実際に幕が上がるまでは、仁先生@キムくんと、恭太郎さん@まっつの絡みを期待していたわけですよ。
 『JIN-仁-』において。

 江戸へタイムスリップしてきた仁が最初に出会い、助ける相手が恭太郎。
 で、6年ののち、原作では恭太郎さん、死んじゃうじゃないですか。仁は必死に彼を助けようとするけれど。

 キムくんの腕の中で絶命するまっつ、を期待した(笑)。

 恭太郎の話をどこまで書いてもらえるかわかんないにしろ、最初と最期はアリかなー、と。

 わたし、まっつヲタやって何年か経つわけだけど、贔屓の死に芝居を、見たいことがナイの。

 蘭寿さんとか、死に芝居が十八番と言われているけれど、それは超路線育ちゆえ。
 死はオイシイエンタメなので、スターしか尺を取って描かれない。
 脇人生だと、死ぬ場面なんか与えてもらえないもの。

 舞台上で死ねるとしたら、モブまで皆殺しになる作品でなきゃ無理。
 ってことで、『愛と死のアラビア』の上演が決まったときに、贔屓の死に芝居が見られる、と期待した(笑)。演出家的にそこぐらいしか、期待できることなくってなー(笑)。
 なのに、死ななかったんだもん。
 その他大勢でどっかーんと皆殺し、も、なかったから。

 長い時間を掛けて、脇からじわじわと真ん中寄りになってきた今、よーやく「モブまで皆殺し」以外で贔屓の死に芝居が見られるかもしれない!と、ワクテカした。

 ドラマでは違うけど、原作では死んでるし。
 キムくんの腕の中で、を見られるかもしんない?!


 えーと。

 キムまつを期待してました。
 仁×恭太郎を。

 や、かけ算がまずいとしてもだ、恭太郎は仁先生を敬愛しているんだし、仁せんせも恭太郎に親しみを持っているし、てな、ごくふつーに良い人間関係を。

 ところが、フタを開けてみるとだ。

 仁先生、恭太郎に興味なし。

 勝@みっちゃんは「ふたりの弟子」と龍馬@ちぎと恭太郎を等しく扱っている。大物なのは天才なのは龍馬の方、恭太郎は天才ではないただの優等生だと、わかってもいる。
 だけど勝様からすりゃ、ふたりともかわいい教え子。
 勝先生はとても平等に、ふたりの弟子を思ってくれている。このへん、正しい感覚だと思うし、いい人だ、人情家だと思う。

 なのに仁先生ときたら。

 勝せんせが恭太郎のことも等しく話題にしているのに、「龍馬さんが?!」としか言わない。龍馬のことにしか、反応しない。

「こいつ(龍馬)とおいらたち(勝と恭太郎)はいずれ敵味方になるかもしれねぇな」→「おふたり(龍馬と勝)が戦うことになるなんて!」

「あいつ(龍馬)はどうなる? 都には恭太郎も勤めている。先生はふたりの命を救ってくれ」→「定められた命を守ることが云々(龍馬を守る決意へ)」

 勝せんせが「龍馬と恭太郎」というたびに「龍馬」単体にすり替えて受け取ってる(笑)。
 もっと直接的に言われたときは、恭太郎のことにも反応するけど、そうでなかったらごく自然にスルーするっぽい。

 龍馬暗殺は歴史的事実だから、ってのがあるにしろ、歴史に残っていない恭太郎だっていつ死ぬ運命かわかんないのに、「龍馬を助ける」ことしか、仁のアタマにはない。

 仁せんせひどいわー、恭太郎は眼中になしか(笑)。

 最初に恭太郎の治療をし、命を救ったのは仁せんせだけど、そもそもあれ、仁せんせを助けようとして斬られたんですけど? 仁に斬りかかった刺客を防いだために隙だらけになって、もうひとりの刺客に斬られたんですけど?

 仁せんせ、そのへんまったくわかってないけど。
 恭太郎が助けなかったら、仁はあそこで斬られて即ゲームオーバーだったんですが?

 仁せんせのアタマには、龍馬さんしかないみたいです。


 おかげで、キムくん最後の公演なのに、キムまつ萌えがナイという……。
 ちぇっ。
 最初の、恭太郎を助けるとこだけですかー。
 でもあれ、ただ「医者として」治療しているだけで、関係性のない場面だから萌えにはつながらないんだよなー。
 サイトーめ(笑)。


 トップスター演じる主人公が愛情関係を持つのが、恋人であるヒロインと、親友である2番手のみ、ってのは、正しいです。タカラヅカとして。
 だから、仁せんせが咲さん@みみちゃんLOVEで龍馬LOVEなのは、いい。それで正しい。
 ただ、勝手に寂しがっているのです、ええ(笑)。


 てなもんで、キムまつを期待していたもんで。

 まさかのちぎまつに、びびる(笑)。

 ちょ……っ、恭太郎さん、龍馬好き過ぎですがなーーっ!!

 人生歪めるほど、龍馬LOVEですか。

 龍馬の方は、一貫して恭太郎のこと、好きでいるんだよね。

 龍馬が仁の前に登場する最初の場面でも、「わしは恭太郎の恩人になんちゅうことを」と言っている。
 この台詞だけでも、友だちだってわかるよね。
 茜ちゃん@さらさちゃんとデートする恭太郎をからかうにしろ、酒の席に誘うにしろ、恭太郎への好意を隠してない。

 自分と敵対することになっても、それが恭太郎の選んだ道ならばと責めもしない。

 あの愛情の寛く大きい龍馬に、直接的にラブコールされて、その都度恭太郎さんはツンツンしてきたわけですか。

 で、ツンツンする恭太郎さんに、それでもへこたれず愛情表現してきたわけだ、龍馬さん。

 出会ったばかりの仁を吉原へ連れて行く龍馬だ。「悪い癖」と勝先生に言われるくらい、日常的におせっかいで助平ならば、間違いなく、恭太郎相手にも、やっている(笑)。

 恭太郎はもちろん完全拒絶だろうなあ(笑)。

 龍馬と恭太郎の日常を想像するだけで、ニラニラが止まりませんわ。

 「坂本さん」にだけツンツンする兄上が、デレるのは最後の最後。

 命がかかった土壇場になって、「坂本さん好きじゃあああ」と自分の心に膝を折る。

 龍馬を斬ることが出来ず、崩れ落ちる。

 でもって恭太郎さん。
 「使えぬ男め、どけっ」と高岡さん@咲ちゃんに隅へ追いやられるわけだけど、そこで終わりじゃないんだよね。
 「龍馬を殺せない」だけなら、使命と本心の葛藤で答えが出ないなら、そのままうずくまっていればいい。

 なのに恭太郎は、龍馬を守るために刀を握る。

 それまで仲間だった侍たちへ、斬りかかる。

 ほら、恭太郎さん、剣の達人設定じゃないですか。
 他の侍たちに1対1で負けるわけないんですよ、一応。
 その彼が斬られるのは、龍馬を助けようとしてなんだよね……。

 高岡と斬り結んでいる龍馬を助けようとして、別の侍に斬られてるの。

 龍馬も、自分を斬ることが出来ずに泣き崩れた姿と、そののち龍馬を守ろうと立ち上がり、自分を助けようとして斬られる恭太郎を、人生の最期に見ているわけだ。
 仁せんせは途中退場っていうか、乱闘の最中にわけわかんないことになってるからねー。

 龍馬の最期に見たモノは、自分のために戦う恭太郎、自分のために斬られる恭太郎なんじゃないかっていう。

 ……それなら、良かったね。
 龍馬にとって恭太郎は、どんな立場でも変わらぬ友人だったわけだし。その友人が、敵のまま死んでいくのと、なによりも友情を取った、真の友だったのだとわかって死んでいくのでは、まったくチガウだろう。

 恭太郎さんは、龍馬を守りたかったわけで、その死を目の当たりにしてどん底かもしんないけどなー(笑)。自分のことめちゃくちゃ責めそうだよなー。
 でも恭太郎さんは、その方が萌えだよなー(笑)。

 いやあ、まさかの龍馬×恭太郎。
 かけ算であってもなくても、えーらいこっちゃ。

 ごっつぁんです。
 ところで、『JIN-仁-』の恭太郎さん@まっつ。
 23歳の役だそうです。
 仁先生@キムくんより、一回り年下です。
 23歳に見えているのかどうか、世間様のことは知りません。

 でもとりあえず言えることは。

 青天、似合いすぎ。

 この人、このまま生まれてきたんじゃないですか? タイムスリップして現代にやって来ちゃったんですよね?
 ヅカイチ青天が似合う人は蘭寿さんだと思ってたんですが、まつださんも負けてませんな!
 侍髷ならNo.1かも?!
 ってな勢いで似合ってます。ファンの欲目であろうとも(笑)。

 タイトな侍髷だと、顔の輪郭がむき出しになるんだなー。それこそスキンヘッド的に。
 頭部からデコのラインの完璧さに震える……(笑)。
 横顔の美しさが際立って、眺めているだけで楽しい。


 見た目が美しい侍だから、もーそれでいいのかなと思う。
 実際、それだけの役割なのかなとも思う。


 ただわたしは、ひたすらまっつを眺めているわけで。
 オペラロックオンして、恭太郎さんばかり見ているわけで。

 恭太郎の、細かい演技に震撼する。

 この物語の中で、いちばん「変わる」のは恭太郎だと思う。
 他のみなさんは、仁を見て「うさんくさい奴」→「神の手の仁先生万歳」になるけど、それは仁に対しての認識が変わるだけで、性格や生き方が変わるわけじゃない。
 劇中で6年経っているというけれど、誰も変化しない。年を取らない。

 恭太郎だけ、明らかに変わる。

 最初の方は、素直で屈託ない若者。まだ「少年」という方がしっくりくるあどけなさ。……いやその、まつださんの外見がそこまで若く見えているかどうか、わたしには判断不能だが(笑)、キャラとしてはそうだよなと。
 「もう子どもではありません」ってのは、少年が大人に向かって言う定番台詞。
 「咲は武士の娘です!」で暴走する咲さん@みみちゃんと同カテゴリの若さ。

 幕府のため国のため、シンプルに未来を信じて自分の能力を信じて、キラキラしている。

 たぶんそれが、挫折するんだろうな。

 ライバル、坂本龍馬@ちぎの存在によって。

 原作ともドラマとも違い、この作品では龍馬と恭太郎を「同門の仲間」として描いている。
 勝@みっちゃんはなにかにつれ、龍馬と恭太郎を同等に語る。共に自分の弟子であると。

 同じ師から教えを受け、恭太郎自身は十分優秀なつもりでいたし、実際の世間的な評価も恭太郎>龍馬なんだろう、公務員たちだーの武家娘たちだーのの間では。
 だけど実際、歴史に名を残す英雄は、龍馬で。
 龍馬と自分の違い、才能や器の違いは、如何ともしがたく。
 その、挫折感。
 周囲の評価ではなく、自分がいちばんわかっている。

 龍馬に対する敗北感が、恭太郎を歪ませていく。

 描かれていないところで、龍馬に対して恭太郎が思うところはいろいろあったんだろうと思うが。

 舞台上で、恭太郎がいちばん変わるのが中詰めショーパートのあと。
 茜ちゃん@さらさちゃんとの仲をからかわれ、龍馬の誘いをけんもほろろに拒絶して。

 「京に行く」と言い出した龍馬を見つめる、恭太郎の瞳。

 「日本」の未来を、そのためになにをすべきかを語る龍馬に、恭太郎の表情はどんどん変わっていく。
 彼自身の台詞「私は旗本。この命、徳川将軍様のために全うする」と言うときには、すでに表情が変わり終えたあと。

 恭太郎を変えたのは、龍馬。

 もともと幕臣として旗本としての矜持も忠誠心もあったけれど、それをよりコアに研ぎ澄まさせることになったのが、自分とは反対の考え方・生き方をする龍馬の存在だ。
 龍馬がいなければ、恭太郎はそこまで過剰に「我が使命」に反応することはなかったのではないか。
 京にまで行くことはなく、生まれ育った江戸で、江戸城にて、旗本としての勤めを果たすのみだったんじゃないか。

 恭太郎が「使命」を語る口調が、どんどん行きすぎていくんだよね。
 龍馬の前で最初に語ったときは、まだ彼自身の意気込みが感じられるのだけど。

 次の勝先生とふたりで銀橋で話すときは、京へ行くことを事務的に報告する。
 勝に責められてはじめて、心を見せる。仁や龍馬に影響を受けたことを吐露する。
 責められなかったら、あの事務的な、心を見せない報告のまま終了してたんだよね。

 で、次の高岡@咲ちゃんの一味として登場するときの恭太郎の歪み方が、ひどい。
 心を閉ざした、不自然な姿。
 自分の選択、生き方に疑問を持ちながら、それを懸命に押し殺した結果、アンドロイドみたいな喋り方になっている。
 高岡さんがドSだから、わざと恭太郎を嬲るし。
 龍馬の名前を出されて、アンドロイド恭太郎は動揺する。心が揺れたことを認めまいと、外に出すまいと葛藤する。

 龍馬を斬ることを使命だと、納得している……しようと、自分に言い聞かせている。

 そして実際に、龍馬暗殺の場にて。
 龍馬はあまりに龍馬で。自分を殺しに来たかつての友を、責めることもせず。
 龍馬だけでなく、仁と咲というプライベートな関係のある人たちまでもがそこにいて、取り繕ってきた仮面が剥がれる。
「私はあなたが嫌いだった」
 使命忠実な旗本なら、その台詞はない。それは幕臣としての台詞ではなく、橘恭太郎自身の言葉だ。心の声だ。

 「嫌い」という言葉は、「好き」という意味。

 恭太郎は古い考えの武士、江戸という時代、オールドタイプの具現のようなモノだろう。
 真面目で実直、与えられたモノを守り続ける。
 龍馬は新しい時代、考え方そのもの。
 江戸という閉鎖された時代が、新しい時代の波に翻弄される。最初は強固に拒絶するが、やがれ関は崩れ、明治維新へつながる。

 龍馬に対して反発しながら、憧れていた。
 惹かれていた。

 龍馬という今までの自分の世界にない考え方があったからこそ、それに対峙する形で恭太郎は自分の生き方を模索した。
 龍馬は鏡だった。
 鏡を見ながら、恭太郎は自分の姿を改めて見ることになった。

 鏡に映った自分自身は、自分が「こうありたい」と望んだ姿だったのか。

 突きつけられる現実。
 極端な方向へ走ることでしか、守れなかったもの……。

 使命を語る恭太郎はどんどん「心」を失っていく。
 不自然に固く、無表情に。

 その歪みが、龍馬を前にして、壊れる。

 「私には出来ぬ」と泣き崩れる。
 龍馬を殺すことが「使命」だと言っていたのに。使命に忠実に生きるのが自分のアイデンティティだと言い聞かせてきたのに。

 幕臣であること、旗本であることは、間違いなく恭太郎の使命だったのに。キラキラした笑顔でそう語っていたのに。
 歪んだ無表情でしか、同じ言葉を語れなくなっていた。
 どこで間違えたのか。歪んだのか。

 龍馬に対峙するために創り上げた「使命」。
 ひとりの男として、龍馬と比肩するために、龍馬と別の道を行くしかなかった。

 龍馬によって歪んだ道は、龍馬によって正される。

 龍馬を斬れないと泣く姿こそ、恭太郎のほんとうの姿。
 歪みがなくなり、やわらかくも真っ直ぐな青年の顔が現れる。


 これら一連の芝居が、やべえ。
 この「祭りだわっしょい!」な作品の中で、恭太郎のドラマは起承転結、一本筋が通っている。

 わたしが恭太郎さんばかり見ているからそう感じるだけ、他の観客には特に伝わるものでもないのかもしれん。
 侍髷の似合うきれーな姿で花を添えている、それだけの役なのかもしれない。

 しかしわたしは、今回もまた、うろたえる。

 まっつって、すごいんじゃ?
 マジ芝居うまいんじゃ? と。

 主役ではないのだから、自分のドラマを派手に展開して、場を壊してはいけないのだし。
 自分の持ち場で、見事にひとりの人物像を演じきっている。

 どうしよう。
 さらに惚れる(笑)。
 
 思いつくままに『JIN-仁-』の話。

 なにしろサイトーくん作の『JIN-仁-』は、芝居というよりショー、なんかのイベントみたいな終始がちゃがちゃやっているだけの作品で。

 祭りだわっしょい! な感じなので、組替えしてきたふたりに、違和感が、まったくない。

 はじめまして、になるはずなのに。

 や、わたしは全組観ているから、ともみんと大ちゃんのことを知らないわけじゃない。
 ともみんは『双曲線上のカルテ』で雪組デビュー済みだし。

 でもやっぱり、全員揃っての大劇場本公演は、別じゃないですか。

 雪組子としての正式デビューじゃないですか。
 はじめまして、じゃないですか。

 なのに。

 はじめまして、と思う暇がない(笑)。

 祭りだ祭りだ~~、わっしょいわっしょい、どたんばたん。
 そんな大騒ぎの最中、知らない人が混ざっていても、気づかない。
 気づいてはいても、気にならない。
 あ、はじめて顔会わせますね、よろしく。それはそうと、わっしょいわっしょい。

 はっちさんだって花組組長のイメージが強く、専科というよりも組替え的な「あれ、何故この人がここに?」な印象があるし。

 みとさんだって前に雪本公演出演時は専科さんだったし。

 我らがナガさんは、ずーーっと雪組のお父さんだったし。

 特出ですよ、スターですよと謳われたみっちゃん以外の顔ぶれは、もうなにがなんやら、カオス。

 サイトーくんのドタバタ芝居と相まって、さらにカオス。

 わたし的には、ずーっとおっさん役ばかりだったまっつが、ケツの青い若造役をやっていることも、さらにカオス(笑)。

 なんかよくわかんない、わかんないけど、祭りだ、キャッホウ!!

