『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』という作品・脚本の嫌いなところだけを記すシリーズです、はい。演じているジェンヌには無関係、植爺だけの話。
 むしろジェンヌさんはすごいのですよ。こんだけ嫌い嫌い言ってるのに、それでも観劇出来るのはジェンヌさんが力業で、説得力を持たせて演じてくれているから。
 見れば見るほどジェンヌさんを好きになる。
 ……けど、植爺『ベルばら』もそこのキャラクタも嫌い(笑)。


 植爺『ベルばら』でキャラクタ破壊について言及しても仕方ないくらい、すべてのキャラクタが破壊されているけれど。
 ナニ気に酷いのはジャルジェ夫人だと思う。

 今回のジャルジェ夫人、ひどいね! ありえないね!

 原作のジャルジェ夫人は、穏やかで控えめ、たおやかな小さな花のような女性、というイメージ。
 決して出しゃばらず、自分の意見を言わず、夫や子どもに従っている。

 いわゆる「貴族の強い奥方」ではない。
 社交界でぶいぶい言わせるようなタイプじゃない。

 きっと芯は強いんだろうけれど、一見地味で目立たない、母性的でやさしく聡明な女性なんだろう。真の「お姫様育ち」って、こういうことをいうんだろうな、ってな。

 なのに植爺『ベルばら』のジャルジェ夫人と来たら。
 いつも言いたいことをずけずけ言う「大阪のおばちゃん」みたいな人。
 こんだけいつでもどこでも前面に出てきて言いたいことを言う人なら、そもそもオスカルを男として育てることを承知しなかったはず。

 原作のひかえめでやさしい「理想の女性」「理想の母」像を、見事にぶち壊してくれて、毎回不快だったんだが、今回はいつもにも増して、ひどい。

 ジャルジェ将軍が登場しないため、その役割も兼ねている。
 おかげで「女将軍」のような押し出しと、貫禄。
 どこの女帝陛下だよ……。
 みとさんがまた、威厳たっぷりに演じてるからなあ……。原作は丸無視なんだろうなあ。

 パリの情勢に興味を持ったり、政治だの革命だのに興味を持つ女性じゃないだろうに、ベルナール相手に政治談義を持ちかけるときたもんだ。

 オスカルが女なのに男として育ったことで、広い視野を持てた……のは、この時代の女性たちが政治や国家に興味を持たない、口を出さない、ことも関係していたんじゃないの? 宮廷の権力争いとか、そーゆーレベルのことじゃなく。
 なのにジャルジェ家では夫人も長女(結婚して子どももいる)もふつーに、政治や国家を語るんだったら、オスカルが男として生きる意味が薄いじゃん。
 オスカルも好きなだけドレスを着てお化粧して、好きな男と恋愛して結婚して、子どもを産んで、さらに政治でも国家でも、身分制度のことでも、考えたり論じたりすればいいんだよ。


 わたしはどの『ベルばら』も、ジャルジェ家の人々の場面が嫌い。
 だから、出てこなくてかまわないのに、といつも思う。

 今回はまだ、大嫌いなマロングラッセが出ていないだけマシ。
 植爺『ベルばら』でいちばん嫌いなキャラクタは、まちがいなくマロングラッセ(笑)。

第1幕
第8場 カーテン

 ジャルジェ家に、ロザリーとベルナールがやってくる。

 ここでもおかしいのは無意味な説明台詞の応酬。

 オルタンスのはしたない台詞「ロザリー、赤ちゃんは?」も、「ベルナールは今、最も忙しい新聞記者なんですから!」という説明台詞を言いたいがためでしょ?
 しかし、「忙しくて子どもを作る時間がない」って……ナニその下品なやりとり……。

 で、またしてもこの舞台には登場しない固有名詞の羅列。
 説明台詞が長いだけで、観客にはちっとも状況が伝わらない。
 パリの状況を固有名詞羅列して説明するよりも、お前ら、誰だよ?!ってことの方が重要でしょ?

 ロザリーとベルナール。
 『フェルゼン編』では、ラスト場面に関わってくる大切な役だ。
 彼らがどういう人たちなのかをきちんと説明しなきゃ、ラストがぽかーんになるでしょうに。

 まず、彼らが「平民」であること。
 植爺に言わせるとふたりとも「貴族」なんだけどね。「貴族」に対してナニかしらこだわりか劣等感があるらしい植爺は、ロザリーとベルナールが「半分貴族の血を引いている」ことが最重要であると、油断すると語り出す。
 設定上はそうなっているけれど、この短い上演時間では不要な情報だから、ここではきっぱりと「平民」とした方がいい。

 平民で、最初貴族を憎んでいたが、オスカルと出会うことによって考え直し、友人となった相手だと。オスカルのことは好きだけど、貴族は嫌い、貴族におもねる気はない。
 革命時にはもちろん平民側、ベルナールは革命の闘士として活躍。ロザリーはその妻として内助の功。オスカルはロザリーの初恋のひと。

 たぶん今のままの描き方だと、原作知らない人はぽかーんだよなあ。
 ベルナールたちは登場するたびに立ち位置が違っていて。

 ただ、今回の

ベルナール「彼らは自由、平等、友愛。この三つを旗頭に立ち上がった―」
オスカル「自由、平等、友愛…三色旗か、悪くないな」

 という流れは、オスカルの変心を表すのにいい感じだと思う。
 ここできちんと語らせ、「第6場 ベルサイユ宮殿」でジェローデルの前で突然愚痴らせるの、やめればいいのに。
 追加ラインアップ……!
2013/06/25

2013年 公演ラインアップ【宝塚バウホール】<10月・専科『第二章』>


6月25日(火)、2013年宝塚歌劇公演ラインアップにつきまして、宝塚バウホールの上演作品が決定いたしましたのでお知らせいたします。

専科
■出演者・・・(専科)轟 悠、英真なおき
       (星組)夢咲ねね、早乙女わかば

◆宝塚バウホール:2013年10月3日(木)~10月14日(月)
一般前売:2013年9月7日(土)
座席料金:全席6,000円(税込)
※当初発表の公演スケジュールから変更(公演を追加)して上演いたします。

バウ・コメディ
『第二章』
-CHAPTER TWO by Neil Simon-

原作/ニール・サイモン 脚色・演出/石田昌也

ブロードウェイの喜劇王ニール・サイモンの傑作戯曲「第二章」は、サイモンの自伝劇ではないかとも言われる秀逸なコメディの戯曲です。最愛の妻に先立たれたショックから立ち直ろうとするジョージが、バツイチの女優ジェニファーと、ひょんなことで出会い、恋に落ちて結婚。新しい未来が待ち受けているかと思いきや、新婚旅行先でふいに先妻のことを思い出し、また落ち込んでしまう。果たして二人は、人生の第二章を無事スタートできるのか。
ユーモアとウィットに富んだ会話に、それぞれに人間味のある4人の登場人物が絡み、サイモンならではの温かいコメディを堪能できる作品です。
2011年、2012年と上演し好評を博した「おかしな二人」に続く、専科公演コメディシリーズの第二弾として、主演に轟悠、ヒロインに星組トップ娘役夢咲ねねを配し、上質の舞台をお届けいたします。

 公式開いて、まず目に飛び込んできたのは、専科バウ、轟悠・英真なおき。
 前の専科バウがマヤさんとのコンビだったから、不思議はない。
 トド様の専科バウ、ニール・サイモン第二弾かあ。

 そして解説を読み、…………目を、疑う。

> 最愛の妻に先立たれたショックから立ち直ろうとするジョージが、
>バツイチの女優ジェニファーと、ひょんなことで出会い、恋に落ちて結婚。

 やもめトド様が、バツイチ女優エマさんと恋に落ちる?!

 あ、新しいなソレ……。『南太平洋』は布石だったのか……っ。し、しかしソレは誰得なんだ??

 いやその、エマさんうまいしチャーミングだけど……だけど……トド×エマって濃いわ……。

 解説は最後まで読みましょう。
 ヒロインはねねちゃんだって書いてある。

 トド×ねね!! よかった!(心から・笑)


 はい、改めまして。

 トドねね!! トド様と恋に落ちる女優のねね様! うっわー、楽しみすぎる!!

 トド様はどんどん他の生徒たちと学年・年代が開いていっているのに、大抵ヒロインは新公学年の新進娘役。それでも成り立つフェアリーっぷりがすごいとはいえ、大人の女と組んでくれるのはうれしい。
 ねねちゃんも今はすっかりおねえさんだもの、トド様との並びが楽しみ。

 そして実力の英真さん、美貌のわかばちゃん。
 トドねねとたった4人の舞台……うわー、楽しみ過ぎる。

 10日間もあれば、チケットは手に入るかな……。
 たぶんきっと、映像には一切残らないんだよね?



 トド様に限らず、いろんな人でこういうカタチのバウ利用をしてくれたらいいのになあ。
 とまあ、勝手に鼻息荒く夢見ています。
 わたしが勝手にこう眺めているというだけで、他の人にどう見えているのかはわかりません。
 また、中の人がどう考えて演じているかも知らないし、興味ないです。わたしは、わたしに見えたモノ、感じたモノだけを咀嚼して楽しむの。


 でもあまりにベンヴォーリオ@ベニーが好み過ぎて、なのにこの素敵なベンヴォーリオ様に会えるのがたった2週間とか、あんまりだわ、短すぎるわ。
 公演期間も役替わり日程もナニも把握してなかったので、はっと気がついたときにはBバージョンおわりじゃないですか、きゃ~~!!
 悲鳴上げつつ、星組再演『ロミオとジュリエット』Bバージョン千秋楽へ行ってきました。

 ベン様ベン様!!
 きゃーきゃーきゃー。


 えーと。

 ちょっと、アタマ冷えました(笑)。

 前回見たとき、ベニーさんの絶望感や痛々しさ全開で、母性本能刺激まくりのキュン死状態だったんですが、楽のベン様はそこまで行きすぎてなくて、ちょっと落ち着いてました。
 なんか全体的に薄くなってる? いや、最後だからきっちり抑えに来たのかな。
 弱さは薄くなって、しっかりと両脚で立つようにしている、感じ。
 これが本来のベンヴォーリオ? 中日あたりはやりすぎてたの?

 わたしの目がフィルターかかってただけかもしれませんが。

 あまり病んでないベン様でした。
 ちゃんとロミオともマーキューシオとも友だちしてるように見えた(笑)。

 でもわたしは、病んでいたベン様が好みなので、そっちの記憶を胸に抱いて生きますわん。

 そして、わりとふつー寄りになったベン様は……カマっぽく見えた。

 ……オネエ?
 そして、水しぇんにも似て見える……。
 細い目とでかいクチで、強い笑顔で歌う霊廟センターなんかは、特に。
 今までオサ様系の顔立ちとは思っていても、水しぇんと思ったことはなかったのでびっくりだ。
 てゆーかオサ様と水しぇん、って、よーするにわたしの好みど真ん中の顔ってことだわベニーさん……。いやそもそも彼を見初めたのはそのビジュアルですものね……なつかしいすずみんバウ、紅ゆずるの謎。

 歌もうまくなったよねー。
 今回のベニーの歌声好き。「どうやって伝えよう」も、フィナーレの銀橋も。

 でもわたしが恋したのはベニヴォーリオ様らしく、フィナーレのベニーさんにはときめかない……(笑)。
 パレードになって、ベンヴォーリオの姿で階段を降りてくると「きゃ~~」となる。

 いやもおほんと、ありがとうごちそうさま。
 すげー楽しい日々でした。


 マーキューシオ@みっきーはベン様がどうあれ痛々しくて素敵(笑)なので、見ているとわくわくします。
 ティボルト@マカゼも痛々しいし、ったくBバージョンは取り残された子どもばかりが生き残りを懸けて泣いているようで、素敵過ぎる。

 やっぱ『ロミジュリ』はいいなあ。
 贔屓組でこの作品をやってくれたら、お金と時間の許す限り通って、いろんなところを観ていろんなことを感じて、豊かな時間を過ごせるだろう。
 月組もまさおロミオが好みで何度か行ったしなー。どの組のどのバージョンも楽しいので、これからまた再演があれば、その都度わくわく観に行くと思う。

 てゆーか宝塚歌劇団てさ、『ロミジュリ』劇団だよねえ?

