ショーの役替わりって……!
2013/06/06

花組公演『Mr. Swing!』役替わりについて


うだるような熱気に満ちた秘密の花園。そこで恋のゲームに興じる場面をショーの後半に予定しており、この場面に「踊る男」として登場する蘭寿とむの相手役として、「踊る女」を瀬戸かずや、芹香斗亜、柚香光がそれぞれ演じます。
蘭寿とむの男役の色気と、それぞれ違った個性を持つ三名の相手役とのデュエットダンスをご期待ください。

【役替わり日程】
8月16日(金)~8月29日(木) 瀬戸かずや
8月30日(金)~9月12日(木) 芹香斗亜
9月13日(金)~9月23日(月) 柚香 光

※東京公演の役替わり日程については、決定次第、ご案内いたします。

 『ノバ・ボサ・ノバ』みたいにストーリーと通し役のあるショー以外で、役替わりがわざわざ発表されたのって、はじめて見る……。
 なるほどなー、ショーならいろいろとうまくいくよね。男役の女装は「ファンサービス」、しかし本公演でがっつりまるまる女役だとファンにストレスが溜まる(男役が見たい!)、芝居で役替わりだと無理や負担が大きくなる。
 でもショーなら通し役ではなく1場面だけ、上記の問題を全クリア。
 うまいこと考えたなあ。

 しかし、あきらとキキと柚カレーって……何故この人選。
 柚カレーは期待の新人だからわかるけど、今さら女装させても新鮮味ないし、キキくんはかわいいけど巨人……。
 そして、この子どもたちの間に、何故おっさんがひとり混ざる……?(笑)
 あきらって、この間の『タカラヅカスペシャル』で女装していたけど、半端なくオカマだったよね?!(褒め言葉)
 特に肩幅が半端なかったよね?!(褒め言葉)
 らんとむさん、あきらの肩を抱き寄せたり、できるんだろうか……。その昔、トドロキ様が女装したタカネユキちゃんと組んで踊るとき、演出家に「そこで肩を抱いて」と指示され「無理です、届きません」と言った……そんなエピソードを思い出す。

 漢・らんとむ。
 自分よりはるかにでかい少年とか、オカマにならないかの心配が先に立つオトコマエとかを「女」にして転がすことを、ショーの「売り」にされちゃうんだな。
 どんだけ男ぶりが信頼されているかってことよね。さすがっす。
 柚カレーくんはふつーにきれいだと思うわ……公称身長がらんとむより大きいことをのぞけば。


 それにしても、すごいよな。
 「蘭寿とむの男役の色気」って、公式文に書かれちゃうんだー……。
 や、たしかに彼は色気むんむんですけどっ。知ってますけどっ。
 しかしこう、しれっと文章で書かれるとね……赤面(笑)。


 うまい商売だなと思ったけれど。
 よく考えると、どうなんだろう。
 芝居なら、それが大きな役なら、役替わりも見て見たいと思うけど……ショーの1場面だけの役替わりのために、観劇回数増やすかなあ?
 リピート前提の組ファンならうれしいだろう。どーせ10回見るなら、万遍なくとか、そのなかでもお気に入りがいるならそちらを重点的にとか、選べて楽しいだろうけど。
 1回しか観ない人が、せいぜい10分くらい?の役替わりのために、回数増やすかなあ。1日2回別の組み合わせが観られるなら、ついでにもう1回、もありかもしんないけど、わざわざ別の日に出直してまで?
 回数は増やさず、そのたった1回を誰のときにするか選ぶくらいじゃあ?
 どの程度効果があるんだろう。


 わたしは花組は通常複数回観るので、全パターン制覇するかも。……あきらさんのときだけ複数回観劇にしぼっちゃう可能性もあり(笑)。

 うまい商売かどうか、わかんないけど。
 めずらしく親切な商売だと思ったわ。

 友会入力前に発表、だもん。
 今までの役替わりの多くはファンがチケットを購入したあとで発表になった。前もって定価でチケットを買うファンのことをいちばんないがしろにし、儲け主義だけを前面に押し出していた。
 それが当たり前だったりする劇団だもん、たかだかショー1場面の役替わりを、前もって教えてくれるなんて、らしくもなく親切だわ。
 星組再演『ロミオとジュリエット』初日、幕開きのナレーション@エマさんの安定ぶりに記憶をくすぐられ、個人的にツボった。
 彼の語る「古今東西……」というナレーションを聞くと、「ああ、『ロミジュリ』だなあ」と思う。