 みんな一緒でうれしい!
 みんないっぱいでうれしい!
 わいわいがやがや、がちゃがちゃ、どんどん。
 大盤振る舞いで楽しい、うれしい!


 ……そんな感じっす。

 ともみんと大ちゃんの芝居とか、存在に別の組のカラーを感じたりするのは、また次の公演以降からかなあ。
 今は正直わからんわー。

 『JIN-仁-』はストーリーなしのキャラクタ萌え作品であるだけに、みんなもお、ジェンヌ自身のキャラクタ勝負。

 ともみんはアツい男で、これまた彼の星組時代からのイメージまんま。

 大ちゃんなんか、ひとり異人さんですよ。のっぽの宙組でも十分のっぽの部類だった彼が、コロボックル雪組にやって来て、雪組限定長身スターのきんぐよりはるかに長身なのを見せつけてますよ。
 なんにせよ、大ちゃんに投げチューさせてくれたサイトーくんエライ(笑)。
 これぞ大ちゃん。

 ハートフルでみんなから愛され尊敬され、でも彼自身はひそかに葛藤を抱える「主人公」としての宿命を持つキムくん。
 そんなキムくんを敬愛し、全霊を挙げてついて行くみみちゃん。

 男前で華々しいちぎくん。
 真面目で頑固なまっつ。
 愛らしい三枚目ぶりで客席を沸かせるコマ。
 美形で勝ち気、粋なせしる。

 男臭くてエロくてかっけー大人の男、はっちさん。
 慈愛の人、ナガさん。
 毅然としたみとさん。
 大きく懐深く、みっちゃん。

 みんないちいちアテ書きっつーか、「役」という外枠だけ与えて、中身は本人のキャラが見えればそれでヨシな感じ。

 花形花魁役はあゆっちのキャラクタではないんだけど(あゆっちはキュートなアメリカンガールが持ち味)、彼女の持つ「ヒロイン度」が合っているんだと思う。
 野風はただ美人がやればいいってもんじゃない、華やかなヒロインとしての風格が必要。

 まかせて安心にわにわ、おかみさんならゆめみちゃん、大暴れのばーちゃんヒメ。
 美声と美しい立ち居まかせろ、きゃびい、カレン、いのり、雛ちゃん。

 美貌と娘役としての矜持をばーんと見せつけてくれた、杏奈ちゃん。
 小動物系かわいらしさと、小柄で端正な雪男らしさ、両方を見せてくれたハウル。

 てゆーか、いつもやりすぎの香音くん、最初の立ち回りでの斬られたあとの倒れ方、素晴らしいんですが(笑)。火消しの暑苦しさも含め素敵。

 サイトーくん、さらさと桃ひなちゃん、さり気に好きだよね、と今回も思う(笑)。
 どちらもわざとらしい(笑)かわいらしさが素敵。

 朝風くんは老け役遜色ない実力だし、モブでの存在感がまた素敵。
 央雅くんがなんかかわいい役で、表情豊かな姿にきゅんとする(笑)。
 まなはるもにぎやかで、画面のあちこちでうるさいし!(誉めてます)

 唯一合ってないなーというか、設定が浮いちゃって大変そうなのは、翔くん。
 おっさんには見えないわー……。
 ただ、彼の持つ明るさと単純さ(笑)は、いい方向に働いていると思う。

 ホタテの女形がキマリ過ぎててヤバイ(笑)。いる、絶対いる、こんな女形。
 かなとくんの「美貌担当」っぷりがすごい。
 ザッキーのクドさは、浮世絵まんまだし。

 きんぐとがおりは、本役よりバイトの江戸の男がたぶん、持ち味まんま勝負(笑)。優男と酔っ払い。
 や、本役ももちろんかっこいいんだけど。

 レオくんもまた、本役よりバイトの方が出番も見せ場も多いような……。
 タラシな町の男とか、吉原の男衆、どちらもレオくんっぽい。
 沖田総司は演出意図もあるのかもだが、声が少年過ぎて第一声でびびったなあ。

 あすくんはキャラ勝負かどうかわかんない……けど、美声と滑舌で勝利。

 咲ちゃん色悪がんばれー。ここから未来へつながっている役だ-。

 おーじくんがいい感じに育ってるなあと思う。コロス役、小柄なるりるりとコンビだからなおのこと、おーじくんの男役っぷりがシルエットでもわかるっちゅーか。
 邪悪な笑みとかいいわー。
 るりるりは芸達者だなほんと。そしてわたし、何故かえーちゃんが目に付きます……かっこいいわー。(娘役だってば)

 ひそかにうきちゃんブームの来ているわたし。
 吉原ではうきちゃんですよ、いろっぺー。あの高慢そうなとこがいいの。コケティッシュな上目遣いがたまらんっ。

 ひーこのくノ一は、「ひーこがくノ一」ってだけでもう完成した役だと思う!(笑)
 あんりちゃんの子役も。


 とにかく見切れなくて困るわ。
 祭りだわっしょい!

 みんなわいわいがやがや、がちゃがちゃ。

 キャラクタ勝負だ、辻褄とかストーリーとか、小さいことは気にスンナ!

 楽しいよ。
 思いつくままに『JIN-仁-』の話。

 勝海舟@みっちゃんに、違和感はない。
 大芝居だなーとは思うけど、役的にあれくらいでもいいと思う。

 そしてわたしは、見れば見るほど「雪組にいるみっちゃん」になつかしさを感じるのだ。
 最初はなんなのか、わからなかった。
 大芝居だとか浮いてるとか、そのテの感想も耳に入るんだが、それも含めてわたしはなつかしさを感じる。

 そしてふと、思い至った。

 ハマコだ!!

 うまくてクドくておっさんで!
 派手だけどヅカ的な華とはちょっとチガウ、空気読まないくらいにどーんとした存在感で。
 ヘタすると真ん中食うくらい、実力も押し出しの良さもあって。

 ちょっとハマコ、セーブしてよ、やり過ぎよ。……そう思うことが何度も……つーか、毎公演それがあって、それを楽しんでこそ雪組観劇!って感じだった、あのころ。

 「雪組の男役スターは、まずハマコを倒さなければならない」って、仲間内で定説だったなあ。
 劇団推しのきれいな若手くんは、新公にて、主演したあとに絶対ハマコの役をやらなければならない、とか、全国ツアーのショーにて番手を懸けて挑まなければならない、とか。
 ハマコは放っておくと、周囲を食っちゃうから。彼こそがスター!などーんっとした色を出すから。
 劇団様が「路線スターです」と見せ場を用意した若手スター様が、ハマコの横で空気になってしまう、観客はハマコしか記憶に残らない、なんてことが多々あり。
 ハマコを制して輝けるようになってこそ、はじめて「スター」になれるのだ。
 ……それが、当時の雪組(笑)。

 雪組の若手スターは、あいようこお姉様の相手役をする、お姉様に男にしてもらう、てのもまた、当時の定説だったなあ……。遠い目。
 ハマコとあいようこは、雪組の裏トップコンビと呼ばれてたなあ……。遠い目。

 そんな、なつかしい時代を思い出した。


 そーいや昔わたし、「ほっくんが路線スターなら、ハマコも路線スターでいいじゃん」ってなこと書いてたっけ。
 みっちゃんが新公やってた頃ですな。
 圧倒的な巧さと、……ビジュアルの残念さ。いやその、新公の頃のみっちゃんはそりゃあもお、すごいことになっていてね……よりによってセンスのとんがったリカちゃんと、美貌売りのさえちゃんの役をやっていたわけだからね……。
 ハマコが新公主演して、今は別格として舞台を締めているのだから、ほっくんも脇で長くその芸を見せてくれればいいなと、ブログのどっかに書いていたと思うんだが、探しても見つけられない……記事数3000超えてるから不可能だ……(笑)。

 最初わたし、みっちゃんは真ん中ではなく、脇が相応しい人だと思ってたんだ。
 派手さはある。押し出しの良さもある。
 でもそれは、タカラヅカ的なものじゃない。
 実力があり、持ち味が大人……つーか、おっさん。
 ハマコと、まんまかぶる。

 そう思うところからスタートして、あんまり実力があるもんだから、考え方を変えようと思った。
 きれいじゃなくて実力があるから脇、ではなく、実力があるんだからあとは美貌さえ得てくれれば真ん中になれる、と。

 んで、新公主演のたびに「君に必要なのは美貌だけだ」と書き続けた……(笑)。

 なつかしいなー。


 まさかほっくんが……みっちゃんが、雪組に降臨するとは思ってなかった。
 わたしの中の、なつかしいものを揺さぶられる。

 また、勝海舟ってのが、たしかにハマコの演じそうな役で。もしくは、専科さんが演じそうな役っていうか。
 みっちゃんの演技も、台詞がコブシ回ってるっていうか、周りと空気チガウし。
 それで余計に、そう感じるのかもしれない。


 みっちゃんが「スター」としてどういう位置にいるのか、劇団が彼をどうしたいのかは、知らない。
 ただ、宙組時代はるか下の番手だったちぎくんの下に位置づけての出演は、複雑だなと思う。や、本人たちはそんなの関係ないのかもしんないけど、外野として見ている身には。
 みっちゃん主演『THE SECOND LIFE』は5年前か……あのときちぎくんは2番手で。
 新専科制度による特出は過去にあったけれど、こうまであからさまに立場を逆転しての出演はめずらしいよね。
 ちぎは雪組正2番手、みっちゃんは宙組3番手だったんだから、雪に特出する場合も3番手相当なのは正しいんだけど、劇団は今まで、かつて同じ組の番手下だった下級生の直下に特出させることは避けていたはず。
 いきなりこの扱いか……。

 いやその、いつも気分は崖っぷち、の、微妙路線ファンやってるもんで、人様のこのテの扱いには人ごとじゃないというか、心がヒリヒリします……。


 みっちゃんは、タカラヅカ的な華ではないかもしれんが、舞台人として無視できない「派手さ」を持っている。
 それは実力云々以前に、とても大きな武器。

 彼がこれからどういうジェンヌ人生をたどるのかわからないけれど、彼が正しく才能を発揮し、その舞台姿が、本人もファンも喜ぶカタチであることを祈る。


 とりあえず今は、わたしはなんか郷愁。
 なつかしい雪組のことを、思い出す。

 わたしがガチな雪担だったのはトド様時代なんだけど、コム姫時代もずっと通っていたし、実はナニ気に観劇回数多いのは水しぇん時代だったりする。
 雪組がずっと同じだったわけではないし、ガチ担と「雪組も好き」では感じ方もチガウのだろうし。
 わたしがなにをもって「なつかしい雪組」と思うのか、実は自分でもわかっていない。
 ただ、キムくんは「雪組」の具現、雪の御曹司だと思っているし、それだからこそなお愛しい。

 ひとつの時代の終焉に、「雪組らしさ」にこだわっているのかもしれない……わたしが、無意識に。
 それゆえに、みっちゃんにも雪組の記憶をこじつけているだけかも、しれない。
 すまんのう。年寄りは順応性低くて、懐古主義でのう。
 思いつくままに『JIN-仁-』の話。

 オープニングの高岡@咲ちゃんのポーズを見たときに、ツボ直撃してうろたえた(笑)。

 出たっ、サイトーくんの萌えポーズ!!

 サイトーくんはなにかトラウマでも抱えてるのか、ってくらい、頬の傷が大好物だよね。
 敵役は絶対に、主人公に頬に傷つけられ、復讐の鬼と化す。

 頬の傷は、愛憎の証。
 敵役は何度も頬の傷をなぞり、主人公への妄執を口にする。
 で、なにかっちゃあ、傷を隠してんだか宣伝してんだかわかんないポーズを取る。

 才蔵にしろグァルディオラにしろ椿にしろ……何回同じことをやれば気が済むのやら。

 何度も何度も見てきた「あのポーズ」でたたずむ咲ちゃんを見て、笑いツボ直撃したよ……サイトー……。
 今回は主人公の仁@キムではなく、龍馬@ちぎに対する敵役だけどねー。何故か仁先生には、原作にもドラマにもあった敵役は存在せず、彼を誉め讃える人しか出てこないんだよね-。(江戸時代にストーリーがないのは、そのへんにも理由がある)


 いや、いい役だと思います。
 サイトーくんの愛情(笑)の詰まった役。

 無意味に情念こもった色悪なポーズや喋り方、もったいつけた立ち居など、下級生を成長させる役だと思います。

 しかし、研6の咲ちゃんが大人役で、研15のまっつが若造役って、なんでこんなことに。キムくんが高校生やったのとは訳がチガウ。
 やっぱひとつずつ役がズレた結果なのかなあ、と研7の翔くんがおっさん役であることも含め、思ってみたり。

 大変そうだなー、と思うけれど、本公演で無理矢理にでも大人の役を演じることは、本人のためになるよなー、と思ってみたり。


 咲ちゃんは今回、声がよくなったとしみじみ思ってます。
 初日より回数重ねた方がさらに、イイ声になってる。

 少年の声でなく、貫禄ある大人の声を出そうとしてるのがイイ。

 タッパはあるし、声に説得力が出てきたし、で、大劇場の大きさもあって、彼自身の幼さや、まともに言葉を交わす相手がよりによってまっつだってことは、……遠目には、違和感ないんじゃないかな? その、タカラヅカをはじめて観る人には。
 たぶん。

 ぴちぴちの少年がおっさんぶり、目の下にシワを常駐させた大人が少年ぶっている、なんて、遠目にはわかんないよね?
 わたしとか、ヅカファンには違和感あったとしても。『星影の人』の水しぇん状態だったとしても。……大丈夫よね?
 わたしには判断不能(笑)。

 や、高岡さんはいい役だと思います。はい。
 別にいなくていい役なのに、わざわざこのキャラだってことは、サイトーくんの萌えがそこにあるからでしょう。
 龍馬を襲うだけなら名もなき刺客がたくさん、でいいんですよ。龍馬を追う有名人枠は新選組が担ってますから。

 龍馬暗殺部分は、ヅカオリジナル演出。
 サイトーくんが『維新回天・竜馬伝!』を、わざわざパロって作った場面。ヅカの龍馬だから、ということより、ちぎくんが新公で演じた場面ってことで、パロディにしたんだろうなあ。あ、ごめん、オマージュって言うべき?
 原作にある龍馬暗殺絡みの主要キャラを今回の作品では出していない、その代わりに高岡さん。
 オリジナルの緩い部分だから、ナニやってもOK!ってことで、サイトーくん定番の頬に傷のある復讐鬼になったんだろうなあ。
 いや、逆だったらどうしよう、頬に傷をやりたいから、龍馬暗殺があんなことになっていたんだとしたら(笑)。

 くノ一@ひーこをいつも連れているあたりからして、もう「やっちゃった」感あふれる役だよなー。
 サイトーくんのお気に入りの役。きっと龍馬主役に1本書くとしたら、2番手が高岡なの。彼は銀橋で「復讐の鬼」ソングを歌うのよ~~。

 てな、素敵な役を演じる咲ちゃんが、役をモノにして確かに成長している姿を見られて、笑いツボを押されながらも「サイトー、GJ!」と思いますた。


 役というか、扱いに感動したのは、読売り@あすくん!!

