ふと思いついて、ブログの背景を「モリゾー&キッコロ」カラーにしてみる。ピンクを補色に使っているのは、女の子だから(笑)。
 モリコロはいいよなあ。かわいいよなあ。

 ……つーことで、「かっぱ+花組色」ぢゃありませんよ>nanakoさん!(笑)

 わたしは未だにケロと星組のファンですから。
 枕元にはダーリンのDSポスターが貼ってありますから。

 気が多いのは昔から!
 大好きな人がいっぱい。大好きなモノがいっぱい!
 緑野は今日もしあわせです。

 
 さて、今のわたしの大好きは、なんといっても寿美礼ちゃん。

 かわいくてかわいくてたまらない長田くんと、闇の帝王トート閣下という両極端の顔をふつーに持ち合わせてしまうすばらしい方。

 
 今日はちょっくら、オサコン『I got music』第2部のトート閣下の話。

 トート閣下の最大の見せ場のひとつ、「闇が広がる」がプログラムにあることは、前もって知っていた。嫌でも耳に入るわな、この情報社会。
 相手役のルドルフがみわっちだということも、わかっていた。……正直なとこ、まっつにやってほしかったので、「そりゃそーだよなー、ふつーみわっちだよなあ」と納得しつつも、残念。だってみわっちだと、歌が……ゲフンゲフン。

 だから焦点は、「どんな衣装と演出か」だ。

 トート閣下の扮装はナイだろう。着替えとメイクをしているヒマはないはずだ。
 黒燕尾の男ふたり、てのが可能性高いかな。
 樹里ちゃんサヨナラショーの『ファントム』がそうであったように。

 つまり、「男役・春野寿美礼」のままのトート。

 白×ブルーのトート様メイクぢゃなく、さっきまでふつーに歌い踊っていたいつものオサのままで、トートの歌を歌う。

 それは、見物だ。

 
 わかっていたし、想定のウチだったにもかかわらず。

 春野寿美礼は、やってくれた。

 トートっぽい衣装だったけど、顔はもちろんそのまま。長田くんと同じ顔のままですよ。
 なのに、トートなの。

 客席から歌いながら登場するんだが、その「声」だけでぞくぞくする。ああ、トートだ。大好きだった、わたしのトート様がいる!!

 メイクの助けを借りない、ほんとーに実力勝負のトート閣下。
 「人間」の顔のままで、それでもたしかにトートなの。

 ……素敵……。(両手組んで目に星)

 
 トート閣下、ご機嫌でねー。終始ニタニタ笑ってるんだけど……その笑いがいいのなー。黒くて。
 ご機嫌にルドルフを弄んでいるんだけど、その節々にね、ああこの人、ほんとはすごい繊細なんだろなー、と思わせるあやうさがあってね……たまりません。

 初日に見たとき、ついうっかりツボってしまったのが、トート閣下の手の動き。
 クネクネ蛇的に動いて、ルドルフの手を取ったりしているんだが。

 初日、失敗してました。

 後ろからルドルフの手を握るとこ。
 クネクネ回して、手を握ろうとしたんだけど、空振り。あわててまたクネクネさせて、再チャレンジ。
 思ったところに取っ手がなくて、あわあわしている手の動きそっくり。

 結局、そこでは手を握らないまま次に進んでました。

 そーゆー振付なのか? 手を取れなくてあわあわして見えるけど、もともと取らないものなのかしら。

 と、好意的に解釈したりもしたんだが。

 それ以外の回ではちゃんと、そこでルドの手を取っていたので、やはり初日は失敗した模様。

 みわっちも、心持ち協力してあげてるよーに見えるしな(笑)。オサ様、手が長いわけじゃないから、あーゆー無理な角度で手を伸ばしても、届かないんだよ……(笑)。

 最初に失敗バージョンを見てしまったので、以来トート閣下が手をクネクネさせているとつい、釘付けになってしまう……失敗しないかと手に汗握ってしまう(笑)。

 ルドルフを弄ぶ「闇が広がる」のときに感じるのは、「狂気」。傲慢さと繊細さ。笑顔の奥の刃。それがとてつもなく魅力的。
 残念ながら、萌えはありません。わたし、かわいこちゃんな三輪さんに萌えなくて……みわっちこそ、黒い役の方が魅力的な人だよねえ? 劇団はいつまで彼に、毒にも薬にもならない美少年をやらせつづけるのかしら。もったいない。

 あ、でも、千秋楽のひざまずいてオサ様の靴ひもを結ぶみわっちは、大変眼福でございました。
 いいねいいね、三輪さん! そーゆーことをさらりとやってしまえるあたり、大物ですよ、あーた!!

 ひとりになって歌う「私が踊る時」で感じるのは、「カリスマ性」。彼を中心に、オーラが放たれているのが見える。
 世界の中心に、独りで立つ力。その孤独と恍惚。

 イケメン軍団を従えて踊るスーツ姿の「最後のダンス」では、「苦悩」。えーと、トート様がここまで弄ばれて、苦悩しちゃっていいんですか? なんか、18禁な表情してませんか?
 や、べつに、**されてるまで言いませんがね……かなりエロエロですわな、オサ様。

 
 トート以外でも、いろんな顔を見せてくれて、オサ様を拝んでしまいたくなるくらい、すばらしいコンサートです。
 ありがとうありがとう。
 こんなに素敵な時間をありがとう。

 ああ、それにしても。

 まっつのルドルフも見たかったよ……。オサ×まつで「闇が広がる」。歌声を想像するだけでも、鳥肌モノなんですが。


 自分でも、バカだなー、とは思うけど。

 もうリュドヴィークはこの世のどこにもいないんだなと思うと、泣けて仕方なかった。

 オサコン『I got music』の客席にて、歌うオサ様を見ながら。

 舞台は一期一会のモノで、消えてしまうことがわかっている芸術。
 『マラケシュ』の千秋楽の幕が下りたことで、わかっていたはずなのに、改めて、喪失感に泣いた。

 春野寿美礼はそこにいるのに、もうリュドヴィークじゃない。彼はどこにもいない。もう会えない。
 それが、こんなに痛いことだとは。

 
 ところで、春野寿美礼は、いったいどーしちゃったんだろう?

 博多からこっち、変じゃないですか、あの人。

 わたしはミーハーなので、いろんな組のいろんなイベント公演の客席に紛れ込んでいたりする。贔屓組ONLYのファンじゃなく、宝塚歌劇そのものを愛している。
 だもんで、組のカラーやムード、トップスターのタイプなど、ほぼ全組網羅で普段から身をもって感じているものがある(あくまでも、わたし個人の印象に過ぎないから、客観的なことではないけどさ)。

 わたしが花組と春野寿美礼に持っていた印象と、現在の寿美礼ちゃんはえらくちがっておるんですが。

 たとえば年末の『天の鼓』千秋楽なんか、「えっ、こんなに温度低いのにスタンディングするの??」とびっくりしたよ。
 わたしの個人的感覚で行けば、スタオベしていいような「熱」が舞台にも客席にもなかったの。
 それでもなんか淡々とファンは立ち上がり、オサちゃんもふつーにソレに応えている。
 本公演より内輪で盛り上がりやすい小さなハコで、この温度と密度。あー、この組とトップはこんな感じなんだなー。コレはコレでアリでしょう。暑苦しけりゃいいってもんでもない。

 ……だったんだけど。

 博多座楽の寿美礼ちゃんは、だった。
 なんかどっか壊れた?って感じに、テンションがメーターぶっちぎっていた。
 クールなナルシストだったはずなのに。
 テンパッちゃって、客席に向かって「好きダー!」とか叫んでました。

 その博多の、コワレたままのノリでした。
 春野寿美礼イン・コンサート『I got music』。

 寿美礼サマ、変。

 世界の中心で愛を叫ぶのはナルシストらしくてアリですが、世界に向かって愛を叫ぶのはNGですよ。そんなことしちゃうのはナルな寿美礼サマらしくありません。

 客席も、変。

 あんなに低温に見守る人たちだったのに。
 一緒になってテンション上げて、きゃーきゃー叫んでるのって、どうよ。
「アイシテルヨー!」
「アイシテルー!」
 なんて、舞台と客席で叫び合うのはどうなんですか。

 そんなの、春野寿美礼とそのファンのしていいことぢゃないでしょー。

 叫んできました、わたしも。寿美礼サマに向かって「アイシテルー!」と。

 や、だって。
 かわいいんだもん、オサ様。愛しいんだもん、寿美礼サマ。

 
 以前わたしは、ジェンヌのタイプをジャンル分けしたことがある。(http://diarynote.jp/d/22804/20050401.html参照)

 寿美礼ちゃんは、持ち味「太陽」−魂「苦悩」−温度「クール」だった。
 名付けるなら、ナルシス系カリスマ・トップスター。彼自身は自分の内側しか見つめないけれど、それでもその魅力ゆえに周囲の目が釘付けになるタイプ。

 彼の舞台はいつも、「愛」が見えなかった。
 脚本上には「愛」が描かれているのに、彼が演じるとソレが見えない。
 自分しか愛せない人なんだなあ。良くも悪くも。

 そーゆーキャラはアリだと思う。
 魅力だと思う。
 現実に、そーゆー男にハマる女は後を絶たない。「やめなさいよ、あんな男。不幸になるだけよ」と言われるよーな男に、女は惚れちゃうわけだよ。
 
 そんな寿美礼ちゃんの個性を、残酷に突いてきたのがオギーだ。
 誰も愛せない男、リュドヴィーク。
 オギー作品では、役者の魂の色がそのまま出るよね。たとえば、「赤」という色を持った人がいる。本人が「自分は水色だ」と思っていて「水色」として演じていても、オギー作品だと「赤」にしか見えない。台詞や役が「水色」でも、ちゃんと「赤」が出る。
 オサがどんな意図で演じていたか知らないし興味もないが、リュドヴィークは「孤独」な男だった。愛したい、愛している、とあがきながらも、誰も愛することができない。誰の愛も受けることができない。それゆえに孤独な男。
 残酷なあて書き。役作り云々よりも、魂の色そのものが意味を持つという。

 リュドヴィークが魅力的だったのは、春野寿美礼が魅力的だからだ。

 オサの持つあやうさやかなしさが、いろんな角度で光を浴びて、輝いていた。

 その、リュドの魂を持つ男が。
 半年間リュドを演じていた人が。

 壊れた。

 あれほど、誰も愛せなかった、自分しか見なかった人が、周囲を見回すようになった。
 自分で瞼を閉じていたから暗闇だと思っていたのに、目を開けてみたら光があふれていた。……そんな感じ。
 はじめて、世界に光があふれていることを知った。愛があふれていること、自分に手が差しのべられていることを知った。……そんな感じ。

 博多座楽、何度も何度も、感謝の言葉を繰り返すオサちゃん。博多座スタッフや仲間たち、お客さんに。
 はじめて知りました、気づきました、てな少年のように。
 素直に。……てゆーか、かなり、幼く。つたなく。

 この人、どーしちゃったんだろう?
 世界には、自分ひとりぢゃないって、気づいちゃったの?

 オサ様、やべーよ。
 壊れている博多座楽を見て思った。

 そして、今回のコンサート。

 自分自身しか見ていなかったカリスマスターが、今、自分を取り巻く世界に視線を向けている。

 自分だけのものだった力を、外側に解放しはじめている。

 これは……これは、すごくないか?
 わたしはオサちゃんのクールなところが好きだった。自己完結しているところや、他人を見ないところが好きだった。
 でも、そんな人が「他人」に対して働きかけることを知ったら。

 閉まっていた扉が、開く。

 誰も愛せなかった人が、他人を愛し、世界を愛する。

 今まで小さくまとまっていた分、激しく、急激に、発散される。
 春野寿美礼から、オーラが見える。
 外に向かって。世界に向かって。

 持ち味「太陽」−魂「苦悩」−温度「クール」だったのが、最後の温度が「高温」になった。

 他人を巻き込まずにはいられない「高温」。働きかけずにはいられない「高温」。

 発散される力に、客席が反応する。
 あんなに低温だったファンたちが、立ち上がる。声を出す。温度を上げ、叫び出す。

 やべーよコレ。
 3年もトップやって、今さら芸風変えるか?
 変わってしまったことで脱落するファンもいるだろうよ。でも。

 愛しても愛し返してくれなかった孤独な男が、今、愛に壊れている。
 その姿は、破壊力MAXに素敵だ。

 
 リュドヴィークは、どこにもいない。
 ほんとうにもう、どこにもいないんだ。
 今のオサなら、オギーはどんな役を彼に与えるだろう?


 えー、素朴な疑問。

 まっつ氏は、自分の芸風をどう理解しているのだろう?

 かわいこぶった兄鳥が死ぬほど恥ずかしいとか、超キザッた投げキスが憤死もののスベり方だとか、満面の笑顔が泣き顔にしか見えないだとか。

 えーと、それらはみんな、確信犯なんでしょうかね?

 イロモノキャラとしての自覚はあると思う。
 彼は、いろんな場面で実にいい仕事をする。

 オサコン『I got music』大仰すぎる開演アナウンスだとか、胡散臭すぎるドクターだとか、椅子を持って登場する神経質な楽団員だとか。

 「わかって」やっているところは、すばらしいイロモノキャラだ。期待を裏切らない仕事と存在感だ。

 問題は、それ以外。
 ウケを取ろうと考えていなさそうな、シリアスなシーンだとか、かっこいいシーンだとかで。

 盛大にスベッているのは、わざとなんだろうか?

