いい加減飽きてきたので、さくっといく、『仮面の男』東宝版のあれこれ感想。

 フィリップ@キムとルイーズ@みみの逃避行銀橋はいろいろと台詞が追加されていた。

 ここの台詞追加で良かったことは、ルイーズがフィリップを逃がす手引きをしたのだとわかったこと。
 ムラ版では「正体がバレる→フィリップ・ルイーズ逃避行」で、なんでそんなことになっているのかわからなかった。
 あの王は偽物だ、と捕り物がはじまったとき、ルイーズが機転を利かせてフィリップを逃がしたという変更はいい。王宮について無知(なにしろ入れ替わってまだ数時間)のフィリップが、兵士たちの目を盗んで簡単に逃げ出せるはずもない。ルイーズが手引きしたなら説得力。

 が、良かったのは、コレだけだ。
 残りの追加台詞は全部、蛇足だと思った。

 こだまっちは「ムラ版はストーリー部分がわかりにくいとの声を聞いたので、東宝版で手直しをした」てなことを語っている。
 人道的・倫理的に酷いから変更させられたのだ、とは言っていない。事情があって言えないのか、本当に理解していないのかはわからない。

 しかし、「ストーリーをわかりやすく変更」というなら、素直にストーリー部分だけ加筆してくれ。

 フィリップとルイーズの銀橋で、だらだらと台詞を連ねて心の動きを解説って、なんだそりゃあ。

 必要なのはストーリー加筆であって、心情の台詞解説じゃないっ。

 そのキャラがナニを思っているかなんて、台詞で説明することじゃない。キムみみなめんな、そんなもんはあのぐたぐた最悪なムラ版でもちゃんとやってのけていた。
 作品の酷さにアゴを落としながられでも、観客はキムみみ銀橋に涙していた。

 ルイーズの「心変わり、早っ」をそう思わせないための加筆は、「こんなふうに思ったんですよ」と台詞で言わせることじゃない。それまでのストーリーで表現することだ。

 どう思った、それを聞いてどう思った、と、だらだら台詞で「思ったこと」を説明され解説され、より、感動が限定された。
 言葉によってしばられ、それ以上の広がりがなくなった。

 言葉にされなければ、その言葉も含めた、もっと大きなモノを感じられたのに。
 ひとつの台詞から100も200も感じられたことが、10で止まってしまった。だって台詞で「10」と言ってしまったから。

 台詞の足りない分、辻褄の合っていない分は、役者のフリースペースだった。キムみみの演技でいくらでもふくらませ、色を変えることが出来た。
 しかし、付け加えられた言葉で限定されてしまったので、役者のフリースペースは削られた。脚本にある通りのことしか表現できない。

 情緒のナイ奴は脚本書くな、と思いました(笑)。

 そして、さらにわたしが嫌だったのは、この「付け加えられた、無駄な説明台詞」がなんのためにあるのか、邪推できること。
 謙虚に、邪推といっておきます。

 「ウサギとカメ」を正当化するための説明台詞を、精魂込めてダラダラと付け加えたように見えるんですが。

 ムラ版での影絵「ウサギとカメ」の浮きっぷりは半端なかった。
 みみちゃんの歌声はきれいだし、影絵をするキムみみはかわいいけれど、観終わったあと誰もが口を揃えていった。

「で、『ウサギとカメ』って、ナニ?」

 なんのたとえ話にもなっていない。
 フィリップにもルイーズにもなんの関係もない。いきなりまったく別の話。現在の物語にかすりもしていない。
 だから余計に非難囂々、「ウサギとカメ」いらない! 「ウサギとカメ」排斥運動! NO MORE「ウサギとカメ」!!

 ……こだまっちは、ソレが許せなかったのではないか。

 「アタシのいちばん大切なhand shadowを理解しないなんて! 影絵じゃないわよ、hand shadowよ、高尚なのよ! これだから愚民相手は嫌なのよ、説明してあげないと!」てなもんで、なんでそこで突然「ウサギとカメ」なのかを、台詞で解説。
 心情をえんえん台詞で説明するという、いらんお世話なことをうだうだ続け、なにがなんでも「ウサギとカメ」を正当化する。

 そもそも、「ウサギとカメ」いらないから! ということが、どうしてもわからないらしい。
 説明台詞がなくても、フィリップとルイーズの心情は、役者ふたりの演技でわかっていた。
 なのに彼らの演技を削ってまで台詞を増やし、いらない影絵の正当化に必死になる。

 こだまっちにとっていちばん大切なのが影絵(に代表される、パフォーマンス)であり、ストーリーもキャラクタも場面も役者も、なにもかも、どーでもいいことなんだ。
 ということが、とてもよくわかる変更部分だった。

 いろいろ変更されており、いいも悪いも両方あるけど、とりあえず、よくこれだけ変更したな、と思って観ていたこと、全部、吹っ飛んだ(笑)。

 ああ、やっぱこだまっち、なんも変わってない。なんもわかってない。
 こだまっちは、こだまっち。
 ははは。(笑う)


 そのあとの変更は、わずか。
 三銃士の船から海中のシーンがなくなり、ダルタニアン@ちぎやサンマール@コマなど、微妙に台詞が違っている。
 でも、ムラ版での疑問、問題点はそのまま。

 唯一の改善は、高笑いから登場するルイ@キムの、衣装がチガウ。
 ムラ版では、何故かここでルイとフィリップは同じ衣装だったのなー。不自然ですよ、逃亡者と王様の衣装がそっくり同じなんて。「ひとり二役なので入れ替わる都合で仕方ないんですよ」という裏の事情まんま見せつけられている感じだった。
 それが東宝では別衣装だったので、問題解消。入れ替わりの衣装替えは大変だろうけど、この変更はいい。


 ムラ版はもちろんひどかったけれど、東宝版が手放しで良くなったわけでもない。
 ムラ版は酷い、東宝版はつまらない。……ハードにリピートする人ほど、東宝版の方が寝てしまう率高い、ムラ版は眠くはなかった、と言うのもわかる。わたしは東宝を大した回数観ていないので、眠るヒマはなかったが。

 こだまっちはこれからどうなるのかな。
 できればもう二度と、キムみみと雪組とは無関係のところにいてほしいです(笑)。
 『仮面の男』東宝版の大きな変更のひとつに、「1ヶ月後」というのがある。
 この作品には時の流れが異次元になっていて、「時間の流れについては不問、聞かないで」という暗黙のルールがあった。
 ルイ/フィリップ@キムがいくつなのかとか、ダルタニアン@ちぎや三銃士たちがいくつなのかとか、それは「聞いてはならないこと」だ。
 そこを突くといろいろと不具合が生じる。

 ルイ14世は実在人物だけど、これは伝記ではなくフィクションだから、年表通りに出来事が進んでいなくてもかまわない。「史実とチガウ!」と文句言うのは野暮。
 でもそれは、あくまでも、作中で違和感なく時間処理がされている場合。史実に足を取られて思考停止するのは見る側が狭量だと思うが、史実とは無関係な、あくまでもこの「作品」内部のことで、「え、それっていつのこと??」と混乱させるのは作っている側が悪い。

 ムラ版では時の流れについて作中で台詞によって確定されていたのは、「今夜の成功を祝して」と「今から数年前」のみだ。
 「今夜」という限定の台詞があるために、ルイ/フィリップを入れ替えたその夜に、三銃士のたくらみはすべて水泡に化し、ダルタニアンに襲撃を受けたと判明した。
 また、ダルタニアンがルーヴォア@ひろみに「今から数年前、コンスタンス@あゆっちは殺された」と言うので、フィリップが鉄仮面を付けられて牢獄へ入れられたのが数年前……辞書によると「数年」は「2、3か5、6ぐらいの年数」らしいよ。2年と6年では大きな違いだが、それくらい曖昧な方が都合がいい。

 時間を表す台詞がこれだけであるため、いろいろと誤魔化しが効いていた。
 それこそ、コンスタンスはある程度大きくなったフィリップの世話係として抜擢され、「数年前」に殺されたので、ダルタニアンはまだぴっちぴちの青年である、とか。
 牢獄から助け出されたフィリップは、その翌日とかにルイと入れ替えられたのだとか。
 「明言されていない」から、観客が想像で補うことができた。

 なのに東宝版では、コンスタンスが赤ん坊のフィリップを抱いているところからはじまり、ムラ版であえてあやふやにされていた「時の流れ」のおかしさが、容赦なく突きつけられた。

 そう、台詞によって逃げ場なく明言されたんだ。

「ルイとフィリップを、1ヶ月後に入れ替える」と。

 これによって起こる、作品の齟齬。

 ルイとフィリップを入れ替えるため、1ヶ月かけて用意をしていた三銃士は、ルイーズ@みみになにも教えていなかった。
 ラウル@翔はその遺言で「ルイーズにこの愛を伝えて」と言っているにも関わらず、アトス@まっつは彼女をガン無視したらしい。
 おかげで、なにも知らないルイーズはこの1ヶ月、地獄の日々を過ごしただろう。ひとりの少女が、自分の命と引き替えに国王を殺そうというんだ、どんだけの絶望だったか。復讐の機会を作るのだって、自分の貞操を懸けてふたりきりになるよう仕組んだんだ。
 ひとりの少女にこれだけのことをさせる三銃士って、いったい……。

 また、フィリップとも1ヶ月共に暮らしていたのに、彼には自由も心の安らぎもなかったらしい。
 いざ正体がばれて、命を狙われた逃避行の最中、フィリップは「生まれてはじめてなんだ」と幸福そうに笑う。
 三銃士と過ごした一ヶ月は、牢獄と同じかそれ以上の苦痛をフィリップに与えていたらしい。

 さらに、「国家機密」である「仮面の男」を誘拐されたサンマール@コマは、どうしていたのか?
 ムラ版だとフィリップ誘拐の直後、日をおかずにルイと入れ替えたように見える。そのため、サンマールは保身のため上には報告せずにいたんだなと思うことが出来た。身の処し方を迷っていたとも考えられる。
 しかし、1ヶ月だ。
 丸1ヶ月間サンマールはナニをしていたんだ? フィリップを失ったことを誰にも告げずにいたのか? 仮面の男の監視をサンマールに命じたであろうルイもルーヴォアも、一大ページェントの様子からフィリップが行方不明であることはカケラも知らなかった模様。
 仮面の男の正体をサンマール以外のモノは知らないのだから、フィリップを逃がしたあとも部下を口止めし、代役を立てるなりして「日々変わりなし」と上には報告を続け、ナニゴトもなかったかのように過ごすことはできるだろう。1ヶ月でも、2ヶ月でも、それは可能なのかもしれない。
 だがそのまま一生、隠し通すのか? 逃げ出したフィリップが、どこかで名乗りを上げたらどうなる? サンマールは一生「フィリップが現れたらどうしよう」と怯えながら、牢獄で偽の仮面の男を監視して生きるつもりだったのか?
 国家を揺るがすほどの大失態を丸1ヶ月隠していた男が、ルイ/フィリップ入れ替え事件発覚後もなんのお咎めもなく、銃士隊として三銃士討伐軍に加わり、まだ看守長の地位のまま「会いたかったよ、仮面の男」とか言って登場するのか?
 おかしすぎるだろう?

 すべて「1ヶ月後」という言葉を使ったせい。
 具体的な「時の流れ」を明言してしまったために、問題が雪だるま式に発生。
 責任を取る覚悟もなく、その場しのぎのテキトーを言うと痛い目に遭う、という見本。

 東宝版で「1ヶ月後」という言葉が使われたのは、三銃士によるフィリップの国王教育場面が挿入されたため。
 たしかにムラ版のままでは、牢獄暮らしのフィリップが突然王様の代わりになれるはずがない、銃士隊長のダルタニアンと互角以上の剣の使い手であることなど、おかしなことばかり。
 付け焼き刃であっても、1ヶ月みっちり稽古を詰んで臨んだとわかれば、その一点に置いてのみは説明がつく。

 でも、説明がついたのは一点のみ、しかも入れ替えた数時間後にすべてバレているのは変わらないので、ムラ版から続けて観ていると、苦労した分無駄だったね感が強いっちゅーか、そんなことをしている間があるなら他のことをしろよと言いたくなるというか。
 ルイーズに真実を話しておけば、彼女がフィリップに襲いかかることもなく、フィリップがいきなり真実を打ち明けることもなく、ダルタニアンが立ち聞きすることもなく、ルイ/フィリップの入れ替えがたった数時間でバレることもなかったんだ。

 1ヶ月間、ナニしてたの?

 なんて無駄な時間を過ごしたんだ。

 フィリップとの心の絆は築かれず、彼が精神を病むほど痛めつけいじめ抜き、ルイーズが死ぬほど苦しみ思い詰めているのも放置していた三銃士。

 国家機密のフィリップが行方不明だっつーのに、なにもせずにいたサンマール、そんな状態に気づきもせずに生きていたらしいルイやルーヴォアたち。

 誰も彼もが、余計ひどいことになっている。「フィリップが剣を使えたのは、1ヶ月お稽古したからだよ」と言いたいがためだけに、それ以外のすべてを地に落とした。

 なんてアタマの悪い、改悪。
 『仮面の男』東宝版を観てあれこれ、続き。

 ムラ→東宝でもっとも変わったのはサンマール@コマ。
 ムラ版ではギャグマンガ系変態だったのが、東宝ではシリアス系変態になってた!
 どっちも変質的というか、エロいのは、コマつん仕様です。

 服装からしてチガウ。
 ムラ版のキラキラピンク衣装はお蔵入りかあ。
 看守なのに、銃士隊の赤い服。……まあ、わかりやすくていいやね。

 拷問や死刑に狂喜乱舞するアホアホギャグマンガの変態キャラだったのが、出自にコンプレックスがあるゆえの暗い情熱を持つ男になってた。変わりすぎだろヲイ。
 いや、変わってよかった。
 わたしはムラ版のサンマールさん自体、別に嫌いじゃなかった。もちろん、倫理的にひどい役と場面なので、それに対する憤りはあるが、そーゆーのとは別チャンネルで、サンマールというキャラクタだけ抜き出して考えると、なかなかおもしろい人だったので、けっこー好きだった。
 絶好調で歌い踊るコマくんガン見してたもんなあ。
 胡散臭さといやらしさ。そして、華。
 コマくんの高温多湿粘度高めな持ち味ゆえ、ムラ版もあんな演出なのになんとか成り立っていたし、東宝版はとても魅力的な男になっていた。

 「仮面の男」の取り扱いを誉められ、看守長に出世した、ってことで、機嫌をよくしたサンマールが、フィリップ@キムを自室へ呼び出し、仮面をはずして打ち明け話という趣向。
 ここではじめて主人公であるフィリップが観客の前に現れ、設定の説明をされるわけだ。
 ……主人公の初登場がサンタクロースひげ姿……。かわいい美少年キムくんに、なにさらすんじゃい演出家、という気がしないでもない(笑)。でもま、仕方ないのか、フィリップのひげは。

 ここで判明する事実は、早わかり世界史に登場していた赤ん坊が、何故か牢獄でひげもじゃで登場、ということ。コンスタンスは殺され、フィリップは王子なのに鉄仮面。……もうここで、黒幕はルイ@キムだと言っているよーなもんだよなあ……。別にいいのか、ルイは最初から悪者としてしか書かれていないし。

 一見ストーリーの肉付けにはなっているのだが。

 結局のところ、ある疑問は解けていない。
 すなわち、サンマールは誰の部下か。
 ムラ版でのサンマールは、最後の最後でダルタニアン大好きアピールをする。もともと銃士隊員で、ダルタニアンの部下だから、彼に従うと。
 変わり身に早さは変だけど、どんだけ変でもおかしくないくらい、変な人だったから、気にならなかった。

 しかし東宝版では、サンマールはふつうの人になっている。ねっとりと変質的だけど、あくまでもふつうの人。そして、フィリップの面倒を見ているから、という理由で看守長に昇進。
 サンマールの立ち位置がわからない。ダルタニアンは「仮面の男」の陰謀を、なにも知らなかったんだ。コンスタンスの任務も、何故殺されたのかも。しかしサンマールは仮面の男の正体を知っていた。ルイやルーヴォアから命令を受けて看守長をやっていたのだろう。
 もともとは銃士隊でダルタニアンの部下でも、フィリップを受け入れたときからルイ側だよね? ダルタニアンの部下じゃないよねえ。
 なのにラストでころっと変心するのは、サンマールがふつうの感覚の人になっているだけに、余計しっくりこないことに。