 安定してうまいし、美形なのに、ちーーっとも日の目を見ないあすくんが、大劇場センターで歌っている……。じーーん。

 アーサー@『虞美人』を思い出した……。

 劇団はあすくんを路線様として売り出す予定はないんだろうけど、せっかくうまくてきれいな子なんだから、もっともっと使って欲しいよー。観客としては、うまくてきれいな子がたくさん活躍している方が、うれしいんだからさー。
 あすレオの同期売りもしてくんないしさー。
 こだまっちの『仮面の男』ムラ版が闇に葬られてなかったら、あすくんの世間への認知度も違ってたろうになあ。……こだまっちめ(笑)。

 この読売りの長七郎くん、吉原にも出没してるんだよねえ。
 あー、うん、男子だもんね(笑)。


 卒業する杏奈ちゃんとハウルに見せ場があるのは、言わずもがな。

 杏奈ちゃんはねえ、初見で「おさらばえ」で号泣し、それ以降の観劇時、オープニングで美しい花魁姿で艶やかな笑顔で歌い踊っていることに気づき、再度泣くんですよ。
 仁先生は美しい夕霧@杏奈ちゃんとは会ったことないのにね。それでも、「観音様のようだった」と言われる美貌の姿で仁先生の世界にいるの。


 ハウルの見せ場は、三枚目的な容姿の佐吉と、マジに二枚目として存在する、花魁道中の男衆。
 佐吉は、トップスター相手に銀橋で芝居するんだよなー。すごいよなー。銀橋で、ってのは、そうそうないよな。
 で、男衆は個別の名前も台詞もないけど、とにかく美形。シリアスに大劇場センターに立つ。これもなかなかないことだよね。
 三枚目とタカラヅカ的美形と、両方の見せ場を用意してくれたサイトーくんに感動した。

 「頬に傷の復讐鬼萌え~~」とかやってる男なのにねえ、サイトーくん(笑)。
 思いつくままに『JIN-仁-』の話。

 いろいろいろいろ思うところはあるが、今現在いちばん、ここだけ変えてくれればいいのに!!と切望するのは。

 ラスト、東京で死んだはずの結命@みみちゃんと再会する仁@キムくんが、「夢じゃなかった」と江戸時代の人々を思い起こす……あの場面にて。

 たったひとこと。
 このひとことがあれば、救われるのに、と、毎回じれじれ思っていることがある。

 本舞台に江戸時代の人たちが立ち並び、コロスの人々からナニから全員集合になる。
 それを銀橋で仁と結命が眺めている。
 江戸の人々が見えているのは仁だけ、結命にはふつーの風景が見えているだけらしい。

 鈴が鳴り、どうやら今はクリスマスであるらしい。
「こんな季節に蛍が?」
 ふつーの風景しか見えていない結命は言う。

「空の星が降りてきたみたい」

 ここで仁は、「あの日もそうでしたね」と言う。

 江戸時代にて、咲@みみちゃんが同じ台詞を言っているんだ。それに対し、仁は「あの日と同じ」とつぶやく。

 ここがっ、この仁の反応が、すごく嫌(笑)。
 そうじゃないだろ、そこはチガウだろ、と、もどかしい。痒いところがあるのに、まったくチガウところを掻かれたような据わりの悪さ。

 ここで結命が咲と同じ台詞を言うのは、何故か。

1.咲の子孫だから。血がつながっているから。(=咲と結命は別人)
2.咲と結命は同一人物、同じ魂を持った存在だから。

 仁が「あの日もそうでしたね」と思い出を語ると、「1.」の意味になっちゃうのよーー!!

 咲と結命が「血がつながっているから、顔が同じ」というだけの「別人」だと、仁が咲と6年掛けて愛を育み、「ここで生きてゆく」とさんざんくり返した言葉、態度が全部嘘になる。
 愛していたのは結命だけ、咲は結命と同じ顔だったから、結命の代役として気持ちを移しただけ。
 結命がいれば、咲なんかどーでもいー。

 結命は咲の子孫だったんだ。だから似てたんだ。そっかあ、咲を好きだと思ったのは、結命の血縁だったからだ。咲を好きだと思ったのは、ただのカンチガイだったんだな。
 よーやく正しい答えにたどり着いたよ。

 咲のことは美しい思い出。結命にたどり着くためのステップ。
「あの日」を美しく思い浮かべるだけ。

 ……チガウ。
 こんなん、チガウ~~!!

 「2.」の意味なんでしょ?
 仁がコロコロ心変わりしているのではなく、誰かを利用していたのではなく、咲と結命は同一人物、時空を超えて何度もめぐり会い、愛し合う運命の恋人なんでしょ?

 だったら、ここでの仁の反応は、ひとつだ。

 江戸の人々が口々に「先生」と仁に呼びかけている。だが、結命にそれは見えていない。ただ蛍が舞い踊っているようにしか。
「こんな季節に蛍が? ……空の星が降りてきたみたい」
「咲さん?!」
「えっ?」
「……いえ、なんでもありません」
 そこへ、咲の声「先生」。
「聞かせてくれませんか、その仁友堂の話を」

 結命と咲が同一人物である、と仁に反応させる。

 映像作品ならここで、結命の姿に咲が重なって、咲がにっこり微笑んで「先生」って言ってるんでしょ?
 それなら同一人物だって誰だってわかるだろうけど、ここ、舞台だし。

 「あの日もそうでしたね」なんて「終わったこと」と思えるような反応じゃなく、今ここにいるのが咲だってことに仁が驚愕してくれなきゃ。

 仁の「あの日もそうでしたね」が、過去の思い出語りではない、結命=咲だと気づいたからだというなら、

「あなたは、あの日もそう言ってましたね」

 と、変更希望。
 今のままじゃ、わかりにくい。結命が咲と同じ台詞を言っている、ことに対して「思い出」ではなく、今現在の結命に、咲として話しかけていることが、はっきりわかるように。

 でもやっぱ、仁には一度驚いて欲しいな。江戸時代のことが夢じゃなかった、とわかったからって、夢と咲が同一人物だと気づくのは別次元の話だし。
 同一人物だと気づき、驚く。……それによって客席も一緒に気づき、驚けるのに。

 ラストは、答え合わせなんだよね。
 何故結命と咲が同じ顔なのか。
 今のままじゃ、「咲の子孫が結命だから、血がつながっているから、同じ顔」という、外見的な答えしか出ていない。
 仁が何故、結命を愛し、咲を愛したのか、その答えになってない。
 つか、むしろひどい。
 「子孫だった」という外側の答えに納得して、咲のことは「いい思い出」にして、目の前にいる結命になびているように見える。
 だから「顔が同じなら、誰でもええんかいっ」になる。

 顔が同じことの答え合わせじゃないの、それは解答に至るまでの計算式でしかないの。

 答えは、「魂が同じ、同一人物」でしょ?
 仁が咲(結命)と愛し合うのは必然だった、ということでしょ?

 なんでちゃんと演出できないのかなあ。
 や、もともとこのパラレルワールドオチは反対なんだけどね。結命が生き返っているエンドなら、10月15日欄に書いた「仁が存在する世界」が正しいと思っている。
 今のエンドは、わけわかんなくてキライ。

 それでも、いろいろいろいろ目をつぶって耳をふさいで、脳内補完して眺めている。
 今のエンドでいいから、結命の中に咲を見て、仁が驚愕する台詞に変えて欲しい。

 たったひとことの変更でいいんだ。

 ふたりの永遠の愛エンドにして欲しい。

 小太郎@きんぐと貫太郎@がおりがラヴいです。

 公式サイトの『JIN-仁-』の「主な配役」には、きんぐは中岡慎太郎、がおりは近藤勇とだけ載っていますが、それらの役は数分間……ぶっちゃけ、アルバイトやってるときの方が、長いです。

 江戸の町人の小太郎と貫太郎。
 これがふたりのアルバイト。

 ふたりは仲良し。
 いつも一緒。

 小太郎さんは、安定のきんぐ、素敵なチャラ男です(笑)。

 一見涼しげな二枚目。
 そして、女に手が早い。

 話しかけた女の子に、当たり前に肩を抱きます。

 えーと。
 江戸時代……だよね? 世間話みたいにその場で会った女の子の肩、抱きますか? 肩抱いておしゃべりしますか?

 最初の街の場面でも女の子の肩抱いてたし、次の瓦版屋を囲む場面でも女の子の肩抱いてたし。すずちゃんと蒼井さんだっけ?

 別の女の子だから、恋人ってわけじゃないんだろう。
 横にいたから、そこにいたから、手を出すんだろう。

 ちょっと二枚目だと思って!(笑)

 吉原にも行きます。花魁相手にべーったべた。

 なにこのチャラ男。
 ちょっと二枚目だと思って!(笑)

 そのくせ、隙だらけのゆるゆる男です。

 2回もお駒@せしるに財布掏られてます。
 アタマ悪そうです。

 …………きんぐ…………。


 小太郎の相棒の貫太郎。
 こちらはまぬけな酔っ払いです。
 酒瓢箪ぶらさげて、いつも千鳥足で赤っ鼻。

 アタマ悪い小太郎が財布を掏られるたびに、「お前が掏ったな」と疑われる、可哀想な人です。

 ……しらふの小太郎と、千鳥足の貫太郎が並んでいるのに、手練れの女掏摸お駒は、しらふの小太郎をカモにするんですよ。小太郎、どんだけ……。

 小太郎に疑われようと身体検査をされようと、貫太郎は気にしちゃいない。
 いつもご機嫌。
 で、小太郎と一緒。

 吉原だって、ふたりで行っちゃう。
 で、ふたりでひとりの花魁とひとつのお座敷。
 とーぜん花魁は小太郎が早々にコナかけてる。貫太郎はひとりぽつん。や、少しは貫太郎にもお愛想してるみたいだけど。とにかく小太郎タラシだから。


 やだもう、楽しい!!

 なにこいつら。
 なんでふたりでえんえんいちゃいちゃしてるの?

 初日とその翌日までかな、小太郎さん、赤っ鼻ぢゃなかったの。
 ふつーにハンサムながおりさんのまま、ただ酔っ払い演技だけしてたの。
 ふつーにハンサムながおりさんのまま、二枚目のきんぐさんといちゃこらしてたの。

 なんのサービス?!

 近藤勇役との差別化のために、途中から赤っ鼻にしたんだろうけどさ。
 大丈夫、赤っ鼻でも、萌えられるから!!(笑)

 小太郎→貫太郎希望。

 あの色男の小太郎さんが、赤っ鼻の酔っ払い貫太郎とつるんでるのは、小太郎さんが貫太郎を大好きだから。
 財布を掏ったとか絡むのも、好きだからだよね(笑)。ふつーに考えて、並んで歩いている相手の財布は取らないでしょ、なのに疑うなんておかしすぎるもの。わざとやっているとしか思えない。
 んで、貫太郎はあんましナニも考えてない。疑われても、身体検査までされても、怒らないし、絶交しないし。
 ……ふつー、友だちにそんなことされたらキレるぞ。でも平気、ってことは、コタさんとカンタさんはそーゆー関係なんでしょう。や、よっぽど気心知れたツレ。ナニやっても言っても問題なし、関係にひび入りませんっていう。

 小太郎さん、理由付けて貫太郎に触りたかっただけじゃあ……?>身体検査


 途中から、本業のために貫太郎さんがいなくなって、小太郎さんだけになるの。
 寂しいわ……。
 ふたり一緒がいいよう(笑)。


 ところで、おヨネ@ヒメ。
 コタさんとカンタさんが町でいちゃいちゃ……もとい、ぎゃあぎゃあやっているときに毎回絡んでくるんだけど……。
 もつれるふたりを、杖でちょいちょいつつくの。
 2回目の町の場面の方かな。コロリじゃなくて、美しき季節の方。

 いつだっけか、杖が、きんぐのお尻に刺さってた、ように見えた……。

 見てて「あ」と思った。
 今、痛かったんじゃないか、アレ……?

 ヒメも「あ」って感じにあわてて杖を引いて、きんぐはお尻押さえて体勢変えてるし。

 カラダ張ってるよなあ、タカラジェンヌ……(笑)。

 や、一瞬そう見えただけで、真実は知りませんが。

 おヨネさんのフリーダムさと、コタさんの災難にウケました。


 がおりの近藤勇はかっこいいし、きんぐの中岡慎太郎も美男で素敵なんですけどね。
 アルバイトのふたりも、大変オイシイです。

 役が多いっていいなあほんと。
 他の人たちもみんなみんな、なにかしら楽しくて、目がいくつあっても足りないの。
 仁先生@キムくんって、幕末に興味なかったんだなあ、と思う。
 龍馬@ちぎくんを見て「これが坂本龍馬? 歴史の教科書に載っていた偉大な男? ぜんぜんイメージがチガウ!」と考える。

 えええ? 「坂本龍馬」の超ステレオタイプ、誰もがいちばん単純に思い浮かべる龍馬像、まんまじゃん。

 幕末の出来事は、ただ教科書で勉強した知識でしかないのか……。
 ドラマもマンガもまったく見ないで、勉強ばかりしていたお医者さんなのか。

 仁先生は若くてイケメンで、いろいろと視野も広そうに見えたんだが、ふつーに現代人やってたら、「坂本龍馬」のキャラクタぐらい興味なくても知っていそうなもんだが、そうでなかったってことは、ほんとに医学書以外読まないサブカル全滅の人なのか。

 ちょっと残念だな、それ。


 まあ、それはともかく。
 『JIN-仁-』の龍馬は、あまりに、龍馬だ。

 史実云々よりも、現代日本人が思い描く、「幕末ヒーロー」としての龍馬。
 「記号」としての、坂本龍馬。

 仁先生が物知らずなだけで、龍馬はもちろん、あれでいい。
 だって観客は期待しているもの、「龍馬と言えば」という、龍馬像を。
 龍馬くらいのヒーローになれば、彼を本気で主人公として描く作品でない以上、ステレオタイプの「坂本龍馬」以外は不要だ。
 観客が求めているのが、ソレなんだもの。

 欲しいと思っているモノを、差し出される喜び。
 見たいと思っているモノを、見せてもらえる快感。

 坂本龍馬@ちぎが、かっこいい。

 もうね、もうね、オープニングから、かっこいいの!!