 そして。
 思い出すわけだ、エマさん以外の、このナレーションを。

 タカラヅカでプレスギュルヴィック版『ロミジュリ』が上演されたのは、4回。
 冒頭には必ずナレーションが入っている。

2010年 星組 英真なおき
2011年 雪組 未涼亜希
2012年 月組 英真なおき
2013年 星組 英真なおき

 1回だけ、チガウ。ひとりだけ、チガウ。
 3回のうち2回、までなら「再度」だけど、4回のうち3回になるとそれはもう「専任」ってことじゃね?
 ABAならたまたまでも、ABAAとなると、AがスタンダードでBが異端ぢゃね?

 エマさん専任、みたいなナレーションを、1回限りとはいえまっつがやっていること。
 それが、初日にツボったこと。
 プロローグの音楽が流れると、わたしの頭はふたつのことを同時に考える。
 ああ、『ロミジュリ』だ。『ロミジュリ』といえばエマさんの「古今東西」だよな。
 ああ、『ロミジュリ』だ、ここでまっつの美声が流れるんだよな。
 エマさんを「お約束」と考える部分と、ご贔屓の声を再生する部分と。
 同時に、動き出すのよ、わたしののーみそったら。

 まっつはほんと、イケコに実力を買われているよなと。
 イケコ舞台では重責を担うことが多い。
 このナレーションもまた、その現れのひとつだよな。

 『ロミジュリ』といえば、ロレンス神父の語りではじまる……そんなイメージが定着しているだろう。
 でも、雪組版だけは、ベンヴォーリオの……ただひとり生き残ってしまったあの哀しい青年の語りなんだよ。
 や、どちらにしろ、ナレーションはナレーションとして独立しているとしても。
 考え方のひとつとして、作中キャラの語りだと想像するのは自由。

 体格的にも色的にも、とてつもなくバランス良くまとまっていたあのコロボックルトリオ……キムちぎまつ、狂気と孤独をにじませたロミオの物語を語る、ベンヴォーリオ……そこへ記憶が揺れて戻っていくわけさ。

 あのナレーションを語っているのが、ベンヴォーリオだとしたら。
 地面に膝を付き、「何故」「罪びと」を歌っていた、あのベンヴォーリオが、時を経て大人になり、青春のときを振り返りながら語っているのだとしたら。
 親友も宿敵も目の前で死に、王国の崩壊をなすすべもなく見守り、ただひとり取り残され……「大人」になるしかなかった、あの哀しい男が。

 最初から「大人」で、「人格者・識者」である神父が語るよりも、痛々しく、切ないよな。

 ああだからなお、雪組版『ロミジュリ』は切なさが鋭利ないろを放っているのか。
 そんな、詮なき自分の記憶に、思いに乱れる。
 目の前の舞台を観ながら。

「愛と死に彩られた、ロミオとジュリエットの物語をはじめよう……」

 愛しい物語。
 愛しすぎて、かなしい、ものがたり。
 『ロミオとジュリエット』初日の感想あれこれ。

 パリス@みっきー、久しぶり。初演で「みっきーがこんなに大きな役を」と胸熱だったことを思い出す。3年ぶりなんだね、こちらも初演と同じ役なんだね……と思いつつも、……なんか、別の人でした。
 あれ? パリスってこんな人だっけ?