 2010年からはじまって、2011年、2012年、そして2013年と毎年『ロミジュリ』上演してる。
 わたしヅカヲタ歴20年そこそこだけど、毎年同じ演目をする、てのはじめて。
 初舞台生ロケットが毎年必ずあるように、『ロミジュリ』も毎年必ずある、それが宝塚歌劇団なのかしらね。
 来年も再来年も『ロミジュリ』やるのかしら。同じ組で同じトップスターで2回もやったんだもの、こわいものなし、これから毎年、また同じ組や同じトップスターでやっても不思議じゃない。あらまあ楽しみ。
 って、これは皮肉です、念のため。
 『ロミジュリ』大好きだけど、毎年やるのはどうかと思うよ、宝塚歌劇団様。毎年恒例、1年に1度は必ず『ロミジュリ』、『ロミジュリ』専用歌劇団になるのは、チガウと思うの。


 未来の懸念はともかく、今は今の『ロミジュリ』を楽しんでいる。
 Aバージョンもまた観に行くわよお。
 今回、ねねちゃんの歌声がすごく好きだわー。丁寧に丁寧に「ジュリエット」として歌っているのがきゅんきゅんする!
 星組再演『ロミオとジュリエット』Bバージョン、ベンヴォーリオ@ベニーとマーキューシオ@みっきーを語る。あくまでもわたし目線、わたしだけの勝手なな思い込み。


 「親友」という美しい名前でくくって誤魔化していた、依存関係のふたり。
 ベンヴォーリオとマーキューシオ。
 その関係はロミオ@れおんの裏切りで崩れ、マーキューシオは失った居場所、存在を懸けて破壊・破滅衝動に身を任せ、「親友」たちの腕の中である意味しあわせに死んでゆく。


 哀れなのは、ベンヴォーリオだ。

 いびつな関係だった、いずれ壊れることは予感していた……それが実際に、壊れた。
 ベンヴォーリオはその関係を修復出来なかった。
 修復のための努力は出来たろうし、修復したいのだという気持ちを表すことはできただろう。でも彼は、しなかった。なにも。
 そのことが、余計にマーキューシオを追い詰めた。
 ベンヴォーリオがなにかしら発信していたなら、マーキューシオは破壊衝動に走らず、結果死ぬこともなかったのではないか。


 『ロミジュリ』においてのベンヴォーリオの直接的な罪は、ロミオにジュリエットの死を伝えたこと、「余計なことをした」に、尽きるのだと思う。粗忽者という設定も、この勇み足に結びつく。
 細かいことは置いておいて、ベンヴォーリオという登場人物の最大の役割は「ロミオにジュリエットの死を伝える」ということ。こいつさえ余計なことをしなければ、ロミオもジュリエットも死なずにすんだのに。
 「余計なことをした」……それが、『ロミオとジュリエット』におけるベンヴォーリオ。

 だけど。
 このベニヴォーリオの罪は、「ナニもしなかった」ことにあると思う。

 ベンヴォーリオは、ナニもしなかった。
 
 幼なじみのロミオともマーキューシオとも、きちんとした友情を築いてこなかった。表面だけで取り繕っていた。
 ジュリエットを愛したロミオと、真正面から向き合わなかった。話し合わなかった。
 ロミオに裏切られた……のなら、同じ立場であるはずのマーキューシオと話し合うなりするべきなのに、しなかった。
 ティボルトにケンカを売るマーキューシオを止めなかった。

 ベンヴォーリオが意志を持って「行動」していたら、悲劇は起こらなかった。

 ロミオともマーキューシオとも違い、ベンヴォーリオは「行動できる」ポジションにいると思うのね。
 だから「ナニもしなかった」ことが目立つ。痛い。

 たぶん最初から彼は、ヴェローナにも自分自身にも疑問があるんだろう。だからなにかっちゅーと逡巡しちゃって、動けない。

 そして「ナニもしなかった」ことをいちばん知っているのは、そして悔やんでいるのは、ベンヴォーリオ自身。

 マーキューシオを殺し、ロミオを殺した。
 誰もベンヴォーリオを責めない、彼が殺したとは想っていない。

 でも、ベンヴォーリオだけは知っている。

 親友たちを殺したのは、自分だと。

 知っていて、口をつぐみ、ただ泣き濡れている。

 マーキューシオがティボルトにケンカを売っているとき離れたところで立ち尽くしていて、ロミオがティボルトを殺して逃げたあとはモンタギュー夫人@花愛さんのところへ泣きつきに行ってるし、そのまま膝を付いてヘタレてるし。
 自分ではナニも出来ない子どものように。誰か助けて。……罪悪感と後悔は、誰にも助けてもらえないのにね。
 霊廟では子どものように泣き崩れているし、やっぱりモンタギュー夫人の歌声にすがっているようだし。夫人はママのようなものかな。「過保護な母親だ」と嗤っていたくせに、いざとなったらママの膝にすがる。
 でもきっと、ママだって君を救えないよ?


 生き残ったベンヴォーリオがどうなるのか、知りたいと思う。

 息子を失ったモンタギューママと疑似親子ごっこしそうで、不健全で楽しいなソレ。
 マーキューシオという依存相手を失ったあと、モンタギューママに依存するようになったら、またしても「人」という字を作るようになったら、すごく楽しいな。や、間違った人、好物なので!
 ついでにロミオへの潜在的な憎しみとか、マーキューシオへの苛立ちとか、今の自分を守るために過去をどんどんどす黒く埋めていったら、なお素敵。

 モンタギュートリオが純粋な親友同士に見えない、ロミオは別次元にいるし、ベンヴォーリオもマーキューシオもゆがみを抱えているしで、それがすごく魅力的。

 てゆーかベンヴォーリオもマーキューシオもすげえ可哀想で、ぎりぎりのところで毛を逆立てて笑っている感じが好み過ぎる(笑)。


 カップリング的にはベン×マーかなあ。マーさん右側だよなあ。たぶんマーさんはすごく孤独で、それを埋めたくて、ずっとずっとあがいてるんだろうなあ。
 みっきーの持つ個性だよな、キレた笑いを浮かべてていても「哀しく」見えるのは。
 でもってわたし、ヘタレ攻大好きだし。弱くてずるい攻、そんな攻に惚れてる受……という救いのないカップル、フィクションの中では大好物です。
 時間があればなんか書きたいわ……(笑)。


 ちょっとベニヴォーリオとミッキューシオでいろいろ夢が広がっています……萌えるわーこのふたり!
 星組再演『ロミオとジュリエット』Bバージョン、ベンヴォーリオ@ベニーとマーキューシオ@みっきーが好み過ぎる!
 ということで、勝手にわたしフィルターなふたりを語る!!


 マーキューシオVSティボルト@マカゼ。
 どっちのふつうの精神状態じゃない。破壊衝動、破滅衝動に駆り立てられ、ぶつかるふたり。

 ベンヴォーリオは乱闘になってはじめて、仕方なく仲間たちを助け、またマーキューシオを止めに入る。
 とまどったまま、ためらったままだから、その動きは鈍い。

 ロミオ@れおんの歌う「誰もが自由に生きる権利がある」に耳をとめ、それに同調するわけだが……このときはじめて心が動いた、ってわけじゃないんだろう。
 もっと前から、迷っていた。たまたまこのタイミングで肩を押されただけのこと。

 今までことさらお調子者を装ってきた。お笑いキャラとして大袈裟に滑稽に振る舞ってきた。
 でも、それは虚勢。
 ほんとうのベンヴォーリオは。


 マーキューシオの死は、実はベンヴォーリオに責任があるんじゃないか?

 孤独なマーキューシオが破壊衝動に駆られていたのが、ベンヴォーリオに突き放されたせいだとして。
 さらに、乱闘の最中、ベンヴォーリオは早々にあきらめているように見えた。
 もっと力尽くで止めることができたのに、自分をあわれんだりなぐさめたりする気持ちがあって、死にものぐるいにはなっていなかった。なっていても、ところどころゆるんでいた。
 もう無理だ、と立ち尽くす瞬間があった。
 努力を手放す時間があった。
 その間に、マーキューシオは動き、刺された。


 いやあ、今回ベンヴォーリオとマーキューシオの関係性が、面白くて。

 2個イチ扱いのベンマーが、ここまで別の立ち位置にいるってのが、わたしにとっては新しい。わたしにとっては、はじめて見る。

 今思うと雪組のベンマーは、性格は正反対でも似合いの一対だった。クールでシニカルな知性派ベンヴォーリオ、ホットで好戦的、でも実は繊細なマーキューシオ。ふたりはまさに「親友」で、そこは終始一貫揺らがなかった。
 今の『ベルばら』でアンドレとオスカルをやっていて、芝居の相性がやたらいいことが示す通り、中の人たちの芸風は違っても、方向性が違和感なく重なるんだろう。

 でも星組Bのベンマーは、実は最初から親友ではなく……友情の名を借りた依存関係に思えた。
 ベンヴォーリオもマーキューシオも、そのいびつさになんとなく気がついている。
 忍び寄る死の影、的に。

 「人」という字は、人と人が支え合っているのではなくて、もたれ合って依存しているのです、どちらかが倒れれば、共倒れになります。……そんな感じ?

 微妙なバランスで成り立っていた、いびつな関係。
 ロミオの裏切りで、ベンヴォーリオとマーキューシオの関係も壊れた。

 ベンヴォーリオはすっかり腰が引けて話にならない、マーキューシオは苛つき、周囲に当たり散らす。共に話し合い、支え合って乗り越えなければならない大事件の最中、ふたりは共に手を放した。
 もともと支え合ってなかった、相手のためでなく自分のためにもたれかかっていただけだった、だから有事にはまず自分を守ろうと相手から手を放した。……そしたら、ふたりとも、崩れた。

 とはいえ、互いを愛していないわけじゃない。
 ベンヴォーリオもマーキューシオも、ちゃんと相手のことは思っている。事務的に利用していただけじゃない。
 ただきちんと発達していなかった。成長の過程で築くべき人間関係が、構築出来ていなかった。
 それはたぶん、ヴェローナのせい。「生まれたときから敵がいる」状況で、是非もなく敵を憎まなくてはならない環境では、健康に発育しなかった。
 とりあえず味方同士で固まって、「敵」を攻撃していれば、誰だって「仲間」になりた、「親友」になれた。
 そうやって外側だけ出来上がり、内側がついてきていないことに、気づいていなかった。

 ベンヴォーリオとマーキューシオ、どちらも、哀れだ。

 泣きそうな顔で途方に暮れているベンヴォーリオ。苛つき、破壊衝動に身を任すマーキューシオ。
 どちらも、ひとりぼっち。

 いずれ、こうなる運命だった。いびつな友人関係だった、性格も価値観も違いすぎた、それでも依存することで一緒にいた。
 ロミオとジュリエットの結婚で、ベンマーの依存関係は壊れた。
 ふたりは別の方向を向いている。

 マーキューシオの孤独が痛い。
 ひとりぼっちだとわかってしまった、認めてしまった。
 ロミオははじめからマーキューシオのことなんかものの数にも入れていないし、ベンヴォーリオはマーキューシオが必要とするだけマーキューシオを愛してくれていない。
 彼の欠乏感、飢餓感は、すべてティボルトへぶつけられる。

「ヤツは俺を昔から蔑み、憎んでる」……マーキューシオの言葉は、ティボルトへ向けられたモノなのか。や、もちろんそうなんだけど。
 無意識の領域で、別の人間に言っていないか?
 ロミオに? ベンヴォーリオに?
 あるいは、自分自身に?

 破滅は必定。
 ティボルトへ向けた刃は、自分自身へ。

 ある意味彼は、解き放たれたのかも。
 ずっとずっと彼をむしばんできたゆがみ、孤独から。

 うれしかったろうな、ロミオとベンヴォーリオの腕の中で死ねて。

 表面だけのつきあいで、内側から病んでいて。いつか壊れる、崩れる、そう恐怖していて。
 実際に壊れ、刺され、もうこれ以上悪いことは起こらない。
 欲しかったもの……「親友」の腕の中で、「親友」の涙に送られて、命尽きる。
 マーさんの最期は、ある意味しあわせだったのでは。


 さらに哀れなのは、ベンヴォーリオだ。


 つづく。
 Bバージョンが、面白い。

 そう目覚めたからには、もう一度Bを観に行かなければっ。

 ベンヴォーリオ@ベニーが、好みだ。

 そう目覚めたからには、もう一度Bを観に行かなければっ。

 てことで、わくわく星組再演『ロミオとジュリエット』Bバージョン観劇。
 自分の視点が定まったので、潔くベニーさん中心観劇。

 ベンヴォーリオの、1幕の過剰なお調子者ぶり。
 それが、2幕では一変する。

 ロミオ@れおんに裏切られた。
 それがわかったあと、ベンヴォーリオはすっかり心を閉ざしている。
 いや、途方に暮れているといった方が近いか。

 たぶん、マーキューシオ@みっきーとも、ろくに話していない。
 街なかでティボルト@マカゼとマーキューシオが鉢合わせ、ケンカになるのだけど、そのとっかかりにベンヴォーリオはいない。

 雪組ではふたりは一緒に登場、それまでもふたり一緒にいたんだとわかる。でも星組版では別の場所から別のタイミングで現れる。(月組版も一緒パターンだったと思うが、おぼえていない)
 ベンヴォーリオとマーキューシオは、ロミオに「俺たちを裏切るのか」と詰め寄ったあと、一緒にはいなかったんだ。別々に過ごしていたんだ……いちばん一緒にいるべきときに。何故。

 Aバージョンもマーキューシオとベンヴォーリオは別々に登場したと思うけれど、そちらの意味は今のわたしにはわかっていない。
 ただ、Bバージョンでは、ベンヴォーリオとマーキューシオの間に亀裂があったためだろうなと思う。

 ロミオとジュリエットの結婚について。
 意見が分かれたんだろう。
 マーキューシオVSティボルトの乱闘の最中、「誰もが自由に生きる権利がある」と歌うロミオにベンヴォーリオが賛同する、そこに至るまでの理由が見えるようだ。
 ベンヴォーリオはたぶん、その前から休戦論に傾いていた。ただ、明確な意識も、ましてや激するマーキューシオを説き伏せるだけの理論武装もなかったんだろう。
 それで、ケンカ別れ。
 別々に過ごし、マーキューシオとティボルトがぶつかっているところへベンヴォーリオは遅れて現れる。

 マーキューシオがティボルトにケンカを売っている間、ベンヴォーリオは遠く離れた場所で、所在なく立ち尽くしている。
 とまどいと狼狽。自分で思考し、決断できる状態ではないようだ。

 なのにマーキューシオとティボルトの争いは激しくなり、よせばいいのにロミオまで現れた。
 ベンヴォーリオに、戦う意志はない。だが否応なく乱闘に巻き込まれる。

 ここで、マーキューシオもまた、ひどく痛々しく見える。


 初見時は、みっきーのマーキューシオはよくわかんなかった。紅い髪は目立っていいけど、「マーキューシオ」というテンプレ演技をしている以外、とくにどうというのが伝わらなかった、……わたしには。
 やっぱマーさんって、マーさん単体だと難しいんだわ、わたしには。
 ベン様と対ではじめて、見えてくるモノがある。

 このベンヴォーリオには、このマーキューシオ。
 個別では存在し得ない。
 影響し合っている。
 愛と死のように。ロミオとジュリエットのように。

 てことで、マーキューシオ。
 こちらもすげー好みで、たまらぬ! やだもー、このマーキューシオ好き~~。

 親友のロミオが裏切り、ロミオよりも近しいベンヴォーリオまでもが、マーキューシオから心を離している。
 ほんとうならベンヴォーリオはマーキューシオと一緒に憤り、一緒に戦わなくてはならないのに。戦うのはマーキューシオひとり、ベンヴォーリオはあんなに遠くで、なにもせずにこっちを見ている。

 ティボルトに「キャピュレットの貴公子が、女漁りに飽きたのか」とこれみよがしに攻撃の言葉を投げる、マーキューシオがより破滅的になっているのは、ロミオよりもベンヴォーリオのせいじゃないのか?
 ベンヴォーリオの前で破滅的な言動を取る。いつものベンヴォーリオなら止めに来る。諫めに来る。それを期待して。
 ベンヴォーリオの気持ちを計るために、より過激に。

 なのにベンヴォーリオは動かない。

 マーキューシオは、捨てられた。
 ロミオだけじゃない、ベンヴォーリオにまで。

 ……そりゃもう、あとには引けないよな。そこになにが待っているにしろ、支離滅裂でも、進むしかない。
 すべての原因を、悪を、ティボルトに押しつけて。ティボルトを攻撃することに、昇華させて。


 この乱闘場面楽しいよな~~。いろんな想い、思惑が錯綜して。


 つづく。
 星組新人公演『ロミオとジュリエット』のキャスト感想、覚え書き。

 ジュリエット@美伶ちゃん。
 ロザリー@『ジャン・ルイ・ファージョン』がうまいわかわいいわで、鮮烈なデビューを飾った子、という記憶がある。
 97期、研3かあ。きれいな歌声、芝居も健闘。ふつーによくやっていた、うまかった、というだけで十分な学年とキャリア。
 だからいちばんの課題は、ビジュアル。

 ……ごつい?

