんを想像しながら見なくてはならなくなる。
これは、致命的な失敗だ。
物語として、「やってはならないこと」だ。
「入れ替わりモノ」というのは、ジャンルとして存在する。今までいくらでもあった、使い古されたネタだ。
ほっくん自身だって、『恋天狗』で似たよーな役をすでにやっている。
だが、「主役」と「視点」は確実に固定しなければならない。
物語としての主役がマークならば、はじめからマークを「主人公」として描くべきだ。
彼がどんな人か、まず説明する。ピアニストとして喝采を浴びるところからスタートし、恋人のルシアにプロポーズ、明るい未来が待っていたのにそれが無惨に打ち砕かれた。
幽霊となったマークはいつもルシアを見守り続けていたが、ある日誰も発見していないできたてほやほやの死体を見つけ、その死体に入ることで、人間として「2番目の人生」を手に入れた。
これなら「入れ替わりモノ」として、なんの問題もない。
主人公は最初から固定されている。
ジェイクについてはなにも描く必要はない。彼の人格があってはかえって邪魔だからだ。若くして失った彼の人生に観客が同情してはならないし、ジェイク自身に感情移入させてはならないからだ。
「ジェイクは天国で楽しくやっている」と説明させたって免罪符にはならない。そもそもジェイクとしての人生を最初から描かなければよかっただけのこと。
ほっくん主役だと決まっているのだから、マークもジェイクもほっくんが演じれば良かった。
死体は顔を見せずに横たわり、入れ替わったあとも同じカオ。しかし演出で「別人」だと表現すればいい。今やっているドラマ『ドリーム・アゲイン』みたいにね。
この「物語」のルールを無視した、「不誠実さ」に愕然とする。
主人公であるはずのジェイクをあっけなく殺し、彼の物語も背負ってきたモノもあるはずの未来も全部殺し、「なかったこと」にして役者が同じなんだから、ファンは納得するだろってことで別人にする。
そりゃあファンは物語を観に行っているのではなく、「みっちゃん」を観に行っているのだから、ストーリーなんかどうでもいい。「みっちゃん」がかっこよくてかわいくて、得意の歌をばんばん歌っていればそれで満足なんだろ?
……って、演出家が思ってどうするの?
それじゃ植爺と一緒じゃん。『恋天狗』と一緒じゃん。
主演俳優に2役させるのは「ファン・サービス」。物語としてどれだけ壊れていても問題なし。不誠実でも関係なし。ファンなんてバカだから、スターの出番や役柄が多ければそれで大喜び、真面目に物語をルール守って作るなんて面倒なことしなくてヨシ。や、植爺はたんに壊れたモノしか作れないだけだけど。
……また、みっちゃんの演技が『恋天狗』のときと同じテイストで……うまいのはわかるけど、コメディやるとこの人、こーゆーことになっちゃうんだよなあ、という。
「みっちゃん」をステキに、いろんなカオを見せつつも、誇りのある作劇をしてこそクリエイターなんじゃないのか?
「物語」を大切にして欲しい。
やってはいけないことをして、「タカラヅカなんだからいいじゃん」で安直に逃げないで欲しい。
タカラヅカだからまかり通っているけど、読み切りマンガや単発短編ドラマのプロットだったら却下されてるよね。
「主役が誰かわからない。わかるように書き直してこい」って。
いろんなカオの「みっちゃん」を見せる、が目的なら、ジェイクを出す必要はなかったのに。
「かっこいいマフィア」としてのジェイクなら、「死にたての死体に入ったから、カラダが生前の癖をおぼえている」という作品中に出てくる設定でまかなえるのに。
ジェイクを「主人公」として長々と描いてしまった今の『THE SECOND LIFE』前半を正しく使うなら、死んだあともジェイクの人格を描き続けなければならない。
カラダはジェイクひとつだが、そこにマークとジェイク、ふたつの魂があることを表現して、二人三脚で物語を進めるしかない。
死んだはずのマークが2度目の人生でハッピーエンドでもいい、荒唐無稽だとかありえないとか言わない、それがフィクションの醍醐味だと思う。
ただ、「なんでもあり」なのは、「ルールを守った上で」なんだ。
マークが主人公、というルールの上でなら彼がジェイクの人生を奪ってハッピーエンドでもいいが、ジェイクが主人公ならおかしいんだ。「演じている人が同じ」は言い訳にならない。
「心」の問題だからだ。
なんつーか、最近の若い男の子の流行りなんですか?
「カラダが同じなら、中身が別でもOK」って。たとえば、美人な女の子がいれば、中身が途中で別人になっていてもOK? 大切なのはカラダだけ?
稲葉先生の『Hallelujah GO!GO!』でも、同じことやってるんだよね。
主人公が途中で変わって別人になってるんだけど、演じている役者が同じだから問題なし、ってやつ。
演じてるのが同じちえちゃんだから、同じみっちゃんだから、キャラクタが別でもいいだろ、てか。
カラダが同じなんだから、中身がちがってもいいだろ、って。
若い作家が立て続けにこういう価値観で物語を描くことに、不安を感じるよ……。
タカラヅカとしては正しいけれど……。
あちこち、まちがってますよね、作劇。
『銀薔薇』や『A/L』の方がずっと出来がいいぞ。
植爺系の失敗してるぞ。これって相当致命的なんだが……。
いちばんの失敗。
マンガスクールにコレで投稿したら、絶対ハネられてる(笑)大失敗。
主人公が誰か、わからない。
これは芝居だから、人間が演じているから、「主役は北翔海莉」だと観客はわかっている。
そうではなく、脚本上の主役が誰かがきちんと書かれていない。
ギャングのジェイクなのか、ピアニストのマークなのか。
主役が傍観者になり、ストーリーを動かさない、とかゆー失敗をする作家・作品はいくらでもある。
しかし、「主役が誰かわからない」話は、そもそもプロット段階でハネられるから客の目には触れないものなんじゃないのか?
プロローグは棺の前。ジェイク@ほっくんを中心としたマフィアの男たちがスーツで踊る。
そこから本ストーリーに続き、シチリアのマフィアたちの物語になる。登場するのはプロローグにいた男たち。そして、マフィアのジェイク。
どれだけジェイクがかっこいいかを、コメディタッチに描き続ける。
観客は主演が誰かを知っている。ほっくん演じるジェイクという男が主人公であり、このかっこいいのかおかしいのか、微妙なところでキザり続ける(笑)心優しい男を愛しはじめる。
一方、ヒロインのルシア@たっちんが登場。彼女には死んだ恋人がいる。ストーリー開始時点から、ルシアの恋人マーク@かいくんは「死んだ恋人」であり、「過去の人」だ。
マークがどんな人なのかはわからない。なにしろもう「過去の人」だし。
これからルシアがジェイクと出会い、新しい恋がはじまるのだろう。そう思わせる設定。というか、それがふつーのルール。
だがこの物語はコメディなので。死んだマークはアタマに天使の輪っかを付けて登場。
1年も前に死んだマークはルシアが忘れられず、人間界に降りてくる。とーぜんルシアには彼が見えない。
ここまでは、まだアリだ。
幽霊が出てきたり、よみがえったりする話はアリだと思っている。「フィクション」なんだから、荒唐無稽でも嘘くさくてもなんでもいい。
そんなことはどーでもいいんだ。
ただ、「物語を作る」上でのルールさえ守られているならば。
たとえばジェイクにだけはマークが見えるとか、彼が成仏(仏教用語)するためにルシアになにかしら働きかけをしなければならず、マークに手を貸しているうちにジェイクとルシアが愛し合ってしまうとか。そーして「次の愛を見つけしあわせになったルシア」を見届けてマークが昇天するとか。
5万回は見たよーな話だが、主人公とヒロイン、ヒロインの死んだ恋人の幽霊、でできる話はこんなもんだろ。
あくまでも、主人公はジェイク。何故なら本ストーリー最初から、ジェイクを「主人公」として描き、主演俳優が彼を演じているから。
なのに。
このジェイクがあっけなく死ぬ。
死んでしまう。
そして幽霊のマークが、コレ幸いとジェイクの死体に入り、マークのままルシアと再度恋をする。
えええ。
ちょっと待った、いくらなんでもそれはないだろ。
それでは、主人公はジェイクではなく、マークということになる。
ほっくんではなく、かいくんなのだ。
ほっくんが演じているが、彼の言動、表情ひとつひとつにかいくんを想像しながら見なくてはならなくなる。
これは、致命的な失敗だ。
物語として、「やってはならないこと」だ。
「入れ替わりモノ」というのは、ジャンルとして存在する。今までいくらでもあった、使い古されたネタだ。
ほっくん自身だって、『恋天狗』で似たよーな役をすでにやっている。
だが、「主役」と「視点」は確実に固定しなければならない。
物語としての主役がマークならば、はじめからマークを「主人公」として描くべきだ。
彼がどんな人か、まず説明する。ピアニストとして喝采を浴びるところからスタートし、恋人のルシアにプロポーズ、明るい未来が待っていたのにそれが無惨に打ち砕かれた。
幽霊となったマークはいつもルシアを見守り続けていたが、ある日誰も発見していないできたてほやほやの死体を見つけ、その死体に入ることで、人間として「2番目の人生」を手に入れた。
これなら「入れ替わりモノ」として、なんの問題もない。
主人公は最初から固定されている。
ジェイクについてはなにも描く必要はない。彼の人格があってはかえって邪魔だからだ。若くして失った彼の人生に観客が同情してはならないし、ジェイク自身に感情移入させてはならないからだ。
「ジェイクは天国で楽しくやっている」と説明させたって免罪符にはならない。そもそもジェイクとしての人生を最初から描かなければよかっただけのこと。
ほっくん主役だと決まっているのだから、マークもジェイクもほっくんが演じれば良かった。
死体は顔を見せずに横たわり、入れ替わったあとも同じカオ。しかし演出で「別人」だと表現すればいい。今やっているドラマ『ドリーム・アゲイン』みたいにね。
この「物語」のルールを無視した、「不誠実さ」に愕然とする。
主人公であるはずのジェイクをあっけなく殺し、彼の物語も背負ってきたモノもあるはずの未来も全部殺し、「なかったこと」にして役者が同じなんだから、ファンは納得するだろってことで別人にする。
そりゃあファンは物語を観に行っているのではなく、「みっちゃん」を観に行っているのだから、ストーリーなんかどうでもいい。「みっちゃん」がかっこよくてかわいくて、得意の歌をばんばん歌っていればそれで満足なんだろ?
……って、演出家が思ってどうするの?
それじゃ植爺と一緒じゃん。『恋天狗』と一緒じゃん。
主演俳優に2役させるのは「ファン・サービス」。物語としてどれだけ壊れていても問題なし。不誠実でも関係なし。ファンなんてバカだから、スターの出番や役柄が多ければそれで大喜び、真面目に物語をルール守って作るなんて面倒なことしなくてヨシ。や、植爺はたんに壊れたモノしか作れないだけだけど。
……また、みっちゃんの演技が『恋天狗』のときと同じテイストで……うまいのはわかるけど、コメディやるとこの人、こーゆーことになっちゃうんだよなあ、という。
「みっちゃん」をステキに、いろんなカオを見せつつも、誇りのある作劇をしてこそクリエイターなんじゃないのか?
「物語」を大切にして欲しい。
やってはいけないことをして、「タカラヅカなんだからいいじゃん」で安直に逃げないで欲しい。
タカラヅカだからまかり通っているけど、読み切りマンガや単発短編ドラマのプロットだったら却下されてるよね。
「主役が誰かわからない。わかるように書き直してこい」って。
いろんなカオの「みっちゃん」を見せる、が目的なら、ジェイクを出す必要はなかったのに。
「かっこいいマフィア」としてのジェイクなら、「死にたての死体に入ったから、カラダが生前の癖をおぼえている」という作品中に出てくる設定でまかなえるのに。
ジェイクを「主人公」として長々と描いてしまった今の『THE SECOND LIFE』前半を正しく使うなら、死んだあともジェイクの人格を描き続けなければならない。
カラダはジェイクひとつだが、そこにマークとジェイク、ふたつの魂があることを表現して、二人三脚で物語を進めるしかない。
死んだはずのマークが2度目の人生でハッピーエンドでもいい、荒唐無稽だとかありえないとか言わない、それがフィクションの醍醐味だと思う。
ただ、「なんでもあり」なのは、「ルールを守った上で」なんだ。
マークが主人公、というルールの上でなら彼がジェイクの人生を奪ってハッピーエンドでもいいが、ジェイクが主人公ならおかしいんだ。「演じている人が同じ」は言い訳にならない。
「心」の問題だからだ。
なんつーか、最近の若い男の子の流行りなんですか?
「カラダが同じなら、中身が別でもOK」って。たとえば、美人な女の子がいれば、中身が途中で別人になっていてもOK? 大切なのはカラダだけ?
稲葉先生の『Hallelujah GO!GO!』でも、同じことやってるんだよね。
主人公が途中で変わって別人になってるんだけど、演じている役者が同じだから問題なし、ってやつ。
演じてるのが同じちえちゃんだから、同じみっちゃんだから、キャラクタが別でもいいだろ、てか。
カラダが同じなんだから、中身がちがってもいいだろ、って。
若い作家が立て続けにこういう価値観で物語を描くことに、不安を感じるよ……。
要するに、ファン・アイテム・その2。@THE SECOND LIFE
2007年11月18日 タカラヅカ 宙バウ『THE SECOND LIFE』、作品はかなりアレでいろいろまちがいまくっているんだけど、「ファン・アイテム」としては正しいので、先に出演者の感想、その2。
ヒロインのルシア@たっちん。
あのー、この作品、たっちん歌ってました?
ほっくんと比べ、たっちんの歌を堪能する場面が少なかった気がするんだけど……。デュエットもそんなになかったし。
ほっくんとたっちんですよ、これでもかっ!な歌歌歌歌洪水を期待していたんだが……。うおお、たっちんの歌をもっと聴きたかったよーっ。
つーことで、今回のたっちんの印象は、歌ではなく「演技」です。
毎回わたしは「たっちんは芝居より歌の方が饒舌」だと書いてきました。台詞言って芝居しているより、歌った方がはるかに感情がわかりやすく、情感豊かに押しも強く華やかであると。
「歌」の技術に「芝居」がついてきていない。喋るより歌ってくれ、その方が心情がよりわかる。
そーゆー人だと思っていたのに。
今回は彼女の心の動きに同調し、彼女に泣かされました。
ジェイク@「別人」のカラダを借りて現れたマーク@「死んだ恋人」に対しいろいろ引っかかっていたはずなのに、いざそのややこしい男が死ぬかもしれない、というときに取り乱して叫ぶ「私の大切な人、助けてよ!」だっけかに一気にツボを直撃されたぞ。
夢のフィギュアようなスタイルは持っていないけれど、華やかな顔立ちは舞台向きだと思う。ぐんちゃんに似ているのがわたし的にはうれしいところ(ぐんちゃん好き)。
ラストのどんでん返しでも笑わせてくれたし、幕が下りるときの例のシーンのくつろいだ表情もキュートだわ。
えーと、ところでこの作品の2番手って、誰?
汝鳥さんであってる?
観る前はてっきりちぎだと思ってたんだけど。ちぎぢゃないよなあ? 太田作品でもそうだったけど、専科さんを2番手(もしくは主役)にしてしまう作品は問題だと思うの。若手スターを売ってナンボだろうに。そりゃ専科さんはすばらしい仕事をしてくれるから使いたい気持ちもわかるし、作品のアラをカバーしてくれるから足りない部分を丸投げしちゃうんだろうけどさぁ。
作品については置くとして、汝鳥さん。
素晴らしい。
登場からすべてを持っていってくれる(笑)。とてつもない庇リーゼントに抱きしめた犬のぬいぐるみ。や、ぬいぐるみだけど本物の犬ってことで。しっかりお衣装着ているところがもお、愛されたワンちゃんだとわかる。
汝鳥さんが「暴力反対、安全第一」ギャングってゆーだけで、おかしくてしょーがない。
そして、二役の神様。
この神様がもー、かわいくてかわいくて。2幕でただ現れて走り去る、それだけで身悶えするほどキュート、プリティ、ワンダホー。
見事なキャラ勝ち、存在感と実力で2番手ポジ獲得。
割を食ってしまったちぎ。……これは作品が悪い、演出家が悪い。て話はあとでするとして、わたしの泣きツボを押してくれたのは彼。
アホウなギャングのケリー役の、アホウなプレゼント大作戦。
ボスの娘アイラ@藤咲えりちゃんに惚れて夢中でアイラビューンな彼。いつもなにかと必ず愛を口にしてはさくっと無視されていた「踏んでもいいキャラ」であるところの彼。
無視されること、踏みつけられることに慣れてる(笑)もんだから、見返りナシ。無償の愛。
ただ純粋に与えることによろこびを感じる姿に、せつなくなる。
生意気アイラのお誕生日を、ただ「祝う」ことがうれしくてならないケリー。それによって点数を稼ぎたいとか好きになって欲しいとか、そーゆーことではなく、「好きな女の子に喜んで欲しい」だけでがむしゃらに動く彼が愛しい。
あー、エルメスのケリーバック、あたしも欲しいなあ……。ケリーみたいな男に貢がれたいなぁ……。
つか、ふつうの舞台でも映画でもマンガでも、ケリーみたいなキャラは不細工が演じると思うのよ。不細工でアホだけど、とびきりハートフル。ドラマならお笑い芸人あたりが演じていそう。
そんな論外男が若手アイドル演じる準ヒロインに恋をして、さんざん踏みつけにされるけれど、ストーリー本筋とは関係なく最後にハッピーエンド、ドラマの「いい話」度をあげる脇エピソードとして機能。
という「役割」も「キャラ」も見えているよーな役がいちばん美形の人が演じているあたり、タカラヅカのステキなところ(笑)。
ちぎがかっこよくてねぇ。
美形なの。どんなに役がアホでも、とにかく美しいの。
美しいことと暑苦しいことを両立させて、このままマイウェイを進んで欲しい。
しかし、ちぎの扱いはもったいなさすぎるわ……2番手くらいやらせてやってよ鈴木圭。
最初から、ルイジ@きみつんがステキ過ぎる件。
若者ばかりの舞台で、冴えわたる「大人の男」。
いやあ、上級生はいいよね、大人はいいよね。……あれ? きみつんってまだ若手だっけ?
バウは宙組的にはちっちゃい子ばっかを揃えました、な画面になっているので、ほっくんやきみつんが「ガタイ良し」って感じですごーく映える。ええ、ちぎがぜんぜん小さくないし。
ちっちゃい子、とはいえ、若い子たちは彼らよりデータ上の身長は大きいと思うんだが、スーツの着こなしがアレなためにひょろっとしているだけで大きさは感じられない。
きちんと「男役」をしていて、ある程度の身長やスタイルのある人が見栄えするのよねー。
ルイジはスーツでダークで無意味に女装で、とってもステキでした。「役」としてもっとちゃんと描いてほしかったし、前半でアレだけ出番があって後半は忘れられてた?てな扱いで、ああもー、脚本がアレなのが痛いけど、それでもステキでしたとも。
マーク@かいくんもかわいかったし、アイラ@えりちゃんはスカフェでの能面ぶりからは想像がつかないはじけっぷりがキュート、個人的にルイジの弟分@樹茉くんが要チェック、それほどうまいわけでもないなー、悪くもないけど、とぼーっと見ていたら、フィナーレの立ち位置がいつも末席で……最下だったのかよヲイ、と挨拶時に判明。
ケイト@舞良ちゃんとちとやりすぎってゆーか、このままだとリンゴさんになりそうで戦慄、反対に悪女ニーナ@ちさきちゃんはもっとがんばってくれー。
宙組は馴染みがないので、下級生をおぼえられるといいな、と思って行ったのに、主要人物以外まるっと脇役で途方に暮れた……役とキャラクタつけてやってくれよ、演出家……『銀薔薇』も『A/L』も下級生まで「なにかやることができる」モブとして使ってたじゃん。
同じ「ファン・アイテム」でも、主演ファン以外のおいしさがぜんぜんチガウんだよな……。ストーリーなんかどーでもよし、とまで開き直って、生徒のプロモーションビデオにしてもよかったんじゃあ? ……て、そこまでの覚悟もないか。
まあ、鈴木せんせー的には習作ってことなのかなぁ。これからよい作品を作ってくれるよーになるのかも? ……作って欲しいっす。
ヒロインのルシア@たっちん。
あのー、この作品、たっちん歌ってました?
ほっくんと比べ、たっちんの歌を堪能する場面が少なかった気がするんだけど……。デュエットもそんなになかったし。
ほっくんとたっちんですよ、これでもかっ!な歌歌歌歌洪水を期待していたんだが……。うおお、たっちんの歌をもっと聴きたかったよーっ。
つーことで、今回のたっちんの印象は、歌ではなく「演技」です。
毎回わたしは「たっちんは芝居より歌の方が饒舌」だと書いてきました。台詞言って芝居しているより、歌った方がはるかに感情がわかりやすく、情感豊かに押しも強く華やかであると。
「歌」の技術に「芝居」がついてきていない。喋るより歌ってくれ、その方が心情がよりわかる。
そーゆー人だと思っていたのに。
今回は彼女の心の動きに同調し、彼女に泣かされました。
ジェイク@「別人」のカラダを借りて現れたマーク@「死んだ恋人」に対しいろいろ引っかかっていたはずなのに、いざそのややこしい男が死ぬかもしれない、というときに取り乱して叫ぶ「私の大切な人、助けてよ!」だっけかに一気にツボを直撃されたぞ。
夢のフィギュアようなスタイルは持っていないけれど、華やかな顔立ちは舞台向きだと思う。ぐんちゃんに似ているのがわたし的にはうれしいところ(ぐんちゃん好き)。
ラストのどんでん返しでも笑わせてくれたし、幕が下りるときの例のシーンのくつろいだ表情もキュートだわ。
えーと、ところでこの作品の2番手って、誰?
汝鳥さんであってる?
観る前はてっきりちぎだと思ってたんだけど。ちぎぢゃないよなあ? 太田作品でもそうだったけど、専科さんを2番手(もしくは主役)にしてしまう作品は問題だと思うの。若手スターを売ってナンボだろうに。そりゃ専科さんはすばらしい仕事をしてくれるから使いたい気持ちもわかるし、作品のアラをカバーしてくれるから足りない部分を丸投げしちゃうんだろうけどさぁ。
作品については置くとして、汝鳥さん。
素晴らしい。
登場からすべてを持っていってくれる(笑)。とてつもない庇リーゼントに抱きしめた犬のぬいぐるみ。や、ぬいぐるみだけど本物の犬ってことで。しっかりお衣装着ているところがもお、愛されたワンちゃんだとわかる。
汝鳥さんが「暴力反対、安全第一」ギャングってゆーだけで、おかしくてしょーがない。
そして、二役の神様。
この神様がもー、かわいくてかわいくて。2幕でただ現れて走り去る、それだけで身悶えするほどキュート、プリティ、ワンダホー。
見事なキャラ勝ち、存在感と実力で2番手ポジ獲得。
割を食ってしまったちぎ。……これは作品が悪い、演出家が悪い。て話はあとでするとして、わたしの泣きツボを押してくれたのは彼。
アホウなギャングのケリー役の、アホウなプレゼント大作戦。
ボスの娘アイラ@藤咲えりちゃんに惚れて夢中でアイラビューンな彼。いつもなにかと必ず愛を口にしてはさくっと無視されていた「踏んでもいいキャラ」であるところの彼。
無視されること、踏みつけられることに慣れてる(笑)もんだから、見返りナシ。無償の愛。
ただ純粋に与えることによろこびを感じる姿に、せつなくなる。
生意気アイラのお誕生日を、ただ「祝う」ことがうれしくてならないケリー。それによって点数を稼ぎたいとか好きになって欲しいとか、そーゆーことではなく、「好きな女の子に喜んで欲しい」だけでがむしゃらに動く彼が愛しい。
あー、エルメスのケリーバック、あたしも欲しいなあ……。ケリーみたいな男に貢がれたいなぁ……。
つか、ふつうの舞台でも映画でもマンガでも、ケリーみたいなキャラは不細工が演じると思うのよ。不細工でアホだけど、とびきりハートフル。ドラマならお笑い芸人あたりが演じていそう。
そんな論外男が若手アイドル演じる準ヒロインに恋をして、さんざん踏みつけにされるけれど、ストーリー本筋とは関係なく最後にハッピーエンド、ドラマの「いい話」度をあげる脇エピソードとして機能。
という「役割」も「キャラ」も見えているよーな役がいちばん美形の人が演じているあたり、タカラヅカのステキなところ(笑)。
ちぎがかっこよくてねぇ。
美形なの。どんなに役がアホでも、とにかく美しいの。
美しいことと暑苦しいことを両立させて、このままマイウェイを進んで欲しい。
しかし、ちぎの扱いはもったいなさすぎるわ……2番手くらいやらせてやってよ鈴木圭。
最初から、ルイジ@きみつんがステキ過ぎる件。
若者ばかりの舞台で、冴えわたる「大人の男」。
いやあ、上級生はいいよね、大人はいいよね。……あれ? きみつんってまだ若手だっけ?
バウは宙組的にはちっちゃい子ばっかを揃えました、な画面になっているので、ほっくんやきみつんが「ガタイ良し」って感じですごーく映える。ええ、ちぎがぜんぜん小さくないし。
ちっちゃい子、とはいえ、若い子たちは彼らよりデータ上の身長は大きいと思うんだが、スーツの着こなしがアレなためにひょろっとしているだけで大きさは感じられない。
きちんと「男役」をしていて、ある程度の身長やスタイルのある人が見栄えするのよねー。
ルイジはスーツでダークで無意味に女装で、とってもステキでした。「役」としてもっとちゃんと描いてほしかったし、前半でアレだけ出番があって後半は忘れられてた?てな扱いで、ああもー、脚本がアレなのが痛いけど、それでもステキでしたとも。
マーク@かいくんもかわいかったし、アイラ@えりちゃんはスカフェでの能面ぶりからは想像がつかないはじけっぷりがキュート、個人的にルイジの弟分@樹茉くんが要チェック、それほどうまいわけでもないなー、悪くもないけど、とぼーっと見ていたら、フィナーレの立ち位置がいつも末席で……最下だったのかよヲイ、と挨拶時に判明。
ケイト@舞良ちゃんとちとやりすぎってゆーか、このままだとリンゴさんになりそうで戦慄、反対に悪女ニーナ@ちさきちゃんはもっとがんばってくれー。
宙組は馴染みがないので、下級生をおぼえられるといいな、と思って行ったのに、主要人物以外まるっと脇役で途方に暮れた……役とキャラクタつけてやってくれよ、演出家……『銀薔薇』も『A/L』も下級生まで「なにかやることができる」モブとして使ってたじゃん。
同じ「ファン・アイテム」でも、主演ファン以外のおいしさがぜんぜんチガウんだよな……。ストーリーなんかどーでもよし、とまで開き直って、生徒のプロモーションビデオにしてもよかったんじゃあ? ……て、そこまでの覚悟もないか。
まあ、鈴木せんせー的には習作ってことなのかなぁ。これからよい作品を作ってくれるよーになるのかも? ……作って欲しいっす。
要するに、ファン・アイテム。@THE SECOND LIFE
2007年11月17日 タカラヅカ まさかのチケ難、完売してるし掲示板にも「譲る」がぜんぜん出ないし。『想夫恋』との差に目眩、ちょっと不自然な気がしないでもないが、『THE SECOND LIFE』をサバキで観てきました。みっちゃんにもたっちんにも、そして鈴木圭にも興味あるので、がんばりました。
えーと。
わたし、鈴木先生の新公演出が好きなんですよ。長い話をばっさり切って短くまとめる、その手腕や、話が長いだけでボケたテーマを別物としてでもまとめてしまう手腕を、心地よいと思っているので。
彼の新公以外作品というと『里見八犬伝』だけで、映画まんまだったりカーテン前使い過ぎだったり石の上でラヴシーンだったり(笑)、なんかあんましいい印象も、かといってこれというほど悪い印象もなくて。
オリジナルを書くとどーなるのか知りたかったんだが……。
見終わった感想は、「よーするに、『銀薔薇』か」でした。
『シルバー・ローズ・クロニクル』。あるいは『A/L』。
作品的には問題ありまくり。でも、主演の魅力を発揮させるアテ書きと大勢でドタバタやる他愛ないコメディ。
完全、ファン・アイテム。
ファンが「こんな***ちゃん、見たかった!」「***ちゃんステキ!」と喜ぶ作品。……ただ、それだけの作品。
作品がアレでも、ほっくん、たっちん、汝鳥さんと実力者が真ん中をどーんと支えているから成り立っているし、「あはは」と他愛なく笑って2時間過ごすには問題はない。わくわくもホロリも、させてくれる。
ただ……張り切ってたんで2回分サバキ取れちゃったんだけど……1回はさばこう……これはわたしよりみっちゃんファンが観るべきものだわ……。
『THE SECOND LIFE』も『シルバー・ローズ・クロニクル』も『A/L』も、1回観る分にはたのしいし、わたしがもっとお金と時間に余裕があったら何回でも観たいけれど、しがないびんぼー人なのであきらめる。
でも、贔屓が出ていたら、たのしいと思う。『THE SECOND LIFE』も『シルバー・ローズ・クロニクル』も『A/L』も。
や、どれもアテ書きなので、主演の人に対して「これが***だったら」とは思いませんが。ええ、わたしの場合だとまっつですから、「この役がまっつだったら」とはとても考えられませんが(笑)。
それでも、わたしが主演さんのファンだったら、きっとすげーよろこんで通うだろうなあ、と思うよ。
他愛ないドタバタ・コメディ、つーのは、「通う」こと前提なら楽でいいんだもの。
たしかに『舞姫』はすばらしい作品だったが、続けて観るのはつらかった。Wヘッダーなんかとんでもない、体力も精神力も続かない。や、大好きなのよ。大好きなんだけど。感動もものすげーし大泣きし過ぎて偏頭痛起こすし、大変なのよ。重すぎる作品に短期間で濃密に通いまくるっつーのは。(みわさんファンは大変だったろーなぁ……でもアレに主演できたら本望だから、どんなに消耗しても通うだろうけどなぁ)
まっつファンとして「通う」ことがたのしかったのは『スカウト』や『MIND TRAVELLER』だった。他愛なく笑って、萌えていればよかったから。
だから『THE SECOND LIFE』は、十分正しい作品だと思う。『シルバー・ローズ・クロニクル』や『A/L』が正しいのと同じで。
つーことで、作品のアレさは置いておいて、とりあえず出演者の話。
我らが北翔海莉。
かっこいい。
愉快なギャングのジェイク役。途中からは別人格、ヘタレなマーク役。
かしちゃんコンサートのときも思ったんだけど、彼は「男役としての型」ができあがっている。スーツの着こなし、所作。キザり方。それらがきちんとできあがっているので、見ていてすげー気持ちいい。
若い男の子たちを率いて真ん中で踊っていると、みっちゃんがどれだけ抜きんでているかよくわかる。
タカラヅカは「技術」なんだ、ってことを見せつけてくれる。「美しい」とは「技術」なんだ、ってことを見せつけてくれる。
もちろんみっちゃんは背も高いしスタイルもいい。それは武器ではあるけれど、それ以上に、「技術」ゆえの美しさが光る。
それがキモチいい。男の格好をしただけの美人な女の子、ではなく、「男役」であることがうれしい。女性アイドル劇団ではなく、「宝塚歌劇団」であることを実践してくれているようで。
昔はその実力ゆえに脇で支える方が向いてるんじゃ、と思ったこともあったけれど、これだけ華と押し出しが出てくれば十分真ん中の人だよなあ。いやその、新公時代は本役さんとのギャップがすごかったからさあ……オシャレなリカちゃん、美貌のさえちゃんだもんよ……。
歌の実力はいうまでもなく。
ピアノの弾き語りがある、というのがこの公演のウリのひとつらしいが、たしかにコレをメインにしたい、実際にした、気持ちは分かる。そこだけ別物てな、長い長い弾き語りが作中えんえん(笑)続く。
作品のバランスを崩してまで、えんえん歌わせるのは、タカラヅカ的に正しいと思うよ。だってヅカはスターを見に来るものだから。スターの魅力を表現するためなんだから、どんだけ別物でもバランス悪くてもヨシ。
みっちゃんの歌声の、すばらしいこと!
