最近、誰かと握手をしましたか?

 挨拶の儀礼的握手ではなく、「同志よ!!」という、魂の叫びの握手です(笑)。

 先日わたしは、そーゆー握手をしました。
 バウで『くらわんか』を観たあと。

 もずえさんのお友だちの誠さんと、もずえさんそっちのけで盛り上がったのですよ。

「腐女子とは本来、ヲタクから発生したものであり、妄想系とはまったく別モンですよね」
「生徒萌えと作品萌えは別ですよね」
「寿美礼ちゃんって、総攻と鬼畜は基本スキルですよね」
「やっぱ攻キャラはいいですよね」

 などとゆー会話ですな。

 「受」「攻」「萌え」が飛び交う、大変美しい会話でございます。

 気の毒なもずえさんは、ひとり黙って鶴を折り続けていました。
 ご、ごめんよもずえさん、アナタにわからない話をえんえんえんえんしてしまって。

「キャリエール×エリックは、基本ですよね」
「花エリザ東宝では、フランツに鬼畜入っててよかったんですよ」

 気の毒なもずえさんが折る鶴の数はみるみるうちに増えていく。
 ご、ごめんよもずえさん、アナタにわからない話をえんえんえんえんえんえんえんえんしてしまって。

 
 ところで、握手。

「そーいや少し前に流行った、受攻度判定みたいなヤツ。わたしは攻寄りのリバでした」

 と言えば誠さんが、

「私もです!!」

 光る目と目。
 わたしたちは、がっつり握手をかわしました。

 リバですよ、ワンダホーですねっ。
 人生2倍たのしいですよ。
 しかも攻ですよ。
 人生3倍ですか。
 うははははは。

 
 そして。
 気の毒なもずえさんは、鶴を折り続けるのだった……。

 
 P.S. ほんとのとこわたしは、自分を受子ちゃんだと思ってるけどなっ。


似ている人。

2005年2月15日 その他
 わたしは未だかつて、芸能人に似ていると言われたことがない。
 「似ている」と言われたことがあるのは「ムーミン」「アラレちゃん」「パタリロ」だ。……つまり、そーゆー系の顔なわけだ。

 それが先日はじめて、言われたんだ。

「緑野さんのって、誰かに似てますね」

 声?
 声のことなんて、一度も言われたことないぞ?

「えーとえーと、女優の……」

 女優?

 わたしの耳がぴんと立ったね。
 女優ですと?!

 たしかにわたしのこの「カオ」では、女優に似ているなんて言われることはありえない。
 だが、「声」か。
 それは盲点だ。
 多少カオが不自由であったとしても、声は別もんだ。「声」だけならわたしでも、芸能人に似ているって言われちゃうんだ?

 わくわくわくっ。
 誰だれ? 誰に似ているの?
 竹内結子とかぁ、松嶋奈々子とかぁ、鈴木京香とかぁ、美人女優になら、「声」だけでも「似てる」って言われたらなんか幸福よねえ。顔やスタイルは似ても似つかないんだから、せめてさぁ。

 わたしがあんまり大喜びで答えを待つもんだから、相手はとっても真面目に思い出そうとしている。
 そしてついに。

「わかった、室井滋だ! 緑野さんって室井滋に似てます!!」

 
 室井滋……。

  
 室井滋……。
 室井滋……。
 室井滋…………。

 ……………………。
 

 わたしがあまり落胆したからか、相手はあわてて、「すみません、忘れてください」と前言撤回した。

 いや、撤回されてもな……余計にな……。ふ、ふふ……。
 
 
 そりゃ、室井滋はいい女優ですよ。魅力的な人ですよ。わたしも好きですよ。わたしよりはるかに美人でしょうよ。
 でも彼女の場合、「ブス」役を演じる役どころの女優さんじゃないですかっ。テレビや映画では「美人で当たり前」だから、一般人よりずっと美人が「ブス」役をやる。その世界では「ブス」に分類される人が。

 そうか、わたし……「声」だけでも、「美人女優」に似てるって言われることはありえないのね……ふふ……ふ……。


 本日はバレンタインだが、だからといってなにがあるわけでもなし(笑)。
 チェリさんからいただいたチョコレートを開けてみる。もらったのはエリザ初日に会ったときだけど、やっぱバレンタイン当日に開けなきゃねー! と温存しておいた。
 甘いモノが得意でないわたしは、チョコレートはほとんど食べられないんだけど、眺めるのは好き。チョコってかわいいんだもの。目で堪能するのだ。食べることもできる装飾品を眺めるハート。

 毎年ケロちゃんに贈っていたけど、今年から贈れなくなってしまった。贈る相手がいなくなったから、と仲間たちにチョコをくれたチェリさん。
 ……なんか、切ないね。

 ケロちゃんの代わりに、ありがたーくいただきます!

 さて、『バイオハザード4』でコントローラの握り過ぎで微妙に親指が痛かったりするんだが(まだ古城にいるよ……死にまくってるよ……)、中日『王家に捧ぐ歌』の感想つづき。

 鳩ちゃんと目が合いまくった午前公演のあと、それ以上チケットを持っていないわたしはサバキ待ち。
 お茶会ラッシュだという三連休、サバキはほとんどなくて、待っている人がいっぱい。午後は午前よりさらに品薄だ。
 いよいよ手に入らなくて、サバキ待ちにつきあってくれていたkineさんに先に中へ入ってもらい、わたしひとりでさらに待ち続けた。もともと1回観られればそれでもヨシだったわけだし、オペラグラス忘れてきたし(最近前方席でしか観てないから←傲慢発言!)、思い出を胸にひとり早々に大阪に帰ろうかな、とか思いつつ。
 間際になってGET、しかもオペラなしでも見える席だー、やったー、あたしって強運? と、浮かれて劇場へ入ると。

 無人になったロビーに、しいちゃんがいた。

 わわわわ。
 思いがけない接近遭遇!!
 そうか、ぎりぎりだからジェンヌさんがいるんだ。彼女たちは観客の混乱を避けるために開演ぎりぎりに客席に着くから。
 しいちゃんと、みっこさんがいました。ふたりで座席表を見ながら、席を確認している。
 わたしはしばらくぼーっとしいちゃんを眺めている怪しい人になってました。うわー、しいちゃんだー、あいかわらず派手な顔……てゆーか、化粧濃い……どーしたんだ、しいちゃん、その気合いの入り方は。

 しいちゃんとみっこさんが客席へのドアの向こうに消えてから、わたしもあわてて別のドアから中へ入った。
 入れないよ、同じドアからなんて!!
 そんなことしたら、しいちゃんの後ろを歩くことになってしまう。ファンとしては、そんなおこがましいことはできませんて。

 にしてもわたし、めちゃくちゃ幸運? あのサバキ待ちの人数のなかで、まっとーな席をGETできただけじゃなく、しいちゃんにまで会えちゃうの? チケットが手に入らなかったら、しいちゃんにだって会えてないんだよぅ。ぎりぎりだったからこそ、接近遭遇だよぅ。kineさんは2階席だから、ひょっとしたら1階席のしいちゃんには気づかないままかもしれないし。
 天下一のピュアしいちゃんファン・サトリちゃんに、わたわたと事実だけの1行メールを送る。しいちゃんがいつ中日に現れるか、気にしているはずだから。

 客席はジェンヌさんがやってきたときのあのざわめきに満ちていた。しいちゃん、スターなんだねえ。あちこちで「しいちゃんが来た」って話してるよ。まあ、星組のみの認知度かもしれないが。(こらこら)
 とほほなのは、わたしの隣の席のおばさま方。「しいちゃんが来た」と話しているのはいいけど……「しいちゃんが、お付きの人と一緒に来た」っていうのは……一緒にいたのは、お付きの人じゃなくてみっこさんです……そりゃ地味めのメイクだったけどさー。

 なにはともあれ、わたしにとっての最後の『王家に捧ぐ歌』。さすがにもう名古屋までは行けません。

 ありがとう。
 会えてうれしい。
 大好き。

 感謝と幸福感でいっぱい。

 
 この作品を好きであること、キャラクタを好きであることを噛みしめながら、ファラオ@チャルさんの美声に酔いしれました。……やっぱいちばんすばらしいのはチャルさんの歌だよなあ。「聞け〜〜!!」とか言われると、「ははぁ〜〜っ」ってひれ伏したくなるもんなー。
 あとアモナスロ@ヒロさんのかっこよさが上がってたのもすごいよなー。戦場でのアモ様、かっこよすぎ。槍使いってのは派手でいいよなあ。

 ワタさんと檀ちゃんの並びだと、わたしの目はついつい檀ちゃんにばかり注目してしまうんだが、それにしてもやっぱ檀ちゃん、ダンス下手(笑)。デュエットダンスにリフトが追加されていたけど、心から「しなくていいから、そんな汚いリフトは!」と思ってしまう。あれじゃワタさんもつらいだろ……。

 それにしてもワタさんって、でかいよねっ。

 中日劇場がますます小さく見える。
 大劇場でも、大階段の中央にひとりでポーズ決めて立ってるとき「大階段小さっ」と思わせてくれる、我らがワタさん。
 そう。

 中日劇場ごときでは、湖月わたるには小さすぎる。

 たしか前に中日に来たときも思ったな。

 ハマコには、中日劇場は小さすぎる。

 ……ワタルと、ハマコか。
 最強だな。

 
 にしてもわたし、めちゃくちゃ幸運? と、チケ運に浮かれていたわたし。
 翌日、友会から届いた花組チケットを見て失速。

 来ましたよ、2階6列目が!!

 ふふふふふ。
 そーよね、わたしのチケ運なんてこんなもんよね。


 「ひとりで行くには遠すぎる。だって寂しいんだもん!」な名古屋行き、今回の同行者はkineさんでした。

 そのkineさんと、行きのアーバンライナーでいろいろ話していて、何故か映画の『タイタニック』の話になった。

 そこでkineさんの名言。

「『タイタニック』のヒロインの婚約者って、嶺恵斗が演じそうな役ですよね」

 爆笑。
 大ウケにウケました!

 『タイタニック』のヒロインの婚約者。
 悪役の中の悪役。
 傲慢で卑劣で小物。
 いいとこひとつもナシ! 同情の余地ナシ! ええい、この卑怯者めっ。ボーフラ並の小物めっ。

 日本人が好きな「美形悪役」なら、もっと筋が通っていて、どんなに「悪」でもどこかいいところや共感できるところがあって、暗い過去だとか傷があって、「あの男も、ほんとうは被害者なんだわ」とか「ほんとうはいい人だったのよ。どこかで道を違えてしまっただけで」とかゆーもんなんだが。

 さすがアメリカ映画、見事な悪役ぶり(笑)。
 「悪」というより「卑劣」さが際立っていて、ヘタレ感5割り増し!!

 そうだよなあ、嶺恵斗に演じて欲しい役だよなあ。
 ハンサムでセレブな、卑劣で下劣な、ケツの穴の小さい男!!