 今回のオサコンのラテン場面、衣装が似合ってないとか、せめてその帽子は勘弁とか、そもそもなんで、ここでまっつのリードからはじまるのよとか、要因はいろいろあるにしろ、思わず脳裏に「自爆」という単語が浮かぶほどに噛み合っていないのは、本人的にどうなんだろう。

 そしてなにより、キャスト紹介のとき、めいっぱいカッコつけてセンターから客席に投げキスとばすのは、どういう意図でだろう。
 マジなのかな。
 カッコいいと思って、「ふっ、これでファンを悩殺だゼ」と思ってやってるのかしら。
 それとも、「こーすりゃ笑ってもらえるよな」と、ネタとしてやってるのかしら。
 それとも、「これくらいやらなきゃダメだよな。でも恥ずかしいな」と、半端な気持ちでやって、それでさらに見ている方が気恥ずかしい出来になっているのかしら。(できないなら、べつにやらなくてもいいのに……)
 判断つかなくて、とまどってしまう。

「え? マジなんじゃないの? だってまっつ、鏡に向かって投げキスの練習とかしてそうじゃない?」

 nanakoさんには、さらりと言われてしまった。

 投げキスの練習?
 ひとりで、鏡に向かって?
 本気で?

 
 …………。

 
 見たい。

 
 激しく見たいぞ、そんなまっつ!!

 
 最高にイケてる投げキスを習得するために!
 地道に努力するまっつ!
 角度やタイミング、ウインクとのコンボ技、練習あるのみ!
 雨の日も風の日も、ひたすら練習、明日の君を作るのは今日の地道な努力なのだ!
 キス、キス、キッス!!
 そーやって、汗と涙で習得した投げチッス!
 最高にキザッて客席へ披露だ!!

 
 も、萌え……大真面目に投げちっすの練習をするまっつに萌え……地団駄踏んで転げ回りたいくらい、萌え……。ハァハァ。

 その結果が、あの気恥ずかしい投げキスかと思うと……その空回りぶりに、さらに萌え……。

 
「鏡相手ぢゃダメだよ……空回ってるのがわかんないじゃん。誰かに見てもらわないと」
「んじゃ、そのかちゃん相手に、投げキスの練習をするまっつ」

 投げキスの練習?
 そのかと向かい合って?
 本気で?

 
 …………。

 
 見たい。

 
 激しく見たいぞ、そんなまっつ!!

 
 最高にイケてる投げキスを習得するために!
 地道に努力するまっつ!
 角度やタイミング、ウインクとのコンボ技、練習あるのみ!
 雨の日も風の日も、以下略!!

 萌え。萌えだ、萌え!!

 
「ダメだよ……そのかだったら、空回りしてるのに気づかず、『すげーセクシー!』とか言いそうだよ……」
「誰かいないのかなー、キザり方の練習、見てくれる相手」

 
 いや、その。
 まっつさんにキザりまくって欲しいわけでもないんですが。
 ただ、今の彼の芸風だと、キザればキザるほどものすげーことになっていて、大変愉快で心の底から愛しいので、とどのつまりこのままでいてくれて、ぜんぜんいいんですが。

 ふつーに二枚目然として踊っていたり歌ってたりする分には、たんに地味なだけでぜんぜん問題なく二枚目だと思ってるんですがね。

 ただ、素朴な疑問なのよ。
 まっつは自分の芸風をどう思っているのか。本気でキザっているのか。
 ま、ぶっちゃけ、確信犯でも天然でも、どっちでも愛しいんですが。

 たんにわたしが、ピュアファンぢゃないってだけかなあ。
 こんなこと書いてたら、ピュアファンに怒られちゃうかなあ。

 
 ねえねえそれで、これは、イタイまっつファンの戯れ言なんだけど。

 オサコンの2番手って、実はまっつだよね?

 や、昨日今日と観て、そー思ってしあわせだったんだけどっ。他の人がどう思っているかは知らないが、「あたし」は!!

 2番手、というか、「助演者」ね。
 みわっちは「華」担当なので、「助演」じゃない。そして、「助演」よりも「オイシイ」役がそのか(いじられキャラだもんよ、そのかっち)だよねー(笑)。

 あああ、幸福ですよ、オサコン。
 寿美礼ちゃん語りはまた別欄で改めて!

 明日も梅芸行く!
 サバキがありますよーに!!


 『マラケシュ』語りの途中ですが。

 春野寿美礼イン・コンサート『I got music』初日、行ってきましたー!!

 またしてもチケットなくして、開演ぎりぎりまでばたばたしました(笑)。なくすのやめよう、自分! つーか部屋片付けようよ、自分!

 歌多めのプチミュージカルとコンサートの2本立てでした。

 たのしかったです。
 もー、きゃーきゃー♪です。

 文章にするのがめんどーなので(笑)、感想羅列。

・かわいい。オサ様がかわいすぎるッ!!
・舞台上にオーケストラ。そこへやってくるドジな楽団員の長田くん。
・ピアニスト彩音ちゃん。素敵にヒロイン。
・ティンパニーを叩くオサちゃん……ぢゃねえ、長田くんの得意げな顔がもう……もうッ。冒頭からクリティカル。かわいいのなんのって! アンタ、わたしを殺す気ですか〜きゃーーッ!!
・白衣とまっつ。
・医者をさせるととことんハマる男まっつ。
・たとえうさんくさい路線であっても、周り全部白衣でも、やっぱりまっつがいちばん医者コスプレが似合う(笑)。
・「Gim’me Love」のまっつの恥ずかしさは、憤死ものだ。
・いやその、突然ラテンな衣装で踊り出てこられましてね……みわそのはいいんだよ。問題はまつださんですよ……死ぬほど似合わないっすよ……。
・もっともまつださんは、ソコがいいんですけどね。
・オーケストラ・タップ最高。キャラ立ち過ぎだ。
・てか、そのか二枚目? かっこいいっす……。
・長田くん、若い。かわいい。ハンサム。なにやってもキュート。
・楽器イロイロ。すげー。
・オサもだけど、他のみんなもすげーよ。
・スネアドラムってゆーんですが、耳でも目でもたのしい音楽パフォーマンス。しかし、手に汗握った、見ている方も(笑)。
・ストーリーはシンプル。だからこそ、かわいくてたのしい。
・1幕のラスト、好き。どきどきする。
・がんぱれ、長田くん。


・願うこと。まっつとそのかは一緒にいてください。でないと両方見られないじゃん。うう……無理だってことはわかってるよーっ。
・まっつはオサの横にいることが多いので、捕獲しやすい。
・そのかが大変だ。端に行ったりして、すぐに視界から消える。
・他の人を見ている余裕がない。オサとまつその見てるだけで、精一杯!! わーん、くやしいよー、みんな見たいよーっ。

・プログラムのキャスト写真がすごいきれい。カメラマン、外部の人?
・てゆーか、そのかがかっこよすぎ。こんなに男前だっけ、素顔?
・まっつはふつーにきれーなおねーさん。
・このプログラム写真、別個に販売してくれ。頼む。買うよ。買っちゃうよぅ。

・寿美礼サマの歌声堪能2部。
・よーやくコンサートらしい内容。

・未涼亜希氏の投げキッス、破壊力ありすぎ。

・客席で死にそうになった……恥ずかしすぎて。
・なんであんなに、「スター」らしいことをやるとサムいんだ、まっつ。
・でもソコが好き。……わーん、好き〜〜。
・はっ。なんか、まっつのことばっか書いてる? オサ様のこと書こう!!

・なんといっても、トート閣下降臨!!
・肌色のナチュラル閣下。
・長田くんと同じ顔なのに、鬼畜美形。
・わたしは、鬼畜ナルシスト閣下が好きだ。てゆーか、寿美礼サマが好きだ。
・たったひとりで歌う、「私が踊る時」のカリスマ性。
・そうか、ひとりか。ひとりでも、いいんだ。ひとりで、いいんだ。
・その空間の張りつめた美しさ。
・「最後のダンス」、すばらしい。振付かっこいーよー、なつかしい、見たかった春野寿美礼がそこにいるよ。

・指揮者とのトークは、長すぎ。アレ、毎回やるのか……?
・オペラは圧巻。「音」が気持ちいい人だ。
・花組関連のミュージカルといえば『H2$』。
・そのかにも、予科生時代ってあったんだ……。
・あの制服着てたんだね……。似合わなかったろうなあ。
・てゆーか、オサの『H2$』、そのかは観に行ったのに、まっつは行かなかったんだ……。
・ラストソング、YOSHIKIですか……それなら持ち歌の方にしてほしかった。(カーテンコール曲があるので、ほんとのラスト1ぢゃないけど)

・オサ様、芸風変えた?
・ナル系内側ぐるぐるから、発散系になったよーな。
・それに伴い、ファンもテンション変わってるよーな。
・くしゃくしゃ笑顔でエネルギー放出する姿がかわいい。愛しい。

 わーん、春野寿美礼サマ、大好き〜〜。

・ペンライトの目つぶし攻撃だけが、つらかった。
・残像ちかちか。
・アレ、なきゃダメなの……? 目に痛いよ……?

 
 チケット持ってないけど、とりあえず明日も行きます、梅芸。
 余らせている方、どうかさばいてやってくださいませ!!


 わたしには、「これって世間の常識だよねっ。世の中の人全員そう思ってるよねっ」と信じていることが、「いやソレ、ぜんぜんチガウから! 緑野さんだけだから!!」と言われることが多々ある。
 てゆーか、最近とみに多い。

 博多座『マラケシュ・紅の墓標』千秋楽の日。
 当日券の列にいちばんに並んでいた人が、「わたしは1公演しか買わないんで、残りの1公演はあなたの分を買いましょうか? 席はどこがいいですか?」と言ってくれた。
 えええっ。いちばんに並んでいた人は、とーぜん徹夜されているわけですよ。そんなにまでして得た権利で、見ず知らずのわたしの分を買ってくれるというの? わたし、夜が明けてから並んだ人ですよ? 順番で言ったら、10番目ぐらいの人なんですよ?
 たんに、並んでいる間そのかの話で盛り上がったというだけの縁で。

 ありがたやありがたや。

 いちばんの人が買うのは、もちろん千秋楽公演。でも、楽の日の昼公演は、買わない。その昼公演購入権利を、わたしに譲ってくれたの。
 いちばんの人の権利だから、わたしは、昼公演当日席をいちばんに買う権利得たわけ。
 博多座の当日販売席は、1階後方から、2階後方、3階、そして立ち見。「最悪、立ち見でもいい。劇場に入れさえすれば」と夜行に飛び乗ってきたわたしに、信じられない幸運。

 いちばん?
 わたしが選んでいいの? いちばんに?

 迷わず、「そのかに触れる席」を選んだ。


 当日券並びの2番目はnanakoさん。彼女の狙いは昼公演。千秋楽は良席GET済み。だもんで彼女もまた、2公演買えるうちの片方の権利、今度は千秋楽を買える権利をわたしに譲ってくれた。

 いちばんの人に昼公演を、2番のnanakoさんに楽を買える権利を譲ってもらった。
 つまりわたしは、昼公演をいちばんに、千秋楽を2番目に買うことができたの。

 なんて幸運なんでしょう。
 ひとさまの厚意で緑野は生きております。ありがとうありがとう。

 実際、2番目のnanakoさんの権利で千秋楽チケットを買おうとしたら、わたしがいちばん欲しかった席が残っていた。いちばんに並んだ人は、その隣を購入したらしい。
 だもんで、昼公演も楽も、わたしはまったく同じ席を手に入れることができたのよ。

 ちなわち。
 「そのかに触れる席」を。

 
 この話を、オサコン初日にいつもの面子に話した。

「昼も楽も、当日販売席でいちばんいい席を買うことができたってわけ」

 意気揚々と、報告するわたし。
 「ええー?」「すごーい」と感心の声を上げかけた友人たち……を、遮って、nanakoさん。

「いや、べつに、いちばんいい席じゃないから!!」

 えっ?!

「当日販売席で、いちばんいい席は上手側。下手は別に、大していい席じゃないから!」

 ええっ?!
 だってだって、下手は「そのかに触れる席」だよ? いちばんいい席に決まってるじゃん!!

「ソレ、緑野さんだけだから!」


 ええーーっ?!!

 「そのかに触れる席」って、いちばんいい席なんじゃないのっ?!
 それって世間の常識じゃないの? 世の中の人全員そう思ってるんじゃないの?!

「んなわけないって」

 知らなかった……わたしの常識は、世間とチガウの?
 がーーーーん。

 
 なんか、最近とみにこんなことがある。
 「いやソレ、ぜんぜんチガウから! 緑野さんだけだから!!」って、みんなして言うの。

 『Le Petit Jardin』で「アランは受だよね?(笑顔)」って言ったときも、『シバ魂』の「レークとオーキッドで同人誌作れるわっ」と言ったときも、誰ひとりわたしについてきてくれなかったわ!
 「そんなこと誰も思わないから! 緑野さんだけだから!!」って。
 ひどいー。

 
 でも、思うのよ。
 最近わたしがどうこうというより、周囲のみんなが、最近容赦なく突っ込むようになったってことなんじゃないかしら、コレ。

 ふつー、お義理でも「そうね」とか言わないかー?
 てきとーに賛同して、お茶を濁さないかー?

