ラヴソング。@フットルース
2012年8月20日 タカラヅカ 君の心の中に
私はまだ住んでいるのだろうか?
長い沈黙が許されるのなら
今もう一度 やり直したい
手を取り合って
『フットルース』のエピローグ的な場面で、ムーア牧師@まっつが妻のヴァイ@きゃびいへ歌う。
ここの場面ってさー、いろいろとすごいよねー。
ムーア牧師は、妻のヴァイに問いかけるわけだ。「ひどいことしちゃったけど、まだ愛されてるのかな? 許してもらえるのかな?」と。
ええ、質問系ですよ、一応。
で、「許してくれるなら、やり直したい」と続くわけですな。
まず、質問からです。
でも。
肯定されることを前提に、質問してやがる、この男(笑)。
愛されていること、許されること、わかっていて、言ってやがる。
ひどい。
ひどいわ~~!!(笑)
ここのまつださんの芝居が、すごくて。
言葉の上では質問系。
だけどムーアのこの台詞っていうか、作品の演出では、相手の答えを知った上で、「下手に出る」感じ。
だってムーアさん、ひとことも、謝ってない。
悪かったことは認めてるけど、謝罪はしないの(笑)。
で、上から目線で、あえて下手に出てやるの。
相手の気持ちを、返事をわかった上で。
それがね、すごくいいの。
悪かったことは認めている、それでも許され、愛されていることも知っている。
その事実に対する、甘え。
そして、「許され、愛されていることに対し、甘えている」ことに対する、はにかみ。
甘えて、はにかんで、バツが悪いことも承知の上で、それでも答えを欲する、妻への愛情。
さらに、男の傲慢さや、ずるさも垣間見えるの。それに対する心の揺らぎも見えるの。
それらが、見事に表現されているわけですよ!!
この歌と、芝居に。
ナマの芝居だから、いつも成分が同じなわけじゃない。
甘え成分多めのときとか、はにかみ成分多めのときとか、いろいろあるよ。
ちょっとつっけんどんになってみたり、最初からあまあまムードになっていたり。
しかし、細かい。
芝居がすげー細かい。
心がひとつではなく、いろんな感情が同時に存在していることが、わかる。
ムーア牧師は、心が動いているときは、ポケットに手を入れる。
ヴァイに対し、この「謝らない、わかっている答えをあえて求める」という語りかけをするときもまた、ポケットに手を入れている。
そして、妻と抱き合い、チークを踊ったあと、肩を抱いて退場する際も、空いた方の手はポケットに入れている。
ムーア牧師がとびきり「人間」らしい反応を見せているときの癖。
ヴァイへのこの語りかけは、なんつーか、「夫婦」であり、「家族」ゆえなんだなあと思う。
彼が、言葉にしては謝らないこと。
ヴァイの気持ちも反応もわかっていながら、あえて質問のカタチを取って尋ねること。
こんな「甘え」が出来ること、許されること。
それは、ムーアがムーアだからであり、ヴァイがヴァイであるから。
夫婦であるから。家族であるから。
男と女、であること。
まつださんをすごいと思うのは、この複雑なモノを内包した演技を、ほんとに自然に説得力に富み、かつエロく演じていること。
主人公が高校生である以上、その親世代なんて対象外になりがちじゃん? 恋愛していいのは、観客をときめかせていいのは主人公である高校生たち、その親なんてただの年寄り、恋愛やときめき以外担当!でも、おかしくない。
なのにムーアさん、とびきり現役色男。
心を閉ざしていてアレですよ、んでフットルースしちゃった、解き放っちゃった途端、フェロモン解禁ですよ。
とんでもないなヲイ。
この人マジに芝居うまいんだ!と、今さら、またしても顎を落とす。
こんな芝居が出来る人なんだ……。
なんて今、改めて思うのはですね。
ラヴソングを歌うまっつを、はじめて見た。……からなのですよ。
はじめて。
ファンになってから。
タカラヅカはシステム上、主要キャラクターしか愛を語らない、歌わない。短い上演時間で起承転結するために、脇のキャラの愛だ恋だまで拾っていられない。
そりゃショーでは愛に関係した歌も歌っていただろうけど、物語も相手役もなしに歌うのはノーカウント。
まっつは本公演の芝居で主要キャラクタを演じることは長らくなかったし、バウやDCなどで2番手を演じる機会はあっても、何故か恋愛関係ない役ばかりだった。
まっつには恋愛させたくないの? 愛を語らせたり、ラヴシーンさせたくないの?
どういうことなのよ演出家?!
と、詰め寄りたくなるわー。
その他大勢でしかなかった本公演は仕方ないとしても、2番手ならふつーあるだろ? ねえ?
てゆーか、まっつが2番手やったのって、海馬教授(ヘンタイ)と相沢(ホモ)とプガチョフ(ホモ)?!
女は言い訳、主人公(男)の海馬を追いかけていた海馬教授の変態ぶりはともかく、相沢とプガチョフは別にホモぢゃないけど、作品中女より誰より主人公(男)を愛していたキャラなので……。
2番手じゃないけど、とても大きな役だった張良先生も、相手役ははっちさんだったりえりたんだったり、してたしなあ。
まっつには女より男なの?! 恋愛より友情なの?!
それが演出家の共通見解なのかしら……。
前回の本公演、『ドン・カルロス』にしたって、原作はフェリペ二世も交えた三角関係なのに、演出家がわざわざオリジナル設定加えて別モノにしちゃったしね。
おかげでフェリペ二世、「愛すれば愛するほど♪」とか一見愛の歌あったけど、別にラヴソングちがう……ただの自己正当化ソング……相手不在……。最終的に、若い嫁といい雰囲気にはなっていたけど、テーマはそこになかった。
やはり、まっつには女と恋愛させたく……ゲフンゲフン。
そんな人だからほんと、ラヴソングを聴いたことがなかった。
歌ウマなのに! 歌ウマにラヴソング歌わせようよ歌劇団! 歌劇団なんだから!
てことで。
今、はじめての、ラヴソング。
甘ったるさとストイックさの、絶妙のブレンド。
芝居の巧さに加えて、歌唱力という武器を使った表現の幅と深さ。
まっつのラヴソング、パネェ!!
こんなすごいことになるのか。
わたしがはじめて見るまっつで、はじめて聴くまっつの歌声だった。
まっつオチして7年。今さら、こんな歌を聴けるなんて……。
しみじみと、しんしんと深い。
浸透してくるような、歌声。愛情。
それは、ゆっくりとぴったりと、隙間をなくすように抱きしめる、彼の抱擁に似て。
毒が、深い。
逃げられなくなる(笑)。
私はまだ住んでいるのだろうか?
長い沈黙が許されるのなら
今もう一度 やり直したい
手を取り合って
『フットルース』のエピローグ的な場面で、ムーア牧師@まっつが妻のヴァイ@きゃびいへ歌う。
ここの場面ってさー、いろいろとすごいよねー。
ムーア牧師は、妻のヴァイに問いかけるわけだ。「ひどいことしちゃったけど、まだ愛されてるのかな? 許してもらえるのかな?」と。
ええ、質問系ですよ、一応。
で、「許してくれるなら、やり直したい」と続くわけですな。
まず、質問からです。
でも。
肯定されることを前提に、質問してやがる、この男(笑)。
愛されていること、許されること、わかっていて、言ってやがる。
ひどい。
ひどいわ~~!!(笑)
ここのまつださんの芝居が、すごくて。
言葉の上では質問系。
だけどムーアのこの台詞っていうか、作品の演出では、相手の答えを知った上で、「下手に出る」感じ。
だってムーアさん、ひとことも、謝ってない。
悪かったことは認めてるけど、謝罪はしないの(笑)。
で、上から目線で、あえて下手に出てやるの。
相手の気持ちを、返事をわかった上で。
それがね、すごくいいの。
悪かったことは認めている、それでも許され、愛されていることも知っている。
その事実に対する、甘え。
そして、「許され、愛されていることに対し、甘えている」ことに対する、はにかみ。
甘えて、はにかんで、バツが悪いことも承知の上で、それでも答えを欲する、妻への愛情。
さらに、男の傲慢さや、ずるさも垣間見えるの。それに対する心の揺らぎも見えるの。
それらが、見事に表現されているわけですよ!!
この歌と、芝居に。
ナマの芝居だから、いつも成分が同じなわけじゃない。
甘え成分多めのときとか、はにかみ成分多めのときとか、いろいろあるよ。
ちょっとつっけんどんになってみたり、最初からあまあまムードになっていたり。
しかし、細かい。
芝居がすげー細かい。
心がひとつではなく、いろんな感情が同時に存在していることが、わかる。
ムーア牧師は、心が動いているときは、ポケットに手を入れる。
ヴァイに対し、この「謝らない、わかっている答えをあえて求める」という語りかけをするときもまた、ポケットに手を入れている。
そして、妻と抱き合い、チークを踊ったあと、肩を抱いて退場する際も、空いた方の手はポケットに入れている。
ムーア牧師がとびきり「人間」らしい反応を見せているときの癖。
ヴァイへのこの語りかけは、なんつーか、「夫婦」であり、「家族」ゆえなんだなあと思う。
彼が、言葉にしては謝らないこと。
ヴァイの気持ちも反応もわかっていながら、あえて質問のカタチを取って尋ねること。
こんな「甘え」が出来ること、許されること。
それは、ムーアがムーアだからであり、ヴァイがヴァイであるから。
夫婦であるから。家族であるから。
男と女、であること。
まつださんをすごいと思うのは、この複雑なモノを内包した演技を、ほんとに自然に説得力に富み、かつエロく演じていること。
主人公が高校生である以上、その親世代なんて対象外になりがちじゃん? 恋愛していいのは、観客をときめかせていいのは主人公である高校生たち、その親なんてただの年寄り、恋愛やときめき以外担当!でも、おかしくない。
なのにムーアさん、とびきり現役色男。
心を閉ざしていてアレですよ、んでフットルースしちゃった、解き放っちゃった途端、フェロモン解禁ですよ。
とんでもないなヲイ。
この人マジに芝居うまいんだ!と、今さら、またしても顎を落とす。
こんな芝居が出来る人なんだ……。
なんて今、改めて思うのはですね。
ラヴソングを歌うまっつを、はじめて見た。……からなのですよ。
はじめて。
ファンになってから。
タカラヅカはシステム上、主要キャラクターしか愛を語らない、歌わない。短い上演時間で起承転結するために、脇のキャラの愛だ恋だまで拾っていられない。
そりゃショーでは愛に関係した歌も歌っていただろうけど、物語も相手役もなしに歌うのはノーカウント。
まっつは本公演の芝居で主要キャラクタを演じることは長らくなかったし、バウやDCなどで2番手を演じる機会はあっても、何故か恋愛関係ない役ばかりだった。
まっつには恋愛させたくないの? 愛を語らせたり、ラヴシーンさせたくないの?
どういうことなのよ演出家?!
と、詰め寄りたくなるわー。
その他大勢でしかなかった本公演は仕方ないとしても、2番手ならふつーあるだろ? ねえ?
てゆーか、まっつが2番手やったのって、海馬教授(ヘンタイ)と相沢(ホモ)とプガチョフ(ホモ)?!
女は言い訳、主人公(男)の海馬を追いかけていた海馬教授の変態ぶりはともかく、相沢とプガチョフは別にホモぢゃないけど、作品中女より誰より主人公(男)を愛していたキャラなので……。
2番手じゃないけど、とても大きな役だった張良先生も、相手役ははっちさんだったりえりたんだったり、してたしなあ。
まっつには女より男なの?! 恋愛より友情なの?!
それが演出家の共通見解なのかしら……。
前回の本公演、『ドン・カルロス』にしたって、原作はフェリペ二世も交えた三角関係なのに、演出家がわざわざオリジナル設定加えて別モノにしちゃったしね。
おかげでフェリペ二世、「愛すれば愛するほど♪」とか一見愛の歌あったけど、別にラヴソングちがう……ただの自己正当化ソング……相手不在……。最終的に、若い嫁といい雰囲気にはなっていたけど、テーマはそこになかった。
やはり、まっつには女と恋愛させたく……ゲフンゲフン。
そんな人だからほんと、ラヴソングを聴いたことがなかった。
歌ウマなのに! 歌ウマにラヴソング歌わせようよ歌劇団! 歌劇団なんだから!
てことで。
今、はじめての、ラヴソング。
甘ったるさとストイックさの、絶妙のブレンド。
芝居の巧さに加えて、歌唱力という武器を使った表現の幅と深さ。
まっつのラヴソング、パネェ!!
こんなすごいことになるのか。
わたしがはじめて見るまっつで、はじめて聴くまっつの歌声だった。
まっつオチして7年。今さら、こんな歌を聴けるなんて……。
しみじみと、しんしんと深い。
浸透してくるような、歌声。愛情。
それは、ゆっくりとぴったりと、隙間をなくすように抱きしめる、彼の抱擁に似て。
毒が、深い。
逃げられなくなる(笑)。
彼を弱くするのは、ただひとり残された娘。@フットルース
2012年8月19日 タカラヅカ ちょろっとしか見えない、『フットルース』のムーアさん@まっつのかわいい場面について。
レン@キムとアリエル@みみちゃんの線路沿いデートが終わり、ガタンゴトンと列車のSEだけが響く中、舞台中央にムーア家のセットが用意されている。
上手端にレンとアリエル、しぶるレンを、アリエルが「うちに寄っていって」と口説いているときに、本舞台のライトが点く。
ムーア家では、ポーカーナイトの最中。
とても不自然に、客席にぞろりと顔を見せてテーブルに着いた4人の大人たちが、トランプをしている。
ここのムーアさん、要チェック。
ライトが点いて、ダンバー先生@香音くんが喋り出すまでのわずかな間。
ムーアさん、心ここにあらず。
トランプをしてはいるけど、集中してないの。
そんな状態じゃ、そりゃゲームに負けるわな、という。
ダンバー先生は、アリエルがまだ帰宅していない、夜遊びをしているってことを、知らない。彼は意気揚々とトランプをしている。
でもムーア夫妻は、娘がまだ帰っていないことを知っている。それでもなお、客人にそのことを告げずに、なにごともないかのように遊んでみせているんだ。
……たぶん、ダンバーさんに知らせるとうざいから(笑)、みんなで内緒にしたんだろうなあ。
エレノア@いのりちゃんも、一枚噛んでそうだ。
ダンバー先生は教師としてではなく、ムーアさんの友人としてそこにいるんだろう。
ふつー父の友人がやってきたら、娘は挨拶に出てくるよな。
それをわざわざ「アリエルは2階で勉強中」だということにして、「顔出さなくても不自然ではない」状況に仕立て上げたんだろう。ダンバーさん以外の大人たちが。
アリエル不在を隠してしまった以上、心配している顔はできない。知らんぷりして賭けポーカー。
だけど牧師様、娘が心配で、心ここにあらず。
集中していない様子でカードを手にしているムーアさんが、すげーかわいい。
なのに、「私の勝ちですよ! 1ドル25セントお支払いください」とうれしそーに言い出すダンバーさん。
彼にそう言われ、ムーアさんは浮いていた心を現実に引き戻す。
で、
「どうしてトランプをしているときはいつも、神は私の願いを聞いてくださらないのだろう」
という、めちゃくちゃかわいい台詞につながるのな。
真剣にやって負けたんじゃなくて、ぼうっとしていたから負けるべくして負けて、それでこんな子どもじみた愚痴を言う。
ベストと緩めたネクタイ姿、二つ折りの黒財布。
いちいち、たまらん。
もうひとつ、ちょろっとしか見えないかわいいムーアさん。
これもまた、娘絡み。
帰りが遅いなーと思っていたら、チャック@きんぐがやってきた。チャイムを鳴らさず、石を投げる合図で。いつもこうやって、自分の知らないところで娘はナニをやってんだ、と不安めらめらしている牧師様。
チャックは追い返したけれど、さてアリエルはどうしたんだ?
「ウェンディ=ジョーの家にいるって……」
と、ヴァイ@きゃびいが状況説明をはじめるなり、ムーアさん、無言で回れ右。
この無言で回れ右、ガウンの裾たなびいちゃいます、という勢いが、むちゃかわいいっ。
ほんとに一瞬。
すぐさまヴァイが「電話しても無駄よ。そこにはいないって」と続けるから。
さすが夫婦。ムーアさんが電話しようと回れ右したと、わかったんだ(笑)。
わたしは妻じゃないので、わかんなかった。
ムーアさんがなんで突然すごい顔で回れ右したのか。
ヴァイの台詞で「電話するつもりだったのか」とわかったけど。
帰ってこない娘の居場所がわかったら電話をしてみる、っていうのは、行動としてはわかるけど、それならまず、会話しようよ。
居場所を聞くなり無言でダッシュ!って。
まず「居場所がわかっているなら、電話するべきだ」とかなんとか、奥さんの言葉に返さないか? 会話途中で無言でそこからいなくなる気か。
そこまで追い詰められているなら、そうなる前に奥さんと会話しておきなさいよ、ふたりで家にいたわけでしょ?
心配なくせに、なにも言わずにじれじれしていたの?
なんで帰ってこないんだ、なにをしているんだ、誰と一緒なんだ……内心心配でぐるぐるしているのに、奥さんに「アリエルはどこへ行ったんだ」のひとことも言えずにいたのか。
不自由すぎて、萌えます。
かーわーいーいー。
「おとーさん」としか言えないガウンとチョッキ姿で、居場所聞くなり無言でダッシュ、その八の字に寄った眉と情けない顔が、かわいすぎる。
怒ってないの。
ほんとうに、ただ心配しているの。不安なの。
不快になるのは他の要因が加わったとき。
アリエル個人のことは、ただただ心配している。
口答えするアリエルを殴りかけ、上げた手を振り下ろすことなく固まっているときも、実に萌え顔してますが。
でも個人的に、そういう激しいアクションをしているときでなく、日常の中の一瞬、だからこそムーアさんの内心がこぼれている表情が好き。
表情と言えば、「デヴィッド・ボウイがゲイ」という話をしているときの、謎の表情(笑)と、1幕ラストのラスボス宣言……「正しい道を歩まねばならない」のこわすぎる顔が好きだなー。
いや、ラストのヴァイとの場面とか、もちろんレンに口説き落とされる(笑)ところとか、アリエルに抱きしめられるところとか、そのあとのソロとか、数え出すとキリがないけど、とりあえず。
一瞬で流れてしまうけどわたし的見逃せない!ポイント。
ムーアさんが、かわいすぎる。
レン@キムとアリエル@みみちゃんの線路沿いデートが終わり、ガタンゴトンと列車のSEだけが響く中、舞台中央にムーア家のセットが用意されている。
上手端にレンとアリエル、しぶるレンを、アリエルが「うちに寄っていって」と口説いているときに、本舞台のライトが点く。
ムーア家では、ポーカーナイトの最中。
とても不自然に、客席にぞろりと顔を見せてテーブルに着いた4人の大人たちが、トランプをしている。
ここのムーアさん、要チェック。
ライトが点いて、ダンバー先生@香音くんが喋り出すまでのわずかな間。
ムーアさん、心ここにあらず。
トランプをしてはいるけど、集中してないの。
そんな状態じゃ、そりゃゲームに負けるわな、という。
ダンバー先生は、アリエルがまだ帰宅していない、夜遊びをしているってことを、知らない。彼は意気揚々とトランプをしている。
でもムーア夫妻は、娘がまだ帰っていないことを知っている。それでもなお、客人にそのことを告げずに、なにごともないかのように遊んでみせているんだ。
……たぶん、ダンバーさんに知らせるとうざいから(笑)、みんなで内緒にしたんだろうなあ。
エレノア@いのりちゃんも、一枚噛んでそうだ。
ダンバー先生は教師としてではなく、ムーアさんの友人としてそこにいるんだろう。
ふつー父の友人がやってきたら、娘は挨拶に出てくるよな。
それをわざわざ「アリエルは2階で勉強中」だということにして、「顔出さなくても不自然ではない」状況に仕立て上げたんだろう。ダンバーさん以外の大人たちが。
アリエル不在を隠してしまった以上、心配している顔はできない。知らんぷりして賭けポーカー。
だけど牧師様、娘が心配で、心ここにあらず。
集中していない様子でカードを手にしているムーアさんが、すげーかわいい。
なのに、「私の勝ちですよ! 1ドル25セントお支払いください」とうれしそーに言い出すダンバーさん。
彼にそう言われ、ムーアさんは浮いていた心を現実に引き戻す。
で、
「どうしてトランプをしているときはいつも、神は私の願いを聞いてくださらないのだろう」
という、めちゃくちゃかわいい台詞につながるのな。
真剣にやって負けたんじゃなくて、ぼうっとしていたから負けるべくして負けて、それでこんな子どもじみた愚痴を言う。
ベストと緩めたネクタイ姿、二つ折りの黒財布。
いちいち、たまらん。
もうひとつ、ちょろっとしか見えないかわいいムーアさん。
これもまた、娘絡み。
帰りが遅いなーと思っていたら、チャック@きんぐがやってきた。チャイムを鳴らさず、石を投げる合図で。いつもこうやって、自分の知らないところで娘はナニをやってんだ、と不安めらめらしている牧師様。
チャックは追い返したけれど、さてアリエルはどうしたんだ?
「ウェンディ=ジョーの家にいるって……」
と、ヴァイ@きゃびいが状況説明をはじめるなり、ムーアさん、無言で回れ右。
この無言で回れ右、ガウンの裾たなびいちゃいます、という勢いが、むちゃかわいいっ。
ほんとに一瞬。
すぐさまヴァイが「電話しても無駄よ。そこにはいないって」と続けるから。
さすが夫婦。ムーアさんが電話しようと回れ右したと、わかったんだ(笑)。
わたしは妻じゃないので、わかんなかった。
ムーアさんがなんで突然すごい顔で回れ右したのか。
ヴァイの台詞で「電話するつもりだったのか」とわかったけど。
帰ってこない娘の居場所がわかったら電話をしてみる、っていうのは、行動としてはわかるけど、それならまず、会話しようよ。
居場所を聞くなり無言でダッシュ!って。
まず「居場所がわかっているなら、電話するべきだ」とかなんとか、奥さんの言葉に返さないか? 会話途中で無言でそこからいなくなる気か。
そこまで追い詰められているなら、そうなる前に奥さんと会話しておきなさいよ、ふたりで家にいたわけでしょ?
心配なくせに、なにも言わずにじれじれしていたの?
なんで帰ってこないんだ、なにをしているんだ、誰と一緒なんだ……内心心配でぐるぐるしているのに、奥さんに「アリエルはどこへ行ったんだ」のひとことも言えずにいたのか。
不自由すぎて、萌えます。
かーわーいーいー。
「おとーさん」としか言えないガウンとチョッキ姿で、居場所聞くなり無言でダッシュ、その八の字に寄った眉と情けない顔が、かわいすぎる。
怒ってないの。
ほんとうに、ただ心配しているの。不安なの。
不快になるのは他の要因が加わったとき。
アリエル個人のことは、ただただ心配している。
口答えするアリエルを殴りかけ、上げた手を振り下ろすことなく固まっているときも、実に萌え顔してますが。
でも個人的に、そういう激しいアクションをしているときでなく、日常の中の一瞬、だからこそムーアさんの内心がこぼれている表情が好き。
表情と言えば、「デヴィッド・ボウイがゲイ」という話をしているときの、謎の表情(笑)と、1幕ラストのラスボス宣言……「正しい道を歩まねばならない」のこわすぎる顔が好きだなー。
いや、ラストのヴァイとの場面とか、もちろんレンに口説き落とされる(笑)ところとか、アリエルに抱きしめられるところとか、そのあとのソロとか、数え出すとキリがないけど、とりあえず。
一瞬で流れてしまうけどわたし的見逃せない!ポイント。
ムーアさんが、かわいすぎる。
そして、矢が突き刺さる。@フットルース
2012年8月18日 タカラヅカ 『フットルース』博多座版を観て、梅芸とチガウ!!と感動した、実はいちばんの箇所は。
レンのエアー矢を仕舞うタイミング。
ここを変えるか……!(笑)
ダンバー夫妻も交えてポーカーをしているムーア夫妻。
そこへ、アリエルがレンをつれて帰ってきた……という、あの場面。
レン「僕が来たら部屋が空っぽになっちゃいましたね」
牧師「素晴らしい才能だね(棒読み)」
レン「ありがとうございます!」
牧師「誉めたわけではないよ」
レン「グサッ! (エアー矢が胸に刺さる)」
レン「ううう……(エアー矢に苦しむ)」
レン「くうっ(エアー矢を抜く)」
レン「うわあああ~~!!(エアー矢を握り、牧師に突撃)」
牧師「…………(終始、冷たい目)」
レン「…………じゃ(回れ右して、逃げ帰る)」
この作品中最大のコント場面(笑)にて、梅芸と博多で変化が!!
梅芸では、ムーア牧師@まっつにエアー矢を突きつけ、牧師様に冷たい目でスルーされたあと、レン@キムはくるっと背を向けて「じゃ!」と逃げ帰る、その逃げ帰るときについでっぽく矢を仕舞っていたの。
くるりと逃げ帰る最中にやっているので、わかりにくかった。言われてはじめて「たしかに仕舞ってる」と気づくぐらい。
それが博多では。
レン「うわあああ~~!!(エアー矢を握り、牧師に突撃)」
牧師「…………(終始、冷たい目)」
レン「…………(すごすごとエアー矢を仕舞う)」
レン「……じゃ!(回れ右して、逃げ帰る)」
無視されたあと、まず矢を仕舞って、それから「じゃ!」とやっているので、矢の行方がよくわかる!!
よりによってココを工夫して、よりわかりやすくする、って、その努力の方向性に、全力でウケた。
なんつー無駄なところを、きめ細かく変更して来るのか……!!
すげえ。タカラジェンヌすげえ!!(笑)
ついでにいうと、このあとのレンのアドリブ台詞も好きです。
これは博多だから梅芸だからではなく、その場限り、その回限りのことなんだろうけど、余計なひとことを言って場を凍らせ、捨て身のギャグもダダすべりして、立つ瀬のないレン。
そんな彼が、その場を逃げ出してひとりになったときに、地団駄踏んで後悔するところが、すごく好き。
そこはアドリブらしくて、毎回てきとーにチガウこと言ってる。
多いのが「またやっちゃったよ……!」とかかなー。「なんであんなこと……」とか。
いちばん萌えなのが、「なんで俺は……っ!!」など、レンの一人称「俺」ですわ。
レンの一人称は、「僕」。
優等生ではない、という描き方をしているのに、レンの一人称は「僕」なの。
ねえこれって、キムくんへのアテ書きよね?
レンってキャラ設定だけみれば、「俺」キャラだと思うんだ。なのにわざわざ「僕」なのは、輝かしいヲタクオンナ小柳タンの感性ゆえ!だと思っている。
レンは「俺」キャラでも、キムは「僕」キャラ。
だから、キムが演じるレンは「僕」。
レンは「僕」でいいと思う! キムくんの王子さまフェイスとヴォイスで「僕」は鉄板!!
だけど、そんなレンがつい「俺」と言ってしまう瞬間。
大失敗をして取り乱す、地団駄踏んであうあうしている瞬間だけ、「俺」と言う……それが萌えなの!!
キムくんが意識してやっているとは、特に思わない。
「レン」として生きていたら、つい出ちゃうんだろう。「俺」って言葉が。
普段「僕」でも、時と場合によって「俺」になることって、あるよねえ?
その本人も無意識の瞬間の男っぽさにときめくの!!
うわーん、レン好きだーー。
何回か、「俺」を聞いたの。あああ、ときめく。
レンが「小僧」でないことが、すごくうれしい。
ウィラード@コマが「アリエルはいろんな人とキスしたことがある」とものすごく大事件のように打ち明けるときに、「それだけかよ」と笑って流してしまうところや、「アリエルは君が好きなんじゃないかな」と言われても、「なんで?」とふつーに返してしまえるところ。
純情チェリーボーイなら、「キス」だけで大問題なんだろうし(ウィラードたちボーモント高校トリオにとっては大いにこだわるところ!)、気になる女の子が「好きなんじゃないか」と言われたら、真っ赤になって取り乱すんだろう(ウィラードは「ラスティを好きなんだろ」と言われ、取り乱す)。
だけどレンはすべてにおいて、平常心。
キスごときなんとも思わないし、そんなことで女の子の価値を下げない。
女の子からの好意の有無で、舞い上がったり取り乱したりしない。
レンは、子どもぢゃない。
シカゴにいたときに、なにかと経験を積んでいるんだろう。
それが特別なことではなく、彼がタラシだったとかワルだったということではなく、それが自然であったということなんだろう。
ふつーに女の子とつきあって、恋したり別れたり、していたんだろう。
レンがふつーで、そして男らしいことに、いちいちときめく。
博多座で4回観劇し、4回ともいろーんな席で観た。
そのうち1回が、前方席の右端で。
まっつファン的に今回は下手席がベスト、牧師様の萌え表情は下手からでないと見えないことが多々あるので、前方上手端はうれしい席ぢゃないっす。
ここの牧師様が見たいのに!! ってときに、彼の背中しか見えない悲しさよ……とほほ。
しかし。
前方上手端ってさあ、レンくんビュー特等席だよね。
クライマックスの、牧師様を口説くレンくんを真正面から見られる。(かわりに牧師様はろくに見えない・笑)
そして、なにより。
翌朝の、「解き放たれた想い」を語る牧師様を見つめるレンが、よく見える。
この場面、レンくんは下手側に、客席に背を向けるカタチで立ってるからさー。
彼は舞台センター奥にいる牧師様を見つめているわけだからさー。
上手端からでないと、レンの顔が見えない。
真ん中より下手側なら後ろ姿、上手寄りでなんとか横顔。
上手最端にて、はじめて顔がほぼ全部見えた。
その、レンの表情ってば。
ものすごく「男らしい」貌をしていた。
大人の男の顔だった。
教会でダダ泣きしていた少年ではなく。
ずきゅん。
……ちょ。
撃ち抜かれましたがな。
なななななんて貌で、ムーア牧師を見つめているのよおおおおっ。
んでもって、ムーア牧師はやわらかい、預けきった瞳をレンに向けるし。
ちょ……っ、ちょっ、おまいら……!!
いろいろいろいろ、うろたえました。
萌え死ぬかと。
力関係、逆転している。
教会では一応、少年と大人だったのに。息子と父だったのに。
朝のお説教では、大人の男とヒロインになってる……!! 見守る強いモノと、その庇護の中で安心して翼を広げるモノになってる……!!
面白いなあ、『フットルース』。
面白いなあ、キムとまっつ。
レンのエアー矢を仕舞うタイミング。
ここを変えるか……!(笑)
ダンバー夫妻も交えてポーカーをしているムーア夫妻。
そこへ、アリエルがレンをつれて帰ってきた……という、あの場面。
レン「僕が来たら部屋が空っぽになっちゃいましたね」
牧師「素晴らしい才能だね(棒読み)」
レン「ありがとうございます!」
牧師「誉めたわけではないよ」
レン「グサッ! (エアー矢が胸に刺さる)」
レン「ううう……(エアー矢に苦しむ)」
レン「くうっ(エアー矢を抜く)」
レン「うわあああ~~!!(エアー矢を握り、牧師に突撃)」
牧師「…………(終始、冷たい目)」
レン「…………じゃ(回れ右して、逃げ帰る)」
この作品中最大のコント場面(笑)にて、梅芸と博多で変化が!!