 みっきーパリスはちくわ付きロココなお貴族様カツラで、見た目からしてユーモラスに登場。

 再演雪組からパリスは「変な人」「見た目からありえない人」になっていたけれど、初演では「気取り屋のまぬけ」「空気読めない人」ではあっても、見た目からコメディアンではなかった……よね?
 初演パリスはビジュアル的にはふつーにイケメン、でも言動が「気取り屋のまぬけ」で、とてもタカラヅカ的だったような。だってタカラヅカだもん、二枚目は多い方がいいと思うんだが。
 やっぱ雪組以降のパリス像が、イケコのイメージするパリスなのかな。
 見た目からしてみょーな姿で、お笑い担当一直線。


 パリスがというか、仮面舞踏会の演出がよりわかりやすく……わたし的にはちょっとやりすぎで興ざめな感じになってたんだけど。
 ロミオとジュリエットが素顔同士で出会うところからスタート、って、「マスクの下の瞳」ちゃうやん!というか、どうにもドラマティックさが減ったなあと。なんかやたら接触してるよねえ。まず目が合って、仮面付けてえんえん踊って、バタバタしたあとまた踊って……って。恋に落ちるまで長ぇ。
 惹かれ合うふたりをわかりやすく演出したんだろうけど、そこまで補助輪付ける必要あるのかなあ。んなもんなくても、十分運命のふたりだとわかるのに。
 パリスとティボルトの追いかけっこにしろ、ドタバタ感が増して、せっかくの美しい画面と音楽の邪魔になっている……と、わたしには思えた。
 仮面舞踏会の「どこを見たらいいのかわからない! 目がいくつあっても足りない!」感が大好きなんだけど、それはただドタバタすればいいってもんぢゃないと思うの……。

 柚長のフラメンコの唐突さと、はじまりの仰々しさに比べて拍子抜けのあっけなさもバランス悪い……。
 というか、仮面舞踏会の余興って必要なのか?


 初演に引き続きのキャスティング、キャピュレット夫人@ころちゃんがいい!
 さらにバージョンアップしている感じ。美しさと「現役」感、肉食ぶりと迫力の歌声。
 てゆーかこの人、キモチ悪くない?
 ついころちゃん注視しちゃったんだけど、ティボルト絡みだとひとりであふんあふん悶えてて、どーしたもんかと(笑)。
 「俺はティボルト」を歌い出す前あたり? 今までなら薔薇を2階から落としてたんだけど、その演出がなくなった代わり、ひとりでくねくね悶えてる……だ、大丈夫か。
 キモチ悪いっつーか、そこを通り過ぎて一気に愉快になるレベル(笑)。あのやり過ぎ感、たまらんわー。


  ロレンス神父@エマさんはまた演技変わってるんだなあ。今まででいちばんおだやかな気がする。
 てゆーか月組に出演していたときの「保父さん感」はすごかったもんな。幼い子どもをあやし、守る感じ。
 れおんくん相手だとそんなことをする必要がないので、そして「星組組長」としてのお笑い感も出す必要がないのか、ほんとに控えめな、されど頼り甲斐のある大人。

 組長のお笑い感、って変かもしれないけれど、エマさんが星組長だったときは彼のキャラクタは固定されていたというか、本人も周りもその「キャラ」への期待があって、そのニュアンスにこだわった芝居をしていた気がする。
 カタチばかりの専科さんだけど(星にしか出てないじゃん。例外は『ロミジュリ』だけ、ってソレやっぱ星つながりな感じ)、組を離れることでニュートラルな芝居もするようになったのかなあ。
 と、勝手にそんなことを考える。


 大公@まさこは、危惧していたよりずーーっと歌えてた!!
 銀橋ひとり渡りするランクのスターさんで、全組合わせていちばんの音痴認定だったので(笑)、どうなることかとマジに心配していた。
 もちろんうまくはまったくないし、あちこちハズしてるわハズれ防止かみじかく切っているわで、ハラハラしてたまらないんだけど、それでもキャラで押し切った感じ。
 だって、格好いいんだもん。
 あのビジュアル、でかい身体、でかい声。それで帳消しにする感じ。

 しかし大公役の「譲れないライン」って、歌ウマということではなく、でかいってことだったのか……。
 ミュージカル『ロミオとジュリエット』の最初のソロを歌う人なのに……(笑)。


 まだモブのみなさんを観る余裕がなくて、誰がどこにいるのかよくわかんない。
 赤チームが目に付くのはもう癖かなあ。あー、はるこちゃん好みだわー。


 フィナーレがカッコ良くてイイ!!
 月組のフィナーレは何故あんなことに……。

 フィナーレのシュウ・シオツキはひどいですよ。ええほんとにひどいですよ。
 金髪ポニテひるがえして踊るとか、ひどすぎるっ。
 どんだけ格好いいんですか、目を奪うんですか、ええいけしからん!(笑)
 本編の青チームでも、初演まんまの髪型で目立ちまくってるくせに、フィナーレでもやるか! ひどい! 素敵過ぎる!!

