今、はじめての体験(笑)。@ベルサイユのばら-フェルゼン編-
2013年4月27日 タカラヅカ 植爺は嫌いだし、『ベルばら』は大嫌い。
自分の贔屓組に当たったら、それはひたすら試練のとき。ジェンヌさんたちを見たいから劇場へ行くけど、まずろくに出番も台詞もないから、耐える時間が長すぎる。
それでも長く続いてきただけあって、場面場面に力はあったりするので、「バスティーユ」とか「牢獄」とか、いわゆるクライマックス場面は感動できる。
そのカタルシスだけを心の支えに観劇するわけだ。
そんなわたしが今回、はじめての『ベルばら』体験をしている。
はじめて。
『ベルばら』はキライ!と言いながら、何年も何作も観てきて。
生で観たのは平成『ベルばら』以降、役替わりコンプを意識しだしたのは2001年、リピートするようになったのは2006年以降。
こんだけたくさん観てきて、今回、初体験。
贔屓が、主要4役のひとつをやっている。
わたしにとって『ベルばら』は、「贔屓に出番も役もない」演目で、わずかな出番を心待ちにし、モブで踊る姿をガン見するものでしかなかった。
贔屓に出番はないわ、作品キライだわ、台詞の多いキャラクタはみんなアタマおかしいことしか言わないわで、苦痛でしかなかった。
それが。
贔屓がアンドレ役だと、楽しい。
ということを、知った。
はじめて。
うおおおお。
そ、そうか。そうなのかっ。そーゆーもんだったのか!!
や、主要4役、オスカル・アンドレ・アントワネット・フェルゼンも、なにしろ植爺脚本なのでもれなくアタマおかしい。原作の彼らなら絶対言わないことばかりべらべら喋っている。
そこが不快なのは変わらないけれど、それでも『ベルばら』には「名場面」がある。
「名場面」と「決まり台詞」は40年愛されてきただけあって、力がある。
それを演じる贔屓、を観られるだけで、楽しい。
ありがたいことに今回のオスカルとアンドレは、出番が少ない分酷い台詞がないし。
わたしの逆鱗を刺激しない。
そして、名場面だけはやってくれる。
楽しい。
ちょっと、『ベルばら』、楽しいわ!!
今までわたし、真ん中の人のファンをやってこなかったので、ずーーっと知らなかった。
わたしの知るヅカヲタはもれなく「『ベルばら』大嫌い!」なのに、それでも何故、『ベルばら』が続いてきたか。
どんだけ一般人気があったとしても、ヅカファンが本気で嫌っていたら、こんなに長く続かないよね?
主要4役のファンには、楽しいからか!
つまり、トップスターファンには、楽しいってことか!
んで、ヅカはピラミッド制、頂点に立つスターさんのファンさえ満ち足りていれば、それで成り立つんだよね。
それゆえのピラミッド、トップスター制度。トップスターはそれだけのファンがいる。
グッズがトップさんのものしか出ない、それでいいとなっているように、いちばんの優良顧客はトップスターのファン。
一般客はトップスターを素直に楽しみにするから、それも加わって、トップ至上主義が正しい。
ヅカのルールはわかっていたが、なにしろわたしは、ど真ん中な人のファンにはならない性質で。
いつもいつも「脇役のファン」としての目線で『ベルばら』を観ていたよ。
そっか……トップさんたちのファンなら、狂った脚本は無視して、名場面だけを楽しむことができるんだ……名場面を演じる贔屓を楽しむことができるんだ……。
知識として知っていても、自分が実際に経験するかどうかで、人生違ってきます、なにごとにおいても。
今、はじめての体験。
『ベルばら』、楽しい。
作品を嫌いなことは変わらないし、特に今回の『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』は酷すぎると思うけど、それでも、どうしよう、楽しめる。
アンドレって、カッコイイ役だったんだ。
今まで、知らなかったっ。
名だたるスターさんたちが演じてきて、もちろんどのアンドレもかっこよかったけれど、脚本が酷すぎて性格が酷すぎて、「スターさんが素敵」なことと植爺アンドレは別モノとして見ていた。
それは「素敵なスターさん」「好きなスターさん」というだけで、「ご贔屓」ではなかったので、どうしても感じ方・見方が違っていたんだ。
贔屓が演じると、なんかすげー楽しい役だ。
ほえーー。
そっかー……それで、『ベルばら』は続いてきたんだ。
歴代アンドレ役のファンの人たちが、みんなこんな風にわくわく「今宵一夜」に食いついて来たなら、そりゃ普遍の支持を受ける作品になるわ。
んじゃ、贔屓がアンドレ役ではない特出版は苦痛なだけなのかというと、これまたそんなこともない。
特出版はさらにストーリー無視して「名場面」だけの切り貼りになっている。誰が演じていても名場面は楽しいので、わくわく観ていられる。
や、特出版だけ続けて何十回見ろと言われたら、それは今までの『ベルばら』と同じで試練で苦痛だけど、特出版は日数自体少なく、リピートをあまりしないし。
どの『ベルばら』もお祭りだから、1回観る分には楽しく、特出版はその「1回だけ観るイベント公演」として楽しめる。
てことで、特出版も楽しかった。
いやあ、長くヅカヲタやってきて、今さら初体験ですよ。
人生、ナニゴトも経験ですな。
経験に勝るモノはありませんな。
そっかぁ、アンドレ役だとこんな風に感じるもんなんだー。
てことでほんと、アンドレ@まっつが、素敵です。
惚れ惚れ。
ヲタってシアワセな生き物だと思う(笑)。
それでも、作品はキライだけどな。楽しいことと、嫌いなことは別。
ほんと、ヲタってシアワセな生き物だと思う(笑)。
自分の贔屓組に当たったら、それはひたすら試練のとき。ジェンヌさんたちを見たいから劇場へ行くけど、まずろくに出番も台詞もないから、耐える時間が長すぎる。
それでも長く続いてきただけあって、場面場面に力はあったりするので、「バスティーユ」とか「牢獄」とか、いわゆるクライマックス場面は感動できる。
そのカタルシスだけを心の支えに観劇するわけだ。
そんなわたしが今回、はじめての『ベルばら』体験をしている。
はじめて。
『ベルばら』はキライ!と言いながら、何年も何作も観てきて。
生で観たのは平成『ベルばら』以降、役替わりコンプを意識しだしたのは2001年、リピートするようになったのは2006年以降。
こんだけたくさん観てきて、今回、初体験。
贔屓が、主要4役のひとつをやっている。
わたしにとって『ベルばら』は、「贔屓に出番も役もない」演目で、わずかな出番を心待ちにし、モブで踊る姿をガン見するものでしかなかった。
贔屓に出番はないわ、作品キライだわ、台詞の多いキャラクタはみんなアタマおかしいことしか言わないわで、苦痛でしかなかった。
それが。
贔屓がアンドレ役だと、楽しい。
ということを、知った。
はじめて。
うおおおお。
そ、そうか。そうなのかっ。そーゆーもんだったのか!!
や、主要4役、オスカル・アンドレ・アントワネット・フェルゼンも、なにしろ植爺脚本なのでもれなくアタマおかしい。原作の彼らなら絶対言わないことばかりべらべら喋っている。
そこが不快なのは変わらないけれど、それでも『ベルばら』には「名場面」がある。
「名場面」と「決まり台詞」は40年愛されてきただけあって、力がある。
それを演じる贔屓、を観られるだけで、楽しい。
ありがたいことに今回のオスカルとアンドレは、出番が少ない分酷い台詞がないし。
わたしの逆鱗を刺激しない。
そして、名場面だけはやってくれる。
楽しい。
ちょっと、『ベルばら』、楽しいわ!!
今までわたし、真ん中の人のファンをやってこなかったので、ずーーっと知らなかった。
わたしの知るヅカヲタはもれなく「『ベルばら』大嫌い!」なのに、それでも何故、『ベルばら』が続いてきたか。
どんだけ一般人気があったとしても、ヅカファンが本気で嫌っていたら、こんなに長く続かないよね?
主要4役のファンには、楽しいからか!
つまり、トップスターファンには、楽しいってことか!
んで、ヅカはピラミッド制、頂点に立つスターさんのファンさえ満ち足りていれば、それで成り立つんだよね。
それゆえのピラミッド、トップスター制度。トップスターはそれだけのファンがいる。
グッズがトップさんのものしか出ない、それでいいとなっているように、いちばんの優良顧客はトップスターのファン。
一般客はトップスターを素直に楽しみにするから、それも加わって、トップ至上主義が正しい。
ヅカのルールはわかっていたが、なにしろわたしは、ど真ん中な人のファンにはならない性質で。
いつもいつも「脇役のファン」としての目線で『ベルばら』を観ていたよ。
そっか……トップさんたちのファンなら、狂った脚本は無視して、名場面だけを楽しむことができるんだ……名場面を演じる贔屓を楽しむことができるんだ……。
知識として知っていても、自分が実際に経験するかどうかで、人生違ってきます、なにごとにおいても。
今、はじめての体験。
『ベルばら』、楽しい。
作品を嫌いなことは変わらないし、特に今回の『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』は酷すぎると思うけど、それでも、どうしよう、楽しめる。
アンドレって、カッコイイ役だったんだ。
今まで、知らなかったっ。
名だたるスターさんたちが演じてきて、もちろんどのアンドレもかっこよかったけれど、脚本が酷すぎて性格が酷すぎて、「スターさんが素敵」なことと植爺アンドレは別モノとして見ていた。
それは「素敵なスターさん」「好きなスターさん」というだけで、「ご贔屓」ではなかったので、どうしても感じ方・見方が違っていたんだ。
贔屓が演じると、なんかすげー楽しい役だ。
ほえーー。
そっかー……それで、『ベルばら』は続いてきたんだ。
歴代アンドレ役のファンの人たちが、みんなこんな風にわくわく「今宵一夜」に食いついて来たなら、そりゃ普遍の支持を受ける作品になるわ。
んじゃ、贔屓がアンドレ役ではない特出版は苦痛なだけなのかというと、これまたそんなこともない。
特出版はさらにストーリー無視して「名場面」だけの切り貼りになっている。誰が演じていても名場面は楽しいので、わくわく観ていられる。
や、特出版だけ続けて何十回見ろと言われたら、それは今までの『ベルばら』と同じで試練で苦痛だけど、特出版は日数自体少なく、リピートをあまりしないし。
どの『ベルばら』もお祭りだから、1回観る分には楽しく、特出版はその「1回だけ観るイベント公演」として楽しめる。
てことで、特出版も楽しかった。
いやあ、長くヅカヲタやってきて、今さら初体験ですよ。
人生、ナニゴトも経験ですな。
経験に勝るモノはありませんな。
そっかぁ、アンドレ役だとこんな風に感じるもんなんだー。
てことでほんと、アンドレ@まっつが、素敵です。
惚れ惚れ。
ヲタってシアワセな生き物だと思う(笑)。
それでも、作品はキライだけどな。楽しいことと、嫌いなことは別。
ほんと、ヲタってシアワセな生き物だと思う(笑)。
1時間5分の謎。@ベルサイユのばら-フェルゼン編-
2013年4月26日 タカラヅカ 『ベルばら』は主要4役と専科さん以外に出番も見せ場もない、それ以外の組子ファンにとっては試練の演目。
それはわかっている。
理解した上でも、今回はさらに酷い。
『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』初日観劇後、首をひねったんだ。
1幕、きんぐやがおり、どうしてたっけ。いや、ほとんどの組子が行方不明状態?
2回目の観劇で、レオくんを探して唖然とした。
新公2番手クラスを演じる雪組若手スターで、今回の新公ではオスカルの注目株。
そのレオくんの出番が、オープニングのパペット役(仮面で顔は見えない)のあと、1幕ラストの全員集合場面だけ、だった。えええ。
レオくんだけじゃない。
ほとんどの生徒が、オープニングとラストだけしか、出ていない。
1幕の上演時間は、1時間5分。
タカラヅカの一般的ショー作品は55分。
オープニングの数分と、ラスト数分の「全員集合場面」にしか、出番がない人がほとんど、なんて信じられる?
しかも、ショーより10分長いのよ??
特出祭り関係なく。
通常版で、コレ。
特出になると、大ちゃんはオープニングにしか出ないのか?
酷くない? ひどいよね?
この公演、出演者は100人を超えています。うち37人は初舞台生だから仕方ないとしても、70人ほどいる組子のほとんどが1時間近く出番なしで幕が下りるなんて。
つか、1幕で登場するのは、4役と専科さん以外、『ベルばら』的名前のある役ジェローデル・ベルナール・ロザリー・オスカル母・オルタンス。
ベルナール・ロザリー・オスカル母・オルタンスはカーテン前1場面。彼らは1幕ラストに出ないため、オープニングのあとはこのカーテン前のみ。
それ以外の役は、近衛兵4人(1列に並んで順番に一言台詞)、貴婦人たち(1列に並んで順番に一言台詞)が各1回あるだけ。
加えて、侍童ふたりが専科さんのお付きとして1場面。マッシュルームヘアで幼児喋りですよ……。
組子では専科さん・組長枠のプロバンス伯爵役のにわにわが、専科さん・組長枠だから出番と長台詞がある、ってだけ。
1時間5分かけて、ナニやってんだ、1幕……。
とにかく、舞台に、人がいない。
あの広大な大劇場の舞台に、人がほとんどいないんだ。
数名が立ち話をするだけ。
じゃあ人数が必要ナイほど、豪華絢爛なセットがあるのかというと、んなこたぁーない。
地味な書き割りだけ、もしくはカーテン1枚。
歌もない。ダンスもない。
1時間5分、ダンスらしきモノがあったのは、オープニングだけ。
あとはラストの宮廷部分の導入でドレスの娘役たちが揺れていたくらいか。
歌はやはりオープニングと、ラストの宮廷部分の導入で「♪あーベルサイユ」とちょっと流れるだけ。
これだけ。
えっと。
ミュージカル、なんだよね??
主要4役はお約束の曲をそれぞれ歌っているんだけど(アントワネットはなんとソロなし)、彼らはひとり長台詞のあとひとりで歌ってひとりで銀橋を渡るだけ。それ、作中から独立しているし。
そのぶった切り感と取って付けた感は、すでにミュージカルでも芝居でもないわ……。
マジ、わけわかんない。
1時間5分、ナニやってんだろう。ナニをやって時間だけ使っているんだろう。
これが当たり前なのか、と、思わず2006年の『フェルゼンとアントワネット編』の「ル・サンク」買っちゃったよ。や、わたしってば『ベルばら』キライ過ぎて映像持ってないの(笑)。スカステ録画しまくってるくせに、見事『ベルばら』だけは持ってなかった。
また、映像は純粋に見ている時間がないので、保存目的の録画以外しないしなー。だから生舞台の記憶しかないんだよなー。あとから映像で見ることがほとんどなくて。
てことで、「宝塚アン」に数年ぶりで入ったわ……(笑)。数年? 10年以上ぶり……?
わたしの記憶では、こんなこと今までなかった。2006年も2001年も平成版も、みんなみんな、歌もショーっぽい演出もあった。今よりずっとマシだった。
でも、記憶が間違ってるかもしんないから、念のため「ル・サンク」で確認。
ここまで「歌」も「ショーシーン」もないのは、今回だけだと。
2006年の『フェルゼンとアントワネット編』では、派手なオープニングのあと、少女時代のアントワネットがばらの少女たちと歌っているし、令嬢たちは「♪オープランタン」と歌って登場している。
貴婦人たちの「♪ざますざます」のかしましソングもある。
それ以外でも、フェルゼンとアントワネットがデュエットしたりしている。
少人数場面が多いのは2006年版もそうだけど、その合間合間に「歌」とダンスとまではいかなくても、振付のある「ショーシーン」がある。
「歌」というとフェルゼン・オスカル・アンドレがひとりごとのあと1曲銀橋を歌って渡るだけ、じゃない。
先日の月組『オスカルとアンドレ編』でも、派手なオープニングのあとはオスカル姉妹たちの花摘みの歌ではじまったから、「ひとり銀橋」以外があったわけだし。衛兵隊も歌あったよな?
なんなの?
なんでこんな、「少人数で立ち話」だけで1時間5分終わるの?
なんでこんな演出がまかり通ってしまったの?
おかしい、って、なんで誰も思わないの?
大劇場でやる意味ないじゃん、こんな演出。
動く背景でも何でもイイ、とにかく組子を「出す」ことが必要だと、痛感した。
立ち話なら、本舞台に組子たち山ほど出して舞踏会でもさせておいて、銀橋で「立ち話」させればいいじゃん。
役者の「格」は豪華な衣装と台詞の行数、だと思い込んでいる植爺だから、専科さんたちが無駄に豪華衣装で無駄に長台詞の洪水状態。
また、その「格」とやらのために、専科さんの場面は他に出演者を出さないらしい。トップスターがひとりで銀橋を渡るのと同じで、舞台に少人数で立つことが、「格」であり、「敬意」だから。
いやあ、ルイ16世の夜の散歩の泣き言台詞が増量されていたのには、マジ驚いたっす……。
2006年の『フェルゼンとアントワネット編』にも同じ場面があるんだけど、知ってるはずだけどほんとに長いなと思っていたんだが、今回台詞増量されてた……どーでもいいことが、増えてた。「ル・サンク」見て、白目むいたわ……。
植爺からの、退団するソルーナさんへの思いやりってことなんだろう。
役者の「格」は豪華な衣装と台詞の行数、だから。
どーでもいいことを言わせて、行数を稼いでいるの。
ソルさんの見せ場を作りたいなら、こんなどーでもいい場面じゃなくて、ルイ16世としての重要な場面をカットせずに上演しなさいよ。
役者の「格」は衣装でも少人数口でも行数でもないわっ。
心から、わけわかんないす。
今回の『ベルばら』。
あ、2006年の『フェルゼンとアントワネット編』の「ル・サンク」、脚本を読みかけていたんだけど、途中で頓挫している。書いてある内容が酷すぎて目がすべるの(笑)。大嫌いな台詞、アタマおかしいんじゃね?の台詞が文字で、しかも老人的な漢字使いで書かれていると、くらくらする。
そして、メルシー伯爵のひとつの台詞が、21行もあって、それだけで目眩がした……(笑)。
ひとつで21行よ? そのあとにさらに15行とか、すごいよ?
フェルゼンも負けずに何行も喋ってるし。
植爺キライ(笑)。
それはわかっている。
理解した上でも、今回はさらに酷い。
『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』初日観劇後、首をひねったんだ。
1幕、きんぐやがおり、どうしてたっけ。いや、ほとんどの組子が行方不明状態?
2回目の観劇で、レオくんを探して唖然とした。
新公2番手クラスを演じる雪組若手スターで、今回の新公ではオスカルの注目株。
そのレオくんの出番が、オープニングのパペット役(仮面で顔は見えない)のあと、1幕ラストの全員集合場面だけ、だった。えええ。
レオくんだけじゃない。
ほとんどの生徒が、オープニングとラストだけしか、出ていない。
1幕の上演時間は、1時間5分。
タカラヅカの一般的ショー作品は55分。
オープニングの数分と、ラスト数分の「全員集合場面」にしか、出番がない人がほとんど、なんて信じられる?
しかも、ショーより10分長いのよ??
特出祭り関係なく。
通常版で、コレ。
特出になると、大ちゃんはオープニングにしか出ないのか?
酷くない? ひどいよね?
この公演、出演者は100人を超えています。うち37人は初舞台生だから仕方ないとしても、70人ほどいる組子のほとんどが1時間近く出番なしで幕が下りるなんて。
つか、1幕で登場するのは、4役と専科さん以外、『ベルばら』的名前のある役ジェローデル・ベルナール・ロザリー・オスカル母・オルタンス。
ベルナール・ロザリー・オスカル母・オルタンスはカーテン前1場面。彼らは1幕ラストに出ないため、オープニングのあとはこのカーテン前のみ。
それ以外の役は、近衛兵4人(1列に並んで順番に一言台詞)、貴婦人たち(1列に並んで順番に一言台詞)が各1回あるだけ。
加えて、侍童ふたりが専科さんのお付きとして1場面。マッシュルームヘアで幼児喋りですよ……。
組子では専科さん・組長枠のプロバンス伯爵役のにわにわが、専科さん・組長枠だから出番と長台詞がある、ってだけ。
1時間5分かけて、ナニやってんだ、1幕……。
とにかく、舞台に、人がいない。
あの広大な大劇場の舞台に、人がほとんどいないんだ。
数名が立ち話をするだけ。
じゃあ人数が必要ナイほど、豪華絢爛なセットがあるのかというと、んなこたぁーない。
地味な書き割りだけ、もしくはカーテン1枚。
歌もない。ダンスもない。
1時間5分、ダンスらしきモノがあったのは、オープニングだけ。
あとはラストの宮廷部分の導入でドレスの娘役たちが揺れていたくらいか。
歌はやはりオープニングと、ラストの宮廷部分の導入で「♪あーベルサイユ」とちょっと流れるだけ。
これだけ。
えっと。
ミュージカル、なんだよね??
主要4役はお約束の曲をそれぞれ歌っているんだけど(アントワネットはなんとソロなし)、彼らはひとり長台詞のあとひとりで歌ってひとりで銀橋を渡るだけ。それ、作中から独立しているし。
そのぶった切り感と取って付けた感は、すでにミュージカルでも芝居でもないわ……。
マジ、わけわかんない。
1時間5分、ナニやってんだろう。ナニをやって時間だけ使っているんだろう。
これが当たり前なのか、と、思わず2006年の『フェルゼンとアントワネット編』の「ル・サンク」買っちゃったよ。や、わたしってば『ベルばら』キライ過ぎて映像持ってないの(笑)。スカステ録画しまくってるくせに、見事『ベルばら』だけは持ってなかった。
また、映像は純粋に見ている時間がないので、保存目的の録画以外しないしなー。だから生舞台の記憶しかないんだよなー。あとから映像で見ることがほとんどなくて。
てことで、「宝塚アン」に数年ぶりで入ったわ……(笑)。数年? 10年以上ぶり……?
わたしの記憶では、こんなこと今までなかった。2006年も2001年も平成版も、みんなみんな、歌もショーっぽい演出もあった。今よりずっとマシだった。
でも、記憶が間違ってるかもしんないから、念のため「ル・サンク」で確認。
ここまで「歌」も「ショーシーン」もないのは、今回だけだと。
2006年の『フェルゼンとアントワネット編』では、派手なオープニングのあと、少女時代のアントワネットがばらの少女たちと歌っているし、令嬢たちは「♪オープランタン」と歌って登場している。
貴婦人たちの「♪ざますざます」のかしましソングもある。
それ以外でも、フェルゼンとアントワネットがデュエットしたりしている。
少人数場面が多いのは2006年版もそうだけど、その合間合間に「歌」とダンスとまではいかなくても、振付のある「ショーシーン」がある。
「歌」というとフェルゼン・オスカル・アンドレがひとりごとのあと1曲銀橋を歌って渡るだけ、じゃない。
先日の月組『オスカルとアンドレ編』でも、派手なオープニングのあとはオスカル姉妹たちの花摘みの歌ではじまったから、「ひとり銀橋」以外があったわけだし。衛兵隊も歌あったよな?
なんなの?
なんでこんな、「少人数で立ち話」だけで1時間5分終わるの?
なんでこんな演出がまかり通ってしまったの?
おかしい、って、なんで誰も思わないの?
大劇場でやる意味ないじゃん、こんな演出。
動く背景でも何でもイイ、とにかく組子を「出す」ことが必要だと、痛感した。
立ち話なら、本舞台に組子たち山ほど出して舞踏会でもさせておいて、銀橋で「立ち話」させればいいじゃん。
役者の「格」は豪華な衣装と台詞の行数、だと思い込んでいる植爺だから、専科さんたちが無駄に豪華衣装で無駄に長台詞の洪水状態。
また、その「格」とやらのために、専科さんの場面は他に出演者を出さないらしい。トップスターがひとりで銀橋を渡るのと同じで、舞台に少人数で立つことが、「格」であり、「敬意」だから。
いやあ、ルイ16世の夜の散歩の泣き言台詞が増量されていたのには、マジ驚いたっす……。
2006年の『フェルゼンとアントワネット編』にも同じ場面があるんだけど、知ってるはずだけどほんとに長いなと思っていたんだが、今回台詞増量されてた……どーでもいいことが、増えてた。「ル・サンク」見て、白目むいたわ……。
植爺からの、退団するソルーナさんへの思いやりってことなんだろう。
役者の「格」は豪華な衣装と台詞の行数、だから。
どーでもいいことを言わせて、行数を稼いでいるの。
ソルさんの見せ場を作りたいなら、こんなどーでもいい場面じゃなくて、ルイ16世としての重要な場面をカットせずに上演しなさいよ。
役者の「格」は衣装でも少人数口でも行数でもないわっ。
心から、わけわかんないす。
今回の『ベルばら』。
あ、2006年の『フェルゼンとアントワネット編』の「ル・サンク」、脚本を読みかけていたんだけど、途中で頓挫している。書いてある内容が酷すぎて目がすべるの(笑)。大嫌いな台詞、アタマおかしいんじゃね?の台詞が文字で、しかも老人的な漢字使いで書かれていると、くらくらする。
そして、メルシー伯爵のひとつの台詞が、21行もあって、それだけで目眩がした……(笑)。
ひとつで21行よ? そのあとにさらに15行とか、すごいよ?
フェルゼンも負けずに何行も喋ってるし。
植爺キライ(笑)。
上から4番目の彼女が。@ベルサイユのばら-フェルゼン編-
2013年4月25日 タカラヅカ 『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』特出版を観て、ひとつ発見というか、わたし的納得があった。
だから、きゃびいだったのか!!
今回、きゃびいはロザリー役。
役の少ない『ベルばら』において、ロザリーは数少ない娘役の花形キャラ。トップ娘役の避難配置だったり、2番手ポジの娘役の定位置だったり、新進娘役の顔見せ的役割だったり、そのときどきによって変わるが、一定して「路線系の役」だった。
加えて、トップ娘役は大抵若いうちに就任するわけだから、「2番手娘役」と呼ばれる娘さんは大抵学年の若い、新進スターだ。
「わたしの春風」とオスカルに呼ばれる、「妹」キャラ。そのイメージもあり、若手娘役スターの役という印象が強い。
だからなんとなく、新公学年の女の子がやるんだろうなと思っていた。それこそ、新公ヒロイン経験者に似合う役だから。
現在の雪なら、あんりちゃんやさらさちゃん、夢華さんあたり。キャラ的に「妹」「少女っぽい」だとあんりちゃんだし、実力ならさらさちゃん、劇団推しだと夢華さん。
「若手」の役なので、上級生がやるなんてことは、まず考えない。
なのに、あけてびっくり、ベテラン上級生きゃびいだった。トップ娘役の母親役とかをやっちゃう女役さんが、「妹」キャラ。
月組『オスカルとアンドレ編』で上演当時研4のちゃぴちゃんがやっていた役を、現在研12のきゃびいが。
『フェルゼン編』だとロザリーは、ラストでアントワネットの牢獄シーンに出るため、ただきゃぴりんとした妹キャラではつらい。きちんと芝居の出来る人でないと。
だからキャリアばっちりな上級生を配置したのかな。
そう漠然と考えていた……が。
特出版で、答えを得た。
ベルナール@ちぎと、デュエットするためだ!!
2幕のパリ市街において、『外伝』からこっち使い回し率半端ナイ民衆の歌がはじまる。
2008年の『外伝』3部作、2009年の『外伝アンドレ編』2本、そして2013年の『オスカルとアンドレ編』『フェルゼン編』と、5年の間に7回も同じ曲と場面やってんだよ……他の有名場面は作品によってあったりなかったりするのに、この歌と場面だけは皆勤賞……?
いい場面だとは思うけど、さすがにちょっと飽きた(笑)。また、回数観てるしね。
宙組『外伝アンドレ編』以外は、全部観た。しかも、花組の2本はリピートした。
『外伝アラン編』ではどさくさにまぎれてまっつ(役名ナシ)がセンターでえんえん踊ってたし、『外伝アンドレ編』の片方ではまっつがベルナールでソロ+ダンスセンター(どっちもちょっぴりだけどな)だったから、これまたリピートしていたし。
自嘲するくらい、観たわ。
えーと、その場面で、ベルナールがセンターで歌うわけです。
「♪どれだけ叫び続ければ我らの声は届くのか」
雪組版のベルナール、翔くんにソロはなし。なつかしの『外伝アラン編』のまっつパターン。センターでピンスポもらって民衆を率いて歌っているのに、単体の声は聞こえず、みんなで一律コーラス。
『外伝アラン編』は全ツだったから、コーラスは録音。センターにいるまっつも名もなき市民。だからコーラスでもしょーがないとは思う。
けど、大劇場でベルナールがセンターでソロなしって、収まり悪い。
ところが特出版のちぎベルナールは、ソロあり。
花組『外伝アンドレ編』や、月組『オスカルとアンドレ編』パターンですな。
なまじ、翔くんにソロがないのを知っている・先に観ているので、ちぎくんが歌い出したときは、びっくりした。
「ベルナール」という役が「スター仕様」に変更してあるの。ささやかだけどさ。
ともかく、ちぎくんのソロだ。
無意識に、身構える。なにが起こっても……というか、どんだけえーらいこっちゃな歌声でも、受け止める! ……だから、無意識です。ちぎくん、歌うんだ!とわかった瞬間、構えちゃってたみたい。
他意はなく、力が入ったっていうか。
それが。
ちぎくんのソロは、一瞬だった。
歌い出しのワンフレーズだけソロで、そっから先は、きゃびいとのデュエットだった。
つか、きゃびいが支えていた。
きゃびいの歌声をガイドラインに、ちぎくんの歌があった。
構えていた分、「えっ」となった。
ちぎくんの、ソロじゃないんだ。
そっか。
それで、きゃびいなんだ。
ちぎくんよりも小柄(重要)で、歌ウマの娘役さん。
あんりちゃんじゃ歌が壊滅だし、さらさちゃん、夢華さんでは大きすぎる。
組長、ゆめみさん、ヒメはキャラクタ的に「妹」じゃない。
てことで、雪組の上から4番目のきゃびいなんだ! 植爺はなんでも学年順だし!
そう納得するくらい、きゃびいはいい仕事をしていました。
あくまでもちぎくんのソロ!……てな感じで、声を添えていた。
もちろん、歌だけじゃなく、芝居もできる人だからこその抜擢なんだと思います。
また、ちぎベルナールに合うんだな、しっかりしたきゃびいロザリーが。
……翔くんには合ってなかったけどな……あまりに姐さん女房っつーか……その、翔くんに問題がありすぎるためだが。
特出版は「祭りだ!」ということとは別の次元にて、ちぎくんがベルナール役をやることで、作品の質が上がっていたと思います。
彼ほどのスターががっつり安定感をもって演じてくれると、作品の奥行きが増すね。
ソロは短くまとめられちゃってるにしろ、ちぎくんの魅力は歌唱以外のところで発揮されているから、いいんだ。
民衆のセンターにいること、率いていることが、納得のベルナール。かっけー。
ちぎベルナールときゃびいロザリー。
配役を知ったときは驚いたけど、すげーいいわ、このふたり。
だから、きゃびいだったのか!!
今回、きゃびいはロザリー役。
役の少ない『ベルばら』において、ロザリーは数少ない娘役の花形キャラ。トップ娘役の避難配置だったり、2番手ポジの娘役の定位置だったり、新進娘役の顔見せ的役割だったり、そのときどきによって変わるが、一定して「路線系の役」だった。
加えて、トップ娘役は大抵若いうちに就任するわけだから、「2番手娘役」と呼ばれる娘さんは大抵学年の若い、新進スターだ。
「わたしの春風」とオスカルに呼ばれる、「妹」キャラ。そのイメージもあり、若手娘役スターの役という印象が強い。
だからなんとなく、新公学年の女の子がやるんだろうなと思っていた。それこそ、新公ヒロイン経験者に似合う役だから。
現在の雪なら、あんりちゃんやさらさちゃん、夢華さんあたり。キャラ的に「妹」「少女っぽい」だとあんりちゃんだし、実力ならさらさちゃん、劇団推しだと夢華さん。
「若手」の役なので、上級生がやるなんてことは、まず考えない。
なのに、あけてびっくり、ベテラン上級生きゃびいだった。トップ娘役の母親役とかをやっちゃう女役さんが、「妹」キャラ。
月組『オスカルとアンドレ編』で上演当時研4のちゃぴちゃんがやっていた役を、現在研12のきゃびいが。
『フェルゼン編』だとロザリーは、ラストでアントワネットの牢獄シーンに出るため、ただきゃぴりんとした妹キャラではつらい。きちんと芝居の出来る人でないと。
だからキャリアばっちりな上級生を配置したのかな。
そう漠然と考えていた……が。
特出版で、答えを得た。
ベルナール@ちぎと、デュエットするためだ!!
