97年、98年、99年、00年、01年、03年。

 そして、

 02年バックコーラス。03年、04年、05年。

 『TCAスペシャル2007』の予定が発表になり、花・月・雪・星組が出演することがわかった。

 ……わかった、って、そんなの、発表される前からわかっていることで。日程だって、大体見当ついていたし、公式サイトに名前が出ているトップスターが競演することだってわかりきったことだ。

 それでも、改めて確定した予定に、「よし、オサ様とゆみこちゃんが同じ舞台に立つところを見られるんだわ!」と思い、続けて「そのかとまっつが同じ舞台に立つところを……」と考え、思考停止した。

 あのー。
 素朴な疑問です。
 まっつって、TCA出るの?

 そのかはいい。
 なんつーか、彼は「出る」って気がする。
 でも、まっつは? まっつって、どうなんだろう??

 まっつオチしてから、TCAって見たことないよね、わたし?
 
 去年は花組が東宝公演中だったため、不参加。まっつ探しをしなくていいので、とてもリラックスして他のスターさんを眺めていることが出来た。

 まっつがTCAに出ていたことは知っている。ブラックジャックの影やって、わたしのハァトを釘付けにしてくれたもの。それ以外の年にも、出ていたと思う。
 でも、完全におぼえているわけじゃない。毎年出てたっけ?
 まっつに限らず、どのスターがどの年に出演していたかおぼえてないし。わたしの海馬じゃあな。

 そしてわたしは何故かまず、ケロのTCA出演年を調べたのだった。
 自分でも謎だが、まっつの出演記録を調べる前に、マジになってケロを調べた。
 それが、冒頭の数字。

 97年、98年、99年、00年、01年、03年。

 97年以降、ずーっと組が変わってもレギュラー出演していた。間が抜けている02年は、トップと2、3番手のみ出演というくくりで、ケロもゆーひも出演していなかった。(当時はゆーひくんといつもペアだったのでつい、ここでもゆーひの名前を出してしまう。今のしいすずみたいなもんだな)
 03年が星組生として出演、組対抗パロディ合戦で、フランツ・ヨーゼフ@『エリザベート』を演じていた。

 ケロはTCAに出る。
 なんの疑問もなく、そう信じていた。だってずーーっと、出ていたんだもん。

 それが、04年は出なかった。

 信じられなかった。
 しいちゃんやすずみんという、いつものメンバーは出演していたのに。ゆかりくんだって、出演していたのに。
 ケロだけが、意図的にはずされていた。

 そしてその年のうちに、ケロは進退を決めてしまった。

 ……ええ。トラウマです、汐美さん。

 おかげで、「まっつってどうよ?」と思った途端、まずケロのことを調べちゃったぢゃないか。

 そして、ケロの歴史を予習した上で、まっつの出演記録を調べる。
 それが冒頭にあるふたつめの数字。

 02年バックコーラス。03年、04年、05年。

 いちお、03年にブラックジャックの影で鮮烈デビューを飾って以降、TCAにはレギュラー出演している。
 だからといって、今年出るかどうかはわからない。だってケロのことがある。

 あああ、あああ、まっつってどうなんだろう。出るんだろうか。出てくれるんだろうか。
 なんかもー、ぜんぜんわかんない。
 なんでイベントの発表と同時に出演者を教えてくれないんだろう。どうせもう決まっているんだろうに。トップが出ることなんかわかってるよー、それよりもっと微妙なあたりの人を発表してよお。

 ひとりでぐるぐるして。

「まっつが出るかどうかわかんないから、落ち着かない」
 てなことを言って。

 nanaタンに、ぽかーんとされました。

「出るでしょ、ふつう」

 なんか冷静に、出演する組の数と、出演する組子の通常の数を説明されました。
 で、思わず指折って数えたよ。
 ……たしかに、まっつは出演しそうだ。

 出演する組子の数が、例年の半分とかに減らされない限り。

 いやその。
 まっつのこととなると、もー、なにもわかんなくて。
 盲目ってやつで。

 『舞姫』チケット、すでに4枚ダブらせているんですが。チケ取りし過ぎだ自分。観られない日までがっついてかき集めるなよー。(行けるかどうかはあとで考える、とにかく目の前のチケットは取る! ……というキモチで買い集めた結果・笑)
 エンカレのときも『MIND TRAVELLER』のときもそれでダブらせて大変だったなー……学習しろよ自分。

 まあいいや。ぐるぐる悩めるうちが華。

 てゆーか。
 まっつのことで考えすぎて行き過ぎて、思い悩むのも、また楽しいもんな。(処置ナシ)

 
 専科エンカレもすっげーたのしみっす。
 TCAと両方観るぞぉ。チケ取りがんばるぞぉ。

 
 まっつまっつまっつ。


 今日は梅田で月組全ツ初日観て、ムラへ移動して雪新公観て、と大忙しだわ。ああそして、フルールのたこ焼きが「20分待ち」×2のあげく、売り切れで食べられなかったことが心残り……(たこやき食べるハート満々だったのよ!)。

 月組の話は置くとして、なんといっても新人公演『エリザベート』

 や、とりあえず、おもしろかった。

 ハイディさんに譲ってもらったおかげで、わたしの新公観劇経験MAXの良席。
 オペラ無しで顔が見える〜〜、全体が見渡せる〜〜。つか、『エリザベート』でセンター坐るのはぢめてだ〜〜。(チケ運ないっすから!)

 コマトートが、近いです!! お化粧すごいです! 顔はキャンバス! よくぞそこまで描き込んだ!ってくらい、すごいです。ブルーのシャドウがデビルマンの眉みたいになってます。眉はその上で枝分かれしてます。青と黒の鹿の角みたいです。
 ……コマくん。がんばったのはわかるから、東宝ではお化粧変えようね……。

 トート@コマは、アツい魂を持った、シャウトなヤロウです。
 彼の生き方は、ロケンロールです。
 ロックではなく、ロックンロールでもなく、ロケンロール、もしくはロケンロー。……ニュアンスをくみ取ってください。

 シャウトの最中で音色が変わったり、音が迷子になったりいろいろですが、いいんです、それは彼なりの表現なんです。

 開演アナウンスから、彼のアツいハートはびんびん伝わってきます。
 低い、なりきった声で、微妙にタメつつアナウンスしてます。録音のはずなのに、影アナウンス(影ソロとかのノリで)かと思わせるよーなパッションです。
 プロローグはぶった切りで、ルキーニと裁判官のやりとりの背景にトートが無言で登場、シシィがせり上がってきて詩の朗読につながるので、トートは一切喋りませぬ。
 登場時はクールなトートだったのにね……シシィとの初対面で、すでにエンジンがかかりはじめる。とってもアツくフォーリンラヴ(笑)。
 あとは出てくるたびに上昇加熱。
 クールに「美しい顔」「セクシーな佇まい」を演出していたつもり……つーか予定……つーか希望……だったろうに、一旦スイッチ入っちゃうと、顔ゆがめてシャウトシャウトっ!! ゆがんでますよ顔、表情行き過ぎてます、戻って戻って!

 と、万事この調子で大変愉快なトート閣下でした。
 あれが「トート」かというと、正直よくわからんですが、ぶちこわす勢いであがいている姿は心地いいっす。

 ラストの挨拶も、最後まで「男役声」。低い、作り上げられた声で話していた。素のオンナノコの声で話す子も多い中、最後まで「男役スター・沙央くらま」で通しますか。
 かっこいいぞ。

 
 さて、あとは順不同、思いつくままに。

 
 マダム・ヴォルフのコレクションが、ステキにオカマ・ショーだった。

 マダム・ヴォルフ@せーこちゃん、ごつっ。
 かっこいー女役が歌っているというより、「男役が演じている女役」のようだった。月組の嘉月さんみたい。
 歌うまいー、押し出しいいー、こわかっこいいー。

 娼婦のみなさんは「あ、ホンモノのオンナノコかな?」と思ったけれど、そのあとに登場したマデレーネが、見事にオカマ。
 やっぱしゲイバーなんだコレ! 大司教様ったら、そんな趣味が?!
 エリザベートに夢中なフランツ陛下の関心を別の人間に移させるために、オカマを用意しますか! たしかに、有効な手段かもしれん。こっちに開眼してくれりゃー、もうシシィになんか見向きもしなくなるだろう。

 事前チェックしていなかったので、マデが誰か知らずにいたの。

 黒天使で愛輝ゆまくん、目立つところにいるなあ、と思ってはいたけど、そうか、マデレーネだったからか!! マデ役の黒天使はいつも、目立つ位置で踊ってるよねえ。
 でもまさか、彼がマデだとは夢にも思っていなかったので、魚ちゃんが立ち上がった瞬間(それまでは歌に従って他の娼婦たちを眺めていた)に、アゴが落ちた(笑)。

 ええっと、マデをやるなら、もう少し女の子に見えるお化粧をしていてもよかったのかも……?
 なんか、すげーこわいっす。ヤロウっす。特徴ある輪郭と頬骨が、化粧とライトで強調されてます。

