ラインアップ発表キターーッ!!
2013/05/16

2013年 公演ラインアップ【宝塚大劇場、東京宝塚劇場】<11月~2014年2月(予定)・雪組『Shall we ダンス?』『CONGRATULATIONS 宝塚!!』>


ミュージカル
『Shall we ダンス?』
~周防正行 原案・脚本・監督『Shall we ダンス?』より~
脚本・演出/小柳奈穂子

周防正行原案・脚本・監督による映画『Shall we ダンス?』は、役所広司・草刈民代主演により社交ダンス教室を舞台に繰り広げられた、ハートフルコメディの最高傑作。1996年度日本アカデミー賞で13部門を独占、日本中で社会現象を巻き起こし、全米でも多数の映画賞を受賞し大ヒットを放ちました。2004年に公開されたリメイク版のハリウッド映画も、全米トップ10内に長くランクインしています。
この大ヒット映画の初のミュージカル化に宝塚歌劇が挑戦します。愛する妻もおり、何もかも満たされているはずなのに心のどこかに空しさを感じている主人公は、ダンス教室の窓辺にたたずむ美しい女性の姿に惹かれ、社交ダンスの世界に飛び込んでいく……。「シャル・ウィ・ダンス」を始めとする数々の名曲にのせて、個性豊かなキャストでお届けするロマンティックなドラマをお楽しみください。

ショー・ビッグモニュメント
『CONGRATULATIONS 宝塚!!』

作・演出/藤井大介

宝塚歌劇99周年目のラストを飾る宝塚大劇場公演であり、100周年のスタートを彩る東京公演でもある本作品は、記念すべき年を祝い、客席の皆様とも一体となり、明るく華やかに盛り上がるパワフルなショーです。フレンチカンカンやリオのカーニバルなどの世界的に有名な祭りをイメージしたシーンを散りばめながら、宝塚歌劇ならではの魅力を最大限に伝えます。
 ちょ、ラインアップで心躍るのって、いつぶり……?
 なんかすごく久しぶりな気がする。
 や、ご贔屓様の主演で舞い上がる、とかではなく、純粋に演目で。去年は『ベルばら』祭りの発表で意気消沈したもんな。その前は演目以前にキムくん退団でアテ書きですらなくいろいろ微妙すぎてへこみまくってたし。
 キムシン&中村Bも喜んだけど、純粋に「キターーッ!!」とワクテカしたのって、全ツ『黒い瞳』発表時までさかのぼるのか……?

 夢にも思わなかった、『Shall we ダンス?』

 見たのは大昔、しかも1回だけ。
 どんな話だったか、正直よくおぼえていない。

 ただ、おもしろかったこと、見終わって幸せな気持ちになったことを、おぼえている。
 いい映画見たなあ、楽しかったなあ。
 大感動とか人生変えるほどの衝撃とか、そんなものはなくても、ふつーに「たのしかったー!」と思えた……はず。

 それだけで、十分だ。

 ふつーに良い作品を、ミュージカル化する。
 しかも演出家は、小柳タン。
 小柳タンなら、ヲタの好みを熟知している。大丈夫、きっと隅々まで愉快な作品になる。

 もしもこれで、演出家がイシダせんせならわたし、絶望に膝を折っていたと思います(笑)。
 イシダなら絶対舞台は日本で、おてもやんや鼻水、デブハゲ、下ネタとダジャレ、親父ギャグ満載の「何故コレをタカラヅカでやる?」なものになり、ついでに臓器移植キャンペーンもやる。
 90年代の日本の風俗をこれでもかと誇張して、サラリーマンはひたすらしょぼくれたおっさんに、おばさんたちはひたすら下世話に、そしてわかりやすいお涙ちょうだいなんかを表現してくれることでしょー。
 あああ、偏った目線で申し訳ないが、イシダなら冗談ごとぢゃないからこわい(笑)。
 たとえ、舞台をアメリカにしたとしても、名前がカタカナなだけで、「20世紀の日本」でしかないモノを差し出してくるでしょう。『双曲線上のカルテ』とか『50/50』とかのよーに。

 でも、演出家小柳タンだし!
 萌え二次創作系になる危惧はあっても、下ネタ昭和風味にはならない!(笑)

 同じ映画原作だった『フットルース』を、80年代アメリカが舞台であるにも関わらず、ふつーに現代日本で「萌え」なものに作り替えてしまったように。
 ビジュアルだけでなく、キャラクタまで変えちゃったもんな-。80年代アメリカ映画に「ヘタレめがねっこ」キャラなんかいません。ソレ現代日本だからこそのキャラ。

 現在進行形のドラマ『相棒』の舞台化だと、「どれだけテレビ俳優に似せられるか」がテーマだったけど、『Shall we ダンス?』はその必要ナイだろうし。
 たぶん舞台は外国だよねー。みんな横文字名前で、金髪だよねー。オリキャラ満載だよねー。
 つか、ヒロインのキャラクタをオリジナルにしないと、あゆっちはかなりイメージが難しいんじゃないかと……。
 
 原作のストーリーラインと世界観を使って、「現代の」「タカラヅカの」『Shall we ダンス?』にしてくれることでしょー。

 つか、小柳タンには要原作!だと思う。
 彼女のオリジナル作はびみょーじゃないかい? 『アリスの恋人』『シャングリラ』『シルバー・ローズ・クロニクル』……。
 原作ある方がいいよ絶対。
 二次創作……ゲフンゲフン、アレンジの方がうまいと思う!


 で、ショーとの2本立てがうれしい!

 やっぱタカラヅカはショーですよ、ショーがなきゃ!

 フジイくんのショーは正直なところあまりテンション上がらない元花担。いやほんと、観すぎたもん、フジイショー。
 でもまあ、雪組登板は久しぶりだし、新しいフジイくんを観られるといいなあ……いつものフジイくんになっちゃうのかなあ。いい加減働きすぎだよなフジイくん……。

 彩彩あたりが女装するのかなあ。フジイくんショー=男役の女装、ってことで。
 あー、ともみんと大ちゃんのおみ足が観たいですわたし。どんだけ長いのっつー。(ともみんは昔、ダルマばっかしやってたけどなー)
 とにかく、お笑い系の女装はいらん。マジで美しく使ってくれー。

 世界的な祭り……祭りか……耽美系は期待できない? 『Carnevale睡夢』をやっちゃった雪組では、ヴェネチアカーニバルは無理……? 全部がリオのカーニバルのノリだとキツイなー。
 つか、イシダせんせなら絶対日本の祭りと演歌を入れてくるわ……! と、実はイシダスキーか?!てくらい、イシダを絡めて考えるわたし(笑)。

 なんにせよ、「ショーの新作」ってだけで幸せ。
 待っている間もわくわくする。

 フジイくんというと「サヨナラ公演職人」と言われていたけれど、「記念すべき年を祝い、客席の皆様とも一体となり、明るく華やかに盛り上がるパワフルなショー」とわざわざ解説にあるからには、安心していいんだよね……?


 植爺の『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』がキライ過ぎるので、別のことを考える。

 わたしがもしも、『フェルゼン編』を書くならば、どうするか。

 今までわたしは、「タカラヅカの『ベルばら』」の枠組みでのみ、「わたしならこうする」を考えてきた。
 わたしはただの素人で、ただのヅカヲタ。そのわたしが勝手にどうこう言うのは、なんかルール違反というか「言うだけなら誰でも出来る」というか、どうも「チガウ」「しちゃいけないこと」だと思っていた。
 だからわたしが「わたしなら」を考える場合は、既存の「タカラヅカの『ベルばら』」の作品や場面をアレンジすることに、こだわっていた。
 1から考えた方が楽でも、あえて植爺作品の改稿という、制約だらけの手法でのみ考えてきた。

 植爺作品の改稿案はもう2006年にえんえんやったので、もう一度考える気にならない。
 植爺『ベルばら』を全部忘れ、1から好きに考えてみよう。

 そう、景子先生みたいに(笑)。

 『ジャン・ルイ・ファージョン』を観たとき、「植爺『ベルばら』への挑戦状か(笑)」とウケたもんなー。
 そりゃ、誰だって植爺『ベルばら』がめちゃくちゃ過ぎる、フェルゼンがキチガイ過ぎる、って思ってるよなー。でも、立場的に言えないんだよなー。
 言えない代わりに、しれっとこんなもん作るんだー、景子タン素敵。

 自由に考えてみよう。
 わたしなら、どうする? ナニを書きたい?
 既存『ベルばら』の名場面も歌もナニも使わず、まったくのオリジナルで『ベルサイユのばら』をフェルゼン主人公で組み立てるならば。

 ……考えるのは、ほんっと楽しい。
 ただの頭の体操、なんのためにもならない、ただの自己満足。
 それがとてつもなく、楽しい。

 『ベルばら』が、好きだから。


 「ごらんなさい♪」ではじまる、タカラヅカの『ベルばら』。
 アレがあると「『ベルばら』キターーッ!」ってキモチになるけど、あえて全撤去、アリモノはなにひとつ使わず、「キターーッ!」を超えるモノを考えるとしたら。


 物語最初に描くのは、幕が開いてライトが点いて、最初に描くものは、フェルゼンがもっともカッコイイ場面。

 チョンパではじまる光の洪水、本舞台花道銀橋、全部使ってベルサイユの超豪華舞踏会。
 「タカラヅカ」ここにあり!な舞台。

 登場するアントワネット、オスカル、アンドレたち、お馴染みのメンバー。
 ひたすら華やかなオープニングショー。
 ベルサイユ宮殿のセットは立体的で豪華なモノをどーんと作る。『フェルゼン編』なら舞台の大半はベルサイユ宮殿だもん、いろんな場面で利用可能だから、お金掛けて作ってヨシ。イケコ的な動きのあるやつ。

 その豪華絢爛場面から、アンドレが、オスカルが、「いなくなる」ことがわかるように退場する。
 次に音楽変わって、不穏な雰囲気に。
 花道に民衆登場、武器を手に「王妃を殺せ」と叫び出す。

 本舞台でアントワネットを囲んで美しく踊っていた貴族たちが、一斉に背を向ける。そのタイミングで音楽もぴたっと消えライトも消える。ぶった切り、的に、ずばっと。
 中央のアントワネットだけが、強い光の輪の中に取り残される。
 ただ、ひとり。

 聞こえるのは民衆の呪詛の声。

 そこへ。

 フェルゼン登場。

 膝を折っておののいていたアントワネットのもとへ進み出て、手を差し伸べる。
 民衆の声も消え、ふたりだけの舞台。

「ともに死ぬためにもどってまいりました…
あなたの忠実な騎士(ナイト)にどうぞお手を…」


 フェルゼンの手を取り立ち上がったアントワネットと、デュエットダンス。

 そっからフェルゼンひとり銀橋へ出て主題歌ソロ。

 本舞台には再び貴族たちが登場して華やかな画面へ。
 花道にいる民衆たちは、今度は満面の笑顔で歓声を上げている。

 舞台中央にいるのは無邪気に笑うアントワネットと、ルイ16世。アントワネットは早変わりヨロシク。

 銀橋ソロの終わったフェルゼンのもとへ、お付きの従者(じいや)が現れてコートを渡す。
 はい、もう一度銀橋へ足を戻す。
 なんの騒ぎだ、とじいやに問うフェルゼン。
「フランス王太子とオーストリア皇女との婚礼があったのでございます」
「オーストリア皇女、マリー・アントワネットか……」
 原作にあったあの会話をしつつ、今が1770年だということなんかを説明しつつ、スウェーデンの貴公子フェルゼンは留学中なんだよってことを説明しつつ、フェルゼンとじいやは銀橋を渡って今度こそ退場。

 みなが口々にアントワネットを誉め讃え、彼女とフランスの栄光を歌っている。
 本舞台の貴族たちも、花道の民衆たちも。

 ……という、オープニング。
 クライマックスの革命と、幸せ絶頂の王太子妃時代を絡めて、同じ面子で同じ場面でオーバーラップ。

 オープニング考えるだけで、ちょー楽しかった(笑)。

 ところでわたし、フェルゼンに必要なのは、友だちだと思ってる。
 フェルゼンが脇役でしかないのは、彼個人の人間関係が希薄だってのも原因のひとつ。
 いつだってフェルゼンは彼単体。
 対アントワネット、対オスカルでしかない。

 アントワネットは恋人だし、崇拝する相手。
 オスカルは親友と呼んではいるけど、恋愛絡んじゃって結局友だちにもなれず終了。

 純粋に「会話する相手」すら不自由しているのが、フェルゼンの現状。

 彼にいるのは、じいやひとり。
 このじいやさんも、都合のいいときしか登場しないしね。
 妹ソフィアも、なんのために出てきたかわかんない程度だし。

 フェルゼンの会話相手として、じいやを出す。
 お笑い系ではなく、美老人系で。原作がそうだし。
 フェルゼンをシンプルに愛し、フェルゼンのことを考えてくれる人がひとりくらいいないと、物語が進まない。
 や、現実問題、合いの手を入れる人がいないとフィクションって難しいのよ、話展開させるの。

 で、もしも勝手な変更がアリなら、じいやを老人ではなくす(笑)。

 もののわかった大人の男でもいいし、同世代の青年でもいい。
 よーするに、オーベルシュタインか、キルヒアイスですよ、必要なのは!
 フェルゼンの従者であり、良き相棒である。フェルゼンを敬っているけれど、耳に痛い進言も臆さずにする。フェルゼンも彼を信頼し、心を開いている。

 絶対、「フェルゼン」の株が上がる(笑)。

 原作を歪めない程度に、従者を出して会話させるの。
 最後は自殺しようとするフェルゼンを、その従者に止めてもらわなきゃならないしね!(ロザリーがフェルゼンを止めるのは変。どんだけ怪力なんだ)


 と、オープニングとフェルゼンの基本設定(じいや、もしくは従者連れ)を考えるだけでも楽しくて仕方なかった。

 あとはざっくりとストーリーラインを考える。
 てことで、続く。
 植爺の描く『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』をキライ過ぎゆえ、原点に立ち返り、「フェルゼン」というキャラクタを考える、その2。

 植爺『ベルばら』もアニメも関係なく、シンプルに原作のフェルゼンだけをまな板に載せる。


 フェルゼンというキャラクタの立ち位置というか、性質は、全部で3つの時期に分けられる。

1・空気読むことはできるけど、まだなにも考えてない青年時代
2・王妃様ラヴ!愛が止まらない!熱病時代。
3・自分がなにをすべきかわきまえた、大人時代。

 フェルゼンさんも地味に成長しているんですよ。
 彼が「脇役」でしかないのは、彼の「成長」はまったくもって原作では描かれていないこと。いつもいつも彼は紙面の外側、いないところで勝手に変化して、バージョンが変わってから紙面に戻ってくる。

 ということで、フェルゼンさんのバージョンが変わるタイミングはとってもわかりやすい。
 ベルサイユからいなくなると、バージョンが変わる。

 1の無邪気青年時代。
 仮面舞踏会でアントワネットと出会ったかと思うと、次は堂々と名乗り出て謁見を申し込んでいる。
 人目もなにもあったもんぢゃねえ、心の望むままアントワネットのとりまきとなる。

 また、アントワネットも世間知らずの少女なので、フェルゼンへの好意を垂れ流し。
 双方若いし、ともにちやほやされた宮廷のスターだから、悪いようには受け取られていないが、そろそろ関係を危ぶむ人も出てきた。

 のでフェルゼンは、オスカルの助言を受け、自らフランスを後にする。
 自ら、ね。植爺フェルゼンみたいに説得されるわけでも、耳に痛い意見を言ってくれる相手を罵ったりするわけでもない。

 2の愛の暴走特急フェルゼンは、留学が終わり、大人の男として再度フランスにやってきた。父親の跡を継ぐこと、身を固めることを、当たり前に考えている。
 だけどアントワネットと再会し、またアントワネットが恋愛ハートむき出しなこともあり、「淡い初恋」だったはずの想いが一気に加熱、ふたり揃って愛に暴走。

 ふたりともいい大人だし立場もあるしで、ふたりの恋はシャレにならない。
 周囲の目は冷たくなる一方なのに、愛の炎は止まらない、ああ止まらない。
 「王妃様を愛している」でも、自分がそばにいると、王妃様を愛していると「王妃様のためにならない」……ああ、ジレンマ。
 このままぢゃ破滅だよ、ということで、フェルゼンは自ら関係を断ち切る。
 戦争へ行くわけだ。

