『My Dream TAKARAZUKA』の、まっつの胸キュンポイント。

 最後の大階段、エトワールとして真ん中に立つ、その瞬間。

 小さっ!!

 小さな羽を背負ったまっつの、身体の小ささに、びっくりする。

 まっつが小柄だということは、知っている。
 専科・管理職を除いた現役男役で、最低身長だ。
 でかければそれだけで有利であるこの世界で、この小さな小さな人が、闘ってきた。
 努力と実力で、ひとつひとつの障害をねじ伏せてきた。

 小さいことはひと目でわかるけれど、芝居中、あるいはダンス中は、ここまで小さくは見えない。
 確固たる技術ゆえに、存在感ゆえに、身体の大きさを不問にしている。

 だけどこうして、なにもせずにただ大階段の真ん中に出てきたとき。
 大きな劇場の大きな階段の真ん中に立ったとき。

 その「小ささ」が、そのまま出る。
 むき出しになる。

 小さっ。

 こんなに、小さいんだ。
 それこそ、娘役並みに。

 こんなに小さい。
 それが、胸キュン。

 まっつが、愛しくて、たまらなくなる。


 階段の真ん中に立つまっつは、「チガウ」と思うのね。
 タカラヅカのトップスターになる人ではないと思うの。こうやって真ん中に立って「小さっ」と思う人は、トップになってはいけないと思うの。
 それが「タカラヅカ」だと思う。
 そうでなくてはいけないと思う。

 まっつのような人がトップスターになってはいけない、それが「タカラヅカ」というところだと思うの。

 わたしが愛する「タカラヅカ」は。
 どんだけ巧くても、どんだけ美しくても、どんだけ人気があっても。
 まっつは、チガウと思う。
 チガウからこそ、「タカラヅカ」は美しく、特別なところなんだと思う。
 「トップスター」というのは、特別なモノなのだと思う。
 そうでなくてはならないと思う。

 それとは別に。

 まっつが真ん中に立つ姿を、乞うていた。

 贔屓がトップスターになることを求めていたかというと、少しチガウ。正直それは、考えてなかった。
 結果としてそんなことがあればいいけれど、長年のヅカヲタ意識が邪魔して、そっちはあんまし考えられなかった。
 ただ、まっつが舞台で活躍してくれることだけを求めた。それは芝居で主要な役をやることだったり、素敵なダンス場面に出ることだったり、単純に出番が多いことだったりした。

 トップスター向きではない。それこそが、まっつの魅力だと思っている。

 番手にこだわったのは、それが得られるのが今のタカラヅカでは番手スターのみだからであって、まっつがまっつらしい活躍をしてくれるなら、どんなカタチでも良かった。
 ……んだけど、まっつがトップになってくれてもうれしかったし、「チガウよな」と言いながらもよろこんだろう。それがファンってもん。

 まっつがトップになったら、「それはタカラヅカ的におかしい」と思うくせに、そうなればうれしいと思う。
 トップにならない人は、いつまでも番手スターにいるモノではない。組が停滞してしまう。それもわかる。正しいと思っている。でも、それが理解出来ていてなお、まっつに今の番手でいて欲しかった。

 矛盾していた。

 わたしが愛した世界は、わたしの愛する人を認めない。
 だけどわたしの愛する人は、その世界にしか存在しない。
 キミなしでは生きていけない。でも、キミとは生きられない。……そんな感じ?

 矛盾したまま、ただ、まっつを眺めていたかった。
 彼を「世界でいちばん美しい」と思い、彼が創り上げるモノを観るのが、好きだった。人生のよろこびだった。


 その矛盾が、むき出しで突きつけられるのが、最後のエトワール。

 小さっ。

 これが、まっつの現実。
 ファンでもわかる、大階段の真ん中に相応しくない小ささ。
 それでも。

 それでも、彼を美しいと想う。

 この小ささごと。
 いや、小さいからこそ。

 胸を張って言える。
 このぽつんとしたちっちゃな身体で、ここまでやってきた「男役・未涼亜希」が、愛しいのだと。
 誇らしいのだと。


 胸キュンポイント。
 大きな劇場の、とてつもない大階段の真ん中に立つ、小さな男役の姿。

 この美しい人と出会えた。
 この人を好きでいられた。

 そのよろこびを世界に叫びたくなる。
 そんな一瞬。
 わたしにとってえりたんは、無属性の人なんだなあ。

 無属性。
 えーと、その、腐女子的に。
 受でも攻でもない。そーゆー対象にならない。
 ある意味聖域?

 『一夢庵風流記 前田慶次』を観てしみじみと、えりたんとちぎくんって、芝居が合わないなあ、と思う。

 というか、えりたんが特殊なんだと思う。

 誰とも交じり合わない、独特の色と光、そして質感。
 だからこそ彼はファンタジーであり、タカラヅカのトップスターに相応しい人だと思う。

(今の雪組内でえりたんといちばん芸風が合うのって、ある意味ともみんじゃないかとも思う……。それが正しい作用かどうかは置いておいて)

 ともかく。

 慶次@えりたんと助右衛門@ちぎくんの関係、って、すごく萌えだと思うのね。腐女子的に。
 てゆーか、ちぎくんの片想いぶりがすごい。
 ちぎくんはああいう演技似合うね。得意だね。
 でも、相手が悪い。
 相手がえりたんだと……から回る。

 クライマックスで助右衛門が慶次に「お前が好きだ」と言うから、腐女子的においしいとか、そんなことじゃない。
 むしろ、言わない方が萌えだ。言っちゃダメだろ、と思う。
 だから問題はそこじゃない。

 慶次ってさ、徹頭徹尾、一貫して助右衛門に「ひどい」よね?

 助さんがいちいち「慶次ラブ」って言動に表しても、慶次は一切応えない。てゆーか、全スルーする。

 いちいち。ひとつひとつ。ご丁寧に。

 ここまでやったらわかるだろ? オレはお前の気持ちには応えられないんだよ、てゆーか困ってんだよ、迷惑なんだよ、な、わかれよ?

 でも助さんはまーーったく、へこたれない。

 鈍感なの? バカなの? わかっててそれでもやってるの? え、それってすでに嫌がらせの域?

 という、ふたりの関係。
 「だって私たちは、莫逆の友」(奥村助右衛門・談)


 まず、最初の場面。
 助さんは慶次に「しばらくふたりで飲みに行っていない」と言う。慶次は「厄介者(慶次)がご家老様(助右衛門)を誘うのはなにかと面倒だ」と答える。
 はい、1回目、断りましたー。
 助さんはまったく意に介さず、「面倒でも誘え」と言う。それに対し慶次は、スルー。返事をしない。
 はい、2回目、断りましたー。
 ふつー、1回誘って断られ、重ねて誘ってスルーされたら、わかるよな? 空気読むよな?
 慶次は話を変えて、助さんに笛を吹いてくれと言う。この話の流れでコレって……。
 「これ以上絡まれると面倒だから、喋らせたくない」ってことだよな?
 ちょ、慶次ひどい!! これって3回目の拒絶だよね?
 なのに助さん快諾、それどころか「お前の茶は美味いなあ」……ダメだこの人、まったく堪えてない!! てゆーかこの状況で料理の腕(お茶だけど)誉めるとか、女の子口説くときの常套手段をしれっと使ってますよ!!
 で、それに対して慶次、2度目のスルー入りましたーー!!
 返事しないの。「キミ料理うまいね。一生キミの手料理が食べたいなあ」てな男に、笑顔だけ返して、答えない。黙って部屋を出て行く。

 な、なんなのことのふたり!!
 このやりとり、というか、攻防戦?!

 そして、利家@にわにわと一悶着、慶次は金沢を出ることになる。
 ここでまた、駆け引きスタート。
 旅立つと言う慶次に、「私まで共に行きたくなる」と助さん。
 えーと、これって「貴方と駆け落ちしたい」って意味よね?
 もちろん慶次、華麗にスルー!!


 物語最初の場面からすでに、ふたりの駆け引きのものすごさに、息も絶え絶えでしたよあたしゃ(笑)。
 てか、慶次ひどい。
 ここまでいちいち、否定して回らなくてもいいだろう?

 キライなの? 助さんのこと、そんなにキライなの?!!

 いや、嫌いではないんだろうが、線引きがはっきりしている。
 ここまではいい、でもこっから先は、入ってくんな。

 つまり。
 友だちならいいけど、それ以上は勘弁な。ホモとかオレ、マジ無理だから!
 って……、……慶次……。

 万事この調子だもんなあ。
 くだんの「私はお前が好きだ!」にしても、慶次、華麗にスルー!!

 絶対、答えない。
 是非も可否も、絶対口にしない。むしろ、聞かなかったことにする。
 助右衛門の言葉自体、「なかったこと」にする。

 徹底してるわ……。

 ここまで無視され続けて、まったくへこたれない助さんもまた、すごすぎる。


 ああほんとーに、ほんっとーにわたしは、口惜しい。
 これでこれで、慶次が、えりたんでなかったら!!
 他の役者さんならきっと、萌え狂っていたと思うの!
 こんなオイシイ設定ナイよ?! 最高の萌えシチュエーションよ?!
 またちぎくんは、この空回りラブが板に付いてる。つか、めっちゃ得意! 不幸で報われなくて、ひとりじれじれ蒸れているのが、最高に似合う! よっ、このM属性!! 硬質で潔癖そうなのに、漏れる色気、誘い受の極意。
 しかし。

 相手が、えりたん……。

 えりたんは、チガウの……。
 薔薇とか耽美とかとは、別の次元にいる人なの……。

 健康に鞭を持って爆笑してるのが似合う人なの。丸首白シャツ着て青空の下で素振りしているのが似合う人なの。

 や、他の人にとってどうかは知りませんが、わたしにとって。
 ダークで救いのない美しい世界を、ぴかー、とか、ぺかー、とかいう光で照らし、そこでうずくまって泣いていたわたしを、救い出してくれる人なの!!

 らんとむが戻って来てからどーんと大人になり、まとぶ時代の弟キャラ、トゥスン@『愛と死のアラビア』やデイヴィッド@『麗しのサブリナ』とは別の人になっちゃったけれど、それでもえりたんはえりたんなの。
 他の誰ともチガウ、特別な光を持った人。

 ちぎくんのBLオーラとは相容れないっ!!


 慶次はえりたんでなきゃあり得ないと思っているけれど、対助右衛門だけは、えりたんはチガウと思う……。
 いや、えりたんを中心に考えるなら、ちぎくんの助さんが「チガウ」ってことになるのか? 大野くんはどう思ってあんな脚本演出にしてるんだ?

 考えてみれば、えりちぎががっつり芝居で組むの観るの、はじめてか。
 プレお披露目の『若き日の唄は忘れじ』はまだそこまで思わなかったし、逸平役はちぎくんに合ってなくて、ちぎくんが大変そうだった。(ともみんにぴったり合う役は、ちぎくんのカラーじゃないよな)
 『ベルばら』はカウント外だし、『Shall we ダンス?』はちぎくんが女役で、しかも恋愛モノでもない。
 えりたんの相手役って、ずーーっとともみんだった印象……。そして、ともみんが合うってことは、ちぎくんはチガウということ……。(対照的な同期)

 なんか、最後の最後で、「あー……そっかぁ」って感じだ。
 ちぎくんはいっそ、えりたんの敵役をやる方が映えたんじゃないかな。

 まあともかく、わたしは腐女子なので、このキャスティングは残念であり、また、愉快でもある……。

 えりたんのえりたんらしさ、ちぎくんのちぎくんらしさが、これでもか!!と際立って見えるから(笑)。
 思いつくままに、『一夢庵風流記 前田慶次』キャスト感想。
 書いたのが初日開けて1週間目くらいなので、今とちょい変わっている部分はあるけど、まあいいや。


 重政@ホタテが面白い。
 ただの腰巾着じゃなくて、優秀な苦労人っぽいところがツボ。

 最初の慶次@えりたんの屋敷で松風の鳴き声を聞き、「松風を置いては逃げまい。厩を見張れ!」と命令する回転の良さ。
 そうやって幕越しに慶次を責める様子が、半ば利家@にわにわへのパフォーマンスっぽいのもいい。努力は見えないところでしても意味がない、「出来る部下」「殿の命令に一途」アピールは本人の前でやらなきゃね!
 そうやって利家のために慶次を責めながらも「殿の甥御様と言えども」だけへつらい口調になる。……全方向にいい顔するんだよ……なんつー優秀な男(笑)。

 聚楽第で深草一家対応をしているところもまた、苦労人ぽくていいなー。慶次の連れだから追い返すことも出来ず、かといって歓迎しているわけでもなく。
 騒ぐ深草一家をハラハラとたしなめる、振り回されてる感じが素敵。

 花街出来たよ! と遊女たちにしなだれかかられて、鼻の下をのばしている様もかわいい。

 優秀なんだろうけど、いまいち報われてないっぽい感じがたまらなくかわいい。つか、好みだ。
 ほんっといい役者だな、ホタテマン。


 偸組メンバーズって実は、リーダーの主馬@翔くんよりおいしいのかもしれない、と思う。
 個としての活躍はなくても、芝居場面だけでなくショーパートにも多数出演できるから、単純に出番が多い。
 板の上にいる時間が長ければ、個のキャラクタを確立することもできるだろう。本編に関係ないから、ストーリーだけ主役だけを追う観客の目には「ただのモブ」でも、彼らを贔屓にする人からすれば、それぞれの性格や人生が見えるのかも。通し役であり、それぞれ名前がある、というのは大きいなあ。
 てゆーか主馬ってほんとにリーダー?

 組のリーダーって、加賀@ヒメじゃないの?(笑)
 慶次暗殺の実行者が加賀と国@さらさと捨丸@みゆ。顔がばれている主馬が手を下せないにしろ、その腹心らしい笹丸@まなはると鷹丸@レオじゃないんだ……彼らも顔ばれしてるかもしれないから?
 ともあれ、退却の指示を出すのがまなはるとヒメ……つか、どう見てもあれはヒメが仕切ってるっしょ……。

 ヒメのヤンデレぶりがこわいんですが、みゆちゃんのお兄さん……本来の捨丸さんはどんな人で、組ではどんなポジションだったのかしらねえ。あのヒメと結婚しようって男は、いったいどんな男だろう……。
 それとも、捨丸が死んだせいで、加賀様はあんな風に壊れちゃったのかな?
 ……たんにヒメがやり過ぎてるだけって気もする。(日が経つにつれ、加賀様の病みっぷりがひどくなってる・笑)

 偸組だけをガン見することが出来ていないため、キャラの個別認識か出来てないんだけど、まなはる氏は熱血キャラで、レオ様はクールキャラという、見た目通りの差別化で合ってる?
 とりあえずまなはるがアツいことだけはわかる。瞬間的に「カッ」としてるよね。
 そして、「カッ」と目を見開いたまま死んでるのがこわい……。や、その手前に美しい死体が横たわるので、どうしても一緒の視界に入ってきて……(笑)。←ストーリー関係なく死体を見ている

 誰と誰が兄弟で誰と誰が夫婦・恋人とか、語る場を設けて欲しいなー。タカラヅカニュース内のコーナーでいいから。花組の2回目の『ファントム』のときの、従者たちのコーナーみたいに。
 もしくは花組『オーシャンズ11』のときのベネディクトチームのコーナーみたいに。……そして最後はボス登場まで、ぜひ。

 ところで鷹丸@レオ様の最後の台詞は「雪丸様」よね? マイク入ってないから聞こえないけど! 彼が最後に求めたのは雪丸@まっつよね?
 レオくんのこーゆーとこ好きだわっ!!(大野くん意図と思ってないあたり……・笑)


 傾奇者たちが濃ゆい……。
 ザッキー・真地・叶ってナニゴト。

 ザッキーはちゃんと役名も台詞もある傾奇者だから、濃くてもいいんだけど、名前すらない傾奇者の真地くんと叶くん。
 キミら、顔がうるさい(笑)。
 これでもかとうるさい。
 好きやわー。


 ザッキーのモミアゲに乾杯。

 傾奇者・小鳥逸平のときだけぢゃないの、ラストの武将までも!
 男役としての心意気、しかと受け取ったっ。
 踊っているときの歌舞伎役者的な表情や見栄の切り方に、ザッキーならではのこだわりを感じるよー。


 朝風くんが、いい人をやっている。

 もう一度言う。
 朝風くんが、いい人をやっている。

 悪役じゃないの?!!
 善人で、しかもいじめられちゃって、くくくと耐える人の役なの?!
 朝風くんなのに?!

