最近のタカラジェンヌの名前は、大変愉快なことになっている。
 どう愉快かとゆーと、ソレ、人間の名前チガウやん!! とゆー愉快さだ。
 膨大な数の先輩と名前がかぶってもいけないし、いろいろ縛りやルールがあって、とっても難しいんだろーとは思うさ。そんななかで「芸名」を考えるのは。

 それにしたって、ものすごいよなー、最近の子の名前。おばちゃん、若い子の感性についていけないわぁ、みたいな(笑)。

 そんな現代だからこそ、古風なタカラヅカっぽい名前の方が目立ってしまったりする。

 「紅ゆずる」……その名をはじめて目にしたとき、わたしは言った、らしい。よくおぼえていないが。

「ナンチャッテジェンヌの名前みたい」

 ヅカのファン以外、それこそ「竹の塚」しか見たことないよーな人がてきとーに「ヅカっぽい名前」をつけたら、こんな感じ。てな。

 タカラヅカで見かけたのなら、いくらわたしでもこんな無礼な発言はしない。プログラムや出演者表に載っている名前をつかまえて、こんなことを言ったりしない。
 その名をはじめて見たのは、外部の舞台のロビーでだったんだ。

 ロビーは花で埋まっていた。公演初日だ。わたしとkineさんとサトリちゃんは、お花の贈り主の名をいちいちチェックして回っていた。知った名前があると、なんかうれしいんだもの(笑)。

 タカラヅカ関係の人からのお花も多かった。OGも現役も。
 出演者宛ではなく、みんなもれなく、演出家の先生宛だ。
 ワタさんのよーなトップスターはひとりで大きなお花を贈っている。下級生たちは何人か連名だったり、あるいは「同期一同」というカタチで、それぞれ贈っているよーだった。
 なるほどなー。現役のジェンヌが出演している外部の舞台なのに、そのジェンヌ宛に花を贈ったりしないんだ。あくまでも「先生宛」。ぬけがけナシで連れや同期と一緒に贈ります、か。
 そんななかで。
 たったひとり、横一列の慣例を飛び越えている花があった。

「あ、コレしいちゃん宛だ」

 演出家の謝珠栄先生宛ではなく、出演者のひとりにすぎない立樹遥宛。全部見て回ったけど、タカラヅカ関係者でしいちゃん単体に花を贈っている人は、ひとりもいなかった。
 その花、たったひとつ。
 しかも。

「ひとりで贈ってる……」

 みんな連名なのに。仲間と一緒に横並びに礼儀を示しているのに。
 ただひとり、その花の贈り主だけが、本人のみの名前を表記されていた。

「宝塚歌劇団 紅ゆずる」

 これがファースト・インプレッション。たくさんの花の中、たったひとつの花。
 てか、誰?

 同期と一緒に先生へ、が暗黙のルールみたいな場所で、たったひとりでしいちゃん宛の花を贈っていた紅ゆずる。あまりに浮いていたので、つい「ナンチャッテジェンヌみたいな名前」と言ってしまったのよ。もちろん本気でなく。

 これが、たったひとりで先生宛に贈っているなら「点数稼ぎ」みたいな色眼鏡のかかった見方もできるけど。
 たったひとりでしいちゃんへ、というあたりがなんか……微笑ましくて。
 なんとなくハズしている風なのがまた、かわいらしくて。
 
 そんなところではじめて見た名前は、わたしの記憶の奥の方へ。
 そんなことがあったことさえ、忘れていた。

 バウ公演『それでも船は行く』において。
 1幕で目に付いたすっきり顔の男の子を幕間にチェック。口には出さないが、この子が舞台のあの子だよね? と、ひとりで納得。
 公演が終わったあとにみんなで「気になった子がいるけど、名前わかんなーい」というのをやって、なーんだ、みんな同じ子が気になったんじゃん! と話したとき、はじめてその子の名前を口にした。プログラムの名前や写真を指さしもした。
 それって、紅ゆずるだよ。……ん? 紅ゆずる……どっかで見たことがあるよーな字面。デジャヴ? なんだろなんだろ、なんか引っかかる……。

 紅ゆずるの謎。

「しいちゃんに花を贈った子ですよ」

 アタマを抱えるわたしに、kineさんが答えをくれた。
 そっか、あのときの子か!!
 忘れていたよ、そんなことがあったっけ。

 『タック』のロビーでウケていた、あの「ひとりだけ」ジェンヌか。
 よーやく名前と顔が一致した。

 わたしの大好きなしいちゃんに、お花を贈ってくれた子が、わたし好みの顔の子で、すごくうれしい(笑)。
 着こなしも所作も演技も、なにもかも「これからの課題」の子であったとしてもな(笑)。

 
 ところで。

 わたしの「緑野こあら」って名前、タカラヅカの娘役っぽいよね? と本気で言ってみたんだが、誰からも賛同を得られなかった。えーーっ?(不満の声)


「星組あんま観ないから知らなかったけど、ぎんがみちゃんがこんな立場になってるんだ」

 とゆー誠さんの言葉に、自称星担のわたしとkineさんはあわてて言う。

「なってないから!!」

 星バウ『それでも船は行く』初日の幕間。

 わたしはいつものよーになんの予備知識もないまま観に行ったので、すずみんとせんどーさん以外の出演者も知らなかった。
「えっ、せんどーさんヒロインじゃないの?!」
 なんてことを、当日にkineさん相手に言っていたくらいだ。

 まさか2番手が、ぎんがみくんとは……。

 
 バウホールの2番手配役っちゅーのは、いろんなパターンがあるよね。
 まず順当なのが、若手スターの起用。主役と2番手の人気でチケットを売ろうという魂胆。興行として正しい姿。
 次にあるのが、下級生の抜擢。大劇場でんな冒険はできないが、バウでならできる。期待を込めて、まったく無名の若手にやらせたりする。
 みっつめは、舞台レベル補強としての助演者。主役が実力面でちと弱い若手アイドルスターだったりする場合に、そこそこ実力のある、されど完全な路線スターでない人を配置したりする。

 だが、今回のぎんがみくんは、そのどのパターンにも当てはまらない……。

 彼はべつに「若手路線スター」じゃないし、「抜擢された無名の下級生」でもないし、「脇の実力派」でもない。
 そこそこの脇ポジションにいる、そこそこの下級生で、実力は……ええっと……キャリア不足だから仕方ないよな、というレベルの男の子。
 何故この子が2番手……?
 星担のつもりでいたけど、わからない。そして星担でない人は、「ぎんがみくんって路線なんだ」と誤解した発言をしちゃったよ?

 まあ、これを皮切りにぎんがみくんのプッシュがはじまり、路線スターになるのかもしれないが。

 ただたんに、めぐり合わせ、というだけの気がするけどな……たまたま彼だった、というか。他にいなかった、というか。
 言葉が悪くてごめんよ。ぎんがみくんに含みはない。
 配役が不思議なだけだ。

 でもってぎんがみくんのやっていた役は、ふつーの路線スターがやる分には「おいしい役」だったと思う。
 見た目にきれいで、ちゃんと女の子と恋愛をして。出番も役割もちゃんとあって。
 脇の実力派がやっても、きっと「おいしい役」だったろーな。

 ただ。
 ぎんがみくんには、荷が重すぎたね……。

 わたしが観たのが初日だから、そのせいもあるかもしれないけど。
 うわー、いっぱいいっぱい。「手順」こなすことだけで精一杯、他はなにも考えられません状態……。

 仕方ないよな、今までこんな重責与えられたことなかったもんな。路線でも実力派でもないんだし。
 そのための教育も経験もなにも与えてもらえなかった人が、突然スポットライト浴びて真ん中に立たされても、とまどうばかりだよな。

 この公演、路線系スターがすずみんとせんどーさんだけ、というの、なんとかならんかったんやろか……。
 花組の『くらわんか』も路線系は主役ひとり状態だったけど、2番手のビンちゃん役は「初心者男役にやさしい役」だったじゃん。「男役」としての基礎ができてなくても、なんとかなる役。
 しかし、『それでも…』のマイク役は、「男役」の基礎ができてないと苦しいよ……。しかも「路線系の基礎」がないと、きびしいよ……。

 主役以外があまりに学芸会テイストで、どーしよー、って感じ。
 ワークショップだから? でも値段はワークショップ価格じゃないよ、歌劇団。

 と、好き放題言っておいて。

 路線でもなければ実力派でもない、「これからこの子を売りますんでヨロシク!」的な配役をもしていない、この意義のよくわかんねーバウ公演が、けっこー好きなのだ(笑)。

 下級生観るの好きですから!
 下手でも学芸会でも、「一生懸命」「いっぱいいっぱい」なところを応援するの、好きですから!

 だからぎんがみくんがまさかの2番手役なのも、うれしいの(笑)。
 こーやっていろんな子に、いろんな可能性を広げてやってくれよ。

 
 ヒロインのせあらちゃんは、「これからこの子を売りますんでヨロシク!」的な配役なのかな?
 この子はちゃんと、「ヒロイン」としての仕事をしていたよ。
 うまいし、かわいい。
 初の重責という分にはぎんがみくんと同じか、ヒロインなぶんだけ彼以上に大変だったと思うんだけど、見事に真ん中で輝いていたよ。
 余裕はないけど、そこがまた個性になっていてよかったかと。スーザンはきりきりしている女の子だから(笑)。

 
 スーザンと対照的に余裕で演じられているのかジュリア@せんどーさん。
 ああ、ぷりちーだ、せんどーさん。丸っこい曲線がたまらない。余裕と包容力をもって「役」を演じるその姿に救われる。
 同じ余裕でも、ジョニー@すずみんは「うれしいたのしい充実しているスタァなボク」的な余裕なのに、せんどーさんは「きっちりお仕事どーんと来い(胸叩きっ)」的な余裕なのが素敵。


 みきちぐ氏には、「いてくれてありがとう!」だわ。この人がいなかったら、どーなっていたことか。
 非美形脇男役の重要さを体現してくれ。……もちろんヅカですから。「非美形」っていってもみんな、十分美しいんだけどなっ。言葉の上では、そーゆーカテゴリ。必要だよ、マジで。

 
 老け役のおふた方のことは置いておいて。
 以下の下級生たちときたら、「誰が誰やら」状態でねえ(笑)。かろうじてわかる舞夕ちゃんの他は、プログラム買ってお勉強しなきゃね!って感じさ(買ってません)。

 いちばん下級生に詳しいkineさんも「お勉強」ムードだから、記憶力と判別力に乏しいわたしや、あまり星組を観ていないもずっちたちにはコメントの声も挙がりません。
 あがらない……ん、だけ、ど。

「アレ、なんて子?」
「だからどれ? なんの役やってた?」
「役名忘れた……でもなんか、目につく子」
「私も目につく子がいたけど、名前わかんないー」

 ぼそぼそ要領の得ない会話を繰り返したのち。
 どーやら、わたしたちはみな、ひとりの男役の話をしている模様。
「で、名前は?」

 意見総合したあとなら、答えられるよ。

「紅ゆずる」

 この子だけは、早いウチに名前とカオが一致した。なにしろ、好み系のカオだから(笑)。

 名前を答えたくせに、わたしは首をひねる。
 あれ? 紅ゆずる? 変だな、なんか引っかかる。なんだろう??