 ほんとに、荒い変更だと思う。

 まあともかく、ラウル@翔くんがフィリップの顔を見てしまうくだりは良くなった。
 ムラ版は何故ラウルが獄中を外出着のままいつまでもうろうろしているのか説得力なさすぎたし、せっかくフィリップの顔を見ても、それがどういうことなのか説明になっていなかった。
 東宝では、フィリップの顔を見て「陛下?!」と驚愕しているので、ラウルが何故殺されなければならないか、よーっくわかる。

 サンマールはちゃんと部下たちにはフィリップの顔を見せないようにしてるんだよねえ。仮面の男の正体を知っているのは、この牢獄ではサンマールひとり、だからこそ彼が看守長になったわけだもんねえ。
 ちゃんとこうして「秘密は、秘密」としているのに。
 なんでクライマックスは平隊士に至るまで、全員の前で顔をさらすんだろう……。

 しかし、ムラ版と東宝版で、出番が削除なしで増えたのって、コンスタンスとアンヌ王妃と、ラウルのみなんだよねえ。あとの人は、トップスターですら出番が削られてたりするのに(笑)。
 コンスタンスとアンヌさんはともかく、ラウル、強いな(笑)。


 ラウルが処刑され、復讐に燃えるアトス@まっつと三銃士がフィリップを助け出すのは同じ。
 ただ、その直後に、三銃士によるフィリップいじめのシーンが追加されている。

 フィリップは別に助けてくれなんて頼んでないのに、勝手に誘拐し、「1ヶ月後のイベントでルイと入れ替える」と宣言。
 泣いて嫌がるフィリップを、大の男が3人がかりで恫喝、言うことを聞かせるという。
 アトスなんて剣まで持ち出してる。

 三銃士、酷い。

 書かなければならないのは、フィリップと三銃士の心の絆なのに、一方的に暴力で支配する様しか書かないって……作者が人の心を理解していないことが、こんなところにも現れている(笑)。
 この三銃士とフィリップの場面、この作品でもっともかっこいいラストバトルと呼応する演出にしてあるのに、演出の良さも「心のなさ」で台無し。
 こだまっちに必要なのは技術ではなく、人間の心だとか常識なんだよなあ、とまた痛感する。

 ムラ版の爆笑ポイントのひとつだった、フィリップを笑顔で恫喝するアラミス@きんぐの場面。
 フィリップと三銃士の心が通じている状態ならばともかく、フィリップを「ただの道具」としか扱っていない状態でそれを言えばただの鬼畜、ってな会話を、さもハートウォーミングな様子で交わす、とても電波な場面。
 ここがなんの変更もされないまま、東宝でもあった。
 ムラ版でも「アラミス酷い!」という、人としての間違いっぷりに笑うしかない場面だったのに、東宝版はその前にもっと冷酷な鬼畜場面がわざわざ付け加えられているもんだから。

 さらに、アラミスこわい! アラミス酷い!!(笑)

 剣を突きつけて脅しておいて、「運命だ。使い捨てて死んでもヨシ」と笑顔で言うアラミスがこわすぎる。

 いろいろと変更された東宝版だけど、ムラ版より酷くなったのは、三銃士だと思う。
 まさか、さらに悪くなるなんてねえ。こだまっち、すげえや。

 続く。
 東宝公演まで終わって告白。

 結局、アトス@まっつの芝居で泣くことはなかった。

 変だなあ、まっつファンはみんな「ラウルの手紙」で泣くらしいんだけどなあ(笑)。
 『仮面の男』でわたしを泣かせてくれたのはひたすらフィリップ@キムくんですから。
 わたしそもそも、まっつの芝居で泣くことほとんどないもんな。ベンヴォーリオ@『ロミジュリ』でツボ入りまくり、泣けてしょーがなかったときこそ、驚いた……『舞姫』青年館以来だと。
 まっつの芝居は「泣く」という感情発散方法とは別のところで、わたしの琴線に触れるのだと思う。

 しかしアトス様はなー、「フィリップ王子をなんとしても助け出すのだ」の、いかにも芝居がかった言い回しとか、気になったなー。
 ベンヴォーリオの「嘘じゃない。毒を飲んで、自ら命を絶ったんだ」に通じる「今俺、芝居してます」系のわざとらしさ……。

 まっつって、声優向きの人だなとか思う。
 声優って、芝居心よりも反射神経・身体能力が必要だと、勝手に思っている。
 ひとつの台詞を指示された通りのニュアンスで再現する力。そこに必要なのは役のキモチ以前に、技術。声帯を完全に支配して、同じ台詞を瞬時に何種類ものニュアンスで発声する。そのキャラがどう思うからこう言うのではなく、演出サイドの指示で求められている音を的確に出す。
 この鍵盤叩いたらこの音が出ます的な。このテンポ、この音色でこのフレーズ出します的な。
 まず自分の声を完全に支配し、技術としてどんな表現も瞬時に出来るところまでいった上でようやく、芝居心が関係してくる、というイメージなんだな、声優さん。芸術家というよりは、職人。
 映画とかで、テレビタレントとかの素人が声をあてていると、まず芝居心だけで演じようとするから自爆している気がする。うまくキャラが合って、その芝居心だけで乗り切れる場合もあるけど、他の役はできない、今回限り。

 まっつは声を操る。まず技術なイメージ。
 まず芝居心があり、それゆえにその音になった、というより、まず技術でその台詞に相応しい音を出し、そのあとから心を載せる。
 芸術家というより、職人。匠の技があり、その高い技術ゆえにハートを表現する。

 そーゆータイプの役者さん好きなんだけど、まつださんってばときどき技術が先に出過ぎていて、わざとらしいっすよ……。
 アトス様の、こぶしの回った「助け出すのだ~~あッ!」なんかほんと、メロディとしての効果優先ぢゃねえのって感じで。

 わたしは声ヲタだし、まっつの声が大好きでその声のためだけに劇場へ通える人間だけど、芝居に関しては、彼は声を出していないときの方が好みだと思う。
 声を正確に操ることが前面に出て、心が後付けになるんだもん、まつださん。
 芝居が出来ない人ではないのに、もともと真面目で融通が利かないんだろう、技術を完璧に制御することに神経を使い、後先考えず感情だけで突っ走っちゃいましたテヘ、てな乱れ方をしない。
 台詞や歌のないときの方が、心を優先した芝居をしている。
 で、心を解放したときに、ときどきすごいモノを見せてくれる。ガード固いからなかなか内側は見せてくれないけど、ときおりすこっと殻が取れて無防備になる。
 そんなときのまつださんは、すごい。
 ベン様はいろいろ大変だったんだと思う。組替えして最初の公演、ポジションアップ、そして喉の不調。不安定でぎりぎりで、いつものように技術の鎧で自分を守れなかった。
 それでなんかすごい面白いものがそこにあった。
 プガチョフ@『黒い瞳』あたりまで、プレッシャーゆえか不安定さがあったなー。しかしブラット部長@『H2$』までくるともう彼のテリトリー、いつものまっつ。

 アトス様も結局いつものまっつで、殻が取れない、門が開かれない。
 ただ、最初の一時期だけ、愉快だった。初日はもちろん脚本通り、指示通りのふつーのまっつ。その翌日だ、いちばん面白かったの。
 今回の『仮面の男』、お稽古段階から演出には相当疑問があったんだと思う。ジェンヌは与えられた作品や役に意見を言うことができないから、みんなそろって褒め称えやり甲斐を語っているけど、まっつももちろんそうしているけど、彼の場合あちこちで困惑していることが見えた。各種インタビューとかで……この正直モノめ(笑)。
 で、疑問を飲み込んで懸命に演技し、いざ初日の幕が開いて。
 観客からは、非難囂々。やっぱりおかしいんじゃん、この芝居、この演出! お稽古しながら疑問だったけど、その通りだったんじゃん! と、客席の空気から答えを得て。
 こだまっちが変、と答えは出たけど、生徒は芝居を変えられない、変なこだまっちが要求する通りの変な芝居をしなくてはならない。
 てことで、相当混乱したんだと思う。
 さあ来た来た、不安定まっつ。
 初日のコメディっぷりに観客がドン引きした(『仮面の男』という作品自体にね)ことがわかるから、その反動だろうか、アトス様、ドシリアス。
 ちょ……っ、作品違ってますよ、どうするんですかその演技!!
 「ラウルの手紙」の喪失っぷりの深さ、復讐ソングの熱、全編通しての酷薄さ……アトスさん別人入ってます。
 いやあ、初日で作品にびっくり、絶望したあとだったので、まっつがころりと役作り変えてきたのを見たときは、感動しました。幕開きすぐの感想やメールで、「シリアス寄りになった」とか書いているのはそのせい。
 このあたりのアトス様、マジ好みだった。安定してなくて、そのときどきに色が変わる。

 が。
 これって、ほんとにわずかな間だけだった。
 どうも中の人が開き直ったみたいで。いつもの技術優先安心高品質まっつに落ち着いた。
 それこそ、「助け出すのだ~~あッ!」と歌い上げちゃうような。
 おちゃらけ演出はおちゃらけ演出、かっこつけるところはかっこつける、と割り切ったみたい。

 ムラ2日目路線で行ってくれたら、好みだったのになあ。ベン様系の不安定さで。

 で、安定すればするほどコメディはかわいくなっているし、もともとの持ち味、クールさは上がるし、東宝は演出変更で鬼畜ドSっぷりに磨きが掛かっているし、それはそれで楽しかったが。
 ただ、感動して泣く芝居ではなかったなあ、アトス様。

 『インフィニティ』初日をなにがなんでも観たいのは、いっぱいいっぱいのまつださんを見たいからだ。
 そして、その翌日のまっつは、さらに見たい。
 ぎりぎりまで引いた弓の弦みたいなんだ、初日は。で、翌日は矢が放たれる。ので、ここがいちばん破壊力。
 で、その次からは安定しやがる。技術のある人って安定早すぎ。や、それがプロってもんですが。
 『宝塚巴里祭2009』がまさにソレだった。2日目が鳥肌モノ。実際わたし、終わったあと貧血起こしたし(笑)。
 初日のぎりぎりっぷりを知っているだけに、2日目の爆発のすごさがわかった。落差すげえよ。そして3日目はすでに安定……2日目の爆発的感動は夢幻……(笑)。
 安定する前のまっつが見たい。安定高品質なのはいいけど、そこに落ち着く前こそが、いちばん面白いから。

 ……アトス様があの不安定なままだったら、きっと泣かせてくれたんだろうなあ。
 見ていてすげーどきどきしたもんなあ。

 いや、それでもアトス様も三銃士も好きだったけれど。彼らの掛け合いだけでパロ小説書けるくらいには(笑)。
 息の合い方が、すごい。

 『仮面の男』『ROYAL STRAIGHT FLUSH!!』東宝千秋楽。

 舞台もだが、客席。
 拍手と手拍子すげえ。なにこの呼吸。
 ただ席に坐って与えられているのではなく、客席もまた意志を持って舞台に関与している。

 『仮面の男』のあの悲しい「早わかり世界史」への、エール。
 これでタカラヅカを卒業する水戸黄門@しゅうくん登場時の拍手の大きさ、手拍子。
 黄門様が投げキッスはじめたときゃー、歓声もの。

 トンデモなことをやらされてきた生徒たちへのねぎらいと感謝。

 なんつーかさ。
 味方だからね! と言っているような気がした。
 劇団や演出家がどうであろうと、観客は、ファンは、生徒の味方だから。愛するから、見守るから。
 や、誰だって物事を悪くしたい破壊したい傷つけたいと思ってやっているわけじゃない。劇団も演出家も。それはわかっているし、目に見えないところでいろんな人たちが尽力しているのだと思う。
 でも、わたしたちの目に見えるのは、タカラジェンヌの姿だけで。
 彼女たちのけなげながんばりに感動するし、彼女たちを愛するがゆえに、いろんなものを飲み込んでいく。

 かおりちゃんミラーボール登場はショーストップする勢いの拍手で迎えるし、ひろみちゃんはムラであったルーヴォアさんへの拍手がなかった分、ショー『RSF』米軍兵士でのセリ下がりで万感の拍手だし。まさかのヒメが声詰まらせて歌が揺れるし。

 なんか、すごい。

「『RSF』の手拍子って、初心者置いてきぼりじゃないですか」
 てなことを友人と話したっけね。
 ただの同じリズムの手拍子じゃない。オープニングからチャッチャッチャチャチャ!チャチャチャチャ・チャチャチャ!だからなー、リピーター以外は絶対入れないんだ。
 貸切とか初見の人が多い公演と、ファンの多い公演では手拍子の有無がきっぱり分かれる。

 だから千秋楽、一糸乱れぬ手拍子に感動した。
 すげえ!! ファンで埋め尽くされてる!!

 千秋楽ってのはそういうものだけど、それがさらによくわかる作品だったから。
 全編通してヒートアップ。空気がチガウ。

 芝居の、あの水戸黄門からすでに泣けましたがナニか? わたしだけじゃないもん、友だちも泣けたって言ってたし! みんな泣くんだよ!!
 ちくしょー、いいとこだよタカラヅカは。すごいとこだよ、タカラヅカは。

 フィリップ@キムくんがまた、慟哭がえらいことになっていて。
 被虐キャラとしてかわいらしくぽろぽろ泣くんじゃなくて、泣きすぎて顔こわいです、怒っているような、吠えているようなフィリップになっていた。

 嘆きの獅子。
 このフィリップは月じゃない。虐げられた太陽だ。
 太陽を翳らせることは出来ない。そんなの、間違った状態。無理に曲げられた直線がきりきりしなりながら、弾け返す瞬間を、爆発する瞬間を待っているような、咆吼。
 これはこれで、面白いフィリップ像だ。てゆーかやっぱキムくんって面白い。彼が真ん中で力を放出する、その様を眺めるのが好き。
 どんな間違ったもの、歪んだものも、彼が真ん中で支えきる。彼の色に染めて、「ありかも?」と思わせるところまで持っていく。

 ショーの歌声がまた、空気変える勢いで響き渡るし。歌ウマトップはいいわ、ほんとに耳福だわ。
 キムくんはどこまで進化するんだろう。

 アドリブを任されていたちぎくん、シナトラ@ひろみに絡むところでナニかしらやってくれるだろうと、多分劇場中の人が見守っているのにスルー、「え?」と思わせておいて、次のエリザベス・テーラー@リサリサとの絡みでオチにシナトラさん。おおっ、うまいね!


