星組『ベルサイユのばら−フェルゼンとマリー・アントワネット編−』、第2部でございます。
 記憶だけで書いているので、順不同、台詞はてきとー。

 
・もちろん「今日も散るのか薔薇ひとつ♪」からスタート。
なんか祭りをしている。しみったれたフェルゼン家のシーンだが、幕開きなので派手に作り直してある。
フェルゼンは、フランスを追放されていない。
 →全ツでは「追放された」「追放された」と恨み節全開だった。自分から「愛のために身を引いた」はずなのに、実は追い出されていた、という、フェルゼンをかっこわるくなさけなくするためのエピソードだった。
「貴族として」「貴族なら」「貴族だろう」という、意味のない連呼がマシになっていた。
 →全ツは「貴族」「貴族」といちいち台詞にひとこと付け加えてあり、「貴族祭り」状態だった。
・隠棲生活を送っているフェルゼンのもとへ、ジェローデルがやってくる。彼はフェルゼンに、「国王一家救出」の助力を頼みに来たのだ。
・革命だと? 国王一家がパリに幽閉だと? オスカルはなにをやってたんだ!

・「オスカルは、死にました!」

フェルゼン、オスカルの死を聞いてボケをかまさない。
 →全ツでは、「可哀想に。どんなに苦しかったろう。まだ若いのに」てなことを言ったんだ、このバカ男は。オスカルが王家を裏切って革命に荷担して死んだっつーのに、それは全部スルーして「痛かったろうなあ。かわいそー」てなことを言う。

・はい、ここで、ジェローデルの回想入りまーす。

 かかか回想? ジェロつんの?
 ちょっと待て。ここからはじまるのは……。

・そうです。「今宵一夜」がはじまっちゃいます!!
・見てたのか、ジェローデル?! 回想しちゃうくらい鮮明に、克明に、脳裏に刻みつけたのか?!!
・てゆーか、オスカルとアンドレも嫌だろ。ラブシーンを他人に語られたら。
・オスカル隊長、突然女らしくなってます。てゆーか、カマッぽくなってます。ジェローデルの願望が入っているのかもしれません。
・「巨大な歴史の歯車の前では……云々」あれ? その台詞、ついさっきも聞いたぞ? アンドレが同じこと言ってなかったっけ?
 →全ツでは「今宵一夜」がなかったので、「巨大な歴史の…」台詞を無理矢理別シーンでアンドレが言っていた。今回は「今宵一夜」があるのに、全ツのシーンも台詞もそのままだった……削れよ……。

死の天使、ロザリー登場。
・ベルナールはオスカルの身を案じ、パリへ来させてはいけないと言う。しかしロザリーは。
・「オスカル様は、オスカル様の意志で死ぬのよ。それがいちばん、あの方に相応しいの。だから、止めちゃだめよ。ふふふ」

・さあ、そーしてついに運命の日。軍隊が民衆に牙をむいた! オスカル率いる衛兵隊はどうする?!
オスカルが、優柔不断ではない。
 →過去の『ベルばら』の多くでは、オスカルはこの重大な場面で無能さを顕わにする。指揮官でありながら、部下たちの前で「どーすればいいのかわかんなーい」と立ちつくすのだ。そして、「このまま民衆を見殺しにするのか!」などと周囲から説教されてはじめて、決断する。説教されたから、仕方なく民衆の味方をするの。偽善者め。
・オスカルは即断即決、迷いはない。自由、平等、友愛! 名もなき祖国の英雄になろう!!
・ブイエ将軍と、裏切り者オスカル。最後の対立。「女にだって意見を述べる権利はある!!」(カンチガイ発言4)
ジェローデルが、暴力をふるわない。
 →過去の『ベルばら』の多くでは、ここでジェローデルがやってきて「正気か?!」と問答無用でオスカルを張り倒す。ジェローデルがオスカルという人間をカケラも理解していないこと、女に平気で暴力をふるう最低男だということを決定づけるエピソード。
・とっても見通しのいい橋の上で、アンドレは銃弾に倒れる。まあな、あんなとこにいたらそりゃ狙われるわな……。目も見えてるのにな……。
・「ダーリンが殺された!! 許さない!!」……私怨に燃えるオスカルは、「復讐だ、バスティーユを攻撃しろ!!」と叫ぶ。
・えーと。アンドレの死を悼む気持ちと、革命の戦闘を一緒にしたらいかんでしょうに……。バスティーユを狙う理由も、「われらの力を見せつける」なんて理由じゃあかんでしょうに……。
・公私混同台詞を吐いたあと、「シトワイヤン、行こうーーっ!!」で、バスティーユ攻撃へ。
・私怨台詞を吐かなければいいのにねえ。私怨がきっかけでバスティーユを攻撃したくせに、オスカルの最期の台詞は「フランス万歳」。
・宙に浮かんだ謎のバスティーユ。白旗は、B席からじゃ見えません(笑)。

 「バスティーユが落ちたぞぉーー!」の混乱の中、どさくさにまぎれてジェローデルがせり上がってきている。
 そうそう、コレ全部回想だってば。

・回想シーンがあまりに長かったため、フェルゼンは自分の台詞を忘れてしまったらしい。回想に入る前に言った台詞をもう一度言う。……忘れていたのはたぶん、植爺だろうけど。
「王妃を助けることが、オスカルの意志」であることを、ジェローデルが解説する。
 →全ツでは、「オスカルは王妃様を裏切って死んだ。王妃様を助けるのはオスカルの意志」という、わけのわからない話をしていた。そしてその間、フェルゼンは「かわいそうに」しか言わない。
・オスカルは真に「フランスのために」行動した。民衆に味方することになっても、それがフランスのため、ひいては王家のためにもなると信じて。アントワネットを裏切りたかったわけじゃないんだよ。……植爺はたぶん、理解して脚本書いてないけど。観客が理解してるから、まだ救いはあるか。
・「おねえさま」を連呼しておねえさまを説得、どーして「姉上」と呼んじゃいかんのかなあ、30男がさあ……疑問を置き去りに、フェルゼンはジェローデルと共にフランスを目指す。

 あ、あれ?

・「行け行けフェルゼン!」がない?!
 →通常ならこのあと恐怖の「スウェーデン宮廷」、そして抱腹絶倒の「行け行けフェルゼン」になるんだけど。あ、順番チガウか。「行け行け」は「国境近く」のあとだ。
・にしても、「スウェーデン宮廷」はもう、「フランス宮廷」でやっちゃったしな!
 →国王役の俳優も同じ。台詞も演技も同じ。掲げるテーマも、ロジックも同じ。だけどストーリー上の意味は正反対という、この世の物語ではありえないことをやったわけだ。

 さあてそのころ、アントワネットは?

・あれ? そーいえば「マリー・アントワネットは、フランスの女王なのですから〜〜!」がなかったぞ?
・フランス王家のみなさんは、すでにベルサイユをあとにし、パリでホームドラマをやっていた……。

 続く〜〜。


 星組『ベルサイユのばら−フェルゼンとマリー・アントワネット編−』のおおまかな物語の流れ。
 プログラム買ってないんで、記憶のみで書く。だもんで、場面の順番など気にしないよーに。
 

・もちろん、「ごらんなさい♪」からスタート。
・マンガ絵から、アントワネット、オスカル、フェルゼン登場。

・オーストリア宮廷。「14歳祭り」開催。無駄に意味なく繰り返される説明台詞。ステファン人形登場。(S−1)
・アントワネットの嫁入り。ガラスの馬車登場。こまったもんだ。

・現在のベルサイユ。現在のアントワネットとメルシー伯爵の説明台詞がエンドレス。ステファン人形の説明。(S−2)

 てなことがあったうえで。
 まずはフェルゼンとアントワネットのふたりの関係について。

・フェルゼンとアントワネットのデートは小舟の上。恋人同士の会話は、恨み辛みを並べることに終始。……こええ。
・「不倫はやめろ。愛しているなら、相手のために身を引け」という至極真っ当なオスカルの言葉にフェルゼン反発。
・「女のくせに男の格好をしているから、そーゆーことを平気で言えるよーになるんだ」(カンチガイ発言1・後述予定)
・フェルゼンに罵られたオスカル、いじいじ。「私だって女だ」(カンチガイ発言2)
・メルシー伯爵がフェルゼン邸に侵入。アンリエッタの寝室に現れるヴィットリオのように、窓から情熱的に! やーん、フェルゼン逃げて逃げて〜!!
・フェルゼン、メルシー伯爵相手に逆ギレしていたそうだが、記憶にない。起きていたkineさん曰く、今まで通りだったらしい。ステファン人形の説明。(S−3)
・「愛の三叉路〜♪」と、自分だけが得する道を思案して歌う。……このへんからは目が覚めたので、記憶がある。

 つーことで、悩んだフェルゼンは。

軍服コスプレでアントワネットに別れを告げる。
アントワネット、逆ギレしない。
 →全ツ版ではオスカルに対して根拠のない難癖をつけて罵っていた。
・別れを決意したフェルゼンを誉めるオスカル。そのくだりで、どーゆーわけかオスカルの気持ちに気づくフェルゼン。自己正当化の言い訳を並べる。うざ。

 一方、オスカルとその周辺の物語は。

・オスカルは現在のフランス情勢に危機感を持っている。でもって、ブイエ将軍と対立している。
・またしても「女だから」つー話になる。(カンチガイ発言3)
・対立が表面化して口論になったところへ、ジャルジェ将軍登場。オスカルに張り手一発。辻褄の合わないつぎはぎ台詞。
・政治批判と女性人権論がごっちゃになっているキモチワルイ会話が続く。書いた人、相当アタマ悪いですね。

・国家を憂うオスカルと、「はっはっはっ」と笑うアンドレ、石につまづいて、あとは追いかけっこへ。
 →あ、あれ? 全ツでは天下無敵のバカップルだったのに? 同じシーンがそのままあるのに、バカップルになってない??

フェルゼンが、アンドレに説教しない。
 →全ツだの他のフェルゼン編であった、意味のないシーン。無責任不倫30過ぎ留学生が、自分の阿呆さは棚上げして他人にえらそーに説教たれる。余計なお世話極まれり。フェルゼンのバカさを強調するエピソードであり、こんなあさはかな説教くらってその気になるアンドレの情けなさを印象づけることになるエピソード。

かわりに、ジェローデルとアンドレのシーンがある。同じ女性を愛した男ふたりが、男として軍人として誠心誠意生きることを誓う。

・悶絶夫人、失神夫人が金切り声を上げる。まず、最初に1回。
・ええっ、まだ登場するの? しかもまた、リセットされたかのよーに悶絶失神やって、ざーますソングまで歌っちゃうの?! ……長いよ。

 でもって、王様関連の話は。

・ルイ16世(ちなみに、アンドレと同い年。まだぴっちぴちの青年)の趣味は、狩猟と錠前作り。錠前作りだ。なのに、「もう少しでこの錠前が開けられそうなんだ♪」と小箱を持って登場。錠前開けが趣味の王様ってナニ? 鍵を使わずに錠前を開けるのが趣味……そんなのが趣味……。(ゴトッ。ショックで錠前を落とす)
・ついでに、夜の散歩も趣味。のーみそが子犬ほどのお小姓を連れて。玄宗並みの愚痴を長々とこぼしつづける。愚痴も少しなら可哀想だが、語り過ぎられるとうざいだけであるという見本。てゆーか長すぎだ、このシーン。

・スウェーデン宮廷シーンがない。
 →全ツ、フェルゼン編の定番だった、キ*ガイ場面。一国の王が「他国の王妃をさらってこい。なーに、愛があればなにをしたっていいんだ。正義だ。ワシが許す!」と送り出す話。いやソレ、犯罪だから! 戦争になるから!

かわりに、フランス宮廷シーンになっている。
・テーマは「真実の愛とはなにか?」。青年の主張はフェルゼンくん、解説はルイ16世、プロバンス伯爵、ジャルジェ将軍でお送りします。
・「愛する人のために、身を引こうと思います!」「愛する人のために身を引く?! それは何故だ!」「真実の愛だからです!!」「おおっ!!」(どよどよどよ!!)
 ……アンタら、アホばっかですか。
 「ぼくの好きな食べ物は、たこ焼きです!」「たこ焼き?! それは何故だ!」「ほんとーに好きな食べ物だからです!」「おおっ!!」……こんなロジックを真面目にする人たちとは、お近づきになりたくないっす……。アタマ悪すぎ。
それでも、フェルゼンがさまざまな愛を語ることで、主役としての正しい仕事をしている。
 →全ツや他のフェルゼン編でただの無神経自己中男としてしか描かれなかったフェルゼンがはじめて他人の気持ちもわかるという具体的な描かれ方をしている。
すべての主要人物の立場をまとめ、それらを踏まえた上で「愛ゆえに身を引く」という正しいことを、堂々と行う。これこそ主役。これこそヒーロー。
・まあ、その「正しいこと」にたどりつくまで、ほんの10数年ほどかかって、オスカルに説教されて逆ギレして彼女を傷つけたり、メルシー伯爵に説教されて逆ギレして「愛の三叉路〜♪」と歌ったりいろいろしちゃったけどね。えへっ。
・真実の愛を胸に退場していくフェルゼンは、すげー、かっこいい。

 ここで、1幕が終わる。
 休憩休憩。


 印刷技術の進歩、万歳!

 これほど、「技術」の革新をよろこんだことがあったろうか。はじめてDVDレコーダを使ったときのような感動。最近で言うなら、買い直したDVDレコーダのW録画機能に震えるほど感動した(笑)、あのときのよーな思いだ。
 ありがとう技術者の人たち!

 と、幕開きから盛大によろこんだ。

 今回の星組『ベルサイユのばらーフェルゼンとマリー・アントワネット編ー』のことだ。

 つーのも、今回のプロローグは、「軽く3m×3mはあるだろーマンガの顔がぱかっと開いて、そこから役者が登場」という、最悪なパターンだったのね。演技で役を表現するとかじゃなく、マンガ絵まんま使ったプライドのカケラもないアレ。

 このパターンを最初に観たときは、ショックだったなあ。
 なにがショックって。

 デッサンの狂い方が。

 ありえねーだろ。
 目の位置が変、鼻が変、口の位置はさらに変。……ふくわらい? 目隠ししてパーツを並べた? そうよね、そうでなきゃありえないわよね?
 マンガ雑誌の「お便りコーナー」に載っている、「アタシ、マンガ描くの得意なの!」な中学生レベルの絵。
 あまりに下手すぎる絵に、原作ファンとして顎が落ちた。

 その汚すぎる絵から、アントワネットが、オスカルが、フェルゼンが出てくる絶望感。
 お笑いじゃないんだからさ……シリアスで、悲劇なんだからさ……なんとか、もう少し……。

 宝塚の舞台美術スタッフの技術の低さを思い知った瞬間(笑)。
 そりゃ、わかるよ。数cmの小さな絵を同じサイズで写すのだって、手で模写する以上崩れるものだって。それをあの大きさにまで「手で」写すわけだから、マンガ絵を描いたことのない「素人」(舞台美術のプロでも、マンガ絵は素人だろ)にはあれが精一杯だったんだろう。
 わたしの絶望は、そこじゃない。
 少女マンガっちゅーのは独特の世界と計算式で成り立っている。もとの池田理代子の絵だって、「人体骨格的に正しい」絵ではない。だが、一定のルールと感性でデフォルメすることによってあのお目々きらきらの絵が成立しているんだ。
 もしも「正しく」少女マンガを読める人があのグタグタに崩れたふくわらい絵を見たら、「おかしい。崩れてる」とわかるはずだ。考えるまでもなく。そして、そんなふーに「ふくわらい? もしくはピカソ?」ってくらい抽象的になってしまった絵を、金を取って何万人に見せるなんて、ふつーの神経をしていたらできない。
 そこにあるのは、ただの「下手くそな絵」だ。プロの仕事ではなく、原作のルールを理解せずに描かれた「子どもの落書き」だ。
 何故、プロの舞台関係者たちが、そんなひどいものを平気で商売に使うのか?