 なにが引っかかっているのかも、わからない。
 ただ、この名前を口にした途端、「なにか」感じたんだ。

 その答えは、kineさんがくれた。

 
 てことで、紅ゆずるの謎は、次項へ続く〜〜。


 ……たぶん。

 太田哲則作品は、ひとつまちがえると、すごくわたし好みの作品になるのだと思う。

 ああっ、どーしてソコを押さないのよーっ、ソコがツボなのにっ。

 と、いつもツボをはずされているのだな。
 そうやってはずされているけど、ツボがあるのは見えているのよ。
 だからこそ、ひどくもどかしい。ツボなんてカケラも存在しない、わたしと別宇宙にある作品なら、こんなに不快にもならないのに。

 太田作品がわたしのツボを押すためには、圧倒的に熱意と誠意が不足している。そして、慟哭。絶望。そんなものが、足りない。

 ひとつまちがえれば、ものすごくものすごく、好きな作品になるだろーに。
 そのあとひとつが、いつもかわされてしまって、不発。

 あー……。


 太田哲則作『それでも船は行く』を語る、というか、『それでも船は行く』を使って太田哲則を語るというか。……の、続き。

 わたしは太田作品が嫌いなので、どーしても視点が偏っていると思います。
 それを踏まえた上で、読んでくださいませ。
 

 えー、『それでも…』のネタは、太田せんせは過去に複数回使ってます。わたし程度の人間でも、2本は知ってるし、大きなネタだけでなく小さなネタも合わせればもっと他の作品のネタともかぶっていると思う。
 すごいなー。

 そしてさらにすごいのは、その同じネタと話を焼き直すことの、言い訳。
 「古典的な話だから、ありきたり」ときたもんだ。kineさんに見せてもらったプログラムの、太田本人の言葉。わたしはプログラム買ってないので、本人の言葉まんまはおぼえてない。わたしのフィルター通したうえでの言葉(すまんのう、私感入ってて)。
 わたしには、「『それでも船は行く』は焼き直しじゃない、もともとありきたりな話なんだ」って意味で書いているとしか思えないんだ。

 もちろん、「人々がおもしろいと感じる物語」にはパターンがある。それに従って書けば、どうしても似たような話になるだろう。

 しかし。
 世の中のありきたりの話ってのは、「主人公が別の名を名乗って元恋人をだます。元恋人にはキザりまくりの成金の婚約者がいる。主人公と元恋人はえんえん舌戦をかわす。ふたりの出会いが回想形式ではいる。彼らは本当は愛し合っているが、タイミングが悪くてケンカ、別れるに至った。嘘で混乱した空間に、犯罪者とそれを追う者が入り乱れる。最後は登場人物それぞれカップルになって大団円」という話しかない、わけじゃない。
 ここまで過去の自分の作品と同じネタを使っておきながら「焼き直しじゃなく、世の中の古典的ネタを使ったら、ありきたりになった」と言い切る姿勢に、疑問。「ありきたりな古典的ネタ」ってのは、このひとつだけなの? ここまで同じ符丁だけで構成されるの? 他のパターンは存在しないの?

 しかも太田せんせ、ものすげえことに断言してます。
「『それでも船は行く』は、ありきたりな話。それがおもしろくできないとしたら、出演者の力不足」

 出演者、だけの責任?

 焼き直し的ありきたりな話を書いた作者には、責任がないの?

 この薄っぺらい先の見えるご都合主義脚本には、なんの問題もないのね。破綻してない、ということしか取り柄のない、他の欠点をすべて「オシャレ」という抽象的な形容で正当化している作品が。

 なんて誠意のない。

 わたしは、作品を書く上での誠意ってものに、興味がある。
 誠意のない作品は嫌い。

 とはいえ。

 おもしろければ、いいのよ。

 たとえ作者が「客なんてバカばっかだ。真面目になんか書くもんか。けっ」と鼻をほじりながら書いたとしても、おもしろい作品なら、それでいい。
 誠意がなかろーが焼き直しだろーが、おもしろければぜんぜんかまわない。作品と作者は別物だから、「誠意がないからいやだわー」と文句たれるかもしれないが、素直にたのしむ。おもしろいものが欲しいんだもの。

 駄作なうえに、誠意もないだと?

 『それでも…』がありきたりなのは昔からあるパターンを踏襲しているせいであって、焼き直しだからではないと? 
 おもしろくなければ、役者のせいだと?

 グレイトだ、太田哲則。

 悪いのはみんな他人、手柄は全部自分のもの。
 見習いたい厚顔さだ……。
 やっぱこれぐらいコワレた人でないと、作家にはなれないんだろーな。

 太田作品は嫌い。誠意がないから。そのうえ、独りよがりでおもしろくないから。

 
 でも、『それでも船は行く』はもう一度観たいわ。
 ジョニー@すずみんに会いたいんだもの。

 駄作を必死で盛り上げる、出演者たちの熱いハートに触れたいから。


 わたしは、太田哲則が嫌いだ。
 作品がどうこうより、たぶんきっと「製作態度」が嫌いなんだろう(笑)。
 それはわたしが、作品を創るうえでの誠意というものに、重点を置いているせいだと思う。

 『それでも船は行く』もまた、誠意の感じられない作品だった。

 『それでも…』は作者曰く「お洒落な、大人のラブコメディ」なんだそーだ。
 お洒落か。ははは。お洒落なー。

「ねえねえ、この間お見合いしたんでしょ? 相手の人、どうだった?」
「……(沈黙)……えーと……そのー、いい人、だったよ」

「その失敗ばっかりしてる後輩ってさぁ、どーゆー子なのよ? 一度がつんと言った方がよくない?」
「……(沈黙)……えーと……そのー、でもいちおう、かわいい子、だし」

「『天の鼓』ってどうだった? おもしろかった?」
「……(沈黙)……えーと……そのー、とりあえず、きれい、だったよ」

 という会話例と同じですわ。「お洒落」の使い方。

「『それでも船は行く』ってどうだった? おもしろかった?」
「……(沈黙)……えーと……そのー、とりあえず、オシャレ、だったよ」

 他に誉めようがない場合の、大人の処世術。さしさわりのないことを言って、お茶を濁す。
 そーゆー意味での「オシャレ」だよな、太田せんせ?

 この「オシャレ」具合が、かなしいまでの誠意のなさ。
 やる気のなさを「さしさわりのない言葉」で誤魔化している状態。

 登場人物の人格が一定せず薄くご都合主義なのも、「オシャレ」にするため。
 ストーリーがメリハリに欠け、盛り上がらないのも、「オシャレ」にするため。
 意味のない長台詞と装飾過多の不親切な自己満足会話も、「オシャレ」にするため。
 過去作品の焼き直しなのも、もちろん「オシャレ」にするため。

 都合のいい言葉だな、「オシャレ」って。

 キャラクタもそうだが、ストーリーのいい加減さはどうだろう。
 破綻してはいないよ。太田せんせは最低限破綻したものは書かない。
 しかし、そこに誠意が欠けるために、圧倒的に熱量が欠けている。

 熱量。
 役者で言うなら、ハマコとかハマコとかハマコとか。最近ではさららんとか(笑)。
「いや、なにもソコまでやらなくてもいいから!」
 と肩を押さえたくなるほどの大熱演。
 役に入り込むあまり、髪振り乱して顔ぐちゃぐちゃにしての大暴走。手加減ナシ!

 ……それがいいか悪いか、そのときの舞台や役に即しているかどうかは、今は置くとして。

 そんな手加減ナシで大熱演している人の横で、「てきとー」に流している人がいたら、どうだろう?
 決められた通りの振り付けでちゃんと踊っている。決められた台詞は言う。最低限の仕事はしている。でも、それだけ。
「なりふりかまわず一生懸命なんて、かっこわるぅい。ふつーにやる方がオシャレよ」
 疲れない程度、失敗や実力不足がわからない程度に力を加減して、ほどほどの仕事をしておく。最高点を出す努力なんかしない、でも平均点はふつーにあるから、それでいいはずよ、と。

 出来不出来以前に、わたしはそーゆーのは「誠意がない」と判断する。

 『それでも…』の「オシャレさ」には、そのにおいがする。
 「オシャレ」を言い訳に、最初から平均点あたりを目指して作り、そのことに納得している。たとえ平均点に届かなくても、平気。だって頂点を目指してないから、鈍感な心は何点でも傷つかないの。

 主人公ジョニーを、もっと魅力的な人物にすることは可能だったはずだ。
 嘘つきでいい加減で気ままな彼を、「それでもほんとはいい奴」「わざと悪ぶって、もう」と観客に思わせる仕掛けは、できたはずだ。
 できるのに、しない。
 そしてそれを「オシャレ」と言う。

 ジョニーとヒロインのスーザンの関係も、もっと盛り上げることができたはずだ。作者の独りよがり台詞を変えるだけでも、ぜんぜんちがってくるはずだ。
 マイクとジュリアの関係も、公爵夫人と男爵も。
 キャラクタひとりずつを、もっと真摯に表現することができたはずだ。
 キャラがみな深みを持たず表面的で「軽い」。それを「オシャレ」という言葉で誤魔化している。
 涙を流して熱演することを「暑苦しくてかっこわるい」、なにごとも動じずさらりと流すことを「クールでかっこいい」と言うような感じで。

 なんつっても、誠意があれば、過去作品のネタを焼き直して使わないだろう。

 これで何回目だ、太田せんせ?
 何回同じネタを使えば気が済むの?

