彼がわたしに還る物語を・その4。@夢の浮橋
2008年12月6日 タカラヅカ もう悲惨さとあきらめがほとんどなのに
まだ抵抗の気持ちが残ってる
けど ねェ
グレアム
その抵抗だけが、
ボクの中で唯一の真実なのさ…
匂宮はわかっている。
浮舟との、幸福な未来なんかないってこと。
匂宮は東宮になり、いずれ帝になる。
浮舟のような女が、宮中で生きられるはずもない。
今、彼女の手を取ったからって、彼女と共に愛を貫いたからって、待っているのは破滅だけだ。
それでも彼は、走るんだ。
自分で選ぶことの出来ない人生の中、精一杯、自分の意志で。自分の、愛で。
浮舟への想いが、匂宮に残された最後の「己れ自身」だった。
最後の自由、最後の若さ。
最後の、抵抗。
もう子どものままではいられない。気楽な皇子のひとりではいられない。
この国を担う責任。……いや、この国を欲しているのは匂宮ではなく、匂宮を背後から操ろうとする為政者たち。
強大な彼らに操られ、傀儡となることが決められた人生。
終焉まで見通せる長い長い道のりを前に、若者・匂宮は愛だけにすべてを懸けて走った。
自分の意志で。
人形ではない、己れ自身で。
匂宮の賢さは、空気を読む機敏さと、分をわきまえる力があったことじゃないかな。
自分に求められるものがなんなのかを察し、そのように振る舞う。「期待に応える性質」だと嘯きながら。
兄の手前、政治に興味無しのプレイボーイを気取ってきたのもそうだし、姉の手前、愛を封印してきたのもそうだろう。
姉……女一の宮は、この『夢の浮橋』の語り手を務める。
彼女は「もうひとりの匂宮」だ。
匂宮と女一の宮は、同じ色の魂を持つ。
無垢だった幼少期を終わらせたのは、胸に抱いた秘密ゆえ。
匂宮は実の姉を愛していたし、おそらくは女一の宮もまた、実の弟を愛したのだろう。
それでいて、彼らはその想いを封印した。互いに互いの気持ちに気づきながらも、なにも知らぬ顔で、仲の良い姉弟を演じ続けた。
行動と、責任と。
「心」を素直に表現することが許されない貴族社会で、「心」でひとを恋う、「恋」はそれだけで罪になる。誰にも迷惑を掛けない祝福された間柄だとしても、「心」を発するからには、きれいなままではいられない。
あたりまえに、演じてきた。人々が期待するままの役割を。
空気を読む機敏さで、分をわきまえて。
そうすることで、戦ってきた。王宮という、戦場で。
誰もが、あやつり人形だ。
心のままに生きている者なんかいない。
それがわかったうえで、匂宮は抗うんだ。
たったひとりで、反旗を翻すんだ。
自分の、運命に。
それが、浮舟だ。
浮舟への愛だ。
はじめから、わかっているんだけどね。
浮舟との、幸福な未来なんかないってこと。
共に生きられるはずがないんだってこと。
わかっていて、それでも浮舟を欲したのは、匂宮のエゴであり、弱さだ。
匂宮の弱さ、薫の弱さ、すべてがより弱い浮舟に流れ込み、彼女は溺れるしかなかった。沈むしかなかった。
浮舟の自殺未遂は、仕方のない結果だった。
物語は、なんのためにある?