明瞭で耳馴染みがいいので、歌詞とその世界に無理なく入れる。幅があって気持ちのいい声。いくらでも聴いていたくなる。
みっちゃんの歌の強みは、「クリアでニュートラル」ってことかなあ。オサ様やトウコちゃんの歌声に聴き耽っていると忘れてしまいそうな(笑)歌の基本を改めて聴かせてくれる感じ? ずんちゃん系かな。
演技自体は「器用」であることが前面に出ている気がした。すごく「うまい」ことも「計算」も感じられるんだけど、演技内容より心情より、そーゆーものが見えてしまうのはちょっとひっかかる。
それでもときおりすこーんと心情が前に出て、波に乗る・さらわれる感じで持っていってくれるので、それはソレでたのしい。ギャップがある方が華やかでいいのかもしれない。
みっちゃんはとてもよくカオと印象が変わる人なので(お化粧が変わっているのかなあ?)、今回わたしの目にはときどきタモさんに見えてドキっとしたんだ。タモさんは美人だったよねええ。
カオだけに限定してしまえば、美形というのとはちょっとチガウんだが、彼は演じることで美しい人になるだけの技術があるからな。
北翔海莉が美貌を手に入れられれば、鬼に金棒だと思う。表情の作り方やお化粧で、もっともっときれいになる、のびしろがある人。これからがたのしみだ。
あれ。ほっくんひとり分で文字数切れだ。続く〜〜。
えーと。
わたし、鈴木先生の新公演出が好きなんですよ。長い話をばっさり切って短くまとめる、その手腕や、話が長いだけでボケたテーマを別物としてでもまとめてしまう手腕を、心地よいと思っているので。
彼の新公以外作品というと『里見八犬伝』だけで、映画まんまだったりカーテン前使い過ぎだったり石の上でラヴシーンだったり(笑)、なんかあんましいい印象も、かといってこれというほど悪い印象もなくて。
オリジナルを書くとどーなるのか知りたかったんだが……。
見終わった感想は、「よーするに、『銀薔薇』か」でした。
『シルバー・ローズ・クロニクル』。あるいは『A/L』。
作品的には問題ありまくり。でも、主演の魅力を発揮させるアテ書きと大勢でドタバタやる他愛ないコメディ。
完全、ファン・アイテム。
ファンが「こんな***ちゃん、見たかった!」「***ちゃんステキ!」と喜ぶ作品。……ただ、それだけの作品。
作品がアレでも、ほっくん、たっちん、汝鳥さんと実力者が真ん中をどーんと支えているから成り立っているし、「あはは」と他愛なく笑って2時間過ごすには問題はない。わくわくもホロリも、させてくれる。
ただ……張り切ってたんで2回分サバキ取れちゃったんだけど……1回はさばこう……これはわたしよりみっちゃんファンが観るべきものだわ……。
『THE SECOND LIFE』も『シルバー・ローズ・クロニクル』も『A/L』も、1回観る分にはたのしいし、わたしがもっとお金と時間に余裕があったら何回でも観たいけれど、しがないびんぼー人なのであきらめる。
でも、贔屓が出ていたら、たのしいと思う。『THE SECOND LIFE』も『シルバー・ローズ・クロニクル』も『A/L』も。
や、どれもアテ書きなので、主演の人に対して「これが***だったら」とは思いませんが。ええ、わたしの場合だとまっつですから、「この役がまっつだったら」とはとても考えられませんが(笑)。
それでも、わたしが主演さんのファンだったら、きっとすげーよろこんで通うだろうなあ、と思うよ。
他愛ないドタバタ・コメディ、つーのは、「通う」こと前提なら楽でいいんだもの。
たしかに『舞姫』はすばらしい作品だったが、続けて観るのはつらかった。Wヘッダーなんかとんでもない、体力も精神力も続かない。や、大好きなのよ。大好きなんだけど。感動もものすげーし大泣きし過ぎて偏頭痛起こすし、大変なのよ。重すぎる作品に短期間で濃密に通いまくるっつーのは。(みわさんファンは大変だったろーなぁ……でもアレに主演できたら本望だから、どんなに消耗しても通うだろうけどなぁ)
まっつファンとして「通う」ことがたのしかったのは『スカウト』や『MIND TRAVELLER』だった。他愛なく笑って、萌えていればよかったから。
だから『THE SECOND LIFE』は、十分正しい作品だと思う。『シルバー・ローズ・クロニクル』や『A/L』が正しいのと同じで。
つーことで、作品のアレさは置いておいて、とりあえず出演者の話。
我らが北翔海莉。
かっこいい。
愉快なギャングのジェイク役。途中からは別人格、ヘタレなマーク役。
かしちゃんコンサートのときも思ったんだけど、彼は「男役としての型」ができあがっている。スーツの着こなし、所作。キザり方。それらがきちんとできあがっているので、見ていてすげー気持ちいい。
若い男の子たちを率いて真ん中で踊っていると、みっちゃんがどれだけ抜きんでているかよくわかる。
タカラヅカは「技術」なんだ、ってことを見せつけてくれる。「美しい」とは「技術」なんだ、ってことを見せつけてくれる。
もちろんみっちゃんは背も高いしスタイルもいい。それは武器ではあるけれど、それ以上に、「技術」ゆえの美しさが光る。
それがキモチいい。男の格好をしただけの美人な女の子、ではなく、「男役」であることがうれしい。女性アイドル劇団ではなく、「宝塚歌劇団」であることを実践してくれているようで。
昔はその実力ゆえに脇で支える方が向いてるんじゃ、と思ったこともあったけれど、これだけ華と押し出しが出てくれば十分真ん中の人だよなあ。いやその、新公時代は本役さんとのギャップがすごかったからさあ……オシャレなリカちゃん、美貌のさえちゃんだもんよ……。
歌の実力はいうまでもなく。
ピアノの弾き語りがある、というのがこの公演のウリのひとつらしいが、たしかにコレをメインにしたい、実際にした、気持ちは分かる。そこだけ別物てな、長い長い弾き語りが作中えんえん(笑)続く。
作品のバランスを崩してまで、えんえん歌わせるのは、タカラヅカ的に正しいと思うよ。だってヅカはスターを見に来るものだから。スターの魅力を表現するためなんだから、どんだけ別物でもバランス悪くてもヨシ。
みっちゃんの歌声の、すばらしいこと!
明瞭で耳馴染みがいいので、歌詞とその世界に無理なく入れる。幅があって気持ちのいい声。いくらでも聴いていたくなる。
みっちゃんの歌の強みは、「クリアでニュートラル」ってことかなあ。オサ様やトウコちゃんの歌声に聴き耽っていると忘れてしまいそうな(笑)歌の基本を改めて聴かせてくれる感じ? ずんちゃん系かな。
演技自体は「器用」であることが前面に出ている気がした。すごく「うまい」ことも「計算」も感じられるんだけど、演技内容より心情より、そーゆーものが見えてしまうのはちょっとひっかかる。
それでもときおりすこーんと心情が前に出て、波に乗る・さらわれる感じで持っていってくれるので、それはソレでたのしい。ギャップがある方が華やかでいいのかもしれない。
みっちゃんはとてもよくカオと印象が変わる人なので(お化粧が変わっているのかなあ?)、今回わたしの目にはときどきタモさんに見えてドキっとしたんだ。タモさんは美人だったよねええ。
カオだけに限定してしまえば、美形というのとはちょっとチガウんだが、彼は演じることで美しい人になるだけの技術があるからな。
北翔海莉が美貌を手に入れられれば、鬼に金棒だと思う。表情の作り方やお化粧で、もっともっときれいになる、のびしろがある人。これからがたのしみだ。
あれ。ほっくんひとり分で文字数切れだ。続く〜〜。
まっつ、あの歌の意味は・その2。
2007年11月16日 タカラヅカ ムラでの花組『アデュー・マルセイユ』『ラブ・シンフォニー』前楽。
仲間たちが口々に言う。
「ショーのまっつ、かっこいいね」
「すごく良くなってた。かっこいい」
ええ〜〜、ほんとにぃ?
みんな、わたしがまっつファンだからって気を遣って言ってない? 友情だねぇ。
「そんなことでお世辞は言わない」
「本当に思ったことしか言いませんよ」
……やっぱり?
やっぱりまっつ、かっこいいんだ。贔屓目じゃないんだ。そっか、そーだよねー、わたしだけじゃないんだね、まっつがかっこよく見えるの。
芝居だってかっこいいしねっ。
「えっ……」
や、だから芝居。『アデュー・マルセイユ』のジオラモさん。
「芝居は……がんばってたね」
「うん、がんばってた」
や、がんばってるのはたしかだけど、かっこよかったよね? ステキだよね?
「ごめん、お世辞は言えない」
「本当に思ったことしか言えませんよ」
……友情が、あたたかくて泣ける……。
☆
なーんて会話を思い出しつつ。
東宝公演がはじまってしまいました。
わたしが観に行けるのはまだ先っちゅーか決まってないっちゅーかだけど、そーゆーことも置いておいて。
ところで、「春野寿美礼・私が一番大好き選手権」は、ご覧になりました?
出演者が「私はこんなに春野寿美礼を大好き」と愛ゆえの知識やこだわりを披露して、優勝を争う番組。
スカステの、『アデュー・マルセイユ』『ラブ・シンフォニー』の東宝版「NOW ON STAGE」っすよ。
公演の話を30分で終わらせて、残り30分ナニをやるのかと思いきや、「春野寿美礼のココが好き」を出演者全員でアピール合戦。
「オレこそがオサさんをいちばん愛している!!」
と、主張しあうとゆー、愉快な構成になってました。
めおちゃんが「月組時代からオサさんを見てました!!」と言えば、みつるが「オレだけが知ってるオサさんのマニアック・ポイント」と意気をあげ、「いやあ、おれたちふたり、すげー仲良しでさぁ」とまとぶんがオサ様とのいちゃいちゃエピソードを披露する。
正妻の彩音ちゃんは小さくなって、野郎どものアツい闘いを見守っている感じ?(笑)
まつださんも、アピール力弱いながらも、一生懸命参戦してました。
オサ様の歌の中で、オサコンの「Nessun dorma」とディナーショー『S』の「The Winner Takes It All」が好きなんだってさ。
オペラの名曲の歌声を讃えることで、オサ様の歌唱力の素晴らしさを語って、アピール・ポイントGET!
そしてもう1曲、みんなが1曲しか答えてないのにひとりぬけがけして2曲、なのにその「The Winner Takes It All」を選んだ理由の説明が……弱い。
「なんか、好きだったんです」
なんかぢゃないだろーっ、理由を説明せんかーい!
まつださんがとろとろ語ることは、よーするに「オサさんとの想い出のディナーショー、演出その他もとてもよくって一体感があって好き」……それはオサ様の歌が好きと言っているんではなくて、なつかしい想い出だから好きと言っているんであって、つまりはただ「オサさんが好き」と言っているだけだろー。
曲の説明でもなく、歌声への感想でもなく、「想い出のディナーショー」だということを語るのみ。えーっと、まっつはもう少し理性を持って喋れる人、というイメージがあるんだが……どーしたんだヲイ。
まっつの中で「The Winner Takes It All」については「好き」という前提があるため、それを説明せずに他のことを喋っちゃった印象かなあ。
ええ。『S』のラストソング「The Winner Takes It All」。
まっつが、『エンカレッジコンサート』で歌った歌です。
まっつに合っていない、彼の魅力を出すのが難しい、「なんでこんな曲選んだんだろ?」と最初首を傾げた微妙な曲、微妙な演出。
途中で、オサ様ディナーショーの曲だとわかり、しかも演出まで同じだと判明し、
「コレ、オサ様へのラヴ・メッセージぢゃん」
と、なまあたたかいキモチになった、あの曲。
(当時の日記。http://koalatta.blog48.fc2.com/blog-entry-152.html)
いちばん好きな曲なのか。「オサ様への愛を語ろう選手権」で語ってしまうくらい、本気だったのか。
そーやってまっつはまっつなりに、破格のラヴ・アピールをしているたんだが。
弱い。伝わってないな、ありゃ半分も(笑)。
あちこちで「オサさんを理解してますとも相づち」とか「もちろんその話題は僕がよーっく知っています合いの手」とか入れて、すごーくがんばってた。
ほろほろ。がんばれまっつ。
オサ様はみんなからのアツい愛の言葉を聞いてしあわせそうに笑ってました。
イケメン4人に囲まれて、「愛してます、美しい人!」「私の方がより愛してます!!」と寵愛を奪い合われるなんて、夢の世界だよなあ……。
や、ゆるゆるな笑顔になっているオサ様がかわいくて、しあわせそうで、それを見ているだけでしあわせですとも。
オサ様の最後の「NOW ON STAGE」に、まっつが出ることが出来てよかったな……。
仲間たちが口々に言う。
「ショーのまっつ、かっこいいね」
「すごく良くなってた。かっこいい」
ええ〜〜、ほんとにぃ?
みんな、わたしがまっつファンだからって気を遣って言ってない? 友情だねぇ。
「そんなことでお世辞は言わない」
「本当に思ったことしか言いませんよ」
……やっぱり?
やっぱりまっつ、かっこいいんだ。贔屓目じゃないんだ。そっか、そーだよねー、わたしだけじゃないんだね、まっつがかっこよく見えるの。
芝居だってかっこいいしねっ。
「えっ……」
や、だから芝居。『アデュー・マルセイユ』のジオラモさん。
「芝居は……がんばってたね」
「うん、がんばってた」
や、がんばってるのはたしかだけど、かっこよかったよね? ステキだよね?
「ごめん、お世辞は言えない」
「本当に思ったことしか言えませんよ」
……友情が、あたたかくて泣ける……。
☆
なーんて会話を思い出しつつ。
東宝公演がはじまってしまいました。
わたしが観に行けるのはまだ先っちゅーか決まってないっちゅーかだけど、そーゆーことも置いておいて。
ところで、「春野寿美礼・私が一番大好き選手権」は、ご覧になりました?
出演者が「私はこんなに春野寿美礼を大好き」と愛ゆえの知識やこだわりを披露して、優勝を争う番組。
スカステの、『アデュー・マルセイユ』『ラブ・シンフォニー』の東宝版「NOW ON STAGE」っすよ。
公演の話を30分で終わらせて、残り30分ナニをやるのかと思いきや、「春野寿美礼のココが好き」を出演者全員でアピール合戦。
「オレこそがオサさんをいちばん愛している!!」
と、主張しあうとゆー、愉快な構成になってました。
めおちゃんが「月組時代からオサさんを見てました!!」と言えば、みつるが「オレだけが知ってるオサさんのマニアック・ポイント」と意気をあげ、「いやあ、おれたちふたり、すげー仲良しでさぁ」とまとぶんがオサ様とのいちゃいちゃエピソードを披露する。
正妻の彩音ちゃんは小さくなって、野郎どものアツい闘いを見守っている感じ?(笑)
まつださんも、アピール力弱いながらも、一生懸命参戦してました。
オサ様の歌の中で、オサコンの「Nessun dorma」とディナーショー『S』の「The Winner Takes It All」が好きなんだってさ。
オペラの名曲の歌声を讃えることで、オサ様の歌唱力の素晴らしさを語って、アピール・ポイントGET!
そしてもう1曲、みんなが1曲しか答えてないのにひとりぬけがけして2曲、なのにその「The Winner Takes It All」を選んだ理由の説明が……弱い。
「なんか、好きだったんです」
なんかぢゃないだろーっ、理由を説明せんかーい!
まつださんがとろとろ語ることは、よーするに「オサさんとの想い出のディナーショー、演出その他もとてもよくって一体感があって好き」……それはオサ様の歌が好きと言っているんではなくて、なつかしい想い出だから好きと言っているんであって、つまりはただ「オサさんが好き」と言っているだけだろー。
曲の説明でもなく、歌声への感想でもなく、「想い出のディナーショー」だということを語るのみ。えーっと、まっつはもう少し理性を持って喋れる人、というイメージがあるんだが……どーしたんだヲイ。
まっつの中で「The Winner Takes It All」については「好き」という前提があるため、それを説明せずに他のことを喋っちゃった印象かなあ。
ええ。『S』のラストソング「The Winner Takes It All」。
まっつが、『エンカレッジコンサート』で歌った歌です。
まっつに合っていない、彼の魅力を出すのが難しい、「なんでこんな曲選んだんだろ?」と最初首を傾げた微妙な曲、微妙な演出。
途中で、オサ様ディナーショーの曲だとわかり、しかも演出まで同じだと判明し、
「コレ、オサ様へのラヴ・メッセージぢゃん」
と、なまあたたかいキモチになった、あの曲。
(当時の日記。http://koalatta.blog48.fc2.com/blog-entry-152.html)
いちばん好きな曲なのか。「オサ様への愛を語ろう選手権」で語ってしまうくらい、本気だったのか。
そーやってまっつはまっつなりに、破格のラヴ・アピールをしているたんだが。
弱い。伝わってないな、ありゃ半分も(笑)。
あちこちで「オサさんを理解してますとも相づち」とか「もちろんその話題は僕がよーっく知っています合いの手」とか入れて、すごーくがんばってた。
ほろほろ。がんばれまっつ。
オサ様はみんなからのアツい愛の言葉を聞いてしあわせそうに笑ってました。
イケメン4人に囲まれて、「愛してます、美しい人!」「私の方がより愛してます!!」と寵愛を奪い合われるなんて、夢の世界だよなあ……。
や、ゆるゆるな笑顔になっているオサ様がかわいくて、しあわせそうで、それを見ているだけでしあわせですとも。
オサ様の最後の「NOW ON STAGE」に、まっつが出ることが出来てよかったな……。
ラ・ラ・ラ・ラブ・ミッション。
2007年11月15日 タカラヅカ
今朝はまっつの夢を見たよーな気がする。
わたしは客席にいて、舞台のまっつから目線をもらってよろこんでいるの。
でもまっつ、なんか素顔だったよーな? そして背が高かったよーな? サワヤカでヒーロー然としていたよーな?
すらりと長身でサワヤカに笑うまっつ……ってソレ、まっつぢゃないんじゃあ……?
なんなんだろーなぁ。願望なのかコレ? って、なんの?
まっつは今のまんまのまっつだから愛しいのよ。背が高くてサワヤカ白い歯キラリ☆なまっつは、まっつぢゃないっ。そんなまっつは必要ないっ。
ミニマムで、泣いてんだか笑ってんだかのビミョーな笑顔がイイのよっ。
まっつはまっつ。
なーんてみょーな夢に気を取られている場合ではない。
ハマコが雪組副組長に。
……ということは、これからバウとかDCとかいろんなところでハマコの挨拶が聞けるってことですな。
ハマコってたしか、公演の長はやっていないから、彼の「挨拶」を聞いたのは彼の新人公演時代までさかのぼるわけだ。すでにどんなふーだったかおぼえていない。や、ハートフルなシャンソニエのおじさんと、彼の同期でキラキラの美形悪役やっていた赤い衣装の宰相さんのことはおぼえてるけどさ。
ハマコ大好きなので、彼の露出が増えることが純粋にうれしい。また、役職を受けたからには、タカラヅカに長くいてくれるんだな、と思えることがうれしい。(や、先のことはわかんないけどな)
それと共に、灯さんの退団が寂しい。
灯さんはわたしが雪組をまともに観はじめたときにはすでに組の「お母さん」って感じの人だったので、いてくれてあたりまえっていうか、卒業を考えたこともない人のひとりだったよ。
ナガさんとずーっとコンビだと思い込んでいたよ。
圭子ねーさまが雪組を出てしまうのは寂しいが、その美声と美脚と存在感をタカラヅカ全体の宝として使ってくれるのだと思えば、意味は大きい。
次の公演は、ナガさん×灯さん、ハマコ×圭子ねーさまなどのカップリングも堪能したいものだ……。
とはいえ、水くんの出る公演チケット全滅記録は未だ更新中、もちろん友会は全滅しました。や、潔いねっ。
一般発売がんばりまっつ。
そしてなにかとムラには行っているので、雪組公演特別企画「LOVE MISSIONに挑戦しよう!」に、挑戦しました。
ええ、ネット応募すりゃーいいのに、「これがヅカファンの心意気ってもんだぜ」と、わざわざ「宝塚大劇場内パラダイス(ステージスタジオ前)のブースにある、専用応募用紙」を使って、「同場所設置の応募箱」に投函してきましたよ。
や、その専用応募箱ってのが冒頭の写真のなんだけど。
見ての通り、ショボいのよ。なんか寂しいってゆーか、びんぼくさいのよ。
でも、ソコがイイのよね、いかにもヅカらしくって。
なんつっても「ラブ・ミッション」だかんなー。これくらいトホホな特設ブースでなきゃだわ。
あ、もちろん夢は大きく水しぇんのオリジナル「ミロワール」を希望しておきました。競争率最高だろーにさー。
そしてついに明日から、花組東宝公演が、はじまります。
終わりがはじまってしまう。そわそわ。
や、相変わらず東宝行きの予定がカケラも立っていないので、浮ついているだけなんですがね。
体力的にも金銭的にも疲弊しているので(1階前方席にこだわってあんなに通うからだっつーの。……だってそーしないとオサ様とまっつが同時に見えないんだもん!!)、今月いっぱいはおとなしくして、来月スパートをかけようかと。
だもんで、花東宝の話題は大歓迎です。みなさんどうか、どんどんブログとかで報告してくださいましな。
花組と寿美礼サマと、そしてまっつの話を教えてくださいよ。や、寿美礼サマの話なら、全国10万人のオサ様ファンが放っておいてもナニか書くだろうけど、まっつはなー、盛大にねだっておかないとあまり教えてもらえないよーな気がするから、力一杯お願いしときます。
まっつの話、聞かせておくんなまし。
メールでも拍手ボタンからでもなんでもいいから、よろしくフレンズ。
切実です。はい。
これぞわたしの「ラブ・ミッション」。……あれ?
すらり長身サワヤカまっつ@デコに「贋者」のハンコ付き、でもなんでもいいから、まっつに会いたいなあ。
わたしは客席にいて、舞台のまっつから目線をもらってよろこんでいるの。
でもまっつ、なんか素顔だったよーな? そして背が高かったよーな? サワヤカでヒーロー然としていたよーな?
すらりと長身でサワヤカに笑うまっつ……ってソレ、まっつぢゃないんじゃあ……?
なんなんだろーなぁ。願望なのかコレ? って、なんの?
まっつは今のまんまのまっつだから愛しいのよ。背が高くてサワヤカ白い歯キラリ☆なまっつは、まっつぢゃないっ。そんなまっつは必要ないっ。
ミニマムで、泣いてんだか笑ってんだかのビミョーな笑顔がイイのよっ。
まっつはまっつ。
なーんてみょーな夢に気を取られている場合ではない。
ハマコが雪組副組長に。
……ということは、これからバウとかDCとかいろんなところでハマコの挨拶が聞けるってことですな。
ハマコってたしか、公演の長はやっていないから、彼の「挨拶」を聞いたのは彼の新人公演時代までさかのぼるわけだ。すでにどんなふーだったかおぼえていない。や、ハートフルなシャンソニエのおじさんと、彼の同期でキラキラの美形悪役やっていた赤い衣装の宰相さんのことはおぼえてるけどさ。
ハマコ大好きなので、彼の露出が増えることが純粋にうれしい。また、役職を受けたからには、タカラヅカに長くいてくれるんだな、と思えることがうれしい。(や、先のことはわかんないけどな)
それと共に、灯さんの退団が寂しい。
灯さんはわたしが雪組をまともに観はじめたときにはすでに組の「お母さん」って感じの人だったので、いてくれてあたりまえっていうか、卒業を考えたこともない人のひとりだったよ。
ナガさんとずーっとコンビだと思い込んでいたよ。
圭子ねーさまが雪組を出てしまうのは寂しいが、その美声と美脚と存在感をタカラヅカ全体の宝として使ってくれるのだと思えば、意味は大きい。
次の公演は、ナガさん×灯さん、ハマコ×圭子ねーさまなどのカップリングも堪能したいものだ……。
とはいえ、水くんの出る公演チケット全滅記録は未だ更新中、もちろん友会は全滅しました。や、潔いねっ。
一般発売がんばりまっつ。
そしてなにかとムラには行っているので、雪組公演特別企画「LOVE MISSIONに挑戦しよう!」に、挑戦しました。
ええ、ネット応募すりゃーいいのに、「これがヅカファンの心意気ってもんだぜ」と、わざわざ「宝塚大劇場内パラダイス(ステージスタジオ前)のブースにある、専用応募用紙」を使って、「同場所設置の応募箱」に投函してきましたよ。
や、その専用応募箱ってのが冒頭の写真のなんだけど。
見ての通り、ショボいのよ。なんか寂しいってゆーか、びんぼくさいのよ。
でも、ソコがイイのよね、いかにもヅカらしくって。
なんつっても「ラブ・ミッション」だかんなー。これくらいトホホな特設ブースでなきゃだわ。
あ、もちろん夢は大きく水しぇんのオリジナル「ミロワール」を希望しておきました。競争率最高だろーにさー。
そしてついに明日から、花組東宝公演が、はじまります。
終わりがはじまってしまう。そわそわ。
や、相変わらず東宝行きの予定がカケラも立っていないので、浮ついているだけなんですがね。
体力的にも金銭的にも疲弊しているので(1階前方席にこだわってあんなに通うからだっつーの。……だってそーしないとオサ様とまっつが同時に見えないんだもん!!)、今月いっぱいはおとなしくして、来月スパートをかけようかと。
だもんで、花東宝の話題は大歓迎です。みなさんどうか、どんどんブログとかで報告してくださいましな。
花組と寿美礼サマと、そしてまっつの話を教えてくださいよ。や、寿美礼サマの話なら、全国10万人のオサ様ファンが放っておいてもナニか書くだろうけど、まっつはなー、盛大にねだっておかないとあまり教えてもらえないよーな気がするから、力一杯お願いしときます。
まっつの話、聞かせておくんなまし。
メールでも拍手ボタンからでもなんでもいいから、よろしくフレンズ。
切実です。はい。
これぞわたしの「ラブ・ミッション」。……あれ?
すらり長身サワヤカまっつ@デコに「贋者」のハンコ付き、でもなんでもいいから、まっつに会いたいなあ。
光に会いに行ったんだ。@バレンシアの熱い花/宙 FANTASISTA!
2007年11月14日 タカラヅカ 花組の話がぜんぜん書き足りていないのだが、このままだとどんどん他公演の感想が溜まっていくので、先が見えるものから書いていくぞ週間です。や、先が見えるっつーのは、テキスト量がそれほどにはならないもの、つー意味な。
と言いつつ、3000文字でさっくり終わらせるつもりの全国ツアー『バレンシアの熱い花/宙 FANTASISTA!』の感想がすでに予定をまるっと超えている……。
さて、芝居はわたしの好みからはてしなくかけ離れているので俯瞰しているのだが、ショーではわくわく、ウメちゃんかっこいー!!
火星場面は彼女ピン取りっす。なにあの鬘。毛先だけ赤くて、振り乱す瞬間瞬間に「赤」が見える。炎が咲く。
なんて美しいイキモノだろう。
女性って、なんて美しくて、かっこいいんだろう。
あれほど能動的で攻撃的で美しいイキモノが、「女性」というものであることが、誇らしい。
いわゆる「女性的」なものと対極にある魅力。
でかい男たちを率いて踊る女豹に釘付け。めろめろ。
わたしは宙組に暗いので生徒さんたちの話はさっぱりできないのだが、そのなかでもとりあえず、音乃いづみちゃんはわたし的に「見なければならない」人だ。
歌手ポジである彼女は今回歌姫として本領発揮、がんがん歌いまくっている。
ますます歌声の透明感が増し、耳福な娘さんなんだが……それ以前に、「見る」ことが前提。何故そーなってしまったんだろう……ときおりこわすぎる彼女の芸風から目が離せないのだ。
慈愛の表情で、とろけるよーな笑顔で歌う彼女を見、「うん、音乃いづみだ」と確認する。彼女の表情の変化を眺めるのが常なんだ。
あー、花組のくまちゃんと同じ位置だな、わたしの中で。や、くまちゃんはさらに好戦的だけど、顔芸確認がわたし的習慣になっているあたり……(笑)。
いいなあ、音乃いづみ……。
あと群舞の中でも目に入ってしょーがないのがちーとGO。立ち位置悪いのに、真ん中フレームからはずれがちなのに、それでもどんなときでも先頭意欲満々で小気味いい。
ちーくんはふつーに美形だと思うし、もともと好みの顔なので目に付くのは仕方ないが、GOのクドさと気合い入りまくりのキザっぷりはすげーなー。なんでそんな隅っこで、「俺が世界の真ん中」みたいな顔して髪撫でつけてるんだろう……(笑)。もー、ステキ過ぎ。
年長さんでいくと、すっしーはやっぱかっこいいってば。芝居ではホルヘが美形悪役になっていてびびったし(笑)、ショーでもぼーっとオペラ使わずに見ていて「あー、あの人かっこいーなー」と思ったらすっしーだし。露出控えめな方がもったいぶっていてオトコマエ上がるなー。
まりえったは声が好きなので、ショーでも彼の声を聞くと安心する。
すずはるきは「他の子を見るぞっ」と意気込んでいるときすら、ぽーんと目に入ってきてびびる(笑)。
みーちゃんは芝居はやっぱうまいと思うんだが、ショーではあまりわたしの目に入ってくれない……何故だ。
そして大くんはきれいだなあと思う。脇にいると「あ、あの子きれい」と目に付くんだ。あとは、実力さえつけてくれればなあ。脇ならきれいなだけで眼福だけど、役割のある位置に来られるとあまりの技術のなさにビジュアルだけでは追いつかなくなるんだよなー。もったいないー。
でもって……ともち。
現在のわたしの、宙組の観劇意欲を担う人。
「全ツは、ともちがロドリーゴだったら行く」
と、断言していた。や、寿美礼サマ楽の翌日だから、肉体的・精神的に観劇できるかどーか自信なかったんで、前もってチケ取りするには強い意欲が必要だったの。
で、結果ともちの芝居での役替わりはなかったので、ヘコんでチケ取りしなかった。
ともちは役替わりなし、ムラで見たのと同じ……その先入観があったから。
最初から、後ろ頭をすこーんと殴られた。
か……かっこいいっ。
油断していたの。
プロローグのあとともちがすぐ出てくるって、すっかり抜け落ちていて。
プロローグでタニ、らんとむ、七帆の並びをほけーっと眺めて、次の場面がどうとか、考えてなかった。
悪役、ルカノール@ともち。
その華やかさに、息をのんだの。
場を魅了する大きさ。カラダのことだけではなく。
出てきただけで、この人が主要キャラクタだとわかる。
ムラで公演半ばくらいに見たのが最後だった。
あれから東宝を経て、こんなにいい男になっていたのか、ルカノール。
うれしい驚きだった。
そーやってわくわくしたあとに。
ショーを見て、えと、その……ヘコんだ。
番手が、七帆くんに抜かれていたことは、まあなんつーか、覚悟はしていたが目の当たりにするとけっこーきついな、と思うものはあった。
気を遣われて、露骨に落とされてはいなかったけれど、そして「役替わりだから」という言い訳は随所でできるものの、劇団の意志はとーってもよくわかる配役になっていて、「ああ、そういうことなんだ」という扱いだった。
でもわたしは、番手という、劇団が与えること、外側のことよりも。
ともちが、与えられた位置で、まとまってしまっていること。
そのことに、愕然とした。
脇役が悪いと言っているんではない。路線だけがすべてだと思っているわけではない。そーだったらこんな微妙な人ばっか好きになってない。
どんな位置であろうと扱いであろうと、舞台を愛しタカラヅカを愛し、精一杯の力を出して輝く。それがタカラジェンヌ、スターと呼ばれる人だけがすばらしいわけでも大切なわけでもない。隅っこで、ライトもあたってないのに必死にキザってる子とか大好きだよ。そーゆーのを見るのが、愛するのが、ヅカファンの醍醐味だとも思っている。
だから、番手外の扱いに甘んじていることがどうこう、という意味じゃない。
ともちがみっちゃんに次ぎ、七帆つんに抜かされる未来が遠くないことも、予感している。覚悟している。七帆くんは真ん中にふさわしい子だとも思っているし、彼の成長を楽しみにしているので、彼に対して含みがあるわけでもない。
ともちに、路線であることにしがみつき、きりきり舞いしてほしいわけでもない。
ただ……。
なんていうかなあ。
舞台ってさあ。自分でアグレッシヴに気を発しないと、負けてしまうところだと思うの。
たとえ脇役で、隅っこで、役目(やくめ)的になんの意味もなくっても、「俺はやるぜ!」な気を発することで、あのとんでもねー衣装や化粧に負けず、あの広大な舞台に負けずにいられるところだと思うの。
立ち止まったら、後退してしまう。歩き続けないと、走り続けないと、下がってしまうおそろしーところだと思う。だから、すばらしいところだと思う。
なんというか、ともちが「止まっている」ように見えたの。
彼自身は役替わりがほとんどないから、安心して演じているせいなのかもしれない。七帆つんが終始まとっていたギリギリ感、せっぱ詰まったものがともちには必要なかったためかもしれない。
与えられた役目を受容し、愛し、心を込めてたのしそうに演じている。
それのなにが悪い、なにが不満だと言われれば、返す言葉もない。
ともちがソレでいいなら、わたしもソレでいい。居場所を見つけてくれたなら、それでいい。
ただ、「現実」が痛かったのだと思う。
たとえ脇に逸れたとしても、いや、だからこそこれまで以上の気合いの入った光を放って欲しかった。路線にしがみつくための戦闘意欲ではなくてもいいから、「道を見つけた」ゆえの光。
芝居では、それを感じられたのになあ。ルカノールはヒーローではないけれど、ここまで輝くことができる、と見せてくれた。
そのあとのショーで、あんなにあっさりしてしまうなんて……。
変わってきた、「前へ」明確に意識を向けはじめた七帆くんの視線が心地よく、また、少々切ない。ともちの停滞との対照っぷりを思って。
ショーってのはほんと、個人の資質や意識がまるっと出てしまう、おそろしーもんなんだなあ。
いやその、全部わたしの目が曇っているせい、いつもの考えすぎうがちすぎかもしんないけど。
わたしが観た回がたまたまそんなふーだっただけで、次の回からともちはちゃーんと「前へ」気を発していたのかもしんないけど。
ともちがしあわせに、少しでも長くヅカにしてくれれば、それでいいんだよ。ほんとーに、それだけなんだよ。
それだけで、こんなに一喜一憂するんだよ。
『宙 FANTASISTA!』はたのしかった。キラキラきらきら、無邪気にわくわくできた。
ほんの少しの、個人的な棘を胸に残して。
と言いつつ、3000文字でさっくり終わらせるつもりの全国ツアー『バレンシアの熱い花/宙 FANTASISTA!』の感想がすでに予定をまるっと超えている……。
さて、芝居はわたしの好みからはてしなくかけ離れているので俯瞰しているのだが、ショーではわくわく、ウメちゃんかっこいー!!
