噂の男たち(笑)。@虞美人
2010年5月1日 タカラヅカ ヒソヒソヒソ。宮殿のそこかしこで、女官たちが噂する。
「ねえ、張良様が今日もまた紅林を呼びつけていたわよ」
「紅林ってあの子よね、宋義様の……」
「そう、あの、宋義様の……」
「才気煥発な美少年。漢詩も読むし、歌も踊りもできる」
「それでもって、宋義様の……」
「……軍師様は、賢い童をお気に召したんじゃない?」
「そ、そうよね、それだけのことよね。宋義様とはチガウわよね」
ヒソヒソヒソ。
「張良様が、金祥鳳と柱の陰で話しているのを見たわ」
「金祥鳳って、虞美人様のお側付きの童よね」
「そう、あのちょっとごついけど、才気煥発な美少年。胡弓を弾き、剣舞もたしなむ」
「ちょっとというか、かなりごついというか、張良様や衛布様や韓信様より大きい気もするけど、ええ、美少年という設定の童よね。あの子と、張良様が?」
「人目を避けるように、こう、顔を寄せて」
「金祥鳳って、衛布様とも噂なかった?」
「あるある、夜中に衛布様の部屋に入るのを見たって、何人も言ってる」
「そんな子と、張良様が?」
「……軍師様は、賢い童をお気に召したんじゃない?」
「そ、そうよね、それだけのことよね。衛布様とはチガウわよね」
ヒソヒソヒソ。
「ねえねえ、今日私、張良様が紅林にお金を渡しているの見ちゃった!!」
「なんでお金?! 賢い童に勉強を教えているとかなら、お金は渡さないわよね?」
「真夜中に密会してたわよ? で、お金……」
「……それって援交……」
「しっ」
ヒソヒソヒソ。
「紅林に金祥鳳。軍師様は賢い童がお好き」
「てゆーかそれ、単なるショタコン……」
「しっ」
ヒソヒソヒソ。
女官たちにナニを想像されていたか、天才軍師様もご存じない。
☆
東宝版のプログラムには、主な出演者インタビューってのは載ってないんでしたっけ。わたしがプログラムを買う理由はひたすらまっつなので、東宝版にインタビューが載っていない・大劇とまったく同じなら購入する必要はナイなと。
まあそれはさておき、大劇『虞美人』プログラムのまっつインタビュー。
紅林@いちかに対して見せる優しさ……てなくだりを読んで、心からおどろきました。
張良さん、紅林くんになんかしてました? 手なずけて利用してましたけど。彼の憎しみと、小銭を使って、あんな小さな子を野望の道具にしてましたね。アレ、優しい目だったのか。なんて悪そーな笑顔だと思って見てたよ……ごめん、張良の中の人……。
しかし、わたしの目に「なんかたくらんでるっ」と映っても、演技的には「優しい姿」だったそうですよ。
冷徹な軍師様が見せる優しさ、ギャップの部分。
でもって張良先生、同じ場所で桃娘@だいもんにも優しくしてるんだよね。金祥鳳という偽名で生きる桃娘を、すっかり手なずけてるんだよね。
部屋や寝具の清掃をする女官たちは、衛布@みつると金祥鳳のことは知っていると思う。金祥鳳がほんとは女の子だってことはわかんないにしろ、衛布のお稚児さんだろうことは、ばれてるだろう。知らないのは虞美人@彩音ちゃんと、項羽@まとぶんはじめ、宮殿の男たち。女は女だけで噂を回している。
宋義@まりんのお稚児さんだった紅林と、衛布と関係のある金祥鳳。
こそこそ会うのがどっちか片方だけなら言い訳も出来たろうけど、両方じゃなあ。
しかも、「優しさ」を見せているそうですから、中の人が言うことには。他の人には慇懃無礼だったりクールだったりするのに、紅林にだけは優しくしてみせたりしてるそーですから。
張良先生、絶対ホモショタ男だと思われてるよ(笑)。
女っ気なさそーだしなあ。(史実は知らん、あくまでも『虞美人』の物語上)
女官たちがさらに噂話を展開させてるかもな。
「それで張良様の本命はどっち? 紅林? 金祥鳳?」
「金祥鳳には衛布様がいるでしょ?」
「三角関係? 金祥鳳をめぐって衛布様と張良様が?!」
「じゃあ紅林はどうなるの? お金を渡してるわけだから、そーゆー割り切った関係? 本命は金祥鳳?」
「それにしても金祥鳳ってすごいわ。衛布様と張良様って、タイプ正反対のイケメンじゃない。それを二股?」
「武の衛布様か、智の張良様か。って、どこの乙女ゲーの世界……」
「や、金祥鳳オトコノコだから、ボブゲ……」
「しっ」
桃娘が張良と会っていたことを知り、嫉妬する衛布とか、見てみたいですな。
衛布は張良を信頼してはいないだろうから、立場的にも胡散臭いと思っているだろうし、そこへ自分の手駒である桃娘になにかしら近づいていることを知れば。
野心を持つ武人として、心穏やかではないだろう。張良は劉邦@壮くんのスパイだろう、そのスパイとナニを話していた……てな展開は普通にありそーだ。
だがここで、衛布は頑なに心の奥に芽ばえた感情を押し殺す。
張良と会っていた桃娘に怒りを感じるのは、野望達成の邪魔をされたくないからだと、手駒に裏切られたらムカつくからだと。
断じて、嫉妬しているわけじゃない。
俺以外の男と密会していたことに。
衛布が真に警戒・嫉妬すべきなのは韓信なんだけど、こちらは桃娘が気づかれまいと必死に守っていただろうしな。桃娘が韓信に好意を持っていることまでは察しがついても、あくまでもプラトニック、遠くで想っているだけ。桃娘が韓信と実際に会ってどうこう、なんてことはないだろうし。
それに比べ、張良は項羽側でスパイ活動をするために、桃娘とも信頼関係を築いている。実際に桃娘とも話すだろうし、桃娘は素直な子だから張良への信頼は表に出るだろう。
つーことで、三角関係希望(笑)。や、実際にはそんなもんどこにもナイんだが、衛布の中だけで勃発。
桃娘には迷惑なだけの話だし、張良に至ってはコレ幸いと利用されそうだ。
そして、女官たちは「男ばかりで愛憎のもつれ?!」とワクテカする、と(笑)。
「ねえ、張良様が今日もまた紅林を呼びつけていたわよ」
「紅林ってあの子よね、宋義様の……」
「そう、あの、宋義様の……」
「才気煥発な美少年。漢詩も読むし、歌も踊りもできる」
「それでもって、宋義様の……」
「……軍師様は、賢い童をお気に召したんじゃない?」
「そ、そうよね、それだけのことよね。宋義様とはチガウわよね」
ヒソヒソヒソ。
「張良様が、金祥鳳と柱の陰で話しているのを見たわ」
「金祥鳳って、虞美人様のお側付きの童よね」
「そう、あのちょっとごついけど、才気煥発な美少年。胡弓を弾き、剣舞もたしなむ」
「ちょっとというか、かなりごついというか、張良様や衛布様や韓信様より大きい気もするけど、ええ、美少年という設定の童よね。あの子と、張良様が?」
「人目を避けるように、こう、顔を寄せて」
「金祥鳳って、衛布様とも噂なかった?」
「あるある、夜中に衛布様の部屋に入るのを見たって、何人も言ってる」
「そんな子と、張良様が?」
「……軍師様は、賢い童をお気に召したんじゃない?」
「そ、そうよね、それだけのことよね。衛布様とはチガウわよね」
ヒソヒソヒソ。
「ねえねえ、今日私、張良様が紅林にお金を渡しているの見ちゃった!!」
「なんでお金?! 賢い童に勉強を教えているとかなら、お金は渡さないわよね?」
「真夜中に密会してたわよ? で、お金……」
「……それって援交……」
「しっ」
ヒソヒソヒソ。
「紅林に金祥鳳。軍師様は賢い童がお好き」
「てゆーかそれ、単なるショタコン……」
「しっ」
ヒソヒソヒソ。
女官たちにナニを想像されていたか、天才軍師様もご存じない。
☆
東宝版のプログラムには、主な出演者インタビューってのは載ってないんでしたっけ。わたしがプログラムを買う理由はひたすらまっつなので、東宝版にインタビューが載っていない・大劇とまったく同じなら購入する必要はナイなと。
まあそれはさておき、大劇『虞美人』プログラムのまっつインタビュー。
紅林@いちかに対して見せる優しさ……てなくだりを読んで、心からおどろきました。
張良さん、紅林くんになんかしてました? 手なずけて利用してましたけど。彼の憎しみと、小銭を使って、あんな小さな子を野望の道具にしてましたね。アレ、優しい目だったのか。なんて悪そーな笑顔だと思って見てたよ……ごめん、張良の中の人……。
しかし、わたしの目に「なんかたくらんでるっ」と映っても、演技的には「優しい姿」だったそうですよ。
冷徹な軍師様が見せる優しさ、ギャップの部分。
でもって張良先生、同じ場所で桃娘@だいもんにも優しくしてるんだよね。金祥鳳という偽名で生きる桃娘を、すっかり手なずけてるんだよね。
部屋や寝具の清掃をする女官たちは、衛布@みつると金祥鳳のことは知っていると思う。金祥鳳がほんとは女の子だってことはわかんないにしろ、衛布のお稚児さんだろうことは、ばれてるだろう。知らないのは虞美人@彩音ちゃんと、項羽@まとぶんはじめ、宮殿の男たち。女は女だけで噂を回している。
宋義@まりんのお稚児さんだった紅林と、衛布と関係のある金祥鳳。
こそこそ会うのがどっちか片方だけなら言い訳も出来たろうけど、両方じゃなあ。
しかも、「優しさ」を見せているそうですから、中の人が言うことには。他の人には慇懃無礼だったりクールだったりするのに、紅林にだけは優しくしてみせたりしてるそーですから。
張良先生、絶対ホモショタ男だと思われてるよ(笑)。
女っ気なさそーだしなあ。(史実は知らん、あくまでも『虞美人』の物語上)
女官たちがさらに噂話を展開させてるかもな。
「それで張良様の本命はどっち? 紅林? 金祥鳳?」
「金祥鳳には衛布様がいるでしょ?」
「三角関係? 金祥鳳をめぐって衛布様と張良様が?!」
「じゃあ紅林はどうなるの? お金を渡してるわけだから、そーゆー割り切った関係? 本命は金祥鳳?」
「それにしても金祥鳳ってすごいわ。衛布様と張良様って、タイプ正反対のイケメンじゃない。それを二股?」
「武の衛布様か、智の張良様か。って、どこの乙女ゲーの世界……」
「や、金祥鳳オトコノコだから、ボブゲ……」
「しっ」
桃娘が張良と会っていたことを知り、嫉妬する衛布とか、見てみたいですな。
衛布は張良を信頼してはいないだろうから、立場的にも胡散臭いと思っているだろうし、そこへ自分の手駒である桃娘になにかしら近づいていることを知れば。
野心を持つ武人として、心穏やかではないだろう。張良は劉邦@壮くんのスパイだろう、そのスパイとナニを話していた……てな展開は普通にありそーだ。
だがここで、衛布は頑なに心の奥に芽ばえた感情を押し殺す。
張良と会っていた桃娘に怒りを感じるのは、野望達成の邪魔をされたくないからだと、手駒に裏切られたらムカつくからだと。
断じて、嫉妬しているわけじゃない。
俺以外の男と密会していたことに。
衛布が真に警戒・嫉妬すべきなのは韓信なんだけど、こちらは桃娘が気づかれまいと必死に守っていただろうしな。桃娘が韓信に好意を持っていることまでは察しがついても、あくまでもプラトニック、遠くで想っているだけ。桃娘が韓信と実際に会ってどうこう、なんてことはないだろうし。
それに比べ、張良は項羽側でスパイ活動をするために、桃娘とも信頼関係を築いている。実際に桃娘とも話すだろうし、桃娘は素直な子だから張良への信頼は表に出るだろう。
つーことで、三角関係希望(笑)。や、実際にはそんなもんどこにもナイんだが、衛布の中だけで勃発。
桃娘には迷惑なだけの話だし、張良に至ってはコレ幸いと利用されそうだ。
そして、女官たちは「男ばかりで愛憎のもつれ?!」とワクテカする、と(笑)。
あなたを殺して生き残ったことを。@虞美人
2010年5月2日 タカラヅカ 項羽@まとぶんを破って勝利し、高祖となった劉邦@壮くんがつぶやく。
「生き残った者こそ、哀れか」
『虞美人』のこの展開に、わたしの海馬は勝手になつかしい記憶を掘り起こす。
“あなたはこの世の汚濁に染まることなく、潔いまま逝ってしまわれた。
人々はあなたの悲運に涙し、哀惜とともに後々の世まであなたの名を語り伝えるだろう。
だが勝利したはずの皇后や皇太子はどうだ。
有形無形の世の指弾を浴び、外からも内からも血を流し苦しんでいる”
『虞美人』とはまったく無関係だが、「勝者の苦悩」を書いたマンガの一節を思い出すんだ。
悲劇のヒーロー大津皇子と、彼を滅ぼしたうののさらら(名前の漢字が表示できない)皇后、草壁皇子。大津と草壁なら、大津の方が優れていたのは一目瞭然、だけど大津は死んで草壁が残った。
大津を滅ぼすしかなかった、草壁陣営の苦悩や悲哀を描いたエピソードは、それまで大津寄りでしか大津皇子の謀反を読んだことがなかった少女のわたしに、強い印象を与えた。
ピカレスク・ロマンに分類されるのかな。主人公は野心家で、目的のために手段を選ばない……同じ作者の別作品では悪役として登場する藤原不比等の、若き日の物語。ひとりの純粋な少年が、冷酷な権力者となっていく過程を描いた歴史コミック。
滅びることで美談にくくられがちな出来事を、滅ぼす側、野心を持って成り上がっていく側から描く、というのは、わたしのツボにジャストミートした。
主人公は自分が正義だとは思っていない、それが最善でないこと、まちがっていると他の価値観で責められることがあると理解した上で、それでも「必要だから」と冷酷な判断を下す。罪を罪だとわかった上で「それでも、欲しいモノがある」とあがく。
責任を負い、覚悟を決め、あえて修羅の道を行く。
……コミックの奥付を確認したら、1986年雑誌掲載とありましたよ。そんな昔から、わたしのツボは変わっていないらしい(笑)。
その大昔のマンガ『眉月の誓』と『虞美人』はまったく無関係なんだが、わたしのツボにハマるという点に置いてのみ、共通しているのだ(笑)。
好きな展開に、勝手に好きな作品がリンクして、脳内にオーバーラップする。
「生き残った者こそ、哀れか」とつぶやく劉邦に、呂皇后@じゅりあが「え?」と返す。
この「え?」がいい。
劉邦は言葉を重ねて自分の心を説明せず、天子としての勅命を下す。
劉邦はここで心を閉ざしたのか。彼の真実を聞くことができた者はいたのに、誰もそこに触れなかったのか。
劉邦の真実のつぶやきを耳にして、音としてしか拾えず疑問の声を上げたのか、意味が理解できなかったのか、あるいは、理解したからこその声だったのか。
「え?」という呂の返しが、いかようにも想像できておもしろい。
「今なんか言った? 聞こえなかったからもう一度言って」の「え?」。「なにわけわかんないこと言ってんの、この人?」の「え?」。それとも、「理解したくないことを聞いた、そんなことを言うなんて信じられない」という「え?」。
プロローグの劉邦と呂を見る限り、この「え?」は「わからなかった」からなんだろうけど。
呂には、劉邦の心がわからなかった。だから、彼の悲しい言葉を聞いても理解しないままスルーした。
わたしは劉邦の臨終場面であるオープニングはいらない派だ。
ラストの劉邦と呂の余韻を打ち消すっちゅーか、想像の余地を狭めるから。
劉邦の心を理解しつつも、それを拒否して見ないフリをするしかなかった呂とか、想像してたのしみたいじゃないですか。
ただ「悪いのは相手、私はちっとも悪くなかったのに、許せない!」と思い込んで怒っている人より、「相手も悲しかったんだ……でも、私だって傷ついた。だからやっぱり許せない!」と相手の傷も自分の傷も合わせて2倍傷ついて結果として怒っている人の方が、その心理が複雑に揺れて面白いってゆーか。
オープニングで「結果」を出してしまっているのが、物語の広がりを拒んでるんだよなー。
わかりやすくしたかったんだろうけど。そして、キムシンのいつものオープニング、幕が上がるなり地味!をやりたかったんだろうと思うけど。
わたしのよーな妄想過多人間には、いらん足枷だなと。
范増先生@はっちさんは、予言していた。
「漢王は戦いに勝ったのち、必ず変わる」と。人を惹きつけて勝ち続けていた劉邦だが、権力を得たあとは人を信用しなくなるぞと。
実際劉邦は変わったんだろう。
それが「生き残った者こそ、哀れか」であり、「赤いけしの花」の歌なんだろう。
この「変わってしまった」劉邦を見てみたい。
あのキラキラあっけらかんと野望を歌っていた劉邦ではなく。子どもだから人を信じることも騙すことも出来た劉邦ではなく。
大人になり、自分がなんであるかわかった上で、それでも手を汚す劉邦が見たい。
それこそ、四半世紀前から変わらない、わたしのツボだ(笑)。
まあ、タカラヅカで描くべきではないし、壮くんの演技力で見たいジャンルでもないが……(笑)。
壮さんはナチュラルボーン、その天分のままに存在する役がもっとも輝く舞台人。挫折は彼の得意分野だが、それゆえの屈折鬱屈、心の深淵をちまちま表現する人ではない。だから彼の演じる劉邦が、彼が天子になるところまで、なのは正しい。あとは観客の想像に委ねた方がいい。
キムシンはほんと、壮くんと相性いいなあ。
つか、作家としてうれしいだろうなあ、こんなに自分の作風と合う役者と出会えて(笑)。
壮くんはどーんっ!でばーんっ!でファンタジックなところがイイ。あの『オグリ!』がハマるような。
自分の描きたいと思うニュアンスを、計算ではなく本能で体現してくれる表現者と出会えるなんて。あとは役者のキャラクタと相乗効果でどんどん膨らみ、勝手に転がっていく。描いてて面白いだろう、快感だろう。
壮くんの見せてくれた劉邦が魅力的だからこそ、描かれることのない「その後の劉邦」をも勝手に妄想できる。
いいキャラクタだほんと。
「生き残った者こそ、哀れか」
『虞美人』のこの展開に、わたしの海馬は勝手になつかしい記憶を掘り起こす。
“あなたはこの世の汚濁に染まることなく、潔いまま逝ってしまわれた。
人々はあなたの悲運に涙し、哀惜とともに後々の世まであなたの名を語り伝えるだろう。
だが勝利したはずの皇后や皇太子はどうだ。
有形無形の世の指弾を浴び、外からも内からも血を流し苦しんでいる”
『虞美人』とはまったく無関係だが、「勝者の苦悩」を書いたマンガの一節を思い出すんだ。
悲劇のヒーロー大津皇子と、彼を滅ぼしたうののさらら(名前の漢字が表示できない)皇后、草壁皇子。大津と草壁なら、大津の方が優れていたのは一目瞭然、だけど大津は死んで草壁が残った。
大津を滅ぼすしかなかった、草壁陣営の苦悩や悲哀を描いたエピソードは、それまで大津寄りでしか大津皇子の謀反を読んだことがなかった少女のわたしに、強い印象を与えた。
ピカレスク・ロマンに分類されるのかな。主人公は野心家で、目的のために手段を選ばない……同じ作者の別作品では悪役として登場する藤原不比等の、若き日の物語。ひとりの純粋な少年が、冷酷な権力者となっていく過程を描いた歴史コミック。
滅びることで美談にくくられがちな出来事を、滅ぼす側、野心を持って成り上がっていく側から描く、というのは、わたしのツボにジャストミートした。
主人公は自分が正義だとは思っていない、それが最善でないこと、まちがっていると他の価値観で責められることがあると理解した上で、それでも「必要だから」と冷酷な判断を下す。罪を罪だとわかった上で「それでも、欲しいモノがある」とあがく。
責任を負い、覚悟を決め、あえて修羅の道を行く。
……コミックの奥付を確認したら、1986年雑誌掲載とありましたよ。そんな昔から、わたしのツボは変わっていないらしい(笑)。
その大昔のマンガ『眉月の誓』と『虞美人』はまったく無関係なんだが、わたしのツボにハマるという点に置いてのみ、共通しているのだ(笑)。
好きな展開に、勝手に好きな作品がリンクして、脳内にオーバーラップする。
「生き残った者こそ、哀れか」とつぶやく劉邦に、呂皇后@じゅりあが「え?」と返す。
この「え?」がいい。
劉邦は言葉を重ねて自分の心を説明せず、天子としての勅命を下す。
劉邦はここで心を閉ざしたのか。彼の真実を聞くことができた者はいたのに、誰もそこに触れなかったのか。
劉邦の真実のつぶやきを耳にして、音としてしか拾えず疑問の声を上げたのか、意味が理解できなかったのか、あるいは、理解したからこその声だったのか。
「え?」という呂の返しが、いかようにも想像できておもしろい。
「今なんか言った? 聞こえなかったからもう一度言って」の「え?」。「なにわけわかんないこと言ってんの、この人?」の「え?」。それとも、「理解したくないことを聞いた、そんなことを言うなんて信じられない」という「え?」。
プロローグの劉邦と呂を見る限り、この「え?」は「わからなかった」からなんだろうけど。
呂には、劉邦の心がわからなかった。だから、彼の悲しい言葉を聞いても理解しないままスルーした。
わたしは劉邦の臨終場面であるオープニングはいらない派だ。
ラストの劉邦と呂の余韻を打ち消すっちゅーか、想像の余地を狭めるから。
劉邦の心を理解しつつも、それを拒否して見ないフリをするしかなかった呂とか、想像してたのしみたいじゃないですか。
ただ「悪いのは相手、私はちっとも悪くなかったのに、許せない!」と思い込んで怒っている人より、「相手も悲しかったんだ……でも、私だって傷ついた。だからやっぱり許せない!」と相手の傷も自分の傷も合わせて2倍傷ついて結果として怒っている人の方が、その心理が複雑に揺れて面白いってゆーか。
オープニングで「結果」を出してしまっているのが、物語の広がりを拒んでるんだよなー。
わかりやすくしたかったんだろうけど。そして、キムシンのいつものオープニング、幕が上がるなり地味!をやりたかったんだろうと思うけど。
わたしのよーな妄想過多人間には、いらん足枷だなと。
范増先生@はっちさんは、予言していた。
「漢王は戦いに勝ったのち、必ず変わる」と。人を惹きつけて勝ち続けていた劉邦だが、権力を得たあとは人を信用しなくなるぞと。
実際劉邦は変わったんだろう。
それが「生き残った者こそ、哀れか」であり、「赤いけしの花」の歌なんだろう。
この「変わってしまった」劉邦を見てみたい。
あのキラキラあっけらかんと野望を歌っていた劉邦ではなく。子どもだから人を信じることも騙すことも出来た劉邦ではなく。
大人になり、自分がなんであるかわかった上で、それでも手を汚す劉邦が見たい。
それこそ、四半世紀前から変わらない、わたしのツボだ(笑)。
まあ、タカラヅカで描くべきではないし、壮くんの演技力で見たいジャンルでもないが……(笑)。
壮さんはナチュラルボーン、その天分のままに存在する役がもっとも輝く舞台人。挫折は彼の得意分野だが、それゆえの屈折鬱屈、心の深淵をちまちま表現する人ではない。だから彼の演じる劉邦が、彼が天子になるところまで、なのは正しい。あとは観客の想像に委ねた方がいい。
キムシンはほんと、壮くんと相性いいなあ。
つか、作家としてうれしいだろうなあ、こんなに自分の作風と合う役者と出会えて(笑)。
壮くんはどーんっ!でばーんっ!でファンタジックなところがイイ。あの『オグリ!』がハマるような。
自分の描きたいと思うニュアンスを、計算ではなく本能で体現してくれる表現者と出会えるなんて。あとは役者のキャラクタと相乗効果でどんどん膨らみ、勝手に転がっていく。描いてて面白いだろう、快感だろう。
壮くんの見せてくれた劉邦が魅力的だからこそ、描かれることのない「その後の劉邦」をも勝手に妄想できる。
いいキャラクタだほんと。
役者の熱演に泣かされる、ことはある。
それが芝居として正しいのかどうかわかんないけど、本当に泣いている人を見ると、もらい泣きするというか。
『虞美人』千秋楽。
項羽@まとぶさんの、泣きっぷりがすごかった。
自害した虞美人@彩音ちゃんを抱きかかえ、慟哭する項羽。
ヅカで良くある「**(名前)ーー!!(節を付けて絶叫)」ではない。名を絶叫しないんだ。
音楽も止まり、ただ項羽の哀しみだけにすべてが集中する。
台詞があるわけじゃない。
歌ったり、叫んだりするわけじゃない。
悲しむ。
泣く。
この行為だけに、舞台が止まる。
長かった。千秋楽の、この場面。
放送事故?ってくらい、無音時間が続いた。
長いよ、これがラジオなら無音時間続き過ぎでエラー出てるよ、ここだけ見たら「台詞忘れて止まってる?」てくらい妙に長いよ。
と、行き過ぎっぷりを冷静に突っ込んでいる自分がいる。
しかし、それと同時に。
この長すぎるほどの時間、哀しみに我を忘れている項羽に……いや、まとぶんの熱演に、胸を突かれる。
声もない哀しみが広がり、ときおり嗚咽が混ざる。
マジ泣きじゃん、アレ。演技じゃない。そーゆー次元じゃない。
項羽として、ほんとうに泣いている。魂をふるわせて、慟哭している。
『虞美人』の主要キャラはアテ書きで、役者とのシンクロ率が高い。虞姫@彩音ちゃんもえらいことになっているが、項羽@まとぶんももー大変。
ただもお、そこにあるのは、「愛しさ」だ。
項羽が好き。この不器用な男が好き。そう思って見ているけれど、それ以上だ。
項羽を好きなのか、まとぶんを好きなのかわからない。もちろんまとぶんが演じているからこそ好きなんだけど、それにしたって好き過ぎる。
愛しくて愛しくて、声なく慟哭する項羽を抱きしめたくなる。
彼のかなしみが辛すぎて、痛すぎて涙になる。可哀想とか悲しいとかじゃないよ、辛いんだよ痛いんだよ。
ダメだろコレは。舞台の上で、パブリックな場で、ここまで個人の「かなしみ」を出して良いのか、それってはてしなくパーソナルな部分じゃん!!
と、わけのわかんないうろたえ方をするくらい、生の感情に圧倒されて泣いた(笑)。
人間の「真の心」って、伝わるもんだから。心からの言葉と、上っ面だけの言葉は、届き方がチガウ。
役者ならば技術で、演技で伝えるもんなのかもしれないが、ここは舞台で生でタカラヅカで、まとぶんはとにかく本人のアツいハートでがっつんがっつんトバしてくる。
彼の芝居を好きになれるか感情移入できるかは、彼のそーゆー芸風を愛せるかどうかなのかなとも思う。
項羽役は、そのまとぶんの役者としての持ち味、基本スキルを全開に出来る役だ。
だから項羽なのかまとぶなのか、わけわかんなくなるくらい、入り込んで熱演している。
ほんとのところ、まとぶんの芸風はわたしの好みではないんだろうけど、そんなこと言ってる場合じゃない、彼の真剣さ誠実さの前に、スカシた態度でなんかいられない。
力尽くで、振り向かされた、感じ。
冷静に突っ込んでいる自分がいてなお、彼の熱にさらわれる。彼を、好きだと思う。好きでたまらないと思う。
静まりかえった劇場内。
そして、すごく長い時間のあと、ようやく聞こえる、項羽の嗚咽。
あのなにかが憑依したような時間、空気。
劇場ってすげえ、演劇ってすげえ。
人間のナマの感情に、魂に触れられる。
それが、わたしが芝居を好きな理由のひとつなのかなと思う。……テレビでも、DVDでも見られるものを、時間とお金を工面して、劇場に行かざるを得ないのは。
まとぶさんの芝居っぷりが正しいのかどうかは、わからない。本人がダダ泣きして、それゆえに観客を泣かせるってのが、どうなのか。
ただ、項羽として慟哭するまとぶさんは、わたしの魂の横面ぶん殴った、くらいにわたしを自分の方へ向かせた。
彼を愛しいと思う。
地団駄踏みたい勢いで、今、まとぶんが好きだ。
それが芝居として正しいのかどうかわかんないけど、本当に泣いている人を見ると、もらい泣きするというか。
『虞美人』千秋楽。
項羽@まとぶさんの、泣きっぷりがすごかった。
自害した虞美人@彩音ちゃんを抱きかかえ、慟哭する項羽。
ヅカで良くある「**(名前)ーー!!(節を付けて絶叫)」ではない。名を絶叫しないんだ。
音楽も止まり、ただ項羽の哀しみだけにすべてが集中する。
台詞があるわけじゃない。
歌ったり、叫んだりするわけじゃない。
悲しむ。
泣く。
この行為だけに、舞台が止まる。
長かった。千秋楽の、この場面。
放送事故?ってくらい、無音時間が続いた。
長いよ、これがラジオなら無音時間続き過ぎでエラー出てるよ、ここだけ見たら「台詞忘れて止まってる?」てくらい妙に長いよ。
と、行き過ぎっぷりを冷静に突っ込んでいる自分がいる。
しかし、それと同時に。
この長すぎるほどの時間、哀しみに我を忘れている項羽に……いや、まとぶんの熱演に、胸を突かれる。
声もない哀しみが広がり、ときおり嗚咽が混ざる。
マジ泣きじゃん、アレ。演技じゃない。そーゆー次元じゃない。
項羽として、ほんとうに泣いている。魂をふるわせて、慟哭している。
『虞美人』の主要キャラはアテ書きで、役者とのシンクロ率が高い。虞姫@彩音ちゃんもえらいことになっているが、項羽@まとぶんももー大変。
ただもお、そこにあるのは、「愛しさ」だ。
項羽が好き。この不器用な男が好き。そう思って見ているけれど、それ以上だ。
項羽を好きなのか、まとぶんを好きなのかわからない。もちろんまとぶんが演じているからこそ好きなんだけど、それにしたって好き過ぎる。
愛しくて愛しくて、声なく慟哭する項羽を抱きしめたくなる。
彼のかなしみが辛すぎて、痛すぎて涙になる。可哀想とか悲しいとかじゃないよ、辛いんだよ痛いんだよ。
ダメだろコレは。舞台の上で、パブリックな場で、ここまで個人の「かなしみ」を出して良いのか、それってはてしなくパーソナルな部分じゃん!!