 
 えー、今さら言うのもなんですが、わたしもkineさんも、嶺恵斗くんが大好きです(笑)。

 
 好きだけど、中日公演『王家に捧ぐ歌』のケペル役は、見事に自爆していると思うの。

 失敗の理由はひとつ、元キャラまんまを演じようとしているから。

 元のケペル……親友ラダメスにラヴラヴな、まっすぐで迷いのない熱血漢。
 なにしろ感情表現がストレートだから、なんでもそのまま顔に出る。
 怒りや悲しみに素直に翻弄されるが、それでも自分の役割や立ち位置を見失わない男。
 人一倍傷つくけれど、それでもちゃんと自分で立っていることのできる男。

 それをそのまんま演じようとして。
 恵斗くんがやっているのは、「ヘタレて泣いている男の子」だ。

 
 最初のウチはいいんだよね。「軍人」として迷いのないケペルは、ふつーに二枚目でいられるから。恵斗氏は恵まれた容姿ゆえに、立っているだけで見栄えがする。

 問題は、1幕の終わりから。
 親友ラダメスの変心にショックを受けるところから。

 恵斗ケペルは、べそをかいてる子どものよーになってしまう。

 ぶっちゃけ、表情が汚いんだわ。

 顔、くしゃくしゃ。
 たしかに「ショック」の表情であり、「慟哭」の表情であるんだろうけど。
 「最強国エジプトの武将ケペル」の表情じゃない。

 幼すぎる。

 クールな顔、ニヒルな顔は得意なのにね。
 泣きの顔は、ここまでダメダメなのか……。

 元々の持ち味と、「がんばって元キャラと同じ表情をしよう」としているところが、ものすごくちぐはぐだ。
 心の動きもキャラ立ても、元キャラまんまであることを求められているせいなんだろう。
 元キャラのコピーをするはずが、技術が足りていないゆえに、盛大に自爆している。

 ケペルはヘタレててもいい役っちゃーいい役だけど、「大人の男」であるうえでよ?
 ママに叱られた坊や、になっちゃダメなのよ?
 「ラダメス、なに言ってんの? そんなのボク、聞いてないよ、うわーん!!」じゃこまるよー。

 初日明けに観たときよりさらに、ヘタレ度が増していたんだよね。
 役に入れ込んでいるせいだと思う。
 ケペルとしての心の動きが深くなっているから、余計に大きく泣いてしまうんだと思う。
 そしてその泣き顔は、かなしいかな美しくない……。「役者」の顔じゃない……。

 月影千草先生の言い方を借りれば、「ケペルの仮面をかぶりきれていない」のだわ。
 そこで泣いてるの、ケペルじゃなくて「嶺恵斗」自身でしょ?

 圧倒的にキャリアが不足しているんだから、仕方ないけどね。
 「自分の仕事をちゃんとこなしている」恵斗くんしか見たことなかったから、自爆している姿を見ておどろきました。

 
 と、ここまで言いたい放題言っておきながら、だ。

 ガキんちょケペルも、ソレはソレでたのしくていいぞ、っと(笑)。

 表情と感情の流れ、キャラ立てがめちゃくちゃで、一貫性がないところが、味になっている。
 時折とても「黒い」のに、つつくと「わーん、ママぁ」てな顔で泣き出す男。
 このヘタレ男、ちょっとここへいらっしゃい、一発張り倒していいかしら(笑)、て感じが、よいではないですか。

 それこそ、『タイタニック』の悪役氏のよーに。

 
 エチオピア・トリオも同じよーに失敗してるのに、エジプト・コンビがOKなのは、何故か。

 もちろん、わたしが恵斗氏を好きだから、多少の失敗も微笑ましいわ、てな意味合いもあるが。
 それだけじゃなく、エジプト・コンビの方は、片割れのメレルカ@みらんくんがきちんと成功しているために、ケペルの自爆ぶりが「味」になることが可能なんだと思う。
 ふたりそろって自爆されたら、きつかったろうけどねー。ひとりだけなら、いいコントラストになるよ。

 メレルカはひたすら男ぶりを上げ、ケペルはヘタレていく、と(笑)。

 キャラが立っていいじゃないですか(笑)。

 
 ほんとにもー、役者の個性に合わせて、演出変えてくれりゃーいいのになー。
 かっこいー嶺恵斗のケペルも見てみたかったよ……。

 
 中日『王家に捧ぐ歌』、サウフェ語りのつづき。

 アレ、サウフェじゃない。

 だってちっともヘタレてない。弱くもない。狂気もない。
 ふつーに強そうでかっこいい、きれーな男の子だった。
 文官だなんてとんでもない、もともと兵士なんだわ、きっと。剣の達人だったりするんだわ。
 この子だったらべつに、エジプト兵に※※されてなさそう。だって健康的な少年なんだもの。嗜虐心を刺激しないわ。シマリスくんを前にしたときのアライグマくんの気持ちには、ならないわきっと@古くてすまんな、『ぼのぼの』ネタだ。

 つまんない……あんなにキャラがはっきりしていたエチオピア・トリオは、みんな似たりよったりのキャラになっていた。
 ウバルドは薄くおとなしく王子様らしくなり、カマンテとサウフェは武人設定。3人が3人とも、愛国心と復讐に燃えるかっこよくて強い男たちかよ……。
 しょぼん。

 ウバルド@まとぶんは大変だなあ。自分とキャラのかぶる子をふたり後ろに従えての孤軍奮闘。ラダメスの恋敵、ではなく、脚本通りの戦う王子様なだけに、難しいよなあ。薄く地味なキャラになっているのは、カマンテ・サウフェとキャラがかぶってるせいもあるよなー。
 まとぶんはもともと正統派の白い二枚目さんだとわたしは思っているから、薄かろうがどうしようが、王子らしさと端正さをこのまま大事にしてほしいよ。

 カマンテ@ゆかりちゃんは、キャラ立て以前に、技術がぜんぜん足りてないんじゃないかと思い、愕然としたわ。
 ゆかりちゃんがうまい人なのかどうか、美貌に目がくらんで、まったく判断ついてなかったんだもの(笑)、今までずっと。
 ひょっとして、かなり下手?
 清十郎様のよーに、持ち味にぴったりな役ならいくらでも余裕で演じられるけど、引き出しにない役はダメ?
 表情が数種類しかないらしく、カマンテになっていない。歌もものすごかった……音はずしたまま、どこまで歌うのかとうろたえたわ。途中で強引にぶっちぎったわね(笑)。
 たんに経験不足なんだと思う。磨けばいくらでも光りそう。今は下手でもいいよ。このままキャリアを積んでいい男になってくれ。

 サウフェ@しゅんくんは、なにがやりたかったのか、わたしにはまったくわからなかった。役を理解していない? なんでそこでサウフェが膝をつくのか、わかって膝をついてる? そういう演出だからとりあえず膝をついてますって感じに見えるんだけど。
 こちらもニンでなかったということかな。可憐な外見に反して、けっこー骨太な男なんだねしゅんくん。
 別人キャラを意識して作っている風でもないしな。すぐに膝をつく演出はそのままだし。ひどくアンバランスだ。演出は大劇時代と同じよーにヘタレ系なのに、演技は気の強そうなかっこいい若者、というのが。
 ゆかりちゃんと配役逆でもよかったかなあ。カマンテ@ゆかりは泣きすぎだし、サウフェ@しゅんくんは強すぎた。
 しゅんくんは美しいうえに実力もある、将来がたのしみな男の子。今この役ができないからって、まったく問題はない。何度でも壁にぶつかって、そのたびいい男に脱皮していってくれ。

 てゆーか、ほんとに「再演」なんだなと思ったよ。
 せっかく役替わりしているのに、嘆息しちゃうほど、元公演の演出にこだわっている。
 役者が変わったんだから、その個性に合わせて別キャラにしちゃってもいいだろうに、なにがなんでも元のキャラのまま再演するのね。
 キムシン、自信満々なんだろーなー。元公演が「パーフェクト」だから、「なにひとつ変える必要はない」と思ってるのかしら。
 元公演のコピーが観たいわけじゃないのに。

 進化した姿が、観たいのに。

 カマンテもサウフェも、「中日バージョン」にしちゃえばよかったのよ。

 ゆかりカマンテなら、とびきりクールに。
 それこそ、なにがあっても表情ひとつ変えない氷の男に。
 徹底して無表情なのに、激しいウバルドと同じ行動を取るの。

 しゅんサウフェなら、純粋な少年に。
 若さゆえの潔癖さで怒りに燃える少年。幼い彼が、子どもの正義感でテロへ走るのは、とても痛々しく映るだろう。

 「本役のコピーでお勉強」なんてのは、新人公演でやらせとけ。

 せっかくの「再演」なんだから、さらにおもしろくなったカタチを、「新しい可能性」として見せてくれよ。
 役者が変わるたびにわざわざ別作品創ってみせる、オギーのよーに。

 
 元の役コピーなのは、エチオピア・トリオだけじゃない。
 エジプト・コンビもそう。

 元のキャラまんまコピーしようとして、大失敗しているのが、ケペル@嶺恵斗(笑)。
 キャリアは伊達じゃないな、成功しているのが、メレルカ@みらん。

 元キャラは、陰と陽でいうなら「陽」の持ち味の役者たちが演じていた。
 だが、中日では「陰」のふたりが演じている。

 そこで、文字通り実力による明暗が分かれてしまった。

 みらんくんは、ほんとにうまい人なんだなと再確認した。
 キムシンは本来あて書きの人で、主要スターのキャラに合わせた役をうまく割り振ってくれる。
 メレルカは、元役のれおんくんのキャラに合った役。きらきらした青年将校。人生挫折ナシ、これからもエリートコースまっしぐらな若き武将。

 みらんくんは、れおんくんより「暗い」味を持つ。「重い」ともいうな。
 その「暗さ」と「重さ」を持ったまま、新しい「メレルカ」を作り上げていた。
 つまり、「若く傲慢な、毒のある青年将校」だ。
 エリートコースを歩いてきた若者の、明るさと強さ、傲慢さがしぶく光っている。
 つまり、かっこいい。
 主役的なかっこよさではなく、あくまでも「主役の友人」としてのかっこよさ。
 表情豊かに笑い、憤りもするけれど、そこにはいつも「強さ」がある。
 元キャラの「体育会的明るさ」ではなく、「エリート軍人の明るさ」だ。
 メレルカってのは、こーゆーキャラ立てもアリなのか、と感心した。
 元キャラまんまをやっていながら、自分の持ち味で勝負している。

 その横で気の毒なのが、嶺恵斗。
 えーとね。

 かなしいくらい、幼いですよ、ケペル。

 ママに叱られて泣き出した子どもみたい。
 元キャラのケペルと同じことをやろうとして、失敗してるのね。ケペルって感情が激しすぎて、びーびー泣いてる男だったから(笑)。
 でも、ただ泣かれてもこまるんだよなあ。大人の男なんだから。

 恵斗くんの引き出しに、ない役なんだろー、ケペル。
 黙っているとき、演技していないときには、意味もなく黒い表情をしていたりする。もともとの「陰」の持ち味が作用して。
 でも、「さあっ、今からケペルの演技するぞっ」てなときには、途端顔をくしゃくしゃにして子どものよーな顔をするのだわ。

 つーことで次はケペルの話。

 続く〜〜。


 さて、1週間ぶりだぞ、星組中日公演『王家に捧ぐ歌』
 本日は4列目サブセン。感情移入度がチガウので、前方席は大好きです。
 サバキで11列目をGETしたkineさんが、「みらんくんに目線もらった♪」とよろこんでいるにも関わらず、わたしは誰の目線もいただけませんでした。
 唯一、目線をもらえたのは。

「鳩ちゃんだったわ」

 と言ったら、kineさんに大ウケされちゃいましたよ。ふっ。

 鳩withアモナスロ@3度目の銅鑼のシーンにて、アモナスロがずーっと目の前なんだもんよ。アモちゃんはイッちゃってるから、もちろん客席なんか見ない。
 彼の手の中の鳩ちゃんだけが、ずーっと同じ角度で、わたしを見ている。
 うおーっ、鳩ちゃんと目ェ合ってるよオレ!! うろたえ。
 鳩ちゃん、瞳つぶらだよ! 顔の両側に、微妙に目飛び出てるよ。かわいい、けど、じっと見てるとやっぱキモいかも……。
 てゆーかわたし、鳩見てる場合じゃないから!!

