今年のブックマーク。
2012年9月9日 タカラヅカ 宙組初日、トップコンビお披露目のキャトルレーヴはそりゃー混雑していましたとも。
通常の公演グッズの他に、トップスターのグッズも発売されるからなー。
そんな日に、ブックマーク発売もかぶせるんだもの。
全組対応の混雑になってますがな。
昔わたしは、まっつグッズを買うことができなくて、無駄な抵抗をしていましたが、大人になったわたしは平気、堂々と「未涼亜希さんのブックマーク」を買うことが出来る。
……時の流れってすごいわねー。
と、時の流れを感じたもんで。
過去の自分を振り返ってみた……ところ。
あれえ?
わたし、いったいいつから、ブックマークの話を、しなくなったんだろう。
2007年の初登場時から……正確には、「まっつのブックマーク出してくれよう」とぐたぐだ言ってる2005年から、ブックマークの話は毎年している、と思っていた。
2007年、2008年、2009年とネタにしている。
なのに、そっから先は?? 忘れてるのか?
もちろん、買っている。
わたしがまっつグッズを買っていないはずがない。
ネタにならないくらいのブツだったのかしら、とまっつグッズ入れ(笑)を引っ張り出してみたんだけど。
ない。
まっつのブックマークが……いやその、実はポケットカレンダーもだけど……ろくに、スクラップされてない!!
どこへやったの?!
整理整頓できない人だから! ぐちゃぐちゃの部屋に住んでるもんだから!
あれええ??
マジで探し回って、ブックマークだけはけっこう発掘できた。
2007年 『TUXEDO JAZZ』プロローグ
2008年 『Red Hot Sea 』中詰めラテン
2009年 『太王四神記』フィナーレ・玄武
2010年 『虞美人』張良(1幕)
2011年 『H2$』ブラッド
2012年 『Shining Rhythm!』影A
……2008年が行方不明。そして、2007年ばっか何枚もある……(笑)。
買うだけ買って、もちろん使うことはなかったもんで、どこへやったかわかんなくなってたのねええ。
張良先生はもちろんカッコイイし、ブラッドさんのビジュアルはもともとマジ神がかってたので、もちろんすげー美しいし。
特にネタにするまでもなかったってことか、2010年と2011年。
今年の影さんも美しいし、特にナニも言うことはない……って、こうやって「日常」になるの?
いやいや、まっつのグッズは貴重なんだから、ちゃんと感動を持って迎えなければ!!
すぐなくしちゃうから、今度ムラへ行ったらもう1枚買っておこう。←なくすなって!
写真は本人選べないんだっけねえ?
今年はあまりハズしたものはないけど、以前はほんと「本人もファンも、これは絶対選ばないだろう、うれしくないだろう」なモノとか、平気で混ぜて販売してたもんねえ。
個々の写りより、全体を並べたときのバランス優先、みたいな感じで。
まつださんが自分の写真をじっくり本気で選んだら、どういったものになるのか知りたいところです。
……ファンの意識とはちがったものになるのかもしれない……『インフィニティ』のポスター、あんなに気に入ってたもんなー……ファンは度肝を抜かれたのに……(笑)。
せっかく過去日記さがしたので(笑)、昔のブクマ関連で「今も望む!」モノをメモとして貼っておく。
http://koala.diarynote.jp/200809080141290000/
ところでブクマの発売数って、減ってるの?
2009年の日記には、「48種」って書いてる。
なのに今年の発売数は、「38種」。
10種も減ってる……。
つまりそれだけ、「スター」の数が減ってるってこと? 大丈夫か、歌劇団。
グッズなんてにぎやかしだから、いっぱい出せばいいのに。
そーゆーもんなのかと思い立ったので、メモしておく。
2012年版メンバー。
専科(2名)・轟、北翔
花組(9名)・蘭寿、蘭乃、壮、愛音、華形、春野、望海、瀬戸、鳳
月組(6名)・龍、愛希、明日海、星条、美弥、宇月
雪組(8名)・音月、舞羽、未涼、早霧、沙央、夢乃、鳳翔、彩風
星組(6名)・柚希、夢咲、十輝、紅、壱城、真風
宙組(7名)・凰稀、実咲、悠未、緒月、朝夏、蓮水、凪七
キャトルレーヴHPを眺めながらの手打ちで、混乱したのは各組生徒の順番。
なんとなく「こーゆーグッズって、トップ以外は学年順よね」という思い込みがある。
舞台写真のコーナーとか、雪組が音月・未涼・早霧という順番で並んでいるもので。
で、花組を打ちながら「トップの次が娘役トップ、次が2番手、3番手、それから学年順ね、ふんふん」と思っていた。
んじゃ月組は、トップコンビの次は誰、学年順ならマギーよね……あ、チガウ、みりおだ。準トップ様は下級生でもトップの横に並ぶんだ、なるほど。
いや、今回は学年順じゃなくて、番手がはっきりしているところは番手順? だから、まさお、ちゃぴ、みりおなんじゃ?
ってことは、雪組はキム、みみ、ちぎ、まつよねー。と勝手に打って、HP見て「チガウ。ここは学年順だ」。
続く星組も、トップのあとは学年順。宙組も。
……いや、現時点で2番手が明記されていない星と宙が学年順なのはわかるのよ。
でも雪組はちぎくんが正2番手じゃん。
花組、月組と番手順に並んでいるだけに、ちぎくんが2番手位置に並んでいないことが、地味に不満だ。
や、グッズは基本学年順だとわかってますが。準トップ様が特別なんだと想像も出来ますが。
しかし花組は揺るがないなあ。学年順が番手順、年功序列。ここまで並びが複雑になったタカラヅカにおいて、もう何年も何年も。
来年どうなっているのか、わかんないけども。
来年もブックマークが出るといいなあ。ほんとに、心から。
通常の公演グッズの他に、トップスターのグッズも発売されるからなー。
そんな日に、ブックマーク発売もかぶせるんだもの。
全組対応の混雑になってますがな。
昔わたしは、まっつグッズを買うことができなくて、無駄な抵抗をしていましたが、大人になったわたしは平気、堂々と「未涼亜希さんのブックマーク」を買うことが出来る。
……時の流れってすごいわねー。
と、時の流れを感じたもんで。
過去の自分を振り返ってみた……ところ。
あれえ?
わたし、いったいいつから、ブックマークの話を、しなくなったんだろう。
2007年の初登場時から……正確には、「まっつのブックマーク出してくれよう」とぐたぐだ言ってる2005年から、ブックマークの話は毎年している、と思っていた。
2007年、2008年、2009年とネタにしている。
なのに、そっから先は?? 忘れてるのか?
もちろん、買っている。
わたしがまっつグッズを買っていないはずがない。
ネタにならないくらいのブツだったのかしら、とまっつグッズ入れ(笑)を引っ張り出してみたんだけど。
ない。
まっつのブックマークが……いやその、実はポケットカレンダーもだけど……ろくに、スクラップされてない!!
どこへやったの?!
整理整頓できない人だから! ぐちゃぐちゃの部屋に住んでるもんだから!
あれええ??
マジで探し回って、ブックマークだけはけっこう発掘できた。
2007年 『TUXEDO JAZZ』プロローグ
2008年 『Red Hot Sea 』中詰めラテン
2009年 『太王四神記』フィナーレ・玄武
2010年 『虞美人』張良(1幕)
2011年 『H2$』ブラッド
2012年 『Shining Rhythm!』影A
……2008年が行方不明。そして、2007年ばっか何枚もある……(笑)。
買うだけ買って、もちろん使うことはなかったもんで、どこへやったかわかんなくなってたのねええ。
張良先生はもちろんカッコイイし、ブラッドさんのビジュアルはもともとマジ神がかってたので、もちろんすげー美しいし。
特にネタにするまでもなかったってことか、2010年と2011年。
今年の影さんも美しいし、特にナニも言うことはない……って、こうやって「日常」になるの?
いやいや、まっつのグッズは貴重なんだから、ちゃんと感動を持って迎えなければ!!
すぐなくしちゃうから、今度ムラへ行ったらもう1枚買っておこう。←なくすなって!
写真は本人選べないんだっけねえ?
今年はあまりハズしたものはないけど、以前はほんと「本人もファンも、これは絶対選ばないだろう、うれしくないだろう」なモノとか、平気で混ぜて販売してたもんねえ。
個々の写りより、全体を並べたときのバランス優先、みたいな感じで。
まつださんが自分の写真をじっくり本気で選んだら、どういったものになるのか知りたいところです。
……ファンの意識とはちがったものになるのかもしれない……『インフィニティ』のポスター、あんなに気に入ってたもんなー……ファンは度肝を抜かれたのに……(笑)。
せっかく過去日記さがしたので(笑)、昔のブクマ関連で「今も望む!」モノをメモとして貼っておく。
http://koala.diarynote.jp/200809080141290000/
ところでブクマの発売数って、減ってるの?
2009年の日記には、「48種」って書いてる。
なのに今年の発売数は、「38種」。
10種も減ってる……。
つまりそれだけ、「スター」の数が減ってるってこと? 大丈夫か、歌劇団。
グッズなんてにぎやかしだから、いっぱい出せばいいのに。
そーゆーもんなのかと思い立ったので、メモしておく。
2012年版メンバー。
専科(2名)・轟、北翔
花組(9名)・蘭寿、蘭乃、壮、愛音、華形、春野、望海、瀬戸、鳳
月組(6名)・龍、愛希、明日海、星条、美弥、宇月
雪組(8名)・音月、舞羽、未涼、早霧、沙央、夢乃、鳳翔、彩風
星組(6名)・柚希、夢咲、十輝、紅、壱城、真風
宙組(7名)・凰稀、実咲、悠未、緒月、朝夏、蓮水、凪七
キャトルレーヴHPを眺めながらの手打ちで、混乱したのは各組生徒の順番。
なんとなく「こーゆーグッズって、トップ以外は学年順よね」という思い込みがある。
舞台写真のコーナーとか、雪組が音月・未涼・早霧という順番で並んでいるもので。
で、花組を打ちながら「トップの次が娘役トップ、次が2番手、3番手、それから学年順ね、ふんふん」と思っていた。
んじゃ月組は、トップコンビの次は誰、学年順ならマギーよね……あ、チガウ、みりおだ。準トップ様は下級生でもトップの横に並ぶんだ、なるほど。
いや、今回は学年順じゃなくて、番手がはっきりしているところは番手順? だから、まさお、ちゃぴ、みりおなんじゃ?
ってことは、雪組はキム、みみ、ちぎ、まつよねー。と勝手に打って、HP見て「チガウ。ここは学年順だ」。
続く星組も、トップのあとは学年順。宙組も。
……いや、現時点で2番手が明記されていない星と宙が学年順なのはわかるのよ。
でも雪組はちぎくんが正2番手じゃん。
花組、月組と番手順に並んでいるだけに、ちぎくんが2番手位置に並んでいないことが、地味に不満だ。
や、グッズは基本学年順だとわかってますが。準トップ様が特別なんだと想像も出来ますが。
しかし花組は揺るがないなあ。学年順が番手順、年功序列。ここまで並びが複雑になったタカラヅカにおいて、もう何年も何年も。
来年どうなっているのか、わかんないけども。
来年もブックマークが出るといいなあ。ほんとに、心から。
アンネローゼ様、という存在。@銀河英雄伝説@TAKARAZUKA
2012年9月8日 タカラヅカ すみません、アンネローゼ様がどうしても、任じゃないと思うんです……。
本役さんも、少女時代も。
わたし的に、アンネローゼ様は絶対ヒロイン、揺るぎなき美貌の人。『銀河鉄道999』ならメーテルだし、『北斗の拳』ならユリアです。他のなにはともあれ、ひとめ見て「この世界でもっとも美女」「しかも、特別な存在」とわからねばならんのです。
ひとりだけ作画違ってる、くらい、かけ離れててヨシ!な人です。
外部の『銀英伝』でとなみ姫がアンネローゼを演じると聞いて、膝を打ったモノ。そう来たか!と。
タカラヅカでいえば、となみちゃんレベルの「姫役者」が演じるべき役です。
ちさきちゃんはなー……。
新公ヒロやったときに、その華のなさに驚いた子だったっけ。
脇の個性的な女の子の役を演じていると、とてもうまくてかわいいんだけど、アンネローゼ役はただもう、任ではないとしか……。
少女時代はえっと、歌は素晴らしいけど、あの頭身では皇帝が見初めるほどの美少女に見えないっす……。
かといって、宙組の姫役者って、誰……?
アントワネットやエリザベートがハマる、美貌と高貴さを持った娘役って?
小娘ではない、大人の女性ですよ。
ラインハルト@トップスター様の、姉なんだから。
わたしが宙組に無知なせいか、思い当たらない……。
宙組の現メンバーの中では、いちばん摺り合わせ可能かなと思えるのは、せーこちゃんだな。
せーこちゃんは正統派の美貌キャラじゃないけど、キャラクタが力強く輪郭がはっきりしているので、雰囲気で「アンネローゼ」像は作れるかなあ。
せーこちゃんのジェシカは、すげーハマり役だと思ってるけどね。
ヤンにとっての「あこがれの女性」からの連想・転換で、アンネローゼ様も発展可能かなと。
どこの組も、正統派の姫役者は少ない。
美貌と高貴さ、って、難しいよなあ。
親しみやすい美少女はいっぱいいるけど。
えりちゃんが、残ってくれてたらなあ。
薄幸成分多めになるけど(笑)、とりあえず美貌と気品はあったよなあ、とか。小さいけどなー。
やっぱうららちゃんは、男役をしている場合ではないってことか。
美形娘役貴重。
つっても、うららちゃんがアンネローゼ役ができるとは、まーーったく思っていない。
確かに彼女は老け顔だけど、周りが若く未熟な新人公演ならともかく、トップスター様や組長、専科さんなどに囲まれて「大人の美女」が出来る演技力も娘役スキルもない。
顔だけならアンネローゼだけど、妄想配役の静止画撮影じゃないんだから、役者として不適格。
早く成長してほしい……。アンネローゼがびしっと演じられるほど、アントワネットやエリザベートが出来るほど。
もしも他組で、まったく同じ『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』をやったとしたら、アンネローゼは誰だろう……。
路線娘役に限らないんだから、誰だっていいんだよね。役にさえ合えば。
正当姫役者でなくてもいい。
雰囲気、キャラも含めて合うならば。
トップスターの「姉」、美貌の寵姫。聡明で控えめな女性。
花組はいっぱい候補がい過ぎて困る……(笑)。
蘭寿さんの「姉」ですよ。小娘却下、下級生ナシ。
じゅりあ、きらり、いちかあたりは「任せて!」って感じだよなー。
雪組は、なんつっても、せしる!
キムくんの「姉」、大丈夫だせしこ! なんか『忘れ雪』で弟だった気がするけど!(笑)
さらさちゃんもキャラ的にいけると思う。某作品でアントワネットやってたし。
……娘2であろうと、今度トップスターでアントワネットをやろうと、ごめん、あゆっちはチガウ……。
星組は、ねねちゃんがいちばんアンネローゼキャラな気がするんだがなー。
でもこのアンネローゼ様は脇役だからなー、ねねちゃんじゃダメなんだよなー。
れおんくんの「姉」……だとしても、たぶんふつーにわかばちゃんがやってるんだろうなあ。
月組がなあ……。
宙組以上に、誰もいない……。
まさおとみりおの「姉」なら、下級生でもちょっと大人っぽい子ならこなせそうな気もするが。(ここでもWキャスト想定してしまうあたり……)
あーちゃんでしょうか……。
いやわたし、トウカさんがしれっとやってそうで、こわいです……。
イケコの『スカーレット・ピンパーネル』で堂々の娘2だったお人ですもの……。
てことで、ちさきちゃんがやっている宙組も、ぜんぜんアリなのかなあ、と思ったりもした。
どっとはらい。
本役さんも、少女時代も。
わたし的に、アンネローゼ様は絶対ヒロイン、揺るぎなき美貌の人。『銀河鉄道999』ならメーテルだし、『北斗の拳』ならユリアです。他のなにはともあれ、ひとめ見て「この世界でもっとも美女」「しかも、特別な存在」とわからねばならんのです。
ひとりだけ作画違ってる、くらい、かけ離れててヨシ!な人です。
外部の『銀英伝』でとなみ姫がアンネローゼを演じると聞いて、膝を打ったモノ。そう来たか!と。
タカラヅカでいえば、となみちゃんレベルの「姫役者」が演じるべき役です。
ちさきちゃんはなー……。
新公ヒロやったときに、その華のなさに驚いた子だったっけ。
脇の個性的な女の子の役を演じていると、とてもうまくてかわいいんだけど、アンネローゼ役はただもう、任ではないとしか……。
少女時代はえっと、歌は素晴らしいけど、あの頭身では皇帝が見初めるほどの美少女に見えないっす……。
かといって、宙組の姫役者って、誰……?
アントワネットやエリザベートがハマる、美貌と高貴さを持った娘役って?
小娘ではない、大人の女性ですよ。
ラインハルト@トップスター様の、姉なんだから。
わたしが宙組に無知なせいか、思い当たらない……。
宙組の現メンバーの中では、いちばん摺り合わせ可能かなと思えるのは、せーこちゃんだな。
せーこちゃんは正統派の美貌キャラじゃないけど、キャラクタが力強く輪郭がはっきりしているので、雰囲気で「アンネローゼ」像は作れるかなあ。
せーこちゃんのジェシカは、すげーハマり役だと思ってるけどね。
ヤンにとっての「あこがれの女性」からの連想・転換で、アンネローゼ様も発展可能かなと。
どこの組も、正統派の姫役者は少ない。
美貌と高貴さ、って、難しいよなあ。
親しみやすい美少女はいっぱいいるけど。
えりちゃんが、残ってくれてたらなあ。
薄幸成分多めになるけど(笑)、とりあえず美貌と気品はあったよなあ、とか。小さいけどなー。
やっぱうららちゃんは、男役をしている場合ではないってことか。
美形娘役貴重。
つっても、うららちゃんがアンネローゼ役ができるとは、まーーったく思っていない。
確かに彼女は老け顔だけど、周りが若く未熟な新人公演ならともかく、トップスター様や組長、専科さんなどに囲まれて「大人の美女」が出来る演技力も娘役スキルもない。
顔だけならアンネローゼだけど、妄想配役の静止画撮影じゃないんだから、役者として不適格。
早く成長してほしい……。アンネローゼがびしっと演じられるほど、アントワネットやエリザベートが出来るほど。
もしも他組で、まったく同じ『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』をやったとしたら、アンネローゼは誰だろう……。
路線娘役に限らないんだから、誰だっていいんだよね。役にさえ合えば。
正当姫役者でなくてもいい。
雰囲気、キャラも含めて合うならば。
トップスターの「姉」、美貌の寵姫。聡明で控えめな女性。
花組はいっぱい候補がい過ぎて困る……(笑)。
蘭寿さんの「姉」ですよ。小娘却下、下級生ナシ。
じゅりあ、きらり、いちかあたりは「任せて!」って感じだよなー。
雪組は、なんつっても、せしる!
キムくんの「姉」、大丈夫だせしこ! なんか『忘れ雪』で弟だった気がするけど!(笑)
さらさちゃんもキャラ的にいけると思う。某作品でアントワネットやってたし。
……娘2であろうと、今度トップスターでアントワネットをやろうと、ごめん、あゆっちはチガウ……。
星組は、ねねちゃんがいちばんアンネローゼキャラな気がするんだがなー。
でもこのアンネローゼ様は脇役だからなー、ねねちゃんじゃダメなんだよなー。
れおんくんの「姉」……だとしても、たぶんふつーにわかばちゃんがやってるんだろうなあ。
月組がなあ……。
宙組以上に、誰もいない……。
まさおとみりおの「姉」なら、下級生でもちょっと大人っぽい子ならこなせそうな気もするが。(ここでもWキャスト想定してしまうあたり……)
あーちゃんでしょうか……。
いやわたし、トウカさんがしれっとやってそうで、こわいです……。
イケコの『スカーレット・ピンパーネル』で堂々の娘2だったお人ですもの……。
てことで、ちさきちゃんがやっている宙組も、ぜんぜんアリなのかなあ、と思ったりもした。
どっとはらい。
物語り花盛り。@銀河英雄伝説@TAKARAZUKA
2012年9月7日 タカラヅカ 『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』でいちばんわからなかったことは、実はイゼルローン、どうなったの??です。
ちょ……っ、イゼルローン攻略なしかよっ?!!
いつの間にか、終わってる……。
この「いつの間にか」ぶりに、混乱しました(笑)。
フェザーンの人たち、説明してくれてたったけ? すでに3回観たけど、よくわかってない……。
考えてみれば、わたしが原作を読んだのは遙か昔で、なんつーんだ、別の話ばかり読んでいたもので、ナニが公式だったのか、どこまでが原作設定だったのか、かなりアヤしくなってるんですなー(笑)。
グリーンヒルさんの最期って、どうでしたっけ? わたしの脳内では演説カマしてヤンたちの見守るスクリーンの中で自決するんだけど……とーぜんフレデリカも父の最期を、ヤンの後ろで見ている……という。
あれ? これって原作にあった? なんか別のモノ?
なにしろあのころは、二次創作花盛りで。
いろんな人が書いたいろんな『銀英伝』をむさぼり読んだ。腐ったモノ(笑)も、そうでないモノも。
あまりにたくさん読み過ぎて、わけわかんないわー。
カップリングも花盛りでなー。ジャンプ系もびっくり!なくらい、いろんなパターンが存在したな。
わたしはどこへいっても王道・主流派のちょっと外側、マイナー過ぎもしないけどセンターライトも当たらないあたりが好みだった。好みってほんと変わらないね。
とまあ、いろんなドラマやいろんなキャラクタ、いろんな切り口での『銀英伝』を柔軟に楽しんで生きてきたので。
『@TAKARAZUKA』も、どーんと来い!
ナニがあってもおいしくいただけます。
このタカラヅカ版で、いちばん愉快な変更って、オーベルシュタインぢゃないの?(笑)
ラインハルト@かなめ姫を、キルヒアイス@まぁくん、オーベルシュタイン@ともちんで取り合う、三角関係に昇華するとは、思ってなかった。
天使と悪魔はあらゆる創作に登場するテーマだけど……まさか、キルヒとオベ様が、天使と悪魔となっておハルを翻弄するとはなー。
キルヒアイスは原作のイメージを大事に造形されているけど、オーベルシュタイン、あれいいの? 別人やん(笑)。
あんなに体格良くて強そうで、性欲も強そうなオベ様、オベ様ぢゃない!!(笑)
あれがオーベルシュタインじゃないことはわかる、チガウことはわかる。原作とかけ離れすぎだろ。
キャラクタも役割も。
同人誌並に、別人だ。
でもとりあえず、面白いから、いいや。
ともちんはほんと、ヘンタイ役が似合うなああ。あ、ごめん、間違えた、訂正する、ヘンジンだ、ヘンジン。
ヘンジン役が似合うなあ、ともち。
大好きだともちん。
キルヒとオベの関係性が面白いから、ほんとにここを中心に描ければよかったのにね。
せめてトップコンビのお披露目じゃなければなああ。
もう少し、トップ娘役の出番や比重が低くてもよかったろうに。さすがに今回、お披露目だからなああ。
ヒルダ@みりおんの比重を落として、ラインハルトとキルヒアイスを、どーんと深めて描く。
ふたりの友情を阻むモノ……ラインハルトが進む道の「必然」として、オーベルシュタインが存在する。
もともとイケコは情念を書くのは苦手。
出来事は書けても、心理は書けない。
そんな人が、複数視点の歴史物を「とりあえずまとめました」とやっちゃうと、ほんとに人物描写が薄くなる。
だからその打開策として、「主人公・ラインハルトの一人称にする」。
ほんとに一人称にするわけじゃなく、ストーリー説明はフェザーンの人たちが必要だし、同盟側も登場していいんだけど、主軸をラインハルトに固定する。
物語をラインハルトだけにするのではなく、彼の「心の動き」を追う。
なにか出来事がある、その出来事を描写するのではなく、ラインハルトがどう思ったのか、それによってどう変わったのか、どう次の行動につなげるのかを、丁寧に追う。
それだけで、かなりすっきりすると思うんだが。
物語的にも、感情の盛り上がり的にも。
そうするなかで、キルヒアイスとオーベルシュタインは大きくクローズアップされてくるし、ストーリーとしての出番は少なくても、ヤン@ヲヅキの「イメージ」はなにかとラインハルトを圧迫するだろう。
双璧のふたりももう少し出番と比重が上がるだろうしなあ。
ラインハルト側の物語だけに整理されたら、宮廷描写で娘役の出番も作れるかな?
ヒルダはいっそ、狂言回しにするとか。
聡明なフロイラインは、ラインハルトの価値を知り、まだ彼が「金髪の孺子」としか貴族たちに認識されていない頃からずっと彼のことを高く評価し、調べていた、とか。
フェザーンのナレーターさんたちには、彼らしか知り得ない同盟側のこととかを解説してもらって、帝国側のことはヒルダが解説する。
その過程で、彼女がどんどんラインハルトに惹かれていくのがわかる、と。
みりおん歌ウマだから、歌で盛り上げることが出来るし。
クライマックスはもちろん、キルヒアイスの死とラインハルトの慟哭。
とことん盛り上げて。
客席も一緒に号泣するくらい。
ファンが、観客が、「見たい」と思っているモノを、見せてくれよ。
で、あまりに「To Be Continued」な終わりだとぽかーんになるから、たとえ続編やスピンオフの下心があるにせよ、一旦きちんと終わらせるべきだ。
「彼がその誓いを果たすのはこのあと**年後……」みたいなナレーション入れて、いっそ大階段出してマントひるがえすラインハルトを真ん中に立たせて、幕僚たち勢揃いさせて、派手に終わっちゃえ。
そこではじめて、ナレーションしていたヒルダも本舞台に立ち、ラインハルトの後ろに控える。
あ、この娘もそーゆー場所に落ち着くことになるんだ、とナニも知らない観客にも納得させて、完。
なーんて、わたしも二次創作好きですから、いくらでも原作いじってどうこう言えますわん。
オベ様があまりに面白いキャラなんで、もっとキルヒとの色の差を出して楽しめばいいのに、と(笑)。
双璧がもったいなさ過ぎる、とか。
あ、ちなみにわたし、ハル×キルだったんで、ソレは『@TAKARAZUKA』でも変わりません(笑)。
かなめ姫は攻キャラだ、わたし的に!(誰も聞いてない)
ちょ……っ、イゼルローン攻略なしかよっ?!!
いつの間にか、終わってる……。
この「いつの間にか」ぶりに、混乱しました(笑)。
フェザーンの人たち、説明してくれてたったけ? すでに3回観たけど、よくわかってない……。
考えてみれば、わたしが原作を読んだのは遙か昔で、なんつーんだ、別の話ばかり読んでいたもので、ナニが公式だったのか、どこまでが原作設定だったのか、かなりアヤしくなってるんですなー(笑)。
グリーンヒルさんの最期って、どうでしたっけ? わたしの脳内では演説カマしてヤンたちの見守るスクリーンの中で自決するんだけど……とーぜんフレデリカも父の最期を、ヤンの後ろで見ている……という。
あれ? これって原作にあった? なんか別のモノ?
なにしろあのころは、二次創作花盛りで。
いろんな人が書いたいろんな『銀英伝』をむさぼり読んだ。腐ったモノ(笑)も、そうでないモノも。
あまりにたくさん読み過ぎて、わけわかんないわー。
カップリングも花盛りでなー。ジャンプ系もびっくり!なくらい、いろんなパターンが存在したな。
わたしはどこへいっても王道・主流派のちょっと外側、マイナー過ぎもしないけどセンターライトも当たらないあたりが好みだった。好みってほんと変わらないね。
とまあ、いろんなドラマやいろんなキャラクタ、いろんな切り口での『銀英伝』を柔軟に楽しんで生きてきたので。
『@TAKARAZUKA』も、どーんと来い!