梅芸では、ムーア牧師@まっつにエアー矢を突きつけ、牧師様に冷たい目でスルーされたあと、レン@キムはくるっと背を向けて「じゃ!」と逃げ帰る、その逃げ帰るときについでっぽく矢を仕舞っていたの。
くるりと逃げ帰る最中にやっているので、わかりにくかった。言われてはじめて「たしかに仕舞ってる」と気づくぐらい。
それが博多では。
レン「うわあああ~~!!(エアー矢を握り、牧師に突撃)」
牧師「…………(終始、冷たい目)」
レン「…………(すごすごとエアー矢を仕舞う)」
レン「……じゃ!(回れ右して、逃げ帰る)」
無視されたあと、まず矢を仕舞って、それから「じゃ!」とやっているので、矢の行方がよくわかる!!
よりによってココを工夫して、よりわかりやすくする、って、その努力の方向性に、全力でウケた。
なんつー無駄なところを、きめ細かく変更して来るのか……!!
すげえ。タカラジェンヌすげえ!!(笑)
ついでにいうと、このあとのレンのアドリブ台詞も好きです。
これは博多だから梅芸だからではなく、その場限り、その回限りのことなんだろうけど、余計なひとことを言って場を凍らせ、捨て身のギャグもダダすべりして、立つ瀬のないレン。
そんな彼が、その場を逃げ出してひとりになったときに、地団駄踏んで後悔するところが、すごく好き。
そこはアドリブらしくて、毎回てきとーにチガウこと言ってる。
多いのが「またやっちゃったよ……!」とかかなー。「なんであんなこと……」とか。
いちばん萌えなのが、「なんで俺は……っ!!」など、レンの一人称「俺」ですわ。
レンの一人称は、「僕」。
優等生ではない、という描き方をしているのに、レンの一人称は「僕」なの。
ねえこれって、キムくんへのアテ書きよね?
レンってキャラ設定だけみれば、「俺」キャラだと思うんだ。なのにわざわざ「僕」なのは、輝かしいヲタクオンナ小柳タンの感性ゆえ!だと思っている。
レンは「俺」キャラでも、キムは「僕」キャラ。
だから、キムが演じるレンは「僕」。
レンは「僕」でいいと思う! キムくんの王子さまフェイスとヴォイスで「僕」は鉄板!!
だけど、そんなレンがつい「俺」と言ってしまう瞬間。
大失敗をして取り乱す、地団駄踏んであうあうしている瞬間だけ、「俺」と言う……それが萌えなの!!
キムくんが意識してやっているとは、特に思わない。
「レン」として生きていたら、つい出ちゃうんだろう。「俺」って言葉が。
普段「僕」でも、時と場合によって「俺」になることって、あるよねえ?
その本人も無意識の瞬間の男っぽさにときめくの!!
うわーん、レン好きだーー。
何回か、「俺」を聞いたの。あああ、ときめく。
レンが「小僧」でないことが、すごくうれしい。
ウィラード@コマが「アリエルはいろんな人とキスしたことがある」とものすごく大事件のように打ち明けるときに、「それだけかよ」と笑って流してしまうところや、「アリエルは君が好きなんじゃないかな」と言われても、「なんで?」とふつーに返してしまえるところ。
純情チェリーボーイなら、「キス」だけで大問題なんだろうし(ウィラードたちボーモント高校トリオにとっては大いにこだわるところ!)、気になる女の子が「好きなんじゃないか」と言われたら、真っ赤になって取り乱すんだろう(ウィラードは「ラスティを好きなんだろ」と言われ、取り乱す)。
だけどレンはすべてにおいて、平常心。
キスごときなんとも思わないし、そんなことで女の子の価値を下げない。
女の子からの好意の有無で、舞い上がったり取り乱したりしない。
レンは、子どもぢゃない。
シカゴにいたときに、なにかと経験を積んでいるんだろう。
それが特別なことではなく、彼がタラシだったとかワルだったということではなく、それが自然であったということなんだろう。
ふつーに女の子とつきあって、恋したり別れたり、していたんだろう。
レンがふつーで、そして男らしいことに、いちいちときめく。
博多座で4回観劇し、4回ともいろーんな席で観た。
そのうち1回が、前方席の右端で。
まっつファン的に今回は下手席がベスト、牧師様の萌え表情は下手からでないと見えないことが多々あるので、前方上手端はうれしい席ぢゃないっす。
ここの牧師様が見たいのに!! ってときに、彼の背中しか見えない悲しさよ……とほほ。
しかし。
前方上手端ってさあ、レンくんビュー特等席だよね。
クライマックスの、牧師様を口説くレンくんを真正面から見られる。(かわりに牧師様はろくに見えない・笑)
そして、なにより。
翌朝の、「解き放たれた想い」を語る牧師様を見つめるレンが、よく見える。
この場面、レンくんは下手側に、客席に背を向けるカタチで立ってるからさー。
彼は舞台センター奥にいる牧師様を見つめているわけだからさー。
上手端からでないと、レンの顔が見えない。
真ん中より下手側なら後ろ姿、上手寄りでなんとか横顔。
上手最端にて、はじめて顔がほぼ全部見えた。
その、レンの表情ってば。
ものすごく「男らしい」貌をしていた。
大人の男の顔だった。
教会でダダ泣きしていた少年ではなく。
ずきゅん。
……ちょ。
撃ち抜かれましたがな。
なななななんて貌で、ムーア牧師を見つめているのよおおおおっ。
んでもって、ムーア牧師はやわらかい、預けきった瞳をレンに向けるし。
ちょ……っ、ちょっ、おまいら……!!
いろいろいろいろ、うろたえました。
萌え死ぬかと。
力関係、逆転している。
教会では一応、少年と大人だったのに。息子と父だったのに。
朝のお説教では、大人の男とヒロインになってる……!! 見守る強いモノと、その庇護の中で安心して翼を広げるモノになってる……!!
面白いなあ、『フットルース』。
面白いなあ、キムとまっつ。
博多で踊る!@フットルース
2012年8月17日 タカラヅカ 『フットルース』博多座で気づいたこと。
オープニングの拍手。梅芸ではせいぜいコマまでで、みみちゃん登場時には拍手がほとんどない、そっから先はナシ、だったのが、そのあとの男たち4人まで入ってる。
オープニングはキャラ紹介も兼ねているというか、プロローグのレン@キムのシカゴの導入が終わり、幕が上がるとボーモント高校の面々がいる。
まずピンライトを浴びてセンターで歌い出すのがチャック@きんぐ。次にウィラード@コマがライト+センター。ここまでは「スター登場」っぽいので拍手入るけど、さすがに同じ演出が3回続くと観客は慣れてしまって拍手しなくなる。
3回目のアリエル@みみちゃんは演出的に拍手は入りにくい。彼女がトップ娘役だと、この作品のヒロインだとわかっている人たちが意識的に拍手をしない限り。
演出が変わったわけじゃないのに、アリエルまでふつーに拍手が入っているのは、意志を持った人たちが仕切ってくれているのか、博多の人たちは同じ演出が何回くり返されても全部拍手をしてくれる習性なのか。
アリエルのあとはセンターにピンではなく、4人の男子、咲奈・ホタテ、まなはる・レオが一列に並んで前に出るんだが、そこまで拍手入るんだもん。やっぱ意志かなあ。だとしたら、そのあとの女の子3人、あゆっち・さらさ・えーちゃんまで入れても同じことだと思うんだけど、何故かここは入らない。
女子3人までが「キャラクタ紹介」なのに、彼女たちの直前まで拍手……力尽きるのかな。
幕が開いて10日ほどだったから、そっから先さらに拍手は多くなっているかもしれない?
あと、フィナーレのデュエダン、みみちゃん登場時も確実に拍手入る。梅芸では入ったり入らなかったりしてたけど。
ヒロインへの拍手はうれしい。や、個人的に。
いろんな人の台詞の言い方やタイミングなど、ナマモノゆえの多少変化は当たり前だけど。
中でも、意図的に変えているんだろうとわかるのは、エセル@ヒメ。
最初に登場したときの、台詞ニュアンスが変わっている。
蒸発した夫のことを語っているくだり。
まあどっちがどうとも言えないっちゅーかどっちもありだと思うけど、わたしは梅芸のときの方が好き。梅芸で見たとき「うまいなあ」と思ったので、博多座版は「あ、変わっちゃったんだ……しょぼん」という感じ。
わかりやすくなったけど、ちょっと残念、なのは教会でのウィラードの席。
最初のミサで、主要人物のウィラード、チャック、ラスティ@あゆっちは3人並んで下手側の一番前に坐っている。
この席順が、博多で変わっていた。
梅芸では手前から、ラスティ・ウィラード・チャックだったのね。ウィラードは真ん中。
ムーア牧師@まっつのお説教を聞きながらうたた寝してしまうウィラードが、「こんな風に」と目の前で手を叩かれて、牧師様に起こされる、という演出は同じ。
この「こんな風に」は、その後ウィラードがレンにやってみせることもあり、ナニ気にポイント。
牧師様がナニをしたのかよくわからなくてはならないのと同時に、ちゃんと観客の心に残らなければならない。
だからわかりやすくするために、ウィラードを一番手前、客席に近い位置にして、牧師に起こされたときに椅子から大きくずり落ちる博多演出は、よくなったのだと思う。
ただ、個人的に、梅芸演出もかわいくて好きだった。
うたた寝ウィラードはまずチャックにもたれ掛かるのだわ。
で、チャックが「なんだこいつ、うぜえ」と振りほどき、その反動でラスティにもたれ掛かる。ラスティは好きな男の子にもたれ掛かられて「きゃっ」と喜ぶ……。
わたしこの、チャック×ウィラードが好きでねえ……(笑)。
チャックの肩にもたれてしあわせそーに眠るウィラード、ってよくないですか? かわいくないですか?
よいですとも! かわいいですとも!
そして、ウィラードに乗っかられて「ん?」てな顔するチャック、「うざっ」と振りほどくチャックがまた、すげーかわいいのですよ!
博多では客席側にいるウィラードは、うたた寝しても倒れかかる相手はラスティしかいないので、最初からラスティにもたれ掛かってラスティ「きゃっ」で……たしかにそれでいいし、それが正しいんだけど、ちょっと残念(笑)。
それに、ウィラードはあれで紳士だから、チャックの隣にラスティを坐らせたりしないと思うのね。危険じゃん? ナニがどうじゃないけど、自分が盾になる意味でも、チャックとラスティの間に坐ると思うのね。
チャックはアリエル目当てでミサに参加しているので、アリエルからいちばん近いあの席を譲らないだろうし。
演出的には博多が正しいけど、キャラの性格的には梅芸が正しいかなーと思う。
博多座ではご当地アドリブが入ることになり、1幕教会でのエレノア@いのりちゃんのクッキーネタと、2幕のボブ@がおりくんのラスティとの会話、レンの演説練習にて、毎日なにかしらやっている。
尺がある程度ある、ボブがフリーダムだなあ。がおりくんは、タカラジェンヌとしてどこへ向かっているのか、楽しみかつ不安でもある(笑)。
レンの「お足元の悪い中……」は、梅芸からずーっと見ている人はその進化(笑)っぷりがわかるからいいけど、いきなり博多を見た人は、わけわかんないんじゃ?ってくらい、無理矢理だわー(笑)。
梅芸の最初は「お足元の悪い中」と言おうとして「おあしもと……おあし……」と噛んじゃって言い直しているうちに、よく似たチガウ言葉を言ってしまう、というカタチで笑いを取っていた。
だから口にする言葉は基本、「おあしもと」のどこかの音と同じ言葉や似たリズムの言葉とか。
それが博多では「言い間違い」ですらない(笑)。
「おあし……」のあとは、ナニ言ってもOK!になってる。
それはそれで楽しいけど、もう少し「言い間違い」だとわかるようにしてくれても、わたしは好きかなー。
客席が最初から温まっているというか、「立って踊って良し!」になっているのは、ありがたい。
梅芸では半分くらいの日程まで、「おそるおそる」「周囲の反応を見て」だったからなー。
タカラヅカで新しいことをするってのは、それが浸透するまで1公演掛かっちゃったりするんだね。雪組だからってもあるかもしんないけど。
『フットルース』は踊ってイイ、と認識されたみたいなんで、自分が立つかどうかはともかく、「決まった」感がすっきりして良かった。あの「どうする……?」「こまった……」という客席のとまどいは、置き去り感を増長させる。
「そういうもの」だという立ち位置の決まった感じが、爽快ですよ、博多座公演!
博多座は設備もスタッフもおみやげ屋さんも充実、気持ちのいい劇場。
博多まで行って博多座以外どこも行ってませんが(笑)、悔いのない遠征でした。
オープニングの拍手。梅芸ではせいぜいコマまでで、みみちゃん登場時には拍手がほとんどない、そっから先はナシ、だったのが、そのあとの男たち4人まで入ってる。
オープニングはキャラ紹介も兼ねているというか、プロローグのレン@キムのシカゴの導入が終わり、幕が上がるとボーモント高校の面々がいる。
まずピンライトを浴びてセンターで歌い出すのがチャック@きんぐ。次にウィラード@コマがライト+センター。ここまでは「スター登場」っぽいので拍手入るけど、さすがに同じ演出が3回続くと観客は慣れてしまって拍手しなくなる。
3回目のアリエル@みみちゃんは演出的に拍手は入りにくい。彼女がトップ娘役だと、この作品のヒロインだとわかっている人たちが意識的に拍手をしない限り。
演出が変わったわけじゃないのに、アリエルまでふつーに拍手が入っているのは、意志を持った人たちが仕切ってくれているのか、博多の人たちは同じ演出が何回くり返されても全部拍手をしてくれる習性なのか。
アリエルのあとはセンターにピンではなく、4人の男子、咲奈・ホタテ、まなはる・レオが一列に並んで前に出るんだが、そこまで拍手入るんだもん。やっぱ意志かなあ。だとしたら、そのあとの女の子3人、あゆっち・さらさ・えーちゃんまで入れても同じことだと思うんだけど、何故かここは入らない。
女子3人までが「キャラクタ紹介」なのに、彼女たちの直前まで拍手……力尽きるのかな。
幕が開いて10日ほどだったから、そっから先さらに拍手は多くなっているかもしれない?
あと、フィナーレのデュエダン、みみちゃん登場時も確実に拍手入る。梅芸では入ったり入らなかったりしてたけど。
ヒロインへの拍手はうれしい。や、個人的に。
いろんな人の台詞の言い方やタイミングなど、ナマモノゆえの多少変化は当たり前だけど。
中でも、意図的に変えているんだろうとわかるのは、エセル@ヒメ。
最初に登場したときの、台詞ニュアンスが変わっている。
蒸発した夫のことを語っているくだり。
まあどっちがどうとも言えないっちゅーかどっちもありだと思うけど、わたしは梅芸のときの方が好き。梅芸で見たとき「うまいなあ」と思ったので、博多座版は「あ、変わっちゃったんだ……しょぼん」という感じ。
わかりやすくなったけど、ちょっと残念、なのは教会でのウィラードの席。
最初のミサで、主要人物のウィラード、チャック、ラスティ@あゆっちは3人並んで下手側の一番前に坐っている。
この席順が、博多で変わっていた。
梅芸では手前から、ラスティ・ウィラード・チャックだったのね。ウィラードは真ん中。
ムーア牧師@まっつのお説教を聞きながらうたた寝してしまうウィラードが、「こんな風に」と目の前で手を叩かれて、牧師様に起こされる、という演出は同じ。
この「こんな風に」は、その後ウィラードがレンにやってみせることもあり、ナニ気にポイント。
牧師様がナニをしたのかよくわからなくてはならないのと同時に、ちゃんと観客の心に残らなければならない。
だからわかりやすくするために、ウィラードを一番手前、客席に近い位置にして、牧師に起こされたときに椅子から大きくずり落ちる博多演出は、よくなったのだと思う。
ただ、個人的に、梅芸演出もかわいくて好きだった。
うたた寝ウィラードはまずチャックにもたれ掛かるのだわ。
で、チャックが「なんだこいつ、うぜえ」と振りほどき、その反動でラスティにもたれ掛かる。ラスティは好きな男の子にもたれ掛かられて「きゃっ」と喜ぶ……。
わたしこの、チャック×ウィラードが好きでねえ……(笑)。
チャックの肩にもたれてしあわせそーに眠るウィラード、ってよくないですか? かわいくないですか?
よいですとも! かわいいですとも!
そして、ウィラードに乗っかられて「ん?」てな顔するチャック、「うざっ」と振りほどくチャックがまた、すげーかわいいのですよ!
博多では客席側にいるウィラードは、うたた寝しても倒れかかる相手はラスティしかいないので、最初からラスティにもたれ掛かってラスティ「きゃっ」で……たしかにそれでいいし、それが正しいんだけど、ちょっと残念(笑)。
それに、ウィラードはあれで紳士だから、チャックの隣にラスティを坐らせたりしないと思うのね。危険じゃん? ナニがどうじゃないけど、自分が盾になる意味でも、チャックとラスティの間に坐ると思うのね。
チャックはアリエル目当てでミサに参加しているので、アリエルからいちばん近いあの席を譲らないだろうし。
演出的には博多が正しいけど、キャラの性格的には梅芸が正しいかなーと思う。
博多座ではご当地アドリブが入ることになり、1幕教会でのエレノア@いのりちゃんのクッキーネタと、2幕のボブ@がおりくんのラスティとの会話、レンの演説練習にて、毎日なにかしらやっている。
尺がある程度ある、ボブがフリーダムだなあ。がおりくんは、タカラジェンヌとしてどこへ向かっているのか、楽しみかつ不安でもある(笑)。
レンの「お足元の悪い中……」は、梅芸からずーっと見ている人はその進化(笑)っぷりがわかるからいいけど、いきなり博多を見た人は、わけわかんないんじゃ?ってくらい、無理矢理だわー(笑)。
梅芸の最初は「お足元の悪い中」と言おうとして「おあしもと……おあし……」と噛んじゃって言い直しているうちに、よく似たチガウ言葉を言ってしまう、というカタチで笑いを取っていた。
だから口にする言葉は基本、「おあしもと」のどこかの音と同じ言葉や似たリズムの言葉とか。
それが博多では「言い間違い」ですらない(笑)。
「おあし……」のあとは、ナニ言ってもOK!になってる。
それはそれで楽しいけど、もう少し「言い間違い」だとわかるようにしてくれても、わたしは好きかなー。
客席が最初から温まっているというか、「立って踊って良し!」になっているのは、ありがたい。
梅芸では半分くらいの日程まで、「おそるおそる」「周囲の反応を見て」だったからなー。
タカラヅカで新しいことをするってのは、それが浸透するまで1公演掛かっちゃったりするんだね。雪組だからってもあるかもしんないけど。
『フットルース』は踊ってイイ、と認識されたみたいなんで、自分が立つかどうかはともかく、「決まった」感がすっきりして良かった。あの「どうする……?」「こまった……」という客席のとまどいは、置き去り感を増長させる。
「そういうもの」だという立ち位置の決まった感じが、爽快ですよ、博多座公演!
博多座は設備もスタッフもおみやげ屋さんも充実、気持ちのいい劇場。
博多まで行って博多座以外どこも行ってませんが(笑)、悔いのない遠征でした。
愛は重く、現実も重い。@フットルース
2012年8月16日 タカラヅカ 愛が試されるとき。
レンはアリエルが大好き。ラヴラヴ。
アリエルは父ムーア牧師への反抗心から、父の嫌う赤いカウボーイブーツを履き、父の嫌う不良少年チャックとつきあっていた。
だけど父と和解し、レンとラヴラヴになった今、アリエルは無理に悪ぶる必要がなくなった。
もう赤いカウボーイブーツを履く必要はない。
解き放たれたアリエルは、本来の彼女に戻る。
つまり。
年齢不詳の白いブラウスに、ふくらはぎまであるハンパな丈のスカート。色はもちろん地味なおばさん色。
白い三つ折りソックスに、ストラップ付きの黒のエナメルシューズ。
髪は太い三つ編み。
手には分厚い本。
しかも、分厚いまん丸メガネ付き。
「……ア、アリエル……?」
驚愕するシティボーイのレン。この田舎町にそぐわないトンがったオシャレな女の子アリエルはどこに??
アリエルの姿はまるで……そう、母親そっくりの服装センスだ。
「これが本来のわたしなの」
にっこり笑うアリエルは、間違いなく牧師の娘、地味でダサくて真面目だけが取り柄の女の子。
その上読書と勉強が好きだったりするので、視力も低下、ほんとはメガネが必要だった。
ミセス・ムーアの服装を見ていたら、わかるよね。グレる前のアリエルがどんなファッションの女の子だったか。
あのダサい服装がムーア牧師の好み、そしてパパを大好きなアリエルが、牧師の好みに忠実に育つことぐらい、誰でもわかる……。
「レンはこういう服、キライ……?」
「………………い、いや、そんなことないよ。クールだと思うな」
愛が試されるとき。
見た目だけで好きになったわけじゃない。最初に教会で見かけたとき、「かわいい♪」と興味津々釘付けだった、イカした女の子。そうさ別に、外見なんか……。
うん。
外見なんかで、愛は変わらないよね。
がんばれ、レン。
愛が試されるとき。
レンはムーア牧師と和解、ファザコンのケがあるだけに牧師様大好きに。
ムーア牧師は冷静で知的な町の指導者。5年前の痛ましい事故で心を閉ざし、厳格さに非情さを加えて町を支配してきた。
だけどレンとの話し合いにより傷から解き放たれ、心を閉ざして生きることはなくなった。
ムーア牧師は、本来の彼に戻る。
つまり。
「頑張れ頑張れできるできる絶対できる頑張れもっとやれるってやれる気持ちの問題だ頑張れ頑張れそこだ!」
背景に炎、目には星、涙は心の汗だ、熱血説教師がそこに!!
「もうダメです牧師様。僕なんて……っ」
「なにを言うんだっ。あきらめたらそこで終わりだろう! あと1回叩けば壊れる壁かもしれないんだ、なのにそこであきらめてしまうのかっ?! たとえあと1回があと1万回続いたとして、それで壊れなかったとしても、あきらめずに叩き続けたという自信が君に残るんだ。なにも無駄なことなどナイ、少年よ顔を上げ前へ進むのだっ!!!」
「牧師様……っ!!」
がしっと抱き合う牧師と迷える子羊。滝のように流れる目の幅の涙。
アリエルが言ってたっけ。「昔の父さんはたくさんの人を教え、導いていた。あらゆる人に心を開いていたし、人々に希望を与え、人生を変えるのを見てきた」……って。
あらゆる人に心を開き、人生を導き、変える、って……そうだよね。熱量が必要な行為だよね……。
「なんだレン、そこにいたのか。なにか困ったことでも? さあっ、おそれずに話してみなさい! HAHAHAHAHA!!」
いやそんな、歯をきらーんとされても。
愛が試されるとき。
知的で冷静で、ちょっとはにかみ屋で、大人のかわいさのある父のような男性……だったから好きだなんて、そんなことナイ、別にそんなことでキモチを変えたりなんか……。
「いえ、牧師様、あの……今日はイイです、帰ります」
「いつでも来たまえ! 教会の門は開かれているっっ!! HAHAHAHAHA!!(ウインク+親指立て)」
どんだけ重い傷だったんだ、5年前の事件。
そして解き放たれた今……。
「ムーア家って……」
レンの愛は試される。
愛はすべてを超える、よな。
☆
『フットルース』のために博多へ行ったんですが、旅はなにかとやらかしまくりで、ボロボロでした。
びんぼーゆえ夜行バスだったんですが、行きのバスでやらかしたことがイタすぎて、しばらく立ち直れなかったっす。
『インフィニティ』の放送初日だったので、わたしははりきって音声だけでも携帯機に落として「バスの中で聞くんだっ」と家を出る寸前まで作業をしていたわけですよ。アナログダビングなんで音声悪いけど、いいんだ、わたしひとり楽しむだけなんだからと。
で、夜行バスに乗り、さっそくイヤホンで聴きはじめたの。
スイッチオン、よかった、ちゃんと録音できてる。でも録音レベル低いなあ、音が小さいわ。ボリュームを最大にしてよーやくふつーに聞こえるくらいだわっと。
消灯まではまだ時間があり、連れと喋ってる人がいたり、雑然としたムードではあった車内。
変だな……なんかわたし、注目されてる気がする……?
なんでだろう……?
はい。
『インフィニティ』はオープニングが終わり、コマくんが「世界はひとつ」を歌っていました。
さらに「ニューヨーク」になろうとしていました。
そこでようやく気づいた。
イヤホンを挿していた穴が、マイク穴だということに。
イヤホンを耳から外しても、まっつの歌声が響いている。
いやむしろ、イヤホンを外した方が、よく聞こえる。
……………っ!!!(声にならない叫び)
フル音量で、バス中にとどろかせていた、『インフィニティ』実況音声を!!
うきゃ~~~~っ!!
ごごごごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ!!
道理でみんなわたしを見ていたはずだ、無言の抗議、圧力かけてたわけだ。てゆーか、教えてよ、あるいは叱ってくれていいです迷惑行為、そしたら「間違いです、ごめんなさい」と言えた。でもでもみんな無言だから言い訳も謝罪も出来ない、うひゃ~~っ!!
もーしばらく恥ずかしさで身の置きどころなくて、どーしていいかわかんなかった……。
バス乗ったところですから、同じメンバーで一晩過ごすわけですよ……痛い……痛すぎる……。
同じバスだったみなさん、ほんとにごめんなさい。
最初からコレだもん。
他にもいろいろ、次々とやらかしてましたよ……。
恥かきまくりーの。
落ち着いた大人になりたい。
レンはアリエルが大好き。ラヴラヴ。
アリエルは父ムーア牧師への反抗心から、父の嫌う赤いカウボーイブーツを履き、父の嫌う不良少年チャックとつきあっていた。
だけど父と和解し、レンとラヴラヴになった今、アリエルは無理に悪ぶる必要がなくなった。
もう赤いカウボーイブーツを履く必要はない。
解き放たれたアリエルは、本来の彼女に戻る。
つまり。
年齢不詳の白いブラウスに、ふくらはぎまであるハンパな丈のスカート。色はもちろん地味なおばさん色。
白い三つ折りソックスに、ストラップ付きの黒のエナメルシューズ。
髪は太い三つ編み。
手には分厚い本。
しかも、分厚いまん丸メガネ付き。
「……ア、アリエル……?」
驚愕するシティボーイのレン。この田舎町にそぐわないトンがったオシャレな女の子アリエルはどこに??
アリエルの姿はまるで……そう、母親そっくりの服装センスだ。
「これが本来のわたしなの」
にっこり笑うアリエルは、間違いなく牧師の娘、地味でダサくて真面目だけが取り柄の女の子。
その上読書と勉強が好きだったりするので、視力も低下、ほんとはメガネが必要だった。
ミセス・ムーアの服装を見ていたら、わかるよね。グレる前のアリエルがどんなファッションの女の子だったか。
あのダサい服装がムーア牧師の好み、そしてパパを大好きなアリエルが、牧師の好みに忠実に育つことぐらい、誰でもわかる……。
「レンはこういう服、キライ……?」
「………………い、いや、そんなことないよ。クールだと思うな」
愛が試されるとき。
見た目だけで好きになったわけじゃない。最初に教会で見かけたとき、「かわいい♪」と興味津々釘付けだった、イカした女の子。そうさ別に、外見なんか……。
うん。
外見なんかで、愛は変わらないよね。
がんばれ、レン。
愛が試されるとき。
レンはムーア牧師と和解、ファザコンのケがあるだけに牧師様大好きに。
ムーア牧師は冷静で知的な町の指導者。5年前の痛ましい事故で心を閉ざし、厳格さに非情さを加えて町を支配してきた。
だけどレンとの話し合いにより傷から解き放たれ、心を閉ざして生きることはなくなった。
ムーア牧師は、本来の彼に戻る。
つまり。
「頑張れ頑張れできるできる絶対できる頑張れもっとやれるってやれる気持ちの問題だ頑張れ頑張れそこだ!」
背景に炎、目には星、涙は心の汗だ、熱血説教師がそこに!!
「もうダメです牧師様。僕なんて……っ」
「なにを言うんだっ。あきらめたらそこで終わりだろう! あと1回叩けば壊れる壁かもしれないんだ、なのにそこであきらめてしまうのかっ?! たとえあと1回があと1万回続いたとして、それで壊れなかったとしても、あきらめずに叩き続けたという自信が君に残るんだ。なにも無駄なことなどナイ、少年よ顔を上げ前へ進むのだっ!!!」
「牧師様……っ!!」
がしっと抱き合う牧師と迷える子羊。滝のように流れる目の幅の涙。
アリエルが言ってたっけ。「昔の父さんはたくさんの人を教え、導いていた。あらゆる人に心を開いていたし、人々に希望を与え、人生を変えるのを見てきた」……って。
あらゆる人に心を開き、人生を導き、変える、って……そうだよね。熱量が必要な行為だよね……。
「なんだレン、そこにいたのか。なにか困ったことでも? さあっ、おそれずに話してみなさい! HAHAHAHAHA!!」
いやそんな、歯をきらーんとされても。
愛が試されるとき。
知的で冷静で、ちょっとはにかみ屋で、大人のかわいさのある父のような男性……だったから好きだなんて、そんなことナイ、別にそんなことでキモチを変えたりなんか……。
「いえ、牧師様、あの……今日はイイです、帰ります」
「いつでも来たまえ! 教会の門は開かれているっっ!! HAHAHAHAHA!!(ウインク+親指立て)」
どんだけ重い傷だったんだ、5年前の事件。
そして解き放たれた今……。
「ムーア家って……」
レンの愛は試される。
愛はすべてを超える、よな。
☆
『フットルース』のために博多へ行ったんですが、旅はなにかとやらかしまくりで、ボロボロでした。
びんぼーゆえ夜行バスだったんですが、行きのバスでやらかしたことがイタすぎて、しばらく立ち直れなかったっす。
『インフィニティ』の放送初日だったので、わたしははりきって音声だけでも携帯機に落として「バスの中で聞くんだっ」と家を出る寸前まで作業をしていたわけですよ。アナログダビングなんで音声悪いけど、いいんだ、わたしひとり楽しむだけなんだからと。
で、夜行バスに乗り、さっそくイヤホンで聴きはじめたの。
スイッチオン、よかった、ちゃんと録音できてる。でも録音レベル低いなあ、音が小さいわ。ボリュームを最大にしてよーやくふつーに聞こえるくらいだわっと。
消灯まではまだ時間があり、連れと喋ってる人がいたり、雑然としたムードではあった車内。
変だな……なんかわたし、注目されてる気がする……?
なんでだろう……?
はい。
『インフィニティ』はオープニングが終わり、コマくんが「世界はひとつ」を歌っていました。
さらに「ニューヨーク」になろうとしていました。
そこでようやく気づいた。
イヤホンを挿していた穴が、マイク穴だということに。
イヤホンを耳から外しても、まっつの歌声が響いている。
いやむしろ、イヤホンを外した方が、よく聞こえる。
……………っ!!!(声にならない叫び)
フル音量で、バス中にとどろかせていた、『インフィニティ』実況音声を!!
