ところで、あんまりキムシンらしさを感じなかったんですが。
 『日のあたる方へ ―私という名の他者―』

 おっさんふたりが真剣に話している最中に、オカマさんたちのサンバダンサーが登場して踊りまくったあたりぐらい? うわキムシン(笑)、と思ったの。

 むしろ、小池オリジナル? って感じがして、あちこち混乱したわー。
 舞台の使い方や、映像、照明……ネタ自体も。
 なんつーか、イケコの黒歴史、『MIND TRAVELLER』を彷彿とする。

 なんで黒歴史かって、まあもちろん単純に話がトンデモ過ぎて、加えてチケットもぜんぜん売れず、興行的にも大変なことになってた、ってことなんだけど。
 なにしろ、公演が決まったとき、わざわざ「あの小池修一郎演出の新作ミュージカル!」ってチラシが単体で作られたんだもん。主演のまとぶさんより、イケコがクローズアップされたチラシ。そんなの、他では見たことナイ。
 で、そうやってイケコの名前で売り出した公演なのに、興行的にはえーらいこっちゃで、責任はイケコにも大きかったのか、青年館ではイケコが自分でチケットの取り次ぎをしていたという。イケコ本人がいたわけじゃないけど、生徒さんの会チケ手渡しテーブルと同じように、イケコテーブルもあった、と。外部なら演出家取り次ぎ窓口もあるだろうけど、ヅカではありえない。他では見たことナイ。
 てなことから、黒歴史だろーなと、わたしが勝手に思っている。や、わたしは『MIND TRAVELLER』2桁観劇しましたから、めっちゃ観ましたから!(笑)

 キムシンを期待して行ったらイケコで、なんかぽかーんな感じ。


 そういえば、キムシンというとポスターが凝っていて楽しい、というのがあった。
 オサ様の『不滅の棘』の美しかったこと! 当時DCのチラシはレアで(数を刷っていなかったらしい)、チケットを購入した人が1枚につき1枚、それも申告しなければもらえない、大変貴重な物だった。ひとりで2枚購入したら、1枚しかもらえなかったんだよ。「2枚買ったんだから、チラシも2枚ください!」って言わないと、もらえなかった。先行販売で買った場合、会員証持って「チケットをたしかに買いました」と証明しないと、チラシをもらえなかった。
 かなり大変な思いをして手に入れた、美しいチラシ。
 『王家に捧ぐ歌』や『スサノオ』も迫力あったなあ。『オグリ!』や『バラの国の王子』 もインパクトあった。

 残念になったのは、『ドン・カルロス』から?
 とにかく主演の顔アップにしときゃーいいんだろ、みたいなやっつけ仕事感……。

 そして、今回の『日のあたる方へ』のポスターは、さらに手抜き感が強いっちゅーか……。

 プログラムはいいんだよ。ポスターの別撮影写真とか使って、マカゼ氏ひとりどーんと載って。めくってもめくってもマカゼ、ファンにはこれうれしい。
 「めくる」「連続」という作用のあるプログラムなら、白背景に主役ひとりどーん、も効果的。
 でも、ポスターはそうじゃない。

 『日のあたる方へ』という、小説っぽいというか、内容の想像つかない、あまりキャッチーではないタイトルに、なんか苦悩しているっぽいマカゼが写っているだけ。
 ……わかりにくいタイトルに、わかりにくい写真。
 なにを表し、なにをアピールしているのか、伝わらない。
 なにも知らない人がいきなりこのポスターを見て、魅力や興味を感じるだろうか。

 これって、ディナーショーのポスターだよね? 方法論が。
 主役ひとりどーん、で、抽象的なタイトルがあるだけ。チケットを売る対象者は、主役のファンだけだから、主役がきれいに写っていればヨシ。ファン以外はそもそもチケットを買わないから、演目自体に興味を持たせる必要はない。

 数百人サイズの会場で数回行うだけのディナーショーと、900席のドラマシティ、1300席の青年館で何十回と公演する舞台のポスターが、同じ方法論で作られるなんて。

 もっと内容がよくわかるデザインのポスターにするか、多少盛ることになったとしても、あざとい画面にしてみるとか、なにかしら客の興味を引くように、努力するべきだろうに。
 もしくはタイトルを、一般人にもわかりやすく、興味をかき立てるモノにするとか。
 文学的なタイトルをいじりたくない、というなら、キャッチーなコピーを付ける。

 わたしなら、いろんなことをするけどなあ。
 画像デザインするの、好きだしなあ。コピー考えるのも好きだしなあ。や、所詮素人だけど、素人なりにいろんなこと考えるのよ。

 「ジキルとハイド」が元ネタだって、小さな字まで辛抱強く目を通す人にしか、気づいてもらえない。原作まんまをやるつもりじゃない、元ネタに過ぎないから、大きく名前を出したくなかったんだろうけど。
 有名原作なら、そのネームバリューを利用すれば良いのに。

 つくづく、生田くんのポスターへのこだわりは素晴らしいよなあ。
 と、同じマカゼ主演の『ランスロット』ポスターのクオリティを、なつかしく思う。
 画面のこだわりようと、厨二病前回の恥ずかしいコピーが、実に観劇意欲を誘った。


 キムシン、どうしちゃったのかなあ。
 またゴテゴテこだわったポスターが見たいなあ。

 なによりも、キムシン節前回の説教臭いオペラが観たいけど。
 『日のあたる方へ ―私という名の他者―』の、いてもいなくても問題なし、な脇役のジュリア@はるこちゃんについて、あれこれゆーてますが。

 ヒロインのマリア@風ちゃんはどうなのよ、っていうと。
 もちろん風ちゃんは、うまかったです。
 ただ。

 作品的に、マリアヒロインは難しいよなあと。
 風ちゃんがどうこうではなく、役として。作品の作り方として。

 てゆーかこれ、ジュリアヒロインにした方が、面白くなったんじゃあ……? マリアは、キーパーソンとして使って。

 まあその、わたしの好みもある。
 医者が、公私混同で患者に接するのって、好きじゃないんだわ。
 ジキル博士@マカゼは命懸けで患者のマリアを治療するわけだけど、そこにどんな大義があったとしても、所詮は我欲、恋人だから。彼女が治れば自分が得をする、だからがんばってるんです、てのがなー。
 仕事は真面目にしろっていうか。仕事にかこつけて、色恋やられるのは好きじゃないっつーか。
 マリアの治療と医学への探究心と、色恋は分けて欲しかった。
 マリアにのめり込むけれど、本当の愛は別、彼女への依存と事件の重さでボロボロになった心に、本当に自分が必要としているものがなんなのか、愛がなんなのかに気づく、てな話の方が好み。
 この場合、ジキルのために泣く泣く身を引いたジュリアをクローズアップして、最後は彼女とハッピーエンドな。


 なまじ風ちゃんが芸達者な人だから、彼女に精神疾患ヒロインをやらせたくて、そこからいろいろと間違って出来上がっちゃった結果かなあと思う。

 でも、風ちゃんはたしかに芸達者だけど、「タカラヅカ的な精神病ヒロイン」には、ならないと思うよ……。

 心を病んだ美しい女性、というのは、現実の病気の人とはまったく無関係な、タカラヅカや少女マンガにはありがちな美しいモチーフ。
 濁った現実とは別の、美しい精神世界に生きる人、という、ファンタジーな設定。
 魔法のない世界で妖精や天使を出したかったら、精神病ってことにすればヨシ、てな、「妖精」「天使」を描く上での記号。
 まったく別モノだから、現実の病気の人を貶めるとか、そんな意図はない。表現上のお約束みたいなもんだ。
 だから、精神病ヒロインはアリなんだけど……。

 タカラジェンヌは存在自体ファンタジーだけど、風ちゃんはタカラヅカっぽくない個性の持ち主。
 そんな彼女に「タカラヅカならではの妖精役」をやらせるっていうのは……。

 そして、相手役がこれまたタカラヅカ的ハッタリの苦手な、堅実で骨太なマカゼだし。

 キムシンはアテ書きの人、脚本がトンデモでも、キャラのハマリ具合で満足度を上げる人だったのに、なんで今回はこんなことになってるんだ。


 わたしがマカゼにアテ書きするなら、テレビ局がわいわい言うようなスター医師ではなく、堅実な研究者ってことにするなあ。派手なパフォーマンスをして衆目を集めるあざとさなんかなく、ひたすら誠実に自分の道を行く人。
 それこそ、髪に寝癖がついていも気づかない、不器用な男。
 といっても変人ではなく、家族を大切にしているし、友人もいる。そんな、「真面目ないい人」。
 派手なパフォーマンス担当は、別人格のイデー氏。常夏の国で毛皮のコートを着用するくらい、自己顕示欲旺盛。
 真面目ないい人、ちょっと不器用でかわいい男、って、マカゼまんまじゃん。せっかくの主演で、見慣れたいつものマカゼってのもなあ……と思っている観客に、ずどんと一発カマす!
 いつものマカゼと、オラオラマカゼ。ふたつの魅力でファンをメロメロに。

 で、その真面目なだけが取り柄の冴えない男に、何故か市長の娘の派手な美女ジュリアが惚れている。上から目線で「パパのおかげで研究資金が得られてるのよ」てな、物言い。
 真面目なジキルくんは、ジュリアが苦手。なんとか遠ざけようとする。親友たちは「お前に気があるんだよ」と言うけど、まさか。姉のマリアの主治医だから、なにかと絡まれてるだけだろ。
 ジュリアは、ジキルの興味も愛情も患者のマリアにだけ注がれていることを、苦しく思っている。天使のマリアに、世俗に生きるジュリアは絶対敵わない。だから余計に、「天使」とはかけ離れた態度を取ってしまう。
 彼女が素直に心のままをジキルにぶつけるとき、……それはもちろん、あの事件絡み、そしてイデーの罪を知った上でのことだ……それでもジキルを愛し、守ろうとするジュリアに、ジキルは自分がマリアに求めていたのが虚像だと依存だと、気づくわけだ。

 マリアはひたすら美しく、神秘的に。
 この世のモノではない歌を歌い、白いワンピース姿で象徴的に登場する。
 彼女の病気や存在に、わざわざ「答え」を出す必要はないと思うんだ。クライマックスではそこだけ正気に戻って、ジキルと初恋のデュエットしていいからさー、でも最後まで世俗に足を落とさず、「天使」のままいてもいいと思うんだ。
 ヒロインだから、わざわざご都合主義的に正気に戻っちゃうけど。
 要は、ヒロインでなければ、オープニングのイメージのまま通せる。

 この公演のヒロインは風ちゃんでなければならないのなら、風ちゃんがジュリアで、マリアがはるこちゃんで。
 風ちゃんはリアルなヒロインであるジュリアも出来るだろうし、ここで華やかなお嬢様キャラスキルを磨くことになるし、はるこちゃんは天使マリアもできるはず……あっ、歌は……その、はるこが歌える音域とか長さに変更して。

 それから、親友は、ひとりでいい。
 ブルーノ@みっきぃとジョアン@ポコちゃん。ふたりいて、ジキルくんと3人組なのは別に良いけど、そのうちひとりだけを、明確に区別する。
 役割が分かれてしまっているので、友情も弱くなってるのな。いや、ポコちゃんがもう少しうまければ、今のままでもいいのかもしれんが、彼の実力ではマカゼ氏の支えにはなってないっす。
 医師仲間のジョアンを明確に親友ポジ、2番手として確立し、ジキルとの関係をきちんと描く。ブルーノは明るいにぎやかし担当。
 テレビ出演大好きなブルーノは、みっきぃに似合っているけど、実力的な意味でいうと、2番手役相当のジョアンの方が良かった。
 新公主演しているポコちゃんと、学年が上で実力もあるみっきぃの、扱いに困っての「同格の親友役」に見えた。作品的に必要なのはジョアンだから、そっちが新公主演経験者。でも、あきらかに差も付けられないから役割分担、結果、どっちも薄くなり作品的にも、主演を支える意味でも、うまく作用しなかった、と。

 初日のカテコで、なにかあるたびみっきぃの方ばかり振り返って、ヒロインの風ちゃんをまったく見ないマカゼくんに、「なんでこのふたりを裂いたんだ」と思った(笑)。や、ヒロインは風ちゃんで良いけど、2番手の親友役は、みっきぃでいいじゃん。素直にマカゼ×みっきぃで(笑)。
 マカゼくんの顔立ちから、強烈なデジャヴも感じました。……『天の鼓』の千秋楽カテコがこんな感じだったっけ……オサ様はヒロインを一度も見ずに、隣にいるゆみこばっか見て喋ってたっけ。
 や、素の彼らの人間関係は知りませんが、舞台の相性からいって、マカゼさんにはみっきぃの方がいいなと。
 娘役さんって、急激に成長するよなあ、と感動した。

 『日のあたる方へ ―私という名の他者―』の、ジュリア@はるこちゃん。

 はるこちゃんがうまい人なのはわかってる。ヒロイン力というか、「主人公力」のある人。
 『メイちゃんの執事』とか『天使のはしご』とか、男役本位の「タカラヅカ」で、「主人公」としてしっかり演じきった実績あり。

 でも今回はそれに比べて、「いい女力」をどーんと見せてくれたなあと。

 市長の娘ジュリアって、まあぶっちゃけ、いてもいなくてもいい役なんだけどね。
 キムシン芝居らしく、ほんと役は少ないし、必要な役はさらに少ない。ジュリアは、役の頭数を増やしただけみたいな役。あってもいいけど、なくても問題ないあたり。

 お金持ちのお嬢様らしく派手な美人で、自信家。ジキルくん@マカゼを好きで、彼と結婚したいから、パパに頼んで彼の研究費の援助をしてもらっている。
 このままお金と権力で、好きな男を手に入れるんだろうな、というよーな、よくあるヒロインのライバルキャラ的な設定。
 なんかものすげー服を着て現れるし、どうしてこんな派手な女性があの地味なジキル氏を好きなのか、ちょっと見にはわかんない。
 ジキル氏が若き天才なので、彼のステイタスに惚れている、アタマの軽い金髪美女、という、物語によくあるタイプのお嬢様キャラ、を狙ったのかもしれない。

 ジュリアが場違いに見えるのはたぶん、ジキル氏の地味さのせい。
 マカゼくん、美形だけどその、「時代の寵児! カリスマ!」的な派手さには欠けるんだよなあ。
 たとえば、マミさんとかリカちゃんとがが、この「若き天才」の役をやっていたら、そりゃおっぱい強調した派手服の金髪美女が鼻をツンツンさせてまとわりついてくるのも、よくわかる。