 そしてなんつってもこのフィナーレが素晴らしいのは、『ロミジュリ』で、正しく「タカラヅカ」のデュエットダンスがある。……そんな当たり前のことに、感動する。
 一夫一婦制ですよ、やっぱ。一ロミオ一ジュリエット制ですよ、やっぱ。
 はー、ねね様のショートカットかわいい、チラ見えするおみ足がやばい。

 『ロミジュリ』大好きだー。
 『ロミオとジュリエット』Aバージョンで、ある意味いちばんの注目はベンヴォーリオ@礼くんだろう。

 タカラヅカ離れした歌唱力とダンス力。加えて、有名人の娘っちゅーことで音楽学校入学時・劇団入団時からマスコミに取り上げられていたバックボーンの強さ。
 女の子的なかわいらしい顔立ちは男役の武器には現時点ではなっていないけれど、それは大人になるに従って変化していくものだし。
 実力が必要なところで毎回目立つ抜擢をされ、今回は待望の新公主役、ロミオ役だ。

 そして本公演で、役替わりとはいえ主要キャラのひとり、ベンヴォーリオを演じる。

 役替わりする相手は、組2番手のベニー。
 2番手スターと役を分け合う、って、どんだけ本気でスター扱い。
 その近年まれに見る抜擢、それを不思議に思わせない実力と人気。
 金の卵が今、羽ばたく場を与えられた……! ワクテカ!


 正直、いろんな意味で「意外」だった。

 まず、ビジュアルというか、外面的なところ。

 ベンヴォーリオはモンタギュートリオのなかでは「お兄さん」ポジの役。
 血気にはやるマーキューシオを諫め、狂気に駆られる若者たちを制止する役。
 礼くんはまだ研5。男役の研5なんて、まだひよっこ、少年。本公演で子役をやっていても不思議はない学年。実際礼くんは丸顔で「男」からはほど遠いかわい子ちゃん。
 そんなお子ちゃまが、トップスターや2番手スターたちよりも「お兄さん」の役……?

 最初配役を見たときは「ベンヴォーリオがお兄さんキャラと決まってるわけじゃないもんな。弟キャラにしてもいいじゃん」と思った。
 制止役は「大人」だからするのではなく、心優しい「子ども」「弟分」だからするってことにしても、問題はない。
 「お兄ちゃん、危ないことはやめてよ」と半べそかきながら言う弟分。子どもだからこそ粋がって、お兄ちゃんたちに負けまいと大人ぶってみたりする、粗忽者。そーゆーベンもありじゃね?

 そう思っていたのだけど。

 実際には、「意外」なほど、まっとーに「ベンヴォーリオ」だった。

 弟キャラじゃない。
 ふつーに、マーキューシオ@しーらんとコンビを組んでいる。

 髪型も衣装も、初演のすずみんを踏襲。役作りもストレートにすずみんだ。
 すずみんベン様から、ホモっぽさを引いた感じ(笑)。

 「同世代」では勝負にならないと、勝手に思っていた。だから最初から「子ども」でいくんだとばかり。
 真っ向勝負か。

 もちろんそれには、相方のしーらんの「若さ」もあるだろう。しーらん妖精さんだわー。
 そして、それに輪を掛けてロミオ@れおんくんが妖精だしな。
 年齢関係なし、美しい若者たちが、そこにある。

 礼くんは子役しか出来ない、と勝手に思い込んでいてごめんよぅ。そりゃ随所に幼さは出ていたけど、それでも基本はちゃんと若者役だったよ。

 そして、もうひとつ「意外」だったこと。

 礼くんと言えば、歌ウマ。
 星組の芝居、ショーにて、耳を疑うほどの素晴らしい歌声を易々と披露してくれている。
 そればかりか、組の枠を超えて『タカラヅカスペシャル』でも圧巻の歌声を響かせていた。
 あの歌を聴いたら「あれ誰?! 何者?」ってなるよなあ。
 ダンサーでもあるわけなんだけど、今回のベンヴォーリオ役で言えば、注目が集まるのは「歌」。
 ベン様は2幕後半に見せ場となるソロがあり、その後の展開も含め、決してすべってはならない重責、他の役はともかくベンヴォーリオだけは最低限歌えなくてはならない、という縛りがある。『エリザベート』でいうフランツみたいになー。
 他のどの役でもなく、歌唱力必須のベンヴォーリオ役が、歌ウマの礼くんであるということ。
 これは重要事項。