 仁が江戸時代にタイムスリップする、そのどさくさにオープニング……サイトーくんらしい、「ザ・サイトー!」な場面があるんだけど、ここの龍馬すごく好き。

 映像にアニメにセリに銀橋、なんでも使ってとにかく派手派手。
 物語中のキャラクタ勢揃い。

 恋人の結命@みみちゃんを失った仁が、「もしやり直せるなら 君を今度こそ救うのさ」と歌う。

 仁が銀橋にいる間に、本舞台の中央セリが開いていて、仁の銀橋と入れ違うように、舞台中央に龍馬がせり上がってくる。

 龍馬は歌う。
「もしやり直せてもまた 同じ道を歩くだろう」

 暗殺によって非業の最期を遂げた英雄が、まっすぐな目で、志を歌うわけですよ!!
 初見より、2回目以降キます、これ。
 ラストで彼、言ってるんですよ、「わしが死ぬことでこの国の命が守れるのなら、喜んで定めを全うするがぜよ!」。
 その言葉通りなの。

 彼は何度やり直しても、自分が死ぬとわかっていても、胸を張って目が輝かせて、同じ道を選び、生き抜くだろう。

 命を救う使命を持つ、医者の仁。
 彼の手を超えたところにいる、龍馬。

 仁は、龍馬に対しても思うわけだ、「もしやり直せるなら 君を今度こそ救う」。
 結命は仁がタイムスリップしたことで(歴史を変えたことで)、生き返った……つか、死ぬ運命を回避したけれど。

 龍馬は、そうはならない。
 彼は何度仁がリトライしたって、刺客のいる京に行くだろうし、日本の未来のために尽力するだろう。

 ある意味、仁と龍馬は相反する存在だ。

 だけどふたりは、手を取り合う。

 主題歌「My Life Your Life」を歌いながら。

 親友として。
 別の道を歩きながら、別の使命を選びながら。
 それでも、尊敬を込めて、手を取り合う。

 いやあもお、わくわくしますねー。
 龍馬かっこいい。大好きだー。
 これぞ「坂本龍馬」!


 それからね、後半にある、龍馬のテーマソング。

 近藤勇@がおりと、わざわざ銀橋で派手に名乗り合って殺陣があって、近藤なんかわざわざ銀橋センターで見得を切って退場する、無意味にかっこいい場面。

 この近藤退場と入れ替わるカタチで、龍馬にライトが当たる。
 で、テーマソング。

 ここ、めちゃくちゃ好き。

 龍馬かっこいいっ。かっこいいかっこいいかっこいいっ!!

 「流れる風に身を任せ♪」って、えーっと、歌詞はちゃんと聴き取れてないんだが(笑)、そんなことはどーでもいい、些細なことだっ。
 ライトがばんっとあたって、龍馬の銀橋ソロ、この演出が震えるほど好き。

 しみじみ思う。
 わたし、ちぎくんの「声」好きだなあ。

 ちなみに、水しぇんの声も大好きでした(笑)。

 今回、ちぎくんの歌声がすごく好き。のびやかな、素直な歌声。
 龍馬の持つ、晴れ渡った青空みたいなイメージに、合致する。
 広がりがあって、平面に見えて、実は深いという。

 あー、ちぎくんかっこいいなあ。大きいなあ。や、身長のことじゃなくて(笑)。
 「ヒーロー」が正しくハマる彼は、心から「スター!」だと思う。


 そして、やっぱり、ちぎくんが次期トップスターだったら良かったのに、と思う。

 壮くんに含むところはなく、どの組だから誰だからではなく、順当引き継ぎがいちばんいいと思うってことだ。

 『JIN-仁-』は仁と龍馬の友情物語でもある。
 オープニングの手を重ねる演出にしろ、この「2番手」としての押しも押されもせぬ堂々たる演出にしろ。
 こんなにかっこよく成長した「スター!」のちぎくんを見て、キムくんとの信頼や並びの良さを見て。

 キムくんが創り上げてきた「今の雪組」を、キムくんの2番手であるちぎくんに、継いで欲しかった。

 まとぶんが創り上げた「当時の花組」を、壮くんに継いで欲しかった、と当時『愛のプレリュード』を観て思ったように。

 どの組だからとか、誰だから、じゃないんだ。
 組って、トップと2番手って、そういうもんなんだ。


 誰が悪いとか、誰かをdisる意図はなく、順当引き継ぎが見たかったなあと思う。

 や、未だに「キムくん、辞めるのやめないかな」と往生際悪く思っているクチなので(笑)、いちばんいいのはキムくんをもっともっと長く見ていられることなんだけど。えりたんを好きなことや、彼のトップが喜ばしいこととは別に。


 わたしはキムちぎまつのコロボックル・トリオが大好きだ。
 彼らがキムくんを頂点に三角形に踊る図が、大好きだ。

 その愛する姿を、もう二度と見られないことが、さみしい。
 ねえねえサイトーくん、サイトーくんに聞きたいの。

 「テーマソング」がある人とない人の差はナニ?

 芝居というより、キャラクター・ショーの考え方で作られている、『JIN-仁-』
 みんな出てきたらとにかく「自分のテーマソング」を歌う。

 主人公の仁@キムくんがテーマソングを持っているのは当然として、龍馬@ちぎの他に、辰五郎@はっちさん、千吉@ともみんとか、どーゆー人選なの(笑)。

 龍馬にしろ辰五郎にしろ、歌の中でちゃんと自己紹介、名乗りを上げてるのよね。千吉はを組としてだが、とにかく彼らに共通しているのは、名乗りを上げて見得を切っている、『RSF』のドリーム5並のことをしているわけですよ。

 自分で歌っているわけじゃないけど、野風@あゆっちも花魁道中にて、他の花魁たちの歌で自己紹介。場面ひとつ使ってのテーマソング、名乗り上げ。
 佐分利@コマも、仁友堂として、咲とのデュエットだけど、彼的にはテーマソングに含めていい歌と場面がある。

 脇のキャラクタにもこうやって、いちいちテーマソングと名乗り上げ場面があるというのに。

 何故か、ヒロインの咲@みみちゃんには、名乗りを上げるテーマソングがない。

 勝海舟@みっちゃんにもないし、恭太郎@まっつもない。


 どーせやるなら、全員やっちゃえばいいのに。と、思う(笑)。

 謎の男仁に肩入れし過ぎることで、母の栄@みとさんに注意を受けた。
 あのあたりで一発、「南方先生について行きます」ソング、尊敬と恋情が一緒くたになっちゃってる一途なテーマソングをかますとか。

 咲があまりに一本調子というか、最初から最後まで変化がないので、もっと別に、「迷っている咲」「とまどっている咲」を表現する場として、テーマソングを活用してもいい。
 そーゆー「いつもとチガウ」面を見せて思い悩みながらも、それらを突き抜けて「先生ラヴ!」に着地するとか。

 てゆーかヒロインなんだ、彼女の心情表現場面と銀橋ソロは必要だろうに。


 勝先生はちゃんとしたソロもないことだし、自己紹介テーマソングやっちゃえばいいのに。
 大政奉還あたりでひとり演説してないで、「日本の未来は俺が守る」的なべらんめえソングを一発。

 恭太郎さんも、ちゃんとしたソロはないんだよねー。よりによって「安道名津宣伝ソング」を歌ってるし、茜ちゃん@さらさちゃんとラヴラヴ銀橋デートでデュエットしているので、もう十分な気はするけど(笑)、こちらもやはり、やるならやっちゃえ自己紹介テーマソング。
 最初の方のキラキラした純真青年のときに「旗本としての誇りと使命」をキラキラ歌ってもヨシ、後半の追い詰められちゃって暗い男になってるときに、情念込めて「旗本としての誇りと使命」を歌ってもヨシ。

 この際だ、近藤勇@がおりと新選組@レオくんたちも1曲歌っちゃえ。本筋と関係ない人たちだけど、いいよいいよ!
 「坂本龍馬は俺が斬る」てな歌。
 んで、同じ曲を高岡@咲ちゃんと楓@ひーこも歌っちゃえ。名乗り部分だけ自分たちの立場に変えて。
 どっちのチームも銀橋出てきて、ポーズ付けて歌うんだ~~。絶対派手だよ、かっこいいよ!

 自己紹介テーマソングばっかしで、ストーリーの流れ止めて、いちいちショー場面になって、話がぜんぜん進まない!
 でも無問題。だってもともと、話ほとんどナイし!(笑顔)

 もー、とことんまで極めちゃえばいいよ。

 サイトーくん作の『JIN-仁-』って、そーゆー作りの作品だよね?(笑)
 全編、『RSF』のドリーム5銀橋で出来上がってて、その合間にちょっくら芝居しているよーなもんだよね?

 って、誇張だが、根っこは間違ってないよね?


 真面目に「芝居」とか「人間ドラマ」を描こうして、あんな作りにはなってないと思うの。
 本筋とは関係ない、いらないショー的場面ばかりが時間を取り、ストーリーは詰め込みすぎでわけわかんない。

 『JIN-仁-』の感想です。

 ん? これって、どっかで見たぞ?
 こだまっちの、『仮面の男』だ!

 『仮面の男』もまた、ストーリーは無視して、ショー場面がやたら挿入されていた。
 人間ボウリングだとか、こびとダンス、唇ソファに唇パペット、『H2$』パロ、監獄拷問コーラス、首つりパフォーマンスに天国ラインダンス、人間ミラーボールに野菜人、影絵にくらげぶくぶく。

 でもわたし、『仮面の男』はナシだと思ってるけど、『JIN-仁-』はアリだ。

 だって、『仮面の男』のショー的場面は演出家の見せ場だったけど、『JIN-仁-』のショー的場面はジェンヌの見せ場なんだもん。

 ストーリーもジェンヌも無視して「独創的なワタシを見て!」と、演出家が奇をてらうことだけに終始した『仮面の男』と、『JIN-仁-』はチガウ。

 『JIN-仁-』はなあ、もー、笑えるくらい、「かっこいいスター様を見て!」になってるんだよなああ。

 作品中いちばんいらない場面は、中詰めだよね?

 恭太郎@まっつが安道名津食べて「うまい!」ってやって、ドリーム5が見得を切って、恭太郎さんと茜@さらさちゃんが歌いながら銀橋渡って、仁@キムと咲@みみが銀橋渡って。
 その後ろで、火消し衆@はっちさん、ともみんたちが踊って、お駒@せしるたちが踊って。

 突然はじまるショー場面。

 別にここ、なくていいし。ストーリー上、必要ないし。
 火消し衆の反目なら、会話だけで十分だし、そのあと勝@みっちゃん、龍馬@ちぎくんと仁先生、恭太郎さんの会話につなげて問題ない。

 また、火事の場面も仁先生がなにもしていないので、なくていい。
 火事の場面にて、わざわざ時間と場面を取ってやったことはといえば、火消しのみなさんの銀橋ダンスだけ。
 予算がなかったのかサイトーくんの限界なのか知らないが、なにもないがらんとした本舞台の上を2枚の赤い布を持ったコロスが走り回っているだけで、大火事には見えない。
 すごい火事で、被害が拡大、そこで火消しのみなさんが活躍し、仁先生が医者として身体を張って傷病者を治療したんだ、というエピソードは、まったく伝わらない……てゆーか、ない。
 時間だけ取って、主人公がなにもしていないんだから、不要な場面だ。

 安道名津がいつの間にか出来上がっていたように、火消しの人々も「この間の大火事のときの働きで、南方先生を見直した」という台詞一個で片が付く。

 あと、役としてもほんっとに無意味なのは、近藤勇@がおり。
 龍馬を斬るのが見回り組の高岡@咲ちゃんである以上、近藤が出てくる必要はない。京の場面で新選組が走り回っているのはいいけど、近藤が名乗りを上げて、わざわざ銀橋で龍馬と立ち回りをする必要は、まったくない。
 ここまで「重要人物」として登場させるなら、なにかしら役割があると観客は思うし、混乱を招く。
 ここはショー的場面ではないが、銀橋での殺陣があり、見得を切った近藤、龍馬の銀橋ソロ、と続く派手な演出なのでショー場面カウントしてみる。

 こんなことに時間割いてるヒマがあったら、仁が「医者として」野風@あゆっちのガン手術に取り組んでいるところだとか、仁がどう思ってこの江戸で暮らしているかだとか(現代に帰りたいと思ったり、帰るためになにかしようとする場面は必要だろーに)、未来のネタバレをしようとすると頭痛が起こる=歴史の修正力とかの話をするべきじゃないのか?
 また、ヒロインの咲が、仁をどう思っているか、彼女サイドの場面があるべきじゃないのか? いつも一本調子で「南方先生は神!」とやってる情緒乏しい女の子に見えるぞ?

 なのに、ストーリー根幹部分は無視して、派手に歌い踊ることばかりに必死。
 それって変じゃん、おかしいじゃん。

 でも、わたしは好き。

 たしかに、いらない場面だし、いらない演出だ。

 でも、恭太郎さんと茜ちゃん、仁先生と咲が、「美しき季節」と歌いながら銀橋を渡るのが好き。
 その後ろで、火消し衆や、お駒さんたち江戸の女たちが踊るのが好き。
 歌舞伎役者のホタテマンたちが、特撮的に見得を切るのも好き。

 火消し衆が纏を手に銀橋に並び、歌い踊るのが好き。

 近藤がわざわざ銀橋で見得を切るのが好き。
 そこから龍馬の歌になるのも好き。

 ジェンヌの、「見せ場」だもの。タカラヅカスターの、「タカラヅカスター!!」な場面だもの。

 理屈抜きに「うわ~~~~っ!」と高揚する。わくわくする。
 タカラヅカだ! タカラヅカっていいなあ!!
 そう思う。

 わざわざ時間かけて、銀橋使って、ナニをするかって、自分のテーマソングを歌うために登場するんだよ?
 このバカバカしさ、最高。

 歌じゃなくても、銀橋じゃなくても、とにかくみんな、自分のテーマ、「こーゆーキャラでござい!」とやるためだけに派手な演出が仕込まれている。

 奇抜な演出を見せたいだけだった『仮面の男』とはちがう、あくまでも、主役はジェンヌであり、原作のキャラクタたち。
 あのジェンヌがこんな場面を! こんな歌を! こんな台詞を!
 あの原作キャラが、こんな場面を! こんな歌を! こんな台詞を!
 ……そーゆー、「ファン」のための「ストーリーとは無関係な、派手な演出」なんだ。

 だから好き。楽しい。


 火事の場面の演出は、これからでもいいから、変えて欲しいと思ってるけどねー。
 火消しの銀橋はあのままでいいから(ともみん、さいこーだ!)、本舞台をなんとかしてほしい……。
 お金なかったのかなあ、あまりにも寂しい画面。
 火事で傷つき倒れる人たちを手当てする仁先生(危ない逃げろと言われても、そのまま治療を続ける)と、コロスたちと闘うように踊る火消しの場面にしようよ……セリと階段いろいろ使って立体的に。
 誰の手当もせずに、自分の関係者だけ助ける医者、それに感動する火消しの頭領、って、おかしすぎる……。

 野風さんは手術場面をきちんと描く。『BJ』や『長春』であったよーな手術ダンスぢゃないけど、仁先生が医者として腕を振るう場面をショー的に描く場面がひとつくらいは必要なんじゃ?
 手術を派手な場面にすれば、結婚式は不要っすよ……。


 ストーリーを深く描けとは、まったく思ってない。だってサイトーくんだもん。最初からそこには期待してない。
 ストーリーそっちのけで、とにかく派手にショー的に盛り上げてくれること。期待はソコですよ。

 まあ、ストーリーをちゃんと書き、キャラクタの心情も深く書き込み、その上でショーアップした楽しいモノにしてくれても、ぜんぜんいいんだけどね。
 つか、それがいちばんなんだけどね。

 同じ「本筋とは関係ない、いらないショー的場面ばかりが時間を取り、ストーリーは詰め込みすぎでわけわかんない」ものでも、『JIN-仁-』はぜんぜんアリ。
 楽しい。
 なんやかんや言ってますが、『JIN-仁-』は好きです。今回の公演、ショーと芝居どっちが好きかと聞かれたら、芝居と答えるくらいには(笑)。

 迷走上等!のサイトーくん作『JIN-仁-』は、モチーフが好きなモノであることに加え、愛情だけは見える作りであるため、脳内補完+脳内盛り上がりできるのね。

 サイトーくんは力不足でまったく描けていなかったけれど、咲と結命、トップ娘役がふたりのヒロイン役を演じているのは、ふたりが別人設定ではなく、「同じ魂」「何度めぐりあっても愛し合う、運命の恋人」ってことでしょ?
 最後に出会う結命のなかに、咲が生きているわけでしょ? だからこそ、再び恋に落ちるわけでしょ?