 個人的に、「去っていく場所への愛と感謝」を述べられる人が好きだ。
 卒業していく人には、それぞれの事情があるだろう。歩んできた道もチガウだろうし、立場もチガウ。
 楽しいことだけじゃない、つらいことも多くあるだろう。闇を抱えて去っていく人だっているかもしれない。
 それでも。
 タカラヅカに入ろうと思ったのは自分自身で、そこで生きていたのは自分自身。
 卒業するから、もうそこにはいなくなるから、過去だから、と振り返らず「これからは新しい人生を私らしく歩んでいきます」という決まり文句だけ、自分の未来だけを語るんじゃなくて。
 その、現在と未来の自分を形作った、これから「過去」になる宝塚歌劇団への愛を語れる人が好きだ。
 残る仲間たちへの礼儀とか謙虚さとかゆー意味ではなく、ただひとえに自己肯定だと思うんだ。
 自分が卒業していく場を、愛していると言い切ること。愛してくださいと訴えること。それは、その愛しい世界の一員であった自分に誇りを持つことだ。

 退団するトップスターが「これからも**率いる*組をよろしくお願いします」と言うのも、控えめな花を持った下級生が「タカラヅカ大好き!」と叫ぶのも。
 自分の人生に翳りを持たない、いや、陰があったとしてそれすらすべてを肯定した、美しい姿だと思う。

 そしてわたしは、必死になって拍手する。客席分の一でしかない、しがない存在だけど。感謝を音にする。
 タカラヅカが好き。
 それは、タカラヅカで生きたあなたたちを好きだということ。唯一無二の楽園で、唯一無二の存在だった、それぞれのタカラジェンヌへ、エールを送る。
 過去の肯定は現在を肯定すること、そしてここから続く未来を肯定すること。

 正しいよ。だから、前へ進め。

 きらきらきれいなかおりちゃん、清々しく笑うしゅうくん、ほんわかひろみちゃん。ああほんとうに、いろんな姿を見てきたよ、ずっとずっと見てきたよ。

 卒業する3人の紹介を、キムくんがはじめたときにウケた。水しぇんか!と。いやあ、キムくん、水先輩の遺伝子受け継いでるよね(笑)。
 下級生順に、まずかおりちゃんの歌を褒め、しゅうくんのダンスを褒め、ひろみちゃんはどうするんだろう、流れからいって芝居かな、と思ったら、ビジュアルの話だった……(笑)。キム……なんて正直な……(笑)。


 未だに『ロミジュリ』を引きずっているわたしは、マジで寂しい。
 大公様、キャピュレット夫人、そしてパリス伯爵……。もう一度もう一度、あの日の『ロミオとジュリエット』が観たいんだ。
 そう思えるほどのしあわせな時間をくれた人たち。
 ありがとう。
2011/11/19

花組 退団者のお知らせ


下記の生徒の退団発表がありましたのでお知らせいたします。

 (花組)
  扇 めぐむ
  煌雅 あさひ
  彩咲 めい
  真瀬 はるか
  月野 姫花    

     2012年3月18日(花組 東京宝塚劇場公演千秋楽)付で退団

 4時までは気を張っていたんだ。
 でも、なにごともなく過ぎたから、今回は退団者なしだと胸をなで下ろしたんだ。

 月全ツで大泣きしたあと、ひとり梅田をふらふらしているときにメールに気付いて、茫然としていたら、ほんとまさにその瞬間に、何故かnanaタンに捕獲された……何故メガシティの真ん中で偶然会うんだ、ムラでも日比谷でもないのに(笑)。わたしは観劇だが、向こうはそうじゃないのに。

 なんつーかもお……言葉が出ない……。
 今、考えたくない。

 大好きだった「時間」が過去でしかなくなり、懸命に抱きしめているその隙間から消えていくような、そんな感覚。

 旅立たなきゃ、明日は雪東宝楽だ。
 タカラヅカってなんてところだろう、出会いも別れも追い立てられる。
 ひとつのところに留まっていられない、消えていく美しいもの、有限の楽園だとわかっている。
 だけどまた、失うんだ。また、別れるんだ。

 消化できないから、またいずれ。
 明日はひろみちゃんたち送り出すんだもん! 客席分の1の拍手をするんだもん!
「で、あゆみちゃんの別の顔って、ナニ?」
「……さあ?」

 という会話がかわされました、『仮面の男』東宝版の演出変更。

 「ルイの悪趣味」という場面のはずが、ただの好色、ふつーにいくらでもあり得る範囲の話になった、元人間ボウリング場面。
 差し替えられた場面は地味で台詞による説明ばかり、ひとこと台詞のために順番に前に出ます演出で、どこの植爺かスズキ・ケイか状態。
 若手男役たちの出番は総じて抑えられ、キャストを眺める魅力も半減。

 つまらなくなったこの場面、唯一良かったことは、短くなったことだ。

 いやあ、何度も語ったが、「人間ボウリング」でナニがいちばん嫌かって、長いことだったもんよー。
 面白くないのに、くどくどくどくど長かった。すべったギャグを何分も続けられる芸人ライブみたいなもん? ねーこれまだやるの、早く次行ってよー状態。
 どんなにつまらない場面でも、短ければ許せるってこと、あるじゃん?
 しかしそれがえんえん続くとなると、すげーストレス。

 この場面は長い、辟易するほど長い、と覚悟していたため、さっさと終わったことにびっくりした。
 えっ、もう終わり?! みじかっ。
 ……助かる。それってすごく、助かるわ。ライトユーザーがどう思うかはともかく、ヘビィリピーターには、すごくやさしい変更だ。

 出演者に含みはない。長くて退屈でも、雪組っこたちの姿を、がんばりを眺めていることは出来た。てゆーか、ムラではそれだけで耐えきった。しかし、趣味に合わないただ長い場面は辛かった。

 で、そのなんの工夫もない人数任せの場面、こだまっちの大好きな「醜い争い」とやらを繰り広げる女たちの中、マントノン夫人@あゆみちゃんが楚々と進み出てくる。女遍歴を説明していたルイ@キムが、「彼女には別の顔が……!」と、いかにも「引き」という感じで張り上げるのでナニがあるのかと期待したんだが。

 ナニもない。

 ムラ版の勝者@あゆみちゃんとルイのダンスにつながるだけ。
 一応、おとなしそうな彼女が、「別の顔が」で髪を跳ね上げるよーに手で肩から払って、堂々とルイの前に出てくる……ので、「昼は淑女、夜は娼婦」的な意味だと思う。
 しかし、弱い。
 髪をぱさっと跳ね上げただけだもんよ。
 『ファントム』の白鳥→黒鳥の変身くらいやってくんないと、わかんねーよ。台詞による引きのあと、ただデュエットダンスになるだけじゃあ拍子抜け。
 マントノン夫人がルイと同等以上の強さ、淫らさで踊るならともかく、あくまでも「好色なのはルイ」という設定(トップスター2役ゆえの、黒い演技を見せる場面)である都合上、マントノン夫人はルイに振り回される立場になる。
 こんなの、「別の顔」でもなんでもない。ふつーに淑女なだけ。

 よーするに、ムラ版の切り貼りだから、東宝版とのつなぎ目が粗いってこと。
 東宝版で「別の顔が」と言いながら、つながる先はムラ版のふつーの淑女とのデュエダン。ふつーじゃいかんやろ、ふつーじゃ。「淑女には別の顔が」と解説したんだから、別の顔を見せろっつの。

 キムくんとあゆみちゃんのダンスはムラと同じだけど、この周囲で踊る人々は変更。
 人道的・倫理的に相当やばかったキャスター椅子による小びと淑女ダンスは全カット。
 マントノン夫人とルイを冷めた目で見つめる淑女たちがずらりと並んだあと、ふつーの男女のデュエットダンスになるあたりが、こだまっちの抵抗かな。新公では単にキャスター椅子だけ使わない演出だった。意地でも新公と同じことはしないんだ(笑)。よっぽど新公の演出変更は屈辱だったんだろう。

 クチビルソファーやキャスタードレス淑女のくだりは変更無し。だからマントノン夫人は特にナニもしないままいなくなる。
 ルイーズ@みみ登場の矢印も健在。クチビルパペットもそのまま。

 そして、『H2$』はまるっと変更無し。著作権はOKだったらしい。←問題があったら変更されてるだろう。

 次に変更があるのは、「王はすべてお見通し」のラウル@翔くん捕縛から。

 ムラ版ではミレディ@ヒメの催眠術で膝を折ったラウルは、兵士(看守)に引き立てられ、早々に舞台から消える。 

 が、東宝ではいつまでも舞台にいる。
 銀橋でルイーズがルイにラウルの無実を訴え、「侍女になれ」と迫られる場面になるが、その背後、本舞台にまだラウルと兵士がいる。抗うラウルを殴り倒して、無理矢理連行する兵士たち。
 そのまま場面は牢獄になる。疲れ切った顔の囚人たちの間を、「僕は無実だ」と叫びながら、ラウルが連行されていく。

 ここの変更はいいと思う。
 ムラ版ではラウル捕縛から収監、脱走の流れが不明だった。いや、実際の時の流れが不明なのは変わらないが、舞台上の流れは正しくなる。
 ちなみにムラ版では、催眠術をくらって連行されたはずのラウルは、長い長い大囚人ナンバーのあと、観客が存在や本筋を忘れた頃に再登場。
 看守「逃げられました」、サンマール@コマ「バカ、まぬけ」のやりとりの中、ラウルくんはおしゃれな羽根飾りの付いた帽子姿のまま牢獄をフラフラして、「仮面の男」の素顔を目撃してしまう、という演出だった。
 ルイーズが「彼は無実です」と国王に陳情できるくらい、何日か経っているだろうに、捕まったときと同じ姿で牢獄をフラフラしているなんて、なんだそりゃ、でした。「ラウル捕縛」「ルイーズ陳情」「ラウル収監」がそれぞれ別の場面のぶつ切りであるために、時間経過が一層変だったの。東宝版は「ラウル捕縛~収監」がひとつの場面として続いているし、その間に平行して「ルイーズ陳情」があるため、なめらか。

 そしてなんといっても、大囚人ナンバーが、ナイ。

 これは全カットされるだろうと期待していたが、本当にカットされた。
 ひどい場面だったけど、そこで活躍していた生徒たちに罪はない、出番や見せ場を削られてしまった人たちは残念だったとは思う。
 悲鳴オーケストラメンバーがうなだれて坐っているだけ、彼らもすぐに退場。ただの「牢獄ですよ」というデコレーションとして扱われた。
 そのデコレーションのためだけに、気合いの入った変ヘアを作ってくれたにわにわ乙!

 大囚人ナンバーはなくても本筋にまったく問題なし。囚人たちの見せ場はカットしてもいいが、コマの見せ場をカットするわけにはいかない。
 ということなんでしょう、看守長サンマールはムラ版とは別人になって登場(笑)。

 続く。
 雪組『仮面の男』ばっか書いている、と友人からクレーム来てます。なんで他も書かないんだと。……すまんのう、書きたいキモチは山ほどあるんだよ、ゆーひさんがどんだけかっこよかったかとか、らんとむのいなせっぷりと姫花の神演技(笑)とか、ベニーが、ベニーが、とかみやるりがとかマカゼにきゅーん、とか、そりゃもおいろいろと。
 しかし、雪組公演……劇団史から抹殺されるような珍作を、何回観たと思います? や、周囲の人間に回数を聞くと「わたしなんてまだまだだな」と思うけど、とりあえずムラで13回、東宝3回(3回遠征)は自分的にはよくやったと思う……あんな作品のために! あれっぽっちの出番のために! ろくにソロもないショーのために! ちくしょー、まっつがいなかったらこんなに時間もお金も使ってないよおおお、まっつめえええ。(論点がずれてる)

 ああ、『ロミジュリ』が恋しい。
 『ロミジュリ』のためなら、ベン様のためなら、どれだけ時間とお金使っても本望なのに、『仮面の男』『RSF』のためにこんなにがんばってしまったことが、くやしいです(笑)。

 無駄に回数観ちゃった分、書きたいことも多くてなああ。

 ムラ版について、くどくど書いた。
 東宝でいろいろ変更されていたけれど、結局のところ破綻した話だということは変わっていない。

 ムラ版は上演意義を問うほどのトンデモ作だったが、改変された東宝版は単に、つまらない作品になっていた。

 とんがった部分を削ったら、そこにはただ平坦な大地がありました。……退屈……。

 それでも、人道的倫理的に問題があるまま上演するよりは、よかったんだと思う。

 改変してなお酷い人たちになった三銃士とか、放置されまくりのダルタニアンとか、初日は大ウケしたけど、2回目以降はネタバレしていため笑えないし。単に酷いなとしか(笑)。
 いいんだ、フィリップ@キムとルイーズ@みみちゃん見てじーんとしているから。このふたりだけだもん、役柄としての救いは。
 や、生徒はみんな熱演だけど、作品・キャラクタは感情移入どころの話ぢゃないからねー……。


 東宝変更点について。

 オープニングから早わかり世界史はそのまま。
 ムラ版でルイ@キムが出てくるべきところで、ルイの肖像画の横の扉から、おぎゃあおぎゃあ、赤ちゃん抱いたコンスタンス@あゆっち登場。それに対をなす扉から同じく赤ん坊を抱いた大司教@ホタテ登場。
 そして、ルイの肖像画からアンヌ王妃@ミトさん登場。
 双子の王子が生まれた、片割れはコンスタンスがこっそり育てることになりました、という解説に。

 これによって早わかり世界史に意味が出来たかというとそうではなく、モリエール@咲ちゃんの立ち位置がより不可思議になったという。
 モリエールは別に、国家の大機密を知っているわけじゃないのになあ。双子隠蔽を見てきたかのように語る、謎の人に。
 モリエールがすべて知り得ているなら、狂言回しとして物語の外側にずっといることになるが、あくまでもここだけ。いびつだわ。

 赤ん坊ルイが「偉大な王になるだろう」と大司教に宣言されたのち、よーやくルイの肖像画からルイ本人登場。前に立つアンヌと入れ替わるカタチ。
 ムラ版と同じ「俺様ルイ様ソング」を歌う。

 が、こっからがチガウ。
 わらわらと舞台上に人が出てくるのは同じだが、人間ボウリングではない。
 淑女たちはボウリングピンの被り物を付けないし、巨大メガホンもボール係もいない。

 ルイが淑女を取っ替え引っ替え、愛人たくさん、というのを台詞で説明する場面になった。

 …………地味。

 人間ボウリングも、ただっぴろい舞台(盆が全部見えるくらい、セット皆無)にただ人がわらわらいるだけの平面的な地味な画面だった。しかしとりあえず、ミュージカル場面ではあった。
 それが立ち話に変更されると、その地味っぷりってばもお。

 歌は替え歌になっていた。ボール係や侍従たちの歌が、曲はそのまま別の歌詞。

 人間ボウリングの是非はともかく、出演者を眺めて楽しむのにはいい場面だったので、その魅力が落ちたことは残念。

 特に、あすレオの見せ場がなくなったことは、残念すぎる。

 ボール係は、目立つ役だったのよ。雪組に詳しくない人が決まって「ボール係やってた子たちって、誰?」と聞いてくるような、下級生売り出しには最適な役だったの。

 あすレオは、りんきらとセットにされ、下手端でコーラス。
 ボール係として突然歌い出した、あの美味しさとは雲泥の差。ただのコーラス、しかもセンターりんきらの脇としてじゃあ、コンビ売りにさえなっていない。
 同期で体格も似た、きらきらした美形ふたりだからこその効果だったのに、ボール係の目立ち方は。

 りんきら的にも、侍従たちのまとめ役的に美声を発揮していたムラ版の方がいいよなあ。役割がぼけてしまった感じ。

 巨大メガホンだった朝風くんは、指揮者になっていた。……声を張り上げない分、やっぱ見せ場がなくなったのかなあ。わたしはメガホン役好きじゃなかったから、ノリノリで指揮をしている姿はいいと思うけど、やっぱり楽団にまざる役だから、役としての輝度が下がったかな。
 てゆーか花道使わなくなったのね。ムラではオーケストラ役が4人、上手花道で熱演していたんだけど、3人に減って(ホタテが出世したから・笑)本舞台でちんまりとやっていた。
 花道まで全部使う方が、華やかだわね。

 出番が減ったというと、侍従役の下級生たち。ムラではボードを持って銀橋渡ったりして、顔見せ・顔売りという点ではとてもおいしかったのにねえ。

 「ルイの悪趣味」と銘打った場面なのに、大して悪趣味じゃない。ただの好色。王様ならそれくらいふつーにありそうな範囲で、わざわざ説明してもらうほどでもないっていうか。
 ムラでは「ルイ/フィリップってまだ若いよね、少年?」って感じだったから、ダルタニアンや三銃士の年齢など、いろんなところをスルー出来ていた。
 しかしここで妻や愛人の話を説明されてしまうと、ルイが少年ではなくある程度の年齢だとわかってしまう。赤ん坊のルイをコンスタンスが抱いていたこともあり、ますます「この作品での、キャラの年齢設定」がやばいことに。

 しかしこだまっちは、何故「女の醜い戦い」にこだわるんだろう。
 ムラ版から疑問だった。人間ボウリングで「ルイの悪趣味」という場面であり、ここで描くべきは、淑女たちをピンに見立ててボールで倒して喜ぶルイのことだ。……ボールが投げられる前に勝敗は決まっており、わざわざボウリングにする意味もボールで倒す意味もなかったけど。
 今夜のお相手はすでに決まっているのに、ルイに選ばれた淑女と、選ばれなかった淑女が暴力的に争う。ボールに倒されまいとこれまた暴力で抗う。王が決めたことに、その王の前で暴力で抗う淑女ってナニ? 不敬罪とか反逆罪にならないの? なんのために「女の醜い争い」をさせるの?
 と、わけがわからなかったムラ版。
 テンポ良くボウリングすればいいのに、女たちがぎゃーぎゃーやるから、さらに時間が掛かって冗長、つまらない場面になっていた。

 それが東宝版で人間ボウリングはなくなった。……のに、やっぱり「女の醜い戦い」は描かれている。プログラムに文字でそう書かれていたはず。
 描くべきは「ルイの悪趣味」で、女たちがつかみ合いや押し退け合いをすることはテーマではないのに、まだこだわっている。
 こだまっちにとっての「女」って、こーゆーものなの?