 マカゼくんの「地味さ」「実直さ」が、金持ちお嬢様が好んでやって来るタイプの「天才」に見えないんだよなあ。
 このジキル氏に惚れるのは、彼の真面目さを心地よく思う、真面目な女性だろうになあ。

 こんなキャラ配置からしても、キムシンがこの作品を「マカゼのために」書き下ろしたとは思えない……。

 まあともかく。
 設定上求められている役割を、華やかにこなしているはるこちゃんに、感動したわけですよ。

 最初の登場では、よくある「ライバルキャラ」風の女性なんだけど、悪い子ではまったくないと、あとでわかるわけだしね。
 結果的に、彼女も事件の犠牲者ってことになる。事件ゆえに、父親からジキルとの結婚を却下されるのだから。ジキル自身に振られるのと、それ以前に父親に脅迫さるのとでは、ショック具合や納得具合が違ってくるもんな。

 このいろいろと困惑しきりの舞台で、唯一素直に感情移入出来るのが、ジュリアだった。
 はるこちゃん、いいわー。

 まず、見た目の記号的な意味を、きちんと満たしている。
 これまで彼女の持ち味や得意分野からは、はずれた役だと思う。新公のテス@『オーシャンズ11』は同種の華やかさを必要としていたけれど、完璧に満たしていたとは思えなかった。
 それゆえに、ここでこう来たかと。
 テスで足りなかった分、ちゃんと成長してモノにして、こうして見せてくれるのかと。

 それでいて、中身というか、ジュリアという女の子の良い部分……恋に一途なかわいい女性の部分は、はるこちゃんの得意分野、リアルに血肉を持ってどーんと演じてくる。

 「ライバルキャラ」として登場しただけに、この逆転劇、「えっ、ほんとはいい子じゃん!」はあざやかで。
 また、脚本のジュリアの描き方が中途半端で、彼女のことなんかどーでもいい・書き込んでるヒマはないと思っている感じが透けて見えるだけに、「え、これだけ?」というぶった切られたエピソードがまた、後を引く。それであの子はどうなったの?って。
 それっきり、ちゃんと書いてくれない、放置っていうか、てきとーにモブに混ざって出てきて終了してんですけどね。
 書いてくれてないから、「きっといろいろあったんだろうなあ」と想像させられるというか。

 そうやって、ろくに大切にされてない風なのに、そこにキモチが行くほどに、いい芝居でした。


 娘役さんって、成長度合いが大きいというか、男役に比べて寿命が短いためもあるのか、早回ししてるみたいにぎゅーんと変わることがあるよね。

 ちょっと前まで、若さを前面に出したかわい子ちゃんだったのに、気がついたらそれだけではない実力を、ばーんと見せてくれたりする。

 最近では、星組にいたれみちゃん。
 若手のかわい子ちゃんだったのに、花を添える存在だったのに、あるときから急にスピードが変わって、どんどんいい女に変貌していった。
 人生に、加速が付く。
 そのあざやかさに息を飲むし……生き急いでる感に、どきどきしたりもする。

 タカラジェンヌは10年くらいの短い寿命の中で、花を開くわけだからなあ。
 蕾までの間がやたらゆっくりで、いったんほころぶと早送り再生映像みたいに、急激に形を変える人もいる。

 はるこちゃんもまた、今花盛り。
 ヒロインをばんばんやっていた頃とはちがったカタチに、あざやかに開花している。

 こういう娘役力のあるジェンヌさんを、活かせる脚本や公演を望む。
 星組ドラマシティ公演『日のあたる方へ ―私という名の他者―』初日観劇。

 あくまでも、初日。

 先入観なしで観たいし、はまったらリピートしたいし。変化していく様を見るのも楽しいし。だから、初日。

 あくまでも、初日の感想です。

 なんの先入観もないまま、「マカゼ主演! キムシン新作!」とよろこんで席に着いた。
 マカゼ氏は好きだ。あの手の顔は、好みなんだ。なにかと不自由な……というか、うまくない人なのは知ってるけど、それでも舞台が楽しみな人でもある。
 そしてわたしは、キムシンスキー。キムシン作品が、好き。濃度の差はあれ、ほとんどの作品を楽しめる。
 好きな顔のスターさんが主演で、キムシン新作オリジナル。ひとさまの意見や世間の評価は関係ない、わたしがツボったら、楽しくリピートしちゃうもんね。チケットレートも低いし、あとからいくらでも追加可能。

 そして、第1幕。

 アタマを、抱えた。

 どうしよう……。
 どうしよう、これ……。

 どうなるんだろう……。

 そして、第2幕。

 さらに、アタマを抱えた。

 いや、もお……なんというか……。

 キムシン……何故これを、マカゼにやらせたし。


 えーと、いわゆる『ジキルとハイド』を下敷きにしているけれど、ふつーに現代(少し前?)を舞台にした、オリジナル作品。

 若き精神科医ジキル博士@マカゼは、精神疾患のマリア@風ちゃんの治療に必死。
 なんでかっつーと、マリアはジキルくんの初恋の人なんだってさ。彼女を治すために、ジキルくんは新薬を自らの身体で試す。
 精神の時間が遡り、ジキルくんは自らの記憶の底に封印されていた恐ろしい記憶……両親が殺害されたことを、思い出す。
 殺人事件のショックで、幼いジキルくんは記憶を失い、大人になってからこうやって薬の力で無理矢理甦らせたことで分裂、彼の心の奥深くに巣くっていた復讐の鬼イデー氏が登場、両親の仇討ちに手段選ばず。
 ちなみに、マリアもその殺人事件がきっかけで、心を病んでしまったのね。
 事件解決が、すべてを解き放つことになる、と。


 なんというか、すげーバランスの悪い配役。

 主役の比重高すぎ。
 わずかな上級生と、あとは下級生たちという布陣。実力の差が歴然。

 うまい人はめちゃくちゃうまい。
 が、うまくない人たちが大半なので、うまい人たちだけが、みょーに浮く。

 そして、いちばんの問題は……その、「うまくない人」の中に、めちゃくちゃ比重の高い主役も、含まれていることだ。

 これ、きつい……。

 1幕後半は、マカゼのひとり舞台だ。
 しかも、ひとりで、複数の人格を次々と演じ分けなければならない。

 これが……もお……。

 何故これをマカゼにやらせたんだ、キムシン……。

 がんばってる。
 がんばってるのはわかる。マカゼくん、めちゃくちゃがんばってる。
 でも。
 でもさ……別人に、見えない。

 身をよじって大声で叫んでる、幼児プレイをしている、いろんなことをいろいろしている……でも別に、全部ふつーに、マカゼくんだよね……?

 彼が一生懸命であること、すげーがんばっていることがわかるだけに……いたたまれない。

 観ながら、途方に暮れた。
 どうしよう、これ……。

 幕間に、アタマを抱えた。
 なんか久々に、すごいもん観た。
 困る、と思うモノを、観た。

 2幕でなにか、救いはあるんだろうか……ありますように……あってくれ……。

 救いはないまま、終わった。

 やっぱりマカゼは熱演で、すげーがんばっていて、一生懸命で、ただただ一生懸命でがんばっていて……でもぜんぜん、うまくなかった。

 観ながら、「すごいなあ、きっとこの役とこの公演を経験することで、マカゼはいい勉強になるんだろうな」と思った。
 そして。

 勉強しているところ、を見せられてもな……。
 と、困惑した。

 叫んだからって、熱演したからって、それが「いい芝居」ではないんだよなあ。
 声の大きさを変えたって、「演じ分けている」ことにはならないんだよなあ。

 マカゼくんが、ちっとも二重人格や別の年齢を演じ分けられておらず、台詞から「ああ、これはこういうことなんだな」と推理して眺めている状態なのに。
 刑事役の美城れんくんは容赦なく「巧い芝居」を吹っ掛けてくるし。
 市長@一樹さんは、ひとりで自分の世界を繰り広げているし。
 マカゼを支えなきゃなんないポコちゃんは、マカゼと同じくらいうまくなくて、ふたりして自爆しているし。
 マカゼと合うみっきぃ、空気を読んで芝居出来るはるこちゃんは肝心なところで絡んで来ないし。
 ヒロインのはずの風ちゃんは、実はぜんぜんマカゼ氏と合ってないし。役割的にもなんだかなあだし。

 どうしよう。
 どうしよう、この芝居。

 みんなうまくないなら、新公状態なら、それはそれでバランス取れて観ることが出来たと思う。
 でも、肝心な真ん中はうまくないし、その周囲の濃いところで、巧い人たちが暴走しているし、それ以外は学年やキャリア的にも新公だし。

 途方に暮れた……。

 話が面白いのかどうか、わたしにはわからない。
 別の人で観たかった、としか。巧い人が真ん中なら、多重人格を演じわけ出来る人なら、面白い物語だったのかもしれない。

 脚本演出から読み取れる「作者はこうしたかったんだな」と、実際に目に映っているモノの乖離っぷりを、アタマの中で組み立て直して観ることだけで、疲れてしまった。


 芝居は好みの問題がいちば大きいので、マカゼ氏の芝居を「うまくない」「演じられていない」と思ったのは、あくまでもわたしの感覚でしかない。
 他の人には「素晴らしい名演!!」だったのかもしれない。
 でもわたしには、残念ながら、至らない芝居に見えた。

 それにこれは、初日の感想だ。
 これから公演を重ねることで、きっと変わっていく、うまくなっていくのだと思う。
 わたしがマカゼくんのガチファンなら、彼の変化を見守ることも楽しいだろう。組ファンでも、下級生の多いこの舞台を、楽しくリピート出来るのかも。

 ファンにとっては、ジェンヌさんの「いろんな顔」を見られるだけでたのしいんだもの。
 今まで見たこともナイ役をやっている、1作の中でふたつの役を見られる……それだけで、楽しめるし、うれしい。
 体当たりの熱演、ってだけで感動するし。

 今回は、わたしの好みではなかった、というだけのこと。

 この公演を、この役を演じきり、ひとまわりも二回りも大きく成長したマカゼくんと、次の公演で再会出来ることを楽しみにする。


 初日のカテコで、マカゼくん、『REON!!II』に出たかったのかなあ、と思ったなぁ。
 ドラマシティは、携帯のつながりが悪い。
 ひとさまは違うようだが、わたしはそう。
 客席後方ロビーまで出なければ、「圏外」のまま。それで『BJ』のときは苦労した。

 マカゼさんのDC初日、いろいろとものすごすぎて、つぶやかずにはいられなくて、幕間休憩時にわざわざ電波の届くところまで出て、ひとこと感想を書いて、それっきりまた「圏外」な場所へ戻った。

 終演後、やっぱりものすごすぎてつぶやかずにはいられなくて、劇場を出て電波がつながるなり、ひとこと感想を書いていた。
 ひとこと書いては送信、ひとこと書いては送信、そんなことをしていると、溜まっていたらしいメールが立て続けに受信された。

 そこで、らんとむ氏の退団発表を知った。
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宝塚プレミアム情報
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2013/10/07 16:00発信

花組トップスター・蘭寿 とむが、2014年5月11日の東京宝塚劇場公演『ラスト・タイクーン-ハリウッドの帝王、不滅の愛-』『TAKARAZUKA∞夢眩』の千秋楽をもって退団することとなりましたのでお知らせいたします。

 そうか。
 やっぱり、次で退団しちゃうのか。

 そうなんだろうとは思っていたけれど、予想することと現実になることとは別で。

 さみしいな。


 長く眺めて来たスターさんだから、愛着も思い出もいっぱいある。
 下級生時代から、すでに「蘭寿とむ」として確立した人だった。
 なにより今、男役として「完成」の域に達している人だ。

 『Mr. Swing!』のらんとむ氏を見て、その美しさに息を飲んだ。

 タカラジェンヌって、トップスターって、ここまでの域に達して、卒業していくんだね。
 ここまでの域に達してしまったから、あとは卒業するしかないのかも、しれない。

 そう思えるほどの、完成された美しさだった。

 ……まだ『Mr. Swing!』は東宝公演があるんだよな。
 あんだけ美しく発光していたらんとむさんは、これからまださらに、輝くんだろう。
 発表をして、けじめを付けて、さらに、飛躍する。

 わたしはムラの花組公演で散財しすぎたので(予定していた金額の倍以上するっと使っちまったい)、この上東宝公演を観ることはかなわない。
 次にらんとむの舞台を見られるのは、退団公演か。……うわー……寂しい……。


 みんな、どんどん旅立ってしまうんだ。
 寂しい。
 トド様を好きになることから、わたしのヅカヲタ人生ははじまった。

 子どもの頃からタカラヅカは知っていたし、実際観劇していたけれど、特別興味はなかった。わたしが好きなのは「物語」、タカラヅカを観るのは、タカラヅカがお芝居をやっているから。
 「物語」を観られるなら、タカラヅカでなくてもいい、なんでもいい。他の劇団でも映画でもマンガでも。その程度。

 それが、うっかりとトド様の美貌にすこーんとオチて。

 「個人」を好きになると、「タカラヅカ」はまったく別モノになった。

 相変わらず「物語」は好きだけど、「物語」さえ観られるならいい、なんてとこに留まらない。
 それとは別に、トド様がどうしているか、ナニをどう演じているか、そんな複合的な楽しみ方が出来るようになった。

 トド様を「個人」だと認識するってことは、すなわち、他のジェンヌさんたちも、「個人」だと気がついたってことだ。
 それぞれ「顔」があり、「個性」がある。
 そこに在るのは小説やマンガじゃない、「生きた人間」だ。
 同じ物語であっても、演じる人によって変わるし、同じ人でもその日のコンディションによって変化する。
 わたしの大好きな「物語」が、一気に多層構造になった。

 ひとりずつの顔が見えるようになると、ひとりずつの変化がわかる。
 なにひとつ同じモノはない、「生きた」物語が、そこにある。
 そう、演じているタカラジェンヌたちもが、一篇の物語なんだ。舞台の上で年を取り、成長していく。

 「物語」好きとして、こんなに心躍る世界があるだろうか。


 トド様の物語は、まだ続いている。
 わたしが最初にトド様と出会った頃と、今はあまりに別人(笑)。
 その「変化」こそが、彼の「物語」。

 これだけ長い間、「物語」を見せてくれるとは、思ってなかった。
 「続ける」ことは、それだけでものすげー困難なことだ。
 彼は変わり続け、大人になり、その大人になった姿でさらに「新しいモノ」を見せてくれる。