 なにやってんでしょうねえ。せっかくの最後の前方席で、鳩ちゃんと見つめ合わなくても。

 
 『王家』のすごいところは、「作品に力がある」ことだと思う。
 何度観ても、おもしろい。何度観ても、感動する。
 心が動くところは毎回変わる。毎回、なにかしら発見がある。

 ああ、ほんとうに、この作品が好きだ。

 出会えて良かった。好きで良かった。
 

 作品語りは昔飽きるほどしたから、置くとして。

 今回の再演を観ながら、わたしが痛烈に欲していたのは、「ウバルド」じゃない。わたしが愛したウバルドはもういないけど、中日ウバルドもアレはアレでアリだと思っている。再演に似合った男だと思っている。
 だから、ウバルドのことはいいんだ。

 わたしがどーしよもなく恋しかったのは、サウフェ@すずみんだ。

 うおー。
 わたしほんとに、サウフェ好きだったんだ……。
 いちばん萌えたキャラだって、そーいやここでも書いてたよなあ。

 サウフェが好き。
 あの弱くてやさしい男。
 凶器を握った羊。
 狂気におびえる復讐鬼。

 サウフェに会いたい。

 弱く優しい青年が、憎しみに壊れていく姿。
 テロリストとなって破滅する姿。

 いつも、おびえた目をしている。
 剣を握ってさえ。
 なにかあったとき、彼の顔に浮かぶのは「かなしみ」だ。怒りではない。
 理不尽な暴力にも差別にも、彼はまず悲しむ。大地に膝をつく。
 そして、半べそをかきながら、おびえた目で剣を握る。
 ふるえる手。牙を持たない草食動物。だからこそ。
 傷ついた羊はやがて、狂気をやどす。

 まだ彼が無垢だったころ。
 憎しみも復讐も知らなかったころ。
 豊かな自然に恵まれたエチオピアの王都で、彼はきっと幸福に過ごしていたのだろう。
 王女のアイーダ姫を愛しながらも、ただ遠くから見つめるだけで満足していたんだろう。
 ウバルド王子に仕えているわけだから、とーぜん姫とも接点がある。気さくな姫君は、身分を超えてやさしい笑顔や言葉をくれただろう。それだけで、彼は満足していたはずだ。

 なんでウバルドの家臣はカマンテとサウフェだったんだろうね。
 カマンテは、ウバルドのお気に入りだったと思う。ウバルドの荒い性質と通じるモノがあるから。ウバルドより、ずっとクールだけど。
 でもサウフェは? このやさしい泣き虫男を、ウバルドのよーな男が側に置くなんて、おかしな話。
 おかしいからこそ……萌えるわ(笑)。
 だってウバルド、サウフェのことなにかと気遣ってたよねえ? なにしろすぐヘタレるから。
 泣き出しそうなところを、ウバちゃんに肩叩いてもらったりさ。王子に気遣わせるなんて、サウフェ何者?って感じよ(笑)。
 サウフェはたぶんあたりまえに、「弱いモノ」認定で、ウバルドの懐にいたんだと思う。ウバにーちゃん蛮人だけど(王子なのに……)、兄貴肌っていうか、舎弟はオレが守る、だからお前ら黙ってオレについてこい! な人だから。

 いっそ幼なじみ説希望。
 ガキのころから一緒に遊んでいたなら、ヘタレだろーとなんだろーと、兄貴肌のウバにーちゃんは「身内」と認識するでしょう。サウフェも、乱暴なことは苦手だけど、王子にくっついていくでしょう。
 あの3人、やっぱ子どものころからの親友+主従ってのがいいなあ。トシはサウフェがいちばん下ね。
 カマンテは寡黙に激しく「王子ラヴ」で、王子の敵は俺の敵!な迷いのない人生を送る男。
 サウフェがあこがれ、淡い恋心を抱いているのはアイーダ姫@少し年上希望。ウバルドのことは「敬愛する兄」認識。ウバルドはサウフェを、長男が末っ子をかわいがるハートでかわいがっているが、カマンテはけっこー辛辣、次男が年の近い弟をいじる感じで、平気で小突いたり突き放したり。まあどっちにしろ、愛されてます。

 祖国が侵略され、彼らの平和と幸福は地に落ち。
 ウバルドは激しい狂気へ突き進み、カマンテは黙してそれに従う。ウバルドの行くところへ、そこがどこであろうとついていく覚悟。
 サウフェは、あくまでもサウフェ自身の狂気に飲まれていく。やさしくナイーヴな彼は、ふつーの人以上に傷ついたんだろう。踏みにじられる祖国を見て。
 ……いや、その。わたしは、サウフェ自身がエジプト兵に辱められたんだと思ってるけど。ぶっちゃけ、※※されたんじゃないの、と(思わず伏せる・笑)。
 んな目にあったら、そりゃ人生変わるわ、性格変わるわ。恋する姫の前で、復讐を口にするわ。

 サウフェのヘタレ具合と屈折ぶりが、わたしのハートを鷲掴み状態だった。
 ウバルドにもめろめろに恋していたし、エチオピア・トリオはひとりずつキャラが立ちまくっていて、見ていてたのしかった。
 大真面目に、ウバルド×サウフェで物語考えたなあ。カマンテ×ウバルドでもあり、何故かラダメス×サウフェだった(こらこら、暴走しすぎだ、わたしの妄想)。

 だもんで、中日のサウフェ役がしゅんくんだと知ったときは、うろたえたね。
 サウフェ@しゅんくんだと? それって犯罪じゃん!! と。いやその、わたしの中では、サウフェってのはエジプト兵に※※されちゃう役だから。しゅんくんみたいな美少年じゃ、やばいってソレ、シャレになんないっ。ロリショタの世界突入じゃん。まずいよ。
 …………おいしいキャスティングだわ…………。

 なんて 期待 心配をしていただけに。
 びっくりだった。
 中日のサウフェを見て。

 サウフェじゃない。

 サウフェじゃなくてもいいよ、アレ。
 カマンテでもいいし、ウバルドでもいい。そんなサウフェだった。

 ソレって、サウフェの意味ないんじゃ……? しょぼん。

 続く


 生まれてはじめて、タカラヅカ・ジャンルでホモパロを書こうとしたとき。

 相方のかねすきさんに訊ねました。

「男役の胸は、どうすればいいの? なくていいのよね?」

 かねすきさんは、答えてくれました。

「男役は、舞台の上では男なんだから、なくていいのでは?」

 そう。
 書きたいのは、作品パロ。
 たとえて言うなら、『新選組!』の近藤と芹沢のやほひが書きたいのであって、それらを演じている香取慎吾と佐藤浩市のやほひが書きたいわけじゃない。
 香取慎吾と佐藤浩市がどうこうではなく、『新選組!』という物語の中で生きる、近藤と芹沢に萌えたんだ。
 ただの例題ですよ、べつにわたし、『新選組!』でなにも書いてないです。

 タカラヅカの二次創作だって、同じハートだ。
 わたしが愛するのは、舞台の上。「物語」の中。
 舞台の上で「男」である以上、パロを書くなら「男」としてでしょう。
 脱いでもそりゃ、男のカラダであるべきでしょう。

 かねすきさんと確認し合って、その昔、わたしはヅカパロの道へ踏み出した。

 
 はじめて書いたヅカの二次創作。
 もちろん、やほひだ。
 わたしゃヲタク女ですから! やほひは文化!! やほひは醍醐味!!

 つーことでやってやるぜ、ホモパロだー、やほひだー。カップリングものだ〜〜。

 作品は、『Crossroad』
 不器用な、バカで愛すべき男たちの物語。

 アルフォンソ × デュシャン でした。

 二次創作したくなるくらい、大好きな物語、大好きなキャラ。

 未だにわたしは、アルフォンソがめちゃくちゃ好き。タカラヅカ作品全部合わせて、いちばん好きなキャラクタなんじゃなかろーか。
 少女のよーに、ときめくのよ。
 こんな男の子に、恋をしたかった。

 そして、デュシャン。
 最悪な色男。人間の持つ弱い面、悪い面ばかり持ち合わせながら、それでもきらきらと魅力的な、どーしよーもないバカ男。
 女に生まれてよかったと思うのよ。こんな男にときめくのは、女である特権だから。
 こんな男を、愛したい。共に堕ちていきたい。

 とてつもなく大好きな男たちが、女そっちのけで愛憎している物語だ、『Crossroad』って。

 そりゃーもー、ホモパロ書くしかないでしょう!!(笑)

 つーことで、たのしく書ききって。
 わたしがどれほどこの作品を好きか、アルを好きでデュシャンを好きか、ありったけの思いをぶちまけて。

 ふー、堪能したわ。
 と、スポーツのあとのよーに、さっぱりした気持ちで、バウホールに行った。

 演目は『FREEDOM』、たしか初日だった。

 ごめん、ホモにしてごめん、受にしてごめんっ!!

 罪悪感とゆーか妙な気恥ずかしさとゆーかで、まともに舞台を観られなかった。
 自分でもびっくりだー。

 そして次に、全国ツアーを観に行った。
 演目はたしか、『うたかたの恋』

 なんの気恥ずかしさもなかった。
 わたしはふつーに舞台を楽しんだ。

 何故だ。

 何故、こうまで反応がチガウ?

 相方のかねすきさんに訊ねました。

「どうして樹里ちゃんのことは罪悪感と気恥ずかしさで正視できないのに、たかこのことは平気なのかしら?」

 かねすきさんは、答えてくれました。

「樹里さんの場合は、ノンケの男をホモにしてパロを書いたから、後ろめたいんですよ。反対にたかこさんの場合は、もともとホモの人をホモにしてパロを書いたから、平気なんです」

 そう。
 男としての樹里ちゃんって、どっから見てもノンケだよね? ホモに見えないよね?
 だからあんなに、気恥ずかしかったんだ……。

 そして、男としてのたかこは、ふつーに男もイケるクチに見える……あわあわ。

 この差は大きいなー。

 そして樹里ちゃん。
 あんなにノンケで健康的な青年なのに、役によってはホモにもなるもんなー。すばらしいや。

 
 わたしの大好きなノンケ男。
 きっと一生忘れない、はぢめての男@ヅカパロ。

 樹里ちゃんの退団発表は、寝耳に水です。
 そりゃねーよ、シニョール!! って感じ(意味不明)。

 めそ。

          ☆

 追記。

 ホモパロ書いたのは、昔の話です。
 今はやってません。
 人間誰しも、なにかしら人に言えない過去があるものなのさ、ふっ。

 
 でもってチェリさん。
 ケロちゃんにはもちろん罪悪感なんぞありませんでしたとも!
 モノが『血と砂』のフアンですよ? あの男を総受にしてなにが悪い、てゆーか総受だよね? 誰が見てもそうだよね? 世界の常識だから、照れも臆しもせず! フンガーッ!!

 ……でもソレも過去だから!
 人間誰しも、なにかしら人に言えない過去があるものなのさ、ふっ。


 月組ビューポイントのひとつ、フジコちゃん。

 今回の『エリザベート』でおどろいた配役のひとつが、

「フジコちゃんが、黒天使じゃないっ!」

 でしたもの。

 ダンサー・フジコ。鋭角なアゴを持つフジコ。悪役顔のフジコ。
 絶対黒天使だと思ったのに!!
 男たちの間で、誰よりも男らしく、がしがし踊ってくれると思ったのに!!

 女官だなんて! つまんな〜〜いっ。

 「ダンサー=黒天使」が配役的にふつーの感覚なので、いろんな人から「えっ、フジコ女官なの?」と驚きの声を聞く。
 ええ、女官なんですよ、びっくりでしょー?

 そしてわたしは、もちろんフジコちゃんウォッチング。
 あのしがない女官ダンスをしているフジコちゃんを鑑賞。ああ、あの刺さりそうなアゴ、好みだわ……。うっとり。

 なにしろ初日なんで、誰がどこになにで出ているかなんて、まったくわかってません。

 だもんで、おどろいたさ。

 マダム・ヴォルフのコレクション。

 フジコちゃん、ここにいますか!!

 
 フジコちゃんのカオを好きだが、いつもあまりうまく探せないでいるチェリさん、女官のフジコちゃんはわからなくても、娼婦のフジコちゃんは何故か見つけている。
 コレクションのひとりだった、とだけ言えば、

「ひょっとして、タチアナですか」

 と、返してくる。なんだ、わかってんじゃん。
 そうです、ダイナマイトなタチアナです(笑)。

 すごいよー。
 エロいよー。てか、こわいよー。
 マダム・ヴォルフ@えりりんの下に、あんな娼婦たちがいるのかと思うと、こわいですねえ。普段どんな会話してんだ……ぶるぶる。

 美しすぎるマデレーネ@あいちゃんに鼻血吹きつつ(だって下手1列目にいたんだもん、バスタブが目の前だもん、立ち上がられたときゃあ、お尻やら太腿やらを下からのぞき込むことになって、エロ爆弾炸裂!)、あとはひたすらフジコちゃん見てました。
 あー・うー、マダム・ヴォルフのことはあまり聞かないでください……タチアナ見てたら、見てるヒマなかったんだよ……みんな必ずマダム・ヴォルフのこと聞くけどさー。

 タチアナさんてば、エロいのよーっ。
 椅子に坐って、脚の間の床に男を坐らせて、いちゃくらしてんのよーっ。男のカオが下腹部にくるんですよ?! いいんですかソレ?!
 タチアナさんのすばらしさはなんといっても、顔だけ見てたらなことですよね。
 あのオトコマエな顔で、尖ったアゴで、エロい衣装着て男をはべらし、たらしこんでるのよ。
 わーん、すてき〜〜っ。

 ハァハァ。

 2部のスペインの美女も素敵でしたよ、強そうで。

 
 ところで、「タチアナ」って役には、なにかあるんすか?