2幕のパリ市街において、『外伝』からこっち使い回し率半端ナイ民衆の歌がはじまる。
2008年の『外伝』3部作、2009年の『外伝アンドレ編』2本、そして2013年の『オスカルとアンドレ編』『フェルゼン編』と、5年の間に7回も同じ曲と場面やってんだよ……他の有名場面は作品によってあったりなかったりするのに、この歌と場面だけは皆勤賞……?
いい場面だとは思うけど、さすがにちょっと飽きた(笑)。また、回数観てるしね。
宙組『外伝アンドレ編』以外は、全部観た。しかも、花組の2本はリピートした。
『外伝アラン編』ではどさくさにまぎれてまっつ(役名ナシ)がセンターでえんえん踊ってたし、『外伝アンドレ編』の片方ではまっつがベルナールでソロ+ダンスセンター(どっちもちょっぴりだけどな)だったから、これまたリピートしていたし。
自嘲するくらい、観たわ。
えーと、その場面で、ベルナールがセンターで歌うわけです。
「♪どれだけ叫び続ければ我らの声は届くのか」
雪組版のベルナール、翔くんにソロはなし。なつかしの『外伝アラン編』のまっつパターン。センターでピンスポもらって民衆を率いて歌っているのに、単体の声は聞こえず、みんなで一律コーラス。
『外伝アラン編』は全ツだったから、コーラスは録音。センターにいるまっつも名もなき市民。だからコーラスでもしょーがないとは思う。
けど、大劇場でベルナールがセンターでソロなしって、収まり悪い。
ところが特出版のちぎベルナールは、ソロあり。
花組『外伝アンドレ編』や、月組『オスカルとアンドレ編』パターンですな。
なまじ、翔くんにソロがないのを知っている・先に観ているので、ちぎくんが歌い出したときは、びっくりした。
「ベルナール」という役が「スター仕様」に変更してあるの。ささやかだけどさ。
ともかく、ちぎくんのソロだ。
無意識に、身構える。なにが起こっても……というか、どんだけえーらいこっちゃな歌声でも、受け止める! ……だから、無意識です。ちぎくん、歌うんだ!とわかった瞬間、構えちゃってたみたい。
他意はなく、力が入ったっていうか。
それが。
ちぎくんのソロは、一瞬だった。
歌い出しのワンフレーズだけソロで、そっから先は、きゃびいとのデュエットだった。
つか、きゃびいが支えていた。
きゃびいの歌声をガイドラインに、ちぎくんの歌があった。
構えていた分、「えっ」となった。
ちぎくんの、ソロじゃないんだ。
そっか。
それで、きゃびいなんだ。
ちぎくんよりも小柄(重要)で、歌ウマの娘役さん。
あんりちゃんじゃ歌が壊滅だし、さらさちゃん、夢華さんでは大きすぎる。
組長、ゆめみさん、ヒメはキャラクタ的に「妹」じゃない。
てことで、雪組の上から4番目のきゃびいなんだ! 植爺はなんでも学年順だし!
そう納得するくらい、きゃびいはいい仕事をしていました。
あくまでもちぎくんのソロ!……てな感じで、声を添えていた。
もちろん、歌だけじゃなく、芝居もできる人だからこその抜擢なんだと思います。
また、ちぎベルナールに合うんだな、しっかりしたきゃびいロザリーが。
……翔くんには合ってなかったけどな……あまりに姐さん女房っつーか……その、翔くんに問題がありすぎるためだが。
特出版は「祭りだ!」ということとは別の次元にて、ちぎくんがベルナール役をやることで、作品の質が上がっていたと思います。
彼ほどのスターががっつり安定感をもって演じてくれると、作品の奥行きが増すね。
ソロは短くまとめられちゃってるにしろ、ちぎくんの魅力は歌唱以外のところで発揮されているから、いいんだ。
民衆のセンターにいること、率いていることが、納得のベルナール。かっけー。
ちぎベルナールときゃびいロザリー。
配役を知ったときは驚いたけど、すげーいいわ、このふたり。
大丈夫、つまらないだけだから。@ベルサイユのばら-フェルゼン編-
2013年4月24日 タカラヅカ 『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』は、つまらない。
だけど、出演者は魅力的。
出演者の力だけ、魅力だけで、成り立っている!
それってとっても「タカラヅカ」。
だから、大丈夫Myフレンズ。
たのしめるよ。
今回の『フェルゼン編』、作品はひどいけれど、生理的嫌悪感が少なくすんでいるので、リピートはかなりしやすい。
これってスズキケイの功績なのかな? 月組の『オスカルとアンドレ編』でも感じたことだけど、好悪のメリハリが薄くなっている。
嫌っっ!!と嫌悪感に身震いする度合いが減り、かわりにわくわく高ぶる部分も減っている。
つぎはぎ部分の地均しをし、できるだけ穏便になあなあで済ませる感じ。
なにもかも薄いのが「現代風」なのかな。「~的な?」っつー喋り方で本質をごまかして成立する的な?
まあおかげで、わたしが危惧した「嫌悪感で観劇すらできない」状況にはならずにすんだ。
『外伝 ベルサイユのばら-アンドレ編-』は観劇すら無理だったもん、わたしには。
いちばんおかしいのは主人公のフェルゼンで、ありがたいことにフェルゼンは単体で、変。狂ったことをひとりでがなりたてている。
あと変度が高いのはブイエ将軍だけど、彼の出番は少ない。(台詞は長いけど)
つらいのは、狂った人たちがタッグを組んでがなりたてたり、狂った人しか出てこない、狂った人の出番がやたら多い、てなことで、単体で変でも、周囲の人たちがまともだと、破壊力は少ない。
たとえば『どんぐり編』では、いちばん出番の多いマロン・グラッセが完璧におかしくて、「お前の使命はオスカル様を守って死ぬことよ」「失明するなんて、この役立たず! それじゃオスカル様を守れないじゃないの!」とがなりたて続けていた。
それに対してアンドレも「オスカルのため」と、誰のためにもならない意味不明の行動を繰り返していた。まともならしないだろうことばかりを、自己犠牲に酔って。
そしてヒロインは言わずもがな、30年近くアンドレのストーカーを続け、拒絶されたからとアンドレとオスカルの殺害を企む狂った女。
常識では理解できない、ゆがんだ思考しか持たない人ばかりが舞台を占めていて、しかも彼らが「正しい」という姿勢で物語が終始し、観ているとこちらの頭がおかしくなりそうだった。
植爺のスタンダードがあれくらい狂っているのだとしたら、どんな作品ももれなく『どんぐり編』並におかしくなる可能性は大いにある。
だからわたしは、それをひたすらおそれていた。
でも、それは杞憂だった。
頭の中身を疑うような人たちが少ないのは、ありがたい。
フェルゼンは明らかにおかしいんだけれど、えりたんがそれを力づくでぶっ飛ばしているし。
なにより、オスカルとアンドレがまともな人なので、心から命拾いした。
オスカルは過去のどの『ベルばら』よりも、シンプルに心の動きが描かれていて、近衛兵から衛兵隊へ、そして民衆側について戦死するまでの流れがスムーズだ。
フェルゼンというおかしな男に惚れていることと、そのあといつの間にかアンドレに心変わりしていること、ここだけがおかしいんだが、大丈夫、そんな部分をきちんと描いた植爺『ベルばら』は、そもそも存在しないので、問題なし。
『オスカル編』でも『オスカルとアンドレ編』でも、描かれたことないんだもん、『フェルゼン編』で描かれるわけない。
植爺の恋愛観は「立場が同じ」。「同じ貴族」とか「同じ境遇」とか、目に見える「同じ」ものがなければならない。つまり、「同じ」ものがあればすなわち恋愛。
ロザリーとベルナールが恋をしたのは「同じ貴族の生まれで、同じように貴族に親を殺された」からだし、アントワネットとフェルゼンが恋に落ちたのも「同じように、習慣やしきたりの違う異国で孤立している」から。
オスカルとアンドレだって、「長年一緒に育った」「ずっとそばにいた」からだし。
それ以上書けない人で、なにか付け加えるとその分だけ破綻するんだから、「フェルゼンを好きだったけど、今はアンドレ愛してる!」でいいよ。
無駄な書き込みがない分、女々しくもない。
ちぎくんの硬質な美貌と生真面目さと相まって、一途で誠実な、男装の麗人オスカルになっている。
そして、アンドレ。
いったいどうしたことか、とてもクレバーで距離感のある造形になっている。
勇み足なオスカルをからかったりたしなめたりしながら、彼女のすべてを受け入れている。オスカルの影であることを、わきまえたアンドレ。
愛しているからと強姦しようとしたり、毒殺しようとしたり、しない。
「毒殺未遂」場面は『ベルばら』の華だから、あるに越したことないけれど、その前後をきちんと描かない(描けない)植爺だから、毒殺未遂があることで、アンドレのキャラクタ破壊につながる。
引いては、オスカルのキャラも壊れる。
「出番や台詞が少ない方が人格破綻を逃れられる」という植爺ルール。
『フェルゼン編』であるがゆえにオスアンは出番が少なく、おかげでまともになってくれている。
そして、植爺の大好きな「女のくせに」「女だから」が、ほとんどない。
わたしほんっとーにアレが不快で。
実際にそういう思考や、物言いをする男性はいるだろう。
現実にいるかもしれないが、それはどうでもいい。
『ベルばら』で、オスカル絡みで使われるのが、心から不快。
「オスカル」というキャラクタを根本から、カケラも、髪の先ほども理解していない人が作っているのだと、思い知らされるから。
元凶はブイエ将軍。このキャラクタの出番が多いと、わたしの嫌悪感メーターが跳ね上がる。月組版では、大好きな越リュウが演じていてさえ、受け入れられなかった。また月組版のブイエ将軍は、歴代屈指の破綻ぶりだったし。
雪組版では、ブイエ将軍の対オスカルの出番が少ないので、被害が最小になっている。(それでも嫌悪感のある会話が交わされているけど)
狂った人が、少ない。
助かった。
マジ、命拾いした(笑)。
だから問題は、「作品」として、つまらない、ってことなんだな(笑)。……いや、笑えない。
今からでも、作り直してくれないかなあ。
オープニング直後の長い長い長すぎるカーテン前の説明台詞立ち話をカットして、メルシー伯爵のお説教を8分の1くらいに短縮して、ルイ16世のお散歩をカットして。
代わりに、フェルゼンとアントワネットの深夜の小舟デート入れて、退団するソルーナさんのためにも、パリに幽閉されたあとの国王一家の和やかシーンと別れを入れて、ルイ・シャルルと引き離されるシーンを入れればいいのに。
そしたら、必然的に「フェルゼン」が盛り上がるのに。
アントワネットと愛し合っている場面があるし、有名曲「愛それは」があるし、だからこそ「お別れです」が切なくなる。
アントワネットと子どものエピソードがあれば、ラストで「母なんです」とフェルゼンの手をふりほどくアントワネットに説得力が増し、悲劇が盛り上がる。
また、幸せソングだった「愛それは」を、ラストにフェルゼンが痛みに満ちて歌うことで、ラストシーンが盛り上がる。
必要なのは、「アントワネット」の出番。『フェルゼン編』だから、オスアンと今のままでいいよ。バランス崩れるから。
あくまでも、「フェルゼン」中心に考えて、必要なのは、アントワネット。
植爺の行った改編って、全部全部、「フェルゼンのためにならない」ことばかり。
アントワネットの出番を減らして、専科さんの出番を増やしても、フェルゼンを盛り立てることにはならない。
唯一フェルゼンの見せ場として、彼の理屈は狂っているけれど、見た目の格好良さのある国境警備隊との立ち回りは、特出時は全カットだし。
主役を盛り立てない限り、「作品」として面白くなるわけないじゃないか。
だけど、出演者は魅力的。
出演者の力だけ、魅力だけで、成り立っている!
それってとっても「タカラヅカ」。
だから、大丈夫Myフレンズ。
たのしめるよ。
今回の『フェルゼン編』、作品はひどいけれど、生理的嫌悪感が少なくすんでいるので、リピートはかなりしやすい。
これってスズキケイの功績なのかな? 月組の『オスカルとアンドレ編』でも感じたことだけど、好悪のメリハリが薄くなっている。
嫌っっ!!と嫌悪感に身震いする度合いが減り、かわりにわくわく高ぶる部分も減っている。
つぎはぎ部分の地均しをし、できるだけ穏便になあなあで済ませる感じ。
なにもかも薄いのが「現代風」なのかな。「~的な?」っつー喋り方で本質をごまかして成立する的な?
まあおかげで、わたしが危惧した「嫌悪感で観劇すらできない」状況にはならずにすんだ。
『外伝 ベルサイユのばら-アンドレ編-』は観劇すら無理だったもん、わたしには。
いちばんおかしいのは主人公のフェルゼンで、ありがたいことにフェルゼンは単体で、変。狂ったことをひとりでがなりたてている。
あと変度が高いのはブイエ将軍だけど、彼の出番は少ない。(台詞は長いけど)
つらいのは、狂った人たちがタッグを組んでがなりたてたり、狂った人しか出てこない、狂った人の出番がやたら多い、てなことで、単体で変でも、周囲の人たちがまともだと、破壊力は少ない。
たとえば『どんぐり編』では、いちばん出番の多いマロン・グラッセが完璧におかしくて、「お前の使命はオスカル様を守って死ぬことよ」「失明するなんて、この役立たず! それじゃオスカル様を守れないじゃないの!」とがなりたて続けていた。
それに対してアンドレも「オスカルのため」と、誰のためにもならない意味不明の行動を繰り返していた。まともならしないだろうことばかりを、自己犠牲に酔って。
そしてヒロインは言わずもがな、30年近くアンドレのストーカーを続け、拒絶されたからとアンドレとオスカルの殺害を企む狂った女。
常識では理解できない、ゆがんだ思考しか持たない人ばかりが舞台を占めていて、しかも彼らが「正しい」という姿勢で物語が終始し、観ているとこちらの頭がおかしくなりそうだった。
植爺のスタンダードがあれくらい狂っているのだとしたら、どんな作品ももれなく『どんぐり編』並におかしくなる可能性は大いにある。
だからわたしは、それをひたすらおそれていた。
でも、それは杞憂だった。
頭の中身を疑うような人たちが少ないのは、ありがたい。
フェルゼンは明らかにおかしいんだけれど、えりたんがそれを力づくでぶっ飛ばしているし。
なにより、オスカルとアンドレがまともな人なので、心から命拾いした。
オスカルは過去のどの『ベルばら』よりも、シンプルに心の動きが描かれていて、近衛兵から衛兵隊へ、そして民衆側について戦死するまでの流れがスムーズだ。
フェルゼンというおかしな男に惚れていることと、そのあといつの間にかアンドレに心変わりしていること、ここだけがおかしいんだが、大丈夫、そんな部分をきちんと描いた植爺『ベルばら』は、そもそも存在しないので、問題なし。
『オスカル編』でも『オスカルとアンドレ編』でも、描かれたことないんだもん、『フェルゼン編』で描かれるわけない。
植爺の恋愛観は「立場が同じ」。「同じ貴族」とか「同じ境遇」とか、目に見える「同じ」ものがなければならない。つまり、「同じ」ものがあればすなわち恋愛。
ロザリーとベルナールが恋をしたのは「同じ貴族の生まれで、同じように貴族に親を殺された」からだし、アントワネットとフェルゼンが恋に落ちたのも「同じように、習慣やしきたりの違う異国で孤立している」から。
オスカルとアンドレだって、「長年一緒に育った」「ずっとそばにいた」からだし。
それ以上書けない人で、なにか付け加えるとその分だけ破綻するんだから、「フェルゼンを好きだったけど、今はアンドレ愛してる!」でいいよ。
無駄な書き込みがない分、女々しくもない。
ちぎくんの硬質な美貌と生真面目さと相まって、一途で誠実な、男装の麗人オスカルになっている。
そして、アンドレ。
いったいどうしたことか、とてもクレバーで距離感のある造形になっている。
勇み足なオスカルをからかったりたしなめたりしながら、彼女のすべてを受け入れている。オスカルの影であることを、わきまえたアンドレ。
愛しているからと強姦しようとしたり、毒殺しようとしたり、しない。
「毒殺未遂」場面は『ベルばら』の華だから、あるに越したことないけれど、その前後をきちんと描かない(描けない)植爺だから、毒殺未遂があることで、アンドレのキャラクタ破壊につながる。
引いては、オスカルのキャラも壊れる。
「出番や台詞が少ない方が人格破綻を逃れられる」という植爺ルール。
『フェルゼン編』であるがゆえにオスアンは出番が少なく、おかげでまともになってくれている。
そして、植爺の大好きな「女のくせに」「女だから」が、ほとんどない。
わたしほんっとーにアレが不快で。
実際にそういう思考や、物言いをする男性はいるだろう。
現実にいるかもしれないが、それはどうでもいい。
『ベルばら』で、オスカル絡みで使われるのが、心から不快。
「オスカル」というキャラクタを根本から、カケラも、髪の先ほども理解していない人が作っているのだと、思い知らされるから。
元凶はブイエ将軍。このキャラクタの出番が多いと、わたしの嫌悪感メーターが跳ね上がる。月組版では、大好きな越リュウが演じていてさえ、受け入れられなかった。また月組版のブイエ将軍は、歴代屈指の破綻ぶりだったし。
雪組版では、ブイエ将軍の対オスカルの出番が少ないので、被害が最小になっている。(それでも嫌悪感のある会話が交わされているけど)
狂った人が、少ない。
助かった。
マジ、命拾いした(笑)。
だから問題は、「作品」として、つまらない、ってことなんだな(笑)。……いや、笑えない。
今からでも、作り直してくれないかなあ。
オープニング直後の長い長い長すぎるカーテン前の説明台詞立ち話をカットして、メルシー伯爵のお説教を8分の1くらいに短縮して、ルイ16世のお散歩をカットして。
代わりに、フェルゼンとアントワネットの深夜の小舟デート入れて、退団するソルーナさんのためにも、パリに幽閉されたあとの国王一家の和やかシーンと別れを入れて、ルイ・シャルルと引き離されるシーンを入れればいいのに。
そしたら、必然的に「フェルゼン」が盛り上がるのに。
アントワネットと愛し合っている場面があるし、有名曲「愛それは」があるし、だからこそ「お別れです」が切なくなる。
アントワネットと子どものエピソードがあれば、ラストで「母なんです」とフェルゼンの手をふりほどくアントワネットに説得力が増し、悲劇が盛り上がる。
また、幸せソングだった「愛それは」を、ラストにフェルゼンが痛みに満ちて歌うことで、ラストシーンが盛り上がる。
必要なのは、「アントワネット」の出番。『フェルゼン編』だから、オスアンと今のままでいいよ。バランス崩れるから。
あくまでも、「フェルゼン」中心に考えて、必要なのは、アントワネット。
植爺の行った改編って、全部全部、「フェルゼンのためにならない」ことばかり。
アントワネットの出番を減らして、専科さんの出番を増やしても、フェルゼンを盛り立てることにはならない。
唯一フェルゼンの見せ場として、彼の理屈は狂っているけれど、見た目の格好良さのある国境警備隊との立ち回りは、特出時は全カットだし。
主役を盛り立てない限り、「作品」として面白くなるわけないじゃないか。
2回目の初日。@ベルサイユのばら-フェルゼン編-
2013年4月23日 タカラヅカ 『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』特出初日行ってきました。
特出スターは、アンドレ@れおんくん、オスカル@かなめくん。
そりゃーもー、キラキラでした。
トップスターが3人も「芝居で」揃うって、すごいことだ。
ショーでなら、『タカスペ』など例があるけど、芝居でって、記憶にない。わたしがヅカヲタやっている期間では。
かなめくんは元雪組。
わたしは雪組は継続してずーーっと眺めて来ているので、もちろん彼の雪組時代もよく知っている。
えりたんとの並びを見て、「『お笑いの果てに』だわ……」となつかしく思い出しましたよ。あんときのかなめくんがかっこよかったさ……。
せしると「姉妹」を演じているのを見て、「このふたり、たしか『兄弟』だったよな? かなめくんがせしるのことを『兄さん!』って呼びながら、愛憎してたよな??」とクラクラした。……倫理的にもひどい駄作で、猛烈にぶーたれて感想書いたな、わたし……(笑)。
とまあ、かなめくんが雪組にいたことは、知っています。
だけど……。
かなめくんの、雪組での浮きっぷりはすごいな。
と、思いました。
いっそれおんくんの方が浮いてない気がする……。
と、いうのもだ。
オスカルが、でかい。
目を見張るほど、オスカル様がでかかったっす……。
アンドレと並んでも、オスカルの方がでかい。
金髪と黒髪だから、金の方が膨張して大きく見えているのだとしても、やっぱりでかい。
アンドレよりでかいオスカル……というか、「オスカルより小さなアンドレ」は雪組通常版で見て知っている。
でも、特出版はそれだけじゃなかった。
フェルゼンと並んでも、オスカルの方がでかい。
ちぎオスカルが壮フェルゼンに思わず抱きつくところが、かなめオスカルは手を握るだけで終わっていた。
そりゃそうだよな、あのでかいオスカルに抱きしめられたら、フェルゼンが腕の中にすっぽり収まってしまって、話が変わってくる……。
オスカルはもちろん、衛兵隊でも群を抜いて長身で、「ひとりだけ女性」だとすると、なんとも不思議なバランスになっていました。
男たちの誰よりでかいのに、女の子なんだ……。
いや、そんなこともあるだろうけど、「タカラヅカ」でそれはなんか不思議な画面。
バスティーユとか、オスカルでけえぇ……。衣装とライトでクローズアップされて、さらにさらにでかく見えた。
パリ市民の誰より巨人……。
宙組ってすごいなー。
と、平均身長の違いに思いを馳せました……(笑)。
かなめくんが最終的に宙組に行き着いたのも納得。
雪組だと、双方にとってちょっと残念な感じがする……。
ともみんが雪組で素敵に花開いているように、れおんくんは意外に違和感なく画面に存在してました。
雪組の質実剛健さと、星組の熱血は、実は親和性があるのかも? 花組の濃さクドさと同じく。
れおんくんのアンドレは、とっても「柚希礼音」でした。
いつものれおんくん。
トップスターになってからの、ワイルド風味でかっこいい、あのれおんくんです。
……このれおんアンドレと、らんとむアンドレを並べてみたい。絶対、ものすげー面白い!(笑)
ふたりとも、自分のキャラまんまで演じているので、同じ「アンドレ」でも別モノ過ぎて。
れおんくんは星組御曹司、植爺芝居を、『ベルばら』を、何度も何度も何度も、やり続けていたスターです。
幼い頃からの英才教育は、今こうして実を結び、立派なアンドレになっています。
れおんくん、大人になったなあ……と、おばちゃんはしみじみしました。
2006年星組の『フェルゼンとアントワネット編』で、れおんくんはすでに役替わりでアンドレ役をやってたんだもんよ。
当時研7。新公で主演のフェルゼンをやりつつ、東宝本公演でアンドレ。オスカル役はなんと超ベテランのトウコ。
今の雪で言ったら、咲ちゃんが本公演でアンドレをまっつと役替わりしてるよーなもんだな。
……もちろん、その出来映えは、大変なことになっていて……。
http://koala.diarynote.jp/200604091634520000/ ←当時の感想(ナニ気にタニちゃんに失礼なことをゆーてますが、そのちょっと前に、彼のとてもアレなラヴシーン芝居を観てどうの、ってのがあったからなんですわ)。
それを知っているだけに、「わー。前と同じモノを見てるー」という感覚が、終始ある。
前にも見た、だけどあきらかに別モノ。
柚希礼音が、カッコイイ。
7年前のわたしに教えてあげたいです。あの「ナニも出来ない童貞熱血坊や」が、こんなにもいい男に成長することを!
いやその、7年も経てば誰だって大人になるわけで、「当たり前」のことをほめてどうする、という意見もあるのかもしれない。
でもさ、この新陳代謝の激しいタカラヅカで、あれから7年「続けた」ということは、それだけですごいことなんだと思う。
上級生の少なさを見てもわかるように、「続ける」ことこそが、実はもっとも難しいことなのかもしれない。実力やポジション、いろんなものを乗り越えてはじめて「続ける」ことができるのだから。
大人になったと言えば、かなめくんもそうだ。踏んできた場数がチガウもんな。
改めて「トップさんなんだ」と感心した。
もう、雪にいた頃の頼りない下級生じゃない。
テルカルはほんっとにものすごいスタイル。
二次元キャラだほんと。
そして実に楽しそうにオスカルを演じていた。やわらかい人柄が出ている感じ。きれいだし、女々しくないし、そしてかわいいし。
ちえドレとテルカルの「今宵一夜」は、ひたすら美しかったっす。
れおんくんが野獣っぽくてときめく(笑)。いやあ、少女マンガはこうでなきゃ! いつもはやさしいけれど、夜は強引な彼♪ 的な?
特出バージョンはその前に「毒殺未遂」とアンドレの銀橋ソロがある。
「毒殺未遂」と「今宵一夜」の間には、ジャルジェ家のかーちゃんとねーちゃんがぎゃーぎゃー言うカーテン前があるだけ。
気持ち的には、「毒殺未遂」→「今宵一夜」と直接つながってる感じ。
だから、「今宵一夜」でアンドレがオスカルに呼ばれて部屋に入ってきて、「星がきれいだ」でオスカルの肩を抱くのが、すっげー違和感。
お前、つい数分前に毒殺未遂して、「このことは忘れてくれ」「俺の役目は終わったのかもしれない」って言ってたじゃん!!
カーテン前のジャルジェ家の人々に、あんなくだらない会話をえんえんさせるより(わたしはあの会話大嫌い)、「オスカルはジェローデル様との縁談も断ってしまったし、なにを考えているのかわからないわ。その上、パリに進駐するなんて」「オスカルにはオスカルの考えがあるのでしょう」という台詞に変えればいいのに。
オスカルがナニか考えて、ナニか進展があって、それから「今宵一夜」なんだってわからせればいいのに。
あ、そーいやちえドレは、橋の上で全弾被弾はしなかったな(笑)。狙撃手はへたっぴらしい。あんなにたくさん撃っていたけれど、当たったのは半分くらい? や、半分でも十分死にます、全弾くらう必要はありません(笑)。
つか、らんとむさんといいまっつといい、花男は全弾受けなくてはならないと思っているのか(笑)。
特出は『ベルばら』のお約束、祭りだと思う。
思うけど、やっぱトップふたりの特出はやりすぎだと思ったな。
雪組通常版のオープニング最後に、ふたりで抱き合うようにして純白衣装でセンターせり上がりで登場、『ベルばら』でもっとも有名な曲『愛それは』を歌いながら銀橋へ。
って、なんか、主役はフェルゼン@壮くんではない、みたいな演出。オープニングの最後、そのあと物語スタートだから、パレードで言うなら大階段を最後に降りてくるみたいな。
1回限りのイベントに集めた面子じゃない、新生雪組スタート、えりあゆの任期がどれくらいあるのかわかんないけど、これからしばらくはこの顔ぶれで興行を行うのに、それを軽んじるようなことをわざわざしなくてもいいのになー。
フィナーレもまるまる1場面他組トップさんとか、見た目に美しいし、楽しいんだけど、違和感が残る。わだかまる。
組子と特出さんが絡む場面が追加されるなら、それは「お客さん」を迎えての祭りなんだけど、そうじゃないからなあ。
劇団ってほんとヘタだな、商売。
目先の小銭に釣られて、ブランドに傷を付けるのが得意ときたもんだ。
特出スターは、アンドレ@れおんくん、オスカル@かなめくん。
そりゃーもー、キラキラでした。
トップスターが3人も「芝居で」揃うって、すごいことだ。
ショーでなら、『タカスペ』など例があるけど、芝居でって、記憶にない。わたしがヅカヲタやっている期間では。
かなめくんは元雪組。
わたしは雪組は継続してずーーっと眺めて来ているので、もちろん彼の雪組時代もよく知っている。
えりたんとの並びを見て、「『お笑いの果てに』だわ……」となつかしく思い出しましたよ。あんときのかなめくんがかっこよかったさ……。
せしると「姉妹」を演じているのを見て、「このふたり、たしか『兄弟』だったよな? かなめくんがせしるのことを『兄さん!』って呼びながら、愛憎してたよな??」とクラクラした。……倫理的にもひどい駄作で、猛烈にぶーたれて感想書いたな、わたし……(笑)。
とまあ、かなめくんが雪組にいたことは、知っています。
だけど……。
かなめくんの、雪組での浮きっぷりはすごいな。
と、思いました。
いっそれおんくんの方が浮いてない気がする……。
と、いうのもだ。
オスカルが、でかい。
目を見張るほど、オスカル様がでかかったっす……。
アンドレと並んでも、オスカルの方がでかい。
金髪と黒髪だから、金の方が膨張して大きく見えているのだとしても、やっぱりでかい。
アンドレよりでかいオスカル……というか、「オスカルより小さなアンドレ」は雪組通常版で見て知っている。
でも、特出版はそれだけじゃなかった。
フェルゼンと並んでも、オスカルの方がでかい。
ちぎオスカルが壮フェルゼンに思わず抱きつくところが、かなめオスカルは手を握るだけで終わっていた。
そりゃそうだよな、あのでかいオスカルに抱きしめられたら、フェルゼンが腕の中にすっぽり収まってしまって、話が変わってくる……。
オスカルはもちろん、衛兵隊でも群を抜いて長身で、「ひとりだけ女性」だとすると、なんとも不思議なバランスになっていました。
男たちの誰よりでかいのに、女の子なんだ……。
いや、そんなこともあるだろうけど、「タカラヅカ」でそれはなんか不思議な画面。
バスティーユとか、オスカルでけえぇ……。衣装とライトでクローズアップされて、さらにさらにでかく見えた。
パリ市民の誰より巨人……。
宙組ってすごいなー。
と、平均身長の違いに思いを馳せました……(笑)。
かなめくんが最終的に宙組に行き着いたのも納得。
雪組だと、双方にとってちょっと残念な感じがする……。
ともみんが雪組で素敵に花開いているように、れおんくんは意外に違和感なく画面に存在してました。
雪組の質実剛健さと、星組の熱血は、実は親和性があるのかも? 花組の濃さクドさと同じく。
れおんくんのアンドレは、とっても「柚希礼音」でした。
いつものれおんくん。
トップスターになってからの、ワイルド風味でかっこいい、あのれおんくんです。
……このれおんアンドレと、らんとむアンドレを並べてみたい。絶対、ものすげー面白い!(笑)
ふたりとも、自分のキャラまんまで演じているので、同じ「アンドレ」でも別モノ過ぎて。
れおんくんは星組御曹司、植爺芝居を、『ベルばら』を、何度も何度も何度も、やり続けていたスターです。
幼い頃からの英才教育は、今こうして実を結び、立派なアンドレになっています。
れおんくん、大人になったなあ……と、おばちゃんはしみじみしました。
2006年星組の『フェルゼンとアントワネット編』で、れおんくんはすでに役替わりでアンドレ役をやってたんだもんよ。
当時研7。新公で主演のフェルゼンをやりつつ、東宝本公演でアンドレ。オスカル役はなんと超ベテランのトウコ。
今の雪で言ったら、咲ちゃんが本公演でアンドレをまっつと役替わりしてるよーなもんだな。
……もちろん、その出来映えは、大変なことになっていて……。
http://koala.diarynote.jp/200604091634520000/ ←当時の感想(ナニ気にタニちゃんに失礼なことをゆーてますが、そのちょっと前に、彼のとてもアレなラヴシーン芝居を観てどうの、ってのがあったからなんですわ)。
それを知っているだけに、「わー。前と同じモノを見てるー」という感覚が、終始ある。
前にも見た、だけどあきらかに別モノ。
柚希礼音が、カッコイイ。
7年前のわたしに教えてあげたいです。あの「ナニも出来ない童貞熱血坊や」が、こんなにもいい男に成長することを!