 立派な肩幅と胸……いやその、谷間の出来る豊かなバストは素晴らしいと思いますが、全体バランスとしてごつく見えてしまった。
 ジュリエットは華奢でなくちゃなあ……寝室での下着姿がちょっと夢から覚める感じ……夢華さんもそんなだったっけ? 若いとそうなっちゃうのかな。
 首と顔の輪郭も関係してるのかな。
 四角くごつい印象。
 お化粧要研究。顔立ちがみみちゃんに似ているだけに、ひとまわり角張ってごついのがよく目立つというか……。

 ロミオ@礼くんとのバランスがよくなかったのかもしれない。
 ロミオがひたすら幼くかわいらしいので、彼に似合うジュリエットは小柄で華奢で子どものような女の子かな。中学生の男の子が王子様に見える、小学生の女の子、ぐらいのバランス。
 つっても、タカラヅカで小学生みたいな娘役は求められてないから、ううむ、礼くんが娘役泣かせってことか。彼がもっと大人になればちがうんだろうけれど、現時点ではロミオ15歳、ジュリエットはそれより幼くだから、ロリータ系までいっちゃった方がバランスが取れるんだろう。
 美伶ちゃんはとても小学生には見えず、むしろロミオより大人っぽく見えた。

 娘役の成熟度が男役より速いのは当然のこと、だからこれは仕方ないだろう。
 ジュリエットの方がロミオを愛していて、ロミオは別に誰も愛してなかったように見えたけれど、それこそが年齢差ってやつかもしれない。
 ジュリエットはロミオより大人だから他者に関心を寄せることが出来て、ロミオは子どもだから、まだ自分にしか興味がない。
 そんなふたりの悲劇……だと思えば、ソレはそれでアリ?

 ともあれ、礼くん、美伶ちゃん、新人公演初主演おめでとー。大作をよく演じきった。


 死@れいやくんが美しかった。
 悪目立ちすることなく存在し、その美貌と美しい動きで画面に切り込む。
 トートメイクは誰でもある程度ビジュアル系になる(ステージスタジオのスタッフ談。素人がやっていちばん誤魔化しが利くのがトートだからオススメ♪と言われた・笑)。ダークなお化粧は見た目を何割か増しにしてくれる。
 そうはいっても、やっぱ元の顔立ちの美しさがあると、段違いの映え方ですな、美貌が!!
 死が美しい、それだけで舞台を観ているのが楽しい。いやあ、いいっすねー。

 愛@凰羽みらいくんがまた、「男役です!」とわかる強いダンスで。
 死とふたりでしゃきーん、ひらーり、すぱーっと、擬音が見える感じに踊ってくれて、キメてくれて、なかなか心地よかった。
 ……ところで愛は前髪ぱっつんでなくてはならないの? 他の愛はともかく、凰羽くんは髪型変えた方がいいと思う……顔立ち的に。細い目の上に前髪一直線で、線の上に線、顔が見えているはずなのに見えない状態……。


 ベンヴォーリオって2番手の役なんだなあ、と本公演Bバージョンを観たあとなので、しみじみ思う。
 ベンヴォーリオ@夏樹くん。
 美貌と落ち着き、そして歌唱力。危なげなくクリアしたベン様。
 そして、ひとりだけそうやってクリアしちゃってるからか、いろいろ足りてないマーキューシオやめんどくさいロミオのことは下に見ている感じ。
 たしかにベンさんは他のふたりより大人、おにーさんポジなんだろうけど、ほんとにお兄さん過ぎて、次元が違っていたような。
 前半の「世界の王」などがないせいもあるだろう。あまり友情を感じられなかった。
 でもとにかくカッコイイし、歌ウマだからいいよな。
 ただ、わたしは髪型がイマイチだと思った。夏樹くんならもっと美しくなれるだろうに。長さもカタチも半端、この角度だとカッコイイけど、それ以外は微妙、に見える「静止画限定」の髪型だった。


 出番を削られているマーキューシオ@紫藤くんは、表現する場が少なくて、その点は大変だよな。
 ベン様も悪いと思うけど、親友にあまり面倒見てもらっていない、手を放されて行き詰まっている印象。たぶん、紫藤くんひとりでは「マーキューシオ」を創り切れていないんじゃないかな?
 ベンマーは2個イチで成り立つ部分もあると思うので、ベンマーに限ったことじゃないが、この個人主義で成り立ったような新公では、キャリア不足の子は居方を見つけられないでいる感じがした。


 ある意味とても残念だった乳母@風ちゃん。
 『南太平洋』で「タカラヅカのヒロイン」ではなく、「ミュージカルの主人公」だった彼女。外の劇場だし、海外ミュージカルだし、専科さん公演だし、それはそれでいいのかもしれない、とは思ったけれど。
 大劇場公演の『ロミオとジュリエット』で、主人公じゃない乳母役で、「ミュージカルの主人公」になってしまうのは、どうかな……。
 とても、うまい。安心して、うまい。
 でも、感動出来ない……。
 といっても、美穂圭子おねーさまの乳母に感じた拒絶反応はなく、「ああ、うまいのね」とスルーして、歌をきれいに歌っていた、ということしか印象に残らなかった。乳母をオペラで追おうという気にはならなかった。や、外見はきれいでした。「乳母」には見えないくらい、若くてかわいかった。


 キャピュレット卿@レイラ、かっこよかったなああ(笑)。
 レイラくんはヒゲ付けると男前度が跳ね上がるね。そして、外見のオトコマエさに、芝居がついて行っていないのが……『メイちゃんの執事』の頃を思い出す。や、あの頃よりはダンチにうまくなっているんだけど。
 等身大の役はいいんだけど、なんつーんだ、器の大きな役をやると違和感があるな。レイラ自身の表現が「若い」のかも。外見はちゃんとおっさんなのに、表情も感情の出方も「若い」。それでどうも、うまくはまらない。これは、経験の問題なのかな。これから経験を積めば変わるのか。
 あ、あと歌がんばれ(笑)。


 ロレンス神父@ひろ香くん、歌ウマさん認識なので、彼が神父役なのは納得。
 最近カッコ良くなっているから、真逆のキャラをやるのは方向転換にとまどったのかな。昔のひろ香くんの方が、神父みたいな役は得意だったんじゃね?
 なんか包容力のない神父様で、身を預けても救ってくれそうにない印象。一緒に悩んではくれるから、それでいいのか。ってソレ、友だちでいいじゃん。
 大きさを出すのは難しいんだな-。


 ティボルト@麻央くんは、新公の構成的に気の毒だったなと。
 著作権だかで『ロミジュリ』の新公は仮面舞踏会からと決められている。だから芝居がスタートして最初の銀橋ソロが、ティボルトだ。
 ロミオもジュリエットも、ソロがない。踊りながらのデュエットがあるだけ。
 「歌」が重要な作品で、落ち着いて最初に聴かせるソロが、ティボルト。
 …………ええ、大変ですよ。歌う方も大変だろうけど、聴かされる方も大変さ。
 最初の1曲がジャイアン状態だからなあ。ティボルトはキャラ的にもジャイアンだし、そこからスタートじゃ分が悪い。全編なにかと大変そうなティボルト。感情も表現も、やたら幅の狭いティボルト。
 分が悪かったのはわかるけど、……わかるけど、もう少し歌える子にやらせてもよかったんぢゃないのか、この役?
 や、ビジュアルは良かったです。
 及第点はあるけれど、それがあまり力になっていない、という印象を持った。星組新人公演『ロミオとジュリエット』

 主役のロミオ@礼くんはもちろんうまい。
 ヒロイン・ジュリエット@美伶ちゃんも、課題はいろいろあるけど、十分うまかった。

 あと死@れいやくんがすげー美しくして、乳母@風ちゃんはほんとにのびのびとうまかった。神父@ひろ香くんもよくやっていた。本役より大人っぽくてこわいキャピュレット夫人@あんるちゃんもさすがだし。ベンヴォーリオ@夏樹くんもかっこよかった。

 それぞれ個々にうまい、新公としての及第点は得ている……けれど、それが作品全体の、なんつーんだ「物語」としてのクオリティにつながっていないような。

 個人技ばかり見せられてもな……。

 えーっとまず、ベンヴォーリオ@夏樹くんとマーキューシオ@紫藤くん、別に仲良くないよね? ベンはマーさんのこと眼中にないよね? マーさんはひとりで空回ってるし、ロミオも別に、彼らの親友じゃないよね?
 乳母はジュリエットのこと、母性を持って愛してないよね? 自分のことは大好きだけど。
 神父様はロミオをかわいがっているのかもしれないけど、なんかこの人に頼るのは間違ってる感がしてならない。やさしくしてくれる=頼り甲斐のある人ぢゃないんだよ、ロミオ……。

 キャピュレット卿@レイラはこれでもかという色男。ビジュアル特化、他はいろいろがんばれ!(特に歌)だし。
 ティボルト@麻央くんに至っては、「それぞれうまい、及第点」の人々の中、逆の意味で目立ちまくり。

 ひとりずつがうまくて、それぞれ強くて、その強さをひけらかしていて、でも調和しない。
 自分のうまさや得意分野を抑えてでも、周囲を見回したり合わせたりは、……現時点ではできないのか。下級生だもんね。

 新人公演なんだから、それでいいのかもしれない。
 よくやっていた、及第点はあった……それでいいはず。

 でもこの残念感は、ものすごくうまい・おもしろい人が、いなかったことにあるのかなと。

 個人技としてみんなそれなりで、まとまりも方向性もナイけどふつーによく出来た新公だった。
 でも、それ以上がない。
 せっかく大作『ロミオとジュリエット』なのに。

 新人公演ってこんなもんだっけ? わたしの期待値が大きすぎたせい?
 でもさ、雪組・月組の『ロミジュリ』新公は、面白かったんだよなあ。
 月組は神父がスポットライト浴びて慟哭芝居カマして、そこで場内の温度をぐわーっと上げ、ラストシーンまで力業でつなげてしまった。
 雪組はなんつってもベンヴォーリオ。彼のソロで場内の空気が動き、歌い終わったときにはただならぬテンションになっていた。空気が動く、という快感を客席で感じることが出来た。(後日彼は、このソロを歌っている間の記憶がない、と話していたんだっけ? 舞台の神様が舞い降りた瞬間だったのかな)

 主役でなくてもいい。
 誰かひとり、劇場の空気を変えるくらいのナニかをぶちかましてくれたら、新公自体の色が変わったんだと思う。

 新人公演なんだから、雪も月も出来映え自体は星と変わってないんだと思う。ただ、空気をひとつにするナニかが、後半ぽーんと飛びだして来たか否かで。
 舞台は生き物、そして新公は特に影響を受けやすい。キャリアやスキルがない分、ナマの感情が伝染しやすいんだと思う。緊張の伝わり方も半端ナイし。
 誰か突出して空気を動かせば、素直な若者たちはそこへなだれ込み、一緒になって駆け抜けていく。新公の楽しさって、そういうところにもある。本公演はもっと理性的だから、集団ヒステリー状態になることなんて、そうそうないもの。
 誰かひとりでいい、突き抜けて面白い人、空気を動かす人がいれば。
 星組は、それがないまま、同じテンションとカラーで終わっちゃった印象。

 「舞台」って、「ミュージカル」って、難しいんだなあ。
 大好きな『ロミジュリ』。
 ゆえにどうしても観たかった、星組再演版新人公演『ロミオとジュリエット』
 すげーチケ難で、もう観られないかと思った……声かけていただいて心から感謝です。

 主役ロミオが、礼くん。
 95期、研5。

 群を抜いた歌うまで、ダンサーで。
 要所要所で抜擢され続けてきた、期待の新人。
 海のものとも山のものともつかぬうちから新公主演させるのが最近のタカラヅカなのに、何故礼くんには主演させないんだろう、とじれったく思っていた。
 それがついに、大作『ロミオとジュリエット』で主演。
 若いけれど、気分はすでに「満を持して」。

 どんだけ素晴らしいものを見せてくれるのかと、期待は目一杯膨らんでました。

 「スター誕生!」とか「伝説の新公」とか、そういうドラマみたいなことが起きて欲しい。その方が絶対楽しいもの、わくわくするもの。
 「歴史の生き証人」になりたい。
 ヅカヲタとして、ナマのドラマに関わりたい。
 そんな、期待。

 えーと。

 期待、しすぎだよね(笑)。

 礼くんは、ふつーにうまかったし、ふつーによくやってました。
 んな「スター誕生!」でも「伝説の新公」でもなく、ふつうによく出来た新公であり、よくできた初主演でした。

 学年からすればもちろん素晴らしい出来なんだけど、彼はこれまでも抜擢されてきているし、中日・台湾公演では芝居でトップスターの相手役ともいえる役を務めている。
 まったくのキャリアなしの無名の下級生が大抜擢された、わけじゃない。

 彼のキャリア、学年を考えると、「よく出来た新公」だった。その域を出るモノでは、特になかった。

 …………「スター」って、「芝居」って、難しいんだな。

 これがコンサートで、『ロミジュリ』の楽曲を立ったまま、マイクを持ってただ歌うなら、礼くんはすごいクオリティの歌声を聴かせてくれたのかもしれない。
 だけどこれは「芝居」で「ミュージカル」だった。
 礼くんのロミオは、若く幼くかわいい、というだけの、素の礼くんまんまのように見えた。
 『ロミオとジュリエット』という作品の、ロミオではなく、それを演じている礼くん。
 歌声も、ロミオの歌を歌っている、礼くん。
 なまじ等身大で出来る役だから、作り込んだ様子はわたしには感じられず、ただナチュラルに役をこなしている礼くんの姿に見えた。

