月組新人公演『舞音-MANON-』観てきました。

 なんつっても、あーさ主演がうれしい!!

 月組はこわい組なので(笑)、もうあーさ主演はナイかとあきらめてました。「次」があるなんて思ってなかった。
 1作だけでも主演できたのが奇跡だよなあ、てな。
 でもねでもね、あーさ主演が観たかったの。だって、主演が『PUCK』だけなんて、あんまりじゃん??

 パックってさ、男役じゃないじゃん? 極端な言い方だけど。男役よりは、子役寄り、外部のファミリーミュージカルの大人の女性が演じる少年主人公みたい。タカラヅカの主役、トップスターが演じる役じゃない。
 や、そーゆーこともやってしまえる人がトップスターだってことも含めて「タカラヅカ」の良さであり、懐の深い素晴らしいところではあるとは思うけど。
 でも、パックって役自体は、タカラヅカの男役の中枢じゃない。かなりイレギュラーな存在。
 数ある主演経験の中のひとつならいいけど、パックしか主演がナイってのは、「ふつーの男役で主演してない」って感じ。
 そもそもあーさは顔立ちが「かわいい系」じゃない、大人っぽい「きれい系」の人だ。今は若いからアイドル風だけど、渋いおっさんだって演じられるポテンシャルがある。
 そんな人が、子役風味の役でしか新公してないなんて……。

 ふつーの役のあーさが、観たかった。

 タカラヅカらしい、美しい青年役。
 恋愛して人生悩んで苦しんで、ラヴシーンもしっかりあって、愛のデュエットなんかしちゃう、大人の役。

 だもんで美意識こだわりありまくりの景子せんせ作品で主演が来るなんて、なんつーありがたいことだ!!

 ……まあ、ついでに言うと。
 本役がまさおさんだとわからない部分を、新公で補填したいので、新公のまさおさん役は、ふつーの人に演じてもらいたい……てのも、あってだな。
 ふつーの人……まさお節でない、ふつーに日本語を喋れる人(笑)。
 加えて、大根ではなく、ふつーの芝居が出来る、ふつーに男役スキルのある人、で観てみたい。
 だから、あーさ主演がうれしい。

 まゆぽん主演も観てみたかったけどね。最後の機会だし、順調に実力を付けているわけだし、一度真ん中経験させたらどう変わるか、興味深い人でもあったので。
 『舞音-MANON-』はまさおアテ書きではないだろうし(つか、まさおに景子タンがアテ書きしたらどんな役と作品になるのか、そっちのが観てみたいわー)、『堕天使の涙』の新公主演をヲヅキにさせるほど無茶なことにはならないだろうから、まゆぽん主演観てみたかったなー。
 でも、まゆぽんが無理なら、断然あーさ推しです、あーさでうれしい。

 てゆーか、まさおの役をやるあーさ、って、それだけでわくわくするなー。
 まさおさんはとにかく美しいじゃん?
 まずそこですよ。
 美しいまさおが表現しているモノを、イメージ壊さず美しく演じてくれる人に、やって欲しいじゃん?
 あーさ適任。
 美しさにおいて、不安なく、ただわくわくしていられる。

 でもって、あーさ、歌えるじゃん?
 まさおの役だからもちろん歌重要、まさおほどの歌唱力を持つ人は少ないとしてもだ、最低限音痴さんにはやって欲しくない、つか、酷だろソレは本人も観客も。
 その点あーさ安心。

 いろんな意味で、あーさ主演うれしい。

 公演がはじまる前にわくわくし、実際『舞音-MANON-』を観劇して……景子タンの悪いところてんこ盛り、でアタマ抱えたけど、だからこそ、別のキャストで観てみたいと思うし。

 期待いっぱいに劇場へ駆けつけましたのよ。新公好き。


 やっぱ、変な話だな。

 と、別キャストで観ても、作品自体への疑問はなくならず……むしろ強くなった(笑)。ほんと、いびつな話だー。

 でも、主人公のシャルルについては、あーさの方がわかりやすい。
 や、単純にまさお節じゃないから。
 ……すまんな、わたしはまさおスキーで彼のキャラクタごと愛でてはいるが、あの節回しで芝居に没入することができないんだ、人間出来てなくてなー。

 景子作品好きだし、まさお節でない、ふつーの役者主役で観てみないと、作品を正当評価できないかも、とか思ってたんだけど、うん、まさお節でなくてもこの主人公嫌だわ(笑)。きれいだ、ということ以外に魅力がナイわ。

 こんなヤなヤツを演じて、魅力を出さなくてはならない、って下級生には酷ですよ。

 だからあとは、ジェンヌ個人の魅力?
 〇〇ちゃんなら、どんな役でも素敵♪ とか、そういうの。
 演じている人を好きなら、役や脚本が酷くても〇〇ちゃんだから、ってだけで許せる。え、ソレただの自業自得、ソレで苦悩するとかバカですか?な展開だとしても、〇〇ちゃんが苦悩してるから切ない、とか、別次元で感情移入して感動して泣いちゃう系の。

 大丈夫、わたしあーさ好きだから、底上げできる! シャルルバカだし言動自体には感情移入できないけどあーさだから切なく思える!←

 シャルル@あーさはきれいでした。
 繊細さが、そのまま美しい外見に現れているの。
 だから彼は、恋にすべてを懸けてもいいのよ。ありなのよ。

 ただ、残念なのは、いちばんいいシーンで歌をカマシてしまったこと。

 クリストフ@れんこんとの歌の掛け合いで、「盛り上がるぜ!」「感動だぜ!」というところで、あーさが盛大にミスった……。
 声がひっくり返って消えた。
 感動的な歌い上げ曲のはずが……。
 ホームラン確実スイングして、空振りしてその場で2回転して尻もち突いた、みたいなものすげーはずしっぷり。
 こーれーはー、痛い……。
 盛り上がる気満々、泣く準備万全でスタンバってたわたしは、かくんとはしごを外されて、そのまま落下しちゃいました。
 そのまま、なかなか戻って来れなかった……いやその、わたしの盛り上がりハートが。
 そのあと舞音@時ちゃん絡みで感動するのは脚本上難しいとわかっているだけに、ここで感動したかったのよ……残念。ほんとに残念。

 や、ちゃんと舞音絡みで盛り上げてくれればいいんだけどね、脚本上シャルルには恋愛でいいとこがなくてだな。


 最後の新公でこれって、悔いが残るなー。
 や、わたしは。
 あーさ本人は東宝新公という「本番」があるし、ムラ新公の失敗は本番で取り戻せば問題ないと思う。
 でもムラでしか観られないわたしは、最後のあーさが不完全燃焼だった。
 かといって、東宝まで追いかける若さは、今のわたしにはないし。

 またいつか、素敵な「主演の」あーさを観られますように。次の機会がありますように。
「『銀二貫』観たの? どうだった? チケットなくて観られなかったー」
 てなことを言われた場合、わたしはすっぱり答えます。

「みつるとエマさんのラブストーリーだったよ。ラブラブだったよ、濃かったよ」

 真実かつ真理を端的に答えたつもりなのに、これ言うと大抵の人に「はあ?」ってすっげー怪訝な顔される……えー?

 雪バウ『銀二貫』、チケットのなさは異常です、なんであんなにチケットないの? せっかくいい公演だったのに、一般人が観られないのはもったいない。
 日本物だしれいこ主演だし、チケ難になる要素はあまりないと思うのに……。や、れいこに人気ないという意味ではなくて、相対的な意味でね。
 バウなんてファンアイテムだから、ファンが思い存分通えればそれでよし、なんですがね。
 出演者のファンはちゃんと観たいだけ観られたのかな。

 わたしはご贔屓を持たぬゆるいヅカ全般のヲタなので、観たいだけ観ることが出来ず、とっても残念っす。もっと観たかったー。


 でもって、『銀二貫』。

 出演者が発表になったとき、和助がエマさんだと信じて疑わなかった。なんせ、演目発表時に汝鳥伶サマで想像したくらいの、老人役だもの。
 ドラマでは津川雅彦っすよ。70代のおじーちゃん俳優さんっすよ。
 和助@エマさんは鉄板として、みつるはなんの役だろう? つかそもそもこの話の2番手って? 主要役、というなら和助の他に番頭の善次郎とか、真帆屋の嘉平とかあるけど……年配役ばっかなんだよなあ。
 梅吉の比重を上げて、2番手役にするのかな、それがみつるかな……くらいの予想。

 まさか、和助@みつる、善次郎@エマさんとは……!

 作品中、いちばんの老人がみつるで、エマさんの方が年下役とか……! 誰が思うのよ?

 主人公は子ども、主要役は老人……そもそもこの話をヅカでやること自体間違ってるよなー。ぶつぶつ。
 いい作品だし、ちゃんと「タカラヅカ」だったけど、『銀二貫』が成功したからって谷おじいちゃんの趣味で老人が活躍する話ばかり買い付けてこられたら困るわ……と、勝手にガクブル(笑)。

 みつるが老人役ということに、驚いた。
 みつるは専科とはいえ、『風と共に去りぬ』でアシュレをやったり、『星影の人』で土方をやったりする、「スター専科」だ。2番手格で特出するスター。
 スター専科さんはふつー、老人役はしない。組の2~3番手が老人役をしないのと同じで。反対に、本専科のおじさまたちは、アシュレや土方はしないし、ショーや一本モノのフィナーレで一場面もらって歌い踊りもしない。
 「スター専科」という言葉が公にあるのかどうかわかんないけど、みつるたち「各組で番手付近にいた、新人公演主演・バウ主演経験ありの男役スター」たちは、専科であって本専科ではない使われ方をしている。以前の新専科に近い扱い。
 だから、いくら重要な役だからといって、みつるが和助を演じるのはおかしいんだ。

 だが。

 『銀二貫』が「タカラヅカ」として成り立っているのは、みつるが和助を演じているからだ。

 主人公・松吉@かなとくんの次に大きな役の和助を本当に老人にしてしまったら……それこそ汝鳥サマが演じていたら。
 かなとくんは子役で、丁稚。ヒロインのくらっちもおかっぱの幼女。これでもかという薄ら寒い「子ども喋り」をさせられている。
 そして、重要な役を汝鳥サマやエマさんという、年配俳優で渋く銀色に固められてしまったら……コレ、「タカラヅカ」でやる必要ナイよね? ふつーに子どもを使って、老人使って、外部でやれよ。てなもんよね?
 「タカラヅカ」には、子どもも老人もいないんだよ。若い女性しかいないんだよ。子どもも老人も演じるけど、子どもや老人を演じるために若い女性ばかりで劇団やってるわけじゃないんだよ。

 ガチの老人役を、若く美しいみつるが演じてしまう。
 彼が若いことも美しいことも、見ればわかる。髪に白いモノをまぜて、年配ぽい喋り方をしていたとしても、本当の意味での「老人」の演技はしていない。本当に老人役なら、顔に皺や染みを書き込むなりするし、芝居も変わっている。
 そうでないのだから、若く美しい、だが老人役、という矛盾自体が、ここでは「必要」とされているんだ。

 それこそが、「タカラヅカ」だ。

 男役が女性であることなんて、ひとめでわかる。なのに舞台の上では「男」だと脳内変換される。
 タカラヅカというファンタジー界に足を踏み入れた者ならば、自動変換される。
 それと同じ、「タカラヅカ」の方程式と同じ理屈で、みつるは老人を演じているんだ。

 華形ひかるは、とてつもなく「タカラヅカ」である。

 『銀二貫』が「タカラヅカ」として存在するためには、みつる和助が必要だった。
 若く美しく、そして老人であれる「スター」が。


 いやもおほんとに、みつるがいい仕事していて。
 スター路線歩んできた人なのに、ついに下級生バウの助演をするようになって。しかも、老人役て……。と、複雑な立場ではあるけれど。
 よくぞ、これほどのスターになってくれた、と感動する。

 ファンタジー感を持ったまま、どんな役でも演じられるなら、無敵の助演俳優になれるよ……!