 その上、いじめる相手がきんぐ??
 や、秀吉@はっちさんならともかく、官兵衛@きんぐよ?
 きんぐごときが朝風くんをいぢめるなんて……なんのプレイ?(プレイ言うな)

 きんぐも朝風くんもかっこいいなあ。美しいなあ。


 そーいやきんぐさんは何故眼帯?
 みんな疑問を口にする。「どうして黒田官兵衛が片目なの?」
 わたしが知らないだけで、そういう説もあるのかな? と史学科で城郭研究なんぞやっていた弟に聞いてみたが、ぽかーんとされた。「そんな説は知らない」と。
「山本勘助とまざってんじゃないの?」……んー、他の人ならともかく、大野くんはそーゆーことなさそうだけどなー。

 まあわたし的には、眼帯きんぐがかっこいいから、無問題。

 片目で足の不自由なきんぐっていいよね。萌えるよね。
 聚楽第の場面では、あんな身体なのに、慶次の不穏な空気を察して身がまえるのよ。いつでも秀吉のところへ飛びだして行けるように。
 たまらんですね。素敵ですね。

 他にもまして文語体喋りなのがまたいいよね。存じ上げそうらわず、とか、現代語で言うなら「ですます調キャラ」ってことよね!(笑)
 新人公演『一夢庵風流記 前田慶次』あれこれ。

 ナニ気に驚いたのが、新公に、るりるりがいない。ということ。

 るりるりって何期だっけ? なんかいつも新公で彼女を見て「うまい、下級生ぢゃないっ」と思うのが常だったので、今回もまた探してしまった。
 そっか……下級生ばなれした彼女、ついにもう下級生じゃなくなったのか……。

 銃を構えるねね@あだちゅうにびっくりしつつ(笑)、秀吉ファミリーズの強さはすごいなと思う。
 ママがありちゃん、妻があだちゅうっすよ……秀吉がおーじくんでなかったら絶対負けてると思う(笑)。つか、この面子に負けないおーじがすごいとも言う。

 加賀@さらちゃんはきっちりうまいと思う。本役さんはやり過ぎている気がしてなあ……これくらいで止めてくれるのがいい。

 加奈@ゆきのちゃんは、「あ、娘役さんだ!」。
 すみません、本役さんはやっぱ「昔男だった女の人」という認識がどこかにあって。それゆえの強さや大人っぽさ、エロさ(笑)があると思うんだけど、ゆきのちゃんはそんなややこしい前置きなく、シンプルにあるがまま「娘役さんだ!」。
 ふつーに娘役さんだから、彼女を誘惑するレオ様が悪辣!で、素敵です。←

 しげ@あんりちゃんは、ちゃきちゃきカワイイ。こういう役も合うとは思う。
 思うけど……なかなか難しい役者さんだなと思った。
 ちゃきちゃきした役はかわいいけれど、「姉」には見えない。少女っぽいけれど言動は大人ぶっている……ロリ顔だけど大人、ってアニメならお約束だけど……うーむ?
 タカラジェンヌとしては問題なくきれいでかわいくて華のある娘役スターさんなんだけど、芝居に出る役者さんとして考えると、役を選ぶというか、役幅の狭さが気になった。
 一時期の安達祐実みたいというか。今の安達祐実は大人の女性として確立したけれど、子どもにしか見えない顔と実際の年齢とのギャップで一時期迷走してたよね……研7の娘役って、「大人の女」を演じられる学年ゆえに、あんりちゃんはこれからどうなるのかなと。

 捨丸@のぞみちゃんは、最初の「兄様!」のひとことからすでに「うわっ、棒読み」とびっくりさせてくれて、ブレがないです。
 声だけって難しいから仕方ない。てことで、声だけでちゃんとドラマを感じさせるみゆちゃんのうまさを再確認した。
 実際の芝居は、危惧したよりずっとよかった。あちこち棒読み調だし、芝居苦手なんだろうなあ、とわかるけれど、毎回ちゃんと進歩してる。
 せっかくの美少女だ、うまくなってくれることを心から望む。


 そういやうきちゃんが傀儡の女をやっていて、美しかったです。話す声もきれい。
 うきちゃんってなんでこんなに役つかないのかなあ……きれいなのになあ。


 新公演出も、大野くん。
 …………なんで『エドワード8世』は大野くん自身じゃなかったんだろう。

 かなとくんがえりたんコピーに見えたので、本公演と新公とでずいぶん違った『夢の浮橋』とは違うんだな、どうしてだろう? と思った。
 まあ、路線街道ぶっちぎりのみりおさまと、遅れて路線に躍り出たかなとくんではキャリアが違いすぎて、別モノを用意するよりえりたんのコピーをさせた方がいい、という気はする。
 そして結果的に、かなとくんの慶次は、えりたんの慶次とは別モノだった。台詞回しや表情など、とても細かくコピーしているのに、別モノになる不思議。
 だからこそ役者って、芝居って面白いんだなと思った。

 新公は全体的におちゃらけ度が上がっているというか、ギャグ演出が多かった。
 人数が少ないこともあるけれど、そうやってぶっちゃけちゃった方が場が持つんだろうな。
 特にお笑いを一手に引き受けていたのが利家@翼くんのやうな……。「助右衛門、すけえもぉ~ん!」はアレ絶対、「どらえも~~ん!」だよね?(笑)

 あちこち立ち入りが左右入れ替わっていたり、はける袖が違ったり細かい変更があったんだが、おぼえてない……。本公演をえんえんリピートしているため、いろんなところで「あれ?」と思ったんだか、このポンコツ海馬と来たら……。
 家康@まからくんの「陣触れをいたす!」で流れるアニメーションが、新公ではやたら長かったのは何故だ。同じ旗が何度も何度も通っていって、「昔のロボットアニメかよ!!」と突っ込んだ……いやその、昔のロボットアニメのモブの人たちはみんな同じ人でね……。

 ラストの台詞変更は粋だった。
 慶次を中心に全員集合で夢のように盛り上がる、桜吹雪の中の美しいラストシーン。
 退団するえりたんのためにある、「散らば花のごとく。楽しゅうござるのう」が、「間もなく満開じゃ、楽しみでござるのう」だっけかに(語尾は少しチガウかも?)変更。
 卒業するスターのための決め台詞ではなく、未来ある若手たちのためのエール。

 ただわたしは反射的に、「桜、思い切り散ってますがな!!」と突っ込んじゃったけどなー。
 や、ほんとに散ってるんだって、そういう演出になってるんだって。
 演出変えずに台詞だけ変更したもんだから、桜散る中で「間もなく満開」と言う、奇天烈なことに……。
 や、んなツッコミ野暮だけどさー。桜吹雪も止めて台詞変更するくらいの気概が欲しかった気はする(笑)。
 反射的なツッコミは、大阪人のサガよねー。
 わたしは最近の谷先生演出作品は、あまり好きじゃない。最近の、と括るのは、昔はけっこー好きだったからだ。彼の男性的ロマンチシズムは、こっ恥ずかしくて、なかなかに好みだった。
 この役に萌えている、こんな男(と書いて、ヒーローと読む)に萌えている、というのが、よくわかった。自分の萌えに忠実に「オレはコレが好きなんどわあぁぁ!!」という鼻息荒い姿勢が見えた。ストーリーは破綻、最後は皆殺し、という定番だけど、作者が書きたくて書いているのが伝わって、それはそれで気持ちよかった。創作者が熱意を持って、「コレを書きたい!!」と書いた作品の熱って、わたしはけっこう好き。
 でも、最近の谷作品に感じるのは、好きで書いている、ことよりも、「仕事・役割優先」。嫌々やっているという意味じゃない、目的意識を持って仕事をしている、という印象。
 その目的ってのが「生徒の育成」。
 演出家ではなく、教師目線。

 『ホフマン物語』で感じたのは、作品うんぬんよりも、主役のみりおくんの魅力開花よりも、「ねねちゃんの突貫工事」だった。この公演自体が、ねねちゃんをヒロインとして急速に仕上げて星組に送り出す、という意図があったんじゃないかと思った。
 『THE MERRY WIDOW』で感じたのは、作品うんぬんよりも、主役のみっちゃんの魅力開花よりも、「みゆちゃんの突貫工事」だった。公演自体が、みゆちゃんをヒロインとして以下同文。
 『CODE HERO』でも以下同文。こちらは、まぁくんのことも鍛える意図が伝わった。

 作品としてはともかく、生徒を鍛えるという意味で、谷作品は機能しているのかもしれない。(除『ベルばら』)
 観客は谷作品というだけで敬遠するので、客入りというか興行成績的にはふるわなくなるが、長い目で見ると必要ってことなのかなと。


 とまあ、雪組新人公演『一夢庵風流記 前田慶次』の話でなんで谷作品語りからはじまるかというと、新公で活躍している生徒の多くが、直前に谷演出『心中・恋の大和路』で活躍した子たちだからだ。
 谷先生、次世代の雪組スターたちをかなり鍛えてくれたのかなあ、と思う。別箱公演では異例の代役稽古があったとも聞くし。
 すでにスター候補として知られているにしろ、芝居でこれだけ大きな役が付くのははじめてのかなとくん、たぶんそれまでは無名だった真地くん、芝居の達者さを見せつけたさらちゃん、存在感と実力を披露したあすくん……。
 突然のアカペラソロ(舞台にたったひとり!)で「あの子誰?!」と客席をざわつかせた瞳ちゃん。

 そして、「あの子誰?!」と誰もが注目した、しじみ売りのまからくん。

 二郎三郎@まからくん、98期、まだ研3。
 研3で、ヒロさんの役。狂言回しで歌あり芝居ありの難役。

 声が女の子のままなのは残念だけど、とりあえず聞きやすく、よく通る。
 外殻が出来ているから、女の子声というよりも「声の高い人」として収まる感じ。男の人でもいるよねー、この手の高い声の人、的な。

 まからくんは調子に乗る人ではなく、計算出来る人ってイメージなんだが、どうなんだろう。
 「前に出る」あざとさ(悪い意味じゃないぞ)を持っているんだけど、調子に乗ってだとか雰囲気に流されてするんじゃなく、一歩立ち止まって、「やっていいよな、やるぜ!」と踏み切り板に飛び込んでジャンプする印象。
 その「一歩立ち止まる」感じが、もどかしいような、たのもしいような。
 理性があるゆえに大きくなりきれないか、それとも客観性ゆえに場をわきまえ飛躍するか……様子見です。

 歌えて芝居が出来る若手は貴重。どうかどうかすこやかに育ってくれますように。
 あとは頬が削げて、声が男役になってくれるといいなあ。


 ところで95期ってもう研6なのね……ぴんときてなかったよ……もうそんなに大きくなっていたのか。

 という、95期の専科俳優一直線のお二方。
 おーじくんと翼くん。

 メルシー伯爵やって老人やって、そして今回秀吉で。や、おーじくんは多才な人なので、二枚目役もやってきてるけどさ。
 専科さんの役がハマりすぎてて頼もしい。
 でもわたし、彼の歌をちゃんと聴くのはじめてかも。
 おーじくんというと「なんでもできる」というイメージがあるので、「あ、歌うんだ。あ、はじめて聴くかも」と思うだけで、だからといってどうということはなく。
 歌えて当然、みたいな。

 プロバンス伯爵やってヒロイン父やって、そして今回利家の翼くんは、一貫して専科さん系ばっかだよなあ。
 二郎三郎、秀吉、利家という、専科さん(にわにわは組子だけど)枠の3役。
 翼くんが利家、というのは、実はちょっとしょぼんだった。

 というのはひとえに、歌を聴かせろ!ということです、はい。
 本公演で歌わせてもらえないんだから、新公くらい歌わせてくれ、声を聞かせてくれ、一観客としての願い。

 歌がないのは残念だけど、利家は出番が増えて、さらにおいしい役になってたから、ま、いっか。
 うまいんだけど貫禄がないのは課題?(笑) や、利家に貫禄があり過ぎてもチガウだろうけど、翼くんはどの役を演じても線の細さがあるので。専科さん枠でいくのなら、骨太さは必要よねと。
 ……ガチに二枚目を演じるのも見てみたいんですが……。


 専科枠全員、歌えるっての、すごいよねー。


 願人坊主@諏訪さきくん、歌比丘尼@みゆちゃん、ふつーにうまい……っていうか、みゆちゃん? そりゃ新公出てるか、すっかり失念してた。
 つか諏訪くんって顔目立つよね……ナニがどうじゃないけど、この子知ってる感がする……。

 北条氏規@イリヤくんは安定のうまさ、彼も落ち着きどころを見つけたのかなあ。
 主馬@橘くんもがっつり堅実。
 わたしはよくこのふたりを混同しがちっす……顔が濃い方がイリヤくん、と思って見てはいるんだが。

 重三郎@和城くんが、じわじわといい。なんだろう、彼に感じる小動物的なツボは……。本公演のお小姓とか、ちょこまかしてカワイイからなー。

 直江兼続@叶くんは期待通り、いいなあこの骨太感! 研4ぢゃないよねキミ!


 今回の男子たちのなかで、個人的にすっげーツボだったのが、黒田官兵衛@水沙瑠流!!
 うまいへたはわかんない、とにかく、美形だった。
 官兵衛って美形枠なのか! なにはさておきそこなのか! と、なんかウケる。
 新人公演『一夢庵風流記 前田慶次』、主要キャラの感想。


 2度目の新公主演、慶次@かなとくんは、大柄な美形なので派手な衣装も立ち回りもとても似合う。
 芝居はえりたんコピー。

 なんだけど、えりたんは「えりたん」という特殊生物なので、芝居だけ真似てもえりたんにはなれない。
 花組時代、Pちゃんが新公やってたときの感覚デジャヴ。へたじゃない、問題なくコピーしてる……けど、なんつーか……「ふつーの人」だ。陽気なはちゃめちゃさ・憎めなさがないっつーか、小さくまとまっているというか。

 かなとくんの慶次は豪傑だけど生真面目で、「正しい英雄」に見えた。
 「前田慶次」でない他の武将ならその方がいいな。でも慶次は傾奇者だからなー。「生真面目さ」が見えるとなんかチガウ気がする。

 そしてこれはわたしの問題、かなとくんという人がよくわかってないので、終始落ち着かなかった。
 お茶会行くなりするべきなんだろうか。なんか間違ったイメージでキャラ造形してる気がして、落ち着かない。や、わたしのなかでね。
 んーと、わたしには彼がとても瞳うるうるした、いたいけな小動物に見えるんですよ、身体大きいけど(笑)。
 なにやっても胸がキュンキュンするので、よくわかんないんです。
 まあこのまま彼が路線スターとして定着してくれれば露出も増え、自然とキャラもわかってくることだろう。や、わたしのなかで。


 まつ@有沙瞳ちゃん。初ヒロインおめでとー。
 98期、研3。
 『心中・恋の大和路』でアカペラソロをもらっていた女の子。雪担のなかでも、ノーマークに近い扱いだった子よね? 98期娘役と言えば、で今まで人の口に上がるのは星南のぞみちゃんだったもんね。
 『心中』のソロで一気にみんな「あれ誰?!」になり、顔と名前をおぼえられたはず。わたしも含めて。

 つっても、『心中』のソロ1曲と、あとは子役としてにこにこ踊っているくらいしか記憶にない女の子。
 芝居はどうなのか、台詞声がどうなのかはわからない。その98期一のかわいこちゃん・のぞみちゃんはにこにこ踊っている分にはいいけど、棒読み台詞の芝居難さんなわけだし。
 はたして瞳ちゃんは……。

 よっしゃあ、芝居できる、声きれい!