ナニがあってもおいしくいただけます。
このタカラヅカ版で、いちばん愉快な変更って、オーベルシュタインぢゃないの?(笑)
ラインハルト@かなめ姫を、キルヒアイス@まぁくん、オーベルシュタイン@ともちんで取り合う、三角関係に昇華するとは、思ってなかった。
天使と悪魔はあらゆる創作に登場するテーマだけど……まさか、キルヒとオベ様が、天使と悪魔となっておハルを翻弄するとはなー。
キルヒアイスは原作のイメージを大事に造形されているけど、オーベルシュタイン、あれいいの? 別人やん(笑)。
あんなに体格良くて強そうで、性欲も強そうなオベ様、オベ様ぢゃない!!(笑)
あれがオーベルシュタインじゃないことはわかる、チガウことはわかる。原作とかけ離れすぎだろ。
キャラクタも役割も。
同人誌並に、別人だ。
でもとりあえず、面白いから、いいや。
ともちんはほんと、ヘンタイ役が似合うなああ。あ、ごめん、間違えた、訂正する、ヘンジンだ、ヘンジン。
ヘンジン役が似合うなあ、ともち。
大好きだともちん。
キルヒとオベの関係性が面白いから、ほんとにここを中心に描ければよかったのにね。
せめてトップコンビのお披露目じゃなければなああ。
もう少し、トップ娘役の出番や比重が低くてもよかったろうに。さすがに今回、お披露目だからなああ。
ヒルダ@みりおんの比重を落として、ラインハルトとキルヒアイスを、どーんと深めて描く。
ふたりの友情を阻むモノ……ラインハルトが進む道の「必然」として、オーベルシュタインが存在する。
もともとイケコは情念を書くのは苦手。
出来事は書けても、心理は書けない。
そんな人が、複数視点の歴史物を「とりあえずまとめました」とやっちゃうと、ほんとに人物描写が薄くなる。
だからその打開策として、「主人公・ラインハルトの一人称にする」。
ほんとに一人称にするわけじゃなく、ストーリー説明はフェザーンの人たちが必要だし、同盟側も登場していいんだけど、主軸をラインハルトに固定する。
物語をラインハルトだけにするのではなく、彼の「心の動き」を追う。
なにか出来事がある、その出来事を描写するのではなく、ラインハルトがどう思ったのか、それによってどう変わったのか、どう次の行動につなげるのかを、丁寧に追う。
それだけで、かなりすっきりすると思うんだが。
物語的にも、感情の盛り上がり的にも。
そうするなかで、キルヒアイスとオーベルシュタインは大きくクローズアップされてくるし、ストーリーとしての出番は少なくても、ヤン@ヲヅキの「イメージ」はなにかとラインハルトを圧迫するだろう。
双璧のふたりももう少し出番と比重が上がるだろうしなあ。
ラインハルト側の物語だけに整理されたら、宮廷描写で娘役の出番も作れるかな?
ヒルダはいっそ、狂言回しにするとか。
聡明なフロイラインは、ラインハルトの価値を知り、まだ彼が「金髪の孺子」としか貴族たちに認識されていない頃からずっと彼のことを高く評価し、調べていた、とか。
フェザーンのナレーターさんたちには、彼らしか知り得ない同盟側のこととかを解説してもらって、帝国側のことはヒルダが解説する。
その過程で、彼女がどんどんラインハルトに惹かれていくのがわかる、と。
みりおん歌ウマだから、歌で盛り上げることが出来るし。
クライマックスはもちろん、キルヒアイスの死とラインハルトの慟哭。
とことん盛り上げて。
客席も一緒に号泣するくらい。
ファンが、観客が、「見たい」と思っているモノを、見せてくれよ。
で、あまりに「To Be Continued」な終わりだとぽかーんになるから、たとえ続編やスピンオフの下心があるにせよ、一旦きちんと終わらせるべきだ。
「彼がその誓いを果たすのはこのあと**年後……」みたいなナレーション入れて、いっそ大階段出してマントひるがえすラインハルトを真ん中に立たせて、幕僚たち勢揃いさせて、派手に終わっちゃえ。
そこではじめて、ナレーションしていたヒルダも本舞台に立ち、ラインハルトの後ろに控える。
あ、この娘もそーゆー場所に落ち着くことになるんだ、とナニも知らない観客にも納得させて、完。
なーんて、わたしも二次創作好きですから、いくらでも原作いじってどうこう言えますわん。
オベ様があまりに面白いキャラなんで、もっとキルヒとの色の差を出して楽しめばいいのに、と(笑)。
双璧がもったいなさ過ぎる、とか。
あ、ちなみにわたし、ハル×キルだったんで、ソレは『@TAKARAZUKA』でも変わりません(笑)。
かなめ姫は攻キャラだ、わたし的に!(誰も聞いてない)
でもさ、やっぱイケコってすごいよね、うまいよね、と思う、『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』を観て。
いちばん盛り上がること必至のクライマックス場面が、大人の事情で盛り上げられない。
同じよーなモノを観ました、同じ劇場で。
タカラヅカには番手というものがあり、たとえ原作がどうあろうと、観客がナニを求めていようと、んなことぁお構いなしに優先されるモノが、あるのです。
その物語の主人公は、オスカル(男装の女性)といいました。
オスカルがいろんな経験をして、成長して、それまで自分を捕らえていたしがらみを自ら捨てて、自分の道を歩く……己れの信念を貫き、剣を抜くことになる物語でした。
オスカルがそれまで属していた貴族社会を裏切り、平民側で闘う!という場面は、物語のクライマックスです。
もっとも盛り上がる場面であり、そこでオスカルは幼なじみである最愛の人アンドレを失い、さらには自分も華やかに戦死するのです。
この原作を、ナニを間違ったのか、とってもおかしな料理をして、タカラヅカで舞台化されました。
トップスターが演じるのは、主人公のオスカルの幼なじみ・アンドレ。主人公の恋人役だし、主人公の影として常に付き従ってきたし、最期は華々しく戦死するし、まあ彼をトップスターが演じるのは、わかります。アンドレ視点に微調整することは可能。
問題は、トップ娘役。
物語の主人公のオスカルは、男装の女性です。女性役なんだから、トップ娘役が演じてもよさそーなもんですが、そうではないのです。その役は、男役が演じると決まっている。
じゃあトップ娘役はナニをするの、というと……主人公オスカルの恋人アンドレの、幼なじみ、という、わけわかんない役になりました。
物語の中心は、オスカル。その恋人アンドレを演じるのが、トップスター。そのアンドレに片想いしてストーカーする女を、トップ娘役が演じる。
……えーと?
すでによくわかんないことになってますが、物語はどうあがいたって、オスカル中心に存在するわけです。
物語のクライマックスだって、オスカルが民衆の真ん中に立って闘う場面なんだし。
じゃあその、原作の主人公であるオスカルを演じるのは誰? トップスターでもトップ娘役でもないなら、男役2番手?
……いいえ。何故か男役3番手が演じました。
原作の主人公。物語の中心。クライマックスの、中心人物。
それを、3番手が演じるとどうなるか。
クライマックスに、オスカルは出ませんでした。
オスカルが、民衆の真ん中に立って闘う場面です。
なのに、本人不在。
かわりに、その恋人アンドレ役のトップスターが、ひとりで「オスカル~~!!」と連呼しながら、群舞のセンターにいました。
オスカルは、いません。
いないけど、いるということにして、名前だけ出して、アンドレ役のトップスターひとりでがんばる。
物語的にも原作的に、オスカルがこの場面にいたら、どーしても彼女が「主役」になってしまうからです。
物語を動かしているのは、主人公である彼女ですから。
タカラヅカには番手がある。
トップスターより、3番手を目立たせてはいけない。
いや、それでもトップが目立つ演出は可能だが、そうしたとしても、少なくとも2番手より目立ってしまう。
それではいけない。
てことで、3番手が演じている役だから、という理由で、原作の主人公はいるはずの戦場に不在、「いるという設定」で名前だけ連呼されるエア主人公になっていました。
原作の名前に惹かれて来場した客も、往年のタカラヅカ名作に思いを馳せて来た客も、ふつーのタカラヅカファンも、ひたすらぽかーん。
アンドレがひたすら大仰に、いもしないオスカルの名前を呼びながら、派手に絶命しておりました。
ぽかーん……。
そして、アンドレが死んだあと、トップ娘役演じるストーカー女は、アンドレ戦死=彼はもう私のもの、と恍惚の笑みを浮かべる。
タカラヅカですから、トップスターとトップ娘役のラブラブでエンドマーク出さなきゃいけないから、オスカルの名を呼びながら戦死したはずのアンドレが、天使が舞い踊る中、ストーカー女の前に笑顔で現れ、トップコンビの場面で幕が下りる……という。
ぽかーんを通り越して、震撼。こわっ。こわすぎるっ。
こんなものすごい公演もあったわけです。
今回の『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』に当てはめるなら。
「キルヒアイス役は、クライマックスで自然と目立ってしまう。トップや正2番手ならともかく、それ以外の役者がクライマックスの華となってはいけない」と判断され、エア・キルヒアイスになる。
キルヒは舞台上にいないけど、「いる」という設定で、ラインハルトが「俺をかばって撃たれるなんて! 死ぬなキルヒアイス!!」と説明台詞を喋りながら、ひとりで騒いでいる……という場面になる、わけだ。
舞台にいないんだから、目立ちようがないよな、ひとりで大騒ぎしているラインハルトを観客は「なんだなんだ?」と見るよな。
ほーら、演出家の狙い通り、目立ってはいけない番手の人は目立たず、目立たせたいスターだけが目立っている!
原作も観客の期待も、作品のクオリティも関係ない!
人事優先、大人の事情優先!
そんなことになっておらず、あっさり短めとはいえ、原作通りにキルヒアイスが撃たれて死ぬ場面があり、ラインハルトが親友を抱いて嘆いてるんだから、十分だよな。
植爺作『外伝 ベルサイユのばら-呪いのドングリ編-』に比べれば、クライマックスをキルヒの死から、ラインハルトとヒルダのラブラブ場面に変更するくらい、大したことないさ。
ラインハルトとキルヒアイスが歌う、ふたりの友情の歌……「ああ あれはフレイヤの星♪」を、ラストでラインハルトとヒルダの歌として使われ、ラインハルトとキルヒアイスの少年時代の思い出「共に流星を見たモノは」をラインハルトとヒルダの思い出にすり替えてエンドマークでも、だ。
RPGでキャラクタが離脱し、ぽっと出の新キャラクタが引き継ぐとき、パラメータが前キャラのまんまで「キャラが変わる意味ナシかいっ」と突っ込む、アレですな。
キルヒのパラメータは、全部まるっとヒルダにコピーされましたとさ。必殺技も溜めてきたポイントも、全部そのまま使えます。
ラストシーンで、ラインハルトとヒルダの背後に流星が走ったときに、膝を打ちました(笑)。
パラメータ完コピの、キャラ引き継ぎキターーっ!!と。
わかりやすくて、いいんじゃないすか? 時間もないことだし。(真顔)
いちばん盛り上がること必至のクライマックス場面が、大人の事情で盛り上げられない。
同じよーなモノを観ました、同じ劇場で。
タカラヅカには番手というものがあり、たとえ原作がどうあろうと、観客がナニを求めていようと、んなことぁお構いなしに優先されるモノが、あるのです。
その物語の主人公は、オスカル(男装の女性)といいました。
オスカルがいろんな経験をして、成長して、それまで自分を捕らえていたしがらみを自ら捨てて、自分の道を歩く……己れの信念を貫き、剣を抜くことになる物語でした。
オスカルがそれまで属していた貴族社会を裏切り、平民側で闘う!という場面は、物語のクライマックスです。
もっとも盛り上がる場面であり、そこでオスカルは幼なじみである最愛の人アンドレを失い、さらには自分も華やかに戦死するのです。
この原作を、ナニを間違ったのか、とってもおかしな料理をして、タカラヅカで舞台化されました。
トップスターが演じるのは、主人公のオスカルの幼なじみ・アンドレ。主人公の恋人役だし、主人公の影として常に付き従ってきたし、最期は華々しく戦死するし、まあ彼をトップスターが演じるのは、わかります。アンドレ視点に微調整することは可能。
問題は、トップ娘役。
物語の主人公のオスカルは、男装の女性です。女性役なんだから、トップ娘役が演じてもよさそーなもんですが、そうではないのです。その役は、男役が演じると決まっている。
じゃあトップ娘役はナニをするの、というと……主人公オスカルの恋人アンドレの、幼なじみ、という、わけわかんない役になりました。
物語の中心は、オスカル。その恋人アンドレを演じるのが、トップスター。そのアンドレに片想いしてストーカーする女を、トップ娘役が演じる。
……えーと?
すでによくわかんないことになってますが、物語はどうあがいたって、オスカル中心に存在するわけです。
物語のクライマックスだって、オスカルが民衆の真ん中に立って闘う場面なんだし。
じゃあその、原作の主人公であるオスカルを演じるのは誰? トップスターでもトップ娘役でもないなら、男役2番手?
……いいえ。何故か男役3番手が演じました。
原作の主人公。物語の中心。クライマックスの、中心人物。
それを、3番手が演じるとどうなるか。
クライマックスに、オスカルは出ませんでした。
オスカルが、民衆の真ん中に立って闘う場面です。
なのに、本人不在。
かわりに、その恋人アンドレ役のトップスターが、ひとりで「オスカル~~!!」と連呼しながら、群舞のセンターにいました。
オスカルは、いません。
いないけど、いるということにして、名前だけ出して、アンドレ役のトップスターひとりでがんばる。
物語的にも原作的に、オスカルがこの場面にいたら、どーしても彼女が「主役」になってしまうからです。
物語を動かしているのは、主人公である彼女ですから。
タカラヅカには番手がある。
トップスターより、3番手を目立たせてはいけない。
いや、それでもトップが目立つ演出は可能だが、そうしたとしても、少なくとも2番手より目立ってしまう。
それではいけない。
てことで、3番手が演じている役だから、という理由で、原作の主人公はいるはずの戦場に不在、「いるという設定」で名前だけ連呼されるエア主人公になっていました。
原作の名前に惹かれて来場した客も、往年のタカラヅカ名作に思いを馳せて来た客も、ふつーのタカラヅカファンも、ひたすらぽかーん。
アンドレがひたすら大仰に、いもしないオスカルの名前を呼びながら、派手に絶命しておりました。
ぽかーん……。
そして、アンドレが死んだあと、トップ娘役演じるストーカー女は、アンドレ戦死=彼はもう私のもの、と恍惚の笑みを浮かべる。
タカラヅカですから、トップスターとトップ娘役のラブラブでエンドマーク出さなきゃいけないから、オスカルの名を呼びながら戦死したはずのアンドレが、天使が舞い踊る中、ストーカー女の前に笑顔で現れ、トップコンビの場面で幕が下りる……という。
ぽかーんを通り越して、震撼。こわっ。こわすぎるっ。
こんなものすごい公演もあったわけです。
今回の『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』に当てはめるなら。
「キルヒアイス役は、クライマックスで自然と目立ってしまう。トップや正2番手ならともかく、それ以外の役者がクライマックスの華となってはいけない」と判断され、エア・キルヒアイスになる。
キルヒは舞台上にいないけど、「いる」という設定で、ラインハルトが「俺をかばって撃たれるなんて! 死ぬなキルヒアイス!!」と説明台詞を喋りながら、ひとりで騒いでいる……という場面になる、わけだ。
舞台にいないんだから、目立ちようがないよな、ひとりで大騒ぎしているラインハルトを観客は「なんだなんだ?」と見るよな。
ほーら、演出家の狙い通り、目立ってはいけない番手の人は目立たず、目立たせたいスターだけが目立っている!
原作も観客の期待も、作品のクオリティも関係ない!
人事優先、大人の事情優先!
そんなことになっておらず、あっさり短めとはいえ、原作通りにキルヒアイスが撃たれて死ぬ場面があり、ラインハルトが親友を抱いて嘆いてるんだから、十分だよな。
植爺作『外伝 ベルサイユのばら-呪いのドングリ編-』に比べれば、クライマックスをキルヒの死から、ラインハルトとヒルダのラブラブ場面に変更するくらい、大したことないさ。
ラインハルトとキルヒアイスが歌う、ふたりの友情の歌……「ああ あれはフレイヤの星♪」を、ラストでラインハルトとヒルダの歌として使われ、ラインハルトとキルヒアイスの少年時代の思い出「共に流星を見たモノは」をラインハルトとヒルダの思い出にすり替えてエンドマークでも、だ。
RPGでキャラクタが離脱し、ぽっと出の新キャラクタが引き継ぐとき、パラメータが前キャラのまんまで「キャラが変わる意味ナシかいっ」と突っ込む、アレですな。
キルヒのパラメータは、全部まるっとヒルダにコピーされましたとさ。必殺技も溜めてきたポイントも、全部そのまま使えます。
ラストシーンで、ラインハルトとヒルダの背後に流星が走ったときに、膝を打ちました(笑)。
パラメータ完コピの、キャラ引き継ぎキターーっ!!と。
わかりやすくて、いいんじゃないすか? 時間もないことだし。(真顔)
それは優秀な職人技。@銀河英雄伝説@TAKARAZUKA
2012年9月5日 タカラヅカ 小池先生がタカラヅカで演出家をこれだけ長く続けていられるのは、彼が優秀なサラリーマンだからなのか、と思う。
芸術家よりも、職人。
自分の作品・芸術性を愛し、譲らずに作劇する芸術家気質ではなく、まずクライアントがいて、その希望に添って質の高い作品を作ることに心血を注ぐ、職人気質。
謎な配役、大人の事情。
それが丸わかりでもとにかく、イケコは自分の仕事をする。
彼は劇団に雇われて、劇団の仕事をしているわけだから。
小池先生って劇団理事なんでしたっけ? 劇団にてひとかどの位置にいる人なのは、わかります。
それでもやっぱり、サラリーマン。劇団の意志に従って、作劇しているんだろうなあ。
演劇というお金の掛かるジャンルでは、なにもかも好きになんて作れない、いろんな事情や横やりがあって、それらの中で譲ってあきらめて、制限ある中で精一杯のモノを作る、というのが当たり前なんだろう。
主要キャストは上から言いなりだけど、脇だけは自由に出来る。そこでだけ、ひっそりと自己主張。
海外ミュージカルの潤色でもっとも才能を発揮するように、まったく自由であるより、「制限がある」方が燃える人なのかもしれない。
毎度いろいろ大変そう、と思う小池せんせ。
小池せんせが毎回大変のは、彼が「ヒットメーカー」であり、彼の登板を指名するということはつまり「大作」を制作することであり、大作を用意するからにはそこに「劇団事情」が特に関わっている、ということにある……と、思う。
小池作品っていつも、人事大変!というイメージ(笑)。
謎のヒロイン抜擢とか、番手ぼかしとか。
全タカラヅカの娘役よりも、「優れている」「相応しい」ってことで、他組の無名の男役下級生がエリザベート役に抜擢されたりとか、入団したばかりで舞台人としての基礎も娘役スキルもなにもない研1生がジュリエット役に抜擢されたり。
その「全タカラヅカ生徒より優れている」とされた「100年に一度の天才」たちが、そのときだけ抜擢され、その後はそれが「なかったこと」にされたかのように、ふつーの組子に戻されていたり。
トップスターも2番手も3番手もない、わけわかんない配役を、とても細心の注意を持って行ったり。準トップだとか、トップはいても2番手がわからないように、だとか。
劇団がお金を掛けて上演する「大作」は、その分「大人の事情」が満載。大作はヒットメーカーのイケコでなくては、だからイケコはいつも事情を抱え込んで「大変」。
やーん、3つの「大」が重なるのが当たり前のイケコってば素敵、重圧かかえてがんばれ日本のサラリーマン。
今回の『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』は、いつものにも増して。ほんっとーに大変だったんだなあ、と思う。
プログラムの異例の長文(笑)。どれだけ大変だったかの言い訳羅列。書かなきゃまずいことを並べ立てた事情羅列。
ご苦労様っす。
人事面でいつも大変そうな小池せんせ。
今回もなあ。
原作からして、もっとも盛り上がる場面をクライマックスに出来ないってあたりがもお、気の毒だなと。
ラインハルト@かなめを主役に原作の2巻までを使ってミュージカルを作るなら、クライマックスは当然キルヒアイス@まぁくんの死だろう。
ラインハルトの腕の中で死ぬキルヒ、をいちばんのドラマティック場面にするだろう。
よく例えられるけど、ラインハルトとキルヒアイスは、オスカルとアンドレみたいなもん。アンドレの死は重要でしょう。
なのに、『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』は、そのいちばん盛り上がり必須の場面を、クライマックスにできない。してはならない。
盛り上がって当然、ストーリー的にもファン心理的にも盛り上げろ泣かせろ!と期待する場面を、「ここで泣いちゃダメ、感動しちゃダメ」と制止しなきゃならない。
キルヒアイスが死に至るまでの経緯もあっさりしたもんだし、死もあっさり。
慟哭するラインハルト、さあここからさらに盛り上がるぞーっ、と観客がスタンバったところで。
突然場面が変わり、関係ない人たちが出てきて次の芝居を進める。
えっ……。
えー、「タカラヅカ」のお約束では、こういう場合、ラインハルトの独白やソロ歌になります。
キルヒアイスを失った、慟哭の場面になります。
ラインハルトが泣きながら1曲歌って銀橋渡ったりします。
本舞台にスモークたいて、回り舞台から笑顔のキルヒアイスがせり上がってきたりします。
そして友情のデュエットダンスをしたりします。(それってどこの『愛のプレリュード』 ……)
舞台奥の階段に、少年時代のおハルやキルヒ、アンネローゼ様が現れて、無邪気に「キルヒアイスと呼ぶことにする」とか「ジーク、弟と仲良くしてやってね」とかの会話を再現していたりします。
そしてキルヒの今際の際の台詞が響く中、目の前のキルヒが消えてゆき、残ったおハルが再び客席に向けて絶叫(メロディ付き)。
それくらいやるのが「タカラヅカ」ですとも。
キルヒが死ぬなりソルーナさんたちが出てきて陰謀話の続きをはじめ、盛大に、肩すかし。
わざと盛り上がらないよう、余韻をぶった切っている。
何故か。
クライマックスは、ヒロイン・ヒルダ@みりおんと、ラインハルトの場面にしなければならない。
だから、キルヒアイスを相手に盛り上げてはいけない。
いやその、原作ではヒルダ、ここでまだレギュラー入りしてないし。
原作にはいないキャラのために、原作の盛り上がり部分をスルーする。……ありゃりゃ。
男役至上主義のタカラヅカだ、トップ娘役を飾りにして男役同士でドラマを展開することはできる。
トップとはいえ娘役の面子のために、トップスターの見せ場を犠牲にすることは通常ない。
オスカルとアンドレはその最たるモノだし、『愛のプレリュード』 なんかトップと2番手が痴話喧嘩して和解するまでの話で、クライマックスは男同士のデュエットダンスだ。
女性キャラに出番がない、見せ場がない、程度のことでタカラヅカのシステムは揺るがない。
今回クライマックスを正しく設定して盛り上げることができなかったのは、ヒロイン問題に加えて、
2番手男役が不明
であるためだ。
まぁくんが正2番手なら、ヒルダのことは置いておいて、とにかくキルヒアイスの死→ラインハルトの慟哭を盛り上げることができた。
『愛のプレリュード』 が成り立ったのは、主人公の親友役が2番手だったからだ。
何故か新制宙組の2番手は明確にされていない。
プログラムでは、ともちん、ヲヅキ、まぁくんが同等の扱い(学年順)になっている。
同等ってことは、オーベルシュタイン@ともちん、ヤン@ヲヅキ、キルヒアイス@まぁくんは同等の扱いにしなくてはならない。
原作も大事にしなくちゃならない、タカラヅカのお約束も守らなければならない、その上人事まで気を使わなくてはならない……。
イケコ、乙。
ほんとに大変だなあ……。しみじみ。
がんばれサラリーマン。がんばれ職人。
まあ、イケコが本能のままに作劇したら、世界征服でマッドサイエンティストでエコでNPOでネットでスマホでヒップホップなわけだしな。
制約があってナンボだよな、うん。
芸術家よりも、職人。
自分の作品・芸術性を愛し、譲らずに作劇する芸術家気質ではなく、まずクライアントがいて、その希望に添って質の高い作品を作ることに心血を注ぐ、職人気質。
謎な配役、大人の事情。
それが丸わかりでもとにかく、イケコは自分の仕事をする。
彼は劇団に雇われて、劇団の仕事をしているわけだから。
小池先生って劇団理事なんでしたっけ? 劇団にてひとかどの位置にいる人なのは、わかります。
それでもやっぱり、サラリーマン。劇団の意志に従って、作劇しているんだろうなあ。
演劇というお金の掛かるジャンルでは、なにもかも好きになんて作れない、いろんな事情や横やりがあって、それらの中で譲ってあきらめて、制限ある中で精一杯のモノを作る、というのが当たり前なんだろう。
主要キャストは上から言いなりだけど、脇だけは自由に出来る。そこでだけ、ひっそりと自己主張。
海外ミュージカルの潤色でもっとも才能を発揮するように、まったく自由であるより、「制限がある」方が燃える人なのかもしれない。
毎度いろいろ大変そう、と思う小池せんせ。
小池せんせが毎回大変のは、彼が「ヒットメーカー」であり、彼の登板を指名するということはつまり「大作」を制作することであり、大作を用意するからにはそこに「劇団事情」が特に関わっている、ということにある……と、思う。
小池作品っていつも、人事大変!というイメージ(笑)。
謎のヒロイン抜擢とか、番手ぼかしとか。
全タカラヅカの娘役よりも、「優れている」「相応しい」ってことで、他組の無名の男役下級生がエリザベート役に抜擢されたりとか、入団したばかりで舞台人としての基礎も娘役スキルもなにもない研1生がジュリエット役に抜擢されたり。
その「全タカラヅカ生徒より優れている」とされた「100年に一度の天才」たちが、そのときだけ抜擢され、その後はそれが「なかったこと」にされたかのように、ふつーの組子に戻されていたり。
トップスターも2番手も3番手もない、わけわかんない配役を、とても細心の注意を持って行ったり。準トップだとか、トップはいても2番手がわからないように、だとか。
劇団がお金を掛けて上演する「大作」は、その分「大人の事情」が満載。大作はヒットメーカーのイケコでなくては、だからイケコはいつも事情を抱え込んで「大変」。
やーん、3つの「大」が重なるのが当たり前のイケコってば素敵、重圧かかえてがんばれ日本のサラリーマン。
今回の『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』は、いつものにも増して。ほんっとーに大変だったんだなあ、と思う。
プログラムの異例の長文(笑)。どれだけ大変だったかの言い訳羅列。書かなきゃまずいことを並べ立てた事情羅列。
ご苦労様っす。
人事面でいつも大変そうな小池せんせ。
今回もなあ。
原作からして、もっとも盛り上がる場面をクライマックスに出来ないってあたりがもお、気の毒だなと。
ラインハルト@かなめを主役に原作の2巻までを使ってミュージカルを作るなら、クライマックスは当然キルヒアイス@まぁくんの死だろう。
ラインハルトの腕の中で死ぬキルヒ、をいちばんのドラマティック場面にするだろう。
よく例えられるけど、ラインハルトとキルヒアイスは、オスカルとアンドレみたいなもん。アンドレの死は重要でしょう。
なのに、『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』は、そのいちばん盛り上がり必須の場面を、クライマックスにできない。してはならない。
盛り上がって当然、ストーリー的にもファン心理的にも盛り上げろ泣かせろ!と期待する場面を、「ここで泣いちゃダメ、感動しちゃダメ」と制止しなきゃならない。
キルヒアイスが死に至るまでの経緯もあっさりしたもんだし、死もあっさり。
慟哭するラインハルト、さあここからさらに盛り上がるぞーっ、と観客がスタンバったところで。
突然場面が変わり、関係ない人たちが出てきて次の芝居を進める。
えっ……。
えー、「タカラヅカ」のお約束では、こういう場合、ラインハルトの独白やソロ歌になります。
キルヒアイスを失った、慟哭の場面になります。
ラインハルトが泣きながら1曲歌って銀橋渡ったりします。
本舞台にスモークたいて、回り舞台から笑顔のキルヒアイスがせり上がってきたりします。
そして友情のデュエットダンスをしたりします。(それってどこの『愛のプレリュード』 ……)
舞台奥の階段に、少年時代のおハルやキルヒ、アンネローゼ様が現れて、無邪気に「キルヒアイスと呼ぶことにする」とか「ジーク、弟と仲良くしてやってね」とかの会話を再現していたりします。
そしてキルヒの今際の際の台詞が響く中、目の前のキルヒが消えてゆき、残ったおハルが再び客席に向けて絶叫(メロディ付き)。
それくらいやるのが「タカラヅカ」ですとも。
キルヒが死ぬなりソルーナさんたちが出てきて陰謀話の続きをはじめ、盛大に、肩すかし。
わざと盛り上がらないよう、余韻をぶった切っている。
何故か。
クライマックスは、ヒロイン・ヒルダ@みりおんと、ラインハルトの場面にしなければならない。
だから、キルヒアイスを相手に盛り上げてはいけない。
いやその、原作ではヒルダ、ここでまだレギュラー入りしてないし。
原作にはいないキャラのために、原作の盛り上がり部分をスルーする。……ありゃりゃ。
男役至上主義のタカラヅカだ、トップ娘役を飾りにして男役同士でドラマを展開することはできる。
トップとはいえ娘役の面子のために、トップスターの見せ場を犠牲にすることは通常ない。
オスカルとアンドレはその最たるモノだし、『愛のプレリュード』 なんかトップと2番手が痴話喧嘩して和解するまでの話で、クライマックスは男同士のデュエットダンスだ。
女性キャラに出番がない、見せ場がない、程度のことでタカラヅカのシステムは揺るがない。
今回クライマックスを正しく設定して盛り上げることができなかったのは、ヒロイン問題に加えて、
2番手男役が不明
であるためだ。
まぁくんが正2番手なら、ヒルダのことは置いておいて、とにかくキルヒアイスの死→ラインハルトの慟哭を盛り上げることができた。
『愛のプレリュード』 が成り立ったのは、主人公の親友役が2番手だったからだ。
何故か新制宙組の2番手は明確にされていない。
プログラムでは、ともちん、ヲヅキ、まぁくんが同等の扱い(学年順)になっている。
同等ってことは、オーベルシュタイン@ともちん、ヤン@ヲヅキ、キルヒアイス@まぁくんは同等の扱いにしなくてはならない。
原作も大事にしなくちゃならない、タカラヅカのお約束も守らなければならない、その上人事まで気を使わなくてはならない……。
イケコ、乙。
ほんとに大変だなあ……。しみじみ。
がんばれサラリーマン。がんばれ職人。
まあ、イケコが本能のままに作劇したら、世界征服でマッドサイエンティストでエコでNPOでネットでスマホでヒップホップなわけだしな。
制約があってナンボだよな、うん。
歴史はくり返す?@銀河英雄伝説@TAKARAZUKA
2012年9月4日 タカラヅカ で、『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』って、どうなのよ?