いやその、7年も経てば誰だって大人になるわけで、「当たり前」のことをほめてどうする、という意見もあるのかもしれない。
でもさ、この新陳代謝の激しいタカラヅカで、あれから7年「続けた」ということは、それだけですごいことなんだと思う。
上級生の少なさを見てもわかるように、「続ける」ことこそが、実はもっとも難しいことなのかもしれない。実力やポジション、いろんなものを乗り越えてはじめて「続ける」ことができるのだから。
大人になったと言えば、かなめくんもそうだ。踏んできた場数がチガウもんな。
改めて「トップさんなんだ」と感心した。
もう、雪にいた頃の頼りない下級生じゃない。
テルカルはほんっとにものすごいスタイル。
二次元キャラだほんと。
そして実に楽しそうにオスカルを演じていた。やわらかい人柄が出ている感じ。きれいだし、女々しくないし、そしてかわいいし。
ちえドレとテルカルの「今宵一夜」は、ひたすら美しかったっす。
れおんくんが野獣っぽくてときめく(笑)。いやあ、少女マンガはこうでなきゃ! いつもはやさしいけれど、夜は強引な彼♪ 的な?
特出バージョンはその前に「毒殺未遂」とアンドレの銀橋ソロがある。
「毒殺未遂」と「今宵一夜」の間には、ジャルジェ家のかーちゃんとねーちゃんがぎゃーぎゃー言うカーテン前があるだけ。
気持ち的には、「毒殺未遂」→「今宵一夜」と直接つながってる感じ。
だから、「今宵一夜」でアンドレがオスカルに呼ばれて部屋に入ってきて、「星がきれいだ」でオスカルの肩を抱くのが、すっげー違和感。
お前、つい数分前に毒殺未遂して、「このことは忘れてくれ」「俺の役目は終わったのかもしれない」って言ってたじゃん!!
カーテン前のジャルジェ家の人々に、あんなくだらない会話をえんえんさせるより(わたしはあの会話大嫌い)、「オスカルはジェローデル様との縁談も断ってしまったし、なにを考えているのかわからないわ。その上、パリに進駐するなんて」「オスカルにはオスカルの考えがあるのでしょう」という台詞に変えればいいのに。
オスカルがナニか考えて、ナニか進展があって、それから「今宵一夜」なんだってわからせればいいのに。
あ、そーいやちえドレは、橋の上で全弾被弾はしなかったな(笑)。狙撃手はへたっぴらしい。あんなにたくさん撃っていたけれど、当たったのは半分くらい? や、半分でも十分死にます、全弾くらう必要はありません(笑)。
つか、らんとむさんといいまっつといい、花男は全弾受けなくてはならないと思っているのか(笑)。
特出は『ベルばら』のお約束、祭りだと思う。
思うけど、やっぱトップふたりの特出はやりすぎだと思ったな。
雪組通常版のオープニング最後に、ふたりで抱き合うようにして純白衣装でセンターせり上がりで登場、『ベルばら』でもっとも有名な曲『愛それは』を歌いながら銀橋へ。
って、なんか、主役はフェルゼン@壮くんではない、みたいな演出。オープニングの最後、そのあと物語スタートだから、パレードで言うなら大階段を最後に降りてくるみたいな。
1回限りのイベントに集めた面子じゃない、新生雪組スタート、えりあゆの任期がどれくらいあるのかわかんないけど、これからしばらくはこの顔ぶれで興行を行うのに、それを軽んじるようなことをわざわざしなくてもいいのになー。
フィナーレもまるまる1場面他組トップさんとか、見た目に美しいし、楽しいんだけど、違和感が残る。わだかまる。
組子と特出さんが絡む場面が追加されるなら、それは「お客さん」を迎えての祭りなんだけど、そうじゃないからなあ。
劇団ってほんとヘタだな、商売。
目先の小銭に釣られて、ブランドに傷を付けるのが得意ときたもんだ。
いびつさの疑問。@ベルサイユのばら-フェルゼン編-
2013年4月22日 タカラヅカ 『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』のオープニングには、「スター」が登場しない。
出るのは主役のフェルゼン@壮くんのみ。
ヒロインのアントワネット@あゆっちすら、登場しない。
『ベルばら』の最大有名キャラ、オスカル@ちぎくんも登場しない。
みんな、舞台にはいる。
あゆっちもちぎくんも。
ただし彼らは「名前のない脇役」だ。その他大勢として扱われている。
『ベルばら』は宝塚歌劇最大の祭りであり、初心者・一見さん・往年のファンなど、現在のヅカヲタ以外をも動員できるタイトルだ。
なのに、その一般客の喜ぶ「『ベルばら』のスター」をオープニングに登場させない。
フェルゼンとアントワネット、そしてオスカルの出会いである仮面舞踏会を、パペットダンスで表現するのはいい。
ただ、それをやったあとに本役たちが登場し、派手なオープニングにつなげれば、場が沸くだろうにそれがない。
植爺が耄碌したとか手抜きしたという事だけでなく、もうひとつ今回は、いびつな「大人の事情」を感じる。
つまり、他組トップスター特出だ。
『ベルばら』はお祭りであり、役代わりや他組スターの特出はお約束だ。お披露目公演に他組トップスターが特出することだって、過去に例がないわけじゃない。
ただ……さすがに、トップスターふたりが特出し、主役と関係ない場面を繰り広げるというのは、聞いたことがない。
特出スターが組のスターと絡むのを楽しむものてあって、特出スターだけで完結するならば、それはもう組公演ではなくタカスペなどの組単位を超えたイベントでしかない。
大切なお披露目公演を、イベント扱いにされてしまったためか、なんかやたらめったら主演のえりたんに配慮されている、気がする。
雪組トップスターの顔をつぶさないよう、極力努力している。
で、その努力ってのが、作品や公演を盛り上げ、その結果主役のえりたんを盛り立てるのではなく、他の扱いを下げ、物語を地味にして、結果主役を目立たせるというもの。
マイナスしてどうする!!
だからオープニングは、アントワネットすら出ない。
パペットの歌手という謎な役で登場するあゆっちは、彼女が娘役トップともアントワネットとも一般客にわからないので、拍手もろくにもらえない。
オスカルもアンドレもいないので、個別の拍手は起こらない。
ただひとり、フェルゼン登場にのみ、拍手が起こる。
次から次へとスターが登場し、拍手がその都度起こり、これからはじまる物語への期待、「祭りだ!」という気持ちに沸き立つ……そんなオープニングを過去の『ベルばら』で知っているだけに、今回の幕開きの盛り上がらなさは、寂しい。
『ベルばら』なんて、盛り上がってナンボ、祭りでナンボだろうに……。
や、これはわたしの勝手な感想ですよ。
もっと盛り上げられるのに、過去にそうしていたものがあるのに、今回はやたら抑えてある。
わざわざマイナスにするどんな理由があるだろう、と考えて、今回限りのいびつな特出事情のせいかな、と思ったわけです。
で、もひとつ特出事情に懸念しているのは、この「オスカルもアンドレも出ないオープニング」に、特出スターが出演する場合。
彼らはやはり、「オスカル」として「アンドレ」として、オープニングに華やかに登場するんだろう。
他組からのお客様を「その他大勢」扱いには出来ないから。
となると、同じ料金を支払って観劇しているお客としては、特出日だけは「『ベルばら』のオープニング」を観られるってわけだ。
本来の雪組バージョンでは「フェルゼン以外、『ベルばら』キャラなし」なのに。
なんでそんなことをするかなあ。
たとえばこの間の月組では、特出がいようといまいとアンドレはアンドレとしてオープニングに出ていたのに。
アンドレはタイトルロールのひとりだし、特出なしでも演じているのがトップスターと準トップスターだから、ということだろうか。
でもそれは劇団側の都合で、特出のあるなしで「祭り」感の差があるのはおかしいだろう。
ふつーに雪組版でも「『ベルばら』のスター」を登場させ、銀橋に並ばせればいいのに。
特出さんがいらっしゃったときは、それぞれ交代すればいいだけのこと。特出さんは衣装とかライトとかチガウんだから、組子の役との差別化はできるだろうになあ。
「交代させる」手間がめんどくさくて、ちぎまつは最初から「その他」にしてあるとか。
……植爺だとありそうでこわい。
1ファンとしては、贔屓の別役・別衣装で踊る姿を見られるのだから、それはそれで楽しんでいるんだが、それと『ベルばら』オープニングの意義は、別。
過去もスター特出はあった。
特出するスターさんの、そして組トップスターの、格を守るための差別化はあった。
だとしても、今回はいろいろといびつすぎる。
大人の事情があるんだかないんだか知らないが、要するに。
問答無用で面白ければ、なんの疑問もなかったんだ。
面白くないから、疑問ばっかわくんだわ……。
主人公に共感できないのはもうあきらめているとして、ストーリーが壊れているのもあきらめているとして、「祭りだ!」というわくわく感すらないなんて……。
それでも、タカラヅカが好きで雪組が好きだから、組子のがんばりを見ているだけで楽しめるのだけど。
えりたんのパワーと、まつちぎのラヴっぷりを見るためだけに、十分通えるのだけど。
ストーリーや各種設定が『外伝』よりはるかにマシなので、耐えられるのだけど。
てゆーか、「出番や台詞が少ない方が人格破綻を逃れられる」という植爺ルールが正しく発動し、オスカルとアンドレが比較的まともな人になっているので、わたし的にはとても見やすい(笑)。
出るのは主役のフェルゼン@壮くんのみ。
ヒロインのアントワネット@あゆっちすら、登場しない。
『ベルばら』の最大有名キャラ、オスカル@ちぎくんも登場しない。
みんな、舞台にはいる。
あゆっちもちぎくんも。
ただし彼らは「名前のない脇役」だ。その他大勢として扱われている。
『ベルばら』は宝塚歌劇最大の祭りであり、初心者・一見さん・往年のファンなど、現在のヅカヲタ以外をも動員できるタイトルだ。
なのに、その一般客の喜ぶ「『ベルばら』のスター」をオープニングに登場させない。
フェルゼンとアントワネット、そしてオスカルの出会いである仮面舞踏会を、パペットダンスで表現するのはいい。
ただ、それをやったあとに本役たちが登場し、派手なオープニングにつなげれば、場が沸くだろうにそれがない。
植爺が耄碌したとか手抜きしたという事だけでなく、もうひとつ今回は、いびつな「大人の事情」を感じる。
つまり、他組トップスター特出だ。
『ベルばら』はお祭りであり、役代わりや他組スターの特出はお約束だ。お披露目公演に他組トップスターが特出することだって、過去に例がないわけじゃない。
ただ……さすがに、トップスターふたりが特出し、主役と関係ない場面を繰り広げるというのは、聞いたことがない。
特出スターが組のスターと絡むのを楽しむものてあって、特出スターだけで完結するならば、それはもう組公演ではなくタカスペなどの組単位を超えたイベントでしかない。
大切なお披露目公演を、イベント扱いにされてしまったためか、なんかやたらめったら主演のえりたんに配慮されている、気がする。
雪組トップスターの顔をつぶさないよう、極力努力している。
で、その努力ってのが、作品や公演を盛り上げ、その結果主役のえりたんを盛り立てるのではなく、他の扱いを下げ、物語を地味にして、結果主役を目立たせるというもの。
マイナスしてどうする!!
だからオープニングは、アントワネットすら出ない。
パペットの歌手という謎な役で登場するあゆっちは、彼女が娘役トップともアントワネットとも一般客にわからないので、拍手もろくにもらえない。
オスカルもアンドレもいないので、個別の拍手は起こらない。
ただひとり、フェルゼン登場にのみ、拍手が起こる。
次から次へとスターが登場し、拍手がその都度起こり、これからはじまる物語への期待、「祭りだ!」という気持ちに沸き立つ……そんなオープニングを過去の『ベルばら』で知っているだけに、今回の幕開きの盛り上がらなさは、寂しい。
『ベルばら』なんて、盛り上がってナンボ、祭りでナンボだろうに……。
や、これはわたしの勝手な感想ですよ。
もっと盛り上げられるのに、過去にそうしていたものがあるのに、今回はやたら抑えてある。
わざわざマイナスにするどんな理由があるだろう、と考えて、今回限りのいびつな特出事情のせいかな、と思ったわけです。
で、もひとつ特出事情に懸念しているのは、この「オスカルもアンドレも出ないオープニング」に、特出スターが出演する場合。
彼らはやはり、「オスカル」として「アンドレ」として、オープニングに華やかに登場するんだろう。
他組からのお客様を「その他大勢」扱いには出来ないから。
となると、同じ料金を支払って観劇しているお客としては、特出日だけは「『ベルばら』のオープニング」を観られるってわけだ。
本来の雪組バージョンでは「フェルゼン以外、『ベルばら』キャラなし」なのに。
なんでそんなことをするかなあ。
たとえばこの間の月組では、特出がいようといまいとアンドレはアンドレとしてオープニングに出ていたのに。
アンドレはタイトルロールのひとりだし、特出なしでも演じているのがトップスターと準トップスターだから、ということだろうか。
でもそれは劇団側の都合で、特出のあるなしで「祭り」感の差があるのはおかしいだろう。
ふつーに雪組版でも「『ベルばら』のスター」を登場させ、銀橋に並ばせればいいのに。
特出さんがいらっしゃったときは、それぞれ交代すればいいだけのこと。特出さんは衣装とかライトとかチガウんだから、組子の役との差別化はできるだろうになあ。
「交代させる」手間がめんどくさくて、ちぎまつは最初から「その他」にしてあるとか。
……植爺だとありそうでこわい。
1ファンとしては、贔屓の別役・別衣装で踊る姿を見られるのだから、それはそれで楽しんでいるんだが、それと『ベルばら』オープニングの意義は、別。
過去もスター特出はあった。
特出するスターさんの、そして組トップスターの、格を守るための差別化はあった。
だとしても、今回はいろいろといびつすぎる。
大人の事情があるんだかないんだか知らないが、要するに。
問答無用で面白ければ、なんの疑問もなかったんだ。
面白くないから、疑問ばっかわくんだわ……。
主人公に共感できないのはもうあきらめているとして、ストーリーが壊れているのもあきらめているとして、「祭りだ!」というわくわく感すらないなんて……。
それでも、タカラヅカが好きで雪組が好きだから、組子のがんばりを見ているだけで楽しめるのだけど。
えりたんのパワーと、まつちぎのラヴっぷりを見るためだけに、十分通えるのだけど。
ストーリーや各種設定が『外伝』よりはるかにマシなので、耐えられるのだけど。
てゆーか、「出番や台詞が少ない方が人格破綻を逃れられる」という植爺ルールが正しく発動し、オスカルとアンドレが比較的まともな人になっているので、わたし的にはとても見やすい(笑)。
祭りのはずなのに。@ベルサイユのばら-フェルゼン編-
2013年4月21日 タカラヅカ 今回の『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』にいちばんナイのは、「祭り感」だと思う。
前回の月組『ベルサイユのばら-オスカルとアンドレ編-』では、問答無用の「祭りだ!!」という感覚があった。
『ベルばら』嫌いだけど、祭りだからいいや、たまにはいいよね、と思えるような、非日常感。
観客も劇場もそわそわきゃっきゃっして、浮き足立っている。
きらきらわくわく、よくわかんないけど、楽しい空気。
それが今回はナイ……。
4月で初舞台生お披露目で、トップコンビお披露目の、何重にも「めでたい」、これ以上なく「祭り」にふさわしいお膳立ては出来ているのに。
主人公が所詮脇役のフェルゼンだから、派手になりようがない、というのはもちろんある。
でもそんなの、最初からわかっていることなんだから、それを踏まえた上で盛り上げなくてはならないだろう。
まず必要なのは、派手なオープニング。
別に絵の中からキャストが出てこなくてもいいから、とにかくわかりやすく派手に盛り上げる。
歴代名曲メドレーやりながら、大階段にスターたちが登場する。
そして銀橋でのラインアップ。
主役のフェルゼンはもちろんのこと、初心者たちの度肝を抜く豪華ドレスのアントワネット、なにも知らない一見さんでも名前とビジュアルくらいは知っているだろう最大有名キャラオスカル、その相手役アンドレ、原作や往年のヅカファンにはわかるロザリー、ベルナール、ジェローデル……有名キャラをこれでもか!と披露する。
次から次へと登場してくるドレスの貴婦人たち、宮廷服の紳士たち。『フェルゼン編』は貴族編でもあるわけだから、ひたすら派手に「これぞタカラヅカ!」な世界を展開できる。
それこそが「祭り」だ。
観客が観たいのは「タカラヅカの『ベルばら』」だ。
ただドレスを着た人たちが揺れている姿を見たいわけじゃない。それはただの「タカラヅカ」。
『ベルばら』なんだから、『ベルばら』のキャラクタを見せようよ。
2006年『フェルゼンとアントワネット編』のオープニングは派手だったなああ。
次から次へと現れるスターたち……拍手に次ぐ拍手。
アントワネットの頭に、船が載ってたくらいだもんな。
つくづく、2008年スタートの『外伝』は百害あって一利なしだったと、またひとつ新たに思ったのは、植爺に変な癖を付けたこと。
『外伝』は3組で上演すると最初に宣言していて(のちに前言を意図的に忘却し、さらに2公演もやった)、「経費節減」がいちばんの理由なんだろうけど、「オープニングはすべて同じ」てなアホなことをやった。
主役もストーリーも時代も違うのに、同じオープニング。
つまり、『ベルサイユのばら』である必要のない、ドレスや宮廷服で歌い踊るだけのオープニングだ。
『ベルばら』のキャラクタが出なければ、『ベルばら』である必要なんかない。なのに、1作分の予算で3組分作るために、そんな愚策を行った。
経費の問題だけでなく、植爺の手抜きの言い訳だと思ってるけど。1作分の労力で、3作分のギャラを得たいんだなと。
『外伝』が罷り通っちゃったから(無理矢理通したから)、味をしめたんだろう。
『ベルばら』のオープニングを作るのは面倒だから、てきとーに「ふつーのオープニング」を作ってお茶を濁す。
各キャラクタとして見せ場を考えるのは面倒、貴公子とか貴婦人とかいう役名なら、てきとーでもいい。
てきとーにきれーな衣装の人々が、てきとーにゆらゆらして、はいオープニング出来上がり。
……って、そんなん誰も求めてないから! みんな『ベルばら』を求めてるんだから!!
今回の『フェルゼン編』のオープニングには、フェルゼン@えりたん以外、誰も出ていない。
舞台上には、みんないる。あゆっちもちぎくんもまっつも、他のスターたちも。
だけどみんな、「その他大勢、名前なし」。
『ベルばら』のスターという扱いじゃない。
次の場面に出るためにオープニングに出られない、とかじゃないの。
みんないるのに、「物語としての」スポットライトが当たらないの。わざと地味にしてあるの。
なんのために?? 意味が分からない。
観客は「アントワネットだー!」「オスカルだー!」と言って喜ぶものなのに。
「待ってました!」と、「知っている有名キャラの登場」に拍手するものなのに。
また、スターが登場しないためか、銀橋ラインアップもない。
えりたんが「愛の面影」を歌いながらひとり歩くだけ。
地味だ……。
フェルゼンとアントワネットの物語は大人っぽくてしっとりとした悲劇だから、あえて地味な導入にするというのもアリだろう。
プロローグはそれでいいから、「パリ・オペラ座の仮面舞踏会の夜」を語ったあとに、「それはそれとして、『ベルばら』のオープニング開始!!」をやればいいのに。
あ、初演の『フェルゼン編』に派手なオープニングがなかったから云々、というのは別の話ですよ。初演まんま一切変更なしで再演します、じゃなく、現代とキャストに合わせて改稿、新しい『フェルゼン編』だと謳っているんだから。
現代の客のニーズに合わせると、アントワネットもオスカルもアンドレも登場しないオープニング、になるんですか。
おかげで「祭り感」が薄い。
盛り上がるつもりで会場に駆けつけたのに、祭りがしょぼい。
で、でもきっとこのあと盛り上がるんだわ、最初はわざと地味に抑えてあるのよ、と思ったら。
地味なオープニングのあと、なーんにもないカーテンだけの舞台で、おじさん3人が、えんえん立ち話。
これがまた、長い。無駄に、長い。
長いだけで、有益な情報がほとんどない。何故なら、同じことを他の場面でもえんえんくり返すからだ。ここでここまで説明する意味はどこにもない。
カーテン前だもの、きっとこのカーテンが開けば、そこには豪華なセットがあり、派手な場面がはじまるんだわ、今はその用意をしているのよ……!
と、遠くなる意識を総動員して期待をかけていても。
カーテンが開いた舞台は、また地味な書き割り。
歌もダンスもなく、ただ顔ぶれを変えて立ち話がはじまる。
……この、繰り返し。
「祭り感」が、ないっ!!
地味な立ち話の次は、歌い踊れよ?!
カーテン前と、地味な書き割りで、少人数立ち話しかないってナニゴト??
わくわくしない。
それがいちばんの問題だと思う。
前回の月組『ベルサイユのばら-オスカルとアンドレ編-』では、問答無用の「祭りだ!!」という感覚があった。
『ベルばら』嫌いだけど、祭りだからいいや、たまにはいいよね、と思えるような、非日常感。
観客も劇場もそわそわきゃっきゃっして、浮き足立っている。
きらきらわくわく、よくわかんないけど、楽しい空気。
それが今回はナイ……。
4月で初舞台生お披露目で、トップコンビお披露目の、何重にも「めでたい」、これ以上なく「祭り」にふさわしいお膳立ては出来ているのに。
主人公が所詮脇役のフェルゼンだから、派手になりようがない、というのはもちろんある。
でもそんなの、最初からわかっていることなんだから、それを踏まえた上で盛り上げなくてはならないだろう。
まず必要なのは、派手なオープニング。
別に絵の中からキャストが出てこなくてもいいから、とにかくわかりやすく派手に盛り上げる。
歴代名曲メドレーやりながら、大階段にスターたちが登場する。
そして銀橋でのラインアップ。
主役のフェルゼンはもちろんのこと、初心者たちの度肝を抜く豪華ドレスのアントワネット、なにも知らない一見さんでも名前とビジュアルくらいは知っているだろう最大有名キャラオスカル、その相手役アンドレ、原作や往年のヅカファンにはわかるロザリー、ベルナール、ジェローデル……有名キャラをこれでもか!と披露する。
次から次へと登場してくるドレスの貴婦人たち、宮廷服の紳士たち。『フェルゼン編』は貴族編でもあるわけだから、ひたすら派手に「これぞタカラヅカ!」な世界を展開できる。
それこそが「祭り」だ。
観客が観たいのは「タカラヅカの『ベルばら』」だ。
ただドレスを着た人たちが揺れている姿を見たいわけじゃない。それはただの「タカラヅカ」。
『ベルばら』なんだから、『ベルばら』のキャラクタを見せようよ。
2006年『フェルゼンとアントワネット編』のオープニングは派手だったなああ。
次から次へと現れるスターたち……拍手に次ぐ拍手。
アントワネットの頭に、船が載ってたくらいだもんな。
つくづく、2008年スタートの『外伝』は百害あって一利なしだったと、またひとつ新たに思ったのは、植爺に変な癖を付けたこと。
『外伝』は3組で上演すると最初に宣言していて(のちに前言を意図的に忘却し、さらに2公演もやった)、「経費節減」がいちばんの理由なんだろうけど、「オープニングはすべて同じ」てなアホなことをやった。
主役もストーリーも時代も違うのに、同じオープニング。
つまり、『ベルサイユのばら』である必要のない、ドレスや宮廷服で歌い踊るだけのオープニングだ。
『ベルばら』のキャラクタが出なければ、『ベルばら』である必要なんかない。なのに、1作分の予算で3組分作るために、そんな愚策を行った。
経費の問題だけでなく、植爺の手抜きの言い訳だと思ってるけど。1作分の労力で、3作分のギャラを得たいんだなと。
『外伝』が罷り通っちゃったから(無理矢理通したから)、味をしめたんだろう。
『ベルばら』のオープニングを作るのは面倒だから、てきとーに「ふつーのオープニング」を作ってお茶を濁す。
各キャラクタとして見せ場を考えるのは面倒、貴公子とか貴婦人とかいう役名なら、てきとーでもいい。
てきとーにきれーな衣装の人々が、てきとーにゆらゆらして、はいオープニング出来上がり。
……って、そんなん誰も求めてないから! みんな『ベルばら』を求めてるんだから!!
今回の『フェルゼン編』のオープニングには、フェルゼン@えりたん以外、誰も出ていない。
舞台上には、みんないる。あゆっちもちぎくんもまっつも、他のスターたちも。
だけどみんな、「その他大勢、名前なし」。
『ベルばら』のスターという扱いじゃない。
次の場面に出るためにオープニングに出られない、とかじゃないの。
みんないるのに、「物語としての」スポットライトが当たらないの。わざと地味にしてあるの。
なんのために?? 意味が分からない。
観客は「アントワネットだー!」「オスカルだー!」と言って喜ぶものなのに。
「待ってました!」と、「知っている有名キャラの登場」に拍手するものなのに。
また、スターが登場しないためか、銀橋ラインアップもない。
えりたんが「愛の面影」を歌いながらひとり歩くだけ。
地味だ……。
フェルゼンとアントワネットの物語は大人っぽくてしっとりとした悲劇だから、あえて地味な導入にするというのもアリだろう。
プロローグはそれでいいから、「パリ・オペラ座の仮面舞踏会の夜」を語ったあとに、「それはそれとして、『ベルばら』のオープニング開始!!」をやればいいのに。
あ、初演の『フェルゼン編』に派手なオープニングがなかったから云々、というのは別の話ですよ。初演まんま一切変更なしで再演します、じゃなく、現代とキャストに合わせて改稿、新しい『フェルゼン編』だと謳っているんだから。
現代の客のニーズに合わせると、アントワネットもオスカルもアンドレも登場しないオープニング、になるんですか。
おかげで「祭り感」が薄い。
盛り上がるつもりで会場に駆けつけたのに、祭りがしょぼい。
で、でもきっとこのあと盛り上がるんだわ、最初はわざと地味に抑えてあるのよ、と思ったら。
地味なオープニングのあと、なーんにもないカーテンだけの舞台で、おじさん3人が、えんえん立ち話。
これがまた、長い。無駄に、長い。
長いだけで、有益な情報がほとんどない。何故なら、同じことを他の場面でもえんえんくり返すからだ。ここでここまで説明する意味はどこにもない。
カーテン前だもの、きっとこのカーテンが開けば、そこには豪華なセットがあり、派手な場面がはじまるんだわ、今はその用意をしているのよ……!
と、遠くなる意識を総動員して期待をかけていても。
カーテンが開いた舞台は、また地味な書き割り。
歌もダンスもなく、ただ顔ぶれを変えて立ち話がはじまる。
……この、繰り返し。
「祭り感」が、ないっ!!
地味な立ち話の次は、歌い踊れよ?!
カーテン前と、地味な書き割りで、少人数立ち話しかないってナニゴト??
わくわくしない。
それがいちばんの問題だと思う。
活躍するカーテン各種。@ベルサイユのばら-フェルゼン編-
2013年4月20日 タカラヅカ えーとね、わたしはもともと植爺の『ベルサイユのばら』がキライです。
中でも植爺の描くフェルゼンというキャラクタが大嫌いです。
フェルゼンを主人公にした作品は、『ベルばら』の中でも大抵酷い話で、特にキライです。
だから、『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』については、なんの期待もありません。
フェルゼンが人としてアレなのは知ってるし。アンタッチャブル、触りたくもないです。
だから、植爺フェルゼンの破綻した人格や言動については、もう今さらどーでもいいです。
それでも、『外伝』よりはマシだし。
腐っても『ベルばら』本編、2008年の外伝シリーズに比べれば、ぜんぜん素晴らしいです。
だから今回あぜんとしたのは、別のこと。
植爺が創作者として終わっていることはわかっている。
銀橋もセリも盆も、日本屈指の劇場である宝塚大劇場の舞台設備をまったく使えない、紙芝居しか出来ない人だということも、知っている。
歌もダンスも使えず、登場人物がカーテン前で無用な説明台詞をえんえんくり返すだけの立ち話をし、横一列に並んだモブが順番に一言ずつ無用な台詞を重複するだけだということも、知っている。
それはもう、知っていたし、あきらめていた。
そこまでは、悟りを開いていた。
しかし。
また、上があった。……いや、下、奈落のまだ下、というべきか。
植爺芝居というと、カーテン前。
とにかく、カーテン前。
ひとつの場面が終わるとカーテンが閉まり、その前で立ち話。
でもさ、子どもの頃わたしは感動したんだ。
カーテンが閉まって、その前でお芝居してる! すごい! 暗転しないんだ!!
お芝居というのは、場面を変えるとき、暗転するものだと思っていたんだ。
仕方ないよね。テレビじゃないんだもの。セットを変更するとき、照明を消して、その間にやるしかないよね。
なのにタカラヅカでは、暗転しない。
場面が終わるとさーっとカーテンが閉まり、その前でお芝居が続く。
お芝居が、途切れない!
すごいすごい!!
カーテン前のお芝居が終わると、カーテンがさーっと開き、そこにはまた別の豪華セットが出来上がっている。
すごい! まったく別の場面が出来上がってる! 途切れずに次の場面になる!!
……感動したなあ。
余韻を残すためとかの、演出効果としての暗転はアリだと思っているけれど、舞台転換のために仕方なく暗転するのは、好きじゃない。
他の劇団・劇場なら技術や設備的にそうせざるを得ないのかも知れないが、タカラヅカは暗転以外の舞台転換の出来るところだ。物語をぶったぎって、がたごと無粋に暗転して場面転換するのは、演出家の手抜きに思える。
カーテン前芝居はつまらないけれど、最低限、暗転しないで済む。
キャストが暗闇の中、ばたばたはけていく姿を見ないで済む。
物語をぶったぎって、観客を待たせて、舞台転換したりしない。次の場面がスムーズに続く。
そこだけは、評価していたのに。
すごい。
『ベルばら』なのに、暗転しまくり。
カーテン前芝居しまくりなのに、暗転しまくり。
白目。
思わず、白目。
なんのための、カーテン前芝居。
暗転せずに次に引き継ぐためじゃないのか。
暗転して舞台転換するなら、カーテン前でやらず、ずーっと本舞台使って芝居してればいいじゃないか。
カーテンの意味ナシ。
暗転するなかカーテンが開閉し、出演者はばたばたとはけていく。その前までナニをやっていたとしても、現実に返ってばたばた動く。その姿が見える、気配がする。
興ざめ。
ナニこの、素人演出。
どこの素人劇団? 素人演出家?