 心の中でガッツポーズ。

 最近の劇団は、実力にも考慮して新人の人選をしはじめているのかもしれない。特に歌唱力の必要性に気づいてくれたのかな、って気がしてうれしい。
 月組の海乃さん、星組の城妃さんと、97期以下の歌える女の子たちが新公ヒロをしている現状、次世代はかわいこちゃん+歌唱力の時代か? と、わくわくする。

 まったく無名からの抜擢で、「強い」ヒロインを演じきる研3、ということで、舞台度胸を感じた。
 役者を育てるのはなんつっても舞台、『心中』東西公演でソロを披露し続けたのはいい経験だったんだろうなと思う。


 助右衛門@ひとこくんは、そろそろ見慣れてきた感があって、新公主演はまだしてないのに、すでに「いつもの」感がしている……・
 久々に雪新公を観るという友人に、「この2番手役はどういう子? 新人?」と聞かれたとき「えーと? 学年的には下だけど、なにしろ抜擢されてから長いから、新公ベテラン的な?」てな説明になり、そう言葉にしたことで「そっか、ひとこってすでに見慣れてる感あるんだ」と自覚した。

 ひとこくんの課題は芝居力かなーと思う。きれいだし歌えるし、本公演ショーで活躍しているので押し出しは徐々に身についてきている。
 でも芝居は本公演でも別箱でも、今のところあまり経験は積ませてもらってないので、新公抜擢連続でのみ鍛えている印象?
 助右衛門は辛抱役なので、いろいろ大変そう。学年的にはよくやっているんだと思うけれど、なにしろ『JIN-仁-』から毎公演目立つ役をやっているため、観る側のハードルが上がってる。
 今まではわりと勢いで演じる役をやってきた人なので、抑えた役になると芝居の軽さが気になった。

 『ベルばら』で毎公演幕開きからソロを歌う、という経験をしていても、今回の銀橋ソロではひとこくんの緊張が伝わってきて手に汗握った……そっか、すげえプレッシャー感じつつがんばってるんだねえ……。てゆーか、それってつまり、普段緊張があまり見えない子なんだなと、そっちに感心する。
 どんだけ抜擢されても、わりとしれっと受け止めているように見えるんだなー。そこが彼の魅力かも。
 緊張ばりばりでも、本役さんよりもメロディラインに納得できました(笑)。


 重太夫@真地くん……(笑)。
 本公演からして彼、大暴れしてるよねえ……や、本公演でも傾奇者役だからさー。傾奇者のザッキー・真地・叶の3人が濃ゆいのなんのって……。

 えー、真地くんはわたしにとって、期待の「若手長身美形」枠でした。最初に見たときは、そうだったの。小柄なキムくんを見下ろすように話していたあの美形将校、いい感じぢゃね? と思ったところからスタートだったの。わたしが雪組に戻って来て最初の全ツ。大阪出身者紹介で、すっげー元気よく、花道の端っこで手を上げていた姿をおぼえてる。
 そして、同期のいぶきくんとふたり、小柄美形の多い雪組での「若手長身美形」コンビとして愛でていたはずが……。
 真地くん……三枚目として、花開いてる。
 『ドン・カルロス』『Shining Rhythm!』の頃がなつかしい……あのころのキミは……(笑)。

 過去はともかく、イイ感じに目立ってきた真地くん。てゆーかわたし、彼の歌を、はじめて聴きました。ふつーに歌えてる? キャラソングなので、よくわからない……(笑)。三枚目キャラのまま歌うからさー。

 舞台に立つこと、演じることが楽しそう。本人が舞台大好きなのが伝わってくる。今のところはそれだけでいいのかな。
 今わたしがいちばん気になっているのは、ビジュアルの方向性だ。
 真地くん……お化粧だんだん微妙になってないか? 三太役がまずかったっつーか、あっこから戻って来てないような……。眉の描き方はそれでいいのか?
 重太夫はとことん三枚目にしていい役だからってことで、見た目からお笑い系にしてきたらどうしよう、と危惧していただけに、「あら、ちゃんときれいじゃない」と思ったのに。終演後に友人たちが言ったことは、「重太夫役の子、お化粧どうしたの? あれでいいの?」……最近の真地くん比ではきれいでも、ふつーに見れば微妙な化粧だったのか……!
 もっときれいになれるだろうに、つか、以前はきれいだったんだから、戻って欲しい……。まだお笑い脇役に徹するには若いんだからさー、可能性狭めないで欲しいな。
 でも本人は、このまま三の線希望なんだろうか。


 に、しても。

 歌にストレスがない新公って、すばらしい。

 や、新公でなくても、そうあるに越したことないんだけどさー。本公演はスター力で乗り切れるけど、新公はそうじゃない。だからこそ、せめて歌唱力はあってほしい。
 主演のふたりも2番手も、他主要役もみんな歌える、ってすげえ。
 (……レオ様は、歌少なかったからセーフかなー、「歌」というより「台詞の延長」だったし!笑)
 94期はもう、研7なのか。
 新人公演『一夢庵風流記 前田慶次』にて、新公の長として挨拶するあすくんを観て、改めて知った。

 実はそれがかなりショックだった、時の流れについて行けない年寄りがここに。

 雪組はずっと観ているとはいえ、わたし的に「よっしゃ、ホームは再び雪組だ!」と腰を据えたときに「若手」として台頭し出した子たちへの印象は、とても強い。
 2011年1月、役の少ない『ロミオとジュリエット』だからこそ、学年関係なくみんな横並びの「モンタギューの男」「キャピュレットの男」。その中で「あの子誰?」と人の口に上がることことが、本モノの華や美貌ってもんだろう。
 わたしの周囲で耳にしたのは、いろんな人に「あの子誰?」と聞かれたのは、モンタギューでは翔くんとあすくん、キャピュレットではレオくんだ。「かっこいい・きれい・かわいい」など、容姿を誉める言葉と共に、「名前わかるなら教えて」と言われた。
 94期のあすレオは、当時研3。舞台を踏んでまだ丸3年に満たないひよっこなのに、舞台姿の美しさで「あれ誰?」と人の口に上がる子たちだった。

 それからふたりは、新公その他で活躍しはじめる。雪組ならではの、小柄で美しい男の子たち。
 あすくんはその技術の高さ、歌って良し、演じて良し、踊って良しの総合力の高さを、与えられた役で存分に示す。
 芸風は十分濃いのに、まとまりの良さゆえか、地味なのは確か。でも、それも訓練次第の部分はあるから、「スター」として真ん中で使い続ければ、技術に後押しされた「舞台強さ」がさらに武器になったかもしれない。
 なのに悲しい劇団推しのなさ。もっと使えば威力を発揮出来る子なのに、わざとかってくらい、目立たないところに配置される印象。きれいでうまいから、人の口に上がり続けるんだけどねえ。
 レオくんはバリバリ抜擢され、華やかな扱いを受けたと思う。が、いかんせん実力が……。レオくんは総合力ではなく、美貌とダンスに突出しているから、芝居と歌を重視する組では分が悪い。
 とはいえ、抜擢されたときが実力が伴っていなかっただけで、今はそれなりになってきている。うまいわけじゃないけれど、男役度の高さ、あのビジュアルとエロさ(重要)をこのまま埋もれさせるのは惜しい。

 なんとかならないのかなあ。あすレオをもっと観たいなあ。新公主演できないかなあ。
 ……そんな淡い夢を抱きながら現在に至り、新公の長として挨拶するあすくんを見て、後ろ頭をはたかれた気になる。

 もう研7?! まだまだ下級生、そのうち新公主演しないかなあ、って思ってたけど、もう最後の年なの?!

 うっわー……。

 という、年寄りゆえの昔話スタートで恐縮です。
 つまりだ。

 あすくん、うますぎる。

 庄司又左衛門、本役はがおり。

 ひとりだけ、レベルがチガウ。
 声、滑舌、動き、芝居、存在感。上級生が混ざって出ているみたい。

 もともとうまいことは知ってるけど、それにしてもほんとにうまいな!!
 と、感心していて。

 反対に、不安になった。

 なんでこんなにうまくなってるんだろう……それこそ、専科さんみたいに。

 『JIN-仁-』新公で悪役をやったときとか、黒くてエロくて大変!だった。
 だから今回、似た役である雪丸じゃなくて、堅実な又左衛門で良かったなと思ったんだ。別の役柄を見てみたかったから。
 でも……ここまで堅実というか、現役感のない枯れたおじさんに作らなくても……。
 本役のがおりがそうだから、ってのはもちろんあるだろうけど、あすくんはあすくんだもの、エロさのにじむ現役色男でもいいはず。
 なのに、あすくんが常備していたはずのエロさが沈んで、うまさだけが見えるようになっている……。
 あすくんって芸風に跳ねっ返りさというか、やんちゃさがあるのも魅力なんだけどなー。大人の男を演じてなお、その奥にあるおさまりきらない意欲というか。なにかやりたくて、うずうず弾けている感じというか。
 でもそれが今回あまり感じられないというか、ひたすら堅実に思えた。

 首をひねっていたところに、新公の長として挨拶、ですよ。

 ああ、そういうことなのか! と。

 もう長の期で、しかも組内首席で、新公チームの組長ポジなわけだ。それでやっている役が専科さんっぽい又左衛門で……。
 こんだけ重なったらそりゃ、現役感薄れるわ。
 スターであることよりも、管理職っぽい雰囲気が先に立つわ。

 たぶん、とても真面目で、誠実な人なんだろう、あすくん。
 自分がどうこうよりも、「求められている、自分の役割」を自覚し、それを果たす人なんだろう。
 それゆえに、雪組新公チームはがっつりまとまり、こんな風にいい新公になっているんだろう。いやもちろん、あすくんひとりの手柄だと言っているわけじゃないが。

 脇に回って下級生たちを支える気概ばっちりのあすくんは大変頼もしく、素敵なんだけど。

 さみしい、なあ。
 わたしはもっと、「スター!!」なあすくんが見たいなああ。

 組ファンには歌ウマとして知られているけれど、なにしろ劇団推しのナイ人だから、たまに歌で抜擢されるたびに「あの子誰、すごい歌うまい!!」と驚かれる……毎回驚かれるくらい、ふだん使われてないんだよ……よよよ。
 もっともっと、あすくんを使ってくれればいいのに。きれいで歌える、芝居もダンスもできる、男役としての完成度も高い……足りないのは身長とキラキラ度のみ。……ううう、なんか書いててどんどん胸が痛くなる……わたしこういうタイプ好きなんですよほんと。わたしが好きなタイプだから、劇団愛が薄いのかしら。

 つくづく、なんでまっつって2回も新公主演できたのかしらね。まっつが2回やってるくらいなんだから、あすくんが1回主演しても良さそうなもんだニャ。(勝手な理屈)

 このまま枯れたタイプにならず、やんちゃで好戦的なキャラでいて欲しいなあ。
 ショーでバリバリにキザってたり、肉食全開で釣りに掛かってるのを見ると安心する。レオ様とふたりして、どんどん純情な客席女子を釣りまくり食いまくってくださいまし!


 で、その相方のレオ様は、雪丸。本役はまっつ。

 雷鳴とスモークと共にせり上がって来たときの、キターーッ!感が、たまりません(笑)。

 雪丸役がどうというよりも、まっつコスプレに見えるのは、やっぱ顔や雰囲気がまっつに似てるからなんだよなああ。
 『BJ』でシルエットだけだと、まっつに見間違えそうになったもの。横顔とかすげー似てる。

 こういう外連味が必要な役が決まる美貌とエロさを持つ若手男役は、貴重ですよ!

 ……うまくはないんだけど、それでも喋り出したらびっくりする、ほどヘタではなくなった……よね?
 レオくんは顔が大好きなので、点数甘いんです。ぶっちゃけよくわかりません、あの顔のせいで底上げされまくってて、実力を客観視できない(笑)。
 うまくないのわかってて、それでも新公主演して欲しいと思うもの。や、レオくんぐらいいろいろ苦手があっても主演してる人、全組通して山ほどいるじゃないですか! そんなら、美貌とダンス力と男役度は高いんだから、レオくんも十分資格アリじゃん! と思ってしまうのですわ。


 あすレオがもう研7か……。
 時が過ぎるのは早い……。

 『ロミジュリ』も『インフィニティ』も、遠いなあ。
 『一夢庵風流記 前田慶次』の、ちょー個人的ツボを語る!!

 てことで。

 質問、質問!
 誰か答えて。

 庄司甚内@かなとくんって、どんな人?

 よくわからないの。
 わからないから、見てしまうの。
 てゆーか釘付けレベルなの。
 ちょっとコレってナニ、やばいわ、ツボ過ぎるんですけど彼!!


 甚内くんには、台詞があまりない。
 いつもパパの又左衛門さん@がおりとニコイチ。
 パパに従順で、「甚内!」の一言でウメガイを投げる。なにソレ、ふたりの間に言葉いらないの? なにそれ、らぶらぶ?

 概ね無口で無表情。
 でも穏やかな性格ではないらしく、たまにクチを開くとけっこう毒舌で乱暴。
 無口な分、口より先に手が出るらしく、ウメガイ投げちゃう。甚内様、危のうございます……まったくな。

 そして、なんか知らんが、大きな瞳が、うるうるしている。
 無口で腕が立ち、有事には誰より先に武器を取る、険呑な青年なのに……何故そんなに、いつも瞳がうるうるしてるんだっ。
 犯罪だろそれはっ。けしからん!

 でもって、パパが大好き。
 パパにだけは、すっげー無邪気な笑顔を見せる。

 なにそれひどい、反則よ、ありえないわ、萌えキャラ過ぎる!!

 又左さんと甚内くんの登場シーンは、必見です。
 慶次@えりたんが傾奇者相手に大暴れしてるあたりで、上手花道に出てきます。
 ここでは甚内くん、すげー素直に笑ってます。大きな瞳キラキラさせてます。パパと仲良し過ぎます。
 パパもそんな息子が可愛くて仕方ない様子です。
 息子はパパよりでかいのに、子犬みたいになついてます。パパも自分より大きな男相手に目を細めてます。やだもうこいつら、いちゃいちゃしすぎ!!

 そのかわいいふたりが、不穏な空気を感じるとさっと戦闘モードになるの。
 パパの「甚内!」のひとことだけで、甚内くんはウメガイをばしっとな。
 その変わりっぷりがたまらん。萌える。

 慶次に向ける楽しそうな目も、重太夫@ともみんを鼻で笑うのも、いちいちかわいいです、素敵です。

 そうやって慶次に好意を持ったっぽいのに、傀儡のアジトに慶次が現れたときは、甚内くんはあったりまえに刀に手をかけてるしね。
 パパ以外、誰も信用してない。……だから、いちいち、いちいち、たまらんて!