初日を観たときの感想は、『太王四神記』の花組初日を観たときと酷似していました。
「……で、これ、面白いの?」
いろいろ派手でたくさん詰め込まれて、きれいな人がコスプレして大騒ぎどっかんどっかんで幕。
だけど結局のとここれって……面白いの?
「サイトーくん演出で見たかった」
イケコ演出って総じて地味だよね……サイトーくんに比べて。
基礎体温が低いというか。
同じことをやっていても、サイトーくんの方が無駄にアツいというか。
映像使いまくりーの盆回りまくりーの階段とセリが上下しまくりーのレーザー光線使いまくりーのの、現小池作『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』を「地味」だと言わしめる、サイトーヨシマサの芸風恐るべし(笑)。
つっても、『太王四神記』のときは『エル・アルコン-鷹-』の印象が強かったのでサイトーマンセーになっていたのであって、『TRAFALGAR』のショボ演出を観たあとである今となっては、手放しにサイトーくんを持ち上げられない。
単に『エル・アルコン』が神がかっていただけかも。大劇場芝居演出デビューってことで、めちゃくちゃ気合い入ってたんだよね。さらに、演出家の相談役(笑)としても定評のあるトウコちゃんが主演だったしね。
それでも、一発成功例があると強いね。
『エル・アルコン』の神オープニングが脳裏に焼き付いている者としては、『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』のオープニングの地味さと残念さに肩を落とした(笑)。
そしてこれは、キムシンにも言えることなんだけど、小池作品は、音楽が残念だ。
演出家によって、組む作曲家が決まっている。
演出家の好みで決めているらしい。
キムシンが長谷川せんせの音楽に惚れ込んでいることもわかるし、イケコが太田せんせの音楽に惚れ込んでいることもわかる。
でも、「作品」と合ってないんだ、それらの音楽ってば。
太田・長谷川の共通点は「よく聴くときれいな曲だが、瞬発力がない」。
はじめて耳にしたときに絶大なインパクトを与え、脳裏から消えなくなる。……そういう音楽じゃない。
きれいだからBGMには適しているけど、主題歌に向かない。
メインに使う曲だけ、外部の作曲家に依頼するべきでは、と思う。とにかく瞬発力のある、1回聴くだけでよそ見していたのを振り向かせるような、求心力のあるタイプの音楽に。
選ぶ作曲家のタイプに、その演出家の作風が表れてるよなああ。
太田せんせの音楽は、長谷川氏の音楽ほどタルくないし、そこそこ重厚だと思う。
派手なのではなくて、奥行きがある。だから1本立てコスプレ作品の音楽としてそぐわないほど地味で単調ってわけじゃない。音楽が主張しすぎてドラマの邪魔をする、ということがない。さらっとしていて重みや澱みはない。
何十時間もある原作を2時間半(フィナーレ・大階段パレード込み)にまとめた『太王四神記』も大概だが、本編だけで10巻まである原作を2時間半(フィナーレ・大階段パレード込み)にまとめた『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』も、大概だ。
その詰め込み方が。
や、『銀英伝』は実質2巻までだけど。
説明することが多すぎて、出来事を追うだけで精一杯で、ドラマ部分が弱いのはお約束。
『銀英伝』みたいに複数視点で、かつ「後世の歴史家」視点っつーか、どこかに肩入れするでない突き放した感のある物語を切り取って「ドラマ化」するのって、実はイケコ苦手分野じゃあ?と、思う。
まとめる力、演出する力は、イケコを超える人はそうそうナイと思うけど。
だからただ「長いモノをまとめました! キリッ!」というデキになり、感情として盛り上がるところがナイっちゅーか。
出来事が多くてどったんばったんしているから、なんか盛り上がったキモチになるけど、ほんとのとこ、心揺さぶられるモノはないっちゅーか。
盛り上がらないなあ、と思うのは、視点のあるなしかな。
作品に作者自身の視点っちゅーか思い入れを強く置き、「俺はこう思う!」「この台詞を言わせたいがためだけに、この芝居1本書いたんだっ」という、本人の創作意欲、表現意志。そーゆーのがあってモノ作りをしている……わけじゃないもんなあ、イケコの作風。
引いたところで作劇しているから、複数視点の歴史物を演出すると、まとまってはいるけど、地味で精神的な盛り上がりと深みのないモノになる。
とはいえ、今回の作品が盛り上がらないのはイケコの責任だけじゃないよなあ。
原作からして、もっとも盛り上がる場面をクライマックスに出来ないところに、「タカラヅカ」の限界を感じた。
いちばん盛り上がる、盛り上げてしかるべきなのは、キルヒアイス@まぁくんの死だ。
そこを盛り上げることが出来ず、上がったテンションをわざとぶち切る、冷水ぶっかけて「ここで盛り上がっちゃダメ、ここクライマックスじゃないから、誤解しないで!」とやる……やらなければならなかった、ことに、原作ファンとしても、タカラヅカファンとしても、盛大に落胆した。
エンタメなんてラスト命、クライマックス命。
それまでどんだけ盛り上がらず、ぐだぐだになっていても、ラスト10分盛り上げて、観客高揚させて泣かせちゃえば、過去は帳消し、「いいもん見たー!」なキモチになるっちゅーに。
クライマックス否定で盛り上げろ、と言われても……無理な相談だよなああ。
てことで、ますます「長大な原作を、各種関係者の顔を立てながら短くまとめました」的な作品になっている。
そのまとめる手腕が老練でそつがないため、ちゃんと楽しいモノになってはいる。
キャストはとにかく美しいし。
それでなんか、大作を見たなー、という気分で劇場を出るんだけど。
「すごいことはよくわかった。……で、これ、面白いの?」
と、『太王四神記』初日と同じ感想を持った。
ああデジャヴ。わたしこれ、3年半前にも同じこと言った。
「オープニングとか、残念すぎ。サイトーくん演出で見たかった」
『エル・アルコン』の夢よもう一度。
今のサイトーくんにそんな力があるのかどうかわかんないけど。
それでも複数回観たいと思わせる力のある、大作だと思う。
と、コレを書いている時点で「毎週『銀英伝』、週に一度は『銀英伝』」状態で、ムラへ通うことになってるわたしです(笑)。
初日を観たときの感想は、『太王四神記』の花組初日を観たときと酷似していました。
「……で、これ、面白いの?」
いろいろ派手でたくさん詰め込まれて、きれいな人がコスプレして大騒ぎどっかんどっかんで幕。
だけど結局のとここれって……面白いの?
「サイトーくん演出で見たかった」
イケコ演出って総じて地味だよね……サイトーくんに比べて。
基礎体温が低いというか。
同じことをやっていても、サイトーくんの方が無駄にアツいというか。
映像使いまくりーの盆回りまくりーの階段とセリが上下しまくりーのレーザー光線使いまくりーのの、現小池作『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』を「地味」だと言わしめる、サイトーヨシマサの芸風恐るべし(笑)。
つっても、『太王四神記』のときは『エル・アルコン-鷹-』の印象が強かったのでサイトーマンセーになっていたのであって、『TRAFALGAR』のショボ演出を観たあとである今となっては、手放しにサイトーくんを持ち上げられない。
単に『エル・アルコン』が神がかっていただけかも。大劇場芝居演出デビューってことで、めちゃくちゃ気合い入ってたんだよね。さらに、演出家の相談役(笑)としても定評のあるトウコちゃんが主演だったしね。
それでも、一発成功例があると強いね。
『エル・アルコン』の神オープニングが脳裏に焼き付いている者としては、『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』のオープニングの地味さと残念さに肩を落とした(笑)。
そしてこれは、キムシンにも言えることなんだけど、小池作品は、音楽が残念だ。
演出家によって、組む作曲家が決まっている。
演出家の好みで決めているらしい。
キムシンが長谷川せんせの音楽に惚れ込んでいることもわかるし、イケコが太田せんせの音楽に惚れ込んでいることもわかる。
でも、「作品」と合ってないんだ、それらの音楽ってば。
太田・長谷川の共通点は「よく聴くときれいな曲だが、瞬発力がない」。
はじめて耳にしたときに絶大なインパクトを与え、脳裏から消えなくなる。……そういう音楽じゃない。
きれいだからBGMには適しているけど、主題歌に向かない。
メインに使う曲だけ、外部の作曲家に依頼するべきでは、と思う。とにかく瞬発力のある、1回聴くだけでよそ見していたのを振り向かせるような、求心力のあるタイプの音楽に。
選ぶ作曲家のタイプに、その演出家の作風が表れてるよなああ。
太田せんせの音楽は、長谷川氏の音楽ほどタルくないし、そこそこ重厚だと思う。
派手なのではなくて、奥行きがある。だから1本立てコスプレ作品の音楽としてそぐわないほど地味で単調ってわけじゃない。音楽が主張しすぎてドラマの邪魔をする、ということがない。さらっとしていて重みや澱みはない。
何十時間もある原作を2時間半(フィナーレ・大階段パレード込み)にまとめた『太王四神記』も大概だが、本編だけで10巻まである原作を2時間半(フィナーレ・大階段パレード込み)にまとめた『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』も、大概だ。
その詰め込み方が。
や、『銀英伝』は実質2巻までだけど。
説明することが多すぎて、出来事を追うだけで精一杯で、ドラマ部分が弱いのはお約束。
『銀英伝』みたいに複数視点で、かつ「後世の歴史家」視点っつーか、どこかに肩入れするでない突き放した感のある物語を切り取って「ドラマ化」するのって、実はイケコ苦手分野じゃあ?と、思う。
まとめる力、演出する力は、イケコを超える人はそうそうナイと思うけど。
だからただ「長いモノをまとめました! キリッ!」というデキになり、感情として盛り上がるところがナイっちゅーか。
出来事が多くてどったんばったんしているから、なんか盛り上がったキモチになるけど、ほんとのとこ、心揺さぶられるモノはないっちゅーか。
盛り上がらないなあ、と思うのは、視点のあるなしかな。
作品に作者自身の視点っちゅーか思い入れを強く置き、「俺はこう思う!」「この台詞を言わせたいがためだけに、この芝居1本書いたんだっ」という、本人の創作意欲、表現意志。そーゆーのがあってモノ作りをしている……わけじゃないもんなあ、イケコの作風。
引いたところで作劇しているから、複数視点の歴史物を演出すると、まとまってはいるけど、地味で精神的な盛り上がりと深みのないモノになる。
とはいえ、今回の作品が盛り上がらないのはイケコの責任だけじゃないよなあ。
原作からして、もっとも盛り上がる場面をクライマックスに出来ないところに、「タカラヅカ」の限界を感じた。
いちばん盛り上がる、盛り上げてしかるべきなのは、キルヒアイス@まぁくんの死だ。
そこを盛り上げることが出来ず、上がったテンションをわざとぶち切る、冷水ぶっかけて「ここで盛り上がっちゃダメ、ここクライマックスじゃないから、誤解しないで!」とやる……やらなければならなかった、ことに、原作ファンとしても、タカラヅカファンとしても、盛大に落胆した。
エンタメなんてラスト命、クライマックス命。
それまでどんだけ盛り上がらず、ぐだぐだになっていても、ラスト10分盛り上げて、観客高揚させて泣かせちゃえば、過去は帳消し、「いいもん見たー!」なキモチになるっちゅーに。
クライマックス否定で盛り上げろ、と言われても……無理な相談だよなああ。
てことで、ますます「長大な原作を、各種関係者の顔を立てながら短くまとめました」的な作品になっている。
そのまとめる手腕が老練でそつがないため、ちゃんと楽しいモノになってはいる。
キャストはとにかく美しいし。
それでなんか、大作を見たなー、という気分で劇場を出るんだけど。
「すごいことはよくわかった。……で、これ、面白いの?」
と、『太王四神記』初日と同じ感想を持った。
ああデジャヴ。わたしこれ、3年半前にも同じこと言った。
「オープニングとか、残念すぎ。サイトーくん演出で見たかった」
『エル・アルコン』の夢よもう一度。
今のサイトーくんにそんな力があるのかどうかわかんないけど。
それでも複数回観たいと思わせる力のある、大作だと思う。
と、コレを書いている時点で「毎週『銀英伝』、週に一度は『銀英伝』」状態で、ムラへ通うことになってるわたしです(笑)。
美しさとか巧さとか。@銀河英雄伝説@TAKARAZUKA
2012年9月3日 タカラヅカ 『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』観劇時の、最大目的。
ヴィジュアルを、堪能しよう。
タカラヅカでしかありえない、美しさ。豪華さ。
それを楽しむ。
ってことで、とにもかくにも。
ロイエンタール@ちーちゃんが美しい。
ちょっと、もお。
どーしたこったい。
や、もともと好きですよ。好みの顔ですよ、まっつファンに聞いてください、ほとんどの人はちーちゃんの顔を好きだと答えるでしょう。わたしの知りうるまっつスキーたちは、もれなくちーちゃんスキーですから。
自分と自分の知りうる範囲が全世界の常識だとは思いませんが、ひとつの指標ではあります。
蓮水さんは、好みの顔。
わたしの好みである、というだけで、どれくらい一般的美意識で美しいのかは、わかりません。
美形だとは思っているけど、それにしては舞台でそれをうまく使えていない。……という印象。
一時期、どうにもキモチ悪かったしなあ(笑)。
いろんなバランスの問題で、美しいんだかキモチ悪いんだか、微妙なとこにいた。や、わたし的に。2008年あたりですか。
そのあとまた、カッコイイ、やっぱ好みだと持ち直して行った。
すべて、『殉情』が悪いんですけどね。イシダが悪い。マッカーサーはかっこよかったのにさっ。
カッコイイ、美しいはずなのに。
芸風的にシリアスに落ち着いてくれないというか、よそ見しがちなキャラクタなのがいかんのかなあと、勝手にじれったく思っておりました。
それが。
今、正しい美貌の使い道に出会った。
そう。
ちーちゃんはコレよ、コレなのよ!!
雹(ヒョウ)が萌えキャラだったよーに、アニメ系クールビューティがハマるのよ~~!
や、とにかくロイ様が美しいです。
出番はいろいろあるけど見せ場はろくにない、そんなにぎやかしキャラなんだけど、いるだけで、美しい。
いやあ、彼の物語を、その最期まで、ちーちゃんのビジュアルで見届けたいっすよ。
なにがどうじゃなくても、ロイ様見てるだけでゴージャスな気分になれる。うおお、タカラヅカだぜえ、と思う。
このレベルの美形が、メインキャラじゃなくその周囲で踊ってるのよ? タカラヅカおそるべし! じゃないですか。
ミッターマイヤー@かいちゃんとの並びもきれい。
ミッちゃんは「でかいなあ」と、どーしても思ってしまう……双璧の身長差はねえ、こだわりポイントだからねえ(笑)。
でも彼の持つ温度がいいよね。ミッターマイヤーならではの、熱さと温かさ。
ラインハルト@かなめくんの幕僚のみなさんが、ほんと美形揃いで、ここまでくると笑える。
タカラヅカすげえ!
知ってるよ、知ってるけど。
『相棒』が美形揃いでドラマオープニングに乗って、ポリスマンダンス踊ってた、あのびっくり感というか。
りくくんが好みの美形っぷりなのは言うまでもないが、りんきらがきれいになっていて、驚いた。りんきら比で痩せてる!! 痩せればきれいなんだ、がんばれりんきら。
宙組は良くも悪くもガタイがいいので、そこまで痩身にならなくても見栄えを保つことは出来る。たしかに、りんきら向きの組かもしれない。
ユリアン@うららちゃんを見て、いろいろと頭を抱えた。
娘役としてなかなか成長しない彼女に、男役に転向してくれと、思っていた。
で、実際男役を演じる彼女を見て……見た目は期待通りの美少年なんだけど……。
やっぱ芝居、うまくない……。ぶっちゃけ、へ……ゲフンゲフン。
娘役として育てるなら、半端に男役をやらせるべきではないし、いっそ男役に転向させるなら、さっさとした方がいい。
素材はいいのに、なんとも中途半端なことに。
てゆーか何故、ユリアンを娘役がやっているのだろう?
ユリアンは子役というよりは、男役だ。
娘役スターとして育てる予定の子に経験させて、娘役スキルに活かせる役とはとても思えない。
娘役に役がないから、スポンサー付き新進スターを特別扱いするため、というその場しのぎの配役なら、「娘役」としてのうららちゃんにプラスになってない気がする。
彼女がすでに娘役としてのスキル万全なら、なんでもできる器用な子ならいいよ? 芝居がすごくうまくて、なにかと勘のいい子だから、男役もお茶の子さいさい、てなら。
でも、そうじゃないじゃん。不器用ちゃんなのに、貴重な時期に娘役として不要のことに努力させて、変な癖でも付いたらどーするんだ……。
いやその、初日はほんとひどくてなあ。1週間後に見たらぐんと良くなっていたので「おおっ」と思ったんだが、それなら余計にこの「伸びる」時期に、ナニをやらせてるんだと。
それにしても、ウメちゃんは芝居うまかったんだなあ。
「男役に転向して欲しい」と言われ続けた娘役の先輩として、思い出すよ。
娘役の彼女が、「子役」という言い訳付きで男役をやったのは研3のときか。
ふつーに「あの美少年は誰? しかもうまいし!」だったよなあ。マジでこのまま男役になって欲しいと思ったが、そんなことは起こらなかったよなあ。
ユリアンはいい役なので、もっと芝居の出来る子で見たかった……。
いやその、それでもうららちゃん、公演が進めばうまくなると思うんだけど……それを次以降の娘役に戻る公演に、100%活かせない、つーのがなあ。
こんなに美しい子なんだよ、劇団よ、うまく育ててくれえ。
うまいといえば、トリュー二ヒト@モンチ。
月組『ロミオとジュリエット』に続き、イケコ、脇は好きに配役してるなあ(笑)。
研4のゆうまくんに大公役をやらせたように、研6のモンチにトリュー二ヒトか。
ほんとにイケコ、歌ウマ好きだよなあ。
ゆうまくんは見た目がおっさんだからいいけど、見た目が少年のモンチはいろいろ大変。
メイクとかがんばってるけど、見た目だけだと新公の子がトリュー二ヒトやってるみたいだ。
それは彼の持つカルマ、仕方ない。
誰だって持って生まれたモノで勝負している。
見た目が大変だなあ、とは思うけれど、それでも、ハンデを吹っ飛ばす勢いで歌い、演技している彼をすごいと思う。
気持ちいいと思う。
宙組コーラスの素晴らしさと共に美声を響かせて、『銀英伝』中いちばんの嫌われ者トリュー二ヒトを、とことん演じきって欲しい。
輪郭濃く、きゅっと、きりっと。
ヴィジュアルを、堪能しよう。
タカラヅカでしかありえない、美しさ。豪華さ。
それを楽しむ。
ってことで、とにもかくにも。
ロイエンタール@ちーちゃんが美しい。
ちょっと、もお。
どーしたこったい。
や、もともと好きですよ。好みの顔ですよ、まっつファンに聞いてください、ほとんどの人はちーちゃんの顔を好きだと答えるでしょう。わたしの知りうるまっつスキーたちは、もれなくちーちゃんスキーですから。
自分と自分の知りうる範囲が全世界の常識だとは思いませんが、ひとつの指標ではあります。
蓮水さんは、好みの顔。
わたしの好みである、というだけで、どれくらい一般的美意識で美しいのかは、わかりません。
美形だとは思っているけど、それにしては舞台でそれをうまく使えていない。……という印象。
一時期、どうにもキモチ悪かったしなあ(笑)。
いろんなバランスの問題で、美しいんだかキモチ悪いんだか、微妙なとこにいた。や、わたし的に。2008年あたりですか。
そのあとまた、カッコイイ、やっぱ好みだと持ち直して行った。
すべて、『殉情』が悪いんですけどね。イシダが悪い。マッカーサーはかっこよかったのにさっ。
カッコイイ、美しいはずなのに。
芸風的にシリアスに落ち着いてくれないというか、よそ見しがちなキャラクタなのがいかんのかなあと、勝手にじれったく思っておりました。
それが。
今、正しい美貌の使い道に出会った。
そう。
ちーちゃんはコレよ、コレなのよ!!
雹(ヒョウ)が萌えキャラだったよーに、アニメ系クールビューティがハマるのよ~~!
や、とにかくロイ様が美しいです。
出番はいろいろあるけど見せ場はろくにない、そんなにぎやかしキャラなんだけど、いるだけで、美しい。
いやあ、彼の物語を、その最期まで、ちーちゃんのビジュアルで見届けたいっすよ。
なにがどうじゃなくても、ロイ様見てるだけでゴージャスな気分になれる。うおお、タカラヅカだぜえ、と思う。
このレベルの美形が、メインキャラじゃなくその周囲で踊ってるのよ? タカラヅカおそるべし! じゃないですか。
ミッターマイヤー@かいちゃんとの並びもきれい。
ミッちゃんは「でかいなあ」と、どーしても思ってしまう……双璧の身長差はねえ、こだわりポイントだからねえ(笑)。
でも彼の持つ温度がいいよね。ミッターマイヤーならではの、熱さと温かさ。
ラインハルト@かなめくんの幕僚のみなさんが、ほんと美形揃いで、ここまでくると笑える。
タカラヅカすげえ!
知ってるよ、知ってるけど。
『相棒』が美形揃いでドラマオープニングに乗って、ポリスマンダンス踊ってた、あのびっくり感というか。
りくくんが好みの美形っぷりなのは言うまでもないが、りんきらがきれいになっていて、驚いた。りんきら比で痩せてる!! 痩せればきれいなんだ、がんばれりんきら。
宙組は良くも悪くもガタイがいいので、そこまで痩身にならなくても見栄えを保つことは出来る。たしかに、りんきら向きの組かもしれない。
ユリアン@うららちゃんを見て、いろいろと頭を抱えた。
娘役としてなかなか成長しない彼女に、男役に転向してくれと、思っていた。
で、実際男役を演じる彼女を見て……見た目は期待通りの美少年なんだけど……。
やっぱ芝居、うまくない……。ぶっちゃけ、へ……ゲフンゲフン。
娘役として育てるなら、半端に男役をやらせるべきではないし、いっそ男役に転向させるなら、さっさとした方がいい。
素材はいいのに、なんとも中途半端なことに。
てゆーか何故、ユリアンを娘役がやっているのだろう?
ユリアンは子役というよりは、男役だ。
娘役スターとして育てる予定の子に経験させて、娘役スキルに活かせる役とはとても思えない。
娘役に役がないから、スポンサー付き新進スターを特別扱いするため、というその場しのぎの配役なら、「娘役」としてのうららちゃんにプラスになってない気がする。
彼女がすでに娘役としてのスキル万全なら、なんでもできる器用な子ならいいよ? 芝居がすごくうまくて、なにかと勘のいい子だから、男役もお茶の子さいさい、てなら。
でも、そうじゃないじゃん。不器用ちゃんなのに、貴重な時期に娘役として不要のことに努力させて、変な癖でも付いたらどーするんだ……。
いやその、初日はほんとひどくてなあ。1週間後に見たらぐんと良くなっていたので「おおっ」と思ったんだが、それなら余計にこの「伸びる」時期に、ナニをやらせてるんだと。
それにしても、ウメちゃんは芝居うまかったんだなあ。
「男役に転向して欲しい」と言われ続けた娘役の先輩として、思い出すよ。
娘役の彼女が、「子役」という言い訳付きで男役をやったのは研3のときか。
ふつーに「あの美少年は誰? しかもうまいし!」だったよなあ。マジでこのまま男役になって欲しいと思ったが、そんなことは起こらなかったよなあ。
ユリアンはいい役なので、もっと芝居の出来る子で見たかった……。
いやその、それでもうららちゃん、公演が進めばうまくなると思うんだけど……それを次以降の娘役に戻る公演に、100%活かせない、つーのがなあ。
こんなに美しい子なんだよ、劇団よ、うまく育ててくれえ。
うまいといえば、トリュー二ヒト@モンチ。
月組『ロミオとジュリエット』に続き、イケコ、脇は好きに配役してるなあ(笑)。
研4のゆうまくんに大公役をやらせたように、研6のモンチにトリュー二ヒトか。
ほんとにイケコ、歌ウマ好きだよなあ。
ゆうまくんは見た目がおっさんだからいいけど、見た目が少年のモンチはいろいろ大変。
メイクとかがんばってるけど、見た目だけだと新公の子がトリュー二ヒトやってるみたいだ。
それは彼の持つカルマ、仕方ない。
誰だって持って生まれたモノで勝負している。
見た目が大変だなあ、とは思うけれど、それでも、ハンデを吹っ飛ばす勢いで歌い、演技している彼をすごいと思う。
気持ちいいと思う。
宙組コーラスの素晴らしさと共に美声を響かせて、『銀英伝』中いちばんの嫌われ者トリュー二ヒトを、とことん演じきって欲しい。
輪郭濃く、きゅっと、きりっと。
華やかに開幕。@銀河英雄伝説@TAKARAZUKA
2012年9月2日 タカラヅカ てことで、とにもかくにも、『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』初日観劇。
かなめくん、みりおん、トップお披露目おめでとう!!