 どんだけ変わり続けても、彼は変わらずに「ここ」にいる。
 ここに留まってくれているから、どんだけ変化しても成長しても、「変わらないモノ」として、彼を見るとほっとする。

 タカラジェンヌの物語は短い。
 長編だと思って読み出したのに、伏線回収もなく、2巻でいきなりENDマーク出ちゃったりするからな。先が読めない。

 ちなみに、トド様の次にマジ贔屓様となったケロちゃんは、何巻にも亘る「長編」だと思って「次に本屋に行ったときに買おう」とのんびり考えてた。新刊を発売日に息せき切って買いに行かなくても、前回と今回、2巻まとめて買えばいいや~~、くらいのキモチだった。
 それが、思っていたよりぜんぜん早く最終刊が出て、ひっくり返った。しかもそれが、なんか打ち切りっぽい終わり方だったりしたもんで、後悔しきりだった。

 で、現在のご贔屓まっつは、どっちかってーと「短編」だと思っていた。いつ連載が終わるかわかんないから、単行本の発売を待ったりせず、雑誌を毎回買ってアンケートの「面白かった作品」に番号書いてハガキを出し続けた。
 地味だし、いつも雑誌の微妙な位置に載ってるし、そのうち打ち切りになるんだろろうな、的な。
 それがなんか、気がついたらずーーっと続いていて。地味でも微妙でも、当時雑誌の巻頭やらカラーやらで華々しかった作品の連載が終了しても、マイペースに続いていて。
 長っ。
 こんなに長編になるとは、本人含め、誰も思ってなかったよね? 最初の方の巻と、絵柄もストーリーも変わってるし。つか、忘れられた伏線とか、なかったことになってる設定とか、いろいろあるよね?
 ……てな、そんな「思わぬ長編」。
 や、どんどん長くなってよし、どんなカタチでもよし、思い存分物語を作ってくれ。


 舞台上の物語、芝居だけでなく。
 ジェンヌ自身の「物語」を楽しめるようになってこそ、「タカラヅカ」の醍醐味。

 生のジェンヌは知りようがないので、あくまでも、こうして外側から眺めているだけだけど。
 それでも、わたしが見ることの出来る範囲の、彼らの「生き方」に、ドラマを、魅力を感じる。
 「タカラヅカ」は、タカラジェンヌは、なによりも魅力的な物語。

 いずれ来る別れに、毎回泣くけれど。
 好きな分だけ、つらいこともいっぱいあるけど。

 トド様を好きにならなかったら、はじまってなかったんだなあと思う。
 なんか、不思議だ。
 よくあそこで、すこーんとトド様にはまって、ヅカヲタとして開眼したよな、わたし。

 出会えて良かったと思う。
 心から。


 年寄りなので、やたら過去を振り返るのだ。
 今回の『第二章』、ねね様の「失格」がすごくて、「これぞ夢咲ねね!!」な姿だっただけに。

 『おかしな二人』再演版のフィナーレを、残念だと思う。

 これで計3回、専科バウ(青年館)公演が行われた。
 轟悠主演、ニール・サイモン作、石田昌也演出のストレートプレイ。
 幕が上がる前のオーバーチュアとして、キャストによる歌(本編と関係あるよでなさげ、やっぱナイ)が流れ、少人数キャストでストプレ、本編の芝居が終わった後はタカラヅカのお約束、打って変わったド派手なフィナーレ。
 タカラヅカの新しい可能性、ガチなストプレのあとにタカラヅカ!なフィナーレってのがいいんだ。
 そこでわーっと盛り上がる。だってここはタカラヅカ、演じているのはタカラジェンヌ、どんな名作でも「外部でやれば?」なものが観たいわけじゃない。
 タカラヅカってすごい、タカラヅカってやっぱいいな、そう思って劇場を出る。

 そういう意味で、石田せんせうまいなあ、と思う。

 ただひとつ、『おかしな二人』再演版の、みつるの扱いを除いて。

 上記の「タカラヅカ!」な扱いを、みつるのみが受けていない。

 初演のマヤさんは、そのキャラクタから、フィナーレでおじさんキャラのまま「マイウェイ」を熱唱するのが似合っている。おたまをマイク代わりに味わい深く歌うのが、「未沙のえる」というキャラクタまんま、期待される通りの姿だった。
 今回のエマさんのちょびヒゲ付けて谷村新司をクサく演じる姿が、「英真なおき」のキャラクタから期待するものであるように。

 「華形ひかる」から期待するイメージって、ナニ?
 彼はいろんな役を演じてみせる幅の広い役者だけど、彼の持ち味自体は色気ある花男、バリバリの二枚目よね?
 美形なのに三枚目も得意、というギャップが魅力のひとつよね?

 タカラヅカらしからぬガチのストプレ、そのあとに「タカラヅカ!」なフィナーレ、がお約束、ルールみたいになっているこのシリーズならば、みつるもまた、彼の本来の姿、バリバリの二枚目に戻って1場面務めるはずじゃないの?

 主演のトド様以外は、役を踏襲した姿でなきゃいかんのか? ミサノエールは役も本人のウリも似たテイストだったからわかんなかっただけで?
 だとしても、フィナーレくらい本来のみつるの姿を見せてくれてもいいのに……そう思って帰路に就いた、青年館千秋楽。

 今回のねねちゃんを見て、「チガウやん!」と光の速さで突っ込んだよ。
 本人のキャラ、ファンが期待する姿でフィナーレ出ていいんじゃん!!
 ミニスカ穿いてヒール履いて、「スター!!」としてJ-POPをがんがんに歌うねね様に客席が「きゃ~~っっっ」となったように。

 バリバリ美形男役でキザりまくるみつるが登場したら、同じように客席は「きゃ~~っっっ」てなったろうに。

 みつるだけが最後まで、本来の姿ナシの「作った三枚目中年男」だったんだよなあ。
 トド様とかぶるから、ダメだったのかな。
 でも、かぶったからといって今さらトド様が14期も下のひよっこに、男ぶりで負けるはずもないんだから、好きにやらせればいいのにー。

 みつるの「関白失脚」は哀愁があってハートフルで良かったけれど、笑いも取っていたけれど、それを否定するわけじゃないけれど。
 それでも、作品中1場面は、タカラヅカスターらしい姿を見せてくれてもよかったんじゃないのかな。

 今回の、ねね様のように。

 みつるの扱いにモヤったことを思い出さずにはいられないほど、ねね様が素敵だった!
 ってことだな。
 『第二章』トド様が、かわい過ぎる……っ。
 そして、カッコ良すぎる……っ。

 最初からずきゅーんとキたのが、老眼鏡。

 老眼鏡をかける轟悠!!
 それすらかっこいいって、かわいいって、なんなの。

 うっわー……この人フェアリー通り越して天使なんじゃね?(笑)


 衰えない美貌もさることながら。

 トド様をすごいと思うのは、役者としての力。

 2500人劇場で咆哮するような大芝居もできるし、バウのような小さな劇場で濃密な演技もできる。
 昔は大芝居の人だと思った。役者というより「スター」というカテゴリの人だなと。つか、トドの芝居に期待してなかった。
 『天国と地獄』とか『ブルボンの封印』とか、あちゃーな芝居、観てきたからさー。
 ルキーニとか、役にはまるときはいいけど、そうでなかったら荒いというか投げやりというか、できないことはできないんだと開き直っているような芝居の在り方が、あまり好きじゃなかったっていうか所詮ファンなので許容というかあきらめてた。

 それがいつの間にか、こんだけ芝居の人になってるんだなあ。
 その芝居ってのには、作り込まれた「男役」というモノも含まれてる。
 男役というものを、極めているからこその「芝居」なんだよな。

 今回、出演者は4人。
 そこがバウである以上、少ないとはぜんぜん思わない。
 昔、やっぱり4人しか出演者のいない『Switch』という公演を観たときは「少ない」「無理ありまくり」と思ったけど、アレとは脚本がチガウからなー。『Switch』は登場人物も場面転換も通常のバウ並で、終始どったんばったんしていた印象。嘉月絵理ちゃんがひとりで老若男女演じ分けて、ひとりで舞台を支えてた。主役も助演も芝居のうまい人ではなかったし、ヒロインの美穂さんは出番ほとんどなかったし。
 バウで4人……でも、気にならない、問題ない。4人だけで舞台を埋めることのできる脚本と、役者だ。

 トド様なあ、後半の、コート姿がっ、幼稚園がけしたバッグがっ、素敵すぎるっ!!

 気取らない、「抜き」のある姿なのに……息が詰まるほどかっこいいし、美しい。
 こんなさりげない姿がこんだけかっこいい、って、すごいことだと思う。

 この物語がやるせなくもかわいらしい、「タカラヅカ」的なファンタジーであるのは、登場人物の「かわいげ」も関係しているんだと思う。
 生々しい会話も、奥が深い……というか、リアルに救いのない現実も描かれているんだけど、それでもどこかふわりときれいで、おしゃれで、ファンタジーになっている。
 ジョージ@トド様は、かわいい。
 なさけなくてもひどいことを言っても、容姿の美しさとは別次元で、存在に愛嬌がある。愛らしさがある。だから、どんな言動も彼を突き落とさない。

 愛情を持って存在する人々だから、愛情を持って、信じて、観ることができる。楽しめる。

 ほんとにすごい役者さんになったなー。すごいなー。
 うれいしなー。好きだなー。


 ところで、この中で、いちばん背が高いのはねねちゃんだよね?

 ねねちゃんの、ペタ靴。
 これでもかってゆー、ペタ靴、
 女優なのに、ペタ靴。

 同じ女優のわかばちゃんは、すっげーピンヒール履いてる。うんうん、女優っていうとこーゆー靴を履くイメージ。
 なのに、ねねちゃんは、ペタ靴。

 そして、ふたりの男たち。
 スラックスの下から垣間見える、ものごっつい、ハイヒール。
 あー……。

 全員半端ナイ高さのヒール着用、ただしねねちゃんだけは、ペタ靴。

 容赦ないペタ靴を履いているというのに、その、腰の高さ。脚の長さ。
 ペタ靴で、あのスタイル……ねね様、すごすぎる。

 平伏したいですほんと。

 ペタ靴履いて、それでも文句なしの美人女優っぷりで、トド様の男ぶりを上げてくれたことに、感謝っす。

 今回のねねちゃんのお芝居、好きだなー。
 虚構とリアルのバランス感が好みなんだと思う。
 映画の中の金髪女優さんらしいやらせっぽさ……その、日本人のわたしからすると「ああ、ガイジンさんが演技してます+日本の声優さんがいかにも洋画吹き替えっぽく喋ってる」感じと、生の感情とカラダがそこにある感覚。そのバランスが、好みだった。
 どちらかが多くても、ひっかかったと思う。

 素直に感情移入して、トド様を愛することが出来たよ、ありがとう。


 ところで、二枚目役のエマさんを観たのは、いつぶりだろう。

 レオ@エマさんって、二枚目役だよね。色男役だよね。
 三枚目っぽく演じている部分があるだけで、人妻とアバンチュールがいつでもできちゃうくらい、色男設定だよね?

 ちゃんと、かっこよかった。

 おおっ、エマさんが二枚目だー。
 マリコさんトップ時代くらいまで、さかのぼるわ、わたしの印象だと。
 なんかなつかしい感じ。

 そしてやっぱ、うまい。

 後半泣きスイッチ入ったのは、エマさんの語りゆえですよ。
 ジェニファー@ねねちゃんに語る、妻を亡くしたばかりのジョージの様子……暗い部屋にパジャマのまま坐って、やつれきって、「大丈夫、元気だよ」……ってやつな、
 想像力に敵う芝居はないのかもしんない、だから演出家はいちばんここぞ!という場面を、役者の演技ではなく、その演技が「想像出来る」ように、あえて「見せない」のかもしれない……久しぶりにそう思った。「大丈夫、元気だよ」とつぶやくトド様の姿がリアルに浮かんで、切なさ倍増!


 タカラジェンヌって機会を与えられるとここまで変わるんだな、と思ったのが、わかばちゃん。
 これまでの役割にない、リアルで容赦ない大人の女性役。しかも、相手役が、組長。
 や、エマさんもうくみちょじゃないけど、星組にしか出演しない星組専科さんで(月『ロミジュリ』には星組専科から星組と同じ役だからってことで特出)、組長を辞して会長になったとか、そんな感じの人だし。今も気分は星組の人、星組の組長。
 その組長相手に、新公学年の姫役者が、ここまでがっつり芝居するとは……。
 お父さん相手にラブシーンするようなもんだよなあ……組のおとーさんだもんな……エマさん……わかばちゃん、がんばった……。

 いろいろとすげえと思いました。


 出演者4人、素敵でした。良いお芝居でした。
 観られて良かった。
 泣けるなんて、聞いてないよ!!