 みんな、正直者……。

 てか、周囲が総ツッコミ状態になるわたしが悪いのか……?
 で、でもでも、誰だって自分を基準に考えるよね? 「わたしが考えるよーなごくありきたりなことは、世間のすべての人も考えているだろう」って思うよねえ?
 そのへんはすごく、ふつーの心理展開だよねえ?
 う。どこでまちがえるんだろう。

 
 まあ、なにはともあれ。

 博多座楽でお世話になりましたいちばん並びの方。
 ありがとうございました。
 (んなとこで礼をゆっても、届くことはないだろーが。てか、目に留められたらそれはそれで恥ずかしいが)なにしろ書いてる内容がこんなブログ……。


 『マラケシュ・紅の墓標』博多座版のヒロインって、実はレオン?

 と、言ったら、nanakoさんはものすげー勢いで、こう答えた。

「だから前から言ってるでしょーっ! レオンがリュドにものすごいラヴだって!!」

 いやいやいや、前から言われても、わたしは別にことさらレオンだけ見てたわけじゃないから! んなこと力説されてもわかんないから!

 真ん中で主人公を中心に物語が進んでいるときに、モブのレオンを凝視したりしてませんよ。
 それでレオンがどうだと言われても、わかりませんってば。
 主役中心、物語の中心を見る、わたしはごくふつーの観客です。

「リュドはそのたび別人だから、行きすぎてるときはレオンとラヴラヴで、大変だったんだから!」

 いやわたし、そんなリュド見てないし!
 レオンのことは好きみたいだけど、別に行きすぎてなかったし!

 オサ様は、そのときどきで、演技がチガウ。
 毎回別物なの。なんて罪作りな。目が離せなくなるじゃないか。
 そして、nanakoさん曰く、レオンを愛しすぎて別物語になっているときもあったとか。
 わたしが見たときは、そんなことはなかった。

 ただ、リュドがレオンをかわいがっているのはわかった。レオンのことを「冗談じゃない、あんなチンピラ」と言うときの笑顔が、リュドがどれほどレオン少年を気に入っているのかを表しているよね。

 わたしはふつーの見方しかできない人なんで、nanakoさんほどかっとばしてはいないものの。
 楽の日にはさすがに考えたよ。
「ヒロインって、実はレオン?」と。

 ヒロインは、いないよりいる方がいい。絶対。
 だから、レオンでいいよ、ヒロイン(笑)。

 
 誰かを愛しているリュドが好き。
 ほっとする。

 初日を見たとき、リュドがあまりにも誰も愛していなくて、てゆーかそもそも同じ地球に立っていなくてびっくりした。

 それが、20日後に観たときは、ちゃんと彼がいろんな人を愛していて、ほっとした。
 テンションがブチきれているときは、愛が暴走してえらいことになっていた。
 テンパッてるリュドも好きだし、淡々とあるがままに愛や人生と向き合っているリュドも好き。……どのリュドももれなく哀しいのだけど。

「後悔しているんじゃないのか。私についてアフリカまで流れてきて。後ろ暗い稼業の片棒を担いで」
「あなたに出会ってなくても、こうなってましたよ」

 コルベットととの、アンタら夫婦ですかという、この会話も好き。
 コルベットがリュドを好きなのがすごーくわかる。そしてリュドも、コルベットのことちゃんと好きだよね。
 ギュンターを刺すときの手つきでわかるけど、リュドは人を殺すのはじめてじゃないよね。きっと今まで、何人も殺してるんだろう。
 コルベットのもとで。コルベットのために。そして、生きるために。
 精神的な話じゃなくて、ほんとうにもう、彼は汚れてしまっているんだろう。
 だからこそ、コルベットとの関係は安定している。彼らは同類。きれいな場所では生きられない荒んだ獣。
 コルベットを愛しているリュドが好き。大人の男の顔で、余裕とあきらめを浮かべて、年上のパートナーを敬愛している姿が好き。

 コルベットがボスで、リュドはその片腕。そしてレオンは、ただの手下のひとり。
 コルベットはレオンなど重用していないだろうし、買ってもいないだろう。リュドが名前を出さなければ、存在すら忘れていそう。

 でも、リュドがわざわざ名前を出す。かわいがっている年少の仲間として。

 リュドはレオンを好きだから、彼を年下扱いしたり、子ども扱いしたりしない。レオンがそーゆーことに敏感なお年頃(笑)なのを知っているから。
 あくまでも、同等の男として扱う。
 リュドがレオンを軽んじれば、きっと組織でのレオンの立場はもっと下がるだろー。だって、あまりにもチンピラじゃん、レオン。なのにえらそーじゃん。リュドと格が違いすぎるのに、本人表面的には気づいてないみたいだし(無意識にはかなり気にしていそうだが)。
 すべては、リュドがレオンを愛しているためだと思うよ。

 泥の中で生きることがふつうになってしまった大人の男が、きれいなものを信じてあがいている青い少年を、快く思う。強がって威嚇する若い牡をかわいいと思う。そーゆーことだよね。
 レオンを愛しているリュドが好き。わざといぢわるぶったり突き放してみたりしながらも、根っこのところに見える素直じゃない情愛がかえって度量を感じさせる。

 リュドが、レオンとパリへ行こうとするのも、ぜんぜんアリだと思うよ。
 たとえ、待っているのが破滅だとしても。

 レオンに対するよりさらにまっすぐな感情で、ソフィアのことをかわいがっているよね。
 きれいなもの。汚れていないもの。リュドはソフィアを大切にしている。妹のように。
 ソフィアを愛しているリュドが好き。幼いこと、を、素晴らしいことだと思う。それと同時に、自分とは相容れないものだと思う。その大人である姿が、かなしくて美しい。

 いちばんエロスを感じる関係が、アマン。
 このベドウィンの無口な少女とリュドの関係が、いちばんあやうい。
 アマンはたぶん、境にいる存在。こちらとあちら、この世界とそうでないもの。少女の姿をしているから、リュドはことさらやさしい瞳をする。
 アマンを愛しているリュドが好き。この世ではない場所に惹かれる彼の透明な美しさがはかなく光る。
 アマンは蛇と対になる存在だと思う。アマンが正なら蛇が負、アマンが聖なら蛇が邪、アマンが光なら蛇が影、というように。
 でも、同じモノなの。ほんとうは。

 変わらない魂、イヴェット。リュドが汚れてしまう前に出会った苛烈な美少女。彼女はそのままの姿で、現在のリュドの前に現れた。
 リュドは「失ってしまったもの」にやさしい。レオンやソフィアがそうであるように。
 変わらないイヴは、現在のリュドが愛せる女ではない。だけど、少女のまま時を止めた不器用さが、純粋さが、痛々しい。

「大人になれない 幼いわたしの恋を捨ててきて」
 そう言って金の薔薇を差し出し泣きじゃくるイヴを見て、やさしくわらうリュドが忘れられない。
 イヴを愛しているリュドが好き。傷だらけの彼女が哀しいのに、つらいのに、それでも微笑みが浮かぶ。あまりに彼女が愛しくて、愛がそのまま笑みになる。
 それは男と女の愛ではないけれど。たしかにリュドはイヴを愛している。彼女のために、命を投げ出すほど。

 リュドヴィークがこの世を、この世界で生きる人々を愛していればいるほど、彼が愛しくてならない。
 静かに、端正に、彼は世界を愛している。

 でも、彼はこの世界でしあわせになれない。

 彼の愛は、彼が求めているものではないし、彼へ集まる愛もまた、彼が求めているものではない。

 冷たい人ではないんだよ、リュドヴィーク。
 孤独な人なの。

 彼はいつだって、愛しているのにね。

 
 千秋楽。
 誰かへ、どこかへ、突出した愛はなかった。
 だけどそこには愛があった。

 それがかなしくて愛しくて。
 こわくて痛くて、動悸が激しくなって、収まらなかった。ずっとずっと。

 ヒロインは、リュドヴィークなんだと思うよ。
 ほんとうのところはね。


 『マラケシュ・紅の墓標』博多座版のヒロインって、実はレオン?

 千秋楽の日になって、思った。

 博多座版『マラケシュ』は、決まったヒロインがいなかった。オリガ、イヴェット、ソフィア、アマンがそれぞれ同じくらいの比重でリュドを囲んでいた。
 21日に観たとき、オサ様絶好調でトバしまくり、ものすげーアツいリュドと舞台だったので、こりゃ楽日はさらにものすげーことになるのかと期待半分恐怖半分で臨んだんだが、意外にも楽は「端正な」舞台だった。
 暴走せず、ニュートラルに、丁寧な舞台。疲労が過ぎているよーにも見えたし、リュドとしての生を噛みしめているよーにも見えた。
 テンションが異常暴走していないせいもあったかもしれない。丁寧で落ち着いたリュドだったせいかもしれない。
 リュドの魂のエコーであるオリガ、リュドの過去の傷イヴ、現在の生活ソフィア、異世界との接点アマンと同じように、レオンがヒロイン線上に浮かび上がって見えた。

 
 レオンが、過去のリュドヴィークに見えた。

 
 「リュドヴィークのテーマ」という曲がある。
 この曲が、リュドと合っていない気が、ずっとしていた。

 ♪何かが在ると この手に掴む筈と
  幼い夢を見てた 夢しか持てなかった♪

 リュドヴィークは孤独な魂。
 こーゆー「若気のいたり」系の青い詩(うた)はチガウ気がするんだ。
 彼に相応しい詩じゃない。
 たとえ青い過去を振り返っているにしろ、この歌の「青さ」とは微妙に違和感がある。

 博多座のレオンを見て、「この曲は、実はレオンの曲なんじゃないか」と、感じていた。
 「少年」であるレオンが、闇雲に「何かがある。何かを掴める」と「幼い夢」を見、「怯えた心」を必死に隠し、棘だらけに張りつめて自分を守っているくせに、実は「優しさ」を探している。

 「リュドヴィークのテーマ」の歌詞の、レオンが前半部分を現在進行形で受け持ち、リュドはその前半を「思い出」として苦く眺めている後半部分を受け持っている。
 ……ように、思えたんだ。

 独立した「大人の男」(それゆえの哀しさ)に見えたムラ・東宝版のレオンとちがい、博多座レオンは「少年」だった。リュドとは明らかに立ち位置がちがった。
 少年であるレオンの「青さ」と「愚かさ」は、「リュドヴィークのテーマ」に描かれている若者の姿と重なった。

 オリガ、イヴ、ソフィア、アマンがそれぞれ同じ比重でリュドを取り巻く中に、過去のリュドヴィーク自身レオンが加わったと思った。

 そして、鳥肌が立った。

 主要な登場人物すべてが、リュドヴィークが向かう先は彼岸だと、静かに指さしていることに。

 なにもない空っぽの舞台に。
 アマンが立つ。
 彼女は、舞台の奥、彼方を指さす。
 ソフィアが立つ。
 彼方を指さす。
 イヴェットが立つ。
 彼方を指さす。
 オリガが立つ。
 彼方を指さす。
 そして、レオンが立つ。
 彼もまた、彼方を指さす。

 音はない。表情もない。
 ただ、誰もが彼方を指さす。なにもない、この世の果てを。

 そこを、リュドヴィークが歩く。
 わたしたちに背を向けて。あちら側、彼の岸へと。

 たったひとりで。

 ……そーゆーイメージ。光景が、浮かんで。

 こわかった。
 ただただ、こわかったよ。

 リュドが歌う「リュドヴィークのテーマ」が今のレオンにそのまま当てはまってしまうなら。
 レオンのキャラとしての役割は「リュドの過去の姿」だろう。

 そして、現在のリュドと現在のレオンがシンクロする瞬間が、とてつもなくこわかった。

 リュドは自分の魂のエコーであるオリガと、ひとつになろうとした。
 現実で生きることをやめ、自分の内側だけを選ぼうとした。
 その瞬間、リュドは「もうひとりの自分=クリフォード」の声を聞く。
 「オリガ」と呼ぶ声を聞くのが、リュドだけなんだよ。オリガにはこの声が聞こえていない。
 ムラ・東宝版では、ちょうどそのとき探検隊……ぢゃねえ、測量隊のひとり@りせが生還した、すなわち他隊員の死を証明するエピソードが挿入されるので、ここでクリフォードの声が聞こえるのもわかるんだ。
 死ぬ間際に、近しい者に声が聞こえるというのは、物語ではよくあること。
 でも博多座版ではそれがない。クリフォードの死を証明するエピソードは冒頭で使われてしまっている。
 なのに、クリフォードの声がする。しかも、聞こえるのは妻オリガにではなく、会ったこともないリュドに。
 リュドとクリフォードが「鏡の内と外」なんだな、とわたしは素直に考えたさ。だからリュドにだけクリフォードの声が聞こえるんだと。
 クリフォードの声を聞いたリュドはオリガを抱くのをやめて、かわりに言う。

「パリへ行こう」と。

 リュドがクリフォードの声を聞いたとき、博多座版では警察長官ジェラールが現れる。彼が指揮するのは、街にはびこる小悪党の一掃。
 長官の言葉が誰を指すかを示すように、レオンがせり上がってくる。
 恋人ファティマを抱いて。凄絶な絶望をその瞳に宿し。

 レオンは言う。

「パリへ行くんだ」

 リュドヴィークと、レオン。
 同じ空間にいるわけではないふたりが、会話をする。

 リュドにとってオリガは「顔のない女」。女の姿をしているが、リュドはオリガを見ていない。彼が視ているのは、彼女の奥にある自分自身の影。
 だからリュドが話している相手は、オリガじゃない。
 リュドが言う。

「パリへ行こう」

 レオンが答える。

「パリへ行くんだ」

 自分自身のエコーでしかない影に話しているふりをしながら。過去へ行こう、とほんとうの意味で問いかけている相手は、過去の自分自身であるレオンなんじゃないの?