 仁@キムは、恋人の結命@みみを失い、「もしやり直せるなら 君を今度こそ救うのさ」という思いを抱き、結命ではないけれど彼女と同じ魂を持った咲に出会い、彼女に惹かれ、咲を愛し江戸の人々を愛し真摯に生きることで、結果結命を救うことになった。
 結命のなかに、咲が、そして江戸の人々との出会いが生きている……。
 だからわざわざ、オリジナルヒロインの名前が「結命」……命を結ぶ、なんだよね?

 そーゆー話だよね?

 そのスピリッツが、ぜんぜん描けてないけど(笑)、描きたかったんだってことは伝わっているから、泣けるの。

 「神の手」ともてはやされながら、いちばん大切な人を救えなかった。
 その、悔恨。

 それは、「すべてを持ち合わせた人」と謳われながら、誰よりも孤独だった、カルロス@『ドン・カルロス』に通じる。

 誉められれば誉められるほど、、感謝されればされるほど、彼の心の傷はうずく。血を流す。
 他人が見ているモノと、真実の自分との乖離に、絶望がつのる。

 咲の役目は、仁を救うことなんだなあと、思った。

 自分自身を許せず、罪を背負ったまま生きている仁。
 どれだけ他人を救い、神と崇められようと、彼は自分を救えない。
 他人を救うことで、医師としての使命を全うすることで、折り合いを付けようと努力しているけれど、ほんとうのところ、彼は自分を許せずにいる。

 人を救うことは、仁が生きている意味……いや、言い訳なんだ。

 や、もちろん仁は誠実で真摯な医師だから、目の前で傷病に苦しむ人をあるがままに誠心誠意救っている。それはほんとう。
 だけど、その奥の奥で。

 他人の命を救っているんだから、必要とされているんだから、生きる意味はある……愛する人を救えなかったような自分でも、生きててもいいんだ……そう、言い訳になっているんだろう。
 それが、夕霧@杏奈を救えなかったことで、仁はその「言い訳」すら失う。
 現代の設備さえあれば救えた……つまり、「神の手」は仁個人ではなく、あくまでも現代の技術、設備、……仁自身になんの価値もない。
 結命ひとり救えなかったように、仁にはなにもできない、誰も救えない……。

 そう絶望した彼が、目の前の咲にすべてをぶつける。
 「もう限界だ」と。
 自分は150年後の未来から来ただけの、神でもなんでもない、無力な男なのだと。

 その仁の悔恨を、罪の意識を、自虐を、咲が、救う。

 難しいことなんてなにも理解しない、無垢な魂で。
 無邪気な誠実さで。

 全肯定する。

 神じゃない、無力だ、無意味だ、と投げ捨てる仁の言葉を聞いたのに、それを聞く前と同じ信頼を語る。仁は人々を救っていると。
 仁が救えなかった恋人も、幸せであったのだと。

 無力じゃない、無意味じゃない。

 仁は人々を救い、幸せにしている。

 仁自身が信じられずにいたことを、咲が教える。
 仁が見えないままだった世界を、咲が照らす。

 だから仁は、「この世界で生きる」と決意する。
 なにをなすべきか……自分を肯定し、自分に出来ることをする。自分を愛し、自分の生きるこの世界を、出会う人々を愛する。

 結命を救えなかったことで閉ざされていた仁の瞳が、心が開く。
 咲によって。

 そして……。

 咲と共に生きる決意をした仁は、やがて再び現代へ戻り、そこで生きている結命と再会する。

 医術に生きるのだと言った咲が、医師となった結命のなかに生きている。

 形を変えて、何度でも仁の前に現れる結命(咲)。
 絶望と希望、哀しみと喜びを編み込みながら進む、時間の輪。

 そのなかで、仁と結命(咲)は出会いと別れを繰り返しつつも、真摯に生き続ける。
 エンディングでは、仁と結命の物語ははじまっていない。
 きっとこれから、はじまる。
 いくつもある、彼らの物語、そのなかのひとつ。

 いつか別の時代では、ロミオとジュリエットだったかもしれない。
 ニコライとマーシャだったかもしれないし、カルロスとレオノールだったかもしれない。
 別の平行世界では、レンとアリエルだったかも、しれないね。


 主題歌の「My Life Your Life」では、「もしやり直せるなら 君を今度こそ救うのさ」とある。

 そしてこの歌は、さらにこう続くのさ。
 「もしやり直せてもまた 同じ道を歩くだろう 君と過ごした 美しい季節」

 何度出会っても、どこの時代、どんな姿でも。
 ロミオとジュリエットでも、仁と咲でも。

 何度やり直せたとしても、別れが待っているとしても。

 それでも、君を愛する。
 サイトー作の『JIN-仁-』はひどい話だ。
 主人公の仁@キムは、ただ単に結命@みみの顔が好きなだけで、顔が同じならなんでもいいらしい。
 ガンで死んだ結命、江戸時代の咲@みみ、そして再び出会ったスーパードクターの結命、全員、顔が同じなだけの別人だが、それだけでOK、LOVE問題なし!

 ということになっているけど、別にわたし、本気でサイトーくんが「女なんて外見だけだろ、好みの外見なら中身なんかどーでもいい、どれでも同じ」とか「原作ヒロインの咲なんてどーでもいい、自分が作ったオリジナルの結命だけが大事」とか「仁は結局歴史を変えないし、江戸時代はただの夢オチだし、なーんにもせずに都合のいいパラレルワールドに行ってハッピーエンド」とか、思って書いてるとは、思ってない。

 単に、能力が足りなくて、書けなかっただけだよね?

 咲や江戸の人々をないがしろにする気なんかない。
 咲こそをヒロインだと思っている。
 江戸で仁がやってきたことを無駄だなんて思ってない、それこそがメインだと、意味があると思っている。
 タイムスリップものだと思っているし、顔が同じなら誰でもいいわけじゃない。咲と結命がWヒロインなのにもSF的仕掛け・意味があると思っている。

 ただ、能力がなくて、できなかったんだよね?
 心はあるんだよね? のーなしなだけで。

 悪意や欺瞞ゆえに物語をぶっ壊しているのではなく、善意と熱意にあふれ、ただバカだから台無しにしているだけなんだよね?

 えーと、「タカラヅカ」によくある光景です。
 演出家の先生は、みんなタカラヅカを、そして生徒たちを愛している。愛にあふれた作品を作り、卒業公演ならなおさら、愛情いっぱいに生徒を送り出したいと思っている。
 ただ、悲しいかな能力が足りてないだけで。

 目指す高見と、現実がチガウのは、人間である以上、いくらでもあることです。

 そして、そんな作品を客席で観ているのは、わたしたち人間。

 作品のおかしさよりもまず、愛情を受け取る。

 演じている生徒たちの真摯さ、作った演出家の愛情。
 なにより先に、それを受け取る。

 花火と同じっす。
 まず光が先に目に入る。遅れて、重い音が響く。
 伝わる速度がチガウの。

 なにより先に、「愛」が届く。

 この世界で、もっともシンプルに、ストレートに、早く伝わるモノ。
 愛情。
 理屈や計算じゃない、そこにあるから、伝わる。感じる。
 思考する必要すらない。
 在る。だから、わかる。

 作品がおかしいこと、壊れていることが伝わるのは、時差がある。

 「いっぱい泣いた、感動した。でも話はよくわからない部分があった」……なんて感想が、タカラヅカではままある。
 時差があるから、最初に伝わる愛だけを受け止め、それ以外の部分を受け取らずに終了させているのね。全部受け止める必要はない、欲しいところまででシャットアウトすればいい。

 『JIN-仁-』は、愛情がある。

 退団者にもだし、キャスト全員にも、「タカラヅカ」にも。
 宝塚大劇場という、日本屈指のキャパと設備を誇る劇場にも、愛情と誇りを感じる。
 そしてもちろん、原作にも。

 『エル・アルコン』のときに感じた、「サイトーくん、うれしいんだね」が、そこかしこに感じられる。
 大劇場の舞台設備使いまくり、セリも盆もスクリーンもフル稼働、銀橋使いまくり。
 ストーリーも整合性もないけど、原作のキャラクタたちが見せ場をもらって生き生きと見得を切っている。
 辻褄合ってないけど、なんか「いい台詞」を言って、「いい場面」をやっている。

 芝居というより、「ショー」の方法論で作られた舞台。

 同じコワレ方でも、ガチガチに台詞や理屈でぶっ壊されるより、ショーの中のストーリー性のある場面くらい、話が足りず雰囲気だけで味わう系のコワレ方の方が、わたしには害が少ない。

 わたしやっぱ、台詞で壊れたことを言われるのが、いちばんダメみたい。
 「人としておかしいよソレ」な内容を、主人公が涙ながらに「正義」として熱弁するのが、いちばん逆ツボ。

 『JIN-仁-』において、ありがたいことに主人公は、誰かにえんえん説教して相手を否定したりしない。間違ったことを「涙ながらに熱弁」することで「正義」にしない。
 相手を屈服させること・征服することでオスとしての快感を得る、男性的な原理を根っこに置いた「クライマックス」を作っていない。


 熱弁を振るうのがクライマックス、盛り上がり、ではないけれど、ソレのない『JIN-仁-』はクライマックスがないっちゅーか、盛り上がってないけどね(笑)。
 盛り上がってるのは中盤まで、つーかねえ……。

 ショーの方法論で作られた舞台だから、深みはないし、人間ドラマもハナから描いてない。
 キャラが出てきてわいわいやっているだけ。
 それでいいし、全編「お祭りだー!」で終始してくれるのは、ぜんぜんいい。

 でも困ったことに、前半はソレで通しているんだけど、後半で方向性を失ってきてるんだよなー。

 「神の手」を持つスーパードクター仁すげえ! で通してきた祭りだったのに。
 クライマックスになるべき後半で、仁先生は医者としてナニもしてないからさー。

 えんえん手術場面を舞台でやるわけにはいかないためだろうけど、野風@あゆっちの手術は舞台奥のイメージのみ? 大火事の傷病者手当もせず、龍馬@ちぎも助けない。

 ガンだと結婚できない、と言っていたのにしれっと大金もらって結婚した野風は結婚詐欺師、仁はその共犯者になっちゃうから、結婚式こそ舞台奥のイメージとか花道でどっかの場面のついでにしてもいいから、手術をしたことを「わかるように」描かなければならなかった。
 これはもお、場面の取捨選択ミスだよな。

 その他は、根本的な間違い。
 とりあえず、火事で医者がやることは、炎の中に飛び込んで咲を救うことではなく、炎も恐れず傷病者を手当することだろうよ……。
 命を狙われている龍馬を救う、ってのは、斬り合いの中で龍馬をかばうことではなく、斬られた龍馬を手当てすることだろうよ……。

 サイトーくんが、途中から仁が医者だってこと、忘れたんじゃないかと、心配するレベルで、仁先生ナニもしてません(笑)。

 仁が医者であり、「人の命を救う」ことを使命としているのがテーマでありながら、後半はソレが皆無なので、盛り上がらないのな。
 危機に陥った→仁が医術で救った→みんな幸せ、祭りだわっしょい! ……だったのに。

 それでも、仁が突然涙ながらに説教はじめなかったから、ぜんぜん許容できる(笑)。

 仁が医者だってことも、タイムスリップがなにかってことも、みんな忘れてるみたいだけど、まず愛情が伝わるから、間違っているところ壊れているところは単に能力が足りてないだけで、描きたかった高見は別にあることが、わかるから。

 愛だけを、見ようと思う。
 『JIN-仁-』のあらすじを書こうとしたら、タイムスリップした先の、江戸のストーリー自体がろくに「ない」もんで、書きようがなかった(笑)。

 つまり、重要なのは現代パートで、江戸パートはどーでもいいんだろう。
 江戸でやっていたことは、「現代で早世した結命を甦らせる」=「医学の進んだ世界でなら、結命は死なない」とか、「結命の先祖である咲が医者になり、子孫も医学に関わるようにする」=「医者一族の生まれなら、意識も環境もチガウから、ガンも早期発見可能」とか? 結命のいる現代を変えるためのこと。
 とにかく、現代に戻った仁が、生き返った結命とハッピーエンド、てのが最重要なんだよね?
 江戸時代の咲は、そのハッピーエンドのための、過程でしかなくて。

 原作のヒロインである咲を、そんな扱いにしちゃうことへの疑問は、大いにある。
 原作ヒロインを「ただの道具」にして、自分のオリキャラを「運命の恋人・正ヒロイン」にするサイトーくんの無神経さは置くとして。

 仁が戻ってきた世界はいったい、なんなんだろう?

 ややこしいから、記号を振ろう。

 舞台最初に出てくる、婚約者の結命を乳がんで失った仁が、仁A。彼が生きている現代東京を、東京A。癌で亡くなった結命が、結命A。
 そこに現れた、謎の急患が仁B。
 江戸時代にタイムスリップし、咲に指輪を贈り、6年後に現代へ戻って来た仁が、仁A+6。死んだはずなのに、咲の子孫となって生きていた結命が結命B。結命Bが生きている東京が、東京B。
 日にちがないのもややこしいので、仁Aが仁Bに出会って、彼を追いかけてセリから落ちて(ドラマでは、非常階段)、江戸にタイムスリップした日にちを、2012年10月12日とする。

 前日欄でわたし、「江戸時代の6年は、現代では6日のことだった」と書いた。
 だって仁先生自身がそう言ってたんだもん。
 謎の急患を追いかけて、セリから落ちて、江戸で6年過ごして、見廻組の高岡に斬られて、現代に戻ってきたら、あれから6日しか経っていなかった、と。

 だから最初、仁A+6が戻って来た現代……つまり東京Bの日付は、2012年10月18日のことだと思ったの。12日+6で。

 でも、そうじゃないんだよね。
 仁A+6が登場する前に、緒方先生とナースのヒメが話している。「あの患者は6日も意識がないままだ」と。(今日また観劇して、気がついたわけだな)
 えーっとこれって、「江戸時代の6年は、現代では6日のことだった」じゃないよね?
 仁Aが仁Bを追ってセリから落ちたその2012年10月12日に、ちゃんと仁A+6は助け出されて手術を受けていた、と。

 つまり、仁Aの肉体はずっとこの現代にあった。
 意識不明だった6日間見ていた夢が、江戸時代の6年間だった。
 だとしたら、仁A+6の肉体は仁Aのままなので、彼の頭のケガは、刀で斬られたモノではなく、高いところから落ちたせいってことになってるの? この世界では?

 このへん、めちゃくちゃだー。

 仁A+6が戻って来たのは、東京Bであって、もともと彼がいた東京Aではない。
 彼はタイムスリップしたのではなく、パラレルワールドに移動してしまった、と見るべきでは?