うきゃ~~~~っ!!
ごごごごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ!!
道理でみんなわたしを見ていたはずだ、無言の抗議、圧力かけてたわけだ。てゆーか、教えてよ、あるいは叱ってくれていいです迷惑行為、そしたら「間違いです、ごめんなさい」と言えた。でもでもみんな無言だから言い訳も謝罪も出来ない、うひゃ~~っ!!
もーしばらく恥ずかしさで身の置きどころなくて、どーしていいかわかんなかった……。
バス乗ったところですから、同じメンバーで一晩過ごすわけですよ……痛い……痛すぎる……。
同じバスだったみなさん、ほんとにごめんなさい。
最初からコレだもん。
他にもいろいろ、次々とやらかしてましたよ……。
恥かきまくりーの。
落ち着いた大人になりたい。
力任せと余裕と若さと。@新人公演『サン=テグジュペリ』
2012年8月15日 タカラヅカ 新人公演『サン=テグジュペリ』のキャスト感想つれづれ。
真ん中が大変そうな分、周囲の安定っぷりが、なかなか。
ギヨメ@がりんくんが、余裕。
『愛のプレリュード』 のときも思ったけど、スーツの着こなしきれいだよね。オサ様を見慣れた目には、「花男のスーツ姿」という感慨に耽れる。
やっぱ歌えるってのは、強いわ。
谷演歌なんか朗々と歌っちゃうね(笑)。
「男役」にしてはかわいすぎる、「大人の男に見えない」というのががりんくんの課題。
しかし今回は見せ場が「大人の男」ではなく、「ファミリーミュージカル的なかわいこちゃん芝居」なので、楽々クリア。
キツネ役のがりんくんは、とてもかわいかったっす。
男役として円熟期のえりたんが、今さらかわいこちゃんを演じるからキツネ役は興味を引くのであって、もともと子役風味の子がやってもただかわいいだけで終わるんだなあ、ということがよくわかった。
がりんくんはかわいこちゃんだけど、実は学年が上がってから味が出るのかも?
ゆっくりと大人になって、そのやわらかさとキラキラさは失わないままいたら、ファンタジックな男役になる気がする。
メルモーズ@和海くんもまた、余裕。
和海くんってお芝居が好きなイメージがあるせいか、今回のメルモーズ役の鼻息がやたら荒い気がした(笑)。
わかったわかった、うれしいのはわかったから、ちょっと落ち着け?てな。
実力があるのに役が付かず、もどかしい思いをずっとしてきたと思う。しかし、舞台の上でやたら前のめりっつーか、「もっとやりたい!」というキモチが見える気がして、微笑ましいやら心配になるやら(笑)。
落ち着け、な?
歌もぜんぜん足りてないよね? 歌唱力の話じゃない、和海くんはもともと歌手属性、歌ならまかせろ!だ。
歌の量が足りてない、「もっと歌いたい!」というのが見える。むしろこれからだよ、ここからいいところなのに!ってとこで歌が終了する感じ(笑)。
暑苦しい芸風ではないし、「星組的」と勝手に呼んでいる各組に一定数いるジェンヌたちともちょっとチガウ。
だけど和海くんはなにかしら、訴えようとしてくる子だなあ。
それが今後良い方向に花開いてくれるといいな。
……今回のメルモーズ役は、うれしそう・楽しそうという中の人の気持ちはよくわかったけど、役としてはそれほどわかんなかったので(笑)。
ネリー@りりかちゃんが、いい女だ。
ヒロインのコンスエロが素っ頓狂な女であるだけに、ネリーがヒロイン度高い。
脚本が酷いため、ネリーは「誰あんた?」的な描かれ方をしているんだが、それはもう仕方ないからあきらめて、ネリー単体で見ると、ちゃんといい女。
りりかちゃんはバウヒロ経験ありの新公ヒロ経験はなしだっけ。
娘役としてすでに出来上がってる感が、新公レベルぢゃない(笑)。新公ヒロ経験者が次の公演から脇に回って支えてる、みたいな余裕っぷり。
うまい子だと思うので、わたしの個人的感覚による課題は、美貌と華、だなあ。
『天使のはしご』で「No.1美女」と言われまくることが違和感だったのは、キラキラ度の足りなさゆえか。
すごく落ち着いて、地に足付いた娘役ぶりだからか。
この娘役度に加え、ぱーんと突き抜けた美しさや輝きがあれば、鬼に金棒だろうに。
なんか見るたびに同じことを言っている気もするが、ベルナール@マキシムが思ったより良くてびびった。
……だからわたし、どんだけ彼をへたっぴだと思っているのよ? 先入観は捨てなさいってば。
ちゃんと男役の声、男役の立ち居で演じていた。
短い出番だけど、印象づけていた。
えーと、マキシムって研6? それならあれくらい出来て当然、学年相応のデキなのかな?
……そうか、もう研6なのか……咲ちゃんと同期なんだよね……文化祭のイメージが、咲ちゃんと一緒に刷り込まれたもんでね……もうそんなになるのか……。
いやその、ずっとゆるく注目している子なので、活躍して欲しいです。
わたしが毎回勝手に驚いているだけで、ちゃんと成長してるんだもんね。
新公になってしまうと、飛行士たちはなお十把一絡げというか、パイロットもエンジニアも区別かないなあ。
本公演だと、若いイケメンがパイロット、支えのおっさん役者がエンジニアと分かれるんだけど、新公だとみんな若くきゃぴきゃぴしてるんだもの。
若手くんたちのチェックしたかったけど、記憶力の落ちたおばさんには難しかったナリ……。も少し個別に見せ場がないと。
水くんのガイジン顔が好きで、新公で彼の顔を眺めるのはお約束だったから、これが最後になると思うと寂しい。
仙名さんはふつーにうまい。今回はきっちりうまいと思った。
が、そうなると「役不足」と思う。ファンってわがままよねー。
ポーレット@朝月希和ちゃん、ふつーにうまくてかわいい。が、まだわたし、顔をおぼえられない……。
クレミューさん@日高くんが安定の彼らしさ(笑)。キミは変わらないねえ。見た目はもちろんかっけーんですが、声を出すと棒台詞にびびりますな。
『Red Hot Sea』の抜擢で注目されたイケメンダンサーくん。芝居の実力が伸びないのは残念だが、そのダンスとビジュアルで長く組ファンを楽しませてね。
レオン@タソはもちろんうまさぶっちぎりで、もうナニも言うことはない。
今回はやり過ぎることもなく、いい仕事してた。「おめでとう」には泣かされたよ。
花組の財産だね、彼は。新公学年でこんだけの「役者」がいるってのは。
いまっちがいないことが、残念だ。彼もまた、すばらしい「役者」だったのになあ。
役の付いている子たちは、びっくりするほどヘタな子はいなかったんじゃないかな? いちばんやばいのが日高くんぐらい?
とにかく、新公だと作品の酷さが剥き出しで、らんとむをはじめとす本公演キャストの素晴らしさをひしひしと感じた(笑)。よくぞまあ、こんな話を力尽くで「作品」にしてるよなあ。タカラジェンヌってすごい。
作品が物語以前のデキなので、そんな珍作をそれでも演じ切らなければならない新公キャストのパワー、若者たちの瞬発力と集中力、団結力に感服しました。
真ん中が大変そうな分、周囲の安定っぷりが、なかなか。
ギヨメ@がりんくんが、余裕。
『愛のプレリュード』 のときも思ったけど、スーツの着こなしきれいだよね。オサ様を見慣れた目には、「花男のスーツ姿」という感慨に耽れる。
やっぱ歌えるってのは、強いわ。
谷演歌なんか朗々と歌っちゃうね(笑)。
「男役」にしてはかわいすぎる、「大人の男に見えない」というのががりんくんの課題。
しかし今回は見せ場が「大人の男」ではなく、「ファミリーミュージカル的なかわいこちゃん芝居」なので、楽々クリア。
キツネ役のがりんくんは、とてもかわいかったっす。
男役として円熟期のえりたんが、今さらかわいこちゃんを演じるからキツネ役は興味を引くのであって、もともと子役風味の子がやってもただかわいいだけで終わるんだなあ、ということがよくわかった。
がりんくんはかわいこちゃんだけど、実は学年が上がってから味が出るのかも?
ゆっくりと大人になって、そのやわらかさとキラキラさは失わないままいたら、ファンタジックな男役になる気がする。
メルモーズ@和海くんもまた、余裕。
和海くんってお芝居が好きなイメージがあるせいか、今回のメルモーズ役の鼻息がやたら荒い気がした(笑)。
わかったわかった、うれしいのはわかったから、ちょっと落ち着け?てな。
実力があるのに役が付かず、もどかしい思いをずっとしてきたと思う。しかし、舞台の上でやたら前のめりっつーか、「もっとやりたい!」というキモチが見える気がして、微笑ましいやら心配になるやら(笑)。
落ち着け、な?
歌もぜんぜん足りてないよね? 歌唱力の話じゃない、和海くんはもともと歌手属性、歌ならまかせろ!だ。
歌の量が足りてない、「もっと歌いたい!」というのが見える。むしろこれからだよ、ここからいいところなのに!ってとこで歌が終了する感じ(笑)。
暑苦しい芸風ではないし、「星組的」と勝手に呼んでいる各組に一定数いるジェンヌたちともちょっとチガウ。
だけど和海くんはなにかしら、訴えようとしてくる子だなあ。
それが今後良い方向に花開いてくれるといいな。
……今回のメルモーズ役は、うれしそう・楽しそうという中の人の気持ちはよくわかったけど、役としてはそれほどわかんなかったので(笑)。
ネリー@りりかちゃんが、いい女だ。
ヒロインのコンスエロが素っ頓狂な女であるだけに、ネリーがヒロイン度高い。
脚本が酷いため、ネリーは「誰あんた?」的な描かれ方をしているんだが、それはもう仕方ないからあきらめて、ネリー単体で見ると、ちゃんといい女。
りりかちゃんはバウヒロ経験ありの新公ヒロ経験はなしだっけ。
娘役としてすでに出来上がってる感が、新公レベルぢゃない(笑)。新公ヒロ経験者が次の公演から脇に回って支えてる、みたいな余裕っぷり。
うまい子だと思うので、わたしの個人的感覚による課題は、美貌と華、だなあ。
『天使のはしご』で「No.1美女」と言われまくることが違和感だったのは、キラキラ度の足りなさゆえか。
すごく落ち着いて、地に足付いた娘役ぶりだからか。
この娘役度に加え、ぱーんと突き抜けた美しさや輝きがあれば、鬼に金棒だろうに。
なんか見るたびに同じことを言っている気もするが、ベルナール@マキシムが思ったより良くてびびった。
……だからわたし、どんだけ彼をへたっぴだと思っているのよ? 先入観は捨てなさいってば。
ちゃんと男役の声、男役の立ち居で演じていた。
短い出番だけど、印象づけていた。
えーと、マキシムって研6? それならあれくらい出来て当然、学年相応のデキなのかな?
……そうか、もう研6なのか……咲ちゃんと同期なんだよね……文化祭のイメージが、咲ちゃんと一緒に刷り込まれたもんでね……もうそんなになるのか……。
いやその、ずっとゆるく注目している子なので、活躍して欲しいです。
わたしが毎回勝手に驚いているだけで、ちゃんと成長してるんだもんね。
新公になってしまうと、飛行士たちはなお十把一絡げというか、パイロットもエンジニアも区別かないなあ。
本公演だと、若いイケメンがパイロット、支えのおっさん役者がエンジニアと分かれるんだけど、新公だとみんな若くきゃぴきゃぴしてるんだもの。
若手くんたちのチェックしたかったけど、記憶力の落ちたおばさんには難しかったナリ……。も少し個別に見せ場がないと。
水くんのガイジン顔が好きで、新公で彼の顔を眺めるのはお約束だったから、これが最後になると思うと寂しい。
仙名さんはふつーにうまい。今回はきっちりうまいと思った。
が、そうなると「役不足」と思う。ファンってわがままよねー。
ポーレット@朝月希和ちゃん、ふつーにうまくてかわいい。が、まだわたし、顔をおぼえられない……。
クレミューさん@日高くんが安定の彼らしさ(笑)。キミは変わらないねえ。見た目はもちろんかっけーんですが、声を出すと棒台詞にびびりますな。
『Red Hot Sea』の抜擢で注目されたイケメンダンサーくん。芝居の実力が伸びないのは残念だが、そのダンスとビジュアルで長く組ファンを楽しませてね。
レオン@タソはもちろんうまさぶっちぎりで、もうナニも言うことはない。
今回はやり過ぎることもなく、いい仕事してた。「おめでとう」には泣かされたよ。
花組の財産だね、彼は。新公学年でこんだけの「役者」がいるってのは。
いまっちがいないことが、残念だ。彼もまた、すばらしい「役者」だったのになあ。
役の付いている子たちは、びっくりするほどヘタな子はいなかったんじゃないかな? いちばんやばいのが日高くんぐらい?
とにかく、新公だと作品の酷さが剥き出しで、らんとむをはじめとす本公演キャストの素晴らしさをひしひしと感じた(笑)。よくぞまあ、こんな話を力尽くで「作品」にしてるよなあ。タカラジェンヌってすごい。
作品が物語以前のデキなので、そんな珍作をそれでも演じ切らなければならない新公キャストのパワー、若者たちの瞬発力と集中力、団結力に感服しました。
ときめきを胸に。@新人公演『サン=テグジュペリ』
2012年8月14日 タカラヅカ 『星の王子さま』題材に、大野くんに作り直させろ。
というのが、花組新人公演『サン=テグジュペリ』を観たいちばんの感想です(笑)。
新公の演出が、大野タクジィでした。
大野せんせはどんな気持ちで、谷せんせの助手やってんのかなあ。
大野くんならきっと、『星の王子さま』の本質を汲んだ作品を作れるだろうになあ。
繊細で美しい原作をぐちゃぐちゃに踏みにじられて、繊細な感性を持つ作家としてはどう感じるんだろうか。
大野くん自身が『星の王子さま』に興味や愛着があるかどうかは知らんが、なにもないとしても、彼は作品の本質は理解できていると思うんだ。興味なくても、『サン=テグジュペリ』みたいなモノを作られたら、そしてそれの手伝いをしなければならないとしたら、どんだけ複雑な思いを抱くんだろうなあ。
なーんて、大野せんせに夢を持ち過ぎてるだけかもしれません。
でも少なくとも、『夢の浮橋』を作ったクリエイターは、谷せんせの『サン=テグジュペリ』を良しとはしないだろうなあ。
とりあえず新公ラスト、ビックとななくらちゃんがカゲソロじゃなくて花道で朗々と歌っているのを見てびっくり、本舞台にサン=テックス@キキくんとコンスエロ@春妃うららちゃんがいるだけでなく、飛行士仲間たち他、登場人物すべてが登場したときには、だーだー泣けました(笑)。
あとからプログラム確認したけど、記載されてる内容と違う……。カゲソロ、カゲになってないし(笑)。
今回わたしのハートをいちばんときめかせたのは、べーちゃんでした。
キャストのチェックをしていなかったので、彼女がなんの役でいつどこに出ているのかまったくわかってなかったんですが、出てくるたびにやってくれた。
新聞記者@べーちゃん、マジによかったんですが。
なんつーんだ、「新聞記者」という記号じゃなくて、キャラクタがあった。他の3人はわざと同一に描かれていたようなので、べーちゃんひとりの手柄ではない、演出である気は大いにするが、それにしたって彼女の存在感が大きくて「えっ、この新聞記者って主要キャラクタ?」と思うくらいに印象的だった。
脚本がひどいから「アンタ誰?!」になっているネリー役よりよっぽど「重要キャラ」っぽい登場だった。
あと、まったくもって油断して眺めていたところへ飛び込んできた、新聞配達@べーちゃん。
そこから急展開する世界情勢、ドラマの予感に胸がどわーっとざわめく感じ、それをよく盛り上げてくれたよ……びっくりした……。
今まで彼女のことは、「いちばん魅力的だったのはいまっち効果付きのスカフェ」、舞台に関しては「よくやってる」「悪くない」ぐらいの感触で眺めていただけに、こんなに魅力的な舞台姿を見せてくれてびっくりだ。
新聞記者のボブヘアかわいかったー。
いちばん興味を持って眺めたのが、ホルスト@柚カレーくん。
美形アイドル=へたっぴ、だと決めつけていてごめん、なんだようまいんじゃん!!と、開眼したのが前回の新公(笑)。
(http://koala.diarynote.jp/201204150020185158/ ←自分でもどこに新公感想書いてたかおぼえてなくて、過去記事探した・笑)。
前回ほどの感動はなかったが(前回は期待値低すぎ)、今回もちゃんとうまくて、まぐれ当たりではなかったんだと胸をなで下ろす。
あの美貌でこの学年で、これだけ男役の声と立ち居で、これくらい芝居できたら路線としてはOKじゃないかい?
ホルストは出番は少ないけど、感情を爆発させる役なので、この学年でこういう役を勉強できるのはいいなあ。
へびが耽美一直線で美しいのは言うまでもなく。
新公は水ファンさんと一緒だったんだけど、「水さんスキーであのへびにときめかないはずがないっ!」と盛り上がった(笑)。
うん、なんつってもあの顔が好きですから! それだけで底上げされちゃうのよねー。(マカゼさんの顔も大好物です)
柚カレーくんは期待の美形さんなので、大事に育てて欲しいっす。
てゆーか年功序列の花組だけど、そろそろ彼に主演させてもいいんじゃないかい……? や、彼がなかなか役つかないのは、声を出させることも憚られるような超大根(美形アイドルにありがち)だからかと思ってたんだよ、前回まで。
これくらい出来上がってるなら、真ん中試してOKだと思う。……障害があるとすれば、やっぱ「花組のシステム=なにがなんでも年功序列っ!」かなあ。
……あ、柚カレーの歌って聴いた記憶がない……。ひょっとして歌は相当アレなんだろうか?(美形アイドルにありがち)
キキくんの新公主演姿を見るのははじめて。
見たことナイのに、なんかいろいろ思いこんで、ハードル上げてたみたいだな。勝手に「うまい」「主演くらい任せろ!」な子だと思い込んでた。
思ってたほどうまくなくて、ちょっとびっくり。あれ? 『ランスロット』とか、けっこう良かったよな……?
谷芝居が合わないだけかもしれない、なにしろ歌舞伎系大芝居だし、星組はうらやましいほど谷作品を回避してきた組だし。
作品が酷すぎるので、それをまとめるというか、「作品の酷さを不問にして力業で説得力を持たす」には至らず、なんかいろいろ空中分解していた。
谷作品ならではの見得切り芝居というか、わざとらしいどーん!とした主役っぷりが、浮いていて、最初の方は痛々しい感じ。
きっとキキくんって、やさしいいい子なんだろうなあ。図に乗るタイプではなく、奥ゆかしいんだろうな、とか思った。
後半は本人もわたしも慣れたので、そう痛々しさは感じず。
技術はともかく、かっこよかった!
花組で彼の長身、スタイルは目立つなあ。
軍服とか、ラストの白衣装とか、めっちゃ眼福。
オープニングの王子さま衣装だって、キキくんだと若さとかわいさで「リアル王子さま」っぽいし。
うまくないといっても、思ったより、ってだけで、学年相応ではあるのかな?
学年相応だとしても、うまくないことにびっくりしたのは、なんといってもヒロインの春妃うららちゃん。
研2抜擢だから仕方ない、のかもしれないが……仕方ない、てな子が何故抜擢されるのかは謎。
なにができないというより、ずばり、素人さんに見えた。
立ち居振る舞いもだけど、なにより発声。一般人が喋ってる。役者の声じゃない。
表情も少ないっちゅーか固定されているっちゅーか、いつも同じ印象。
緊張していたのだろうけど、固い。とにかく、固い。
技術がナイので、美貌抜擢なのかなと思うけど、なにしろ洗練されていないし舞台人スキルが低すぎるので、きれいかどうかは微妙。
顔というか頭が大きいため、頭身が低いのが残念。子役は似合うバランスだけど、……うーん……。
輪郭ががっしりし過ぎているのは気になるけど、顔立ち自体は整っている。てゆーかわたしは好きな顔。横顔の凹凸がイイ。
このまま垢抜けてくれると、好みの娘さんになってくれるかも。
新公明けに休演してしまったこともあり、万全のコンディションでの新公ではなかったのかもしれない。
それは気の毒だし、そんな状態でよくやり遂げたと思うけど、いろいろ足りなさすぎたヒロイン姿だったのは確か。
今後に期待を託す。
というのが、花組新人公演『サン=テグジュペリ』を観たいちばんの感想です(笑)。
新公の演出が、大野タクジィでした。
大野せんせはどんな気持ちで、谷せんせの助手やってんのかなあ。
大野くんならきっと、『星の王子さま』の本質を汲んだ作品を作れるだろうになあ。
繊細で美しい原作をぐちゃぐちゃに踏みにじられて、繊細な感性を持つ作家としてはどう感じるんだろうか。
大野くん自身が『星の王子さま』に興味や愛着があるかどうかは知らんが、なにもないとしても、彼は作品の本質は理解できていると思うんだ。興味なくても、『サン=テグジュペリ』みたいなモノを作られたら、そしてそれの手伝いをしなければならないとしたら、どんだけ複雑な思いを抱くんだろうなあ。
なーんて、大野せんせに夢を持ち過ぎてるだけかもしれません。
でも少なくとも、『夢の浮橋』を作ったクリエイターは、谷せんせの『サン=テグジュペリ』を良しとはしないだろうなあ。
とりあえず新公ラスト、ビックとななくらちゃんがカゲソロじゃなくて花道で朗々と歌っているのを見てびっくり、本舞台にサン=テックス@キキくんとコンスエロ@春妃うららちゃんがいるだけでなく、飛行士仲間たち他、登場人物すべてが登場したときには、だーだー泣けました(笑)。
あとからプログラム確認したけど、記載されてる内容と違う……。カゲソロ、カゲになってないし(笑)。
今回わたしのハートをいちばんときめかせたのは、べーちゃんでした。
キャストのチェックをしていなかったので、彼女がなんの役でいつどこに出ているのかまったくわかってなかったんですが、出てくるたびにやってくれた。
新聞記者@べーちゃん、マジによかったんですが。
なんつーんだ、「新聞記者」という記号じゃなくて、キャラクタがあった。他の3人はわざと同一に描かれていたようなので、べーちゃんひとりの手柄ではない、演出である気は大いにするが、それにしたって彼女の存在感が大きくて「えっ、この新聞記者って主要キャラクタ?」と思うくらいに印象的だった。
脚本がひどいから「アンタ誰?!」になっているネリー役よりよっぽど「重要キャラ」っぽい登場だった。
あと、まったくもって油断して眺めていたところへ飛び込んできた、新聞配達@べーちゃん。
そこから急展開する世界情勢、ドラマの予感に胸がどわーっとざわめく感じ、それをよく盛り上げてくれたよ……びっくりした……。
今まで彼女のことは、「いちばん魅力的だったのはいまっち効果付きのスカフェ」、舞台に関しては「よくやってる」「悪くない」ぐらいの感触で眺めていただけに、こんなに魅力的な舞台姿を見せてくれてびっくりだ。
新聞記者のボブヘアかわいかったー。
いちばん興味を持って眺めたのが、ホルスト@柚カレーくん。
美形アイドル=へたっぴ、だと決めつけていてごめん、なんだようまいんじゃん!!と、開眼したのが前回の新公(笑)。
(http://koala.diarynote.jp/201204150020185158/ ←自分でもどこに新公感想書いてたかおぼえてなくて、過去記事探した・笑)。
前回ほどの感動はなかったが(前回は期待値低すぎ)、今回もちゃんとうまくて、まぐれ当たりではなかったんだと胸をなで下ろす。
あの美貌でこの学年で、これだけ男役の声と立ち居で、これくらい芝居できたら路線としてはOKじゃないかい?
ホルストは出番は少ないけど、感情を爆発させる役なので、この学年でこういう役を勉強できるのはいいなあ。
へびが耽美一直線で美しいのは言うまでもなく。
新公は水ファンさんと一緒だったんだけど、「水さんスキーであのへびにときめかないはずがないっ!」と盛り上がった(笑)。
うん、なんつってもあの顔が好きですから! それだけで底上げされちゃうのよねー。(マカゼさんの顔も大好物です)
柚カレーくんは期待の美形さんなので、大事に育てて欲しいっす。
てゆーか年功序列の花組だけど、そろそろ彼に主演させてもいいんじゃないかい……? や、彼がなかなか役つかないのは、声を出させることも憚られるような超大根(美形アイドルにありがち)だからかと思ってたんだよ、前回まで。
これくらい出来上がってるなら、真ん中試してOKだと思う。……障害があるとすれば、やっぱ「花組のシステム=なにがなんでも年功序列っ!」かなあ。
……あ、柚カレーの歌って聴いた記憶がない……。ひょっとして歌は相当アレなんだろうか?(美形アイドルにありがち)
キキくんの新公主演姿を見るのははじめて。
見たことナイのに、なんかいろいろ思いこんで、ハードル上げてたみたいだな。勝手に「うまい」「主演くらい任せろ!」な子だと思い込んでた。
思ってたほどうまくなくて、ちょっとびっくり。あれ? 『ランスロット』とか、けっこう良かったよな……?
谷芝居が合わないだけかもしれない、なにしろ歌舞伎系大芝居だし、星組はうらやましいほど谷作品を回避してきた組だし。
作品が酷すぎるので、それをまとめるというか、「作品の酷さを不問にして力業で説得力を持たす」には至らず、なんかいろいろ空中分解していた。
谷作品ならではの見得切り芝居というか、わざとらしいどーん!とした主役っぷりが、浮いていて、最初の方は痛々しい感じ。
きっとキキくんって、やさしいいい子なんだろうなあ。図に乗るタイプではなく、奥ゆかしいんだろうな、とか思った。
後半は本人もわたしも慣れたので、そう痛々しさは感じず。
技術はともかく、かっこよかった!
花組で彼の長身、スタイルは目立つなあ。
軍服とか、ラストの白衣装とか、めっちゃ眼福。
オープニングの王子さま衣装だって、キキくんだと若さとかわいさで「リアル王子さま」っぽいし。
うまくないといっても、思ったより、ってだけで、学年相応ではあるのかな?
学年相応だとしても、うまくないことにびっくりしたのは、なんといってもヒロインの春妃うららちゃん。
研2抜擢だから仕方ない、のかもしれないが……仕方ない、てな子が何故抜擢されるのかは謎。
なにができないというより、ずばり、素人さんに見えた。
立ち居振る舞いもだけど、なにより発声。一般人が喋ってる。役者の声じゃない。
表情も少ないっちゅーか固定されているっちゅーか、いつも同じ印象。
緊張していたのだろうけど、固い。とにかく、固い。
技術がナイので、美貌抜擢なのかなと思うけど、なにしろ洗練されていないし舞台人スキルが低すぎるので、きれいかどうかは微妙。
顔というか頭が大きいため、頭身が低いのが残念。子役は似合うバランスだけど、……うーん……。
輪郭ががっしりし過ぎているのは気になるけど、顔立ち自体は整っている。てゆーかわたしは好きな顔。横顔の凹凸がイイ。
このまま垢抜けてくれると、好みの娘さんになってくれるかも。
新公明けに休演してしまったこともあり、万全のコンディションでの新公ではなかったのかもしれない。
それは気の毒だし、そんな状態でよくやり遂げたと思うけど、いろいろ足りなさすぎたヒロイン姿だったのは確か。
今後に期待を託す。
『フットルース』の映像化を、心から望む。
2012年8月13日 タカラヅカ 宝塚歌劇団の主立った公演は、映像ソフトが発売される。
これはファンに対するサービスであり、同時にファン向けの商売でもある。
ファンなら、好きなスターや組の公演DVDが欲しい。
記憶は薄れるモノだから、形に残しておきたい。
公演DVDとは、ファンアイテムである。
だから劇団は、上から目線。
ファンサービス、つまり「サービスしてやってるんだ」という立場。
ゆえに、楽曲のカットや差し替えも平気。
「文句を言ったところで、結局なんでも買うんだろ?」と、誠意のない商品を売りつける。
ファンの気持ちよりも、目先の小銭が大事。
で、さらにその公演DVDすら発売されない、という事態がある。
3番手以下の公演DVDは発売されないが、2番手以上の主演作は発売が基本、トップコンビ作品ならば発売が当然、であるにも関わらず。
それはやはり、公演DVDが「ファンアイテム」という考えで、「ファンサービス」だと思っているためなんだろう。
サービスなんだから、別になくてもいいじゃん。
舞台はナマモノ、DVDではなく実際に劇場で観るモノだ。
DVDに期待しないで、劇場へ足を運べばいい。
それはその通りで、わたしもそう思っている。
公演DVDは生の舞台の副次的なモノで、ナマさえ良ければそれ以外はどーでもいい。
しかし。
タカラヅカの公演DVDは、はたしてただの「ファンアイテム」だろうか?
わたしは古い時代の人間だ。
わたしがヅカにハマったころは、映像ソフトの販売はなかった。舞台はナマで楽しむしかなく、観られなかった公演は一生目にすることは叶わなかった。
だが今は、そうじゃない。
映像ソフトの販売が開始されて以降、タカラヅカファンになった人に「きっかけ」を問うといい。
「ちょっと興味を持った」だけの人がいきなり、時間と高価な金額をかけて、直接劇場に足を運んだだろうか。
観たことも聞いたこともないのに、突然劇場へ行っただろうか。
まずは映像を見て、それから実際に劇場へ足を運ぶパターンが多くないか?