 あのひどい絵を冒頭で見せられて、絶望したのはそこだ。
「この崩れた絵を平気で人目にさらすってことは、プロとしてのプライドを持たない人たちが、この舞台を作っているのではないか?」
 ……という危惧を通り越し、
「この崩れた絵を平気で人目にさらすってことは、崩れていることに、気づいてないのではないか?」
 だったのよ。

 前述の通り、原作の絵だって人体骨格的に正しいわけじゃない。それのみを正として見た場合、十分「崩れた、下手な絵」に見える。
 少女マンガを理解できない人から見たら、原作のオスカルもアントワネットも、「子どもの落書き」ぐらい下手くそなまちがった絵なのよ。ルールに従ってデフォルメされているのに、そのルールを先天的に理解できない人から見たら、「ふくわらい?」くらい崩れた絵なの。
 そーゆー人からみたら、原作の絵も、この舞台上のグダグダに崩れた絵も、どっちもどっち、どうせ崩れた変な絵でしかないってこと。

 常識ではあり得ないくらい、崩れた絵が恥ずかしげもなく舞台で使われているこの現実は。
 この絵が「崩れている」ことに気づかない人たちが、この舞台を作っている、ということ。
 それはすなわち、

 『ベルサイユのばら』を根本的に基本的に先天的に、理解できない人たちが、この舞台を作ったのではないか。

 という絶望感だった。

 そしてそれは、真実だった。
 作・演出をする植田紳爾という人物は、最初から最後までついに『ベルサイユのばら』を理解できないままの人だった。

 そう。
 オープニングで、「これをオスカルと言ったら、オスカルへの冒涜だろ」という崩れた絵を使って平気であるということに象徴されたように。

 
 てなことがあったから。

 あれから何年? 何十年?
 印刷技術は進歩し、マンガの小さな絵を、人間が手で大きく描き写す必要がなくなった。
 原版をデジタル処理することによって、いくらでも、どんな加工でもできる時代になった。
 もう映画館だって、似てない巨大な似顔絵看板を飾る必要はなくなった。宣伝用ポスター写真を拡大して看板にすればよい時代になった。
 タカラヅカも、「素敵な絵ね」と言って、ヴィットリオ@オサとアンリエッタ@ふーちゃんの畳数枚サイズの写真を飾ることができるよーになった。

 印刷技術の進歩、万歳!

 これでもう、『ベルばら』のプロローグですでに絶望することもなくなった。
 そこにあるのは、原作のイラストをまんま拡大したものだ。見慣れた絵だ。
 植爺作品のひどさに、いずれ絶望するにしたって、幕が開くなり絶望、ということだけは回避された。
 そこまで強く思わなくても、崩れたひどい絵を見て観客が失笑することはなくなった。……もちろん、マンガ絵を使うという演出のダサさに失笑がもれることがあったとしてもだ。

 
 時の流れを感じたよ。
 たかが、プロローグのマンガ絵1枚にね。

 そして、そうやって印刷技術が変わって時代が変わったのに、それでも変わらない植爺のセンスと存在。
 それに、感心し、改めて失笑した。

 
 とゆー前振りではじめましょう、星組『ベルばら』の話。


 黒柳徹子は、どんどん株を下げている……。

 わたしの中でね。

 『愛・地球博』のサル池イベントのナレーションで、最悪にウザいうるさい金属音で棒読みをし、大いに株を下げた。
 たのむよ、プロを使ってくれよ。アナウンサーでも声優でもない人が、声だけで解説をしたり、演技をするなんて無理なんだからさ。

 そこへもって、『花の道 夢の道 永遠の道』の「声の出演」だ。

 『花の道』はバカ高い料金を取る言い訳に、チャリティーを謳っている。便利な言葉だ、チャリティー。チケ代の何割を寄付したのか秘密だから、割高だったチケ代が正しい価格設定だったのかは永遠の謎として歴史に刻まれる。
 ま、ユニセフに寄付、つーことで、親善大使だかの黒柳徹子氏にご出演……いただくはずが、来てもらえなかったんだってさ。
 それで、「声だけ」出演。録音されたメッセージを聞くことになった。

 この録音メッセージがまた、ひどかった。

 長いんだわ。
 喋る喋る。
 それも、空気読めない系の喋り。
 要点を簡潔にまとめられず、本能のままにだらだら喋る。
 しかも、噛みまくり、てにをは間違い、言い直しなど、耳障りに尽きる。

 生ならいいのよ。
 要点ズレてても、てにをは変でも、噛んでもまちがっても、実際にそこにいて、その場で喋っているならそれもアリだ。
 しかしコレ、録音なのよ?
 なんで文章まとめないの? まちがった言葉を平気で使うの? 言い間違いをそのままにしておくの?
 これが書籍なら、執筆依頼をされて、下書きのまま渡したようなもんだよ? 手書きで、まちがったところにバツ印つけて、横に小さく書き直してあったり、誤字脱字だらけ、それをそのまま書籍として印刷してあるよーな。そんな感じだよ。
 プロとして、それはどうなの?

 ありがたがって拝聴しなければならないよーなメッセージではなかったよ、ほんとに。

 本人に出演してももらえず、こんな「下書き」みたいなメッセージだけもらって、歌劇団、ナメられてるなあ、と、とほほな気持ちになった。

 
 それでなくても、この『花の道』イベントは、構成がひどく、「客をたのしませること」は考えていなかった。
 出演者が1シーン登場し、劇場の熱が少し上がったかな、というときに、わざわざ「小林大先生様のありがたいお言葉」を朗読し、水を差す。
 そうやって凍りついた劇場を、次の出演者が1シーン登場することによって少し温度を上げ、また「大先生のありがたいお言葉」で冷却する。
 その繰り返しだからなあ。
 司会者がうまければまだマシだったんだが、これまたひどい出来でなあ……。声は美しいし、情感もこもっていて、そーゆーところはよかったんだけど。なにしろ、噛みまくりでなあ……。あと、原稿が日本語変なところもあって(2回とも同じまちがいをしていたから、原稿自体がまちがってるんだろ)、耳障りなんだよなあ。
 

 第2部のOG編がよかったのは、そんなものすげーブリザード吹き荒れるよーなマイナス何度の世界でも、彼らが独自の熱で場を盛り上げる術を持っていたためだ。

 現役生たちは、そこまでの芸を極めていない。
 なのでどーしても、この構成では本来の力を発揮できない。

 サムいイベントだったよ(笑)。
 タカラヅカと出演者を愛していなければ、見ていられないよーな世界だった(笑)。

 
 さて、最後の最後、現在スケジュールが空いている生徒全員で「大先生様を讃える歌」を歌う。
 や、歌詞は聴いてないんでよくわかんない。タイトルが「花の道讃歌」だから、そーゆー意味だったんじゃないかと。

 オケ席の奥にある大階段に、袴姿で全員集合。
 歌なんか聴いてる場合じゃないって。誰がどこにいるのか、探しているだけで終わってしまう(笑)。

 前もってkineさんに教えてもらっていたので、わたしは見事に一発でまっつを見つけた。
 オペラをひょいとのぞいたその1回目に、まっつがちゃんと視界の真ん中にいたのよ。

 まっつは、素顔化粧でした。

 ショーに出演していた人は舞台化粧、それ以外は素顔化粧。圧倒的に素顔が多いのに……まっつの両隣は、よりによって舞台化粧さんだった。

 まっつ……視覚効果でさらに薄いよ……。

 第1部の音校生のよーに、ものすげー神妙なカオで歌ってましたよ。

 
 すげーなー、と思ったのがみわっち。
 この人最近、戦闘意欲にあふれているよねええ。
 こんなしどころのないショーでも、ガンガン自分を売りにかかってるし、最後の大階段合唱でも、譜面をほとんど見ずににこにこ微笑みながら歌ってるのよ。客席に目線配ってるのよ。
 他の人たち、みんなうつむいて譜面とにらめっこしてるのにねえ。

 ともちの後ろが七帆だったことに、人知れずウケる。(あれ? 十輝だったっけ? 記憶が薄れて自信がなくなったぞ? とにかく、でかくて薄い素顔の人・笑)
 やっぱアレですか、ともちの後ろが小柄な娘役さんだったりしたら、隠れてしまって見えないからですか。
 わたしも先日の『1万人の第九』でアリーナ席だったんだけどさー、ふつーに歌ってたら、後ろの人から「あなたがでかすぎて、前が見えません。右側に寄ってもらえますか」てなことをお願いされたもんなあ。ひな壇だったのに……段差より、わたしのカラダの方がでかかったですか、そうですか。
 ともちだって、娘役さんとの身長差、段差よりも大きいよねえ。なんかリアルにうなずいてしまったわ。

 そのかとまっつは、いつも対の位置。ふたり同時に見られないのがつらい。
 そのか、リアル男子だ……かっこいー……。

 脳を鍛えるパズルでもやっている気分。
 「**はどこだ」と、ひとりずつ時間内にさがしていくの。
 あんまり真剣にやっていると、目眩がしてくる。カオカオカオ。ふつーのカオの間に、ふっと濃い舞台化粧。うおっ。
 オペラグラスの視界が、肌色で埋まってる。

 
 にしても、大変だったねみんな。
 大階段の1段って、20数センチ、足の大きさくらいしかないんだよね?
 そこにあの人数でぎっしり整列したまま、ずいぶんな時間直立不動で待たされていたわけでしょ? ひとりふらついただけで、大惨事になりかねない状態で。
 そりゃみんな、カオがこわばっているわけだ。上の方の下級生とか、ひたすら気の毒だったよ。さぞつらく、こわかったろう。
 無事に終わって良かった。

 
 なにはどうあれ、ナマで観たからたのしめた。
 やっぱライヴであることってのは、大きい。
 しかしやっぱ、商業演劇集団として、こんな身内マンセー舞台を「興行」としてやる歌劇団には疑問が残る。
 ほんと変なとこだ、タカラヅカって。

 
 でもって、最後に私信。

 木ノ実さん、『花の道』チケ、ありがとうございました。
 こんな、よろこんでるんだが、クサしてるんだかわかんない感想になってしまってすみません。

 でもってぜひ今度、まっつ語りしましょー!!
 まっつ語りに飢えてますからわたし!
 まっつまっつまっつ。


  わたしが『花の道 夢の道 永遠の道』を観ようと思った理由のひとつは、まちがいなく春野寿美礼だ。オサちゃんの歌を聴きたい、つー気持ちがあった。
 それからなんといっても、まっつ。全員出席イベントだから、ろくに出番なんかないだろーけど、メイン歌手様の後ろでぞろぞろ踊っている中にはいるだろ。2階席からまっつを探して眺めるべ。

 ……まさか、両方裏切られるとわっ。

 寿美礼ちゃん休演は、仕方ない。残念だけど前もって知らされていたので、しょんぼりあきらめた。
 まあいいや、まっつは出るんだから……と、自分をなぐさめていたのに。
 現役のショー出演者は、各組4番手まで(W含む)。それ以外は全員、ラストの合唱のみ。
 えーと。まっつは何番手だ? オサ、ゆみこ、まとぶ、らんとむ、みわっち…………わあぁぁああんっ。

 ステージ上にオケ席が作られていたのが、すべての悪因。
 2階席からは大階段が見えず、ステージが狭いからバックダンサーもいない。今までもステージ上にオケ席が作られていたことはあったが、そのときは大階段をずっと出したままにはしていなかった。
 小林大先生様が、「オーケストラの指揮をしたい」という夢を持っていらっしゃったことと、全員出席で小林大先生様の偉業を讃える、というふたつの目的を果たすために、客のことなんかどーでもよくなった模様。……2階席からは舞台切れるんだよ……。S席いちまんえんもするのに……。(定価出している人は怒っていいのでわ? するとわたしには、怒る権利がなくなってしまうが……

 
 まっつの出番がないことにヘコみつつも、第3部本編開始。

 立樹遥氏がみょーにオイシイのは、気のせいですか?

 たった60分で各組4番手までぞろぞろ出演するわけだから、出番なんかほとんどない。
 最初に全員が順番に登場したのをのぞけば、トップ(ワタル、コム)が2回、2番手(トウコ、かしげ、水、タニ)が1回ずつ登場、あと2人口以上の扱いの登場は、ゆみことまとぶ、キムとれおん。
 トップ−2番手−2.5番手−3番手が彼らなのね。
 そして、それ以外の人たちが大勢でわいわい出るときに、何故かいつも、しいちゃんがセンターにいる。
 上記の人たちが真ん中にいるのはわかるが、それ以外で真ん中固定がしいちゃん、つーのは……びっくりだ(笑)。学年順ってのは、すごいなあ。また、「その他大勢」扱いなので、なまじなスターより出番が多い。銀橋まで渡っちゃうしなっ。

 理由が微妙でも、しいちゃんが真ん中でわらっているのでうれしい。
 ついでに、ともちが男前。
 ともちがウメちゃんと組んでてねー。なによあのビジュアルカップル。すげー長身の美男美女ががしがし踊ってるのよー。きゃー。ウメが小さい〜〜可憐〜〜ありえね〜〜(笑)。
 スターオーラびしばしのキムと、余裕ナッシングのれおんコンビとか。……同じように小さいころから抜擢受けて、この差はなんなのかしら。キムのあーゆーとこ好きだなー。

 タニちゃんとあすかちゃんのカップルも、すごかった。
 2番手としては唯一単独ではなく、銀橋もなかったタニちゃん。「シトラスの風」を歌いながら大階段を降りて来るんだが……。

 大和悠河、大暴れ。

 ものすっげータニちゃん。あまりにタニらしくて、爆笑。
 歌がものすごいのよ。だけどひたすら前向いて、堂々とかっとばしまくるの。
 伴奏もデュエットしているあすかも陰コーラスも、一切無視!!
 潔いまでに、自分の音程で歌っていた。

 あすかちゃんが必死にタニに合わせようとしているのが、これまたツボ。
 振り返らないタニの横顔をちらちら見ながら、一生懸命声を調節しているの。
 あすかちゃん、いい子だなあ……でも、さすがの君も、あの破壊力をフォローすることはできなかったね(笑)。

 花組のW2.5番手……ゆみことまとぶ。
 このふたりの「並びの悪さ」はなんなんだろう。
 ふたりひと組で場を回しても、華やがないのね。そして、ふたりでハモッてみても、響かないのね。
 変だなあ、まとぶはあんなに華やかな人なのに。変だなあ、ゆみこはあんなに歌のうまい人なのに。

 まとぶの華を打ち消す、ゆみこの地味オーラ、恐るべし!!