 もしも、仁Aが江戸時代に行き、そこで歴史を変えたために未来が変わったとしても、東京Bになるのはおかしいんだ。

 だって東京Bには、南方仁という男が、存在しない。

 東京A→仁Aが歴史を変えた→東京Bと、つながった世界、同じ世界が変貌したモノならば、仁がいなくてはならない。

 つまり、こうだ。
 仁A+6が目をさますと、そこに結命がいる。
「良かった! 逃げ出した患者さんを追って、階段から落ちて意識不明だったのよ」
 東京Aの2012年10月12日の話の続きだ。
 だが、ひとつちがうのは、結命がいること。
 死んだはずの結命が生きている。この結命は結命A’と呼ぶ。
「わたしがガンで死んだ……? なに、そんな夢を見ていたの?」
 医者と患者だったなんて、とんでもない。結命A’はこの仁友堂病院の院長、ゴッドハンドと呼ばれる女医だ。仁は彼女の右腕とも言える脳外科医。今回の仁の手術だって、結命A’が執刀したんだ。
「……そういう設定になってるのか……」
 江戸時代で歴史を変えたために、現代の設定も変わってしまったんだ。
「南方先生、これでまたひとつ、院長に頭が上がらなくなりましたね」
「結婚しても、かかあ天下決定だ」
 ナースのヒメと緒方先生も笑っている。
 あと、例の患者(仁B)は消えたようにいなくなってしまったこと、警察にも届けたが、なんの進展もないことを報告される。

 仁Aが生きていた経緯、人間関係などまったく変わることなく、ただ、仁友堂関係だけが変わっている。それゆえに、結命がA’となり生きている。
 それが、仁A+6が戻ってくる東京Bであるはずだ。


 なのに、実際には、まったくチガウ。
 仁A+6が戻って来た東京Bには、そもそも仁Aはいなかった。
 仁Aが働いていた大学病院はなくなり、代わりに仁友堂病院になっている。同じ建物で、ゴッドハンドと呼ばれていた医者は仁Aだったのに、結命Bになっている。
 病院の誰も、そして結命Bも、仁という男を知らない。

 えーと。
 ここまで別モノだと、仁Aの江戸時代話、さらに、まったく、完膚なきまでに、いらなくね?

 仁Aが江戸時代にタイムスリップして、彼ががんばって歴史を変えたおかけで結命が助かった、というよりも。

 もともと、結命が元気に生きている世界に、やってきた。ってだけじゃないの?


 江戸時代の話がメインであり、江戸時代のヒロインがヒロインであるはずなのに、それが全部「ただの道具」でしかなく、重要なのは現代と現代のヒロイン……というだけでも、ひでえな、ヲイ、だったのに。

 そもそも江戸時代の話全部、なくても問題なしじゃん?

 東京A(結命が死んだ世界)→東京B(結命が生きている世界)へ来ただけなら。
 仁Aが江戸でがんばったおかげで変わったのは、東京A’という世界で、どこか別にあるんだよ。上記の、結命A’がいる、仁が生きていたまんまの世界なんだけど、仁友堂関係だけ設定の変わった世界。


 だとしたらさあ、いったいこの物語、ナニがしたかったんだろう。

 東京Aで仁Aが愛していた結命Aも、江戸で仁が愛していた咲も、さくっと見捨てて、忘れて、まったく別の世界、東京Bで機嫌良く天才として生きている結命Bと出会って、ハッピーエンドなんだもの。

 わたし、結命Aと結命Bは同一人物かと思ってたんだ。
 結命Aが死なずに済んだのが、結命Bかと。だから仁が結命Bを愛するのも仕方ないかなって。
 咲が「道具」なのは納得できないけど、作品のヒロインは結命なんだから、仕方ないかなって。

 結命も「道具」なんですか。

 よーするに、顔が同じなら、なんでもいいのか、南方仁。

 ひでえな。


 ま、トップ娘役が演じているなら、なんでもいい、ってことなんだろうけど。
 みみが演じている役なら、キムくんなんでも愛しますよ、って、それってとっても「タカラヅカ」。

 ……でもさ。

 サイトーくん、放課後、校舎の裏に来てくれるかな?(笑顔)
 『JIN-仁-』のストーリーを語ろうとすると、途方に暮れる。
 ストーリー? ストーリーなあ? あったっけ……?

 南方仁@キムはイケメンのスーパードクター。神の手を持つ男。でも、婚約者の結命@みみを乳がんで亡くし、内心やさぐれている。
 あくまでも、内心。対外的には誠実で柔和な頼れるドクター様だもの。心の傷はひとりだけで背負い、他人の前では笑って、ふつーに日常生活を送っている。

 そんな彼が、謎の急患@りーしゃを追ってタイムスリップ。りーしゃはウサギ、キムはアリス。
「時間がない、時間がない」
「ウサギさん、どこへ行くの?」
 ウサギを追って飛び込んだ穴の奥、落ちた先には、不思議の国が。

 仁が落ちた先にあったのは、不思議の国・江戸。

 そこで仁は、現代の医学知識を使って、江戸時代の人々を助ける。
 幕末の有名人にも、市井の無名の人々にも、たくさん出会う。
 結命と瓜ふたつの少女・橘咲@みみにも出会う。

 この時代にはない治療法や薬を披露したり作ったり、死ぬはずの運命の人を助けたり、少しの間でも寿命を延ばしたりしているわけだから、未来が変わってしまう。
 最初は「それまずいんじゃね?」と思うが、江戸時代生活が長くなると、そんなの気にしていられなくなる。何年もこっちで生きてんだから、ここで生きることを考えるべきだよなと。

 で、タイムスリップものにありがちっちゅーか、自分が死にかけた(もしくは、死んじゃった?)ら、もとの世界に戻って来た。
 江戸で6年生きたはずが、現代では6日しか経ってなかったよ! ありがちだよ!

 そしたら、死んだはずの結命は生きていた。
 仁が江戸時代でいろいろ歴史を変えたせいだ。
 約束通り、仁は結命の命を救ったんだね! ハッピーエンド。


 ……あれ?
 メインであるはずの、江戸時代の話は??

 小ネタ的エピソードはいろいろあるし、キャラクタはてんこ盛りで登場してばったばったやってるんだけど、大きなストーリー自体は、ない。
 皆無。

 よーするに、仁が江戸時代に存在しない知識を持ち込んだことで、医学の進歩が早まったんだよ! 結命の先祖の咲が医術に目覚めて、日本医学発展に貢献したよ! というだけのこと。
 それゆえに、現代医学で救えなかった結命が、助かった、と。

 メインであるはずの江戸時代には、ストーリーが、ない。
 原作やドラマでは、医学ネタやキャラクタ個々のドラマ、幕末という魅力的な世界の新旧視点による再構築と追体験、タイムスリップ(謎の赤子……つーかなんたら奇形腫?)の謎解き的ミステリ展開、などをじっくり描いていたわけだが、そんなもんが、一切ない。潔いほど、ナニもない。

 ということで、ストーリーを語れない……(笑)。
 キャラクタのエピソードを語るのが、ストーリーの代わり。
 どのキャラがどんな風に登場し(=仁と出会い)、仁先生ラヴ!になるか、に終始する。
 危機にも陥らないし、大きな事件もない(原作では大きな危機や事件も、この舞台では大したことなくさらっとあっちゅー間に流される)し、ただめでたしめでたしが積み重なる。

 いやあ、こうやって語ると、ひどい話だな(笑)。

 ストーリーないし、危機もなにもなく、いつもハッピー。
 いや、数名亡くなってますが、みんな「結果オーライ」的でな。ひたすら仁先生マンセーだけで話が進む。

 そのくせ、クライマックスのまとめ方はひどいし(笑)。
 まともなタイムスリップものだとは、誰も期待して観てないだろうけど、それにしても説明不足。

 龍馬@ちぎの血をあびた仁の中に奇形腫(龍馬)が生まれ、死にかけたことでタイムスリップ、現代へ。謎の急患とは、江戸で6年過ごした仁自身。で、体内に龍馬も飼ってる(笑)のに、現代の仁がその龍馬(奇形腫)を取り出してしまったから、あの謎の赤子の声「やめて、離さないで」になる。
 6年後の仁(龍馬)は、龍馬(奇形腫)を手に逃げ出し、仁はそれを追いかけて江戸時代へタイムスリップ。

 これじゃ永遠のループになっちゃうんだけど、仁が歴史を変えていることと、現代に戻って来た時間が違うことで、パラレルワールドに舞台は移行しているんだろう。
 仁は江戸時代で6年過ごし、それなりにおっさんになっているはずなのに(りーしゃごめんよ)、少年のようなキムくんのまま、「あれから6日しか経っていない」そうなので、パラレルワールドの仁は肉体ごとタイムスリップしたのではなく、精神だけなのかもしれない。
 6日間意識不明で眠っている間に、6年分の別の仁の体験をしたのかもな。

 んで、眠っている間に、別の仁が歴史を変えて、東都大学病院だっけ?かは、仁友堂病院になっている。
 んで、死んだはずの結命は、仁友堂院長・橘結命となって元気にゴッドハンドをやっている。

 目覚めた仁はぴっちぴちの若者のまま、元気でゴッドハンドで大病院の院長という、なにかも持ち合わせた結命と再会、ハッピーエンド。

 別の世界では、仁が永久に同じところをぐるぐる回ってるのかもしれん。江戸時代から龍馬憑きでやってきた仁(謎の急患)を追って仁が不思議の国……江戸時代へタイムスリップ、そこで6年過ごして龍馬憑きになって現代に現れ、現代の仁に追われて……と。

 えー、そーゆーことなのかと理解したんだが、どうなんだろう。
 説明不足すぎて、わけわからん。
 「タイムスリップもののお約束」的な共通認識や、原作とドラマの知識があるから、勝手に話をつなぎ合わせてこんな感じかなーと思ったわけなんだが。

 まあ実際、わからなくても、なんの問題もないし。……ひどい話だ(笑)。

 大きな失敗をしてやさぐれている主人公がタイムスリップして、いろいろがんばって、元の世界に戻って来た。「6年経ったはずなのに、目が覚めたら6日しか経っていなかった」ときたら、なんの説明もいりません、失敗はなかったことに、歴史が変わっていた。……それがお約束です。

 だから説明不足でも平気なんだろう。ひどいなー。


 ひどいひどいと何度も言いましたが、そーゆーところをひっくるめて、アリだと思っています。

 ストーリーなんかなくて、肝心要のタイムスリップ話も「お約束だから」というだけで説明もろくになく、やっていることは、キャラクタの見せ場を作ることだけ。

 ひどいんだけど(また言いました)、その「キャラクタ=ジェンヌを魅力的に見せるだけの舞台」ってのは、アリだと思うのよ。

 だからこの作品のいちばんの欠点は、1時間35分以内にまとめられなかったことに尽きると思ってる。

 ……ストーリーないんだから、ショーの時間削ってまで長々やる必要ないじゃん(笑)。
公演グッズあれこれ。@JIN-仁-
 伊勢名物の赤福を食べるとき、上のあんこを取り除いてモチだけ食べるわたしには、安道名津というお菓子がどういうモノなのか、さっぱりわかりません……まだ売ってるとこすら見たことないや。
 や、興味が薄いから売り場に駆けつけてないとはいえ、11時公演の開演前に完売するとか、ありえないだろそれ……。

 食べ物より、なんつってもカタチに残るグッズ系ですよ、重要なのは(笑)。
 毎公演発売されている「公演グッズセット」とやらを買ったのは、生まれてはじめてです。
 劇団の「スターさえ載せときゃ文句ないんだろ」系の、手抜き切り貼りモノが昔から苦手でなあ。センスわる……ありえない……。
 と、思ってましたとも、この20年。
 なのになのに、贔屓が載っている、ただそれだけで全購入ですから! 劇団の思うつぼ、ええそうですとも「スターさえ載せときゃ文句ないんだろ」は正しいですわよ、どんだけ自分の趣味とはちがっていても、買っちゃうもんな!!
 そーやって劇団はこの20年同じセンスのグッズを作り続け、100周年を間近にしているわけです。

 「公演グッズセット」はクリアファイルとメモ帳とフェイスペーパーとトップコンビのポストカードがひとまとめにされており、定価で売られてます。
 セットである意味どこにもなし。バラで買っても同じ。
 贔屓が載っているのはクリアファイルとメモ帳とフェイスペーパーだけで、ポストカードは不要だから、バラで買うのが正しいんだが、いいんだ、キムみみ好きだから「セット」で。

 レジの大行列に並んだあとで「しまった、ポスター忘れた!」と思ったけど、列に並び直すのが嫌で、また今度。

 ほんとにこの「写真データ切り貼りしただけ」のグッズは、好きじゃない……。ポスターは告知するモノだからいいけど、手元で使うグッズなのにさー。
 デザイン意図が最初からちがっているのだから、センス良くしようがないのはわかるが、それにしてもひでーなーと思う。
 でも、飾る(笑)。劇団の思うつぼ! 負け犬上等!(笑)
 自宅でよくよく眺めれば、3つの切り貼りグッズ、微妙に別写真なんだわ……今まで知らなかった……。ファンなら全買いしなきゃならないんだ……写真が全部チガウんだから……。

 こうやって、公式グッズに贔屓が載る、なんて、夢にも思ったことがなかったのです。別箱公演のクリアファイルだけでも、夢みたい、大喜び!だったのに。
 本公演ですよ、クリアファイルだけでなく、他のグッズもアリなんですよ?
 なにがどう、じゃなく、ただ単に考えたことがなかった。
 今の立場だけでも「夢みたい!」な状況なので、それ以上は特に考えることがないというか。自然にサーモスタットが働くというか。

 だから本公演ポスター入りしたときは、驚いた。

 ポスターに載った、ということは。
 そこにいろんなことが付随する。
 なにがあったっけ、興味なかったから、こんだけヅカをきゃーきゃー観てきてたくせに、いちいち驚く。
 スカステニュース内の公演CMにまっつも登場したこと、番組の合間に入る公演案内にポスター撮影風景とインタビューが流れること。
 わーお、こんなところにも登場するんだ!
 そして、ポスター写真を使われる公演グッズにも、登場する。

 本公演のポスターのありがたさを、噛みしめた。

 で、もうひとつ。

 こっちはナイかなー、と半ばあきらめ、つーか半信半疑で見に行った。

 劇場内ラウンジにある、スポンサーCMスペースの横。
 スターのポートレート・コーナー。

 ちょ……っ、ここも、アリでしたよ!!

 ポスター5人の写真だ!!(右上画像ね)

 いっつも3枚しか写真を飾られていなかったところに、5枚も飾ってある!
 わーいわーいわーい!!

 こんなに近くで、まっつの大きな写真を見られる。
 記念撮影だってできちゃう!

 うれしいうれしいうれしい。

 いやあ、この未涼亜希さんがもお、超美形でなあ(笑)。
 プログラムの1ページ写真の恭太郎さんは全身写真のみ、バストアップはショー写真のみ、だから恭太郎さんのアップ写真を近くで堪能できるのはありがたいっす!! イヤッホウ!