 もちろん、ひとつのテーマをえんえん書き続けることがいけないわけじゃない。ほんとうに情熱をかたむけてひとつのテーマを追求するならば、それは「ライフワーク」という。「作風」という。正塚晴彦が「やせ我慢の美学」と「自分探し」をえんえんえんえん書き続けているのはアリだと思うさ。齋藤吉正が「母なる聖女」「義賊」「復讐」「コスプレ」「猫耳」ばかりをえんえんえんえん表現し続けていても、「このヲタクめ(薄笑)」で済むさ。
 正否はともかく、それを書きたくて、情熱を持って書いているのだから。

 しかし情熱もこだわりもなく同じネタや同じ話を繰り返し書くのは、ただの焼き直しだろう。

 この、誠意のなさったら。溜息。

 
 文字数ないので、続く〜〜。


 ケロ友の晃さんから、手紙が届いた。

 なんだろー、手紙にしては妙に厚みがあるし、封筒も大きい。

 そう、ちょうど同人誌が送られてきたときの感じ。厚みといい、大きさといい。

 晃さんが同人誌?!
 なに、なにか作ったの?! ケロ受?!!←毒されてます。

 分厚さの正体は、ケロちゃんの写真でした。

 
 千秋楽の、ベールをつけたケロちゃんが微笑んでます。

 
 ………………泣いた。

 不意打ちだー。
 泣けたよ、晃さぁん。わーんわーんわーん。

 同人誌かと勘ぐったあとなだけに、このカウンターはすごいよ。← んな勘ぐり自体おかしいっす。血迷ったか自分!!

 ベール姿のケロちゃんを筆頭に、いろんなお写真がどーんと太っ腹に入ってました。
 わたしが「魔法のエレベータ」で出会った、黒燕尾姿もあります。

 千秋楽やディナーショー、若いころの写真も。
 ああ……なんて微妙な写り……(笑)。ほんとにカオに一貫性のない人だ……知らない人が見たら別人写真がいっぱい……。
 

 ありがとうございました。
 泣きながら、ほっこり笑ったりつっこんだりしながら、堪能しました。

 そして、晃さんからのお手紙に、「(ケロちゃんのお写真で)お茶会土産のアルバムを埋めていこうかな」とあり、瞬間首をひねりました。

 お茶会みやげのアルバム?
 ……はっ、そーいやケロちゃんの最後のお茶会での記念品は、アルバムだったっけ。

 記憶にないのは、お茶会で買いあさったグッズももらった写真やらなんやらも、すべて一式宿泊先のHOTEL DOLLYで袋詰めして、そのまま封印してあるからです。

 そう、封印。
 あの場で手に入れたものは、なにもかも。

 …………たしかわたし、ケーキの上のマジパン@ケロの名前入りも、大切に取っておいたよーな。

 マ、マジパンって、腐ったりするんでしょーかっっ。
 てか、カビる?
 3ヶ月封印してたら、どーなります?!!

 うひゃー。

 そ、それでもまだ、封印を解く気にはなれませんが(カビたマジパンも見たくないしな……こんなところでも現実逃避・笑)。


「私、漢字が読めないんです」

 と、バウのプログラム(kineさん購入。わたし、もずっち、誠すわんで回覧中)を開きながら、キューティもずりーなが真顔で言いました。
 のでわたしは、間髪入れずに慈愛の微笑みで教えてさしあげましたのよ。

 涼 紫 央

 という文字を指して。

「これは、『リョウ・ムラサキヲ』と読むのよ」

 と。

 おわかりになりました? にっこり。

 
 いや、まあ、その。
 もずえさんの日記で、いろいろとわたしの行動をばらされているので。
 どーゆー読み方を教えたのか、先に自分でばらしておきますわー。ほほほ。

 
 実はまた、さっきまで書いていた日記が消えてしまったので、同じものを二度書く気にならないし、同じものなんか書けないし、で、フテ寝しよーと思います。

 んじゃおやすみなさい。

 
 私信。
 暫定巨乳のはなはなさん、無事メール届きました。
 んじゃぼちぼちというか、そのうちというか、いつかきっと(ヲイ)DVD送りますんで、のんきにお待ち下さい〜〜。


 この船に、あの人がいるかもしれない。

 紺色の制服を着た、笑顔のすてきな航海士。

 貫禄の船長と、駄洒落の好きな副長。甲板では、陽気なセーラーマンたちがデッキブラシを持って踊っているの。
 白いコートのセレブと、そのパートナーの黄色いドレスの貴婦人も乗っているんだろう。
 いたずらな小悪魔も一匹、まぎれこんでいるにちがいない。

 星組バウホール公演『それでも船はいく』
 セレブなすずみんが乗っているんだから、きっとそうだよ。
 この船はあの船なんだ。
 時空はゆがんで、「今」は、「あのとき」につづいているんだ。

 だって同じ制服のセーラーマンがいるもん。
 黄色いスーツは着てないけど、御曹司なすずみんがいるから、まちがいないよ。

 だからきっと、あのひともいるんだよ。
 まだお別れしてないんだよ。
 彼は今も、笑顔で船の上にいるんだ。

 
 ……なんでまた同じよーな豪華客船の物語で、同じ衣装を使うんだろーね、太田哲則。なにも考えていないとしたら、無神経な奴だな。←ちょっと八つ当たり気味。


 すずみんバウの感想を書くつもりで、ミニパソにちまちま書いていたんだが。
 それはまた翌日に!

 今はこれだけ言わせて。

 レオン@バイオハザード4ヘンリー@サイレントヒル4に、漫才やらせてえ……っ!!

 もちろんレオンがツッコミで、ヘンリーがボケで。

 うおー、いいキャラだぞレオン。
 どれくらいいいキャラかっつーと、ヅカでいうなら、さららんで見たいくらい、いいキャラだ(笑)。

 ああ、後ろからすっ転ばせたい……。
 いじりたおしたくなるキャラだわ。

 黙っていれば超絶美青年なんだけどね。さらさら金髪のセンターパーツときたもんだ。
 しかし、いったん口を開くと、もお。
 ああ、さららん。今なら絶対さららんよ。TPOを無視した熱い男さららんがぴったりだわー。うっとり。

 ヘンリーは、今ならぜひ嶺恵斗で!!(笑) あの茫洋とした独特のキャラは人気赤丸急上昇@わたしの周囲・すげー範囲狭いぞ、の、嶺恵斗くんで!

 今なら、という限定項付きが泣かせるねっ。
 先のことは知らない。今現在のわたしの気分。

 ああ、レオンを、『静岡』の世界にぶちこみたい……。どんなツッコミを披露してくれるかしら。どきどき。

 
 『バイオハザード4』の話もまた、いずれ改めて。


 某雑誌のインタビュー記事で、涼紫央さんはこう答えています。

「今年の私の抱負は『男役の色気』と『男役の余裕』の二つに決めているんです」

 この話をチェリさんから聞いたとき、大ウケしました。
 だって、抱負ですよ。目標じゃないんですよ。

 たしかに「抱負」という言葉には「のぞむ」という意味もあるけど、「目標」や「希望」という言葉とニュアンスがちがいますよね。

 「目標」だと、いまはまだ届いてないけれど、それを目指してがんばる、というニュアンスがあるけど、「抱負」っちゅーと、今現在持ち合わせているもののなかから、これと決めた、みたいな感じ。

 さすがだ涼紫央!!

 「男役の色気」も「余裕」も、あったりまえに持ち合わせているんだなっ。
 たくさんある引き出しから、今年はあえてコレで行くんだなっ。

 ブラボー。
 そうでなくっちゃ。

 たんなる言葉のアヤかもしれないが、わざわざこーゆー言い方をしてくれるすずみんが好きだ(笑)。

 
 わたしがすずみんを好きな理由のひとつに、この臆面のなさがある。
 いつも謙虚に「自信ないんです」とかゆーふりをしていた方が、楽じゃん? うまくできなくても、日頃から「自信ないです」「そんな、わたしなんか」と言っておけば格好もつく。
 でも、いつも余裕ぶっこいていたら、いざなにか失敗したときに格好がつかないよねえ? だから「勉強なんてしてないよ」と口では言いながら家で猛勉強している子どもみたいに、予防線を張っておく方が、楽。
 努力なんてかっこわるい。がつがつ上を目指すなんてあさましい。
 そううそぶいて自分を守るのがあたりまえっぽい、この世の中で。

 すずみんてば、いつもなんてまっしぐらに「スタァ」なの!

 ナチュラルにスタァ。
 輝く人。
 飾らない関西弁と、自分がスタァである事実をへりくだりも隠しもしない人。

 それだけのことをしてここにいるのだから、まっすぐに前を見ていていいんだよ。
 自信を持っていいんだよ。
 努力することは、上を目指すことは、かっこいいことなんだから。

 という、すばらしさ。
 すずみんイェイイェイ、抱負は色気と余裕かイェイイェイ。いいぞいいぞ、ついていくぞ。

 
 とゆーことで、ずっとたのしみにしていました、涼紫央主演バウホール公演『それでも船は行く』初日観劇。

 なにがすごいかって、あーた。
 芝居なのに、ウインクがばちばちとんでくることですよっ!!


 すずみん万歳! それでこそ涼紫央だ!