 失ってしまった自分に、汚れてしまった自分が言う。過去へ行こう、と。やりなおそう、と。

 な、なんか、絶望的なんですけど。
 それまで別の物語だったはずのリュドとレオンが、時空を超えて「会話」している。シンクロしている。
 その瞬間の、こわさ。

 そしてリュドヴィークは、「リュドヴィークのテーマ」を歌う。前向きな歌詞を、とても哀しい乾いた瞳で淡々と歌う。
 歌詞が表しているものは、やはりレオンに思える。リュドヴィークでありながら、レオンを歌う。
 リュドが「君と二人で」と歌う「君」は、レオンのことじゃないの?
 だってリュドは、オリガと会話してない。彼が「パリへ行こう」と言った相手は、レオンだ。歌詞だって、そもそもはレオンの青さや愚かさを歌っている。

 リュドヴィークが、一緒にパリに行きたかった相手、すなわちヒロインは、レオンだろう?

 だからこそ、そのあとでパリを求めるレオンに対し、「パリへなんか行けるわけがないじゃないか」という台詞につながるんだ。

 リュドの魂のエコーであるオリガ、リュドの過去の傷イヴ、現在の生活ソフィア、異世界との接点アマン、そして過去のリュド自身レオン。
 リュドはレオンを選び、そしてその手を離す。レオンは死に、リュドは過去を殺す。
 過去、この世につながるものを断ち切り、薔薇を葬り、リュドは旅立っていく。

 壮絶な孤独。
 清涼な解放。

 最後のリュドヴィークの背中に、慟哭する。


 いてもたってもいられなくなり、急遽博多を目指した。
 『マラケシュ・紅の墓標』千秋楽を前にして。

 こんなに切羽詰まってからじゃ、良席なんか期待できない。
 席なんかどこでもいい、劇場にさえ入れればいい。3階の立ち見だってかまわない!

 と、思っていたけど。

 いざ、博多座前に着いてしまえば、手が届く範囲での欲望が鮮明になった。

 すなわち。

 そのか席をねらえ。

 今まで観劇した際は、ありがたいことに前方席ばかりだったので、そのかの客席降りが捕獲できなかった。
 『エンター・ザ・レビュー』では3カ所客席降りがあり、最初がコメディアン@ゆみこ、次が旅の若者@みわ・まつ・みつる(たぶん。ひとりしか見てないから記憶が不確か・笑)、そして3つめが出演者ほとんど雪崩降りする。
 その出演者ほとんどがどどーっと客席降りし、通路いっぱいひろがって歌い踊るときの、そのかを捕獲できる席が欲しかったの。
 なにしろそのか、客席降りの先頭なのよ。いちばん後ろまでどわーっと走って行っちゃうんで、前方席だとまったく見えないの。

 どーせ前方は手に入らない。
 後方なら、そのか席をねらう! そのかに触るんだっ!(鼻息)

 わたしが鼻息荒く博多座にたどりついたとき、わたしよりはるかに鼻息と脳内麻薬分泌の激しいnanakoさんが、すでに当日券の列に並んでいた。
 自分の席に荷物を置いたわたしは(博多座は当日券の列に椅子を出してくれるのだ。すばらしい劇場だ)、ずーっとnanakoさんの席の前にしゃがみこんでお喋りしていたんだけど。

 キャンセル席は特に出ず、どうやら通常の当日販売席のみらしい、と先に知り。

 わたしたちは、どの席を狙うかを話し合った。
 ええ、わたしとnanakoさんだけでなく、他の並んでいる人まで一緒になって。

 上手後方席なら、みわ・まつ・みつるが横を通る。そして、大勢客席降りのときも、誰か来るから、二度オイシイよね。
 それに比べ、下手後方席はそのかがやってくるだけで、あとは誰も通らない。

 それでも。

「下手よね!」
「そのか席だよね!!」


 みんなそのか狙い(笑)。今回はまっつよりそのか……。

 いちばんに並んだ方は、今回華やかにそのかオチなさったそーで。徹夜してまでそのか席を狙う!!

 その人と一緒になって「そのか! そのか! そのか!」と叫び続けるわたしに、nanakoさんはひとこと。

「みんな、そのかオチして……」

 えっ?!
 みんな? みんなって誰よ?

「ああ、緑野さんはもともとそのか好きだっけ」

 そうよ。もともとよ。べつに、今さらオチてないわよ。オチてないもん。

 
 たとえ、

「そのか見て泣くくらい、そのかファンなんでしょ」

 と、ドリーさんに断言されてしまったとしてもだっ。

「ケロファンからそのかファンって、わかりやすすぎ」

 とか言われてしまってもっ!!

 当日券いちばんの人に「ケロファンなんです」と言ったら、「ああ、だから今はそのかちゃんなんですねっ。似てますもんねっ」とふたつ返事で言われちゃったり、数年ぶりにヅカを観た友人が劇場前のスカステテレビを見て「ケロに似てる人ってわかった。花組の人でしょ。ニュースとかいうので流れてた」とにこにこ言ってくれたりしたとしてもっ。

 べ、べつにわたし、ことさらオチてないもん。

 そのかのことは、昔から好きだもん。このブログ、さかのぼって見てよ。昔からそのかそのか言ってるから。
 『ミケランジェロ』新公から、そのかだったもん。特別ケロに似てないときから、そのかだったもん。

 ……オチてないもん。
 い、今さら……どきどきどきどき。

 
 わたしの執念が通じたのか。

 前楽、大楽とも、無事にそのか席Get。

 1階席だ、客席降りだ、そのかだそのかだ!!
 そのかに触るんだーー!!

 
 つーことで。

 緑野こあら、はじめて桐生園加に触りました。

 前楽は、つつましくタッチするのみ。
 大楽は、ここぞとばかりに握らせていただきました。

 あ、どっちも手ね(笑)。他のとこには触ってませんよぅ。

 前楽はnanakoさんが隣だったので、ふたりで盛り上がりまくっていたし、大楽はそのかファンのいちばん並びの人が隣だったので、これまたふたりで「そのかー、そのかー」と大騒ぎしてました。名前呼んだら、ちゃんと来てくれるのよー、そのかちゃん。

 わーいわーいわーい。

 そのかのあの舞台メイクが目の前だよぅ。
 ちゃんと目が合うんだよぅ。

 舞台メイク、つーのがポイント高いんだよな、そのかの場合。(何気に失礼な言い方?)
 とろけてましたよ、ほんと。
 そのか仲間のお隣さんとふたり、そのか捕獲後にガッツポーズ。

 
 前楽もテンション高かったけれど、大楽の盛り上がり方はふつーじゃなくて。

 カーテンコールは終わらないし、寿美礼サマはぶっこわれててキャラがチガウし(笑)。「好きダー!!」とか叫んじゃう寿美礼サマってなに? すげー。
 客席も声出すし。温度チガウし。

 ノリのいいお隣さんとふたりして、わたしもきゃーきゃーやってました。

 終わらなければいいのに。

 今が永遠ならいいのに。

 ほんとうに、そう思うの。
 だから、拍手するの。手を振るの。声を出すの。

 何度も開く幕が、うれしくて。
 はかない「今」がつづくことが、うれしくて。

 目当ては『マラケシュ』だったんだけどね。『エンレビ』も大好きだったよ。
 むしろ、あのテンションの解放は、『マラケシュ』があり『エンレビ』にたどりつくゆえのものかもしれない。
 だから、なにもかもが愛しくて。

 
 ありがとう、博多座。
 あのとき、あの空間、あの時間のすべて。
 キャストもスタッフも、観客も。
 nanakoさんも、お隣さんも。
 幕間と後に半べそで「よかったね」を繰り返した、ココナッツさんも。

 いてもたってもいられない、そんな気持ちで走った自分のこころも。


 水曜日は映画の日。
 相変わらずのんきに映画館に通ってます。

 本日は「かっぱDAY」。
 や、なにしろ局地的かっぱブーム中ですから。

 かっぱ映画を続けて2本見てきました。

 『妖怪大戦争』と『サマー・タイムマシン・ブルース』。
 どっちも素敵です。
 大人のためのファンタジー(笑)映画。
 心から笑って、こころがあったかくなる物語。ゆるいところや、つっこみどころもあるにはあるが、こーゆー映画は大好き。

 『サマー・タイムマシン・ブルース』はパンフレットも買っちゃったさー。『交渉人』も『容疑者』も買わなかったのにねー。

 ま、映画の話はまた別に書くとして(このブログはもう、ヅカかヲタク話題しか書かないところだと思っているらしい)。

 
 犬と猫の話。

 わたしは本来、猫が好き。

 寿美礼ちゃんは、猫だよね。
 高貴で優雅な血統書付きの猫。豪奢な長椅子にけだるく横になっているのが似合うとゆーか。

 ゆーひくんも、猫でしょう。
 気まぐれ、自然体。しなやかでクール。あまり人にはなつかない、寄ってこられると逃げる、でも自分が許した相手だけには寄っていく、みたいな。

 水くんは猫ではなく、猫科の動物だなと思う。
 クールに見えるけどなにしろ野生なのでけっこー熱い。猫よりハードな人生。地に足をつけて、前向きにサバイバル。

 そのかは、猫科の大型獣。
 カラダはちっこいけど、種族として大型獣(笑)。ライオンとか虎とか。肉球がすっげーでっかいの(笑)。
 ライオンって顔だけみるとけっこーのんきでまぬけ。その獰猛さが表れるのは、動いているとき。それ以外はけっこーぽややんな感じ。強い、という基本スキルゆえののんきさか。

 
 猫が好き。
 基本的に。

 でも何故か。

 ふと、犬系男に惚れ込んだりする。

 …………まっつ。

 なんかもー、むしょーに愛しいんですが(笑)。

 オギーの責任でもあるぞ。
 もともとまっつ好きだったのに、『マラケシュ』のせいで拍車がかかった。

 あて書きのオギー万歳。

 うっかりイヴン×ウラジミールで大真面目にラヴストーリー考えちゃったくらい、オギーは罪作りだ。たんにソレ、そのまつがやりたいだけぢゃ……?

 わたしのヘタレ男スキーハートにジャストミート。
 だからこそ、どんなにヘタレでもわたし的には攻である博多クリフォードはさらにツボ。攻男スキーなわたしのハートにジャストミート。
 とほほな犬系男、まっつにめろめろ。

 
 しいちゃんも犬系だよなー。
 あったかーい大型犬。むぎゅーってしたい。寒い夜はあたためてほしい。

 ちなみにケロも、犬系だったと思う。
 本人が猫好きなのは、自分が犬系だからだろー(笑)。


 友人から頼まれて、はじめてのおつかいをしてへろへろになったあと。

 わたしは、タカラヅカ・サークルをのぞきにいった。
 コミケぐらいしか、ヅカの同人サークルは見あたらないもんなー。ほんとにマイナーなジャンルだ。

 そこでわたしは、すばらしーモノを見つけた。

 や、同人誌じゃなくて。

 齋藤吉正Tシャツを着ている人がいた。

 まず気がついたのは、後ろ姿。
 白いシャツの背中に、「齋藤吉正」の文字を見つけ、わたしゃ瞠目したね。

 さいとーよしまさ?
 マジっすか。

 ふらふらと魅せられるままに、その人の元へ行っておりました。

 バックプリントの文字は小さかったけど、正面のプリントはものすごかった。

 でかでかと中央に「齋藤吉正」とあり、その周囲をさいとーくんの名台詞で囲んであった。

 ええ。
 名台詞ですよ。
 『血と砂』とか『巖流』とかの正気では口にできないよーなこっ恥ずかしい台詞のオンパレード!!

