雪丸様は言います。
「これからなにをいたすかは、この傷が教えてくれよう……」

 教えてください。
 ナニをどうするんですか?

 『一夢庵風流記 前田慶次』の雪丸様は謎の人。ナニがしたいのかわかんない。
 ということで、前振り長かったけど、ついに本編です、雪丸論(笑)。

 雪丸様のわけわかんなさを、いちばん表している台詞が冒頭に挙げたコレだと思う。

 一見カッコイイ台詞だけど、ふつーに考えてわけわかんないっす。
 雪丸様の顔の傷は、加奈@せしこにつけられたもの。
 出世のために騙していたことがわかり、斬りつけられたそうな。女騙して刃傷沙汰っすよ。
 えーっとそれ相当カッコ悪いんですがそんな傷がナニを教えるっていうんですか雪丸様。

 一見カッコよくて、実はかなりカッコ悪い、というのが雪丸様のデフォ、彼に注目すればするほど「雪丸ってアホの子だよね?」と思えてくるけど、あえてわたしは、それを全否定する。
 その上で、雪丸様はアホアホではない、雪丸様はカッコイイ!と語る!

 そうそして、このもっともわけわからん台詞、「これからなにをいたすかは、この傷が教えてくれよう」こそに真実があるのだと信じて話を展開させる。

 さあて、「この傷」とはなんぞや。
 前述の通り、加奈につけられた傷だ。
 加奈は元カノ。男女関係にあった相手。そうやって斬りつけておきながら、加奈は雪丸の助命を嘆願、雪丸は殺されることなく、追放になっただけだった。

 そこからわかることは。

 雪丸の顔の傷は「愛の証」なのだ。

 許せないから傷つけた。だけど殺すことも出来ない。許せない、でも死なないで。
 そこにあるのは、愛。
 むしろ、愛しているからこそ、許せなかった。

 そして。
 次に考えるのは、「何故、同じことをするのか」ですわ。

 雪丸サクセス物語第一弾「色仕掛けで奥村家乗っ取り♪」、第二弾「家康様に取り入っちゃうぞ♪」、このふたつの野望メラメラ行動において。
 雪丸が取った行動は、同じ。

 すなわち、「加奈に色仕掛け」。

 ちょっと待って雪丸様、あなたソレしかないの?! なんでなにか事をなそうとすると、行動しようとすると、加奈を口説くのよ?!

 それも、2回目はさらにハードル上がってるのよね。
 1回目のときは、加奈もナニも知らない。自分に近づいてきた美貌のお小姓が野心ゆえに自分を騙すつもりだなんて、夢にも思ってない。
 んな真っ白状態のときですら、加奈を手中に収めることは出来なかったんだよ、「あなたのためなら兄も殺します、主も裏切ります(はぁと)」ってくらい、加奈を惚れさせることは出来なかった。
 加奈は義と欲で義を選んだ。雪丸を糺弾する側に立った。

 なのに、2回目のチャレンジって……。
 加奈はもう、雪丸が悪人だと知っている。自分に近づくときは下心あり、なにかよからぬことをたくらみ、利用するためだと知っている。
 ……こんな状態でそれでも、わざわざ加奈を口説いてまつ@あゆっちを誘拐する。それ、すげえリスキーじゃ……?

 案の定、加奈は土壇場で雪丸を裏切り、雪丸は今度こそ命を落とすことになった。

 この、加奈に対する一連の行動でわかること。

 雪丸と加奈は、両思いだった。

 口ではなんと言っていたとしても、加奈が本心では雪丸を愛し続けていた……ということは、最初の事件で雪丸の助命を願い出たことでもわかる。
 だから雪丸は、そんな加奈の恋情につけ込んで、今回も利用しようとした……というだけなら、加奈はは早々に切り捨てられていたはずだ。
 まつを誘拐した段階で、用済みだから。
 以前裏切ったことのある女だ。用が済めば殺すべき。
 なのに雪丸は、そうしなかった。

 加奈が雪丸を殺せなかったように、雪丸も加奈を殺すつもりはなかったんだろう。

 以前失敗した同じ方法を、ハードル上がってるのにそれでもまた繰り返したのは、勝算があったから。
 すなわち、ふたりがマジに愛し合っていたこと。
 加奈は否定するけれど、雪丸は鼻で笑う。騙されていた、なんて逃げ口上。愛の存在は、当人同士がいちばん理解していた。
 1回目のときは、最初から騙していた。その偽りが許せなくて加奈は雪丸を拒絶した。
 じゃあ今回、最初から真実を告げれば? 悪も欲もすべて差し出し、そのうえで愛を求めれば、どうなる?
 雪丸は加奈に要求した。家も主も、すべてを捨てろと。ただのひとりの女になり、俺と共に生きろと。

 ということで、雪丸様が、愛に一途であることが導き出される。

 同じ女に二度トライ! ですからねー。拒絶されたら即落命、てなハードル高い女なのにねー。

 で、雪丸様が愛に一途な男だとすると、他のことにも説明が付くのです。
 慶次@えりたん、家康@ヒロさん、又左衛門@がおり……みんな。何故雪丸が、あんな行動を取ったのか。


 次項へ続く!!


 『一夢庵風流記 前田慶次』のザ・悪役! 雷鳴と共に登場する、タランテラな彼。
 雪丸@まっつって、よくわかんない。
 彼はいったいナニがしたかったの?

 忍びの家に生まれた彼は、表舞台で輝くことは出来ない。でもそんななんじゃ嫌だ! 陽のあたる世界で成功してやる! と、野心を抱いた。
 てな意味のことを、作中で言っているので、それが理由なんだろうけどさ。
 その「目的」に対する「手段」の選び方が……よくわかんない。

 せっかく前田利家@にわにわの小姓だったのに、前田家の家老の奥村家乗っ取りを画策。失敗して放逐。
 で、次は前田慶次@えりたんを焚き付けて前田家のお家騒動を狙う。
 えーと。
 どんだけ、利家スルー状態?

 雪丸って一貫して前田家に固執……というか、前田家周辺をうろちょろしている。
 だけど、前田利家には直接当たらない。

 最終目標は利家打破。
 そのために、奥村家(助右衛門@ちぎ、加奈@せしこ)を狙い、慶次を狙う。
 えーと。

 利家と、助右衛門と、慶次。
 どう考えても、利家がいちばん落としやすいだろう。

 この作品では、利家は愛嬌のあるまぬけおじさんとして描かれている。
 助右衛門は誠実な秀才、慶次は豪快な天才だ。
 この3人を並べて何故、利家を避けて他のふたりへ行くかな。
 傀儡として操るにしろ、出自の低さを超えて取り立てさせるにしろ、手中に収める相手は御しやすい者を選ぶべきだ。
 どう考えても、手のひらで転がしやすそうなのは利家だよね。加奈を手に入れ助右衛門を殺して奥村家の家督を得たとしても、結局は利家が上にいるわけだし。また、慶次を御せるとも思えないし。
 バカですか?

 …………雪丸様が実はアホなんです、という説は却下だ。うすうすそんな気はしているっていうか最初からそんなニオイがぷんぷんしているが、わたしは認めない(笑)。
 雪丸様はアホではない、それを前提にして考える!

 た、たぶん、利家には近づきたくなかったんだよ。
 もともと利家に飼われていた忍びで、利家に見初められて小姓になった。そこにはなんかしらこだわりや鬱積があって、雪丸様は利家には近寄りたくなかったんだ。
 うん、きっとそーだ。
 大野くんの大好きな『バナナフィッシュ』だよ、アッシュとゴルツィネだよ!(笑)

 それでまあともかく、前田家の周囲をうろちょろすることが、雪丸様の第一目標。
 まずは前田家乗っ取っちゃうもんね……というミッションにおいて、彼が選んだ手段は。

 加奈の誘惑。

 数年前、奥村家乗っ取りをたくらんだときも。今回、前田家お家騒動を画策したときも。
 やることは、一緒。

 ……バカですか?

 数年前、まだ雪丸の正体を知らない加奈が、ずっぽり無邪気に掘れきっていたときですら、失敗したのに。
 加奈の裏切りによって破滅したくせに。
 今回もまた加奈に迫って……裏切られて、自滅。
 バカなの? バカよね?

 同じ方法で、同じ失敗して、最初のときより悪い結果になる……って、霊長類のすることですか! 学習しようよ!!

 だ、だからその、雪丸はアホの子ではないという前提でね……。

 加奈は助右衛門に知らせに行ったのだという。そのために助右衛門が兵を動かし陰謀は終了。
 ……逃がすなよ。
 加奈を自由にさせてたんかい。もしくは簡単に逃げ出せるような扱いをしていた? なにその詰めの甘さ。

 雪丸のたくらみは、関白暗殺。その場へまつを人質に慶次を呼び寄せ、仲間に引き入れようとする。
 えーと、これもよくわかんない。根回ししとこうよ! ナニこんな土壇場、あとのないめんどくさいところではじめて口説いて、断られてんのよ。
 なんつー計画性のない……。

 慶次に断られたあとがもう悲惨の一途よね。
 捨丸@みゆちゃん相手に斬り合って、勝てないの。彼女を斬ったはいいが、「刀を離せ!」……少女に腕力で負けるとか。
 いくら肉に刺さってるからとはいえ、今まで刺した相手から刀を抜くことぐらい当たり前にしてきただろうに、ここで抜けないってはやはり捨丸が離さなかったから……いくら文字通り死にものぐるいだったからって、10代の女の子だよ? 負けるなよ、大の男が……。

 んで、圧倒的優位、だと思っていたときはあの通り上から目線ばしばしだったのに。
 「えっ、嘘、やばくね?!」と思うなり、パニックになる。
 うろたえまくり、情けない声出して、部下たちに数頼みで片付けろと訴える。
 え、ナニこの小悪党。

 そして、もっとも雪丸様がアホに見えるのは、その最期。
 家康@ヒロさんの顔を見るなり、「家康様、家康様、いかがいたせば……?!」子犬のようにうろたえて、飼い主にすがりつく。
 や、それいちばんあかんでしょ、黒幕の名前連呼して「悪いのはこの人だよ!!」って宣伝するって……どんだけ。
 で、んなアホなことしたら口封じられるのわかりきってるのに、自分から刀を渡して、案の定斬り捨てられるし。
 バカ?
 ここであくまでも知らん振りを通し、黒幕を守ればあんな殺され方はしなかったのに。

 雪丸様アホ説を否定したいのに、やることなすことアホアホ過ぎてつらい(笑)。
 ストーリーの粗を全部、押しつけられてるせいなんだよね。
「Q.なんで雪丸は無意味なことをするの? 雪丸にとっても得るものはないのに、雪丸さえ余計なことをしなければなんの事件も起こってないのに?」→「A.雪丸がアホだからです」(本音・だって事件起こさないと物語にならないじゃん!」
「Q.なんで雪丸は前もって計算して行動しないの? 国家存亡を行き当たりばったりでっておかしすぎない?」→「A.雪丸がアホだからです」(本音・だってそうしないと盛り上がらないし、収拾しないじゃん!)

 こんだけ無理矢理なことを背負わされてるのに、とりあえず初見ではアホだと思わせず、「なんかすごくカッコイイ悪役だ」と思わせる。まつださんはすごいです。
 まつださんの存在感だとか有無を言わせない説得力だとか、黒さやエロさあってこそ、この無茶振り役なんだと思います。ヘタな人に任せたら、作品が転覆する。

 にしても、雪丸様がアホアホ過ぎて……。

 だがしかし。
 わたしは、あくまでも、雪丸アホアホ説を、否定する!

 ということで、次項で独断の雪丸様論を語る!(笑)
 まつださんのお茶会で聞いたんですが、『一夢庵風流記 前田慶次』のラストシーン、ただ闇雲に「登場人物全員出てきましたー」じゃないそうっすよ。

 舞台上に段がいくつかあるわけなんですが、その上にいる人たちは全員、死んでいるそうなんです。
 移動する場合も、死者は必ず台の上を通る。
 平地にだけいる人は、生きている。
 一見チームごとに動いているように見えるけど、秀吉の妻ねね@カレンは、生者ゆえに秀吉@はっちさんたちとは一緒におらず、官兵衛@きんぐに手を引かれて途中から別行動。

 なんつーかもお、大野くん……。

 ちょっと、背筋寒くなった。

 雪丸@まっつと一緒にいる加奈@せしるは、もう死んでるんだって。
 まつ@あゆっちに「自害は許しません」と言われたけれど、やっぱり自害してるんだって。
 ……そうだよね。あの助右衛門@ちぎの妹が、主を裏切ってのうのうと生き長らえるわけないよね。主自身に許されてとしても、自分を許さないよね。

 そして。

 雪丸の中の人曰く、「意外に本気で好きだったらしい」そうですよ。雪丸は、加奈のことを。

 ただ騙して利用しただけじゃなくて。
 そこに、愛があったのだと。

 ……まあねえ、考えてみりゃ、愛がある方が最悪よね。

 自分を騙すために、利用するために近づいて来た男に、真実の愛があったりしたら。
 愛0パーセント、全部嘘と打算だけ! よりも、そのどこかにホンモノの愛がある方が……騙されるよね?
 憎みきれないし、あきらめきれないよね?
 たちが悪いよね。

 加奈は雪丸に抱かれ、そのまま主まつを裏切った。だけど、ぎりぎりのところで雪丸を裏切り、助右衛門に報せに行った。
 前に雪丸と関係したときは、彼の命乞いをして逃がした。でも今回ばかりは、雪丸も無事ではすまないだろう。それがわかっていて、欲を捨て、義を選んだ。

 まつも慶次も無事、そして雪丸は死んだ。……そこまで確認した上で、覚悟の自害を遂げたんだろうと思う。
 自分がしでかしたことの結末を見届けず、逃げるように死ぬことは、しないと思うから。
 すべて片が付いたあと、主まつの沙汰を待って、彼女が許そうとしてくれていることまで受け止め、それでも自害したのだと、思う。
 けじめをつけるために。

 そんな彼女だから、ラストシーンで雪丸と共に在るんだろう。
 雪丸は穏やかな表情で、加奈をエスコートする。
 愛が見える。

 とってつけた「ラストシーンだから、登場人物全員集合だから」というだけで、雪丸と加奈がいちゃいちゃしているのではなくて。

 このふたりに、なまじ愛があったから、ややこしいことになったんじゃないの?

