そして、天使は地上に堕ちた。@エリザベート
2007年5月4日 タカラヅカ どうしよう。
コレ、書いていいもんだろうか?
雪組『エリザベート』初日の、ええっと、率直な感想。
……いいのかな。なにしろあたし、雪全ツ『ベルサイユのばら』観て、ミズカルのことを「オカマ」と太字で書いた女だからな。ピュア水ファンは、わたしのブログ読みに来てないよね?
水くんの、トート。
気持ち悪かった。
キショい……。
このトート、キモイってば!!
爬虫類というか、ヤモリみたい。ビジュアルとか、動きとか。
顔色白すぎて、「塗りに失敗したセル画」みたい。本来別の色になるところも全部、同じ色で塗りつぶしちゃったみたいな。白目と肌色が同じ色で、輪郭だけ残ったマンガ絵。
たぶん、演出家の意向なんだろう。トートがあまりにも異世界的。
人間の動きをしない。
ハンガリーとかウィーンのカフェとか、「その男、絶対異世界人だから、人間ぢゃないから、あんたらふつーにテーブル囲んだりしてんぢゃないわよ!」と、モブの人々に対してツッコミ入れちゃったよ。
今までの、「公演を重ねるごとに人間くさくなるトート」を見慣れていたから。
「人間」というカテゴリからはずれたトート像に、おどろいた。
気持ち悪い。
この人、絶対人間じゃない。
わたしたちと同じ計算式で生きていない。
そう思った。
そして、それって、正しいんじゃないの? と、思ったんだ。
水トートは、気持ち悪い。
だけどソレこそが正しい。
だって彼は、「死」なのだから。
気持ち悪くて、わたしたちの理の外側にいて、あたりまえなんだ。
水トートはわたしたちとチガウ理で生きる存在だから、エリザベートに対してちょっかいをかけるところひとつひとつが、気持ち悪い。彼の表情は、わたしたちの想像するなにものともちがい、「異質である」ことへの恐怖と嫌悪感が募る。
エリザベートへの愛も、わたしたち人間が抱く・想像するものとはチガウ。
これまでのトートが哀しみを感じていたところで怒りを表現していたり、舌を出して威嚇する蛇のようなおぞましさに満ちている。
コレに愛されても、そりゃシシィは拒絶するわ……人間の男ぢゃないもん、存在も感性も。
1幕終わりに「(エリザベートを)愛してる」と歌うことが、違和感。
「愛してる」って……そんなふーにぜんぜん見えないんですけど。
愛が見えない、のではなく、「トート」であるから、わたしたちと感性がチガウから、「愛」がチガウから、理解できないの。
「異質」を演じるのはいい。正しいことだと思う。
しかしコレ、どーするつもりだ?
わたしたちは「人間」で、人間の感性以外は理解できないぞ? 異世界人をどれだけ完璧に演じてくれたって、求められてなければ猫に小判。
今まで評判の良かったトート像は、「ただの人間」だったじゃん。外見だけ美しく、中身は人間。愛したり傷ついたりしていることがよーっくわかる、「人間の男とどこがチガウの?」なキャラクタの方が観客にはウケていた。
や、だってここ「タカラヅカ」だし。「わかりやすい」ことが必要条件だし。
一巡した『エリザベート』。
「タカラヅカ」でやるべきことは一通りやってしまったはずの演目。最後の月組ではついに、「男役」がエリザベートを演じたりした。
そして今また、最初の雪組に戻って。
トートが、「死」になっていた。
タカラヅカの男役ではなく、愛を語る理想の男ではなく、「死」。
独特の動き、倫理観、感性、愛し方。
人間の理解を超えた存在。
一巡したのち、それでも再演する意味。
それが、この気持ち悪いトートなんだと思う。
いやあ、2幕の霊廟シーンがすごいねー。
ルドルフの棺の上に立ったトート閣下。
黒いコートの前をガバッとひろげて、シシィをソレで包むっつーか威嚇するっつーかするんだけど。
変質者キターーッ!! って感じで、笑いツボ入っちゃったよー。
それまであまりにもストーカーちっくだったしさー。机にねとっと寝そべっていたり銀橋に貼り付いて(変換ミスにあらず)いたり、変態ムード満点だったからさー。
コート広げちゃいますか!! 変態の定番ゼスチャーしちゃいますか!!