と、わけのわかんないうろたえ方をするくらい、生の感情に圧倒されて泣いた(笑)。
人間の「真の心」って、伝わるもんだから。心からの言葉と、上っ面だけの言葉は、届き方がチガウ。
役者ならば技術で、演技で伝えるもんなのかもしれないが、ここは舞台で生でタカラヅカで、まとぶんはとにかく本人のアツいハートでがっつんがっつんトバしてくる。
彼の芝居を好きになれるか感情移入できるかは、彼のそーゆー芸風を愛せるかどうかなのかなとも思う。
項羽役は、そのまとぶんの役者としての持ち味、基本スキルを全開に出来る役だ。
だから項羽なのかまとぶなのか、わけわかんなくなるくらい、入り込んで熱演している。
ほんとのところ、まとぶんの芸風はわたしの好みではないんだろうけど、そんなこと言ってる場合じゃない、彼の真剣さ誠実さの前に、スカシた態度でなんかいられない。
力尽くで、振り向かされた、感じ。
冷静に突っ込んでいる自分がいてなお、彼の熱にさらわれる。彼を、好きだと思う。好きでたまらないと思う。
静まりかえった劇場内。
そして、すごく長い時間のあと、ようやく聞こえる、項羽の嗚咽。
あのなにかが憑依したような時間、空気。
劇場ってすげえ、演劇ってすげえ。
人間のナマの感情に、魂に触れられる。
それが、わたしが芝居を好きな理由のひとつなのかなと思う。……テレビでも、DVDでも見られるものを、時間とお金を工面して、劇場に行かざるを得ないのは。
まとぶさんの芝居っぷりが正しいのかどうかは、わからない。本人がダダ泣きして、それゆえに観客を泣かせるってのが、どうなのか。
ただ、項羽として慟哭するまとぶさんは、わたしの魂の横面ぶん殴った、くらいにわたしを自分の方へ向かせた。
彼を愛しいと思う。
地団駄踏みたい勢いで、今、まとぶんが好きだ。
あの日、あの熱と、喝采と。
2010年5月4日 タカラヅカ 花組『虞美人』に囚われているうちに日々は過ぎ。書くべきことがたまっていくよどうしよう。『虞美人』まだ語り足りてないんだけど(ヲイ)、月組新公の日付までにせめてさわりだけでも触れなくては。
『スカーレット・ピンパーネル』は、とても思い出深い作品だ。
いや、作品以前に、思い出深い「公演」だ。
鳴り物入りの海外ミュージカルだが、知名度はイマイチ。
最初は英語表記だったタイトルがいつの間にかカタカナ表記になっていたり、劇団も「売り方」を試行錯誤していた印象。
大昔、『エリザベート』初演はどうだったんだろう? 当時は今ほどネットが発達していなかったし、未知の海外ミュージカルに対してヅカファンがどう反応していたのか、よくわからない。
とりあえず初演『スカピン』は、「鳴り物入りの海外ミュージカル」だと宣伝されているわりに、一般客の反応は鈍かった。チケット発売後にアフタートークが発表されるほどに。
だけど、なにしろ「鳴り物入りの海外ミュージカル」だ。一般客はともかく、一部の人々には熱い注目を受けていた、のだろう。
初演初日の、あの劇場内の空気。
ナニあの緊迫感。
初日好きで、各組大劇場公演初日を観に行っているけれど、ちょっとナイような、異様な緊迫感があった。
いちばん近いのは、あさこシシィ@『エリザベート』初日かなあ。あの緊張感はすごかった(笑)。みんな手に汗握ってるんだもん。
でも作品のわかっている『エリザベート』を、男役のあさこちゃんがどう演じるのかで固唾をのんでいたあの空気とも、やっぱり違っていたと思う。
『スカピン』初演初日は、やっぱり異様だった。
そして、幕が上がり、「マダム・ギロチン」の歌声が響いた瞬間の、空気。
チガウ。
なんか、チガウ。いつもの、じゃない。なにをもって「いつもの」とするか、それは言葉にはできないんだが。
感覚でしかないんだが、肌があわだつ気がした。ぞわぞわと。
あたし今、すごいモノを観ている?!
という、実感と驚き。目の前の現実と、その現実を目の当たりにしている感動と、不信感(笑)。素直に感動できなくなってるらしいよ、このスレたおばさんは(笑)。
『スカピン』がどんだけ名作なのかはわからない。冷静に考えればツッコミどころは満載だし、繰り返し観ると粗も気になるし。
だけど初見ではそんなもんに足を取られることはなかった。それよりも、すごい! ということが感覚を締める。
理性とか知性とかの理屈部分ではなく、感情とか本能とかの感覚部分が歓声を上げているの。
で、1幕が終わり、幕間ですでにわたし、「ずるい」って嘆いていたし。
わたし、つい数日前までこの同じ劇場で『愛と死のアラビア』観てたんですが? 同じカンパニーで同じ劇場で同じ価格で、なんなのこの差! 『愛と死のアラビア』なんぞを10何回観たあたしってナニ?! あたしが可哀想! そう嘆いて、同行のトウコファンに生暖かい目で笑われたっけ(笑)。
舞台の熱さ。
演じている側だって、まだ手探り。観客の反応、どう受け入れられるかなんてわかっちゃいない。海外で名作だからって、タカラヅカで名作かはまた別の話。そんなの今までのいろーんな作品でわかっている。
それでも、舞台と客席で、じわじわと浸食しあっている。双方向に関与しあっている。
今、すごいことが起こっている。
それを、肌で感じる感動。
幕が下りたときの熱狂。
ひとの感じ方も価値観も人の数だけある。同じなんてことはありえない。だが、そんななかで比較的多数に共通する価値観はあるだろう。『スカーレット・ピンパーネル』はそこに響く力を持っていた。
多くの人の共通のナニか。
そこを突かれ、同じ空気を共有した人たちの、爆発的な興奮。
「おもしろかった!」
素直な声があちこちで上がり、興奮が興奮を呼ぶ。
誰もがくわくできる冒険活劇。勧善懲悪、単純明快。
初日だし、出演者のファン、組のファン、宝塚歌劇のファンが多く足を運んでいたと思う。
その人たちが、胸を張って喜べる、誇りを持って好きだと言える、そんな作品である、という感動。
わたしは小市民で、好きなモノに対し懐疑的というか悲観的というか、いじりながらオトシながら愛でる癖がある。手放しで「素晴らしい!」と言うより、「ごめんなさい、わたしは好きです」という方が性に合っているというか。
そんなわたしでも、胸を張って言える、「『スカーレット・ピンパーネル』は面白い」。
タカラヅカを観たことがない、でもちょっと興味あるな、なんて人に「今やってる『スカーレット・ピンパーネル』はオススメですよ」と堂々と言える。
そんな作品に出会えたこと、それが今生まれ、そのことの感動に劇場中で酔えるという幸福。
ほんっとに、初演『スカピン』は特別だったんだ。初日のあの空気。
劇場中の空気が動く、温度が変わる快感って、ハンパないね。
退団公演とか、キャストの去就絡みで空気が動くことはめずらしくないっちゅーか、ソレがタカラヅカの売りのひとつだと思っているけど、そーゆーのとは無関係に、「この作品すげえ!」で空気がどーんと爆発するのは、わたしのヅカヲタ人生でも稀有なことだ。
そんだけすごい作品だっつーに、客足にはあまり反応しないようで。
純粋に、不思議だった。
この作品で、このクオリティで客が入らないのは何故だ。どんだけ良い作品でも、一般の支持を得られないということか?
「タカラヅカ」って、ほんとうに斜陽なんだ、やばいんだ、と思った。
ところが『スカーレット・ピンパーネル』は東宝公演でまさかの大ブレイク。一気に人気公演・人気演目となった、らしい。えええ。
それってつまり、「知名度」なのかな。
『スカピン』はやっぱ、一般人にとって無名作品だった。面白いかどうかなんてわからない。
不景気は深刻で、もう誰も博打はしない。「面白い」とわかったモノにしか、お金は使わない。
ムラの1ヶ月半は宣伝期間、それらが浸透して東宝公演にて「良いモノは良い」と正しい評価を受けたってことなのか。
初演初日の、忘れられない経験。
今後、あんな経験を出来るのはいつなのか、見当もつかない(笑)。未知の新作で、その後ブレイクするだけの良作を、実力のあるキャストで上演する、その初日に劇場にいる可能性って、どんだけ低いんだ。
まあそんなこんなで、初演『スカーレット・ピンパーネル』という公演には、思い入れがありすぎる。
トウコと星組が好きで、地味にリピートしていた。その印象が強烈すぎて、まずはそれゆえの混乱が生じる、再演月組『スカーレット・ピンパーネル』を愉しむにあたって。
……てなことを時系列に書いていきたかったのに、書いている余力がなかった。
月組初日は思い出がオーバーラップしまくりで大変だったが、次に観たときはそれもなく愉しめて、さらに新公となるともお……(笑)。
やっぱ好きだ、『スカーレット・ピンパーネル』。
『スカーレット・ピンパーネル』は、とても思い出深い作品だ。
いや、作品以前に、思い出深い「公演」だ。
鳴り物入りの海外ミュージカルだが、知名度はイマイチ。
最初は英語表記だったタイトルがいつの間にかカタカナ表記になっていたり、劇団も「売り方」を試行錯誤していた印象。
大昔、『エリザベート』初演はどうだったんだろう? 当時は今ほどネットが発達していなかったし、未知の海外ミュージカルに対してヅカファンがどう反応していたのか、よくわからない。
とりあえず初演『スカピン』は、「鳴り物入りの海外ミュージカル」だと宣伝されているわりに、一般客の反応は鈍かった。チケット発売後にアフタートークが発表されるほどに。
だけど、なにしろ「鳴り物入りの海外ミュージカル」だ。一般客はともかく、一部の人々には熱い注目を受けていた、のだろう。
初演初日の、あの劇場内の空気。
ナニあの緊迫感。
初日好きで、各組大劇場公演初日を観に行っているけれど、ちょっとナイような、異様な緊迫感があった。
いちばん近いのは、あさこシシィ@『エリザベート』初日かなあ。あの緊張感はすごかった(笑)。みんな手に汗握ってるんだもん。
でも作品のわかっている『エリザベート』を、男役のあさこちゃんがどう演じるのかで固唾をのんでいたあの空気とも、やっぱり違っていたと思う。
『スカピン』初演初日は、やっぱり異様だった。
そして、幕が上がり、「マダム・ギロチン」の歌声が響いた瞬間の、空気。
チガウ。
なんか、チガウ。いつもの、じゃない。なにをもって「いつもの」とするか、それは言葉にはできないんだが。
感覚でしかないんだが、肌があわだつ気がした。ぞわぞわと。
あたし今、すごいモノを観ている?!
という、実感と驚き。目の前の現実と、その現実を目の当たりにしている感動と、不信感(笑)。素直に感動できなくなってるらしいよ、このスレたおばさんは(笑)。
『スカピン』がどんだけ名作なのかはわからない。冷静に考えればツッコミどころは満載だし、繰り返し観ると粗も気になるし。
だけど初見ではそんなもんに足を取られることはなかった。それよりも、すごい! ということが感覚を締める。
理性とか知性とかの理屈部分ではなく、感情とか本能とかの感覚部分が歓声を上げているの。
で、1幕が終わり、幕間ですでにわたし、「ずるい」って嘆いていたし。
わたし、つい数日前までこの同じ劇場で『愛と死のアラビア』観てたんですが? 同じカンパニーで同じ劇場で同じ価格で、なんなのこの差! 『愛と死のアラビア』なんぞを10何回観たあたしってナニ?! あたしが可哀想! そう嘆いて、同行のトウコファンに生暖かい目で笑われたっけ(笑)。
舞台の熱さ。
演じている側だって、まだ手探り。観客の反応、どう受け入れられるかなんてわかっちゃいない。海外で名作だからって、タカラヅカで名作かはまた別の話。そんなの今までのいろーんな作品でわかっている。
それでも、舞台と客席で、じわじわと浸食しあっている。双方向に関与しあっている。
今、すごいことが起こっている。
それを、肌で感じる感動。
幕が下りたときの熱狂。
ひとの感じ方も価値観も人の数だけある。同じなんてことはありえない。だが、そんななかで比較的多数に共通する価値観はあるだろう。『スカーレット・ピンパーネル』はそこに響く力を持っていた。
多くの人の共通のナニか。
そこを突かれ、同じ空気を共有した人たちの、爆発的な興奮。
「おもしろかった!」
素直な声があちこちで上がり、興奮が興奮を呼ぶ。
誰もがくわくできる冒険活劇。勧善懲悪、単純明快。
初日だし、出演者のファン、組のファン、宝塚歌劇のファンが多く足を運んでいたと思う。
その人たちが、胸を張って喜べる、誇りを持って好きだと言える、そんな作品である、という感動。
わたしは小市民で、好きなモノに対し懐疑的というか悲観的というか、いじりながらオトシながら愛でる癖がある。手放しで「素晴らしい!」と言うより、「ごめんなさい、わたしは好きです」という方が性に合っているというか。
そんなわたしでも、胸を張って言える、「『スカーレット・ピンパーネル』は面白い」。
タカラヅカを観たことがない、でもちょっと興味あるな、なんて人に「今やってる『スカーレット・ピンパーネル』はオススメですよ」と堂々と言える。
そんな作品に出会えたこと、それが今生まれ、そのことの感動に劇場中で酔えるという幸福。
ほんっとに、初演『スカピン』は特別だったんだ。初日のあの空気。
劇場中の空気が動く、温度が変わる快感って、ハンパないね。
退団公演とか、キャストの去就絡みで空気が動くことはめずらしくないっちゅーか、ソレがタカラヅカの売りのひとつだと思っているけど、そーゆーのとは無関係に、「この作品すげえ!」で空気がどーんと爆発するのは、わたしのヅカヲタ人生でも稀有なことだ。
そんだけすごい作品だっつーに、客足にはあまり反応しないようで。
純粋に、不思議だった。
この作品で、このクオリティで客が入らないのは何故だ。どんだけ良い作品でも、一般の支持を得られないということか?
「タカラヅカ」って、ほんとうに斜陽なんだ、やばいんだ、と思った。
ところが『スカーレット・ピンパーネル』は東宝公演でまさかの大ブレイク。一気に人気公演・人気演目となった、らしい。えええ。
それってつまり、「知名度」なのかな。
『スカピン』はやっぱ、一般人にとって無名作品だった。面白いかどうかなんてわからない。
不景気は深刻で、もう誰も博打はしない。「面白い」とわかったモノにしか、お金は使わない。
ムラの1ヶ月半は宣伝期間、それらが浸透して東宝公演にて「良いモノは良い」と正しい評価を受けたってことなのか。
初演初日の、忘れられない経験。
今後、あんな経験を出来るのはいつなのか、見当もつかない(笑)。未知の新作で、その後ブレイクするだけの良作を、実力のあるキャストで上演する、その初日に劇場にいる可能性って、どんだけ低いんだ。
まあそんなこんなで、初演『スカーレット・ピンパーネル』という公演には、思い入れがありすぎる。
トウコと星組が好きで、地味にリピートしていた。その印象が強烈すぎて、まずはそれゆえの混乱が生じる、再演月組『スカーレット・ピンパーネル』を愉しむにあたって。
……てなことを時系列に書いていきたかったのに、書いている余力がなかった。
月組初日は思い出がオーバーラップしまくりで大変だったが、次に観たときはそれもなく愉しめて、さらに新公となるともお……(笑)。
やっぱ好きだ、『スカーレット・ピンパーネル』。
5月5日、月組新人公演『スカピン』、わくわくと観に行きました。
それはまたいずれ、日を改めて書くとして、まずは本公演の話。やっぱ時系列順に書かないとダメだ(笑)。
『スカーレット・ピンパーネル』は、大好きだ。
ツッコミどころはいろいろあるし、ほんとーの意味でわたしの好みど真ん中な作品ではないんだけど、やっぱり力のある作品は好きだ。
わたしのアタマの中はまだまだ『虞美人』で、しかも彩音ちゃんMSでも占められている。
そんな状態で月組での再演初日、きりやん・まりもちゃんトップコンビお披露目おめでとー!ってことで、とにかく駆けつけた。
以前『虞美人』はわたしのバイオリズムと合っていない、と書いたが、反対に『スカーレット・ピンパーネル』は合っているんだと思う。
ここで歌が来て欲しい!ってときに歌でどーんと盛り上がり、ここで派手な群衆シーンが欲しい!ってときに群舞とコーラスキターーっ!てな具合に。なんてかゆいところに手の届く、気持ちいい作り。
イケコの『太王四神記』も『カサブランカ』もそうだから、彼はとてもバイオリズムの整った演出をする人だなと。(ちなみに、あとは小柳タンとサイトーくんも、わたしのバイオリズムと合っている。まだ1作しか知らないけど、生田クンもその可能性アリで期待)
小池せんせはほんと、演出うまいんだよなあ。こんなにわくわく盛り上げられるんだから。
そして、音楽の力。ワイルドホーンすげえ、と心から思う。なまじ『虞美人』の音楽がわたしにとってかなりアレだったので、「ドラマティックとは、エンターテインメントとは、こういうこと」と見せつける音楽の力に脱帽。
冒頭の「マダム・ギロチン」から「ひとかけらの勇気」に移る、そのメロディの流れでもお震撼したもんなあ、初演初日から。
月組初日、キャパ・オーバーでアタマから煙を出しつつも、わたしは『スカーレット・ピンパーネル』という「作品」にわくわくした。楽しかった。
さて、前にちょろりと書いたが、わたしがキャパ・オーバーになっていたのは、花組からアタマが切り替わっていなかったこともある。
だが、それだけではなくもうひとつ、初演の印象が強すぎて混乱した、ということも、事実。
どっちがいいとか悪いとかではなく、なんつってもまず郷愁で切なくなるのはもお、年寄りだから仕方ない。
あのころは良かった、じゃないけどさ、もう今はいない人々の思い出が脳裏に再生され続け、なつかしくて寂しくて切なくて。それだけもお、十分泣けるという(笑)。
あああ、大好きだトウコ、あすか、しいちゃん、あかし、コトコト、しゅんくん、ゆーほ……過去にとらわれ、息が詰まる。
初日に見たときはほんと、自分の中で折り合いを付けるに至らなくて、公演を愉しんだけれど、それ以上ではないってゆーか、なんか月組公演を「観た」うちに入らない気がした。
記憶や感情の再確認をしているってゆーか、星組『スカピン』のDVDでも見ている感じってゆーか。
『スカピン』に限らないが、なまじリピートしたりハマっていたりした公演を映像で見ると、とても違和感が強い。自分が実際にナマで観たモノと隔たりがありすぎるためだ。アングルもカットもチガウ、別編集作品のよーに感じる場合が往々にしてある。
だから演じている人がチガウことをアタマでわかっていても、感覚としては星組『スカピン』のDVDを見るとしたら、こんなふうに感じるかもな、と。
そんなどうしようもない部分に生じる、本能的、生理的な感覚。衝動。
『スカーレット・ピンパーネル』という作品を、思い出す。
そして、当時の自分の感情を、思い出す。
それをたどる。再確認する。納得する。
そーゆー段階を踏む、踏む必要がある、整理期間。
それは、新生月組にわくわくしているのとは、別問題。
そんななかで、なにがすごいって、パーシー@きりやさん。
キャラを確立していて、ブレない、初演の記憶に引きずられない。
当時を思い出して切なくなるけど、パーシーに関しては、トウコを二重写しに見ることはない。同じ役なのに、同じことをやってるのに、別物。確実にきりやさんのパーシー。それが小気味よくて、混乱しない。
なんかすごくほっとしたというか、正直助かった。トウコちゃんをいちいち思い出してたら、切なくてたまらなかったよ。ここまで別物で、安定してくれていると、トウコを思い出すこともない。
今、目の前にあるキミだけを愛せる(笑)。
パーシーは、賢しさが魅力であり、ムカつくところでもある。
きりやんのパーシーは生真面目さがイイ。女の子と愛のレッスンに明け暮れるフランス貴族ではなく、同じ遊び人でもアウトドアで健全(笑)なイギリス貴族。
社交家でありながらも、恋には少年のよう、てのがよくわかる。
また、グラパンが遊びすぎてないのもイイ。初日に見たとき、グラパンが「お笑いキャラ」ではなく「異様な男」だったことに、とてもよろこんだ。お笑いも好きだし、かわいかったけどな。
きりやんがヒーローやってる……。
それだけでなんか、感慨深くてなあ。
誰とも間違わない、オーバーラップしてとまどうことがない、きりやんはきりやん。その、存在の強さ。
それがうれしい。
きりやんが今、トップスターとして大劇場に立っている。
そのことを、シンプルにうれしいと思った。よかったと思った。
意味もなく、「お帰り」と思ったよ。
蛇行した長い道のりを経て、本来の道へ戻ってきた……おかえりなさい、きりやん。
おめでとう。
それはまたいずれ、日を改めて書くとして、まずは本公演の話。やっぱ時系列順に書かないとダメだ(笑)。
『スカーレット・ピンパーネル』は、大好きだ。
ツッコミどころはいろいろあるし、ほんとーの意味でわたしの好みど真ん中な作品ではないんだけど、やっぱり力のある作品は好きだ。
わたしのアタマの中はまだまだ『虞美人』で、しかも彩音ちゃんMSでも占められている。
そんな状態で月組での再演初日、きりやん・まりもちゃんトップコンビお披露目おめでとー!ってことで、とにかく駆けつけた。
以前『虞美人』はわたしのバイオリズムと合っていない、と書いたが、反対に『スカーレット・ピンパーネル』は合っているんだと思う。
ここで歌が来て欲しい!ってときに歌でどーんと盛り上がり、ここで派手な群衆シーンが欲しい!ってときに群舞とコーラスキターーっ!てな具合に。なんてかゆいところに手の届く、気持ちいい作り。
イケコの『太王四神記』も『カサブランカ』もそうだから、彼はとてもバイオリズムの整った演出をする人だなと。(ちなみに、あとは小柳タンとサイトーくんも、わたしのバイオリズムと合っている。まだ1作しか知らないけど、生田クンもその可能性アリで期待)
小池せんせはほんと、演出うまいんだよなあ。こんなにわくわく盛り上げられるんだから。
そして、音楽の力。ワイルドホーンすげえ、と心から思う。なまじ『虞美人』の音楽がわたしにとってかなりアレだったので、「ドラマティックとは、エンターテインメントとは、こういうこと」と見せつける音楽の力に脱帽。
冒頭の「マダム・ギロチン」から「ひとかけらの勇気」に移る、そのメロディの流れでもお震撼したもんなあ、初演初日から。
月組初日、キャパ・オーバーでアタマから煙を出しつつも、わたしは『スカーレット・ピンパーネル』という「作品」にわくわくした。楽しかった。
さて、前にちょろりと書いたが、わたしがキャパ・オーバーになっていたのは、花組からアタマが切り替わっていなかったこともある。
だが、それだけではなくもうひとつ、初演の印象が強すぎて混乱した、ということも、事実。
どっちがいいとか悪いとかではなく、なんつってもまず郷愁で切なくなるのはもお、年寄りだから仕方ない。
あのころは良かった、じゃないけどさ、もう今はいない人々の思い出が脳裏に再生され続け、なつかしくて寂しくて切なくて。それだけもお、十分泣けるという(笑)。
あああ、大好きだトウコ、あすか、しいちゃん、あかし、コトコト、しゅんくん、ゆーほ……過去にとらわれ、息が詰まる。
初日に見たときはほんと、自分の中で折り合いを付けるに至らなくて、公演を愉しんだけれど、それ以上ではないってゆーか、なんか月組公演を「観た」うちに入らない気がした。
記憶や感情の再確認をしているってゆーか、星組『スカピン』のDVDでも見ている感じってゆーか。
『スカピン』に限らないが、なまじリピートしたりハマっていたりした公演を映像で見ると、とても違和感が強い。自分が実際にナマで観たモノと隔たりがありすぎるためだ。アングルもカットもチガウ、別編集作品のよーに感じる場合が往々にしてある。
だから演じている人がチガウことをアタマでわかっていても、感覚としては星組『スカピン』のDVDを見るとしたら、こんなふうに感じるかもな、と。
そんなどうしようもない部分に生じる、本能的、生理的な感覚。衝動。
『スカーレット・ピンパーネル』という作品を、思い出す。
そして、当時の自分の感情を、思い出す。
それをたどる。再確認する。納得する。
そーゆー段階を踏む、踏む必要がある、整理期間。
それは、新生月組にわくわくしているのとは、別問題。
そんななかで、なにがすごいって、パーシー@きりやさん。
キャラを確立していて、ブレない、初演の記憶に引きずられない。
当時を思い出して切なくなるけど、パーシーに関しては、トウコを二重写しに見ることはない。同じ役なのに、同じことをやってるのに、別物。確実にきりやさんのパーシー。それが小気味よくて、混乱しない。
なんかすごくほっとしたというか、正直助かった。トウコちゃんをいちいち思い出してたら、切なくてたまらなかったよ。ここまで別物で、安定してくれていると、トウコを思い出すこともない。
今、目の前にあるキミだけを愛せる(笑)。
パーシーは、賢しさが魅力であり、ムカつくところでもある。
きりやんのパーシーは生真面目さがイイ。女の子と愛のレッスンに明け暮れるフランス貴族ではなく、同じ遊び人でもアウトドアで健全(笑)なイギリス貴族。
社交家でありながらも、恋には少年のよう、てのがよくわかる。
また、グラパンが遊びすぎてないのもイイ。初日に見たとき、グラパンが「お笑いキャラ」ではなく「異様な男」だったことに、とてもよろこんだ。お笑いも好きだし、かわいかったけどな。
きりやんがヒーローやってる……。
それだけでなんか、感慨深くてなあ。
誰とも間違わない、オーバーラップしてとまどうことがない、きりやんはきりやん。その、存在の強さ。
それがうれしい。
きりやんが今、トップスターとして大劇場に立っている。
そのことを、シンプルにうれしいと思った。よかったと思った。
意味もなく、「お帰り」と思ったよ。
蛇行した長い道のりを経て、本来の道へ戻ってきた……おかえりなさい、きりやん。
おめでとう。
若い人はきっと、もっと柔軟なんだと思う。
新しい物事をすんなり受け入れ、アレンジがきく。
しかし年寄りはなあ、ナニをするにも時間とか手間とかがかかってなあ。
若者が1回でマスターすることを、年寄りは何度も何度も説明を聞いて実際にもたもたやってみて、よーやく出来るようになるのだよ。
つーことで、若くないわたしは、初見はリハビリ状態だった。月組での『スカーレット・ピンパーネル』再演。
わたしはひとつのタイトルにこだわることは、自分ではナイと思っているので、再演もメディアミックスもぜんぜんOK、全部別物としてがっつりいただく、「愉しんだ持ち勝ち」で「オレは勝つぜ!」な姿勢でフィクションと向き合っていると思う。
好みはあるので「**がいちばんよ!」と思うことはあっても、その**以外を否定する気はない。
たくさん愉しめた方が、人生得だもん。
だから『スカピン』再演も愉しむ気満々だった。
が、悲しいかな年寄りは心の柔軟性がなく、初演への思い入れゆえに郷愁に駆られ、せつなくて仕方なかった。
どっちの『スカピン』がいいとか悪いとかではなくて、「なつかしいなあ、昔は良かったなあ、わたしも若くて青春で……よぼよぼ」という感じで。
たかが2年、されど2年。
ここ1年の記憶を、「そうそう、あのときはまだ、ゆみこの退団発表前だったよなあ。無邪気に生きていられたころだよなあ」とかで区切って遠い目をしてしまうように、後ろを振り返るときりがないんだ、このまだるっこしい性格は。
そんなヤツなので。
月組の『スカピン』に、作品ともキャストとも関係ないところで心をひりひりさせておりました。
きりやんはさすがのきりやんで、初演のトウコを思い出してどうこうとは、まーったく思わなかったのだけど。
彼以外の主要キャラには、初演の印象がつきまとい、初見では混乱した。
マルグリット@まりもちゃん、彼女がどう演技しているとかいう以前に、同じ台詞同じ歌に、あすかを思い出してしまい、そこから一歩も前に進めなかった。や、ただもお、わたしが。
ショーヴラン@まさおを見ても「あたし、れおん好きだったんだ」とそっちに気がいく。こんなにこんなにれおんのショーヴランがなつかしい、彼の歌声、彼の暑苦しさ、彼のまぬけさ、彼の格好良さ、そんなことばかりが脳裏に浮かんでしまう。まさおがいいとか悪いとかじゃなく、「れおんじゃない」と思う。それが切ないという。
で、実はいちばんキツかったのが、デュハースト@もりえくん。
幕が上がるなり、最初に登場するじゃないですか、彼。最初だから余計ってのもあるかもしれないが、胸が痛かった。なんだろう、彼に、しいちゃんと共通するナニかを感じてしまう。
似ているというよりは、彷彿とさせる。記憶をくすぐる。うわー、なんか正視できない。
フォークス@マギーとか、ロベスピエール@リュウ様とかは別物だからそのまんま受け止められるんだが。
どっちもいい男だー。
あ、もうひとり別物過ぎて平気……というか、ある意味ツボったのが、アルマン@みりおくん。アルマンって、おバカキャラぢゃなかったのか?!(笑)
ごめん、初演では顔だけいいおバカキャラだと思ってた……ヘタレでクチが軽くて、空気読めなくて。こいつのせいでスカピン団が危機に陥る、冒険活劇シリーズお約束のトラブルメーカー。
それが、みりおくんだとふつーに賢そうだった。
スカピン団も気にならない。薄いな、と思ったけれど、これは初演だってキャラが立ってきたのは回数重ねてからだし、キャラクタはどうやら固定ではなさそうで、ファーレイ@ゆりやくんが星組ではベン@ペニーの役割だったりして、役者によってキャラ変更がありらしいし。
いやあもお、年寄りってどーしよーもないっすね。
切り替えが悪いっちゅーか、順応性に欠けるっちゅーか。
でも結局のところ、『スカピン』は、楽しい。
観ているうちに切なさや混乱とはべつに、ただ楽しくなる。
やっぱ「作品の力」ってすげえ。なんてわくわくする物語なんだろう?