 ゆみこと組むと、まとぶが地味になる!! すげーやゆみこ!(ゆみこ大好き・笑)
 そして、まとぶと組むと、ゆみこの歌がそれほど深くなくなるのね。声や歌い方の相性の問題かしら。オサ様相手だと、あんなに響き合うのにね。

 らんとむの偉大さを知る。
 ここにとむ氏が入れば、ぱっと華やかになるんだよね。
 ゆみこととむでもいいし、まとぶととむでもいい。
 とにかくらんとむがいると、場がぱっと華やかになるんだ。
 ついでに、とむ氏の持つ「昭和オーラ」も解放されるので、まとぶの持つ現代的なスマートさは相殺されてしまうと思うけど(笑)。

 その、我らがとむ氏はといえば、なんだかあんまりな使われ方をしていた。
 同期並べで4人口。とむ、すずみん、壮、あひ。
 キムとれおんが2人口のうえに、ゆみこ・まとぶと一緒に銀橋まで渡ってしまうことを思うと、貧乏くじっぽいよなー。

 見終わったあとに、「しいちゃん、不思議においしかったよなー。ゆみことまとぶもいっぱい出てた。キムれおんすげー。……あれ? らんとむたち出てたっけ?」という印象になってしまった。

 それでも、すずみんは笑顔が素敵。この人のぱあっと明るい笑顔好き。
 らんとむは、裏切らずにらんとむ。ふふふ。
 壮くん、やっぱ髪型変(笑)。あひくん……薄い……。

 トップ娘役3人は、華やかでかわいかったっす。
 そーいや、1部の小林大先生へのお花贈呈は、午前がまーちゃん、午後がとなみちゃんだったなー。そっちもかわいかったー。

 ところで、ワタさんとコムちゃんがふたり並んで大階段を降りてきたときは、笑えたなー。
 縮尺まちがってます!って感じで。
 コムちゃんがそのままワタさんの中に入りそう(笑)。マトリョーシカみたいに。黒燕尾ワタさんをぱかっと開けると、中にコムちゃんが収まってるの。

 でもって、この男ふたり、「愛あればこそ」を歌うんだが。
 これってさ、男女のデュエット曲でしょ? 期待したのに。
 生髪の男の姿のまま、手を取り合って歌うところを。
 なのに、ふたりともただ並んで真正面を向いて歌うだけで、見つめ合いさえしなかったよ……しょぼん。劇団、ほんとにわかってないなー。
 歌うワタさんのところに、コム姫が登場した最初のとこだけかよ、ふたりが正面向いてなかったの。

 それに、コム姫とワタルくんなら、姿がオトコマエなのはワタルくんだけど、声がオトコマエなのはコムちゃんでしょ?
 このふたりで、コム姫女性パート、ワタさん男性パート、てのはなかなか愉快でした。
 コム姫、あんなに可憐な姿なのに、歌い出すとオトコマエだからなー。
 あんなに野太い声の「我が名はオスカル」はぢめて聴いたよ(笑)。

 続く〜〜。


 小林公平様の偉業を讃える会『花の道 夢の道 永遠の道』の、第2部OG編の話の続き。
  

 鳳蘭があまりにコテコテだったので。

 次に登場するずんちゃんで、場が冷えてしまった(笑)。
 ずんちゃんは相変わらず薄いよなー(笑)。宙組の正しきトップスター。薄く白く美しく。
 技術的にはたぶん、いちばん秀でているんだと思うよ。余力を残しまくった、「想定範囲」のなかのみで間違いなく端正に歌いきる。冷静に、淡々と。いちばん若く、だからこそ美しく。
 なのに、いちばん魅力が薄かった。ずんちゃんはただの「女性ボーカリスト」であり、「タカラヅカOG」ではなかったし、「男役」でもなかった。端正に「女性歌手」としてそこにいた。他の舞台なら、それでよかったんだろうね。

 でもここ、タカラヅカだから(笑)。

 他の3人は、「タカラヅカOG」として、「男役」として舞台に立っていたのね。だからとてつもなく濃かった。ヅカの曲だけでなく、彼女たちの「今」の歌を「女性舞台人」として歌う姿にも、明確な意志と意義があった。

 高音は出ません、でもそのぶんハートで歌いきります歌唱のいっちゃんの「星から降る金」は、その語りかけるよーな歌声にマジ泣きした。
 続く麻実れい様の「ためまくり」で自由自在大暴れな「愛の賛歌」や、どすこい深紅のドレスに着替えた大御所のこれまた洒落になんねー「スポットライトを浴びて舞台で死にたい」とゆー心意気をガシガシ歌う「歌いつづけて」。
 「歌」としての技術だとか素質だとかでいうなら、ずんちゃんがいちばんで、あとは順に下がっていっているだろーに、けれんみというか表現力というか、魅力や他者に訴えかける「力」はずんちゃんがいちばん下で、あとは順に上がっていくんだなー。
 すごいなー。技術だけじゃないんだ、歌って。舞台って。

 鳳蘭のすごさを見せつけられた舞台。
 鳳蘭、麻実れい、一路真輝ときて、姿月あさとの浮きっぷりがちと気の毒なほどだった。ずんちゃんだけ、なにもかもちがうんだもん。

 ま、それはともかく。
 麻実れい様よ。

 女になってからもこの人、ものすげー愉快だった。
 ツレちゃんが「みんなよっといでっ、祭りだよ!!」とゆー感じの押し出しの良さで魅力を発散するなら、ターコさんは「麻実れいの世界」にうっとりと入り込むの。うっわー。別のオーラ出てるよー。長い髪をひとつにまとめてアップにし、ドレスを着てなお、男ではないし、女でもない。何人とかゆーんじゃなく、不思議な、麻実れいという生き物なのよ。別個の生物なの。

 『花の道』を通していちばんたのしかったのは、麻実れいの宇宙人ぶりだった。
 ああ、かっこいー、麻実れい様。この人に口説かれたらあたし、絶対墜ちる。あの長い髪を肩に落として、あのセクスィヴォイスで「こあら、これからアタシの部屋に来ない?」とか言われたら、めろめろりんでふにゃふにゃついていくなあ……。(女言葉で口説かれたいっ。女言葉使ってても、性別不明の美しい生き物よ、あれはっ)

 あー、おもしろかった。『はばたけ黄金の翼よ』のビデオでも発掘して、見直してみよーかなー(笑)。

 
 第1部を観て、「帰ろうかな……」とドン引きしていたのが、この第2部で来て良かった! な気持ちに。

 ここで休憩があったわけなんだけど、そのときにロビーで落ち合ったサトリちゃんも、OG編をめちゃくちゃたのしんでいた模様。
「歌聴いて号泣しちゃったんですけど、マジやべえ」
 とかゆって現れるし(笑)。

 わたしも泣いたよー。油断してたから、相当効いたぞ、一路真輝おそるべし。

 そしてなにより、麻実れい様で盛り上がる。

 同志サトリよ!! まさかこんなところに、麻実れい様のすばらしさで手を取り合える仲間がいようとわっ。共に彼女の現役時代を知らないのに。

 わたしたちは午前午後とも2階席だったんだが、午後公演は「1階で観よう」と誓う。
 席チケット捨てて、立ち見にもぐりこもう。わたしもサトリちゃんもでかいので、人の頭越しでも十分見える。立ち見の人たちがちゃんと自分の場所を確保したあとで、後方にまざろう。
 てゆーか第1部いらないし。
 2部から劇場に入ればいいよな。暗転のときにでも。

 オケ席がステージ上にあり、大階段がその後ろだったので、ものすごーく深い位置になっていたの。
 だもんで2階からは見切れてしまって、大階段が全部見えないのよ。
 ひどい話よねえ。通常より高いチケ代取っておきながら、舞台が全部見えない席があるんだから。

 んで、わたしたちの「1階で観よう」の直接的な原動力は。

 大階段に登場する麻実れい様を、最初から見よう!

 ……でした。
 2階席からじゃ、大階段の上見えないもーん! 麻実れい様のために、立ち見するわよお。

 
 実際わたしとサトリちゃんは、午後公演の開演時間にはまだ、某店で昼ごはん食べてました(笑)。

 そんな人たちが、わたしたちの他にもいたよーで。
 開演しているのに、劇場内ロビーで歓談している人がいたり、トイレに人がいたり。まあなあ、素人指揮のひでー演奏何度も聴かされてもな……。

 小林大先生様の指揮で、音校生たちが合唱をはじめるころにこっそりと立ち見席に混ざる。……立ち見の人たち、少なかったっす……。みんな手すりにもたれていて、壁際は空いていた。
 おかげで悠々観劇。

 目的の麻実れい様も堪能できた(笑)。
 サトリちゃんは「ターコ様目線位置」に立ってしまったらしく、麻実れい様から目線がばしばしとんできて、悶絶してました。うらやますぃー。

 
 とにかく、全編通していちばんたのしかったのが、第2部のOG編。

 この濃ゆい濃ゆい2部を観たあとでは、現役生たちによる第3部が、とても薄く淡泊に見えてしまいましたことよ。


 麻実れい、うさんくせーっ!!(笑)

 『花の道 夢の道 永遠の道』でいちばんウケたのは、他でもないターコさんだ。
 いやあ、おもしろかった。大爆笑。
 こんなにおもしろい人だとは知らなかった。

 登場からして、ハンパではなかった。

 第2部はOGコンサート。
 まずずんちゃんが出て、その歌唱力で空気を変える。
 第1部が小林公平氏による素人指揮と実力がかなりアレな宝塚歌劇団オーケストラの演奏という、「帰ろうかな……」「まちがえたかな。あたし、ここにいていいのかな」と観客をドン引きさせる演目であっただけに。
 おまけに、書いてある原稿を読み上げるだけなのに、3行に1回は噛む、素人丸出しの司会者がさらに「大丈夫なのか、この公演」という不安感をあおり、すばらしいわけでもなんでもない素人文章である小林氏のエッセイを褒め称えながらだらだら読み上げるという構成に絶望感が募っていただけに。
 それらの空気を、ずんちゃんが払拭してくれた。
 『エクスカリバー』の主題歌を朗々と歌い上げたずんちゃんに、返された拍手の温度がちがった。音がちがった。
 ああ、観客の心がひとつになっている。
 第1部の拍手は、こんな音じゃなかったもの。わたしは午前午後と2回続けてこの公演を観たんだが、2回ともここの拍手の盛り上がり方が同じだったので「みんな同じ気持ちなんだわ」と安心した。
 ずんちゃんが出てくるまでのこの公演、かなりやばかったよねええ?(笑)

 ずんちゃんが歌い、ドン引きしていた観客がほっと息をついた。
 次に登場したいっちゃんで、よーやく「ミュージカルスターのコンサートを観に来たんだ」ということに気づく。
 たぶん、歌唱力ではずんちゃんの方が上だろう。でも、表現力で勝っているのがいっちゃんかな。過分にハートフルで、少々暑苦しい歌声(笑)。
 持ち歌の「愛と死の輪舞」をトートになりきって歌い、わざわざ衣装を替えて、スカーレットの「明日になれば」を歌う。
 
 わたしは、そのいっちゃんが銀橋で力強く絶唱しているときに、ライトのあたっていない本舞台に気を取られていた。
 次のスターが、銀橋でスタンバッているんだわ。

 その、姿が。

 ごめんいっちゃん。
 歌っているあなたより、真っ暗な銀橋で黄昏て立っている麻実れい様に釘付けでした。

 なんなのあれ。
 おもしろすぎだ。

 ただ、立っているだけなんだけど。
 片方の肩をあげ、うつむき、入っちゃってるの。
 そこに、なんかいる。
 立っている。
 なんか、とんでもない生き物が立っている。

 いっちゃんが拍手と共に去り、銀橋にライトがあたった!
 暗闇で黄昏ていた男が、その光にふっと顔を上げる!
 シニカルに、セクスィに口元だけで笑い、男は歌い出す。「君はマグノリアの花の如く」、レット・バトラーだ。
 丈の長いジャケットに、細身のブラックジーンズ。年齢不詳の色男はお貴族さまのよーな裾巻き毛のロングヘアを無造作に背中に流し、自意識過剰の巻き舌とハスキィヴォイスでねっとりと歌い上げる。
 その声、歌い方、仕草、表情、立ち居振る舞いのひとつひとつ、そのすべてが。
 胡散臭ぇ。
 も、どっから見ても完璧に、胡散臭いのよっ!!(笑)

 色男の名は、麻実れい。
 年齢不詳、性別不明。
 あれはなんですか。人類ですか。
 別の宇宙から来た人ですか。

 司会の檀ちゃんとのサムいトークのあと(檀ちゃんは誰を相手にしても自爆していた)、麻実れい様は『はばたけ黄金の翼よ』から2曲つづけて披露する。
 ねっとりこってりストーカー風ラヴソング「君を愛す」。まさにお貴族様な立ち居振る舞いで、美形オーラをばしばし出して陶酔したまま銀橋を渡る。
 すげえ。すげえよ麻実れい。そのトップテンションはなにごと? 恍惚としてらっしゃいますが。
 そーやって銀橋中央まで来た彼は、わたしたちに背中を向けた。曲調ががらりと変わる。突然、ノリノリです。麻実れい様はくるりと振り向いて、すばらしい勢いで腰をお振りになり、「いえいっ」な調子で「はばたけ黄金の翼よ」を歌いはじめる。
 わわわ。
 さらに進化系ですか! あわてて手拍子を入れる観客。麻実れい様はさらにキレよくキザりまくり、恍惚の極地で歌を終えられたのでした。

 爆笑。
 声を出せないので、口を押さえてじたばたしちゃった。

 素敵。
 すばらしすぎるよ、麻実れい。
 こんな人だったの? ビデオでしか見たことない人だったんだけど。ビデオでだけど、「めちゃくちゃかっこいい!」と思っていた人だったんだけど。『ハムレット』観に行ったけど、こんな人だとはわかんなかったよ。ストレートプレイだったから?
 ヅカの舞台でナマで見るのは2回目、1回目は『ノバ・ボサ・ノバ!』の前夜祭で、しいちゃんに、「将来トップになる」とかなんとか言っていたことしかおぼえてねえ(笑)。

 こんなにすばらしいキャラクタだったとは。

 麻実れい様と入れ違いで大階段に登場したのは、言わずとした大御所、鳳蘭。キラキラ付き黒燕尾でこれまたトップテンション。「ハッ」とか「ウッ」とかゆーノリで「セ・マニフィーク」熱唱。腰振り振り。
 こちらは、濃い。派手。
 いいも悪いもなく、場を盛り上げてしまう。
 こってこての「タカラヅカ」。吉本に通じる脂ぎった空気感。