 でもって、そんだけパパが好きで、パパだけが世界の中心で。

 なのに、そのパパの最期を見届けるのも、甚内くんの役目で。

 パパに絶対服従だから、「お前は手を出すな」と言われたら、ほんとにもう、ナニもしないの。
 ただ黙って、パパが決闘して負ける様を見ることになるの。

 又左衛門さんが、マジいい男でねえ。いい男過ぎてねええ。
 こんだけいい男が父親だと、そりゃ息子も大変だわ。

 又左さんは、その生き方で、息子を育ててきたんだと思う。
 口で説教するのではなく、自分の生き様を見せることで。
 不器用かもしれない、間違っているのかもしれない。だけどその志一途な背中を見て、息子は育ってきた。誰よりも、父を愛して。尊敬して。

 甚内へ遺言を残し、又左衛門は父としても傀儡の長としての役目も終える。すべては息子へ託した、
 だから、又左衛門はひとりの男として、慶次と対峙する。
 闘う必要なんかない。殺し合う必要なんかない。
 慶次の敵となったのは傀儡の長として必要だったからだけど、こんだけぐたぐたになったあとで、慶次と命のやり取りをする意味はない。
 だから、長としてではなく、ただの男として、刀を握る。

 役目を背負って生きてきた父が、すべてを投げ捨てて、己が欲望のみに動いている。
「父は意地を押し通す」

 意地を通すために死を選ぶとか、あり得ない。女性目線だとそうだよね。
 だからこれは、ほんと男子脳で出来上がった作品で。
 自分が心酔した男だからこそ、闘いたい。破れることはわかっている、死ぬことはわかっている、それでも、己れの腕を試したい、闘って死にたい。

 そんな父親の姿を、黙って見守る息子。

 意地を押し通して死ぬ父を目の前にした息子は、これからどう生きるのだろうか。

 言われた通り手出しせずに、なにもせずに見守って、倒れた父にすがりついて泣きわめいて。
 彼の慟哭が、激しすぎて。


 慶次と敵対してからはずっと、険しい表情しか見せてなかったけど、登場したときは彼、笑ってたもの。ひとなつこいわんこみたいに、パパになついてたもの。
 その無邪気な少年の顔が記憶にあるだけに。


 そして、ラストシーン。
 エピローグの合戦シーンにて、銀橋で主題歌を歌う慶次を取り囲むように、次々となつかしい人々が現れる。

 そのなかに、庄司親子もいる。

 出演者全員が舞台上に現れるのだが、よくある「全員集合」ではない。
 死んだ人と生きている人は、きっちり線引きされている。
 舞台上の台の上を通る、台の上にいる人は、この世にいない人。

 庄司親子は下手から登場する。いつもそうであったように、ふたり連れ立って。そうそれは、見慣れた光景。
 舞台の反対側、上手の台の上に雪丸@まっつが加奈@せしこの肩を抱いてラブく並んでいるのと、対照的。
 見慣れない光景と、見慣れた光景。

 でも、又左衛門ひとり、舞台奥へ進もうとする。
 甚内は父を止める。「行かないで」と首を振る。
 大きな瞳をうるうるさせて、「いやいや」をするみたいに、首を振るんだよちょっと!!

 父は息子と別れ、ひとりで舞台奥の台の上へ。
 父に置いてゆかれた息子は、キッ、と表情を改める。
 そして、ひとりで歩き出す。

 雪丸と加奈が手を取り合って歩いて行くのと反対に。反対方向に。


 最後の「いやいや」がね……破壊力MAX。

 ナニしてくれんだよ……萌え殺す気か。


 登場シーンの、「パパにだけ見せる無邪気な笑顔」と、最後のこの「いやいや」は、セットですよ!
 両方観てこそ、完結するのですよ!!

 はー……。

 わかんないわー。
 甚内くんってナニ。
 ナニあの素敵な萌えキャラ。

 いまいちすぱっと答えの出ないところがもう、萌える。
 たまらんわー。
 『一夢庵風流記 前田慶次』を、ちょー個人的ツボ語りする。

 庄司又左衛門@がおりが、カッコよすぎる。
 良い役だなー、いい役者だなー。

 又左さんは原作由来のキャラだから、息子といつも連れ立って登場しているんだけど、このキャラクタのポイントは「二人連れ」ってことよね。
 ひとりだと、又左さんの格好良さはここまで出ていない。
 彼がひとりで登場してべらべらひとりごと言ったり、慶次@えりたん相手に聞かれてもいないことを喋り出したりしたら、興ざめ。男が下がる。
 相棒がいることで、会話が自然になり、情報伝達量が格段に上がる。
 ではその相棒はどんなモノでもいいのか、つーと、んなこたぁーない。やっぱ「男を上げる」には、「優秀な男」が「又左衛門を敬愛している」ことが重要。
 阿呆に惚れ込まれ、持ち上げられてもあまり意味はない。もちろん、微笑ましい図だし、その阿呆が愛すべき三枚目として機能し、場を盛り上げる効果はある(=慶次と重太夫@ともみん)が、それはあくまでも主役サイドで、尺を取ってその関係性を書き込む場合。短い出番と少ない台詞では、相棒が阿呆だと「あんなまぬけにしか認められてない残念な男」という印象になる。
 だから、出番が限られている以上、相棒は「優秀な男」がいい。「あんなに優秀な男が敬服し、付き従っているのか!」という付加価値大事。
 で、出番が短い以上、その「優秀な男」と又左さんの関係をくどくど説明するのは難しい。主従萌えというジャンルが形成されているくらい、ここは重要ポイントなんだが、「部下」だと、「なんで部下がいるの?」ってことになり、説明が煩雑になる。ただでさえ説明することが山ほどある舞台なのに、いらん設定と説明台詞は抑えたい。

 ということからも、「息子」ってのはうまい設定だよなー。
 「こちらは私の息子」とひとこと言うだけで、全説明完了。誰もそれ以上の解説を必要としない。

 や、原作が親子だからということじゃなくてな。庄司親子はオリキャラにオリジナルストーリー扱いだから、こういう描き方をしているのは大野くんだもの。

 又左さんのいちばん多い台詞は「甚内」、そして息子の甚内@かなとのいちばん多い台詞は「父上」、ってくらい、ふたりだけの世界。

 親子でなく、傀儡の衆の長と副官にした方が、腐女子向き設定だけどな(笑)。絶対同人誌出るレベルだけどな(笑)。
 でもここはストイックに親子で!!

 又左さんのいちばんかっこいいところは、わたし的にはラストの立ち回りよりも、いちばん最初の、刀を収めるところ!!

 加賀@ヒメ、国@さらさに鼻の下のばした慶次が反対に襲われちゃって、甚内が捨丸@みゆを取り押さえて、又左衛門は抜刀して慶次の背中を守って。

 緊迫した空気ののち、慶次が寝たふりしている重太夫に蹴り入れつつ訊問しているとき。
 観客がゆかいなともみんを見て大笑いしているそのときですよ、がおりさんがちょーかっけーの!! みんな、上手側のがおりさん見て!!

 無言で刀を鞘に収める姿が、ぞくぞくするくらい、かっこいい。
 おっさん役なのに。白髪入ってるのに。
 いや、おっさんだからこそ、白髪入ってるからこそ、かっこいいのだ!!
 若造ではないからこその、美しさだ。


 『一夢庵風流記 前田慶次』は、とても男性的な物語だと思う。男子の萌えがいっぱい詰まってるから。
 重太夫はまさに「男子向きエンタメのお約束キャラ」だし、この庄司又左衛門というキャラも、恥ずかしいくらいの「男の夢」まんまだ。

 又左さんがこんなキャラになっているのは、大野せんせ主導なのか、それてもがおりさんゆえなのか、知りたいところだ。
 というのも、又左衛門はあまりにも「男子の夢」であり、「女子向き」ではないためだ。

 ぶっちゃけ、この役、専科さんでもよくね? や、専科さんにこれ以上出て欲しいわけじゃない、組子だけで十分、がおりで十分、がおりだからいい。
 そうじゃなくて、「役」があまりにも「専科のおじさま」的。

 役として十分機能しているんだけど、それは男子マンガ的な意味であって、少女マンガとかタカラヅカ的には、ちょっとチガウと思うんだ。
 つまり。
 色気がない。

 庄司又左衛門という役の設定、台詞など、資料だけ渡されたら、もっと色気のある……なんつーんだ、「現役感」のある役を想像すると思うんだ。
 ここまで、男として「枯れた」感じじゃなくて。

 白髪交じりのおっさんでいい、傀儡の長としての重責や思うように生きられない挫折感でうちひしがれていてもいい、それゆえに道を誤ってもいい、……それでもなお、あるだろう、色気が。「美形悪役」的な。

 がおりんてば、なんでこうも枯れてるんだ……。
 本モノの専科のおじさまが演じているようだよ……。

 又左衛門が美形おじさまとして匂い立っていれば、またチガウと思うんだ。
 エロは雪丸@まっつ担当、と決めつける必要はない。色気には娼婦の色気と尼僧の色気と2種類あるんだよ、闇属性の色気はまっつに任せて、がおりんは心正しきゆえの色気を、又左衛門で出すべきだったんじゃないか?

 大野せんせが「又左は男の夢、女向けのフェロモン不要」と指示し、がおりさんは枯れた本専科さんみたいになってるの?
 それとも。
 がおりさんがふつーに又左を演じると、枯れてしまうの……?

 えーと。がおりで、エロエロな役ってなにか、あったかなあ?
 今まで見たことあったっけ……? 『ロシアン・ブルー』新公のラスボスとか……?
 『若き日の唄は忘れじ』の加治様……?
 (どれも大野作品)

 がおりんはとてもうまい人で、得がたい役者さんだと思っている。
 でもなんか、こういう「二枚目役」で、色気を出してこない芸風に、危惧をおぼえる。
 たとえばきんぐなんか、どんだけおっさん役でもちゃんと美形で色っぽいぞ? そういう「スターならでは」の部分をきちんと押さえてるぞ? 同期の朝風くんだって、悪役だろうと善人役だろうと、いつも必ず欠かさずエロいぞ?
 本当に枯れるのは、まだ先でいいじゃん。がおり、90期なんだから。まだ研11なんだから。
 おっさん役が出来るのは強みだし、これからの雪組、そしてタカラヅカに必要だけど、それはそれとして、美形役もおいしく調理出来る脂っぽさを持っていて欲しい。


 ……と言いつつ、今の枯れた又左さん、好きなんだよなー。
 がおり、ほんといい男だわー。だからこそつい、老婆心であれこれ言っちゃうのよ。
 さて、『ベルばら』書ききったぞ、次は『ノクターン』だ!! ……のつもりが、チケットなくて敗退。サバキ待ちしたんだけど、ぜんぜん出なかったよう! しくしく。
 最近、心を入れ替えてマメに観劇感想書こうとしてはいるんだが……めっきり友会当たらなくなっちゃったなー。『ノクターン』もだが、雪東宝どうしたもんだか……。


 ということで、書き溜めてある(笑)雪の感想に戻る。

 『一夢庵風流記 前田慶次』は、映像がたっぷり使われている。
 この映像使いに、演出家の個性が出るもんだな、という感想。

 オープニングは、どこのゲーム?!状態。
 月と松風のシルエット、それを狙う忍者たち、舞台上の生身の役者の演技と、映像がリンクする仕組み。それがもお、すごくゲーム画面っぽい。
 というかゲーム出してください。

 慶次@えりたんを操作して、松風(ヒロイン)を守れ!!
 てなゲーム。飛んでくる敵の攻撃を刀でカキンカキンたたき落とすのな。
 ステージごとにボス戦があり、1面目のボスはもちろん主馬@翔くんだ!
 わたしのコントローラ操作でえりたんが飛んだりはねたり! やだ楽しい! ゲージを溜めて必殺技「村雨」を繰り出したり。(ちょっとチガウ)

 ゲームっぽいのはいいけど、あの巨人はなんなのか。
 オープニングの半ばで、スクリーンに巨人が登場するんだな。

 初日に観たときは「このテイストの作品なのか!」と思ったけど、んなこたぁーなかった。オープニング映像のみだ、あんな世界観。
 忍者が合体して巨人になって大暴れ! えりたん巨人と戦う!! ……本編がこのテイストだと、それタカラヅカぢゃない……。
 それとも、当初の脚本では慶次がゲームやアニメばりに巨大モンスターと戦うような演出があった? その場合、敵になるのはやっぱ忍びたちで、へたしたらまっつが巨大カエルの上で高笑いしてたかもしれん、と思うと胸熱。(いろいろチガウ)

 ともかく、本編の世界観と合っていないので、巨人登場だけはいらないと思う、オープニング映像。お金かけて作っちゃったから、あとから変更かけるなんてもったいないことできないんだろうな。それで「あれ? 巨人と戦う慶次はやりすぎ演出だったな。でも今さら削れないや、てへ」ってことになった?

 手裏剣をたたき落とすえりたんはいいけど、巨人の剣を受けて「ううう~~」となっているところを観るのは、正直「…………」で、いたたまれない感がある。だって相手、アニメーションの巨人よ……? それに合わせて「ううう~~」よ?

 しかし、巨人を撃破したえりたんのドヤ顔で、すべて許せる気がする(笑)。ビバえりたん!

 初日から何回か1階席で観て、「この映像、2階からはどう見えるんだろう?」と思った。サイトーくんの『JIN-仁-』のオープニング映像は、2階からは見えなかったんだ。だから初日に「オープニングかっこいーー!」と沸いた人々の何割かは、キムくんたちの顔は見えないまま拍手していたはず。
 んで、2階のいちばん後ろ、当日B席から確認。

 さすが大野先生! 2階17列目からでも映像が見える!!

 もちろん上の方は見切れるんだけど、切れても問題ない作りになっている。サイトーくんみたいに、「せっかくのキャラクタの顔がまったく見えない!!」なんてことにはなってない。

 タイトルも見えるし、それを斬り裂くえりたんの剣さばきごとアニメーションが見える。
 そのあとの、「前田慶次 壮一帆」までばっちり。席代2千円しか出してない人も、ちゃんとお客さん扱いしてくれてるよ!!


 オープニング以外でも、映像はあちこちで使われている。
 ここでもやはり重要なこと、2階席からでも、問題なく見える。

 主人公たちの顔がまったく見えないままはじまり終わったサイトーくんの『JIN-仁-』は問題外としても、イケコの『眠らない男・ナポレオン』だって、せっかくのスペクタルな背景映像が、2階席からは、見えなかった。
 そのため2階席は、盛大においていかれた。
 演出家も劇団のおえらいさんも1階席からしか観ないんだろうけど、生憎劇場には2階席というものがある。2階席の視点を想定しない演出はいかがなものかと、わたしは思う。

 大野せんせはカーテン代わりに映像スクリーンを使っているので、2階からでも見えるのなー。ちなみに、イケコは舞台のいちばん奥で映像を流していたので、2階の奥からはまったく見えなかった。


 京の町のにぎわいを表すアニメーションも個性的だし、梅の花のアニメーションも美しい。
 アニメーションといってもいわゆる「アニメ」ではなくて、屏風絵が動く感じ。

 物語の中の季節が、言葉による説明ではなく、映像を含めた演出で、移り変わっていくのが気持ちいい。
 雪の金沢からはじまった物語が、舞台を京に移して、あざやかに梅の花が咲く……水墨画のような色の抑えられた画なのに、その前で踊る娘役たちのきらびやかさを映して華やぐ。
 そして、舞台全面の桜の木。最初はまだ枝だけで、花はほんのわずか。
 それが次の場面では満開になっている。人の心を狂わせる夜桜のもと、慶次とまつ@あゆっちは積年の想いをあふれさせる。
 その桜が盛りを過ぎる頃、慶次とまつの恋は終焉を迎える……。

 実際に劇中で何日何年時間が流れてるのかは(台詞で明言されていること以外)わかんないけど、説明を超えたところで美しくまとめてあるなと。

 てゆーか、「散らば花のごとく」と桜を作品テーマにしているくせに、「この恋は、この桜の花のように散っていくのですね」とか言わさないところがいい。植爺なら絶対言わせてる(笑)。


 あと映像が小気味いい!と思うのは、最終章の導入部。(わたし、ドラマヲタクでもあるんです……最終回のひとつ前あたりを「いよいよ次週、最終章突入!」とその前回の予告でやたら煽るよねー)

 秀吉@はっちさんに代わり、天下人の輿に乗って現れた家康@ヒロさんが高らかに宣言する。「陣触れをいたす!!」

 そこで戦旗がぶわーっとはためくのが、掲げられるのが、小気味良い。
 舞台で映像を使う、って、こういうことだ!!