 ええ、「くらり〜んフラッシュ!」までありましたよ、齋藤名台詞。

 緑野、一目惚れ。

 すばらしいです。
 なんですか、そのすばらしーセンスは。

 一目惚れしたら、そりゃ声をかけるでしょう。
 あたしゃふらふらと、そのTシャツを着たお嬢さんに話しかけてました。

 そのTシャツは、そのお嬢さんのオリジナルだそうです。お手製のアイロンプリントだそうです。
 齋藤FCの会服ってわけじゃないそうです。わざわざ今日のこの舞踏会のために作ったそうです。
 しかも、大野ファンだけど、インパクト優先で齋藤にしたとのこと。

 ハレルヤ。

 そりゃ、インパクトなら大野より齋藤でしょう!
 わたしも着たいです。
 吉正LOVEです。
 てゆーか、さいとーファンみんなでぞろりと着て歩いたら、すごいだろうなあ……ジェンヌFCの会服はよく見かけるけど、演出家、しかもさいとーかよ……いいなー、さいとーっていうだけで、なんかネタとして完成するよねー。

 その恥ずかしい台詞のチョイスぶりも、デザインのセンスの良さも素敵ですよ、お嬢さん。なにより、そんな素敵ドレスで舞踏会へやってくる心意気がすばらしいです。

 人生は一期一会。感動をありがとう、見知らぬ方。
 この出会いは、わたしの胸に深く刻み、語り継いでいきましょう。

 
 って、……ネタにしちゃったけど、まずいかしら。個人特定できちゃったりするかな。通りすがりのぜんぜん知らない人の話なんだが。
 ああしかし、ほんとうに素晴らしかったのよ……語らずにはいられないくらい。
 1ヶ月近く経ったから、まだ大丈夫かな……? 失礼な内容だったらこっそり教えてください、削除します。

 
 ところで、そのさいとーくんだけど。

「さいとーくんてさ、生で見るとふつーにかわいいそのへんのにーちゃんなのに、テレビではものすげーヲタクな人に見えるのは、なんでかなあ」

 とわたしが言うと、友人たちからは速攻返答されました。

「そりゃヲタクだからでしょ」

 みんな、容赦ない。


 今さらだが、コミケの話(笑)。

 
 緑野こあらは、ひとつ大人の階段を上りました。

 企業ブース初体験!!inコミケ

 友人オレンジの指令で、お買い物メモを手に生まれてはじめて足を踏み入れました!
 同人誌即売会とは別に、企業が店を出している場所があるのですよ。それが企業ブース。
 ターゲットは某PCゲーム会社!

 朝10時。コミケ開始の拍手と共に、東館のオレンジのサークルをあとにし、企業ブースを目指す。
 よくは知らないが、なんとなく「あのへん」と場所の見当はついている。
 その「あのへん」を目指してがしがし歩く。

 
 いきなり、道に迷った。
 
 あの階段を上りたいのに、あそこへ至る道はどこ?!

 高速道路と同じで、ひとつまちがえると取り返しがつかない。
 うわーん、あっちへ行きたいのに、この道はどこへ行くの〜〜?! 逆走不可、進路固定、行き着くところまで行くしかない。
 結局、無駄に西館の外を半周させられました……暑い、暑い、焼ける〜〜。
 なんとか中央に戻ってきたときには、通路規制が解除されてました。
 一度乗ったら最後、自由に進路変更できない規制は、コミケ開始直後のみだったらしい。
 つまり、開始と同時に張り切って出掛けなければ、ひっかからなかったんだ。
 規制さえなければ、道に迷うこともなかったのに。西館外周を歩くこともなかったのに……。
 てゆーか、あの労力すべて無駄!って……あうう。
 
 それでもともかく、企業ブースを目指した。
 はじめての企業ブース、どんなものかしら。

 ……階段の上は、青空の下の「並び場」でした。

 そっか、ブースに入る前に、まず並ぶのよね。噂は耳にしていたわ。
 並ぶのは覚悟のうちだ。仕方ないさ。
 問題は、青空の下だってことだ!
 暑い、暑い、焼ける〜〜。

 ひと並びしたあと、よーやく目的の企業ブースに入れた。
 あー、よかった、と思う間もなく。

 わたしの目的地はどこですか。

 わたしが漠然と「企業ブース」と呼んでいたところは、何十件もの店が並ぶ、ショッピングアーケードだった……。
 しかも、めちゃ混みの。

 な、なにも見えません! わたしが行くのは、どこですか。

 ここでまた、迷子。
 事前にMAPをチェックするのーみそすらなかった……。ほんとに、自分とは無関係なところだと思ってたんだよ。サークルのMAPなら前もって用意してたけど、企業ブースはノーマークだった。
 しばしぼーせんとしたのち、お買い物メモを頼りに歩き出す。企業名を確かめ、目で探せないもんかなと。
 それもじき挫折。
 人、多すぎ。
 仕方なく、MAPを探す。
 入口とは反対の場所に、会場MAPがあった。
 ふつーMAPって、入口にあるよね……いちばん奥、って……そこにたどり着くまでに迷うじゃん……いや、わかってるよ、ふつーは前もってチェックして来るんだよな……予備知識なしに来る方が悪いのさ。

 よーやく見つけた会場MAP。目的の会社も見つけた。
 目的地はわかったが……、現在地がわからない……。

 ははは。
 なんかもーお手上げ?(棒読み)

 仕方なく周囲の人に訊ねながら、よーやくっ、目的の店を見つけることができた!
 よっしゃ、ゴールだ!!

 と、思ったら。

「最後尾はこちらではありませ〜ん」

 壁づたいに、列ができている。
 そうか、中でも並ぶのか。
 おとなしく、最後尾を目指す。

「最後尾はこちらではありませ〜ん」

 繰り替えされるスタッフの言葉。
 えー、最後尾どこよ?

 最後尾は、青空の下でした。

 暑い、暑い、焼ける〜〜。
 屋外に並ぶことは想定してなかったので、日焼け止め顔にしかぬってない。腕が首筋がっ。
 根っからマイナー嗜好のわたしは、いわゆる「大手」に興味がなく、島中しか回らない。一般参加が基本だが、並ぶのが嫌で昼から参加だし。
 そーゆー奴なので、まさか自分が大手列に並ぶことになろうとは、まったく思ってなかったのね。
 
 さて、青空の下並んでいると。

「**の**、売り切れでーす!」
 プラカードを持ったスタッフが叫んでいる。

 え? わたしが並んでる企業の商品ですか?

 なにしろその企業に対して予備知識がないので、固有名詞がわからない。聞き取れない。ゲームのタイトルすらよくわかっていない。お買い物メモさえあればなんとかなると信じてやってきたんだ。

「**の**セットも売り切れましたー!」

 またしても、売り切れ報告。
 わたしはだんだん不安になる。

 こうやって炎天下並んでるけど、じつはわたしの買うべきものって、売り切れちゃってるんじゃないの? そしたら無駄足??

 んで、あわててそのスタッフへ質問した。

「これが欲しいんですが、売り切れてませんか?」

 自分が買う品物もよく理解していないため、お買い物メモをそのまま相手に見せる。
 いや、友人からなにを買うのか、説明は受けたよ。オフィシャルガイドブックと、それを含んだグッズセットだったかな。日本語はわかった。でもなんつってもわたしは、その会社もゲームタイトルもはじめて耳にしたくらい、なにも知らないんだ。そんな素人の勝手な思いこみで、まちがった買い物をしてはならない。
 わたしが伝言ゲーム的にあやふやな単語を口にするより、友人から渡されたメモを見せるのがいちばん確実。
 しかし。

「えー……? さー……?」

 スタッフの人も、ただの行列整理係でしかなかったらしい。わかるともわからないとも答えてくれず、声だけ残してするっと無視されてしまった。

 ど、どうしよう。

 あせったわたしは、行列の周囲の人に泣きついた。

「売り切れたって言ってるの、コレのことですか?」

 ここまで苦労して(苦労した大半は、わたしが無知だったせいだが)、買えなかったらヘコむ! 友だちにもがっかりされちゃうし!!

「えーと、コレはたぶん売り切れだと思います。でも、こっちは大丈夫なんじゃないかな」

 同じ列の人たちは、親切でした。

「おつかいですか? 大変ですね」

 わたしがあまりにもなさけない顔をしていたせいでしょう。ねぎらわれちゃったよ。同じように炎天下に並んでいる人たちに。つらい状況で並んでるのは同じなのにね……ほろり。

 えーと。
 結局、全部で1時間近く並んだのかな。

 お店にたどり着いたわたしは、売り切れてると聞いていよーがなんだろーが、とにかく店のおねーさんにメモを渡した。

「これをください!」
 と。

 案の定、グッズセットは売り切れ。でも、本の方は複数購入OKらしい。本当は2冊欲しいんだけど、ひとり1冊しか買えないと信じていたから、その本が封入されているグッズセットも別個に買うことにする、と友人が言っていたのをおぼえていたので、2冊買った。

 わたしの判断は、正しかったらしい。
 おつかいを終え、へろへろになってサークルスペースへ戻って報告したところ、誉めてもらったぞ。本2冊買ってよかった(笑)。

 そう。
 そこではじめて、思い至ったんだ。
 もっと企業ブースを探検してくればよかった。
 きっともう二度と行くことはないだろうに。
 いろんなものを宣伝として配っていたのに、それらも全スルーして、目的地しか見なかった。

 ヲタクとしてひとつスキルアップ! ……したはずだが、なんか、ちっともミになってないよーな?
 いいかげん『マラケシュ』語りの最終回を書かねばならんと思いつつも、まだ別の話。

 演出が悪い・古い・悪趣味と大評判の『ベルサイユのばら』

 それならいっそ、演出家を変えて、1から作り直せばどうだ、という声をよく聞く。てゆーか、ファンのほとんどはソレを望んでいる。植爺が生きている限り無理だろうけど。

 あー、わたしねえ、見たいバージョンがあるわ。

 木村信司演出『フェルゼンとアントワネット編』!!

 フランス革命をガチで描いてもらいましょう!!
 民衆の大コーラスですよ! 対する貴族たちも大コーラスですよ!
 大衆という名の無責任な暴力野放しですよ。愚かしさ爆発ですよ。
 キムシンテーマ叫びまくり! 説教しまくり!(笑)

 その一方で、フェルゼンとアントワネットは純愛貫くんですよ。

 地下牢で抱きあっちゃったりしてね。
「あなたが生きている、それだけが我が望み」
 とか歌っちゃってね。

 キムシンの舞台はきれいだから、きっとものすげー美しい世界が見られるぞ。
 音楽ももちろん甲斐せんせの全編書き下ろしでさ。
 宮廷や貴婦人たちのドレス、軍服もさぞやセンス良く配置されることでしょー。

 ベルナール編とか黒い騎士編とかやるより、フェルゼンとアントワネット編をやった方が、よりキムシンらしいモノが書けると思う。
 大仰で華やかで、だけど群衆芝居で。説教しやすそうで(笑)。

 そしてキムシンなら絶対、アントワネットの処刑シーンで終わったりしないと思うわ。

 そのあと、フェルゼンが民衆に虐殺されるところまで、書くと思うの(笑)。

 あー、心から観たいわ。
 キムシン作の『フェルゼンとアントワネット編』。

 
 それから、植田景子演出『オスカル編』。

 女性作家ならではの、「男社会で働く自立した女性の生き様」を繊細なタッチで書いてくれることだろう。
 仕事と自分。結婚と自分。そんな、現代女性の普遍のテーマを、華やかな歴史ロマンに織り込んで、表現してくれるだろう。

 さわやかに甘く、美しい舞台美術。
 食べ物の話題も絶対に盛り込んでね。女性が好む「甘さ」は、おやぢたちには理解できない。おやぢ脳では創り得ない「少女マンガ」な世界を構築して。

 オスカルは働く女性。
 自立した女性。
 そして、社会と対峙することで、「自分自身」と出会い、向き合い、葛藤の末に生き方を自分で決めていく人間。
 植爺オスカルのなにが気持ち悪いかって言えば、オスカルがおやぢ脳で描かれた「男にとって都合のいいアタマの弱い女」であること。「男の真似をしているだけの、所詮女(男視点)という生き物」であること。
 なにしろ植爺だから、何故女性がオスカルを好きなのか、理解できないんだろう。女が男の格好をしているからきゃーきゃー言ってるだけだと思ってるんだろう。
 植爺に汚染されたオスカルではなく、原作のイメージを踏襲した、凛とした、しかし悩み多い繊細なオスカルを創り上げて欲しい。景子せんせになら、できると思う。

 最後のガラスの馬車はありえないから(笑)。そんなものなくても、愛のファンタジーは完結できる。

 景子せんせーなら、ロザリーが語り部かな。
 彼女の歌から物語がはじまって、バスティーユ陥落のあと、彼女の歌声の背景に幻のオスカルとアンドレが舞い踊って完、とか。

 
 あとは、齋藤吉正演出の『黒い騎士編』(笑)。

 義賊といえばさいとーくん。
 マザコンと言えばさいとーくん。

 ベルナールは実にさいとーくん好みだぞっ。

 ロザリー役はママン役と2役なっ。
 ママンのよーに、ベルナールを抱きしめるのよー。
「わたしがあなたを守ってあげる」
 とか言うのよー。

 ああっ、すげー観たいぞ、さいとー演出(笑)。

 
 あと、あんまし観たいわけじゃないが、ネタとしてアリだろうと思うぞ、太田哲則演出『ジェローデル編』。

 ハイソにお貴族様社会をいかにも太田なテイストで。
 斜めになった舞台に、回りくどい洒落た台詞。言葉遊びとオヤジギャグ。
 古典風刺を効かせて、もったいつけて。

 
 ……考え出すと、キリがないな。
 いくらでも出てきそう(笑)。

 ぶっちゃけ、植爺じゃなければ誰でもいいや。
 誰でも? 酒井やW中村でも……? い、いや、さすがにそれは……。(前言、あっちゅー間に撤回)