 感情の動きが幼くて、ロミオとジュリエットの悲劇が「運命の恋」というより、「大人がちゃんと管理・指導しようよ」と思う、子どもの暴走に思えた。……暴走というほどの強さもないな。もっとナチュラルに悪意も意志もなく、監督者がいないからついブイの外まで出ちゃった海水浴場、って感じ?
 『ロミジュリ』はたしかに若さゆえの過ち、少年ならではの性急感があるんだけど、それを実年齢に頼っただけだと……カタルシスがないんだなあ。
 やっぱ、「ドラマ」なんだよね。「フィクション」なんだよね。
 芝居として作り込んではじめて、「ロミオ」になるんだと思う。

 研5のはじめての主演なんだから、脚本通り失敗せずに演じた、歌った、若い役だから初々しさで乗り切った……それで十分なんだと思う。
 よくやった、将来が楽しみだ。
 礼くん以外の子にだったら、手放しでそう言っていただろう。

 だからこれは、わたしの問題。
 わたしが、期待しすぎていた。ごめんよぅ、勝手にハードル上げて。

 かわいい、だけだとわたしはすぐに飽きてしまって、今までに見たいろんな『ロミオとジュリエット』を思い出していたよ。
 咲ちゃんのロミオに似てるかなあ。「本役より若い」「等身大」ということだけでかなり底上げされちゃった新公。や、ふつーにうまかったけど。
 ああその「ふつーにうまかったけど」を思い出すなあ。「けど」が付くのは、やはりそれは「新公にしては」ってことで、新公でしかないという意味。
 たまきちの「本公といい新公といい、向いてない役ばっかで気の毒だな」な、ロミオよりは「素のままでロミオ」の分、よっぽど心穏やかに観ていられるよなあ。

 礼くんはほんと、素質はある。歌える、踊れる、芝居も最低限出来る。
 だけど、それらを総合して、「ミュージカル」に、「タカラヅカスター」として表現することを、これから学んでいって欲しい。

 舞台って、芝居って、難しいんだなああ。
 空気を動かす芝居、って、心を動かす歌声、って、難しいんだなあ。
 あんなにうまい礼くんでも、ただ「うまい」だけで終わってしまうんだもの。

 や、ほんと、うまかったよ。だって研5だし。初主演だし。ヒロインだって初心者マーク付けてるから、支えてもらえないし。
 本公演でも大きな役やって役替わりして、そのうえ新公主演って、どんだけ大変だったことか。
 そんな悪状況の中で、ここまでやってのけてしまう、その舞台人としての力、強さに感動するよ。

 いつか、礼くんのお芝居で泣ける日が来ることを願っている。
 コスプレ上等、ビジュアル特化。
 そんな舞台で「らんとむカッコイイ、みーちゃんヤバ過ぎ、みつる素敵、よっちいい男!」とか、いろんな色男たちを眺めてハクハクしながら。
 再確認しました。

 あたし、やっぱだいもんなんだなと。

 なんかもー、最近いかんです。
 だいもんスキーがレベルアップしてます。
 あんなにカッコイイ男たちが勢揃いしているのに、みんなみんな素敵だと思うのに、わたしのオペラはだいもん氏に据えられているのです。


 しばらく東京遠征というと雪組のためばかりでした。
 そりゃ他の組も観たいよ? いくらでも観たいよ? どの組も魅力的、どの公演にも素敵な生徒さんがいる。中でも花組は何年も贔屓にしてきた組、愛着も強い。
 が、現実問題、お金も時間も体力もなくてさ。あきらめるところは、あきらめるしかない。
 そうやってぎりぎり生活を送ってきたけれど。
 『オーシャンズ11』は久しぶりに、花組のために遠征した。
 『愛のプレリュード』 以来だから、実に2年ぶりかあ。
 ムラで観られなかった新公を観るため、てのもあったけれど、今まで観られなかった新公を東宝まで追いかけることなんかしなかった。
 どうしよう、東宝へ行こうかな、と考えたとき、だいもんが浮かんだ。
 だいもんのベネディクト。だいもんの銀橋ソロ。
 よし、東宝へ行こう。2年ぶりに遠征しよう。

 だいもんが、わたしの観劇意欲に直結している。

 んで、『戦国BASARA』

 ぜっったい初日を観るっ。と息巻いていたのは、間違いなくだいもんのせいです(笑)。
 佐助@だいもんを最初に観たかった、予備知識を入れたくなかった。

 佐助の付けているあの枠、まさかそのままぢゃないよね? せめて、アゴのとこはないよね、切れてるよね……?

 四角いだいもんが、四角い枠付けている……っ!!

 そ、そこまでゲームに忠実にしなくても……アニメはアゴ全部見えてたよね??

 あの枠のおかげで、顔が見えにくい……いくら顔の大きなだいもんでも、あんな囲いつけられたら出てる部分少なくて情報量低くなるよ……。

 見えにくいとなると、余計に見たくなるもんです。
 もー必死でオペラで追った(笑)。

 で。

 撃沈。

 カッコイイ……っ。
 あの「悪い」顔っ、「余裕」の顔、ひとりだけ次元が違うのだと言わんばかりの「見下ろした」感、たまらんっめちゃくちゃカッコイイっ!!

 いやあ……いいっすねえええ。
 冷徹なプロの傭兵、だからこそのユーモア、軽口。
 なにをするにもカッコイイ。

 いつも長くはキメてくれないけど(笑)、キメポーズもサイコーよね! つか、あのバランスで一瞬でも立てる、ってのがすごすぎ。

 飄々としたところ、底知れないしたたかさ、いつも裏がありそうでなさそうな、その喋り方、立ち位置。
 切れ者だというのが、説明しなくても伝わってくる。
 実際、身のこなしや発声、滑舌の良さ、歌唱力……実力に裏打ちされた、「本物」感ときたら。

 な、なんか、うろたえました。

 なんでわたし、こんなに落ち着かないんだろう? と、過去の記憶をたぐる。

 切れ者役のだいもんを、見るのがはじめてなんだ。

 年功序列の花組で、だいもんはいつも下っ端キャラだった。
 抜擢された『アデュー・マルセイユ』の子役からはじまって、ヲカマ、三枚目、娘役、モブに毛の生えた気のいいにーちゃん、イケコならではのいろいろと残念な悪役など、真の二枚目、切れ者役をやってない。
 主演バウがいちばん二枚目寄りだったけど、作品がコメディだったし、やっぱなさけないキャラだったしなあ。

 ヘタレぢゃない、マジな二枚目、はじめて……?
 や、佐助はコメディっぽい言動も取るけど、あくまでも「強い男」の「抜き」部分として描かれている。だから、どんだけユーモラスなことを言って、かすが@べーちゃんに袖にされたとしても、芯はブレることなく「二枚目」なんだ。

 ……かっけー……(溜息)。

 佐助に注目すると、マジかっこいいわ……。注目しないと、よくわかんないけど(笑)。
 なにしろあの枠とペインティングで、顔見にくいんだもの……どんな表情しているのか、意志を持って見ないと見えない。他を見ながらの流し見では、表情まで見えないのな。

 動きと声だけで「カッコイイ」ことはわかる。ひとくせあるキャラクタ、群雄割拠する中で、他でもないこの男は敵に回すとやばいんぢゃね?感は、十分伝わっている。
 でもなにしろだいもんさん、あの体型だし。
 リアル男性みたいで、ヅカ男役の中で「姿」だけでずば抜けて美しく見えるかは、また別のところ。

 見えにくいけど、表情まで意志を持って追いかけると、その格好良さに、震撼する。

 ヅカイチMの似合う男が、ドSな表情浮かべてる……。うわーうわーうわー。
 いやその、いろいろとすみません。だいもんさんというと、転がしてナンボ、泣かせてナンボなイメージが……ゲフンゲフン。

 わたしはヲトメなので、正しく「ヒーロー」なだいもんさんにときめきまくりでした。


 相手役がかすが@べーちゃん、てのもいいねっ。
 だいもん×べーちゃんは大好物です、うれしいです、楽しいです。

 またべーちゃんがきれい、キュート!
 あの「女」を前面に出した立ち姿や動きがきゅんきゅんする。

 だいもんがべーちゃんLOVEで、べーちゃんがツンツンしてるのもまた、いいですな。
 つか、女を口説くだいもん、しかも美声ソングにて、って……!!

 んで、べーちゃんの役は、謙信様@みりおくん命。
 だいもんVSみりお!
 映像での同期対決は大ウケしました。

 
 『戦国BASARA』自体は2回見て心から腹一杯、堪能しきったのでもういいですが、これからのだいもんにワクテカしまくりっす。
 ガチに二枚目やると、酷薄な顔すると、ほんっとにかっこいいわ。(ベネディクトさんは受でMで愉快な悪役認識だからなあ。って、いろいろとすみません)
 これからもっともっと、いろんなだいもんを見たい。
 1回観る分には楽しかったけど。
 花担の友人たちが肩を落としていることは、重々承知しています、『戦国BASARA』。リピートするのは、キツイよねえ……。
 題材がどうこうというより、演出が。

 すでに外部で舞台化済みの題材をタカラヅカに持ってくるんだ、当然「タカラヅカ」としての演出をするんだと思った。
 『銀河英雄伝説』といえば艦隊戦、宇宙空間での壮大な戦闘をどうするんだよ → んなもん、群舞で表現に決まってるじゃないか! と、思ったように。

 『戦国BASARA』ってアクションアリだよね? いちおー戦国時代モノなんだし?
 しかも、とっても動きにくそうな二次元衣装着てのバトルだよね?
 で、ソレを女の子たちだけの歌劇団でどう表現するか、って、そりゃ考えるまでもなく、歌とダンスででしょう!

 アクションゲームが原作でも、演目が発表になったときはなんの疑問もなかった。
 アクションなんかまともにやるわけないじゃん、歌とダンスで表現、外部舞台ときっちり差別化。
 らんとむ率いる花組で上演、てことはダンスダンスダンス! ダンシング・ミュージカルですな!
 タカラヅカでわざわざ上演する以上、タカラヅカの得意分野、タカラヅカならではの表現方法で、原作を再現するのですな!

 そう、思ってワクテカした。

 制作発表を見て、「動きにくそうな衣装だな」とは思ったけれど、実際の舞台、特にダンスシーンが同じ衣装とは限らないし、特撮ヒーローがアップになる変身シーンだけゴツ重そうな衣装で、通常の演技場面はもっと軽量化されたものを身にまとっているように、使い分けるんだと思った。
 みりおくんが謙信役だというのも、そーゆー意味で納得。あまり激しいダンスをしなくて済みそうな役を、ダンス苦手な人に振ってきたな、と。


 まさか、ダンス軽視、アクション重視だとは、思わなかった……。

 えーと。
 タカラジェンヌは、女の子です。
 若く美しい女性たちが、男役娘役と分かれ、異世界を作り上げています。
 男役は、男性ではありません。
 男性がやってカッコイイことをそのままやらせても、カッコイイとは限りません。
 まったく別モノだもの。だから、いいんだもの。

 なのに。

 男性と同じく筋力任せのアクションをして、なんになるの……?

 男性ほどカッコ良くなるわけないじゃん。
 重そうだな、大変そうだな、となるに決まってるじゃん。男性以上の筋力は持ってないんだから。

 動きにくそうな衣装、重そうな武器で、お約束通りの周囲に気を配ったぎこちない動き、やらされてる感満載の殺陣、もちろん迫力などなく、「タカラヅカだもん、この程度だよな(溜息)」でしかないアクションシーンがてんこ盛り、大盤振る舞い。
 誰得なの……?

 派手な演出、映像に高速セリ多用にスモークに本物の水。
 奇をてらっていろんなことはやっている。
 大がかりだからなんか、派手な気はする。
 でも、せっかく派手な大変そうなことをやっているのに、苦労しているほどの効果は得られていない。

 華麗なダンスで表現してくれればいいのに。
 らんとむさんのダンス力を盛大に発揮して、「力任せに武器振り回す」以外の戦闘表現を、「こんなに観てて楽しい・美しい表現方法があったんだ!」と観客が感嘆するような演出を……。

 しょぼん。

 演者たちがすごーくがんばっていることがわかる、そりゃそうだ絶対大変だよあれ、とわかるアクションシーンが、いちばん見ていて無理があってつまらない、という矛盾。
 いちばん体力筋力的に辛いことならば、それこそがいちばんカッコイイことであるべきなのに。
 辛いばっかで結果が伴わない、って、観ている側もつらくなる……。
 がんばっているのも大変そうなのも一目瞭然だから、応援したい、盛り上げたいと思うけれど、目に映るものは微妙でしかなくて。てゆーか大変そうなのが一目瞭然で観客がアスリートを応援するサポーター状態になる舞台って、エンタメって、どうなの?

 スズキケイめ……。


 衣装はオープニングなどの要所要所のみ正式版で、あとは動き重視の軽量版にして、マジなダンスパフォーマンスに変更しちゃえ。
 揺れているだけのどーでもいいダンス、無理なことがわかるアクション、全部刷新! 戦闘画像が欲しいなら、スクリーンにCGで合戦シーン流しておけばいいじゃん。それをダンスで表現してるんですよと、ミュージカル手法に馴染みのナイ人にもわかるように。
 幸村@らんとむがうだうだゆってる場面も本格的なダンスシーンに変更。

 あと音楽がいまいち残念な気もするんだが……もっとミュージカル的に深みのあるモノにならんかったんかなー。

 オリジナルヒロインの扱いが難しいのはわかる、いのり@蘭ちゃんの設定は、いい落としどころだと思った。
 ただそれをどう描くか。……スズキケイ、情緒足りないよね、演出(笑)。ベタか繊細か、どっちか突き抜けちゃえばいいのに。どっちつかずで、観ている側も気持ちが吹っ切れない。

 情緒足りない人がそれらしきことをやるとどうなるか。
 夢@くまくまの、わからなさってば。

 幸村の心情を表すダンサー、この世のモノではない、他の人には見えていない存在、いわゆる「コロス」なんだけど……この使い方が、ひどい(笑)。
 ナニを表現したいのか、幸村がナニを悩み、ナニを客席に伝えようとしているのか、どちらへ向かうのか、まったくもって「ミュージカル的表現」として成功していない。

 幸村がナニ悩んでんのか、ナニ言ってんのか、わかんねー……。

 自分の至らなさで信玄@みつるが傷つき、力不足に落ち込む、というのはわかる。
 でもその前からテーマ的に存在する「夢」の中途半端さがひどい。
 せっかくタカラヅカならではの美しい表現方法であるはずなのに、このはずしっぷりときたら。

 スズキケイの情緒の限界は、星の見える海辺でのラヴソングなのかな。

 ではせめてフィナーレで、タカラヅカの得意分野、蘭蘭コンビの魅力爆発を……! と思ったら、拍子抜けの日舞だし。

 蘭寿さんの魅力を最大限発揮させてやってくれよ……あの幸村をやった人が、フィナーレではがらりと変わって、色気ゆんゆんの大人の男で登場、客席を圧倒するところが観たかったよ……。


 コラボだし、祭り公演だし、ストーリーはシンプルでいいと思っている。
 ゲームのイメージを大切にしつつ、タカラヅカ男役の格好良さ、ミュージカルの楽しさを体感出来れば、それだけで十分だと思っている。
 それだけでいいのに、何故別のことをしようと躍起になって、盛大にすべってるんだ?