火星場面は彼女ピン取りっす。なにあの鬘。毛先だけ赤くて、振り乱す瞬間瞬間に「赤」が見える。炎が咲く。
なんて美しいイキモノだろう。
女性って、なんて美しくて、かっこいいんだろう。
あれほど能動的で攻撃的で美しいイキモノが、「女性」というものであることが、誇らしい。
いわゆる「女性的」なものと対極にある魅力。
でかい男たちを率いて踊る女豹に釘付け。めろめろ。
わたしは宙組に暗いので生徒さんたちの話はさっぱりできないのだが、そのなかでもとりあえず、音乃いづみちゃんはわたし的に「見なければならない」人だ。
歌手ポジである彼女は今回歌姫として本領発揮、がんがん歌いまくっている。
ますます歌声の透明感が増し、耳福な娘さんなんだが……それ以前に、「見る」ことが前提。何故そーなってしまったんだろう……ときおりこわすぎる彼女の芸風から目が離せないのだ。
慈愛の表情で、とろけるよーな笑顔で歌う彼女を見、「うん、音乃いづみだ」と確認する。彼女の表情の変化を眺めるのが常なんだ。
あー、花組のくまちゃんと同じ位置だな、わたしの中で。や、くまちゃんはさらに好戦的だけど、顔芸確認がわたし的習慣になっているあたり……(笑)。
いいなあ、音乃いづみ……。
あと群舞の中でも目に入ってしょーがないのがちーとGO。立ち位置悪いのに、真ん中フレームからはずれがちなのに、それでもどんなときでも先頭意欲満々で小気味いい。
ちーくんはふつーに美形だと思うし、もともと好みの顔なので目に付くのは仕方ないが、GOのクドさと気合い入りまくりのキザっぷりはすげーなー。なんでそんな隅っこで、「俺が世界の真ん中」みたいな顔して髪撫でつけてるんだろう……(笑)。もー、ステキ過ぎ。
年長さんでいくと、すっしーはやっぱかっこいいってば。芝居ではホルヘが美形悪役になっていてびびったし(笑)、ショーでもぼーっとオペラ使わずに見ていて「あー、あの人かっこいーなー」と思ったらすっしーだし。露出控えめな方がもったいぶっていてオトコマエ上がるなー。
まりえったは声が好きなので、ショーでも彼の声を聞くと安心する。
すずはるきは「他の子を見るぞっ」と意気込んでいるときすら、ぽーんと目に入ってきてびびる(笑)。
みーちゃんは芝居はやっぱうまいと思うんだが、ショーではあまりわたしの目に入ってくれない……何故だ。
そして大くんはきれいだなあと思う。脇にいると「あ、あの子きれい」と目に付くんだ。あとは、実力さえつけてくれればなあ。脇ならきれいなだけで眼福だけど、役割のある位置に来られるとあまりの技術のなさにビジュアルだけでは追いつかなくなるんだよなー。もったいないー。
でもって……ともち。
現在のわたしの、宙組の観劇意欲を担う人。
「全ツは、ともちがロドリーゴだったら行く」
と、断言していた。や、寿美礼サマ楽の翌日だから、肉体的・精神的に観劇できるかどーか自信なかったんで、前もってチケ取りするには強い意欲が必要だったの。
で、結果ともちの芝居での役替わりはなかったので、ヘコんでチケ取りしなかった。
ともちは役替わりなし、ムラで見たのと同じ……その先入観があったから。
最初から、後ろ頭をすこーんと殴られた。
か……かっこいいっ。
油断していたの。
プロローグのあとともちがすぐ出てくるって、すっかり抜け落ちていて。
プロローグでタニ、らんとむ、七帆の並びをほけーっと眺めて、次の場面がどうとか、考えてなかった。
悪役、ルカノール@ともち。
その華やかさに、息をのんだの。
場を魅了する大きさ。カラダのことだけではなく。
出てきただけで、この人が主要キャラクタだとわかる。
ムラで公演半ばくらいに見たのが最後だった。
あれから東宝を経て、こんなにいい男になっていたのか、ルカノール。
うれしい驚きだった。
そーやってわくわくしたあとに。
ショーを見て、えと、その……ヘコんだ。
番手が、七帆くんに抜かれていたことは、まあなんつーか、覚悟はしていたが目の当たりにするとけっこーきついな、と思うものはあった。
気を遣われて、露骨に落とされてはいなかったけれど、そして「役替わりだから」という言い訳は随所でできるものの、劇団の意志はとーってもよくわかる配役になっていて、「ああ、そういうことなんだ」という扱いだった。
でもわたしは、番手という、劇団が与えること、外側のことよりも。
ともちが、与えられた位置で、まとまってしまっていること。
そのことに、愕然とした。
脇役が悪いと言っているんではない。路線だけがすべてだと思っているわけではない。そーだったらこんな微妙な人ばっか好きになってない。
どんな位置であろうと扱いであろうと、舞台を愛しタカラヅカを愛し、精一杯の力を出して輝く。それがタカラジェンヌ、スターと呼ばれる人だけがすばらしいわけでも大切なわけでもない。隅っこで、ライトもあたってないのに必死にキザってる子とか大好きだよ。そーゆーのを見るのが、愛するのが、ヅカファンの醍醐味だとも思っている。
だから、番手外の扱いに甘んじていることがどうこう、という意味じゃない。
ともちがみっちゃんに次ぎ、七帆つんに抜かされる未来が遠くないことも、予感している。覚悟している。七帆くんは真ん中にふさわしい子だとも思っているし、彼の成長を楽しみにしているので、彼に対して含みがあるわけでもない。
ともちに、路線であることにしがみつき、きりきり舞いしてほしいわけでもない。
ただ……。
なんていうかなあ。
舞台ってさあ。自分でアグレッシヴに気を発しないと、負けてしまうところだと思うの。
たとえ脇役で、隅っこで、役目(やくめ)的になんの意味もなくっても、「俺はやるぜ!」な気を発することで、あのとんでもねー衣装や化粧に負けず、あの広大な舞台に負けずにいられるところだと思うの。
立ち止まったら、後退してしまう。歩き続けないと、走り続けないと、下がってしまうおそろしーところだと思う。だから、すばらしいところだと思う。
なんというか、ともちが「止まっている」ように見えたの。
彼自身は役替わりがほとんどないから、安心して演じているせいなのかもしれない。七帆つんが終始まとっていたギリギリ感、せっぱ詰まったものがともちには必要なかったためかもしれない。
与えられた役目を受容し、愛し、心を込めてたのしそうに演じている。
それのなにが悪い、なにが不満だと言われれば、返す言葉もない。
ともちがソレでいいなら、わたしもソレでいい。居場所を見つけてくれたなら、それでいい。
ただ、「現実」が痛かったのだと思う。
たとえ脇に逸れたとしても、いや、だからこそこれまで以上の気合いの入った光を放って欲しかった。路線にしがみつくための戦闘意欲ではなくてもいいから、「道を見つけた」ゆえの光。
芝居では、それを感じられたのになあ。ルカノールはヒーローではないけれど、ここまで輝くことができる、と見せてくれた。
そのあとのショーで、あんなにあっさりしてしまうなんて……。
変わってきた、「前へ」明確に意識を向けはじめた七帆くんの視線が心地よく、また、少々切ない。ともちの停滞との対照っぷりを思って。
ショーってのはほんと、個人の資質や意識がまるっと出てしまう、おそろしーもんなんだなあ。
いやその、全部わたしの目が曇っているせい、いつもの考えすぎうがちすぎかもしんないけど。
わたしが観た回がたまたまそんなふーだっただけで、次の回からともちはちゃーんと「前へ」気を発していたのかもしんないけど。
ともちがしあわせに、少しでも長くヅカにしてくれれば、それでいいんだよ。ほんとーに、それだけなんだよ。
それだけで、こんなに一喜一憂するんだよ。
『宙 FANTASISTA!』はたのしかった。キラキラきらきら、無邪気にわくわくできた。
ほんの少しの、個人的な棘を胸に残して。
光に会いに行く。@バレンシアの熱い花/宙 FANTASISTA!
2007年11月13日 タカラヅカ 「スマスマ」効果は、あったと思う。
タカラヅカのタの字も知らない人たちが、
「すごくキレイだった」
と、わざわざわたしに言ってくれる。や、わたしはヅカファンだということを隠していないので、そしてヅカファンってのはめずらしいのか「テレビでタカラヅカの人を見た」という話題を振る相手に相応しいと思われるのか、知人程度の人がわざわざ声を掛けてくれる。
「スマスマにタカラヅカの人、出てなかった?」
とかゆーふーに。「キレイ」とみんな誉めてくれる。
そして彼らは口を揃えて言うのだ。
「あの、宙組のトップスターの人」
複数の人から時期もまちまちに話題を振られたが、みーんな見事に同じ反応。
「キレイ」「顔が小さい」「スタイルがいい」……そして、個人について語るのは、「宙組の人」「最後に素顔で喋っていた、宙組の男役」。
タニちゃん、アピール強し。
……誰か、名前テロップすら出なかったらんとむに食いつく人はいないかと期待したんだが……やっぱ無理みたい(笑)。みんな揃ってタニちゃん。
美貌というのは、ほんとーにストレートな力なんだ。
タニちゃんの美しさに言及した人には、力一杯セールストーク。
そうよ、あの人は宙組トップスター。あの通り美形でカオ小さくて脚長くて、まさしく動く少女マンガ。舞台では九等身の美青年! 今度梅田で公演があるのよ。もちろん主役よ。
どれだけ語ったところで一般人は「ふーん、すごいわね」で終わるんだが。
ひとりだけ、本気で食いつく人がいた。
「梅田で? いつ? 私でも観られる?」
え。
ほ、本気ですか?
日程の関係で、わたしはエスコートできないんだけど……それでも観てくれる? チケットの買い方とか教えるから。
……で、ほんとにひとりでチケットぴあ行ってチケット買って、ひとりで梅芸行って、ひとりで初タカラヅカしたよ、その人。
そして、「悠河さん、キレイだった!」と、よろこんでいた。
タニちゃんすげえ、スマスマ効果すげえ。
わたしなら、ひとりで初タカラヅカなんて行けなかったよ。や、親に連れられて小学生のときから観ていたから今さらだけど。でも今、まったくの初心者でひとりで行くのはすげー敷居高い文化だと思うだけに。
あまり社会生活していない、非社交的なわたしの周りでさえこんなことがあるんだから、きっと全国クラスで「あの美しい人を見てみたい」と思わせる効果があったんだろうな。
こーやってファンが増えていくんだわ。
初心者のエスコートは出来なかったが、全国ツアー初日、予定が立てられずにいたため出たとこ勝負、当日券で観ました『バレンシアの熱い花/宙 FANTASISTA!』。
芝居がはじまってナニに驚いたかって、あの古くさい台詞回しにだ。
そ、そうか……こーゆー芝居だったんだ……。『アデュー・マルセイユ』に通ったあとだったから、台詞回しがめっきり時代劇であることに仰天した。
「時代劇」ってのは、19世紀が舞台の作品だから、という意味ではなく、初演が大昔だから、という意味。
数十年前の作品を再演するっていうのは、当時ヨシとされていた台詞回しまで再現するってことなんだな。同じ時代を描いた作品でも、現代に作られたならこんなものすげえ台詞回しにはならないはず。
翌日「美しい悠河さん」を目当てにひとりで観に来る初心者が、このとんでもない時代錯誤感にドン引きしないか、いらぬ心配をしたくらいだ(笑)。
観ているうちに「そーゆーもん」ということで慣れたし、芝居に期待していない(あきらめている)ので、あとは平静でいられた。や、あくまでも「作品」のことであり、出演者のことではないよ。
ショーはやっぱ、すごーくたのしい。
『バレンシアの熱い花』だけだったら、寿美礼サマの楽の翌日に、重い身体と心を引きずって観になんか行かなかった。
出演者への、組子への愛にあふれた藤井くん作の明るい楽しいショー、『宙 FANTASISTA!』で癒されたかった。……中村Bはしばらくトラウマになるぞっと。草野がトラウマになってるみたいに(笑)。
開演何分か前に緞帳が上がり、セットが見えるよーになるんだけど。
「卵がない」
「ほんとだ、タニちゃんはどーやって生まれるの?」
と、わたしとnanaタンは興味津々。
オープニングがはじまり、みんなが「コスモ」「コスモ」と連呼しながら王子ちゃまの誕生を待っているときに。
その王子ちゃまが、自分で歩いてスタンバイするのが丸見えで、ムラ初日にタニちゃんが卵の中からぱかっと現れたときと同じくらいウケた(笑)。
歩いてるよ、暗い中をこっそりと! でもってソレ丸見えだよ!
舞台には人がいてタニちゃん登場を待っているわけだから、完全な暗闇ではない。なにをしているか見える。
歩いてるのが見えちゃったら「誕生」にならない……全ツって大変だな(笑)。
タニちゃんはやっぱりキラキラして、その存在が心地いい。
なんつーか、より「真ん中」としての自覚が出来た?
オレ様度が上がったというか、「自分がやらなきゃ」という強い意志が感じられて、輝きにベクトルが加わっている気がした。
そーいや芝居の方でも包容力が増していたような? マルガリータ役が新公と同じ若い女の子だったからか、映りがすごく良くなってたなー。
歌もうまくなってる。絶対。……ソレがちょっと寂しい(笑)。
歌といえば、宙組を観るときのおたのしみのひとつは、蘭寿さんの歌。
「らんとむの、あはんアハんってゆー歌い方が好き」
と、nanaタンときゃーきゃー言ってる。
あの変に陶酔した、うふんあはん悶えているよーな歌い方。盛り上がるとひっくり返る声も好き。
いやあ、らんとむは相変わらず濃くって恥ずかしくて、いいですなっ。
彼が出てくると「キターーーーッ!!」って気持ちになる。一気に昂揚する。
温度と湿度がたまらない。粘りが癖になる。
七帆氏は観るたびに男前になっていく。
火星の場面、みっちゃんパートを受け持つのが七帆くんだと、デイジーちゃんからそりゃーもー耳タコの勢いで聞かされていたんだが、耽美キャラの彼が耽美場面で活躍してくれるのはうれしいです、はい。
芝居でもその美貌を気持ちよく発揮してくれていたし。
うん、ロドリーゴが、貴公子であるというのは、すごく重要だもの。や、他の人と比べてどうこうではなく。
七帆くんのロドリーゴは、硬質な雰囲気を持つ美男子だった。
色気や情熱にはとち欠ける気がしたが、「美しい」「貴族」であることが、立っているだけで説得力を持ってわかるのでソレでヨシ。
芝居の方ではとくに感じなかったが、ショーで「前へ出る」感じが伝わってきたので感心。
ちゃんと「わかって」ここにいるんだ、ということが伝わってきた。
この子、どんどん変わっていくなあ。すげーおもしろい。
あ、文字数なくなったから、唐突だが続く〜〜。
タカラヅカのタの字も知らない人たちが、
「すごくキレイだった」
と、わざわざわたしに言ってくれる。や、わたしはヅカファンだということを隠していないので、そしてヅカファンってのはめずらしいのか「テレビでタカラヅカの人を見た」という話題を振る相手に相応しいと思われるのか、知人程度の人がわざわざ声を掛けてくれる。
「スマスマにタカラヅカの人、出てなかった?」
とかゆーふーに。「キレイ」とみんな誉めてくれる。
そして彼らは口を揃えて言うのだ。
「あの、宙組のトップスターの人」
複数の人から時期もまちまちに話題を振られたが、みーんな見事に同じ反応。
「キレイ」「顔が小さい」「スタイルがいい」……そして、個人について語るのは、「宙組の人」「最後に素顔で喋っていた、宙組の男役」。
タニちゃん、アピール強し。
……誰か、名前テロップすら出なかったらんとむに食いつく人はいないかと期待したんだが……やっぱ無理みたい(笑)。みんな揃ってタニちゃん。
美貌というのは、ほんとーにストレートな力なんだ。
タニちゃんの美しさに言及した人には、力一杯セールストーク。
そうよ、あの人は宙組トップスター。あの通り美形でカオ小さくて脚長くて、まさしく動く少女マンガ。舞台では九等身の美青年! 今度梅田で公演があるのよ。もちろん主役よ。
どれだけ語ったところで一般人は「ふーん、すごいわね」で終わるんだが。
ひとりだけ、本気で食いつく人がいた。
「梅田で? いつ? 私でも観られる?」
え。
ほ、本気ですか?
日程の関係で、わたしはエスコートできないんだけど……それでも観てくれる? チケットの買い方とか教えるから。
……で、ほんとにひとりでチケットぴあ行ってチケット買って、ひとりで梅芸行って、ひとりで初タカラヅカしたよ、その人。
そして、「悠河さん、キレイだった!」と、よろこんでいた。
タニちゃんすげえ、スマスマ効果すげえ。
わたしなら、ひとりで初タカラヅカなんて行けなかったよ。や、親に連れられて小学生のときから観ていたから今さらだけど。でも今、まったくの初心者でひとりで行くのはすげー敷居高い文化だと思うだけに。
あまり社会生活していない、非社交的なわたしの周りでさえこんなことがあるんだから、きっと全国クラスで「あの美しい人を見てみたい」と思わせる効果があったんだろうな。
こーやってファンが増えていくんだわ。
初心者のエスコートは出来なかったが、全国ツアー初日、予定が立てられずにいたため出たとこ勝負、当日券で観ました『バレンシアの熱い花/宙 FANTASISTA!』。
芝居がはじまってナニに驚いたかって、あの古くさい台詞回しにだ。
そ、そうか……こーゆー芝居だったんだ……。『アデュー・マルセイユ』に通ったあとだったから、台詞回しがめっきり時代劇であることに仰天した。
「時代劇」ってのは、19世紀が舞台の作品だから、という意味ではなく、初演が大昔だから、という意味。
数十年前の作品を再演するっていうのは、当時ヨシとされていた台詞回しまで再現するってことなんだな。同じ時代を描いた作品でも、現代に作られたならこんなものすげえ台詞回しにはならないはず。
翌日「美しい悠河さん」を目当てにひとりで観に来る初心者が、このとんでもない時代錯誤感にドン引きしないか、いらぬ心配をしたくらいだ(笑)。
観ているうちに「そーゆーもん」ということで慣れたし、芝居に期待していない(あきらめている)ので、あとは平静でいられた。や、あくまでも「作品」のことであり、出演者のことではないよ。
ショーはやっぱ、すごーくたのしい。
『バレンシアの熱い花』だけだったら、寿美礼サマの楽の翌日に、重い身体と心を引きずって観になんか行かなかった。
出演者への、組子への愛にあふれた藤井くん作の明るい楽しいショー、『宙 FANTASISTA!』で癒されたかった。……中村Bはしばらくトラウマになるぞっと。草野がトラウマになってるみたいに(笑)。
開演何分か前に緞帳が上がり、セットが見えるよーになるんだけど。
「卵がない」
「ほんとだ、タニちゃんはどーやって生まれるの?」
と、わたしとnanaタンは興味津々。
オープニングがはじまり、みんなが「コスモ」「コスモ」と連呼しながら王子ちゃまの誕生を待っているときに。
その王子ちゃまが、自分で歩いてスタンバイするのが丸見えで、ムラ初日にタニちゃんが卵の中からぱかっと現れたときと同じくらいウケた(笑)。
歩いてるよ、暗い中をこっそりと! でもってソレ丸見えだよ!
舞台には人がいてタニちゃん登場を待っているわけだから、完全な暗闇ではない。なにをしているか見える。
歩いてるのが見えちゃったら「誕生」にならない……全ツって大変だな(笑)。
タニちゃんはやっぱりキラキラして、その存在が心地いい。
なんつーか、より「真ん中」としての自覚が出来た?
オレ様度が上がったというか、「自分がやらなきゃ」という強い意志が感じられて、輝きにベクトルが加わっている気がした。
そーいや芝居の方でも包容力が増していたような? マルガリータ役が新公と同じ若い女の子だったからか、映りがすごく良くなってたなー。
歌もうまくなってる。絶対。……ソレがちょっと寂しい(笑)。
歌といえば、宙組を観るときのおたのしみのひとつは、蘭寿さんの歌。
「らんとむの、あはんアハんってゆー歌い方が好き」
と、nanaタンときゃーきゃー言ってる。
あの変に陶酔した、うふんあはん悶えているよーな歌い方。盛り上がるとひっくり返る声も好き。
いやあ、らんとむは相変わらず濃くって恥ずかしくて、いいですなっ。
彼が出てくると「キターーーーッ!!」って気持ちになる。一気に昂揚する。
温度と湿度がたまらない。粘りが癖になる。
七帆氏は観るたびに男前になっていく。
火星の場面、みっちゃんパートを受け持つのが七帆くんだと、デイジーちゃんからそりゃーもー耳タコの勢いで聞かされていたんだが、耽美キャラの彼が耽美場面で活躍してくれるのはうれしいです、はい。
芝居でもその美貌を気持ちよく発揮してくれていたし。
うん、ロドリーゴが、貴公子であるというのは、すごく重要だもの。や、他の人と比べてどうこうではなく。
七帆くんのロドリーゴは、硬質な雰囲気を持つ美男子だった。
色気や情熱にはとち欠ける気がしたが、「美しい」「貴族」であることが、立っているだけで説得力を持ってわかるのでソレでヨシ。
芝居の方ではとくに感じなかったが、ショーで「前へ出る」感じが伝わってきたので感心。
ちゃんと「わかって」ここにいるんだ、ということが伝わってきた。
この子、どんどん変わっていくなあ。すげーおもしろい。
あ、文字数なくなったから、唐突だが続く〜〜。
引き絞った弦にも似て。@アデュー・マルセイユ
2007年11月12日 タカラヅカ 光の粒が、落ちる様を見た。
ライトを浴びて、きらりと一瞬だけ光って、消える。
涙って、ああやって落ちるもんなんだ。
『アデュー・マルセイユ』大劇場千秋楽、退団者の挨拶を後ろで見守りながら、まっつは顔をこわばらせていた。
怒ってるの? てな、きつい、こわい顔をして固まっていた。
表情は変わらず、動くこともなく、ただ、光の粒だけが落ちる。ぽつん、ぽつん、と。
千秋楽だからといって、まっつは別に特別なにかをしているようではなかった。アドリブをとばすとか、なにかしらサービスをするとか。
ジオラモさんも、ショーでも、いつもと同じように歌い、踊り、演技していた。
ふつうだったと思う。寿美礼サマ退団の楽であっても、ふつうにしていたと思う。
それでも。
『ラブ・シンフォニー』のスパニッシュ場面にて。下手花道から登場し、下手でソロを歌うまっつは、あきらかにいつもとちがっていた。
歌声はいつも通り豊かに響いている。ダンスのキレもいい。や、よすぎるくらい、渾身の力が込められている。
そういった、技術的なことではなくて。
表情が、いつもとちがっていた。
いつものまつださんは、ここで「うっとりモード」に入る。スターらしく、陶酔した風情で歌う。指先とかポーズとかにすっげーこだわって演じていそうな、表情まできちんと「こだわりました」的な、まっつ的勝負顔(笑)で歌い、踊っている。
なにしろわたし、ここの場面はまっつガン見基本だから。この公演は結局15回観たことになるんだけど、ついに、本舞台でなにが起こっているか知らないままだしな。
踊るまっつ、歌うまっつをガン見する。立ち見でも2階席からでも、1階1列目下手という至近距離からでも、オペラグラス使用。
まっつの独特の手さばきとか、表情とかを眺めるのがデフォルト。それ以外の選択肢はない。
そうやって眺めてきたから。
チガウことに、うろたえた。
まっつは、とても「追いつめられた」顔をしていた。
研ぎ澄まされた、ともいうか。
なにかしら、ぎりぎりの表情。
眉は強く吊り上がり、目がぎらぎらしている。
怒っているような、なにかと戦っているような。
強く引いた弓の、最強の力を加えることでかろうじて静止している弦のような。
美しかった。
微笑むわけでもなく、セクスィな表情を意識して浮かべるのでなく。ただ、なにかに耐えるかのように、渾身の力を放出していた。
その張りつめた美しさに、息をのんだ。
そして。
その痛々しさに、胸が痛んだ。
歌が終わったらまっつは片膝を付いてその他大勢にまぎれる。帽子もあるし、舞台中央を向いてしまうので顔もほとんど見えない。……ので、ソロ終了と共にオペラをおろし、舞台中央の寿美礼サマを眺めるのがわたしの通常のパターンだった。
だが、このときばかりは、まっつから視線を離すことができなかった。ソロが終わり、彫像のように動かなくなっても、ずっとまっつを見ていた。
また、わたしの席が上手寄りだったために、下手にいたまっつの顔がよく見えた。や、この席でなかったら見えなかったと思う。よくぞ今このとき、この席にいた。
まっつは鋭い表情のまま、固まっていた。
強い、きつい、険のある表情で、寿美礼サマを見つめていた。
いつものクールな顔じゃない。強い感情ゆえに引き締められた顔だった。
それがあまりに、美しくて。
それがあまりに、痛々しくて。
感情の高まりを外へ向けて発散するのではなく、舞台の端正さを優先し、奧へ奧へと押し込めようとする。
黙々と仕事を果たす。為すべきことをする。
歌声とダンスの丁寧さ。渾身の力を込めて、歌い、踊っていた。
……いやあ、ドキドキしました。
これは、ときめきってやつなんですかね? よくわかんないけど、まっつの表情に気づいたときから、心臓がばくばくして止まらなかった。
中央に寿美礼サマを残し暗転するまで、ずっとまっつを見ていた。
涙が出るのは、生理的なものだろう。心臓がこれだけばくばくいってるんだから、そりゃ涙も出るわ。
まっつが明らかに「いつもとチガウ」と思えたのはこの場面のみ。
「ラブ・ゲーム」ではクールにキザっていたし、いつものカード勝負はみわさんとしゅん様が勝つという変なことになってたし。ふたり同時に勝つってなにソレ?? まっつは「ヲイヲイ」という感じでつっこんでいたが、悔しそうではなかった。
ラテンではもちろんノリノリで腰を回していたし。とくに赤ジャケット寿美礼サマが登場したときのはじける笑顔がかわいい。や、まっつでもスパーク系の笑い方するんだ〜〜。
黒燕尾はもともと端正にシリアスに、ひーさんとのデュエットダンスもやさしい笑顔だった。もー、ここぞとばかりにひーさんだけ見つめて、微笑みかけて。うおー。
サヨナラショーは「真剣っ」て感じ。こちらは「いつも」と比べるものではないので「本来」がどういうものなのかわからない。や、わたしも寿美礼サマ見つめるのでテンパってるし。
そして最後の退団者挨拶、冒頭に書いたように。
まっつは見事に顔を強ばらせていた。
あー、固まってる固まってる。
まっつはいわゆる「泣き顔」はしないので(笑顔は泣き顔に見えるんだが……)、本当に泣いているときの顔はわかりにくい。
わかんなかったよ。ほんとーに。だから。
光の粒がこぼれたのを見て、胸を突かれた。
そんなふうに落ちるものだって、光るものだって、知らなかったから。
こわばった、怒ったような顔のままで。
固まったままで。
ただときおり、光の粒がまばたきと共に落ちる。
不器用な、頑なな姿。
ぴくりともしないで、直立して。
拍手は力一杯、高速で小刻みに鳴らして。全身、力入りまくっていて。
また怒った顔して固まって。
ずっとずっと、力入りまくっていて。ずっとずっと。
幕が下りるときとか、なんか虚ろな顔してるし。
まっつがどんな人かなんて、知りようがないのだけれど。
ああ、そういう人なんだなあ、と思った。
このひとを、見つめ続けていたい。
ライトを浴びて、きらりと一瞬だけ光って、消える。
涙って、ああやって落ちるもんなんだ。
『アデュー・マルセイユ』大劇場千秋楽、退団者の挨拶を後ろで見守りながら、まっつは顔をこわばらせていた。
怒ってるの? てな、きつい、こわい顔をして固まっていた。
表情は変わらず、動くこともなく、ただ、光の粒だけが落ちる。ぽつん、ぽつん、と。
千秋楽だからといって、まっつは別に特別なにかをしているようではなかった。アドリブをとばすとか、なにかしらサービスをするとか。
ジオラモさんも、ショーでも、いつもと同じように歌い、踊り、演技していた。
ふつうだったと思う。寿美礼サマ退団の楽であっても、ふつうにしていたと思う。
それでも。
『ラブ・シンフォニー』のスパニッシュ場面にて。下手花道から登場し、下手でソロを歌うまっつは、あきらかにいつもとちがっていた。
歌声はいつも通り豊かに響いている。ダンスのキレもいい。や、よすぎるくらい、渾身の力が込められている。
そういった、技術的なことではなくて。
表情が、いつもとちがっていた。
いつものまつださんは、ここで「うっとりモード」に入る。スターらしく、陶酔した風情で歌う。指先とかポーズとかにすっげーこだわって演じていそうな、表情まできちんと「こだわりました」的な、まっつ的勝負顔(笑)で歌い、踊っている。
なにしろわたし、ここの場面はまっつガン見基本だから。この公演は結局15回観たことになるんだけど、ついに、本舞台でなにが起こっているか知らないままだしな。
踊るまっつ、歌うまっつをガン見する。立ち見でも2階席からでも、1階1列目下手という至近距離からでも、オペラグラス使用。
まっつの独特の手さばきとか、表情とかを眺めるのがデフォルト。それ以外の選択肢はない。
そうやって眺めてきたから。
チガウことに、うろたえた。
まっつは、とても「追いつめられた」顔をしていた。
研ぎ澄まされた、ともいうか。
なにかしら、ぎりぎりの表情。
眉は強く吊り上がり、目がぎらぎらしている。
怒っているような、なにかと戦っているような。
強く引いた弓の、最強の力を加えることでかろうじて静止している弦のような。
美しかった。
微笑むわけでもなく、セクスィな表情を意識して浮かべるのでなく。ただ、なにかに耐えるかのように、渾身の力を放出していた。
その張りつめた美しさに、息をのんだ。
そして。
その痛々しさに、胸が痛んだ。
歌が終わったらまっつは片膝を付いてその他大勢にまぎれる。帽子もあるし、舞台中央を向いてしまうので顔もほとんど見えない。……ので、ソロ終了と共にオペラをおろし、舞台中央の寿美礼サマを眺めるのがわたしの通常のパターンだった。
だが、このときばかりは、まっつから視線を離すことができなかった。ソロが終わり、彫像のように動かなくなっても、ずっとまっつを見ていた。
また、わたしの席が上手寄りだったために、下手にいたまっつの顔がよく見えた。や、この席でなかったら見えなかったと思う。よくぞ今このとき、この席にいた。
まっつは鋭い表情のまま、固まっていた。
強い、きつい、険のある表情で、寿美礼サマを見つめていた。
いつものクールな顔じゃない。強い感情ゆえに引き締められた顔だった。
それがあまりに、美しくて。
それがあまりに、痛々しくて。
感情の高まりを外へ向けて発散するのではなく、舞台の端正さを優先し、奧へ奧へと押し込めようとする。
黙々と仕事を果たす。為すべきことをする。
歌声とダンスの丁寧さ。渾身の力を込めて、歌い、踊っていた。
……いやあ、ドキドキしました。
これは、ときめきってやつなんですかね? よくわかんないけど、まっつの表情に気づいたときから、心臓がばくばくして止まらなかった。
中央に寿美礼サマを残し暗転するまで、ずっとまっつを見ていた。
涙が出るのは、生理的なものだろう。心臓がこれだけばくばくいってるんだから、そりゃ涙も出るわ。
まっつが明らかに「いつもとチガウ」と思えたのはこの場面のみ。
「ラブ・ゲーム」ではクールにキザっていたし、いつものカード勝負はみわさんとしゅん様が勝つという変なことになってたし。ふたり同時に勝つってなにソレ?? まっつは「ヲイヲイ」という感じでつっこんでいたが、悔しそうではなかった。
ラテンではもちろんノリノリで腰を回していたし。とくに赤ジャケット寿美礼サマが登場したときのはじける笑顔がかわいい。や、まっつでもスパーク系の笑い方するんだ〜〜。
黒燕尾はもともと端正にシリアスに、ひーさんとのデュエットダンスもやさしい笑顔だった。もー、ここぞとばかりにひーさんだけ見つめて、微笑みかけて。うおー。
サヨナラショーは「真剣っ」て感じ。こちらは「いつも」と比べるものではないので「本来」がどういうものなのかわからない。や、わたしも寿美礼サマ見つめるのでテンパってるし。
そして最後の退団者挨拶、冒頭に書いたように。
まっつは見事に顔を強ばらせていた。
あー、固まってる固まってる。
まっつはいわゆる「泣き顔」はしないので(笑顔は泣き顔に見えるんだが……)、本当に泣いているときの顔はわかりにくい。
わかんなかったよ。ほんとーに。だから。
光の粒がこぼれたのを見て、胸を突かれた。
そんなふうに落ちるものだって、光るものだって、知らなかったから。
こわばった、怒ったような顔のままで。
固まったままで。
ただときおり、光の粒がまばたきと共に落ちる。
不器用な、頑なな姿。
ぴくりともしないで、直立して。
拍手は力一杯、高速で小刻みに鳴らして。全身、力入りまくっていて。
また怒った顔して固まって。
ずっとずっと、力入りまくっていて。ずっとずっと。
幕が下りるときとか、なんか虚ろな顔してるし。
まっつがどんな人かなんて、知りようがないのだけれど。
ああ、そういう人なんだなあ、と思った。
このひとを、見つめ続けていたい。
彼らの人間関係。@アデュー・マルセイユ
2007年11月11日 タカラヅカ 『アデュー・マルセイユ』で公演後半になると暴走度が上がっていた、というとめがねっ娘@じゅりあがすごかった。
アルテミス婦人同盟の狂犬(笑)、ソフィーちゃん。前屈みに周囲を威嚇、全開突進、声でかいです押し強いです、モーリス@壮くんたじたじ。
石鹸工場最初の、ダンス場面からひとりだけ踊り方がチガウ。バザーのちらしを眺めるときも眼鏡があってなおよく見えないのか、すげー顔近づけて読んでるし。
他の女の子たちがカラー一色かわいこちゃんななか、じゅりあひとりだけだからいい感じ。
ここで他の子たちも「じゃあわたしは泣き虫キャラ」「じゃあわたしはお色気キャラ」とか、勝手にやりはじめたら収拾つかなくなると思うんで、変キャラをひとりに固定したのは正しいと思う。や、そんなうるさい舞台も見てみたい気もするが……花娘にソレを許可したら際限なくなりそうだし(笑)。
にしても、暴走するソフィーに対するモーリスが半笑いなのは、どうよ?