 はやく舞台写真も出ないかなー。
 また全買いするのになー。
 まずは買い逃しているポスター各サイズ買わなきゃなー。もう貼る場所ナイけどなー。

 劇団様の犬となり、まっつの載っているグッズ・雑誌は全買いしますよ、ええ。
 そんな人生。

 安道名津も、まっつが舞台で毎日食べてるなら、がんばって買ってみるかな……もちろんあんこもよけずに食べるのさ……。1個くらいならたぶん、食べられる……。

(赤福その他のあんこ載ってます系和菓子は、わたしがあんこを取り分けておくと、家族があんこだけ食べるのなー、わたし以外はみんなあんこ大好きだもんなー。安道名津も、買って帰ったら家族が喜びそうではある・笑)
駆け抜ける、一瞬の風のように。@JIN-仁-/GOLD SPARK!
 芝居に、「中詰め」がありました。

 ショーのお約束。
 オープニング/場面1/場面2/中詰め/場面3/フィナーレ……という構成における意味での、中詰め。
 オープニングに匹敵する、出演者総ラインアップの華やかな場面。

 雪組公演『JIN-仁-』『GOLD SPARK!』初日観劇。

 芝居の演出は、サイトーくん。
 いいときと悪いときの当たり外れの振り幅が大きく、幕が上がるまで不安の方が大きいサイトーヨシマサ。

 今回は、わたしの好きな方のサイトーくんでした。
 いい悪いではなく、好き嫌いの話です。

 すなわち。
 おもちゃ箱をひっくり返して、ハイスピードで人生謳歌。
 繊細さだーの深みだーのはないけれど、とにかく色とりどりで落ち着きなく、愉快に突っ走って「完」、という作風。

 サイトーくんは、詰め込みまくった方が面白い。
 ヘタに余白があると、余計なことして話(キャラ)が歪む。
 それよりも、あれもこれもと話(キャラ)を詰め込んで、具が多すぎておにぎりうまく握れない!くらいの濃度がいい。

 大きなストーリーがどうこうより、キャラとエピソード拾っていくだけで終始するから、「キャラ物」と割り切っていられる。
 そのラノベ的というか、真夜中の1クールで終わるアニメ見てるみたいなお気楽さがいい。

 こーゆー世界観なので、中詰めがあっても変じゃない。
 ストーリーに関係なく、ただキャラの盛り上がるショー場面がどーんと入る。
 『花恋吹雪』でさんざんやってた、アレ。『エル・アルコン』でやってた、アレ。
 ああ、これが出るなら安心だ、これは良いサイトーくんだ(笑)。

 わかりやすく登場人物全員が「使命」「使命」と口々に言ってくれる。おかげで、原作の持つ深みや旨味は全部、お手軽な「特撮モノ」「ヒーローアニメ」的テーマに統一されちゃう。
 こんだけ「描くこと」を小さくまとめれば、あとは「キャラ物」としてがちゃがちゃやってても、なんとか話がまとまって見えてくれるってもん。

 考えすぎないで、あとはキャラに萌えていればそれでよし。

 役が多いって、いいね!!

 観劇予習のためHPの「主な配役」をプリントアウトした人がさー、「『銀英伝』が長いのは覚悟していた。でも『JIN-仁-』はさらに長かった!」と感嘆していたのを、思い出した。
 配役欄の、物理的な長さ。スクロールしてもスクロールしても、配役がある。
 ふつーの作品より役が多く、配役ページが長い『銀英伝』。それよりもさらに、役の多い『JIN-仁-』! 『銀英伝』でA4用紙2枚だったのが、『JIN-仁-』では3枚いったってゆーからなー(笑)。

 舞台の上にやたらめったら人がいて、彼らがみんな、それぞれに人生送っているわけですよ。役があって、生活してるの。
 RPGの、ただ歩いていて、話しかけると「ここは江戸よ」と一言だけ決まった台詞を言って通り過ぎる、何回話しかけても「ここは江戸よ」と同じ台詞しか言わないNPCじゃない!っていうか。

 役があってキャラクタがあって、下級生たちまですげー勢いで芝居している。
 それを眺めているだけでも楽しい。
 で、また、キャラクタが、合っている。
 主要キャラから、モブの人々まで!

 主人公の南方仁@キム。

 タカラヅカ的な、心に傷を持つ美形天才ドクター。

 この潔い設定!
 現代日本の外科医のくせに、ロン毛でちょいやさぐれハート(笑)。天才だっつーのが周知の事実。「神の手を持つ医者」だと言われている。

 江戸時代の人が、現代医学を知る仁先生のことを「神の手」と言うのはわかる。
 そうじゃなくて、現代でも「神の手」なの。

 原作ともドラマともチガウ、あくまでも「タカラヅカ」の仁先生。

 キムくんへのアテ書き。
 それが、心地いい。

 仁先生にひたすらついて行く咲@みみちゃんもまた、キムみみふたりの関係に自然とオーバーラップする。

 人間関係のドロドロ、策謀や裏切り、その他いろいろのアレなことは一切描かず、「人間っていいな!」だけを描いたストーリー。
 出てくる障害は誤解とか時代・歴史上の仕方ないこと、であって、「仁先生はゴッドハンド」「仁先生はハートフル」ってだけで、全部、超えていける。この単純明快な、ストーリー展開!

 単純だからこそ、心地よい。
 余計なことに気を取られず、シンプルに人情劇に酔っていられる。

 夕霧@あんなちゃんのとこから最後まで、なんやかんやで泣き通したよ……。
 それまでだって、いろいろこみ上げるものはあったのに、杏奈様は反則だよ……ルーシーちゃん……!!

 原作モノなのに、有りモノの主人公とその相手役なのに、キムみみが好きだーー!と叫べる作品。それくらい、ふたりに重ねて泣ける。

 ナガさんは違和感なくいつものナガさん、わたしたちのナガさん!
 はっちさんかっこよすぎるっていうか、花担やってた身としては、こちらも違和感なくいつものはっちさん。

 みっちゃんも安定のクオリティ。見事に締めてくれる。
 芝居があまりに専科さんなのでびびったが、ショーではちゃんと「スター!」さんな扱いだった。

 龍馬@ちぎはこれまた見慣れた感じ。新公も観たし、渡会も観たし、的な?
 愛されキャラで、ちぎくんぴったり。

 とみもんとせしるのカップルが「江戸っ子」的にかっこいい。痛快。つか、せしる美女……いなせ……。

 大ちゃんは期待通りの大ちゃん。突き抜けたキャラが素敵!! おフランスだもん、そうでなきゃね!!

 あゆっち、芝居はうまいし華はある、そこはもう「さすが!」なんだが……顔の輪郭だけはどうにも「野風」「呼び出し花魁」という説得力に欠ける……でももうこれは、仕方ないのか……。
 アントワネットも、似たよーなカツラになるよなあ。デコ全開にボリューミ~な感じ……が、がんばれあゆっち……。

 まつださんは、いろいろ慣れなくて混乱。いや、わたしが(笑)。
 まず若者役、つーのがすでに、混乱だわ……。

 冒頭、サイトーくんお馴染みの映像キターー!と思ってぼーっと油断してたら、まつださん登場だもん……びびったわー。な、なるほど、サイトーだもんなあ。(赤ん坊アニメの微妙さの方が強く焼き付いてましたわ・笑)


 ショー『GOLD SPARK!』は、あっという間。
 1場面が短い上に、前半と後半のメインとなる場面が両方ともストーリー仕立てなので、あっけなさに拍車が掛かる感じ。
 後半はクライマックスだからそのままとしても、前半はストーリーに頼らず、「ショー」としてガンガン行くべきだったのでは? とは、思う。

 でも、楽しく観ました。
 つかこっちも泣いた……。あー消耗した……。


 芝居もショーも楽しく通えそうで、良かったっす。
 本公演が2作連続このクオリティって、なんてありがたいんだろう。……これで退団公演でなければ、通常も公演でさえあれば、言うことないのに。
 いろいろ忙しすぎて泣きそうな日々ですが、それでも『春の雪』初日行ってきました。

 出演者もさることながら、実はわたしのいちばんのお目当ては、生田大和新作ってことでした。
 新人演出家の中で、彼への期待っちゅーか、わくわく感ハンパないっす。
 生田くんのデビュー作、『BUND/NEON 上海』は、マジ恥ずかしかった!!
 こんなこっ恥ずかしい物語を、臆面なく真っ正面から作ってくる新人作家! 楽しみじゃないですか!

 と、『ランスロット』観劇時の感想コピペからスタートです。

 んで、生田せんせの2作目『ランスロット』がまた、素敵に厨二病で!!
 こんな初速だけでクライマックスまで駆け抜けるタイプの作風、素晴らしいじゃないですか!

 で、『春の雪』。
 生田せんせ初の、原作モノ。

 『BUND/NEON 上海』はオリジナルだし、『ランスロット』は元ネタはあっても作品自体はオリジナルだし。

 はじめて、ストーリーの骨組みが、壊れていない。

 原作付きって素晴らしい(笑)。
 『BUND/NEON 上海』は正直ものすげーことになっていたし、『ランスロット』もいろんなことを置き去りにした話だった。
 なのに『春の雪』は、ストーリーが壊れてない。原作忠実に展開している、ってだけだけど。
 だから原作の力ってすごい。

 『BUND/NEON 上海』初日観劇時、なんの予備知識もないまま「サイトー的」と思った。
 生田くんはイケコの弟子だと聞くが、イケコよりもサイトー色を強く感じるのは、男子ヲタク作風だからか。

 今回もまた、サイトー色を感じた。
 というか、サイトーくんの『カラマーゾフの兄弟』初日観劇時と、同じ感想を持った。

 つまり、ちょ……っ、『カラマーゾフの兄弟』を、こんなことにしますか!!(笑)と腹と頭を抱えた、あの感じ。

 『春の雪』の原作は、三島由紀夫。あの、三島。
 ちょ……っ、『春の雪』を、こんなことにしますか!!(笑)

 や、『カラマーゾフの兄弟』がお気に入りだったように、この「ちょ……っ(笑)」は、ぜんぜアリです。

 原作をタカラヅカ的に、愛と敬意を持って料理しているところが素敵です。

 明日から雪組がはじまっちゃうわ、生活が今ぎりぎりだわで、じっくり感想書く余裕がないので、いつかちゃんと書くつもりだけど、とにかく初日感想を残しておく。

 1幕目は、黒みりキターーッ!!で、自分的大フィーバー!!
 黒いみりお様は大好物です。
 詰め襟の美しさ、驕りと繊細さ、美貌と残酷さ。清様、清様~~!

 ……だったんだけど、最後まで見て、わたしの求めるみりおくんでも、清様でもなかったな、という感想に着地。

 みりおくんの持つ「強さ」は、狂気や破滅と相容れないものがあるなと。

 なんか1幕の清様と同一線上にない2幕の清様に、とまどいました。
 違和感をぬぐえないまま、終わっちゃったよ……。

 いかにもタカラヅカなフィナーレがあれば、「タカラヅカだもん!」と頭を切り換えられたのかもしれない。
 しかし、芝居のまま挨拶のみで終了なので、そのへんの落としどころに困った。
 や、わたしが。
 1幕の清様が良かっただけに、なあ。


 んで、びっくりしたのが、ヒロイン聡子@みゆちゃん。
 この間の新公ジュリエットですか。
 あのときはただ「うまいねー、かわいいねー」ぐらいの温度で見ていたと記憶している。

 日本髪だし着物だし、ビジュアルはいろいろ大変!つーか、がんばってくれ頼む!って感じなんだが。
 この子が、すごかった……。

 2幕のエンジンかかりっぷり……!

 すごい勢いで加速した。アクセル踏みまくった。
 清様のふつーっぷりが悲しいほど、聡子が境界線をぶっちぎっていった。

 清様は、ふつーの人だった。崖っぷちを前に「あ、崖っぷちだ、危ないから気をつけよう」と思う人なのに、聡子は「崖ってなんですの?」と片足立ちで笑っていた。

 清様……相手が悪かったね……かなわないよ、こんな子に囚われちゃったら。
 というのは、たしかに『春の雪』としてアリだよなーと思った。
 原作で不透明な「聡子」の答えのひとつの形として、この聡子はアリかなと。や、世の中的に「聡子」がどういう女性と定義づけられてるのか、不勉強ゆえ知りませんが、わたしの印象としての。

 芝居が面白すぎて、2幕はほとんどみゆちゃんにオペラ合わせてました。こういう役者なんだろうか? それとも、この役だからたまたまあんなことになっているのかな?
 こーゆー持ち味の子なんだとしたら、今後楽しみです。


 清顕父@ゆうまくんが、すごい。

 『ロミオとジュリエット』はムラでしか見ていないので、東宝でどうだったかは知りません。
 でも彼、大公というめちゃくちゃ大きな役を与えられ、初日とその翌日でもちがったし、ムラ終盤でもまーーったくちがっていました。

 目に見えて、成長していた。

 そしてさらに東宝公演を経て。

 うまくなってる。

 ちょ……、マジ、うまくなってる。
 短期間でどこまで大きくなるんだよヲイ。

 清様パパ、松枝侯爵はめちゃ大きな役です。
 男キャラの比重って意味で言うなら、3~4番目には確実に入ってます。

 なのに、プログラムの「主な配役」に載ってない。タカラヅカの不思議(笑)。スチールもない、その他大勢として別人写真が後ろに載っているだけ。
 タカラヅカとは無関係に、生徒の知り合いとか原作スキーとかで観劇しちゃった人がいたら、混乱するレベル。主要人物なのに、プログラムに載ってない(笑)。

 学年的にそんな扱いの人なのに。
 ナチュラルにおっさんで、副組長の旦那で、作品世界でもっとも実質的権力を持つ人。(宮様はいるけどさー。それとは別次元だからさー)

 いいジェンヌだー。
 おっさんとして違和感なくうまく、そして、現役キャラである。

 どんなにうまくても、「完全な脇役」としてうまいわけじゃない。主要キャラとしての華がある。
 観客の恋愛対象になりうる、現役感。真ん中にしか興味がない人たちはともかく、主役以外にときめくタイプの人に「あの人、かっこいい!」と思わせる色気。

 彼が路線なのかどうか知らないけど、このまま育てば良い立役、色悪になるよー。


 蓼科役が美穂さん、というところで期待したネタが、すぱっとカットされていて、それだけは残念です。
 『ランスロット』的な作劇でまとめてくれてたら、絶対やってくれると思ってたのにー。生田くん、あんま暴走しなかったんだなー。ちぇっ(笑)。

 あ、原作に対しては間違った思い込みがいろいろあると思います、わたし無教養ですから。
 とても浅い知識で「清様ー! 清様ー!」とか思ってる、残念な人ですよ。彼のとてもうざい、いろいろと紙一重なところが好きさ。


 門跡@白雪さん、マジうめえ!と思った。

 海乃美月ちゃんが実は、この作品での生田くん的ミューズかもしれない、と思った(笑)。
 少年清顕と房子って……!


