ちぎくん、みゆちゃん、トップ決定おめでとー。
2014/03/04

雪組 次期トップスター、トップ娘役について


この度、次期雪組トップスターに雪組の早霧せいな、次期トップ娘役に雪組の咲妃みゆが決定しましたのでお知らせいたします。

なお、新トップコンビとしてのお披露目公演は、2014年10月11日に初日を迎える雪組日生劇場公演『伯爵令嬢』となります。
 午後4時ジャスト、まっつの歌声が流れ(ヅカ関係の着うた・笑)、なにごと?!と携帯を開いてみると、「次期雪組トップスターについて」でした。

 ちぎみゆの名前よりなにより、『伯爵令嬢』の文字が目に飛び込んできて、吹き出した。

 『伯爵令嬢』て!! 細川知栄子かよ!!

 え、ナニ、小柳タンがド少女マンガを舞台化するの? と思ったら、間髪入れずやってきた「公演ラインアップ」メールで、演出が生田先生だと知る。

 ちょ……っ、いっくんで細川知栄子!!
 なにゆえに?
 てゆーか、『伯爵令嬢』連載当時、いっくん、生まれてた??(笑)

 わたしも、リアルタイムでは知りません。
 学生時代、友人に借りて一気読みしたなー。授業中も無関係な読書をやたらしていたあの頃……講義なくても学校に入り浸ってた、部室が第2のマイルームだったあの頃……マンガも小説もアホほど読んだ、活字中毒時代。
 『王家の紋章』も当時出ていた巻まで一気読みしたわー。友人に細川知栄子ファンがいて、どんだけ話がループしていても休載に次ぐ休載でわけわかんなくなっていても、コミックスが出たら買い続ける!という子がいてくれたおかげで読めたんだよな。

 その当時ですら「古っ」と思える、「時代だなー」と思える、荒唐無稽な少女マンガ。キャラクタのステレオタイプぶりとか、時代をまんま反映していた思う。

 いろんな意味で古い作品だけど、タカラヅカとの相性はいいかも。

 問題は、どうやって、男主人公ものにするか、ってことだな。

 昔の少女マンガって、マジで女の子主人公なんだよー。ヒロインあっての物語、男キャラはその相手役でしかない。

 タカラヅカは少女マンガの世界を舞台化したよーなモノだと思われているし、実際そうなんだけど、実は少女マンガ原作は難しいんだよね。
 少女マンガの主人公は、女の子だから。
 主人公を主人公とせずに舞台化すると、作品が壊れる。原作の面白さがなくなる。主軸が変わるわけだから、当たり前。
 だからほんとのとこ、少年マンガの方が舞台化しやすいんだよな。物語の骨組みをいじらず、素直にスライドできるから。

 いっくん、頼みますよ。
 今やってる『ラスト・タイクーン』(原作未完)はぐたぐただけど、『伯爵令嬢』は完結してるし!!

 細川知栄子ファンの友人は、『王家の紋章』よりも『伯爵令嬢』の方が好きだと言っていた。すげー情熱で「『伯爵令嬢』読んで! 面白いから!」と言っていた。
 そのときのセールストークが忘れられない。
「だって、なんといっても、『伯爵令嬢』は、完結してるんだから!!」
 無限ループに陥ってどーしよーもなくなっている『王家…』と違って、「完結している」。……「完結している」ことがいちばんのウリって!と大ウケしたんだ。

 うん、大団円で終わってたよね、確か。

 原作がちゃんと完結していて、半分の人数で、一本モノの尺を取れる公演なんだから、きっときっと、楽しい公演になるはず。


 日生公演、か。
 時は確実に進んでいくのだな。

 ちぎくんはトップになるのが相応しい、雪の大事なスーパーヒーロー。
 ダルタニアンの銀橋ソロで、感心したっけか。「トップになる人はこうもかっこいいのか」と。
 歌はアレだし作品もキャラクタもアレ過ぎる……そんな公演だったけれど、いや、むしろ作品がひどすぎる分、ジェンヌ個人の力がよく見えた。
 ちぎくんは、この大劇場の真ん中に立つ。そういう人だって。

 や、宙組でチギーチュやってた頃は、そうは思ってなかったの。劇団推しだとわかりすぎるスターさんだから、いずれトップになるんだろうけど、劇団の予定と、わたしの認識は別の話。
 いつの間にか雪組にやって来て(東宝から組替えだったため、ムラ民のわたしはちぎくん雪組デビューを観ていない)、雪の御曹司だったコマつんを追い抜いて、かなめくんの代わりに4番手になっていた。
 いつの間にかそこにいて、そして、とっても雪組に馴染んでた(笑)。ちぎくんには、雪の遺伝子を感じる。

 次代の雪組トップが、ちぎくんで良かった。
 順当がいちばんだよ、引き継ぎが美しいよ。
 次の公演では、えりたんからちぎくんへ、引き継ぎ演出を見せて泣かせてよ。
 この組がどこへ行くのか、ちゃんとわかると、観ている側も足元が定まるから。

 そして、トップ娘役が、みゆちゃん。
 芝居巧者の娘役さんが、繊細な芝居を信条とするちぎくんの相手役になる。しかも、歌える。
 なんつーうれしい組合わせ。
 みゆちゃんが雪組に組替えと発表になったとき、他組ファンの友人たちからうらやましがられたなー(笑)。「うちに欲しかった」って。ふふふ、どんな芝居を見せてくれるのか、楽しみだー。

 日生公演は、運動会のあと。
 雪組を背負って運動会に出るのは、ちぎみゆなんだね。

 ……えりちぎまつの123ゲームが観たかった。ほんとに、心から、観たかった。
 だけど時は進んでいく。
 よろこびだけでなく、切なさも含んで。


 『伯爵令嬢』舞台化、にはウケたけどさ。

 まっつ、役ないよね……?

 それには、とても肩を落としている。


 そして、もひとつ発見。つか、おどろき。
 細川知栄子、ペンネーム変わってたんだ?! わたしが持ってる『王家の紋章』1巻~5巻は「細川知栄子」だぞ??(5巻までしか持ってない。5巻までで、十分だと思っている・笑)
 花組新人公演『ラスト・タイクーン』観劇。

 キキくんかっこよかった~~!!

 わたし的に、まずコレです、はい(笑)。
 いやあ、はじめてキキくんを「かっこいい」と思った。つか、ときめいた。

 彼がまぎれもなく「スター」であることはわかっているけれど、それは一般的な事実羅列でわかっていることで、「わたし」が彼にときめくかどうかは別。
 たんに好みの問題です、はい。わたしはオサ様水くん系の顔が好みの人ですから。
 好みの人ばっかにセンサーが働き、そうでない人はそもそも視界に入らないので、キキくんのことは通常あまり見ていなくて、ショーとかで「変な動きをしている人がいる」と思って顔を確かめるとキキくんだった、てなことがある、程度かな。
 それでも「スター」なのでそれなりに見てきたはずなんだが、今回はじめて「きゃ~~っっ♪」なキモチになった。

 キキくんが演じているのは、ブロンソン。
 ヒロイン・キャサリン@りりかの内縁の夫。DV男。

 これがもお、さいこーに素敵でした!!
 銀橋ソロとか好み過ぎてもお!

 とっちらかった大変な作品『ラスト・タイクーン』にて、いちばん「オイシイ」役は、実はブロンソンかなと思っている。
 観客の記憶に残る、という点で。

 しかし本公演では、「いい意味で記憶に残る」かどうか、ちょっと疑問だった。
 そもそもDV男なんてろくな役じゃない、現実で考えたら絶対NOだ、ありえねえ!! ……だけどここは現実ではなく、タカラヅカ。不倫も殺人もフィクションなんだからアリ。聖人君子を見たくてチケットを買っているわけじゃない。要は魅力的でさえあればいい。
 ので、DV男もアリだとは思う……けど、本役さんのアレは、どうなの? たしかに目立つし、記憶に残る。しかし、アレはいいの?
 いやそのぶっちゃけ、キモチ悪いんですが。
 わたしだけですか? やり過ぎてると思うんですが。
 わたしはそのDV男の病みっぷり・やり過ぎっぷりがツボで、「だいもんのDV男ガン見しに、今すぐ劇場行きたい!」と思ってるクチですが、世間様的にはどうなんですか?
 わたしはツボだし大好物だけど、なんかチガウ気がする……。

 そう思っていたところへ。

 正統派スターのブロンソン、キターーッ!

 キキくんのブロンソンは「病んだ男」ではなく、「タカラヅカの悪役」でした。
 もちろん根性ひねくれた下劣な男なんですが、あくまでも「タカラヅカ」によくある「悪い男」なの。

 キャッホウ!! コレですよ、コレ。
 主人公とヒロインを取り合うのは、マジに病んだ男ではなく、性格の問題あたりで留めておいてくんないと。
 三角関係上等!のタカラヅカでは、恋敵は花形ですよ。二枚目が演じてナンボですよ。二枚目に演じてナンボですよ。

 キキくんのことは「真ん中向き」「トップスター向き」だと思う。ナニが出来るわけじゃないし、つか、正直どれもあまりうまくないんだが、それでも彼が「スター」だということはわかる。ヅカの「トップの資質」ってのは、そういうもんなんだと思う。
 彼の持つやわらかな光と、おおらかさを、魅力だと思っている。
 ……だから常のわたしは、あまり彼に興味がわかないのだと思う。
 わたしは光より影が好きだったりするので。

 そして、その光を持った人が「影」を演じると、わたしの琴線に触れる。
 キキくんをいいと思ったのって、前回いつだっけと思い返し、モルドレッド@『ランスロット』だったと思い至る。

 悪役のキキくんが好きなのか!

 キキくんの甘い風貌とまっすぐな持ち味ゆえ、「いい人」を演じられると視界に入らなくなっちゃうんだわ。ダンスがアレな人なので、ショーで魅せるのは別の意味で難易度高いし。

 新公でもバウでも主演ばっか、つまり白い役ばっかだから、わたしの好みセンサーが働かなかったんだわ。
 悪役やったらこんなに好みなのに。

 光と歪みの具合が、ツボなの。
 キモイ、と引くのではなく、きゅんと切なくなるの。憎みきれないの。
 ……DV男なんていう、リアルに女性に嫌われる設定(たとえば殺し屋、とかはリアルに考えることがない、フィクションならでは設定)の場合、これくらい甘く光を持って演じる必要があるんだわ。


 新公はパワーバランスが正しくて、主人公のモンロー@れいくんは夢に一途な青年で、彼に立ちはだかるブレーディ@マイティは大人の男で、恋敵ブロンソン@キキはモンローと同年代だった。
 役者が役の年齢相当に見える、って、いいなあ(笑)。
 素直に、ヒロインをめぐって、モンローVSブロンソンだと思えた。
 本公演がとっちらかってるのって、脚本のせいもあるけど、役者の問題もあると、改めて思った。
 新公はもちろん技術的に劣るんだけど、キャラクタの収まり具合と芝居の方向性は、一定していたと思うんだ。

 本公演はなあ、円熟味抜群で男役芸をこれでもかと披露しているトップスターと、中年に見えないけど中年役の2番手と、やり過ぎちゃって帰ってこない3番手が、それぞれの方向でがんばってるからなあ。そりゃとっちらかるわ……収拾つかないわ……。(でも好き・笑)
 宝塚音楽学校第100期生文化祭のプログラムは、生徒たち自身の手で書かれた「好きな言葉」が載っている。

 その昔、パッションくん@留依蒔世に心躍らせたように、この「好きな言葉」ってがなかなか興味深い。
 *注 「好きな言葉」が掲載されたのは97期から。そのいちばん最初の1回目に、「PASSION」とだけ書いた男の子がいた。しかも、彼の舞台姿はうるさいくらいに高温だった(笑)。この芸風で「好きな言葉」がPASSIONか!!と、大ウケした。

 さて、100期生たちの「好きな言葉」で気になるモノはあるかしら、と眺めてみる。

 パッションくんみたいに舞台上から「あの子の『好きな言葉』はナニかしら」とページを繰りたくなるような強烈なものはなかったので、休憩時間になんとなく眺めただけ。
 おかげで、「好きな言葉」で興味を持った子も、舞台ではまーったく見分けが付かなかった。

 「勇猛果敢」の彼は、名前と顔とその言葉とで、ちょっと興味持ったんだけど、お約束ですねえ、わたしの観た方の芝居には出てなかったし。
 個人的に好きだなと思うのは、「明日は晴れる」かなー。

 「好きな言葉」という名称だけど、本当に「好きな言葉」という意味で書いている子と、「座右の銘」として書いている子とで、差異があるんだろうなと。
 もちろん、両者がイコールの場合だってあるだろうけど。

 目を引いたのは、「ご縁」のひとこと。
 これは「座右の銘」ではないよねー。「好きな言葉」だよねー(笑)。
 「座右の銘」的な言葉が並んでいる中、「ご縁」は目立つわー。

 15歳のときのわたしの「好きな言葉」が、「寄り道なら大好きよ」だったことを思えば、音校生たちの「好きな言葉」はとってもまともで「清く正しく美しい」です(笑)。
 いやその、言い訳すると、「寄り道」ってのは学校帰りの寄り道ではなく、人生の寄り道、最短コースを急ぐのではなく、いろんなことに興味を持って余裕ある生き方をしたい、他人から助けを請われたときなどにいつでも立ち止まれる心の広さを持ちたい、「手間を掛けてごめん」と言う友だちに「いいのよ、寄り道大好きだから!」とさらりと言えるような人になりたいという意味で言っていたんだけど、「意味を説明するのはかっこ悪い! この言い方で真意を感じ取ってくれる人しか認めない!!」みたいな中二病ずっぽりなガキだったのでいやそのあの。……公の場でも堂々とそう書いてたので、きっと良識ある人々に眉をひそめられていただろうなとか。うおー、なんて香ばしい(笑)。