 今の『戦国BASARA』の演出が、「タカラヅカの『戦国BASARA』」として正しいモノだとは、残念ながら思えない。
 とりあえず、初見では笑いが止まりませんでした。『戦国BASARA』。初日を含む2回観劇。

 初見時は「タカラヅカ」とも舞台文化とも無縁のゲーム畑の人、さらにゲームも知らないけどつきあいで来た人たちと一緒の観劇だったので、笑いを分かち合う人がいなくて、ひとりでふるふる震えてました。
 「タカラヅカ」という異文化を目の当たりにしたゲーム男子たちは、みなポカンとしつつ、「タカラヅカっていつもこんななんですか?」と聞いてきた。
 いやいやいや、んなこたぁーない、これ、タカラヅカとしてはかなり異質だから! これがタカラヅカだと思うと他を観てびっくりするから!

 ほんとにさあ、『ベルばら』と同じカンパニーがやっているとは、思えないねえ。
 タカラヅカってすごいな。

 映像満載のスペクタクル。
 真田幸村@らんとむ登場時から、白馬の王子様登場!てな演出にニラニラする。

 主要メンバーたち登場、それぞれゲーム的なポーズで静止する、あの格好良さ。
 伊達政宗@みーちゃんかっけーーーっ。
 かすが@べーちゃんかっけーーーっ。
 武田信玄@みつる……マジっすか、似合いすぎてる!
 猿飛佐助@だいもん……え、やっぱその枠付けてるの……?

 幕が開くなりよっちセンターでの群舞だとか、声を出すのがびっくだとか、テンション上がることがいっぱい。


 てことで、順不同で思いつくことを書く。

 幸村の衣装は気にならないのに、いのり@蘭ちゃんの衣装の村での浮きっぷりが気になる不思議。
 やっぱ武将と村人だと、衣装の差は受け入れられるんだろう。でもいのりは村人A。
 「いのりはいい子」と歌われても、地味でシンプルな衣装の村人たちの中で、真っ黄色のミニドレス着たいのりは、とてもいい子に見えない、いろいろとかわいそうな子に見える……。
 村人の衣装も、「戦国時代の村人」ではなく、もっとコスプレちっくなものにすれば良かったのに。

 質素な村人の中で、ひとり派手派手で浮きまくっているいのり。そして、KYな言動を取り、幸村にもウザがられるいのり。が、がんばれ蘭ちゃん。スズキケイの「蘭ちゃんヒロイン像」は『愛のプレリュード』 から変化無しなのか。

 タカラヅカオリジナルのヒロインがうざいだけだよどうしよう、と思った1幕。ありがたいことに2幕では、そのヒロインをうまく決着させてくれたのでほっとした。
 2日続けて観たんだけど、オチを知っていれば、1幕のいのりちゃんもアリだと思える。


 上杉謙信@みりおくんの違和感のなさ。
 わたしはのーみそのメモリが少ないため、「花組の『戦国BASARA』観に行くぞー!」で完結しており、それ以上ではない。
 だから劇場でみりおくんを見て、「あ、そうか。みりおくん、いたんだ」と驚く。
 ポスターにも載っている、天下の準トップ様をないがしろにする気は毛頭なく、どんだけ知識の部分で「みりおは花組」と知っていても、感覚では実感していない。だからつい、みりおくんがいることを失念していた。
 そして舞台にいるみりおくんを見て「いたんだ」と驚き、「いる」ことの違和感のなさにまた驚く。

 みりおくんはアクの強いタイプじゃない。正統派で癖のない美形スター。
 だから、組が変わっても違和感なく、溶け込んでいるのかな。
 少なくとも「花組で浮きまくってるよ、月に戻してあげればいいのに」とはまったく思わなかった。ああ、いるんだ、ぐらいの驚きで終了。
 まあ、こんだけドタバタしたイロモノ舞台じゃ、浮くもナニもないか……。

 あの大きな劇場の巨大スクリーンの、アップ映像に耐えうるみりおくんの美貌万歳。
 みりおくんは無理に踊らせたり戦わせたりするより、映像でその美貌を広く知らしめるべき。うまいじゃん、この使い方。
 ……と思っていたら、2幕ラストでけっこう大変な立ち回りをしていたわ……。


 みーちゃんがカッコ良すぎ。
 登場するなり場内爆笑、ツレのゲーム男子たちにもウケてました。
 ストーリーに絡まないし、なんの関係もなくらんとむさんをストーカーしているだけのアレな人ではありましたが(笑)、とにかくカッコイイので眼福。

 政宗@みーちゃんを見ながら、わたしは橘@『銀ちゃんの恋』を痛切に思いだしてました。

 みーちゃん、スターになったなぁ。感嘆。

 今回の政宗役と、『銀恋』の橘役は、役割的に同じカテゴリだと思うのですよ。
 主人公のライバルで、短い出番で「スター」として場を圧巻しなくてはならない。トップスター演じる主人公に対峙する者として、納得できるだけの存在感、オーラ、キャラの厚みを出さなくてはならない。
 残念ながら『銀恋』のときのみーちゃんは、ゆーひさんのライバルと言われても、今をときめくスターだと言われても、腑に落ちなかった。「役」に負けていた。
 説得力のないまま、はじけられないまま、「スター」だと見得を切る役は、見ていて収まりが悪く、いたたまれないものがあった。

 その記憶があるだけに、客席からがっつん笑われても動じず、「俺スター!」と存在感を放つ姿が、胸熱。
 なんて大きくなったんだろう。なんていいスターさんになったんだろう。


 信玄@みつるのファンタジーたるや、筆舌に尽くし難い。
 あれ、タカラジェンヌだよね? 女の子だよね? なんかもお、「ああいうイキモノ」として成立してしまっている、時代も性別もジャンルも超えて、説得力を持ってしまっている。
 初見時に一緒だったゲーヲタミーハー氏が、みつるを「すげえ美人!! なのになんでヒゲ!!」と騒いでいたのが印象的。うん、すげー美形なのに、あの格好でおやかた様なんだよ……。

 あ、そーいやわたしたち通路際だったんだけど、だいもん他兵士たちが目の前を駆けて行って、ツレのヅカはじめて男性たちが「女性なんだな、って思った」と口々に言っていたのも、面白かった。そうか、間際で見てそこに感心するのか……。


 らんとむさんはほんとにもお……。
 すごい人だなと改めて。

 今さら少年役で(少年ではないのかもしれんが、他キャラとの兼ね合いからそういっておかしくない若い役)、筋力勝負で。
 得意分野封印されて無理なこと山積みで、それでも力業で成立させてしまっている。
 これぞ、タカラヅカ・トップスター!!

 彼が誇らしい。
 こんなすごい人がトップスター。
 こんなすごい人だからこそ、トップスター。

 アウェイ感のある劇場とジャンルの題材で、それらをはねのけて存在する我らが蘭寿とむが、誇らしかった。


 ナニが起こるかわからないからこそ、楽しく観劇した。ツレのみんなも、それなりに楽しんでくれたようだ。……わたしがガチのヅカヲタだから、悪くは言えなかったろうけどな(笑)。
 翌日はいつものヅカヲタと一緒だったので、前日のツレには言えなかった、いろいろと忌憚ない感想を言えて、バランスも取れたさ。
 観られて良かった、楽しかった。
 『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』という作品・脚本の嫌いなところだけを記すシリーズです、はい。演じているジェンヌには無関係、植爺だけの話。

 今回の『フェルゼン編』は、2006年の『フェルゼンとアントワネット編』をベースにしてある。
 『ベルばら』は基本過去作品の切り貼りだが、特に2006年版を多く使っている。……ただそのまま使うのではなく無用な加筆をして。

 「第1幕 第7場 フェルゼンの屋敷」、いわゆるメルシー伯爵のお説教場面について、続き。

 「アントワネットちゃんは可哀想」「可哀想だから悪くない」という素敵理論を加筆したあと。

 さらに、加筆された部分は。
 「メルシー伯爵。あなたは身勝手だ! 卑怯だ!」といきなり逆ギレしたフェルゼン。

フェルゼン「少しはアントワネット様のお心になって考えたことがあるのですか!」

 のあとに、

メルシー伯爵「フェルゼン伯爵。それはどういう意味です」
フェルゼン「そんなこともお分かりにならないのか! あなたは王妃さまの本当のお心を何故分かってあげようとしないのです! 国の体面、国の名誉、今の王妃様にはそんなことは必要ありません!」
メルシー伯爵「違う! それが大切なのです」
フェルゼン「何故! 何故です。それでは王妃さまは益々取り残されておしまいになります。何故、一人の人間として考えてはあげないのです。あなたのような人がお側にいる限り、王妃さまはお幸せにはなれないでしょう!」

 という上から目線のカンチガイ台詞が書き下ろされている。
 この新しい台詞、マジに「正気か?!」レベルで酷いんですけど。

 何十行も懸けて、メルシー伯爵がアントワネットの母親世代からの忠臣であること、幼いアントワネットを守り、ふたりだけでこのフランス宮廷でけなげに戦ってきたことを説明していたのに。

 「あなたのような人がお側にいる限り、王妃さまはお幸せにはなれないでしょう!」って、メルシー伯爵の人生、全否定。

 彼の何十年を、フェルゼンが生まれる前からの長い長い物語を、さくっと全否定しましたよ。
 えーと、マジに、シンプルに、どうあがいても、ひどいです。相手がメルシー伯爵でなくても、これが『ベルばら』でなくても。
 恋人の育ての親に向かって、言っていいことじゃない、人として。

 人間としての、品性レベルの話だ。ありえない。

 そっから先のメルシー伯爵の長台詞などは同じ。

 加筆された部分が、原作とかキャラとかタカラヅカとか、そんな些細なことではなく、人間レベルで、変。

 で、ひょっとして植爺(なのか、スズキケイなのか知らないが)は、この加筆部分のフェルゼンを「カッコイイ」と思っているの?
 台詞を聞かずに、ただ画面と音だけ流していたら、カッコイイ?
 年長の者を若造のフェルゼンが強く攻撃し、優勢になっている。スポーツマンガでいうところの、ピンチのあとに必殺技を繰り出してマッチポイントをとったよーな感じ?
 それまでずっと耐えてお説教を聞いていたのに、「俺正しい!!」と、悪のじじいをこらしめてやる!と優勢に立った……その瞬間だから、カッコイイの?
 わざわざ書き加えたんだから、意味があるのよね? 前より「よくなる」と思って、加筆したのよね?

 わたしには、人として超えてはならない最低限のラインすら踏みにじって、えらそーにしているフェルゼンが、さらにさらに最低最悪に見えました。

 でもま、メルシー伯爵も別に傷ついてない、情緒ナッシングな人だから、いいのか。

 や、ふつー、自分の娘が他人から後ろ指さされる不幸っぷりで、「俺の育て方が間違ってたかなあ。こんな親でごめん」と思っているときに、「娘が不幸なのは、すべてあなたのせいだ!」と罵られたら、それがどんだけ理不尽な理屈であったとしても、傷つくけどなー。
 だって実際娘、今不幸なんだし。
 人生全否定されたんだから、このまま自殺してもいいくらい、すげー傷つけられたはずなんだけど……。
 メルシー伯爵、けろっとしてるし。フェルゼン言い負かすことに夢中だし。

 ま、フェルゼンにしろメルシー伯爵にしろ、どっちもどっちの無神経ぶりよね。
 無神経な親に育てられた無神経な娘と、そんな無神経な女を愛した無神経な男。
 なんて整合性のある関係なんでしょう。数式のようにぴったり合うわ。

 不幸なのは、国民よね。


 そのあと、フェルゼンが歌う「愛の三叉路」……もとい、「アン・ドウ・トロワ」。
 最初に聴いた2005年全ツ版で大爆笑した。
 「あなたのための道、私のための道、二人のための道」……国民のため、他人のための道は存在しない。
 あなたにしろ私にしろ、どっちも「自分にとって楽な道」「自分が得な道」ということだから、3つの選択肢全部が「俺が得する道」という、ジャイアニズム。
 他人なんかどーでもいー、俺が得をするのはどの選択肢? と悩む歌。
 腹がよじれるほど笑ったなー。
 もう今は耐性付いたので平気。

 フェルゼン最悪、大嫌い(笑)。
 『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』という作品・脚本の嫌いなところだけを記すシリーズです、はい。演じているジェンヌには無関係、植爺だけの話。

 「第1幕 第7場 フェルゼンの屋敷」……いわゆる、フェルゼンとメルシー伯爵のお説教場面を、わたしは不要だと思っている。
 理由は、「第5場 王家の紋章」と同じだ。
 無意味説明台詞をただ垂れ流し続ける。しかも、話の内容に整合性がない。
 無意味なのは、同じ会話を別の場面で別の者たちが語るからだ。同じ説明台詞はいらない。
 だらだらアントワネットの状況を説明したわりに、フェルゼンは説明内容とは関係ないことを言うし、会話のキャッチボールが成立しない。
 さらに、キャラクタの人格を破壊している。どう考えても正しいのはメルシー伯爵なのに、それに対してフェルゼンは逆ギレしてメルシー伯爵を罵る。主人公としてあるまじき最低行為。
 画面にいるのはフェルゼンとメルシー伯爵だけ。フェルゼンは美しいけれど、演出的に動きがなくて美しくない。

 話の内容に「意味がある」か「簡潔でわかりやすい」か、あるいは、まーーったく意味もなくナニ言ってんのかすらわからない外国語を流しているのであったとしても、最低限「美しい」なら許されるが、この3つの要員をなにひとつ満たしていない。
 よってわたしは、この場面の存在を全否定する。

 また、第5場で語っているけれど、この場面がさらにさらに過去作品よりつらくつまらなくなっているのは、不要な台詞が加えられているためだ。
 客観的な目を持たないまま「出来上がった作品」に加筆を続けると、それは大抵「不要」なものを加えて自己満足に陥いる、魔のスパイラル。
 植爺作品が再演されるたびに改悪されているのは、ここに原因のひとつがあると思う。もともとあるモノに、チガウ時点から加筆するので、悪い方向にしか進まない。

 てゆーかこの長くてつまらなくて無意味なメルシー伯爵の場面、台詞、増えてるし!!
 まだ増やすのか! 加えるのか!

