そーいや、新公プログラムが、カラーになっていた。

 もともとカラー印刷だったのに(裏面の広告はカラー)、頑なに主演者写真を白黒で通してきてたのよ、歌劇団。
 以前の公演プログラムが、トップスター以外は白黒だったときの流れで。組子のスチールが白黒しか発売されてなかったから、ソレしかないから、ソレを使う新公プログラムも、白黒だった。
 プログラムが、そしてスチールがカラーになって何年? 十年じゃきかないよね? よーやく新公もカラーにしましたか……その無意味に保守的なところが、いかにも宝塚歌劇団。

 100周年を機に刷新しているんだろうけど、わたしとしては雪組東宝『Shall we ダンス?』新人公演のプログラムが気になる……。
 だって、ムラではいつもの白黒だったんだもん。
 なのに東宝ではカラーに?
 かなとくん、100年の歴史でただひとり、「白黒(ムラ)とカラー(東宝)」両方の新公プログラムを持つ男、になるのか(笑)。


 ともあれ、新人公演『眠らない男・ナポレオン』の感想。
 構成的には、カットされていてもなんの問題もなく、『ベルばら』とかと同じ、新公の長さでショーと二本立てにすればいいのに、と思った。
 いちばん派手な戴冠式場面がカットされていたけれど、派手だってだけで、ストーリー的には別に、なくてもいいしなー。


 印象に残ったのは、バラス@夏樹くんが、イケメン過ぎる。

 バラスがもっとも美しいと、物語が変わってしまう(笑)。
 美形で権力者、誰も彼もが彼の寵を争って、それで終了しそうだ。

 それと、フランツI世@夏樹くんが、イケメン過ぎる。

 本役さんも、なんで2役やるのかわかんなかったけど、新公は違う意味でも疑問に思った。
 本役さんは、役者としての個性や存在感が半端ナイので、2役に向かない人だ。出てきた瞬間、「あ、バラスだ」とわかり、でも別の役らしいってことで、混乱する。
 夏樹くんは、単に美形過ぎて目立つから、2役に向かないと思った。

 あんなに若くて美しい皇帝陛下ってナニ……。
 あんなに大きな娘がいるとは思えない(笑)。

 美しいし歌ウマだし、どうして夏樹くんはプッシュされないまま新公卒業なんだろうなあ。よくわからん。


 美形と言えば、イポリット@拓斗れいくんがマジで美形で、ウケた。

 や、イポリットってこれでもかっちゅー、ツバメ、間男ですやん。「人生顔だけ」みたいな。それ以外はナニも描かれてないから。
 そんな役割のキャラだから、他のナニを差し置いてもまず必要なのが、美貌。

 ぜんぜん知らない子だったし、前もって配役チェックもしてないし、「どんな間男が出てくるんだろ」と思ってたら、ほんとに「間男です」ってキャラが出てきて、ウケた(笑)。

 すばらしい美形っぷり!! こんだけハンサムだったら、そりゃ浮気するわー。説得力。


 ジョセフ@凰津くんの役作りがわからない(笑)。

 本役さんも美形ですが、新公もまた、むやみやたらと美形で、ジョセフさんがわたしにはますますわからない。
 だって凰津くん、美形な上になんか企んでる人に見えるんだもん。
 タレーラン以上に、腹に一物、すげー「悪役」に見えた。
 とても「弟のおかげで出世、でもそれだけの人♪」には見えないよ。ナニかありそうで彼の存在に引っかかって、でも物語的にはなんの書き込みもなくて、彼を見ていた分話の本筋に置いていかれてしょぼん。

 よくわかんないけど、美しいは正義だ。
 きれいだから、いいや。

 凰津くんの顔の変わり方は衝撃的で、星担さんにしょっちゅう「凰津くん、顔変わった?」と尋ねていたよーな気がする。
 文化祭観たときは、まさかこんな顔になるとは思ってなかったよ……。まんまる(デコ含む)くんだったからなあ。
 若い子は公演ごとに顔が変わる。「若いからまるぷくでも仕方ない」が通用しない例が、凰津くんだな。その削げた頬に乾杯!!


 毎度同じことをゆーてて恐縮ですが、マルモン@瀬央くんは、ナニがどうあれ、好みの顔です。

 顔だけでOK出ちゃってるので、ぶっちゃけ、それ以外ナニもわかってません(笑)。
 役の持つゆるさゆえ、男役としての作り込み度合いがわからなくて。
 ただ、新公だけ観てたら、いろいろと疑問だったかも。本役さん観てるから、「アレを踏襲したら、こうなったのね」とわかる。
 ……ベニーはベニーだから許されているので、他の人はベニーを目指さない方がいいと思う……あくまでも、わたしは。


 イケメンと言えば、この人! タレーラン@ポコちゃん。
 登場した瞬間に「死、キターーッ!」と、思った。
 や、ぜんぜん関係ないし、違うはずですが。
 でもなんか、そっち系……。
 前回の『ロミジュリ』新公はすごく良かった。「死」は美しくてナンボ。ポコちゃんの美貌は、ソレだけで眼福だった。
 ポコちゃんは「美形」を作ると似通ってしまうのか……?
 わたしの先入観ゆえ、「死」が印象強すぎたせいかも。

 外見の他は、なんつっても、歌……。
 や、タレーランがポコちゃんだとわかった瞬間に、歌、どーすんだ? と、うろたえたもんよ……。
 いやその、どうするもこうするも、どーにもならんよね……。
 この役は、美声と歌唱力あってこその説得力なんだよなあ。
 たしかにきれい、きれいなんだけど、なんだけど、えっと。


 ウジェーヌ@天華えまくん、名前だけみると娘役みたいねー。
 配役だけ発表になった頃、ことちゃんファンの友人が「新公のことちゃんの役は娘役?!」ってうろたえてた。ご贔屓に子役ばっかあたることを気に病んでたゆえ。
 ジョセフィーヌの息子役だからといって子役とは限らない、と希望をつないでいたのに、新公を娘役がやる=子役、ってことだから、「オーマイガ!!」な気持ちになった模様。
 ふつーに男役さんですな。歌ウマ。

 あと、やっぱマリー・ルイーズ@美伶ちゃんがかわいくてうまかったー。
 マリー・ルイーズって「あとから来たヒロイン」っていうか、「タカラヅカのヒロイン」力がないと務まらない役だと思う。
 ヒロイン経験者は短い出番で、ちゃんと「ヒロイン」してくれて、気持ちいいっす。
 歌えるって、すごい。

 新人公演『眠らない男・ナポレオン』にて、しみじみ思いました。

 なにはさておき、ミュージカルは歌唱力、舞台は声、だと。

 まず、開演アナウンスからして、感動した。
 新人公演主演男役が、開演アナウンスをする。トップスターと同じように、名乗りからはじめて、公演名を言う。
 その声が、すでに、男前。

 えええ。
 わたし『ロミオとジュリエット』新公も観ているけど、あのときはこんな風に思わなかったよ?
 ことちゃん、さらに「イイ声」になってる?

 めっちゃイイ声ゆえ、どんな美形様が、大人の男が登場するのか!!
 と盛り上がる期待感。
 しかし、舞台に鳴り物入りで登場したのは、丸顔のかわい子ちゃんで……男というよりは、「かわいい下級生」で。

 えええ。(2回目)
 聴覚と、視覚のギャップに驚愕する。

 何故だ。
 何故あのまるっこい男装したオンナノコから、こんなオトコマエな声が出てるんだ。

 2時間半の本公演を、挨拶込みで2時間にまとめてあるわけだから、カット有りの縮小版だ。
 本公演以上に、「歌ありき」の構成になっていた気がする。とにかく、ずーっとずーっと、歌っている。そんな印象。

 それが、心地よい。

 『ロミジュリ』のときは、いろいろ気になったんだけど、今回はもう、ただ「歌」を聴くだけで楽しかった。
 芝居がどうとか役作りがとか、どーでもいい感じ。気にならない。それくらい、歌が気持ちよかった。耳福だった。

 たぶん、わたしが『ロミジュリ』を好き過ぎるんだな。
 『ロミジュリ』の「物語」に思い入れがありすぎる、人間ドラマにドリームし過ぎている、そのせい。
 ドラマの大きさ深さに対し、ことちゃんの「等身大でやるだけやりました」的な新公は、物足りなかったんだと思う。

 でも今回はほら、天下のシェークスピア様と違って、所詮、イケコオリジナルだし。
 心理描写もキャラクタも薄っぺら、豪華な衣装と派手な舞台装置を楽しむ、「テーマパークのアトラクション」じゃん?
 そして、音楽はわざわざ巨匠作なわけっしょ?
 芝居よりなにより、「歌」の実力が優先されるのは、仕方ないことじゃん?

 「歌」がなにより大切。
 「歌」が良ければ、あとのことは気にならない。
 だってそもそも、そういう作りの作品。わたしが『眠らない男・ナポレオン』自体に、なんの思い入れもないもんだからニャ……。すまん、偏った感想だと思うよ。

 ことちゃんの芝居自体は、れおんくんのコピーだと思ったし。全部きれいにコピーできていたわけではなく、目指したけれど、届いてなかった印象。等身大の「子ども」にはならないよう、がんばっていた。
 全部コピれてはいないけれど、ちょっとしたニュアンスをきれいに真似ていたりして、だからこそより外見の……視覚のギャップにとまどったりな。

 途中から、オペラを使わずに楽しむことにした。
 遠目ならば、視覚に混乱させられずに済む。

 そして、デジャヴに気づいた。
 こんな公演、知ってる……。
 そうだ、みっちゃんの新人公演だ。
 オペラなしで、耳で楽しむ新人公演……もっと歌って、歌を聴きたい、次の歌は何場だっけ……そう指折り数えた、『飛鳥夕映え』新公。
 なつかしいな、あれから何年……って、ちょうど10年かよ!!

 ほくしょーさんはともかく、今のことちゃんはまだ、ビジュアルが実力に追いついていないのだと思う。
 まるまるぷくぷくしたほっぺもお尻も、研5じゃあ無理もない。
 ジェンヌは時間と共に磨かれる、きっとこれからシャープにかっこよくなってくれることと思う。

 歌唱力なんかどーでもいいと思っている歌劇団において、これだけ「男役の声」で「歌える」若手が登場し、劇団がちゃんと「スター候補生」として育てる気らしい……てのが、それだけでうれしい。
 いやほんと、歌がアレなスターさんたちばかり眺めて来たもんでなあ(笑)……「歌える」ってだけで御の字です。

 そしてわたしはやっぱ、「声」が重要なファクタなんだわ。
 「声」が良くないと、わくわくしない。

 頬はこれから削げるかもしんないけど、「声」は持って生まれたモノが大きいじゃん?
 この美声でもって、あとは男役らしい美しさを身に付けてくれたら、鬼に金棒!
 芝居の表現だって、「声」を自在に操れれば、出来ることがたくさんある。

 楽しみにしています。


 ヒロインのジョセフィーヌ@風ちゃんもまた、基本はことちゃんと同じ感想だった。や、「芝居」においては、ことちゃんよりずーっとうまいんだけど。

 こちらもまた、オペラいらず、歌声堪能。
 オペラを使わない方が、「絶世の美女」としての説得力がある。
 や、ジョセフィーヌ役はいわゆる「タカラヅカのヒロイン」でない分、風ちゃんの美しさを生かせる役だったと思う。『ダンサ セレナータ』新公のときも思ったけど、アクの強い美女役はハマる。
 テレビではなく舞台だから、今はそれでいいと思う。本来の顔立ちがどうではなく、舞台で華やかな美女を演じられればいいんだもの。

 ただここは「タカラヅカ」なので、このまま学年が上がり、スター路線を進むというなら、「タカラヅカ的な美貌」と「見た目の説得力」も必要だとは思う。
 風ちゃん、かわいいけど、「美女」というタイプではないからなあ。

 それにしても、ジョセフィーヌの大ナンバー、本役ねねちゃんが音程行方不明になりがちで手に汗握ったもんで、風ちゃんに期待していたんだけど……期待が大きすぎたかなあ。思ったほどじゃなかった……てゆーか、どんだけむずかしいんだ、あの曲。


 ことちゃんと風ちゃん、耳がよろこぶ素敵な新公でした。
 よくぞこんだけ歌いきった。
 ところでアルバートさん@まっつは、エラ@ちぎちゃんより、年下ですってよ。

 未涼亜希『Shall we ダンス?』『CONGRATULATIONS 宝塚!!』東宝公演お茶会で、実はこのネタに激しく驚いた(笑)。

 まっつ茶は「参加者からの質問に、まっつが答える」という形式で、「公演の話」が進行する。

 それで毎回出るんだ。「〇〇役は、何歳の設定ですか」

 そしてまっつは、年齢設定の話が嫌い(笑)。

 というか、そんな些末なことは考えていないんだ。いつも、いつも、聞かれるたびに唸ってる。
 そして、いつも、いつも、聞かれるんだから、答えを用意しておけばよさそーなもんなのに、しない(笑)。

 他人に言われて、とか、聞かれるから、とかで、答えを用意したり、自分を変えたりはしないんだろう。
 不器用というか、頑なというか。

 実はファンも、まっつのいやそーなリアクション目当てに、毎回同じ質問してんぢゃないの? と思ったり(笑)。

 そして、さんざん唸るまっつを見かねてか、司会者さんが「エラさんと同年代くらい?」と振ったんだったと思う。それを受けてまっつが、「エラより年下」と答えた。

 エラがいくつだとか、具体的なことではなく、「エラが何歳かおねーさん」だって。
 「おねーさん」って言いましたよこの人! や、なんかその言い方がツボって(笑)。

 エラより、年下……?

 えーと、アルバートさんは、「競技ダンス界の、若きプリンス」。
 いやその、「若き」と言われてること、「プリンス」と呼ばれていることも、台詞として知っているし、実際初日に観たときは、「まっつ、若っ!!」と驚愕した(失礼)。
 でもさ。
 でも……ほんとにー、そこまで、若い役だったのか!! まっつのくせに!(だから失礼だってば)

 大劇版では翔くんが、一生懸命大人に、冷静に作っていたキャラクタが、東宝のまっつはやたら若い、感情豊かな青年になっていた。
 「若きプリンス」だからどうこうっていうより、ほんとうに、「若い人」として演じていたのか。

 でもねでもね、ちぎくんのエラは、大劇版より東宝版の方がかわいくなってるんだよ? アルバートの手のひらで転がされてる感じというか、より素直に感情が出ているのが、かわいい。
 そのかわいいエラは、「おねーさん」で、アルバートは「年下の男の子」……。

 ちょっ、なにソレ、萌えるんですけどっ?!!