 続く。

 これで最後だ、『仮面の男』ムラ版演出の感想。東宝版は東宝版でつっこみたいこと山ほどある(笑)。

 ダルタニアンがめちゃくちゃなのは置いておいて。
 主役とヒロインがまた、えらいことに。

 三銃士とルイーズ@みみの命と引き替えにと、幽閉を受け入れるフィリップ@キム。
「わたしも一緒に」と言い出すルイーズ。
 心変わり、早っ。
 だから、ルイーズが「ラウルの仇」とフィリップに斬りかかったのはほんの数時間前なのよ?
 たった数時間でこの変わり様はひどい……どんだけフィリップがいい子で、ふたりの間にイイ空気が流れていたって、出会って数時間でこれはナイ……。

 ほんとに、なんで一大ページェントと同じ日に、こんなことになってるんだろう。
 数時間後にしなきゃならない理由がどこにあったんだ。
 フィリップとルイーズが出会って何日か経っていたならまだマシだったのに。何日かでもやっぱり「心変わり、早っ」と思われるだろうけど、それは「早い」レベルであって、数時間後だと「ありえない・おかしい」レベルだよ……。
 わざわざこんなおかしい演出をする理由が、舞台からは読みとれない。まともにする方法が星の数ほどあるのに、わざわざおかしいことをあえてしている。
 作者がおかしいとしか思えない。

 心変わり早っ、はともかく、フィリップとルイーズの最後の銀橋はいい。
 ラヴシーン未満の、絆の芽生えみたいなあたりで止めてあるのもいい。
 最後にオープニングと同じ仮面のセットが登場してくるのも。
 ……ただ、「ル・サンク」にあった「鉄の仮面は完全に修復され、まるでこれからの二人とフランスの未来を表すかのように、黄金に光り輝く」はよくわからない。そんな演出されてました、あの仮面?
 映像に頼りすぎた結果だと思う。映像がうまく作れなかったら演出も崩壊、って、ここ映画館じゃないんですけどってな。

 ルイーズの変心はおかしいけど、フィリップだけは筋が通っているのが、救い。
 フィリップからしたら、牢獄から出てはじめて出会った女性に恋しても、至極普通のことだ。
 秘密を共有する唯一の異性で、同じDNAを持つルイ@キムが一目惚れするほど好みのタイプの美女で、フィリップの唯一の身近な女性だったコンスタンス@あゆっちに似ているときたもんだ。
 しかも命がけの逃避行、吊り橋効果抜群。
 これで少年が恋に落ちないはずがない。
 年上のおねーさんに憧れるように、少しおどおどと相手の顔色を確かめながら胸の内をつづるフィリップは、実にリアルだ。

 もっとも、フィリップにリアリティを出してくれたのは、キムくんの演技力のなせる技とも言えるが。

 ルイーズだって、時間経過のおかしさを除けば、彼女がフィリップに惹かれるのはわかるんだ。
 あのきらきらした涙を、まっすぐな心を見せつけられて、「国王の双子の兄弟」という国家機密にに関わったために傷を負ったという点では同じ、そりゃ心も近付くわという。
 みみちゃんがとてもリアルに、心の動きを表現している。

 ちぎだってまっつだって、他の人たちだって、めちゃくちゃな役を、脚本を、なんとかしようと誠心誠意闘っていた。
 ほんとに……なんて脚本、なんて演出だろう。


 そして、ムラ版は闇に葬られた。
 スカステ放送もなく、販売映像にも残らない。

 東宝で削られた場面が「人道的に許されなかった」と判断された部分らしい。
 もちろん、それらは差し替えられて当然の酷い演出だったが、それを抜きにしてもめちゃくちゃですよ、酷いですよ(笑)。
 こんだけ長々だらだら書いた感想のほとんどは、差し替えとは関係ない部分だし。

 だが、宝塚歌劇団100年弱の歴史の中で、前代未聞の出来事。
 公式に謝罪の上、演出が変更になるなんて。

 そんな「なかったこと」と抹殺しなければならない作品を、外部からの指摘がなければ今でも平気で上演していただろう、歌劇団のシステムに疑問を持つ。

 現に生徒は稽古の段階で「この演出はおかしい」とこだまっちに進言したと聞く。しかしこだまっちは演出家は自分だと聞く耳持たず強行したと。
 まさに暴君。
 しかしこだまっちは植爺のような権力者だとか、名声のある人間でもないだろう。こだまっちを止めることは可能だったはずだ。生徒にその権限がななくても、劇団になら。
 こだまっちがおかしいのは仕方ないとして、それを止められなかった劇団に、いちばんの問題があると思う。

 こだまっちはおかしいと思うけれど、まったく無能だと思うわけじゃない。
 クリエイターなんて、どこか常人と違っていても仕方ない部分はある。
 彼女の才能や技術をうまくコントロールして、ひとに見せていいもの、客から金を取っていいものを作るのが、劇団の仕事だろうに。


 こだまっちはショーを作ればいい、という意見も耳にするけど、あのー、今回差し替えになっている場面は、ほとんど「ショー」場面ですよ?
 人間ボウリングだとか小人ダンスだとか大囚人ナンバーとか、全部歌とダンスの場面じゃん。芝居部分じゃない。
 ショーでも同じことするって。歌とダンスだけで、人道に外れる表現を嬉々として「誰もやってない、私だけの素晴らしいセンス!」とやってくるって。やっちゃいけないことだから、今まであえて誰もやってないんだ、つーことが、理解できないだろうから。
 たしかに、物語を正しく構築できない人だから、芝居よりショーの方が被害は少なくて済むだろうけどさ。今回の「差し替えになるほどのアレさ」は芝居もショーも関係ないよ。

 必要なのは、「心」とか「常識」。
 さらに、タカラヅカファンに向けて、タカラヅカで上演するんだから、「タカラヅカとしてのお約束」「萌え」。
 それは監修によって、フォローできるはずだ。

 つっても、今回に限らず、今の劇団のおえらいさんに、そんなことのできる能力のある人がいないことは、周知のこと。

 こだまっちの名作である『龍星』がトウコちゃんの指図あってのように、生徒に任せたほうが、いっそまともなものができるんじゃないの?
 ぶっとんだアレなクリエイター様とか、時代錯誤なおじいちゃんや、自己陶酔したおじさんたちより、生徒の方が、タカラヅカファンの萌えを知っている気がする。、もちろん、人によるだろうけど。
 はーやれやれ、『仮面の男』ムラ版の感想、続き。

 一方、フィリップ@キムたち。
 主役のはずなのに、フィリップが三銃士と合流する場面はなく、なんか気がついたら済し崩しに一緒にいるという。作者が構成の基本理解してないから、主役サイドの話が脇になってます、ええ。
 サンマール@コマの変態さはイイ。フィリップのおどおど感と相俟って(笑)。
 突然三銃士の命乞いをするフィリップ……ええ子やなあ、自分を利用しただけの連中のことまで考えて。
 フィリップと三銃士になんの絆もないため、せっかくの感動的な提案が「フィリップ、アタマ弱い子」みたいに見えるのはどうかと思うが。

 で、遅れて登場したルイ@キムは、自ら投降したフィリップを幽閉し、三銃士たちを殺せと言う。
 国王陛下自ら、捕り物に参加したんだ……ってのはまあ、いいとして。

 国王が双子だというのはトップシークレット、知り得た者を皆殺しにしなければならないほどの重大な秘密。実際コンスタンス@あゆっちもラウル@翔もそれで殺された。
 だから、この期に及んでなお、ルイとフィリップが双子であるということは、クチにしてはならないのよ。
 サンマールが「フィリップ王子」と言ってしまっているのがまず、おかしい。彼は確かに看守長としてフィリップの正体を知っていたわけだろうけど、それは彼だけが知る秘密でしょう。部下たちみんなが知っていたはずもない。
 銃士隊だって、知らないはず。

 銃士隊はどんな説明を受けて、この任務についているんだ?
 たまたま同じ顔の男を使って国王誘拐を企てた、三銃士を捕らえろ? 偽物の同じ顔をした男を捕らえろ?
 「国王は双子」がトップシークレットだから、そこまでしか命令できないよね?

 たった数時間とはいえ、一大ページェントのあと、ルイとフィリップは入れ替わっていた。
 こんなことが可能だと知られてはならないから、フィリップは長年仮面の男として幽閉されてきたんだろうに。
 たとえば他国に知られてごらんなさいよ、フランス終了ですよ。顔が同じってだけで、王様別人じゃあ、示しが付かない。
 それで、総力を挙げて追ってきた。

 ただの「同じ顔の男、三銃士の陰謀」なら、それで済む。
 悪者をやっつければいいだけのこと。

 しかし、その「同じ顔の男」が正式なフランス王家の王子様だったら、話は別だ。

 お家騒動になる。
 まさに国家転覆の危機だ。
 同じ顔、まではセーフでも、双子だってのは、誰にも知られてはならない。ルイ/フィリップが生まれたときに行われた計画と心中する覚悟のある、国政の中枢の者しか、知ってはならない最高機密だ。

 平の近衛兵ごときが知っていいことじゃない。
 ……なのに、銃士隊全員の前で、サンマールはあっけなく国家機密をクチにする。

 それでもぎりぎり、サンマールはサンマールだから、ヘンタイの愉快なおじさんだから、ってことで、うやむやにすることはできるかもしれない。
 勝手に変なことを言っているだけだよ、国王陛下に双子の兄弟なんているわけないじゃん、と。
 フィリップや三銃士がナニを言っても「罪人の戯れ言」で通せる。

 しかし。
 ルイ14世陛下自身が言うんだ。フィリップに、「兄上」と。

 ちょ……っ!!
 その秘密のために、コンスタンスもラウルも殺されたんでしょ? それゆえにこの物語ははじまったんでしょ?
 どこでも誰の前でも、べらべら喋っていいことだったんかい?!

 このことからも、やっぱりルイはコンスタンスを殺していない。
 フィリップを知るものは皆殺しと年端もいかぬ頃に命令できた人物なら、大人の今、銃士隊の目の前でフィリップの正体を自分で明かさないし、それでも明かしたのなら銃士隊は皆殺しにする前提だってことだからだ。
 それとも、三銃士を殺した後、銃士隊は別の機会に殺すつもりか? この場から移動したら、なにしろ人数が多すぎるため、その分秘密が漏れる恐れがある、ここで殺さなきゃおかしいだろう。

 ルイはたしかに暴君かもしれないが、コンスタンス殺しに関しては無実だろう。

 ああ、なのに。

 主君であるはずのルイを、平気で裏切るダルタニアン。どう考えてもルイは犯人じゃないのに、なんの証拠もないのにルイだと思い込み。

 まったくの私怨で剣を向けるくせに、「暴君だから」とキレイゴトを言う。
 その暴君に仕え、一緒になって手を汚してきたくせに。「見ていただけです、僕はいじめはしていません」てか?

 ひどすぎるダルタニアン……。

 こんなものすごい状況なのに、このわけわかんない変心をすんなり受け入れる三銃士も、変。
 なんとなく「いい話」っぽくまとめているけど、お前らみんな人としておかしいよ……。

 で。
 さらにおかしいことは。

 国王が双子、っていうだけでも関係者皆殺しなのに。
 銃士隊の目の前での国王入れ替え、って。

 銃士隊って、全員がこれから何十年、この秘密を抱えて生きていけるほどの人々なの? 国の根幹に関わる秘密よ?
 それともこのあと銃士隊は皆殺しになったの? それとも全員どこかへ幽閉するの?

 大変だなあ。あの場にいたあの人数を、これからフィリップとダルタニアンは、見張り続けなきゃいけないんだよね。殺さないなら、幽閉しないなら、代わりに、どこかで情報が漏れないか、完璧に見張り続けなきゃね。
 退役もできないね、辞めたあとどこでなにを喋られるかわからないし。
 いつどこで、誰が国家転覆を考えるかわからないね? こんなすごい情報、敵国へ持ち込めばどれだけ大金を得られるだろうねえ。

 ……すべては、作品のテーマであり、いちばん重要な展開を銃士隊の見守る中でやったことが敗因でしょう。

 銃士隊が国家への忠誠心に厚い素晴らしい人々だと描いてあるならともかく、強い者に命令されるたびに風向きを変える、アタマが弱い・あるいは卑怯者の集まり、として描かれている以上は。
 わざわざロシュフォール@せしるの命令で、隊長のダルタニアンを無視して行動するところを描いてあったもの。
 で、ルイだのサンマールだのの命令でフィリップに剣を向け、ダルタニアンがルイを追いつめたら今度はルイに剣を向ける。
 誰でもいいんですよ、あの人たち、強い者にしっぽ振るの。
 そんな連中に、国家の最大の弱みを握られちゃったんだ……フランス、終わりだな。

 なんだってこんなアホなことになっているんだろう。
 コンスタンスやラウルが殺されたことから、ダルタニアンが動きアトス@まっつが動き、物語がはじまったのに。
 それを全部否定してしまう演出をするなんて。

 秘密の根幹部分だけは、外野無しの関係者だけの場面にすれば済むことなのに。
 ほんとにアホや……。

 続く。
 
 『仮面の男』ムラ版演出についての感想。

 ダルタニアン@ちぎは、作者のアホさのしわ寄せを一身に引き受け、とても気の毒なことになっている……という話の続き。

 作者がアタマ悪いなと思うのは、キャラクタの視点と作者の視点がごちゃまぜになっていること。
 ダルタニアンだけじゃない、全員がそうなんだ。
 ルイーズ@みみはいつ知ったの? アトス@まっつはいつ知ったの? というように、そのキャラクタならば知り得ないことを当たり前に知っている前提で話が進む。
 作者はストーリー全部を知っているから、自分が知っているから、という認識で進めているんだ。
 ひとつのものごとを、誰がどこまで知り、その立ち位置や考え方からはこうとしかわからない、ここまでしか知りようがない、とかを、作者が理解していない。
 だからめちゃくちゃになる。

 何故ダルタニアンがいきなり、観客と同じだけの設定を理解しているのか?
 いつどうやって知り得たのかの説明はない。
 アンヌ王太后@ミトさんに詰め寄って真実を得た、ということは、あったかもしれない。三銃士討伐の前に。
 しかし。アンヌさんが知っているのは「フィリップ@キムをコンスタンス@あゆっちにあずけた」ところまでだ。コンスタンスが殺され、フィリップが仮面付きで牢獄へ幽閉されているまでは知らないはず。……知っていて何年も放置していたら、母として終わっているし、フィリップと再会したときに「仕方なかったのです」と泣きを入れる姿がこわすぎる。実の息子にそんな扱いを平気でしておきながら、被害者ぶる母……いくらなんでも、それは……。
 アンヌ王太后から、「ルイは双子」「フィリップを密かに育てていたのがコンスタンス」ということまでは、ダルタニアンは知り得た。
 フィリップとルイーズの話を立ち聞きして、「フィリップは密かに育てられていたが、何者かに襲われ仮面を付けて牢獄へ入れられた」まではわかる。
 これらの事実から、コンスタンスが殺されたのは、フィリップが襲われたときだと推察したのか。
 フィリップが捕らえられていた牢がどこかは誰もクチにしていない。が、三銃士討伐にサンマール@コマが加わっているので、彼から事情は知り得たか。
 てゆーか、そもそもルイ@キムを無事に助け出しているんだ。ルイからどこまでの話を聞いたのか?
 ダルタニアンはルイが双子だということは知らないことになっている。なのに助けに来るなんておかしいとルイは思わないのか? 知られたら皆殺しの秘密を、ダルタニアンも知ってしまったんだ、腹をくくって彼も陰謀の仲間に加えることになったのか。
 だとしたら、ここでルーヴォア@ひろみがルイの仲間であることは知らされるだろう。双子の秘密を誰がどこまで知っているか、教えずにダルタニアンにフィリップを追わせるわけにはいかない、常識として。
 実際、ルーヴォアも三銃士討伐隊に加わっているのだから、ダルタニアンはルーさん本人と話す機会があったはずだ。数年前、隠れ住むフィリップを捕らえたのは誰か。

 ダルタニアンがドヤ顔でルーヴォアに語る「今から数年前…」というコンスタンス殺害周辺の事情は、ダルタニアンが知っているのはおかしい。
 反対に、描かれていないだけでいろんな人から話を聞き、彼が知り得たのだとしたら、今ここでペンダントの有無ではじめてルーヴォアが実行犯だとわかるのは、おかしいんだ。

 まったくなにも知らないか、あるいはすべて知っているか、どっちかだ。

 なのに、知らないはずのことを半端に知って語り、犯人のことはなにも知らずに、ペンダントを見て「これは……ッ!!」とか言ってる。

 わけわかんねー。

 わからないが、舞台上はあくまでもペンダントの有無ではじめて、ルーヴォアが悪者だと気付くことになっている。まあそういうことだとして。

 こりゃやばいわと思ったルーヴォアは、泣きの演技に入る。
「国王の命令だったんだ。私は殺したくなかったのに」
 ……嘘だよね? どっから見ても真っ赤な嘘、ただの言い逃れだよね? 実際、それゆえに隙のできたダルタニアンに襲いかかり、悦に入っている。
 この展開だと、完璧に「その場しのぎの言い逃れ」だよね?