「タカラヅカって『ベルばら』でしょ?」とよく言われる。
たしかにそのイメージで成功している部分はある。が、それゆえに敬遠されている部分も、確実にある。
好意的な意見としても、タカラヅカ=『ベルばら』というのは、「テーマパークのアトラクション」という意味じゃないの? きれいで楽しい、ただそれだけ。
そうじゃない、タカラヅカにもいろいろある。『ベルばら』はその一面でしかない。
娯楽は多様化し、趣味嗜好は細分化された。
実際に劇場へ足を運ぶところまではなかなか難しいにしろ、その前段階のファンを作るのに有効なのが、映像ソフトだ。
タカラヅカが『ベルばら』だけではない、いろんな魅力があるということを知ってもらう。
そのために、公演DVDはある。
ただ「ファンアイテム」というだけじゃない。
今現在の、その公演に出演しているジェンヌのファンのためだけにあるものじゃないんだ。既存ファンを相手にするだけの商売じゃないんだ。
そこにあるのは、「未来」。
まだタカラヅカを知らない、だけどきっかけさえあれば興味を示す、潜在的顧客のために、あるんだ。
タカラヅカファンは意欲あるセールスマンでもある。
好きな物を好きになって欲しい、と、無償で宣伝に励む。過去作品の公演DVDを無償で貸し出し、良さをアピールする。
人づてでも「ヅカに興味あるって人がいるんだけど」と聞けば、手持ちソフトを貸し出したりする。
そうやって、良い作品は口コミで人の心に残る。『エリザベート』という作品がそうであったように。
とりあえず映像ソフトがあれば、10年以上前のモノであっても、当たり前に現代の新規ファンがそれを楽しんでいる。
公演DVDは、ただのファンアイテムじゃない。
今現在のファンのためだけにあるんじゃない。
数年後、十数年後に縁あって映像を見た人が、「タカラヅカってすごい!」と思ってもらうためにも、ある。
たとえ、その映像に映っているスターが退団して今舞台にいないとしても、関係ない。
そこにあるのは「タカラヅカ」だからだ。
「タカラヅカ」にはじめて触れる人に、「タカラヅカ」というジャンルがアピールできればいいんだ。
だから。
『フットルース』は、映像ソフトを発売するべきだ。
たしかにキムと現在の雪組は、真ん中の退団により解体が決まっている。
映像ソフトが強力な「顧客開拓」ツールであるならば、「今年でなくなる」ことがわかっているキムと現雪組に資金を費やす必要はないと判断したのかもしれない。
『フットルース』世界を縦横無尽に構築しているのは、音月桂だ。いなくなる彼がどれだけ魅力的でも意味がない、そんなことに金を掛けられない、音月ファンから金を取るなら退団公演や退団グッズで十分、と思うのかもしれない。
でもそれは間違いだ。
そんな小さな目で見ないでほしい。
キムくんは卒業が決まっているけれど、宝塚歌劇団は、継続予定のはずだ。
キムと現雪組がどうこうではなく、『フットルース』という作品を歴史に残すことに、意味があるんだ。
タカラヅカを見たことない人がたまたま映像ソフトを手にして、なにも知らないまま見て、作品に感動する。
『フットルース』という既存の脚本・演出・音楽だけでなく、タカラヅカならではの衣装やセット、ダンスに注目する。そして、踊れる人が踊り、歌える人が歌う、ハイクオリティな構成に刮目する。
主人公を演じるトップスターの名前を知らなくても、「こんなに歌えて踊れる人がいるんだ、こんなに自然にかっこいい男の子なんだ、これがタカラヅカのトップスターなんだ!」と思う。
「これって**年も前に上演された作品なの? タカラヅカってすごい。**年前でこれなら、きっと今はもっとすごいんでしょうね!」
……そういう可能性が、ある。
公演DVDなんて、ただのファンアイテム。ファンサービスで出してやってるんだ。
そんな考え方は、捨てて欲しい。
たしかにファンアイテムではある。
だけど、それだけじゃないんだ。
舞台はナマモノ、DVDではなく実際に劇場で観るモノだ。
DVDに期待しないで、劇場へ足を運べばいい。
そういう次元の話じゃないんだ。
宝塚歌劇団の未来のために、『フットルース』を残すべきだ。
完全受注生産になってもいい、とにかくなんらかのカタチで、映像を残すべきだ。ぶった切りでも音源だけでもなく、きちんとした「作品」として。
この世のどこかに残っていれば、そこから新しい出会いがある。
わたしがDVDを手に入れられるかどうかじゃない、この作品がこのまま消えてしまうことが、無念でならない。
タカラヅカを愛するモノとして、誇りにしたい。
……大袈裟に見えるけどね。本心っすよ。
これはファンに対するサービスであり、同時にファン向けの商売でもある。
ファンなら、好きなスターや組の公演DVDが欲しい。
記憶は薄れるモノだから、形に残しておきたい。
公演DVDとは、ファンアイテムである。
だから劇団は、上から目線。
ファンサービス、つまり「サービスしてやってるんだ」という立場。
ゆえに、楽曲のカットや差し替えも平気。
「文句を言ったところで、結局なんでも買うんだろ?」と、誠意のない商品を売りつける。
ファンの気持ちよりも、目先の小銭が大事。
で、さらにその公演DVDすら発売されない、という事態がある。
3番手以下の公演DVDは発売されないが、2番手以上の主演作は発売が基本、トップコンビ作品ならば発売が当然、であるにも関わらず。
それはやはり、公演DVDが「ファンアイテム」という考えで、「ファンサービス」だと思っているためなんだろう。
サービスなんだから、別になくてもいいじゃん。
舞台はナマモノ、DVDではなく実際に劇場で観るモノだ。
DVDに期待しないで、劇場へ足を運べばいい。
それはその通りで、わたしもそう思っている。
公演DVDは生の舞台の副次的なモノで、ナマさえ良ければそれ以外はどーでもいい。
しかし。
タカラヅカの公演DVDは、はたしてただの「ファンアイテム」だろうか?
わたしは古い時代の人間だ。
わたしがヅカにハマったころは、映像ソフトの販売はなかった。舞台はナマで楽しむしかなく、観られなかった公演は一生目にすることは叶わなかった。
だが今は、そうじゃない。
映像ソフトの販売が開始されて以降、タカラヅカファンになった人に「きっかけ」を問うといい。
「ちょっと興味を持った」だけの人がいきなり、時間と高価な金額をかけて、直接劇場に足を運んだだろうか。
観たことも聞いたこともないのに、突然劇場へ行っただろうか。
まずは映像を見て、それから実際に劇場へ足を運ぶパターンが多くないか?
「タカラヅカって『ベルばら』でしょ?」とよく言われる。
たしかにそのイメージで成功している部分はある。が、それゆえに敬遠されている部分も、確実にある。
好意的な意見としても、タカラヅカ=『ベルばら』というのは、「テーマパークのアトラクション」という意味じゃないの? きれいで楽しい、ただそれだけ。
そうじゃない、タカラヅカにもいろいろある。『ベルばら』はその一面でしかない。
娯楽は多様化し、趣味嗜好は細分化された。
実際に劇場へ足を運ぶところまではなかなか難しいにしろ、その前段階のファンを作るのに有効なのが、映像ソフトだ。
タカラヅカが『ベルばら』だけではない、いろんな魅力があるということを知ってもらう。
そのために、公演DVDはある。
ただ「ファンアイテム」というだけじゃない。
今現在の、その公演に出演しているジェンヌのファンのためだけにあるものじゃないんだ。既存ファンを相手にするだけの商売じゃないんだ。
そこにあるのは、「未来」。
まだタカラヅカを知らない、だけどきっかけさえあれば興味を示す、潜在的顧客のために、あるんだ。
タカラヅカファンは意欲あるセールスマンでもある。
好きな物を好きになって欲しい、と、無償で宣伝に励む。過去作品の公演DVDを無償で貸し出し、良さをアピールする。
人づてでも「ヅカに興味あるって人がいるんだけど」と聞けば、手持ちソフトを貸し出したりする。
そうやって、良い作品は口コミで人の心に残る。『エリザベート』という作品がそうであったように。
とりあえず映像ソフトがあれば、10年以上前のモノであっても、当たり前に現代の新規ファンがそれを楽しんでいる。
公演DVDは、ただのファンアイテムじゃない。
今現在のファンのためだけにあるんじゃない。
数年後、十数年後に縁あって映像を見た人が、「タカラヅカってすごい!」と思ってもらうためにも、ある。
たとえ、その映像に映っているスターが退団して今舞台にいないとしても、関係ない。
そこにあるのは「タカラヅカ」だからだ。
「タカラヅカ」にはじめて触れる人に、「タカラヅカ」というジャンルがアピールできればいいんだ。
だから。
『フットルース』は、映像ソフトを発売するべきだ。
たしかにキムと現在の雪組は、真ん中の退団により解体が決まっている。
映像ソフトが強力な「顧客開拓」ツールであるならば、「今年でなくなる」ことがわかっているキムと現雪組に資金を費やす必要はないと判断したのかもしれない。
『フットルース』世界を縦横無尽に構築しているのは、音月桂だ。いなくなる彼がどれだけ魅力的でも意味がない、そんなことに金を掛けられない、音月ファンから金を取るなら退団公演や退団グッズで十分、と思うのかもしれない。
でもそれは間違いだ。
そんな小さな目で見ないでほしい。
キムくんは卒業が決まっているけれど、宝塚歌劇団は、継続予定のはずだ。
キムと現雪組がどうこうではなく、『フットルース』という作品を歴史に残すことに、意味があるんだ。
タカラヅカを見たことない人がたまたま映像ソフトを手にして、なにも知らないまま見て、作品に感動する。
『フットルース』という既存の脚本・演出・音楽だけでなく、タカラヅカならではの衣装やセット、ダンスに注目する。そして、踊れる人が踊り、歌える人が歌う、ハイクオリティな構成に刮目する。
主人公を演じるトップスターの名前を知らなくても、「こんなに歌えて踊れる人がいるんだ、こんなに自然にかっこいい男の子なんだ、これがタカラヅカのトップスターなんだ!」と思う。
「これって**年も前に上演された作品なの? タカラヅカってすごい。**年前でこれなら、きっと今はもっとすごいんでしょうね!」
……そういう可能性が、ある。
公演DVDなんて、ただのファンアイテム。ファンサービスで出してやってるんだ。
そんな考え方は、捨てて欲しい。
たしかにファンアイテムではある。
だけど、それだけじゃないんだ。
舞台はナマモノ、DVDではなく実際に劇場で観るモノだ。
DVDに期待しないで、劇場へ足を運べばいい。
そういう次元の話じゃないんだ。
宝塚歌劇団の未来のために、『フットルース』を残すべきだ。
完全受注生産になってもいい、とにかくなんらかのカタチで、映像を残すべきだ。ぶった切りでも音源だけでもなく、きちんとした「作品」として。
この世のどこかに残っていれば、そこから新しい出会いがある。
わたしがDVDを手に入れられるかどうかじゃない、この作品がこのまま消えてしまうことが、無念でならない。
タカラヅカを愛するモノとして、誇りにしたい。
……大袈裟に見えるけどね。本心っすよ。
男子として、夫婦として、妖精として!@未涼亜希『フットルース』お茶会
2012年8月12日 タカラヅカ 奥さんがいる役って、いいな。
なんかしみじみ思った、未涼亜希『フットルース』お茶会にて。
あのまつださんがね、ふつーに口にするんですよ。「ウチの奥さん」って!
ちょ……っ、ちょ……っ、ウチの奥さん……っ!!(悶えている)
前回の『ドン・カルロス』も妻帯者役だったけど、あちらはなにしろ王家の話で、軽々しく「ウチの奥さん」呼び出来るよーな内容じゃなかった。
しかし今回は、現代アメリカ、わたしたちの世界と陸続きの話。
ムーアさんの中の人は、すごくふつーに言っちゃうわけですよ、「ウチの奥さん」って!!
はー。たまりませんなあ。
まっつの顔と声で、さらりと言われちゃうとさあ。
あ、まつださんはまたしても潔いデコ全開オールバックの男役ヘア、ありがちなスーツ姿でした。
コスプレみたいな衣装じゃないし、前髪ありの王子様風でもなかった。
なんかすごく「いつものまっつ」になっていた。
……あの前髪ブームはなんだったんだ……(笑)。
その、見慣れたまっつさんに、なんの気負いもなく「ウチの奥さん」呼びされるとねー。
その「ふつーさ」からして、日常的に言ってるんだろうな、ってことがわかってねー。
いいなあ、きゃびい。
なんか改めて、うらやま(笑)。
あのまっつに、「ウチの奥さん」呼びされるのよ~~、うらやましすぎる~~!!
で、もちろん出ましたこの質問。
きゃびいがしている指輪は、まっつが贈ったモノか。
はい、もちろんまっつからでした。
で、この話になるとまっつの口調が変わるのはデフォ?
またしても「贈りましたよ」と声が投げやりになって、顔が怒るんですが。
きゃびいの指のサイズわかんないから、自分の指輪をはめさせてサイズ調べて、6月26日に買いに行ったそうです。
「自分の誕生日にですよ?!」
自分の誕生日に、なんで他の女の子に贈る指輪買ってんのよ、なにソレありえない! 妙齢の女子としてどうなのよその人生! ……てな憤りが見える感じに、ぶーたれてんですけど、まつださん。
いやはや、男役として正しいですよ!!(笑)
誕生日にそんなことしてるってことは、ほんと、まだしばらくはこの花園にいてくれるんだろうな、とそんな部分でもうれしくなったり。
そしてまたしても、舞台稽古の日に、渡した。
「はい」って、とてもぶっきらぼうに。
もちろんきゃびいはすでに、自分で用意していたのに。
だから、舞台稽古の日まで引っ張るなよ~~!!(笑) どうせ渡すつもりなら、もっと早く渡すなり、忙しくて用意する時間がなかなか取れないなら「プレゼントするから、買わずに待っててね」と言っておくとか、相手のこと考えてあげようよ!
男役からプレゼントするのが慣わしとはいえ、自分から催促できない下級生娘役としては、無駄になるかもしれなくても自分で用意しておくしかないわけじゃん。
これ以上引っ張れない、ぎりぎりのときになってようやく渡す(しかもぶっきらぼう)って……。
2回連続ソレってのは、もう狙っているのかと。
ツンデレたるもの、かくあるべし!ってか?
ファンも期待していたわけだが、期待通り過ぎるまっつの回答がツボすぎる。
おもしろいなあ、まつださん。
その「ウチの奥さん」ネタとしては、博多に来てから、「3組の夫婦」でごはんを食べに行ったらしい。
3組の夫婦ですよ。
「ウチと、ダンバー夫妻と、ルル、ウェス夫妻」という説明に、またしてもハートを掴まれる。ウチ……(笑)。
ここでも来たか、美味しい男、ダンバーめ。ムーア牧師を唯一ファーストネームで呼ぶ男ダンバー@香音くん。
まあともかく、3組の夫婦でごはんしよう、ってのはずいぶん前から決めていたらしい。
で、目的のお店に一足先にたどり着いたのは、男子3名。つまり、まっつと香音くんと、ザッキー。
あー、男たちだけ先に着いちゃったのかあ、まあなあ、女の子たちは身支度に時間かかるから仕方ないなあ。
問題はこの、先に着いた男たち。
「席、どう坐る?」と悩む。
男子女子男子って坐るの? それとも男子一列、向かいに女子一列? 途中席替え? 大真面目に話し合う男たち。
合コンかよっ?!!(笑)
たかがお店の席順で、「男として」真面目にあーだこーだやっている彼らがアホかわいくてたまりません。
「結局、夫婦で向かい合って坐ったんですけどね」
まっつの向かいは奥さん、きゃびいだったそうな。
かーわーいーいー。
かわいすぎるこの人たち~~。
しかしお店の人、どう思ったんだろうなあ。
ふつーに3組のカップルに見えたんだろうか。つか、合コンの男女?
まっつはともかく、残りの男子2名はふつーに男に見えてそうだしなー。男に見える2名と一緒に男として話している以上、まっつも男に見えるだろうしなあ。
そこへ女子力高い美人さんたちがきゃぴっと現れたら、そりゃふつーに合コンかトリプルデート……。
不思議と香音くんを「うらやましい」と思ってしまう……横に美人さん(まっつ)をはべらしてウホウホしているという、偏ったイメージを抱いてしまうからか……。
タカラジェンヌってほんとに、不思議でかわいくて、愛しいイキモノだと思う。
なんかしみじみ思った、未涼亜希『フットルース』お茶会にて。
あのまつださんがね、ふつーに口にするんですよ。「ウチの奥さん」って!
ちょ……っ、ちょ……っ、ウチの奥さん……っ!!(悶えている)
前回の『ドン・カルロス』も妻帯者役だったけど、あちらはなにしろ王家の話で、軽々しく「ウチの奥さん」呼び出来るよーな内容じゃなかった。
しかし今回は、現代アメリカ、わたしたちの世界と陸続きの話。
ムーアさんの中の人は、すごくふつーに言っちゃうわけですよ、「ウチの奥さん」って!!
はー。たまりませんなあ。
まっつの顔と声で、さらりと言われちゃうとさあ。
あ、まつださんはまたしても潔いデコ全開オールバックの男役ヘア、ありがちなスーツ姿でした。
コスプレみたいな衣装じゃないし、前髪ありの王子様風でもなかった。
なんかすごく「いつものまっつ」になっていた。
……あの前髪ブームはなんだったんだ……(笑)。
その、見慣れたまっつさんに、なんの気負いもなく「ウチの奥さん」呼びされるとねー。
その「ふつーさ」からして、日常的に言ってるんだろうな、ってことがわかってねー。
いいなあ、きゃびい。
なんか改めて、うらやま(笑)。
あのまっつに、「ウチの奥さん」呼びされるのよ~~、うらやましすぎる~~!!
で、もちろん出ましたこの質問。
きゃびいがしている指輪は、まっつが贈ったモノか。
はい、もちろんまっつからでした。
で、この話になるとまっつの口調が変わるのはデフォ?
またしても「贈りましたよ」と声が投げやりになって、顔が怒るんですが。
きゃびいの指のサイズわかんないから、自分の指輪をはめさせてサイズ調べて、6月26日に買いに行ったそうです。
「自分の誕生日にですよ?!」
自分の誕生日に、なんで他の女の子に贈る指輪買ってんのよ、なにソレありえない! 妙齢の女子としてどうなのよその人生! ……てな憤りが見える感じに、ぶーたれてんですけど、まつださん。
いやはや、男役として正しいですよ!!(笑)
誕生日にそんなことしてるってことは、ほんと、まだしばらくはこの花園にいてくれるんだろうな、とそんな部分でもうれしくなったり。
そしてまたしても、舞台稽古の日に、渡した。
「はい」って、とてもぶっきらぼうに。
もちろんきゃびいはすでに、自分で用意していたのに。
だから、舞台稽古の日まで引っ張るなよ~~!!(笑) どうせ渡すつもりなら、もっと早く渡すなり、忙しくて用意する時間がなかなか取れないなら「プレゼントするから、買わずに待っててね」と言っておくとか、相手のこと考えてあげようよ!
男役からプレゼントするのが慣わしとはいえ、自分から催促できない下級生娘役としては、無駄になるかもしれなくても自分で用意しておくしかないわけじゃん。
これ以上引っ張れない、ぎりぎりのときになってようやく渡す(しかもぶっきらぼう)って……。
2回連続ソレってのは、もう狙っているのかと。
ツンデレたるもの、かくあるべし!ってか?
ファンも期待していたわけだが、期待通り過ぎるまっつの回答がツボすぎる。
おもしろいなあ、まつださん。
その「ウチの奥さん」ネタとしては、博多に来てから、「3組の夫婦」でごはんを食べに行ったらしい。
3組の夫婦ですよ。
「ウチと、ダンバー夫妻と、ルル、ウェス夫妻」という説明に、またしてもハートを掴まれる。ウチ……(笑)。
ここでも来たか、美味しい男、ダンバーめ。ムーア牧師を唯一ファーストネームで呼ぶ男ダンバー@香音くん。
まあともかく、3組の夫婦でごはんしよう、ってのはずいぶん前から決めていたらしい。
で、目的のお店に一足先にたどり着いたのは、男子3名。つまり、まっつと香音くんと、ザッキー。
あー、男たちだけ先に着いちゃったのかあ、まあなあ、女の子たちは身支度に時間かかるから仕方ないなあ。
問題はこの、先に着いた男たち。
「席、どう坐る?」と悩む。
男子女子男子って坐るの? それとも男子一列、向かいに女子一列? 途中席替え? 大真面目に話し合う男たち。
合コンかよっ?!!(笑)
たかがお店の席順で、「男として」真面目にあーだこーだやっている彼らがアホかわいくてたまりません。
「結局、夫婦で向かい合って坐ったんですけどね」
まっつの向かいは奥さん、きゃびいだったそうな。
かーわーいーいー。
かわいすぎるこの人たち~~。
しかしお店の人、どう思ったんだろうなあ。
ふつーに3組のカップルに見えたんだろうか。つか、合コンの男女?
まっつはともかく、残りの男子2名はふつーに男に見えてそうだしなー。男に見える2名と一緒に男として話している以上、まっつも男に見えるだろうしなあ。
そこへ女子力高い美人さんたちがきゃぴっと現れたら、そりゃふつーに合コンかトリプルデート……。
不思議と香音くんを「うらやましい」と思ってしまう……横に美人さん(まっつ)をはべらしてウホウホしているという、偏ったイメージを抱いてしまうからか……。
タカラジェンヌってほんとに、不思議でかわいくて、愛しいイキモノだと思う。
あなたがいなければ、今わたしはここにいない。@未涼亜希『フットルース』お茶会
2012年8月11日 タカラヅカ はるばる博多へ、お盆のまっただ中行ってきました。
なんでこの日程かというと、ひとえに未涼亜希『フットルース』お茶会参加が目的です。
レポ機能はないので、感想のみ、自分語りのみ記す。
まっつさんが語ってたんですよ。
最近うれしいこと、と題して。
ファンからの手紙で、自分の存在がきっかけになり、ファン同士が交流していることを知った、それがうれしい、って。
タカラヅカファンで、まっつファンでなければ出会うことのなかった人たちが、一緒に博多名物を食べに行ったりしている。まっつファンになったことで、新しい世界が広がった。そんな人たちがいること、それがうれしいと。
おこがましいかもしれないけど、と前置きしながら、そう語った。
まっつさん素敵、まっつさんかっこいい、そう言われることももちろんありがたいしうれしいけど、ソレとは別に、自分の存在がファンの人の新しい出会いのきっかけになっているんだ、そういうことがうれしかったのだと。
そう言うまっつはなんつーか、芸能人らしからぬっていうか、なんかとても共感できる「善い人」で、こういう感覚の人だからわたしは彼の創る舞台が好きなんだろうと思うし、多くの人に信頼され、愛されている人なんだと思う。
そうなんだ。
なんでわたし、こんだけいろいろ大変なときに、いろんなもの犠牲にして博多くんだりまで行っているかというと、すべつはまっつのためで。
まっつを好きな、自分のためで。
一緒にテーブル囲んでいる人たちとは、まっつがいなけりゃ顔を合わせることすらない、通りすがりの誰かさんですらない人たちで。
まっつメイトと、お隣県民だからと借り出された古い友人と、深夜に屋台で並んでラーメン食べてるのも、まっつがいたからで。
まっつがいなければ、わたし、どうしていたのかなあ。
もともとヲタクだから、なにかに萌えて楽しく生きているとは思うけど。
それでも今、まっつが好きで、まっつの舞台を観るために努力して、劇場へ行くために万難を排している。彼の存在がつらい現実の中の光に、癒しになっている。
まっつがいたから、得られたものがあった。たくさん。
まっつのために、失ったものもあった。いろいろ。
2005年の博多。
そう、まさにこの場所から、はじまった。
まっつを好きで、もう7年……8年目に入ったのか。
いろんな分岐点があって、その都度ひとつしか選べなくて、失ったモノ、選ばなかったモノに後ろ髪引かれあきらめ悪くうだうだ悩みながら、それでも前へ進んできた。
まっつが、いたから。
わたしだけでなく、いろんな人がいろんな想いを抱えて、まっつを見つめている。
タカラジェンヌであるということ、スターであることってのは、とんでもないことだなあ。
そんなことを、つらつら考えた。
なんで彼を好きなのか、好きになったのか、考えてもわかんないけど、今、ひたすら感動している。
舞台人としての、まっつの実力に。
ヘタレ風味が味だったころから好きだっただけに、ここまで実力派になるとは思ってなくて。いやその、若手時代から華よりは実力の人だったけど、それにしたって最近の充実ぶりはすごくないかい?
『フットルース』のムーア牧師の演技と歌、すごくないかい? レン@キムくんとの場面、すごくないかい?
わたしが彼を好きになったときは、こんな実力者じゃなかったよ? 投げキスができなくて盛大にすべっている、残念な若手くんだったわけだよ?
ものすごく巧いから好きになったわけじゃない、なのにずっと好きでいたら、どんどん研ぎ澄まされものすごい人になっていった。
『フットルース』初日、まっつは体調が悪かったらしい。つか、発熱してなおあのクオリティで歌って芝居して踊ってたのか!とびびるよ。マジ役者ってすげえ。
で、終演後、原作者のディーンさんを囲んで写真を撮ったりしてみんなで盛り上がっていたそうだが、まっつは熱でぼーっとしていたそうな。
で、ふと気がついたら、いつの間にかディーンさんが横に来ていて。
まっつを、べた褒めした。
わざわざまっつを探して、感動したことを伝えてくれたそうだ。
スカステで放送されたディーン氏の感想インタビューにて、字幕にならなかった部分でまっつ単体を誉めていたって、メールで教えてもらっていたんだけど。わたし英語さーっぱりわかんないから、「へー、そんなこと話してたんだー。字幕とぜんぜんチガウ~~」と、なんとなく納得していただけの部分が、リアルに実感できた。
ほんとに原作者に絶賛されたんだ。
原作者のイメージに近いムーア像を演じられたのだろう、うれしかった、とまっつは言っていたけど、わたしは痛いまっつファンだから、そんなところには収まらないね(笑)。
イメージどころじゃない、マジにうまかったんだよ、すごかったんだよ! だから原作者さんも大喜びしてくれたんじゃん!
わたしはファンだから盲目だけど、そうでない人から見ても、まっつってすごい役者なんだ。
そう思えることがうれしい。
わたしは舞台上のまっつしか知らないし、それだけで十分っちゅーか、中の人がナニを考えて演じているかにドリームは持たないので、まっつがナニ考えてムーア牧師を演じているか、ナニも考えてないとか、知らなくても問題ないと思っている。
「役作りしてません。脚本通りです」と真顔で答えるよーな人だもんな、まつださん。
役者のアタマの中は、文系ヲタのわたしと違って、いちいちここがこうだからこうで、と感情説明できるようなものじゃないんだ。
「ナニも考えてません」と言いながら繊細な芝居をする、言葉を組み立てる回路と役者としての回路がつながっていないんだろうと思っている。
まっつのムーア語りになんの期待もしていなかったが、わたしが思っていた以上に、「ボビー」にこだわっている部分が見えて、興味深かった。
5年前に死んだ息子。舞台上には登場しない、名前だけの存在。
ムーアがその名を呼ぶことはないが、彼の中にはずっとボビーの存在が刺さっている。
それゆえに、あのムーアの姿があるのだと。
レンにボビーを重ねているのは、言及するまでもないこと。
それでも、ムーアの中の人から、それを聞くと感慨深い。
異端審問……ぢゃねえや、えーっと、町議会でがんばって演説するレンから視線を逸らしているのは、レンにボビーが重なるからって意味もあるそうですよ。
レンの主張自体は絶対許せない、叩きつぶしてやるってなもんだけど、それを一生懸命みんなとひとつになって創り上げてきたレンの姿は、在りし日の息子に重なるらしい。
……チャックに対してはそんなことカケラも思ってないみたいだし(笑)、高校生男子なら誰でもOKってわけじゃないのよね。レンだからなのよね。
やっぱ運命のふたりっぽくていいなあ、ムーアとレン……。
や、腐った意味だけで言ってませんよ?!←
なんでこの日程かというと、ひとえに未涼亜希『フットルース』お茶会参加が目的です。
レポ機能はないので、感想のみ、自分語りのみ記す。
まっつさんが語ってたんですよ。
最近うれしいこと、と題して。
ファンからの手紙で、自分の存在がきっかけになり、ファン同士が交流していることを知った、それがうれしい、って。
タカラヅカファンで、まっつファンでなければ出会うことのなかった人たちが、一緒に博多名物を食べに行ったりしている。まっつファンになったことで、新しい世界が広がった。そんな人たちがいること、それがうれしいと。
おこがましいかもしれないけど、と前置きしながら、そう語った。
まっつさん素敵、まっつさんかっこいい、そう言われることももちろんありがたいしうれしいけど、ソレとは別に、自分の存在がファンの人の新しい出会いのきっかけになっているんだ、そういうことがうれしかったのだと。
そう言うまっつはなんつーか、芸能人らしからぬっていうか、なんかとても共感できる「善い人」で、こういう感覚の人だからわたしは彼の創る舞台が好きなんだろうと思うし、多くの人に信頼され、愛されている人なんだと思う。
そうなんだ。
なんでわたし、こんだけいろいろ大変なときに、いろんなもの犠牲にして博多くんだりまで行っているかというと、すべつはまっつのためで。
まっつを好きな、自分のためで。
一緒にテーブル囲んでいる人たちとは、まっつがいなけりゃ顔を合わせることすらない、通りすがりの誰かさんですらない人たちで。
まっつメイトと、お隣県民だからと借り出された古い友人と、深夜に屋台で並んでラーメン食べてるのも、まっつがいたからで。
まっつがいなければ、わたし、どうしていたのかなあ。
もともとヲタクだから、なにかに萌えて楽しく生きているとは思うけど。
それでも今、まっつが好きで、まっつの舞台を観るために努力して、劇場へ行くために万難を排している。彼の存在がつらい現実の中の光に、癒しになっている。
まっつがいたから、得られたものがあった。たくさん。
まっつのために、失ったものもあった。いろいろ。
2005年の博多。
そう、まさにこの場所から、はじまった。
まっつを好きで、もう7年……8年目に入ったのか。
いろんな分岐点があって、その都度ひとつしか選べなくて、失ったモノ、選ばなかったモノに後ろ髪引かれあきらめ悪くうだうだ悩みながら、それでも前へ進んできた。
まっつが、いたから。
わたしだけでなく、いろんな人がいろんな想いを抱えて、まっつを見つめている。
タカラジェンヌであるということ、スターであることってのは、とんでもないことだなあ。
そんなことを、つらつら考えた。
なんで彼を好きなのか、好きになったのか、考えてもわかんないけど、今、ひたすら感動している。
舞台人としての、まっつの実力に。
ヘタレ風味が味だったころから好きだっただけに、ここまで実力派になるとは思ってなくて。いやその、若手時代から華よりは実力の人だったけど、それにしたって最近の充実ぶりはすごくないかい?
『フットルース』のムーア牧師の演技と歌、すごくないかい? レン@キムくんとの場面、すごくないかい?
わたしが彼を好きになったときは、こんな実力者じゃなかったよ? 投げキスができなくて盛大にすべっている、残念な若手くんだったわけだよ?
ものすごく巧いから好きになったわけじゃない、なのにずっと好きでいたら、どんどん研ぎ澄まされものすごい人になっていった。
『フットルース』初日、まっつは体調が悪かったらしい。つか、発熱してなおあのクオリティで歌って芝居して踊ってたのか!とびびるよ。マジ役者ってすげえ。
で、終演後、原作者のディーンさんを囲んで写真を撮ったりしてみんなで盛り上がっていたそうだが、まっつは熱でぼーっとしていたそうな。
で、ふと気がついたら、いつの間にかディーンさんが横に来ていて。
まっつを、べた褒めした。
わざわざまっつを探して、感動したことを伝えてくれたそうだ。
スカステで放送されたディーン氏の感想インタビューにて、字幕にならなかった部分でまっつ単体を誉めていたって、メールで教えてもらっていたんだけど。わたし英語さーっぱりわかんないから、「へー、そんなこと話してたんだー。字幕とぜんぜんチガウ~~」と、なんとなく納得していただけの部分が、リアルに実感できた。
ほんとに原作者に絶賛されたんだ。
原作者のイメージに近いムーア像を演じられたのだろう、うれしかった、とまっつは言っていたけど、わたしは痛いまっつファンだから、そんなところには収まらないね(笑)。
イメージどころじゃない、マジにうまかったんだよ、すごかったんだよ! だから原作者さんも大喜びしてくれたんじゃん!