 自ら、ね。植爺フェルゼンみたいに説得されるわけでも…(以下略)。

 そして、3の大人フェルゼン。
 戦争から帰ったフェルゼンは、なんかもう達観していた。悟りを開いていた。
 アントワネットへの恋もあきらめない。だけど、アントワネットの不利になることはしない。
 自分はあくまでも影として、ひそかにアントワネットを支える覚悟。
 王妃としてのアントワネットの立場を想い、フランスの未来を想い、アントワネットにどう生きるべきかを語る。教える。
 私欲で群がってくる貴族たちを遠ざけろ、ぜいたくをするな、公務を果たせ……王妃として当たり前のことをしろと説く。
 大人になっているアントワネットは、それを素直に受け入れ「王妃として」目覚めた。

 アントワネットとフェルゼンの成長はリンクしてるんだよなー。
 そして、アントワネットの成長のきっかけ、理由として、バージョンアップしたフェルゼンの登場を使っているけれど、そのフェルゼン自身は、何故成長したのか描かれていない。
 これでフェルゼンを「主役のひとり」と公言する作者は、言葉と行動が伴っていないなと常々思う。企画段階ではフェルゼンも主役だったんだろうけど(1話を見ても)、描いているうちに男主人公の地位はアンドレに取られちゃったんだろう。ヒロイン(光)を愛し、支える影としての男性キャラ、という役割は。


 てことて、「フェルゼン」というキャラクタのかっこいいところは。

 いちばんは前日欄にに書いた、すべてに見捨てられたアントワネットの元に、胸を張って戻ってくるところ。

 次はバージョン3になって登場したところだと思うの。
 それまでの幼さや弱さと決別し、毅然と人生を肯定しているところ。

 そして、その達観した男になるまでの過程だと思えば、言動不一致ぶりもエンタメとしてぜんぜんOKなのよ。
 3でばーんとカッコ良くなる、その布石としてそれまでのうだうだがある分には。

 フェルゼンがいちばん能動的に動くのはバージョン3になってからの「ヴァレンヌ逃亡事件」だけど、わたしはこのエピソード自体はわりにどーでもいーと思っている。
 能動的ではあっても、フェルゼンとしては御者をやっているだけで、画面としてトピックがあるわけじゃない。

 同じくらい動きがないなら、「気持ち」がもっとも大きく揺れているところ、大きく光彩を放っているところを「カッコいい」と認定したい。

 フェルゼンを主役にするならば、彼が三段階に成長していること、立ち位置や考え方が変わり、人間としてバージョンアップしていることを、「ドラマ」にするべきだ。


 最初はまだ、幼かった。恋の意味も身分や立場の意味も知らず、素直に好意を表し、また、受け止めていた。
 次に、運命の恋だと燃え上がった。
 世間の目がどうあれ、止めることが出来ないほどに。

 それが何故、最終的にバージョン3の大人の男に変わったか。

 戦争に行ったからだ。

 禁じられた恋を断ち切るために、フェルゼンはあえて戦場へ行っている。
 アメリカの独立戦争に志願して参加。

 戦争体験が、フェルゼンを変えたんだろう。
 熱病を患ったと言っていたけれど、それだけでなく、何度も死線をくぐり抜けたんだろう。

 生と死の狭間で、「愛」について、「人生」について、考えたんだろう。

 なにをどう思ったのかはわからない。どんな経験をしたのかはわからない。

 ただ、フェルゼンのこの戦争の意味は、軍人貴族が抱える政治や思想云々ではなく、ひとつの賭けだったのではないかと思う。

 この愛の正誤を、神に問う行為だったのではないか。

 過ちだというならば、この戦争で死ぬ。
 生き残ることが出来たら、愛に殉じる。

 そう決意しての志願だったのではないか。

 自ら望んで戦地へ赴き、そこでも困難な任務、危険な作戦を率先してこなし、仲間を助け正義を行い、その上で、生き延びることが出来るかどうか。

 自分ではもうどうすることもできない。
 アントワネットへの愛を捨てられない。

 ならばあとは、神に問う。

 生きてあのひとのもとへ戻ることが出来るならば、この命をすべてあのひとのためだけに捧げる。
 それが過ちだというならば、止め立てするというならば、この命を奪うがいい。
 神に問う。
 命を懸けて。

 この愛に生きる、その正誤を。


 そしてフェルゼンは、生き残った。
 生きて、フランスへ……アントワネットのもとへ戻った。

 彼はもう、一切迷わなくなっていた。
 アントワネットの影として生きることを、揺るがなく悟っていた。

 それこそが、フェルゼン最大の格好良さだと思うんだ。

 フェルゼンは十分、「主人公」たり得るキャラクタだよ。


 てことで、次項ではわたしがフェルゼン主人公で物語を作るなら、を考える。
 植爺『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』が嫌い過ぎる、植爺の書くフェルゼンという男がキチガイ過ぎる。

 フェルゼンというキャラクタはそもそも本筋の外側にいる脇役、彼を主役にすることに無理がある。
 脇役を主役にエンタメを書くには、かなりの力量が必要。

 と、えんえん繰り返してきた。
 それは変わらない。
 だけど今、その「脇役」フェルゼンを考えてみようと思う。


 植爺『ベルばら』についても、オスカルについても、2006年版のときにさんざん語ったので、もういい。わたしの意見は変わってないし、植爺の酷さもかわってないから、同じことを語る気にはなれない。

 ちなみに、2006年の『フェルゼンとアントワネット編』当時の、「植爺の女性蔑視」についての記事と、原作オスカルについての私感。
 http://koalatta.blog48.fc2.com/blog-entry-1280.html 持ち上げながら、じつは貶める。それが植爺クオリティ。@ベルサイユのばら-フェルゼンとマリー・アントワネット編-
 http://koalatta.blog48.fc2.com/blog-entry-1281.html オスカルの横顔。

 2006年は『フェルゼンとアントワネット編』『オスカル編』と、いろいろ鼻息荒く『ベルばら』感想を書きまくったなああ。ブログをはじめて、はじめての『ベルばら』だったから(笑)。

 自分の変わらなさと、植爺の変わらなさに苦笑しつつ。

 今回は、以前書いてなかった、フェルゼンのこと。

 植爺の悪作を離れて忘れて、長浜・出崎監督のオリジナル化していたアニメも関係なく、ただひたすら、原作のみに焦点を当てて。


 フェルゼンのいちばんかっこいい場面、台詞って、なんだと思う?

 アントワネットとの愛の告白? 甘く交わされるいちゃいちゃ会話?
 やたらくり返される「アントワネット一途」台詞?
 「すまないが、わたしは逃げる」と戦争へ行くこと?
 唯一彼自身がアクティヴに行動する、ヴァレンヌ逃亡事件?

 わたしが「フェルゼン」という動きの少ないキャラクタで、最大級に「かっこいい!!」と思う場面は。

 人権宣言決定後、決断を迫られる国王ルイ16世、でもなにしろ彼は優柔不断でなにもできず、「こんな国王につきあっていられない」と貴族たちがこぞってベルサイユを捨てて逃げ出していったあと。

 誰もいなくなったベルサイユに、フェルゼンだけが戻ってくる。

 「あなたはばかです。みんながベルサイユをすて、わたしをすてていくときに…こんなときに…!」と泣くアントワネットに、胸を張って手を差し出す。

「ともに死ぬためにもどってまいりました…
あなたの忠実な騎士(ナイト)にどうぞお手を…」


 かかかかかっこいいぃ!!
 ここの台詞だけは、唯一子どもの頃からおぼえてた。
 オスカルやアントワネット、アンドレの台詞ならいろいろおぼえているのに、フェルゼンだけはさーっぱり興味なくて、なんも心に残ってなかったのに。

 大人になってから読み返すと、やっぱりここのかっこよさが群を抜いている。

 アントワネットが何者であろうと、どんな立場だろうと関係なく、ほんとうにただ、アントワネット個人を愛したんだ。
 もちろんそれはずっと台詞で表されてきたけれど、フェルゼンが有言実行した最初がコレであるはず。
 だってそれまでは、どんだけ言葉で言ったところで、アントワネットは王妃様で、王妃様の寵を受けることは「得」であると傍目には受け取れることだから。

 アントワネットのそばにいることは「得」ではない、むしろ「損」であると誰もが判断するようになったときだからこそ。
 フェルゼンは胸を張って高らかに宣言する。

「いまこそ、あなたの盾となり、あなたをささえ、あなたを愛するのはこのわたくしなのだと…ハンス・アクセル・フォン・フェルゼンなのだと、フランス国民のまえに名のりでましょう!」

 本人たちがどう受け取っていようとそれはカタチのないものだった、それが物理的に証明されたんだ。
 フェルゼンの「行動」によって。

 行動の伴った言葉だから、カッコイイ。

 このあとフェルゼンはヴァレンヌ逃亡事件を代表として、アントワネットのために生きることを、「有言実行」する。

 フェルゼンというキャラクタを(「そもそもこの人、脇役じゃん」ということは置いておいて)「主役」として考えると、なんつってもこの言動不一致さが、足を引っ張る。
 彼は、言葉と行動が矛盾しているんだもん。

 フランス王妃と不倫することで、王妃の立場が危うくなるのに、平気で愛人やってるんだもん。
 美しい「愛」を口にしながら、行動はただの「欲」。

 「愛している」と口で言うだけ、行動は大きな目で見ればただの「迷惑」。アントワネットや彼女の家庭、彼女の国をめちゃくちゃにしても、自分の気持ちが大事。
 言動不一致。
 
 それが恋なのよ、常識では計れないモノなのよ、と言いたいのはわかるが、被害者意識ばかりが先に出て、客観的に見るとただの偽善者言動。

 愛している、と言っているだけで、あとはなにもいいこと・カッコイイことをしていない。コミックス9冊中、8冊までがそうなんだもん。これじゃ「主役」にも「カッコイイ」にも、遠く及ばない。

 フェルゼンの言動が一致し、素直に「カッコイイ」アクションを起こせたのが、1冊だけ。

 「主役」にするには、難しいよなああ。

 矛盾している人生を、うだうだと心の内面・深層心理の奥底まで掘り下げて描く純文学ではなく、少女マンガや2時間半で完結する2500人劇場ミュージカルで、フェルゼンみたいな人を主役にするのは、ほんと無理があるわ。


 と言い切りつつも。

 フェルゼンはちゃんと、いい男だ。
 9冊中8冊まで言動不一致なまま、ナニもしていない男なんだけど、その口先だけの8冊だって、原作のフェルゼンは筋の通ったキャラクタである。

 正しいだけ、間違っていないというだけが、主人公の資質じゃない。
 客観的事実だけだとダブスタにしか見えないけど、フェルゼン自身はブレのない男である。
 フェルゼンは作中できちんと成長しているからだ。

 成長する人間、は、物語の主人公たりうる。

 フェルゼンの成長を正しく描けば、彼の半生を正しく追えば、まぎれもない『フェルゼン編』が成立する。

 フェルゼンは、「ともに死ぬためにもどってまいりました」と胸を張って宣言する、「カッコイイ男」なのだから。


 てことで、次項でその話。
 純粋に、ヲヅキ氏の「写真集」を見られることがうれしい。

 この『My style』シリーズのコンセプトからして、いつかはヲヅキ本も出るとは思っていたけれど、今だとは思わなかった。
 雪組まっつ(緑)、宙組ともちん(紫)ときて、順番に各組を回るのだと思った。それゆえに、本のデザインが組カラーになっているんだろうと。

 ところが、まさかの宙組連続。
 今まで組カラーで作ってきたのに、ヲヅキ本はいきなり無関係なオレンジ。
 トップスターとのページもお約束みたいだから、なんとかなめさん2号連続出演という、バランスの悪さ。

 なにかしら大人の事情はあるのだろうけれど、とにかく、ヲヅキ本がうれしい。

 インタビューや企画ページも楽しみだけど、ヲヅキ本が出る、とわかった瞬間のわたしのわくわくは「写真集」を見られる、ということがいちばん大きかった。

 わたしが無知なだけだとは思うけれど、ヲヅキさんの「写真」というものが、ぴんとこない。
 舞台写真ではなく、素顔で男役として「作り込んだ」写真。
 そこにドラマのある、ちょーかっこつけた写真。ヅカヲタ以外が見るとプゲラなくらい、「いい年した大人の女が、ナニコレ、かっこいいつもり? ヅカって痛い」と思わせるようなやつ。
 「歌劇」の1枚こっきり、1ポーズで終わりのやつじゃなくて、もっと踏み込んだヤツ。

 ヲヅキさんはなんか、そういうものと無縁なイメージだった。
 かっこいい写真はもちろんあるけれど、「男役」としてではなく、緒月遠麻として撮っている印象。
 舞台の上であんなにも男役なのに。

 いや、舞台の上での男役姿とある意味リンクしている。
 ヲヅキはいい役者であり、舞台人である。でも彼は「主役」ではない。
 スタンドプレイして自分が目立とうとか、この場を圧倒しようとか、そんなことは一切ナイ、気がする。
 役者として、自分の務めを果たすことのみに集中した姿。

 それは、新公主演者のまっつやともちんとは、根っこから違った意識に思える。
 まっつにしろともちんにしろ、劇団からトップ路線としては扱われず、ずーっと脇でやって来た人たちだけど、なんだろう、自分が「主役」をやっていいときの「役割の切り替え」は出来ている気がするんだ。
 舞台の上は経験も必要だから、出来る出来ないがあるとはいえ。
 たとえば、雑誌などのポート。
 この画面では自分が主役、自分のためだけに世界がある、そう割り切ったときの「主役」としての目線。

 まっつたちだけじゃなく、下級生でも主演経験ない子でも、そういう意識を持った子はいくらでもいる。
 だってここはタカラヅカ、みんなまばゆいスポットライトにあこがれて狭き門をくぐってきた、選ばれた人たちだ。
 自分ひとりのポートで、「ヅカファンが見たら『キャ~~っ!!』ってなる」に違いない、「男役」としての狙ったポーズもキメ顔もしてみせる。
 当然じゃん。

 でもなんか、ヲヅキさんにはその当然さがナイ気がして。

 「男役」として作り込んだ連作写真。
 そんなヲヅキを、見たことがナイ。
 わたしの記憶する唯一の機会だった、『ヤングスターガイド2008』でも、ヲヅキは「男役」としてのポートは見せてくれなかった。せっかく、単独とWと合わせて7ページも表現の場があったのに。
 「きれいなおねいさん」としての写真と、「間違ったビジュアル系」写真だけだった。

 主役として、男役として、本気で表現して見せて欲しい。


 今までちゃんとした、まとまった「写真集」を見たことがなかったから。

 ヲヅキ本の冒頭ポートレイト「To somewhere」がうれしかった。
 ヲヅキが、本気で「男役」を演じている!

 そして、実はウケた。

 ヲヅキさん、カメラこっち!!