 2006年の『フェルゼンとアントワネット編』で110行ある場面が、今回の『フェルゼン編』では130行。

 植爺渾身のお気に入り場面なんだろう、台詞はほとんど変わっていない。わたし的なトピックは「いたいけない」をやめたくらいかな。
 2006年のときは、くり返される「いたいけない」が耳触りだった。「いたいけな」では何故いけないんだろう。あまり使わない用法なのに、わざわざ「~い」を付けて形容詞にして使うのは何故だ。
 そう疑問だったんだが、今回はあっさりと「いたいけな」になっていた。なんだ、意味なんかなかったのか。じゃ、耳障りなだけだったんだなほんと。

メルシー伯爵「(毅然として) フェルゼン伯爵。お聞き下さい。女王陛下は私にこう仰云ったのでございます… メルシー伯爵、お願いしましたよ、あの娘はまだ十四歳、あのいたいけない娘のことは全ておまかせします。どうか、立派なフランスの人間として、ブルボン王家の人々、いやフランス全土の人々に愛され、尊敬される女王
に育ててください…と。その約束を私はお引き受けしたのです。しかし、十四歳のまだまだいたいけないお姫様、おやさしいお母様と別れ、仲睦まじかったご兄弟とも別れ、そして今まで朝晩かしずいていた人々とも別れ、私とたった二人、どんなに心細く、お淋しかったことでございましよう。そう、こんなこともありました。お姫様が一番大切になさっていつもお側においていらっしゃった、ステファンというお人形さえも、もうあなた様は今日から子供ではありませんと、無情にも取り上げてしまったのでございます…その時のアントワネット様の悲しそうなお顔…目に一杯涙をためて…なにも仰云らずに私にお渡し下さいました」

 下線部は2006年にあって、今回はない部分。
 で、今回はこのクソ長い説明台詞に、

メルシー伯爵「その時のことを思い出しますと、今でも涙が…フェルゼンさま…お笑いください… (思わず泣く)」

 が加わっている。
 そしてさらに、

メルシー伯爵「そんなアントワネットさまがフランスの王妃になられてもう十一年…それなのに私は女王さまとのお約束も守れず。とうとう尊敬されるフランスの王妃にお育てすることも出来ませんでした」
フェルゼン「それはあなただけの責任でも、アントワネットさまの責任でもありません」
メルシー伯爵「しかし、結局はすべて王妃さまの責任になっていることは、あなたもご承知ではありませんか! 今のこのフランスの騒然たる有り様は全て王妃の責任だと、誰もが、誰もが…」
フェルゼン「メルシー伯爵…」

 というくだりが、今回のオリジナル部分。
 尊敬される王妃になれなかったのは、王妃の責任だろう。
 もちろん、教育係のメルシー伯爵の責任でもある。
 なのにナニを、堂々と責任逃れをしている?

 アントワネットが怠惰で、王妃としての義務を放棄してきた結果なのに。
 罪は明白なのに「誰も悪くない」。罪を犯した理由は「可哀想」だから、「仕方なかった」、従って、「誰も悪くない」。

「アントワネットちゃんは万引きをしました-、悪い子でーす!」
「アントワネットちゃんはパパもママもいなくて寂しかったんだよ! だからアントワネットちゃんは悪くないよ!」
「そうだそうだ、可哀想なんだから、万引きくらいしてもいいと思いまーす」
 という、素敵学級会。

 わざわざ「可哀想なアントワネットちゃん」とメルシー伯爵を泣かせて、「可哀想だから、ナニをしても悪くない」「悪くないのに、アントワネットちゃんのせいにされている」って。
 ナニこのぽかーんな理由……。


 まだ終わりじゃないです、今回の加筆部分について、次項へ続く。
 『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』という作品・脚本の嫌いなところだけを記すシリーズです、はい。演じているジェンヌには無関係、植爺だけの話。
 ……なんだけど。

 今回の脚本で、よかったと思う点がある。
 植爺は加筆するたび、改稿するたびに作品を破壊していっているが、唯一正しい変更があった。

 それが、オスカルの、フェルゼンに対する二人称だ。

2006年の『フェルゼンとアントワネット編』
オスカル「フェルゼン…私は誰になじられるよりあなたになじられるのが辛い。フェルゼン…私にだって女の血は流れている。この軍服を着ているときは男でもこの体の中には…忘れもしない… 一七七四年一月三十日。王妃様がまだ王太子妃のとき、ベルサイユからパリのオペラ座の仮面舞踏会に身分を隠して出席された。そこで私はあなたに初めて逢った…しかし‥その時あなたは王妃様を王妃様と知らずに愛していた‥そして私もあなたに…ああ神よ。何故に遠き異国に生を受けた我ら二人を、このフランスの地に結び合わせ給うたのか…」

 とまあ、ありえないほどの無駄な説明台詞なんだけど、その前の場面でオスカルはフェルゼンに帰国するように言っている。そこでの二人称は「君」。
オスカル「この動乱の原因は君にもある! それが分からぬ君ではあるまい!」
 てなふーに。

 なのに、ひとりになると途端に「女」としてくねくねしはじめる。

オスカル「フェルゼン…よく決心して呉れた。どんなに辛いことだったか。(思わず手を握る)でもこれはあなたが心から愛した王妃様のためなんだ‥そしてあなたの名誉のためでもあるんだ。(悲しみで声が震え)でも…でも…これでお別れなんだな…」
フェルゼン「(ふと疑念が生まれる)オスカル?もしかして…君はぼくを…?」
オスカル「(ハッとして) フェルゼン…」
フェルゼン「そうだったのか…君はぼくに…」
オスカル「違う…違います…」
フェルゼン「知らなかった‥その瞳に…その言葉の一つ一つに…君の胸の奥深く揺れる心を…どうしてぼくは…」
オスカル「フェルゼン… (恥じらう)」
フェルゼン「もしも…もしも…初めて逢ったとき…君が女だと分かっていたら…あるいは…」
オスカル「云わないで下さい…私は近衛隊の軍人です。この軍服を着ているときは、自分の心に封印をしています
フエルゼン「オスカル」

 なんでいきなり敬語?!!
 植爺の男尊女卑感炸裂。
 女は愛する男に対し、敬語で話さなければならない。妻が夫に対して敬語を使うように。

 オスカルのこのカンチガイしまくりの女々しさが、大嫌いだった。
 ふだんは威張っているくせに、好きな男の前ではくねくね上目遣い。同性の前では横柄で男の前だと態度を変える、ぶりっこ女と同じ。

 それが今回は正されている。

今回の『フェルゼン編』
オスカル「フェルゼン…よく決心してくれた(思わず手を握る)。どんなに辛いことだったか。でもこれはが心から愛した王妃さまのためなんだ…そしての名誉のためでも…。(フェルゼンの肩に縋る。悲しみで声が震え)でも…でも、これでお別れなんだな…」
フェルゼン「(ふと疑念が生まれる)オスカル? もしかして…君はぼくを…?」
オスカル「(ハッとして) フェルゼン…」
フェルゼン「そうだったのか…君はぼくに…」
オスカル「違う…違うんだ…」
フェルゼン「知らなかった その瞳に…その言葉の一つ一つに…君の胸の奥深く揺れる心を…どうしてぼくは…」
オスカル「フェルゼン… (恥じらう)」
フェルゼン「もしも…もしも…初めて逢ったとき君が女だと分かっていたら…あるいは…」
オスカル「言わないでくれ…私は近術隊の軍人だ。この軍服を若ているときは、自分の心に封印をしている

 最初から最後まで「君」「ため口」「男言葉」で統一。
 この変更はスズキくんかなと思う。植爺なら思いつかないだろう。なにしろくねくねオスカルで40年通してきた人だし。
 しかし、脚本ちゃんと読むのはじめてなんだけど、オスカル「フェルゼン… (恥じらう)」って、最悪だな! 気色わりぃー。さすが植爺。

 オスカルがちゃんと「男装の麗人」である。
 男の前で態度を変えたりしない。
 そんな当たり前のことに、感動した。
 『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』という作品・脚本の嫌いなところだけを記すシリーズです、はい。演じているジェンヌには無関係、植爺だけの話。

 植爺脚本のフェルゼンは嫌い。

 まず、何十年経っても留学生のまま。原作のフェルゼンはとっくに留学を終え、軍隊に所属している。なのに何故か植爺脚本では、フランス革命直前まで、フェルゼンはお気楽な留学生とされている。……途中、軍服も着ているのに。軍に所属していないのにアントワネットのためだけに軍服を着る、って、それただのコスプレ……。

 そして、なんといっても、性格破綻。
 自分だけが正義、自分の快楽だけが重要。他人はすべて悪、自分に気持ちいいことをしてくれない人は悪、思い通りに行かないのは周りのせい、自分は悪くない。
 道理をねじ曲げ、他者を攻撃することでしか、社会と関われない。優れた人物になるのは難しいけれど、実は簡単に優越にひたれることが可能、つまり他人を貶めることで、相対的に自分を持ち上げればいい。てことで、彼はいつも周囲を貶め、その結果自分を持ち上げている。
 その性格、言動は、「邪悪」のひとこと。

第1幕
第6場 ベルサイユ宮殿

オスカル「愚かな! 君もスウェーデンの貴族ではないか。少しは身分をわきまえ給え!」→前述の通り、何故ここで「貴族」?
フェルゼン「オスカル! 王妃さまはお気の毒な方なのだ。(中略~アントワネットの立場解説だらだら~)誰かがお力になり、お慰めしなければ!」
オスカル「思い上がるな! 地位もないスウェーデンの貴族にそんな大それたことが許されると思っているのか!」

 このやりとりだけですでに、わたしには精神的ダメージが大きい。
 フェルゼンは罪を咎められ、言い訳と自己正当化をしている。それに対してオスカルは論旨のズレたことを返している。

「フェルゼンくん、信号無視をするなんて、身分をわきまえ給え!」
「アントワネットちゃんはいつもひとりぼっちで可哀想、だから誰かがそばにいて、なぐさめてあげなければ」
「思い上がるな! 地位もないくせに」

 信号無視と身分は関係ない。警視総監でも総理大臣でも、してはいけません。
 なのにオスカルくんは、フェルゼンくんの信号無視を注意するのに「身分」を理由にする。
 フェルゼンくんは、注意されているのは信号無視についてなのに、関係ない話をはじめる。信号無視をしたのはアントワネットちゃんのため、と言いたいらしいのだけど、アントワネットちゃんが可哀想なことと、フェルゼンの信号無視は無関係。
 だからオスカルくんはあくまでも「信号無視はいけない」という話に戻さなくてはならない。
 なのに、「アントワネットちゃんのそばにいること」について怒り出す。しかも怒る理由が「地位もないくせに」。オスカルくんは心よりも身分大事の価値観。つまり、地位や身分さえあれば心なんかどーでもいー人。さすが、他人を注意するときに「身分」を理由にするだけのことはある。

 何重にも狂っていて、感性が悲鳴をあげる。

「フェルゼンくん、信号無視をしてはいけない」
「アントワネットちゃんはいつもひとりぼっちで可哀想、だから誰かがそばにいて、なぐさめてあげなければ」
「アントワネットちゃんが可哀想なのはわかるけど、信号無視はいけないことだ」

 というやりをしてはじめて、オスカルが正されたことになる。
 さらには、

「フェルゼンくん、信号無視をしてはいけない」
「悪かった、とても急いでいたんだ。アントワネットちゃんはいつもひとりぼっちで可哀想、だから誰かがそばにいて、なぐさめてあげなければいけないと思って」
「アントワネットちゃんが可哀想なのはわかるけど、信号無視はいけないことだ」
「いけないとわかっていても、これからもボクはアントワネットちゃんのためならルールを無視する。ボクは間違っている、それによって誰かを傷つけるかもしれない、だけどボクにはアントワネットちゃんのもとへ一刻も早く駆けつけることが、ルールよりも大切なことなんだ」

 としてはじめて、オスカルとフェルゼンの会話が正しく機能する。

 なのに、植爺がやっていることってさあ。
 「ルール違反について、ルールと無関係の理由で注意する」→「可哀想なんだもん!と、情を訴え正当化」→「情に対して無関係の価値観で否定」だもん。
 聞いててひたすらキモチ悪い。

 で。

オスカル「やっぱり君だったか! フエルゼン! こんな時刻。警護の者に見とがめられたらなんとするんだ!」
フェルゼン「オスカル、笑ってくれ。恋に盲目になった哀れな男を…私は王妃さまのお側にいたいんだ!」
(略)
オスカル「君も知っているだろう。この騒然としたフランスの国情を。その原因の一つに君があるのだ!」
フェルゼン「待ってくれ。いかに恋に目が眩んでいても、私には私の思慮もあり分別もある。だからどれだけ耐えてきたか…」

 フェルゼンのこの「私には私の思慮もあり分別もある」が嫌い。
 罪を犯し、それを注意されたときに「恋に盲目になったため」と答えておきながら、「思慮もあり分別もある」って、「ねーよ!」というツッコミ待ちなのか?
 フェルゼンをバカだと表現したいだけなの?

 そのあと、国王が「思慮深くおだやかなお方」と持ち上げられているが、前の場面で「無能な卑怯者」とわざわざ説明されたばかり。
 オスカルはフェルゼンを説得するためにわざと心にもないことを言っているのか? あのぼんくら王に対して、本気でそう思っているなら、オスカルは救えないアホのひとりだぞ?