 文化祭プログラムをめくりながら、この「好きな言葉」ひとつにしても、若者たちがいろいろ考えて書いたんだろうなと思うと、微笑ましいっす。
 好きな言葉にしろ座右の銘にしろ、ふだん生きてる分には意識することないものね。
 こういう場だからこそ、己と向き合うことになる。
 わたしの「好きな言葉」はなんだろう? って。
 好き……「わたし」を構成する根幹にあるモノ。

 たくさんある「美しい言葉」の中から、これらの言葉を選んだ彼女たちの人生に、幸あれと願う。
 そこにネガティヴなものはまったくない。みんな、前を向いて「清く正しく美しい」言葉を選んでいる。
 いつか大人になって、10代の頃のこの「言葉」を振り返るんだろう。

 15の頃が「寄り道なら大好きよ」で、その後20歳過ぎまでが「五里霧中」だったわたしが、今いい年になってアタマを抱えている……「五里霧中」と書いて「わかんない」と読むんだこれが、わざわざふりがな振ってるんだ……いたたた、そんなこんなすら、愛しく思えるときが来る、のだから。

 真っ正面から「好きな言葉」を書いている若者たちが、まぶしい。
 「諦めない」「挑む」「正々堂々」「感謝」「思いやり」……ちくしょー、おばちゃん、じんときちゃうよ、年だからさー、一生懸命な若者たちには弱いのよ。それだけで目頭が熱くなるのよ。

 今はまだ、ほとんど区別もつかない「100期生」というくくりだけど、何年かあと、彼女たちが「芸名」と確かな「個性」を持ってわたしを振り向かせたとき、またこのプログラムを開きたいと思う。
 そして、「**ちゃんってば、こんなこと書いてる(笑)」とか、わくわく振り返るんだわ。
 楽しみだ。
 あちこち演出家のアレさにウケまくったけれど、宝塚音楽学校第100期生文化祭それ以外の覚え書き。

 プログラムが安くなっていておどろいた。文化祭プログラム=千円、という思いこみゆえ、お釣りを渡され、びびった(笑)。
 劇団のやることは値上げだけで、値下げなんか絶対しないと思ってたよ~~。広告ページが増えたから、定価を安くできたのかな?
 価格変更は去年からかもしれない。でも去年は観劇できず、あとからプログラムだけキャトルで購入したため、値段が変わっていても印象が薄い。……ので、おぼえてないや。
 文化祭プログラムは、バウホール前で予科生が手ずから販売してるのなー。だからキャトルで他のグッズと一緒に買うのとは、印象がぜんぜん違う。


 で、キャストについては。

 構成が日舞→歌→芝居→ダンスなので、個別認識のチャンスは歌と芝居のみ。日舞は「全員勝負!」なので、人数多すぎて、しかもずっと動いてるからわたしの海馬では無理(笑)。
 歌と芝居で覚えられた子は、ダンスでも見分けられる場合が多い。反対に、芝居までで区別がつかなかったとき、ダンスだけで個別認識することは、わたしには難しい。日舞のように「全員勢揃い」でないにしろ、踊ってたら顔なんかわかんないもん。

 もともとわたしの興味が「芝居>歌>ダンス」なので、芝居ができるor壊滅的ではないってのが重要。日舞やダンスはよくわかんない。
 タカラヅカの公演では「ショーがなくちゃ!」と思っているけど、「ショーで魅力的」であることと、「日舞・ダンスの技術が優れてる」はイコールじゃない。音校のダンスは「ダンス発表会」であり、「ショー」じゃない。
 文化祭でもっとも「タカラヅカ的」なのは、歌(ポピュラー)と芝居だ。

 てことで、歌のときに気になった子がふたり。
 「夢の果てに」をトリオで歌っていた男の子のうち、歌う順番が最初と2番目の子。
 ポイントは歌唱力よりも、芝居っ気というか、「歌う」ということで「この子の芝居を観てみたいな」と思えるかどうか。
 歌がヘタというか、壊滅的な人は、大抵芝居も苦しい場合が多い。たぶん、「声」のコントロールがヘタだと、芝居もうまくできないせいだろう。一概には言えないし、例外ももちろんたくさんあるとわかっているけれど、最初のとっかかりとして、そこに注目。
 「歌う」ことでなにかアピールできる子は、芝居にも興味がもてる。

 「夢の果てに」のトリオは破綻なく歌っていて、最後のひとりが悪いとか劣っているというわけじゃない。
 最初の子に「おおっ、この子いいかも」と思って次の子も「この子もなんかおもしろい」と思って、なにこれこのトリオみんなこうなの? てゆーか、この歌が入り込んで歌う系だからこんなことになってんの?! と内心ウケまくってたら、3人目はそうでもなかった。
 むしろ3人目の彼がふつーだったために、ふたりが「どうやら、好みらしい」とわかった。
 あくまでも、わたしの好みの問題だろう。
 楽しそうに「客席へ向けて」歌う姿に、なんか響くものがあったらしい。

 最近のプログラム表記は「歌う順」に名前が載っているから、「夢の果てに」の最初と2番目はこの子とこの子ね、と名前をチェック。
 で、歌と芝居の間の短い休憩時間に、ふたりの男の子が次の芝居に出ていないことを知り、肩を落とした。芝居は2組に分かれて上演、どちらか一方しか出演しないんだ。
 いつもこうさ……。
 歌で気になる子がいても、大抵芝居には出てないのさ……。バターを塗った食パンが、バター面を下にして落ちるくらい、当たり前のことなのさ……。

 ただ、芝居は2組とも同じモノをやる。
 だから、わたしが観たA組の芝居の役名をチェックして、歌のふたりがB組でやる役を判別し、彼らがどうやら「芝居が出来る」認定の子たちだと知る。
 ひとりはたぶん、芝居の主役。もうひとりは2番手っぽい役。文化祭の正塚芝居は主役以外、番手はほとんどないけど、役割的に。
 そんな役が付いている子たちだから、きっと芝居もできるんだろう。
 ゆえに、歌う姿も面白かった、と。
 くそー、観たかったなー、芝居。

 で、歌+芝居で段階を踏まないと、わたしの少ないのーみそでは、ダンスのころには顔を忘れてしまっていて、見分けが付かない、と(笑)。

 今年の正塚芝居は主人公の比重がやたら高くて、えんえんえんえん主人公の出番を観ていたよーな気がする。
 おかげで、A組で主演していた彼のことは、ダンスでもわかるようになった。
 つか彼、歌でもソロばっか歌っていたので、区別しやすかった。
 芝居は健闘していたけれど、なにしろ正塚芝居……しかも、プロの劇団員(タカラジェンヌ)が実際に演じた作品をそのまんまやらされたりしていたから、足りなさが目立って……手に汗握った。
 谷先生の大仰な紙芝居コスチューム物とかだったら、もっと様になったかもしんない。台詞回しもだし、現代の若者衣装がまた、まるぷくした子どもたちが着るとお尻や太股が大変なことに。
 マサツカはなー、新人には鬼門だよなー。
 作品が悪いだけで、主役くんはよくやっていたと思う。

 ヒロインはうまいし、ふつうにかわいいんだろうけど、最初から最後まで、顔がおぼえられなかった。登場するたび、台詞や衣装で「ああ、ヒロインか」と判別していたような。
 プログラムの写真を見たら、ほんとに幼い感じにかわいい子だった(笑)。かわいいゆえに、記憶に残りにくかったのかも。

 劇団員役、という十把一絡げのなか、立場のチガウ大人役をやったふたりは、きっとうまい人たちなんだと思う。
 男役は特に難しい、「大人の(なさけなさのある)男」の役で、出来ていたかはともかく、よく演じていたなと。たぶん、いろいろとわたし好みの要素を持った子だわー。顔が特徴的なので、彼はダンスでもよくわかった。
 娘役さんは、たぶんわたしが期待しすぎていたのだと思う。うまいけれど、ちょっと違った。なにが、って、ほんとにただ、わたしの好みと。正塚芝居でこの位置の女キャラというと、こうだよな、という思い込みがわたしにあって、それゆえに違和感があったという、「ソレ、役者にはなんの関係もないやん!」なことなので、すまんなあ。

 あと、劇団員のひとり、わりと台詞も多いひょろっと背の高い男の子はなんか気になった。なにしろ正塚芝居なので、役名はあってもナイのと同じ、出番や台詞が多くても配役表と照らし合わせることができない。
 それと、みりおくんの役(『BourbonStreet Blues』の・笑)をやった子は、かわいかったなー。空気読めない子設定なのね。

 女の子は今回、記憶に残る子が少なかった。
 歌で大活躍していた娘さんはわかったけれど、なにしろ芝居に出てないしな(笑)。
 ダンスでは前述の通り、わたしの海馬では追い切れぬ。
 ……仙名さんみたいにがつんとわたしののーみそとハートに響く娘さんはめずらしいんだよなあ、と数年前の文化祭を思い出す。娘役さんはみんな引っ詰めデコ全開ヘアだから、前髪のある男役以上に見分けにくいのだわ……。
 トップ娘役の任期について、考える。

 あゆっちがえりたんと同時退団だと思い込んでいた原因に、わたしの「娘役の任期は短い」という先入観があるためだと、気がついた。

 わたしは、勝手に思い込んでいた。「トップ娘役は、トップスターより先に辞める」と。

 男役と比べ、娘役の寿命は短い。
 男役が入団から10年以上かけて一人前になるのに比べ、娘役の旬は新公学年内である場合が多い。

 トップスターは研12~14前後で就任するのが平均であるのに対し、トップ娘役は研5前後。
 ふつーに考えても、男役ひとりが育つ間に、娘役が数人育って卒業するサイクルだ。
 短期間で育つ娘役が、男役と同じ任期を務めたら、循環しなくなる。

 従って、トップスターひとりに対し、相手役のトップ娘役は数人まで可。

 これは男尊女卑とか娘役軽視とかじゃない。男役と娘役は育成期間にも旬にも差がある、それゆえの「区別」だ。「違う」ことと「優劣」は関係ない。
 娘役の旬が下級生時代、すなわち「若さ」のみにあるのはおかしい、大人の娘役だっていていいじゃないか、というのはまた別の話だ。

 理屈はともかく、わたしの場合は「刷り込み」があるのだと思う。
 わたしがヅカにはまった頃、はじめて「トップ」という肩書きのある人が退団発表した。
 雪組トップ娘役、鮎ゆうき。
 カリンチョさんが、「嫁を嫁に出すなんて……」と泣き笑いのように挨拶をしていたのをおぼえている。
 カリさんと鮎ちゃんは、同時就任。だけど鮎ちゃんは先に卒業し、とんちゃんが組替えしてきて、トップ娘役になった。
 カリさんが卒業したあととんちゃんは次の雪組トップいっちゃんの相手役になった。いっちゃんのトップお披露目公演を支え、次の公演で卒業。
 この、「ヅカにはまった当初の出来事」が「タカラヅカってこういうもん」という刷り込みになっているんだと思う。
 短期で卒業するトップさんは仕方ないけど、4年とかまとまった任期を務めるトップさんの相手役は、途中で変わる。そう、思い込んでいた。

 まあ、いっちゃんのふたりめの相手役はあのお花様で、わたしの刷り込みを覆す方なわけだが、あそこまでいくと「例外」としか思えず(笑)、刷り込みは刷り込みのまま残った模様。

 最初に観た・体験したことが、大きく影響するのはどこも同じ。
 わたしは漠然と「トップ娘役の任期はトップスターよりも短い」と思い込んでいた。
 だからこそ、トップコンビが同時に退団することも、美しいと思う。
 寿命も旬も違う、任期も違うふたりが、共に卒業するのは縁や意志あってのことだと思うから。

 わたしがトップ娘役の任期を「長いな」と思う場合は、この刷り込みと比較して、だなー。
 トップスターが7作位で循環するなら、娘役は4~5くらいで循環するイメージ。循環サイクルが違うから、単独退団も同時退団も生まれる。
 トップ娘役が5作を超えるとか、トップスターより長く君臨する、というのは「長い」と思う。

 長いと思う、だけであって、それがいい悪いということじゃない。相手役との兼ね合いもあるし、組事情もある。一概にどうこうじゃない。
 好きなスターさんは長くてもうれしいし、もっと観たいと思う。
 ので、そのスターさんをどう思っているかと、任期を「長い・短い」と感じるのは別チャンネルだ。
 くだんのお花様を「長い」ともちろん思っていたけれど、大好きだったので彼女のヒロイン公演を観られることがうれしかったもの。

 ただ、わたしの刷り込み、思いこみとして、「トップ娘役の任期はトップスターよりも短い」「トップ娘役は、トップスターより先に辞める」というものがあり、それに従ってトップコンビの去就を見ている、ということだな。

 あすかちゃん単体で大好きだったけれど、トウコと同時就任だったから、同時退団だろうなと思った。
 ののすみも同じ、彼女の芝居をもっと見たかったけれど、ゆーひくんと同時就任だから、きっと同時退団だろうと思った。
 みみちゃんはキムと同時就任ではなかったから、同時退団ではなく残って欲しいと切望した。