わたしはファンだから盲目だけど、そうでない人から見ても、まっつってすごい役者なんだ。
そう思えることがうれしい。
わたしは舞台上のまっつしか知らないし、それだけで十分っちゅーか、中の人がナニを考えて演じているかにドリームは持たないので、まっつがナニ考えてムーア牧師を演じているか、ナニも考えてないとか、知らなくても問題ないと思っている。
「役作りしてません。脚本通りです」と真顔で答えるよーな人だもんな、まつださん。
役者のアタマの中は、文系ヲタのわたしと違って、いちいちここがこうだからこうで、と感情説明できるようなものじゃないんだ。
「ナニも考えてません」と言いながら繊細な芝居をする、言葉を組み立てる回路と役者としての回路がつながっていないんだろうと思っている。
まっつのムーア語りになんの期待もしていなかったが、わたしが思っていた以上に、「ボビー」にこだわっている部分が見えて、興味深かった。
5年前に死んだ息子。舞台上には登場しない、名前だけの存在。
ムーアがその名を呼ぶことはないが、彼の中にはずっとボビーの存在が刺さっている。
それゆえに、あのムーアの姿があるのだと。
レンにボビーを重ねているのは、言及するまでもないこと。
それでも、ムーアの中の人から、それを聞くと感慨深い。
異端審問……ぢゃねえや、えーっと、町議会でがんばって演説するレンから視線を逸らしているのは、レンにボビーが重なるからって意味もあるそうですよ。
レンの主張自体は絶対許せない、叩きつぶしてやるってなもんだけど、それを一生懸命みんなとひとつになって創り上げてきたレンの姿は、在りし日の息子に重なるらしい。
……チャックに対してはそんなことカケラも思ってないみたいだし(笑)、高校生男子なら誰でもOKってわけじゃないのよね。レンだからなのよね。
やっぱ運命のふたりっぽくていいなあ、ムーアとレン……。
や、腐った意味だけで言ってませんよ?!←
ヒーローを求めている。@フットルース
2012年8月10日 タカラヅカ キムくん、辞めるのやめないかな。
今さらだとわかっているけど、それでも言う。言わずに、いられない。
博多行ってきました。
いろいろあっていろいろ抱えて、いろいろ大変だけど、いや、そんなときだからこそわたしにはタカラヅカが必要だ。
で、改めて『フットルース』という作品に再会し……。
音月桂のすごさを、再確認した。
彼がすごいことなんか、わかってるんだけどさ。
それでもやっぱ、出会うたびに思うんだ。この子、すごい!って。
自由自在の歌声。
饒舌な表現力。
魂の熱さと役に対する誠実さ。
美貌と華。
よくぞこれだけ、持ち合わせた。
これほど神様からのギフトを持った男役を、宝塚歌劇団は失っていいの?
そりゃあ八等身のスタイルや、細長い首は持ってないけど、「男役」としてのバランスは取れている。
身長170cmそこそこの等身大の男の子として、こんなにも胸をときめかせる。
もちろんタカラヅカだから、ひらひらフリルの王子様も必要だけど、なんのために5組あるのさ。夢の国の王子様ではなく、わたしたちの世界と地続きの、だけどまぎれもなく「タカラヅカ」である「ヒーロー」がいたっていい。
「ヒーロー」が必要だ。
キムくんの重さのあるリアルな芸風は、わたしが「タカラヅカ」に求めるもののひとつだ。
フィクションに感情移入できるのは、そこに真実があるから。
すべてつくりごと、嘘だけの世界。だからこそ、リアルな部分はとことんリアルでなくてはならない。全部が嘘なら、誰がそこに夢を見るだろう。エイリアンには感情移入できない。
キムくんの表現するものが好きだ。
それは強く、痛く、ときに正視に耐えず目をそらしたくなり、だからこそさらに惹きつけられる。
そしてわたしは、歌ウマが好きなんだ。
歌で表現する人が好きなんだ。
しばらくそんなこと、忘れてたよ。オサ様を失って以来、そんな意識手放してた。タカラヅカで歌唱力を求めることの無意味さを知っているし。
わたしが重要視するのは、芝居>歌>ダンス。芝居ができなきゃ話にならない。
タカラヅカは歌劇団だけど、ほんとのとこ「歌」で芝居することなんてほとんどない。
芝居と歌は隔絶していて、芝居は芝居だけして、スイッチを切り替えて「さあ、スター様のソロですよ」となる。
だから歌がうまくないスターがいても、てゆーかそっちの方が圧倒的に多くても、気にならなかった。
だけど、本当に「ミュージカル」だと、そうはいかない。
歌と芝居は同一のもので、歌を自在に歌えないということは、芝居ができないと同じ意味だ。台詞に感情を込められない、のと同じだよ、正しいメロディで歌えないのは。
音がはずれていてもそこに心あればセーフだとは思っているけど、「表現」はそこでストップしている。
「芝居」でならもっともっと表現できる役者なのに、「歌」というツールを使っては何分の一しか芝居ができない、技術が足りなくて演じられない。
それがタカラヅカの当たり前だから、忘れてた。
「歌」という武器のある人の「芝居」が、これほど心に響くことを。
素直に、キムの芝居に酔える。
その歌声にすべてを預けられる。
客席にいる間、夢の世界に浸っていられる。
なんて幸福なんだろう。
「歌」を自在に操るトップスターの存在。
この人の「芝居」を、ずっとずっと見ていたい。この幸福な空間を漂っていたい。
心から、そう思った。
誰か他のスターさんをdisる意味ではなくて。
ただもお、今、音月桂というスターの得がたさに胸が熱くなる。
5年間トップスターとして君臨したオサ様とだって、別れるときはつらかった。悲しくて寂しくてたまらなかった。
でもキムくんは、たった2年だよ?
足りない。
ぜんぜん、足りてない。
悲しいとか寂しいとかより、そんなの、おかしいと思う。
これほどの実力のあるスターを、みすみす手放していいの?
まだまだ、彼の歌を聴きたい、芝居を見たい。
ただ歌ウマなだけじゃないよ?
タカラヅカのトップスターは長期間、同じクオリティで歌い続けなければならない。
どんだけすばらしい歌声を披露できても、わずかに期間だけじゃダメなんだ。
キムくんは公演期間中、ものすげー声量でハイクオリティな歌声を安定してぶっとばし続ける。
彼の高出力さは半端ナイ。
何故このクオリティをキープしたままいられるのか、不思議になるくらい。
博多でも彼の歌声は、さらに轟きわたっていた。
誰よりも歌い、誰よりも踊り、誰よりもテンション高く芝居に入り込み、涙を流し「存在」している。
なんかもお、「すごいものを見ている」という感覚にうろたえる。
わたし、すごいスターの時代をリアルタイムに体験しているんだ。
もともと歌ウマだったオサ様が、トップになってさらにうまくなっていったように、キムくんもトップになってさらにうまくなっている。
だってトップスターというのは、そういうものだもの。他の誰より歌の場面を、歌で表現することを求められる。
場数を踏み、責任を負い、さらにさらに成長する。
そして、歌えるスターの周りには、歌える者たちが集う。
歌ウマトップは、周囲の歌レベルも上げる。彼とハモることで、ある程度の歌唱力の人は、もう一段階上へ跳ぶ。さすがに音痴レベルの人は誰と歌ってもダメかもしんないが、少なくとも『フットルース』に出演している人々に音痴はいない。
心地いい。
歌える人が歌い、踊れる人が踊る、ハイクオリティな舞台。
見るたびに、レン@キムを好きになる。
最初は見た目。
キムに必要だったのは、前髪だ。と思った……だってその、彼、いわゆる「タカラヅカ」なオールバックやリーゼントはえっと、それほど抜群に似合う顔立ちやスタイルではなかったっちゅーかゲフンゲフン。
地髪のさらさら前髪ありショートの似合いっぷりハンパねえ。今まで見てきた中で、いちばんのイケメンぶり。そうだよ、もともとジャニ系なんだから、この路線で貫けば良かったのに。いやそのここはタカラヅカだからオールバックもリーゼントも必要だけど、そこに固執しすぎないで臨機応変に……。
見た目の美形さ、かっこよさにときめいて、次にその明るさと強さに心酔する。「I’m Free!」と叫べる強さ。魂のすこやかさ。
そして。
彼が持つ光は、大きな傷や闇を抱えながら、それを超えてなお光っているのだということに気づく。
彼の強さの本質を知る。
無神経だから強いわけじゃない、無傷だからきれいなわけじゃない。
誰よりも繊細で誰よりも傷だらけで、だからこそ、強く美しく輝くんだ。
観劇するたびに、新しくレンを知る。気づく。
レンだけじゃなかったよな。ニコライだってフィリップだって、カルロスだって、そうだった。
キムが創り上げるキャラクタたちの、質感のある魅力。
これだけのものを見せてくれるトップスターなのに、もうあと1公演しかないとか、ありえない。
しかも次は原作物だし彼のためのオリジナルアテ書きでもないし音楽だっていつものタカラヅカレベルになるわけだし。
キムくんの能力をフルに使う作品じゃない。
それで卒業なんて、もったいなさ過ぎる。
キムくん、辞めるのやめないかな。
みみちゃんとふたりで、もっともっと「タカラヅカ」を創って欲しい。
今さらだとわかっているけど、それでも言う。言わずに、いられない。
博多行ってきました。
いろいろあっていろいろ抱えて、いろいろ大変だけど、いや、そんなときだからこそわたしにはタカラヅカが必要だ。
で、改めて『フットルース』という作品に再会し……。
音月桂のすごさを、再確認した。
彼がすごいことなんか、わかってるんだけどさ。
それでもやっぱ、出会うたびに思うんだ。この子、すごい!って。
自由自在の歌声。
饒舌な表現力。
魂の熱さと役に対する誠実さ。
美貌と華。
よくぞこれだけ、持ち合わせた。
これほど神様からのギフトを持った男役を、宝塚歌劇団は失っていいの?
そりゃあ八等身のスタイルや、細長い首は持ってないけど、「男役」としてのバランスは取れている。
身長170cmそこそこの等身大の男の子として、こんなにも胸をときめかせる。
もちろんタカラヅカだから、ひらひらフリルの王子様も必要だけど、なんのために5組あるのさ。夢の国の王子様ではなく、わたしたちの世界と地続きの、だけどまぎれもなく「タカラヅカ」である「ヒーロー」がいたっていい。
「ヒーロー」が必要だ。
キムくんの重さのあるリアルな芸風は、わたしが「タカラヅカ」に求めるもののひとつだ。
フィクションに感情移入できるのは、そこに真実があるから。
すべてつくりごと、嘘だけの世界。だからこそ、リアルな部分はとことんリアルでなくてはならない。全部が嘘なら、誰がそこに夢を見るだろう。エイリアンには感情移入できない。
キムくんの表現するものが好きだ。
それは強く、痛く、ときに正視に耐えず目をそらしたくなり、だからこそさらに惹きつけられる。
そしてわたしは、歌ウマが好きなんだ。
歌で表現する人が好きなんだ。
しばらくそんなこと、忘れてたよ。オサ様を失って以来、そんな意識手放してた。タカラヅカで歌唱力を求めることの無意味さを知っているし。
わたしが重要視するのは、芝居>歌>ダンス。芝居ができなきゃ話にならない。
タカラヅカは歌劇団だけど、ほんとのとこ「歌」で芝居することなんてほとんどない。
芝居と歌は隔絶していて、芝居は芝居だけして、スイッチを切り替えて「さあ、スター様のソロですよ」となる。
だから歌がうまくないスターがいても、てゆーかそっちの方が圧倒的に多くても、気にならなかった。
だけど、本当に「ミュージカル」だと、そうはいかない。
歌と芝居は同一のもので、歌を自在に歌えないということは、芝居ができないと同じ意味だ。台詞に感情を込められない、のと同じだよ、正しいメロディで歌えないのは。
音がはずれていてもそこに心あればセーフだとは思っているけど、「表現」はそこでストップしている。
「芝居」でならもっともっと表現できる役者なのに、「歌」というツールを使っては何分の一しか芝居ができない、技術が足りなくて演じられない。
それがタカラヅカの当たり前だから、忘れてた。
「歌」という武器のある人の「芝居」が、これほど心に響くことを。
素直に、キムの芝居に酔える。
その歌声にすべてを預けられる。
客席にいる間、夢の世界に浸っていられる。
なんて幸福なんだろう。
「歌」を自在に操るトップスターの存在。
この人の「芝居」を、ずっとずっと見ていたい。この幸福な空間を漂っていたい。
心から、そう思った。
誰か他のスターさんをdisる意味ではなくて。
ただもお、今、音月桂というスターの得がたさに胸が熱くなる。
5年間トップスターとして君臨したオサ様とだって、別れるときはつらかった。悲しくて寂しくてたまらなかった。
でもキムくんは、たった2年だよ?
足りない。
ぜんぜん、足りてない。
悲しいとか寂しいとかより、そんなの、おかしいと思う。
これほどの実力のあるスターを、みすみす手放していいの?
まだまだ、彼の歌を聴きたい、芝居を見たい。
ただ歌ウマなだけじゃないよ?
タカラヅカのトップスターは長期間、同じクオリティで歌い続けなければならない。
どんだけすばらしい歌声を披露できても、わずかに期間だけじゃダメなんだ。
キムくんは公演期間中、ものすげー声量でハイクオリティな歌声を安定してぶっとばし続ける。
彼の高出力さは半端ナイ。
何故このクオリティをキープしたままいられるのか、不思議になるくらい。
博多でも彼の歌声は、さらに轟きわたっていた。
誰よりも歌い、誰よりも踊り、誰よりもテンション高く芝居に入り込み、涙を流し「存在」している。
なんかもお、「すごいものを見ている」という感覚にうろたえる。
わたし、すごいスターの時代をリアルタイムに体験しているんだ。
もともと歌ウマだったオサ様が、トップになってさらにうまくなっていったように、キムくんもトップになってさらにうまくなっている。
だってトップスターというのは、そういうものだもの。他の誰より歌の場面を、歌で表現することを求められる。
場数を踏み、責任を負い、さらにさらに成長する。
そして、歌えるスターの周りには、歌える者たちが集う。
歌ウマトップは、周囲の歌レベルも上げる。彼とハモることで、ある程度の歌唱力の人は、もう一段階上へ跳ぶ。さすがに音痴レベルの人は誰と歌ってもダメかもしんないが、少なくとも『フットルース』に出演している人々に音痴はいない。
心地いい。
歌える人が歌い、踊れる人が踊る、ハイクオリティな舞台。
見るたびに、レン@キムを好きになる。
最初は見た目。
キムに必要だったのは、前髪だ。と思った……だってその、彼、いわゆる「タカラヅカ」なオールバックやリーゼントはえっと、それほど抜群に似合う顔立ちやスタイルではなかったっちゅーかゲフンゲフン。
地髪のさらさら前髪ありショートの似合いっぷりハンパねえ。今まで見てきた中で、いちばんのイケメンぶり。そうだよ、もともとジャニ系なんだから、この路線で貫けば良かったのに。いやそのここはタカラヅカだからオールバックもリーゼントも必要だけど、そこに固執しすぎないで臨機応変に……。
見た目の美形さ、かっこよさにときめいて、次にその明るさと強さに心酔する。「I’m Free!」と叫べる強さ。魂のすこやかさ。
そして。
彼が持つ光は、大きな傷や闇を抱えながら、それを超えてなお光っているのだということに気づく。
彼の強さの本質を知る。
無神経だから強いわけじゃない、無傷だからきれいなわけじゃない。
誰よりも繊細で誰よりも傷だらけで、だからこそ、強く美しく輝くんだ。
観劇するたびに、新しくレンを知る。気づく。
レンだけじゃなかったよな。ニコライだってフィリップだって、カルロスだって、そうだった。
キムが創り上げるキャラクタたちの、質感のある魅力。
これだけのものを見せてくれるトップスターなのに、もうあと1公演しかないとか、ありえない。
しかも次は原作物だし彼のためのオリジナルアテ書きでもないし音楽だっていつものタカラヅカレベルになるわけだし。
キムくんの能力をフルに使う作品じゃない。
それで卒業なんて、もったいなさ過ぎる。
キムくん、辞めるのやめないかな。
みみちゃんとふたりで、もっともっと「タカラヅカ」を創って欲しい。
バックアップはマメにしましょうってことだな。
2012年8月9日 タカラヅカ
失うときは一瞬で、ここ2年半ほどの画像データを消失した。
自分でちまちま撮っていたデジカメ写真、1000枚ほどと、いろいろ加工しては楽しんでいた、フォトショ関係。
120ギガほどぶっ壊れたんだが、パソコン工房に持ち込んで、9割方サルベージしてもらえた。
無理だったのが、上記画像関連データ。
猫の写真がほぼ全滅したのが痛い。
1000枚のうち、たぶん800枚は猫写真だった(笑)。
うちにやって来て3年半。そのうちの大半。
最後の方は、お別れの写真も、いっぱい撮っていた。
元気だった、最後の写真。
2度と動かない、横たわったままの写真。
霊園での、最後のお別れ写真。
それらをみんな、失ったことは、大きかった。
ウチにやって来て、そして、あっという間にいなくなってしまった。
いたときの証、いろんな姿を留めた写真も、一緒になくなってしまった。
不思議でしょうがない。
今、あの子が「いない」ということ。
なにもかも、消えてしまったということ。
デジカメ写真と言ったけれど、わたしはカメラを持っていないので、それは携帯のカメラを指す。
博多遠征のとき、デジカメデータがパンクしかけているSDカードをPCに挿したまま、忘れて旅立った。
博多座で掲げられているという、巨大な『フットルース』ポスターを、牧師様の写真を撮るぞと意気込んでいたのに、……ちょっ、カード入ってねーよ携帯、保存先が本体だけだと解像度落とさないと保存できねーよ。
この博多遠征、最初から最後までいろいろやらかしまくって、とってもしょぼんというか笑うしかない、だったけど、そのうちのひとつ、メモリーカード忘れ。
解像度ショボくても、とりあえず撮っておくか。
そーやって帰宅したらさ、PCのHDDが死んでたんだわ。
遠征前にPCへ移したデータからなにから、みんな。
みんなに置いてゆかれ、途方に暮れる感じ。
大切にしたもの、しあわせだった記憶、それらがみんな消えてしまって、猫のいた、ふたりでしあわせだった思い出まで消えて、なんなんだこれ。
せめて思い出くらい、残してくれよ。
その、ぼーぜんとしたところに。
空っぽのデジカメデータ、残っているのは博多で撮った牧師様。
カードを忘れたから携帯本体に保存、それゆえに難を逃れたっちゅーか、まあそれとはちょっと違うけど、ニュアンス的にそんな感じの。
ぴょんと跳び上がっている、スカシた牧師様が、おかしいやら、切ないやら。
なにもかも失って、涙も出ない……つーに、牧師様見てたら、泣けてきた。
泣けて泣けて。
いなくなった子の名前呼んで、悪態ついて早く戻って来いって、生まれ変わっても黄泉がえりでも乗りうつりでもなんでもいいから戻って来いって、泣いて怒って泣いて。
何度も眺める。
「君の魂が救われんことを。」
自分でちまちま撮っていたデジカメ写真、1000枚ほどと、いろいろ加工しては楽しんでいた、フォトショ関係。
120ギガほどぶっ壊れたんだが、パソコン工房に持ち込んで、9割方サルベージしてもらえた。
無理だったのが、上記画像関連データ。
猫の写真がほぼ全滅したのが痛い。
1000枚のうち、たぶん800枚は猫写真だった(笑)。
うちにやって来て3年半。そのうちの大半。
最後の方は、お別れの写真も、いっぱい撮っていた。
元気だった、最後の写真。
2度と動かない、横たわったままの写真。
霊園での、最後のお別れ写真。
それらをみんな、失ったことは、大きかった。
ウチにやって来て、そして、あっという間にいなくなってしまった。
いたときの証、いろんな姿を留めた写真も、一緒になくなってしまった。
不思議でしょうがない。
今、あの子が「いない」ということ。
なにもかも、消えてしまったということ。
デジカメ写真と言ったけれど、わたしはカメラを持っていないので、それは携帯のカメラを指す。
博多遠征のとき、デジカメデータがパンクしかけているSDカードをPCに挿したまま、忘れて旅立った。
博多座で掲げられているという、巨大な『フットルース』ポスターを、牧師様の写真を撮るぞと意気込んでいたのに、……ちょっ、カード入ってねーよ携帯、保存先が本体だけだと解像度落とさないと保存できねーよ。
この博多遠征、最初から最後までいろいろやらかしまくって、とってもしょぼんというか笑うしかない、だったけど、そのうちのひとつ、メモリーカード忘れ。
解像度ショボくても、とりあえず撮っておくか。
そーやって帰宅したらさ、PCのHDDが死んでたんだわ。
遠征前にPCへ移したデータからなにから、みんな。
みんなに置いてゆかれ、途方に暮れる感じ。
大切にしたもの、しあわせだった記憶、それらがみんな消えてしまって、猫のいた、ふたりでしあわせだった思い出まで消えて、なんなんだこれ。
せめて思い出くらい、残してくれよ。
その、ぼーぜんとしたところに。
空っぽのデジカメデータ、残っているのは博多で撮った牧師様。
カードを忘れたから携帯本体に保存、それゆえに難を逃れたっちゅーか、まあそれとはちょっと違うけど、ニュアンス的にそんな感じの。
ぴょんと跳び上がっている、スカシた牧師様が、おかしいやら、切ないやら。
なにもかも失って、涙も出ない……つーに、牧師様見てたら、泣けてきた。
泣けて泣けて。
いなくなった子の名前呼んで、悪態ついて早く戻って来いって、生まれ変わっても黄泉がえりでも乗りうつりでもなんでもいいから戻って来いって、泣いて怒って泣いて。
何度も眺める。
「君の魂が救われんことを。」
公演案内映像。@JIN-仁-
2012年8月8日 タカラヅカ それは、周回遅れでスカステの「タカラヅカニュース」を見ていたときのこと。
雪組の次回公演案内映像が流れ出した。8月6日分のニュースだ。
正式名称をなんというのかは知らない。公式HPでは「PR映像」と呼んでいるようだが。
ニュース内で公演案内が流れるのはいつものこと、おお、もう『JIN-仁-』が流れちゃうのかー、と、ぼーっと見ていた。
ポスターの扮装のキムくんが、『JIN-仁-』の解説をしている。相変わらず心地いい声。
そう、この映像では毎回、ポスター撮影時の映像が使われる。
何年か前のニュースでは、「ポスター撮影風景」というコーナーがあり、本公演はすべて撮影風景を見ることが出来た。
なのに、近年はそれもなくなり、ポスター時の扮装でさしさわりのないコメントを言うだけになり、それじゃあまりに不評だったのか、撮影風景と言うにはさわりだけ過ぎるけど、一応それらしい映像も少しだけ見せてくれる、今の形態に落ち着いた。
大好きだったんだけどなあ、撮影風景。スクリーンの前でいろんなポーズを取ったり、風をあてられたり、絡みのある絵のときは、トップコンビが抱き合ったり……本番の顔から、一気に素の笑顔になったり。
なのにそーゆーの、見せてくれなくなったんだよね……。
好きだった撮影風景ではないので、流し見をしていた。
……がっ。
突然、画面にがっついたねっ! 前のめりになったねっ!
まっつが、映った。
びびびびっくりしたーーっ!!
そう、公演案内は、ポスター撮影時の映像を使って作られる。
すなわち、ポスターに載っている人が出る。
知識として、知ってはいた。
溜め込み型のヲタクとして、ニュース映像はがっつり保存しているもの。ジャンルごとに整理整頓しているもの。
でも、知識と感情は別。
知識として知ってはいたけど、感情でわかってなかった。
あわてて、データを巻き戻す。
もう一度公演案内をアタマから見る。
キムくん、みみちゃん、ちぎくん、そしてまっつ。トリがみっちゃん。
今回のポスターメンバー。
本公演のポスターに載るって、こういうことなのか!!
ガクブルしましたねー。
自分が載ったわけでもないのにねー(笑)。
上演中や上演済みの公演映像の中で紹介されるのではなく、まだはじまっていない公演の紹介映像に、こうやって名前と役名、ポーズ付けてる姿が出ちゃうんだ。
すげえなあああ。
しかしまっつ、青天似合うね!!(笑)
わたし、まっつのマジな青天はじめて見る。
沖田総司もそれどう映画村も、マゲだけど青天ではなかったし。
はじめて見るのに、違和感なさ過ぎてかえってびびるわ。
ポスター出たときの安心クオリティ。
なんの心配もないって……おかしい、以前はすげー心配していたのに(笑)。
で、公演案内映像。
動画に、見えない(笑)。
ポーズつけたまま静止、まばたきもないので、静止画像となんの違いがあるのかと(笑)。
キムくんみみちゃんはまばたきしているし、みっちゃんは顔の角度を変えているし。動かないのはちぎくんとまっつのみ、ちぎくんはこれが初じゃないしこれからも機会はずっとあるんだから、今回静止画像でもファン的にはかまわない?
はじめて見る、まっつのポスター撮影シーン。
なのに、静止画像。
……てことに、なんかツボる。
そこを編集して流したのは劇団で、まっつ自身のチョイスじゃないことはわかっているが。
ありがたいねえ。
この映像がHPで配信され、梅田のBIGMANで流れるんだよ。
こんな日が来るとはなあ。
花組で「ポスカ出ない、プログラム写真位置はまりんの下、台詞は3つだけ」とか、肩を落としていた日々がウソのようだ。
雪組に来てから、まっつの時間が動き出した。
ひとつずつ、今までなかったことが、叶っていっている。
あとどれくらいまっつに時間があるのかはわからないけれど、今、このときを楽しみたい。
えーと、ポスター買って、グッズもいろいろ買うことになるな。今まで一顧だにしたことのない、メモパッドやフェイスペーパーとかまで(笑)。
うおお、ますます物入りだなあ。チケット代だけでも赤字財政なのに。
祭りは踊ってナンボだもん。参加してナンボだもん。
まっつを追いかけて、走れるだけ走る!
雪組の次回公演案内映像が流れ出した。8月6日分のニュースだ。
正式名称をなんというのかは知らない。公式HPでは「PR映像」と呼んでいるようだが。
ニュース内で公演案内が流れるのはいつものこと、おお、もう『JIN-仁-』が流れちゃうのかー、と、ぼーっと見ていた。
ポスターの扮装のキムくんが、『JIN-仁-』の解説をしている。相変わらず心地いい声。
そう、この映像では毎回、ポスター撮影時の映像が使われる。
何年か前のニュースでは、「ポスター撮影風景」というコーナーがあり、本公演はすべて撮影風景を見ることが出来た。
なのに、近年はそれもなくなり、ポスター時の扮装でさしさわりのないコメントを言うだけになり、それじゃあまりに不評だったのか、撮影風景と言うにはさわりだけ過ぎるけど、一応それらしい映像も少しだけ見せてくれる、今の形態に落ち着いた。
大好きだったんだけどなあ、撮影風景。スクリーンの前でいろんなポーズを取ったり、風をあてられたり、絡みのある絵のときは、トップコンビが抱き合ったり……本番の顔から、一気に素の笑顔になったり。
なのにそーゆーの、見せてくれなくなったんだよね……。
好きだった撮影風景ではないので、流し見をしていた。
……がっ。
突然、画面にがっついたねっ! 前のめりになったねっ!
まっつが、映った。
びびびびっくりしたーーっ!!
そう、公演案内は、ポスター撮影時の映像を使って作られる。
すなわち、ポスターに載っている人が出る。
知識として、知ってはいた。
溜め込み型のヲタクとして、ニュース映像はがっつり保存しているもの。ジャンルごとに整理整頓しているもの。
でも、知識と感情は別。
知識として知ってはいたけど、感情でわかってなかった。
あわてて、データを巻き戻す。
もう一度公演案内をアタマから見る。
キムくん、みみちゃん、ちぎくん、そしてまっつ。トリがみっちゃん。
今回のポスターメンバー。
本公演のポスターに載るって、こういうことなのか!!
ガクブルしましたねー。
自分が載ったわけでもないのにねー(笑)。
上演中や上演済みの公演映像の中で紹介されるのではなく、まだはじまっていない公演の紹介映像に、こうやって名前と役名、ポーズ付けてる姿が出ちゃうんだ。
すげえなあああ。
しかしまっつ、青天似合うね!!(笑)
わたし、まっつのマジな青天はじめて見る。
沖田総司もそれどう映画村も、マゲだけど青天ではなかったし。
はじめて見るのに、違和感なさ過ぎてかえってびびるわ。
ポスター出たときの安心クオリティ。
なんの心配もないって……おかしい、以前はすげー心配していたのに(笑)。
で、公演案内映像。
動画に、見えない(笑)。
ポーズつけたまま静止、まばたきもないので、静止画像となんの違いがあるのかと(笑)。
キムくんみみちゃんはまばたきしているし、みっちゃんは顔の角度を変えているし。動かないのはちぎくんとまっつのみ、ちぎくんはこれが初じゃないしこれからも機会はずっとあるんだから、今回静止画像でもファン的にはかまわない?
はじめて見る、まっつのポスター撮影シーン。
なのに、静止画像。
……てことに、なんかツボる。
そこを編集して流したのは劇団で、まっつ自身のチョイスじゃないことはわかっているが。
ありがたいねえ。
この映像がHPで配信され、梅田のBIGMANで流れるんだよ。
こんな日が来るとはなあ。
花組で「ポスカ出ない、プログラム写真位置はまりんの下、台詞は3つだけ」とか、肩を落としていた日々がウソのようだ。
雪組に来てから、まっつの時間が動き出した。
ひとつずつ、今までなかったことが、叶っていっている。
あとどれくらいまっつに時間があるのかはわからないけれど、今、このときを楽しみたい。
えーと、ポスター買って、グッズもいろいろ買うことになるな。今まで一顧だにしたことのない、メモパッドやフェイスペーパーとかまで(笑)。
うおお、ますます物入りだなあ。チケット代だけでも赤字財政なのに。
祭りは踊ってナンボだもん。参加してナンボだもん。
まっつを追いかけて、走れるだけ走る!