 と、思うんだ。

 てことで、次項で雪丸さんについて、考える。
 わたしの立ち位置は不問でお願いします。
 『My Dream TAKARAZUKA』を観て、中村B先生へ、勝手に話しかける。一観客ってのはとってもワガママなモノなのさ。なにしろナニサマオレ様お客様だからさ。


 なあ、中村B。
 今、オレからキミへ伝えたいことは、ひとつだ。

 自分に、もっと自信を持て。

 そりゃあ、オレだっていつも、勝手なことばっかぬかしてるさ。ちょっと不満があればぶーぶーぶーぶー、うるさいったらないよ。
 でもさ、キミの仕事を認めてないから言うんじゃないんだぜ?
 なんていうかさ、長年のつきあいから来る甘えみたいなもんだよ。オレとキミのつきあいだから、ぶっちゃけちゃってもいいよな、的な。
 長いつきあいじゃん? バウから観てるさ、『大上海』『香港夜想曲』……思わず口ぽかーんだったな。その後ショー作家に転身して、英断だと思ったもんさ。
 先日、懐かしの『ラヴィール』スカステで見たよ。当時のオレはしいちゃんロケットボーイにうはうはだったけど、今はまっつ探しに血眼さ。研1まっつがかわいかったな……ロケットでは娘役の間にまぜられてさ……って、そういうことじゃなくて!
 話を戻す……えっと、とにかく昔から観てきて、そうやって、もうネタだよな?てないじり方してきたさ。「上から順番、1・2・3」「マスター、いつものヤツを頼むぜ」……そのワンパ……いやその、ブレない作品作りをな。

 そうやってキミは、長い間タカラヅカの座付き演出家としてやってきたわけだ。キミの売りは、タカラヅカらしいオーソドックスさだ。目新しさはなくても、裏切らない「タカラヅカを観たわー」感があること。
 その堅実な作風は、十分誇っていいはずなんだ。
 タカラヅカを愛し、生徒を愛し、タカラヅカのレビューを作り続けてきたんだろう? 初見作品でも次の展開が読めるくらい、同じようなモノばかり作り続けているのは、それがタカラヅカの王道をバカ正直になぞっているためだ。
 そうやって積み重ねてきた、タカラヅカの座付き演出家・中村Bとしてのスキルが、よその畑の人間よりも、劣るはずがないんだ。

 「タカラヅカ」という特別な場所で。
 タカラジェンヌという特別な舞台人を魅力的に見せる仕事をしてきた。
 そのことに、自信を持って欲しい。

 少なくとも中村Bは、「よその世界の有名人」が「よくわかっていないまま依頼されて作った曲」よりも、素晴らしい曲を作れる。
 それだけの年月を、思いを、経験を積み重ねてきたはずだ。そうだろう?
 当然じゃないか。

 だって、宝塚歌劇団100周年なんだぜ?

 100年の歴史があるんだ。それだけ特別なところなんだ。代わりがきくなら、こんなに続いてやしないさ。よその権威者がちょいと首を突っ込んでどうにかなる、そんな浅いモノじゃないんだ。
 中村B作詞・西村耕次作曲の「My Dream TAKARAZUKA」の方が、あの作文か日記みたいな曲より、遙かに素晴らしいんだよ!
 あのよその人の曲だって、ここがタカラヅカじゃなければ、いい曲なのかもしれないさ。名を成した人には、相応の力がある。でも、あの人たちの曲が活きるのは「ここ」ではなかったってことだ。
 ここはタカラヅカだ。タカラヅカなんだから、タカラヅカで勝負しようよ。してくれよ。

 黒燕尾群舞からデュエットダンス、よその有名人の名前を押し出した場面より、ずっとずっと美しく、泣ける選曲、演出じゃないか。
 トップスターへの、退団者への餞というならば、よその権威者の名前に頼るのではなく、中村B渾身のタカラヅカ力を駆使して、「これがタカラヅカだ!!」という場面を、曲を、書き下ろして欲しかったよ。

 なあ、中村B。
 もっと自分に、そして、「タカラヅカ」に、自信を持ってくれ。
 キミなら出来るさ。
 芝居が、とてつもなく大野くんでした。

 『一夢庵風流記 前田慶次』『My Dream TAKARAZUKA』初日観劇。

 芝居、『一夢庵風流記 前田慶次』はマンガやゲーム、ドラマなど、いろんなジャンルでも有名人の、前田慶次を主人公とした物語。
 原作は、その前田慶次を有名にした隆慶一郎作『一夢庵風流記』。
 ヲタクの大野タクジィ演出の舞台だから、原作を読んでおくにこしたことはない、と思ったので、前もって読んでみた。
 でも。

 『一夢庵風流記』のミュージカル化、というより、『一夢庵風流記』の二次創作だわ、これ。

 キャラと基本設定だけ借りた、大野くんオリジナル(笑)。

 ガチな原作至上主義な人が観たらショック受けるレベル。『銀英伝』で言うなら、「ちょ……っ、キルヒアイスが男装の女の子になってるよ!!」的な。
 原作をマンガ化した『花の慶次』もかなり大胆にアレンジしてあったから、二次創作上等!なスタンスの原作なんだろう。

 原作まんまじゃなくして、ナニをしているか。

 キャラクタ増量。

 盛ってます。とにかく、盛ってます。
 あっちこっちでなにかしらあって、大変です。

 大野せんせの、もっとも大野せんせらしいと思うところ。

 密度、濃ゆっ。

 さすがの設定厨、モブのみなさんまで設定背負って登場しているので、すげーうるさいです。ごちゃごちゃしてます。どこを切っても濃密です。
 だから、リピート前提の組ファンには、楽しいと思われる。

 反対に、初見かつ二度と観ない人には、どうなんだろう……?
 『エドワード8世』のときも思ったんだけどね……。

 幼なじみの引き裂かれた恋、天下を揺るがす陰謀……は、ありがちネタゆえ軸にするのはいいけれど、聚楽第のあたりはがんばって描いてるわりに効果薄い気がする。原作やマンガ・アニメは「なにがどうして慶次がこんなにすごい!!」と長々解説してるんだもん。それナシで、なにがどうして慶次がすごいのか、伝わってるのかなあ?

 キャラ立てのせいもあるんだろうけど、『若き日の唄は忘れじ』全ツ版再びな感じ。
 まっつとともみん、まんまじゃん……(笑)。大野くんってアテ書きするのはいいけど、イメージ固定過ぎ~~。

 なんにせよ感心したのは、アニメーションを使っても、サイトーとはまったくチガウことと、馬を使っても、植爺とはまったくチガウということ(笑)。
 松風@馬は、この作品のアイドルですな。てゆーか劇団、なんで松風ストラップとかマスコットとか売らないの? 芝居観たあとは客が勢いで買っちゃうと思うよ?(笑)

 えりたんはとてもえりたんで、慶次は彼の得意分野。
 友情あり、笑いあり、恋愛+ガチなラブシーンありと、盛りだくさん。

 桜のセットが美しい。
 日本物っていいなあ。

 雪丸@まっつは絶対出番削られてる(笑)。前半、違和感のあるところで説明的に名前が出て、ああきっと本当ならなにかしら出番があって、この台詞につながったんだなあと、遠い目になっちゃったよ。
 それでも後半のたたみ掛けはすげー愉快で、彼の悪役ぶりとエロっぷりを堪能できる。
 タクジィ、まっつというと女を利用するために抱く悪い男認定なの……?(笑)

 いちいち「まず声から登場」したり、雷鳴轟いたり、高笑いしたり、面白すぎる。

 で、ストーリーのめんどくさいところ全部、雪丸という都合のいいキャラクタを作ってまるっと押しつけてる気がしないでもない……このへん、全ツ版の武部と一緒。
 まつださんはいい仕事してる……モブにまざらないインパクトのある人だから、「ストーリーにいまいちついていけないんだけど、たぶんみんなあの人が悪いのね。策略なのね」という、観客の意識を安くまとめる力がある。
 全ツもさ、「それで父の殺された陰謀ってなんだったっけ? よくわかんないけど、みんな武部が糸を引いてたのよね?」で誤魔化しちゃったのと、かぶるかぶる(笑)。
 大野くん、まっつ使いがうまいなあ。←誉めてる

 この作品が面白いのかどうか、よくわかんない。
 大野作品らしくごちゃごちゃし過ぎていて。
 ただ、リピート前提の組ファンは、楽しめるはず。

 個人的に、ラストシーンが全員集合であることがいちばん、感動した。

 卒業するトップスターが最後、銀橋に出るのはお約束。
 そのとき、本舞台で組子たちがトップスターを見送るのも、お約束。
 その「見送る組子たち」が、限定メンバーではなく、全員だってことが、ありがたい。や、舞台に乗り切れてない子もいるかもしんないけど、プログラムには「ほか全員」って書いてあるから。

 贔屓が悪役チームだとわかったときに、実は肩を落としたもの。ああこれで、ラストシーンのトップスター見送りには出られないんだ、って。
 その昔、悪役チームだったがゆえに、『アデュー・マルセイユ』にてオサ様を見送れなかったのよ。ラストの感動シーンに参加出来なかったの。

 でも今回、悪役なのに、死んじゃうのに、ちゃっかりラヴラヴしながら登場しちゃうんだもん!!
 泣いたわ。

 あのラストシーンだけで、全部全部昇華される。


 『My Dream TAKARAZUKA』は、今のところドン引きしているので、評価対象外(笑)。

 なんつーか、オサ様のサヨナラショーを思い出した。
 思い出のタカラヅカ曲で出来上がったショーなのに、突然毛色の変わった、「え、なにこれ?」というよくわかんない曲が最後で、ぽかーんになった。
 なんでもおえらいさんがわざわざ、オサ様の卒業のために書き下ろした新曲なんだって?
 外部の人の、身もフタもない「わたしが想像するトップスターの心情♪」てな、日記帳みたいな歌……なんでこんなことに……ふつーのヅカ曲でいいのに……。

 と、考え、あ、どっちも演出家、中村Bだ。と思い至る。

 愛情があふれてるのも、やる気まんまんなのもわかるけど、ありがたいけど。

 中村B、サヨナラ公演、向いてないよ……。


 リピートすれば、慣れるかな。
 サヨナラショーは慣れる暇がなかったからな。


 結論。
 大野タクジィも中村Bも、とっても通常営業。
 『一夢庵風流記 前田慶次』『My Dream TAKARAZUKA』稽古場映像を見ました。

 えー、とりあえず、『一夢庵風流記 前田慶次』の方。

 3番手が映ってない稽古場映像を、はじめて見た。

 スカステはとても番手・学年忠実というか、現実のポジションや扱いがどうであろうと、公に発表されている番手を遵守するところです。
 内容的にもどうでもいい、まっつがひとこと喋るところをわざわざ映した『愛と死のアラビア』のように、「他に見せ場らしいものはナニもない」状態でも、とりあえず、無理にでも、喋っているところを映す。仕方ない、番手・学年的に、どんだけ見せ場なくても映さなきゃなんないんだから、という義務感、しぶしぶ感、苦肉の策がまんま見える。
 あー、スカステの中の人、気を遣ってるなあ、苦労してるなあ、と察するのも楽しみ方のひとつっちゅーかね。

 そーゆースタンスの放送で、まっつがまったく映らない……あえてカットしているのは、なんなの。
 ネタバレを避けるなんて理由は、ありえない。数秒流すだけで作品が成立しないネタバレなんてあるわけない。作品よりも、スター重視がスカステの姿勢だから。
 ナニかのっぴきならない事情がない限り、ありえない。

 考えられるのは、ふつーになにか喋ってたり歌ってたりする場面を流すつもりで用意していたけれど、土壇場で本編からその場面がなくなったため、映像はお蔵入り、流すことが出来なくなった……てことかな?