 『Young Bloods!! 』『ハロー!ダンシング』と着実にわたしの目を奪ってくれる愛輝くん、なんかもー、マジでかいですよマデレーネ!
 フランツ@しゅうくんもでかいけど、トウで立つ分さらにでかいマデレーネ。フランツを覆い尽くす勢いだ。

 なにがウケたかって、最後のフランツにチューするところ。ルキーニのフラッシュに合わせて足を交差してしなりとポーズを取るんだが、そこがもお、潔いまでにオカマ。
 なんてわざとらしい「オンナノコ」ポーズ。

 そっかあ、もうオンナノコができないくらい、「男役」なんだね、愛輝くん。
 それがわかって、愛しさが増す。

 
 少年ルドルフ@詩風翠くん、かわいい〜〜。

 甘く可憐な容姿と、素直な歌声。
 でも、横顔はアゴがしっかりしていて、ちゃんと「男役」向きの顔立ちなの。

 いつもは立ち見とかでオペラグラス使用なので、主要人物以外見られないけれど、今回はわりとあちこち眺めていたの。
 で、バートイシュルのお見合い場面で、兵士ふたりが細かい芝居をしているのに気づいて。
 あの兵士のちっこい方、かわいーなー、きっとまだ若いんだろうなー、お肌つるつる〜〜とか思っていたら、小ルドルフで再登場! 役ついてたのか!
 とにかくかわいーよー。

 もうひとりの兵士って、剣崎裕歌くん……? いやその、演技よかったけど、その、ちょっと彼の横に大きくなりっぷりに目を疑ったので。本公演でも、最初彼だとわからなかったくらい。
 92期文化祭で、「いちばんの美貌の君」と称した、天海祐希と壮一帆を足して2で割ったよーな美貌の彼が、なんでこんなにふくらんでしまったのか……うわーん、もったいない〜〜! 歌も芝居もできる子なのにー。

 
 あと、芝居で目を惹いたのがグリュンネ伯爵@彩夏涼。
 この子おもしろい。
 グリュンネ伯爵って組長だとか専科さんだとかがやる役で、あまり変化がないというか、すでにしっかり型が決まっているという印象だったけど、ここまで表情豊かに演じてもいいのか、と開眼。
 実にいろんな表情(顔だけでなく、全身含む)で、そのときどきの感情を表現している。
 芝居、好きなんだろうな。この役を息づかせること、作品の中で役割を果たすことを、たのしんでいる。
 見てて気持ちいいわぁ。

 
 他の感想は別欄で。


 作品を短縮するのは大変だと思う。
 『ベルばら』みたいにいらないシーンばかりでできあがっているのではなく、ちゃんと意味のあるシーンがつらなってできあがっている作品を、短くするのは。
 大変だとは思うけど……。

 新人公演『エリザベート』の演出家は、小柳先生。

 あの最悪だった月組新公『エリザベート』と同じ演出家! やはり問題ありすぎだった新公『NEVER SAY GOODBYE』と同じ演出家!

 小池の弟子なんですか、彼女。小池作品の新公演出ばかりしている? 小柳先生には構成力や物語をなめらかに進めるセンスが欠けていると思うんだが……鈴木圭演出で、『エリザベート』の新人公演が観てみたい。
 鈴木くんなら、どんなふーに『エリザベート』を料理し、ルキーニにどんな台詞を言わせ、どんな歌を歌わせるだろう。新公のみの新曲や新場面を作ってしまう人だからなー。

 
 はい、月組新公の構成のひどさがトラウマ(笑)になっているので、今回も開演直前にnanaタンとふたり新公プログラム開いて、「演出家、小柳先生だよ!」と、不安におののいたのでした。
 またなにか、ひでーことするんぢゃないかと。

 でも冒頭に「霊廟」のシーンがあるようだ。
 月組新公ではなかったシーンが、存在する。

 やっぱ不評だったんだ、月組新公『エリザベート』。
 1場をすっとばしてシシィとパパからはじめるもんだから、主役のハズのトート閣下の出番がシシィが木から落ちたあとまでない、という構成。
 そして、ルキーニがえんえんセンスのない流れの悪い台詞をひとりで喋って無理から解説していたっけ。

 それをやめて、「霊廟」シーンやるんだー。よかったー。
 プロローグの「霊廟」シーンがない『エリザベート』が、どれだけ盛り下がるか、月組新公で思い知ったもの。

 と、ほっとしたのも束の間。

 「霊廟」シーンは、ただのデコレーションでした。
 銀橋で解説するルキーニ@せしるの背景に、ただ衣装を着て並んでいるだけのみなさん。
 トート閣下も歌うことはなく、ただ出てきただけ。

 月組よりはマシだけど。
 しかしやっぱ、プロローグは欲しいわ……アンサンブルぶちかますのは、「作品」として必要だと思うよ。トートが主役だということを、最初に示すことも。
 パパとシシィ削って(台詞だけのやりとりにするとかして)、かわりにプロローグの「霊廟」シーンやればいいのにー。
 なーんかバランス悪いよなー。

 
 でもって。
 
 その昔、『あさきゆめみし』という作品があり、「刻の霊」という役の比重について、ファンたちは首を傾げていた。
「あれって、2番手、だよね……?」
「しっ、言っちゃダメだよそんなこと!」
 スダマ役をやっているのは、2番手ではなく、学年的にはまだ4番手のはずの、若者だったから。番手制度絶対のタカラヅカで、ソレは「言ってはいけない」こと。
 とくに、わたしの友人のチャーリーファンの神経の尖らせ方は、痛々しかった。
 2番手はチャーリーのはず。
 だけど、チャーリーが演じている頭中将はどう考えてもスダマ以下の役だった。
 劇団が押している若手が、わざわざ原作にはないオリジナルキャラクタで2番手以上の扱いを受ける。
 それは露骨な所行だったが、とりあえず公的には「頭中将が準主役」という触れ込みだった。
 公的な2番手役……ソレが、救いだったのに。

 新人公演で。
 2番手ポジションの生徒が演じたのは、頭中将ではなく、刻の霊だった。

 本公演では、それでも取り繕っていたくせに!
「スダマが2番手役? いやいや、そんなことはありませんよ、よく見てくださいよ、2番手役は、頭中将ですってば」
 と、言ってお茶を濁していたくせに。
 新公では詭弁を捨てて、「スダマが準主役」と公言しますか!!

 チャー様ファンの友人のグレ方、そしてスダマ役をやった当時4番手の若者くんに対する反感は凄まじかったっす……。
 劇団、これはひどいよー、なまじお茶を濁したあとの本音だから、さらにきついよー。
 そのチャー様ファンの友人は、未だにハルノスミレ大ッ嫌いだもの。

 
 なーんて昔話を思い出した。

 というのも、『エリザベート』新公の2番手役は、比重的に言ってルキーニだよな、と思ったから。

 月組新公ではルキーニに台詞が不必要なほど増やされていて、たんに構成が悪くなっていただけ、という印象が強かったし、まあ、演じている人がいっぱいいっぱいで、台詞噛みまくり、忘却してしばし沈黙したりの繰り返しで、流れがそのたび止まって大変だった(でもずっと、「ルキーニ」役として通していた、あっぱれな役者ハート)ので、比重云々つーこともなかったんだが。

 今回はわかりやすかった。
 そっか、ルキーニか、と。

 フランツ視点で観劇する癖のついているnanaタンと一緒にいたことも大きいと思うが(笑)、たしかにフランツの見せ場がカットされ、ルキーニの見せ場は増えている。
 そして、月組新公ほど不要なまでに台詞をダラダラ増やしていない。必要最低限の解説で進めているので、進行がなめらかだ。

 もともと辛抱キャラのフランツを大きく引き離し、ルキーニが準主役の座にわかりやすく躍り出た。

 新公のルキーニ役は、芝居の主要キャラというより、ショーの主役に近いかな。
 他のことは置いておいて、とにかく求心力が求められる。ぶった切って継ぎ接ぎした場面場面を、彼がまとめなければならないから。

 この構成において、主役以外でもっとも「タカラヅカスター」として「勉強」になるのはルキーニ役だ。

 新公になると、いろーんなことが起こるなあ。
 その昔、『あさきゆめみし』で番手逆転が白日の下になったよーに。

 
 2幕冒頭にあたる、カメラ小僧ルキーニの「キッチュ」。客席から登場、さんざん客いじりをしたのち、銀橋に上がってそのままそこで単独で1曲。
 トップスターでも、ここまで派手な演出はそうそうない(笑)。
 銀橋でピンライト浴びてソロ1曲、って、ふつーそこまでする必要はない。本舞台のカーテン前(本公演と同じ)でも花道でも済むことだ。
 それがわざわざ銀橋だからなー。

 そっかあ、ルキーニの比重上げてあるんだー。「解説」として必要だからではなく、番手を上げるために。
 や、番手云々より、それによって舞台が派手になってくれる方がいいので、ありがたいっす。

