『ドン・カルロス』の公演たけなわ、ブログもソレ語りでみっちり、なんだけど、遠く年末から書きたくて書ききれずにいた『Samourai』の杏奈ちゃんの役についての感想。
 3月4日欄http://koala.diarynote.jp/201204151130138951/からの続き。

 杏奈ちゃんが演じるのはレティシア。
 コメディフランセーズの女優で、KYでうるさいバカ女。ヒモのジャン・ルイに貢いで追いかけ回す日常。
 だけどそのジャン・ルイは、パリを守るために戦死してしまった。

 あれほど盛大に泣き崩れていたレティシア、2幕では力強く復活していて、「ジャン・ルイの意志を継ぐ」って、自分が市民兵に参加する。他の女たちと一緒に。
 レティがいても、ぶっちゃけ役に立ちそうにないんだけど……(笑)。

 女子どもまでもが戦う戦争ほど、悲惨なものはない。
 勇ましく武器を取って集まって来た女たちだけど、彼女たちはみな虫けらみたいに皆殺しになる。
 その様があまりに痛々しく、この作品がヅカファンから敬遠される理由の一端になっていると思う……。

 レティシアも、もれなく殺される。
 なんのドラマも見せ場もなく、十把一絡げに皆殺し。その場にいた女たち全員、あっけなく。
 皆殺しの谷、本領発揮。

 もう誰が誰だとか、どんなキャラでどんなドラマが、とか、演出家自身わかってねーんじゃ?ってくらい、もう少し書きようがあるだろうに、ばっさばっさ殺していく。
 気を遣って売り出さなきゃならない新進スターの咲ちゃん演じるガスパールだって、姉のブランシェ@リサリサが戦死しているのに無反応だし。なにかしら反応させてあげた方が、物語的にも劇団的にもオイシイんじゃないの?
 谷せんせは基本、「英雄に女は不要」で、女にも恋愛にも興味がない。男が男の腕の中で死んでいくのはすごい鼻息で本腰入れて描くけど、女が死のうがどうしようが萌えにつながらない人だ。
 おかげで女たちはみんな犬死に。

 そんな扱いの女たち。
 全員まとめて一気に出てきて、一気に死にました。はい終了。
 そんななかで。
 杏奈ちゃんが、芝居をしていた。
 マイクは特に入ってないと思う。ライトも特別に当たっているわけでもない。
 ただのモブにしか過ぎない扱いだ。
 だけど彼女は、「レティシア」という役を、完遂した。

「ジャン・ルイ……」とつぶやいて、息絶えた。

 戦争がはじまってからは、レティシアもブランシェも固有名詞なんかなくなったみたいにモブ扱いなのに。役名「パリ市民(女)」ぐらいの扱いなのに。
 もちろん、ジャン・ルイの名前も出てないのに。
 もうそんな名前も、コメディフランセーズの女優役のことも、谷せんせも観客も忘れていそうなのに。

 それでも、彼女はレティシアだった。
 愛する男の意志を継いで銃を取った女だった。
 だから。
 息絶える最後の瞬間、呼ぶんだ。
 愛する男の名を。

 …………泣いた。

 最初から最後まで、アホっぽい女だった。KYというか浮き足立っているというか、現実味のない女だった。がちゃがちゃうるさいし、台詞棒読みだし。
 そのアホっぽさ、足りていなさが、リアルだった。
 歴史の陰に、本当にいそうだ。権力者たちがいいようにしている中、利用されて、なにもわからないまま無力に殺されていく一市民。
 そんなモブでしかない女だけど、彼女には人生があった。ドラマがあった。確実に。彼女自身のドラマが。

 権力者たちや、小説や映画になるような華々しい人々たちから見れば、名前もない「パリ市民(女)」だけど、彼女は精一杯生きた。
 自分で決めて自分で生きて、前へ向かいながら、力尽きて倒れた。
 すごい、人生だ。すごい、ドラマだ。

 泣かされたって。
 ルーシーちゃんなのに!!

 2回目に観たときは、さらにマイクに声が入ってなかったから、脚本にはない台詞なんじゃないかと思う。
 最後の「ジャン・ルイ……」の台詞。

 杏奈ちゃんは芝居はうまくない。ぶっちゃけ大根だ。
 だけど彼女は舞台人であり、タカラジェンヌだ。
 ファンタジーを作る人だ。

 『Samourai』では、花帆杏奈の作る「ファンタジー」に、泣かされた。
 新人公演『ドン・カルロス』、感想の続き。これでラスト。

 ルイ・ゴメス@まなはるに、まなはるの、まなはるらしさを見た。

 えー、ルイ・ゴメス・デ・シルバです。カルロス@翔くんの教育係のおじいちゃんです。
 じじい役でも姿勢すっきり美形おっさんが基本のこの舞台で、唯一腰の曲がったおじーちゃん役です。
 愛嬌のある、かわいいおじいちゃんです。
 この役を、まなはるくんがそりゃーもう楽しそうに、チャーミングに演じていました。

 ……まなはる……。
 前回の新公『仮面の男』で、あんだけ不自由な様子で舞台に立っていたのに。
 ドシリアス二枚目役だと自爆して、今回のような愉快なじじい役だと、生き生きしまくるのか。
 まなはるって、ほんとにまなはるだなあ……。胸熱。


 アルバ公爵@ザッキーが、美形。
 ヒゲ似合うってば。
 顔芸は相変わらず濃いんだけど、今回役が抑えた役なので、二枚目ぶりが際立つ。

 フアン@咲ちゃんは、余裕だなと。
 まっすぐな若者役って、咲ちゃん的には引き出しの中だけで余裕で演じられてしまう役じゃないか?
 あまりに易々しすぎていて、かえって目立たなかった印象。
 しかし咲ちゃん、きれいになったね。

 んで、カルロスの友人たちのメインどころにナニ気に混ざっている、フェルディナンド@真地くん。
 いやあ、美形だねー。
 同期の橘くんの方がいろいろうまいと思うんだが、美形度でいうと真地くんだなあ。
 うまいヘタを述べる以前かなあ、この役じゃあ。大してナニもしてないもんなあ。それでも、友人たちの中ではまだ、目立つ役。
 喋っても歌っても、椅子からずり落ちるほどヘタではなかったので、学年的に及第点か。
 本公演芝居でも、ショーでも、さりげなくいい位置にいるので、これから出てくるのかな。美形ってのは才能ですから。

 ハイメ@翼くんは、代役やってた本公演でかなり注目したあとなので、新公はあんまし見なかった……。

 んで、友人ズで目を引く美形がいると思ったら、まさかのりーしゃ。
 なんでまさかというと、なんつーんだ、本当なら新公卒業しているはずの91期がよりによって「若者役」をしているとは、思ってなくて(笑)。91期が出ているのは知っていても、「ソコ?!」とウケた。
 もちろんりーしゃは美形だし、貴族の若者でいいんだけど……他の役の子たちと比べ、学年が……。
 いや、豪華衣装を着るりーしゃは眼福だからいい(笑)。

 アレハンドロ@イリヤくん、声がいいときとそうでないときがある。いい方の声で安定してくれるといいなー。前回新公よりうまくなってる……けど、役的にしどころがないので、あまり印象に残らず。

 つか、やっぱ友人たちは一度に出てきてわさわさーっとやっているので、個別認識しにくいし、誰が誰だかわかんないなあ。
 衣装もおぼえにくい色なんだよねえ。だから、誰が誰の役をやっているか、いまいち理解せずに見てしまったわたし……。

 ヲヅキ-咲ちゃん、翔くん-イリヤくん、せしる-りーしゃ、まなはる-橘くん、咲ちゃん-真地くん、あすくん-桜路くん、レオくん-永久輝くん、かなとくん-翼くんか……。
 いやほんと、8人は多いよ!!
 単純に、見切れない、わけわかんない……。


 トレド大主教@央雅くんもかっこよかったー。おっさん芝居がどんどんうまくなるね。

 あ、ハウルはとってもハウルでした(笑)。

 意外に侍従@空波くんがうまかった。
 前回の新公でいいと思った記憶がなかったので、顔は見えなかったけれどしっかりした台詞回しに感心した。


 役というほど役はなく、モブのみなさんはとにかく大勢で登場するので、役割が被っている子も多かったんじゃないかと。
 ハンドダンスとか、わざわざ別のパートで新公バージョンの練習とか、大変だなと思う。
 それでもきらきらした笑顔で、全霊をあげてこなしちゃうんだから、タカラジェンヌってすばらしい。


 新公の演出の変化は、教会場面にカルロスの友人たちも登場、一緒になって机を叩いてた(笑)。
 本役たちでも見てみたいと思ったさ……ええ、ぶっちゃけ、ヲヅキさんが(笑)。あのかわいい振付を、真顔でしれっとやって欲しい……。

 それと、フェリペ二世の台詞が増えてた。
 何故? 別になくてもかまわないだろう、説明台詞。兆しと仄めかしの間を取り持つ解説が必要だと、新公担当演出家が判断したのか?


 ところでわたし、みみちゃんの男装見てません。
 つか、みみちゃんが出演していると思ってなかった。
 その思い込みか、目には映っていたのに、それがみみちゃんだと思わずスルー。くやし~~。

 反対に、あゆっちはどこにいてもわかる。
 同じよーにおばーちゃんやっていて、「おばーちゃんがふたりだー、かわいー」と思っても、あゆっちに目が釘付けになる。
 やっぱ華やかだよなあ、あゆっち。
 新人公演『ドン・カルロス』の感想、主役あたりの話。

 カルロス@翔くんをひとことで言うと、幼かった。

 若々しいのではなく、幼い。
 カルロスがいくつの設定なのか知らないが、カラダの年齢よりも精神年齢の低い青年に見えた。
 純粋培養のおぼっちゃまだから、世間知らずなんだろう。
 本公演のカルロスが痛々しくも「人間」であるのに対し、新公カルロスは「天使」に見えた。

 カルロスが傷ついているとしたら、それは幼いためであり、同時に、傷つかずにすんでいるのも幼いためだ。
 だからあまり、可哀想には見えなかった。彼が年相応の大人に成長すれば済むような問題に、つまずいているように見えたから。

 家族の関係、問題はとてもシンプルなものに見えた。
 フェリペ二世@ホタテはまともな大人で、ふつうの人だ。歪んでもないし、繊細すぎるわけでもない。話せばわかる人だし、話したいと思っている人だ。
 カルロスは幼く、話すきっかけや機会を得られないだけ。
 この親子はほんとーに、ただボタンがかけ違っているだけに思える。

 カルロスは父と和解することで、なにかしら成長したのだろうか。
 天使のまま、子どものままのよーな……。

 フェリペ二世が最後、カルロスに旅を許したのは、幼い息子に大人になる機会を与えようとしたのかもしれない。


 で、この天使の恋人、レオノール@あんりちゃん、だけど……。

 レオノールが聡明で快活な女の子なのは、脚本がそうだからってわけじゃ、ないんだなあ。
 同じ脚本・演出であるはずなのに、新公レオノールは聡明でも快活でもなかった。
 おとなしいというよりは……鈍重な女の子に見えた。
 心の動きが鈍いというか。
 こちらも、幼い、ということなのかなあ。子どもだから自我が固まっていないのか。

 このカルロスとレオノールを旅に出すのは、すごく心配(笑)。


 翔くんもあんりちゃんも、よーするにあまりうまくない人たちだ。
 学年相応? いや、抜擢されたのが同期の路線の子たちより遅い分、成長が遅いだけかもしれない。

 んで、同じように「あまりうまくない」ならば、熱量のある方が良く見えるんだな。

 翔くんのがむしゃら感、出来ないことをぶっ飛ばす勢いの「やる気っ!」ぷりは、彼の魅力を底上げしている(笑)。
 『灼熱の彼方』でもそうだったけど、彼があんまり高温で空回っているので、それに巻き込まれて「なんか、それなりに良かったかも?」と思わせてしまう、という。
 んで、その『灼熱の彼方』がものすごかったせいで、翔くんに関してはナニを見ても「うまくなった!」と思える(笑)。
 誰もが合言葉のように言う、「『灼熱の彼方』のときより、うまくなった(笑)」……語尾の(笑)付きで。「あのときは、どうしようかと思ったけど」とか、後ろに続くのも特徴(笑)。
 劇団は翔くんを短期間で鍛えようとしているみたいだし、その期待に応えていってほしい。

 翔くんと対照的なのが、あんりちゃん。
 実力的には似たよーなものかもしれないが、彼女はどうも温度が低い。クールなのではなく、いろんなところが「鈍い」。

 彼女の芝居は、スポンジの床にボールを投げたような感覚だ。
 床にボールを落とすと、ぽーんと跳ね返ってくるよね、ふつうは。確かめるまでもない常識としての思い込みがある。だから床に落ちたボールが跳ね返らず、そのままずぶずぶと床に沈んでいくと「あれっ?」となる。受け取るつもりでいた手が空振りして、おっとと、となる。
 なんで跳ね返らず、沈み込むんだろう? 帰ってこないボールを待って、首を傾げる。

 沈み込むまで行かなくても、通常の高さ、このボールをこの高さから落としたら、ここまで跳ね返ってくるだろう、というところまで、跳ねてくれない。
 だからやっぱり、あれれ?となる。

 内側にあるモノを、出すことが苦手なんだろうか。しかし、役者なわけだから、出して、表現してもらわないと、困るんだがなあ。
 本公演でモブをやっているときとか、ショーで生き生き踊っているときに、その鈍さは感じない。つか、いろいろぱぁーっと表現してくれてるじゃん。
 なのになんで、大きな役が付くと鈍くなっちゃうんだ? 内側にこもっちゃうんだ?
 「喋る」ことが苦手なのかなあ? 歌も苦手っぽいけど、「声に出して表現する」ことに苦手意識でもあるのかなあ?
 本公演を観る限り、レオノールはけなげでかわいい、いい役だ。若さや幼さを武器に演じることもできる、若手向きの役だ。その役の良さを表現できないのは、もったいない。
 娘役らしいかわいらしい容姿を持っているんだ、実力面でも是非容姿に追いついてくれ~~。 


 設定年齢より子どもっぽかった主人公たちと対照的に、大人びていたのはイサベル@桃ちゃん。
 カルロスとひとつ違い、という設定だけど、余裕で「カルロスの父の妻」に見える。
 気品あふれる美しさで、安定した芝居。「王妃」であること、「フランス王家から嫁いできた姫君」ってのが、納得できる。

 ただ、とても聡明な女性に見えて、お子ちゃまのカルロスに恋愛相談(違)するのは、違和感……。OLのおねーさんが、チェリーな高校生男子に相談することぢゃないよ的な。

 最初から最後までかっこいい系の女性で、異端審問で異議を唱える姿がすげーかっこよかった。
 フェリペ二世、ちゃんと彼女をかまってやれよ……いい女じゃん……。

 本役のイサベルは、なんつーかこう、優柔不断でうだうだしてばかりで、見ていて「イラッとする」感じがあるので、旦那に置き去りにされていても仕方ない的なところがある。(そして、そんなイサベルが劇的に変わることで、クライマックスが盛り上がるわけだ)
 桃ちゃんイサベルは、脚本上にあるイサベル像とは違うかもしれないけど、「王妃」という点ではとても説得力があった。
 あとは、カルロスやフェリペ二世に合うキャラクタかどうか、だよなあ。いやその、カルロスが幼すぎるのは本来のキャラのあるべき姿ゆえではなく、役者の力不足から来ているわけだから、他人がそれに合わせるのは難しいかもしんないけどなー。


 フアナ@さらちゃんは……かわいいなー、やわらかいなー。
 ふわふわのお姫様がそのまま大人になった感じ? 臣下たちに傅かれて登場しても、「威厳」というよりは、「慈愛」を感じた。
 カルロスの「母」なんだろうなあ。
 このやさしい女性のもとで、あのおぼっちゃまは育ったわけだ、と。
 あえて少女っぽい役作りにしたのか、結果的にそうなってしまったのか。


 女の子の役はこんなものか。ヒロイン含めて4人も大きな役があるのは、良いことだよね。……って、問題は、それ以外にまったく役がないという極端さか。
 女官や公女は十把一絡げ、芝居がうまいも悪いも判別つかないよー。

 あ、「心から心へ」の冒頭アカペラソロ、ありちゃんうまかった。
 かなとくん、間に合ってよかったー。

 新人公演『ドン・カルロス』、休演していたかなとくんも無事出演。

 てことで、異端審問長官が、美形で驚いた(笑)。

 あの役、美形でやってもいいのか……。
 アルバイトの関係で、白塗りできないのは予想が付いていたけれど、ふつーに麗しいおにーちゃんが登場したので、ツボりました(笑)。
 また、歌うまいし。
 押し出しいいし。

 新公のかなとくんを、ちゃんと見られて良かった。


 で。
 あすくんの、歌。

 なんかあすくんって、歌う機会を与えられるたび、確実にうまくなっている気がする。
 ティツィアーノは仮面舞踏会にしか見せ場がなく、そこで歌がどーんとあるのはいいが、それだけっつーのがちと残念。お芝居もできるのになー。台詞声もいいのになー。
 ティツィアーノ役はヒゲもがんばり(唇の下~~・笑)、美形なおじさんでした。や、老人役だけど、本役さんからして老人には作っていない(老人キャラはルイ・ゴメスのみ)ので、色男キャラで正しいのだと思う。
 余裕でうまいよなー。

 あすくんは顔がらんとむさんだけど、わたしの中で芸風がだいもんのイメージ。若いうちから堅実にうまくて小芝居上等、アピールキメキメ、歌ウマの優等生。小柄で美形。
 だいもんも、歌の機会を得るたびに「あ、またうまくなってる」と感心させられる子だったなあ、と。

 通し役をきちっと演じるあすくんを見たかった。
 今の役が悪いわけではなく(異端審問でも役として演技してるし!)、あちこちアルバイト姿は愛でましたが。
 単にわたしが、もっとあすくんを見たかった、声を聞きたかった、という。


 ポーザ侯爵@レオくんもまた、1公演ずつ確実にうまくなってる。
 どこにいても目に付く、タカラヅカ的な派手な顔立ちとダンスを武器に、ギラギラやってきた、という印象の彼。
 見るたびに「あ、またうまくなってる」と思わせてくれるのは、見ていて気持ちいい。

 てゆーか、辛抱役は、はじめてだよね?