 「お兄さんキャラ」であるベンヴォーリオを、わざわざ礼くんにした。
 弟的な持ち味で演じられるマーキューシオではなく。
 つまりこの抜擢が、「期待の新人を、とにかく大きな役を付けて目立たせる」ことだけが目的なのではなく、それに加えて、「実力」も期待されてのことだとわかる。

 歌だよ、歌。礼くんなら、歌。
 素晴らしい歌声を聴かせてくれ。

 演出家の期待もあるんだろう、コーラスにしろベン様パートは無駄にめんどくさそうなアレンジがかかっていて、「礼くんはともかく、これをベニーにやらせるんかよ」とびっくりしたさ(笑)。
 だいもんベネディクトのソロをやたら難しく変更しちゃったみたいに、歌える子には容赦ないな、イケコ。……そう思ったさ。

 礼くんが歌ウマなことも、コーラスでなんか難しい歌を歌わされているのもわかったけど……正直、首をかしげた。
 あれ? こんなもんだっけ?

 そして、ベン様的クライマックス、カーテン前ソロ「どうやって伝えよう」。

 ……期待が大きすぎたんだろうか。
 感想は、「こんなもん?」。

 経験不足から、芝居歌として足りない部分があるのは想定内。
 それはいいから、とにかく「歌」として、とてつもないものを聴けるのだと期待していた。
 たっちんの『炎にくちづけを』新公みたいに。

 うまいのだろうけれど、「歌」として爆発的なうまさはなく、もちろん芝居としても足りていない。
 あれ? こんなもんなの? 変だな、いつもの礼くんならもっと……これがいつものショーで任されたソロパートなら、もっと……。

 足りなさ具合に、盛大に肩すかし。

 「意外」だった。
 最初から「足りない」と決めつけていたキャラクタや外見ではこちらの用意していたバーをやすやす飛び越え、最初から「素晴らしいはず」と決めつけていた歌声ではバーに届かず終了。

 すごいんだか、もどかしいんだか、見ていてじれじれする(笑)。

 感じるのは、あまり調子に乗るタイプではないんだな、ということ。
 真面目だわ……。なんか、すごく真面目……。
 すこーんとはじけちゃっていいのになー。


 見ながら、しみじみと「この子のロミオが見たい」と思ったよ。
 もっともっと重責を与え、追い詰めて、どこへ行くのかを見てみたい。
 大切な金の卵。
 どうか素敵に羽ばたいてくれますように。
 わくわくの星組再演『ロミオとジュリエット』
 初演が素晴らしかっただけに、ソレを超えるのは難しい。

 初演と同じ死@マカゼが登場、同じようにトートメイクで無言で踊る。
 初演時にその格好良さにハクハクした、マカゼの代表作。喋らないマカゼ最強! そうさ彼のビジュアルは最強、しかし喋るとへなちょこ、だからこそ台詞なし、視覚情報だけの死はマカゼを何割増しでカッコ良く見せる!

 マカゼくんのビジュアルが大好きな、オサ様水くんファンのわたしです。彼が多少へなちょこでもヘタレでも、その外見を眺めているだけで幸せになれます。
 だから死を演じるマカゼは好き。

 そう思ってはいたんだけど。

 なんか、首をかしげた1幕。
 死、って、こんなだっけ?

 時が経ち、脳内で勝手に膨らませ過ぎちゃったとか? あるいは、どーんとクローズアップされた『REON!!』のときのイメージとかが大きくなっていたとか?
 なんか、物足りない。

 わたしは再演雪組本公演の死は納得出来ておらず、「死はマカゼでなきゃなー」と思って見ていた。新公はまあ、モロにやり過ぎてたけど(笑)ありだと思った。
 しかしさらに再々演月組の死は「向いてないよ!」としか言えなくて、新公の死が素晴らしかっただけに、本公演では首をかしげるばかり、雪もまだマシだったのかと思ったもんだった。
 それら、わたし的にしっくりこない死ばかり見せられて、よーやく見たかった死を見られるんだ!! と、期待しすぎていたのかもしれない。
 なんだ……こんなもん? 死ってこんなに、目に入らない役だっけ? 愛@どいちゃんが力強すぎるのか?