キャスト覚え書き。@双曲線上のカルテ
2012年8月7日 タカラヅカ ちょっくら覚え書き。
『双曲線上のカルテ』キャストについて。
役名がなにひとつアタマに入ってないし、何年かあとに見直してもさらにわけわかんないだろうから、役者名だけで。
なんで劇団は、あすレオをコンビ売りしてくれないんだろう。
このふたりはなかなかどーして、似合うと思うんだ。
劇団から存在を抹殺された『仮面の男』ムラ版にて、作品はともかく、いろんな人から「ボール係のふたり」について話を振られた。
ひとりずつでもそりゃかわいいけど、ふたり揃うと素敵にキラキラしてたんだ。
レオくんとあすくんでは、本公演の役付からして差が付いてきているけど、それでも、もう少しさあ……。
別箱公演ではいつもふたり別々。
そしてあすくんは、役とか見せ場とかのない公演の方に割り振られる……。
レオくんは路線で、あすくんはそうではない、ってことなのかもしれないけど、あすくんスキーとしては切ないっす。
いや、『双曲線上のカルテ』にて、あすくんはちゃんと通し役をもらっている。だから、『フットルース』で名もなき学生のひとりをやることと比べてどうこうってわけでもないんだが。
あすくんにもあの学生服を着て、レオくんと絡んで欲しかったなー、なんて思うのことよ。
通し役、つってもこの『双曲線上のカルテ』の役ってみんな扱いが軽くてご都合主義で、わたしの個人的な好みから大きくかけ離れているもので、あすくんに限らずどの役にも、物言いたい気分になったりもする。
それでも、フィナーレでいい位置で踊ってたし、良かったのかなあ、あすくん……。
あすくんは十分うまいので、りーしゃ共々芝居に違和感なし。
もっと大きな役を演じるあすくんが見てみたいっす。
わたし的に不思議な手応えを感じるのが、りーしゃくん。
美貌の人としてビジュアルを愛でる専門、それ以上はあまり求めてなかったんだが(失礼な)、最近ほんとイイ味出してるなあと。
芝居がうまい、のとはチガウと思うの。芝居のうまいヘタは好みが大きいから、わたしの観点においては、という意味で。
だけどなんか、場にハマる。
チガウ、浮いてる、もぞっとする……でもその場違い感すら、ハマっている気がする。
たまたまそんな役が続いただけなのか、彼の持ち味なのか、実はものすごい才能なのか、見守りたい。
最近気になるひとり(笑)。
翔くんはほんと、うまくならないな(笑)。
ものすごかった『灼熱の彼方』に比べればうまくなった……けど、「若者が小器用になった現代において、びっくりするほど大根」と周囲を瞠目させたあのときから、『仮面の男』新公ではずーっとマシになっていたとはいえ、そっから先はあまり変わっていないような。
ほんとに、誰もが小器用でテレビタレントの子役だろうとアイドルだろうとそこそこの芝居をしている時代なのに、不思議なくらい不器用だなあ。
勢いでがなっている役はまだマシなんだけど、今回みたいな人格も個性もなさそーな好青年役、って、翔くんには鬼門かもなー。
母と息子の場面が長すぎて、どうしようかと思ったよ。
とりあえず、きれいなんだが……がんばってくれ……。
その、翔くんのお母さん役、夢華さん。
今、学年いくつだっけ……。
中年女性、あのはっちさんの愛人役がハマる、って、どんだけ。
下級生たちの中では、やっぱ安定してうまい人だと思う。
ただ、記号的なのは相変わらず。今回もまた、飲み屋の女将、愛人などの記号だけで存在していたような。
あのはっちさんが何故、夢華さんを愛人にしていたのか、昔の女で今はカタチがチガウのかもしれないが、それでも彼女に安らぎを求めているのか、そのへんがちっとも伝わらない。
だからもともと嘘くさい作品で嘘くさいキャラばっかなんだが、さらにご都合主義度が上がっている。イシダの大好きな移植ネタをやりたかっただけなんだろうな、みたいな。
基礎はある。どうやったらあとひとつ、ぱんとはじけられるんだろうか。
芝居って難しい。
加えて、翔くん相手の芝居は、無理があったなー。ひきずられちゃうのかな、文化祭風味っていうか。
『Shining Rhythm!』のときとか、かわいくなってきたと思ったけど(舞台人は舞台に立った数で垢抜けていく!)、今回は役のせいか、またビジュアルが落ちていたのは気になる。
五峰ねーさんがいくつになって華やか美人であるように、たとえおばさん役でも美しくしていいんだから。
しかし、フィナーレの歌は耳福だった……。
てゆーかこの芝居、歌が得意なゆめみ・にわにわ・朝風・カレン・あすが歌わず、歌が苦手と世間に認識されている人たちだけががっつり歌ってるんだよね……。
夢華さんだけか、歌ウマさんでちゃんと歌わせてもらったのって。
さらちゃんが、あまりに素敵な使われ方で吹いた。
あのHANACHANGの衣装着て、アイドル……。しかも素敵に昭和風。イタリアでも現代(よりは、少し前?)でもなく、日本の昭和時代。イシダだわ……。(『50/50』という、昭和時代な作品がありましたね……)
しかし、このアイドルちゃんのエピソードは、意味がわからなかった……。
るりちゃんもまたうまい子で、ついでにあのミニマムさも合わせてけっこー萌えにもつながる子だと思うんだが、今回はどう受け止めてイイかわからん……。
天使て……。
雛ちゃん桃花ちゃんという美女も、結局のところナースコスプレを楽しむだけに留まるのか。もったいない。
若手2大イケメンのかなとくんといぶきくんも、もったいない限り。
バウでくらい、もっと役が欲しいよなああ。
央雅くんもビジュアルを眺めるのみって感じっすか……。いや、ヤクザ(笑)役だけでなく、アルバイトも含めて。
ハウルに至ってはもお……。
今回、イシダ定番のおてもやんは出なかったけど、かわりにイシダの悪趣味を引き受けていたような。
本人楽しそうだからいいのか。
一度、ドシリアス大人芝居のハウルを見てみたい。
わたしの周囲限定かもしんないけど、「ハウル、ドS認定」されてるんだけど……そうなんですか? たしかに組本とか素敵すぎるコメントだけど。
『黒い瞳』以来、央雅くんとハウルが並んでいると、それだけでうれしいんですが(体格の差も含め)、たしかにハウルは攻に見える……。(えっ)
『双曲線上のカルテ』キャストについて。
役名がなにひとつアタマに入ってないし、何年かあとに見直してもさらにわけわかんないだろうから、役者名だけで。
なんで劇団は、あすレオをコンビ売りしてくれないんだろう。
このふたりはなかなかどーして、似合うと思うんだ。
劇団から存在を抹殺された『仮面の男』ムラ版にて、作品はともかく、いろんな人から「ボール係のふたり」について話を振られた。
ひとりずつでもそりゃかわいいけど、ふたり揃うと素敵にキラキラしてたんだ。
レオくんとあすくんでは、本公演の役付からして差が付いてきているけど、それでも、もう少しさあ……。
別箱公演ではいつもふたり別々。
そしてあすくんは、役とか見せ場とかのない公演の方に割り振られる……。
レオくんは路線で、あすくんはそうではない、ってことなのかもしれないけど、あすくんスキーとしては切ないっす。
いや、『双曲線上のカルテ』にて、あすくんはちゃんと通し役をもらっている。だから、『フットルース』で名もなき学生のひとりをやることと比べてどうこうってわけでもないんだが。
あすくんにもあの学生服を着て、レオくんと絡んで欲しかったなー、なんて思うのことよ。
通し役、つってもこの『双曲線上のカルテ』の役ってみんな扱いが軽くてご都合主義で、わたしの個人的な好みから大きくかけ離れているもので、あすくんに限らずどの役にも、物言いたい気分になったりもする。
それでも、フィナーレでいい位置で踊ってたし、良かったのかなあ、あすくん……。
あすくんは十分うまいので、りーしゃ共々芝居に違和感なし。
もっと大きな役を演じるあすくんが見てみたいっす。
わたし的に不思議な手応えを感じるのが、りーしゃくん。
美貌の人としてビジュアルを愛でる専門、それ以上はあまり求めてなかったんだが(失礼な)、最近ほんとイイ味出してるなあと。
芝居がうまい、のとはチガウと思うの。芝居のうまいヘタは好みが大きいから、わたしの観点においては、という意味で。
だけどなんか、場にハマる。
チガウ、浮いてる、もぞっとする……でもその場違い感すら、ハマっている気がする。
たまたまそんな役が続いただけなのか、彼の持ち味なのか、実はものすごい才能なのか、見守りたい。
最近気になるひとり(笑)。
翔くんはほんと、うまくならないな(笑)。
ものすごかった『灼熱の彼方』に比べればうまくなった……けど、「若者が小器用になった現代において、びっくりするほど大根」と周囲を瞠目させたあのときから、『仮面の男』新公ではずーっとマシになっていたとはいえ、そっから先はあまり変わっていないような。
ほんとに、誰もが小器用でテレビタレントの子役だろうとアイドルだろうとそこそこの芝居をしている時代なのに、不思議なくらい不器用だなあ。
勢いでがなっている役はまだマシなんだけど、今回みたいな人格も個性もなさそーな好青年役、って、翔くんには鬼門かもなー。
母と息子の場面が長すぎて、どうしようかと思ったよ。
とりあえず、きれいなんだが……がんばってくれ……。
その、翔くんのお母さん役、夢華さん。
今、学年いくつだっけ……。
中年女性、あのはっちさんの愛人役がハマる、って、どんだけ。
下級生たちの中では、やっぱ安定してうまい人だと思う。
ただ、記号的なのは相変わらず。今回もまた、飲み屋の女将、愛人などの記号だけで存在していたような。
あのはっちさんが何故、夢華さんを愛人にしていたのか、昔の女で今はカタチがチガウのかもしれないが、それでも彼女に安らぎを求めているのか、そのへんがちっとも伝わらない。
だからもともと嘘くさい作品で嘘くさいキャラばっかなんだが、さらにご都合主義度が上がっている。イシダの大好きな移植ネタをやりたかっただけなんだろうな、みたいな。
基礎はある。どうやったらあとひとつ、ぱんとはじけられるんだろうか。
芝居って難しい。
加えて、翔くん相手の芝居は、無理があったなー。ひきずられちゃうのかな、文化祭風味っていうか。
『Shining Rhythm!』のときとか、かわいくなってきたと思ったけど(舞台人は舞台に立った数で垢抜けていく!)、今回は役のせいか、またビジュアルが落ちていたのは気になる。
五峰ねーさんがいくつになって華やか美人であるように、たとえおばさん役でも美しくしていいんだから。
しかし、フィナーレの歌は耳福だった……。
てゆーかこの芝居、歌が得意なゆめみ・にわにわ・朝風・カレン・あすが歌わず、歌が苦手と世間に認識されている人たちだけががっつり歌ってるんだよね……。
夢華さんだけか、歌ウマさんでちゃんと歌わせてもらったのって。
さらちゃんが、あまりに素敵な使われ方で吹いた。
あのHANACHANGの衣装着て、アイドル……。しかも素敵に昭和風。イタリアでも現代(よりは、少し前?)でもなく、日本の昭和時代。イシダだわ……。(『50/50』という、昭和時代な作品がありましたね……)
しかし、このアイドルちゃんのエピソードは、意味がわからなかった……。
るりちゃんもまたうまい子で、ついでにあのミニマムさも合わせてけっこー萌えにもつながる子だと思うんだが、今回はどう受け止めてイイかわからん……。
天使て……。
雛ちゃん桃花ちゃんという美女も、結局のところナースコスプレを楽しむだけに留まるのか。もったいない。
若手2大イケメンのかなとくんといぶきくんも、もったいない限り。
バウでくらい、もっと役が欲しいよなああ。
央雅くんもビジュアルを眺めるのみって感じっすか……。いや、ヤクザ(笑)役だけでなく、アルバイトも含めて。
ハウルに至ってはもお……。
今回、イシダ定番のおてもやんは出なかったけど、かわりにイシダの悪趣味を引き受けていたような。
本人楽しそうだからいいのか。
一度、ドシリアス大人芝居のハウルを見てみたい。
わたしの周囲限定かもしんないけど、「ハウル、ドS認定」されてるんだけど……そうなんですか? たしかに組本とか素敵すぎるコメントだけど。
『黒い瞳』以来、央雅くんとハウルが並んでいると、それだけでうれしいんですが(体格の差も含め)、たしかにハウルは攻に見える……。(えっ)
アルバムの記録と記憶。@インフィニティ
2012年8月6日 タカラヅカ 待ちに待った『インフィニティ』のスカステ放送があった。
放送はうれしい。
しかも、まさかのHV放送だ。
そのかもみっちゃんも、通常放送のみだったので、まったく期待してなかった。月に4本しかない貴重な枠を、まっつバウごときに回してくれるとは思ってなかったんだ。
雪組次期トップスター発表があり、ああそういうことかと納得もしたが。
次期トップ娘役あゆっちの、最後のバウヒロがまっつバウなんだ。単独ヒロインではなかったけど、誰がヒロイン相当かと言われると、間違いなくあゆっちだったわけだし。
ありがたいありがたい。
改めて映像で『インフィニティ』を見て、毎度のことだが「映像は映像でしかない」と肩を落とす。
今年のはじめ、熱狂して通っていた、あの空間と同じモノだとは、思えなかった。
レンズを通すと客観的になっちゃうのかしらねえ?
ぶっちゃけコレ、そう名作でもないよな、とか。
まつださん、いろいろ微妙じゃね? とか。
映像はアルバムのようなもので、記録ではあるけれど、記憶ではない。
映像こそが事実なのかもしれないけれど、わたしにとってはわたしの記憶こそが真実。
『インフィニティ』は、奇跡のような公演だった。
すばらしい作品を、すばらしいキャストで演じてくれた。
客席も感動と愛に包まれていた。
映像を見た人が「チケ難だったし、ファンが名作だなんだって騒いでたけど、コレのどこが??」と思うとしても。
他人のことなど知らん、わたしにはわたしがすべて(笑)。
大好きだ、『インフィニティ』。
大好きだ、まっつ。
よくこれだけ、濃密に歌とダンスだけで公演してくれた。
記録に残ってくれてうれしい、これでいつでも記憶の補完はできる。
残ってくれる、ことが重要。わたしはたぶん、いつものように映像はほとんど見ないだろうけど、あるけど見ないのと、存在しないから二度と見られない、のは別。
HV放送はがんばって6本も録っちゃったよ(笑)。そんんなに録画してどうするんだって話。いやその、再放送はあるにしろ、HV放送は二度とないかもしれない!という焦燥感ゆえに。
そしてもちろん、ふつーの放送も録った。HVがあったらこっちは見ないだろうに、4本くらい録ったな。だからどうするんだって話(笑)。
記録ですから。アルバムですから。持っていることに意義があるの。
未だに、『宝塚巴里祭2009』とか、放送があるたびに録画しちゃってるし。DVDレコーダ2台とブルーレイレコーダ2台部屋にあるんだけど、どのレコーダにも『宝塚巴里祭2009』が複数本録画されたままになっている……(笑)。
しかしスカステさん、あのぐだぐだのカーテンコール、全部映してはくれないんだね。
てっきり全部残してくれるんだと思っていたよ。
カテコ、全部で何回あったんだっけ? 最後は緞帳の前に出てきて「まだ辞めませんから!」とか言ってたよーな(笑)。まるで退団公演のように拍手が鳴りやまないから?
「もっと高みを目指す」と言った言葉通り、まっつはさらにさらにうまくなる。舞台人として成長している。
有言実行。かっけー。
『宝塚巴里祭2009』のとき、演出の中村Bに「着たい衣装はあるか」と聞かれ、まっつは「黒燕尾」と答えた。
まっつにとっての黒燕尾ってのは、いつも彼が着ているなんの飾りも付いていない、シンプルなもの。
だけど、巴里祭で出された衣装は、キラキラのいっぱい付いた、「スター様仕様」の黒燕尾だった。
そうか、主演ってこういうことなんだ、黒燕尾って言っても、こうなるんだ。
……と驚いた、てな話をどこかで読むか聞くかした。
目頭が熱くなるわねええ。脇人生長い人だから、「主演」の着る黒燕尾がどんなものか、まったく思い至りもしなかったのねええ(笑)。
だから今回の、『インフィニティ』。
演出のいなばっちに「着たい衣装はあるか」とやはり聞かれ、やはりまっつは「黒燕尾」と答えた。
だけど今度は、「飾りの付いてない、シンプルなやつ」と付け加えた。そう言っておかないと、キラキラのスター仕様黒燕尾を用意されてしまうから、と。
この話を雑誌で読んで、ウケたな~~、まっつ、学習したんだ!!と(笑)。
そして。
せっかくの主演、もう二度とないかもしれないその貴重な機会に、そのときでしか着られないよーな豪華衣装をリクエストするのではなく、わざわざ、ふつーの黒燕尾を指定したところに、こだわりを感じる。
誇りを、感じる。
この人は、真ん中で豪華な衣装を着ることを目標や夢にしているのではなく、自分の納得いく成果を得るために精進しているのだと。
こういう人だからあの舞台を、男役姿を見せてくれるのであり、こういう人だから好きなんだと、しみじみ思った。
『インフィニティ』のお茶会のとき、黒燕尾に対するこだわりを語っていたなあ、と、『Shining Rhythm!』の黒燕尾の美しさに打ちのめされつつも、思い出していた。
惚れて悔いなし!
これからも、クオリティの高い舞台を見せてくれるだろう。
できれば、少しでも長く。
男役姿を見ていたい。
……アルバムをめくると、人は感傷的になるんだってば。
放送はうれしい。
しかも、まさかのHV放送だ。
そのかもみっちゃんも、通常放送のみだったので、まったく期待してなかった。月に4本しかない貴重な枠を、まっつバウごときに回してくれるとは思ってなかったんだ。
雪組次期トップスター発表があり、ああそういうことかと納得もしたが。
次期トップ娘役あゆっちの、最後のバウヒロがまっつバウなんだ。単独ヒロインではなかったけど、誰がヒロイン相当かと言われると、間違いなくあゆっちだったわけだし。
ありがたいありがたい。
改めて映像で『インフィニティ』を見て、毎度のことだが「映像は映像でしかない」と肩を落とす。
今年のはじめ、熱狂して通っていた、あの空間と同じモノだとは、思えなかった。
レンズを通すと客観的になっちゃうのかしらねえ?
ぶっちゃけコレ、そう名作でもないよな、とか。
まつださん、いろいろ微妙じゃね? とか。
映像はアルバムのようなもので、記録ではあるけれど、記憶ではない。
映像こそが事実なのかもしれないけれど、わたしにとってはわたしの記憶こそが真実。
『インフィニティ』は、奇跡のような公演だった。
すばらしい作品を、すばらしいキャストで演じてくれた。
客席も感動と愛に包まれていた。
映像を見た人が「チケ難だったし、ファンが名作だなんだって騒いでたけど、コレのどこが??」と思うとしても。
他人のことなど知らん、わたしにはわたしがすべて(笑)。
大好きだ、『インフィニティ』。
大好きだ、まっつ。
よくこれだけ、濃密に歌とダンスだけで公演してくれた。
記録に残ってくれてうれしい、これでいつでも記憶の補完はできる。
残ってくれる、ことが重要。わたしはたぶん、いつものように映像はほとんど見ないだろうけど、あるけど見ないのと、存在しないから二度と見られない、のは別。
HV放送はがんばって6本も録っちゃったよ(笑)。そんんなに録画してどうするんだって話。いやその、再放送はあるにしろ、HV放送は二度とないかもしれない!という焦燥感ゆえに。
そしてもちろん、ふつーの放送も録った。HVがあったらこっちは見ないだろうに、4本くらい録ったな。だからどうするんだって話(笑)。
記録ですから。アルバムですから。持っていることに意義があるの。
未だに、『宝塚巴里祭2009』とか、放送があるたびに録画しちゃってるし。DVDレコーダ2台とブルーレイレコーダ2台部屋にあるんだけど、どのレコーダにも『宝塚巴里祭2009』が複数本録画されたままになっている……(笑)。
しかしスカステさん、あのぐだぐだのカーテンコール、全部映してはくれないんだね。
てっきり全部残してくれるんだと思っていたよ。
カテコ、全部で何回あったんだっけ? 最後は緞帳の前に出てきて「まだ辞めませんから!」とか言ってたよーな(笑)。まるで退団公演のように拍手が鳴りやまないから?
「もっと高みを目指す」と言った言葉通り、まっつはさらにさらにうまくなる。舞台人として成長している。
有言実行。かっけー。
『宝塚巴里祭2009』のとき、演出の中村Bに「着たい衣装はあるか」と聞かれ、まっつは「黒燕尾」と答えた。
まっつにとっての黒燕尾ってのは、いつも彼が着ているなんの飾りも付いていない、シンプルなもの。
だけど、巴里祭で出された衣装は、キラキラのいっぱい付いた、「スター様仕様」の黒燕尾だった。
そうか、主演ってこういうことなんだ、黒燕尾って言っても、こうなるんだ。
……と驚いた、てな話をどこかで読むか聞くかした。
目頭が熱くなるわねええ。脇人生長い人だから、「主演」の着る黒燕尾がどんなものか、まったく思い至りもしなかったのねええ(笑)。
だから今回の、『インフィニティ』。
演出のいなばっちに「着たい衣装はあるか」とやはり聞かれ、やはりまっつは「黒燕尾」と答えた。
だけど今度は、「飾りの付いてない、シンプルなやつ」と付け加えた。そう言っておかないと、キラキラのスター仕様黒燕尾を用意されてしまうから、と。
この話を雑誌で読んで、ウケたな~~、まっつ、学習したんだ!!と(笑)。
そして。
せっかくの主演、もう二度とないかもしれないその貴重な機会に、そのときでしか着られないよーな豪華衣装をリクエストするのではなく、わざわざ、ふつーの黒燕尾を指定したところに、こだわりを感じる。
誇りを、感じる。
この人は、真ん中で豪華な衣装を着ることを目標や夢にしているのではなく、自分の納得いく成果を得るために精進しているのだと。
こういう人だからあの舞台を、男役姿を見せてくれるのであり、こういう人だから好きなんだと、しみじみ思った。
『インフィニティ』のお茶会のとき、黒燕尾に対するこだわりを語っていたなあ、と、『Shining Rhythm!』の黒燕尾の美しさに打ちのめされつつも、思い出していた。
惚れて悔いなし!
これからも、クオリティの高い舞台を見せてくれるだろう。
できれば、少しでも長く。
男役姿を見ていたい。
……アルバムをめくると、人は感傷的になるんだってば。
皆殺しの美学。@サン=テグジュペリ
2012年8月5日 タカラヅカ 谷正純作品『サン=テグジュペリ』を考えることを、頭が拒否するのです。
初日に観たときは、「谷せんせの泣かせ人情パッションはキライじゃない。珍作だけど、不快でもないのでマシ」と思っていた。
でも、2回目に観ると、やっぱ不快だった。
何故か。
それは、イシダ作品を不快だと思う、植爺作品を嫌悪する、それらの感覚とは違っている。
いちばん近いのは、酒井作品に対する不快さだ。
そうなの。わたし、ストーリーのない「芝居」、大嫌いなの(笑)。
『花舞う長安』(2004年・酒井澄夫)が大嫌いだった、アレを思い出すわー。
あ、もひとつ思い出した。
『あさきゆめみしⅡ』(2007年・草野 旦)も、大嫌いだった。
共通項は、ストーリーがない、物語を作る方程式を理解していないこと。
ただエピソードの羅列、切り貼り。
キャラクタはただの絵に描いた餅、人格も辻褄もナニもない。
起承転結の計算がない。ナニがどうなってなにが起こり、結果どうなるのか。すべての物事には因果があり、つながっていることを、作者自身理解していない。
ふつーのヒトでも、物語くらい、作れるでしょう。総合芸術のミュージカルとして演出できるかはともかく。
間違っている・欠けている部分が、そのいちばん最初、素人でもある程度出来て当然の「物語を作る」部分だっつーのがもお、この道何十年のプロのじーさまのすることなのかと。
今回の『サン=テグジュペリ』が不快なのは、ストーリーがないことと、キャラクタの人格破壊、そのコンボがわたし的にキツイからかな。
谷せんせは物語作るのぶっちゃけヘタだけど、キャラクタはパッションのあるものを作るじゃないですか。
谷せんせのライフワーク、「なにかを成すため(誰かのため)に死ぬ美学」をぎゃーぎゃー叫びながら生きて、死ぬ。
命がいちばん大切だと言いながら、簡単プーに死んでいく。
大切だとわめくのは、「死ぬ」という前提があるから。死ぬことが谷せんせの最大の萌え。命を大切だと連呼するのは、つまり「死」を飾るためのアクセサリー。
この何十年間揺るがない萌えがあるからこそ、キャラクタもまた揺るがない。
なにかの目的のため、声高に説明台詞を連呼して生きて、壮絶に死んでいく。
でも今回は、いつもの萌えを叫べなかった。
半端に、『星の王子さま』ネタを使ったから。
『星の王子さま』という作品は、別に「なにかを成すため(誰かのため)に死ぬ美学」を説いてないんだ。
ぜんっぜん別の話ですよ。
谷せんせのライフワークなら、王子さまはパイロットを守るために死ななきゃね。
パイロットの代わりに蛇に噛まれて、その腕の中で壮絶に息絶えないと。笑い上戸の星の話を、息も絶え絶えに語らないと。
で、生き残ったパイロットは、夜空の星に、王子さまの志を継いで生きると誓わなきゃ。
だけどご存じの通り、『星の王子さま』ってのはそんなテーマの話ではまったくなくて。
「俺たち郵便飛行士は、待っている誰かのために飛ぶんだ」という、いつもの谷美学の主人公サン=テックス@らんとむ。
ここからはじまったんだから、それに終始しておけばいいのに。
途中で、谷自身理解できていない『星の王子さま』ネタをだらだら引用して、おかげで他のことがなんにも書けなくて、ストーリーもなければキャラも破綻して、わけわかんなくなって。
そのくせ出てくる人たちみんな、「なにかを成すため(誰かのため)に死ぬ美学」に殉じて、順番に死んでいくし。
メルモーズ@みわっち出ました、はい、死にました。
ギヨメ@えりたん出ました、はい、死にました。
キャラもドラマも書く気、ナシ。
そんな面倒なことは投げ出して、自分の気持ちいいところだけ書く。
つまり、「なにかを成すため(誰かのため)に死ぬ美学」の、クライマックス、さあ死にますよ、部分のみ。
飛行機の話じゃなく、陸の話だったら、『Samourai』みたいにひとりずつ大仰に死んでいったんじゃないのかな。
空中戦、舞台では描けないからねええ。
で、主人公のサン=テックスもまた同じ。
妻コンスエロ@蘭ちゃんとは出会いとプロポーズしかまともになにひとつ描かず、出会った瞬間プロポーズ、を書いたから「さあ、ふたりは夫婦」という説明が終わった、次はいちばん書きたかった「なにかを成すため(誰かのため)に死ぬ美学」場面。
ふたりの物語はどこにもナニもない。
突然サン=テックスが「フランスのため」と平和なアメリカで死に赴く場面になる。
ここで姑息に『星の王子さま』の台詞羅列。
チガウから、ここでそんな風に使うのはおかしいから! 『星の王子さま』をそんな風に利用しないで!!
谷せんせのこの使い方だと、『星の王子さま』が戦争賛美小説になってしまう。
谷せんせの「なにかを成すため(誰かのため)に死ぬ美学」は別にいいんだけど、日本人そーゆーの好きだし、使い方によってはわたしも好きだし、すべてが間違っているとも思ってない。
ただ、ここで『星の王子さま』を使うのはチガウ。
お国のために死ぬのが正義と、王子さまはそう言っているんだよ、と夏休みの子どもたちに植え付けるような使い方はやめて。
『星の王子さま』自体のテーマや内容は無視して、勝手に抜粋した心の絆や友情、別れの場面を、戦争に「美しく」「都合良く」利用するのはやめて。
『星の王子さま』を使わず、いつもの谷せんせで良かったのに。
誰かのために命を懸けて生きてきたサン=テックス。彼をとことんマンセーして、彼を愛する男たちが彼の志を受けてどんどん死んでいき、最後はサン=テックス自身も壮絶に戦死する話でいいじゃん。
ほら、それっていつもの谷作品。『アナジ』も『春櫻賦』も『望郷は海を越えて』も『野風の笛』も『Samourai』も、みんなみんな同じ。
ライフワークを叫ぶために、とことんカッコイイ、男が惚れる男の中の男、英雄譚を書けば良かったのよ。
ストーリー皆無で、自分の気持ちいい場面だけ書いて。
まったく無関係な不朽の名作を切り貼りして本質を変容させて、キャラクタは人格破綻。
こりゃひどいわー。
それでも人情モノの強みは、「なにかを成すため(誰かのため)に死ぬ」と言えば感動的だし、ヒトが死ぬと泣けるってこと。
その上、らんとむたち、キャストの熱演もあるし。彼らはほんと、このめちゃくちゃな作品を、誠心誠意支えているし。
わたし、谷せんせのライフワークキライじゃないんだけど、それはストーリーがあってこそなのよ。
キャラクタに感情移入できてこそなの。
その場しのぎのエピソード並べて、意味もわからず羅列した『星の王子さま』の台詞なんかじゃ、キャラクタに感情移入できないわ。
だからすごく退屈。
『Samourai』は気持ちよく泣けたけど、『サン=テグジュペリ』は無理。
同じテーマの話なのに。いつもの話なのに。
作り直してほしい。
いつもの谷作品に。
初日に観たときは、「谷せんせの泣かせ人情パッションはキライじゃない。珍作だけど、不快でもないのでマシ」と思っていた。
でも、2回目に観ると、やっぱ不快だった。
何故か。
それは、イシダ作品を不快だと思う、植爺作品を嫌悪する、それらの感覚とは違っている。
いちばん近いのは、酒井作品に対する不快さだ。
そうなの。わたし、ストーリーのない「芝居」、大嫌いなの(笑)。
『花舞う長安』(2004年・酒井澄夫)が大嫌いだった、アレを思い出すわー。
あ、もひとつ思い出した。
『あさきゆめみしⅡ』(2007年・草野 旦)も、大嫌いだった。
共通項は、ストーリーがない、物語を作る方程式を理解していないこと。
ただエピソードの羅列、切り貼り。
キャラクタはただの絵に描いた餅、人格も辻褄もナニもない。
起承転結の計算がない。ナニがどうなってなにが起こり、結果どうなるのか。すべての物事には因果があり、つながっていることを、作者自身理解していない。
ふつーのヒトでも、物語くらい、作れるでしょう。総合芸術のミュージカルとして演出できるかはともかく。
間違っている・欠けている部分が、そのいちばん最初、素人でもある程度出来て当然の「物語を作る」部分だっつーのがもお、この道何十年のプロのじーさまのすることなのかと。
今回の『サン=テグジュペリ』が不快なのは、ストーリーがないことと、キャラクタの人格破壊、そのコンボがわたし的にキツイからかな。
谷せんせは物語作るのぶっちゃけヘタだけど、キャラクタはパッションのあるものを作るじゃないですか。
谷せんせのライフワーク、「なにかを成すため(誰かのため)に死ぬ美学」をぎゃーぎゃー叫びながら生きて、死ぬ。
命がいちばん大切だと言いながら、簡単プーに死んでいく。
大切だとわめくのは、「死ぬ」という前提があるから。死ぬことが谷せんせの最大の萌え。命を大切だと連呼するのは、つまり「死」を飾るためのアクセサリー。
この何十年間揺るがない萌えがあるからこそ、キャラクタもまた揺るがない。
なにかの目的のため、声高に説明台詞を連呼して生きて、壮絶に死んでいく。
でも今回は、いつもの萌えを叫べなかった。
半端に、『星の王子さま』ネタを使ったから。
『星の王子さま』という作品は、別に「なにかを成すため(誰かのため)に死ぬ美学」を説いてないんだ。
ぜんっぜん別の話ですよ。
谷せんせのライフワークなら、王子さまはパイロットを守るために死ななきゃね。
パイロットの代わりに蛇に噛まれて、その腕の中で壮絶に息絶えないと。笑い上戸の星の話を、息も絶え絶えに語らないと。
で、生き残ったパイロットは、夜空の星に、王子さまの志を継いで生きると誓わなきゃ。
だけどご存じの通り、『星の王子さま』ってのはそんなテーマの話ではまったくなくて。
「俺たち郵便飛行士は、待っている誰かのために飛ぶんだ」という、いつもの谷美学の主人公サン=テックス@らんとむ。
ここからはじまったんだから、それに終始しておけばいいのに。
途中で、谷自身理解できていない『星の王子さま』ネタをだらだら引用して、おかげで他のことがなんにも書けなくて、ストーリーもなければキャラも破綻して、わけわかんなくなって。
そのくせ出てくる人たちみんな、「なにかを成すため(誰かのため)に死ぬ美学」に殉じて、順番に死んでいくし。
メルモーズ@みわっち出ました、はい、死にました。
ギヨメ@えりたん出ました、はい、死にました。
キャラもドラマも書く気、ナシ。
そんな面倒なことは投げ出して、自分の気持ちいいところだけ書く。
つまり、「なにかを成すため(誰かのため)に死ぬ美学」の、クライマックス、さあ死にますよ、部分のみ。
飛行機の話じゃなく、陸の話だったら、『Samourai』みたいにひとりずつ大仰に死んでいったんじゃないのかな。
空中戦、舞台では描けないからねええ。
で、主人公のサン=テックスもまた同じ。
妻コンスエロ@蘭ちゃんとは出会いとプロポーズしかまともになにひとつ描かず、出会った瞬間プロポーズ、を書いたから「さあ、ふたりは夫婦」という説明が終わった、次はいちばん書きたかった「なにかを成すため(誰かのため)に死ぬ美学」場面。
ふたりの物語はどこにもナニもない。
突然サン=テックスが「フランスのため」と平和なアメリカで死に赴く場面になる。
ここで姑息に『星の王子さま』の台詞羅列。
チガウから、ここでそんな風に使うのはおかしいから! 『星の王子さま』をそんな風に利用しないで!!