 レオくんって、いつもぷわーーっと発散する爆発系の役ばっかやってきたような?
 前回の『仮面の男』新公では銀橋ソロまで付いたサンマール。
 『灼熱の彼方』ではなんか高温で空回っている暗殺団のリーダー。
 『黒い瞳』ではトリオのひとりとして縦横無尽、『ロック・オン!』ではラテンでソロもらってはじけてたり。
 『ロミジュリ』新公ではトートまんまな死で、たのしそーにやってたし。

 持ち前の美貌と華だけでやっちゃってOK!な役ばっかやってきたような。芝居うまくなくても、勢いで底上げされます的な。

 今回ははじめての辛抱役。……というか、ガチで演技力が必要な役。
 ちぎくんって芝居の人というか、演出家から難しい芝居を要求される人なんだよなああ。
 だから彼の役をやるのは大変なはず。

 えーと。

 ポーザ侯爵が、悪役でした(笑)。

 レオくん、苦悩が行きすぎて、たくらんでる人だ……(笑)。

 エボリ公女@夢華さんもまたたくらみ系な人だっつーこともあり、ふたりの場面がとても悪役風味(笑)。

 いや、美形悪役上等!ですが。

 芝居も歌も進歩しているレオくんの、最大の課題は「声」だと思う。
 まだ女の子のまんま、つーのがなあ。
 顔や姿はあんなに「男役」として出来上がっているだけに、声が惜しすぎる。

 あー、とりあえず、レオくんの主演も見てみたいっす。
 機会与えると伸びるタイプみたいだし、次あたり重責与えてみてくんないかなー、劇団様。


 話が出たので、エボリ公女@夢華さん。
 貫禄十分、あやうさはない。
 経験値からいって、新公に出なくてもいいくらいだもんな、彼女は。

 そして、経験値の割に、芝居はうまくない。
 新公としては、すごくうまいけど。

 脚本に書いてあるまんまを演じるのはうまい。しかし、それ以上を表現するのは苦手なまま。
 だからエボリ公女は台詞と手紙を破る一連の場面も、表面的な部分では間違いなく演じているんだけど、「その奥にあるモノ」が見えてこない。
 この女性のドラマを見たい、と感じさせるナニか。

 芝居をうまくない、と思わせるもうひとつの理由は、今回もまた、いきなり台詞のタイミングを間違えていたこと。
 『ロミジュリ』のとき、彼女が何度も台詞のタイミングを間違えていて「そこでその台詞を言うと、ジュリエットのキャラが変わってしまう」と思っていたことを、思い出した。
 芝居の流れを、その役を理解していたら、そこでその台詞は言わないだろう、ってところで、焦って台詞を言ってしまう。

 冒頭の淑女たちとの場面で、若い乙女たちを微笑ましく、しかし貫禄十分に統べるエボリ公女……なのに、淑女の話をまともに聞かず、自分の言いたいことを喋り出した。
 淑女の話をちゃんと聞いた上で、自分が話を進めて場を支配するのが、ここのエボリ公女じゃないの?
 カルロス王子はちょっと変わり者♪の歌のあと、「いつもおひとりでどこかへ」と淑女が言ったあとで、エボリ公女の台詞になるんだが、歌が終わるなりエボリ公女が喋り出してしまった。
 おかげで、淑女と声がかぶった。
 ……聞いてやろうよ、エボリ公女。若い娘さんたちの話を聞く場面だろうに。

 台詞のいっぱいあるエボリ公女と違い、その淑女を演じた研2娘役ちゃんはたったひとつの台詞だったかもしれないのになあ。人生初台詞だったりしたら、さらに気の毒だが、そのへんはどうだったんだろう。

 新公なら、表面が破綻なく演じられていれば、それで及第点。
 ただ、大劇場でトップスターと同じ扱いを受けた、劇団史に残る100年に一度の逸材という触れ込みの大スターとして考えると、足りないなあと。
 ほんとになんで劇団は、あんなわけわかんないことをしたんだろうなあ。ふつーに、学年相応なら「うまいね」で済むのに。

 レオくんもまだ、脚本にあるものを演じるのでいっぱいいっぱい。
 それで、ポーザ侯爵とエボリ公女の場面は、ふたりそろって悪だくみ風味。
 夢華さんがレオくんと同じレベルでは、経験値的にまずい気がした。


 フェリペ二世@ホタテくんは、安定のうまさ。
 翔くんのパパ役、2回目だねー(笑)。
 ストレートな王様で、本役さんの複雑さというか、ややこしさ神経質さはない。
 カルロス@翔くんとの持ち味に、この骨太まっすぐな王様が、合っているんだと思う。
 本公演のカルロスとフェリペ二世が親子だってのがあちこちで納得できるように、新公のカルロスとフェリペ二世も、親子だってのがよくわかった。

 このフェリペ二世はちゃんと語る言葉を持った人だ。朴訥で男性的な不器用さがある。
 ちょっとしたズレで、息子と対話が出来なくなっている。
 カルロスもまた、父と語ることの出来る子だ。たまたま、すれ違っちゃってるだけで。

 新公の親子関係は、とてもシンプルなものになっている気がした。
 ……それでいいんだろう。1時間半で終わる話なんだし、変にややこしくしなくても。……本公演のややこしさはなんだっつーんだ、いや、大好きだけど(笑)。

 てことで、次はカルロスの話。
 まっつさんはこれまで、大劇場のショーでセンター場面をもらったことがありませんでした。や、わたしが知る範囲で。
 わたしが言う「センター場面」つーのはだ、プログラムの場面説明欄のいちばん上に、名前が載る扱い、という意味。
 手元にある『カノン』プログラムでいうと、「第11場B クラブ・ガイA 華形ひかる」みたいなもんですよ。カーテン前でも短くてもなんでもいい、プログラムの場面表記に、いちばん上に名前が載るのを見てみたい。下級生がそうやっていちばん上に載ることがあっても、まっつにはそんな機会はめぐってこなかった。

 それが今回のショー『Shining Rhythm!』にて、はじめてあったんですよ。
 順番に場面説明を眺めていって、はじめて見つけたときの、よろこび。
 「第9場D ラテンの男A 未涼亜希」。
 すごーい、いちばん上だああ。うれしーうれしーうれしー。
 メドレーらしいから、きっとどさくさまぎれの一瞬だろうな、でもいいの、センターだもん……。

 そうわくわくしていて。

 実際にその場面を目にした、初日。

 目が、点になりました。

 男たちを率いた群舞、逆三角形の頂点で、黄色スーツのまっつがやっていたのは。

 マッツマハラジャ様の、アキレス腱伸ばし。

 …………何故。

 その謎が、解けました。未涼亜希『ドン・カルロス』『Shining Rhythm!』お茶会にて。

 あのみょーな振りが、「偶然」ということは、あるんでしょうか。
 かなり独特な、おかしな振りなんですが。

 マッツマハラジャ様だからこそアリだった、コミカルな動き。

 あれを、祭りだー!な中詰めとはいえ、大劇場で再び見るなんて、ええっと、偶然? 別の人がたまたままっつを見ていたらあのダンスを思いついたの?

 まっつを見ると、アキレス腱伸ばしをさせたくなる? まっつって、ナニ?

 それとも、『インフィニティ』を見た人があの振付を気に入って、再度まっつにやらせた? そうまでさせる、まっつって、ナニ?

 や、ふつーに考えれば、振付師が同じ人なんだろう、ってもんだけど、だとしたら余計にわからない。
 一度使った振付で、同じ役者を踊らせるって、変じゃない? まったく別のところならいざ知らず。
 すでにイメージついちゃった、わかりやすい派手な振りを、同じ人でもう一度って。そんなことしたら、まっつのトレードマークになっちゃうじゃん? そんなことしてもらえるとしたら、まっつって、ナニ?

 まっつは語った。
「あのアキレス腱伸ばしは、まっつステップって名前が付いてます」

 マルシー、キターーーーッ!!(笑)

 ほんとにほんとなんだ。
 まっつの名前が付けられた、まっつのステップなんだ……。

 中詰めはマッツマハラジャと同じ平澤せんせの振付。
 最初にアキレス腱伸ばしの振付を受けたとき、まっつは「は? 嘘でしょ?」と思うか言うかしたらしい。
 ここの言い方が、まさにばっさり言い捨てる感じで……。
 最初冗談だと思ったら、先生は大真面目。「ほんとにやるんだ……」とびっくりしたとか。
 マッツマハラジャ様はひとりでやっていたけれど、今回はその場の男たち全員でやる。
 「大勢でやったら派手だな!」と、先生はご満悦。えー……?(笑)

 てな話の流れで、まっつが言った。
 あのステップに名前が付いている、と。
 「まっつステップ」。

 平澤せんせは、ステップに独自で名前を付ける人らしい。まあ、説明するのに名前があった方が便利だよな。
 まっつだけのことではない、そうだが。

 それにしても、あれはまっつステップ。
 公式名称。

「舞台稽古のときに『次、まっつステップから』とか、マイク通して言われたし」

 マイク通して。
 高まる公式感!!(笑)

 これから先、あのステップが使われるたび、「まっつステップ」って呼ばれるんだ。
 マルシーマークついちゃうんだ。著作権を示す、丸の中にCが入ったアレ(笑)。

 すごいなー。
 ステップに名前付いちゃうくらい、まっつステップなんだー。(日本語変です)

 いやはや。
 すごいよね、あのステップ。
 破壊力あるよね。
 一度見たら忘れない、目を疑い、二度見しちゃうステップだよね。
 はああ、まっつすげーー(笑)。


 まっつの語りはあちこちばっさり投げやり風味で、それゆえにおもしろい。
 ショーのスペイン場面は、ストーリー仕立て。
 ここのストーリーを、まっつ自身に語らせる、というプレイ……ぢゃねえ、そーゆー質問があった。

 「歌劇」の座談会で説明されていたし、たしかNOW ON STAGEでも言ってたよな? なので、お茶会に来るようなヅカファンの多くは前もって知ってるんじゃナイかなっていうネタを、わざわざまっつ自身に語らせた。

 まっつは思い出しながらって感じに、ゆっくりと手探りっぽく語る。
 キムとみみはつきあっていた。でもまっつがキムを陥れて投獄させ、その間にみみと仲良くし、牢獄から出て来たキムが、まつみみを見て争いになり……てなストーリーね。
 役名でなく、役者名で語るのが、もお……。「音月さんが」「舞羽美海ちゃんが」……キムくんは「音月さん」、みみちゃんはフルネームにちゃん付け。
 音月さんは、まっつと舞羽美海ちゃんが仲良くしているのを見て「はぁ?!」と思うそうですよ。この「はぁ?!」の言い方がまた、ほんとに「はぁ?!」でねえ……。
 まっつあちこちで「は?」って言うけど、それがみんな、ひどい感じでステキなのー。これは生聴いて悶えなきゃ、伝わらないわー(笑)。

 まっつの声で実名で三角関係語らせる、っていいプレイだわー。

 や、本人はマジに淡々と語ってるだけなんだけどね。
 それがおもしろいという。


 あとナニ言ってたっけ?
 ショーの話は、まっつステップだけでわたしの少ない海馬がいっぱいになっちゃってなー。
 他で聞いた話と混ざっちゃってる気もするしなー。


 他の人との絡みというか、他ジェンヌの話があまり出ないのがまっつ、って印象。
 司会者もそーゆー質問しないし。
 同期との芝居はどうかと質問しても、オイシイことは返さないし。

 そんな彼が、すずみんとらんとむさんの話をしてました。

 会のグッズ販売で、すずみんデザインの千社札が売っていて。
 なにごとかと思ったよ(笑)。

 『タカラヅカスペシャル2011』のときに、さらっと書いてくれたらしいよ。えりたんつながりで。
 すずみさんから「パンダ好きやったっけ~?」と、パンダを文字に入れてくれたらしい。

 ナニに感動したかって、まっつが再現する、すずみんのネイティヴ大阪弁。
 まっつとは別モノに聞こえる、ゆるゆるの癒やし系大阪弁……。
 まっつの大阪弁はキリキリきっついのになー。同じネイティヴスピーカーなのになー(笑)。

 蘭寿さんは、「GRAPH 2月号」の対談ネタ。
 ふたりが着ていた「20世紀少年」のTシャツは、まっつ私物だそうだ、2枚とも。
 らんとむさんが「GRAPH 2月号」にサインとコメント?をくれていて、まっつは盛大ににやにやしていた。←
 その「GRAPH」は抽選でプレゼント、もちろんはずれたさー。欲しかったなー、らんとむとまっつのサイン入り「GRAPH」。


 そーいやゲームは連想ゲームだったんだけど、ほんとあの人の考えることって、わたしにはわかんないわー……。
 なんで「フラメンコ・ギター」なのよ……。

 すげーきれいで、どこへ跳ねるかわかんないボールみたいで、おもしろい人だ。
「役作りは深く考えない。台本に書いてあるままを演じる。必要なことはみんな台本に書いてある」
 てな意味のことを語ったまっつさん。

 あとになって、あれ?と、わたしは首をひねった。

 前回の『仮面の男』のときは、そうじゃなかったよね?
 役作りに悩んで、ミュージカル『三銃士』の橋本さとし氏のアトスを見て開眼した、吹っ切れたみたいなことを、語ってた、よ、ね……?

