どうしよう。
 コレ、書いていいもんだろうか?

 雪組『エリザベート』初日の、ええっと、率直な感想。
 ……いいのかな。なにしろあたし、雪全ツ『ベルサイユのばら』観て、ミズカルのことを「オカマ」と太字で書いた女だからな。ピュア水ファンは、わたしのブログ読みに来てないよね?

 水くんの、トート。

 気持ち悪かった。

 キショい……。
 このトート、キモイってば!!

 爬虫類というか、ヤモリみたい。ビジュアルとか、動きとか。
 顔色白すぎて、「塗りに失敗したセル画」みたい。本来別の色になるところも全部、同じ色で塗りつぶしちゃったみたいな。白目と肌色が同じ色で、輪郭だけ残ったマンガ絵。

 たぶん、演出家の意向なんだろう。トートがあまりにも異世界的。
 人間の動きをしない。

 ハンガリーとかウィーンのカフェとか、「その男、絶対異世界人だから、人間ぢゃないから、あんたらふつーにテーブル囲んだりしてんぢゃないわよ!」と、モブの人々に対してツッコミ入れちゃったよ。

 今までの、「公演を重ねるごとに人間くさくなるトート」を見慣れていたから。
 「人間」というカテゴリからはずれたトート像に、おどろいた。

 気持ち悪い。
 この人、絶対人間じゃない。
 わたしたちと同じ計算式で生きていない。

 そう思った。

 そして、それって、正しいんじゃないの? と、思ったんだ。

 水トートは、気持ち悪い。
 だけどソレこそが正しい。
 だって彼は、「死」なのだから。

 気持ち悪くて、わたしたちの理の外側にいて、あたりまえなんだ。

 水トートはわたしたちとチガウ理で生きる存在だから、エリザベートに対してちょっかいをかけるところひとつひとつが、気持ち悪い。彼の表情は、わたしたちの想像するなにものともちがい、「異質である」ことへの恐怖と嫌悪感が募る。

 エリザベートへの愛も、わたしたち人間が抱く・想像するものとはチガウ。
 これまでのトートが哀しみを感じていたところで怒りを表現していたり、舌を出して威嚇する蛇のようなおぞましさに満ちている。
 コレに愛されても、そりゃシシィは拒絶するわ……人間の男ぢゃないもん、存在も感性も。

 1幕終わりに「(エリザベートを)愛してる」と歌うことが、違和感。
 「愛してる」って……そんなふーにぜんぜん見えないんですけど。
 愛が見えない、のではなく、「トート」であるから、わたしたちと感性がチガウから、「愛」がチガウから、理解できないの。

 「異質」を演じるのはいい。正しいことだと思う。
 しかしコレ、どーするつもりだ?
 わたしたちは「人間」で、人間の感性以外は理解できないぞ? 異世界人をどれだけ完璧に演じてくれたって、求められてなければ猫に小判。
 今まで評判の良かったトート像は、「ただの人間」だったじゃん。外見だけ美しく、中身は人間。愛したり傷ついたりしていることがよーっくわかる、「人間の男とどこがチガウの?」なキャラクタの方が観客にはウケていた。
 や、だってここ「タカラヅカ」だし。「わかりやすい」ことが必要条件だし。

 一巡した『エリザベート』。
 「タカラヅカ」でやるべきことは一通りやってしまったはずの演目。最後の月組ではついに、「男役」がエリザベートを演じたりした。

 そして今また、最初の雪組に戻って。

 トートが、「死」になっていた。

 タカラヅカの男役ではなく、愛を語る理想の男ではなく、「死」。
 独特の動き、倫理観、感性、愛し方。
 人間の理解を超えた存在。

 一巡したのち、それでも再演する意味。
 それが、この気持ち悪いトートなんだと思う。

 いやあ、2幕の霊廟シーンがすごいねー。
 ルドルフの棺の上に立ったトート閣下。
 黒いコートの前をガバッとひろげて、シシィをソレで包むっつーか威嚇するっつーかするんだけど。

 変質者キターーッ!! って感じで、笑いツボ入っちゃったよー。
 それまであまりにもストーカーちっくだったしさー。机にねとっと寝そべっていたり銀橋に貼り付いて(変換ミスにあらず)いたり、変態ムード満点だったからさー。

 コート広げちゃいますか!! 変態の定番ゼスチャーしちゃいますか!!