そして、新制宙組。
かなめ、みりおん、ともちん、ヲヅキ、まぁくん、って、ナニ組観てんのか混乱する画面多々あれど、華やかに幕開いたのは喜ばしい限りです。
いやあ、宙組長身男役たちがこれでもかと華麗に登場、それだけで楽しい、わくわくする!
かなめ姫がマジ二次元……「タカラヅカ」の本領発揮ぶりに、胸が熱いです。
外見はともかく、キャラクタが原作のイメージ通りかというと、それはちょっとわたし的には違うんだけど、それはそれでよし。
てゆーこのおハルさん、ヒロイン度高すぎない?(笑)
ナチュラルにヒロインしていて、「あれ、こんな話、こんなキャラだっけな?」と思うことしばしば。
まあタカラヅカだし、かなめ様だし、いいのか。
オーベルシュタイン@ともちんに、吹いた。
いやもお、あちこちで。
『銀英伝』で贔屓を含めた妄想配役をするとキャラ的にオベ様になってしまうのだが(個人的見解)、幕が上がるなり銀橋に登場してえんえんナレーションをするオベ様に、贔屓の姿が重なって笑いツボ入っちゃったよ、イケコ……!
もしも贔屓のいる組で『銀英伝』やってたら、ナレーション役がまちがいなく完璧に回ってくるさ……!!
しかも、かたや劇団最大の男役スター、かたや劇団最小の男役スター……なのに、芸風や立ち位置のかぶりっぷりにウケる。(最小、てのは、真ん中付近にいる人で、の意味ね)
ともちんすきだよともちん!!
我ながら好みがブレない、体格関係ナシに、好きなキャラはかぶっている……(笑)。
ともちんはますますキャラクタを確立してきたなと。
下級生時代の彼は、大きな身体に芸風が合ってなくて、もてあましていた印象。まああのころはたか花政権、組子たちは全員「動く大道具」状態だったわけで、舞台人スキルを磨くどころじゃなかったんだけど。
タニちゃん時代になって、キャラ的に似合わないなりに、色悪路線を開拓して、やり続けるうちに、味が出てきて。
ほんとのところ、ともちんは「悪役」の人ではないのだと思う。
彼はホット過ぎる。持ち味のおおらかさ、やさしさがにじみ出る。
だけど、そんな彼が立役を、色悪をやり続けることによって、なんとも言えない、独特の魅力を持つキャラクタになった。
アニメ的な色気っていうかな。
あり得ない、デフォルメされたような、つまりその分派手な、色気。
役や作品によっては場違い過ぎたり、空気クラッシャーな存在になってしまうが、昨今の宙組カラーならば、問題なし!
今回もSF作品、次回はゲーム原作、アニメ系ど真ん中!
つくづくともちんは、宙組が生んだスターだと思う。
彼の芸風は、宙組という土壌あってこそ培われたモノだ。
ビジュアル組、アニメ組ならではの、強み。それこそ、エッジワースだーの氷(アイス)だーのがハマるアニメキャラ。
今回のオーベルシュタインも、なんともデフォルメされた美形キャラ。
原作ともアニメ版ともチガウ、タカラヅカならではの、宙組のともちんならではのキャラだ。
てゆーかオベ様素敵過ぎる~~(笑)。←笑うのか。
油断して眺めている舞台で、誰をオペラで追うか、で、自分の真意が知れたりする。
なんかわたし、とってもヲヅキさんを見ていました。
そうかわたし、ヲヅキさん好きか……。
や、知ってたけど。
組が変わっても、やっぱりそうなんだ。と、納得したり。
もちろん、ヤン・ウェンリー役だってことも、大きい。
ああ、ヤンが大好きだとも! ヤンコップだったからなわたしゃ!(こらこら) ……素朴な疑問、今もこーゆー言い方してるの? 大昔はそうだっけど。間に×記号を入れるなら、もちろん右がヤンですが。さすがに、逆は嫌だ……(笑)。
演目が発表になったとき、ヤン@ヲヅキ希望だったわたしです、ヲヅキさんのヤンはとても好みでした。
ああ、うん、これもヤンだよね、原作から抽出した、ひとつのヤンの姿だよね、と思った。
演出的に驚く部分はあっても、ヲヅキさんの作るヤンには違和感なし。
つくづくヲヅキは不思議な役者だなと思う。
彼の持つあたたかさと、ゆるさは、独特だ。
狙って出来るものでもない、ナチュラルボーンの魅力だよなあ。
ヲヅキはヲヅキに生まれた。
もうそれだけで、愛しい(笑)。
ヤンとしての髪型が好き。
自然な前髪が額に落ちているヲヅキ、って、見たことあったけ……?? てなときめき(笑)。
ほとんどベレー帽で隠しているのがおしい。
イケコ、ヲヅキに帽子取る演出・場面増やして、お願い。
そして、さらっと前髪の反動なのか。
フィナーレのウルトラマン・リーゼントは、あれでいいのか?
初日はヲヅキファンのチェリさんと一緒だったんだが、共にフィナーレで「ヲヅキ……」と肩を落としたぞ?(笑)
ヲヅキさんは毎度、髪型・ヅラのセンスがなー。そりゃもう致命的にいろいろやらかしてくれるよなー。
愛しいわー(笑)。
キルヒアイス@まぁくんは、きゃあ、まぁくんだ!!な気持ち。
ねえねえ、まぁくんってやっぱ、どこ行っても揺るがなくまぁくんだね!
宙組だからどう、とか、キルヒーだからどう、とかじゃない。
いやあ、まぁくんだわー。
まぁくんに必要なのは前髪! と、つねづね思ってきたので、ヅラなキルヒアイスがいいです。さわやかにイケメン。無理に大人とか無理に黒くすることなく、等身大のまぁくんで勝負できる。
まぁくんの持つまっすぐな魅力を解放し、さらに磨けばいいんだ! がんばれ花組御曹司。
ヒルダ@みりおん、かわい~~。
原作では出番のないヒルダを、どう料理するのかと思ったら、なんか少女マンガど真ん中で、見ていて照れました(笑)。
歌えるっていいなあ。背伸びのない、素直な歌声が心地いい。
ヒルダがあんなキャラなのかは原作スキーとしては首をかしげるところですが、タカラヅカのヒロインなんだからOKっしょ。
しどころのないキャラなんだけど、初々しくてなあ。
露出の少ないキャラでもあるし、トップ娘役としてもここから少しずつ花開いていくんだろう。
かなめくんとのコンビとしても、これからに期待ですわ。
かなめくん、みりおん、トップお披露目おめでとう!!
そして、新制宙組。
かなめ、みりおん、ともちん、ヲヅキ、まぁくん、って、ナニ組観てんのか混乱する画面多々あれど、華やかに幕開いたのは喜ばしい限りです。
いやあ、宙組長身男役たちがこれでもかと華麗に登場、それだけで楽しい、わくわくする!
かなめ姫がマジ二次元……「タカラヅカ」の本領発揮ぶりに、胸が熱いです。
外見はともかく、キャラクタが原作のイメージ通りかというと、それはちょっとわたし的には違うんだけど、それはそれでよし。
てゆーこのおハルさん、ヒロイン度高すぎない?(笑)
ナチュラルにヒロインしていて、「あれ、こんな話、こんなキャラだっけな?」と思うことしばしば。
まあタカラヅカだし、かなめ様だし、いいのか。
オーベルシュタイン@ともちんに、吹いた。
いやもお、あちこちで。
『銀英伝』で贔屓を含めた妄想配役をするとキャラ的にオベ様になってしまうのだが(個人的見解)、幕が上がるなり銀橋に登場してえんえんナレーションをするオベ様に、贔屓の姿が重なって笑いツボ入っちゃったよ、イケコ……!
もしも贔屓のいる組で『銀英伝』やってたら、ナレーション役がまちがいなく完璧に回ってくるさ……!!
しかも、かたや劇団最大の男役スター、かたや劇団最小の男役スター……なのに、芸風や立ち位置のかぶりっぷりにウケる。(最小、てのは、真ん中付近にいる人で、の意味ね)
ともちんすきだよともちん!!
我ながら好みがブレない、体格関係ナシに、好きなキャラはかぶっている……(笑)。
ともちんはますますキャラクタを確立してきたなと。
下級生時代の彼は、大きな身体に芸風が合ってなくて、もてあましていた印象。まああのころはたか花政権、組子たちは全員「動く大道具」状態だったわけで、舞台人スキルを磨くどころじゃなかったんだけど。
タニちゃん時代になって、キャラ的に似合わないなりに、色悪路線を開拓して、やり続けるうちに、味が出てきて。
ほんとのところ、ともちんは「悪役」の人ではないのだと思う。
彼はホット過ぎる。持ち味のおおらかさ、やさしさがにじみ出る。
だけど、そんな彼が立役を、色悪をやり続けることによって、なんとも言えない、独特の魅力を持つキャラクタになった。
アニメ的な色気っていうかな。
あり得ない、デフォルメされたような、つまりその分派手な、色気。
役や作品によっては場違い過ぎたり、空気クラッシャーな存在になってしまうが、昨今の宙組カラーならば、問題なし!
今回もSF作品、次回はゲーム原作、アニメ系ど真ん中!
つくづくともちんは、宙組が生んだスターだと思う。
彼の芸風は、宙組という土壌あってこそ培われたモノだ。
ビジュアル組、アニメ組ならではの、強み。それこそ、エッジワースだーの氷(アイス)だーのがハマるアニメキャラ。
今回のオーベルシュタインも、なんともデフォルメされた美形キャラ。
原作ともアニメ版ともチガウ、タカラヅカならではの、宙組のともちんならではのキャラだ。
てゆーかオベ様素敵過ぎる~~(笑)。←笑うのか。
油断して眺めている舞台で、誰をオペラで追うか、で、自分の真意が知れたりする。
なんかわたし、とってもヲヅキさんを見ていました。
そうかわたし、ヲヅキさん好きか……。
や、知ってたけど。
組が変わっても、やっぱりそうなんだ。と、納得したり。
もちろん、ヤン・ウェンリー役だってことも、大きい。
ああ、ヤンが大好きだとも! ヤンコップだったからなわたしゃ!(こらこら) ……素朴な疑問、今もこーゆー言い方してるの? 大昔はそうだっけど。間に×記号を入れるなら、もちろん右がヤンですが。さすがに、逆は嫌だ……(笑)。
演目が発表になったとき、ヤン@ヲヅキ希望だったわたしです、ヲヅキさんのヤンはとても好みでした。
ああ、うん、これもヤンだよね、原作から抽出した、ひとつのヤンの姿だよね、と思った。
演出的に驚く部分はあっても、ヲヅキさんの作るヤンには違和感なし。
つくづくヲヅキは不思議な役者だなと思う。
彼の持つあたたかさと、ゆるさは、独特だ。
狙って出来るものでもない、ナチュラルボーンの魅力だよなあ。
ヲヅキはヲヅキに生まれた。
もうそれだけで、愛しい(笑)。
ヤンとしての髪型が好き。
自然な前髪が額に落ちているヲヅキ、って、見たことあったけ……?? てなときめき(笑)。
ほとんどベレー帽で隠しているのがおしい。
イケコ、ヲヅキに帽子取る演出・場面増やして、お願い。
そして、さらっと前髪の反動なのか。
フィナーレのウルトラマン・リーゼントは、あれでいいのか?
初日はヲヅキファンのチェリさんと一緒だったんだが、共にフィナーレで「ヲヅキ……」と肩を落としたぞ?(笑)
ヲヅキさんは毎度、髪型・ヅラのセンスがなー。そりゃもう致命的にいろいろやらかしてくれるよなー。
愛しいわー(笑)。
キルヒアイス@まぁくんは、きゃあ、まぁくんだ!!な気持ち。
ねえねえ、まぁくんってやっぱ、どこ行っても揺るがなくまぁくんだね!
宙組だからどう、とか、キルヒーだからどう、とかじゃない。
いやあ、まぁくんだわー。
まぁくんに必要なのは前髪! と、つねづね思ってきたので、ヅラなキルヒアイスがいいです。さわやかにイケメン。無理に大人とか無理に黒くすることなく、等身大のまぁくんで勝負できる。
まぁくんの持つまっすぐな魅力を解放し、さらに磨けばいいんだ! がんばれ花組御曹司。
ヒルダ@みりおん、かわい~~。
原作では出番のないヒルダを、どう料理するのかと思ったら、なんか少女マンガど真ん中で、見ていて照れました(笑)。
歌えるっていいなあ。背伸びのない、素直な歌声が心地いい。
ヒルダがあんなキャラなのかは原作スキーとしては首をかしげるところですが、タカラヅカのヒロインなんだからOKっしょ。
しどころのないキャラなんだけど、初々しくてなあ。
露出の少ないキャラでもあるし、トップ娘役としてもここから少しずつ花開いていくんだろう。
かなめくんとのコンビとしても、これからに期待ですわ。
『銀英伝』という青春語り。
2012年9月1日 タカラヅカ 『銀河英雄伝説』は、青春だった。
まだ若かったわたしと当時の親友は、あきもせずに会うたび『銀英伝』の話をしていた。
本が好きで、長編小説は特に好きだった。
その前はえんえん『グイン・サーガ』の話をしていたっけな。『銀英伝』も『グイン』と同じように、わたしと友人たちのブームになった。
若くて、お金がなくて。
毎週末会って出かける先が、梅田の大型書店だったり、複合施設の中にある図書館だったり。
自分たちの住む市の図書館では満足できず、わざわざ隣の市の中央図書館まで電車に乗って通ったり。
自転車に乗って、近隣の古本屋(ブックオフ等の大型店は存在しない)を何軒も回ったり。
とにかく「本」が好きだった。
素晴らしい本と出会ったら、まず親友に報告し、同じ本を読んで、感動を分かち合う。それが通常だった。
わたしは学校の図書室の常連で、卒業前には表彰されたな、「図書室利用数最多生徒のひとり」って。
や、びんぼーで本が買えず、学校で借りて読む、のが日課だったんだな。
司書の先生たちに気に入られ、サロン的な感じで毎日溜まってた、つーか。
親友は学校が別だったけど、彼女も自分の学校でそんな感じになってたらしいから、本好き少女はどこでも似たよーなことになるみたい。
まあそんな日々で、『銀英伝』は実にいい題材だった。
長いし文字びっしりだから、読み甲斐があるし。
読み込むことでいろんな発見はあるし、たんにキャラに萌えていられたし。
『グイン』がそうであったように、「次の発売日」を楽しみに、展開を予想したりなんだりできて、とても楽しかった。
また、作者の田中芳樹という人が、謎の人で。
『銀英伝』にはあとがきがない。
作者の言葉を読めない。
現代のように、著名人はすべからくブログその他をやって自身の言葉を世界へ発信していたりしない。
『銀英伝』以外書いてないし、どんな人なのかさっぱりわからない。
栗本薫の饒舌さに、最初は喜んでいたけどだんだん失望するようになっていたこともあり、田中芳樹のストイックさを快く思ってもいた。
田中芳樹と富野由悠季が対談する、ちゅーんで、ワクテカ『アニメージュ』だっけかを買ったような?
謎のベール(笑)に包まれた、田中芳樹の言葉が読める!てな。
そしたら、何ページにもわたる対談記事で、喋りまくっているのは富野氏ばかりで、田中氏はその相づち程度しか喋っていなかったというオチ。
ますますわからん、田中氏の人となり。
そんなときに。
親友と電車に乗ってわざわざ行った某図書館。
そこに行けば、『SFアドベンチャー』という雑誌のバックナンバーが読める。
『SFマガジン』も『SFアドベンチャー』も、びんぼーなわたしたちには手が出ない、高価な雑誌だった(笑)。
そこで、田中芳樹のエッセイを見つけた。
見開き2ページだったかな。3段組とかでびっしりと。
はじめて読む、田中芳樹の「小説」以外の文章だ。
…………すごかった。
わたしと親友は、言葉を失った。
えーと。
たぶん、今と違って、いろいろ自由な時代だったんだと思う。
現代に、あの文章を載せる雑誌はないんじゃないかな。
エッセイのはじまりは、礼儀正しく理性的。
でも最初の挨拶文が終わると、「これから暴言を吐くので、嫌な人は読まないように」という意味の注意書きがあった。
わたしと親友は「?」と首をかしげつつ、先を読んだ。
ほんっとーに、暴言だった。
すごかった。
無礼な読者から、酷い手紙をもらったのだという。
そのことに対する怒り、内容への反論、揚げ足取りだった。
その無礼な読者ってのも、確かに大概なもんだと思うが、それに対し、作家が雑誌という公共の場で、一個人(複数相手だったけど)に対し反論……ちゅーか、攻撃するのを、はじめて見た。
匿名なので本人に返事を出しようがなかったんだろうけど、それにしても、雑誌で2ページかけてやることなのかと。
わたしも親友もびっくりして、読み終わっても無口だった。
どう反応していいか、わかんない……。
わたしら、『銀英伝』ファンの、無邪気な女の子たちだったんだよー。
んで、とりあえずわたしは、「鼎談」という言葉をおぼえた。
物知らずなガキだったので、そんな言葉は知らずに生きていた。
無礼な読者が、3人での座談会のことを「対談」と記していたことに対し、「3人のときは鼎談って言うんだよ、バーカ、低脳、その程度の奴がナニ上から意見してんだよ」てな感じ(あくまでも、イメージ)に田中氏が罵っていたんだな。
「鼎談」という言葉を知らないと、こうまで罵られるんだ!と、肝に銘じたんだ(笑)。
結局、わたしと親友の意見は一致した。
「見なかったことにしよう」
ぱたんと雑誌を閉じて、書架へ戻す。
作者と友だちになるわけじゃなし、どんな人でも作品さえ良ければいいんだよ。
田中芳樹の小説は面白いんだから、それでいいじゃん。
てことで、1回読んだだけのエッセイなので、あくまでも記憶、イメージだけです。
真実がどうかは、もう時の彼方。
とはいえ。
そっから先は、田中氏へのイメージが変わった。
すなわち。
田中芳樹、こわい!!
作品は面白いし、好きだから読むけど、本人にはできるだけ近づかないでおこう。
エッセイとかインタビューとか、2度と手に取らない。
あのエッセイを読んでから、小説内にストーリーに関係なく唐突に挿入される「無礼な人」「非常識な人」のエピソード(『創竜伝』とか、現代物の小説に特に多かった)は、作者の実体験なんだろうなあと思うようになった。
エッセイで攻撃しないかわりに、小説内に登場させるんだ、と。ぶるぶる。
クリエイターなんて、個性的でナンボだし、別にいいと思う。
思うけど、わたしは苦手だなあ。こわいなあ。
年を取るにしたがい、趣味嗜好も変わる、待っても待っても続きは出ないし、たまに出る別の本は面白くないし……と、いつの間にか田中芳樹の小説を読まなくなっていた。
大好きだった『銀英伝』も、なまじ大好きだっただけに布教に忙しく、いろんな子に貸しているウチに、戻って来なくなった。
ほとんどが初版帯付きだったんだがなあ、徳間ノベルズ。
後年、田中芳樹せんせーを知る人から「すっごくいい人だよ! あんなにいい人で大丈夫なのか、心配になるくらい」てな話を聞いた。
あのエッセイの記憶がトラウマなわたしは、半信半疑(笑)。そうなのかなあ、でもいい人だったら、あんな文章書くかなあ。
同じ攻撃文でも、巨大な権力とか企業とかに対してなら小説のイメージ的にもアリだったけど、市井の人、自分の読者に向かって誌上攻撃は、大人げなさ過ぎる。
それでもやっぱり、あれだけ大好きな小説の作者。
わたしにとっては、青春の1ページ、時代の象徴。あこがれの人。
あれから何年経つのか。
『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』初日。
張り切って駆けつけたわたしと友人のチェリさん(ヲヅキファン)は、示し合わせたわけでもないのに、SS席で互いが見えるくらいの席。や、気合い入ってるよね、わたしたち(笑)。
チェリさんが「作者の人、来てる? 私は顔知らないけど、劇団の人に案内された男性がいたよ」と教えてくれた。
そうなの? と、意識して眺めれば、確かにいた。席、近かった。
あ、田中芳樹だ。って、シンプルに思った。
つまり、顔、おぼえてるし。
そのことに、おどろいた(笑)。
本人には近づくまい、と小説以外目にしなくなり、それすら遙か昔のことなのに。
それでもバイブルだった徳間ノベルズに載っていた写真は、いやっちゅーほど眺めていたもの。
公演の初日挨拶時、舞台上から紹介された田中氏は場内の拍手に応え、何度も何度も頭を下げていた。
終演後、席を立って歩く人々の群れの中でも、握手を求められたりカメラを向けられたり、大変そうなんだが、彼はいちいち律儀に礼を尽くしていた。
いい人そう。
以前人から聞いた通り。すごくいい人なのかもなー。
文章内でだけ、人格変わるのかもしれない。つか、当時の彼は、成功したばかりの若者だった、ってことなのかもしれないし。小娘のわたしからは「大人」と見えていただけで。
ノベルズの写真といちばんチガウのは、ズバリ髪の毛だった……そうか、それだけ時が流れたんだ。
少女時代のわたしなら、人混みをかき分けて彼のところへ行き、握手を求めるなりしたのかなあと、微妙な距離から握手責めにあっているかの人を眺めた。
それでも『銀英伝』が好き。
出会えて良かった。
今も、また。
まだ若かったわたしと当時の親友は、あきもせずに会うたび『銀英伝』の話をしていた。
本が好きで、長編小説は特に好きだった。
その前はえんえん『グイン・サーガ』の話をしていたっけな。『銀英伝』も『グイン』と同じように、わたしと友人たちのブームになった。
若くて、お金がなくて。
毎週末会って出かける先が、梅田の大型書店だったり、複合施設の中にある図書館だったり。
自分たちの住む市の図書館では満足できず、わざわざ隣の市の中央図書館まで電車に乗って通ったり。
自転車に乗って、近隣の古本屋(ブックオフ等の大型店は存在しない)を何軒も回ったり。
とにかく「本」が好きだった。
素晴らしい本と出会ったら、まず親友に報告し、同じ本を読んで、感動を分かち合う。それが通常だった。
わたしは学校の図書室の常連で、卒業前には表彰されたな、「図書室利用数最多生徒のひとり」って。
や、びんぼーで本が買えず、学校で借りて読む、のが日課だったんだな。
司書の先生たちに気に入られ、サロン的な感じで毎日溜まってた、つーか。
親友は学校が別だったけど、彼女も自分の学校でそんな感じになってたらしいから、本好き少女はどこでも似たよーなことになるみたい。
まあそんな日々で、『銀英伝』は実にいい題材だった。
長いし文字びっしりだから、読み甲斐があるし。
読み込むことでいろんな発見はあるし、たんにキャラに萌えていられたし。
『グイン』がそうであったように、「次の発売日」を楽しみに、展開を予想したりなんだりできて、とても楽しかった。
また、作者の田中芳樹という人が、謎の人で。
『銀英伝』にはあとがきがない。
作者の言葉を読めない。
現代のように、著名人はすべからくブログその他をやって自身の言葉を世界へ発信していたりしない。
『銀英伝』以外書いてないし、どんな人なのかさっぱりわからない。
栗本薫の饒舌さに、最初は喜んでいたけどだんだん失望するようになっていたこともあり、田中芳樹のストイックさを快く思ってもいた。
田中芳樹と富野由悠季が対談する、ちゅーんで、ワクテカ『アニメージュ』だっけかを買ったような?
謎のベール(笑)に包まれた、田中芳樹の言葉が読める!てな。
そしたら、何ページにもわたる対談記事で、喋りまくっているのは富野氏ばかりで、田中氏はその相づち程度しか喋っていなかったというオチ。
ますますわからん、田中氏の人となり。
そんなときに。
親友と電車に乗ってわざわざ行った某図書館。
そこに行けば、『SFアドベンチャー』という雑誌のバックナンバーが読める。
『SFマガジン』も『SFアドベンチャー』も、びんぼーなわたしたちには手が出ない、高価な雑誌だった(笑)。
そこで、田中芳樹のエッセイを見つけた。
見開き2ページだったかな。3段組とかでびっしりと。
はじめて読む、田中芳樹の「小説」以外の文章だ。
…………すごかった。
わたしと親友は、言葉を失った。
えーと。
たぶん、今と違って、いろいろ自由な時代だったんだと思う。
現代に、あの文章を載せる雑誌はないんじゃないかな。
エッセイのはじまりは、礼儀正しく理性的。
でも最初の挨拶文が終わると、「これから暴言を吐くので、嫌な人は読まないように」という意味の注意書きがあった。
わたしと親友は「?」と首をかしげつつ、先を読んだ。
ほんっとーに、暴言だった。
すごかった。
無礼な読者から、酷い手紙をもらったのだという。
そのことに対する怒り、内容への反論、揚げ足取りだった。
その無礼な読者ってのも、確かに大概なもんだと思うが、それに対し、作家が雑誌という公共の場で、一個人(複数相手だったけど)に対し反論……ちゅーか、攻撃するのを、はじめて見た。
匿名なので本人に返事を出しようがなかったんだろうけど、それにしても、雑誌で2ページかけてやることなのかと。
わたしも親友もびっくりして、読み終わっても無口だった。
どう反応していいか、わかんない……。
わたしら、『銀英伝』ファンの、無邪気な女の子たちだったんだよー。
んで、とりあえずわたしは、「鼎談」という言葉をおぼえた。
物知らずなガキだったので、そんな言葉は知らずに生きていた。
無礼な読者が、3人での座談会のことを「対談」と記していたことに対し、「3人のときは鼎談って言うんだよ、バーカ、低脳、その程度の奴がナニ上から意見してんだよ」てな感じ(あくまでも、イメージ)に田中氏が罵っていたんだな。
「鼎談」という言葉を知らないと、こうまで罵られるんだ!と、肝に銘じたんだ(笑)。
結局、わたしと親友の意見は一致した。
「見なかったことにしよう」
ぱたんと雑誌を閉じて、書架へ戻す。
作者と友だちになるわけじゃなし、どんな人でも作品さえ良ければいいんだよ。
田中芳樹の小説は面白いんだから、それでいいじゃん。
てことで、1回読んだだけのエッセイなので、あくまでも記憶、イメージだけです。
真実がどうかは、もう時の彼方。
とはいえ。
そっから先は、田中氏へのイメージが変わった。
すなわち。
田中芳樹、こわい!!