 こだまっち……。
 このまっつを、あそこまで混乱させたの、か……。

 てことで、未涼亜希『ドン・カルロス』『Shining Rhythm!』お茶会の感想、続き。

 前回『仮面の男』『RSF』のお茶会で、ジャック船長の髪型のこだわり、「自分でアクセサリーを作った」くだりを長々語ったまっつさん。
 実際に物作りした点については、よく喋るんだなあ。

 というのも、フェリペ二世の「金髪のヒゲ」はかなり、苦労して作ったらしいよ。

 わたしも、同期のキムくんの父親役だから、ヒゲは付けるだろうと思っていた。
 でもきっと黒髪で黒ヒゲだろうなと。
 スペイン王のイメージは黒だし、肖像画も黒だし、また、タカラヅカにおいて口ひげは黒が基本。金ヒゲは難易度が高く、小さなヒゲだとわかりにくい。サンタクロースヒゲなら金でもいいけど、おしゃれな口ひげは黒でないと絵にならない。
 髪がプラチナブロンドでも、睫毛や眉毛を白銀にしないのと同じ。リアリティより、画面としての説得力。

 金髪でヒゲ、しかも小さな口ひげ顎ヒゲ……そりゃ苦労しただろう。

 役作り、芝居についての苦労や工夫は語る言葉を持たないのに、物理的な、目に見えるモノに関しては、事細かに語る。
 そんなところに、性格が表れていて、にやにやが止まらない。←

 おかげで、どう苦労したのか、よくおぼえてない。
 やたら長々語る、その部分を堪能した。
 あー、まっつかわいー。


 あと、やはり芝居としてではない部分でやたら語っていたなと思うのは。

 フェリペ二世と似た部分はあるか、みたいな質問に対して。
 えーと、フェリペ二世の弱さに対して、似た部分があるか?みたいな聞き方だったと思う。

 そしたらまつださん、語る語る。
 人は誰しも弱い部分があるモノだ、みたいなことを。

 んで、そんだけ語るくせに、質問には答えないの。

 弱さゆえに人を疑っちゃうフェリペ二世に、似ているか?
 あくまでも一般論として語ってるのに、ウケた。

 なんなの? わざと? 無意識?
 「わかりますねー。人間ってみんな、そーゆー部分は多かれ少なかれあるじゃないですか」みたいな言い方すら、しない。
 むしろ「理解できません。私は人を疑うなんて生まれてこの方一度も経験がありません。弱さは悪です」と言う方が、人としてやばいのだから、共感を示しても、誰にも責められないと思うんだが。
 で、実際それだけ「人間の弱さ」を「あるもの」として語るのだから、肯定しているのと同じなんだけど、言葉にはしない。

 その潔癖さというか、「強く、正しく」あろうとする姿勢に、くすぐられる。

 つい悪い方へ考えちゃったりとか、心が弱くなるときは、誰だって、ある。
 問題はそのとき、どうするかだ。
 ほんとうに悪い方へなだれてしまうか、自分を律することが出来るか。

 まっつは、律したいと強く願っている人なんだろう。
 高い自尊心にかけて、背筋を伸ばして。


 で、反対に、あまり語らなかった……語りたくなさそうだったこと。

 あゆみちゃんへの、指輪について。

 えー、舞台にて、イサベル王妃@あゆみちゃんは、結婚指輪をしています。
 もちろん、フェリペ二世@まっつとお揃いです。
 あの指輪は、どうしたの?

 タカラヅカでは、芝居での相手役に、男役から指輪を贈る、という風習があります。
 さて、我らがツンデレ大王まっつさんは、妻に指輪を贈ったのでしょうか?

「私があげました」

 って、この言い方が「結論だけ言います」って感、ありあり。

 で、語るのは「指輪」へのこだわり。
 舞台での小道具としての、こだわり。前述のヒゲと同じノリで、デザインがどーの、色がどーの。
 あの……誰もそんなこと、聞いてません。ジャック船長のビーズだとか、金色ヒゲの工夫と同じ温度で語って欲しいなんて、言ってねーよっ!!

 どうやって渡したんだよ、相手の反応はどうだったんだよ、そこんとこだよ、聞きたいのはっ。
 なのにまっつ……ピントのずれたことを、ぺらぺらと。

 で。
 指輪のこだわりだけさんざん話して、「以上です」。

 ちがーーうっ!!

 参加者の心がひとつになった瞬間(笑)。
 司会者さんが、苦笑をにじませながら、「渡したときのエピソードを」を突っ込んでくれた。
 ほんと、突っ込んでくれなかったら、終わってたよ。
 まっつ…………(笑)。

 ここまで具体的に質問されて、このツンデレ男はよーやく口を開いた。

「舞台稽古のはじまる前に、『はい』って」

 えー、このニュアンスを、文字で伝えるのは、難しい。
 突っ込まれてまっつは仕方なしに、話してくれたわけだ。急に、早口になった。
 「舞台稽古のはじまる前に」まで、早口。
 で、次の「はい」が、超なげやり。

 なにか忙しく作業をしながら、立ち去りざまに「どーでもいいもの」を投げ渡すよーな、そんな感じ。

 場内、爆笑。

「…………照れ隠しですか?」司会さん、GJなツッコミ!

「急いでたんです。やることがいっぱいあって!」

 そりゃ、舞台稽古の日ですから。忙しいでしょうよ。
 まっつは、衣装がどうのさっき語ったヒゲがどうのと、自分がどれほど忙しかったかを語る。
 向こうも忙しいだろうし、と言う。
 そりゃあゆみちゃんも、忙しいでしょうよ。

 問題はさ。
 その忙しいとわかっている日に、わざわざ渡したのよ? それまでも毎日会ってるくせに。

 舞台稽古ですよ。本番と同じ姿で仕事するわけですよ。指輪を渡す、最後の機会じゃないですか。これより遅れたら、相手に迷惑っすよ。自分でなにか用意しちゃうかもだし。
 そんなぎりぎりまで、なんで渡さないの?

 で、ぎりぎりになって、「忙しいから」と、相手の目も見ないような渡し方……。

 わたしも言いたい。
「照れ隠しですか?」

 これ以上まっつは、がんとして口を割らない。喋らない。
 どんな指輪かは事細かに語ったくせに、どうしてそんな風に渡すはめになったのか、相手の反応はどうだったのか。
 いわゆる「指輪をプレゼントしたときのエピソード」は、がんとして語らないっ!!
 意志を持って、語らない!
 司会者もそれ以上突っ込めない。そりゃあねえ……(笑)。

 爆笑。
 もーみんな、腹抱えて笑っている。
 それが、まっつ。

 なんて、期待を裏切らない人(笑)。
 目が曇っているのか、病が重いだけなのか。
 未涼亜希さんが、カッコイイ。美しい。というだけで、あとのことが全部吹っ飛んでしまう。
 そんな現在の状況を、どうしたものか。

 年々病がひどくなってるなあ……まっつにはまった当初は、半分ネタみたいに好きだったのになあ。

 そんなこんなで、未涼亜希『ドン・カルロス』『Shining Rhythm!』お茶会の話です。

 生まっつをぽかーんと口開けて眺めるだけの時間。

 えーと。

 わたしは長らく、黒髪まっつを愛でてきました。
 まっつといえば黒髪。ブラックまっつ。それ以外はナイ、想像つかないってくらい、黒髪万歳。
 タカラジェンヌっぽくなくても、黒を貫いてくれる、また黒がキャラ的にも似合う、ところが好きでした。
 あと「黒髪記録保持者」というネタ的にも、おいしいし。

 金髪になった前回の『仮面の男』公演時は、目が慣れていないせいかもしれないけど、金髪だからどうこうは思わず、舞台上は黒の方が目立ってていいのになー、と思っていました。

 しかし、今。

 金髪、かっけーーっ!!

 お茶会まっつ、破壊力パネェす。
 なんなのアレ。

 金髪オールバックにシケ1本あり、という、『Shining Rhythm!』でお馴染みの髪型。
 その上、衣装が。
 ……あれ、服ぢゃない、衣装。

 クラシカルなフロックコート!!

 でもって、スカーフがブラウスの襟の中、すよ?
 ソレ、衣装じゃん。現代人の私服ぢゃない!!

 このまま花組さんの舞台まざっても違和感ナイわ、『復活』に出られるわ。

 今まで見たことのあるまっつって、ふつーにパンツスーツだった、よな。スーツでなくても、ふつーに現代女性の格好。男役らしいマニッシュさだけど、コスプレにならない、端正な……ぶっちゃけふつーの服。
 男役さんのお茶会やらイベントやらで、「それ、舞台衣装だよね??」ってなコスプレ感の強い衣装で登場してくれる人たちもいたけれど、まっつはそーゆー派手さのナイ人、というイメージだった。

 だから、扉が開いてまっつが登場した途端、目を疑った。
 ソレ、舞台衣装……??

 まっつが、コスプレとしか思えない衣装を着ている……。

 格好良すぎる。

 舞台の延長みたいだ。
 素顔で、生のまっつがいる、というより、舞台を見ているみたい。
 お客さんもたくさんいるし、わたしはやっぱりオペラグラス必須の隅っこで、丸く切り取られた視界でまっつだけを見ているしで。
 とってもわくわく、イベントとしてお茶会を楽しめた。

 いやあ……金髪まっつすげえよ。
 ナニあれ、美しすぎる。
 性別も国籍も不明だわ。


 顔を眺めて声を聴いているだけでしあわせなので。

 話していた内容は……ええっと? 記憶が遠い……。
 レポではないです、あくまでもわたしの脳内を通した感想です。


 まずは、公演のお話。
 お茶会参加者からの質問に答えるカタチ。

「フェリペ二世の役作りに、工夫した点、苦労した点は?」

 正直、あー、またこの質問か、と思った。NOW ON STAGEでも語っていたし、数日前のトークショーでも語っていたし。
 まずとっかかりの、改札くぐるための切符みたいな質問なんだろうけど、正直同じ話ばっかより、別の話が聞きたいなあ、と、自分勝手なことを考えていた。
 この場にいる人はなにも、NOW ON STAGEもトークショーも観ていると限ってないんだから、まずはここからスタートなのは仕方ないのにね。

 しかし。
 まっつさんは、ただ者ではなかった(笑)。
 このありきたりの、たぶんいろんなところで何度も何度もされただろう質問に対して。

「ナイです」

 えー、爆笑です。みんなどっかん笑ってます。
 ナイとか言っちゃうよこの人!!(笑)

 誤解されたら困るな、という意識はあるのか、きっぱり言い切ったあとで「すみません」と言っていた。

 役作りについて、あまり深く考えるタチではない。
 台本に書いてあるまんまを演じる。必要なことはみんな台本に書いてある。

 「役作りは? 苦労した点は?」と聞かれるから、答える。でも、そうやって答えるまで、自分の中で言葉にはなっていないらしい。
 本人の意識としては、「ナイ」から。
 聞かれることで言葉を探し、はじめて自分で「そうだったのか」と気づくらしい。

 苦労してないからいい加減とか、深く掘り下げていないとか、誤解されたら困るよね。
 そーゆー作業が必要な人もいるだろうけど、まっつはそうじゃない。
 それがいい悪いではなく、そーゆー角度で芝居を作る人なんだなと。

 そして、誤解されるかもしれなくても、「すみません」と言いつつも、それでも、真実を口にした、わけだ。

 正直で、すっぱりさっぱり。

 役者なのか、と思う。
 わたしは役者ではないので、どうやって演技をするのか、組み立てていくのか、その方法はわからない。
 まっつは役者で、芝居に対して語る言葉を持たないのかと。
 役を演じる、ことは、彼にとっての「当たり前」だからなのかと。
 わたしが、「立ち上がるとき、なにか工夫したり、苦労したことは?」と言われ、「ナイです」と答えるような感覚か。立ち上がるのは日常の動作、特に意識したことナイ。でも聞かれたら、考えるか。ええっと、まず足に力を入れたかなー、とか。

 そんな感覚で役を演じる、芝居をする、そんな人なのかと。
 役者ってのはほんと、異人種だなあと思う。
 想像もつかない存在だわ。

 わたしはわたしの範囲内でしか理解できないので、「こんな点に苦労し、ここのあたりを調べたり人に相談したりして掘り下げて、いろいろいろいろがんばりました」と言ってくれる方が、わかりやすい。
 そして、わたしのわからない次元で当たり前の顔して生きているまっつに、安心して傾倒できる。
 や、彼はわたしのスター!で、スターさんなんつーものは、遠くにありてこそ!ですから。
 遠ければ遠いほど、どきどきするのです(笑)。


 えーと、あとは息子カルロス役が、同期のキムくんであることについてと、衣装についての質問。
 こちらも、もう何度も聞かれてきただろうし、こちらも耳にしてきた、いつもの質問。

 同期だからどうこうはない。
 カルロスとの対話場面は、毎日毎回演じていて感情が違っている。それに対し、キムくんはしっかり受け止め、返してくれると。反対に、キムくんの感情によって、まっつの感情も変わり、芝居も変わるのだろう。
 同期だからというより、プロの役者同士の話だと思った。

 衣装に関しての新しい情報は。
 玉座の段差が、狭いってこと(笑)。
 一段高い位置にある、玉座。その段が狭いそうで。豪華な毛皮のお衣装をさばきそこなうと、その狭い台にうまくおさまりきらなくなるらしい。
 な、なるほど……大変そうやな、それは(笑)。

 幻覚に翻弄されるときに後ずさるので、あの分厚い毛皮コートで後ずさるために、舞台稽古の前に、ひとりで練習したとか。

 見てみたい……後ずさる練習フェリペ二世陛下。
「亡くなる間際のフェリペ二世陛下に、わずかでも希望を与えられないか」……その思いがあって、この物語を書いたと。
 キムシンはプログラムの演出家ページで、そう語っている。

 『ドン・カルロス』がいびつになっているのは、フェリペ二世の比重が大きいため、だったりする。
 カルロスが主役で、ヒロインをイサベル王妃ではなく、架空の女官レオノールにした段階で、フェリペ二世は主軸からはずれる。
 フェリペ二世は勘違いで障害となるだけの人、わずかな出番で専科さんに締めてもらって終了、でもいいような役だ。
 フェリペ二世をがっつり描きたいのなら、ヒロインをイサベルにして、カルロスとの三角関係を描くべきだ。ふつーに。

 しかし、キムシンが書きたかったのは、三角関係ではなく、「家族の物語」だ。
 だからイサベルはヒロインにならず、そのくせフェリペ二世もがっつり登場する。

 恋愛関係にないイサベルが、危険を冒してまでカルロスと密会したがる理由付けが弱く「え、それだけ?」と拍子抜けする。
 カルロス以外に相談する相手のいないイサベルの孤独や、当時の社会風景に思いを馳せれば納得できるが、そこに至るまでの表層で「え、それだけ?」となるのは仕方ない、だって現代ではありえないことだもの。
 イサベルとカルロスは密会しなければならない、それをフェリペ二世が疑わなくてはならない、その都合が先にあり、こじつけ感が強い。

 夫の愛に飢え、死まで考えたというイサベルが、改心するきっかけも弱い。
 わざわざ霊廟で密会して、カルロスとイサベルは大した会話は、していない。

 キムシン脚本のウザいところ、秘技「オウム返し」。
 台詞は1回でいいんだよ、いちいちいちいちくり返すなっ。
 カルロス@キムくんとレオノール@みみちゃんが仮面舞踏会デートの折に、カルロスの言葉をそのまま返すレオノール、というくだりがある。カルロスは笑って「アナタは私の言うことをくり返してばかり」と突っ込むけど。
 イサベルとカルロスの会話も、繰り返しばかり。
「アナタは、父上の妻なのです」
「陛下の……妻」
「そして父上は母上の夫です」
「私の夫……」
 カルロスがナニか言うたびイサベルがオウム返し、で、これだけで改心って、どんだけ簡単なのイサベル?!
 わざわざ危険を冒して密会する必要ナイやん、ちっとも建設的な、特別な会話してへんやん!