猛牛のごとく足踏みしたうえで突進してくるとことか、モーリスさん笑ってます。次になにが起こるかわかったうえで、身構えてます。
ええっとそれは「ステキな市会議員モーリスさん」としてではなく、「えりたん」としてだよね? 観客も本人たちもわかったうえでやっていることなので、お遊びの範疇としてアリなんだろうし、またわたしゃその半笑いのえりたん好きなんだけど。
ええ、ここでモーリスさん、えりたんになってるのねー。という事実を、毎回おいしくいただきます。
モーリスを女の子たちが取り合うところで、前楽ではじゅりあは派手にすっ転び、一瞬場がしんとしたよーな。えりたんも結構素で「大丈夫?」と言っていたような。
それがとてもウケたので(?)大楽でじゅりあは今度はわざとらしく派手にすっ転び、モーリスが「大丈夫?」と言ったけれど……前楽ほど笑えなかったかなー。タイミング的に、じゅりあが自分で転んでいるのが見えちゃったし。東宝でのリベンジ希望(笑)。
その後ジェラール@オサたちが登場し、女の子たちはモブになってしまうのだけど……その、モブでなにかしらやっているじゅりあを眺めるのも一興。てか、ゆまちゃんがんばれ、その猛犬止めて〜〜(笑)。
ところで女の子たちと、シモン手下カルテットとでは、なにかロマンスなり物語なりあるんでしょうか。
ジェフ@みつるにはシルヴィ@みほちゃんがいるとしても、他の3人……てゆーか、セザール@めおくんのお相手は誰?
石鹸工場の場面で、画面の隅でめお&みつるの凸凹コンビが女の子たちとじゃれてるのが気になるのだが、中央の寿美礼サマが日替わりでなんかやってくるので端まで見ていられないのよ〜〜。
てゆーか。
めお×いちか希望なんですが。ナシですか、このふたりって?
だってさー、矢を拾っためおくんが、取り返そうとするナタリー@いちかにいぢわるして、自分の頭の上まで高々と矢を挙げちゃうのよ。いちか、ぴょんぴょんするんだけど、届かないのよ。
なんなの、あの萌えシチュエーション。
男勝りのミニマム美女ナタリーと、長身美形されどとびきりヘタレのセザール、というのはなかなかステキなカップルだと思うんだが……。
だが。
しかし。
せっかくのラヴ・チャンス、舞踏会でめおをふん捕まえて強引に踊るのは、じゅりあ。
あああ、じゅりあ〜〜(笑)。
片袖脱いだドレス姿がすげーたくましい〜〜。(片袖脱いでません、もともと片方の肩がむき出しになったドレスです)
まあ、あのヘタレ男4人組は、女よりもボスに惚れてくれていてヨシ。
シモン@まとぶを慕っている感じは見てて微笑ましい。
しかし、どんなマフィアなんだか、オリオン組。
カルテットのなかで最初にキスシーンがあるみつるがいちばんオイシイのはたしかだが、わたしはナニ気にディーラーをやっているミシェル@まぁくんが好き。
かっこよくないっすか、あそこの彼。
それ以外の場面のヘタレさが嘘のように大人な美形ですよ。
カジノの場面はわたし、ジオラモ@まっつしか見ていないので、ジオラモさんの後ろにいるまぁくんは視界に入ってくれるのですよ……ピンスポあびての登場をのぞけばフーケ@りせすら、声だけしか聞いたことないよ、この場面。(ジェラールさんはじきにジオ様に絡んでくれるので問題ナシ)
脇キャラの物語で知りたいのはもうひとつ、シュバリエ商工会議所長夫妻です、なんつっても。
みとさんときよみの夫婦って。
あの、イケコ、きよみが退団だから、みとさんが組替えだから、少しでも見せ場を、役を、と考えてくれたのかもしんないけど、このふたりで夫婦っつーのは無理がありすぎるんじゃないかと。
年齢が親子以上チガウよーに見える。みとさんべつに若いキャラ作ってないし、きよみも老けキャラ作ってないし。どちらも自分の得意分野で勝負しているような。
そして、アルテミス婦人同盟の主張「女性の方から男性を誘ってヨシ」に対し、市長夫人@ひーさんや婦人会会長@ちあきさんが眉をひそめるのに対し、みとさんひとり「あら、いいの?(はぁと)」とよろこんでいる。
これだけの要因で、ふたつのパターンの物語ができあがるんですが。
ひとつは、年齢差を超えた、純愛物語。
「男を誘って踊っていい」という言葉に素直によろこぶくらい、恋愛現役なみとさんは、息子くらいの年齢のきよみと出会い、熱烈な恋に落ちた。どちらがどちらを口説いたにしろ、そこにあるのは「純愛」。世間の目も社会的立場もなんのその、愛の力で乗り越える。
いいじゃないですか、姐さん女房。ロマンですよ、夢ですよ。
もうひとつは、ホストきよみの長期計画発動中。
悪役といえば嶺輝あやと。色悪キャラとして名を馳せてきたきよみの最後の晴れ舞台、もちろん悪役ですがナニか?
純愛のふりして裕福な年輩女性に近づき、愛をささやく、永遠を誓う。遺産目当てです、悪です。夫人が寿命を全うできればできればいいが、ひょっとしたら水面下でなにかしら犯罪計画が練られているのかも? 逃げて〜〜みとさん!!
や、そっからさらに物語が派生して、ほんとーに悪のまま冷酷に遺産奪取計画を遂行するきよみと、みとさんの純情にほだされていつの間にか殺せなくなってしまうきよみと。その計画を知りながらもすべてを受け入れ、愛の名の下に遺産を残そうとするみとさんと、なにも知らないまましあわせに騙され続けるみとさんと……って、想像が止まらないわ、いくらでも物語が派生して行くんですけどっ?!(笑)
年の差恋愛は萌えですわ。
いやその、ふつーに仲のいい夫婦やってます、シュバリエ夫妻。無理のある絵づらだけど、かわいいのはたしか。
ジオラモを演じるまっつは大好きだけど、彼自体にはいろいろ妄想する余地がないので、そーゆー意味ではつまらないなー。や、「恋愛アドベンチャーゲーム『アデュー・マルセイユ』」としてなら、無理矢理ジオラモ×ジェラールもアリなんですがね。
やっぱモーリスやシモンの方が萌えだなー。
なんやかんやでモーリスをオトすじゅりあ、つーのも見てみたい気はするが。あの押しの一手で押しまくり、彼が「ステキな市会議員さん」でなくても押しまくり……モーリスが根負けするまでのど根性恋物語とか。やー、それはそれできっとかわいいぞー。
と、最初の話題にリンクしたところで終わる(笑)。
アルテミス婦人同盟の狂犬(笑)、ソフィーちゃん。前屈みに周囲を威嚇、全開突進、声でかいです押し強いです、モーリス@壮くんたじたじ。
石鹸工場最初の、ダンス場面からひとりだけ踊り方がチガウ。バザーのちらしを眺めるときも眼鏡があってなおよく見えないのか、すげー顔近づけて読んでるし。
他の女の子たちがカラー一色かわいこちゃんななか、じゅりあひとりだけだからいい感じ。
ここで他の子たちも「じゃあわたしは泣き虫キャラ」「じゃあわたしはお色気キャラ」とか、勝手にやりはじめたら収拾つかなくなると思うんで、変キャラをひとりに固定したのは正しいと思う。や、そんなうるさい舞台も見てみたい気もするが……花娘にソレを許可したら際限なくなりそうだし(笑)。
にしても、暴走するソフィーに対するモーリスが半笑いなのは、どうよ?
猛牛のごとく足踏みしたうえで突進してくるとことか、モーリスさん笑ってます。次になにが起こるかわかったうえで、身構えてます。
ええっとそれは「ステキな市会議員モーリスさん」としてではなく、「えりたん」としてだよね? 観客も本人たちもわかったうえでやっていることなので、お遊びの範疇としてアリなんだろうし、またわたしゃその半笑いのえりたん好きなんだけど。
ええ、ここでモーリスさん、えりたんになってるのねー。という事実を、毎回おいしくいただきます。
モーリスを女の子たちが取り合うところで、前楽ではじゅりあは派手にすっ転び、一瞬場がしんとしたよーな。えりたんも結構素で「大丈夫?」と言っていたような。
それがとてもウケたので(?)大楽でじゅりあは今度はわざとらしく派手にすっ転び、モーリスが「大丈夫?」と言ったけれど……前楽ほど笑えなかったかなー。タイミング的に、じゅりあが自分で転んでいるのが見えちゃったし。東宝でのリベンジ希望(笑)。
その後ジェラール@オサたちが登場し、女の子たちはモブになってしまうのだけど……その、モブでなにかしらやっているじゅりあを眺めるのも一興。てか、ゆまちゃんがんばれ、その猛犬止めて〜〜(笑)。
ところで女の子たちと、シモン手下カルテットとでは、なにかロマンスなり物語なりあるんでしょうか。
ジェフ@みつるにはシルヴィ@みほちゃんがいるとしても、他の3人……てゆーか、セザール@めおくんのお相手は誰?
石鹸工場の場面で、画面の隅でめお&みつるの凸凹コンビが女の子たちとじゃれてるのが気になるのだが、中央の寿美礼サマが日替わりでなんかやってくるので端まで見ていられないのよ〜〜。
てゆーか。
めお×いちか希望なんですが。ナシですか、このふたりって?
だってさー、矢を拾っためおくんが、取り返そうとするナタリー@いちかにいぢわるして、自分の頭の上まで高々と矢を挙げちゃうのよ。いちか、ぴょんぴょんするんだけど、届かないのよ。
なんなの、あの萌えシチュエーション。
男勝りのミニマム美女ナタリーと、長身美形されどとびきりヘタレのセザール、というのはなかなかステキなカップルだと思うんだが……。
だが。
しかし。
せっかくのラヴ・チャンス、舞踏会でめおをふん捕まえて強引に踊るのは、じゅりあ。
あああ、じゅりあ〜〜(笑)。
片袖脱いだドレス姿がすげーたくましい〜〜。(片袖脱いでません、もともと片方の肩がむき出しになったドレスです)
まあ、あのヘタレ男4人組は、女よりもボスに惚れてくれていてヨシ。
シモン@まとぶを慕っている感じは見てて微笑ましい。
しかし、どんなマフィアなんだか、オリオン組。
カルテットのなかで最初にキスシーンがあるみつるがいちばんオイシイのはたしかだが、わたしはナニ気にディーラーをやっているミシェル@まぁくんが好き。
かっこよくないっすか、あそこの彼。
それ以外の場面のヘタレさが嘘のように大人な美形ですよ。
カジノの場面はわたし、ジオラモ@まっつしか見ていないので、ジオラモさんの後ろにいるまぁくんは視界に入ってくれるのですよ……ピンスポあびての登場をのぞけばフーケ@りせすら、声だけしか聞いたことないよ、この場面。(ジェラールさんはじきにジオ様に絡んでくれるので問題ナシ)
脇キャラの物語で知りたいのはもうひとつ、シュバリエ商工会議所長夫妻です、なんつっても。
みとさんときよみの夫婦って。
あの、イケコ、きよみが退団だから、みとさんが組替えだから、少しでも見せ場を、役を、と考えてくれたのかもしんないけど、このふたりで夫婦っつーのは無理がありすぎるんじゃないかと。
年齢が親子以上チガウよーに見える。みとさんべつに若いキャラ作ってないし、きよみも老けキャラ作ってないし。どちらも自分の得意分野で勝負しているような。
そして、アルテミス婦人同盟の主張「女性の方から男性を誘ってヨシ」に対し、市長夫人@ひーさんや婦人会会長@ちあきさんが眉をひそめるのに対し、みとさんひとり「あら、いいの?(はぁと)」とよろこんでいる。
これだけの要因で、ふたつのパターンの物語ができあがるんですが。
ひとつは、年齢差を超えた、純愛物語。
「男を誘って踊っていい」という言葉に素直によろこぶくらい、恋愛現役なみとさんは、息子くらいの年齢のきよみと出会い、熱烈な恋に落ちた。どちらがどちらを口説いたにしろ、そこにあるのは「純愛」。世間の目も社会的立場もなんのその、愛の力で乗り越える。
いいじゃないですか、姐さん女房。ロマンですよ、夢ですよ。
もうひとつは、ホストきよみの長期計画発動中。
悪役といえば嶺輝あやと。色悪キャラとして名を馳せてきたきよみの最後の晴れ舞台、もちろん悪役ですがナニか?
純愛のふりして裕福な年輩女性に近づき、愛をささやく、永遠を誓う。遺産目当てです、悪です。夫人が寿命を全うできればできればいいが、ひょっとしたら水面下でなにかしら犯罪計画が練られているのかも? 逃げて〜〜みとさん!!
や、そっからさらに物語が派生して、ほんとーに悪のまま冷酷に遺産奪取計画を遂行するきよみと、みとさんの純情にほだされていつの間にか殺せなくなってしまうきよみと。その計画を知りながらもすべてを受け入れ、愛の名の下に遺産を残そうとするみとさんと、なにも知らないまましあわせに騙され続けるみとさんと……って、想像が止まらないわ、いくらでも物語が派生して行くんですけどっ?!(笑)
年の差恋愛は萌えですわ。
いやその、ふつーに仲のいい夫婦やってます、シュバリエ夫妻。無理のある絵づらだけど、かわいいのはたしか。
ジオラモを演じるまっつは大好きだけど、彼自体にはいろいろ妄想する余地がないので、そーゆー意味ではつまらないなー。や、「恋愛アドベンチャーゲーム『アデュー・マルセイユ』」としてなら、無理矢理ジオラモ×ジェラールもアリなんですがね。
やっぱモーリスやシモンの方が萌えだなー。
なんやかんやでモーリスをオトすじゅりあ、つーのも見てみたい気はするが。あの押しの一手で押しまくり、彼が「ステキな市会議員さん」でなくても押しまくり……モーリスが根負けするまでのど根性恋物語とか。やー、それはそれできっとかわいいぞー。
と、最初の話題にリンクしたところで終わる(笑)。
1500分の1になる。@月組バウ発売日
2007年11月10日 タカラヅカ 本日はゆーひくんバウの発売日。
いつものように梅田に並びに行きました。ええ、行きましたとも。
いつもの時間、いつもの電車。
いつもの道を通って、できているだろう行列の最後尾を目指す。
三番街の並びの最後尾といえば、総合案内所の横のムービング・ウォークがない通路。三番街プレイガイドをスタート地点として、ぐるりと回ってコインロッカー前あたりがわたし的いつもの並び位置。
大劇もバウも、大体同じくらい。
大劇場公演はムラでの発売が主だから、梅田に並ぶ人は多くない。バウはムラでの発売がないので、その分にぎわう。
どちらにしろ最近は600人くらいが平均的かな。コインロッカー前が最後尾だと、それくらいの人数。
ゆーひくんだから、通常よりは多いと思っていた。ふつーが600人なら、800〜900くらいは行くだろー。人気者だとそれくらいが常。20年近くずーっと梅田で並んできた慣れというか感覚というか。
人気がないと500切ったりして、最後尾位置でソレが丸わかりで、かえってつらかったりするが、人気がありすぎても購入できないからこまる。
いつもの通路が見えた段階で、人が多いことがわかった。
ロッカー前なんてとんでもない、案内所前まで来て、手すりのところを折り返している。
うんうん、800人超えたら手すりまで行くよね。手すりのいちばん後ろぐらいまでは行ってるかも、なにしろゆーひくんだし!!
ゆーひくん主演で景子先生新作でバウホール。
その人気を、わたしは確信していた。ので、最後尾位置がいつもよりずっと後ろになっていてもおどろかなかった。
おどろいたのは、そのあとだ。
てっきり手すりあたりに並べると思った。
だから手すりのところに出来た列を眺めながら歩いた。最後尾に入るために。
あ、あれ? 最後尾……が、いつまでたっても出てこない。通常の公演なら、人気公演でもこのあたりに最後尾があるのに。
まさか。
嫌な予感がして、視線を遙か前方に向けた。
その昔、まだ梅田でTCAチケットの一般販売があったころや、トップスター退団の大劇場公演などのときのみ、人が並ぶことになる阪急百貨店前コンコースを。
行列が、あった。
百貨店前に。
えええ。
バウだよ? トップサヨナラ大劇ぢゃないよ?!!
や、きっとあそこに見えている人だけだ、最後尾はあのすぐ後ろなんだわ、と気を取り直してはるかコンコースを目指す。
だが、コンコース前の行列は、ずーっと向こうまで続いていた……。
なんで? なんでなんで??
わけわかんなくて、必死に歩いた。どこまで歩けばいいの、このままだとコンコースいちばん奥まで行っちゃうよ??
寿美礼サマ退団公演の並びと同じくらい歩いてますけど、最後尾まで?!
なんとか列に入って、後ろを見る。
どこまで増えるの、この列? このままじゃ、コンコースを折り返すことになっちゃうよ?
時間的にぎりぎりなので、わたしの何メートルか後ろで「受付終了」のプラカードが掲げられる。さすがにコンコース折り返しにはならなかった。そこまで行ったら腰を抜かす。
いや、今の状態だって信じられない。
人気があることはわかっている。今のゆーひくんならバウ完売は当然だ。抽選倍率が通常より過酷だろうと覚悟もしていた。
にしても、この人数は想像の範囲をまるっと超えていた。
周囲の人たちがみんな電話をしたりメールをしたりしている。
「すごい人の数なの、絶対無理!!」……悲鳴だ。
係のおねーさんがアナウンスをしている。並んでいる人はなんと1500人だという。
あの、通常が600なんですけど……。ちなみに、寿美礼サマの『アデュー・マルセイユ』のときが、1400人だったんですけど。
いくらバウは会がこぞって並んでいるとはいえ、この人数はありえない。チケット事情は年々変化し、並び人数は昔と比べて減ってきているというのに。今、この人数って。
でもって、大劇とちがってバウは発売枚数が少ない。
大劇なら900人×3枚が購入可能だが、今回のバウは370人×2枚だ。
1500人のうち、370人しか購入できない。
その過酷さはナニ?! ありえないでしょーー!!
朝っぱらから、心を折られました。しかもわたし今日ひとりだし。話す相手もいないし。愚痴も言えないし、泣き言言えないし。……や、えんえんメールでチェリさんに泣き言ゆーてましたが。「絶対買えない〜〜」って。
梅田並び歴長いけど、バウで1500人は初体験だ。
実際、係のおねーさんも「史上初」と言っていたらしい。
それでも混乱なく行列をさばいてくれたから、阪急交通社さんGJ!
もっともっと無駄に長く並ばされるかと思ったよ、あの人数じゃ。
わたしは整理券だけGETして会社にすっ飛んでいったnanakoさんの分も代わりに抽選し、1勝1敗、かろうじて番号のある紙を引けた。
5分の1ちかい確率で、アタリ引けるとは思わなかったよ……おかげでnanaタンと並んで観劇できるぞぉー。
そして、ぴあも2分完売だとかゆーてるのに、自宅でネット発売に参戦し、ちゃーんとわたしたちと同じ日時のチケットをGETしたチェリさんは、相変わらず凄腕だ。
さて、そのチケ発売狂想曲の最中。
グラビルのチケット発売ブースにてわたしは、なつかしい顔を見つけた。
「おひさしぶり」
「ご無沙汰してます」
なんて挨拶をする、その知人はすでに卒業してしまった人のファン。それまでは劇場でよく会ったねええ。直接のご贔屓はちがっても、贔屓組が同じだったことがあるから、なにかと縁があった。
どこかの会並びに参加している様子の彼女を見て、そうか、ご贔屓が退団しても、こうやって会におつきあいがあり、並んだりするんだ、助け合いの精神がヅカファンだもんね、と思い込んで話していたら。
そーではなくて、今現在、その会に入って現役生徒さんを応援しているらしい。
「もう二度とやらないと思ったのに……」
と笑う彼女は、照れくさそうでありながら、それでもたのしそうだった。
それはなんだか、とってもほっこりとこころがあたたくなる笑顔だった。
贔屓退団であんなに泣いていたけれど、わたしがおぼえているの彼女の顔は、千秋楽の泣きはらした目と顔半分を覆ったハンカチ、なのだけど。
それがわたしたちが今日かわした「おひさしぶり」「ご無沙汰してます」の言葉の間にあった最後の記憶だったのだけれど。
それでもまた宝塚を愛し、誰かを愛し、こーやって愛を表現している。
もちろん、ただひとり人を愛し、ご贔屓が退団したらタカラヅカも卒業、というのも愛のカタチ。どちらがどうということではなく。
今、しあわせそうにしている姿を見て、うれしくなった。
愛は死なない。
ひとつの愛に殉じるのも、愛の心を絶やさずに進み続けるのも、同じこと。
みんなの心の、愛は死なない。
1500人もいるなかで、よくもばったり会ったもんだ。はずれていたらわたし、さっさといじけて帰っていたしな。
同じ購入時間だったからこそこうやって偶然出会って、「なんかすごい人ですよねえ」「すごいですねえ」なんて、他愛ない話をして、笑って別れた。
またムラで会いましょう。約束はなくても、またどこかで会える。見かけたら挨拶をかわす、笑顔をかわす、それだけの知人。
そんな人がいる、ささやかなしあわせ。
……半日ひとりで並んで、時間潰して、孤独だったからさー。もー、ほんと会話できてうれしかったよぅ(笑)。
帰宅してからはえんえん、まっつグッズ作りしてたし。(またかよ!)
いつものように梅田に並びに行きました。ええ、行きましたとも。
いつもの時間、いつもの電車。
いつもの道を通って、できているだろう行列の最後尾を目指す。
三番街の並びの最後尾といえば、総合案内所の横のムービング・ウォークがない通路。三番街プレイガイドをスタート地点として、ぐるりと回ってコインロッカー前あたりがわたし的いつもの並び位置。
大劇もバウも、大体同じくらい。
大劇場公演はムラでの発売が主だから、梅田に並ぶ人は多くない。バウはムラでの発売がないので、その分にぎわう。
どちらにしろ最近は600人くらいが平均的かな。コインロッカー前が最後尾だと、それくらいの人数。
ゆーひくんだから、通常よりは多いと思っていた。ふつーが600人なら、800〜900くらいは行くだろー。人気者だとそれくらいが常。20年近くずーっと梅田で並んできた慣れというか感覚というか。
人気がないと500切ったりして、最後尾位置でソレが丸わかりで、かえってつらかったりするが、人気がありすぎても購入できないからこまる。
いつもの通路が見えた段階で、人が多いことがわかった。
ロッカー前なんてとんでもない、案内所前まで来て、手すりのところを折り返している。
うんうん、800人超えたら手すりまで行くよね。手すりのいちばん後ろぐらいまでは行ってるかも、なにしろゆーひくんだし!!
ゆーひくん主演で景子先生新作でバウホール。
その人気を、わたしは確信していた。ので、最後尾位置がいつもよりずっと後ろになっていてもおどろかなかった。
おどろいたのは、そのあとだ。
てっきり手すりあたりに並べると思った。
だから手すりのところに出来た列を眺めながら歩いた。最後尾に入るために。
あ、あれ? 最後尾……が、いつまでたっても出てこない。通常の公演なら、人気公演でもこのあたりに最後尾があるのに。
まさか。
嫌な予感がして、視線を遙か前方に向けた。
その昔、まだ梅田でTCAチケットの一般販売があったころや、トップスター退団の大劇場公演などのときのみ、人が並ぶことになる阪急百貨店前コンコースを。
行列が、あった。
百貨店前に。
えええ。
バウだよ? トップサヨナラ大劇ぢゃないよ?!!
や、きっとあそこに見えている人だけだ、最後尾はあのすぐ後ろなんだわ、と気を取り直してはるかコンコースを目指す。
だが、コンコース前の行列は、ずーっと向こうまで続いていた……。
なんで? なんでなんで??
わけわかんなくて、必死に歩いた。どこまで歩けばいいの、このままだとコンコースいちばん奥まで行っちゃうよ??
寿美礼サマ退団公演の並びと同じくらい歩いてますけど、最後尾まで?!
なんとか列に入って、後ろを見る。
どこまで増えるの、この列? このままじゃ、コンコースを折り返すことになっちゃうよ?
時間的にぎりぎりなので、わたしの何メートルか後ろで「受付終了」のプラカードが掲げられる。さすがにコンコース折り返しにはならなかった。そこまで行ったら腰を抜かす。
いや、今の状態だって信じられない。
人気があることはわかっている。今のゆーひくんならバウ完売は当然だ。抽選倍率が通常より過酷だろうと覚悟もしていた。
にしても、この人数は想像の範囲をまるっと超えていた。
周囲の人たちがみんな電話をしたりメールをしたりしている。
「すごい人の数なの、絶対無理!!」……悲鳴だ。
係のおねーさんがアナウンスをしている。並んでいる人はなんと1500人だという。
あの、通常が600なんですけど……。ちなみに、寿美礼サマの『アデュー・マルセイユ』のときが、1400人だったんですけど。
いくらバウは会がこぞって並んでいるとはいえ、この人数はありえない。チケット事情は年々変化し、並び人数は昔と比べて減ってきているというのに。今、この人数って。
でもって、大劇とちがってバウは発売枚数が少ない。
大劇なら900人×3枚が購入可能だが、今回のバウは370人×2枚だ。
1500人のうち、370人しか購入できない。
その過酷さはナニ?! ありえないでしょーー!!
朝っぱらから、心を折られました。しかもわたし今日ひとりだし。話す相手もいないし。愚痴も言えないし、泣き言言えないし。……や、えんえんメールでチェリさんに泣き言ゆーてましたが。「絶対買えない〜〜」って。
梅田並び歴長いけど、バウで1500人は初体験だ。
実際、係のおねーさんも「史上初」と言っていたらしい。
それでも混乱なく行列をさばいてくれたから、阪急交通社さんGJ!
もっともっと無駄に長く並ばされるかと思ったよ、あの人数じゃ。
わたしは整理券だけGETして会社にすっ飛んでいったnanakoさんの分も代わりに抽選し、1勝1敗、かろうじて番号のある紙を引けた。
5分の1ちかい確率で、アタリ引けるとは思わなかったよ……おかげでnanaタンと並んで観劇できるぞぉー。
そして、ぴあも2分完売だとかゆーてるのに、自宅でネット発売に参戦し、ちゃーんとわたしたちと同じ日時のチケットをGETしたチェリさんは、相変わらず凄腕だ。
さて、そのチケ発売狂想曲の最中。
グラビルのチケット発売ブースにてわたしは、なつかしい顔を見つけた。
「おひさしぶり」
「ご無沙汰してます」
なんて挨拶をする、その知人はすでに卒業してしまった人のファン。それまでは劇場でよく会ったねええ。直接のご贔屓はちがっても、贔屓組が同じだったことがあるから、なにかと縁があった。
どこかの会並びに参加している様子の彼女を見て、そうか、ご贔屓が退団しても、こうやって会におつきあいがあり、並んだりするんだ、助け合いの精神がヅカファンだもんね、と思い込んで話していたら。
そーではなくて、今現在、その会に入って現役生徒さんを応援しているらしい。
「もう二度とやらないと思ったのに……」
と笑う彼女は、照れくさそうでありながら、それでもたのしそうだった。
それはなんだか、とってもほっこりとこころがあたたくなる笑顔だった。
贔屓退団であんなに泣いていたけれど、わたしがおぼえているの彼女の顔は、千秋楽の泣きはらした目と顔半分を覆ったハンカチ、なのだけど。
それがわたしたちが今日かわした「おひさしぶり」「ご無沙汰してます」の言葉の間にあった最後の記憶だったのだけれど。
それでもまた宝塚を愛し、誰かを愛し、こーやって愛を表現している。
もちろん、ただひとり人を愛し、ご贔屓が退団したらタカラヅカも卒業、というのも愛のカタチ。どちらがどうということではなく。
今、しあわせそうにしている姿を見て、うれしくなった。
愛は死なない。
ひとつの愛に殉じるのも、愛の心を絶やさずに進み続けるのも、同じこと。
みんなの心の、愛は死なない。
1500人もいるなかで、よくもばったり会ったもんだ。はずれていたらわたし、さっさといじけて帰っていたしな。
同じ購入時間だったからこそこうやって偶然出会って、「なんかすごい人ですよねえ」「すごいですねえ」なんて、他愛ない話をして、笑って別れた。
またムラで会いましょう。約束はなくても、またどこかで会える。見かけたら挨拶をかわす、笑顔をかわす、それだけの知人。
そんな人がいる、ささやかなしあわせ。
……半日ひとりで並んで、時間潰して、孤独だったからさー。もー、ほんと会話できてうれしかったよぅ(笑)。
帰宅してからはえんえん、まっつグッズ作りしてたし。(またかよ!)
あいつがキライ。@アデュー・マルセイユ
2007年11月9日 タカラヅカ どんどん暴走するオサ様の、公演後半のお楽しみはVSモーリスだった。
『アデュー・マルセイユ』ムラ公演ね。東宝がどうなるのかはわかんない。
ジェラール@オサはICPOの捜査官。密輸犯のふりをして潜入捜査中。悪党たちとは仲良くしなければならない……はずなのに。
モーリス@壮とは、大ゲンカ中。
ヲイヲイ、ハズされたらどーするんだよ、実際モーリスは「あいつを仲間からハズせ!」と騒いでるじゃん(おじさんたちには相手にされていないが)。
壮くんは不思議なほどオサ様と相性がいい。
雪にいたときは演技のアレさ、空気の読めなさで浮きまくっていたのに、花ではすっかり馴染んでいる。日替わりオサ様とたのしそーに絡んでいる。
『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』のときもそうだったが、オサ様は壮くん相手だといろいろ仕掛けやすいのかもしれない。他の誰と絡むときよりアドリブ度が高い。
シモン@まとぶに対する、「その場限りのお遊び」としてなにかするんではなく、「物語の中での変化」だから、ジェラールとしてモーリスとして楽しめるのも愉快。
ええそして、「お遊び」でしかオサ様と絡めないまとぶさんがどんどんコワレていく(酔っぱらいやりすぎ。あそこまでグタグダにせんでも……)のが、愛しかったりもする(笑)。
まあなんにせよ、ジェラールVSモーリス。
ジェラールさんは、なんであんなにモーリスくんを嫌いですか?
最初に石鹸工場で出会ったときから、反感ゆんゆん。
モーリスは「好青年」の皮をかぶっているので好意的なんだが、ジェラールは敵意むき出し。モーリスの活躍ぶりを「大忙しだな」と皮肉にしか聞こえない声で言い捨てたり。
思い出の神殿でバザーをやる、つーんで一瞬盛り上がっても、その場所を使えるように動いたのがモーリスだとわかると顔をこわばらせる。(モーリスも、ここですごーく得意そうにするんだが・笑)
マリアンヌにも興味なさそうだから、「かわいいあの子に近づくキザな奴!」と反感を持つわけでもないだろうに。
ただたんに、モーリス単体で気に入らないらしい。
……そんな、理由もなく嫌わなくても……(笑)。
まあ、若くてハンサムで地位も名誉も金もあって善人ぶっていて、ムカつく要素はいくらでもあるが、そこで反感あからさまなのはジェラールというキャラにそぐわない気がする。
けど、脚本関係なし、寿美礼サマ爆走前提の花組公演だから、彼が一貫してさえいれば問題なし。
ええ、ジェラール的には、一貫している。
モーリスが、キライ。彼のやることなすことムカつく。
興味なくスルーしていたはずの初日付近とはちがい、出会いのときから「キライ」オーラ放出。
ジェラールがどれだけモーリスを意識し、彼の存在に反応しているか。……ええっと、ヒロインの立場は?と、思う日も何回もあった……。
ホテル・ネプチューンの悪党ズたちの会合に、モーリスが現れたときの憮然とした面持ち。リシャールやペランとは反応がチガウ。
モーリスはこのとき得意満面だからなー。腹にイロイロ溜め込んでいるジェラールの顔色を読むこともなく、隣に坐ってフレンドリーな態度を取ってみたり。
モーリスはジェラールを嫌っていないんだよね、このときまでは。
ルイ・マレーを見つけ、仲間に引き込むようお膳立てをしたのは僕の手柄♪と思っているせいか。
年配者しかいないチームで、同年代の仲間参入がうれしいのか。
ジェラールが一方的にモーリスを嫌っている……のはジェラールという色を付けにくい男に、「人間らしさ」を感じさせてくれてなんだかうれしい。
そしてもっとも愉快なことになっていた、バザー場面。
八百長大作戦で「僕が相手だ」といそいそとジャケットを脱ぐモーリス。「かかってこい」ポーズのうさんくささも際立つモーリス。
ダニエル@さおたと対峙するも、あっけなくジェラールにダニエルを倒されてしまい、見せ場を失ってしまうモーリス。
ここのふたりの反目の仕方は、日替わりですっげーおもしろかった。
マリアンヌに「ありがとう」と握手をさせられたあと握力比べになったり(もちろんモーリスが負ける)、手を引き合ってにらみ合ったり、振り払いたいモーリスの手をジェラールが離さなかったり、モーリスが叩くような勢いで振り払ったり、もーいろいろありすぎて。
「作戦だったんだ!」
「もっとマシな手を考えろ」
このやりとりも、怒鳴り合いだったり、ブリザード吹く冷ややかさだったり、手振り付き(それは置いといて、みたいな)だったり、顔近すぎだったり、激昂しすぎたジェラールが台詞変えてたり、毎回違っておもしろすぎ。
そのあとの台詞のないところも、ずーっとケンカしていて。
石鹸輸出の話になると、「先生、僕宿題やりました」「まあ、いい子ね」「先生、僕は宿題の他に予習もしましたっ」って、先生の歓心をかいたくて張り合っている小学生みたいに、これでもか、と相手を出し抜くためだけの会話を続けて。
楽が近づく頃になると、オサファン的見どころのひとつとして定着していたんで、シモンやジャンヌたちが物語を進めているのに、観客は無言でケンカしているオサと壮くんを見て爆笑していたりと、ちょっといびつなことになっていた。
初見の人はなんでみんなが笑ってるのか、わかんなかったろうなあ。ふつーに台詞を言っている人を見ていたら、ケンカしてるのなんかわかんないし。つか、ケンカしているのがおかしいって、見てもわかんないだろうし。
とにかくジェラール、モーリスに反応しすぎ。
ジェラール、君さぁ、マリアンヌのことほんとはどーでもいいんだろ。彼女の話はちっとも聞いてないわけだし。モーリスと張り合うためだけに、彼女にちょっかい出してるよね……?