 その思いこみゆえに、今回も同じように思っていたわけだ。
 あゆっちは、えりたんと一緒に卒業する。
 「トップ娘役の任期はトップスターよりも短い」のがふつうだから、同時就任の場合は、娘役も一緒に退団する、のだと。

 思い込みであって、実際に「トップ娘役の任期はトップスターよりも短い」ものなのかどうか、統計を取ってないのでわかんない。
 お花様だけでなく、「長い」任期を務めた(務めている)娘役さんがわたしの記憶にあるだけでも何人もいるのだから、ほんとただの「思い込み」よね(笑)。


 男役と娘役の「役割」が違うことを「差別」だとも「軽視」だとも思わない。
 育成にかかる時間が違い、旬が違うのも、仕方ないことだと思う。長く観ていたいから、「もったいない」とは思うし、言うけど。でも、「タカラヅカ」がそういう有限の美を守ってきたところだと理解している。
 軽視っちゅーのは、トップ娘役を置かないとか、ヒロインをさせないとか、いなくてもいい扱いをすることでしょう。
 早く成長し、早く旬を迎え、それゆえに男役よりも寿命短く燃え尽きる「娘役」という稀有な存在を、正しく敬意を持って扱わないことの方が、わたしはヤだ。
 4時ジャストにモバタカからメールが来ました。
2014/02/17

雪組トップ娘役・愛加あゆ 退団会見のお知らせ


雪組トップ娘役・愛加あゆが、2014年8月31日の東京宝塚劇場公演『一夢庵風流記 前田慶次』『My Dream TAKARAZUKA』の千秋楽をもって退団することとなり、2014年2月18日(火)に記者会見を行います。

なお、会見の模様は当ホームページでもお知らせ致します。

 そっかあ、やっぱ、あゆっちも卒業するのか。

 とにかく抜擢が早かったために、7年くらい「スター!」としてのあゆっちを見ていた気がする。
 娘役は研4~5で就任してもおかしくないので、抜擢当初の勢いのままトップになる可能性も、あったのかな。
 ずーっと「スター」だったわりに新公ヒロインは遅かったし、雪組はいろいろあったし、あゆっちもまた、いろんなことに振り回されてきた感じ。

 あゆっちの存在の華やかさは、あゆっちの魅力のひとつだし、長年スターをやって場数を踏んできた賜物だと思う。

 『フットルース』や『ハウ・トゥー・サクシード』の、「ヒロインの友だちの、太めのオンナノコ」を演じると二次元的かわいらしさだったし、『はじめて愛した』の生身の女性っぽさも素晴らしかった。新公ジュリエットも好きだったなー。『ロミジュリ』でモンタギューの女として群舞に混ざっているときの「あそこにかわい子ちゃんがいる!」感は、やっぱすごかったもの。華があるんだよな。
 ほんとに、あとはスタイルだけだったんだよなあ……。痩せてさえいれば、役の幅も広がったろうし、ひょっとしたら、もっと早くにトップ娘役になれたんじゃあ? とにかく抜擢は早かったし、ずーっと特別な位置にいたんだから。
 かわいいのに、実力もあるのに、もったいない……。

 だけど、そうやって長い時間がかかったからこそ、えりたんの相手役になり、一緒に巣立っていくんだね。
 メールを見たとき、やっぱ、と思ったのは、あゆっちはえりたんと一緒だろうなと、勝手に思っていたからだ。

 えりたんはオトコマエに、あゆっちをどーんとエスコートしてくれるだろう。
 とてもとても、「タカラヅカ!!」に。
 宝塚音楽学校第100期生文化祭に行ってきました。

 すみません、ちょっと邪道な感想かもしれません。
 とゆーのもだ、本来素直に感動すべき「文化祭」の初っぱなから、わたしは内心アタマを抱えてました。

 だってさ。

 100期生のみなさん、すげートンデモソングを歌わされ、踊らされてたんだもの!!(笑)

 文化祭のオープニングっつーと日舞ですよ、歌ウマ娘役ちゃんがソロで「清く正しく美しく」を朗々と歌い、歌ウマコーラス隊がハモり、その歌声の中、厳粛に全員で舞う……そういう場面ですよ。
 通常なら。

 なのに今年のみなさんは。

 「100周年おめでとうソング」を歌わされていた!!(笑)

 ノリは、『タカラヅカスペシャル』とかのオープニングで歌わされるアレです。
 自画自賛をすげーダサいワード満載で洪水のように垂れ流し。

 「百年(ももとせ)の道~~♪(ああ~~)明日へ続く道~~♪(ああ~~)」とか、このテイストなんですよ!!

 いちばんツボにはまったのは、

「♪乙女たちの瞳の奥に~~、たぎる思い 叶うまで~~」

 叶う日だったかな? 多少チガウかもしんないが、「乙女たちの瞳の奥」と「たぎる思い」はたしかだ!
 何度も繰り返すから、耳に残った……つか、クリティカルだったもんで、忘れられん!!(笑)

 文化祭は毎年観に行っているから、100期生だからどう、とは特に思ってなかったんだけど……。
 幕開きからコレでしょ?

 100期生って、大変だな!! と、痛感した。

 端正に「清く正しく美しく」で済む場面が、こんなトンデモソングにされちゃって……。

 ひょっとしてプログラムにナニか書いてあるかも、と今確認したら、「宝塚音楽学校創立100周年記念讃歌」作詞・植田紳爾と堂々と書いてあった!!
 ギャフン!(笑)
 ……ダサいわけだ……わたしの耳は間違ってなかった……。


 えーと、そういや去年、音校の100周年行事を大劇場でやってたっけ? このトンデモソング、すでにそこで披露されてたのかしら?
 そして、毎年観てる、と言いながら、実は去年の99期生は観ていない(あの1週間は東京在住だった・笑)ので、去年からもう「清く正しく美しく」は廃止になったのかしら? ……と、プログラムを確認したら(観てないけど、プログラムは買ってある)、ちゃんと「清く正しく美しく」だった。

 …………重ね重ね、100期生、乙。がんばれ。


 幕開きからガツンとやられてたわけですが。

 次に、演劇でもまた、ツボ直撃された。

 第2部の演劇、演出は正塚晴彦。ワンパターンのバックステージ物。ある劇団が舞台で、そこの俳優たちが、自分たちの演じる役だの舞台だの、素の人間関係などであーだこーだやっている。

 またコレですか。正塚せんせ、コレしかないんですか。
 で、過去のどのパターン? 『ロミジュリ』モノ? それとも銀行強盗?
 と、うがって観ていたら。
 いちお、はじめて観るパターンでした。

 が。

 『BourbonStreet Blues』かよ!!(笑)

 すみません、客席で吹き出しかけました。
 まさか『BourbonStreet Blues』の再演を、ここで観るとは思わなくて。

 ハリーの文化祭演劇の定番、バックステージ物。
 100期生たちの演じる「舞台俳優」たちが、「次の公演の出し物」として、『BourbonStreet Blues』のお稽古をしているの。
 だから、素の「劇団員」として喋ったかと思うと、次の場面では「『BourbonStreet Blues』の登場人物」として喋っている、という二面性がある、わけだ。

 えーと、『BourbonStreet Blues』は2005年の月組のバウ作品です。あ、初舞台が月組だから? と、途中で思う。

 でもさ、『BourbonStreet Blues』自体も、当時の92期生文化祭と同じ演出手法で作られていた、つーか、「正塚、コレがマイブーム? それとも手抜き……?」という印象の作品だったような?

 それをさらに焼き直して文化祭で使うとか。

 重ね重ねすげーなと。

 あのW主演バウで後半日程主演していたみっちゃんが今は専科さんで、前半日程で3番手だったみりおくんが花組次期トップで、みりおくんのさらに下、番手もナニもないただのその他大勢・脇役だったまさおが月組トップなんだもんな。
 みっちゃんの相手役だったねねちゃんは星組トップ娘役、前半日程のヒロインだったれみちゃんは別格スターとして退団。

 なんかいろいろ思い出したさ。

 ……とまあ、わたしはいいよ。いろいろ思うところあるし。知ってる話だから、ぶつ切りダイジェストでもついて行ける。

 しかし。

 プロのジェンヌが演じてもいろいろ苦しい正塚芝居を、素人の学生たちでやると、どうなるか。

 文化祭なのに、客席からいびきが聞こえる……。
 後ろの人、いびきはまずいよ、起きて、起きて!
 隣の人、背もたれに後頭部を載せて、真上を向いて寝落ちるのはやめて、舞台から見えちゃうよ~~!!

 いらんところで、ハラハラしました。

 正塚ならではの、不親切なふたり芝居をえんえん、やるんですよ……。
 そりゃきついわ……気が遠くなる人、続出するわ……。

 100期生、おつかれ。
 100期生、がんばれ。

 演出サイドのアレさにアタマを抱えた。ツボ直撃、あきれたり笑えたり、忙しかった。

 だけど、どんな目に遭ったって、誠心誠意がんばって、汗を流し前向きに輝いている、100期生たちに癒されました。
 劇団に入ったあとも、アレな歌を、アレな演出を、それでも力尽くでモノにしていくことになるんだ、文化祭はその練習だよね。

 がんばれ。
 初舞台は初日から観に行くよ。
 『心中・恋の大和路』は名作である。
 それに異論はない。

 でもさ。

 所詮、心中モノだよ?

 すでに潰えた文化っちゅーかさ、現代の感覚からズレまくってますよね?
 アホな男がどんどんアホなことをして、身内にも他人にも迷惑掛けて、関わった人すべて不幸にして、死んで終わるの。
 助かる道はあるだろうし、なくても次善に過ぎなくても、叶う限り最良の結果を求めて努力するべきなのに、目の前の困難と闘わずに逃げて終了。
 努力して乗り越える、ことでハッピーエンド! てなストーリーが好まれる現代に、阿呆が自滅する話がウケるんだろうか。天下国家の掛かったドレス・軍服の豪華で目に楽しい『うたかたの恋』とはちがいますよ? 主人公青天ですよ?

 それにさー、主人公がどんどん不幸になって破滅する話ってさー、単純に、何度も観たいか?
 1回観るだけなら「泣けたわー」で済むけど、そんな辛気くさい話、フタ桁観たいか? 考えるだけで、しんどいぞ?

 つか、どうあがいても「古い」し。
 1998年、今から16年前ですか、はじめて観たその当時でさえ「古っ」と思った。センスとか演出とか。

 『心中・恋の大和路』は名作である。
 それは否定しない。その通りでしょうよ。
 でも、手放しで歓迎は出来ないタイトルだと思う。

 思う、けど。

「忠兵衛@えりたん、見たいよねっ?」
「えりたんが封印切りするとことか、想像するだけでわくわくするっ!!」

 なんて、友人と盛り上がるわけで。

 とりあえずわたしは、忠兵衛がえりたんである、という一点においてのみ、最高に期待している(笑)。

 ほんとにもお、えりたんですから!!
 彼はフェアリー、どんな「現実」も「ファンタジック」に色づけしてくれる。
 心中モノなんてさ、リアルだったり生真面目だったりする芸風の人では見たくないよ。芝居巧者も求めてない。そんな気の重くなるモノ、やだ。
 きちんとした男役スキルを持ち、あとは「ファンタジー」を形作れること。コレですよ、コレ。

 久しぶりに駄々っ子えりたんが見られることを、期待しています。
 ……昔の、若さゆえの駄々っ子ぶりではなく、今の大人になったえりたんで。

 八右衛門@まっつは、きっといい仕事をするでしょう。
 そこは安心の出来る人。

 忠兵衛がえりたんで、八右衛門がまっつ。
 ジェンヌの関係性を舞台に持ち込むタカラヅカらしい配役だ(笑)。ほら、サヨナラ公演でわざわざ退団するスターとつきあいの古いジェンヌに「見送る言葉」を言わせたりする劇団ですから。
 えりたんの親友を、まっつが演じる。そのことが、うれしい。

 だからもお、えりたんに大暴れして欲しいな。
 『Shall we ダンス?』で感動したんだ。
 「冴えない中年サラリーマン」という、タカラヅカ的でない役を演じて、きちんと「タカラヅカ・トップスター」として成立させてしまうえりたんに。
 大人になったなあと思う。
 ほんとうに素晴らしいスターさんだと思う。

 それとは別に。

 ふと、寂しくもあった。

 場の空気も相手の呼吸の関係なく、ぺかーっ、てかーっ、と大暴れしていた、あのやんちゃな壮くんを思い出して。

 東宝楽日、長い公演のラストだから、みんないろいろやり過ぎていて、ちょっと芝居を壊すぐらいの勢いだった。
 そんななか、えりたんが「芝居を壊す」側でなく、抑える側に回っていることが……違和感。
 や、当たり前なんだけど。それが正しいんだけど。

 理屈ではわかっているし、感動しているけれど、寂しくもあった。
 えりたんはもう、こんなところまで来てしまっているんだなと。

 最初は、苦手だった。
 共演者が気の毒だったよ、えりたん空気読まないから。好き勝手に存在して、芝居して、光って。へたっぴーのくせに、言動はやたらとえらそうで。
 その傍若無人さに閉口した。
 だけど次第に惹かれ、ついには救われた。
 「現実」を叩き壊す力、それはまぎれもない「フェアリー」としての才能。わたしが「タカラヅカ」に求めるモノ。
 壮一帆は、タカラジェンヌだ。

 あの無軌道な光には、もう会えないのか……。

 今の大人なえりたんももちろん魅力的で、立派なトップさんで、それにはなんの文句もない。
 だからこれはただの懐古主義。
 ないものねだり。
 AとBはこの世に同時に存在しない、Bの良さを認めながらAにも欲を出すなんて無意味だ。未練だ。

 そしてわたしは、未練がましい人間(笑)。

 千秋楽、立派なトップさんとして輝いているえりたんを見ながら、感動すると同時に寂しかった。
 驕りの春は過ぎ、人生は今、実りの秋を迎えているのだと。

 ただ。
 この「実りの秋」はまだ続くと思っていたよ。せっかく長い時間を掛けてここまで育ったんだ、存分に収穫しなきゃ嘘だろう?!