 ……キムシンの「言語センス」の弱点が現れているというか……(笑)。

 そりゃ、相談なんてものは大抵、すでに心の底に希望は決まっていて、それを確認する作業でしかないわけだけど。
 だからオウム返しに言葉を重ね、本人が望んでいる道へ誘導したり、無意識だーの表層だーのを取っ払い、本心を引っ張り出す手法なのかもしんないけど。

 見させられる方はなー。
 「つまんねー会話してるなヲイ」という気分になる……。

 キムくんとあゆみちゃんの熱演で、誤魔化されてはいるものの。なにしろリピートしてるからさー。どーしても回数見ちゃうとツッコミがねー(笑)。

 恋愛絡めずに密会する、理由付けには、弱いんだよなー。
 イサベルの行動がもっと説得力あればいいのに。

 そして、「家族の物語」にしてしまったために、ポーザ侯爵や親友たちの描き方が薄く浅くなってしまった。
 バランスが悪いんだ。
 いろんな方面に、どっちつかず。

 「家族の物語」なら、反対にポーザ侯爵の出番はもっと減らしていい。彼こそ、物語外側で空回っているだけの人。主軸がフェリペ二世で、ポーザ侯爵はその使いっ走り。

 しかし現実には、そうではなく。
 ポーザ侯爵は2番手の役で、銀橋で心情を1曲歌ったり、エボリ公女との関係が登場したりする。
 おかげでとても中途半端。エボリ公女への説明不足もあり、突然の隠し子話は「はあ?」だし、クライマックスの異端審問でも、ぶるぶる苦悩に震えているだけしか、役目がナイ。

 視点を、定めるべきだった。

 「家族の物語」だと開き直るなら、ポーザ侯爵はろくに出てこなくていい。もちろん、2番手はフェリペ二世を演じる。
 ヒロインがレオノールでもいい、何故なら彼女はカルロスの恋人、将来の家族だ。
 カルロス、フェリペ二世の親子の確執、男同士の対立、それを本気で主軸にすればいいじゃん。
 家族だけで完結する話でいいじゃん。

 フェリペ二世に肩入れし過ぎ、そのため本筋ではなくなったポーザ侯爵を2番手役だからと無理矢理ドラマをこじつけたことで、全体がいびつになった。

 その結果、観ていて、「どこに落としどころを持って行けばいいのだろう」と混乱する。
 観客が、自分の居場所に悩むんだ。
 観劇なんて高額な娯楽だ、1回しか観ないよ。その1回こっきりの目線を、どこに据えるか悩むような半端さは、優しくないよ。

 観客が混乱しているうちに、終わってしまう。
 美しいけれど地味な音楽、キムくんの心地よい歌声と相まって、眠気を誘う作品になる。


 とまあ、ほんとにねえ。
 キムシンがフェリペ二世好きだからってねえ。
 そのせいで、こんなにややこしいことになっちゃって。

 疑問や愚痴はあるけれど。
 それでも、今ここにあるのは、今のままの『ドン・カルロス』で。

 そしてわたしは、『ドン・カルロス』が好き。

 いろいろ困ったことになっているけれど、フェリペ二世@まっつが好き。
 よくこの役を、まっつにやらせてくれた、と思う。

 そして。

「亡くなる間際のフェリペ二世陛下に、わずかでも希望を与えられないか」と、「本当はこうであったなら」という願いを込めて作られた、物語。

 救われたのは、フェリペ二世だ。

 史実だーの原作だーのにある結末のままで、いちばん悲劇なのは殺されるカルロスじゃない。息子を「見殺し」にする父親だ。
 『ドン・カルロス』は、フェリペ二世を救うために、描かれた物語。

 悲しい人生を送った老王が、死の間際見た夢。
 本当はこうであったなら。

 息子と解り合いたかった。息子を、許したかった。息子に、赦されたかった。
 愛する人と幸せに旅立つ息子を見たかった。

 そんな男の夢が、この物語。

 ラストシーン、幸せそうに穏やかな表情でカルロスを見送るフェリペ二世に、泣けてくる。

 これが、彼の渇望した、夢。

 馬鹿げた、お伽噺みたいな結末。現実にはあり得ないオチ。
 死の間際、項羽@まとぶんの名を呼ぶ劉邦@えりたんみたいに。
 キムシンの夢が、愛情が、一点へ向かって貫かれた物語なのだなと。
 もうあまり海馬に残っていない、『ドン・カルロス』『Shining Rhythm!』アフタートークショー「ドン・カルロスと家族達 編」の感想。

 全体を通して言えることは、プロの司会者がいないと、下級生は喋りにくいってことですなー。

 タカラヅカは上下関係命。その是非は置いておいて、学年てのが絶対である。
 いかなる場合も下級生は上級生を立てる。

 今回のトークショーは、キムとまっつだけが喋っていた印象が強い。
 他の出演者はみみ、リサリサ、こま、あゆっちなんだけど、彼らはほとんど喋っていない。
 まともに喋ることが出来たのは、「その人個人への質問」のときだけだ。
 それ以外は「出演者全員への質問」であるにも関わらず、キムとまっつが喋って終了している。
 下級生であるコマたちは、司会者が振らない限り、話題に割り込めないんだ。

 雪組のアフタートークショーを見るのは『H2$』以来2回目なんだけど、あのときはここまで「他の人がなんにも喋れてない」とは思わなかった。
 司会のヲヅキは投げやりな調子ではあったけれど、とてもマイペースに進め、出演者全員に喋らせていた。

 今回の司会、きんぐがなあ。あまりにすごくてなあ(笑)。

 きんぐがちゃんと司会の仕事をしていなかったことが、いちばんの原因だと思う。全員への質問なのに、全員に聞かないとかどうなの。
 下級生たちは、トップスターとその同期の会話に割り込めませんよー。

 でももうひとつ原因を探すとしたら、キムとまっつを隣同士にしたことかなと思う(笑)。

 NOW ON STAGEだろーと『H2$』アフタートークだろーと、キムくんとまっつが隣同士になることは、まずない。
 ふたりの間には、ポジションという大きな壁があって、同期でも隣り合うことが出来ない。
 間に人を置いたり、離れた位置に椅子を置いたりしていると、やっぱそこまでふたりだけで会話したり、盛り上がったり、できないよなあ。

 それが今回、キムくんの隣がまっつで。
 ふたりだけで、喋り倒す。
 さんざん目配せするし、マイクなしになんかやってるし。

 まっつがここまでツッコミ役を率先してやっているのも、キムくんとの距離が近かったことがあるんだろう。
 物理的な距離、話題の中心への距離が。
 遠く離れたところからは、ツッコミ入れにくいよな。

 会話には、距離により時差があると思う。
 耳で判断する時差ではなく、目と心で感じる時差。

 話題の中心、視界に入っているところでかわされる会話はリアルタイムだけど、その外側からなにか声が入ると、「え?」と思う。思う、までもいかない無意識レベルだけど、意識や視界の外側からの関与には、コンマ以下の超わずかなものであっても、反応は遅れる。
 その数字に表れないほどのわずかな時差がすなわち、「場の空気」ってやつなんだろう。
 話題の中心以外の人が、なにかしら話に入る・関与するには、勢いや機知が必要ってこと。

 通常ならまっつは中心の外側にいるため、あまり中へは割り込まない。
 今回下級生たちが、そうやって外側で微笑んでいたように。

 今回はキムくんの隣、話題の中心にいたからなー。
 いくらでも関与できる。
 つーことで、ツッコミ炸裂。
 トークショーの主役はきんぐだったと思うが、要所要所でおいしいところを持って行ったのはまっつだと思う。

 キムとまっつが特に仲良し同期だとは、残念ながらぜんぜん思ってないんだけど(笑)、それゆえにふたりがいいコンビネーションで話しているのを見るのが好き。
 べたべたあまあま親友関係もいいけど、そうではない温度と距離感で、それでも信頼のある仲間同士って質感にときめくのですわ。
 ヅカはジェンヌ単体だけでなく、関係性にも萌えるジャンルですもの。いろんな関係に萌えます。べたべたあまあまは他のコンビで萌えを補充する、キムまつはキムまつゆえのときめきを(笑)。
 自爆するきんぐをなまあたたかい目で見つめるまっつとか、関係性に萌えますわー(笑)。


 きんぐのぐだぐだ司会ぶりがかわいくて、彼のキャラクタ込みでいいトークショーだったと思うのとは別に、司会としての仕事をして欲しかったなーと思うのは、ひとえに、キムまつ以外の人々の扱い。

 まず、基本を押さえて欲しかった。
 このトークショーのタイトルは「ドン・カルロスと家族達 編」だ。
 ここの説明から、ちゃんとして欲しかった。

 家族という区切りなのに、何故画家のコマや、エボリ公女のあゆっちが混ざっているのか。
 そこを解説してくれないと、コマとあゆっちの居場所がない。
 コマくんは「何故ここにいる」という話がちらりと出て、「フェリペ二世@まっつの絵を描いている」と関係性を説明していた分、よかったけどさ。いやその、絵を描いているからって、家族ぢゃないだろというツッコミはそのままだけどな。まっつのどや顔が良かったけどな(笑)。
 あゆっちなんか、個人への質問がショーの話だったこともあり、エボリ公女としての話は皆無。

 生で話すリサリサを見るのははじめて。
 緊張からか、最初の挨拶で噛んじゃってたけど、そのあとの個人への質問に関しては、とてもきれいに回答していた。
 これまでで好きな役は? てな質問に、「今回のフアナ役」と答えていて、アタマいい人だなとさらに好感を持つ。
 や、ほんとにフアナはいい役で、この役をいちばん好きなんだろうけど、この場での答えという点でも最良のものだったから。ファンだけの集いではなく、タカラヅカ自体初見の人も多く混ざっているだろう場で、「新人公演のなになに役が」とか「バウホールのなになに役が」とか言われても、大半の人はぽかーんだろう。
 タカラジェンヌ人生を総括して、いちばん好きな、やりがいのある役を演じている姿を、わたしは観たわけだわ、と観客は思って家路につくわけだもの。

 「家族編」だから、王妃役のあゆみちゃんにも混ざってほしかったっす……。
 フェリペ二世のどこが好きなのか、聞きたかった。←


 キムくんはトークショーでも安定した「主役」ぶりで、場慣れした様子も含めて安心なトップスターさん。
 今後もいろいろイベントをやって欲しいわ。
 ……またキムまつがフリーダムに喋る場を観たいなー。梅芸に期待していいかなー(笑)。
 キムくんは、まっつを「パパ」呼びするのが気に入っているらしい。

 『ドン・カルロス』『Shining Rhythm!』アフタートークショー「ドン・カルロスと家族達 編」にて。
 キムくんは、いったい何回まっつを「パパ」と呼んだでしょうか。
 最初の方は「おおっ、生パパ聞けた!」と喜んだんですが、まさかの「パパ」「父上」の大安売りに、ニヤニヤが止まりません……!
 誰か数えてない~~? ナニいちゃこらしてんだよ同期親子め~~(笑)。

 とゆーことで、トークショーでのまっつの話。
 わたしの脳内経由なので、真実とは限りません!

 まつださんは、ツッコミ担当として、大変良い仕事をされていました。

 キムくんは忙しくひとりでボケてひとりでツッコミ、自己完結する癖があるようで。
 放っておくと彼ひとりで話が終わります。それもかわいらしいんだけど、横でまつださんがぼそっとエエ声で突っ込むことで、丸く完結するはずの輪がぱちんと弾ける効果があるというか。
 キムくんとまっつは、互いに遠慮がない感じが、とてもいいリズムを生み出しています。

 司会のきんぐが突然「好きなシーンは?」と聞いてきたので、キムくんは「ハンドダンス」と答えました。
 王子カルロス@キムが、マドリードの人々に施しを授けに行く、教会の場面ね。真面目に苦労談や、やっていて楽しい話をするキム。
 叔母上@リサリサにも話を振りつつ、ふと気づく。
「あれ? 今ここにいるみんなは、あの場面……」
 出てないよ、誰も。カルロスとフアナ叔母様だけ。
 そこで響く、低音。

「すみません、王族なので」(エエ声)

 またも、場内爆笑。
 キムくんの話を楽しく微笑ましく拝聴していた客席が、まっつの一言でどわわっと沸く。
 この人、いつもこんな喋りなの? 計算して「おもしろいこと言ってやろう」と思ってやってるの? あれが素なの? 顔も声もクールなんですけどっ?!

 司会のきんぐは超ドジっこ。質問を読み上げる以外の仕事はできない。だから、キムくんが好きな場面を答えたあとは、なんとなく沈黙が訪れる。次、どうするの? 誰が答えるの? それとも次の質問に行くの?

 で、まっつが手を挙げる。「バルコニーが好き」と。

 キムくん、大反応。ウケてるんだかテレてるんだか、パパ呼びしまくりながら、大騒ぎ。
 まっつは袖から「こうやって見てる」と物陰からのぞくゼスチャー。『巨人の星』のおねーちゃんみたいなポーズ。

 えーと。
 まっつそのとき、フェリペ二世の格好してるよね。

 物陰から、ヲトメ覗きしているフェリペ二世……!!

 舞台上も客席も、どっかんどっかん笑っている中、当の本人は。

「バルコニーの場面、とてもいいですよ」(エエ声)

 Good!って感じに、駄目押しっぽく再度言いやがりましたよっ。


 んで、みみちゃんへ「カルロスの台詞で、どれがいちばん好きですか」という神質問があった。
 ナニこのセクハラ質問?! 公開のろけ?! ラブラブカップルのラブトークをステージ上でさらせと? けしからん、もっとやれ!(笑)

 みみちゃんは照れまくりながら、仮面舞踏会の銀橋、「アナタを捕まえた。もう離しませんよ」を挙げた。
 場内、きゃーきゃー!!
 誰も彼もがヲトメとなって、きゃ~~っ!!なキモチに!(笑)

 そう、誰もが。

 テレまくるキムくんの横にいる男もまた、ひとりのヲトメとなっていた。

「わかる……!」(囁き声)

 ちょ……っ。
 今の今の、プレイバック。同意の声がちょー色っぽかったんですけど?! 聞き間違い? 誰か同意してーー!(笑)

 じたばたしているキムくんの肩や背中を叩かんばかりの勢いで、横で同意してるんだよ、このにーちゃん。
 そして、自分でもカルリートのあの台詞が好きだということを、語りはじめた。
 ……パパ、今聞いてるのはみみちゃんの「カルリートの好きな台詞」であって、パパのじゃないから! パパ自重、パパ自重!

 そしてどさくさに紛れて「もう離しませんよ」って、まっつも言った~~っ!!

 「あの台詞が好き」という意味で、例の台詞をまっつも口にしたの。
 あの美声で。カルリートの声真似っていうか、それっぽいニュアンスで。

 ちょ……っ。

 な、なんなの、このトークショー。
 まつヲタを殺す気……?!

 まっつの口から、まっつの声で、「もう離しませんよ」って……!!

 ちょっとここで、記憶が飛ぶ。まっつの「離しませんよ」がアタマの中をくわんくわん回っていたため(笑)。
 えーと、キムくんが客席に向けて「もう離しませんよ」って言ったんだっけ。どのタイミングで、どういう流れでだったか、わからん。
 キムくんの、こーゆー「空気を読む」ところをさすがだと思う。うれしいよねー。
 それを見ながら、まっつがじたばたする感じでウケてたのはおぼえてる。
「父上がいちばん喜んでる」とキムくん。
 いちばんなのか? オペラの外側の人たちがどんな反応だったか、わたしにはわからない。
 いちばんだったのか、まっつ……(笑)。


 まっつ個人への質問は、なんだっけ?(記憶が……)
 すごく当たり前で、どーってことない質問だったような? パパの役作りについてだっけ?
 父親役は『エリザベート』新公以来って言ってた。今回は同期のキムが息子。演技については安心している、受け止めてくれるてな話で、キムくんを信頼しているんだってのが、伝わった。
 そっかあ、『エリザベート』新公かあ。そう思えば、同期が息子なんて、どーってことないじゃんねえ。だってフランツ・ヨーゼフ役のときは、息子が上級生だったもんなあ……みわっち……。
 あとは、衣装が豪華で大変、って言ってたかな。
 全体的に、NOW ON STAGEで聞いたことをもう一度言っていた印象。

 だから、まっつへの質問は、答えよりもそのあとのきんぐが印象に残っている。

 よどみなく流暢に話すまっつを見ながら、ドジっこきんぐくんがだ、すげー素な様子で「しっかりしてる……」と感想をもらした。
 んで、そのつぶやきをまずいと思ったのか、「まっつさんはすごい、尊敬している」てなことを口走る。きんぐ、ナニを言い出すんだ、この自爆癖のあるオイシイ男は!(笑)
 まっつは、ニヤニヤ。盛大に空回りしまくるきんぐを見つめて「幕が上がる前に抽選会の司会しているきんぐが、とてもよかった。みんなで誉めていたんだよ」てな意味のことを甘く告げちゃうんだわ。

 きんぐ、ぶっとび。

「ひええっ?!」だっけ、なんかもー、すげー変な声出した。

 まっつ……。
 あのぼろぼろだった抽選会司会を捕まえて、ソレ言っちゃいますか……。
 緞帳が上がったとき、みんな微妙にニヤニヤしてたくせにー(笑)。
 思わず本音でまっつへつぶやいてしまったきんぐを、甘い声で持ち上げますか……。

 まっつに司会ぶりを誉められたキング。

 次の質問を読み上げるんだが……ボロボロに、噛みまくる。
 ど、動揺してる。動揺しまくってる……っ。

 まっつ……。
 きんぐいじるの、楽しい……?(笑)

 まつださんのSっぷりにときめきました。
 つか、きんぐ愛しいわ……。
 海馬に自信がないので、少しでもおぼえていられるうちに書く。

 『ドン・カルロス』『Shining Rhythm!』アフタートークショー「ドン・カルロスと家族達 編」(長いよ)に、行ってきました。

 スカステ放送があるのかどうか知らない、放送されたらわたしの脳内にあるモノとまったくちがって驚くことになるんだろうが、それだからこそ、とりあえず書き残す。や、自分がこう感じた、てのが大切ですから!(笑)

 いつものよーに緞帳が下りて、客電が点く。おかげで帰りかける人たくさん(笑)。わたしの隣の人たちも、立ち上がってコートを着はじめていた。
 そこへトークショーやるんだよ、というアナウンス。「え、そーなの?」とお隣の人たちは、せっかく着たコートをまた脱いでいた。……その程度の認知度なのね、このイベント。

 まず、司会のきんぐとあゆみちゃんが、パレードの水色衣装で下手花道に登場。ふたりはスカステのナビゲーターズ。喋るお仕事をしている人たち。
 しかし。

 きんぐ、噛みまくり。

 ……これほどすごい「司会者」見たことナイ……。
 や、入団したての下級生が幕間抽選に借り出される場合は、プロの司会者がいて、下級生はわずかに話すだけなのでボロが出ない、ってことだと思うが、それにしてもすごかった。
 プロの芸能人として生活して10年、新公主演2回、スカイフェアリーズ経験、スカイナビゲーターズ任期中のきんぐさん。
 なんつーダメっこぶり……(笑)。おいしいぞキミ!