 ああ、「時代」の差だな。と思った。
 これは「現代」ではない。大昔、こんな時代がたしかにあったんだろう。タカラヅカは時代錯誤に「現代」とは別のところにある文化だけど、それでも時は流れているんだ。鳳蘭は、たしかに「過去」の人だ。

 でも、この人のすごさは、「過去の人」であるにも関わらず、現代を「自分の時代」に引き寄せてしまうことだ。自分が遅れている、終わっている、なんて認めない。自分のいるところこそを「今」にする力。

 すげえなあ。
 ときめくことはないが、素直にその「力」に敬服。一生この人はこのままなんだろう。かっこいいよそりゃ。

 おもしろかったんだよ、鳳蘭。
 関西のおばちゃんそのもののトークがではなく、キャラクタそのものが。
 その濃くくどく、攻撃的で露悪的で時代錯誤な芸風を含め。

 いやあ、こってこて。おもしろー。

 わたしはそれでも現代人だから、この昭和中期のまま時が止まった人に惚れ込むことはないし、タカラヅカがこの人の時代まで戻ってしまったら嫌だけど、たまにこうして「過去のタカラヅカ」を味わうのもいいかもしれない。と、はじめて思った。
 たまになら、すげーおもしろい。
 タイムマシン感覚。
 昭和中期の日本がそこに。

 続く〜。


 2006年元旦。
 今年の運勢にめいっぱい不安をおぼえる年のはじめ。その、おみくじがね……ちょっとね……。

 CSの目玉月組『エリザベート』ではなく、『Crossroad』のビデオ見てます。
 正塚作品ではコレがいちばん好き。もう何回見たかわからないくらい、飽きもせずにビデオ見てる。同一首位(笑)で『二人だけの戦場』かな。……どっちも、たかちゃんがものすげー好きでな……。

 『Crossroad』でいちばん好きな台詞は、

 たかちゃんが樹里ちゃんに、

「お前を愛してる!!」


 って叫ぶやつだわ。1幕の終わり、波止場のシーンね。

 いいよなあ……たか×樹里……樹里×たかでもいいけど(役名で言いましょう。誤解を受けます)。

 1年の最初だから、好きな男の子に会いましょう。
 ヅカ作品のなかでいちばん、『Crossroad』のアルフォンソ@たかこが好き。
 一途で不器用な男の子。とびきりやさしくて、でもぶっきらぼうで。
 心の正しい男の子。その正しさが、ときにひとを傷つけて。自分も傷ついて。
 若くて、その若さゆえにある意味残酷で。正しいからこそ、ある意味残酷で。
 傷だらけで。あちこちぶつからずには、生きてゆけなくて。
 それでもなお、心正しく生きることを誇りにする男の子。

 たかちゃんは、「男の中の少年性」を演じるとものすげー輝くよね。
 その繊細さが切ないほどに。

 登場人物全員好き。

 デュシャン@樹里ちゃんのずるさと弱さ。
 てゆーか樹里ちゃん、うますぎ。脇役たちが学芸会なのに、それをひとりで引っ張ってる(笑)。
 ひどい男なのに魅力的で、どーしよーもない。大好き。

 ヘレナ@あすかちゃんの、歪みと弱さ。そして、その恋。
 遠野あすかという女優の原点であるだろうこの役を、生で見られたことがよろこび。自慢(笑)。すげー新人が出たもんだと舌を巻いたよ。
 ヘレナの孤独な叫びが、台詞にない部分の闇が、ものごっつー好みだ。彼女の言動のひとつひとつがわかる。わかりすぎる。こうするしか、なかったんだよね……。
 心は悲鳴を上げているのに、強がり続けている孤独な女の子。その歪みごと好き。大好き。

 
 これからもずっと、ことあるごとにこの作品のビデオを繰り返し見るんだろうな。

 大好きであることが、うれしい。


 今年のヅカおさめは、水くんとゆーひくんで。

 つーことで、2005年の大晦日は宝塚ホテルで行われる『「ベルサイユのばら」2006カウントダウンスペシャル』に参加して来ました。

 スカステの催しに応募するのははじめてだったんだが、するっと当たったのは応募者が少なかったのだろうと推察。
 とゆーのも、ペアで当たったはいいが「誰を誘おう」と考えたときの選択肢の少なさに途方に暮れたもの。

 大晦日の夜、たった1時間のイベントに、この世の果てにも近い田舎タカラヅカ村に、行くことの出来る、行く気力のある、スカステ加入者。

 大晦日の夜、たった1時間のイベント、つーのがなあ。
 家庭のある人はまず無理だろうし、独り者でも大晦日は忙しいだろうし、元旦も予定があって然るべきだし。第一そこまでして参加したいイベントかどうか、相当微妙だよなあ。
 そりゃわたしは、水くんとゆーひくんのためならぜんぜん平気だけど。ふつーの人は、そうじゃないよなあ。
 アツい水ファンはいるけど、そーゆー人に限ってスカステ未加入だから誘えないし。

 おそるおそる誘ったnanakoさん、快諾してくれてありがとー。
 一緒に行くことが出来て、とてもうれしかったっす。

 
 その微妙イベント、『ベルばらカウントダウン』。

 ほんとーに、微妙だった(笑)。

 スカステで生中継されていたけれど、生中継の意味はあまりなかったんじゃないかと思う。
 なんでかっつーと、「生」の部分が少なすぎたから。
 半分ぐらい、あらかじめ用意してあったビデオレターだったの。
 ビデオレターも少しならいいけど、えんえんえんえん続くとうんざり。ありがたみもなにもねえ。

 次の不満はなんといっても、謎の構成だな。

 ゆーひくんを隔離する意味がわかりません。

 出演者は、ゆーひ、水、まーちゃん、壮くん。
 この並びでいちばん興味を引くのは、雪組の面子に混ざっている大空祐飛、でしょう?
 それまでのイベントや番組ではなかったこと。雑誌でも番組でも、人気のある企画でしょ、意外な顔ぶれでトーク、てのは。

 組替え経験のない箱入り息子が、よそ様でどんな顔を見せるのか。それをたのしみにしていたのに。

 ゆうひくんだけ、隔離。
 舞台から消えてしまい、残った雪組の3人だけで「座談会」。
 ゆーひはそのあとで「別格」とゆー感じで登場、司会者のおねーさんと「対談」。

 そんなの、今までも、そしてこれからも、いくらでも見られる光景。
 このイベントだけの「特別」感はどこにもなかった。

 3人1組の水くんたちより、あとからたったひとりで登場するゆーひくんがあまりにも「スター」で、「このイベントだけで見たら、トップスター大空祐飛と、その他の出演者、って感じだな」だし。
 学年に考慮しているにしては、やりすぎだし。トップ娘役と2番手男役より扱いをよくしなきゃいけないほど上級生なのか?
 なに考えてこんな構成になってるんだ??

 ゆうひくんに気を遣いすぎているのが、不思議。

 
 企画も進行もかなり素人臭くて、来年以降も続けるならキモ据えて再考求む!だが。
 それはさておき、出演者の話。

 まーちゃん、かわいー!!

 妖精です。マジ妖精ですよこの人。
 なんなのこのかわいらしさ。
 清楚で可憐。笑顔が癒し系。そして、ナチュラルに電波発信。

 あちこち言動変だし、数が数えられないとかあっても、そんなのぜんぜんかまわないっ。かわいいからすべてOK!
 カウントダウン(数を逆に数える)ができなくて、事前に練習する人なんて、彼女だけでしょう。
 このまーちゃんを見られただけでも、行った甲斐があった。

 そして、ゆーひくん、素敵。

 かっこいい。きれい。きらきら。フリルブラウスをあたりまえに着こなしちゃって。
 なんかものすげーオーラ発してたんですが。この人、こんなだったったっけ?
 あまりにもふつーに「スター」として存在しているのが、かえって不思議。
 発言もなんとなく力強くて。前向きで。
 ……わたしの知っていたゆーひくんと、微妙にチガウんですが。

 まーちゃんとゆうひくんの並びが、夢のように美しかったです。
 ふつーに男女カップルに見えるのね。
 しかも、かなりの身長差。
 それがゆーひくんのかっこよさ(このあまい美形のにーちゃん、モデルさん?)と、まーちゃんの可憐さ(芸能人だよね、お人形さんみたい♪)を、引き立て合うの。
 また、4人並んでいるとき、ゆうひくんは隣のまーちゃんとばかり話すので、反対側の隣の水くんとの間は微妙に空いていて。壮くんと、水くん、ゆーひ&まー、という並びに見えた。

 水くんは、表情豊か。

 ゆうひくんがあまり表情大きくないぶん、ひとりで百面相。口でけえ。アゴすげえ。てゆーか、素顔だとかなり、その、ファニーフェイス。フリルブラウスがアゴに届いているよーな……アゴがフリルに届いているのか……。
 雪組トリオのリーダーとして、会話を引っ張り、自覚を持ち、なんかすっげーがんばっていた。いやその、がんばっているのが見え見えで、かわいい(笑)。話し出すとき、手がグーになるの。うわ、拳握ってるよ、カオはにこやかなのに、ほんとはすっげーがんばってるんだ、と。
 ……真面目な人だよなあ。しみじみ。

 わたしは素顔の水くん見るの、たぶんはじめてだと思うけど、触りたがりですか、この人?

 なにかっちゃー大きくリアクションして、隣のゆーひくんに触りたそーにして、でもゆーひくんがそれにすぐ応えてくれなくて(彼は水よりまーちゃんの方に反応しがちなので)、空振っているのが愉快だったんですが。

 水くんとゆーひくんのテンポが合っていなかった、というのがいちばん大きいのかもしれんが。
 ボケとツッコミになるには、まだまだ時間が必要というか。水くん、空回り気味でいいなあ。うっとり。

 壮くんは、サラリーマン。

 いちばん美形なはずなのに……どーしてこう、美しさよりおっさんくささが目に付くんだろう(笑)。
 せっかくハンサムなのに、どっかイケてない感じの漂うリーマン青年のやうだ。会話は愉快なんだけど。イイ味だ(笑)。

 
 大好きな出演者を生で眺めて、歌を聴いて(しかし『愛あればこそ』を3回聴かされるって、どうなのよ)新年を迎えることが出来て、幸福な年の境でした。
 

 でもって、会場にいたみんな、人の話は聞こうよ。

「『あけましておめでとうございます』の『す』で、クラッカーを鳴らしてください」
 って、再三言われてたじゃん。
 カウントダウンの「3・2・1、ゼロ!」でクラッカー鳴らしちゃってさー。

 わたしはちゃんと、「あけましておめでとうございます」の「す」で鳴らしたわよ。ふふ。
 隣のnanakoさんも、「ゼロ」で力一杯鳴らしてるし(笑)。落ち着いて行動しなきゃだわ。ふふ。

 こーやってわたし、落ち着いた1年を過ごすのよ。


「この手帳、ぜひ大劇場で落として欲しい」

 と、友人たちから言われる。

 2005-10-16の日記にある、タカラヅカスケジュール帳のことですよ。
 表紙がまっつ、裏表紙がそのか。

「それで、放送されるの。『表紙がまっつ、裏表紙がそのかの手帳を落とされたお客様……』って」

 放送されないわよっ。劇場が落とし物程度でいちいち放送するわけないでしょう。
 落とした客が自分でカウンターに「落とし物届いてないですか?」って聞きに行くのよ。

「じゃあ緑野さんが自分で行くんだ。
『手帳、届いてませんか』
『どのような手帳でしょう?』
『表紙がまっつ、裏表紙がそのかの手帳なんですけど……』
 自分で言うわけだ」

 ややややめてよーっ!!
 それこそ羞恥プレイじゃないのよーっ。
 落とすもんかっ。死んでも落とさないぞっ。

「でも、あたしが拾った人なら、自分で落とし主に連絡するかな。だって、こんな手帳拾ったら、ぜひ持ち主に会ってみたいと思うもん」

 そこであがる同意の声。
 なによソレ。この手帳はキャトレで売っていた公式グッズよ。表紙に舞台写真を入れることだってキャトレが認めていた使い方よ。
 わたしは常識の範囲内で生きているだけよ。ひとさまの興味を引くはずがないわ。
 それとも、まっつとそのかの写真がいけないというの?

「この中身見たら、絶対カオ見てみたいと思うって」

 中身。
 キャトレで売っていた、スケジュールシールはほんの小さなものなのに380円もした。あれっぽっちのシールじゃぜんぜん足りない。わたしの1年の観劇スケジュールをフォローするためには、少なくとも10枚は買わなきゃ。
 10枚っつーと、3800円? じ、冗談じゃないわ。あんなシールごときに3800円も出せない。あれくらい、自分で作れるじゃない。

 つーことで、作った。
 スケジュールシール、自分で。

 初日新公千秋楽、友会入力発売日、そして自分の観劇日。組カラー別にシールを作り現在わかっているだけの日程を貼り込み、『ベルばら』は全役替わり日程まで1日ずつシールで貼り分けた。
 シール制作は試行錯誤、もっとも便利な大きさやレイアウトにこだわり、そのあとなによりも、1枚ずつ手帳に貼り込んでいく作業が大変で、全部で半日かかった。

 やりだしたら、無我夢中でね。無心の境地で制作した手帳なんだけど。

 たしかに、その……なんかものすげー、タカラヅカ大好き、タカラヅカが人生のすべて! って感じの手帳になってるわね……。

「こんな手帳拾ったら、いったいどんな人が持ち主なのか、見てみたいと思うよ。あんまり、すごいから」

 …………。

 落とさない。
 落とさないからねっ。
 そんな恥ずかしいことになってたまるかぁーっ。

 そんなに恥ずかしい手帳になっていること、そんな恥ずかしい人生になっていること、自覚してなかったよ。

 ただ、表紙がまっつだから(舞台写真を堂々と入れていることね)恥ずかしいのかと思っていた。

 あー、でもでも。
 まっつといえばさあ。

 今のわたしの待ち受け画像、まっつなの!!

 柚さんいつもありがとう。
 もらったまっつ画像を加工して、待ち受けにしちゃったわ。
 素顔のふつーにきれーなおねーさんのまっつではなくて、投げチュー@おしょーずのまっつ!!
 なんかもう、このまっつの恥ずかしさが群を抜いていてねえ。転げ回りたいよーな恥ずかしさなの!!
 大きな画像の方は、日々何度となく眺めては、にまにましてる。やっぱ美貌のトド様やめて、まっつを壁紙にしようかなあ……。

 まっつの投げチュー写真が自慢で自慢で。
 会う人にもれなく携帯待ち受けを見せては自慢してる。この恥ずかしさがたまらないのよお。まっつは恥ずかしいのがいいよねえ。
 みんなもれなく笑ってくれるし。

 ……はっ。
 恥ずかしいのはまっつでなくわたしの行動か。生き方か。

 
 年末だからか、いろんな人たちが「2005年の観劇回数」を報告し合っている。
 みんなすごいわねえ、と笑って聞いていたのだけど。

「緑野さんは何回ですか?」

 と最初に聞かれたのが、自宅で電話で話しているときだったのよね。んで、気軽に、そのときそばに置いてあった「チケットの半券の束」を手にとって、数えだした。
 ヅカだけ、今年の分だけをてきとーに突っ込んである束よ。マメな性格ではないので、これで全部じゃない。財布や手帳、いろんな鞄に半券はまだ入れっぱなしになっている。プログラムに挟み込んでいたりもする。
 全部じゃないのに……数えても数えても、まだ厚みがある。
 あれえ?