2014/02/12
雪組トップスター・壮 一帆 退団会見のお知らせ


雪組トップスター・壮 一帆が、2014年8月31日の東京宝塚劇場公演『一夢庵風流記 前田慶次』『My Dream TAKARAZUKA』の千秋楽をもって退団することとなり、2014年2月13日(木)に記者会見を行います。

なお、会見の模様は当ホームページでもお知らせ致します。

 運動会にえりたんが出ないなんて嘘だ!!
 てゆーか、まだキムシン作やってないじゃん!!
 雪組関連が一気に発表になった。
 まず、なんといっても、『心中・恋の大和路』配役発表。

 八右衛門@まっつ、きたーーッ!

 や、他の役はありえないので、わかっていたことだけど、改めて発表になると……。

 八右衛門は、いい役です。
 男前な役です。

 わたしが『心中・恋の大和路』を生で観たのは幸ちゃん主演の98年バウバージョン。青年館は役替わりがあったので別物、あくまでも、バウのみ。

 当時、ネットもなければ人脈もないわたしとその周囲では、「幸ちゃん主演で日本物で、2番手ケロとか、チャレンジャーだな」という感想でした、演目発表されたとき。
 世間一般のことは知りません。実は汐風幸さんは超人気スターで、彼が主演するっちゅーだけでチケット完売間違いなし!だったのかもしれませんが、わたしの狭い狭い生息範囲では、「大丈夫か」と客入りを心配する公演でした。
 ただでさえ人気のない日本物ですよ。「名作!」という触れ込みでも、「古い」ことは確かだし、日本物を敬遠する人が多いのが現実だし。
 「父親(片岡仁左衛門)の当たり役を演じる」ことが一応話題だったらしいけど、それって関係者の間ではありがたいことかもしんないけど、一般客には関係ないよね?
 本人よりもまず「父親の名前」が重要視される人が主演で、ヒロインはうまいしきれいだけど「次期娘役トップ確定の劇団推しスター! 贔屓の嫁になるかもしれないから、絶対観ておかなきゃ!」てな勢いのある娘役さんではなかったし、おまけに2番手は、新公主演もしていない、組ファン以外存在も知らないだろう、脇の中堅。
 渋すぎるだろ、この演目。

 友人たちも華麗にスルー、「見に行く気ナイ」とあっさり言われる。
 そりゃそうだよなあ。

 それでもわたしは、ケロちゃん目当てに観に行ったわけです。サバキだったか当日券だったか、とにかくチケットはなんの苦労もなく手に入ったはず。

 当時のわたしはケロスキーではあっても、彼を本命のご贔屓だとは思っておらず、どっちかっつーと彼を「ネタジェンヌ」扱いしていた。
 大好きで愛でてはいるけど、それだけ。ときめきはない。
 だって彼は「いい人」とか、「愉快な人」とかがハマる芸風。人の良さそうな笑顔に癒されるというか、音程行方不明の歌にズコーーっとなったり、女装姿のヲカマっぷりをきゃあきゃあ言ったりする、ゆるくいじって楽しむ位置にいた。
 素顔もいわゆる美形さんではないし、舞台ではいつも三枚目だし。たまに二枚目っぽい役だと、おっさんだし。
 男として「安全牌」というか、すっかりナメてかかっておりました。

 それが。

 ああ、それが。

 八右衛門様、かっこいい~~!!

 それだけじゃない。

 ケロが、美形に見える。

 今まで、思ったことなかったのに!! や、ジェンヌがみんなきれいなのは前提ですよ、そのジェンヌ比で彼はネタ扱いの三枚目キャラで、ヒロインに「かっこ悪いから」と振られるタイプの男だったんですってば。

 え? え? 江上さんがかっこいい。つか、美形。美しい。え? だって江上さんだよ? ねえねえ、あたしおかしいのかな、江上さん美形じゃね?
 なんかうろたえて、連れに話したような。

 当時はケロちゃんという愛称ではなく、「江上さん」という名で勝手に呼んでいたモノで。彼を最初に認識した公演での、役名。

 汐美真帆が、壮絶に美しかった。

 ……八右衛門がなければ、わたしはケロのファンになっていなかったかもしれない。

 それまで油断ぶっこいてたからさー。
 三枚目の下級生だと思ってたからさー。こんなにかっこいいなんて、夢にも思わなかったの。
 そのギャップに、ずきゅんとキた。

 そのあとが、オギーの『凍てついた明日』でしょ?
 で、月組に組替えになって、オギーの『螺旋のオルフェ』でしょ?

 オチるって!!


 とまあ、そんな役なわけだ、八右衛門って。

 ………………まさか、めぐりめぐって、現在のご贔屓が、同じ役をやるとはっ。

 ケロにはギャップ堕ちしたけど、まっつには最初から高いハードルが設置されてるよーなもんだからなー。どう感じるのかなー。
 や、なにがどうあれ、まつださんの芝居には信頼しかありませんけども。
 きっとケロがどうとかではなく、まっつの八右衛門様にきゃーきゃーめろめろになる自分が想像できます(笑)。

 「チャレンジャーだな」と思った『心中・恋の大和路』、ケロの美形っぷりにはときめくわ、芝居ラストには大泣きして大変なことになるわ、いろいろと思い出深い作品です。

 例の名曲を歌うのは、与平役のかなとくんかな。がっつり歌ウマを配してきましたな。
 いろいろと楽しみです。
 ……雪山のおんぶ以外。おんぶ、しなくていいっす。うん、なにかしら他に、愛し合うふたりのやりとりに変更してくれれば。

 とりあえず、まっつが、えりたんと仲良しの役、ってことが、うれしい。
 ようやく。
 よーやくですもん。
 えりたんが雪組に組替えになって、はじめて。
 劉邦と張良なのにー。同陣営に立つふたりを見せろ~~、とじれじれしてましたさ。
 よーやくだっ。


 『ベルばら』配役もいろいろとツボが。
 大ちゃんの「身を引きましょう」とか、想像するだけで震えるわ……!!
 きんぐのフェルゼンも美しかろう。
 翼くん、役ついてるー。


 次の大劇場の出演者も出て、いろいろ腰が据わった感じ。や、ついていく身としては。
 『Shall we ダンス?』『CONGRATULATIONS 宝塚!!』東宝千秋楽。

 まっつだけガン見する画面はその前の公演で堪能して、楽はできるだけ全体を観ようと思った。
 や、それでもどーしてもまっつばっか見ちゃうんだけども(笑)。できる範囲内で、全体を。

 「舞台」の上のまっつが好き。
 それはまっつひとりでなく、「舞台」を作り上げている雪組のみんなのなかのひとりとしての、まっつが好き。
 ピンライトを受けていた競技会のアルバート@まっつのように、全体の中で「確かに在る」ことが、うれしい。
 焼き付けたいと思う。
 今の、まっつ。

 ショーもできるだけ、全体を見ようと。
 群舞の中、細い照明がわずかな人だけを選んで照らす。
 トップスターえりたんには、強い明るい光を。
 それに続くちぎくん、まっつには周囲と区別する光を。
 漠然と見ているだけだと気づかない、「照明」という名の意志。この舞台で、「誰を見せたい」と制作側が思っているか。
 いつもライトの当たらない人をオペラで追っていて、「暗くて見えない」と悲しんだ……日々をおぼえているだけに、同じようにオペラで追っていて、明るさに関してはストレス少なく見ていられる、ことの差を理解している。それは、照明の有無。3番手はしっかりピンスポ当てられてるんだもの。それとわかるよーな強いライトではなくても。
 それに気づいたときから、すごくありがたく、感動として、「2階から舞台全体を見る」ようにしている。照明の行方を、堪能する回を、リピートの中に折り込んでいる。

 まっつだけをオペラで追っているわけじゃないから、ふといろんな人が目に入る。
 今回、ショーではじめて、夢華さんを見つけた。興味のない人は視界に入らないため、群舞で彼女を認識することはいつもほとんどない。今回の公演では、千秋楽ではじめて見つけた。
 ふつーに、かわいかった。
 こんだけかわいいんじゃ、そりゃ目に入らないわ。だってジェンヌさんは、娘役さんは、みんなかわいいもの。かわいい雪娘の中に溶け込むくらい、ふつーにかわいい娘役さんになっていたのね、夢華さん。
 またすぐに見失ってしまったけれど、前半の総踊りでたしかに一度見つけたわ。

 娘役さんの場面では、うきちゃんを眺めるのがわたしの通常の視界。
 結局一度もツインテールを見られなかったのが、心残り。めっちゃかわいいって噂になってたのに、ムラからずーっと、わたしが見るときはいつもツインテールじゃないんですけど、フィナーレ。
 い、いいもん、うきちゃんのウインク捕獲が楽しみのひとつ、眺めていたら絶対2~3度はウインク目撃できるもん。あの小悪魔的なところがたまらん。

 ウインクと言えば、翼くんのウインクを捕獲できました。……てゆーか、ウインクなんかするんだ?! かわいすぎるだろう!!

 捕獲っていっても、こちらは2階席なので、一方的に眺めているだけ、「ウインクもらっちゃった♪」てなカンチガイすら起こりませんよ?
 アグレッシヴに舞台を、フェアリーを楽しんでいる彼らを眺めるのが楽しいのです。

 そーいや千秋楽にしてはじめて、カンカンのラスト開脚場面で、前後開脚をキメるともみんを見た。キメる……というほどちゃんと決まっていたわけじゃないけど、いつもの膝折じゃなかった。
 ムラ初日からずーっと、たまたまなのか、10回以上観ていてもただの一度も開脚を見たことなくて、「脚が上がることと股関節の柔らかさは別問題」と周囲も言っていたし、前後開脚は出来ない(か、しない)んだろうとすでにナニも思わなくなっていたところだったので、ラストに果敢に開脚にチャレンジしていることに、胸熱だった。

 フィナーレのゴスペル場面で、白衣……もとい、白コートで銀橋をひとり渡るえりたんを見たとき、ふと、2日前に観た花組公演が、らんとむさんが浮かんだ。
 刻の霊と、頭の中将。
 何故だ、今そんな彼らが脳裏をよぎる。わたしにとっての原点? まだ彼らを知らなかった頃。花担の友人が騒いでた、新人公演。同期で2番手と3番手をやっていた。
 その、彼らが。
 今らんとむは、サヨナラ公演をやっているんだ……そう思うと、涙が出てきた。
 えりたん。えりたん、えりたん。
 バカみたいに名前を呼んだ、繰り返した。心の中で。

 「100」の人文字は、シンプルな感動だ。
 わかりやすい。そして、美しい。
 オペラを下ろして、その文字の手前にいるまっつを見る。
 この舞台に、まっつがいてくれて良かった。
 彼の「いない」同じ舞台を観た。そこが美しいから、まぶしいから、余計にさみしくてかなしい画面だった……わたしには。
 そのかなしさを超えたあとだから。
 一層、美しかった。愛しかった。
 目に焼き付けよう。
 100の文字。
 100周年、なんつー祭りの時に、まっつがいる事実。
 いやぶっちゃけ、彼を好きになったときは、こんなに長くいてくれるとはまったくもってこれっぽっちも思ってなかったわけだから。

 まっつの舞台写真は基本全買いしているんだけど、さすがに写真タイトルが「(別の人の名前) 他」となっているものまでは、手を出していない。顔がマッチ棒の先っちょほどの大きさじゃねえ。
 だけどこの「100」写真は、買いました。
 まっつが今、「ここにいること」が、うれしくて。


 えりたんは挨拶も歯切れ良く、安心して見ていられるトップさん。
 ほんとに、いいスターさんになったなあ。大人になったなあ。そう思うと同時に、少し寂しくもある。昔のやんちゃな壮くんも、好きだったから。

 そしてひっそりともうひとつ寂しいのは、退団者とのカーテンコール。
 何度目かのカテコで、トップスターと退団者だけが舞台にいて、「最後だから、ひとことずつ」と退団者に話を振る……のは、どの組でもやっている、お約束。
 ただ、雪組では、退団者本人が「しあわせです」とか「雪組大好きー!」とか言うだけでなく、トップスターがひとりひとりを客席に向かって紹介し、「**ちゃんはこんな子で、なになにが得意で、いつもなになにしてくれて」とか、中の人しか知らない「その人のチャームポイント」を、トップさん自身の言葉で、教えてくれる……それが、ここ数年の通例になっていたから。
 水しぇんもキムくんも、そうだったから。
 えりたんも、落下傘就任でなく、一度でも水キム時代の雪組の舞台に立っていたら、この千秋楽で退団する組子たちにコメントしてくれたのかなと思う。
 そんなことやってた、って、知らないもんなあ。キムくんは水しぇんがそうやって組子を送り出すのを見てたわけだもんなあ。それで、自分がトップになったら、おなじようにして、組子を送り出した。