 そして、フェルゼン最悪言動のひとつ。

オスカル「帰国してくれ! 即刻スウェーデンに! それがあのお方のお幸せのためなのだ!」
フェルゼン「帰国してくれ…? オスカル! 見損なったぞ! 初めて会ったときからもう少し心の苦しみが分かる人だと思い込んでいたのに!」
オスカル「フェルゼン!」
フェルゼン「女でありながら女を捨てた君にはこの苦しみはいくら説明してもとうてい理解してもらえないのだな!」
オスカル「フェルゼン!」

 何故そこで女??
 間違っていることを間違っていると、このままだと君も周りも破滅する、と言っている相手に対し、人格攻撃。
 相手のいちばんのウィークポイントを罵る。
 オスカルは女でありながら、男として社会生活をしている。そのために軋轢がいろいろとある。そこを突くというのは、もっとも最低な行為だ。
 たとえ本人が自分で選んでそうしているのだとしても、それを貶めるのはおかしい。

「フェルゼンくん、どんな理由があっても、信号無視をしていいことにはならないんだよ。君が信号無視をしたために、事故が起こって怪我人が出たんだ。これからはルールを守るんだ」
 と正論を説くオスカルくんは、実はびんぼーな家の子で、奨学金を得て学校に来ているとする。自分で選んで、修学している子だ。
「見損なったよ! 初めて会ったときからもう少し心の苦しみが分かる人だと思い込んでいたのに!」
 対するフェルゼンはお金持ちのおぼっちゃま。
「やっぱりびんぼー人には、この苦しみはいくら説明してもとうてい理解してもらえないんだな!」

 女だから、女でありながら男と同じように社会に出ているから、びんぼー人だから。
 それらのことと、「ルールを破って他人を傷つけること」を正当化することとは、まったく無関係だ。

「ボクがびんぼーなことと、信号無視は関係ない。信号無視はいけない、それだけだ」
 オスカルくんはそう返さなくてはならない。なのに、意味不明の言いがかりに「がーん」となる。ダメだこりゃ。

 フェルゼンがアホ過ぎて、邪悪すぎて、クラクラする。
 対するオスカルもアホ過ぎて、キモチ悪い。
 『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』という作品・脚本の嫌いなところだけを記すシリーズです、はい。演じているジェンヌには無関係、植爺だけの話。

 植爺脚本で嫌いな言葉。「貴族」。

 植爺はナニかコンプレックスでもあるんだろうか。
 『ベルばら』の登場人物たちが無意味に「貴族」「貴族」とくり返すたびに、わたしはイラッとする。
 必要なところではなく、「何故その文脈でいちいち『貴族』って言うの?」とぽかーんとする部分でのみ、「貴族」と連呼する。

第1幕
第6場 ベルサイユ宮殿

フェルゼン「オスカル、笑ってくれ。恋に盲目になった哀れな男を…私は王妃さまのお側にいたいんだ!」
オスカル「愚かな! 君もスウェーデンの貴族ではないか。少しは身分をわきまえ給え!」

 貴族だからナニ? 意味がわからない。
 貴族でも平民でも王族でも、フランス人でもスウェーデン人でも日本人でも、とにかく国王の后に夜這いをかけるのはおかしいだろう。
 ここで「貴族」と出すならば、わきまえるのは身分じゃない。身分がどうあれ、やっていることがおかしいんだから。
 貴族という、体面も教養も常識もあるはずの人間が、おかしなことをしている、そこを指摘するべき。
「愚かな! 君もスウェーデンの貴族ではないか。慎み給え!」……ほんとなら「恥を知れ」と言いたいとこだが、オスカルだからこれがギリかな。

第7場 フェルゼンの屋敷

フェルゼン「メルシー伯爵、どうなさったのです。突然、私の屋敷においでになるなんて。それに、家の者は誰もいませんでしたか?」
メルシー伯爵「お許しください。お取り次ぎも願わず、貴族としてあるまじき無礼なことを…」

 いや、貴族でなくても無礼ですから! 人間として礼を欠いてますから、不法侵入ですから。
「お許しください。お取り次ぎも願わず、無礼なことを…」でいいじゃん。
 何故わざわざ「貴族」と出す? メルシー伯爵の認識では、「貴族以外は不法侵入なんか当たり前」なの? 貴族以外というと、「平民は不法侵入する下等で邪悪な生物である。それと同じ行動を取ってしまった、貴族としてあるまじきこと」と頭を下げているの? メルシー伯爵ってそんな人なの? この時代の貴族はそーゆー考えだったのかもしれないけど、それをメルシー伯爵にわざわざ表現させているの? なんのために?
 まったくもっと無意味で、イラッとする。

第2幕
第2場 フェルゼン邸の庭園

フェルゼン「誰だろう。酔狂な。こんな私に逢いたいとは?」
ソフィア「本当ね。フランスから戻ってからいつも監視の目が光っているようなお兄さまに…でも来る方も来る方ね。たとえ罪人扱いされているお兄さまでも貴族は貴族です。そのスウェーデン貴族を訪問するのに、名前も仰らないとは」

 無意味な貴族連呼キターッ!
 フェルゼンが貴族だということは、観客すべてが知っている。無用な説明台詞はただの台詞の水増し。「役者の格は台詞の行数」と信じる植爺が、星組副組長のために無意味にだらだら長くした台詞を、そのまま使っているだけ。
「本当ね。フランスから戻ってからいつも監視の目が光っているようなお兄さまに…でも、名前も仰らないとは」だけで十分。

第12場 カーテン

兵士3 「なんということを! 許可証もなしということはスウェーデンの法律を無視したことではありませんか!」
ジェファソン「そうとも、今や彼は法律を犯す罪人なのだ!(中略)どんなことがあっても我々の名誉にかけて逮捕するのだ!」
(略)
ジェファソン「しかし、まがりなりにも、奴は我が国の貴族だ! 表立ってはまずい。必ず内密に処理をするのだ!」

 それまでの「フェルゼンは罪人である」ということを説明するためのアタマの悪いやり取りのことはまた別項で触れるとして。
 わざわざ「罪人」としたあとで、なんでまた「貴族」なのか。ジェファソンと兵士たちのやりとりから、たとえ貴族であっても罪人は捕らえるのが仕事であるらしい。ならばいちいち断りを入れるのはおかしい。
 本当に内密に処理しているならともかく、何十人で武器を持って囲んで、ちっとも「内密に」していない。人目に付かない国境で掴まえればそれは「内密」?
 だとすれば、わざわざ「貴族だから内密に」とする必要はない。国境警備隊が国境で処理することはすべて「内密」だから。
 説得力のない行動に「貴族だから」と言われても、言葉の取って付けた感がひどい。
「どんなことがあっても我々の名誉にかけて逮捕するのだ!」だけでいいじゃん。貴族云々の台詞まるっといらん。


 一貫して、無用なときに話の流れを曲げたり折ったりしてまで、わざわざ「貴族だからえらいんだぞ、えっへん」と単語を出す。
 真に「高潔な人・人格者」なら、いちいち口に出すような下品な真似はしないだろう、だって「貴族である」ことが「息を吸うように当たり前」のことなんだから。
 それをわざわざ口にするということは、そこになにかしら鬱屈のある、劣等感のある人なのではないか?
 貴族であることが当たり前の人々が織りなす世界なのに、いちいち「貴族だぞ!」と自己確認する台詞に興ざめし、イラッとする。
 わたしは未だに、「ベンヴォーリオ」というキャラクタを誤解しているらしい。

 わたしのヅカヲタ人生最大のハマり方をしたのが、雪組『ロミジュリ』のベンヴォーリオ@まっつ。
 そのために、わたしにとってベンヴォーリオはまっつが基準になってしまっている。

 つまり、「ベンヴォーリオ=クール」。

 天使のロミオ、ホットなマーキューシオ、クールなベンヴォーリオ。ロミオが王様でマーキューシオが将軍、ベンヴォーリオが軍師。
 そーゆー思い込み。キャライメージ。

 ……チガウから。脚本にはそんなもんナイから。

 脚本にあるのは、「女たらしのマーキューシオ」「粗忽者のベンヴォーリオ」。
 ナイフ片手にキレまくり、女遊びをするマーキューシオの方がよっぽどクールな美形キャラ。
 そこに心優しい美少年ロミオとくれば、3人目のベンヴォーリオは三枚目ポジションだ。ベンヴォーリオの勇み足で悲劇が起こるわけだし、ベンは場を和ませるうっかり八兵衛さんポジだろ。

 月組のマギーベンヴォーリオを見て「クールじゃない! てゆーかホットな三枚目!!」ということに心底驚いた。マギーならキャラ的にもクールな二枚目を作ってきても不思議はないのに、しっかりとコメディ寄りのキャラになっていた。
 そこで気がついたんだ。
 違っているのは、まっつの方。マギーのベンヴォーリオの方が正しい。
 だってベンヴォーリオは「粗忽者」なんだってば。おっちょこちょいの三枚目なんだよ。
 まっつは、キャラクタを自分の方に引き寄せてしまった。つまり、クールな知性派に。軍師系に。

 ベンヴォーリオ=クール、というイメージは間違い。
 そう気がついた、はずなのに。

 わたしは未だに、その思い込みを捨て切れていない。
 いつかどこかで、クールなベンヴォーリオに会えると、無意識に期待してしまっている。

 4つめの『ロミオとジュリエット』、役替わりBバージョン、歴代5人目のベンヴォーリオ、ベニー。

 だからまたしても、勝手にワクテカしていた、らしい。
「ベニーのベンヴォーリオってどんなのだろ。礼くんがハートフルだったから、クールキャラ来るかな。来るよね、ティボルトとのキャラ差も必要だし」
 らしい、というのは、自分では無意識だったからだ。ベニーにまっつ系のクールビューティキャラを期待していたこと。
 ベニーのあのビジュアルでクールキャラを本気で演じたら、どんだけかっけーだろうかと。わくわくが止まらないっ。

 が。

 ベンヴォーリオ@ベニーは、お笑いキャラでした。

 そこにいたのは、いつものベニー。
 愉快な三枚目、笑いに走ったコメディアン。

 ああああ。なんで。なんでお笑い一直線?!
 クールキャラが見たかったのにっ。どうしてベニーだといつもこうなの、お笑い芸人系になるの?!

 Bバージョン初日幕間、わたしは盛大に肩を落としてました。
 初日に引き続き東京から駆けつけてきた星担友人に愚痴る。なんでお笑いに走るんだよベニーって! あんなのいつものベニー、見慣れたベニーぢゃないか。
 わたしが見たかったのはあーゆーベニーぢゃない。

 …………はい、理不尽な嘆きです。
 そもそもベンヴォーリオって三枚目キャラ、月組マギーがそうだったでしょ、と諭される。
 うん。そうなの。言われてみればその通りで、わたしだってちゃんと理解しているつもりだった。
 だから無意識だった。ベニーへの期待は。
 中日の抑えた貴公子役が素敵だったからさ、お笑いじゃないベニーを見たい、という気持ちも大きくてだな、勝手に盛り上がっていたのよわたし。

 間違っているのはわたし。
 勝手に別のキャラクタを期待して、勝手に落胆している。
 そう自覚したとしても、やっぱり、しょぼん。


 そして、第2幕を見て。

 ボロボロと、目からウロコが落ちた。
 終演後、友人掴まえて語った。

「あたし、このベンヴォーリオ好きっ!! めっちゃ好み!!」

「お、評価変わってる(笑)」
 冷静に突っ込まれ、ちょい面映ゆかったりもしましたが、いやほんと、1幕観たときと感想変わりすぎ。

 1幕はほんと、三枚目ベンヴォーリオにがっくりきていたの。しかもベニーだから、マギーの比ではなくお笑い盛ってるし。コメディアンベニーなんてもう見飽きた、劇団は、ベニーの中の人は、いつまで「紅ゆずる」をお笑い芸人扱いするんだ、紅ゆずるはタカラジェンヌであってお笑い芸人じゃないっつーの。
 他の人が笑い盛りすぎベンヴォーリオをやってもここまで憤らない、プルギニョンだの紅子だのをやってきたベニーだから、「またかよ」と思ってがっくりきたんだ。

 それが。
 1幕であきれるくらい三枚目だったベンヴォーリオは、2幕で。

 今まで観たどのベンヴォーリオよりも脆く、崩れ落ちた。

 その、弱さときたら!!
 マーキューシオの死、ロミオの殺人と目の前にして、崩れちゃったよ。なすすべもなく。
 そこにいるのは不良グループのリーダーでもなんでもない、ただのヘタレた少年だった。

 弱く、幼い。
 あのチャラい三枚目のお調子者が、キャパを超える自体に遭遇し、なすすべもなく膝を折る。
 ほんとうに、どうしていいかわからないんだ。

 だけど、なにかしなければ、という思いはある。
 だからロミオをかばったり、復讐に燃える仲間たちを止めたりはする。
 でも、あまりに無力。
 ベンヴォーリオ自身、それを知っている。
 なにもできないことを知りながら、なにもしないことの方がこわいから、よろよろと立ち上がり、声を上げている。

 その、哀れさ。

 ジュリエットの死をロミオに知らせるのも、友情とか優しさとか責任とか、プラスのものより、逃避とか彼自身の救いを求めてとか、マイナスの気持ちから起こした行動に思える。
 マーキューシオが死に、ジュリエットが死んだ。日常が壊れ去り、残ったのは自分とロミオだけ。そう思ったら、ジュリエットの死をロミオに知らせずにはいられなかった。自分ひとりでは受け止められなかったんだ。
 一蓮托生、ロミオにも重荷の一端を背負わせたかった。
 逃避行動として、ベンヴォーリオはロミオに知らせた。

 とことん、弱い。
 ずるい。
 そして、哀しい。

 そんな卑しい行動の結果として、ロミオの死を知ったときも、ただ無力に崩れ落ちるし。
 自分が救われたい一心で、ロミオがどうなるか、考えてなかっただろ。ずるい男。愚かな男。
 そして彼は、報いを受ける。
 親友の死というカタチで。
 俺と君だけが生き残った……その、君が死に、世界で、ひとりぼっちになった。
 弱さの報い、罪の代償を突きつけられた。