 ……半券だけで判断して。

 2005年。わたしは、3日に1度はヅカを観劇していたようです。

 そんな人生って……っ!!
 まちがってる。
 まちがってるよママン!!

 ご贔屓不在なのよ? 今年は落ち着こう、って、年初にあちこちで宣言していたのよ?
 なのになんで、こんなバカみたいな回数観てるの?
 それも、地元関西だけじゃないのよ? 東京だの博多だの名古屋だの……交通費その他モロモロを考えると目眩がする。

 お、落ち着こう。来年こそは、観劇回数を減らそう。

 目指せ、2ケタ!!

 2006年の観劇回数は、99回以下を目指します。
 まっつ手帳を握りしめつつ、誓うのだった。


犬とかっぱ。
 待ち合わせは、ドラマシティ入口前、午後12時。(わかる人にだけ意味がわかる、場所と時間)

 チェリさん、nanakoさん、ハイディさんと忘年会しました。
 ごはん食べて、ただひたすら喋りたおす。

 ヅカのこと、猫のこと、話題さまざま。
 たかちゃんのこと、人事のこと、コーザノストラのこと、『マラケシュ』のこと、ゆみこのこと、まっつのこと。話題さまざま。

 解散後、わたしとnanakoさんはふたりでお買い物。
 DVDメディアを買いたいとゆーnanakoさんについて、ヨドバシカメラへ。

 わたしはもう、つい先日50枚ばかりメディアを買い込んでいたので、今のところは買わなくてもいい。
 でもさ、その「つい先日」、くやしい思いをしたの。

 VictorのDVD-RWメディアにだけ、「ニッパーグッズ」がついていたのよ。

 わたしはパナユーザーなので、RWは使えない。たとえ使えたとしても、使ってないだろーとは思うけど。
 なんにせよ、わたしが買えないものにだけ、「ニッパーグッズ」がついていたのよ!!

 どーしてRWだけ?
 VictorもRAMは出してるのに、RAMにはついてないの?!
 もしついてたら、いらなくてもRAM買うのに!!(基本的にわたし、Rしか必要としてません)

 ニッパーとはなにか?

 Victorの商標の、「蓄音機をのぞき込んでいる犬」のことです。
 蓄音機から「亡き主人の声」が聞こえ、それで小首をかしげるよーにしてのぞきこんでいる、泣かせる犬のことですよ。

 そのニッパーくんが。

 わたしと友人たちの間では、まっつ認定されているのです!

 や、だってなんか、似てるし!!

 あの、儚げな可憐な様子が。
 こまったよーな、ものがなしい様子が。

 やーん、Victorのまっつグッズ欲し〜〜!!(ちがいます)

 わたしの買えないものにだけ、まっつグッズ(ちがいます)がついている……と嘆いていたっつーのに。

 nanakoさんとやってきたら、するっと解決。
 nanakoさんは、RWユーザーだった。

「欲しいんですか? じゃ、私が買いますから、まっつは緑野さんにあげますよ」

 「まっつは緑野さんにあげる」

 ……すげー響きだなあ。しあわせだなあ。

 VictorのRW10枚パックに、まっつグッズ(ちがいます)がひとつついている。
 色は3種類あった。オレンジとグリーンとブルー。
 nanakoさんは2パック買うと言うから、「2種類、好きな色を選んでください」と言ってくれる。

 どうしよう。
 オレンジとグリーンとブルー。
 どの色がまっつにふさわしい?

 悩んだあげく、オレンジとブルーにした。
 いちばん派手で似合わない色と、地味でさみしい色(笑)。

 ありがとう、nanakoさん。
 さっそくまっつを携帯につけて持ち歩くわ!!

 
 そーやって、ほくほくしていたら。

 今度はパナのRAMに、かっぱシールが貼ってあるのを発見した。

「あああっ、かっぱだー!!」

 かっぱマニアのnanakoさん、声を上げる。
 世界中のかっぱグッズを集めることをライフワークとしているnanaたんなのに。
 かっぱシールは、nanaたんの使えない、パナ製品のポイントシールなのよー。
 nanakoさんのDVDレコーダは、パナ製メディアは使えないし、スカステ録画がメインである以上、Rは意味ないし。

 RWを使えないわたしの愛するまっつがRWについていて、RAMを使えないnanakoさんの愛するゆみ……いやその、かっぱたんがRAM仕様メーカーであるパナ製品についているなんて。

 人生って、皮肉よね。


 えー、そろそろ腐女子な話、いっといていいですか?(誰に聞く?)

 『JAZZYな妖精たち』において。

 ウォルター@きりやん総受でよろしく。

 まあ基本はミック@さららん×ウォルター? それから、ここもひとつやっときましょう、ティモシー@ゆーひ×ウォルター。それから、まあなんだ、たしなみとしてオサリバン@のぞみ×ウォルターもいっときましょー。

 でもわたしの一押しカップリングは、パトリック@あさこ×ウォルターだなっ。

 白スーツを嫌味なく着こなしちゃうパトリックと、黒尽くめのウォルター。
 パトリックの王子様ぶりと、ウォルターの屈折ぶりが実にいい。
 苦労のせいか、ウォルターの方が若いのに、見た目がおっさんくさいのもツボですよ。
 パトリックのすがすがしい若さはいいよねえ。彼のナニがいいって、偽善者めいているところですよ。この男、自分が正しいと思ったら、どんな冷酷なことだってしますよ(笑)。

 パトさんならそーだね、ウォルターを改心させるにはまず彼に言うことをきかせなきゃ、自分が絶対優位に立たなきゃ、つーことで、拉致監禁して、無理矢理やっちゃうのもアリでしょう。
 罪悪感なんてないですよ。いつだってパトくんは正しいんですから。
 やることやって、「仕方ないんだ。こうでもしなきゃ、お前は俺の話を聞こうともしないだろ?」とか言うんですよ。
 仕方ないですますのかてめえ?! と、観客は突っ込むけれど、当のウォルターは突っ込みません。だって彼、子どものころからパトリックの心酔者だもん。パトくんがまちがっていることには気づかず、「こんなことをしても無駄だ。オレは今さら変われない」とか、パトくんの言い分を真っ向から受け止めて返答するの。
 割れ鍋に綴じ蓋、まあ、お似合いってこと?

 
 その点、ミック×ウォルターには愛がある。
 東宝前楽のさららんは、なんかやたらと微笑するミックになってました。慈愛の微笑みを浮かべるミック。どどどどーしたんだミック。
 ウォルターへの愛はデフォルトで、さらに一段高いところへ突き抜けちゃった感じ。
 ミックの愛を受け止めれば、ウォルターはきっとしあわせになれるでしょう。
 ……でも、ウォルターがほんとーに愛しているのは、偽善者のパトリックだったりするから始末に負えないんだな。

 
 ティモシー×ウォルターは、ひたすらウォルターが可哀想かも。
 だってティモシー、絶対遊びだよね。深く考えず、おもしろがって手を出して、ウォルターが傷つこうが悩もうがお構いなし。
 そして、いざとなったら、ウォルターを売ることも、するだろう。
 最低男だと知りながら、それでもティモシーの天真な魅力に振り回される根暗ウォルター。
 これはこれで、好みだわ(笑)。

 
 オサリバン×ウォルターは説明いらないよね。
 悪ののぞみちゃんは、実にいい仕事をしますなあ。イマジネーションが広がるよね、彼を見ていると。
 いろんなパターンで、いろんなバージョンで、ウォルターを追いつめ、また絡んでくれそうです。ふふふ。

 
 あと個人的に、パトリック×リチャード@龍真咲 があれば愉快だなと思います。

 お気楽なパトリックの選挙事務所のなかで、唯一深刻芝居をおっぱじめるリチャードくん。
 自分の利益を守るために、パトリックを裏切る青年。そしてそれを、パトリックに許可される青年。
 あのリチャードくんの苦悩っぷりと、対するパトリックの慈愛っぷりが裏を感じさせていいですな。
 ナニかあったんぢゃないの、お前ら。……と、思えるあたりが美味です。

 
 と、改めて考えてみて、わたし、パトリックのことかなり好きなんだなとゆーことに気づき、おどろいてます。
 だってわたし、ナチュラルにパトリック総攻だと思ってるし。そしてわたし、攻キャラスキーだし。
 あさちゃんのあの白い美しさが、けっこーツボっているよーです。

 まあそして、ぜんぜん関係ないけど、妄想として、某有名楽団だかなんだかに所属して世界を回っているタンゴダンサー、カルロス@オサがニューヨークに興行にやってきて、若き政治家パトリックと出会っちゃったりする物語もアリだと思ってますよ(笑)。


 東宝のチケットも持たずに飛び乗った夜行バス。前楽だけでも観られればいいや。観られるよね?

 ジャジー、不人気だし。

 人気公演なら、こんなあやふやなことしない。なにがなんでもチケットを押さえてから上京する。でもま、ジャジーだし。大丈夫、なんとかなるよ。

 なった。
 劇場前に到着してすぐに、サバキGET。
 サバキGETに協力してくれたリエさん、ありがとー。

 寒い中早朝から当日券に並んでいるkineさんを残し、わたしはリエさんとあったかいところに移動しちゃった(ごめんよぅ)。

  
 まあそんなこんなで、無事に東宝『JAZZYな妖精たち』を観劇してきました。

 変更があることは聞いていた。
 でもそれがどーゆーことになっているのかは、自分で観てみなきゃわかんない。
 『JAZZYな妖精たち』のいちばんの失敗は妖精を出したことだから、妖精が消えてなくなってない以上、どうあがいたって失敗作だろーし(笑顔)。
 その失敗作が改稿されてどうなっているのか、たのしみだわー。

 冒頭に子どもたちのシーンが付け加えられ、パトリック@あさこがその冒頭の子どもたち=幼なじみの移民たちの話を怒濤の説明台詞で初登場時に解説し、ラストシーンが途中でぶった切られていた。
 他にも、細々した説明台詞が増えていた。

 ははははは、おもしれー。

 改稿の方向性としては、まちがってない。
 幼なじみの少年たちが移民先のアメリカで成長し、心ならずもすれちがってしまう。だけど妖精たちの存在をキーワードに、彼らの心がまたひとつになる。
 とゆーストーリーラインを明確にするために、彼ら5人の関係を説明する方向に改稿するのは正しい。
 でもラストのぶった切りはひどいもんだし、根本的な解決には至っていない。

 今回の改稿で、思い出したのは同じく谷正純作の『バッカスと呼ばれた男』だ。

 これもひどい失敗作でねえ(笑)。
 地位も名誉も王妃の愛も捨て、流浪のシャンソニエとなった男が老三銃士と手を組み大活躍し、フランスとドイツの戦争を終わらせてしまう、という景気のいい話だったんだが。
 なんとも構成の悪い、それゆえに散漫でぶっ壊れているばたばたとした話だったのだわ。

 それが、東宝では改稿され、シャンソニエと王妃の関係と、何故彼が王妃と宮廷を捨てたのかが説明されるよーになったんだわ。

 なんだよ、よくなってるじゃん。それでもまだ、壊れてるけどさー。

 散漫で壊れているいちばんの理由は、老三銃士がいらないってことだったのね。
 王妃との関係、そしてバッカスの聖戦。物語の本筋はこれだけなのに、そこに無意味な老三銃士が加わり、なんの役にも立たないのに多大な出番を費やしごちゃごちゃやっていたの。
 不必要なキャラクタが出張っているから、物語が壊れた。

 なにかに似てない?
 『JAZZYな妖精たち』観たとき、あたしゃこの『バッカスと呼ばれた男』を彷彿としたよ。

 『バッカス…』の売りのひとつが、老三銃士たちだったのね。彼らが笑いを取り、日替わりのアドリブで作品の見せ場を作っていた。
 『JAZZYな妖精たち』の売りのひとつが、妖精たちよね。彼らが笑いを取り、テーマソングを歌う。

 でもソレ、いらないから。

 『バッカス…』はさらにこのあと、地方公演版で改稿されたの。
 そこでは、老三銃士が、いなくなっていた。
 爆笑したよ、追いかけていった広島の劇場で。
 あれほど作品の売りだったのに、さくっといなくなってる。そして、不要なキャラクタに物語を壊されていないので、物語が正しく機能している。

 なんだよ谷、やればできんじゃん。
 てゆーか、最初からやれよ。
 なにが必要で、なにがいらないか、物語を作るときに整理しろよー。

 と、思いましたもん。

 谷せんせは改稿するタイプの作家だから。
 昔から、ムラ→東宝で改稿はお約束だった。
 そして、2回の改稿ではまだ、完成には行きつかない。3回目でよーやく、「作品」になる。

 中日公演が『JAZZYな妖精たち』だったら、妖精はいなくなっていたな、こりゃ。

 移民の少年たちだけの話になってたよ、きっと。
 役の水増しのために、不要な役を作って作品を壊す。本拠地以外の劇場では、役の水増しをしなくてすむからな。まっとーにストーリーラインを追う役だけで、作品を書ける。

 谷せんせらしい改稿ぶりに、なんか笑えて仕方なかった。

 
 改稿が中途半端なのは、ひとえに時間がないせいだろう。
 ラストシーンは、ムラ版は壊れていたが、東宝版ではただの「ぶった切り」になっていた。

 唐突にシャノン@かなみが死んで、死んでるっつーのに「みんな踊ってくれ」でキャラ総出演で「ジャジーじゃじー♪」と超のーてんきなバカ踊りをして終わる、というわけのわからなさが、シャノンが死ぬ前に話を全部ぶった切って終わり、になっていた。
 古い野菜の処分方法みたい。
 買ってきたキャベツ、端っこだけ傷んでるの。だから、その傷んでる部分だけ切り取って、捨ててしまいましょう。そうしたらほら、きれいな丸いカタチではなくなったけど、不自然に端が欠けているけれど、とりあえず食べられるキャベツになったわ。
 そーゆー手法ですな、コレ。

 とどのつまりが、失敗作(笑)。

 やっぱ改稿するには時間がなかったね。あと1回、本拠地以外の劇場での上演が必要だね。秋の全ツを『JAZZYな妖精たち』にすればいいよ(笑顔)。そしたらきっと、この作品の完成系が観られるでしょう。

 今のままだと、主役が誰かわからない。
 なにしろ、パトリックを主役とするための最大の見せ場は、不治の病のシャノンとのシーン。
 シャノンが彼の腕の中で死ぬから、彼が主役たり得るのよ。

 なのに、その前で話がぶった切られてしまうから。
 シャノンとのシーンがなくなると、その前にある話の山場は、ウォルター@きりやんの改心だ。
 ウォルターはパトリックゆえに改心するのではなく、移民メンバー勢揃いで説得することによってだ。つまりコレは、パトリック主役の山場ではない。