 
 そして、ルキーニ@せしるはちゃんと、仕事をこなしていた。
 おおっ、なめらかだー。
 台詞や手順がどれだけ変わっていても、噛んだり忘れたりせずにちゃんとふつーに演じている。
 『ハロー!ダンシング』のために、わたしの中のせしる株は暴落していたんだけど、一気に持ち直したわ(笑)。
 なんだよ、ここまでデキんじゃんー。
 狂言回しとして、空気動かせるんじゃんー。

 ルキーニとして、一貫したモノがあったのが、大きいかなと。
 場面ごとに都合良く別物にならず、ちゃんとひとつのキャラクタで演じきった。
 台詞も歌もよかったよー。

 ただ、あまりにも「簡単」なルキーニで、「軽い」役作りではあったけれど。
 そうそう、「ルキーニ」っていったらこうだよね? みたいな。
 簡単お手軽わかりやすい……そうか、こうすればインスタントに「ルキーニ」ってできるんだ。みたいな。

 もちろん、これは新公だから。新公でそこまでカタチを叩き出したことがすごい。

 なんつっても、美形だし。
 
 もー、眼福ですよ、ルキーニの美形っぷり。
 ヒゲ似合うなー、せしる。

 客席いじりしているときのせしる、わたしの目の前だったんですよ。
 すぐ目の前で三脚立てて、本役さんたちの座席に向けてカメラ構えて。
 あの大きな目が、ずらーっと周囲見回して。

 目が合って、どきんとしたよ。
 わわわ、あの美しい人と見つめ合ってしまった!!(誇大妄想)

 かっこいーなー、せしる〜〜。

 
 2幕モノの芝居を短縮して1幕構成にするうえで、役の比重が変わっていたことはたしかだ。
 フランツ役のしゅうくんがどうこうという意味ではなく。役の比重の変化は、出演者のせいじゃないからな。

 そのことがどーゆー意味を持つのかは、深く考えない。
 ただ、ルキーニはちゃんと、2番手としての役目を果たしていたと思う。


 新公『エリザベート』の感想の続きを書く気満々だったのに、今日友の会から「お知らせ」の最新号が届き、『アデュー・マルセイユ』のあらすじを読んで、他のことが吹っ飛びました。

 ……読まなきゃよかった……。
 いつもあらすじなんか、まったく見ないのに。前もってなにもチェックしないのに。
 今回から冊子のデザインが変わっていたので、物珍しさで読んじゃったよ……。

> マイケルとスティーブは幼なじみ。共にびんぼー少年だったわけだ
>が、マイケルはギャングのボス・アルビンに拾われ裏街道、スティー
>ブはまともに勉強して医者になった。ふたりの運命が分かたれたのは、
>マイケルがスティーブをかばって罪を着たせい。
> さて、大人になり再会したふたり。立場はちがっても仲良し。なん
>せ、同じ女の子を好きなった……。

 って、コレはセンス皆無の中村A作品、『あの日みた夢に』のあらすじ。(2004-09-12記述)

  冊子に載っていた『アデュー・マルセイユ』あらすじは、こいつをはてしなく連想させるモノだったのよ……。

 勘弁してくれ。
 『あの日みた夢に』は中村Aらしい、するするすっとんとんの引っかかりのカケラもない、つまんない駄作だったのよ。
 そんな駄作とニアミスした設定に、心に冷たい風が吹く……。
 しかも、魚屋と漁師の息子って、学生って……オサ様でなぜそんなのどかな設定なの。

 小池の目には、オサは「オサダくん」にしか映っていないのか……。
 もしくは、「オサダくん」がウケたから、2匹目のドジョウを狙っているのか。
 小池オリジナルだから、駄作・トンデモ作は決定事項だと覚悟はしているけれど、不安が募るばかり。
 ああもお、小池修一郎、なんでオリジナルなんか書くんだ、物語書く才能持ってないんだから、演出だけしてればいいのにー。演出家としては天才的な人なのにー。天は二物を与えてないのよー、自覚してよお。

 まあ、植爺よりマシだと、自分を慰めるしかないんだがな……。

 まとぶがオイシイ役だといいなあ。
 オサ様とがっつり組む役だといいなあ。

 でもって、チケット、当たるといいなあ……。遠い目。

 

 ああそして、ぜんぜん関係ないことだけど、もずえさんが久しぶりにブログ更新してるー、うれしー。
 待ってるからねー、またムラで会おうね〜〜。


 新人公演『エリザベート』の感想続き。

 ヒロイン、エリザベート@さゆちゃん。
 すっげー不思議だったのは、どうしていつも、怒っているのかってこと。

 シシィはいつも、怒っていた。
 眉をつり上げ、厳しい、こわい顔をして。
 笑っていないところは全部、怒っている。
 悲しんだり孤独だったり、なにかしら感じているのだと思うけれど、顔が全部怒っているので、よくわからない。
 「私だけに」も、怒ったまま歌いきった。
 息子が死んでも怒っていた。
 年老いた夫と話すときも怒っていた。
 暗殺者と出会ったときも、怒っていた。

 怒りだけに彩られた人生だった。

 ……苦手だなあ、このひと。わたしは臆病なので、いつも怒っている人って、苦手。周囲に対してマイナスの火花を振りまく人って苦手。
 と、エリザベートを見て思った。少女マンガの悪役美人お嬢様キャラみたい。

 エリザベートの言動は、表情ひとつでこんなにも攻撃的に見えるんだなー、と感心。
 今まで見たことのない、新しいエリザベートだった。世界のすべてに対し、怒り続けるエリザベート。憤怒の仁王像のよーな。

 怒る、攻撃する、というエリザベートも、アリだと思う。
 彼女はひたすら強かった。
 怒る、という能動的言動を取る彼女は、自身に対して絶対の愛と自信があり、それを損なうモノに対しての拒絶と嫌悪、反感がとても強い女性だった。
 扉を開けてくれと言う夫を張り倒し、共に黄泉の世界へとささやくテンション高い男を張り倒し、べそべそ泣く息子を張り倒し、ひとりずんずん力強く怒り続けていた。

 そんなに怒ってばっかじゃ、誰も君のこと好きになってくれないよ?
 今は若くてキレイだからいいかもしれないけど、トシとってソレじゃあ、誰もそばにいなくなるよ?
 ……と、心配してしまう。

 あまりに強くて怒ってばっかの人だったんで、ラストで何故いきなりトートを選んだのかはわかんないけど、「宮廷に収まらない」女性としては、こーゆーキャラ立てもアリです、ほんと。
 この性格ならそりゃ、誰ともうまくいかないわ……。
 そして、その強さゆえに他人からも理解されず、孤独にもなるわ……。
 そのことを本人が自覚し、「それでも、これがわたしよ!」と胸を張っているなら、それでヨシ。どんなに傷ついても、棘を持ち続ける覚悟があるなら、あっぱれな人生だ。

 せっかくおもしろいキャラなので、さゆちゃんにはこのエリザベート像を極めて欲しい。
 強いゆえの痛みとか、攻撃的であるがゆえの孤高さとかを表現してくれたら、さらに魅力的になる。
 ただの悪役キャラではなく、姫川亜弓@『ガラスの仮面』まで到達したら、都合のいいだけのヒロインキャラなんか足元にも及ばない共感と人気を得られるんだから。

 いっぱいいっぱいで表情が固定されたままだった、真剣さやせっぱ詰まり感が怒りの炎に見えた、とかゆー話にオトすのではなく。
 舞台裏がどうあれ、彼女が舞台上で表現したモノを評価したい。

 ……さゆちゃんがいちばん魅力的に見える役は、街にいるふつーの女の子、とかなんだろうなあ。お姫様とか女優とかバレリーナとか、華やかなジャンルの人ではなくて。天使とか妖精とか女神とか、人間外の体重のないよーな役も、チガウんだろうなあ。
 素のかわいさで勝負できる役なら、もっと活き活きと演じられるんだろーな。

 
 フランツ@しゅうくんは、辛抱役を切々と歌い上げる。
 わたしにとって彼は、『Young Bloods!! 』の「おとーさん」。や、そこではじめて認識したから。
 高いところに立って歌っていた記憶が、彼を認識した最初。
 そのすり込みのおかげで、「ふつーに歌える人」と思っていた。どっちかっつーとダンサーの人だったんですか? 『堕天使の涙』で水くんと踊っていたりしたよね?
 雪組の中では、まず身長で目に入ってくる人。

 ふつーに歌えると思っていたけれど、思っていた以上に歌える人だった。
 やさしげで軍服が似合って、なんかめおちゃんフランツを彷彿とするんですが……。

 トート@コマはテンション高くぶっ飛ばしているし、エリザベート@さゆちゃんは怒り続けているし、で、フランツは大変だぁな。
 相手が悪かった、という言葉が脳裏をちかちか通り過ぎていく。
 シシィが別人つーか、もっとちがった役作りだったら、もう少し向き合ってもらえたのかもしれないね、フランツ。
 怒りのオーラで人を寄せ付けないシシィに必死に取りすがっていたけれど、ビンタ一発で吹っ飛んだ。……婿養子テイストなのは何故。