 あと、ダンスホールでモメはじめるミハエル@きんぐを眺めているアルバートさん。
 そのときの気持ちが、また、リアルっちゅーか、らしくって。
「めんどくさいことするなー」
 ……や、そうなんだけど。その通りなんだけど。
 「王子様」なら、「義憤を感じていた」系のこと、言えるじゃん? なのにまあ、なんと等身大の「青年」の言葉……(笑)。
 せっかくの「ボールルームダンスを盛り上げるイベントなのに、ぶちこわしやがって」って。

 そのあと、バーバラ@せしこを病院に連れて行ったとき、上着を脱いでいる理由も、リアルっちゅーか、らしくって。
「だって病院であんな派手なの着ていたら、おかしいでしょ」……だから、脱いだ。まっつが、自分で。
 誰に指示されたわけでもなく。そして、演出家からも止められなかった。

 初日を観たとき、いちいち「まともな人だ」と思った部分が、全部「まっつ自身の役作り」……つーか、まっつ本人の感覚? なのが、ウケた。

 あと、競技会でミハエルを落としたのも、アルバートさんで合ってます。
 もちろん、彼だけが、ではなく、審査員みんなで決めたことだけど。
 でも、アルバート自身……つーか、まっつ本人も、強く「アレはバツ」と思ってる。
 いちいちまともな反応、まともな人……(笑)。


 まっつの答え自体もだけど、「答え方」にも注目していた。
 司会者さんはいつも「ありがとうございました。では次の質問……」てな風に、まとめようとするの。
 まっつが答えに迷ったり、一旦言葉を切るたびに。
 司会者は基本「進行をする人」で、話を膨らませたり、ツッコミを入れたりする人じゃない、まっつ茶では。なんでそこで引くかな、突っ込んで聞かないかな、とじれったいことの方が多い。まあ、理由があってそうしているのかもしんないが。
 ともかく、そんな司会者さんがさっさと話を終わらせようとするたび、まっつが話を続けるの。
 話したい、らしい。
 もっと。

 ああ、うれしいんだな。
 舞台に戻ってきて、舞台人として、タカラジェンヌとして、生きられて。
 基本クールなまつださんですから、それを派手にきゃあきゃあはしゃがないけれど。

 うれしいんだ。
 楽しいんだ。

 話したいことが、いっぱいある。
 いつもなら司会者さんが早々に切ってまとめてしまう、そこまでなのに、わざわざ追いすがって話を続ける。
 それくらい、うれしいんだ。

 うれしいまっつを見られて、わたしもうれしい。


 ショーでは壮さん他、いろいろとヲカマ……いやその、女装……いやその、華やかな美女が勢揃いしている。
 それに対してのまつださんの言葉が、これまたツボ。

 グランドエトワール@えりたんを、エスコートしているまっつ。
 あの脚出しえりたんですよ。電飾付きドレス姿の。

 まっつは、えりたんを守ることを考えている。

 見るからに重そうな衣装。それを着て、階段を降りなければならないえりたん。
 まっつはごく当たり前に、「なにかあったとき、どうにかしなきゃ」と思っている。なにか……つまり、えりたんが足を踏み外すなりしたとき。エスコートしているまっつが、彼女(!)を、支えなきゃ。
 その前提で、考えてるんだ。「どこをどう支えればいいのか」と。なにしろ電飾付きのセットみたいな衣装だから、触っていいところは限られているだろうし。

「あなたは最後までバーバラをかばおうとした」……ヘイリーさんと同じことを、まっつさんもしますよ! ヘイリーさん! ぢゃなくて、えりたん!

 まあ実際なんかあったら、まっつごと転がってると思うけどな……まっつが電飾ドレスごとえりたんを支えられるとは、とても思えない……(笑)。
 で、でも、ごく自然に、パートナーを守ろうとしているまっつは、男前だと思うの!(フォロー)

 で、まっつセンター場面は、何故かヲカマ……ゲフンゲフン、脚線美の長身美女たちがちっちゃなまっつを囲んで踊りまくっている。
 彼らについての、まつださんのコメントは。

「ニューハーフショー」

 まっつからはあまりメンバーが見えず、視界に入るのは「かりょうしずるさんと、れんじょうまことさん」。
 ふたりは、「スタイルもいいし、きれい。……でもニューハーフショー」とのこと。まつださん……(笑)。


 がおりくんは、芝居でもアルバートさんにちょっかい掛けてくれてるしねえ。
 胸筋自慢のアーカムくん@がおり。アルバート@まっつとしては、「どうしたいのかさっぱりわからない」そうな。
 やだもー、アーカムGOGO!!
 休演について、触れてはならない。
 舞台はナマモノであり、言い訳のきかないエンタメだ。
 休演者などいない。不調な者などいない。最良のキャスティングで、最高の舞台を作っている。
 それが、建前だ。

 映画でもなくテレビドラマでもなく、生の舞台を愛しているモノとして、その建前を素直に信じ、愛する。
 だから、劇団が意志を持って「休演」に触れずにいることにも、納得していた。

 また、まっつ本人も、休演についてはなにも語らないだろう。そう思っていた。
 声が出ないときも、一切の説明・言い訳もなく「これが最良」と通した。舞台にあるものだけを、観客に示した。

 今回もまた、そうだろう。
 泣かない、言い訳しない、それがまっつ。しれっと「いつもの」まっつ節で通すのだろう。

「千秋楽、泣くと思う?」
「思わない。泣くわけないよ」
「だよねー」
 『巴里祭』で、初バウ主演で、友人たちと交わした会話と同じように、
「休演についてなんか言うかな」
「言わないんじゃない?」
「言わないよねー」
 と話した。

 そうやって参加した、未涼亜希『Shall we ダンス?』『CONGRATULATIONS 宝塚!!』東宝公演お茶会にて。

 たぶん、「言わないよねー」と思ったのは、わたしとその周辺だけでもなかったんだろう。
 会が用意したお茶会の進行は、「まっつさん復帰おめでとうお茶会」などではなく、「いつも通りの、なにひとつ変わらないお茶会」だった。
 以前、長期休演(全休)していたジェンヌさんの復帰公演のお茶会に参加したことがあるけれど、それはちゃんと会主体の「復帰おめでとうお茶会」だった。だから、お茶会のスタンスが違うことは、よくわかった。
 乾杯のあとは、公演の話。あくまでもふつーの進行。

 それを、まっつが、遮った。

 なにごともない、ふつーのお茶会としての台本を、まっつが、覆した。

 細かい言葉はおぼえてない。
 たしか、「その前にまず」と、話し出した。

 新年の挨拶、復帰宣言、陳謝と感謝。

 用意されていた質問を、進行を、遮って。
 まず、伝えなければ、と、意志を持って。

 劇団は「復帰」を明言していない。「休演のお知らせ」はあっても、「復帰のお知らせ」はしない。
 最初に発表したキャストが「いるのが当たり前」だから、「いなかったこと」も「復帰したこと」も、等しく触れない。
 それを通すことも出来る。それが穏便なのかもしれない。
 それでもまっつは、自分の意志で、自分の言葉で、まず、筋を通した。

 新年の挨拶。ひととして、ふつーのこと、礼儀。
 そして、復帰宣言。
 待っていたわたしたちを前にして、わたしたちが、いちばん聞きたかったことを、明確に言葉にした。舞台人として。
 そして、心配を掛けたことの詫びと礼。ひととして、舞台人として。

 ひとつずつは、当たり前のこと。
 だけどそれを、きちんと自分の意志で行う姿に、彼の「ブレなさ」を見た。

 あ、わたしは男役さんを通常「彼」と表記します。生身の男性と混同しているわけではなく、芸名で発信している部分は舞台上と同じ「タカラジェンヌ」というファンタジーだと思っているので。

 そうやって進行を奪っておきながら、言うだけ言ったらまた司会者に話を戻し……「なんだっけ?」と、公演の話に。
 あとはいつもの「まっつ節」。ばっさばっさと公演ネタの質問を、話題を、切っていく(笑)。

 休演後のお茶会だから、いつも以上に参加者が多い。
 テーブルずらり、椅子がきゅうきゅう、もちろん隅っこ席のわたしと友人は、「これじゃまっつ、客席練り歩けないね」と危惧したくらい。
 うん、いちいち椅子を引かなきゃ通れないよーな間隔だもん、まっつはいつもほどいろんなテーブル横を通ってくれなかった。仕方ない。
 こんなにたくさんの人が、まっつに会いにやって来た。
 まっつのお茶会が面白いのかどうか、わたしには実のところわかってない。
 まっつの喋りは独特の冷たさというか乾きがあって、そのすぱっとした切り方が、みょーに面白い。これはもう、ニュアンスの問題で、彼の言葉をまんま文章にしても伝わりにくいと思う。
 や、少なくともわたしの文章力じゃ伝わらないだろう。
 だからわたしはレポではなく、あくまでもわたしのフィルターを通した「感想」を書いている。
 わたしには、面白いんだ。
 万人向けの面白さじゃないかもしんないけど、まっつの喋りは面白いよ。

 テーブルごとの写真撮影はなくなったけれど、握手はある。
 まっつはすげー目がでかい。
 生で見る前は、あんなに大きいと思ってなかった。舞台での渋い印象が強いためか、切れ長のイメージだった。それが、実際に目にしてみると、こぼれ落ちそうな大きな目をしている。
 わたしだけでなく、最初に生まっつ体験した人がみんな、口を揃えて目の話をするくらい。……ってそれ、どうなの(笑)。
 大きな目をしっかり合わせて「ありがとうございます」と言ってくれる、握手は異次元体験です、わたしにとって。毎回、目しかおぼえてないや。

 そーやって、いつも通りのお茶会が一通り終わり。

 最後の挨拶で、まっつはまた、進行を遮って、話し出した。

 休演について。

 ケガの詳しい説明じゃない。そんな専門的なことではなくて、休演を決めた経緯と、復帰までの道のり。

 話の詳細はどこか詳しいレポがあると思うんで、わたしはあくまでも、わたしの感想として、まっつの言葉をまとめる。

 わたしは、まっつがいないことが、つらかった。
 初日前に発表された、全休演。
 最初から「いない」ような舞台。
 わたしはわたしの都合、わたしのエゴで考える、全休演ではなく、一部分でも出てくれたら良かったのに。やるだけやってみたら、意外に出来たかもしんないじゃん。
 ゆっくり休んで欲しい、無理をしないで欲しい、そう思う気持ちはもちろん本心だけど、まっつの「いない」舞台を観るつらさはまた別で、「まっつが休演していない舞台」を夢想した。本当ならここにまっつがいるはず、この位置、この歌はまっつだったはず……。現実に幻を重ね合わせた。
 それでも、限界はある。だって一度も観ていないのだから。
 せめて初日、舞台に立っていてくれたら。その姿を見せてくれていたら。そのあと舞台から消えてしまったとしても、その姿を胸に、復帰を信じて待っていられたのに。
 ……ええ、ただのわたしだけの都合、エゴです。
 わたしが救われたいだけの。

 だけどまっつは、「やるだけやってみたら、意外に出来たかもしんない」とは考えなかった。
 無理をすれば、初日に舞台に立つことは出来たかもしれない。でも、そのあと数日で休演することになったろう。幕が開いてからの、休演……それがどれだけ、混乱を招くことになるか。

 無事是名馬、健康に職務を果たすことがいちばんだけど、人間アクシデントはある。やっちまったもんはしょうがない、問題はそこで、どう判断するか。
 「迷惑をかけてしまう。それはもう覆せない。では、その迷惑をどう最小限に抑えるか」……それが、まっつの考えたこと。
 「舞台は仕事であり、お客様からお金をいただいている以上、半端なものは見せられない」……タカラヅカが「夢」の世界であることを踏まえた上で、その「夢」を作る仕事に対する責任感。「夢の世界」だから、自分が楽しければそれでいい、わけじゃない。「夢」を「仕事」にする以上、「責任」が伴う。

 このへんは考え方だから、「ケガなんて気力があれば克服できる」「舞台に穴を開ける方が問題」「仕事なんて夢がないことを、タカラジェンヌは言うべきではない」など、感じ方はそれぞれだろう。
 ただ、まっつは、精神論でぎりぎりまでがんばるのではなく、すぱっと身をひるがえした。

 彼が見ているのは、「今」ではなく、「今から続いている未来」だった。

 今自分が無理をして、結果、より多くの迷惑を現場に掛けてしまう。
 今自分が無理をして、結果、思うように身体が動かなくなる。

 それを善しとは、しなかった。

 だから、休演を決めた。迷わなかった。
 東宝復帰に向けて、治療とリハビリに努めた。

 わたしは今というか、足元しか見てないわけだから。
 「今」まっつがいないことに、傷ついた。
 でもそれは、わたしの勝手。

 まっつはちゃんとこうして戻って来て、そして、自分の言葉で「なにを思い、どうしたか」を伝えてくれる。

 それが、すべてだろう。

 劇団発信の場では、「休演はなかったこと」になっている。舞台はいつもその1回が最良のモノ、休演も復帰もない。
 だけど、ファンが集まるこの場では、きちんと休演について、話してくれた。筋を通してくれた。

 そして、またしてもまっつは、「ついて来てください」と言った。
 休演という「過去のこと」に囚われて、ぐずぐすベソかいていたわたしは、がつんとアタマを叩かれた気がした。

 休演している間、わたしたちが止まってしまっている間に、まっつはもっと先に進んでるって。
 わたしは「今」しか見てなかった。
 だけどまっつは、未涼亜希は、未来を見つめている。

 彼は、タカラジェンヌ。彼は、フェアリー。

 そして彼は、舞台人だ。

 舞台を「仕事」だと理解して、責任感を持っている。
 プロが本気で創り出すものだからこそ、彼らの舞台は、「タカラヅカ」は、あんなにも美しい。

 彼が舞台で「未涼亜希」として見せてくれるモノ、彼自身が発するモノ、わたしがそこから受け取るモノ、それだけがすべてだ。
 なにもなかった。
 はじめから、いなかった。

 それが、こんなにつらいとは、思わなかった。


 舞台は、1回限りの、リアルタイムのエンターテインメントだ。やり直しはきかないし、言い訳も出来ない。
 撮り直しや編集を重ねて最高の物にした映画やテレビドラマなどとはチガウ。たとえなにかアクシデントがあっても、不本意な出来であっても、それがすべてだ。そのとき創り上げたモノが「最良」。
 一期一会、二度とない、ただ一度だけ存在し、消えてなくなる。役者とスタッフ、そして観客は「同じ時」を共有し、すなわちそれは「人生」の一片となる。二度とないからこそ、取り返しがつかないからこそ、意味がある。