 走り書きですが、こんなところで。
 わりとよく聞かれた、「フィナーレ、どっちが好き?」

 『フットルース』の日替わりフィナーレ。

 てかてかシャツとぴちぴち黒パンツ着用の「I’m Free」バージョン。
 カラーシャツ+黒燕尾+腕まくりの「HERO」バージョン。

 どちらが、と言われれば、即答していた。

 「HERO」バージョン!!と。

 えー、他の人のことは、よくわかりません。
 まっつにおいてのみ、です。
 彼しか見ていないので(笑)。

 着崩した黒燕尾がどんだけカッコイイか……っ!!
 ムーア牧師の髪型と化粧のままなので、落ち着いたおっさん顔でワイルドに踊る黒燕尾。
 セクシー過ぎて、どうしようかと。

 今までまっつのことでメールをくれたことのない友人が、わざわざ「まっつカッコイイ」というだけの内容で、!を2桁付けて送ってくれたり。
 ファンじゃない人にも、「思わず言いたくなった」と言わしめるほどの、格好良さ。セクシーさ。

 うおお。
 ほんとにカッコイイんだわー。

 ビジュアルもだけど、ここのダンスがまた、よくってさー。
 まつださん、「表情付き」で踊ってる。

 『Shining Rhythm!』の影でもやってたけど、すごく意識して表情を付けている。
 今までのまっつにはなかった傾向。

 この「舞台上から、客席へ働きかける」表情が、すごく好き。

 クールなまっつは今までさんざん見てきた。貪欲なまっつが、見たい。

 舞台に対し、男役に対し、ファンに対し……「未涼亜希」というモノに対し、欲が出てきたような、そんなダンス。

 男役15年。
 この人まだ、変化している。
 変わろうと、している。

 まだ、過渡期なんだ。これからまたチガウまっつになるんだ。チガウまっつがあるんだ。

 そう思わせてくれる、ぞくぞくした期待感。喜び。

 ……まあその、あゆっちのリフトは、ほんとに大変そうだけど……まっつファンであるなし関係なく、いろんな人に心配されるくらいだけど……でも、まあ、それでも無事、こなしてくれたし。

 黒燕尾まっつ、かっこいいなあ……。
 なんであんなに黒燕尾が似合うんだ。正統派のシンプル黒燕尾の似合いっぷりも半端ナイけどさー、着崩してもすごいよねー。
 ってもお、盲目状態ですな。


 わたしはまっつしか見てないからわかんないけど、きっと他の人たちも格好良くて、どの人のファンもみんなそれぞれ、自分のご贔屓にうっとりしているんだと思う。
 「HERO」バージョンは、まっつだけでなく主要男役に短いソロがあるし、コマくんは長いソロがある。
 ってだけでもポイント高いと思う。

 また、キムくんは本編で「HERO」は歌ってないので、新たな歌を聴けるって点でもオイシイ。

 演出面で凝っているのも、「HERO」だと思うな。


 てことで、どっちか片方しか観られない、というなら、迷わず「HERO」推しでした。


 だからといって、「I’m Free」バージョンが、嫌なわけではなく。

 こっちはねええ、変な中毒性があるんだよなー(笑)。

 男役群舞のセンターで、まっつがライト浴びて踊り出す、というイントロも大好物だ。
 カラダの線が微妙に出る、やんらしい衣装も楽しい。

 てかてかシャツとぴちぴちパンツ、この衣装だと、まっつのおっさんヘアと顔は、一層やばい(笑)。

 この衣装と振付用意したとき、ムーアさんのことは考えてなかったんじゃないかと思うの、制作側。

 ふつーに「タカラヅカの男役のショー場面」としかアタマになかったんじゃないかな?

 似合わないから、かっちりおっさんヘア!! 抑えたおっさんメイク!

 似合わないのに、センターでくねくね踊り出すのよ?
 それがもお……すごく、素敵なの。

 似合わない、と思うのは、なんつーかこう、妙に生々しいのね(笑)。
 リアル男性がやっていい格好ぢゃないもの。タカラヅカの男役だから許される衣装だもの。
 や、男性ダンサーこそ着そうな衣装ではあるけど。それこそ筋肉のラインや下半身のライン剥き出しにして。ソレをヅカだからこその美しさでシャープに着こなす……べきところを、まつださんはリアル男性な髪とメイクで踊っているから、やばいんだと(笑)。

 そーゆーセクシー衣装だけど。
 こっちはクールでねー。
 無表情基本。
 ときおりクチ半開き。伏し目がち。

 やーらーしーい~~。

 まっつの薄い身体が、ツボ過ぎて。
 肩から胸と背中あたりの肉付きが、なんかストライク決まりすぎてます。ハートのど真ん中命中してます。

 なんか久しぶりに、「小さいまっつを指でつまみ上げて、愛でたい」と思った。
 あの薄い胸あたりを、ドミノでもつまむ感じでピックアップして、うちへ帰りたいなと。
 この場合のまっつのサイズは、リカちゃん人形ぐらいのイメージです(笑)。

 その昔、『チャーリーとチョコレート工場』を見たとき、映画館でうっとりしていました。
 歌い踊るウンパ・ルンパを見ながら、「アレが全部まっつなら、至福のトキだわ……」と思った、あのとき以来の萌えです!

 「I’m Free」バージョンも好きです、楽しいです。


 って、よーするに。

 どっちのまっつも大好物!! まっつならなんでもヨシ!!

 という、アタマ悪い結論になるわけですけどね。
 『フットルース』が愛しいのは、青春がキラキラしているから。

 失った、もう二度と帰らない「時」が、輝いているから。


 ラストのダンスパーティ。
 ここで主題歌リプライズ。
 プログラムに主題歌「Footloose」の歌詞が載っているけれど、それとは別。プログラム掲載歌詞は、オープニングのもので、登場人物たちがそれぞれ不満を歌い「逃げ出したい」と歌っている。
 それが、レン@キムとの出会い、変化・成長をもって、「I’m Free!」と叫ぶようになり、逃げ出すのではなく、ここで闘うことをおぼえる。
 そうやってたどり着いた主題歌だ。
 同じ「Footloose」という曲。でも、歌詞も役割も、まったくオープニングとはチガウ。

 不満や逃げ出すことを歌うのではなく、オシャレして、好きな人と踊ろう!と歌っている。

 肯定の歌に、なっている。

 素敵なパーティ。素晴らしい人生。
 自分でオシャレをして素敵になって、自分で横にいる大切な人の手を取るの。
 それが、しあわせなの。

 誰だって踊れるさ。
 誰だって、解き放たれるさ。

 本当の自分、本当の人生を、手に入れられるさ。

 肯定の歌を、キラキラ歌う若者たち。


 タキシードを着て背伸びした男の子たちが、愛おしい。

 高校生の男の子が……わたしみたいなおばさんから見たら、ほんとにただの子どもですよ……が、好きな女の子のために、背伸びして正装しているわけですよ。
 ウィラード@コマとか、自分で語ってるけど、父さんの一張羅を借りて、サイズ合わないのを無理矢理補正して着ているわけですよ。実際にコマくんがそんな衣装を着ている、のではなく、物語中の設定ではそういうことになっている。
 そんな風に、それぞれの男の子たちが、懸命に用意したわけでしょ、衣装。
 ダンスを禁止されていた町の子たちが、晴れ着を全員普段から持っているとも思えないし。

 女の子と違って、男の子は晴れ着を着ることに、そんなにわくわく感や楽しみは感じないよね? どう着飾ろうか、美しい僕に萌え~~、なんてことは、あまりないだろう。
 どちらかというと、「ドレスを着て、自分のためにオシャレしてくれるカノジョのために」自分もがんばってタイを締めて、ジャケットを着るんだと思うんですよ。
 好きな女の子と踊るために、カノジョに相応しい正装をする。

 その一生懸命さというか、一途さというか。
 ドキドキしながらタイを締め、大人の男を気取って、カノジョをエスコートする。
「お手をどうぞ」とやる。

 その緊張とときめきを思うだけで、泣けてくる。

 青春だ。
 くそお、青春じゃねえか!!


 ドレスを着て背伸びした女の子たちが、愛おしい。

 女の子たちにとって、「着飾って、カレと踊る」ってだけで、一大イベント。
 ドレス選びから当日の髪型、お化粧、アクセや小物選びまで、もースペクタクルな日々を過ごしたに違いない。
 仲のいい子同士で集まって、ああでもないこうでもない、テンション上がりすぎて口喧嘩になったり泣き出したり、集団心理でちょっとパニック状態になったりしつつも、必死で準備したに違いないっ。
 どのドレス、どのルージュ、考えているだけで、選んでいるだけで、幸福な時間。
 親友たちときゃあきゃあガールズトークを繰り返し、いつ果てるとも知らない時間を過ごす。

 たのしくて、きらめきに満ちていて。

 カレの前で、とびきりきれいで、特別なわたしでいたい。
 その想いだけで、夢中になって用意して。

 女の子たちの、オンナノコである姿が、愛しくてならない。
「きれいだよ」
 そう言ってもらいたい、そのためだけに努力する、そう期待してときめく。緊張した、ぎこちないエスコートに、慣れないヒールを履いてついて行く。

 そう、女の子たちはみんな、それまでヒール履いてないのよ。みんなスニーカーとかなの。
 この最後の場面のために、ヅカのお約束・ハイヒールを封印してあるわけですよ!!

 別に女の子たちはハイヒールにふらつく、ような演技はせず、素直に踊ってるんだけどね。

 スニーカーばかりだった女の子たちが、ロングドレスにヒールを履いて、タキシードの男の子たちの腕の中でくるくる踊るんですよ!

 青春だ。
 くそお、青春じゃねえか!!


 もうわたしなんかが持ちようのない、取り返しのつかない時間の中に、彼らはいるわけですよ!
 うらやましいよ!
 ちくしょー、若いっていいなっ。

 ラストシーン、泣けてしょーがないですよ。
 みんながきらきらきらきら、かわいくて。

 「青春」が愛しくて。

 みんなみんな、いい子たちだしね。


 アリエル@みみちゃんの妄想「HERO」場面にて、男子たちが「白馬の騎士」になって登場するじゃないですか。
 あそこでレンは別人入って「王子さまバージョン、キリッ!」になってるけど、他の子はけっこうそのままっていうか、ウィラードはドジっこだしライル@レオは不良のままだし、ボーモント高校男子のキャラのままやってるよね。

 あの「白馬の騎士」姿になった男の子たち。
 「ヒーロー」の男の子たちは、みんな「囚われのわたしを救い出して」くれるだろう。

 ドジっこのウィラードだって、不良のライルだって、テレながら踊っている大樹くんだって。
 みんなみんな、もしも女の子たちが危機に陥り「助けて!!」って言ったら、助けに来てくれるよ。
 こわがったりベソかいたりするかもしれないけど、一瞬腰引けたりもするかもしれないけど、それでも、絶対助けに来るよ。
 そういう子たちだよ。
 全員が。

 だからこの子たちは、全員が「ヒーロー」だ。

 好きな女の子のために、ヒーローになれる、ふつーの男の子たち。
 計算とか常識とかしがらみとか、大人が持つようなものに汚れてない。
 彼らは「少年」という奇跡。
 少年はいつだって、誰だって、少女のために「白馬の騎士」になる。


 みんなみんな素敵過ぎて、好き過ぎて、たまらない。
 失った時間が、決して戻らない時間が、キラキラまぶしくて。

 切ない。
 博多座『フットルース』についてあれこれ。

 少人数舞台を、なんやかんやで2ヶ月、20回超えで眺めていると、いろいろ感じることが出てくる。

 なんかしみじみと、あだちゅうの、カラダが好きだ。

 梅芸・博多で、目覚めました。自覚しました。
 あだちゅうの、カラダが好き(笑)。

 顔が好みでないために、気づくのが遅れた模様。
 『Shining Rhythm!』でもやたら目に付いていたのは、彼女が「『インフィニティ』に出てたから、愛着あるわ!」というだけのことでは、なかったらしい。

 制服姿の彼女が、イイのだ。

 スカートにインしたブラウスの短さ……つまり、胴の短さと、腰から下の長さ。凹凸のあるカラダのライン。
 そーゆーものが、やたら好みであるらしい。

 女子高生姿のあだちゅう、素敵過ぎる……っ。

 うきちゃんなんかはマジ外国の女の子としてときめくレベルで好きなんだけど、あだちゅうは日本人女子としてときめきまくる。
 こーゆースタイルの女の子好きだー。あこがれる。


 んで、あだちゅうのお相手は、イリヤくんであってる? ……ちょっとさすがに記憶が薄れてきてて。
 場面によって違う子と組んでたりもするけど、教室でいちゃこらしてて、ラストのダンスでも組んでたから、ステディな仲?

 イリヤくん、博多に来てちょっと丸くなったよーな?
 幼い顔して、エロい芝居しようと意欲的。……なんだけど、やっぱり幼くて、かえってその「俺は男役だぜ!」な気合いが空回っててかわいい。ちょっとどうしよう!(笑)


 おーじくんの男子度が上がってて、ハクハクした(笑)。
 なにちょっとアレ、カッコイイ。
 このまま育てばみつるくん的な、オトコマエに成長するんじゃないかと期待したナリ。ほら、華形のみつるさんってば、リアルでも男子じゃないですか。あーゆー系ですよ。
 ちょっとした表情とかが男っぽくて! イイヨイイヨ、そのまま育って! 楽しみだー!!


 さらさちゃんの大股開きが好きだ。

 ナニをやっていても、彼女ひとり、股の開きっぷりがチガウ。
 女の子たちがみんな、脚を開いて腰を落として踊るとことか、さらさちゃんひとり男子並みに開いてるんだよねー、力強く!
「おー、今日もまたオトコマエだー」
 と、さらさちゃんの大股開きを眺めるのが、観劇時の恒例行事だった。


 千秋楽のライル@レオくんに、すみれコード限界を危惧した。
 や、レオくんが毎回、カノジョ役のひーこちゃんといちゃいちゃラヴラヴしまくっているのは、いいんです。
 美形ふたりがスキンシップしてるのは、目に優しい。

 そっちの意味ではなくて、えーと。

 バーガー・ブラストにて、最初は男女それぞれくつろいでいるのに、気がつくと店内には女子ばかり、そこでアリエル@みみちゃんが「HERO」を歌い出すわけです。
 その、女子ばかりになるため、男子は理由を付けて店から一旦いなくなるわけです。

 レオくんが席を立つ理由が、どうも、腹痛らしくて。
 あー、おなかピーピーゴロゴロなのね、という小芝居。
 そうやって彼、下手へ去って行くんですよ。

 そっちにどうも、トイレがある、らしい。
 そーゆー小芝居。

 レオくん、すみれコード!!(笑)

 そっちへ行って、ナニをしているのか、想像させたらダメでしょー!(笑)

 無駄に細かく、またリアルな小芝居にウケました……なんでそこまでやるか、タカラジェンヌよ。

 で、「HERO」ではいつものかっこいい「チューインガムを噛む騎士」としてひと踊りして。

 そのあと、アリエルの妄想が終わると同時に男子たちも店に戻ってくるんだけど、ここでレオくんは「あー、すっきりしたあ☆」てな小芝居をしながら登場して。

 ~~だから、ナニをしていたか、想像させるのは……っ!(笑)

 おもしろいなあ、煌羽レオ。
 やり過ぎ感がたまらん。


 2幕アタマの「BAR-B-QUE!」にて。

 ノリノリで腰を振る香音くんと、ザッキーがツボだったりするわけだが。
 ここでの愉快ポイントは、カウガールひーこの台詞。
「踊りながらアンタの耳に、甘~い言葉をささやいたことは?」

 えーと。
 つまりコレは、ひーこは自分の体験を語っているわけで。
 んで、ひーこのお相手は、ザッキー。

 踊りながら、甘~い言葉をささやくザッキー!

 ……想像するだけで、ごはん三杯イケますねあたしゃ!!(笑)

 香音くんとあゆみちゃんの生々しさも、どうかと思いますが。あゆみちゃんのお尻がなあ……ちょおコレいいのか、って感じだしなあ。

 それから、ここでもやはりあだちゅうのカラダが……。ハァハァ。(やめなさい)


 博多座では、途中から空波くんが休演していたわけです。
 わたしに余裕がなくて、ちゃんと捕獲できなかったんですが、ラストのパーティ場面とか、どうなってたんですか?

 ボーモント高校のみんなは、なんだかんだいって、最終的にそれぞれカップルになります。
 ダンスパーティでは、タキシードを着た男の子たちと、ドレスを着た女の子たちがペアで踊る。
 男子がひとり減ると、女の子がひとりあぶれちゃうのよ。

 ふつーのショーなら、ひとり減ってもそこだけ空けて、もしくは詰めて踊って誤魔化す、というテもあるが、今回は無理。
 代役を立てようにも、人数ぎりぎり。
 相手のいない女の子は、パーティに出られない……?

 ミサの場面では、空席になっていた。4人で坐っているところが、3人になっていた。

 でもダンスパーティは……?

 ぱっと見、女の子ひとりで踊っている子はいなかったと思う。みんなちゃんとカップルになっていた。
 じゃあ、空波くんの相手役だった女の子は、カップルが踊っている場面では、どうしていたんだろう……?

 休演ってのはほんと、大変なことだなと思う。

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