 映像、アニメーションである意味。
 「動く」ことの意味。

 ただ直接的な「生身で演じてもええやん」なものを映像にするのでなく、「背景、セットでええやん」なものを映像にするのでなく。
 映像でなきゃ、アニメでなきゃいけない、この効果はのぞめない、ということを、短くやって見せて、すぐに次の場へ移る、てのがいいね。
 せっかくのナマの舞台で、長々と映像見せられてもしらけるしね。
 ……って、だからこそちょっと、オープニングの長さは残念かな。
 巨人のくだりはカットしても……(笑)。
 花組中日『ベルサイユのばら―フェルゼンとマリー・アントワネット編―』、キャスト感想。

 フェルゼン@みりおくんは、トップスターとしての責務を見事に果たしている。
 もともとうまい人だけど、真ん中に立つことでより腰が据わったというか、方向性がぴしっと一点を向いていて、気持ちいい。
 でもってわたし、みりおくんの歌声好きだなあ。

 1幕ラスト、フェルゼンが客席降りするんだけど、客席から起こったどよめきがまた……(笑)。大劇場でペガちゃんが飛ぶのと同じ! みりおくんひとりでペガちゃん並みに客席沸かせるのか!! と、感心した。


 アントワネット@蘭ちゃんは、正直1幕はどうなることかと思った。
 ボートの場面の薄ら寒さというか、ええっと、キミらぜんぜん愛し合ってないよね? お互いを観ずに芝居してるよね?!
 でも2幕、ルイ16世@さおたさんとの芝居は良かったし、牢獄場面も盛り上がった。

 他の人と組んでいるときの方がイイ感じに見えたんだけどな、蘭ちゃん……。
 あんましみりおくんと合ってない? たまたま、わたしにそう見えただけ?


 アンドレ@だいもん。
 アンドレというか、プロローグの貴族の気合い入りまくった笑顔が、すごかった。
 ちょっとないくらい、「本気!!!!」に作った笑顔で……だだだだいもんすげえなおい、とびびった(笑)。

 アンドレは違和感なくアンドレというか、クドくてねばこくて大芝居で、そして歌声はもちろん耳福で、おお、きっちり仕事してるわー、こりゃ2幕が楽しみだなあと思った。
 オスカル@キキくんがあまりにデカ過ぎて画面破壊系である分、「今宵一夜」がどうなるのか、ワクテカして……幕間に、ないとわかり、驚愕した。
 そ、そうか……ないのか、「今宵一夜」……。そんな扱いなのか……それであのすっげー気合い入ったプロローグなのか……。ほろり。

 でもって橋の上、撃たれときの痛そう感がハンパなかった。

 い、今までわたし、考えたことなかったよ……そ、そうだよな、痛いよな……。
 何発被弾するのかどこを撃たれたのかとか、髪の乱れとか動きとか、そんなことを気にしていて、「撃たれると痛い」ってことを、失念していた。や、だってアンドレ13~4発撃たれるよね? いちいち痛がってられないというか、衝撃の方が強いんだろうなとか。
 だいもんさん、最初の方本気で痛そうで、観ててびびった……そこをリアルにするのかキミ……で、撃たれすぎるともう痛みがないみたいで、ただ衝撃に吹っ飛んでる……って、そのリアリティやめて、観てて痛いから!!(悲鳴)
 ほんと素晴らしいっすよ、アンドレ様……。どんな扱いでも超絶全力疾走。

 あー、でも、アンドレのカツラはもう少し、なんとかした方がいいんじゃないかと思ったっすよ、望海さん……。


 ド・ブロイ元帥@みつるは……、うわーん、わたし、みつるなのにきちんと咀嚼出来なかった。みつるだからきっとなにかしらわたしを「おおっ」と思わせてくれると期待して注目していて、……よくわかんないまま、終わった。
 脚本がひどすぎて、アタマがついていなかったの……。きっとリピートすればわかるんだと思う。


 ジェローデル@ふじPはイイ感じにファンタスティック。胡散臭さがいい。ジェローデルってまっとうな貴公子力に加え、ちょい癖がある方がいいんだよね。


 ベルナール@がりんは、とりあえずビジュアルが好みだ(笑)。
 ずっと女の子っぽい持ち味だったがりんくんは、大人になって「女の子」から「少女マンガの男の子」になったなと。
 少女マンガにしかいそうにない甘さが、クドい花男たちの間で可憐に見える。
 でももう少し役割に相応しい、太い声が出ればなあ。


 ロザリー@かのちゃんは、なんつっても声がなぁ。娘役は声が重要。歌がヘタでもドレスの着こなしがヘタでも、「ヒロイン声」で喋ることが出来れば、ヒロインとして説得力があったりする……んだが、かのちゃんはせっかく歌える人なのに、声で損してると思う。


 花組って植爺に当たってない組なんだなあ、と今さら思った。
 最後に当たったのが2008年と翌09年の『外伝』? でもってその前は90周年の『天使の季節』まで遡っちゃうの?
 てゆーか、10年間で、植爺一本モノが皆無?!
 『天使の季節』は30分の短編、『外伝』は片方全ツだし、どちらにしろ90分でショーと2本立てだ。
 なんつー幸運な組……。
 自分の贔屓が花組にいるときは、気づいてなかった。なにしろ『天使の季節』で新公、『外伝』2本とも出演と、被害を真正面から被ってたからさ。
 そっかあ、植爺芝居当たってないんだ……。

 というのは、植爺芝居の出来てなさぶりに、目を見張ったんだわ。
 前を向いて一列に並んで声を張り上げる、あれ。独特で時代錯誤で大仰で、わたしはキライなんだけどねー。
 キライだけど、すでに「植爺芝居」として確立されているので、仕方ない。確立したモノが、足りていない・出来ていないと、「あれ?」と思う。
 『ベルばら』は植爺の脚本もひどいけど、それを差し引いたところで、すべてにおいて古くさい。それを「これはこれ」と納得させるには、その古くさい植爺芝居を……「植田歌舞伎」と呼ばれるモノを、モブの下級生まで体得して一丸となって世界構成しなければならないんだ。
 それが出来ていない分、観ていてけっこうつまづいた。あれ? あれ? と。

 大変なことになっているなと思うのは、大抵オスカル@キキくんの場面。
 えーとあれ、キキくんだよね? オスカルじゃなくて、キキくん。
 『Mr. Swing!』の女役のときも思ったけど、キキくんはキキくんなんだなあ。カツラをつけて、ドレスを着たキキくん。女役でも、男役の女装でもない。
 キキくんが技術的にいろいろ大変な人だということはわかっているけれど、今回は画面的にも大変なことになっているし、他の人たちも植爺芝居に手こずってるしで、助けてくれる人がいない。力技で支えてくれたかもしんないだいもんは出番ないし、みつるも絡まないし。

 あと不思議に思ったのは、オスカル場面の巻き状態。
 オスカル側の場面のテンポが、身に染みついた『フェルゼン編』よりずっと速いの。すっげー駆け足っていうか、「時間ないから端折るよ!」って感じで。あくまでおまけですから、本気で描く気ないです、って感じで。
 真ん中の人の技術のなさに加え、演出的にも重きを置いてない様子がわかるってのはほんとにつらいわ……。

 キキくんがオスカルでなければならないというなら、こんな「オスカルをやりました」という実績のためだけですてな扱いしないで、本気でやりやがれ。
 彼が真ん中として成り立つ脚本と演出をひっさげて、見た目も実力面もカバー出来る態勢を作り、おためごかしや言い訳なしでやればいい。
 ジェンヌさんたちはみんな、いつだって一途に与えられた役割を務めているのに、なんでこんなことをしちゃうんだろう、植爺って。
 植爺にずっと、聞きたかった。

 ルイ16世とアンドレが、同い年だって知ってますか?

 アントワネットやオスカルとは、ひとつしか違わないんだよ?
 原作を読んだことのない植爺は、知らないのかもしれないけどなー。

 ということで。

 植爺版『ベルばら』のルイ16世は、概ね苦手だったんだ、わたし。
 だって、不自然におじいさんなんだもの。

 王様=えらい=老人、という図式が植爺の中にあるんでしょう。
 ちなみに、植爺が大好きなメルシー伯爵だって別に、老人じゃない。原作ではロマンスグレーのおじさまとして描かれている。
 だけど植爺は、えらいおじいさんが大好き。えらいおじいさんが豪華な服を着て、みんなに尊敬されたり、バカな若者に説教する話が大好き。

 また、特別感を出すつもりなのかなんなのか知らないけれど、妙な棒読みで喋らせる。
「ふぇるぜん、キカセテクレホントウノキコクノワケヲ」的な、非人間的な棒読み。
 王族はこういう喋り方をする、という演劇界の決まりがあるんですか? それとも史実がこうなの?
 決まりだろうが史実だろうが、アントワネットはふつーに喋っているのに、ルイ16世だけカタカナ棒読みは変。
 最初に観たときは「あの王様はなにか精神に問題がある設定なのか?」と思ったもんだった……だってひとりだけ、金属的な声で棒読みするんだもの。

 時代と共に喋り方はマシになってきたけれど、老人もしくはかなり年配であることは変わらず。
 組長や専科さんの役という認識。演じる人が悪いわけじゃない、専科さんたちは学年相応の見た目と芝居をしているだけで、そんなキャスティングをする植爺のセンスの問題。

 人格者だとやたらと語られるわりに、「今晩中にこの錠前を開けなくてはならないのだ。たかが百姓の暴動ではないか、軍隊で鎮圧しろ」「暴動ではございません、革命でございます!」……ごとっ(箱を落とす)、てな、アホの子として描かれるし。

 なんとも苦手だ。

 しかし、花組中日『ベルサイユのばら―フェルゼンとマリー・アントワネット編―』

 ルイ16世が、ストレスじゃない!!

 まず、若い。

 青年ではないし、アンドレと同い年にも見えないけど、少なくともおじいちゃんじゃない。

 おかしなカタカナ喋りもしない。ごくふつうだ。

 この「ふつう」ってのが、得がたい。
 優しく気の弱そうな男の人。一歩腰が引けているというか、「たしかにこの人だったら、アントワネットのこと苦手だろうなあ」と思える、説得力。
 統治者としてや政治家としての優秀さはまったく感じないけれど、おっとりとした気品があり、国の象徴として王座にいてくれる分には納得の愛されキャラ。
 三部会開催まで切羽詰まった情勢の中、国王だけはちゃんと人気があった(アントワネットには拍手なし)というのがわかる。あー、好かれてたんだろうなあ、この人。

 おじいさんだから若いアントワネットにガン無視された、ではなく、性格的なことやいろんな掛け違いがあったために、今の状態なんだなとわかる。
 そして、ふつうにいい人だから、その掛け違いがなくなる革命後は、夫婦としていい関係を築けたのだと、納得出来る。

 さおたさんはほんとやさしげな、不器用そうな男の人に見えた。
 夜の散歩がうざくないって、すげえよ。あ、わたし王様がお小姓連れて庭を散歩するシーン、キライです。不要だと思ってます。子ども相手に夫婦関係の愚痴を言い出す老人とか、嫌すぎる。しかもなにを言われても黙って従うしかない立場の者に、一方的に。
 年寄りでもなく、「王族ですから」とロボットみたいな喋り方もせず、ごくふつうに優しく頼りなさそうな男の人が、ほんとに楽しそうにしている。王妃への愚痴も、どこか優しいユーモアをにじませている。
 あー、この人いいなあ、好きだなあ。

 1幕ラストの「困る」発言も、2幕のアントワネット@蘭ちゃんとのほのぼのぶりも、ストレスなく観られた。
 植爺のルイ16世キライだからさ~~、わたしにとって相当ストレスなのな~~。
 唯一心から「いらんっ。間違ってるっ」と思うのは、1幕冒頭の「暴動ではございません、革命でございます」「(ごとっ)」場面のみだ。ここはいくらさおたさんが好演していても、やってることがなにもかも間違いすぎてて、無理。

 今回のさおたさん観て、『あさきゆめみし2』を思い出したなあ。
 終演後友人と「さすが、タカラヅカ一、寝取られ役が似合う男!」と、頷き合った(笑)。
 さおたさんってラスボスもよくやるけど、正反対のそーゆー役もハマる人。……実に素晴らしい芸風です、組長!


 わたしの大嫌いなメルシー伯爵とルイ16世が、今回の『フェルゼンとアントワネット編』では両方ともストレスが少なくなっていて、大変感動しました。
 や、どっちの役も植爺脚本だから間違いまくってるんだけど、その間違った中で最善の役作りをしてくれていた。

 エマさんがメルシー伯爵で、さおたさんがルイ16世という配役は良かったなあ。ふつーに考えたら逆だもんなあ。
 「中日『ベルばら』どうだった?」っていろんな人に聞かれて、「ルイ16世良かったよ、アントワネットとの別れの場面とかじーんとするよー」てな話をするとき、大抵「そっか、エマさん出てるんだよね」とか「エマさん経験者だしね」とか返ってくる。
 待って待って、ルイ16世@さおたさんだよ! と言うと「え? たしかエマさん出てたよね?!」と言われ、エマさん=ルイ16世認識なんだと知る。
 で、エマさんがメルシー伯爵だと言うと、意外そうな反応になる。
 植爺『ベルばら』の刷り込みすごい。
 「意外」なキャスティングだったけれど、ここだけは本当に良かった。
 花組中日『ベルサイユのばら―フェルゼンとマリー・アントワネット編―』で、いちばん感動したのはメルシー伯爵@エマさんの演技だ。

 『フェルゼン編』、『フェルゼンとアントワネット編』共に、「もっとも不要」「もっとも苦痛」と誰もが言う最悪場面が、「メルシー伯爵のお説教」場面だ。

 広い広い舞台に、登場するのはふたりだけ。
 ひとりはトップスター演じるフェルゼンだからいいとして、もうひとりは専科のおじさま演じるメルシー伯爵。
 このふたりが向かい合って椅子に坐り、ただ話すだけの場面。
 しかも、メルシー伯爵がひとりで何十行もの台詞を喋る。内容は「説明台詞」で、2行で済ませてもいいことを何十倍に水増しして喋り続ける。フェルゼンはそれに相槌を打つだけ。メルシー伯爵の独壇場。
 メルシー伯爵の話は要するに、「不倫はやめろ」という至極もっともなこと。ひとのものに手を出してはいけません。幼稚園で習いましたね?
 それに対してフェルゼンが、逆ギレ。「えらそーに説教するけど、自分がかわいいだけじゃないか!」
 「じゃあこのまま一国の王妃と不倫し続けるつもり? そんなことができると本気で思ってる?」……そこでさらにメルシー伯爵に正論を吐かれ、フェルゼン沈黙。

 画面として美しくないし、舞台に動きはなくて退屈だし、どーでもいい説明台詞の洪水で退屈通り越して苦痛だし、その上「正しいことを言われて逆ギレ、自分の悪は棚上げで相手を攻撃、最終的には論破されてへこむ」という、擁護出来ないくらい最低な姿を「主人公」がさらす。
 誰ひとり得をしない、百害あって一利なし場面。