 善次郎@エマさんがいい役者で、いい仕事をしているのは、言うまでもなく。
 この善次郎さんは、和助の女房役。十代の頃から何十年と連れ添った仲。
 そしてエマさんの特徴っつーかね、おっさん演じてても役によってはちょい女が入るというか、オネエっぽくなるのなー。
 善次郎さんは女房役だからか、役割に引きずられてか、あちこち女っぽくてな(笑)。畳にのの字描いてそうなキャラに見えた。

 和助が男前で男らしいじーさんなので余計、善次郎が容姿いまいちの世話女房で愚痴吐き体質、かつ旦那にべた惚れのかわいいおっさんに見えた。
 や、ラブラブ。
 一見かかあ天下で旦那が尻に敷かれているように見えて、ほんとのとこ亭主関白で双方相手を尊敬してべた惚れしている、てのが素敵。理想的な夫婦。(男同士だけどな)
 旦那が男前で、女房がブスなのがいいんだよー。そこが萌えポイントなのよー。や、エマさん自身の容姿のことではなく、役の上でのことな。

 あの男前な旦那が、ブス女房にずけずけ言われてたじたじになってて、でもほんと惚れてるし尊敬してる感謝してる、それがいいのよー。

 和助さんほんとにかっこいいし、かわいいし、素敵だし。
 善次郎さんはほんとかわいいし、泣かせるし。

 エマさんと同等に芝居するみつるが素敵でなあ。惚れ直すわーー。

 だから『銀二貫』といえば、みつるとエマさん。
 何十年連れ添った者ならではの、プロポーズまであって見事だわ……完璧だわ。
 濃いわ……。
 わたしの「美」を計る単位、「ケロに似ている」。

 わたしのかつてのご贔屓、ケロちゃんを彷彿とさせる、という意味です。物理的に顔が似ているということではなく、もっと数値化できない部分での相似。
 や、わたしとしては物理的に似ていると思ったのだけど、他人に話しても理解を得られなかったので、どうやらチガウらしいと判断。
 わたしの「好みである」ということ、わたしが「美しいと思う」場合、わたしの脳はソレを「ケロに似ている」と判断するらしい。

 好みのモノすべてをそう思うわけでもないので、どこで「ケロセンサー」が発動するのかは、依然謎のままだ。
 だが時折思うんだ、「ケロに似ている」。
 唐突に。

 雪組バウホール公演『銀二貫』千秋楽にて。

 わたしは思った。

 あ、ケロに似ている。

 松吉@かなとくんを見て。

 初日のかなとくんはよくやっているけれど、作品の力に乗っているだけでまだ作品をモノにしているとは思えず、かっこいいと言えない松吉という役をそのまんま、かっこよく見えにくいまま演じていた。
 だから油断していたよ。
 千秋楽にはもっとうまくなっているだろう、よく演じるようになっているだろう、というのは想定内だったけれど。

 ケロに似ている、とか、そんなの考えたことない。
 てゆーかしばらく忘れてた、この単位。最後に思ったのはいつ、誰に対してだ?
 まっつラブになっちゃってから、そしてまっつロスが深刻な今、まっつに似た人・まっつを彷彿とさせる人ばかりに気が行っちゃってるからねえ。ケロセンサーのことなんかマジ忘れてたわ。(ちなみに、まっつのことも「ケロに似ている」と思ってました、まっつにハマった当初)
 マイティーは物理的にケロに似ているから、やたらと「ケロに似ている」「ケロを思い出す」とゆーてますが、それとは別だからねー。

 ほんとに、考えたこともなかった。想像だにしない、そもそも忘れていた。
 なのに思った。
 ケロに似ている。

 どきん、とした。
 あ、ケロに似ている。

 そして、どきどきした。
 どきどきしまくった。

 ケロに似ている。
 ケロに似て……ああつまり、かっこいい。

 かっこよくないのに。
 松吉なんて役。ぜんぜんかっこよくない、「タカラヅカ」の美しさじゃないのに。

 なのに、かっこいい。

 てゆーかなんでもう千秋楽なの?!

 初日の松吉には満足できなかった。わたしは。
 作品に乗せられて存在しているだけに見えた。かっこよくない役だけど、それでもかっこよく見せてしまうのがスターの仕事、かなとくんは脚本にある通りの松吉をやっているだけで、ふつーの劇団ならそれでいいんだけど、「タカラヅカ」では足りない、脚本がどうであれ、それを超えた「かっこよさ」を出さなきゃいけないのよ、それが出来てないわ、到達していないわと思った。
 そして千秋楽。
 まだ、足りない。
 初日に比べれば良くなっているけれど、まだ作品を乗りこなしてない。その証拠にかっこよくな……あ、あれ? か、……かっこ、いい……。あ、あれ?

 まだいける。
 まだ先がある。
 これが最高峰、到達点だと思わない。まだ中間、まだ過渡期、ただの通過点でしょう?
 なのにもう千秋楽? もう終わり?
 待ってくれ、まだ足りない。

 月城かなとは、まだ先がある。

 そう思った。
 器用じゃないんだろう、スロースターターなんだろう。それじゃダメなのかもしんない、舞台人には瞬発力必須、走り出した瞬間トップスピードに乗る人が強い、それはわかってる。
 だけど待ってくれ、かなとくんはまだ変化している最中だ。
 ケロに似ている、どきっとするほどかっこよくなっている……わたし好みのナニかを醸し出している……しかし、まだ作品に負けている、勝ってない……待って、待ってくれ。
 わたしは見たい。
 月城かなとの行く先を、見てみたい。

 どきどきしながら、そう思いました。

 まだ足りない、まだ、まだ……そう「未だ」……完成形ではナイ、未来と可能性を感じさせることが、かなとくんの魅力なのかもしれない。

 もっと見たい。
 わたしは、かなとくんをもっと見ていたいよ。
 主演公演を観てなお、飢餓感がある。強い欲を持つ。
 これを長所……魅力とするならば、まったくもっておそろしい魅力だ(笑)。
 雪組全国ツアー『La Esmeralda』で、どーしても、どーしても、言いたいこと。

 天月翼、かわいすぎっ!!

 事前情報ナイまま観ているわけです。
 どこで誰が出る、どう変更がある、ナニも知らない。
 それでなーんも考えずに眺めていて……パリの場面ですよ、だいもんさんがなんか色気全開に花男ぶりを披露していて、あんりちゃんが変な髪型でかわい子ちゃんやってる、あの場面。

 大劇場版では、エマさんがあんりちゃんに振り回されたりして絡んでいる。
 そのエマさん役が、翼くんだった!

 エマさんがなんの役なのか知らない。あんりお嬢様の執事かなんかかと思って観ていた。(注・正解は舞台となるクラブのドアボーイです)
 エマさんはにわにわとともに、かわいくもダンディなおじさまだった。
 年配役。年長役。大人の役。
 踊り狂う若者たちの中ひとめでわかる「あ、あそこにおっさんがいる」、あざやかな色に対する補色、みつまめの豆的な存在。

 へー、翼くんエマさんの役なんだ。
 衣装と登場が同じだからわかる。
 新公でナガさんの役とかにわにわの役とかやっていた翼くんだ、エマさんの役でもなんの疑問もない。
 おっさん役かー。
 と、そのまま受け止めた。

 が。

 おっさん役じゃなかったっ。若い男の子の役だ!

 同じ役なのに、役作りがまったくチガウ。
 コミカルでキュートに、あんりちゃんに振り回される……のも同じだけど、キャラクタがチガウ。

 翼くんは、若者だ。

 翼くんの、いちばん翼くんっぽいキャラ?
 にこにこヘタレ。小物全開。←

 うっわ、若いー、かわいいー。
 そう思って眺めていたんだけど。

 このキャラ、ひどくない?
 若いのはわかった、かわいいのはわかった。

 しかし、あの振付ナニ?

 両手でハート作ってかわいこぶってるよ?
 ハートきゅんきゅん♪ って踊ってるよお?!

 ちょ……っ。

 え、えまさんはあんな振りなかったよね? おじさんがあんなキュン死ポーズ取ってないよね?

 かっ……かわいいっ。

 あのヘタレわんこが、目を線にしたままふにゃふにゃ笑顔で踊ってる。
 ハートきゅんきゅんかわいこぶってる。

 ナニあれナニあれ。
 かわいこぶってる。すっごいかわいい。狙いすぎ。かわいい。

 翼くん、あーた自分のこと「かわいい」と思ってるだろ?

 思ってなきゃ出来ないよな? そんなクソ狙いすぎポーズ。
 かわいいと思ってるんだ、思ってるんだ、思ってるんだ。

 くそーっ、かわいいっ!! ムカつくーー!!(笑)

 …………すみません。
 逆ギレしました。
 翼くんがかわいすぎて。

 油断してたわ……単品で遊んでいい役になったら、とことんかわいこぶりやがる……。振付が元からだとしても、あのかわいぶりときたら……はあはあはあ。

 んで、翼くんてばカゲソロはあるわで、なんかひそかに活躍してる?
 や、ひそかすぎて、たぶんもともと翼くん好きな人にしかわかんないレベルだけど!!(笑)

 ドアボーイ役の翼くんで、グッズ作りたいわ……。画像ないですか、どっか……。あのハートのポーズ取ってるやつがいいっす。まっつ以来作ったことない、ダイカットチャーム作りたい気分だわ……。

 翼くんスキーに拍車の掛かった公演でした。
 はー。
 堪能。
 雪組全国ツアー『La Esmeralda』初日。

 ナニにウケたかって、「ラ」が最初からある!!

 いやでも、小さい。「ラ」小さいっ。
 なんなの(笑)。

 ついこの間まで大劇場で、えんえん何度も観ていたショー。
 それをそのまま全ツに持って行くのは役替わり公演としての楽しさがあるよなー。
 もっとも今回上から4人そのままだから、役替わりが楽しいのは組ファンのみかなー。メイン以外の個別認識がどこまで出来ているか、で楽しさが変わってきそう。

 ところでこの公演でも客席参加があると聞いて、盛大に肩を落としたんですが。
 なんだ、ぜんぜんなかったわ。なんか舞台から言ってたかもしんないけど、ぜんぜん伝わってないし周りもなにもしてないし、ぐたぐたなだけだった。
 ほんと、なくていいから、客席参加……。
 こんだけどの公演もどの公演も、続け様にやられるとつらいわ。


 しかし、客席降り・客席登場多すぎ(笑)。

 銀橋ソロをそのまま客席降りにするとか、演出家短絡過ぎやろ。やだ楽しい。←

 いやあ、きんぐが単独で客席降りした日にゃあ、腰抜かしますわー。
 いきなりじゃん?
 どこの大スター様?!
 やだー、すごーい、うれしー!!(ただのきんぐスキー)

 大勢ばーっと降りて、という総力戦の客席降りもいいけどさー、この「とっておきのスター単独客席降り・登場」っての、特別感があっていいな。
 大抵単独で出来るのはトップスターのみでしょ。で、トップ様だから「銀橋部分のみ」だけじゃなく、「1場面まるまる」で、長い。
 それじゃチガウのよ、ダメなのよ。
 銀橋相当だから、所詮短い。そして、勢いがある。単独スターを勢いのまま「特別」に堪能できるって、印象の残り方が違うと思うの。
 タカラヅカをよく知らない人にこそ、「複数のスターがいる」「特別な演出」という刷り込みは重要じゃないかい?
 「切って切ってもトップスター」という金太郎飴状態じゃ、そのトップスターにハマらなかった人はタカラヅカ自体にもハマらなくなるじゃん。せっかくたくさんの出演者がいて、それぞれ魅力が違うんだから、アピールしないテはない!

 きんぐどうですか? ハンサムでしょ? 恥ずかしいでしょ? 観ていて「きゃ~~っ!!」となるくすぐったさがあるでしょ?
 え、お好みでナイ?
 んじゃ翔くんどうですか? 美形でしょ? キラキラしてるでしょ? なんかぐいぐい来るでしょ? 放っておけないでしょ?
 もう一声?
 んじゃとびきり濃いヤツを、だいもんどーだ!! 上着をばっさばっさ、恥ずかしさ半端ナイ、響く美声とでかい口、濃ゆい濃ゆい、やだなにタカラヅカってこわい、タカラヅカってナニゴト?!感を堪能できるスターですよっと!

 そして真打ち、トップスターのちぎくん! 美形でしょ、こんなイキモノが現実に生息してるとかあり得ないでしょ、感動でしょ?!

 そう、タカラヅカってマーベラスであるべき、リボン付きのプレゼントボックス、中身は宝石? それともびっくり箱? どちらもアリな世界観。

 ……わたし初日は2階席だったんで客席降りの恩恵はまったく受けてないんだけど、そんなことは置いておいて、「銀橋ソロをそのまま客席場面にしました」演出にウケた。
 あちこち悲鳴上がってるし(特にだいもん!!)、楽しそうでいいかと。


 あと感じたのはなんつってもだいもんの桁違い感。

 だいもんひとり、格が違う……。

 格上、格下、と言いたいわけではなくて。
 ほんとうにもう、カブトムシとチョウチョがチガウみたいな感じで、ただもう「チガウ」としか……!