谷せんせのこの使い方だと、『星の王子さま』が戦争賛美小説になってしまう。
谷せんせの「なにかを成すため(誰かのため)に死ぬ美学」は別にいいんだけど、日本人そーゆーの好きだし、使い方によってはわたしも好きだし、すべてが間違っているとも思ってない。
ただ、ここで『星の王子さま』を使うのはチガウ。
お国のために死ぬのが正義と、王子さまはそう言っているんだよ、と夏休みの子どもたちに植え付けるような使い方はやめて。
『星の王子さま』自体のテーマや内容は無視して、勝手に抜粋した心の絆や友情、別れの場面を、戦争に「美しく」「都合良く」利用するのはやめて。
『星の王子さま』を使わず、いつもの谷せんせで良かったのに。
誰かのために命を懸けて生きてきたサン=テックス。彼をとことんマンセーして、彼を愛する男たちが彼の志を受けてどんどん死んでいき、最後はサン=テックス自身も壮絶に戦死する話でいいじゃん。
ほら、それっていつもの谷作品。『アナジ』も『春櫻賦』も『望郷は海を越えて』も『野風の笛』も『Samourai』も、みんなみんな同じ。
ライフワークを叫ぶために、とことんカッコイイ、男が惚れる男の中の男、英雄譚を書けば良かったのよ。
ストーリー皆無で、自分の気持ちいい場面だけ書いて。
まったく無関係な不朽の名作を切り貼りして本質を変容させて、キャラクタは人格破綻。
こりゃひどいわー。
それでも人情モノの強みは、「なにかを成すため(誰かのため)に死ぬ」と言えば感動的だし、ヒトが死ぬと泣けるってこと。
その上、らんとむたち、キャストの熱演もあるし。彼らはほんと、このめちゃくちゃな作品を、誠心誠意支えているし。
わたし、谷せんせのライフワークキライじゃないんだけど、それはストーリーがあってこそなのよ。
キャラクタに感情移入できてこそなの。
その場しのぎのエピソード並べて、意味もわからず羅列した『星の王子さま』の台詞なんかじゃ、キャラクタに感情移入できないわ。
だからすごく退屈。
『Samourai』は気持ちよく泣けたけど、『サン=テグジュペリ』は無理。
同じテーマの話なのに。いつもの話なのに。
作り直してほしい。
いつもの谷作品に。
陰影と色彩の深度・その5。@Shining Rhythm!
2012年8月4日 タカラヅカ 『Shining Rhythm!』の感想、まっつまっつ。これでラスト。
クライマックスの第5章「光と影」。
まっつソロ終了と同時に曲のテンポが変わり、突然のヘビメタ調。
びっくりする間もなく、本舞台に戻ったまっつは群舞センターで、踊り狂う。
まっつが踊れる人だってのは、知ってる。
歌えない人をダンサー認識、踊れない人を歌手認識する、タカラヅカの先入観から、意外と知られていないのかもしれないが、実はちゃんと踊れる。
まっつにないのは高い身長のみ、三拍子揃った人なんだってば。
にしても、いきなりの大劇場群舞センター場面がこの曲って、ハードル高いなヲイ!!
めちゃくちゃハードなダンス。
なのにきっちりテンポ刻んで、動きの端々、指先の表現まで、きっちりきれい。
ムラで見たときも、十分感嘆足した。すげえ!と。カッコイイ!と。
乱れ髪も、いい。
この場面、あえて髪をがちがちにセットしてない。
だから踊ると、揺れる。乱れる。
その日によってセット具合が違うため、大きく乱れるときとそうでないときがある。
この乱れ髪がまた、セクシーなの。
まっつというといつもデコ全開、潔い男役ヘアの人。
髪を自由に遊ばせるなんてこと、滅多になかった。つか、しばらく見てなかった。
それゆえほんとに、ここでの乱れ髪がポイント高すぎ。美しい。ハァハァ。
ムラで見たとき、十分すぎるほどがっついた。ガン見した。堪能した。
しかし。
東宝で観たとき、いちばん変化していてびびったのは、ここのダンスだ。
ムラで見たときは、ひたすらストイックに踊っていたのに。
東宝で観たら、別人のように表情豊かだった。
びびった。
心底、びびった。
ままままつださん?!
クールビューティ様が、なんかがっつりと捕食体制に入ってますよ??
捕食。
捕らえて、食べる。
獲物を前足で引っかけて、牙の前にたぐり寄せました。
突き放すようにストイックに踊っていた人が、表情豊かに客席に語りかけるように、踊っている。
髪はセクシーな乱れ髪、整った顔に前髪がはらりはらりと落ちる。
変わる表情、強弱の使い分け、エロエロな微笑。
さあおいで。腕を広げて、待ち構えてる。
ガクガクブルブル。
なんなのこの人こわい。
どうしちゃったの。
マジ落とすつもりだ、客席包むつもりだ。うきゃ~~~~っ!!
……マジに、腰砕けました。すごすぎる……。
あたしひょっとして、すげえ人に惚れちゃったんだなと、またしみじみ思いましたことよ。
ただ、まあ、真ん中あたりの遠征でそーゆーことになっていた、ってだけで、千秋楽はそこまでやってくんなかったけどね。
楽の日ってやっぱ、疲れてるんだろうなあ。そしてこの肉食まっつはエネルギー食うんだろうな。
エコなまっつは、楽日にぶっとばしたりしないよなあ。
まあなんにせよ、影まっつは最高っす。
光S@キムくん登場してヒト踊りしたあと、せり上がってくるところの格好良さもまた、半端ナイっす。
ここはもお、絶対見逃せない。キムちぎみみがせり上がっていったら、彼らに夢中になりすぎず、その前のセリ位置に注目っす。
せり上がる瞬間からちゃんと見なくちゃね!
回る盆、動くセリ。総踊り。大がかりな演出の中、まっつをセンターに影の男女・咲ひーこがせり上がる。
ここがマジカッコイイ。彼らの硬質さ、光の中に現れる影、端正さにぞくぞくする。
まっつがキムくんに相対する存在だってのが、イイ。
ふたりは絡むことがないんだけど、舞台の上と下で、同じ動きをするのね。
他の光チームと影チームも呼応しているんだけど、なかでもキムとまっつは個別にぴたっと同じなの。
ああ、そうなのか、と思った。
光チームの中にばらけて混ざった影チームは、影だけでいたときほど派手じゃない。薄まっちゃったなあ、という感じ。
曲調も影のときほど激しくないしね。
でもその、さらに手足が伸びたような、ダンスに見とれる。息を安らかに踊っている感じというか。
は~~、かっこいーー。
それが終わると次は、フィナーレ。
大階段黒燕尾。
まっつは、「紳士A」。
紳士A。
フィナーレの大階段で、ちぎくんと共に、A!!
はじめて。
はじめてですよ、そんなの!!
その他大勢ぢゃないの、Aなの、3番手なの!!
ありがとう中村B!
ちぎくんとまっつだけ、キラキラの付いた黒燕尾なの。
衣装も3番手なの。
ありがとう中村B!
ちゃんと3番手位置、トップさんの横に立たせてもらえるから、ライトにも当たるしね。よく見えるしね。
なにもかもありがたいです。
で。
立ち位置の話だけじゃない。
この黒燕尾の振付が、かっこよすぎる。
ワイルド&セクシーですか、テーマ?
ちょっとめずらしいというか、目新しい振付。
なんというか、まっつの黒燕尾の美しさは、また格別。
まっつはちっちゃいし、それはもう動かしようのない事実で、衣装によっては大変そうだったりもする。
だけど黒燕尾に関しては、そんなこと吹っ飛ぶな。
着こなしはバランスであり、技術であるんだろう。
小さなまっつが、いつもより大きく見える。
美しい。
黒燕尾を着て、ただ立っている、歩いている、それだけでも、彼の美しさが匂い立つ。
肩から背中を強調する振りがいくつかあって、「男役は背中で語る」を体現してもらえるところもいい。
あちこちにある、背中を伸ばすことになる振りが、まっつに合っているなあと。まっつってよく反るよねえ。
まっつの手の動きの美しさ、エロさも堪能できる。
自分の手の甲にキスするとか、この振付はどうなってんだ、エロ過ぎるだろう! けしからん! もっとやれ!!
まっつが本領発揮、容赦ない感じが素敵すぎます。
ほんとにもお、大丈夫かこの人。(いや、わたしか??)
黒燕尾群舞があったんだから、男役の出番はここまでかと思ったら、そのあともおまけ的お楽しみ、ちぎくんセンターで銀橋勢揃いがあるしねー。
ちぎくんにくっついて銀橋行くときの、ヲヅキさんグループとすれちがうとこ、なんか好きだなー。電車がすれ違うような感じで、窓越しに向こうの景色が見えるのになんかわくわくするというか(絶対伝わらない)。
んで、銀橋で「♪踊りたいの」と歌うとき、合唱状態なのに、まっつの声がすごくよく聞こえるのも、ツボだった。
そして最後の最後、大階段パレード。
初日はどきどきした。前回のトラウマがあってな。
どんだけ中村Bがまっつにやさしくても、魅力をわかって実力を買ってくれていても、劇団が確固たる意志で、階段降りの順番や組み合わせを指示しているかもしんないじゃん。
なまじっかそこまでの扱いが良すぎたから、最後にがつんと「カンチガイすんなよ、こーゆー位置なんだよ」と劇団様が示してくるかもしんないじゃん。
祈るような気持ちで、眺めていたよ。
だから。
総スパン衣装+3番手羽根に、泣いた。
3番手扱いされてる……すごい……うれしい。
うれしいよ。
上から順番1、2、3、筋が通っているぜ、中村B!! そのブレなさが好きだ!!
純粋に、ひとり降りだと歌声が聞こえるってことも、うれしいしね。
複数降りだと単体の声ではないから。(だから前回は残念だった……泣)
羽根が4つ並んでいるパレードっていいなあ。
銀橋ソロのスターが多いとわくわく度が上がるように、羽根がたくさんあると豪華さが上がるじゃないですか。
劇団の事情よりも、ファンサービス大事ですよ。
てことで、これからも是非華やかに、羽根やスパンコールを大盤振る舞いしてほしいところです(笑)。
大好きだ『Shining Rhythm!』。
中村Bも大好き、ありがとう!!
パレードでずんずん歩くまっつの小さな羽根が、風と空気抵抗を受けて、どんどんバトミントンのシャトルみたいなカタチになっていくのが、愉快でした(笑)。
小さいから、空気抵抗でカタチ変わっちゃうんだ-。
それでもいい、それでもうれしかったよ(笑)。
クライマックスの第5章「光と影」。
まっつソロ終了と同時に曲のテンポが変わり、突然のヘビメタ調。
びっくりする間もなく、本舞台に戻ったまっつは群舞センターで、踊り狂う。
まっつが踊れる人だってのは、知ってる。
歌えない人をダンサー認識、踊れない人を歌手認識する、タカラヅカの先入観から、意外と知られていないのかもしれないが、実はちゃんと踊れる。
まっつにないのは高い身長のみ、三拍子揃った人なんだってば。
にしても、いきなりの大劇場群舞センター場面がこの曲って、ハードル高いなヲイ!!
めちゃくちゃハードなダンス。
なのにきっちりテンポ刻んで、動きの端々、指先の表現まで、きっちりきれい。
ムラで見たときも、十分感嘆足した。すげえ!と。カッコイイ!と。
乱れ髪も、いい。
この場面、あえて髪をがちがちにセットしてない。
だから踊ると、揺れる。乱れる。
その日によってセット具合が違うため、大きく乱れるときとそうでないときがある。
この乱れ髪がまた、セクシーなの。
まっつというといつもデコ全開、潔い男役ヘアの人。
髪を自由に遊ばせるなんてこと、滅多になかった。つか、しばらく見てなかった。
それゆえほんとに、ここでの乱れ髪がポイント高すぎ。美しい。ハァハァ。
ムラで見たとき、十分すぎるほどがっついた。ガン見した。堪能した。
しかし。
東宝で観たとき、いちばん変化していてびびったのは、ここのダンスだ。
ムラで見たときは、ひたすらストイックに踊っていたのに。
東宝で観たら、別人のように表情豊かだった。
びびった。
心底、びびった。
ままままつださん?!
クールビューティ様が、なんかがっつりと捕食体制に入ってますよ??
捕食。
捕らえて、食べる。
獲物を前足で引っかけて、牙の前にたぐり寄せました。
突き放すようにストイックに踊っていた人が、表情豊かに客席に語りかけるように、踊っている。
髪はセクシーな乱れ髪、整った顔に前髪がはらりはらりと落ちる。
変わる表情、強弱の使い分け、エロエロな微笑。
さあおいで。腕を広げて、待ち構えてる。
ガクガクブルブル。
なんなのこの人こわい。
どうしちゃったの。
マジ落とすつもりだ、客席包むつもりだ。うきゃ~~~~っ!!
……マジに、腰砕けました。すごすぎる……。
あたしひょっとして、すげえ人に惚れちゃったんだなと、またしみじみ思いましたことよ。
ただ、まあ、真ん中あたりの遠征でそーゆーことになっていた、ってだけで、千秋楽はそこまでやってくんなかったけどね。
楽の日ってやっぱ、疲れてるんだろうなあ。そしてこの肉食まっつはエネルギー食うんだろうな。
エコなまっつは、楽日にぶっとばしたりしないよなあ。
まあなんにせよ、影まっつは最高っす。
光S@キムくん登場してヒト踊りしたあと、せり上がってくるところの格好良さもまた、半端ナイっす。
ここはもお、絶対見逃せない。キムちぎみみがせり上がっていったら、彼らに夢中になりすぎず、その前のセリ位置に注目っす。
せり上がる瞬間からちゃんと見なくちゃね!
回る盆、動くセリ。総踊り。大がかりな演出の中、まっつをセンターに影の男女・咲ひーこがせり上がる。
ここがマジカッコイイ。彼らの硬質さ、光の中に現れる影、端正さにぞくぞくする。
まっつがキムくんに相対する存在だってのが、イイ。
ふたりは絡むことがないんだけど、舞台の上と下で、同じ動きをするのね。
他の光チームと影チームも呼応しているんだけど、なかでもキムとまっつは個別にぴたっと同じなの。
ああ、そうなのか、と思った。
光チームの中にばらけて混ざった影チームは、影だけでいたときほど派手じゃない。薄まっちゃったなあ、という感じ。
曲調も影のときほど激しくないしね。
でもその、さらに手足が伸びたような、ダンスに見とれる。息を安らかに踊っている感じというか。
は~~、かっこいーー。
それが終わると次は、フィナーレ。
大階段黒燕尾。
まっつは、「紳士A」。
紳士A。
フィナーレの大階段で、ちぎくんと共に、A!!
はじめて。
はじめてですよ、そんなの!!
その他大勢ぢゃないの、Aなの、3番手なの!!
ありがとう中村B!
ちぎくんとまっつだけ、キラキラの付いた黒燕尾なの。
衣装も3番手なの。
ありがとう中村B!
ちゃんと3番手位置、トップさんの横に立たせてもらえるから、ライトにも当たるしね。よく見えるしね。
なにもかもありがたいです。
で。
立ち位置の話だけじゃない。
この黒燕尾の振付が、かっこよすぎる。
ワイルド&セクシーですか、テーマ?
ちょっとめずらしいというか、目新しい振付。
なんというか、まっつの黒燕尾の美しさは、また格別。
まっつはちっちゃいし、それはもう動かしようのない事実で、衣装によっては大変そうだったりもする。
だけど黒燕尾に関しては、そんなこと吹っ飛ぶな。
着こなしはバランスであり、技術であるんだろう。
小さなまっつが、いつもより大きく見える。
美しい。
黒燕尾を着て、ただ立っている、歩いている、それだけでも、彼の美しさが匂い立つ。
肩から背中を強調する振りがいくつかあって、「男役は背中で語る」を体現してもらえるところもいい。
あちこちにある、背中を伸ばすことになる振りが、まっつに合っているなあと。まっつってよく反るよねえ。
まっつの手の動きの美しさ、エロさも堪能できる。
自分の手の甲にキスするとか、この振付はどうなってんだ、エロ過ぎるだろう! けしからん! もっとやれ!!
まっつが本領発揮、容赦ない感じが素敵すぎます。
ほんとにもお、大丈夫かこの人。(いや、わたしか??)
黒燕尾群舞があったんだから、男役の出番はここまでかと思ったら、そのあともおまけ的お楽しみ、ちぎくんセンターで銀橋勢揃いがあるしねー。
ちぎくんにくっついて銀橋行くときの、ヲヅキさんグループとすれちがうとこ、なんか好きだなー。電車がすれ違うような感じで、窓越しに向こうの景色が見えるのになんかわくわくするというか(絶対伝わらない)。
んで、銀橋で「♪踊りたいの」と歌うとき、合唱状態なのに、まっつの声がすごくよく聞こえるのも、ツボだった。
そして最後の最後、大階段パレード。
初日はどきどきした。前回のトラウマがあってな。
どんだけ中村Bがまっつにやさしくても、魅力をわかって実力を買ってくれていても、劇団が確固たる意志で、階段降りの順番や組み合わせを指示しているかもしんないじゃん。
なまじっかそこまでの扱いが良すぎたから、最後にがつんと「カンチガイすんなよ、こーゆー位置なんだよ」と劇団様が示してくるかもしんないじゃん。
祈るような気持ちで、眺めていたよ。
だから。
総スパン衣装+3番手羽根に、泣いた。
3番手扱いされてる……すごい……うれしい。
うれしいよ。
上から順番1、2、3、筋が通っているぜ、中村B!! そのブレなさが好きだ!!
純粋に、ひとり降りだと歌声が聞こえるってことも、うれしいしね。
複数降りだと単体の声ではないから。(だから前回は残念だった……泣)
羽根が4つ並んでいるパレードっていいなあ。
銀橋ソロのスターが多いとわくわく度が上がるように、羽根がたくさんあると豪華さが上がるじゃないですか。
劇団の事情よりも、ファンサービス大事ですよ。
てことで、これからも是非華やかに、羽根やスパンコールを大盤振る舞いしてほしいところです(笑)。
大好きだ『Shining Rhythm!』。
中村Bも大好き、ありがとう!!
パレードでずんずん歩くまっつの小さな羽根が、風と空気抵抗を受けて、どんどんバトミントンのシャトルみたいなカタチになっていくのが、愉快でした(笑)。
小さいから、空気抵抗でカタチ変わっちゃうんだ-。
それでもいい、それでもうれしかったよ(笑)。
陰影と色彩の深度・その4。@Shining Rhythm!
2012年8月3日 タカラヅカ 『Shining Rhythm!』、こあらった視点のまっつまっつ、続き。
つくづくみみちゃんって、絡む男の価値を上げてくれる美形娘役だわ。
第4章のラテンメドレー、黄色い衣装で総踊りになる雪メンバー、センターのみみちゃんに左右から絡むちぎまつ。
場面ラストにポーズを付けて静止するところ、美形揃いで眼福。
ちぎみみまっつですよ、みんなシャープ系美形ですよ。絵柄が合っているというか、すごく素敵な並び。
んでそのまま、銀橋ラインナップへ。
我らがトップスター、キムくんは客席から登場。
最初はそんなことをおくびにも出さず歌いながら銀橋で踊るまっつが、キムくんが近くまで来ると視線を彼に向けてにこっとするのがイイ。や、まっつだけでなくみんなそうなんだけど。
で、キムくんをセンターに、ラテンソングで中詰めラスト。
ここはみんな隣の人と触れあうっていうか、それぞれ曲の合間にお隣さんに身を寄せる振りになっているんだと思う。
まっつの隣は、みみちゃんときんぐ。
両手に花。
えー、どちらの美人さんに対しても、まっつが「男」です。
抱く側です。
……きんぐに対しても。
きんぐの方が大きいです。背ェ高いです。
それでも、まっつが「抱く側」なの(笑)。
みみちゃんの腰を抱いてスイングしたあとは、きんぐの肩を抱きます。笑顔です。
みみちゃんの細腰に腕を回すまっつ、にハクハクします。
美少女とおっさ……ゲフンゲフン、大人の男。
みみとまっつ、って、すごく萌えます。うれしいです。
そして、自分より高い位置にあるきんぐの肩に手を掛けるまっつ、にハクハクします。
美形でかわいい大型犬、きんぐを抱き寄せるまっつ、にめらめら萌えます。
お茶会やトークショーで、まっつがきんぐをいじって……ゲフンゲフン、かわいがっている様子がわかるだけに、すごくたぎります。うれしいです。
んで、この場面の直後の、ひそかなツボ。
銀橋でポーズを決めてじゃんっと暗転、なわけですよ。
次の場面はきんぐとあゆっちのムード歌謡、その間にまっつは衣装から髪型(笑)から変えて、影Aとしてスタンバらなきゃならない。
この、銀橋からの異動がねー。
全員の中で、まっつの移動距離がいちばん大きい。
センターはキムくんです。その上手側に、みみちゃんとまっつ。
まっつは真ん中よりふたり分、上手側にいるんです。ふつーなら、上手側にハケます。
しかし、まっつの隣はきんぐ。その隣はあゆっち。このふたりは、次の場面のために、銀橋に残る。
だから、暗転ではける中心点が、きんぐとあゆっちなの。このふたりより上手側の人は、上手へハケる。下手側の人は、下手にハケる。
この位置関係のおかげで、まっつがいちばん袖に遠い。
しかも、次の場面への準備時間がいちばん短いのがまっつなのに!
いつも、すごく必死で走ってる。
いちばん長い距離を、がんばって走ってる。
それが、萌え(笑)。
『TUXEDO JAZZ』を思い出すわ……あのときも、まっつの移動距離がやたら長くて、貼り付いたような笑顔で舞台を横切ってハケていってたっけ……(笑)。
ムード歌謡タイムが終わると、ついにクライマックス。
第5章「光と影」になる。
この『Shining Rhythm!』という演目が発表されたそのときから、作品解説トップに書かれていたテーマ。
作者が最も「描きたい!」と切望していただろう場面。
その場面のトップバッターが、影A@まっつ。
「光」「影」「ときめき」「喜び」、そして「情熱」「躍動」をテーマに、と、公式サイトにある解説は、みなプラスの単語ばかりだ、『Shining Rhythm!』というタイトルに相応しく。……「影」を除いて。
そんな「SHINE」を表すエッセンスのなかで唯一、対極となる概念「影」。
どれだけの信頼を受けて、まっつがこの役割を務めているのか。
考えるだけで、うれしい。
配役表のいちばん上にまっつの名前が来る場面、ってのがわたしの夢だったのに、中詰めのラテン場面に引き続き、ひとつの作品でふたつもあるんだもん。夢、叶いすぎですよ。
しかもこのふたつめの場面は、メドレーのどさくさあっちゅー間に流れていくんじゃなくて、ほんとにちゃんとした1場面で。
感涙。
ひとつの場面、カーテン前じゃない、一応ちゃんとセットもある舞台のセンターで、まっつが歌い出す。
的確に音程を刻む歌声。
歌詞が伝わる。ドラマが伝わる。
そして、花道から銀橋へ。
はじめての、銀橋ソロ。
スローなメロディと押さえた伴奏、誤魔化しの利かない、正味歌唱力を必要とされる楽曲。
響く、美声。
ああ、まっつのための曲だ。
まっつだからこういう演出なんだ。他の人なら、もっとその人にあった演出にするだろうし、まっつなら出来ると思われて、この演出なんだ。
まっつに似合う。まっつの持つ、陰影の深さ。明暗じゃない、光と影じゃない、陰影。陰と影。
重なり合う深み。色彩の濃さ。あらゆる色が重なり、最後に行き着くところ。
暗い舞台に、真っ直ぐなライト。
この広い大劇場の、真ん中に立つ、まっつ。
だから、ぞくぞくするって。
ナニこの演出。
追い詰められるように盛り上がる音楽、「光が影を抱きしめる」と切なく歌い上げ、自分で自分を抱くまっつ。
ちょ……っ。
ナニそのエロ演出?!!
手がっ、手がっ、いやらしすぎるんですけど?!
這う・蠢くって感じに、手が動く。
そうやって、自分の胸に這わせる。抱く。
いやその、そこまでやらしくする必要あるのまつださん?! 仕様ですか、標準装備、通常運転ですか、ソレがナニか?ってことですか!!
まっつが影でキムくんが光……キムくんに抱きしめられているイメージで、悶えてるまっつの図……。
なんかいろいろと大変です。
キムとまっつなら、そりゃ「光と影」やりたくなるよなー。ニコライとプガチョフだもんなー。
単純すぎる発想だろうけど、それゆえに一般的・普遍的な発想に思える。
歌ウマ美形同期で持ち味正反対だもんな。『Shining Rhythm!』ってタイトルでショーを作る、ってなったら、コレを想像してもクリエイターとしてなんの不思議もない。
中村B、グッジョブ!!
続く。
つくづくみみちゃんって、絡む男の価値を上げてくれる美形娘役だわ。
第4章のラテンメドレー、黄色い衣装で総踊りになる雪メンバー、センターのみみちゃんに左右から絡むちぎまつ。
場面ラストにポーズを付けて静止するところ、美形揃いで眼福。
ちぎみみまっつですよ、みんなシャープ系美形ですよ。絵柄が合っているというか、すごく素敵な並び。
んでそのまま、銀橋ラインナップへ。
我らがトップスター、キムくんは客席から登場。
最初はそんなことをおくびにも出さず歌いながら銀橋で踊るまっつが、キムくんが近くまで来ると視線を彼に向けてにこっとするのがイイ。や、まっつだけでなくみんなそうなんだけど。
で、キムくんをセンターに、ラテンソングで中詰めラスト。
ここはみんな隣の人と触れあうっていうか、それぞれ曲の合間にお隣さんに身を寄せる振りになっているんだと思う。
まっつの隣は、みみちゃんときんぐ。
両手に花。
えー、どちらの美人さんに対しても、まっつが「男」です。
抱く側です。
……きんぐに対しても。
きんぐの方が大きいです。背ェ高いです。
それでも、まっつが「抱く側」なの(笑)。
みみちゃんの腰を抱いてスイングしたあとは、きんぐの肩を抱きます。笑顔です。
みみちゃんの細腰に腕を回すまっつ、にハクハクします。
美少女とおっさ……ゲフンゲフン、大人の男。
みみとまっつ、って、すごく萌えます。うれしいです。
そして、自分より高い位置にあるきんぐの肩に手を掛けるまっつ、にハクハクします。
美形でかわいい大型犬、きんぐを抱き寄せるまっつ、にめらめら萌えます。
お茶会やトークショーで、まっつがきんぐをいじって……ゲフンゲフン、かわいがっている様子がわかるだけに、すごくたぎります。うれしいです。
んで、この場面の直後の、ひそかなツボ。
銀橋でポーズを決めてじゃんっと暗転、なわけですよ。
次の場面はきんぐとあゆっちのムード歌謡、その間にまっつは衣装から髪型(笑)から変えて、影Aとしてスタンバらなきゃならない。
この、銀橋からの異動がねー。
全員の中で、まっつの移動距離がいちばん大きい。
センターはキムくんです。その上手側に、みみちゃんとまっつ。
まっつは真ん中よりふたり分、上手側にいるんです。ふつーなら、上手側にハケます。
しかし、まっつの隣はきんぐ。その隣はあゆっち。このふたりは、次の場面のために、銀橋に残る。
だから、暗転ではける中心点が、きんぐとあゆっちなの。このふたりより上手側の人は、上手へハケる。下手側の人は、下手にハケる。
この位置関係のおかげで、まっつがいちばん袖に遠い。
しかも、次の場面への準備時間がいちばん短いのがまっつなのに!
いつも、すごく必死で走ってる。
いちばん長い距離を、がんばって走ってる。
それが、萌え(笑)。
『TUXEDO JAZZ』を思い出すわ……あのときも、まっつの移動距離がやたら長くて、貼り付いたような笑顔で舞台を横切ってハケていってたっけ……(笑)。
ムード歌謡タイムが終わると、ついにクライマックス。
第5章「光と影」になる。
この『Shining Rhythm!』という演目が発表されたそのときから、作品解説トップに書かれていたテーマ。
作者が最も「描きたい!」と切望していただろう場面。
その場面のトップバッターが、影A@まっつ。
「光」「影」「ときめき」「喜び」、そして「情熱」「躍動」をテーマに、と、公式サイトにある解説は、みなプラスの単語ばかりだ、『Shining Rhythm!』というタイトルに相応しく。……「影」を除いて。
そんな「SHINE」を表すエッセンスのなかで唯一、対極となる概念「影」。
どれだけの信頼を受けて、まっつがこの役割を務めているのか。
考えるだけで、うれしい。
配役表のいちばん上にまっつの名前が来る場面、ってのがわたしの夢だったのに、中詰めのラテン場面に引き続き、ひとつの作品でふたつもあるんだもん。夢、叶いすぎですよ。
しかもこのふたつめの場面は、メドレーのどさくさあっちゅー間に流れていくんじゃなくて、ほんとにちゃんとした1場面で。
感涙。
ひとつの場面、カーテン前じゃない、一応ちゃんとセットもある舞台のセンターで、まっつが歌い出す。
的確に音程を刻む歌声。
歌詞が伝わる。ドラマが伝わる。
そして、花道から銀橋へ。
はじめての、銀橋ソロ。
スローなメロディと押さえた伴奏、誤魔化しの利かない、正味歌唱力を必要とされる楽曲。
響く、美声。
ああ、まっつのための曲だ。
まっつだからこういう演出なんだ。他の人なら、もっとその人にあった演出にするだろうし、まっつなら出来ると思われて、この演出なんだ。
まっつに似合う。まっつの持つ、陰影の深さ。明暗じゃない、光と影じゃない、陰影。陰と影。
重なり合う深み。色彩の濃さ。あらゆる色が重なり、最後に行き着くところ。
暗い舞台に、真っ直ぐなライト。
この広い大劇場の、真ん中に立つ、まっつ。
だから、ぞくぞくするって。
ナニこの演出。
追い詰められるように盛り上がる音楽、「光が影を抱きしめる」と切なく歌い上げ、自分で自分を抱くまっつ。
ちょ……っ。
ナニそのエロ演出?!!