 辛抱役で地味で目立たないけれど、やっぱフランツって好きな役だなあ、と再確認。
 強い嫁にたじたじになっているエリート色男って感じで、萌え(笑)。

 
 ルドルフ@キングは、なんか演技以前の手順のところで大変なことになってなかった?
 トート@コマがなかなか出てこなかったり、ラストシーンでなかなかセリ下がらなかったり。や、キングが悪いわけじゃないけど、「うわ、気の毒」と思った……。

 ルドルフって、しどころのない役なんだなあ、と思った。
 うーん、今までそんなこと考えたことなかったけど。つか、反対にオイシイ役だと思っていたけど。
 考えて見りゃ、これだけの出番で「なにか」を残すのは、ほんと大変だ。

 キングのルドルフは弱く、道に迷った子どものようだった。
 や、キミ、ママにまったく似てないから! ママは怒りの10時10分、息子は哀しみの4時40分。思い通りに行かないとき、ママは怒り、息子は嘆く。
 勝手に「ボクはママの鏡だから」とか言ってママに取りすがっていたけれど、「冗談じゃないわよ、このヘタレがっ!」とビンタ一発で吹っ飛んだ。

 そして最後の見せ場、拳銃自殺とトートのキス……。
 されど、セリが、動かない。

 ふつーなら「トートのキス←セリ下がり」なのに、キスが終わってなお、セリが動かない……。
 トートの腕の中のルドルフ、という美しいシーンのはずなのに、舞台に響くのはスタッフのおっちゃんの「降りへんぞー」という声。ああ無情。

 チューし終わったあとしばらく、小柄なトートはでかいルドルフ抱いたまま固まっていた。
 ライトも真面目に点灯したまま。……暗転させてやればいいのに。

 そのあとでよーやくセリが動き、不思議なタイミングでトートとルドルフは沈んでいった……。
 固まっていたトートが、最後の最後で後ろを振り返ってしまったのが惜しい。その動作、トートではなくコマとしてだよね?
 キングはずーっと死体だしなー……大変だなー……。

 
 つーことで、まだ続く。


 汐美真帆は、わたしの「はじめての人」である。

 ヅカファンになって19年。
 19年もこの特殊な世界に、浅くではあるが長々とハマって過ごしてきたが、未だケロが「はじめて」なんだ。
 「見送ったご贔屓」というのは。
 なにしろ、その前はトドロキのファンだったもので。(や、今でもトドは愛着持って見守ってますが)

 わたしが自分のファン生活を「浅い」と思うのは、いわゆる会活動をしていないためだ。
 タカラヅカファンの醍醐味は、「私設ファンクラブ」体験だと思う。

 お揃いの服を着て楽屋口前に整列し、立ったりしゃがんだりを繰り返し、声をそろえて同じ台詞を言う人たち。
 同じ人を応援する、という明確な意志で集まった組織。
 独特のルールと人間関係、閉鎖性。
 ……それを体験してこそ、「正しいタカラヅカファン」だと思う。

 いや。
 FCの入会有無ではない。

 タカラジェンヌとの距離感。

 それこそが、タカラヅカの特殊性だと思う。

 好きな人と、直接関われる。
 生徒のポジションにもよるが、一部の人気スター以外ならば本人と直接会話も出来るし、自分を個別認識してもらうことも可能。

 毎日入り出に通い手紙を渡して、生徒自身の日々の機嫌や癖、日常の姿を垣間見る。
 舞台の上での非日常的空間ではなく、あくまでも生身の人間としての姿をも愛でる。

 たとえ雲の上の大スターでも、毎日の出勤帰宅風景を何年も眺め続けりゃー、「あの人って、じつはこんな人」と人となりが見えてくるだろう。人間なんだから。

 ジェンヌとそーゆー関わり方をしてこそ、「真のタカラヅカファン」だと思う。
 会に入って応援すれば、入らなくても舞台以外の姿も愛していけば、それで「真のタカラヅカファン」。

 わたしは時間ばかり長く過ごしてきたが、結局のところ舞台を観るだけで、生身のジェンヌには一切近づいていない。
 FCにも入らないし、入り出待ちもしないし、お茶会にも行かない。スカステだって入らないので、トーク番組を目にすることもなかった。

 タカラジェンヌとは「ファンタジー」であり、現実の存在だとは思っていない。男役は男だと思っている。

 だから、FC入会は必要なかった。手紙であれ会話であれ、本人に「舞台、よかったです」「ステキでした」と伝える意味など無い。だって、「ファンタジー」だから。ジェンヌは生きた存在ではないから。
 アニメの登場人物に、ファンレター書いてどうするよ? 演じている声優さんが読むの?「スナフキンはわたしの初恋です★」とかゆー手紙を? 声優さんは演じているだけで、スナフキンちゃうやん。

 架空の世界、架空の人物を、架空だと割り切ったまま愛する。
 それがわたしのスタンスであり、生きやすい距離だった。

 それでなんの問題もなかった。
 ところが2004年後半、ケロが劇団を去ることになり、わたしは混乱する。

 あれほど頑なに拒んでいたお茶会にもはじめて参加したし、スカステも加入したし、千秋楽は入りも出も見たし、そのあと、OGになった直後のトークショーにも駆けつけた。

 舞台の上ではない汐美真帆を、追いかけた。

 その後、某所でケロが日記を書いているのも、その書きはじめた初日から知ることが出来、以後2年まったりと眺めている。もちろん、こちらからアクションする気などないので、眺めるのみだ。
 
 そーやって、混乱は深まるんだ。

 わたしが愛してきたのは舞台上のケロであり、生身のyokoさんではない。
 もちろん、ケロの中の人だからyokoさんも大切なのだが、やはりどうしてもyokoさんは「知らない人」なんだ。
 だってわたしにとってのケロは、男だし。チェリさんがどれほど「ケロちゃんだって女の子なんですよっ」と言ったって、聞かなかった。ケロは男だから、ふんどしでもいいんだってば。(『厳流』の頃の日記参照してくれ)

 わたしのなかの汐美真帆と、NYでほにゃりとした日記を書いているyokoさんはちっともイコールにならない。

 それでも。
 願うことは、ひとつだった。

 yokoさんがしあわせであればいい。
 それだけを、祈ってきた。

 
 『ドルチェ・ヴィータ!』東宝千秋楽から2年5ヶ月経ったこの日、ケロが再び東京宝塚劇場の舞台に立つという。

 貸切公演の司会者として。

 行くかどうするか、悩んだ。
 ナマのケロを見てみたかった。
 トウコちゃんと同じ舞台に立つ姿を、見てみたかった。

 でも結局、行くことはあきらめた。
 チケットがなかったこともあるが、今の世の中、金さえ出せばどんなチケットでも手に入るのだから、それは言い訳にはならない。
 わたしは、行かなかった。

 こわかったからだ。

 19年ヅカファンやってきて、「退団後、女になっても好きは好き」だと公言してきた。
 事実、他の人に関してはそうだと言える。異性だったときと濃度はそりゃかわるが、いったん好意を持った人にずーっと好意を持ち続けるのは、ふつーのこと。
 ただ、わたしの愛するものが「タカラヅカ」である以上、「タカラヅカ」でない舞台までは、追いかけられないけれど。(金があれば追いかけたいけど、物理的にこれ以上無理)

 だがそれは、好きのレベルがケロとはちがうわけで。
 ある一定レベルより好きな人全部を、わたしはまるっとまとめて「ファン」という言葉でくくっているけれど、「ご贔屓」と書くのはケロだけだった。「担当」と書くのも、ケロのみだった。

 男役は、男。
 タカラヅカは、存在自体がファンタジー。

 ナマのジェンヌに近づくことがなければ、あくまでも舞台を観ているだけならば、いくらでもソレで完結していられた。

 舞台のケロを愛してきた。
 今でも、ソレは変わらない。

 だからこそ、男子であった汐美真帆と、今の汐美真帆でもあるyokoさんとの存在の差に、おびえている。
 整理がつかない。

 ケロは、わたしの「はじめての人」だ。
 こんなに混乱することなんか、他の人ではあり得ない。他の人なら、「女になっても好き」とシンプルに言えるのに。

 ケロ司会貸切公演を観劇したドリーさんから、詳細な報告をもらった。
 なまぬるいyokoさんクオリティは健在のようで、とほほと思いながらも、微笑ましく思った。
 ドリーさんもまたケロファンで、ケロが去ったあともケロがいた宝塚歌劇団を愛し、現在もまた幸福にヅカファン生活を送っている同志だ。
 彼との恋、そして別れがあったからこそ今のわたしがあり、新しいいくつかの出会いがあり、今また愛する人たちがいる。人生はすべてつながっており、なにひとつ無意味なことなどない。
 ドリーさんは、とてもあたたかいキモチでケロとの再会を受け止めたようだ。
 そしてわたしは、彼女の報告を読みながら、マジ泣きした。

 今もわたしは混乱したままだけれど、それでも、ケロもケロの中の人も特別だ。それだけは、変わりようがない。
 ケロがしあわせであってほしい、これからどんな生き方をするのかわからないけれど、あの人の人生があの人にとって豊かなモノであればいいと思う。
 や、今回の司会にはこわくて近寄れなかったけれど。次にやはり司会とかされても、行けるかどうかわかんないけれど。