わたしは、「変わる」ことだと思っている。
主人公が出来事を通してなにかしら「変わる」こと。「変身」のカタルシスあっての「物語」だと思う。
『夢の浮橋』の主人公は、匂宮だ。
わたしたちと物語世界をつなぐ視点であり、わたしたちが共感を抱くふつうの感覚を持ったキャラクタであり……物語を通して、彼が「変わる」ことで、カタルシスをもたらす。
薫に憧れながら彼の精神世界に近づくことは出来ないままモラトリアムを生きていた匂宮は、社会的責任を負わされることになり、はじめて自分の人生と対峙する。己れの意志だけではどうにもならない流れの中で、彼は、大きく変わる。
浮舟を愛さずにはいられなかったことも彼の変化ゆえだし、彼女の入水を知って自分の罪を自覚するのも変化ゆえ。
そしてさらに。
匂宮は、変わる。
抗うことの出来ない大きな力によって、匂宮は運命を決められた。
匂宮は兄の生き甲斐を奪ってまで、自分が王になる意志などなかったのに、匂宮が王になると、彼が不在の場で決められてしまった。
匂宮を、傀儡として操ろうとする者たちによって。
たしかに、抗えない流れはある。
ある、が。
人形にはならない。
匂宮は、真の王になる。
人形ではない。彼が、自身を治めるのだ。
あやつり糸を握っていた者たちに、その生命でもって宣言する。傀儡にはならない、と。
己れの首筋に刃を向け、糸を断ち切る。
操られるくらいなら、自害する。王となる生命を、身体を失いたくないなら、あやつり糸を放せ。
自身を統べるということは、すべての責任を、自分ひとりで負うということ。
誰のせいにも出来ない。
すべての過ち、すべての罪。
なにもかも、自分自身で背負うということ。
王になる。その、絶望。
操られるのは、楽だ。
自分のせいじゃない。そう言える。過ちも罪も、判断に迷うことも、全部誰かのせいにして解放される。
匂宮は、それらすべてを、超えた。
なにもかも自分で背負うし、また、「命令」することで相手の罪や罪悪感をもひとりで背負う。
誰も彼を、救えない。
彼は、王になった。
この瞬間から、彼は王だ。
もう誰も、彼を救えない。
この世のすべての罪を、彼が背負うから。
ひとの上に立つ、統べるとは、そういうことだ。
すべての人に命令し、従わせるとは、そういうことだ。
上宮太子の剣を手に、日出処を統べる者として、匂宮は帝になる運命を自ら受け入れる。
王になる……その決意の、かなしさ。救いのなさ。
そして彼は、「あの階段」にたどり着くんだ。
続く。
まだ抵抗の気持ちが残ってる
けど ねェ
グレアム
その抵抗だけが、
ボクの中で唯一の真実なのさ…
匂宮はわかっている。
浮舟との、幸福な未来なんかないってこと。
匂宮は東宮になり、いずれ帝になる。
浮舟のような女が、宮中で生きられるはずもない。
今、彼女の手を取ったからって、彼女と共に愛を貫いたからって、待っているのは破滅だけだ。
それでも彼は、走るんだ。
自分で選ぶことの出来ない人生の中、精一杯、自分の意志で。自分の、愛で。
浮舟への想いが、匂宮に残された最後の「己れ自身」だった。
最後の自由、最後の若さ。
最後の、抵抗。
もう子どものままではいられない。気楽な皇子のひとりではいられない。
この国を担う責任。……いや、この国を欲しているのは匂宮ではなく、匂宮を背後から操ろうとする為政者たち。
強大な彼らに操られ、傀儡となることが決められた人生。
終焉まで見通せる長い長い道のりを前に、若者・匂宮は愛だけにすべてを懸けて走った。
自分の意志で。
人形ではない、己れ自身で。
匂宮の賢さは、空気を読む機敏さと、分をわきまえる力があったことじゃないかな。
自分に求められるものがなんなのかを察し、そのように振る舞う。「期待に応える性質」だと嘯きながら。
兄の手前、政治に興味無しのプレイボーイを気取ってきたのもそうだし、姉の手前、愛を封印してきたのもそうだろう。
姉……女一の宮は、この『夢の浮橋』の語り手を務める。