 原稿を読み上げるだけが、できない。
 バインダー持って現れて、それを読んでいるんだが、それによって、彼の「視界」がよくわかった。司会ではなく視界。目に入る範囲。
 原稿の、ここからここまでが今目に入ったんだ、てのが、わかる。
 原稿に「大都会シカゴに育った高校生が、ロックとダンスが禁止された保守的な田舎町に転校し、住人との間に騒動を巻き起こしながらも、愛や友情を経験して成長し、やがて周囲の人々と心を通わせ、ダンスパーティーを開催するまでを描く青春物語です。」と書いてある。んで、きんぐはまず冒頭から目をやり、「大都会シカゴに育った高校生が、ロックとダンスが禁止」までを一気に読み上げて、一拍おいて、「された保守的な田舎町に転校し、住人」まで読んで、また一拍おいて、「との間に騒動を巻き起こしながらも、愛や友情」……間……「を経験して成長し、やがて周囲の人々と心」……間……てな具合。あ、例題文章は公式の『フットルース』ページのコピペです。
 切る場所が、全部変なの(笑)。
 文章を理解して話しているんじゃなく、そのとき一度に目で追えたところまで読み上げるもんだから。
 そっかあ、今ここまで目に入ったんだ、だからここまでなんだ。で、次はどこからか一瞬わからなくなって沈黙して、あわてて続きを読んで、の繰り返し。

 ほんま不器用なんや……。
 語尾が原稿通りでなくてもいいから、文章の最後まで言い切っちゃえばいいのに。で、次の文章の頭から、また原稿見ればいいのに。
 または、大意さえ間違ってないなら、自分の言葉で説明しちゃえばいいのに。

 いやあ、おもしろかったっす。
 基本事項がうまくできず、いっぱいいっぱいなのに、「なにかおもしろいことを言わなきゃ」みたいな気負いもすごくて、全力で空回ってる様子が、愛しい。

 そんなきんぐの横で、淡々と自分の仕事をするあゆみ。

 あゆみちゃんも、自爆しまくるきんぐのフォローができる状態ではないんだろう。また、男役を立てるために、仕事量はきんぐが圧倒的に多く、あゆみちゃんはアシスタント。
 結果的に自分の仕事を黙々とすることに。

 幕が下りている間に、ふたりが抽選会を仕切るという運びで、賞品が『フットルース』と『双曲線上のカルテ』のチケットだったりしたから、気の毒にきんぐは長々と作品解説を読まされていたんだ……(笑)。

 抽選会、司会、というより、なんか不思議なコントを見せられている感じだった。

 いっそ、芝居の衣装でやってほしかったわ……きんぐのあの、アルバ公爵のヒゲ美丈夫ぶりで、このダメっこわたわたぶりを……その横で淡々としたイサベル王妃を……(笑)。

 このふたりのコント……もとい、やりとりは、本舞台でスタンバイしているトークショー出演者たちにも丸聞こえなわけで。

「準備が整ったようです(原稿読み上げ)!」のきんぐの声と共に緞帳が再び開いたとき。

 出演者たちは、微妙にニヤニヤしていた。

 タイトルが「ドン・カルロスと家族達 編」だし、きんぐコントがそれなりに長かったので、芝居衣装へのお着替えを期待していたんだが、予想通りのショーの黒燕尾でした。女子はフィナーレのピンクドレス。

 さあっ、本番だ、原稿読み上げるだけでは済まない! きんぐの力こぶし! 気負いすげえよ、誰か止めてあげてー!(笑)

 使命感!と背中にマジックで太書きされたよーなきんぐが、さっそくお客様からの質問を読み上げる。
 あ、質問用紙がロビーに設置されており、誰でも書くことが出来たの。

 最初の質問です。きんぐがんばります!
「出演者のみなさんへの質問です。初日から10日ほど経ちましたが、なにかハプニングや失敗はありましたか?」
 最初ですからっ、がるがるがるっ、きんぐ前のめりっ。
 盛り上がることが鉄板の仕込み質問!みたいな、最初の一歩。

 キムくんは「ハプニング~~?」と真面目に反応。で、何故かキムくん、隣のまっつに振る。「なんかあった?」と。
 そこでまっつ。

「え。あっても言えないでしょ」(エエ声)
 ばっさり。

 まつださん……(笑)。

「まだ笑い話にならない」そうで。
 場内爆笑。

「そ、そうですね……えー……えーと……(なにを言えばこの流れをフォローできるかわからない)」きんぐ、パニック。
 がんばれきんぐ、負けるなきんぐ。

「じゃあ、じゃあ、ええっとっ、好きな場面ってありますかっ?!」

 ……ヲイ。最初の質問は?
 みなさんへの質問だから、キムくんとまっつが「言えない」と言ったとしても、他のみんなにも一言振るとか、「そんなこと言わず、なにかないですか」とか、もっとなんとかしようよ、広げようよ、受け止めようよ!(笑)

 つまずくと、立ち向かうのではなく、全力で方向転換しやがった……(笑)。

 おいしい。きんぐ、おいしいわー。
 半円を描くように椅子を並べて坐っているんだけど、きんぐのところだけ汗マークが見える。マンガみたいに盛大に飛び散ってる。

 終始この調子で。
 きんぐがステキ。
 キムくんもまっつも、笑顔で(笑)きんぐをいじる。Sや……こいつら、Sやわ……(笑)。

 楽しいトークショーでした。
 単なる思い込み、わたしが勝手にそう思っている、というだけの話です。

 キムシン作品について。

 キムシン作品に一貫している「名もなき民衆」への怒りと疑問。
 「個」であることを放棄し、「群」として暴走する人々。

 最近のキムシン作品は、この「名もなき民衆」よりも、さらに一歩踏み込んだところに関心が移っている気がする。

 匿名の人々が無責任なのも愚かなのも当然のこと、もう責めても仕方ないよ、ってキモチになったのかは知らない。
 そーゆー気楽な人々ではなく、きちんとした「個」を持つ人について描くことに興味が大きくなっている、気がする。
 根っこにあるのは同じだと思うけれど。

 キムシン作品を紐解く上でのキーワード、キムシンがもっとも「許せない罪」だと思っているのはナニか。
 裏切りでも殺人でも自殺でもない。

 わたしは「見殺し」だと思っている。

 彼の作品で、もっとも醜く愚かなものとされる「名もなき民衆」が、毎回必ず行うこと。
 彼らは「名前」のある者を安全な「みんな」の中に隠れて攻撃する。私は悪くない、だってみんながやっているんだもの。
 彼らは自ら手を下さない。そんな「悪いこと」はしない。やっているのは「みんな」で、実行犯という「個人」はいない。
 誰も手を下さず、手を汚さず、名前のある「個人」が苦しみ、破滅していくのを眺めている。
 見殺しにする。

 見殺しは、法律で裁けない。
 助けられた「かも」しれないというだけで、それをしなかった人を罪に問えない。
 だから安心して、見殺しにする。
 法で裁けないのだから、罪ではない。
 安全、安心。
 破滅していく個人を眺めていてよし。愉しんでもいいし、同情する自分に酔うのもいい。
 好きにすればいい、責任を取らなくていいのだから、自由なスタンスで見殺しにすればいい。

 近年のキムシン作品は、この「名もなき民衆」の罪に言及しなくなったなあ、と。
 彼らにはもう、とりたててナニも言う気はなくなったのか。
 そこから進んで、「個人」の話になっている。

 見殺しは法で裁けない、ではナニによって裁かれるのか。
 っていったらそりゃ、己れ自身、ですよ。
 良心とか矜持とか。その人個人が持つモノですよ。
 「みんな」から手を離し、「個人」に関心が移ったなあ、と。

 「みんな」は勝手にズルしてればいいんですよ。
 みんながそうだからって、「自分」がどうするかは、自分で決める。
 みんながズルするからって、「ずるい!」とは叫ばなくなった。そんなことしたって、「みんな」は変わらないもの。
 それよりも、自分がどうするかを考えよう。

 聖人にも神様にもなれない自分は、せめて、見殺しだけはしない。

 「みんな」のせいにしない。
 自分で考え、自分でする。自分のしたことの、責任を負う。それが「名前がある」ということ。
 「名もなき民衆」ではなく、「主人公」ということ。

 『誰がために鐘は鳴る』を観たときに、着目した。
 この作品の主人公は「見殺し」をする男だった。
 傷ついた友を見捨て、自分だけ生き延びた。
 それが必要なことだった、戦場では当然のことだった。
 ここまでなら、彼は「名もなき民衆」だ。戦士として仕方なかった、戦争だから仕方なかった、で逃げることが出来る。
 でも彼は「主人公」だ。名前のある男だ。
 彼は、自分が仲間を見殺しにしたことを受け止め、責任を負っている。
 だから、同じ局面になったときに、今度は彼が「見殺しにされる立場」になる。自分がしたのと同じシチュエーションで死ぬことになる。自らの、意志で。
 彼は仲間を見殺しにしたのではない。自ら、手を下したんだ。手を汚したんだ。そしてそれは、自分もまた同じように殺されることを納得して、覚悟して、すべてを背負った上でのことだった。

 キーワードは「見殺し」。
 再演作だからキムシンの意志がどこまで反映されているか知らないけど、わたしは観ていてとても納得した。
 この作品を、よりによってキムシンが演出していること。

 責任を取ること。
 それが「名もなき民衆」にならない方法。
 「名もなき民衆」に絶望し、責めたてていた者が示せる方法。お前らとは違うんだ、と。


 そして今回。
 『ドン・カルロス』

 初日を観劇し、わたしが勝手にキーワードだと思っている言葉、「見殺し」を、フェリペ二世@まっつが口にしたときに、胸が騒いだ。
 フェリペ二世の描き方に偏りを感じていた。『ドン・カルロス』という物語なら、こうまでフェリペ二世をクローズアップせず、他のところを書き込んでもいいんじゃないかと思って見ていた。
 そこへ、キーワード。

 で、帰宅してからプロクラムを読むと、キムシンがえらくフェリペ二世について語っている。彼との出会い(笑)ゆえに、この物語がスタートした、みたいな。
 それでさらに、納得した。
 そういうことなのかと。

 キムシン的キーワードを担うのが、フェリペ二世なんだ。

 そしてフェリペ二世は、「名もなき民衆」ではない。彼は「名前」がある。
 彼は見殺しにはしない。
 堂々と、自分の過ちを認める。

 「これは取り返しのつく恥だ」……認め、改める。受け止めることで、前へ進む意志を示す。
 だから彼は「名前」があり、「主人公」のひとりたり得るんだ。

 ……しかし。
 ほんとのところ、この作品はフェリペ二世にキーワードを託すべきではなかったと思うんだ。
 タカラヅカには番手制度があるから、そうやってフェリペ二世に思い入れがあり、きちんと描きたいと思うなら、フェリペ二世を2番手にやらせて欲しい。
 そしてもっと突っ込んで、キーワード関連を描いて欲しかった。
 いや、まっつのフェリペ二世好きだから、彼で観られてうれしいんだけど。


 キーワードを担うのは、ポーザ侯爵@ちぎであるべきなんだよー。

 物語全編の「主人公」カルロス@キムは、最初から最後まで「名前」を背負い、責任を負って生きる人間だ。それゆえに彼は孤独である。王子としての責任をわきまえているから、たったひとつの愛すら口に出来ない。
 「みんな」で「ネーデルラント救済」に酔う友人たちを諫め、「個人で行動する」=責任を負う、ことを主張し、実際にそうするように。
 カルロスは最初から、ブレなく「主人公」だ。

 ポーザ侯爵は、そんなカルロスの対として描かれる。
 仲間を煽ったり、手っ取り早く権力のあるカルロスを利用しようとする。
 だがカルロスに拒絶されてはじめて、「自分で立ち上がるしかない」と覚悟を決める。自分が汚れることを、受け入れる。
 異端審問で最後までだんまりを決め込めば、彼は「名もなき民衆」だった。
 しかし彼は最後の最後で立ち上がっている。カルロスを見殺しにはせず、責任を負うつもりだったのだろう。

 カルロスとポーザ侯爵を、もっと深く突き詰めて欲しかった。
 ここにこそ、キムシンのキーワードが生きると思うから。

 キムシンがフェリペ二世を好き過ぎるのが、いかんかったんやろうなあ(笑)。なにしろ彼(16世紀の人)と「会った」みたいだからなあ(笑)。


 なんにせよ、キムシンの書く物語が好きです。
 わたしはキムシンスキーなので、キムシンに甘い。
 彼の作る物語が好き。

 主役以外にろくに役がない、というのもここがタカラヅカである以上欠点であると思っているけれど、キムシンに関しては、あまり重要視していない。
 物語が好きなら、作品が良いなら、その辺はスルーできるらしい。

 タカラヅカの魅力は出演者が多く、数に任せた演出が出来ること。
 そしてそれはネックでもある。普通の演劇と違い、ありえない人数に見せ場を作らなければならない。

 キムシンはネック部分はさくっと無視して、数任せの演出をしてきた人だと思う。
 北京の民や大和の民の扱いは、ひどかった……。
 ひどいけど、作品自体は楽しんで観られた。

 なんでかっつーと、主役たち、主要キャストのアテ書きが心地よかったためだ。

 タカラヅカはトップスターを頂点に置くピラミッド形式。トップとその周辺が魅力的に描けているなら、名もなき下級生に見せ場も役もなくても仕方がない、それがタカラヅカだと思っている、ためだ。
 もちろん、たくさんの人に見せ場や役があれば、あるほどいいと思っているけど。

 人間背景、歌う大道具扱いの下級生ファンにはつらいだろうけど、「タカラヅカ」を楽しむ・物語を楽しむという点では、トップ周辺が素敵なアテ書きっぷりなら満足できるんだもの。
 その昔、新公主演経験者であり研10にもなった贔屓が、そのただの歌う大道具のひとりとして十把一絡げにされ、出番もほとんどないし台詞はアルバイト含めてたった4つという扱いを受けていたけれど、それでもワクテカ観劇できたのは、トップスターの魅力を堪能できる作品だったからだ。
 オサ様の「トカゲ~~♪」を聴くだけで、悶えまくれたよ……。オサ様とえりたんの車内いちゃいちゃを眺めるためだけにリピートできたよ……。