暗転どたばたをしないのが、タカラヅカだったのに。
物語が途切れず、次々とまばゆい世界が展開してゆくのが、タカラヅカだったのに。
植爺と言えば、カーテン前芝居。
……でも、そのカーテン前芝居の唯一の長所さえ、失った。
銀橋もセリも盆も使えず、歌もダンスも使えず、ついにはカーテンすら使えなくなったか……。
脚本を書く能力や、物語を構成する能力はハナからなかったのに、演出力すらここまで皆無だと、いっそすがすがしいです。
2013/04/25追記。
この記事は初日観劇後にくわーーっと書き殴ったテキストが主なんですが、再度観劇したら暗転しまくりってほどでもなかったかなー、と。
植爺ごめん。
でも、暗転多いのは確か。
紙芝居立ちん坊朗読劇なのも確か。
中でも植爺の描くフェルゼンというキャラクタが大嫌いです。
フェルゼンを主人公にした作品は、『ベルばら』の中でも大抵酷い話で、特にキライです。
だから、『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』については、なんの期待もありません。
フェルゼンが人としてアレなのは知ってるし。アンタッチャブル、触りたくもないです。
だから、植爺フェルゼンの破綻した人格や言動については、もう今さらどーでもいいです。
それでも、『外伝』よりはマシだし。
腐っても『ベルばら』本編、2008年の外伝シリーズに比べれば、ぜんぜん素晴らしいです。
だから今回あぜんとしたのは、別のこと。
植爺が創作者として終わっていることはわかっている。
銀橋もセリも盆も、日本屈指の劇場である宝塚大劇場の舞台設備をまったく使えない、紙芝居しか出来ない人だということも、知っている。
歌もダンスも使えず、登場人物がカーテン前で無用な説明台詞をえんえんくり返すだけの立ち話をし、横一列に並んだモブが順番に一言ずつ無用な台詞を重複するだけだということも、知っている。
それはもう、知っていたし、あきらめていた。
そこまでは、悟りを開いていた。
しかし。
また、上があった。……いや、下、奈落のまだ下、というべきか。
植爺芝居というと、カーテン前。
とにかく、カーテン前。
ひとつの場面が終わるとカーテンが閉まり、その前で立ち話。
でもさ、子どもの頃わたしは感動したんだ。
カーテンが閉まって、その前でお芝居してる! すごい! 暗転しないんだ!!
お芝居というのは、場面を変えるとき、暗転するものだと思っていたんだ。
仕方ないよね。テレビじゃないんだもの。セットを変更するとき、照明を消して、その間にやるしかないよね。
なのにタカラヅカでは、暗転しない。
場面が終わるとさーっとカーテンが閉まり、その前でお芝居が続く。
お芝居が、途切れない!
すごいすごい!!
カーテン前のお芝居が終わると、カーテンがさーっと開き、そこにはまた別の豪華セットが出来上がっている。
すごい! まったく別の場面が出来上がってる! 途切れずに次の場面になる!!
……感動したなあ。
余韻を残すためとかの、演出効果としての暗転はアリだと思っているけれど、舞台転換のために仕方なく暗転するのは、好きじゃない。
他の劇団・劇場なら技術や設備的にそうせざるを得ないのかも知れないが、タカラヅカは暗転以外の舞台転換の出来るところだ。物語をぶったぎって、がたごと無粋に暗転して場面転換するのは、演出家の手抜きに思える。
カーテン前芝居はつまらないけれど、最低限、暗転しないで済む。
キャストが暗闇の中、ばたばたはけていく姿を見ないで済む。
物語をぶったぎって、観客を待たせて、舞台転換したりしない。次の場面がスムーズに続く。
そこだけは、評価していたのに。
すごい。
『ベルばら』なのに、暗転しまくり。
カーテン前芝居しまくりなのに、暗転しまくり。
白目。
思わず、白目。
なんのための、カーテン前芝居。
暗転せずに次に引き継ぐためじゃないのか。
暗転して舞台転換するなら、カーテン前でやらず、ずーっと本舞台使って芝居してればいいじゃないか。
カーテンの意味ナシ。
暗転するなかカーテンが開閉し、出演者はばたばたとはけていく。その前までナニをやっていたとしても、現実に返ってばたばた動く。その姿が見える、気配がする。
興ざめ。
ナニこの、素人演出。
どこの素人劇団? 素人演出家?
暗転どたばたをしないのが、タカラヅカだったのに。
物語が途切れず、次々とまばゆい世界が展開してゆくのが、タカラヅカだったのに。
植爺と言えば、カーテン前芝居。
……でも、そのカーテン前芝居の唯一の長所さえ、失った。
銀橋もセリも盆も使えず、歌もダンスも使えず、ついにはカーテンすら使えなくなったか……。
脚本を書く能力や、物語を構成する能力はハナからなかったのに、演出力すらここまで皆無だと、いっそすがすがしいです。
2013/04/25追記。
この記事は初日観劇後にくわーーっと書き殴ったテキストが主なんですが、再度観劇したら暗転しまくりってほどでもなかったかなー、と。
植爺ごめん。
でも、暗転多いのは確か。
紙芝居立ちん坊朗読劇なのも確か。
行け行けフェルゼン!@ベルサイユのばら-フェルゼン編-
2013年4月19日 タカラヅカ えりたん、あゆっち、本拠地お披露目初日おめでとー!
『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』初日行ってきました。
内容的には予想通り、2006年版の『フェルゼンとアントワネット編』ベース。や、この間の月組が『オスカルとアンドレ編』と謳いながら、2006年の『オスカル編』ベースだったから。
同じことをやるだろうなと。
つまり、1幕ラストがフランス宮廷でフェルゼンが「いろんな愛のカタチを知った」と演説し、2幕はスウェーデンの花祭りからはじまり、隠棲しているフェルゼンのところへジェローデルが訪ねてきて「オスカルは死にました」→回想スタート、ってやつ。
ベースは2006年版だけど、そこにいろいろ改訂が加わっている。
しかし、この改訂ってのが、なあ。
やれやれ。
まあ、それは置くとして、とりあえず。
えりたんは、フェルゼン役者だった!!
『ベルばら』の申し子、今までいろーんな役をやってきた我らがえりたん。
わたしの腹をよじってくれた2006年雪組全ツアンドレにしろ、花組での怒濤の外伝尽くしにしろ、この間の月組さんの特出にしろ、どれももちろん素敵だった。
植田歌舞伎の似合う、現代では保護を叫ばれているよーな、稀少種ジェンヌ。
そのえりたんをもってしても、はじめて、知った。
これまでのどの役よりも、フェルゼンがハマる……!!
何故ならば。
植爺『ベルばら』のフェルゼンは、人としてアレ過ぎるからだ。
自己中心的で攻撃的、悪いのは全部他人、高慢で横柄、自分にしか関心がない。ちょっとでも意にそわないことがあると、平気で他人を傷つける。倍返しは当たり前、だって自分だけはいつも正しいから、間違っている相手になんかナニをしてもヨシ! 俺正義、俺神。理解されない俺可哀想。
こんなひどい男、誰が演じても、どーしても「酷い男」になってしまう。
それが。
えりたんだと、フェルゼンの酷さがあまり気にならない。
だって、えりたんだもんな。で済んでしまう。
なまじ、2006年の『フェルゼンとアントワネット編』ベースだから、ワタさんを思い出しちゃうんだけど、ワタさんだとマジむかつくだけだった部分が、えりたんだと軽減される。
だって、ワタさんだったら、そんなひどいこと言ったりしたり、するの変なんだもん。
人情家で体育会系のあの健康なにーちゃんが、そんな歪んだこと言うわけないじゃん!!
でも、えりたんならOK、大丈夫!! 違和感ナイ!!(笑)
……誤解しないでほしい、えりたんが酷い人だから酷い役が似合うと言っているわけじゃない。
ソウカズホの妖精っぷりが、すべてを異次元レベルにしているんだ。
常識で考えると、酷い。
ひととして、ありえないほど酷い。
でも、仕方ないよ、えりたん、人間じゃないもん。妖精さんだもん。ひととして、なんて、無意味だよ。
こんだけひどいこと言ってるのに、大丈夫だなんて、マジすげえな!! ……そう、心から感心して観ていました。
まあ、そうだとしても2幕の新場面で、「何故剣を抜かない?!」「もう誰にも迷惑を掛けたくないんだ!」には、爆笑させていただきましたが。
今現在、家族にも国にも迷惑を掛けて、よその国の王妃を救いに行こうと、国境破りをしている最中の犯罪者が、その犯罪者を捕らえに来た兵隊相手に剣を抜かないことで「俺やさしい」と言い出すとは……お前が言うな!!という、全観客からのツッコミ待ちですかそうですか。
いやはや、こんだけものすげーことになっていて、それでもカッコイイソウカズホに震撼する。
うおお、えりたん好きだーー!
キミこそフェアリー、キミこそ「タカラヅカ」だ。
「タカラヅカ」に必要な人だ。
『ベルばら』キライだと観るたびに再確認するんだけど、それゆえに、ジェンヌへの愛情は上がる。
みんなみんな、すごいよ、愛しいよ。
タカラヅカってすごい。タカラジェンヌってすごい。
ところで今回もパリ市街でオスカルを止めるのがジェローデルという、わたしの大嫌いなパターンでした。
橋の上で撃たれるアンドレを見て取り乱すオスカルを、押さえつけるのがジェローデルのときとベルナールのときとがあり、わたしはジェローデルバージョンがキライ。
何故なら、女性蔑視が基本スキルの植爺は、「バカな犬と女は殴って言うことを聞かせろ」と思っているため、女を叱るときは問答無用で殴りつけるのな。
そのためジェローデルは、登場するなりオスカルを殴りつける。口で言えば済むことなのに、まず暴力。
原作の紳士たるジェローデルならば、ぜっっったいにしないことを、平気でさせる。
だから大嫌い。
それが、はじめて、ジェローデルの暴力に説得力があった。
このジェローデルなら、顔を見るなりオスカル殴りつけても、あり得るわ……。
えー、前述の2幕の新場面にて。
ともみんジェローデルは、戦おうとしないフェルゼンをかばって、ひとりで、十数人の抜刀した敵と斬り合うんだわ。
いやあ、すげえよ。
ともみん無双。
なんでこの役がともみんなのか、よーーっくわかった(笑)。
ともみんなら、ひとりで十数人ぶっ飛ばしちゃうよな。うんうん、わかるわかる。
アツくて逞しくて体育会系。
そりゃ、オスカルを出会い頭に殴りつけるわ……体育会系ってそうだもんなー。
なんかすとんと納得した。
オスカルを女として愛していると語る場面もなかったから、ふつーに友人ポジションだし。
友人なら、つい殴っちゃうこともあるだろう。
いやいや、いいっすよ、素敵ジェローデル!! イヤッホウ!!
ちぎくんのオスカルがまた、女々しくなくていいしな。
あゆっちの出番の少なさが不満。心から不満。
アントワネットの出ないフェルゼンサイドの物語なんて……。
なにはともあれ、新生雪組、本格スタート。
『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』初日行ってきました。
内容的には予想通り、2006年版の『フェルゼンとアントワネット編』ベース。や、この間の月組が『オスカルとアンドレ編』と謳いながら、2006年の『オスカル編』ベースだったから。
同じことをやるだろうなと。
つまり、1幕ラストがフランス宮廷でフェルゼンが「いろんな愛のカタチを知った」と演説し、2幕はスウェーデンの花祭りからはじまり、隠棲しているフェルゼンのところへジェローデルが訪ねてきて「オスカルは死にました」→回想スタート、ってやつ。
ベースは2006年版だけど、そこにいろいろ改訂が加わっている。
しかし、この改訂ってのが、なあ。
やれやれ。
まあ、それは置くとして、とりあえず。
えりたんは、フェルゼン役者だった!!
『ベルばら』の申し子、今までいろーんな役をやってきた我らがえりたん。
わたしの腹をよじってくれた2006年雪組全ツアンドレにしろ、花組での怒濤の外伝尽くしにしろ、この間の月組さんの特出にしろ、どれももちろん素敵だった。
植田歌舞伎の似合う、現代では保護を叫ばれているよーな、稀少種ジェンヌ。
そのえりたんをもってしても、はじめて、知った。
これまでのどの役よりも、フェルゼンがハマる……!!
何故ならば。
植爺『ベルばら』のフェルゼンは、人としてアレ過ぎるからだ。
自己中心的で攻撃的、悪いのは全部他人、高慢で横柄、自分にしか関心がない。ちょっとでも意にそわないことがあると、平気で他人を傷つける。倍返しは当たり前、だって自分だけはいつも正しいから、間違っている相手になんかナニをしてもヨシ! 俺正義、俺神。理解されない俺可哀想。
こんなひどい男、誰が演じても、どーしても「酷い男」になってしまう。
それが。
えりたんだと、フェルゼンの酷さがあまり気にならない。
だって、えりたんだもんな。で済んでしまう。
なまじ、2006年の『フェルゼンとアントワネット編』ベースだから、ワタさんを思い出しちゃうんだけど、ワタさんだとマジむかつくだけだった部分が、えりたんだと軽減される。
だって、ワタさんだったら、そんなひどいこと言ったりしたり、するの変なんだもん。
人情家で体育会系のあの健康なにーちゃんが、そんな歪んだこと言うわけないじゃん!!
でも、えりたんならOK、大丈夫!! 違和感ナイ!!(笑)
……誤解しないでほしい、えりたんが酷い人だから酷い役が似合うと言っているわけじゃない。
ソウカズホの妖精っぷりが、すべてを異次元レベルにしているんだ。
常識で考えると、酷い。
ひととして、ありえないほど酷い。
でも、仕方ないよ、えりたん、人間じゃないもん。妖精さんだもん。ひととして、なんて、無意味だよ。
こんだけひどいこと言ってるのに、大丈夫だなんて、マジすげえな!! ……そう、心から感心して観ていました。
まあ、そうだとしても2幕の新場面で、「何故剣を抜かない?!」「もう誰にも迷惑を掛けたくないんだ!」には、爆笑させていただきましたが。
今現在、家族にも国にも迷惑を掛けて、よその国の王妃を救いに行こうと、国境破りをしている最中の犯罪者が、その犯罪者を捕らえに来た兵隊相手に剣を抜かないことで「俺やさしい」と言い出すとは……お前が言うな!!という、全観客からのツッコミ待ちですかそうですか。
いやはや、こんだけものすげーことになっていて、それでもカッコイイソウカズホに震撼する。
うおお、えりたん好きだーー!
キミこそフェアリー、キミこそ「タカラヅカ」だ。
「タカラヅカ」に必要な人だ。
『ベルばら』キライだと観るたびに再確認するんだけど、それゆえに、ジェンヌへの愛情は上がる。
みんなみんな、すごいよ、愛しいよ。
タカラヅカってすごい。タカラジェンヌってすごい。
ところで今回もパリ市街でオスカルを止めるのがジェローデルという、わたしの大嫌いなパターンでした。
橋の上で撃たれるアンドレを見て取り乱すオスカルを、押さえつけるのがジェローデルのときとベルナールのときとがあり、わたしはジェローデルバージョンがキライ。
何故なら、女性蔑視が基本スキルの植爺は、「バカな犬と女は殴って言うことを聞かせろ」と思っているため、女を叱るときは問答無用で殴りつけるのな。
そのためジェローデルは、登場するなりオスカルを殴りつける。口で言えば済むことなのに、まず暴力。
原作の紳士たるジェローデルならば、ぜっっったいにしないことを、平気でさせる。
だから大嫌い。
それが、はじめて、ジェローデルの暴力に説得力があった。
このジェローデルなら、顔を見るなりオスカル殴りつけても、あり得るわ……。
えー、前述の2幕の新場面にて。
ともみんジェローデルは、戦おうとしないフェルゼンをかばって、ひとりで、十数人の抜刀した敵と斬り合うんだわ。
いやあ、すげえよ。
ともみん無双。
なんでこの役がともみんなのか、よーーっくわかった(笑)。
ともみんなら、ひとりで十数人ぶっ飛ばしちゃうよな。うんうん、わかるわかる。
アツくて逞しくて体育会系。
そりゃ、オスカルを出会い頭に殴りつけるわ……体育会系ってそうだもんなー。
なんかすとんと納得した。
オスカルを女として愛していると語る場面もなかったから、ふつーに友人ポジションだし。
友人なら、つい殴っちゃうこともあるだろう。
いやいや、いいっすよ、素敵ジェローデル!! イヤッホウ!!
ちぎくんのオスカルがまた、女々しくなくていいしな。
あゆっちの出番の少なさが不満。心から不満。
アントワネットの出ないフェルゼンサイドの物語なんて……。
なにはともあれ、新生雪組、本格スタート。
ヤクザたちのご都合は。@ブラック・ジャック 許されざる者への挽歌
2013年3月26日 タカラヅカ いつまでも『ブラック・ジャック 許されざる者への挽歌』の話。
カイト@咲ちゃんを追ってきたヤクザ三人組。
カイトを殺そうとする理由は、「ボスを殺そうとしたから」。
カイトの物語は説明がほとんどないので、なにが起こっているのかわかりにくい。
白田@レオくんに「ボスに紹介してやる」と言われたあと、山田@真地くんに「ボスを殺そうとした」と言われるだけ。
このふたつの「ボス」は別人だと思う。
何故なら、ふたつの場面でカイトと関わるヤクザが別人だからだ。
組への勧誘がレオくんとおーじくん。組の敵として追ってきたのが真地くん、翼くん、ゆうりくん。
レオくんの言う「ボス」と真地くんの言う「ボス」を同一人物だと仮定すると、おかしなことばかりになる。
第一に、レオくんたちが言う「ボス」をカイトが殺そうとしたなら、追ってくるのはレオくんたちのはずだ。自分たちが勧誘したちんぴらが、組のボスを害したのなら、責任を負うことになるはずだから。
第二に、カイトが勝手に組のボスを狙ったのではなく、レオくんの命令によるものだとしたら、たしかにレオくんはカイトの追っ手にはならないだろう。
だがこの場合、レオくんは追っ手以外で再登場しないとおかしい。追っ手の真地くんは、レオくんと同じ組のヤクザ、カイトを拾ってきたのがレオくんだと真地くんも知っているわけだ。何故兄貴分のレオくんがカイトの始末に現れないのか、説明がないと。
レオくんはもうすでに始末されたとか、あるいはすべての罪をカイトに押しつけているとか。
第三に、ヤクザ界で自分の組の組長は父親も同然、親殺しは最大のタブー。
レオくんが追っ手でないことや、彼の話題が出なかったことが「たまたま」だとしても、BJ@まっつ相手に事情を説明するだけの社会性のある山田@真地くんが、「親殺し」に触れないのはおかしい。
山田役のキャラ設定からして、カイトを殺すのが自分たちの世界では当然のことなのだ、それが正義であり道理なのだと語るはずだ。
第四に、真地くんはカイトを「ボスを狙った男」という以上にはなにも知らない様子だった。名前も呼びかけない、「そいつ」呼ばわり。
同じ組で同じ釜の飯を食っているとは思えない。
カイトが自分の組のボスを殺そうとした、という設定ならば、どう考えても追っ手はレオくんでなきゃおかしいんだよなあ。
カイトが本当に裏切ってヤクザ界最大のタブーを犯したなら、兄貴分のレオくんが自ら処理すべきだし、レオくんに利用されたのだとしても、それならなおさらレオくん自身が「死人に口なし」で口封じしに来るだろうし。
これらのことから、「カイトは敵対する組のボスを狙った」とわかる。
レオくんに勧誘されてどれくらい経っているのかわからないけど、少なくとも、1年未満のこと。せいぜい数ヶ月。……レオくんは最初からカイトを利用するつもりで、鉄砲玉として使い捨てるつもりで勧誘したんじゃないか。
組に入ったところでカイトの居場所はなかったんだろう。
だからエリ@あゆみちゃんの肩を借り、BJ@まっつのところへ来たんだろう。
他に頼るものもなかったから。
で、この3人のヤクザ。
リーダー格の真地くんが研3、子分の翼くんが研4、ゆうりくんが研2。
若っ。
真地くんがこんだけ喋るのを見るのは、『黒い瞳』以来。彼の場合、タッパで役割を割り振られている気はする。なにしろ雪組最長身だもんなー。翼くんに身長があれば、翼くんがリーダーだったんじゃないかなー、学年的にも、キャリア的にも。
真地くんはこんだけまともに舞台で台詞喋るのも、キャラクタがある役も、はじめてだったと思う。
どんどん、目に見えてうまくなっていくのが、すごい。
DC初日と青年館では、まったく別ですよお客さん!
若い子って伸びるの早いわー。
「てめえに逮捕権はないだろうが。俺たち殺したら国際問題だぞ」
最後の台詞が、DC序盤、ナニ言ってんのかわかんなかったもんなー(笑)。
正塚せんせの怒鳴り芝居、「男役の声」「怒鳴り声」「捨て台詞には長過ぎるから早口で言い切らなければならない」「日常的な単語ではない、耳馴染みの薄い言葉」と何重苦にもなっていて、最初の方は「キーキーキー!!」って感じだったもん。
つくしちゃんの金切り声が「台詞」として成り立っていくのと同じように、真地くんの捨て台詞もちゃんと「台詞」になっていくのを見守るのが、生舞台の醍醐味ってやつでした。
この3人のヤクザ、キャラ立てがわかるのもまたいいよな。
真地くんはインテリ系。
冷静に部外者のBJに事態を説明するし、BJの名前と顔も知っている。でも子分のことは怒鳴りつける。表向きの顔と暴力的な顔、ふたつあるらしい。
すぐに暴力をちらつかせる子分たちと違い、まずは「会話」を成立させようとする。苛立ちを下敷きにした「俺たちをなめてるわけじゃないよな?」が、とてもらしい言い方。
翼くんはアタマ弱い暴力男。
ヘラヘラ笑いが特徴、暴力だの銃だのをちらつかせるのが大好き。でもほんとのとこはヘタレ、BJにちょっと凄まれるだけで腰が引ける。……BJに殴り倒されるくらい、腕っ節も弱いヒョロ男だしな(笑)。
ゆうりくんは役に立たないまぬけ男。
真地くん、翼くんが銃を抜くのに、彼ひとりまともに銃を持てず、お手玉したあげく落としてしまう。だからトラヴィス@ホタテくんにも、撃たれずに済んだ。
そしてなんといっても最後の台詞、「おぼえて〇※☆△~~!!」。ぶるっちゃって「おぼえてやがれ」がちゃんと言えず、舌が回っていない設定。
……真地くん、ろくな子分いないな(笑)。
真地くんもだけど、ゆうりくんが日に日に「男役」としての立ち方……舞台での居方っていうのかな、を、身に付けていくのが見ていて楽しかった。
このダメヤクザ役はなんつってもトラヴィスとの漫才が重要で、タイミング命。おかげで「喋ること」に集中し過ぎててあまりなりふりかまっていない様子。それでも、その集中感が気持ちよかった。
あと、医師連盟のとこがナニ気にかっこいい(笑)。
翼くんはもともとこれくらいできるだろ、っていう先入観があるからか、あまり発見はなく。
雪担の知人が「翼くんはナニかひとつあれば化けると思うから、じれったい。てゆーかああいう子をこの手で育て上げたい」とアツく語っていたなー。
うんうん、わかるー。歌えて踊れて芝居も出来る、身長はないけど脅威の小顔でスタイルもいい。でもなんか、押しが足りない~~。
や、実際問題一介のヅカファンが「育て上げる」ことができるのかは置くとして、タカラヅカが「生徒の成長を見守る」ことを魅力のひとつとしていることから、「そんなことができたらいいよねー」という話で。
ヤクザは全部で5人出るけど、みんなキャラが違ってイイ。
レオくん(研5)はいかにもな胡散臭い系。インテリというよりは、腹黒系でしょ。物腰が柔らかいけれど、なにしろ黒白縦縞ヤクザスーツにオールバックですよ(笑)。
おーじくん(研4)は愚鈍系。のーみそまで筋肉って感じ。レオくんの意見鵜呑み、レオ兄貴の顔色でコロコロ態度を変える。
や、ナニ気におーじくんがうまいんだわ……。
こんな脇の子たちまでしっかりキャラ作って楽しそうに、舞台で生きている。
『ブラック・ジャック 許されざる者への挽歌』が面白いのは、そういうところにも現れている。
カイト@咲ちゃんを追ってきたヤクザ三人組。
カイトを殺そうとする理由は、「ボスを殺そうとしたから」。
カイトの物語は説明がほとんどないので、なにが起こっているのかわかりにくい。
白田@レオくんに「ボスに紹介してやる」と言われたあと、山田@真地くんに「ボスを殺そうとした」と言われるだけ。
このふたつの「ボス」は別人だと思う。
何故なら、ふたつの場面でカイトと関わるヤクザが別人だからだ。
組への勧誘がレオくんとおーじくん。組の敵として追ってきたのが真地くん、翼くん、ゆうりくん。
レオくんの言う「ボス」と真地くんの言う「ボス」を同一人物だと仮定すると、おかしなことばかりになる。
第一に、レオくんたちが言う「ボス」をカイトが殺そうとしたなら、追ってくるのはレオくんたちのはずだ。自分たちが勧誘したちんぴらが、組のボスを害したのなら、責任を負うことになるはずだから。
第二に、カイトが勝手に組のボスを狙ったのではなく、レオくんの命令によるものだとしたら、たしかにレオくんはカイトの追っ手にはならないだろう。
だがこの場合、レオくんは追っ手以外で再登場しないとおかしい。追っ手の真地くんは、レオくんと同じ組のヤクザ、カイトを拾ってきたのがレオくんだと真地くんも知っているわけだ。何故兄貴分のレオくんがカイトの始末に現れないのか、説明がないと。
レオくんはもうすでに始末されたとか、あるいはすべての罪をカイトに押しつけているとか。
第三に、ヤクザ界で自分の組の組長は父親も同然、親殺しは最大のタブー。
レオくんが追っ手でないことや、彼の話題が出なかったことが「たまたま」だとしても、BJ@まっつ相手に事情を説明するだけの社会性のある山田@真地くんが、「親殺し」に触れないのはおかしい。
山田役のキャラ設定からして、カイトを殺すのが自分たちの世界では当然のことなのだ、それが正義であり道理なのだと語るはずだ。
第四に、真地くんはカイトを「ボスを狙った男」という以上にはなにも知らない様子だった。名前も呼びかけない、「そいつ」呼ばわり。
同じ組で同じ釜の飯を食っているとは思えない。
カイトが自分の組のボスを殺そうとした、という設定ならば、どう考えても追っ手はレオくんでなきゃおかしいんだよなあ。
カイトが本当に裏切ってヤクザ界最大のタブーを犯したなら、兄貴分のレオくんが自ら処理すべきだし、レオくんに利用されたのだとしても、それならなおさらレオくん自身が「死人に口なし」で口封じしに来るだろうし。
これらのことから、「カイトは敵対する組のボスを狙った」とわかる。
レオくんに勧誘されてどれくらい経っているのかわからないけど、少なくとも、1年未満のこと。せいぜい数ヶ月。……レオくんは最初からカイトを利用するつもりで、鉄砲玉として使い捨てるつもりで勧誘したんじゃないか。
組に入ったところでカイトの居場所はなかったんだろう。
だからエリ@あゆみちゃんの肩を借り、BJ@まっつのところへ来たんだろう。
他に頼るものもなかったから。
で、この3人のヤクザ。
リーダー格の真地くんが研3、子分の翼くんが研4、ゆうりくんが研2。
若っ。
真地くんがこんだけ喋るのを見るのは、『黒い瞳』以来。彼の場合、タッパで役割を割り振られている気はする。なにしろ雪組最長身だもんなー。翼くんに身長があれば、翼くんがリーダーだったんじゃないかなー、学年的にも、キャリア的にも。
真地くんはこんだけまともに舞台で台詞喋るのも、キャラクタがある役も、はじめてだったと思う。
どんどん、目に見えてうまくなっていくのが、すごい。
DC初日と青年館では、まったく別ですよお客さん!
若い子って伸びるの早いわー。
「てめえに逮捕権はないだろうが。俺たち殺したら国際問題だぞ」
最後の台詞が、DC序盤、ナニ言ってんのかわかんなかったもんなー(笑)。
正塚せんせの怒鳴り芝居、「男役の声」「怒鳴り声」「捨て台詞には長過ぎるから早口で言い切らなければならない」「日常的な単語ではない、耳馴染みの薄い言葉」と何重苦にもなっていて、最初の方は「キーキーキー!!」って感じだったもん。
つくしちゃんの金切り声が「台詞」として成り立っていくのと同じように、真地くんの捨て台詞もちゃんと「台詞」になっていくのを見守るのが、生舞台の醍醐味ってやつでした。
この3人のヤクザ、キャラ立てがわかるのもまたいいよな。
真地くんはインテリ系。
冷静に部外者のBJに事態を説明するし、BJの名前と顔も知っている。でも子分のことは怒鳴りつける。表向きの顔と暴力的な顔、ふたつあるらしい。
すぐに暴力をちらつかせる子分たちと違い、まずは「会話」を成立させようとする。苛立ちを下敷きにした「俺たちをなめてるわけじゃないよな?」が、とてもらしい言い方。
翼くんはアタマ弱い暴力男。
ヘラヘラ笑いが特徴、暴力だの銃だのをちらつかせるのが大好き。でもほんとのとこはヘタレ、BJにちょっと凄まれるだけで腰が引ける。……BJに殴り倒されるくらい、腕っ節も弱いヒョロ男だしな(笑)。
ゆうりくんは役に立たないまぬけ男。
真地くん、翼くんが銃を抜くのに、彼ひとりまともに銃を持てず、お手玉したあげく落としてしまう。だからトラヴィス@ホタテくんにも、撃たれずに済んだ。
そしてなんといっても最後の台詞、「おぼえて〇※☆△~~!!」。ぶるっちゃって「おぼえてやがれ」がちゃんと言えず、舌が回っていない設定。
……真地くん、ろくな子分いないな(笑)。
真地くんもだけど、ゆうりくんが日に日に「男役」としての立ち方……舞台での居方っていうのかな、を、身に付けていくのが見ていて楽しかった。
このダメヤクザ役はなんつってもトラヴィスとの漫才が重要で、タイミング命。おかげで「喋ること」に集中し過ぎててあまりなりふりかまっていない様子。それでも、その集中感が気持ちよかった。
あと、医師連盟のとこがナニ気にかっこいい(笑)。
翼くんはもともとこれくらいできるだろ、っていう先入観があるからか、あまり発見はなく。
雪担の知人が「翼くんはナニかひとつあれば化けると思うから、じれったい。てゆーかああいう子をこの手で育て上げたい」とアツく語っていたなー。
うんうん、わかるー。歌えて踊れて芝居も出来る、身長はないけど脅威の小顔でスタイルもいい。でもなんか、押しが足りない~~。
や、実際問題一介のヅカファンが「育て上げる」ことができるのかは置くとして、タカラヅカが「生徒の成長を見守る」ことを魅力のひとつとしていることから、「そんなことができたらいいよねー」という話で。
ヤクザは全部で5人出るけど、みんなキャラが違ってイイ。
レオくん(研5)はいかにもな胡散臭い系。インテリというよりは、腹黒系でしょ。物腰が柔らかいけれど、なにしろ黒白縦縞ヤクザスーツにオールバックですよ(笑)。
おーじくん(研4)は愚鈍系。のーみそまで筋肉って感じ。レオくんの意見鵜呑み、レオ兄貴の顔色でコロコロ態度を変える。
や、ナニ気におーじくんがうまいんだわ……。
こんな脇の子たちまでしっかりキャラ作って楽しそうに、舞台で生きている。
『ブラック・ジャック 許されざる者への挽歌』が面白いのは、そういうところにも現れている。
ある意味最大級の萌え場面。@ブラック・ジャック 許されざる者への挽歌
2013年3月25日 タカラヅカ それでも『ブラック・ジャック 許されざる者への挽歌』の話。
夕暮れの歌を歌って、舞台上手奥へ消えていったBJ先生@まっつ、実はそのあとすぐに出てくる。ものすごくふつーに。
余韻がなくてこのへんちょっと肩すかしでしたよ、正塚せんせ(笑)。
暗転の後、場所はBJ邸の玄関。
BJはわざわざ玄関ポーチへパイプをふかしに出てくる。
まっつにパイプ。
まっつにパイプ。
まっつにパイプ。
大きな字で繰り返します。
BJがわざわざ喫煙のために屋外へ出てくる、というのは原作にあるネタなんですか? 1970年代に現代ほど分煙の意識があったとも思えないんですが。
ただ「パイプをふかすBJ」をやりたかった、というだけに思えます。
BJというより、まっつ?