 ここで話が終わると、主役がウォルターになってしまいますがな。

 いいのか、ソレで?
 や、わたしはいいけどさ(笑)。

 でもやっぱ、まずいだろ。
 またきりやんがうまいから。ウォルターの心の動きが、揺れや機微が、いちいち精細に伝わってくるから。
 物語が動くのがウォルターで、パトリックはそれを見ているだけだから、どうしてもここで主役の逆転が起きてしまう。

 改稿の方向はまちがっていない。
 でも、やっぱ今のままでは失敗作。

 さあ、ここはやっぱ、次の全ツだな。
 谷せんせ、『JAZZYな妖精たち』完成版を見せてくださいよ。

 所詮植田芝居の『ベルばら』を改稿するより、価値があると思うぞ(笑)。


 10月に入ったころから、なにかにつけて言っていた。

「あれから1年、経つんだねえ……」

 あれから。
 去年のケロ祭りから。

 10月のうちは、「『ドルチェ・ヴィータ!』ムラ公演から、1年だねえ」。
 11月になれば、「ケロちゃんのディナーショーから、1年だねえ」。
 12月になれば、「『ドルチェ・ヴィータ!』東宝公演から、1年だねえ」。

 ケロ祭りを基準に、ものを考える。時を測る。
 あれは特別の空間だった。時間だった。

  
 あれから1年。
 ヘタレなわたしは、しばらく冬の東宝には近寄りたくなかったの。
 クリスマスなんて、とんでもない。銀のサンタをやっていたかの人を思い出すぢゃないか(笑)。そーいや、ケロサンタが登場した日もわたし、貧血起こしてシャンテの喫茶店で坐り込んでたっけ。なんとか血糖値上げて、よたよた劇場前に来たら、銀のサンタが現れたんだった。
 冬の夜の東宝前は鬼門。1年前を思い出すから。
 感情が高ぶりすぎて貧血起こし、そのたび倒れていたヘタレ過ぎな自分ごと、思い出すのがこわい。
 や、その、それでまた感情メーターがMAX越えて、倒れたらシャレならん。いい大人が自己を律せないなんてただの恥です。

 だから、冬の東宝には近づかない。
 千秋楽なんか、絶対ダメ。
 袴姿と白い衣装の人たちなんて、見ちゃダメだよ。

 
 そう思って、びびっていたのだけど。

 月組東宝千秋楽。
 さららんとうーさんの退団日。

 わたしは、日比谷にいた。
 東宝前の道で、白い服の人たちと一緒に、彼らを見送った。

 
 二重写しになる記憶。
 1年前と、今。

 思い出してしまう、いや、思い出に翻弄されてしまうことがこわかったのだけど。

 そんなことはなく、穏やかに退団者を見送ることが出来た。

 楽を見なかったことが大きいと思う。
 千秋楽のチケットなんか当然手に入るはずもないから、わたしとkineさんとジュンタさん、それからサトリちゃんの4人は終演時刻より前からシャンテ前で場所取りしていた。
 千秋楽の舞台と客席の熱狂と、大階段を降りて挨拶をする、退団者の姿をこの目にしていないままだから、たぶん楽を観られた場合よりずっと冷静でいられたはず。

 わたしが知っているのは、舞台のアツいままのさららんで。
 袴姿ではなく、ヅカならではの派手派手衣装のさららんで。

 その印象のまま出待ちをして。

 実際に、袴姿で現れたさららんを見ても、イメージがうまく結べなかった。

 だって、聞いてないもん。
 さららんの退団挨拶なんか。
 締めを見ていないまま、こうやって最後のパレードを見ても、現実味がないというか。

「あれは、さららんじゃない」

 そう言ってしまうくらいに、イメージが結べない。

 わたしの知ってるさららんは、熱くてひたすら暑苦しくて、暴走していて自爆していて、きれいなカオを歪めて慟哭芝居をする人で。
 高温ゆえのわけのわかんねー演説をする人で。

 なのに、そこにいるさららんは、きれいで。
 温度なんて関係なく、ただ透きとおるようにきれいで。

 暴走山岳機関車さららんぢゃない。
 いやその、さららんは同じ暴走車でも、車でなく列車、特急とかではなく機関車、平地ではなく山岳っつーイメージで。

 それなのに、目の前のさららんは、突き抜けた退団者オーラに包まれていて。
 わたしの知っているさららんじゃない。結びつかない。
 でもこれはたしかにさららんで。

 ああ、辞めるんだなあ。
 と、思った。

 あれから1年。
 またこうして、好きな人が去っていくんだなあ。と。

 
 千秋楽を観ず、お見送りだけでよかったのかもしれない。
 こうして、ひとつずつ段階を踏んで、1年前の祭りを正しく消化していこう。

 タカラヅカは別れを前提としたファンタジー。
 すべての人と、いつか別れることを知った上で、愛するところ。
 別れのつらさを知ってなお、愛することをやめないでいるところ。
 

 あれから1年。
 遠くてなつかしい、そして愛しい記憶。

 汐美真帆というファンタジーを愛し、彼が創るものを一瞬たりとも見逃したくなくて、暴走しまくっていた。
 大好きだよケロちゃん。
 記憶は大切に両手で包んで、胸の奥にしまってある。

 あれから1年、と言い続けて。
 思い出すだけで泣けてくる、このせつなくてあたたかい気持ちがわたしのなかに加わったことは、大きな財産だ。

 人生の節目節目に、きっと何度でも思い出すんだろう。

 夜の日比谷、道を埋めた白い服の人々。
 楽を見終わったあと、危惧していた通り倒れてしまったわたしは閉場したあとも劇場で休ませてもらっていた。(時効だから、言ってもいいだろー・笑)
 劇場の4階ロビーから眺めた、下の道には人があふれていた。
 白い服が、花のようで。

 人生2度目の車椅子で救護室に運ばれ、あわや救急車を呼ばれるところで、人生2度目の救急車は嫌だ、と気力で踏みとどまり、仲間の助けを借りてよたよたと劇場をあとにした。

 人混みのいちばん後ろから、kineさんの肩を支えにケロちゃんを待った。

 あの夜と、白い服と、報道のライトと、瞬き続けるフラッシュの光と影と。

 ケロちゃんの袴姿の美しさと、見送る人たちのあたたかさと。
 そして、それをこの目で見送れること、そのために受けたたくさんのひとたちの厚意とやさしさと。

 それらのことがすべて、わたしの宝物になっている。

 きっと何度も思い出す。
 記憶はただ、あたたかくて。
 別れのかなしさは薄れ、ただ、愛しさだけが残る。
 ありがとう。
 ケロちゃんに、ありがとう。
 そして、仲間たちにありがとう。
 みんな、やさしかった。たくさんのひとたちの無償の厚意で、わたしはたくさん救われた。

 へこたれて泣いているわたしを、たくさんの手が助け起こしてくれた。
 わたしが泣いていたから、思いやってくれたの。やさしくしてくれたの。
 わたしが泣いてなかったら、きっとみんな、ただの通りすがりの人だった。
 泣いてよかった。かなしんでよかった。くるしんでよかった。
 そのおかげで、たくさんのやさしさを知れた。

 それは、わたしの宝物。
 かなしさやくるしさは薄れ、愛しさだけが残っている。

 それを再確認するために。
 咀嚼し、血肉にするために。

 わたしはまた、冬の東宝にやってきたの。
 去っていく人を、見送りに来たの。

 大好きだよ。

 
 クリスマスは、HOTEL DOLLYで。

 えーとそもそも、なんでそうなったんだっけ?
 最初は、kineさんが「さららんのお見送りに行く」って言い出したんだっけ? そしたらドリーさんが「我が家でクリスマスパーティしましょ」って言い出したんだっけ? でもって、韓国公演経験者のサトリちゃんの実演付き韓国ベルばら話を見る会(聞く、ぢゃないあたり・笑)になって?
 でもって、花組ムラ公演で会ったときのドリーさんの第一声が、挨拶でもなく、なんの説明もなく、「来るよね?」の一言だったりしたっけ?

 なんか、気がついたらわたしも、

「行くっ。わたしも行くから、仲間に入れて〜〜!!」

 と、じたばたしていた。

 クリスマスに東宝に行く予定なんかなかったのに。
 もうしばらく、冬の白い人たちの群れには、近づきたくなかったのに。

 ほら、あれから1年じゃん?
 ヘタレなわたしは、「さららんは見送りたいけど、精神的に無理そうだったら、kineさんたちより一足先にドリーさんち行っていい?」なんて泣き言を、こっそりドリーさんにこぼしていたよ(笑)。
 ケロちゃんのときと同じシチュエーションを経験する、覚悟ができてなくてなー。

 でもやっぱり、思い出の日は、みんなで騒いでいた方がいいんだよな。
 ひとりで引きこもってじめじめするより、いいよな。

 つーことで、開き直っての東京、HOTEL DOLLYでのクリスマスパーティに参加しました。

 サトリちゃんの韓国公演話に即してか、ドリーさんの手料理は韓国料理ですよ! わーいわーいわーい。大変うまかったっす。
 乾杯は、さららんに。
 そして、さららんの『ベルばら』新公映像なんぞを見て、その退団を惜しむ。

 と、そんな感じの夜だったはずなのに。

 何故、まっつ尽くしの夜に?!

 
 クリスマスは、スカステでの『ファントム』のファーストラン日だった。
 わたしたちは、ドリーさんちで宴会しながら『ファントム』を見ることになった。

 実というと、わたしは花組『ファントム』再演に相当ヘコんでいた。
 だってアレ、駄作だし。悪趣味だし。壊れてるし。
 第一、役がないし。

 てゆーか、まっつの役がないよう!! と、あちこちでヘコんでくだを巻いていたんだわ。
 従者その5とか劇団員その8とかをやらされるだけのまっつなんて、さみしいよう。

 そしたら、みんながなぐさめてくれたの。
 まっつに合う役を考えてくれたの。

 その最高峰が。

 若き日のキャリエール。

 宙組ではっちゃんがやっていた、あの善人面したさいてー男。諸悪の根元。ほにゃっとしたおぼっちゃんで、ヘタレで、苦悩するダメ男。
 「どうして君は僕を愛してくれるの?」という間抜け台詞が素敵なお茶目さん。

 わわわ。見たい。見たいぞソレ。
 じたばたするくらい、見たいっ。

 まっつがオサ様の父親だなんて、すばらしいじゃないの。そうかエリック、父の若いころにそっくりなんだなってことで、説得力があるぞ。

 でも、はっちゃんが若キャリと二役だったオーベロンは、見たくない……まっつがやると羞恥プレイ。……いや、それならなおさら見たいかも……(どっちやねん)。

 でもでも、きっと若キャリなんてちゃんとした役は回ってこないわ。まっつはもっと、ささやかな役なのよ。そうにちがいないわ。
 と、わたしはまた悲観してぶーたれる。

 するとみんなは、さらに他の役を考えてくれたの。

 小エリック!!

 これなら歌もあるし、まっつの儚げな風情にぴったり! 小柄だから子役でもぜんぜんOK!

 ……みんな、ほんとのとこおもしろがってるだけぢゃないの? と、ちらりと思いつつ。
 小エリック@まっつを想像してみる。
 「ランランラン」と歌うまっつ。水面をのぞき込んで、わっと尻餅をつくまっつ。短パンがいいですね。ハイソックスなんかも萌えですね。
 でもってキャリエール@ゆみこ(みんななんの疑問もなくゆみこ配役していた)に仮面をつけられるまっつ。
 「マリア様!」と絶唱するまっつ。
 ボーイソプラノのまっつ。

 子役がまっつで、青年役がオサ様なら説得力!

 ……でもやっぱ、目眩しかしないぞソレ。

 そしたらみんなは、さらに別の役を考えてくれたの。

 ベラドーヴァ!!

 「どうして君は僕を愛してくれるの?」と聞かれて、突然歌い出す謎の女! 騙されて捨てられて、狂ってしまう薄幸のひと。その幸薄さがまっつにぴったり!!

 天使の歌声のまっつ!! エリックの寝室には、まっつの肖像画!! 大丈夫、彩音ちゃんに似ていなくもない!
 そうかエリック、母親似だったんだな! 母親@まっつによく似た息子@オサ。

 
 ……みんな、大爆笑してますよ。

 その調子のまま、スカステの『ファントム』を見ちゃったわけですよ。

 2幕になって、キャリエールの回想シーンになるなり。

 大爆笑。

 若キャリ@はっちゃんが出るたび、小エリック@たっちん、ベラドーヴァ@いづみちゃんが出るたび。
 みんなまっつ。
 どいつもこいつもまっつ。
 父も母も子どももまっつ! まっつまっつまっつ!!

 
 いやその。
 エリックが仮面を取るシーンとか、みんな真剣に声ひとつなく見入ってたり、したんですがね。
 部分的に、まっつネタで大いに盛り上がってしまいました。

 
 そんでもって。
 そのあとは、ドリーさんの映像資産から、花組のビデオをいろいろと見せてもらって。
 わたしがまっつファンになったの最近だから、昔のまっつをぜんぜん知らないから、昔の映像からまっつを探すことになったの。

 ちょっと前の、花組がNHKに出ていたときのとか。『エンタの神様』とか。
 もちろんまっつは群舞の端、隅の隅にいる人だから、ろくに映ることはない。
 その小さな姿、しかも常に動いている状態のなかから、まっつを探し出す。

 サトリちゃんが、いちばんうまかった。

「あっ、これまっつだ」
「今の、まっつじゃないですか」
 と、次々にまっつを見つけていく。

 すばらしいよ、サトリちゃん!! 「ウォーリーをさがせ」状態なのに、よくもそんなに見つけられるね! わたしより早いってばよ!

 まっつはまっつ。
 何年前だろうと、立ち位置がどこだろうと、ぜんぜん変わってない。
 相変わらず、こまったよーなカオをして踊っている。

 あとは、『琥珀色の雨にぬれて』の新公ビデオを見せてもらって。

 そーだよ『琥珀』新公。わたしがまっつを最初に認識したのが、コレだったんだもん。「未涼亜希って誰?」って首を傾げたのが、コレだったんだもん。

 わーい、まっつだー。
 ジゴロでダンサーで超色男役のまっつだー(笑)。

 なんかいたたまれなくて、テレビの前でころんころん転がってしまった。や、その、そのころにはすでに、部屋には布団が敷き詰めてあったからさ。布団の上で、ころころ転がってしまった。
 みんなお風呂入ったりチケットの分配してたり(笑)で、誰もテレビの前にはいなかったしなっ。見てたの、わたしだけだしなっ。

 
 あれから1年。
 わたしはやっぱり、タカラヅカが好き。
 そして、友だちと一緒にいる。
 そのことが、とてもしあわせ。


 クリスマスイヴ。
 某ロビーのカウンターで、わたしは用紙に記入するのに必死になっていた。

 そこへ現れた誠さん。「なにしてんですか」と。
 わたしはあわただしく言う。「その、鍵を落としちゃって」……届けを書くのに必死さ。

「また落としたんですか?!」

 わああぁん、また、とか言われちゃったよ!!