 場の内容関係なしに、ウインクとばしまくりだ涼紫央。いいなあ。好きだなあ(笑)。

 すずみんってば、余裕でした。
 単独初主演? え? どのへんが?
 多少台詞を噛んでいた以外、ほんとに余裕だよー。お金払って観るだけの仕事をしてくれてるよー。

 ふつーこういう下級生バウの初日って、出演者がいっぱいいっぱいで、舞台も客席も緊張感で一発触発状態になるもんなんだけど。
 すずみんは余裕で物語をすすめていく。
 それこそ、ウインクとばしまくるくらいに。

 さすが「今年の目標は『色気』と『余裕』」と宣言する男だ!
 有言実行。かっこいー(笑)。

 
 えー、脚本と演出に関しては言いたいことアリ過ぎなので今は触れずにおくが、まず言えることは主人公、性格悪すぎ!!
 いいところがまったくない男なんだ、主人公のジョニーってヤツ。
 傲慢でいい加減で自己中心的で嘘つきで、他人を騙してへらへら笑っているよーなひどい奴。個人的に、女の子を怒鳴ったり罵ったりする男は嫌いなんだが、そればっかやりまくってくれる。いいところは、どこにもナシ。
 ……脚本だけでいうとな。

 脚本では、観客がジョニーを好きになる要因はナニもない。
 彼が「好人物である」というエピソードも台詞も、なにもない。
 あるのはただ、常識的に見てどれほど彼がひどい人格破綻者であり社会生活不適応者であるか、ということのみだ。

 救いは、このひっでー役をやっているのが、すずみんだということ。

 ジュニーの言動はどれもこれもひどいもので、いつも怒鳴ってばかりなんだけど、そこに「かわいげ」がなければならない。
 ほんとうは彼が「いい人」で、「わざと悪ぶって」「あえてひどい言い方をしている」んだということを、演じなければならないんだよ。

 脚本以外の仕事をしなければならないの。
 ただ台詞を言って、決められた演技をしているだけではダメなの。この脚本のままじゃ、ジョニーはただの卑劣漢だよ。

 すずみんは、すずみんらしい細やかさで、きちんと演技しているのだわ。
 最悪な脚本なのに、ジョニーを卑劣漢にしない。
 かわいい大人の男にしている。
 
 ええ、あちこちで客席にウインクとばすくらい、余裕綽々でチャーミングに演じているよ。
 あーもー、救われた。
 この役をやっているのがすずみんでよかった。他の余裕のない下級生が、いっぱいいっぱいでただ台詞を書いてあるまんまに叫ばれたりしたら、きつかったろーなー。

 笑顔きらきらで演じてこそのジョニー。
 一点の曇りもない「スタァ」な笑顔と存在感があってこそ、この下劣な男は「チャーミング」になるんだよ。
 豊かな表情、過剰なまでの表現力、手加減ナシな姿がいい。

 脚本に書かれている性格が最悪だということを除けば、ジョニーはセレブでハンサムで、口もたつうえにケンカも強いという完璧な男。いろんな意味で瞠目してしまう派手なスーツを着こなしたすずみんの「二枚目」ぶりを堪能できてたのしい。

 だってさー、すずみんが御曹司役だよ? それだけでもう「キターーッ!」って感じじゃない?

 なにがすばらしいってあーた、ヨットに自分の名前をつける男だよ?
 マストに「Johnny」って名前の入ったヨットでデートされた日にゃあ、腰砕けるね。
 もー、かわいいったら。

 主役の役割が半端でなく重いのは、今年のバウの特徴なのかな。
 主役は出ずっぱりで喋りっぱなし。
 そしてジョニーは性格もやっていることも最悪なので、役者を嫌いだった場合、見ていてつらいかも。
 女の子に向かってひどい言葉を投げつけて、傷つけて笑っている姿とかを見て、役者を嫌いだった場合は悪い方へしか受け取れないかもな……それだけが心配。なにしろ脚本がひどいから。
 すずみんを好きなら、見ても損はない。彼のきらきら笑顔を見ているだけでたのしいぞ。
 ただ、嫌いだったら絶対見ないこと。作品は駄作だから、心おきなくスルーしてヨシ! わざわざ見て「あの主人公ムカつくー!」とか思わなくていいから。

 ああ……わたし的にいちばんのツボは、パリのシーンでのデュエットダンス!!
 すずみんの表情がいちいちツボだー(笑)。

 と。

 すずみんGO! GO! だけで文字数使い切っちゃったわ。
 他の感想はまた翌日にでも。


 次の犠牲者は誰だ。
 ひとり、またひとりと倒れていく。
 昨日あんなににこやかに笑っていた人が、今日はもういない……。
 突き抜ける戦慄、恐怖と緊張感。目に見えない黒い影が、おびえるわたしたちを嘲笑うかのよーに踊っている。

 インフルエンザ大流行 in職場

 次に倒れるのは誰だっ。
「**さんたら、昨日さんざん咳をしていて、気が気じゃなかったわ。どうして男の人って口元を覆わずに咳をするのかしら」
「**さん、今日休んでるよ」
「ええっ。じゃあ次はアタシの番?!」
「やめてよ、×さんにきたら、その次はわたしじゃないですか」
 疑心暗鬼。ウィルス保持者は誰だ。

 わたし? わたしもそりゃー必死でしたよ。

「日曜日はすずみんバウの初日だもん!! インフルエンザなんかになってたまるかっ!!」

 すずみんを最前列で見るのよーっ。kineさんの隣で見るのよー。
 もずえさんや誠さんとも会うんだからっ。
 倒れている場合じゃないんだから!
 必死!

 ……てなわたしでしたが。
 本日はだるくて眠くて、ただひたすら「頭を上げている」だけのことがつらくてヘタってました。

 まさか、インフルエンザ……っ?! 熱が出るまでに時間がかかるっていうし!

 いや、そーではなくて。
 たぶん、花粉症の薬のせいでしょう。
 1年ぶりに飲んだから、身体がびっくりしたんだろー。ほんとにきつい薬なんだろなー。医者を替えてみるのもいいかもしれん……。

 つーことで明日は元気にすずみんバウ初日だっ。

             ☆

 つぶやきと私信。
 あー、ドリーさんやサトリちゃんが恋しいなあ。なんか、もんのすっげー会ってない気がする……。←年末、会いすぎていただけだっつの。
 晃さんにもメールしたいのに、時間がないよー。かめたさん、そのうち布教DVD送るんで、気長に待っててね〜、なにしろこの通りの筆無精ぶりだけどっ。

 んで、私信ですが、はなはなマロンさん。メール送ったのって、届いてます?
 なんかはなはなさん限定でメールが届かない確率が高いよーな……「なーぜだー」←いろんなとこで『王家』を歌ってしまう。


 さて。

 大河ドラマ『新選組!』のわたし的萌え話のつづき〜。

 いいかげん腐女子話に突入しますと、とりあえず芹沢×沖田がいちばん先でしょ、と思ってる。

 たのしいたのしい、芹沢×沖田。
 ダメな大人と生意気盛りのガキカップル。

 芹沢が沖田を汚し、沖田@ただいま思春期・大人と呼ばれたいお年頃、はその関係を積極的に受け入れる。が、芹沢が見ているのが自分ではないとわかった時点でリベンジ、ひっくり返って沖田×芹沢へ。

 たのしいたのしい、沖田×芹沢。
 生意気盛りのガキとダメな大人のカップル。

 沖田が芹沢自身を好きなことは確かだけど、芹沢が近藤とああまで対照的な存在でなければ、あんなふーに近藤に当てつけるよーなハマり方はしていないだろー。
 父とも兄とも言える、近藤の影から脱したかったはずなのに、結局はその影響から逃れられない若者のじたばた(笑)。あ、沖田は別に近藤に恋愛感情はありません。がんばれ若者。

 泥沼してるところへ、近藤@沖田の保護者乱入。

 たのしいたのしい近藤×芹沢。
 誠意だけ人一倍、鈍さも人一倍のバカ男とダメな大人のカップル。

 近藤と芹沢はプラトニックでぐたぐたやっていてくれてもエロくて好みだが、一線越えるなら、芹沢の挑発受で。誘い受じゃないの、もっと暴力的で自虐的。

 とことん自分を落としたい芹沢と、そんな芹沢を救いたいと近藤と。
 共に堕ちればなにか変わるだろうか?

 救いがない方が萌えるんですよ!!(笑)

 で、土方@近藤の正妻はどうしているかというと。
 正妻の座にいるっつったって、なにしろ近藤が鈍すぎるので、未だプラトニックだったりするんですよ。
 周囲も本人たちも「夫婦」だと思っているにもかかわらず、ナニもないキヨラカなふたり!!
 いやも土方はちっともキヨラカじゃないんだが、なにしろ相手近藤だから! 魂のつながりだの絆だので満足しちゃって、俗なことまで知識が届いてない状態だから! 今さら俗な関係になりましょーと言い出せないでしょそりゃ!(笑)

 たのしいたのしい近藤×土方。
 誠意だけ人一倍、鈍さも人一倍のバカ男と切れ者なのも大変な副官カップル。

 近藤がいちばん愛している相手は土方だと思うけど、それは「愛」であって「恋」ではないのね。だから「夫婦(セックスレス…)」にはなれても「恋人」にはなれなかったりする。
 近藤はそのちがいに気づいていないし、土方は気づいていてもあえて黙っている。土方の近藤への想いはまちがいなく「恋」だから。藪をつついてヘビを出す気はない。気づかれてなにもかも失うよりは、近藤の鈍さにまかせて副官でいる方がいい。
 なまじアタマがいいからつらいよね。察しがいいからつらいよね。そーゆー男だからこそ、近藤の足りない部分を埋められるのだとしても。
 近藤が芹沢に傾倒して盛大にもつれているのを黙って見守りながら、土方がじれじれぐるぐるしているのは、すっげー愉快かつ萌えだと思うんですが。美人受キャラはいじっぱりでやせ我慢でナンボでしょう(笑)。
 ま、いつまでもプラトニックでいるのもナンなんで、芹沢亡きあとにはちゃんと土方にがんばってもらえると思ってます。

 たのしいたのしい近藤×土方。
 誠意だけ人一倍、鈍さも人一倍のバカ男と切れ者なのも大変な副官カップル。Hアリ。

 逆ギレ襲い受あたりいかがですか、土方さん。近藤からはナニもしれくれないだろーから、土方ががんばんないとねー。大変よねー。

 近藤はバカでナンボですから!(笑)
 鈍くてナンボですから!(笑)

 そーゆー男にいい男たちが惚れてじたばたするのがまたヨシ。

 
 まあ、どうあがいたころで本編にかなう萌えはナシですがね。
 とくに芹沢@佐藤浩市の壮絶な色気っぷりを見ているだけで生きる喜びを堪能できますよ、腐女子としては!