 デイジーちゃんとそのお友だち(共に月エリザ未見)に、「フジコちゃんはマダム・ヴォルフのコレクションのひとり」と言ったら、

「タチアナですか?」

 と返された。
 たしかにタチアナだけど……どうして?

「そりゃタチアナでしょうよ。ねえ?」

 てな会話に続いてしまったが、なにかあるの? 「ダイナマイト」だから?? 歌詞だけでなく、そーゆー意味での振付や役どころがあったのか、ひょっとして?


 ゆうひくんが好きだ。
 風花舞サヨナラバウ公演『LAST STEP』で一目惚れして以来。

 ゆうひくんの好きなところはいろいろあるけれど、なんといっても「一目惚れ」、つまり外見が好きなんだよな。

 美しいから。

 そのことを、再確認させられたのが、今回の『エリザベート』。

 ごちゃごちゃ言う気はない。
 美しいから、それでいい。
 わたしは美しいものを見たいのだから。

 
 悲劇の皇太子ルドルフを演じる第一条件は、「美しいこと」だと思っている。
 史実がどうだったとか、他の舞台ではどうだったとかは関係ない。
 タカラヅカ版のルドルフは、美しくなくてはならない。そーでなければ、存在意義が崩壊する。ヅカでやる意味がない。
 多少歌がアレでも演技がありゃりゃでも、なにをさておき美しくなければならないんだ。

 それが、タカラヅカ版『エリザベート』における、ルドルフの意味だと思っている。

 BL……ボーイズラブ的な自己愛によって。

 BLにおいて、多くの場合、読者は受に感情移入する。受は男性でありながら受け身で、愛を精神的・肉体的に受ける者、つまり女性の特質を持つ。
 つまり、読者の女性にとって、受とは自分自身でありながらも、恋愛可能な「異性」である。
 この距離感がいいんだと思う。
 自分自身を愛しながら、同時に「理想の恋人」を愛す。女でありながら男である。
 「受の**ちゃんが好き」と思うのは、ほんとーに第三者としてその「**ちゃん」を好きなんだよ。それでありながら、その**ちゃんの物語を読んでいるときは、「**ちゃん」と読者自身がシンクロする。
 BLの醍醐味さね。

 そして、タカラヅカ版のルドルフ。
 彼はこのBLの受と同じ位置にあると思う。

 観客との距離感と同一化において。

 物語において主人公は視点であり、観客自身である。だもんでいろいろ不満があったり、理解できるところやできないところがでてくる。『エリザベート』は女が主人公、女(観客)はヒロインに厳しいので、「あたしならあんなことしない!」とか思ったりもする。

 ルドルフはヒロインの息子であり、ヒロインのもうひとつの姿である。
 ヒロインに対しては厳しく批判的だったりする観客も、ルドルフには視線が優しくなる。
 何故か。
 彼が、「異性」だからだ。

 ストレートに「観客自身」となるヒロインの位置とはちがい、ルドルフは「ヒロインの息子」というワンクッションがある。
 観客自身の姿だけど、観客自身ではない。
 同じだけど、同じじゃない。
 BLの受と同じ。もうひとりのわたしだけど、わたしが恋愛してもいい「異性」である。

 自己愛と恋愛が、ひとりの人物でまかなえる存在。

 だからこそBLの受は美しくなければならないし(かわいい、でもいいが、とにかく美的価値が必要)、ルドルフは美しくなければならない。

 観客の自己愛を満たすために。
 四の五理由をつけず、とにかく「かわいそう」と思わせるためには、美しさが必要なのよ。
 それが自己愛の一種なんだってことは気づかせず、無責任に「第三者として」眺めさせるためにも。

 美しいことが、第一条件。

 
 そーゆー意味で、わたしはひたすら、今回のルドルフに期待していた。
 「美しさ」ってのは個人感覚だから、趣味によって変動する価値観なのよね。人間ひとりずつチガウわけだから。

 わたしにとっては、ゆうひくんのビジュアルはとてつもなく好みで、そんな彼が「美しくなくてはならない」ルドルフ役をやるというので、心からよろこんだ。
 学年的にはありえないから。ルドルフっちゅーのはふつー、もっと若い、青い男の子が演じるべき役だから。

 学年がどうあれ、実年齢がどうあれ、ゆうひくんの持ち味はルドルフに合っている。
 なによりまず「美しく」、「陰」の魅力を持ち、「破滅」していく「色気」がある。

 ゆうひくんの持つ得難い魅力のひとつに、「ゆっくりと壊れていく、アンティーク硝子のお城のよーな色気」がある、と思う。
 暗い輝きを放つどこか歪んだ美しい城。はかなく鋭利で、鈍い華美さがあって、それがゆっくりと、壊れていく。闇を含んだ黄昏の色気。

 それはべつに、彼が努力で得たものじゃないでしょう。持って生まれたんだよね。それを美しく見せるための努力はしているし、技術も得たのだろうけど、根本は「天分」、持ち味ってやつ。

 きらきらした太陽オーラはないけれど、物憂い月の魅力を持つ男。

 その持ち味まんまで勝負できる役、ルドルフ。

 
 ただひたすらに。
 その美しさを堪能しました。

 
 ええ、そのために取った最前列ですからっ。
 トートとルドルフの「闇が広がる」は銀橋の下手からセンターまでしかないんすから! 下手最前列は必須ポイントですよ!!

 目の前にルドルフ殿下がいて、くらくらでしたともっ。

 意外にガタイがよくて「男」としても素敵なトート閣下が、軍服の殿下を翻弄しちゃうわけですよ。抱きしめちゃうわけですよ。

 最後のキスも、したまんまセリ下がりじゃなくて、カオ上げやがるし。トート閣下鬼畜。愛がないわっ(誉め言葉)。

「あの位置から、そこまで見えたんですか」
 と、チェリさんにいわれちゃったけど、ええ、なにがなんでも見ますわよ、そのために来たんだからあたしゃ(笑)。

 誰より先に観たかった、月組『エリザベート』。
 あさこシシィを見たかったのよ。さえトートを見たかったのよ。

 そして。
 ゆーひルドルフを見たかったの。

 
 きっとこれからどんどんよくなっていくんだと思うよ。
 ひとりずつが。
 そして組全体が。

 初日はなにしろ、握り拳なだけで、クオリティは論外だから(笑)。

 そしてルドルフも。
 これからどんどん、色気をぶっちぎっていってくれることでしょう。

「ゆうひちゃん、ちゃんとトートのこと愛してましたね」
 と、チェリさんは笑って言うし。
 ははは。
 「人を愛する演技ができない」我らがゆーひくん。誰も愛せないまま、とまどった瞳をしているところも好きよ。
 トート閣下にはいちおー愛情が見える(爆裂的に愛してはいない・笑)ので、今後に期待。

 美しく、エロく、退廃的に。
 わたしを一目惚れさせた「不機嫌な女神」に乾杯。


 思いがけず幸福感に酔った、みわっち主演『くらわんか』

 値段で選んでの観劇なので(ヲイ)、日付もキャスティングもぜんぜん選んでいないため、ついにみつると一花ちゃんを一度も見ることができなかったことに心を残しつつ。

 貧乏神の貧ちゃんのこと。

 わたしが見たビンちゃんは、朝夏まなとと祐澄しゅんのふたり。
 えー、その、はっきりいって、美形とは言えない顔立ちのふたりでした。

 まなとくんはファニーフェイス。
 ビンちゃんは似合っていたが、若旦那はかなり微妙だった。
 てゆーかまなとくんて、田畑智子に似てるよね……それって微妙だよね……(笑)。
 それでもわたしは好きな顔だけど。

 祐澄しゅんくんは、ビンちゃんの扮装も、それほど似合っているとは思えなかった。
 フェイスラインのせいかな。

 まだふたりとも若いから、これからきっときれいになるんだと思う。
 思うけど。

 今はまだ、ルックスもお勉強中って感じだ。

 だが。
 ルックスがどうあれ、ビンちゃんはかわいいのだ。

 貧乏神の貧ちゃんは、おそらくきっと、誰が演じても魅力的な役なんだ。

 誰もがまず美形度UPして見える髪型。
 長髪でぼさぼさなのが、アニメ的なかっこよさになる。

 なにしろ他は青天だからねー。
 ひとりだけアニメキャラがいたら、そりゃかっこいいよ。

 気の弱い、少年風の持ち味の役なので、「男役」の声や立ち居振る舞いができあがってなくてもできる。

 主人公と対比する立場と言動。
 立ち位置の際立ち方が、わかりやすい魅力になる。

 主人公の八五郎が、悪人系ダメ男なので、対するビンちゃんは善人系ダメ男になる。
 そう。
 ビンちゃんのキャラはずばり、愛くるしい小犬のつぶらな瞳にくらり☆系だ。
 捨て犬に「くぅ〜ん」とかなしい声で泣かれ、ついつい抱き上げてしまう、あの感じ。
 某金貸しCMのチワワのよーな。

 女の子が見て「かわいいっ」と身もだえする、あの感じだよ。

 ダーリンとしてときめきはしないけど、そばにおいてかわいがってあげたくなる、愛らしさ。
 ヅカの主人公には「ダーリンとしてのときめき」が必要だけど、それは準主役には必須条件じゃない。
 「主人公」としての縛りの外にある、「女性の好みの男」の、ひとつの姿がビンちゃんだと思うんだ。

 
 『くらわんか』はとても難しい作品だ。
 他はともかく、主役は。
 ひとり芝居でもいいくらいに、八五郎役は大変。
 ヅカの主役素敵的さをなにひとつ持たない最低男(しかも女の子が嫌いな青天姿)で、ヅカ的主人公を演じなければならないのだから。

 八五郎を演じるのははてしなく難しい。
 ふつーに「演劇」として成り立つレベルも難しいのに、なおかつ「二枚目」にしなければならないのだから、すげーハードルだ。

 が。

 準主役のビンちゃんは、「演劇」としてぎりぎり成り立つレベルの芝居さえできれば、あとは魅力を底上げしてくれるキャラなんだ。

 つーことで、感心しました、谷先生に。

 なんだよ、魅力的なキャラも描けるんじゃん。
 いつも人格破綻者しか描かないから、ふつーの人間は描けないのかと思っていたよ@皆殺し作品。

 座付き作者たるもの、こーゆー仕事をしなければならないと思う。
 まだまだ勉強中の荒削りな若手の魅力を、底上げするキャラクタ。
「ビンちゃんかわいー。演じてた子、なんていう子かしら。要チェックだわ!」
 と思わせる力。

 ビンちゃんが青天だったり、ゼウス様だったりしないだけでも、センスがいいわ!!

 「彼のために登場人物全員殉死する」ほどの超絶魅力的な悲劇のヒーロー、にさえこだわらなければ、まともなものも描ける作家なんだな、谷正純。
 そしてやっぱり、男が男に惚れるとゆー、恥ずかしい持ち味は健在なんだな、谷正純。

 どうかこの調子で、ビンちゃんのよーな魅力的な準主役の男を描いてくれ。

 2番手の役は、重要なんだから。
 主役の相手役として!!(断言)

 腐女子観点でなくても、2番手役が魅力的なら、作品のクオリティが派手に上昇するからさ。
 親友でも恋敵でも悪役でも。
 主役の相手役として!!(断言)

 そこに腐女子が萌えられる要素が加われば、最強だ。
 少年ジャンプが最強なよーにな。

 んじゃよろしく!!(誰に?)