 彼が歌い出すと、波動砲発射状態になるのな。それまでの細かい攻撃なんか虚空に霧散する。

 だいもんひとりが突出していて、他の人と違いすぎる。もう少し歌ウマがいればこんなことにはならないんだろうけど、今はオールフラットな場所に、とつぜんだいもん柱が地中からぬーん!と盛り上がって来て、天高くそびえてる感じ。いやソレ、バランス悪い。
 あまりにだいもん無双で、ちょっと疑問。

 芝居で歌ってないからなー。ショーでようやく歌うことが出来て、パワー全開。
 いいんだけど、や、わたしはだいもん好きだから、彼が楽しそうに暴れているのを観るのは好きなんだけど、いびつだなあ、と思った。
 かといって、セーブするのもなんかチガウ気がするし。だいもんが100パーセントでもいい、それで壊れない作品を、構成を、演出家が作ればいいんだ。全ツだから、構成のゆるさが明らかになってしまい、いびつさが露骨になっちゃうのなー。

 だいもんがあまりにだいもんで、彼が歌い出したとき、笑えてきちゃったよ……。
 格違い過ぎ、どっかーんと吹き飛ばし過ぎ。いっそ面白い。

 全ツ『ラ』面白い。
 雪全ツ『哀しみのコルドバ』にて。

 わたしはアントン@きんぐの言葉を聞きながら、別のことを考えていた。

 仲間たちから裏切りを責められるエリオ@ちぎくん。
 それに対し、アントンは穏やかに語る。

「エリオは確かにお前たちの道標になる男だった。
だけどエリオにずっとそうしていろと言うのは無理な話だし、
エリオだって道から外れて歩く権利もある」


 〇〇〇はわたしの道標になる男だった。
 ずっとずっと、彼に夢を見ていた。

 だけど〇〇〇にずっとそうしていろと言うのは無理な話だし、
 彼が生身の人間である以上、偶像を求め続けるのは無理がある。

 〇〇〇だって道から外れて歩く権利もある。
 いやしかし、はずれっぷりがものすごくてトラウマなんですけど、それもまあわたしの勝手なわけで、どんだけひどい辞め方をしても、それは彼の選んだことだ。ひどいことをするのだって、彼の権利だ。

「自分の弱さをエリオにぶつけてはいけない」

 自分の弱さを〇〇〇にぶつけてはいけない。

 わたしは弱い。
 わたしは弱い。
 わたしは弱い。

 ああちくしょー、わたしは弱い。


 きんぐのアントンはよわよわで、ちっとも元花形マタドールにも、闘牛界の親方にもそれなりの年齢の男にも見えないんだけど。いつものへなちょこ感漂う若くてハンサムなにーちゃんなんだけど。
 そのよわっちい色男が訥々と語る真理に、わたしは胸を突かれてべそついた。

 きんぐの声を、何度も何度も反芻した。
 〇〇〇だって道から外れて歩く権利もある。
 自分の弱さを〇〇〇にぶつけてはいけない。

 きんぐの声。きんぐの言葉。
 や、アントンの言葉だし、わたしのポンコツ海馬では一言一句正確におぼえることは出来ないので、大意のみだけど。(ブログに書くのに間違えまくってたらなんだから、手持ちの花全ツ『哀しみのコルドバ』から該当部分を再生して書き写したけど)

 何故か「きんぐの言葉」としてわたしの脳はインプットする。きんぐ好きだから。好きな人からの言葉と思いたい。
 都合のいいようにしか働かない、わたしののーみそ。

 自分の弱さを〇〇〇にぶつけてはいけない。

 日常のなかでふと、繰り返す。
 わたしがつらいのは、わたしに原因がある。〇〇〇のせいじゃないさ。
 〇〇〇を好きなのは、自己責任なんだから。
 つらいうちは、まだ好きだってことだし。
 それはそれでいいか。
 〇〇〇の舞台は、ほんとうに素敵だったからなあ。

 自分の弱さを〇〇〇にぶつけてはいけない。




 強くなりたい。
 雪全ツ『哀しみのコルドバ』あれこれ。

 フェリーペ@ひとこの「しれっ」と感がすごいな……。
 抜擢大役のはずが、ハードル高く見えない。
 軍服似合う。さわやか。かっこいい。

 どんな役もしれっとやっちゃってるように見えるのが、ひとこの強みであり、弱みであるのかもしれない。
 なんにせよ興味深いキャラクタだ。


 ビセント@咲ちゃんは、最近きれいになってきた……ので、この役も期待していたのだけど……きれいはきれいだけど……なんか薄い……軽い……。
 印象に残らないというか、引っかかりが少ない。
 どうしたんだろう、外見以外でこれだけ苦戦する咲ちゃんはめずらしいような。


 アンフェリータ@あんりちゃんてば、歌うまくなったね!!
 もー、ソレに尽きる。
 配役知ったとき、なによりソレだったもの。え、あんりちゃんの歌唱力でひまわりの歌?!って。
 物語の空気も展開もぶった切って、唐突にバランス悪いアンフェリータのソロ歌場面があるのだわ、この作品。構成的におかしい場面だからこそ、歌唱力必須。物語歪めてまで聴かせる価値のある歌声でなきゃダメなのよ? それを、あんり……?

 音痴耐性の高いわたしですら耳を疑うほどの、壮絶歌唱を披露したのが、中日『Shining Rhythm!』のあんりちゃん。
 ここまで歌えない子に、何故歌わせる……しかも激しく踊りながら。
 と、演出サイドへ怒りを感じたもんだったわ。

 あまりに強烈な記憶。
 たぶん、ヅカヲタである限り忘れることはナイっつーレベル(笑)。(ちなみに、このときの雪組中日公演では、もうひとつ同じレベルの壮絶歌唱をちぎくんが披露していて、ダブルで忘れられない)

 そんなあんりちゃんが、破綻なく大ナンバーを歌っていて、もうそれだけで感動した。
 すげえや……。こんなに歌えるようになるもんなんやね……。てゆーかもっと早くこれくらい歌えていたら、あんりちゃんのジェンヌ人生も違っていたろうに……。ほろほろ。

 路線娘役という縛りをなくしてからの方が、あんりちゃんはより豊かに彩りを身に付けていっている気がする。
 あー、かわいいなあ。かわいいは正義。


 メリッサ@せしこはまた、こんな役かあ。
 こんな、というのは下げる意味でのこんなではなくて、同カテゴリという意味な。
 最近彼女、同じようなタイプの役しかやってないような。
 美貌の上級生娘役となると、求められる役割が決まってしまう……というのはわかるけど。
 もともと引き出し少ない人なんだし、それでもっていちばん彼女の得意分野を活かせる役だとわかっちゃいるが、またか、と。

 続けて見ているから「またか」なのであって、各地の「はじめてタカラヅカを観る」人には、わかりやすくていいんだろう。
 きれいだもの。
 小娘のかわいさではなく、大人の女性の美しさ。まぎれもなく才能、そして努力で磨いたもの。


 こちらもまたかと思っちゃった、セバスチャン伯爵@大ちゃん。
 またかというほどやってはいなと思うけど、印象的に、このテの立ち位置のキャラをよくやっているなと。
 大ちゃんはビジュアルで初心者の目を奪うことの出来る人。短い出番で印象残す役はほんとにハマる。

 しかしせしこ、ゼイタクやなー。
 大ちゃんという旦那がいつつ、咲ちゃんと浮気かあ。
 うらやましい(笑)。


 アントン@きんぐのかっこいいこと。あー、ビジュアル好み~~。
 が。
 弱いなー。
 ほんと弱いなー。
 もっと強い印象を刻めないものかなあ。元花形マタドールなんでしょう? 信奉者も多いんでしょう?
 そんな華と歴史のある人に見えないっすよ……。
 だから好みとも言える(笑)。

 あの枯れっぷりがねー。
 弱さと薄さがねー。

 好き(笑)。
 雪全ツ『哀しみのコルドバ』あれこれ。

 アルバロ@翔くんの使い方に、心からアタマを抱えました。
 あちゃー……。

 えー、アルバロは脇役です。その昔、花全ツのときにご贔屓が演じていたために、いろいろ人物考察したり自分なりに楽しんではおりましたが、「いてもいなくても関係ない、モブに毛の生えたよーな役」であることは確かです。
 番手付きスターにやらせる役じゃありません。番手付きスターがこの役をやらされる場合、「格下げ」「路線外し」という意図があります。
 だけど、露骨にそんなことをしたら、ファンから反発を喰らいます。そしてその反発、反感が、劇団が「上げたい」と切望する下級生スターに向けられる恐れがあります。それじゃ意味ナイ、下級生スターに人気を出させたいからいい役をさせるのに、いい役をさせたから反感を持たれるなんて本末転倒。
 だからその下級生に抜かれることになる番手スターにも、「配慮」が必要。どんだけ作品中で役付きを落としても、最後の階段降りだけは番手相応の位置にするとか。
 タカラヅカはそうやって「配慮」しつつ、落としたい人を落とし、上げたい人を上げてきた。(配慮するのがあたりまえ、だからそんな配慮さえしない月組がこわい、てなもんで)

 この公演では4番手のはずのまっつが、4番手役をもらえずに、脇のアルバロ役になった。
 露骨な格下げ、路線外し。
 ここまでわかりやすく意志を示しながらも、劇団はいちおー「配慮」をする。
 名前のあるモブ、だけじゃまずいってもんで、1曲歌わせることにした。もともとは誰の役だっけ? アルバロ役が歌うことになってない、導入部分のソロを、まっつに変更した。
 ほーら、ソロがあるからまっつさんはまだスターですよ、4番手役はずされたからって自棄にならないでね、という体裁。

 まっつは「歌手」として認識されていたから、歌の見せ場は確かに「配慮」になる。
 まっつに似合うタイプのきれいな衣装を着せてもらって、冒頭から朗々と美声を披露する……てのは、ファンにもありがたいし、純粋に作品を観に来た観客にもありがたいことだろう。物語解説、ナレーションも兼ねた役割だから。まっつの声質と滑舌はナレーション向き。

 だから導入部分のソロは、「4番手役をはずされた、まっつへの配慮」であってだね。
 アルバロ=導入部分のソロじゃない。

 同じように4番手役をはずされ、アルバロ役になった翔くん。
 まっつと同じように「格下げ」「路線外し」されたのだから、「配慮」されなくてはならない。

 その場合の「配慮」とは、ソロ歌披露じゃないはず。

 翔くんがもっとも魅力的に見えるモノで、見せ場を与える。
 「配慮」ってのは、そういうもんだろ。
 まっつに「歌」だったように。
 翔くんには……ええっと、今ちょっと思いつかないけど、とりあえず歌じゃないはず。
 てゆーか、翔くんのいちばんの弱点は歌じゃないすか? 彼がもう少し歌えていたら、彼の路線人生違ってたんじゃないの? 「音痴歓迎」だった劇団が、「歌唱力必須」に移行している現在。

 なのに、なんの考えもなく、導入部分のソロを翔くんに歌わせる劇団に、アタマを抱えた。
 なんも考えてねえ……。
 翔くんのことも、そして、観客のことも。

 『哀しみのコルドバ』は古い作品ゆえに、歌が少ないのよ。オープニングで次々スターが歌い継ぐ、てな作品じゃないのよ。
 ろくに歌のない長いオープニングが終わって、ようやくがっつりソロ来ましたー、しかもナレーション兼ねた情報量多い、一気に観客を牽引しなきゃいけない歌ですよー、……が、翔くん、というのは……観客としても、きついっす……。

 翔くんがんばってたけど。
 目がきらきらして、強い強い力を感じた。
 いろんなものを、跳ね返す気合い。
 歌だって翔くん比でよくなってた。

 しかし。

 役割に担う歌唱力も声質も、彼は持っていない……。

 歌は別の人に任せて、翔くんのダンスソロとか、ダメだったのか。
 それなら彼の美貌を存分に活かせて、観客の耳にも目にもやさしく、ストーリーにも入って行きやすい。

 中村Aになんの期待もしてないけどさー。
 ほんっとなんにも考えてないんだなー。

 サラリーマンだからそれで十分と思ってるのかもしれないけど、作品にも生徒にも観客にも、もっと愛を持ってほしいよ。
 雪組全ツ『哀しみのコルドバ』でわたし的に興味深かったのは、ロメロ@だいもん。
 もともと好きな役だし、前回の花全ツでこの役をやっていたゆーひくんを好きだったこともあり、「好きな人が演じた好きな役を、好きな人が演じる」という、素敵にややこしい状況です(笑)。
 そりゃ注目するよね!