 や、すべての千秋楽を観ていたわけじゃないから、いつも必ずやっていたかどうかわかんないし、「これが雪組の伝統です!(キリッ)」と言う気もない。
 前回の『ベルばら』は組子だけでなく専科のソルさんがいたので、そうは思わなかったのだけど、今回はふと、「いつものがないんだ」ということが気になった。

 てゆーかたんに、えりたんの感性、えりたんの言葉で、聞いてみたかったんだな。彼ならどんな風に、卒業していく5人を語ったのだろう、と。
 大雪の中、『Shall we ダンス?』『CONGRATULATIONS 宝塚!!』東宝千秋楽へ行ってきました。

 初日・千秋楽の天候が荒れるのは、雪組のお約束ですかね。
 水しぇん時代、「水くんは雨男だから」と言われ、「仕方ないね」とそのまま受け入れられていた……が、代替わりしてキムくんになっても節目の天候不良は変わらず。
 キムくんも実は雨男だったんだ、水くんの陰に隠れてわかんなかっただけで!! と、驚きつつ受け入れた。
 その鉄壁雨男から、お天道様ぺかー!イメージのえりたんへ代替わりした……途端、荒れ出す天候。
 こうなると、考える。
 えりたんが実は雨男だった、というよりは、雪組トップは、「嵐を呼ぶ男」という称号も引き継がれることになったのでは?(笑)
 雪組トップは、トップスターの座と共に、「雨男」も引き継ぐのだ。そーして雪組公演の節目は天候不良なのだ。
 てな。

 前日、宙組DC初日の挨拶で、まぁくんが「私は雨男役ではないはずなんですが……」と、天候不良で観劇が大変だったろうことに触れていた。
 チガウ、ちがうわ、まぁくん! 大阪は晴れていたし、天候になんの問題もなかったわよ、大変なことになってるのは東京で、「雨男」ネタならば、問題視するべきはそこで今公演している組で……!
 と、客席で内心ツッコミまくりだったわー(笑)。
 晴れ男まぁくんは、ちゃんと大阪に青空を呼んでくれていた。
 そして、雪組公演は……(笑)。

 まあこんなの、「夏コミの日は晴れる」レベルのジンクスで大した意味はなく、そーやってネタにして笑い飛ばしつつ、苦労して劇場へ駆けつけるのだ。


 2週間ぶりの雪組でしたが、芝居はいろいろとやりすぎていて、初日近辺の方が好きだったなとか、代役云々ではなくヘイリーさん周辺のキャラクタはムラの芝居の方が好みだったなとか、いろいろ思いつつ。
 熱が入ってやり過ぎていること自体は、微笑ましくて好き。

 ショーは熱が入りまくり大歓迎!
 午前公演ではまつださんが目の前に立つことが多くてうきゃ~~っ☆となってたら終わった。
 や、目の前ってのはほんとに目の前ぢゃなくて、センターブロック上手寄りににいると舞台上で真ん中ではなくその脇にいるまっつが真ん前になる、というだけですわ。まっつが前を見ているだけで「こっちを見てる!!」という幸福なカンチガイに浸れて、とてもしあわせでした。
 「こっちを見てる!!」であって、「目が合った!」とはまったく思えない(笑)。
 2週間前は上手ブロックから観劇して、「まっつ見えない……」しょぼん、なことも多かったから、「重なる人がいない」位置から見られてシアワセ。
 (まっつ小さいからさー、立ち位置のわりに人の陰に入って見えなくなっちゃうんだよー。「アイアイアイ♪」が隠れて見えない日には泣くしか……っ!!笑)

 11時公演はそーやって、まっつきゃー☆以外記憶になく。

 落ち着いて観ることが出来たのは、3時半公演、千秋楽。
 まっつが出てきても彼だけをオペラでガン見するのではなく、できるだけ全体を眺めた。
 2階ドセンター席だったこともあり、大好きな「照明の行方」を追ったり。

 芝居の競技会場面、ラテンが終わってわらわらとクイックステップのカップルたちが登場する。
 そのとき、何故かすっと一条の光が、舞台中央奥を照らしていることに、気がついた。
 なんで舞台中央? 主役のヘイリー@えりたんは下手端にいるし、ヒロインのエラ@ちぎたんは下手花道、トップ娘役のあゆっちは上手花道にいるのに? 物語は今、左右の花道で進んでいるのに?

 アルバート@まっつが、ライトを受けていた。

 なんでまっつ?? 他の審査員たちは全体照明の中で沈んでいる。アルバートだけが、浮かび上がっている。

 ライトはヘイリーと、エラにも当たっている。エラが「楽しんで!」とヘイリーに声を掛ける。
 その瞬間、アルバートは微笑む。エラを見て。

 その笑顔を照らしたあと、ライトはすっと消え、アルバートは他の審査員たちと同じ、画面に沈む。

 あの笑顔のためだけに、ライトがあったのか!!

 エラのあの台詞でアルバートが微笑むことは、初日から知っていた。見ていた。つか、審査員ナンバー1の人しか、見てないから。オペラでアルバートさんだけ追いかけて、競技会自体は見てないから。音だけでしか、騒ぎは知らないから。
 や、競技会のどたばたは、ムラで何度も見て知ってるし。この場面は映像を流していることもあり、アドリブ禁止の「決まった動き」以外してはいけないところ、見逃したからといって困るようなストーリー上の変化はないはず、安心してアルバートさんだけ見てた。
 だからアルバートさんがすっげー本気で審査に没頭しているところも、バーバラ@せしことヘイリーさんのカップルに注目していることも、エラの台詞に微笑むことも、アルバートさんだけを見て、わかっていた。彼の目線の先がナニか、わかるもん。
 しかし、ライトが当たっているとは、知らなかった。気づいてなかった。
 オペラグラスでしか見ていないと、こんなことに……っ!
 ラストのお別れパーティで、アルバートがエラを選ぶ、その伏線がこうやって張ってあるんだな。わかりにくいけど(笑)。初日に観たまっつファンが「え? 競技会、まっつ出てた?」と言うくらい、あそこはみんな、ヘイリーさんやらドニー@ともみんやらのどたばたを見ていると思うぞ、小柳タン。

 遅かったけれど、最後の最後に気づけて良かった。
 この目で、細いライトを受けて浮かび上がるまっつ、エラの言葉を聞いて微笑むアルバートを、見られて良かった。

 あー、でもアルバートさん、やっぱ初日がいちばん若かったと思う。
 だんだん大人びてきたというか、まっつに近くなってきていたよーな。お茶会周辺はまだそれでも「エラの方がいくつかおねーさん」もアリかなと思ったけど、楽日のアルバートさんは、エラより年下には見えないなー。

 エラがどんどんかわいくなっているのも、関係しているかも? アルバートとの年齢・パワーバランスが変わっていくのは。
 や、とにかく好きだわー、エラとアルバートの芝居。
 やっと……やっと……まぁくんに、佳作がキターー!(感涙)

 抜擢が早くて、えんえん新公主演して、えんえんバウ主演していたまぁくん。
 劇団がどんだけ売り出したくても、どんだけ人気をつけたくても、「売り方」と「作品」が悪ければうまくいかない。
 本公演では年功序列でいなくてもいいよーな端役、新公と別箱では主演独占、って「間違った売り出し方」の見本。
 本公演で端役だと「一般客」は目に留めない。新公と別箱公演は「一般客」は観に行かない。ライト層にファンや好意的な人が増えず、偏った劇団の姿勢に対する不満や疑問により、組ファン内にもファンや好意的な人が増えにくくなる。
 この魔のスパイラルを脱するのは、「作品」。
 「一般客」が「観に行こうかしら」と思うほどの「良作」を別箱でやる。バウなんて基本、ファンしか観に行かない。一般客の重い腰を上げさせるのは、「作品」だ。
 なのにまぁくんはバウ主演作品も駄作続き。「売り方」が間違っていて、その上「駄作」ばかりって……劇団のプロデュースのヘタさがあからさますぎてこわい。

 ようやく、まぁくんに良作が来た。
 作品が破綻しておらず、主要キャストがキャラ的にも実力的にも役に合っていて、「タカラヅカ」的に正しい世界観で、主人公がちゃんとかっこよくて物語の中心にいて、恋愛していて、美しい物語。

 ようやく……ようやく、まぁくんに……。(感涙)

 期待の星、上田久美子先生の新作、『翼ある人びと―ブラームスとクララ・シューマン―』
 もちろん初日に駆けつけました。

 相変わらず、予備知識なし。
 その上、毎度のことながら無教養ゆえ、ブラームスもクララ・シューマンもよく知りません。ちゃんと史実や知識として知っているのではなく、フィクションから得たんだと思うが、「えーと、先生の奥さんと恋愛しちゃう不倫話だっけ?」ぐらいの、とてもいーかげんなイメージを持っているのみ。
 で、不倫上等(『ベルばら』が至宝の劇団)のタカラヅカですから、なんのタブーも感じず、「まぁくん、不倫モノやるんだー。ロマンねえ」と思いました。
 三角関係は恋愛モノの王道、よろめきモノは需要高いっしょ? ヅカの主な客層は女子高生ではなく、高いチケット代を支払える大人の女性だから。テレビドラマを見回しても、大人の女性ターゲットの、主婦が年下のイケメンにときめく話があふれている。
 まあそんな、無知丸出しの意識で劇場へ行きました。

 不倫話とちがったんか……!

 わたしがどっかで見知っていた話は、ふつーに不倫だったぞ? どこでナニを見たんだ……?

 や、ブラームス@まぁくんはクララ@うららちゃんを愛しているので、不倫っちゃー不倫の範疇ですか。でも、いわゆる「不倫モノ」ではない。
 そうすることも出来る設定だから(史実云々ではなく、立ち位置)、不倫モノや三角関係が得意な「タカラヅカ」なら、フィクションとして「大恋愛モノ!!」として盛り上げることはできたと思うんだ。
 でも、そうはしなかった。

 ドロドロの不倫モノにしちゃった方が、わかりやすく盛り上がったろうに。
 恋愛を超えたところにテーマがあるから、ある意味地味になっちゃったかなとは思う。

 名声はある、しかしすでに「過去の人」になりつつある作曲家シューマン@ヲヅキのところへ、無名の若き音楽家が訪ねてきた。みすぼらしい上に無愛想なその若者……ブラームス@まぁくんは言葉以上に「音楽」で語る。ブラームスの才能に惚れ込んだシューマンとその妻でピアニストのクララ@うららちゃんは、自分たちで彼を世に出そうと考えた。
 シューマン家に住み込むことになったブラームスは、シューマンの弟子として、家族のひとりとして、愛と音楽に満ちた日々を過ごす。そして彼は、年上のクララに惹かれていくわけだ。

 まぁくんが、カッコイイ。

 繊細な、野生の若き獣。不器用で、逃げ方を知らない。身をかわすことさえできれば済むことなのに、それを思いつかないから、敵の牙を自分の牙で受ける。そうして傷つく。血を流す。
 そんな、痛々しさのある若者。
 本物の才能と、それゆえの強さを、傷つきやすい繊細さの奥に潜ませている。
 ヨハネス・ブラームス@まぁくんは、その「野生」と「繊細さ」を美しさを持って体現している。

 つか、まぁくんに必要なモノは、前髪だってば。

 前髪のあるまぁくん最強!!


 うららちゃんが、美しい。

 大人のヒロイン、クララ・シューマン@うららちゃん。よかった。すっげーよかったっ。

 納得の美しさ。
 期待するだけの美しさ。
 この「美しい」物語には、絶対的美貌のヒロインが必要なの。脚本上でだけ「美しい」「美貌」と繰り返されるのではなく、客席からひと目見て「美しい!!」と瞠目する、その力が必要なの。

 美しいだけでなく、落ち着いた、品がある。
 凛とした潔さがある。
 そして。
 静かな、哀しみがある。

 美しい音楽そのものが、カタチになったような女性。

 見事です、うららちゃん。

 いやもお、これで歌がなければ、完璧だった。

 歌い出した途端……大変なことに。
 最初のソロは椅子から転げ落ちるかと思った(笑)。歌唱力の不自由な人の多いタカラヅカでも、椅子から落ちそうになるソロって、実はあまり多くない。
 えーと、最後に椅子から落ちるかと思ったのは、中日のちぎくんソロか……ああ、もう1年も前になるのね。
 前日の花組大劇場公演初日でも、蘭ちゃんの歌にかなりびっくりしたけれど、同じくらい破壊力のある歌だったとしても、クララというキャラクタとその見事な演じっぷりゆえに、落差を大きく感じてしまったのだと思う。

 とにかくすごかったのは最初のソロで、その他の歌はマシになっていっていたので、きっとこれから良くなっていくのだと思いたい。


 そして、ヲヅキ。
 ああ、ヲヅキ。

 ヲヅキが、すごすぎる。

 光と闇を彷徨う、ロベルト・シューマン@ヲヅキ。
 あたたかくやさしい、そして人間らしい脆さを持った人。

 主人公のヨハネスは、路線スターならある程度誰でも演じられる役だと思う。(もちろん、その人ならではの魅力によって色づけされるので、まぁくんのヨハネスが魅力的なのはまぁくんだからで、替えが利くという意味じゃない)

 だけどロベルトは……この役は、マジに「芝居」ができる人でないと、無理だ。
 演技力、表現技術、男役力。
 加えて、「温かさ」と「やわらかさ」。

 ヤン@『銀英伝』のときもそうだけど、ヲヅキの持つ「やわらかさ」が、唯一無二の力を発揮している。

 最初の「良き父・良き夫」である姿や、「師」としての寛大さ、「芸術家」であるがゆえの子どものような無邪気さ。
 そこから「闇」に浸食されていく姿、ラストの「闇」を抜け「聖」にたどり着く姿。

 すげえ。


 ヨハネス、クララ、ロベルト。
 この3人を、よくぞこのキャストにした。
 そして。
 よくぞ、演じきった。

 すごい。

 『翼ある人びと』マジすごいって。
 まぁくんにようやく良作キターーッ!