 『第二章』初日、なーんんにも知らないまま客席に坐りました。
 『おかしな二人』がそうだったから、今回もコメディなんだろうなあ、と漠然と思いつつ。

 幕が開く前に、出演者たちの歌声が流れるのも『おかしな二人』と同じ。ストレートプレイだと、今回は前もって聞いているし、うんうん、『おかしな二人』と同じテイストなんだろうな。
 幕が開けば、やっぱりコメディらしいテンポと台詞の応酬。

 妻を亡くして落ち込んでいるジョージ@トドロキに、弟のレオ@エマさんは次々と女性を紹介、新しい人生をスタートさせようとする。その女性たちの中に、バツイチ女優ジェニファー@ねねちゃんがいた。
 離婚したばかりのジェニファーも、亡き妻を忘れたくないジョージも、新しい出会いだの恋だのをしたいわけじゃないから、レオのセッティングは拒否……しかし偶然関わり合い、惹かれ合う。
 ふたりはあっちゅー間に燃え上がり、あっちゅー間に再婚。ラヴラヴ新婚生活スタートかと思いきや、ジョージの心の傷は深くて……。

 2幕途中から、泣きっぱなし。

 気持ちよく笑ってほっこりするつもりでいたから、ハンカチ用意してませんがな!! ちょっとの涙ならともかく、滝のように泣けるとか、想定外過ぎて消耗した(笑)。

 コメディだと思って観ていたから、最初ちょっと嫌だったの。
 人の「死」を笑いのネタにしているのが。
 妻を亡くして落ち込んでいるジョージを、滑稽に描いてあるのが。
 悲劇をあえて軽く明るく描くのはアリだし、レオが兄のためにことさら軽くふるまっているのもわかる。……わかるけど、わたしの好みの笑いではなかった。
 このまま進むと嫌だなと思った。なにしろ演出家が石田なので、わたしの逆ツボを突いてくるかもしれない。どうしても生理的に、本能的に許せないことを「笑い」にするかもしれない。……基本イシダせんせ苦手なので、構える構える(笑)。

 わりと「嫌」と思うことも散りばめられていたんだ、1幕。
 そのへんは「仕方ない」と自分をなだめていた。わたしはアメリカさんと趣味が合わなくて、アメリカさんの喜劇が笑えない、むしろ腹が立つことが多々ある。感覚が違うのだから仕方ない、そこはこちらが理解して観なくては。
 だから1幕は「世界観に、自分を馴らす」「こーゆーもんなんだと納得する」ことに、神経を使った。
 異文化を拒絶する気はない、そこに入ってはじめて楽しめるモノがある。だから、そこへ入るように努力する。
 ふつーの人は無意識に入れるのだろうけど、アタマが固い上にどんくさいわたしは、意識して務める必要がある。
 そうやって、まず世界観に馴染んで、受け入れて、2幕へ。

 たしかにコメディで、解説文にそうあるのは間違いじゃないけど、やっぱ前作とは色の違う作品で。
 恋愛がテーマだからというより、人の死を扱っているからかな。
 愛も死も、ただそこに「在る」もので、誰も避けては通れない。
 その「在る」ものと、どう対峙するのか。それを独自の方法で切り取った作品。

 人生は、やるせないやね。

 特別どうとかナニとかじゃなく、ただ、「生きる」という、わたしたちがふつーにやっていること、それはこんなにやるせないものなんだ。
 笑って愛して笑って楽しんで、泣いて、泣いて、泣いて、切ないキモチで生きる。
 悲しいから、切ないから、人生は、そして人間は、愛しい。
 ひとりでハッピーなだけなら、それで完結しているなら、誰かと寄り添いたいとは思わないし、握る手が必要だとも思わないだろう。悲しいから、傷があるから、他人のぬくもりがうれしいし、他人の傷も理解出来る。
 ままならないことばかりで、愛があろうとなかろうと、他人はもちろん自分の心すら思うようにはならなくて、傷つくばかりで、それでも。それでも、人生は愛しく、人間は愛しい。

 どったんばったんもつれるジョージとジェニファーが、愛しくてならない。

 夢の世界だとか、うっとりするような恋愛じゃない、痛い部分を持ったカップル。
 その痛さを持ったままで、しあわせになって欲しいと思う。拳を握る。


 いやあ、いいもん観たー。
 気軽に楽しく過ごせればいいやと、濃密な演技空間による笑いを作り上げてくれた『おかしな二人』再びだと、そう単純に思い込んでいたから、ベクトルの違いにびびったけど。
 やはり、濃密な演技空間ゆえに、魅せてくれたわー。

 で、作品に入り込んでいたから、幕が下りたあと突然はじまる歌謡ショーにびびったわー(笑)。

 知ってたのに。『おかしな二人』と同じなのに。
 なのにやっぱり、驚いた。うわっ、と。

 通路際だったので、わかばちゃんじっくり見れました。お人形さんみたいニャ。
 反対側通路のエマさんのヒゲには、ちょっとあとから気づいた。何故ヒゲ!と。ああ、谷村新司か!と。

 そして、「ねね様」登場にテンション上がりまくり!
 マジ客席から歓声上がるし。や、あれは声出る、自然現象。
 てゆーか曲が「失格」て!!(笑) イシダ……!!

 ひさしぶりにカラオケ行きたくなるじゃないですか。「失格」もだけど、「永遠のパズル」を熱唱するのがあのころのパターンだったなあ、と青春時代を振り返ってみる(笑)。照れを捨ててなりきり熱唱が楽しい橘いずみ。「わかってる、よくわかってる、でも、できなーーーーいっっっ♪」(笑)


 楽しくて、胸の奥がしゅっぽしゅっぽアツくて、頬が紅潮したまま劇場を出た。
 だけどなんだか切なくて、悲しくて、いつまでも涙が出た。いやその、歩きながら泣かないように必死でしたよ、んなの変な人過ぎる。

 あーーー、いいもん観たなー。
 トド様好きだなー。
 タカラヅカ好きだなー。

 そう思えた。
 『風と共に去りぬ』の感想を書きながら、そーいやわたし、全ツの感想書いてないよなと思い出す。

 メラニー@みりおんは、みりおんの苦手分野が詰まった役なんだなあ、と。

 『モンテ・クリスト伯』のみりおんは良かった。彼女に泣かされた。しかし、全ツ『うたかたの恋』はみりおんが苦手で、かなりつらかった。わたしには。

 マリー@『うたかたの恋』にわたしが求めるモノは、母性か白痴性か、どちらかだ。はくち、という言葉が現代語として適切でないとしても、医学的な意味じゃなく、文学的な意味で使う。
 わたしが求めるのは、すべてを許容する聖母のような大きさか、なにもわかっていない無垢さゆえの痛々しさ。

 みりおんにはそのどちらも感じられなかった。ルドルフを許し、包み込むような母性はなく、かといってなにも知らない少女ゆえの無邪気さと天使性も、感じられない。
 なんつーか、ふつーに知性があり、計算があるように見えた。
 計算を感じてしまうと、萎える。それはマリーじゃない。

 あくまでも、わたし個人の好みの話だ。

 『モンテ・クリスト伯』は、母として剣を取るメルセデス@みりおんに泣かされた。彼女の苦悩や覚悟に素直に同調した。
 母親役だったけれど、母性というよりは、「ひとりの女性」としての生き方に心が揺れたんだなあ。
 作品舞台は時代劇でも、メルセデスの描かれ方は、知性と教養のある現代女性と遜色なかった。だから違和感なく感情移入できた。

 みりおんの演じるキャラクタには、知性と意志がある。だから、自分の意志で人生を切り開くキャラだと魅力的になる。『モンテ・クリスト伯』しかり、『カナリア』しかり。
 彼女が特別強いからそういうキャラを得意としているのではなく、現代女性がふつーに持っているものが、そのまま出ているためだと思う。十代半ばで人生を決めて、すげー倍率の中から音楽学校に入り、宝塚歌劇団で舞台人やってるんだもの、「人生を自分で決めて切り開く」のは、もともと備わったキャラクタだろう。

 そのままのみりおん、で演じられない役は、なかなかどーして大変そうだ。

 さが@『近松・恋の道行』とか、今回のメラニーとか。

 『うたかたの恋』で、みりおんって母性弱いんだ、と思い知った。で、『風と共に去りぬ』のメラニーってのがまた、母性なくして、演じられない役なんだわ。

 ひたすらやさしく、ひろく、包み込む海のような女性。
 マリーのような無垢な少女ではなく、大人の知性を持ち、そのうえでやさしく寛大な女性。

 キャラの根幹に母性が必須、なのに、みりおんはそれが苦手。
 というだけでも相当痛いのに。

 それに加え、みりおんの、いちばんの弱点が遺憾なく発揮される役だったりするので、えらいことになってる。

 わたしは、みりおんのいちばんの弱点は「どこにいるのかわからない」「顔がおぼえられない」ことだと思っている。

 ふつうにきれいだし、かわいい。実力も破綻がない。
 研1から抜擢され、まぁくんと銀橋を渡っていたことも納得のかわいい娘役さん。

 しかし彼女のかわいさは、ひとりだけ特別扱いをしないと、発揮されない。
 大勢のなかに混ざると、見分けられなくなる。
 バウホールですらそうだった。ヒロインのさがが、遊女たちの間に入るとどれがさがだかわからなくて困った。
 わたしの記憶力の問題かもしれんが、わたしの周囲では程度の差こそあれ同意見だった。

 かわいいしうまいし、意志があるから、主人公として特別扱いされて、物語が彼女中心に動くと、とても魅力的だ。
 でも、そうでない場合はモブに埋もれてしまう。

 で、今回のメラニーって……出番も比重も、かなり少ない。
 少ない出番で観客の目をさらう華々しさは、みりおんにはない。脇の奥様方、令嬢たちと、混ざって見分けが付かなくなる。

 包み込むような母性を出すことができず、モブに混ざっちゃう扱いの役、って、みりおんには苦手の二乗キャラですよ。

 バトラー編のメラニーって、こんなにてきとーな扱いなんだ、日生編はいい役だったのに、とは思ったけれど、役の話だけではなく、演じている人にも問題はあるなと。
 トップ娘役にこの役、この扱いはないなと思うけど、それとは別に、「こんな役」にしてしまってる面もあるんじゃないかと。


 新公主演経験者が、次の新公であえて脇役になり、下級生の初主演を支えたりすることがあるよね? 雪組なんかよくこのパターンで、「新公主演者は、次の公演でハマコの役をやる」と言われていたもんだ。真ん中を経験したあと、脇に立つことで勉強する部分が大いにあるんだろう。
 また、主演経験者が、あえて脇役を演じると、なるほどの巧さでその実力と貫禄を示すことになったりする。さすがは新公主演経験者だ、と。
 今回のみりおんは、そうあってしかるべき。さすがトップ娘役だ、脇に回ってなおこんなに華やかで実力があるんだ、舞台を支えているんだ、と。
 メラニーは控えめで地味な役だから派手にできない、とか、そーゆーことじゃない。控えめな役でも、登場するなり「主要人物キターーッ!」と思わせる力は必要。

 みりおんは今、苦手分野を磨いている最中なのかもしれない。
 弱点をここで克服し、次の公演では蝶に孵るように、華やかさを得ているのかも。
 それを期待する。



 この地味で心の奥の見えないメラニーと、みょーーなキモチ悪さのあるアシュレが夫婦だってのが、よくわかんない。
 すでに異次元。

 とは思ったけれど。

 2幕のパーティで、ともちんとみりおんが寄り添っている姿は萌え。身長差も映えて、実に美しいっす。
 もっとふつうの芝居で、このふたりのカップリングも見てみたかったな。
 『風と共に去りぬ』を観るのは、久しぶりです。

 最後に観たのは、日生版。
 すげーチケ難で、チケットがマジで手に入らなかった。だから観られたのは、花組版と雪組版、それぞれ1~2回ずつくらい。何回観たのか、おぼえてないや。とりあえず、どっちも観た。
 雪組贔屓ってこともあるのかもしんないが、雪組版の方が好きだった。フランク@しいちゃんがツボでさ。コム姫のスカーレットがめちゃ美しくてさ。

 日生版の脚本がいちばん好きで、バトラー編は正直つまらんなと思う。
 大切な場面・盛り上がる場面がなくて、どーでもいい場面を説明台詞でつないでいってるだけ。

 不満はいろいろとある。

 しかし。

 泣きました。

 1幕後半、どえりゃー泣いたわー。
 メラニーが倒れてから、アトランタ脱出、バトラーの戦い、タラの大地。
 畳みかける名シーンに、泣いたわー。

 『ベルばら』と同じ。
 どんだけ『ベルばら』が嫌いで植爺脚本が嫌いでも、バスティーユ場面はスイッチ入ってどわーーっと泣ける。
 なんかもう、そういう風にできてるみたい。条件反射?

 戦場場面って、『ベルばら』でいうところのバスティーユだもんねええ。方法論同じで作られてるもんねええ。
 なんか細胞レベルに刻み込まれてる感じで、泣きスイッチ入るわー。

 てことで、幕間はぼろぼろの顔が恥ずかしい、どうしたもんかと焦りました。すっかり油断してて、ハンカチ用意してなかったの。鞄の中だったの。観劇中に鞄ごそごそできないし、しかし泣けて泣けてしょーがないし。
 ちくしょー、植爺め。泣かせやがって。

 やっぱり『風共』は好きじゃないけど、それでも、力のある作品だと思う。
 残念演出を直して、もっともっと盛り上げて欲しい。大切にして欲しい。
 『ベルばら』ほど見る影もなく壊れているわけじゃない、まだ手の打ちようがあると思う。

 バトラーとスカーレットの恋愛モノである以上、絶対に書かなければならないのは、「ふたりの出会い」と「ふたりの結婚」。
 なのにこのバトラー編では、両方ない。
 他の場面を縮小してでも、とにかくこの2場面書こうよ……。
 出会い場面は、スカーレットがアシュレに振られて当て付け結婚をする、アシュレとメラニーの婚約、南北戦争勃発と、物語に必要な要素が詰まっている。この場面を書かない意味がわからない。
 また、バトラーを袖にし続けていたスカーレットが、2幕では突然結婚している。1幕でバトラーは「結婚する気はない、情婦になれ」と言っていたこともあり、唐突すぎる。
 主人公とヒロインが結ばれる場面は、出会いと同じくらい大切、てゆーかふつーに考えてめっちゃ盛り上がるオイシイ場面だろうに。
 なんで書かないのか、意味がわからない。

 出会いもなければ、結ばれる場面もない。
 なのにクライマックスはふたりが「別れる」場面。

 それまでもぶつ切りだが、特に後半のバトラーの嫉妬からスカーレットの気づき、それから別れまで、場面ごとがまったくつながってない。

 だから2幕が盛り下がる。
 バスティーユ(戦場)は盛り上がるし、死刑台の階段を上るアントワネット(出て行くバトラー)は盛り上がる。でも、それだけ。
 植爺お得意の「そこだけの場面」が盛り上がるだけで、それ以外はぐたぐた。
 基本的な作劇能力とか、そもそも「人の気持ち」を理解出来ない人が脚本を書くと、こんだけひどいことになるのか、という。


 ところで2幕冒頭のショー場面は、書き下ろしですか? わたしははじめて観ました。

 正直、微妙……。
 2幕本編内でやってることを、わざわざ時間取ってやらんでヨシ……。演出も曲もダサくて盛り上がらないしさー。
 しかも、2幕の幕開きにやると、かえってストーリーをわかりにくくしているよね?