 
 芹沢中心に駆け足で語ったので、いろいろ言葉足らずですが。
 まともに語ると毎日『新選組!』になっちゃうしな(笑)。

 エンタメを見る際のわたしの基本立ち位置として、「その世界」しか評価しません。
 「史実ではこうだった」とか「この人物はこんなことは言わない」とか「史実と基本設定がちがいすぎる」とか、そーゆーツッコミもしません。
 その作品世界だけがすべて。
 だから坂本竜馬が小男で関西弁を喋っていても@竜馬におまかせ、「その世界ではそうなんだ」とそのまま納得。そうすることによって「描こうとしたもの」の方に興味がある。

 反対に、作者がどこぞのインタビューで「**は**なんですよ」と語っていたとか、あとがきで「**のつもりで書きました」と書いてあったりとかも、一切無視。
 「その世界」しか評価しません。作品以外のところで言い訳していたり、解説していても、聞く耳持たず(笑)。語り過ぎられてもウザい。

 てゆーか。
 わたしは、わたし自身が感じたモノがすべてなんだ。

 
 貪欲なわたしは、少しでも自分がたのしくいろんなことを感じられるよーに、きょろきょろして生きてます。
 だから、自分と同じ感じ方の人の意見と出会えるのもたのしいし、また逆もたのしい。

 萌えさせてくれた『新選組!』が大好き。


 他のことを書く予定だったんだが、メールをもらったので機嫌良く大河ドラマ『新選組!』の芹沢鴨の話いきます。腐女子語りONLY。

 えー、前に書いたけど、わたしの基本姿勢は「近藤×芹沢」で、そのうえで「近藤×土方」「芹沢×沖田(リバに成長)」、斉藤はどこにからめてもヨシ、でした。

 わたしは『新撰組!』をすばらしいドラマだと思っているけど、なかでも秀逸だと思ったのは「芹沢鴨」の描き方だった。オギーが『凍てついた明日』であのクライド・バロウを描いたくらい、すごいことだと思っている。

 破滅していく男、芹沢鴨。
 彼は近藤勇に出会うべきではなかった。近藤に出会わなければ、彼は破滅しなかったかもしれない。

 えー、私感なんで、そこんとこヨロシク。
 わたしの目に映っていた「芹沢鴨」という男の話な。
 

 それまで芹沢は「ヒーロー」だった。
 彼には才能と実力があり、それは自他に認めることだった。仲間たちは彼を尊敬し、彼の元に集ったし、彼自身も己れの能力に誇りと自信を持っていた。
 この乱世に、ヒーローとして立てる男だと。

 そーやって崇拝者たちを引き連れて上京してきて。
 彼は、現実を知る。

 彼は、彼自身が信じていたほどの天才ではなかった、ということを。

 彼は田舎の秀才に過ぎず、都会ではまったく通用しなかったんだ。
 だけど、あとには引けない。彼には面子がある。引き連れてきたシンパたちの手前、逃げ帰ることもできない。
 足りない能力を誤魔化すために尊大に振る舞い、大物ぶる。
 実際のところ、芹沢が天才でなかったというだけのことで、京で出会った他の連中もつまらない者たちが大半だ。そんな凡才の間でなら、彼はいくらでも取り繕うことができた。大物ぶって天才のふりをしていることができた。
 本来なら、そこそこの働きをして、ほどほどのところでもったいつけて帰郷すればよかったんだ。自分の器を知ってしまったのだから。俺は天下を取れるような男ではない、と。

 しかし。
 芹沢は、近藤と出会ってしまった。

 近藤こそが、「本物」だった。
 芹沢が求めていたものが、自分以外の男の姿をして、目の前に現れた。

 自分より年下で、純朴で、嘘や建前をまとわないナチュラルさで。
 威張らない、命令しない、他人より上に立とうとしない。それでも自然と下に人が集まってくる、感情のままに怒り笑う、少年のような男。
 なにもかも芹沢と反対……しかしそれこそが、芹沢の求めた「ヒーロー」。彼がなるはずだったもの。

 だから芹沢は、帰れない。どこにも行けない。近藤から離れられない。
 最初のうちは、自分が近藤以下の器しか持たない人間であると認めたくなくて、突っかかり続ける。
 だがやがて、真実が容赦なく突きつけられていく。なまじ芹沢は世慣れた大人であり、さらに頭も良かったから。……バカなら、よかったのに。自分の「限界」に気づかず、他人の器にも気づかない、鈍感な愚者ならよかったのに。

 俺は、近藤以下の男だ。

 そう気づいてしまったから、拒絶と反発に揺れる。
 近藤は「器の大きさ」ゆえの素直さで、年長の芹沢に敬愛の目を向ける。他人に好意をよせることを「敗北」だとは思わない。
 それこそがまた、芹沢を傷つけ、苛立たせる。芹沢は攻撃的に、近藤と敵対する。

 だが反発はやがて、あきらめに変わる。
 どうしたところで、現実は変わらないから。
 近藤にかなわない。自分は小物でしかない。その事実は変わらないから。

 芹沢は怠惰で自堕落な生活に身を任す。
 なにかに憑かれたように、なにかに急き立てられるように、身を落としていく。汚れていく。

 近藤になれない、自分程度でしかない人生なら、そこに価値なんかない。

 芹沢はただ汚れるためだけに汚れ、破滅するために破滅へ向かう。
 彼に残されたただひとつの矜持、己れで選んだ最期は、近藤の手で殺されること。

 
 という。
 男が本気で惚れ込んで描く男、ってのはどうしてこうエロいんだろう。
 フェロモンしたたり落ちてますよ、芹沢鴨@佐藤浩市!!
 近藤勇@香取慎吾の淡泊さと、見事なコントラストだ(笑)。

 てゆーか、はっきりいってこいつら、両想いだったと思うのね。
 近藤は芹沢を愛していたよ。愛しているからこそ、すれちがって傷ついてたじゃん。理解したい、救いたいのになにもできず、悪い方へばかり転がっていくことを苦悩していたじゃん。
 でもそれを、芹沢が認めなかったから。
 近藤に愛されるとは思ってないし、愛されていることを知ったら、かえって屈辱に逆上しそうだし。
 なんて救われない。
 絶望的なカップル(カップルかいっ)。

 実際芹沢と近藤のすれちがいや駆け引きぶりは、歯車のずれはじめたカップルみたいだったよ、いちいち(笑)。

 近藤に、土方という正妻がいたのも、まずかったなー。土方がいなければ、あるいは芹沢は、「大物」ゆえに世事にうとい近藤を支える道を選ぶことができたかもしれない。
 近藤が芹沢に惹かれていくのを、横でじっと見ている土方のじれじれっぷりも、愉快だった。土方もまた「天才を愛した秀才」でしかないので、近藤の自発意志には口出しできないんだよねー。(公認幼なじみ夫婦でありながら、土方の片思いっぷりが大変ツボです)

 それから、もうひとりの「青い」天才、沖田総司。芹沢は沖田をかわいがるし、沖田も芹沢になつく。
 このふたりが愉快なのは、ふたりで向き合っていても、「お互いを見ていない」ところだろう。ふたりの間には「近藤」という大きな影がある。
 芹沢が沖田をかわいがり、また追いつめたのは、すべて近藤ゆえだろー。
 芹沢にとっての沖田は、「近藤の身代わり」でしかない。
 沖田を汚すことで、近藤を汚したかったんだ。

 
 と、よーやく腐女子語りらしくなってきたところで、文字数ないので続く〜〜。


 お願いします。
 無意味なカーテンコールはやめてください。

 前回の宙組新公でカーテンコールがなくてほっとしていたのに、今回の月組新公ではあった。

 しかも、タイミングからいって最初から予定されていたんじゃないかと思う。

 カーテンコールってのはふつー、拍手が鳴りやまないから再び幕を開けるものでしょう?

 拍手ははじめからほとんどなかったし、そのわずかなものさえ消えかけてるのに、幕が上がったんだよ。

 公演が終わって、あまりの拍手の少なさと、観客が早々に席を立って帰路につくのを見て、ほっとしたんだ。ああこれなら、カーテンコールはありえないな、よかったよかった、と。
 ただ、一部の人たちだけが、ささやかに拍手を続けていた。固まって坐っているらしく、一部の方向からしか聞こえない拍手だ。それも遠慮がちというか、「ものすごくよかったっ、興奮が止まらないっ」て感じじゃなくて、なんかおどおどと小さな音が小さくまとまって聞こえている。
 ああ、FCの人か、大変だな。こんな雰囲気の中でも、がんばって拍手を続けなきゃならないんだ……と、同情したさ。

 そしたら幕、開くんだもの。
 びっくりしたよ。

 舞台には、ちゃんと並んだままの出演者たち。
 幕が下りたからこれで終わった、感激を分かち合っていました、てなふうもなく、整然と並んでいる。
 思いがけないカーテンコールの場合、幕が開いてからわたわたと一列に並んだりするんだよね。まさかまた幕が開くとは思ってないわけだから、それぞれ袖に戻っていたりしてさ。

 そっか……カーテンコールやるって、プログラムのうちだったんだな。
 出演者たちはそれを知っているから、ちゃんと並んだまま待っていたんだ。
 でも拍手が消えそうになったもんだから、あわてて開けたのね。予定を消化するために。

 
 宙組新公はカーテンコールがなかった。予定されていなかったから、ほんとうに拍手が鳴りやまなくならない限りは、なかったんだろう。

 じゃあどうして月組新公は、予定されていたの? 『エリザベート』だから? わけわかんねえ。

 
 お願いします、無意味なカーテンコールはやめてください。

 ほんとうに素晴らしいものを観たら、いくらでも拍手します。
 感動したら、それを表現しますから。てゆーか、頼まれなくても拍手しちゃうよ。スタオベでもなんでもやりますから。