 オープニングのマタドール衣装での登場は、ゆーひさんが目に焼き付いているために、「お、おぅ……」となった……スタイル差がすげえ……。ゆーひくんはほんと、素晴らしいスタイルの持ち主じゃった……。
 そして、ゆーひさんではまったく気にならなかった歌が、だいもんだと気になりまくった。

 ロメロって、こんなに歌少ないのかよ?!

 ゆーひくんのときは、カケラも気にしてなかった……わたし、彼の歌を待ち望んだことがなくてな。「早く歌わないかなー、次のソロはどこだろ、まだかなまだかな」なんて、ゆーひくんを観て思ったことがなかったのよ。
 だから、実際にだいもんのロメロを観て、「え、なんで歌ないの? 2番手は登場したらまず歌うよな? 幕開いてけっこう経つけどなんで2番手に歌がないの? おかしくね?」と、ストレスたまりまくり!
 そうか……ロメロってそうだった……この役、ぜんぜん歌わないんだ……てゆーか、2番手としてあって当然の「心情独白ソング」がないんだ……作りとしてはただの脇役なんだ……。

 ちぎみゆだいもんが、がっつり組んで絡んで回していくのが現在の雪組。
 だもんで、「トップ至上主義」「2番手も脇のひとり」「むしろ娘役の方が比重高いんじゃ?」という、古い柴田作品はスター構成が合ってない……。
 だいもんが役不足だ~~、つまらんつまらん~~。

 花全ツのときは、とにかく主役のエリオ@まとぶんが濃くてね。ぎとぎとでね。主役と対になるビセント@みわっちもぎとぎとでね。
 ひとり大人のロメロ@ゆーひさんは薄くて芸風も違っていて、歌も得意でない人だから、第三者的で一歩も二歩も下がっていたとしてもあんまし違和感なかった。歌わなくても喋らなくても、美麗スタイルで目を楽しませてくれる人だったし。

 でも今回、主役エリオは薄いし。ビセント@咲ちゃんも存在軽いし。
 現代的に薄く軽い平坦な物語になってるのよ。
 そこに、だいもんは安定して濃いのよ。
 ちょ……ロメロさん、世界観チガウ……(笑)。あなたたぶん、まとぶんエリオと対峙できるキャラだわ……同じ星の人だわ……。
 まとぶん時代に新公をやっただいもんは、まとぶんの芸風を強く受け継いでいる。濃くてクドくて。
 この昭和な悲劇に、いちばん世界観合ってる……ああ、失われた昭和はこんなに近くにあったのね……でも出番少ない……。

 それがほんとに残念で。

 ロメロの輪郭が濃いもんだから、やたら目が行ったわ。
 わたしがだいもんスキーだから、てのは確かにあるだろーけど、この作品は真ん中あってこその作りで、花全ツで真ん中に泣かせてもらったため今回も自然と真ん中に感情移入するつもりで注視していた……のも確かよ、それでも「出番ねーな」「見せ場ねーな」なロメロさんが画面に出て来ると「あ、濃い……」と視界に入った。

 ロメロさん自体は、渋い大人の男で、わきまえたおじさま。
 ヒゲのダンディを演じる、というのは二枚目男役ファンなら一度は見てみたい萌えな役。
 でも、ロメロって一歩間違うと本専科のおじさまがやりそうな、枯れた脇役っぽいんだよなあ。
 あのゆーひさんが超スタイルで演じてなお「辛抱役」でおいしさが薄かったのよ。
 だいもんだとどうなるかしら……。新公でゆーひさんの役(2番手)を演じて、うまいけど本専科さんの役みたい……となった、あのだいもんですから。
 や、渋いヒゲのおじさま役、ってだけでわたしは「見てみたい、ワクテカ」だけどね。それとは別に、「大丈夫か?」てな気持ちもある。

 輪郭は濃いけど、やっぱし本専科風味かニャ……? いつものうるさい芸風も押さえられてるし。
 歌封じられてるしなー。コスプレは分が悪いよなー、ゆーひくんの役じゃなあ……。
 と、若干、というか、かなり物足りなく思っていたけれど。

 エリオ@ちぎくんとエバ@みゆちゃんの密会に踏み込んできたところからぬるりと沸き立つね。だいもんの持ち味、人間臭さ。
 そして、色気。

 ただの二枚目の人間出来たおっさんやってる分には感じなかったのに、嫉妬した瞬間から、色気が立ちのぼる。
 キターーッ!って感じー。これでこそだいもん!的な。

 ロメロの人間臭さがいい。
 スタイリッシュではないけれど、それがだいもんの持ち味。
 ゆえに今回、改めて思ったな。だいもんの色気ってファンタジー感とか美しさから来るモノではなく、むしろ逆、現実感とか醜さから発せられるんだ。
 これは、たまらんなあ。


 ロメロの人間臭さに萌えたゆえ、アタマが二次創作スイッチ入っちゃって、物語だのやりとりだーのがどどーっと脳内上演されました。いやはや楽しい。
 ロメロ×アントンで。(えっ、アントン?!)
 雪組全国ツアー『哀しみのコルドバ』初日観劇。

 『哀しみのコルドバ』を観るのは3回目。観劇回数ではなくて、その興行自体を観る回数。
 再演の安寿ミラ版と、再々演の真飛聖版を観てきて、今回の早霧せいな版が、3回目。

 記憶が強いのは、まとぶん版。
 なんやかんや言いつつ、通いましたから。

 花形闘牛士エリオ@ちぎは、初恋の相手エバ@みゆと再会した。恋の真っ只中で大人の力で別れされられたふたりだ、大人になって再会し、燃え上がらないはずがナイ。
 でもエリオにはアンフェリータ@あんりという婚約者がいるし、エバにもロメロ@だいもんというパトロンがいた。四角関係大変!!
 エバをめぐってエリオとロメロが決闘だ!! 引き金が引かれるまさにそのとき、エリオとエバの母たちが叫ぶ。「お前たちは実の兄妹だ」と。……まさかの兄妹オチ!!(白目)
 そうだよね、昭和ってこういう時代だったよね。嘆きのエリオは、エバにはナニも知らせず、最期の闘牛に向かう……てな。

 なんつーか、まとぶん版とは印象が違った。

 同じ話のはずだが……あれ? 記憶にあるモノと違う……この作品、こんなに薄かったっけ?

 なんか、さらっと流れていく。いろんなことが。
 熱血かつ苦悩キャラ得意のちぎくんだし芝居巧者のみゆちゃんだし、この「実は兄妹だったのだーー! ががーん!!」なんつー昭和ノリの悲劇を、さぞや華麗に盛り上げてくれるだろうと期待していたの。
 でもなんか、昭和らしさは感じられず、わりと淡々と過ぎていく感じ。
 あれえ?

 といっても、ちぎくんが悪いという気もしない、問題ないと思う……てことは、だ。
 わたしの記憶にあるモノの方が、独特だったんじゃないか?

 そうか、まとぶんは、クドかったんだな……。

 ギトギトにクドかったんだわ……。
 このクラシカルな悲劇を、これでもかと大歌舞伎に、昭和万歳に演じてたんだな……。

 まとぶさん、劇団推しスターの宿命、植爺-谷ラインで英才教育受けちゃったクチだもんな……。しかも当時の星組って、植爺の専属組ってイメージだったし。
 そんな際立ったお育ちのスター様は、典型的星芝居……大仰でクドくてギトギトですよ、平成入団でも芸風は昭和ですよ。

 彩音ちゃんは、今でいうならキサキちゃんタイプ。かわいくて目を引くけれど、抜擢デビュー当時は喋るとびっくり棒読み大根芝居、ダンスは出来るけど歌は大変、という震撼レベルだったわ……。でも路線スターとして集中教育を受けるうちに、お芝居は改善された……が、決してうまいわけじゃない、こなせる役が増えたとか粗が目立たなくなったとかそんなあたり……なんだけどきれいだからいいや、てな。
 そんな彩音ちゃんだからもちろん、技量的には期待薄く、美貌と雰囲気優先、独自の芝居をするスキルのない彼女は、ただひたすらまとぶに付いて行った、まとぶの色を映した(染まるだけの技量はない)。
 結果、ひとりすごい熱量でぶっちぎるまとぶに、彩音ちゃんは足を引っ張ることなく邪魔することなく、追従できたんだな。この作品に限らず、まとあや時代ずっと。

 そして出来上がる、クドくアツい独特のねばっこい舞台。まとぶ時代の花組の特徴。
 そして、花組育ちで典型的花男のみわっちが、まとぶんのこの熱量と粘度の高い芸風と親和性が高かった。
 まとぶん+みわっち、って、混ぜるな危険、だよなあ……。このふたりが組むと、昭和度半端ナイっちゅーか、手が付けられないよなー(笑)。みわっちも植爺-谷の申し子だしな。

 泣き芝居をさせるとウザいくらい。てのが、古き良きタカラヅカファンや高齢演出家のニーズに合ったんだろうな。
 そして、現代のヅカファンのニーズには合致していなかった。……人気なかったよ、まとぶん。

 でもって、この濃ゆい人たちの間で、割を食っていたのがゆーひくん。
 薄い体温低い芝居が売りの彼は、すげー勢いで空回るまとぶん相手に一歩も二歩も下がって芝居をしていた印象。や、ヘタに近づくとぶつかるしねえ……。
 まとぶとゆーひは相性良くなかったよな……劇団もわかってて、すぐに離しちゃったけど。

 微妙だったな……遠い目。


 それを思えば、ちぎみゆの薄い芝居は、別に薄いんじゃなくて、これでちょうどいいんだろうな。
 わたしがギトギトに慣れてしまっていただけで。

 薄く現代的になった『哀しみのコルドバ』は……なんだろ、悲劇っぷりも薄くなった気がする。

 ウザくて大嫌いだった両ママ役とか占い師とか、「お前らもっとふつうに喋れっ!!」と出て来るたびイライラしたもんだけど、今回はそんなこともなく、むしろ「え、これだけ?」と拍子抜け。
 苛つかなかった分、心にやさしい……はずが、なんだろう、物足りない(笑)。
 引っかかりがなく、ただ流れていってしまう。

 あれ? こんなもん?

 どちらがいいも悪いもない。わたし別に、前回の花全ツ自体はそれほど好きでもなかったし。「このラストシーンは盆が回ってこそだよなー。盆のない全ツでやってもなー。でももう本公演でやっていい芝居じゃないしな古すぎる」と俯瞰していたクチだし。
 古くて嫌いな部分が多く、観ていて苛々する。が、好きな部分も多い。トータルして好きな作品かな。再演が決まるとわくわくするから、やっぱ好きなんだと思う。

 ただ、苛々しても花全ツは「好き」と思える部分が多く、「大して苛つかないけど好きな部分も薄かった」のが、今回の雪全ツかな。
 むー。どっちもどっちね、それ……。

 ちぎくんの熱血持ち味ゆえに、まとぶと同じタイプを期待していたけれど、こうして見るとかなり違うんだなあ、ということが発見できて、それがいちばんの収穫かもしれない。
 雪組全国ツアー『哀しみのコルドバ』初日観劇。
 ……は、ともかく。

 まず、吐き出しておく。

 『哀しみのコルドバ』って番手落とし、路線外通告ツールかよ?! うっきーー!!