 1幕ラストが、戦争によって焼け落ちたアトランタ、タラ。
 なにもかもなくし、ボロボロの姿で、それでも立ち上がるスカーレット。

 なのに次に幕が開いたとき、舞台にいるのはきれーな衣装の若者たち、以前と変わらぬ様子の街の人たち。
 あれ? 戦争はどうなったの? もうみんな、こんなに日常生活で、のんきに「戦争の話」ができるくらい、時代が変わったの?
 戦争を嘆くことも、新しい時代を夢見ることも、「次の時代に入った」からできることよね。
 今現在、戦後の混乱の只中だと、それどころじゃないよね。

 時代がどーんと飛んだんだわー、と思ったら。
 次の場面で出てくるのは、戦後の混乱まっただ中、びんぼーで大変!なスカーレットとアシュレ。
 ……あれ?

 そのあとから、「戦争は終わった、新しい時代だ」と言う若者たち、「時代が変わり、伝統が汚された」と嘆く大人たちの場面になる。

 感覚が、行きつ戻りつして、わたしにはうざく思える。
 1幕ラストと2幕のスカーレットとアシュレの場面は、ちゃんと続いている。
 なのに、いらんオープニングショーを付けて、せっかくの継続感を、ぶっ千切っている。

 1・戦争ですべて焼け落ちた
 2・「新しい時代だ」と歌い踊る2幕オープニング
 3・戦後の困窮真っ只中のスカーレット
 4・「新しい時代だ」と歌い踊る若者たちと、それを嘆く人々
 と番号を振ると、気持ちの流れ的には、1→3→2→4で、行きつ戻りつするのよ。
 2さえなければ、ふつーに進むのにさ。2と4は同じことを言っているだけだから、ふたつもいらないのにさ。
 あとから加えた2のおかげで、ちゃんと機能していた1、3、4までもが泥を付けられた感じ。

 2幕最初をショーアップするのも、役も出番もない多くの組子たちの救済意味でも、アリだと思う。
 ただ、今の場面は「センス悪っ」としか、思えない。

 上記の1と3をつなぐのなら、「戦争の恐ろしさ」や「悲しさ」、「戦後の混乱」をショーとして描けば良かったのに。
 幕開きは「明るく楽しくなくてはならない」というなら、「在りし日の南部」とでもして、その直後に登場する、過去の幻影に囚われたアシュレの銀橋ソロにつなげれば良かったのよ。

 『ベルばら』が再演されるたび改悪されていく、それと同じことがこの「書き下ろし場面」に現れてるってことかしら。
 「それ、さっきも聞いた」「また同じことを喋ってる」の連続だったもんなあ、『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』。あとから付け加えた場面、台詞、ネタ、すべて不要、害悪でしかなかった。


 来年の月組梅芸公演は、日生編だといいな。
 『風と共に去りぬ』初日を観て、取り急ぎ感想を書いた。……UPするまでに時差があるのは、単にわたしがどんくさいため。走り書きを手直ししたり、途中放棄文に末尾を付けたり、そーゆー作業をする時間を、なかなか取れないため。


 わたしは『風共』は嫌い。ストーリーは『ベルばら』よりマシだけど、見た目の退屈さは『ベルばら』以上だし。
 それでもなにかしら楽しみを見いだすのがヅカヲタ。
 わたしのたのしみのひとつは、アシュレというキャラクタだった。

 アシュレ@ともちんには、わくわくしていた。わたしはアシュレというキャラクタが好きなんだ。
 アシュレの格好いいところはほとんど描かれず、ダメダメなところばかりのひでー扱いがバトラー編のアシュレだけど、そのダメダメなところがまたいいんだ。
 80周年月組のノンちゃんアシュレで、わたしはヘタレ男の魅力に開眼したんだ(笑)。
 メラニーの手袋を頬に押し当てて泣く、あのどーしよーもないダメンズに胸をきゅーんと締め付けられ、ぼろぼろ泣けたもんでした。
 だから期待していたの。
 好きなジェンヌさんが、好きな役をやってくれる! きっと好みのダメンズを演じてくれるはず!と。

 えーと。

 まず。
 ともちん、歌舞伎ヘタだなあ。
 植田歌舞伎と呼ばれる独特の台詞回しが、すげー違和感。なんであんな、みょーな節回しで喋るの……?

 宙組全ツ『風と共に去りぬ』も中日『ベルばら』も観ていないのでわからんのですが、ともちんの植田芝居っていつもあんな感じなんですか?

 スカーレット@まぁくんが大芝居テイストを踏襲しつつも、自由に動いている感じなので、ともちんの不自然な台詞回しが気になって気になって……。
 バトラー@かなめくんも、歌舞伎としてもバトラーとしても、わたしの目には薄くてサラサラするするで、引っかかりなさ過ぎるくらいだし。
 対するアシュレが、なんか変にクドい……。クドいというか、ええっとこれは……。

 どうしよう。
 アシュレが、変な人だ。

 ヘタレでもダメ男でもなく、ヘンタイさんっぽい……。
 ところどころ目がイッちゃってるし。酔ったようなみょーな喋り方してるし。
 まさおくんのオスカルに似た、不思議なキモチ悪さ……。

 なんつーんだ、関西出身者でない人が、無理に大阪弁を喋っている感じ? 気にならない人にはまったく気にならないんだろう、でもなまじ表面をなぞっているだけに「チガウ」部分がぞわぞわするっていうか。
 植田歌舞伎が肌に合わない人が、無理にそれっぽくしたら、植田歌舞伎でも通常のタカラヅカでもない、独自の世界が展開しているってな感じ?

 うわ、このアシュレきっつー。
 と思い、しょんぼり首をかしげた。どうして、こんなことに? ともちんアシュレがわくわくのひとつだったのにー。
 「アシュレ」という役に構え過ぎちゃってる? それであんな喋り方に? 役替わりのルネの方ならいつものともちんらしい喋り方でやってくれる?

 ともちんバトラーが見たかったなと、改めて思った。
 たぶん彼は、バトラーならこの芸風で演じられたと思う。クドくてねとっとしていて、骨太で。

 でも、アシュレなんだよ。白い王子様なんだよ。
 心正しく誠実で理想家で、それゆえに現実とうまく向き合えない人なんだよ。
 キレイゴトばっか言って自分ではナニもしないし、できない。そこがいいんだよ。萌えなんだよ。
 繊細さゆえにいろいろとこぼれてしまうキャラのはずなのに、ともちんアシュレは変な方向に花開いちゃった人だよ……。

 バトラーが薄くて物足りなくて、アシュレはクドくてキモチ悪くて、……反対だろ? 反対だよね?

 この間の雪組『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』のジェローデルが、「軍人だから」と原作とはまったくチガウ人になっていた。
 それと同じことを、今回もしているのかもしれない。
 アシュレは「軍人だから」、骨太に野性的に演じてヨシ、ってか。

 ジェローデルは戦闘シーンもあったし、体育会系兄貴でもギリギリセーフだったかもしんない。
 でも『風共』のアシュレは、繊細な場面しかないんだよ? 兄貴系だと困るよ! ガチムチ兄貴が花を抱いてナヨってたり、女物の手袋頬に押し当てメソってたら、チガウ!としか思えないよ。


 昔ともちんは「いい人専科」で、やさしい持ち味をふわっと活かせていたと思うんだが。
 中堅時代に悪役ばっかやって、組内での立ち役を一手に引き受けることで生き残ってきた人だよね。もともとの持ち味じゃないのに、後天的に色を濃くした。
 意識してカラダに染みこませたモノが、行き場を失っている?

 なんか、中途半端……というより、空中分解してるみたい。

 ともちんの演技にへこんだあと、フィナーレのクドカッコイイ、そしてなんか恥ずかしい(笑)ともちんを見て、ちょっと浮上。
 よかった、とってもともちんなともちんだ!!

 ああしかしやっぱ、この作品で卒業はつらい。
 ショーのある作品で卒業して欲しかった。
 『Le Petit Jardin』でともち落ちして以来、ずーーっとともちスキーで来て、最後がこれっていうのは……。

 回数観れば、ともちアシュレが癖になったりするかも、しんない……。
 結局はただのともちスキー、ともちならなんでもいい!に行き着くのかもしんない。

 だから初見時に取り急ぎ記す。
 初日はしょぼーんだったと。 
 今、絶賛『モンスターハンター4』な日々です。

 HRは3になりました。
 相変わらずへたっぴです。

 筆頭オトモアイルーは「まっつ」。器用でバランスの良い子です。
 サブのオトモアイルーは「武部春樹」。攻撃型でめっちゃ好戦的です。

 あと、ベンヴォーリオとバロットとウィリスとジオラモと橘恭太郎がいます。モンニャン隊として活躍してくれてます。

 集会場クエストはひとりでは荷が重いので、弟と一緒にプレイしています。
 集会場クエストだと、筆頭オトモを連れて行くよね?
 だから、「こあら」が連れているのは、「まっつ」。

 そして弟が連れているオトモアイルーは「ケロ」。

 画面を見ると、まっつとケロがいる。
 名前が並んでいて、2匹で合体したり、ハートマークとばしたり、いろいろしている。

 いやその。
 なにがどうじゃないけど、衝撃的で。

 まっつと、ケロ。

 今カレと元カレが並んでる、的な?(笑)


 うちのママが飼っている猫の名前が、「ケロ」なんですよ。
 ママの家の猫ってことは、弟の家の猫ってこと。弟は、自分ちの猫の名前を、アイルーにつけているだけ。
 ケロは子猫の頃両目の離れたカエル顔で、図太くてナニがあってもケロッとしていたため、「ケロ」と名付けられた。
 わたしが名付けたわけじゃないっすよ。最終的な命名権は、母にあるんです。我が家でいちばんえらいのは母だから。

 わたしはわたしで、自分の家で別の猫を飼っている。ケロはわたしの猫じゃない。
 そしてわたしは、自分の猫の名前をゲームキャラに付けたりしない。
 わたしのゲームキャラは、自分以外の名前を使う場合は、いつも「まっつ」だ。


 偶然であり、まあちょっと作為的なモノも含みつつ。

 まっつとケロが、同じ画面にいる。
 アイルーでしかなく、ゲームでしかないけれど。
 それでも。

 なんだか感慨深い。

「まっつ、笛吹いて、笛!」
「ケロ邪魔、前が見えない!」
「まっつとケロがなんかしてる」
 ……ふつーにその名前を口にしながら。
 いい年こいて、ゲームに熱中しているのですよ。


 あれはたかだか5年前。
 ともちんのトークショーにワクテカ出かけたよなと、思い出す。
 5年前の今日。
 わたしはなにも変わらない。相変わらず、ヅカヲタでぐーたらで人生行き詰まりで、それでも毎日前向いて生きてる。
 なにも変わらず、ただ年だけを取り。
 いつも好きなモノ、好きな人がいっぱいで。

 自分の変わらなさと、ヅカの顔ぶれの変化を、切なく思う。
 タカラヅカはそういうところだと、わかっているけれど。
 みんなみんな、行ってしまうんだよなあ。いずれ。

 それでも、好きなことは、変わらない。
 作品のことはともかくとして、宙組『風と共に去りぬ』のキャスト中心感想。
 複数回観る予定なので、初日・初見感想を残しておかなければ、上書きされちゃう。

 まずは主役、レット・バトラー@かなめくん。
 ポスター見たときはテンション上がった、かかかかっけー!! 十三駅の『風共』ポスターずらりコーナーを歩くの大好きだ、かなめ様が美しくてかっこよくて上から目線で、きゃーきゃーな気持ちになる。

 が。
 実際にバトラー船長が銀橋に現れたときの「コレジャナイ感」を、どうやって伝えよう……。

 外見も声も存在感も濃さも、なにもかもが「レット・バトラ-」ぢゃない……。

 かなめくんは美しい。彼単体が美しいことは承知しているけど、彼の「美しさ」は、わたしが思うレット・バトラーではなかった。

 ほらわたし、トド様ファンだから。
 年期入ってるから。
 「バトラーはトド様の役よ、トド様以外のバトラーなんか認めないわ、ふんっ」てな意識に凝り固まってるアッタマ悪い人なのよ、きっと。
 自分の先入観で、目の前のモノが正しく観られないのね。

 終始違和感大きくて。

 バトラーはこんなに背が高くないわっ、こんなに手足長くて小顔のイマドキのにーちゃんじゃないわっ、こんなに甲高い細い声じゃないわっ、こんなに若くてへにゃへにゃしてないわっ、……と。
 んまあ、どこの小姑!ってくらい、外側から「コレジャナイ」としか思えなくて。

 よーするにアンタ、トド様バトラーがいい、って言ってるよーもんじゃないの。それ以外嫌だって言ってるよーなもんじゃないの。
 我ながらつまらない見方だわ。

 自分で自分に突っ込むけれど、初日は大半がその違和感と戦うだけで終わりました。

 わたし的にバトラーは、小男で頭部がでかくて声がドス太くてニヤニヤいやらしい、おっさんなのよ。
 そして、彫刻のような顔で、スーツの着こなしと所作が美しい人なのよ。
 腰が据わっているというか、低い重心で揺るぎない存在感を出す人なの。

 ポスターの足長バトラーはほんと素敵だったんだけどなあ。

 芝居も後半になれば大分「こーゆーもん」と慣れてきたので、次に観に行くときは大丈夫だと思う。
 たぶん。


 ヒロイン、スカーレット@まぁくん。
 「これぞスカーレット・オハラ」という、緑のリボンと白いドレスを着て登場。

 背が高くて、スタイルが良い。
 それは知ってる。
 実際、知っている通りだった。
 背が高くてスタイルの良い……とても特徴的な顔立ちの、まぁくん。
 まぁくんそのまま。
 そのままのまぁくんが、ドレス着て歌ってる……。

 お色気ジャッキー@『ME AND MY GIRL』の方が、曲線を作り込んだりシナを作っていたりした分、「役」を感じられた。
 しかし今回はただ、まぁくん……。

 周囲に男役を侍らした、いつもの花男まぁくんがいますよ。
 たしかにすらりとしているけど……女性らしいまろやかさのない体型に、美人とは言いがたい個性的なお顔……。

 大丈夫なんだろうかこれ。
 そう思うはじまり方だった。
 けど。

 観ているうちに、んなこたぁーぜーんぜん、関係なくなった。
 スカーレットが、チャーミングだ。
 わがままなカンチガイ女だけど、彼女はなんとも憎めない、かわいい女性だ。

 オープニングの「いかにもスカーレット」という白ドレス以外は、似合っていたし。
 美貌のバトラーと並んでもちゃんとお似合い。

 最初、「まぁくんまんまやん。これでいいの?」と首をかしげた、それがどんどん良い方向へ転がっていく。
 ナニゴトも体当たりでブレーキのない暴走車スカーレットが、がむしゃらなまぁくんまんまの姿として、立体感を増す。
 欠点もあるけれど、それらを吹き飛ばす華と輝き。かわいい。このひと、かわいいわ。好きだわ。そう思える女性。
 観ながら、拳を握っているの。スカーレットを応援しているの。彼女の人生に感情移入しているの。

 やっぱ『風と共に去りぬ』って物語は、スカーレットという主人公は、パワーを持っているなあ。


 ところでスカーレットII@せーこちゃん。
 まぁくんと、似てる!!
 これには、驚いた。

 せーこちゃんもまぁくんも「カエル顔」という意味では、同カテゴリの顔立ちだ。
 だけど今まで、ふたりが似ているなんて思ったことがなかった。
 しかし、「私とアナタは裏表♪」とやっている姿は、すげー説得力のある相似形。

 いいなー、これ。
 こんなに似てるふたりが「裏表」やってるのって!