 だからどうか、それに値しないものに対して、強要するのだけはやめてください。

 カーテンコールが「お約束」になっちゃったら、ほんとうに感動したとき、どうすればいいの。
 ライヴであることに、誇りを持ってください。
 観客は、舞台を映す鏡です。
 映画でなくテレビでなく、ナマである誇りを。

 頼むよ……涙。

 今回のカーテンコールは、すごく感じ悪かった……。
 FCの拍手合戦、カーテンコール合戦も好きじゃないけど、そのFCの拍手すらかなしいほど少なかったのに、それでも幕を開ける「プログラム」のひとつであったということが丸わかりで、さらにものがなしい。

 『エリザベート』でさえあれば、観客は涙を流して大絶賛すると思ってたのかな。カーテンコールやスタオベが起こってあたりまえだと? だから最初から、オケやスタッフにも「カーテンコールやります」って通達してあったのかな。

 その傲慢ぶりが虚しい。
 最近の劇団のカンチガイぶりを如実に表している気がして。

 出演者はがんばってたよ。
 でもそれは『エリザベート』が特別なわけじゃない。
 どんな駄作だって、出演者はがんばっているさ。それが新公だ。

 なのに『エリザベート』だから「ありがたがれ」ってか。やれやれ。

 
 さて、その新公『エリザベート』、フジコちゃんの話しときましょー。

 本公演でフジコちゃんがどーして黒天使じゃないの、と思っていたら、新公で黒天使でした。
 しかも、マデレーネ。
 びっくりだ。そんな配役だったのか(ちょっとは勉強してから観ましょう)。

 マデレーネ、こわっ。

 皇帝陛下、そんな女に誘惑されるなんて、マニアック過ぎます。

 と、思うくらいには、こわいマデレーネだったな……(笑)。

 動きはきれいなんだが、いかんせんカオとスタイルが……ゲフンゲフン。

 黒天使でオトコマエに踊ってくれているときの方がかっこいい。
 ああフジコちゃん、あと10cm背が高かったらなあ。イカス男役になれていただろうに。もしくは二回りくらい、カオが小さかったらなあ。美しい娘役になれていただろうに。

 今のフジコちゃんのイロモノぶりも、好きなんだけどな。

 そーいやマダム・ヴォルフのコレクション、ついつい「新公のタチアナは誰かしら」と思って視線をそちらへ向けてみたら(マデレーネ見るのに忙しくて、あとはあまり見ていないのだ)。

「タチアナはダイナマァイト☆」
 という歌でポーズをキメているのが、美夢ひまりちゃんで、ぎゃふんなキモチに。

 た、たしかにダイナマイトだ。ある意味で、これ以上なく。

 ……ほんとに、何年経っても痩せないね、ひまりちゃん……。ころころしててかわいいけどな(笑)。

 麻月れんかくんは黒天使で、さりげなくいいカオで踊っていた……ああ、やっぱあのカオ好みだー。


 思ったこと。

 濃いさららんは、後ろからすっ転ばしたくなるが、マギーは濃くてもなんとも思わない。

 そっか、マギーは濃くて当たり前なんだな。ぜんぜん違和感ないや。
 て、ゆーかさ。

 エルマーってのは、いつからこんな濃い役にっ?!(笑)

 月組新人公演『エリザベート』行って来ました。
 トート@もりえ、エリザベート@まだ研3なりたてのねねちゃん、という力技な公演。
 そういやわたしは、『エリザベート』の新公は、初演の雪組以来はじめてなのだわ。この間の花組のときとかも、こんな略し方してたの?

 構成悪っ。

 『エリザベート』って作品は、省略が難しいんだってことが、よくわかった。
 某虚匠の大作とか、演出悪すぎの大作『ファントム』とかは、新公ぐらい省略しちゃった方が風通しが良くていいのに、てなもんだったが。
 『エリザベート』は省略しちゃうと興ざめする。テンション下がるしつなぎも悪いし、きびしいなあ。演出家のせいなのかしら?
 雪組のときはシーンの省略があるのみで、変な蛇足解説はなかったし、そもそも休憩挟んでの2幕構成だったからなぁ。別物だから比べちゃいかんのだろうが、なんともつらい演出になってたわ今回。

 なにしろ、プロローグがないし。
 びっくりしました。ルキーニが出てくるだけで、あとはそのままシシィ登場。トート閣下は? 主役はいつ出てくるの??
 あのプロローグがないと、どれだけ盛り下がるか、痛感したよ。

 仕方ないことなのかもしれないが、大勢口で盛り上げるシーンが軒並みカットになっている。ちまちましたシーンのみでつながった『エリザベート』……盛り上がらないってそんなの。

 もちろん、多少構成が悪くても制限があっても、出演者に力があれば、ひっくり返せる。比べてすまんが雪エリザ新公なら、この構成でもなんとかしてしまったと思う。なにしろトート@トウコ、エリザベート@美里ちゃんという布陣だ。今でもありゃあどえりゃー新公だったと思う。

 新公初主演で「歌手」という札のついていないふたりが主演するのは、そりゃあ大変でしょう……なにしろ『エリザベート』だし。
 ほんとに、全編「大変だなあ」「がんばれよー」で覆い尽くされてました。うん、よくがんばった。

 しかし……トートより手に汗握った「大役」はルキーニ@ひろみちゃんだよねえ?
 ストーリーが省略されまくってるから、「解説」しなきゃいけないし、派手なシーンが軒並みカットで盛り下がっているのをひとりぼっちでナレーションだけで盛り上げて、次のシーンにつなげなきゃならないんだもの。
 うっわー、きっつぅ……が、がんばれひろみ、負けるなひろみ。ゆら組長も応援しているぞ。客席で立ち上がってポーズとってくれるくらい、応援してくれてるじゃん、がんばれー(笑)。

 ひろみちゃんは噛みまくり、台詞が出ないのか変な間をときおりすこーんとかっとばしながら、それでも活き活きと演じていました。どんなに失敗しても(ほんとに、どんなに、だわ。たくさんしていたわ)、めげることなく「ルキーニ」のままつなげていく「しょー・ますと・ごー・おん」な精神に感心しましたよ。
 そう、失敗ぐらいで素に戻ってはいかんのだ。反省はあとでもできる。今は、今すべきことを誠心誠意、全霊をあげて行え。
 前向きな姿に好感。

 新人公演ってのは、こうでなきゃね。
 技術は二の次、とにかくがんばること。

 いちおー、ある程度のレベルはクリアしていたんじゃないですか?
 うまくないけど、椅子から落ちるほどのこともなかったし。この学年の及第点ってやつ? それは大丈夫だったんじゃないかと。
 それよりもただひたすら「がんばったね」という感想が先に出るよ。

 ただ、こういった「力のある作品」の場合、「通常の新公」の枠を超えたサプライズがあることがある。作品のパワーがその役者の通常の枠を超えた力を引き出してしまい、おっそろしい感動の波が起こったりするんだ。
 作品がもともと10の枠しかなかったら、ほんとは20の力を持っている役者も、10の力しか出せないじゃん。とくにキャリアの薄い新人の場合ね。
 ところが20や30の枠を持った作品なら、いつも10しか知らない新人でも「えっ、まだ上を出していいんだ?」てなもんで本人も知らない能力を解放したりするんだよ。

 それを期待していたんだが……なかったな。
 10の力をもともと持っている人たちは、素直に10の力でがんばってました。作品の力は20以上はあったと思うけど……誰も「未知の能力」を解放することはなかったね。
 おとなしく及第点。

 ところでいちばん実力があるのって、龍真咲っすか?

 この人ひとり、めちゃ余裕だったんですが。

 歌がうまいことは知っていたけど、ほんとにふつーに余裕にうまかったぞ。
 歌も演技も存在も。

 ただ、ちと声量ありすぎ? ルドルフ@真咲とトート@もりえだと、ルドルフ声でかすぎ(笑)。トートの声を消しちゃイカンよ、受キャラのくせに(受に見えませんでしたとも!)。

 あとなんといってもエルマー@マギーの安定したうまさと濃さ(笑)。
 エルマーっていつからこんな役になったんだ? 二枚目の青年貴族じゃなかったのか? 濃いとゆーか強いとゆーかくどいとゆーか。
 キャラが立ってます。愉快です。

 
 トートは力不足・華不足・存在感不足といろんな課題を山積みにして、いっぱいいっぱい。エルマーよりもルドルフよりも弱そう……ゲフンゲフン。
 シシィはとにかく若くて若くて若くて、それ以上を求めるのも酷だよな、というかわいらしさ。
 あ、でもねねちゃん、歌はどんどんよくなっていった。たった2時間足らずの間に。そうとも、若いんだからこの経験を吸収してくれ。まだ表情の数が限られていて、いつも同じ八の字眉毛のこまったカオをしていたのが印象に残った(笑)。
 だからなおさら、昇天のときのかわいい、さっぱりした笑顔がすがすがしい。……演技じゃなかったかもしれんが(笑)。
 フランツ@めおちゃんは……とりあえず、素顔はあんなにきれいなのになあ。なんでかなあ。背も高いし、スタイルもいいのになあ。なんであんなに舞台では透明人間なんだろう……。

 なんでこの面子で『エリザベート』なのかな、と思うよ。
 『エリザベート』は、「枠を超えたサプライズ」を期待できる作品なのに。役者の潜在能力まで引き出せるかもしれない作品なのに。
 ポテンシャルの高さのある人に、やらせてほしかったよ……守りに入らないでさ。ねねちゃんの抜擢は、それを期待したのかもしれないが、それならトートは別の人にさせるべきだった。どっちも素人じゃ支え合うこともできないじゃん。

 いっそ、マギーか真咲にトートをやらせたら、大化けしたかもしんねーのになー、と、心から悔やまれる。
 『エリザベート』という「作品」がね。

 や、もりえちゃんに含みはないすよ。「作品」についてだけの勝手な言い分さ〜〜。


「この間、夢に緑野さんが出てきたんですよ」

 と、バイト仲間が言った。
 まあぁ、若い男の子の夢に出るなんて、おばちゃん、くすぐったいわぁ。
 どんなふうに出てきたの?