なにかと取り沙汰されているショーヴラン@まさおの歌は、及第点だと思った。フィナーレの銀橋ソロで力尽きたよーに声がヘタっていたが、それ以外は十分よく歌っているなと。……まさかその後声をつぶしてしまうとは思ってなかったし。
いちいち「れおんぢゃない」と思い知りながらも、それでも「やっぱショーヴランってかわいいなあ」と思う。なにがどうあろうと、とにかくかわいいわー。愛しいわー。
プリンス@そのかのかわいらしさに震え、しかしまさかあの胴布団姿だけで群舞のアルバイトもナシだとはあんまりじゃないかい?とうたろえ、マリー@トウカさんの強さというかいぶし銀というか姉御というか大人というかアルマンとの年の差というかそのへんどうなってるのとか、恋人ちゃんたちの並びのすごさにびっくりしてマリーといい月組っていぶし銀というか姉御というか大人というか男子との年の差というかそのへんどうなってるのとか、ルイ・シャルル@愛希れいかくんかわいー顔ちっちゃいカツラ大きいとか、メルシエとクーポーがふつーに美形だわとか、ドゥ・トゥルネー伯爵が好みすぎるわ包帯萌え~とか、フィナーレで『エリザベート』に続き番手不透明演出を見せられ落ち着きの悪さにとまどったりとか、まあいろいろ感じつつ。
『スカピン』楽しい、初見はリハビリだとしても、次はもっとちゃんと愉しむわよお、複数回は観るつもりだし! わくわく。
小池すげえ、ワイルドホーンすげえ、と「ひとかけらの勇気」をアタマの中でぐるぐる回しながら歌いながらご機嫌で劇場を出て。
出たところ、キャトル・レーヴの前にあるスカステ放送をエンドレスで流しているテレビで、『ソルフェリーノの夜明け』関連映像が流れていて。
やばっ、と思ったときには、遅かった。
アタマの中を、「♪ソルフェリィぃぃノ~~、ソルフェリィぃぃノ~~」がエンドレスで回るっ!!
ちょ……っ。
恐るべし、植爺。
天下のワイルドホーンが、植爺に負けたっ。
てゆーか、なにこの敗北感。植爺め(笑)。
新しい物事をすんなり受け入れ、アレンジがきく。
しかし年寄りはなあ、ナニをするにも時間とか手間とかがかかってなあ。
若者が1回でマスターすることを、年寄りは何度も何度も説明を聞いて実際にもたもたやってみて、よーやく出来るようになるのだよ。
つーことで、若くないわたしは、初見はリハビリ状態だった。月組での『スカーレット・ピンパーネル』再演。
わたしはひとつのタイトルにこだわることは、自分ではナイと思っているので、再演もメディアミックスもぜんぜんOK、全部別物としてがっつりいただく、「愉しんだ持ち勝ち」で「オレは勝つぜ!」な姿勢でフィクションと向き合っていると思う。
好みはあるので「**がいちばんよ!」と思うことはあっても、その**以外を否定する気はない。
たくさん愉しめた方が、人生得だもん。
だから『スカピン』再演も愉しむ気満々だった。
が、悲しいかな年寄りは心の柔軟性がなく、初演への思い入れゆえに郷愁に駆られ、せつなくて仕方なかった。
どっちの『スカピン』がいいとか悪いとかではなくて、「なつかしいなあ、昔は良かったなあ、わたしも若くて青春で……よぼよぼ」という感じで。
たかが2年、されど2年。
ここ1年の記憶を、「そうそう、あのときはまだ、ゆみこの退団発表前だったよなあ。無邪気に生きていられたころだよなあ」とかで区切って遠い目をしてしまうように、後ろを振り返るときりがないんだ、このまだるっこしい性格は。
そんなヤツなので。
月組の『スカピン』に、作品ともキャストとも関係ないところで心をひりひりさせておりました。
きりやんはさすがのきりやんで、初演のトウコを思い出してどうこうとは、まーったく思わなかったのだけど。
彼以外の主要キャラには、初演の印象がつきまとい、初見では混乱した。
マルグリット@まりもちゃん、彼女がどう演技しているとかいう以前に、同じ台詞同じ歌に、あすかを思い出してしまい、そこから一歩も前に進めなかった。や、ただもお、わたしが。
ショーヴラン@まさおを見ても「あたし、れおん好きだったんだ」とそっちに気がいく。こんなにこんなにれおんのショーヴランがなつかしい、彼の歌声、彼の暑苦しさ、彼のまぬけさ、彼の格好良さ、そんなことばかりが脳裏に浮かんでしまう。まさおがいいとか悪いとかじゃなく、「れおんじゃない」と思う。それが切ないという。
で、実はいちばんキツかったのが、デュハースト@もりえくん。
幕が上がるなり、最初に登場するじゃないですか、彼。最初だから余計ってのもあるかもしれないが、胸が痛かった。なんだろう、彼に、しいちゃんと共通するナニかを感じてしまう。
似ているというよりは、彷彿とさせる。記憶をくすぐる。うわー、なんか正視できない。
フォークス@マギーとか、ロベスピエール@リュウ様とかは別物だからそのまんま受け止められるんだが。
どっちもいい男だー。
あ、もうひとり別物過ぎて平気……というか、ある意味ツボったのが、アルマン@みりおくん。アルマンって、おバカキャラぢゃなかったのか?!(笑)
ごめん、初演では顔だけいいおバカキャラだと思ってた……ヘタレでクチが軽くて、空気読めなくて。こいつのせいでスカピン団が危機に陥る、冒険活劇シリーズお約束のトラブルメーカー。
それが、みりおくんだとふつーに賢そうだった。
スカピン団も気にならない。薄いな、と思ったけれど、これは初演だってキャラが立ってきたのは回数重ねてからだし、キャラクタはどうやら固定ではなさそうで、ファーレイ@ゆりやくんが星組ではベン@ペニーの役割だったりして、役者によってキャラ変更がありらしいし。
いやあもお、年寄りってどーしよーもないっすね。
切り替えが悪いっちゅーか、順応性に欠けるっちゅーか。
でも結局のところ、『スカピン』は、楽しい。
観ているうちに切なさや混乱とはべつに、ただ楽しくなる。
やっぱ「作品の力」ってすげえ。なんてわくわくする物語なんだろう?
なにかと取り沙汰されているショーヴラン@まさおの歌は、及第点だと思った。フィナーレの銀橋ソロで力尽きたよーに声がヘタっていたが、それ以外は十分よく歌っているなと。……まさかその後声をつぶしてしまうとは思ってなかったし。
いちいち「れおんぢゃない」と思い知りながらも、それでも「やっぱショーヴランってかわいいなあ」と思う。なにがどうあろうと、とにかくかわいいわー。愛しいわー。
プリンス@そのかのかわいらしさに震え、しかしまさかあの胴布団姿だけで群舞のアルバイトもナシだとはあんまりじゃないかい?とうたろえ、マリー@トウカさんの強さというかいぶし銀というか姉御というか大人というかアルマンとの年の差というかそのへんどうなってるのとか、恋人ちゃんたちの並びのすごさにびっくりしてマリーといい月組っていぶし銀というか姉御というか大人というか男子との年の差というかそのへんどうなってるのとか、ルイ・シャルル@愛希れいかくんかわいー顔ちっちゃいカツラ大きいとか、メルシエとクーポーがふつーに美形だわとか、ドゥ・トゥルネー伯爵が好みすぎるわ包帯萌え~とか、フィナーレで『エリザベート』に続き番手不透明演出を見せられ落ち着きの悪さにとまどったりとか、まあいろいろ感じつつ。
『スカピン』楽しい、初見はリハビリだとしても、次はもっとちゃんと愉しむわよお、複数回は観るつもりだし! わくわく。
小池すげえ、ワイルドホーンすげえ、と「ひとかけらの勇気」をアタマの中でぐるぐる回しながら歌いながらご機嫌で劇場を出て。
出たところ、キャトル・レーヴの前にあるスカステ放送をエンドレスで流しているテレビで、『ソルフェリーノの夜明け』関連映像が流れていて。
やばっ、と思ったときには、遅かった。
アタマの中を、「♪ソルフェリィぃぃノ~~、ソルフェリィぃぃノ~~」がエンドレスで回るっ!!
ちょ……っ。
恐るべし、植爺。
天下のワイルドホーンが、植爺に負けたっ。
てゆーか、なにこの敗北感。植爺め(笑)。
てなわけで、いろんな意味で負け犬だったわたしですが(笑)。
2回目からは完全復活、郷愁から解き放たれました、ぜんぜんOK!
月組『スカーレット・ピンパーネル』楽しい!!
なんつっても、パーシー@きりやんです。
わたし、きりやんパーシーに冷たくされたら絶対傷つく。
なんだろ、この人は「真正面」とか「全部」とか、そんな言葉を思う。
このパーシーに冷たくされたとしたら、それは演技とかとりあえずとかではなく、ほんとうに彼の全部で否定される気がする。
誤魔化しがない。
マルグリット@まりもちゃんに対し、正体を隠して誤魔化して接しているわけなんだけど、わざと嫌味な貴族っぽい喋り方や接し方をしたりしているわけなんだけど。
それでもなお、誤魔化しがない気がする。
彼が心を閉ざしたら、閉じる音が聞こえるくらい容赦なく閉じられてしまうんだと思う。
だから、痛い。
マルグリットの痛みがわかる。
うわ、きつい。そう思う。
あああ。
きりやんのそーゆーとこ、いいよなあ。好きだなあ。
軽薄に傷つけるんじゃなく、本気で傷つけちゃうあたりが。
真面目だからこそ、逃げ場のない、自分も相手も追いつめちゃう感じが。
いいキャラクタだわ~~。
それがわかるから余計に、最初の結婚式の真っ白な笑顔が、幸せそうなふたりの姿が泣ける。
この笑顔に、「良かったね!」と思う。「幸せでうれしい!」と。
今観ている、幸せなふたりに癒されると同時に、でもこのあとふたりは……と切なさに胸が痛くなる。
や、ハッピーエンドだとわかっていてなお、痛いんだもん、すれ違うふたりは。
つかマルゴ可哀想。パーシーひどい、きつい(笑)。
んでもって、実はあまり最後の仕切り直しの結婚式……デイドリーム号で「あなたこそ我が家」を歌うふたりにカタルシスはない。
とゆーのも、最後でどばーっと「良かったね~~!」と爆発するというより、そこまでの過程で段階踏んで「良かったね」になっていくからだ。
誤解が解けていく過程が、リアル。
ナニこの質実剛健な夫婦(笑)。
人間そんな一気に180度方向転換しないって、少しずつの積み重ねで変わっていくんだよ、ってゆーか。
パーシーとマルグリットがひとつずつ心の穴を埋めていき、最後はその確認というか、ふつーに「めでたしめでたし」のエンドマークとして見られる。
堅実さや色合いの似た、お似合いのカップルだと思うよ、きりやんとまりもちゃん。
でもって、ショーヴラン@まさお。
2回目の観劇はGWだった。
まさおくんが声をつぶした、声が出ない、いろいろいろいろ聞いてはいたが、正直、違和感はなかった。
たしかに歌い上げをせず、低い音域でまとめてあったけど、元の曲を知らなければ問題ない。つーか、本来の譜面で歌っていただろう初日だって、耳で覚えているれおんの咆吼(笑)とはずいぶん違っていて、「こんなもん??」と思っていたので、これくらいアレンジされている方が混乱がない。
咆吼しなくても、魅力的な楽曲じゃないですか、ショーヴランの曲って!
まさおくんのねちっこい、線が細くて病的な(笑)ショーヴランは、いろいろとツボでした。……変な人なんだ、ショーって(笑)。
なんというか、萌えがあります。
カップリングOKな萌えであります。
配役を知ったときはロベスピエール@リュウ様との間に腐った萌えが発生するかと期待したんですが……もちろんそっちもアリだと思いますが。
まさかの、パーシー×ショーヴラン(笑)。
だってパーシー様、黒いんだもん!(笑) 深刻な分、自分追いつめてとんでもないところで爆発しそうなんだもん!!
となると矛先はショーでしょー(笑)。
ショーヴランがなにかときーきーうるさくて、パーシー様がSで容赦なくて、素敵空間発動ですわ……ぽわわん。
いやはや、初演では夢にも思わなかったカップリング。いやその、わたし的に。
腐った萌えは置いておいても、ショーヴランが可哀想で可愛くてたまりませんな。
ええ、可哀想なとこがいいのよ彼は。ただの一度も幸福ぢゃない感じが!(握り拳)
漂う薄幸さ、匂い立つ負け犬臭。
傲慢ぶりながらもいつもぎりぎり感を背負って強がっている感じが、実にオイシイですな。
あー、後ろから名前呼んでほっぺを指で突いてウザがられたいなー(笑)。きっと青筋立てて怒るんだぜえ(笑)。
えーとそれで、フォークス@マギーって、ドゥ・トゥルネー伯爵@一色氏の婿になるわけだよね?
あのきらびやかな貴公子が、薄幸感漂う素敵なドゥ・トゥルネー伯爵に最敬礼でシュザンヌ@りっちーとの結婚を許してくれとか挨拶しちゃうんだわ!!
きゃ~~!! なんか、きゃ~~!!(笑)
アルマン@みりおくんはきれいでかっこいい、絵に描いたような好青年。
ナニこの少女マンガのキャラクタみたいな子(笑)。
芯のある若者で、ヘタレには別に見えない。わからないのは女の趣味くらいかなあ(笑)。
マリー@トウカさんが強い。最初の公安委員に食ってかかるところもすげー強いが、実はシャルル@愛希くんを隠してドアの外の訪問者(マルグリット)に誰何するところがいちばん強い……恐いと思う(笑)。
モブになるとやたらとまんちゃんが目に入る。
初日に観たときはふつーに茶色っぽかった髪が、GWに観たときは明るいド金髪になっていてびびり、次に観たときは金色かもしんないけどまた落ち着いた色になっている気がした。
髪の色を新公の日程に合わせて変えていたのかな。それともわたしの思い違いか。
とにかく、ただでさえ目立つのに、ドキンパツのときは目立って目立って仕方なかった(笑)。
彼はどんどん素敵になるよな。
観れば観るほどファーレイ@ゆりやくんがツボだ……。ナニあのアホの子(笑)。
とびきり美形の砂糖菓子のような王子様。でもどっかピントがずれてる感じがたまらん。
ジェサップ@彩央氏がオイシイ。ナニ気に可愛い。
ピポー軍曹@綾月氏もうまい。期待のヒゲ部・靴屋のオヤジ@華央氏も相変わらず素敵だ。
セットや主役以外の衣装はほぼ同じなのかな?
しかし画面の重厚さを初演ほど感じないのは、スポンサー付き公演でないためだろうか。照明が変わったのかなとも思う。
にしてもやっぱキレイだし、豪華だし、面白いし、良い作品だわ、『スカーレット・ピンパーネル』。
2回目からは完全復活、郷愁から解き放たれました、ぜんぜんOK!
月組『スカーレット・ピンパーネル』楽しい!!
なんつっても、パーシー@きりやんです。
わたし、きりやんパーシーに冷たくされたら絶対傷つく。
なんだろ、この人は「真正面」とか「全部」とか、そんな言葉を思う。
このパーシーに冷たくされたとしたら、それは演技とかとりあえずとかではなく、ほんとうに彼の全部で否定される気がする。
誤魔化しがない。
マルグリット@まりもちゃんに対し、正体を隠して誤魔化して接しているわけなんだけど、わざと嫌味な貴族っぽい喋り方や接し方をしたりしているわけなんだけど。
それでもなお、誤魔化しがない気がする。
彼が心を閉ざしたら、閉じる音が聞こえるくらい容赦なく閉じられてしまうんだと思う。
だから、痛い。
マルグリットの痛みがわかる。
うわ、きつい。そう思う。
あああ。
きりやんのそーゆーとこ、いいよなあ。好きだなあ。
軽薄に傷つけるんじゃなく、本気で傷つけちゃうあたりが。
真面目だからこそ、逃げ場のない、自分も相手も追いつめちゃう感じが。
いいキャラクタだわ~~。
それがわかるから余計に、最初の結婚式の真っ白な笑顔が、幸せそうなふたりの姿が泣ける。
この笑顔に、「良かったね!」と思う。「幸せでうれしい!」と。
今観ている、幸せなふたりに癒されると同時に、でもこのあとふたりは……と切なさに胸が痛くなる。
や、ハッピーエンドだとわかっていてなお、痛いんだもん、すれ違うふたりは。
つかマルゴ可哀想。パーシーひどい、きつい(笑)。
んでもって、実はあまり最後の仕切り直しの結婚式……デイドリーム号で「あなたこそ我が家」を歌うふたりにカタルシスはない。
とゆーのも、最後でどばーっと「良かったね~~!」と爆発するというより、そこまでの過程で段階踏んで「良かったね」になっていくからだ。
誤解が解けていく過程が、リアル。
ナニこの質実剛健な夫婦(笑)。
人間そんな一気に180度方向転換しないって、少しずつの積み重ねで変わっていくんだよ、ってゆーか。
パーシーとマルグリットがひとつずつ心の穴を埋めていき、最後はその確認というか、ふつーに「めでたしめでたし」のエンドマークとして見られる。
堅実さや色合いの似た、お似合いのカップルだと思うよ、きりやんとまりもちゃん。
でもって、ショーヴラン@まさお。
2回目の観劇はGWだった。
まさおくんが声をつぶした、声が出ない、いろいろいろいろ聞いてはいたが、正直、違和感はなかった。
たしかに歌い上げをせず、低い音域でまとめてあったけど、元の曲を知らなければ問題ない。つーか、本来の譜面で歌っていただろう初日だって、耳で覚えているれおんの咆吼(笑)とはずいぶん違っていて、「こんなもん??」と思っていたので、これくらいアレンジされている方が混乱がない。
咆吼しなくても、魅力的な楽曲じゃないですか、ショーヴランの曲って!
まさおくんのねちっこい、線が細くて病的な(笑)ショーヴランは、いろいろとツボでした。……変な人なんだ、ショーって(笑)。
なんというか、萌えがあります。
カップリングOKな萌えであります。
配役を知ったときはロベスピエール@リュウ様との間に腐った萌えが発生するかと期待したんですが……もちろんそっちもアリだと思いますが。
まさかの、パーシー×ショーヴラン(笑)。
だってパーシー様、黒いんだもん!(笑) 深刻な分、自分追いつめてとんでもないところで爆発しそうなんだもん!!
となると矛先はショーでしょー(笑)。
ショーヴランがなにかときーきーうるさくて、パーシー様がSで容赦なくて、素敵空間発動ですわ……ぽわわん。
いやはや、初演では夢にも思わなかったカップリング。いやその、わたし的に。
腐った萌えは置いておいても、ショーヴランが可哀想で可愛くてたまりませんな。
ええ、可哀想なとこがいいのよ彼は。ただの一度も幸福ぢゃない感じが!(握り拳)
漂う薄幸さ、匂い立つ負け犬臭。
傲慢ぶりながらもいつもぎりぎり感を背負って強がっている感じが、実にオイシイですな。
あー、後ろから名前呼んでほっぺを指で突いてウザがられたいなー(笑)。きっと青筋立てて怒るんだぜえ(笑)。
えーとそれで、フォークス@マギーって、ドゥ・トゥルネー伯爵@一色氏の婿になるわけだよね?
あのきらびやかな貴公子が、薄幸感漂う素敵なドゥ・トゥルネー伯爵に最敬礼でシュザンヌ@りっちーとの結婚を許してくれとか挨拶しちゃうんだわ!!
きゃ~~!! なんか、きゃ~~!!(笑)
アルマン@みりおくんはきれいでかっこいい、絵に描いたような好青年。
ナニこの少女マンガのキャラクタみたいな子(笑)。
芯のある若者で、ヘタレには別に見えない。わからないのは女の趣味くらいかなあ(笑)。
マリー@トウカさんが強い。最初の公安委員に食ってかかるところもすげー強いが、実はシャルル@愛希くんを隠してドアの外の訪問者(マルグリット)に誰何するところがいちばん強い……恐いと思う(笑)。
モブになるとやたらとまんちゃんが目に入る。
初日に観たときはふつーに茶色っぽかった髪が、GWに観たときは明るいド金髪になっていてびびり、次に観たときは金色かもしんないけどまた落ち着いた色になっている気がした。
髪の色を新公の日程に合わせて変えていたのかな。それともわたしの思い違いか。
とにかく、ただでさえ目立つのに、ドキンパツのときは目立って目立って仕方なかった(笑)。
彼はどんどん素敵になるよな。
観れば観るほどファーレイ@ゆりやくんがツボだ……。ナニあのアホの子(笑)。
とびきり美形の砂糖菓子のような王子様。でもどっかピントがずれてる感じがたまらん。
ジェサップ@彩央氏がオイシイ。ナニ気に可愛い。
ピポー軍曹@綾月氏もうまい。期待のヒゲ部・靴屋のオヤジ@華央氏も相変わらず素敵だ。
セットや主役以外の衣装はほぼ同じなのかな?
しかし画面の重厚さを初演ほど感じないのは、スポンサー付き公演でないためだろうか。照明が変わったのかなとも思う。
にしてもやっぱキレイだし、豪華だし、面白いし、良い作品だわ、『スカーレット・ピンパーネル』。
大作の新公は、ある意味祭りである(笑)。
2010年5月8日 タカラヅカ そして、お楽しみの新人公演『スカーレット・ピンパーネル』。
力のある作品は、新公にも注目が集まる。大抵のヅカ作品はキャストの力でなんとか嵩上げされているだけで、力のない若手が演じると脚本の粗が目立ってえらいことになる……ものだが、『スカピン』はそうではない数少ない名品のひとつだ。
おもしろい物語の別キャスト版として、楽しめるわけだ。
また、2時間半の本公演を2時間に縮めるので、別編集・切り口での『スカピン』を観られる。
初演の星組新公はそりゃーもー大騒ぎだった。
極端なひとりっ子政策によって偏りまくっていた星組で、前代未聞の抜擢があった。それまでの新公で脇のおっさん役ばかりやっていた、組ファン以外には無名の研7生・ベニーが突然主演することになった。
月組で言うなら、突然彩央寿音氏や華央あみり氏が新公主演するよーなもんだろう。(ベニーと同期で挙げてみました)
新公の主なキャスト発表時に、すでに仲間内で祭りだったし(笑)。
実際、チケット・レートもすごいことなっていった。
わたしはムラのチケットを1枚余らせて、某定価以下譲渡掲示板に出したところ、携帯がピーピー鳴り続けすげー焦った記憶がある。投稿した、すぐに譲ってメール来た、んじゃお譲りしますとメールを打つ間もなく次々メールがやってきて……。当日手渡しで譲ったけど、ものすげー勢いで感謝されたなー……いやいや、チケットは天下の回りモノ、お互い様ですから。
そしてさらに東宝ではどえらいチケ難公演に。B席でにまんえんとか、チケットを探している友人が悲鳴を上げていたのをおぼえている。
抜擢に応えたベニーもすごかったし、ソレを支えた星組新公メンバーもすごかった。
そしてなんといっても、『スカーレット・ピンパーネル』という、作品が。
どんだけ無名の若手抜擢だったとしても、たとえば『愛と死のアラビア』では話題にも観劇意欲にもつながらないだろう。
「別キャスト公演を観てみたい」と思わせるほんとうに面白い作品で、しかも冠公演で海外ミュージカルで劇団がかなりのお金と気合いを掛けていることがわかっている「特別な」1作で、そこに「スター誕生」の期待感をミックスさせてはじめて、組ファンだけでなくライトな層まで巻き込んでブレイクとなる。
たのしかったなあ、星組の新公。
その記憶も新しく、また鮮烈過ぎて、それが冷めやらぬうち……というか、それ以来そんな新公にお目に掛かっていないままに、『スカピン』再演で、再度新公がある、のだから。
そりゃ楽しみでしょう。
主な配役がまた、冒険というか変わっているというか、ある意味月組らしい謎の配役で。
主役のパーシーが、研3になったばかりの珠城りょう。
ものすごい抜擢なんだが、前回研2で2番手というか主役の相手役というかをやってしまっているので、ベニーのときほど「劇団、どーしたんだ?!」という大抜擢感はない。
また、前回の2番手役で、男役としての外見が出来上がっていることも、歌えることも芝居が出来ることも示してしまっているので、「スター誕生?!」とわくわく劇場に駆けつける、という配役ではない。
ヒロインのマルグリットが、研7の彩星りおん。
男役で最終学年滑り込み主演はよくあることだけど、娘役ではあまりない。
娘役の旬は短いので、はじめての新公主演は大抵もっと若い学年で済ませる。その後研7までヒロインをすることはあるけど、最初がいきなり研7ってのは、トップ就任が決まっていて、とりあえず主演させとかなきゃいけなかった檀ちゃんくらいしか、おぼえがない。……というと、12年ぶりか。
りっちーがどこかの組で落下傘トップ娘役になるのでなければ、一体いつ以来のことなんだろう、研7で初ヒロインって。わたしの記憶にはナイが、わたしはたかだか20年ほどしかヅカファンやってないし、10年以上前のことは新公ヒロインの学年までよくおぼえてないし。……まさか史上初ではないよね? 昔はよくあることだった、のかもしれん。
主役と同等の注目役である2番手のショーヴランが、研6の紫門ゆりや。
『エリザベート』でフランツやって、『スカピン』でショーヴラン、って、経歴だけ見ると若手を代表する歌ウマみたいだね(笑)。ゆりやくんはどっちかっちゅーとダンサー認識(文化祭でソロで王子様踊ってたよねえ?)だったんだが……。
いやまあその、歌の実力は置いておいて、美貌とかアイドル性とかを買われての配役かな。
天海やタニちゃんをはじめとする超抜擢、トップ娘役不在とか、他組の男役が大作ヒロインとして特出とか、変則人事が組カラー?な月組らしい配役、かな。
珠城くんという若いスターを支え、売り出すために万全の配置をした、というか。
前回の新公で、珠城くんの実力……できることとできないことが明確になったので、絶対にコケさせないためにパズルがんばりましたというか。
珠城くんは、男役としての基本値はクリアしている。そんな彼にないモノは経験と、若者っぽいアイドル性(笑)。渋いオヤジができることは証明済みだが、「研3で新公主演です、若いです、キラキラです☆」てなタイプぢゃない……。
彼を支えるために、ヒロインは舞台経験が現時点でいちばん豊富な人でなくてはならない。
されど、研7の90期にはヒロイン経験のある娘役がいない。それなら研7より下級生でもいいから、ヒロイン経験がある人……って、いないじゃん。んじゃヒロインじゃなくても舞台に立った年数・回数の多い人で、そのなかでいちばん歌のうまい人。
経験だけそこそこあっても、豊かな歌唱力がないと、今回の役は主役の足を引っ張ることになるから。
そーなると、実力はあるけれど渋いというか地味な並びになってしまう。せっかく真ん中が研3なのに、キラキラ☆なイメージがない新公ってどうよ?
つーことで、2番手は実力よりもアイドル性重視。歌が難しい役だが、歌唱力は問わない。歌唱力があって堅実な研7男役もいるけど、2番手までソレじゃ困る。
……と、いうことなのかなと、勝手に考える。
新公の配役にはいろいろある。主役、2番手、3番手の男役たちを順当に鍛え、またスターとして順当に売りに出したいと配役する場合も、たったひとりのスターを売り出すために周りを手堅い実力者で固める場合もある。
同じくひとりっ子政策の星組が、劇団が育てたいブレイクさせたいと切望している真風くんを支えるために2番手をさせたみやるりが、その後新公主演できたように、月組で珠城くんを支える役目になった他の子にも、チャンスがめぐってくることを祈る。
男役は旬が長いのでチャンスはまだあるかもしれないが、娘役の軽んじられ方に、不安を覚える。
前回はヒロイン不在だから、娘役がヒロイン役を演じる機会を奪われていた。そして今回は……りっちーが今後月組路線娘役として花開く、檀ちゃんのような遅咲きヒロイン役者ならばいいんだが、そうでなければ年2回しかない新公ヒロインの枠をひとつ、男役の支えだけで消費したことになってしまう。
や、もちろんヒロイン経験は、路線としてでなくてもたしかな血肉となり、今後の彼女をよりすばらしい舞台人にするだろうけど。
経験豊かな娘役が、ぺーぺー男役を支えるために新公ヒロインをすることはいくらでもあるが、そーゆー場合はいつも、すでに新公ヒロイン経験を積んだ子がやるからさー。その子たち同様、今後もりっちーが活躍しますように。
と、新公本編以前の感想というか、思ったことをつらつら。
力のある作品は、新公にも注目が集まる。大抵のヅカ作品はキャストの力でなんとか嵩上げされているだけで、力のない若手が演じると脚本の粗が目立ってえらいことになる……ものだが、『スカピン』はそうではない数少ない名品のひとつだ。
おもしろい物語の別キャスト版として、楽しめるわけだ。
また、2時間半の本公演を2時間に縮めるので、別編集・切り口での『スカピン』を観られる。
初演の星組新公はそりゃーもー大騒ぎだった。
極端なひとりっ子政策によって偏りまくっていた星組で、前代未聞の抜擢があった。それまでの新公で脇のおっさん役ばかりやっていた、組ファン以外には無名の研7生・ベニーが突然主演することになった。
月組で言うなら、突然彩央寿音氏や華央あみり氏が新公主演するよーなもんだろう。(ベニーと同期で挙げてみました)
新公の主なキャスト発表時に、すでに仲間内で祭りだったし(笑)。
実際、チケット・レートもすごいことなっていった。
わたしはムラのチケットを1枚余らせて、某定価以下譲渡掲示板に出したところ、携帯がピーピー鳴り続けすげー焦った記憶がある。投稿した、すぐに譲ってメール来た、んじゃお譲りしますとメールを打つ間もなく次々メールがやってきて……。当日手渡しで譲ったけど、ものすげー勢いで感謝されたなー……いやいや、チケットは天下の回りモノ、お互い様ですから。
そしてさらに東宝ではどえらいチケ難公演に。B席でにまんえんとか、チケットを探している友人が悲鳴を上げていたのをおぼえている。
抜擢に応えたベニーもすごかったし、ソレを支えた星組新公メンバーもすごかった。
そしてなんといっても、『スカーレット・ピンパーネル』という、作品が。
どんだけ無名の若手抜擢だったとしても、たとえば『愛と死のアラビア』では話題にも観劇意欲にもつながらないだろう。
「別キャスト公演を観てみたい」と思わせるほんとうに面白い作品で、しかも冠公演で海外ミュージカルで劇団がかなりのお金と気合いを掛けていることがわかっている「特別な」1作で、そこに「スター誕生」の期待感をミックスさせてはじめて、組ファンだけでなくライトな層まで巻き込んでブレイクとなる。
たのしかったなあ、星組の新公。
その記憶も新しく、また鮮烈過ぎて、それが冷めやらぬうち……というか、それ以来そんな新公にお目に掛かっていないままに、『スカピン』再演で、再度新公がある、のだから。
そりゃ楽しみでしょう。
主な配役がまた、冒険というか変わっているというか、ある意味月組らしい謎の配役で。
主役のパーシーが、研3になったばかりの珠城りょう。
ものすごい抜擢なんだが、前回研2で2番手というか主役の相手役というかをやってしまっているので、ベニーのときほど「劇団、どーしたんだ?!」という大抜擢感はない。
また、前回の2番手役で、男役としての外見が出来上がっていることも、歌えることも芝居が出来ることも示してしまっているので、「スター誕生?!」とわくわく劇場に駆けつける、という配役ではない。
ヒロインのマルグリットが、研7の彩星りおん。
男役で最終学年滑り込み主演はよくあることだけど、娘役ではあまりない。
娘役の旬は短いので、はじめての新公主演は大抵もっと若い学年で済ませる。その後研7までヒロインをすることはあるけど、最初がいきなり研7ってのは、トップ就任が決まっていて、とりあえず主演させとかなきゃいけなかった檀ちゃんくらいしか、おぼえがない。……というと、12年ぶりか。
りっちーがどこかの組で落下傘トップ娘役になるのでなければ、一体いつ以来のことなんだろう、研7で初ヒロインって。わたしの記憶にはナイが、わたしはたかだか20年ほどしかヅカファンやってないし、10年以上前のことは新公ヒロインの学年までよくおぼえてないし。……まさか史上初ではないよね? 昔はよくあることだった、のかもしれん。
主役と同等の注目役である2番手のショーヴランが、研6の紫門ゆりや。
『エリザベート』でフランツやって、『スカピン』でショーヴラン、って、経歴だけ見ると若手を代表する歌ウマみたいだね(笑)。ゆりやくんはどっちかっちゅーとダンサー認識(文化祭でソロで王子様踊ってたよねえ?)だったんだが……。
いやまあその、歌の実力は置いておいて、美貌とかアイドル性とかを買われての配役かな。
天海やタニちゃんをはじめとする超抜擢、トップ娘役不在とか、他組の男役が大作ヒロインとして特出とか、変則人事が組カラー?な月組らしい配役、かな。
珠城くんという若いスターを支え、売り出すために万全の配置をした、というか。
前回の新公で、珠城くんの実力……できることとできないことが明確になったので、絶対にコケさせないためにパズルがんばりましたというか。
珠城くんは、男役としての基本値はクリアしている。そんな彼にないモノは経験と、若者っぽいアイドル性(笑)。渋いオヤジができることは証明済みだが、「研3で新公主演です、若いです、キラキラです☆」てなタイプぢゃない……。
彼を支えるために、ヒロインは舞台経験が現時点でいちばん豊富な人でなくてはならない。
されど、研7の90期にはヒロイン経験のある娘役がいない。それなら研7より下級生でもいいから、ヒロイン経験がある人……って、いないじゃん。んじゃヒロインじゃなくても舞台に立った年数・回数の多い人で、そのなかでいちばん歌のうまい人。
経験だけそこそこあっても、豊かな歌唱力がないと、今回の役は主役の足を引っ張ることになるから。
そーなると、実力はあるけれど渋いというか地味な並びになってしまう。せっかく真ん中が研3なのに、キラキラ☆なイメージがない新公ってどうよ?