 なのに、ダルタニアン信じるし。

 ちょっと待ってダルタニアン。
 こだまっちが大好きな影絵で説明してたじゃん。無意味な大階段布敷きスクリーンを使って。
 観客にも見せつけていた。

 幼いフィリップと、彼をかばって殺されるコンスタンスの姿が。

 フィリップとルイは「双子」なんだってば。フィリップがいたいけな子どもなら、ルイも子どもなんだってば。

 影絵に映っていた、あの小さな子どもと同い年の子が、真犯人……?
 小柄な女性にかばわれる、彼女よりも小さな姿だったよね? 子どもだということがひと目でわかるシルエットだったよね? あゆっちやキム、本人たちが演じて影絵として処理されているのかどうかは知らんが、ちゃんとフィリップは子どもだった。

 無理だろ、それ。

 どんだけ利発なんだルイ。
 年齢についてはアンタッチャブル、触れてはいけないことだから言及しないが、影絵の雰囲気、フィリップの語りからしても、10歳そこそこで悲劇に見舞われたっぽい。
 そんな年代のルイが真犯人って。秘密を知るものは皆殺しにしろって命令したとしたら、すげえよ。
 そこまで自分の頭で考え、命令できるなら、ルイはまさに王の器の人でしょう。大人じゃなく、年端も行かない子どもでそこまでやれるなら。

 最終的にルイが命令を下したにしろ、誰か大人の入れ知恵があってのことだと、ふつーは思うわな。
 ルーヴォアとか側近の大人たちが、ルイにそう言わせたんじゃないの?

 ルーヴォアの「どっから見てもただの言い逃れ」を信じるダルタニアンも相当変だが、言い逃れかどうか以前に、年齢的にあり得ないって理解しないダルタニアン……。

 どこまでダメな子なの、ダルタニアン!

 傷つきながらも最後の力を振り絞り、コンスタンスに語りかける……カッコつけてる場合じゃないよ、相当変だよ、悲しいよ君。

 ところでロシュフォール@せしるはまともでいい人ですね。
 上官に襲いかかるダルタニアンと戦い、傷ついてなお逃げ出さずその場に留まり、ルーヴォアを助けて共に去っていく……ひょっとして、作中でいちばんまとも?
 悪役チームの脇役がいちばんまとも、っていう、この作品の狂い具合って……。

 続く。
 『仮面の男』ムラ版演出についての感想。

 もうひとりの主人公、ダルタニアン@ちぎ。

 こだまっちの悪い癖というか、すぐに視点がブレるのな。
 『仮面の男』は最初から誰が主人公なんだかわからないから(主人公のはずのフィリップは開始から50分登場しない)、今さら言っても仕方ないことなんだが。
 いちおーダルタニアンも、準主役としてドラマを描かれている。
 ダルタニアンがもうひとりの主役でも一向にかまわない。ただ、クライマックスとは、主人公を中心に描くものだということが、こだまっちには未だ理解できていないらしい。

 『天の鼓』のクライマックスが帝視点で、主役のはずの虹人が行方不明になっちゃった、あれから進歩していないんだわー。

 ダルタニアンの復讐劇の顛末を、ちゃんと描こうとしたのはいい。
 それはそれとして、それ以上にフィリップ@キムの物語を「クライマックスとして」描かねばならない。物語のもっとも盛り上がる、観客が手に汗握って見守ったり、感動の涙を流す、動きのある場面は主人公のためにあるべきだ。
 『仮面の男』がボケた作劇になっているのは、クライマックスの置き方が間違っていることも、原因のひとつだ。
 ダルタニアンの歌舞伎的な見得を切る場面がばーんとあり、そこが作品的なクライマックス、山場になっている。で、そのあとはクライマックスの「まとめ」の場面になる。まとめ、って……主人公をそんな扱いしたらいかんやろ。
 いちばんの山場をフィリップ中心に据え、彼の活躍・魅力を前面に押し出す作りなら、全体のブレ具合も、半分以上不要なお遊びばかりであることも、勢いで誤魔化せたかもしれないのに。終わりよければすべてヨシ、クライマックスが派手だと、「なんかすごいもん見た?」と人は誤解するのに。

 と、構成間違ってるんだけど、そうまでして描いた、ダルタニアンの復讐劇。

 これがまた、ひどい(笑)。
 視点混乱させてまで作品の中心に据えている話であり、キャラクタであるのに。作者の構成力のなさ、人間としての心のなさが全部、ダルタニアンの破綻っぷりに表れている。しわ寄せが来ている。……大変だニャ。

 ダルタニアンは、殺されたコンスタンス@あゆっちの復讐のために、友である三銃士と袂を分かち、ルイ@キムに仕えている。ルイが暴君であることも見て見ぬふり、誰が殺されても知らんぷり。ラウル処刑は知らなかったにしろ、彼が無実の罪で投獄されたことまでは立場上知っているよね? アトス@まっつの弟がそんなことになっていても絶賛スルー中だったわけだよね?
 そしてさらに、ルイ誘拐の罪で三銃士を追っている。……三銃士のことを、殺すつもりだったんだよね?
 ポルトスはダルタニアンを殺せないと剣を引くけれど、ダルタニアンはポルトスを殺すつもりだった、と。
 国王誘拐だけでも大罪だが、それ以前に口封じ前提の秘密・国王が双子という事実を知ってしまった三銃士とルイーズは、即抹殺だよね、捕らえることすらしないよね。
 それだけの覚悟を持って三銃士を追っていたんだよね?
 で、そんだけの覚悟がありながら、ポルトスに「お前とは戦えない」と言われたら、全部投げ出してポルトス助けちゃうの? その程度の覚悟で三銃士討伐隊を指揮しているの? 人格ナイの?

 ポルトスをかばってルーヴォア@ひろみに剣を向けてしまうダルタニアン。
 ペンダントを見つけなかったら、どうしていたんだろう。
 やっぱりコウモリらしく豹変して、ポルトスを殺していたの?
 それともポルトスを逃がすためにルーヴォアを口封じに殺すの?

 その場その場で思いつきだけで行動していて、なにがしたいのか、まったくわからない。
 ええ、この作品でいちばん可哀想なのはダルタニアンだと思う……おかしすぎる。

 阿呆すぎて言葉も出ないダルタニアンだが、まあともかく、幸運にもルーヴォアのペンダントに気づき、彼がコンスタンス殺害の実行犯だと知る。

 ここの流れもよくわからない。
 ポルトスはなにをどこまでわかっていたんだろう。
 ポルトス視点で見れば、討伐隊と戦っていた→ダルタニアンと一騎打ち→仲間は殺せない→ダルタニアンが自分をかばってくれた→ルーヴォアのペンダントを見つけてふるふるしている→自分で決着をつけたいから行ってくれ……なんの決着?
 ペンダント=コンスタンスの仇、だと、ふつーは思わない。『さすらいの果てに』の主人公みたいに「父の書斎から出てくるのを見た、あいつが真犯人だ!」レベルですよそれじゃ。(ヲヅキさんで思い出した。そんな難癖つけられ、ストーカーされて精神を病む気の毒な男の役をしていたよね)
 自分が殺した女から奪ったペンダントを、堂々と身につけているとは、ふつー思わない。ルーヴォアのペンダントがコンスタンスのものであろうと、彼も誰かからもらったとか買ったとか、ナニも知らずに身につけていると思うのがふつーだろう。
 でも、「自分で決着を」と言っているダルタニアンは、ルーヴォアが仇だと決めつけている。そうでなかったら「聞きたいことがある」とか「確かめたいことがある」とかいう言葉を使うはずだ。ルーヴォアにこのペンダントの由来を聞きたい、その話をするのにポルトスは邪魔だから席を外してくれ、という意味なら。

 ルーヴォアが超悪人で、彼は日頃から、殺して奪ったものを身につけていると豪語する人物だったのか?
 この服も指輪も、殺した相手から奪ったものなんだ、戦利品しか身につけない主義なんだ、と言っているんじゃなければ、短絡的すぎるよな。
 ひとからもらったペンダントを持っていただけで「仇」と決めつけられるんじゃ、怖すぎるよ。
 また、死人から剥ぎ取ったものしか身につけないと名言しているとしたら、そんな男をダルタニアンは今まで放置、同僚としてスルーしていたんだ。糾弾もしていないから、認めていたわけだ。……それって、ダルタニアンも同類ってことになるよね……「僕はルーくんがいじめをするのを知っていただけ・見ていただけで、いじめてません」てなもんですか。

 もー、わけわかんないこと続きで疲れてくるんですが、さらに次。
 ルーヴォアはコンスタンス殺害を自供する。
 それを聞いたダルタニアンは、コンスタンスが自分の恋人であったことを告げる。

 ここでもわからないこと。
 ダルタニアンは、いつ、どこまで知ったのか。
 コンスタンスはフィリップの世話をする任務だとは、ダルタニアンに言っていなかった。フィリップもまた、自分の侍女がコンスタンスだとはダルタニアンが立ち聞きしていたときには言っていない。
 ルイ/フィリップの存在、入れ替えについては立ち聞きでわかったとして、フィリップとコンスタンスのことはイコールではないよね。年数的に合致するとか、想像でしかない。
 しかしルーヴォア相手に言い切っている。
 フィリップの存在も知らず、すっかり騙されていたダルタニアンが、いったいいつコンスタンスがフィリップの侍女で彼を守って殺されたと知ったのか。


 あー、わたしの文章もわかりにくくなってるなー。でもいいんだもう、整理しない(笑)。
 続く。
 『仮面の男』ムラ版演出についての感想、続き。

 クラゲ場面はなんつっても、お稽古場が気の毒だろうなと。
 舞台も相当笑われ場面だけど、そっちは映像も音楽も衣装も照明もあるんだし。
 お稽古場は……。
 スカステの稽古場映像でおなじみの、あのなんもない空間に、台とか、並べたパイプ椅子とかを使って、あの場面を練習したんだよね。
 組子全員と各先生方が周囲をずらりと囲んで注視、窓の外に野次馬、とかいう状態で、腹這いになって、いいトシした大人がクロールで泳ぐ振りをしながら、あの場面をやったんだろうなあ。なまじ生真面目なだけに大変だな、タカラジェンヌ。
 特にアトスの中の人は、そーゆー冗談通じないイメージなので、内心相当ピキピキきながらやってたんじゃあ……とかなー(笑)。

 おちゃらけ場面のあと、シリアスな美しい場面になる。効果を狙っているのはわかるけど、ギャグ場面自体を誰も求めていないため、成功していない。
 てなことはともかく。

 電気クラゲに刺されたポルトス@ヲヅキが、よくわからない音(だから無知無教養なわたしには、フランス語は台詞ではなく、ただの「音」としか認識できない)を出して暗転。
 その直後に、舞台中央に置かれたフェンシングの剣が1本、ライトに浮かび上がる。
 純白衣装に身を包んだフィリップ@キムが現れ、その剣を回す。1回転させたあとに剣を取り、静かに踊りはじめる……。
 しんと張りつめた、美しい場面。
 踊るフィリップの左右、上手袖と下手袖では、回転扉を使ってアトス@まっつとポルトスが登場、三銃士の衣装に着替え、剣を握る。
 着替え済みのアラミス@きんぐも加わり、「三銃士」が完成する。
 フィリップと三銃士が合流、剣を合わせキメ台詞「「Un Pour Tous,Tous Pour Un」を唱和する……背景にて、カーテンが開くとそこは大階段、ダルタニアン@ちぎをはじめとする悪役チーム、銃士隊が勢ぞろいしている。

 クライマックスにふさわしい、盛り上がる演出。
 ……なんだけど、ここの振り付けが残念すぎる。

 カーテンが開いた瞬間はいいんだけどなあ。

 せっかく大人数の銃士たちによる戦闘シーンなのに、なんともどんくさい、つーか、かっこよくない。
 なんでってそりゃあ動きが少ないから。
 銃士の大半は、大階段の上でマントをぱたぱたさせているだけ。
 実際に戦闘している人たちも、それほど動き回ってはいない。不自然な少ない動作だけで、戦っている様子をしている。スローモーションは言い訳に見える、あまり動かずに済むための。

 今までにも、大階段を使った激しく動き回る振り付けはあったと思うんだ。ショーのダンスでは、びっくりするほど階段を駆け上がったり降りたりもしているし。
 もちろん、実際に演じている人たちは大変なんだろうけど、観ている側としては、立体的な大階段を縦横無尽に使ってパフォーマンスしてくれると感嘆する。

 が、今回は何故こうまでチープなダンス(殺陣)なのか。

 こだまっち……大階段に布は必要だったのか?

 あの布さえなければ、もっと自由に動けたんじゃないの?
 素人が観ても、動きが制限されていることがわかるんだが……。

 ではあの巨大な黒布はなんのために敷いてあるかというと、これまた影絵のため。

 こだまっちは影絵にトラウマでもあるんかい……。いつも不自然に影絵にこだわり、本末転倒するという。
 布を敷かなくても、ある程度の映像は白い大階段に投影可だと思う。今までもそんな演出はあった。
 でもそれじゃあきたらず、影絵用の布を強いたんだね……。

 やっている人たちは大変そうなのに、あまり効果的ではない、残念な大階段戦闘シーン。
 その前ではどたばたと、これまた謎のチャンバラが繰り広げられている。

 えーと、フィリップ@キムは仮面を付けて幽閉されていて、剣なんか握ったこともないわけだよね? 素人だよね?
 素人に勝てない銃士隊隊長って。
「これほど瓜二つだとは」とかかっこつけてつぶやいているダルタニアン@ちぎ……女連れの素人に剣で勝てないって、どんだけまぬけ……。

 そして、なにしに来たかわからないミレディ@ヒメ。
 はい、ミレディ使い方はどうかと思うパート2です。
 ルイーズ@みみに斬りかかり、これまた素人のルイーズに避けられまくり、なんの役にも立たないまま高笑いして去っていく。
 ルイーズって剣の達人……? 素手で戦えるんじゃないの、あれだけ真剣を避けられる動態視力と反射神経と運動神経持ってたら。

 そしてさらにわからない、ミレディの後を追って逃げていくフィリップとルイーズ。
 ミレディが高笑いして去っていった後を追うように、彼女がはけていったのと同じ上手袖にはけるフィリップとルイーズ。
 同じところへ行ったら、まずいじゃん。逃げたことにならないじゃん。
 ミレディがナニしに来たかわからないだけに、一層わけわかんない演出。

 ミレディを上手袖にはけさせたなら、フィリップとルイーズは上手花道を走らせるとか、すればいいのに。
 もしくは、ミレディが消えてからもっと時間が経ったあとにするとか。
 演出家、ナニも考えてないだろ……。

 乱戦の中、ダルタニアンとポルトス@ヲヅキの一騎打ちに。
 コレはかっこよくていいし、「お前とは戦えない」というポルトスもいい。
 しかし、ルーヴォア@ひろみ登場で、ぐだぐだになる。

 何年も同じ職場で働いていたルーヴォアが日常的に首からぶら下げていたペンダントに気づかなかったダルタニアン!! という、言い訳不能のまぬけっぷりを披露することは言うに及ばず。(なんで戦いの最中服がはだけて、とか、いつもは見えないペンダントがうっかり外に出た、という演出にしたなかったのか)

 問題は、このときこのペンダントを見つけていなかったら、どうなっていたか、だ。

 ダルタニアンのキャラクタのアレさについて、次の欄に続く。
悪役は世界征服を歌うべきだ(笑)。@オーシャンズ11
 ゾロ目が並ぶとうれしい小市民。
 2011年11月11日、『オーシャンズ11』に行ってきました。

 上り調子の組ってすごいやね。びっしり埋まった駐車場、人であふれたロビー……なんかなつかしいタカラヅカの雰囲気(笑)。
 初日に立ち見が出てるなんて、近年のムラではめずらしい光景だもんなあ。

 タカラヅカが活気づくことは、単純にうれしい。

 んで、『オーシャンズ11』。
 映画観てません、予備知識ナシ。映画は予告編見ただけで「本編見なくてもおなかいっぱい」になったクチです、はい。

 第一の感想は。

 ねね様の脚っ!!!