 こっそりと、萌えの話。

 宙組公演『炎にくちづけを』において。

 初日はストーリーに圧倒されて萌えどころぢゃなかった(笑)。
 が、2回目からは萌えはじめた。

 兄弟萌え。

 ルーナとマンリーコぢゃありません。
 あいつらに萌えはない。素直に女取り合っててください。

 でかいブラコン弟と、美人の兄萌え♪

 初見のときも、やたらともちんは目についていた。そして、なにやら「にーさん!」「兄さん!」とうるさいヤツだなとは思っていた。

 が。
 わたしの目は何故か、はるひくんをスルーしていてまったく目に入ってなかったのですよ! 『Le Petit Jardin』であひくんアランにときめいていたくせにー。何故わたしの目はジプシーの中で消去法でしかあひくんを見つけられないの?!
 まずともちで、次にいりすで、七帆でかちゃで和でちぎで……と、みんなを確認して、えーと、誰か忘れてないか、ああっそーだあひくんだ!
 その繰り返し。
 なんでこう、あひくんが見えないんだろう……。

 おかげで、ともちが「にーさん!」と言っている相手が誰なのか、最後までわからなかったのね。

 そして、2回目の観劇。
 この2回目っつーのがわたし初の大劇場0列センターでした。さ、最初で最後かもしれん……どきどき。水くんがいなくなるとこんな席が当たるんだよ友会(ケロがいた公演はカケラも当たらない。水しぇんも同じ)。

 どうしてですか神様。
 せっかくの0列様でわたし、ともちばっかり見てます。

 あと、タマちゃん見てる。な、何故。

 自分でも意外な目線でした。

 そうかわたし、ともち好きなんだ……でもってタマちゃん好きなんだ……し、知らなかった……。

 それにしても、宙組ってほんと、長身美形揃いですよ。
 その等身の高さにくらくらした。
 女性が演じている身長じゃないんだもん。ほんとにかっこいーにーちゃんたちなんだもん。
 冒頭の家臣団のみなさんがうぞーむぞーしているときからすでに、彼らの美しさに圧倒された。
 そして、長身青年たちにまじっている娘役さん演じる小柄青年たちがもう、「美少年!」って感じでまた美しい。
 目に楽しいったらもー!!
 幸福でした、最前列センター。もう二度とこんな席坐れないだろうけど。

 お花様の睫毛も、真下から見れちゃったしな……ふふ……ふ……。

 ただ、『炎にくちづけを』つー作品は、後方から観た方が絶対きれいだし、物語にも集中できる。真ん前では磔も最後の翼も角度が悪くてカタルシスが少ないっす。
 

 ともちばかりを見ていると、彼が演じている役(最後まで名前わかんなかった)が素敵にブラコンで、ときめきました。
 そして、彼の愛するおにーちゃんが誰なのかもわかった。
 あひくんだ!!
 わー、あひくんきれー。
 まー、ラヴラヴ? ラヴラヴねあんたたち!

 弟の方が、確実にでかい。縦にも横にも。
 が、弟はにーちゃんにぞっこん。
 でっかいしっぽをふるふる振りながら、美人のにーちゃんになついている。

 かわいい……。

 このいちゃいちゃラヴラヴ兄弟に、盛大にアテられました。
 あー、ともちとあひくんで、『ファイアーエムブレム 烈火の剣』の黒い牙兄弟やってほしー(笑)。美人の兄あひ、でかいブラコン弟ともちで。あの話も、凄絶な兄弟心中だよなー。

 あのジプシー小集団の中ではきっと、公認カップルだったんだろうなあ。
 でなきゃいい大人が(設定は若そうだな。マンリーコがハタチそこそこだもんな。弟ともちは10代だったりするんだろうか)、あんなふーにいちゃいちゃしねーよ。

 男らしく散っていった兄のあとを追う、弟の最後の台詞は「兄さん!!」。
 きっとふたりは、折り重なって死んでいったんだろうなあ。
 弟は、最後の力をふりしぼって、兄の亡骸を抱きしめたんだろうなあ、とか。

 あの衝立の向こうを想像して萌えておりました。

 いや、萌えでもないとやってられませんよ、あんな重い芝居。

 マンリーコもレオノーラも、アズチューナも大好きですけどね。
 作品自体、大好きですけどね。

 でもやっぱり、リピートはヘヴィだなぁ。現在で4回観てるけど。


 9月2日は、記念日だろうか。

 チェリさんから主語のないメールをもらっても、話通じてしまうし。
 刻み込まれた日付だからか。

 ええ、9月2日が正しいです。1日ぢゃないですよ。3日でもないです。
 2004年9月2日です。

 その9月2日に。

「星組退団者のお知らせ」
 なんてのが飛び込んでくると、心臓に悪いじゃないですか。
 ちゃんと公式HPで自分で確認して納得していたのに、時差アリで携帯にメルマガが届くと、びびる。モバタカのお知らせメール、遅いっすよ。時差のせいで2度びびったよ。

 
 あれから1年。
 どうかみんな、しあわせでありますように。


かわいいかっぱ。
 局地的にかっぱブームです。

 どう局地的かというと、わたしとnanakoさん限定っぽいので。
 なんでかっぱかは、nanakoさんのブログを見てください。(http://7ch.jugem.cc/?eid=428

 今日は映画の日なんで、レディースデーの昨日に引き続き映画館へ。
 見た映画は『ノロイ』、ホラー映画です。わりとおもしろかったけど(ツッコミどころも満載)、ちょっと注意事項。3D酔いする人には、向いてません。
 『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』動揺、素人の撮影したホームムービー風なんで、画面がずーっと揺れてる。わたしは乗り物には酔っても、画面酔いはあまりしないタチなんだが、けっこー疲れた。

 まー、映画はともかく。

 わたしは映画に行くとき必ず、ついでにガチャガチャをするのね。
 シネマフロアの隣はレストランフロアで、そこに何十台ものガチャガチャが並んでるのよ。新作も早いし、種類も豊富だし、のぞくだけでたのしい。

 でも今日はぴんと来るのがなくてさー。
 FROGSTYLEの新作も出てないし。

 そしたら、あるじゃないですか、すみっこにかっぱのキーチェーンが。

 局地的かっぱブームのわたし、普段なら見向きもしないはずなのに、ついついコインを挿入してハンドルを回してました。

 ああ、かわいいー。

 正面からも後ろからも、どの角度から見ても絶妙にかわいいぞ、こいつ。
 写真はピントが合わなくて、ちと微妙な写りだけど(所詮携帯電話のカメラですから!)、実物はすげーかわいいのよ。おなかにある黒いヤツは、がまぐちです。でかいがまぐち持ってるの。
 あ、背景の毛皮は本物です。猫の腹の上に載せて撮ったんで(笑)。

 
 カエルとアライグマをペアで携帯につける予定だったんだが、スヌーピーとかっぱにしよーかなー……。(←こらこら)


 その昔、わたしが図書館でアルバイトしていたころ。
 書庫で『SFなんかいらない!』てな意味のタイトルの本を見つけた。
 市民図書館なのに、書庫で眠っていたということはあまり需要のない古い本なんだろう。需要のある本は開架図書に置くはずだから。
 タイトルも著者もよくおほえていない。著者はたしかタレントのようだった。わたしは知らない人だったが。

 内容はこうだった。

「世の中のSFとかいうものは全部、現代のふつうの物語に置き換えられる。わざわざSFにして大袈裟にすることはない。だからSFなんかいらない」

 たとえば、『E.T.』は、『子鹿物語』だ。
 親に内緒で子鹿を飼う話でいいじゃないか。なんで宇宙人なんだ。

 と、万事がこの調子。
 有名SF映画などを、現代文学に置き換える。

 まだ学生だった当時のわたしでさえ、この本を読んで「うわ、アタマ悪い人の本」と思ったな(笑)。

 現代の人間ドラマに置き換えられないSFなんて、存在するわけないだろ。だって、作っているのも現代の人間で、それを必要としているのも現代の人間なんだから。
 人間が理解できない、たとえば虫の世界を虫の心理と視点のみで構成した作品を、人間が理解できるか? そんなもんを必要とするか?
 たとえ虫の世界が舞台でも、そこには人間の視点が必要だ。虫の脳みそで作られた世界なんて、共感できるはずないんだから。

 じゃあどうして、SFが、あるいは虫の世界を舞台とした物語が必要なのか。

 テーマを表現するためにだ。

 母親とはぐれてしまった少年がひとり、出会いと別れを繰り返して旅をする。悪人もいれば善人もいる。ときに泣き、ときに笑う。旅を通して少年は成長していく。
 ……て話を、現代日本を舞台にやろうとすると、大変だ。
 母親とはぐれた? 母を捜している? んじゃ警察だ。捜索願は出てるかな。虐待とかの可能性は? 事件性は?
 とても、当初のテーマを描くどころじゃない。
 だから、虫の世界ということにする。みなしごハッチは母を求めて虫の世界を旅する。
 虫の世界、とか言ってもそれは、人間社会となんら変わりはない。

 テーマをより純粋に、ストーリーをよりわかりやすくおもしろく、表現するために。
 現代社会とはチガウ世界を舞台にする。
 世界を虚構にするために、それ以外の設定はリアルに細密に。ハッチの出会う虫たちがやたら人間くさいのも、SFに小難しい考証が必要なのもそのため。

 SFは必要だよ。SFに限らず、現代社会、今目に見える、手に取れるモノ「以外」を舞台とした物語は必要。

 
 まあ、冒頭の本があまりにアタマ悪いのも、今となっては「金のためかな」とは思う。
 論破するまでもない稚拙な内容であったとしても、こういう好戦的なスタンスの本には商品価値がある。要は人目を引き、本が売れればいいんだから。
 わざとアタマ悪い内容にして、売ったのかもしれない。

 
 このことを思い出すのは、宙組公演『炎にくちづけを』に対して、「キリスト教批判」という声を聞いたからだ。

 友人のクリスティーナさんと一緒に観に行ったときのこと。
 彼女は観終わってから、「クリスチャンの人は、これを観て気分悪くならないかしら」と言った。
 そりゃまあ、多少は引っかかるかもしれないけど。でもコレ別に、キリスト教のことをどうこう言いたいわけじゃないでしょう? たまたまキリスト教を扱っているだけ、テーマを表現するための媒体なだけでしょー。
 わたしは長くオペレータをやっていたけど、たとえドラマの中で悪徳オペレータが悪の限りを尽くし、主人公たちが「オペレータはひどい! 悪だ!」となじっても、ぜんぜん気にならない。だってソレは、そのドラマの中のオペレータがそういう設定で、そーゆーストーリーに必要なだけであって、わたしの仕事とはなんの関係もない。わたしはわたしで、誇りを持って仕事をするさ。
 『炎にくちづけを』のなかのキリスト教も、現在のキリスト教とチガウことは、一目瞭然だし。むしろ、虐殺されるジプシー側こそが、現在のわたしたちに馴染みのある、キリスト教の精神に近いことは観ればわかるじゃん。

 テーマを表現するために、わざと過剰な設定にしてあるだけ。

 子鹿ではなく、宇宙人だったように。

 それを、「宇宙人が出てくるなんてナンセンスだ」でくくってしまうのは、つまらない。「キリスト教批判だ」でくくってしまうのは、つまらない。
 その奥にあるモノを、たのしまなきゃ。

 
 もっとも、『子鹿物語』を『E.T.』にしたほどの変換の技巧が、今回は足りてなかったと思うけどね。
 てゆーかキムシン、うるさすぎるんだよ、テーマを叫ぶのが。

 イタイ作風だなー、もー(笑)。

 
 クリスティーナさんは、ガイチファン。
 タカラヅカからはとんと離れていたが、ガイチが退団だと聞いて数年ぶりに宝塚の地へやって来た。

「あたし、宙組観るのって『エリザベート』以来だわ」

 えー。宙『エリザ』って1999年じゃん。前世紀だよそりゃ。

「和央ようかが最後に階段降りてくるの、はじめて見た」

 たしかあなた、たかちゃん好きだったよね。ガイチの次に好きって言ってなかったっけ。なのに、トップになってから一度も見てないんだ。

「うん。まだトップでいてくれて良かった。おかげで、見られたわ」

 ……よかったね……たかちゃんが、6年もトップやっててくれて。
 他のジェンヌぢゃ、ありえないよ(笑)。

 
 前世紀からヅカを観なくなっていた人と話して、いろいろ新鮮だった。
 たとえば、次の月組公演のポスターを見て、クリスティーナさんは無邪気に、
「大空祐飛って、月組の2番手?」
 と言ってくるし。

 ええっと、ゆーひくんは、少なくとも2番手ではないよーな。てゆーか、路線かどうかもよくわかんないというか。

「どうして? あたしが観てたころも今も、ふつーにスターでしょ?」

 えーと、クリスティーナさんがヅカにハマッていたころって、ゆーひくんは新公で主役したり2番手していたころで。
 月組は天海祐希と久世星佳がいたから、下級生が抜擢されて上にいても関係ないという刷り込みがあるし。
 そこから現在にワープしたら、そりゃたしかに、ゆーひくんはパリパリの路線スターだわな。間の微妙時期をまるっと知らないわけだもんな。

「主役の次の大きさでポスター載ってて、来年の『ベルばら』はオスカルやるんでしょ? どうして路線スターじゃないの?」

 ……説明できません。
 わたしはゆーひくんがトップになろーがなかろーが、位置や立場にかかわらずずっと好きですから。

「でも、大体、どうしてまた『ベルばら』やるの? アレ、相当時代遅れよね?」

 ……説明できません。
 うわあああ。


 七十萌え。

 今さらでなんですが、新人公演『炎にくちづけを』の話。
 そろそろ検索の数も減ってきたし、需要がなくなったころにまったりと書きはじめてみる(笑)。

 本公の『炎にくちづけを』には、あまり萌えがありません。
 初見ではまったくなかった。
 2回目からは、ちと萌えた。本公は全部で5回観るんで、小さな声で萌えておく予定(笑)。

 しかし新公は、ものすげー萌えた。
 声を大にして言いたい。

 美貌の冷徹悪役伯爵と、その片腕の美丈夫萌え!!