や、黒尽くめの静謐シーンから赤になるとは誰も思わず、視覚的インパクトの大きさは成功しているし、トートの変態……異質ぶりが現れていてすばらしい演出ですとも。
トートが異質であることはわかった。気持ち悪さが演出意図であることもわかった。
ただ、それゆえに「どーするつもりだ?」と首を傾げていた。異世界感覚のまま進められても、物語は終着しない。
それが。
その答えが。
この、「変質者キターーッ!!」の直後に、あった。
コートの前を広げて変態全開のトート閣下。
息子を失い傷つききったシシィははじめて、自らトートに歩み寄る。「死なせて」と。
トート閣下はルンルンでシシィを得ようとする。
そのときに。
トートは、シシィを拒絶する。
「まだ私を愛していない!」
異質だったトート。
人間の理とは別の次元にいたトート。ひたすら気持ち悪かったトート。
それが。
人間の女を愛した。
死に逃げようとするシシィは、本来のシシィではない。死を拒絶し、自らの意志で「わたし」を貫き、苦しみ多き人生に敢然と立つのがエリザベートだ。
トートが愛したのも、シシィがそーゆー女だったからだ。
その彼女が、彼女らしさを失って死に逃げようとした。トートもそれでいいと思っていた。
そう思って、口づけようとし……。
拒絶した。
シシィがシシィでないことに気づいて。
トートが、変わった。
異質だった、人間には理解できない感覚で愛していた、存在していた「死」が。
「人間」を愛したゆえに、変わった。
や、それまでも愛していたさ。でもソレは、わたしたちにはわからない次元の愛し方だった。
それが、わたしたちと同じ次元に来たの。「こちら側」に来たの。
それまでの彼の愛は、勝手な愛だった。一方的に好き勝手にやっていただけ。
それがはじめて、相手のことを見た、考えた。
もしも彼に「翼」があったのなら、今この瞬間、千切れて落ちたかもしれない。
「死」は、「人間」になった。
恋をした。
そして彼は、超越者から、ただの「男」になった。
「死は、逃げ場ではない」……この台詞を、今までの彼なら口にするはずがなかった。異質な彼は、こんな「人間くさい」台詞とは無縁な存在だった。
だが、翼をなくし、「人間の男」に成り下がった彼ならば、この台詞を口にすることが相応しい。
もちろんトートはこのあとも「死」であり続ける。べつに、物理的な能力を失ったわけじゃない。
しかし彼の魂はもう「異質」ではない。わたしたちが理解できる範囲にいる。
最終答弁でフランツに詰め寄られてうろたえるくらい、「ふつーの男」になっている。
あまりに異質で気持ち悪かったトートが、真実の恋をして「人間」に変わる……。
そのコントラストのあざやかさに、目眩がした。
そうか、コレがやりたかったのか。
「やりすぎ」なほど、気持ち悪いほどの爬虫類めいた仕草は、メイクは、ここにたどりつくための伏線だったのか。
天使は恋をして地上に落とされる。
それと同じように。
「死」は恋をして、確実にナニかを失う。
その不自由さが愛しい。
「恋」をする前の彼は、あんなにたのしそうに、ゲーム感覚にシシィを追いつめていたのに。
「恋」をしてから彼はもう、シシィの前に現れなくなったんだね。
シシィが年老い、暗殺されるまで……最終答弁で結論を急かされるまで。
「恋」をしたあとの彼は、不器用な少年のようで。
シシィが最後、彼を受け入れるのがわかる。
もう彼は彼女の前に現れなくなったけれど、見守っている意志は感じていただろうから。
「死は逃げ場ではない」と、「人間の感覚」で語った……「人間」の淵まで堕ちてきた彼の愛を、たしかに感じただろうから。
まちがいなく、ラヴストーリーだ。
トートとシシィの。
異世界と、現実世界の。
だからこそ。
水トートは、気持ち悪くて正解なんだ。
このカタルシスにたどり着くために。
や。
マジでキモいんだってば(笑)。
気色悪いんだってば。
水夏希が好きです。
あの爬虫類めいた外見と、それを裏切る人間的でホットな水先輩だからこそできる、彼だけの「トート像」だと思う。
新しいトートを演じきった彼に、心からの拍手を。
コレ、書いていいもんだろうか?