 ただ、役者としてのケロを愛していたので、司会とかカルチャースクールの講師とかではなく、役者として舞台に立ってくれたら、どんなに複雑でも混乱していても、やはり観に行くんだろうなとは思う。
 

 ヅカファンになって19年。
 はじめての混乱。はじめての痛み。

 そして、思うんだ。
 もっとちゃんと、ディープにヅカファン経験していればよかったのかな、と。

 わたしは「浅く長く」いただけで、ヅカファンの醍醐味である会活動をしていない。いや、FCの入会有無ではなく、ジェンヌとの距離感の問題だ。
 舞台上だけを愛で、生身の彼ら、女性芸能人であるところの彼らに近づくことがなかった。
 それをちょっと、考え直すべきかなと。

 会に入るとか、出待ちしてジェンヌに声かけちゃうぞとかゆーのではなく。
 「男」だとドリームで囲って愛するだけではなく、女性の部分も愛して行ければいいな、と。

 そうすれば、女性として生きるようになった彼らに対し、あそこまで混乱はしないでいられるかな、と。
 「男役じゃなくなったから、興味がなくなった」は世の中的にもアリだと思うけれど、「男じゃないという現実についていけない」のは、アレだと思うので。

 男だと思ってここまで愛するのは、ケロが最後かもしれない。

 現にまっつのことは、女性でも好きだと思う。てゆーか、女の子だから好きだと思う。
 まっつには、ジェンダー的な混乱はない。素顔のまっつが、「女性として」美しいことが、うれしくてならない。
 ケロとまっつはチガウ。
 今わたしはまっつダイスキで、「ご贔屓は?」と聞かれればまっつだと答えるけれど、まっつにたどりついたのは、ケロがいたからだ。

 今、こんなに誰かを好きでいられるのも、ケロがいたからだ。
 それが、うれしい。
 

 汐美真帆は、わたしの「はじめての人」である。

 そして。
 ある意味。

 汐美真帆は、わたしの「最後の人」である。

 
 ……そーゆーことで。


 ハイディさんちでWiiスポーツをほんのちょっとやっただけで、両腕が筋肉痛の緑野です。
 ボクシングをあんなに一生懸命やらなきゃ、せめて右腕だけの筋肉痛ですんだものの……両腕痛い……。
 や、ハイディさんちに行った理由がまっつまっつだったりするんですがね。まっつってば罪作りよね。(いやその、お世話になりました、ハイディさん&BENさん。んで、さらによろしくです)
 

 新人公演『エリザベート』感想の続き、あと少しだけ。

 ゾフィー@かおりちゃん。
 本役のマダム・ヴォルフでも感じたけれど、ほんとーに「正統派」の娘役なんだなあ。実力があるんだから、こーゆー脇の大物役も簡単プーに演じられるかと思いきや、手に余っている。
 低音が出ないので最初の「強く厳しく」がキマらなかったのはたしかに痛いけど、それ以上に持ち味のちがいが気になった。
 きれいすぎる。
 月組のあいちゃんもそうだったなー。真ん中向きの子は脇にはハマらないのか。……って、それで正しいのか。
 後半はリズムを掴んだようで安心して見ていられた。
 せっかくの大輪の花だ、大切に延ばしていってほしーなー。
 

 エルマー@ぐっちょん。
 本来の登場シーンをカットされているため、登場するなり苦悩全開。
 こんな演出でエルマーを演じるのは、そりゃー難しいだろう。……比べるつもりはないが、脳裏に浮かぶのは月組のマギー。彼はこんな演出なのに、登場するなりトップテンション、号泣せんばかりの勢いだった。やっぱアレは相当特殊なんだな……。

 ぐっちょんはクールキャラなんですか? 表情が変わらないことが気になった。好きなカオなんで、眺めているだけでたのしいんだけど……クールビューティとしてキャラメイクしたなら、もっと徹底して欲しかったな。
 それこそとことん冷酷、目的のためには手段を選ばない、ルドルフのことは利用して捨てる気満々とか、行きすぎた愛国者のやばさを出すようにしてみるとか。あ、あのカオでソレを極められるとウバルド@ケロになってしまうか(笑)。
 カオはクール、でもなんか叫んでるし、温度がよくわからない……。

 なんか最近、エルマーがキャラクタとして愛しくてならないので(笑)、真面目くさって踊っているところとか自分の世界に入っているルドルフに話しかけてスルーされているところとか、ツボ満載、新公でもたのしく注目してました。
 なんつーか、トート@コマがクドくて嘘くさい(ホメてます)ので、そんなトートに「どうぞ我らのお仲間に」とたのしそーにしている革命家たちの浮き世離れぶりは愉快です。

 革命家トリオはやはり、なにがなんでも美形でなくてはならないと思うので、3人揃って美しくあってほしいっす。
 作品の華だもんなー。書き込みされていない分、無意味なほどの華でにぎやかしてほしい。

 
 本公演時から、とにかく目について仕方がない涼瀬みうと。
 新公でもやはり、目につきまくる。でもべつに、とくに役が付いているわけでもない。
 顔が好みだというだけのことだ。オサ様・水くん系の顔。
 なんか気がつくと、彼を探しているわたしがいる……(笑)。

 
 世代交代し、いつの間にやら85期あたりがもう「大人役」「壮年以上の役」をやる時代になっている。
 スターの学年は上がりまくっているけれど、それ以外の役割を負う学年は下がりまくっているからなー。
 新公学年とはいえ、87、88期あたりから、脇の大人役を演じられる人を育てないと、芝居が成り立たなくなってしまう。
 人生迷いまくりのナイーヴな青年役を演じる高学年スターと、そーゆー青年を叱ったり導いたりする父親だとか先輩だとか脇の大人役をカラをお尻にくっつけたままの下級生が演じる。……なんかおかしな光景っちゅー気もするが、それが現実。
 今がチャンス、オイシイ大人の男ポジションを狙え。
 オヤジ役ばかりの『エリザベート』は、オヤジスキルを磨くチャンス。
 タカラヅカを愛し、長くおっさん道を極めてくれる男たちが育つといいな。
 ……と、たのしそーにオヤジ演技をする重臣ズだとかシシィパパだとかを眺めておりました。
 まるまるつやつやしたオヤジたちだけど、葉陰の果物が熟するのを待つように、ゆったりと見守りましょう。
 オヤジは1日にして成らず。大人の女やおばさんを作るよりずーっと時間がかかる。
 好みのオヤジが育ってくれるといいなあ。

 
 個人評はこんなもんで。
 新公『エリザベート』、とてもたのしんだし、終わったあと「コマ! コマ!」と大喜びしていたのだけど、主要キャスティングを別の人で観てみたかった気はするなー。
 なにしろ大作なので、いろんな人で見てみたい、というだけのことで、キャストに対してなんの含みもない。

 トートを演じるキングを見てみたかった。……のは、最近彼があまりにヘタレキャラ続きだから。
 『ハロー!ダンシング』『ノン ノン シュガー!!』『エリザベート』と3作連続ヘタレなんだもんよ。
 強いキャラをがーんと演じてみせてほしい。このまま変な癖がつかないか心配だ。

 エリザベートはもちろんかおりちゃんで。正統派の歌姫が演じる正統派のヒロイン。……そりゃ、ウエスト50cmには見えないかもしれないが、華と美貌と歌唱力は群を抜いてるんだからさー。

 コマはフランツもルキーニも見てみたいが、じつはいちばん見たかったのはルドルフだ。
 アツくてクドい彼がハマり込んで演じる破滅型の美形ってのは、想像するだけでわなわなしちゃうわ。

 せしるはトートかルキーニ以外はやめておいた方がいいキャラだと思うので、ルキーニで良かったけど……あー、エルマー見たかったなー。華と熱で群衆の中で燦然と輝いて欲しい。

 そんなふうに、いくらでも役を当てはめて考えられるのが、『エリザベート』という器のたのしいところ。

 新公がチケ難になるのは、作品人気が高いときのみだもんよー。
 ムラの新公なんて大概チケ余って大変なのに、『エリザベート』はいつでもチケ難だもんな。

 たのしゅうございました。はい。

 
 で、よーやく感想終わりだーってことで、スカステの新公ニュースを探して見てみた。
 や、ナマを観た感想書ききらないと、映像は見られないでしょ。ナマがいちばん、たとえなにかしらカンチガイしていたって、劇場で感じたことの方が大切、あとから映像を見たことで、せっかくの記憶を書き換えたくないもの。

 確認事項はひとつ。

 自分が、うっかり映っていないか。

 せしるの客席降りのすぐそばだったから。通路際だったりしたから。
 絶対に映らないよう、カメラがあるだろう方向は、一切見なかった。映り込むのはもうごめんよ。自分の不細工な顔が映っていたりしたら、夢の世界が台無し、もう二度と見られなくなった公演中継映像があるっつーの。(苦すぎる過去)

 映ってませんでした。
 や、アタマは映ってるが、顔は映ってない。やった、きょろきょろしたりせずに視点固定していたから、髪の毛しか映ってない、あれならセーフ。友だちでも、わたしを特定できないはずだわ。(後ろ姿だけで特定された過去が……)

 東宝新公観劇予定の人、せしると一緒にテレビに映りたいなら、上手側通路、5列目くらいのとこですよ。センターよりも、上手ブロック通路際の方がよく映るかも。
 おすすめ★


 今頃ですが、月組全国ツアー『ダル・レークの恋』初日観劇時の感想。

 なんか、わたしの知っている『ダル湖』と、1から10まで、なにもかもがあまりにちがって、大ウケした。

 10年も前に大劇場で観ただけの記憶なんだが、『ダル湖』といえばエロいというイメージ。
 エロくてきわどいラヴシーンがウリだと思いこんでいた。

 だからびっくりさ。

 あの『ダル湖』が、さらりサワヤカだ!!