まっつにパイプ。
まっつにパイプ。
まっつにパイプ。
(落ち着け)
パイプを加えるために、口を開けるのがいいんです。
あの薄い唇を、くわえるためだけに開けるんです。だからナニ?てなもんですが、これがいいんです(笑)。
ただのファンサービス、萌え演出にしか思えません。
ありがとうハリー!!
でもパイプをふかすのはほんの一瞬、すぐにカイト@咲ちゃんがエリ@あゆみちゃんに付き添われて現れるので、それどころじゃなくなる。
カイトがケガをしている、つーんでパイプは地面に置き去りです。
えー、ここ、実はなかなかに萌えシーンです。やばいです。
なんといっても。
まっつの、お尻ビューポイント。
はい、まつヲタはまつださんのお尻に注目していることと存じます。『RSF』のときに、主語がなくても「お尻の話をしている」とまっつメイト同士でなんの不思議もなく通じ合ったように、わたしだけがヘンタイなのではないんだと思います。
『BJ』全編を通しての、最大のお尻ビューポイントは、この場面です。
ここで何故かBJ先生、ジャケット着てません。ベスト姿です。
華奢な体格がまるわかり、普段ぴしっと着込んでガード高い人だからこそ、くつろいでいる雰囲気がやばい、ベスト姿です。
牧師様もそうでしたが、まっつのベスト姿はやばい。萌え度が跳ね上がる、けしからん衣装です。すべての演出家はまっつにベストを着せるべきです。
まあそんな姿なわけです。
ジャケットがないので、BJ先生のお尻は無防備です。
しかもBJ先生、しゃがみます、客席に背中を向けて。
ヒップラインむき出しです。
カイトを介抱するBJ先生の、尻ばっか見てました。や、だって、顔は見えないし。
まつださんのお尻は適度に肉があっていいです。いかにも男役!な削げたぺたんこ尻ではなく、かといって女子のまるまるお尻でもなく、なめらかに曲線を描くいい尻なのです。
華奢なのにくびれのない胴と相まって、天然記念物並に素晴らしい尻だと思っています。
黒パンツで客席に背を向けてしゃがんでくれる、って、『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』以来だなあ、と感慨深く眺めてました。
あの高笑いする男の尻は素晴らしかったなあ。つか、ぴたぴたストレッチパンツがすごかったなあ。
あれからもう6年もたつのか。でもわたしは未だにまっつの尻を見てよろこんでいるのか、それって人としてどうなの、わたしが残念な大人なのは今にはじまったことじゃないからいいのか、……そんないろんな思いを抱きつつ。
(http://koalatta.blog48.fc2.com/blog-entry-636.html ←探してみた。『黒蜥蜴』のまっつ尻萌え記事・笑)
まっつの尻はいいです。
ここは良い尻ビューです。
同意してくれるまっつメイトがいることを祈る。
尻だけに萌えているわけではありません。
ここのBJ先生は素晴らしいのです。
喉をやっちゃってから、BJ先生はここで怒鳴らなくなりました。
怒鳴るヤクザたち相手に、冷静に対峙するのです。
その、声が、めちゃかっこいいです。
そんでもって、BJ先生。
カイトを、抱きしめます。
エリがヤクザに突き飛ばされてるのに、ガン無視。ヤクザ@翼くんをひっぱたいして、カイトだけを守ります。
平手で叩くんだよねえ。拳じゃないの。
拳で人を殴ると、痛めたりするしね。外科医はそんなことしないのね。
カイトを後ろから抱きかかえて、止血して。
銃口を向けるヤクザたちに、一歩も引かない。
あの華奢なまっつが、なにかとでかい咲ちゃんを、抱きしめてます。
……今までさあ、まつださんがこんだけ長く、誰かを抱きしめてたこと、あった?
BJ先生、いつまでその体勢なの? 包み込むように、自分のカラダで守るように、カイトのこと抱きしめたままなんですが。
なんかもう、すごい光景だなと。
しかもBJ先生、すべての片が付いたあとにカイトに声を掛けるんですよ。「大丈夫か。しっかりしろ」って。
この、声が。
DCもはじめの方は、こんなんじゃなかった。
もっと鋭く大きく言っていたと思う。
喉をやっちゃって、大きな声が出せないとか、そんな理由はあったのかもしれない。
それにしても、だ。
回を重ねるにつれ、この「しっかりしろ」が、エロやさしくなっていった。
めちゃくちゃやさしいの。
包み込むような、愛情あふれる声。
で。
ただ、やさしいだけじゃないの。
めちゃくちゃ、エロい。
ららららららぶしーん?
ここここいびとにたいしていってる?
ってくらい、エロやさしくて、びびる。
BJ先生、なにやってんの?
なんでそんなことになってんの?
そこでそんなエロい声を出す必要は、まったくないと思う。
BJという人物が、そこまですることはないと思う。
なんつーか、まっつも生身の人間なんだなあと、勝手に思った。
『BJ』という芝居やってきて、毎日カイトを抱きしめて、命懸けで守って、どんどん心が動いちゃってんだなあと。
腕の中の男が愛しくなっちゃってんだろうなあと。
毎日見てると、BJ先生がどんどん段階を踏んでカイトにやさしくなっていってるのがわかる。
が、ここだけ切り離して見たら、……おかしいくらい、エロやさしい(笑)。
途中からもー、おかしくて仕方なかった。
BJ先生、エロすぎ。
そんなセクシーヴォイスで、カイトの耳元でささやかなくていいから。
やりすぎちゃってるまっつが愛しい(笑)。
まっつが芝居し過ぎて間違っちゃうとか、そんなの今まで見たことなかったし。
やり過ぎ、なんてことはまずなくて、的確な位置で止めるか、あるいはそこに至らず小さくまとまったりしていた、のに。
間違うくらい、やりすぎてる。
それくらい、入り込んでる。
そんなまっつに、悶える(笑)。
だからこの場面は、萌え場面なの。
夕暮れの歌を歌って、舞台上手奥へ消えていったBJ先生@まっつ、実はそのあとすぐに出てくる。ものすごくふつーに。
余韻がなくてこのへんちょっと肩すかしでしたよ、正塚せんせ(笑)。
暗転の後、場所はBJ邸の玄関。
BJはわざわざ玄関ポーチへパイプをふかしに出てくる。
まっつにパイプ。
まっつにパイプ。
まっつにパイプ。
大きな字で繰り返します。
BJがわざわざ喫煙のために屋外へ出てくる、というのは原作にあるネタなんですか? 1970年代に現代ほど分煙の意識があったとも思えないんですが。
ただ「パイプをふかすBJ」をやりたかった、というだけに思えます。
BJというより、まっつ?
まっつにパイプ。
まっつにパイプ。
まっつにパイプ。
(落ち着け)
パイプを加えるために、口を開けるのがいいんです。
あの薄い唇を、くわえるためだけに開けるんです。だからナニ?てなもんですが、これがいいんです(笑)。
ただのファンサービス、萌え演出にしか思えません。
ありがとうハリー!!
でもパイプをふかすのはほんの一瞬、すぐにカイト@咲ちゃんがエリ@あゆみちゃんに付き添われて現れるので、それどころじゃなくなる。
カイトがケガをしている、つーんでパイプは地面に置き去りです。
えー、ここ、実はなかなかに萌えシーンです。やばいです。
なんといっても。
まっつの、お尻ビューポイント。
はい、まつヲタはまつださんのお尻に注目していることと存じます。『RSF』のときに、主語がなくても「お尻の話をしている」とまっつメイト同士でなんの不思議もなく通じ合ったように、わたしだけがヘンタイなのではないんだと思います。
『BJ』全編を通しての、最大のお尻ビューポイントは、この場面です。
ここで何故かBJ先生、ジャケット着てません。ベスト姿です。
華奢な体格がまるわかり、普段ぴしっと着込んでガード高い人だからこそ、くつろいでいる雰囲気がやばい、ベスト姿です。
牧師様もそうでしたが、まっつのベスト姿はやばい。萌え度が跳ね上がる、けしからん衣装です。すべての演出家はまっつにベストを着せるべきです。
まあそんな姿なわけです。
ジャケットがないので、BJ先生のお尻は無防備です。
しかもBJ先生、しゃがみます、客席に背中を向けて。
ヒップラインむき出しです。
カイトを介抱するBJ先生の、尻ばっか見てました。や、だって、顔は見えないし。
まつださんのお尻は適度に肉があっていいです。いかにも男役!な削げたぺたんこ尻ではなく、かといって女子のまるまるお尻でもなく、なめらかに曲線を描くいい尻なのです。
華奢なのにくびれのない胴と相まって、天然記念物並に素晴らしい尻だと思っています。
黒パンツで客席に背を向けてしゃがんでくれる、って、『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』以来だなあ、と感慨深く眺めてました。
あの高笑いする男の尻は素晴らしかったなあ。つか、ぴたぴたストレッチパンツがすごかったなあ。
あれからもう6年もたつのか。でもわたしは未だにまっつの尻を見てよろこんでいるのか、それって人としてどうなの、わたしが残念な大人なのは今にはじまったことじゃないからいいのか、……そんないろんな思いを抱きつつ。
(http://koalatta.blog48.fc2.com/blog-entry-636.html ←探してみた。『黒蜥蜴』のまっつ尻萌え記事・笑)
まっつの尻はいいです。
ここは良い尻ビューです。
同意してくれるまっつメイトがいることを祈る。
尻だけに萌えているわけではありません。
ここのBJ先生は素晴らしいのです。
喉をやっちゃってから、BJ先生はここで怒鳴らなくなりました。
怒鳴るヤクザたち相手に、冷静に対峙するのです。
その、声が、めちゃかっこいいです。
そんでもって、BJ先生。
カイトを、抱きしめます。
エリがヤクザに突き飛ばされてるのに、ガン無視。ヤクザ@翼くんをひっぱたいして、カイトだけを守ります。
平手で叩くんだよねえ。拳じゃないの。
拳で人を殴ると、痛めたりするしね。外科医はそんなことしないのね。
カイトを後ろから抱きかかえて、止血して。
銃口を向けるヤクザたちに、一歩も引かない。
あの華奢なまっつが、なにかとでかい咲ちゃんを、抱きしめてます。
……今までさあ、まつださんがこんだけ長く、誰かを抱きしめてたこと、あった?
BJ先生、いつまでその体勢なの? 包み込むように、自分のカラダで守るように、カイトのこと抱きしめたままなんですが。
なんかもう、すごい光景だなと。
しかもBJ先生、すべての片が付いたあとにカイトに声を掛けるんですよ。「大丈夫か。しっかりしろ」って。
この、声が。
DCもはじめの方は、こんなんじゃなかった。
もっと鋭く大きく言っていたと思う。
喉をやっちゃって、大きな声が出せないとか、そんな理由はあったのかもしれない。
それにしても、だ。
回を重ねるにつれ、この「しっかりしろ」が、エロやさしくなっていった。
めちゃくちゃやさしいの。
包み込むような、愛情あふれる声。
で。
ただ、やさしいだけじゃないの。
めちゃくちゃ、エロい。
ららららららぶしーん?
ここここいびとにたいしていってる?
ってくらい、エロやさしくて、びびる。
BJ先生、なにやってんの?
なんでそんなことになってんの?
そこでそんなエロい声を出す必要は、まったくないと思う。
BJという人物が、そこまですることはないと思う。
なんつーか、まっつも生身の人間なんだなあと、勝手に思った。
『BJ』という芝居やってきて、毎日カイトを抱きしめて、命懸けで守って、どんどん心が動いちゃってんだなあと。
腕の中の男が愛しくなっちゃってんだろうなあと。
毎日見てると、BJ先生がどんどん段階を踏んでカイトにやさしくなっていってるのがわかる。
が、ここだけ切り離して見たら、……おかしいくらい、エロやさしい(笑)。
途中からもー、おかしくて仕方なかった。
BJ先生、エロすぎ。
そんなセクシーヴォイスで、カイトの耳元でささやかなくていいから。
やりすぎちゃってるまっつが愛しい(笑)。
まっつが芝居し過ぎて間違っちゃうとか、そんなの今まで見たことなかったし。
やり過ぎ、なんてことはまずなくて、的確な位置で止めるか、あるいはそこに至らず小さくまとまったりしていた、のに。
間違うくらい、やりすぎてる。
それくらい、入り込んでる。
そんなまっつに、悶える(笑)。
だからこの場面は、萌え場面なの。
「帰ろう」……ぼくらの家に。@ブラック・ジャック 許されざる者への挽歌
2013年3月24日 タカラヅカ まだ『ブラック・ジャック 許されざる者への挽歌』の話。
トラヴィス@ホタテは、BJ@まっつに対し、立場をわきまえている。
なれなれしい口調では話さない。近づきすぎない。
1年間一緒に子育てしてきたのに、最低限のラインだけは頑固に守っている。
そんな彼が唯一、BJになれなれしさ全開になるところ。
若者の顔で、「警護官」ではなく、「トラヴィス」としてBJに話しかけるところ。
それが、医師連盟本部の廊下場面だ。
「アッチョンブリケ・トラヴィス。アッチョンブリケ・ピノコ」と大真面目に話しかけたら、ピノコに「バカ」と一刀両断された。
「ピノコが喋った!!」ということで、舞い上がるトラヴィス。
医師連盟のみなさんたちから吊し上げをくらって疲労して出てきたBJに、トラヴィスは興奮して報告する。
「今、喋ったんですよ!」
ここまでは、ただの報告。
その次。
「惜しかったなー。もう少し早かったら」
上から目線、BJに対して!!
医師連盟の面々に「告発告発!」とやられてうんざりぼーぜんのBJ、出てくるなりトラヴィスにドヤ顔で上から言われて、ノーリアクション。
めーっちゃ無表情に、無感動に、「なんて言ったんだ?」。
BJの反応見て、トラヴィスもテンションが落ち着いてきて。
「…………『バカ』って。喜んでいいのかわからないけど」
舞い上がってBJ相手にタメ口きいちゃったし。ドヤ顔しちゃったし。ピノコが喋った内容も内容だし。
今さらどう落としどころを着けたらいいのかわからなくて、ビミョーな顔になるトラヴィス。
そんなトラヴィスに、BJ、さらにノーリアクション。
「帰ろう」
この一連のくだりが、めちゃくちゃ好きだ。
トラヴィスがかわいい。アホかわい過ぎて、もだえる(笑)。
BJに思わずタメ口で上から目線キメちゃったあの顔が、トラヴィスの素顔なのかも。
若い。
学生の男の子みたいだ。
素があれなのに、普段は冷静な大人の男を気取っているところが、たまらん。
BJとの相性も最高ですよ。
このふたりでがんがん笑い取っていく。
BJはツッコミ担当なのに、こーゆーときにノーリアクションで流しちゃうのが、ドS。
ツッコミ入れる方がやさしいよね(笑)。
トラヴィスはもとから子ども好きだったんではなく、ピノコと接することで「目覚めた」んだと思う。
ソファーに寝転がってクッキーを食べるピノコを、BJがしたようにきちんと坐らせようとして……ピノコ本体を落っことしてしまう。それは彼が、子どもの扱いを知らないから。
普段子どもと接する機会なんかないんだろう。こうやって1年間平気で出張し続けたりするくらい仕事バカ、妻も恋人もいないんだろう。
機会がなかったから、知らなかった。興味もないから、考えたこともなかった。
医師連盟本部からの帰り道、勝手に駆け出しちゃうピノコ、それを気にせず自分の世界のBJ、どうしよう、と考えて、おそるおそるピノコを追うトラヴィス。
あのおっかなびっくりピノコに接している様子からして、子どもの扱いは不得手。でも、夕暮れの中ピノコと過ごし、どんどん互いに慣れて行く。
最後はふたり手をつないで帰るんだよね。ピノコとトラヴィス。
そしてBJはそんなふたりをあたたかい目で見守る。
この時点で、トラヴィスはBJの「家族」ポジだよなああ。
BJの護衛なのに、それが仕事なのに、BJをひとりにしてピノコを追うトラヴィス。
「ひとりにできない」とあんなに気を配っていたピノコのことを、トラヴィスに任せるBJ。
幼い娘を持つバツイチ男のところに、新しい奥さんが来ました、奥さんはおっかなびっくり家事をやり、幼い娘と接しています……でも、だんだん「家族」になっていきました……そんな感じです。
あ、BJが受ですけどね。(聞いてない)
トラヴィスは分をわきまえて、「護衛」としての線を踏み越えることなくBJのそばにいる。
1年後の別れの場面だって、朝からびしっとスーツ着て、ですます調で話しているし。
公私は区別してるんだろう、頑固にくそ真面目に。
だけど。
たぶん、医師連盟の場面みたいに、いろんなところで「素」の顔をのぞかせちゃうんだろう。
1回あるってことは、他にもいっぱい、何度でもあったんだろうさ。
BJの前で、「私」の顔を見せてしまうんだろう。
そしてBJは、それをよしとしていたんだろう。
なにしろ1年ですよ?
1年間旅館住まいとも思えないので、途中からBJ邸で同居していると思うし。最初本人はそのつもりだったんだし。
どんだけ隠しても、素顔は見えるし、どんな人なのかわかっちゃうだろう。
それも含めて、互いを許し、認め、「家族」やってたんだろう。
夕暮れの空に星が輝き、ゆっくりと暮れていく。
空を見上げるトラヴィスとピノコ。
その背中を見守りながら、BJが歌う。
曲名知らないから、とりあえず「夕暮れの歌」とわたしは区別している。2幕後半も同じ流れで同じテーマの歌を歌うけど、そっちは朝になって終わるので「夜明けの歌」。
この「夕暮れの歌」が好き。
「美しくあれ この世のすべて」と素直に祈れるBJが好き。
家へ帰ろう。
愛しい人と、手をつないで。
家へ帰ろう。
トラヴィスとピノコが手をつないで去って行く、そのあとをBJもゆっくり歩く。家に帰る。
……ここで拍手がないのが、嫌だった。
や、拍手はあったんだ。もともとは。
だけどあの日、まっつが歌えなくなって。
この曲は「歌詞の朗読」になっていた。
だからもちろん、拍手ナシ。なんか、固唾を呑んで見守る場面になっちゃった。
青年館では歌が復活していたんだけど、DCラストの「固唾を呑んで見守る」のがデフォになっちゃったみたいで。
みんなしーんと聴き入っていて、拍手ナシ。
ええー、なんで拍手しないのー?
静かな曲だから、盛り上がる曲みたいに発散して入れられないし、おまけにすぐ次の場面になるから入れにくいのわかるけど、あってしかるべきだし、もともとあったんだし、ともみんの歌のあともう次の場面入っててコーラススタートしてるのにそれでも拍手ねじ込んだりしてるんだし、入れていいと思うんだけどなあ。
でもオレ、チキンだからしーんとしたなか、ひとりで拍手できない……しょぼん。
だから千秋楽、拍手入ったのがうれしかったなあああ。
拍手復活した!! DCと同じだ!! って。
青年館楽、まっつの歌は復活するし、客席のボルテージもめちゃ高だし、興奮のまま自然に拍手わいたよ……すげえよ、あの空気。
トラヴィス@ホタテは、BJ@まっつに対し、立場をわきまえている。
なれなれしい口調では話さない。近づきすぎない。
1年間一緒に子育てしてきたのに、最低限のラインだけは頑固に守っている。
そんな彼が唯一、BJになれなれしさ全開になるところ。
若者の顔で、「警護官」ではなく、「トラヴィス」としてBJに話しかけるところ。
それが、医師連盟本部の廊下場面だ。
「アッチョンブリケ・トラヴィス。アッチョンブリケ・ピノコ」と大真面目に話しかけたら、ピノコに「バカ」と一刀両断された。
「ピノコが喋った!!」ということで、舞い上がるトラヴィス。
医師連盟のみなさんたちから吊し上げをくらって疲労して出てきたBJに、トラヴィスは興奮して報告する。
「今、喋ったんですよ!」
ここまでは、ただの報告。
その次。
「惜しかったなー。もう少し早かったら」
上から目線、BJに対して!!
医師連盟の面々に「告発告発!」とやられてうんざりぼーぜんのBJ、出てくるなりトラヴィスにドヤ顔で上から言われて、ノーリアクション。
めーっちゃ無表情に、無感動に、「なんて言ったんだ?」。
BJの反応見て、トラヴィスもテンションが落ち着いてきて。
「…………『バカ』って。喜んでいいのかわからないけど」
舞い上がってBJ相手にタメ口きいちゃったし。ドヤ顔しちゃったし。ピノコが喋った内容も内容だし。
今さらどう落としどころを着けたらいいのかわからなくて、ビミョーな顔になるトラヴィス。
そんなトラヴィスに、BJ、さらにノーリアクション。
「帰ろう」
この一連のくだりが、めちゃくちゃ好きだ。
トラヴィスがかわいい。アホかわい過ぎて、もだえる(笑)。
BJに思わずタメ口で上から目線キメちゃったあの顔が、トラヴィスの素顔なのかも。
若い。
学生の男の子みたいだ。
素があれなのに、普段は冷静な大人の男を気取っているところが、たまらん。
BJとの相性も最高ですよ。
このふたりでがんがん笑い取っていく。
BJはツッコミ担当なのに、こーゆーときにノーリアクションで流しちゃうのが、ドS。
ツッコミ入れる方がやさしいよね(笑)。
トラヴィスはもとから子ども好きだったんではなく、ピノコと接することで「目覚めた」んだと思う。
ソファーに寝転がってクッキーを食べるピノコを、BJがしたようにきちんと坐らせようとして……ピノコ本体を落っことしてしまう。それは彼が、子どもの扱いを知らないから。
普段子どもと接する機会なんかないんだろう。こうやって1年間平気で出張し続けたりするくらい仕事バカ、妻も恋人もいないんだろう。
機会がなかったから、知らなかった。興味もないから、考えたこともなかった。
医師連盟本部からの帰り道、勝手に駆け出しちゃうピノコ、それを気にせず自分の世界のBJ、どうしよう、と考えて、おそるおそるピノコを追うトラヴィス。
あのおっかなびっくりピノコに接している様子からして、子どもの扱いは不得手。でも、夕暮れの中ピノコと過ごし、どんどん互いに慣れて行く。
最後はふたり手をつないで帰るんだよね。ピノコとトラヴィス。
そしてBJはそんなふたりをあたたかい目で見守る。
この時点で、トラヴィスはBJの「家族」ポジだよなああ。
BJの護衛なのに、それが仕事なのに、BJをひとりにしてピノコを追うトラヴィス。
「ひとりにできない」とあんなに気を配っていたピノコのことを、トラヴィスに任せるBJ。
幼い娘を持つバツイチ男のところに、新しい奥さんが来ました、奥さんはおっかなびっくり家事をやり、幼い娘と接しています……でも、だんだん「家族」になっていきました……そんな感じです。
あ、BJが受ですけどね。(聞いてない)
トラヴィスは分をわきまえて、「護衛」としての線を踏み越えることなくBJのそばにいる。
1年後の別れの場面だって、朝からびしっとスーツ着て、ですます調で話しているし。
公私は区別してるんだろう、頑固にくそ真面目に。
だけど。
たぶん、医師連盟の場面みたいに、いろんなところで「素」の顔をのぞかせちゃうんだろう。
1回あるってことは、他にもいっぱい、何度でもあったんだろうさ。
BJの前で、「私」の顔を見せてしまうんだろう。
そしてBJは、それをよしとしていたんだろう。
なにしろ1年ですよ?
1年間旅館住まいとも思えないので、途中からBJ邸で同居していると思うし。最初本人はそのつもりだったんだし。
どんだけ隠しても、素顔は見えるし、どんな人なのかわかっちゃうだろう。
それも含めて、互いを許し、認め、「家族」やってたんだろう。
夕暮れの空に星が輝き、ゆっくりと暮れていく。
空を見上げるトラヴィスとピノコ。
その背中を見守りながら、BJが歌う。
曲名知らないから、とりあえず「夕暮れの歌」とわたしは区別している。2幕後半も同じ流れで同じテーマの歌を歌うけど、そっちは朝になって終わるので「夜明けの歌」。
この「夕暮れの歌」が好き。
「美しくあれ この世のすべて」と素直に祈れるBJが好き。
家へ帰ろう。
愛しい人と、手をつないで。
家へ帰ろう。
トラヴィスとピノコが手をつないで去って行く、そのあとをBJもゆっくり歩く。家に帰る。
……ここで拍手がないのが、嫌だった。
や、拍手はあったんだ。もともとは。
だけどあの日、まっつが歌えなくなって。
この曲は「歌詞の朗読」になっていた。
だからもちろん、拍手ナシ。なんか、固唾を呑んで見守る場面になっちゃった。
青年館では歌が復活していたんだけど、DCラストの「固唾を呑んで見守る」のがデフォになっちゃったみたいで。
みんなしーんと聴き入っていて、拍手ナシ。
ええー、なんで拍手しないのー?
静かな曲だから、盛り上がる曲みたいに発散して入れられないし、おまけにすぐ次の場面になるから入れにくいのわかるけど、あってしかるべきだし、もともとあったんだし、ともみんの歌のあともう次の場面入っててコーラススタートしてるのにそれでも拍手ねじ込んだりしてるんだし、入れていいと思うんだけどなあ。
でもオレ、チキンだからしーんとしたなか、ひとりで拍手できない……しょぼん。
だから千秋楽、拍手入ったのがうれしかったなあああ。
拍手復活した!! DCと同じだ!! って。
青年館楽、まっつの歌は復活するし、客席のボルテージもめちゃ高だし、興奮のまま自然に拍手わいたよ……すげえよ、あの空気。
しつこく『ブラック・ジャック 許されざる者への挽歌』の話。
医師連盟の吊し上げ場面は、ナニ気に楽しい。
出演者勢揃いだしねー。
医師連盟理事長@ゆめみちゃんがまた、うまい。
いるいるこんな人、現実にも、マンガの中にも。その造形の素晴らしさ。
彼女にくっついている秘書@ゆきのちゃんがまた、かわいい。理事長、顔で秘書選んでるっしょ?(笑)
そして、「青井」という役名の付いた、理事長の腰巾着、りーしゃ。
りーしゃがなんか、はじけてます。
公演はじまった当初はただのヘタレちゃんだったのに、だんだんみょーなキャラ付けて来て、段上にぴょこんと飛び乗ったり、空気読まない態度を取ったり、かわいいことになってます。
会関係のイベント日絡みかな? 前髪ぱっつんにしてみたり。(普段は七三分け)
りーしゃは芝居うまくないんだけど、愛されキャラとして、確立してきてるなあ。
イケメンで愛嬌のあるキャラクタは貴重です。
この公演、なにが楽しみって、下級生たちがどんどんうまくなっていくのを見るのが楽しい。
今まで認識してなかった下級生まで、全員区別つくよーになったし!
や、もともと顔わかんなかったのは3名だけだったので、そこがわかれば楽しさ倍増っす。
認識してなかった下級生のひとり、つくしちゃん。
『フットルース』組なので、顔はなんとなくわかるんだけど、個別認識までは至ってなかったの。
彼女の見せ場が、この医師連盟会議室。
集まった医師たちは、男女に分かれて坐っているんだけど、渋井@つくしちゃんだけ男子側。
男たちはりーしゃを筆頭に、ヘタレ野郎ばかり。
なかでも翼くんのきょどりっぷりがひどい(笑)。 ……翼くん、スーツ似合わないなあ。細くて小顔過ぎて、「病院経営者」にはカケラも見えない……(笑)。
女性陣は、こわいのなんの。
ありちゃんにるりるりって、や、こわすぎるでしょ。
強面の女性陣からひとりだけ離れ、男子席の隅っこに坐っているつくしちゃん。
ほそっこくて薄い顔立ちで、なんとも頼りない印象。
……なんだけど、彼女は突然立ち上がって叫ぶ。
「金の亡者め! 告発されてもよいというのか!!」
ちょー金切り声で。
最初のウチはこれ、すげースベっててねえ。
ナニ言ってんのか聞こえないし、ただ耳障りなだけ。
それが、回数重ねるごとにうまくなるの。
超高音なのに、台詞が聞き取れるようになる。
間も良くなっているのか、ちゃんと笑いを取れる。
周囲の男の子たちも、「金切り声につーんとなる」小芝居、がんばってるしね。そこもよくなったよね。
ナニ気にイリヤくんがイイ声で文句言ってるの。
大樹くんのふてぶてしい芝居は堂に入ってる。
うわー、こんなところでも成長するんだ。成長ってわかるんだ。
「告発で、ゴンス!!」
の、ザッキーのおいしさはまた、格別。
あああ、ザッキー素敵。
で、吊し上げられている、BJさん@まっつ。
椅子の坐り方が、ツボ。
指を交差させて組み、カラダをナナメにする。
決して行儀がいいとはいえない坐り方。
仲間内で「BJの真似(笑)」と言って坐ったりするくらい、特徴のある坐り方。
キャラによって坐り方チガウんだ! うわー、BJ先生かっこいい。
BJはほんと、嫌いな相手には容赦ないなと思う。
某国大統領側近たちに対するときと、態度が同じなの。
冷たい態度、というよりも、露悪的。
わざとやってるとしか思えない、ひどい顔をする。
「200万ドルいただきましょうか」と言っていたときと同じ。
下劣!としか言いようのない、野卑な笑いを浮かべる。
こんな顔しか見せてもらえないんじゃ、そりゃ医師連盟の人たちはBJを大嫌いだろうさ。
心閉ざしてるときのBJ先生って、半端ナイなあ……。
そして、大人げないなあ……。
対人関係って、鏡だからね。
BJ先生があんなに嫌らしい顔をするから、悪意や反感しか返らないんだよ……。
や、大好物ですけどね。
まっつの卑しい顔。
高貴でクール、が標準装備の美形様ですから、下品で歪んだ顔はレアです。
で、そこまで意識して「悪い顔」をしているのに。
途中からBJ先生、それすら投げ出しちゃうのね。
「みんなで告発!」
とか言い出された日にゃ、「会話」をあきらめちゃった。
数で囲んでの吊し上げ、弱いモノいじめの図。ひとりではナニも出来ないくせに、同じようにズルをしているくせに、「みんな」になると強気に騒ぎ出す。
虐められている、攻撃されているはずのBJは、怯えも傷つきもせず、ただぽかーん。あきれている。
「告発でゴンス!」登場時にも、ぽかーん、だったしねー。
この「ぽかーん」ぶりが、さいこーっす。
基本、上からだしねー。
で、まっつの仕草で大好きなのが「天を仰ぐ」ところ。
ベンヴォーリオもそうだし、『GOLD SPARK!』でもやっていたねー。
あきれて、手を放して、天を仰ぐ。ふう、っと溜息まじりに。
これがもう、すっごく好き。
クールまっつならではの温度感。そして、乾き方。
天を仰ぐときって、なにかの寸前にすることが多い。
今回も、天を仰いだあと立ち去っていくし。
ワイワイがやがやワーワーワー、マンガ的な演出。
BJは素敵だわ、モブのみんなはかわいいわ、目が足りない。
耳に残るミュージカルっぽい演出も好き。
その人口密度、にぎやかさと正反対に。
トラヴィス@ホタテと、ピノコ@ももちゃんは誰もいない静かなところで、BJを待っている。
会議室前の廊下よね。
長椅子に坐って、ホタテマン、育児中。
トラヴィスさんの年齢は不詳なんだけど、「ですます調」の仕事口調でなくなる対ピノコ場面では、なんかめっちゃ若いっす。
なにしろ一人称「僕」になるからねー。
BJの前では「私」なんだけどねー。
「アッチョンブリケ」以外喋らないピノコに対し、なんとか会話を試みるトラヴィス。
アッチョンブリケ以外ダメなら、それに単語をくっつければ会話になる、と謎の思考回路でがんばるトラヴィスさんが、意気揚々と「ガイジン喋り」で話しかけたところに、
「バカ」
ピノコの一刀両断。
ばっさりやられただけでも面白いのに、トラヴィスは言葉の意味よりナニより、「ピノコが喋った!!」ということに歓喜。
「今喋ったよね? もっぺん言ってみて? 僕はなに? バカ?」
どうしよう。トラヴィスがアホかわいすぎる。
医師連盟の吊し上げ場面は、ナニ気に楽しい。
出演者勢揃いだしねー。
医師連盟理事長@ゆめみちゃんがまた、うまい。
いるいるこんな人、現実にも、マンガの中にも。その造形の素晴らしさ。
彼女にくっついている秘書@ゆきのちゃんがまた、かわいい。理事長、顔で秘書選んでるっしょ?(笑)
そして、「青井」という役名の付いた、理事長の腰巾着、りーしゃ。
りーしゃがなんか、はじけてます。
公演はじまった当初はただのヘタレちゃんだったのに、だんだんみょーなキャラ付けて来て、段上にぴょこんと飛び乗ったり、空気読まない態度を取ったり、かわいいことになってます。
会関係のイベント日絡みかな? 前髪ぱっつんにしてみたり。(普段は七三分け)
りーしゃは芝居うまくないんだけど、愛されキャラとして、確立してきてるなあ。
イケメンで愛嬌のあるキャラクタは貴重です。
この公演、なにが楽しみって、下級生たちがどんどんうまくなっていくのを見るのが楽しい。
今まで認識してなかった下級生まで、全員区別つくよーになったし!