 …………『CODE HERO』でなく『翼ある人びと』だったら、まぁくんのジェンヌ人生も違ってたかなあ。
 花初日までに他公演の感想書ききりたかったのに、間に合わなかったっす。
 てことで、花組『ラスト・タイクーン』『TAKARAZUKA ∞ 夢眩』初日観劇。

 らんとむさんのラストステージ、ということもちろん重大ポイントなんですが、いっくんスキーのわたしとしては、生田大和新作、しかも大劇場初ということも重要なのです。

 デビュー作の『BUND/NEON 上海』がトンデモ過ぎたけれど、そっからひとつずつ作品クオリティが上がってゆき、『春の雪』で、「えっ、いっくんすげー?!」と思わせたくせに、次の『WMW』で築き上げた名声(笑)をすべて地に落とした、「平均点のない芸風」。
 そんな彼が、どんな作品を大劇場で、円熟の極みらんとむに書き下ろすのか。
 それに今の花組には、いっくんの萌えキャラ(笑)だいもんも、ミューズみりおくんもいる!!

 『WMW』の直後だから、期待値はかなり下がっているというか、ぶっちゃけ不安の方が大きかった(『春の雪』の直後だったら、値は逆だったはず)が、救いは、原作がある、ということ。
 いっくん、起承転結させるのちょーへただけど、アリモノの原作を元に妄想するのは得意だよね?
 『ラスト・タイクーン』は原作ありだから、きっと大丈夫!!

 てことで。

 えーとえーと、とりあえず。

 ちゃぶ台返しをするだいもんに萌え。

 原作も知らず、なんの予備知識もないまま観劇し、「だいもん出てこねー」「出てきたけど、立ち位置がわからない。誰あれ」「つか、ナニあの衣装」「年齢不詳?」と首をかしげまくりだったわけですが。
 DV男キターーッ!
 やだナニあれ最低。
 ひどいわー、最悪だわー。
 わざわざ、ワンクッション置いてから、テーブルひっくり返しましたよこの人!!(爆笑)
 やっぱDV男はちゃぶ台返しよねー。基本よねー。いっくんはずさないわー。

「いっくんは、望海さんにテーブル滑らせた人ですから」
 という、観劇後の友人の言葉に膝を打つ。

 そうよね、だいもんといえば、テーブルよね!!

 『BUND/NEON 上海』にて、なんの意味もなく、突然、わざわざ、テーブルを滑って登場するだいもんを、こだわりまくって書いた演出家だもんねー!!

「ベネディクトもテーブル乗って歌ってたしね。あの師弟は、だいもんにテーブル乗らせたいのかと」
「フランツ・ヨーゼフもテーブル乗るよね? あ、『エリザベート』ではだいもんフランツ確定?」
「テーブルに乗らせるためにか!!」

 だいもん、まさかのテーブルジェンヌ。

 そんなアホな会話で盛り上がりました。

 てゆーのもさ、わたし以外はみんな原作読破済みだったんだけど、既読諸姉によるとだいもんの役は、オリキャラらしい。

 ヒロインの最初の夫の設定を借りているそうだが、扱い的にはいっくんオリジナル。
 彼の立ち位置だーのが破綻しているのは、そのせいか。いっくん、建設的なこと苦手だから。

 いっくんのだいもん萌えが、あのDV男を生み出したのか(笑)。
 や、たしかに、狂気系だいもん、観たいよね? 気持ちはわかる、わかるともさ! いっくん握手!! 暴力と狂気、そして泣きの演技、両方観たいんだよな? 『BUND/NEON 上海』でもそうだったけど(笑)。


 作品的には、『BUND/NEON 上海』の1幕終了時のとっ散らかり感のまま、強引にエンドマーク付けた感じ。
 風呂敷広げるだけ広げて、まったくたためてません!!
 らんとむさんに「なにもかも途中だ」てな意味の台詞を言わせ、それが強引に打ち切られたんだ(だって原作でも主人公はこうなるんだし)ってことで、「仕方ない」にしてる。
 おいおいおい~~。

 それでも、楽しかった。

 広げた風呂敷をまったくたたんでないため、取り残されるっちゅーかあちこち置いていかれるんだが(モンローユニットのみなさんの心変わりには盛大にぽかーんとなった)、主役を軸にしたストーリー自体は一本道だし、なんつっても蘭寿さんが、かっこいい。
 これでもか、これでもかと、かっこいい。
 ただひたすら、かっこいい。
 至高の男役芸、研ぎ澄まされた美を見せ続けてくれる。
 主人公をこれだけただひたすらかっこよく書いてくれたら、「タカラヅカ」として文句はない。

 そして、役と出番が多く、組子たちががちゃがちゃ大活躍。
 目が足りない。
 1回では補足不可能。
 組ファンはリピート楽しいと思う。
 や、なにしろ風呂敷たためてないから、みんな投げっぱなしで終了してるんだけど、たためないくらい、大きな風呂敷だから、たくさんの人に出番がある。
 1時間半の上演時間で、よくぞこれだけ。その詰め込みっぷりは、ヅカヲタ的に楽しいし、うれしい。
 にしてもいっくん、ふじP好きだねえええ(笑)。


 まあその、みりおくんの描き方はいろいろ疑問ですが。
 風呂敷をたためていないことで、いちばん割を食ったのがみりおくんじゃね?
 もともとキャラでも任でもない役をやらされてるのに、地団駄踏む駄々っ子で終了って……。
 比重をいじって、だいもんの役を2番手として、みりおくんに宛てた方が良かったんぢゃ……だいもんならおっさんOKだし。
 DVみりお様は脅威の冷血ドSになるだろうと、想像するだけでぞくぞくしますわ。
 ……オリキャラを2番手役にはできなかったんだろうなあ、原作縛りで。
 みりおくん、がんばれー。……せめてスーツの着こなしを、「華奢な美青年」ではなく、「壮年の男性」に見えるようにしてくれたら、大分チガウと思うの……。


 ショーは、「サイトー」でした(笑)。

 みんな、緞帳が上がるなり(宝・塚・夢・眩とドラゴンボールっぽい漢字書きされたカーテンが現れた)生ぬるく笑うのはよせ(笑)。
 終演後のらんとむの挨拶でサイトーくんの名前が出ただけで笑うのはよせ(笑)。

 時間がないので、走り書きのみ。
 今日(2/8)はこれから、宙組DCだー!
 『風と共に去りぬ』はありがたい公演だった。
 ずっとずっと、望んでいた公演だった。

 『風共』云々じゃない。

 わたしは、主演でない轟悠が、観たかった。

 わたしがヅカにハマるきっかけは、トド様だ。ヅカ自体は子どもの頃から観ていたけれど、ハマったのはトド様に一目惚れしてから。
 トド様にハマって、「タカラヅカ」の楽しみ方を知った。
 それまでただ漠然と「差し出されるモノを眺める」だけだったのが、自分から意識して、舞台の上の役者をオペラグラスで追いかけるようになった。
 テレビでもビデオでもろくに映らない。あと30度カメラの向きを変えてくれたら映るのに!!とじれじれした。群舞のポジションに一喜一憂した。1列目の端だと舞台ではよく見えるけど、映像ではまったく映らないんだということを知った。
 当時のトドはきれいだけどいろいろいろいろへたっぴーで、アタマを抱えるようなこともいろいろいろいろあった。
 ろくに台詞もない、出番もないのが当たり前で、はじめて新人公演を観たとき、「好きな人が主役って、こんなにいいものなのか!」と感激した。トドが出ずっぱりなんだもん! いっぱい喋って、いっぱい歌うんだもん!
 新公が終わってまた元の本公演を観たとき、さみしかった。ああまた、群舞のひとりになっちゃった、と。
 それでもトドは劇団推しの若手スターで、下級生時代から大切に育てられていた人だから、ずいぶん優遇されていたのだと思う。でもそんなの、当時のわたしにはわかんないし。
 もちろん、当時の雪組も好きで、雪組で下級生スターやってるトドが好きだった。ミユさん、ユキちゃん、トドロキと3番手トリオの末っ子なのも、安心して見ていられた。
 時代が進み、ひとつずつポジションUPしていくのを、はらはらどきどきわくわく、見守った。

 はじめて好きになった人で、はじめてトップになった人。てゆーか、トド以外の贔屓はトップになってない(笑)ので、彼だけ。
 はじめてだから、なにもわかってない。
 トップスターになる、ということは、「脇役のトドは、もう二度と観られない」のだということを。

 トドは真ん中の向きの人だと思う。ナニが巧いわけではなく、美貌と男役度が高い……てのは、ヅカでは真ん中にどーんと置いておくべき。
 だから彼がトップになったのは正しい。

 トップスターから、専科になる……そう知ったときは、「雪組からいなくなる」とかそーゆーショックとは別に、わくわくもした。
 「タカラヅカの主人公キャラ」以外のトドロキを見られるんだ!って。
 トップの役割は、「白い王子様」。対する2番手スターが、「色悪」。だから2番手はオイシイ、と言われる。
 でもトドは、2番手時代がろくになかった。2作だけ。しかもオイシイ色悪なんかやってない。学ラン着て熱血してる二枚目半と、ヘタレな三枚目で終了。
 あたしはルキーニみたいなトドが見たかったのよーー!! トップになったらルキーニなんて出来ないじゃん!
 また、トドのヒゲのおじさま芝居も好きだったので、渋いおじさま役も見られるんだ、と期待した。

 わたしがいちばん恐れることは、その人が「いなくなる」ことだ。
 トップになれば、待っているのは退団だけ。
 だから演目発表にピリピリした。良い作品か面白そうか以前に、「退団公演っぽい演目かどうか」に気を張った。
 専科になるとわかり、いちばんの不安が解消された。ずっといてくれるんだ。失わずに済むんだ。そう思ったら、あとは大したことじゃない、主演かどうかなんて、格の問題なんて、どーでもいい。

 そしてわたしはトドファンであると同時にヅカファンなので、トップスターの大切さも組構成の重要さもわかってる。トップスターがいる本公演に、「トップより上の立場」で特出することに、複雑な思いを持つ。
 主演のトドが見られるのも、大事に扱われるトドが見られるのも、うれしい。だけどそれと、大切な本公演をジャックされる組とトップスター、てのを眺めるのはまた別のこと。

 トドは好きだけど、主演でなくてもいいんだけどな。
 小劇場で主演してくれるのはもちろん大歓迎だけど、大劇場で主演には、こだわらないんだけどな。
 ……という思いから、その「大劇場で主演」が何作も何年も続くと、「主演以外が見たい」に傾いていく。

 最初に「専科」って聞いたときは、色濃い悪役や、脇のおじさまが見られると思ったんだけど。
 脂ののりきった頃にしか出来ない役ってあるし。
 なのにあれから何年? トドは主役しかしないの?