作品は面白いし、好きだから読むけど、本人にはできるだけ近づかないでおこう。
エッセイとかインタビューとか、2度と手に取らない。
あのエッセイを読んでから、小説内にストーリーに関係なく唐突に挿入される「無礼な人」「非常識な人」のエピソード(『創竜伝』とか、現代物の小説に特に多かった)は、作者の実体験なんだろうなあと思うようになった。
エッセイで攻撃しないかわりに、小説内に登場させるんだ、と。ぶるぶる。
クリエイターなんて、個性的でナンボだし、別にいいと思う。
思うけど、わたしは苦手だなあ。こわいなあ。
年を取るにしたがい、趣味嗜好も変わる、待っても待っても続きは出ないし、たまに出る別の本は面白くないし……と、いつの間にか田中芳樹の小説を読まなくなっていた。
大好きだった『銀英伝』も、なまじ大好きだっただけに布教に忙しく、いろんな子に貸しているウチに、戻って来なくなった。
ほとんどが初版帯付きだったんだがなあ、徳間ノベルズ。
後年、田中芳樹せんせーを知る人から「すっごくいい人だよ! あんなにいい人で大丈夫なのか、心配になるくらい」てな話を聞いた。
あのエッセイの記憶がトラウマなわたしは、半信半疑(笑)。そうなのかなあ、でもいい人だったら、あんな文章書くかなあ。
同じ攻撃文でも、巨大な権力とか企業とかに対してなら小説のイメージ的にもアリだったけど、市井の人、自分の読者に向かって誌上攻撃は、大人げなさ過ぎる。
それでもやっぱり、あれだけ大好きな小説の作者。
わたしにとっては、青春の1ページ、時代の象徴。あこがれの人。
あれから何年経つのか。
『銀河英雄伝説@TAKARAZUKA』初日。
張り切って駆けつけたわたしと友人のチェリさん(ヲヅキファン)は、示し合わせたわけでもないのに、SS席で互いが見えるくらいの席。や、気合い入ってるよね、わたしたち(笑)。
チェリさんが「作者の人、来てる? 私は顔知らないけど、劇団の人に案内された男性がいたよ」と教えてくれた。
そうなの? と、意識して眺めれば、確かにいた。席、近かった。
あ、田中芳樹だ。って、シンプルに思った。
つまり、顔、おぼえてるし。
そのことに、おどろいた(笑)。
本人には近づくまい、と小説以外目にしなくなり、それすら遙か昔のことなのに。
それでもバイブルだった徳間ノベルズに載っていた写真は、いやっちゅーほど眺めていたもの。
公演の初日挨拶時、舞台上から紹介された田中氏は場内の拍手に応え、何度も何度も頭を下げていた。
終演後、席を立って歩く人々の群れの中でも、握手を求められたりカメラを向けられたり、大変そうなんだが、彼はいちいち律儀に礼を尽くしていた。
いい人そう。
以前人から聞いた通り。すごくいい人なのかもなー。
文章内でだけ、人格変わるのかもしれない。つか、当時の彼は、成功したばかりの若者だった、ってことなのかもしれないし。小娘のわたしからは「大人」と見えていただけで。
ノベルズの写真といちばんチガウのは、ズバリ髪の毛だった……そうか、それだけ時が流れたんだ。
少女時代のわたしなら、人混みをかき分けて彼のところへ行き、握手を求めるなりしたのかなあと、微妙な距離から握手責めにあっているかの人を眺めた。
それでも『銀英伝』が好き。
出会えて良かった。
今も、また。
終わりのはじまり。@雪組集合日
2012年8月31日 タカラヅカ 雪組集合日。
杏奈ちゃんと、ハウル……。
何故……。
リサリサがいなくなり、杏奈様までって、雪組美女姫連が……っ。
前公演時点だと、あゆっちが「大人のいい女ポジ」に就任するのか、となると杏奈様の芸風とかぶる面も出てくるのか?と思えたけれど、次期トップ発表でそうではないとわかったわけだし。せしるはまだ未知数だし。
美しいおねーさまポジとして、必要不可欠の杏奈様が、何故今……。
永遠のルーシーちゃん。
リサリサと杏奈ちゃん、雪組の美女双璧が相次いで卒業なんて。
そして、ハウル。
何故なんだハウル。
ありえないだろハウル。
いろんな意味で「妖精」にふさわしい君が何故。
てゆーか、大公様に続いて、ピーターまでいなくなるなんて、いやあああっ!!←思い入れありすぎるそうですよ。
見た目のイメージはピーター@『ロミジュリ』とかカルロス@『ZORRO 仮面のメサイア』新公とかなのに、本人的には鬼畜系なんぢゃ……ってキャラクタに、無限の夢を紡いでいるところだったんですが?!
あとひとり、集合日退団の空波くん。
『フットルース』梅芸でよーやく顔をおぼえたのに、博多座には出ていなかった。
腕立て伏せで、翼くんに次いできれいに、丁寧に腕立てしていたのが印象的。筋力ある子なんだなと思った。
あの楽しい素晴らしい舞台を休演することになるなんて、さぞや残念だろうなと思っていた。
そのまま、舞台にもファンにも顔を見せることなく去るのか。
休演の多さといい、彼女のこの数年間はなんだったんだろう。
10代の女の子を導く大人の責任、重要性をしみじみ感じる。
んで、集合日なので、配役も発表される。
…………役名、多っ。
スクロールしてもスクロールしても、下がある。
たとえ舞台上で呼ばれることがなくても、ただのモブと変わらない扱いでも、役名はある方がいい。生徒のモチベーションにもファン感情にも、二次創作好きのヲタの都合的にも(笑)、役名はある方がいい。
しかし……それも限度っちゅーか……上演時間が2時間半ある一本モノや、2時間以上取れる梅芸ではないんだ……ショーと2本立ての公演なんだ……。
不安しか、感じられない……(笑)。
頼むよサイトーくん。
キムみみ最後なんだよ、『TRAFALGAR』とかひどかったけど、ゆーひくんにはまだ「もっといい作品に出逢える!」と期待できる「未来」があったから、「これは、これ」と耐えられた。
でも、今回はそれがないんだよ? 正味、サイトーくんの責任なんだよ??
とりあえず。
配役表で、作品のトホホ度を表している気がして、すごーく心配した役がある。それを演じる生徒が「役にはまってて、きっと魅力的だろうな」と思うこととは別に、あくまでも、「作品」として、サイトーくんの過去実績からして、不安になったこと。
くノ一ってなんだよおおおおっ。
(『花吹雪恋吹雪』を観た人なら、この悲鳴はわかるはずだ)
頼むよ吉正。
2012/8/31
雪組 退団者のお知らせ
下記の生徒の退団発表がありましたのでお知らせいたします。
(雪組)
音月 桂 ―すでに発表済み―
花帆 杏奈
詩風 翠
舞羽 美海 ―すでに発表済み―
2012年12月24日(雪組 東京宝塚劇場公演千秋楽)付で退団
空波 輝
2012年8月31日付で退団
杏奈ちゃんと、ハウル……。
何故……。
リサリサがいなくなり、杏奈様までって、雪組美女姫連が……っ。
前公演時点だと、あゆっちが「大人のいい女ポジ」に就任するのか、となると杏奈様の芸風とかぶる面も出てくるのか?と思えたけれど、次期トップ発表でそうではないとわかったわけだし。せしるはまだ未知数だし。
美しいおねーさまポジとして、必要不可欠の杏奈様が、何故今……。
永遠のルーシーちゃん。
リサリサと杏奈ちゃん、雪組の美女双璧が相次いで卒業なんて。
そして、ハウル。
何故なんだハウル。
ありえないだろハウル。
いろんな意味で「妖精」にふさわしい君が何故。
てゆーか、大公様に続いて、ピーターまでいなくなるなんて、いやあああっ!!←思い入れありすぎるそうですよ。
見た目のイメージはピーター@『ロミジュリ』とかカルロス@『ZORRO 仮面のメサイア』新公とかなのに、本人的には鬼畜系なんぢゃ……ってキャラクタに、無限の夢を紡いでいるところだったんですが?!
あとひとり、集合日退団の空波くん。
『フットルース』梅芸でよーやく顔をおぼえたのに、博多座には出ていなかった。
腕立て伏せで、翼くんに次いできれいに、丁寧に腕立てしていたのが印象的。筋力ある子なんだなと思った。
あの楽しい素晴らしい舞台を休演することになるなんて、さぞや残念だろうなと思っていた。
そのまま、舞台にもファンにも顔を見せることなく去るのか。
休演の多さといい、彼女のこの数年間はなんだったんだろう。
10代の女の子を導く大人の責任、重要性をしみじみ感じる。
んで、集合日なので、配役も発表される。
…………役名、多っ。
スクロールしてもスクロールしても、下がある。
たとえ舞台上で呼ばれることがなくても、ただのモブと変わらない扱いでも、役名はある方がいい。生徒のモチベーションにもファン感情にも、二次創作好きのヲタの都合的にも(笑)、役名はある方がいい。
しかし……それも限度っちゅーか……上演時間が2時間半ある一本モノや、2時間以上取れる梅芸ではないんだ……ショーと2本立ての公演なんだ……。
不安しか、感じられない……(笑)。
頼むよサイトーくん。
キムみみ最後なんだよ、『TRAFALGAR』とかひどかったけど、ゆーひくんにはまだ「もっといい作品に出逢える!」と期待できる「未来」があったから、「これは、これ」と耐えられた。
でも、今回はそれがないんだよ? 正味、サイトーくんの責任なんだよ??
とりあえず。
配役表で、作品のトホホ度を表している気がして、すごーく心配した役がある。それを演じる生徒が「役にはまってて、きっと魅力的だろうな」と思うこととは別に、あくまでも、「作品」として、サイトーくんの過去実績からして、不安になったこと。
くノ一ってなんだよおおおおっ。
(『花吹雪恋吹雪』を観た人なら、この悲鳴はわかるはずだ)
頼むよ吉正。
思い知らされるのは、「永遠」などないのだということ。
いや、もちろんそんなこと、わかってるんだけど。
100周年まで、あと2年。
春日野先生の年齢がどうということは関係なく、当たり前に信じていた。
「100周年、なにやるんだろ?」
「祝舞があって、よっちゃん先生が舞うんだよ」
そう、それが可能かどうかなんて、考えもしない。
祝典では、春日野先生登場。それが当たり前だから、それ以外はない。
自分が「当たり前」と思っている現実のもろさ。
夢の世界、夢のフェアリー。
彼らを愛し、彼らとともに、時間とか現実とかとは、別の世界に生きているつもりでいたけれど。
時間は、現実は、確実に過ぎている。
そんなことありえなかったのかもしれないけれど。
昨日の続きが今日で、今日の続きが明日である。「また明日ね」と今日手を振って別れた友だちと、明日も会える。
そんな幻影と同じように、信じていたよ。
「100周年、なにやるんだろ?」
「祝舞があって、よっちゃん先生が舞うんだよ」
存在自体が、ファンタジーな方でした。
ご冥福をお祈りします。
いや、もちろんそんなこと、わかってるんだけど。
2012/8/30
宝塚歌劇団 名誉理事(専科)春日野 八千代 逝去について
宝塚歌劇団 名誉理事で専科の春日野 八千代が2012年8月29日(水)午前10時34分に逝去いたしましたので、お知らせいたします。
※葬儀等は密葬とし、近親者のみで執り行われます。
100周年まで、あと2年。
春日野先生の年齢がどうということは関係なく、当たり前に信じていた。
「100周年、なにやるんだろ?」
「祝舞があって、よっちゃん先生が舞うんだよ」
そう、それが可能かどうかなんて、考えもしない。
祝典では、春日野先生登場。それが当たり前だから、それ以外はない。
自分が「当たり前」と思っている現実のもろさ。
夢の世界、夢のフェアリー。
彼らを愛し、彼らとともに、時間とか現実とかとは、別の世界に生きているつもりでいたけれど。
時間は、現実は、確実に過ぎている。
そんなことありえなかったのかもしれないけれど。
昨日の続きが今日で、今日の続きが明日である。「また明日ね」と今日手を振って別れた友だちと、明日も会える。
そんな幻影と同じように、信じていたよ。
「100周年、なにやるんだろ?」
「祝舞があって、よっちゃん先生が舞うんだよ」
存在自体が、ファンタジーな方でした。
ご冥福をお祈りします。
ご機嫌、ノリノリ牧師様。@『フットルース』公演実況CD
2012年8月29日 タカラヅカ 『フットルース』公演実況CDですが、「封入特典・オリジナルミニカード5枚付き!!」と書いてあります。
!マークふたつも付いてるけど、だからナニっちゅーか、あんまし気にしてなかった。
公演本編と、ブックレットに歌詞の記載があるかどうかだけが重要。発売日にいそいそ梅田まで買いに行ったわけです。
あんまり深く考えず、「5枚」だから、「ああ、そういうことね」と勝手に思った。
ポスターメンバー5人、制作発表も5人、博多座の柱巻きポスターも5人。
おまけカードが5枚なら、きっとこの5人なのよね。博多座の柱巻きになっている、あの写真まんまかも。
それでもいいや、みんなかわいいし。
ちがいました。
思いっきり、オリジナルの舞台写真。
だからキムくん、カツラじゃないよー、地毛だよー。かっこいーよー。
どちらが表でどちらが裏と書いてあるわけじゃないけど、なんとなくわたしはこっちが表と思ったのか、キムくん単体写真が載っている面を表に、カードを手に取った。
レンひとり写り、おお、この表情かっこいー。んで、裏を見る。レンを中心とした若者たちのダンス場面。「I’m Free」だなこれ。
そっか、表がひとりで、裏がみんなの場面なんだ。
勝手に納得して、5枚のカードを広げる。や、早くまっつ写真見たくて。5枚あるから、ポスターの5人だと信じ切ってるし。
はい、ありました、まっつ牧師様。緑のストール掛けて憂い顔。
おおお、劇団発行の舞台写真ともまたチガウ、いい顔してるわー。
と手にとって眺めて、裏を返す。
裏はもちろん、複数写りの舞台写真……なんだけど。
吹きだした。
牧師様のいる複数写りになる場面って、最初のミサのコーラスじゃないの? キムくんと一緒に画面に収まるとこが少ないためか、なにかっちゃーあの場面だよね?
フィナーレの愉快ダンス……!!
最後の最後、みんなが役の衣装に戻って、ペンライト持って1列になって踊っているところ。
牧師様の正装しながら、まっつはもう牧師様ではなく、ふつーにまっつになって踊っている。
満面の笑顔で、左手と左足、同時に上げてます。
隣のキムくんがかっこいいポーズになってるのに、牧師様とチャックは愉快な人になってる……!
この写真チョイスした人、センスあるな!!
憂い顔の牧師様の裏が、この愉快なおじさん状態かよ!!(笑)
この調子で表と裏でオチになったりしてるのかと、みみちゃんのカードをめくると、ぐはぁ、これまた破壊力高し。
表はふつーにかわいいアリエル、裏はキムみみデュエットダンスの、後ろから抱きしめ密着笑顔。
いやあ、いいわコレ!!
と、ここまできてようやく気づく。
あれ?
カードは5枚、ポスターメンバーも5人。だから5人分のカードと、裏がオチになってる(?)複数写り場面、だと勝手に思ったけど。
チガウわ。
5枚のカード、広げてみれば、キムくん、みみちゃん、まっつ、キムくん、キムくん。
……コマときんぐは?
まだ見ていなかったキムくんカードの裏をめくると、1枚のカードにコマときんぐが分割で入ってました。
あー、なるほどー。
メンバーはたしかにポスターメンバーの5人だけど、考え方としてはあくまでも、「トップスター・キムくんのグッズ」。他のメンバーはおまけっちゅーか。
カード5枚両面で全10枚の舞台写真なわけだが、7枚までがキムくんかキムくん中心写真。
そりゃそうか。5人並列なわけないよなー。
まっつはそれでもカード1枚あったんだから、ラッキーだ。
しかも、美麗写真と愉快写真……(笑)。
おまけのカードなんてどーでもいー、と思ったのは撤回。
このカードまで含めて『フットルース』CDですわ!!
実況CDなので、歌だけでなく台詞まで全部入っているし、歌詞カードもあるし。
……その昔、DVDはおろかビデオ発売もなかった頃は、実況CDだけだったのよね。こうしてCD聴いて、思いを馳せたモノだわ……。(ラストシーンに台詞のない『心中・恋の大和路』の最後がどうなったのか、再演を観るまでわからなかったわ……・笑)
まっつの声と、ささやかな息づかい、心の揺れに聴き入って、ハァハァしてみたりな(笑)。←キモイよ!
!マークふたつも付いてるけど、だからナニっちゅーか、あんまし気にしてなかった。
公演本編と、ブックレットに歌詞の記載があるかどうかだけが重要。発売日にいそいそ梅田まで買いに行ったわけです。
あんまり深く考えず、「5枚」だから、「ああ、そういうことね」と勝手に思った。
ポスターメンバー5人、制作発表も5人、博多座の柱巻きポスターも5人。
おまけカードが5枚なら、きっとこの5人なのよね。博多座の柱巻きになっている、あの写真まんまかも。
それでもいいや、みんなかわいいし。
ちがいました。
思いっきり、オリジナルの舞台写真。
だからキムくん、カツラじゃないよー、地毛だよー。かっこいーよー。
どちらが表でどちらが裏と書いてあるわけじゃないけど、なんとなくわたしはこっちが表と思ったのか、キムくん単体写真が載っている面を表に、カードを手に取った。
レンひとり写り、おお、この表情かっこいー。んで、裏を見る。レンを中心とした若者たちのダンス場面。「I’m Free」だなこれ。
そっか、表がひとりで、裏がみんなの場面なんだ。
勝手に納得して、5枚のカードを広げる。や、早くまっつ写真見たくて。5枚あるから、ポスターの5人だと信じ切ってるし。
はい、ありました、まっつ牧師様。緑のストール掛けて憂い顔。
おおお、劇団発行の舞台写真ともまたチガウ、いい顔してるわー。
と手にとって眺めて、裏を返す。
裏はもちろん、複数写りの舞台写真……なんだけど。
吹きだした。
牧師様のいる複数写りになる場面って、最初のミサのコーラスじゃないの? キムくんと一緒に画面に収まるとこが少ないためか、なにかっちゃーあの場面だよね?
フィナーレの愉快ダンス……!!
最後の最後、みんなが役の衣装に戻って、ペンライト持って1列になって踊っているところ。
牧師様の正装しながら、まっつはもう牧師様ではなく、ふつーにまっつになって踊っている。
満面の笑顔で、左手と左足、同時に上げてます。
隣のキムくんがかっこいいポーズになってるのに、牧師様とチャックは愉快な人になってる……!
この写真チョイスした人、センスあるな!!
憂い顔の牧師様の裏が、この愉快なおじさん状態かよ!!(笑)
この調子で表と裏でオチになったりしてるのかと、みみちゃんのカードをめくると、ぐはぁ、これまた破壊力高し。
表はふつーにかわいいアリエル、裏はキムみみデュエットダンスの、後ろから抱きしめ密着笑顔。
いやあ、いいわコレ!!
と、ここまできてようやく気づく。
あれ?
カードは5枚、ポスターメンバーも5人。だから5人分のカードと、裏がオチになってる(?)複数写り場面、だと勝手に思ったけど。
チガウわ。
5枚のカード、広げてみれば、キムくん、みみちゃん、まっつ、キムくん、キムくん。
……コマときんぐは?
まだ見ていなかったキムくんカードの裏をめくると、1枚のカードにコマときんぐが分割で入ってました。
あー、なるほどー。
メンバーはたしかにポスターメンバーの5人だけど、考え方としてはあくまでも、「トップスター・キムくんのグッズ」。他のメンバーはおまけっちゅーか。
カード5枚両面で全10枚の舞台写真なわけだが、7枚までがキムくんかキムくん中心写真。
そりゃそうか。5人並列なわけないよなー。
まっつはそれでもカード1枚あったんだから、ラッキーだ。
しかも、美麗写真と愉快写真……(笑)。
おまけのカードなんてどーでもいー、と思ったのは撤回。
このカードまで含めて『フットルース』CDですわ!!
実況CDなので、歌だけでなく台詞まで全部入っているし、歌詞カードもあるし。
……その昔、DVDはおろかビデオ発売もなかった頃は、実況CDだけだったのよね。こうしてCD聴いて、思いを馳せたモノだわ……。(ラストシーンに台詞のない『心中・恋の大和路』の最後がどうなったのか、再演を観るまでわからなかったわ……・笑)
まっつの声と、ささやかな息づかい、心の揺れに聴き入って、ハァハァしてみたりな(笑)。←キモイよ!
ポスター花盛り。@2013年公演ラインアップ
2012年8月28日 タカラヅカ 遠征中だったから、遅れて知ったんだ。
もう再演するのか、それも花組でなのか!
だから遠征中で、ヅカファンと一緒だったけど他の話している暇がないくらい、『フットルース』で盛り上がりまくっていたので。
誰とも、話せてない(笑)。
フラストレーションだわー。
誰がどの役っていうか、ホテルで風呂入りながらひとり想像・予想して楽しもうとしたんだけど、みわっちが、もういないことにへこんで、一旦考えるのをやめた。ヘタレ……。
えりたんもいないわけだしな……。
えーっととりあえず、次回花組本公演のポスターが、にぎやかになる!ということが、地味にうれしい。
劇団はここ数年、なんかとてもお堅く線引きをしていた。
ポスターに載せていい人、ダメな人。
ポストカードを出していい人、ダメな人。
とにかく、できるだけ「スター」を作らない方針。「スター」とは劇団が創るモノであり、劇団から「許可シール」をもらった人だけが「スター」としてポスターに載ったり、ポスカが出たりしてヨシ、それ以外はダメ。
無認可、シールなしで「スター」を名乗るなんて絶対認めない、観客やファンの目に触れないようにしなきゃ! 見えるとこに出したら、ファンがつくかもしれないから、売れちゃうかもしれないから、店の奥に隠しておかなきゃ!
客が買っていいのは、劇団認可シール付きの商品だけなんだから!
んなことしてたら、客自体少なくなっちゃった。客が欲しがるかもしれない商品を隠して、劇団許可シールを付けた商品だけをずーーっと売り続けていたから。
劇団認可商品が悪いわけじゃない。それらはみんな、魅力ある良い品物。ただ、いつ行ってもある、品揃えが変わらないとなると、いちいち足を運ばなくなるよねえ。
買い物するかどうかはともかく、いろんな商品が並んでいる、とわかったら、ふらりと行ってみたり、するじゃん、人って。
人の好みも価値観もそれぞれなんだから、誰が人気出るかなんてわからない。
できるだけいろんなタイプを揃えて、ぞろりと売り出しましょうよ。
トップスターになる人だけがスターじゃない、今の時代、真ん中の横で輝く人が好きな人も、ライトの切れるあたりでいい味出してる人が好きな人、いろいろいる。いっぱいいる。
こだわりの小型店は廃れ、品揃い豊富な大型店でないと生き残れなくなってるじゃないですか、なんのためにタカラヅカには生徒が何百人もいるのよ、出来るだけたくさんのジェンヌを推していきましょうよ。
てことで、トップコンピと2番手までしか載れないポスターではなく、最近の劇団推しスター以外も載って良しポスターに、わくわくしているの。
コアなヅカファンは、本公演ポスターが特別なモノで、通常トップコンビと2番手までしか載れないモノ、だからこそ価値も重みもあるものだと知っている。
でも、そうではない、阪急電車でたまたまポスターを目にするだけの人たちには、そんなルールは関係ない。
いつも同じ顔ぶれ、同じ人しか載ってないポスターには、まったく興味を持たなずに眺めていた人が、別コンセプトのポスターには反応するかもしれない。
誰がどこで好意や興味を持つか、誰にもわかんないもの。選択肢は、多い方がいい。
『オーシャンズ11』のポスター、また6人は載るよね?
オーシャン夫妻と、親友と、ディーラーとスリと、悪役。
誰がなにをやるか、オーシャン夫妻以外わかんないけど。
だいもんとみーちゃんまで、ポスター入りするよね?
という、わくわく感(笑)。
『サン=テグジュペリ』『CONGA!!』プログラムの、インタビュー付きのスターは、えりたんみわっちを抜いて、蘭蘭、みつる、みーちゃん、だいもんだから、ここまではガチっしょ?
あとひとりが誰かわかんないけど。
……これで、花組はポスターがトップコンビだけ、だったりしたら肩を落としますが……。
宙も雪も、人いっぱいでにぎやかなポスターだし、来年の『ベルばら』も特出スター全員の写真も載せるからにぎやかだろうし、花組もぜひお祭り的に「スターいっぱい!」ポスターを……。
最近はポスターだけでなく、ポスカの基準も変わったみたいで、ガチ路線以外も出してもらえるようになって、良かったよ。
スターは多い方がいいんだから。もったいつけずに、お高くとまらずに、たくさんスターを創ればいいのに。
それでトップ路線が停滞するのでなく、トップ以外に価値なしみたいな概念を捨て、個性や特性を活かして、トップ以外でも輝ける場を作って共存共栄していくんだ。
……ってソレはつまり、スターより、演出家不足が深刻って現実を浮き彫りにするだけですがね。とほほ。
誰がどの役かはわかんないし、誰がどの役でも魅力的だと思うけど。
ただ、イケコ。
お願い、ヒロインは歌手ではなく、ダンサーに変更して。
みんなのために。
2012/8/24
2013年 公演ラインアップ【宝塚大劇場、東京宝塚劇場】<2月~5月・花組『オーシャンズ11』>
8月24日(金)、2013年宝塚歌劇公演ラインアップにつきまして、宝塚大劇場・東京宝塚劇場公演の上演作品が決定いたしましたのでお知らせいたします。
花組
■主演・・・蘭寿とむ、蘭乃はな
ミュージカル
『オーシャンズ11』
脚本・演出/小池修一郎
2001年に公開されたアメリカ映画で、ダニー・オーシャンと彼が率いる10人の仲間が、ラスベガスにあるカジノの金庫破りに挑む犯罪アクションドラマ。ハリウッドを代表する豪華な俳優が多数出演することでも知られ、2005年に続編の「オーシャンズ12」、2007年には「オーシャンズ13」が公開されています。刑務所から仮釈放された窃盗犯ダニー・オーシャンは、前代未聞の強盗計画を立てていた。そして、それを実行するために、11人の選りすぐりの犯罪ドリーム・チームを作る。彼らは、地下深く分厚い壁に覆われた金庫室を目指すが、オーシャンの目的は意外にも金ではなかった……。男同士の戦い、友情、そして男女間の愛憎が、複雑に絡み合いながら描かれていく。2011年に星組が世界初のミュージカル化、大きな話題を呼んだ舞台をさらにパワーアップして上演いたします。
もう再演するのか、それも花組でなのか!
だから遠征中で、ヅカファンと一緒だったけど他の話している暇がないくらい、『フットルース』で盛り上がりまくっていたので。
誰とも、話せてない(笑)。
フラストレーションだわー。
誰がどの役っていうか、ホテルで風呂入りながらひとり想像・予想して楽しもうとしたんだけど、みわっちが、もういないことにへこんで、一旦考えるのをやめた。ヘタレ……。
えりたんもいないわけだしな……。
えーっととりあえず、次回花組本公演のポスターが、にぎやかになる!ということが、地味にうれしい。
劇団はここ数年、なんかとてもお堅く線引きをしていた。
ポスターに載せていい人、ダメな人。
ポストカードを出していい人、ダメな人。
とにかく、できるだけ「スター」を作らない方針。「スター」とは劇団が創るモノであり、劇団から「許可シール」をもらった人だけが「スター」としてポスターに載ったり、ポスカが出たりしてヨシ、それ以外はダメ。
無認可、シールなしで「スター」を名乗るなんて絶対認めない、観客やファンの目に触れないようにしなきゃ! 見えるとこに出したら、ファンがつくかもしれないから、売れちゃうかもしれないから、店の奥に隠しておかなきゃ!
客が買っていいのは、劇団認可シール付きの商品だけなんだから!