や、もともと顔わかんなかったのは3名だけだったので、そこがわかれば楽しさ倍増っす。
認識してなかった下級生のひとり、つくしちゃん。
『フットルース』組なので、顔はなんとなくわかるんだけど、個別認識までは至ってなかったの。
彼女の見せ場が、この医師連盟会議室。
集まった医師たちは、男女に分かれて坐っているんだけど、渋井@つくしちゃんだけ男子側。
男たちはりーしゃを筆頭に、ヘタレ野郎ばかり。
なかでも翼くんのきょどりっぷりがひどい(笑)。 ……翼くん、スーツ似合わないなあ。細くて小顔過ぎて、「病院経営者」にはカケラも見えない……(笑)。
女性陣は、こわいのなんの。
ありちゃんにるりるりって、や、こわすぎるでしょ。
強面の女性陣からひとりだけ離れ、男子席の隅っこに坐っているつくしちゃん。
ほそっこくて薄い顔立ちで、なんとも頼りない印象。
……なんだけど、彼女は突然立ち上がって叫ぶ。
「金の亡者め! 告発されてもよいというのか!!」
ちょー金切り声で。
最初のウチはこれ、すげースベっててねえ。
ナニ言ってんのか聞こえないし、ただ耳障りなだけ。
それが、回数重ねるごとにうまくなるの。
超高音なのに、台詞が聞き取れるようになる。
間も良くなっているのか、ちゃんと笑いを取れる。
周囲の男の子たちも、「金切り声につーんとなる」小芝居、がんばってるしね。そこもよくなったよね。
ナニ気にイリヤくんがイイ声で文句言ってるの。
大樹くんのふてぶてしい芝居は堂に入ってる。
うわー、こんなところでも成長するんだ。成長ってわかるんだ。
「告発で、ゴンス!!」
の、ザッキーのおいしさはまた、格別。
あああ、ザッキー素敵。
で、吊し上げられている、BJさん@まっつ。
椅子の坐り方が、ツボ。
指を交差させて組み、カラダをナナメにする。
決して行儀がいいとはいえない坐り方。
仲間内で「BJの真似(笑)」と言って坐ったりするくらい、特徴のある坐り方。
キャラによって坐り方チガウんだ! うわー、BJ先生かっこいい。
BJはほんと、嫌いな相手には容赦ないなと思う。
某国大統領側近たちに対するときと、態度が同じなの。
冷たい態度、というよりも、露悪的。
わざとやってるとしか思えない、ひどい顔をする。
「200万ドルいただきましょうか」と言っていたときと同じ。
下劣!としか言いようのない、野卑な笑いを浮かべる。
こんな顔しか見せてもらえないんじゃ、そりゃ医師連盟の人たちはBJを大嫌いだろうさ。
心閉ざしてるときのBJ先生って、半端ナイなあ……。
そして、大人げないなあ……。
対人関係って、鏡だからね。
BJ先生があんなに嫌らしい顔をするから、悪意や反感しか返らないんだよ……。
や、大好物ですけどね。
まっつの卑しい顔。
高貴でクール、が標準装備の美形様ですから、下品で歪んだ顔はレアです。
で、そこまで意識して「悪い顔」をしているのに。
途中からBJ先生、それすら投げ出しちゃうのね。
「みんなで告発!」
とか言い出された日にゃ、「会話」をあきらめちゃった。
数で囲んでの吊し上げ、弱いモノいじめの図。ひとりではナニも出来ないくせに、同じようにズルをしているくせに、「みんな」になると強気に騒ぎ出す。
虐められている、攻撃されているはずのBJは、怯えも傷つきもせず、ただぽかーん。あきれている。
「告発でゴンス!」登場時にも、ぽかーん、だったしねー。
この「ぽかーん」ぶりが、さいこーっす。
基本、上からだしねー。
で、まっつの仕草で大好きなのが「天を仰ぐ」ところ。
ベンヴォーリオもそうだし、『GOLD SPARK!』でもやっていたねー。
あきれて、手を放して、天を仰ぐ。ふう、っと溜息まじりに。
これがもう、すっごく好き。
クールまっつならではの温度感。そして、乾き方。
天を仰ぐときって、なにかの寸前にすることが多い。
今回も、天を仰いだあと立ち去っていくし。
ワイワイがやがやワーワーワー、マンガ的な演出。
BJは素敵だわ、モブのみんなはかわいいわ、目が足りない。
耳に残るミュージカルっぽい演出も好き。
その人口密度、にぎやかさと正反対に。
トラヴィス@ホタテと、ピノコ@ももちゃんは誰もいない静かなところで、BJを待っている。
会議室前の廊下よね。
長椅子に坐って、ホタテマン、育児中。
トラヴィスさんの年齢は不詳なんだけど、「ですます調」の仕事口調でなくなる対ピノコ場面では、なんかめっちゃ若いっす。
なにしろ一人称「僕」になるからねー。
BJの前では「私」なんだけどねー。
「アッチョンブリケ」以外喋らないピノコに対し、なんとか会話を試みるトラヴィス。
アッチョンブリケ以外ダメなら、それに単語をくっつければ会話になる、と謎の思考回路でがんばるトラヴィスさんが、意気揚々と「ガイジン喋り」で話しかけたところに、
「バカ」
ピノコの一刀両断。
ばっさりやられただけでも面白いのに、トラヴィスは言葉の意味よりナニより、「ピノコが喋った!!」ということに歓喜。
「今喋ったよね? もっぺん言ってみて? 僕はなに? バカ?」
どうしよう。トラヴィスがアホかわいすぎる。
花咲くこともある。@ブラック・ジャック 許されざる者への挽歌
2013年3月22日 タカラヅカ しつこく『ブラック・ジャック 許されざる者への挽歌』の話。
トラヴィス@ホタテの謎、続き。
トラヴィスはいなくてもいいキャラ。
彼はストーリーにまったく絡まない。
だからわからないんだ。
作中の「出来事」と彼の関連度。
1幕では、彼は「ただのお邪魔虫」。
勝手にBJ@まっつにくっついてやって来て、邪魔者扱いされながらもBJ邸にいる。BJはトラヴィスをさくっと無視。
このあたりでは、特に謎がない。
BJがトラヴィスを重要視していない、無視している、だから物語的にも観客的にも、無視していい。ただのお笑い担当。出てきたら笑わせてくれる、それだけ。
問題は、2幕。
2幕の冒頭から、謎なんですけど。
帰国するバイロン侯爵@ともみんに対し、トラヴィスはやたら緊張している。「高貴な方ですから」というのが理由。ああそうね、某合衆国には貴族ってもんがナイから、かの国の人たちのお貴族様へのこだわりは半端ナイらしいわね、と考えて……首をかしげる。
えっと。
トラヴィスさん、その「高貴な方」ってさ、BJ誘拐犯なんだけど? 知ってる?
トラヴィスの任務は、BJを守ること。「私にも信念があります!(キリッ)」とやっていた、真面目な青年。
BJにどんだけ冷たくあしらわれようと、臆することなく「信念」を貫いていた。
そんな彼だから、BJが行方不明になったときに盛大にへこんでいた。
誘拐されたとわかったときは、駐留軍まで巻き込んで大騒ぎしていたらしい。
「1時間後にスイッチを入れてください!!」
って、あんだけお願いしていたのに、BJ、んなこときれーに忘れてたよね?
駐留軍基地に行って、受信機の前で息を詰めて待ち続け……信号がなく、これまた苦悩したことだろう。
発信機が壊れているのか、はたまたBJが発信機を押せないような状況になっているのか、悪い方向にいっぱいいっぱい考えて、苦しみまくったことだろう。
なのにその翌日、BJはふつーの顔して帰ってきて。
…………このあたり、なにがどうあったのか、知りたいです。
最初の発信機の「BJが好奇心でスイッチを押す」→「なにがあったんですかああぁぁっ!!とトラヴィスが血相変えて駆けつける」を見て、BJはトラヴィスに旅館を紹介したわけっしょ? あ、こいついいヤツじゃん、って。
最初の「ぽちっとな」でそれだったわけで。
誘拐されたあと、無事に戻って来たBJを見たトラヴィスが、どんな反応を見せたか。
知りたいじゃないですか?
そして、ツンデレBJ先生が、どんなリアクションを取ったか。
知りたいじゃないですか?
で、BJはトラヴィスになにをどう話したの? どこまで話したの?
軍隊まで巻き込んでるわけですが?
合衆国本国にも、報告しているだろうし。
バイロン侯爵の秘密を守るため、BJはどこまで誰に話したんだろう?
半端な報告では、許してもらえないと思うんですが。
トラヴィスは大統領暗殺を企んだテロ組織、に対抗するために、BJの護衛をしている。BJの誘拐がその組織絡みだった場合、再び大統領、ひいては合衆国にも関わってくる深刻な事態だ。
国の存亡を懸けて、BJ誘拐事件を調べると思うんですが。
奇形腫から摘出された少女・ピノコのことは、別に秘密ではない。
だからトラヴィスもそういう子どもがBJ邸にいて、治療を受けていることは知っていた。
でも、まだまだ人間の身体にはほど遠い状態の少女が、足りなかったパーツをすべて得て、いきなり人間として生まれ直す不自然さは、どこまで理解しているのか?
バイロン侯爵がナニをしに日本へ来たのか……ドナーになってくれるまではいいとして、移植の規模がものすごすぎて、そこまでカラダを切り売りしてなんで平気なのか、不思議に思わないんだろうか?
トラヴィスは、どこまでナニを知っているの?
また、カイト@咲ちゃんのことは、どこまで聞いていたの?
トラヴィスが日本へやって来た、その夜にBJ先生は命の危機に見舞われている。強盗カイトに銃を突きつけられているんだ。
BJ先生はそれ、トラヴィスに話した?
BJの相棒として、当たり前に彼の横にいる……一緒に過ごしている、だけに、トラヴィスがなにをどこまで理解しているのかが、わからないってのは、問題だと思う。
ナニもかも話したんですかね?
バイロンさんの秘密も、彼との取引内容も。
ものすごい秘密だと思うし、それを政府に、軍に知られたら大変なことで、知り合ったばかりの他国の軍人さん(?)に、BJはぺらぺら喋ったのかしら?
トラヴィスとの間に、確固たる信頼関係があれば、わかるんだけど。
そんなものを築く間もなくBJは誘拐されたりなんだりしてたわけで。
真実を話さずには済まないほどの大ごとになっている。
真実を話すには危険すぎる、話したとは思えない人間関係。
……この相反する事態に陥っているのに、なんの説明もないんですよ。
トラヴィスが大統領警護官でなければよかったんだけどね。ただの私設ボディーガードとか。政治にも軍事にも絡んでいない人なら。
なにかいうと「軍が」だから、ナニかあれば合衆国に筒抜けだってことになるし。
トラヴィスはいいキャラだし、作者にも観客にも愛されている。
だけどいろいろと間違ったキャラクタだ。
いなくても本筋に関係ないし、むしろ、いることで設定的にはマイナスになっている。
どうあがいても変だ、彼の存在。
でもわたしは、トラヴィスが好き。
この物語に、トラヴィスがいてくれて良かったと思っている。
この設定上の歪みを埋めるにはさー、愛しかないと思ってる。
つまり、だ。
軍まで巻き込んで大騒ぎしていたトラヴィスのところへ、誘拐されていたBJがなにごともなく帰ってきた。
BJはトラヴィスのことなんかすっかり忘れていた。
ふたりは出会ってから数日しか経っていないし、その間も発信機の修理だとか誘拐だとかで、顔を合わせることもほとんどなかったし、会話もろくにしていない。
そんな状態での再会。
その再会で。
愛の花がひらいた。
理屈ぢゃない。
自分を心配しまくっていたトラヴィスに、無事に帰ってきたBJに、お互い吊り橋効果でどどーんと気持ちが動いちゃった、と。
それでトラヴィスは、任務がどうあれ立場がどうあれ、BJが「これ以上言えない」と言ったらそこで引き下がる。
BJへの信頼ゆえに、国への忠誠心を捨てる。信念を曲げる。
BJも、そんなトラヴィスを信じる。彼がスパイ行動をしないと、ほんとうにただ護衛のためだけにBJのそばにいるのだと。
1幕の終わりまで、なんの友情も信頼もないふたりなのに、2幕では家族みたいになっていたわけですから。
BJの帰国と同時にナニか花開いたんだなと、それしか考えられないぢゃないですか。
トラヴィスの謎。
答えは、愛。
トラヴィス@ホタテの謎、続き。
トラヴィスはいなくてもいいキャラ。
彼はストーリーにまったく絡まない。
だからわからないんだ。
作中の「出来事」と彼の関連度。
1幕では、彼は「ただのお邪魔虫」。
勝手にBJ@まっつにくっついてやって来て、邪魔者扱いされながらもBJ邸にいる。BJはトラヴィスをさくっと無視。
このあたりでは、特に謎がない。
BJがトラヴィスを重要視していない、無視している、だから物語的にも観客的にも、無視していい。ただのお笑い担当。出てきたら笑わせてくれる、それだけ。
問題は、2幕。
2幕の冒頭から、謎なんですけど。
帰国するバイロン侯爵@ともみんに対し、トラヴィスはやたら緊張している。「高貴な方ですから」というのが理由。ああそうね、某合衆国には貴族ってもんがナイから、かの国の人たちのお貴族様へのこだわりは半端ナイらしいわね、と考えて……首をかしげる。
えっと。
トラヴィスさん、その「高貴な方」ってさ、BJ誘拐犯なんだけど? 知ってる?
トラヴィスの任務は、BJを守ること。「私にも信念があります!(キリッ)」とやっていた、真面目な青年。
BJにどんだけ冷たくあしらわれようと、臆することなく「信念」を貫いていた。
そんな彼だから、BJが行方不明になったときに盛大にへこんでいた。
誘拐されたとわかったときは、駐留軍まで巻き込んで大騒ぎしていたらしい。
「1時間後にスイッチを入れてください!!」
って、あんだけお願いしていたのに、BJ、んなこときれーに忘れてたよね?
駐留軍基地に行って、受信機の前で息を詰めて待ち続け……信号がなく、これまた苦悩したことだろう。
発信機が壊れているのか、はたまたBJが発信機を押せないような状況になっているのか、悪い方向にいっぱいいっぱい考えて、苦しみまくったことだろう。
なのにその翌日、BJはふつーの顔して帰ってきて。
…………このあたり、なにがどうあったのか、知りたいです。
最初の発信機の「BJが好奇心でスイッチを押す」→「なにがあったんですかああぁぁっ!!とトラヴィスが血相変えて駆けつける」を見て、BJはトラヴィスに旅館を紹介したわけっしょ? あ、こいついいヤツじゃん、って。
最初の「ぽちっとな」でそれだったわけで。
誘拐されたあと、無事に戻って来たBJを見たトラヴィスが、どんな反応を見せたか。
知りたいじゃないですか?
そして、ツンデレBJ先生が、どんなリアクションを取ったか。
知りたいじゃないですか?
で、BJはトラヴィスになにをどう話したの? どこまで話したの?
軍隊まで巻き込んでるわけですが?
合衆国本国にも、報告しているだろうし。
バイロン侯爵の秘密を守るため、BJはどこまで誰に話したんだろう?
半端な報告では、許してもらえないと思うんですが。
トラヴィスは大統領暗殺を企んだテロ組織、に対抗するために、BJの護衛をしている。BJの誘拐がその組織絡みだった場合、再び大統領、ひいては合衆国にも関わってくる深刻な事態だ。
国の存亡を懸けて、BJ誘拐事件を調べると思うんですが。
奇形腫から摘出された少女・ピノコのことは、別に秘密ではない。
だからトラヴィスもそういう子どもがBJ邸にいて、治療を受けていることは知っていた。
でも、まだまだ人間の身体にはほど遠い状態の少女が、足りなかったパーツをすべて得て、いきなり人間として生まれ直す不自然さは、どこまで理解しているのか?
バイロン侯爵がナニをしに日本へ来たのか……ドナーになってくれるまではいいとして、移植の規模がものすごすぎて、そこまでカラダを切り売りしてなんで平気なのか、不思議に思わないんだろうか?
トラヴィスは、どこまでナニを知っているの?
また、カイト@咲ちゃんのことは、どこまで聞いていたの?
トラヴィスが日本へやって来た、その夜にBJ先生は命の危機に見舞われている。強盗カイトに銃を突きつけられているんだ。
BJ先生はそれ、トラヴィスに話した?
BJの相棒として、当たり前に彼の横にいる……一緒に過ごしている、だけに、トラヴィスがなにをどこまで理解しているのかが、わからないってのは、問題だと思う。
ナニもかも話したんですかね?
バイロンさんの秘密も、彼との取引内容も。
ものすごい秘密だと思うし、それを政府に、軍に知られたら大変なことで、知り合ったばかりの他国の軍人さん(?)に、BJはぺらぺら喋ったのかしら?
トラヴィスとの間に、確固たる信頼関係があれば、わかるんだけど。
そんなものを築く間もなくBJは誘拐されたりなんだりしてたわけで。
真実を話さずには済まないほどの大ごとになっている。
真実を話すには危険すぎる、話したとは思えない人間関係。
……この相反する事態に陥っているのに、なんの説明もないんですよ。
トラヴィスが大統領警護官でなければよかったんだけどね。ただの私設ボディーガードとか。政治にも軍事にも絡んでいない人なら。
なにかいうと「軍が」だから、ナニかあれば合衆国に筒抜けだってことになるし。
トラヴィスはいいキャラだし、作者にも観客にも愛されている。
だけどいろいろと間違ったキャラクタだ。
いなくても本筋に関係ないし、むしろ、いることで設定的にはマイナスになっている。
どうあがいても変だ、彼の存在。
でもわたしは、トラヴィスが好き。
この物語に、トラヴィスがいてくれて良かったと思っている。
この設定上の歪みを埋めるにはさー、愛しかないと思ってる。
つまり、だ。
軍まで巻き込んで大騒ぎしていたトラヴィスのところへ、誘拐されていたBJがなにごともなく帰ってきた。
BJはトラヴィスのことなんかすっかり忘れていた。
ふたりは出会ってから数日しか経っていないし、その間も発信機の修理だとか誘拐だとかで、顔を合わせることもほとんどなかったし、会話もろくにしていない。
そんな状態での再会。
その再会で。
愛の花がひらいた。
理屈ぢゃない。
自分を心配しまくっていたトラヴィスに、無事に帰ってきたBJに、お互い吊り橋効果でどどーんと気持ちが動いちゃった、と。
それでトラヴィスは、任務がどうあれ立場がどうあれ、BJが「これ以上言えない」と言ったらそこで引き下がる。
BJへの信頼ゆえに、国への忠誠心を捨てる。信念を曲げる。
BJも、そんなトラヴィスを信じる。彼がスパイ行動をしないと、ほんとうにただ護衛のためだけにBJのそばにいるのだと。
1幕の終わりまで、なんの友情も信頼もないふたりなのに、2幕では家族みたいになっていたわけですから。
BJの帰国と同時にナニか花開いたんだなと、それしか考えられないぢゃないですか。
トラヴィスの謎。
答えは、愛。
キミが面倒見ろよ。@ブラック・ジャック 許されざる者への挽歌
2013年3月21日 タカラヅカ 未だにちんたら、『ブラック・ジャック 許されざる者への挽歌』の話。
この『BJ』という作品において、わかりにくいのが「作中の時間経過」と、「トラヴィス」。
2幕最初の場面にて、ツンデレの我らがBJ先生@まっつは、護衛官のトラヴィス@ホタテにツンツンしている。
トラヴィスの任務はBJの護衛なので、彼の行くところすべてに、ふつーに付き従うつもりでいる。
なのにBJはあったり前に言うんだ、「キミはここに残ってくれ。ピノコをひとりにするのは心配だ」。
トラヴィスを、なんだと思ってるんだ?
トモダチ? 同居人? 部下?
SPに対して、言わないよな。「子守をしててくれ」とは。
存在意義を否定してますがな。
トラヴィスはもちろん抗う。
「発信機があるじゃないか」と言うBJに、「あんなもの、役に立ちませんよ!!」と言い切って、客席からものすごい熱の笑いを得るんだから、ホタテマンすごい。
ここでBJがひどいのは、トラヴィス相手に最後まで会話しないこと。
「仕方ない、連れて行くか」
とつぶやくんだけど、ふつーこの話の流れなら、「連れて行く」のはトラヴィスのことでしょ? 「一緒に行く」と言っているのはトラヴィスなんだから。
なのにBJ先生、トラヴィスは見てないの。
彼の後ろにいるピノコを見て「連れて行くか」とつぶやく。
だからトラヴィスは「え?」と素で返す。
自分に対して言われているわけじゃない……てことは、つまり?
「ピノコを連れてきてくれ。キミのせいだ。キミが面倒見ろよ」
「ええっ?!」
いやいやいや、この論理、変だから!
トラヴィスがピノコの子守のために家に残る謂われはないし、それを拒否ったからって、「トラヴィスのせい」にはならない。
わかっていて、BJは無茶ぶりをしている。
トラヴィスなら断らないと。
この「キミが面倒見ろよ」がねええ。
DCの最初の方は、冷たく突き放すように言ってたの。不機嫌そうに、嫌そうに。
なのに、公演が進むにつれて、BJが変わっていったの。
いたずらっ子のように、笑いながら言うの。「キミが面倒見ろよ」って。
変わりすぎだから!!
そこまで変わっちゃうと、人間関係変わっちゃってるから! ストーリー変わってるから!!
DCの最初の方の様子だと、BJとトラヴィスの関係は「発信機の修理が済んだら教えてくれ」って切り捨てていた、あの感じなの。
ぱきっと線を引かれた、突き放した感じ。
だけど、DC後半から青年館の様子だと、もう友だち同士みたいな気安さがあるの。
わがまま言って困らせるのもアリ。だって仲良しだもん。
……あのー。
どういうことっすか、これ。
わからないのは、「作中の時間経過」と、「トラヴィス」。
DCの最初の方は、「あまり日にちが経っていない」のだと思って見ていた。
トラヴィスが某合衆国からBJにくっついて日本に来て、その翌日にはBJがバイロンに誘拐されて、数日後に戻って来て、ピノコの手術して、さらに数日後。
トラヴィスとBJは親しくなるヒマもない。
だから「発信機のやり取り」をしていたときの、固い感じのまま。
バイロンさん不死身だから、手術してほんとに2~3日でぴんぴんしてるのかもしんないなー。
でも、後半の様子だと、「けっこう日にちが経過している」ように見えた。
BJは先に帰国したけれど、バイロンさんはそんなにすぐに日本へ来たわけじゃない。
や、すぐに来たかもしんないけど、すぐさま手術したんじゃなく、切り刻んだ内臓が完全回復するまで待ったんだ。
ほんとうに元気なカラダになるまで待って、それから手術した。
で、そっからさらに日にちが経ち、あちこちニクを削いだバイロンさんが、もとのオトコマエの侯爵様に戻るくらいゆっくり療養してから、BJに帰国の挨拶に来たんだ。
ピノコが自分で歩いて、「バイバイロン」と言えるくらい、時間が経っていたんだ。
その、長い日にちの間に、トラヴィスとBJは打ち解けたんだ。
いやあ、時間経過がわからんですなー。
ラストにトラヴィスさんが「1年間、お世話になりました」と言い出したとき、1年も経ってたんかい!!と、突っ込んだもん。
合衆国大統領……1年もトラヴィスをBJの護衛に派遣してたの……? あるかどうかもわからない、テロ組織の報復を恐れて? それ全部、税金でだよね?
ちょっとありえないっていうか、無茶な設定だわ。
せいぜい1ヶ月で引き上げるでしょ……所詮BJはよそ者で、某合衆国とは無関係な人間なんだし。
それに、公務を再開したのを機に、トラヴィスに帰国命令を出しているわけで、……えーと、大統領、1年間公務を休んでたの? ……そんな場合、すでに職を辞してるよね? 代わりはいくらでもいるだろうし。
やっぱ1年は変だ……。
トラヴィスってさ、ぶっちゃけ、いなくてもかまわないキャラだよね?
で、トラヴィスがいるために、なんか変なことになってるの。
合衆国大統領護衛官が、丸1年合衆国と無関係の無免許医師にくっついているのは、リアリティがなさ過ぎる。
テロ組織の話も立ち消え、伏線にもなってないし。
トラヴィスが役に立ったのって、ヤクザのちんぴらトリオを追い返しただけだし。しかもヤクザのひとり@真地くんに「てめえに逮捕権はないだろ」と言い負かされてたし。
ちんぴらに言い負かされる「プロ」……。
役に立ってねええ。
トラヴィスの仕事は、子育て。
BJの奥さんポジ。
BJおとーさんと、トラヴィスおかーさんが、子育てがんばる話。
……大統領警護官……。
いなくていい役だけど、正塚は、この役にこだわったんだろうな。
なんつーか、作者の愛情が詰まりまくった役だ……。
それは、BJがなんだかんだいって、トラヴィスを大好きなことからも、わかる。
主人公に愛される役、それは、ナニをさておいても、重要な役なんだ。
リアリティとか、役割とか、そんなもんがなくっても(笑)。
「キミが面倒見ろよ」……BJが、笑って言う。
いたずらっぽく、ドSに。
いぢめるのが、たのしい。うれしい。
大好きだから。
どんなわがままも意地悪も、受け止めてくれる。そばにいてくれる。
大好きだから。
そんな関係。
いつの間に、そんなことに……。
謎だわ、「作中の時間経過」と、「トラヴィス」。
この『BJ』という作品において、わかりにくいのが「作中の時間経過」と、「トラヴィス」。
2幕最初の場面にて、ツンデレの我らがBJ先生@まっつは、護衛官のトラヴィス@ホタテにツンツンしている。
トラヴィスの任務はBJの護衛なので、彼の行くところすべてに、ふつーに付き従うつもりでいる。
なのにBJはあったり前に言うんだ、「キミはここに残ってくれ。ピノコをひとりにするのは心配だ」。
トラヴィスを、なんだと思ってるんだ?
トモダチ? 同居人? 部下?
SPに対して、言わないよな。「子守をしててくれ」とは。
存在意義を否定してますがな。
トラヴィスはもちろん抗う。
「発信機があるじゃないか」と言うBJに、「あんなもの、役に立ちませんよ!!」と言い切って、客席からものすごい熱の笑いを得るんだから、ホタテマンすごい。
ここでBJがひどいのは、トラヴィス相手に最後まで会話しないこと。
「仕方ない、連れて行くか」
とつぶやくんだけど、ふつーこの話の流れなら、「連れて行く」のはトラヴィスのことでしょ? 「一緒に行く」と言っているのはトラヴィスなんだから。
なのにBJ先生、トラヴィスは見てないの。
彼の後ろにいるピノコを見て「連れて行くか」とつぶやく。
だからトラヴィスは「え?」と素で返す。
自分に対して言われているわけじゃない……てことは、つまり?
「ピノコを連れてきてくれ。キミのせいだ。キミが面倒見ろよ」
「ええっ?!」
いやいやいや、この論理、変だから!
トラヴィスがピノコの子守のために家に残る謂われはないし、それを拒否ったからって、「トラヴィスのせい」にはならない。
わかっていて、BJは無茶ぶりをしている。
トラヴィスなら断らないと。
この「キミが面倒見ろよ」がねええ。
DCの最初の方は、冷たく突き放すように言ってたの。不機嫌そうに、嫌そうに。
なのに、公演が進むにつれて、BJが変わっていったの。
いたずらっ子のように、笑いながら言うの。「キミが面倒見ろよ」って。
変わりすぎだから!!
そこまで変わっちゃうと、人間関係変わっちゃってるから! ストーリー変わってるから!!
DCの最初の方の様子だと、BJとトラヴィスの関係は「発信機の修理が済んだら教えてくれ」って切り捨てていた、あの感じなの。
ぱきっと線を引かれた、突き放した感じ。
だけど、DC後半から青年館の様子だと、もう友だち同士みたいな気安さがあるの。
わがまま言って困らせるのもアリ。だって仲良しだもん。
……あのー。
どういうことっすか、これ。
わからないのは、「作中の時間経過」と、「トラヴィス」。
DCの最初の方は、「あまり日にちが経っていない」のだと思って見ていた。
トラヴィスが某合衆国からBJにくっついて日本に来て、その翌日にはBJがバイロンに誘拐されて、数日後に戻って来て、ピノコの手術して、さらに数日後。
トラヴィスとBJは親しくなるヒマもない。
だから「発信機のやり取り」をしていたときの、固い感じのまま。
バイロンさん不死身だから、手術してほんとに2~3日でぴんぴんしてるのかもしんないなー。
でも、後半の様子だと、「けっこう日にちが経過している」ように見えた。
BJは先に帰国したけれど、バイロンさんはそんなにすぐに日本へ来たわけじゃない。
や、すぐに来たかもしんないけど、すぐさま手術したんじゃなく、切り刻んだ内臓が完全回復するまで待ったんだ。
ほんとうに元気なカラダになるまで待って、それから手術した。
で、そっからさらに日にちが経ち、あちこちニクを削いだバイロンさんが、もとのオトコマエの侯爵様に戻るくらいゆっくり療養してから、BJに帰国の挨拶に来たんだ。
ピノコが自分で歩いて、「バイバイロン」と言えるくらい、時間が経っていたんだ。
その、長い日にちの間に、トラヴィスとBJは打ち解けたんだ。
いやあ、時間経過がわからんですなー。
ラストにトラヴィスさんが「1年間、お世話になりました」と言い出したとき、1年も経ってたんかい!!と、突っ込んだもん。
合衆国大統領……1年もトラヴィスをBJの護衛に派遣してたの……? あるかどうかもわからない、テロ組織の報復を恐れて? それ全部、税金でだよね?
ちょっとありえないっていうか、無茶な設定だわ。
せいぜい1ヶ月で引き上げるでしょ……所詮BJはよそ者で、某合衆国とは無関係な人間なんだし。
それに、公務を再開したのを機に、トラヴィスに帰国命令を出しているわけで、……えーと、大統領、1年間公務を休んでたの? ……そんな場合、すでに職を辞してるよね? 代わりはいくらでもいるだろうし。
やっぱ1年は変だ……。
トラヴィスってさ、ぶっちゃけ、いなくてもかまわないキャラだよね?
