改めまして、『メイちゃんの執事-私(わたくし)の命に代えてお守りします-』の感想。

 いやもお、タイトルからして恥ずかしいのがいいね。そういうネタだもんね。お嬢様ひとりずつに執事が、って、設定からしてアホアホだもんね。アホアホ設定を割り切って楽しむものだもん、作る側も観る側もそれを極めて楽しまなきゃ。

 原作は未読。ドラマは見てます。だから執事とお嬢様をざーっと眺めると、役名はおぼえてなくても「ああ、あの人たち」とわかる程度。
 ドラマもアホアホドラマとして割り切って眺めていたけれど、そこにやっぱ「実写の限界」を感じていた。
 マンガにはマンガでしか表現できないことがある。それは顔が突然ギャグ絵になったり2頭身になったりすることじゃなくて、「絵柄を含めた世界観の構築」にあると思う。
 絵柄が世界観の一部だから、それを封じられた現実……実写でテレビ俳優が演じるのはかなり苦しい。世界観がそこですでにひび割れているため。
 実写であるマイナスを補うためには、別の世界観を構築してすり替えなければならないんだが、ドラマ『メイちゃんの執事』はそこまで本気で原作の世界観に向き合っていない印象を持った。
 原作を大切にするとか、原作とまったく同じでないにしろ損なわない別の表現によるファンタジー構築やチガウ角度での切り口による再構築を、放棄していると思った。
 ドラマの目的は、イケメン俳優を取りそろえて執事コスプレをさせ、視聴率を稼ぐこと。原作は執事コスプレの言い訳に利用しました、みたいな。

 だから終始、「マンガならいいかもしれないけど、実写だときついな」という感想だった。
 そこで展開される人間ドラマは女子好みのものだが、描き方がアホアホ過ぎて、ふつーの学園モノでやってくれた方が救われた。

 で、ドラマの最大の問題点は執事ではなく、お嬢様にあったと思っている。

 男たちはいいんだ、執事コスプレという異空間ぶりだから、まだ。
 しかし女の子たちはマンガ的とはいえ女子高生の制服だ。ちっとも、お嬢様じゃない。
 ただのタレントの女の子たちだ。
 化粧して着飾っただけの美少女たち。
 みんなイマドキのアイドルタレントでしかなく、個性が見えない。お色気もタカビーも見た目はみんな同じテイストの美少女。
 これがアニメなら、髪の毛の色や制服の着こなしが違ったりして差別化されるんだろうけど、実写じゃなあ。
 実写ドラマにおけるお嬢様女子校のファンタジー構築とキャラ立ちという点では、『小公女セイラ』の方がはるかに素晴らしかったなと。

 「あのドラマは原作まんまを再現、これ以上の三次元化はありえない」と世間では評価されているのかどうか、知らないが。
 「少女マンガ」を昔愛読したことのある、以前少女だった人間には、あのドラマと「少女マンガ」とは、ずいぶん隔たりがあるように思えたんだ。女子向きドラマであったことはよーっくわかるが(笑)。設定がアホアホでも、最後まで見られたもん、女子好みのエピソードと展開てんこ盛りで。

 と、前置きが長くなったが、ドラマでがっくりした「少女マンガ」というファンタジーを、タカラヅカならば表現しうるのではないか……そう期待していたんだ。

 演出家がこだまっちだということには、期待と不安が7:3くらい(笑)、主演のベニー含め、星組キャストには期待全開!

 こだまっちの演出センスには期待している。
 彼女には萌えと、ヲタク的ドラマティックな舞台を作る能力がある。
 インスパイアとパクリの区別がついていないことと、日本語力がおかしいことを除けば、良い舞台を作れる人だと思う。
 だからきれいな原作さえあれば、見た目に楽しいきれいな舞台を作ってくれるだろうと期待していた。
 不安だったのは、彼女が真っ当な少女マンガ的ツボは理解していないだろうということ。
 恋愛マンガや小説を読んで、女の子がきゅんっとなる、アレを根本的にわかってないだろうと、わたしは勝手に思っている。
 ヲタクマンガ(二次創作含む)を描くことは出来ても、少女マンガは描けない。ただ女性ゆえ絵柄が女子向きなだけで。

 ……結果として、最初に期待し、懸念した通りの舞台だった(笑)。

 舞台『メイちゃんの執事』は、たしかに「少女マンガ」の舞台化だった。
 設定のアホアホさは、「少女マンガ」ならではのファンタジー。プラスチックのジュエリーストーンで飾られた宝石箱みたいなもん、キラキラしていれば本物の宝石でなくてかまわない。

 ドラマで首を傾げた「少女マンガ」を軽んじた雰囲気、それが舞台にはなかった。
 むしろ「少女マンガ」であることを大前提に箱庭を作ることに、とことんこだわった不自由感。最初から壁作ってるよヲイ。でもそれは不快じゃない。
 「コラボだから原作有りで作るけど、枠組みなんか私の才能でぶっ壊す」というつもりではなく、壊さないよう最初から壁で囲い込んで、あとはその中で「好きにやるぞー!」的。

 こだまっちは伊達にヲタクやってないよな、パロディ描くの得意だよな。原作のテイストを三次元化する、別次元に変換する能力は高いよなと感心した。
 たとえが古くて恐縮だが、昔むかし、こじろーとかわかしまづとか、原作とは似ても似つかない美麗青年たちが同人界のスタンダードになったように、ヲタクは原作を必要に応じて別モノにデータ変換できるのだわ。

 また、留学帰りのこだまっちは、いろんな「できること」「やりたいこと」があり、それをこの小さなハコに全部詰め込みました!的、意欲が感じられる。
 かわいいこと、きれいなこと、たのしいこと。
 それを表現する意欲。

 原作設定のトンデモさ、それゆえの夢やかわいらしさを、別のファンタジーに変換して、小さな手のひらに載せて差し出してくる。
 それはこの「バウホール」という小さなハコに相応しいオシャレさとかわいらしさ。

 ああ、この公演が贔屓組で、贔屓がある程度の役割で出演していたら、どんだけうれしかったろう。
 きっときゃーきゃー言って通ったろうな。
 もうトシがトシなので日常では必要としていない、10代少女にだけ許されるイミテーションの宝石箱を抱きしめる、あの感覚。それを割り切って楽しめる舞台だ。
 トシがトシなんで、いろいろと気恥ずかしくなりながら、ね(笑)。
 
 こだまっち舞台作るのうまいわー、きれーだわー、たのしいわー。
 と、喜びつつ。

 ただ、不安は的中。
 やっぱこだまっち、ヲトメ心は理解してない……(笑)。
 きゅんっ、がナイのよ、きゅんっ、がっ!!
 ヲタクとしての萌えは理解しても、ヲトメのときめきはわかってナイだろ、このヲタクめ……! と、ヲタであるわたしがじれったく言わせてもらいます。ええ、ヲタだからこそ気になるの、そこ。

 だから贔屓がいない場合は、楽しく眺めてそこで満足かな。
 なんでもっと理人@ベニーを美味しく使わないかなー。ヲトメ心をつつきまくってくれなくちゃだわー。

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