んなことしてたら、客自体少なくなっちゃった。客が欲しがるかもしれない商品を隠して、劇団許可シールを付けた商品だけをずーーっと売り続けていたから。
劇団認可商品が悪いわけじゃない。それらはみんな、魅力ある良い品物。ただ、いつ行ってもある、品揃えが変わらないとなると、いちいち足を運ばなくなるよねえ。
買い物するかどうかはともかく、いろんな商品が並んでいる、とわかったら、ふらりと行ってみたり、するじゃん、人って。
人の好みも価値観もそれぞれなんだから、誰が人気出るかなんてわからない。
できるだけいろんなタイプを揃えて、ぞろりと売り出しましょうよ。
トップスターになる人だけがスターじゃない、今の時代、真ん中の横で輝く人が好きな人も、ライトの切れるあたりでいい味出してる人が好きな人、いろいろいる。いっぱいいる。
こだわりの小型店は廃れ、品揃い豊富な大型店でないと生き残れなくなってるじゃないですか、なんのためにタカラヅカには生徒が何百人もいるのよ、出来るだけたくさんのジェンヌを推していきましょうよ。
てことで、トップコンピと2番手までしか載れないポスターではなく、最近の劇団推しスター以外も載って良しポスターに、わくわくしているの。
コアなヅカファンは、本公演ポスターが特別なモノで、通常トップコンビと2番手までしか載れないモノ、だからこそ価値も重みもあるものだと知っている。
でも、そうではない、阪急電車でたまたまポスターを目にするだけの人たちには、そんなルールは関係ない。
いつも同じ顔ぶれ、同じ人しか載ってないポスターには、まったく興味を持たなずに眺めていた人が、別コンセプトのポスターには反応するかもしれない。
誰がどこで好意や興味を持つか、誰にもわかんないもの。選択肢は、多い方がいい。
『オーシャンズ11』のポスター、また6人は載るよね?
オーシャン夫妻と、親友と、ディーラーとスリと、悪役。
誰がなにをやるか、オーシャン夫妻以外わかんないけど。
だいもんとみーちゃんまで、ポスター入りするよね?
という、わくわく感(笑)。
『サン=テグジュペリ』『CONGA!!』プログラムの、インタビュー付きのスターは、えりたんみわっちを抜いて、蘭蘭、みつる、みーちゃん、だいもんだから、ここまではガチっしょ?
あとひとりが誰かわかんないけど。
……これで、花組はポスターがトップコンビだけ、だったりしたら肩を落としますが……。
宙も雪も、人いっぱいでにぎやかなポスターだし、来年の『ベルばら』も特出スター全員の写真も載せるからにぎやかだろうし、花組もぜひお祭り的に「スターいっぱい!」ポスターを……。
最近はポスターだけでなく、ポスカの基準も変わったみたいで、ガチ路線以外も出してもらえるようになって、良かったよ。
スターは多い方がいいんだから。もったいつけずに、お高くとまらずに、たくさんスターを創ればいいのに。
それでトップ路線が停滞するのでなく、トップ以外に価値なしみたいな概念を捨て、個性や特性を活かして、トップ以外でも輝ける場を作って共存共栄していくんだ。
……ってソレはつまり、スターより、演出家不足が深刻って現実を浮き彫りにするだけですがね。とほほ。
誰がどの役かはわかんないし、誰がどの役でも魅力的だと思うけど。
ただ、イケコ。
お願い、ヒロインは歌手ではなく、ダンサーに変更して。
みんなのために。
タカラヅカの申し子だから。@花組千秋楽
2012年8月27日 タカラヅカ 『フットルース』から頭が切り替わっていないままに、大劇場へ行く。
時は待ってくれない。
花組公演『サン=テグジュペリ』『CONGA!!』千秋楽。
みわっちが、卒業してしまう。
「みわっちがいない花組」がぴんとこない。
わたしが「花組」を意識するようになったとき、みわっちはみわっちで、すでに「スター」だった。
超下級生時代から、なにかにつれ「スター」だということで、スポットライトを浴びていた。ショーのちょっとしたおいしい場面や役、新聞や雑誌の記事。
10年以上、ずっとずっと「スター」だった。
花組をろくに観たことのない頃のわたしだって、顔は知らなくても名前だけは知っていた。花組の新進スターだと。
わたしだけが特別じゃないと思う。
花組をろくに知らなくても、花組の舞台をろくに観たことがなくても、タカラヅカファンなら名前と顔は知っている、そんな下級生スターだったはず。
抜擢は早く、その扱いは安定していた。
10数年、ずーっとずーっとスターだったし、それが当たり前だったから。
彼がいなくなることが、理解できない。
いて当然の人だもの。
花組を観に行ったら、みわっちに目線とウインクをもらわなきゃなんないんだもの! 仕様だもの! お約束だもの!
代表的な、花男。他組でその魅力が受け入れられるとも思えない、花組でだけ、花組でこそ、生きる魅力。
みわっちを見ると、「花組を見た!!」という気持ちになった。
そのみわっちが、いなくなるなんて。
花組の舞台に立たなくなるなんて。
感情として、理解できていない。
みわっちの最後の役、メルモーズ@『サン=テグジュペリ』は、谷作品らしい、ひどい役で。
人格も物語もなく、突然出てきては谷せんせの大好きな「なにかを成すため(誰かのため)に死ぬ美学」を語って、1曲演歌を歌って、いなくなる。
みわっちの退団を知っている観客に、退団と死を重ね合わせて泣け、という仕掛け。
それまでの物語がないから、突然出てきて「泣いて止める女を振り切って、死へ旅立つ男」をやられても、ぽかーんとする。
会話が、特攻隊員とその恋人……。
100%死ぬ前提ですか。や、みわっちの退団は100%決まったことで、覆らないので、それに掛けているのはわかるけど。
死ぬために出撃するわけじゃないんだがな……。危険の高い仕事に赴く、だけで、生きて帰ることが第一の使命であり、メルモーズは自殺志願者ではないはずなんだが。
谷せんせにとって「死ぬことがロマン」なので、「100%の死」を前提にうだうだやるのが萌えなんだよね。
ひどい役、ひどい脚本なんだけど、みわっちはそんなこと、カケラも思ってない。絶対。
素直に、退団する自分と重ね合わせもし、死地に赴く男という男役冥利に尽きる役を、誠心誠意演じているはず。
みわっちは芸幅の広い人で、子役から美女、うさんくさいおっさんまで、なんでも演じてしまう。
年齢も性別も、超越している。
時代錯誤な大芝居も出来るし、リアルで繊細な芝居も出来る。
これだけ可能性を持つ人なのに。演出家から頼りにされ、いろんな役を、役割を、担わされていたのに。
スカステのニュース内のトークコーナーで、今までのタカラヅカ人生で、「好きな台詞」がオスカル@『ベルばら』で、言ってみたい台詞(やりたかった場面)がオスカルのバスティーユ@『ベルばら』と語っているのを見て、うわ、マジだと震撼した。
これだけタカラヅカ・スターとして、役者として、幅広い実力を持ちながら、こんだけ長い間スターとして活躍していろんな役と出会っていながら、複雑な役、繊細な役、その魅力を理解しアテ書きされた役があったにも関わらず、『ベルばら』なのか。
みわっちはほんとうに、「タカラヅカ」が好きなんだ。
「タカラヅカ」=『ベルサイユのばら』、そういうベッタベタな感覚の、愛すべき古い古いタイプの、タカラジェンヌなんだ。
あのめちゃくちゃな『外伝 ベルサイユのばら-アンドレ編-』にもなんの疑問も持たないし、心底感動しちゃえる人なんだ。
そういう人だからこそ、「ザ・男役!」だった。
賢しい懐疑心なんか持たない。与えられたモノを素直に受け止め、感動を持って舞台に立つ。
確かに古いタイプ、昭和系スターかもしれない。
でも、それが、「タカラヅカ」だ。
女が男の格好して、厚化粧で歌ったり踊ったり、ラヴシーンしたりする劇団だよ?
嘘くさいとか、バカらしいとか、思う人は思うだろうさ。
嘘を真実に変える力、ただの虚構でなくそのとき確実に「世界」を創る力……それは、斜に構えて疑って、出来ることじゃない。
みわっちの持つ「フェアリー力」は、彼がタカラヅカというシステムをまったく疑っていない、素直にあるがままに愛しきっている、そこにある気がする。
愛音羽麗は、「タカラヅカ」の申し子だ。
前後して卒業する、星組のすずみんと、似て非なる。
すずみんは、すずみんがタカラヅカを愛し、己れの意志でタカラヅカ・スタァであろうとしていたけれど、みわっちはナチュラル・ボーンのタカラヅカの申し子で、もちろん愛しているけれど、そもそも愛する愛さない以前の問題かと。
どちらのスターも、得がたい人たちだ。
タカラヅカを愛しきっているすずみんと、タカラヅカの申し子みわっちが、前後して卒業していくのか。
いなくなってしまうのか。
時代が変わろうとしているんだ。
で。
みわっち卒業に関して、なにがなんでも彼を見送るんだと意気込んでムラへ行ったけれど、結局出のギャラリーは出来なかった。
袴姿の大階段見るだけで、号泣し過ぎてフラついた。
……ヘタレにも、逃げ帰ったんだ。
なんかもお、途中からこわくてこわくて、仕方なくなった。
いろいろと、重なって。
次は、ウチなのかと。
いやその、次ってなんだよ、それがいつかなんてわかってない、考えても怯えても仕方ないことだって、わかっていても。
みわっちの隣に、当たり前にいた人。
対で踊ることも、肩を並べて歌うことも、がっつり組んで芝居することも、当たり前だった人。
彼のことに、想いが至ってしまってだな。
こわくてこわくて、仕方なくなった。
トップさんと一緒に辞めない場合はパレードがないから、楽屋口の出を花の道から見送ることになるんだ、とか、リアルに考えちゃって、もうダメだ。
すずみんでも、みわさんでも、長く愛着持って見守ってきた人の退団は、こんなに哀しい。寂しい。
そして次は、さらに愛情持って見つめてきたキムくんの卒業が控えている。
なんかもお、考えれば考えるほどこわくなって、耳をふさいで目をつぶって、一気に逃げ帰った。
ヘタレでごめん。
でもこわい。
ほんとに。
みわさん、東宝公演がんばってね。
タカラヅカの申し子、ナチュラル・ボーン・フェアリー。
ずっと、ずっと、忘れない。
時は待ってくれない。
花組公演『サン=テグジュペリ』『CONGA!!』千秋楽。
みわっちが、卒業してしまう。
「みわっちがいない花組」がぴんとこない。
わたしが「花組」を意識するようになったとき、みわっちはみわっちで、すでに「スター」だった。
超下級生時代から、なにかにつれ「スター」だということで、スポットライトを浴びていた。ショーのちょっとしたおいしい場面や役、新聞や雑誌の記事。
10年以上、ずっとずっと「スター」だった。
花組をろくに観たことのない頃のわたしだって、顔は知らなくても名前だけは知っていた。花組の新進スターだと。
わたしだけが特別じゃないと思う。
花組をろくに知らなくても、花組の舞台をろくに観たことがなくても、タカラヅカファンなら名前と顔は知っている、そんな下級生スターだったはず。
抜擢は早く、その扱いは安定していた。
10数年、ずーっとずーっとスターだったし、それが当たり前だったから。
彼がいなくなることが、理解できない。
いて当然の人だもの。
花組を観に行ったら、みわっちに目線とウインクをもらわなきゃなんないんだもの! 仕様だもの! お約束だもの!
代表的な、花男。他組でその魅力が受け入れられるとも思えない、花組でだけ、花組でこそ、生きる魅力。
みわっちを見ると、「花組を見た!!」という気持ちになった。
そのみわっちが、いなくなるなんて。
花組の舞台に立たなくなるなんて。
感情として、理解できていない。
みわっちの最後の役、メルモーズ@『サン=テグジュペリ』は、谷作品らしい、ひどい役で。
人格も物語もなく、突然出てきては谷せんせの大好きな「なにかを成すため(誰かのため)に死ぬ美学」を語って、1曲演歌を歌って、いなくなる。
みわっちの退団を知っている観客に、退団と死を重ね合わせて泣け、という仕掛け。
それまでの物語がないから、突然出てきて「泣いて止める女を振り切って、死へ旅立つ男」をやられても、ぽかーんとする。
会話が、特攻隊員とその恋人……。
100%死ぬ前提ですか。や、みわっちの退団は100%決まったことで、覆らないので、それに掛けているのはわかるけど。
死ぬために出撃するわけじゃないんだがな……。危険の高い仕事に赴く、だけで、生きて帰ることが第一の使命であり、メルモーズは自殺志願者ではないはずなんだが。
谷せんせにとって「死ぬことがロマン」なので、「100%の死」を前提にうだうだやるのが萌えなんだよね。
ひどい役、ひどい脚本なんだけど、みわっちはそんなこと、カケラも思ってない。絶対。
素直に、退団する自分と重ね合わせもし、死地に赴く男という男役冥利に尽きる役を、誠心誠意演じているはず。
みわっちは芸幅の広い人で、子役から美女、うさんくさいおっさんまで、なんでも演じてしまう。
年齢も性別も、超越している。
時代錯誤な大芝居も出来るし、リアルで繊細な芝居も出来る。
これだけ可能性を持つ人なのに。演出家から頼りにされ、いろんな役を、役割を、担わされていたのに。
スカステのニュース内のトークコーナーで、今までのタカラヅカ人生で、「好きな台詞」がオスカル@『ベルばら』で、言ってみたい台詞(やりたかった場面)がオスカルのバスティーユ@『ベルばら』と語っているのを見て、うわ、マジだと震撼した。
これだけタカラヅカ・スターとして、役者として、幅広い実力を持ちながら、こんだけ長い間スターとして活躍していろんな役と出会っていながら、複雑な役、繊細な役、その魅力を理解しアテ書きされた役があったにも関わらず、『ベルばら』なのか。
みわっちはほんとうに、「タカラヅカ」が好きなんだ。
「タカラヅカ」=『ベルサイユのばら』、そういうベッタベタな感覚の、愛すべき古い古いタイプの、タカラジェンヌなんだ。
あのめちゃくちゃな『外伝 ベルサイユのばら-アンドレ編-』にもなんの疑問も持たないし、心底感動しちゃえる人なんだ。
そういう人だからこそ、「ザ・男役!」だった。
賢しい懐疑心なんか持たない。与えられたモノを素直に受け止め、感動を持って舞台に立つ。
確かに古いタイプ、昭和系スターかもしれない。
でも、それが、「タカラヅカ」だ。
女が男の格好して、厚化粧で歌ったり踊ったり、ラヴシーンしたりする劇団だよ?
嘘くさいとか、バカらしいとか、思う人は思うだろうさ。
嘘を真実に変える力、ただの虚構でなくそのとき確実に「世界」を創る力……それは、斜に構えて疑って、出来ることじゃない。
みわっちの持つ「フェアリー力」は、彼がタカラヅカというシステムをまったく疑っていない、素直にあるがままに愛しきっている、そこにある気がする。
愛音羽麗は、「タカラヅカ」の申し子だ。
前後して卒業する、星組のすずみんと、似て非なる。
すずみんは、すずみんがタカラヅカを愛し、己れの意志でタカラヅカ・スタァであろうとしていたけれど、みわっちはナチュラル・ボーンのタカラヅカの申し子で、もちろん愛しているけれど、そもそも愛する愛さない以前の問題かと。
どちらのスターも、得がたい人たちだ。
タカラヅカを愛しきっているすずみんと、タカラヅカの申し子みわっちが、前後して卒業していくのか。
いなくなってしまうのか。
時代が変わろうとしているんだ。
で。
みわっち卒業に関して、なにがなんでも彼を見送るんだと意気込んでムラへ行ったけれど、結局出のギャラリーは出来なかった。
袴姿の大階段見るだけで、号泣し過ぎてフラついた。
……ヘタレにも、逃げ帰ったんだ。
なんかもお、途中からこわくてこわくて、仕方なくなった。
いろいろと、重なって。
次は、ウチなのかと。
いやその、次ってなんだよ、それがいつかなんてわかってない、考えても怯えても仕方ないことだって、わかっていても。
みわっちの隣に、当たり前にいた人。
対で踊ることも、肩を並べて歌うことも、がっつり組んで芝居することも、当たり前だった人。
彼のことに、想いが至ってしまってだな。
こわくてこわくて、仕方なくなった。
トップさんと一緒に辞めない場合はパレードがないから、楽屋口の出を花の道から見送ることになるんだ、とか、リアルに考えちゃって、もうダメだ。
すずみんでも、みわさんでも、長く愛着持って見守ってきた人の退団は、こんなに哀しい。寂しい。
そして次は、さらに愛情持って見つめてきたキムくんの卒業が控えている。
なんかもお、考えれば考えるほどこわくなって、耳をふさいで目をつぶって、一気に逃げ帰った。
ヘタレでごめん。
でもこわい。
ほんとに。
みわさん、東宝公演がんばってね。
タカラヅカの申し子、ナチュラル・ボーン・フェアリー。
ずっと、ずっと、忘れない。
成長と変化。そして彼は。@博多座『フットルース』千秋楽
2012年8月26日 タカラヅカ 博多座公演『フットルース』千秋楽にて。
アドリブで個人的にツボだったのは、チャック@きんぐ。
チャックがひとり町を出る場面で、おちゃらけているトラビス@まなはるにひとこと、声を掛けるんだけど、ここの台詞は公演途中から日替わりになった。
トラビスは最初チャックのツレだったのに、物語半ばくらいからレン@キム側に付く。チャックから見て……見なくても……裏切り者だわなー。まあもともと、その程度の関係だったんだろう、てな?
最後にチャックがトラビスを罵ることで、彼らの物語も一応決着がつく。ああやっぱチャック、快く思ってなかったんだ、町を出る理由の中には友だちに裏切られたこともあるんだろう、でも「裏切られた!」と騒ぐことすらない程度の間柄で、この台詞ひとつで終了なんだ、と。
チャックがトラビスに言う台詞は、大体「どけよ」とかで、「てめーなんか相手にしてない」という意味が伝わることを、日替わりで言っていた。
それが、千秋楽は違った。
いつもの「罵り」ではなくて。
「じゃあな、トラビス」
優しい……「兄貴」としての言葉になっていた。
トラビスの裏切りも、許しているかのように。
ちなみに、トラビスが「トラビス」と呼ばれたのは、はじめてだ。
チャックが、じゃない。
『フットルース』という作品通して、彼の名が呼ばれることはなかったんだ。
名前だけ付いていて、一度も呼ばれることのないキャラは、他にもいる。そんなの、どんな舞台にも作品にもいくらでもいる。
トラビスは、そんなキャラクタ。そんな位置の役。
それが、はじめて、名前を呼ばれた。
千秋楽。最後の場面、別れの場面で。
リピートしていた観客だって、「あのめんたいこ君、トラビスって名前だったんだ!」とか、そもそも「名前ある役だったんだ!」とか、驚いた人がいたかもしれない。
よかったね、トラビス。
チャックというキャラクタには「負け犬」「成長してはいけない」という役割があったと思う。
レンをはじめ、すべての人が成長して、己れに打ち克つのに、ただひとりチャックだけはなにひとつ変わらないまま、逃げ出していくんだよね。
レンたちの対比キャラであり、とことんまで情けなくかっこ悪い、「わかりやすい侮蔑キャラ」でなくてはならない。例を挙げると、『タイタニック』のヒロインの婚約者みたいな。
悪役という記号だから、成長したり改心したりしちゃいけないの。
だけどここはタカラヅカで。
2ヶ月の公演を通して、最後の最後に、チャックは成長した。キャラを変えた。
自分を裏切った仲間に優しい言葉を掛けて旅立つことで、「負け犬」ではなくなった。
すべてを受け入れた上で、納得して旅立つ男、になった。
悪ぶっているのは口先だけのポーズ、ってことで。
そんなチャックは『フットルース』の世界観に合っていない。正しくない。
わかっているけど、それがいい。
千秋楽だから。
最後だから。
祭りだから。
…………いやその、もともとわたし、トラビス×チャック派だったので(かけ算はやめなさい)、まさか千秋楽にこんなことになるとは、思ってもみなかった。
え、あたし絶対少数派だと思ってたのに、公式設定だったの?! みたいな驚きとうろたえ(笑)。
いやあ、かけ算でいうなら、チャック×牧師が世の主流でしょうに……。トラビス公式来たかー。
いや単にわたし、チャック@きんぐ大好きでね……もういろいろと、かわいすぎるよね彼(笑)。
きんぐと言えば、カーテンコールでまっつにいじられているのを見るのが、まっつファンの楽しみのひとつだったはず。
牧師様@まっつは、隣に立つきんぐをペンライトで刺したり突いたり、ろくでもないことを仕掛けるんだよなああ。
んできんぐが「今日はナニをされるんだろう」とびくついてる感じなのがまた、たまらんかったし(笑)。
たまにきんぐがやり返したら、次に倍返しするし。
「今日はナニもしないよ」と油断させて、無防備になっているところを襲ったり。
まっつ、ドS。
千秋楽は、ペンライトを日本刀に見立てて、ばさーっと袈裟斬り。きんぐ、「やられた~~」リアクション。
まっつ……。
次が『JIN-仁-』だから? 武士の役だから?
本編との差が、激しすぎる。
牧師様の格好で、ナニやってんだ……(笑)。
かわいすぎる。
そーいやまつださん、最後の最後まで裏をかかれました、わたし。
カラーバンドですよ。
梅芸では、最初のウチはちゃんと、自分が選んだ「チェリー・ピンク」と「ブラック」を付けていた。
それが後半は、「イエロー」と「ライム・グリーン」を付けていたの。
ちょ……っ、すっげー苦労してまっつカラーを手に入れたのに、まっつとお揃いをしたかったのに、別の人のカラーまで押さえてないわよ~~!!
仕方ないなあ、黒とピンクというまっつカラーに、キムくんカラーのイエローも付けておこう。
と、梅芸楽に臨んだところ……楽だけは、自分カラーに戻してきた。
えええ、イエロー付ける必要なかったじゃん!
んで、博多座。
わたしが観る限り、牧師様はずーーっと、「チェリー・ピンク」と「イエロー」をしていました。
梅芸の「イエロー」と「ライム・グリーン」は、牧師ルックに合わせたコーディネイトだろう。
そして博多座の「チェリー・ピンク」と「イエロー」は、反対色という意味でのコーデかな? 自分カラーのピンクに『フットルース』的カラーリングで、合う色ってことで。
ったく、なんで自分カラー付けないんだよ、キムくんとか律儀に自分カラー付けてるじゃん。
でもきっと、千秋楽は自分カラーにするよな。うん、梅芸でもそうだったし。
よしっ、わたしも千秋楽は堂々とまっつカラーのバンドをして「まっつファンですがナニか?」って顔して生きるわ!!
そう読んで、意気揚々と「チェリー・ピンク」と「ブラック」を付けていったのに。
千秋楽まで、「チェリー・ピンク」と「イエロー」のままだった。
ちょ……っ、黒を付けたわたしの立場は……っ。
裏をかかれたっ。騙されたっ。きぃ~~っ。
なによドSまっつ!
……自分カラーを無視して、博多公演中ずーっと「チェリー・ピンク」と「イエロー」のままだった、その理由が。
自分の色=ピンク、キムくんの色=イエローを重ね付けすることでの、無言の友情アピールだと思って、萌えておくことにするわっ。ふんっ。←
アドリブで個人的にツボだったのは、チャック@きんぐ。
チャックがひとり町を出る場面で、おちゃらけているトラビス@まなはるにひとこと、声を掛けるんだけど、ここの台詞は公演途中から日替わりになった。
トラビスは最初チャックのツレだったのに、物語半ばくらいからレン@キム側に付く。チャックから見て……見なくても……裏切り者だわなー。まあもともと、その程度の関係だったんだろう、てな?
最後にチャックがトラビスを罵ることで、彼らの物語も一応決着がつく。ああやっぱチャック、快く思ってなかったんだ、町を出る理由の中には友だちに裏切られたこともあるんだろう、でも「裏切られた!」と騒ぐことすらない程度の間柄で、この台詞ひとつで終了なんだ、と。
チャックがトラビスに言う台詞は、大体「どけよ」とかで、「てめーなんか相手にしてない」という意味が伝わることを、日替わりで言っていた。
それが、千秋楽は違った。
いつもの「罵り」ではなくて。
「じゃあな、トラビス」
優しい……「兄貴」としての言葉になっていた。
トラビスの裏切りも、許しているかのように。
ちなみに、トラビスが「トラビス」と呼ばれたのは、はじめてだ。
チャックが、じゃない。
『フットルース』という作品通して、彼の名が呼ばれることはなかったんだ。
名前だけ付いていて、一度も呼ばれることのないキャラは、他にもいる。そんなの、どんな舞台にも作品にもいくらでもいる。
トラビスは、そんなキャラクタ。そんな位置の役。
それが、はじめて、名前を呼ばれた。
千秋楽。最後の場面、別れの場面で。
リピートしていた観客だって、「あのめんたいこ君、トラビスって名前だったんだ!」とか、そもそも「名前ある役だったんだ!」とか、驚いた人がいたかもしれない。
よかったね、トラビス。
チャックというキャラクタには「負け犬」「成長してはいけない」という役割があったと思う。
レンをはじめ、すべての人が成長して、己れに打ち克つのに、ただひとりチャックだけはなにひとつ変わらないまま、逃げ出していくんだよね。
レンたちの対比キャラであり、とことんまで情けなくかっこ悪い、「わかりやすい侮蔑キャラ」でなくてはならない。例を挙げると、『タイタニック』のヒロインの婚約者みたいな。
悪役という記号だから、成長したり改心したりしちゃいけないの。
だけどここはタカラヅカで。
2ヶ月の公演を通して、最後の最後に、チャックは成長した。キャラを変えた。
自分を裏切った仲間に優しい言葉を掛けて旅立つことで、「負け犬」ではなくなった。
すべてを受け入れた上で、納得して旅立つ男、になった。
悪ぶっているのは口先だけのポーズ、ってことで。
そんなチャックは『フットルース』の世界観に合っていない。正しくない。
わかっているけど、それがいい。
千秋楽だから。
最後だから。
祭りだから。
…………いやその、もともとわたし、トラビス×チャック派だったので(かけ算はやめなさい)、まさか千秋楽にこんなことになるとは、思ってもみなかった。
え、あたし絶対少数派だと思ってたのに、公式設定だったの?! みたいな驚きとうろたえ(笑)。
いやあ、かけ算でいうなら、チャック×牧師が世の主流でしょうに……。トラビス公式来たかー。
いや単にわたし、チャック@きんぐ大好きでね……もういろいろと、かわいすぎるよね彼(笑)。
きんぐと言えば、カーテンコールでまっつにいじられているのを見るのが、まっつファンの楽しみのひとつだったはず。
牧師様@まっつは、隣に立つきんぐをペンライトで刺したり突いたり、ろくでもないことを仕掛けるんだよなああ。
んできんぐが「今日はナニをされるんだろう」とびくついてる感じなのがまた、たまらんかったし(笑)。
たまにきんぐがやり返したら、次に倍返しするし。
「今日はナニもしないよ」と油断させて、無防備になっているところを襲ったり。
まっつ、ドS。
千秋楽は、ペンライトを日本刀に見立てて、ばさーっと袈裟斬り。きんぐ、「やられた~~」リアクション。
まっつ……。
次が『JIN-仁-』だから? 武士の役だから?
本編との差が、激しすぎる。
牧師様の格好で、ナニやってんだ……(笑)。
かわいすぎる。
そーいやまつださん、最後の最後まで裏をかかれました、わたし。
カラーバンドですよ。
梅芸では、最初のウチはちゃんと、自分が選んだ「チェリー・ピンク」と「ブラック」を付けていた。
それが後半は、「イエロー」と「ライム・グリーン」を付けていたの。
ちょ……っ、すっげー苦労してまっつカラーを手に入れたのに、まっつとお揃いをしたかったのに、別の人のカラーまで押さえてないわよ~~!!
仕方ないなあ、黒とピンクというまっつカラーに、キムくんカラーのイエローも付けておこう。
と、梅芸楽に臨んだところ……楽だけは、自分カラーに戻してきた。
えええ、イエロー付ける必要なかったじゃん!