 ベンヴォーリオは力なく膝を折り、放心する。
 弱く卑小な者が打ちのめされる姿は、ただもう、痛々しい。

 彼は、つみびとだ。
 彼は、弱い。
 彼の弱さが、この悲劇の原因のひとつ。

 それが伝わる。刺さる。

 モンタギュー、キャピュレット両夫人の歌声で起ち上がり、最終的に前を向くことになるのだけど……その変わり身の早さも、彼の弱さを表している気がする。
 安い希望の歌とかで人生変えた気になる中二少年みたいなもんで、このときベンヴォーリオはほんとうに立ち上がっているんだと思う。そして「二度と争いは起こさない」と心から誓っているんだ。


 ……いや、もう。
 このベンヴォーリオが、好み過ぎて悶える(笑)。

 わたし、間違った人、大好物だからさー。
 弱くて間違っていて、逃げることしか考えてなくて、その弱さゆえに傷つき続けている。
 いや、本人は無自覚ですよ? 逃げてるとか思ってない、きっと「親友のため」とか「友情」とかで動いてるつもりなの。「それを伝えるのは俺しかいない」って!
 でも、そんなうつくしいだけのもので行動したわけじゃないと、本能レベルでは気づいている……つーか、自分自身は騙しようがないから、自覚していない部分でさらに傷ついている。無自覚だから、悲鳴も上げられない。
 そのズタボロな姿が、好み過ぎる。萌えすぎる。

 しかも好みの顔の男がですよ? わたしベニーのビジュアル大好きなんですってば。

 クールで知的なベンヴォーリオを、無意識に求めていた。
 それゆえに1幕だけだと落胆した。
 しかーしっ。
 1幕でヘラヘラした三枚目であるからこそ、2幕の崩壊ぶりが痛々しさ倍増。
 うおおお、楽しいぞBバージョン!!
 役替わりのある、星組再演『ロミオとジュリエット』
 誰がナニをやるのかは、配役発表があったときに興味深くチェックした。だって『ロミジュリ』大好きなんだもん。
 しかし、役替わりの組み合わせについては、理解してなかった。ティボルトが誰のとき、マーキューシオが誰だとか。そこに重きを置いてなかった。だって『ロミジュリ』大好きなんだもん。
 なんでもおいしくいただける、そう思っていたから。
◆役替わりする配役
【A】

ティボルト = 紅ゆずる         ベンヴォーリオ = 礼 真琴
マーキューシオ = 壱城あずさ     パリス = 天寿光希
死 = 真風涼帆              愛 = 鶴美舞夕

【B】

ティボルト = 真風涼帆        ベンヴォーリオ = 紅ゆずる
マーキューシオ = 天寿光希      パリス = 壱城あずさ
死 = 麻央侑希              愛 = 礼 真琴

 いざ役替わり公演を観るにあたって、よーやくまともに考えた。
 そっか、ティボルト@マカゼとパリス@みっきーは成立しないし、死@マカゼでベンヴォーリオ@ベニーは成立しないんだ。
 てな風に、「存在しない組合わせ」があることを知る。
 ベンヴォーリオ@ベニーとマーキューシオ@みっきーで仲良しぶりは観られるけど、ティボルト@ベニーでマーキューシオ@みっきーの殺し合いは観られない。なるほど、そういうことなのか。(遅いよ)

 で、わかってんだかいないんだか、自分の頭の悪さと感情の反射神経の鈍さを自覚したまま、とにかく役替わり初日へ。
 観ればわかるよ、うん、ってことで。

 Bバージョン初日、つまり2回目の初日。

 愛@礼くん。
 おおお、初演と同じ役。
 なのに。
 初演と、別人。

 初演の頃、礼くんはまだ性別分化前。男役以前の女の子のまま、踊っていた。
 だけど今の礼くんは、間違いなく男役だ。男役にしてはいろいろ足りないところがあって娘役みたいにみえることもあるけれど、それでも今は男役。

 男役の演じる、愛だった。

 そして、死が、マカゼぢゃない。

 死はマカゼの当たり役。マカゼがいるのに、マカゼじゃない不思議。

 で、オープニングがはじまると、ティボルト@マカゼ登場。
 おおお、マカゼがティボルトだー。
 ヴィジュアル最強、かっけー!!

 反対側からは、ベンヴォーリオ@ベニー、マーキューシオ@みっきー登場。
 おお、ベニー金髪だあ。星組ベンヴォーリオは金パのベリーショートがお約束なのか。
 みっきー赤髪!! つか、ルビーカラー、きれい。マーキューシオが赤系統なのはわたし的にうれしい。

 てなもんで、Bバージョンのみなさんも確認、楽しみました。

 っていうかさ。

 わたし、Bバージョンの方が好き。


 わたしはたぶん、ティボルトは小物の方が萌えるのだ。
 抑圧され、塀の中であえいでいる感じがいい。

 その抑圧ってのが、狂気とか繊細さとか愛情とか、「特別な人」ゆえの選民檻ではなく、真面目さとかまともさとかの凡人枠である方が、好み。
 選ばれた俺、それゆえに苦悩しちゃう俺、ではなくて、真面目でまともだから壁にぶちあたって気の毒だな、てのが好き。

 Bバージョンのティボルト@マカゼから感じるのもまた、どうしようもない、真面目さ。まともさ。
 ビジュアルとか初演かなめティボルトを踏襲してるっぽいけど、漂うのは隠しようもない真面目さ。

 マカゼにはいつも、壁を感じる。そこにぶちあたって、外には出ない。いや、当たらないように、その手前で止まっている。
 はみだして床を汚さないように、画用紙の真ん中に小さく絵を描くイメージ。
 ティボルト役もまた、壁がしっかり囲われている。
 ティボルトなんだから、壁を壊して飛び出してくれてもいいのに、それをしやすいキャラクタだろうに……できないんだなあ。

 その、壁の中でもがいている様子が、生真面目で小物感漂っていて、なかなかいい感じです(笑)。

 ビジュアルは大好物ですとも! ほんと美しいわ。


 マーキューシオ@みっきーは、期待した。『ロミジュリ』史上、はじめての歌ウママーキューシオとして!

 マーキューシオが勢いだけでやれる役認定なのか、初演からずっと歌に難ありの人ばっかがこの役をやっている印象。や、みやるりもしーらんもふつーには歌える人たちだとは思うけど、このマーキューシオという役の、「歌」に関してはそれほど成功していなかったような……。

 それがついに、歌ウマ生徒がマーさん役。
 あの歌やこの歌を、正しい音階で聴けるのだわ。
 そう期待した。

 ……マーキューシオの歌って、難しいんだね。
 みっきーが歌ってなお、「聴かせる」状態までいってないような……。

 初日だからか、あまりマーキューシオ像が伝わらなかった。
 しーらんみたくモブにまぎれて見失うことは(髪の色からしても)なかったけれど、なにがしたいのかイマイチわかんなかったので、様子見。
 ビジュアルは大好物、ほんとのところ、みっきーがあの顔であの姿できゃんきゃん言っているだけで「まあいいか」な気分にはなる(笑)。


 反対に、パリス@しーらんは、真骨頂。
 この人やっぱコレだわー。すっげいきいきしてる。


 あんまし期待してなかったんだけど、死@麻央くんがけっこう良かった。
 悪い意味で目立つとか、どこにいるのかわからなくなるか、あんな死やこんな死を思い浮かべつつ危惧していたんだけど、ふつーに死をやっていた。

 どいちゃんはとにかく目に付く。
 赤チームにきれいかつ動きのきれいな男の子がいる、と見ればまずどいちゃんである。


 とまあ、役替わりのみなさんみんな、イイ感じだった。

 そして、なによりも。

 ベンヴォーリオ@ベニーが、好み過ぎる。

 うっわー……ここまで好きになれるベンヴォーリオに再び出会えるとわっ。
 いやその、所詮まつヲタなのでまっつがいちばん好きなのは変わらないんだけど、それはもう別次元だから比べる対象じゃない。
 それとは別に、ベニーが素敵過ぎる。
 ベニー観るためだけに何度でも行きたいっ。
 キキくん、仙名さん、初バウ主演・ヒロイン、おめでとー!

 ってことで、初日から駆けつけました、『フォーエバー・ガーシュイン』

 ストーリーはタイトルまんま、天才作曲家ガーシュインさんの一代記。それをショー仕立てに盛りました、てな。

 新人演出家・野口幸作せんせのデビュー作。
 タカラジェンヌは10年前後の寿命しか持たないはかない妖精だけど、演出家はそうじゃない。50年60年、植爺のしがみつき方を見ると、へたすりゃ一生夢の園にいる。
 だからある意味、新進スターの初主演、より、新人演出家のデビュー作には興味がある。重い意味がある。
 生田せんせや上田せんせなど、将来が楽しみな若手演出家がデビューしているのだから。

 んで、今回の野口せんせのデビュー作。
 感想は、「最近の若い演出家は、小器用にまとめてくるなあ」でした。上からな物言いで申し訳ないが、ナニサマお客様、ってことで。
 この「小器用」っていうのは、舞台技術のことではなくて、なんていうか、処世術?

 原田せんせ『Je Chante』、田渕せんせ『Victorian Jazz』に共通する「小器用さ」。
 とりあえずタカラヅカっぽいショー場面をふんだんに取り入れ、たくさん画面に生徒を出しておけば場が持つ、っていうか、ヅカヲタを目くらましできる、というか、そーゆー姿勢?
 若手スターのバウ公演、しかも初主演だったら、客席にいるのはファンばかり、主役として出番がたくさんあっていろんな衣装を着て、たくさん歌って喋ってくれれば、もうそれだけで目はハート、「名作だわ!!」と興奮する。
 そこを突いて、つか、それだけしかなくて、終了、絶賛されてヨカッタヨカッタ。
 ……みたいな?

 原田くんの『Je Chante』はストーリー自体ぶっ壊れていて目も当てられなかったけど、タカラヅカ的な「お約束」に満ち……つーか、どっかで見た「お約束」を観客が無意識に脳内補完するから、出演者のファンたちはなんかいいものを観たような気分になれたし、田渕せんせの『Victorian Jazz』もストーリーはおかしかったけれど、主演の力業とミュージカル万歳を前面に押し出していたから、なんか名作っぽい錯覚を味わえた。
 それと同じで、今回の野口くんも、ストーリーは壊れる以前、物語になってねえよ、だけど、ショー場面がやたら多いから、そこだけを楽しむ分にはよかった。

 わたしは花組スキーで、出演者たちの顔と名前が少しはわかっていて、「あの子がこんなところに出ている」とわくわくできる。
 だから、その一点でのみ、楽しかった。

 ……でもこれ、リピートはつらいやろ……。
 好きな子が出てる、がんばっている、それを愛でるのが楽しい、だけじゃ、子どもの運動会ビデオと同レベルの意義……。

 ガーシュインさんの一代記、のわりに、ガーシュインさんがどんな人なのか、さっぱりわからない。

 ケイ@仙名さんのことどう思っていたのか、実際どんな関係だったのか、愛についても音楽についても、それで結局ナニがしたかったのか、伝わってこないってナニゴト。
 ヒロインとの関係がその程度の描かれ方であるだけに、他の人物との関係も推して知るべし。
 やたら「夢」を口にするけど、ナニを夢見ているのかはよくわかんないし。

 ハンパに史実重視で、ただの出来事箇条書きで、「ガーシュインさんの人生」はさっぱり見えない。
 『Je Chante』は壊れまくっていたけど、『フォーエバー・ガーシュイン』は壊れるとこまで行ってない、だってまずなにも組み立てられてない。素材をずらりと並べてあるだけ。
 ……どっちがマシなのかは、よくわかんない。
 2番手がオイシイ、ってことなら、『Je Chante』に軍配が上がるなー。

 てゆーか、あきらの扱い、あれナイよね?!

 「主な配役」として先に発表されたから、重要な役だと思ったのに。いてもいなくてもいい役だとは思わなかったニャ。
 ふつー不倫三角関係ものっていったら、ヒロインの旦那は大きな役だと思うんだけど、なにしろケイが何故ジェームズ@あきらと結婚したのかわからないし、結婚後の行動も謎だし、ジェームズはガーシュインさんのライバルにも障害にもなってなかった。
 「心」がなければ、恋愛は成立しない。
 ガーシュインさんには、致命的にソレが欠けているので、彼の行動も人生も意味不明。「ナニがしたかったんだろう?」になる。主人公がソレだから、彼に関わった人すべてが「ナニがしたかったんだろう?」になる。

 まあ、そういう話でした、『フォーエバー・ガーシュイン』。

 ラストは「これってキキくんの退団公演だったのか」と驚愕したし。
 ……やめないよね? これからなんだよね? そのかの『Dancing Heroes!』みたいな位置づけじゃないよね? あれくらい、退団色全開の演出されてたけど。退団でなかったらただの悪趣味、てな意味のない演出。


 キキくんは歌も芝居もダンスも、うまいわけではないんだなとしみじみ思ったけれど、それでもキラキラしたスターさんでした。
 あの素直な笑顔、持ち味は愛すべきキャラクタ。

 仙名さんは初ヒロインは思えない安定ぶり(笑)。
 おかしいなあ、『EXCITER!!』でデザイナー@はっちさんのアシスタント役、あんなにかわいこちゃんだったのに、あーゆーのも出来たのに、気がついたらこんな大人の女に。
 プログラムにちゃんとキキくんの隣にひとりだけ「ヒロイン」として掲載されているので、正ヒロインだね。『Victorian Jazz』のべーちゃんは学年順にその他大勢にまじっての掲載だったけれど。

 あきらは完全に役不足。もったいない。
 てゆーか、いちかにしろ、まりん、ふみか、らいらいにしろ、きらりにしろ、上級生の無駄遣い感ハンパねえ。

 タソはうまいけど、あの役をおいしくしたのはタソの力で、演出家の力ではないよなあ。

 柚カレーくんとマイティは絶賛売り出し中な感じ。
 しかし、マイティの方がおいしく見えるのは、本人たちのキャラクタの差?


 『オーシャンズ11』新公で、かなりマイティーに持ってかれていたんだけど、今回もまあ「キミ、狙ってやってる?!」ってくらい、すごかった。赤裸々だった。恥ずかしかった(笑)。
 「俺、イケてるだろ」「俺にオチなよ」と、キメ顔乱発、一本釣りと地引き網の併用、この面子の中でまあ、よくそんだけぶっ飛ばせるな。
 あまりに恥ずかしくて、彼しか見えなくなる(笑)。
 いやあ、いいなー、マイティー。

 ショーパートが多かったし、小さなバウホールなので出演者の顔が良く見えて、1回観る分には楽しかった。

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