 だがこの場面は、植爺がもっとも愛する場面なので、他のどんなに重要だったり人気があったりする場面をカットしたとしても、ここだけは絶対にカットしない。かわされる会話も、追加されて延びることはあっても、削られることはないという、渾身の場面なのだ。
 2005年の全ツ版では、「今宵一夜」も「バスティーユ」も全カットだったのに、この「メルシー伯爵のお説教」だけはフルバージョン入ってたさ。

 だからフェルゼンをトップスターが演じる場合、「メルシー伯爵のお説教」もセットだと考えなくてはならない。
 どんなに苦行であっても、それが現実である限り、受け入れるしかないのだ。ああ、なんて人生の縮図。


 とまあ、あきらめて挑んだ初日観劇。

 目からウロコが落ちました。

 メルシー伯爵のお説教が、うざくない。

 もちろん、いらない場面であることは変わらない。もしも神様が「一場面だけ植爺のアタマの中から存在を消してあげましょう」と言ってくれれば、間違いなくこの場面をお願いする。
 間違ってるしつまらないし、とても不快な場面であることは、たしかだ。

 しかし。

 ストレス度合いが、違った。

 なまじわたしは、去年の雪組『フェルゼン編』をアホほど観ている。リピートしている。この場面だって笑える回数観てきた。
 その記憶があるだけに……驚いた。

 エマさんのメルシー伯爵は、偉人には見えなかった。

 悪人ではないのだろう、たしかに善良ではあるのだろう……しかしなんというか、小人物だった。
 小役人っぽいというか。
 へこへこせこせこした感じ。気のいい商人のおじさん。

 善良なのはたしかだから、親代わりに見守ってきたマリーちゃんがかわいくて、彼女の思い出を目を細めて語る。
 そして、彼女の幸せを思って、彼女を悪の道にそそのかす色男に「別れてくれ」と頼む。
 そんなメルシーおじさんを、正義のフェルゼンが一喝する。「あなたは身勝手だ」。
 マリーちゃんの幸福と言いながら、自分の保身しか考えてないじゃないか!!
 おじさん、痛いとこ突かれて、がーーん! 思わずキョドりつつも反論「で、でも不倫は不倫だろ。このまま続けるなんてむ、無理に決まってる!」。
 マリーちゃんの保護者ってことで、たしかにいい目もみてきたわけだけど、メルシーおじさんは悪人じゃない。得をするから育ててきたんじゃない、ほんとにマリーちゃんがかわいくて、その幸せを願っているんだ。
 メルシーおじさんを責めても仕方ない。フェルゼンは聡明な青年なので、膝を付いて懇願するメルシーおじさんに、それ以上反論するのをやめた。

 ……という図式に見えたの。

 そうか。
 今まであんなに不快だったのは、メルシー伯爵が完全な人格者だったからだ。それゆえにどうしても、フェルゼンが下から上のモノに噛みつく、ように見えた。
 メルシー伯爵は本当に年齢的にも経験的にも格上の存在で、「偉人だから、正義オーラがにじみ出ているのは仕方ない」状態だったんだな。
 メルシー伯爵の役割は、「正論を説いて、間違ったことをしているフェルゼンを改心させる」……わけだから、礼儀正しくへりくだっていても、基本一歩も引かないというか、えらそーな人だった。
 実際、トップスターよりはるかに格上の専科さんが演じるわけだし。その舞台人のとしての年輪も含め、威厳を持って若造を圧倒する場面だ。
 正義のメルシー伯爵にたてつくフェルゼンはますます邪悪で、どうしようもないアホに見えた。

 それを、どうだ。
 メルシー伯爵を「ふつーのおじさん」にしてしまえば、同じ脚本でも、こんなに違う。
 間違ったことは言っていなくても、彼に隙があるため、フェルゼンが刃向かっても、フェルゼンの株を下げない。
 本人は「王妃様のため」と本気で思って言っているんだけど、フェルゼンに反論されるとびくっとする。聖人でもない限り、自分の言動に1ミリの欲や打算がないがないとは言い切れないものね。

 またみりおくんのフェルゼンが、ヒーローオーラ、ゆんゆん。

 こずるさのある小者相手に、「私が正義ですが、ナニか?」ってな風情で対峙する。

 まさかの、フェルゼン>メルシー伯爵。
 今まで砂を吐くくらい繰り返し観てきたいろんなバージョンの「メルシー伯爵のお説教」は、フェルゼン<メルシー伯爵、だったのに。
 正しいのも優勢なのもメルシー伯爵。間違っていて負け犬として逃げ出すのがフェルゼン。

 それが、ひっくり返された。

 メルシー伯爵を小者にすることで、こんなに違うのか!
 ちゃんと主人公が正しく、主人公がかっこいい。
 それでいてメルシー伯爵も悪人じゃない。ちゃんと「いい人」だ。
 だから2幕の最後、牢獄のアントワネット@蘭ちゃんに会いに来るところも、じーんとするんだ。
 観客が感情移入出来る、等身大の「いい人」だ。

 いやあ、感動しました。
 メルシー伯爵の、『ベルサイユのばら』の、新しい可能性だなあ。
 花組中日『ベルサイユのばら―フェルゼンとマリー・アントワネット編―』の2幕の、ド・ブロイ元帥@みつる、ベルナール@がりん、ロザリー@かのちゃん場面について、その3。


 あと不思議なのが、「何故、王妃救出なのか」。

 この場面の前で、ルイ16世@さおたさんが革命政府からの呼び出しを受ける、という場面がある。
 ……呼び出しを受けただけ、だ。処刑されたとは言われてない。
 2006年の『フェルゼンとアントワネット編』でも、ルイ16世呼び出しのあと、ベルナールとロザリーが「国王一家救出」について話している。
 今回のベースとなっている『フェルゼン編』でも、ベルナールとアランとロザリーが、「国王一家救出」について話している。

 なのに今回は「王妃救出」としか、言っていない。

 王様は?

 もしもこの時点でルイ16世処刑済みならば、台詞で言うよね? 「国王陛下が処刑された今、一刻の猶予もない」てな。
 でもそんな台詞はなかった、よね? 終演後に友人と話したんだけど、ルイ16世の生死に関してはノータッチだったと思う。死んだと明言されていない。
 ただ当たり前に「王妃様」「王妃様」と、王妃のことだけを話している。

 そして、「ブルボン王朝の血を絶やさないため」王妃を助けるそうな。
 あのー。
 アントワネットは、ブルボン王朝の血は引いてないっすよ? 外国人ですから。

 救出すべきはルイ16世、あるいは王太子でしょ?

 外国人の王妃を救出して、王様や王太子見捨てる、ってなにそれ?

 「国王一家救出」と言っていた今までは、疑問じゃなかった。でも今回、わざわざ台詞が全部「王妃」に変更されている。
 ……ので、わからない。
 アントワネットを救出して、なんの意味があるのか。

 「フランスに咲いた百合♪」なんて歌わさなければいいのに。
 アントワネットは「ベルサイユのばら」であって、「フランスの百合」ぢゃないっす。
 ブルボン家の百合の紋章を受け継ぐのは、アントワネットじゃない。

 この時点で国王処刑済みで、誰かひとりしか救出出来ないとすれば、選ぶのは王太子でしょ?
 アントワネットが死んでも、ルイ17世が生き残っていれば問題ないし、ブルボン家の血筋は他にもいるし。
 植爺、どこまで耄碌してるんだろう……。

 今までの「国王一家処刑なんてフランスの恥」だから救出作戦やるんだよ、という理由の方がはるかにマシだ。


 なんで「国王一家」を「王妃」にしたのか、理由はわかってる。

 今回の公演目的のひとつが、「アントワネットを持ち上げる」ことにあるためだ。
 物語よりも、役者の格が重要。

 「国王一家のため」危険な作戦を企てる……よりも、「王妃ただひとりのため」とした方が、アントワネットの格が上がる。

 ルイ16世も王太子も、フランスも革命も、どうでもいい。
 ただただ、「素晴らしいアントワネット」「アントワネットのために」とやるのが目的。

 2幕は、オスカル戦死のバスティーユ場面以外は、すべてアントワネットのための場面。
 本人が出ていないところも、フェルゼンが「アントワネット様、アントワネット様」と念仏のように唱え続け、ベルナール、ド・ブロイ元帥、ロザリーが「アントワネット様救出」「いいえ、アントワネット様は気高く死ぬべき」と歌まで歌って大騒ぎ。
 それに、「アントワネット様救出は、オスカルの意志」と、オスカルの名前もたびたび出して「この世のすべての善人・素晴らしい人は、アントワネットのために動いている」、ことさら革命失敗、醜い権力争いと説明台詞を繰り返し「アントワネットを糺弾しているのは、欲に目がくらんだ愚か者だけ」という図式を作っている。。

 すごいわー。この徹底ぶり。

 でも、方法が間違ってるから、意味ないけどな。

 ほんっとに植爺キライだわ(笑)。
 花組中日『ベルサイユのばら―フェルゼンとマリー・アントワネット編―』の新要素、ド・ブロイ元帥@みつる。彼が活躍する場面は、明らかにおかしい。
 役者に含みはない。あのよくわかんない役が成り立っているのは、みつるの演技力あってのものだと思う。
 だがしかし。

 植爺の改悪が、酷すぎる。

 という話の、前日欄からの続き。


 2幕の「王妃救出作戦」を話す場面。
 ベルナールとアランでもひどかったのに、アランの役割を、ド・ブロイ元帥という貴族のおえらいさんにした。

 革命派のひとり、一介の新聞記者でしかないベルナール@がりんが、何故そんな大貴族と知り合いになったのか。
 貴族がギロチンにかけられている時代に、ド・ブロイ元帥がどうやってのうのうと豪華衣装を身にまとい、パリの下町にいるのか。

 そんなことは、どうでもいい。
 おかしいけれど、植爺のことだから追求する気にもならない。
 描かれていないところでなにかしらあって、ベルナールとド・ブロイ元帥はお友だちになったんでしょう、と思うことはできる。
 描かれていないことは、知りようがないから。

 問題は、描かれていること、だ。
 実際に台詞として喋られていることが、キモチ悪すぎて、耐えられない。

 前述の通り、もともと不要な場面だ。
 物語に必要だからあるのではなく、タカラヅカ人事のために必要な場面。

 第一段階・「王妃救出」を考えるベルナールと、「王妃は死ぬべき」と語るロザリー、という内容。
 第二段階・人事事情によって、アラン役を追加。ベルナールの台詞と役割をふたつに分け、アランも出す。
 第三段階・人事事情によって、アラン役を別キャラに変更、ド・ブロイ元帥を出す。

 もともといらん場面なのに、それをさらに改悪して、まだその上改悪したのが今回。
 ちょ……、どこまで行くの?

 第二段階は、ただ冗長になっただけだった。ベルナールとロザリーの掛け合いだけで済む内容を、アランも交えて3人でやるから、水増し率がひどいことになっていた。
 そして今回、第三段階を迎えるにあたり、意味のない説明台詞の洪水に、「可哀想話」が加わった!!

 すごい。
 思いもしない論述が繰り広げられ、わたしののーみそは真っ白になった。

 え、えっと、ナニが起こってるのコレ?
 ナニがしたくてえんえん喋っているの?

「革命は失敗だった。この上王妃様まで処刑させてはフランスの恥だ。だから王妃様を救出する。フェルゼン伯爵が手伝ってくれる」
 こうベルナールが語ることまでは、ぎりぎり受け入れられる。この場面自体不要だけど、ベルナールならこう考えることは、あるかもしれない。
 許せないのは、ひとことで済む話を、えんえんどーでもいい説明台詞をベルナールとアランが入れ替わり立ち替わり垂れ流すこと。ロザリーを説得するために。
 わたしは無用な説明台詞と会話の重複が大嫌い。「それさっき聞いた!」「要点だけ言え」とイライラする。(自分の文章の重複は棚上げする・笑)
 会話が水増しされた分、短く要点解説出来ないベルナールはアホさが増したし、ロザリーも物わかりの悪さや頑固さが増しているわけですな。
 不快値が上がっているところに、ロザリーが「私は反対です。王妃様はフランス王妃として誇り高く死ぬべきなんです」と言い出す。
 ロザリーはそんなこと言わない!! キモチ悪い!!

 ……だったわけですよ、今までは。説得理由がアホ過ぎる(前日欄参照)とはいえ、一応、救出作戦の話をしていた。

 それが、今回は。

 ド・ブロイ元帥紹介になっている。

「ド・ブロイ元帥が、何故?」
「王妃様に責任はない、悪いのは我々貴族だ。だからフェルゼンの力を借りて王妃様をお助けする」
「ド・ブロイ元帥はフェルゼン様を糺弾していたはず。なのに何故?」
「他にしようがないためだ」

 あのー。
 ド・ブロイ元帥の情報はいらんです。ここで必要なことは、「王妃救出作戦とはなんぞや? 勝算はあるのか?」です。

 もちろん、ここにいるはずのない人の説明は最低限欲しいけれど、要点はそこじゃない。
 「王妃救出作戦」をたくらんでいるベルナールに、ロザリー@かのちゃんが「私に隠し事をしているでしょう、すべて話して」と言うから、計画を話しているんです。
 「何故なにをどうする計画」なのか話しましょうよ。

 なのに、ベルナールの説得会話のクライマックスは。

「大貴族で超権力者だったド・ブロイ元帥が、平民のオレに頭を下げて頼んでおられるんだ!! これだけ説明すれば、キミだって賛成してくれるだろう?!」

 すみません、ここでわたしのなかで、なにかがキレました(笑)。

 偉い人が、頭を下げて頼んでいるから。

 ベルナールが王妃を救出する理由が、それ?
 具体的にどう救出するのかではなく、ド・ブロイ元帥がプライドを捨てて「平民ごとき」「フェルゼンごとき」の力を借りる……それがどれだけつらいことかを、えんえん語る。

 君、帰っていいよ。
 つらいんだろ? 嫌なんだろ? だったらしなくていいよ。
 たしかに、大貴族の元帥様が、平民に頭を下げるのはつらいことだろうさ。だから、なに? 「こんなに屈辱に耐えているんだ!」から、言うことを聞けと?