んで、博多座。
わたしが観る限り、牧師様はずーーっと、「チェリー・ピンク」と「イエロー」をしていました。
梅芸の「イエロー」と「ライム・グリーン」は、牧師ルックに合わせたコーディネイトだろう。
そして博多座の「チェリー・ピンク」と「イエロー」は、反対色という意味でのコーデかな? 自分カラーのピンクに『フットルース』的カラーリングで、合う色ってことで。
ったく、なんで自分カラー付けないんだよ、キムくんとか律儀に自分カラー付けてるじゃん。
でもきっと、千秋楽は自分カラーにするよな。うん、梅芸でもそうだったし。
よしっ、わたしも千秋楽は堂々とまっつカラーのバンドをして「まっつファンですがナニか?」って顔して生きるわ!!
そう読んで、意気揚々と「チェリー・ピンク」と「ブラック」を付けていったのに。
千秋楽まで、「チェリー・ピンク」と「イエロー」のままだった。
ちょ……っ、黒を付けたわたしの立場は……っ。
裏をかかれたっ。騙されたっ。きぃ~~っ。
なによドSまっつ!
……自分カラーを無視して、博多公演中ずーっと「チェリー・ピンク」と「イエロー」のままだった、その理由が。
自分の色=ピンク、キムくんの色=イエローを重ね付けすることでの、無言の友情アピールだと思って、萌えておくことにするわっ。ふんっ。←
神様、彼が幸せでありますように。@博多座『フットルース』千秋楽
2012年8月25日 タカラヅカ 博多座公演『フットルース』千秋楽。
ただ、もお、終わってしまうのが哀しかった。
これほど素晴らしい作品が、物語が、もう2度と見られないのだということが、哀しくて仕方なかった。
「未来」があるならまたチガウだろうけど、キムみみには、今の雪組には、もう未来が限られている。
次はもう、サヨナラ公演であって、通常の公演じゃない。
これが、「ふつう」の最後の公演。
ただしあわせでいられる、最後の公演。
舞台も客席もキラキラして、みんな笑顔で。
作品に、出演者に、そしてタカラヅカのファンであることに、胸を張れる、そんな公演。
そんな公演に出逢えたことが幸せ、だけど、幸運も幸福も認識しているけどとにかく、別れるのが寂しい。
そんな気持ちでいっぱいだった。
梅芸のときも思ったけれど、楽だからって、アドリブでめちゃくちゃにしたりしないよなあ、雪組(笑)。
わりとやりたい放題出来そうな作品だと思うんだけどね、『フットルース』。楽しい場面、いじれる場面はけっこうあるから。
他の公演と違って千秋楽だからって映像にも残らないんだもん、ハメはずしてもわかんないよねえ。
それでも真面目っちゅーか頑固っちゅーか、折り目正しいよな、雪組。や、どっちもアリです、楽しいです、愛しいです。
細かいアドリブはいろいろあった、みんなみんなかわいかった(笑)。やっぱウィラード@コマのかわいさは異常!!
小芝居している学生たちのかわいさも異常!
終わって欲しくない。
このままずっと、だといいのに。
停滞を望むわけじゃない。
タカラジェンヌも生身の人間で、彼らは進歩を、成長を望んでいる。
同じものを永遠に繰り返し眺めたいだけなら、ビデオで十分。ナマである意味はない。
だから、はじまった公演が終わる、のは当然のこと。
わかっているけれど、切ない。
わたしは今もしつこく、「キムくん辞めるのやめないかな」と思っているし、わたしが愛するタカラヅカから、男役・音月桂がこんなに早く消えてしまうことに、納得できていない。
や、単にわたしが、もっともっと彼を見たいんだもん。
彼がいなくなることは、タカラヅカの損失だと思ってるし。
あくまでも、わたし中心っていうか、わたしの都合、欲だけの話ですな。
それが。
おさまらない拍手、くり返されるカーテンコール。
最後はキムくんが、両手の指にペンライトを複数挟む「オクトパス・フラッシュ」を披露して、緞帳前に。
組子にやらされたらしい。組子たちのペンライトらしい。……まっつも1枚噛んでるのかなあ、やっぱ(笑)。
楽しくて幸せで、いっぱい笑って、みんなと一緒に「雪組」「最高!!」って叫んだけど。
寂しさと切なさも半端なくて。
笑いながら泣くしかなくて。
それでも、キムくんの笑顔がうれしくて。
何度も感謝の言葉をくり返す彼は、その一連の言葉の中で、こう言った。
「幸せな夏を過ごすことができました」
そう叫ぶ彼に、なんかすとんと、落ちる物があった。
納得でもない、答えでもない。
ただ、すとんと。
幸せだったのか。良かった。
わたしはわたし中心だから、「わたしが」音月桂を失うのが嫌だ。耐えられない。
それは変わらない。
ただ。
キムくんが、しあわせでいて欲しいと思う。
キムくんに、ではない。
キムくんが。
彼自身が、しあわせでいて欲しい。
カテコも全部終わって、出待ちをする友人たちとも別れて、ひとりで博多の町を歩いた。
泣けて泣けて、仕方なかった。旅先で良かった、ひとりで良かった。
無理に笑うでなく喋るでなく、ただ、自分の中の切なさに浸った。
なにも納得してないし、哀しいのも寂しいのも変わってない。
だけど。
キムくんが、しあわせだといいな。
彼はきっと、つらいときにも太陽みたいに笑うのだろうし、公の場では正しい強い姿しか見せないのだろうけど。
ほんとうのことなんかなにひとつわからないけど、ただ、彼がしあわせだといい。
そう思った。
ただ、もお、終わってしまうのが哀しかった。
これほど素晴らしい作品が、物語が、もう2度と見られないのだということが、哀しくて仕方なかった。
「未来」があるならまたチガウだろうけど、キムみみには、今の雪組には、もう未来が限られている。
次はもう、サヨナラ公演であって、通常の公演じゃない。
これが、「ふつう」の最後の公演。
ただしあわせでいられる、最後の公演。
舞台も客席もキラキラして、みんな笑顔で。
作品に、出演者に、そしてタカラヅカのファンであることに、胸を張れる、そんな公演。
そんな公演に出逢えたことが幸せ、だけど、幸運も幸福も認識しているけどとにかく、別れるのが寂しい。
そんな気持ちでいっぱいだった。
梅芸のときも思ったけれど、楽だからって、アドリブでめちゃくちゃにしたりしないよなあ、雪組(笑)。
わりとやりたい放題出来そうな作品だと思うんだけどね、『フットルース』。楽しい場面、いじれる場面はけっこうあるから。
他の公演と違って千秋楽だからって映像にも残らないんだもん、ハメはずしてもわかんないよねえ。
それでも真面目っちゅーか頑固っちゅーか、折り目正しいよな、雪組。や、どっちもアリです、楽しいです、愛しいです。
細かいアドリブはいろいろあった、みんなみんなかわいかった(笑)。やっぱウィラード@コマのかわいさは異常!!
小芝居している学生たちのかわいさも異常!
終わって欲しくない。
このままずっと、だといいのに。
停滞を望むわけじゃない。
タカラジェンヌも生身の人間で、彼らは進歩を、成長を望んでいる。
同じものを永遠に繰り返し眺めたいだけなら、ビデオで十分。ナマである意味はない。
だから、はじまった公演が終わる、のは当然のこと。
わかっているけれど、切ない。
わたしは今もしつこく、「キムくん辞めるのやめないかな」と思っているし、わたしが愛するタカラヅカから、男役・音月桂がこんなに早く消えてしまうことに、納得できていない。
や、単にわたしが、もっともっと彼を見たいんだもん。
彼がいなくなることは、タカラヅカの損失だと思ってるし。
あくまでも、わたし中心っていうか、わたしの都合、欲だけの話ですな。
それが。
おさまらない拍手、くり返されるカーテンコール。
最後はキムくんが、両手の指にペンライトを複数挟む「オクトパス・フラッシュ」を披露して、緞帳前に。
組子にやらされたらしい。組子たちのペンライトらしい。……まっつも1枚噛んでるのかなあ、やっぱ(笑)。
楽しくて幸せで、いっぱい笑って、みんなと一緒に「雪組」「最高!!」って叫んだけど。
寂しさと切なさも半端なくて。
笑いながら泣くしかなくて。
それでも、キムくんの笑顔がうれしくて。
何度も感謝の言葉をくり返す彼は、その一連の言葉の中で、こう言った。
「幸せな夏を過ごすことができました」
そう叫ぶ彼に、なんかすとんと、落ちる物があった。
納得でもない、答えでもない。
ただ、すとんと。
幸せだったのか。良かった。
わたしはわたし中心だから、「わたしが」音月桂を失うのが嫌だ。耐えられない。
それは変わらない。
ただ。
キムくんが、しあわせでいて欲しいと思う。
キムくんに、ではない。
キムくんが。
彼自身が、しあわせでいて欲しい。
カテコも全部終わって、出待ちをする友人たちとも別れて、ひとりで博多の町を歩いた。
泣けて泣けて、仕方なかった。旅先で良かった、ひとりで良かった。
無理に笑うでなく喋るでなく、ただ、自分の中の切なさに浸った。
なにも納得してないし、哀しいのも寂しいのも変わってない。
だけど。
キムくんが、しあわせだといいな。
彼はきっと、つらいときにも太陽みたいに笑うのだろうし、公の場では正しい強い姿しか見せないのだろうけど。
ほんとうのことなんかなにひとつわからないけど、ただ、彼がしあわせだといい。
そう思った。
2階席のススメ(笑)・博多座版。@フットルース
2012年8月24日 タカラヅカ 2階席の魅力にクローズアップ!
……てな。
実はわざと、2階席を選んだ。
博多座『フットルース』。
夜の部はリピーターチケットっつーのがあってだな、非売品ポスカがもらえたり、スイーツ券だのキャトルレーヴのお買い物券だのも付いてお得なのだ。
スイーツもキャトレも興味はない。わたしゃ甘い物に興味がないし、旅先で荷物になる買い物もしたいとは思わない。
欲しかったのは、非売品ポストカードだ。
まっつは映ってません(笑)。
キムくんを中心にした、若者たちの図。
ええ、「I’m Free」のダンス場面。
戦車みたいになってるとこじゃなく、みんなで前向いて踊っているところ……って、戦車、って表現だと伝わらないのかな。
わたしだけかな、こんな印象。
いわゆる現代の戦車じゃなくて、ちょい昔の、装甲板の後ろや穴から槍を突き出しているやつ。
兵士たちは装甲板の後ろに固まっていて、あらゆる方向に槍を構えている……。
360度、どこからの攻撃にも耐えられるよう、ぐるりと円を描くように集まり、球体に腕を突き上げている姿が、その人力時代の「戦車」を思い出させるんだなー。
ご贔屓がいなくても、欲しいですよ、ポスカ。
大好きなんだもん、『フットルース』。
大好きなんだもん、「I’m Free」。
んで、リピーターチケット買うなら、どこを買う? ちなみに、S席限定です。
1階席は後方とか端っこしか残ってない。
ならいっそ、2階センターでしょう!
考えてみりゃわたし、博多座の2階って未経験なの。
わざわざ高い交通費出して行くわけだから、前もって無理してでも、そこそこのチケットを押さえるわけですよ。
遠征してまでショボイ席で観たくないわー、なんて、新幹線乗れなくて夜行バスでしみったれ遠征してるヤツがどのクチで言うか!てなもんだけど、交通費削ってでも、チケット代は削れない(笑)。
で、もともと遠征計画立てていた分は、すでにチケット用意している。
…………はい、やりました。
急遽、予定変更。
博多に長逗留してまっつ三昧している友人に、メールをする。
「突然だけど、金曜から行くことにした。金曜夜のリピーターチケット買っておいて」
友人はふたつ返事。
希望通り、2階S席ど真ん中を買っておいてくれた。「博多座の2階っていいよね、私大好き」てなコトバと一緒に。
うん、わたし、2階席坐ったことないけど、この間まっつメイトから聞いたもんで。
博多の2階席はイイ! と。
そんなら1度、経験してみたいじゃん?
この大好きな大好きな作品で。
しかし、2日前に遠征予定変えるもんぢゃないですな。
ホテル取れなくて、泣きそうだった(笑)。
ともかく、初の博多座の2階。
楽しかった!!
近いのよ、舞台が。
いい感じに全体を感じられて、個々の出演者は近く見える。
そしてコレ重要、まっつと、目が合った気分になれる(笑)。
昼公演であえて2階センターに坐っていたまっつメイトが、えらい鼻息で報告してくれた。
「まっつがなんかやたらと上を見るんだコレが!」
まっつが、つーか、ムーアさんが、だな。目線を上げることが、思ったよりぜんぜんある、と。
んで、博多座の大きさと2階の高さの関係で、目が合ったよーな錯覚に陥れる。
「なにより1幕最後!!」
あのすばらしいラスボスぶり、「I’m Free」場面。
ムーア牧師@まっつは、ひとり高い位置にいる。異端審問@『ドン・カルロス』のフェリペ二世くらい、高いところにいて、レン@キムくんたちを見下ろしている。
や、見下ろしてはいないかな。ムーアさん、視線は真っ直ぐ上げたままだから。
その、高いところにいて、視線を真っ直ぐ客席の方へ向けているムーアさんは。
ええ、我が身で体験しました。
目が、合う。
合うなんてもんぢゃない。
1幕最後、あのめちゃくちゃカッコイイ、絶対権力独裁者、神のごときムーア様が、わたしに向かって、歌っている……!!
わたしに向かって凄んでる。
わたしに向かって威嚇してる。
わたしに向かって拳を握ってる。
う・きゃ~~~~っ!!
崩壊。
溶解。
ばらばらになって崩れ落ちる、どろどろに溶けて広がる。
原型なくなるくらい、悶えました(笑)。
楽しい~~、楽しいわ2階~~。
1階後方よりずっといい~~。
ライトの行方を見るのも好きなので、1階だとわからないライト使いも堪能しました。
いやはや、いい劇場ですな、博多座。
遠征するならやっぱり1階前方でがっつり観たいけど、今回みたいに複数回観るなら、2階も混ぜるべきだわ。
って、結局『フットルース』、梅芸で12回、博多で8回観ちゃったわけですが。
最初、2枚しかチケット持ってなかったのになー(笑)。梅芸初日観てから、かき集めたなー。
……てな。
実はわざと、2階席を選んだ。
博多座『フットルース』。
夜の部はリピーターチケットっつーのがあってだな、非売品ポスカがもらえたり、スイーツ券だのキャトルレーヴのお買い物券だのも付いてお得なのだ。
スイーツもキャトレも興味はない。わたしゃ甘い物に興味がないし、旅先で荷物になる買い物もしたいとは思わない。
欲しかったのは、非売品ポストカードだ。
まっつは映ってません(笑)。
キムくんを中心にした、若者たちの図。
ええ、「I’m Free」のダンス場面。
戦車みたいになってるとこじゃなく、みんなで前向いて踊っているところ……って、戦車、って表現だと伝わらないのかな。
わたしだけかな、こんな印象。
いわゆる現代の戦車じゃなくて、ちょい昔の、装甲板の後ろや穴から槍を突き出しているやつ。
兵士たちは装甲板の後ろに固まっていて、あらゆる方向に槍を構えている……。
360度、どこからの攻撃にも耐えられるよう、ぐるりと円を描くように集まり、球体に腕を突き上げている姿が、その人力時代の「戦車」を思い出させるんだなー。
ご贔屓がいなくても、欲しいですよ、ポスカ。
大好きなんだもん、『フットルース』。
大好きなんだもん、「I’m Free」。
んで、リピーターチケット買うなら、どこを買う? ちなみに、S席限定です。
1階席は後方とか端っこしか残ってない。
ならいっそ、2階センターでしょう!
考えてみりゃわたし、博多座の2階って未経験なの。
わざわざ高い交通費出して行くわけだから、前もって無理してでも、そこそこのチケットを押さえるわけですよ。
遠征してまでショボイ席で観たくないわー、なんて、新幹線乗れなくて夜行バスでしみったれ遠征してるヤツがどのクチで言うか!てなもんだけど、交通費削ってでも、チケット代は削れない(笑)。
で、もともと遠征計画立てていた分は、すでにチケット用意している。
…………はい、やりました。
急遽、予定変更。
博多に長逗留してまっつ三昧している友人に、メールをする。
「突然だけど、金曜から行くことにした。金曜夜のリピーターチケット買っておいて」
友人はふたつ返事。
希望通り、2階S席ど真ん中を買っておいてくれた。「博多座の2階っていいよね、私大好き」てなコトバと一緒に。
うん、わたし、2階席坐ったことないけど、この間まっつメイトから聞いたもんで。
博多の2階席はイイ! と。
そんなら1度、経験してみたいじゃん?
この大好きな大好きな作品で。
しかし、2日前に遠征予定変えるもんぢゃないですな。
ホテル取れなくて、泣きそうだった(笑)。
ともかく、初の博多座の2階。
楽しかった!!
近いのよ、舞台が。
いい感じに全体を感じられて、個々の出演者は近く見える。
そしてコレ重要、まっつと、目が合った気分になれる(笑)。
昼公演であえて2階センターに坐っていたまっつメイトが、えらい鼻息で報告してくれた。
「まっつがなんかやたらと上を見るんだコレが!」
まっつが、つーか、ムーアさんが、だな。目線を上げることが、思ったよりぜんぜんある、と。
んで、博多座の大きさと2階の高さの関係で、目が合ったよーな錯覚に陥れる。
「なにより1幕最後!!」
あのすばらしいラスボスぶり、「I’m Free」場面。
ムーア牧師@まっつは、ひとり高い位置にいる。異端審問@『ドン・カルロス』のフェリペ二世くらい、高いところにいて、レン@キムくんたちを見下ろしている。
や、見下ろしてはいないかな。ムーアさん、視線は真っ直ぐ上げたままだから。
その、高いところにいて、視線を真っ直ぐ客席の方へ向けているムーアさんは。
ええ、我が身で体験しました。
目が、合う。
合うなんてもんぢゃない。
1幕最後、あのめちゃくちゃカッコイイ、絶対権力独裁者、神のごときムーア様が、わたしに向かって、歌っている……!!
わたしに向かって凄んでる。
わたしに向かって威嚇してる。
わたしに向かって拳を握ってる。
う・きゃ~~~~っ!!
崩壊。
溶解。
ばらばらになって崩れ落ちる、どろどろに溶けて広がる。
原型なくなるくらい、悶えました(笑)。
楽しい~~、楽しいわ2階~~。
1階後方よりずっといい~~。
ライトの行方を見るのも好きなので、1階だとわからないライト使いも堪能しました。
いやはや、いい劇場ですな、博多座。
遠征するならやっぱり1階前方でがっつり観たいけど、今回みたいに複数回観るなら、2階も混ぜるべきだわ。
って、結局『フットルース』、梅芸で12回、博多で8回観ちゃったわけですが。
最初、2枚しかチケット持ってなかったのになー(笑)。梅芸初日観てから、かき集めたなー。
世界を閉ざす声、その拳。@フットルース
2012年8月23日 タカラヅカ 「I’m Free」が好きだ。
わたしが「ミュージカル」に求めるモノが、ここに凝縮されている。
ってことで、『フットルース』のこの場面について前日欄でえんえん書いた。
レン@キムくんがすごすぎること、かっこよすぎることも書いた。
この場面が、好き過ぎる。
毎回、若者たちの鬨の声に、涙を流している。
それとは、別に。
ここのムーア牧師@まっつが、好きだ。
いやもお、震えがくるぐらい。
好きすぎて、やばい。
自由への闘いを誓う少年たち。
子どもたちの希望を、勇気を、踏みにじるかのように高見に登場するムーア。
絶対権力。「神」に等しい男。
ライトの当たり方がまた、ひどくてね。
とことんまで彼を、「非人間的」に映しているの。
傷ゆえに心を閉ざしたムーアは、ある意味「化物」になっている。
他者との関わりを拒絶し、誰も理解しようとせず、過去と後悔だけに凝り固まり、攻撃することで自分を守り続けている……そんなムーアは、すでに「人間」じゃない。
別のナニかだ。
なにかおそろしい……かなしい、モノに変貌している。
それが表れた場面だ。
非人間的なライト。
「我々は正しき道を歩まねばならない」
正義を説きながら、彼こそがとてつもなく歪んでいる。
この、不細工に映るライト照らされ、顔立ち変わって見えるよなー、てなまっつさんがねえ……めちゃくちゃカッコイイの!!
冷酷さ半端ねえ。
こわさ半端ねえ。
これぞラスボス……!!
梅芸の最初の方、喉を痛めていたときのムーアさんが、すげー痛々しい人になっていて萌え狂った。
ラスボスとして冷酷に振る舞っているのに、壊れてしまいそうに哀しい人に見えた。
「我々は正しき道を歩まねばならない」……その台詞が、悲鳴に聞こえた。
誰か彼を助けて。
このままでは、彼は壊れてしまう。狂ってしまう。
なんてのは、ほんとそのときだけで。
喉の調子が良くなると、さらに強大なラスボスさんとして花開いていった(笑)。
こ・わ~~。
めちゃくちゃこわいー。
強くて固くてこわすぎるよこの人!!
歪みは見えるけれど、強くこわいところで安定した。や、とってもラスボスらしくね。
その強いこわい人がまた、格好いいんだ。
喉がアレだったときとはまた、チガウ歪みや痛さも垣間見えてね。
回数観るうちに、どんどんわたしはクリアになっていった。
考えるのではなく、感じるようになった、というか。
ただもお、まっつを見る、それだけになった。
考えない。
ただ、彼をカッコイイと思う。
響く、歌声。
他のコーラスはほんとに「音」になり、ムーアの歌声だけがクリアに聞こえる。
彼に同調し、彼しか見えなくなる。
その、快感。
「正しき道を示さなければ」
と歌う、その歌声だけがわたしを満たす。まっすぐな矢となり、突き刺さる。
まっつの声が聞こえなくなるのと入れ違うように、キムくんの声が盛り上がってくるのも好き。
ふたりの、相容れない存在が、歌声にも表れている。
キムくんが歌っているのは、「I’m Free」だ。彼も、子どもたちもみんな一貫してその曲を歌っている。
だから曲のラストに「I’m Free!!」と叫ぶのは正しい。
「導いて 主よ」
と歌うまっつ、まったく別の歌を歌っているムーアまでもが、最後に「I’m Free!!」と叫ぶ。
そう、これは正義の聖戦。
子どもたちも、大人たちも、どちらも正しい。
客観的にどうこうじゃない、どちらも自分たちこそが「正しい」と思っている。
だから彼らはラストに叫ぶんだ。
「神様に聞こえるように」、声を上げて。
大人たちも、ムーアも。
わたし、このラストの「I’m Free!!」が好きで。
ムーア牧師が叫ぶ、「I’m Free!」が好き過ぎる。
冷徹な権力者、おそろしいラスボスが、拳を握って宣言するんだ。「I’m Free!」
独裁者の叫び。
うおおお、かっけーーっ!!
理屈じゃない。
ただもお、アタマ悪く、ハクハクしてる。
かっこいいかっこいいかっこいい。
まっつかっこいい。
……それしか考えてない(笑)。
2幕の教会の、レンとの会話とか、翌朝のミサの演説とか、彼の演技力のすごさに感動するところはちゃんとある。
ラストシーンのヴァイ@きゃびいとのラヴシーンや、まっつが歌うラヴソングと、ときめきまくるところはちゃんとある。
それとは別に、ただもお、格好良さに打ちのめされる。
口から心臓が飛び出るんじゃないかってくらい、ドキドキする。
「ミュージカル」としての演出のすごさだろうよ。
レンたち学生たちの歌とダンスの流れ、大好きなんだもの。血湧き肉躍るんだもの。
その「ミュージカル」としての力、わたしがもっとも好む演出・表現の中の一部として、ムーアさんが好み過ぎるの。
彼の歪みがどうとか、悲しさがとか、理屈はいいです、その辺考えるのも好みだし大好きだけど、とりあえず見ているときは置いておきます、ただもお、かっこいいっす。
ここのムーアさん、見ていたい。
ただもおエンドレスで、見ていたい。
こんなに好きでいいのか?!
ってくらい、好きだわー。
ライト変だから、顔も変に映ってるんだけどねー(笑)。
「きれいに映す」ことを考えていない画面にされてるんだけどねー。
それでも、すげーかっこいいのー。
アタマ悪いのー、それしかコトバ、出てこないのー。
ムーアさんの「I’m Free!」が好き。
あの握り拳が好き。
眉間の縦皺が好き。
1幕ラスト、泣きすぎで毎回大変っす(笑)。
キムくんたち若者に泣かされ、ムーアさんが格好良すぎて泣かされ。
消耗する。
しあわせ。
わたしが「ミュージカル」に求めるモノが、ここに凝縮されている。
ってことで、『フットルース』のこの場面について前日欄でえんえん書いた。
レン@キムくんがすごすぎること、かっこよすぎることも書いた。
この場面が、好き過ぎる。
毎回、若者たちの鬨の声に、涙を流している。
それとは、別に。
ここのムーア牧師@まっつが、好きだ。
いやもお、震えがくるぐらい。
好きすぎて、やばい。
自由への闘いを誓う少年たち。
子どもたちの希望を、勇気を、踏みにじるかのように高見に登場するムーア。
絶対権力。「神」に等しい男。
ライトの当たり方がまた、ひどくてね。
とことんまで彼を、「非人間的」に映しているの。
傷ゆえに心を閉ざしたムーアは、ある意味「化物」になっている。
他者との関わりを拒絶し、誰も理解しようとせず、過去と後悔だけに凝り固まり、攻撃することで自分を守り続けている……そんなムーアは、すでに「人間」じゃない。
別のナニかだ。
なにかおそろしい……かなしい、モノに変貌している。
それが表れた場面だ。
非人間的なライト。
「我々は正しき道を歩まねばならない」
正義を説きながら、彼こそがとてつもなく歪んでいる。
この、不細工に映るライト照らされ、顔立ち変わって見えるよなー、てなまっつさんがねえ……めちゃくちゃカッコイイの!!
冷酷さ半端ねえ。
こわさ半端ねえ。
これぞラスボス……!!
梅芸の最初の方、喉を痛めていたときのムーアさんが、すげー痛々しい人になっていて萌え狂った。
ラスボスとして冷酷に振る舞っているのに、壊れてしまいそうに哀しい人に見えた。
「我々は正しき道を歩まねばならない」……その台詞が、悲鳴に聞こえた。
誰か彼を助けて。
このままでは、彼は壊れてしまう。狂ってしまう。
なんてのは、ほんとそのときだけで。
喉の調子が良くなると、さらに強大なラスボスさんとして花開いていった(笑)。
こ・わ~~。
めちゃくちゃこわいー。
強くて固くてこわすぎるよこの人!!
歪みは見えるけれど、強くこわいところで安定した。や、とってもラスボスらしくね。
その強いこわい人がまた、格好いいんだ。
喉がアレだったときとはまた、チガウ歪みや痛さも垣間見えてね。
回数観るうちに、どんどんわたしはクリアになっていった。
考えるのではなく、感じるようになった、というか。
ただもお、まっつを見る、それだけになった。
考えない。
ただ、彼をカッコイイと思う。
響く、歌声。
他のコーラスはほんとに「音」になり、ムーアの歌声だけがクリアに聞こえる。
彼に同調し、彼しか見えなくなる。
その、快感。
「正しき道を示さなければ」
と歌う、その歌声だけがわたしを満たす。まっすぐな矢となり、突き刺さる。
まっつの声が聞こえなくなるのと入れ違うように、キムくんの声が盛り上がってくるのも好き。
ふたりの、相容れない存在が、歌声にも表れている。
キムくんが歌っているのは、「I’m Free」だ。彼も、子どもたちもみんな一貫してその曲を歌っている。
だから曲のラストに「I’m Free!!」と叫ぶのは正しい。
「導いて 主よ」
と歌うまっつ、まったく別の歌を歌っているムーアまでもが、最後に「I’m Free!!」と叫ぶ。
そう、これは正義の聖戦。
子どもたちも、大人たちも、どちらも正しい。
客観的にどうこうじゃない、どちらも自分たちこそが「正しい」と思っている。
だから彼らはラストに叫ぶんだ。
「神様に聞こえるように」、声を上げて。
大人たちも、ムーアも。
わたし、このラストの「I’m Free!!」が好きで。
ムーア牧師が叫ぶ、「I’m Free!」が好き過ぎる。
冷徹な権力者、おそろしいラスボスが、拳を握って宣言するんだ。「I’m Free!」
独裁者の叫び。
うおおお、かっけーーっ!!