いっちばんVSモーリスでウケたのは、いつの回だったかな。
バザー場面、神殿でマリアンヌとふたりきりになったときのジェラールさん。
柱にもたれたり、客席に背中を向けたりしながらマリアンヌの話を聞いているところで。
マリアンヌの台詞の中で、わたし的にいちばんツボっているステキ台詞。
「彼の好意は重荷なの」
うわっ、言い切ったよこの女!! という、「そりゃそーだろーけど、ソレを言っちゃあオシマイだよな」というステキ台詞。
この台詞を聴いた途端、ジェラールが、吹き出した。
えええ。
ジェラールさん今ぶはって笑った? 笑ったよね? 吹き出したよね?!
それまで背を向けていたジェラールが、満面の笑みで振り返り、突然マリアンヌに対し口説きモードになる。
そのあからさまさに、爆笑しそーになった。
つか、吹き出したジェラールさんに、吹き出したよー。そこで笑うかオマエ。
「重荷って言われてやんの〜〜(笑)」……って、そーゆーこと?
もともとジェラールは「重荷なの」と言われるまで黙って話を聞いていて、その台詞を機に口説きモードにチェンジすることになってるんだけど(わかりやすい男だなヲイ)、あまりにうれしそうだとマリアンヌを好きだというより、「モーリスの女を取ってやれ」という気持ちに見えるぞっと(笑)。
男の意地の張り合い、男の子のケンカ的で、かわいいから大好きなんだけどな。
ついでにゆーと、モーリスへの意地悪でマリアンヌを口説く、ジェラールがそーゆーまちがった人であっても、わたし的にはぜんぜんOKですから。だって最初から仕事を忘れてあんなに「キライだっ」を全開にしてるんだもん。一貫してるんだもん。
たんに寿美礼サマが暴走しているだけで深い意味はないにしても、見ていてすげーたのしい。萌える(笑)。
強い感情は、それだけで周囲を動かすから。
コワレていようとまちがっていようと、モーリスを嫌いなジェラールさんは好きだ(笑)。
『アデュー・マルセイユ』ムラ公演ね。東宝がどうなるのかはわかんない。
ジェラール@オサはICPOの捜査官。密輸犯のふりをして潜入捜査中。悪党たちとは仲良くしなければならない……はずなのに。
モーリス@壮とは、大ゲンカ中。
ヲイヲイ、ハズされたらどーするんだよ、実際モーリスは「あいつを仲間からハズせ!」と騒いでるじゃん(おじさんたちには相手にされていないが)。
壮くんは不思議なほどオサ様と相性がいい。
雪にいたときは演技のアレさ、空気の読めなさで浮きまくっていたのに、花ではすっかり馴染んでいる。日替わりオサ様とたのしそーに絡んでいる。
『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』のときもそうだったが、オサ様は壮くん相手だといろいろ仕掛けやすいのかもしれない。他の誰と絡むときよりアドリブ度が高い。
シモン@まとぶに対する、「その場限りのお遊び」としてなにかするんではなく、「物語の中での変化」だから、ジェラールとしてモーリスとして楽しめるのも愉快。
ええそして、「お遊び」でしかオサ様と絡めないまとぶさんがどんどんコワレていく(酔っぱらいやりすぎ。あそこまでグタグダにせんでも……)のが、愛しかったりもする(笑)。
まあなんにせよ、ジェラールVSモーリス。
ジェラールさんは、なんであんなにモーリスくんを嫌いですか?
最初に石鹸工場で出会ったときから、反感ゆんゆん。
モーリスは「好青年」の皮をかぶっているので好意的なんだが、ジェラールは敵意むき出し。モーリスの活躍ぶりを「大忙しだな」と皮肉にしか聞こえない声で言い捨てたり。
思い出の神殿でバザーをやる、つーんで一瞬盛り上がっても、その場所を使えるように動いたのがモーリスだとわかると顔をこわばらせる。(モーリスも、ここですごーく得意そうにするんだが・笑)
マリアンヌにも興味なさそうだから、「かわいいあの子に近づくキザな奴!」と反感を持つわけでもないだろうに。
ただたんに、モーリス単体で気に入らないらしい。
……そんな、理由もなく嫌わなくても……(笑)。
まあ、若くてハンサムで地位も名誉も金もあって善人ぶっていて、ムカつく要素はいくらでもあるが、そこで反感あからさまなのはジェラールというキャラにそぐわない気がする。
けど、脚本関係なし、寿美礼サマ爆走前提の花組公演だから、彼が一貫してさえいれば問題なし。
ええ、ジェラール的には、一貫している。
モーリスが、キライ。彼のやることなすことムカつく。
興味なくスルーしていたはずの初日付近とはちがい、出会いのときから「キライ」オーラ放出。
ジェラールがどれだけモーリスを意識し、彼の存在に反応しているか。……ええっと、ヒロインの立場は?と、思う日も何回もあった……。
ホテル・ネプチューンの悪党ズたちの会合に、モーリスが現れたときの憮然とした面持ち。リシャールやペランとは反応がチガウ。
モーリスはこのとき得意満面だからなー。腹にイロイロ溜め込んでいるジェラールの顔色を読むこともなく、隣に坐ってフレンドリーな態度を取ってみたり。
モーリスはジェラールを嫌っていないんだよね、このときまでは。
ルイ・マレーを見つけ、仲間に引き込むようお膳立てをしたのは僕の手柄♪と思っているせいか。
年配者しかいないチームで、同年代の仲間参入がうれしいのか。
ジェラールが一方的にモーリスを嫌っている……のはジェラールという色を付けにくい男に、「人間らしさ」を感じさせてくれてなんだかうれしい。
そしてもっとも愉快なことになっていた、バザー場面。
八百長大作戦で「僕が相手だ」といそいそとジャケットを脱ぐモーリス。「かかってこい」ポーズのうさんくささも際立つモーリス。
ダニエル@さおたと対峙するも、あっけなくジェラールにダニエルを倒されてしまい、見せ場を失ってしまうモーリス。
ここのふたりの反目の仕方は、日替わりですっげーおもしろかった。
マリアンヌに「ありがとう」と握手をさせられたあと握力比べになったり(もちろんモーリスが負ける)、手を引き合ってにらみ合ったり、振り払いたいモーリスの手をジェラールが離さなかったり、モーリスが叩くような勢いで振り払ったり、もーいろいろありすぎて。
「作戦だったんだ!」
「もっとマシな手を考えろ」
このやりとりも、怒鳴り合いだったり、ブリザード吹く冷ややかさだったり、手振り付き(それは置いといて、みたいな)だったり、顔近すぎだったり、激昂しすぎたジェラールが台詞変えてたり、毎回違っておもしろすぎ。
そのあとの台詞のないところも、ずーっとケンカしていて。
石鹸輸出の話になると、「先生、僕宿題やりました」「まあ、いい子ね」「先生、僕は宿題の他に予習もしましたっ」って、先生の歓心をかいたくて張り合っている小学生みたいに、これでもか、と相手を出し抜くためだけの会話を続けて。
楽が近づく頃になると、オサファン的見どころのひとつとして定着していたんで、シモンやジャンヌたちが物語を進めているのに、観客は無言でケンカしているオサと壮くんを見て爆笑していたりと、ちょっといびつなことになっていた。
初見の人はなんでみんなが笑ってるのか、わかんなかったろうなあ。ふつーに台詞を言っている人を見ていたら、ケンカしてるのなんかわかんないし。つか、ケンカしているのがおかしいって、見てもわかんないだろうし。
とにかくジェラール、モーリスに反応しすぎ。
ジェラール、君さぁ、マリアンヌのことほんとはどーでもいいんだろ。彼女の話はちっとも聞いてないわけだし。モーリスと張り合うためだけに、彼女にちょっかい出してるよね……?
いっちばんVSモーリスでウケたのは、いつの回だったかな。
バザー場面、神殿でマリアンヌとふたりきりになったときのジェラールさん。
柱にもたれたり、客席に背中を向けたりしながらマリアンヌの話を聞いているところで。
マリアンヌの台詞の中で、わたし的にいちばんツボっているステキ台詞。
「彼の好意は重荷なの」
うわっ、言い切ったよこの女!! という、「そりゃそーだろーけど、ソレを言っちゃあオシマイだよな」というステキ台詞。
この台詞を聴いた途端、ジェラールが、吹き出した。
えええ。
ジェラールさん今ぶはって笑った? 笑ったよね? 吹き出したよね?!
それまで背を向けていたジェラールが、満面の笑みで振り返り、突然マリアンヌに対し口説きモードになる。
そのあからさまさに、爆笑しそーになった。
つか、吹き出したジェラールさんに、吹き出したよー。そこで笑うかオマエ。
「重荷って言われてやんの〜〜(笑)」……って、そーゆーこと?
もともとジェラールは「重荷なの」と言われるまで黙って話を聞いていて、その台詞を機に口説きモードにチェンジすることになってるんだけど(わかりやすい男だなヲイ)、あまりにうれしそうだとマリアンヌを好きだというより、「モーリスの女を取ってやれ」という気持ちに見えるぞっと(笑)。
男の意地の張り合い、男の子のケンカ的で、かわいいから大好きなんだけどな。
ついでにゆーと、モーリスへの意地悪でマリアンヌを口説く、ジェラールがそーゆーまちがった人であっても、わたし的にはぜんぜんOKですから。だって最初から仕事を忘れてあんなに「キライだっ」を全開にしてるんだもん。一貫してるんだもん。
たんに寿美礼サマが暴走しているだけで深い意味はないにしても、見ていてすげーたのしい。萌える(笑)。
強い感情は、それだけで周囲を動かすから。
コワレていようとまちがっていようと、モーリスを嫌いなジェラールさんは好きだ(笑)。
彼女の翼、彼の罪。@妄想配役
2007年11月8日 タカラヅカ その日、群青の空から白い翼が墜ちた。
サンパウロの豪邸で、寿美礼は夫の自家用機が墜落したことを知った。この瞬間から彼女は、「世界一裕福な未亡人」となった……。
日本のとある南の島。飛行機でしか本土と行き来できない緑あふれる孤島に、富豪専用の会員制ホテルがあった。セレブたちが休暇を過ごす優雅な隠れ島で、青い空を見つめ絶望を胸に宿す孤独な青年がいた。ホテル従業員(ガテン系)の真飛だ。
兄が殺人を犯し逃亡中……「殺人犯の弟」である真飛の人生は暗い。非難と差別、貧乏……人の目から逃げるように小さな島で暮らす彼には、空に対する無性の憧れがあった。俺に翼があれば……。
そんな彼の前に、白い翼が舞い降りた。ホテルの送迎機から島に降り立ったのは、金色の鳥かごを持った、黒衣の未亡人だった。黒いベール、黒いドレス、空っぽの鳥かご……神秘的な美貌と孤独の影……。
翼を失った女と男、寿美礼と真飛はこうして出会った。
己れの人生に絶望している真飛は、「世界一裕福な未亡人」寿美礼に謂われのない反感を持つ。真飛には彩音という恋人があり、ふたりしてこの島を出るための資金を必要としていた。「あの未亡人を騙して、金を取ろう」……300億ドルもの遺産を得た女だ、真飛と彩音が夢を叶えるために多少金を騙し取ったとしても大したことはないだろう。
真飛は肉体労働で鍛えたセクスィなカラダとワイルド系の美貌を利用して、寿美礼に恋を仕掛ける。心に傷を負った富豪未亡人と、地位も金もない男の南の島での身分違いの恋……ムード満点、ロマンスの王道。
翼が欲しい。
ないものを求めてあがく男と、空っぽの鳥かごを持った女。
「まるでイカロスね」
繰り返される神話と、現実の人間たち。
真飛は気付いていない。彼女が金持ちだから、彼女の持つ金が欲しいから、というのは言い訳に過ぎない。彼女に近づくための、恋を語るための。
はじめて島の空港で出会ったときから、真飛は寿美礼に惹かれていた。魅せられていた。
彼女の持つ、孤独と闇に、共鳴していた。
恋を仕掛けて、金を巻き上げる……そのための愛の言葉、そのためのくちづけ。言い訳を繰り返しながら、真飛は寿美礼に溺れていく。
ホテル従業員・彩音もまた、自由という名の翼を欲していた。飲んだくれの父親悠真にはした金で売られた彼女は、叔母であるホテルオーナー夏美の養女となるしかなかった。
夏美はホテルを守る後継者を必要としており、養女にした彩音を金持ち男壮と政略結婚させるつもりなのだ。
壮は大金持ちの三代目社長。白いスーツに白のエナメル靴でキメた、キザで嫌味な二枚目の典型。金と権力がすべて、それを持たないモノは虫けらだとナチュラルに信じ込んでいるステキな価値観の持ち主。しかもバツイチで子持ち。
こんなアホ男と結婚なんてとんでもない。夏美の手を逃れ、島を出るのだ。そのためには手段を選ぶ余地などない。彩音を妹のようにかわいがってくれる寿美礼を、真飛とふたりして利用するのは、仕方ないことなのだ……。
若く美しい彩音との結婚に魅力がないわけでもなかったが、そこに愛などあろうはずがない。狡猾な色男・壮は、寿美礼が「世界一裕福な未亡人」だと知るなりターゲットを彼女に替えた。セクスィでハンサムで金持ちの自分になびかない女などこの世にいないと本気で信じ込んでいる。
真飛が寿美礼に近づいているようだが、びんぼーな使用人などまともな人間が相手にするわけはないと心から思っているので、彼の目に映る真飛は邪魔なハエでしかない。
「真飛の兄は殺人犯だそうですよ。人殺しの家族は人殺しと同じ、なにをするかわからない。こわいですねえ。でも大丈夫ですよ、寿美礼さんは私がお守りしますからね、はっはっはっ」
なーんてことを、白い歯をキラキラさせつつ人前で言えちゃったりするステキ人格。
そこへ寿美礼の弟愛音が転がり込んできた。わがまま放題、非常識で暴力的な愛音は彩音をレイプしそうになったり真飛と対立したり忙しい。
本能と衝動だけで生きる彼は、なりゆきで壮の一人娘すみ花を抱いてしまう。半分レイプだったよーな気もするが、一夜明けるとすみ花はめろめろ、愛音の彼女気取りなのでこれはこれで良かったのか。
何事にもいい加減なトラブルメーカーの愛音だが、実の姉・寿美礼に対する愛情と執着、独占欲は、異常なほどだった。
愛憎渦巻く人間関係の中心にいる寿美礼は、実はいくもの顔を持つ女だった。
哀れな未亡人、気品ある穏やかな美女というのは、その一面に過ぎない。
寿美礼は上流階級の出ではなく、その美貌を武器に底辺から成り上がってきた女だった。翼を求め、あがいてきた人間だった。
大富豪だった夫に見初められたのも彼女が仕掛けたものであり、その夫の突然の死に対しても、彼女に殺人の容疑が掛けられていた。
ホテル宿泊客で自称小説家一花(眼鏡着用)は「職業的好奇心」で寿美礼のことをいろいろ嗅ぎ回り、知り得た情報を真飛に報告してくる。
寿美礼はサンパウロでヴァンピーロ(吸血コウモリ)と呼ばれた女だった。
夫殺しの容疑を掛けられた女と、殺人者の兄を持つ男。同じ痛みは寿美礼と真飛を強く結びつける。
「わたしは夫を愛していた。殺してなんかいない」
そう訴える寿美礼の言葉を、真飛は信じたが……。
寿美礼の亡夫の弁護士未涼がサンパウロからやってきた。寿美礼が夫殺しの犯人だと疑う遺族から、調査を依頼されているのだ。
未涼はある「証拠」を持っていた。寿美礼の夫が、寿美礼との離婚を考え、書類を作成していたのだ。そのことを知った寿美礼が離婚される前に夫を殺した……そう決定づけることが出来る。
その証拠書類を遺族に渡すのが未涼の仕事のはずだったが、彼は寿美礼に取引を要求してきた。彼女自身が欲しいと。
「世界一裕福な未亡人」寿美礼を得ることができた男は、「世界一裕福な人間」になる。
亡き夫の愛した島とホテルを守るため、ホテルオーナーの夏美も寿美礼を利用すべく策をめぐらせはじめていた。ホテルは経営難で、このままでは悪徳投資家梨花にすべてを奪われてしまう。
夏美はその昔、梨花の婚約者だった高翔を奪って結婚し、ふたりの愛の巣としてこの島で暮らしてきた。梨花はそのことを恨み抜き、高翔が死んだあとになっても夏美への復讐心だけで動いている。
梨花は夏美を破滅させるためだけに壮と組み、壮は金目当ての悠真を手下にする。
彩音は叔母と父の間で悩み、寿美礼に奪われた真飛を取り戻したくて悩む。
寿美礼に愛をささやく壮も、未涼も、手段を選ばない。彼女が夫殺しのヴァンピーロであっても関係ない。欲しいのは美しく蠱惑的な彼女自身、そして彼女が持つ莫大な財産。
寿美礼が一瞬でも隙を見せれば食らいついてくる。脅迫、取引、要求。寿美礼もまた、自身の肉体と財産をエサに男たちをあやつる。
寿美礼を愛し、守りたいと切望する真飛も、もとは同じ穴の狢だ。それでもたしかに愛し合っていた……と、真飛は思ったのに、寿美礼は身を翻す。真飛を利用し、陥れる。
「太陽に近づきすぎたイカロスは翼を失い、地に墜ちるのよ」
寿美礼の真意は、そして愛はどこにあるのか。
翼を求めて傷つけ合う、地上を這いずる者たちの愛と憎しみの物語。
☆
とまあ、罪なく意味なく妄想配役。
「Bamboleo」つながりで、寿美礼サマと彼の花組で、『金色の翼』。
2007年7月〜9月まで、フジテレビ系列昼の帯ドラマ枠で放映されていた昼メロ。主題歌が「Bamboleo」。
『ラブ・シンフォニー』でまっつやオサ様が歌っているアレです。
『金色の翼』で毎日聴いていただけに、初日にまっつが同じ曲を歌ってくれてびっくりした(笑)。
このドラマの素晴らしいところは、主要男キャラ全員と、ヒロインの濡れ場があることですかねっ。
寿美礼サマがヒロインだと、真飛、壮、みわっち、まっつまで全員ラヴシーン有りです、はい。
孤独、狂気、倦怠と情熱をひそませる美貌の未亡人、ヴァンピーロと呼ばれる魔性の女を寿美礼サマで見たい、つーのと、愛欲に濡れるワイルドMまとぶが心から見たいのもあるが、安っぽい金持ち色男(属性ドS)@壮くんが、実はいちばん見たかったりする(笑)。みわっちを縛り上げてハァハァ鞭打つ壮くん、なんてすごいですよね。反対に、壮くんを縛り上げて鞭打つ寿美礼サマ、つーのもすごい絵面ですが。
あ、主題歌はまっつでお願いします。はい。
サンパウロの豪邸で、寿美礼は夫の自家用機が墜落したことを知った。この瞬間から彼女は、「世界一裕福な未亡人」となった……。
日本のとある南の島。飛行機でしか本土と行き来できない緑あふれる孤島に、富豪専用の会員制ホテルがあった。セレブたちが休暇を過ごす優雅な隠れ島で、青い空を見つめ絶望を胸に宿す孤独な青年がいた。ホテル従業員(ガテン系)の真飛だ。
兄が殺人を犯し逃亡中……「殺人犯の弟」である真飛の人生は暗い。非難と差別、貧乏……人の目から逃げるように小さな島で暮らす彼には、空に対する無性の憧れがあった。俺に翼があれば……。
そんな彼の前に、白い翼が舞い降りた。ホテルの送迎機から島に降り立ったのは、金色の鳥かごを持った、黒衣の未亡人だった。黒いベール、黒いドレス、空っぽの鳥かご……神秘的な美貌と孤独の影……。
翼を失った女と男、寿美礼と真飛はこうして出会った。
己れの人生に絶望している真飛は、「世界一裕福な未亡人」寿美礼に謂われのない反感を持つ。真飛には彩音という恋人があり、ふたりしてこの島を出るための資金を必要としていた。「あの未亡人を騙して、金を取ろう」……300億ドルもの遺産を得た女だ、真飛と彩音が夢を叶えるために多少金を騙し取ったとしても大したことはないだろう。
真飛は肉体労働で鍛えたセクスィなカラダとワイルド系の美貌を利用して、寿美礼に恋を仕掛ける。心に傷を負った富豪未亡人と、地位も金もない男の南の島での身分違いの恋……ムード満点、ロマンスの王道。
翼が欲しい。
ないものを求めてあがく男と、空っぽの鳥かごを持った女。
「まるでイカロスね」
繰り返される神話と、現実の人間たち。
真飛は気付いていない。彼女が金持ちだから、彼女の持つ金が欲しいから、というのは言い訳に過ぎない。彼女に近づくための、恋を語るための。
はじめて島の空港で出会ったときから、真飛は寿美礼に惹かれていた。魅せられていた。
彼女の持つ、孤独と闇に、共鳴していた。
恋を仕掛けて、金を巻き上げる……そのための愛の言葉、そのためのくちづけ。言い訳を繰り返しながら、真飛は寿美礼に溺れていく。
ホテル従業員・彩音もまた、自由という名の翼を欲していた。飲んだくれの父親悠真にはした金で売られた彼女は、叔母であるホテルオーナー夏美の養女となるしかなかった。
夏美はホテルを守る後継者を必要としており、養女にした彩音を金持ち男壮と政略結婚させるつもりなのだ。
壮は大金持ちの三代目社長。白いスーツに白のエナメル靴でキメた、キザで嫌味な二枚目の典型。金と権力がすべて、それを持たないモノは虫けらだとナチュラルに信じ込んでいるステキな価値観の持ち主。しかもバツイチで子持ち。
こんなアホ男と結婚なんてとんでもない。夏美の手を逃れ、島を出るのだ。そのためには手段を選ぶ余地などない。彩音を妹のようにかわいがってくれる寿美礼を、真飛とふたりして利用するのは、仕方ないことなのだ……。
若く美しい彩音との結婚に魅力がないわけでもなかったが、そこに愛などあろうはずがない。狡猾な色男・壮は、寿美礼が「世界一裕福な未亡人」だと知るなりターゲットを彼女に替えた。セクスィでハンサムで金持ちの自分になびかない女などこの世にいないと本気で信じ込んでいる。
真飛が寿美礼に近づいているようだが、びんぼーな使用人などまともな人間が相手にするわけはないと心から思っているので、彼の目に映る真飛は邪魔なハエでしかない。
「真飛の兄は殺人犯だそうですよ。人殺しの家族は人殺しと同じ、なにをするかわからない。こわいですねえ。でも大丈夫ですよ、寿美礼さんは私がお守りしますからね、はっはっはっ」
なーんてことを、白い歯をキラキラさせつつ人前で言えちゃったりするステキ人格。
そこへ寿美礼の弟愛音が転がり込んできた。わがまま放題、非常識で暴力的な愛音は彩音をレイプしそうになったり真飛と対立したり忙しい。
本能と衝動だけで生きる彼は、なりゆきで壮の一人娘すみ花を抱いてしまう。半分レイプだったよーな気もするが、一夜明けるとすみ花はめろめろ、愛音の彼女気取りなのでこれはこれで良かったのか。
何事にもいい加減なトラブルメーカーの愛音だが、実の姉・寿美礼に対する愛情と執着、独占欲は、異常なほどだった。
愛憎渦巻く人間関係の中心にいる寿美礼は、実はいくもの顔を持つ女だった。
哀れな未亡人、気品ある穏やかな美女というのは、その一面に過ぎない。
寿美礼は上流階級の出ではなく、その美貌を武器に底辺から成り上がってきた女だった。翼を求め、あがいてきた人間だった。
大富豪だった夫に見初められたのも彼女が仕掛けたものであり、その夫の突然の死に対しても、彼女に殺人の容疑が掛けられていた。
ホテル宿泊客で自称小説家一花(眼鏡着用)は「職業的好奇心」で寿美礼のことをいろいろ嗅ぎ回り、知り得た情報を真飛に報告してくる。
寿美礼はサンパウロでヴァンピーロ(吸血コウモリ)と呼ばれた女だった。
夫殺しの容疑を掛けられた女と、殺人者の兄を持つ男。同じ痛みは寿美礼と真飛を強く結びつける。
「わたしは夫を愛していた。殺してなんかいない」
そう訴える寿美礼の言葉を、真飛は信じたが……。
寿美礼の亡夫の弁護士未涼がサンパウロからやってきた。寿美礼が夫殺しの犯人だと疑う遺族から、調査を依頼されているのだ。
未涼はある「証拠」を持っていた。寿美礼の夫が、寿美礼との離婚を考え、書類を作成していたのだ。そのことを知った寿美礼が離婚される前に夫を殺した……そう決定づけることが出来る。
その証拠書類を遺族に渡すのが未涼の仕事のはずだったが、彼は寿美礼に取引を要求してきた。彼女自身が欲しいと。
「世界一裕福な未亡人」寿美礼を得ることができた男は、「世界一裕福な人間」になる。
亡き夫の愛した島とホテルを守るため、ホテルオーナーの夏美も寿美礼を利用すべく策をめぐらせはじめていた。ホテルは経営難で、このままでは悪徳投資家梨花にすべてを奪われてしまう。
夏美はその昔、梨花の婚約者だった高翔を奪って結婚し、ふたりの愛の巣としてこの島で暮らしてきた。梨花はそのことを恨み抜き、高翔が死んだあとになっても夏美への復讐心だけで動いている。
梨花は夏美を破滅させるためだけに壮と組み、壮は金目当ての悠真を手下にする。
彩音は叔母と父の間で悩み、寿美礼に奪われた真飛を取り戻したくて悩む。
寿美礼に愛をささやく壮も、未涼も、手段を選ばない。彼女が夫殺しのヴァンピーロであっても関係ない。欲しいのは美しく蠱惑的な彼女自身、そして彼女が持つ莫大な財産。
寿美礼が一瞬でも隙を見せれば食らいついてくる。脅迫、取引、要求。寿美礼もまた、自身の肉体と財産をエサに男たちをあやつる。
寿美礼を愛し、守りたいと切望する真飛も、もとは同じ穴の狢だ。それでもたしかに愛し合っていた……と、真飛は思ったのに、寿美礼は身を翻す。真飛を利用し、陥れる。
「太陽に近づきすぎたイカロスは翼を失い、地に墜ちるのよ」
寿美礼の真意は、そして愛はどこにあるのか。
翼を求めて傷つけ合う、地上を這いずる者たちの愛と憎しみの物語。
☆
とまあ、罪なく意味なく妄想配役。
「Bamboleo」つながりで、寿美礼サマと彼の花組で、『金色の翼』。
2007年7月〜9月まで、フジテレビ系列昼の帯ドラマ枠で放映されていた昼メロ。主題歌が「Bamboleo」。
『ラブ・シンフォニー』でまっつやオサ様が歌っているアレです。
『金色の翼』で毎日聴いていただけに、初日にまっつが同じ曲を歌ってくれてびっくりした(笑)。
このドラマの素晴らしいところは、主要男キャラ全員と、ヒロインの濡れ場があることですかねっ。
寿美礼サマがヒロインだと、真飛、壮、みわっち、まっつまで全員ラヴシーン有りです、はい。
孤独、狂気、倦怠と情熱をひそませる美貌の未亡人、ヴァンピーロと呼ばれる魔性の女を寿美礼サマで見たい、つーのと、愛欲に濡れるワイルドMまとぶが心から見たいのもあるが、安っぽい金持ち色男(属性ドS)@壮くんが、実はいちばん見たかったりする(笑)。みわっちを縛り上げてハァハァ鞭打つ壮くん、なんてすごいですよね。反対に、壮くんを縛り上げて鞭打つ寿美礼サマ、つーのもすごい絵面ですが。
あ、主題歌はまっつでお願いします。はい。
そして、聖夜が近づいてくる。@ラブ・シンフォニー
2007年11月7日 タカラヅカ 日替わりジェラールさん、わたしがその孤独さ、いびつさに息をのんだ日は、ショー『ラブ・シンフォニー』の方でも笑わなかったので、たんに体調が悪かっただけなのかもしれない。実際、「オサは熱があった」とあとになって噂のとんだ日だったし。
「お疲れなのかな?」とは思った。笑顔のなさ、厳しい表情。
だけど体調面を心配するとは別に、圧倒的な芸を見せられ、不調を疑うのは失礼に思えるほどだった。
冴え渡る、歌声。ダンスも力一杯、手抜きナシ。
たしかに笑顔はないけれど、銀橋に寝そべってお客様ひとり狙い撃ちするとき(別の日だけど、わたしがはりきって1列目24番に坐ったときは、わたしの真ん前0列23番の人をターゲットにしていた……くぅう、残念!)は、ちゃんと茶目っ気たっぷりにウインクしていた。……そこぐらいだったけどな、微笑んだの。
ラテン場面のスキャットでは、歌い終わったあと長い「間」があり……ため息を付いた。
通常なら「ホゥ!」だか「ハァッ!」だかの高らかとした掛け声を出し、そこからキンバラさんダンスに突入していくのに。音声さんもそのためにマイクONにしていたんだろうに。
響いたのは、大きなため息。
場内から笑いが起こったが、芝居からこっちまったく笑顔がないことにハラハラしていたわたしは、さらにびびった。ため息……ため息って……オサ様大丈夫?
笑われてもオサ様は表情を動かさず、さらにしばらく待ったあと、いつもの掛け声を元気に出して、ダンスに突入した。
このダンスがまた激しくて……足の上げ方とか力こもっていて……だ、大丈夫か。
なんかブチ切れていたのかなあ。
そのあと赤ジャケットで銀橋に登場したとき、笑顔とはちとチガウ昂揚した表情でエアギターをかきならし……なんか、吠えてた。
歌とか歌詞とか関係なく。えええ、今のナニ、今なんか叫んだ??
まだ「キンバラさ〜ん」のアドリブはない頃。
笑わないのに、ため息つくくらい疲れ切ってるのに。でもなんか叫んでるよ、キレてるよ!
最後の最後、パレードですら笑顔はないままだったけれど、やけに熱の入った、紙一重な感じのパッショネイトな舞台でした。
いやあ、ドキドキしました。
オサ様の体調がどうだったのか知るよしもないけれど、「すげえもん観た」という感想ですわ。
おもしろい人だ。
「舞台はイキモノ」だと、肌で感じさせてくれる。
そんなふうにギリギリ感漂わせ、キレているときもあったもんだから、公演後半の「キンバラさん」アドリブはうれしかった。
や、わけわかんない、意味なんかないアドリブだけど。それでもラテン最後の銀橋でオサ様が「キンバラさ〜〜ん!」と叫び、客席が「は〜い!」と返す、あの感じが好きだった。
疲れ切っているのだろーに、オサ様がくしゃっと笑い、「大好き」とか「しあわせだなぁ」とか言ってくれるのが泣けるほどうれしかった。
わたしたちがオサ様の姿を見、歌声を聴いてこんなにしあわせでいることが、オサ様自身に伝わり、オサ様自身もなにかしらよろこんでもらえているなら……こんなに、しあわせなことはない。
ところで「キンバラ」ですか、あの歌の歌詞ってどんなんなんですかね? オサ様の声だけで(ついでに、まっつの腰振りだけで・笑)しあわせなので、なに歌ってんのかさーっぱりわかってないんですが。
オサ様は後半あまり笑わなくなっていたけれど、何回かは、デュエットダンスの挨拶のあと、あやねちゃんと顔を見合わせて「にこっ」と笑い合うことがあった。
その笑顔が、あの目を線にしたくしゃっとした笑顔で……あの顔見たさに、オペラグラス握りしめてた。毎回笑ってくれるわけじゃないので、見られた日はラッキー、得したと喜ぶ(笑)。
……そうやって劇場に通う日々が、すでに「過去形」になるのかと思うとせつない。
今もうすでに、『TUXEDO JAZZ』のころがせつなくてかなしくて仕方ないし。
あのとき、どれほどしあわせだったか。
「退団」というゴールは見えず、「しあわせが、これからも続く」というしあわせに酔っていられた。
別れを現実問題とは考えず、ただ目の前の作品に夢中になっていられた。
ケロの卒業時に思い知らされた、「断ち切られた未来」。
もうあるのは現在と過去だけで、「未来」は存在しない。そのことの重さと絶望。
もう寿美礼ちゃんと彼の花組で「こんな作品」「こんな配役」と夢見ることもないんだ。ありえないんだ。
それはまとぶと新生花組を否定するのではなく、「現実」というものへの寂寥。
袴姿で、「素」だと思える表情で、透き通るほどの美しさで、オープンカーの上で手を振る姿を見た今となっては、「辞めないで欲しい」とは、言えないのだけれど。
「卒業おめでとう」「ありがとう」と、心から言えるのだけど。
それと同時に、寂しくて寂しくしょーがないのですよ。
や、まだ東宝ありますから、今からこんなに寂しがってちゃ身がもたんのですが。
ムラでは星組公演がはじまってるし、ヲタクとしてサイトーくんファン(笑)として原作ファンとしてトウコちゃん讃美基本人間として、なにか書きたいんですが、気持ちがなかなか切り替わらないっす……。
あ、『エル・アルコン』、初日観たときは今までのサイトー作品のつぎはぎぶりとか原作のつぎはぎぶりとかナレーションの恥ずかしさとかいろんなところで引っかかってそれどころぢゃなかったんだが、先日2回目の観劇では、プロローグから泣けて泣けてしょーがなかったので、好きな作品になりそうっす。
くそー、ジェラード@しいちゃん反則だよぅ、立ってるだけで泣けるよぅ。
初日も2回目も、観終わったあとはずーっと、「♪エル・アルコン 我ら夜の鷹♪」とアタマの中を歌がぐるぐる回っていた。
……ええもちろん、『血と砂』(齋藤吉正作)のプルミタス@ゆーひくんのヒーローソングですが、なにか?