 そしてベルナールの、人格破壊の凄まじさ。
 ここにいるのは、革命の闘士ベルナールじゃない。

 このベルナールはきっと、革命前の贅沢三昧の王妃様が、「ベルナール、あなただけが頼みです、お願いします」と頭を下げたら貴族側に寝返る人だわ。
「だってあんなに偉い人が、オレに頭を下げたんだぜ?」と。

 さすが、「アンドレが可哀想だ」という台詞を衛兵隊士に吐かせた植爺だわ。
 目の見えないアンドレを、衛兵隊の仲間たちがパリへ連れて行くのは、アンドレが「可哀想」だからですよ。
 オスカルが革命に身を投じるのは「弱い平民たちを守るため」ですよ。

 植爺が誰かのために行動する理由って「可哀想だから」なんだなあ。
 上から目線で、憐憫ゆえに動く。しかも、押しつけがましく。
 そうすることで、自分の優越感を満足させる。

 ド・ブロイ元帥の「こんなに屈辱的な状況を押して決意した」とえんえんえんえん語るのは、衛兵隊のみんなの前でアンドレが這いつくばって哀願する、あの行為ですわ。
 そしてベルナールが言うわけです、「ド・ブロイ元帥が可哀想だ、協力してやろうよ」。

 ド・ブロイ元帥が可哀想であることと、王妃救出作戦は、なんの関係もない。
 なのに、作戦参加の理由としてド・ブロイ元帥の苦労譚を語り、「これだけ説明すれば、キミも賛成してくれるだろう!」とドヤ顔するベルナールに、絶望しました。

 それに対するロザリーの返答は「王妃は死ぬべきだから反対」だし。

 キモチ悪すぎて、無理。
 花組中日『ベルサイユのばら―フェルゼンとマリー・アントワネット編―』において、2幕で不要な場面は、ベルナールとド・ブロイ元帥とロザリーの場面だ。

 ド・ブロイ元帥ってさ、今までにいたキャラクタの台詞や役割をちょっとずつつついただけのキャラクタなのね。
 植爺『ベルばら』の特徴として、「キャラクタはただの記号、人格なんかないから代用可能」というのがある。植爺都合で出なかったキャラの台詞を、別のキャラがそのまんま喋ったりするアレ。
 だからド・ブロイ元帥も、そうやっていろんなキャラのいろんな台詞や立ち位置を流用しているの。
 1幕冒頭とラストでは、プロヴァンス伯爵とブイエ将軍。2幕ではアラン。
 おかげで、彼の人格が初見ではわかんなかった……。バラバラの寄せ集めすぎて。みつるならたぶん、説得力あるキャラに仕上げてくれるだろうけど、初日だけでは無理だった。わたしには。

 王妃救出作戦に荷担しているというベルナール@がりんと、それを止めるロザリー@かのちゃん。
 ベルナールの同志として登場するのは、通常アラン。だから、アランで十分、ド・ブロイ元帥である必要はまったくない。

 というか、もともとこの「ベルナールとアランの王妃救出作戦、それを止めるロザリー」という場面自体、無用。
 そもそもが植爺配役ゆえに存在する、原作にも本作にも不必要な場面だからだ。つまり、ストーリーに必要だからあるのではなく、「格のある役者に台詞を喋らせるため」だけに存在する場面。
 だから、話している内容は整合性ナシの寝言レベルだし、「台詞の水増し」が目的だから、無意味に長い。
 トップ娘役がロザリーだから、あるいはベルナール役が準トップだから、アラン役が劇団推しの若手だから……など、あくまでただの「役者都合」。
 そもそも、ベルナールとアラン、ふたり登場する意味はない。もともとはベルナールひとりだった。配役事情でベルナールの台詞と役割を分けてアランを出した、というだけのこと。キャラはただの記号ですから。

 タカラヅカだから、スターに見せ場を作ることは間違ってないけれど、手法が間違っている。ロザリー、ベルナール、アランの見せ場なら原作に山ほどあるのに、わざわざ原作無視して珍妙なやり取りをさせ、キャラの人格を破壊する。原作を理解出来ない人が脚本演出をしている以上、仕方ないけどな。

 とまあ、もともと大嫌いな場面。
 話している内容は、「革命は失敗だった。だから国王一家を逃がす」というベルナールとアラン。
 この「救出作戦」がねえ……実態が見えなくて、すごくアホっぽい。「処刑せよとの声が高まっている。時間がないんだ」……って、それまったく説得理由にならないし!
 「ばあちゃん、オレだよオレ! 事故っちゃって(革命失敗しちゃって)今すぐ示談金がいるんだ(国王一家を逃がさなきゃいけないんだ)! 時間がないんだ、わかってくれ!」……最低の説得方法。
 それに対する、ロザリーの答え。「王妃様はフランス王妃として死ぬべきだから、反対」。
 説得する方もアホだが、される方はさらに斜め上過ぎて、口が開いてしまう。

 植爺のロザリーの破壊ぶりは凄まじく、彼女は「オスカルは死ぬべき」「王妃は死ぬべき」と、「生きる努力をするよりは、とっとと死んだ方が幸せ」論者。……ロザリーというか、植爺の人生観なんだろう。彼の育った時代のせいかもしれない。
 「生きて恥を重ねるより、潔い死を選ぶ」という考え方自体はありだと思うけれど、それは選択肢のひとつでしかなく、それの正誤は描き方や観る側の受け取り方によってチガウ。
 でも植爺は「選択肢のひとつ・価値観のひとつ」ではなく、「絶対の正義」として押しつけるし、根っこに「正義だから」という思い込みがあるため、「それおかしいんじゃね?」と思う人がいる現実を想定して表現していない。
 自分を絶対正義だと思い込んだ人の言動が他者から奇異に映るのはままあることで、植爺美学で「死ね、死ね!」と言い続けるロザリーはとてもキモチ悪い。

 原作のロザリーはそんな思想は持ってないし。
 彼女は波瀾万丈の人生を、泣き虫さんゆえにべそべそ泣きながら、それでも一途に生きてきた、心優しい女性。「恥をかくぐらいなら死んだ方がいい」という人や、「意志にそぐわない生き方をするぐらいなら、死んだ方がいい」という人がいたら、泣いて異を唱えるはずだ。「それでも生きて」と。「生きていれば、きっといつか幸せになれる」と。

 王妃救出作戦を語るベルナールに「危険だからやめて」と言うのはありだけど、「王妃は死ぬべきだからやめて」と言うのは、おかしい。

 大体、「革命は失敗だった」という記述は、原作にない。
 その獰猛な奔流に疑問を抱く作りにはなっていても、「失敗」と決めつけることはしていない。それはもっとあとの時代の視点だ。
 ベルナールとアランが、革命政府に疑問を抱くにしても、それは別の物語。
 全50話の大河ドラマなら、別作品のネタを融合させてもいいが、2時間半で全10巻の原作を消化しきれず破綻しまくった作りになっているくせに、別ネタを入れるとか、バカなんじゃないの。余計なことをする暇があったら原作のエピソード入れろっつーの。

 わざわざ尺を取って「フェルゼンの力を借りて、救出作戦やるぞ」と語るから、これからどんなことが起こるのだろう! と思ってみても、ナニも起こらない。
 次の場面では、「国王は1ヶ月前に処刑された」と農民たちが話していて、まだ国境も越えてないフェルゼンが「遅かったか!」とがっくりしている……って。
 計画もナニもないのかよ! まだフェルゼン、ベルナールと合流もしてないのかよ!

 ベルナールもアランも、そしてフェルゼンも、ただのまぬけでしかない。

 わざわざ「救出作戦やるよ!」「やめて!」とえんえんやってなければ、フェルゼンが国境で国王処刑を聞いてがっくりしていても、「間に合わなかったのね」で済むのに……大仰な前振りがあるだけに、「不可抗力」が「能力不足」になり、キャラの価値を暴落させる。

 とまあ、もともと百害あって一利なし場面だった。

 それが、さらに、パワーアップした!!
 最低の、まだ下があるとは……!! 植爺恐るべし!!
 ところで、花組中日『ベルサイユのばら―フェルゼンとマリー・アントワネット編―』は、けっこうよくまとまってる、と思う。

 『フェルゼン編』を死ぬほど観た身からすれば、「え、まだぜんぜんいいじゃん!」と思う。……アンドレ@だいもん目当てで行ったからショックが大きくて、「もう見ないもん!(泣)」な気持ちになっただけで。

 『フェルゼン編』はほんと最悪だったよなあ……よくもあんなひどい作品を繰り返し繰り返し、時間とお金を使って通ったもんだよ……。ひとえに、ご贔屓がアンドレで、相手役も大好きで、「今宵一夜」があるだけで救われた、ことに限るなー。

 『フェルゼンとアントワネット編』は、『フェルゼン編』の焼き直しだ。
 オープニングにでっかいフェルゼンのポートレートがあり、その前でパペットダンスがあるところも同じ。
 ただし、全編通してアントワネットの比重がハンパなく上がっており、『フェルゼン編』のOPには「アントワネット」は登場してなかったのに(あゆっちの役は「パペットの歌手」)、蘭ちゃんはばばーんと「アントワネットです!!」と登場する。
 そのあと、カーテン前でおっさんたちがどーでもいい、整合性のない会話をえんえんはじめるのも同じ。心からいらない場面。このいらない場面に、ド・ブロイ元帥@みつるがいる。プロヴァンス伯爵@ふみか、ブイエ将軍@らいらいと一緒に。1幕でのド・ブロイ元帥の役割は、『フェルゼン編』のプロヴァンス伯爵とブイエ将軍の台詞を分けてもらってます状態。
 次の場面でお忍びフェルゼン@みりおくんを、オスカル@キキくんがお説教、逆ギレフェルゼンに責められる場面。ひとりごとオスカルのソロ、やはりひとりごとアンドレのソロ。
 オスカル相手にあんな態度のあと、夜のボートでラヴラヴデートするフェルゼンとアントワネット@蘭ちゃん。
 その頃の王様は……? てことですか、ルイ16世@さおたさんのお散歩場面。
 フェルゼン邸にてメルシー伯爵@エマさんのお説教場面。
 きれいなドレス姿でロザリー@かのちゃん登場、ジャルジェ家での説明台詞の洪水場面。
 フェルゼンとアントワネットの別れ→「オスカル、キミはひょっとしてボクのことを?」
 貴族のみなさんの説明台詞オンパレード、ド・ブロイ元帥ちょろっと→「フェルゼンが帰国の挨拶に参りました」で、「真実の愛を知ったからです(キリッ)」

 という1幕は、ほぼ『フェルゼン編』まんまなので、つまらない。
 それでも、アントワネットの出番があるし、逆ギレアントワネットがオスカルを罵倒する場面がないだけ、すっげーマシだ。オスカルを罵るアントワネットは、吐き気がするほど嫌いなんだもん。

 それでも2幕は、わりにドラマチックになっている。
 なんでかっつーと、アントワネットが主役だから。
 原作からしてフェルゼンってのはしどころのない役で、物語の中心はアントワネットにあるんだもの。フェルゼン主役だと物語が平板になる。アントワネット主役だと盛り上がる。
 つーことで、アントワネット主役になっている分、ちゃんと盛り上がっている。

 花祭りで何故かだいもんとキキくん……アンドレとオスカルがアルバイトしてる。変なんだけど、うらやましい。コレがOKなら、うちにもさせて欲しかったよ……ニコニコ笑顔でかわいく踊るご贔屓が見たかったさ……バスティーユに出ない以上、ダンス皆無だったんだもん……。
 スウェーデンのフェルゼン邸にジェローデル@ふじP登場、「オスカルは死にました」で、回想シーン。……が、いきなりパリの橋。
 アンドレは最初から橋の上、そこで死ぬから、ほんとほとんどキキくんの横に並ぶことのないアンドレでした……。
 バスティーユでオスカル編終了。衛兵隊のみなさんもここだけっすよ。
 回想終わって、アントワネット救出を決意するフェルゼン、「愛に帰れ♪ 愛に帰れ♪」
 そのころアントワネットは、フェルゼンのことなど忘れてパリで一家団欒、しあわせしあわせ。→ルイ16世、子どもたちとの別れ、蘭ちゃん渾身のソロ!!
 蘭ちゃん新曲のあとに、何故かさっきと同じ曲を歌って登場するみりおくん。国境警備隊とチャンバラするわけでもなく、「パリは遠いなー」と言うだけの場面。……いちおう、新場面……?
 アントワネット救出作戦を語るベルナールとド・ブロイ元帥、それに文句を言う死の天使ロザリー。歌アリ。
 よーやく国境近くまで来たフェルゼン→「ゆけゆけフェルゼン」
 牢獄でのアントワネット、ロザリーが来てベルナールが来て、メルシー伯爵が来て、フェルゼンが来て。千客万来。
「さようなら、フランス!」「王妃様~~!!」で、終了。

 …………フェルゼン、出番少なっ。
 だからこそ、話的には面白くなってる。
 『フェルゼン編』のフェルゼンに出番を増やすための水増し場面、ひどかったもの……フェルゼンの人間としての最低最悪さがさらに強調されてね。
 みりゼンは出番が少ない分、人格破壊が少ない。

 バスティーユをのぞけば、あとはフェルゼンがひとりで「愛に帰れ♪」「ゆけゆけフェルゼン♪」と歌っているだけで、残り全部アントワネットの話だもん。
 1幕で「悪いのは全部他人、なんて可哀想な私」と言っていたのに、「私は愚かでした」と成長し、ささやかなしあわせを手に入れていたのに、因果応報ですべてを失い、愛する男に見守られて死んでいく、というちょーハッピーエンド。
 原作通りの流れだから、「アントワネット物語」としては無理なく展開を眺められる。

 『フェルゼン編』の駄作っぷりと、「アントワネット物語」としてまとまった『フェルゼンとアントワネット編』……。どっちがいいのかなあ。

 ううむ……でも、作品的にマシでも、好きな人の出番があれだけだったら、リピートはきついな……。
 その点やっぱ、「今宵一夜」の破壊力はすごいんだなー。役者が誰であれ、この場面があるとテンション上がるもんなー。
 「アントワネット物語」としてまとまるよりも、話はぐだぐだになっても、「今宵一夜」を入れる方がヲタ向けではあるか。

 ちなみに、フィナーレは、『フェルゼン編』まんまだった。

 『フェルゼン編』で初舞台を踏んで花組配属、中日組に振り分けられた子たちは、同じ衣装で同じ振付でロケット踊ってラストは階段に並んでるわけか……。
 植爺……手抜き……。
 花組中日『ベルサイユのばら―フェルゼンとマリー・アントワネット編―』で、もっとも憤慨したこと。

 だいもんの、無駄遣い。

 植爺作品の主演コンビ以外の配役は、大人の事情が見えすぎて嫌なんだけど、今回はまた格段に酷い。

 駄作『フェルゼン編』を焼き直しているのに、そこから少ないアンドレの出番を削り、「『ベルサイユのばら』というタイトルにファンが期待する名場面」を削る……って、ありえない。
 アンドレは衣装1着っすか。私服場面なしだから。そしてオスカルは「フェルゼン愛してる」と言った次の場面で「この戦闘が終わったら、結婚式だ」とアンドレに言うわけですか。ひどすぎる。

 もったいないなあ。
 「できる」人なのに、使ってもらえない。まず舞台の上に出してもらえない。
 機会を与えられれば、いくらでも舞台を厚くすることが出来る役者なのに、名古屋くんだりまで行って、舞台にろくに上げてもらえないとか……もったいない。
 わたしがだいもんファンだからフィルターかかってるにしても、ただ一観客として、できる人の舞台を観たいよ。他の誰かを下げる意味ではなく、舞台なんて上限なくプラスできる場なのに、そのプラスの機会を演出家が閉ざすってのが、口惜しい。


 アンドレの扱いがおかしなことになっているけれど、それだけではなくいろいろと大人の事情満載で微妙な作りになっているんだな、今回。

 今回の『フェルゼンとアントワネット編』を作る上での要点は、

・蘭ちゃんの見せ場を作る。
・キキくんに、オスカルをやらせる。

 ということがまず念頭にあり、次に、

・トップスターみりおくんのお披露目である。
・専科生になるみつるへの配慮。
・かのちゃんの組替えお披露目。

 を考えた結果かなあと。

 まずなんといっても、タカラヅカの代表作『エリザベート』のタイトルロールを演じるためにあえて残った、すでにふたりのトップスターの相手役を務めた、特別クラスの娘役・蘭ちゃんのことを考えなくてはならない。だって、タカラヅカへの功労者だもん。
 植爺は格式とか権威とかを、とても大切に考える人だからな。
 そして、キキくんは、オスカルを演じさせなくてはならない人。カラダのサイズとか持ち味とか実力とかは関係ない。その昔、新公主演すらしてないカチャが、なにはさておきオスカルを演じなくてはならなかったように。