 2回連続だと、「そういうこと」かと思うよねー。

 主人公エリオ。花形闘牛士。ヒーロー。
 2番手役ロメロ。実業家、ヒロインのパトロン。渋い大人の男。
 3番手役ビセント。闘牛士。色男。
 4番手役フェリーペ。ロメロの甥。王子様系。

 男役で主要な役は、以上。
 4番手までオイシイ、てのがこの作品の売り。3番手と4番手はおいしさが遜色ないというか、ジェンヌの持ち味で振り分けてもいいかもなというくらいの比重。
 娘役もヒロイン+準ヒロインとふたつも大きな役があり、再演が決まると「あの役は誰かしら」とわくわく想像して盛り上がれる、そういう意味でも楽しい作品。

 アルバロ?
 ああ、ストーリーに関係ない、いてもいなくてもかまわない、「闘牛士グループ」でひとまとめにされているキャラがいましたね。
 番手外の役ですよ、闘牛士全部で何人いたっけ。『ベルばら』で言う「衛兵隊」みたいなもんで、人数減ってても客は気づかない。

 2009年の花組再演時、トップから3番手以外5番手まで4人ぞろっと出演していました。番手付き4人、主要な役もちょうど4つ、なのに、5番手が番手役からはずされ、「アルバロ? 誰? 前に再演観たけどそんな役知らない」と言われるような役を振られましたの。
 そして、4つめの役であるフェリーペは、劇団が「出来れば上げたい」と思っている下級生がやりましたのよ。

 下克上は人事の花、組替えも退団もないのに、組内番手が変わる……! というのは、ヅカファンがわきたつ、いわば祭りのひとつです。

 ……という前例アリで。

 今回の雪組でも、まったく同じことするってどうよ。

 ええ。またしても、アルバロ。
 「誰それ?」な脇役。
 4番手役フェリーペを劇団推し下級生に振って、4番手は脇のアルバロですか!!
 もう番手扱いする気ないっすよ、別格ですよってか。

 あーー……。

 下克上の必要性はわかっちゃいるけど、以前の贔屓の役を、こうも完璧に「路線外しの役」「自覚を促すための処置」みたいに踏襲されると、複雑だわ。

 あの頃の花組は、まとぶんがトップになって1年……しかし、3番手のえりたんはかれこれ6年(!)とか3番手やってて、みわっちは3年くらい4番手やってて、まっつも3年くらい5番手やってたんだっけ。
 トップの座に5年間君臨したオサ様が卒業して2番手のまとぶんがトップに繰り上がっても、2番手にゆーひくんが降ってきたため、3番手以下は誰ひとり番手が上がらなかったの。トップが変わったのに路線の番手塩漬けって組の勢いが落ちるわよねえ……ゆーひくんが栄転したのちも、停滞感はぬぐえず、まとぶさん時代はずーっと集客に苦労した記憶。
 5番手3年て、その微妙な番手でその長さ、ありえねー……。
 将来的にトップになると確定している人だけを「路線スター」とするわけじゃない。本公演の最後のパレードで真ん中を歌いながら階段降りする人は「路線」で、「それ以外」と区別される。単なるシステムの話。まっつがトップになるなんて誰も思ってなかったろうけど、それでもまっつは「路線」側にいる人だった。
 当時のまっつは「いつ路線から完全にはずれるか」「退団するか」が注目点だったなあ。
 本公演では体裁だけ5番手だったけど、別箱ではすぱっと脇宣告。
 演目がでたときは「番手的にまっつはフェリーペかな」「タイプ的に、みわっちフェリーペでまっつがビセントかも」とか言われていたりもしたけど、フタを開けてみたらアルバロだもんねえ。
 「まっつがついに路線から落ちた」と騒がれましたわね。


 翔くんはこの前の大劇場公演で、咲ちゃんと立ち位置が変わった。
 それまでは翔くん・咲ちゃんという学年順の並び方だったのが、逆転して咲ちゃん・翔くんになった。

 もともと咲ちゃんは鳴り物入りスターで、入団前からトップスターになることが決まっているひとりだ。
 歴代唯一の単独音校ポスターとか、歴代屈指の新公主演回数だとか、わかりやすく「特別です、他の人と混同しないでください」と線を引いている。
 そんな咲ちゃん相手に、翔くんが脇から路線争いに食い込んできたこと自体画期的、本来ならあり得ない事態。まあつまり、そんだけ咲ちゃんが伸び悩んでいたってことなんだけど。

 だから、たぶんほとんどの人が最初からわかってる。
 彩彩コンビの劇団重要順位は、咲>>>翔だと。翔くんが上にいたとしてもそれは暫定処置、いずれは咲ちゃんが来ると。

 わかっているからって、実際に順番が入れ替わると衝撃はあるもので。
 『星逢一夜』『La Esmeralda』初日は震撼したなあ。

 まったくの脇だったのに、『オネーギン』『ロミジュリ』と翔くんがキラキラと頭角を現してきて。
 すっかり足踏みしてくすんでいた、ついでにぷくぷく太っていた、咲ちゃんを席巻したんだよねえ。アレは見ていてわくわくした。
 スター誕生は、みんな大好きだよね。
 「特別ですから」と真ん中に居続けてる成長のわかりにくい劇団推しスターの横に、雑草育ちの知る人ぞ知る美形がどーんと並んだんだよ? ドラマですよ、祭りですよ!
 スター誕生。咲ちゃんと並んでバウ主演、『仮面の男』では本公演でも美貌の輝く重要な役、そして初新公主演。

 瞬く間に、スターダムを駆け上るカタルシス。

 ……それを知っているだけに、あんだけ華やかにスター誕生しただけに、咲ちゃんの下へ落とされてしまったことは切ない。
 翔くん、あまりにも実力面で成長しなかったからねえ……。最初からうまくはなかったけれど、場を与えられれば伸びるかと期待したのに、悪声も音痴も芝居下手も、変わらなかった……。
 一方咲ちゃんは、やたら時間掛かったけれど、確かに前進しているし、『GOLD SPARK!』あたり太ましさMAXでえらいことになってたけど、ちゃんと痩せてきれいになってきているし。

 咲ちゃんが特別な人でなにがあっても路線スターなのは、わかっているからいい。
 それはそれとして、翔くんもちゃんと扱って欲しい。
 みんな並んでゴールできる世界じゃナイから、順位付けは仕方ない。それは受け入れた上で、夢を見られなくなるような冷たい仕打ちはやめて。
 願うのはそういうこと。

 なのに。
 直前の公演で、3番手から4番手へ落とされて、次の公演で、4番手すら落とされるの?!

 それひどくね?! 夢を売る劇団にしてほしくないやり方っすよ?!

 しかも、まっつが番手外扱いされた、アルバロで。
 またしても、4番手外し。
 やーめーてー。
 アルバロって、そーゆー「残酷人事役」とレッテル付くじゃん! つか、もう付いてるか。

 あー、ぶつぶつ。
 あー、ぐちぐち。
 雪組バウ『銀二貫』初日観劇。

 ナニを危惧したかって、かなとくんの子役!!

 『銀二貫』って物語の大半が子役なんだもの。
 そして、我らが月城かなとは、子役が苦手。

 『星逢一夜』新人公演にて、子役を披露したかなとくんの自爆っぷりは、記憶に新しい。
 子どもの服を着て、子ども言葉を話す、残念な大人がそこに……。
 つんつるてんの着物が似合わなくて、痛々しかった……。

 東宝の新公ではちゃんと子どもに見えたけど。
 それでかなりほっとしたけれど。

 苦手分野であることは、変わらない。

 『星逢一夜』はまだ「武士」だったから、少年時代もまだ格好は付く。
 しかし『銀二貫』は「丁稚」だ。
 誰がやったってカッコよくならない。それがわかっているだけに……心配ですってば。

 それで、えーと。
 実際に観て、危惧したほど悲惨なことにはなったなくて、助かった。
 似合っているわけではまったくないが。
 それでもなんとか……大丈夫よね? わたしの贔屓目、ってだけじゃないよね?
 てゆーかさー、この公演で3番目にでかい男に、何故子役をやらせるかな。
 おかげで誰と芝居するときも、丁稚さんてば無用にでかくて画面がおかしいわ。

 早く大人になってくれ……と、手に汗握りつつ観劇していたわけなんだが。

 いやあ、まさかの1幕まるまる子役!!

 幕が下りてきたとき、「子役のまま幕降りた!!」って内心叫んだもの。
 タカラヅカなのに……1幕全部子役て……(笑)。

 いやはや、かえってもう、ツボりました。
 ナイわー。こんな作品、他にナイ。


 もひとつツボったのが、がおりさん。

 2幕になって、突然がおりさんがカーテン前でオンステージ。

 キターーッ!
 役も番手も関係なく、がおりに突然1曲朗々と歌わせるのは、谷せんせのお約束よね(笑)。
 キタキタ、これがナイと谷作品ぢゃねえってばよ。

 がおちゃんは研5の終わりに新公主演してるんだよね。
 研5主演ってスターだよねえ。
 その主演した1回限りの作品は、もちろん谷せんせ作。
 でもって入団以来、雪組の谷せんせ作品では、がおりさん皆勤賞だよね。絶対振り分けられるよね。で、役がどうあれ番手がどうあれ、彼のための見せ場がある、と。どんだけお気に入りなん。いいぞもっとやれ(笑)。

 これからも、谷せんせとがおりさんはこのままでいてください。ツボです。

 あとはあすくんにも、この路線を継いで欲しいっす……。
 谷せんせ、あすくんも好きだと思うし!


 とまあ、作品内容とは関係ない部分の注目点を先に書いてみる(笑)。
 『銀二貫』初日観劇。

 泣いた。

 いや、泣ける話だというのは知ってたけど。
 それでも。

 大泣きした。
 2幕は泣き通し……つか、嗚咽が上がりそうになるくらい、マジ泣き必須。
 おそろしいわ……なんて作品なの……!

 物語の持つ力。

 それに、膝を折る。
 脱帽する。
 舌を巻く。

 地味な日本物、そのなかでももっともビジュアル的に残念な、江戸時代の町人物。
 ドレスや軍服のきらきらしたコスチューム物を求められる「タカラヅカ」で、もっとも人気のないジャンル。
 だからこそ、物語自体に力が必要。

 いや、もう、なんつーか。

 谷正純の本気を見た。

 役者がね、まず、谷せんせのお気に入りばかりなのよ。
 エマさん、みつる、という専科さんはもとより。
 雪組ではいちばんのお気に入り役者じゃないかと常々思っている、がおりを筆頭に。
 にわにわ、桃ひな、あす、あり、まから。
 叶、まち、あんこ……。

 谷作品でお馴染みの面々が、ずらり。
 谷せんせは、キャスティングというか、振り分け権利はかなり強いモノを持っていると聞いているし。まあ、劇団の重鎮だから、さもありなん。
 おかげで雪組に谷作品が来ると、高確率で同じ顔ぶれになる(笑)。
 や、いいよいいよ、その本気っぷりやヨシ!

 『心中・恋の大和路』がそうだったように、音痴皆無、歌ウマだらけ!の舞台ってすげえよ。タカラヅカでこれはすっげーゼイタクっすよ!
 ……って、えっと、たしかみつるさんは歌唱力に不自由しているスターさんのひとり、だったはず……だけど、今回は歌えてるし! てゆーかみつるが壊滅的なのはショーの歌で、芝居歌はそこまでじゃないのよ、演技力で歌っちゃうから!!