 第二の感想は。

 ……原作付き? チガウよね、これ、イケコオリジナルだよね?

 でした(笑)。

 ダニー・オーシャン@れおんが、悪者金持ちテリー・ベネディクト@ベニー経営ホテルの金庫から、大金を盗み出す計画を立てる。ひとりじゃ無理だから、仲間を集めて全部で11人で計画実行、「オーシャンと10人の愉快な仲間たち」というのがタイトル。
 でもダニーの目的は金じゃなくて、ベネディクト氏とラヴラヴになっちゃってる妻のテス@ねねちゃんを取り戻すこと。ベネさんの悪の顔を暴いたら嫁さん戻ってくんじゃね?てな。
 悪者に天誅を、とゆーか、なにしろ悪者なのであちこち恨み買ってるし、仲間は集めやすい……てゆーか、10人はやっぱ多すぎっつーかバランス悪いなあ、敵もそれなりに人数いるし、まさかの登場人物紹介だけで1幕終了。
 まる1幕かけてキャラ紹介したんだ、2幕はどんだけ盛り上がるのかと思いきや、えーと、まあその、結局ダニー以外大して見せ場なく作戦完了、オーシャンズ11チームが勝利してハッピーエンド。えええ。

 幕間からすでに、
「ねえコレ、『LUNA』? 『LUNA』だよね?」
「ベニーがリカちゃんで、ねねちゃんが檀ちゃんだよね?」
「エコエコ言ってるのが、檀ちゃんの調査調査にあたるのよね?」
 と、意見出まくり、なつかし語りに突入する、ヅカヲタ歴フタ桁軽いわな人たち……(笑)。
 『LUNA』に限らず、今までのさまざまなイケコオリジナルまんまっす。

「イケコ……フラストレーション堪ってたんだろなあ」

 『ロミジュリ』だけじゃ足りなかった模様。ネットでサイバーで携帯電話でエコでNPOでヒップホップですよ。イケコオリジナル必須条項全部詰め込んでストレス解消、やりたかったんだね、いつものイケコ世界。

 小池せんせのやりたい放題完全オリジナルって、『MIND TRAVELLER』が最後? そのあとに『アデュー・マルセイユ』はあったけど、トップサヨナラという縛り付きだったから、完全フリーは『マイトラ』だよね。
 『MIND TRAVELLER』、感動的に売れなかったもんね……小池先生自らテーブル出してチケット取り次ぎしてたくらい、大変だったんだよね……そのおかげで、もうオリジナル書かせてもらえなくなって、ネットでどうこうケータイでどうこうっつー話が書きたいのに無理だから、原作付きでやっちゃうんだね……。

 や、映画『オーシャンズ11』にもハッカーは登場するけど、星組の『オーシャンズ11』とは色合いがチガウ、結局のところイケコオリジナルだよコレ、と原作映画も観たし、「人生でいちばんたくさん観た公演は『LUNA』。ムラ東宝博多制覇」という剛の者がニラニラ語る。


 ということで、物語的には、「原作がある分破綻していないが、その分盛り上がりに欠ける、イケコオリジナル作品」って感じです。

 イケコオリジナルは破綻しまくりで馬鹿馬鹿しいことこの上ないけど、とりあえず、派手だ。

 なにしろマッドサイエンティストが出てきておかしな機械をバチバチさせ、悪役2番手が「世界征服」を歌う。

 主人公とそのチームが挑むのは、地球の命運が掛かった大作戦だ。

 個人レベルの悪党の私財を盗んで終了とか、そんな地味な話では、絶対ナイ。

 イケコオリジナルがいいとはぜんぜん思わないけど、イケコらしさを押さえ込んで破綻させない話にしたら、こんなに地味になるんだと、そこが新しい発見でした。
 やっぱ悪役は世界征服ぐらい、ぶちあげなきゃなー(笑)。

 「仲間集め→悪者と闘って勝利→囚われのヒロインを助け出しハッピーエンド」という1本モノで、直近では『太王四神記』を観ている。
 同じ軸であるだけに、『オーシャンズ11』の地味さはよくわかった。服装が所詮現代スーツだし、なんといっても戦闘シーンがない。
 仲間も敵も全員揃ってバトル!てな場面がなく、それぞれ個別にごちゃごちゃやっていて、スクリーンにアップになるわけでもない舞台というジャンルである限り、11人も主人公チームがいるとすごく散漫。個人の活躍はほんっとに少ない。
 まる1幕かけてキャラ紹介しておいて、この尻つぼみ感はいったい……! てな残念さ。

 あっちを尖らせばこっちが引っ込む、すべて良くはならないもんなんだな。
 派手にすると破綻するし、ブレーキ踏みつつ走れば事故らないけどスピード出ないし。
 破綻しない、あるいは多少の破綻なんかぶっ飛ばすような派手派手演目は、出来ないものなんだろうか。


 と、なんかアレなことをいろいろほざいていますが。

 面白いよ。

 『LUNA』のときより、小池せんせの演出技術が上がっている以上、焼き直しをするにしても、演出が良くなってる!!
 しかも、イケコのトホホなセンスを、「原作付き」という縛りが押さえ込み、スタイリッシュ。

 お金も掛かっているので舞台豪華だし、役が多いし、舞台上にいろいろごちゃごちゃ登場しているし、とにかく楽しい。

 四の五の理屈は置いておいて、わくわする。
 もう一度観たくなる、エンタメはこうでなきゃね!感覚。

 ハリウッド映画の大味さと、タカラヅカの大衆性は、実は相性いいのかも? いやいや、そうだとしてもそれだけではない、イケコの演出手腕、そしてキラキラした星組メンバーの力あってこそ。
 たのしいなー、まいったなー、わたしもうお金ナイのになー(笑)。

 ねねちゃんの美しさも一見の価値有り。
 これでもかと美脚強調ドレス。

 れおんくんがかっこいいのは言うまでもなく。

 ちえねね! ちえねね! と拳振って喜んでまつ。わーん、ちえねね好きだーー。


 ……『MIND TRAVELLER』も、今のイケコとこの予算で、大劇場で再演したら、これくらい格好良くなるのかなあ? と、考えてしまいました……いや、あんなの再演なんて一生なくていいですが(笑)。
 駄作だったけど、出演者のファンは見どころが多くてリピート可の作品だったのよ、『MIND TRAVELLER』。ざっつイケコオリジナル!
 まだ続いてる『仮面の男』ムラ版演出感想の続き。こいつを終わらせないと他が書けないっ。

 飲んだくれる三銃士はかわいい。
 捕らえたルイ@キムの処遇を考えていなかったり、弟を殺されたばかりのアトス@まっつはこんなむちゃくちゃな脚本演出で気の毒だなと思うけれど、ここだけを切り取って見る分には、かわいい男たちがかわいく絡んでいるのでかわいい。……つまりソレって、三銃士でも『仮面の男』でもなくてイイって話だけど(笑)。
 「今夜の成功」と限定してしまったのが敗因。
 そして、どーして今夜かというと、「祝して乾杯」と三銃士を飲んだくれさせたかったから。
 酒飲みの歌をやりたい、それだけの理由で本筋を壊す。……なんてこだまっちらしい。

 銃士隊とダルタニアン@ちぎは大騒ぎして三銃士を追ったり、ルイを助けたりしている。
 その頃王宮ではフィリップ@キムとルイーズ@みみが逃避行中。
 ええ、あの影絵のシーン。
 影絵自体はいい。隠れて生きることしか許されない・友だちと遊んだりできないフィリップのために、コンスタンス@あゆっちが、ひとりでも出来る遊び……影絵を教えたのかと思うと、切ない。
 子どもの頃の遊びなのに、フィリップが今でもそれが出来ること……それこそ人に教えられるくらい長けていることも、牢獄の中でひとりで繰り返し遊んでいたのかと思うと、超絶切ない。
 だから、影絵が悪いわけじゃないんだよ。
 鳥だの犬だのやっているうちは。

 ウサギとカメが、いらん。

 フィリップとも『仮面の男』ともまったく関係ないやん。
 当時のフランスでポピュラーなおとぎ話だったんですか? 史実があって、これを入れなくてはならなかったの? チガウよね?
 本筋に必要だから入れた、本筋に必要だからウサギとカメだった、というようには、まったく思えない。
 むしろ、「素人が付け焼き刃でできる影絵が、ウサギとカメだけだった。だから必然的にウサギとカメになった」に思える。

 まず、影絵をやりたい、という目的があり、それゆえにストーリーもキャラクタも、ここがタカラヅカであることも一切無視した結果が、「ウサギとカメ」である。

 『仮面の男』全編を貫いている、本末転倒さ。
 演出家のエゴ。
 それを具現した場面だと思うために、不快さMAXレベル(笑)。

 影絵というアイディア自体はいいんだから、それを自分でぶちこわすことないだろーに。ほんとアタマ悪いなー。

 話している内容は噛み合ってないんだけど(なにしろウサギとカメだし)、それでもフィリップとルイーズの会話から歌にかけてはすごくいい。全編通してもっとも泣ける。
 不快さMAXレベルなのに、いちばん泣けるってナニゴト(笑)。
 キムみみがいいだけに、ほんとにくやしい。そのこともあり、さらにウサギとカメがムカつくのかも。


 影絵のためにセットされたスクリーンに、次は疾走する馬の映像が映る。
 紗幕の向こうには三銃士。よく見るとなにかしら台の上に乗り、「馬に乗っている」演技をしている模様。
 しかしここは、カッコいい。映像も使い方次第。

 でもさー、ひとつ聞きたいんだ。

 サン・マルグリット島へ、ナニしに行くの?

 死刑囚だけが送られる島だそうで。
 そこへわざわざ向かうのは、何故? 理由が書かれていない。

 国王誘拐犯であり、国王が双子であることを知った者は皆殺し必須、三銃士は国家をあげて追われているわけよね。捕まったら即口封じされるよね。
 そこで何故サン・マルグリット島? 国外脱出ではなく? フィリップと落ち合う、待ち合わせ場所なだけで、場所自体はどこでも良かった、この島から国外へ脱出するってこと?

 理由を教えてくれないと、何故島なのかがわからない。だって、島だよ? 船を着けられる場所は限られているだろうし、そこを押さえられてしまったら逃げ場ナシ、一網打尽にされるじゃん?
 自ら袋小路へ逃げ込む意味は?
 現に、銃士隊に待ち伏せされているし。

 日本と違って、他国と陸続きのフランスで「脱出=船」ってわけでもないだろうし。通信手段が限られているから、「バレた=即国境封鎖」ってわけでもないだろうし。

 ええ。何故マルグリット島なのかではなく、ポイントは「島」なのではないかと、思うのですよ。
 つまり。
 船~海中の場面をやりたかったから、島へ逃げたんじゃないか、と。

 はじめて見た人がもれなくアゴを落とす、無意味なギャグ場面。

 馬の場面から続き、三銃士は小さな船に乗り込む。酔っぱらいポルトス@ヲヅキがバランスを崩し、船は転覆、突如南国ムードな音楽になり、スクリーンにクラゲがふわふわ。
 黒子が動かす台の上に腹這いで乗った三銃士がそれぞれ「泳げないんだ~~」とかわめきながらじたばたする。

 こだまっち的には、馬の場面の格好良さとの落差を狙った演出らしい。
 どちらも三銃士のテーマソング「Un Pour Tous」を歌わせている。馬の場面では格好良く「ひとりはみんなのために」と歌い、海の場面では「ひとりはみんなのためじゃなかったのか~~!」と言わせる。
 「ル・サンク」に「歌詞に反して醜い争いをしながら泳いでいく三銃士」とあるのを読んだときに、心からがっくりと肩を落としたもんです。うわあ、ドヤ顔で「なんて秀逸な演出!」と思ってるよ、と。

 島へ行く理由も説明されず、格好いい馬の場面は、海の場面をやりたいがための前振り。
 こだまっちにとって「タカラヅカ」ってなんなんだろう、と思う一瞬。

 馬の場面は格好いい。ここは映像を使った斬新な演出であり、かつ「タカラヅカ」である。
 が、何故馬の場面があったかというと、そのあとのどーでもいいギャグ場面をやりたかったから。海の場面は「タカラヅカ」ではない、「タカラヅカ」がもっとも嫌うタイプのものだ。

 「タカラヅカ」的なモノを道具にして、「タカラヅカ」が嫌うモノを創る。これは、「タカラヅカ」への陵辱ではないのか?

 「タカラヅカ」的ではないから云々、の域を超えている。

 日舞の発表会で、着物姿で古式ゆかしく踊る場面を真面目に作り、その次の場面でキテレツな現代衣装で登場して電子音楽で踊りまくる、日舞を観に来た人はびっくり、演出家が鼻息荒くドヤ顔しているのはこのキテレツ場面の方、キテレツ場面だけだとインパクト薄いけどなにしろ古めかしい日舞でやるから効果覿面でしょ、って……日舞観に来た人怒るわ。日舞を利用された、辱められたと憤慨するわ。それなら最初から日舞の発表会っていうなよ、利用するなよてなもんで。

 タカラヅカの座付き演出家でありながら、何故タカラヅカを辱め、タカラヅカとファンを傷つけるようなことをするんだろう。わけわからん。

 続く。
 もう記憶が薄れてきてる……自分のぽんこつ海馬が憎い。
 未涼亜希『仮面の男/ROYAL STRAIGHT FLUSH!!』東宝お茶会の感想、続き。レポではなく、あくまでも感想、わたしが感じたことのみ。

 まっつ茶にも、もれなく写真撮影と握手があります。
 正直、あまり覚えてません。
 わたしは生まっつを眺めたいだけで、近寄りたいわけではないので、写真も握手もなくていいっす。
 握手で一瞬見つめ合う(笑)わけだか、そのときのでかい目しか覚えてない……ちゃんと顔見られないし、ナニも言えないので、こちらは無言会釈でそそくさと逃げるよーに走り去るのみ。
 みんなナニを話すんだろう……いや、わたしも他のジェンヌさんのお茶会だとなにかしら伝えているけど、まっつに伝えたいことなんか、ナニもない。
 わたしみたいなファンがいること自体知られたくないよなあ……うおお。

 あ、ひとつ記憶に残ることといえば、小さいってこと(笑)。
 近くで見るとまた一層小さいまつださん……。
 目を合わせるとき、こちらの方が目線上だもんなあ……。
 や、身長だけでなく、顔の小ささハンパないし、細いし薄いし、とにかくマンガみたいだ。小さな顔からでかい目がはみ出している感じ。
 こちらの手を両手で包むように握手、ありがとうございます、とか言ってくれてるんだと思う。←よく覚えてない

 えーとえーと、あと写真撮影と握手時間で覚えていることといえば、ケーキがおいしかったこと。←まっつ関係ない


 オフの質問コーナーかな、まっつ自身が質問用紙を引いて、質問者のいるテーブル近くへ行って回答ってやつ。わたしたちのテーブルは当たらなかったけれど、隣のテーブルとかには来てくれたので、けっこう近くで眺められてラッキー。

 公演の話でもそうだったけど、まっつはとっても話をぶった切る。それは「話を変える」「別の話をはじめる」とかいう「ぶった切り」ではなく、「そこで話を終了させる」。
 「お芝居の『仮面の男』では、宝塚と東宝では演出がいろいろ変わったりしてますが、まっつさんの役作りに変化はありましたか」てなありがちな質問に「ナニもナイです」とすぱーっと切り裂いてみたり。
 一瞬場がしーんとなる勢い。
 そこで話、終わります。剣の達人が藁を縛ったヤツをすぱーっと真っ二つにする、あの感じ。いやあ、切り口きれいだねー、てな。
 万事その調子の切れっぷりに、一瞬しんとなって、次の瞬間客席爆笑、てなノリ。まっつのぶった切りっぷりが、面白い。
 で、ぶった切ったあとで、解説を入れる。これまたさばさばと。

 ぶった切りでないふつーの話もまた、独特のスパイシーさ。

 てゆーか、素敵に毒舌(笑)。

 悪口ではない、性格がどうこうじゃない。
 話し方の角度。

 突き放し方の切れ味がよく、すぱっと来るので、印象として「毒舌」になる。

 強く印象に残ったのが、そのテーブルを回っての質問トークで、「三銃士のみなさんは、オフでもあんな感じなんですか」とか、そーゆー意味の質問について。「あんな風に仲良しなんですか」だったかな?