理屈じゃない。
ただもお、アタマ悪く、ハクハクしてる。
かっこいいかっこいいかっこいい。
まっつかっこいい。
……それしか考えてない(笑)。
2幕の教会の、レンとの会話とか、翌朝のミサの演説とか、彼の演技力のすごさに感動するところはちゃんとある。
ラストシーンのヴァイ@きゃびいとのラヴシーンや、まっつが歌うラヴソングと、ときめきまくるところはちゃんとある。
それとは別に、ただもお、格好良さに打ちのめされる。
口から心臓が飛び出るんじゃないかってくらい、ドキドキする。
「ミュージカル」としての演出のすごさだろうよ。
レンたち学生たちの歌とダンスの流れ、大好きなんだもの。血湧き肉躍るんだもの。
その「ミュージカル」としての力、わたしがもっとも好む演出・表現の中の一部として、ムーアさんが好み過ぎるの。
彼の歪みがどうとか、悲しさがとか、理屈はいいです、その辺考えるのも好みだし大好きだけど、とりあえず見ているときは置いておきます、ただもお、かっこいいっす。
ここのムーアさん、見ていたい。
ただもおエンドレスで、見ていたい。
こんなに好きでいいのか?!
ってくらい、好きだわー。
ライト変だから、顔も変に映ってるんだけどねー(笑)。
「きれいに映す」ことを考えていない画面にされてるんだけどねー。
それでも、すげーかっこいいのー。
アタマ悪いのー、それしかコトバ、出てこないのー。
ムーアさんの「I’m Free!」が好き。
あの握り拳が好き。
眉間の縦皺が好き。
1幕ラスト、泣きすぎで毎回大変っす(笑)。
キムくんたち若者に泣かされ、ムーアさんが格好良すぎて泣かされ。
消耗する。
しあわせ。
世界が割れる音、その拳。@フットルース
2012年8月22日 タカラヅカ 「I’m Free」が好きだ。
わたしが「ミュージカル」に求めるモノが、ここに凝縮されている。
ふつーに芝居してりゃ済むものを、わざわざ歌う。踊る。
その意味。
テーマを表現するための、手段。
そこ、にたどり着くための道。方法。
それが、歌であり、ダンスである。
その場面で表現するもののタイプにもよるが、「描きたいテーマ」に対する、ほんとうの「最上級の表現」がぴたりとハマったときって、魂が、湧き立つ。
それは個人の感覚によるモノだから、わたしにとっての「最上級」が他人にとっても同じかどうかは、わからない。
ただ、「ミュージカル」という表現媒体は、うまくハマったときわたしにとてつもない快感を与えてくれる。
たとえそれが、悲しみの場面であっても、恐怖の場面であっても、幸福だとか癒しだとか、おだやかな場面であっても。
魂が、沸き立つ。
細胞がぐつぐつ煮えるのがわかる。
五感すべてが叫びだし、踊り出すのを感じる。
制御するのが、難しいくらい。
大人だから、羞恥心あるから、必死に耐えるけど。
わたしに理性がなく、本能だけのケモノだったら、まちがいなく立ち上がり、叫びだしている。
……そんな感覚。
や、滅多にないけどね。
まれに、ある。
そして『フットルース』の1幕ラスト、「I’m Free」は、そういった場面なんだ。
その場面のテーマと、曲と言葉とダンス、歌唱力とダンス力と演技力と、ビジュアルとストーリーとキャラクタが、完璧にマッチした。
フィクションを愉しむ、ミュージカルを愉しむ、すべてのベクトルが正しく重なり、ひとつの高見に向かって駆け上り、爆発した。
快感。
それは、快感だ。
わたしのすべてが叫び出す。
立ち上がり、叫びたい。
そう、踊り出したい。
Footloose……解き放たれるとは、こういう気分なのか。
や、物語のテーマを、理屈ではない部分で、体感できるの。
アタマで考えるのではなく、細胞にたたき込まれる感じ。
正しく、まっすぐな少年が言う。
「町議会とも闘うさ。自由のために!」
過去の傷にとらわれ、うつむくこと、あきらめることしか出来なかった者たちに。
長いものに巻かれてあきらめて、不満を抱きながらも楽をすることしか考えなかった者たちに。
現実から目を背け、逃げ出すことしか考えない者たちに。
拳を握ってみせる。
「闘う」という方法があることを示す。
「I’m Free!」
胸を張って。うつむくのでなくあきらめるのでなく逃げ出すのではなく。
自分自身に、叫べ。
「神様に聞こえるように!」
檻を破る音。
走り出す音。
世界が、割れる音。
少年たちの声が、ひとつになり、ダンスがはじまる。
それまではレン@キムひとりの歌だった。
それがみんなの合唱になり、同時にダンスもはじまる。彼らの「決意」が「行動」になる。心がアクションにつながる。
それが「ミュージカル」。
力強いダンス。
アクロバティックな振付。
女性には難しいんじゃ、てな筋力必要なことを、キムくんたち男子がダイナミックにこなし、観客を感嘆させる。さらに、彼らの輪の外側に、ピンスポが当たる。浮かび上がるのはダイアン@あゆみ、サラ@ひーこ。雪組を代表するダンサーふたりが、パワフルにダンスソロを決める。
この流れ!
殻を割らなければ、雛は生まれることが出来ない。
今ある世界を壊さなければ、新しい世界は創造できない。
殻を壊し、古い世界を壊す。
それは、若者の力。彼らに与えられた権利。……そして、使命。
ひとは、生まれなければならないんだ。
だから苦しくても、こわくても、進め、前へ。
まるで戦車のように隙なく固まる若者たちの上方に、「敵」が立つ。
彼らが反乱の旗を揚げれば、必ず制圧しに来るだろうとわかっていた強大な敵……ラスボスが現れる。
揺るぎない力で、反乱を叩きつぶすことを宣言する。
いやもおそりゃ、この闘いの過酷さ、これからはじまるドラマの波乱を予感させて。
このラスボス登場!!の演出に、ぞくぞくする。
この敵……物語のラスボスであるムーア牧師@まっつは、「悪」としての台詞を吐かない。
彼が口にするのはあくまでも「正道」だ。
「我々は正しき道を歩まねばならない」
「正しい」大人へ、「正しい」子どもたちが、闘いを挑む。
悪などない。
退治していい悪者がいるのは、テレビの中だけ。
ここは現実、わたしたちの世界。
ヒーローもいないし、悪もいない。
だから、拳を握り、声を上げる。
ヒーローでない、ごくふつーのわたしたちが、拳を握るんだ。
自分で、自分の信じたモノのために闘うんだ。
自分の力で。
自分の責任で。
「I’m Free」
叫ぶんだ。
この三重唱が、すごい。
「自由を手に入れろ」と歌う子どもたち、ミサの曲を歌う大人たち、ただひとりで「正しき道」を歌うムーア。
確固たる意志を歌う子どもたち、他人の言葉を歌う大人たち。
そのコーラスの中、ひとり響くムーアの声。「正義」のもと、すべての意志を押さえ込む、威圧する声。
やがて子どもたちのコーラスの中から、ひとりの声が明確に響き出す。
それまでひとりだったムーアの声を塗りつぶすように。入れ替わるように。
「掴み取る 人生を」……レンの声。
そして全員の叫び、「I’m Free」で暗転、幕。
この演出が、かっこよすぎる。
これぞ、ミュージカルだ。
血湧き、肉躍る。
じっとしてなんかいられない。
すごいもん見た。すごいものを見たんだ、見ているんだ!
その幸福な興奮。
カッコイイ。
それだけで、涙が出る。
レン@キムくんが、すごすぎる。
芝居もダンスもビジュアルも。
そしてなんといっても、歌声が。
ひとは、出会いによって成長する。
舞台人は、舞台に出会い、役に出会い、成長する。
キムくんは間違いなく、この作品と役に出会うことで、大きく成長した。
もともとうまい人で、なんでも出来る人だったけれど、ここに来てまた、大きく変貌した。
タカラヅカのトップスターという特殊な立場は、やはり数年経験しないといけないんだろう。
ただのポジションではないからだ。
この位置でしか出会えないナニかと出会い、さらに上のステージへ行くんだ……トップスターって。
トップになり、そこでさらに変わるんだ。成長するんだ。
音月桂は、ここからはじまるのだろう。
それがわかるだけに、くやしい。
何故、待てなかったのかと。
これからこそ彼は、新しい世界を、円熟した魅力を見せてくれただろうに。
「I’m Free」は、キムくんなくしては、存在できなかった場面だ。
これほどまでに「ミュージカル」なものを見せてもらえた。
その幸福感に酔う。
大好きだ、「I’m Free」。
わたしが「ミュージカル」に求めるモノが、ここに凝縮されている。
ふつーに芝居してりゃ済むものを、わざわざ歌う。踊る。
その意味。
テーマを表現するための、手段。
そこ、にたどり着くための道。方法。
それが、歌であり、ダンスである。
その場面で表現するもののタイプにもよるが、「描きたいテーマ」に対する、ほんとうの「最上級の表現」がぴたりとハマったときって、魂が、湧き立つ。
それは個人の感覚によるモノだから、わたしにとっての「最上級」が他人にとっても同じかどうかは、わからない。
ただ、「ミュージカル」という表現媒体は、うまくハマったときわたしにとてつもない快感を与えてくれる。
たとえそれが、悲しみの場面であっても、恐怖の場面であっても、幸福だとか癒しだとか、おだやかな場面であっても。
魂が、沸き立つ。
細胞がぐつぐつ煮えるのがわかる。
五感すべてが叫びだし、踊り出すのを感じる。
制御するのが、難しいくらい。
大人だから、羞恥心あるから、必死に耐えるけど。
わたしに理性がなく、本能だけのケモノだったら、まちがいなく立ち上がり、叫びだしている。
……そんな感覚。
や、滅多にないけどね。
まれに、ある。
そして『フットルース』の1幕ラスト、「I’m Free」は、そういった場面なんだ。
その場面のテーマと、曲と言葉とダンス、歌唱力とダンス力と演技力と、ビジュアルとストーリーとキャラクタが、完璧にマッチした。
フィクションを愉しむ、ミュージカルを愉しむ、すべてのベクトルが正しく重なり、ひとつの高見に向かって駆け上り、爆発した。
快感。
それは、快感だ。
わたしのすべてが叫び出す。
立ち上がり、叫びたい。
そう、踊り出したい。
Footloose……解き放たれるとは、こういう気分なのか。
や、物語のテーマを、理屈ではない部分で、体感できるの。
アタマで考えるのではなく、細胞にたたき込まれる感じ。
正しく、まっすぐな少年が言う。
「町議会とも闘うさ。自由のために!」
過去の傷にとらわれ、うつむくこと、あきらめることしか出来なかった者たちに。
長いものに巻かれてあきらめて、不満を抱きながらも楽をすることしか考えなかった者たちに。
現実から目を背け、逃げ出すことしか考えない者たちに。
拳を握ってみせる。
「闘う」という方法があることを示す。
「I’m Free!」
胸を張って。うつむくのでなくあきらめるのでなく逃げ出すのではなく。
自分自身に、叫べ。
「神様に聞こえるように!」
檻を破る音。
走り出す音。
世界が、割れる音。
少年たちの声が、ひとつになり、ダンスがはじまる。
それまではレン@キムひとりの歌だった。
それがみんなの合唱になり、同時にダンスもはじまる。彼らの「決意」が「行動」になる。心がアクションにつながる。
それが「ミュージカル」。
力強いダンス。
アクロバティックな振付。
女性には難しいんじゃ、てな筋力必要なことを、キムくんたち男子がダイナミックにこなし、観客を感嘆させる。さらに、彼らの輪の外側に、ピンスポが当たる。浮かび上がるのはダイアン@あゆみ、サラ@ひーこ。雪組を代表するダンサーふたりが、パワフルにダンスソロを決める。
この流れ!
殻を割らなければ、雛は生まれることが出来ない。
今ある世界を壊さなければ、新しい世界は創造できない。
殻を壊し、古い世界を壊す。
それは、若者の力。彼らに与えられた権利。……そして、使命。
ひとは、生まれなければならないんだ。
だから苦しくても、こわくても、進め、前へ。
まるで戦車のように隙なく固まる若者たちの上方に、「敵」が立つ。
彼らが反乱の旗を揚げれば、必ず制圧しに来るだろうとわかっていた強大な敵……ラスボスが現れる。
揺るぎない力で、反乱を叩きつぶすことを宣言する。
いやもおそりゃ、この闘いの過酷さ、これからはじまるドラマの波乱を予感させて。
このラスボス登場!!の演出に、ぞくぞくする。
この敵……物語のラスボスであるムーア牧師@まっつは、「悪」としての台詞を吐かない。
彼が口にするのはあくまでも「正道」だ。
「我々は正しき道を歩まねばならない」
「正しい」大人へ、「正しい」子どもたちが、闘いを挑む。
悪などない。
退治していい悪者がいるのは、テレビの中だけ。
ここは現実、わたしたちの世界。
ヒーローもいないし、悪もいない。
だから、拳を握り、声を上げる。
ヒーローでない、ごくふつーのわたしたちが、拳を握るんだ。
自分で、自分の信じたモノのために闘うんだ。
自分の力で。
自分の責任で。
「I’m Free」
叫ぶんだ。
この三重唱が、すごい。
「自由を手に入れろ」と歌う子どもたち、ミサの曲を歌う大人たち、ただひとりで「正しき道」を歌うムーア。
確固たる意志を歌う子どもたち、他人の言葉を歌う大人たち。
そのコーラスの中、ひとり響くムーアの声。「正義」のもと、すべての意志を押さえ込む、威圧する声。
やがて子どもたちのコーラスの中から、ひとりの声が明確に響き出す。
それまでひとりだったムーアの声を塗りつぶすように。入れ替わるように。
「掴み取る 人生を」……レンの声。
そして全員の叫び、「I’m Free」で暗転、幕。
この演出が、かっこよすぎる。
これぞ、ミュージカルだ。
血湧き、肉躍る。
じっとしてなんかいられない。
すごいもん見た。すごいものを見たんだ、見ているんだ!
その幸福な興奮。
カッコイイ。
それだけで、涙が出る。
レン@キムくんが、すごすぎる。
芝居もダンスもビジュアルも。
そしてなんといっても、歌声が。
ひとは、出会いによって成長する。
舞台人は、舞台に出会い、役に出会い、成長する。
キムくんは間違いなく、この作品と役に出会うことで、大きく成長した。
もともとうまい人で、なんでも出来る人だったけれど、ここに来てまた、大きく変貌した。
タカラヅカのトップスターという特殊な立場は、やはり数年経験しないといけないんだろう。
ただのポジションではないからだ。
この位置でしか出会えないナニかと出会い、さらに上のステージへ行くんだ……トップスターって。
トップになり、そこでさらに変わるんだ。成長するんだ。
音月桂は、ここからはじまるのだろう。
それがわかるだけに、くやしい。
何故、待てなかったのかと。
これからこそ彼は、新しい世界を、円熟した魅力を見せてくれただろうに。
「I’m Free」は、キムくんなくしては、存在できなかった場面だ。
これほどまでに「ミュージカル」なものを見せてもらえた。
その幸福感に酔う。
大好きだ、「I’m Free」。
陽が昇らない国の、ちっぽけな王様だから。@フットルース
2012年8月21日 タカラヅカ 『フットルース』のムーア牧師@まっつって、別に大した人じゃないよね。
っていうか、聖人君子じゃないよね。
町の権力者で歩く法律。
……ていう段階ですでに、ろくなもんじゃないと思う。
真の人格者は独裁なんかしない。
心を閉ざしているからとか、昔はたくさんの人を救い導いていたとか、言い訳みたいな情報はもういいから。
そーゆー設定の上で君臨しているけれど、実はすごく小物っちゅーか……人間くさい、感情的な人だよね(笑)。
彼の最初の登場シーン。
牧師として、ミサでお説教しているところ。
あれ、嘘くさいよね?(笑)
人格者、聖職者、尊敬される牧師様……を、装っている感じがもお、たまりません!!
や、一見すがすがしいんだけどね。ちゃんと猫かぶってるんだけどね。猫をかぶってもう5年、堂々たるモノだけどね。
あちこちで、ボロが出ている。
本来の「小せぇな」(not身長)ってところが、垣間見える。
初対面のレン@キムくんに、「ヨロシク!」と握手を求められたときの、顔。
人格者なら、高校生に「目上の者への敬意がない」屈託のなさで手を差し出されても、寛大に受け止めようよ。
いちばんひどいのは、チャック@きんぐへの態度。
町いちばんの不良、チャックを嫌いなのはよくわかる。そりゃそーだろうさ。厳格にルール遵守を掲げる牧師様が、いちばん許せないタイプだろうさ。
だけど、ソレを顔に出したらいかんだろ?
最初のミサにおいて、調子に乗ったレンが「レンです!」と大声で自己紹介したとき、チャックがチャラけてそれを真似る。
レンの「レンです!」に対しては、礼儀の範囲をわきまえない子どもへの驚きに過ぎないんだけど、ソレを真似たチャックの「レンです!」に対しては。
あからさまな、侮蔑と苛立ちの目を向ける。
ちょ……っ、牧師様。目! 目!
本音出てる、人格者の目じゃないからそれ! 牧師様の目じゃないからそれ!
で、内心かなりイラッとしたらしい。
牧師様は説教台に戻るときに、苛々と指で台を叩く。
うっわー……。
これ、目の前でやられたら引くよー?
怒ってること、不快だってこと、そのまま表してるよーなもんじゃん。
あ、つまんなこと言っちゃった、彼怒ってるかな? と、向かいに坐る彼をちらりと見ればなにごともない様子で……苛々と指でテーブルを叩いている!
「ご、ごめん、怒った?」
「なにが?(笑顔)」
ひぃいいいっ、めちゃくちゃ怒ってる~~!!
てな感じですよね。
素直に注意すればいいものを、それをせずに寛大なふりをしつつ、実は根に持っている、という、最悪のケース。
牧師様、小さい。
人間が小さいわーー!!
こんだけ大嫌いなチャックが、愛娘アリエル@みみちゃんのボーイフレンドだとわかり、超絶怒ってるし。
めちゃくちゃ冷たい、こわい目でチャックを睨め付けながら、彼をなじることは一切しない、表面的には丁重な態度を取るし。
そんな目でひとを、まだ未熟な青年を睨め付けてはいけませんて。若者はまだ人格形成途上なのであって、いい年した大人がそーゆー切り捨て方・決めつけ方をするのは最悪です。
アリエルへの態度も、黙って説教台を指で叩くのと同じ。
言いたいことがあれば言えばいいのに、本音は言わずに意地悪な態度を取る。
子どもか。
レンを嫌うのも、彼の表面的な不作法さゆえ。カタチだけ見て、本質まで見ようとしない。
まあ、いちばんアゴが落ちるのは、妻のヴァイ@きゃびいに絶交宣言するところ。
親に嘘をついて夜遊びをする娘。心配しているんだと言っても聞かない、思わず手を上げそうになって……途方に暮れる。なにをどうすればいいのかわからない、と。
そんなムーアに、ヴァイはやさしく思いやりのあふれる励ましの言葉をかける。歌いかける。
「あなたにもきっとわかる」「あなたは素晴らしい説教師よ」「ただ、娘との新しい関係を築くことが出来ていないのよ」
こんだけ優しい言葉を掛けられ、理解を示してくれているのに、だ。
ムーアさんの返事は。
「君だけは私の味方だと思っていたよ」
おま……っ、話、聞いてへんかったんかいっ!!
アゴが落ちる。
ヴァイがムーアを責めていたならともかく、完全に味方に立ってくれてたじゃん!!
ヴァイさん今、すげーいい話してたんだよ? なあ、マジ感動話してたんだって!
なのにお前、聞いてなかったんかいっ。
最初の方のアリエルの肩を持つ意見と、最後の「娘との新しい関係を築くことが出来ていない」だけ聞いて、敵認定しやがったな?
途中の話、聞いてなかったろ、自分の思いの中に沈み込んで。
会話、噛み合ってなかったもんな。
ヴァイの話に、自分の中だけの言葉をぽつんと返してた。
も、こいつなんとかして。
最悪。
どんだけ自分勝手なの。小せぇの。
ほんとに……。
大好き(笑)。
その自分勝手で小さいところが、たまらんわ。
さすが、自分だけがいちばん傷ついたと思い込んで、悲劇のヒロイン気取るだけじゃなく、町中巻き込んで鎖国させただけあるわ。
思い込み激しくて迷惑なヤツ。
で、自分が解き放たれたら、町中同じよーにしようとするし。
今、陽が昇る。朝の説教で晴れ晴れと前言撤回しやがるの。えっと、昨夜ですよね、ダンスパーティ完全拒否したの。
禁止もムーア、解禁もムーア、なにもかも彼ひとりの都合。
ああもお、バカでウザくて、最高。
傷つきやすくて繊細で、ヲトメで面倒くさくて、素敵に萌えキャラだわ!
ムーアが聖人君子ではない、欠点だらけの人間だってのがいい。
だからこそ、町中巻き込んで、こんな騒ぎになった。
それくらい、愛に弱い人。
愛が弱点の人。
膝を折るのも、起ち上がるのも、原因は、愛。
まあ、なんだ。
フェリペ二世もそうだったけどさ。
こんな奴に、権力握らせるな、ってことだな(笑)。
あーもー、大好き。
っていうか、聖人君子じゃないよね。
町の権力者で歩く法律。
……ていう段階ですでに、ろくなもんじゃないと思う。
真の人格者は独裁なんかしない。
心を閉ざしているからとか、昔はたくさんの人を救い導いていたとか、言い訳みたいな情報はもういいから。
そーゆー設定の上で君臨しているけれど、実はすごく小物っちゅーか……人間くさい、感情的な人だよね(笑)。
彼の最初の登場シーン。
牧師として、ミサでお説教しているところ。
あれ、嘘くさいよね?(笑)
人格者、聖職者、尊敬される牧師様……を、装っている感じがもお、たまりません!!
や、一見すがすがしいんだけどね。ちゃんと猫かぶってるんだけどね。猫をかぶってもう5年、堂々たるモノだけどね。
あちこちで、ボロが出ている。
本来の「小せぇな」(not身長)ってところが、垣間見える。
初対面のレン@キムくんに、「ヨロシク!」と握手を求められたときの、顔。
人格者なら、高校生に「目上の者への敬意がない」屈託のなさで手を差し出されても、寛大に受け止めようよ。
いちばんひどいのは、チャック@きんぐへの態度。
町いちばんの不良、チャックを嫌いなのはよくわかる。そりゃそーだろうさ。厳格にルール遵守を掲げる牧師様が、いちばん許せないタイプだろうさ。
だけど、ソレを顔に出したらいかんだろ?
最初のミサにおいて、調子に乗ったレンが「レンです!」と大声で自己紹介したとき、チャックがチャラけてそれを真似る。
レンの「レンです!」に対しては、礼儀の範囲をわきまえない子どもへの驚きに過ぎないんだけど、ソレを真似たチャックの「レンです!」に対しては。
あからさまな、侮蔑と苛立ちの目を向ける。
ちょ……っ、牧師様。目! 目!
本音出てる、人格者の目じゃないからそれ! 牧師様の目じゃないからそれ!
で、内心かなりイラッとしたらしい。
牧師様は説教台に戻るときに、苛々と指で台を叩く。
うっわー……。
これ、目の前でやられたら引くよー?
怒ってること、不快だってこと、そのまま表してるよーなもんじゃん。
あ、つまんなこと言っちゃった、彼怒ってるかな? と、向かいに坐る彼をちらりと見ればなにごともない様子で……苛々と指でテーブルを叩いている!
「ご、ごめん、怒った?」
「なにが?(笑顔)」
ひぃいいいっ、めちゃくちゃ怒ってる~~!!
てな感じですよね。
素直に注意すればいいものを、それをせずに寛大なふりをしつつ、実は根に持っている、という、最悪のケース。
牧師様、小さい。
人間が小さいわーー!!
こんだけ大嫌いなチャックが、愛娘アリエル@みみちゃんのボーイフレンドだとわかり、超絶怒ってるし。
めちゃくちゃ冷たい、こわい目でチャックを睨め付けながら、彼をなじることは一切しない、表面的には丁重な態度を取るし。
そんな目でひとを、まだ未熟な青年を睨め付けてはいけませんて。若者はまだ人格形成途上なのであって、いい年した大人がそーゆー切り捨て方・決めつけ方をするのは最悪です。
アリエルへの態度も、黙って説教台を指で叩くのと同じ。
言いたいことがあれば言えばいいのに、本音は言わずに意地悪な態度を取る。
子どもか。
レンを嫌うのも、彼の表面的な不作法さゆえ。カタチだけ見て、本質まで見ようとしない。
まあ、いちばんアゴが落ちるのは、妻のヴァイ@きゃびいに絶交宣言するところ。
親に嘘をついて夜遊びをする娘。心配しているんだと言っても聞かない、思わず手を上げそうになって……途方に暮れる。なにをどうすればいいのかわからない、と。
そんなムーアに、ヴァイはやさしく思いやりのあふれる励ましの言葉をかける。歌いかける。
「あなたにもきっとわかる」「あなたは素晴らしい説教師よ」「ただ、娘との新しい関係を築くことが出来ていないのよ」
こんだけ優しい言葉を掛けられ、理解を示してくれているのに、だ。
ムーアさんの返事は。
「君だけは私の味方だと思っていたよ」
おま……っ、話、聞いてへんかったんかいっ!!
アゴが落ちる。
ヴァイがムーアを責めていたならともかく、完全に味方に立ってくれてたじゃん!!
ヴァイさん今、すげーいい話してたんだよ? なあ、マジ感動話してたんだって!
なのにお前、聞いてなかったんかいっ。
最初の方のアリエルの肩を持つ意見と、最後の「娘との新しい関係を築くことが出来ていない」だけ聞いて、敵認定しやがったな?
途中の話、聞いてなかったろ、自分の思いの中に沈み込んで。
会話、噛み合ってなかったもんな。
ヴァイの話に、自分の中だけの言葉をぽつんと返してた。
も、こいつなんとかして。
最悪。
どんだけ自分勝手なの。小せぇの。
ほんとに……。
大好き(笑)。
その自分勝手で小さいところが、たまらんわ。
さすが、自分だけがいちばん傷ついたと思い込んで、悲劇のヒロイン気取るだけじゃなく、町中巻き込んで鎖国させただけあるわ。
思い込み激しくて迷惑なヤツ。
で、自分が解き放たれたら、町中同じよーにしようとするし。
今、陽が昇る。朝の説教で晴れ晴れと前言撤回しやがるの。えっと、昨夜ですよね、ダンスパーティ完全拒否したの。
禁止もムーア、解禁もムーア、なにもかも彼ひとりの都合。
ああもお、バカでウザくて、最高。
傷つきやすくて繊細で、ヲトメで面倒くさくて、素敵に萌えキャラだわ!
ムーアが聖人君子ではない、欠点だらけの人間だってのがいい。
だからこそ、町中巻き込んで、こんな騒ぎになった。
それくらい、愛に弱い人。
愛が弱点の人。
膝を折るのも、起ち上がるのも、原因は、愛。
まあ、なんだ。
フェリペ二世もそうだったけどさ。
こんな奴に、権力握らせるな、ってことだな(笑)。
あーもー、大好き。