 すごいのよ、カメラ目線のなさ(笑)。

 歌手役で、ステージで歌っている場面が多かったともちんとは違い、ちゃんと単体写真ばかりなのに、こっちを見ていてもおかしくないデザインとコンセプトの写真が続いているのに……こっちを見ない。
 こっちを見ているモノのほとんどは、表紙も含め逆光で顔がはっきりくっきりしていない、ときた。
 記憶の旅路をめぐっているにしろ、目線の逸らしっぷりにウケた。

 あー、コレがヲヅキトオマなんだなあ。

 ともちんと同じような立場や役割を振られがちな人だけど、ともちんの男役の愉しみ方、ノリノリっぷりと、天地の差。
 ともちんが素顔写真ばかりだったのに対し、ヲヅキはヒゲの扮装写真にめっちゃ力入れてるし。
 あくまでも「舞台の上」の男役がヲヅキのメインなんだなあ。

 インタビューの朴訥さもヲヅキさんらしくて。
 ひとりの演出家とのガチなトークではなく、たくさんの演出家・スタッフからのメッセージ。気取らない、優しい人なんだと伝わってくる……くわえて、なんとも個性的な人だということも(笑)。


 それにしても、ヲヅキさん。
 『ヤングスターガイド2008』がわたし的には納得いかず、とってもハズレな印象だったんですが。
 で、そんとき思ったのが「これってヲヅキの趣味じゃないよな、かなめくんの趣味だよな」。
 タカラヅカ的でも男役的でもない、モードっぽい意識で撮ったテルキタ写真。
 当時、「そりゃかなめくんはこっち系が似合うからいいよ? でもヲヅキは似合わないの、自分が好きなモノじゃなくて、ヲヅキにも似合うモノを選んであげてよ、かなめくん!」と思ったもんじゃった。

 その答えを、見た、気がした……。

 5年の時を経て、同じことやってる……。

 かなめ姫のメイクの腕も、そして世界観のぶっ飛びぶりも、5年分進化してるわ……。

 本人同士はいいんだろうけど、「男役・緒月遠麻」のファンとしては、コレは「見たい」ものだろうか……。
 テルキタで素顔で絡んでくれるなら、本気でハードに「男役」として美しく絡んでくれた方が、わたしはうれしい。
 だってこの「モード系美女」写真なら、ぶっちゃけ退団したあとでもやれるじゃん……。
 『ヤングスターガイド2008』でも見られず、ヲヅキ本でも見られなかった……かっこいい男ふたりのテルキタ。
 他の人がプロデュースしなきゃダメだよ、このふたりの好きにさせたら「きれいなおねいさん」を喜々としてやっちゃうよ~~。
 テルキタは好きだけど、ときどき仲良しの行きすぎっつーか馴れ合い感が残念に映るときがある。
 いや、本気のヲヅキファンにはうれしいのかもしれないので、わたし程度のゆるいファンの、ひとつの感想です。


 ところで、ヲヅキ本だから期待した。というか、無意識に「ある」と思っていた。

 ヲヅキが、きのこの着ぐるみ着て万歳してるんぢゃないの?!

 ヲヅキ本買って最初にしたことは、「カバーをめくる」ことですよもちろん!
 ともち本と同じことをした。

 ええ、ともち本を買ったときの第一声は、

 ともちが、クマの着ぐるみ着て寝転がってるんぢゃないのっ?!

 だったわけで。

 ヲヅキ本のカバー、なんもなかったっす……。折り返しのとこ。まさかの無地。裏表紙の方は、ヲヅキさんの「お言葉」があったけれど。

 ……まっつ本だけなのか……身体を張ってお笑いをしているのは……。ともちんがやらなくても、ヲヅキさんならやってくれるかと思った……。きのこスキーは有名だし……。


 や、わたしはヲヅキさんのお言葉が大好きです(笑)。
 真面目に不器用に、ひとつひとつ踏みしめてここまでやって来た人なんだろうなと思う。
 舞台の緒月遠麻が好き。代えがたい個性、芝居。
 それは、彼自身の姿がにじみ出ているからだと思う。
 植爺公演だと、専科さんやそれに準ずるクラスの役が付く方が、絶対オイシイ。

 ってことで、楽しみでした、新人公演『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』のオッサンズ。

 まず、プロバンス伯爵@翼くん。
 いやー、喋る喋る、いっぱい喋る、台詞のたくさんある役だねー。
 翼くんの声は聞きやすいので、最初の説明台詞も問題なし。
 もちろんまだ若い、軽い声だし姿なんだけど、研5になったばかりの新公なら、十分な出来かと。

 ブイエ将軍@橘くんは、なんつっても「喋りがまともだ」ってだけで、感動。
 本役さんが奇妙な棒読み、長いセンテンスが発声できないらしく変なところで切りまくり、のプロとは思えない喋りなので、「ふつーに発音して、ふつーに喋っている」「ふつーに演技している」だけでも新鮮だった。
 こちらもこの4月から研4になったばかり。かわいこちゃんではなく、ずしっと決めて成長して欲しいと願う。

 ルイ16世@亜聖くん……って、ちょっと待って、キミまだ新公学年だったの? いつも安定の大人役者、まだ新公にいることに驚いた(笑)。
 なんか、二枚目だった。
 最初の場面はともかく、フェルゼン帰国のあたりで、ルイ16世がふつーに二枚目だった。ほほお、いいなそれ!
 どんどんうまくなる亜聖くん、これからも頼みます。

 喋る喋るよく喋る、どんだけ喋るの、というとメルシー伯爵@おーじくん。
 こちらもうまい人なのはわかっているので、「よく喋るなあ」ということにひたすら感心。
 なんとなくおーじくんを見ていると、若い頃のきりやんを思い出す……。
 そしてわたしは、若い頃のきりやんが大好きだった……。
 彼がどう成長していくのか、とっても楽しみです。


 おっさん役のメンバーは、みんなうまい。
 さすがの安定感。


 うまいといえば、ジェローデル@あすくん。
 今回のジェローデルって難しいよね。なにしろ「オスカルは死にました」「こうしてオスカルとアンドレは……」だもんねー。
 しっかり場を吸引する力が必要。ジェローデルがとっちらかっちゃうと、このみょーちくりんな植爺作品自体もさらに収拾が付かなくなる。

 あすくんはきっちり仕事をこなしていた。
 てゆーかかっこいー。美形-。美声-。美アゴー。

 個人的に、オスカル@レオくんに求婚する場面が見たかったなー(笑)。


 ロザリー@あんりちゃんが、意外にうまかった。はまってた。
 わたし、あんりちゃんへの期待値がとても低いもので、考えてみりゃ新公ヒロバウヒロと総ナメしてきた新進スター、これくらいの役が出来て当然なんだけど、彼女の芸幅の狭さとか歌唱力とかに危惧を抱きっぱなしなので、「できてる!」だけで大喜び。
 ロザリーってやっぱ、若い女の子が若さとかわいさでやっちゃう役なんだなあ。
 子役か少女役しかできないあんりちゃんは、その持ち味ゆえに若々しくロザリーを演じていた。歌も大丈夫だった!

 そして、やっぱりあんりちゃんはかわいいんだ。
 美少女現る!って感じが、とてもタカラヅカ。


 最近ますます好みで目が離せないのは、うきちゃん。
 なにしろ役がないもんで、農民役でちょろっと喋っただけなんだけど、……別に、ヘタじゃないよね? ふつーにうまいよね?
 こんなにきれいでかわいくて、芝居もふつーにできるなら、どうして役つかないのかなあ。不思議だわ。

 バスティーユでは人数合わせのためか、男役。
 やだナニあの美青年!! 頬のラインがやさしすぎるけど、お目々ぱっちりですごいきれいなんですけど? ただズボン履いてただけで、男役にはなってなかったけど。
 ソレも含めてステキ。かわいい。


 ソフィア@星南さんは、お化粧がんばれー。素顔はかわいいのに、舞台ではいまいち。なんか険のある、老けた感じになっていた。
 難しいんだな、舞台で美しいことって。
 芝居自体はほんの少し(場面カット)のため、よくわかんなかった……。


 お化粧がんばれといえば、小公子@まからくん。
 なにしろ最初に登場するでしょ、かわいく揺れて歌うでしょ……ううむ、がんばれー。歌はいいとして、あとはビジュアル……。
 衛兵隊もなー。


 アラン@永久輝くんはとにかく、ビジュアルよし!
 真ん中に出てくる説得力がある。

 そしてアルマン@真地くんがんばれー。
 なんかアセアセしているのか? 『BJ』のときの方が良かったような。

 オスカルママ@るりるり、姉@えーちゃん、違和感なし。
 や、るりるりの気合いの入ったカツラが、なんか日本髪みたいだった。金髪の丸髷……みたいな?
 出番少なすぎ。

 デュガゾン@いぶきくん、声を聞けるの貴重だわ。
 目が利くから、怪しさ満載。

 近衛兵@大樹くん、顔芸くどいわー(笑)。はりきってるわー。


 役がないし出番もないし。
 あんまりいろんな子を見られなかったっす。これだから『ベルばら』は……。
 新人公演『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』の主演は咲ちゃん、ヒロインは夢華さん。

 正直言って、このふたりが新公主演する意義を、わたしは感じられません。

 咲ちゃんはこれで5回目の主演っすか。
 『ソルフェリーノの夜明け』『ロジェ』『ロミオとジュリエット』『JIN-仁-』……こんだけやってたらもう、主演しなくてもいいだろうと思ってます。

 真のスターは新公主演1回でも真ん中力や技術、そして人気を得ることができるはずで、そーじゃなかったら、回数重ねるごとに難しくなっていく気がする……。昨今のタカラヅカ。
 観客は「スター誕生!」というイベントが好きなのであって、「いつも同じ人がいつも主役」「応援してもしなくても、魅力があってもなくても、その人しか主役にならない」とわかっていると、ときめかないんだよなー。
 それで伸び悩んだスターさんが山ほどいるのに、まだくり返すのか、劇団よ。

 咲ちゃんはもっと出し惜しみした方が良かったよ。
 『JIN-仁-』で初主演、今回が2回目の新公主演だったら、どんなに良かったろう……。
 足りないまま真ん中をやらせすぎて、ちゃんと実力が付いてきた頃には「スター誕生!」のときめきはまったくなくなっているという。

 もったいないなあ、なんでこんないびつな育て方をするんだろう、と首をかしげつつ。

 すごくきれいだった、フェルゼン@咲ちゃん。

 登場するなり、「うわっ、少女マンガだ!!」と思った。

 アラン役より衛兵隊役より、王子様が似合うんだ!!
 今まで咲ちゃんって、体格の良さもあってカッコイイ系男っぽい系が合うみたいなイメージがあったけど(不良役ばっかやらされてたし)、実は王子様タイプなんだ!
 キラキラ系なんだ!

 いやその、ロミオもやってたけど、当時はまるぷくさんで、今ほどきれいじゃなかったし。いやその、今もまだまだ痩せて欲しいけど。

 登場するなり「王子様キターーッ! タカラヅカキターーッ!」と思わせてくれるのは、貴重。

 金髪巻き毛にパステルカラーの宮廷服が似合うキャラクタは素晴らしいっす。

 『ベルばら』は型芝居、歌舞伎だから、とても大変そうだった。植爺芝居での主演は2回目なのに、やっぱり手こずっていた……そりゃそうだよなー……現代の若者にコレやれって言ってもなー。

 フェルゼンという役はもともとアタマがオカシイので、型芝居や姿の美しさを愛でるのみで、それ以上はちょっと、なんとも言えないっつーか。
 キャラ勝負だよね、咲ちゃんのあったかいキャラクタがにじみ出てて、やさしい風合いになっていたと思う。

 ただ、なにしろアタマがオカシイ役なので、ふつーの人が演じても、脚本のおかしさはどうしようもないなと。
 トップスターが力尽くでねじ伏せる役だもんなー。えりたんみたいな「ファンタジー」さがないために、いろいろキツイ部分はあった。でもそれ、咲ちゃんのせいちゃうし! 植爺のせいだし!

 外見含め、ワタさんのフェルゼンを思い出した。
 丸顔フェルゼンだからかなあ?


 夢華さんは何故、今さら新公ヒロインなんだろう。
 本公演でヒロインを、トップの役を演じた人が、何故今さら新公ヒロイン?
 おかしいじゃん。

 新公は下級生のお勉強の場であり、適性審査の場でもある。
 大劇場の真ん中で1公演ヒロイン演じたんだから、お勉強も適性審査も済ませているでしょうに。

 1公演トップ娘役をやって、向いていないと判断したなら新公ヒロインする必要はないし、1公演まるまるヒロインやってそれでもまだ経験値が足りないっていうなら、ソレもうヒロインの適性ナイってことだよ、たかが1回限りの新公ヒロやったからってどうにもならんわ。

 心から、劇団がナニをしたいのかわからない……。


 1公演まるまるヒロインやった人、トップ娘役ポジをやった人ですから、もちろん、うまいです。
 問題ないです。
 そんなの、最初からわかってる。
 これっぽっちの役割の新公ヒロインも出来ないような人だったら、さらに未熟なときに1公演まるまるヒロイン見せられた客の立場はどうなるんだっつー。

 うまくて当たり前。
 問題は、だから、ナニ? ってこと。

 夢華さんも、あのわけわかんない役替わりヒロインなしで、今ここではじめて新公ヒロインだったら良かったのにね。
 ちゃんとうまくて、体型も整ってきて、その上でだったら、疑問もないのにね。

 ただの脇役として出演していたバウ公演『インフィニティ』で、カーテンが閉まるまで、無邪気な笑顔で床に這いつくばるよーに客席へと手を振っていた夢華さんは、ふつーに下級生の女の子で、ふつーにかわいかった。
 楽しそうで、幸せそうで。
 舞台が好きなんだな、歌が好きなんだな、そう思える、ふつうの若いタカラジェンヌだった。
 あの笑顔のまま、ふつうの下級生スターとして歩んでこられたら、良かったのに。
 わけのわかんない抜擢はせずに。
 劇団ってわかんない……。


 アントワネットという役は、出番もないし二重人格だしで、型芝居や姿の美しさを愛でるのみで、それ以上はちょっと、なんとも言えないっつーか。

 わたしの周囲では、「夢華さんは痩せてきれいになった」と言われているのだけど、わたしにはよくわからない。
 ジュリエットやってたときの方が、かわいかったなあ。お肌ふわふわで。
 ジュリエットという役は、女の子をとびきりかわいく見せる役だしなー。それに比べてアントワネットときたら、ちっとも魅力がわからない役だしなー。

 うまかった、ちゃんと出来ていた、という以外に、特に感想がないっす……。


 わたしは横顔スキーです。
 ジェンヌさんは横顔で判断します。
 夢華さんは横顔が好みじゃないもので、それで点数辛いんですよ……。すんません、いちばんアタマ悪いとこで判断しちゃう人間で。

 高い鼻と、デコとアゴが重要評価ポイント。
 おでこがなだらかなラインを描き、アゴが細く首筋までシャープなラインであること。
 そして、でかくて高い鼻があれば、最強。
 ……けっこー難しいんだ、この好みって(笑)。

 アゴのラインは、大人になると余分な肉が落ちることで好みになってくることがある。
 しかしデコのカタチと鼻の大きさは、持って生まれたものだよなあ。

 夢華さんには是非、シャープなアゴのラインを期待したい。
 ふつーにうまい人だもんな。

 でもやっぱり、劇団のやり方がわけわかんない。
 悪いのは劇団で、夢華さんのせいではないのだとしても、すっきりしないわー。
 新人公演『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』のキャストで、いちばんワクテカしていたのが、オスカル@レオ、アンドレ@ホタテ。
 発表になったときに喜びました。
 ホタっちゃんとレオくんで、「今宵一夜」!! うわソレマジ見てぇ!!(笑)

 最初はネタ的に盛り上がり、次に「ホタテくんのガチなラブシーンが見られる」ことに震撼し。
 ホタテくんの最近の芸風から、超二枚目、超ラブシーンってのは、なかなかにレアだと思って。

 わたしはホタっちゃん、二枚目だと思うんだけどなあ。
 今は頬のラインが丸いけれど、大人になれば美しい男役になると思う。あの顔立ちのくっきり具合は。雪組では体格的にも問題ないし。

 実際、アンドレ役はちゃんとうまくて、よくやっていた。出来ていた。

 でも。
 観劇後の友人の言葉、「私がアンドレに求めているのものは『格好良さ』か『エロさ』、だからこのアンドレはチガウ、どっちもナイ!!」に、異論は唱えられませんでしたのよ……。

 アンドレは「タカラヅカ」のヒーロー、歴代トップスターがやって来た役。『フェルゼン編』のアンドレだから、主役じゃないから、は言い訳にならない。歴代『ベルばら』の名場面をそのままやるんだから、ちゃんとヒーローでなくてはならない。
 トップスターがやるに相応しい役としての、「格好良さ」。シンプルに二枚目で、「うわっ、あの人ステキ!」と思わせる美形っぷり。
 そして、名場面としてラブシーンを演じる、ときめき感。見ていてドキドキするという意味での、「エロさ」。

 安定感あって、包容力のあるアンドレだったけど……ヒーローとして、タカラヅカのトップスター的な格好良さがあったかというと……えっと。
 また、恋愛度は薄く、ドキドキしないというか、エロさは感じられないラブシーンだったなあ、とか……えっと。