 大野せんせが大作ミュージカルを書き上げてしまったため、95分のショート作品に収めなきゃならず、本編はカットの嵐。
 早々に配役と相関図が出たけれど、その相関図のまっつ絡みの部分がいつの間にかカット、なかったことにされているのがその一例。その後もいろいろ変更がありました。

 ……てなことかな、と、危惧します。

 頼むよ、大野先生。
 素顔で演技しているまっつを見られる貴重な機会が、1回失われたんだよ。プロダクション・ノートもないから、もうムラの稽古場まっつは一切見られないってコトだ。


 終わりがはじまるけれど、考えない。
 考えずにいる。
2014/06/04

宙組トップスター・凰稀 かなめ 退団会見のお知らせ


宙組トップスター・凰稀 かなめが、2015年2月15日の東京宝塚劇場公演『白夜の誓い ―グスタフIII世、誇り高き王の戦い―』『PHOENIX 宝塚!! ―蘇る愛―』の千秋楽をもって退団することとなり、2014年6月5日(木)に記者会見を行います。

なお、会見の模様は当ホームページでもお知らせ致します。

 タカラジェンヌはみないずれ、卒業していく。
 わかっているからこそ、わたしは極力そのことについては考えない。
 演目その他から予想することはあっても、発表があるまでは考えない。

 ただ……。
 舞台から感じてしまうことだけは、どうしようもない。

 『ベルサイユのばら―オスカル編―』の舞台を観ながら、唐突に思った。
 かなめくん、退団するのかな。

 「この表情、この仕草から、こう読み取れるのです!」というような、根拠だーの理屈だーののあることじゃない。
 まぁくんが全ツ主演でかなめくんがDSなんて、退団するから以外に理由が見当たらない……ということが知識としてあっても、観劇している間はそんなもんいちいち考えてない。忘れてる。現に初日に観たときは思わなかった。

 中日を過ぎての2度目の観劇、相手役は盟友ヲヅキ。
 そのときのことだ。
 ふと、思った。
 そういうことなのか、と。

 クライドを思い出す、かなしい姿。
 いちばん好きだった、いちばん魅力的だった、凰稀かなめ。
 それを思い出したときに、思ったんだ。もう決めているのかなと。


 今、思い出すのはアルセスト@かなめくんだ。
 ヘタレでダメダメの二枚目くん。くしゃくしゃの笑顔。
 大好きだった、『君を愛してる』。

 コメディのかなめくんが見たかったなあ。優男でお金持ちで、すべて持ち合わせてそうなのに、どこか残念感漂うダメンズで。
 作品最悪だったけど、『忘れ雪』のかなめくんは、いいかなめくんだったなとか。前半のチャラいとことか。ヲヅキさんの硬質なイヤラシサもハンパなかったなとか。
 なまじっか美形様だから、番手が上がってからは演出家が彼に夢を見すぎていて、自由な役が回ってこなかった気がする……。

 彼のオスカル様を見て大泣き出来て良かった。
 次の公演が、彼の魅力を、タカラヅカ力を、存分に発揮出来るモノになりますように。
 好きに『ベルサイユのばら』を切り貼り出来るとしたら、どの過去素材を使うか。

 妄想配役じゃないよ。「このジェンヌがこの役だったら♪」という考え方ではなく、すでに過去にある素材を使って、切り貼りする。使ってイイのは、あるものだけ。
 シミュレーション・ゲームソフトだと思ってくれ。すでに用意されたものを、自分で好きに組合わせていくゲームが発売されたという、もしも話。

 同じようにオスカルをやっていても、誰のときはこの場面、この台詞があったのに、誰のときはなかったとか、そこまで考えるとややこしいというか、調べるのが面倒なので、そのへんうやむや。
 「過去にやったことがある役」を「そのときのイメージのまま」で使う。

 てことで、とりあえずわたしは最初に、オスカル@トウコと、アンドレ@まっつをチョイス。

 選んだ場面はもちろん、「今宵一夜」。

 テーマは、エロ(笑)。

 わたしが知りうる限り、もっとも生々しくエロかったオスカルが、トウコちゃん。
 ただエロいだけじゃないの、生々しかったの。それまでわたし、今宵一夜ってのはただのラブシーン、お約束の様式美としか考えてなかった。
 トウカルを見てはじめて、「このふたり、これからエッチするんだ」と気がついた……。
 トウコのこの生々しさは、タカラヅカらしくはなかったけれど、わたしは盛大にツボっておりました。

 そんときの相手役、アンドレさんたち(役替わり)はどちらもテクニシャン系ではなく……とくに片方は新公学年のお子ちゃまだったこともあり、トウカルがひとりで喘いでて、大変そうでありました。
 エロいアンドレと組んだら、トウカルの今宵一夜はどんだけものすごいことなっただろうと、当時から歯がゆく思っておりました(笑)。

 ということで、まつださんです。
 大人で達観していて、経験豊富そう(笑)な、腰をぎゅっと抱き寄せる、あのエロエロなまつドレ様です。
 トウカル研15、まつドレ研16、うわ、改めて見るとどっちもすげー学年だな……(笑)、大人でしたたる感じで良いのではないかと。


 夢の競演としては、アンドレ@オサ様、オスカル@まさお。

 これは、見たいです。転げ回るほど、見たいです。

 『ベルばら』と無縁だったオサ様が、他組特出というカタチで3日間だけやったアンドレ。軍服が大好きのオサ様は、「軍服着れてうれしい! 『ベルばら』うれしい!」と超ゴキゲン。
 えーとあなた、演技してないよね? それ、アンドレじゃなくただのハルノスミレだよね? という、周囲ガン無視のフリーダム。オスカル役が同期だという気安さもあり?、好き勝手暴走する潔さ!! そしてその相手役の同期オスカルもオサ様を野放しにちょうマイペースぶりを披露、すばらしくカオスな『ベルばら』でした!

 そして、言わずと知れたわれらがまさおくん。癖の強さはオサ様と比肩する、独特の節回しとねっとりさ。
 自由に己れの道を快走する姿は、「ザ・トップスタァ」。しかも美貌は折り紙付き、まるでお人形のよう。まさカル単体でもなんとも味のあるキャラクタだった……のだから、ここにオサ様を加えたら、どうなるのか。

 とりあえず、歌声は素晴らしいはず。
 しかし、芝居の呼吸が合うかどうかは……(笑)。

 いやもお、絶対絶対面白いはず。
 最後は是非、ふたりでガラスの馬車で飛んで欲しいな……。オサ様の笑顔が浮かんで胸が苦しい……(笑)。


 ネタ系だけでなく、マジにキャスティングすると。

 オスカル@ちぎ。
 まさにベスト・オスカル。美しさと凜々しさ、そして頑なさと潔癖さ。……この「潔癖さ」ってのが、わたし的にはけっこう重要。ある種の不器用さが欲しいの。

 アンドレ@らんとむ。
 ザ・包容力。そして、クラシカルな「男役」さ。ヅカのアンドレは、赤面させるくらいでちょうどいいの、させてくれなきゃダメなの。死にっぷりの素晴らしさまで含めて、「タカラヅカの『ベルばら』」に酔わせてくれる男の中の男!
 次点・ワタさん。

 フェルゼン@たかこ。
 ヅカのフェルゼンは、イヤナヤツですから(笑)。そして、どんだけイヤナヤツでも、それをぶっ飛ばす美しさとスター力。いかなるときもスターブーツ着用のこだわり、王子様キャラとしての自覚、浮き世離れ感は彼が随一。

 アントワネット@となみ。
 お花様じゃないです、彼女は選ぶならシシィ、そしてとなみは反対にアントワネット。ゴージャスな美貌と、無邪気な無神経さ。なんつったって、アタマに船を乗せて違和感ない美女なんて、そうそういないよ?(笑)

 ジェローデル@かしげ。
 貴公子ならばこの人!! ひざまずかれたい、「身を引きましょう」を言って欲しい!!

 ベルナール@まっつ。
 完全に趣味ですとも。「愛する者のために」をセンターで歌う歌唱力のある人です。

 ロザリー@あすか。
 完全に趣味ですとも。まっつ×あすか再び。大人になった今のまっつと、あすかで恋愛モノが見たかったなー。

 アラン@水しぇん。
 ワイルドで少しすさんだムード。でも繊細さが垣間見える、大人であるがゆえの青臭さ。ビジュアルも完璧、つか大好きだった黒髪水しぇん!


 持ち味や絵面が合うかどうかは無視。
 単に組合わせて見てみたい、という(笑)。


 過去映像切り貼りして、夢の競演。現代ならソフト製作可能だろうに。劇団はほんとコンテンツ商売下手だよなあ。
 『ベルサイユのばら―オスカル編―』について、つらつらと。

 Aパターン、Bパターン、両方観て思ったことは、やっぱり王道のAパターンの方がいいかなあ、ということ。
 『ベルばら』って、華>演技力、ハッタリ>歌唱力、なんだよね。2006年星組『ベルばら』のオスカル特出祭りを観たときにそう痛感したっけ。

 まぁくんは真ん中持ち味の人なので、主役格の方がハマる。今回アンドレの比重が低く、地味なキャラになっているけれど、それでも毒殺未遂と今宵一夜、パリの橋と名場面をこなしていくにはスター力が必要。
 まぁくんはジェローデルもOK。お貴族様似合う。
 王子様キャラなんだなと思う。
 そして、まぁくんの素晴らしいところは、どっちにしろ、完全な「いい人」には見えない! ってこと(笑)。
 アンドレにしろジェローデルにしろ、心の底から純粋で誠実な善人、には見えない。善人ぶってるだけ、ちゃんと黒いモノを腹の底に潜ませてそう。だがそれがいい(笑)。

 ヲヅキのアンドレは好きだ。あの静かに鬱屈した感じがとてもいい。個人的に大好きだが、ヅカの『ベルばら』にはそぐわないと思う。
 かといって、アラン役も大いにチガウ気が今回はした……けど、アンドレよりはアランが似合ってたと思う。
 アランは大切な役なので、やっぱ「特別感」が欲しい。ヲヅキさんの「格の違い」は、衛兵隊士の間にいるときにびんびんに感じた。絶対モブにならない存在感は、群衆芝居が多いアランには必要なスキル。

 かいちゃんはジェローデル一択。コスプレまかせろ。
 反対にアランは、衛兵隊士にまぎれて、どこにいるのかわからなかった。
 雪『フェルゼン編』のアランがアルマンに負けちゃって、パリの橋の下場面で「リーダーはアルマンだよね?」状態になっていたのも残念だったが、宙『オスカル編』は取って代わるリーダーは特におらず、全員がモブ状態だった。


 役替わりじゃないけど、この公演で卒業するタラちゃん、最後にとても娘役スキルの必要な役をこなしていて、さすがだなと思った。
 学年が上がって色濃い女役をいろいろするようになっていたけれど、最後にこうして「タカラヅカの王道娘役」っぽい役。盲目の可憐な少女っすよ。
 ヒロインタイプではないと思ったけれど、舞台の質を守ってくれる、手堅くいい仕事する娘役さん。寂しいな。

 そういやルルーの台詞はなんでここへきて突然変更されたんだろう。
「戦争って力の強い方が勝つんでしょ? そんな愚かなところにお姉ちゃまを行かせたくない!」だっけ? それが何故か、「そんな危ないところに」になっていた。
 もともとがツッコミどころ満載な台詞だが、さらにアホっぽくレベルダウンしているのは、なんなんだ(笑)。
 ルルーほんと、ひどいキャラクタだよなあ……。植爺のセンスのなさがまんま出ている。それゆえに、ほんっとに難しい役だ。れーれ、乙。


 こんだけ短期間で『ベルばら』をいっぱい観て、なんつーかもお、「あなただけの『ベルばら』夢の配役ソフト」とか、作って販売してほしい、と切に思う(笑)。
 素材は山ほどあるよね、昨今の『ベルばら』映像。
 それのキャラクタごと、役者ごとに抜き出して、あとは好きに選択して場面を再現出来るソフトを作って欲しい。
 や、わたしにツールと時間があれば、自分で作りたいくらいだ。

 そしたらちぎカルにキタドレで今宵一夜とか、テルカルに雪全ツ時代のヲヅキアランとか、みわカルにまぁドレで毒殺未遂とか、コムカルにかいジェロの「身を引きましょう」とか……いろいろいろいろ組合わせて楽しむのに!!
 個人的に、テルカルを毒殺未遂して苦悩しまくる壮ドレが見たいぞ(笑)。

 そうやって、マイベスト『ベルばら』を作る。
 それこそ、いつぞやのサヨナラショーみたく、オスカルもアンドレも同じ人で作ってみたり? かなめ様は両方画像あるし、美しいオスアンが見られるぞ。
 ちえねね武道館! ベニー全ツ『風共』! ポコマオ『アルカサル』!
 という今年のラインナップ最終発表に驚いてます。

 なんともツッコミどころいっぱい……(笑)。

 武道館って何年ぶり? 今世紀に入って初だよね?
 前回が『MIKI in BUDOKAN』だから、タイトルの『REON in BUDOKAN~LEGEND~』はわざと同じにしてるんだろうな。
 てゆーか演出家イシダせんせか。みきちゃんのときもイシダせんせだったよね? イシダせんせはヅカで唯一武道館演出出来る人認識なのか。