 雪組『Shall we ダンス?』『CONGRATULATIONS 宝塚!!』宝塚大劇場公演には、まっつがいなかった。
 ケガによる、全休演。

 組3番手スターが全休演なんて、わたしのヅカヲタ人生でも同じ事例の記憶がない。
 (トップスターの全休演や、番手スターの部分休演はあったが、それとは違う)

 大きな出来事だと思う。
 大変なアクシデントだと思うが、実際にはじまった公演では、まっつ休演については、一切触れられなかった。

 初日の挨拶でも、各種インタビューでも、スカステ内の番組でも。
 まっつが3番手として堂々と載っている公演プログラムのみ、訂正用紙が挟んであった。
 大劇場では入口など数カ所に、プログラムに挟んであった用紙の拡大版が貼ってあったが、なにしろプログラムの訂正用紙と同じ書式だから、掲示目的にしてはあまりに地味っちゅーか、目立たない。必要だから貼っているだけで、宣伝したいわけではないんだろう。ちなみに、今上演中の『眠らない男・ナポレオン』のプログラムの表記ミスの訂正文と同じ掲示の仕方だ。ミスプリと同格。

 劇団の希望というか、方針としては、休演者などいない、公演は完璧な形で行われているということなんだ。

 当たり前だな。たとえばシンプルに「販売品」「商売」として考えた場合、「予定していた部品が入手できなかったんで、急遽別の物で間に合わせた、新作の電子レンジです、さあ買ってください」と、メーカーがわざわざ宣伝するはずもない。
 「予定していた部品とチガウ? なんのこと? 最初からこの形で販売予定でした、これが完璧な形です!」ってことにしなきゃおかしいし、買ってくれた人に失礼。

 舞台はもちろん家電とは違う。予定していたキャストでないからといって、クオリティが下がるとは限らない。
 出演しているキャストが、最上の物を創り出している。同じモノが二度とない以上、今現在ある物が、いつも「最上」。それが現状であり、事実なのだから、休演者の有無など関係ない。誤表記にならない程度の掲示だけして、あとは「なにもなかった」。

 これがトップスターならば、そうはいかない。この興行を背負っているのがトップスターだからだ。
 タカラヅカはスター制度の劇団なので、トップ休演は「なにもなかった」ことにはしない。
 代役のスターがどれだけすばらしいパフォーマンスをし、すばらしい舞台を務めたとしても、別問題。
 『サザエさん』のイベントをします、とチケットを売ったあとで、「『サザエさん』の版権が取れず、急遽『ちびまる子ちゃん』のイベントに変更になりました。どっちも同じくらい人気の同じくらいすばらしいアニメだから、いいですよね」が通らないようなもん。どっちがすばらしいかとかの問題じゃなく、「チガウ」ことが問題。
 トップ休演については、アナウンスが徹底していたはずだし、インタビュー記事などでもそのことに触れていた記憶がある。

 トップスター以外の休演は、よくある。
 大きな役の付いていない下級生から、組内で重要な役割を持つ上級生まで。全休演もあれば、部分休演・演出変更など、いろんなパターンで存在する。
 が、この場合特にアナウンスはない。HPでの発表と、プログラム表記とチガウ場合はその訂正程度。
 もちろんスターたちのインタビューでも、初日・楽の挨拶でもいちいち触れない。

 まっつはトップスターではないので、この「一出演者の休演」と同じ扱いだ。
 最近の例でいうと、花組のじゅりあ休演のときも、トップや他のスターたちが、スカステのニュースやトーク番組、新聞雑誌のインタビューで「休演しているじゅりあさんが……」と話題に出すことはない。
 同じ舞台に立っていた・立つはずだった以上、「いるはずの人がいない」ために起こる混乱や苦労、感情はあるだろうけど、それは一切口外しない。
 「なんの変更もアクシデントもなかった。最初からこの形だった」というスタンスで通す。

 舞台は一期一会、今、ある形がすべてだ。
 そこに言い訳など存在しない。

 過去の例からしても、まっつが全休演する、という時点で、そうなることはわかっていた。

 だが。

 わかっていたことと、実際にそれを体験することは、別だ。

 複数日の稽古場映像を流すのが慣例の「プロダクション・ノート」も、まっつがいた時期の映像は流さない。
 代役は本人も周りも大変だったろうに、トークとして盛り上がる苦労談もあるだろうに、そのエピソードは「NOW ON」でも誰も話さない。

 販売DVDをはじめ、大劇場で撮影されるさまざまなメディアに一切映らないことは仕方がないが、東宝公演での撮影になる『TAKARAZUKA CAFE BREAK』すら、まっつは出演メンバーからはずされた。
 3番手ではずされた人を近年見たことがないので、やはり大劇場休演が理由だろう。
 出演者決定時期が休演中であった場合、その後東宝公演で復帰が決まっても、最初の企画を覆せない……そういうことかと思う。

 また、休演後に撮影されたと思えるスカステの「新春メッセージ」でも、休演についてのコメントは「リセットできる時期」という言葉止まりで詳細には触れられなかった。「2013年を振り返る」上で、もっとも大きな出来事だろうに、それに触れないのは、劇団的に「触れて欲しくない」と思っているんだろうなと思った。
 もしも今トーク番組に出演すれば、どうしても休演の話題が出る。『TAKARAZUKA CAFE BREAK』に出られるはずもない。

 まるでナニかの忌み語のように、タブーのように、細心の注意を払って「休演などナイ」とされている。
 休演者などいないのだから、未涼亜希という人も、最初からいない。

 仕方がない、ソレが当たり前だ……そう思いながらも、ただ、つらかった。

 だからこそ、東宝初日、わざわざえりたんが「雪組全員揃って」と強調してくれたことがうれしかった。
 タブーに触れない、ぎりぎりのところで、まっつの復帰を祝ってくれた。
 ありがとう、えりたん。

 そして。
 まっつがいないことのつらさとは別に。

 なにもなかった。
 はじめから、いなかった。

 そう扱われることが、つらかった。
 何年……ヘタすりゃ10年以上ぶりに、『夢まつり宝塚’94』のビデオを見て。

 やっぱ星組がダントツで面白いと思い、花組の正塚作品はひどいなと思う(笑)。たんに正塚がミサノエールを好きで、彼(彼女?)を主役にしたかっただけやん、と当時は思わなかったことを、今見て思う。

 そして、生で見たときは愉快なシメさんバトラーを面白いと思ったけど、映像で今見ると、本気なマリコバトラーの方が面白いな。
 『Shall we ダンス?』で笑いを取っているともみんよりも、その笑いを取っているともみんに対峙しつつ真顔と平常テンションで通すえりたんが面白い、のと同じだと思う。
 大げさな表情や身振りをするシメさんバトラーより、大真面目で本気で色男やってるマリコバトラーが、おかしい(笑)。

 当時も思ったけれど、アシュレをヲカマちっくにしたり、あちこちわざとらしいギャグ芝居をしているのは、脚本がきわどすぎて、そのまま演じられないためだよね?
 笑いに逃げずにドシリアスに演じたら、マジやばい。
 ヅカの舞台で、トップスターたちがガチのホモ芝居、ホモのラヴシーンを演じるわけにはいかないから、わざとギャグにしてあるんだよね?
 逃げ道を用意しているというか。

 アシュレとバトラーIIのラブシーンなんか、アシュレがナヨ男でなかったら目のやり場に困るもんなあ。


 で。

 愉快なモノを見たら、妄想配役を考えてしまうのが、ヅカヲタの常。

 『夢まつり宝塚’94』の星組版、『風と共に去りぬ~私とあなたは裏表~』を、今の雪組で、妄想配役(笑)。
 縁もゆかりもないけどな!

 『夢まつり宝塚’94』では、実際に本公演で『風共』を演じた組は、「本編そのまま」的なパロディをやってないのね。
 月組は舞台を日本の農村に移しているし、雪組はストーリーもナニもあったもんぢゃない出オチ物だし。
 実際に本役として演じた人が、そのままの役や姿で登場させることは、避けたみたい。……まあ、当然の配慮だが。

 だから、本編まんまをいじってある星組版は、実際に『風共』を上演してない組でやることになる。
 なら、今の雪組もアリだよね。今回『風共』やってナイし!
 ……という、なんというこじつけ。

 単に贔屓組で考えるのが楽しいからです、はい。


 キャスティングは、上から順に、

バトラーI@えりたん
スカーレット@あゆっち
バトラーII@ちぎくん
アシュレ@まっつ
ベル@ともみん

 星組版まんまに、番手順に当てはめました。
 持ち味・身長、関係ナシ(笑)。

 えりたんとちぎくんの、「♪私とあなたは裏表」!!

 身長チガウけど、キニシナイ!!(笑)

 えりたんはそりゃー真剣に「バトラー」を演じてくれるだろうし、ちぎくんは超真面目にやってくれるだろう。

 そして、飲んだくれて、えりたんに絡むあゆっち!!

 えりたんを床に転がし、翻弄するあゆっち!!

 ナニこの説得力。
 あゆっちに肉弾戦で来られたら、えりたんは簡単にお尻に敷かれてしまうのでは? いやその単純に体積の関係で……ゲフンゲフン。

 そして。
 実はいちばん見たい、内股まっつと、彼をくどく口ひげダンディちぎ。

 タメまくりながら歌うまっつ、そんなまっつを「愛してる」と情熱的に口説きまくるちぎ。

 ちぎまつ! ちぎまつ!

 まっつヲカマだけど! キニシナイ!!(笑)

 何故か突然、飲んだくれスカーレットに絡みにやって来るともみんベル。
 床に横坐りになって、ベルの見せ場、決め台詞を立て板に水で語り(照明は本気のピンスポ!)、さあこれからソロよ、ってときに退場させられる、素敵キャラ。
 ともみんならさぞや華やかでしょう。

 最終的に、階段オチでフィニッシュ決めるえりたんが見たい。
 ドヤ顔が見たい。
 見たい見たい見た過ぎる(笑)。


 とまあ、『夢まつり宝塚’94』ネタなんぞで楽しめるのも、妄想配役を考えてしまうのも、今やっている、月組『風と共に去りぬ』が、面白いからだ。

 わたし植爺嫌いだけど、今回ばかりはナニも言わない。
 この『風共』は好き。楽しい。

 気持ちよく劇場を出ることが出来るから、過去の「楽しかった公演」を、連想的に思い出したりするわけだ。
私とあなたは裏表。@夢まつり宝塚’94
 『風と共に去りぬ』を観ると、無性に、『夢まつり』が見たくなる。

 1994年、80周年に行われたTMPスペシャル『夢まつり宝塚’94』は、捨て身のパロディ公演だった。
 どう捨て身かっつーと、この年劇団は大々的に『風と共に去りぬ』を大劇場で上演しているんだ。天海祐希率いる月組でバトラー編、一路真輝率いる雪組でスカーレット編。前夜祭、役替わり、他組スター特出と、全組巻き込んでのフェスティバル、まさに『風共』祭り状態の年だったんだ。
 その、本公演で『風共』を上演しまくった年のTMPスペシャル……今で言うところの『タカラヅカスペシャル』にて、全組それぞれ『風共』パロディを上演した。
 ただでさえ再演を繰り返している有名作、しかも今年再演したところで、現在のヅカファンならほぼ全員知っる・観ている作品をネタに、全4組が、パロディを。
 ただ衣装を着てコントをやった、というレベルじゃない。

 舞台装置は、本物だ。

 ピティパット家もバトラー邸も、樫の木屋敷の庭園も。本公演で、実際に使った物だ。

 その本気の舞台セットの中で、本物の衣装を使い、パロディをやる。

 どんだけ本気なん。どんだけ捨て身なん。こわい。宝塚歌劇団がこわい……!!
 ……というレベル(笑)。


 忘れもしない、雪組版の「スカーレットがいっぱい」編。
 本公演でスカーレット役のいっちゃんがバトラーとして登場、あの美声で朗々と「さよならは夕映えの中で」を、銀橋を渡りながら歌い、なんてまともなはじまり方……と思ったら、本舞台にスカーレットが、3人。
 背中を向けて登場し、「ファニー・レディ」を歌いながら、ひとりずつ振り返る。

 最初のひとりが、トドロキ。

 はい。
 爆笑されまてました。

 次に振り返るのがタータンで、最後がセンターのタカネくん。このふたりはちゃんと拍手もらってた。

 トドのみが、爆笑。

 ただひとり、男声のままで歌ってたしね。

 トドのインパクトが強すぎて、他のふたりは笑われなかったんだよねえ。


 なつかしくなって、ビデオを発掘。
 封入されている冊子はオールカラー46p、歌詞まで載ってる大盤振る舞い。今と比べると、なんて親切設計。

 トドスカが振り返ったときだけ、拍手少ない……(笑)。

 わたしはトドよりも、古代様のスカーレットを必死にオペラで追ってたんだっけ。その他大勢として登場する古代様を補足するのは大変でなあ……。


 当時のわたしも雪ファンだったので、特に雪組場面に必死だったけれど。

 4組『風共』パロディ競作、もっとも面白かったのは、星組版だ。

 忘れもしない、ふたりのバトラー、飲んだくれスカーレット、そしてそして、ノルさんの代表作だと信じている、秀逸なアシュレ!!(笑)

 演出/中村A 『風と共に去りぬ~私とあなたは裏表~』
  スカーレットが愛したバトラーとは、一体何者だったのだろう…


 今でも友人たちと語りぐさになっている。
 まさかの「バトラーとスカーレット逆転バージョン」。

 性別はそのまま、役割だけが男女逆、という。

 幕が開くと、「街の男」たちがカーテン前で「♪お聞きになった?」と歌い出す。
「バトラー船長とアシュレが?!」
 ケネディ雑貨店で、ふたりが抱き合っているのを見てしまったと言うんだ。
「♪お聞きになった?」「♪嘘でしょ」
 ハッチさんとかヒロさんとか、堂々たる顔ぶれの男たちが歌う……本編でおば様方が噂話に花を咲かせるのと同じノリで。
 まあ、最終的に彼らは「素敵」「いいと思う」とか口々に言いながら退場するんだけど。……ナニこの腐女子目線な男子たち(笑)。

 次にバトラーI@シメさん、バトラーII@マリコさんが登場。

 や、バトラーが大真面目な顔でふたり出てきた段階で、大笑いだったよなあ。
 なのにマリコバトラーがめっちゃ色男全開(なにしろ本公演バトラー経験者ですから!)に、
「どうするんだね、あんなところを街のうるさ方に見られて」
 って、スカーレットIIの台詞を言うもんだから、瞬時に理解できる、スカーレットとスカーレットIIの言い合うあの場面を、バトラーでやるんだってこと!!
「スカーレットの耳に入るのも時間の問題だな」
 ふつーに話しているだけで、おかしくておかしくて。

 しかも、話している内容が。

「しかし、抱かれているのを見られてしまった」
「やめてくれ。抱かれたなんて言うんじゃない。私が抱いたんだ」

 トップスター様と、2番手スター様が、ヒゲのダンディ姿で、大真面目に言い合ってます。

 そして、あの演出。
 ぴこんとライトが走り、ふたりのバトラーが、「♪私とあなたは裏表」を歌い出す……!!