 ええ、さっきまで一緒だったサトリちゃんにも言われました。「緑野さん、よく落とし物しません? たしか前は、財布落としてなかったですか」と。
 落としましたとも。ちょうど1年くらい前ですかね。東京でしたね。

「んじゃ、出待ち行って来ますんで」
 と、誠さんは消えていった。はいはい、みんなダーリンに会っておいで。イヴだもんなっ。

 ダーリンもいないし、出待ちする甲斐性もないわたしは、かなしくひとりで帰ります。鍵、見つかんないし。
 劇場内のカウンターで、「鍵の落とし物ありました。ロビーの方の案内所で預かっています」と言われたので、喜び勇んで行ったのに。
 わたしのじゃなかったよ。しょぼん。

 クリスマスイヴに鍵を落とすうっかりさんは、わたしだけではないことだけが救い?
 某劇場の11時公演で鍵を落とした人、ロビーのカウンターに届いてますよ。
 でもって、わたしのカエルのキーチェーン付き鍵束、誰か知りません? 某劇場に落ちてなかったですか?

 わたしはこれから、夜行バスです。
 めざすは東京。さららんのお見送り。……チケット持ってないけど。前楽だけでも観られますよーに!

 あ。
 素顔化粧で大階段で整列して歌うまっつは、大変まっつでした。薄いなあ。幸薄そうだなあ。不健康そうだなあ。
 てゆーか、両側を舞台化粧の人で挟むのはやめよーよ。まっつがさらに薄いよ(笑)。
 予習・本番って感じで11時15時と続けて観ました、某劇場の「えっ、まっつの出番ってこれだけ??」公演に関しては、またいずれ。

 それにしても、まっつには、「可憐」とか「儚げ」とかゆー形容が似合うなあ。好きだなあ、そーゆー辛気くさいとこ。(はぁと)


 たかちゃんがいちばんきれいに見えたのって、いつだっけ。
 なにしろたかちゃん、お化粧いつも微妙だったからなあ(現在も含む)。

 たかちゃんのお化粧が変わったなと思ったのは、96年の『アリスの招待状』ぐらいからだ。
 そして、この美しさはなにごとっ?! と思ったのが、同年の『晴れた日に永遠が見える』。
 あー、つまり、お化粧名人・高嶺ふぶきと共演しているときだな(笑)。

 『晴れた日…』は最初、観劇予定はなかったんだ。バウだし、チケット持ってないし。
 でも、うっかりキャトレで和央ようかのスチールを見てしまった。
「ええっ? すげーきれい! 生で見てみたい!!」
 わたしと友人のクリスティーナさんは、色めき立った。なまじ、『アリスの招待状』でマイケル@たかこにハマったあとだ。

 サバキ待ちしたなー(笑)。
「エドワード@たかこを生で見る!」が目的。
 なんとか並びで2枚GETしたのが、下手の2列目いちばん端。
 そして、エドワードの出番のほとんどは、上手端。

「遠い。和央ようかが遠いっ」

 目的はたかこだったのに! 目的の人が対角線上にしか立たないってどーゆーことっ?!(笑)

 めちゃくちゃ遠かったけれど、それでも目的だった「美しいたかこ」を見られて満足した。
 『晴れた日…』はベースが現代物で、部分的に時代物になる。スーツ芝居がほとんどであるなか、たかちゃんてばレースひらひら時代物シーンの登場人物。
 そのギャップが素敵だった。
 地味なスーツ芝居に突然降臨するエドワード@たかこ。ふわふわのロングヘア、ひらひらフリフリお衣装。ありえないほど大仰な台詞ともったいつけた演技。エドワードの口癖、「ボクの小鳥ちゃん」はしばらくわたしたちの間で流行ったわ(笑)。
 フィナーレで、スーツ姿の人々の中、ひとりで時代衣装着てロン毛で「王子様の微笑」を浮かべながら手を振っていた姿もツボ。

 とにかく、このあたりのたかちゃんは美しかった。

 わたしは当時、「ヅカ友を増やそう!」キャンペーン中だった。クリスティーナさんは職場友だちで、毎日職場でえんえんヅカ話に興じていたんだが、彼女が転勤の末退職してしまったんだな。
 ヅカ話ができる友だちが欲しい! FCにも入ってない一般ファンがヅカ友を増やす方法といえばただひとつ、友人をヅカにハメるしかない!

 とゆーことで、ヅカ未見の一般人をやたらとムラへ連れて行っていた。
 職場の知人程度の人も引っ張っていった。……迷惑なヤツだったと、今は思う。しかし当時はマジだった。

 『仮面のロマネスク』『嵐が丘』『真夜中のゴースト』……97年の雪組作品には、いろんな人を連れて行ったわ。
 わたしはいちおートドファンだったし、トドロキは素顔が美しいので一般人に「美人でしょ?」と写真を見せやすかった。「こんな美人が男役をやっているのよ。タカラヅカって一度見てみない?」と、誘いやすかったのだわ。

 そーやって連れて行った一般人が。

 みーんなそろってたかこに堕ちていくのはなにごとっ?!

 トドのカオは、みんな一発で覚えるらしい。声にも特徴あるし。最初に「アレがトドロキよ」と教えればなんとかなる。
 ひとりだけでも顔の見分けがつき、かつ覚えていられれば、ヅカ初観劇としては上出来だよね。
「トドロキさんはわかる。……ところで、あの人は誰?」
 みんな、そろってそう言う。
 ああ、あの背の高い人? あれは和央ようか。
「ねえ、さっき髪をかきあげながら踊っていた人は誰?」
 だから、ソレが和央ようか。
「さっきトドロキさんの左側にいた人は誰?」
 だから、ソレが和央ようかだってば。

 なんでみんな、たかこのことしか聞かないの?!

 わたしの友人たちだけじゃない。
 大劇場をあとにするときの、人々のざわめきに耳を澄ませば聞こえてくる。
「あの髪の長い人、かっこいい」
「あの人だけ見分けついた」
「和央ようかっていうのね」
「たかこって、あんなにかっこよかったっけ?」
 当時の雪組で、長い髪をかきあげながら踊っていたのは、たかこだけ。
 「髪をかきあげていた人」という表現がやたら耳についたよ。ジェンヌの名前も知らないよーな人たちが、観劇後にまず口にするのがたかこのことだったんだよ。

 風が来ている。
 たかこに向かって、吹いている。
 それを肌で感じたころだった。

 『嵐が丘』の発売日、三番街プレイガイドに並んだとき、震撼したなあ。
 ポスターが、ひとり写りだ! って。『嵐が丘』ってタイトルなら、ヒロインが写っていそうなもんじゃないか。なのに、ひとりだったからさ。すげえやすげえや、と、ひとりで興奮したおぼえあり(笑)。
 当時のバウのちらしは貴重品でなあ。並んだ人がひとり1枚ずつしかもらえなかったんだよ。もちろん、完売しないよーな作品は、発売当日なら手に入ったけど、ふつーは発売座席数しか印刷してなかったんじゃないかってなレア度だった。一般人にはな。
 たかちゃんファンのわたしは、並び協力してくれた友だち(もちろん非ヅカファン。……ヅカ友ほとんどいなかったからさー)から、その貴重なちらしを回収し、大事に持って帰ったよ(笑)。

 『嵐が丘』は何回観たんだったっけな。千秋楽まで行ったよなあ。
 「役に入り込むんで」と、たかちゃんはカーテンコールのときまで笑顔ナシだった。
 目を見開いたまま壮絶な最期を遂げ、フィナーレなしでそのまま挨拶。たかちゃんはずっとこわい顔のままだった。『晴れた日…』のときとは、好対照。
 その不器用さも、好きだった。

 『嵐が丘』は脚本に物言いたいこともいろいろあるが、キャストは好評だったよね。ヅカ初見の人たちにも誉めてもらえて、気分よかった。
 とくにたかちゃん。初心者へのウケの良さといったら、もう。

 高嶺くんがいたころ、たかちゃんのお化粧は最高峰に美しかったからなあ(笑)。
 それが宙組に行って数作も保たずに、もとの微妙な化粧になり、途中でちょっと持ち直し、よくなったり悪くなったりを繰り返して現在に至る。

 あと、わたしはたかちゃんのパーソナルカレンダー、第一弾のときからずーっと、一度も欠かすことなく買っているけど、たかちゃんって、カレンダー撮影のとき必ず、最高峰に顔が丸いんだよね(笑)。
 まあ、最近はトシの加減でそれほどでもなくなってきたけどさー。最初のうちは、もお(笑)。よりによっていちばん丸々したときの写真を、1年見なければならない、つーのはねー。あと写真も、毎年理解に苦しむセンスだったし。
 そーゆーどんくさい持ち味も、好きだったなー。

 最近でいちばん美しかったのは、文句なしで『BOXMAN』のとき。
 ありゃーひさしぶりに、「ビジュアル系」としてのたかこを堪能した。

 『ファントム』や『炎にくちづけを』は正直微妙だと思っている。お化粧はね。
 でもたかちゃん、カオはともかく、姿の美しさは群を抜いてるから!
 仮面でカオが半分見えなくても、ズタ袋みたいな衣装を着ていても、それでも、和央ようかは美しいから。

 いつだって、その美しさを信じている。
 その美しさを、必要としている。

 わたしも。
 そして、タカラヅカも。
 たかちゃんに会いたいよ。


 12月21日、和央ようかライブショー『W-WING-』公演で事故が起こった。
 主演の和央ようかがフライング中に落下、骨盤骨折で全治1カ月と診断され、公演は全中止となった。

 わたしが観た翌日の公演だ。

 原因や劇団の対応についてどうこう言うつもりはない。わたしは関係者でも目撃者でもなく、まったくの門外漢だから言葉はない。

 ただ、かなしい。やるせない。

 たかちゃんの身体が心配だし、受けた痛みや、心労を思うだけで泣けてくる。
 今後のことだって、心配だ。

 ずっとずっと、見てきた子だから。
 まだほんの下級生時代から、好き嫌い以前に見ていた、知っていた人だから。
 ジェンヌ人生の最後の花道で、こんなことになってしまったことが、ショックで。

 あんまりだ。
 ひどいよ。

 かなしくて、やるせなくて。

 誰が、なにが悪いとかいうんじゃなくて。
 ただかなしい。

 
 『W-WING-』という公演は、決していい作品じゃない。
 わたしはあちこちドン引きしたし、フライングという文化自体にも引き気味だった。
 出演者のクオリティではなく、作品のクオリティとしては、かなりアレだと思う。
 でもさ、そーゆーことだけで量れないものだから。

 主演のたかちゃんが、たのしそうだった。
 カラダ大丈夫か? と思えるほど、体当たりでがんばっていた。
 裏事情なんか知りようもないから、どこからが仕事でどこまでが本人の意志や希望だったのかなんてわからないけど、少なくともたかちゃんは「自分がやりたかったことだ」と公言し、このライブに取り組んでいた。
 悪趣味で目眩がする演出やネタも、たかちゃんがやりたかったことなら仕方ないと思う。その笑顔を見るためだけに、この公演があってもいいと思う。
 たかちゃんが、この公演を大切にしていることは、伝わってきた。ダイレクトに。

 花ちゃんが、たのしそうだった。
 自分も退団するくせに、それを忘れたかのように、「ただの脇役」となって踊っていた。まぶしい笑顔で。
 全霊をあげて、たかちゃんを「送り出して」いた。

 出演している下級生たちが、たのしそうだった。
 それぞれが自分の役割を果たしつつ、真ん中のたかちゃんを盛り上げていた。
 惜しみなく舞台を創り上げていた。

 舞台が熱を持っていた。
 出演者たちが、意志を持ってこの空間を存在させていることがわかる。
 消えてしまうもの、あとには残らない、今この瞬間共有することでのみ存在するものを、全力で創り上げていた。

 そして。

 観客たちも。

 同じ衣装を着て同じペンライトを持って、立ち上がって踊っていたFCの人たちが、たのしそうだった。
 わたしの席からは彼女たちがよく見えたので、「立ったり坐ったり踊ったり、音頭取ったり統制かけたり大変だなー」と思いつつ、自分は坐ったまままったり眺めていたのだけど。
 脇目もふらず前だけを見て、この場の共有に参加している姿。

 わたしの後ろの席の人は、最初から最後までうるさかった。
 鳴り物を持ち込んで大騒ぎしていた。舞台に向かって掛け声もかけるし、他の観客の扇動にも余念がなかった。
「たかちゃんが、みんなに立って欲しいって言ってるの」
 と解説し、自分がずっと立ち上がって騒いでいることへの言い訳と、周囲の者にも自分と同じように立って踊ることを暗に強要していた。
 この人の後ろの席でなくてよかった、と、心から思った(笑)。ずっと立たれてたら、なにも見えないもんなあ。
 遠方から来ているらしく、新幹線の時間を気にしていた。
「こんな姿、子どもには見せられないわ」
 と言っているだけあって、けっこう年配の女性だった。

 うるさかったけれど、不快ではなかった。
 わたしは彼女と同じたのしみ方はできないけれど、彼女がたのしそうにしていることは微笑ましかった。
 や、彼女の後ろの席だったらそうは思えなかったかもしれないけど、アタマの後ろでメガホン使われてるぐらいならまだ、許容範囲(笑)。だってコレ、そーゆーことが許されている公演だから。

 たのしそうだから、いい。

 たくさんの愛があふれている空間だから。
 観客たちがそれぞれのスタンスで今をたのしんでいるから。

 わたしは着席したままだったけれど、ずっと手拍子と拍手はしていたし、あちこち笑い転げてもいたし。

 わたしの前の席は白髪のおばあさまたちで、もちろんずっと着席したままだった。この人たちに、立ち上がってあのちゃちなアイドルみたいな振付で踊れなんてゆーの、酷すぎるよな、といった感じの、「都会の真ん中の劇場におでかけ」してきた、おめかしした老婦人たちだよ。
 そのおばあさまたちが、ショーも後半になると、着席したままとはいえ、一緒に振付に参加しはじめるの。
 おそるおそる、といった感じで「W!」「I!」「N!」「G!」をやりはじめるの。
 すごいよねええ。
 白髪の老婦人が、「I!」で右手を挙げるんだぜえ?

 みんなが、たのしんでいた。

 ひとつの空間を、共有していた。
 愛を叫んでいた。
 

 歓声が聞こえる。
 よろこびの声。愛の声。
 
 それをおぼえているから。

 かなしい。やるせない。

 愛があった。
 舞台に、客席に。
 だからこそ。

 出演者たちは、どんな思いでいただろう。
 そして、観客は。

 たかちゃんと、あの公演を愛していたすべての人たちの、心を思うと痛い。

 たのしそうだった花ちゃん。たのしそうだった下級生たち。
 同じ衣装を着たFCの人たち。
 おそるおそる右手を挙げていた、白髪の老婦人。
 後ろで大騒ぎしていた「子どもには見せられない姿」の人。

 みんな、どうしてる?
 大丈夫?