 あんまりにも主役だけをやり続けるので、もう望むことすらなくなっていた。
 最初なにに期待したのかも、忘れていた。
 トド=主役。はいはい、わかってますよ。

 それでも近年、トド様の進化は素晴らしく、「主役でしかできない、ものすげー濃密度の芝居」を見せつけてくれ、感激しきり。
 主役だけをやり続けてきたから、今のトドがあるのかもしれない。ここまで研ぎ澄まされた役者っぷりを見られるのは、彼がずっと「トップスター」だったからかもしれない。

 トドは主役以外しない……よくも悪くもそれは前提として、わたしのなかに刷り込まれていた。
 昔の望みを忘れるくらいに。

 それが。

 今回の『風と共に去りぬ』で。

 トドロキが、主演ではなかった。

 演目発表になったときのクレジット順からして、そーじゃないかと思っていたけど。
 初日の幕開き、開演アナウンスがまさおだったときに、震撼した。

 トド様が、主役じゃない!!
 大劇場本公演じゃないんだよ、組を背負っての公演だからその組のトップスターがアナウンスする、というスタンスじゃないんだよ、専科主演でも問題のない、別箱公演なんだよ。
 特に、演目が『風共』である以上、バトラー役のトドがアナウンスしてもおかしくないんだ。

 ほんとに、まさお主演、トドは相手役なんだ……。
 感慨深い。つか、感動した。

 ついに……ついに、トドが主役以外をやる日が来た。
 ユキちゃんが卒業したあの日から、主役以外のトドはいなかった。
 時代が今、動いた。

 トドロキが主演でなくなった、主演専科から降りた、これは降格ってことで、ファンならば嘆かなければならないのか? 憤らなくてはならないのか?
 だけどトドの主演舞台は今後もある、今も次の舞台が決まっている。主演だって引き続き見られる。

 轟悠は、新しい可能性を得たんだ。

 『南太平洋』もトド主演とは言いがたい作品だった。あれはうれしくなかった。あたかもトド主演であるかのように宣伝して、フタを開けてみたら彼は助演でしかなかった、なんて。
 でも今回は、クレジットからして彼が「主演」ではないこと、2番目の扱いであることを物語っている。
 だから安心して、「主役の相手役」であるトドの芸を堪能できる。

 これから、若いトップスターを支えるトドが見られるのかもしれない。
 そういう姿も、楽しみにしているよ。
 この有限の花園で、フェアリーであり続けてくれる人。
 まだまだ、彼にはいろんな可能性がある。
 わたしの目に映った、レット・バトラー@トドロキを語る。
 しつこく月組公演『風と共に去りぬ』の話、続き。

 バトラー@トドロキは、スカーレット@まさおを愛していることを、認めた。見て見ぬフリをしてきた、気づかないフリをしてきた、自分の心に降参した。

 そしてバトラーは知っている。
 スカーレットを手に入れるために必要なことを。
 バカな彼女を手に入れるためには、愛を言葉にするのだと、わかっている。スカーレットは野生児、言葉の裏なんか読めない。言葉にした、わかりやすいことしか、理解しない。
 わかっていて、バトラーは言わない。
 「愛している」ではなく、「金を持っている」と言う。
 ここで素直に愛を語れば、手に入ったかもしれないのに。わざと悪ぶって、突き放す。

 そのことをクライマックスで、バトラーは後悔する。メラニー@ちゃぴに懺悔する。
 素直に愛を語らず、悪ぶっていた。そんな態度だから、幸福な夫婦関係を築けなかったと。

 だけど、素直にデレられないのがバトラー。
 言葉の裏を読めないのがスカーレット。

 求婚時のバトラーの芝居がやばい。
 マジやばい。

 彼はあそこで自分が求婚することになるなんて、あの瞬間まで思ってなかっただろう。
 フランク@ゆうきが死んだのも予想外だし、夫の死を妻に告げて、そのままその妻にプロポーズって、人としてあり得ない。
 あり得ないことをしてしまうほどに、彼は打ちのめされた。
 運命に。
 もしくは、魂に。
 バトラーがバトラーであり、スカーレットがスカーレットであるということに。

 苦しい。
 見ていて、切なくて切なくて、苦しかった。

 神を見た。
 そんなバトラーだった。


 マミー@汝鳥サマが語るように、バトラーはこのときを機に、変わったんだろう。
 スカーレットと結婚してからは、無頼漢でも浮気者でもなく、誠実に生きたんだろう。
 でも、「わかりやすくカタチになったモノ」しか理解できないスカーレットには、通じない。
 生き方を変えたところで、言葉にしなければ、おバカさんには理解できない。
 「おバカさん」ゆえの飾らない本能で、「愛されている」ことは見抜いていても、その他が全滅、ナニも伝わってない。
 むしろ「愛されている」からとことん無神経になっている。アシュレ@コマとの不倫が噂になり、飲んだくれているバトラーにツンケンしてみせるくらいに、スカーレットはわかってない。

 同じ魂。
 だからこそ、惹かれたし……だからこそ、相容れない。

 スカーレットは、「悪く転んだバトラー」。
 似ている、と思い、チガウ、と思う。
 元は同じ、根っこが同じ、だからこそ、今ここに在る差異は深い。
 なまじ同じところからはじまっているから、「チガウ」ことへの違和感、嫌悪感も激しくなる。

 惹かれる、愛している、それと同じ強さで、相容れない、共に生きられない、という気持ちが存在する。

 同じモノ、ってさあ、いらないんだよ。
 ここに球体があって、もうひとつ同じ球体が見つかったとしても。
 同じモノふたつ、いらないよね?
 四角ならまだ、積み上げたり並べたりも出来るけど。球体ってさ、積むことも並べることも、出来ないよね?

 バトラーとスカーレットって、そういうことだよなと。

 それでもバトラーは、同じ球体であるスカーレットを欲し、彼女に横にいて欲しがった。
 自由に転がることをやめ、球である意味を捨ててまで、立ち止まろうとした。
 スカーレットはなにも理解しないから、不安定な球体のまま、好き勝手に転がる。彼女が落ちて壊れないように、必死に留めていたバトラーの苦労も知らず。

 最初から、無理だった。間違っていた。
 彼女は彼の「欠けた一部分」じゃない。別の、同じ球体だ。ふたりはどうあがいても、重ならない。共に生きられない。

 だからラストシーン、バトラーはスカーレットを捨てて出て行く。
 彼は努力した。運命に抗おうとした。でもそれも、終わった。
 スカーレットを愛してしまったのも運命、彼女と生きていけないのも運命。
 愛を認めてしまった、運命に膝を折った……だからあとは、彼女を失う運命から逃れようと、抗い続けた。
 それすらも、ついに、手放した。

 スカーレットは変わらない。
 ダイアモンドは傷つかない、マグノリアはまた花を付ける。
 バトラーも変わらない。
 孤独を愛せないモノは、自由を愛することも出来ない。
 魂が見えた、そのきらめきが見えた。

 『風と共に去りぬ』って、こういう話だったんだ。
 そう、すとんと納得した。

 や、わたしにとって、このトドまさ『風共』は、そういう物語だった。

 いいもん観た。
 ほんっとーに、いいもんを観た。

 ときどきこんな体験も出来るから、タカラヅカってすごいと思う。


 そして、轟悠。
 すごい役者になったなああ。

 いやその、長く彼を好きで眺めて来ているので。
 彼の年輪も含めて、愛しく誇らしい。

 タカラヅカのすごさ。
 そして、タカラジェンヌという役者のすごさ。
 わたしの目に映った、レット・バトラー@トドロキを語る。
 月組公演『風と共に去りぬ』

 孤独を愛せない男は、自由を愛することも出来ない。
 バトラーは孤独を享受するゆえに、自由を謳歌している。そこに揺らぎはない。
 だから、彼の前に飛び込んでくるスカーレット@まさおは最初、いじり対象。面白いものを見つけた、と。
 スカーレットを気に入ってちょっかいを出しに行くのも、素直に楽しそう。
 このまま南部が平和で豊かで、スカーレットがバカなお嬢様のままでいたら、きっとバトラーのスタンス、距離感は変わってない。

 だけど、敗戦があった。
 「アシュレ@コマとの約束のために」と恋敵のメラニー@ちゃぴを命懸けで守ろうとするスカーレット。そのがむしゃらなバカっぷりに、バトラーの心が動く。
 ただのバカお嬢様ぢゃないんだよ、スカーレットのバカっぷりは、筋金入り。
 それは、バトラーの「生き方」の揺らぎなさにも通じる。世間常識関係ナシ、自分を貫く生き方。

 それでもまだ本気じゃない。
 バトラーが本気でスカーレットを愛していたら、敗戦の混乱期、彼女をひとりにはしないだろう。
 北軍に捕らえられる前、彼は紙幣を山ほど持ってアトランタに凱旋していたらしいし。そこでスカーレットの消息を追わないあたり、その存在が「二の次」だったことがわかる。
 また、北軍に捕らえられているときの、面会に来たスカーレットへの態度でもわかる。
 まだ彼女を、手のひらの上で転がして、いじって楽しんでるよね。

 それが、変わる。
 スカーレットがしぶとくフランク@ゆうきを利用して生き延びているあたりで。

 妹の婚約者だったフランクと略奪婚、北部の人間との取引。町の人々がわかりやすくスカーレットを責めはじめる。
 それまでスカーレットはわがままさや型破りさを名士夫人方に眉をひそめられていたにしろ、「人としてのライン」は踏み外してなかった。ちょっとこまった人、レベルだった。戦傷者看護のボランティアにも参加していたわけだし。
 でも、略奪婚や敵と通じることは、南部の人々の「人としてのライン」を逸脱するモノだった。

 周囲をすべて敵に回しても、自分の生き方を貫く。
 スカーレットはおバカだから、糺弾されている本当の意味は理解していない。バカだから出来ることだとしても、……結果、彼女はバトラーの近いところにいる。

 なにもかもわかった上で、覚悟の上で、糺弾されつつ己れの道を貫くバトラー。
 なんにもわかってないまま、だけど本能で正しい道を察知して、己れの道を貫くスカーレット。

 「私は酷い女」と泣くスカーレットを責めながら、プロポーズするバトラー。

 この求婚場面が、いちばん泣ける。
 芝居ラストのメラニーの前で泣き崩れる場面や、メラニー死後スカーレットにスルーされて無言で部屋を出て行くところより、泣けるのが求婚場面。

 バトラーは孤独な人。
 ひとりでも、生きていける。生きていく。
 生きていくと、納得していた。それは悟りでもあり、諦めでもある。ただ、「そうなんだ」というだけのこと。

 そんな孤独な男が、自分以外の存在を欲した。
 それが、スカーレット。

 たぶん、彼女は彼に似ている。
 血肉を捨て煩悩を捨て、魂だけに剥いてしまったら、たぶんスカーレットとバトラーの魂は似ている。
 バトラーはそれに、気づいてしまった。

 や、だから最初から惹かれていたんだけれど、いろいろ理由を付けてはそれに気づかないフリをしていた。

 同じ魂を持ちつつも、人間は魂だけで生きるにあらず。
 性格や育った環境など、いろんなモノをまとっている。

 そしてスカーレットは、「悪く転んだバトラー」だ。

 剥き出しのままでは生きられない。それじゃケガをする。バトラーは自分の守り方も、戦い方も知っている。だから調子よく荒波を乗り越え、成功している。
 だけどスカーレットはどうだ。同じことをしているのに、非難囂々、障害を華麗に避けるどころか、自分からぶつかりに行って相手も自分も傷だらけ。
 見てられない。

 そして。

 剥き出しのままでケガばかりしている、バカなスカーレットは、要領よく生きるバトラーの「憧れ」であり「救い」でもある。

 バカだから、見ていられない。
 同じ魂、だけどあちらは「悪く転んだバトラー」。
 でも、そうなの? 転ばずにいる今の自分は、「正しいバトラー」なの?

 スカーレットは、バトラーの「いつか失ったモノ」ではないの?

 スカーレットが欲しい。
 彼女を得たい。
 魂が、欲する。
 孤独に生き続けるバトラーだから、いつか失った自分自身に惹かれた。切望した。

 スカーレットに求婚するバトラーは、殉教者のようだ。

 神というものに、あるいは運命というものに、膝を付いた。
 抗うことをやめた。
 あきらめた。
 知った。

 スカーレットを、愛している。

 その事実の前に、膝を折った。
 役者・轟悠。

 それを、噛みしめた。

 月組公演『風と共に去りぬ』初見時は、わりとニュートラルにいろんなところを観ていた。全体を眺め、楽しんでいた。

 でも2回目の観劇時は、トド様だけを見ていた。

 初日を観たときに思ったの。これは、トドを視なきゃ、って。
 生の舞台の素晴らしいところ。視界を、自分で決められる。
 物語の進行なんか関係ない。自分が見たいところだけを見る。
 オギー作品とか、見たい視界が多すぎるときは、観劇回数を増やす。テーマを決めて、その日の視界を決める。そーやって「今日はキムだけを見る日」とタランテラの影だけを見たり、したもんだった。

 最近のトド様は、わたしに「視界」を作らせる。
 彼を見なければ、と思わせる。他の出演者もストーリーも犠牲にしてかまわない、彼だけを見たい、と思わせる。
 犠牲ってのは、わたしにとって、ね。本来他の出演者も物語も、わたしを楽しませ、興味深く思わせるものだから。それらを楽しむ権利を放棄して、それらを愛でるキモチを捨てて、その代償としてトド様ビューを得る。
 ひとつを選ぶということは、選ばなかった他のすべてを捨てるということ。あああもったいない、苦しい、他のみんなも見たい。
 それでも、トド様を求めてしまう。

 彼の「芝居」を求めている。

 ストーリー進行や台詞の有無とは関係ない。
 舞台の上にいる、役を生き、「芝居」をしているトド様から、目を離したくない。
 彼の一瞬も、見逃したくない。
 そう思うんだ。

 意識してそう思うんじゃない。
 「わたしはトド様ファンだから、トド様だけを見るの」じゃなくて、いやそのトド様ファンだけど、そういうんじゃなくて、ただほんとうに「彼の芝居を見たい」と思うの。
 トドファンだからトドを見る、のではなくて、トドの芝居を見たい!と切望するから、トドを視るの。
 そこまでしなくてもいいや、と思える作品や役なら、ふつーに役の比重とかストーリー進行に合わせた見方をしていると思う。

 最初に降参したのは、『オネーギン』だ。
 初見でもちろん作品全体を観て、「トド様だけをガン見したい」と2回目を観た。初見のあと、その足でサバキ待ちした。もう一度観なきゃ、トド様だけ最初から最後までガン見しなきゃ、キモチが治まらなかった。

 次はこの間の『第二章』だな。トド様ビューを必要としたの。
 『エリザベート スペシャルガラ・コンサート』も、機会さえあればトド様だけ見たかった。チケットも時間もなくて、1回しか観られなかったから不完全燃焼。
 『南太平洋』は作品的に好みじゃなかったので、全体を1回観ておなかいっぱい、『おかしな二人』はたのしかったけど、トド様ビューは必要じゃなかった、わたし的に。