つーことで、2番手は実力よりもアイドル性重視。歌が難しい役だが、歌唱力は問わない。歌唱力があって堅実な研7男役もいるけど、2番手までソレじゃ困る。
……と、いうことなのかなと、勝手に考える。
新公の配役にはいろいろある。主役、2番手、3番手の男役たちを順当に鍛え、またスターとして順当に売りに出したいと配役する場合も、たったひとりのスターを売り出すために周りを手堅い実力者で固める場合もある。
同じくひとりっ子政策の星組が、劇団が育てたいブレイクさせたいと切望している真風くんを支えるために2番手をさせたみやるりが、その後新公主演できたように、月組で珠城くんを支える役目になった他の子にも、チャンスがめぐってくることを祈る。
男役は旬が長いのでチャンスはまだあるかもしれないが、娘役の軽んじられ方に、不安を覚える。
前回はヒロイン不在だから、娘役がヒロイン役を演じる機会を奪われていた。そして今回は……りっちーが今後月組路線娘役として花開く、檀ちゃんのような遅咲きヒロイン役者ならばいいんだが、そうでなければ年2回しかない新公ヒロインの枠をひとつ、男役の支えだけで消費したことになってしまう。
や、もちろんヒロイン経験は、路線としてでなくてもたしかな血肉となり、今後の彼女をよりすばらしい舞台人にするだろうけど。
経験豊かな娘役が、ぺーぺー男役を支えるために新公ヒロインをすることはいくらでもあるが、そーゆー場合はいつも、すでに新公ヒロイン経験を積んだ子がやるからさー。その子たち同様、今後もりっちーが活躍しますように。
と、新公本編以前の感想というか、思ったことをつらつら。
でもって、新人公演『スカーレット・ピンパーネル』。
興味深いのは、新公用の短縮の仕方。
たとえば、『エリザベート』(月雪月)は同じ演出家が毎回担当しているというのに、短縮の仕方が毎回違っていた。どう編集するかは、作品ごとに決まっているわけではない、らしい。
新公『スカピン』の上演時間は2時間。本公演はフィナーレ付きで2時間半だから、カットされるのはかなり少ない場面で済むだろう。
同じようにフィナーレ付き2時間半→2時間に縮めた新公『虞美人』は、2幕半分ぶった切って漫才でつなぐという暴挙(笑)をやってのけた。
『虞美人』の次の公演である『スカピン』で、さあどうなるか。
新公プログラムを開いてまず、ナニがウケたかって、活字の大きさ。
というか小ささというか、行間の狭さ。
紙面いっぱい、これ以上無理!ってくらい、びっちり字が詰まっている。
活字の大きさ自体は変わってないのかもしれないが、詰め込むだけ詰め込んであるので、新聞みたいなびっちり感。紙面、黒っ。
初舞台生公演だから純粋に出演者数が多いんだろうけど、それにしても極端だ。
人数が多くったって、出番とはイコールじゃない。現に、去年の初舞台生公演であった『薔薇に降る雨』新公は、初舞台生の出番はほとんどなく、プログラム紙面の活字量はすっかすかだった。
この新公では、とにかくみんなに出番を、とにかく板の上に乗れと言っているわけだな。
演出家は、生田せんせ。
「生田くんと言えば、『ファントム』だよね?!(笑)」と、幕が開く前にnanaタンときゃーきゃー言ってたんですが、わたしたちの記憶にある、生田せんせの「1本モノを短縮した新公演出」というと、4年前の花組『ファントム』まで遡るのですよ。
とにかく少しでも本編をそのままやりたいと、詰め込むだけ詰め込んで、本編以外の削れるところをちまちまと数秒ずつ削り取っていく、とても神経質なダイジェスト版っぷり。
どのシーンも歌も削りたくないっ、みんなやりたい、やらせたい! というパッションゆえに、なんとも疲れる作りになっていた新公『ファントム』。
『スカピン』新公プログラムを開いた段階では、「生田くん、またアレをやる気?」と思いました。
ほとんどカットされてないっぽいんですが、この真っ黒な紙面を見る限り。
ちまちま数秒ずつ削ってできるだけ本編通りに上演した『ファントム』は、本編通りであるにもかかわらず、良い出来だとは思えなかった。中村Bの本公演演出がイイかどうかは置いておいて、それにすら新公では届いていなかった。演じていた生徒たちの問題ではなく、演出として。
それよりも、すぱっと切るところは切って、代わりに訴えたい部分をどーんと前面に持ってきた、スズキケイ演出の宙組新公『ファントム』の方がカタルシスがあった。
ただの「あらすじ」な演出だとつまんないなあ。
でも生田くんって、『BUND/NEON 上海』の生田くんだよねえ? 4年前の『ファントム』は平板で退屈な演出になっていたけど、今年の『BUND/NEON 上海』は良いエンターテインメントだったじゃん?
変わってる、かもしれない……?
結果。
生田大和、進化してました。
4年前の『ファントム』とチガウ! ちゃんと面白い!!(笑)
本公演では、「マダム・ギロチン」が冒頭に2回ある。
だからソレを、1回にしてしまった。
デュハースト@鳳月杏くんとドゥ・トゥルネー伯爵@篁祐希くんの冒頭の会話だけそのままで民衆たちは出ない。
現在のパリの説明と「スカーレット・ピンパーネル」の説明を本公演まんまにやってのけ、そこへその「スカーレット・ピンパーネル」……パーシー@たまきちがせり上がってくる。
いやあ、後ろ姿でせり上がり、照明を浴びて振り返りで主題歌「ひとかけらの勇気」ですよ、この「主役っ!」演出に、最初から拍手した。
主演のたまきちくんにもだが、演出の生田くんにも(笑)。
星組版も同じく「マダム・ギロチン」は1回にまとめられていたと思う。民衆は登場せず、デュハーストと伯爵ふたりの会話にパーシー登場。
でも星組版のパーシーは本舞台ゼロ番せり上がり→銀橋ではなく、いきなり銀橋ソロだったはず。歌は歌で独立、物語はストップして、とにかく主役による主題歌披露。
で、本公演通りの時系列でコメディ・フランセーズにつながっていたと思う。
が、月組版は。
本公演でパーシーの「ひとかけらの勇気」歌唱中にパリ市民の暗い現実が挿入されるように、マルグリット@りっちーとショーヴラン@ゆりやくんのやりとりがカットインされていた。
歌が歌なだけではなく、同時に物語も進行しているの。
コメディ・フランセーズは無しか!
ヒロインが華やかな女優であることを示す唯一の場面だが、華やかさよりも堅実な技術を買われてヒロインを務めるりっちーには、深刻なドラマ場面としての登場の方がイイ。彼女には合っている。
まずギロチンを見せて暗い情勢を語り、みんなの希望!としてヒーローが登場、彼が「勇気」を歌う中、主要人物らしい女と男が、なにかしら深刻な取引をしている……って、このはじまりは正しいっしょ。
新公だとか短縮版だとか以前に、このキャストで『スカーレット・ピンパーネル』というひとつの物語として作る上で。
……ということで、続く~~。
興味深いのは、新公用の短縮の仕方。
たとえば、『エリザベート』(月雪月)は同じ演出家が毎回担当しているというのに、短縮の仕方が毎回違っていた。どう編集するかは、作品ごとに決まっているわけではない、らしい。
新公『スカピン』の上演時間は2時間。本公演はフィナーレ付きで2時間半だから、カットされるのはかなり少ない場面で済むだろう。
同じようにフィナーレ付き2時間半→2時間に縮めた新公『虞美人』は、2幕半分ぶった切って漫才でつなぐという暴挙(笑)をやってのけた。
『虞美人』の次の公演である『スカピン』で、さあどうなるか。
新公プログラムを開いてまず、ナニがウケたかって、活字の大きさ。
というか小ささというか、行間の狭さ。
紙面いっぱい、これ以上無理!ってくらい、びっちり字が詰まっている。
活字の大きさ自体は変わってないのかもしれないが、詰め込むだけ詰め込んであるので、新聞みたいなびっちり感。紙面、黒っ。
初舞台生公演だから純粋に出演者数が多いんだろうけど、それにしても極端だ。
人数が多くったって、出番とはイコールじゃない。現に、去年の初舞台生公演であった『薔薇に降る雨』新公は、初舞台生の出番はほとんどなく、プログラム紙面の活字量はすっかすかだった。
この新公では、とにかくみんなに出番を、とにかく板の上に乗れと言っているわけだな。
演出家は、生田せんせ。
「生田くんと言えば、『ファントム』だよね?!(笑)」と、幕が開く前にnanaタンときゃーきゃー言ってたんですが、わたしたちの記憶にある、生田せんせの「1本モノを短縮した新公演出」というと、4年前の花組『ファントム』まで遡るのですよ。
とにかく少しでも本編をそのままやりたいと、詰め込むだけ詰め込んで、本編以外の削れるところをちまちまと数秒ずつ削り取っていく、とても神経質なダイジェスト版っぷり。
どのシーンも歌も削りたくないっ、みんなやりたい、やらせたい! というパッションゆえに、なんとも疲れる作りになっていた新公『ファントム』。
『スカピン』新公プログラムを開いた段階では、「生田くん、またアレをやる気?」と思いました。
ほとんどカットされてないっぽいんですが、この真っ黒な紙面を見る限り。
ちまちま数秒ずつ削ってできるだけ本編通りに上演した『ファントム』は、本編通りであるにもかかわらず、良い出来だとは思えなかった。中村Bの本公演演出がイイかどうかは置いておいて、それにすら新公では届いていなかった。演じていた生徒たちの問題ではなく、演出として。
それよりも、すぱっと切るところは切って、代わりに訴えたい部分をどーんと前面に持ってきた、スズキケイ演出の宙組新公『ファントム』の方がカタルシスがあった。
ただの「あらすじ」な演出だとつまんないなあ。
でも生田くんって、『BUND/NEON 上海』の生田くんだよねえ? 4年前の『ファントム』は平板で退屈な演出になっていたけど、今年の『BUND/NEON 上海』は良いエンターテインメントだったじゃん?
変わってる、かもしれない……?
結果。
生田大和、進化してました。
4年前の『ファントム』とチガウ! ちゃんと面白い!!(笑)
本公演では、「マダム・ギロチン」が冒頭に2回ある。
だからソレを、1回にしてしまった。
デュハースト@鳳月杏くんとドゥ・トゥルネー伯爵@篁祐希くんの冒頭の会話だけそのままで民衆たちは出ない。
現在のパリの説明と「スカーレット・ピンパーネル」の説明を本公演まんまにやってのけ、そこへその「スカーレット・ピンパーネル」……パーシー@たまきちがせり上がってくる。
いやあ、後ろ姿でせり上がり、照明を浴びて振り返りで主題歌「ひとかけらの勇気」ですよ、この「主役っ!」演出に、最初から拍手した。
主演のたまきちくんにもだが、演出の生田くんにも(笑)。
星組版も同じく「マダム・ギロチン」は1回にまとめられていたと思う。民衆は登場せず、デュハーストと伯爵ふたりの会話にパーシー登場。
でも星組版のパーシーは本舞台ゼロ番せり上がり→銀橋ではなく、いきなり銀橋ソロだったはず。歌は歌で独立、物語はストップして、とにかく主役による主題歌披露。
で、本公演通りの時系列でコメディ・フランセーズにつながっていたと思う。
が、月組版は。
本公演でパーシーの「ひとかけらの勇気」歌唱中にパリ市民の暗い現実が挿入されるように、マルグリット@りっちーとショーヴラン@ゆりやくんのやりとりがカットインされていた。
歌が歌なだけではなく、同時に物語も進行しているの。
コメディ・フランセーズは無しか!
ヒロインが華やかな女優であることを示す唯一の場面だが、華やかさよりも堅実な技術を買われてヒロインを務めるりっちーには、深刻なドラマ場面としての登場の方がイイ。彼女には合っている。
まずギロチンを見せて暗い情勢を語り、みんなの希望!としてヒーローが登場、彼が「勇気」を歌う中、主要人物らしい女と男が、なにかしら深刻な取引をしている……って、このはじまりは正しいっしょ。
新公だとか短縮版だとか以前に、このキャストで『スカーレット・ピンパーネル』というひとつの物語として作る上で。
……ということで、続く~~。
彼らのために、別の物語を・その2。@新人公演『スカーレット・ピンパーネル』
2010年5月10日 タカラヅカ 月組版新人公演『スカーレット・ピンパーネル』の、構成・演出についての感想、後編。
なにしろ新公は1回限り、記憶違い・思い込み、いろいろいろいろあると思う。特に星組新公なんて2年前に1回観たっきりだし。
失敗を恐れていたら一歩も進めない、カンチガイ上等!で、勝手に語ります(笑)。
生田せんせ演出の、月組新公『スカピン』オープニング。
主人公の歌う主題歌の間に、物語の起因が同時進行する。そして、主題歌が終わったところから本編スタート、タネは蒔かれている、って、すげーオープニングだ。
うまい! と、膝を打った。
小柳タンの「とりあえず端折りました」のプロローグ演出より、断然好き。ええ、比較している星組版新公『スカピン』の演出は、小柳せんせ。
小池作品の新公といえば、かなりの確率でいつも小柳せんせが務めている。小柳せんせは彼女自身のオリジナル作品ではハッタリかました作劇をしてくれるんだが、師匠作品のアレンジは苦手らしい。大作一本モノを新公に短縮するとどれもひどいか微妙かの二択、という演出になる。(『NEVER SAY GOODBYE』はひどかったな……・笑)
小柳タンが続けざまに演出している新公『エリザベート』でなにが不満かって、プロローグを大切にしていないことなのよ。
ここで観客の心をぎゅっと鷲掴みにしなきゃいけない、劇場だからみんな黙って坐っててくれるけど、雑誌なら最初の1ページで読み飛ばされたり、テレビなら数分でチャンネル替えられてるわよ?! と、思う、意欲のないオープニング。
「時間調整の手段として手っ取り早いから、まずプロローグを短縮しました・スケールダウンしときました」でしかないんだよな、いつも。
それを、生田せんせはちゃーんと「プロローグ」の役目をわかった演出を見せてくれた。よっしゃ!
でもって、次によかったのが、1幕から2幕へのつなぎ方。
わたし、1幕ラスト大好きなの。王宮の仮面舞踏会、「謎解きのゲーム」。重なり合うメロディ。ギロチン、炎の中へ……。
音楽が最高潮に盛り上がり、銀橋のパーシー@たまきちと鈴なりの本舞台でジャンっと静止。
ストップモーションから、本舞台の「空気読まない」プリンス@響れおなくんの「スカピンごっこやろう」で物語再開……この流れのスムーズさ。
1幕の「マダム・ギロチン」と同じ方法論。同内容が近隣のふたつの場面に分けられているから、ひとつにまとめる。重複は表現のひとつだけれど、時間がないときは1回でいい。
そして、個人的にテンション上がったのが、2幕のショーヴラン@ゆりやくんのソロ。ブレイクニー邸の庭でマルグリット@りっちーに詰め寄り、突き放されたショーが幻の女たちを背景に歌う、アレ。
「君はどこに」があるっ。
星組版ではほぼカットされていた、大好きな歌がカットされていない! うおおお、コレを麻尋で聴きたかった……っ。
とりあえず『スカピン』って、パーシーとマルグリットとショーヴラン、この3人のキャラクタさえ描けていればいいんだよね。そりゃ大勢に役がある方がいいに決まってるけど、現実問題としてこの3人をキャラ立ちさせることが鍵。
そのためにどこを削るかとなると、ショーヴランに関していちばん削ってはならないのが「君はどこに」だと思うんだ。ショーのたくさんある黒い歌をちょっとぐらい削ることになったとしても、「3人の物語」である以上マルグリットに対するショーの根幹を示す歌だけは、必要だと思うんだ。
で、パーシー、マルグリット、ショーヴランとそれぞれ内面を歌う場面はちゃんと確保してあって、その上で。
「栄光の日々」があるっ!
『スカピン』はたしかに「3人の物語」で、たかが男女の三角関係、夫婦の仲違い物語だ。
でもこの物語がそーゆー小さなところだけに留まらず、ワールドワイドな広がりを持つのは、人間の持つ普遍的な部分にも触れているからだ。
それが「栄光の日々」。過ちと後悔、現実と希望をすべての人たちが等しく表現する。「3人」だけでなく、彼らの関係者だけでなく、いろんな立場の人たちが、みんなチガウ人たちが、同じメロディを歌う。悩みながら苦しみながら、それでも未来を歌う。
星組版ではスカピン団の歌になってたんだよね。関係者オンリーの場面。
その分スカピン団に見せ場があってよかった面はあるが……テーマとしてはブレていたよーな気がした。
それが今回はちゃんとあった。
初舞台生も巻き込んで、ものすげー人数のダンスとコーラスになった。
そのテンション、立ちのぼるオーラ。若者たちが「たった一度の新公」を体当たりに演じる、その一種イッちゃったよーな気迫。
一丸となって発散する場面であり、ここが出番の最後になる子たちも多い……だからこそ、ものすげー盛り上がり。うおお、派手だー。
主要キャラの見せ場は極力削らず、全員で盛り上げるところはどーんと盛り上げて、流れに起伏を付けて。
そりゃどこもカットせずに全部上演してくれるのがいちばんいいが、現状での最適な演出を見せてくれたと思う。
2時間という省略版で、本公演とはチガウ、新公キャストのために再構成された『スカーレット・ピンパーネル』。
たのしかったよ、生田せんせ。
なにしろ新公は1回限り、記憶違い・思い込み、いろいろいろいろあると思う。特に星組新公なんて2年前に1回観たっきりだし。
失敗を恐れていたら一歩も進めない、カンチガイ上等!で、勝手に語ります(笑)。
生田せんせ演出の、月組新公『スカピン』オープニング。
主人公の歌う主題歌の間に、物語の起因が同時進行する。そして、主題歌が終わったところから本編スタート、タネは蒔かれている、って、すげーオープニングだ。
うまい! と、膝を打った。
小柳タンの「とりあえず端折りました」のプロローグ演出より、断然好き。ええ、比較している星組版新公『スカピン』の演出は、小柳せんせ。
小池作品の新公といえば、かなりの確率でいつも小柳せんせが務めている。小柳せんせは彼女自身のオリジナル作品ではハッタリかました作劇をしてくれるんだが、師匠作品のアレンジは苦手らしい。大作一本モノを新公に短縮するとどれもひどいか微妙かの二択、という演出になる。(『NEVER SAY GOODBYE』はひどかったな……・笑)
小柳タンが続けざまに演出している新公『エリザベート』でなにが不満かって、プロローグを大切にしていないことなのよ。
ここで観客の心をぎゅっと鷲掴みにしなきゃいけない、劇場だからみんな黙って坐っててくれるけど、雑誌なら最初の1ページで読み飛ばされたり、テレビなら数分でチャンネル替えられてるわよ?! と、思う、意欲のないオープニング。
「時間調整の手段として手っ取り早いから、まずプロローグを短縮しました・スケールダウンしときました」でしかないんだよな、いつも。
それを、生田せんせはちゃーんと「プロローグ」の役目をわかった演出を見せてくれた。よっしゃ!
でもって、次によかったのが、1幕から2幕へのつなぎ方。
わたし、1幕ラスト大好きなの。王宮の仮面舞踏会、「謎解きのゲーム」。重なり合うメロディ。ギロチン、炎の中へ……。
音楽が最高潮に盛り上がり、銀橋のパーシー@たまきちと鈴なりの本舞台でジャンっと静止。
ストップモーションから、本舞台の「空気読まない」プリンス@響れおなくんの「スカピンごっこやろう」で物語再開……この流れのスムーズさ。
1幕の「マダム・ギロチン」と同じ方法論。同内容が近隣のふたつの場面に分けられているから、ひとつにまとめる。重複は表現のひとつだけれど、時間がないときは1回でいい。
そして、個人的にテンション上がったのが、2幕のショーヴラン@ゆりやくんのソロ。ブレイクニー邸の庭でマルグリット@りっちーに詰め寄り、突き放されたショーが幻の女たちを背景に歌う、アレ。
「君はどこに」があるっ。
星組版ではほぼカットされていた、大好きな歌がカットされていない! うおおお、コレを麻尋で聴きたかった……っ。
とりあえず『スカピン』って、パーシーとマルグリットとショーヴラン、この3人のキャラクタさえ描けていればいいんだよね。そりゃ大勢に役がある方がいいに決まってるけど、現実問題としてこの3人をキャラ立ちさせることが鍵。
そのためにどこを削るかとなると、ショーヴランに関していちばん削ってはならないのが「君はどこに」だと思うんだ。ショーのたくさんある黒い歌をちょっとぐらい削ることになったとしても、「3人の物語」である以上マルグリットに対するショーの根幹を示す歌だけは、必要だと思うんだ。
で、パーシー、マルグリット、ショーヴランとそれぞれ内面を歌う場面はちゃんと確保してあって、その上で。
「栄光の日々」があるっ!
『スカピン』はたしかに「3人の物語」で、たかが男女の三角関係、夫婦の仲違い物語だ。
でもこの物語がそーゆー小さなところだけに留まらず、ワールドワイドな広がりを持つのは、人間の持つ普遍的な部分にも触れているからだ。
それが「栄光の日々」。過ちと後悔、現実と希望をすべての人たちが等しく表現する。「3人」だけでなく、彼らの関係者だけでなく、いろんな立場の人たちが、みんなチガウ人たちが、同じメロディを歌う。悩みながら苦しみながら、それでも未来を歌う。
星組版ではスカピン団の歌になってたんだよね。関係者オンリーの場面。
その分スカピン団に見せ場があってよかった面はあるが……テーマとしてはブレていたよーな気がした。
それが今回はちゃんとあった。
初舞台生も巻き込んで、ものすげー人数のダンスとコーラスになった。
そのテンション、立ちのぼるオーラ。若者たちが「たった一度の新公」を体当たりに演じる、その一種イッちゃったよーな気迫。
一丸となって発散する場面であり、ここが出番の最後になる子たちも多い……だからこそ、ものすげー盛り上がり。うおお、派手だー。
主要キャラの見せ場は極力削らず、全員で盛り上げるところはどーんと盛り上げて、流れに起伏を付けて。
そりゃどこもカットせずに全部上演してくれるのがいちばんいいが、現状での最適な演出を見せてくれたと思う。
2時間という省略版で、本公演とはチガウ、新公キャストのために再構成された『スカーレット・ピンパーネル』。
たのしかったよ、生田せんせ。
ヒーロー物の醍醐味として。@新人公演『スカーレット・ピンパーネル』
2010年5月11日 タカラヅカ 面白い物語こそ、いろんなキャストで観てみたい。
仲間内で名作や有名作の妄想配役で盛り上がったりすることがあるように、力のある物語は別キャストゆえに新公も楽しみになる。
つーことで、新人公演『スカーレット・ピンパーネル』、トウコ、ペニー、きりやんに続いて4人目のパーシー@たまきちくんは。
「ヒーロー!」でした。
ナニ、あの好青年!
堂々たる体躯。長身で肩幅や胸板もあり、さわやかな明るさを持つ美丈夫でした。
研3という学年からイメージすれば、もっとキラキラな少年、子どもっぽい、とか、若い、姿になるもんなんだが、たまきちくんに関してはそーゆー次元を超えている。
ふつーに青年。
や、前回の新公がナチュラルにおっさんすぎたせいで、青年に見えることがすごいというか(笑)。
残念ながらわたしには彼が美貌の人にはまったく見えないし(すまん)、ムーア@『ラスト プレイ』のいぶし銀っぷりから、彼の適所が「研3で新公主演」ということなのかどうか危惧していた。
が、こうして真ん中に立ってみるとふつーに「明るさ」のある人だった。
キラキラ、という形容よりも、明るい、が相応しい。
陽気ではなく、明るい。輝度よりは、明度がある。
他3人のパーシーよりも、いちばん真っ当に「冒険活劇のヒーロー」でした。
トウコパーシーはクセモノ感強いし(そこがイイ)、ベニーは頭脳はデュハースト頼みで本能疾走系だったし(そこがイイ)、きりやんは重みがあるし(そこがイイ)、より明快にヒーローやっているのはたまきちかなと。
余計な説明がいらないのだわ。
この人、いい人で、それで人助けやってんだわ。と。
とても魂が健康な人だから、澱みを見過ごせなくてがんばっちゃってるんだ。
心がやわらかい、愛されキャラ。
相棒のデュハースト@鳳月杏くんがおっさんキャラなこともあり、パーシーがみんなから愛でられているのがわかる。
結婚式の夜、マルグリット@りっちーが裏切っているかもしれないとデュハーストに進言されたときの揺れっぷりとか、彼女の反応を見るために、嘘の手紙を仕掛けると決めたときの傷つきっぷりとか。
なんて素直に気持ちを表に出す人なんだろう。
これだけやさしい素直な若者だから、ヒーローやってるんだ。
育ちのいい貴公子なんだ。
まっすぐな青年がまっすぐに、お約束のヒーローをやっている。
なんて明快なヒーロー物なの、『スカーレット・ピンパーネル』って(笑)。
たまきちくんは、最初見えた硬さがどんどん解け、とても素直に舞台に立っている……ライトを浴びているように見えた。
歌声もあとになるほどのびやかになっていく。おお、ふつーにうまい、歌えてるじゃん。つか、大物やなヲイ。
グラパンはきりやんよりはコミカルなトウコ寄りの作り。うん、いっそお笑いキャラに行く方が、役者経験の少ない彼には、パーシーとの差を明確に出来てやりやすいんだろう。演出家GJ、と思った。
で、長身の彼はグラパンのときはかなり腰を折って演技しているので、パーシーに戻るときにスッと身長が伸びるのが、なかなか素敵なインパクト。
そうそう、変装から真の姿への変化のギャップ、これがすごく「ヒーロー物」っぽい!(笑)
天知茂の明智小五郎が、変装を解く瞬間のときめきを思い出したわ!(古すぎ)
ムーア@『ラスト プレイ』はすごく良かったけど、『HAMLET!!』は若さと足りなさが目に付き、歌もそれほどうまいわけじゃない?と思ったりもしたし、『スカピン』本公演でやっているスカピン団の末っ子ハル役は目立たないっちゅーか埋もれてる感があるだけに、不安もあったんだが。
実際新公の板の上に主役として乗せてしまえば、やっぱりうまいし、舞台映えする。
オリジナルより新公がイイってのは、お手本があると強いってことなのかな。また、きりやんの指導がイイのかもしれんし。
それはなにしろまだ研3になったばかり、2年前に初舞台生としてロケットで足を上げていたよーな子だもの、これから経験を積めば落ち着いていくだろう。
あれだけ舞台映えする容姿と、早熟な芸風、なにより舞台度胸があるんだから、これから楽しみだ。
……ええ、新公初主演でテンパってぐだぐだになったり、泣き出したりしない挨拶、久しぶりに見たっ。
そっか、泣かないんだ……もお最近、泣き出すのがデフォかと思っていたよ……みんな泣くもんよ……。
なにしろヅカだから、挨拶でパニクったり泣いちゃったりするのは微笑ましいけど、泣かないで最後まで勤め上げるのもえらいよ、よくやったと感心したよ。
力のある作品だから、別キャストで観られる、それだけでもうれしいし楽しいことなんだけど。
星組に続いて月組も、力のある新人公演だった。
パーシーは自力で「真ん中」に立ち、「ヒーロー!」として舞台を、物語をまとめて見せた。
おもしろいなあ、ほんと。
観ることが出来て良かった。
仲間内で名作や有名作の妄想配役で盛り上がったりすることがあるように、力のある物語は別キャストゆえに新公も楽しみになる。
つーことで、新人公演『スカーレット・ピンパーネル』、トウコ、ペニー、きりやんに続いて4人目のパーシー@たまきちくんは。
「ヒーロー!」でした。
ナニ、あの好青年!