 てことで、年寄りらしく『MIKI in BUDOKAN』の思い出語り。

 まず、チケットが取れなかった。
 発売日にぴあで2番目に叩いてもらったのに、スタンド席のてっぺんから数列目がやっとだった。アリーナが取れないのは想定内だったけど、こんな端しか取れないのはびっくり。てゆーかすぐに売り切れて、しょんぼりするわたしに「取れただけでもラッキー」と友人になだめられたっけ。
 「タカラヅカではじめての武道館コンサートなのよ、出演者のファンだけでなく、どんなものかわからないからとりあえず参加してみよう、という人もいるはず。ただでさえみきちゃんは大人気なんだから、チケットが取りにくいのは当たり前」と。
 公演は2日間で、わたしたちは2日目だった。素直に開演前に行ったら、グッズが完売していて、悲しかった。
 「グッズは初回開演前に売り切れた。当然でしょ? 今ごろ来てなに言ってんの?」てな意味のことを、えらく苛立った様子のスタッフのにーちゃんが言ってたなー。すみませんねえ、世間知らずで。遠征組だから、グッズ購入のために前日入りする認識はなかったよ。
 入場するのも大行列で大変、スタッフが叫び続けてて大変、ダフ屋もいろいろ声出してて大変。なにかと大騒ぎな印象。……ダフ屋ってヅカでは見ないから、ふつーにおっさんたちが「券あるよ券」って言ってたり、生写真らしきものを売ってたり、いちいちびっくりした。
 ヅカの公演、ではなくて、フツーのコンサートというカテゴリの興行だったんだねええ。テレビ局とかが制作に入ってた関係?
 だけど中に入ればやっぱりそこはタカラヅカで、コンサートがはじまればオールスタンディング……にはならず? 後ろの席の人が「坐ってください、立たれたら見えないでしょ!!」って叫び続けてた……えーと。
 わたしは立ってた。坐って観劇しろ、という意見を主張していた人は、正しいのかな?
 座席にはみきちゃんのうちわがセットされていたので、うちわ振って手拍子して揺れたり踊ったり、ふつーにコンサートとして参加。
 チケット代はそれなりにしたと思うんだが、プログラムは1時間ほどで、正直、拍子抜けした。えっ、もう終わり??
 タカラヅカの1公演休憩入れて3時間コースに慣れきってたから。
 アンコール入れて70分とか、そんな感じだったか。コンサートならふつーでも、ヅカだと思うとコスパ悪い気がした。
 目新しかったけど、それほど楽しいとか感動したとかはなく、「こんなのもアリなんだ」と、体験したことがいちばんの収穫だったよーな。
 今思えば、アリーナ席は一般売りしてなかったんじゃね? アリーナにはタモさんはじめ花組組子たちが何十人ずらりと並んできゃーきゃーやってたし、たぶん他にもジェンヌはいただろう。
 会とか経由なら、もっといい席だったり、あるいは「売り切れて買えない」なんてこともなかったのかと思う。しかしぴあ頼みの一般人には、どうやって入手したらいいのかわかんない、チケ難公演だった。
 わたしと友人たちは、武道館のてっぺんから「いいなあ、あんな席はどうやったら買えたのかなあ」「ぴあでいちばんに叩いてもらって、しかも店のおねーさんの腕がすごくいいとか?」「ぴあでいちばんなんて、何日前から並べっていうのよ、一般人には無理よ」てな話をしつつ、うらやましい、と指をくわえて眺めていたっけ。

 次に武道館コンサートがあるときは、グッズを買うために初日初回のチケットを取り、開場時間前に到着し、グッズ列に並ぶ!
 チケットは一般発売よりも、会に入っている人に頼んでみる!
 武道館だからって、多大な期待はしない! 通常公演の良作に当たったときの方が、感動や満足度は高い!

 ……と、心に誓ったことを、思い出します。
 今後のトップスターは退団前に武道館やるのかと思ったもん(笑)。
 それきり誰もやらなかったってことは、やっぱいろいろ大変だったんだろうなあ。

 あ、プログラム出てきた。大きすぎて置き場に困るんで、かえって置き場固定、すぐに手に取れた。
 2日間で3回、1公演1万人、3回で3万人と本文で明記してある。のべ3万人かあ。
 今年のちえねね版も、2日間3回公演よね。3万人動員を期待されてるワケね。さすが。
 みきちゃんのプログラムはめちゃくちゃかっこいい。ちえねねもかっこいいだろうな。


 ベニーの『風共』は……植爺、働き過ぎ。としか……。

 というか、『風共』って「で、トップスターは男なの? 女なの?」からスタートする特異な演目だな。
 2番手のベニー主演で全国をまわるわけだが、「タカラヅカ」である以上、主演は男役でなきゃ意味がないと、わたしは思う。
 つーことで、ベニーさんはバトラーでありますように。ふつーにカッコいいベニーさんが見たいのよ。お笑いとか女役とかはもういいよー。
 バトラーだよね?


 『アルカサル~王城~』舞台化はびっくりだ。
 そして、何故演出家が中村A。
 中村Aって舞台転換のセンス疑問な紙芝居演出家ですが、マンガ原作はどんな風に始末するんだろう?
 よい公演になりますように。
 『ベルサイユのばら―オスカル編―』を初日のあとずーんと期間をおいて中日過ぎくらいにもう一度観て。

 いちばん、「ごめんっ!!」と思ったのは、ベルナール@ちーちゃんだ。

 初日に観たときは、たしかにがっかりしたの。
 ベルナールは群衆のセンターに立つ役。人々を煽動して革命に向かわせる「指揮官」「英雄」ポジション。実際のベルナールがそういうキャラクタかどうかではなく、現在の『ベルばら』ではそーゆーことになっている。
 だから、幕が開いてベルナールが歌い出し、民衆がそれに唱和する、その演出に相応しい「スター力」と「歌唱力」が必須。
 そのどちらもない人がやると、「場面」に負けてしまう。
 ……初日のベルナールは、歌はありゃりゃだし求心力もないし、「スター演出」は、スターにやらせなきゃダメなんだな、脇の人じゃ無理なんだ、と肩を落とした。

 ちーちゃんのことは好きだ。
 宙組を観る楽しみのひとつ。ちーちゃんの美貌を愛でること。
 単に好みの問題だとわかっちゃいるが、わたしは蓮水さんの顔が好きだ。宙組でもっとも美しい人だと思っている。彼がいまひとつうまくない人なのはわかっちゃいるが、それはそれとして、舞台上で彼を眺めているだけでうれしい、そういう位置の人だ。

 新公主演していないからこそのおいしい別格スターとして、これから長く活躍してくれるのだと、期待していた。
 宙組は路線スターの育成も不器用だけど、別格スター育成も得意ではない? ちーちゃんは学年のわりに場数を踏んでない印象。新公の代わりにワークショップ主演したけれど、この間のW主演バウでは技術の低さにびっくりした。
 ここまで出来ていない、ことすら、本公演を観ているだけだとわかんなかったんだ。場を与えられないと見えないモノって、ある。かいちゃんだって、スカーレットをやるまでは、あそこまでへただって思ってなかったし。
 つまり、これから、だ。経験値が低いために、こなせなかっただけ。かいちゃんが場を与えられてどんどんうまくなっているように、ちーちゃんもこれからだ。
 いやその、彼のことは顔が好みであるゆえに、評価がとても甘いのです。(同類項:りくくん。顔が好みであるために、評価が甘い・笑)
 今できないからといって、未来まで否定できない、きっとこれからよくなるはず。

 と、思っていてなお、「あちゃー」と思った。
 バウ主演してなお、この埋没したセンターっぷりなの……?
 好きだから苦笑いで済ますけど、……そうでなかったら、きついなあ、これ。

 それが初日の感想。
 それがけっこう強く記憶に残っていたから、2度目の観劇では身がまえていた。
 どんだけ埋没していても気にしない、ちーちゃんの美貌が堪能出来る、歌も台詞も聞ける、役のない植爺作品でゼイタク言ってらんない、こんなに大きな役をやるちーちゃんを堪能しよう。
 そう思っていた。

 が。

 あ、あれ……?
 なんか、思ってたのと、チガウ……?

 ベルナールが、ちゃんとセンターだ。

 埋没してたのに。あんなに残念だったのに。

 ちーちゃんベルナールは、ちゃんと真ん中で輝いていた。市民たちを牽引していた。

 歌も、そんなに弱くない。
 圧倒的歌唱力で空間支配するわけじゃ、もちろんないけど、でも場面を壊すような歌声じゃない。
 センターの英雄が歌っている、それが変じゃないくらいには、歌えている。
 そしてこの場合、それだけ歌えれば十分! だってあとは演出で持ち上げ可能! ほとんどコーラスなわけだし。

 うわああ、すっげー良くなってる!!

 ごめん、ちーちゃんごめん、ぜんぜんダメだって決めつけてごめん!
 やっぱり、場数の問題なんだ。場を与えられれば、ジェンヌは変わるんだ。場に相応しく成長していくんだ。だからナマ舞台は面白い、生徒の成長を見守るタカラヅカは面白い。

 …………だからこそ。
 こうして、経験さえ積めばよくなるのだと見せつけられたからこそ。

 なんで卒業しちゃうんだよおおおっ。

 これからじゃん。
 これから、経験積んでもっともっと素敵なスターになるのに。

 しょぼん。


 初日だけしか観てなかったら、この感動はなかったんだよなあ。やっぱ初日だけだと諸刃の剣だよなー。すべての舞台を何度でも観られる、お金と時間と甲斐性が欲しい……ほろほろ。


 えー、そいでもって。
 今回の観劇で、いちばんうらやましかったのは、ロザリー@みりおんです。
 ちーちゃんに守るように腰抱かれてるの見て、いいなあ、みりおん!! と思った……。うらやまー。
 ヲヅキのアンドレを見たことによって、まぁくんのアンドレを強く思い出す。

 てゆーか……まぁくんって面白いなああ。

 まぁくんとヲヅキはまったく別の人生を歩んできた男たちだ。
 かたや路線人生まっしぐら、かたや脇の個性派ロードくねくね。
 そんなふたりが同じ役を演じることで、ふたりのキャラクタの違いが顕著過ぎて愉快。

 『ベルサイユのばら―オスカル編―』にて、まぁくんアンドレは公演日程の前半、ヲヅキは後半だった、ということもあるかもしんないけど。

 まぁくんは笑われ、ヲヅキは笑われなかった。

 わたしの観た回では。

 まぁくんのアンドレは、なんかいろいろ濃くてクドくて、観客が思わず吹き出してしまう部分があった。
 同じことをしてもヲヅキのアンドレは、言動に説得力があって、おかしくなかった。まあこんなこともありか、と思えた。

 ジャルジェパパ@汝鳥さんがオスカルを成敗する! と息巻くのを止める場面で、まぁドレの「しゃきーーん!」と音がしそうな特撮ヒーローポーズには、笑いが起こった。
 ナニこの人面白い!
 また、ひとりでうっとり「オスカルの肖像画が見たい! いや、オレには見える!」と言い出すときの雲の上感や、「オスカルが結婚する(かもしれない、っていう噂がある)」と知ったときの「人の話聞いてねえええ!!」感……。
 面白い……。

 同じ場面がみんな、キタドレだと別モノ。
 同じアクション、同じポーズなのにキタさんには擬音が聞こえない。ポーズというほどポーズをつけているように見えない。実際笑いは起きなかった。
 なんか堅実で思い込みの激しさがないため、ペガサス・オスカル様妄想をしそうにないし、オスカルと衛兵隊の話もしっかり聞いて吟味しした上で毒殺という結論に達したように見える。
 演技がリアルで、嘘がない。

 ヲヅキさんの芝居はいいんだけど……イベントとしての『ベルばら』には、そぐわない、気がする。
 まぁくんの濃さ、「スター!」が演じているゆえの面白さが必要だと思う。

 まぁくんはどこかに毒があって、それがイイ感じに作用している。
 キレイな布にぽつんとついた染みのような。あれなんだろ、なんかあそこに変な色がある……模様? なんで? まさか染みじゃないよね、そんなもんついてるはずないし、ついたとしてもすぐに落としているはずだし……でもやっぱ染み? なんで?
 気になって気になって仕方ない。で、気がついたら彼ばっか見てた、彼のことばっか考えてた、的な。
 でも小さな染みだから、気づかない人は気づかないし、そもそもそんなとこまで見ない人にはどうでもいいことだし。
 この微妙な感じが、彼がスター路線である所以なのかなと思う。
 ただキラキラ明るいとか、スタイルがいいとかだけでは、真ん中向きではないんだよなあ。そこになにか、引っかかりがあると強い。
 染みが大きすぎると路線には向かないし、そのへんとってもデリケート。微妙なバランスで成り立っている。