 うろたえるほど、大泣きしました。

 花組バウホール公演『くらわんか』、愛音羽麗主演。

 らんとむバージョンを観に行き、あまりにおもしろかったので、是が非でもみわっちバージョンも観たくなった。

 なまけもので嘘つきでろくでなしの「あんけらそ(阿呆の最上級、という意味らしい)」八五郎と、彼を取り巻く人々の物語。
 みんなとびきりバカで、ろくでもない連中ばかり。やることなすこと非生産的。ありえねーくらい、のーみそにシワのない人々が、怒鳴り合いながらも笑って生きている物語。

 なにしろらんとむバージョン観て、八五郎の鬼畜ぶりに心が奮えたから!!
 盗賊一味の親分ですかい?
 下町のアイドルですかい?
 登場人物全員「八五郎LOVE」、常識も法律も関係ない、八五郎さえいればそれでヨシ! な世界観。
 ここまで愛され切っていて、その愛をいいことに傍若無人な最悪男、他にいたか?
 ……谷正純作品の主人公って大抵そうなんだけど。主人公は登場人物すべてから愛されて、彼のためにみんなばったばった死んでいく話をえんえん書き続けていたよねえ。全世界から愛されている、そのくせ「孤独な」ヒーローを書くのが谷のライフワーク。
 主人公マンセーがお約束の谷正純。
 にしても、コレは愉快だ、八五郎。素敵に専制君主、世界の中心。こんなに鬼畜なのに、さわやかに二枚目ぶってるところが、じつにいい。

 らんとむは総攻の王様キャラになっていたけど、みわっちならその持ち味からして、同じキャラを演じても総受の女王様キャラになってるんじゃないかしらっ。
 わくわくっ。

 ……期待したほど、受受してはいませんでしたよ。八五郎ってのが攻度高いキャラだからさ。ちっ。 ちっ、てアンタ……。

 でもらんとむ八五郎のよーな総攻鬼畜には見えませんでした。
 あんなふーな「強い」男の持ち味はないから。

 みわっち八五郎に感じたのは、「愛らしさ」だ。

 
 みわっちだから、というわけではないのかもしれない。
 なにしろわたしは、この作品を見るのが2回目だ。キャスティングはちがうけど、顔の区別もつかないよーな下級生ばかりの芝居、同じ演目だということの方が強い。
 わたしはもともと「笑い」の才能が欠如しており、笑いのツボが大変狭い。逆ツボも多く持ち合わせている。
 わざとらしいバカや低脳さ、ひとを傷つけたり騙したりして笑いを取るのは逆ツボ。ひとがひどいめに遭う姿を笑うことはできない。
 だから最初に観たときはあちこち引いてもいた。八五郎とその子分たちの低脳ぶりと、悪辣さに。
 常識で考えてありえないバカさは、「笑いを取ることだけが目的」で、底が見えて嫌だし、真面目に生きている商人たちから食べ物を騙し取るなど、「人を傷つけて笑いを取る」ことに生理的に許せないものを感じていた。
 なにしろ、どんな話で、どんなふーに展開するのか知らないからね。
 うわ、ひどいことするなあ。そしてそのひどいことを、笑うんだ……「善いこと」なんだ……ひでえ……。
 と、あちこちで素に戻り、「仕方ないか、八五郎は鬼畜なんだし」と、笑うことで納得していた。総攻の鬼畜男は、気に入った美少年を力尽くでモノにしたり金でしばったりといろいろひどいことしても、お約束だもんな。現実にそんな奴いたら許せないけど、BLはファンタジーだからアリよね。……そんなハートさ。

 だけど、今回は観るのが2回目。
 そーゆー話だとわかったうえで観ている。

 だから気にならなかった。
 最初に観たときに「ひどい。真面目に働いているふつうの人を騙して、笑うなんて! 人として許せない!」てな逆鱗に触れた部分も、「そーゆー世界観」だとファンタジー・フィルター発動、許容OK。

 すると。
 うろたえるほど、大泣きしました。

 みわっちだからかどうかは、わからない。
 らんとむでも、2回目に観たら同じようにハマっていたかもしれない。
 わたしに必要だったのは、「そーゆー世界観」だという認識だったわけだから。

 泣いた。

 『くらわんか』の世界すべて、登場人物すべて、彼らの性格、生き方、人生哲学すべてが、愛しくて愛しくて。

 2幕後半はノンストップでだだ泣きしてましたよ。

 八五郎が、好きだ。

 この男が愛されているのがわかる。
 どんなに怠け者でバカな「あんけらそ」であったとしても、この男がたくさんの人から愛され、世界の中心にいるのかがわかる。

 救いだからだ。

 このややこしい人間社会で。
 過酷で汚くてつらい「生きる」という現実で。

 いろんなものに足を取られて泥の中で倒れてもがくことすらあきらめたくなる、そんな毎日のなかで。

 八五郎は、救いだ。
 一条の光だ。

 彼は、「怒らない」の。
 どれほどとんでもないことになっても、なにが起こっても。罵られても、叱られても。
 この世のすべてに、笑って応える。
 愛しくてしょうがない、そんなふうに。

 いいこともわるいことも。
 この世の森羅万象すべてを、愛している。

 その度量の広さで受け止め、濾過してくれる。

 彼がよくあるタイプの善人なら、こんなに心を揺さぶらなかった。
 彼は彼が気持ちいいように勝手に生きているだけなの。ナチュラルなのよ。
 ひとを救おうとか世界を救おうとかぜんぜん考えず、自分の目線で生きている。そりゃ作中で人助けもするけどソレ、あくまでも自分のためだし。気の向くままやっているだけだし。
 わがままで自分勝手な小悪党なのに。

 彼は、ひとを救うんだ。

 善人でないからこその、説得力で。

 彼が小悪党でよかったよ。
 善人だったらとてもそばには寄れない。自分の卑小さや猥雑さが恥ずかしくて。
 こんちくしょうな「あんけらそ」だから、気軽に笑って隣にいて、怒鳴りつけたりできるんだ。
 彼のいるところは、とても居心地がいいんだ。
 なにもかも赦し、愛してしまう彼は、わたしの卑小さも猥雑さも、きっと笑って認めてくれるだろう。
 足元を見て丸まった背中を、明るくどやしつけてくれるだろう。

 なくしてしまった愛しいモノに、思いがけず再会できた。
 そんな感じだ。

 八五郎が愛しくてならない。
 この男が好きだ。

 そして、彼が彼として存在する、この「世界」が好きだ。

 攻とか受とか、腐女子ハートぶっ飛ばして(笑)、惹きつけられた。
 わーん、たのしかった。
 心がふるえて、動いて、だからこそあったかくなって、しあわせでしあわせで、泣きすぎて頭が痛くなったよ(笑)。

 いい男だ、八五郎。
 愛らしくて、かっこよくて……。

 はっ。
 これはやはり、魅惑のみわっちにオトされちゃったのかしら、わたしっ?!


 舞台の上も、客席も、ものすげー緊張感に満ちていた、月組公演『エリザベート』
 タカラヅカはいいとこだなあ、と思うよ。
 ファンで埋まった劇場は、「娘の発表会を見守る父兄ハート」なんだもの。
 さえちゃん、歌えるのかしら。あさこ、女になれるのかしら。……がんばるさえちゃん。がんばるあさちゃん、に、ファンは涙と拍手を惜しみません。

 そーゆー世界であるところのタカラヅカが、大好きだー。

 この殺伐とした現代に、「結果より、努力。結果より、心」の空間があってもいいじゃないか。
 ……もちろん、そればっかでもこまるんだけどな(どっちやねん)。

 
 さて、とにかく初日はその熱気ゆえに冷静な判断はできない、ことを先に断った上で、だらだら感想いってみよー。

 
 とりあえずトートがシシィを愛していることがよくわかり、彼女の言動にいちいち傷つくトート閣下は、大変美味でした。うまうま。
 そーよねー、繊細さこそがさえちゃんの武器よね。センシティヴ・トート閣下か、いいじゃんソレも。

 反対に、あさこシシィは、その野性味あふれるところが魅力かと。
 ひとりで十分強くたくましく生きていけそうな、なよなよしてないしぶりっこもしていない、等身大の女性としてアリだと思う。
 そりゃこんな女だったら、宮廷で人形になれ、なんて言われも反発するだろーよ……。

 フランツ@ガイチは……ええっと。
 フランツってのは難しい役なんだなと痛感した。
 個人的に、いちばんダメダメだったのが皇帝陛下。
 絵に描いた餅っちゅーか、まさに「宮廷の人形」状態。
 妻のことも愛してないし、息子のことも愛していないよーに見えた……。歌はすばらしかったんだけどなー。
 フランツを演じるうえで必要なのは、歌唱力よりも気品よりも美貌よりも、愛がだだ漏れに見えまくる演技なんじゃないかと。
 愛が見えないままで演じられると、きつい役だったんだ……忘れてたよー(某組の某フランツが、愛が見えなくてつらかった記憶を思い出してしまったらしいよ、こあらさんてば)。

 ルキーニ@きりやんは、とても堅実に狂言回し。うまいんだけど、あまり視界に入ってこない。

 ゾフィー@ちずさんは納得の歌声。されど役としてどうなんだろ? ちずさんらしさはまだ感じられず。「ゾフィー」っていう型のまんまみたいだ。
 うまい人なだけに、見事に型をコピーしちゃうのかしら。

 ひそかに期待していたツェップス@越リュウの、あの枯れっぷりはなんなんですか。
 花組のちはる兄貴があまり艶っぽかったので、それを期待していたのよ。
 越リュウ、登場当初からじじいやん……。
 フェロモンおやぢで登場してくれなきゃいやーん。眼鏡がエロさ跳ね上げてます、な知的紳士でなきゃいやーん。
 エルマーあたり食ってるよね? と思わせるエロさを備えててくれなきゃいやーん(笑)。

 そのエルマー@さららんですが。
 なんか最近わたし、さららん見ると笑いがこみ上げてくるせいもあり、やたらツボりました。
 なんなの、ひとりだけその濃さは。
 現代劇の中でひとりだけ時代劇やっているよーな、周囲を顧みない濃い〜〜演技。
 しかも、オレって超絶イケてるっ、苦悩するオレ様ってセクスィ〜〜っ!! と陶酔しちゃってる感じがまた、すばらしい!
 いいぞさららん、そーゆー芸風はじつに好みだ!
 ヅカの男役はクサくてなんぼよー、がんばれー。ま、あまり自爆しない程度にな(笑)。

 でもってエルマーを含むハンガリー青年団なんですけど。

 エルマー@さららん、ジュラ@めおちゃんでしょ、あれえ? シュテファン役って、誰だ? わたしの知らない男役だわ。

 1列目ですよ。下手だから、ハンガリー青年団はいつも目の前ですよ。
 なのにマジで、わかんなかった。

 シュテファン役、誰か知らないけど、かっこいー(はぁと)。

 若手男役かなあ。顔のわからない男役、あのへんの番手で誰がいたっけか。
 あのへんの番手といえば、そーいやほっくん、なんの役してるのかな。たしかさっき舞踏会のシーンにいたけど。まさか出番あれだけじゃないだろうし、なにやってんだろ? 舞踏会の客だったってことは、黒天使じゃないわけだし。

 え?

 ………………え?

 ほっくん??

 シュテファン@ほっくんなんですかっ?!!

 素でかっこいいと思ってしまった……ぐはぁ。
 で、でも、かっこいいよね?
 チェリさんkineさんに同意を求めたけど、言葉を濁されてしまったよ。
「髪型が、いつもとちがいましたね」って。
 髪型か? 髪型のせいで、あんなにかっこよく見えたの??

 なんにせよ、たのむほっくん、美しくなってくれ。
 君に必要なのは美貌と華だけだ。世界の平和のために、美しくなってくれ。

 ヴィンディッシュ嬢@たまこも、期待を裏切らないせつない姿。ごついエリザベートに対峙する姿のはかなさがいいねえ。

 リヒテンシュタイン@るいるいの、美しいこと。
 彼女は若いきゃぴきゃぴ娘より、こーゆー大人の女の方がいい味出すよね。アニメ声も抑えられるし。

 
 さて。

 文字数もあんましないので、そろそろエロキャラ語りいっときましょー。

 まず、マデレーネ@あいちゃん!!