 心があることがわかっているから。愛しい空間だったから。
 断ち切られたことが、せつない。

 
 いちばん苦しんでいるだろうたかちゃんが心配。たかちゃんを思うとせつなくて苦しい。

 でも、それとは別に。

 たかちゃんと、たかちゃんと共にあったあの空間を愛し、共有していたものすべてにも、せつなくてやるせなくて、苦しいんだ。

 なにがどうじゃなく、ただ、かなしいよ。

 
 たかちゃんが、早くよくなりますように。
 そして、彼女にとってもっともよい未来を彼女の意志で選択できますように。

 そして。

 たかちゃんを愛し、たかちゃんに関わり、たかちゃんの事故によって傷を受けたすべての人たちに、どうか癒しを。

 愛ゆえの痛みに、どうか救いを。


 『W-WING-』を観ておどろいたことのひとつは、「あっ、アリスちゃんだ、かわいー」と思ってよく見たら、

 それが、お花様だったこと。

 我が目を疑ったよ。

 だってね。
 脇にいるんだよ。
 他の下級生たちにまじって、同じよーな衣装着て、ただの「出演者」になって、隅っこで踊ってるの。

 なにをやってるんだ、花總まり!!

 12年もトップスターの座に君臨した、前代未聞、史上に残るタカラジェンヌが、なんでただの脇役やってるの?!

 
 たかちゃんに続き花ちゃんも退団を発表したとき、このライブショーは「ふたりの」サヨナラ記念公演になるんだと思った。
 正直、他の娘役(男役でも可・笑)と組んだたかちゃんが見てみたかったので、最後のライブショーが「ふたりの」ショーになってしまうことは残念な気もした。(つってもわたし、所詮たか花ファンなので、ふたりががっぷり組んでタカラヅカらしいものを見せてくれると、それだけで泣けてきちゃう人なんだけどね)
 「ふたりの」ではなく、たかちゃんひとりの公演が見たかった……たしかに、そう思いはした。したよ。しかし。

 花ちゃんが出演しているのに、たかちゃんひとりが「サヨナラ」なショーを見ることになるなんて、夢にも思わなかったよ。

 『W-WING-』の主役は、あくまでも和央ようかひとりだった。
 主演・和央ようかと、他の出演者たち。
 花ちゃんは、他の出演者でしかなかった。
 そりゃ、場面によってはヒロイン扱いもされている。でもそれは、その場面限定だ。公演のヒロインじゃない。
 たとえるなら、オサコン『I got music』の彩音ちゃんみたいなもん。1部のヒロインはたしかに彩音ちゃんで、オサダくんの相手役としてデュエットダンスしちゃうけど、『I got music』の主役はあくまでも春野寿美礼ただひとりだ。桜乃彩音を主役だとは誰も思わない。
 そんな扱いだったんだ、『W-WING-』のお花様。

 
 わたしは、花總まりが好きだ。
 彼女の「娘役」としての力に惚れている。
 タカラヅカという幻想空間で、正しく夢を見せてくれる力。
 その類い希なスタイルもそうだし、きめ細やかな演技もそうだ。
 彼女の「美しさ」が、説得力になるんだ。これほどの女を惚れさせる男、として、主人公の価値を上げるから。
 タカラヅカは男役中心。だからこそ、娘役は「いい女」でなくてはならない。つまらない女を愛する男は、かっこよくは見えないのだから。

 だからこそわたしは、花ちゃんの退団を惜しんでいた。
 まだまだ、タカラヅカにして欲しかった。

 タカラヅカは世代交代することに意味のある劇団だ。
 トップスターは惜しまれて退団し、次のスターにその場所を譲る。水は流れるからいつも清く、花は散るから美しい。
 花ちゃん自身がどれほどすばらしい娘役でも、いつかはトップスターの座は降りなければならない。次の世代に譲らなければならない。
 それならば、世代交代を必要としないポジションで、その魅力を発揮して欲しかった。

 花總まり主演公演が観たかったの。

 今、タカラヅカは公演する劇場が増えている。本家の大劇場やバウホール以外のハコがたくさんある。
 ならばそれらの劇場で、観たかった、娘役が主人公の作品を。

 人間の半分は、女性だ。
 とーぜん、物語の半分だって、女性が主人公だろう。
 「主人公は男でなければならない」という縛りのあるタカラヅカは、この世の物語の半分を切り捨てているんだ。
 世の中には、おもしろい物語がたくさんあるのに。
 女性主人公のすばらしい作品を上演できない、上演するにあたってわざわざ主役を男に替え、つまらないくだらない壊れたしょーもない話にしてしまう、のが今のタカラヅカ。
 もったいないよソレ。まちがってるよソレ。

 可能性を広げようよ。
 今、21世紀だよ?

 タカラヅカの観客の大半は女性だ。
 女性がフィクションをたのしむのに、女性が主人公で恋愛したり冒険したりすることのなにが不思議なんだ?
 テレビドラマを見てよ、女性向けドラマの主人公は大抵女性だってば。ロマンス小説でも少女マンガでも、そうでしょ?
 女が主人公の方が、女のよろこぶ物語を構築しやすいんだってば。

 もちろん、タカラヅカは男役あってのものだ。ファンは通常男役を観に来る。主役が娘役で興行として成り立つのか、という問題がある。
 そりゃ、娘役主演で彼女しか出番がなくて彼女しかいいとこのない舞台なら、集客はできないでしょー。
 でもふつうに「芝居」なら、主役の女性ひとりしか出番がないなんてこと、ありえないでしょ?

 主役である女性は「視点」だから。
 観客は主役を通して、彼女を取り巻く「男たち」を見るから。
 ヒロインひとりに、彼女に関わる男たちが複数。タイプも立場も違うが、魅力的な男たち。彼女を愛していたり、敵だったり、対等な友人だったり。
 視点がヒロインひとりに固定されるからこそ、彼女を取り巻く「男たち」の魅力も存分に表現することが出来る。

 ふたりの男の間で揺れ動く女、という物語で、わざわざ男のひとりを主人公にする不自然さ。
 これじゃ、主人公の男ひとりしか魅力的に描けないじゃん。揺れ動く女はずるい女にしかならないじゃん。
 女を主人公にすれば、主人公=観客だから揺れ動いてもヨシ。その理由として、男ふたりを徹底的に魅力的に描ける。どっちの男を選んでもおかしくないほどに。

 花總まりを主人公に、売り出し中のかっこいー男役を複数同等の扱いでガンガン露出させれば、興行として成り立つと思う。
 原作なら、世の中にいくらでもある。恋愛モノなんて、女性主役の方が多いんだから。

 タカラヅカの新しい可能性。
 それが、花總まりだと思っていたんだ。

 なのに。
 その花總まりは辞めてしまう。
 男振りを上げて見せてくれるいい女が、辞めてしまう。

 しかも、彼女の出演する最後のライブショーが、この『W-WING-』だ。
 主役は同じく退団するたかちゃん。花ちゃんは、脇役。
 主役が見たいと思える人なのに。主役をやれるだけの能力のある人だと思えるのに。
 最後のショー作品で、なんで脇役なんかやってるんだよう。

 そりゃこれは、たかちゃんのサヨナラライブで、たかちゃんが主役で当然なんだけど。たかちゃん主役でうれしいのも事実だけど。

 でもさ。
 ピンスポもない隅っこで、ジャージ着て下級生たちにまじって笑って踊っている花ちゃんを見ると、泣けてくるんだ。

 アンタだって退団するんじゃん。これが最後なんじゃん。なのになんで、そんなとこでひとを送っているのよ?!

 自分だって、送られる側なのに。
 史上に残るスターなのに。
 なのに、なのに、脇役としてスターを「送る」立場にいるの。

 でもそれが、花ちゃんの選んだことなんだよね。

 主役として立つことでも、主役として送られることでもなくて。
 あくまでも、脇役として、寄り添うものとして存在すること。

 「タカラヅカの娘役」として存在すること。

 90年続いてきた「宝塚歌劇」の「娘役」というファンタジーであること。
 それが、花總まりなんだ。

 その他大勢のなかで、これ以上ない愛とよろこびに充ちた笑顔で踊る彼女に、涙が出た。

 タカラヅカを、好きなんだね。
 わたしも、大好きだよ。


 のんきに周回遅れで観劇感想文を書いているわたしは、本日はタカコンに行ってました。
 たかちゃんの登場シーンから大爆笑して腹がよじれ(笑ってるの、わたしと誠さんだけだったよーな? 他の人たちは「きゃー♪」とか言っていたよーな?)、さいとー全開の演出にドン引きしそーになりつつも、必死で持ち直し、それでもとってもたのしんでドラマシティをあとにしたのに。

 待っていたのは、怒濤の人事発表。

 
 混乱。

 いやその、いろいろと。
 劇団の考えてること、よくわかんにゃい。

 疑問は残るし、突っ込みたいことはいろいろあるけど。
 よろこんだことだけ、書いておこう。
 
 
 ひとつめ。

 雪組万歳。

 す、すんません。
 景子タンの新作『堕天使の涙』と、オギーの新作ショー『タランテラ!』に、目眩がするほどよろこびを噛みしめています。

 コム水で、堕天使!! コム水でオギー!!

 タイトルと解説読むだけで、同人誌でも作りたいよーなすばらしさです。
 コム水コム水〜〜。うきゃー。

 オギーが水くんをどんなふーに使うのか、それがたのしみでたのしみでなりません。

 
 ふたつめ。

 かしちゃん&るいるい、トップおめでとう。

 わずか2日前、18日にデイジーちゃんと長電話してました。
 そのときにわたし、

「かしげを活かす道は、宙組のトップの他はない」

 と言ってしまい、宙担のデイジーちゃんにものすげー反発くらったんですね。

 や、たんにわたし、かっしーのことだけ考えてたんです。
 人事におけるさまざまなしがらみや軋轢は置いておいて、ただ貴城けいというキャラクタをいちばん活かせる方法とは? とゆー話をしていたの。

 かしちゃんは雪組にいてはダメだ。
 コム姫がトップである以上、持ち味の相性のよくないふたりが隣同士でいては、魅力を相殺してしまう。
 かしちゃんは、もっと早くに組替えするべきだったと思う。

 とゆーわたし持論から、かっしー救出計画をひねり出すと。

 宙組トップになっちゃうんだ。

 理由1 現2番手で、いちばん背が高い。
   2 王子様キャラ。
   3 白い。
   4 薄い(いや、髪の毛のことじゃなくって!)。

 宙トップのカラーは、「薄くてアクがなくてコスプレの似合う白い王子様」だよね?
 実際のたかちゃんは濃いキャラもできる人だったけど、彼があえて表面に出しているものは、上記キャラだったからさ。

 白い、薄いタイプは、2番手ではダメなのよー。埋没しちゃう。2番手は黒い役ができなきゃ。かしちゃん、黒い役できないから。じつは役幅狭い人だから。なにやっても「いい人」になっちゃうから。
 おいしい2番手、をかっしーに求めるのは無謀。
 それよりも、彼は「トップスター」になってこそ魅力が発揮できる人だと思っている。

 トップスターに求められるのは「貴公子」「白いヒーロー」だもん。

 かしちゃんなら演技しなくても、地のままで「王子様」になれるもん。「いい人」になれるもん。

 たかちゃんのあとにかっしーなら、いちばん問題なく収まるよなー。
 宙の無色透明さとコスプレと王子様の組、つーのを引き継げるし。
 下級生ジャンボ軍団だって、解散せずにすむかもしれないし。

 と。
 ゆーたのが、2日前。

 ほんとーになるなんて、夢にも思ってませんてば。

 第一、2番手がタニじゃダメだろ。
 それじゃ雪組にいたときと変わらない。トップと2番手のカラーがかぶっちゃうよう。
 わたしは「貴城けいというキャラクタをいちばん活かせる方法」として宙トップしかねえ、と思ったけど、それは2番手をタニちゃんと認識しての意見じゃないよー。

 タニちゃんも、かしげと同じで黒い役とか2番手キャラが似合わない人。
 「真ん中」しかできない人。
 わたしがタニファンなら、「大和悠河というキャラクタをいちばん活かせる方法」として、「宙組トップ」を挙げたよ。
 かっしーのときと「理由」は同じ。あ、「理由1 現2番手で2番目に背が高い」と書き換えてね。

 こんな、持ち味のかぶるふたりを並べて使う気なのか、劇団?
 いや、「宙組」ならソレでいいのかな。薄くて白くて、ヅカをはじめて見る人たちにはアクがない分拒絶反応が出ない? それが狙いなのか?

 でもさー集客できるの、かしげで。(失礼な言いっぷり)
 わたしはかしファン10年やってますが、ほんとに人気ないですよあの人。
 そりゃ、トップにして、初心者に見せる組というプロデュースを徹底して一般客を動員すれば、ちゃんと人気出る人だとは思ってるけど。(ディープなヅカファン向きの人じゃないっすよ、彼。それなら今までにブレイクしてますって)

 て、言ってるそばから大劇お披露目作品、石田の日本物だし……。劇団は、宙組潰す気だろうか。んな誰も求めてない演目やるなよ……。

 それに、「かしげ宙トップ説」は雑談として語っただけだったのに、宙組命っっ!!のデイジーちゃんには大反発くらったし。
 デイジーちゃんはわたしの友人のなかでももっともエキセントリックな人だけど、彼女に限らず「組ファン」てのは、多かれ少なかれそーゆー深さで組を愛しているのだろうから。
 デイジーちゃんは現に、すでに組替えでやってきた人たちさえ、未だ「宙組の一員」とは認めていない口ぶり。落下傘トップなんか、絶対受け付けないだろー。

 実際、人事が発表されるなり、ものすげーこわいメール届いたし……すぐにソレを反省したメールも来たけど(素直で純粋な人なんすよ、彼女)。
 でもわたし、びびって返信できませんでした。ヘタレ。

 デイジーちゃん、元気出して。
 かしちゃんがトップでも、君の好きな宙組は宙組でありつづけるよ。大丈夫、組子たちが一丸となって支えてくれるよ。
 と、こんなとこで言ってみる。

 しかし、かしげ・タニ、って、萌えないなー。
 てゆーか、「非童貞だがここ10年くらいご無沙汰」と「童貞」って感じだよな、トップと2番手……いいのかソレで。

 あ、あひつんとともちなら萌えるー(笑)。かっしーに絡んでほしいわん。

 るいるいは、素直にうれしい。
 三拍子揃った華やかな娘役トップスター誕生だ〜〜。

 疑問も不安も山積みだが、それでもかしちゃん&るいるい宙トップは、わたしはうれしい。
 これでかしちゃんが、正しく「貴城けい」として魅力を発揮してくれるといいな。

 
  
 人事への疑問、劇団への疑問があるのはいつものこと。
 あすかちゃんはどーなるのかとか、トウコちゃんはこのまま自分の組で待っていればいいんだよね? とか、いろいろ。

 でも、ほんとのとこ。
 今回の人事+ラインナップ発表でいちばん気になったのは、まっつのことだったりするから、どーしよーもない。溜息。


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