「そんなわけないでしょ。上級生下級生ですよ」

 すぱっとな。
 切り裂きましたよこの人(笑)。
 話し方も憮然とした様子で。
 笑いの混ざった「そんなわけないでしょ(笑)」ではなく、わざともったいつけた「そんなわけ、ないでしょ(芝居声)」とかでなく。
 ここだけ聞いたら、「怒ってる?」みたいな。
 怪訝そうに「はあ?」って感じに言い捨てる。
「蓮城さんとか、いくつ期が離れてると思って……」と、さらに追い打ち。

 仲が悪いわけでは、もちろんなくて。
 ただ、そのすぱっとした切り口が、面白い。
 現に場内大ウケ。
 舞台の三銃士みたいに対等かついつも一緒、ではない。
「緒月さんはすぐにいなくなるし、蓮城さんはいつも遅いし」……てな意味のことを語っていた。
 3人で一緒にやってもいいようなときに、気がつくとヲヅキはひとりで勝手にやっているし、きんぐは終わった頃にあたふた現れる、みたいな。
 「『歌劇』にも書いたけど」と言いながらも、まっつはさらに蓮城さんを語る。(お茶会時点で、「歌劇11月号」は未発売)
「蓮城さんは、いつも遅いんです。そこがかわいいんだけど」

 まっつ、きんぐのこと「かわいい」言いました?!(笑)

 いやその確かに、きんぐはかわいいんだろうけど。
 しかし、まっつのキャラ的に下級生男子を「かわいい」呼ばわりするとは思ってなかった。
 そして、イケメン男役をつかまえて「かわいい」呼びはまずいと思ったのか、「いや、かっこいいんですよ。舞台ではかっこいいんだけど、そういうところはかわいいなと」みたいな、言い訳きました。

 へええ。ほんとに、かわいいんだ、きんぐ。
 まっつよりはるかにでっかい子なのにねええ。(まっつより小さい男子の方が少ないです)
 ちなみに、ヲヅキさんのことは「かわいい」とは一言も言わなかったので、今回相方だからかわいいってわけでもないようです(笑)。
 蓮城氏は本当にかわいいんだと思います。

 質問用紙を引いて、それに真面目に答えようとしている、参加者を喜ばせたいとは思っている。それはすごく伝わる。
 しかしその話し方は飾らないというか、とにかく切れ味がいい。
 その飾らなさが小気味いい毒舌となる。

 面白い。特になにかしているわけじゃないけど、妙な味がある。
 「まっつのお茶会面白いよ」と人の口に上るのは、そのためだろうか。
 ナチュラルにツッコミ入っている人なので、話し方が攻なのな。腐った意味ではなく(笑)。口にしている話題について、能動態の切り口を持つというか。
 「歌劇」の文と文(笑)で表れているように、ツッコミ入れつつ切り捨てつつ進む会話は、面白く興味深い。


 どのお茶会にももれなくあるモノだと思っていた、「ゲーム」がなかった。正味トークのみ。ありがたいわー。
 ゲームは楽しいモノと必要性を感じないモノと両極端だからなー。ハズレが大きいので、それなら最初からなくてもいい派ですわたし。
 んで、どのお茶会にもほぼもれなくある「歌のプレゼント」がなかった……。「歌うときは歌う」そうなので、歌わないときは歌わないそうです。……お高いわ、まっつ(笑)。まあそんなすぱっとした自由さも、彼のキャラに合っているか。


 まっつをミニチュアにして、家に持って帰りたい、というのがわたし的なお茶会総評です。←
 時期遅れではありますが、未涼亜希『仮面の男/ROYAL STRAIGHT FLUSH!!』東宝お茶会の感想、続き。
 レポじゃないです、あくまでも感想です。

 『仮面の男』お茶会だけど、わたしの思い込みの関係で『インフィニティ』の話のみお送りしております(笑)。

 『インフィニティ』ポスター撮影時エピソードを話すまつださん。
 ついには立ち上がり、

 ポスター再現、ナマまっつキました。

 両腕を広げて、振り返り様に撮影、だったそうで。
 男役テイストなロングジャケット姿で、振り返りキメポーズ、を実演してくれるまっつに、場内騒然。

 かっ……けーーー!!

 マジかっこいい。ナニこれすごい。
 まっつ、ちっこいのに。体型だけではすごく不利な人なのに、それでもその技術のみで、こんだけ「男」として美しいモノを形作る。
 舞台補正ナシの素顔姿で、気合い入れた「男役講座」的なものでもなく、話ながらのゆるい実演……それでこのレベルをぽんと出してくるんだ、さすが男役14年。

 某小柄な上級生お茶会に参加したときも思ったけど、小柄で華奢な男役さんが技術のみで作る「男役としての美しさ」ってのは、恵まれた体格の男役さんに感じるときめきとはまた別の感動がある。
(身バレがこわいので、少人数茶会参加時は、誰のどの茶会かは書きませぬ・笑)

 まあそんな風に、静止しての撮影ではなく、ひたすら動き続け、さらに「歌っている風」なので、実際に、歌うわけじゃないけどなにかしら声を出し続けての撮影だったそうです。
 空調の壊れた部屋で、分厚いベロアなんか着て。
 ああ、見てみてえ。

 んで、撮り終わってから見せられた写真データが、最初に見せられた目標イメージ画像そっくりだったと。第一の感想はそれだったと。

 でもまっつ的には満足っぽい。今までの自分と違うイメージを楽しんでいる様子。
 ポスター写真のまっつが変にピンぼけなのも、実際に歌っているような躍動感を表しているためだそうですよ。素人が下手な処理をしたためじゃないそうですよ(笑)。『アリスの恋人』の凝りまくったポスターデザインと加工っぷりを見たあとで、『インフィニティ』を見るとそのお金の掛かってなさというか手を掛けてもらってない感ありありで肩を落としていた、なんて言っちゃダメなんですよ!(笑)

 ポスター再現まっつがすげーかっこよかったことも確か。

 しかし、真の意味でコノヒトがカッコイイのは、別のところにあった。

 『インフィニティ』は、はじめてのバウ主演だ。同期より7年も8年も遅れて、花組にいたときは下級生に抜かされて、もうそんな機会はないのだろうと思われていた、研14。
 苦節何年、じゃないけれど、はたから見れば「よかったねえ、ようやくだねえ。どんだけ大喜びしたことだろうねえ」って感じじゃないすか。

 ところがまつださん、バウ主演をやってくれとプロデューサーだかに言われたときの反応は「はい」だったそうな。はい、わかりました、と。

 「きゃあ、うれしい♪」とか「どうしよう☆」とかではまったくなく。
 次の仕事を指示された、了解と応えた、みたいな。

 もちろん、うれしくないわけではない。とても光栄だし、うれしく思っている。
 ただ、「きゃあ♪」という次元の話ではない。という。

 もっと下級生のときなら、この重責になにか思うところはあったかもしれない。
 しかし今のまっつは、バウだから主演だからというところには、ないんだ。舞台人として、タカラジェンヌとしての位置が。
 バウ主演ですよ、と言われても、「はい、わかりました」でその仕事を受けられるだけの力がある。
 出来る、という自信。
 それは驕りではなく、実績からくる認識。
 わたしたちだってあるよね、新しい仕事を言い渡されたにしろ、今までの自分の経験から「これなら出来る」と思うこと。はじめてだからって、別に不安じゃない。だって、「出来る」もの。知ってるもの。これは驕りじゃない、ただの事実。

 バウ主演を聞いたときの反応が、「はい、わかりました」。
 ただの事実確認。

 しみじみ、思いました。

 この人、カッコイイ。

 不遜に思う人もいるかもしれない。仕事と情を混同する一部の人たちとか、過剰に謙虚さを求める人とかは、「はじめての大きな機会を与えられて、『きゃあ、うれしい♪』と舞い上がらないなんて、ナニかカンチガイしてるんじゃないの」とか「『私なんかでいいんですか?』とへりくだらない人は傲慢だ」とか思うのかもしれない。
 でも現実問題、「仕事」なんだから。企業がお金を掛けて行う事業なんだから、情とは別でしょう。

 舞い上がりもへりくだりも、ある意味言い訳だもの。
 「すごくうれしいのでがんばっちゃいます」は能力ではなく情のアピール、努力を評価対象に加えてくださいね結果だけではなく、「私なんかでいいんですか?」はスタート地点を下げる予防線、大した結果を出せなくても怒らないでくださいね。
 了解だけを伝えるってことは、出来て当たり前、ってことだもの。情も努力も手加減もなく、ただ結果のみで勝負。実力のみで勝負。
 勝つ前提、負けることはあり得ない発言。

 そして、「きゃあ、うれしい♪」と言わないことに対し「不遜だ」と思う人たちがいるウェットな世界で、本心はどうあれ「『きゃあ、うれしい♪ 私でいいんですか? どうしよう……不安だけど精一杯がんばります☆』と言いました」と言っておけばいちばんありきたりで安全な話なのに、わざわざ「『はい』って感じでした」という、まっつの嘘のなさ。

 仕事に対する真摯さと誇り、そして自信。
 舞台人としてもだけど、ひとりの働く人間として、かっこいい。ああ、ほんとうに「仕事の出来る人」なんだ、と思った。

 この人が作るバウ公演『インフィニティ』は、きっと成功するだろう。
 観客を満足させてくれるクオリティになるだろう。
 シンプルに、そう思った。

 惚れ直す、ってのはこーゆーときに使う言葉なのか。
 基本わたしは舞台の上の役者にしか興味はないんだが、「未涼亜希」という舞台人に改めて惚れ直した。
 こういう人だからこそ、あの舞台姿をわたしに見せてくれているんだ。

 この人を好きで良かったと思う。

 ……のはさておき。

 まっつがねえ、いちいち「『きゃあ、うれしい♪』とは思わなかったんですよ。あ、うれしくないという意味ではなくて!」と言うんだけど。
 あのまっつが、声を裏返らせて、「きゃあ、うれしい♪」と女子な感じで言う。ええ、♪とか☆とかはぁととかの感じで、言うんです。
 この人、女子な声出ないんだ、という事実。
 声が裏返っているというか、無理にかわいい高い声を出そうとして、かすれている。
 男が女子の真似をしているときの、あの不自然な声……。まつださん……いちおー生物学的には女子だと思うんだけど……そ、そうか、ぶりっこな女子喋りはマジで出来ないんだ……。
 トド様のぶりっこ喋り的なやっちまった感あふれる声でした。
 しかもまっつ、「だから、『きゃあ、うれしい♪』とは思わなかったんです」って2回言ったんです、話の中で。
 まっつの「きゃあ、うれしい♪」は2回とも、ひっくり返ったかすれ声で、女役はマジに無理だなと、関係ないところで感心してました。

 面白いなあ、この人。
 ……はっ。かっこいい、で終始させるつもりが、面白いに着地してしまった?(笑)

 続く。
 ここで唐突に、未涼亜希『仮面の男/ROYAL STRAIGHT FLUSH!!』東宝お茶会の話、初のまっつ茶参加感想行きます。
 いやその、いい加減『仮面の男』感想書くのに飽きてきて(笑)。
 レポ機能はないため、あくまでも「感想」です。真実・事実ではなく、わたしの脳とフィルターを通したモノです、ご注意を。

 会場、広っ。
 最近小規模のお茶会だーのお茶飲み会だーのしか知らなかったため、なんか「スターさんのお茶会に来た」という感じ満々。
 ええ、番手のついたスターさんのお茶会と無縁な生活なもので、比較対象が偏っている結果の感想だと思います(笑)。
 まず、グッズ販売に食いつきました……が、販売数限定のガチャガチャがあって、わたしが並んだときには時すでに遅し、売り切れでした。
 最初から軽くヘコんだ……(笑)。まっつ写真入りストラップのガチャガチャだったようです。ガチャガチャなので、なにが出るかはわからない。コインを入れて、ハンドル回して、カプセルが出てくるアレ。
 買えた人(その場にいた、知らない人・笑)に見せてもらったところ、いかにも手作りっぽい写真入りストラップで、自分で作ることも可能なモノだったけど……やっぱりガチャガチャやりたかったなー。グッズスキーで物欲の人だからなー(笑)。
 や、グッズが売り切れるくらい盛況、まっつ大人気!ってことで、よしとします。めそ。←しつこい
 写真は全買いしたし、来年のカレンダーも買ったし! よしとします。←だから、しつこい


 さて、まつださんの印象ですが。

 男前でした。

 金髪で潔いデコ出しヘア、フロックコート風のロングジャケット姿がちょうかっこいい、という外見はもちろんのこと。

 話しっぷりが、かっこよかった。

 なんつーんだ、この人アタマいいんだろうな、と思わせる受け答えと、質問に対する切り込み方……真面目さというかな、自分勝手に話すのではなく、あくまでも「質問」に答えようとする姿勢。
 先に進むために司会者が「こういうことですね」とまとめても、そのまとめ方に納得がいかないと「違う」と食い下がる(笑)。自分にとっての「ほんとう」を伝えるために、手加減なしという感じ。

 『仮面の男』については、わたし的にはどーでもよかったので(笑)、今回のわたしのがっつきポイントは、『インフィニティ』ポスターってアレ、正気なの? なんであんなことになってるの?ってことのみでした。

 ええ、ポスター発表時に腹抱えて大爆笑した、「まつださん、ご乱心?!」としか思えないアレ。
 クール・ジェントル氏としては、アレをどう思ってるの? アレでいいの?