 トド様が繊細な芝居を展開するとき、わたしは彼に釘付けになるらしい。


 そして、今回のレット・バトラー。

 所詮植爺の前時代的大芝居。コテコテの昭和歌唱と型芝居。大きな劇場でどーん!ばーん!とやる系の作品。
 トドの当たり役、ハマリ役だとわかっていても、『オネーギン』で感じたような「繊細さ」を感じるとは、思ってなかった。役者としてどうこう以前に、作品と役ゆえに。求められる色の違いゆえに。

 わたしが期待していたのは「タカラヅカのレット・バトラー」!!を見せてくれること。
 クドくて昭和で異空間。現代風のオシャレさや薄さや軽さなんぞバトラー役に求めてない、つんつん尖って大気中で動けるとは思えない現代のカッコイイモビルスーツたちぢゃない、垢抜けてない初代ガンダムの良さ!! ザクの魅力!!
 それを見せてくれればいい。

 そう思っていただけに。

 植爺大芝居で、まさか『オネーギン』張りの繊細さを打ち出してくるとは、不意打ちだった。


 2回目は、トドバトラーがどういう人なのか、どういう役作りなのか、知った上で観ているわけだから。

 余裕綽々で悪ぶっている1幕前半部分すら、切ない。
 この強い強い男が、後半崩れ落ちることを知っている……わけだから。

 バトラーの変化を、彼がたどる道を、見届けたい。目を離したくない。
 彼を見たい。
 その芝居を、視たい。得たい。

 その思いだけで、彼をオペラグラスで追う。

 芝居を、欲する。
 その人の演技を、欲せずには、いられない。

 そーゆー人を、「役者」だなああ、と思う。
 『New Wave!』という演目が発表になったとき、全組でやるんだ! と、勝手にワクテカしたんですが。
 ……やるよね?
 『Young Bloods!!』も『ハロー!ダンシング』も5組全部でやったんだから、『New Wave!』もやるよね?
 ただ、前述2作は、最初から「5組全部で上演」と発表されていたんだなー。

 5組競作ってのは最初に発表することで効果を得る。「ご贔屓の出る公演はまだ先だけど、どんな風になるのか知りたいから、ぜんぜん興味ない組だけど観に行こう」てな観客を取り込めるかもしんないから。
 まあ、『ハロー!ダンシング』とちがって、今回は最初から超チケ難とわかっているから、宣伝効果を狙うために5組全部で、なんて発表は不要なのかもしんないけど。

 でも、「輝かしい100周年という記念YEAR」に、「“100周年”をキーワードにした若手メンバーによるフレッシュなショー!」を全組で上演するのは、わかりやすく意味がある、劇団が好きそーなことだと思うんだ。
 華々しく発表してもいいだろうに。それこそ、5組トップを集めて会見開いたとき、一緒に。まだ先の話だろうと、日程詳細や主な出演者未定だろうと、「100周年」をデコレーションする意味でにぎやかしに加えればいいのに。
 発表していないだけで、予定なんてもんは早くから決まってるんじゃないのかな、企業なら。しかも記念YEARで何年も前から気合い入れて盛り上げる予定の年なんだから。
 昔は1年分の演目と上演スケジュールを一気に発表していたのだから、ふつーに「出来る」こと。
 それを「しない」ことが不思議だ。
 演目未定にしておいて、毎月少しずつ発表することで世間の興味を途切れさせない戦略なのかもしんないが、上演スケジュールにない公演を追加するのは不思議だ。
 オーブ、中日、全ツ、日生などの公演の裏、本公演でない以上組をいつくかに割っての興行になることはわかっているのに、発表しない。……なんのために? どんな演目を誰がやるかは未定でも、全ツの裏はバウ、ぐらいは発表してかまわないはず。過去はそうしてきたんだし。
 いつからこんな風になっちゃったのかなあ。

 なんにせよ、『New Wave!』は全組でやるべきだ。

 でないと、不公平。
 それくらい、出演者にもファンにも意味のある公演。

 他の3組は上演が難しい、とか劇団は思ってるのかな? キャスト的な意味で?
 『New Wave!』の「主な出演者」という微妙な表記をされる部分で、花と月で共通していたのは、
1・新公主演経験者
2・89期が長、90期がサポート、そして超劇団推しの下級生スター(月組はここにちなつくんが加わっていたけど、彼は新公主演経験0.5回ということもあり、いろいろとイレギュラー認識)
3・主役を張る89期スターは、別箱主演もできるクラス(表記はともかく、実質主演のような構成で上演するわけだから?)

 他3組はこれに当てはまる布陣を敷けない?

 雪組は89期きんぐ、90期がおり、そして劇団推し下級生スターとして翔くん・咲ちゃんで1と2はクリア。
 しかし3がな……きんぐにバウ主演させる気があるのかっちゅーと、疑わしいところ。

 星組は、89期に新公主演経験者がいない。90期もいない。
 ひとりっ子政策の組だから、中堅にスターがいない。
 92期まで降りてよーやくマカゼだけど、彼はすでに3番手なので今さら『New Wave!』もない。
 93期で新公主演経験0.5のポコちゃんにショーの主演が務まるとは……ごめん、まったく思えない。
 それならまだ、95期のことちゃん主演の方があり得そうだ。しかし、それじゃ他組とのバランスが悪すぎて、「5組競作」にならない……。
 新公主演経験者ではないけれど、89期しーらん、90期れんたで十分興行的には(実力も人気も含め)成り立つと思うけど、変なとこにこだわる劇団(売れることがわかっている公演でもDVDを出さない、DVDを発売していいのは2番手以上だけ!!とかな)が許すかどうか。

 宙は89期かいちゃん、90期はいないけど91期あっきー、下級生枠愛ちゃんで収まりそうなんだが、かいちゃんが今年正式な3番手就任予定なら、無理なのかもな? マカゼと同じ、本公演で大劇場のセンターで1場面とかやってるスター様が、今さらバウでなにやんの的な? 花組のだいもんは、『New Wave!』上演当時は組3番手ではないわけだし?

 それぞれ組事情が違うわけだし、みんな違ってみんないい、みんな同じ、みんな横並びにしろとは思わないけど……。
 5組共通企画がすっと出来るくらいの整い方は、各組きちんとしてほしいよなあ。
 それこそ「10年に一度の運動会、123ゲーム楽しみ!」と素直に言えるくらい。
 えー、「123ゲーム」ってのは、トップスター、2番手、3番手が1組になり、各組対抗で障害物レースをする競技。はっきり言って「運動会の花形競技」。
 ……なのに今のタカラヅカは、「誰が2番手? 誰が3番手?」状態。10年に一度なのに「123ゲーム」がなかったら残念過ぎるよ。あったとしても、「え、※組は※※さんメンバーに入らないの?  なんで? ※※ちゃんより※※さんの方が※番手でしょ?」とか「※※ちゃんを入れるなら、※※くんで良かったんじゃあ?」なんて主観意見が飛び交ってもおかしくない。
 万人が認めるスターも番手もありえないにしろ、劇団が認めるのはこの人、とはっきり打ち出されていたのにね。


 なんにせよ。
 『New Wave!』が全組で観たい。
 しーらん中心の星組も観たいし、あっきー活躍期待!の宙組も観たい。

 そしてなにより、きんぐ&がおりの雪組『New Wave!』が観たい。
 うきゃーーっ!! きんぐセンター観たいよ~~! がおり活躍が観たいよ~~!!
 やってくれよー、劇団様ーー!


 ところで、『New Wave! -月-』なんですが、今回はさすがに初日ではなく、中日あたりに観劇しましたの。

 うちわ装備が当たり前なんですか?

 コンサートみたく、推しメンの名前や写真で飾ったうちわを客席で振るの。
 キャストはトークコーナーなどで、自分のうちわを見つけてコメント。……てことは、みんな競ってうちわを用意するよね。

 うーん、これが『New Wave!』のスタンダードになったら、おばちゃん、つらいなあ。
 全組全公演観劇スタンスなもんで、推しがいない公演だってあるわけですよ。バウホールみたいな小さな会場で、「うちわ必須」だと、敷居が高過ぎて行きにくい……。
 『New Wave! -月-』、期待通り楽しみました。

 「センター」が決まっている、「ピラミッド」が正しく形作られている「ショー」はいいですな。「タカラヅカ」を観た!って気になりますな。

 や、『New Wave!』は「主演ナシ、主な出演者ってだけ」という建前ですが、ほんとのところ、がっつり主演が決まっている。
 今回は、トップスターみやるり、トップ娘役みゆちゃん、という役割でした。
 としくん、ちなつくん、たまきちはトリプル2番手? 順番付けるのは観た人の好みや印象で左右されるかな、てな。

 わたし、みゆちゃんの存在をすっかり忘れていて、実際に観劇して驚きましたの。
 や、みゆちゃんを忘れていたわけではなくて、「みゆちゃんの立ち位置」を、失念していたのね。
 『New Wave! -花-』の印象が強かったもんで、「主な出演者は、男役だけ」と思い込んでいたの。
 つまり、みやるり、とし、ちなつ、たまきちの4人だって。
 それがフタを開けてみたら、「主な出演者」が5人だった。

 多過ぎ。(白目)

 カーテンコールで5人横並びなのを見て、びっくりした。
 花組は、3人だったのに。

 「みやるり主役!」と意気込んで観劇した分、肩すかし感も大きかった……。
 花組は、主な出演者が3人、しかもまぎれもなくだいもん主役、アキラ&キキのセンター場面ももちろんがっつりあるけれど、だいもん中心場面の多さ、他のふたりは彼の後ろで踊る、そんな構成が当たり前の公演だった。
 だから同じモノを、勝手に期待していたのよ……。
 だいもんが3人で分け合っていたパイを、みやるりは5人で分けなければならなかった。だから単純に、出番も見せ場も減った。

 さすがに、5人は多いわ。
 大劇場ではもっとたくさんのスターがいるとはいえ、その場合、番手が分かれているわけで、「主な出演者」として男役4人横並びに出番と見せ場を建前上作らなければならないのに、そこにもうひとり加えて……って、そりゃ大変だわ……。

 『New Wave!』が楽しいのは、トップスターを中心としたピラミッド型の「タカラヅカ」ショーであること。
 ピラミッドなのは確かだけど、トップ直下に3人、てのは、バランスむずかしい……。

 みやるりのセンター感が薄れ、『Young Bloods!!』より『ハロー!ダンシング』に近くなった感じ。
 わたしは『Young Bloods!!』の方が好き。「タカラヅカ」はトップスターがいなきゃだわ。

 わたしが勝手に、「みやるり主役でショー公演!」と盛り上がっていたので、「え、出番少ない、比重低い」としょぼくれただけで、そうでない人からすれば、「はあ? ナニ言ってんのこの人」てなもんかしら。
 公式発表の「主な出演者、4人並列」だと思って見たら、「みやるりの出番多すぎ? 主演みたいじゃん?」と思うだろうから、やっぱ先入観の問題か。

 でもって誤解してほしくないのですが、「5人は多い」というのは、「誰かの扱いを落とせ」と言っているわけじゃないっす。
 誰がどう、ではないし、誰にも活躍の場、「ショーのセンターを経験できる」この公演があって良かったと思っています。

 じゃあどうしたいんだ、いちゃもんつけんじゃねえ、てなもんですよね、すみません。

 みやるり氏の受け持つ場面が、ほんと純粋に「ショー」というか、リサイタル的というか、ドラマのある場面でなかったことも、わたしの消化不良につながってるんだと思います。
 やっぱトップスターには、ストーリー性のある重い場面をひとつはやって欲しいのよ、ショーで。
 今やってる『CONGRATULATIONS 宝塚!!』が不満なのと同じ(笑)。銀橋ラインアップする中詰めの繰り返しぢゃ、つまんない。
 ストーリー性のある場面をトップがどっぷり演じ、小洒落た歌やダンスだけのシーンは2番手以下、カーテン前も含む、ってのが、わたし的に「落ち着く」構成。
 重めの場面は他の「主な出演者」たちで、みやるりが「ショー」だけ、ってのが、残念。

 公演自体の構成がより平板に感じたのは、そのせいかな。……まあ、ミキティに過剰な期待はしてないけども。


 みやるりの新公主演を、思い出したの。
 たったひとりで長い時間、大劇場のセンターに立ち、「場」を埋めなくてはならなかった、あの役。
 今のみやるりなら、どんな風に務めるのだろう。
 そう思うから、バウとはいえ、エリヤーフーのダンスソロみたく、「ガチでドラマ表現!!」場面が欲しかったなあと。
 や、勝手な思いです、はい。


 個人的に、モータウンに思い入れがないので、2幕の曲構成は月組の方が好き。


 みやるりセンターにきゃーきゃーわくわく。きれいっていいよね、クドいっていいよねっ。
 としくんの歌とダンスに酔う。やっぱこの人好き~~。
 ちなつくんはいろいろと可能性のある人、というか、まだ鉱石の眠ってる採掘場的なイメージ。それをまた、改めて思った。機会さえあれば、まだまだナニか出てくると思うんだ。
 ただひとり路線人生ど真ん中のたまきちくん、スター修業がんばれ~~。バウのセンターはすでに違和感なし。

 ところで、輝月ゆうまくんの「昭和スター」ぶりは、ナニゴトですか(笑)。

 彼が出てくると、「昭和スター、キターーッ!」なキモチになる。
 身長からして「昭和」ではありえないのに、バランス? 芸風? とにかく、すげーくすぐったいキモチになる。
 彼にはいろいろ期待している。頼むぜ大将。


 もう一度観たくても、バウじゃチケット手に入らないもんなあ。

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