 歌詞そのまま、振付そのまま!!

 スカーレットとスカーレットIIの、あのかわいらしいナンバーを。
 わ、わらいしぬかとおもった……。

 そして次の場面は、もちろん本気のバトラー邸舞台セット、例のテーブルで、飲んだくれるスカーレット@あやかちゃん。

 この、嫉妬に身を焼き酒をあおる、飲んだくれスカーレットの美しいこと!!

 そして、『風共』きっての名場面を、役割逆転したまま、やる。

 飲んだくれスカーレットがバトラーを床に転がし、

「あなたがあたしの腕に抱かれながら、あたしをアシュレだと思っていることは、ちゃんと知っているのよ」
「あたしはこの手でなんの苦もなく、あなたを八つ裂きにすることが出来るのよ」

 ……だもん。

 抱いているのか、スカーレット! バトラーを!!(笑)
 八つ裂きに出来るのか!! くるみ割りOKなのか!

 すごいよスカーレット! 強いよスカーレット!!

 その横で、バトラーIIとアシュレ@ノルさんの回想シーン。

 2幕最初のオハラ農場にて、スカーレットがアシュレに「一緒に逃げましょう」と誘う場面……と、あといろいろ混ざってる。
 首に花を付け、内股で歩くナヨ男アシュレに、色男全開のマリコバトラーが本気で口説きに掛かる。

「ぼくにはメラニーがいるんだ」
「ちがう、君は僕を愛しているんだ」
「愛してなんかいない」
「愛してるんだ」

 ……ヅカの舞台上、それも大劇場で、まさかの、ホモ芝居。
 スカーレットの情熱に、アシュレはつい我を忘れ、激しいキスを……のくだりを、男同士で、やる。

「いけない、こんなことをしてはいけない!」

 寸前で、アシュレが逃げるんだけど。

 客席は笑ってるけど……笑ってるけど、「どうしよう?」「いいのか、これ?」というとまどいも、確実に漂ってたよ……(笑)。

 で、場面戻って飲んだくれスカーレットが、バトラーを力尽くで引きずっていく。

「今夜はいつも、あなたがアシュレの幻を追っているベッドで、二人っきりで休むのよ」

 いやもお、どうしろと(笑)。

 ものすごすぎて。

 今もこの「記念すべき80周年」であるはずのTMPスペシャルだけ、スカステで放送されないのは、このやり過ぎ芝居のせいぢゃないかと、疑っている……(笑)。
 や、最初は著作権の問題で『風共』は放送できない、って話だったけど、今はもう期限切れてるんだよね? ふつーに本編放送してるもんな。
 なのに、このパロだけ放送されてないのだとしたら、そのせいかも、と勝手に思う。
 それくらいギリギリで、面白すぎたもん。
 んで、いまさらですが、先日のラインアップ発表についての感想の続き。

 花組『エリザベート』自体は想定内。つか、みりおくんトップ時にやるだろうと思った。
 みりおくんは2009年に『エリザベート』新公で主演した。あのチケ難ぶり、好評っぶりを見たら、経営者なら「次のトート=みりお」だと思うだろう。
 ただ、お披露目に持ってくるのはどうかと思う。『エリザベート』は初々しい新人トップに似合う作品ではなく、どっちかってーと円熟したトップに似合う作品だと思うから。
 まあ、オサ様にしろ水しぇんにしろ、お披露目でやってるけどさー。みりおくんの若々しい持ち味には、お披露目よりも体制が落ち着いてからやった方がいい、と思った。

 でも、『エリザベート』は主演だけハマってりゃ上演OKな作品じゃない。
 タイトルのヒロイン・エリザベート、歌ウマフランツ、この3人が揃わないと、苦しい。
 役者が揃っているから、お披露目から上演なのかな。

 エリザベート@蘭はなちゃん、フランツ@だいもん。


 蘭ちゃんがシシィ役者だとはまったく思えないけど、じゃあ他に誰がというと……思いつかない。
 皇后エリザベートは、「初々しい新人」向きの役じゃない。ジュリエットなら、初々しさが売りだから、新人でも素人でもかまわない、と劇団は思っているようだけど。
 エリザベートとアントワネットは、場数を踏んだスターでなければハマらない。
 つまり、「新たにトップ娘役に就任する、舞台を踏んで数年の初々しい下級生」には、荷が重い。
 男役とちがって娘役は、初舞台から数年でトップになるのだから。圧倒的に経験値が不足しているのがふつう。

 みりおくんのお披露目に『エリザベート』をやりたかったら、蘭ちゃんに残ってもらうか、他組のベテラントップ娘役をスライドするか、男役スターにヒロインをやらせるか、この3つしか選択肢がない。

 現状、シシィ可能なベテラントップといえば星組のねね様一択だし、男役でシシィが出来そうなのって、同組内なら歌ウマ同期だいもん? 他組なら同期でもあるかちゃ再び? 歌唱力と人気の琴ちゃん?
 どっちにしろ、イレギュラー人事や配役になる。

 蘭ちゃんが残ったのは、いちばん無難な選択かなと思う。

 トップスターがいて、トップ娘役がいるのがいいよ。トップスターが主役をやり、トップ娘役がヒロインをやるのがいいよ。ほんとに、それがいちばんだよ。それだけでいいんだよ。それだけは、死守してくれよ。

 そんな、すげー基本ラインを求め、蘭ちゃんシシィで良かったなと思います。

 いやもおほんと、今のタカラヅカってさあ。

 わたしとしては、だいもんがシシィでなくて良かった、と前向きに受け止めます。
 蘭ちゃんが卒業してて、でも『エリザベート』上演は決まってて、シシィを演じられるベテラン娘役スターがいなくて、ヲカマ祭りになったりしなくて、良かったなと。
 舞台経験の少ない、若さと可能性だけがウリの下級生娘役抜擢して、なにがなんだかわからない舞台を見せられる事態にならなくて、良かったなと。

 まとぶん、らんとむ、そしてみりおくんと、3人のトップスターと組む、という、平成のタカラヅカでは希有なベテラン娘役が天下の「エリザベート」役を演じる、てのは、外側の事情だけ見ればとても「ありうる」ことだわ。

 あとはほんと、その「立場」にふさわしい結果を、舞台で出してさえくれれば。

 せっかくの大作ミュージカル、伝家の宝刀なんだもの、良い舞台になることを祈っている。


 5年前、新公のトートは、楽しませてくれた。
 だからこそみりおくんには、さらにスケールアップした姿を期待する。


 個人的には、だいもんの役付によって、期待度が変わるかなー(笑)。
 順当に行けばフランツ。歌ウマなので安心安定のキャスティングかな。安定の役より、ルキーニが見てみたいですが。
 縁の下の力持ち・別格スターが演じるフランツ、実力不問・劇団推しのスターが顔見せするルキーニ、というタカラヅカならではの縛りを捨ててくれたら、おもしろいのになあ。
 『眠らない男・ナポレオン』でナニに感動したかって、柚希礼音の、トップスター力。

 すげえ。
 ひたすら、すげえ。
 れおんくん、ほんといいトップさんになったなああ。や、彼は前から揺るぎない真ん中ぶりで、今更ナニ言ってんだってもんだけど、今回また改めて、思った。
 痛感した。

 こんなどーしよーもない作品を、力技で支えてる、その姿に。

 小池先生の脚本力に期待はしていませんとも。わたしはあの『MIND TRAVELLER』に通い詰めた人間です。イケコオリジナルには十分泣かされましたとも。

 だから、イケコ作品に求めるのは別の部分。
 大劇場の広大な舞台と潤沢な装置を存分に使ったスペクタクルな演出。
 小説をじっくり読みたい気分でイケコ作品は観ない。テーマパークのアトラクションに乗ってきゃーきゃー言いたい気分で観るのがイケコ作品の楽しみ方。いろんな楽しみ方があるのが、タカラヅカのいいところ。
 テーマパークのアトラクションに対し、「人間描写が薄っぺら」とか「ストーリーに整合性がない」とか「荒唐無稽、バカバカしい」とは言わないでしょ? そんなもん、求める方が間違ってる。
 イケコ作品で(脚本以外で)もっとも残念なのは太田先生の地味な音楽なんだけど、今回は音楽が別の人。大枚はたいてギュル様に依頼している。
 というところには、期待しておりました。

 実際、友会で入力した分は全滅。平日だって入力してるのに、別に「千秋楽でなきゃヤだ!」ってこともなく、純粋に観に行ける日程で入力したのに。第一次、第二次通して当たったのが新公だけ、本公演は全滅ってナニ。
 ほんと星組さんは人気でチケット取れなくて困る。
 で、お正月もあけた平日に当日券で観に行ったら、残っているのは2階席だけ、AのLR6・7列目の壁際と、Bの16列目の端が数席のみ。
 ちょ、平日でも完売近いの?
 それならいっそ立ち見が出ないかな、と期待したけど、残念ながらそこまでは行かず。

 仕方なく、16列目の端っこで観劇。
 集中力が必要な、濃密な心理芝居ならこんだけ舞台から遠い席だと大変だけど、スペクタクルな大芝居を楽しむ分には大丈夫だろう。むしろ、照明とかフォーメーションが楽しめるのは2階席だもんね。
 そう安心してました。

 が。

 ぽかーんとするくらい、地味な舞台でした。

 1幕はほんと、とまどった。

 とまどう……というか、途方に暮れる、というのが、いちばん近い感覚かな。

 ストーリーはあらすじレベル。こんな人がいて、こんなことを言いました、しました。
 キャラクタは散漫で薄っぺら。
 や、それは知ってる、イケコだから。
 そこへ、予想外の地味な、なにもない演出、舞台。

 あー……大劇場の舞台って、広いんだな……。

 わたしはそれを、痛感していた。
 広さ何メートルだっけ? ちょっとした球技とかできそうなくらい、広いよね。

 というくらい、床ばかりが目立っていた。

 背景も大道具も、ナニもない。
 むき出しの床の上に、十数人のジェンヌが出てきて踊る。
 他の劇場なら、10人以上のキャストが出て踊っていたら「うわ、たくさんいる! 舞台に人がいっぱい!」だろうけど、なにしろここは大劇場、「舞台に人がいっぱい」というと、ショーのオープニングの総踊りレベルが必要だ。
 大劇場の広さに負けきっている、「少人数」が踊っている……。

 たぶん、舞台いちばん奥、ホリゾントに派手な映像が映し出されているのだと思う。
 そして、映像を見せるために、舞台装置はナシ、映画館状態なんだと思う。
 しかし2階後方席からは、映像は、まったく見えない。

 見えるのは、なんの装飾もされていない広大な床と、人数の少ないキャストのみ。

 ちょっとした会話劇のあとは、このなにもない広大な舞台床をえんえん見せられる、その繰り返し。

 途方に暮れた。

 面白くない、んじゃない。
 「つまらない」。

 面白くない、と、つまらない、はチガウ。
 面白い部分はある。なにしろイケコだから、老練。
 そういう部分のことじゃなくて。

 ナニがしたいのかわからない。
 えっとコレ、誰がオイシイの?
 誰のファンなら楽しめるの?
 どのあたりの客層を狙って作ったの? 視点はどこにあり、ナニを描きたくて、ナニをしたくて、上演しているの?
 外国の有名作曲家を招くことが出来た、経済力とか政治力? 豪華な衣装と派手な宣伝で「タカラヅカってすごい!」と言いたいだけ? 誰に? マスコミとか、ヅカヲタ以外の、ヅカに興味もないし、見に来ないだろう人たち相手に? んな人たちに「タカラヅカって100周年なんだね、すごいね」と言われて、それだけが目的であり、ゴールなの?

 主役のファンならたのしいのかな? 衣装豪華だし、ラヴシーンあるし? わたしれおんくん好きだけど、ちえねねが好きで、星組観劇意欲の何割かを占めてるんだけど、好きぐらいじゃダメ?

 幕間にとまどいまくっていたら、星担友人から「2幕目はマシだから」となぐさめが来た。

 うーむ……。
 たしかに2幕の方が良かったけど……。


 たぶん、席が悪かったのだと思う。
 良席で観たら、ちゃんと豪華で目で楽しめるのではないかな。

 大体、幕開きからひどかったさ。
 真っ暗なナニもない舞台にれおんくんの声がして、拍手が起こっているんだけど、舞台は真っ暗で誰もいないまま。
 わたしの坐っている周辺は、ぽかーん。

 主役が登場しているけれど、見えないので、わからない。

 イケコお得意のクレーンで、舞台奥のかなり上方に登場するため、2階の後ろからは、見えないの。

 幕が上がったー! 主人公が、トップスターが登場したーー!!と、わーっと盛り上がって拍手する、そんな「当たり前」のことが、できなかったの。

 最初から、置いてけぼりくらった……。

 良席に坐る経済力や人脈のない人間は、客ぢゃないってことですかい、とグレたくなるわよ~~(笑)。や、慣れてるからこうしてネタになる止まりで、本気で言ってませんが。


 わたしの初観劇は、なかなかどーして点数辛い結果になりました。
 作品についてね。
 キャストは素晴らしいですとも! れおんくんはじめ、星組のパワーあってこそ、このどーしよーもない脚本をここまで盛り上げられたんだわ!!
 駄作を支える、れおんくんのトップ力に感服。
 感想としては、それだけかな。

 が。

 わたしの周囲の人々みんな、口を揃えて同じことを言うのよ。
 初見時は、わたしと似たり寄ったりの感想でも、「2回観ると、面白い」って。
 つまらない、おもしろくない、と嘆いていた人が、2回目の観劇後、ころっと意見を変えるのよ。

 また、わたしがこの辛口感想を言うと、みんな口を揃えて「何日目に観た?」って聞くの。
 「演出は初日から毎日変更されていて、毎日が舞台稽古状態。だんだん良くなってきているので、いつ観劇したかで、作品への評価が違うはず」って。
 初日近辺に観た=未完成状態だから、駄作に見えただけ、ってことらしい。

 そ、そうなのか……。

 なんつーか、えっと、それなら2回目観なくちゃだな。
 せっかくの大作、楽しめなきゃ損だもん。
 こんだけ残念な感想からスタートして、次にどう感じるか、自分でも楽しみだ。
 たしかにわたしの場合、ころっと「きゃーきゃー♪」言ってるかも(笑)。
歴代『風と共に去りぬ』ポスターを見て。
歴代『風と共に去りぬ』ポスターを見て。
 ところで、梅芸ロビーで「宝塚歌劇『風と共に去りぬ』歴代公演ポスター展示」ってのを、やってます。