 すげえ。
 まったく別物!!

 『ダル・レーク』と言えば、円形ベッド。
 欲情を表すかのよーに男は自分のターバンをむしり取る。ばさりと広がるのは野性的なチリチリロン毛。おびえる女のサリーを掴み、くるくる回して脱がせる。
 あーれー、お代官様、おやめください〜〜。

 星組版の『ダル・レーク』を観たとき、わたしはもー、笑いをこらえるのに必死だった。ツボに入っちゃって、声を殺して笑うのに腹筋を鍛えられた。

 マリコさんのラッチマンは、ひたすらエロかった。エロくてうさんくさくて、見ていて恥ずかしいやらくすぐったいやら。
 かっこいいし素敵なんだけど、その素敵さっつーのがだね、地団駄踏んで転げ回りたいよーなかっこよさなの!!
 クドい! 濃い! ネバい!
 ラヴシーンに限らない。ただ立っているだけ、ふつーの台詞を喋っているだけでもエロ胡散臭いのよー!

 だから、ラッチマンと『ダル湖』ってのは、そーゆーもんだと思いこんでいた。
 つまり、転げ回りたくなるよーな、恥ずかしいまでの濃いぃぃいエロエロなラヴシーンのある、大人の恋物語。

 それが今回、月組版を観て感心。

 エロくねえ!クドくねえ! てか、サワヤカだ!!

 そ、そうか……あれはマリコさんと星組の持ち味だったのか……。作品がどうとかゆーわけぢゃなかったのね。

 同じようにラッチマン@あさこちゃんはターバンをはずして(むしり取り、ではない)、カマラ姫@かなみちゃんをくるくる回して脱がして、円形ベッドに押し倒すんだけど。

 やっていることはけっこうアダルトできわどいはずなのに、あさこがやると、いやらしくない。
 ただ、きれいだ。
 年齢設定もチガウ? 20代前半の若者くん? 7年前がどーとかって、パリの高校に留学していたころとか?
 オトナ設定ぢゃなかったのか……。
 さわやかな青春の息吹が感じられて、コレはコレでよいと思う。
 マリコさんはパリ時代ですら、すでに胡散臭い大人の男だったので、不良高校生バージョンって感じのあさこと差別化が出来ていていいと思う。せっかくの再演だもんな。
 

 芝居が薄いのはあさこちゃんの固定スキルなんだろう、そして、この薄さや軽さが彼のきれいさやオシャレさに通じているのだろう。濃い、クドいってのは、やっぱダサさに通じるモノだから。

 なにをやってもきれいにまとまる、清潔感があるっていうのは、あさこちゃんのスターとしての特質ってもんだろう。
 それって、トップスターとして、正しいよね。

 まるで少女マンガのようだ……。
 どんなラヴシーンも点描だの花だのが飛び交っていて、肉の生々しさを持たない。いやらしさや汚さを持たない。
 きっとこれこそが、正しいタカラヅカなんだろう。

 10年前、わたしはコテコテ過ぎる『ダル湖』に大ウケはしたけれど、それ以上はナニも感じなかった。作品の古くささに辟易したのみだ。
 当時のわたしは、クドすぎるマリコさんと星組の芸風についてゆけなかったのだ。今のわたしならまた別かもしれないが、当時は硬質なトドロキと雪組の芸風をもっとも愛していたので、どーにも相容れなかったのだわ。

 あの当時のわたしを鑑みて、「あさこと月組の『ダル湖』なら」と考える。
 ……ぜんぜん、OKだったかも。ゆーひくんの二枚目ぶりに、ふつーによろこんでいたかも。

 主役の持ち味と、組のカラー。
 同じ作品をやって、ここまで別物になる愉快さ。

 そう、あさこだけのことじゃない。
 月組と星組じゃあ、持ち味正反対だもんな。

 月組は現代的でオシャレな、さらりとした芸風。だが星組は今も昔もコテコテの大仰芝居を得意とする。
 正塚芝居が似合う組と、植田芝居の似合う組。
 ……そら、ぜんぜんチガウわ。
 や、だからといって星組で植爺芝居が観たいわけではないけれど。つーかもうどの組でも観たくないけれど。

 組の持ち味を考えて、さらに納得するのは、遅れて出てくるペペル@ゆーひ。

 これがまた、星組バージョンのノルさんと、まったくチガウ。
 ふつーに、かっこいい。

 わたしは当時、ノルさんのことを「薄い」「正統派」とかゆーイメージがあったんだけど、ソレって星組比だったんだ。マリコさん比だったんだ。
 ノルさんのペペルもまた、問答無用で胡散臭かったからさぁ。大仰と言うか、存在自体嘘くさいというか。
 それがマリコさんと絡むともお、恥ずかしいやらアセるやら。や、ソレが素晴らしい「味」だったんだけど。

 ペペルってこんなに、ふつーにかっこよかったんだ……。立っているだけで笑えるよーな、くすぐったい恥ずかしさのある人ぢゃなかったんだ……。

 マリコファンで星組ファンでもあったBe-Puちゃんと月『ダル湖』初日観劇したあとお茶していたんだけど、
「当たり前でしょ、ノルさんは『パン泥棒アレクセイ』が当たり役だった人よ! 胡散臭いに決まってるじゃない! 薄いわけないじゃない!」
と、叱られました……。
 た、たしかに。あの役と某TCAのアシュレができる人だもんな……。

 ラッチマンはさわやかな少女マンガのおにーちゃんだし、ペペルはふつーに二枚目だし、他の組子たちも時代錯誤な脚本と現代的な芸風を埋め合わせずにいるし、なんか愉快なことになってます。

 この作品さあ、今の月組向きに本気で書き直すべきだったと思うよ。

 現代感覚で90分の1幕モノに短縮するべきだ。
 50年前はこれで笑えたんだろうな、と遠い目をしてしまうつまんないギャグキャラをなくして、盛り上がりに水を差す子ども騙し的かわいらしい?シーンをなくし、あくまでも本筋だけを際立たせる。
 台詞は全部書き直そうよ。もちろん、古めかしさゆえに萌えることはあるのだから、現代語訳するというのではなく、あくまでも言語センスを現代にするという意味。
 月組の持ち味が活きるように。

 タニちゃんの『不滅の恋人たち』でもそうだけど、主役がきわどいラヴシーンを演じる作品は、ソレだけで単体ファンが大喜びする。
 完全に主演ファン向け作品と割り切って、バウとかDCとかでファンだけで客席埋める勢いで上演すれば、幸福な作品になるんじゃないのかな。
 ついでに2幕はふつーにショーにして。こちらももちろん、主役のためだけにある構成で。
 それってすごく「タカラヅカ」だと思うなー。
 

 書き直さず、今の脚本演出のまま上演するなら、別の組の方が合うっちゃー合うかもなー。なにしろ作品古いし昭和時代独特の臭味があるし。
 作品の古さもこの際逆手にとって、とことん時代錯誤に昭和テイストにやっちゃうとか。

 ラッチマンはいいキャラだし。今のままでももっと芝居的に掘り下げることができたら、主役としてすごくたのしいキャラになるはず。
 てゆーか、わたしの趣味が濃ぃ〜〜い芝居の方だから、つーだけのことだが。
 マリコさんを踏襲する意味で、見ているだけで赤面させてくれる持ち味の人で、ラッチマンが見てみたいぞ。
 らんとむ希望。立っているだけ、喋っているだけなのに、クド恥ずかしい濃いぃいラッチマン(笑)。
 もしくはすごーく痛々しい慟哭型の演技がハマる人とか。
 もちろんトウコ希望。痛々しさがドラマティック、傷ついた瞳を自虐的にギラつかせるラッチマン。
 すごい見てみたいんですけど(笑)。
 

 全国ツアー『ダル・レークの恋』の感想続き。

 なんといっても、カマラ@かなみちゃん。

 きれい。
 すげーきれい。
 ナマ腹ですよ、ナマ腹!!