堂々たる体躯。長身で肩幅や胸板もあり、さわやかな明るさを持つ美丈夫でした。
研3という学年からイメージすれば、もっとキラキラな少年、子どもっぽい、とか、若い、姿になるもんなんだが、たまきちくんに関してはそーゆー次元を超えている。
ふつーに青年。
や、前回の新公がナチュラルにおっさんすぎたせいで、青年に見えることがすごいというか(笑)。
残念ながらわたしには彼が美貌の人にはまったく見えないし(すまん)、ムーア@『ラスト プレイ』のいぶし銀っぷりから、彼の適所が「研3で新公主演」ということなのかどうか危惧していた。
が、こうして真ん中に立ってみるとふつーに「明るさ」のある人だった。
キラキラ、という形容よりも、明るい、が相応しい。
陽気ではなく、明るい。輝度よりは、明度がある。
他3人のパーシーよりも、いちばん真っ当に「冒険活劇のヒーロー」でした。
トウコパーシーはクセモノ感強いし(そこがイイ)、ベニーは頭脳はデュハースト頼みで本能疾走系だったし(そこがイイ)、きりやんは重みがあるし(そこがイイ)、より明快にヒーローやっているのはたまきちかなと。
余計な説明がいらないのだわ。
この人、いい人で、それで人助けやってんだわ。と。
とても魂が健康な人だから、澱みを見過ごせなくてがんばっちゃってるんだ。
心がやわらかい、愛されキャラ。
相棒のデュハースト@鳳月杏くんがおっさんキャラなこともあり、パーシーがみんなから愛でられているのがわかる。
結婚式の夜、マルグリット@りっちーが裏切っているかもしれないとデュハーストに進言されたときの揺れっぷりとか、彼女の反応を見るために、嘘の手紙を仕掛けると決めたときの傷つきっぷりとか。
なんて素直に気持ちを表に出す人なんだろう。
これだけやさしい素直な若者だから、ヒーローやってるんだ。
育ちのいい貴公子なんだ。
まっすぐな青年がまっすぐに、お約束のヒーローをやっている。
なんて明快なヒーロー物なの、『スカーレット・ピンパーネル』って(笑)。
たまきちくんは、最初見えた硬さがどんどん解け、とても素直に舞台に立っている……ライトを浴びているように見えた。
歌声もあとになるほどのびやかになっていく。おお、ふつーにうまい、歌えてるじゃん。つか、大物やなヲイ。
グラパンはきりやんよりはコミカルなトウコ寄りの作り。うん、いっそお笑いキャラに行く方が、役者経験の少ない彼には、パーシーとの差を明確に出来てやりやすいんだろう。演出家GJ、と思った。
で、長身の彼はグラパンのときはかなり腰を折って演技しているので、パーシーに戻るときにスッと身長が伸びるのが、なかなか素敵なインパクト。
そうそう、変装から真の姿への変化のギャップ、これがすごく「ヒーロー物」っぽい!(笑)
天知茂の明智小五郎が、変装を解く瞬間のときめきを思い出したわ!(古すぎ)
ムーア@『ラスト プレイ』はすごく良かったけど、『HAMLET!!』は若さと足りなさが目に付き、歌もそれほどうまいわけじゃない?と思ったりもしたし、『スカピン』本公演でやっているスカピン団の末っ子ハル役は目立たないっちゅーか埋もれてる感があるだけに、不安もあったんだが。
実際新公の板の上に主役として乗せてしまえば、やっぱりうまいし、舞台映えする。
オリジナルより新公がイイってのは、お手本があると強いってことなのかな。また、きりやんの指導がイイのかもしれんし。
それはなにしろまだ研3になったばかり、2年前に初舞台生としてロケットで足を上げていたよーな子だもの、これから経験を積めば落ち着いていくだろう。
あれだけ舞台映えする容姿と、早熟な芸風、なにより舞台度胸があるんだから、これから楽しみだ。
……ええ、新公初主演でテンパってぐだぐだになったり、泣き出したりしない挨拶、久しぶりに見たっ。
そっか、泣かないんだ……もお最近、泣き出すのがデフォかと思っていたよ……みんな泣くもんよ……。
なにしろヅカだから、挨拶でパニクったり泣いちゃったりするのは微笑ましいけど、泣かないで最後まで勤め上げるのもえらいよ、よくやったと感心したよ。
力のある作品だから、別キャストで観られる、それだけでもうれしいし楽しいことなんだけど。
星組に続いて月組も、力のある新人公演だった。
パーシーは自力で「真ん中」に立ち、「ヒーロー!」として舞台を、物語をまとめて見せた。
おもしろいなあ、ほんと。
観ることが出来て良かった。
再確認、「ミュージカル」ってものは。@新人公演『スカーレット・ピンパーネル』
2010年5月12日 タカラヅカ 「歌劇」であってもここはタカラヅカ、歌の上手さはあまり関係ない。
と、普段のわたしは思っている。物語好きのわたしは、歌よりも芝居ができない……つーか、芝居がわたしの好みに合わない人の方が、観ていてツライ。
だから歌唱力はあまり問わない……そりゃうまい方がイイに決まってるけど、うまくないからダメということはまずナイ。
されど、「歌える」ことによってナニが出来るか出来ないか、見せつけられたなあ、と思った、新人公演『スカーレット・ピンパーネル』。
新公の配役で、いちばんたのしみだったのはショーヴラン@ゆりやくんだ。
そこそこ役付きのイイ彼なので、今回もわりとイイ役が付くのではないかという期待はあった。しかし、ショーヴランは、意外だった。ぶっちゃけ、パーシー役が来る方が驚かなかった。
ゆりやくん自身がどんな人かはまーったく知らないが、舞台上の彼はヘタレ系美青年だ。なにしろジェラルド@『ME AND MY GIRL』、フランツ@『エリザベート』、ジークムント@『ラスト プレイ』と、素敵にヘタレな二枚目をやってきた。
笑っているのか泣いているのかわからないよーなくしゃっとした笑顔、薄幸さを感じるキャラクタ……顔立ちは別に似てないのに、彼を個別認識するなり「まっつに似てる」と友人が言い張って聞かないよーな、そんな舞台姿。
あの終始困った顔で舞台に立っている、甘い美形くんがショーヴラン? フランツ役でも「歌、がんばれ」だった彼が、ショーヴラン?
『スカピン』本公演では金髪巻き毛の「カンチガイオシャレキャラ」として花開いているあのゆりやくんが?
紫門ゆりや、新境地なるか?
ちなみに、『夢の浮橋』でも悪役やってたけど、ぜんっぜん足りてなかった彼ですよ?
ほんと歌唱力はどーでもいいんで、彼のキャラだけ楽しみたくて、わくわくと劇場へ駆けつけました。
短縮版になっている新公では、ショーヴランはマルグリット@りっちーを脅すところからスタート。劇場閉鎖を解いてほしかったら、侯爵の居場所を教えろと。
改めて。
紫門ゆりやは、美形だと思う。
や、もともと91期ナンバーワンの美形さんだと思っていたけれど。(91期文化祭で顔をおぼえて帰ることが出来たのが、王子様系美形のゆりやくんと、クドくて変な……もとい個性的なまんちゃんのみだったという)
顔立ちの端正さよりも、八の字眉の泣きそうなヘタレ顔の方が強印象になりがちだった。
が、しかし、黒塗り化粧できりりっと表情を引き締め悪役をやるゆりやくんは、とても美しかった。
ああ、美形だわ、美形っていいわ、目と心の潤いだわ。そう思って見ていたんだが。
えーと。
歌が。
ショーヴランの、難曲の数々が。
大変なことに。
……歌唱力は重要ではない、芝居さえ出来れば、と思っていた。
植爺や谷芝居ならきっと、歌唱力は関係なかったと思う。芝居と歌は分離されていて、「歌=銀橋」で芝居内容とは無関係に番手に必要だからと披露させるだけの意味しかない。
しかし「ミュージカル」はチガウ。
「歌=芝居」なんだ。
歌を歌えないっつーのは、芝居をする技術がないってことになるんだ。
もうすっかりヅカ作品に慣れていたから、鈍感になっていたよ。そうだった、「ミュージカル」って歌唱力が必要だった! 当たり前のことなのに、すっかり忘れてた。
ショーヴランの歌は全部「芝居」だ。銀橋で「スターですよ」と示すためにあるのではなく、歌唱力という技術を披露する場でもなく、物語を表現するためにあるんだ。
もちろん、歌だけの台詞ナシで進む芝居じゃないから、歌がうまくなくてもふつーの芝居部分で取り返せるけど。
しかし、歌も芝居の一部である以上、歌になるなり芝居技術が落ちる芝居ってのは、見ていてつらい。
技術ってのは、「器」なんだと思った。
大きな器があれば、入った水はそうそうこぼれない。ぐるんぐるん揺らしても余裕。
でも小さな器だとすぐに水がいっぱいになってしまい、動かすことも出来ない。
歌唱力があれば、水の量は同じでも、自在に揺らし、表現することが出来る。
反対に歌唱力がないと、こぽさないようにするだけで精一杯、なにかを表現するどころじゃない。
表現するための技術なんだ。
たとえば、どんだけ芝居がうまくても日本語の発音が出来ないとか、なにを言っているのか聞き取れないような人がいたら、芝居で感動させるのは難しいだろう。
まず基本的な技術があって、その上でどんな芝居をするか、表現をするか、なんだ。
ゆりやくんに技術があったら、どんなショーヴランを見せてくれたんだろうか。
歌えない彼は、「表現」することが出来ない。
100まであるメーターの50位のところにフタがされてしまい、それ以上高く飛ぶことが出来ずにいた。
あのフタさえなければ、彼はどこまで飛べたんだろう? ……フタをしたのは他でもない、彼自身とはいえ。
声を潰してなお、歌芝居を一貫させていたまさおは、うまかったんだなと再確認した。(新公の時点で、みりおショーヴランはまだ見ていない)
そしてなにより、星組新公の麻尋ショーヴランを思った。
星組新公がおもしろかったのは、パーシーとショーヴランの拮抗した姿にある。パーシーがペパーミントの風をさわやかに吹かせれば、次の場面でショーヴランが濁った闇で染め上げる、次の場面でパーシーがキラキラお日さま色のオーラを振りまく、といった具合に。場面ごとに別物、パーシーが登場するたび、ショーヴランが登場するたび、がらりと舞台の色が変わる。
それが、ものすごく面白かった。
そうやって主役の色を一瞬で打ち消す、麻尋ショーヴランの強さ。
あれは彼の豊かな歌唱力にもあったんだな。
「表現」するに足りる歌唱力。麻尋は登場するなりテンションMAXでブチキレてたけど、あれだけ暴走していいほどの技術があった。
あれだけ抱腹絶倒の舞台を見せてくれたのは、たしかな技術の裏打ちあってこそだったんだ。
……へたっぴな人がただテンパって暴走したら、それってただの学芸会だもんなー。麻尋の新公はいつも暴走していて面白かったけど、それってやっぱ彼がうまかったからなんだなー。
と、今さらなことに感心し、切なくなる。彼はかわいらしすぎる外見で損して、芸風と見た目と劇団の嗜好(美少年には女役や中性的な役をやらせる)と折り合いを付けられないまま退団してしまったよなあ。劇団が彼の芸風に合った骨太な男役をやらせてやれば、彼の男役人生もちがっていただろうに。
そしてまた、ぜんぜん関係ない『さすらいの果てに』という芝居を思い出したりした。
Wキャスト作品で、歌が得意でない主役が演じていたときは脚本の粗ばかり目について抱腹絶倒だったけど、歌唱力のある人が主役を演じたときは歌でねじ伏せてしまってそれなりに良い作品だったよーな錯覚を持ったなあ、なんてことを。
とまあ、実際に目にしているゆりやくんを超えて、いろんなことに思いをめぐらせてしまいました(笑)。
んで、結論。
「表現」するための武器はあった方がイイね、表現者には。
や、それでもゆりやくんは好きだ(笑)。
と、普段のわたしは思っている。物語好きのわたしは、歌よりも芝居ができない……つーか、芝居がわたしの好みに合わない人の方が、観ていてツライ。
だから歌唱力はあまり問わない……そりゃうまい方がイイに決まってるけど、うまくないからダメということはまずナイ。
されど、「歌える」ことによってナニが出来るか出来ないか、見せつけられたなあ、と思った、新人公演『スカーレット・ピンパーネル』。
新公の配役で、いちばんたのしみだったのはショーヴラン@ゆりやくんだ。
そこそこ役付きのイイ彼なので、今回もわりとイイ役が付くのではないかという期待はあった。しかし、ショーヴランは、意外だった。ぶっちゃけ、パーシー役が来る方が驚かなかった。
ゆりやくん自身がどんな人かはまーったく知らないが、舞台上の彼はヘタレ系美青年だ。なにしろジェラルド@『ME AND MY GIRL』、フランツ@『エリザベート』、ジークムント@『ラスト プレイ』と、素敵にヘタレな二枚目をやってきた。
笑っているのか泣いているのかわからないよーなくしゃっとした笑顔、薄幸さを感じるキャラクタ……顔立ちは別に似てないのに、彼を個別認識するなり「まっつに似てる」と友人が言い張って聞かないよーな、そんな舞台姿。
あの終始困った顔で舞台に立っている、甘い美形くんがショーヴラン? フランツ役でも「歌、がんばれ」だった彼が、ショーヴラン?
『スカピン』本公演では金髪巻き毛の「カンチガイオシャレキャラ」として花開いているあのゆりやくんが?
紫門ゆりや、新境地なるか?
ちなみに、『夢の浮橋』でも悪役やってたけど、ぜんっぜん足りてなかった彼ですよ?
ほんと歌唱力はどーでもいいんで、彼のキャラだけ楽しみたくて、わくわくと劇場へ駆けつけました。
短縮版になっている新公では、ショーヴランはマルグリット@りっちーを脅すところからスタート。劇場閉鎖を解いてほしかったら、侯爵の居場所を教えろと。
改めて。
紫門ゆりやは、美形だと思う。
や、もともと91期ナンバーワンの美形さんだと思っていたけれど。(91期文化祭で顔をおぼえて帰ることが出来たのが、王子様系美形のゆりやくんと、クドくて変な……もとい個性的なまんちゃんのみだったという)
顔立ちの端正さよりも、八の字眉の泣きそうなヘタレ顔の方が強印象になりがちだった。
が、しかし、黒塗り化粧できりりっと表情を引き締め悪役をやるゆりやくんは、とても美しかった。
ああ、美形だわ、美形っていいわ、目と心の潤いだわ。そう思って見ていたんだが。
えーと。
歌が。
ショーヴランの、難曲の数々が。
大変なことに。
……歌唱力は重要ではない、芝居さえ出来れば、と思っていた。
植爺や谷芝居ならきっと、歌唱力は関係なかったと思う。芝居と歌は分離されていて、「歌=銀橋」で芝居内容とは無関係に番手に必要だからと披露させるだけの意味しかない。
しかし「ミュージカル」はチガウ。
「歌=芝居」なんだ。
歌を歌えないっつーのは、芝居をする技術がないってことになるんだ。
もうすっかりヅカ作品に慣れていたから、鈍感になっていたよ。そうだった、「ミュージカル」って歌唱力が必要だった! 当たり前のことなのに、すっかり忘れてた。
ショーヴランの歌は全部「芝居」だ。銀橋で「スターですよ」と示すためにあるのではなく、歌唱力という技術を披露する場でもなく、物語を表現するためにあるんだ。
もちろん、歌だけの台詞ナシで進む芝居じゃないから、歌がうまくなくてもふつーの芝居部分で取り返せるけど。
しかし、歌も芝居の一部である以上、歌になるなり芝居技術が落ちる芝居ってのは、見ていてつらい。
技術ってのは、「器」なんだと思った。
大きな器があれば、入った水はそうそうこぼれない。ぐるんぐるん揺らしても余裕。
でも小さな器だとすぐに水がいっぱいになってしまい、動かすことも出来ない。
歌唱力があれば、水の量は同じでも、自在に揺らし、表現することが出来る。
反対に歌唱力がないと、こぽさないようにするだけで精一杯、なにかを表現するどころじゃない。
表現するための技術なんだ。
たとえば、どんだけ芝居がうまくても日本語の発音が出来ないとか、なにを言っているのか聞き取れないような人がいたら、芝居で感動させるのは難しいだろう。
まず基本的な技術があって、その上でどんな芝居をするか、表現をするか、なんだ。
ゆりやくんに技術があったら、どんなショーヴランを見せてくれたんだろうか。
歌えない彼は、「表現」することが出来ない。
100まであるメーターの50位のところにフタがされてしまい、それ以上高く飛ぶことが出来ずにいた。
あのフタさえなければ、彼はどこまで飛べたんだろう? ……フタをしたのは他でもない、彼自身とはいえ。
声を潰してなお、歌芝居を一貫させていたまさおは、うまかったんだなと再確認した。(新公の時点で、みりおショーヴランはまだ見ていない)
そしてなにより、星組新公の麻尋ショーヴランを思った。
星組新公がおもしろかったのは、パーシーとショーヴランの拮抗した姿にある。パーシーがペパーミントの風をさわやかに吹かせれば、次の場面でショーヴランが濁った闇で染め上げる、次の場面でパーシーがキラキラお日さま色のオーラを振りまく、といった具合に。場面ごとに別物、パーシーが登場するたび、ショーヴランが登場するたび、がらりと舞台の色が変わる。
それが、ものすごく面白かった。
そうやって主役の色を一瞬で打ち消す、麻尋ショーヴランの強さ。
あれは彼の豊かな歌唱力にもあったんだな。
「表現」するに足りる歌唱力。麻尋は登場するなりテンションMAXでブチキレてたけど、あれだけ暴走していいほどの技術があった。
あれだけ抱腹絶倒の舞台を見せてくれたのは、たしかな技術の裏打ちあってこそだったんだ。
……へたっぴな人がただテンパって暴走したら、それってただの学芸会だもんなー。麻尋の新公はいつも暴走していて面白かったけど、それってやっぱ彼がうまかったからなんだなー。
と、今さらなことに感心し、切なくなる。彼はかわいらしすぎる外見で損して、芸風と見た目と劇団の嗜好(美少年には女役や中性的な役をやらせる)と折り合いを付けられないまま退団してしまったよなあ。劇団が彼の芸風に合った骨太な男役をやらせてやれば、彼の男役人生もちがっていただろうに。
そしてまた、ぜんぜん関係ない『さすらいの果てに』という芝居を思い出したりした。
Wキャスト作品で、歌が得意でない主役が演じていたときは脚本の粗ばかり目について抱腹絶倒だったけど、歌唱力のある人が主役を演じたときは歌でねじ伏せてしまってそれなりに良い作品だったよーな錯覚を持ったなあ、なんてことを。
とまあ、実際に目にしているゆりやくんを超えて、いろんなことに思いをめぐらせてしまいました(笑)。
んで、結論。
「表現」するための武器はあった方がイイね、表現者には。
や、それでもゆりやくんは好きだ(笑)。
彼女は歌う、愛の歌を。@新人公演『スカーレット・ピンパーネル』
2010年5月13日 タカラヅカ 植爺芝居はともかく、真っ当に「ミュージカル」ならば、表現する技術のひとつとして、歌唱力の有無が重要。
それを思い知った、新人公演『スカーレット・ピンパーネル』。
ショーヴラン@ゆりやくんの自爆っぷりもそうだが、もうひとり、マルグリット@りっちーの歌唱力に、舌を巻いた。
りっちーのマルグリットは、美しくないわけじゃないけど、なんかすごく年上に見えた。女優とかヒロインとかいうより、別格女役スター。
もともとマルグリットは可憐なお姫様ではなくて、強い大人の女系の役だけど、それにしてもえらく大人で地味なマルグリットだなあ、と正直最初は思った。
マリアおばさま@『ME AND MY GIRL』のときは「おばさま若っ」と思ったけど、いざヒロイン役をやると「マルグリットふけ……ゲフンゲフン、大人っ」と思うのだから、ヅカのヒロインって難しいな。
「パリいちばんの女優」という華やかさは感じられないけれど、存在感はあると思った。
彼女はとても、強い。
実際平手打ちだのなんだのと、大暴れな演出にしてあるし。
ふつうに芝居をしているときのマルグリットには、あまり興味を持てなかった。深刻な感じはいいけど、もう少し光がないと真ん中はつらいなあ、とか、そんなことを思っていた。
しかし。
彼女が歌い出すと、一気に引き込まれた。
歌っているときの方が饒舌なんだ!
この作品において歌は歌なだけではなく、芝居のひとつである。特に、キャラクタの心情を表す部分である。
日常のやりとりは平凡に見えても、心情を打ち出す部分が雄弁ならば、物語としてぜんぜん成り立つんだってば!
歌にはらはらしないですむ、はじめてのマルグリットかもしれん(笑)。
マルグリットのソロ「あなたを見つめると」で、あれっ?と思い、でもまたふつーの芝居の平坦さに見失い、さらにソロの「忘れましょう」でガツンとやられた。
てゆーか。
「忘れましょう」で泣けたんですが。
ナニ、あの悲痛な絶唱。
なまじそれまでが地味に堅実な分、彼女の弱さというか揺れている切ない部分が全開になると、そのギャップでオチた。
うわ、このマルグリット好きかも?!
歌で表現する人なんだ、演技する人なんだ。
歌っているときの方が絶対華やかだ。
ソロでマルグリットというキャラクタを見せつけてくれたんで、あとはもお、感情移入OKですよ。
彼女がどんな人かわかってるんだもん、伝わったんだもん。多少地味でも固くまとまっていても無問題。
ステージで歌う「ひとかけらの勇気」にも、素直に感動。
歌唱力ってのは、ミュージカルにおいて大切な表現方法なんだな。表現者の武器なんだな。
それをしみじみ思った。
りっちーがこの武器を持って、もっと早くから芝居とか舞台での発光の仕方とかを学ぶ機会があれば、チガウ役者になっていたのかもしれない。
旬の短い娘役で、研7になってはじめての機会だというのが惜しい。研3とか4でこんな機会に恵まれていたら、実力と光を持ったヒロイン役者さんになったかも……。(当時は男役だったから仕方ないが)
研7でこの大人っぽい持ち味だと、ヅカのヒロイン役者カテゴリには入らないだろうなあ。
この歌声は、研7の今だから持ち得たものかもしれないし。
ナニが良い悪いもないんだろうけど。
もったいない、惜しい、と思いつつ。
素晴らしい歌声を持った娘役さんとの出会いを、心から喜んだ。
研7で新公初主演という前例のあまりない彼女に、劇団がちゃんと活躍の場を与えてくれることを祈る。
でもって、歌唱力といえば、もうひとり。
ロベスピエール@宇月くん、かっけー!!
黒いー、うまいー、きゃー。
強いんですよこのロベ様。
グラパン@たまきちくんの撃った弾を指先で難なく受け止め、それどころかはじき返してたぞ?!(笑)
ショーヴランが自爆しているだけに、ロベスピエールの強さと役不足っぷりが残念でならない。
言っても仕方ないことだが、宇月くんのショーヴランが見たかった……。でもって、ゆりやくんはヘタレの殿堂としてぜひアルマンをやって欲しかった……(笑)。
ロベスピエールって、出番少なかったんだねえ。
初演では「こんなに出番が?!」と思ったのに。
近年実力をつけてきている宇月くんだから、新公配役発表前はパーシーかショーヴランだと思っていた。長の学年なわけだし。
彼に新公主演して欲しいからパーシーが見たいけど、月組はスターの早期抜擢とひとりっ子政策の組。堅実に一歩一歩上がってきた宇月くんより、一足飛びにたまきちくんに主演が回るかもしれない。
だとしても最悪ショーヴラン役は回ってくるだろう、実力的にいっても学年的にいっても。と、思っていた。
まさかロベスピエールとはなあ。
抜擢若手主演を支える役目をヒロインに回し、2番手役は華と美貌担当になるとはなー。
ショーヴランがヘタレ一直線なので、余計にロベスピエールのラスボス感が出ていた。
うん、悪いのはコノヒトデスヨ!
新公ではヒーロー物の冒険活劇っぷりが上がっていたので、パーシーのまっすぐなヒーローぶり、悪の手先ショーヴラン、強いラスボスのロベスピエール、とわかりやすい力関係になっていたと思う。
だから是非、地団駄踏むロベスピエールが見たかったなあ。手先をやっつけて完、ではなく、ちゃんとラスボスまで言及して欲しかったよ。
ところで、あの強くて堅実で、女優なんていう不確実な人気商売をしていたとは思えないりっちーマルグリットは、ほんとうにあの頼りないゆりやショーヴランとつきあっていたんでしょうか。
全部ショーヴランの思い込みに見えたんですが。あのおねーさまが、キミみたいな小僧っこを相手にするわけないやん。
ちょっとつきあってくれたとしたら、そりゃキミの顔がイイからだよきっと。
大人のおねーさまこそがついうっかりジャニーズの美少年にハマっちゃったりする、あの感じで。でも、現実の恋人や夫は別、ちゃんといます、区別はついてます、みたいな。
いやはや、ゆりやくんならわたしもお願いしたいです、是非(笑)。
それを思い知った、新人公演『スカーレット・ピンパーネル』。
ショーヴラン@ゆりやくんの自爆っぷりもそうだが、もうひとり、マルグリット@りっちーの歌唱力に、舌を巻いた。
りっちーのマルグリットは、美しくないわけじゃないけど、なんかすごく年上に見えた。女優とかヒロインとかいうより、別格女役スター。
もともとマルグリットは可憐なお姫様ではなくて、強い大人の女系の役だけど、それにしてもえらく大人で地味なマルグリットだなあ、と正直最初は思った。
マリアおばさま@『ME AND MY GIRL』のときは「おばさま若っ」と思ったけど、いざヒロイン役をやると「マルグリットふけ……ゲフンゲフン、大人っ」と思うのだから、ヅカのヒロインって難しいな。
「パリいちばんの女優」という華やかさは感じられないけれど、存在感はあると思った。
彼女はとても、強い。
実際平手打ちだのなんだのと、大暴れな演出にしてあるし。
ふつうに芝居をしているときのマルグリットには、あまり興味を持てなかった。深刻な感じはいいけど、もう少し光がないと真ん中はつらいなあ、とか、そんなことを思っていた。
しかし。
彼女が歌い出すと、一気に引き込まれた。
歌っているときの方が饒舌なんだ!
この作品において歌は歌なだけではなく、芝居のひとつである。特に、キャラクタの心情を表す部分である。
日常のやりとりは平凡に見えても、心情を打ち出す部分が雄弁ならば、物語としてぜんぜん成り立つんだってば!
歌にはらはらしないですむ、はじめてのマルグリットかもしれん(笑)。
マルグリットのソロ「あなたを見つめると」で、あれっ?と思い、でもまたふつーの芝居の平坦さに見失い、さらにソロの「忘れましょう」でガツンとやられた。
てゆーか。
「忘れましょう」で泣けたんですが。
ナニ、あの悲痛な絶唱。
なまじそれまでが地味に堅実な分、彼女の弱さというか揺れている切ない部分が全開になると、そのギャップでオチた。
うわ、このマルグリット好きかも?!
歌で表現する人なんだ、演技する人なんだ。
歌っているときの方が絶対華やかだ。
ソロでマルグリットというキャラクタを見せつけてくれたんで、あとはもお、感情移入OKですよ。
彼女がどんな人かわかってるんだもん、伝わったんだもん。多少地味でも固くまとまっていても無問題。
ステージで歌う「ひとかけらの勇気」にも、素直に感動。
歌唱力ってのは、ミュージカルにおいて大切な表現方法なんだな。表現者の武器なんだな。
それをしみじみ思った。
りっちーがこの武器を持って、もっと早くから芝居とか舞台での発光の仕方とかを学ぶ機会があれば、チガウ役者になっていたのかもしれない。
旬の短い娘役で、研7になってはじめての機会だというのが惜しい。研3とか4でこんな機会に恵まれていたら、実力と光を持ったヒロイン役者さんになったかも……。(当時は男役だったから仕方ないが)
研7でこの大人っぽい持ち味だと、ヅカのヒロイン役者カテゴリには入らないだろうなあ。
この歌声は、研7の今だから持ち得たものかもしれないし。
ナニが良い悪いもないんだろうけど。
もったいない、惜しい、と思いつつ。
素晴らしい歌声を持った娘役さんとの出会いを、心から喜んだ。
研7で新公初主演という前例のあまりない彼女に、劇団がちゃんと活躍の場を与えてくれることを祈る。
でもって、歌唱力といえば、もうひとり。
ロベスピエール@宇月くん、かっけー!!
黒いー、うまいー、きゃー。
強いんですよこのロベ様。
グラパン@たまきちくんの撃った弾を指先で難なく受け止め、それどころかはじき返してたぞ?!(笑)
ショーヴランが自爆しているだけに、ロベスピエールの強さと役不足っぷりが残念でならない。
言っても仕方ないことだが、宇月くんのショーヴランが見たかった……。でもって、ゆりやくんはヘタレの殿堂としてぜひアルマンをやって欲しかった……(笑)。
ロベスピエールって、出番少なかったんだねえ。
初演では「こんなに出番が?!」と思ったのに。
近年実力をつけてきている宇月くんだから、新公配役発表前はパーシーかショーヴランだと思っていた。長の学年なわけだし。
彼に新公主演して欲しいからパーシーが見たいけど、月組はスターの早期抜擢とひとりっ子政策の組。堅実に一歩一歩上がってきた宇月くんより、一足飛びにたまきちくんに主演が回るかもしれない。
だとしても最悪ショーヴラン役は回ってくるだろう、実力的にいっても学年的にいっても。と、思っていた。
まさかロベスピエールとはなあ。
抜擢若手主演を支える役目をヒロインに回し、2番手役は華と美貌担当になるとはなー。
ショーヴランがヘタレ一直線なので、余計にロベスピエールのラスボス感が出ていた。
うん、悪いのはコノヒトデスヨ!