 バスタブから立ち上がる瞬間、あたしゃ鼻血吹くかと思いましたよ。
 エロいのなんのって!
 あの水色のチュチュの下、水色のパンツと、水色の網タイツ履いてやがるんですよ、あのお嬢さんってばっ。
 なんつーかね、下半身そのまま見せられているよーで、焦った。
 パンツがタイツと同系色なのがイカンのかしらね。ぶっちゃけノーパンに見えて、びびった。
 顔が無表情きわまりなく、なんの情感もないだけに、カラダのエロさがちぐはぐでね……そこがまた。たまらん。ハァハァ。

 今までいちばん美しいあいちゃんが、そこに。

 黒天使のときも、そのアンドロイドめいた美貌が冴え渡ってるのよ。まさに美少年って感じ。
 トート閣下と思い切り絡んでくれねーかな……めちゃくちゃ耽美だと思うんですけど。

 
 そして最後に、わたし的この公演最大の目玉、ルドルフ@ゆーひ!!

 ゆひルドのためにこまで燃えたといっても過言ではないぞ、さえゆひをこの目で見るんだっ、という飽くなき情熱! この欲望っ。
 わたしにさえことゆーひの「闇が広がる」を見せろ〜〜っ、がるがる。
 なにがなんでも最前列チケ取るぞ、「闇が広がる」をかぶりつきで見るぞっ、鼻息ッ!

 てな期待をこめた、耽美配役。
 ルドルフ@ゆーひ。

 ……しかしもう文字数がないや。またいずれっ。


 きゃー・きゃー・きゃー。

 緑野、回っております。
 くるくる回っております。

 月組公演『エリザベート』初日。

 幕間からすでにわたしゃ、きゃーきゃー騒いでました。
 終演後も黄色い声を張り上げてました。
 仲間内で。
 チェリさんとkineさん相手に。
 きゃー・きゃー・きゃー。

 さえちゃん、素敵っっ!!

 
 たぶんわたしは、1年分のチケット運を使い果たしたと思います。
 何故かこの日、わたしは最前列にいました。
 いつもの下手タケノコ。

 ええ、「闇が広がる」をかじりつきで見られる席@花組『エリザ』で実証済みですわ!

 ほほほ、タケノコとはいえいちばん中寄り、隣の席はすでに1万円のSS席、しかも「1列目」とは名ばかりの2列目、なのにわたしの席は7500円で最前列なのよー、こっちの方がずーっといいもんねー(宙組でSS1列目に坐ってろくに見えなかったことを、まだ根に持っているらしいよ)。

 千秋楽よりなにより、いちばん観たかった、月『エリザ』初日!!
 それを自力で手に入れられる最高峰の席で観られるなんて。
 きゃっほう。

 あ、のちになってさえちゃんの退団発表があったので、千秋楽も絶対行きたい日になりましたけど、最初の段階では、初日が最重要だった、わたし的に。

 絵の中から出てくる少女シシィ@あさこを、誰よりも先に見るというのが、なによりの希望だったのよ(笑)。

 最前列で、どきどきの初日。
 出し物は歌劇団あげてのキワモノ『エリザベート』。
 たのしみでたのしみでしょーがなかったってば。

 
 すばらしかったです。

 
 わたしはときめきっぱなしでした。
 どーしよーってくらい、どきどきした。

 だってだって、トート@さえちゃんが、あまりに美しいんだもの!!

 さえちゃんだから、美しいことは予想していた。つか、期待していた。
 でも期待以上。
 ほんとにきれい……。

 腰まである長い髪、無垢な表情。闇に歪んでいよーと、無垢なのよ。不器用な男の子。

 さらにポイントは、トート様がけっこーでかくてごついことかしらねっ。鼻息。

 銀橋歩かれちゃうと、目と鼻の先なわけですよ。
 そのカラダが、「血肉を持った存在」として、鼻先を歩いていくわけですよ。

 この世のモノとは思えないキレイキレイなだけの中性フェアリーさんだと、ここまでときめかなかった。
 ちゃんと「男の肉体」を持ちながら、あれほどまでに美しく、無垢であること。
 それにときめいたの。
 めろめろ〜〜。

 やっぱさ、こちとら女だからさ、「あのたくましい胸に抱きしめられたい」とかゆーキモチはあるわけよ。恋愛モード、ヲトメモードにはね。
 あまりに華奢でオンナオンナした男には、そーゆーキモチになれないじゃない。

 トートという役は中性でもいい役だとは思うけど、ちゃんと「男のカラダ」があってももちろんいいと思うのよ。
 どこかに「男」を感じさせるからこそ、よりその存在と、彼の恋の禁忌が際立つというか。

 さえちゃんの中性的な魅力と美しさ、それと相反するよーな男っぽいガタイ、が、たまりません。
 ハァハァ。

 ビジュアルがあまりに好みなので、あとは全部吹っ飛びました(笑)。

 歌も台詞も、いつ消えてしまうかとハラハラするよーな、あのかすれ声がいいんですよ(笑)。

 もちろん、歌がうまいなんてカケラも思わないし、時折苦笑しつつ観てたけどさ。
 さえちゃん的にすっげーうまくなってたから、それ以上は言うまい。
 努力と覚悟が見えるから、それでいいの〜〜。

 
 さて。
 もうひとりの主役、エリザベート@あさこさんですが。

 えー、最初の「絵の中から出てくるシーン」。
 わたしゃめーっちゃ素で、
 あれ? 15歳のシシィ役って、子役だっけ?
 と思った。

 あさこ本人だとは、思わなかった。

 えええっ?!
 かっ、かわいいんですけどっ?!
 うろたえ。

 ネタ公演だと思ってたのに。
 劇団の捨て身のギャグだと思ってたのに。

 マジだったんだ……。
 少なくとも、あさこは。
 ネタでもギャグでもなく、あさちゃんは本気で挑んでました。娘役の集大成ともいえる、エリザベート役に。

 スカーレットやって、オカマのゴジラでしかなかった、あのあさこが。

 ここまで、エリザベートを演じてのけるなんて。

 
 ちゃんと女になってました。
 少女時代はかわいいし、フランツに恋したのも、フランツ本人にではなく「夢の王子様が喋ってる〜〜ぽわわん」って感じでひとの話聞いてね〜〜! なところも、チャーミングだった。
 ちゃんと女に見える。……それだけでおどろきなんだから、すごいキャスティングだよ、ほんと。

 そりゃまあ、正直「美しい」かどうかは、わたしにはよくわからなかったけど。
 だって「美しい」「美貌の皇后」というには、ごつすぎて……ゲフンゲフン。
 肩幅旦那より広いし、ウエストはまちがいなく息子(成人後)よりたくましいし。

 「美しい」かどうかはわからなくても、「きれい」で、「かわいい」のはたしかよ。

 だってエリザベートは、いつも抜き身の剣のように、追いつめられた真剣さが輝いているんだもの。
 
 
 わたしが初日を好きなのは、こーゆーことがあるからだ。
 格別の空気。
 張りつめた緊張感。
 舞台の上と客席が一体となる時間。

 観客は、あさこの一挙手一投足を固唾をのんで見守っていたよ。
 あさこもまた、痛々しいまでの悲壮感を漂わせて、それでも活き活きと舞台の上にいたよ。

 
 できるわけない。
 ありえない。

 とてつもないハードルを目の前に積まれて、それでも壁に爪立てて歯を食いしばって、乗り越える。

 すげえ。
 人間って、こんなことができてしまうもんなの?

 だって、あれだけのハードルだよ? ふつー無理だって、絶対!!

 不可能を、自分の力で可能にする、その精神力。

 肉体の鍛錬も、精神力あってこそ。
 作品の重み、役割の重み、あらゆるプレッシャー、それらを全部受け止め、背負い、ここにいる。
 逃げ出さずに、戦っている。

 その姿に。

 感動した。

 技術じゃない。主役ふたりは歌も決してうまくないし(「私だけに」のクライマックス、あさこシシィに変なトコで息継ぎされて椅子から落ちそーになった・笑)、舞台として『エリザベート』という作品としてどうなのかは、初日のあの空気ではまったくわからない。
 ただ、そんなもん棚上げしていい空間だった。

 高校球児に拍手を送る観客のよーなもんさ。
 よくやった! たった1回限りの試合。負けたらソコで終わりのトーナメント、あとのない崖っぷち、よくぞ戦い抜いた!!

 見守る者と戦う者の、あの空気、あの空間。
 それゆえにトートにときめき、シシィにエールを送ったよ。


 あ、そーだ。
 恒例のパンツ・チェックしてきました。

 いや、わたし的に、前方席に坐ったときは娘役のパンチラを堪能するというテーマがありまして。

 中日、『王家に捧ぐ歌』

 わたしの自慢は、

「トウコちゃんのパンツ見たっ!」

 ですよ。

 なんで自慢かとゆーと、

「ええっ?! トウコちゃんはきれーにスカートさばいてて、ぜんぜん見せてくれなかったよ? なのに見えたの?!」

 と、トウコファンのBe-Puちゃんがくやしがったからですよ。
 ふふふ、わたしは見たもんねー。
 フィナーレの脚線美トウコ姫のぱんつ。

 反対に、まったくもって値打ちがないのが、ウメちゃんのパンツ。

「ウメちゃん、パンツ見せすぎ」
「ありがたみないよね、アレは」
「あんなに威勢よくばっさばっさスカート振られてもなー……パンツはこう、ちらっちらっと見えるか見えないかだからいいのであって、まんま見せられてもなー」

 娘たちのパンツの話題に花が咲く帰り道@飲酒中。


 中日『王家に捧ぐ歌』の感想つづき。
 

 ケロファンのわたしが言うのもなんですが。
 ウバルドがうるさくないと、ここまで「3人の物語」なんだ、この話!!(笑)

 ウバルド@まとぶんは、ふつーに熱演してました。なにが足りないわけでもなく、手堅く。
 不思議だったのは、ウバルドを含むエチオピア野郎トリオの、キャラがぜんぜん立っていなかったこと。
 ムラ初日を観たときすでに、エチ野郎トリオはすっげーキャラ立ってて、立ち見のいちばん後ろから見たにもかかわらず、萌えたんだけど。
 中日のトリオも、まとぶ、ゆかり、しゅん、と、「うわっ、適材適所、見てみてえ」と思わせるナイスなキャスティングなのに。
 ここまでキャラが立ってないってのは、どういうこと?
 オペラなしで見た16列目昼公演も、舞台が目の前だ3列目で見た夜公演も、等しくキャラクタが混沌としていた。
 いつも3人で出てきて、3人ではける。これでキャラが立たないと、「3人でひとり」勘定になってしまう……。
 印象としては、カマンテが3人いる。

 てゆーか、ウバルドがいない。

 いや、きっとこれがふつうなんだ。
 本来のウバルドは、これくらいの濃さなんだ。ケロがやりすぎていただけで。

 ウバルドは出過ぎず、うるさくなく、物語はラダメスとアイーダ、アムネリスの3人を中心に進む。きっとこれが、本来の姿なんだろう。

 エチ野郎共が薄くなった分、不思議と濃いのがエジプト青年コンビ。
 ケペル@嶺恵斗、メレルカ@みらんのキャラは、アレはいったいなんなんだ(笑)。

「で、おかっちのケペルはどうだったんですか」
 とチェリさんに聞かれ、わたしはどう答えたもんか、と首をひねった。

「おおむね、本公演と同じです。ケペルはまっすぐで激しくて……でも。なんかところどころ、みょーに邪悪なんですけど」

 そう説明した途端、チェリさんは腹を抱えて爆笑した。
「さすがおかっち!!」
 と。

 エジプトコンビもまた、本公演のキャラを踏襲しようとしているのだとは思う。役替わりキャラを見回しても、別キャラを仕立てている人がいないので、演出家の方針なのかもしれない。
 てゆーかケペルとメレルカって、役者個人の色をそのまま映す役だよねえ?