 や、黒尽くめの静謐シーンから赤になるとは誰も思わず、視覚的インパクトの大きさは成功しているし、トートの変態……異質ぶりが現れていてすばらしい演出ですとも。

 トートが異質であることはわかった。気持ち悪さが演出意図であることもわかった。
 ただ、それゆえに「どーするつもりだ?」と首を傾げていた。異世界感覚のまま進められても、物語は終着しない。

 それが。

 その答えが。

 この、「変質者キターーッ!!」の直後に、あった。

 コートの前を広げて変態全開のトート閣下。
 息子を失い傷つききったシシィははじめて、自らトートに歩み寄る。「死なせて」と。

 トート閣下はルンルンでシシィを得ようとする。
 そのときに。

 トートは、シシィを拒絶する。

「まだ私を愛していない!」

 異質だったトート。
 人間の理とは別の次元にいたトート。ひたすら気持ち悪かったトート。

 それが。

 人間の女を愛した。

 死に逃げようとするシシィは、本来のシシィではない。死を拒絶し、自らの意志で「わたし」を貫き、苦しみ多き人生に敢然と立つのがエリザベートだ。
 トートが愛したのも、シシィがそーゆー女だったからだ。
 その彼女が、彼女らしさを失って死に逃げようとした。トートもそれでいいと思っていた。
 そう思って、口づけようとし……。

 拒絶した。
 シシィがシシィでないことに気づいて。

 トートが、変わった。

 異質だった、人間には理解できない感覚で愛していた、存在していた「死」が。
 「人間」を愛したゆえに、変わった。 

 や、それまでも愛していたさ。でもソレは、わたしたちにはわからない次元の愛し方だった。
 それが、わたしたちと同じ次元に来たの。「こちら側」に来たの。

 それまでの彼の愛は、勝手な愛だった。一方的に好き勝手にやっていただけ。
 それがはじめて、相手のことを見た、考えた。

 
 もしも彼に「翼」があったのなら、今この瞬間、千切れて落ちたかもしれない。

 
 「死」は、「人間」になった。
 恋をした。
 そして彼は、超越者から、ただの「男」になった。

「死は、逃げ場ではない」……この台詞を、今までの彼なら口にするはずがなかった。異質な彼は、こんな「人間くさい」台詞とは無縁な存在だった。
 だが、翼をなくし、「人間の男」に成り下がった彼ならば、この台詞を口にすることが相応しい。

 もちろんトートはこのあとも「死」であり続ける。べつに、物理的な能力を失ったわけじゃない。
 しかし彼の魂はもう「異質」ではない。わたしたちが理解できる範囲にいる。
 最終答弁でフランツに詰め寄られてうろたえるくらい、「ふつーの男」になっている。

 あまりに異質で気持ち悪かったトートが、真実の恋をして「人間」に変わる……。
 そのコントラストのあざやかさに、目眩がした。

 そうか、コレがやりたかったのか。

 「やりすぎ」なほど、気持ち悪いほどの爬虫類めいた仕草は、メイクは、ここにたどりつくための伏線だったのか。

 
 天使は恋をして地上に落とされる。
 それと同じように。

 「死」は恋をして、確実にナニかを失う。

 その不自由さが愛しい。
 「恋」をする前の彼は、あんなにたのしそうに、ゲーム感覚にシシィを追いつめていたのに。
 「恋」をしてから彼はもう、シシィの前に現れなくなったんだね。
 シシィが年老い、暗殺されるまで……最終答弁で結論を急かされるまで。

 「恋」をしたあとの彼は、不器用な少年のようで。

 シシィが最後、彼を受け入れるのがわかる。
 もう彼は彼女の前に現れなくなったけれど、見守っている意志は感じていただろうから。
 「死は逃げ場ではない」と、「人間の感覚」で語った……「人間」の淵まで堕ちてきた彼の愛を、たしかに感じただろうから。

 
 まちがいなく、ラヴストーリーだ。

 トートとシシィの。
 異世界と、現実世界の。

 だからこそ。

 水トートは、気持ち悪くて正解なんだ。

 このカタルシスにたどり着くために。

 
 や。
 マジでキモいんだってば(笑)。
 気色悪いんだってば。

 
 水夏希が好きです。

 あの爬虫類めいた外見と、それを裏切る人間的でホットな水先輩だからこそできる、彼だけの「トート像」だと思う。
 新しいトートを演じきった彼に、心からの拍手を。

 

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