 わっちゃー、やってくれましたよ、七帆ひかる!! なんなの、なんなのよ、その美貌はっ!!
 美しいのなんのって。
 ルーナ伯爵が出てくるたびに釘付けですよ。

 七帆くんはもともと表情に乏しいから、クールな役をやるとさらに足りなくならないかしら、なんて危惧をぶっ飛ばしてくれた。

 美しい。

 表情が乏しいとか足りないとかまで、気が回らない。
 その美貌を眺めるだけで幸福。
 なにしろクールな役ですから。無表情が映える映える。

 そして、確実な歌唱力。
 安心して観てられた。

 
 その美しすぎる伯爵の横には、ダンディヒゲの大男@十輝いりす!!

 伯爵の片腕ですよ。
 伯爵を敬愛し、絶対服従ですよ。
 伯爵の父親に仕えていた、親子ほども年の違うNo.2ですよ。

 美しすぎる七帆の命令に黙々と従う、巨大なダンディいりす!!

 なんなの、このキャスティング。この並び。

 どこのBL?! てな出来過ぎ設定なんですけどっ。

 七と十が並んでるだけで、血圧が上がったわ。

 いりすが新公主役できなかったことを、とてもとても惜しんでいる。
 たしかに歌はアレだが、なにより彼には、華と美貌がある。
 てっきり彼も一度は新公主役できると思っていたよ。トップになれるかどうかは微妙だろうけど、ここですっぱり脇にするには惜しいキャラだから。

 なのに、最後の新公も主役は取れず。
 いりすよりはるかに地味な七帆が2回も主役したのにね。タカラヅカってやっぱわかんないなー。そりゃ歌唱力は比べるまでもないけどさー。いや、わたしは七帆くん好きだから、彼が主役してくれたのはうれしいのだけど。
 ここまで完璧にいりすが路線外確定なのが、予想外だったの。

 ……とまあ、人事に対して首をかしげていたりはしたけども。

 それを置いといて。

 七十萌え。

 よくぞよくぞ、このふたりをこの役で並べてくれましたっ。
 萌えがあると、一気にたのしくなるんだよ、この重すぎる芝居も。

 ……どっちが受かは、悩むところですが……。

 
 腐女子語りはこのへんにして。

 主役マンリーコ@和くんは、納得の美しさでした。
 ただ、歌はものすごかった(笑)。最初のウチは手に汗握ったわ。でも、物語が進むと気にならなくなる。
 2500人劇場ではもったい顔だよなあ。生で観るより、オペラグラスでアップで見た方がきれいなんだもの。それって、いいことなのかどうか……。

 ヒロインのレオノーラ@まちゃみは、……あ、あれ?
 わたし、今回の配役ものすげー期待してたのね。『Le Petit Jardin』でまちゃみの美しさに感動したんで、さぞや美しいレオノーラを見られるだろうと。
 変だな……なんでだろう……あんましきれいぢゃない……。
 他は手堅く及第点だと思うんだけど。見た目のあか抜けなさはなんなんだろう。ヒロイン度が低かった。

 アズチューナ@たっちんは、お見事。ひとり桁違いの歌唱力。
 『Le Petit Jardin』のときも感じたけど、ほんとに歌が饒舌だよね。歌っているときがいちばん情感豊か。
 だからこそ、ふつーに喋っているときと、歌っているときの差に違和感がある。
 ふつーの演技部分が、歌唱力のレベルにまで達していないよーな? 喋っているときはふつーなのに、歌になるとものすごい、てのは。
 もちろん演技もふつうに新公の中ではうまいと思うから、歌がうますぎてバランス崩してるのかなー。
 ミュージカルとして、ふつうの喋りが盛り上がって歌になる、というなめらかさがなかった気がして、あちこち気になった。とにかく歌の力が前面に出過ぎていて。
 演技はこれからもっとうまくなるんだろうから、今はこれでいいんだよね。

 パリア@ちぎくんは、いい加減タニちゃんの役から卒業させてやってほしい……。持ち味がかぶるだけに、えんえんタニちゃんの役だと彼の成長を遅くさせてしまうんじゃないかと、老婆心。
 タニちゃんのコピーには見えなかった。でもなんか、印象がかぶる。新公だから、というより、キャラの方向性ゆえか。

 
 ああそしてそして、なんといっても暁郷!!

 たのしみにしてましたよ。
 なんの役やるのか、そもそも役があるのかも知らずにいたんだけどさ。

 冒頭の「20年前」の昔話のシーンで、いきなり歌い出すから、びっくりした。
 ソロのある家臣役だったのね。

 うわ、あたし、GOの歌声、はじめて聴いた。

 文化祭で聴いてるはずだが、すでに記憶にないし(笑)。

 最初の第1音だけ、やけに大きくなかった?
 声でかすぎて、マイクしぼられた?(笑)

 ふつーにうまかったよね? ね? わたしの欲目じゃないよね?

 あとは立ち位置も微妙で、大体本公とどうチガウの?ってくらい後ろにばっかいるんだけど、人数少ない分よく見える。
 濃い。誰が見ていようといまいと関係なく、めちゃくちゃ濃い演技してる(笑)。

 いーなー。

 しかしGOよ。あの髪型はいったいなんなんだ? ブロッコリー? 洗い物用のスポンジ? なんとも愉快にカチッと固めていた(笑)。

 
 新公だけど、人数少ないけど、それでもアンサンブルが負けてないのがうれしい。
 みんな歌うまいなー。きれーだなー。がんばってるなー。

 
 最後の挨拶がまた、見物だった。
 なにしろマンリーコは大がかりなセットの上で幕が下りるので。
 終わったあとすぐには挨拶ができない。
 つーことで、まちゃみを長とする研7生が幕前に並んでまずご挨拶。そののち他の生徒たちも現れ、全員で主役の和くんを迎える、ということに。
 テーマ曲の「あ〜なたが生きている〜♪」の壮大な生演奏にのって幕が開き、巨大な翼だけになった舞台に、和くんがひとり立っている。

 トップスターよりすげえ演出だよ(笑)。

 これだけでも感動してしまった。

 
 あ、最後に。

 音乃いづみ、こわすぎ(笑)。

 すばらしい修道院長でした。『ステラマリス』に続いて、またしてもこんなものすげー役……。


 ずーっと大嫌いだった、酒井澄夫。
 『浅茅が宿』も『砂漠の黒薔薇』も、そしてもちろん『花舞う長安』も許してないけど、わたしの中の「酒井嫌い度」が少し変化した。

 お願いです、酒井先生。一生、ショーだけ作っていてください。

 二度と芝居は書かないで。

 酒井せんせの芝居は、胸を張って大嫌いだと全世界に宣言できるけど、『エンター・ザ・レビュー』は好き。

 博多座で痛感した。

 そのかの猛獣使いを見られただけでも、このショーを好きだと言える。言っちゃう!

 ムラ・大劇であすかちゃんの生尻ばかりを見ていたこのシーンで、ぷりぷりの若い娘たちの生尻に、一切目がいかなかった。

 そのかだけを見ていた。

 釘付け。
 あまりに……あまりに、かっこよくて。

 美しくて。

 そのか演じる猛獣使いが凶悪なのは、そこに愛がないことだと思う。

 ムラ・東宝版での猛獣使い@樹里ちゃんと耳+半ケツ+しっぽの獣ちゃん@あすかには、愛があった。
 恋人同士がじゃれているようにも見えた。
 だから、獣ちゃんたちの衣装がセクシーすぎても、振付がヤバすぎても、「タカラヅカ」な美しさとロマンがあった。

 しかし、博多座版の猛獣使い@そのかには、愛がない。
 主に絡むのは年増獣(すまん)@としこさんなんだが、ふたりの間に愛は見えないのよ。

 だから猛獣使いは真の意味で「猛獣使い」として、獣たちを支配しているの。

 地面に転がる獣に覆い被さるとき、いったん空中で両足をそろえる、その高さと美しさ。そして。
 獣の手首と首筋に噛みつく仕草に、ぞくぞくした。
 迷わず急所を襲うか。どちらも鮮血の吹き出す箇所。

 次に立ち上がって踊りながら、口元を拭う姿。悪魔的な微笑。

 
 初日に観たとき、なんだか涙が出てね。そのかが美しすぎて、マジ泣きした。
 泣いたら視界がボヤけちゃうから、必死になって凝視していたんだけど。

 ああ……会えてよかったよ、美しいそのか。
 野性的でサディスティックで、百獣の王で。
 鞭の響きに心震える。
 こんなにすばらしいものを観ることが出来て、心からしあわせだ。

 21日の夜公演は、はじめてストレートのカツラを見た。
 うおーっ。
 黒髪ロング・ストレート。さらさらヘア。
 後ろでひとつに束ねているので、アリ@マラケシュみたいにも見える。鞭をふるうアリ……女たちを転がし、征服し、蹂躙するアリ……ハァハァ。

 束ねないで、なびかせてくれてもよかったのになー。
 踊りにくいだろうけど。

 
 と、こんなふーにそのかにめろめろだったとゆーに。

「ロケットのときが、いちばんたのしそうでしたね」

 と、隣で観劇していたkineさんに言われちゃったよ(笑)。

 ええ、ひな鳥たちのロケット。

 愛するまっつが、兄鳥をやっておるのですよ!

 わたしは、大人が演じるわざとらしい子ども、が好きじゃありません。いい大人が、「みなちゅあん、よういはいいでちゅかぁ?」的な喋りをしているのを見ると、鳥肌が立つ。
 『タカラヅカ絢爛』で大人の男たちがとんでもねー服を着せられ、幼児を演じていたのは見るに耐えなかった。
 東宝版『エンレビ』で、男らしいヘラクレス兄貴が、幼児喋りで兄鳥をやっているのも、見ていてつらかった。寒かった。

 ああ、なのに。

 まっつがわざとらしい幼児を演じているのは、ぜんぜんOKなんですよ!!

 似合ってるなんて思ってません。
 まっつの芸風に1mmたりともかすってない、持ち味と正反対の役。まっつのことを知っているなら、好意があるなら、絶対にやらせないだろう役。

 そんな役を、まっつはけなげに精一杯演じているのです。

 その姿が、萌え。

 幼児のよーな振付で、ひたすらかわいらしくぴーちくぱーちく踊るのよ?
 あの、まっつが。

 泣きそうな顔で、必死にかわいこぶってるの。

 ああもうっ、なんて痛々しいの。
 見るに耐えない、というか、見ていてむず痒くなるというか。

 似合わなさすぎて、そして、そのいちばん似合わないことをわざわざやらされているまっつが、すげーまっつらしくて笑えて笑えてしょーがない。

 文化祭で無理矢理女装させられた男子が、内心トホホなのに、懸命に笑ってシャレにしてしまおーとしているよーな、いたたまれなさというか。
 泣き顔のよーな笑顔が、素敵に不幸くさくて、さらにいぢめたくなるというか。

 ああ、まっつ大好き。
 君ほど不幸の似合う男もいない。

 
 寒いと言えば、ゆみこちゃんも大変なことになっていた。
 芝居は見事に「レオン」として息づいていたけど、ショーのコメディアンは見事に空回っていた。

 えーと、わたし、初日から楽まで全部で6回観たのかな。
 アドリブがサムくないことは、ただの一度もありませんでした。

 ここまでギャグができない人も、ある意味すごい。
 そして、ここまでできない人に、この役をやらせることも、ある意味すごい。

 やっぱ酒井せんせ、なにも考えてないのかな……。

 ゆみこちゃんは好きだし、他のシーンはすばらしかったけど、なんつってもコメディアンはなー……できないならはじめからアドリブはやめときゃいいのに、と思ってしまったよ……(笑)。

 
 ところで、娘役トップスター・スミレちゃん@オサ様のカツラはいくつあるんですか?
 ムラ・東宝では3つだけかと思ってたんだけど。
 博多に来て、さらに種類増えてますがな……。なにやってんだ、オサ様。そんなにうれしかったのか……うれしかったんだろーな。

 ムラ・東宝では紳士@ゆみことラヴラヴしまくり、目眩もののバカップルぶりを繰り広げていたスミレちゃんだが、博多ではひとりで暴走していた。紳士@みわっちじゃお気に召さないらしい。……てゆーか、目にも入ってない感じ。
 とにかくたのしそーでたのしそーで……そのオカマ美女っぷりは相当微妙なんだが、あのノリノリの笑顔に、こちらまで癒されてしまう。
 ご機嫌な寿美礼ちゃん好き。あなたはいつも笑っていて。ずっとしあわせでいて。