手がっ、手がっ、いやらしすぎるんですけど?!
這う・蠢くって感じに、手が動く。
そうやって、自分の胸に這わせる。抱く。
いやその、そこまでやらしくする必要あるのまつださん?! 仕様ですか、標準装備、通常運転ですか、ソレがナニか?ってことですか!!
まっつが影でキムくんが光……キムくんに抱きしめられているイメージで、悶えてるまっつの図……。
なんかいろいろと大変です。
キムとまっつなら、そりゃ「光と影」やりたくなるよなー。ニコライとプガチョフだもんなー。
単純すぎる発想だろうけど、それゆえに一般的・普遍的な発想に思える。
歌ウマ美形同期で持ち味正反対だもんな。『Shining Rhythm!』ってタイトルでショーを作る、ってなったら、コレを想像してもクリエイターとしてなんの不思議もない。
中村B、グッジョブ!!
続く。
劇団推しのスターは大変だ。
2012年8月2日 タカラヅカ 劇団推しのスターほど人気が出にくい……というか、伸び悩みがちなのは、劇団の権威主義に原因のひとつがあるな。
と、最近思った。
劇団が大切にするのは、「劇団内部」での評価。
ファンでも外部の人でも一般人でもない。
でも、「人気」っていうのは、劇団内部の評価は関係ない。一般のファンがどう思うかだ。ヅカヲタじゃないけどミュージカルを見る人とか、たまたまヅカを観るきっかけがあった一般人とか、内部の思惑なんか関係ない人たちが作るものだ。
そこにズレがあるんだよなあ。
えー、つまり、谷先生の話です。
『サン=テグジュペリ』初日、「『CODE HERO』を超えた」とガクブルしながら、つらつら考えたんだ。
谷先生はこれほどまでに「作劇力」が落ちている。
他カンパニーでは、表に出してはいけないレベルだ。
もともと才気あふれる人ではないが、大衆向け商品をベタに作る力は持っていたはずなのに。
これほどひどいモノを「SS席11000円です、S席8000円です」としれっと売っているんじゃあ、客は増えないわ。
たまたま縁あって劇場に来た人が、「タカラヅカって酷いわ」と2度とお金を払って観に来てくれなくなるわ。
わたしはキライじゃないからいいけど、その他の潜在的な客を、劇団自ら拒絶する行為だわ。
あ、でも今の花組公演は、ショーが楽しいから観る価値あるのよ、チケット代の大半をショーのためだと思えば問題なし!
花組公演のことではなくて、あくまでも、谷作品単体の話です。
で、『サン=テグジュペリ』を観て、「まぁくんも大変だったよなあ。トップスター率いる本公演ですら谷作品のせいで足を取られているのに、まぁくん以下の布陣で谷作品で成功しろなんて無理難題ふっかけられてさあ」と思った。
酷い作品は、ファンを減らす。本公演は他にもいろんな要因があるから直結してはいないと思うが、若手のバウ公演なんかは致命傷になりかねない。
『CODE HERO』なんかは、主演と演目が発表になった瞬間、興行としての失敗(満員御礼人気公演にはならない、という意味)は明らかだった。
劇団が不自然な形で推すスター、というものを、ファンは好意的に受け止めないっちゅーに、その上ファンが敬遠する谷作品。ダブルパンチでファンが嫌がることをしている。
スターを売りたいなら谷作品ではいけないのに、何故わざわざ谷作品なのか。
それが、劇団のズレ。
一推しスターには、谷作品。
観点は、「劇団内部」。
劇団内部で「素晴らしい!!」とされている演出家の作品だからこそ、劇団推しの若手スターにやらせる。
「権威ある演出家の素晴らしい作品」は、「劇団が未来のトップスターと期待するスター」にこそ相応しい。
「権威ある演出家の素晴らしい作品」だから、主演するスターは大人気になるはずだ。
…………評価するのは、人気を作るのは、劇団内部ではなく、ファンなんですが。
ファンは谷作品を「権威ある演出家の素晴らしい作品」とは思っていない。「駄作メーカーの古くさい作品」「皆殺しなど、不快な演出をする演出家の作品」だと敬遠している。
確固たる人気を博している出来上がったスターなら、多少の駄作でも集客に響かないが、「これから知名度を上げ、人気を得る必要がある」若手スターには、追い風にならないばかりか、足を引っ張る演出家である。
スター自身に興味や好意がなければ、演出家名で観劇をしない確率が高いためだ。
劇団は「権威ある谷作品だから売れる」と思い、ファンは「駄作メーカーの谷作品だから買わない」と思う。
この大きなズレ。
タカラヅカファンは判官贔屓な面があり、劇団が推す「作られた」スターより、その周囲でがんばっている「自然発生」スターに心を寄せたりする。
そういう心理がある上に、「作られた」スターは大上段に「谷作品」を与えられたりするんだから、そりゃ人気につながりにくいわー。
劇団推しの人たちは、みーんな谷作品をやらされている。
現役では、トドロキ、らんとむ、キム、ちぎ、まぁくん、みりお。
劇団推しの蒼々たるメンバー(笑)。
Wキャストの場合、劇団推しは片方だけだったりしますが。(もりえとみりおのWとか、ちぎとコマのWとか)劇団的に「素晴らしい谷作品を与えたのは、片方だけ。もうひとりは構成上たまたま仕方なく」なんだろう。
ちなみに、らんとむ氏もみわっちとWキャストだったわけだが、当時のみわっちは劇団推しのすげー勢いのある若手スターでしたのよ。
そして、思うのですよ。
劇団推しのスター様は大変だなあ。
いちばん勢いをつけなければならないとき、若手や中堅の大切なときに、数少ないバウ主演の機会に、「よりによって谷作品」を与えられちゃうんだよ?
そりゃ、ブレイクしないわ。(注・誰が、ということではないっすよ)
高く跳ばなきゃいけないときに、ジャンプ台を置く代わりに落とし穴を掘るのが、宝塚歌劇団。
そして、うまく跳べなかった場合は、スターの責任。
落とし穴を掘った人は責任を取らないばかりか、スターを責める側に立つ。
ジャンプ台がなくても、最悪落とし穴でさえなければ、実力で跳べたかもしれない人も、みんな奈落へ一直線。
どんなに才能あるスターだって、谷作品だけを与えられ続けたら、ブレイクはしないだろう。
だってまず、ファンが「観たい」と思わないんだもの。「主演さんのことはよく知らないけど、作品に興味があるから、お金を払って時間を作って、劇場まで足を運ぼう」と新規さんが思わないんだもの。
幸い、数少ないバウ主演機会に、同じ演出家が続くことはないので、劇団推しスター様たちは、別作家の別作品で人気と実力を磨いていく。
上記の劇団推しのスターたちは、谷の掘った落とし穴に足を取られつつ、それでも自分の力で這い上がり、それぞれ花を開いている。まぁくんだって、これから花開くだろう。みんな推されるのが納得の才能ある人たち。
でも、彼らの大切な主演機会の1回が、谷作品でなかったら。ファンが喜ぶ・興味を持つ作品で主演していたら。
その後の路線人生が、もっとなだらかになったんじゃないかなあ。落とし穴掘られちゃったせいで、いらん手間をかけさせられたもんなあ。
しかも、わりと若いうち、ベテランになる前のやわらかいうちに当たっているのがさらに痛い。
大切な「スター誕生!」の機会を、谷作品で潰してきたのかと思うと、切ない。
くり返すが、スターさんたちはみんな、落とし穴を乗り越えて花開いている。
また、彼らが誠実に務めた過去の谷作品を全否定するわけでもない。それぞれ良い面もあったろうし、なにより舞台は演出家の私物ではなく、役者の力あってこそのものだ。ジェンヌたちの踏ん張りによって、良い作品、心に残る作品になっているだろう。
また、「谷作品だから観る! 谷作品大好き!」って人だって、たぶん、いるんだろうし。
それはそれとして、谷作品でなかったら、もっと別の道も開けただろうに、と思うってこと。
劇団とファンのズレ。
劇団は谷作品を与えることで、そのスターに下駄を履かせているつもり、えこひいきしているつもり。劇団内部の権威主義ゆえ。谷先生の立場ゆえ。
でも実際のところ、ファンからすれば、谷作品はマイナス、試練でしかない。
劇団がそれをわかってやっているならまだ、マシなんだけど。
つまり、ファンがいやがることをあえてして、それでも人気を付けろ、チケットを売れ、と劇団推しのスターを鍛える意味でしているなら。
獅子が我が子を千尋の谷へ突き落とすがごとく。
……そんなことしてなんになるんだ、とは思うけど。
売りたいスターがいたら、ファンが喜ぶ作品でデビューさせてやれよと。
谷せんせも高齢だし、そんなにバリバリ書き下ろせるわけじゃないから、運良く谷作品を逃れているスターたちもいる。
れおんやベニーやマカゼのバウが谷せんせでなくて良かったよ……勢いをつけなければいけないときに、軒並み谷作品だったら、今の星組の華やかさにはつながってなかったかも。
劇団的には、『愛と死のアラビア』だって、『Samourai』だって、今回の『サン=テグジュペリ』だって、劇団推しスターのために大盤振る舞いのつもりでやってるんだもんなあ。
その認識の差が……。
それでもまあ、ほんとのとこ、谷せんせキライじゃないんですがね、わたしは。
好みとは別のところで、谷せんせの扱いこれでいいの? 劇団さん、観点変えた方がいいよ、と心から思う。
と、最近思った。
劇団が大切にするのは、「劇団内部」での評価。
ファンでも外部の人でも一般人でもない。
でも、「人気」っていうのは、劇団内部の評価は関係ない。一般のファンがどう思うかだ。ヅカヲタじゃないけどミュージカルを見る人とか、たまたまヅカを観るきっかけがあった一般人とか、内部の思惑なんか関係ない人たちが作るものだ。
そこにズレがあるんだよなあ。
えー、つまり、谷先生の話です。
『サン=テグジュペリ』初日、「『CODE HERO』を超えた」とガクブルしながら、つらつら考えたんだ。
谷先生はこれほどまでに「作劇力」が落ちている。
他カンパニーでは、表に出してはいけないレベルだ。
もともと才気あふれる人ではないが、大衆向け商品をベタに作る力は持っていたはずなのに。
これほどひどいモノを「SS席11000円です、S席8000円です」としれっと売っているんじゃあ、客は増えないわ。
たまたま縁あって劇場に来た人が、「タカラヅカって酷いわ」と2度とお金を払って観に来てくれなくなるわ。
わたしはキライじゃないからいいけど、その他の潜在的な客を、劇団自ら拒絶する行為だわ。
あ、でも今の花組公演は、ショーが楽しいから観る価値あるのよ、チケット代の大半をショーのためだと思えば問題なし!
花組公演のことではなくて、あくまでも、谷作品単体の話です。
で、『サン=テグジュペリ』を観て、「まぁくんも大変だったよなあ。トップスター率いる本公演ですら谷作品のせいで足を取られているのに、まぁくん以下の布陣で谷作品で成功しろなんて無理難題ふっかけられてさあ」と思った。
酷い作品は、ファンを減らす。本公演は他にもいろんな要因があるから直結してはいないと思うが、若手のバウ公演なんかは致命傷になりかねない。
『CODE HERO』なんかは、主演と演目が発表になった瞬間、興行としての失敗(満員御礼人気公演にはならない、という意味)は明らかだった。
劇団が不自然な形で推すスター、というものを、ファンは好意的に受け止めないっちゅーに、その上ファンが敬遠する谷作品。ダブルパンチでファンが嫌がることをしている。
スターを売りたいなら谷作品ではいけないのに、何故わざわざ谷作品なのか。
それが、劇団のズレ。
一推しスターには、谷作品。
観点は、「劇団内部」。
劇団内部で「素晴らしい!!」とされている演出家の作品だからこそ、劇団推しの若手スターにやらせる。
「権威ある演出家の素晴らしい作品」は、「劇団が未来のトップスターと期待するスター」にこそ相応しい。
「権威ある演出家の素晴らしい作品」だから、主演するスターは大人気になるはずだ。
…………評価するのは、人気を作るのは、劇団内部ではなく、ファンなんですが。
ファンは谷作品を「権威ある演出家の素晴らしい作品」とは思っていない。「駄作メーカーの古くさい作品」「皆殺しなど、不快な演出をする演出家の作品」だと敬遠している。
確固たる人気を博している出来上がったスターなら、多少の駄作でも集客に響かないが、「これから知名度を上げ、人気を得る必要がある」若手スターには、追い風にならないばかりか、足を引っ張る演出家である。
スター自身に興味や好意がなければ、演出家名で観劇をしない確率が高いためだ。
劇団は「権威ある谷作品だから売れる」と思い、ファンは「駄作メーカーの谷作品だから買わない」と思う。
この大きなズレ。
タカラヅカファンは判官贔屓な面があり、劇団が推す「作られた」スターより、その周囲でがんばっている「自然発生」スターに心を寄せたりする。
そういう心理がある上に、「作られた」スターは大上段に「谷作品」を与えられたりするんだから、そりゃ人気につながりにくいわー。
劇団推しの人たちは、みーんな谷作品をやらされている。
現役では、トドロキ、らんとむ、キム、ちぎ、まぁくん、みりお。
劇団推しの蒼々たるメンバー(笑)。
Wキャストの場合、劇団推しは片方だけだったりしますが。(もりえとみりおのWとか、ちぎとコマのWとか)劇団的に「素晴らしい谷作品を与えたのは、片方だけ。もうひとりは構成上たまたま仕方なく」なんだろう。
ちなみに、らんとむ氏もみわっちとWキャストだったわけだが、当時のみわっちは劇団推しのすげー勢いのある若手スターでしたのよ。
そして、思うのですよ。
劇団推しのスター様は大変だなあ。
いちばん勢いをつけなければならないとき、若手や中堅の大切なときに、数少ないバウ主演の機会に、「よりによって谷作品」を与えられちゃうんだよ?
そりゃ、ブレイクしないわ。(注・誰が、ということではないっすよ)
高く跳ばなきゃいけないときに、ジャンプ台を置く代わりに落とし穴を掘るのが、宝塚歌劇団。
そして、うまく跳べなかった場合は、スターの責任。
落とし穴を掘った人は責任を取らないばかりか、スターを責める側に立つ。
ジャンプ台がなくても、最悪落とし穴でさえなければ、実力で跳べたかもしれない人も、みんな奈落へ一直線。
どんなに才能あるスターだって、谷作品だけを与えられ続けたら、ブレイクはしないだろう。
だってまず、ファンが「観たい」と思わないんだもの。「主演さんのことはよく知らないけど、作品に興味があるから、お金を払って時間を作って、劇場まで足を運ぼう」と新規さんが思わないんだもの。
幸い、数少ないバウ主演機会に、同じ演出家が続くことはないので、劇団推しスター様たちは、別作家の別作品で人気と実力を磨いていく。
上記の劇団推しのスターたちは、谷の掘った落とし穴に足を取られつつ、それでも自分の力で這い上がり、それぞれ花を開いている。まぁくんだって、これから花開くだろう。みんな推されるのが納得の才能ある人たち。
でも、彼らの大切な主演機会の1回が、谷作品でなかったら。ファンが喜ぶ・興味を持つ作品で主演していたら。
その後の路線人生が、もっとなだらかになったんじゃないかなあ。落とし穴掘られちゃったせいで、いらん手間をかけさせられたもんなあ。
しかも、わりと若いうち、ベテランになる前のやわらかいうちに当たっているのがさらに痛い。
大切な「スター誕生!」の機会を、谷作品で潰してきたのかと思うと、切ない。
くり返すが、スターさんたちはみんな、落とし穴を乗り越えて花開いている。
また、彼らが誠実に務めた過去の谷作品を全否定するわけでもない。それぞれ良い面もあったろうし、なにより舞台は演出家の私物ではなく、役者の力あってこそのものだ。ジェンヌたちの踏ん張りによって、良い作品、心に残る作品になっているだろう。
また、「谷作品だから観る! 谷作品大好き!」って人だって、たぶん、いるんだろうし。
それはそれとして、谷作品でなかったら、もっと別の道も開けただろうに、と思うってこと。
劇団とファンのズレ。
劇団は谷作品を与えることで、そのスターに下駄を履かせているつもり、えこひいきしているつもり。劇団内部の権威主義ゆえ。谷先生の立場ゆえ。
でも実際のところ、ファンからすれば、谷作品はマイナス、試練でしかない。
劇団がそれをわかってやっているならまだ、マシなんだけど。
つまり、ファンがいやがることをあえてして、それでも人気を付けろ、チケットを売れ、と劇団推しのスターを鍛える意味でしているなら。
獅子が我が子を千尋の谷へ突き落とすがごとく。
……そんなことしてなんになるんだ、とは思うけど。
売りたいスターがいたら、ファンが喜ぶ作品でデビューさせてやれよと。
谷せんせも高齢だし、そんなにバリバリ書き下ろせるわけじゃないから、運良く谷作品を逃れているスターたちもいる。
れおんやベニーやマカゼのバウが谷せんせでなくて良かったよ……勢いをつけなければいけないときに、軒並み谷作品だったら、今の星組の華やかさにはつながってなかったかも。
劇団的には、『愛と死のアラビア』だって、『Samourai』だって、今回の『サン=テグジュペリ』だって、劇団推しスターのために大盤振る舞いのつもりでやってるんだもんなあ。
その認識の差が……。
それでもまあ、ほんとのとこ、谷せんせキライじゃないんですがね、わたしは。
好みとは別のところで、谷せんせの扱いこれでいいの? 劇団さん、観点変えた方がいいよ、と心から思う。
影が本物になる!@未涼亜希DC公演『ブラック・ジャック』主演発表
2012年8月1日 タカラヅカ 博多座『フットルース』初日おめでとう。
遠く大阪の空の下から、思いを馳せてまっつ。
なんかいろいろありすぎて、梅芸のボーモント学園に通っていたことが、遠い昔のように思えるよ。
大好き過ぎる『フットルース』、ずっとずっとあの世界に浸っていたい……。
とはいえ、時は止まってはくれなくて。
来年のスケジュールだーのラインアップだーのが発表になっているわけで。
まっつ、まさかのドラマシティ主演。
まっつで、ブラック・ジャック!!
劇団ナニ考えてんの? そのチョイスの仕方がファン寄りで、びびる。ファンのニーズなんかまったく顧みないのが劇団様なのに。
ファンっつっても、ディープなとこではなく、ライト層の感覚だけど。
言うならば、ネタ系? 「らんとむで『ファントム』! ウケる~~!」みたいなノリ?
というのも、まつださんの代表作のひとつが、ブラック・ジャックの影@『TCA2003』ですから!!
久しぶりにニコ動の「花の十年」見に行ったら、すでに「まっつBJ主演おめ!」コメントがあった(笑)。何回見ても笑えるわ-、あの壮大なコント……。
や、BJの影がまっつの代表作なのは、『Brilliant Dreams#45「未涼亜希」~stage~』で言及されてますから! 公認ですから!
動画サイト視聴を含む、ライトなヅカファン層にネタとして愛でられてきたと思うんですよ、まっつでBJ見たいよね!なんて意見は。
まさかほんとにやるとは……。
いろんな意味で、ありえなくてありがたくて、うれしいです。
まず、まっつの主演。
まっつの学年や立ち位置的に、今年の『インフィニティ』が最初で最後の主演かと思っていた。ディナーショーは今後あるかもしれないけど、ちゃんとした「公演」は無理かもなって。
『インフィニティ』はわたしにとっては素晴らしい公演で、大満足!だけど、ショー公演だったので、芝居を見てみたかった、という気持ちは残った。
もし次があるなら、ぜひ芝居で……。
そう思っていたから、再びの主演、しかも芝居ってのが、うれしくてたまらない。
もしも、まっつ主演バウを見られるのなら。
昔から、夢だけは描いていた。もしもバウができるなら、演出家は正塚せんせ希望。
バウでショーやるなんて思ってもみないから、あたりまえに芝居で夢想していた、花組時代。
まず、まっつの魅力を理解し、まっつのことを高評価してくれる先生がいい。
対外的に名作でも、適性無視で主演への愛のない作品押しつけられたら、残念すぎる。他の超路線の人とちがって主演機会なんて二度とないんだから、取り返しがつかない、と。
演出家も人間だから、役者との相性がある。
ヅカの演出家はサラリーマンだから、会社の考え方に逆らわずに配役やストーリーを決めているだろうけど、その隙間にある「演出家としてのフリースペース」で、好みの役者に好みの役を付ける。
その意味で、まっつを高評価して、ポジションのわりにいい役をくれるのが、マサツカとイケコ。
で、このふたりの演出家なら、マサツカがいい。
大劇場で派手でスペクタクルなミュージカルをやるならイケコ支持だけど、バウでみっちり芝居するなら、断然ハリー。小池せんせのバウ・DC作品は地雷多すぎだ(笑)。
てなわけで、もともとマサツカ作品希望だった。
その上、『インフィニティ』にて往年のマサツカ作品をカバーするまっつを見て、彼が正塚役者であることを再認識。
正塚芝居するまっつが見てぇ……!!
ただの夢想、ありえるかどうかは置いておいて。
それがまさか、実現するとは……!!
正塚作品で、まっつ主演見たいモノを、つらつら考えることはあっても、正直そこに『ブラック・ジャック』はなかった。
だって、大劇場作品だもん。
小劇場作品しか、ネタとしても考えたことなかったよ。
しかし、実際「まっつでBJ」と考えると、よくぞあててくれた!!と震撼する。
すげー似合ってるじゃん?
ビジュアルが合うのは「BJの影」役で実証済みだし。
初演のヤンさんは小柄で華奢な人だし、まっつのあこがれの人だし。
まっつのあのシャープで端正な顔に傷を付けるのかと思うと、……た、たぎる……っ。
しかもまっつは、白衣を着せたらヅカNo.1って人ですよ? 今まで医者役網羅している人ですよ?
これ以上ない、すばらしい再演チョイスだわ!!
あの名曲「かわらぬ想い」をまっつが歌うのかと思うと、それだけで泣けてくるわ。
と、「再演! 再演! BJ! BJの影は誰やるの、ミキさんの役は誰かしら」と盛り上がり……。
解説を、ちゃんと読んで、さらにびっくり。
再演ぢゃ、ない……っ!!
そーいやサブタイトルも違ってるわ、まさかの新作?!
…………大丈夫?
いやその、正塚せんせー最近えっと、いろいろと、作品クオリティが……ゲフンゲフン。
新作かあ。まさか、まっつが新作書き下ろしてもらえるとは、夢にも思ってなかったからなああ。
頼みますよ正塚せんせ。まっつの男役芸を遺憾なく発揮できる、渋い物語でキメてやってくださいまし。
10年の時を経て、影が、本物になったわけだ……。
正塚芝居まっつはマジで本望なんだが、BJ役もうれしすぎるんだが、唯一の心残りは、またしても、恋愛するまっつは見られないってことですわ……。
『インフィニティ』もショーだったからラヴストーリーってわけにはいかんかったんだよなあ。
芝居作品なら、ここがタカラヅカである以上、恋愛もラブシーンも見られると思うのに。芝居が回ってきても、無理なんだ。
ははは。
まっつって……(笑)。
来年はバウが改装かなんかで使えないんすかね。それでDCが回ってきたのか。
DCてことは、きっと梅芸さんがいっぱいイベントやってくれるよね? ノベルティ配布とか、トークショーとか。
それを期待しまっつ!!
ありがたいです。うれしいです。
…………びんぼーです。
遠く大阪の空の下から、思いを馳せてまっつ。
なんかいろいろありすぎて、梅芸のボーモント学園に通っていたことが、遠い昔のように思えるよ。
大好き過ぎる『フットルース』、ずっとずっとあの世界に浸っていたい……。
とはいえ、時は止まってはくれなくて。
来年のスケジュールだーのラインアップだーのが発表になっているわけで。
まっつ、まさかのドラマシティ主演。
2012/7/31
2013年 公演ラインアップ【シアター・ドラマシティ、東京特別】<1月・宙組『逆転裁判3 検事マイルズ・エッジワース』><2月・雪組『ブラック・ジャック 許されざる者への挽歌』>
7月31日(火)、2013年宝塚歌劇公演ラインアップにつきまして、シアター・ドラマシティ、東京特別公演の上演作品が決定いたしましたのでお知らせいたします。
(中略)
雪組
■主演・・・未涼亜希
◆シアター・ドラマシティ:2013年2月9日(土)~2月17日(日)
一般前売:2012年12月9日(日)
座席料金:全席6,500円(税込)
◆日本青年館:2013年2月22日(金)~2月27日(水)
一般前売:2013年1月20日(日)
座席料金:S席6,500円、A席5,000円(税込)
『ブラック・ジャック 許されざる者への挽歌』
原作/手塚治虫
作・演出/正塚晴彦
無免許ながら神技の腕を持つ医師ブラック・ジャック。言わずと知れた手塚作品の傑作のひとつです。宝塚歌劇では1994年に安寿ミラ主演で『ブラック・ジャック 危険な賭け』を上演いたしましたが、このたび「ブラック・ジャック」週刊少年チャンピオン連載40周年を記念し、新たなストーリーで上演します。
まっつで、ブラック・ジャック!!
劇団ナニ考えてんの? そのチョイスの仕方がファン寄りで、びびる。ファンのニーズなんかまったく顧みないのが劇団様なのに。
ファンっつっても、ディープなとこではなく、ライト層の感覚だけど。
言うならば、ネタ系? 「らんとむで『ファントム』! ウケる~~!」みたいなノリ?
というのも、まつださんの代表作のひとつが、ブラック・ジャックの影@『TCA2003』ですから!!
久しぶりにニコ動の「花の十年」見に行ったら、すでに「まっつBJ主演おめ!」コメントがあった(笑)。何回見ても笑えるわ-、あの壮大なコント……。
や、BJの影がまっつの代表作なのは、『Brilliant Dreams#45「未涼亜希」~stage~』で言及されてますから! 公認ですから!
動画サイト視聴を含む、ライトなヅカファン層にネタとして愛でられてきたと思うんですよ、まっつでBJ見たいよね!なんて意見は。
まさかほんとにやるとは……。
いろんな意味で、ありえなくてありがたくて、うれしいです。
まず、まっつの主演。
まっつの学年や立ち位置的に、今年の『インフィニティ』が最初で最後の主演かと思っていた。ディナーショーは今後あるかもしれないけど、ちゃんとした「公演」は無理かもなって。
『インフィニティ』はわたしにとっては素晴らしい公演で、大満足!だけど、ショー公演だったので、芝居を見てみたかった、という気持ちは残った。
もし次があるなら、ぜひ芝居で……。
そう思っていたから、再びの主演、しかも芝居ってのが、うれしくてたまらない。
もしも、まっつ主演バウを見られるのなら。
昔から、夢だけは描いていた。もしもバウができるなら、演出家は正塚せんせ希望。
バウでショーやるなんて思ってもみないから、あたりまえに芝居で夢想していた、花組時代。
まず、まっつの魅力を理解し、まっつのことを高評価してくれる先生がいい。
対外的に名作でも、適性無視で主演への愛のない作品押しつけられたら、残念すぎる。他の超路線の人とちがって主演機会なんて二度とないんだから、取り返しがつかない、と。
演出家も人間だから、役者との相性がある。
ヅカの演出家はサラリーマンだから、会社の考え方に逆らわずに配役やストーリーを決めているだろうけど、その隙間にある「演出家としてのフリースペース」で、好みの役者に好みの役を付ける。
その意味で、まっつを高評価して、ポジションのわりにいい役をくれるのが、マサツカとイケコ。
で、このふたりの演出家なら、マサツカがいい。
大劇場で派手でスペクタクルなミュージカルをやるならイケコ支持だけど、バウでみっちり芝居するなら、断然ハリー。小池せんせのバウ・DC作品は地雷多すぎだ(笑)。
てなわけで、もともとマサツカ作品希望だった。
その上、『インフィニティ』にて往年のマサツカ作品をカバーするまっつを見て、彼が正塚役者であることを再認識。
正塚芝居するまっつが見てぇ……!!
ただの夢想、ありえるかどうかは置いておいて。
それがまさか、実現するとは……!!
正塚作品で、まっつ主演見たいモノを、つらつら考えることはあっても、正直そこに『ブラック・ジャック』はなかった。
だって、大劇場作品だもん。
小劇場作品しか、ネタとしても考えたことなかったよ。
しかし、実際「まっつでBJ」と考えると、よくぞあててくれた!!と震撼する。
すげー似合ってるじゃん?
ビジュアルが合うのは「BJの影」役で実証済みだし。
初演のヤンさんは小柄で華奢な人だし、まっつのあこがれの人だし。
まっつのあのシャープで端正な顔に傷を付けるのかと思うと、……た、たぎる……っ。
しかもまっつは、白衣を着せたらヅカNo.1って人ですよ? 今まで医者役網羅している人ですよ?
これ以上ない、すばらしい再演チョイスだわ!!
あの名曲「かわらぬ想い」をまっつが歌うのかと思うと、それだけで泣けてくるわ。
と、「再演! 再演! BJ! BJの影は誰やるの、ミキさんの役は誰かしら」と盛り上がり……。
解説を、ちゃんと読んで、さらにびっくり。
再演ぢゃ、ない……っ!!
そーいやサブタイトルも違ってるわ、まさかの新作?!
…………大丈夫?
いやその、正塚せんせー最近えっと、いろいろと、作品クオリティが……ゲフンゲフン。
新作かあ。まさか、まっつが新作書き下ろしてもらえるとは、夢にも思ってなかったからなああ。
頼みますよ正塚せんせ。まっつの男役芸を遺憾なく発揮できる、渋い物語でキメてやってくださいまし。
10年の時を経て、影が、本物になったわけだ……。
正塚芝居まっつはマジで本望なんだが、BJ役もうれしすぎるんだが、唯一の心残りは、またしても、恋愛するまっつは見られないってことですわ……。
『インフィニティ』もショーだったからラヴストーリーってわけにはいかんかったんだよなあ。
芝居作品なら、ここがタカラヅカである以上、恋愛もラブシーンも見られると思うのに。芝居が回ってきても、無理なんだ。
ははは。
まっつって……(笑)。
来年はバウが改装かなんかで使えないんすかね。それでDCが回ってきたのか。
DCてことは、きっと梅芸さんがいっぱいイベントやってくれるよね? ノベルティ配布とか、トークショーとか。
それを期待しまっつ!!
ありがたいです。うれしいです。
…………びんぼーです。