 うまいんだけどなあ。
 男役として、十分カッコイイ人だと思うんだけどなあ。

 どさくさにまぎれて新公主演してくれてもうれしいのにな、とか思ってるんだけどなあ。
 でも……彼の真骨頂は、こういう役割ではないのかもしれない。

 そう思えるアンドレだった。

 だからこそ、わたしはホタテくんが好きなのかもしれない。
(まっつの新公主演を観て「地味過ぎ、真ん中向いてない」と一刀両断した過去アリ。……まさかその1年後にまっつオチするとも思わずに。つまり、そーゆー人こそが好みらしい)


 で。
 うまくて頼もしいけど、なんとも地味で色気がないんですけどこのアンドレ……と首をかしげているところへ、加えて。

 レオくんが、オスカル。

 いやあ、ほんと、レオくんって、うまくならないね(笑)。

 芝居の残念さは翔くんと張るかもしれない……。

 わたし以前、「オスカル役は、比較的簡単」みたいなことを書いたことがある。
 男役を極めたトップスターさんが、男役人生をぐるっと一回りした上で演じるオスカルは、とても難しいのだと思う。
 でも、そもそも「男役」になれていない、リアルに「男装したオンナノコ」が演じる分には、難しくない。
 素のまま、男役になれないままやっちゃっても、なんとなく格好は付くから。
 だから芝居はなんとかなる、ならないのは、外見。
 「男役」になれていない、ただのオンナノコだから、ほっぺもお尻もまるまるぷくぷく。そしてオスカルのカツラも衣装も膨張色で、身体のライン丸見え。
 芝居よりも、まるぷくした外見の方が、大変。

 そう思ってたのに。

 レオくん、反対(笑)。

 最初にオスカルが登場したときに、思った。
 うわっ、オカマ!(笑)

 すごいよレオくん。
 まだ研6なのに、女装すると、オカマに見える。

 オスカルがオカマに見えるなんて、なんて素晴らしいんだ。

 だから、男役を極めたトップスターさんが、男役人生をぐるっと一回りした上で演じるオスカルは、とても難しいのだと思う。
 でも、まだろくに男役が出来上がっていない下級生が演じる場合、もともと女の子なんだから、女の子の役は出来るだろう、素のままで。

 新公オスカルなんて、ふつーにきれいな女の子になるでしょ、本来なら。

 なのに、女の子でありながらオカマに見えるって……どんだけ男役度高いん。
 素晴らしい。

 とまあ、外見はステキに男役。凜々しいオスカル。

 しかし、芝居が……。

 「男装したオンナノコ」まんまでよし、スキルが低くてもなんとかなるよ、てなもんなのに……なんとかなってない!!(笑)

 えーと、レオくんソレ、オスカルちゃうよね……? 男装の麗人でも軍人でもなく、ただのオンナノコだよね……?
 でも、顔はオカマ。

 いやもお、面白すぎだ。

 ほんっとにいつまで経ってもうまくならないなあ、レオくん……。
 本公演の衛兵隊でも、よそ見してても彼が喋るとわかるもん、「今のへたっぴな台詞はレオくん!」と。

 彼の場合、声が悪すぎて、芝居以前の話になっちゃうんだよね。
 少しも早く声変わりを。

 オスカルがとってもギャルギャルしたオンナノコで、アンドレはなんかみょーに落ち着いたおとーさんで。

 このふたりの食い合わせの悪さに、ウケる。

 オスカルがもう少しうまい人だったら、アンドレにもう少し色気があったら。
 いろいろ違ってきたんだろうなあ。


 にしてもわたしは、レオくんが好きなんですが。

 顔が好きなので、七難隠しまくりです。

 わたしは横顔スキーです。
 ジェンヌさんは横顔で判断します。
 レオくんの高く大きな鼻は大好物です。(ホタテくんの鼻も好きですわ)

 レオくんの愛称がカリということは知っていますが、わたしにとってカリさんは杜けあき様なので、カリくんとは呼べず、しつこくレオくん呼びしてます。
 顔が好きなので、眺めているだけで楽しいジェンヌさんです。つか、声を出さずに黙って踊っているときがいちばんカッコイイしな。

 姿はほんっとに好みなので(小柄なところも含めて!)、あとはほんと、うまくなってほしいっす……。


 あと、ホタドレとレオカルいう配役で、ネタ的にときめいたのは。

 本役さんとの関係、どうですか?ってこと。

 えー、まつださんがホタテくんを手取り足取り教えたんですかね。
 「今宵一夜」も?

 ちぎくんがレオくんを手取り足取り教えたんですかね。
 「今宵一夜」も?

 てゆーか、相手役チェンジして教えたり、しなかったのかな?

 つまり、まつドレが、レオカル相手に「今宵一夜」。
 ちぎカルが、ホタドレ相手に「今宵一夜」。

 まつ×レオ(まっつが右かな?)は大好物です。(あすくん絡むとさらに好みです・笑)
 またしてもまっつが、レオくんの手を握って「がんばって」とか言ってくれていいです。

 それから、ホタテマン×ボスはトキメキです、少女マンガです。『探偵SAGIRI』続編希望です。

 新人公演、アンドレとオスカルだけで、こんだけ楽しいです。
 新人公演『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』を観て、ショックだったことがひとつあります。

 『ベルばら』の新公なのに、構成が良くなってなかった!!

 植爺作『ベルばら』は、最悪です。間違いまくってます。
 必要な場面・台詞がなく、不要な場面・台詞や、マイナスな場面・台詞ばかりあります。
 それが植爺なので仕方ないです。宝塚歌劇団が衰退するとしたら、こんな演出家を野放しにしている結果だろうなと諦観するほど、どうしようもないことです。

 だからこそ、新公には希望があります。

 新人公演は、2幕モノの本公演を、1幕分に縮めて上演されます。
 「時間がないから、仕方ないんだよ」という大義名分をもって、植爺の最悪作を改編できるんです。

 このままでは国は滅びる……そうわかっていても、誰も暴君に意見できない。彼の非道を見て見ぬフリをしている。
 でも、新公だけは小さなレジスタンス、「本当は、王が非道だとわかっている、我らも疑問は持っている、ただ、言えないだけなんだ」と臣下たちが国民に良心を示すことが出来る場。

 つまり、ここはいらねーんだよ!という場面や台詞のばっさりカット、ここは間違ってるんだよ!という場面や台詞の訂正などが、大手を振って出来る機会なんだ。

 植田大先生様の作品を一言一句変えずに上演したいですとも、しかし時間的に許されないので血の涙を流しながらカットして変更しているのです……くくく。
 てなポーズを取りながら、容赦なく。
 植爺は自作を切り貼りされて別モノにされてもどーせ気づかない。気づくことができるなら、あんなひどい作品を平気で板に載せていない。
 その程度の人なんだから、新人公演は好き放題、どんどんやっちくりぃ!!

 少しでもまともになった、少しでも観やすくなった『ベルばら』を観られる。
 それが、新人公演の楽しみのひとつ。


 なのに。

 今回の雪組新公は、良くなってなかった。
 駄作は駄作のまま。

 作品の底上げナシに、植爺の超駄作で時代遅れの植田歌舞伎演技押しつけですよ。
 やる方も大変だろうけど、観る方もつらい。

 がっかり。

 月組の『オスカルとアンドレ編』新人公演はよかったのよ。間違っている部分を潔くカットして、別モノにしてあった。それがすごく気持ちよく、ストレスのない『ベルばら』になっていた。
 だから『フェルゼン編』もまともになるかと、ひょっとしたら、なってくれるかと、あわい期待をしてたのにー。ちぇっ。

 『フェルゼン編』『フェルゼンとアントワネット編』と、「フェルゼン」という人物を主人公にした作品で、いちばん間違っている場面ってどこだと思う?
 原作にもなくて、キャラクタを破壊していて、ストーリー上不要で、単純に画面としてもつまらなくて、芝居としてもミュージカルとしても意味のない場面。
 間違いなく、メルシー伯爵のお説教とフェルゼンの逆ギレ場面だよね?

 原作ではフェルゼンは自ら身を引くので、誰かにお説教されて気を変えたりしない。だからもちろん、メルシー伯爵がフェルゼンにお説教したりしない。
 そしてフェルゼンはもちろん、正しいことを言う目上の人に逆ギレして罵ったりする人ではない。
 原作にないことをわざわざやって、しかもキャラクタが破壊されまくり。このやりとりがあるためにフェルゼンのキチガイ度がうなぎ上り、主人公なのにまったくかっこよくない、むしろ人として最低。
 と、ストーリー上不要な上、単純に、場面としてつまらない。だだっぴろい舞台でふたりがえんえん立ち話するだけ。しかも意味のない説明台詞の羅列、目も耳も心もまったく楽しくない。さらに、めちゃくちゃ長い。

 まちがいなく、この場面が作中「いちばん間違っている場面」だ。

 だけどこの最悪な失敗場面こそが、植爺のちょーお気に入り大切場面なんだと思う。

 フェルゼンが主役のバージョンでは、絶対になくてはならないんだ。
 他のどんな場面が変更になり、時代と共に変わっても、ここだけはそのまま入れなくてはならないんだ。
 だって、これこそが植爺のこだわりだから。

 愚かな若者を、えらい年寄りが諭す場面。主人公よりもすばらしい年寄りが出てきて、尊敬される場面。
 メルシー伯爵は別に年寄りではないと思うんだけど、ヅカでは老人っぽい役作りなので。アンドレと同い年のルイ16世もまた、年寄りに描かれているよねー、そして愚かな若者(フェルゼンやアントワネット)よりも「人格者」として描かれるよねー。

 こーゆー見方こそ愚かだと思うけど、植爺アレルギーのせいでわたしは、とーっても悪意的に見てしまうの。
 「尊敬される老人」「えらい老人」に、自分を投影しているんじゃないの?と。

 アホな若者を諭すメルシー伯爵、その人格者っぷり、慈愛と聡明さにうっとり、それも何十行もの台詞と豪華な衣装(植爺の価値観)で広い舞台をトップスターとふたりきりで使う、それらすべてが、植爺のエクスタシー。

 自分がもっとも快感を得る場面だから、いちばん大切な場面。
 植爺が生きている限り、この場面がなくなることはない。
 断頭台のラストシーンがなくなる日が来ても、メルシー伯爵のお説教がなくなる日は来ないんじゃない?

 それくらい、あきらめてる。
 フェルゼンが主役だと、この場面が絶対にあるって。
 客観的に見ていちばんいらない、百害あって一利なしの場面だけど、これこそを作者が描きたがっているんだから、仕方ない。

 2幕ものを1幕分に削って、下級生たちの勉強の場であるはずの新人公演の、意義を捨てても冒涜しても、下級生たちのためになる場面、意味ある場面を削ってでも、この場面は全部入れなくてはならない。

 2006年の『フェルゼンとアントワネット編』が、そうだったんだよ……。
 『フェルゼンとアントワネット編』は本編がかなりいい出来で、あとは不要な部分を削りさえすれば、「人様にお見せできる『ベルばら』」になるところだったんだ。
 新公ならば不要なところを削ってくれると思ったのに、他はいろいろ削ってがんばっていたのに、いちばん不要なメルシー伯爵のくだりだけは手つかずで全部入ってた。

 新人公演でも、絶対に削ってはいけないんだ。もっとも大切な場面だから。

 いちばん間違っている場面を、絶対に削ってはならない、新人公演。
 1幕の短縮版なのに、いちばん長くて間違っている場面がそのまま。
 それじゃもう、どうあがいてもまともな作品になんか、なるわけない。

 仕方ないよね。
 うん、わかってた。

 わかってたけど、せめて他の細かいところは微調整して欲しかった、『オスカルとアンドレ編』新公並みに。

 他のひどいところもほとんど手直しナシで、ひどいまま、場面数だけ減らして上演してた。

 たぶん、本公演自体が、特出版と雪組版でひどい作り(2バージョンやるために、構成めちゃくちゃなまま放置)だから、新公でもどうしようもない、って、最初から投げてるのかなあ。


 月組新公は「明日から新公バージョン上演して、2幕はショーにしようよ!」と思えたけど、雪組新公はそこまで思えなかったわ。そりゃ、ショーがある方がいいに決まってるけど。

 ほんと『フェルゼン編』ってひどい。
 わかってたけど、苦笑いした。
 かなとくんが、すごかった。

 新人公演『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』において、いちばんに語るべきは、彼でしょう。

 ベルナール@かなとくんが登場すると、「スターが登場した!」と思える。

 うまいわ美しいわ力強いわ。

 カーテン前で説明台詞を喋るだけなのに、「スター」としての貫禄があって、対するオスカル@レオくんがへなちょこ(笑)なこともあってか、堂々たるものでした。

 特に、後半の民衆場面が……!!

 2幕を1幕にまとめての上演なので、本公演からあちこちカットしてある新人公演。本公演は通常版と特出版と2種類あり、基本「どちらかにしかナイ場面は、最初からなくてもかまわないモノ扱い」でした。
 とーぜんだわな、通常版でなくてもかまわない場面は、そもそもいらない場面だし、特出版になくても問題ない場面は、そもそもいらないってことだし。
 なのにその「基本」を曲げて、唯一「特出版演出」があったのが、民衆場面です。

 つまり、ベルナールに、ソロがあった!!

 通常版ではコーラスでしかない場面、カーテンが開いて民衆のセンターにいるかなとくんを認めるなり、わたしは内心祈りました。
 歌を! 歌を聴かせてくれ!!

 かなとくんは歌ウマさんです。歌える美形なんです。
 本公演がソロ歌カットだからって、ソレに倣わないで。歌ウマさんに、歌を披露する機会を……!!

 短いソロだけど、それでも彼がひとりで歌い出したとき、心の中でガッツポーズしました(笑)。
 これが見たかったのだと。

 センターで民衆を率い、ひとり歌うかなとくんは、「スター様キターーッ!!」感に満ちあふれていました。

 なんか、いろいろ感慨深かったっす。

 ついこの間、同じ演出で月組『オスカルとアンドレ編』の新人公演も観たわけです、この民衆場面。
 センターでソロを歌うのはベルナール@ゆうまくんでした。

 あー……かなとくんとゆうまくん。文化祭で、同じ役やってたよねええ?
 そのふたりが、またこうして同じ役を別の舞台で演じている……じーーん。

 文化祭の演劇は2グループ制なので、1回だけだとどちらか片方のキャストしか観られない。わたしが観たのは、かなとくんの方。
 イケメンだったし、芝居もふつーにうまかったので、記憶に残った。

 次にかなとくんを意識したのが、新人公演『ソルフェリーノの夜明け』。
 おじさん役がめちゃくちゃうまくて、度肝を抜かれた。
 研1でこのうまさって……!!、と。

 でも、ゆうまくんほど役はつかず、次にばーんと目立ったのが新人公演『ドン・カルロス』、異端審問官。
 美形で歌ウマを遺憾なく発揮(笑)。異端審問官がトート様みたいな美形でいいのかって、そっちの疑問を残しつつ。

 本公演でも別箱公演でも目立つ役はつかないけれど、ぐるっと回ってまた、ゆうまくんと同じ役かぁ。

 これから彼がもっと活躍してくれるといいなあ。
 とにかく本公演でもどこでも、美形さで目を引くんだもの。そして、顔だけでなく、ふつーにうまいんだもの。どうかもっと出番を……って、あ、ダンスは苦手でしたっけね、彼? どんくさい場面を何度か目撃していますが……?(笑)。


 とまあ、かなとくんから語りましたが。

 今回の新公の、わたしのお楽しみはなんつっても、ホタテくんとレオくんです。

 アンドレ@ホタテ!! オスカル@レオくん!!
 このふたりで「今宵一夜」!!(笑)
 ……すみません、語尾に(笑)が付きます(笑)。

 タカラヅカは愛を歌う劇団ですが、限られたスターさん以外、舞台で愛を歌う機会には恵まれません。
 路線ど真ん中を歩かないと、ラブシーンも相手役もないわけです。

 我らがホタテマンはその学年離れした実力と愛らしいキャラクタによって、舞台でもスカステでも注目されてきた人ではありますが、なにしろ、「路線スター様」ではない。
 おっさん役、じーさん役はそつなくこなしても、マジな二枚目役だとか、本気でラブシーンだとかは、なかなか縁がないのです。

 ホタテくんのラブシーンって、過去にナニがありましたかね……?
 わたしが彼を認識したがあの『忘れ雪』っすよ。たぶん彼が最大の太り方をしていた頃。あまりに太いので、友人が葵吹雪タンと間違えて観ていたのは、しょっぱい思い出。
 次が新人公演『ZORRO 仮面のメサイア』で……妻@みみちゃんはいたけど、なにしろ喋らない役だったしなー……。
 そっから先は「雪組ぷくぷくトリオ」認識でナニをやっていてもわりと見失いがちというか、トリオの見分けがあまりついてなくて、でかくてまんまるの男たちはトリオの誰か、程度で意識終了。
 個性が見えてきたのが、新人公演『ソルフェリーノの夜明け』。まるぷくトリオの中で、いちばん好みの顔と芸風だと判別。……エクトール先生役も、ヒロイン@あゆっちに惚れていて告白もしていたはずなんだが……言うだけ言ってダメならすぐ引いちゃう物わかりヨシな人で、そもそも作品自体あんまりラブもないもので。

 新公や別箱で二枚目系っつーか路線系の役をもらっていたのはこのあたりまで。
 こっから先は別格一直線……だよな?
 おっさん役、じーさん役、個性的な役……。
 そして、この別格的な役割になってから、彼の評価はうなぎ上りだったよな?
 あれ? 路線役の頃は見分けがついてなくて興味もなくて、路線役を演じているときに好みかも?と思った途端、別格へシフト……って、……わたしの好みセンサーが正しく動いたのか……。

 まあともかく、タカラヅカのガチ美形役、本気でラブシーン、を演じるホタテさんは、今までの彼の歩みから想像が付かず、いちばんの興味はそこにありました。

 しかも相手、あのレオくんだし(笑)。
 まあその、レオくんのことは置くとして、ホタテアンドレ。

 もちろん、うまかった。

 安定力ハンパねぇ。
 もともと実力もあるし、舞台の重鎮役をこなしてきたキャリアもある。準主役だってまかせろ!ですよ。

 その延長線上にある、アンドレでした。

 オスカルのことを見守っている、包容力の面では、実に力強い。
 ただ……。
 「恋愛」としての色は、どうかなあ??
 愛しているのはわかるけど、恋、はしてないんじゃ……?