 えー、まつださんも、自分の対外的イメージというか、ウリは理解しているようです。
 だから、バウ主演ポスターっつーんで、みなさんが期待した……というか、想像したものはもっとクールなものだったろう、と自分でゆーてました。
 でも、フタを開けてみればアレ。
 あのデザインは、演出家の稲葉くんですらなく、誰って言ってたかな、ポスター制作スタッフが「こんな感じで撮りたい」と外国人の写真を持ってきたらしい。
 そんなポスターだかCDジャケットだかなんかが、すでにあったのかしらね。現行のものではないのかもしれないけど、とにかく、先にもう決められた画像を持って来られた。
 で、その、すでにあるビジュアルイメージに合わせて、まっつがポーズ取りをした、と。
 ……その撮影スタッフの人、まっつがどーゆーウリのキャラクタか、知ってたのかしら……クール・ジェントルだと知っていて、あえて「生きる喜び、歌う喜びのソウルフル外国人(わたしの脳内では黒人さんで再生)」のイメージをまっつに押しつけたのかしら……。

 なにしろ、まっつ自身、出来上がり画像を見たときの感想は「イメージ写真そっくり!」だったそうだから。ほんとに、本人の意思とかイメージとかじゃなく、スタッフ先行、生徒は従うのみなんだねえ。
 まあ、制作側の求めるものをカタチにするのが役者だから、正しいんだけど。
 あまりに本人のウリと違っていてびびったからさー。

 かといって、まっつ本人がそのイメージ写真や、実際に出来上がったポスターを嫌がっているわけではなく。
 いくら役者でも、嫌々撮ってあの笑顔はナイよなと思う通り、撮影時のエピソードその他を話すまつださんはしれっとしつつもノリノリで、まっつ……うれしいんや……ということがよーっくわかりました(笑)。

 ええ、そうなの。
 「しれっとしつつもノリノリ」……饒舌なんですよ、『インフィニティ』関係を語るまっつさん。
 かといって全開に「うれしいんです、楽しいんです」でもない。ドライぶってるけど積極的というか。
 ツンデレだなあ。
 ファンが期待するキャラを裏切らない男だ、まっつ……。

 ポスター撮影時の話を「大変だった」と語るまつださん。
 彼独特の突き放した感のある、毒舌。
「まず、空調が壊れてた」
 暑い日だった。そして、
「あのピンクの衣装、ベロアで、いい物なんです」
 ヅカ衣装は舞台で映えればいいわけで、舞台と照明マジックでキラキラ豪華でも、実はぺらぺらの安物を使っている場合も大いにある。スターさんの衣装は豪華だけど、その他の人たちなんて、そりゃあもお……てなもんで。
 ポスター撮影のために、衣装部さんは豪華な衣装を用意してくれたんでしょう。見た目はあんなだけど。先行画像時点で「これはちょっと……」だったとしても、素材はいいものなのよ、金のかかった豪華なものなのよ、見た目アレだけど!!
 んで、クソ暑い日に空調の壊れた部屋で無駄に豪華で暑いベロアを着て、撮影をなさったわけですよ、まつださん。
「あの歌っているポーズは、最初からあのポーズで『はい撮りますよ』ではなくて、いちいちこう振り返って……」
 壇上でおとなしく語っていたまつださん、喋りながら「伝わるかな?」と首を傾げ、ついには実際に立ち上がり。

 ポスター再現、ナマまっつキました。


 というところで、文字数の関係で一旦切る。
 続くー。
 ムラ版『仮面の男』、演出についての感想。

 三銃士たちは無事に、ルイ/フィリップ@キム入れ替えに成功した。

 ここで、整理してみよう。
 この『仮面の男』という物語は、ラウル@翔が牢獄でフィリップの素顔を見てしまったことにはじまる。
 国王ルイに双子の兄がいることは国家機密、ラウルは口封じに殺された。
 ここまでなら、物語はなにも動き出さない。ただの「仮面の男の説明」でしかない。
 物語が動き出すのは、そうやって殺されたラウルの仇を討つため、兄のアトス@まっつが立ち上がったことによる。
 「ルイへ復讐する」……これがアトスの動機であり、それによってフィリップが牢獄から助け出され、次にルイと入れ替えられる。
 ルイへの復讐という動機がなければ、アトスはなにもしていないし、フィリップは永遠に牢獄の中だ。
 ではこの「ルイへの復讐」はどうなったのだろう。
 物語根幹の「理由」だ。動力だ。これが動いていないと、物語は動かない。

 ところが、ルイ/フィリップ入れ替え作戦が成功した時点で、復讐は、忘れられている。

 三銃士がルイとフィリップを入れ替えたのは、「復讐のため」であるはずだ。

 ルイが暴君であるゆえに、フランスのために入れ替えるわけではない。
 フランスのためならば、入れ替えるフィリップは賢王でなければならないのだが、フィリップの資質についての言及は一切ナイ。
 泣いて逃げ出すことを考えている場面があるのみ、フィリップを王にしたところで国が良くなるという描き方はしていない。しかもアラミス@きんぐに「失敗したらそのときだ」と言わせ、フィリップの王としての素質の有無は重要視していないことを表現している。
 フィリップを王にすることが入れ替えの目的ではない。
 つまり、三銃士の目的はルイを誘拐することであり、その動機は復讐であるはずだ。

 が。
 いざ入れ替えが成功したとき、アトスは言う。「捕まえたルイをどうするか、それが問題だ」と。
 復讐のためにルイを捕まえたはずなのに、どうするか決めてない??
 復讐自体を楽しむために、どう料理しようか舌なめずりをしているわけではない。ほんとうに言葉通り、なにも決まっていないのだ。

 『仮面の男』という物語の動力は、ルイへの復讐だったはずだ。
 なのに、動機が忘れ去られている。

 では、動機もナシに、なんのためにルイとフィリップを入れ替えたのか?

 入れ替えたあとのフィリップに、王としての期待はまったくない。
 捕まえたルイをどうするかも、まったく決めていない。

 なにがしたかったの?

 導き出される答えは、ひとつしかない。

 入れ替え劇である、一大ページェントを、やりたかった。

 三銃士が、ではない。
 作者が、だ。

 早わかり世界史をやりたかった、人間ボウリングをやりたかった、大囚人ナンバーをやりたかった……それらと同じ動機。
 一大ページェントを、やりたかった。
 人間ミラーボールや不思議なイキモノを出したかった、もう何回目のちんなのか「ちんは国家なり」と言わせたかった。

 ただ、それだけ。

 ストーリー上必要だから一大ページェントがあるわけじゃない。

 現に、一大ページェントの直後に双子の入れ替えはすべてばれ、ルイはダルタニアン@ちぎに助け出される。
 長々と一大ページェントをやったわけだが、全部無意味になった。
 なくても問題がない。ルイが王宮を離れた時間なんて、ほんとうに数時間のことだろう。一度も王座を退くことはなかった、でも問題ないわ、数時間の不在なら。

 こだまっちはほんとうに、アタマが悪いんだなあと思う。
 いや、頭脳の問題ではなく、それをコントロールする感情部分に問題がある。
 『天の鼓』でも感じたことなんだけど、物語の軸が途中で横滑りするの。虹人の物語を描いていたはずなのに、途中で帝の話に萌えてしまった。ふつうなら、どんだけ萌えても「この物語の主人公は虹人」と軸はそのまま、帝はおいしい悪役として花開く。
 が、こだまっちは帝に萌えたら萌えた時点で、それまでの話は放り出して、帝の話を描きはじめてしまった。
 幼児と同じ。おえかきをして遊んでいたところ、つみきが気になった。その瞬間、クレヨンを放り出して、つみきで遊びはじめる。
 大人なら……いや、とりあえず幼児でなくなれば、なにかひとつのことをしていて、別のモノに気を取られても、全部投げ出してそっちに移らないよね。今やっていることに片を付けてから移る。
 数学の計算をしている途中で、同じノートの続きに英作文ははじめないでしょう? 計算途中の同じ行から突然英文が書かれていたら、びびるわな。
 人間だから、ひとつのことだけを考えていられる訳じゃない。気は散るさ。でも、理性で押さえつけて、「それはそれ」と分けて考える。
 こだまっちは、ソレが出来ない。気が散ったら、散ったまま。感情を理性でコントロールできない。
 だから、物語も横滑りする。
 「ルイへの復讐」として描いていたはずの物語が、「一大ページェントをやりたい」にすり替わる。
 ふつうの人なら、「ルイへの復讐」はそのまま継続して、その手段として「一大ページェント」をやる。復讐だけじゃ据わりが悪いから、「フランスのため」と美しい理由を付けて、フィリップが王に相応しい資質を持つ人物であることも表現する。
 だがこだまっちはふつうじゃないから、そんなことは思いつかない。おえかきにあきた子どもが次のオモチャに夢中になるように、自分の大好きな「素晴らしいアイディア発表会」である、一大ページェントを描くことだけに夢中になる。

 そんな作者によるモノだから、『仮面の男』には、まとまった軸が存在しないんだ。
 作品は3つのパートに分かれている。
 大囚人ナンバーまでは、こだまっちのパフォーマンス。ストーリーなし。なにしろまだ主人公は登場していない。
 ラウルがフィリップを目撃、一大ページェントまでが、アトスの復讐。つまり、ストーリー部分。
 そのあとの逃走劇はトップコンビと2番手の見せ場。ストーリーは、実はあまり関係ない。
 3つのパートはそれぞれ別物。こだまっちが、ひとつの軸で物語を作っていないためだ。
 一応、2つめのアトスの復讐を軸にしようとしたきらいはある。途中で忘れちゃったみたいだけど。

 アトスは主人公じゃないから、ここを軸にしているところから間違ってるんだけどねー。
 なにしろ、主人公が登場するのが、幕が開いてから50分後だからねー。

 大囚人ナンバーが終わって、ようやくストーリーが動き出した、主人公が登場した!
 と思った直後、一大ページェント終了と共に、ストーリーも終了。
 物語を直接動かしていた復讐という動機が忘れ去られ、キャラクタたちは舞台の上で立ち往生。

 誰ひとり、自分がなにをすればいいのか、わかっていない。

 ルイを誘拐したのにそれでどうするか考えていなかった三銃士、ダルタニアンに追われて逃げ出したけれどそれでどうするつもりなの、フランスを出るの?
 ルイでないことがばれ、ルイーズ@みみと共に逃亡するフィリップ、逃げてどうするの、フランスを出るの?
 コンスタンス@あゆっちの復讐に生きると言いつつなにもしていないダルタニアン、たまたまルーヴォア@ひろみが実行犯だとわかるわけだが、そうでなかったらどうするつもりだったの、三銃士を殺したの?

 軸のない物語は、誰ひとりナニもできない、どこへも行けない。
 ちょっと油断しているウチに、カウンターの「6666666」が過ぎ去ってしまった……。
 次は7並びか。ちょっと縁起良さそう(笑)。

 ムラ版『仮面の男』演出についての感想、続き。

 この作品ではアトス@まっつとミレディ@ヒメの元夫婦設定はない。
 だけど一大ページェントでアトスが登場するとき、ミレディはなんとなく顔を隠す……と、役者が勝手にやっている、というのは、「NOW ON STAGE」でもお茶会その他でも語られている。
 ミレディには、闇の騎士に扮したアトスがわかったわけだ。

 しかし。

 ダルタニアン@ちぎには、わからない。

 ミレディのことがなくたって、三銃士は顔をさらして踊っているし、大暴れもしている。
 なのに銃士隊隊長で元親友のダルタニアンは、なーんも気付いていない。

 ダルタニアン……どんだけアホの子……。

 一大ページェントでルイ/フィリップ@キムの入れ替えは無事に成功。
 フィリップと母のアンヌ王太后@ミトさんの語らいは「人目につくから」ということで中断、今はまず王として王太后としての務めを果たしましょう、なんて雰囲気で、続くイベントの中へとけ込んでいく。

 ちょっと気になるのは、人間ミラーボール@かおりちゃんの扱い。

 ただの装置じゃないよ、彼女は武器でもあるんだよ。
 銃士隊と追いかけっこをするポルトス@ヲヅキとアラミス@きんぐ。ふたりは銃士隊をやっつけるために、人間ミラーボールを利用する。
 ミラーボールを吊っている太いロープを引いて彼女を移動させ、走ってくる銃士隊のみなさんをなぎ倒す。

 どんだけ固いんだ、人間ミラーボール。

 吊ってあるだけなのに、男たち数人でぶつかっても、吊ってある方はびくともせずに、ぶつかった男たちが倒れるんだよ? ふつー、吊ってある方は揺れるよねえ?
 まあ、涼しい顔をしているかおりちゃんが大変美しいのですが(笑)。

 んで、ここでポルトスとアラミスの力の差が出ているのは、いいんだろうか。
 ポルトスがミラーボールを動かすときは、相当重いらしく、あの大男が全身の力を込め、体重を掛けてローブをたぐり寄せている。それでよーやく動くんだな。
 が、その次にアラミスが同じようにミラーボールを動かすんだが、ああら不思議、アラミスは大して重くもなさそうに、とっととロープをたぐり寄せる。

 実はアラミス、怪力の持ち主?

 よくわからん演出だ。

 で、武器として活躍した人間ミラーボールは、アラミスが動かしたのを最後に放置される。
 ライトも当たらないし、声も聞こえない。なにか歌っているような姿ではあるんだけど。

 手前でフィリップとアンヌの芝居が展開されているから……といっても、彼女に小さな音量で歌わせることはできた思う。
 「あのミラーボール、なんのためにいるの?」と観客の気を散らせるより、歌という役割を与えた方が、中央の芝居に集中できると思うんだがなあ。


 そして、フィリップとルイーズ@みみの場面。
 この場面自体はいい。ルイーズの思い詰めた美しさ、フィリップの歌声のやさしさ。
 初対面の女の子相手に、そんなにすぐに正体明かしちゃっていいの? とかは問わない。時間ナイし。

 たださあ、疑問は残るんだよなあ。ルイーズはいつ、ラウルの死を知ったのか?と。

 ラウル@翔は秘密裏に処刑されてるんだよね? 政治犯として投獄されただけで、サンマール@コマの訊問ショーを見ても「さあ吐け!」としばらくは囚人たち相手に過ごしているし、投獄即死刑ではないらしい。
 アトスもラウルからの手紙ではじめてその死を知ったように、身内にすら処刑は知らされていなかった。
 「ル・サンク」に、アトスが飲んだくれているのは「捕らわれの弟を思い」とあるので、処刑については知らされていないのは公式設定。

 ラウルの手紙でその死を知ったアトスが、ルイーズに知らせたのか。
 それなら、入れ替え作戦のことも、教えてやれよ。

 ラウルの婚約者だぞ? 一生、別人だと知らずにフィリップを憎ませる気だったのか、アトス。

 フィリップ救出作戦や、双子入れ替え作戦自体に、彼女を巻き込むのは危険だ、という判断はわかる。しかし、完璧に蚊帳の外は可哀想だろう……。
 三銃士ってほんとにひどい奴らだな。


 で、立ち聞きダルタニアンが「このダルタニアンの目は誤魔化せないぞ」とか、お笑い台詞を吐く。
 立ち聞きするまで、ルイ/フィリップの違いに気付かなかったくせに!
 どんだけアホの子なの、ダルタニアン!!


 で。
 ある意味、わたしがいちばん「この構成ってどうよ」と思っているのが、三銃士の酒盛り場面。

 というのも、彼らが飲んだくれる理由が「今夜の成功を祝して」。

 今夜?
 てゆーと、アンヌ王太后のお誕生日パーティは今日のことだったの? 一大ページェントは数時間前?

 じゃあ、さっきの私室で書き物をしていたフィリップは、入れ替わって数時間後っていうか、直後ぐらい??

 あんだけ大騒ぎして、たった数時間で、もうバレちゃったの?

 なんて無意味。
 それでルイを手に入れて、なにかしているならともかく、「捕まえたルイをどうすかる、それが問題だ」とか言ってるし。
 ナニも考えてなかったんかい。

 一大ページェント自体が、まったく無意味になっているの。
 ルイ/フィリップを入れ替えた、でも数時間後にバレてルイは無事銃士隊に救出され、フィリップと三銃士は逃走……って、ソレいったいなんの意味があったの?
 牢獄から助け出したあと、サンマールから報告を受けたダルタニアンに追いかけられても話通じちゃうんですが? ダルタニアンはこの時点で双子のことを知らないとしても、フィリップを逃がしてしまったのは国家を揺るがす大失態だから、サンマールが泣きついても不思議はない。

 なんのための入れ替え劇?
 入れ替えたあとになにかしらアクションがないと、エピソードがないと、構成上無意味だよね? プロット段階でツッコミ入るレベルのミスだよね?

 単に劇中劇とドタバタがあって盛り上がるから?
 ストーリーに無関係(無意味)に「盛り上がるから」だけで入れるなら、そんなのルイの悪趣味場面やサンマールの大囚人ナンバーと同じじゃん。

 ストーリーに関係があり、その上で派手に盛り上がる場面、だったはずでしょう、一大ページェント。

 王太后のイベントがあったわけだから、フィリップはなにもできないよね。せっかく会えたママとも個人的な時間は持てていないだろう。
 入れ替わってやったことといえば、ダンスを踊ったくらい? 王様としての務めはなにも果たしていない。

 私室で書き物をしていたから、さっそくなにかしら王として働いているのかと思ったよ。
 入れ替わったあと数日だか数週間だか知らないが、王として優秀だとかルイの悪政を正して政治を立て直そうとしたとか、なにかしらよいところを皆に示していたのかと。

 入れ替えました、次の瞬間バレました……って。
 作者はアホかと。

 続く。

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