「お疲れなのかな?」とは思った。笑顔のなさ、厳しい表情。
だけど体調面を心配するとは別に、圧倒的な芸を見せられ、不調を疑うのは失礼に思えるほどだった。
冴え渡る、歌声。ダンスも力一杯、手抜きナシ。
たしかに笑顔はないけれど、銀橋に寝そべってお客様ひとり狙い撃ちするとき(別の日だけど、わたしがはりきって1列目24番に坐ったときは、わたしの真ん前0列23番の人をターゲットにしていた……くぅう、残念!)は、ちゃんと茶目っ気たっぷりにウインクしていた。……そこぐらいだったけどな、微笑んだの。
ラテン場面のスキャットでは、歌い終わったあと長い「間」があり……ため息を付いた。
通常なら「ホゥ!」だか「ハァッ!」だかの高らかとした掛け声を出し、そこからキンバラさんダンスに突入していくのに。音声さんもそのためにマイクONにしていたんだろうに。
響いたのは、大きなため息。
場内から笑いが起こったが、芝居からこっちまったく笑顔がないことにハラハラしていたわたしは、さらにびびった。ため息……ため息って……オサ様大丈夫?
笑われてもオサ様は表情を動かさず、さらにしばらく待ったあと、いつもの掛け声を元気に出して、ダンスに突入した。
このダンスがまた激しくて……足の上げ方とか力こもっていて……だ、大丈夫か。
なんかブチ切れていたのかなあ。
そのあと赤ジャケットで銀橋に登場したとき、笑顔とはちとチガウ昂揚した表情でエアギターをかきならし……なんか、吠えてた。
歌とか歌詞とか関係なく。えええ、今のナニ、今なんか叫んだ??
まだ「キンバラさ〜ん」のアドリブはない頃。
笑わないのに、ため息つくくらい疲れ切ってるのに。でもなんか叫んでるよ、キレてるよ!
最後の最後、パレードですら笑顔はないままだったけれど、やけに熱の入った、紙一重な感じのパッショネイトな舞台でした。
いやあ、ドキドキしました。
オサ様の体調がどうだったのか知るよしもないけれど、「すげえもん観た」という感想ですわ。
おもしろい人だ。
「舞台はイキモノ」だと、肌で感じさせてくれる。
そんなふうにギリギリ感漂わせ、キレているときもあったもんだから、公演後半の「キンバラさん」アドリブはうれしかった。
や、わけわかんない、意味なんかないアドリブだけど。それでもラテン最後の銀橋でオサ様が「キンバラさ〜〜ん!」と叫び、客席が「は〜い!」と返す、あの感じが好きだった。
疲れ切っているのだろーに、オサ様がくしゃっと笑い、「大好き」とか「しあわせだなぁ」とか言ってくれるのが泣けるほどうれしかった。
わたしたちがオサ様の姿を見、歌声を聴いてこんなにしあわせでいることが、オサ様自身に伝わり、オサ様自身もなにかしらよろこんでもらえているなら……こんなに、しあわせなことはない。
ところで「キンバラ」ですか、あの歌の歌詞ってどんなんなんですかね? オサ様の声だけで(ついでに、まっつの腰振りだけで・笑)しあわせなので、なに歌ってんのかさーっぱりわかってないんですが。
オサ様は後半あまり笑わなくなっていたけれど、何回かは、デュエットダンスの挨拶のあと、あやねちゃんと顔を見合わせて「にこっ」と笑い合うことがあった。
その笑顔が、あの目を線にしたくしゃっとした笑顔で……あの顔見たさに、オペラグラス握りしめてた。毎回笑ってくれるわけじゃないので、見られた日はラッキー、得したと喜ぶ(笑)。
……そうやって劇場に通う日々が、すでに「過去形」になるのかと思うとせつない。
今もうすでに、『TUXEDO JAZZ』のころがせつなくてかなしくて仕方ないし。
あのとき、どれほどしあわせだったか。
「退団」というゴールは見えず、「しあわせが、これからも続く」というしあわせに酔っていられた。
別れを現実問題とは考えず、ただ目の前の作品に夢中になっていられた。
ケロの卒業時に思い知らされた、「断ち切られた未来」。
もうあるのは現在と過去だけで、「未来」は存在しない。そのことの重さと絶望。
もう寿美礼ちゃんと彼の花組で「こんな作品」「こんな配役」と夢見ることもないんだ。ありえないんだ。
それはまとぶと新生花組を否定するのではなく、「現実」というものへの寂寥。
袴姿で、「素」だと思える表情で、透き通るほどの美しさで、オープンカーの上で手を振る姿を見た今となっては、「辞めないで欲しい」とは、言えないのだけれど。
「卒業おめでとう」「ありがとう」と、心から言えるのだけど。
それと同時に、寂しくて寂しくしょーがないのですよ。
や、まだ東宝ありますから、今からこんなに寂しがってちゃ身がもたんのですが。
ムラでは星組公演がはじまってるし、ヲタクとしてサイトーくんファン(笑)として原作ファンとしてトウコちゃん讃美基本人間として、なにか書きたいんですが、気持ちがなかなか切り替わらないっす……。
あ、『エル・アルコン』、初日観たときは今までのサイトー作品のつぎはぎぶりとか原作のつぎはぎぶりとかナレーションの恥ずかしさとかいろんなところで引っかかってそれどころぢゃなかったんだが、先日2回目の観劇では、プロローグから泣けて泣けてしょーがなかったので、好きな作品になりそうっす。
くそー、ジェラード@しいちゃん反則だよぅ、立ってるだけで泣けるよぅ。
初日も2回目も、観終わったあとはずーっと、「♪エル・アルコン 我ら夜の鷹♪」とアタマの中を歌がぐるぐる回っていた。
……ええもちろん、『血と砂』(齋藤吉正作)のプルミタス@ゆーひくんのヒーローソングですが、なにか?
11月です、手帳買い換えの季節です。
前日欄で話題にした、「2008 TAKARAZUKA REVUE SCHEDULE CALENDAR」の話です。
わたしはもちろん、発売日に買いました。11/2、星組初日。
来年もまっつまっつなまっつ手帳を作るぞと、カスタマイズするぞと勢い込んで。
サイズが、変わっている。
今まではB6サイズだったのが、A6に。
ちょーーっと待ったぁ!!
スケジュール帳のウリのひとつは「表紙に劇団販売の舞台写真が入る」ことだろお? 「お好きなスターの写真でカスタマイズしてね」だろお?
小さくなったら、写真入らないじゃん。
A6の表紙に入れられる写真って、ポストカードぐらいじゃん。
……まっつは、ポスカは発売されていません。
スケジュール帳は、ポスカが発売されているスター様ファン専用ってこと?!
まっつのポスカなんて持ってないわよお。あたしにまっつ手帳を作るなってことっ?!
や、劇団様がまっつのポスカを発売してくれりゃいいんですけどね、その気配もないし。
グレるわ……すさむわ……。
そう、サイズが小さくなったためにブクマも使えないのですよ。2007手帳ならサイズもぴったりだったのに、2008年版はブクマの方が大きくて飛び出してしまい、使えない。
2006年版ではわたし、カバー裏のポケットをチケット入れとしても利用していたんだけど、2008年版はチケットより小さいから、入れられない。
もちろん紙面も小さいから、書き込める量が減った。
平日に観劇予定シールを貼ったら、他にいろいろ書き込めねーよ。や、土日欄は大きいんだけど。
仕様に対しての不満ばりばりだ(笑)。
小さくしょぼくなったのに、値段は2007年版が1580円、2008年版が1500円と80円ちがい。……値上げと考えていいよな?
もちろん、「小さい」ことで持ち運びが便利になったのはたしかだが。
あと、仕様以外のことでショックだったこと。
ひとつは、年間公演スケジュールが、3分の2白紙だってこと。
2007年版までは、巻頭の年間スケジュールページがきちんと全枠印刷されていた。
演目はわからなくても、どの組がどこでいつ公演予定かは一目でわかった。
2006年11月4日の発売日には、「2007年の10月は、大劇場が花組で、東宝が月組で、DCが雪組で、全ツも雪組なんだ」というふうに、全部確認することが出来たよ。
それでこそ「年間スケジュール」ってもんでしょう。
市販にいくらでもかわいかったりスタイリッシュだったり安価だったり、便利な手帳が売っているのにあえて「タカラヅカ スケジュール帳」を買うのは、ヅカファンがスケジュールを管理しやすいように作られているからでしょう。
年間スケジュールが書いてない「スケジュール帳」なんて、存在価値がないじゃん……。
2007年11月発売の手帳に、2008年3月までしか公演スケジュールが記載されていない、そんな現実をおかしいと思う。
通常は、8月に「年間スケジュール」だけは発表されていたからだ。演目は後出し基本でも。
何故11月5日まで発表が伏せられていたのかがわからない。
また、こんな半端な時期に発表するなら、手帳の発売を数日遅らせればよかったのに。あらかじめ年間スケジュールを印刷したうえで、劇団の正式発表を待って発売。……それがふつーだろう。
宝塚歌劇団、って、ほんとふつーぢゃない……。
手帳購入者、購入予定者のために、専用シールを配布してくんねーかなー。
「年間スケジュールページ」に公演予定を手で記入するのは、かなり細かい作業で、本気でやる人はあまりいないと思う。
公式サイトを見ながら、手帳の小さな欄に、いちいち定規を使って線を引き、中をそれぞれの色で塗りつぶし、1mmの大きさの文字を製図用ペン等で記入する……んなこと、誰がやるんだ。
サイトに「スケジュール帳用年間公演予定」つーのを作って、ユーザーが自由にダウンロードしてシール用紙に印刷、「あとは自分で手帳に貼ってね☆」てなふーにしてくんねーかなー。
でもって、仕様以外にショックだったこと、ふたつめ。
花組に、2番手がいない。
巻末に、トップスター(+トド)と2番手の写真とプロフィールが載っているんたけど。
花組のトップスターは、すでにまとぶんになっている。2008年1月1日に、オサ様はもう在団していないためだ。
昨年もまだコム姫がトップスターである11月に、「雪組トップスター」として水くんが載っていたし、今現在花組生としてオサ様と全ツで『うたかたの恋』をやっているゆみこが「雪組2番手」として載っていた。
★2007年版掲載の2番手★
花・まとぶん
月・ゆーひ、きりやん
雪・ゆみこ
宙・タニ、らんとむ
月は相変わらずのW2番手、宙はかしちゃんが2月で卒業、次はタニトップ決定済みだから、2番手枠にタニトップ時の新2番手らんとむまで載せていた。
星は2番手不在。
計6人。
そして今の2008年版。
2番手は、5人。
5組なんだから、2番手が5人なのは正しい。正しいが……あれ?
★2008年版掲載の2番手★
月・ゆーひ、きりやん
雪・ゆみこ
星・れおん
宙・らんとむ
花組が、いない。
壮くんって、2番手ぢゃないの??
2007年版を鑑みて、「星組の2番手を掲載できない」ことには理由があった。
当時はまだれおんを正式2番手とはせず、上級生のしいすずとの番手逆転をあからさまにしていなかった。いずれそのつもりだと匂わせてはいても、明言を避けていた。
その一方で、宙組は2007年1月1日時点でのトップはかしちゃん、2番手はタニなのだから、らんとむを載せる必要はないのに、わざわざ枠を増やしてまでらんとむを載せた。「らんとむは2番手」であることを明言した。
劇団の意思表示は、とてもはっきりしていた。
そして2008年版では、花組が2番手不在。
2007年版の星組のような事情は、花組にはないのに、何故壮くんが載ってないんだよーっ。
同じ立場のゆみこは載っていたのに。らんとむだって載っていたのに。何故壮くんを載せてはならないの?
花組は劇団公認2番手ナシで公演するの?? そんなことをする意味はどこにあるの??
劇団の考えることって、わからない……。
や、たかだかスケジュール帳ごときで人事を語るつもりはありませんが、なにしろ「1年間日常で使い続ける」「毎日見る」ものに、「花組は2番手ナシ」とされていることにショックを受けたのですよ、はい。
まと+壮でええやんか、新生花組……なんであかんのや……。
ほんと、どーしよーかな、この手帳。
まっつ写真入れられないしなー。や、まっつポスカ、発売してくんねーかなー。……ダメっすかねぇ……。
前日欄で話題にした、「2008 TAKARAZUKA REVUE SCHEDULE CALENDAR」の話です。
わたしはもちろん、発売日に買いました。11/2、星組初日。
来年もまっつまっつなまっつ手帳を作るぞと、カスタマイズするぞと勢い込んで。
サイズが、変わっている。
今まではB6サイズだったのが、A6に。
ちょーーっと待ったぁ!!
スケジュール帳のウリのひとつは「表紙に劇団販売の舞台写真が入る」ことだろお? 「お好きなスターの写真でカスタマイズしてね」だろお?
小さくなったら、写真入らないじゃん。
A6の表紙に入れられる写真って、ポストカードぐらいじゃん。
……まっつは、ポスカは発売されていません。
スケジュール帳は、ポスカが発売されているスター様ファン専用ってこと?!
まっつのポスカなんて持ってないわよお。あたしにまっつ手帳を作るなってことっ?!
や、劇団様がまっつのポスカを発売してくれりゃいいんですけどね、その気配もないし。
グレるわ……すさむわ……。
そう、サイズが小さくなったためにブクマも使えないのですよ。2007手帳ならサイズもぴったりだったのに、2008年版はブクマの方が大きくて飛び出してしまい、使えない。
2006年版ではわたし、カバー裏のポケットをチケット入れとしても利用していたんだけど、2008年版はチケットより小さいから、入れられない。
もちろん紙面も小さいから、書き込める量が減った。
平日に観劇予定シールを貼ったら、他にいろいろ書き込めねーよ。や、土日欄は大きいんだけど。
仕様に対しての不満ばりばりだ(笑)。
小さくしょぼくなったのに、値段は2007年版が1580円、2008年版が1500円と80円ちがい。……値上げと考えていいよな?
もちろん、「小さい」ことで持ち運びが便利になったのはたしかだが。
あと、仕様以外のことでショックだったこと。
ひとつは、年間公演スケジュールが、3分の2白紙だってこと。
2007年版までは、巻頭の年間スケジュールページがきちんと全枠印刷されていた。
演目はわからなくても、どの組がどこでいつ公演予定かは一目でわかった。
2006年11月4日の発売日には、「2007年の10月は、大劇場が花組で、東宝が月組で、DCが雪組で、全ツも雪組なんだ」というふうに、全部確認することが出来たよ。
それでこそ「年間スケジュール」ってもんでしょう。
市販にいくらでもかわいかったりスタイリッシュだったり安価だったり、便利な手帳が売っているのにあえて「タカラヅカ スケジュール帳」を買うのは、ヅカファンがスケジュールを管理しやすいように作られているからでしょう。
年間スケジュールが書いてない「スケジュール帳」なんて、存在価値がないじゃん……。
2007年11月発売の手帳に、2008年3月までしか公演スケジュールが記載されていない、そんな現実をおかしいと思う。
通常は、8月に「年間スケジュール」だけは発表されていたからだ。演目は後出し基本でも。
何故11月5日まで発表が伏せられていたのかがわからない。
また、こんな半端な時期に発表するなら、手帳の発売を数日遅らせればよかったのに。あらかじめ年間スケジュールを印刷したうえで、劇団の正式発表を待って発売。……それがふつーだろう。
宝塚歌劇団、って、ほんとふつーぢゃない……。
手帳購入者、購入予定者のために、専用シールを配布してくんねーかなー。
「年間スケジュールページ」に公演予定を手で記入するのは、かなり細かい作業で、本気でやる人はあまりいないと思う。
公式サイトを見ながら、手帳の小さな欄に、いちいち定規を使って線を引き、中をそれぞれの色で塗りつぶし、1mmの大きさの文字を製図用ペン等で記入する……んなこと、誰がやるんだ。
サイトに「スケジュール帳用年間公演予定」つーのを作って、ユーザーが自由にダウンロードしてシール用紙に印刷、「あとは自分で手帳に貼ってね☆」てなふーにしてくんねーかなー。
でもって、仕様以外にショックだったこと、ふたつめ。
花組に、2番手がいない。
巻末に、トップスター(+トド)と2番手の写真とプロフィールが載っているんたけど。
花組のトップスターは、すでにまとぶんになっている。2008年1月1日に、オサ様はもう在団していないためだ。
昨年もまだコム姫がトップスターである11月に、「雪組トップスター」として水くんが載っていたし、今現在花組生としてオサ様と全ツで『うたかたの恋』をやっているゆみこが「雪組2番手」として載っていた。
★2007年版掲載の2番手★
花・まとぶん
月・ゆーひ、きりやん
雪・ゆみこ
宙・タニ、らんとむ
月は相変わらずのW2番手、宙はかしちゃんが2月で卒業、次はタニトップ決定済みだから、2番手枠にタニトップ時の新2番手らんとむまで載せていた。
星は2番手不在。
計6人。
そして今の2008年版。
2番手は、5人。
5組なんだから、2番手が5人なのは正しい。正しいが……あれ?
★2008年版掲載の2番手★
月・ゆーひ、きりやん
雪・ゆみこ
星・れおん
宙・らんとむ
花組が、いない。
壮くんって、2番手ぢゃないの??
2007年版を鑑みて、「星組の2番手を掲載できない」ことには理由があった。
当時はまだれおんを正式2番手とはせず、上級生のしいすずとの番手逆転をあからさまにしていなかった。いずれそのつもりだと匂わせてはいても、明言を避けていた。
その一方で、宙組は2007年1月1日時点でのトップはかしちゃん、2番手はタニなのだから、らんとむを載せる必要はないのに、わざわざ枠を増やしてまでらんとむを載せた。「らんとむは2番手」であることを明言した。
劇団の意思表示は、とてもはっきりしていた。
そして2008年版では、花組が2番手不在。
2007年版の星組のような事情は、花組にはないのに、何故壮くんが載ってないんだよーっ。
同じ立場のゆみこは載っていたのに。らんとむだって載っていたのに。何故壮くんを載せてはならないの?
花組は劇団公認2番手ナシで公演するの?? そんなことをする意味はどこにあるの??
劇団の考えることって、わからない……。
や、たかだかスケジュール帳ごときで人事を語るつもりはありませんが、なにしろ「1年間日常で使い続ける」「毎日見る」ものに、「花組は2番手ナシ」とされていることにショックを受けたのですよ、はい。
まと+壮でええやんか、新生花組……なんであかんのや……。
ほんと、どーしよーかな、この手帳。
まっつ写真入れられないしなー。や、まっつポスカ、発売してくんねーかなー。……ダメっすかねぇ……。
2月2日にわたしがいる場所。@2008年宝塚歌劇公演ラインアップ
2007年11月5日 タカラヅカ 今現在キャトレで発売中の「2008 TAKARAZUKA REVUE SCHEDULE CALENDAR」の「トップスター」欄には、すでにまとぶのプロフィールが載っている。
去年の今ごろも、2007年のスケジュール帳に水くんとトウコちゃんがトップとして載っていることに、時の流れと現実を思い知ったっけ。
トップ以外も載っているカレンダーより、こーゆー「トップスター紹介」が替わっていることの方が衝撃は強いもんだな、と。
そうやって少しずつ2008年が近づいているわけだが、今年の8月にわずか4分の1、来年3月分までしか発表になっていたなかった「2008年宝塚歌劇公演ラインアップ」の続きがささやかに発表になった。
まだ半分に満たない公演しか発表していないので、どーやら3ヶ月ごとに3ヶ月分弱ずつ発表していく気なのかもしれない。(なんのために??)
まあなんにせよ。
2008年2月2日に、わたしが名古屋にいることだけはわかった。
中日劇場公演『メランコリック・ジゴロ/ラブ・シンフォニーII』にまっつが出演することがわかったので、わたしの行動もわかった。
や、どのみち1回は行くけれど、いつ行くかは未定だった。しかしまっつが出るなら、初日遠征決定。よほどのことがない限り、複数回遠征決定。
でもって、『ラブ・シンフォニーII』がとっても不安だ。
センスも生徒への愛情もない中村Bのこと、きっとそのままなにも考えず、番手だけを上げてくるんだろうな、寿美礼サマ→まとぶん、まとぶん→壮くん、壮くん→みわっち、という風に。
キャストの持ち味に合わせて配役を変更したりはしないはず。上から順番、1、2、3。
や、上から1、2、3、の方々はいいんですよ。
問題は、4の人です。
まっつが、みわさんのポジに入るわけですか……?
紫の耽美フリフリ衣装きて、ひとりで愛の歌を歌いながら歩くんですか?!
客席に地引き網投げる勢いで、ノリノリにナルシーに美形オーラ、「オレに惚れなよハニィ」フェロモンゆんゆん出しながら?!
…………いやその、結構です…………アレは愛音さんだからできることであって、未涼さんがやるといたたまれないってゆーか羞恥プレイってゆーか、なんの罰ゲームって感じになるってゆーか……や、わたしだけかもしんないですけどねそうんなふうに思うのでもやっぱあたしソレはちょっと遠慮したいってゆーかラテンの恥ずかしい腰振りが半分になるのもさみしいしそもそもスパニッシュのソロが変更無しで回ってくる方がうれしいってゆーかゴニョゴニョ。
どーなるかわからないけど、現在上演中作品の役替わりっつーのは、いろいろ心が騒ぎますな。
バウホール『蒼いくちづけ』の面子もたのしみだー。
や、わたし的にまぁくんとだいもんがうれしいっす。
ロケットボーイ・コンビじゃん。
てゆーか、ルークとエディ@『MIND TRAVELLER』じゃん!!
わたしがカップリング萌えしていた、ルーク@まぁくん、エディ@だいもん。や、受攻ははっきりしないけど(笑)。
『アデュー・マルセイユ』新公では演技の質が違いすぎてステキに不協和音だったが、どーなるのかなー。
『舞姫』出演者発表は……まあ、予想通りなので確認作業のみ。相沢くん@まっつにまた会えるわけだなっ。
でもって、肝心要の次回大劇場公演。
『愛と死のアラビア』谷正純、『Red Hot Sea』草野旦。
えー、わたしは谷先生けっこー好きなんで、芝居はいいんです。
『野風の笛』以来の、谷のライフワーク「英雄マンセー」モノかな?
以前の谷せんせは、すべての人から愛されながらも孤高な英雄が仲間も敵も皆殺しにしながら最後は自分も死んでいく話をえんえんえんえんえんえんえんえん描き続けていたからなー。
個人的に、まとぶと谷せんせって作風が合わない気がするので、どーなるのか興味津々。
問題は、ショーだ……。オレ、草野ダメなんや……。『ザ・クラシック』で正視に耐えなかったのに、『あさきゆめみしII』で嫌悪の域にまで達しましたからなあ。
『蘭の星』はムカつくことはなかったが、たんにつまらなかったしさー。
あああ、花組にまたやってくるのか……でもってまた黒塗りなのか……?
不安だが、『あさき2』ほどの破壊作でなければそれでヨシとしよう。
あとはよーやく出た年間スケジュールを見て、「秋の全ツとDCってどーする気だ?」と震撼したり。
や、壮くんがDC主演ですかね。……演目と演出家が気になるっす……。
とまあ、花担的にはこんな感じにいろいろわくわくドキドキしております。
花だけでなく、他のすべての組も、よい公演になりますように。
去年の今ごろも、2007年のスケジュール帳に水くんとトウコちゃんがトップとして載っていることに、時の流れと現実を思い知ったっけ。
トップ以外も載っているカレンダーより、こーゆー「トップスター紹介」が替わっていることの方が衝撃は強いもんだな、と。
そうやって少しずつ2008年が近づいているわけだが、今年の8月にわずか4分の1、来年3月分までしか発表になっていたなかった「2008年宝塚歌劇公演ラインアップ」の続きがささやかに発表になった。
まだ半分に満たない公演しか発表していないので、どーやら3ヶ月ごとに3ヶ月分弱ずつ発表していく気なのかもしれない。(なんのために??)
まあなんにせよ。
2008年2月2日に、わたしが名古屋にいることだけはわかった。
中日劇場公演『メランコリック・ジゴロ/ラブ・シンフォニーII』にまっつが出演することがわかったので、わたしの行動もわかった。
や、どのみち1回は行くけれど、いつ行くかは未定だった。しかしまっつが出るなら、初日遠征決定。よほどのことがない限り、複数回遠征決定。
でもって、『ラブ・シンフォニーII』がとっても不安だ。
センスも生徒への愛情もない中村Bのこと、きっとそのままなにも考えず、番手だけを上げてくるんだろうな、寿美礼サマ→まとぶん、まとぶん→壮くん、壮くん→みわっち、という風に。
キャストの持ち味に合わせて配役を変更したりはしないはず。上から順番、1、2、3。
や、上から1、2、3、の方々はいいんですよ。
問題は、4の人です。
まっつが、みわさんのポジに入るわけですか……?
紫の耽美フリフリ衣装きて、ひとりで愛の歌を歌いながら歩くんですか?!
客席に地引き網投げる勢いで、ノリノリにナルシーに美形オーラ、「オレに惚れなよハニィ」フェロモンゆんゆん出しながら?!
…………いやその、結構です…………アレは愛音さんだからできることであって、未涼さんがやるといたたまれないってゆーか羞恥プレイってゆーか、なんの罰ゲームって感じになるってゆーか……や、わたしだけかもしんないですけどねそうんなふうに思うのでもやっぱあたしソレはちょっと遠慮したいってゆーかラテンの恥ずかしい腰振りが半分になるのもさみしいしそもそもスパニッシュのソロが変更無しで回ってくる方がうれしいってゆーかゴニョゴニョ。
どーなるかわからないけど、現在上演中作品の役替わりっつーのは、いろいろ心が騒ぎますな。
バウホール『蒼いくちづけ』の面子もたのしみだー。
や、わたし的にまぁくんとだいもんがうれしいっす。
ロケットボーイ・コンビじゃん。
てゆーか、ルークとエディ@『MIND TRAVELLER』じゃん!!
わたしがカップリング萌えしていた、ルーク@まぁくん、エディ@だいもん。や、受攻ははっきりしないけど(笑)。
『アデュー・マルセイユ』新公では演技の質が違いすぎてステキに不協和音だったが、どーなるのかなー。
『舞姫』出演者発表は……まあ、予想通りなので確認作業のみ。相沢くん@まっつにまた会えるわけだなっ。
でもって、肝心要の次回大劇場公演。
『愛と死のアラビア』谷正純、『Red Hot Sea』草野旦。
えー、わたしは谷先生けっこー好きなんで、芝居はいいんです。
『野風の笛』以来の、谷のライフワーク「英雄マンセー」モノかな?
以前の谷せんせは、すべての人から愛されながらも孤高な英雄が仲間も敵も皆殺しにしながら最後は自分も死んでいく話をえんえんえんえんえんえんえんえん描き続けていたからなー。
個人的に、まとぶと谷せんせって作風が合わない気がするので、どーなるのか興味津々。
問題は、ショーだ……。オレ、草野ダメなんや……。『ザ・クラシック』で正視に耐えなかったのに、『あさきゆめみしII』で嫌悪の域にまで達しましたからなあ。
『蘭の星』はムカつくことはなかったが、たんにつまらなかったしさー。
あああ、花組にまたやってくるのか……でもってまた黒塗りなのか……?
不安だが、『あさき2』ほどの破壊作でなければそれでヨシとしよう。
あとはよーやく出た年間スケジュールを見て、「秋の全ツとDCってどーする気だ?」と震撼したり。
や、壮くんがDC主演ですかね。……演目と演出家が気になるっす……。
とまあ、花担的にはこんな感じにいろいろわくわくドキドキしております。
花だけでなく、他のすべての組も、よい公演になりますように。
彼の孤独に届くものは。@アデュー・マルセイユ
2007年11月4日 タカラヅカ 春野寿美礼の演技は日替わりで、公演回数分ちがっていて、同じことがない。
なにが正しいとかではなく、そのなかで好みのモノと出会えるかどうか、わくわくする(笑)。
『アデュー・マルセイユ』にて、いろんな「ジェラールさん」を見たけれど、そのなかでわたしがいちばん忘れられないのは。
リュドヴィーク@『マラケシュ』のよーなジェラールさんだ。
その日のジェラールは、笑わなかった。
シモンと再会した銀橋でのみ、お約束のように笑って見せたけれど、それ以外は笑顔ナシ。むしろ、そこでだけ笑うから、彼の冷え切った心がこわい。
ジャンヌを紹介されても興味なし。手相のことを言われてもウザそう。
過去の回想は暗く、苦く。眉間のしわとときおり虚ろになる瞳。
マリアンヌにもそっけない。明け方に見るマルセイユの夢とは、悪夢なのだろうか、淡々とどこかに毒を秘めて。「色も匂いもない。君みたいに」とマリアンヌに言う声は、まぎれもなく、皮肉。き、きらいなんだ、マリアンヌのこと。ムカついてるんだ。
ジオラモにも渋面のまま対峙。悪人たちの登場に増すのは、厭世観。
酔っぱらいシモンに対して、アタマは撫でてやるものの、目は彼を見ていない。もちろん笑いもしない。
「嘘をついてすまない」と、言いはしても心は見えない。
バザー会場でもクールでドライ。マリアンヌにもモーリスにも興味はなし。ふたりきりになったあと「おふくろが生きていたら」と語るけれど、神話を歌うけれど、顔は沈鬱なまま。……いつも必ず笑顔になる場面なのに。ここで笑わなかったのは、この1回だけだ。
暗く、重く、そしてどこか投げやりで。
なのに口跡はいつもよりはっきりと、語尾がキツイ。
苦さの中にある情念。甘い雰囲気なんかどこにもない。怒っているような、挑んでいるような重い面持ちのまま彼は言う。
「忘れ物だ」
とまどうマリアンヌを、強引に引き寄せ、唇を奪う。
えーと。
なにが起こっているのか、わからなかった。
あまりに、今まで見てきた「ジェラールさん」とも『アデュー・マルセイユ』とも、違いすぎて。
彼が抱く絶望の深さは、なにごと?
まるで、荒涼とした死の砂漠にいるみたい。誰も見ていない、愛していない、いや、必要とすらしていない……?
誰の言葉も、届かない。
彼の閉ざされた心には。
彼がまとう壮絶な孤独に、リュドヴィークを見た。うわ、この人知ってる、あの日のリュドだ。
リュドヴィークがジョジョになって、マルセイユへやって来た?
や、もちろんリュドではないのだけど。魂が声なき悲鳴をあげているような孤独感に、リュドヴィークを彷彿としたんだ。
マリアンヌを愛しているようには見えない。だけどあの情念はなんだろう。強引にキスしたのは、彼が彼女を求めているからだと思う。でもそれは、甘いものとはまったくちがった、獣の本能のようなものに見えた。
捕食? 生きるために?
その直後のシモンとの場面。シモンにはまったく興味がないようなので、暴れるジャンヌには目も合わせないし、「大変だな」の一言も投げやり。どーでもいい、らしい。
シモンに絶交を言い渡されても態度は揺るがず、口にする言い訳も「とりあえず言ってみた」という心のこもっていないもの。
……シモンが怒るのも、無理はない。友だちだと思って苦悩していたのはシモンひとり。ジョジョはなんとも思っていない。突きつけられる現実。
シモンが出ていったあと、ひとり……ジェラールが歌う、冷ややかさ。
泣き声のように、悲鳴のように歌うこともある、この歌を。
冷ややかに、乾ききったまま歌う。
絶望。
彼の内にあるもの。
大きな空洞が彼の大半を占め、どんな光も熱も届かない。
表情は変わらず、眉間にしわを刻んだまま、苦い顔のままずっと。
響き渡る歌声。明瞭な発音。感情を吐露する歌を、感情を否定するかのように歌いきる。
……ドキドキして。
この人、どうなっちゃうの? こんないびつな、こわれたひと、このあとどうなっちゃうの?
すでに何回も観た作品だということを、忘れていた。
ジェラールという男がこれからどうなるのか、目が離せなかった。
石鹸工場で再会したマリアンヌは、すでに恋人気分。ジェラールがアンニュイで突き放した雰囲気なのに、気にせず甘えた声を出す。
甘さのカケラもない喰われるようなキスひとつで、こんな女おんなした雰囲気なるはずがない。あのあとマリアンヌは、ジェラールに抱かれたんだな。蜘蛛の巣にかかった蝶のように、食べられてしまったんだ。
いつもなら甘いチューひとつで舞い上がっているのだと思えたけれど、恋に恋する浅慮な女子学生に見えたのだけど、このときだけは大人の関係に思えた。
「女」を全開にしなだれかかってくるマリアンヌに対する、ジェラールの苛立ち。際立つ冷ややかさ。
温度がないまま「君が世の中のナニを……」と言い捨てる。言葉の鋭さと容赦なさ。すぐに「すまない、言い過ぎた」と撤回するけれど、心はこもっていない。
どうなるんだヲイ。このふたりは、どうなっちゃうんだ??
ドキドキして、マジで心臓がばくばくいっているのを意識しながらオペラグラスでジェラールだけを追いかけた。
いやその。わたしはまっつファンなので、まっつが出てくると視界がまっつ中心になるのよ。これは仕方ないのよ。それまで、絶対そうだったのよ。
なのに。
このときばかりは、まっつがいても関係なく、ジェラールだけを見た。物語の行方が気になってしょーがなかった。
どーなっちゃうのよ?! ドキドキドキ。
ダンス・コンテストで、ジェラールとマリアンヌは踊り出す。情熱、というよりは、情念のタンゴ。絡み合う愛憎。
マリアンヌ@彩音ちゃんの顔もこわかった。もともと表情が少ない子なので、こわばったまま固定した顔が、こわいのなんのって。
ジェラールは暗い、獣の顔をしている。怒っているとか苦悩しているとかではなく、本能がゆらめいている感じ。
マリアンヌ相手だと、獣の本性が現れるのか? 肉食獣の血。抱えた絶望や厭世観を超えて、「生」への終着として獲物の血肉を欲すると?