 てゆーかまあ細かいことは置いておいて。
 わたしの気分としては。
 まぁドレのときの方が、テルカルがしあわせそうに見えた。ので、まぁドレの方がいいかな。

 まぁドレさんには、有無を言わさない「王子様力」があって、こいつ平民だしストーカーだしろくなもんじゃねえとわかっていてなお、膝の上で髪撫でられたりしてるとこで「だってワタシの王子様だもん」的酩酊感に酔える(笑)。
 本気でこの人「オレはなんの力もない平民男だけど、今はキミの王子様さ(はぁと)」と思ってる。そーゆー顔で髪撫でてる! やだナニ恥ずかしい! そゆの大事!(笑)

 「オレはキミの王子様」と本気で言える男なら、テルカルみたいなめんどくさい女もしあわせになれるんじゃないかな。

 キタドレ見たあと、まぁドレの記憶を紐解くと、なんか切ないのですよ。
 まぁドレ相手のときの方が、救いがあったなと。
 オスカルは孤独で壊れているのかもしれないけれど、アンドレがそれをぶっ飛ばす勢いで「王子様にまかせろ!」とやってくれたら、たとえそれが一時のなぐさめにすぎないとしても、なんかうるっと来るじゃん? そのときだけは救われた気持ちになるじゃん?
 キタドレの「お前が破滅するなら、俺も共に滅びよう」てな瀕死のナイトだと、あとはもう心中するしか道がない。

 翌日前後して死ぬ運命なのだとしても、今宵一夜のオスアンの意味合いの違い。
 まぁドレ王子様に、一時の夢を見せてもらった方が、わたしは救われるなああ。

 悲しすぎるオスカルを見るのがつらいので、嘘でも夢がある、方が助かる。わたしは。
 一観客としては救いのあるまぁドレ派なんだが、もしも自分が書くなら、キタドレの「心中・恋のパリ進駐」の方が好みかも(笑)。


 てゆーかさ、今回こんなにアンドレが王子様or影の男で差が出ちゃったのって、いつも必ずあった「明るい場面」がないからじゃないのかな。

 どのバージョンであっても、オスカルとアンドレが登場する作品の場合、ふたりのいちゃいちゃ場面はあった、よね?
 気負うオスカルをアンドレがいなす、ふたりの親密さを表すエピソード。
 また、ルルーやマロングラッセ相手の、アンドレの日常っぽい、明るめの場面。

 深刻場面しかないから、アンドレも本質勝負になっちゃった。

 これが不利だなと思うのは、キタドレの方。
 まぁドレはきっと、ほっこり場面でも素敵に王子様キャラ。影に控える役割だけど、「ヒーロー」であることをわかっている。本質は変わらない。深刻場面でも、そうでなくても。
 しかしキタドレは、ほっこり場面こそが役者ヲヅキの旨味部分。それがあるとないとでは、印象が大きくチガウ。

 ヲヅキのなんともいえん魅力って、ゆるさと愛嬌、だと思うんだよなああ。
 どんだけハードな役、暗い役だとしても、人間的な愛嬌がある。
 技術やビジュアルの問題ではなく、その役がより「人間」としてリアルに浮かび上がるか……それはテキストで書かれた部分や計算で作られるものではない、形にならない部分。
 ヲヅキの芝居がただ「うまい」だけでなく、「魅力的」なのは、そこ。
 彼がかもしだす雰囲気って、得がたいモノだと思うよ。他にない手応え。
 朴訥で不器用そうな、生まれ持った愛嬌。計算で出来ることじゃないから、彼はもう「選ばれて生まれてきた」んだと思うよ(笑)。
 そしてわたしは、ヲヅキのそーゆー神様からの贈り物部分の魅力にくらくら。他の人では代えがきかない、彼だけの魅力。

 今回のアンドレに、オスカルと幼なじみらしいいちゃいちゃ場面や、ルルー相手でもアラン相手でもいいから明るい息抜き的な場面があれば……ヲヅキの愛嬌がアンドレのイメージを今とは大きく変えていただろう。
 今のアンドレ、真面目で暗いんだもん……。愛嬌がほとんど出てないんだもん……。
 この暗いアンドレはそのままに、ヲヅキならではのゆるい愛嬌のある一面を見せてくれたら……うわどうしようそんなアンドレ好み過ぎる!!

 アンドレの比重を下げるのは植爺の勝手だけど、おかげでアンドレが深刻一途なのは残念だわ。


 安易な役替わりは好きではないし、まぁくんにきちんと2番手やらせたれよと思うけど、その反面、やっぱ役替わりはおもしろいんだよなあ。
 ヲヅキさんの扱いにはいろいろ疑問もあるけれど、キタドレが見られたことはうれしい。
 ヲヅキさんの揺るがなさに感心した。

 『ベルサイユのばら―オスカル編―』Bパターン、すなわちアンドレ@ヲヅキ。
 本公演『オスカル編』のアンドレっつったらふつーは特出トップ様が演じてもおかしくない、組でなら次期トップが演じるだろう特別な役。
 役替わりとはいえこの役をやるんだから、この際ヲヅキさんトップ候補になっちゃえよ! 役替わり公演でもやってもらって、新公主演したことにして、コム姫に続く力技路線変更スターになればいいじゃん。
 ……と、冗談半分(半分?)で言うくらいには、わくわくしてました。
 真ん中に立つヲヅキさんを見てみたくて。
 一度も主演したことのない、「主役」たる役をやったことのない彼が、タカラヅカの代表作『ベルばら』でアンドレを演じるとどうなるのか……大劇場サイズの「スター」に一気に化けるとか、あるかもしんないじゃん?……と、わくわく。

 『オスカル編』のアンドレは主役じゃないけど、アンドレが主役バージョンでやる場面もそのままあるわけだから、役者を「主役」に押し上げる力があるんだ。
 この役をやると、スター力がどんと上がるっていうか、リミッターの上限解除につながるっていうか。

 だからいろんな人のアンドレを見てみたいと思う。
 それが、好きな生徒なら、なおさら。

 で、ヲヅキさん。

 ……役者を「主役」に押し上げる力のある役なんだってば……主役に……スターに……。

 ヲヅキは、ヲヅキだった。

 アンドレが「スター」の役だということは、眼中にない?

 ヲヅキさんが演じているのは、「オスカルの影・アンドレ」でした。
 タカラヅカのアンドレというスター役ではなく、忠実に「アンドレ」という役を演じてた。

 『ベルばら』祭りとは無関係に、なんかもうすげえ忠実に、誠実に、「芝居」をしてた。

 あー……そっか……アンドレだもんな……アンドレって本来こういう感じ……あー……そうだよなあ……。

 「スター」なヲヅキさん♪ と無責任に盛り上がる気で行ったわたしは、なんかすごくバツが悪かったっす(笑)。
 ごめん、ヲヅキ。そうだよね、ポジションとか扱いとか、関係ないよね、キミはただ誠実に芝居をするだけだよね。くそ真面目に役割を果たすだけだよね。

 ヲヅキはやっぱ「役者」なのだと思う。
 融通きかないくらいに、とても役者。
 それですげー頑固一徹に芝居をしている。「アンドレとは!」を全身で表している。
 揺るがない。

 その揺るがなさがうれしい。

 とはいえ。
 せっかくの祭りなのに、ヲヅキの頑固職人ぶりは善し悪しアリ。
 オープニングのおとなしさは、どうすればいいんだ(笑)。
 せっかくの植爺『ベルばら』、「100周年だ、祭りだわっしょい!」ムードにそぐわない、地に足着いたアンドレ様……。

 『ベルばら』なのに、アンドレなのに、すげー脇役っぽいってナニゴト。

 ヲヅキは主演経験こそないものの、ティボルトやヤンなど、2番手クラスの役を大劇場でこなしている。それらの役を演じるヲヅキは、決して地味ではない。
 だからそれは、ポジションではなく、「役」ゆえなんだ。
 ティボルトもヤンも花形役であり、役に忠実にあるだけで作品の中心部に躍り出てくる。ショーパートと芝居がぱきっと別モノになっていたりせず、いつも役のままでいられたし。

 そういう人だから、「影」のアンドレを忠実に役作りしたら、こういうことになっちゃったんだ。植爺はショーパートと芝居を別モノにしてしまうし、キャラクタを人格ではなくポジションで書く。
 役を人格で演じるヲヅキがやると、正しく影のアンドレになるんだ。
 だから派手派手オープニングだと、役として演じて出て来るヲヅキさんにびっくりしちゃうんだ。影として登場してくるから。

 うっわー、ヲヅキだー。
 ヲヅキ、変わらない。揺るがない。
 それがうれしいやらおかしいやら。

 フィナーレもやっぱ、コレジャナイ感を抱きつつ。

 そう思わせてくれることがまた、愛しい。

 いやその、スポットライト浴びる快感に目覚めて、「スターなオレ様」に変身したヲヅキさんも見てみたかったけど。
 徹頭徹尾「わきまえた」姿に、きゅんきゅんした(笑)。


 でもって。

 前日欄に書いた通り、テルカル様はオスカルじゃなかった。別の生き物だった。
 それはやっぱり、キタドレの影響があると思う。

 ヲヅキのアンドレは、立場をわきまえた影のアンドレ。ヅカのスター演じるところの押し出しの強いキラキラしたアンドレじゃない。
 脇に徹する姿はとてもアンドレっぽい……わけなんだが。

 でも、チガウと思うの。

 原作ともヅカのアンドレともチガウ。
 キタドレの、暗さは。

 彼からは、革命前夜のフランスの、湿気めいた暗い澱みを感じる。
 口でどう言おうと、魂の深いところで絶望し、あきらめている……投げ出している、感じ。受け入れている、ともいうか。あるがままを。

 キタドレの澱みが、テルカルを追い詰めているんだと思う。

 殺したいほど愛していると言いながら、寸前で背を向ける。毒殺を思いとどまったのは、澱みが深すぎるせいでは?
 生殺しの感覚。
 これじゃオスカル、おかしくなるよ。

 救うつもりははじめからない、だけど、「そばにいる」。なにそれ痛い。きつい。

 オスカルが出撃前夜、アンドレに身を投げしたのもわかる。自分から行かなきゃ、生殺しのままだもの。
 いつまでも傷口が疼くから、痛みとかゆみの間の疼痛がずっと続くなんて気がおかしくなる、それならいっそ自分で切り裂くか。新しい血が流れ、痛みに泣く方がずっと救われる。

 キタドレとテルカルの歪みが快感。
 ぞくぞくするし、きゅんきゅんする(笑)。

 このふたり、ゆがんだ関係演じるとすげー映える。そそる。
 テッドとクライドなんだ。そう思う。
 かなめ様のオスカル様が、なんかもー、ピンポイントで胸に迫りました。

 今のところわたしのベスト・オスカル様は、この間の雪全ツのちぎカル様です。脚本がわたしの『ベルばら』観劇歴最高の出来だったことも後押しし、いちばんオスカル様として観ていて気持ちのいい人でございました。
 その「観劇歴最高」を観た直後、酷い脚本を見せられ、ビジュアルその他なまじっか期待が高かった分、テルカル様は可もなく不可もなく、「まあこんなもん……?」という感想でした。『ベルサイユのばら―オスカル編―』初日。
 ビジュアルが素晴らしいのはわかっていたことだったし、その素晴らしいビジュアルを堪能したはすが、フィナーレのセンスの悪さにアタマぶん殴られてその印象すら霧散したし。
 かなめくんのオスカル自体に、あまり印象がなかった。主役はジャルジェパパ@汝鳥さんかもな、って感じだったしさ。

 作品になにも期待がないまま、役替わりだけに釣られてやってきた2回目観劇にて。

 オスカル様が、我が胸にクリティカル。

 えーと、ベスト・オスカル様がちぎカルなのは変わりません。原作ファンとして、そしてタカラヅカファンとして、いちばん良い摺り合わせのあったオスカルでした。
 それとは別なの、テルカル様。
 や、だってぶっちゃけ、オスカルじゃないと思う。
 原作とも植爺『ベルばら』ともチガウ。
 まったく別モノ。
 ビジュアルが原作とタカラヅカの「こうあるべき」イメージを体現しているからオスカルに見えているだけで、中身ぜんぜんオスカルじゃないし!

 だから、「オスカルであるかどうか」を超えて、めっちゃ好みだった!