雪組『エリザベート』初日の、ええっと、率直な感想。
……いいのかな。なにしろあたし、雪全ツ『ベルサイユのばら』観て、ミズカルのことを「オカマ」と太字で書いた女だからな。ピュア水ファンは、わたしのブログ読みに来てないよね?
水くんの、トート。
気持ち悪かった。
キショい……。
このトート、キモイってば!!
爬虫類というか、ヤモリみたい。ビジュアルとか、動きとか。
顔色白すぎて、「塗りに失敗したセル画」みたい。本来別の色になるところも全部、同じ色で塗りつぶしちゃったみたいな。白目と肌色が同じ色で、輪郭だけ残ったマンガ絵。
たぶん、演出家の意向なんだろう。トートがあまりにも異世界的。
人間の動きをしない。
ハンガリーとかウィーンのカフェとか、「その男、絶対異世界人だから、人間ぢゃないから、あんたらふつーにテーブル囲んだりしてんぢゃないわよ!」と、モブの人々に対してツッコミ入れちゃったよ。
今までの、「公演を重ねるごとに人間くさくなるトート」を見慣れていたから。
「人間」というカテゴリからはずれたトート像に、おどろいた。
気持ち悪い。
この人、絶対人間じゃない。
わたしたちと同じ計算式で生きていない。
そう思った。
そして、それって、正しいんじゃないの? と、思ったんだ。
水トートは、気持ち悪い。
だけどソレこそが正しい。
だって彼は、「死」なのだから。
気持ち悪くて、わたしたちの理の外側にいて、あたりまえなんだ。
水トートはわたしたちとチガウ理で生きる存在だから、エリザベートに対してちょっかいをかけるところひとつひとつが、気持ち悪い。彼の表情は、わたしたちの想像するなにものともちがい、「異質である」ことへの恐怖と嫌悪感が募る。
エリザベートへの愛も、わたしたち人間が抱く・想像するものとはチガウ。
これまでのトートが哀しみを感じていたところで怒りを表現していたり、舌を出して威嚇する蛇のようなおぞましさに満ちている。
コレに愛されても、そりゃシシィは拒絶するわ……人間の男ぢゃないもん、存在も感性も。
1幕終わりに「(エリザベートを)愛してる」と歌うことが、違和感。
「愛してる」って……そんなふーにぜんぜん見えないんですけど。
愛が見えない、のではなく、「トート」であるから、わたしたちと感性がチガウから、「愛」がチガウから、理解できないの。
「異質」を演じるのはいい。正しいことだと思う。
しかしコレ、どーするつもりだ?
わたしたちは「人間」で、人間の感性以外は理解できないぞ? 異世界人をどれだけ完璧に演じてくれたって、求められてなければ猫に小判。
今まで評判の良かったトート像は、「ただの人間」だったじゃん。外見だけ美しく、中身は人間。愛したり傷ついたりしていることがよーっくわかる、「人間の男とどこがチガウの?」なキャラクタの方が観客にはウケていた。
や、だってここ「タカラヅカ」だし。「わかりやすい」ことが必要条件だし。
一巡した『エリザベート』。
「タカラヅカ」でやるべきことは一通りやってしまったはずの演目。最後の月組ではついに、「男役」がエリザベートを演じたりした。
そして今また、最初の雪組に戻って。
トートが、「死」になっていた。
タカラヅカの男役ではなく、愛を語る理想の男ではなく、「死」。
独特の動き、倫理観、感性、愛し方。
人間の理解を超えた存在。
一巡したのち、それでも再演する意味。
それが、この気持ち悪いトートなんだと思う。
いやあ、2幕の霊廟シーンがすごいねー。
ルドルフの棺の上に立ったトート閣下。
黒いコートの前をガバッとひろげて、シシィをソレで包むっつーか威嚇するっつーかするんだけど。
変質者キターーッ!! って感じで、笑いツボ入っちゃったよー。
それまであまりにもストーカーちっくだったしさー。机にねとっと寝そべっていたり銀橋に貼り付いて(変換ミスにあらず)いたり、変態ムード満点だったからさー。
コート広げちゃいますか!! 変態の定番ゼスチャーしちゃいますか!!