 ぶっちゃけ、ラブシーンの必要性が薄いアンドレでした。

 オスカルへの思いは「愛」であって、肉欲を伴った「恋」ではなさそう。
 「今宵一夜」も「恋愛」ゆえに、って感じが少ない。
 
 原始的な衝動だけで行為に移るわけじゃないんだから、包容力や保護使命感からでもいいとは思う。
 ホタドレに感じたトキメキは、「素敵な異性」への「恋」ではなく、「こんなに大きな人にすっぽり守ってもらえる」という、「父性」へのトキメキでした。
 女子高生がうっかり一回り年上の教師に恋するような、そんな感じ?

 レオカルさんがまた、きゃぴりんした女子だったので、余計に女子高生と大人……。
 『ME AND MY GIRL』について、あれこれ。

 コマくんが、月組だ。

 月組の舞台にいるコマつんを見て、なんだか不思議なキモチになる。
 ほんとにもう、月組なんだね……。

 今雪組は『ベルばら』をやっていて、きんぐやがおりも舞台上では行方不明、どこにいるのか初見ではわからなかったりする。だからコマくんを見つけられないのもそのせい、コマくんはまだちゃんと雪組にいるんだよ……そんな気持ちも、無意識に、どこかにあったのかもしんない。

 月組にいるのを見ていてなお、実感がわかない。

 ヘザーセット@コマつんがもお、いい男で。
 コマくんほんと、きれいになったなああ。
 新公でオスカルやトートをやってたとき、これくらい痩せてればなああ。あのころは、ハマコ的で……えーとえーと。

 なまじ美少年だったから、早くから抜擢されてたもんなあ。
 本当は、大人になってから花開くタイプだったのかも。

 コマくんの持つ、あたたかさとみょーなおかしさ。
 それのある執事役だった。

 パーチェスター役が心から楽しみ。


 ……ただ、やっぱり、扱いというか立ち位置的には、胸が痛い。
 組替えしていったのに、この扱いなのかと。

 フィナーレに出てこないとか、心が冷たくなったよ……びびったほんと。


 ジェラルド@みやるりは、いい仕事しているなと。
 てゆーか、ジェラルドがアホでもヘタレでもないっ(笑)。

 頼りなくはあるけれど、アリな範囲ですよ彼。おぼっちゃまとして、ぜんぜんOKでしょ。

 あひくんがほんと、すごかったからなああ。ほんとに、芝居のできない人だったからなああ。


 パーチェスター@マギーを見るのははじめて、のはずなんだけど、何故だろう、「知ってる」感満載だった。

 パーチェスターは色男でなきゃ!!と、しみじみ思う。
 ミサノエールのパーチェスターをdisるわけではなく、タカラヅカ的に色男が、完全なビジュアルの上でかわいく愉快に演じるのはアリだと思うのよ。

 マギーはマジかっけー。

 そして、「歌がうまい気がする」感じが、すげーなと。
 別にうまくないのに、彼があのものすげー音量で歌い出すと、達者であざとい芸風と相まって「実力者キターーッ!」「歌ウマさんキターーッ!」なキモチになる。錯覚する。
 そして、しばらく聴いて、「あ、やっぱりうまいわけじゃない」と気がつく。

 わたしが単純なだけか?(笑)


 ジャッキー@かちゃが、不思議なほど……その、苦手な女性だった。

 今までジャッキーをどうこう思ったことがないので、びっくりした。
 金髪お色気美女、海外ミュージカルに出てくる記号的存在なので、気にしたことがなかった。
 娘役がやると生々しいので、男役がオカマ風味にやるのが正しい!と思っていることぐらいで、それ以上は特にナニも。

 なのに、なんか苦手だった。
 ジャッキーには「愛らしさ」が必要なんだと思う。
 打算的で浅はかなお馬鹿さん。「トップに登るわ」と歌い、金の切れ目が縁の切れ目、ジェラルドを捨ててビル@まさおに乗り換える。サリー@ちゃぴを愛しているピルを、色仕掛けで落とそうとする。なのに、殴られただけでお色気声を出して、ジェラルドに心変わり。
 こんな、「女の嫌な部分」を前面に出す役、愛らしさがないと、無理。

 かちゃ自身はかわいらしい人だと思うんだが。
 今までもさんざん女役をやって来ているし、プロポーション抜群だし、かわいいジャッキーになるだろう、見るまでもナイ、ぐらいに思っていた。

 そーいやエリザベート役も、あまり愛らしさは感じなかったか……。

 かちゃは男役をやっているときの方が、素のかわいらしさが出てイイんじゃないかな。
 ジャッキーは……なんか、ちがった。わたし的に。


 思いがけず「いい女」だったのは、ブラウン夫人@るうくん。

 配役知らなくて、思い切り、2度見した(笑)。

 うわー……ふつーに「女性」だ……るうくんなのに……。


 上演時間が3時間15分もあるんで、ナニゴトかと思ったら、ガチでフィナーレが付いていた。

 ロケットがナイだけで、ふつーに大劇場版。

 つか、紗幕の向こうに階段が出てきたときは、笑った。

 すげーー!! 中階段キターーッ!!(笑)

 で、デュエットダンスもするし。
 めっちゃ本公演風。

 楽しい楽しい、お得感満載!!


 2008年版がやたら思い出されるんだけど、あのころまさおは、モブのひとりだった。テニスウエア着て踊ってたっけ。
 みりおくんは役替わりでジャッキーを演じる、堂々たるスターだったのにね。

 よかったね、まさおくん。


 組長副組長の再婚お披露目公演なのもいいけど、ジョン卿@マギー・コマ役替わり、マリア@みくちゃんで見てみたかったなあ、とは未だに思う……。
 月組梅芸『ME AND MY GIRL』初日に行ってきました。

 缶バッチはまさおくんの赤ドット、友人からコマくんのタータンチェックもいただいたので、一気に欲しいモノ全部揃った感じ!(笑)
 あとはキューピーも欲しいよな……どうしたもんだか。

 『ME AND MY GIRL』は好きじゃないです。苦手です。

 でも、楽しかった!


 四の五のゆーてますが、それでも観れば楽しいのが『ミーマイ』。
 『ベルばら』と同じで、贔屓がモブで出ている、贔屓には出番も見せ場もない、これに二桁通わなくてはならない、と思うと苦痛だけど、よその組でやっているのをお祭り気分で観に行く分には十分楽しめる。

 「今宵一夜」って変だよなー、なんであんなポーズ取るの? とか、毒殺未遂ってなんだよこのストーカーが! とか、文句言いつつも名場面を楽しむ、あの感じ。

 好きじゃないけど、少なくとも、嫌いとまでは思わないし。苦手だけど、逆鱗とまでは思わないし。植爺『ベルばら』と違って!
 『ベルばら』よりは観やすい。


 作品の限界はわかっているので、あとはキャスト次第かな。


 とりあえず、サリー@ちゃぴが、かわいい。

 このサリー好きだ~~。


 そして、自分でもちょー意外だったことに。

 マリア@トウカさんが、良かった。

 最近めっきりトウカさんが苦手で、マロン・グラッセ役なんて、誰がやってもひどいことになるのわかっていながら、やっぱりもー心からダメで。
 トウカさんが準ヒロイン、トップとトップ娘役の次にオイシイ役をやるんだとわかったときから、テンションダダ下がりでしたの。

 でもでも、すっごくよかったの。ごめんトウカさん。


 作品はもうわかっている。
 だからもう、あとはキャストの好みの問題。

 2008年の『ミーマイ』本公演がわたし的にしっくりこなかったのって、サリーとマリアが原因だったんだ!
 目からウロコ。

 かなみちゃんのサリーは、うまかった。とにかくうまくてかわいくて、すごくよかった。
 でも……「タカラヅカ」じゃなかった。

 あさこちゃんと絡んでいるときはいいんだけど、ひとりで歌い出すと「ミュージカル」になっていて、「タカラヅカ」じゃなかったんだ。わたしには、そう思えた。
 かなみんはもう、タカラヅカの人じゃないんだな……そう思えて寂しかったっけ。

 ビルといるときと、ひとりで「名曲披露」としているとき、サリーのキャラがブレ過ぎていて、その都度感情移入が断ち切られた。

 どんだけ単体でうまくてもきれいでも、舞台ではそれだけではダメなんだ……。


 ちゃぴちゃんのサリーは、そういう「段差」がなく、いつも「サリー」だった。スムーズに、引っかかることなく見ていられた。感情移入が途絶えなかった。
 だからもお、彼女がかわいくてかわいくて、感情移入して切なかった。泣けた。

 声もきれい、歌もうまい。
 芝居から歌、歌から芝居も違和感なく楽しめた。

 このかわいい女の子を本気で愛している、ビル@まさおがすげーいい男に見えた。
 サリーに幸せになってほしい、そう思うからこそ、ビルが真顔になる瞬間に、ドキドキした。そうさ、そうやってサリーを守れよ、幸せにしろよ。

 やっぱヒロインは重要だよ。
 主人公の男を上げるのも下げるのも、ヒロイン。


 そして、2008年時のマリア@タキさん。
 素晴らしい歌唱力、演技力。群を抜いた実力。
 それはわかっている、知っている。

 でもわたしは、タキさんが苦手だった。

 この人が「トップスターの次」の役をやるのは、「タカラヅカ」じゃないと思う。
 『ミーマイ』の役の比重って、ビル>サリー>マリア>ジョンだよねえ?

 どんだけすばらしい役者さんだとしても、ごめん、苦手だったんだ。
 脇役さんとしてならとても頼れる人だし、出演はありがたいけど、準主役として2番手スターとラヴシーンをして欲しい女役さんではなかった。


 タキさんでなくても、マリア役を専科のお姉様がやるのはチガウと思っていた。
 外部なら「ばあさん」と呼ばれる役を年配女優がやるのは正しい。年配女性がウエディングドレスを着るに至る、ハッピーな物語にときめく。
 だけどここはタカラヅカで、タカラヅカでは専科さんが準主役をするのはチガウと思うの。
 タカラヅカにはスター制度があり、ピラミッドがある。それをないがしろにして欲しくないの。

 だから、とてもチャーミングなマリアだったけど、2009年の花組で、京三紗さんが、花組2番手スターだったえりたんや、3番手スターだったみわっちとラブシーンをして結婚式を挙げるのは、チガウと思ったの。

 マリアに納得できないと、『ミーマイ』という作品自体に納得できなくなる……。

 普段「大人のジェンヌが好き」と言っているのに、「女を若さだけで評価する風潮が嫌い」と思っているのに。
 ダブスタになるかもしんないけど、マリアは、若くて美しくないと嫌だ。

 バランスの問題だ思う。
 これが本当に、役通りの年齢の役者で演じている劇団なら、「ばあさん」と呼ばれる役を、若く美しい女優にやれとは言わない。本当に白髪の老婦人に演じて欲しいと思うだろう。
 でも、他の老人役・中年役をみんな若い人たちでやっているのに、マリアだけ役に近い年齢の役者が演じているのは……変。


 ジョン卿を、若く美しい2番手スターが演じる劇団なんだ。
 何故その相手役が、専科さんなんだ。
 タキさんは専科さんではなかったけれど、専科を経て月組組長になった人だし。


 てことで、マリアがトウカさんで、良かった。

 トウカさんは副組長、副組長が準主役をやるのはどうかと思う。ジョン卿を組長がやるのはどうかと思うのと、同じように。

 でも、どっちの役も専科さんがする可能性だってあったわけで、それよりは組内の「若い」管理職がやる方が「タカラヅカ」だと思う。

 ちゃんと大人で、美しいマリアだった。
 毅然として筋の通った女性だった。

 トウカさんのやり過ぎ……というか、押しつけがましい芝居を苦手に感じており、今回もそれを危惧していたんだけど、んなことぁーなかった。
 タキさんが焼き付いているせいもあるかもしんないけど、慎ましいマリアだったよ~~。
 2幕、彼女の心の傷を思って泣けたわ。

 まさおビルはそりゃあ容赦なく、マリアを傷つけたんだろうなあ……。
 サリーがいなくなったのをマリアのせいだと、責め立てて。

 多くは語らない、だけど苦しんでいる。傷ついている。
 それが、よくわかった。

 ……もんで、ジョン@越リュウの無神経さが腹立たしかった(笑)。
 マリアに意趣返ししているわけだけど、ここまでマジで傷つけていいのかよ、元凶のお前がドヤ顔でプロポーズってなんだソレ……!
 と、マリア贔屓に見ちゃったよ(笑)。

 マリアを好きだと、こんなに楽しい作品なんだな~~。


 いやあ、ドキドキして楽しくて、泣けてほっこり終わる、いい作品でした。
 年寄りなので、愚痴が多いのです。
 『ME AND MY GIRL』という作品について、ぐちぐちこぼしたいと思います(笑)。

 まずわたしは、何故『ME AND MY GIRL』を再演するのか、そこから不思議でなりません。

 なんか、宝塚歌劇団って、『ME AND MY GIRL』ばっかしやっている劇団な気がする……。
 『ベルばら』本編が2006年から7年ぶりなのに、『ミーマイ』は2008年に兵庫・東京・福岡の3都市でやって、2009年にも梅芸でやってるんですよ。
 毎年『ロミジュリ』!!……に次ぐ再演率の高さですかね。

 1987年の初演が素晴らしい出来だったこと、1995年の人気絶頂天海祐希の退団公演でこれまた超絶人気公演だったこと、13年ぶりの待望の再演だった2008年がこれまた人気公演だったことは、理解しています。

 でもさあ、もうやらないと思っていたよ。
 理由は、鳴り物入りで再演した植爺の『夜明けの序曲』と同じ。
 初演は時代もあって人気公演だったのかもしれないけど、現代に再演したら客から求められなくて、集客がさんざんだったよね?

 13年ぶりだから喜ばれた『ミーマイ』。
 それでちょーしにのって同じ年に博多座で再演、翌年に梅芸で再演したら……超満員の人気公演!に、なったか?