 表現したいモノのために、なにを取捨選択するか。
 キムシンはとても本能的に、自分本位に作劇している気がする。

 生徒に見せ場を作るために無意味な重複場面を作ったり、生徒の格のために無意味に何行も喋らせたり、生徒への思いやりでストーリーと無関係な歌を歌わせ無関係な衣装を着せて銀橋を渡らせたりは、しないんだろう。
 自分がやりたいように、自分の物語に必要なことを、「タカラヅカ」の番手制度に則った上で、やっている。

 キムシンの自分スキーぶりと、自分の作品萌えぶりは、心地よい。

 まず自分を愛していなければ他人を愛することなんて出来ないし、自分の作品を愛していないと人様にお見せできる作品なんかにはならない。

 キムシンは自分が好きで、そして、人間というもの自体が、大好きなんだろうな。
 人間に期待しているし、夢を持っている。
 性善説が根っこにあって、それゆえに創作している。
 それが伝わってくるのが、心地よい。

 キムシン作品に一貫している、「名もなき大衆」への批判・疑問も、人間が好き、ってのが根っこにあるゆえだ。
 加えて、ロマンチスト(笑)。こっぱずかしい系の男性的ロマンを持っている。ストレートにプロポーズを歌わせたり、「アナタをつかまえた。もう離しませんよ」なんて赤面台詞を書いちゃうくらいに。
 タカラヅカに合った演出家だなあと思う。

 とまあ、勝手な思い込みでいろいろ語ってますが、本題は。

 今回の『ドン・カルロス』

 もっと役を創ることはできなかったのか。とゆーことだったりします(笑)。

 キムシン作品好きだけどさ-。人間背景の歌う大道具も許容範囲だけどさー。
 あともうちょい、なんとかして欲しかったなー。

 イケメン貴公子グループの使い方が、残念すぎる。

 オープニングはただの「歌う解説者」。他にもいっぱい同じよーな殿方たちが出演しているので、グループとしてすら区別しにくい。
 淑女たちの噂話の間、銀橋の端とか花道とかにいてくれたらいいのに。で、名前と共にライト浴びるとか、個別認識させる演出をしてくれよー。

 彼らの見せ場としては、グループで登場する若者たち集い場面が唯一の機会。
 ここをもう少し長くするなりして、個別にキャラクタがわかるようなやりとりを入れてくれよー。
 せっかくの麗しい美形揃いなのにさー。今のままじゃ区別も付かないよ。


 娘役の扱いは、さらに低い。
 公女グループとかでオイシイ場面や歌があると期待したのになー。

 今回、グループ分けすらないの。
 歌う大道具として、その場限りの存在。

 役名のある人たちは、その役と所属するグループで、一貫してわいわい登場してくれたら、にぎやかしでしかなくても個別認識しやすかったのになー。


 下級生の使い方、役の付け方・動かし方は、こだまっちがうまかったなあと思う。
 下級生ファンなら、『仮面の男』の方が『ドン・カルロス』より通いやすかったんじゃあ……?
 てくらい、しどころがないなー。


 そして、実は下級生よりも、中堅どころにとってキツイかもなと思う。
 じーさん役とはいえ、キャラクタがはっきりしているルイ・ゴメス@がおりはまだいいとして。

 コマの出番があれだけって……?!

 初日は贔屓を見るだけでいっぱいいっぱいだったので、ちゃんと理解できてなかった。
 観劇後に友人とあれこれ話しつつ、首を傾げるわけだ。
 コマくんは、どこに出ていた?

 宮廷画家ティツィアーノ@コマは、仮面舞踏会にて堂々のソロがある。センターでスポットライトを浴びて、1曲歌いきる。
 とても派手な登場であり、派手な場面だ。

 しかし。
 その他の場面は……?

 や、マジで出てないんだわ。舞台上にいないのだわ。
 出番も見せ場も一点集中。仮面舞踏会のみ。あとは裁判の傍聴人として背景に混ざるのみ。

 これは……。
 今までのコマくんの立ち位置的に、きついわ。
 コマくんだと、モブのアルバイトもできないから、ほんとに舞台の上に出してもらえないんだもの。

 最初の国王の謁見の場に混ざっていたり、もう少し出番を増やすことはできないのかなあ。


 アルバ公爵@きんぐもまた、出番なさ過ぎ……。
 信じられないくらいイケメンなのに!←

 男臭い役をやるときの、きんぐの美形っぷりはすごいです。
 一見に値します。
 『ロミジュリ』のときもそうだったけど、きんぐはワイルド系の方が男前上がるのよー。優男より、脳筋男よ~~。

 あんだけかっこいいのに、ただ立っているだけ、デコレーション軍人、てのがなあ。
 もったいない~~。


 主軸を丁寧に描いてあるのはすごくいいし、大好きなんだけど、あともう少し、今のままで今の状態を壊すことなくプラスアルファすることで、さらに良くなると思うの。
 それがもどかしい。
 宝塚歌劇、2階席の魅力……!
 って、劇団HPの売り文句じゃないけど。

 『ドン・カルロス』は2階席から観ても、おもしろい。

 贔屓のが好きな身としては、とにかく前で観たい。端っこでもいいから、前方席で観たい。
 その思いから、ついがんばっちゃって、1階席でばかり観ていたんだけど。

 リピートするに従って、2階席でも観る機会があった。
 前方席買い続けるお金ナイし(切実)、いろんな角度から観てみたいしで。

 びんぼーだからと当日Bで観たときは、後悔した。
 舞台までが遠すぎて、集中力を持続するのに気力が必要、よっぽどモチベーション高くないと、…………眠い。
 大好きな作品だけど、その、単調なのは確かだからなああ。

 これに懲りて、また1階、前方席にこだわり(笑)。
 次に、友人に誘われ、並んで2階最前列センター付近で観劇した。
 この2階前方席が、なかなかに、楽しかった。
 出演者もよく見えるし、舞台全体もよく見える。
 コスパの悪い2階S席嫌っていたけど、最前列なら楽しいかもー、とか、あくまでもびんぼー人的視点で考えた。

 そして、さらに。
 これまたびんぼーゆえ、S席チケットが買えず、B席に手を出した。
 14列目センター。
 17列目であんだけ舞台が遠くて眠気に襲われたんだ、2階後方は鬼門だわと避けていたんだけどさ、お金ナイんだもん、高いチケット買えないんだもん、でもまっつには会いたいんだもん! と、泣く泣くB席。びんぼーなのがみんな悪い。

 で。
 この、避けていた2階後方席にて、びっくり、感動する。

 たしかに、出演者の顔は見えない。
 まっつなんか顔小さすぎだよ、豪華な衣装と大きな帽子に埋もれて見えねーよ(笑)。
 帽子を深く被っているおかげで、口元しか見えない時間も長いしさ。

 キムくんやみみちゃんの涙も見えないよ。
 男前きんぐも遠いよ、コマくんの唇の下のちょびヒゲも見えないよ。
 ジェンヌを見る、という点では、つまんないなあ、B席。

 しかし。

 舞台演出が、美しかった。

 近い位置で見ると目が点になった青ネギも、書き割り感の強かった舞台セットも、俯瞰して眺めると美しかった。
 や、わたしはもともとキムシンの抽象的な舞台セットが好きなんだが。もともと好きなこと以上に、美しかった。

 ライトの力は、大きい。
 2階席の楽しみのひとつは、照明。ショーでピンスポを追うのが好きだったりするんだけど、今回は芝居の方がおもしろかった。
 舞台の床に映るライトがすげえ。ここまで合わせて、ひとつの場面なんだ、と思った。

 なんつっても、フェリペ二世@まっつ。

 臣下を下がらせ、玉座でひとりになる。
 亡き妻の名を呼んでうじうじする場面、ここの画面がすごかった。

 穴あきの書き割りで王宮を描いてある。全面にきらびやかな絵、ではなく、抽象的に端はすぱっと闇に切り取られている。
 んで、その書き割りの後ろは黄金のカーテンで仕切られていて、書き割りの穴から金色がのぞいている。
 玉座は何故かセンターではなく、上手寄り、舞台の3分の2くらいのところにある。
 主役のカルロス@キムくんがセンターで芝居をする都合だろうと、深く考えずにいた。
 しかし、それだけじゃなかったんだ。

 ひとりきりになった王が、その上手寄りの玉座に坐っている。
 平面的な、書き割りのセット。金色と、闇。玉座と豪華な衣装。

 押しつぶされそうな、孤独感。

 1枚の絵として、美しさに息をのんだ。
 玉座の位置と下手端の闇の描写、舞台の半分以上を占めるなにもない空間……そんなものが全部機能して、フェリペ二世の孤独感が視覚として、伝わる。
 まっつの演技云々だけでなく。
 舞台全体、美術も照明も、すべて合わせて、フェリペ二世の心情、立ち位置、抱えているモノ背負い込んでいるモノを、表している。

 で、これだけでもお、彼の孤独が痛いほど伝わるわけですよ。そこから疑惑に囚われていくわけですよ。
 背景の王宮も消え、暗闇になる。

 ここではじめて、フェリペ二世はセンターに立つ。

 王宮の背景や玉座は、上手寄りの位置にフェリペ二世がいるとこで、彼の孤独を浮き彫りにした。
 背景がなくなり、闇になったときはセンターに立つことで、彼の不安の大きさがわかる。

 この演出に息をのむ思いでした。

 で、次の「幻覚」場面。
 2階席楽しい! と思うひとつは、確実にここの演出だ。

 1階で観たときとぜんぜんチガウ!
 1階だと平面に次々現れる幻覚たちが、2階からだと三次元なの、奥行きがあるの。
 1階で観たときも十分おもしろい演出だと思ったけど、2階での楽しさ半端ねえ。
 最後にカッと輝度の高いライトが照らすとき、ぞくぞくした。

 …………初日からしばらくは、まっつしか見てなかったから、幻覚の演出がどうゆー効果になっているか、わかってなかったのね(笑)。あたふた翻弄される陛下が楽しすぎて、そこしか見てなかったんだもん。
 数日して落ち着いて、はじめて全体を眺めて「え、おもしろいじゃんこの演出」と思い、それからさらにしばらくして2階で観て感動し、さらまたしばらくしてB席で観てさらに目からウロコ、感動する、と。
 なまじ贔屓の場面だから、彼の顔ばっか眺めちゃって、ふつーの人が気づくことになかなか気づけないという(笑)。

 幻覚場面は別アングル欲しいっす。
 まっつの総受っぷりをアップで楽しむアングルと、演出全体を楽しむアングルと……あああ、わたしに目がよっつあれば……っ!!

 フェリペ二世の場面は、B席でなくても2階からなら楽しめると思う。

 2階最前列のときより、後方だからこそ感動したのが、カルロスとレオノール@みみちゃんの、星空デュエット。

 カルロスを拒絶し、ひとり帰路につくレオノール。
 銀橋で切なく愛を歌う。
 レオノールに拒絶され、自室にひとり立つカルロス。
 バルコニーで切なく愛を歌う。
 どちらもひとりきり、視線を合わすこともなく、ただ愛を歌う。

 ふたりを包む、星空の美しさ。

 この場面に星空のライトが使われていることは、初日からわかっていた。あらきれいね、とは思っていた。
 それはどの席にいたってわかる。
 ただ、前方席だとあまり効果は感じられなかった。星空よりも舞台や銀橋の方が近いから、視界がそれだけで埋められてしまう。
 2階1列目のときも、「わかっているきれいさ」を確認したのみだった。

 それが、14列目で観たとき。
 美しさに、涙が出た。

 美しく悲しい歌声に呼応して、劇場中が、星空になる。

 カルロス、レオノールと、シンクロする。
 同じ世界に入る。

 星空が広がったとき、異世界であったはずの舞台上と、同じ世界になるの。融合するの。
 かなしいふたりの心が、自分の心になるの。

 当日Bでは遠すぎる。1階席は角度がチガウ、2階も前方だと近すぎる。
 少し離れて、星空のライト全部が視界に入る、あのあたりが効果絶大なんだと思った。

 あの「入り込む」感覚は、すごいわ。
 自分のいる場所が、別の次元にぐいっと入る、変わる感覚。
 どきどきしたー。


 てことで、2階席楽しいですよ。
 おすすめ!


 でもやっぱり、1階最前列銀橋かぶりつきで観てみたいけどなー(笑)。←
 長谷川氏の音楽は、美しい。

 今回なんつっても、耳に残るのは、「レオノール/カルリート」と「心から心へ」。

 わたし的にいちばん涙腺を刺激されるのは、「レオノール/カルリート」だ。
 プログラムによると、この「レオノール/カルリート」は別の曲扱いらしい。同じ曲だと思うんだが、カルロス@キムが歌うのが「レオノール」、レオノール@みみが歌うのが「カルリート」。

 「心から心へ」は壮大なテーマ曲だけど、「レオノール/カルリート」は、ストレートな、愛の歌。
 ラヴラヴな歌じゃない。片恋の歌だ。
 求愛ではない。なにかを求めてはいない。
 ただ、相手を呼ぶ歌だ。愛を声に出す歌だ。
 立場をわきまえ、相手を思いやるがゆえに耐え、なにも望まず、ただ愛を口にする。
 絶望的に、ただ、愛を歌う。

 それゆえに、泣ける。

 2回目以降の観劇だと、幕開きから胸を締め付けられる。

 緞帳が上がるときの、この作品の最初の音楽が、「レオノール/カルリート」なんだ。
 なにも望まない、ただ純粋に、愛だけを吐露する曲が、流れる。

 愛してる。
 それだけの。

 物語が進み、カルロスが誰を愛しているかは、最初は明かされない。フェリペ二世@まっつはイサベル@あゆみとの仲を疑っているし。
 自室に戻り、ひとりきりになってはじめて、カルロスは愛する人の名を呼ぶ。
 それが、「レオノール」。

 歌っていると、当のレオノールが現れ、カルロスの胸は躍る。
 しかしレオノールはがんとしてカルロスを受け入れず、幼い頃の親しさ……愛の誓いを、拒絶する。

 そうやってカルロスを斬り捨てたのち、レオノールはひとり真実を口にする。カルロスを、愛していると。
 星空の下、ひとり歌う。「カルリート」。

 身を引いたカルロスもまた、自室で歌う。「レオノール」。

 それぞれが、愛を歌う。
 片恋の歌。許されざる愛の歌。
 互いの声は聞こえない。ふたりの視線はからまない。
 別の方向を見て、同じ星空の下で愛を叫ぶ。

 ひとりきりの歌。
 でもそれは、同じ旋律で、美しいハーモニーになる。

 歌声と、星空の、壮絶的な、美しさ。

 息をのむ。
 あまりに悲しく、美しいことに。

 こんなに愛し合っているのに、想いを伝えることすら許されない。
 その切なさ。

 そして、次にこの曲が流れるのは、仮面舞踏会で、だ。

 カルロスとレオノールは幼い頃、フアナ@リサリサの庇護の元に過ごしていた。フアナは、ふたりの親代わりのよーなものだ。
 フアナはふたりが愛し合っていることに、気づいていたのだろう。そして、ふたりが結ばれないことも、知っている。
 だから彼女はふたりのために、レオノールの縁談を用意する。
 あきらめさせるため、けじめを付けさせるために、フアナはカルロスに告げた。レオノールの結婚を。

 カルロスも、わかっている。
 どんなに愛しても、レオノールとは結ばれない。
 わかっていたことが、おそれていたことが、今、現実となって目の前に差し出された。
 レオノールが結婚する。

 それゆえ彼は、人目も憚らず、レオノールに手を差し出す。
 レオノールを、奪いにゆく。
 たった一夜限りの恋。
 ふつうの恋人同士のように、堂々と手を取り合って踊る。
 声を出して笑う。