最後のキスがまた、生々しくて。食らいつくようで。受けるマリアンヌも、なんかエロくて。……びびる。
そしてあとは怒濤の展開、地下水道で種明かし。が、ここでもまたジェラールはクールなまま。心こもってないまま「14年前」の話をしたり、一件落着したり。
てゆーか、笑わない。ほんとうに、にこりともしない。
「心の鎖も解かれた」と、乾いたまま言う。……いや、思ってないだろソレ君カケラも。
マリアンヌとの別れも、淡々としたまま。
ダンスのときに見せた情念は息を潜め、乾いた暗い空洞がただ言葉を紡ぐ。
そうか……この娘でも、ダメだったんだ。彼の絶望を癒すことはできなかったんだ。
一旦すがったマリアンヌだが、男の冷たさを理解したのかあきらめたのか、すぐに納得し、別れを受け入れた。ジェラールの演技のせいか、マリアンヌはとにかく大人っぽかった。
すべてが終わり、マルセイユを発つときにも、ジェラールに笑顔はナシ。笑いかけてくるシモンにも、言葉でだけ「親友だ」と返す。……ひでえ。
彼は自分の孤独だけでいっぱいのようだ。絶望という空洞には、なにも入ってこないんだ。
最後の別れの歌は、まさしく「アデュー」……永い別れの歌で。ジェラールがこの街へやってくることは二度とないだろうと思わせる、かなしい絶望の歌。
歌声は澄み切り、これでもかと豊かに響いているのだけど。
ジェラールの旅は、絶望のまま終わった。
……という「本日のジェラールさん」の日がありまして。
その絶望の深さ、孤独の凄絶さに、息が詰まりました。見ていて、苦しくて苦しくて。
嗚咽することも出来ない、ただ刮目するしかない、見守ることしかできない、苦しさ。
誰も彼を救えない……そのことによる、わたし自身の無力感、絶望感。
いやあ、消耗したなぁ……。
その次に見たときは、ジェラールさんはアンニュイ基本であっても、とりあえずいろんなところで微笑んでいたのでほっとし、また寂しくもあったんですが。
春野寿美礼の演じる「孤独」は、絶品ですから。
なにが正しいとかではなく、そのなかで好みのモノと出会えるかどうか、わくわくする(笑)。
『アデュー・マルセイユ』にて、いろんな「ジェラールさん」を見たけれど、そのなかでわたしがいちばん忘れられないのは。
リュドヴィーク@『マラケシュ』のよーなジェラールさんだ。
その日のジェラールは、笑わなかった。
シモンと再会した銀橋でのみ、お約束のように笑って見せたけれど、それ以外は笑顔ナシ。むしろ、そこでだけ笑うから、彼の冷え切った心がこわい。
ジャンヌを紹介されても興味なし。手相のことを言われてもウザそう。
過去の回想は暗く、苦く。眉間のしわとときおり虚ろになる瞳。
マリアンヌにもそっけない。明け方に見るマルセイユの夢とは、悪夢なのだろうか、淡々とどこかに毒を秘めて。「色も匂いもない。君みたいに」とマリアンヌに言う声は、まぎれもなく、皮肉。き、きらいなんだ、マリアンヌのこと。ムカついてるんだ。
ジオラモにも渋面のまま対峙。悪人たちの登場に増すのは、厭世観。
酔っぱらいシモンに対して、アタマは撫でてやるものの、目は彼を見ていない。もちろん笑いもしない。
「嘘をついてすまない」と、言いはしても心は見えない。
バザー会場でもクールでドライ。マリアンヌにもモーリスにも興味はなし。ふたりきりになったあと「おふくろが生きていたら」と語るけれど、神話を歌うけれど、顔は沈鬱なまま。……いつも必ず笑顔になる場面なのに。ここで笑わなかったのは、この1回だけだ。
暗く、重く、そしてどこか投げやりで。
なのに口跡はいつもよりはっきりと、語尾がキツイ。
苦さの中にある情念。甘い雰囲気なんかどこにもない。怒っているような、挑んでいるような重い面持ちのまま彼は言う。
「忘れ物だ」
とまどうマリアンヌを、強引に引き寄せ、唇を奪う。
えーと。
なにが起こっているのか、わからなかった。
あまりに、今まで見てきた「ジェラールさん」とも『アデュー・マルセイユ』とも、違いすぎて。
彼が抱く絶望の深さは、なにごと?
まるで、荒涼とした死の砂漠にいるみたい。誰も見ていない、愛していない、いや、必要とすらしていない……?
誰の言葉も、届かない。
彼の閉ざされた心には。
彼がまとう壮絶な孤独に、リュドヴィークを見た。うわ、この人知ってる、あの日のリュドだ。
リュドヴィークがジョジョになって、マルセイユへやって来た?
や、もちろんリュドではないのだけど。魂が声なき悲鳴をあげているような孤独感に、リュドヴィークを彷彿としたんだ。
マリアンヌを愛しているようには見えない。だけどあの情念はなんだろう。強引にキスしたのは、彼が彼女を求めているからだと思う。でもそれは、甘いものとはまったくちがった、獣の本能のようなものに見えた。
捕食? 生きるために?
その直後のシモンとの場面。シモンにはまったく興味がないようなので、暴れるジャンヌには目も合わせないし、「大変だな」の一言も投げやり。どーでもいい、らしい。
シモンに絶交を言い渡されても態度は揺るがず、口にする言い訳も「とりあえず言ってみた」という心のこもっていないもの。
……シモンが怒るのも、無理はない。友だちだと思って苦悩していたのはシモンひとり。ジョジョはなんとも思っていない。突きつけられる現実。
シモンが出ていったあと、ひとり……ジェラールが歌う、冷ややかさ。
泣き声のように、悲鳴のように歌うこともある、この歌を。
冷ややかに、乾ききったまま歌う。
絶望。
彼の内にあるもの。
大きな空洞が彼の大半を占め、どんな光も熱も届かない。
表情は変わらず、眉間にしわを刻んだまま、苦い顔のままずっと。
響き渡る歌声。明瞭な発音。感情を吐露する歌を、感情を否定するかのように歌いきる。
……ドキドキして。
この人、どうなっちゃうの? こんないびつな、こわれたひと、このあとどうなっちゃうの?
すでに何回も観た作品だということを、忘れていた。
ジェラールという男がこれからどうなるのか、目が離せなかった。
石鹸工場で再会したマリアンヌは、すでに恋人気分。ジェラールがアンニュイで突き放した雰囲気なのに、気にせず甘えた声を出す。
甘さのカケラもない喰われるようなキスひとつで、こんな女おんなした雰囲気なるはずがない。あのあとマリアンヌは、ジェラールに抱かれたんだな。蜘蛛の巣にかかった蝶のように、食べられてしまったんだ。
いつもなら甘いチューひとつで舞い上がっているのだと思えたけれど、恋に恋する浅慮な女子学生に見えたのだけど、このときだけは大人の関係に思えた。
「女」を全開にしなだれかかってくるマリアンヌに対する、ジェラールの苛立ち。際立つ冷ややかさ。
温度がないまま「君が世の中のナニを……」と言い捨てる。言葉の鋭さと容赦なさ。すぐに「すまない、言い過ぎた」と撤回するけれど、心はこもっていない。
どうなるんだヲイ。このふたりは、どうなっちゃうんだ??
ドキドキして、マジで心臓がばくばくいっているのを意識しながらオペラグラスでジェラールだけを追いかけた。
いやその。わたしはまっつファンなので、まっつが出てくると視界がまっつ中心になるのよ。これは仕方ないのよ。それまで、絶対そうだったのよ。
なのに。
このときばかりは、まっつがいても関係なく、ジェラールだけを見た。物語の行方が気になってしょーがなかった。
どーなっちゃうのよ?! ドキドキドキ。
ダンス・コンテストで、ジェラールとマリアンヌは踊り出す。情熱、というよりは、情念のタンゴ。絡み合う愛憎。
マリアンヌ@彩音ちゃんの顔もこわかった。もともと表情が少ない子なので、こわばったまま固定した顔が、こわいのなんのって。
ジェラールは暗い、獣の顔をしている。怒っているとか苦悩しているとかではなく、本能がゆらめいている感じ。
マリアンヌ相手だと、獣の本性が現れるのか? 肉食獣の血。抱えた絶望や厭世観を超えて、「生」への終着として獲物の血肉を欲すると?
最後のキスがまた、生々しくて。食らいつくようで。受けるマリアンヌも、なんかエロくて。……びびる。
そしてあとは怒濤の展開、地下水道で種明かし。が、ここでもまたジェラールはクールなまま。心こもってないまま「14年前」の話をしたり、一件落着したり。
てゆーか、笑わない。ほんとうに、にこりともしない。
「心の鎖も解かれた」と、乾いたまま言う。……いや、思ってないだろソレ君カケラも。
マリアンヌとの別れも、淡々としたまま。
ダンスのときに見せた情念は息を潜め、乾いた暗い空洞がただ言葉を紡ぐ。
そうか……この娘でも、ダメだったんだ。彼の絶望を癒すことはできなかったんだ。
一旦すがったマリアンヌだが、男の冷たさを理解したのかあきらめたのか、すぐに納得し、別れを受け入れた。ジェラールの演技のせいか、マリアンヌはとにかく大人っぽかった。
すべてが終わり、マルセイユを発つときにも、ジェラールに笑顔はナシ。笑いかけてくるシモンにも、言葉でだけ「親友だ」と返す。……ひでえ。
彼は自分の孤独だけでいっぱいのようだ。絶望という空洞には、なにも入ってこないんだ。
最後の別れの歌は、まさしく「アデュー」……永い別れの歌で。ジェラールがこの街へやってくることは二度とないだろうと思わせる、かなしい絶望の歌。
歌声は澄み切り、これでもかと豊かに響いているのだけど。
ジェラールの旅は、絶望のまま終わった。
……という「本日のジェラールさん」の日がありまして。
その絶望の深さ、孤独の凄絶さに、息が詰まりました。見ていて、苦しくて苦しくて。
嗚咽することも出来ない、ただ刮目するしかない、見守ることしかできない、苦しさ。
誰も彼を救えない……そのことによる、わたし自身の無力感、絶望感。
いやあ、消耗したなぁ……。
その次に見たときは、ジェラールさんはアンニュイ基本であっても、とりあえずいろんなところで微笑んでいたのでほっとし、また寂しくもあったんですが。
春野寿美礼の演じる「孤独」は、絶品ですから。
はばたき続ける音。@花組公演千秋楽。
2007年11月3日 タカラヅカ 退団者の挨拶ってのは、どーしてこうも泣けるのだろう。
知らない下級生の挨拶にだって、泣けるんだ。
愛着のある人だったりすると、さらに涙腺が壊れるよー。
花組公演千秋楽の退団者挨拶の、トップバッターは立さんだった。
40年近くタカラヅカの舞台に立ち続けてきた人。その存在感、たしかで、そしてあたたかみのある演技。
この世界に、なくてはならない人。
それまで漠然としか考えてこなかったのに、袴姿を見て、「辞めちゃやだ!!」と、叫びたくなった。
美しい姿だった。張りのある声が響いていた。
「けじめの時」
という言葉が、重く響いた。
生き甲斐であり、誇りである花園を去るときに、この言葉を口に出来る人の、強さと清々しさを見た。
きよみはわたしが花担になって最初におぼえた下級生たちのひとりだ。
舞台の上での欠点はいくつかあれど、それに目をつぷることができるくらい、ちゃんと魅力を持った男役だった。
笑顔のやさしさ、くずれっぷりが好き。甘い二枚目と悪役が似合うガタイと、黒さ。
色悪ができる貴重な若手。
「楽な道ではなかった」と語る彼が、その越えてきた道のりひとつひとつを血肉に替えて、さらに美しい人生を歩めることを心から祈る。
ひーさんは、元雪担のわたしがよく知る花娘のひとり。ええ、彼女がビキニで踊った『ノバ・ボサ・ノバ』はヘヴィ・リピートしてましたから!
ダンスの善し悪しよりわたしは役者としての「声」が好きだったな。的確に演じることのできる女役さん。
「誠意と根性と努力をという教えを胸に」歩いてきたという彼女。根性と努力はときに無神経になりがちなもの、それを誠意で持って生きたというなら、彼女の軌跡は自ずからキラキラと輝くだろう。その真っ白な笑顔そのままに。
「舞台が好きです! 宝塚が大好きです!」……その第一声で、泣けてしょうがないんですが、としこさん。
踊ることで場の色を替えることのできる、貴重なダンサーだった。わたしが愛してやまない『マラケシュ』はこの人あってこそ生み出された。
色気はなくても「いい女」は演じられる。鍛え上げられた、という女役らしからぬ形容が浮かんでしまう、すばらしい女役さん。
組長が読んだ「本人からのメッセージ」のユーモアセンスが大好きだ(笑)。
みんなみんな、いい挨拶だ。
みんなみんな、しあわせになれ。
泣きながら思う。
そして、寿美礼サマは。
えーと。
あまりに、「春野寿美礼」で。
わたしはちょっと、泣き笑いしました。
「タカラヅカでの最後の夢、卒業です」
夢ときたか。
ほんとに、しあわせなんだろうな。
仕事自体は大変で、痩せちゃって、きっとつらいのだろうけれど。それでもしあわせなのもほんとうなんだろう。
そこにいるのは、「春野寿美礼」ではなく、限りなく「オサちゃん」で。オサダマサコさんで。
カーテンコールでぐだぐだになっていく様とか、まとっていたものをどんどん足元に落として、素の顔になっていくようで。
もう、「アイシテルヨー」とか「*階のお客さんイエーイ!」とか、「舞台人」としての演技やパフォーマンスをしようとしない。
ただ、「しあわせ」を噛みしめている、ひとりの女性がいる。
や、他の退団するトップスターさんは、最後まで芸名を演じていたよ。わたしの知る限り。
ここまで、素になってしまう人は、知らない。
ああもう、ダメダメだなあ、そういうとこ。
気分次第の舞台をし、暴走したり流したり、好き勝手やって来た「天才」春野寿美礼。
最後まで、そんなふうなんだ。
がっくりと肩を落とし、それでも、そんなところすら、愛しくて仕方がない。
ああもお、好きだ。
大好きだ。
好きにやってくれ。
アナタがなにをしたって、どうしたって、好きでいるから。
ついて行くから。
終演後、疲れた身体に鞭打って、パレードの場所取りに並ぶ。
なんか信じられないくらいいい場所を取れてしまい、歩く退団者が目の前だ。……や、オレの身長のせいもあるけどさ。周囲の人よりアタマひとつでかかったからな。(ヒール着用)
袴姿で現れたオサ様は、信じられないくらい、美しくて。
自身が輝いている。発光している。
てゆーか、透き通っている。
彼のカラダ越しに、向こう側が見えそうだ。
なにか、どこか、別の世界へいってしまいそうだ。
カテコに引き続き、とてもくつろいだ笑顔で……泣き出してしまうのもまた、芸名を離れた素の顔になっているからだろう。
愛されて。ただ、愛されて。
いいんだよ、どれだけの愛を受けても、それは当然だから。アナタはそれに相応しい人だから。
それだけのものを、与えてくれた人だから。
今も、与え続けてくれているから。
わたしは、携帯を買い換えようと決めている。寿美礼サマが退団したら。来年になったら。
今使っている携帯は、ケロの卒業直後に買ったものだ。寿美礼サマに惚れ込んだ歴史が詰まっている。
忘れもしない博多座で、見知らぬオサファンの人とリュドヴィーク観で盛り上がった。彼女はわたしの携帯と色違い、ゴールドの携帯を持っていた。共に発売直後に購入した新型の携帯だ。
「花組カラーだよね」
とわたしが自分の携帯をさしていえば、その彼女は自分のゴールドの携帯をさして、
「リュドヴィーク色」
と胸を張って答える。
リュドヴィークのスーツの色。たしかに、まさにその色だ。
kineさんと一緒にデザートローズを探して歩いた「愛・地球博」も。
先日は「プチ・ミュージアム」に行って、オサコンの「オサダくん」等身大パネルと一緒に記念撮影もした。
オサ様との想い出の写真データが、詰まっている。
オサ様卒業と共に買い換えようと決めている携帯だから、とりあえずシャッターを押した。目の前に立つオサ様を写すために。
や、携帯のカメラごときで、夜にまともな写真が撮れるはずもない。
それでも「この携帯はオサ様と共にあるから」という想いで、シャッターを切った。
携帯を変えても、忘れるワケじゃない。終わるワケじゃない。
ただ、わたし自身の心のために、「記念品」を作る。
「男が替わるたび、携帯を替える女かよ」と、弟にはぬるい目で見られましたがね。
いいのよ、まちがってないわ、その認識!
オサ様のオープンカーが動き出し、その動きに従って拍手が波のように起こる。
もう見えなくなってしまったそのあとも、拍手の音が聞こえる。
「拍手って飛べない鳥のはばたきのようだね」
……繰り返し浮かぶフレーズ。
わたしはただ拍手を続け、胸を焦がし続ける。
翼ある人の飛ぶ、空に向かって。
知らない下級生の挨拶にだって、泣けるんだ。
愛着のある人だったりすると、さらに涙腺が壊れるよー。
花組公演千秋楽の退団者挨拶の、トップバッターは立さんだった。
40年近くタカラヅカの舞台に立ち続けてきた人。その存在感、たしかで、そしてあたたかみのある演技。
この世界に、なくてはならない人。
それまで漠然としか考えてこなかったのに、袴姿を見て、「辞めちゃやだ!!」と、叫びたくなった。
美しい姿だった。張りのある声が響いていた。
「けじめの時」
という言葉が、重く響いた。
生き甲斐であり、誇りである花園を去るときに、この言葉を口に出来る人の、強さと清々しさを見た。
きよみはわたしが花担になって最初におぼえた下級生たちのひとりだ。
舞台の上での欠点はいくつかあれど、それに目をつぷることができるくらい、ちゃんと魅力を持った男役だった。
笑顔のやさしさ、くずれっぷりが好き。甘い二枚目と悪役が似合うガタイと、黒さ。
色悪ができる貴重な若手。
「楽な道ではなかった」と語る彼が、その越えてきた道のりひとつひとつを血肉に替えて、さらに美しい人生を歩めることを心から祈る。
ひーさんは、元雪担のわたしがよく知る花娘のひとり。ええ、彼女がビキニで踊った『ノバ・ボサ・ノバ』はヘヴィ・リピートしてましたから!
ダンスの善し悪しよりわたしは役者としての「声」が好きだったな。的確に演じることのできる女役さん。
「誠意と根性と努力をという教えを胸に」歩いてきたという彼女。根性と努力はときに無神経になりがちなもの、それを誠意で持って生きたというなら、彼女の軌跡は自ずからキラキラと輝くだろう。その真っ白な笑顔そのままに。
「舞台が好きです! 宝塚が大好きです!」……その第一声で、泣けてしょうがないんですが、としこさん。
踊ることで場の色を替えることのできる、貴重なダンサーだった。わたしが愛してやまない『マラケシュ』はこの人あってこそ生み出された。
色気はなくても「いい女」は演じられる。鍛え上げられた、という女役らしからぬ形容が浮かんでしまう、すばらしい女役さん。
組長が読んだ「本人からのメッセージ」のユーモアセンスが大好きだ(笑)。
みんなみんな、いい挨拶だ。
みんなみんな、しあわせになれ。
泣きながら思う。
そして、寿美礼サマは。
えーと。
あまりに、「春野寿美礼」で。
わたしはちょっと、泣き笑いしました。
「タカラヅカでの最後の夢、卒業です」
夢ときたか。
ほんとに、しあわせなんだろうな。
仕事自体は大変で、痩せちゃって、きっとつらいのだろうけれど。それでもしあわせなのもほんとうなんだろう。
そこにいるのは、「春野寿美礼」ではなく、限りなく「オサちゃん」で。オサダマサコさんで。
カーテンコールでぐだぐだになっていく様とか、まとっていたものをどんどん足元に落として、素の顔になっていくようで。
もう、「アイシテルヨー」とか「*階のお客さんイエーイ!」とか、「舞台人」としての演技やパフォーマンスをしようとしない。
ただ、「しあわせ」を噛みしめている、ひとりの女性がいる。
や、他の退団するトップスターさんは、最後まで芸名を演じていたよ。わたしの知る限り。
ここまで、素になってしまう人は、知らない。
ああもう、ダメダメだなあ、そういうとこ。
気分次第の舞台をし、暴走したり流したり、好き勝手やって来た「天才」春野寿美礼。
最後まで、そんなふうなんだ。
がっくりと肩を落とし、それでも、そんなところすら、愛しくて仕方がない。
ああもお、好きだ。
大好きだ。
好きにやってくれ。
アナタがなにをしたって、どうしたって、好きでいるから。
ついて行くから。
終演後、疲れた身体に鞭打って、パレードの場所取りに並ぶ。
なんか信じられないくらいいい場所を取れてしまい、歩く退団者が目の前だ。……や、オレの身長のせいもあるけどさ。周囲の人よりアタマひとつでかかったからな。(ヒール着用)
袴姿で現れたオサ様は、信じられないくらい、美しくて。
自身が輝いている。発光している。
てゆーか、透き通っている。
彼のカラダ越しに、向こう側が見えそうだ。
なにか、どこか、別の世界へいってしまいそうだ。
カテコに引き続き、とてもくつろいだ笑顔で……泣き出してしまうのもまた、芸名を離れた素の顔になっているからだろう。
愛されて。ただ、愛されて。
いいんだよ、どれだけの愛を受けても、それは当然だから。アナタはそれに相応しい人だから。
それだけのものを、与えてくれた人だから。
今も、与え続けてくれているから。
わたしは、携帯を買い換えようと決めている。寿美礼サマが退団したら。来年になったら。
今使っている携帯は、ケロの卒業直後に買ったものだ。寿美礼サマに惚れ込んだ歴史が詰まっている。
忘れもしない博多座で、見知らぬオサファンの人とリュドヴィーク観で盛り上がった。彼女はわたしの携帯と色違い、ゴールドの携帯を持っていた。共に発売直後に購入した新型の携帯だ。
「花組カラーだよね」
とわたしが自分の携帯をさしていえば、その彼女は自分のゴールドの携帯をさして、
「リュドヴィーク色」
と胸を張って答える。
リュドヴィークのスーツの色。たしかに、まさにその色だ。
kineさんと一緒にデザートローズを探して歩いた「愛・地球博」も。
先日は「プチ・ミュージアム」に行って、オサコンの「オサダくん」等身大パネルと一緒に記念撮影もした。
オサ様との想い出の写真データが、詰まっている。
オサ様卒業と共に買い換えようと決めている携帯だから、とりあえずシャッターを押した。目の前に立つオサ様を写すために。
や、携帯のカメラごときで、夜にまともな写真が撮れるはずもない。
それでも「この携帯はオサ様と共にあるから」という想いで、シャッターを切った。
携帯を変えても、忘れるワケじゃない。終わるワケじゃない。
ただ、わたし自身の心のために、「記念品」を作る。
「男が替わるたび、携帯を替える女かよ」と、弟にはぬるい目で見られましたがね。
いいのよ、まちがってないわ、その認識!
オサ様のオープンカーが動き出し、その動きに従って拍手が波のように起こる。
もう見えなくなってしまったそのあとも、拍手の音が聞こえる。
「拍手って飛べない鳥のはばたきのようだね」
……繰り返し浮かぶフレーズ。
わたしはただ拍手を続け、胸を焦がし続ける。
翼ある人の飛ぶ、空に向かって。
わたしはピュアファンではないから・その3。
2007年11月2日 タカラヅカ 『春野寿美礼サヨナラショー』が、どんな演出だったか。
広大な宝塚大劇場を使った、ディナーショーだった。
そこは、ホテルの宴会場。壁際の一部分に細長く作られたステージ。簡易ステージなので、セリもなければ大がかりなセットもない。名前を書いた電飾と、菫の花束の絵だけ。
ディナーショーなので、主役ひとりがえんえん歌う。1回登場すると、続け様に何曲も歌う。
ステージに立ったままでは場が持たないので、客席降りならぬ銀橋を渡らせる。
スターの衣装替えのときだけに、バックコーラスの下級生たちがマイクを持って場つなぎの歌をみんなで歌う。
相手役が登場し、スターと絡むこともなくそれぞれ歌う。や、一応公演の再現だけど、何故か絡まない、踊らない場面の歌。
スターがまたひとりでえんえん歩きながら歌う。何曲も歌う。
スターの衣装替えのときだけに、バックコーラスの退団者たちがマイクを持って場つなぎの歌をみんなで歌う。ダンサーとして名を馳せた人も、その実力に関係なく歌を歌う。
スターが登場、ようやく組子たちに出番。でも、すでにフィナーレ。しかもラストは知らない昭和歌謡。
中村Bの空間認識力は、ホテルの宴会場の特設ステージが精一杯。
そのため彼は、ディナーショーと同じ方法論で、大劇場のサヨナラショーを作った。
彼のノートには、それしか書いてなかったんだろう。
トップスターの「サヨナラショー」というものがなんなのか、どういう意味を持つのか、誰も教えてくれなかったんだと思う。そして彼も、教えられないのをいいことに、自分で考えようとはしなかった。
その結果が、無神経かつつまらないショーだ。
ファンが聴きたい、と思っていた曲をことごとくはずしていることに、ナニか意味があるのかもしれない。オサ様自身の意志だったのかもしれない。
だが、選曲ではなく「演出」は、演出家の領分だろう。『エリザベート』も『I got music』も『不滅の棘』も、なにもなくても演出さえまともならもっとチガウモノになっていた。
持ち歌を使わなくても十分サヨナラショーだった、『TCA2007』のように。
ここはホテルの宴会場じゃない。特設ステージじゃない。
大劇場だ。
歌うオサ様のバックで、組子たちを踊らせればいい。コーラスだけでもいい。
それぞれの曲に相応しい、「あのとき同じ場面に出ていたね」な子たちを控えめに出しておけばいい。想い出の再現、記憶の再確認、歌を盛り上げるためであり気を散らすためではないから、要点を絞って意味のある使い方を。
そしてときには、歌うオサ様に絡ませる。ダンスででもいいし、一小節ごとに歌い継いだりハモったりするのでもいい。
サヨナラショーの基本演出だ。
退団者たちにも、意味のある場面を与える。たとえば『マラケシュ』の主題歌を銀橋でオサ様が歌っているときに、本舞台でとしこさんが踊るとか。ドレス姿でいい、華麗に端正に舞うだけで、なんのことがわかるだろう。
退団者オンリーの場面でも、きよみが歌い、さおた×としこ、まりん×ひーさんが踊るとか。退団者だけ出せば「任を果たした」わけじゃない。彼らへの愛情が感じられてこそ、だ。カップリングは重要。長くコンビを組んできた人たちが別れることになるんだから、惜しむ場面を。
若手男役がぞろりと出て、一瞬だけでもきよみがセンターにいるとか、花組デカ男ズで最後の並びを披露するとか。
いくらでも、できることはあるだろうに。
たしかにオサ様の歌は素晴らしい。
彼ひとりが歌うことで、演出なんて無意味なほど魅せてくれる。
だがここはタカラヅカで、これはサヨナラショーだ。
彼が孤高のトップで組子たちから慕われていないというならともかく、愛され、惜しまれて去るのだという演出は、ショーを盛り上げることはあっても、損ないはしないだろう。たかちゃんもワタさんもコムちゃんも、組子と絡み、ひとつになってサヨナラショーを見せてくれた。
タカラヅカの素晴らしさは、大いなるアマチュア精神。舞台とそのバックボーンが相まっていること。
トップスターがどれほどすばらしい能力や技術を持っているかも大切だけれど、どれほど「夢の世界の住人」として、夢とか愛とか友情とか信頼とか、現実社会ではないがしろにされてしまうものたちに囲まれ、それを得て生きているか、「永遠の学園祭前夜」でいるかを見せつけ、フェアリーでいるかも大切なんだ。
オサ様の持ち歌としてはラストソングとなった『La Esperanza』も、当時の場面をまんま再現しちゃえばよかったのに。
組子たちの歌い継ぎ、肩をたたき合ったり目線を交わしたりしながら、壮大な合唱へ。……なのに現実には、ただの勢揃い正面向いて合唱するだけ。
オサ様がひとりでえんえん歌い、彼がいない場面はつなぎであること見え見えに他の複数人が歌うか、組子全員のコーラス。
オサ様はついに組子たちとは一切絡まなかった。彩音、まとぶとささやかに同じ舞台に立っただけ。
ただ「曲」を並べただけだ。
こんなの「演出」じゃない。
オサ・彩音・まとぶの「黒いワシ」から組子たちによる「新世界」への盛り上がりはよかったし、彼らの気合い、ダンスの揃い具合はすごかった。彼らも、オサ様を「送りたい」と誠心誠意思っているのだろうに、場を与えられなかった。
ディナーショーなら、それでもよかったんだろう。
スターが持ち歌を歌い、彼のお着替えタイムに数人のコーラス隊が1曲歌い、あとはまたスターがひとりでえんえん歌う。その繰り返し。
ディナーショーしかできないなら、大劇場に出てくるな。サヨナラショーの演出はするな。
頼みます。泣いて頼みます。
それでも、春野寿美礼はすばらしかった。
どんな駄作でも力業でねじ伏せる、トップとしての力に改めて敬服した。
だからこそ、これほどの人がこんなサヨナラショーで退団するのが惜しい。口惜しい。
わたしはピュアファンではないので、駄作にはどーしても引っかかってしまう。
「嫌なら観るな」ということでは片づかない。
観たい。酔いたい。見送りたい。
その思いを、演出家の無能さに踏みにじられるのがつらいんだ。
「サヨナラショー」なら、なんでもいいわけじゃない。ここでどんな演出をするかで、株が上がりもするし、暴落しもするんだよ。
座付き作家として、いや、クリエイターとして、誠意を持って仕事をして欲しい。
観客に「夢」を見せるのが仕事なのだから、きちんと働いて欲しい。
いろいろ書いたが、オサ様と花組に対してじゃない。また、演出に物申すことで、オサ様のせっかくのサヨナラショーに砂を掛けたいわけでもない。
わたしの思いがどうあれ、結果としてあるのは「サヨナラショーに文句を言っているイタイ人間」ということだけだろう。それでも、書かずにいられない。
よかったことも、悪かったことも。春野寿美礼の軌跡を、わたしの目を通したあの希有な人の姿を、わたしの言葉で書き記したい。オサ様たちが素晴らしかったことと、演出のひどさを混同したくない。
オサ様と彼のサヨナラショー自体は素晴らしかった。よい空間だった。あの時間を、空気を共有できて良かった。感謝している。
わたしがここでなにを言ったところで。
世界はナニも変わらない。
オサ様と花組のみんなが、しあわせでありますように。
見送るファンたちが、しあわせでありますように。
広大な宝塚大劇場を使った、ディナーショーだった。
そこは、ホテルの宴会場。壁際の一部分に細長く作られたステージ。簡易ステージなので、セリもなければ大がかりなセットもない。名前を書いた電飾と、菫の花束の絵だけ。
ディナーショーなので、主役ひとりがえんえん歌う。1回登場すると、続け様に何曲も歌う。
ステージに立ったままでは場が持たないので、客席降りならぬ銀橋を渡らせる。
スターの衣装替えのときだけに、バックコーラスの下級生たちがマイクを持って場つなぎの歌をみんなで歌う。
相手役が登場し、スターと絡むこともなくそれぞれ歌う。や、一応公演の再現だけど、何故か絡まない、踊らない場面の歌。
スターがまたひとりでえんえん歩きながら歌う。何曲も歌う。
スターの衣装替えのときだけに、バックコーラスの退団者たちがマイクを持って場つなぎの歌をみんなで歌う。ダンサーとして名を馳せた人も、その実力に関係なく歌を歌う。
スターが登場、ようやく組子たちに出番。でも、すでにフィナーレ。しかもラストは知らない昭和歌謡。
中村Bの空間認識力は、ホテルの宴会場の特設ステージが精一杯。
そのため彼は、ディナーショーと同じ方法論で、大劇場のサヨナラショーを作った。
彼のノートには、それしか書いてなかったんだろう。
トップスターの「サヨナラショー」というものがなんなのか、どういう意味を持つのか、誰も教えてくれなかったんだと思う。そして彼も、教えられないのをいいことに、自分で考えようとはしなかった。
その結果が、無神経かつつまらないショーだ。
ファンが聴きたい、と思っていた曲をことごとくはずしていることに、ナニか意味があるのかもしれない。オサ様自身の意志だったのかもしれない。
だが、選曲ではなく「演出」は、演出家の領分だろう。『エリザベート』も『I got music』も『不滅の棘』も、なにもなくても演出さえまともならもっとチガウモノになっていた。
持ち歌を使わなくても十分サヨナラショーだった、『TCA2007』のように。
ここはホテルの宴会場じゃない。特設ステージじゃない。
大劇場だ。
歌うオサ様のバックで、組子たちを踊らせればいい。コーラスだけでもいい。
それぞれの曲に相応しい、「あのとき同じ場面に出ていたね」な子たちを控えめに出しておけばいい。想い出の再現、記憶の再確認、歌を盛り上げるためであり気を散らすためではないから、要点を絞って意味のある使い方を。
そしてときには、歌うオサ様に絡ませる。ダンスででもいいし、一小節ごとに歌い継いだりハモったりするのでもいい。
サヨナラショーの基本演出だ。
退団者たちにも、意味のある場面を与える。たとえば『マラケシュ』の主題歌を銀橋でオサ様が歌っているときに、本舞台でとしこさんが踊るとか。ドレス姿でいい、華麗に端正に舞うだけで、なんのことがわかるだろう。
退団者オンリーの場面でも、きよみが歌い、さおた×としこ、まりん×ひーさんが踊るとか。退団者だけ出せば「任を果たした」わけじゃない。彼らへの愛情が感じられてこそ、だ。カップリングは重要。長くコンビを組んできた人たちが別れることになるんだから、惜しむ場面を。
若手男役がぞろりと出て、一瞬だけでもきよみがセンターにいるとか、花組デカ男ズで最後の並びを披露するとか。
いくらでも、できることはあるだろうに。
たしかにオサ様の歌は素晴らしい。
彼ひとりが歌うことで、演出なんて無意味なほど魅せてくれる。
だがここはタカラヅカで、これはサヨナラショーだ。
彼が孤高のトップで組子たちから慕われていないというならともかく、愛され、惜しまれて去るのだという演出は、ショーを盛り上げることはあっても、損ないはしないだろう。たかちゃんもワタさんもコムちゃんも、組子と絡み、ひとつになってサヨナラショーを見せてくれた。
タカラヅカの素晴らしさは、大いなるアマチュア精神。舞台とそのバックボーンが相まっていること。
トップスターがどれほどすばらしい能力や技術を持っているかも大切だけれど、どれほど「夢の世界の住人」として、夢とか愛とか友情とか信頼とか、現実社会ではないがしろにされてしまうものたちに囲まれ、それを得て生きているか、「永遠の学園祭前夜」でいるかを見せつけ、フェアリーでいるかも大切なんだ。
オサ様の持ち歌としてはラストソングとなった『La Esperanza』も、当時の場面をまんま再現しちゃえばよかったのに。
組子たちの歌い継ぎ、肩をたたき合ったり目線を交わしたりしながら、壮大な合唱へ。……なのに現実には、ただの勢揃い正面向いて合唱するだけ。
オサ様がひとりでえんえん歌い、彼がいない場面はつなぎであること見え見えに他の複数人が歌うか、組子全員のコーラス。
オサ様はついに組子たちとは一切絡まなかった。彩音、まとぶとささやかに同じ舞台に立っただけ。
ただ「曲」を並べただけだ。
こんなの「演出」じゃない。
オサ・彩音・まとぶの「黒いワシ」から組子たちによる「新世界」への盛り上がりはよかったし、彼らの気合い、ダンスの揃い具合はすごかった。彼らも、オサ様を「送りたい」と誠心誠意思っているのだろうに、場を与えられなかった。
ディナーショーなら、それでもよかったんだろう。
スターが持ち歌を歌い、彼のお着替えタイムに数人のコーラス隊が1曲歌い、あとはまたスターがひとりでえんえん歌う。その繰り返し。
ディナーショーしかできないなら、大劇場に出てくるな。サヨナラショーの演出はするな。
頼みます。泣いて頼みます。
それでも、春野寿美礼はすばらしかった。
どんな駄作でも力業でねじ伏せる、トップとしての力に改めて敬服した。
だからこそ、これほどの人がこんなサヨナラショーで退団するのが惜しい。口惜しい。
わたしはピュアファンではないので、駄作にはどーしても引っかかってしまう。
「嫌なら観るな」ということでは片づかない。
観たい。酔いたい。見送りたい。
その思いを、演出家の無能さに踏みにじられるのがつらいんだ。
「サヨナラショー」なら、なんでもいいわけじゃない。ここでどんな演出をするかで、株が上がりもするし、暴落しもするんだよ。
座付き作家として、いや、クリエイターとして、誠意を持って仕事をして欲しい。
観客に「夢」を見せるのが仕事なのだから、きちんと働いて欲しい。
いろいろ書いたが、オサ様と花組に対してじゃない。また、演出に物申すことで、オサ様のせっかくのサヨナラショーに砂を掛けたいわけでもない。
わたしの思いがどうあれ、結果としてあるのは「サヨナラショーに文句を言っているイタイ人間」ということだけだろう。それでも、書かずにいられない。
よかったことも、悪かったことも。春野寿美礼の軌跡を、わたしの目を通したあの希有な人の姿を、わたしの言葉で書き記したい。オサ様たちが素晴らしかったことと、演出のひどさを混同したくない。
オサ様と彼のサヨナラショー自体は素晴らしかった。よい空間だった。あの時間を、空気を共有できて良かった。感謝している。
わたしがここでなにを言ったところで。
世界はナニも変わらない。
オサ様と花組のみんなが、しあわせでありますように。
見送るファンたちが、しあわせでありますように。
わたしはピュアファンではないから・その2。
2007年11月1日 タカラヅカ 中村Bの無能さを真面目に考える(笑)、続きです。
ひとつめは、彼の作家としての技術面でのアレさについて書いた。
ふたつめは、「タカラヅカの座付き」としての無神経さだ。
宝塚歌劇団は、特殊なところだ。
プロが興行をしている、ということ以外に、劇団員を「生徒」と呼び、公私混同でその成長を見守り、卒業に涙するところだ。
楽屋落ちや身内受けのアドリブがよろこばれ、努力だとか友情だとかがまかり通るところ。
出来のクオリティよりも「がんばっている」ことが大切だったりするところ。
商業演劇でありながら、結果より過程を重要視されるところ。
舞台の上の芸だけでなく、そのバックボーンごと観客は「夢」を観にやってくる。
そーゆー劇団だから、年に一度の『TCA』で「オサアサ」なんてコーナーを堂々と作ってしまえるんだ。や、他のあらゆる「商業作品」であのぐだぐだぶりはありえないって。
いい悪いではなく、それが「タカラヅカ」。前提であり、お約束だ。
だから座付き作家もまた、それを踏まえた「視点」が必要になる。
タカラヅカでもっともファンに支持されるのは「名作」でも「大作」でもない。「アテ書き作品」だ。
スターの魅力を理解し、それをもっとも引き出し、ファンが「観たい」と思わせるモノを作る。
名作である必要なんかナイ。「アテ書き」さえうまくできてりゃー、あとはなんとでもなる。
外部の「大作」を引っ張ってきたって、過去の遺物の「名作」とやらを掘り起こしてきたって、リアルタイムの「アテ書き」には敵わない。
「アテ書き」は技術ではない。仕事に対する丁寧さだとか誠意だとかいう、目に見えない部分を必要とする。
このスターの魅力とはナニか。ファンはナニを望んでいるか。それを推察するのは、技術ではない。
たとえば、オサ様。
この人の魅力がなんであるか。ファンはナニを望んでいるか。……中村Bは、考えただろうか?