 ケペルがまっすぐすぎる善良な男だったのは、アレはまんましいちゃんのキャラ。

 中日の恵斗くんも、心の動き等しいちゃんと同じよーに作っていると思う。
 だから、生き方を変えたラダメスにショックを受けるのも、裏切りに激昂するのも、本公演と同じ。

 されど。
 嶺恵斗の場合、彼の持ち味である「邪悪さ」があちこちで透けて見えているから!!(笑)
 なんか、同じなのに同じに見えないのよーっ(笑)。
 なまじ同じよーに作っているだけに、どんどんかけ離れてきている感じが、笑えるというか愛しいというか。

 みらんくんも「黒さ」をふつーに持ち合わせているので、若さと熱さのなかにちらちらと「黒さ」をにじませるのが素敵。
 「黒い」ということは、「ニヒル」だったり「翳り」だったりして、男前度をアップさせる要因だからね。
 
 本公演時のエジプトコンビは、陰と陽でいえば「陽」の役者が演じていたのに、中日ではそろって「陰」。
 同じ役作りでもちがって見える、この微妙さ加減がツボです。

 
 さて。

「アイーダ@トウコがすっごくかわいく見える……大劇の最初の方はオカマだったのに」

 と、本音でつぶやいたら、

「なんだと?」

 と血相を変えたトウコファンのBe-Puちゃんに、往復ビンタ×3されました。
 あうっあうっあうっ。

 えー、殴るふりをされたら、殴られるふりをする。
 往復ビンタ×3の場合は、首を左右に振り続ける。
 これは全国共通ですよね?
 Be-Puちゃんにはよく殴られるんですけど。「このっこのっこのっ」と往復ビンタのふりをする彼女のもとで、「きゃーきゃーきゃー」と殴られるふりをするのが日常と化しています。
 ちなみに、ふたりの身長差はすごいです。ちっこいのがでっかいのをがんばって殴ってます。

 思わずどつき漫才をしてしまうくらいに、トウコちゃんがかわいいのだ。

 お化粧もレベルが上がり、仕草や話し方も完全に女の子。
 一度会得したモノは、ブランクがあろうと錆び付かないんすね。王家東宝楽のクオリティをそのまま中日にスライドしてますよ、この人。

 たしかこの人、この間までエロオヤヂ役やってませんでしたか?

 人妻押し倒して「へっへっへっ」とか笑っていた男が、可憐な美少女になってやがるよ……すげえや。

 
 アムネリス@檀ちゃん、ラダメス@ワタルもまた納得のクオリティで。

 素直に『王家に捧ぐ歌』をたのしむことができた。

 わたしはこのひとたちの物語が好き。
 ラダメス、アイーダ、アムネリス、それぞれの人生が好き。

 もう一度会えたこと、それがうれしくてうれしくて、最初の涙を通り越したあとは、笑えて仕方なかった。
 うれしい笑いなの。
 幸福の笑いなの。

 あかしが目について目について、反射的に笑ってしまう、なんてことじゃないのよ。ほんとよ。

 うれしくて、たのしくて、Be-Puちゃんもモリナ姉さんもわたしも、みんなにこにこしてる。

 観に行ってよかった。


 まず、彼がいない。

 そのことが違和感だった。

 星組中日公演『王家に捧ぐ歌』

 
 オープニングがはじまり、耳慣れた台詞、耳慣れた音楽が流れるだけで、涙がだーだー出た。
 理屈じゃない。
 わたしが生きている証拠だと思う。

 役替わりがどうとか、変更がどうとかじゃなくて、ただたんに、「過ぎ去った時の流れ」に巻き込まれて、溺れただけだ。

 あの日あのとき、わたしはしあわせだった。

 たしかなのは、それだけだ。

 わたしは、生きるせつなさや痛さを愛している。それがなきゃ、「こころ」のある「人間」なんて不経済な生物をやっている価値がないと思っている。
 わたしは過去がなつかしい。
 過去が愛しい。
 うしなわれた、にどとかえらないものを、あいして、なつかしんで、こころのいたみをだきしめているのがすきだ。

 だから、涙。
 生きる醍醐味。
 大切なもの、しあわせな時間があったからこそ感じる、今のかなしさ。
 それを幸福だと思う。

 だから、人知れずだーだー泣きました。
 そうさ、あたしゃ泣きに来たんだ。いっぱい泣いて、摩擦されて、魂をまるくしていくんだから。

 
 『王家に捧ぐ歌』は、大好きな作品でした。
 わたしの愛した人が、出演している作品でした。
 当たり役だと思った。ずーっと好きでいた人に、今さらこんなにめろめろに恋し直すなんて、とうろたえるほどのオチっぷりでした。
 その人は、もういません。
 1年半前、この作品を大劇場で、東宝で観ていたときは、こんな未来がやってくるなんて夢にも思わず、幸福の絶頂にいました。

 わたしは16列目に坐っていたので、当然のようにオペラグラスを使っていたのだけど、冒頭のラダメスとアイーダが船に乗って出てくるところを見た瞬間に、敗北宣言。
 オペラグラス使用はやめました。

 痛いから。
 この「作品」にもう一度出会えた。
 そのことが、そのことだけがすでにものすごく痛いから、せっかくだからその痛みに集中しようと思った。
 だってさあ、もったいないじゃん? ふつーに生きていてたら、誰のことも好きじゃなかったら、味わえない痛みなんだよ?
 貪欲なわたしは、自分の心の動きを味わい尽くしたくて、「作品全体」を見ることに決めた。誰がどこに出ているとか、どんなことをしているとか、気にするのはまた次にしよう。

 こんにちは、『王家』。また会えたね。
 うれしいよ。大好きだよ。

 
 ……そう。
 大好きなんだわ。

 彼がいたから、彼があまりに素敵だったから、拍車がかかっていたけど、たとえ彼が出演していなくても、好きな作品だったんだ。

 最初はたしかに「彼がいない」ことにだーだー泣いていたのに、途中から、作品自体にだーだー泣いていた。

 好きなんだってば。
 作品が、キャラが好きなの。
 たのしいんだもん。わくわくするんだもん。どきどきするんだもん。

 彼はいない。
 だけど、わたしは生きていく。
 彼がいた、彼の愛した世界を、これからも愛していく。

 単純ですから、わたし!
 いつでもHAPPY LIFE。
 たのしかったよ、中日版『王家に捧ぐ歌』。

 
 宝塚大劇場ってほんと、どでかい劇場なんだよね。よそへ行くと、それがよくわかる。
 中日劇場も十分大きな劇場だと思うけど、それでも「小さい」もの。
 うわー、舞台せまっ。
 こんなにせまいところで、『王家』がやれるんかいな。
 って感じ、するもんなあ。

 ハコに関してのいちばん大きな違いは、銀橋がないことと、幅が狭いこと。

 それでも、あの壁画と階段のあるセットは作られていたし、銀橋芝居もうまく本舞台や上下の短い花道を使ってまとめていた。

 わたしがはじめて観た地方公演は、福岡の『ベルサイユのばら』で、そのとき「銀橋がないと、こーゆーことになるんだ」とがっかりした記憶がある。
 本舞台の端から1メートルくらいを「銀橋」に見立てて、そこは一切使わない。
 芝居は全部、舞台の奥の方でやり、銀橋を使うときは舞台の端を歩く。
 舞台はあと1メートルも客席に近いところまであるのに、わざと使わない。だってそこは、「銀橋」設定だから。ふだんの芝居、つまり上演時間のほとんどは、舞台全部を使わない。
 遠い遠い舞台。
 前方席チケットなんか取れるはずもなかった、なんのツテもスキルもない若かったわたしとツレは、いちばん後ろの席からその遠い舞台を必死に眺めていた。

 どうしてもその記憶があるもんだから。
 銀橋芝居の多かった『王家』をどうするのか、興味深かった。

 『王家』は、あの『ベルばら』みたいに、なんとかのひとつおぼえ的舞台の使い方は、してなかった。
 銀橋のシーンは、舞台前方のタイトロープを銀橋に見立てる定番のやり方だけでなく、舞台中央を縦に使ったりして工夫されていた。
 中日版を最初に観た人は、どこが本来の銀橋シーンなのか、全部はわからないかも?

 作品構成でいちばん大きな変化は、凱旋シーンの変更。
 不評の限りを尽くしたあの凱旋シーンが、別物になってますよ!!
 暗転のなか、「凱旋だーっ」の声が響き、あの音楽が流れ出したときは、「げっ、このシーンカットになってねえのかよ」とげんなりしたんだけど。
 暗闇の中、ライトに照らされ浮かび上がるひとりの男。
 ええっ、メレルカ@みらんくんっ?!
 メレルカのダンスソロからはじまりやがりますよ、凱旋シーン!
 しかも生髪ですよ。あのみょーーなかぶりものナシっすよ。
 うわわわ、かっこいー!
 兵士たちの総踊りに、ラダメス@ワタル登場。たしか脚をケガしてたはずだが(なんで脚に変更されたんだろう……そんなとこだと、一歩まちがうとお尻を刺されたように見えちゃうんだけど……)、そんな設定どこにもなく、元気に踊ってくれる。
 振り付けは微妙な感じがしないでもないが、元の凱旋シーンに比べれば百倍マシだ。やったー!

 ファラオのブランコがなかったとか、地下牢の入口が小人サイズでワタさんがアタマぶつけたよーに見えたとか(笑)、フィナーレの5人歌&ダンスがまとぶんソロになっていて、あまりに長くて場が持たなかったとか(5人で歌い継ぐシーンをひとりで、じゃあそりゃ自爆するわなあ。『エリザベート』でトートたちが昇天した後出てきたフランツが主題歌を2番までひとりで歌うくらい無謀だ←もちろん1番だけです)、かぶりものワタさんと脚線美トウコがちゃんが絡むとか(ケロとハイタッチしてきゃぴきゃぴしていたシーンな……そうか、第二の男がいないと、まっとーに旦那と絡むんだ。←いや、チガウから!)、他にも小さな変更はいろいろありました。

 内容的にいちばん印象がちがったのは、「主役3人だけの物語」に見えたこと。ムラより東宝より、ラダメスとアイーダ、アムネリスのラヴストーリーとして際立って見えた。小劇場らしく、キャラをしぼってきたな、って感じ。
 なんでかなー、と思って。
 愕然。

 ウバルドが、恋敵じゃないからだ。

 続く〜〜。


 この日記を書いているのは、実は2月4日です。
 2月4日は月組『エリザベート』の初日で、チェリさんとkineさんと一緒だったんだけど。

「中日行ったのに、なんで『あぐり』なんですか!!」

 と、チェリさんに叱られてしまったのですよ。
 中日『王家』を観に行くと宣言した日の夜の日記が、『あぐり』の話なのはどういうことなのよ、と。

「そりゃ、日付が追いついてないせいですよ」

 と、kineさんは冷静な分析。
 そーです、日付が追いついてないのよ。
 わたしの日記はまだ1月なんだもん。

 でもまー、待ってくれている人がいるなら、先に感想書いておくかー、という気になりましたんで、日付とばして先に観劇感想書きます。

 つーことでこの日、星組中日公演初日の日から、日記スタート。

 えっ、初日ですか? 行ってませんよ。(にっこり)

 観劇に至るまでの話を、まずこっちの日付欄に書いておこうかなと(笑)。「日記」らしく。
 
 観ようかどうしようか迷っていたし、たんにモチベーションが下がっていたせいでチケ取りしそこなっていたし、名古屋は東京より遠いし、といろいろ後ろ向きだったんだけど。
 チャリティーコンサートで檀ちゃんとワタルくんの『王家』の歌を聴いて、やっぱりもう一度観たいという気持ちになった。

 名古屋は東京より遠いですよ、わたし的に。
 なじみのない土地だから。
 ひとりでは行きたくないところだ。

 檀ちゃんの退団発表ゆえに、星担仲間たちが初日に行くと息巻いていたので、それに便乗しちゃえ、と。
 チケット持ってないけど、行けばなんとかなるだろー。

 わたしは初日が好き。
 予備知識ナシで観るのが好きだから。
 どーせ行くなら、初日に行こう。楽とちがってチケットは入手しやすいわけだし。

 と、思っていたのだけど。

 kineさんもサトリちゃんも、結局初日行かないって言うし。
 ええっ、名古屋なんて遠いところ、わたしひとりで行きたくないよー、さみしいじゃん!!