 気軽に眺めていって……1枚のポスターの前で、足を止めたさ。

 こんなポスター、知らない。

 画像1枚目ね。
 梅芸で撮影した。

 トド様バトラーをセンターに、スカーレットのタータン、ぐんちゃん、その後ろにアシュレのトウコと、顔アップばーん!と切り貼りされたポスター。
 月組の天海バトラーと同じ構図。
 (ちなみに、真矢みきバトラーのポスターも同じ構図で隣にあった)

 えええ、ナニこれ。
 知らない。見たことナイ。
 98年雪組地方公演『風と共に去りぬ』
 公演自体は、もちろん知っている。もちろん、生で観劇している。

 だけど、こんなポスターじゃなかった。

 わたしが知っているポスターは。

 スカーレット・オハラが、黒燕尾を着てリーゼントをしていた。

 ポスターと同デザインだったチラシが手元にあるもの。
 ちなみに、画像2枚目のやつ。

 …………そっか。
 ちゃんとしたポスターも制作されていたんだ。
 HPもろくに機能していない時代、ポスター画像なんて現地に行かないと見られなかったもの。
 当時の国内巡業公演は「地方公演」と呼ばれていて、関西では観られなかった。=ポスターも見られなかった。
 自分がチケットを取った公演の劇場貼りや、チラシぐらいしか、目に入らない。

 いや、わたしが行った会場にも、ちゃんとしたポスターはあったのかも?
 わたしが、自分の手元にあるチラシのみを記憶に残しているだけで。

 劇場にあったかどうかはともかく。
 公式に、ちゃんとしたポスター、あったんだ……。それならチラシもあったろうに。
 いいなあ。
 わたしの持ってるチラシと、違いすぎる(笑)。


 タータンスカーレットがものすごすぎて、そのスカーレットに黄色いサッシュを巻かれるトウコアシュレがぺしゃんこに潰されそうな、ものすごい画面だったなああ。
 肝っ玉母さんと中学生の息子的な。

 芝居力も歌唱力も優れた公演だったけど(ベルの歌はえーらいこっちゃだったが)、黒歴史ぢゃないのかしらね……単純に番手で配役するもんじゃないよな、持ち味向き不向きは考慮するべきだよな。

 なつかしい。
 月組『風と共に去りぬ』にて、バトラー@トド様とスカーレット@まさおがどーんっと突き抜けているもんで、他のキャラクタはいろいろ大変かなあ。
 どうにも薄いというか、格が違うというか。

 アシュレ@コマつんは、最初よくわかんなかった。
 いきなり舞台が中断し、コマくんの声だけ聞こえて、「コマくんにナニかあったの?!」と心臓ばくばくさせたまま、なんの説明もないまま再開した……てのが、尾を引いたかもしんない。
 再開した樫の木屋敷のメラニー@ちゃぴとのラブラブシーンは、生彩なく感じてしまったんだもの。
 わたしの先入観、単なる思い込みだとしても、わたしにはそう見えてしまった。

 アシュレはこの場面では、颯爽とした貴公子であるはず。まだ挫折を知らない、前途洋々たる若者よね? 愛する女性と婚約し、幸せ絶頂、人生勝ったも同然!よね。

 だけどコマつんアシュレは最初から、なんかとっても淡い色彩の人だった。
 スカーレットと画風がチガウっつーかね。
 まさおが『ガラスの仮面』の絵柄で描かれているとしたら、コマつんは大島弓子って感じ?
 貴公子というより、仙人みたいな人に見えた。

 うん、まあ、たしかにコレなら、スカーレットには絶対手の届かない相手だよなあ、と思えたけど。

 宙組版のアシュレはカッコイイ場面皆無だったけど、月組版ではちゃんと「ザ・貴公子!」場面があるんだから、もっと輪郭をしっかりしてくれてもいいんだけどな。

 敗戦後はその仙人みたいなとこがマッチしてた。ヘタレでも軟弱でもなく、生きている次元が違う感じ。
 それゆえ、KKクラン団なんつーアクティヴな活動をしているのが、かえって違和感だったり。
 うーん、むずかしいな。

 コマくんの芝居には、「毒」と「狂気」がある。
 仙人やってても、「心底の善人」ではなく、どこか落ち着かない……据わりの悪い「闇」がある。
 まっすぐな置物のはずが、微妙に歪んでいて、一見ではわからないだけに「なんか変だな、落ち着かないな」と思わせる感じ、つーか。
 それがメラニーの死で一気に壊れる・本性の闇が吹き出す、のは腑に落ちる。

 もともと狂気を持っている・得意とするコマつんだから、どうなるのかなと注目していた。
 や、ほんとに狂ってましたがな!!
 ショックとか意気消沈とかじゃなくて、マジにあっち側へ行ってしまいました。これまた極端な。
 幼児化してました。
 仙人から、妖精になった。
 心を守ることができる、誰にも傷つけられない、ところに行くには、「母の胸の中」に守られる年齢になるしかないのかな。
 もう誰も、彼を傷つけることは出来ない。誰の手も届かないところにこもってしまったから。


 アシュレ単体だとそーゆーのもアリだと思うけど、対スカーレット、対メラニーで考えると、あんましぴんとこないかな。

 まさおスカーレットは……まあ、誰が相手でもおかまいなしに、好きに暴れてるから仕方ないっつーか、いいのかな、あれで。


 メラニー@ちゃぴちゃんは、メラニーという役に、わりに合っていると思う。穏やかでやさしく強い女性。
 いや、合ってるというか、はずれてはいない、という印象。
 でもあの闇を抱いたアシュレの妻であり、トドロキバトラーの理解者として立つには、包容力っていうか、年輪の感じられないメラニーだなと。
 いっそ「聖・少女」メラニーにしちゃうとか、別モノにしてくれてもよかったんだけどなー。ちゃぴちゃんにできる役にする、ちゃぴちゃんしかできない役にする。

 ちゃぴの持つ透明感と清潔さは、メラニーに相応しい。芯の強さも。
 だからあと足りないモノって、やっぱ単純に「経験値」である気がする。この学年、この立場になってからの場数、そーゆーものが足りていないためかなと。
 あと何年か経ったあとのちゃぴで見てみたい役ではある。


 チャールズ@ゆりやくんは、役の出番と比重的にあんなもんかなあと思うけど、フランク@ゆうきくんはかなり物足りなかった。わたしは。

 わたしのなかのフランクのイメージが、しいちゃんだったりトウコだったりするので、ゆうきくんのフランクは色が薄すぎるというか脇役臭が強いというか。モブの男の子たちとの差がわかりにくい……。
 フランク、いい役なんだけどなあ。
 今回の出演者の中でなら、るうくんで見たかったな。彼ならきっと、いいフランクを見せてくれた気がする。

 るうくんはうまい人なんだけど、ベル役は、そのう、ごめん、もう少しきれいな人で見たかったっす……。バトラーとの画面の差が……。いやその、宙組だってヲヅキだったわけで、ベルは別に美女でなくてもいいのかもしんないけどさ、ヲヅキさんにあった「有無を言わせない迫力」は、るうくんにはなくて、ただその、美貌というわかりやすく出る部分で、そのう。


 ところでわたし、ジョーくんを探していて、ぜんぜん見つけられなくて、相当焦ったんですが。
 開演前にプログラムをぱらぱらめくって、ああ、ジョーくんこっちのチームだったのね、と認識した。
 ナニがどうではなく、月組さん観るときに「観る」人だから、ジョーくん。無意識レベルで必ず点呼する子だから。
 なのに。
 ああなのに。
 見つけられない。
 何故だ。
 南部の青年の中にいないんですけど??

 出演者も配役も前もってチェックしていないので、綾月くんとみっしょんが女役やってることに驚き、そこまででわたしの視界と思考はストップしていたらしく。
 てゆーかみっしょんマジ美女! 綾月くんも上級生女役さんに、いかにもいそうな感じ。
 ……えーとそれで、ジョーくんは?

 見つけられなくて、幕間に再度プログラムを確認。
 うん、やっぱり出てるよ。変だなあ、なんで見つけられなかったんだろ。

 えー、わたしが確認したのは、プログラムの「出演者写真」です。
 ジョーくんは黒燕尾スチールで凜々しく載っていました。

 2幕も半ばになってから、よーやく、気づいた。

 ジョーくん、女役やん!!(白目)

 スチールが男役写真使い回しだったから、男役だと思い込んでた……。他の「今回は女役」のみなさんは、ちゃんと女役写真で載ってるから!

 あー、えーと。
 ジョーくんは、男役がいいです……。

 うまいから、ふつーに女役やってるけど。
 でも彼は、男子がいい。男子であるべき。うん。
 今回の『風と共に去りぬ』でストレスが少なかったことのひとつに、「無駄な重複がない」ことがある。

 植爺といえば、無駄な重複、同じ台詞の繰り返し。だらだらと「それ、どうでもいい、関係ない」ことを語り続けたあと、別の場面でも「それ、さっき聞いた」ことをまた同じようにだらだらと喋り続ける。
 「役者の格は豪華な衣装と台詞の行数」だと信じているためだろう、スターだけでなく、専科さんや役職のある上級生などが、無意味に豪華衣装を着て、無意味に長々と喋り続ける。
 わたしはこれが、大嫌い。
 だから冒頭の樫の木屋敷で、バトラー@トドが「南部は負ける。南部にあるのは土地と綿だけ」という台詞を言ったときに、ひやりとした。
 わたし宙組『風共』何回観たんだっけ、結局5回くらいは観てる? どんだけ『風共』好きなん、いやまったく好きじゃないんですけど!……で刷り込まれてる、この台詞、アトランタのバザー場面でバトラーが言っている。一言一句同じじゃないけど、同じ文脈で同じ意味のことを。
 切り貼り植爺だから、脚本が変わっても微調整はしない、樫の木屋敷で言った台詞をまんまバザーでも言うんだわ、ああうんざり。
 そう思っていたから、説明台詞の重複がなかったことに、驚いた。
 バザーで踊った後、バトラーはスカーレット@まさおに、綿の話をしなかったぞ?!

 たぶん、上演時間の問題だと思う。宙組の内容に必要なエピソードを各種付け加えてあるもんで、時間がいっぱいいっぱい、余分なものは削るしかない。のんきに「それ、さっきも言った」台詞を繰り返す時間的余裕がなかったんだろう。
 つか、『ベルばら』だってなかったはずなのに! 出来るんならやれよ!

 他にも、バザーの場面で「ご婦人方を入札」すると発表されたあとの、ミード夫人@萌花さんに無駄な台詞がない、とか、ささやかな部分もストレスにならない。
 宙組ではミード夫人が副組長だったため、台詞を水増ししなければならなかった。それで「入札」に憤慨した奥様方がまずミード夫人に詰め寄り、ミード夫人は自分の言葉で奥様方を説き伏せようとはせず「これはメラニーの提案なんです」と丸投げ。
 大勢に責められたら、「わたしのせいじゃないわ、メラニーに言われたから仕方なくやったのよ!」って……この人、ひどすぎない?! 言ってること最低なのに、さも「私は人格者です、正しいことを言っています」という顔をしているのが嫌だった。ミード夫人はそんなキャラじゃないはずなのに。
 月組版では、最初からメラニーが口を開くので、ミード夫人が偽善者にならない。

 無駄な台詞の重複がない。これだけで、わたしにはかなりストレスフリーだった。
 宙組の2幕最初にあった、「時系列ぶちこわし」の無駄なショー場面もないし!
 アトランタ♪の歌が長い・何度も使いすぎ、ぐらいかな。

 というか、何故宙組版はあんなひどい構成になってたんだ……。
 時間がナイ、大階段フィナーレまでちゃんとやるとなると圧倒的に時間が足りない、としても、場面の取捨選択間違いまくりだろ……ってそれは『ベルばら』もそうだから、仕方ないのか。

 「♪スカーレットあなたはひどい女よ」の歌からバトラーのプロポーズまでの流れが好きだな。

 結婚なんて愚かなことはしない、情婦になれ、と言っていたバトラーが、何故スカーレットと結婚するに至ったのか。
 その流れがちゃんと「ある」のがストレスなし。

 KKクラン団のエピソードでは、いつも悪者扱いのバトラーが、いい人なんだ、とわかるし。
 1幕終わりでは「負ける側に味方したくなる悪い癖」と、あくまでも悪ぶっていたけれど、2幕のKKクラン団救出エピソードでは、そんな悪者ぶりをかなぐり捨てて、南部愛を表している。

 そして、メラニーの勇敢さと、聡明さ。
 ベル@るうくんへの態度でもわかるけれど、メラニーは世間一般の偏見に惑わされない公正な目を持っている。
 バトラーを北軍のスパイだと決めつける人々の中、メラニーだけが正しく彼を評価する。
 信頼に値する人だと判断し、秘密を打ち明ける。

 みなに疑われたとき、ただひとり信じてくれた相手。
 スカーレットが階段から落ちた後、バトラーがメラニーの前で泣き崩れるのもわかる。彼女はずっと、バトラーにとって特別な人だったんだろうな。色恋じゃなくても。

 人間関係がスムーズに描かれているのが、ほんとに助かる。
 助かる、というのがいちばんしっくりくる。植爺作品はストレスだらけ、ムカついてムカついて仕方ないから。
 頼むよ、ふつーにしてよ、多大なものは求めてない、ふつーでいいんだよ……。

 今ですら3時間15分という、ヅカにしては異例の長さ。
 だけどここに、バトラーとアシュレの場面がひとつあれば、なおいいのに。

 スカーレットとメラニー、バトラーが一目置いている女たちが、みんなアシュレに夢中。
 バトラーもまた、アシュレを命がけで助けている。
 バトラーはアシュレをどう思っていたのか、アシュレがバトラーをどう思っていたのか。
 カーテン前の数分でいい、ふたりだけで会話させて欲しい。
 スカーレットを語るでも、メラニーを語るでもいい。戦争だーの政治情勢を語るのでもいい。
 男ふたりの「他愛ない会話」のなかに、彼らの心の内が見えるはず。や、植爺が書けなくても、役者が勝手に描いてくれるさ。トド様なら、そしてコマつんなら。


 フィナーレのトド&まさおの歌は新曲? 聴いたことない曲だった。
 せっかく劇的に別れたふたりが、翌日には仲直りしてるみたいに思えて、ちょっと面食らった。
 場面として、独立した歌としては、アリだとは思うけど……わたしは「余計なお世話」感が強くて苦手だな。
 「ナイト&デイ」までは『風共』とつかず離れずのオシャレなデュエットダンスだと思うんだけど……今回のは、ラストシーンの余韻を壊す系かなと。
 面白かった!!