今回の公演、『ラブ・シンフォニー』と『アデュー・マルセイユ』は、とても対照的な作り方をしてある。
どちらも作品としてのクオリティは低いとおもっているが、技術面ではなく、「心」の部分でのアプローチの仕方が真逆なのが興味深い。
『アデュー・マルセイユ』は、「アテ書き」された作品だ。
オサに「孤独と秘密」を抱えさせ、苦悩させ、組を託す次期トップに「ずっと友だちだ」と握手をさせ、残していく娘役トップに「遠くにいても君を思うことが出来る云々」と背中を押してやり、銀橋で最後に「アデュー」と言わせる。
……それだけの動機で作られた。おかげでストーリーはめちゃくちゃ、辻褄なんかナイ、ツッコミどころだらけの珍作だ。
だが、「春野寿美礼の魅力を出す」という明確な目的ゆえに、成り立っている。
たしかにオサ様には孤独が似合うし、歌が武器なのだから歌わせまくるのは正しい。
だがそれ以外にも、オサ様にナニをして欲しいか、を考えられている。
すなわち、花組トップ男役たるもの、男同士で絡んでナンボ、ということ。
まとぶと友情で絡み、壮くんと敵対することで絡み、みわっちは女にして(男役の女装は通常ファンサービス)、まっつとは歌わせ、みつるには指南させる。
主要な男役たちにそれぞれ、男同士の絡みを披露。
それとは別に、ヒロインとは「タカラヅカの正統派男役ならでは」の、かゆくなるよーなラヴいシーンを演じさせる。
「忘れ物だ」……が、ありえるのはタカラヅカゆえ。
座付き作家として、ファンのための「春野寿美礼」をプロデュースしきった。
それと『ラブ・シンフォニー』は、正反対。
この作品の初見の印象は、「どの組で上演してもOKだな」だ。
花組のためでも、オサ様のためでもない。
あさこと月組が似合いそうだな、と思ったのは、中村Bの『REVUE OF DREAMS』が記憶に新しいせいだろう。……似てるもん、とにかく。
中村Bはアテ書きを一切せず、「自分の引き出しの中」にあるものだけで作った。
スターの持ち味なんか関係ない。彼の中ではパターンが決まっていて、それに合わせて作品をつなぎ合わせる。「最強、秋の着回しパターン!」てな女性誌のコーナーみたいに、いくつかのアイテムと組み合わせパターンが表になっていて、その通りにしているだけ。
「最強、秋の着回しパターン!」と銘打つだけあって、ふつーの女性なら誰が着てもそれなりにオシャレにかわいく見える組み合わせ集だから、高い評価を受けるはずはないものの、通常の公演ならまだ誤魔化せるかもしれない。
だが今回は歌に特化した魅力を持つトップスターの、サヨナラ公演だ。
いわば、ふつーのOLさんの日常生活のための服装ではなく、特別なパーティに行くときのコーディネイトが求められているのに、「最強、秋の着回しパターン!」で通したよーなもんだ。だって、ソレしか知らないから。
セレブなパーティ会場に、普段着で来てしまったような場違いさ。
精一杯のおしゃれをしての結果ではなく、「なーんにも考えないで、いつもの格好で来ました」というだけの。
どこの組でも上演可能。いつもの組み合わせ、いつものパターン。
だからオサ様が踊りまくり、彩音ちゃんが歌いまくることになる。どの組のトップコンビでもできるように。
オサに踊らせるな、彩音に歌わせるな、ということではない。それが彼らのために、彼らの魅力を最大限に引き出し、ファンがよろこぶのならそれでいい。
ただ、「ノートに書いてある基本パターンだから」というだけでやられちゃたまらないってこと。
オサに踊らせなければならないなら、その分「歌」の場面を作るなりしてバランスを取ればいいのに、それすらない。
オサひとりが歌いまくるだけのワンマンショーをやれというのではなく、バランスの問題だ。「核」となる場面があれば、そこ以外は得意分野が薄めでも、組子たちの活躍が顕著でも、正しいトップスターならば「作品」の中心が自分であることを実力で示す。
得意分野を無視しただけではなく。
中村Bは、トップスター以外の組子の特性をも、まるっと無視した。
出番が与えられるのは、番手順。他にはナニも考えていない。オサ、まとぶ、壮、みわっち、まっつ、みつるめおりせまぁくん。
いちいち確認するまでもなく、どこを取っても同じ順番。誰がナニを得意だとか、誰と誰を組ませたら相乗効果が期待できるとか、一切無し。
興味がないんだろう。
組子たちは、番号札を付けられた黒子なのか。中村Bのノートに書いてある「どこの組でも同じ」パターン通りに上から順に配置して、それで完成。
小池の芝居がストーリーめちゃくちゃでも、オサ様アテ書きだからファンから愛されているように、中村Bもアテ書きすればよかったんだよ。
たしかに中村Bは作家として無能で、大劇場を立方体として認識することが出来ない。平面で、1階の真正面から観ないときれいに見えないものしか作れない。
引き出しの中の同じパターンをつぎはぎすることでしか、創作できない。
それでも最低限「アテ書き」でさえあれば。
どっかで観た(『LUCKY STAR!』『ザ・ビューティーズ!』『プレスティージュ』etc.いくつの作品に似ていると人の口に上ったろう)焼き直しのつぎはぎであったとしても、そのチョイスが「アテ書き」にさえなっていたら、別の評価もあったろうに。
「春野寿美礼にコレを歌わせたい」「演じさせたい」……そう思うものはなにもなかったのか?
オサ様だからではなく、すべてのジェンヌに対してそうなのだから、座付きである意味はないと思う。
技術か、心か。どちらか片方でも持ち合わせていればまだ救われたのに。オーソドックス、という持ち味は、一応美点であると好意的に解釈してきたのに。
今回、両方持ち合わせていないことがわかり、萎えきったよ。
ひとつめは、彼の作家としての技術面でのアレさについて書いた。
ふたつめは、「タカラヅカの座付き」としての無神経さだ。
宝塚歌劇団は、特殊なところだ。
プロが興行をしている、ということ以外に、劇団員を「生徒」と呼び、公私混同でその成長を見守り、卒業に涙するところだ。
楽屋落ちや身内受けのアドリブがよろこばれ、努力だとか友情だとかがまかり通るところ。
出来のクオリティよりも「がんばっている」ことが大切だったりするところ。
商業演劇でありながら、結果より過程を重要視されるところ。
舞台の上の芸だけでなく、そのバックボーンごと観客は「夢」を観にやってくる。
そーゆー劇団だから、年に一度の『TCA』で「オサアサ」なんてコーナーを堂々と作ってしまえるんだ。や、他のあらゆる「商業作品」であのぐだぐだぶりはありえないって。
いい悪いではなく、それが「タカラヅカ」。前提であり、お約束だ。
だから座付き作家もまた、それを踏まえた「視点」が必要になる。
タカラヅカでもっともファンに支持されるのは「名作」でも「大作」でもない。「アテ書き作品」だ。
スターの魅力を理解し、それをもっとも引き出し、ファンが「観たい」と思わせるモノを作る。
名作である必要なんかナイ。「アテ書き」さえうまくできてりゃー、あとはなんとでもなる。
外部の「大作」を引っ張ってきたって、過去の遺物の「名作」とやらを掘り起こしてきたって、リアルタイムの「アテ書き」には敵わない。
「アテ書き」は技術ではない。仕事に対する丁寧さだとか誠意だとかいう、目に見えない部分を必要とする。
このスターの魅力とはナニか。ファンはナニを望んでいるか。それを推察するのは、技術ではない。
たとえば、オサ様。
この人の魅力がなんであるか。ファンはナニを望んでいるか。……中村Bは、考えただろうか?
今回の公演、『ラブ・シンフォニー』と『アデュー・マルセイユ』は、とても対照的な作り方をしてある。
どちらも作品としてのクオリティは低いとおもっているが、技術面ではなく、「心」の部分でのアプローチの仕方が真逆なのが興味深い。
『アデュー・マルセイユ』は、「アテ書き」された作品だ。
オサに「孤独と秘密」を抱えさせ、苦悩させ、組を託す次期トップに「ずっと友だちだ」と握手をさせ、残していく娘役トップに「遠くにいても君を思うことが出来る云々」と背中を押してやり、銀橋で最後に「アデュー」と言わせる。
……それだけの動機で作られた。おかげでストーリーはめちゃくちゃ、辻褄なんかナイ、ツッコミどころだらけの珍作だ。
だが、「春野寿美礼の魅力を出す」という明確な目的ゆえに、成り立っている。
たしかにオサ様には孤独が似合うし、歌が武器なのだから歌わせまくるのは正しい。
だがそれ以外にも、オサ様にナニをして欲しいか、を考えられている。
すなわち、花組トップ男役たるもの、男同士で絡んでナンボ、ということ。
まとぶと友情で絡み、壮くんと敵対することで絡み、みわっちは女にして(男役の女装は通常ファンサービス)、まっつとは歌わせ、みつるには指南させる。
主要な男役たちにそれぞれ、男同士の絡みを披露。
それとは別に、ヒロインとは「タカラヅカの正統派男役ならでは」の、かゆくなるよーなラヴいシーンを演じさせる。
「忘れ物だ」……が、ありえるのはタカラヅカゆえ。
座付き作家として、ファンのための「春野寿美礼」をプロデュースしきった。
それと『ラブ・シンフォニー』は、正反対。
この作品の初見の印象は、「どの組で上演してもOKだな」だ。
花組のためでも、オサ様のためでもない。
あさこと月組が似合いそうだな、と思ったのは、中村Bの『REVUE OF DREAMS』が記憶に新しいせいだろう。……似てるもん、とにかく。
中村Bはアテ書きを一切せず、「自分の引き出しの中」にあるものだけで作った。
スターの持ち味なんか関係ない。彼の中ではパターンが決まっていて、それに合わせて作品をつなぎ合わせる。「最強、秋の着回しパターン!」てな女性誌のコーナーみたいに、いくつかのアイテムと組み合わせパターンが表になっていて、その通りにしているだけ。
「最強、秋の着回しパターン!」と銘打つだけあって、ふつーの女性なら誰が着てもそれなりにオシャレにかわいく見える組み合わせ集だから、高い評価を受けるはずはないものの、通常の公演ならまだ誤魔化せるかもしれない。
だが今回は歌に特化した魅力を持つトップスターの、サヨナラ公演だ。
いわば、ふつーのOLさんの日常生活のための服装ではなく、特別なパーティに行くときのコーディネイトが求められているのに、「最強、秋の着回しパターン!」で通したよーなもんだ。だって、ソレしか知らないから。
セレブなパーティ会場に、普段着で来てしまったような場違いさ。
精一杯のおしゃれをしての結果ではなく、「なーんにも考えないで、いつもの格好で来ました」というだけの。
どこの組でも上演可能。いつもの組み合わせ、いつものパターン。
だからオサ様が踊りまくり、彩音ちゃんが歌いまくることになる。どの組のトップコンビでもできるように。
オサに踊らせるな、彩音に歌わせるな、ということではない。それが彼らのために、彼らの魅力を最大限に引き出し、ファンがよろこぶのならそれでいい。
ただ、「ノートに書いてある基本パターンだから」というだけでやられちゃたまらないってこと。
オサに踊らせなければならないなら、その分「歌」の場面を作るなりしてバランスを取ればいいのに、それすらない。
オサひとりが歌いまくるだけのワンマンショーをやれというのではなく、バランスの問題だ。「核」となる場面があれば、そこ以外は得意分野が薄めでも、組子たちの活躍が顕著でも、正しいトップスターならば「作品」の中心が自分であることを実力で示す。
得意分野を無視しただけではなく。
中村Bは、トップスター以外の組子の特性をも、まるっと無視した。
出番が与えられるのは、番手順。他にはナニも考えていない。オサ、まとぶ、壮、みわっち、まっつ、みつるめおりせまぁくん。
いちいち確認するまでもなく、どこを取っても同じ順番。誰がナニを得意だとか、誰と誰を組ませたら相乗効果が期待できるとか、一切無し。
興味がないんだろう。
組子たちは、番号札を付けられた黒子なのか。中村Bのノートに書いてある「どこの組でも同じ」パターン通りに上から順に配置して、それで完成。
小池の芝居がストーリーめちゃくちゃでも、オサ様アテ書きだからファンから愛されているように、中村Bもアテ書きすればよかったんだよ。
たしかに中村Bは作家として無能で、大劇場を立方体として認識することが出来ない。平面で、1階の真正面から観ないときれいに見えないものしか作れない。
引き出しの中の同じパターンをつぎはぎすることでしか、創作できない。
それでも最低限「アテ書き」でさえあれば。
どっかで観た(『LUCKY STAR!』『ザ・ビューティーズ!』『プレスティージュ』etc.いくつの作品に似ていると人の口に上ったろう)焼き直しのつぎはぎであったとしても、そのチョイスが「アテ書き」にさえなっていたら、別の評価もあったろうに。
「春野寿美礼にコレを歌わせたい」「演じさせたい」……そう思うものはなにもなかったのか?
オサ様だからではなく、すべてのジェンヌに対してそうなのだから、座付きである意味はないと思う。
技術か、心か。どちらか片方でも持ち合わせていればまだ救われたのに。オーソドックス、という持ち味は、一応美点であると好意的に解釈してきたのに。
今回、両方持ち合わせていないことがわかり、萎えきったよ。
わたしはピュアファンではないから・その1。
2007年10月31日 タカラヅカ 前楽はピュアなオサファンのキティちゃんと一緒だった。
サヨナラショーで号泣し、しきりに感動していた。
だからわたしたちは、口をつぐんでいた。
「言ってはならないこと」が、この世にはいくらでもある。
真実を口にすることが出来たのは、キティちゃんと別れ、みんなでごはんを食べ、くつろいだあとだった。
遅れて最後にテーブルについたドリーさんが、とてもサバサバと口火を切った。
「いやあ、つまんないサヨナラショーだったね!」
あ。
言ったな、こいつ(笑)。
ツッコミ担当ドリーさんならではの鋭さと容赦なさ。
だが、彼女の一言で、その場にいたわたしたちはようやく本音を言えるようになったんだ。
世の中には、「言ってはならないこと」がある。
それは真実とか正義とか正解とかではなく、「場をわきまえる」ことだと思う。
たとえ真実でも正義でも正解でも、「言ってはいけない場」がある。
オサ様のサヨナラショーを観て、感動して泣いている人の前で言っていいことではない。
ピュアファンの前で言っていいことではない。
わたしはオサ様大好きだけど、真のファンには程遠い。「オサ様が出演していれば、すべて名作、傑作」だとは思えない(ちなみに、キティちゃんは「贔屓が主演していればすべて名作」な真のピュアファンだ)。
駄作は駄作だと思う。
オサ様がその才能で「駄作」を「別物」にしてしまうことを痛快だと思い、そこに拍手を送ってはいるけれど、それゆえに「好きな作品」になったりする場合もあるけれど、作品自体を名作だとは思えない。
前楽直後、そしてまだこれから楽を控えた時点でブログに書けることではなかった。
楽の直後すら、まだ無理。
わたしはオサ様と花組が好きだ。
公演もサヨナラショーも、盛り上がって欲しいと心から思っているし、オサ様の最後の花道に水を差すようなことをしたいわけじゃない。
泣いているキティちゃんの前で、仲間たちみんなが口をつぐんでいたように。
いくら「正直な感想」でも、言ってはいけない。彼女の感動を傷つけてはいけない。
オサ様の歌声に、感動したのは事実だから。
どんな駄作でも力尽くで感動させてしまう、あのとてつもない才能に心酔し、ひれ伏しているのはたしかなのだから。
オサ様が好き。
オサ様のサヨナラショーだから、感動したし、泣いた。
でも。
春野寿美礼のすごさと、中村Bの無能さは、まったく別物なんだ。
ドリーさんが言う「つまんないショー」というのは、中村B演出のことであって、寿美礼サマのことではない。もちろん彼女もオサ様の「あの演出であそこまで盛り上げる力」に、強く言及していた。
オサ様を好きだから、そのために集まっているわけだから、「言っていいこと」なのか、自分以外の誰も思っていないのかととまどい、口に出来なかったんだよ。おかげで、せっかくのサヨナラショー直後のお食事なのに、みんな別の話題に逃げていた(笑)。
オサ様を好きなら、悪口なんか書くな、感動に水を差すな、と思う人もたくさんいるだろう。それがあたりまえの感覚かもしれない。
所詮アンタはほんとうのファンじゃないからよ、ということなのかもしれないが、わたしはどうしても、中村Bの演出に物申したい。
オサ様を悪く言うんじゃない。オサ様も花組組子たちも、素晴らしかった。
彼らのことではなく、「演出」の問題点を書きたいの。
あれから5日経ち、次の星組公演の幕も上がった。
「サヨナラショー」という単語での検索も減った。
正直な思いを書きたいと思う。
前楽の日、中村B演出『春野寿美礼サヨナラショー』を観て、あまりの駄作っぷりに、貧血を起こした。
ちまたでは選曲のひどさについて物議が起こっているようだが、選曲以上にひどいのは「演出」だ。
縁あってここ2年ほど大劇場で行われたサヨナラショーのほとんどをナマで観てきているが、ここまでひどい演出は見たことがない。
中村Bの無能さは『ラブ・シンフォニー』を見てもわかることだが、ひとつには大劇場の空間を使いこなせないことが大きい。
宝塚大劇場は、大きな劇場だ。舞台もそりゃー、だだっ広い。広いだけでなく、奥行きもあり、高さもある。
他の劇場とは違い、この巨大な立方体を華やかに埋める演出をしなければならない。
が。
中村Bは致命的に「空間」としての認識力がない。
彼は「平面」の認識は出来ても、高さと奥行きを認識できないんだ。
『ラブ・シンフォニー』を1階と2階で見てみると、よくわかる。
最初に2階で見て、次に1階で見ると歴然。
2階から見ると、この作品はじつにチープな、びんぼくさい作りになっている。
セットがナシなんだ? ライトだけ? 予算なかったのかなあ。大人数が平らな舞台の上で何十人踊っているだけで、なんの仕掛けもなしか。てゆーか吊りモノが邪魔で顔見えないや。帽子ばっかで顔見えないや。
で、1階から見るとセットが存在していることに、驚く。
えええ、場面ごとにセットあったんだ。知らなかった。
場面ごとのセット……わたしは舞台用語はわかんないんだけど、大道具や背景、セリなど、場面を盛り上げるための舞台上の用意、仕掛け。
それが、『ラブ・シンフォニー』はホリゾント前にしかない。
舞台のいちばん奥、スクリーンになったところ。そこになにかしら「絵」が飾られることが、彼のセットのすべて。
ホリゾント前って、2階席からだと半分しか見えないんだよね……。
セットが半分しか見えない、その前で何十人が踊っちゃうとそれすら見えなくなっていたから、「この公演、セット作るお金なかったんだ」という印象だった。
あんまりきれいじゃないなあ……と、初日はしょんぼりしていたんだが、翌日1階で見ると「えっ、キレイじゃん!」ということになった。
派手な電飾や金銀色彩の「舞台を盛り上げるための道具」が、2階からは見えなかったんだもの。
公演を愉しむために、1階席でしか観劇できなかった。無理をしてでも1階にこだわった。今回ばかりは。あんなさみしい画面にお金と時間を出すのは嫌だ。
これは、演出家が「平面」でしか舞台を捉えていないためだ。
舞台上は「立方体」なのに、「地面」でしか認識していない。大劇場には多彩な演出が可能なセリが何種類もあるのに、まったく使用しない。いつも平面、なにもない広い舞台を何十人が走り回る。
「高さ」を使った演出、「奥行き」を使った演出が皆無。唯一マシだったのが、ダーツボードの出てくる「ラブ・ゲーム」の場面ね。それ以外は盆が丸出し、なにもセットなし。
「空間」が認識できない中村Bには、大劇場の舞台の「平面」は広すぎるのだと思う。だから、消去法でたくさんキャストを一度に出す。
「立方体」として演出するなら少人数でもめりはりをつけることが可能だが、「平面」しかないとしたら、そこを物理的に「埋める」ためには、人海戦術しかないだろ。
彼は群舞が好きなわけでもこだわりがあるわけでもなく、他に方法を知らないから、とりあえず群舞を利用しているのではないか。群舞尽くしの彼の作品は、あまりに芸がないため、こだわった結果とは思えないんだ。
狭い舞台なら、平面として作るのもアリだと思うけど。
だが、ここは大劇場だ。
サッカー選手がフィールドの広さをカラダに叩き込みプレイするように、大劇場の広さを理解できない演出家は、第一戦に出てくるもんじゃない。
バウホールですら、高さの感覚は必要だっつーに。
中村Bは、セット替えがない、カーテン前と同じ感覚の細長いステージの、ディナーショー専用でオーソドックスなものを作っていればいい。
それだけのステージなら、ファンをたのしませることができるんじゃないか? ディナーショーを軽んじているわけではなく、適材適所、才能に合った場として。
新聞の4コママンガを描いている漫画家に、「制作費50億、スタッフ1000人を指揮し、声優100人使って大作アニメ映画を作ってください」と依頼しても、本領は発揮できないだろう、ってことで。
サヨナラショーで号泣し、しきりに感動していた。
だからわたしたちは、口をつぐんでいた。
「言ってはならないこと」が、この世にはいくらでもある。
真実を口にすることが出来たのは、キティちゃんと別れ、みんなでごはんを食べ、くつろいだあとだった。
遅れて最後にテーブルについたドリーさんが、とてもサバサバと口火を切った。
「いやあ、つまんないサヨナラショーだったね!」
あ。
言ったな、こいつ(笑)。
ツッコミ担当ドリーさんならではの鋭さと容赦なさ。
だが、彼女の一言で、その場にいたわたしたちはようやく本音を言えるようになったんだ。
世の中には、「言ってはならないこと」がある。
それは真実とか正義とか正解とかではなく、「場をわきまえる」ことだと思う。
たとえ真実でも正義でも正解でも、「言ってはいけない場」がある。
オサ様のサヨナラショーを観て、感動して泣いている人の前で言っていいことではない。
ピュアファンの前で言っていいことではない。
わたしはオサ様大好きだけど、真のファンには程遠い。「オサ様が出演していれば、すべて名作、傑作」だとは思えない(ちなみに、キティちゃんは「贔屓が主演していればすべて名作」な真のピュアファンだ)。
駄作は駄作だと思う。
オサ様がその才能で「駄作」を「別物」にしてしまうことを痛快だと思い、そこに拍手を送ってはいるけれど、それゆえに「好きな作品」になったりする場合もあるけれど、作品自体を名作だとは思えない。
前楽直後、そしてまだこれから楽を控えた時点でブログに書けることではなかった。
楽の直後すら、まだ無理。
わたしはオサ様と花組が好きだ。
公演もサヨナラショーも、盛り上がって欲しいと心から思っているし、オサ様の最後の花道に水を差すようなことをしたいわけじゃない。
泣いているキティちゃんの前で、仲間たちみんなが口をつぐんでいたように。
いくら「正直な感想」でも、言ってはいけない。彼女の感動を傷つけてはいけない。
オサ様の歌声に、感動したのは事実だから。
どんな駄作でも力尽くで感動させてしまう、あのとてつもない才能に心酔し、ひれ伏しているのはたしかなのだから。
オサ様が好き。
オサ様のサヨナラショーだから、感動したし、泣いた。
でも。
春野寿美礼のすごさと、中村Bの無能さは、まったく別物なんだ。
ドリーさんが言う「つまんないショー」というのは、中村B演出のことであって、寿美礼サマのことではない。もちろん彼女もオサ様の「あの演出であそこまで盛り上げる力」に、強く言及していた。
オサ様を好きだから、そのために集まっているわけだから、「言っていいこと」なのか、自分以外の誰も思っていないのかととまどい、口に出来なかったんだよ。おかげで、せっかくのサヨナラショー直後のお食事なのに、みんな別の話題に逃げていた(笑)。
オサ様を好きなら、悪口なんか書くな、感動に水を差すな、と思う人もたくさんいるだろう。それがあたりまえの感覚かもしれない。
所詮アンタはほんとうのファンじゃないからよ、ということなのかもしれないが、わたしはどうしても、中村Bの演出に物申したい。
オサ様を悪く言うんじゃない。オサ様も花組組子たちも、素晴らしかった。
彼らのことではなく、「演出」の問題点を書きたいの。
あれから5日経ち、次の星組公演の幕も上がった。
「サヨナラショー」という単語での検索も減った。
正直な思いを書きたいと思う。
前楽の日、中村B演出『春野寿美礼サヨナラショー』を観て、あまりの駄作っぷりに、貧血を起こした。
ちまたでは選曲のひどさについて物議が起こっているようだが、選曲以上にひどいのは「演出」だ。
縁あってここ2年ほど大劇場で行われたサヨナラショーのほとんどをナマで観てきているが、ここまでひどい演出は見たことがない。
中村Bの無能さは『ラブ・シンフォニー』を見てもわかることだが、ひとつには大劇場の空間を使いこなせないことが大きい。
宝塚大劇場は、大きな劇場だ。舞台もそりゃー、だだっ広い。広いだけでなく、奥行きもあり、高さもある。
他の劇場とは違い、この巨大な立方体を華やかに埋める演出をしなければならない。
が。
中村Bは致命的に「空間」としての認識力がない。
彼は「平面」の認識は出来ても、高さと奥行きを認識できないんだ。
『ラブ・シンフォニー』を1階と2階で見てみると、よくわかる。
最初に2階で見て、次に1階で見ると歴然。
2階から見ると、この作品はじつにチープな、びんぼくさい作りになっている。
セットがナシなんだ? ライトだけ? 予算なかったのかなあ。大人数が平らな舞台の上で何十人踊っているだけで、なんの仕掛けもなしか。てゆーか吊りモノが邪魔で顔見えないや。帽子ばっかで顔見えないや。
で、1階から見るとセットが存在していることに、驚く。
えええ、場面ごとにセットあったんだ。知らなかった。
場面ごとのセット……わたしは舞台用語はわかんないんだけど、大道具や背景、セリなど、場面を盛り上げるための舞台上の用意、仕掛け。
それが、『ラブ・シンフォニー』はホリゾント前にしかない。
舞台のいちばん奥、スクリーンになったところ。そこになにかしら「絵」が飾られることが、彼のセットのすべて。
ホリゾント前って、2階席からだと半分しか見えないんだよね……。
セットが半分しか見えない、その前で何十人が踊っちゃうとそれすら見えなくなっていたから、「この公演、セット作るお金なかったんだ」という印象だった。
あんまりきれいじゃないなあ……と、初日はしょんぼりしていたんだが、翌日1階で見ると「えっ、キレイじゃん!」ということになった。
派手な電飾や金銀色彩の「舞台を盛り上げるための道具」が、2階からは見えなかったんだもの。
公演を愉しむために、1階席でしか観劇できなかった。無理をしてでも1階にこだわった。今回ばかりは。あんなさみしい画面にお金と時間を出すのは嫌だ。
これは、演出家が「平面」でしか舞台を捉えていないためだ。
舞台上は「立方体」なのに、「地面」でしか認識していない。大劇場には多彩な演出が可能なセリが何種類もあるのに、まったく使用しない。いつも平面、なにもない広い舞台を何十人が走り回る。
「高さ」を使った演出、「奥行き」を使った演出が皆無。唯一マシだったのが、ダーツボードの出てくる「ラブ・ゲーム」の場面ね。それ以外は盆が丸出し、なにもセットなし。
「空間」が認識できない中村Bには、大劇場の舞台の「平面」は広すぎるのだと思う。だから、消去法でたくさんキャストを一度に出す。
「立方体」として演出するなら少人数でもめりはりをつけることが可能だが、「平面」しかないとしたら、そこを物理的に「埋める」ためには、人海戦術しかないだろ。
彼は群舞が好きなわけでもこだわりがあるわけでもなく、他に方法を知らないから、とりあえず群舞を利用しているのではないか。群舞尽くしの彼の作品は、あまりに芸がないため、こだわった結果とは思えないんだ。
狭い舞台なら、平面として作るのもアリだと思うけど。
だが、ここは大劇場だ。
サッカー選手がフィールドの広さをカラダに叩き込みプレイするように、大劇場の広さを理解できない演出家は、第一戦に出てくるもんじゃない。
バウホールですら、高さの感覚は必要だっつーに。
中村Bは、セット替えがない、カーテン前と同じ感覚の細長いステージの、ディナーショー専用でオーソドックスなものを作っていればいい。
それだけのステージなら、ファンをたのしませることができるんじゃないか? ディナーショーを軽んじているわけではなく、適材適所、才能に合った場として。
新聞の4コママンガを描いている漫画家に、「制作費50億、スタッフ1000人を指揮し、声優100人使って大作アニメ映画を作ってください」と依頼しても、本領は発揮できないだろう、ってことで。