 初演が素晴らしかったのだとしても、現代ではあまり求められていないのではないのかな?
 著作権が厳しくて、ずーーっと映像ですらろくに見ることが出来なくて、まさに「幻の」作品だった。
 それが解禁された、という事情もあって、「13年ぶりの再演」は喜ばれたのではないかな。

 いつでも見られる、しょっちゅう再演される……というレア感のない扱いだと、ヅカファンのニーズには合っていない作品じゃないのかな?

 だってさあ、この作品って「タカラヅカ」に合ってるか?

 主人公とヒロインが一貫して愛し合っているのも、準主役の年配カップルが30年だっけ?掛けて結ばれるのも、ヘタレお坊ちゃまとお色気打算女が結ばれるのも、愛がある、という点では「タカラヅカ」だけど。

 主役カップルに愛がある、それ以外ナニも「タカラヅカ的」じゃない。

 主人公は若くてイケメンかもしんないけど、サムいギャグを連発して滑稽な態度をとり続けるし、ヒロインは若くてかわいいのかもしれないけれど、下品さと低脳さが売りだし、2番手役はギックリ腰(脚が動かなくなるんだっけ?)の老人設定だし、その相手役は「意地悪ばーさん」だし、弁護士は三枚目のおっさん、お色気美女はよくあるのーみそ空っぽのアホ女だし。
 役らしい役は、これだけ。ヘタレお坊ちゃまは主要キャラに数えるほどでもないし。

 キャラクタたちはみんな、「タカラヅカ的」じゃない。

 で、それ以外が……マジに、役がない。
 舞台にも、出てこない。見せ場がない。

 これが、致命的だと思う。

 今、植爺の『ベルばら』を観ているもんで、ほんっとに痛感する。
 出てこないんだもの、舞台上に。
 どんな扱いでも、とにかく舞台の上にいるなら、楽しみを見つけられるのに。

 で、少ないモブ場面は、場面としても役としても「ふつー」で、「カッコイイ!」と思える見せ場ではない。
 名もなきモブだとしても、「場面」がカッコイイなら、そこでカッコイイ姿を見られるなら、ヲタはそれだけのためにテンション上げて通うことが出来る。
 ……でもそれも、ない。

 2幕ラストの「ランベス・ウォーク」ですか? 楽しい場面だけど、別にカッコ良くないよねえ?
 場面としていいのではなく、あくまでも作品として、ストーリーの中で意味のある、楽しい場面だと思う。タカラヅカ的に「カッコイイ!!」と高揚する場面ぢゃない……。
 贔屓の見せ場が「ランベス・ウォーク」だけだったらわたし、とても通えないわ……。


 魅力的な役がたくさんある、役は少なくても脇にもいろいろとオイシイ役割や見せ場がある、役はなくても舞台上にたくさん登場する、たとえモブでも「カッコイイ!」と心震える場面が複数ある……ヅカで求められている要因って、そーゆーもんじゃないのかな?

 イケコ作品がとりあえずタカラヅカで人気なのは、そーゆーことなんじゃないかな?
 ストーリーが破綻していてもキャラクタがぺらっぺらでも、とにかく主人公がかっこよくてヒロインがきれいで、男役がサブキャラ、モブも含め「カッコイイ!」場面があって。

 トップスターと限られたスターさんだけが「オイシイ」作品を、ファンは求めていない。
 彼らが「オイシイ」のは当たり前、その上で「できるだけ多くの出演者がオイシイ」ものでないと。
 カリスマ・トップスターただひとりで、毎日4桁の客を劇場に呼んだ時代ではないのだもの。


 だからわたし、『ミーマイ』の再演率の高さが不思議なの。
 誰得なの?
 誰が、求めているの?

 「名場面」とか「名曲」だけなら、『タカラヅカスペシャル』で十分だよ。
 公演まるまるやる必要性は感じない。


 わたしが特殊で、世の中の人はほんとーに『ミーマイ』大好きなのかなあ。
 たとえご贔屓が出ていなくても、新幹線や飛行機に乗って、「絶対に観たい!」と誰もが劇場へ駆けつける演目なのかしら。
 たとえご贔屓が台詞も出番もろくにないモブだとしても、「何度でも観たい!」と誰でも二桁くらいリピート当然の演目なのかしら?

 興行として大成功間違いなし、チケット完売前提なのかしら。

 そんなに素晴らしい作品なのかしら。
 「タカラヅカ」で観たい作品なのかしら。

 わたしには、よくわかんない。


 しかし、梅芸ではもう二度とヅカ版『ミーマイ』はやらないと思ってたよ……。
 その、2009年の花組版の集客具合がね……。なまじ贔屓組だったからよく知っているんだけど、ほんとすごかったから。

 わたしは納得したけどなあ、やっぱ『ミーマイ』はみんなそれほど好きじゃないんだ、って。

 あんだけ求められなかった作品をまたやるなんて、ひょっとして梅芸さんは「チケットが売れなかったのは花組のせい」と思ってるのか?
 た、たしかにその、当時の花組は人気組ではなかったけど、キャストのせいだけでなく、演目にも問題があったのだと、何故思わないんだ?
 現にわたしは、作品が苦手だから最低限しか観に行けなかったぞ?

 愛にあふれた、しあわせな物語だと思う。
 ストーリーはいいさ。
 ただ。

 「笑い」の感性が、徹底的に合わないから、観ていてつらい……。

 滑稽な言動を取る主人公やお色気美女などを、「面白い」と思えないんだ。
 笑いのツボが極端に狭いもんで、「笑わせるためにやっている」部分がちっとも笑えず、引いてしまう。

 笑えない「コメディ」は、つらい……。


 あんだけ興行的に大変なことになっていた同じ劇場で、凝りもせずにまた上演するんだ。
 世間的に『ミーマイ』は大人気作品、ヅカファンは『ミーマイ』が大好き、一般人も『ミーマイ』が大好き、これさえ上演すれば完売御礼間違いなし!だと思ってるんだよね、劇団と梅芸さん。
 たまきちくん、初バウ主演おめでとー! と、開演アナウンスに力いっぱい拍手してきました、『月雲の皇子』初日。

 プログラムが右開きでした。日本物だと右になるのかなあ? でも、『近松・恋の道行』は左開きだったんだもん……。『春の雪』は右だったから、月組だけ右……?(笑)
 長年慣れ親しんだので、バウのプログラムは断然右開きが好きです。左だと落ち着かない。

 表紙開いたとこのたまきちがカッコイイし、ラストのページ(裏表紙の内側)がうれしい。2番手のツーショ・ビジュアルって、ナニ気にめずらしいもの。わたしの記憶では、『厳流』までさかのぼるわ。
 そして、最後に裏表紙見て、喉が鳴ったわ(笑)。きゃ~~っ、タカラヅカ! タカラヅカ王道!!

 2番手がいて、ヒロインがいるのって、いいなあ。

 直近に観たバウが、2番手もヒロインもナシ扱いだったし、直近ではないけれど通いまくったDCが、2番手もヒロインもナシ扱いだったので、しみじみした。
 プログラムを開けて、主演さんの写真がどーんと1ページあって、その隣にヒロインと2番手の写真が載ってるのって、いいなあ!
 主演の隣のページが、組長や副組長の写真っていうのは、やっぱ「タカラヅカ」としてチガウ気がするもん……。
 舞台上には2番手もヒロインもちゃんといたのに、劇団発行公式プログラムには、それらしい扱いをわざとしないで載せる、って、なんかヤな感じだもん。


 初日なので、幕が開いてからしばらくはみんな大変な感じ。台詞も歌も聞き取れねえ(笑)。
 でも、舞台が進むにつれて、どんどんよくなっていった。
 今は殺陣がものすごーく「手順」くさいんだけど、公演自体が進んでいけば、あの「構えて待ってます」感も薄れて、入り込めるようになるんだろうな。

 主役・木梨軽皇子@たまきちくんは、やることがいっぱいありすぎて、今はまだ周囲を見ている余裕がなさそう。
 ヘタな人ではないんだし、経験さえ追いつけば大きな武器になるんだろう。
 ただ、この複雑な役をまだモノにしてない感が強かったなあ。どこへ向かっているのか、マジわかんねえ……。
 真面目さとか熱意だけでは越えられない壁を感じた。つか、たまきちくんが本気で壊れるくらい追い詰められたら、どんな芝居を見せてくれるんだろう?

 彼のベクトルが定まったら、面白い役であり、物語になるんだろうと思った。

 等身大の若者役ではなく、こーゆー難しい役を今演じられるのは、いいことだと思う。
 ……お化粧は要研究? とりあえず、その眉はそれでいいのかと……??


 穴穂皇子@ちなつくんには、たぶんわたしが期待しすぎていたんだと思う。
 オイシイ役で、主役よりもわかりやすい分、なんつーかこう、一気に貫通することのできる役だと思うんだけど、……なんだろう、迷いがあるのかなあ? いろいろとじれったかった。
 でも、最後がよかったなー。兄弟一騎打ち。あそこのちなつくんの表情が好きだ。あの顔を見るためだけに、もう一度観たい(笑)。


 ヒロイン衣通姫@みゆちゃんは、やっぱうまい。
 うまいだけに、わたしはこのヒロインの描き方に不満が残る。なんでこんな半端な役なんだよー、くそー。
 みゆちゃんの演技に余韻があるだけに、何故これをもっと活かした作劇が出来なかったのかと。
 ヒロインよりも、男役重視の作風なのかな、上田せんせ?


 なんか『春の雪』とほぼキャストが同じで、月組さんの振り分けの偏り方に疑問。
 や、『春の雪』大好きだったから、いいっちゃいいんだけど。

 キャラクタとしていちばん萌えたのは、博徳@ゆうまくんだっ。

 初登場時の好々爺ぶりと、1幕ラストの変貌ぶりがいい。
 最初の好々爺やってるときに、ざらっとしたイヤラシサを感じて、上田せんせが無神経なのかなと思ったんだけど、そうじゃなかった。あのイヤラシサは、ここにたどり着く伏線だったのか!

 で、博徳萌えってことは、穴穂皇子萌えってことでもある(笑)。

 博徳×穴穂ですね、わたしは!!(笑) ←誰も聞いてないよ

 ゆうまくんが、どんどんうまくなってくれていて、うれしい。
 てゆーか、はっちさんと並んで芝居が出来る研5ってどうなの(笑)。
 おっさんスキーとしては、彼の個性がうれしいし、今後の活躍が心から楽しみです。


 そして、ガウリ@ちゅーちゃんに萌えた!!

 カッコイイカッコイイカッコイイっ。
 お香@『紫子』再び。ってゆーか、やっぱちゅーちゃんってこういう役似合うと思うの。カッコイイ大人の女。
 ヘタにレンアイしないのがいいなー。木梨に必要以上になびかず、それでいて惚れ込んでいる感じがイイ。

 彼女の最後の台詞の高らかさが好き。


 大中津姫@琴音さんが、むちゃくちゃ良かった。
 ごめんわたし、琴音さんイイと思うのはじめてで、マジびびった。
 いやその、もともとふつーにうまい人だとは思っていたけれど、ふつーにうまいだけだとあまり心に響かなくて、むしろ残念さを感じてしまうことが多かった。
 それがもお、どーしたこったい。
 今回すげー好みで。
 太后様の強さと硬質さにどきどきした。
 とにかく最初に登場したときから、こわくて強くて……そして、優しい人なんだと思えたから、「え、この人好き」と思うところからスタートしたよ。

 白雪さんは相変わらず、老婆を演じさせたらピカイチのうまさ。
 なっちゅのナレーションには聴き入りました、はい。冒頭は「長っ」と思ったけど、ラストはナレーションで泣いたよ……。
 からんくんが少年演じると鉄板過ぎる(笑)。
 あーさが美貌で目を引く。衣装がミニスカートに見えてびびった。……少年役なのはわかるけど、膝出してんのかと。←ちがいます

 晴音アキちゃんにも泣かされました……。

 まんちゃんは見た目かっこいいのになあ。そろそろお芝居がうまくなってくれるとうれしいんだけどなあ(笑)。
 でも今回は、踊っている(戦っている)とカッコイイのに、喋るとヘタレな感じが役には合っていた。……アテ書き?

 1幕で殺されちゃう少年役、最下の佳城葵くん? なんか気になる芝居。

 脇に至るまで、みんなよく芝居していた印象。


 題材が派手だし話に奥行きがあるしで、バウでやるには作品が大きいと思った。
 デビュー作で、箱の方が小さい、と思わせてくれる芸風はめずらしいし、うれしい。
 また、バウでやるには情緒というか、繊細さもちと欠ける感じだったので(笑)、上田せんせは大劇向きなのかも?

 てゆーかラストシーンは、盆とスモークと小舟が必要だと思った。
 だから、盆のある大きな舞台で観たいと。
 月組バウホール公演『月雲の皇子』初日に行ってきました。

 相変わらず、なんの予備知識もありません。
 無教養なもんで、衣通姫伝説もまったく知りません。

 だもんで、ナニを下敷きにしてあろうが関係なく、まったくのフィクションとして臨みました。


 えーと、上田久美子先生のデビュー作。

 タカラヅカファンとしては、新人演出家のデビューには大いに興味があります。今後のタカラヅカの趨勢に関わることだから。
 最近は次々と若い人たちがデビューしてくれて、うれしい限りです。

 ファンとは貪欲なモノ。「もっと、もっと!」と言い続けるイキモノなので、えらそーに批評しちゃったりするわけです。
 タカラヅカが好きだから、もっともっと、いい作品が観たいんだもん!


 で。

 まず、デビュー作からコレか!! と、思った。

 最近デビューしたみなさんというと、

2010年 生田大和『BUND/NEON 上海』
      原田 諒『Je Chante』
2012年 田渕大輔『Victorian Jazz』

 という顔ぶれですか。

 近年デビューのみなさんの処女作品もわたしは、わくわくと初日に駆けつけました。
 予備知識無しで楽しみたいから。
 生田くんのぶっ飛ばしぶりとぶっ壊れぶりに心震え、原田くんのぶっ壊れぶりとテンションの低さに心冷え、田渕くんの意気込みと頭でっかちな感じに苦笑しましたっけ。
 生田せんせには処女作から惚れ込んだので、以来彼の新作を心待ちにしています。
 田渕せんせにはツッコミどころは多々あれど、若者の勇み足は微笑ましいわねと、年寄りゆえの上から目線炸裂で様子見状態。
 原田せんせは好みではないので、ええっと、がんばってくださいとしか。

 彼らのデビュー作が記憶に新しいだけについ比べてしまうわけなんだけど。

 なんつーか上田せんせ……よく、コレをやろうと思ったな、と、思いましたの。

 純粋にね、難しいの、題材が。

 5世紀の日本が舞台。
 てことで、日本語自体難しい。
 20世紀が舞台の上記3作とは基盤からチガウ。

 で、古代王朝の陰謀・戦乱モノだ。
 いろんな立場、いろんな視点のキャラクタが絡み合い、プロットもややこしいし、見せ方も大変。
 やることが山ほどあって、ハードルの高さ半端ナイ。

 新人がチャレンジする題材ぢゃない……。

 その無謀さっつーか、「これが、若さか……」というアグレッシヴさにまず、感心しました。

 そして、この難しい題材にチャレンジするだけあって、うまい人なんだなと思った。
 原田くんや生田くんのデビュー作のように、ぶっ壊れてない(笑)。
 ちゃんとストーリーは組まれている。

 だから、見終わったあとのいちばんの感想は。

 惜しいわ。

 ……だった。


 うまい人なんだろうなと思った。難しい題材にあえて挑戦しているし、それを裏切ってないし、よくやっている。
 でも。

 惜しいわ。

 あちこち、足りてない。
 なまじその近くまで来ているから、届いてないことが、惜しい。
 ……上からの物言いですまんのう。でも正直なとこを記しておく。

 「これは、誰のための物語か」と問う鼻息の荒さも、いろんなキャラクタを出して縦横に世界を構築しようとする姿勢も、タカラヅカの王道の悲恋をやろうとする意気込みも、主役と2番手をカッコ良く美しく描こうとする心遣いも、いいんだけど、正しいんだけど。