 月組『風と共に去りぬ』初日観劇。

 なんかもー、「観たかった『風共』」を差し出された感じで、とにかく楽しかった。
 わたしにとっての「レット・バトラー」は、コレなのよー。この重さ、クドさなのよー。

 そして、脚本。

 スカーレットとバトラーがはじめて出会う、「樫の木屋敷」の場面も、タラの税金を支払うためにバトラーを口説きに行くスカーレットの場面も、ふたり目の夫フランクも登場するし、KKクラン団は出てくるし、それらすべてを超えてスカーレットを求めるバトラーの格好良さも出ているし!
 宙組版でストレスだったところが、解消されている!

 なんといっても、スカーレット@まさおが、かわいい。

 いやもお、すげーパワフル。
 いつも大騒ぎ。生命力のかたまり。

 こんなのがそばにいたら、良くも悪くも薄い人たちは、巻き込まれてしまうんだと思う。
 彼女を嫌うにしろ崇拝するにしろ、巻き込まれる。

 っていうかさ。
 スカーレットってさ、バカだよね?

 今まで観たどのスカーレットより、「おバカさん」感強し。女はかわいいおバカさんがいい、とデイジー@ 『華麗なるギャツビー』が言っているように、スカーレット最強。

 バカで子どもで。
 だから最初っから、泣けた。
 アシュレ@コマつんに言い寄って相手にされなくて、盛大に空回りしてみっともない姿を、みっともないと気づきもせずに晒しまくって。
 彼女のその、「世界は私を中心に回っている」感が、切ない。
 子どもってさ、自分と世界の区別ついてないじゃん? 泣いたらおっぱいもらえるし。ただひたすら与えられ、生理現象垂れ流して、守られ続ける。だから世界は私のもの、思い通りにならないことが在るなんてわからないし、そもそも「他人」という存在が理解できない。
 成長するにつれ、子どもはいろんなことを学習する。世界が思いのままにならないこと、「他人」の存在、距離の取り方やつきあい方。
 なのにまさおスカーレットは、それがない。
 子どものまま、大人になった。

 いや、冒頭の樫の木屋敷では、スカーレットは17歳。驕りの春の真っ只中。
 世界がまだ、彼女のモノである、そんな年齢。

 なにもかもが自分の思うままだと、「欲しい」と言いさえすれば手に入ると、まったく疑っていないスカーレットの幼さ、純粋さに、泣ける。

 そしてそんな彼女を、バトラー@トドが快く思うのも、納得できる。

 えー、開始15分。
 すでに泣いていたわたしは、そこでかなりガツンと気分をぶった切られるわけです。

 植爺作品だけどこの『風共』、盆がよく回り、セリも上下するんだわ。
 樫の木屋敷の図書室から、盆が回って次の場面になる。
 庭園で愛を語り合うアシュレとメラニー@ちゃぴの場面。

 ……なんだけど、図書室が、セリ下がらない。なんか半端なところで止まったまま。
 そして、裏方さんらしい人々の声も聞こえる。

 たったひとりで坐っているメラニーが「素敵な樫の木並木」と庭園をうっとり眺めながら話し出す……んだけど、舞台にいるのは、彼女ひとり。
 メラニーが話しかけているはずのアシュレは、どこにもいない。

 庭園のセットも降りてきてないし、セリはハンパに止まったままだし、アシュレはいないし。
 そして、スタッフらしき男の人の声に応えるように、コマつんの声だけがした……「大丈夫です」と。

 大丈夫ぢゃないだろ?! ナニがあったんだ!!

 そこで緞帳が下り、放置されること、2分間。
 なんのアナウンスもないまま、客席は2分間放っておかれた。

 ナニか事故が起こったことはわかる。しかし、舞台にいるはずの人がいなくて、「大丈夫です」という声だけがして、幕が下りる、って……。
 芝居に感情移入して泣いていたわたしは、冷水をぶっかけられたようになってた。

 こわかった。
 コマくん、ケガとかしてない、よね……?

 ダメだよ、わたし今、ケガとか休演とか、すげーナーバスなんだから!!
 どうかどうか、みんな無事でありますように。

 幕が下りて2分後(こわくて、時計ばっか見てた)、よーやくアナウンスがあった。舞台装置の不良とかなんとか。でも、それだけ。
 さらにまた放置されて。
 装置の点検のために15分くらい待って、という放送がかかった。

 や、それより、ケガ人がいないのかを教えてよおおっ。
 …………こわかったよーー。

 しかし日本はいい国だよな。こんな放置のされ方しても、誰ひとり文句も言わず、おとなしく坐って待ち続けてるんだもん。お隣と喋る程度で、声を荒らげる人は皆無。

 結局、20分中断し、ナニゴトもなかったかのように、庭園の場面から再開された。
 庭園のセットの前で、アシュレとメラニーが愛を語る。幕が開くなりふたりがすでにいたので、そしてメラニーはさっきと同じ台詞を言っていたので、アシュレ抜きでその台詞を言っていたさっきが相当大変な状況だったとわかる。
 てゆーかちゃぴ、コマがいなくてもひとりで芝居するつもりだったんかい。Show must go on、役者だね、ちゃぴ。

 こわくて不安で仕方なかった……ため、また物語に戻るのが大変だった(笑)。
 この事故がほんっとーに、残念。
 こんなアクシデントなしで、作品を味わいたかったよ。

 それでも、途中からはまたどっぷり世界にハマリ、泣きまくりで観た。

 まさおスカーレットは、スカーレット的に盛り上がる場面で「まさお節」がどーんと出るので、そのたびに笑いが込み上げて来て、それを振り切る必要があって個人的に大変だったんだけど、そのまさお節さえなんとかなれば、ほんとにいいスカーレットだった。
 彼女の愚かさは、愛しい。

 そして、レット・バトラー。
 2幕はもお、彼の独壇場でしょう。
 フランクの死からスカーレットへのプロポーズ、ここから泣けて泣けて。
 スカーレットの愚かしさ、歪み、すべてわかった上で、彼女を愛し、求めている。
 バトラーの、壮絶な、孤独。
 このバトラーには、このスカーレットが必要なんだ。
 この生まれたままの魂みたいな、ずるくて弱くて自分勝手で、強くて逞しい野生児が。
 世界で最も強く孤独な男には、世界の中心が自分だと信じている女が、必要なんだ。

 これほど、スカーレットを必要としているバトラーを、見たことがナイ。
 わたしは。
 これまでのバトラーもそうだったのかもしれないけれど、わたしは今回、そう思った。

 だからこそ、彼の嫉妬や絶望が痛くて。
 最後の別れに至るまで、泣き通しました。ああもう、消耗した。


 ナニが切ない、ってさ、まさおスカーレットが、学習しないこと、どんだけ泣きわめいても、明日にはころっとしてそうなとこだよね!

 スカーレットは、変わらない。
 バトラーの愛すら、彼女には届かなかった。

 だからこそ、スカーレットでなくてはダメだったんだ。

 バトラーはすべてわかった上で、彼女を残して出て行ったんだ。


 なんかすげー楽しかったよ、『風共』。
 帰りにはリピーターチケット買ったよ! また観に行くよ!
 演目発表があり、いろいろ考える。

 月組は『PUCK』。22年の時を経て、再び月組で上演されるわけですな。

 初演の『PUCK』は観ていません。その後、テレビでは見たけれど。

 何故、劇場へ行かなかったか。

 ポスターを見て、どん引きしたため。

 ちなみに、当時のわたしの周囲のヅカ友たちも、誰も観に行ってない。
 理由は同じ、「ポスターを見て、『これはナイ』と思ったから」。
 ヅカの前売り券を買いに梅田の総合案内所に行ったとき、次回公演のポスターやチラシが置いてある。
 それを見て「次の月組は行かなくていいね」「アマミは見たいんだけどなー。これはもういっか」てな会話をしたのをおぼえてる。
 22年前はライトなヅカファンだったので。

 その後、「おもしろかったらしいよ」と聞き、「行けばよかったね」と話したことも、おぼえてる。
 実際テレビで見て面白かった、よい作品だったことも。

 『PUCK』はいい作品だ。
 音楽がいいし、楽しいし、ハートウォーミングな物語だ。

 でも。

 わたしは、好きじゃない。

 いや、好きは好きだけど、楽しいし感動もするし。だけど、手放しで「好き」とは言えない。

 理由はわかってる。

 初演時に、ポスターを見てどん引きし、観に行かなかった。
 それがすべてを物語っている。

 わたしは、「タカラヅカ」にコレを求めていない。

 コレ……。
 トップスターの、幼児プレイ。

 わたしがタカラヅカに求めるものは、「かっこいい男役」だ。もちろん持ち味や役が「かわいい」のもアリだけど、基本的に求めているものは、現実を越えたかっこよさ、美しさだ。
 「子役」じゃない。
 女性の演じる子役が見たいなら、他にいくらでも舞台があるだろう。
 わたしが見たいのは「タカラヅカ」。
 長い年月を掛けて磨き抜かれた男役が、夢の世界を形作る。現実には決してありえない、理想の男性像を演じる。

 付け耳つけて幼児のような格好をして、かわいらしい喋り方で幼児のような芝居をする、それを「かわいい♪」と喜ぶ……のは、わたしの求める「タカラヅカ」じゃない。

 パックは後半大人びるし、かっこいい場面もあるんだけど、少女マンガ的胸キュン場面もエピソードもあるんだけど、やっぱり「妖精パック」である意味が大きい。
 いわゆる、「妖精パック」。いたずら者の少年。小さな男の子。
 タカラジェンヌの寿命が今の3倍くらいあるとか、ひとつの組が年間10公演してるとかのうちのひとつが幼児役なら、それもいいかもだけど。
 トップの寿命が3年前後、大劇場主演が5~6作平均の今、「かわいい」が先に立つ役で1公演消費するのは、わたしはうれしくない。

 「かわいいパック」の扮装だとか、「あの名曲を聴きたい」だけなら、『タカラヅカスペシャル』の1場面で十分だ。

 キムくんトップ時代の雪組で「『PUCK』再演したらいいのに」とか「キムの『PUCK』が見たい」と言われるのが苦痛だった。
 小柄でかわいらしい、という素の女の子の部分を評価して、そのイメージを「舞台の上で、男役として、トップスターとして」押しつけられるのは勘弁。
 舞台のキムくんは骨太の男役なのに。なまじ実力者だから、どんな役でも演じられるだろうけれど、フェアリー役が、彼の魅力をもっとも発揮できる役だとは思えない。

 『PUCK』はいい作品だ。
 テレビで見たときに「面白い。見に行けば良かった」と思った。
 だけど、結果として面白かったことと、ポスターを見てどん引きしたことは、別だ。
 たしかに面白くて良い作品だけど、わたしはコレを「タカラヅカ」に求めていない。
 初演の涼風さん個人のキャラクタと魅力で成り立っているわけで、「タカラヅカ」のスタンダードじゃない。

 そしてわたしは、「タカラヅカ」が観たい。

 贔屓組で『PUCK』をやるとなると、相当へこむ。
 そりゃまあ、植爺よりマシだけど。


 と、考えるのは、わたしが「贔屓組はフタ桁観劇基本のヅカヲタ」だからだ。
 自分の組で上演されたらキツイなと思う。わたしの苦手な「大人が演じる、わざとらしい子ども」をセンターにおいた芝居をえんえん観るのは。

 だけど。

 よその組だったら、観てみたい。

 だって、いい作品なんだもの。楽しいんだもの。
 1回観る分には、最適な優しい物語だ。『PUCK』が再演されたら、観に行くわ。

 って、だから、いいのか。
 多くの人が待ち望んでいた再演、なのか。

 わたしが苦手だってだけで、他の人は、ライトな人なら「『PUCK』再演うれしい! いつもは1回しか観ないけど、『PUCK』なら3回は観ちゃうわ!」とか、ディープな人なら「いつもはせいぜい10回ぽっちだけど、『PUCK』なら30回は観るわ!!」とか思うのかもしれないし。

 役が多いから、リピート前提でも楽しいかも。
 ……そういう意味では、贔屓組でも楽しめるか。「トップスターが演じる幼児役」、『星の王子さま』がトラウマになっているせいで、過剰反応してるだけかも、しんない。

 いい作品なんだから、きっと楽しめる、よね。
 過去だから美化されてるけど、いつものイケコ満載なオリジナル作品でもあるんだけど……涼風さんの美声・歌唱力あってこその力技、だったりするんだけど……まさお、がんばれー。
 ところで、今大劇場ロビーでやっている、宝塚GRAPH800号記念 芦沢仁 イラスト・原画展「タカラジェンヌ」

 あれだけ大量に、昔から今までのスターのイラストが並ぶと圧巻ですな。
 無料だし、写真撮り放題だし、扱いが生原画というより、ポスター(印刷物)並なんだが。

 わたしはこのレーターさんの絵が好きではない、ぶっちゃけ苦手な絵柄なんで、感想が辛くなってます。好きな人はすみません。
 あ、わたしが若い頃はイラストレーターさんをレーターさんって呼んでたけど、今はチガウかも? 「この作品にこのレーター合わないよ」とか「レーター買いした」とかそんな言い方を仲間内でしていたもんで、そのままの言い回しを使ってます。


 好きな絵柄でも画風でもないし、この人に好きなジェンヌや芸能人を描いてもらいたいかと言われると微妙だと思っていたんだが、この展覧会でひとつ、ウロコが落ちた。

 昔は、「似顔絵」を描いてたんだ!!