 あのー。

 テルカル様、病んでません?
 結核ではなくて、精神。

 こんなに孤独なオスカルを、見たことがない。

 明るく前向きなところと、不意に見せる絶望の深さ。
 抱えている闇。

 もう逃げることの出来ないところまで浸食されていて、それゆえに明るく振る舞って見せている。
 でもときどき、本心がこぼれる。
 壊れた真実が、亀裂の向こうに見える。

 誰も彼女を救えない。救いになってない。

 ジェローデル@まぁくんは頼り甲斐あるヒーローなんだけど、自分の見たいモノしか見ていない。強い人だからこそ、オスカルの弱さは見えない。

 アンドレ@ヲヅキは分をわきまえすぎていて、自分がオスカルを救えるとは思ってない。命を救うことは出来ても、心には手が届かないと最初からアンタッチャブル。

 家族たちはあの通り言葉の通じないエイリアンばかりだし、衛兵隊の連中はただのお飾り、アタマ悪すぎて表面的な言葉すらろくに理解してくれない。アラン@かいちゃんは小物過ぎ、オスカルの足元にも近寄れてない。

 実は今回、いちばん言葉が通じるっていうか、オスカルの理解者になり得たのはブイエ将軍@すっしーかなと思うが……タイミングが悪いな。もっと話し合う機会があれば、なにか違ったかも。

 際立つ、オスカルの孤独感。
 誰も彼女の「言葉」を聞かない……そもそも「会話」すら出来てない。

 孤独なのに彼女は笑い、明るい未来を口にする。「フランスの栄光を取り戻すために!」……あがいているのは本心か、それとも最後の抵抗か。

 今回のかなめくんを見て、クライドを思い出した。

 あのかなしい美青年。
 その美しさだけで全部勝ってるよーなもんなのに、誰も手を出せない部分で壊れていた。
 絶望していた。

 誰も彼を救えない。
 彼自身すら、見捨てているように思える。
 なにも望んでいない、なにもかも捨ててしまった……だから笑う。この世のどこも見ることなく。

 テルカルを見て、痛切に、思った。
 そうか、凰稀かなめって、あのクライドだった人だ。

 わたし、アタマ悪いからさー。その上トシ取ってるからさー。すぐに忘れちゃうのよ。
 かなめくんがクライドだったこと、忘れてた。ヲヅキさんと片翼の天使だったことはおぼえているし、ときどき思い出すけど、その前のクライド・バロウのことは、すっかり忘れてた。

 どうして忘れてたんだろう。
 あの悲しい瞳の青年を。

 まだかなめくんが雪組の4番手で、ワークショップなんかやってたころ。美形なことは誰もが知っているけれど、その美貌の使い方をいまいちわかってないような、どこを目指して歩けばいいのかわかってないような、やる気があるんだかないんだか、どうにもはがゆいひょろい男の子だったころ。

 演技力も存在感も心許ないまま、演じた名作の再演。
 「再演」なんてものを作る気のないオギーは、かなめくん主演の「新作」を書き下ろした。
 クライド・バロウ@かなめ、その幼なじみでもうひとりのクライド、テッド・ヒントン@ヲヅキ。光と影の物語。
 クライドを愛しながら、彼を救えずに哀しみと諦念の海に沈んでいくテッド。誰の愛も拒絶して、ひとり静かに壊れていくクライド。
 とんでもねーテルキタ芝居だったなと、今また思い返しつつ。

 あのクライドが、好きだった。

 あの哀しい人が、大好きだった。胸をかきむしる思いで、好きだった。
 彼の絶望が悲しくて、彼を救えない自分がもどかしくて、地面をどんどん叩いて叫びたいような、そんな狂おしい愛執を抱いた。

 ……て、なんでオスカルが、クライドになってんの??

 そのへん、ちっともわかんない(笑)。
 脚本壊れてるから余計に、わたしにはついていけない。植爺のわけわかんないところを埋めようとしたら、オスカルは絶望して闇に落ちてクライドになってんの?

 よくわかんないけど、いちばん好きな凰稀かなめを見せつけられて、息が詰まった。

 やっぱアレか、相手役がヲヅキさんだからですか? ヲヅキに愛され、求められるとクライドスイッチ入るのか?(笑)

 冗談はともかく、オスカル様があんだけダークだと、すげえ楽しいです。興味深いです。なにゆえにあんなことになってるのか、他のキャラクタとの関係も含め、じっくり考察し、妄想したくなります。
 くそお、なんなんだよー、なんであんなに素敵なんだよお。

 てことで、この2回目の『ベルばら』Dayにて、まさかの大泣き。
 2幕はひたすらテルカル見て泣いてた。
 切ない。切なくて悲しくて痛々しくて、そして愛しくてならない。この傷だらけのオスカル。

 かなめくんは、かなしい人を演じるとジャストミートするわ……。まさかオスカルで、植爺『ベルばら』なんかで、こんなにこんなに退廃的な破滅美を見せられるとは……っ。
 17日の朝、友人からすっげーあったりまえ、って感じのメールが届いた。「今日観る?」と。
 わたしが、ヲヅキアンドレ初日を観ないはずがない、という前提のメールだった。

 ごめん、今日は『太陽王』観る、と返した。
 まったく劇団め、なんで初日を東西でぶつけるのよ、両方観られないじゃない!!

 ヲヅキを捨ててキムシン新作を選んだわけではなく、チケットが手に入ったのが、『太陽王』だったの。
 ヲヅキも『太陽王』もどっちも観たい。そして、どっちもチケ難。
 だからあとは、神様の言う通り。
 チケットの手に入った方を取った。

 神様が、『太陽王』初日を観なさいと言ったのだわ。
 そう思って、ムラではなく、東京へ向かった。

 それが結果的に良かったのか、悪かったのか。

 わたしは初日が好き。
 まだ誰の目にも触れていないモノを、まず自分の目で見て、どう感じるか、自分だけのモノにしておきたい。
 余力があれば文章にする。「書く」ことで頭の整理が出来るから。

 ただし、舞台はナマモノ。
 初日が最高のクオリティであることは、あまりない。
 その作品、そのカンパニーの本当の力を知るには、初日は避けた方がいい。
 いいものを観たいのなら、公演があたたまった中日あたりを観るべきだ。

 実際、張り切って観に行った『太陽王』初日は、いい出来ではなかった。こなれてくればまたチガウと思うけれど、少なくとも初日の段階では、なんとももったりした舞台に思えた。
 肩を落として帰路に就いた。

 そして、ヲヅキアンドレは、幕が開いて数日後に観た。
 初日とは違っていたのかも、しれない。
 もしも初日に観ていたら、別の感想だったのかもしれない。

 だってわたし、『ベルサイユのばら―オスカル編―』も、初日に観た。

 そして、いろいろと肩を落とした。
 植爺キライ、『ベルばら』キライなわたしだから、作品に毒づくのはいつものこと。
 だからそれをさっ引いて、「宙組公演」自体にも、わりと残念無念な感想だった。

 まあこんなもんか……と、受け止めていたけれど。

 あれってやっぱ初日だからか!
 公演も中日を過ぎ、役替わりも初日を過ぎ、公演は後半戦に入っていて。

 そんな時期に観に行ったらば、だ。

 すっげーよかったんだ。

 うわあぁぁん、いいよお、宙組。いいよお、テルカル!!


 いやはや。
 初日好きってのは、諸刃の剣よねええ。
 今わたし、担当以外の組は初日しか観られない状態が続いてるからさー。いろいろと損してるんだろうなあ。
 熟する前、真においしいところを食べずに「すっぱい」って顔しかめてる残念な人なんじゃね?

 それを改めて思い知りました。

 ほんと、よかったのよ、宙組『ベルばら』。や、作品は大嫌いだけどな!(笑)


 半月振りの宙『ベルばら』。
 平日だというのに、駐車場が観光バスで埋まっていることに、まず驚いた。
 数台じゃないよ、何十台だよ。
 向こう側が見えないくらい、観光バスで埋まってる……。

 100周年すげえ。『ベルばら』すげえ。
 改めて、思った。

 この「タカラヅカすげえ! 『ベルばら』すげえ!」って感覚、好きなのよ。テンション上がるのよ。
 わくわくするの、お祭りハートに火がつくの。
 だってわたしも、最初は「『ベルばら』観るの! だってタカラヅカって『ベルばら』でしょ?」とタカラヅカに出会ったひとりだもん。ヅカ自体は関西在住女子のたしなみで子どものころから観ていたけれど、それとは別に『ベルばら』祭りに乗せられて、自分から観に行ったんだもん。
 タカラヅカとはじめて出会うひとびとの、きらきらわくわくした空気が大好きなの。

 そして、今回は2階のど真ん中席。
 舞台がきれいに視界に入る。

 いやあ……泣きました(笑)。
 オープニングから。

 だって、きれいなんだもん。

 大階段が出て、ドレス姿の娘役や、軍服姿の男役が、次々降りてくるのよ?
 ライトもセットもなにもかもキラキラして、嘘みたいに豪華で、夢みたいにきれいなの。

 なんか、ぶわーっと泣けた。

 「タカラヅカ」が、きれい。

 それだけで。
 泣けて仕方なかった。

 ちくしょー。『ベルばら』め。
 ずるいよ、いかにも「タカラヅカ」なんだもん。観たかった「タカラヅカ」なんだもん。

 『ベルばら』でわくわく泣けてしまう、わたしはどーしよーもなくヅカヲタなんだなと思う。

 衛兵隊の家族とジャルジェ家の人々の場面では神経擦り切れる苦痛を味わったけれど、それ以外はほんと、宙組さんたちのパワーに圧倒され、どきどきわくわく胸躍らせっぱなしだった。
 その衛兵隊の家族とジャルジェ家の人々だって、悪いのは植爺であって演じている人たちのせいじゃない。むしろ彼女らが演じているからこそ、まだ救われているはず。

 ああ楽しかったと、幕が下りきるまでずっと、心から拍手した。
 やっぱタカラヅカはいいよなと思った。


 タカラヅカゆえに悲しいこともあるけど、タカラヅカゆえにしあわせもある。

 まっつのバカ。 ←まだ言う
 つれづれに『かもめ』感想。
 初日観たあとにだだーっと書いたメモ書きを元にしてあるんで、文章のつながりがいつもにも増して独善的。自分だけにわかればいいてな、不親切な書き方だけど、再構築する気力がない。
 のでそのままUPする。


 とにもかくにも、トリゴーリン@みっきぃがカッコ良かった。

 なにあの悪い男。
 悪人ではなく、悪い男。

 悪意の欠如、あるいは欠如していると本人が思っていること、それこそがいちばん大きな罪である。
 や、罪という言葉は近くないな。違うんじゃなくて、遠いんじゃなくて、近くない。

 迷惑。
 そう、傍迷惑っす。

 これはみっきぃに限らず、登場人物全員にいえること。つまりそれは、人間すべてにいえること。ああほんとに意識の向きってば難しい。人間は難しい。

 や、ともかく。
 この「悪い男」を演じて、「悪人」にならないところが、みっきぃの功績。てゆーか、トリゴーリン、めちゃ魅力的ですがな。

 みっきぃはイイ男になったなあああ。
 昔は美形ゆえに顔立ちのキツさが目立って、ある種たくらみ顔に見えたんだけど。意欲が空回っていたというか。
 昔に比べて頬が削げ、ラインでいえばますまずシャープになっているにも関わらず、芸風にはまろやかさが出てきた。
 ゆるさというか、遊びの部分。遊びってのは、正解の線一本だけじゃなく、こっからここまで揺れてイイ幅があるとか、そっちの遊びね。

 トリゴーリンの「悪さ」は、カテゴリを超えたところにあると思う。
 人物紹介に書く描写、以外の部分。そこからこぼれた部分。
 言葉にならないエラーなところが、彼の魅力を色濃くしていると思う。

 彼が愛されキャラなのは、彼が小説家だからでもなく美形だからでもなく、もっとどーでもいい、ささやかで、そしてどうしようもなくいびつな部分ゆえだと思う。
 こーゆー芸風に開眼した男役は強い。トリゴーリンをおかしくかっこよく、愛すべきキャラとして昇華したみっきぃの男役としての可能性にわくわくする。

 やっぱアレだなー、「きらいきらい、だいきらい!」って泣きながら抱きしめずにはいられない男ってさー、大人ヲトメの永遠の王子様だよなー。白馬の王子ぢゃなくてさー、王子なんだけどダメ男でさー、ダメさはキャラによっていろいろなんだけど、とにかく少女のころ夢見た完全無欠の王子様像とは違ってて、だけどやっぱり王子様でしかないっていうさー、たまらんよなー。

 てことで、みっきぃ氏が好み過ぎてたまりませんでした。はい。


 主要4役のうちのひとりがコロちゃんだと聞いたときから、え、それってつまり、コロちゃん無双状態になるんじゃないの? と思ったんだけど、舞台観てやっぱり、思った通りだった。
 アルカージナ@コロちゃんの無双っぷり。

 なんかわたし、最初から最後まで、『アンナ・カレーニナ』を思い出していた。
 なつかしいなあ、あれって何年前?
 主演が丸顔かわい子ちゃんな男役で、ヒロインが美人顔の芸達者で。どいちゃんがしぶくて、そしてコロちゃんが堂々たる女役っぷりで。

 コロちゃんの役は『アンナ・カレーニナ』の公爵夫人とはまーーったくキャラがチガウんだけど、出てきた瞬間から強いデジャヴ。
 こういう「強い」役をやるコロちゃん、わたしにとっては久しぶりで、なつかしかったからだと思う。強いっていうのは性格がではなくて、作品に置ける根っこの太さみたいなもん。

 大役を自在に呼吸するコロちゃんは見ていて気持ちいい。
 ここまで出来る人なんだから、他の公演でも役割が欲しいと思う。

 ただ。
 なんていうんだろう……主演のことちゃんと、あまり合ってなかった気がする……。

 コロちゃんと、シャムラーエフ@美城れん氏の芝居が、この作品のまとまりに待ったをかけていた……気がした。

 ふたりがずば抜けてうまい、ということだけではなくて。

 うまいというなら、ソーリン@ちーくんは浮いてない。ことちゃんと呼吸が合っている。
 そういう役だから、ということではなくて……いや、役の関わり合いのせいもあるんだろうけど……しかしちょっと違和感あったなー。


 ヒロイン、ニーナ@みれいちゃんは、うまかった、かわいかった。
 ジュリエットより若返った気がする(笑)。
 それとも、ことちゃんとの年齢差が縮まった?