 仕事の出来る人たちを集めて、適材適所にがっつり固めて、感動必須の出来上がった原作を使って、「物語」を創る。
 音楽や舞台装置や、役者が加わって、すべてが揃ってようやく、呼吸をはじめる、「物語」という、イキモノ。

 そのイキモノが産声を上げ、歩き出す様に見入った。

 というのもだ。

 主役のかなとくんは、「物語」に乗せられている状態なの。

 産声を上げたイキモノの上に、乗っている。
 かなとくんがそのイキモノなのではないし、そのイキモノを操っているわけでもない。
 乗っている。ただ、上に。

 主役が他の誰かであっても、物語は自力で動き出したかもしれない。
 それくらい、周りのキャストが強力だ。
 かなとくんが自分で立てないとしても、問題なく進むくらい、「物語」が自力で立っている。

 だから、すごい。
 物語が生まれ、立ち上がった。過去の名作とやらでもなく、海外からの輸入名作でもない。
 原作があるにしろ、「ミュージカル」になったのはこれが最初、まったくの新作、誰もまだ見たことのナイ作品。
 その、「新しい、まだナニモノでもないナニか」が産声を上げた。立ち上がった。
 それを目の当たりにする感動。
 ドキドキした。

 かなとくんは乗っているだけと書いた。
 彼でなくても成立するかもしれないとも書いた。
 だが、かなとくんがダメだと言っているわけじゃない。

 かなとくんが自力で立てなくても問題ないほど「物語」が自立している……そう思うのは、かなとくんが、物語に「正しく」乗っているからだ。
 きっと、もっとヘタな人や、感性の違う人が松吉を演じたら、「物語」自体が崩れていたかもしれない。
 周囲と物語をすごいと思わせるほどには、かなとくんは松吉を、真ん中を、きちんと務めている。

 ただ。
 乗りこなしては、いない。

 彼に主導権がナイ。
 彼の乗っているイキモノの操縦桿は、かなとくんの手にナイ。
 それはまだ、誰の手の中にもナイのだろう。

 今はまだ、背に乗って、運ばれているだけの状態だと思う。
 それでもこんだけ泣けるのよ……おそろしい……おそろしいわ……。

 だから思う。
 このまま公演を重ねて、かなとくんが主導権を得るようになれば。

 この「物語」というバケモノは、どこへ向かうのだろう。


 かなとくんが今さら日本物で主演って、ヤだったのよ。
 しかも駄作メーカーの谷作品。『サン=テグジュペリ』みたいな史上に残るレベルの駄作だったらどうするよ? 日本物の雪組、その御曹司かしげの『ささら笹舟』だって、キムくんの『やらずの雨』だってひどかったわ……気の毒だったわ……。
 ヅカヲタには「谷だったら観ない」という層が少なからずいて、「日本物だったら観ない」という層が確実にいて、初主演で駄作に当たるとその後の路線人生の険しさが増すのに駄作の確率が非常に高い演出家あてるのはよせ、と心から思った。
 また、駄作であろうとなかろうと、かなとくんの得意分野は日本物で、苦苦苦と耐える男で、苦手分野がショーとダンスで、舞台で華やかさを出すこと、……なのに地味な日本物で主演しても、今必要なのはそれじゃナイだろ感ゆんゆんというか、ええいっ、れいこに『A-EN』やらせろ、ツンデレ強引ドSで壁ドン顎クイさせてキザりまくらせろ、ショーの真ん中でど派手衣装着て存在感出す訓練させろ……っ、と歯がみした。

 ……のは、事実です、ええ。
 そんなわたしでございますが。

 『銀二貫』を観て、心から、わくわくした。
 この「物語」の力を借りて、れいこはどこへ行くだろう?
 どれほど、成長するだろう?

 実力者たちに担がれた、計算され堅牢に作られた神輿の上で。
 月城かなとは、なにをする?

 ただ担がれているだけでは、いないはず。

 実際、幕開きと終盤では、変化を感じた。
 彼は変わる。
 この「物語」を得て。

 なんかすごいな。
 すごいところにいるな。
 キャストも、そして、観客も。

 そう思える感動。

 だから。

 かなとくん、バウ初主演おめでとう。

 君は正しく、そして幸運だ。
 某物語のキーワードを、ここぞと記す(笑)。ロールプレイングする快感を込めて。
 『舞音-MANON-』を観て、シャルルが許されるためには、ナニが必要か、を、考えた。

 主人公のシャルル・ド・デュラン@まさお。
 [インドシナ駐在を命じられた、フランスの若きエリート海軍将校]だそうだ。

 このシャルルくんは美しい婚約者も、優しい親友も、恩ある上官もいるのに、それらすべて裏切って、捨てて、恋に走る。
 女にゼイタクをさせるために、犯罪にまで手を染める。
 でも、女を守ることも出来ず、女は政府に捕らえられ、拷問された上に結局殺されてしまう。

 シャルルくんは、あまりにも無力だ。
 てゆーか、なんにもしてない。

 わたしは彼があまりにしどころがなくて、驚いた。
 や、だって、主人公ですよ……? トップスターの役ですよ……?
 なんでこんなにも、いいところ皆無なの……?

 原作『マノン・レスコー』がそういう話なんです、という逃げ口上はいらない。そういう話はしていない。
 宝塚歌劇『舞音-MANON-』の主人公シャルルの話だ。

 シャルルのいいところ、って、ナニ……?
 家柄とか身分とか地位とかは、全部捨てちゃうから、ナイのと同じ。
 えーっとえーと、シャルルのいいところ……。

 顔。

 ハンサムだ。きれいだ。美形だ。

 …………以上。
 え、以上? これだけ?

 他はもお、ろくなことしてないか、ろくなこと以前にナニもしてない……。

 これじゃ、この主人公に感情移入できない、好意を持てない。

 いったいどうすれば、ナニがあれば、シャルルは「主人公」としてアリになるだろう? 許されるだろう?

 『舞音-MANON-』は、たぶん『舞姫-MAIHIME-』と関連している。
 モチーフがかぶるんだ。作者自身、意識して似せているんだろう。
 シャルルの造形は『舞姫-MAIHIME-』主人公の豊太郎と酷似している。

 家族も仕事もありながら、赴任先で踊り子に恋をして、義務と責任を捨てて色欲に走る。
 踊り子とはベッドでのラブラブいちゃいちゃシーンもあり。
「目を覚ませ」と親身に意見してくれる親友もいる。

 この上豊太郎は、結局踊り子エリスを捨てて日本へ帰るんだよね。捨てられたエリスは哀れ発狂。

 最後まで舞音@ちゃぴを愛し抜くシャルルの方がまだマシじゃん?
 なのに、「ナイわー」度は、断然シャルルが上。

 シャルルの描き方が間違ってるんだと思う。
 出世をあきらめるとか婚約者を捨てるとか犯罪に手を染めるとか、「愛のために」彼がやっていることは、「独りよがり」で彼を魅力的に見せない。個人的なことなんだよね。
 「彼女のために、(親に買ってもらった)馬を売る!!(ドヤァ!!)」と言われても(中村A作『マノン』の名台詞)、はぁ?だし。ものすごい犠牲払ってるつもりなんだろうけど、別にソレ、アンタの勝手で、ぜんぜん犠牲になってなくね? てなもんで。
 愛に生きる、プラス面として描いている部分が、マイナスに見える。

 そして、シャルルが「優秀」な面を描けていない。
 ベトナムにやって来たシャルルは、「はじめての海外旅行♪ どんな出会いが待っているかしら、もうひとりの自分の存在に気づいた気分」とふわふわ夢見る若いOLさんみたいなことしか、していない。
 えーと、軍人さんなんだよね? 将校なんだよね? どんだけお花畑……。
 軍人としての実績、優秀であるという具体的エピソードもないまま、「運命の出会い」をして、会った数時間後にベッドイン、キャッキャウフフ、突き放されてがーん、お前なんか嫌いだー! でもやっぱり好きだー! 婚約者さよーならー!
 で、あとはもう身を持ち崩してるし。舞音の取りまきに嫉妬したり器の小さい言動しか取らないし、彼女が捕らえられてもナニも出来ないし。

 豊太郎が許されたのは、彼が優秀な官僚で、仕事もばりばりやってたからだな。差別や偏見と闘いながら、心優しく真面目に生きていた。
 まず彼のいいところをしっかり描いておいて、「こんなに素晴らしい男が、愛ゆえにすべてを捨てる」というカタルシスへつなげた。

 シャルルは最初の「優秀な人間」「愛すべき人間」であることを、描けてないんだわ……。
 しょっぱなから、マイナス要因ばっかなんだわ……。

 それともうひとつ。
 ストーリーの軸が、シャルルの恋だけでなく、独立運動にもあった。
 てゆーか、シャルルはナニもしないので、ストーリーのアクション部分、「動く」部分はシャルルとは無関係の独立運動が担う。
 これでシャルルが独立運動の中枢としてがっつり働くならいいけど、そうじゃないのに「動く」部分が見た目派手なレボリューションに置かれてしまうと、「蚊帳の外」のシャルルはそれだけでマイナスが付く。

 これじゃシャルルに好意も持ちにくいし、感情移入もしにくい。
 不要な「もう一人のシャルル」はちょろちょろしているし、「革命だー!」「自由、平等、博愛!」「シトワイヤン行こうーーー!!」てな、「横暴な権力者に歌で対抗」がはじまったり、え、これなんの話だっけぽかーん……うわ、みやるり喋ったー!! つかその台詞いらねーー!!

 という、怒濤の客席「置いてけぼり」展開。

 まあとりあえず、舞音死ぬから客席泣くし。
 人が死んだら反射的に泣く層は、絶対いるからねー。
 『長崎しぐれ坂』のラストのホモ心中舟でも、客席泣いててわたしはぽかーんだったもの。


 はい、景子せんせの欠点のひとつ。

 主人公が、ナニもしない。

 描きたいことが他にあるもんだから、主人公ってただのコマなのよね。
 主人公を書き込むことを忘れてるから、出来上がったあとで「あれ? ぶっちゃけ、主人公いらなくね?」になる。

 アテ書きでもないからねえ。
 それでも踏みとどまって、自力で魅力を出すのがトップスターの仕事、ともいう。
 『舞音-MANON-』を観て、思った。

 「もう一人のシャルル」いらんやろ。

 もう一人のシャルル……[シャルルの真実の心を表す存在]だそうですよ。
 なんなんすかね、これ。

 舞台は小説ではないので、キャラクタの「真実の心」てのは表現しにくい。台詞にして言っていることと、本心がチガウ場合は解説が難しい。
 テレビのように表情アップにならないし、キーとなる動きや表情をしていたって、観客がそこを見ているとは限らない。舞台上のどこを見ていてもいいんだもの。
 だから、誰にでもわかるように、「キャラクタの心情だけを表す役」を作って、舞台上に置いておく、というのはひとつの手だ。

 が。
 そんなもんなくてもわかるよーに演出するのが基本だし、それでもあえて「解説役」を置きたいのだとしても……。

 シャルル@まさおって、すごくわかりやすいキャラだよね?

 そんな、「もう一人のシャルル」なんて作らなくても、シャルルだけで十分やん。

 シャルルが心裏腹キャラだっつーなら、必要かもしれんけど、彼は「感情一途」「思い立ったら暴走上等」の単純男だ。
 思った→思った通り行動した→別のことを思った→思った通り行動した、てな、感情と行動がイコールの、シンプルなイキモノだ。
 このわかりやすい男のどこに、「真実の心を表す存在」が必要なんだ……?

 もう一人のシャルル、いらねー……。
 うろちょろしてて、邪魔だー……。


 まず、この「もう一人のシャルル」、「もう一人のシャルル」だということが、わかりにくい。

 「この世にナイ存在」だということが、わかりにくいの。
 だって、映像じゃナイから、ふつーに実体があって、舞台にいるからね。
 ファンタジックな姿をしているわけではなく、ふつーに軍服とか着てる。
 これが唯一無二の服で、シャルル@まさおと同じ姿ならまだしも、「軍服」じゃあ唯一無二にならない。シャルルと寸分違わず同じ服だとしても、「同じ階級の軍人さんがもうひとりいる」になってしまう。だって「制服」だもの、同じ物がたくさんある前提。

 最初に配役表に目を通してないと、わからなかったろうなあ。
 初見の団体さんとか、最後まで意味わかんないだろーなー。

 「もう一人のシャルル」だとわかりにくい、ふつーに生身の人間に見える、そしてシャルル本人だけで問題なく話が進む……もう一人のシャルルの存在意義はどこに??

 意義があるとすればソレは、みやるりが演じている、ということ。

 美しいみやるりがいつも舞台にいて、話の内容と関係なく、真ん中にいる。
 画面に入ってくる。
 あー、みやるりきれいねえ。
 美しいっていいわねえ。
 美は正義よねえ。

 ……それだけ。
 それだけで十分、かもしんないけどな。
 けどな。

 いいのか、それで?

 「もう一人のシャルル」だから、ダンスだけで喋らないし。歌わないし。
 この学年の男役が、番手付きスターが、台詞なしって……!!

 わたしがみやちゃんの声や歌の大ファンだったら暴れてるわーー!!
 それが必要な役ならまだしも、不要な役で台詞なしって!!

 や、厳密に言うと、「もう一人のシャルル」にも台詞はある。
 あるけど。

 あんな台詞なら、ナイ方がマシだ。

 はい、景子せんせの欠点のひとつ。

 ラストに「作品のまとめ」を台詞で解説する。

 せっかく台詞なしでダンスだけで美しさだけで、表現し続けてきた「もう一人のシャルル」が。
 ラストのラストで、突然、「この物語のテーマを20文字でまとめました、模範解答」台詞を語り出す。

 キターーッ!
 景子タンの悪い癖キターーッ!

 今までマイク付けてなかったみやちゃんが、ラストは胸に燦然とマイク付けてるの見て、「嫌な予感」が稲妻のように背筋を貫いたけれど。
 みやるりに声出させるの? それじゃこれまで90分かけてやってきたこと台無しじゃ……で、でもまだ、なんとかマシな声の出し方なのかな……? マシであってくれ……。
 祈るような気持ちで見守ったけど。

 最悪のカタチで、喋り出したー!!