 最初に劇団から仕事をもらったころは、ちゃんと「似顔絵」だったんだな。
 そのジェンヌの生の姿を見て、動く表情や特徴を理解し、デフォルメして「絵」にしている。

 わたしがヅカファンになり、機関誌を書うようになった頃には、すでに「似顔絵」ではなくなっていた。
 えっとこれ、「写真のトレース」だよね? てなイラスト。
 そのジェンヌの魅力も知らないし大して興味もない、劇団から参考資料にもらった写真から1枚選んでトレースしてるだけだよね? それでも昔なら「手書きでトレースして、てんてんで表して、すごいね」だったかもしんないけど、今の画像ソフトなら、写真から輪郭だけ抜き出してこれ位の絵、出きるよね? てな。
 写真ベースにしているのが丸わかりな画風なんだもの。厳密なトレース絵ではさすがにないんだろうし、特徴のある顔の人なんかはちょっとデフォルメしたり(わかりやすく目が離れている人の目を、さらに離して描いたり)しているけど、元が写真だということは、間違いないだろう。
 昔の作品は、トレースではありえない、「生きた絵」だったもん。
 残念な変化だなあ。

 ヅカファンはこのレーターさんの絵が好きなわけじゃなくても、贔屓のジェンヌが「イラストになっている」というだけで喜ぶ。取り上げてもらうと喜ぶ。
 レーターを好きなわけでも、絵が好きなわけでもない。観点は「ジェンヌ本人に、似ているかどうか」。ひょっとしてそれで、どんどん写真トレース画風になっていっちゃったんだろうか。「似てればそれでいいんだろ」と。

 そうやって「元は写真だよね?」と思える画風なのに、「似ていない」人もけっこういる。
 たぶん、元の写真のチョイスが微妙なせいだろう。ファンが求めるジェンヌのイメージ、その人らしさ、キメの角度、魅力を感じている表情、そういった「ファン目線」を理解していないためだろうと思う。
 何故この表情? 何故この髪型? 何故よりによってこの衣装、このかぶり物?? てな。
 その結果、元写真には似ていても、ジェンヌ本人には似ていないイラストが出来上がるのかなと思う。

 興味のないレーターさんなので、さらーっと流し見していたんだけど。
 途中から、焦りだした。

 まっつが、ない。

 えええ? なんでないの? あたしがちゃんと見てないから?
 全部見る気はなかったんだけど、まっつが見あたらないから、端から端まで全部見ちゃったよ(笑)。
 でも、1周しても見つからない。
 2周しても、見つからない。

 なんで?

 落ち着いてよーっく考えよう。これは「グラフ」に掲載されていたヤツだよね? んで、まっつが載っていたあたりの年数が展示されているところを、重点的に眺めよう。
 1枚ずつちゃんと。
 絵だけではなく、小さく書かれている名前も読もう。

 あった。

 蓮水ゆうやさんだと思ってスルーしていたイラストが、まっつだった(笑)。

 あー、当時も似てないって言われてたヤツだーー。
 なんにせよ、まっつが見つかって良かった。
 そういや料金変更の発表がありましたな。
2014/01/06

宝塚大劇場・東京宝塚劇場等の座席料金の改定について


 宝塚歌劇の各公演(宝塚大劇場公演、東京宝塚劇場公演、バウホール公演、日本青年館での東京特別公演)の一部席種の座席料金を改定させていただきます。
 宝塚大劇場と東京宝塚劇場の改定時期、改定料金(消費税込)は以下のとおりでございます。
 今後とも、皆様のご期待にお応えできる公演をご覧いただけるようつとめて参りますので、何卒変わらぬご愛顧を賜りますようお願い申し上げます。

 このブログは表のUPができないので、改訂部分だけ抜き出すと、
≪宝塚大劇場≫
宙組公演『ベルサイユのばら‐オスカル編‐』(2014年5月2日~6月2日)より
SS席 11,000円 →  12,000円
S席 8,000円 → 8,300円
新人公演
SS席 5,000円 → 5,200円
S席 4,000円 → 4,100円

≪東京宝塚劇場≫

月組公演『宝塚をどり』『明日への指針 ―センチュリー号の航海日誌―』『TAKARAZUKA 花詩集100!!』
(2014年5月16日~6月15日)より
SS席 11,000円 →  12,000円
S席 8,500円 → 8,800円
新人公演
SS席 5,000円 → 5,200円
S席 4,000円 → 4,100円

 前回のチケット代変更は95周年からだった。5年ごとにUPする印象?
 や、今回は消費税UPに伴い、だから仕方ないと思う。
 むしろ、思っていたより値上げ額が少なかった。
 一律500円来るかなーと思ってた。
 劇団も苦しいんだろうなあ。確実に売れるSS席を大きく値上げして、売れない2階席は据え置き。

 しかし問題は、広大なS席だと思うけどなー。

 S席も半分はSとして扱っていいけど、もう半分はSの価値ナイ席だからな。
 なのに一様に値上げって、ますます売れない席ができるってことなんじゃ。
 「一般人が買わない席」は、すべて会に押しつける前提なのかなー。そんな商売してていいのかなあ。


 まあ、ともかく。
 こうして「増税です」「値上げです」と突きつけられると、現実に戻る。正気に返る。
 落ち着けわたし、お財布の中身を考えろ。
 ここ2年ほど、散財し過ぎてた。この調子でお金使ってたら破産するわー。や、もともとびんぼーなのに、我を忘れてきゃーきゃーはしゃぎ回ってた。
 今年は緊縮財政でいかなくちゃ。

 正月早々、アタマを冷やさせてくれてありがとう、だわ。

 ……まあその、今の雪組東宝への遠征費を考えるだけで、「どこが緊縮よ」って感じではあるけどな……ら、らいげつからがんばる。
 前髪万歳。

 ショー『CONGRATULATIONS 宝塚!!』にて、刮目したこと。

 未涼亜希に、前髪がある。

 まっつと言えば、潔いデコ出しリーゼントかオールバック。「男役の美学」なんだろう、雑誌に載るオフ写真だってデコ全開。
 それが、まっつ。

 今手近なとこで、2011年からのまつださん舞台写真を確認したわ。ヅラ着用以外、地髪のときの、デコ全開数。

2011年
 『ロミオとジュリエット』フィナーレの2シーン、両方ともデコ全開。
 『ロック・オン!』ヅラなし場面は、すべてデコ全開。ちなみに、芝居『黒い瞳』はヅラだが、デコ全開、前髪なし。
 『ハウ・トゥー・サクシード』デコ全開。
 『RSF』ヅラなし場面は、すべてデコ全開。ちなみに、芝居『仮面の男』はヅラだが、デコ全開。激しく動いたときに少し前髪が落ちる程度。
 『タカラヅカスペシャル2011』すべてデコ全開。

 ……ちょ……っ、1年間ずーーっとデコ全開、前髪一切なし?!!

2012年
 『インフィニティ』すべて、デコ全開。主演ショーで、出番も場面もありまくりなのに、全部って……!! マタドールでたまに髪を固めきっていないときがあった、程度。
 『Shining Rhythm!』すべて、デコ全開。影で髪を固めてないときもあった。でも踊り出して乱れるまでは、安定のデコ全開。ちなみに、芝居『ドン・カルロス』でもデコ全開。
 『フットルース』役もフィナーレも、すべてデコ全開。
 『GOLD SPARK!』ヅラと赤鳥以外は、すべてデコ全開。ちなみに、芝居『JIN-仁-』は青天、もちろんデコ全開以外のナニモノでもないっ!

 前髪があったのって、赤鳥だけ……?

2013年
 『ブラック・ジャック』全ヅラ、前髪あり。ってそれは原作忠実なため。地髪のフィナーレがあれば、絶対デコ全開だったと断言できる(笑)。
 『ベルばら』フィナーレでは2場面とも、デコ全開。
 『ナルシス・ノアールII』すべて、デコ全開。「飛びだそう~♪」の若者すら基本デコ……後半日程で少し前髪あり? ちなみに、芝居『若き日の唄は忘れじ』は青天、もちろんデコ全開以外のナニモノでもないっ!

 まつださん……。
 わかっていたけど、改めて考えると、ほんとにデコ全開ヘアしか、してない……。
 そりゃ公演すべて毎日日本国中追いかけて観ていたわけじゃないから「『〇〇』の〇月〇日の昼公演の〇場面では、前髪あったわよ」とか、あるかもしんないけどさ。そのときの気分や手櫛の具合で前髪が出来ちゃったこともあるだろうけどさ。
 基本、いつだってデコ全開だよね。もともと髪型のバリエーション少ない人だし。
 帽子やターバンなど、かぶり物をしているときも、中身は絶対デコ全開のままだと思うし。
 こんなだから、影とかマタドールとか赤鳥とか、少しでも額に揺れるモノがあるとファンが狂喜乱舞して「今日のまっつさん」と髪型の話で盛り上がるのよー。

 や、わかるよ?
 まっつ、マジに顔の輪郭きれいなんだもん。デコから鼻へのラインとか、最高ですよ。青天が似合いすぎるのも、そのため。こんだけデコがきれいな人もめずらしい。
 きれいなものを前面に押し出す・武器にするのは、わかる。しかもまっつは花組育ち、デコ全開リーゼントやオールバックでキメキメが基本の組だ。
 余談だが、「まぁ様に必要なモノは前髪なのよーっ。もっと早くから前髪作って踊ってたら、人気とかいろいろ違ったろうに」「仕方ないよ、花組育ちだもん」なんて会話を、つい先日もまぁくんファンと語りましたな……ビバ花組。

 デコ全開へのあくなきこだわりを見せていた、我らがまっつ様が、何故かこの公演、前髪率、高し!!

 まず、オープニングから、前髪あるし。
 前髪のあるオープニング!! なにソレ幻? ありがたい蜃気楼?
 オープニングから男祭りまで、たぶん衣装替えるのが精一杯で髪型どころぢゃないんだろうけど(笑)、花男まっつの得意分野である「テキーラ」で前髪があるってのが、めちゃくちゃありがたい。(時間があったら、デコ全開にしてると思うの……あの場面、あの振付は)

 んで、中詰めは安定のデコ全開。

 後半の目玉、「アイアイアイ♪」はなんと、前髪付き!!
 しかもここの髪型、まっつ比ですげー気合い入ってる!!

 そっからしばらくは前髪ありのまま。「アイアイアイ♪」に比べると、ちょっと抑え気味かな?

 んで、第九群舞ではもちろんデコ全開。そうよね、変わり燕尾とはいえ、燕尾で前髪作る人じゃないわよね。
 そっからパレードまでは見慣れたデコ全開。


 あのまっつが、金色の前髪を揺らして踊ってるんですよ……。
 盆と正月が一度に来た?! ナニが起こってるのやだこわい! 100周年おめでとう大盤振る舞いなの?!
 過去3年間の全公演合わせたよりも、今回の前髪率がはるかに高いんですけど?!

 今回、芝居でも前髪ありじゃないですか。王子様やってるじゃないですか。
 その上ショーでもこれって……。

 未涼亜希が、自分の美貌の使い方に目覚めた??

 エリザベートが、自分の美貌が武器になると自覚する場面みたいに。

 硬質でストイックな芸風から、エンジンかかった? それ、3年前からやってくれても良かったんですが……?(震え声)

 いやはや、カッコよすぎてやばいです。
 勘弁してください、ってくらいすごいです。

 鬼に金棒。まっつに前髪。
 ムラで『Shall we ダンス?』を観たとき、ポール@ホタテくんの巧さに、舌を巻いた。
 オープニングが終わったあと、たったひとりで銀橋へ登場し、ナレーションをする。ポールという役でありつつも、導入解説をする難しい役。
 それを過不足なく的確にやってのけた、新公学年の下級生、ってどうなの。すごすぎるだろソレ。

 しかも彼、代役で、正式に代役が発表されたのは10日前だったりするんですけど? それでこの出来ですか? なにソレすごい。

 芝居の出来る子ってのは、学年関係ないんだな。ののすみもいまっちも、下級生時代からずば抜けて巧かったよなー。天賦のモノってあるよなー。
 反対に、芝居の出来ない人も学年関係ないんだよなあ。と、すでに卒業していったあの人とかこの人とかを思い出したり。みんな上級生になるまで在団していたけれど、わたしとは芝居の感性が合わず、舞台クラッシャーにしか見えなかった……。

 代役のホタっちゃんポールがあまりに安定して巧いので、本役の翔くんは分が悪いなと思った。
 その、翔くんは出来る芝居の幅がかなり狭く、そこからはずれた役の場合、なかなかどうして大変なことになってしまう……と、わたしの目には映っていたので。
 翔くんの苦手分野は芝居と歌(声)、なのに芝居巧者で歌ウマ(声良し)のホタっちゃんと同じ役を、あとからやるってのは、なかなかに気の毒なことに思える。どうしても、比べられちゃうもんな。
 まっつの代役を懸命に務めてくれた翔くんだから、どうか良い結果になってほしいと思いつつ……老婆心がうずくわけで。

 そして、東宝初日。

 オープニングで踊るまっつを観てアタマがパーン! 真っ白になっていたわたしは、ポール@翔くんが登場して喋り出すまで、役替わりっちゅーか本来の役に戻った云々をきれーにアタマからトバしていた。
 あ、そか、翔くんなんだ。観て、はじめて気づく。つか、思い出す。
 思い出すと、前述のような杞憂も、一緒にわき上がる。

 が。

 翔くんのポールは、とても良かった。

 ごめん。大丈夫かなとか思っててごめん。
 ぜんぜんふつーに、出来てる。

 目からウロコだった。

 翔くんは芝居の幅が狭い。出来る役はけっこー限られている、とわたしは思う。
 そしてこのポール役は、翔くんの「出来る役」に入ってる。等身大の若者ってやつ。つか、アテ書きだよね?