新公ではヒーロー物の冒険活劇っぷりが上がっていたので、パーシーのまっすぐなヒーローぶり、悪の手先ショーヴラン、強いラスボスのロベスピエール、とわかりやすい力関係になっていたと思う。
だから是非、地団駄踏むロベスピエールが見たかったなあ。手先をやっつけて完、ではなく、ちゃんとラスボスまで言及して欲しかったよ。
ところで、あの強くて堅実で、女優なんていう不確実な人気商売をしていたとは思えないりっちーマルグリットは、ほんとうにあの頼りないゆりやショーヴランとつきあっていたんでしょうか。
全部ショーヴランの思い込みに見えたんですが。あのおねーさまが、キミみたいな小僧っこを相手にするわけないやん。
ちょっとつきあってくれたとしたら、そりゃキミの顔がイイからだよきっと。
大人のおねーさまこそがついうっかりジャニーズの美少年にハマっちゃったりする、あの感じで。でも、現実の恋人や夫は別、ちゃんといます、区別はついてます、みたいな。
いやはや、ゆりやくんならわたしもお願いしたいです、是非(笑)。
本当の自由を。@新人公演『スカーレット・ピンパーネル』
2010年5月14日 タカラヅカ たまきちくんのパーシーでいちばんときめいたのは、なんといっても最後の一騎打ち場面。
剣を構え、すっと腕を広げたとき。
うおお、かっこいー。
あのガタイはときめきですよ!
その昔、同じような白いブラウス姿のあさこちゃんにときめいた、あの感じ!
ヲトメハートがきゅんとするわ(笑)。
さて、そのヒーローらしいヒーローの活躍する新人公演『スカーレット・ピンパーネル』。
パーシーの相棒、デュハースト@鳳月杏くんてば、いい感じにおっさんで、素敵だった!
目からウロコ。
そうか、デュハーストが年長者、つーのもアリなんだ!
初演星組、星組新公、そして今回の月組本公演。すべてデュハーストはふつーに青年だった。星組では本公演も新公もパーシーと同世代、月組本公演ではパーシーより明らかに年下。
パーシーが恋愛結婚の新婚さんだし、その友人であるスカピン団のみなさんも独身カノジョ持ち、つーことで若いんだと思い込んでいた。
ところが今回の新公では、鳳月くんが渋い大人で、青いパーシーを支えたりあやしたり、たしなめたり時に驚いたりと、良い距離感と空気感だった。
パーシーがいかにもなヒーローなので、その親友はブレーキ役の大人なんだ!
えええ、いいじゃんその設定!
星組新公が、本能突っ走り型のパーシー@ベニーと、冷静でチームのブレインなデュハースト@みやるりという、これまたオイシイ萌えコンビだったことを思い出す。
パーシーとデュハーストっていいよなー。バディ物としていろんなパターンを試せるんだわ~。
鳳月くんは前回の新公と、本公演の代役でがんばって大人の役をやっていた、よなあ。
その経験が活きているということか、こんなに素敵に大人だなんて。
おっさんスキーなわたしは心から喜びました。やーん、いい感じに育ってるわ~~。
ひとりだけ年長者って感じに、若い幼いスカピン団に混ざっているのが、イイの。
オサレ衣装を取り合う場面がなかったので、カッコイイところしか基本出てこないし。
前回丸いと思ったフェイスラインも、落ち着いて来た? いい男でした、マジで。
そして、配役見てツボっていた、フォークス@まんちゃん!!(笑)
フォークスって貴公子役ですよ? すずみん王子がやっていた役ですよ?!
それを、まんちゃん?!
えーと。
端正に演じるまんちゃんは、あんまり破壊力なかったっす。
なんだ、ふつーだわ、と思ってしまったわたしは、彼にナニを求めているんでしょう。
いやその、前回の新公ヴィクトール@『ラスト プレイ』が、出オチっつーくらい、えらいことになってたからさぁ……(笑)。
ところでフォークス様って宮廷靴にバンドしているのはデフォなんですか? それともまんちゃんだけ? 本役様の足元までおぼえてないっつーか、気づかなかったってことは、してないのかな?
庭で恋人ちゃんたちとラヴラヴする場面で、フォークス様の足の甲に、18世紀のイギリスらしからぬ透明のバンドを見つけ、気になって仕方なかった。パンプスがすっぽ抜けないように足の甲に巻き付けるアレ。ふつーに色があればストラップシューズっぽく見えるけど、透明だから余計目に付いた。
ふつーに二枚目を演じるまんちゃんはとてもふつーで、本公演のモブで踊っているときの方がキラキラかっこいい気がしたナリ……。
スカピン団は案の定、あまりキャラが立っていない。
アルマン@煌月くんも、まざってしまうとやっぱり目立たない……本公演でもそうだけど。
煌月くん、スカステで見る限りきれいな顔立ちなのに、舞台で見ると丸さが目立つなあ。
そんな中、エルトンが、変な人だった。
誰だアレ、と調べました(笑)。隼海惺くん・研3ですか。
オカマキャラ? フリルのハンケチひらひらさせる系のキャラになっていたような。や、そこまでバカやってないけど、それ系のイメージでキャラを作っていた。
なにかするたびに微妙にシナを作るというか。
スカピン団のキャラ立てってのは、自由なんだよね? にしても、ナニをどうやってキャラの割り振りするんだろう?
「オレ、オカマやるわ」「えー、ずるい、ボクもオカマさんやりたいー」とか、希望が重なったりしないんだろうか。
団体戦だと、イロモノがオイシイもんなあ。
華蘭くんがかなりがんばっていたが……がんばっている、ということはわかったれど、キャラ立ちまでは至ってなかったよーな。
ひそかに注目している愛希くんですが、やっぱり彼まだ「男役」ぢゃないっす……。子役とは言わんが、少年役だわアレは。
きらきらのパツキンがスウィートな美少年。声変わりもまだです。
とびぬけて幼いのと髪の色でスカピン団でも目に付くけれど、芸では足りないことだらけ。
好みの顔立ちなだけに、成長を祈ります。……このままだとわたし、ショタコンなキモチになっちゃうわ……。
さて、愛希くん・研2が少年道まっしぐらなのに対し、同期の輝月くんはおっさん道を歩み出してます。
サン・シール侯爵キターーッ!! と、配役発表時にツボりました。
ナニ気に抜擢ですよ、話題になってナイけど! 研2でソロのあるおっさん役! ヒゲ! ヒゲ!(笑)
緊張が解ける間もなく終わってしまった感があったので、もう少し見せ場があったら良かったのにな。
ヒゲをつけてもやっぱ若々しく、美形さんでありました。
役としては一瞬だけど、アルバイトはいっぱい。つか、モブの中で、すげー熱量でシャウトしてらっしゃいました。
ガタイがいいし、男役としてキレイなので目立つよね~~。
本公演では兵士やってたっけ? 新公では民衆だからはじけ方、入り込み方がハンパないっす。「栄光の日々」はいいなー。
かっこいいなあ、輝月くん……。ときめきキャラだわほんと。
それと、ピポー軍曹@輝城みつるくんが、なんか耽美キャラでした。
眼帯の色男っつー感じで。ガルシア@『激情』っぽいというか。
プリンス@響れおなくんもうまかったし、メルシエ&クーポーが美形だった。つか瑞羽くんはここにいたのね。
ジュサップ@海桐くんはヒゲに顔が埋もれていた(笑)。あの大きな目だけぐるんぐるんと動いていて、すごく楽しそう。
恋人ちゃんたちでは、なんつってもシュザンヌ@ちゅーちゃんの美貌が際立ってたっす!
他のオンナノコたちもかわいい! 初々しい!
本公演はなにがどうぢゃないけどええっとその、いろいろと残念な配役なので、新公の恋人ちゃんたちの「どこを見てもかわいい!」状態に喜びました。
つか、おっさんなデュハーストと、清純さキラキラな娘役ちゃん(ゆめちゃんで合ってる?)の組み合わせは萌えですた。ええいこのロリコンめっ(笑)。あんな年下のオンナノコにマジに口説きモード入ってるデュハースト様萌え~~。
マリー@みくちゃん、すごくうまい。
しかしマリーって役は難しいのか……うまくなればなるほど、可憐さから遠くなる? 本役のトウカさんしかり。
もう一度観たいなあ、新公『スカピン』。
剣を構え、すっと腕を広げたとき。
うおお、かっこいー。
あのガタイはときめきですよ!
その昔、同じような白いブラウス姿のあさこちゃんにときめいた、あの感じ!
ヲトメハートがきゅんとするわ(笑)。
さて、そのヒーローらしいヒーローの活躍する新人公演『スカーレット・ピンパーネル』。
パーシーの相棒、デュハースト@鳳月杏くんてば、いい感じにおっさんで、素敵だった!
目からウロコ。
そうか、デュハーストが年長者、つーのもアリなんだ!
初演星組、星組新公、そして今回の月組本公演。すべてデュハーストはふつーに青年だった。星組では本公演も新公もパーシーと同世代、月組本公演ではパーシーより明らかに年下。
パーシーが恋愛結婚の新婚さんだし、その友人であるスカピン団のみなさんも独身カノジョ持ち、つーことで若いんだと思い込んでいた。
ところが今回の新公では、鳳月くんが渋い大人で、青いパーシーを支えたりあやしたり、たしなめたり時に驚いたりと、良い距離感と空気感だった。
パーシーがいかにもなヒーローなので、その親友はブレーキ役の大人なんだ!
えええ、いいじゃんその設定!
星組新公が、本能突っ走り型のパーシー@ベニーと、冷静でチームのブレインなデュハースト@みやるりという、これまたオイシイ萌えコンビだったことを思い出す。
パーシーとデュハーストっていいよなー。バディ物としていろんなパターンを試せるんだわ~。
鳳月くんは前回の新公と、本公演の代役でがんばって大人の役をやっていた、よなあ。
その経験が活きているということか、こんなに素敵に大人だなんて。
おっさんスキーなわたしは心から喜びました。やーん、いい感じに育ってるわ~~。
ひとりだけ年長者って感じに、若い幼いスカピン団に混ざっているのが、イイの。
オサレ衣装を取り合う場面がなかったので、カッコイイところしか基本出てこないし。
前回丸いと思ったフェイスラインも、落ち着いて来た? いい男でした、マジで。
そして、配役見てツボっていた、フォークス@まんちゃん!!(笑)
フォークスって貴公子役ですよ? すずみん王子がやっていた役ですよ?!
それを、まんちゃん?!
えーと。
端正に演じるまんちゃんは、あんまり破壊力なかったっす。
なんだ、ふつーだわ、と思ってしまったわたしは、彼にナニを求めているんでしょう。
いやその、前回の新公ヴィクトール@『ラスト プレイ』が、出オチっつーくらい、えらいことになってたからさぁ……(笑)。
ところでフォークス様って宮廷靴にバンドしているのはデフォなんですか? それともまんちゃんだけ? 本役様の足元までおぼえてないっつーか、気づかなかったってことは、してないのかな?
庭で恋人ちゃんたちとラヴラヴする場面で、フォークス様の足の甲に、18世紀のイギリスらしからぬ透明のバンドを見つけ、気になって仕方なかった。パンプスがすっぽ抜けないように足の甲に巻き付けるアレ。ふつーに色があればストラップシューズっぽく見えるけど、透明だから余計目に付いた。
ふつーに二枚目を演じるまんちゃんはとてもふつーで、本公演のモブで踊っているときの方がキラキラかっこいい気がしたナリ……。
スカピン団は案の定、あまりキャラが立っていない。
アルマン@煌月くんも、まざってしまうとやっぱり目立たない……本公演でもそうだけど。
煌月くん、スカステで見る限りきれいな顔立ちなのに、舞台で見ると丸さが目立つなあ。
そんな中、エルトンが、変な人だった。
誰だアレ、と調べました(笑)。隼海惺くん・研3ですか。
オカマキャラ? フリルのハンケチひらひらさせる系のキャラになっていたような。や、そこまでバカやってないけど、それ系のイメージでキャラを作っていた。
なにかするたびに微妙にシナを作るというか。
スカピン団のキャラ立てってのは、自由なんだよね? にしても、ナニをどうやってキャラの割り振りするんだろう?
「オレ、オカマやるわ」「えー、ずるい、ボクもオカマさんやりたいー」とか、希望が重なったりしないんだろうか。
団体戦だと、イロモノがオイシイもんなあ。
華蘭くんがかなりがんばっていたが……がんばっている、ということはわかったれど、キャラ立ちまでは至ってなかったよーな。
ひそかに注目している愛希くんですが、やっぱり彼まだ「男役」ぢゃないっす……。子役とは言わんが、少年役だわアレは。
きらきらのパツキンがスウィートな美少年。声変わりもまだです。
とびぬけて幼いのと髪の色でスカピン団でも目に付くけれど、芸では足りないことだらけ。
好みの顔立ちなだけに、成長を祈ります。……このままだとわたし、ショタコンなキモチになっちゃうわ……。
さて、愛希くん・研2が少年道まっしぐらなのに対し、同期の輝月くんはおっさん道を歩み出してます。
サン・シール侯爵キターーッ!! と、配役発表時にツボりました。
ナニ気に抜擢ですよ、話題になってナイけど! 研2でソロのあるおっさん役! ヒゲ! ヒゲ!(笑)
緊張が解ける間もなく終わってしまった感があったので、もう少し見せ場があったら良かったのにな。
ヒゲをつけてもやっぱ若々しく、美形さんでありました。
役としては一瞬だけど、アルバイトはいっぱい。つか、モブの中で、すげー熱量でシャウトしてらっしゃいました。
ガタイがいいし、男役としてキレイなので目立つよね~~。
本公演では兵士やってたっけ? 新公では民衆だからはじけ方、入り込み方がハンパないっす。「栄光の日々」はいいなー。
かっこいいなあ、輝月くん……。ときめきキャラだわほんと。
それと、ピポー軍曹@輝城みつるくんが、なんか耽美キャラでした。
眼帯の色男っつー感じで。ガルシア@『激情』っぽいというか。
プリンス@響れおなくんもうまかったし、メルシエ&クーポーが美形だった。つか瑞羽くんはここにいたのね。
ジュサップ@海桐くんはヒゲに顔が埋もれていた(笑)。あの大きな目だけぐるんぐるんと動いていて、すごく楽しそう。
恋人ちゃんたちでは、なんつってもシュザンヌ@ちゅーちゃんの美貌が際立ってたっす!
他のオンナノコたちもかわいい! 初々しい!
本公演はなにがどうぢゃないけどええっとその、いろいろと残念な配役なので、新公の恋人ちゃんたちの「どこを見てもかわいい!」状態に喜びました。
つか、おっさんなデュハーストと、清純さキラキラな娘役ちゃん(ゆめちゃんで合ってる?)の組み合わせは萌えですた。ええいこのロリコンめっ(笑)。あんな年下のオンナノコにマジに口説きモード入ってるデュハースト様萌え~~。
マリー@みくちゃん、すごくうまい。
しかしマリーって役は難しいのか……うまくなればなるほど、可憐さから遠くなる? 本役のトウカさんしかり。
もう一度観たいなあ、新公『スカピン』。
ハダカの腕でキミを抱く。@スカーレット・ピンパーネル
2010年5月15日 タカラヅカ きりやさんが、手袋ハズしたっ!!
はい、月組『スカーレット・ピンパーネル』の話です。
まったく、トキメキってのはどこに転がっているか、わかったもんぢゃない。
最後の最後、油断しているときに、すかーんとやってキました、ヲトメハート。
「スカーレット・ピンパーネルらしい決着」と、捕らえたショーヴランを殺さずにグラパンの扮装でロベスピエールの元に送り返すところで、パーシー@きりやんはとてもあわただしく手袋を脱ぎ捨てた。スカピン団の誰か(見てない)に、脱ぐなり手渡してた。
え、手袋はずすの? 脱ぎ捨てるの? あれ? あれ? そんな演出あった??
わたしはびっくりして、パーシーに釘付け。
そして舞台はラストシーン、「デイドリーム号で結婚式のやり直しだー」「おー!」で、見る見るうちにそこは船の上、パーシーの汗をマルグリット@まりもちゃんが拭いてやり、ラブラブ抱擁キメポーズで幕。
パーシーが、素手だ。
ナマの手で、ハダカの手で、マルグリットを抱いている~~!!
うっきゃ~~っ!!
はい。
最後の最後に、客席でひとり身悶えました。
ナニこの演出。
いったいいつ変わったの?! 前に見たときはこんなぢゃなかったよ??
そう。
初演星組初日からずーーっと、実は不満+違和感があったの。
感動のラストシーンで、パーシーが黒いゴム手袋をしていることに。
最初は直前までグラパンの変装をしているから仕方ないのかと思った。手には年齢が出てしまうから、老人ではないと見破らせないためにグラパンはいつも手袋をしていなきゃなんないのかと。
でも、グラパンの別の場面が素手だと気づき、この案はチガウなと。
次に、ショーヴランも同じように黒手袋をしているので、フェンシングに必要なのだろうと察しを付けた。
すべって剣を落としたりしないように? 事故なく演技できるように?
それであんな身も蓋もないゴム手袋が必要なのかと。
まるで現代の作業員みたいな、容赦ないゴム手袋。夢も冷めちゃいそうな、哀しみのゴム手袋。
や、ほんとのとこの材質は知りませんよ。ゴムではない別の素材かもしれん。だがわたしにはずーーっとゴム手袋に見えていた。
戦っているときはまあそれでも仕方ないかと思えるけど、そのあとのスモーク焚いての幻想的なラヴラヴエンディングでも、ゴム手袋のままってのが、わたし的に相当引っかかった。
あんなゴム手袋でキスされたくないです、ヲトメとしては!(笑)
グラパンの変装を解いても脱がなかった手袋だし、フェンシングの事故防止だとしたら、フェンシングが終わったからと脱ぐのもなんか舞台上の手順踏んでますみたいで変なのかなとか。
いろいろ勝手に思い悩んでは、溜息ついてました。
仕方ない、んだろう。トウコも付けていたし、きりやんも付けている。再演してなお演出変更がないなら、それだけ重要なんだろう。
そう、あきらめていた。
なのに。
ああ、なのに。
月組『スカピン』のMY楽において、わたしは見たんだ。
きりやんがすっげー急ぎながらあわてながら、ゴム手袋を脱ぎ捨てる様をっ!!
白い腕が現れ、どきっとする。
その超高速脱ぎ脱ぎっぷりが、「早くキミを抱きたいんだハニー!」ってな性急さに見えて、いやん(笑)。
無粋な手袋を脱ぎ捨て、ナマの手で、ハダカの腕で、愛する妻を抱く。
……って。
パーシー、素敵~~!!
「恋には少年のよう」というパーシーのキャラを表す演出ですがな。
カッコつけて納まり返ってないで、紳士の仮面の下に押さえつけられていた情熱がほとばしりだしたっ、て感じで、すごくイイ。
ラストの船の上も、白い腕が目に焼き付いて……。
うわわわ、ときめく。
めっさときめくんですがっ。
いつからこんな演出に?!
うれしすぎる!!
きりやさん素敵ーー!
はい、月組『スカーレット・ピンパーネル』の話です。
まったく、トキメキってのはどこに転がっているか、わかったもんぢゃない。
最後の最後、油断しているときに、すかーんとやってキました、ヲトメハート。
「スカーレット・ピンパーネルらしい決着」と、捕らえたショーヴランを殺さずにグラパンの扮装でロベスピエールの元に送り返すところで、パーシー@きりやんはとてもあわただしく手袋を脱ぎ捨てた。スカピン団の誰か(見てない)に、脱ぐなり手渡してた。
え、手袋はずすの? 脱ぎ捨てるの? あれ? あれ? そんな演出あった??
わたしはびっくりして、パーシーに釘付け。
そして舞台はラストシーン、「デイドリーム号で結婚式のやり直しだー」「おー!」で、見る見るうちにそこは船の上、パーシーの汗をマルグリット@まりもちゃんが拭いてやり、ラブラブ抱擁キメポーズで幕。
パーシーが、素手だ。
ナマの手で、ハダカの手で、マルグリットを抱いている~~!!
うっきゃ~~っ!!
はい。
最後の最後に、客席でひとり身悶えました。
ナニこの演出。
いったいいつ変わったの?! 前に見たときはこんなぢゃなかったよ??
そう。
初演星組初日からずーーっと、実は不満+違和感があったの。
感動のラストシーンで、パーシーが黒いゴム手袋をしていることに。
最初は直前までグラパンの変装をしているから仕方ないのかと思った。手には年齢が出てしまうから、老人ではないと見破らせないためにグラパンはいつも手袋をしていなきゃなんないのかと。
でも、グラパンの別の場面が素手だと気づき、この案はチガウなと。
次に、ショーヴランも同じように黒手袋をしているので、フェンシングに必要なのだろうと察しを付けた。
すべって剣を落としたりしないように? 事故なく演技できるように?
それであんな身も蓋もないゴム手袋が必要なのかと。
まるで現代の作業員みたいな、容赦ないゴム手袋。夢も冷めちゃいそうな、哀しみのゴム手袋。
や、ほんとのとこの材質は知りませんよ。ゴムではない別の素材かもしれん。だがわたしにはずーーっとゴム手袋に見えていた。
戦っているときはまあそれでも仕方ないかと思えるけど、そのあとのスモーク焚いての幻想的なラヴラヴエンディングでも、ゴム手袋のままってのが、わたし的に相当引っかかった。
あんなゴム手袋でキスされたくないです、ヲトメとしては!(笑)
グラパンの変装を解いても脱がなかった手袋だし、フェンシングの事故防止だとしたら、フェンシングが終わったからと脱ぐのもなんか舞台上の手順踏んでますみたいで変なのかなとか。
いろいろ勝手に思い悩んでは、溜息ついてました。
仕方ない、んだろう。トウコも付けていたし、きりやんも付けている。再演してなお演出変更がないなら、それだけ重要なんだろう。
そう、あきらめていた。
なのに。
ああ、なのに。
月組『スカピン』のMY楽において、わたしは見たんだ。
きりやんがすっげー急ぎながらあわてながら、ゴム手袋を脱ぎ捨てる様をっ!!
白い腕が現れ、どきっとする。
その超高速脱ぎ脱ぎっぷりが、「早くキミを抱きたいんだハニー!」ってな性急さに見えて、いやん(笑)。
無粋な手袋を脱ぎ捨て、ナマの手で、ハダカの腕で、愛する妻を抱く。
……って。
パーシー、素敵~~!!
「恋には少年のよう」というパーシーのキャラを表す演出ですがな。
カッコつけて納まり返ってないで、紳士の仮面の下に押さえつけられていた情熱がほとばしりだしたっ、て感じで、すごくイイ。
ラストの船の上も、白い腕が目に焼き付いて……。
うわわわ、ときめく。
めっさときめくんですがっ。
いつからこんな演出に?!
うれしすぎる!!
きりやさん素敵ーー!
いろんな役、いろんなキャラクタ。@スカーレット・ピンパーネル
2010年5月16日 タカラヅカ 月組『スカーレット・ピンパーネル』、役替わりについて。
まさおショーヴランばかり見ていたので、みりおショーヴランは最後に1回すべり込みで見ました。他意はない、そんなスケジュールだったんだ。
ヒゲみりお、かっけー!!
すげーイケメン!! ナニあのイイオトコ!!
ヒゲをつけてなおおっさんにはならないあたりが、みりおくんの素晴らしいところですな。とても旬な麗しいおにーさんでした。
美形ってすごいな、なにやったって美しい。
ヒゲ=ワイルド、というのも短絡的かもしれないけれど、男らしい男に見えた。
直情的で一途で視野が狭くて、「友情・努力・勝利」が大好きで、「正義は勝つ」と心から信じている、純粋な男。
正しさや純粋さが焦げてしまったら、ただの暴力になるんだなあ、という。
とても単純なキャラに見えて、そこがツボでした。こーゆー男好き~(笑)。
役替わりというのは、最初から別の演技プランを提出しているの?
「ボクはこーゆーキャラでいきます」「んじゃかぶらないよーに、ボクはこのキャラで」と? あるいは演出家が決めているの? 「まさおは病的に、みりおは短絡的に」とか?
で、そのプラン通りに演出家はいちいちお稽古して、他の役者も合わせて演技しているの?
それとも、分け隔てなく「ショーヴラン」というテンプレなお稽古をやっただけなのに、あそこまでキャラは違ってくるモノなの?
まさおとみりお、ふたりのショーヴランはあまりに違いすぎて、愉快でした。
Wキャストや特出で、いろんな人がいろんな役をやるのを見たけれど、ここまでキャラクタがチガウのもめずらしいなと。
役者が変われば印象は変わるけど、キャラクタ設定自体違っているのでは? てくらいチガウことは、あまり記憶にない。
それくらいショーヴランが大きな役で、個性の差がはっきり出やすいんだろうけど。
まさおの病みっぷりが変だったのか……? あの人、変質者みたいデシタヨ?
普通の人 ← → 病んだ人
みりお れおん 麻尋 まさお
って感じかなあ。麻尋は狂ってたけど、病んではいなかったしな(笑)。この図式はあくまでも私感なので、意義はありまくると思いますが。
あ、ゆりやくんは、わたしにはよくわかんなかったのではずしてます。
この図に明暗の概念を加えると、
派手(爆発!)← →地味(内にこもる)
れおん 麻尋 みりお まさお
れおんはほんと「スター!」って感じで、みりおは「正統派」な感じ。
まさおはどこへ向かうのかわからん(笑)。
とにかく、どのショーヴランも魅力的なので、「ショーヴラン」という役自体がイイんだよなー。
いろんなショーヴランが見られてうれしい。楽しい。
んで今回の役替わりで、ある意味目覚めたのが、アルマンというキャラ。
初演のときはわたし、「ぴっかぴかの路線スター様がやる役にしては、しどころのない役だな」と思ってたんだけど。
役替わりだと、面白いねっ!(笑)
月組初日の段階で、「アルマンがおバカキャラじゃない!」と開眼していた。
初演では空気読めない足手まといおバカキャラだと思っていた。取り柄は顔だけという。(ソコがいじり甲斐があって、かわいかった)
しかしみりおくんのアルマンは、別におバカには見えなかった。知性があるように見えたんだ。
なんだよ、アルマンってふつーに美形の役じゃん! 好青年じゃん! と驚いた。
そして、最後にまさおアルマンを見て。
ナニ、あのネタキャラ?!
初演で「おバカなくせに、それを自覚していないバカ。一見涼しげな美形」だったのをさらに斜め上にパワーアップして、「見た目からダメダメな甘い美形」になってる?!
パリのあの暗い町並みにそぐわない、キラキラ縦ロールとおリボン姿。アルマンって、あの髪型で生活してんだよね、あ・の・パリで。イギリス紳士たちの間にまざってなお「パリの人って、こんなん?」なキラキラぶり。
あまりにスウィートな王子様っぷりに、彼がどんなヘタレたことをしてもさもありなん、なんの違和感もナイっ!
そうか、和くんは見た目とギャップがあったからおバカでとほほに見えたんだ。見た目はふつーにかっこよかったもの!
まさおは見た目からして浮いてるから問題ナシ!(笑)
アニメやゲームにいます、こんなキャラ。美形イロモノ。
いやはや。
秀逸なのは、なんつっても拷問されるアルマン。
鞭打たれ、倒れたあとに「……あっ」と声を漏らすのは、なんのプレイですかっ?!
狙ってやってるのか、素なのか。
何故ソコで悶える?! 観ているモノを悶えさせようという魂胆か?!
みりお×まさおはイイですなっ。
みりおショーは、まっすぐな人だと思うの。革命が歪んでしまったことで彼も歪んで暴走しているけれど、昔はほんとに純粋に夢を信じて走るひたむきな若者だったと思うのね。
んで、まさおアルマンは昔も今も変わらず、甘甘なおぼっちゃま。
まっすぐ健康な革命の闘士だったショーヴランと、キラキラ美少年アルマンの昔話が見たいです。姉の恋人だったんだから、一緒に食事したり、休みの日にピクニックに行ったりドライブに行ったり、したかもしれん。いやしたよなショーヴランはきっと家族を大切にすると思うのよ不遇な少年時代の反動で恋人の弟はオレの弟だよしキャッチボールなんかしちゃうぞショーヴラン兄さん強いだろうはははそうか尊敬してるかそうだろうそうだろういじめられたら言えよ兄さんが守ってやるそうか兄さん大好きか可愛いこと言うよなこいつ。
アルマンを鞭打つショーヴランのアタマの中に思い出がキラキラと浮かんで消えたとかなかったとか(笑)。
たのしいなヲイ。
まさおショーとみりおアルマンでも、みりお×まさおだよね?
強く正しいアルマンと、弱く病んでいるショーヴラン。アルマンは強いモノ、正しいモノの傲慢さで、ショーヴランのプライドを踏みにじり、憤慨する彼を見てこっそり笑うのねっ。ショーヴランを憐れみの目で見ちゃったりするのよね、それくらいするよね、みりおアルマンなら!! いや、やってくれ!
本気で楽しくなってきたので、このへんでやめときます(笑)。
まさみりがいいコンビなのかどうかわからないけれど、今回の公演ではなかなかどーして良い味が出ていました。
役替わりばかりで、役者への負担も大きいし、月組の落ち着きのなさ(役替わりがなかった公演って、ここ数年でトップ退団公演のみって?!)ゆえに劇団への疑問はあるにしろ。
ジェンヌたちはいつも、誠心誠意取り組んで、素晴らしいものを見せてくれる。
それを受け取り、素直に楽しんだ。
まさおショーヴランばかり見ていたので、みりおショーヴランは最後に1回すべり込みで見ました。他意はない、そんなスケジュールだったんだ。
ヒゲみりお、かっけー!!
すげーイケメン!! ナニあのイイオトコ!!
ヒゲをつけてなおおっさんにはならないあたりが、みりおくんの素晴らしいところですな。とても旬な麗しいおにーさんでした。
美形ってすごいな、なにやったって美しい。
ヒゲ=ワイルド、というのも短絡的かもしれないけれど、男らしい男に見えた。
直情的で一途で視野が狭くて、「友情・努力・勝利」が大好きで、「正義は勝つ」と心から信じている、純粋な男。
正しさや純粋さが焦げてしまったら、ただの暴力になるんだなあ、という。
とても単純なキャラに見えて、そこがツボでした。こーゆー男好き~(笑)。
役替わりというのは、最初から別の演技プランを提出しているの?
「ボクはこーゆーキャラでいきます」「んじゃかぶらないよーに、ボクはこのキャラで」と? あるいは演出家が決めているの? 「まさおは病的に、みりおは短絡的に」とか?