 つーことで結局、行きませんでした、初日。
 友だちと一緒でなきゃヤダ! なんてバカくさいですねー。本気で行きたきゃどこでもひとりでとっとと行っているわたしですが、まあ、モチベーションがね……ごにょごにょ。

 つーことで、もうひとりの星担……というか、現在ワタルくん以外のジェンヌにも宝塚歌劇というジャンルにもいっさい興味のない潔いモリナ姉さんに連絡。
「席、悪くてもいいなら1枚ありますけど、行きますか?」
 なんでもいいっすよ、一緒に観られるなら。
 それが初日の翌日、2月3日でした。

 チケットの席番なんかろくに聞かずに「一緒に行く!」と言ったわたしですが。

 譲ってもらったチケットは、3列目サブセン、センター側でした……。

 モリナねーさんは「センター信者」なんで、センターブロック以外はカス席なんだよね。
 3列目サブセンと最後列センターなら、後者を「良席」と判断する。
「どうせ双眼鏡使いますから、後ろの方がいいです」
 とのこと。
 舞台全体も、他の役者も見ない。ただひとりだけをオペラグラスで追い続けるために、センター席が必要なのだ。
 わたしは脇役のジェンヌさんの表情ひとつひとつも見たいから、端でもなんでも前方席は大好きさ。後ろだと主要人物しか細かく見られないもん。

 間際まで知らなかったけど、Be-Puちゃんも一緒らしい。
 わーい、友だちと3人で日帰り小旅行だー。うれしー。

 一緒に近鉄特急アーバンライナーのチケット買いに行って、駅で待ち合わせして、さあ出発!!

 ひさしぶりだぞ名古屋!
 ひさしぶりだぞ中日劇場!
 水くんのムジャヒドを見に行った以来か。←水ファン発言。

 1公演分しかチケットを持ってなかったのでサバキでもう1公演GETして、さあ観劇だ!

 あ、サバキ情報書いておきます。
 はっきり言って、サバキあります(笑)。席もそこそこ。現にモリナ姉さんは9列目サブセンをさばいた。本人は最後列のセンターブロックを買いなおしていた。
 場所は劇場階のエレベータを降りたところ。ええ、チケット売場の真横っすよ。劇場からはお目こぼしを受けているみたい(ありがたや)。
 束でさばいている人もちらほらいるし、値引きもあった。
 だもんで、良席以外を余らせている人は早めに行ってさばいた方が安全かも。ぎりぎりだとさばけないぞ。てゆーか、さばき目的で手ぶらで来る人が少ない。無理もないが。みんなあらかじめ押さえて来るよねえ、旅先だもん。地元のお客さんたちはそもそもそんな制度があることを知らないだろうし。

 モリナさんもBe-Puちゃんも、観劇以外興味なし!
 駅と劇場以外どこにも行かないし、食事にすら行かない。ごはんはロビーでコンビニおにぎりだ。
 わたしとWHITEちゃん(大抵わたしと一緒に行動していた友人)は、わりといろんなとこうろうろするコンビだったので、この行動の差にちょっと面食らう(笑)。

 どっぷり観劇だけの1日。

 帰りは新幹線利用のモリナさんと別れ、わたしとBe-Puちゃんはアーバンライナー。

 最終の数本前のアーバンライナーは空いていて、わたしとBe-Puちゃんは喋り通しだった。

 テンション高いぞ。
 だって、座席に着くなり、まだ発車してないっちゅーに、ふたりで乾杯したもの。

 わたしは普段、酒を飲まない人間なんだが。
 つい、アルコールで乾杯。

「トウコちゃんのかわいさに、乾杯!!」

 ……そーなんだ。
 まず、ソレだ。

 めちゃくちゃかわいいんだよ、アイーダ@トウコ!! うきゃ〜〜。

 とゆーところで、翌3日の欄で感想書きます(笑)。

 しかし、月『エリザ』の感想も書きたいしなー。いつ書けるんだ、明日(5日)は『くらわんか』観に行くっていうのに。

 あっ、もずえさん、トート@さえちゃんは、めちゃくちゃ素敵でしたっ!!
 先に書いておく!
 惚れ直したっ。うきゃ〜〜。
 月『エリザ』、たのしすぎ。くるくる踊りそうになったよー。実際、帰り道で少々踊っていたかもしれん……。

 
 2004年9月2日を境目に、この日記は変わった。

 それまでは、ごくふつうに「日記」だったはずだ。
 家族のこと、友だちのこと、テレビや映画のことを、ふつーにつづっていたはずだ。
 ここは、わたしが体験する「日々の出来事」をつづる場所だったはずだ。

 ところが、9月2日を境に、日記はタカラヅカのことで埋まってしまった。
 毎日毎日、飽きもせずにヅカの話題ばかりを書き続けた。

 全部全部、ケロのせい。

 何人かに「『ハウル』の感想書かないんですか」と聞かれたけど、『ハウルの動く城』だけじゃなく、映画の感想自体まったく書いてない。
 とゆーか9月2日以降見た映画の感想は1本も書いてない。
 ふつーに毎週映画見てたんだけどなー。さすがにラストの12月はろくに見られなかったけど、それ以外は。水曜はタカラヅカ休みだし(笑)。
 さすがに、『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』を含むティム・バートンのショートストーリー4本立てと、ジャパニーズ・ホラーの『感染』『予言』の2本立てを1日で立て続けに見たのは、やりすぎだったと思った……映画は1日2本くらいが適切ですね(笑)。
 まあ語るほどおもしろかった映画もあんましないしなー。普段ならふつーに語りもするけど、『ドルチェ・ヴィータ!』の話題を遮ってまで書くほどのもんでもなかった。この4ヶ月でいちばんおもしろかった映画は、サスペンス映画の『SAW』かな。こわかったぞ。
 『ハウル』は、『千と千尋』に引き続いて、「アニメは絵が命」ってゆーか「ストーリー、手を抜きましたが、それがなにか?」というノリの作品だったので評価に値せず。アニメだから、「絵を眺めるだけ」というスタンスはアリだと思うけど、それをめざしたというより、慢心と怠惰が透けて見える感じが、嫌。誠意のない作品だー。

 大河ドラマ『新撰組!』の話をする暇がなかったのも、残念だ。
 いいエンタメ、いいドラマ、いい萌え(笑)だったのに。

 ゲームの話もほとんどできなかったしなあ。

 
 この数ヶ月で、語り逃したことがいろいろある。
 ケロ祭りで心に余裕がなくなって、できなかったことがいろいろある。

 これからはまた、のんぴりまったりと、ふつーに「日記」を書いていこうと思う。


 ここんとこ、わたしは友だちのリンコさんの会社でアルバイトをしている。
 そこで、周囲の人たちに言われたんだ。

「さすがリンコさんのお友だちだけあって、背が高いですね」

 えーと?
 その日本語は、まちがってないか?

 「友だち」であることと、「背が高い」ことになんの因果関係があると?

 たしかにリンコさんはこのわたしから見ても「うわ、この女デケェ」と思えるくらい、背が高いねーちゃんだよ。
 ひょっとしたら唯一か? という、わたしよりも背の高い女の友人だ。

 だがこの場合、
「さすがリンコさんの親戚だけあって、背が高いですね」
 とか(もちろん、赤の他人だが)、
「さすがリンコさんのバレー部時代のお友だちだけあって、背が高いですね」
 とかいう使い方をするもんだろ?(共に運動部に所属していたことなどないが)

 日本語変だぞ?

 しかしみんな口々に「私もそう思った」「僕も」などと追従する。

 あのー、リンコさんとは前に同じ職場にいたという縁で今もつきあいがあるっちゅーだけで、身長で選んだ友だちじゃないっすよ、お互い。

「同じ職場? 背が高くないとできない仕事だったんですか?」

 どんな仕事ですか、ソレは。

 仕方ないので、てきとーに話をする。

「そうなのよ、身長制限がある仕事でね。履歴書に身長記入欄があるの」
「えー、すごーい」
 てきとー、てきとー。
 ついでにもひとつてきとー。

「面接で、水着審査まであったんですよ」

「………………」

 ど、どーしてそこで黙るんですかみなさんっ。
 引くんですかみなさんっ。

 気をつけよう、スベるとかなしいお調子者(こあら心の標語)。


 チェリさんに「ミャウリンガル」を借りた。

 弟とふたりで、わくわくスイッチを入れる。
 最初に猫の個別データを入力するようだ。「えーと、種類はアメショー、性別はオス、と」弟がひとりでちゃっちゃと入力していく。
「……性格?」
 なんでも、入力事項に「性格」というのがあるのだわ。
「あまえんぼう、ピュア、しっかり者、クール、やんちゃ、お調子者」
 選択肢を弟が読み上げる。

「どれもチガウ」

「性格。性格ねえ。猫の性格なんて、一度も考えたことないよ」
「あえて言うならどれ?」
「あえて……ですらナイだろ、ここには」
「えーと、んじゃうちの猫のことをひとことで表現したら?」

「バカ」

 見事に、声がそろったよ。
 見れば当の猫は、機嫌よさげに部屋のドアの前で正座してこちらを見ている。お前だ、お前の話をしているんだ。

「バカって選択肢がなんでないんだ?」
「ピュアとかクールとか、なんか夢見てない? この選択肢」
「猫に対してドリーム入ってるだろコレは」

 意義を唱えたところで、選択肢から選ばなければ次へ進めない。

「消去法でいくか。しっかり者はチガウし、ピュアもちがう。やんちゃでもないし。お調子者ってなんだそりゃ、猫でそれはあり得ないだろ……残ったのは、クールとあまえんぼうだな」
「ソレ、正反対やん」


 消去法でしぶしぶ選んで、両極端の選択肢が残るなんて……なんて使えない性格分類だ。

 仕方ないので「あまえんぼう」にしてみる。まだこっちの方が「バカ」に近いと思うし。

 設定完了、さあ猫よ、鳴いてごらん。

 もちろん、鳴かない。
 鳴けと言って素直に鳴いたら、ソレはすでに「猫」じゃない。
 弟が必死に「ミャウリンガル」を猫の鼻先に突きつけるのだが、猫は後ずさるばかり。

 ついに猫は逃げ出した。階段を駆け下り、1階から顔だけ出してこちらをうかがっている。
 なにかもの言いたげに、鳴いてみせる。被害者ぶった鳴き声だ。

「おっ、『ほんやく中』になったぞ」
 弟が液晶画面の文字を読み上げる。

「“うれしいニャ。だいすき”」

 おおっ、翻訳したのか!

「マイクの感度、相当いいみたいだな。階段の下のあの声を拾うなんて」
「すごいね、さすが猫専用機械なだけある」

 と言っていたら。

「あれ、また『ほんやく中』だ」

 はい?
 猫、鳴いてないよ?

「“ボクはせかいでいちばん幸せだニャー”」

 ………………。

「ぼくたちの声を、翻訳したようだな」
「さすが猫専用機械」

 つ、使えねえ、ミャウリンガル!!

 マイクカンド、ソウトウイイミタイダナ。
 スゴイネ、サスガネコセンヨウキカイ。

 という音を、「猫語」として認識し、翻訳すると「ボクはせかいでいちばん幸せだニャー」になるわけだ。

 それでもめげずに猫を追いかけて、鳴き声を拾おうとしたんだけど。

 弟が突き出すと逃げる「ミャウリンガル」だが、わたしが突き出すとなにを思うのか、猫は頬ずりをはじめる。
 すりすりすり……いやあの、鳴いてほしいんであって、なついてほしいわけでは……。

「あっ、『ほんやく中』」

「“ニャンコみょうりにつきるニャン”」

 そうか、「ミャウリンガル」のマイクに向かって頬ずりする音は、「ニャンコみょうりにつきるニャン」という意味なのか。

 使えねえよ、ミャウリンガル!!

 発売当初以外、人の口に上らないわけだわ……ここまでバカだと。

 猫が実際に鳴き、翻訳されたとしても。
 それがほんとうに猫の声を翻訳したのか、わからない。
 外の車の音かもしれないし、テレビの音かもしれない。部屋の中を歩く音かもしれないし、マグカップをテーブルに置いた音かもしれない。
 猫自身のたてた音かもしれない。

 「ミャウリンガル」は、この世のすべての音を、「猫語」として認識し、日本語に翻訳し続ける。

 すげえや……この世のすべての音を翻訳。
 グローバルでファンタスティックだわ。

 てゆーか、使えなさすぎ。

 ありがとうチェリさん。
 「ミャウリンガル」堪能しました。


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