「化粧水を買えって言ってました」

 はあっ?!

「橋の上で、緑野さんがしきりに化粧水を薦めるんです。これはいいものだからって。緑色の瓶でした」

 なんで男の君に、化粧水?

「それで、2本買いました」

 買ったんかい!!


「どういう夢なんでしょうねえ」

 若者は無邪気に言う。

 …………なあ、若者よ。夢が深層心理を表すものだとしたらさ。その、君には必要なさそうなものを売りつける緑野さんっていうのはさ。つまりさ。

 ひょっとして君、アタシのこと、こわいオバチャンだと思ってんぢゃないのっ?!(涙)


 さて、『第91期宝塚音楽学校文化祭』の話、つづき〜〜。

 今回舞台を観て気になった人はふたり。

 ひとりは、のぞみちゃんに似ている……という気がして、目が追ってしまったわ。
 ええ、月組の高温度男、楠恵華ですよ。彼に似ている子がいて、わたしの目は釘付け。
 しかも、ただののぞみちゃんじゃないですよ。
 のぞみちゃんを、「端正に」した感じ。
 白い王子様風持ち味の楠恵華がいたら、こんな感じかしら。いや、そんな持ち味だったら、すでに楠恵華ではありませんが(誉め言葉)。

 端正なのぞみちゃん……王子様なのぞみちゃん……うっとり。

 そしてもうひとりは、持ち味のくどさが、目について離れない。やたらアピールしまくるしなー。すごいなー。派手だなー。
 カオの感じはミユさん+のぞみちゃんって感じ。……えっ、ここでものぞみちゃん?!

 舞台で目立っていたふたりの男が、ふたりとものぞみちゃん似だなんて。
 ひょっとして、時代は今「楠恵華」?!

 すみません。
 たんにわたしがのぞみちゃん好きだから、彼に似た男を捜してしまうのでしょう。
 似ている、と思ったのもわたしだけかもしんないし。他の人の目には、他の人に似て見えたかも。

 ああでも、幸福だったわ。
 白い美形ののぞみちゃんと、イロモノまっしぐらなのぞみちゃんを見られて。

 のぞみちゃんにくらくらしているだけで、男たちはおなかいっぱい。

 すばらしいのは娘たちの活躍。
 ダンスばかりが記憶に残る文化祭だったんだが、このダンスで活躍しているのが娘たちなのよー。男たちは印象薄いのよー。

 目を引く美人は残念ながらあんましいないよーなんだが、踊り出すと水も滴る美女・美少女がうようよ。
 わたしゃダンスのうまい下手はさっぱりわからんのですが、見ていてわくわくする感じ。ほえ〜〜、と口を開けている間に終わるというか。

 大柄な娘役さんでとてもうまい人がいたんだが、個人的にはその人ではなく、小柄で小気味よい動きをするお嬢さんが好みだったな。

 ダンスシーンはいつもセンターが娘役だったよーな……なんか新鮮だ……。

 ダンスがたのしい分、ものすごいのは、歌。

 な、なんなんや、これは。
 今年は大変なことになってんだなあ……。
 チャーリータイプなのかしら、ダンサー系の人たちって。

 いや、歌だけでなく芝居も、ものすごいことになってたな……。

 まさに学芸会だった……(笑)。
 いっそすがすがしいやね。

 文化祭の意義を考えてしまう、そんな芝居だった。

 音楽学校の文化祭って、どーゆーポジなんだろ?
 文字通りの学芸会? そのへんの小劇団クラスの料金を取っているのだから、ふつーに商業演劇に近い公演?
 純粋に、生徒の勉強の場? もしくは勉強成果の発表の場?
 それとも、多少はエンタメ的な意味アリ? つまり、「お客を楽しませる」という目的はあるの?

 わたしはこれまで、文化祭はそれらすべてを兼ねていると思っていたの。
 タイトルとしてあげている通り「文化祭」、生徒の勉強と発表の場であり、この直後から芸能人になる彼女たちのプレお披露目を兼ねた「ビジネス」としての公演。
 だって、ふつーのヅカ公演を観るノリで、たのしい催しだったから。

 でもひょっとしたら、チガウのかも。
 ほんとにただの「文化祭」で、商業価値なんか考えてないのかも。所詮ただの学芸会なのかも。

 と、思った理由が、芝居。

 たしかに今年の出演者たちははてしなく学芸会テイストで、微笑ましくも素人臭かったけれど、彼女たちの問題ではないんだわ。

 作品、最悪。

 なんなの、この同人誌みたいな話。

 趣味で書いた小説を自費出版しました、無料で知人に配っています、みたいなノリの作品でした。
 商業誌には載せてもらえないよ、アレは。
 お金を出して買ってもらえないことが、わかりきっているもの。

 中学校の演劇部がやりそーな話だったわ……。

 原作があるのか、作者のオリジナルなのかは知らないけど、そこにあるのは、作者の自己満足のみだった。

 「物語」として盛り上げようとか、観客をたのしませようとかいう気は一切なし。
 その話を書いている自分に酔っている。
 ちょっとエスプリの利いた、洒落た小品、のつもりなんだろーなー。さりげなく「深い」物語だと思ってるんだろーなー。
 「純文学」のつもりなんだろーなー。

 おもしろいのは書いているあなただけで、見ている方はおもしろくないですから!
 退屈なだけですから!

 「観客の目」を意識しないで、「観客の心」のためになんの努力も工夫もしないで、自分のやりたいことだけやった作品なんて、ただの「日記」ですから!

 もちろん、どんなに作者の独りよがり作品であっても、役者に力量があれば、観客を感動させるところまで持っていける。穴だらけでも破綻はしていない話だから。……破綻以前に平板すぎてほころびさえ意味がない、ちゅー気もするが。

 演技巧者たちがやるなら、アリだろうよ。
 しかし今は、「文化祭」だ。
 まだプロの役者として正式デビューしていないヒヨコたちが演じる、という前提の場だ。

 そこで何故、「作者自己陶酔純文学」をやる?
 観客のことなんか、まったく考えてないよな?
 舞台レベルなんかどーでもいいんだな?

 つまりそれは、所詮これは「学芸会」だから、「舞台」としてのおもしろさとか見せ場とかは問うなってことよね。商業演劇じゃない、学校の文化祭なんだ、って。そのへんの高校の文化祭行って、「プロの舞台に比べて、素人臭いわ」と言わないよーに、ここでも言うなと。
 そーゆーことだな?

 去年と一昨年は、そんなこと思わなかったから、びっくりだ。
 「勉強とその成果発表の場」と、「商業演劇」を適度にミックスしていた。
 ふつーに「物語」を楽しんだし、まんべんなく出番や役を振られた「生徒たちの姿」をも楽しめたよ。

 ……大変だったね、91期生のみなさん。
 まだ学生なのに、こんな見せ場も盛り上がりもない日記みたいな作品やらされて。
 下手さがより目立っていたよ……誤魔化しようがないもんな……。

 やっぱりわたしは嫌いだと再確認したよ、太田哲則。にっこり。

 
 来年の芝居の演出家は誰かなあ。
 作家の力量と姿勢もまるっと見えて、すげえたのしいなあ、文化祭(笑)。


 朝、駅に向かって歩いているとき、西の空に虹が出ていた。
 何年ぶりだろう、虹を見るのは。

 とゆー、花組公演発売日。
 ここんとこ少しばかりチケ運がめぐってきたわたしは、無事に希望のチケットを買うことができた。
 樹里ファンのCANちゃんに、千秋楽チケットを譲ることもできたし。
 ただ、5時起きで並び初挑戦のもずえさんが、望みのチケットを買えなかったことが心残り。すまん、本気の樹里ファンにチケット購入優先権を譲ってしまったので、もずえさんには譲れなかったよ……次はいい抽選券を引けるといいね。

 
 さて、今年も行ってきました、『宝塚音楽学校文化祭』。3年目ともなると恒例って感じっすね。

 仲間たちには「青田買いがんばってね」と送り出されました。
 青田買い? はて、わたしは青田買いに行くのかしら。
 わたしの過去の青田買いっつーと暁郷ですか? 89期文化祭のレオタード姿を見て、「この子、男だからいいけど、女としては人生つらそう……」と思ってしまったカオとガタイ。以来、ずっと目について……という?
 アレって青田買いだったのか……なんかチガウ気がする……。
 89期文化祭のときは、純矢ちとせくんがいちばん好きだったんですが……若者は顔が変わるねえ。今ちとせくん丸すぎて、男の子に見えないっすよ……。
 89期はなんかキャラの立った人が多くて、初舞台が日本物のおかっぱ姿で口上だったにもかかわらず、見分けのつく子が何人もいて愉快だった。
 90期ではなんといってもれのちゃんの美貌に釘付けだったな。あとは探さなくても見分けがついてしまう、独特のカオをした愛原実花。他にもいろいろ興味を引いた子がいたけれど、初舞台公演ではぜんぜん区別がつかずしょんぼり。
 こんなんで、青田買いしているのか、わたし……?