 ヘソ見えてますよ。背骨見えてますよ。
 いやあもー、かなみちゃんの腹見せてもらっただけでも価値ありました、この公演!(鼻息)

 インド物は男役にはきついが(男物ターバンは日本女性にはふつー似合わない。頬が丸い人は悲惨になる)、娘役は華やかでよいねっ。サリーと金色尽くしが豪華、タカラヅカ的視覚満足感につながる。

 そして、1幕はふつーに、カマラが主人公に見えた。ラッチマンは、その相手役。

 わたしがこの作品に10年前よりすんなり入れたのは、このことも大きいと思う。
 マリコさんは「主役にするしか能がない」くらい、脇には置いておけない、なにをやっても脇にはならない人だった。
 カマラ視点で物語を進めなければならないときでも、ラッチマンの印象が強くなりすぎて、混乱したってばよ。

 マハラジャの姫君カマラ@かなみんは、避暑に訪れたダル湖畔で身分違いの恋に落ちる。
 恋のお相手は超イケメンの騎兵大尉ラッチマン@あさこ。女たちにきゃーきゃー騒がれている、ダル湖畔避暑中セレブたちのアイドル。
 身分はなくても有名人、カマラとの恋はあっちゅー間に人の耳に届いてしまう。まあ、このラッチマンつー男、悪びれないっつーか無神経っつーか、ちっとも恋を隠さないからね。
 恋の噂がマイナスになるのは、嫁入り前の姫君の方。輝かしい将来が待っているカマラ姫は、祖母インディラ@タキさんの命によりラッチマンと別れることになった。
 身分違いじゃしょーがない……いずれ別れさせられるのだから、自分の手で、相手を傷つけて別れる。自分が悪役になって、別れる。カマラは泣く泣くそうするわけだ。
 別れの哀しみでダメージくらっているところへ、さらに追い打ちがかけられる。ラッチマンの正体は、セレブ女をターゲットにする色男詐欺師ラジエンドラではないかというのだ。
 詐欺師に喰われたとなるとカマラの将来はなくなってしまう。インディラたちに尋問されたラッチマンはあっさり自白、自分が詐欺師だと肯定。
 そして彼は、カマラ姫との関係を吹聴しないかわりに1回ヤラせろと要求してきた。お家大事のインディラたちは、もちろんカマラを差し出してしまう。まあもともと恋愛関係にあった段階で不名誉さは同じ。男女の仲がどこまでかなんて、世間にはわからない。今さら「1回ヤラせろ」と言ってきたところで、インディラからすりゃ「今さら」なことだ。
 ちょっと待っておばーさま、ヤるとゆーか、ヤラれるのはわたしなんですけど? 自業自得、身から出たさびとはいえ、わたしがこのカラダで責任取らなきゃならないんですか?!
 カマラ、ピ〜ンチ!
 しかし救いの手は差し出されず、彼女は悪漢ラジエンドラ……たしかに愛したはずの男ラッチマンと一夜を過ごすことになった……。

 カマラ主役で、カマラに感情移入して、ハンサムなラッチマンに恋をする。
 祖母の命令で無理に別れを言い渡すせつなさや、実は彼は詐欺師で騙されていたのだという哀しみも堪能できる。
 いやあ、少女マンガです。少女マンガ感覚、まんまを味わえます。

 そして、あさこがまた、少女マンガのヒーローまんまなんだよなあ。
 脚長っ。軍服似合い過ぎ。
 ビジュアルだけで「彼が、ヒロインの相手役」だと納得させてくれる。

 で、休憩を挟んだ2幕になってからラッチマン視点で物語が再スタートする……わけだな。
 1幕をまるまるカマラ視点で観てしまったので、2幕もパリの回想シーン以外は全部カマラ中心にしてくれてもよかったんだが。2幕は途端カマラの扱いが悪いので、落差にとまどう。
 もっと彼女中心に葛藤を描いて、どきどきさせてほしかったなあ。

 カマラと観客の目線を完全に一体化することで、ラッチマンへの恋を「一人称」で堪能させてほしかったっすよ。
 2幕で半端にラッチマン目線が入るので、「三人称」になるのが散漫な感じ。

 タカラヅカは男役中心だから、仕方ないのか……。
 でもさあ、女性向け恋愛ドラマも映画も、女が主人公じゃん。ヒロインに感情移入して、ダーリンキャラに恋するんじゃん。
 ヅカでもそーゆー風に恋愛ドラマを展開してくれてもいいと思うんだけどなあ。
 せっかくかなみちゃんという、ピンで立てる実力のある娘役トップスターがいて、乙女の夢を満たす美しさのあるあさこちゃんという男役トップスターと組んでいるんだからさぁ。
 

 まあなんにせよ、美しさに酔うことのできるふたりだ、月組トップコンビ。
 そしてまた、ゆーひくんが少女マンガまんまのハンサムっぷりだから。
 かなみちゃんとあさこ、ゆーひって、すごく映りがいいんだよなあ。3人揃って嘘くさいまでにヴィジュアル系。タカラヅカはこうでなくっちゃなキラキラ感。
 そのうえあいちゃんというスタイル抜群の美少女が加わり、少女マンガ完成。
 すげえなヲイ。

 
 ゆーひはダークサイドが映える持ち味の人だと思っているんで、こーゆーコメディ的な悪役は器の大きくなさ(微妙な表現)がのぞいちゃった気がしないでもないんだが、とにかく色男なのでヨシ。
 10年前に観たコテコテ昭和芝居『ダル・レークの恋』とはちがい、キラキラ少女マンガ『ダル・レークの恋』なんだから、ペペルもキラキラしてなきゃ!

 ゆーひの持ち味的にはラッチマンの方が得意分野(プルミタス系だよね?)だと思うし、あさこはペペルの方が得意(スーパーラティーノ系つーことで)なんだろーなとは思うけど。
 まあ、番手的に逆は無理だからなぁ。

 男をよく見せるもしょーもなく見せるも女の腕次第、かなみちゃんの華やかで深みのある演技で、観客を「情熱の恋」へ誘ってほしいわん。カマラになりかわって、ラッチマンに恋をさせてほしいわん。

 
 そーいや初日のカマラ姫、「一夜」のあとサリーがうまく着られなかったらしく、翌日の祭りのダンスにハラハラさせられっぱなし(笑)。
 カマラ、自分でサリーを着たことなかったのね、お姫様だから。
 サリーの片端を背中に長く垂らしているんだけど、一夜のあとはソレが長すぎ、引きずるほどだったの。危ないって。踏んだら転んじゃうよ?
 やばいと思ったのか肩のアクセサリをいじって短くしよーとしたあげく、アクセサリごと取れちゃって。
 サリーの端がひらひら状態に。
 かなみちゃんは必死に押さえながら踊ってるし。……ラッチマン、助けてやれよー。
 しかし救いの手は差し出されず、彼女はサリーを押さえたまま、なんとか演技を終えて走り去った……。
 あああ、せっかくのいいシーンだったのに、サリーの処理に気を取られず、カマラの感情の揺れだけにとことん注目してせつなくなりたかったわ。まあ、初日だから仕方ないか。
 ダンスなどの決められていた「手順」を止めて、ラッチマンが強引にカマラのサリーを直したりしたら、ときめいただろうなあ(笑)。残念。

 
 あれから10年、当時あんなに苦手だったコテコテな星組にハマったあとなので、今、マリコさんの『ダル・レークの恋』を観てみたい気もする。
 ……すげーハマっちゃったら、どうしよう(笑)。
 や、時は戻らないので無理ですが。(ビデオは「観た」うちにカウントしません。だからもう無理っす。残念)


 つくづくタカラヅカって衣装派手だよなあ、と思った『ダル・レークの恋』

 女性の衣装がきらびやかなのは西洋お姫様ものでもアリだけど、男の衣装がここまでキンキラキンなのは、インド・マハラジャ物がいちばんでしょう。
 
 あひくんのマハラジャぶりがすげえ。
 体格がいいから、衣装に負けてない。
 かっこいーよー、きれーだよー。
 役の少ない芝居だし、役があっても名前だけ、ぶっちゃけいなくても、話はかわらないてな役ばかりだよ『ダル湖』……とはいえ、クリスナ@あひくんは、ビジュアルに大いに貢献しています。
 やさしげなキャラクタがまたよし。

 リタ@あいちゃんはとにかくキュート。
 責任を課せられた姉とちがい、のびやかに育った妹のキャラの差が出ていてステキ。
 そして、2幕最初のダルマ!!
 あいちゃんの脚線美はそりゃー眼福ですよ、この公演のウリのひとつになりますよ。
 とはいえ、これほど役がない公演だからこそ、レビュースター役は別の人でもよかったかなと思う。あいちゃんが黒塗り→白塗り→黒塗りとハードな早替わりをしてまでやらなくてもよかったのでは、と思う。
 他の娘役ちゃんとか、いっそみりおくんとか、役の少ない男役の見せ場とする。さえちゃんのときみたいに。……あ、そのかは絶対不可(いちいち断らなくてもいいって?)。