 顔だけでなく、魂までくしゃくしゃにしているかのよーな、ノリノリで絶唱するオサ様を見て、この人がいなくなったら、あたしはどうしたらいいんだろう。と、不意に不安になった。
 奈落へオトされたよーな、唐突な不安。

 や、だってわたし、オサ様がいちばんのご贔屓じゃないはずなのに。

 なのに、ふと、恐怖した。
 この人がいなくなったら、と。

 どうしよう。
 やだやだやだ。やだよ。
 どこにも行かないで。

 と、突然情緒不安定に。……やーねぇ。

 
 泣いたり笑ったり、大忙しだよ、博多『エンレビ』。


 気になったのは、リュドヴィークとクリフォードの相似性。

 寿美礼ちゃんとまっつが似ているのは、周知の事実。ただの現実。
 似た顔のふたりが同じ舞台に立っているからと言って、そこに意味なんかない。
 ふつうは。

 しかし、『マラケシュ・紅の墓標』博多座版においては、意味があるんではないかと考えてしまう。

 ムラ・東宝でまっつが演じていたウラジミールと、今回のクリフォードではまったく役の立ち位置がチガウからだ。(わたしは、ウラジミール役も『リュドヴィークと顔が似ている』ことに意味があると思っているけど)

 クリフォードは、「砂漠の薔薇」を通してリュドヴィークと向き合う、「光と影」「裏と表」の存在だからだ。

 鏡の内と外のような。
 どちらが実像で、どちらが鏡像なのかはわからない。

 博多座版では、それを強調する演出がされている。
 やたら長くなったプロローグで、砂漠で遭難したクリフォードがオリガへの想いをご丁寧に説明し、歌を歌ったあとセリ下がる。
 そのセリ下がりと呼応して、真反対のセリからリュドヴィークが上がってくる。
 ひとりの男が消えていき、同じ顔をした男が現れる。

 植爺お得意の「子役から本役へ変身」のシーンみたいに。
 役者はちがうけど、同一人物だとわかるでしょ的演出。

 クリフォードとリュドヴィークは別人だけど、同じテーマを担っているキャラクタとして、こーゆー演出なのかと思った。

 最後の「砂漠の薔薇」を手渡すシーンなんか。

 向かい合うふたりがあまりによく似ていて、美しいけれど不安になる。

 
 わたしは博多座のオリガを見て、「リュドヴィークの影」だと思った。
 リュドヴィークが今まで見ないふりをして封じ込めていた、真実を語るもうひとりのリュドヴィーク。
 スカーレットに対するスカーレット2のような。

 だからこそ、リュドに対するクリフォードの意味がちがってくる。

 オリガがリュドの心を反響するエコーであり、オリガを救うことができるのがクリフォードならば。

 リュドヴィークを救うことができたのは、クリフォードなんじゃないのか?

 もしも、あのパリでクリフォードが出会っていたのがオリガではなく、リュドヴィークだったら。
 クリフォードは、リュドを救おうとしただろう。
 現在、オリガを救いきれなくて砂漠を彷徨うことになっているように、リュドのことも完全に救えないとしても。
 彼はノマドではない。この世の人間、この迷い多き俗世の人間だ。悩みながら、まちがいながら、それでも自分の手で、愛する者をしあわせにしようとあがきつづける。
 旅の果てにデザートローズを見つけて帰ったように、彼はきっとリュドヴィークにも幸福を差し出すことができるだろう。

 
 リュドとクリフォードが「似ている」と、もうひとつ説明できることがある。

 夫クリフォードを愛しているのかわからない、そう言って迷う人妻オリガ。
 彼女が夫を捨て「過去の傷」に向かって進もうとしたきっかけとなる男リュドヴィークが、夫にそっくりだというのは、ものすげー重い意味が加わるだろう。

 やさしいだけの夫に似た姿の、危険な香りのする色男。
 無意識に夫に対して抱いている不安や不満を、全部解消してくれる男だ。
 そりゃ惹かれるって。

 そして最終的に、夫を選ぶ。
 夫に似た男に惹かれた、ということは、もともと夫を愛していたんだ。

 だってオリガとクリフォードは出会いが悪い。
 泣いているオリガに、クリフォードが手を差しのべた、ってそんな。
 ただの同情? とか思っちゃうじゃん。なまじクリフォードはやさしすぎる男だし。
 オリガは恋愛で手酷い失敗をして臆病になってるから、信じられない。ほんとうにこれが愛なのか。

 相愛なのに、相手の愛が信じられない。自分の愛がわからない。

 作中で、オリガは「自分の気持ちがわからない」と繰り返すが、「夫の気持ち」に関してはなにも言及してないんだよね。それって、すごい不自然。
 自分の気持ちがどうこう言って気取ってるけど、いちばんわからなくて不安だったのは夫の気持ちなんじゃないの?

 博多座版では、わざわざクリフォードがオリガに「夫婦関係への疑問」を突きつけていることだし。
 このままじゃ離婚? とも取れる文面の葉書を残して夫は生死不明。それでマラケシュ行きを決意する博多座版は、「夫婦の危機」にあわてたようにも見える。
 それってつまり、オリガはもともとクリフォードを愛していたんじゃないの?
 「相手に愛されていない」より、「自分が愛しているかどうかわからない」方が、自分が楽だから、そう思い込んで。

 オリガにとってのマラケシュの旅は、そーゆー自分のずるさや弱さを越える旅。

 夫に似た、夫よりも魅力的な男と出会い、最終的に夫にたどりつくことで、「恋愛ドラマのヒロインとして見たオリガの物語」はきれいに答えが出るよ。
 青い鳥は家にいました。彼女がほんとうに求めていたものは、彼女のそばにありました。

 過去の恋の傷のせいで、自分から誰かを愛することに臆病だった女が、夫とやり直す物語。

 生身の女オリガとして考えれば、ソレもありかと。

 
 生身の彼女がどうあれ、リュドヴィークにとってはオリガは実体のない女。顔のない女。
 だって彼ははじめから、オリガ自身にはなんの興味もない。
 リュドがオリガに興味を持つのは、パリの傷の話から。

 オリガがリュドの影であり、もうひとりのリュドヴィークなら。
 そして、そのオリガがクリフォードによって救われたなら。

 リュドヴィークも、救われていると思うんだ。

 デザートローズをクリフォードに渡すことによって。

 だからこそ、ふたりの男が向かい合うあの一瞬は、あんなにも美しいのではないかと。

 
 てゆーか。
 距離が近すぎないか? この、リュドとクリフォードの手を握り合う……ぢゃねえ、薔薇を手渡すシーン。

 このままラヴシーン突入かと思っちゃったよ。

 まっつがたよりなげに少し首を動かしてリュドを見るのがまた、ポイント。
 あっ、クリフォードじゃなくまっつって言っちゃった。いかんいかん。でも訂正しない。

 デザートローズを手にしたクリフォードは、顔が変わる。

 頼りなげではかなげで、「受」とおでこに書かれていたよーな男は、意志を持った力強い表情になる。
 そう、おでこの文字が「男」に変わるのよ(笑)。
 俺は男だ、妻にだって四の五言わせないぜ。そうやってちょっと強引に抱きしめて、「この瞬間からはじめるんだ。そうしてくれ」と言っちゃったりするんだ。
 夫のやさしすぎるところが不安で、ちょいとワルなリュドにフラつきもしたオリガは、男らしくなったクリフォードに胸きゅん、惚れ直してハッピーエンド。

 ……なんてね。


 金の薔薇、石の薔薇、そして紅い薔薇。
 薔薇にはいろいろあるけれど♪

 ギュンターが愛したのは、紅い薔薇。

 ムラ・東宝版のギュンターは知りません。
 オリガがわからなかったように、ギュンターもわからなかったので、考えないことにしてます。どーもらんとむギュンギュンには、お笑いの風が吹いていて……『エンレビ』のアレキンだっけ、昭和時代のアイドルみたいな美形キャラ、アレと同じ胡散臭さを感じてしまって、思考停止しちゃうのよ。
 らんとむくんへの好意とは、別もんですのよ。彼のギュンターがわからなかったこととは。

 だから、わたしが語るのは博多座『マラケシュ・紅の墓標』のギュンター。

 オープニングで紅い薔薇を手にし、導入歌を歌う男。

 オープニングのまがまがしさは、ものすごい。

 彼が出てきた瞬間から、世界はすでにトップテンション、深紅の街がわたしたちに両手を広げている。

 プロローグからすでにイッちゃってるギュンターは、愛しげに紅い薔薇を愛でる。

 彼は美術鑑定家。愛好家でもある。
 数年前、彼はパリですばらしい美術品に出会った。ロシア貴族ワレンコフ家の財宝、黄金の薔薇。
 人間の手で作られた、至宝。
 誰よりも美を愛するギュンターは、そのすばらしさを誰よりも理解していた。誰よりも深く魅せられていた。
 美術品を愛し、その価値を鑑定する。それがギュンターという男の基本スキル。
 だった、のに。

 その金の薔薇をめぐって、事件が起きた。

 人気女優の手に渡った金の薔薇、女優をめぐる三角関係、そして、男がひとり死んだ。

 死んだのは、ギュンターに金の薔薇の存在を教えた男。
 ギュンターをこの場に導き、勝手に舞台から降りた。

 ギュンターは美術鑑定家であり、愛好家。
 誰よりも「美」を愛し、理解する男。

 何故ならば彼自身、とても美しいから。
 「美」を愛し、「美」に愛されるに相応しい。

 その美しい彼の手が、汚れた。
 彼の目の前で死んだ男のせいで。

 血に、汚れた。

 手のひらを汚した、紅。

 そのときから、ギュンターは変わる。
 もう、美術鑑定家ではない。汚れてしまった彼は、「美」を量れない。愛せない。「美」から愛される資格がない。

 彼は薔薇を追う。

 金の薔薇を持った女優イヴェット。
「よっぽど貴女のことが好きなのね」
 と、イヴェットの付き人は言う。突き放した言葉。

 金の薔薇・イヴェット。
 チガウ。
 もう彼はそんなものを求めていない。

 彼が求めているモノは。

 
 はい。
 博多座ギュンターが求めているモノは。

 リュドヴィークだよね(笑)。

 イヴェットのことは、なんとも思ってない。
 彼女になにか執着があるなら、いつでも行動に移せたはずだ。
 金の薔薇のことも、もう口実でしかない。
 場所と持ち主がわかっているんだから、どうにでもなる。なのにしない。

 このことから、ギュンターがストーカーに身を落としてまでも求めていたモノがなにかわかるよね。

 イヴェットにくっついていれば、リュドヴィークに会えると思ってたんだ。

 もう一度、彼に会いたい。
 その想いだけで何年も。

 妄執が募り、半分この世のモノでなくなった姿で彷徨いつつ(プロローグの姿)。

 ギュンター、女キライだしなー。
 マラケシュでかわいこちゃんにコナかけられても、すげー拒絶っぷり。「汚らわしいっ!」って感じで突き放す。
 そーだよなー、君が愛してるのはリュドヴィークひとりだもんなー。女なんかケガラワシイよなー。

 あの事件で、汚されたのは「金の薔薇」じゃない。
 ギュンター自身だ。

 汚された身体。汚された心。

「僕だ。僕がヤった。いいね。僕がヤッたんだ」

 そして呪文が、彼の耳に降り注ぐ。

 −−私を汚したのは、あの男。

 彼は、薔薇を追う。

 ギュンターの愛している薔薇って、リュドヴィークのことだよね。

 汚されたんだから、責任取ってもらわなきゃ! てことで。

 イヴェットを追ってマラケシュまでやって来たギュンターは、ついにリュドヴィークを見つける。
 パリの回想シーンのあと、ギュンターはお散歩中のリュドとオリガを目撃するんだ。

 ところどころで「この世のモノではない狂言回し」だったはずのギュンターは、リュドヴィークを見つけて、「確実にこの世にいる、ただの狂人」に立ち戻る。
 リュドがギュンターを変える。

 リュドヴィークを見つけたのだから、もうイヴェットに用はない。
 ギュンターはイヴェットを追いつめ、自殺させる。彼女が持っている金の薔薇なんか、一顧だにしない。

 そして、ようやく想いを遂げるんだ。

 ギュンターを壊した、紅い血。
 彼が欲しかったのは、リュドヴィークの血。
 リュドを刺し、リュドの血に汚れた刃物で、刺し殺される。リュドヴィークの手で。

 彼の身体の中で、汚れてしまった彼の身体のなかで、ふたりの血が混ざり合う。

 究極の性交。
 混ざり合う紅い体液。

 
 う・わー。ハッピーエンドだぁあ。

 しかも、エロシーンENDですよ。
 ギュンターにとってのオーガズムはSEXではなく、リュドヴィークに貫かれる一瞬だったのだから。

 迷惑な話だけどな、リュドヴィークにとっちゃ。

 暗黒の大地に咲く紅い薔薇、ギュンター。
 君は薔薇より美しい。

 ギュンターにとっての薔薇は彼自身であり、彼を滅ぼすリュドヴィークでもあった。

 ああ、薔薇薔薇薔薇。


< 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 >

 

日記内を検索