 どれも、中途半端だ。

 恋愛モノとしても弱いし、兄弟愛憎モノとしても、弱い。

 明らかに間違っているわけじゃなくて、単に「足りていない」のがわかるだけに……惜しい。

 コレ、手を加えればどーんと良くなるんじゃないの? もう少し推敲を重ねる時間があったら、もっと良くなったんじゃないの?
 そう思える。

 せめて、どっちかにしぼるべきだったんじゃないかな。恋愛か、兄弟萌えか。
 生田くんくらいぶっ壊れたパワーがあれば、大笑いしながら膝を打って喜ぶことが出来たんだけど、とくに壊れてない分、足りなさが目立つ……。

 また、複数視点を描き切るのは上級テクニックが必要なので、主人公をしぼるべきだったんじゃないかな。

 正直、主人公の木梨軽皇子@たまきちがナニをしたかったのか、わからん……。
 W主演か?ってな比重の穴穂皇子@ちなつも、しかり。

 や、わかるよ?
 足りない部分を想像で補うことはできる。たぶんこーゆーことなんだろう?と思うことは。
 でもそれは想像の余地というより、作者の力不足というか、力尽きて書けていないだけな気がする……。
 もっと書き込むことはできたと思うんだ。
 もう一歩を、理性が邪魔して踏み込めないでいる? なんか、そんなことを、勝手に感じちゃったよ。

 まあぶっちゃけ、いちばんの敗因というか、問題は下級生バウだということだと思います……。

 これが、ある程度のスターさん主演の公演なら、この「足りない」部分をキャストが力業で埋めてくれたと思う。
 キャストのフリースタイル部分で味付け可能なくらいの「空欄」だと思う。

 しかしこれ、研6になったばかりの若者の、初主演バウなわけで。
 書いてあることを演じるだけで精一杯、それ以上を自分で埋めることは、今の段階ではできていなかった。

 だから、惜しい。
 いろんな意味で。


 ただ、それはわたしがわたしの立ち位置だから思うことであって。
 全組全作品観ます、「タカラヅカ」が大好きな口うるさいヲタク、上から目線上等ナニサマお客様、というだけの人間。

 これが、贔屓の公演だったら、楽しいと思うよ。

 だって、いろんなキャラクタがいて、それぞれ楽しそうに息づいている。
 主役はひたすらかっこいいし、ヒロインはとってもタカラヅカ的ヒロインだし、2番手がまたオイシイ。

 こりゃいいわー。

 足りない部分は脳内補完したり、勝手に創作して楽しめるだろうし。
 足りなさは、初日だったからのことで、回数を重ねればキャストが力業で埋めてくれる、その成長の過程を楽しめるのかもしれないし。

 デビュー作で欲張っていろんなことやって、結果力尽きているのは、良いことだと思うの。
 減点されることだけを恐れて、当たり障りのないものを作った……かどうかはわかんないけど、そう感じた、某せんせのデビュー作より、ずっといい。

 つか、この題材をデビュー作に選んで、なんとかカタチにしちゃったことに、感心するさ。
 これからも意欲的に、難しい題材にあえてチャレンジしてみてほしい。
 20世紀欧米舞台の「雰囲気だけ」作品しか書けない作家には、なってほしくないもん。

 面白かったし、泣いたけど、足りなさが歯がゆいっちゅーか、「わたしならもっとこうするのに!!」があちこちにあって、精神衛生上よくなかったような(笑)。 
 未涼亜希『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』お茶会で、記憶に残った小ネタ。それに対して萌えた記録。


 まっつが今回の『ベルばら』で「着てみたい」衣装を当てる、というクイズがあった。

 今回の公演で……?
 一般的に『ベルばら』というと華やかな公演で、衣装もいろいろある……と思うけれど、まっつはアンドレやってるわけで、アンドレの軍服って、色や豪華さは違っても、オスカルやジェローデル、フェルゼンともほぼ同じデザインだし。
 宮廷服だって着ているから、色や豪華さは違っても、フェルゼン他の貴族たちとも基本形は同じだし。
 ふつーならヒロインのドレスがいちばん乙女心を刺激するもんだけど、今回のヒロインって……実は豪華できれいなドレスなのかもしれないけれど、印象的な場面もないしそもそも出番もないし。どうもぴんとこない。
 アントワネットよりも、オルタンスのドレスがきれいだったなあ、という印象の方が残ってるくらいだ。

 で、まっつの答えは。
 「役名で言ってわかるかな」とつぶやいた上で、「ニコラス」。

 あすくんキターーッ!

 わかりますとも、役名。
 金髪マッシュルームヘアのお小姓さん。年齢設定がいくつなのか知らないけれど、なにしろ年寄演出なので幼児喋りの「無邪気でかわいい子ども」の仕草強調。
 ヅカ名物の不自然な子役、ってやつ。

 あすくんはなにしろ実力者なので、立派なアゴとイイ声を持ちながらも、「はい、ピュアな子どもですよ」という演技を見事にこなしている。

 そのあすくんの役ですか。
 侍童はふたりいるのに、あすくんご指名ですか。

 よかったねあすくん。『BJ』にてまっつがやってみたい役は「レオくんの空港職員」だった。
 レオくんに引き続き、あすくんもまっつに選んでもらえたんだね……!!

 と、内心大ウケしていたんですが。

 まつださんは、淡々と続けます。

「まなはるを見て、かわいいかなと思って」とかなんとか。
 まなはる?! なんでまなはる?

 まなはるの役は、ルネですよ? ニコラスはあすくん!

 役名のおぼえ間違い?
 それとも、正しくおぼえてはいるけれど、口からはつい、別の名前が出ちゃった?

 あすくん……(泣)。

 いやその、あすレオライバル説に無責任に萌えているクチなので(笑)。


 この「着てみたい衣装」の話でまつださんはさらりと「わっかのドレスには興味がない」と言い切りました。

 そ、それは女子としてどうかと……。

 まっつの女子らしさのなさに、ウケつつ、安心しつつ。
 女性の服に興味ないってことは、まだもうしばらくは「職業・妖精」「性別・妖精」でいてくれるかな。


 お茶会では、抽選会の当選者やらゲームの優秀者やらにまっつのオリジナル写真を、プレゼントしている。
 どのスターさんのお茶会でも規模の差こそあれ、やっていることだと思う。
 だからそれ自体は見慣れた光景なんだけど。

 まっつは、スタッフさんから景品の写真を渡されるたびに、まず、じぃ~~っと、見入る。

 はじめて見るらしい。
 「へー、こんなの渡すんだ」「こんな写真なんだ」って感じで。

 見入るけれど、それに対してのコメントもリアクションもナシ。
 「ふーん」って感じに顔を上げて、なんの思い入れもなさそうに写真を配る。

 それが、ツボ(笑)。

 会でどんな写真を用意しているか、前もってチェックしてないの。
 見たかったら、見られると思うの。会で用意した画像をチェックして口を出すことだって、出来ると思うの。やっているスターさんはいくらでもいる。

 でもまっつは我関知せず。
 お茶会でファンの人に配る、その瞬間にはじめて見る。

 前もってチェックするほど興味はないというなら、どんな写真が用意されていても、気にせず配ればいいのに、実際に手にすると、見入る。

 わざわざ見入るんだから、なにかしら感じることはあるだろうに、なにも言わず、ノーリアクションで、淡々と配る。

 その、半端さに心震える(笑)。

 ツンツンして見せるのに、ツンになりきれず、デレが見えるところが、かわいすぎる……っ。


 会で用意する写真は、そのスターさん単体しか写っていない物が基本。
 だけど今回は、早霧さんの会とコラボってことで、「今宵一夜」の写真もあった。

 そのちぎカルと絡むまつドレ写真にサインを入れるとき、めずらしく司会者さんが「どうですか」と写真の感想を聞いた。
 まっつの答えはもちろん素っ気ない。
 「いいんじゃないですか」てな温度感の回答。実際の言葉は忘れちゃったけど。
 そして、

 写真よりも、実物の方がずっといい。

 という意味のことをさらっと言った。

 や、もちろんそうなんだけど。その通りなんだけど。
 写真は写真でしかなく、動いてないし音楽も声もないんだから。

 でも、そーゆーことをさらりと淡々と言ってしまう、

 その自信っぷりに、震える(笑)。

 当たり前のことだけど、ほら、当たり前のことを言ったら傲慢、へりくだって卑下してようやく謙虚、と捉えられがちな謙遜社会の日本で。

 マイクを持ってトークをするときはちゃんと謙虚なことを言っているのに、もちろんそれも本心だろうに、ときおりこう、ぽろっとこぼれる「オトコマエ」な部分に萌える。

 自信を持って、最善のモノを見せてくれている。そうでなくてはお金を出して観に来ている人に失礼。
 まっつはいつも、プロの仕事を見せてくれる。
 そして、プロとしての(ある意味)傲慢さ、を垣間見せてくれる。
 そこに、ときめくんだ。

 へりくだって卑下した役者の創るモノより、誇り高く胸を張る役者の創り出すモノを見たいから。


 オトコマエでツンツンしていて、そのくせマイクを両手で握って甘え声で話し出したりもする(本人確実に無意識)、そのギャップに悶える(笑)。
 ナニあのカワイイ生き物。
 自分の萌えだけ・おぼえているとこだけ記していってます、未涼亜希『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』お茶会の感想。
 あくまで感想、わたしがどう思ったか話。だもんで、まったくもってレポではないです。


 まっつとえりたんは、花組で一緒だった。
 クリスマスにプレゼント交換したり(結果的に・笑)、大晦日に家に行ったり(で、すぐに帰ったり・笑)、夫婦に間違われたり(笑)してきた仲だ。

 そんなえりたんとまた同じ組になり、えりたんがトップスターになった。
 それはとても、感慨深いことなんだろう。

 タカラヅカというのは不思議なところで、「同じ場所で、心をひとつに力を合わせてきた仲間たち」が、「徐々に、消えていく」んだなと。

 学校なら同じ面子で1年とか3年とか決まった期間がんばって、別れるときは全員一気、じゃないですか。
 職場なら、終身雇用でない現代、退社する人も異動になる人ももちろんあるけれど、気持ちとしてはそんなコロコロ転職したいわけじゃなし、問題さえなければずーっと同じ会社で仕事しているだろうし。

 でもタカラヅカは基本、「同じ顔ぶれでの仕事は、二度とない」。
 毎公演、誰かしら退団していく。
 退団者がひとりもいない公演もそりゃあるけど、「今回は退団者ナシなんだ」とあえて思うくらいには、ナシの方がめずらしい。

 毎回、仲間が消えていく。
 もう二度と、戻って来ない。

 今こうしてえりたんとまっつのエピソードを思い出し、「プレゼント交換ネタ」のときみわっちもいたことを思い出す。えりたんとみわっちとまっつ、3人同じ楽屋できゃーきゃーやっていたのに、みわっちはもういない。

 タカラヅカは、喪失が当たり前の場所なんだな。
 袴姿で大階段を降りて、一通り卒業のセレモニーをして円満にいなくなるのだとしても、「いなくなる」ことは変わらない。
 心をひとつにして共に闘った……なのに、その仲間たちは不意に消える。ひとり、またひとり……。
 どこの戦場だ(笑)。
 昔、『ガンパレード・マーチ』を最初に見たとき、「タカラヅカだなあ」と思ったもんだった。「クラスメイトが明日消えるかもしれない日常」ってのが。
 や、みんな自分の人生を全うしているだけなんだけど。

 そうやって「仲間を失う日常」を生きる人たちだから。
 「残っている仲間」には、特別の感慨があるんだろうなと。

 ただのファンでしかないわたしですら、過去を振り返ると喪失感にぼーぜんとするもの。
 あのときはあの人がいた、あの人もいた。つか、あの人もいない、あの人もいない、もう誰も残ってない。
 好きだった作品、なつかしい時代、あんなに愛したあの時間、光の中でキラキラ輝いていた人々は……もう、ほとんど誰も残っていない。

 タカラヅカは有限の楽園。
 タカラジェンヌの寿命は短い。

 「失う」ことが当たり前で、共に夢を語った仲間たちは当たり前に消えていった。
 だからこそ、今まだこの華やかな迷宮で共に闘っている人には……特別の感慨があるのかなと。

 『JIN-仁-』で「同期4人が揃うなんて!」とキムくんがいろんなメディアで発言していたように、「残っている戦友」への思いは特別なんだろうなと。

 まっつはことさらに語ることはしないけれど、雪組であのえりたんがトップスターとしてやってきたこと、また一緒に舞台を作れることには、特別の想いがあるんだろう。
 や、彼らがプライベートで大親友かどうかじゃなくて、「職業・妖精」として。

 お茶会でえりたんの話になり、淡々とえりたん雪トップを「よかったな」と語ったまっつが、「思い出した」と話を変えた。どうやら、今日のお茶会で「言うように」とえりたんから言付かってきたらしい。

「そうさんがきてから、まいにちがたのしくてしかたないです」

 ザ・棒読み。

 役者ってすごい、マンガでよくある、吹き出しの中に(棒読み)と書かれている、アレがまさに再現された!!

 オールひらがなで喋りましたよ、まつださん!!
 ひらがな+(棒読み) と、( )まで見えた!!

 「こう言えと言われたから、仕方なく言っている」ポーズが、完璧。

 ……仲良しなんだね、えりたんと。
 そして、えりたんのキャラクタと、この会場にいるファンの人たちを信頼しているんだね。
 (棒読み)で喋ることで大爆笑してくれる、実際に言葉にしたことの奥の意味を読み取ってくれると。

 ええ、場内爆笑でしたとも。
 えりたんのキャラクタも、まっつのキャラクタも、ふたりの関係性も理解した上で。


 えりたんがひたすらえりたんで、まっつとは(棒読み)が許される関係で、ちぎくんとはお揃いのペンダントでラヴラヴで。
 よかった。
 キムくん卒業で、わたし個人としては寂しくて仕方なくて、気持ち的には未だにそれを引きずっているのだけど。
 「喪失」が日常の妖精さんたちは、それを「日常」として、前へ進んでいる。

 それがわかる話を聞けて、ほんとうによかった。
 未涼亜希『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』お茶会に行ってきました。

 けど、わたしには記憶力もレポ機能もないので、自分が食いついた部分の感想のみ記します。
 わたしの脳内を通しているので、客観性はありません。
 正しいまっつさんを知りたい方は、ぜひぜひ直接お茶会へ。不思議な味のある方です。


 お茶会の前々日だっけ、スカステの「NOW ON STAGE」を見て、意外に思ったんだ。
 「NOW ON STAGE」のまっつってば、すげー、よく喋る。
 こんなに喋るまっつって……。

 また、他人の話題にも積極的に関わっている。
 引いたところで話を聞くだけ、になってない。

 ナニこのテンション……。

 その答えが、お茶会でよくわかった。

 アンドレ役が、うれしいんだな。

 お茶会では「NOW ON」ほどくだけてないし、淡々として見えるんだけど……アンドレ役にやり甲斐を感じていることは、よーっくわかった。

 そうか、楽しいのか。うれしいのか。
 うん、わかる。
 わたしも、楽しい。うれしい。

 『ベルばら』は祭りだ。
 その祭りに、主要キャラとして参加できていること。歴代トップスターが演じてきた「名場面」「決まり台詞」をやることは、素晴らしいことだ。
 やりたくても、そうそうできることじゃない。
 現にまっつは、過去2作の『ベルばら』(外伝だったけど)で、役としては数分の出番だったり、台詞が「引け」の2文字だったりしたんだ。

 「タカラヅカ」といえば、『ベルばら』。
 そんな、ものすごい代表作だもんな。

 素直に「めちゃくちゃうれしいです!」とは言わない。言葉を選んで語っていて、その言葉を文面に起こしたら「儀礼的に言っている?」みたいな素っ気なさだけど、チガウって、喜んでるんだって!