で、そのプラン通りに演出家はいちいちお稽古して、他の役者も合わせて演技しているの?
それとも、分け隔てなく「ショーヴラン」というテンプレなお稽古をやっただけなのに、あそこまでキャラは違ってくるモノなの?
まさおとみりお、ふたりのショーヴランはあまりに違いすぎて、愉快でした。
Wキャストや特出で、いろんな人がいろんな役をやるのを見たけれど、ここまでキャラクタがチガウのもめずらしいなと。
役者が変われば印象は変わるけど、キャラクタ設定自体違っているのでは? てくらいチガウことは、あまり記憶にない。
それくらいショーヴランが大きな役で、個性の差がはっきり出やすいんだろうけど。
まさおの病みっぷりが変だったのか……? あの人、変質者みたいデシタヨ?
普通の人 ← → 病んだ人
みりお れおん 麻尋 まさお
って感じかなあ。麻尋は狂ってたけど、病んではいなかったしな(笑)。この図式はあくまでも私感なので、意義はありまくると思いますが。
あ、ゆりやくんは、わたしにはよくわかんなかったのではずしてます。
この図に明暗の概念を加えると、
派手(爆発!)← →地味(内にこもる)
れおん 麻尋 みりお まさお
れおんはほんと「スター!」って感じで、みりおは「正統派」な感じ。
まさおはどこへ向かうのかわからん(笑)。
とにかく、どのショーヴランも魅力的なので、「ショーヴラン」という役自体がイイんだよなー。
いろんなショーヴランが見られてうれしい。楽しい。
んで今回の役替わりで、ある意味目覚めたのが、アルマンというキャラ。
初演のときはわたし、「ぴっかぴかの路線スター様がやる役にしては、しどころのない役だな」と思ってたんだけど。
役替わりだと、面白いねっ!(笑)
月組初日の段階で、「アルマンがおバカキャラじゃない!」と開眼していた。
初演では空気読めない足手まといおバカキャラだと思っていた。取り柄は顔だけという。(ソコがいじり甲斐があって、かわいかった)
しかしみりおくんのアルマンは、別におバカには見えなかった。知性があるように見えたんだ。
なんだよ、アルマンってふつーに美形の役じゃん! 好青年じゃん! と驚いた。
そして、最後にまさおアルマンを見て。
ナニ、あのネタキャラ?!
初演で「おバカなくせに、それを自覚していないバカ。一見涼しげな美形」だったのをさらに斜め上にパワーアップして、「見た目からダメダメな甘い美形」になってる?!
パリのあの暗い町並みにそぐわない、キラキラ縦ロールとおリボン姿。アルマンって、あの髪型で生活してんだよね、あ・の・パリで。イギリス紳士たちの間にまざってなお「パリの人って、こんなん?」なキラキラぶり。
あまりにスウィートな王子様っぷりに、彼がどんなヘタレたことをしてもさもありなん、なんの違和感もナイっ!
そうか、和くんは見た目とギャップがあったからおバカでとほほに見えたんだ。見た目はふつーにかっこよかったもの!
まさおは見た目からして浮いてるから問題ナシ!(笑)
アニメやゲームにいます、こんなキャラ。美形イロモノ。
いやはや。
秀逸なのは、なんつっても拷問されるアルマン。
鞭打たれ、倒れたあとに「……あっ」と声を漏らすのは、なんのプレイですかっ?!
狙ってやってるのか、素なのか。
何故ソコで悶える?! 観ているモノを悶えさせようという魂胆か?!
みりお×まさおはイイですなっ。
みりおショーは、まっすぐな人だと思うの。革命が歪んでしまったことで彼も歪んで暴走しているけれど、昔はほんとに純粋に夢を信じて走るひたむきな若者だったと思うのね。
んで、まさおアルマンは昔も今も変わらず、甘甘なおぼっちゃま。
まっすぐ健康な革命の闘士だったショーヴランと、キラキラ美少年アルマンの昔話が見たいです。姉の恋人だったんだから、一緒に食事したり、休みの日にピクニックに行ったりドライブに行ったり、したかもしれん。いやしたよなショーヴランはきっと家族を大切にすると思うのよ不遇な少年時代の反動で恋人の弟はオレの弟だよしキャッチボールなんかしちゃうぞショーヴラン兄さん強いだろうはははそうか尊敬してるかそうだろうそうだろういじめられたら言えよ兄さんが守ってやるそうか兄さん大好きか可愛いこと言うよなこいつ。
アルマンを鞭打つショーヴランのアタマの中に思い出がキラキラと浮かんで消えたとかなかったとか(笑)。
たのしいなヲイ。
まさおショーとみりおアルマンでも、みりお×まさおだよね?
強く正しいアルマンと、弱く病んでいるショーヴラン。アルマンは強いモノ、正しいモノの傲慢さで、ショーヴランのプライドを踏みにじり、憤慨する彼を見てこっそり笑うのねっ。ショーヴランを憐れみの目で見ちゃったりするのよね、それくらいするよね、みりおアルマンなら!! いや、やってくれ!
本気で楽しくなってきたので、このへんでやめときます(笑)。
まさみりがいいコンビなのかどうかわからないけれど、今回の公演ではなかなかどーして良い味が出ていました。
役替わりばかりで、役者への負担も大きいし、月組の落ち着きのなさ(役替わりがなかった公演って、ここ数年でトップ退団公演のみって?!)ゆえに劇団への疑問はあるにしろ。
ジェンヌたちはいつも、誠心誠意取り組んで、素晴らしいものを見せてくれる。
それを受け取り、素直に楽しんだ。
天然タラシ男、袋小路に降り立つ。@リラの壁の囚人たち
2010年5月17日 タカラヅカ わたしは、凰稀かなめを赦しているのかもしれない。
そう思った。
や、ゆるすもゆるさないもナイですよ、かなめくんはナニもしてません。つか、わたしとはなんの関係もない芸能人、雲の上の人。
かなめくんに限らず、すべてのジェンヌ、演出家含めスタッフ等、実生活でなんの関連もないので、そもそも利害も愛憎も別次元の存在です。
でも良い作品を観たら、出演者や作者に「ありがとう」と思うように、勝手になにかしら思い入れるわけです。
そんでもって、役者としてのかなめくん。
特技は美貌で、それ以外はよくわかんない。時折ツボにジャストミートするんだが、概ねあまり好みセンサーには引っかからない。足りないと歯がゆく思うことも多々あり。
だがしかし。
結局のところわたしは、彼の「キャラクタ」を愛でているのだと思う。認めているのだと思う。
出来ないことだらけ、足りないことだらけで、歯がゆいこともじれったいこともたしかだけれど、それでもいいんだ。
赦せてしまえるんだ。
これが「凰稀かなめ」なんだ、と。
そしてこの「凰稀かなめ」っぷりは、わたしの好みとは違っているはずなのに、彼のことを考えるとなんだかあたたかいキモチになる、ほわほわとうれしくなる。
って、わたし結局、彼のこと好きなんだ?
いやその、ずっと好きだったと思うけれど、なんか改めて思う。
英国の天然タラシ男エドって、どうなのよ?! と(笑)。
星組バウ公演『リラの壁の囚人たち』のことです。
初演は観てません。わたしがヅカヲタになる前の公演ゆえ。
ただあとになってビデオで見た。トドロキ目当てに。
目当てに見るにはあまりに出番が少なくてびっくりした……が、当時トドは研3ですか。役があるだけでもめっけもん。また、トドの相棒は天海祐希、研1だっけ? ふたりそろって大根だった……(笑)。学年からすりゃ当然なんだが。
トドと天海がコンビ組んでた……って、今思うとすごい並びだな。
映像は映像でしかなく、当時もわたしはナマ舞台にしか興味がなかった。舞台中継映像はあらすじを確認するとか、出席表にハンコを押してもらう程度の意義。人と話すときにあらすじもわかんないとつまんないし、ぐらいの感覚で眺めただけ。
ビデオはカットされている部分もあるし、キャストの顔ぶれとあらすじ確認でしかナイ身には、作品自体の良さも意味もわからず終了。
当時のビデオも発掘し、「見比べる」楽しみを得るために観劇前に見ておくか、新作として楽しむためにあえて見ないでおくか、迷った。
結局忙しくてビデオを見るヒマはないまま、なし崩しにバウへ行くことになっちゃったんだけど。
ここんとここんな話ばかり観ている気がする……ナチス占領下のパリ。
下町の袋小路の中庭に逃げ込んだレジスタンスのエドワード@かなめくんは、なんやかんやでその庭に面した建物に住む人たちに匿ってもらうことになる。
大都会パリの下町なので、建物ひとつとってもいろんな人たちが住んでいる。様々な人々、思惑の交差する中、エドはそのへんの人たちをタラシていく。って、えええ。そんな話?!
ナチス支配によって時が止まったパリ、壁に囲まれた「いつもの場所」「いつもの顔ぶれ」ゆえに時の止まった人々、そこへ混ざってきた異分子・異邦人の超イケメン。
黒船によって安寧が乱れるのはお約束、投げ入れられた小石は波紋を生み、さまざまに化学反応していく。
変わらないセット、時代の暗さとそれでもオシャレなパリ、袋小路。
いやはや、語るべきところはいろいろあるが、それにしたって、あの天然タラシ男。
フランスのレジスタンスとして活動をしていますが、エドくんはフランス人ではありません。
英国情報部将校、という、なんだかなーな肩書き持ちです。
なんでなんだかなーかというと、すごく嘘くさいからです。
厨な人が脳内で萌えなオリジナル物語を作るときに、「主人公はクールビューティな執事様なんだけど、実は凄腕の傭兵だったという過去があって……」とか、すごくてきとーな経歴だの暗い過去だのを山ほどつくってムヒムヒする感じ、というか。
下手な肩書きナシの方がかっこいいのに、と大人になってからは思うけど、若いころは「元殺し屋」とか「なんとか軍の将校」とか「IQ200の天才」とか、訳アリな肩書きがあるとすごいと思い込んでいたなあ、みたいな。
現在の行動がかっこよければ肩書きなんかいらない……むしろ肩書きに似合わないメンタリティや言動しかしないとプゲラになるっつーことを理解していなかったというか。設定だけ「天才」でも思考回路や言動の元になる知性が中学生の妄想レベルだと意味ねーっつーか。
そういう意味で、エドくんの「英国情報部将校」つーのが嘘くさい……つーか、むしろ「いらん設定」に思えます。
英国人でもいいから、ヒラでええやん……。やってることがなさけなさすぎるんやから。
なんの訓練も受けていない、愛国心や義侠心でレジスタンスとして闘っている若者、ならちょっと腕っ節が強い場面を見せるだけでも「すごい!」と思えるけど、仮にも英国情報部将校様が、負けて追われて一般人に匿われて、どこへも行けずにのらくらナニもせずに過ごしているところだけで2時間引っ張る物語は、どうかと思う(笑)。
物語の趣旨が、行き場のない人々を描くことなんだから、主人公もタダメシ食いのニート化してそこにいるしかないわけなんだけど、それなら肩書きがナイ方がよくね?と。
そのご立派な肩書きの似合う人ならともかく……。
いやまあとにかく、お陰様で、あのヘタレ風味漂う素敵なエドくんが、よりによって「英国情報部将校」という肩書きゆえに、ヘタレ度がさらに気前よくアップしていて素晴らしい、と(笑)。
んな肩書きでやってることはソレなのかと(笑)。
やってること……天然タラシ男(笑)。
男も女もその美貌でタラシまくる。オトシまくる。
そして最悪なことに、自覚、ナシ。
奇跡の芳香を放つ草食系美男子。
肉食系女子だけに留まらず、彼を目にした者たちは皆それまでの属性を捨て、肉食獣へ変わるという。
周囲の生態系を破壊したくせに、本人は無自覚。実際彼、ナニもしてないし。周りが勝手にわいのわいのとやってるだけだし。
ナニこの男。
どこの最終兵器?
そういう役でそういう脚本なんだろうけど、あまりにナニもしなさすぎる主人公。
こーゆーのを、しどころのない役、というのかもしれない。
きれいな人が、きれいに微笑んで立っているだけ。歌っているだけ。
……なんだけど、その説得力や、如何に。
とんでもないなあ、凰稀かなめ。
演技してるんだかしてないんだか、よくわかんないまま、その美貌で天下を取る。
クライド@『凍てついた明日』とどこがチガウんだかわかんない頼りなさで、それでも「キャラ勝ち」だと思う。
こんだけなにやってんだな姿で、ソレでもアリだと思う、OKだと思う。
わたしは、凰稀かなめを赦しているんだなと思う。
『リラの壁の囚人たち』、たのしかったっす。
そう思った。
や、ゆるすもゆるさないもナイですよ、かなめくんはナニもしてません。つか、わたしとはなんの関係もない芸能人、雲の上の人。
かなめくんに限らず、すべてのジェンヌ、演出家含めスタッフ等、実生活でなんの関連もないので、そもそも利害も愛憎も別次元の存在です。
でも良い作品を観たら、出演者や作者に「ありがとう」と思うように、勝手になにかしら思い入れるわけです。
そんでもって、役者としてのかなめくん。
特技は美貌で、それ以外はよくわかんない。時折ツボにジャストミートするんだが、概ねあまり好みセンサーには引っかからない。足りないと歯がゆく思うことも多々あり。
だがしかし。
結局のところわたしは、彼の「キャラクタ」を愛でているのだと思う。認めているのだと思う。
出来ないことだらけ、足りないことだらけで、歯がゆいこともじれったいこともたしかだけれど、それでもいいんだ。
赦せてしまえるんだ。
これが「凰稀かなめ」なんだ、と。
そしてこの「凰稀かなめ」っぷりは、わたしの好みとは違っているはずなのに、彼のことを考えるとなんだかあたたかいキモチになる、ほわほわとうれしくなる。
って、わたし結局、彼のこと好きなんだ?
いやその、ずっと好きだったと思うけれど、なんか改めて思う。
英国の天然タラシ男エドって、どうなのよ?! と(笑)。
星組バウ公演『リラの壁の囚人たち』のことです。
初演は観てません。わたしがヅカヲタになる前の公演ゆえ。
ただあとになってビデオで見た。トドロキ目当てに。
目当てに見るにはあまりに出番が少なくてびっくりした……が、当時トドは研3ですか。役があるだけでもめっけもん。また、トドの相棒は天海祐希、研1だっけ? ふたりそろって大根だった……(笑)。学年からすりゃ当然なんだが。
トドと天海がコンビ組んでた……って、今思うとすごい並びだな。
映像は映像でしかなく、当時もわたしはナマ舞台にしか興味がなかった。舞台中継映像はあらすじを確認するとか、出席表にハンコを押してもらう程度の意義。人と話すときにあらすじもわかんないとつまんないし、ぐらいの感覚で眺めただけ。
ビデオはカットされている部分もあるし、キャストの顔ぶれとあらすじ確認でしかナイ身には、作品自体の良さも意味もわからず終了。
当時のビデオも発掘し、「見比べる」楽しみを得るために観劇前に見ておくか、新作として楽しむためにあえて見ないでおくか、迷った。
結局忙しくてビデオを見るヒマはないまま、なし崩しにバウへ行くことになっちゃったんだけど。
ここんとここんな話ばかり観ている気がする……ナチス占領下のパリ。
下町の袋小路の中庭に逃げ込んだレジスタンスのエドワード@かなめくんは、なんやかんやでその庭に面した建物に住む人たちに匿ってもらうことになる。
大都会パリの下町なので、建物ひとつとってもいろんな人たちが住んでいる。様々な人々、思惑の交差する中、エドはそのへんの人たちをタラシていく。って、えええ。そんな話?!
ナチス支配によって時が止まったパリ、壁に囲まれた「いつもの場所」「いつもの顔ぶれ」ゆえに時の止まった人々、そこへ混ざってきた異分子・異邦人の超イケメン。
黒船によって安寧が乱れるのはお約束、投げ入れられた小石は波紋を生み、さまざまに化学反応していく。
変わらないセット、時代の暗さとそれでもオシャレなパリ、袋小路。
いやはや、語るべきところはいろいろあるが、それにしたって、あの天然タラシ男。
フランスのレジスタンスとして活動をしていますが、エドくんはフランス人ではありません。
英国情報部将校、という、なんだかなーな肩書き持ちです。
なんでなんだかなーかというと、すごく嘘くさいからです。
厨な人が脳内で萌えなオリジナル物語を作るときに、「主人公はクールビューティな執事様なんだけど、実は凄腕の傭兵だったという過去があって……」とか、すごくてきとーな経歴だの暗い過去だのを山ほどつくってムヒムヒする感じ、というか。
下手な肩書きナシの方がかっこいいのに、と大人になってからは思うけど、若いころは「元殺し屋」とか「なんとか軍の将校」とか「IQ200の天才」とか、訳アリな肩書きがあるとすごいと思い込んでいたなあ、みたいな。
現在の行動がかっこよければ肩書きなんかいらない……むしろ肩書きに似合わないメンタリティや言動しかしないとプゲラになるっつーことを理解していなかったというか。設定だけ「天才」でも思考回路や言動の元になる知性が中学生の妄想レベルだと意味ねーっつーか。
そういう意味で、エドくんの「英国情報部将校」つーのが嘘くさい……つーか、むしろ「いらん設定」に思えます。
英国人でもいいから、ヒラでええやん……。やってることがなさけなさすぎるんやから。
なんの訓練も受けていない、愛国心や義侠心でレジスタンスとして闘っている若者、ならちょっと腕っ節が強い場面を見せるだけでも「すごい!」と思えるけど、仮にも英国情報部将校様が、負けて追われて一般人に匿われて、どこへも行けずにのらくらナニもせずに過ごしているところだけで2時間引っ張る物語は、どうかと思う(笑)。
物語の趣旨が、行き場のない人々を描くことなんだから、主人公もタダメシ食いのニート化してそこにいるしかないわけなんだけど、それなら肩書きがナイ方がよくね?と。
そのご立派な肩書きの似合う人ならともかく……。
いやまあとにかく、お陰様で、あのヘタレ風味漂う素敵なエドくんが、よりによって「英国情報部将校」という肩書きゆえに、ヘタレ度がさらに気前よくアップしていて素晴らしい、と(笑)。
んな肩書きでやってることはソレなのかと(笑)。
やってること……天然タラシ男(笑)。
男も女もその美貌でタラシまくる。オトシまくる。
そして最悪なことに、自覚、ナシ。
奇跡の芳香を放つ草食系美男子。
肉食系女子だけに留まらず、彼を目にした者たちは皆それまでの属性を捨て、肉食獣へ変わるという。
周囲の生態系を破壊したくせに、本人は無自覚。実際彼、ナニもしてないし。周りが勝手にわいのわいのとやってるだけだし。
ナニこの男。
どこの最終兵器?
そういう役でそういう脚本なんだろうけど、あまりにナニもしなさすぎる主人公。
こーゆーのを、しどころのない役、というのかもしれない。
きれいな人が、きれいに微笑んで立っているだけ。歌っているだけ。
……なんだけど、その説得力や、如何に。
とんでもないなあ、凰稀かなめ。
演技してるんだかしてないんだか、よくわかんないまま、その美貌で天下を取る。
クライド@『凍てついた明日』とどこがチガウんだかわかんない頼りなさで、それでも「キャラ勝ち」だと思う。
こんだけなにやってんだな姿で、ソレでもアリだと思う、OKだと思う。
わたしは、凰稀かなめを赦しているんだなと思う。
『リラの壁の囚人たち』、たのしかったっす。
箱庭の宇宙で、拳銃を握る。@リラの壁の囚人たち
2010年5月18日 タカラヅカ で、どーしても引っかかるのはジョルジュ@ベニーだ。
演技に正解なんてものはナイにしろ、さて、彼はアレでいいのか。
『リラの壁の囚人たち』はタイトルが複数形なこともあり、主役やってるかなめくんがアレだということもあり、とっても群像劇で、誰が主役というほど抜きんでて主役でもなかった気がする。
いちおーエド@かなめくんが主役らしいけれど、彼はただの視点であって彼自身がアクティヴになにかするわけでもないし。
動かないセット、箱庭の宇宙。あの空間そのものが、「主役」だったような。
ナチス占領下のパリの、袋小路の人たちの物語。
物理的に袋小路の中庭での出来事、というよりも、精神的にどこへも行き場のない人たちの、やるせない物語。
タイトルを具現しているのはヒロインのポーラ@れみちゃんだと思う。
リラの壁に囚われた人。
ナチスさえいなけれりゃどこへでも行けるエドと違い、ポーラは結局どこへも行けないと思う。
彼女の心は檻の中。
だから彼女は悲しい。
彼女を捕らえる檻、彼女を縛る蔦のような枷、そのひとつが婚約者のジョルジュ。
戦争のため、車椅子生活になってしまった青年。
ヒステリックなDV男。
彼の父ルビック先生@にしきさんや、婚約者のポーラを見ても、彼が最初からあんなにひどい人間でないことはわかる。
人格的に問題のない人たちの間で良好な人間関係を築いていられたんだから、ふつーに良い青年だったんだろう。
それが戦争で、人が変わってしまった、と。
自分の足で歩けなくなっただけでなく、女性を愛することも出来なくなったのかなあ、と勝手に思う。ポーラに対する暴力、エドへの過剰な嫉妬はそのためもあるかなと。
ジョルジュ自体はそれほど出番があるわけでなく、登場するたびいつもきーきーわめいていてウザイことこの上ない(笑)。
でもほんとのとこ、タイトルを表しているひとりなんだよな。ポーラの相手役、ポーラの枷。リラの壁の檻から出られない、囚人。
少ない出番、しかもヒステリックに騒いだり暴力振るったりピストルちらつかせたりで、いつもせわしないんだが、彼自身を含めた周囲のすべてでもって、彼の持つ複雑さや歪みが浮かび上がってくる。
いろんなものが、彼の中で渦を巻いているのだろうと。それゆえにあんなにきーきーうるさくなっちゃってるんだろうと。
後半に、ジョルジュのソロがある。
ほんとはポーラを愛しているのよね! ほんとはいい人なのよね! とかゆーことにたどり着くとか、こんなに苦しんでいたのね! と気づかされるということもなく。
わざわざ彼に一場面あることで、彼の位置づけが完了したので助かった、わたし的には。
ジョルジュはとにかく、ウザい。
出てくるとそれだけで不快(笑)。
「見たくない」と思うモノすべてが、彼に詰め込まれている。
不幸体質のポーラはダメンズ・キラーというか、アレな男にしか惚れられないという典型的なだめんず・うぉ~か~ぶり。(主役のエドも含まれてますわよ、もちろん・笑)
脅迫ストーカーのジャン@しーらんもひどいしウザいが、ジョルジュのウザさはまた格別。
立ち聞きばっかでプライバシーのない袋小路にて、次から次へと立ち聞きした人たちが現れるよーな作りの不思議な芝居で、とにかくジョルジュが出ると不快指数が跳ね上がる。
引っかかるんだ。彼のコワレっぷりが。
群像劇のなかのひとつ、出番自体はあまりない……のに、彼に引っかかる。無視できない。苛っとする。
こんだけウザくてそれでただの脇役だったら、すごく嫌だな。
無意識に、そう思っていたんだろう。
だから彼の真情を吐露するソロ場面があって、良かった。
ああ彼は脇役じゃなかったんだ、それまでどんだけちょろっとしか出てなくても描かれてなくても、重要なキャラクタだったんだ。そう思って良かったんだ。
彼に苛ついていたのは、正解だったんだ。
自分の気持ちの位置づけが出来て、すとんと納得した。
で、そのベニーの熱唱・熱演なんだが、それによってジョルジュ自身が「こんな人だったのね!」とは別に思わなかった。
ソロでやっていることといえば、結局のところ今まで見えていたモノをもう一度まとめておさらいしてくれたぐらいのことで、なにも新たな情報はなかったし。
そう、わざわざ思わせぶりに彼のソロがあるのに、新たな情報はナイし、それゆえのカタルシスもナイの。
それまでの出番で、彼がどういう人か、ちゃんと伝わっていて表現されていているから。とっても「今さら」感。
ただ作劇の「お約束」で、「ソロがわざわざある人はメインキャラですよ」とわかったことのみに、すっきりする。ここに焦点合わせていいんだ、と。
ジョルジュ単体でどうこうではなく、「囚人たち」……複数形の物語であるゆえだと思う。
てゆーかこの物語、誰がいきなりソロを歌い出してもアリだと思う。
ジャンが突然舞台にひとり残り、歪んだ愛だの生き方だのを独唱しだしても、ナチスのギュンターさん@みやるりが突然立場と愛の狭間の苦悩ソング歌い出しても、「あ、この人メインキャラだったんだ」と納得して受け入れるんじゃね?
モランさん@美城れん氏が過去の恋バナをうっとり歌ってくれても、今の情勢を嘆く歌を歌ってくれても、なんでも納得、しっくりくる。
そーゆー物語なんだと思う。
で、ベニーの演技、アレはいいんですか?
演技に正解も間違いもないんだろうけど、ジョルジュ役ってあんなに最初から狂ってていいのかなあ。
つかアレ、ふつーに「変な人」なんだが(笑)。
ベニーの場合、その美貌で車椅子、つーだけでわたしの視覚にがつんがつんクる。
脚本的に「いい人」としてはまったく描かれておらず、出てくるたびに最低最悪、毒をまき散らしていく。
その姿があまりにも、どっかんどっかんしていて。(わかりにくい擬音表現)
えーとその、ぶっちゃけ、面白い。
笑える、という意味ではなく、interesting。
ったくこいつ、苛つくわー、ウザいわー。
気になるわー(笑)。
んで。
萌えるわー。
ジョルジュっていうのはこんな人でこんな風に考えているんですよ、という説明はないけれど、見えているモノだけでなんとまあいろいろ妄想できることか。
その衝撃的な最期も含めて。
結局ポーラもジョルジュも、檻を出ることは出来なかった。
彼らのカルマは薄くない。エドなんて薄い男がどうしたところで、太刀打ちできるよーなもんじゃない。
最後でなんか改心して!とか、解放・昇華して!とか、そーゆーこともないまま、歪んだまま壊れたまま、人生がぶちっと断ち切られる。
それについての解説はナニもない。
そんな彼らの人生を、存在を当たり前に飲み込んで、花は咲き、春は訪れる。毎年。
ベニーのあの演技が正しいのかどうか、かなり疑問っていうかやっぱりチガウんぢゃないかなと(笑)、思いつつも結局のところ、彼の演じるジョルジュが好きだ。
演技に正解なんてものはナイにしろ、さて、彼はアレでいいのか。
『リラの壁の囚人たち』はタイトルが複数形なこともあり、主役やってるかなめくんがアレだということもあり、とっても群像劇で、誰が主役というほど抜きんでて主役でもなかった気がする。
いちおーエド@かなめくんが主役らしいけれど、彼はただの視点であって彼自身がアクティヴになにかするわけでもないし。
動かないセット、箱庭の宇宙。あの空間そのものが、「主役」だったような。
ナチス占領下のパリの、袋小路の人たちの物語。
物理的に袋小路の中庭での出来事、というよりも、精神的にどこへも行き場のない人たちの、やるせない物語。
タイトルを具現しているのはヒロインのポーラ@れみちゃんだと思う。
リラの壁に囚われた人。
ナチスさえいなけれりゃどこへでも行けるエドと違い、ポーラは結局どこへも行けないと思う。
彼女の心は檻の中。
だから彼女は悲しい。
彼女を捕らえる檻、彼女を縛る蔦のような枷、そのひとつが婚約者のジョルジュ。
戦争のため、車椅子生活になってしまった青年。
ヒステリックなDV男。
彼の父ルビック先生@にしきさんや、婚約者のポーラを見ても、彼が最初からあんなにひどい人間でないことはわかる。
人格的に問題のない人たちの間で良好な人間関係を築いていられたんだから、ふつーに良い青年だったんだろう。
それが戦争で、人が変わってしまった、と。
自分の足で歩けなくなっただけでなく、女性を愛することも出来なくなったのかなあ、と勝手に思う。ポーラに対する暴力、エドへの過剰な嫉妬はそのためもあるかなと。
ジョルジュ自体はそれほど出番があるわけでなく、登場するたびいつもきーきーわめいていてウザイことこの上ない(笑)。
でもほんとのとこ、タイトルを表しているひとりなんだよな。ポーラの相手役、ポーラの枷。リラの壁の檻から出られない、囚人。
少ない出番、しかもヒステリックに騒いだり暴力振るったりピストルちらつかせたりで、いつもせわしないんだが、彼自身を含めた周囲のすべてでもって、彼の持つ複雑さや歪みが浮かび上がってくる。
いろんなものが、彼の中で渦を巻いているのだろうと。それゆえにあんなにきーきーうるさくなっちゃってるんだろうと。
後半に、ジョルジュのソロがある。
ほんとはポーラを愛しているのよね! ほんとはいい人なのよね! とかゆーことにたどり着くとか、こんなに苦しんでいたのね! と気づかされるということもなく。
わざわざ彼に一場面あることで、彼の位置づけが完了したので助かった、わたし的には。
ジョルジュはとにかく、ウザい。
出てくるとそれだけで不快(笑)。
「見たくない」と思うモノすべてが、彼に詰め込まれている。
不幸体質のポーラはダメンズ・キラーというか、アレな男にしか惚れられないという典型的なだめんず・うぉ~か~ぶり。(主役のエドも含まれてますわよ、もちろん・笑)
脅迫ストーカーのジャン@しーらんもひどいしウザいが、ジョルジュのウザさはまた格別。
立ち聞きばっかでプライバシーのない袋小路にて、次から次へと立ち聞きした人たちが現れるよーな作りの不思議な芝居で、とにかくジョルジュが出ると不快指数が跳ね上がる。
引っかかるんだ。彼のコワレっぷりが。
群像劇のなかのひとつ、出番自体はあまりない……のに、彼に引っかかる。無視できない。苛っとする。
こんだけウザくてそれでただの脇役だったら、すごく嫌だな。
無意識に、そう思っていたんだろう。
だから彼の真情を吐露するソロ場面があって、良かった。
ああ彼は脇役じゃなかったんだ、それまでどんだけちょろっとしか出てなくても描かれてなくても、重要なキャラクタだったんだ。そう思って良かったんだ。
彼に苛ついていたのは、正解だったんだ。
自分の気持ちの位置づけが出来て、すとんと納得した。
で、そのベニーの熱唱・熱演なんだが、それによってジョルジュ自身が「こんな人だったのね!」とは別に思わなかった。
ソロでやっていることといえば、結局のところ今まで見えていたモノをもう一度まとめておさらいしてくれたぐらいのことで、なにも新たな情報はなかったし。
そう、わざわざ思わせぶりに彼のソロがあるのに、新たな情報はナイし、それゆえのカタルシスもナイの。
それまでの出番で、彼がどういう人か、ちゃんと伝わっていて表現されていているから。とっても「今さら」感。
ただ作劇の「お約束」で、「ソロがわざわざある人はメインキャラですよ」とわかったことのみに、すっきりする。ここに焦点合わせていいんだ、と。
ジョルジュ単体でどうこうではなく、「囚人たち」……複数形の物語であるゆえだと思う。
てゆーかこの物語、誰がいきなりソロを歌い出してもアリだと思う。
ジャンが突然舞台にひとり残り、歪んだ愛だの生き方だのを独唱しだしても、ナチスのギュンターさん@みやるりが突然立場と愛の狭間の苦悩ソング歌い出しても、「あ、この人メインキャラだったんだ」と納得して受け入れるんじゃね?