 まぁくんの歌が大変なことになってるので、せーこちゃんが頼りだ! 正しい音を探して右往左往しているまぁくんの歌声を、せーこちゃんが力尽くで支えてた。
 頼もしいぜ、89期!


 ヲヅキさんが、女だった。

 す、すみません、ヲヅキさんが女の人みたいなことしてます、動揺しまくりです。

 ベル@ヲヅキ、もちろん配役は知っているし、最初に出てきたときに「おおっ」とは思うけれど想定内のビジュアルだった。

 いちばんびびったのは、歌だ。

 ヲヅキさんが、歌が得意でないことは知ってる。
 だから、歌自体に驚くことはない。
 雪全ツのベル@五峰ねーさんに対し、「う、歌うの?!」とびびった、あの比ではない。

 そーゆー意味ではなく、ただもう純粋に。

 歌「声」に、驚いた。

 顔はヲヅキ。
 ヲヅキさんのすごいところ、男なのに女役をやっていてもまったくブレることなくヲヅキ。性別関係ないわこの人。ただ「役者」だと思える。
 その、「見慣れたヲヅキの顔」なのに、そこから聞こえる歌「声」は。

 知らない人の声だ。

 喋っている声は知ってる声なのに、歌声は知らない声!!

 ふつーに女の人の声だ!!

 びびびびっくりしたー。びびったー。
 今回の『風共』のいちばんの衝撃。
 歌うヲヅキ(女)。

 ヲヅキって女だとこんな声なんだ!! うわーー。

 ただもう衝撃が大きすぎて、いいも悪いも好きも苦手もない。
 ヲヅキが別人の声で歌ってるー。うひょー。

 歌はともかく。

 芝居は好きっす。
 ヲヅキやっぱ芝居の人だ。このベル好きだ。これぞベル・ワットリングだ。

 ヲヅキが演じると、血が通うというか、肉が感じられるというか、質感があっていいよなあ。
 いい女だわ、ベル。
 バトラーといちゃついてるとこ、もっと見たいっすよ。(ただのテルキタ厨発言)
 わたしが観たことのある『風と共に去りぬ』ってええっと、いつのかわかんないバトラー編と、80周年の雪組スカーレット編、そのあと轟主演全ツのバトラー編(タータンがスカーレット!!)、そしてやはりトド様主演の日生編……よね。
 あ、それと天海の月組バトラー編だ!

 最初に観た『風共』は、ヅカヲタになる前、母に連れられて行った公演なので、出演者もなにもおぼえてない。スカーレットがふたり出てきてびっくりした記憶がある。いくつのときに観たのかも、思い出せないわー。
 大阪に生息する女子として、「母娘でちょっと特別なおでかけ」として、ヅカ観劇があったのな。母もわたしもヅカに興味もなんもなかったけど、ちょっとおしゃれしてちょっとかしこまって出掛ける、手軽なイベント的な意味で、子どもの頃から宝塚歌劇に親しんできた。
 それで観たのが最初。

 なんにもわかってない少女でも、「しまった、これは続き物の、後編かなんかだ」ということは、わかった。
 タイトルに「2」とは書いてないけど、きっとそうだ。タカラヅカってよくわかんないから知らなかったけど、続きモノも上演してるんだ。「1」から観なきゃいけなかったんだ。
 そう思った。

 幕が開いてから、最後の最後まで、ずーーっと、主要登場人物たちが出会い、人生の岐路となった「樫の木屋敷」の話ばかりが出る。バトラーとスカーレットが出会い、スカーレットがアシュレに振られ、アシュレとメラニーが婚約し、南北戦争がはじまった……そんな大事件が、えんえんえんえん繰り返し話題に上る。しかも、そのときのことが、今の彼らの行動や立場の原因である。
 樫の木屋敷の場面は、「1」にあったんだ。わたしは「2」から観てしまったからわからないんだ。……そう、思ったのよ。

 タカラヅカの『風と共に去りぬ』に「1」も「2」ない、この「どっから見ても続編」でしかない作品単体で成立していたなんて!!
 夢にも思わないわ。


 いやあ、そんなことすっかり忘れてたねー。
 そうだったそうだった、『風共』ってそうだったわー。

 起承転結の「起」の部分なしに、いきなりダラダラ「承」ばっかやってたんだった。

 宙組公演『風と共に去りぬ』初日観劇。
 『風共』というと「つまらない」「長い」「役がない」という先入観のみで観劇し、自分の記憶がいろいろとごっちゃになっていることは、わかっていなかった。

 生まれてはじめて観た『風共』は、そりゃすんなり心に入る。わたしの脳細胞も若くて柔軟だったろうし。(そのわりにいつ観たのかもおぼえてないのは、「物語」にしか興味がなかったせいだと思う。アニメを見てストーリーはおぼえていても、声優の名前や放送年をおぼえてないよーなもん)
 まずインプットされたのが、通常のバトラー編と呼ばれるバージョン。
 次に観たのも月組80周年のバトラー編だし。チケ難で2回か3回しか観られなかったけど、同じバージョンだから素直に初見時の記憶の輪郭をなぞった。

 でも、いちばん濃く脳細胞に刷り込まれたのが、80周年のスカーレット編だ。
 なにしろ前夜祭から役替わりから、全部観たもんなー。東宝遠征までしたもんなー。当時のわたしにしては例を見ない行動力。

 えんえんえんえん、同じ芝居を見た。
 や、リピートしたといっても、今の数分の一の回数だったと思うけど、当時のわたしには金銭的にも社会的にも、すげー冒険だったはず。

 そして。
 雪組全ツ版の『風共』はイロモノというか、語り出すとちょっと別方向にズレるので(バトラー@トドロキ、スカーレット@タータン、アシュレ@トウコよ? チラシにはバトラー@トドロキとスーツでリーゼントのタータンと、ドレス姿のグンちゃんが載ってるのよ? いろんな意味ですごすぎた・笑)置いておいて。
 イロモノというと、石田ショーのパロディ、TCAスペシャルのバロディも、記憶に焼き付いてるけど、それも置いておいて。

 今とほぼ同じ感覚のヅカヲタになってから観たのが、日生版。
 チケ難公演だったゆえに、回数は観られなかったけれど、記憶に新しいこともあり、過去が全部ここに上書きされた感。


 『ベルばら』に関しては、あとになればなるほど植爺脚本はひどいことになっていたけれど、『風共』はそうでもないんだ?
 『風共』のいいところは、植爺が勝手な改悪をしないこと、昔のままの状態での再演を期待出来ること、だと思っていた。

 それ、認識違いだったのか。

 わたしが観た順番はバトラー編→スカーレット編→日生編で、スカーレット編だって一番最初に上演されたスカーレット編まんまじゃなく、80周年当時に改編されたバージョンよね?
 改編された作品の方が、良くなってる。
 『ベルばら』と逆!!
 『ベルばら』は植爺が余計なことしない、昔の作品の方がいいのに、『風共』は改訂後の方がいいや!

 スカーレット編を観たときに、「バトラー編よりいい」と思った。
 そもそも『風と共に去りぬ』自体が、「主人公」はスカーレット。なのに無理矢理バトラー主役にするから、収まりが悪い。
 主人公でない人を主人公にしたため冗長な流れになり、そうしてもまだ、主人公でないはずのヒロインが主人公のように見える。
 しかも、「後編」としか思えない作りだし。
 これ以前に「1」があった、これは「2」で、連続ドラマを途中から見たんだとしか思えない、雑な作り。
 それが、スカーレット編では解消されていた。バトラー編で「変だ!」「キモチ悪い!」と思ったところが、解消されていた。
 ちゃんと「1」から物語がはじまっているし、主人公のスカーレット中心の物語が進む。もちろん、「ヲイヲイ」なところも多々あるが、バトラー編よりマシ。
 つか、スカーレットIIなんてキャラ、いらないし。

 でも、タカラヅカは男役がトップスター、男役が主役。
 女性が主人公の作品を上演するのはやっぱり、ちがってる。

 それを解消するのが、日生版だった。
 バトラー主人公だけど、ストーリーの流れは、まともだったスカーレット編をベースに展開する。
 スカーレット編にバトラー視点と見せ場を追加するから、単純に「上演時間が長い」っていう、作家の腕でもなんでもない改編っぷりなんだけど、上演時間にこだわって壊れたモノを見せられるより、長くなってもマシなモノを見せられた方がずーーっといい。

 いちばん新しいバージョンである日生版が、いちばん良いバージョンだったんだなあ。
 昔のまんまのバトラー編は、わたしにとってイライラする部分が大きいなあ、ストレスだなあ。

 そんなことに気づいた、宙組初日。
 年寄りなのでまず、昔語りから。
 で、集合日を迎え、『Shall we ダンス?』の配役発表が出ました。

 ちぇ~~っ、まっつが竹中直人役じゃ、ない~~!!
 つまんなーい!!

 久しぶりに三枚目のまっつが見たかった、芝居できる人だから、コメディもイケるし、なにより「間」のいい人だし! 『メランコリック・ジゴロ』とか、「間」だけで笑わせていたし。
 2番手役はどう考えても竹中直人だし、『王家に捧ぐ歌』のときのケロみたいに、2番手男役がヒロインやってる間のどさくさにまぎれて、大劇場本公演芝居の2番手やって欲しかったし!(笑)

 という気持ちがあったことを、吐露しておく。

 まあぶっちゃけ、無理じゃね?とも思っていたので、想定内の配役でした。
 まっつの役は、アルバート(競技ダンス界のトップダンサー)だそうです。

 うわ、出番なさそーー。

 それがいちばんつらいかなー。どんな役でも、舞台上に長くいてくれりゃあ、それだけで楽しいんだが、出てこないとつらいなー。
 とまあ、リピート前提での嘆きが先に来たけど、じわじわと残念感が込み上げてきたのは。

 またしても、えりたんチームじゃない、ということ。

 えりたんがトップになってから、まだ一度も「えりたんと仲良し」の役をやってない。
 えりたんと一緒に舞台に出てきて、えりたんとこちょこちょなにかしらやる、そういう役。
 『虞美人』が大好きだったもんでなあ。『相棒』もえりまつの場面は好きだったさ~~。

 えりまつスキーな者としては、仲良くあれこれするえりまつが見たかったのさ~~。
 素のえりまつが、ふつーに仲良しっぽいのはお茶会その他の発言でわかってるから、余計に舞台でも仲良しな役を見てみたかった。

 ほんとのとこ、そこがすごく残念なんだ。わたしにとって。


 てな「残念語り」はここまでだ。
 所詮ヲタなので、新しい公演には、期待が膨らむ。

 まっつが、「トップダンサー」役!!

 やったー、ダンサー役だ! 踊る役だ! 今度こそ、芝居でダンスをするまっつが見られるーー!!
 わたしはまっつのダンスも大好きなの。まっつは歌の人、という区分だけど、ダンスも出来るのよ、うまいのよ。
 あの美しいダンスを「トップダンサー」という拍付けで見られるんだわ。わくわくわくっ。
 相手役ヒメだし、息の合ったダンスが見られること、約束されたよーもんですよ。うひょー。

 本筋、主要キャストとどう絡むのか、位置づけがよくわからんのですが、ヒロイン・エラ@ちぎくんとの関係は期待出来るんでしょうか。
 ダンス素人でふつーのリーマンである主人公や、彼の通う素人ダンススクールと「競技ダンス界のトップダンサー」は別次元過ぎて、なんの接点もない。
 となると、関係がありそうなのは、ダンスの世界大会出場クラスのダンサーだったエラのみ。

 原作映画もハリウッド版も見てるけど、アルバートに該当する役割のキャラはいないよーな。
 原作にいるのは、元パートナー(世界大会で敗退+破局・ハリウッド版も同じ)と、パートナーにならないかと声をかけてきた本木雅弘(ハリウッド版はナシ)ぐらいのもん? かれらはどっちも「競技ダンス界のトップダンサー」ではなかったよね?
 どちらかの役を膨らませたオリキャラなのかしら。

 タカラヅカ的にするなら、ヒロインと恋愛絡みのキャラにして、愛だ恋だで盛り上げることになりますわな。ヒロインに恋愛を盛っていいのか、原作があるだけにわかりませんが。原作ヒロインは、色恋ナシの硬質なところが魅力だったりするので。

 それはそうとして。
 ちぎまつのダンスシーン希望。

 元トップクラスのダンサーがヒロインで、競技ダンス界のトップダンサーがいるなら、ふたりで踊っていいよね、期待していいよね?

 ちぎまつのガチなダンスがあるとしたら、どんだけ美しいだろう。身体のサイズも合うし!(笑)

 そして、そこに色恋が入ったら最高だなー。
 『ベルばら』に引き続き、ちぎくんを愛するまっつが見られる。や、あるとしたら、アルバートがエラを、ってパターンだろうなと。別に相愛になってくれてもかまいませんが(笑)。

 主人公は奥さんの元へ戻るわけだし、ヒロインとトップダンサーがくっついて、2組のカップルになってくれてもいいんだけどなー。(原作無視)

 出番が何分あるのかの心配をしつつ、美しいダンス場面を期待しておきまっつ!