 で、たしかにそのかは役らしい役がついていないんだけど、なんかすげー扱いよくてびびった。
 プロローグからひとりチガウ衣装(カワイイ系……ええっと……)で登場、群舞センター取っちゃいますか。
 昨中でもダンスシーンでは絶対いい位置にいるし、極めつけはフィナーレ。
 あさこちゃんを真ん中に、そのかとあひの3人口って、なんだそりゃ。しかもそのか上手、あひ下手。
 ええっと、あひくん、この公演3番手だよね? あ、そっか、単なる学年順だわ……って、ちょー待て、そのか下級生ぢゃん!!
 いろいろ謎やな、扱い……(笑)。
 酒井せんせ、ひそかに「ダンサー・漢一匹そのか」気に入ってる? 博多『エンレビ』で2番手が演じた猛獣使いを、上級生スターをさしおいて、そのかにやらせたくらいだもんな。
 や、うれしいからいいんだけど。

 お笑い兵隊コンビ、ルイスとるうは、サム過ぎてうろたえた。
 ねえいい加減、ルイスにお笑いやらせるの、やめようよ……。
 いや、相対的に巧い人だと思ってはいるけれど、決して向いているとは思えないぞヲイ。
 もちろん、今回悪いのは脚本と演出であって、ルイスとるうに罪はない。吉本新喜劇か『ドリフの8時だよ全員集合!』のコントみたいな役、サムくて当然だって。
 兵隊コンビをのーみそからっぽ、ありえないほど愚かな言動で笑いを取る、というキャラクタにする必要性がないんだ。現実にありえるような言動ならコメディの範疇だが、ここまでパーだと「笑わせるために、わざわざパーにしてあるのだ」というご都合主義が見えて笑えない。愚者を笑うなんて、2番目に嫌な笑いだわ。(いちばん嫌な笑いは、暴力ね。強い者がバカな弱者に対して殴る蹴るの暴力行為、それを見て笑うってやつ。どつき漫才とかゆーの?)
 ふつーに、役目に忠実なクールビューティでいいじゃないか。真面目過ぎて少々勇み足、程度で。立ち居振る舞い、本気で美形にするの。ターバンから前髪が一筋垂れていたりする系の。……そんなルイスとるう、見てみたいぞっと。

 ガチャさんは、こちらに出演でしたか。
 前もってチェックはしないが、出ていると気づいたからにはとにかくやたらと見てしまう、わたし好みの色男、一色氏。
 パリの場面ではなんか彼ばっか見てしまったような……いや、ゆーひくんとそのかも見てましたが。それにしたって、ゆーひ、そのか、ガチャと続くわたしの「見ている順位」っていったい。
 彼は別に、ストーリーに関係ないんだけど……出ていると、見てしまう。目で追ってしまう。目の下のシワを確認し、「やっぱいいなあ」とニヤける。ああ、好きな顔だー。

 や、パリの場面は越リュウ様の見せ場でもあるんですが、ついでに一樹さんとの濃ぃいヒゲオヤジのボーイ・ミーツ・ボーイ場面でもあるのですが……。
 説明しますと、ヒゲオヤジ@越リュウのピンチを、黙って見過ごせずヒゲオヤジ@ヒロさんが介入する、ヒゲオヤジ同士の愛が芽生える不思議な場面なんですよ。ええ、そーゆー場面ですよ、10年前観劇したときもそうでしたから、デフォルトなんでしょう。
 でも、10年前も今も、ちっとも萌えません。
 無意味にコメディなんだもん……。シリアスにやりゃあいいのに、2幕は突然コメディ色が強くてなぁ。
 そう、せっかく越リュウなのに、彼はお笑いキャラなの。ヒゲなのもおっさん役なのもかまわない。「笑わせるために、わざと滑稽にしてあるキャラクタ」なのよ。自然な笑いではなく、作り物の、押しつけ系の笑い。……いやなにしろ、古い作品だから。きっと半世紀前はこーゆーキャラでよかったんだと思う。
 今見ても、ちっとも笑えない……心は冷えるばかり。わざとまぬけに描かれたキャラって好きじゃないのよ……あああ、越リュウなのに〜〜、もったいない〜〜。
 そーやって、まぬけ役をやっている反動なのか。
 フィナーレの越リュウは、めっさかっこいいっす。
 顔なんか見なくてもね、「あっ、あそこにかっこいい人がいる!」とわかる。で、ちゃんと確認すると越リュウなの。
 うおおお。なんてセクシー、なんて男前。
 まぬけ役をやっている反動ですって? いや、反動なのはわたしの問題であって、リュウ様はもともとかっこいいんだってば〜〜、色男なんだってば〜〜。

 もちろん、1幕の美女ぶりもステキでした。
 わたしが観たのは初日ですから。ヒロさんと越リュウ、2大オヤジが「美女」となって扇ぱたぱたやっている姿に、ざわざわと笑いが起こる様がステキでした(笑)。
 困惑の笑いが広がっていくあの雰囲気。
 ……いや、美女でしたよ、ほんと。

 
 ゆーひくんをあまり語っていないよーな気もするが。
 彼がかっこいいのはほんとデフォルトで、言葉がない。
 ペペルはほんと「2番手」の役であり、真ん中に立つ力のあるスターでないと、役の持つ華やかさに負けてしまうのだなと思った。
 それを「こなせている」と思う部分と、「ちょっとやばい?」と思う部分とがいろいろで、ただもー、「あの隅っこにいたゆーひが、こんなことに」みたいな感慨に耽っていた(笑)。

 ゆーひとそのかが並んでいる図にも、免疫がついてきた。
 そのかはケロではないし。
 ゆーひは大人になっているし。

 清々しい切なさを噛みしめながら、愛しい彼らを見つめる。

 大好きな彼らが、美しく舞台に立っていてくれることがうれしい。
 美しい世界にいてくれることがうれしい。

 キンキンキラキラのインド・マハラジャ物。
 こんな世界をあたりまえのカオで上演できる、タカラヅカのすごさ、そして、衣装や設定のすごさを変だと思わせない、タカラジェンヌという妖精たちにも、感動するのみだ。

 タカラヅカでなきゃ。
 そえ思えることが、たのしい。

 
 オサ様のDS行きたかったなぁあぁ。
 大阪も東京も追加のランチも、全部電話通じなかったもんよ。や、いちばんがんばったのは大阪で、その他は後ろ向きにすぐリダイアルするのあきらめちゃったけどさ。
 いいんだ、DSに行くつもりだったお金で、『エリザベート』DVDオマケ版のみ抜粋セット買うからさ……オサ様トート東宝版を心の支えにするさ……めそめそ。や、水くんトートDVDだってもともと買う予定だったしさ……いいんだ……ペーパークラフト(謎)で遊ぶんだからさ……。

 オサ様の歌が聴きたいなあ。
 まっつに会いたいなあ。

 ……なんて、ひとり部屋で膝を抱えてブツブツゆーてますが、今年の目標はぶっちぎりで守れていません。

 今年の目標。
 月8回、年間100回以内に観劇回数を抑える。

 守れたのは、1月だけです。

 ……5月末で56回なんですが。たぶん。数え忘れていなければ。そして、なにか数え忘れているよーな気も、ぷんぷんしているんですが。まあソレは忘れていた方がいいんだろうってことで。

 それにしたって。
 月11回計算やん!! そんなことしてたら、昨年の記録更新してしまうやん!!

 そう、わたしが有閑マダムで金もヒマも有り余っているとか、バリバリのキャリアウーマンで稼ぎまくっているからバリバリ使うのよ!とかなら、べつにどーってことのない回数と金額だと思う。
 でも、チガウから! わたしみたいなびんぼー人のしていい生活ぢゃないから!

 身の丈にあった生活をしなければ。
 分相応に、慎ましく生きなければ。

 ああだけどわたし、『舞姫』は何回観るんだろう。
 まっつの出番が極端に少ないとかいないも同然の扱いとか、作品が逆ツボ直撃で正視に耐えないとか、そーゆーことでもない限り、チケットのあるナシは関係なく、毎日ムラに通っていそうでイヤだ……。
 それにしてもなんで雪楽とかぶってんだよ、日程。時間ずらしてくれゃー両方観られるのに、水くん見てたらまっつ見られないぢゃんよおー。おぅおぅ。
 貴重な平日2日が、雪楽(水しぇん! 水しぇん!)と、宙初日(わたしは初日スキー)と丸かぶりなのがつらいっす。だって平日の方がチケット取りやすいじゃん……せっかくチケット取りやすい日が、行けない日だなんて……。

 6月は『舞姫』があるので「月8回」は守れないと思うが、7月以降は大丈夫、守ってみせるぞ。『あさきゆめみし』はチケット高いから、そんなに回数観ていられないし。
 8月も遠征をあきらめれば、かなりおとなしくしていられるはず。
 9月から忙しくなるはずだから、せめて夏の間はおとなしくするんだ。するんだってば!

 心の中で思っているだけでは叶わない気がするので、ここに書いておく。
 7〜8月は休止期間。少ない観劇で、それでも集中してねーっとりたのしむんだ。

 
 ……てな文章をミニパソで書いているときに訃報が飛び込んで来たので、この文章の後に葬儀の日程とかが続けて打ち込まれているという不条理さ。

 オサ様の歌に、癒されたいなあ。
 DVDでも見るだす。


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