モランさん@美城れん氏が過去の恋バナをうっとり歌ってくれても、今の情勢を嘆く歌を歌ってくれても、なんでも納得、しっくりくる。
そーゆー物語なんだと思う。
で、ベニーの演技、アレはいいんですか?
演技に正解も間違いもないんだろうけど、ジョルジュ役ってあんなに最初から狂ってていいのかなあ。
つかアレ、ふつーに「変な人」なんだが(笑)。
ベニーの場合、その美貌で車椅子、つーだけでわたしの視覚にがつんがつんクる。
脚本的に「いい人」としてはまったく描かれておらず、出てくるたびに最低最悪、毒をまき散らしていく。
その姿があまりにも、どっかんどっかんしていて。(わかりにくい擬音表現)
えーとその、ぶっちゃけ、面白い。
笑える、という意味ではなく、interesting。
ったくこいつ、苛つくわー、ウザいわー。
気になるわー(笑)。
んで。
萌えるわー。
ジョルジュっていうのはこんな人でこんな風に考えているんですよ、という説明はないけれど、見えているモノだけでなんとまあいろいろ妄想できることか。
その衝撃的な最期も含めて。
結局ポーラもジョルジュも、檻を出ることは出来なかった。
彼らのカルマは薄くない。エドなんて薄い男がどうしたところで、太刀打ちできるよーなもんじゃない。
最後でなんか改心して!とか、解放・昇華して!とか、そーゆーこともないまま、歪んだまま壊れたまま、人生がぶちっと断ち切られる。
それについての解説はナニもない。
そんな彼らの人生を、存在を当たり前に飲み込んで、花は咲き、春は訪れる。毎年。
ベニーのあの演技が正しいのかどうか、かなり疑問っていうかやっぱりチガウんぢゃないかなと(笑)、思いつつも結局のところ、彼の演じるジョルジュが好きだ。
ただ咲けばいい。@リラの壁の囚人たち
2010年5月19日 タカラヅカ 『リラの壁の囚人たち』というタイトルをもっとも具現しているのは、ポーラ@れみちゃんだと思う。
「リラの壁の囚人」という言葉を発するのはエド@かなめくんなんだけれど、所詮彼は異邦人。外から来た人で、外へ帰っていく人。
匿われている身だから、今のところ外へは出られない囚われ人状態だけど、彼の場合はただの物理的な意味での軟禁。
心を囚われている人たちとは、ワケがチガウ。
ヒロイン・ポーラの囚われっぷりはハンパないなと。
薄幸な女を演じたら、現在ヅカ一ぢゃね?!の呼び声も高い、白華れみの本領発揮。
登場するだけで不幸さが際立つ。
この女、絶対幸せにならない。この物語の最後は、この女が非業の死を遂げて終わりだわ!と思わせる負のパワー。
うっかり家に憑いてきたら、その家没落しますよな縁起の悪さ。
ソコが、たまらんっ。
れみちゃん好きだー。うおー。
ナニこの際立つ個性。
笑っていてなお、かなしさが染み渡るというか。
むしろ、笑顔で夢なんか歌われた方が切なくなるというか。
絶対叶わない夢を、壊れることがわかっている美しいモノを、儚げにキラキラ語られたり歌われたりしたら、たまらないじゃないか。
袋小路に佇むポーラに、鎖が見える。
囚人を縛る、蔦のような植物の鎖。
縛られて、棘に苛まれ、それが日常であるがゆえ棘の痛みにすら気づかなくなっているおそろしさ。
その、絶望感。
彼女は決して、どこへも行けなかったんだろうなと思う。
エドは非日常。彼女の長い年月のなかの、ほんの一瞬。
束の間だからこそ、彼と共にこの檻を出る夢も見られたけれど、非日常の刺激は日常に飲み込まれる。打ち消される。
結局ポーラは、檻を出なかったと思う。
ナチスの凶弾に倒れなくても。
ポーラの檻を壊せるほど、残念ながらエドは愛されていないし、それほどの器のある男でもない。
てゆーかわたしは、ポーラは結局のところジョルジュ@ベニーを愛していたのだと思うのですよ。
や、ジョルジュキライだけどなっ(前日欄で書いたことと違いますよ・笑)。出てくるたびにムカついて、「こんな男、捨てちまえ!」と思ってたけど(笑)。
ポーラは不幸な女だけど、可哀想な女とはチガウ、気がする……と思えるあたりが、彼女の魅力だよなあ。
このままエドが現れなくても、ナチス云々がなくても、きっと彼女は破滅したと思う。
ジョルジュが握りしめていた小さなピストル。
あれはいつか、ポーラか、あるいはジョルジュ自身に向けられたと思う。
ジョルジュに銃口を向けられて、あるいはジョルジュの死体を前にして、彼女がひとり前向きに生きる決意をしたとは思えない。
そんな生き方しかできない男と女が「彼らなりに幸せだった」とは思わない。「それもひとつの愛のカタチです」とか、きれいにまとめようとも思わない。
不幸ですよ。もー、ぐっちゃぐっちゃに不幸ですよ。なんつー非生産的な関係。
それでも、彼らのぐっちゃぐっちゃな不幸っぷりに、胸の痛くなるような「美しさ」を感じるのですよ。
枯れてしぼんで地に落ちて、泥にまみれる花を、「こんな姿をさらすなら、咲かなければいいのに」と思うことがないように。
花は、花。
ただ咲けばいい。美しいんだから。
ポーラの不幸体質と、彼女が抱える「現実」の重さに対し、英国天然タラシ男エドの「軽さ」ときたら!!
エドってすげえ、かなめくんってすげえ。
と思うのは、あの軽さゆえ。
現実に生きている限り、あんな人現れないって。少女マンガかタカラヅカにしかいないって!(笑) それをよくぞ表現した!(笑)
浮き世とはチガウ、微妙な浮き上がり感というか。かなめくんがわかった上で演じているというより、彼の持ち味で出来上がっている奇跡のようなバランス。
ポーラが束の間夢を見る、恋をした、この現実を捨てて檻を出て、新しい世界へ旅立とうと、一瞬でも錯覚できるだけのとんでもないキャラクタ。
それはまったくもって、かなめくんならではだよなあ。
このポーラには、このエドだったんだ。
この物語は、白華れみと凰稀かなめだったんだなあと思う。
で、わたし実は冒頭とラストの、中年エドがダメだったんですが。
エドが、というより、かなめくんが。
うわっ、似合わねええ。
ヒゲも似合わないし、中年演技もダメ過ぎる(笑)。
きれいな女の子がヒゲつけても、おっさんには見えませんよっていうか。ヅカファン以外の人が想像する「タカラヅカ」みたい。
ほんとかなめくん、芝居できない人なんだなー。あ、訂正、できる役が限られている人なんだなー。
と、あまりの似合わなさにツボったくらいだ。
彼と芝居をするマリー@音波みのりちゃんがふつーにうまいので、余計にかなめくんのナニも出来なさぶりが目に付くわけなんだが。
だがしかしっ。
その「老け役出来ません」「つか、等身大以外出来ません」なところも含めて。
彼が「タカラヅカ」であることに、震撼した。
冒頭のびみょーな老け役で首をひねり、せっかくのいい物語をじっくりしっとり味わったあと、またびみょーな老け役で登場されて「あの話のあとにコレになんのかよ?!」とツボり(笑)、さらに駄目押しというか、極めつけ。
空気読まない、「タカラヅカ」なフィナーレ、スタート!!
ちょ……っ、ジョルジュが立って踊ってるー!!(笑) キザってるー!! 釣ってるー!!
いやもお、フィナーレはじまった途端、笑いましたよ。
まさかこの話で、この流れで、ふつーにフィナーレやるとは思ってなくて。
もちろん、フィナーレでもないとやってらんない面もあるけど、それはそれとして、空気感としてこりゃナイなと。びっくりだなと。
『舞姫』終演後に、ノリノリなフィナーレがどっかーんっと披露されたよーな感じ。
しかしわたしはどんな場合も「フィナーレ肯定派」です(笑)。
どんなシリアス芝居も号泣の悲劇芝居でも、「それはソレとして!」と突然キラキラきゃーきゃーのフィナーレがはじまるのは全肯定です。
だってソレが「タカラヅカ」だから!
空気をぶった切ってはじまったフィナーレに笑いツボ直撃されたのと同じ感覚で、かなめくんの老け演技も愛しいのです。
あの現実ではあり得ない美青年は、現実ではありえないからこそ、年を取ることも出来ず、こーやって「ヒゲさえつければおっさん」と無理な姿を披露しているのです。
ああ、タカラヅカっていいなあ、ほんとに。
不幸の権化だったポーラも、フィナーレでは笑っているのよ、きれいに。
エドとデュエットダンスしちゃったりするのよ。
好きだわ、ほんと。
「リラの壁の囚人」という言葉を発するのはエド@かなめくんなんだけれど、所詮彼は異邦人。外から来た人で、外へ帰っていく人。
匿われている身だから、今のところ外へは出られない囚われ人状態だけど、彼の場合はただの物理的な意味での軟禁。
心を囚われている人たちとは、ワケがチガウ。
ヒロイン・ポーラの囚われっぷりはハンパないなと。
薄幸な女を演じたら、現在ヅカ一ぢゃね?!の呼び声も高い、白華れみの本領発揮。
登場するだけで不幸さが際立つ。
この女、絶対幸せにならない。この物語の最後は、この女が非業の死を遂げて終わりだわ!と思わせる負のパワー。
うっかり家に憑いてきたら、その家没落しますよな縁起の悪さ。
ソコが、たまらんっ。
れみちゃん好きだー。うおー。
ナニこの際立つ個性。
笑っていてなお、かなしさが染み渡るというか。
むしろ、笑顔で夢なんか歌われた方が切なくなるというか。
絶対叶わない夢を、壊れることがわかっている美しいモノを、儚げにキラキラ語られたり歌われたりしたら、たまらないじゃないか。
袋小路に佇むポーラに、鎖が見える。
囚人を縛る、蔦のような植物の鎖。
縛られて、棘に苛まれ、それが日常であるがゆえ棘の痛みにすら気づかなくなっているおそろしさ。
その、絶望感。
彼女は決して、どこへも行けなかったんだろうなと思う。
エドは非日常。彼女の長い年月のなかの、ほんの一瞬。
束の間だからこそ、彼と共にこの檻を出る夢も見られたけれど、非日常の刺激は日常に飲み込まれる。打ち消される。
結局ポーラは、檻を出なかったと思う。
ナチスの凶弾に倒れなくても。
ポーラの檻を壊せるほど、残念ながらエドは愛されていないし、それほどの器のある男でもない。
てゆーかわたしは、ポーラは結局のところジョルジュ@ベニーを愛していたのだと思うのですよ。
や、ジョルジュキライだけどなっ(前日欄で書いたことと違いますよ・笑)。出てくるたびにムカついて、「こんな男、捨てちまえ!」と思ってたけど(笑)。
ポーラは不幸な女だけど、可哀想な女とはチガウ、気がする……と思えるあたりが、彼女の魅力だよなあ。
このままエドが現れなくても、ナチス云々がなくても、きっと彼女は破滅したと思う。
ジョルジュが握りしめていた小さなピストル。
あれはいつか、ポーラか、あるいはジョルジュ自身に向けられたと思う。
ジョルジュに銃口を向けられて、あるいはジョルジュの死体を前にして、彼女がひとり前向きに生きる決意をしたとは思えない。
そんな生き方しかできない男と女が「彼らなりに幸せだった」とは思わない。「それもひとつの愛のカタチです」とか、きれいにまとめようとも思わない。
不幸ですよ。もー、ぐっちゃぐっちゃに不幸ですよ。なんつー非生産的な関係。
それでも、彼らのぐっちゃぐっちゃな不幸っぷりに、胸の痛くなるような「美しさ」を感じるのですよ。
枯れてしぼんで地に落ちて、泥にまみれる花を、「こんな姿をさらすなら、咲かなければいいのに」と思うことがないように。
花は、花。
ただ咲けばいい。美しいんだから。
ポーラの不幸体質と、彼女が抱える「現実」の重さに対し、英国天然タラシ男エドの「軽さ」ときたら!!
エドってすげえ、かなめくんってすげえ。
と思うのは、あの軽さゆえ。
現実に生きている限り、あんな人現れないって。少女マンガかタカラヅカにしかいないって!(笑) それをよくぞ表現した!(笑)
浮き世とはチガウ、微妙な浮き上がり感というか。かなめくんがわかった上で演じているというより、彼の持ち味で出来上がっている奇跡のようなバランス。
ポーラが束の間夢を見る、恋をした、この現実を捨てて檻を出て、新しい世界へ旅立とうと、一瞬でも錯覚できるだけのとんでもないキャラクタ。
それはまったくもって、かなめくんならではだよなあ。
このポーラには、このエドだったんだ。
この物語は、白華れみと凰稀かなめだったんだなあと思う。
で、わたし実は冒頭とラストの、中年エドがダメだったんですが。
エドが、というより、かなめくんが。
うわっ、似合わねええ。
ヒゲも似合わないし、中年演技もダメ過ぎる(笑)。
きれいな女の子がヒゲつけても、おっさんには見えませんよっていうか。ヅカファン以外の人が想像する「タカラヅカ」みたい。
ほんとかなめくん、芝居できない人なんだなー。あ、訂正、できる役が限られている人なんだなー。
と、あまりの似合わなさにツボったくらいだ。
彼と芝居をするマリー@音波みのりちゃんがふつーにうまいので、余計にかなめくんのナニも出来なさぶりが目に付くわけなんだが。
だがしかしっ。
その「老け役出来ません」「つか、等身大以外出来ません」なところも含めて。
彼が「タカラヅカ」であることに、震撼した。
冒頭のびみょーな老け役で首をひねり、せっかくのいい物語をじっくりしっとり味わったあと、またびみょーな老け役で登場されて「あの話のあとにコレになんのかよ?!」とツボり(笑)、さらに駄目押しというか、極めつけ。
空気読まない、「タカラヅカ」なフィナーレ、スタート!!
ちょ……っ、ジョルジュが立って踊ってるー!!(笑) キザってるー!! 釣ってるー!!
いやもお、フィナーレはじまった途端、笑いましたよ。
まさかこの話で、この流れで、ふつーにフィナーレやるとは思ってなくて。
もちろん、フィナーレでもないとやってらんない面もあるけど、それはそれとして、空気感としてこりゃナイなと。びっくりだなと。
『舞姫』終演後に、ノリノリなフィナーレがどっかーんっと披露されたよーな感じ。
しかしわたしはどんな場合も「フィナーレ肯定派」です(笑)。
どんなシリアス芝居も号泣の悲劇芝居でも、「それはソレとして!」と突然キラキラきゃーきゃーのフィナーレがはじまるのは全肯定です。
だってソレが「タカラヅカ」だから!
空気をぶった切ってはじまったフィナーレに笑いツボ直撃されたのと同じ感覚で、かなめくんの老け演技も愛しいのです。
あの現実ではあり得ない美青年は、現実ではありえないからこそ、年を取ることも出来ず、こーやって「ヒゲさえつければおっさん」と無理な姿を披露しているのです。
ああ、タカラヅカっていいなあ、ほんとに。
不幸の権化だったポーラも、フィナーレでは笑っているのよ、きれいに。
エドとデュエットダンスしちゃったりするのよ。
好きだわ、ほんと。
鉤十字と純情。@リラの壁の囚人たち
2010年5月20日 タカラヅカ ギュンター@みやるりは、アレでいいんですか?
美しすぎて、やばいです。
『リラの壁の囚人たち』、悪役、に分類されるナチス将校役。分類されるだけで、別に彼自身は悪人ではないと思うが。
出てくるだけで「あの美形はナニモノ?!」と思わせるので、目立ちすぎてる気もする。
あれだけインパクトあるなら、もっと比重高くて当然、今の役割だと拍子抜けする……のは、わたしにとって彼が好みど真ん中だからですか。ふつーの人には、作品バランス壊すほどの存在には見えてないんでしょうか。
わたしには、美しすぎてやばいです。作品バランス崩してます(笑)。
ギュンターはふつーにあの時代のSS将校、特に彼個人が悪人ということではなく、時代と彼を取り巻く世界のイデオロギーに忠実に生きていただけにすぎない。
むしろ、彼の取っている行動だけ見ると、かなり人情味あふれる人だと思える。
物語の最初、ギュンターは行きつけのキャバレーのホステスのために、職務を曲げる。
お気に入りのホステス・マリー@音波みのりちゃんが「私の言葉を信じてくれないの? 私の嫌がることをするの?」と色っぽく絡むと、部下への命令を撤回した。リヒター@直樹じゅんがあれだけ進言しているのに、強引に従わせた。
ヲイヲイ、いいのかソレ。なんて公私混同。
しかし多分、彼の中では公私混同ではないんだろう。
なにもわからない初見では、「酒場の女にお色気ウッフン言われたことで、命令撤回ってどんだけ色ボケ将校?」と思えるけれど、その後の物語を見ていればわかる。
ギュンターさんが、マジにそのホステスを……男を色気でもてなす職に就いている女のことを愛している、のだと。
それで「レジスタンスなんてここには来ていない」という彼女の言葉を信じ、命令撤回、強制家宅捜査はやめてよそを探そう、になるわけだ。
また、ある意味自惚れてもいたんだろう。マリーが自分に嘘をつくはずがないと。彼女に愛されている……一目置かれ、好意を持たれている、自分は特別な存在だと。そのため、彼女の言葉を疑わない。
どちらにせよ、個人的感情。プライベートな関係を優先して、軍人としての行動を揺るがす。
ナチスとしての立場を重んじるなら、占領下のフランス女になにか言われたくらいで、命令撤回はしないはず。
マリーを好きだからマリーの嫌がることをわざわざしなくてもいいと思っている、また、マリーに好かれているから彼女は嘘をつかない……それらのことから、合理的に判断した、と思っているんだろう。
ここにレジスタンスはいない。だからここを探しても無駄、よそへ行こう。
ギュンターの中では筋が通っているんだけど、そんなことリヒターにはわかんないし(笑)。
リヒターの目には、「この色ボケ将校めっ」と映ったことだろうなあ。
愛情を信じている男。
なんせ、ホステスに入れあげて求婚しちゃうんだから(笑)。
や、所詮は現地妻になれ、愛人になれってことなんだけど、そこにちゃんと愛情を求めているから。マリーは「好きな人がいる」とそれを断るわけだが、カラダだけが目的の身請け話ならマリーの気持ちは関係ないわけで。恋人がいるからと怒ってあきらめるのではなく、さらに金と権力を匂わせるなりすればいいのに、さっさと手を引くし。
つか、「子どもみたいな顔して、所詮フランス女」とかなんとか、悔しまぎれに言ってたのは、「オレを弄んだんだな」って意味だよなあ。
ギュンターさん、どんだけ純情? 相手、水商売の女ですから。マリーは本当にピュアな女の子、という設定らしいが、それにしたって対外的にはキャバレーで男の相手をしている女の子ですから。客の男にいい顔するのは仕事だってば。
玄人の女に入れあげて、一方的に盛り上がって、求婚して、「私、恋人いるんですけど、なにカンチガイしてんの?」とやられて、ぷんすか退場する……そーゆーことだよね。
一方的に盛り上がる……ほど、ラルダ@柚長の店にいるとき、マリーはどんな顔を見せていたんだろうか?
ギュンターがいかにもなカンチガイ馬鹿男として描かれているならともかく、まともな男に見えるから、ひとりの男がここまで盛り上がるには、それ相当の理由があったと思うんだが。
ギュンターがSS将校様らしい傲慢さで、「すべての女はオレにめろめろ」と思い込んでいたにしろ、マリーが裏庭でエド@かなめくんやポーラ@れみちゃんに見せている顔からは想像もつかない展開なんですが。
そーなんだよな、実を言うとわたし、マリーというキャラクタがわからんのですよ。
キャバレーで働いている女の子で、ギュンターにプロポーズさせるほどの態度を、仕事では取っていたわけだ。実際、最初の登場では女の武器を使ってギュンターを操るわけだし。
めっさ世慣れた凄腕のホステスかと思いきや、それ以外の場面ではピュアな少女みたいで。
ピュアな女の子がホステスやっててもいいけど、登場場面のシナの作り方にギュンターが疑問を持たないところを見ると、普段の彼女はあーゆー態度で男たち相手に商売してるってことで……舞台が庭だけで仕事中の彼女を描いてくれてないから、混乱したまま終わった。
子どもみたいな顔だそうだから、あどけなさで売っているホステスさんだったのかもしれないが、だとしたらやっぱ、最初の悪女ぶりがイメージにつながらない……わたしの中では。
つっても、もっとあどけないヨゴレを知らぬ少女風にされたら(最初の場面も無邪気な幼女テイストでおねだりされたら)、ギュンターがロリコンになっちゃうから、仕方ないのかなー(笑)。
ギュンターとマリーの関係が、よくわかんなかった。
庭でエドやポーラと話すマリーがあんまりかわいい、いじらしい女の子で、この子が客を騙すほどの色事師手管で店に出ているとは思えなくて。
感情がそのまま出てしまう、ふつーの女の子なのに、この子に「愛されてる。求婚したら即OKのはず」とギュンターが思い込む? やっぱ店では相当演技していた?
ギュンターとマリーに関して、描かれていることだけだとぜんぜんつながらない。
つながらない、辻褄が合わない、というなら「ま、所詮脇役だし」とあきらめてスルーすればいいんだろう。芝居を進める上でのご都合主義ってことで。
ふつーならそうなんだけど、この物語は「つながらないけれど、ナニかあるはず。そして、つなげることができるはず」と思えてしまうから。
マリーがギュンターにどんな顔を見せていたか、態度を取っていたか、そしてギュンターがナニを想い彼女を欲したか。
描かれていない、辻褄の合わない部分を、脳内補完したくなるんだ。
あれだけひどい断り方をして……「とんだ恥をかいた」とギュンターも言っていたけど、ナチス将校が人目のあるところでフランス女に完膚無きまでに振られる、って、相当な状況なんですが。よく平手打ちひとつで済んだなと。さんざん誤解させる態度を取っていたわけでしょ? で、土壇場で裏切ったわけでしょ?
あそこまで恥をかかせておいて、結局現地妻に収まるって、すごいっす。
そしてドイツ敗退の折には、ギュンターがわざわざマリーを送り届けに来るって、すごいっす。
どんなドラマがあったんだ、あのふたり。
と、いろいろいろいろたのしいっす、ギュンターさん。
やっていることはかなり私情に左右される人情家なんだけど、あくまでもクールに取り繕っているのがまた(笑)。
美しすぎて、やばいです。
『リラの壁の囚人たち』、悪役、に分類されるナチス将校役。分類されるだけで、別に彼自身は悪人ではないと思うが。
出てくるだけで「あの美形はナニモノ?!」と思わせるので、目立ちすぎてる気もする。
あれだけインパクトあるなら、もっと比重高くて当然、今の役割だと拍子抜けする……のは、わたしにとって彼が好みど真ん中だからですか。ふつーの人には、作品バランス壊すほどの存在には見えてないんでしょうか。
わたしには、美しすぎてやばいです。作品バランス崩してます(笑)。
ギュンターはふつーにあの時代のSS将校、特に彼個人が悪人ということではなく、時代と彼を取り巻く世界のイデオロギーに忠実に生きていただけにすぎない。
むしろ、彼の取っている行動だけ見ると、かなり人情味あふれる人だと思える。
物語の最初、ギュンターは行きつけのキャバレーのホステスのために、職務を曲げる。
お気に入りのホステス・マリー@音波みのりちゃんが「私の言葉を信じてくれないの? 私の嫌がることをするの?」と色っぽく絡むと、部下への命令を撤回した。リヒター@直樹じゅんがあれだけ進言しているのに、強引に従わせた。
ヲイヲイ、いいのかソレ。なんて公私混同。
しかし多分、彼の中では公私混同ではないんだろう。
なにもわからない初見では、「酒場の女にお色気ウッフン言われたことで、命令撤回ってどんだけ色ボケ将校?」と思えるけれど、その後の物語を見ていればわかる。
ギュンターさんが、マジにそのホステスを……男を色気でもてなす職に就いている女のことを愛している、のだと。
それで「レジスタンスなんてここには来ていない」という彼女の言葉を信じ、命令撤回、強制家宅捜査はやめてよそを探そう、になるわけだ。
また、ある意味自惚れてもいたんだろう。マリーが自分に嘘をつくはずがないと。彼女に愛されている……一目置かれ、好意を持たれている、自分は特別な存在だと。そのため、彼女の言葉を疑わない。
どちらにせよ、個人的感情。プライベートな関係を優先して、軍人としての行動を揺るがす。
ナチスとしての立場を重んじるなら、占領下のフランス女になにか言われたくらいで、命令撤回はしないはず。
マリーを好きだからマリーの嫌がることをわざわざしなくてもいいと思っている、また、マリーに好かれているから彼女は嘘をつかない……それらのことから、合理的に判断した、と思っているんだろう。
ここにレジスタンスはいない。だからここを探しても無駄、よそへ行こう。
ギュンターの中では筋が通っているんだけど、そんなことリヒターにはわかんないし(笑)。
リヒターの目には、「この色ボケ将校めっ」と映ったことだろうなあ。
愛情を信じている男。
なんせ、ホステスに入れあげて求婚しちゃうんだから(笑)。
や、所詮は現地妻になれ、愛人になれってことなんだけど、そこにちゃんと愛情を求めているから。マリーは「好きな人がいる」とそれを断るわけだが、カラダだけが目的の身請け話ならマリーの気持ちは関係ないわけで。恋人がいるからと怒ってあきらめるのではなく、さらに金と権力を匂わせるなりすればいいのに、さっさと手を引くし。
つか、「子どもみたいな顔して、所詮フランス女」とかなんとか、悔しまぎれに言ってたのは、「オレを弄んだんだな」って意味だよなあ。
ギュンターさん、どんだけ純情? 相手、水商売の女ですから。マリーは本当にピュアな女の子、という設定らしいが、それにしたって対外的にはキャバレーで男の相手をしている女の子ですから。客の男にいい顔するのは仕事だってば。
玄人の女に入れあげて、一方的に盛り上がって、求婚して、「私、恋人いるんですけど、なにカンチガイしてんの?」とやられて、ぷんすか退場する……そーゆーことだよね。
一方的に盛り上がる……ほど、ラルダ@柚長の店にいるとき、マリーはどんな顔を見せていたんだろうか?
ギュンターがいかにもなカンチガイ馬鹿男として描かれているならともかく、まともな男に見えるから、ひとりの男がここまで盛り上がるには、それ相当の理由があったと思うんだが。
ギュンターがSS将校様らしい傲慢さで、「すべての女はオレにめろめろ」と思い込んでいたにしろ、マリーが裏庭でエド@かなめくんやポーラ@れみちゃんに見せている顔からは想像もつかない展開なんですが。
そーなんだよな、実を言うとわたし、マリーというキャラクタがわからんのですよ。
キャバレーで働いている女の子で、ギュンターにプロポーズさせるほどの態度を、仕事では取っていたわけだ。実際、最初の登場では女の武器を使ってギュンターを操るわけだし。
めっさ世慣れた凄腕のホステスかと思いきや、それ以外の場面ではピュアな少女みたいで。
ピュアな女の子がホステスやっててもいいけど、登場場面のシナの作り方にギュンターが疑問を持たないところを見ると、普段の彼女はあーゆー態度で男たち相手に商売してるってことで……舞台が庭だけで仕事中の彼女を描いてくれてないから、混乱したまま終わった。
子どもみたいな顔だそうだから、あどけなさで売っているホステスさんだったのかもしれないが、だとしたらやっぱ、最初の悪女ぶりがイメージにつながらない……わたしの中では。
つっても、もっとあどけないヨゴレを知らぬ少女風にされたら(最初の場面も無邪気な幼女テイストでおねだりされたら)、ギュンターがロリコンになっちゃうから、仕方ないのかなー(笑)。
ギュンターとマリーの関係が、よくわかんなかった。
庭でエドやポーラと話すマリーがあんまりかわいい、いじらしい女の子で、この子が客を騙すほどの色事師手管で店に出ているとは思えなくて。
感情がそのまま出てしまう、ふつーの女の子なのに、この子に「愛されてる。求婚したら即OKのはず」とギュンターが思い込む? やっぱ店では相当演技していた?
ギュンターとマリーに関して、描かれていることだけだとぜんぜんつながらない。
つながらない、辻褄が合わない、というなら「ま、所詮脇役だし」とあきらめてスルーすればいいんだろう。芝居を進める上でのご都合主義ってことで。
ふつーならそうなんだけど、この物語は「つながらないけれど、ナニかあるはず。そして、つなげることができるはず」と思えてしまうから。
マリーがギュンターにどんな顔を見せていたか、態度を取っていたか、そしてギュンターがナニを想い彼女を欲したか。
描かれていない、辻褄の合わない部分を、脳内補完したくなるんだ。
あれだけひどい断り方をして……「とんだ恥をかいた」とギュンターも言っていたけど、ナチス将校が人目のあるところでフランス女に完膚無きまでに振られる、って、相当な状況なんですが。よく平手打ちひとつで済んだなと。さんざん誤解させる態度を取っていたわけでしょ? で、土壇場で裏切ったわけでしょ?
あそこまで恥をかかせておいて、結局現地妻に収まるって、すごいっす。
そしてドイツ敗退の折には、ギュンターがわざわざマリーを送り届けに来るって、すごいっす。
どんなドラマがあったんだ、あのふたり。
と、いろいろいろいろたのしいっす、ギュンターさん。
やっていることはかなり私情に左右される人情家なんだけど、あくまでもクールに取り繕っているのがまた(笑)。
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