 これだけの事情でも、作品の場面チョイスが決まってくるよね。
 『フェルゼン編』ではまったく出番のなかったアントワネットの出番を作る。1幕ではボートでのラヴシーンに、ソロ歌。2幕では『フェルゼンとアントワネット編』で評判の良かった夫・子どもたちとの別れの場面を入れ、新曲を書き下ろす。
 舞台にただひとり残ってピンスポ浴びての新曲っすよ。
 これだけ尺を取るために、他の場面をカットしなければならない。

 3人目のトップスターと組む蘭ちゃんと、今回はじめてトップスターになるみりおくんでは、蘭ちゃんの方が格上認識なのかな、と思ったのは、蘭ちゃんに新曲があり、みりおくんになかったことによる。
 タカラヅカは男役至上主義だから、もちろんトップのみりおくんに配慮されているけれど、植爺の中ではまた違うのかも。えりたんは一応、新曲書き下ろしてもらってたものね。みりおくんは、新場面にあたるところで、すでに前の場面で歌った同じ曲をもう一度歌う。え、この歌さっきも聴きましたが? 新曲書き下ろしてあげないんだ……と、かえってびっくりした。

 フェルゼンとアントワネット中心に場面の取捨選択をした場合、オスカルとアンドレの出番はかなり限られてくる。
 フェルゼンにとって必要なのは、「オスカルが片想いしていること」「オスカルが革命に身を投じ、戦死すること」だけ。アンドレはぶっちゃけいなくてもいい。『オスカルとアンドレ編』にアントワネットが出てこないように。
 だから「オスカル」という役の醍醐味である「バスティーユ」をキキくんのために残し、あとは「必要な場面」だけにした。
 その「必要な場面」てのは、「物語に必要」なのではない。「植爺キャスティング」に必要、という意味だ。
 植爺にとっての「役者の格」は長い台詞と豪華衣装。ストーリー的に無意味でも害悪でも、役者のためだけにそれを用意する。
 主人公であるフェルゼンと会話する場面。そして、ロザリー@かのちゃんが登場する場面。
 植爺が「格のある役者に台詞を増やしたい」と思っている場面のみ、オスカルの場面は残された。
 =アンドレはカット。
 かのちゃんの出番と専科生みつるへの餞は、都合良く一場面でまとめあげる。無駄に長い台詞、無意味な会話がえんえん続く場面だけど、植爺の目的が「台詞を増やすこと」なんだから仕方ない。

 まあそんな事情かな-、と、勝手に考える。
 あくまでも勝手に、だ。

 このみょーな場面チョイスと、みょーな配慮。
 出番がほとんどないだいもんは、何故かパレードでは2番手として階段降りする。
 言動不一致が謎のド・ブロイ元帥@みつるは、いちおー見せ場アリ。そして、プログラムではだいもんより上に写真掲載。
 途中までは「2番手?」という扱いのキキくんは、衣装ランクを落とされている。スターブーツを履いてないオスカル様は、めずらしい。オスカルの白パンツにふつーのブーツって、なんか収まり悪いわー。「台詞の行数と豪華衣装」にこだわる植爺らしい……特別扱いの差し引きとして、衣装を控えめにしました、て(笑)。プログラムの位置も後ろだし。
 かのちゃんの相手役であるがゆえに、ベルナール@がりんの比重アップ! みりおくんが演じていたベルナール以上という(笑)。
 いろんなところでバランスを取って、「みんな同じ、みんなで手をつないでゴールイン!」的な気持ちなのかなと思う。
 でもはっきりいって、いらんわ、そんな気遣い。

 役者への配慮のため、ストーリーぶっ壊すのやめて欲しい。
 重要な役を重要な役者にやらせればすむことじゃん。
 役としては2番手だけど、この役者は本来2番手じゃないから、衣装ランク下げましたよ~~、ほら、2番手じゃないでしょ~~?
 この役者に『ベルばら』的に重要な役はさせたくないけど、立場的にある程度の扱いをしなくてはならないから、今までにない役を新たに作り、豪華衣装を着せて何行も喋らせました! ほーら、重要な役でしょ~~?
 とか、勘弁してくれ。
 ふつーに公演を、作品を観に行くモノには、そのややこしいこだわりがめんどくさい。

 そして、いろんな配慮のあおりをモロに喰らったのがだいもんかなあ。
 つまりそれって、いちばん配慮しなくて済む、と思われたのか……。パレードで2番目に下ろせばオールオッケー、すべて帳消し、と思われてるっぽいところが、もう……切ないわ。
 花組中日公演『ベルサイユのばら―フェルゼンとマリー・アントワネット編―』初日観劇。

 ……最近とみに日付の感覚がなくなってて、「みりおくんのプレお披露目公演」はまだまだ先だと思い込んでました。漠然と、「まず雪組公演があって、その途中から花組公演がはじまる」というおぼえ方。間違ってない。
 んで、はじまった雪組公演に走り回って。
 ふとスケジュール帳を見ると、6月12日がぽっかり空いている。休みを取ってある、のに、チケットはナニも持ってない。なんでこの日、まるっと空けてあるんだろう? でもまあ、たぶん雪組を観るつもりだったんだろう、と「雪」シールを貼り、「当日券」と書き込む。
 その翌日だかなんだかに、友人がタカラヅカニュースについてつぶやいているのを読んだ。花組『ベルばら』のことを。
 …………?
 『ベルばら』……?

 は……っ!!

 あわてて、確認する。
 6月12日って! 花組初日じゃん!!

 いやあ……びびりました……。

 あんだけ観に行く気満々で、ひと月も前にスケジュール空けてたくせに。
 のーみそもハートも許容量オーバーで、ぽろっと抜け落ちてたみたい。
 や、抜けていたのは、日付感覚。
 みりおくんのお披露目と、だいもんアンドレのことはずっとアタマにあった。
 でも「蘭寿さんが卒業したの、ついこの間だし」という気持ちがずっとあったしなー。
 そ、そうか、もうらんとむさんラストディからひと月経つのか。

 んで、あわててチケット探して。
 日付感覚ほんとにおかしくなっていて、「え? 今日何日だっけ? 今からチケットって無理過ぎね? あれ? 明日が12日だっけ?」と、アタマを抱えたのが9日。……9日の翌日は12日じゃないっすよ……。
 仕事とムラ通いとで日常もなにもあったもんじゃなく、わけわかんなくなってる……。

 それでもなんとか、チケットと近鉄の優待券を押さえて。
 スケジュール帳の「雪」シールをはがして「当日券」の文字を消し、「花」シールを貼りました。


 ともかく、GOGO名古屋!
 行き慣れた旅程、片道4時間!

 みりおくん、トップお披露目おめでとう。

 なんで『ベルばら』、なんでみりおくんでフェルゼン。その思いはあったけれど。
 実際に観てみて、目からウロコが落ちた。

 中日版『フェルゼンとマリー・アントワネット編』ときたら、雪組『フェルゼン編』の焼き直しだった。
 目が点。
 2006年の星組『フェルゼンとマリー・アントワネット編』を焼き直すんだと思っていたよ……。雪組『フェルゼン編』は大駄作、星組『フェルゼンとマリー・アントワネット編』はまだずーっとマシな作りだった。タイトルが『フェルゼンとマリー・アントワネット編』なわけだし、ずっとマシだった星組版をやるんだと思った。何故、わざわざ超駄作の『フェルゼン編』をベースにするんだ……。

 うん、なんとなく、想像はしているんだ。
 植爺はもう、昔の作品はおぼえていないんじゃないかって。
 タイトルが『**編』となっていたって、何年も前の『**編』のことは、おぼえてないし、また資料探して記憶の掘り起こしをするのはめんどくさい。
 それよりも、直前に上演した『※※編』ならまだおぼえてるし、いちいち勉強しなくて済む。だから『**編』であっても、『※※編』を使う。
 宙組『オスカル編』だって、2006年の雪組『オスカル編』は使わず、直前の月組『オスカルとアンドレ編』や数年前の外伝ベースだよね。
 だから今回も、直前の『フェルゼン編』。

 最悪の『フェルゼン編』ベースで、他にもいろいろいろいろ問題山積みで。
 うわ、みりおくん、大変……、と嘆息した。

 それでも。

 みりおくんの、「主役力」に感服した。

 えーらいこっちゃ!になっているのに、その真ん中でみりおくんが、舞台を牽引する。

 なまじわたしは、『フェルゼン編』をアホほど観ていて。脳裏にいろいろ焼き付いているわけで。
 その記憶と二重写しになる「フェルゼン」を、考える。

 えりたんのフェルゼンは、あまりにもえりたんだった。
 タカラヅカの「フェルゼン」という人は、明らかにおかしい。最悪な人間だ。
 だがその最悪さを煙に巻く必要がある。観客に最悪だと気づかせてはならない、観客をムカつかせてはならない、とても難解なミッションがある。
 えりたんは、ハッタリと本人の持つ飄々としたキャラクタゆえに、見事に煙に巻いた。よくわかんないけどアリでしょこの人! と、思わせた。
 いわば、変化球だ。
 どどーん! とか、ばばーん!! とか、少年マンガの描き文字みたいな効果音の似合う、素敵キャラ。破天荒な現実味のなさで、煙に巻く。

 それに比べて。

 みりおフェルゼンは、正統派ヒーローだった。

 正しく、「真ん中」。
 貴公子。王子様。ヒーロー。
 白馬に乗って囚われの姫君を助けに来る系。

 うっわー……。

 口ぽかーん状態っす。
 これが、「フェルゼン」……。
 正しき「真ん中力」で押し切る姿。

 どんだけおかしな台詞を言わされていても、みりゼン様が言うと、「そうなんだ」と思えてしまう。
 有無を言わせぬ、説得力。
 だって彼はヒーロー、だって彼は主人公。世界は彼を中心に回っている。

 フェルゼンが抜き身の剣みたいに、間違った世界をまっすぐに貫き、よそ見をしている暇がない。
 エクスカリバーを抜いたアーサー王を見るような気持ちだ。
 彼の足元に跪き、正しき王を讃えたい。

 植爺による間違いまくった台詞や倫理観を、「この人変。あきらかに変だけど、ま、いっか」と思わせるのがえりたん。
 そして、「変なことを言ってる? ううん、この人は正しいことを言ってるんだわ!」と思わせるのがみりお。

 すげえ……。

 えりたんの、えりたんならではのファンタジックなフェルゼンもいいけれど、みりおくんのヒーローなフェルゼンもいいわ。

 みりおくんは、真ん中に立つために生まれてきた人だなあ。
 そのことを、心底実感した。

 駄作を力技で支える! みりおくんは、タカラヅカのトップスターとしての最初の仕事を見事にこなした!!
 『一夢庵風流記 前田慶次』雪丸様語り、後編!

「これからなにをいたすかは、この傷が教えてくれよう……」
 ってナニ?
 この傷は「愛の証」と定義する。
 それを元に雪丸様の行動を読み解いてゆく。
 

 雪丸様は、慶次@えりたんを仲間に誘うんだけど、これがすげー雑な誘い方で。
 まつ@あゆっちを誘拐して、「これから関白殺すよ!」という大作戦の舞台に慶次を連れてきて、「さあ、これから一緒に関白殺して、新しい世界で羽ばたこう!」と口説く。
 ……ひどくね?
 関白暗殺するもっとはるか前に、慶次は味方にしておくべきでしょ? んな土壇場で大きな作戦打ち明けるってどうよ。

 案の定、慶次にはあっさり断られる。

 なんで前もって根回し出来なかったのか。
 前田家の跡取りであったはずの慶次が、利家@にわにわに権利を奪われ半端な身の上になっている。利家に取って代わりたいと思っているはず……と、信じていたから?
 それならなにも、まつを絡めて語る必要はない。
 わざわざ「利家の妻と不倫してるくらいだ、利家は敵だよな? 利家やっちゃったら、家も女もお前のモノだぞ」と言うのは。

 「惚れた女を取り返す」ということが、人生を懸ける理由になると、思っているからだ。

 雪丸自身が。

 まつと不倫している慶次は、まつを正妻にするために前田家奪取するに違いない。
 そう考えている雪丸こそが、そういう価値観なんだ。
 愛する女を手にするために、戦も起こす。そーゆー考え方。そんな自分のものさしで計っちゃったから、今回の杜撰な作戦になった。

 雪丸の中では、「慶次はまつとの真実の愛を貫くために、実の叔父と闘う」と、決まっていたんだ。
 武力と後ろ盾を約束すれば、愛のために立ち上がるはずだと。

 なんなの、このロマンチスト。

 恥ずかしいわ、雪丸様……。

 慶次に拒絶されてキレるのも、自分が思う「愛のカタチ」以外を突きつけられたから。

 また、家康@ヒロさんの前で、しっぽ垂れたわんこみたいになってすがっていったのも、愛ゆえに。
 雪丸様は、家康様が好きだったんだと思うよ。
 そっちの意味(笑)かどうかは置いておいて。
 ただほんとに、シンプルに、好きだったんだろうなあ。信じてたんだろうなあ。

 愛ゆえに、生きる人だから。
 愛を信じている人だから。

 弟の主馬@翔くんも、突然戻って来た雪丸を当たり前に受け入れているし、それが許されるくらい、この兄弟にもふつーに愛情関係はあったんでしょう。

 庄司又左衛門@がおりと庄司甚内@かなとを口説いたのも、言葉通り。「哀れと思ったから」……雪丸様があの悪人面で言うからわかりにくいけど(笑)、ほんとに、犬死にさせたくなかったから、声を掛けたんだよ。
 「たかが傀儡」といのうは本当だもん。万の兵を挙げるってときに、わずかな傀儡衆をわざわざ口説いて味方にする必要、ないじゃん。
 助けたかったから、仲間に引き入れた。

 すべては、愛ゆえに。

 そう説明出来る。

 てことで、最初の台詞に戻る。

「これからなにをいたすかは、この傷が教えてくれよう……」

 加奈がつけた、雪丸の傷。
 雪丸は、加奈と相愛だと知っている。
 だから前田慶次に近づき、彼に前田家を取らせようと考えたとき、「よし、加奈に手伝わせよう」と思った。
 もしも加奈とのこの「愛の証」がなく、彼女の心を疑うなり、雪丸の気持ちが冷めるなり、していたら。

 加奈にも前田家にも近寄らなかったかも?
 慶次がまつのためにお家騒動起こす(=愛がすべて!)とも考えなかったろう。
 家康の手下として大名たちの隙をうかがうことはしていたとしても……愛を基点とした考え方はしなかった。

 雪丸の顔にきざまれた、愛の証。
 それゆえに雪丸は、人々の愛を信じて行動する。

 家康の愛を信じて彼の手先となり、慶次とまつの愛を信じ、ふたりがそれを貫くために利家を討つと信じ、加奈の愛を信じ、自分のためにすべてを捨てると信じた。利家から足蹴にされた(=愛されなかった)主馬とその部下たちが利家を捨てると信じた。

 誰よりもピュアに、「愛」を信じた男、雪丸。

 そして雪丸は、「愛」に裏切られる。
 加奈に、そして家康に。
 慶次とまつに。

 るーるーるー。
 なんて悲しいの……。


 そんな悲惨な最期を迎えた雪丸だけど。

 最後の場面で、彼は穏やかに微笑んでいる。

 加奈と寄り添って。
 加奈をエスコートして、手を握って歩いて。

 表面的なあれこれではなく、彼の真実……愛に滅んだ男であるという事実が、ラストのこの姿に結びついたんだ。

 たぶんこれが、彼の本来の姿。
 慶次と関わった者たちは、飾らないありのままの姿で最後の場面に現れる。
 だから雪丸と加奈はラヴラヴなカップルとして登場した。

 じーん……。
 いい話だわ……大野くん……。


 という、独断と偏見による雪丸論でしたっ。
 これが真実だとはまったく思ってないが(笑)、可能性のひとつとしてアリでしょ?

< 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 >

 

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