 今、このひとときだけの。

 これは夢かもしれない。
 明日になれば覚める。消えてなくなる。
 それがわかっている、つかの間のきらめき。

 その、しあわせなふたりの背景に流れるのが、「レオノール/カルリート」。

 絶望的な、愛の歌。

 美しい旋律。
 美しい人々。
 愛し合う恋人たち。

 なのに。

 悲しい。


 いや、もお。
 きついですよ。
 たまりませんよ。
 パブロフの犬みたいなもんですわ。
 「レオノール/カルリート」が流れると、泣く。
 ふたりの悲しい恋が、絶望的な美しさが、胸に痛くて。

 仮面舞踏会は一見楽しい、明るい場面なのにね。
 キムくんの「アナタをつかまえた。もう離しませんよ」という破壊力MAX台詞だってあるのにね。
 その台詞だって、「今生最後」だと覚悟したからこその、台詞なんだよ。
 最初で最後、もう二度とないとわかっているから、そこまで追い詰められたから、無茶を承知で奪いに行った、それゆえの強引な台詞なんだもの。

 わたしのツボ、ど真ん中なのね。
 わたし、片恋大好物だから。
 カルロスの片思いぶりが、好きすぎる。
 聡明なレオノールは、彼女から線を引いているのね。彼女が、カルロスを拒絶しているの。
 立場的に、レオノールさえうんと言えば、カルロスは恋を遂げることはできるんだもの。彼女を愛人にすればいい。彼にはそれだけの権力がある。誠実な彼がそんなカタチでの成就を潔しとしないとしても、そーゆーケリの付け方は、ある。
 でもカルロスがそーゆー選択肢に悩まずに済むよう、レオノールが先んじて拒絶しているのね。
 だからカルロスは、レオノールに片思い。
 昔の愛称で呼びかけても、愛称で呼んでくれと訴えても、彼女は頑なに「殿下」としか返さない。

 片恋が好物で、切ない/痛い系の恋愛モノが大好物のわたしだから。

 悲しいと美しいがイコールである場面・物語は大好きなの。
 「レオノール/カルリート」が流れる場面は、たまらなく美しい。そして、悲しい。
 この、胸の詰まるような切なさが、ツボ過ぎる。

 「レオノール/カルリート」は、美しい曲だ。
 長谷川氏の音楽は、美しい。

 それは認めている。
 その上で。

 ……キムシンはもう、甲斐せんせとは組んでくれないんだねええ。

 オペラ原作だからと、一縷の望みを掛けていたんだよ、『ドン・カルロス』の音楽。

 長谷川氏の音楽は美しいが、地味で単調。ハッタリに欠ける。テレビなどの小さな枠の中なら「きれい」だけでいいのかもしれんが、大劇場ではスケール感が足りない。
 んで、リピートすると曲の良さがじわじわわかるけど、1回だけだと地味過ぎて残らないという。

 キムシンがどーしても長谷川氏を使いたいというなら、彼ONLYではなく、複数の作曲家を使って適材適所にしてくんないかなあ。
 長谷川氏だけだと、ぶっちゃけ眠くなるんだよ……。
 「レオノール/カルリート」もすごくきれいだし、大好きだけど、子守歌効果もあるんだよなああ。また、キムくんの声が心地よくてなああ。
 こんだけ大好きなのに、それでも「眠い」という声も理解できるもんなあ。

 ……されど、ほんとに、きれいはきれいだよなああ。長谷川氏の音楽。
 オープニングから、泣ける。
 『ドン・カルロス』 でナニがうれしいって、トップ娘役演じるヒロインが、地味な女官服を着ている、ということだ。

 最初に観たときに、感動した。

 まず大勢の女官たちが舞台に登場し、その地味な茶色のドレスを見せる。全員同じ服、その上髪をすっぽり覆った白いメイドキャップで、完全に個性を殺している。
 彼女たちが裏方であり、華やかな貴族社会の外側にいることを教える。

 その「裏方」でしかない茶色のドレスとメイドキャップを身につけて、ヒロイン・レオノール@みみちゃんが現れた。
 わきまえた聡明な態度でもって。

 すごい。女官がちゃんと、女官だ。

 ……こんな当たり前のことに、感動した。

 ここはタカラヅカ。
 下働きだろうと馬番だろうと、トップスターが演じるならば誰よりもキラキラの、華美な衣装を着る。
 時代考証をがちがちに守る必要はない。見た目の美しさを優先してよし。
 しかし、貧富差やパワーバランスは、守るべきだと思っている。

 平民の役なのに、王様より豪華な衣装で「身分の低いオレは、貴族のお前とは釣り合わない」とか言われると、興ざめする。
 トップスターだから豪華な衣装、と役の身分を無視するのは、つまり、豪華な衣装がないとトップスターとしての格を保てないと言っているよーなもんだ。
 それが芝居である限り、平民の役も労働者の役も、あるだろう。なのにトップだから、名のあるスターだからと、いつもキラキラ豪華衣装しか着ない、なんて、おかしい。

 豪華な衣装を着られるかどうかで、役の善し悪しを語る人が苦手だ。
 わたしは、中身のある素晴らしい役なら、衣装の豪華さなんか、どーでもいい。

 と、常々思っている。
 そりゃ、キラキラ豪華で美しかったりかわいかったりする衣装を何着も着替え倒し、かつ、内容のある役だといちばんいいけど。
 大切なのは、まず内容。
 トップが豪華な衣装を着替えまくれるから、という理由だけで作品や役を選ばれたり作られたりしたら、その方が嫌だ。
 いつもいつも王様とお姫様しか、主役に出来ない。「タカラヅカってそんなもんでしょ?」とは、思わない。

 みみちゃんはトップ娘役だ。
 しかし彼女が、ちゃんと女官衣装を着て、女官として登場したことが、めちゃくちゃうれしかった。
 豪華な衣装<物語と役
 そう考えられた作品だとわかるからだ。

 レオノールが地味な女官衣装を着て、他の女官たちに混ざっているのは、物語として意味があるんだ。
 主人公カルロス@キムとの立場の差、身分の差がも嫌でもわかる。
 また、カルロスとレオノールが密会していても、堂々と仮面舞踏会で踊っても、ポーザ侯爵@ちぎ他に重要視されないのは女官衣装ゆえだ。
 「主役」にはなりえない、そこにいてもいないものとされる「黒子」認識なんだ。そのために、あの衣装は必要なんだ。

 そして、カルロス。
 貴族たちが「黒子」として個別認識もしない女官の中から、愛する少女の手を取るカルロスの人となりがクローズアップされる。
 女官服のレオノールと、人前で臆することなく踊る。
 貴族たちは、仮面で目元を隠したレオノールのことは、まったく誰かわからないはず。ただ「女官」という以上には。興味もないから、それだけでは区別が付かない。
 カルロスにだけ、意味がある。彼は愛する女性がどんな服を着ていたって、ちゃんと見つけて手を差し出すんだ。

 レオノールにとっても、茶色の女官服は、自分を律する鎖であったはず。
 他の女官たちと同じ服を着、同じように控えて生きる。
 王女フアナ@リサリサのお気に入りの侍女であったとか、今は王妃イサベル@あゆみの腹心であるとか、特別扱いを望めないでもない立場だが、あえて平の女官たちと同じ姿でいる。
 彼女が唯一求めた相手、カルロスの愛をあきらめるために、ことさら身分の違いを大きく打ち出す。
 心が暴走しないように、守る鎧であったはず。

 そしてクライマックスにて、レオノールは自らその鎧を、戒めを破り捨てるんだ。
 女官服を破り、裸足で石垣を登る。
 わきまえた女官、あきらめた人生、自ら課した鎖を、自分自身で解き放つ。


 トップ娘役だからって、ひとりだけブリブリドレス姿で「女官でございます。身分が違います」ってやられなくて良かったよー。

 キムシンはそのへん、安心な人だと思っているけど、今回も改めて思った。
 マンリーコ@たかちゃんに、ボロ服着せた人だもんなー(笑)。
 衣装より、役の方が大切!

 それに、レオノールの衣装は一見他の女官たちと同じだけど、ちゃんとトップ仕様になっている。
 布は模様の織り込まれた豪華なものだし、衣装デザインだってかわいくなっている。
 他の女官は簡素な布地に、簡素なデザイン。同じ色で同じテイストの飾りがついているから、みんな等しく同じモノを着ているよーに見えるけど、ちゃんとレオノールだけ豪華なんだよなー。
 このことを、とても「うまい!」と思う。
 ここがタカラヅカである以上、びんぼー人の役だって、ほんとうに粗末な衣装であってはいけないんだもの。
 レオノールは女官たちと離れてひとり舞台に立つわけで、お客様の目を楽しませるために美しい衣装であることは必須だもの。
 誰より豪華なカルロス王子と並んで、「タカラヅカ」としての世界観がかけ離れていてはいけないもの。

 ちゃんと「黒子」たる女官衣装で、なおかつ豪華で美しい衣装である。
 身分違いであると視覚的にわからせることと、目を楽しませることを、同時に満たしている。
 うまいわー。

 これが一部の演出家作だと、絶対レオノールはキラキラのお姫様衣装で登場してただろうなあ。
 キムシンでよかったよ。


 とまあ、細かいことは置くとしても。

 女官ドレスのみみちゃんかわいい! ってだけでも、十分うれしい。楽しい。
 とっても困ったちゃんな王様、フェリペ二世@まっつ。
 おめーがすべての元凶なんだよ! という、『ドン・カルロス』

 ラストでものすごい変心を見せる彼ですが、それっていいの?
 てゆーか、そもそもアナタ、イサベル@あゆみちゃんのこと、どう思ってたの?

 書かれているのがカルロス@キムとの対話場面のみで、イサベルと話す場面はない。

 ふたりの仲を疑いだしたとき、フェリペ二世が言及するのは、カルロスのみだ。

 「たったひとりの息子に裏切られるとは」って、カルロスのことしか言ってないやん!

 自己愛ゆえの被害妄想なんだけど、ここで息子のことしか考えてないくらい、嫁には興味なかったっぽい。

 まあふつーに考えて、キライではナイだろう。
 40男のところに、ぴっちぴちのハタチ前後の娘が嫁入りしてきたんだ。嫌わないわー、問答無用に「可愛い」と思うわー。
 しかも、子どももふたり産ませてるんだよー、その子どものことはかわいがってるらしいんだよー、ふつーに好きでしょう、可愛いでしょう。

 ただ、「可愛い」からといって、恋愛になるかどうかは別で。

 恋愛したいお年頃のイサベルは、本能的に夫にソレを求める。
 恋愛年齢を通り過ぎたフェリペ二世は、義務的な愛情だけでヨシとする。
 そりゃあすれ違うわ。

 しかもイサベルは、嫁いできた当初病気がち。
 政略結婚の道具なわけだから、健康でない、というのはかなり商品価値を下げているはず。子どもを産まないと存在価値否定されるしね。
 もともと活発なタイプでないのなら、アウェイでいきなり失点続きの状態に、心がくじけても仕方ない。
 その後、子宝には恵まれたけれど、最初のつまずきもあってか、おどおどした、内気な態度。きっと王の前でもいつもかしこまって、言いたいことも言えずにいる女性なんだろう。

 フェリペ二世って、エボリ公女@あゆっちみたいな、すぱすぱ物言います、聡明で自立してます、如才なく駆け引きも出来ます、なタイプが好きなんだろうなと思う。
 エボリ公女の産んだ赤ん坊を、夫のルイ・ゴメス@がおりが「王の種」だと思うわけだから、フェリペ二世とエボリ公女は愛人関係にあったのだろう。
 わざわざオフでつきあうんだから、好みのタイプにするわなー。エボリ公女が好みだとしたら、イサベルは真逆ですよ。

 エボリ公女なら、自分からものすごく情熱的な愛の言葉を告げるだろう。
 本意であろうと駆け引きであろうと。

 フェリペ二世は基本的に、愛には受け身だと思う。
 相手から熱烈に愛されたり、持ち上げられて気をよくして、それなら応えてやる、みたいな。
 エボリ公女がガンガン愛を告げ、「しょーがねえな(ニヤニヤ)」と応えるカタチというか。
 自分から積極的に食いに行かないというか、王たるモノ、与えられて当然、持ち上げられて当然、自分から口説きに行くなんてさもしいことはせん、みたいな。

 でもイサベルは、自分からなにも言ってないんじゃないかな。
 夫の愛を欲しがってはいるけれど、自分からもナニも言わない。一歩下がって上目遣いに待っているだけ。
 フェリペ二世がイラッとくるタイプなんじゃ……。

 イサベルは取るに足りない女。
 もしも彼女が自分を裏切るとしたら、それはカルロスが誘惑したから。
 イサベルのことは、ほんっとーに、軽んじている。

 だから。

 異端審問でのイサベルに、惚れ直したんだと思う。

 「異議がございます」と立ち上がったイサベルは、それまで誰も知らなかったイサベルだ。
 凛と胸を張り、気品にあふれ、毅然と己れの意見を述べる。

 異端審問で意義を唱えると、その者も罪に問われる。
 どれだけの勇気だったろう。

 現に、誰も声を上げない。
 不倫はともかく、異端の書の件ではカルロスが無実だと知っているポーザ侯爵@ちぎも、フアン@ヲヅキや友人たちも、誰も。
 異端の書はポーザ侯爵が持ち込んだ物であると進言すれば、カルロスは助かる。かわりに、ポーザ侯爵もフアンたちも罪に問われるけれど。
 みんな、我が身かわいさに真実を告げられない。

 大の男たちが黙して俯いている、そんな中で。

 内気でいつもおどおどしていた、あのつまらない女が、小動物のように周囲に怯えていたあのイサベルが、立ち上がった。

 しかも、愛を宣言するんだ。
 高らかに。

 惚れるって。

 不倫騒動自体が自分の誤解だったと、フアナ@リサリサに諭されたあとだ。
 後悔や罪の意識に苛まれている上に、止めですよ。
 イサベルがカルロスと会っていたのは、自分が冷たくしたせいだと。愛に飢えていたためだと。

 こんだけ吊り橋効果やられたら、そりゃ惚れるって!(笑)

 ラストの変わり身の早さはびっくりだが、とりあえずイサベルに関しては、仕方ないかと思う。
 フェリペ二世は最初から一貫して愛飢え王だ。愛を失うのがこわいってのは、愛が欲しいと同義語だ。
 彼が心を閉ざしてしまったのは、誰も彼にストレートに愛を告げなかったからだろう。
 無関心なモノに冷たいというならば、関心を持たせれば良かったんだ。すなわち、愛していると。

 フェリペ二世、ちょろいよ。
 愛を伝えれば、堕ちる男だよ。

 カルロスもなー。
 ひと目があろうと気にせず、「愛してます」って言えば良かったんだ。
 たった6歳だか7歳だかのときに拒絶されて、んなこと言える立場じゃなかったろうけど。
 大人になり、体格が並んだ折に、言っちゃえば良かったんだ。
 そしたら彼、堕ちたと思うよ(笑)。
 ツンデレだから最初は拒むだろーけど、振られても振られても愛を言い続ければ、絶対オチた(笑)。
「アンタのためぢゃないんだからねっ」とか言いながら、振り向いてくれたと思うよ。

 や、言葉は、対話は大切だっちゅーことで(笑)。


 で。
 最終的に無実になったカルロスに、フェリペ二世は自由を与える。
 愛する少女と共に生きる自由を。
 「監獄で見た夢か?」と問うのは、前夜目撃した、カルロスとレオノール@みみの姿が、相当心にあるためだろう。
 愛に飢えていた王は、息子から愛を奪えなかった。

 ついでにいうと、レオノールも、好みのタイプなんだと思う(笑)。
 愛する人のために、服を破き裸足になり、ぼろぼろの姿で石垣を這い上る少女。
 堂々と愛を叫ぶ少女。
 ……絶対好きだ、あーゆー娘。

 フェリペ二世とカルロスって、親子だなーと思う。根幹が似ているのね。
 好きな女も同じタイプですよ。


 困ったちゃんな王様の疑心暗鬼からはじまった騒動。
 まさに、雨降って地固まる。
 終わりよければすべてよし。

 歩き出したばかりのふたつのカップルに、祝福を。
 『ドン・カルロス』は、すれ違いによって起こる悲劇を描いている。
 心を開いて、ちゃんと「会話」していたら起こらなかった悲劇。