 他の配役がまた、原作とはキャラを変えてきているのがわかるので、『フットルース』同様、小柳オリジナルになるんだろうなと期待。
 汗かきでぶっちょ役が、大ちゃんだよね。大ちゃんは縦に長くて細い人で、原作のデブキャラとはまったくチガウ。同じくデブおばさんの役も、「派手な女性」表記でスマートなせしこだし、咲ちゃんの役もホストになってるし、無神経ヤンキーキャラがドジっこめがねっ子キャラに変更された『フットルース』を思い出すってば!
 現代日本人、かつタカラヅカファンが、共感出来るキャラ立てになっているんだと思う。
 竹中直人役はともみんで、こちらは誰もが想像した通り。……てのが、小柳タンもともみんも大変だなあと思う。みんなの想像を超えるキャラをぜひ! 小柳タンならハゲネタとか、女子が歓迎しないネタは使わないと思うし。おもしろかっこいいともみんが見たいぞー。

 役名はなくても、『フットルース』はモブのみんな全員がイキイキと「生きて」いた。
 今回もそれを期待している。
 リピート前提公演なので、モブの小芝居まで観まくるわよ~~!


 そして、かなとくんが新公主演!!

 やったー、うれしー!
 かなとくんに大きな役が付くのを見てみたかったの。それがいきなり主演だなんてうれしい。

 そして、咲ちゃんが主演でないことも、よかったと思う。
 新公独占は、誰でもない、当の本人のためにいちばんならない、というのがわたしの感想。主演を重ねるたびに周囲の期待は下がり、ハードルだけが上がる。大切に育てたい掌中の玉は、新公主演はほどほどの回数、決して独占させちゃいけないのよ。
 だから咲ちゃんがこの上まだ主演を続けたら、咲ちゃんのためにならないと思っていた。今の段階でさえ、「劇団はスターを育てるのヘタだなあ」と思う回数だし。もっと出し惜しみして、観客の飢餓感を煽ってくれなくちゃだわ。

 それに、咲ちゃんクラスなら新公主演しなくても、本公演の舞台で十分活躍の場をもらえるはずだしね。芝居にしろ、ショーの立ち位置にしろ。

 で、ちぎくんの役があんりちゃん、と発表されてるってことは、やっぱヒロインはちぎくんなのか。
 『双曲線上のカルテ』でちぎくんの相手役(子どもまで産んじゃいますよ!)だった子が、ちぎくんと同じ役をやるのか……ふたりして女心を語ったりして役を深めていくのか……ヅカってほんとすげーなー。
 雪組退団者発表は、じわじわと効いてきてる感じ。
2013/09/24

雪組 退団者のお知らせ


下記の生徒の退団発表がありましたのでお知らせいたします。

 (雪組)
  香音 有希
  亜聖 樹
  芽華 らら
  夢華 あみ
  凰 いぶき

2014年2月9日(雪組 東京宝塚劇場公演千秋楽)付で退団

 夢華さん退団が、釈然としない。
 いったい彼女の存在、扱いはなんだったんだ、という。

 それとは別に、思い入れのある子たちの名前が並んでいて、地味にショックだ。

 香音くん……!!
 なんで? なんでやめちゃうんだよーー!

 わたしは雪担出戻り組だ。10年くらい、他組を贔屓にしていた。
 とはいえ、贔屓組の次によく観るのが雪組だ。毎公演複数回、『ロシアン・ブルー』なんか、贔屓組の『ベルばら』より通ったわ。回数観たわ。
 雪組ファンからスタートしたヅカヲタ人生なので、雪組はずっと特別だった。
 だから、組子もそれなりに認識していた。

 でも、出戻る前とあとは、別。
 観る回数も密度もチガウ。
 意識の問題として、それまで知っていた子たちでも、2011年を境にチガウ目で見ている。つまり、それまでよりさらに、親近感を持って。
 改めて、出会っている。

 香音くんも、そのひとり。
 『ロミオとジュリエット』の赤チームの金髪青年。
 ベンヴォーリオ@まっつに絡む、ひとまわりは大きな体格の男。
 ベンヴォーリオが坐り込んでいるだけに、まるでのしかかるよーに絡んでいたのが印象的過ぎて。
 日によってはほんと「ちょ……っ!!」とあせるような、エロい絡み方で。
 まっつファンの中では「あれ誰?」と聞かれることの多かった子だ。金髪ポニテの赤男は誰。星のシュウシオツキほどのブームにはならなかったにしろ、地味に話題にされていた。

 そこからスタートだったもんでな。
 香音くんの仕事ぶりは要注目!でした、わたし的に。

 いちばんはなんつっても、ダンバー先生@『フットルース』!!
 ムーア牧師@まっつを唯一ファーストネームで呼ぶ男!(笑)

 いやあ、良い並びでした、ダンバー先生とムーア牧師。

 忠兵衛@『JIN-仁-』でも恭太郎@まっつを護って斬られる役だったし。

 この間の『若き日の唄は忘れじ』の藤次郎も良かったなあ。

 香音くんが辞めるとは、まったく思ってなかった。
 ショーでもギラギラしてて、釣る気満々に客席なめてく目線とか、雪組の中では「うきゃ~~!!」な芸風の人なのに!

 え、マジ?
 マジで退団?
 貴重な大人の男役なのに?


 大人と言えば、亜聖くん。
 新公で専科さん役を務めるのは伊達じゃない、安心の芝居力。
 『フットルース』でも新公学年でひとりだけ大人チームだった。
 『インフィニティ』メンバーでもあるし。
 持ち味的にこれから花開く子のはず。

 かわいこちゃんの、ららちゃん。
 『黒い瞳』の少年役で目を引き、そっからも「かわいい子」として認識。
 てゆーかやっぱり『フットルース』!! 台詞なかったけど、教室にいたかわいこちゃんのひとり!!


 わたしにとって、『フットルース』は特別の公演過ぎて。
 心の中にキラキラと大切に大切にしまってある作品で。
 キムみみの退団で、もう幻と化しているのはわかってるんだけど、それにしても、やっぱり特別で、『フットルース』に出ていた子たちが退団していくのは、ちがった意味でさらに寂しくて。

 楽園がくずれていく、そんな哀しみがあって。


 いぶきくんも、もったいない……!!
 うまいのかヘタなのかもよくわかってないんだけど、とにかく彼は、顔が好みなの!! ずーっとずーっと注目してきた子なの!
 アタマ悪い意見でごめん、まず顔なのよ、だって台詞もろくにないモブの下級生なんて、まずはそっからでしょ?(と、開き直る)
 『ドン・カルロス』オープニングの兵士とか、『Shining Rhythm!』の隅っこではじけてキザってる姿とか。いちいちオペラで追っかけてましたから。
 好みの顔の男子なのに、男役は成長に時間が掛かるから、まだまだこれからなのに、もう決断しちゃうのか。
 男役やるために生まれてきたよーなビジュアルの子なのになああ。もったいない……。
 真地くんと対で眺めて来てたので、片翼がいなくなるのが寂しいっす……。


 5人とも、いろいろとショックですよ……。
 雪組集合日。配役と、退団発表があった。

 なんで夢華さん、やめるんすか? わけわかんない。

 わたしの夢華さんへの評価は低いです。
 彼女がふつーのタカラジェンヌだったら、ここまで低くはないと思うんだけど、なにしろすげーマイナス地点からはじまってるの。

 96期云々は舞台外のことなので考慮しない。したくない。わたしは舞台の上だけを見る。
 で、その「舞台の上」の夢華さんは、だ。

 「宝塚歌劇団史上類を見ない超逸材スーパースターで、100年に一度の天才」として、華々しくデビューした。
 なにしろ「入団1年目で娘役トップと同位置、大劇場本公演でヒロイン」だよ。100周年を間近に控えるこの劇団で、そんなものすごい人はどれくらいいたの? 今のトップスター制度が成立してはじめてのことだよね。だから100年に一度の逸材ってことだよね。

 こんだけものすごい「劇団からの評価」を突きつけられたんだ。
 娘役トップとして納得させるだけの実力を「100」とするならば、とーぜん100は当たり前、それ以上のモノがあるからの抜擢、120とか150とかの点数を見せつけてくれるんでしょうね。
 100点でも「それが基準点」だから、「0」と同じ意味。

 そしていざ目にした夢華さんは、せいぜい60点から高くて70点ってとこだった。

 100点=0点だから、夢華さんの評価は「-40点」とかになっちゃったの。

 彼女がふつーの研1生、素人がはじめてプロの舞台に上がって60点取れたというなら、すごいと思う。や、そもそも数ヶ月前まで学生だった子に、60点取れるだけの場をいきなり与えたりしないから、他の研1たちと比べて60点がどれくらい高い点数なのかもわかんないけど。
 夢華さんとまったく同じ実力だとして、他の研1生なら60点、でも夢華さんだけは-40点。
 不公平かもしんないけど、わたしが基準点を引き上げたわけじゃない。
 劇団が、そうしたんだ。

 -40点の人の舞台を、えんえん見せられたわたしは、とても不満だった。

 ええ、とっても根に持ってます(笑)。
 キムくんのお披露目『ロミオとジュリエット』が正規の形でなかったこと。

 キムくんロミオはジュリエットを愛していない、キムくんみたいな強い人に恋愛は不要、これは『ロミオとジュリエット』ではなく『ロミオ』だ。……そう思った、雪組『ロミオとジュリエット』初日付近。

 キムくんの負担はどれほどのものだったのか。大作ミュージカルでのトップお披露目で、相手役がふたり、しかもひとりは舞台に立つことだけで精一杯の新人。
 相手役のいないキムくんの、孤軍奮闘ぶり。トップ娘役不在にも研1ヒロインにも納得していない観客の冷たい空気。
 そんななかで、続く公演。

 それがだんだん、変わっていった。
 みみちゃんジュリエットが息づきはじめ、キムくんロミオもみみちゃんを、相手役を、視るようになった。ふたりで手を取り合い、ひとつの方向へと走り出した。
 逆風の中で、キムみみコンビが生まれた。夢華さんジュリエットのときは相変わらず『ロミオ』だったけれど、みみちゃんジュリエットのときは『ロミオとジュリエット』になった。

 あの初日付近の停滞感は、なんだったの。
 最初から無理なWキャストでなければ、あんなに孤独な「ロミオ」は見なくて済んだんじゃないの?
 ジュリエットがみみちゃんだけなら、トップ娘役がみみちゃんなら、もっと早くラヴラヴなキムみみを、愛し合うロミオとジュリエットを観られたんじゃないの?

 キムみみの『ロミジュリ』が好きで、感動して大泣きして劇場に通い、午前公演を見て「午後も観ようかな……でも、ジュリエットがみみちゃんじゃないから、やめとこう」と、観ないで帰るしかなかった、あの寂しい日々は、なんだったの。

 すべてを否定するわけじゃない、夢華さんがいたことによって得られたモノも、きっとたくさんあるんだろう。なにごとも作用し合って存在しているのだから。
 だけど、夢華さんのソロで拍手皆無とか、不可解な抜擢のたび劇場の空気がぴきんと張りつめた、あの日々はいったい、なんだったの。

 わけわかんねえ。
 なんで「今」なの。

 もしも夢華さんに「辞める」絶好のタイミングがあるとしたら、『ロミジュリ』と全ツと連続休演したときだろう。
 それを越えて戻って来たのだから、肝を据えてがんばるんだと思っていた。
 アホな抜擢なし、ふつーに研1からスタートしていたなら、夢華さんは実力ゆえにちゃんと評価されただろうに、と思うよ。ふつーの基準点で見られたなら。

 まあその、とってもアタマ悪いことを言っちゃうと、わたしが夢華さんに辛口評価なのは、ぶっちゃけ「顔が好みではない」ってことが、大きいの。
 すまんなあ、こんな理由で。鼻スキーなわたしには、横顔が陥没している人は美人に思えないのよー。
 ふつーのジェンヌさんには、そこまで完璧な高い鼻や整った横顔を求めないけど、「100年に一度の逸材」でしょ? 入団するなりトップをやっちゃうよーな人でしょ? ふつーレベルじゃ困るのよ、美貌でがつんと納得させてよ~~。
 顔が好みだったら、アタマの悪いわたしは評価甘くなっちゃうんだけどね~~。好みじゃない、てのがほんと大きいのだわ~~。
 あと、芝居が好みじゃない、てのもあるんだけどね。これも顔が好みだったら底上げされるだろうから、やっぱ顔かなあ……。

 今の夢華さんは「学年相応」な感じになっている。
 研4の新進娘役ならこんなもん、ってな感じ? 新公ヒロやったり、ショーでオイシイ立ち位置だったり。
 大劇場ヒロインを務めた人が、何で今さら「学年相応」になってるのか、それもわけわかんないけど、劇団は「前代未聞の研1ヒロイン」の事実を抹消してるっぽい?
 「なかったこと」にして、これから何食わぬ顔で「新進娘役です」と上げていくのかな、と思っていた矢先の、退団。

 なんなのよ。
 あの謎の抜擢と組の大混乱は、なんだったのよ。

 わたしの夢華さんへの評価は低いし、ぶっちゃけ好みじゃないし。
 でも、それとこれとは別っすよ。
 劇団はいったい、ナニがしたかったの?