 台詞なし、ダンスと存在のみで表現してきたみやるりに、あったまわるい「まとめ」を喋らせた。
 うわー……かっこわる……。

 景子タン、変わらないなあ。
 留学から戻ってからずーーっと、一貫してるよね、この芸風。
 揺るがないわー。

 あまりにも「景子タンの悪い癖、キターーッ!」だったので、笑いツボ入っちゃったわ。
 来るぞ来るぞ、キターーッ!てな。

 せっかく美しい世界を作れる人なのに、いつも自分でそれを泥臭くしちゃうのよね。
 それが景子タンの愛嬌かしら。
 ブランド物のスーツを着こなしたクールなキャリア女性の、足元が何故かミもフタもナイご近所サンダルで、ああ、あわてて飛びだして来てまちがえたんだな、でも気づいてないからスカしてプレゼンしてるわー、かわいいなあ、的萌えどころかしら。
 いーやーだー。(リプライズ)
『タカラヅカスペシャル2015-New Century,Next Dream-』におけるお客様参加の演出について
2015/11/16
『タカラヅカスペシャル2015 -New Century,Next Dream-』(梅田芸術劇場メインホール:2015/12/19~12/20)では、お客様と出演者が一緒にご参加いただける場面を予定しております。

振付は動画でレクチャーいたしております。
ご観劇の際には、ぜひご一緒にお楽しみください。
  
『タカラヅカスペシャル2015 -New Century,Next Dream-』振付講座
※お座席にお座りのままでご参加くださいますようお願いいたします。
※周囲のお客様のご迷惑にならないよう、皆さまのご協力をお願いいたします。
 なんだこりゃあ。
 やっぱりタカラヅカはこれから、「客席で一緒に踊る劇団」になってしまうの??
 100年の歴史を捨て、アイドルのコンサートのノリを目指すの?

 生きにくい世の中になった……。
 よぼよぼ。

 かなりブルーな気持ちになって、振付動画も見てみたんだけど。

 あれ。

 客の立場に立ったレクチャーになってる。

 出演ジェンヌが後ろ向きに椅子に坐り、「坐ったまま客席で踊るとはどういうことか」を実践して見せてくれている。

 これなら、11月12日欄で嘆いていた、

> 「右」という声を聞きながら、目には向かって左の手を上げている姿が映る。
> 耳は「右」と思い、目は「左」と思う……混乱。

 という混乱が起こらない。

 見本のジェンヌさんが「右」と言って上げる手は、ちゃんと「右手」だからだ。「向かって左手」を「右」と言われるストレスがナイ。

 踊りやすい。これなら、踊れる。

 振付動画が進化してる……!

 こうして客席と同じ目線で踊って見せてくれる、というのは、世の中にはわたしと同じ、「右上げてと言われて向かって左を上げられると混乱する」人たちが一定数いるってことよね?
 誰もが「見るだけで即同じ動作が出来る」、というわけじゃない、ってことよね? ね?

 つか、こういう教え方ができるなら、『GOLDEN JAZZ』のときからやれよ……!


 タカスペはいちおーお祭りで、コンサート寄りの公演だからなあ。
 客席はファンのみだから、大劇場本公演と違って「コアなファン以外置き去り」ってな事態にもならないだろうしな。
 まだ「アリ」っちゃー、アリだと思うけど。

 ヅカは客席参加型にする必要ナイと思う。
 景子せんせの娼婦萌え作品、第何弾……『舞音-MANON-』

 景子せんせは今までにも、「ヒロインが娼婦の作品」を書いてきている。
 思いつくだけで、『堕天使の涙』『HOLLYWOOD LOVER』『My dear New Orleans』『近松・恋の道行』……。
 娼婦好きだよねー。

 や、萌えネタのひとつに「娼婦モノ」ってのはあるから、それ自体は別に不思議じゃナイ。
 わたしは腐女子ゆえ、「同人の定番ネタというモノは、普遍の萌えネタである」という認識の仕方をしている。
 「記憶喪失モノ」「中身が入れ替わっちゃうモノ」「監禁モノ」「(元作品が異世界や別時代作品である場合の)現代学園モノ」とか、「お約束」として存在するパロディネタ。整合性はさておき、そのシチュエーションに萌えるためにある、だから無理矢理でも「お約束ネタ」にはめ込んで遊ぶ。
 その定番メニューにあるもん、「娼婦モノ」。大抵受キャラが娼婦になってるのなー。切ない恋物語なのなー。

 同人といわず、過去の文学作品にも多く描かれているのだから、普遍的ニーズのあるテーマなんでしょう。

 ただ、現代日本で、娼婦ヒロイン物は共感を呼びにくい。
 二次創作でアリなのは、すでに「愛されている作品とキャラ」があって、そのキャラを使って別の物語を、別腹で楽しんでいるから、そのときだけの「娼婦設定」は楽しめる、ってこと。

 パロディではない新規作品で、しかも90分という短い時間で、現代女性が好意を持ちにくい「娼婦」という存在を使って、客席の女性を魅了しなくてはならない……って、大変な作業っすよ。

 しかも、主人公の男は、娼婦に惚れて身を持ち崩す、どんどんみじめにみっともなくなる、という、これまた現代女性が魅力を感じにくい造形。
 女のために地位や身分を捨てる、てのは女性視点では魅力になる要因ではあるけれど、それは相手の女性が、観客の尊敬や共感を得ている場合に限られるからねえ。

 やたらめったら難しい要素を積み上げて、それでも客席を味方に付けて感動のフィニッシュへどうなだれ込むのか、景子タンのお手並み拝見!! ……な、わけだが。

 えーっと。

 共感、得られてました?


 タイトルロールであり、物語の中心となるヒロイン、舞音@ちゃぴ。
 彼女が主人公シャルル@まさおに愛される以上に、まず、観客に愛されないと、この物語は成立しない。

 ちゃぴにファム・ファタールをやらせる、男を狂わせる高級娼婦役をやらせる、という段階で、期待したんだ。
 ちゃぴは美女というよりはかわいい系、女王様というより村娘、女豹というより子犬、妖艶な大人の女というより健康的な少女。
 この持ち味のちゃぴを使って、ファム・ファタール物をやるというなら、ちゃぴの魅力を最大限に使った新しいファム・ファタールを観られるのだと、期待した。
 よくある魔性の女ではなく、女性が観て納得できる魅力を持ったキャラクタなのだと。

 だがしかし。

 登場した舞音は、よくある魔性の女だった。

 他のジャンルでも、タカラヅカの舞台でも、飽きるほど観た、「ふつーのファム・ファタール」だった。
 「ファム・ファタール」と言われて、まず最初に想像する類いの、テンプレートみたいなやつ。

 まず美貌で男のハートを射貫き、小悪魔的なわがままを言って翻弄し、蝶のように男たちの間を飛び回る。他の男に触れさせたくない、自分だけのモノにしたいと、男たちは目の色を変える……。
 あー、うん、「ふつー」のファム・ファタールだねー。

 や、ふつうでもいいんだけどさ……造形がふつうなら、ビジュアルもふつうにしてくれないと、混乱する……。

 つまり、ふつーに、わかりやすく、美貌の女。
 セックスアピールがあり、男たちが恋愛対象として見るだろう肉体。

 ちゃぴ舞音は残念ながらそのー、わかりやすい美貌でもないし、色気もない。スレンダーで筋肉質で、抱き心地も悪そう。

 男性を瞬時に虜にする魅力が、伝わらない。

 そして、「特別な女性が登場した」という演出もない。
 ふつーに小さなステージに女性ダンサーが複数登場する、というだけ。そのステージのセンターを務めているのが舞音である、ということだけが「特別」らしい。
 あとは「もっとも人気のある踊り子である」という説明台詞があるのみ。
 舞台の上に作られた「店」の中の「ステージ」よ。めっちゃ小さいの。そこのセンターの踊り子さんに、シャルルは一目惚れする。
 え、ファム・ファタールとの出会い演出これだけ?? マジすか。

 いや、踊り出したときは店の中の小さなステージでも、シャルルと目が合うなり、ステージも店も他の人たちも消えて、広大な舞台に舞音とシャルルふたりきりになる……くらい、演出でどーんとカマしてくれよお。
 シャルルにはこれくらいの衝撃だった、彼女以外ナニも見えなくなった、的な。

 前述の通り、ちゃぴの持ち味は美貌や妖艶さではなく、清潔で健康的な愛らしさだ。
 異性に肉感的な意味で好まれるタイプではなく、同性に共感を受け好ましく思われるタイプ。
 なのに、ちゃぴの持ち味無視の「テンプレ美女」演出……。

 せっかくファンの多い(=女性に好まれる)ちゃぴを、彼女の魅力無視の、女性から共感を得にくい美女演出で使うとか、ありえねー。


 『舞音-MANON-』を観て、「悪い景子タンがてんこ盛りだーー!!」と思った。

 はい、景子せんせの欠点のひとつ。

 アテ書きしない。

 景子作品って基本アテ書きしないのよね。まず「作品」が先にある。
 景子タンの描く人たちはみんな美しいから、タカラヅカスターなら誰でも演じられる造形、ゆえに番手順に当てはめるだけで、ハマることが多いってだけで、「このスターにこの役を!」という作り方はしない。(そりゃ、例外もあるけどね)

 景子タンの悪い癖。
 キャストの持ち味無視、自分の作品イメージの方が大事。

 「ちゃぴでファム・ファタールを描く」なら、いくらでも夢が広がるってもんなのに……。
 ちゃぴの魅力を全開にした、ちゃぴならではのファム・ファタール。

 でも、景子タンは。
 「ファム・ファタールを、ちゃぴに演じさせた」、なのね。
 『舞音-MANON-』初日観劇。

 期待は大きい、景子タン新作。
 わたしはなんやかんや言って景子せんせ作品好きです。なんだろ、狭い世界で自己完結している作風が、わたしの好みに合うんだと思う。
 同じ町内とかクラスとか社宅の奥様社会とか、狭い世界で生きて、自分の目に映るモノだけがすべてで、それだけで満足しちゃうお茶の間感覚。女性ならではかもしれん、巣を守って納得する感じが、見ていて落ち着く。や、国とか革命とか大袈裟なモノを舞台にしていても、描かれている内容はお茶の間的だから。
 破天荒な冒険ばっかじゃ、身も心ももたないからねえ。小箱の中のような物語も必要。

 原作の『マノン・レスコー』は知らないけれど、宝塚歌劇団の『マノン』なら知っている。ひっでー話で、抱腹絶倒だった(笑)。
 中村Aならお笑いになったとしても(なにしろ『お笑いの果てに』の人だからな!)、景子せんせならきっと美しい作品に仕上げてくれる。
 そう思える安心感ってば。

 んで実際、ポスターが美しすぎる。

 まさおさんの美しいこと!!
 景子タンのポスターはこだわりまくりの塗りまくりで元の画像と距離があることはわかっちゃいるが、それにしたってこの美しさは美形のまさおならではだ!
 ちゃぴの透明感あふれる美しさといい、「こんなタカラヅカが観たいんだ!」と思えるポスター。

 それにタイトルの『舞音-MANON-』もさー、景子タンの傑作のひとつである『舞姫-MAIHIME-』と同じシリーズっぽいしねー。異国で繰り広げられる、踊り子と異邦人の許されざる恋。

 期待するじゃないですか!

 ……期待に不安が入ったのは、配役にもう一人のシャルル・ド・デュラン[シャルルの真実の心を表す存在]@みやるりなんてのがあるのを知ったときからです……。
 もう一人のシャルルて!!
 黒天使@『エリザベート』とか、BJの影@『ブラック・ジャック』とか、あんなやつ……?
 しかも、みやるり? 主要キャストのひとりが「影」? しかもみやるりって、景子タンのお気に入りジェンヌじゃん!!(名もなき下級生時代から、景子作品になると役付きが上がる。もう新公主演はナイのでは、と危ぶまれていた立ち位置だったが、研7ですべり込み新公主演したのも、景子タン作品)
 つまり、かなりの比重よね、「影」が。
 あ……なんか、やな予感……危険信号……一気に駄作臭が……。


 えーと。

 予感は的中しました。

 わたしは景子せんせ作品好きだけど、好きを根っこにおいていてなお突っ込んでしまう。ツッコミ大好きな粗探し屋ですから。なんやかんや文句を言う、クリエイターやファンのみなさまからしたらウザいヤツですすみません。

 なにかしら不満があり、文句を言う……それはどの作家、どの作品でも同じ、要はそれでもメーターが「好き」に傾くかどうか。
 景子タンは「好き」な作家さんのひとり。彼女の作るこだわり抜いた美しい世界が好き。
 しかし。
 この『舞音-MANON-』は。
 悪い景子タンがてんこ盛りだーー!!