彼女は「もうひとりの匂宮」だ。
匂宮と女一の宮は、同じ色の魂を持つ。
無垢だった幼少期を終わらせたのは、胸に抱いた秘密ゆえ。
匂宮は実の姉を愛していたし、おそらくは女一の宮もまた、実の弟を愛したのだろう。
それでいて、彼らはその想いを封印した。互いに互いの気持ちに気づきながらも、なにも知らぬ顔で、仲の良い姉弟を演じ続けた。
行動と、責任と。
「心」を素直に表現することが許されない貴族社会で、「心」でひとを恋う、「恋」はそれだけで罪になる。誰にも迷惑を掛けない祝福された間柄だとしても、「心」を発するからには、きれいなままではいられない。
あたりまえに、演じてきた。人々が期待するままの役割を。
空気を読む機敏さで、分をわきまえて。
そうすることで、戦ってきた。王宮という、戦場で。
誰もが、あやつり人形だ。
心のままに生きている者なんかいない。
それがわかったうえで、匂宮は抗うんだ。
たったひとりで、反旗を翻すんだ。
自分の、運命に。
それが、浮舟だ。
浮舟への愛だ。
はじめから、わかっているんだけどね。
浮舟との、幸福な未来なんかないってこと。
共に生きられるはずがないんだってこと。
わかっていて、それでも浮舟を欲したのは、匂宮のエゴであり、弱さだ。
匂宮の弱さ、薫の弱さ、すべてがより弱い浮舟に流れ込み、彼女は溺れるしかなかった。沈むしかなかった。
浮舟の自殺未遂は、仕方のない結果だった。
物語は、なんのためにある?
わたしは、「変わる」ことだと思っている。
主人公が出来事を通してなにかしら「変わる」こと。「変身」のカタルシスあっての「物語」だと思う。
『夢の浮橋』の主人公は、匂宮だ。
わたしたちと物語世界をつなぐ視点であり、わたしたちが共感を抱くふつうの感覚を持ったキャラクタであり……物語を通して、彼が「変わる」ことで、カタルシスをもたらす。
薫に憧れながら彼の精神世界に近づくことは出来ないままモラトリアムを生きていた匂宮は、社会的責任を負わされることになり、はじめて自分の人生と対峙する。己れの意志だけではどうにもならない流れの中で、彼は、大きく変わる。
浮舟を愛さずにはいられなかったことも彼の変化ゆえだし、彼女の入水を知って自分の罪を自覚するのも変化ゆえ。
そしてさらに。
匂宮は、変わる。
抗うことの出来ない大きな力によって、匂宮は運命を決められた。
匂宮は兄の生き甲斐を奪ってまで、自分が王になる意志などなかったのに、匂宮が王になると、彼が不在の場で決められてしまった。
匂宮を、傀儡として操ろうとする者たちによって。
たしかに、抗えない流れはある。
ある、が。
人形にはならない。
匂宮は、真の王になる。
人形ではない。彼が、自身を治めるのだ。
あやつり糸を握っていた者たちに、その生命でもって宣言する。傀儡にはならない、と。
己れの首筋に刃を向け、糸を断ち切る。
操られるくらいなら、自害する。王となる生命を、身体を失いたくないなら、あやつり糸を放せ。
自身を統べるということは、すべての責任を、自分ひとりで負うということ。
誰のせいにも出来ない。
すべての過ち、すべての罪。
なにもかも、自分自身で背負うということ。
王になる。その、絶望。
操られるのは、楽だ。
自分のせいじゃない。そう言える。過ちも罪も、判断に迷うことも、全部誰かのせいにして解放される。
匂宮は、それらすべてを、超えた。
なにもかも自分で背負うし、また、「命令」することで相手の罪や罪悪感をもひとりで背負う。
誰も彼を、救えない。
彼は、王になった。
この瞬間から、彼は王だ。
もう誰も、彼を救えない。
この世のすべての罪を、彼が背負うから。
ひとの上に立つ、統べるとは、そういうことだ。
すべての人に命令し、従わせるとは、そういうことだ。
上宮太子の剣を手に、日出処を統べる者として、匂宮は帝になる運命を自ら受け入れる。
王になる……その決意の、かなしさ。救いのなさ。
そして彼は、「あの階段」にたどり着くんだ。
続く。