や、黒尽くめの静謐シーンから赤になるとは誰も思わず、視覚的インパクトの大きさは成功しているし、トートの
トートが異質であることはわかった。気持ち悪さが演出意図であることもわかった。
ただ、それゆえに「どーするつもりだ?」と首を傾げていた。異世界感覚のまま進められても、物語は終着しない。
それが。
その答えが。
この、「変質者キターーッ!!」の直後に、あった。
コートの前を広げて変態全開のトート閣下。
息子を失い傷つききったシシィははじめて、自らトートに歩み寄る。「死なせて」と。
トート閣下はルンルンでシシィを得ようとする。
そのときに。
トートは、シシィを拒絶する。
「まだ私を愛していない!」
異質だったトート。
人間の理とは別の次元にいたトート。ひたすら気持ち悪かったトート。
それが。
人間の女を愛した。
死に逃げようとするシシィは、本来のシシィではない。死を拒絶し、自らの意志で「わたし」を貫き、苦しみ多き人生に敢然と立つのがエリザベートだ。
トートが愛したのも、シシィがそーゆー女だったからだ。
その彼女が、彼女らしさを失って死に逃げようとした。トートもそれでいいと思っていた。
そう思って、口づけようとし……。
拒絶した。
シシィがシシィでないことに気づいて。
トートが、変わった。
異質だった、人間には理解できない感覚で愛していた、存在していた「死」が。
「人間」を愛したゆえに、変わった。
や、それまでも愛していたさ。でもソレは、わたしたちにはわからない次元の愛し方だった。
それが、わたしたちと同じ次元に来たの。「こちら側」に来たの。
それまでの彼の愛は、勝手な愛だった。一方的に好き勝手にやっていただけ。
それがはじめて、相手のことを見た、考えた。
もしも彼に「翼」があったのなら、今この瞬間、千切れて落ちたかもしれない。
「死」は、「人間」になった。
恋をした。
そして彼は、超越者から、ただの「男」になった。
「死は、逃げ場ではない」……この台詞を、今までの彼なら口にするはずがなかった。異質な彼は、こんな「人間くさい」台詞とは無縁な存在だった。
だが、翼をなくし、「人間の男」に成り下がった彼ならば、この台詞を口にすることが相応しい。
もちろんトートはこのあとも「死」であり続ける。べつに、物理的な能力を失ったわけじゃない。
しかし彼の魂はもう「異質」ではない。わたしたちが理解できる範囲にいる。
最終答弁でフランツに詰め寄られてうろたえるくらい、「ふつーの男」になっている。
あまりに異質で気持ち悪かったトートが、真実の恋をして「人間」に変わる……。
そのコントラストのあざやかさに、目眩がした。
そうか、コレがやりたかったのか。
「やりすぎ」なほど、気持ち悪いほどの爬虫類めいた仕草は、メイクは、ここにたどりつくための伏線だったのか。
天使は恋をして地上に落とされる。
それと同じように。
「死」は恋をして、確実にナニかを失う。
その不自由さが愛しい。
「恋」をする前の彼は、あんなにたのしそうに、ゲーム感覚にシシィを追いつめていたのに。
「恋」をしてから彼はもう、シシィの前に現れなくなったんだね。
シシィが年老い、暗殺されるまで……最終答弁で結論を急かされるまで。
「恋」をしたあとの彼は、不器用な少年のようで。
シシィが最後、彼を受け入れるのがわかる。
もう彼は彼女の前に現れなくなったけれど、見守っている意志は感じていただろうから。
「死は逃げ場ではない」と、「人間の感覚」で語った……「人間」の淵まで堕ちてきた彼の愛を、たしかに感じただろうから。
まちがいなく、ラヴストーリーだ。
トートとシシィの。
異世界と、現実世界の。
だからこそ。
水トートは、気持ち悪くて正解なんだ。
このカタルシスにたどり着くために。
や。
マジでキモいんだってば(笑)。
気色悪いんだってば。
水夏希が好きです。
あの爬虫類めいた外見と、それを裏切る人間的でホットな水先輩だからこそできる、彼だけの「トート像」だと思う。
新しいトートを演じきった彼に、心からの拍手を。