 ニーナに視点を合わせて描かれていなくても、彼女が出て来るたびに彼女のドラマがわかる。
 この子のドラマをもっと観たい、と思わせるのがいいよなー。トリゴーリンもそうなんだけど、「このキャラ主役に観てみたい」と思わせてくれる断片っぷりが気持ちいい。
 や、実際に彼ら主役だと、それはそれでめんどくさい話になりそうだが。(ニーナやトリゴーリンを「主役」として「今の魅力」と同じモノを描くのは、作る側にすっげー力量が必要なはず)


 マーシャ@はるこちゃんが相変わらずいい女優っぷりで……うわああ、この子やだあ、たまらんー。
 出てきた瞬間から「ドラマ開始」するんだもん。きっちり世界観背負って登場するから、意識がそっち行っちゃって、戻って来にくくなるんだもん。
 主役が登場しても、「さっきの喪服の美女はどうしたのかしら」って、散漫になっちゃうんだもん。

 マーシャに惚れてる残念なハンサムくん@せおっちがまた、素敵に残念でなあ(笑)。余計に彼らの物語が気になるのよ。
 てゆーかわたしの辞書、「世界観瀬央って」って変換するのやめてよ、見直さなかったらそのままUPしてたわよ(笑)。

 はるこちゃんとせおっちのカップルが、いろいろツボ過ぎて……うおお、あのヘタレわんこな田舎教師、わたしにください~~。


 タカラヅカとしてこれを観たいかというと「べつに……」だけど、贔屓が出ている・贔屓組公演であるってことでリピートする分には、楽しいと思う。
 繰り返し観ることによって発見があり、自分の視点を見つけて楽しめるだろうから。
 それって原作がそうだからなの? 小柳タンの力なの? そのへんの区別がわたしにはつかない。
 わたしならもっと、タカラヅカ寄りの仕掛けをして、とっつきよくして、その実けっこー泥沼的中毒性あるのよって方向で仕掛けを考えたかな……って思って、あ、それってなんか景子タンっぽい、と思った。景子せんせならもっと、景子せんせならではの「クリエイター視点!!」を押し出してくるだろうなと。
 んー、ああいう理屈っぽさとくどさが、わたしは欲しかったのかもしんない?


 あと、わたしは初日しか観ないけど(とゆーか、観られない、だってチケ難公演なんだもん!!)、このまま回を重ねてお笑い部分が突出したら嫌だなあ、と思った……。
 一部、「笑うために笑う」空気を感じて。

 やるせなさや滑稽さはいいんだけど、客席ウケを目的に大仰になっていったら、そーゆーのは苦手だなあ。
 初日は笑いさえも手探り状態だったので、そこがこなれてくれるのはいいんだけど。
 わたしの杞憂かもしれないし、そもそも大仰に道化てどっかんどっかん爆笑を誘うのが正しいのかもしれないし。
 や、ただの好みの問題っす。
 期待の星、ことちゃん主演バウ『かもめ』初日観劇。

 えー、チェーホフの『かもめ』の初ミュージカル化だそうです。へー。

 無教養ゆえ、原作は存じません。
 だから今観た舞台のみの感想。

 収まり悪い。

 会話劇なのかミュージカルなのか、どっちかにしてくれっつーか。
 ストプレ部分と歌の構成がいまいち。
 なんのために歌があるのかわかんない。
 盛り上がってここで歌! というんじゃなく、「ミュージカルってことにしちゃったから、このへんで歌いっとくかー」的?
 歌う必要性があまりない。や、お約束的に「ここで歌」とは入るけど。
 なんで歌なの、しかもこのメロディなの? 歌いにくそうだったり表現しにくそうだったり、きれいっちゃーきれいだけど、伝えたいモノはなんなの?
 会話劇部分をぶった切って歌を挿入し、なにを表現したいの? 「歌」が「表現するめたの手段」になっていたとは思えないっていうか。

 「ミュージカル演出」のとってつけた感がすごいっす……。

 いちばんびっくりしたのは、ラスト。

 コースチャ(コンスチャ?)@ことちゃんが、突然踊り出した。

 えええ。

 「ミュージカル」といっても、「ダンス」はまったくなかったのよ。
 この公演世界観には、「ダンス」という表現はないモノだと思って観ていた。
 会話と、ときどき忘れた頃に挿入される歌だけだと思ってた。

 せっかく歌って踊れることちゃん主演なのに、もったいない構成だなあ。テーマを表現するのに、せっかく「ミュージカル」で「タカラヅカ」という武器を持ちながら、うまく活かしてないなあ……と残念に思っていところへ。
 突然。

 そのダンス単体はいいんだけど……。ことちゃんはよく踊っているのだけど。

 なんでここでダンス??

 主人公の心情をダンスで表現するなら、それまでの場面でもやってろよ!

 ことちゃんが得意じゃないストプレですげーがんばって「芝居」してるのに、演技で表現しようとしているのに、クライマックス、さあこれから!! ……ってとこで、芝居ではなくダンス……。
 この肩すかし感ときたら……。

 や、ここで得意のダンスに逃げるなら、他のとこもダンスで表現してくれてよかったんですが。
 さんざん「得意分野を封じられて、地道にがんばる礼真琴」を見守ってきて、いちばんどかーんとくるところで、「地道やめました! 得意分野行きマース!」というのは、……びっくりした。
 地道に積み上げてきた積み木を、最後の一個を積まずにぶっ壊したよーな。

 なんかずるいなあ。
 積み木どっかん、なんて演出。そりゃ観客はびっくりするよー、いきなり別モノにされたらさー。
 そのいきなりどっかん、を「クライマックスです! 盛り上がりました!」と考えるのは、ずるされた気がする、小柳タンに。

 ミュージカル化せずに、ストプレでよかったんじゃないの?
 いやその、この作品をストプレで、だったらそもそもヅカで上演しなくていいと思うけどね。
 出演者はみんなうまくて、こんだけうまい人が演じていて、これだけテーマがボケるんだから、ヅカには向いてない作品なんだなあと。

 なんだろ、会話劇でも切り口を変えたらもっとヅカっぽく盛り上げられるのに?
 ことちゃんのお勉強のために、あえてヅカ的な面白さは排除しましたってか?

 なんかいろいろと残念な作品。


 ことちゃんはがんばってました。
 ……でもことちゃん自身、この作品を咀嚼しきれてない気がする。
 1本モノ新人公演のお楽しみのひとつは、2時間半の作品を90分強にどうまとめてくるか。
 特に『ベルばら』はいらないところ・壊れているところだらけなので、それらを削り落とした新公が「本公演もこの構成でやってくれ!」的な出来映えになっていることが多い。

 スズキケイはこの「短縮版」の作り方がうまくてねえ……演出家としての彼に夢を抱いていた時代もありました……遠い目。
 短縮新公をうまく作れても、作劇能力や構成力があるわけじゃない、というのを教えてくれたのもスズキケイでした……。

 ともあれ、うまく短縮した新公を見せてくれるとうれしい。さあ今回の『ベルばら』は、どんな再構成ぶりかしら。

 と、わくわくしていました。新人公演『ベルサイユのばら―オスカル編―』

 1幕のオスカル登場してから場面を、2幕にくっつけただけ。

 1幕は60分、しかしオスカルが登場するのは開始から20分経ってから。
 2幕は90分、だけどフィナーレ~パレードが30分近くある。
 単純計算で40分+60分……あら、そのまま新公可能だわ。

 ……ほんとに、ただそのまんまだった……がっくり。
 本編からして特出版と通常版とあってめちゃくちゃだった雪はともかく、月組のときは素晴らしい短縮振りだったのになあ。

 新公演出は、生田くん。


 この日わたし、本公演から観ていたので、『ベルばら』をまるまる2本ダブル観劇!って結果になり、かなり精神的に消耗しました(笑)。衛兵隊の家族とオスカルの家族大嫌い。彼らの場面があると「植爺大嫌いメーター」がマックスまで跳ね上がって、しばらくタカラヅカから離れたくなる(笑)。
 演じている人は関係ないですよ、念のため。悪いのは植爺です。


 今回の新公でのわたしのいちばんの収穫は、ベルナール@瑠風輝くん。
 るかぜひかる、と読むのか。98期、研3。

 すらりと長身で、明るいさわやかな光がある。
 素直な声で滑舌がよくて、歌ウマ。

 なんか、咲ちゃんを思い出した。
 ベルナールをやっている輝くんは、雪全ツの咲ちゃんベルナールっぽく見えた。あー、でも、咲ちゃんより細いかな……。(咲ちゃん……)

 が、顔をじーっと見てると、ヲヅキに似ている気がしてきた。
 若いヲヅキ……? あー、でも、ヲヅキより薄いかな……。(ヲヅキさんは若い頃からイロモノ風味強かったさ……)

 さわやかにうまかったので、要チェックです、期待です。


 ジャルジェ夫人@彩花まりちゃんが美しくてうまかった!
 きれーだわー、うまいわー、見ていて安心だわー。
 たしか歌もうまい子よね?
 このまま女役路線でいっちゃうのかなあ。マジにヒロイン系やってるとこ見てみたいな。

 ブイエ将軍@かける、マジうまい!
 最初誰がやってるのか知らなくて、帽子とヒゲで顔もわかんないし、でもうまいな誰よこれ、新公学年なのよね……? と思ったら、かけるくんでした。
 そっか、まだ新公学年だったんだね。
 今回ブイエ将軍まともな人だから、かけるくんの堅実な芝居でさらに太い楔が打ち込まれた感じ。

 ジャルジェ将軍@美月くんは、個人的には本役さんより好き(笑)。
 ジャルジェ将軍はおでぶな老人ではないの、すらりとした美中年なんだよー。汝鳥さんは大好きなおじさまだけど、剣術指南場面まであるジャルジェ将軍にはきつい……と、思っているもので。汝鳥さんに含みはない、すべて植爺が悪い。
 なんでもかんでも汝鳥さん頼みの植爺への疑問を、美月くんの「現役軍人」ぶりが跳ね返してくれた。
 汝鳥さんのイメージとはぜんぜん違う、若い役作り。貫禄出そうと年齢上げず、美月くんの守備範囲まんまでやった感じ?
 新公だから、それはそれでアリだと思う。周りがぴよぴよと若いから、美月くんの持ち味で大人に見える。

 ワーグナー@『翼ある人びと』以来、喋る春瀬くんに慣れた気がする。
 慣れた……というか、『翼ある人びと』でかなりびっくりしたので。
 春瀬くんというと美形の人、というだけの認識で、きれいだから目につく、……それ以外は特になにも、役付もよくなくて、うまいのかどうかすらよくわかんない……いや、うまくはないよなあ……でもきれいな子だよねー……というイメージをけっこう長く持って来たような。
 モブのきれいな子、あまり出番も台詞もないのがデフォルト、喋ると残念度が増す……というイメージから、『翼ある人びと』で「えっ、こんなに喋るんだ!!」とびっくりして。
 今回の画家役でもぺーらぺらとひとりでよく喋っていて、「おおっ、今回もまたよく喋る」と思い、思ったけれど別にびっくりしない……そうかあたし、慣れたんだ!
 えっと、春瀬くん、うまくなってるよね。ワーグナーは最初どうしようと思うくらいだったけど……うまくなってるー。
 きれいなので、どんどん喋って、どんどんうまくなってほしい。
 和希そらの、本気を見た。

 新人公演『ベルサイユのばら-オスカル編-』にて。

 そらくん、新公初主演おめでとー。

 いやあ、きれいに仕上げてました、そらくん。本気で、お化粧がんばってた。なんだよ、ここまできれいに化けられるんじゃん! 本気だな、キミ、本気なんだな! と、ツボに入った。その攻めの姿勢はイイ!
 実力派の彼に足りないモノはビジュアル(身長含む)、と思っていたゆえ、「オスカル? えええ? そんな柄違いの役で新公って……」と危惧していたんだが。
 すまして立っていれば、ちゃんときれいなオスカル様がいた。
 表情がつくとまた別っていうか、特に口元はいつものそらくんで、残念っちゃー残念……なんだが、そこはもう個性ってもんでしょう。なんかタータンに似てるなーって気がした。これであと、きれいにこだわった表情が出来るといいな。

 星組のことちゃん新公と同じく、開演アナウンスからウケた。なんてイイ声!!