 ふつーにリビングルームのある家庭ではなく、会って話すのにしきたりがある王家だから、「会話」しにくくて、こじれてしまっているけど。
 それを努力で超えて会話することは可能だったはず、それをしなかったからえーらいこっちゃになっていった、と。

 会話できていない、真実が見えない、心が見えない……ことによるすれ違いを描いているわけだから、誰がナニを知り得て、ナニを知り得なかったのかを、きちんと書いてあることが、すっげー気持ちいい。

 前回の『仮面の男』と正反対。
 『仮面の男』は、作者自身が知っていることは、登場人物すべてが知っていることになっていた。どう考えても知りようのないこと・いつ知ったかわからないことを、キャラクタたちはいつの間にか知っていた。
 物語を作る・書くということを根本から理解していない人が、思いつきだけで作った話だった。
 その苛々が、相当ストレスだったんだなー。頭悪い話は疲れるんだよなー。

 『ドン・カルロス』 のキャラクタたちは、みな自分が知り得たことだけしか、知らない。それゆえにすれ違いが起こる。

 元凶である、フェリペ二世@まっつ。
 愛しすぎた妻を失ったがゆえに心を閉ざした、寂しい人。
 守りたいのは自分の心、傷つきたくないからとすべてのことに無関心。で、無関心だからいくらでも冷酷になれる。カルロス@キムが、イサベル@あゆみちゃんが、どんだけ傷つこうとまったく知らないまま。
 で、カルロスやイサベルがどんな人でナニを思って生きているかも知らないもんだから、ふたりの不倫を疑ってしまう。

 彼が疑っていたのは息子と嫁の不倫、血を分けた息子が自分を裏切っているのかどうかだけだ。
 カルロスがネーデルラント問題に興味を持っていることなんか知らないし、また、禁断の書を持っていることなんて、まーーったく知らない。

 フェリペ二世にとって、クライマックスの裁判は、異端審問ではなくただの不倫裁判だった。
 ……カルロスが裁かれているのは不倫問題以上に、禁断の書を所持していたことゆえなんだ、つーのが、無関心な王には実感できていなかった。

 不倫疑惑が晴れても、異端者疑惑は晴れない。だからカルロスは死刑。
 ……と言い渡されて、フェリペ二世大ショック。コトが宗教だから、王ではなく異端審問会に全権がある。
 取り繕った王の仮面の下、人間らしい素顔で取り乱す。

 フェリペ二世は最初から最後まで、ちゃんと彼自身の視点と思考によって動いている。


 そのフェリペ二世の手先となる、ポーザ侯爵@ちぎ。
 博愛についての感動的な論文を述べた、そうで、ほんとに誠実で聡明な青年貴族だったんだろう。
 夢と希望を胸にネーデルラントへ旅立ち……そこで、絶望した。
 かわいがっていた少女が無残な死を遂げたことで、心身共にぼろぼろになり、一時帰国……エボリ公女@あゆっちの毒牙に掛かる(笑)。
 それでもネーデルラントから逃げ出すことはせず、一旦戻り、1年後に志新たにスペインに帰ってくる。
 ネーデルラントを救うために。

 カルロスと親友だったかどうか、はっきりいって怪しい(笑)。
 カルロスと友人たちの関係はほとんど描かれていないためだ。この点は残念だなーと思う。
 カルロスとフアン@ヲヅキは幼なじみの親戚だからほんとに仲良かったんだろーと思うし、ずっとマドリードにいた学友たちとは仲良かった気がする。
 しかし、何年もネーデルラントにいて先日帰国しました、なポーザ侯爵が親友だったかというと……えー?(疑惑の声)
 カルロスは、親友フアンの心酔している相手だから、親友呼びしてたんじゃないかな。その程度じゃね? 親友呼びはただの敬称、社交辞令な気がする。

 親友だったら、カルロスがイサベラと不倫するわけがないと思うはず。実際、フアンだったらそんなことを一笑に伏しただろう。
 名ばかりの親友、ただの友人だったから、ポーザ侯爵はカルロスをよく知らない。
 継母と不倫もするだろうってことで、王と取引し、ネーデルラント総督の座を得ようとする。

 ポーザ侯爵は、レオノール@みみちゃんを知らない。ただの女官と呼ぶ。
 お仕着せの茶色いドレスを着た一団の区別なんかついてない、する必要もない。ポーザ侯爵には、レオノールは個人ではなく、ただのパーツでしかない。
 一般的な貴族の感覚、視点として、女官はそんなもん。まさかその女官こそが恋人だなんて、夢にも思わない。

 ポーザ侯爵が密告したのは、あくまでも「不倫問題」だ。
 カルロスはポーザ侯爵にネーデルラント救済を拒絶した。まさか彼が、そのために動いていたなんて知らない。
 だから密告した。
 不倫問題だけなら、死刑まではいかないだろう。ポーザ侯爵は友人を殺すつもりなんてなかった。

 いざカルロスが捕まると、不倫騒動ではなく、異端審問になっていて。
 異端の書を所持していたことについて、カルロスは沈黙を守っているし。
 ……ポーザ侯爵、生きた心地しないわなー……。

 カルロスが口を閉ざしているのは、不倫疑惑に対してはイサベルを守るため……引いては王のためであり、異端疑惑についてはポーザ侯爵と友人たちを守るためだ。

 異端審問の間、ポーザ侯爵の苦悩っぷりがすごい。
 真実を述べれば自分が死刑になり、ネーデルラントも救えない。かといって、このままカルロスを身代わりに殺していいのか。

 ……もしもカルロスが「無実の証拠がある」と生きるための闘いをはじめなかったら、ポーザ侯爵は名乗り出ていたのだと思う。
 結局彼は、カルロスを見殺しに出来ない。無垢な少女の死をきっかけに立ち上がった男だ、自分をかばって友人が死んでいくのを見過ごせる人格じゃない。
 カルロスの宣言とほぼ同時に、名乗り出るべく立ち上がっている。

 ポーザ侯爵も最初から最後まで、ちゃんと彼自身の視点と思考によって動いている。


 フアンたちの視点だと、カルロスはネーデルラント問題を却下、協力しないと言ったところまでしかわかってない。
 なのに異端の書を持って王妃と密会していたと知り、「ひとりでネーデルラント救済のために動いていた」と判断する。
 カルロスは仲間たちに、命を捨てる覚悟があるのかと問うていた。それに対し、仲間たちは言葉を濁した。覚悟があるならまずひとりで行動しろ、わたしならそうする……そう言っていたから。

 仲間たちは誰も、「カルロスの不倫」はスルーしているの。そんなことするわけないってわかってるのね。
 不倫のためにではなく、ネーデルラント問題ゆえに会っていたと思っている。


 フアナ@リサリサは、カルロスとレオノールが愛し合っていることに、唯一気づいていた人物だと思う。
 彼女はもちろん、王子と女官が結ばれないことも知っている。だから、レオノールの縁談を決め、本人よりもまずカルロスに告げている。
 フアナの視点では、カルロスとイサベルの不倫なんて、想像もしない、ありえないこと。カルロスが愛しているのはレオノールだもの。
 だからフェリペ二世に、カルロスとレオノールの牢獄での語らいを見せる。


 誰もがみんな、知らないことは知らないまま。
 最初から最後まで、ちゃんとその人自身の視点と思考によって動いている。

 それによって、すれ違いが起こる。

 作者がそれぞれの視点をちゃんと計算して書いている、そのことがうれしい。
 キムシンはずいぶんおとなしくなったなと思う。
 今回なんか、トンデモソングすらないしね。甲斐せんせじゃないから、あれほど耳に残る派手な曲を作れない、ってのもあるんだろうけど。

 昔ほど声高に説教しなくなったなあ、と。
 残念だわ(笑)。

 わたしはキムシンのキムシン節、自己主張の強さが好きですもの。

 おとなしくはなったけど。
 所詮キムシンなので、根底に流れるモノは変わってないなと。

 わたしが、好きなままだなと。

 『ドン・カルロス』 。ある家族の、物語。

 1キムシンファンとして観劇し、心に刺さったキーワードは、「無関心」だ。

 『ドン・カルロス』 は、プログラムでキムシン自身が述べているように、家族の物語だ。王家の姿を借りているけれど、別にめずらしくもない、社会生活の最小単位の話。

 登場人物たちはみな、互いにきちんと会話することができないためにすれ違い、悲劇へ発展していく。
 その根っこにあるのが、「無関心」なんだ。

 人間は不自由なモノで、実際に言葉をかわしたり、体験しなければ、理解しない・実感しないんだよ。
 原発の危険性を語られていたって、実際に事故が起こるまではスルーしていられたわけだし、テレビで被災地の映像を見て心を痛めているのと、実際にその場へ行ってナマの光景を見、人の声を聞くのでは、感じ方や考え方に差があるはずだし。
 腹を割って話し合わなきゃ本音なんか見えないし、自己完結しているだけじゃ、他人と関わることは出来ないし。

 この作品は、家族の再生の物語であり、主人公カルロス@キムの成長と恋の成就の物語であるわけだが、そこにもうひとつ、ネーデルラント問題が絡んでいる。
 本筋じゃないため、ネーデルラント問題とそれに関わるポーザ侯爵@ちぎの描き方が半端になってるのはアレだが、それでもネーデルラント問題は絶対に必要だった。

 物語の元凶は、フェリペ二世@まっつだ。
 このヲトメな男が、妻を愛しすぎ、その妻を失った傷から立ち直れずに心を閉ざしたことから、すべてがはじまっている。
 フェリペ二世は自分を守るために、「無関心」であろうとした。息子カルロスから、後妻イサベル@あゆみちゃんから、家族というものから。

 知らなければ、傷つかないで済む。

 出会わなければ別れもないのと同じ。ただの背景、通行人だと思えば、相手に傷つけられることはない。
 だからフェリペ二世は、無関心だった。

 それゆえにカルロスもイサベルも追い詰められ、傷つくのだけど、彼らの気持ちを知らないフェリペ二世は痛くもかゆくもない、だってなにも知らないから。知ろうとしないから。

 そのフェリペ二世の欠点を、社会の最小単位・家庭内の問題で終わらさず、国交レベルに広げたのが、ネーデルラント問題だ。
 フェリペ二世はネーデルラントに関心がない。知らないから、いくらでも冷酷になれる。

 戦争だってそうだよね。戦う兵士個人を知らないから、殺せる。
 もしも敵兵と会話し、寝食を共にし、人生や嗜好や思いを知ってしまったら、殺せなくなるよね?

 無関心であることの、罪。

 だからカルロスは言うんだ。
 友人たちからネーデルラントを救って欲しいと言われ、建前上それを断り、ひとりになったあとで。
 「ネーデルラントに行ったことがない」と。
 ほんとうの意味でネーデルラントのために働くなら、机上の正義感ではなく、実際に経験しなければ。
 ポーザ侯爵がクララ@あんりの死を経験として刻み、現実に動き出したように。
 名前だけ知る土地を救うのではない。そこへ行き、カルロスにとってのクララと出会うんだ。漠然とした大きな単位ではなく、個人と出会うんだ。それではじめて、正義感を超え、自分の望みとして行動できるだろう。

 無関心ゆえに冷酷なフェリペ二世が、一旦心を開いた相手には情け深い人物であるように。
 顔のない「敵」というモノなら殺せても、個人ならば殺せなくなるように。

 まず、踏み出そうよ。
 開こうよ。
 冷たくて平気なのは、スルーして平気なのは、知らないからだよ。

 そこにいるのが、わたしと同じ、泣いたり笑ったりする「人間」だってわかったら、傷つけられなくなるよ。
 助けたい、力になりたいって思うよ。

 特別でもなんでもない。それが、人間ってもんじゃん?

 心から心へ、命をつないで。


 ラストシーンにて、カルロスは愛するレオノール@みみと共に、ネーデルラントへ向かう。
 彼は「ネーデルラントを救うために行く」とは言わない。
 ただ「行く」とだけ言う。

 まだ彼はネーデルラントを知らない。
 ドイツ語訳の聖書にしたって、「こんなもの」扱いだ。
 知らずに判断は出来ない。まずその身で知って、どうするのかは、それからだ。

 書かれているのは、「家族」という、とても小さな単位。
 そこで学び、少年は外の世界へ旅立つ。
 家族も、国も、世界も、核は同じなんだ。


 家族の話と恋の話は完結したけど、ネーデルラントがなんの解決もないじゃん!てなもんかもしれないが、ネーデルラント問題はそーゆー扱いだからなー。
 「ネーデルラントに行ったことがない」カルロスが、「まずはネーデルラントだ」と行く先を決める。
 主軸がカルロスの成長である以上、彼という人物を書く上でのネーデルラントは、ちゃんと起承転結していると思うわ。

 カルロスは、「無関心」なままでは、いないの。

 ポーザ侯爵のように傷つくかもしれない。だけど、自分から向かうのよ。
 心を、開いて。

 家族に対して、そうしたように。


 小さな円が、いくつもの大きな円へつながっていく。
 波紋のように。

 これは家族の物語。
 小さな小さな単位からはじまって、同じ核を持った大きな円につながっていく物語だ。


 やっぱキムシンの書く物語は、好きだ。
 去年の今日は、『バラの国の王子』『ONE』の初日だった。
 幕間休憩のアナウンスで、地震のことを知ったんだった。

 あれから1年。

 いろんなことを、改めて考えさせられた。
 わたしレベルのことでも。
 また、わたしの愛する宝塚歌劇を通しても。

             ☆

 それはともかくとして、ヅカネタ。
 ここが、ヅカヲタブログである限り。


 なんだよー、まっつ、高校生役ぢゃないのかよー(笑)。

雪組 梅田芸術劇場メインホール公演/博多座公演『フットルース』一部の配役 決定(2012/03/11)

主な配役 出演者
レン 音月 桂
アリエル 舞羽 美海
ショー 未涼 亜希
ウィラード 沙央 くらま
チャック 蓮城 まこと
※その他の配役は、決まり次第ご案内致します。

 高校生まっつ、ヤングまっつについて、ムラに集まったまっつメイトと妄想していました。
 さらさらの金髪前髪で、いっそセンターパーツで。
 ちょっとまぬけだったり気弱だったりするめがねっこが、最後に勇気を出してみたりするちょっとイイ話的キャラを考えてみたり。
 レンと対立する悪い高校生をまっつで想像してみたり。→「ダメだ、不良高校生ってゆーとバロットしか想像できない」「バロットはバカだけど悪じゃないし」「悪であってバカぢゃないバロット……」(想像力が限界に・笑)

 なーんだ、パパ役かあ。

 てことはだ。
 ダンス、皆無か。

 しょぼん。

 『ロミジュリ』でいうところの、ジュリエットパパだよね。
 ジュリパパはかっこいい役だし、素敵なソロも見せ場もあるけれど、オープニングのかっこいいダンスも、「世界の王」も「綺麗は汚い」も、オイシイ場面は軒並み参加できないんだ……。

 ダンスも重要なミュージカルで、ダンス場面に参加できない役かあ。
 厳格な牧師様が、ノリノリで踊ったり、クールなダンスをキメたりは、しないよなああ。
 高校でダンスパーティを開催する話だから、ラストのパーティシーンもパパは出番なしかー。

 まあ、博多まで行かずに済むなら、それに越したことはないっす。
 その分貯金できる。で、その貯金ってのは、結局チケットを買うためにあるので、手元に残るわけではないんですが(笑)。

 小柳せんせに期待したのになー。
 洟垂れ小僧のバーナードくん@『NAKED CITY』まんまのイメージを、まっつに抱いててくれれば、高校生役にしてくれるかも?って。
 高校生を演じる贔屓を見ることの出来る、たぶん最後のチャンスだったのに、残念だわ(笑)。

 これもまあ、おっさんジェンヌに惚れた宿命ですわね。
 サントラを聴いたまっつメイトが「パパのソロがすごく良かった」と言っていたのを、心の糧にしますわ。


 文句のよーなこと言ってますが、結局は楽しく観劇予定です。
 梅芸初日に「演目や配役に文句言ってすまんかった!」と唸るくらいの作品になることを祈ってます。

 主な配役の5人は、ポスター載るのかな?
 『H2$』みたいに、にぎやかなポスターだといいのに。
 んで、制作発表があるといいなー。

 って結局、わくわくするんかい(笑)。

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