で、トラヴィスがいるために、なんか変なことになってるの。
合衆国大統領護衛官が、丸1年合衆国と無関係の無免許医師にくっついているのは、リアリティがなさ過ぎる。
テロ組織の話も立ち消え、伏線にもなってないし。
トラヴィスが役に立ったのって、ヤクザのちんぴらトリオを追い返しただけだし。しかもヤクザのひとり@真地くんに「てめえに逮捕権はないだろ」と言い負かされてたし。
ちんぴらに言い負かされる「プロ」……。
役に立ってねええ。
トラヴィスの仕事は、子育て。
BJの奥さんポジ。
BJおとーさんと、トラヴィスおかーさんが、子育てがんばる話。
……大統領警護官……。
いなくていい役だけど、正塚は、この役にこだわったんだろうな。
なんつーか、作者の愛情が詰まりまくった役だ……。
それは、BJがなんだかんだいって、トラヴィスを大好きなことからも、わかる。
主人公に愛される役、それは、ナニをさておいても、重要な役なんだ。
リアリティとか、役割とか、そんなもんがなくっても(笑)。
「キミが面倒見ろよ」……BJが、笑って言う。
いたずらっぽく、ドSに。
いぢめるのが、たのしい。うれしい。
大好きだから。
どんなわがままも意地悪も、受け止めてくれる。そばにいてくれる。
大好きだから。
そんな関係。
いつの間に、そんなことに……。
謎だわ、「作中の時間経過」と、「トラヴィス」。
彼らの、日常がはじまっている。@ブラック・ジャック 許されざる者への挽歌
2013年3月20日 タカラヅカ 未だもってだらだらと、『ブラック・ジャック 許されざる者への挽歌』の話。
『BJ』の話を出し切ってしまわないと、他の文章が書けそうにない。
どんだけ溜め込んでたんだ自分。
2幕のはじまり方の、地味さは半端ナイ。
えーとえーと、ふつーバウやDCなど、2幕モノの芝居のとき、2幕の最初って「ショー」になってるよね?
歌や踊りになってるよね?
なのに……。
舞台奥中央に、ピノコ@ももちゃんが登場。
転ぶことを想定しての、プロテクター姿。
うまく歩けないので、よたよたころん、幼児歩きしてテーブルのクッキーを見つけ、ぱくつく。
これが、2幕のスタート……。
1幕のラストとリンクしているの。
ピノコの登場が、1幕ラストと同じ。……衣装チガウけど。1幕の白衣装の上に、黒い無骨なプロテクター。
1幕ラストは妖精っぽかったのに、プロテクターがあるだけで、すっごく「現実」味を帯びる……。
たしかDCで1回だけ、セットがちゃんと定位置に来ず、ももちゃんが無茶な位置で転んでたときがあったなあ……あれって1幕ラストだっけ? 2幕最初だっけ? 同じ登場の仕方だから、記憶が混ざってわかんなくなっちゃってるわ……。
一心不乱にクッキーを食べるピノコ、奥の部屋からBJ@まっつ、下手からバイロン侯爵@ともみんが登場。
ピノコを見つめるBJの瞳は慈愛にあふれ……ることは、ない。
すっごく無感動に、ニュートラルにピノコを見つめている。
そっか。これはすでに「日常」なんだ。
どれくらい時間が経っているのか、さっぱりわからない。
バイロンさんは、とっても元気そう。
ニクだの皮膚だの移植したんだよね? 切り刻んで女の子1個分、提供したんだよね?
カテリーナ@せしこの例があるから、1日で回復するのかもしんないけど、いちおー、何日か経過してるんだよね?
マンガ『BJ』は子どもの頃読んでいたけど、ピノコはいつの間にかピノコで、どうしてピノコなのかわからなかった。その生まれは知っていても、名前の由来は知らなかった。
ピノキオだから、ピノコなのか!!
BJ先生、センスわ……ゲフンゲフン。
バイロン侯爵もその奇妙な音の名前に疑問を持ったようで、「キャサリン、シモーヌ、サクラ……」と「美しい」女性の名前を挙げる。
このときのバイロンさんが無駄に流暢な「ガイジン発音」で、毎回笑いを誘っていた。
だけどBJ先生は、自慢顔。「ピノキオみたいな生まれだから、ピノコです」って。
センス悪いけど、かわいいなあ、BJ先生……。
そこで「ああ(笑)」と納得するバイロンさんもかわいい。
かわいいと言えば、ピノコが「バイバイロン」と言ったときの、BJのリアクション。
がくっとなる、とてもマンガ的な表現……。
BJはときどきコレをやる。
クールで渋い姿で、大真面目に。
か、かわいい……。
ここでDC版と青年館版で、ちょっと変更があったんだよね。
「お迎えでゴンス!!」
とやってきたゴンチャフ@ザッキー、随行してきたトラヴィス@ホタテ。
礼を尽くし、別れるバイロンとBJ。
台詞や流れなどは、なにも変わらない。
変わったのは、ピノコの寝転がるタイミング。
DC版では、BJとバイロンが下手側に移動すると同時くらいに、ピノコがソファーの上に寝転がっていたんだ。
ピノコの魅力は絶大で、観客の多くはピノコに注目している。
主人公のBJが下手に移動しているのに、観客は上手のピノコを見ているんだ。
で、ピノコがソファーの上に寝転がると、その愛らしい姿に笑いが起こる。
下手で、BJとトラヴィスが芝居をしているのに、本筋を展開しているのに、フレーム外にいるはずのピノコを、観客が見ている。
バイロンに対し、やたらかしこまっているトラヴィス、それを「どうしたんだ」と問うBJ。
このやり取りに、何故か客席からどっと笑いが起こる。
BJとトラヴィスが笑われたわけじゃない。
観客は、寝転がるピノコを見て笑っているんだ。
笑い声で、BJたちの会話が聞こえにくい。
ピノコがかわいいのはわかるけど、ふつーにBJを目で追っているわたしには、この笑い声は不快だった。
ふつーに、キャストにも演出家にも、不快だったんだろう。
青年館では変更されていた。
BJとトラヴィスが会話をはじめる。
そのあとで、ピノコは寝転がる。
主人公たちが「会話」をはじめれば、そこが舞台の中心になる。
BJが移動したあとも、ピノコに動きはなく、BJが会話をしているんだから、観客の目は自然とBJを追う。
BJがトラヴィスとふたりして、玄関から居間へ戻ってきた……そのタイミングで、ピノコはソファーに寝転がる。
これならもう、ピノコは「芝居」の邪魔にならない。
おー、うまいな!
青年館で、不要な笑いが芝居を壊さなくなったことに、心の中で拍手した。
本筋を損なう小芝居は邪道だもの。
寝転がりながらクッキーを食べるピノコに「行儀悪いぞ」と注意して、坐り直させるBJ。
「アッチョンブリケ」しか言わないピノコ。
まっつの動きって独特のリズムがあるというか、コミカルな動きをさせると際立つよな。
前述の「がくっ」にしてもそうだけど、マンガ的な表現が妙にハマる。
背中に不穏な空気を感じ取ったBJが「待て、それは使うな」とピノコを振り返って言う……その動作のコミカルさ。
「それ」というのは、超能力。
ピノコは言葉を喋れなくても、テレパシーで直接他人のアタマに働きかけられる。
その傍迷惑な力を使うんじゃないと言うBJ、BJのただならぬ様子に、反射的にジャケットの下のピストルに手をやるトラヴィス。
「それは使うな」と言われ、わけがわからないまま「それ=ピストル」かと、ジャケットから手を戻しかけるトラヴィス。
うろたえているトラヴィスがかわいいし、トラヴィスの存在が目に入ってないBJが、ひどくて、かわいい(笑)。
「なんのことですか?」と、トラヴィスひとり蚊帳の外。
バイロンさんもカイト@咲ちゃんも、ピノコの超能力のことは知っている。
なのに、一緒に暮らしている……あ、暮らしてないのか……過ごしている、トラヴィスだけはナニも知らされていない。
BJ先生、ひどい(笑)。
『BJ』の話を出し切ってしまわないと、他の文章が書けそうにない。
どんだけ溜め込んでたんだ自分。
2幕のはじまり方の、地味さは半端ナイ。
えーとえーと、ふつーバウやDCなど、2幕モノの芝居のとき、2幕の最初って「ショー」になってるよね?
歌や踊りになってるよね?
なのに……。
舞台奥中央に、ピノコ@ももちゃんが登場。
転ぶことを想定しての、プロテクター姿。
うまく歩けないので、よたよたころん、幼児歩きしてテーブルのクッキーを見つけ、ぱくつく。
これが、2幕のスタート……。
1幕のラストとリンクしているの。
ピノコの登場が、1幕ラストと同じ。……衣装チガウけど。1幕の白衣装の上に、黒い無骨なプロテクター。
1幕ラストは妖精っぽかったのに、プロテクターがあるだけで、すっごく「現実」味を帯びる……。
たしかDCで1回だけ、セットがちゃんと定位置に来ず、ももちゃんが無茶な位置で転んでたときがあったなあ……あれって1幕ラストだっけ? 2幕最初だっけ? 同じ登場の仕方だから、記憶が混ざってわかんなくなっちゃってるわ……。
一心不乱にクッキーを食べるピノコ、奥の部屋からBJ@まっつ、下手からバイロン侯爵@ともみんが登場。
ピノコを見つめるBJの瞳は慈愛にあふれ……ることは、ない。
すっごく無感動に、ニュートラルにピノコを見つめている。
そっか。これはすでに「日常」なんだ。
どれくらい時間が経っているのか、さっぱりわからない。
バイロンさんは、とっても元気そう。
ニクだの皮膚だの移植したんだよね? 切り刻んで女の子1個分、提供したんだよね?
カテリーナ@せしこの例があるから、1日で回復するのかもしんないけど、いちおー、何日か経過してるんだよね?
マンガ『BJ』は子どもの頃読んでいたけど、ピノコはいつの間にかピノコで、どうしてピノコなのかわからなかった。その生まれは知っていても、名前の由来は知らなかった。
ピノキオだから、ピノコなのか!!
BJ先生、センスわ……ゲフンゲフン。
バイロン侯爵もその奇妙な音の名前に疑問を持ったようで、「キャサリン、シモーヌ、サクラ……」と「美しい」女性の名前を挙げる。
このときのバイロンさんが無駄に流暢な「ガイジン発音」で、毎回笑いを誘っていた。
だけどBJ先生は、自慢顔。「ピノキオみたいな生まれだから、ピノコです」って。
センス悪いけど、かわいいなあ、BJ先生……。
そこで「ああ(笑)」と納得するバイロンさんもかわいい。
かわいいと言えば、ピノコが「バイバイロン」と言ったときの、BJのリアクション。
がくっとなる、とてもマンガ的な表現……。
BJはときどきコレをやる。
クールで渋い姿で、大真面目に。
か、かわいい……。
ここでDC版と青年館版で、ちょっと変更があったんだよね。
「お迎えでゴンス!!」
とやってきたゴンチャフ@ザッキー、随行してきたトラヴィス@ホタテ。
礼を尽くし、別れるバイロンとBJ。
台詞や流れなどは、なにも変わらない。
変わったのは、ピノコの寝転がるタイミング。
DC版では、BJとバイロンが下手側に移動すると同時くらいに、ピノコがソファーの上に寝転がっていたんだ。
ピノコの魅力は絶大で、観客の多くはピノコに注目している。
主人公のBJが下手に移動しているのに、観客は上手のピノコを見ているんだ。
で、ピノコがソファーの上に寝転がると、その愛らしい姿に笑いが起こる。
下手で、BJとトラヴィスが芝居をしているのに、本筋を展開しているのに、フレーム外にいるはずのピノコを、観客が見ている。
バイロンに対し、やたらかしこまっているトラヴィス、それを「どうしたんだ」と問うBJ。
このやり取りに、何故か客席からどっと笑いが起こる。
BJとトラヴィスが笑われたわけじゃない。
観客は、寝転がるピノコを見て笑っているんだ。
笑い声で、BJたちの会話が聞こえにくい。
ピノコがかわいいのはわかるけど、ふつーにBJを目で追っているわたしには、この笑い声は不快だった。
ふつーに、キャストにも演出家にも、不快だったんだろう。
青年館では変更されていた。
BJとトラヴィスが会話をはじめる。
そのあとで、ピノコは寝転がる。
主人公たちが「会話」をはじめれば、そこが舞台の中心になる。
BJが移動したあとも、ピノコに動きはなく、BJが会話をしているんだから、観客の目は自然とBJを追う。
BJがトラヴィスとふたりして、玄関から居間へ戻ってきた……そのタイミングで、ピノコはソファーに寝転がる。
これならもう、ピノコは「芝居」の邪魔にならない。
おー、うまいな!
青年館で、不要な笑いが芝居を壊さなくなったことに、心の中で拍手した。
本筋を損なう小芝居は邪道だもの。
寝転がりながらクッキーを食べるピノコに「行儀悪いぞ」と注意して、坐り直させるBJ。
「アッチョンブリケ」しか言わないピノコ。
まっつの動きって独特のリズムがあるというか、コミカルな動きをさせると際立つよな。
前述の「がくっ」にしてもそうだけど、マンガ的な表現が妙にハマる。
背中に不穏な空気を感じ取ったBJが「待て、それは使うな」とピノコを振り返って言う……その動作のコミカルさ。
「それ」というのは、超能力。
ピノコは言葉を喋れなくても、テレパシーで直接他人のアタマに働きかけられる。
その傍迷惑な力を使うんじゃないと言うBJ、BJのただならぬ様子に、反射的にジャケットの下のピストルに手をやるトラヴィス。
「それは使うな」と言われ、わけがわからないまま「それ=ピストル」かと、ジャケットから手を戻しかけるトラヴィス。
うろたえているトラヴィスがかわいいし、トラヴィスの存在が目に入ってないBJが、ひどくて、かわいい(笑)。
「なんのことですか?」と、トラヴィスひとり蚊帳の外。
バイロンさんもカイト@咲ちゃんも、ピノコの超能力のことは知っている。
なのに、一緒に暮らしている……あ、暮らしてないのか……過ごしている、トラヴィスだけはナニも知らされていない。
BJ先生、ひどい(笑)。
ヒロイン育成は急務ですとも。@南太平洋
2013年3月19日 タカラヅカ 『南太平洋』初日観劇。
すみません、どんな話かカケラも知らずに観劇してます。
時代もキャラも曲も、なにも知らない。
ので最初、主人公エミール@トド様が、女性と話している、しかもなんかその女性とイイ感じである、ことにとまどいました。
ポスターからして、主人公とヒロインは恋愛するのだろう。
恋愛モノのセオリーとして、ふたりが劇的に出会うところからはじまったり、そもそも出会う前からはじまったり、出会っていたとしてもなにかしら波乱を予感させるモノであったりする、という先入観がありました。
最初からなんの問題もなさそうな、そして最初からいいムードの男女、というのは、たかだか2時間のドラマではめずらしいです、かえって。
そういう、シチュエーションの問題がひとつ。
もうひとつは、美貌の青年エミールさんが話している相手の女性が、きれいでもなければかわいくもない、また華やかでもない、「脇役」な感じの女性だったためです。
物語の冒頭だから、まずは脇役の女性と話しているのかしら。
ヒロインはいつ出てくるのかしら。
そのわりにこの脇役な女性との会話が長いわ。しかも、なんかイイ感じだわ……っていうか、エミールさんが惚れてる感じだわ。
ストーリー上と、役者と、ふたつの違和感ゆえに、最初、気づきませんでした。
トド様と話している女性が、ヒロインのネリー@風ちゃんだということに。
……すみません。
勉強不足です。
風ちゃんに関しては、もともと「きれいじゃないけど、実力派の娘役さん」という認識です。
んで、好みの顔じゃないと視界に入ってこないので、舞台ではわりとどこにいるのかわかってないことが多いです。
顔はわかるけど、記憶に残らないというか。意識して見てはじめて、ああ風ちゃんだ、とわかるレベル。
その程度の海馬しか持たないわたしには、なかなか難易度の高い娘役さんです、風ちゃん。
それでも、実力派の娘役さんが新公ヒロインや、別箱公演ヒロインするのはうれしかったりするので、彼女の躍進をよろこんだクチです。娘役人事は謎が多すぎて、美貌か実力か、せめてどっちかは納得させて欲しいと常々思っているもので。
風ちゃんは実力があるので、ヒロインは納得なのです。
……が、目の前にいる女性がヒロインだと気づいたときは、驚きました。
「ヒロイン待ち」していたわたしは、あわてて二度見しました。あ、たしかに、言われてみれば風ちゃんだ。てことは、この子はヒロインなんだ、と。
そっからしばらくは「この子はヒロイン。どうやら金髪美女らしい」という「設定」を脳みそに植え付ける努力をしました。
きれいじゃない、地味、脇役……そんな先入観がはびこっていたので、それを駆除して、新しい意識を植え込まねばなりません。
なにしろトドロキ氏が、うっとりした「恋する若者の瞳」で見つめる相手なのですから……トド様の美貌に相応しい金髪美女なのよ、と意識を入れ替えるのです。
トド様は大人の男の役ですが、そんな大人の男が「若者のように」甘酸っぱく恋してくれちゃってるんです。大人の男がこんな瞳をするからこそ胸キュン、て感じなんです、ええ。
シルヴィア@『めぐり会いは再び 2nd』みたいに、いかにもお姫様な衣装だと、底上げされるんだけど。
衣装も髪型も地味だからつい……。
てな、ひどい書き出しです、ごめんなさい。
最初はそんな印象だったのよ、ほんと。
しかし。
物語が進むと、ネリー@風ちゃんが、どんどん魅力的に見えてくる!!
あ、かわいい。
この子、かわいいわ~~!!
歌って踊って芝居しているウチに、引き込まれてくる。
彼女に感情移入する。
んで、2幕とか大泣きして終わった。
トド様にエスコートされている姿がかわいいのなんの。
ヒューヒュー!!
てことで、たのしかったです、『南太平洋』。
たぶん、次に見るときは最初からネリーがチャーミングな女の子に見えると思う!!
わたしがいろいろと混乱したのは、この『南太平洋』を宝塚歌劇を観るんだ、と思い込んでいたせいもあると思います。
書き出しでわかるように、「主人公」は我らが轟悠、エミールさんだと思い込んでいたの。
美貌のトド様が主人公。ここはタカラヅカ、タカラヅカだから男役が主役。ヒロインとは、主人公の相手役。
原作のミュージカルがどうであれ、一旦「タカラヅカ」で上演される限り、主人公は男役になると思い込んでいたの。
だから、なにもかもトド様エミールを中心に考えていた。
ちがった。
主人公はエミールじゃなかった。
主人公は、ネリーだった。
エミールは、主人公の相手役、だった。
それで混乱したのね。
主人公がネリーだ、とわかってからは、すんなり世界に入り込めた。
勉強不足です。
そしてしみじみ、時代の変化を感じた。
トド様が、経験不足の下級生主役舞台の、支え役をやっている。
なにがなんでも「主役!!」の人だったのになー。
トド様自身が主役にこだわっていたのか、演出家がそうしていたのかわかんないけど、もうずーっとトド様主役、トド様のための作品ばかり観てきたから、今ここで、彼がこんなに「支え」に回っている公演が、興味深いです。
今までのトド様とチガウ。
風ちゃんや、ケーブル中尉@マカゼを支える、成長させるために、彼らを真ん中に立たせるために、気を配ってる様子が、感じられるの。
第一線は退いた、そんな感じ。
もちろん、手を抜いているとか後ろ向きだとかいうことではなくて。
トド様は変わらずにオーラを放っている。
ただそれが、「自分が!!」というものではなくなった気がした。
頑なに背負っていたモノが、薄れたというか。
それよりも、後進の育成に力を注いでいるような。
今までのトド様って、やっぱ、彼の立場とか役柄的に、「舞台のすべてを自分ひとりで集約している」感じがした。
まず彼ありき、っていうか。
なにもかも、自分ひとりで背負って立ち、他の出演者と世代だけでなく、存在の次元が違っている……てな。
そういうトド様が当たり前だったし、もうずっとそんなトド様しか見ていなかったから、それ以外の可能性を考えてなかった。
そっか……。
トド様が「主人公」でなくなる日が来るのか。
主役として対外的に立ち、チケットも彼の名前で売り、だけど舞台の実質的な仕事は「支え」的な意味合いが濃い……そんなことをするようになるのか。
それは素晴らしいことだと思うし、次代のスターの育成は急務だ。劇団理事であるトド様が身をもってそれを実践するのは、正しいし、喜ばしいことだ。
ただちょっと、寂しい。
わたしはトド様が真ん中で吠えている舞台、大好きだから。
彼が「ザ・男役」として、若者たちを蹴散らす勢いで「芸」を見せつけてくれるのも、大好物だから。
『おかしな二人』を経て、マヤさんを見送って、なにかしら変わったのかなあ。
なんて、ただのわたしの考えすぎかもしんないけど。
抜擢されたばかりで経験値が圧倒的に不足している風ちゃんが、あまりにいっぱいいっぱいだから、初日限定でトド様がその支えに回っただけ、慣れてきたらいつものように真ん中で周囲をぶっちぎって「トドロキ全開」になるのかもしれない。
娘役育成、が目的でないのなら、あまりに「タカラヅカ」でない、「外でやれば?」なミュージカルを上演することに、あまり意義は感じないんだけどね。
や、いい作品だし、泣いたけど。
わたしは、「タカラヅカ」が好き。
すみません、どんな話かカケラも知らずに観劇してます。
時代もキャラも曲も、なにも知らない。
ので最初、主人公エミール@トド様が、女性と話している、しかもなんかその女性とイイ感じである、ことにとまどいました。
ポスターからして、主人公とヒロインは恋愛するのだろう。
恋愛モノのセオリーとして、ふたりが劇的に出会うところからはじまったり、そもそも出会う前からはじまったり、出会っていたとしてもなにかしら波乱を予感させるモノであったりする、という先入観がありました。
最初からなんの問題もなさそうな、そして最初からいいムードの男女、というのは、たかだか2時間のドラマではめずらしいです、かえって。
そういう、シチュエーションの問題がひとつ。
もうひとつは、美貌の青年エミールさんが話している相手の女性が、きれいでもなければかわいくもない、また華やかでもない、「脇役」な感じの女性だったためです。
物語の冒頭だから、まずは脇役の女性と話しているのかしら。
ヒロインはいつ出てくるのかしら。
そのわりにこの脇役な女性との会話が長いわ。しかも、なんかイイ感じだわ……っていうか、エミールさんが惚れてる感じだわ。
ストーリー上と、役者と、ふたつの違和感ゆえに、最初、気づきませんでした。
トド様と話している女性が、ヒロインのネリー@風ちゃんだということに。
……すみません。
勉強不足です。
風ちゃんに関しては、もともと「きれいじゃないけど、実力派の娘役さん」という認識です。
んで、好みの顔じゃないと視界に入ってこないので、舞台ではわりとどこにいるのかわかってないことが多いです。
顔はわかるけど、記憶に残らないというか。意識して見てはじめて、ああ風ちゃんだ、とわかるレベル。
その程度の海馬しか持たないわたしには、なかなか難易度の高い娘役さんです、風ちゃん。
それでも、実力派の娘役さんが新公ヒロインや、別箱公演ヒロインするのはうれしかったりするので、彼女の躍進をよろこんだクチです。娘役人事は謎が多すぎて、美貌か実力か、せめてどっちかは納得させて欲しいと常々思っているもので。
風ちゃんは実力があるので、ヒロインは納得なのです。
……が、目の前にいる女性がヒロインだと気づいたときは、驚きました。
「ヒロイン待ち」していたわたしは、あわてて二度見しました。あ、たしかに、言われてみれば風ちゃんだ。てことは、この子はヒロインなんだ、と。
そっからしばらくは「この子はヒロイン。どうやら金髪美女らしい」という「設定」を脳みそに植え付ける努力をしました。
きれいじゃない、地味、脇役……そんな先入観がはびこっていたので、それを駆除して、新しい意識を植え込まねばなりません。
なにしろトドロキ氏が、うっとりした「恋する若者の瞳」で見つめる相手なのですから……トド様の美貌に相応しい金髪美女なのよ、と意識を入れ替えるのです。
トド様は大人の男の役ですが、そんな大人の男が「若者のように」甘酸っぱく恋してくれちゃってるんです。大人の男がこんな瞳をするからこそ胸キュン、て感じなんです、ええ。
シルヴィア@『めぐり会いは再び 2nd』みたいに、いかにもお姫様な衣装だと、底上げされるんだけど。
衣装も髪型も地味だからつい……。
てな、ひどい書き出しです、ごめんなさい。
最初はそんな印象だったのよ、ほんと。
しかし。
物語が進むと、ネリー@風ちゃんが、どんどん魅力的に見えてくる!!
あ、かわいい。
この子、かわいいわ~~!!
歌って踊って芝居しているウチに、引き込まれてくる。
彼女に感情移入する。
んで、2幕とか大泣きして終わった。
トド様にエスコートされている姿がかわいいのなんの。
ヒューヒュー!!
てことで、たのしかったです、『南太平洋』。
たぶん、次に見るときは最初からネリーがチャーミングな女の子に見えると思う!!
わたしがいろいろと混乱したのは、この『南太平洋』を宝塚歌劇を観るんだ、と思い込んでいたせいもあると思います。
書き出しでわかるように、「主人公」は我らが轟悠、エミールさんだと思い込んでいたの。
美貌のトド様が主人公。ここはタカラヅカ、タカラヅカだから男役が主役。ヒロインとは、主人公の相手役。
原作のミュージカルがどうであれ、一旦「タカラヅカ」で上演される限り、主人公は男役になると思い込んでいたの。
だから、なにもかもトド様エミールを中心に考えていた。
ちがった。
主人公はエミールじゃなかった。
主人公は、ネリーだった。
エミールは、主人公の相手役、だった。
それで混乱したのね。
主人公がネリーだ、とわかってからは、すんなり世界に入り込めた。
勉強不足です。
そしてしみじみ、時代の変化を感じた。
トド様が、経験不足の下級生主役舞台の、支え役をやっている。
なにがなんでも「主役!!」の人だったのになー。
トド様自身が主役にこだわっていたのか、演出家がそうしていたのかわかんないけど、もうずーっとトド様主役、トド様のための作品ばかり観てきたから、今ここで、彼がこんなに「支え」に回っている公演が、興味深いです。
今までのトド様とチガウ。
風ちゃんや、ケーブル中尉@マカゼを支える、成長させるために、彼らを真ん中に立たせるために、気を配ってる様子が、感じられるの。
第一線は退いた、そんな感じ。
もちろん、手を抜いているとか後ろ向きだとかいうことではなくて。
トド様は変わらずにオーラを放っている。
ただそれが、「自分が!!」というものではなくなった気がした。
頑なに背負っていたモノが、薄れたというか。
それよりも、後進の育成に力を注いでいるような。
今までのトド様って、やっぱ、彼の立場とか役柄的に、「舞台のすべてを自分ひとりで集約している」感じがした。
まず彼ありき、っていうか。
なにもかも、自分ひとりで背負って立ち、他の出演者と世代だけでなく、存在の次元が違っている……てな。
そういうトド様が当たり前だったし、もうずっとそんなトド様しか見ていなかったから、それ以外の可能性を考えてなかった。
そっか……。
トド様が「主人公」でなくなる日が来るのか。
主役として対外的に立ち、チケットも彼の名前で売り、だけど舞台の実質的な仕事は「支え」的な意味合いが濃い……そんなことをするようになるのか。
それは素晴らしいことだと思うし、次代のスターの育成は急務だ。劇団理事であるトド様が身をもってそれを実践するのは、正しいし、喜ばしいことだ。
ただちょっと、寂しい。
わたしはトド様が真ん中で吠えている舞台、大好きだから。
彼が「ザ・男役」として、若者たちを蹴散らす勢いで「芸」を見せつけてくれるのも、大好物だから。
『おかしな二人』を経て、マヤさんを見送って、なにかしら変わったのかなあ。
なんて、ただのわたしの考えすぎかもしんないけど。
抜擢されたばかりで経験値が圧倒的に不足している風ちゃんが、あまりにいっぱいいっぱいだから、初日限定でトド様がその支えに回っただけ、慣れてきたらいつものように真ん中で周囲をぶっちぎって「トドロキ全開」になるのかもしれない。
娘役育成、が目的でないのなら、あまりに「タカラヅカ」でない、「外でやれば?」なミュージカルを上演することに、あまり意義は感じないんだけどね。
や、いい作品だし、泣いたけど。
わたしは、「タカラヅカ」が好き。
キラキラ輝く、麗しのキミ。@ブラック・ジャック 許されざる者への挽歌
2013年3月18日 タカラヅカ 未だに『ブラック・ジャック 許されざる者への挽歌』の話。
この公演で、しみじみ思ったこと。
トップライト、すげえええ!!
BJ@まっつの瞳が、終始キラキラきらきらしてて、びびった。
噂には聞いていたが、実感したことがなかった。
トップライトってほんとに瞳に星が入るんだ。
や、だって、トップになる人はみんなトップになるべく才能を持った人で、そんな人が瞳に星を輝かせていても当たり前っていうか、とーぜん過ぎて気にしてなかった。
しかし、地味だの暗いだの言われ続け、地味で暗くてナニが悪い、むしろそこがいいのよ!の我がご贔屓が、DC、青年館で主演するなりいきなり、瞳に星が輝いていた。
バウ主演のときはなかったよ……劇場小さすぎて、そんな効果は必要ないのか、まっつには不要と思われたのか。
今回はじめて、キラキラしていた。
びびるよ。
想像してみてよ、瞳に星が輝くまっつよ?! あああありえねー。
わたしは想像だにしたことなかったので、心底驚き、我が目を疑いました。
トップライトってすげえな……あのまっつが終始キラキラって……あのまっつが……。
DCでも青年館でも、等しく瞳キラキラでした。
渋い渋いBJ先生なんだけど、それでも瞳はキラキラ少女マンガ。
いろんな人と、「トップライトすげえな」という話をした……誰も「まっつ自身が瞳に星を浮かべている」「スターとしての新たなスキルを会得した」とは思ってなかった模様……まっつファン、シビアだわ……。
そしてもうひとつ、痛感したのはまっつの、鼻の高さ。
なにしろBJ先生、前髪のせいで顔が半分見えない。
マンガみたく、いつも同じ角度で喋ってくれればいいけど、なにしろ現実は三次元ですから。
マンガと同じ角度でいられるのは全体の3分の1以下。残り3分の2は顔が見えない。
坐った席によっては、マジでずーーっと顔が見えないんですよ。
ヤンさんとのトークショーはひどかったなー。
責任者出て来い!レベル(笑)。
まっつの前髪が右側だってわかっていながら、まっつをセンターに、ヤンさんを上手側に坐らせたの。
まっつはずーーっとヤンさんを見て喋るから、客席のほとんどからは前髪しか見えない。
上手端に坐っていたわずかな人しか、まっつの顔は見えなかった、という。
まっつセンターは仕方ないとしても、ヤンさんを下手側に坐らせてくれたら、なんの問題もなかったのに。
マンガと同じ角度の顔がずーっと見えただろうに。
大先輩を下座にできない、というなら、まっつセンターではなく、まっつとヤンさんを等しく真ん中に来るよう配置して、左手側がヤンさんなら良かったんだ。
下手側に坐っていた、司会のきゃびいからは「まっつの顔がまったく見えない」ことに気づいたと思うんだけどなあ。
席替えを提案してくれることなく、そんな声も出せないほど弱い立場なのか、だったらそんな立場の下級生に司会をやらせるなよとか、イベント運営側の配慮のなさにがっかりしました。
や、トーク自体は面白かったんだけどね。
まっつ、下級生モード全開で。なんかひとりできゃーきゃー喋りまくってたし。
それに比べ、青年館のアフタートークは、椅子の配置的にもまっつの顔が左右どっちにも動くため、問題なく眺められた。
……話す相手の方を向くってわかりきってるんだもん……。
とまあ、DCのトークショーほどひどい事態はなかったにしろ、舞台上でもまっつの顔が見えない時間はけっこうあって。
見えるのは、鼻先と唇のみ、ってのが、えんえん続いて。
いやあ、しみじみと、まっつってほんとに、マジで、整った顔立ちしてるんだなと、感じ入りました。
長い前髪からのぞいている鼻先から唇、アゴのラインが完璧すぎて。
その凹凸となめらかなラインが、アニメキャラ。
二次元だわ……三次元ぢゃないわ……。
わたし、まっつの鼻も好きなんだけど、唇も大好きなんだよね。
薄い唇と、噛み合わせ、唇の位置、アゴの形と唇の角度と盛り上がり……それらが、ベストポジション!!