 聞いていて「良かったな」と思った。
 本人がやり甲斐を持って臨んでいる。その舞台をわたしたちは楽しいと思って見ている。
 なんて幸せな、両思い状態。

 や、どんな役でも誠意と誇りを持って演じているだろうけど、そういう次元のことではなくて。
 やっぱ『ベルばら』は、アンドレは、特別なんだなあと。
 ああ、まっつもタカラジェンヌなんだなあと。

 まっつ茶のゲームはいつもいつも(笑)連想ゲーム。お題に対してまっつがナニを連想するかを、テーブル対抗で当てる、というもの。
 今回のまっつの、答えの数がすごかった。
 お題はもちろん『ベルばら』に関すること。
 なにしろ毎回だから(笑)、いつもと比べてまっつがたくさん回答しているのがわかるのね。
 『ベルばら』のバージョン名だとか、歴代アンドレ役だとか、登場人物だとか。まっつがすらすら答える。
 ……「タカラジェンヌもタカラヅカが好きなんですけど。アイラブ宝塚!」てな、スカステ番組のキャッチコピーが浮かぶ。
 そうだよな、まっつだって、仕事にするくらいタカラヅカが好きなんだもんな。タカラヅカの代名詞、『ベルばら』のことはいっぱい知ってるよな。
 本人淡々としているんだけど、回答数からノリノリなのがわかる……どうしよう、かわいい……愛しい……(笑)。


 さて、その代表作、超有名作品であるところの『ベルばら』。

 有名作品であるがゆえに、お稽古もとんでもないスピードで展開したらしい。
 2日目とかに、もう音楽入れて実際に演じてみることになったとか。
 超有名場面「今宵一夜」。

 台本渡されてるだけで、ナニも教えてもらってない。どう動くの、ナニをするの。
 教えてもらってないけど、「知ってるでしょ」「出来るでしょ」という空気。

 空気を読んでまっつ、自分で大体の流れを勉強したらしい。
 経験者、えりたんに聞いて。

 えーと。
 えりたんがまっつに、「今宵一夜」の流れを教えたんだ。大まかな動きとか。
 実際にえりたんがやってみる。で、つぎにまっつがやってみる。「ちゃうちゃう、ここはこう」とか、口と同時に手が出たり? 肩を掴んだり顔の向きを変えたり?
 ふたり並んで同じポーズ取ってみたり?

 まっつにオスカル役やらせて、えりたんがアンドレやってみたり?
 ……お約束の想像ですね。アリエナイと思うけど(笑)。

 で、まっつは次にちぎくんつかまえて、予習その2。
 大体の動きを入れて、「コレで行こうぜ」。
 まつださん、ジェンヌ同士の会話を再現するとき、あちこち自然に男言葉です。

 大体のカタチさえ入ってりゃ、あとは追々。

 「教えてもらってない」のに、やらされるんだから大変だよなあ、超有名作……。

 そうやって事なきを得て。

 その後、ちぎくんとえんえん、「今宵一夜」の練習をしたらしい。
 古今東西、あらゆる「今宵一夜」を映像見ながら実際にコピーしてみる。同じパターンで演じてみる。
 そこから、「自分たちの、今宵一夜」を模索していったとか。

 まつちぎによる、「今宵一夜」歴代バージョン全コンプ。

 ななななんつー素晴らしいことを……っ。
 そりゃちぎくんもテンパっちゃって「歌劇」の座談会で読んでるこっちが恥ずかしくなるよーな発言をしちゃうわけだ。
 まっつとふたり、えんえんえんえんラブシーンやってたんだ……。

 おかげで、とっても素晴らしい「今宵一夜」になったもんなあ。
 ふたりの努力の結果なんだな。


 「今宵一夜」はえりたんに教えを請うたまっつ。
 「橋の上」はらんとむさんに、撃たれ方の教えを請う。

 この、チョイスが、神(笑)。

 蘭寿さんの「得意技」である、「アンドレ、全弾被弾」。
 13発だっけかの銃弾を、すべて受けきる、その演技。
 ふつーじゃない、ふつーはできないしない(笑)、その偉業を、まっつも見事に受け継いだ!!

 らんじゅさんも、実際にやって見せてくれたんだろうな。
 「ここで1発目、銃弾は背中。その衝撃でカラダがこう動いて、次に2発目が……」とか。
 んで、まっつも同じように動いてみて、ついにはらんとむとまっつ、ふたりして同じ動きで全弾被弾……!
 やだどうしよう、想像すると震える! たぎる!(笑)


 かわいいなあ、タカラジェンヌ。
 真面目で、真摯で、全力で。
 聞けば聞くほど、愛しい。
 その日、我らが未涼亜希さんは、数百人のファンを前にして、大真面目に「受」と「攻」について語っていました。自分が「受」であることと共に。

 芝居の話です。
 役の話です。
 『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』の話です。

 はい、未涼亜希『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』お茶会での話です。

 まっつさんが演じているアンドレは、「受」。
 つーことで、「受の芝居」について語ってらっさいました。えんえんと。

 「攻」はオスカル様です。

 オスカルとアンドレは「光と影」。だからオスカルが攻でアンドレは受なんだそーです。
 アンドレにとってオスカルは光だけれど、オスカルにとってもアンドレが「光」である部分がある……とか、とってもとってもイイお話でした。

 しかしわたしは、そのイイお話に感じ入りつつも、アタマの隅で日本語について考えていました。

 受と攻……。何故、受と攻なの?
 ふつーこのふたつの単語は対にならないよね?
 攻防、攻守というように、「攻」の対は「まもる」という意味の単語だよね?

 「受の芝居」というのは、わかる。
 辛抱役とか言われる、地味なタイプの役とか。「受動」「受け身」という意味だよね。他からの働きを受けることを主とする役。
 この場合の対語は、「能動」。

 えーと、芝居用語なんですか? 「受と攻」って。
 お稽古場で、「キミは受だから、相手の芝居をよく見て! 攻の求めるままに!!」とか「キミは攻だ、もっとリードして、受を壊すくらいに激しく!」みたいなことを、先生が言ったりするのかしら。
 「受の心得」とか、「攻のやり方」とか、レッスンがあったり?

 演劇社会に身を置いたことがないのでわかんないっす。

 ふつーの人なら、「受」という言葉の対に「攻」という言葉は思いつかないと思います、日本語的に。
 特殊な世界でのお約束ごと以外では。

 だからきっと、芝居用語なんだろう。
 もしくは、タカラヅカ用語。宝塚歌劇団のお稽古場でのみ使われている言い方とか。
 だからまっつさんは大真面目に、当たり前に、「受攻」を語ったんだろう、えんえんと。

 でも、……でも、もしも。
 芝居用語ではなく、「受動・能動」の意味で無意識に「受・攻」という言葉を使ったのだとしたら……。

 まつださんあーた、どこでその単語を知ったんだね? ということになる。
 日本語的には、ありえないから。

 もちろん、世俗的にはけっこー浸透した言い方だと思う。受と攻って。
 ええ、BLの市民権獲得によって。

 BLを知っていて、日常的にその用語を使っていたら、日本語的に正しくなくても、ふつーに使っちゃいそうだよな、「能動」を「攻」って。

 まつださんは『ファントム』お茶会にて「『受』発言」した人だし、マンガ好きを公言しているくらいなので、知識がない方がおかしい。
 もしも「受攻」が芝居用語でない場合、アンドレは「受け身の役、受動的な役」という意味で「受」と、オスカルを「能動的な役」という意味で「攻」と言っていたのだとしたら……恥ずかしいな(笑)。

「会社で『攻守』って書くところで、つい無意識に『攻受』って書いちゃって、先輩に『これなんて読むの?』って真顔で言われて顔から火が出た~~」みたいな?
 日常で使っている言葉がつい出ちゃった、でもソレ日本語的に変、ふつーは通じないから、みたいな?

 ……芝居用語なんだ、きっと。
 お稽古場ではふつーに使われているんだな。
 そう思うと、なかなかファンタジーな職場だな~。


 えー、お茶会には行きましたが、いつもの通りわたしにレポ機能はありません。
 感想のみです。


 お稽古場の写真や映像をガン見すると、まっつとちぎくんがよく似た十字架のネックレスをしていることがわかる。
 それについての質問がありました。

 そしてまっつさんは答えました。「私があげました」と。

 ペアだそうです。色違いのクロス、ペンダントトップのみだそうです。

 「相手役さんには、男役からアクセをプレゼントする」というタカラヅカルールが、正しく発動している……っ!!

 いやその、わたしはそんなの想像してませんでした。まっつが、ちぎくんにプレゼントするとか、ペアとか。
 だって、あゆみちゃんにしろきゃびいにしろ、「奥さん役」だったから、舞台上の小道具として「結婚指輪」が必要だったわけです。必要性もあるから、男役ルールに則ってプレゼントするのもアリだろうけど、今回は……。

 舞台上では、オスカルもアンドレも、小さな十字架のネックレスなんて、必要としていません。
 オスカルはアンドレからペアのアクセをもらって身に付ける人でも、そんな関係性でもありません。
 「役」にも「舞台」にも必要ナイんだから、あのまっつがわざわざちぎくんに「おそろ」のアクセをプレゼントするとは思ってなかった……。

 あげたんだ……!

 や、まつださんですから、「私があげました」も超淡々、「多くを語る気はない」と言下に匂わせている。
 そして、「良い芝居を作り上げるための、決意表明の意味であげた」とのこと。
 決意表明って……!!
 日常で、そうそう聞くことのない言葉だ……。

 ちぎたさんにも、そう言って渡したんだろうか。……大変だなあ、ちぎくん……(笑)。

 まっつはファンの人がそこに気づき、質問してきたことの方に食いついていた。気づかれると思ってなかったらしい。
 舞台の上でしている指輪じゃないもんなあ。

 で、相変わらず「渡したときの相手の反応」は一切情報ナシ。司会者さんも一切言及ナシ。あゆみちゃんのときもきゃびいのときも、そうだった。
 どうやって渡したか、相手がどんな反応を取ったか、が最重要事項で、どんな形状のアクセサリーかはそれほど重要視されていないんだがなあ。

 つか、話を聞きながら、わたしの最大の疑問は、「何故、お稽古場ですでに付けているのか」ですよ。

 あゆみちゃんのときもきゃびいのときも、「舞台稽古のどさくさ」で渡したそうです。
 もっと早く渡せばいいのに、ぎりぎりになって「はい」と超ぶっきらぼうに渡して終了、だった。

 あゆみちゃんのときもきゃびいのときも、ぎりぎりどさくさなのに、ちぎくんには、前もって。
 で、堂々とおそろのネックレスして、お稽古している。

 その差は、ナニ?

 そこを聞きたかったのに、相変わらず司会者さんはツッコミ一切無しで話題終了。


 そこが聞きたかったなー、とお茶会後居酒屋でまっつメイト相手に言ったところ、友は真顔で答えてくれました。

「やっぱ女の子には緊張してなかなか渡せないけど、友だちには『はいコレ』ってスッと渡せるんじゃない?」

 ああなるほど、友だちだから気負わずにさっさと……あれ?
 一瞬納得しかけたんだけど、友よソレ、なんかいろいろ間違ってないか?(笑)

 (登場人物、全員女の子で、全員友だちっつーか同僚、後輩。まつださんもちぎたさんも女子。たぶん)
 植爺は嫌いだし、『ベルばら』は大嫌い。
 自分の贔屓組に当たったら、それはひたすら試練のとき。ジェンヌさんたちを見たいから劇場へ行くけど、まずろくに出番も台詞もないから、耐える時間が長すぎる。

 それでも長く続いてきただけあって、場面場面に力はあったりするので、「バスティーユ」とか「牢獄」とか、いわゆるクライマックス場面は感動できる。
 そのカタルシスだけを心の支えに観劇するわけだ。

 そんなわたしが今回、はじめての『ベルばら』体験をしている。

 はじめて。

 『ベルばら』はキライ!と言いながら、何年も何作も観てきて。
 生で観たのは平成『ベルばら』以降、役替わりコンプを意識しだしたのは2001年、リピートするようになったのは2006年以降。
 こんだけたくさん観てきて、今回、初体験。

 贔屓が、主要4役のひとつをやっている。

 わたしにとって『ベルばら』は、「贔屓に出番も役もない」演目で、わずかな出番を心待ちにし、モブで踊る姿をガン見するものでしかなかった。
 贔屓に出番はないわ、作品キライだわ、台詞の多いキャラクタはみんなアタマおかしいことしか言わないわで、苦痛でしかなかった。

 それが。

 贔屓がアンドレ役だと、楽しい。

 ということを、知った。
 はじめて。

 うおおおお。
 そ、そうか。そうなのかっ。そーゆーもんだったのか!!

 や、主要4役、オスカル・アンドレ・アントワネット・フェルゼンも、なにしろ植爺脚本なのでもれなくアタマおかしい。原作の彼らなら絶対言わないことばかりべらべら喋っている。
 そこが不快なのは変わらないけれど、それでも『ベルばら』には「名場面」がある。
 「名場面」と「決まり台詞」は40年愛されてきただけあって、力がある。
 それを演じる贔屓、を観られるだけで、楽しい。

 ありがたいことに今回のオスカルとアンドレは、出番が少ない分酷い台詞がないし。
 わたしの逆鱗を刺激しない。
 そして、名場面だけはやってくれる。

 楽しい。

 ちょっと、『ベルばら』、楽しいわ!!


 今までわたし、真ん中の人のファンをやってこなかったので、ずーーっと知らなかった。
 わたしの知るヅカヲタはもれなく「『ベルばら』大嫌い!」なのに、それでも何故、『ベルばら』が続いてきたか。
 どんだけ一般人気があったとしても、ヅカファンが本気で嫌っていたら、こんなに長く続かないよね?

 主要4役のファンには、楽しいからか!
 つまり、トップスターファンには、楽しいってことか!

 んで、ヅカはピラミッド制、頂点に立つスターさんのファンさえ満ち足りていれば、それで成り立つんだよね。
 それゆえのピラミッド、トップスター制度。トップスターはそれだけのファンがいる。
 グッズがトップさんのものしか出ない、それでいいとなっているように、いちばんの優良顧客はトップスターのファン。
 一般客はトップスターを素直に楽しみにするから、それも加わって、トップ至上主義が正しい。

 ヅカのルールはわかっていたが、なにしろわたしは、ど真ん中な人のファンにはならない性質で。
 いつもいつも「脇役のファン」としての目線で『ベルばら』を観ていたよ。

 そっか……トップさんたちのファンなら、狂った脚本は無視して、名場面だけを楽しむことができるんだ……名場面を演じる贔屓を楽しむことができるんだ……。

 知識として知っていても、自分が実際に経験するかどうかで、人生違ってきます、なにごとにおいても。
 今、はじめての体験。

 『ベルばら』、楽しい。

 作品を嫌いなことは変わらないし、特に今回の『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』は酷すぎると思うけど、それでも、どうしよう、楽しめる。

 アンドレって、カッコイイ役だったんだ。

 今まで、知らなかったっ。

 名だたるスターさんたちが演じてきて、もちろんどのアンドレもかっこよかったけれど、脚本が酷すぎて性格が酷すぎて、「スターさんが素敵」なことと植爺アンドレは別モノとして見ていた。
 それは「素敵なスターさん」「好きなスターさん」というだけで、「ご贔屓」ではなかったので、どうしても感じ方・見方が違っていたんだ。

 贔屓が演じると、なんかすげー楽しい役だ。

 ほえーー。
 そっかー……それで、『ベルばら』は続いてきたんだ。
 歴代アンドレ役のファンの人たちが、みんなこんな風にわくわく「今宵一夜」に食いついて来たなら、そりゃ普遍の支持を受ける作品になるわ。


 んじゃ、贔屓がアンドレ役ではない特出版は苦痛なだけなのかというと、これまたそんなこともない。
 特出版はさらにストーリー無視して「名場面」だけの切り貼りになっている。誰が演じていても名場面は楽しいので、わくわく観ていられる。
 や、特出版だけ続けて何十回見ろと言われたら、それは今までの『ベルばら』と同じで試練で苦痛だけど、特出版は日数自体少なく、リピートをあまりしないし。
 どの『ベルばら』もお祭りだから、1回観る分には楽しく、特出版はその「1回だけ観るイベント公演」として楽しめる。

 てことで、特出版も楽しかった。


 いやあ、長くヅカヲタやってきて、今さら初体験ですよ。
 人生、ナニゴトも経験ですな。
 経験に勝るモノはありませんな。
 そっかぁ、アンドレ役だとこんな風に感じるもんなんだー。


 てことでほんと、アンドレ@まっつが、素敵です。

 惚れ惚れ。

 ヲタってシアワセな生き物だと思う(笑)。

 それでも、作品はキライだけどな。楽しいことと、嫌いなことは別。
 ほんと、ヲタってシアワセな生き物だと思う(笑)。

< 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 >

 

日記内を検索