 ナニを思い、ナニを目指して、多くの人々を傷つける人事を行ったの?
 キムくんも雪組子もファンも、当の夢華さんも、そして不信感から客足にも響いたはずだから、劇団の経営的にも、誰も得をしなかった。損ばかり、傷ばかりが残った。
 もしもこの樹齢100年の大樹が倒れるとしたら、こういうところに原因があるのだと思わせる、歌劇団の闇部分が、夢華さんの謎の抜擢とその後の扱い、そしてこの退団発表に現れているのだと思う。


 舞台の上の夢華さんしか知らないから、彼女がどんな子で、どんな思いで舞台に立ち続けていたかは知らない、わからない。
 劇団の考えや裏事情がどうあれ、とどのつまりは夢華さん自身で選んだことであり、その結果だ。

 ただわたしが夢華さんで思い出すのは、『インフィニティ』のカーテンコールだ。
 主演のまっつが挨拶を噛むと、出演者全員でウェーブをして囃し立てる。その先頭を切るのが、夢華さんだった。
 はるか上級生で座長のまっつが、噛んだことを誤魔化して喋っているのに、それを見逃さず「いぇ~~い!!」とウェーブをはじめた。舞台の上も、客席も、爆笑。
 みんなの心がひとつになっていた、みんながにこにこキラキラ笑っていた。
 先頭切ってウェーブをはじめる夢華さんも、にこにこ笑っていた。楽しそうだった。
 『インフィニティ』のカテコは、緞帳が下りる最後まで、キャストみんなが自由に動いていて、下級生たちはみんな、膝を折って緞帳が閉まる最後まで客席に手を振っていた。
 夢華さんも舞台に倒れ込む勢いで二つ折りになって、手を振り続けていた。
 ふつーの女の子の笑顔だった。ふつーにかわいい、タカラヅカの下級生娘役だった。

 劇団は、なにをしたかったんだ。
 夢華あみとは、なんだったんだ。
 すみません、千秋楽までわかってませんでした。
 『Mr. Swing!』中詰め、みりおくんの役が「新入りセイラー」であることの意味。

 千秋楽、「もう新入りじゃないもん!」と返すみりおくんに、はじめて「あ、そーゆー意味」と気づきました。

 オギーコピーと言われ続けた稲葉くん。
 最近はあまりオギーっぽくなく、むしろすでに「いなばっちってこうだよね」的な色を良くも悪くも確立してきていたので、忘れてた。
 『TUXEDO JAZZ』をやりたかったのか!
 組替えで戻って来たえりたんを銀橋でみわっちが迎える演出、初日はえりたんが花道で服に付いた雪を払い、みわっちに花をもらう、それが千秋楽ではえりたんがみわっちに扇を渡し、次のみわっちの主演公演『舞姫』につないだ……アレ。

 組替えではじめて花組の大劇場舞台、ショーの舞台に立つみりおくんに、先輩のまりんとタソから「新入り」と呼ばせ、千秋楽に「もう新入りじゃない」とみりおくんに返させる……「組替え」をショーに取り入れたんだ。オギーの『TUXEDO JAZZ』みたいに。

 で、それをやりたいがために中詰めは船上パーティなの……?

 この中詰めがなかなか微妙で。
 いやその、耳馴染みのある「In the Mood」のアレンジだけでガンガン進めるのはいいんだけど、……船上である意味あるの?

 てゆーかさー。
 なんでターバンなのよ。

 船上パーティとなんの関係が? 途中で設定忘れてないか?
 新入りセイラーの話はどうなった?
 や、ストーリーを期待するわけじゃなくてな。

 ただ単に、いなばっちのターバン好き入りましたー、てだけよね?

 ターバンの似合う日本人は稀なんだから、そんな難易度高いことを無理にさせなくていいのにー。
 てゆーかだいもんターバン似合わない……余計に頭部がでかく見えるよー。顔がでかく見えるよー。カリンチョさんのターバン姿を思い出して、ちょっとなつかしいんだけどー(笑)。

 楽近くからみーちゃんとらんとむの投げキスとかいろいろあったけれど、千秋楽はふたりの抱擁付き。
 くそー、ターバンいらねー!(笑)

 中詰めを黒タキと地髪に変えてくれたら完璧なのに、と仲間内でずっと言ってたなー。
 花男はやっぱ黒タキですよー。

 女装役替わりは3パターンとも観ました。
 わたしはアキラ子ちゃんがいちばん好みでした。いやその、どの子もオカマで、美女度ではなく消去法で(笑)。
 あきらは期待に違わぬオカマっぷり、キキくんは期待に反してキキくんってだけの姿、そして最後のホープ(希望)だったカレーくんもまた、立派にちゃんとオカマでした。若くてかわいいのに、もうちゃんと「女」に見えない。素晴らしい。
 まあその、カレーくんは「女」を通り越して「人間」に見えなかったりもしましたが。……魔物だよねアレ、的な(笑)。下級生なのにあんだけ耽美がハマるってすごいわー。

 しかしどの回ももれなく、だいもんのうるささに目を奪われています。
 ただ歌っているだけなのに、「大暴れ」しているよーに見える。
 やり過ぎの顔芸は、なんか悪魔的に歪んでいるし。
 …………好きだわ。(ぽっ)

 そして、この作品のメインになるだろう、ピンクスーツの場面。
 初見時はそのあとのみーちゃんサヨナラショー場面に心とアタマがグラグラきて、せっかくの「メイン」の印象が薄れていたの。そしてよりこの作品全部が平坦なモノに感じた。
 でも、回数観ると、この場面の良さがわかる。

 導入部の、みりおくんの素直な歌声をいいなあと思う。
 徐々に現れ、ひと踊りして消えていく花組っこたち。性別関係なく、「強さ」と「濃い輪郭」を持つ。

 そしてしみじみと。

 蘭寿とむを、美しい人だと思う。

 舞台にひとりで立つ。
 ひとりで、踊る。

 オラオラ系の激しい曲をびらびら衣装で走り回るのではなく、スーツ姿で確実なリズムを刻む曲で。
 そうやってひとり、あの大きなステージを埋める、力。

 なんて力強く美しい人だろう。
 大地に誠実に立ち、地球の自転に逆らわず、許容して「世界の中心」をここだと示す。
 激しい自己主張ではなく、あるがままに「肯定」することで生まれる魅力。

 この人、ここまで来たんだ。
 こんなところまで、来てしまってるんだ。

 や、それがどこで、どういうことなのか、自分でもわかんないけど。
 なんかもお、らんとむさんが美しくて息が苦しい。

 今回、芝居もショーもサヨナラ色が強く、らんとむのサヨナラ公演として企画されたのかなぁと思った。
 だけどこの公演が最後でなくて良かった。らんとむを、まだ見られるんだ。
 ここまで来た美しい人を、まだ、見ていられるんだ。
 その幸福。

 そのあとのみーちゃんサヨナラショー場面は、千秋楽はわたしが構えすぎちゃって、ほとんど記憶にない。
 見なきゃ、見届けなきゃ、みーちゃんの姿、笑顔、歌声……そう思えば思うほど、アタマがしびれたような感じになった。

 旅立つひと、残るひと。
 しあわせになれ。なってください。

 雪組が毎公演黒燕尾ありなので鈍くなっていたけれど、花組で黒燕尾ってすげー久しぶりだよね。まとぶんの卒業公演以来……って、それも卒業だからまとぶんの希望で入ったくらいで、ほんと花組は黒燕尾より黒タキの組なんだよなーと思いを馳せる。
 雪とは毛色の違う大階段黒燕尾。……って、階段はただ歩いて降りてきただけでほとんど使われてなかったけど。
 2階で観たときはほんときれいだった、逆三角形。

 最後にみーちゃんの黒燕尾が見られて良かった。ありがとう、稲葉せんせ。


 わたしは「美しさ」を計る単位に「ケロ」を使う。
 「男役としてものすごく美しい」と、わたしのなかの「ケロ」が反応するらしい。
 すなわち、「ケロに似てる」と思うんだ。
 それは言葉では説明出来ない、本能的なもので。
 顔が似てるとかそーゆーことではなく、わたしのなかの「最高」とか「理想」とかに触れる・想像させるひとは、「ケロ」を思い出させるらしい。
 自分のことなのに、らしい、と書くのは、自分でもその仕組みがよくわかっていないからだ。なんでケロなの、別に似てないじゃん、と思う理性はあるだけに。

 みーちゃんを見て、「ケロに似てる」と思った。
 久しぶりだ。ケロに似てる、と思う人に会うの。
 まっつやゆーひくんには、ケロを感じた。
 切なくて、幸福な気持ちが広がる。ケロに似ている。


 みーちゃんの最後の挨拶、「愛と勇気をありがとうございました」が、胸に残る。
 愛ではなく、「勇気」という言葉が。

 毅然と顔を上げて歩く、凜々しいひとだった。
 勇敢なひとだった。

 「勇気」という言葉が、胸に残る。
 『Mr. Swing!』が楽しい。

 今回2階席で1回しか観られなかったのが惜しい。2階席がすげー楽しい作品なのにな。
 しかしま、ハンパに1階のそこそこ席でばかり観劇しているため、カンチガイ目線やらウインクやらは堪能しました。うひょー。

 オープニングの格好良さは言うまでもなく。
 この小粋さ、クサさと濃さが、いかにも「花組!!」で、気持ちいい。
 最初から目が足りない、どこを見てもかっこいい、誰を見たらいいかわからない、誰も彼も見たい!!

 みーちゃんのスタイルと色気にがーんとやられる。
 もーっ、もーっ、最初からなんてトバしてくれるのよー、頼むわー、心臓持たないわー。
 それとは別に、だいもんのうるささにも目を持って行かれる。や、君絶対うるさすぎ!!(笑) 顔芸だけじゃない、ダンス自体も絶対うるさい。

 みつるとよっちにオペラを持って行かれ、あきらの造形の好みっぷりにもハクハクする。

 帽子の扱いも好きだなー、投げ捨てたりまた受け取って銀橋に勢揃いしたり。
 タカラヅカ好きだー、花組好きだー、とテンション上がるオープニング。ここもっと長くていいです、つかぜんぜん見切れてないよー、もっと見たいよー。

 ……という、小粋な路線で進むのかと思いきや、次の段階でテイストがころりとかわって、びらびらギラギラになる(笑)。
 稲葉せんせ南国好きだよなあ。でもらんとむイメージだと、たしかにこの両極端は押さえてしかるべきか! タイトルの「Mr. Swing!」って、ジャズのことぢゃなくて、らんとむが腰を振ることなの? いや、それでぜんぜんいいけど!(笑)

 どでかいフラミンゴのセットに、『Red Hot Sea』を思い出す。あっちは海馬……タツノオトシゴだったけど。

 ギラギラオラオラなオープニングが終わって、登場するのはみりおくん。いなばっちのターバン好き入りましたー、いきなりアラビアですか、王子様ですか。さらに「swing」とはまったく関係なさそうな世界が広がる(笑)。
 ここのみりおくんの歌が好き。

 そしてなんつっても、蘭ちゃん&カレーくん双子姉弟!! や、双子設定ぢゃないんかもしれんが、双子、もしくは同一人物でしょあれ。
 ヤミノイキモノを演じてこんだけハマるふたりがスタークラスにいる、てのは強いわ。個々では似てないのに、こうして「同じ役」をすると違和感なく「同じ」に見える。
 で、この魔物ツインズがみりおくんを襲うわけだが。
 芝居に引き続きカレー×みりお!! 演出家同士ネタ合わせしようよ、かぶってるよ!(笑) 気持ちはわかるけどな、美しいCPだもん、みりカレー。

 みりおくんアテ書きだなと思うのは、この旅人様が蘭ちゃんのことはウェルカムで、蘭ちゃんが突然カレーくんに変わってしまうとがーん、ショックを受けて打ち払うこと。
 初日に友人たちが言うのよ、「ゆずかれーならいい」って。好きな女の子を抱きしめてキスしていたはずなのに、はっと気がつくと男に変わっていた……けど、その男の子がカレーくんならいいじゃん別に、って。
 そりゃカレーくんはきれいでかわいくて妖艶だけど、でもさ、性別は大事でしょう?! どんなにきれいでかわいくてエロくても、男の子相手に恋愛出来ないでしょう、男としては!
 女の子にキスは出来ても、男相手にはしたくないでしょ!

 抱いているのが男@カレーだとわかった途端、みりおくんは「げげっ」と突き放す。で、女の子の姿@蘭ちゃんになると、にっこにっこで両腕を広げる。
 人間中身(心)じゃねえ、外見だ!!と言わんばかりに!(笑)

 「美人なら男でも女でもいいや」にならないところが、みりおくん!!
 「女の子が好き、男なんかじょーだんじゃねー!」という「まともさ」が、みりおくんアテ書き!!
 や、みりおくんは男同士の絡みも絵になる人ですが、彼自身はヘテロだと思うのよ。まともで強くて健康な人。
 本人の嗜好と、その持ち味は別っちゅーかね、みりおくんが「ホモはいらねー!」とどんなに思っていても、彼のあまりの美しさにホモOKなキャラにされてしまうあたりが、みりおくんのジレンマと魅力だと思いますの。

 よっちとルナくんの鳥さんがまた素敵。登場するとはっと目を奪われる。
 歌手トリオがまた情報量多くてうるさくて、「花組を観たわ」感を盛り上げてくれるしな!(笑)

 そのあとの野球場面が好き過ぎて!!!

 蘭寿さんがバット持ってせり上がって来た途端、「その『スイング』かよ!!」って、盛大に突っ込んだ。
 やだどうしよう、好きかも!って。
 だってだって、スイング=らんとむなら、「フルスイング!!」と思うじゃん、なのにいきなりバントしてみせるのよ? 軽々と、へらっと笑いながら。
 うきゃ~~っ、かわいいっ、かっこかわいいっ、どうしようこの人!

 花組でスポーツ場面、試合場面というと、黒歴史がある。
 誰もが心はひとつ、多くは語らずとも「アレ」のことだと通じる。
 初日観劇後、「野球やるってわかった途端、悪い予感がした」だけで通じる、「でもアレとは違ってたよ!」と、話が進む。
 ほんとにアレはひどかった……語りぐさになる痛々しさだった……。

 でもでも、今回はチガウから! 野球だから! バスケじゃないから!
 いやその、某サイトーくんがバウでひどい野球モノをやらかしてくれた記憶もあって、野球ってだけなら地雷なんだけど……今回はチガウから! ちゃんと小粋だから!

 自らをイケメンと信じ切る、スウィングスのメンズがアホかわいすぎて悶える……!
 フラワーズのお色気作戦がまた、わかりやすくてかわいくて、どの子も素敵で……うおお、なんてこったぁああ、目が足りない~~!!
 じゅりあ休演で惜しい、じゅりあお姉様にもここはぜひ活躍して、男たちを手のひらで転がして欲しかった……っ。

 みーちゃんはキャラがぶれないというか、ちゃんと「みーちゃん」のまま演じてくれるからいいなあ。
 このめんどくさそうなグループで(キャプテンがなによりめんどくさいキャラだし・笑)、めんどくさそうに、それでもちゃんと居場所を持って活躍しているのが、たまらん(笑)。

 らんとむはなんでこんな役が似合うの、かっこよくてかわいくて反則。
 彼のかわいさは、絶対に彼が「大人」だからだ。ケツの青い坊やにこのかわいさは出せないぜ。

 こんな男と恋愛したいなあ。と、心から思う。
 大人であること、と、かわいいこと、と、かっこいいこと、が同列に存在しているのよ? なにソレあり得ない!
 王子様でも異世界の騎士でもなく、現代の(少々年かさの)にーちゃん的なキャラ付けで、こんなにこんなに素敵ってどうなの。
 こんな人、会社にいたらいいのに……。(無理)

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