 で、幕が上がるなり大階段にそらくんひとり。ライトを浴びて歌い出す……。

 最初の歌は思ったほどではなかったけれど、十分歌えている。いろんな条件下でこれだけ歌えるんだから、大したものだと。

 そらくんに関しては、ほんと「オスカル」というビジュアルに不安があっただけで、それ以外は安心していた。つか、期待していた。いいものを見せてもらえるだろうと。

 若くしゃきしゃきした、優等生なオスカルだった。
 大人ではまったくなく、少年のよう。正義感も空回りも幼さゆえ。本公演のモンチオスカルがそのまま大人と称して動き回ってるみたい。
 男役云々よりも、たしかに「女性が演じているオスカル/オスカルって女の子だよね」という気がした。わたしのオスカル像とはまったくチガウけれど、これはこれでアリだと思う。

 本役のテルカルが人類を超えた美スタイルの持ち主ゆえ、そのイメージを残したまま見ると、たしかに小柄さにびっくりする。
 てゆーか、問題は身長よりも頭身バランスか。六頭身に足りてない?……ってのは、男役には少々つらい。カツラのせいで今回は、頭身低く見えているのかも。

 そらくんが真ん中向きとはあまり思ってないんだが、それでもこうして彼が真ん中を経験してくれたのはうれしい。
 一観客として、実力のあるスターさんの存在はマジ助かるんだもの。声よし歌よし芝居よしのスーパー下級生。これからも若手を牽引して欲しい。

 最後の挨拶で、「自分の持ち味とはチガウ役に挑戦させていただいたこと」と言っているのを聞き、ああそうだよなあとうなずいた。
 本人も思ってたんだな、自分はオスカルキャラじゃないって。わたしのイメージでは、そらくんはジャルジェ将軍かブイエ将軍だった。……実力のある子にやらせる、大切な役。この舞台もだが、これからの組に必要な役者認識。
 そらくんオスカルがアリなら、いまっちにもオスカルやらせてほしかったよ……と、今さら言う(笑)。


 アンドレ役の実羚淳くんという子は、わたしはまったくもっての初認識。今までまったくノーマーク……なので研2くらいの大抜擢なのかと思った。
 背が高いので、新公メンバーではよく目立つ。てゆーか宙組ってのっぽさんのイメージ強かったけど、若い子たちはそれほど大きくないのね。

 誰かに似てる……と思い続け、途中で気づいた。英真なおきだ! エマさんの若い頃を存じ上げないのだけど、こんな感じだったのかなあと思いながら見てた。いやその、似ているのは顔だけで、芸風はまったくかすりもしてないと思うけど。
 そらくんが角度によってはタータンっぽく見えたので、タータンとじゅんこさんって、いつぞやの星組か??てな気分に(笑)。

 実羚くんには、終始首をかしげていた。というのも、とても不思議な声をしているからだ。
 彼の素の声はどんな感じなんだろう? 舞台でがんばって男役として発声しているから、あんな不思議な声になったんだろうか。

 下級生男役にありがちなオンナノコ声……女子校演劇部風の、「ふつーのオンナノコが男言葉を使っている」声じゃない。
 だけど、男役の声でもない。
 なんだろう、この二重線みたいな声は?
 変な表現ですまん。うまく表現出来ない。ふつーなら1本線で描くところの絵が、2本線になっている感じ。なんで2本線? 1本でいいのに。何故こんなぼわんぼわんとした声?

 苦手な音色だったので、彼の芝居の善し悪しはよくわかんない。まず音の段階で降参しちゃった。

 若いならまだ発展途上だろうし、これから声も変わるだろう。今判断するより、今後の彼に期待しよう。……わたしが苦手なだけで、一般的に魅力的な声なのかもしれないし。今まで聞いたことがないタイプの声ってことは、かえって武器なのかもしれないし。
 歌はふつーに歌えてたよね? びっくりしたのは声だけで、歌はなにも思わなかったから。
 初抜擢の緊張の中でそれなりに歌えるってことは、歌ウマさんなのかも?

 今、彼の学年を調べてびっくりしたっす……。研6だったのか……。
 てゆーか、みなとくんと同期なら、何故みなとくんより役付上になったんだろう……。


 で、ジェローデル@みなとくんは、堂々たるもんですな。新公で主要役やるの慣れてます的な。
 順当に彼がオスカルやるのかと思ってた。

 きれいだし安定しているし、かちっといい仕事してました。
 新公学年でこういう仕事をする人って、このまま脇固め要因にされちゃうのかしら。
 アゴ以外はタカラヅカ的にきれいな子だと思うんだけどなあ。主演回ってこないのかなー。


 アラン@パッションくんは、とってもパッションでした。
 てゆーか、出てきた瞬間からアゴ割ってきた!!と、ウケました。
 タカラヅカでお尻アゴ作る人ってめずらしいよね?
 そーゆーことをやっちゃうところがパッションくん(笑)。
 芝居も歌もまかせろ!! 特に歌は新公随一のうまさだよね。
 あとはほんと、ビジュアルのみ。実年齢も若いし、顔も変わっていくだろう。いい男に育ちますように。


 ヒロインのロザリー@うららちゃんは……。

 『翼ある人びと』は、ほんと素敵だった。歌以外完璧だった、見たいモノを見せてくれた。

 でも……。

 なんつーか、困るなあ……。
 見ていて困るというか、途方に暮れる。

 わかりやすいところでいうと、歌。
 ここまで歌えない人ってのは、なかなかめずらしい。音を外す以前に、声が「ない」。歌の途中で声がなくなるんだもん。びっくりした。『殉情』のれーれを思い出した……。

 そして、「ロザリー」じゃなかった。
 きれいなんだけど、「春風」じゃない。
 おとなびた、陰のある、寂しい美女だった。
 『翼ある人びと』のクララまんま。
 クララは素晴らしかったけど、出来る役がクララ限定というのは……。

 ここまで出来る役と出せる音域が限られている美貌の娘役、もう研6、つーのは、なんつーか、途方に暮れる……。
 ハマったときがあんなに素敵だとわかっているだけに。
 これからうららちゃんはどこへ進むんだろう。
 『太陽王~ル・ロワ・ソレイユ~』感想あれこれ。

 マカゼとまさこ様がカッコよかった。

 ほんとにこのふたりのビジュアルは最高だわ。好みど真ん中だわ。
 だからこそ。

 歌が、つらかった。


 この作品で、最初に「歌」で勝負するのって、よりによってボーフォール公@マカゼなのね。

 何故、よりによって……!!

 全体的にマカゼ氏は、歌唱力が向上していたと思う。思っていたより、歌えてた。
 しかし。
 最初の一発目の歌が、……大変。

 大作ミュージカルの、最初のソロってさあ、「空間掌握」しなきゃ、いけないよねえ?
 がつーんと歌の力、音楽の力を見せつけて、観客を一気に作品世界へ引きずり込む。
 楽曲自体はそのつもりで作られたものらしい。パンチの効いた、カッコイイ曲。
 しかし……。
 歌っている人が……。

 聴きながら、とほほな気持ちになった。
 これって、歌唱力でがつーんといくはず、だよねえ? 歌詞もメロディも演出も、そのつもりだよねえ?
 頭で理解しているものと、実際に耳にするものが違い過ぎて……途方に暮れる。
 いっそマカゼは黙ってパフォーマンスするだけで、あんるに歌わせた方が良かったんじゃ……?

 作品冒頭から、かなりテンション落ちました。
 ふつーのヅカ公演ならそうでもないんだけど。「鳴り物入り海外ミュージカル日本初演」だと身がまえていた分、肩すかし感というか、がっかり感パネエっす。

 だがしかしっ。

 ボーフォール@マカゼは、かっこよかった。
 くそー。マジかっけー。

 特に後半、白髪まじりが、好み過ぎる!!

 それと、歌はダメダメだけど、マカゼ氏の声はいいと思うの。
 学年が上がるにつれて、どんどんイイ声になってきてるなあと。


 マザラン@まさこは、とにかくかっけー。
 ふつーに政治家の顔してるところもだけど、いちばん胸キュンしたのは、コミカルにしれっと踊る姿!!

 どこの場面だっけ? ベニーさんセンターだった? 真ん中の記憶がないんだけど、上手端でアンヌ@柚長と並んで踊ってるとこ。
 他の人たちはわかりやすくコミカルに、でもアンヌとマザランは立場上、キャラの性格上、コミカルに踊ってはならない。
 そのぎりぎりのところで、しれ~~っと踊っている姿が、好み過ぎて!!
 やだもー、好き! 大好き!
 両手でぽかぽかしたいくらい、萌えた(笑)。

 しかし。
 マリー@愛里ちゃんを説得する場面の歌が……うわー……。

 ミュージカルなんだけど、あんまし歌でがつんと物語を進めることがない作品なのね。
 だから、作中でかなりめずらしい、「説得」を歌で表現している大切な場面。1幕のクライマックス。

 まさこ様の歌唱力のなさっつーか、歌の不自由さに、遠い目になった……。

 ここって、歌ウマさんがやってたら、すげーいい場面なんだろうなあ。
 その迫力に飲まれ、息をするのも忘れて見入る、そんな場面なんだろうなあ。

 演出からそう想像するのみ。
 だって、実際に耳にするものは……。

 ビジュアルと歌唱力って、比例しないモノなのかしら。
 ミュージカルでここまで歌えない人が、メインにいるっつーのは、なかなかどうして、キツイなあ……。


 だがしかしっ。

 マザラン@まさこは、カッコよかった。
 歌さえ終われば、がっかり感を忘れさせるくらい、やっぱり格好いいんだ。
 くそー。

 なんで神は、二物を与えないんだろう。
 マカゼとまさこ様に、歌唱力を与えないんだろう。神様のバカ。


 ムッシュー@ベニーは、いい仕事をしていた。

 要求される役割を、きちんと果たしている。
 ピエロみたいな不細工に見えるメイクに、派手派手衣装、大げさで滑稽な仕草。
 場の空気をぶち壊す勢いで登場して、空気を混ぜっ返す。

 ベニーのためにあるような役だ。

 いつものベニー。期待されるだけのベニー。

 危惧したのは、初日でコレだと、今後「いつものベニー」でしかなくなってしまうのではないか、ということ。
 というのもだ、一部の人たちが、ベニーが登場するだけで、笑うからだ。
 ベニーがなにかしたから笑うんじゃない。「紅子キターーッ!」って、ただそれだけで笑うの。待ち構えて、笑うの。

 なんの芝居もしていないのに、素の役者のキャラだけを求め、それしか見ないで、笑う。
 一般的にそれはいいことなのかな?
 わたしは、好きじゃない。
 ムッシューという役で笑いを取るのはいいけど、「ベニーだ」というだけで笑うのは、役者に失礼だと思うし、真剣に作品を観ている一観客として不快だ。

 これから先、ベニーは登場するだけで「常連客」から笑われるのかなあ。
 ベニーってそういう位置づけで、そしてこれからもずっとそういう位置づけで、いいの?

 ムッシューはおいしい役なのかな? ベニーの明るさで救われてはいるけれど、期待したほどおいしい役に、わたしには見えなかった。
 もっと物語に絡んでくれなきゃ、ただ浮いているだけで終わっちゃうわ。

 あとお化粧、あれで正しいのかなあ。道化を意識してもいいけど、タカラヅカなんだから、最低限美形にしてくれた方が、わたしはうれしい。

 きちんと仕事をしているだけに、気になった。

 ベニーとマカゼ、逆の役でもよかったかも……。
 ベニーに必要なのは素のバラドルキャラでやっちゃえる役じゃなく、骨太の大人の男の役じゃないかな?
 そしてマカゼはとことん道化に徹し、空気を変える役じゃないかな?
 キムシンってアテ書き(ぴったり配役)する人、それゆえに、今回は裏目に出たよーな気もする……。


 まあともかく、みなさん見目麗しくて、大変眼福でした。ラ・ヴォワザン@夏樹くんの美貌と迫力、コルベール@ポコちゃんの美貌と官僚っぽさ。

 そーいやシュウシオツキ氏が魔女っこみたいなヘアスタイルでしたな。や、みんな髪型愉快なんだけど、男たちの方がえーらいこっちゃな髪型(笑)。同じくらい盛っていても、「男」ってだけですげー!になる。
 そしてシュウシオツキ氏が、素敵にホモの三角関係やってましたな。女同士でも絡みがあったし……素敵なフランス宮廷。
 や、センターではれおんくんとベニーとしーらんがなんか歌ってやりとりしてたと思うんですが、歌詞がぜんぜん聞き取れないので、早々に放棄して、周囲見てました(笑)。


 にしても、いろんな記憶が甦る時代設定ですなあ。

 ボーフォール公といえばヒゲのダンディで、ホモ。最後はルイ14世を指さしして「あなたは人殺しだ」と罵るのよねー。フィリップのことを心から愛していたから。
 とか。
 マザランといえば、しいちゃん。赤い法衣姿がめちゃくちゃ美しかったなああ。
 とか。
 コルベールといえば、トド。なんかすげーやる気なさそうにやってたなあ……でも、美しかった。
 とか。
 フィリップといえば、ゆーひくん。銀橋を渡る姿に驚いたっけ。
 とか。
 ルイ14世といえば、キムくんだし。
 アンヌといえば、ぐんちゃんだし。

 いろんなモノが混ざるわー(笑)。
 どの役がどの作品か、全部わかる人いる? あ、マンガも混ざってる(ヅカで舞台化もされたけど)。

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