顔見えないとき、ただひたすらぼーっと口元見てた。
どんだけきれいなん、と。
骨格の問題なんだろうなあ。
まっつの頭蓋骨って、すごくきれいなんだろう。
そこに載った肉……筋肉や脂肪も、理想的な厚みとカタチなんだろうなあ。
このブログのトップイラストは、大昔に描いたまっつさんの横顔なわけですが、唇描くのたのしかったよなあ、と改めて思い出した。
この唇の突き出しがね……萌えなんだよね……と(笑)。
まっつに必要なのは、前髪だ。
と、ベンヴォーリオ@『ロミジュリ』以来思ってまっつ。
前髪があるとこの人、耽美度跳ね上がるよね。
デコ全開の漢らしい潔さも好きですが(笑)。
ベン様の金髪も大概「テラ二次元!!」で心拍数上がりました。
BJ先生の白髪も、二次元ぶり半端ナイ。
美化しまくったマンガ@「月刊プリンセス」ですら、目元にシワを描かれてしまうまっつさん(大ウケした・笑)ですが、そんなまっつさんでありながら、アニメやマンガのごとき美貌!を形作ってしまうのですわ。
若けりゃいいってもんぢゃないもーん。
この磨き抜かれた美しさは、一朝一夕に出せるモノぢゃないのよ、と。
いやはや、ほんとにまっつ、きれいやな。
チケット運はなく、いっつも後ろだの隅っこだのでオペラグラスを必死にのぞく、そんな観劇でありましたが、それでも万遍なくたのしかったっす。
この公演で、しみじみ思ったこと。
トップライト、すげえええ!!
BJ@まっつの瞳が、終始キラキラきらきらしてて、びびった。
噂には聞いていたが、実感したことがなかった。
トップライトってほんとに瞳に星が入るんだ。
や、だって、トップになる人はみんなトップになるべく才能を持った人で、そんな人が瞳に星を輝かせていても当たり前っていうか、とーぜん過ぎて気にしてなかった。
しかし、地味だの暗いだの言われ続け、地味で暗くてナニが悪い、むしろそこがいいのよ!の我がご贔屓が、DC、青年館で主演するなりいきなり、瞳に星が輝いていた。
バウ主演のときはなかったよ……劇場小さすぎて、そんな効果は必要ないのか、まっつには不要と思われたのか。
今回はじめて、キラキラしていた。
びびるよ。
想像してみてよ、瞳に星が輝くまっつよ?! あああありえねー。
わたしは想像だにしたことなかったので、心底驚き、我が目を疑いました。
トップライトってすげえな……あのまっつが終始キラキラって……あのまっつが……。
DCでも青年館でも、等しく瞳キラキラでした。
渋い渋いBJ先生なんだけど、それでも瞳はキラキラ少女マンガ。
いろんな人と、「トップライトすげえな」という話をした……誰も「まっつ自身が瞳に星を浮かべている」「スターとしての新たなスキルを会得した」とは思ってなかった模様……まっつファン、シビアだわ……。
そしてもうひとつ、痛感したのはまっつの、鼻の高さ。
なにしろBJ先生、前髪のせいで顔が半分見えない。
マンガみたく、いつも同じ角度で喋ってくれればいいけど、なにしろ現実は三次元ですから。
マンガと同じ角度でいられるのは全体の3分の1以下。残り3分の2は顔が見えない。
坐った席によっては、マジでずーーっと顔が見えないんですよ。
ヤンさんとのトークショーはひどかったなー。
責任者出て来い!レベル(笑)。
まっつの前髪が右側だってわかっていながら、まっつをセンターに、ヤンさんを上手側に坐らせたの。
まっつはずーーっとヤンさんを見て喋るから、客席のほとんどからは前髪しか見えない。
上手端に坐っていたわずかな人しか、まっつの顔は見えなかった、という。
まっつセンターは仕方ないとしても、ヤンさんを下手側に坐らせてくれたら、なんの問題もなかったのに。
マンガと同じ角度の顔がずーっと見えただろうに。
大先輩を下座にできない、というなら、まっつセンターではなく、まっつとヤンさんを等しく真ん中に来るよう配置して、左手側がヤンさんなら良かったんだ。
下手側に坐っていた、司会のきゃびいからは「まっつの顔がまったく見えない」ことに気づいたと思うんだけどなあ。
席替えを提案してくれることなく、そんな声も出せないほど弱い立場なのか、だったらそんな立場の下級生に司会をやらせるなよとか、イベント運営側の配慮のなさにがっかりしました。
や、トーク自体は面白かったんだけどね。
まっつ、下級生モード全開で。なんかひとりできゃーきゃー喋りまくってたし。
それに比べ、青年館のアフタートークは、椅子の配置的にもまっつの顔が左右どっちにも動くため、問題なく眺められた。
……話す相手の方を向くってわかりきってるんだもん……。
とまあ、DCのトークショーほどひどい事態はなかったにしろ、舞台上でもまっつの顔が見えない時間はけっこうあって。
見えるのは、鼻先と唇のみ、ってのが、えんえん続いて。
いやあ、しみじみと、まっつってほんとに、マジで、整った顔立ちしてるんだなと、感じ入りました。
長い前髪からのぞいている鼻先から唇、アゴのラインが完璧すぎて。
その凹凸となめらかなラインが、アニメキャラ。
二次元だわ……三次元ぢゃないわ……。
わたし、まっつの鼻も好きなんだけど、唇も大好きなんだよね。
薄い唇と、噛み合わせ、唇の位置、アゴの形と唇の角度と盛り上がり……それらが、ベストポジション!!
顔見えないとき、ただひたすらぼーっと口元見てた。
どんだけきれいなん、と。
骨格の問題なんだろうなあ。
まっつの頭蓋骨って、すごくきれいなんだろう。
そこに載った肉……筋肉や脂肪も、理想的な厚みとカタチなんだろうなあ。
このブログのトップイラストは、大昔に描いたまっつさんの横顔なわけですが、唇描くのたのしかったよなあ、と改めて思い出した。
この唇の突き出しがね……萌えなんだよね……と(笑)。
まっつに必要なのは、前髪だ。
と、ベンヴォーリオ@『ロミジュリ』以来思ってまっつ。
前髪があるとこの人、耽美度跳ね上がるよね。
デコ全開の漢らしい潔さも好きですが(笑)。
ベン様の金髪も大概「テラ二次元!!」で心拍数上がりました。
BJ先生の白髪も、二次元ぶり半端ナイ。
美化しまくったマンガ@「月刊プリンセス」ですら、目元にシワを描かれてしまうまっつさん(大ウケした・笑)ですが、そんなまっつさんでありながら、アニメやマンガのごとき美貌!を形作ってしまうのですわ。
若けりゃいいってもんぢゃないもーん。
この磨き抜かれた美しさは、一朝一夕に出せるモノぢゃないのよ、と。
いやはや、ほんとにまっつ、きれいやな。
チケット運はなく、いっつも後ろだの隅っこだのでオペラグラスを必死にのぞく、そんな観劇でありましたが、それでも万遍なくたのしかったっす。
命の意味。@ブラック・ジャック 許されざる者への挽歌
2013年3月17日 タカラヅカ 未だに『ブラック・ジャック 許されざる者への挽歌』の話。
1幕ラスト、作品全体の中詰めにあたる、ショー場面が好きだ。
ほんっとに好きだ。
ある意味、いちばん好きだ。
この作品で、いちばん盛り上がるところだよね。
バイロン@ともみんが決意を歌う。
あきらめていた「今」を動かすことを誓う。
涙のきらめく頬をさらしたまま、アツく吠える。これぞ「夢乃聖夏!!」そのまんまに。
ともみんのこういうところが好き。
たとえ開くことない石の壁だとしても、その熱量で叩き割ってしまいそうなところ。
そう、信じてしまえそうなところ。
立ち上がれ。
その情熱が、奇跡を起こす。
そう信じられる、まっすぐなアツさ。その光。
ド演歌歌唱も相まって、アツいアツい。
ともみんの歌を受けて、BJ@まっつが歌う。
「♪めぐり会うそのことすら 小さな奇跡かもしれない」
まっつの歌う歌は、全部同じことの繰り返し。
全部で何曲歌ってたっけ? でも、ピノコへの歌と、テーマと、2種類しかないよな。
曲は違っても同じ内容なのな(笑)。「かわらぬ思い」も含めて。
ここで歌うのはテーマ曲の方。
「♪できることなど儚いけれど 自らをひたすら信じる」
まっつのテーマ曲で、唯一派手な曲調。
「攻め」な場面。
ともみんのソロから、このまっつのソロに移る流れ、ものすごく好き。
ともみんが下手へ去るのと入れ替わりに、BJの影たちが舞台に登場する。
影たちの一番奥、センターにいるのは影じゃない、BJ自身だ。
振り返り、歌い出す。
前へ、響く歌声。
BJの周囲で踊る影たち。
命とは、奇跡の名だ。
わたしたちは奇跡をくり返して、生きている。
この思い通りにならない世界で。
ちっぽけな拳を握り、ちっぽけな力を振り絞り。
それを、肯定する歌声。
そこから、ピノコへの語りかけになる。
バイロン侯爵の力を借りて、ピノコを救えるかもしれない、と。
背中を向けて坐っているのは、ピノコの影@ゆきのちゃん。
おだやかなやさしい歌声。
ちょい夢見がちな。
なにしろ「愛を信じている」BJ先生ですから。
力強い歌から、やさしい歌になり、次にまた、曲調が変わる。
さっきまでの激しいテーマソング。
生きる力を、命の肯定を歌ったその曲で、カイト@咲ちゃんが正反対の歌詞を歌う。
BJは下手に移動、中央奥にカイト登場。
カイトが絶望を歌う。
訳もなくオレは生きる……なんために?
激しい曲調、激しいコーラス。
カイトの叫びに、コーラスが呼応する。
上手にはエリ@あゆみちゃんも登場して、苛立ちに満ちたダンスを踊る。
波は高まり、寄せて返すように、カイトたちが移動したあと、さらに同じ演出でバイロン侯爵@ともみんがカイトのいた位置に登場する。
同じ曲。
バイロンは、諦念を歌う。
息を潜め、悠久の時を生きた……ひとりきり。
激しい曲調、激しいコーラス。
同じ曲なのに、何故ともみんひとり演歌なんだ、コブシ回るんだ(笑)……と、ツボに入りつつ、こちらも彼の叫びにコーラスが呼応する。
上手には、カテリーナ@せしこも登場して、惑乱に満ちたダンスを踊る。
その間、BJはずっと下手前で踊っていた。バックにいるのはゆめみさんだっけ。
カイト、そしてバイロン。
絶望と諦念の叫びを聴いていたBJが動く。
流れているのは、ずっと同じ曲。
そして、BJが歌うのは、いつも同じテーマだ。
生きろ。
絶望も諦念も当たり前にある、この世界で。
めぐり会いは奇跡。
命には限りがある。
それが答え。
それだけが、事実。
生きろ。
群衆たちを背に、BJがセンターに立つ。
声を上げる。
ただひとり。
生きろ、と。
命、を肯定する。
それを受けて、群衆が声を上げる。
テーマの合唱になる。
「♪いつか いつの日か 今ここに生きてこそ」
「かわらぬ思い」から一貫して変わらない、『BJ』のテーマ。
いや、正塚晴彦のテーマかもしれない。
カイトが、バイロンが、トラヴィスが山野が、みんなみんな、共に合唱する。
BJを中心に。
生きろ。
その合唱が、最高潮に達したとき、ぴたりと音が消える。
ざっと群衆が割れ、舞台奥にひとりの少女が立つ。
白い服に身を包んだ、華奢な少女。
たった今、この世界に生まれ出た少女。
パジャマのような、道化師のような衣装。
まん丸い、びっくり目。
無遠慮に無機質に、少女を凝視する人々を見回して、少女はたどたどしい足取りで、歩き出す。
生まれたばかりの雛のように。
そして、転ぶ。
前のめりにべちゃーっと倒れて、「わああああ」っと泣き出す。
赤ん坊は、何故生まれたときに泣くのか。
あたたかい母の胎内から、外気に触れることはつらいのだと、ショックなのだと、昔読んだ。
「生まれる」ことは、衝撃なんだ。つらいことなんだ。
だからまず、泣くんだ。悲鳴を上げるんだ。
だけど。
泣く少女を助け起こしもせず、ただ見下ろして、BJは言う。
「自分で起き上がるんだ。それが出来なければ、お前は一生倒れたままだぞ」
言葉を投げつけられ、少女は泣き止み、あがきはじめる。
不自由な手足を動かし、起き上がる。
BJは手助けしない。だけど、見守っている。
舞台奥へ立ち去る風にして、立ち止まって少女を見つめている。
起き上がった少女は叫ぶ。
「アッチョンブリケ!!」
ここで、暗転。
1幕終了。
初日はぽかーんだった。ものすごい空気だった。
しかし。
1幕のこの終わり方が、めちゃくちゃ好きだ。
ともみんの歌からはじまる作品の中詰め、1幕ラストまでの流れ。
テーマソングと人の流れ、ダンス。
どれも秀逸。
血が沸き立つ。
テーマソング1曲の中で、カイトやバイロンの「アンチテーマ」も含まれてるんだもん。
そして、それらをも内包し、超越し、揺るがない、BJの歌声。
彼は一貫して揺らがない。
ただ、テーマを歌い続ける。
もー、大好きだ、ここ。
この場面だけでもハードリピートOKっすよ。
わくわくわくっ。
物語のテーマが全部きゅっとこの数分間に詰め込まれてる。
ぶっちゃけ、ここだけで作品全部成立する勢い(笑)。
正塚せんせのショーパートでいいと思うこと、ほとんどないんだけど、久しぶりにキタわー。
『二人だけの戦場』のイチロ・トド・たかこの歌い継ぎ以来かもしれない。(ってそれ何年前)
1幕ラスト、作品全体の中詰めにあたる、ショー場面が好きだ。
ほんっとに好きだ。
ある意味、いちばん好きだ。
この作品で、いちばん盛り上がるところだよね。
バイロン@ともみんが決意を歌う。
あきらめていた「今」を動かすことを誓う。
涙のきらめく頬をさらしたまま、アツく吠える。これぞ「夢乃聖夏!!」そのまんまに。
ともみんのこういうところが好き。
たとえ開くことない石の壁だとしても、その熱量で叩き割ってしまいそうなところ。
そう、信じてしまえそうなところ。
立ち上がれ。
その情熱が、奇跡を起こす。
そう信じられる、まっすぐなアツさ。その光。
ド演歌歌唱も相まって、アツいアツい。
ともみんの歌を受けて、BJ@まっつが歌う。
「♪めぐり会うそのことすら 小さな奇跡かもしれない」
まっつの歌う歌は、全部同じことの繰り返し。
全部で何曲歌ってたっけ? でも、ピノコへの歌と、テーマと、2種類しかないよな。
曲は違っても同じ内容なのな(笑)。「かわらぬ思い」も含めて。
ここで歌うのはテーマ曲の方。
「♪できることなど儚いけれど 自らをひたすら信じる」
まっつのテーマ曲で、唯一派手な曲調。
「攻め」な場面。
ともみんのソロから、このまっつのソロに移る流れ、ものすごく好き。
ともみんが下手へ去るのと入れ替わりに、BJの影たちが舞台に登場する。
影たちの一番奥、センターにいるのは影じゃない、BJ自身だ。
振り返り、歌い出す。
前へ、響く歌声。
BJの周囲で踊る影たち。
命とは、奇跡の名だ。
わたしたちは奇跡をくり返して、生きている。
この思い通りにならない世界で。
ちっぽけな拳を握り、ちっぽけな力を振り絞り。
それを、肯定する歌声。
そこから、ピノコへの語りかけになる。
バイロン侯爵の力を借りて、ピノコを救えるかもしれない、と。
背中を向けて坐っているのは、ピノコの影@ゆきのちゃん。
おだやかなやさしい歌声。
ちょい夢見がちな。
なにしろ「愛を信じている」BJ先生ですから。
力強い歌から、やさしい歌になり、次にまた、曲調が変わる。
さっきまでの激しいテーマソング。
生きる力を、命の肯定を歌ったその曲で、カイト@咲ちゃんが正反対の歌詞を歌う。
BJは下手に移動、中央奥にカイト登場。
カイトが絶望を歌う。
訳もなくオレは生きる……なんために?
激しい曲調、激しいコーラス。
カイトの叫びに、コーラスが呼応する。
上手にはエリ@あゆみちゃんも登場して、苛立ちに満ちたダンスを踊る。
波は高まり、寄せて返すように、カイトたちが移動したあと、さらに同じ演出でバイロン侯爵@ともみんがカイトのいた位置に登場する。
同じ曲。
バイロンは、諦念を歌う。
息を潜め、悠久の時を生きた……ひとりきり。
激しい曲調、激しいコーラス。
同じ曲なのに、何故ともみんひとり演歌なんだ、コブシ回るんだ(笑)……と、ツボに入りつつ、こちらも彼の叫びにコーラスが呼応する。
上手には、カテリーナ@せしこも登場して、惑乱に満ちたダンスを踊る。
その間、BJはずっと下手前で踊っていた。バックにいるのはゆめみさんだっけ。
カイト、そしてバイロン。
絶望と諦念の叫びを聴いていたBJが動く。
流れているのは、ずっと同じ曲。
そして、BJが歌うのは、いつも同じテーマだ。
生きろ。
絶望も諦念も当たり前にある、この世界で。
めぐり会いは奇跡。
命には限りがある。
それが答え。
それだけが、事実。
生きろ。
群衆たちを背に、BJがセンターに立つ。
声を上げる。
ただひとり。
生きろ、と。
命、を肯定する。
それを受けて、群衆が声を上げる。
テーマの合唱になる。
「♪いつか いつの日か 今ここに生きてこそ」
「かわらぬ思い」から一貫して変わらない、『BJ』のテーマ。
いや、正塚晴彦のテーマかもしれない。
カイトが、バイロンが、トラヴィスが山野が、みんなみんな、共に合唱する。
BJを中心に。
生きろ。
その合唱が、最高潮に達したとき、ぴたりと音が消える。
ざっと群衆が割れ、舞台奥にひとりの少女が立つ。
白い服に身を包んだ、華奢な少女。
たった今、この世界に生まれ出た少女。
パジャマのような、道化師のような衣装。
まん丸い、びっくり目。
無遠慮に無機質に、少女を凝視する人々を見回して、少女はたどたどしい足取りで、歩き出す。
生まれたばかりの雛のように。
そして、転ぶ。
前のめりにべちゃーっと倒れて、「わああああ」っと泣き出す。
赤ん坊は、何故生まれたときに泣くのか。
あたたかい母の胎内から、外気に触れることはつらいのだと、ショックなのだと、昔読んだ。
「生まれる」ことは、衝撃なんだ。つらいことなんだ。
だからまず、泣くんだ。悲鳴を上げるんだ。
だけど。
泣く少女を助け起こしもせず、ただ見下ろして、BJは言う。
「自分で起き上がるんだ。それが出来なければ、お前は一生倒れたままだぞ」
言葉を投げつけられ、少女は泣き止み、あがきはじめる。
不自由な手足を動かし、起き上がる。
BJは手助けしない。だけど、見守っている。
舞台奥へ立ち去る風にして、立ち止まって少女を見つめている。
起き上がった少女は叫ぶ。
「アッチョンブリケ!!」
ここで、暗転。
1幕終了。
初日はぽかーんだった。ものすごい空気だった。
しかし。
1幕のこの終わり方が、めちゃくちゃ好きだ。
ともみんの歌からはじまる作品の中詰め、1幕ラストまでの流れ。
テーマソングと人の流れ、ダンス。
どれも秀逸。
血が沸き立つ。
テーマソング1曲の中で、カイトやバイロンの「アンチテーマ」も含まれてるんだもん。
そして、それらをも内包し、超越し、揺るがない、BJの歌声。
彼は一貫して揺らがない。
ただ、テーマを歌い続ける。
もー、大好きだ、ここ。
この場面だけでもハードリピートOKっすよ。
わくわくわくっ。
物語のテーマが全部きゅっとこの数分間に詰め込まれてる。
ぶっちゃけ、ここだけで作品全部成立する勢い(笑)。
正塚せんせのショーパートでいいと思うこと、ほとんどないんだけど、久しぶりにキタわー。
『二人だけの戦場』のイチロ・トド・たかこの歌い継ぎ以来かもしれない。(ってそれ何年前)
彼は、愛を信じてる。@ブラック・ジャック 許されざる者への挽歌
2013年3月16日 タカラヅカ 未だに『ブラック・ジャック 許されざる者への挽歌』の話。
1幕後半、バイロン@ともみんが秘密を打ち明けるに至る場面。
BJ@まっつが無表情に電話を切るところから、バイロン城での場面がスタート。
ガートルード@るりるりの慇懃さがおかしい。よどみなく発せられる感情のない声と人形のような無表情……。「おそれいります(一礼)」がものすごく好きだ(笑)。
キレたBJとガートルードの攻防は、BJの台詞の投げっぱなし感が諸刃の剣かなと思う。
ぶっちゃけ、もっと「笑わせる」ことはできると思うの。
BJが大袈裟に演じれば。
でもあの人、すごく地味よね(笑)。
ガートルードの「戦闘ポーズ」だけが派手。BJの「帰る」パフォーマンスは地味にぼそぼそ言い過ぎ。舞台中央にバイロン侯爵@ともみんが登場しているから、余計に観客の意識が「どこを見よう?」と散漫になっているところだから、ぼそぼそしているだけだと弱い。
毎回、「もっと派手に言い合えばいいのに」と思った。せっかく面白いやりとりなのに、100%発揮できてない。
……でも、その「笑いに走ってない」リアルなやり取りがいい、とも思う。
ここでどっかんと笑わせる気は、ないんだよなあ。
バイロンさんが出てくると、何故かいつもミュージカルになる。
自分が「普通じゃない」存在であること、「人間の10倍ほども長い寿命を持つ」存在であることを打ち明ける。
荒唐無稽な話だが、実際にそのカラダを手術したBJは、「たしかに化けもんだよなー」と納得する。
内臓かなり切り刻んであるのに、もう歩いてるわけですから。
時間経過がよくわかんないけど、BJが誘拐されて3日くらいなんだよね?
1日目・誘拐実行、BJを日本からヨーロッパへ。自家用ジェットでぶーん。
2日目・BJが五条さん@きゃびいに電話。誘拐されちゃったから、その間ピノコを頼む。バイロンさん、BJを脅迫・説得。
3日目・手術。(日本では、カイト@咲ちゃんがヤクザ@レオくんに金を渡している)
4日目・BJがトラヴィス@ホタテに電話。「発信機のスイッチは3日間入れっぱなし」。バイロンから秘密を打ち明けられる。BJ、日本へ向かう。(日本では、カイトがヤクザの事務所を訪問)
5日目・BJ帰国。
てなタイムテーブルかな。
BJが発信機のスイッチを入れたのは、1日目の夜か2日目になってからだろうから、「3日間入れっぱなし」という表現になる。
手術の翌日に、歩き回ってるんじゃ、そりゃBJも驚くわ。
そして、バイロンさんがすごいのはそれだけじゃない。
話しているその間にも、どんどん回復している。
椅子から落ちるわ、最後は自分ひとりで立つわ……。
ともみん、すげー。
バイロンがすごいというより、ともみんがすごいになる(笑)。
ともみんならそりゃそうだろう、というか。
ともみんのタンパク質ならそりゃあびしばし回復して、ガシガシ増えていくんだろう。老化するヒマもなく、うおおおとかぐごごごとか擬音を発しつつ、アツくアツく回転しているのだろう。(根拠なし)
ちょっとしたツボは、椅子から落ちたともみんを抱え上げるまっつが、めちゃくちゃ重そうなことです(笑)。
逆はあんなに軽々だったのに。
まっつにともみんは抱えられないよなああ。
バケモノ語りはともかくとして。
びっくりするのは、BJ先生が、当たり前に愛を信じていることです。
ただの愛じゃないですよ?
「オレ、人間じゃないんだけど、人間の女の子に愛してもらえるかなー。無理だよなー」という相手に対して「なんの不思議もない。ちゃんと愛を説明すれば、わかってくれる」と言い切っちゃう。
いやいやいや、相手バケモノだよ?
ふつーの男と女でも、うまくいくかどうかは微妙なのに、育った国や環境が違ったら難しいのに、化けもん相手に、「なんの不思議もない」って……。
BJ先生……どんだけロマンチスト……。
もしくは、無責任……(笑)。
てきとーなキレイゴト並べてるよーに見えますよ……。
いや、BJ先生が本気で語ってるのはわかります。
わかるから、驚く。
え、そうなの、と。
BJ先生にとっては、「ごめん、オレ実は人間じゃないんだ」と恋人に打ち明けられるのは、なんの障害にもならない、あったりまえの許容範囲なんだ。
BJ先生なら、同じことを言われても、ドン引きしないんだ。
愛さえあれば、平気なんだ。
もしくは、そう信じているんだ。
実際に同じ立場になって同じことが言えるのかはともかくとして、今この段階では、そう言うつもりでいるんだ。
愛を信じられる、キミが愛しい。
なんかしみじみと、そう思う。
「愛の力を信じてる」……そんな陳腐な、恥ずかしいこと。
それを真顔で言っちゃう人なんだ。
すごい熱量で大泣きしながら言うバイロンさんと違って。
BJ先生は、眉根を寄せただけの顔で、ふつーの声音で、言っちゃうんだ。
そんなBJ先生が、愛しい。
で、BJ先生が言う言葉は、「バイロンさん自身が言って欲しかったこと」。
バイロンさんがはっとするのは、BJの言葉に対してではなく、自分の心に対して。
もうすでにあった……最初からあった答えを、BJが声に出した。
BJは、バイロンさんの肩を押しただけ。
真理を説いたわけでも謎を明かしたわけでもない。
それでも、バイロンさんにとっては恩人なんだ。
手術のことだけでなくて。
……そんな心理につけ込み、金の代わりにカラダを要求するBJ、悪。
ピノコには筋肉とか皮膚とか足りないんでしたっけ。
それをバイロンさんからいただこうと。
「歩いている」ことが不思議なくらいの重傷人相手に、どんだけ鬼畜。
バイロンさんの回復を待ってられないので、BJは先に帰って手術の準備。
バイロンさんは自力で立って、吠えるように歌い出す……んだもの、ほんと不死身だ(笑)。
1幕後半、バイロン@ともみんが秘密を打ち明けるに至る場面。
BJ@まっつが無表情に電話を切るところから、バイロン城での場面がスタート。
ガートルード@るりるりの慇懃さがおかしい。よどみなく発せられる感情のない声と人形のような無表情……。「おそれいります(一礼)」がものすごく好きだ(笑)。
キレたBJとガートルードの攻防は、BJの台詞の投げっぱなし感が諸刃の剣かなと思う。
ぶっちゃけ、もっと「笑わせる」ことはできると思うの。
BJが大袈裟に演じれば。
でもあの人、すごく地味よね(笑)。
ガートルードの「戦闘ポーズ」だけが派手。BJの「帰る」パフォーマンスは地味にぼそぼそ言い過ぎ。舞台中央にバイロン侯爵@ともみんが登場しているから、余計に観客の意識が「どこを見よう?」と散漫になっているところだから、ぼそぼそしているだけだと弱い。
毎回、「もっと派手に言い合えばいいのに」と思った。せっかく面白いやりとりなのに、100%発揮できてない。
……でも、その「笑いに走ってない」リアルなやり取りがいい、とも思う。
ここでどっかんと笑わせる気は、ないんだよなあ。
バイロンさんが出てくると、何故かいつもミュージカルになる。
自分が「普通じゃない」存在であること、「人間の10倍ほども長い寿命を持つ」存在であることを打ち明ける。
荒唐無稽な話だが、実際にそのカラダを手術したBJは、「たしかに化けもんだよなー」と納得する。
内臓かなり切り刻んであるのに、もう歩いてるわけですから。
時間経過がよくわかんないけど、BJが誘拐されて3日くらいなんだよね?
1日目・誘拐実行、BJを日本からヨーロッパへ。自家用ジェットでぶーん。
2日目・BJが五条さん@きゃびいに電話。誘拐されちゃったから、その間ピノコを頼む。バイロンさん、BJを脅迫・説得。
3日目・手術。(日本では、カイト@咲ちゃんがヤクザ@レオくんに金を渡している)
4日目・BJがトラヴィス@ホタテに電話。「発信機のスイッチは3日間入れっぱなし」。バイロンから秘密を打ち明けられる。BJ、日本へ向かう。(日本では、カイトがヤクザの事務所を訪問)
5日目・BJ帰国。
てなタイムテーブルかな。
BJが発信機のスイッチを入れたのは、1日目の夜か2日目になってからだろうから、「3日間入れっぱなし」という表現になる。
手術の翌日に、歩き回ってるんじゃ、そりゃBJも驚くわ。
そして、バイロンさんがすごいのはそれだけじゃない。
話しているその間にも、どんどん回復している。
椅子から落ちるわ、最後は自分ひとりで立つわ……。
ともみん、すげー。
バイロンがすごいというより、ともみんがすごいになる(笑)。
ともみんならそりゃそうだろう、というか。
ともみんのタンパク質ならそりゃあびしばし回復して、ガシガシ増えていくんだろう。老化するヒマもなく、うおおおとかぐごごごとか擬音を発しつつ、アツくアツく回転しているのだろう。(根拠なし)
ちょっとしたツボは、椅子から落ちたともみんを抱え上げるまっつが、めちゃくちゃ重そうなことです(笑)。
逆はあんなに軽々だったのに。
まっつにともみんは抱えられないよなああ。
バケモノ語りはともかくとして。
びっくりするのは、BJ先生が、当たり前に愛を信じていることです。
ただの愛じゃないですよ?
「オレ、人間じゃないんだけど、人間の女の子に愛してもらえるかなー。無理だよなー」という相手に対して「なんの不思議もない。ちゃんと愛を説明すれば、わかってくれる」と言い切っちゃう。
いやいやいや、相手バケモノだよ?
ふつーの男と女でも、うまくいくかどうかは微妙なのに、育った国や環境が違ったら難しいのに、化けもん相手に、「なんの不思議もない」って……。
BJ先生……どんだけロマンチスト……。
もしくは、無責任……(笑)。
てきとーなキレイゴト並べてるよーに見えますよ……。
いや、BJ先生が本気で語ってるのはわかります。
わかるから、驚く。
え、そうなの、と。
BJ先生にとっては、「ごめん、オレ実は人間じゃないんだ」と恋人に打ち明けられるのは、なんの障害にもならない、あったりまえの許容範囲なんだ。
BJ先生なら、同じことを言われても、ドン引きしないんだ。
愛さえあれば、平気なんだ。
もしくは、そう信じているんだ。
実際に同じ立場になって同じことが言えるのかはともかくとして、今この段階では、そう言うつもりでいるんだ。
愛を信じられる、キミが愛しい。
なんかしみじみと、そう思う。
「愛の力を信じてる」……そんな陳腐な、恥ずかしいこと。
それを真顔で言っちゃう人なんだ。
すごい熱量で大泣きしながら言うバイロンさんと違って。
BJ先生は、眉根を寄せただけの顔で、ふつーの声音で、言っちゃうんだ。
そんなBJ先生が、愛しい。
で、BJ先生が言う言葉は、「バイロンさん自身が言って欲しかったこと」。
バイロンさんがはっとするのは、BJの言葉に対してではなく、自分の心に対して。
もうすでにあった……最初からあった答えを、BJが声に出した。
BJは、バイロンさんの肩を押しただけ。
真理を説いたわけでも謎を明かしたわけでもない。
それでも、バイロンさんにとっては恩人なんだ。
手術のことだけでなくて。
……そんな心理につけ込み、金の代わりにカラダを要求するBJ、悪。
ピノコには筋肉とか皮膚とか足りないんでしたっけ。
それをバイロンさんからいただこうと。
「歩いている」ことが不思議なくらいの重傷人相手に、どんだけ鬼畜。
バイロンさんの回復を待ってられないので、BJは先に帰って手術の準備。
バイロンさんは自力で立って、吠えるように歌い出す……んだもの、ほんと不死身だ(笑)。