 うっわー、悪い方へ転んだかー……。
 こりゃきついわー。


 1回観るだけでもなかなか大変だったんだが。
 キャストのファンや月担の人たちは、この公演に何十回と通うことになるのよね……うわー、大変やな……。

 いやその、感じ方は人それぞれなので、世の中的には名作で感動作で「何十回観ても飽きない!!」モノだったりするのかもしれないけれど、わたしにはいろいろとキツかったっす……。
 苦手だ……。

 『相続人の肖像』観て不快指数MAXでぷんすかしてた、そういう腹立ちはないんだけどね。
 ただ、基本出演者のファンしか観ない、短期決戦パウ公演と、大劇場本公演で東西合わせて2ヶ月、組の総力戦で挑む公演とでは、責任の重さがチガウからなあ。
 まあ、植爺や谷作品より遙かにマシだから、いいっちゃいいんだが。下を見たらキリがないんだが。

 期待した分、がっかり感半端ないっす。
 『舞姫-MAIHIME-』みたいなタイトル、付けないで欲しかったなああ。
 ねえねえねえ、どーゆーことですか?

 タンバリン、売り切れてるんですけど?!

 『舞音』『GOLDEN JAZZ』初日!

 客席参加公演苦手だし、チケット代以外の「観劇必需品」でお金を徴収されるの嫌なびんぼー人ですが、タンバリンは買うつもりだったの。

 『DRAGON NIGHT!!』のときにうだうだ語ったよーに、

>1000円までは「記念品」として買えるけど、2000円は無理ーー。

 やっぱ、「プログラムの倍」の料金は出せないし、大劇場には2000円の席がある、「もう1回観劇できる料金」を、客席参加グッズに費やすのは、びんぼー人には違和感がある。それなら客席参加せんでいい、ふつーの公演をもう1回多く観るわ、てなもんで。

 されど、タンバリンは600円。
 2000円は出せないけど、1000円までなら出せる。
 また、本公演ならリピート観劇するから、減価償却できる。3回観れば1回あたりのグッズ代は200円。
 2000円出せないびんぼー人でも、200円ならぜんぜん平気。

 ということで、劇場についてまず、キャトルレーヴへ行きました。タンバリン買うぞーー!

 えーと。
 今日、「初日」です。
 今日から、はじまるわけです。
 そして、今日からはじまる公演は、「客席参加」を謳い、えんえん「タンバリン買ってね!」「一緒に踊ってね!」と宣伝しまくっていたわけです。
 ダンスの練習動画までテレビやネットで流し、「タンバリン必須!」な印象を植え付けてます。
 タンバリンも本日「15.11.13 発売」とHPで予告されていました。

 なのに。

 タンバリンが、売ってない。

 えーと。

 劇団、バカですか?(素)

 や、バカなのは知ってたけど。
 これだけ煽っておいて販売出来ないとか、企業としてありえないお粗末さだなあ。
 毎回、グッズが足りなくなって、販売出来ない日々が続いて、「リピーター」と「それ以外」の客席空気格差を強くして、公演が終わる頃にようやく再販売して、でもその頃にはもう誰も買う気をなくしていて、売れ残ったグッズがいつまでも正価のままキャトルレーヴの片隅で売られ続けている……何回同じ失敗を繰り返すの?

 大劇場キャトルレーヴには、何故か「サイリウム」が売ってます。
 2009年上演の客席参加公演『RIO DE BRAVO!!』で「ポンポン買ってね!」「ポンポン振って一緒に踊ってね!」とやったはいいけど、すぐに売り切れて、客席空気格差が広がるばかり、これじゃいかんとあわててサイリウムを仕入れて「ポンポンの代わりにサイリウム振ってね!」とやったんだけど、どこで買っても同じサイリウムなら、無駄に高い劇場でなんか買わず、100均で買った方がいいし、振るモノがサイリウムでいいなら、使い捨ての地球に優しくないサイリウムより何度も使える手持ちのペンライト振った方がいいって。
 で、その無様なグッズ仕入れ大失敗の傷跡として、未だに売り場に置かれているの。仕入れてしまったから、捨てるわけにもいかず、売り続けてるのね。6年間。
 ……「劇場で振らないでください」と注意書きされた、よそで買うより高いサイリウムを、劇場で買う客がいると思う? それでも売り続けることをおかしいと指摘する社員がいないみたいなの。

 以来、「客席参加公演」のたびに、グッズ入荷数を読み間違えて、公演が終わる頃にようやく再販売して、売れ残って、黒歴史を増やしている。
 キャトルの隅っこに、過去の「売れ残り」がひっそり売り続けられているのよ。
 一度も売り切れず残り続けているモノたちも切ないけど、悲惨なのは「すぐに売り切れ、再入荷したときにはすでに不要品」だったグッズよねえ。買いたかった人も、売りたかった人も、みんなが不幸になった、負の歴史。

 それでもまだやる、宝塚歌劇団。
 失敗し続ける。

 だから知ってた、バカだってことは。

 ただ、さすがに今までだって大劇場初日開演前に存在しないほど、完全に入荷数を間違えることは、なかったはず。
 前述のポンポンだって、公演がはじまってしばらくは誰でも購入できたわ。売り切れたのは期間中によ。

 別箱イベントじゃないよ、大劇場よ?
 2600人収容で1ヶ月公演する、国内有数の巨大演劇興行よ?
 その間ずーーっと「タンバリンで一緒に踊ってね!」とやり続けるわけよ? 1ヶ月かかって売るだけの量を発注しているはずよね? そのあと東宝でも1ヶ月公演することがわかっているんだから、多めに作っていても、最悪東宝で売ればいいんだし、大劇場分は余裕見ることができるよね?
 それが、発売日の朝から公演の幕が開くまでの間に売り切れる、なんてことは、物理的に不可能よね?
 劇場のキャパと公演数を考えれば。

 ……数を間違えた、としか思えない。
 人為的ミス。

 そうであってくれ。

 「こんなもん、買う人なんかいないわ。たくさん作る必要ナイナイ(笑)」と軽んじていたために、わざと個数を減らしたとか、「完売! 手に入らない! と煽った方が箔が付くから、人気操作に使いましょう」と、わざと完売するような少数しか作らなかったとか、だったりしたら、悪質すぎる。
 「一緒に踊ってね!」と練習映像でがんばっているジェンヌさんにも失礼だ。


 とまあ、わたしは最初からかなりテンション落ちました。
 や、練習映像見たけど、ミラーになってないし、わたしには無理だなと即あきらめたので、せめてタンバリン振って気持ちだけでも参加しようと思ってたの。
 踊れないことを誤魔化すために、タンバリンを求めてた!とも言う(笑)。

 それとも初日に駆けつけるような「真のファン」なら、情報収集して公式発売される前になんとか購入するべき、または発売日朝イチでキャトルに行って、買い逃すかもしれない友だちの分まで多めに買い占めるのがあたりまえ、気合いを示せ、初日の客席は全員タンバリンあたりまえに持ってるわ!!
 ということなのか、と身がまえたけど。

 えーと。

 タンバリン持ってる人、少なかった。

 友会席だったんだけど、わたしの周囲はほとんどいなかった(笑)。見渡す限り。気になったから、見回しました。客席明るくなるし。
 音は聞こえるから、持ってる人もそりゃいるんだろうけど。

 初日観劇の客が全員買ったわけではナイのに、何故タンバリンは売り切れているのか?
 観劇しない人も買うだろうし、ひとりでたくさん買う人もいただろうけれど、それにしたって2600×45公演分を何人で買い占めたというの……?

 劇団がアホなんだなと思うしか……。

 舞台の上でまさおさんはじめ、月組のみなさんは「タンバリン買ってくださいねー」とか宣伝に余念がないんだけど、売ってねーよ!!と心の中で突っ込む人も、わたしだけではなかったはず。
 スカステで、『GOLDEN JAZZ』の振付講座を見た。

 え、けっこう長い……というのが、いちばんの感想。
 もっと一瞬で終わるモノかと思った。
 こんだけまとまった尺踊らされるの?

 んで、いちおー、繰り返される振付を見ながら、手を動かしてみた。

 そこでの疑問。

 何故、ミラーで踊ってくれないんだろう??

 「右」という声を聞きながら、目には向かって左の手を上げている姿が映る。
 耳は「右」と思い、目は「左」と思う……混乱。

 世の中の人は、視覚の左右逆転を瞬時に出来て、身体をそれに直結して動かせるものなのか。

 や、世の中の人はそうなんだろう。
 エアロビとかスポーツジムで、みなさんふつーに向かい合う講師を見て踊ってるわけだし。みんなはそれがふつーに出来る。

 だがわたしにはそれが出来ない。

 「右」と言いながら「左」手を上げられたら、右を上げたらいいのか左を上げたらいいのか、咄嗟にわからない。目で見たモノを脳内で「ん左? チガウ、右」と考える、その無意識の一瞬、遅れが生じる。んで、遅れたら最後、もう置いて行かれる……わたしが「目では左だけど右のはずだから右」とがんばって上げたときにはもう「左」とジェンヌさんの次の指示が耳に入っていて、目と耳の情報の差が広がっている。
 視覚情報と理屈の処理が、なめらかにいかない。頭で理解しないと、身体が動かないの。
 ふつーに「右」と言いながら「右」手を上げられたら、それをそのまま真似ることはできるんだけど。
 頭を使わずに出来る動作に時差はあまりない。頭を通すと、無理。

 自分の運動神経と、それを司るのーみそが普通以下だという自信はある(笑)。

 しかし、普通以下の人のことも考えてくれていいんじゃないのか……? と、うらめしく思った。
 出来る人には出来ない人の気持ちがわからないんだよな~~。

 高校のときのダンスの授業がつらかったなー、とか、余計な記憶まで甦っちゃったよー。
 高校でつらい科目って、なんつっても音楽とダンスと体育だった(笑)。音感と運動神経が大幅に欠けているもんでな……。体育は仕方ないにしろ、音楽とダンスは選択科目にしてよ、なんで必須なのよ、他の学校の友だちは「そんなの選択しなけりゃいいじゃん」って言うけど、うちの学校は必須なんだってば。わたし中学で音楽の授業なかったよーなもんだから、楽譜も読めないしピアノも弾けないのに、試験あるのよ勘弁してよ。ツーステップできなくたって生きていけるもん、平均台の上で前転できなくたって人生に関係ないもん。
 はー。目に見えて優劣がわかるものって、残酷よねええ。ウドの大木で悪かったわねえぇ。
 ダンス教室の鏡張りの壁に映る自分が嫌いだったなー。ピアノ練習室の小さな空間が息苦しくて嫌いだったなー。

 あー、でも、ダンスの試験の前に、グループでタカラヅカ観に行ったりしたっけ。イメトレ大事ってことで。あれは楽しかったか。
 ……でも、かえって「あたしらダメダメじゃん」って落ち込む結果になったような……や、プロと比べてどうする、てなもんだけど、自分たちの出来なさ具合をより思い知らされたり。
 若かったなあ……。
 じゅうななさい、とかかあ……。

 なんじゅうねんまえやそれ……。
 げほごほ。


 と、ともかく。

 けっこう長い時間かけて何度も踊って見せてくれるのに、一度もミラーでやってくれないので、音痴なわたしは即あきらめました。
 若き日の経験でわかってるんです。わたしが向かい合って立つ人の真似をして踊るためには、まず振りを大まかに頭に入れて、あとは耳だけで「右」「左」を聞いて踊るしかないって。「右」と聞きながら目で「左」を上げている姿を見たら混乱して動けなくなるって。
 自動変換機がついてないの。左を見て「あれは右」と変換できないの。
 努力すれば越えられる壁だけど、努力したくない。そこまでする義理はない。

 ので、あきらめた。

 無理。


 はあ。
 人並みの能力が欲しかった。

 こんだけ劣った人間だから、それを思い知らされる「客席参加」は嫌いなのよ~~。さめざめ。

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