 『Shall we ダンス?』は原作がかちっとあって、ストーリーやエピソード、展開がほぼ原作まんまなんだけど、脇役はオリジナルキャラになっている。小柳タンのフリースペース、アテ書き部分。
 アルバートもそうだけど、ポールも原作とはチガウ、今回の雪組公演のために書き下ろされたオリキャラだ。原作に「同じポジション」の役はあるけれど、「意味づけがチガウ」から、オリキャラ。
 書き下ろしオリキャラなんだから、そりゃ役者のキャラを考慮したアテ書きになるだろう、タカラヅカなら。そして役者のキャラ頼みの作劇を多分にする、小柳タンなら。

 ポールは、翔くんへのアテ書き。
 翔くんの出来る役で、翔くんの魅力を「活かす」と共に、翔くんの魅力に「頼った」作り。

 つまり。

 ポールって、路線スターの役なんだ。

 路線スター様だけが偉くて、脇のジェンヌは偉くない。という意味じゃない。ただタカラヅカは「順位を付けるなんて差別だわ、みんなで手をつないで横一列でゴールしましょう徒競走」ではない。
 明確な順位が、役割分担がある。

 翔くんは路線スターで、ホタテくんはチガウ。

 役者としての技術はホタテくんが上、だからポール役を的確に実力で演じて見せた。
 翔くんは、技術ではなく、「華」でポールを演じた。

 そして。
 ポールに必要なのは、他のナニよりも「華」であることに、わたしは気づかされた。

 うまいへたじゃない。や、うまいに越したことないけど、オープニングの華やかな宮廷舞踏会が終わって、暗転した舞台にただひとり登場し、ピンスポを浴びて芝居をする。この公演で「最初に」声を出す。
 この役割は、うまいだけじゃ、違うんだ。
 なにをさておき、「スター」でなきゃダメなんだ。他の劇団の芝居はどうか知らないけど、「タカラヅカ」においては、そうなんだ。
 ここは、スターの位置、スターの役割。
 その昔、『スサノオ』で月読@えりたんが、当時ぜんぜんうまくなかったけど、それでも幕開きに登場してナレーションして銀橋渡って「当然」だった……それと同じなんだ。必要なのは巧さじゃない、「スター」としての光や美貌なんだ。

 翔くんがポールを演じることで、『Shall we ダンス?』がとても落ち着きよくなった、と思った。
 より「タカラヅカ」らしくなった。

 ムラ公演を観ているときに、「この作品は好き」だけど、いろいろと疑問点、不満もあった。「好き」が前提での、不満ね。
 その疑問点・不満のひとつに、答えを得た。

 そっか……。ポールって本来、こういう役で、こういう役割だったのね。
 アルバートをまっつが演じることで合点がいったのと同じ。
 アテ書きなんだもん。彼らが演じてはじめて、「作品を構成する計算」が完成するんだもん。
 不完全なモノを観て「納得いかないわ、残念だわ」と思ってたわけだ。

 新公にしても。
 翔くんのポールに対しての、真地くんのポールだったら、きっと別のことを感じていただろうと思う。
 真地くんのポールの「役割」というか、「意味づけ」がよくわからなかった。それで「ポールってどんな人?」と混乱した。
 ホタっちゃんのポールが異端だったんだ。つか、タカラヅカの『Shall we ダンス?』という作品の1パーツとして、色が違ったんだ。

 ……と言いつつ、わたしはホタっちゃんが大好きなんだけど。
 彼が活躍する舞台、彼を大事にしてくれる劇団を望んでいるんだけど。
 ホタっちゃんのポールが大好きなんだけど。
 彼がピンスポを浴びてポールを演じた、演じる姿を見ることが出来た、それをとてもうれしく思うのも、正直な気持ち。



 まっつの休演は、本当に大きなことだったんだと思う。
 あってはならない、イレギュラー。
 ケガも病気も、人間だから仕方ないと思うし、タカラヅカはスタッフもファンもあたたかいところだから、許されているけれど。
 純粋に「料金を支払って作品を観る」だけの客の立場、宝塚歌劇団という1ジャンルを好きなだけの外野の立場で言えば、「完成形で見せてくれよ、二の次なんか勘弁してくれよ」だよなあ。

 わたしはまっつファンなので、そのへんダブスタ全開でスルーするけど。
 それらの大きさ、結果に対する痛み・重みは、休演したまっつ自身がいちばん自覚しているのだろうし。泣かないまっつが復帰初日、舞台で泣いていた、ように見えた。ひとに言われるまでもなく、渦中にいる本人がなによりわかっているよなあ。
 そしてファンとしては、そういう面も含めて心配し、今現在も未来も不安でしょうがなかったりもする。


 いろんなことを乗り越えて、ムラでも東宝でも、素晴らしい舞台を見せてくれている雪組に、心から拍手する。
 ありがとう、と思う。
 『Shall we ダンス?』東宝初日観劇時、ナニに驚いたかって、アルバートさんが、ちゃんと「若きプリンス」だったことだ。
 なにしろまっつだから、「若き、で、プリンス、は無理があるんじゃないか」と思ってたんだな、失礼。

 アルバートさん@まっつはキラキラな王子様的美貌の、軽さのある若者でした。トップダンサーという立場からくる自信や大人びたところはあるものの、魂がまだ若い、冒険心のある青年。
 色気がデフォルト装備なのは、まっつならではです。はい。

 ってことで、アルバートさん語りの続き。


 台詞があるのは初登場のダンスホールだけ(病院では一言だけだし)という、一点集中キャラ。
 でも、台詞なしでの登場シーンはあり。

 この、台詞なしっつーのがなー。
 意外に、オイシイ。

 一点集中して台詞を話してあるので、彼のキャラクタ、立ち位置、考え方は示されている。
 だからあとは、台詞がなくても、彼の人となりが、わかる。

 キャラクタにぶれがない。
 どの場面も、ちゃんとつながっている。
 エラ@ちぎくんのパートナーの誘いを断り、最後はちゃっかりパートナーに収まる、その展開に違和感がない。
 台詞も出番もないのに(笑)。

 まっつの芝居巧者ぶりが発揮されてるわ。
 純粋に、「え、すごくね?」と思った。
 つか、楽しい。
 差し出されたものが、あざやかに目の前でつながっていく感覚。


 病院場面の次の登場は、ダンス競技会。
 アルバートは審査員をしている。

 エラのパートナーの誘いを断ったアルバート。理由は、「エラが、踊ることを楽しんでいない」から。
 そのエラが、必死になって客席からヘイリー@えりたんに声をかけている。
「踊ることを楽しんで!」
 エラは、変わった。
 アルバートには、それがわかった。

 そしてアルバートは、バーバラ@せしこが倒れるまで働いて、ダンスに打ち込んでいるシングルマザーだと知っている。
 エラの気持ちを知り、バーバラとヘイリーの事情を知るアルバートは、そりゃーもー、ヘイリー&バーバラカップルに好意的。
 審査員やりながら、ふたりを見守る目が優しいのよー。

 すごくまともで、優しい人。
 エラに対し、手のひらで転がすような、反応を楽しむような話し方をするあたり、まったくの聖人ではないけれど、まともで優しい、公正な人。
 トップスターってのは、人格も必要なんだなと思うよほんと。チームを率いるのは技量だけじゃない、人柄も必要なんだね。

 アルバートさんは絶対、あの握り拳でヘイリーを応援するエラを見て、惚れ込んだと思うね!(笑)
 一度は振った女に、うれしそうに楽しそうに、惚れ込むことの出来る男。

 そして。

 ミハエル@きんぐを失格にしたのも、アルバートだよね?

 同じダンサーチームの仲間なのに。
 容赦なく、やりましたな。
 や、アルバートひとりの問題でなく、他の審査員も同評価だったんだろうけど、うまいのに失格になったのは、アルバートが「仲間」だからとミハエルをかばわなかった・特別扱いしなかった、ってことよね。
 ……公正で、そしてある意味、こわい人でもあるなー。敵に回したくないなー(笑)。

 競技会のあと、アルバートとミハエルの一悶着を想像すると楽しいです。楽しすぎます。ふふふ。


 ラストシーンにて、エラを見つめるアルバートの瞳の優しさってば。
 もうすっかり惚れ込んでいて、それでいて、自分が彼女の新しいリーダーであることを疑いもしない。
 や、アルバートとエラについての説明がまったくされていないので、すでにふたりがカップルを組むと決まった後なのか、ここではじめてアルバートがエラにダンスを申し込んだのかわからないんだけど。
 「最後のダンスの相手」としてエラが選んだのはヘイリーなのに、平気で割って入ってくるし。いいキャラだ(笑)。

 エラが「踊ることを楽しむ」ことが出来るようになれば、ダンスを申し込む……そう宣言していたアルバート。
 そして彼は言葉通り、エラに手を差し出す。「Shall we ダンス?」……台詞はないけど。
 そうすることが、当たり前であるように。


 つか、エラとアルバート、すごく相性いいと思うの。
 エラの持つ神経質さや真面目さを、アルバートは受け止め、あまやかすのではなく流れを変えることが出来ると思う。
 エラがきーきー怒っても、あるいはどよんと落ち込んでも、アルバートは軽妙さとしたたかな明るさでもって、彼女の手を取れると思う。
 ちぎまつの芝居の相性の良さってやばい。外見の美貌っぷりと、身体のサイズ感までばっちり合っていて、その上芝居まで……って、よくぞまあ。

 エラとアルバートの物語が観たいです。

 絶対面白いだろーなー。ドラマティックだろーなー。エラさんがいろいろきりきり舞いして大変なんだろーなー。想像が膨らむなー(笑)。


 とにかく、アルバートさん好きだわ-。
 ナチュラルに自信家で王子様キャラ。だけどまともで優しい人。
 金髪と前髪のせいか、ベンヴォーリオを思い出した。台詞のない芝居をしているときの、少し拗ねたような幼い表情。

 つかもお、ほんと、ただ、ひたすら、美貌すぎて、やばい。

 トップダンサーでちょー人気者、あちこちで握手求められたりして、大変。そのいなし方も手慣れたもの。
 最初のパーティでも、エラのお別れパーティでも。
 アーカム@がおりん、アルバートファン過ぎ(笑)。

 や、思いの外、楽しい役だ。
 てゆーかさ。

 贔屓に、惚れ直すよね。
 しみじみ。

 マジ美しい、そして、マジ芝居巧い。
 わかってたけど、知ってたつもりだったけど、改めて、まっつすげえ、と思う。そして、誇らしい。
 こんなすごい人なんだなと。こんなすごい人を好きになったんだなと。

 1ヶ月以上公演済みの出来上がった舞台に、ひとり「初日」状態で立っているわけだから、まだ本調子ではないのだろうけど、そう思わせる部分は芝居もショーも含めてあるけれど。
 それでも、「初日」からこれだけのものを出してくる、その姿にずきゅんと撃ち抜かれてます(笑)。
 ムラで翔くん演じるアルバートを観たとき、いちばん引っかかったのは、「競技ダンス界の若きプリンス」という、肩書きだ。

 若き……??
 プリンス……??

 どっちも、まっつには似合わない言葉。
 代役の翔くんのために、急遽変更になった台詞かな。本来は「競技ダンス界のキング」とか、「エンペラー」とか、なんつーかこう、もっとずっしりとした……よーするに、若くない印象の単語だったとか?

 アルバート紹介の台詞、そのままなんだろうか。
 プリンスはしょうがないとしても(えっ)、その前の「若き」は取られてるとか?
 翔くんは「若きプリンス」で、まっつが「若き」なしのただの「プリンス」だとしてもなんだかなーだし、かといって翔くんと同じ「若きプリンス」と言われてもどうよだし、どっちにしろアレだわなあ。

 そう思ってたんですよ。

 それが、『Shall we ダンス?』東宝初日。

 アルバートさんが、ちゃんと若かった。

 台詞はそのまま、「若きプリンス」。
 そしてそう紹介されるアルバートは、ちゃんと若者だった。

 まつださんが、若返ってる!!

 アンドレやっても原作通りの三十路キャラだったまつださん(月組のアンドレがハタチそこそこっぽいから余計にアダルトに見えた?)。おっさん役が得意なまつださん。
 そうだ、そーいや1年前は、若い若い恭太郎さんやってたっけ。若い役も出来るんだった。
 まっつ=おっさん、と思いこむのはやめなさい。

 と、反省しました。

 まっつ、若い。

 金色+前髪最強。リアルに王子様。
 登場した瞬間、「美しい人」だとわかる。
 アルバートの初登場はダンスパーティのエキシビションなので、そこでは純粋にビジュアルの美しさとダンスの格好良さ、そしてだだ漏れる色気(笑)に圧倒される。
 が。
 問題は、そのあと。
 ふつーに芝居になってからだ。アルバートが「若い」のは。

 動く。
 表情が。
 「トップダンサー」として君臨している落ち着きというか、自信はナチュラルにある。
 その上で、感情の動きが、若い。

 翔くんのアルバートが表情固定って感じに落ち着きや重さを出そうとしていたのと反対に、まっつのアルバートは表情がよく動き、軽快だ。ふたりの学年や経験値、持ち味の違いによるものだけど、この役作りの違いはおもしろい。

 最初に「アルバートさん、若い!」とびっくりして。
 次に思ったことは。

 アルバートさんって、まともな人だ。

 トップダンサーと言われる人で。競技会では審査員なんかしちゃう立場の人で。
 もっと天狗になってもいい……というか、そういうキャラクタでも、あり得ると思うんだ。
 エラ@ちぎくんに対しても、台詞だけ拾うと「上から説教している」みたいだし。エラの父@香音くんと同じ意味のことを言ってるわけだしね。

 だけどエラに対しても「説教」ではなく「提案」している。かたくなに心を閉ざした彼女の目線を、「ん?」ってのぞき込む感じで。

 そして、ミハエル@きんぐが騒動を起こしたとき、とても、ニュートラルに話を聞いている。

 ミハエルは失礼極まりない男だけど、彼をどう思うかは、立ち位置によって違うと思う。
 ミハエルに振られるバーバラ@せしるや、バカにされるドニー@ともみんたちへたっぴトリオと、彼らに感情移入して観ているわたしたちにとっては、頭ごなしにひどいことを言うイヤな奴。
 でも、アルバートさんにとっては、同じステージに立っている仲間だよね。
 エキシビションで一緒に踊ってたもん。一緒に練習して、このテの仕事を何度も一緒にしてきてるんだろうさ。同門の仲間とかかも。

 ひでーことを言うミハエルを、アルバートは最初「やれやれ」って感じに見ている。良くは思ってないし、同調もしてないけど、一方的に糺弾するような様子はない。「静観」している。
 たぶん、ミハエルがああいう男だってことを、知ってるんだ。
 普段からミハエルは同じよーなことを言ってるんだろう。
 そしてたぶん、ミハエルがその言葉を裏切らないだけの実力や情熱を、ダンスに対して持っていることも、知っている。
 だから「ったく、またか」って感じに騒ぎを眺めてる。

 この一歩引いて眺めているときが、また「若い」。浮かべている表情が、ミハエルと同世代の若者なのな。テーブルにもたれかかったりして、行儀悪いし。
 でも、ミハエルの言葉が過ぎるとなると、ちょっと眉をひそめる。ミハエルの情熱と、他のダンサーの存在を否定することは別だから。
 で、バーバラが倒れると途端あわてるし。

 病院で、バーバラの娘@桃ひなが「倒れるまでがんばるくらい、ダンスが好き」な母親を語る言葉を、とても殊勝な顔して聞いてるし。
 「違うことと優劣は関係ない」……そう考えている彼は、ダンスを愛する心が同じであれば、うまいへたで差別したりしない。倒れるほどダンスが好きで打ち込んでいる、バーバラを肯定している。優劣で否定したミハエルとは違い。

 で、この病院で、アルバートさんは上着を脱いでいる。
 ここがまた、ポイント。彼の「まともさ」の。
 パーティ会場からやってきたわけだから、みんな派手な格好をしている。なかでも、エキシビションのセンターで踊っていたアルバートが着ているのは、舞台衣装だ。エラに「そんな格好」呼ばわり(笑)された、アイドル衣装。
 病院では、浮くわ。だから、脱ぐわ。
 なんてまともな思考回路なの。
 ……もっとも、上着を脱いだところで、中に着ているのも舞台衣装のてらてら派手シャツだから、チャラさが上がってしまってるんだけど(笑)。

 心の動きが、素直で、無理がない。
 アルバートという人となりが、わかる。


 やだこの役、楽しい?
 なんかいろいろと?

 と、わくわくしつつ、次の登場場面へ。

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