 
 タカラヅカの楽しみ方のひとつは、「役者の成長を見守ること」。
 貪欲なわたしは、タカラヅカをさらにたのしみたいのだ。
 若いころから知っている子が多ければ多いほど、感情移入できて人生がたのしくなる。
「樹里のことは初舞台から好きだったのよ。電車が同じだったんだもん。電車で見かけるたびに『がんばれ』って心の中で応援したわ」
 と、ご近所さんならでは発言をするCANちゃんのよーに。名もなき下級生時代から知っていると、心深く応援できる。

 そしてなんといっても、一生懸命な若者を見るのが好き。
 「一生懸命なんて、かっこわるい。本気じゃない方がかっこいい」という風潮が蔓延するこの世の中で、掛け値なしの本気、なりふり構わない一生懸命を見せてくれる子たちが好きだ。

 つっても、公演的におもしろくなけりゃ、金を出してまで観に行こうとは思わんが。
 文化祭はふつーに「エンタメ」としておもしろい。
 これでもかと盛りだくさん、高カロリー。
 短い時間で「タカラヅカ」を全部見せてくれるんだよー。日舞や楽器演奏、コーラス、芝居やダンスも。ミラーボールもくるくる回るぞ。

 ふつーにたのしいから好きよ、文化祭。

 
 プログラムはいつも、バウホール下の音楽学校生が手ずから売っているところで買うことにしている。きらきら一生懸命な目で見つめてもらえるのが好きだから。
 が。
 なんてこったい、今年の子はよそ見をしながらプログラムを手渡し、目を見て挨拶をしてくれませんでした。ええっ、礼儀を重んじる音校生がコレか? 本屋のアルバイト学生と同じレベルの接客態度か……。
 こーやって若者の品位は下がっていくものなのかしら、これが時代ってやつなのかしら、と哀しくなりつつ、階段を上がる。
 他の若者がどうあれ、そしてプライベートがどうあれ、公的な場所でのタカラジェンヌの卵には、やはり礼儀正しく誠実であってほしいのよ。

 バウホールの入口前はお仕事中の音校予科生と、取材陣でごった返している。テレビカメラを避けつつさっさと入場してしまおうと、いったん鞄を床に置き、チケットを取り出す。
 ちょうどそのとき、今まさにテレビカメラを向けられているはずの音校生がひとり、すすすっ、とすり足で走り出した。
 ほえー、両手はびしりとカラダの横、すり足でで走ってるよ、ペンギンみてー。
 と、感心していたら。
 その音校生は、まっすぐわたしのところへやってきた。
 ななな、なんですかっ?!
 びびった。
 彼女はわたしの足元にひざまずき、なにかを拾うと、「落としました」と、それをわたしに差し出した。
 あ、ありがとー……しどろもどろで受け取る。うわ、中日劇場の半券だ……まだ鞄に入れたままだったんだな。
 わたしの目は思わずテレビカメラをチェック。よかった、こっちを向いてない。
 その音校生はまたすり足で、すすすと元の位置へ走っていった。

 彼女のお仕事は「来賓受付」、3人で直立不動の人形のよーに立っているうちのひとり。
 なのに、客がなにか落としたのを見て、走り出てきたんだ。
 すごいわ、さすが礼節を重んじる音校生。
 プログラム売り場でのかなしみは、ここで払拭された。
 小柄な娘役さん(わたしからすりゃ、大抵小柄か……)でした、ありがとう。

 
 わたしが観たのは、文化祭初日の最初の公演。
 だもんで緊張感はあっても盛り上がりにはちと欠けた。
 89期のとき、はじめて観たのが最終公演だったもんで、そのときの印象がある身には、ちょっくら物足りない気はしたな。

 でも、ちゃんとたのしかったよ。

 日舞からヴォーカル・コンサート、芝居、最後にダンス・コンサートと演目の温度が上がっていくのがいいよね。
 おごそかにはじまり、躍動で終わる。
 恒例のこの流れは好き。

 文字数ないから、続く〜〜。


忙しい理由。

2005年2月18日 その他
 えー、最近日記さぼっててすまんです。

 緑野は元気です。
 とっても健康的な生活してます。

 なにしろわたし今、バイトしてますから!
 胸張りっ。

 引きこもりを何年もしていただけに、外でふつーに働くなんて、自分がえらくなったよーな気がします。
 えっ、えらくなった、ではなく、よーやく「人間」に一歩近づいただけですか? でもでも、わたし的にはすごいことだもん(笑)。
 たとえ、直接の原動力が「ケロ祭りで散財しすぎたせい」であってもなっ。後悔はないさ、愛しのダーリン。
 

 「バイト」ですよ、日記を書かない理由は。
 時間がないのはそのせいですよ。

 『バイオ』が理由じゃないですよ!!

 昨日も今日も、えんえんコントローラ握って、狂信者やら村人やらをヌッコロしていたなんて、そんなことはありませんてばっ(笑)。
 バイトです、バイト。忙しいのはバイトのせい。
 『バイオハザード4』のせいでは、ありませんっっ。

 
 それにしても、ツッコミどころ満載だ、『バイオ4』。
 つーか主人公のレオン……こ、こいつ……(ただ笑う)。
 今さらだが、大河ドラマ『新選組!』の話。かなり簡単に、走り書きしますわ(真面目に語ると本1冊分くらいになる・笑)。

 日記はちょこちょこ書きためていたんだが、UPする時間がなくてな……パソコン開かないもんだからよー。
 だもんでこれは、ちょっと前に書いたまま、放置されていた日記だったりする(笑)。
 

 わたしは三谷幸喜のドラマで、長編をあまり評価してなかったので(冗長なものが大過ぎ)、1年間かけてやる大河ドラマには懐疑的だった。三谷幸喜は好きだし、たのしいけど、途中で失速するんじゃないかって。
 杞憂でした。
 てゆーか、すげーおもしろかった。
 1年間、上質なエンタメを見せてくれた。
 前半でキャラを描き、ストーリーが動き出す後半では、前半で確立したキャラを流れの中に放り込む。史実に従うわけだから誰が書いても同じになりがちなのに、前半でキャラをきちんと作ってあるから、そいつらを放り込むだけで勝手に流れの中で「そいつら」らしく動き回り、「らしい」物語になる。
 なにしろ史実が過酷なので、ストーリー中心でキャラが薄くなるラストパートで、きちんと「キャラもの」としての役割を果たしているところが、感動。ひとりひとりのキャラクタが、「見せ場」をもらい、エンタメとして輝く。
 歴史物ってどーしても、「主役は歴史」になりがちじゃん。
 とくにNHKの大河ドラマはそう。それ以外認めてないんだろーなー、局ではなく、視聴者が。
 わたしはエンタメが好きなので、歴史物であっても史実を羅列するだけの「苦情がこないことだけ」に必死になったつまらない話より、「歴史を題材にしたフィクション」である作品が好き。
 荻田浩一作『凍てついた明日』が好きなようにね。
 ありきたりのネタをもとに、どこまでたのしいものを創れるか。史実をもとに、どこまで想像できるか。創造できるか。
 『新撰組!』は、正しいキャラもので、正しいエンタメだったよ。
 ……ただし、視聴者が求めていないものを作った、てのは、どうかと思うが(笑)。
 大河ドラマを見る視聴者層は、「エンタメ」は求めてないんだよねえ。三谷幸喜の名前と旬の俳優を使うことで、「本来の大河ドラマの視聴者層」以外の、一般の人たちを引き込む予定だったんだろうけど、そこまでたどりつかなかったからなあ。だって一般の人って、1年間もドラマ見られないもん。3ヶ月のふつーの連続ドラマも見られないのにさー。2時間の映画か単発ドラマしか見られない人たちが大半だっつーこの現代に、1年は無理だよなあ(笑)。
 無理を承知で作ってくれて、放映してくれて、ありがたかったよ。おかげで、いいものを見られた。
 あ、カップリングは近藤×芹沢で(笑)。それを前提とした上で、近藤×土方、芹沢×沖田(リバに成長)希望。斉藤は誰に絡んでもヨシ。基本設定として、近藤と土方は夫婦だが(笑)、土方の片思い。てゆーか近藤鈍すぎ。

 腐女子的にも毎回抱腹絶倒で、なおかつ「エンタメ」としてもたのしい。
 ほんと、いいドラマだった。
 視聴率はなくても、DVDソフトは売れるだろう。「タダだから見ている」という大河ドラマ視聴者向けではなく、「お金を出しても、好きなものを手元に残したい」と思う人たち向けの作品だから。

 
 ちなみに。
 わたしはあの『竜馬におまかせ』も大好きだった。
 三谷幸喜ドラマ史上、最悪の不人気作にて、ビデオ化もされず再放送もろくにされなかった、あの『竜馬におまかせ』。
 なんでみんな、既存のイメージにとらわれて、新しいものに拒絶反応するんだろう。もったいない。そりゃ「これはノンフィクションです、ドキュメントです」と謳ってアレだったらいくらでも怒っていいけどさ。「歴史を題材にしたフィクション」が「史実とチガウ」からってそこまで怒らなくてもいいだろーに。
 『竜馬におまかせ』は、とても愉快な「ファンタジー」だったよ。見ていて、しあわせになれた。

 わたしは十代後半からハタチぐらいまで、幕末にものすっげーハマっていた。ヲタクの通る道ですね。みんなきっと、一度はハマるんだろうと思う(笑)。
 毎晩弟と、幕末か戦国時代の話をしていたなあ。弟はわたし以上にハマっていたので、年は下でも知識は奴の方がはるかに上。1日平均2時間、日本史の話で盛り上がる姉弟。てか弟よ、平気で姉の部屋で午前1時とかまで喋って行くな。お互い翌日学校だったのに。
 わたしは長州が好きだったんだよなあ……あのころから、あーゆーヘタレ系が好きだったんだよなあ。遠い目。維新以後の長州に興味ないしなー。あくまでも、ヘタレていたときが好きだったんだよなー。

 歴史好き・新選組好きを自認する人の「あのドラマの新選組は認めない。だって史実とちがいすぎる。あれを観て喜んでいるのは、史実をなにも知らないミーハーだけだ」てな意見に出会うたびに、かなしくなるさ。
 アナタが好きなのは、「史実」ではなくて、「アナタの好きな見解による史実」でしょう? それ以外は認めたくないだけでしょう?
 「ほんとうのこと」なんて誰にもわからないんだから。当事者じゃないんだし。
 嫌いな理由が「イメージがチガウ」だけ、つーのもかなしい。固定概念だけで切り捨てられると、なんの発展も未来もない。
 フィクションをフィクションだと割り切った上でたのしむのは、アリだと思うけどなー。

 
 思えば、わたしがいちばん最初に出会った新撰組モノって、『マカロニほうれん荘』だったんだな、と、つぶやいてみたり。

 そしてサトリちゃんに「ゆみこちゃんって、きんどーさんに似てない?」と言って、異を唱えられてしまったり。

 あ、言い訳しときますが、わたし、きんどーさんがいちばん好きです!! 言い訳になってない? 真面目なゆみこファンの人、怒らないでねっ。ゆみこちゃん大好きよ!!


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