 と、肩を落としていた1幕。

 それが、2幕から。

 ちょ……っ、すごいんですけど、死!

 ふと彼を視界に入れると、持って行かれる。
 や、だからビジュアルが好みなんだって。水トートをどれだけ好きだったと(笑)。その好みの男が、なんか好みの表情してくねくねしてるんですよ。

 マカゼ氏にはいつも「枠」を感じる。「柵」というか、自分のテリトリーを丁寧に囲って、そこから一歩も出ないイメージ。
 画用紙を与えられたら、間違ってはみ出したりしないように、意識して小さく真ん中にだけ絵を描く感じ。
 調子に乗ったベニーとか、最初から画用紙の枠を気にせず床にまでクレヨンべったりつけて好き放題描く、あの芸風とは正反対に。

 死という役もまた、いつものマカゼ氏の「枠」を感じた。
 「ここまで」と決まっている境界線の中でだけ、演技している。
 ただ、死は爆発する役ではないので、その枠の中で沈殿していく表現が、なんかみょーに素敵だった。
 1幕より2幕、2幕も最初より後半、あとになればなるほど「沈殿」するものは大きく重くなっていく。
 より沈殿していく。

 それが、素敵だった。
 「死」として、光を放っていた。
 てかーっとした光り方ではなく、暗い不穏な光。重なることでようやく輪郭が浮かぶ、そんな光。

 いやあ、楽しかったー、マカゼさん!
 2幕は彼に夢中でした。
 好きなビジュアルの男が、好きな芝居をしてくれる、なんて俺得なの。

 いつもいつも「頼む、うまくなってくれ!」と願うマカゼ。
 ビジュアル最強、トップスターになるしかない天性の「男役」美貌。
 ならばほんとにもう、あとは実力。
 こんだけ抜擢されて重責を与えられて実践で鍛えられ続け、何故こうまでうまくならないのか。
 そうじれじれしているマカゼさんですが、やっぱちゃんと成長してるんだなあ。
 なにかと不器用そうで足りないところだらけで、……ああでも、そういうところがまたいいのかもなあ。

 とにかく、死@マカゼは良いです、好みです。
 また観に行くのが楽しみだー!


 で、もうひとり、わたしの好みのビジュアルの人。
 ティボルト@ベニー。
 オサ様ファンのハートをくすぐるんだ、彼の顔立ち、その造形。

 ビジュアル完璧、ほんとに「男役」として美しい人。このビジュアルだけで出てきただけのことはある。
 そして、役がティボルト。狂気の役、厨二病全開にわめいていればいい役。

 初日だからかな、「予想の範囲内」だった。
 ベニーがティボルトやったらこんなだなー、と思った、それだけの姿。

 初演時、彼の演じたマーキューシオを思い出すにつれ、やっぱ3年分いろいろとうまくなっているんだと思う。
 ティボルトがマーキューシオと変わらなかったらどうしよう、と危惧するところもあったわけだから。
 マーさんとは違って見えた。だけどうーん、なんか「小さい」ティボルトだったような。身体のサイズのことではなくて。
 方向性が定まってないのかなあ。

 見ながら、彼のもうひとつの役、ベンヴォーリオを思った。
 ティボルトがベニー的に「予想の範囲内」なら、ベンヴォーリオはどうなるんだろう? マーキューシオやティボルトは、ベニーの持ち芸……ぢゃねえ、持ち味に合う役、引き出しの中だけでなんとかなるタイプの役だ。
 反対にベンヴォーリオはベニーらしくない役。
 「似合うよね」と思える役が「想定内」でしかないなら、「らしくない役」にこそ期待が高まる。


 マーキューシオ@しーらんは、配役が発表されたときに「そうきたか!」と膝を打ったクチ。
 似合うよね、わくわくするよね。
 路線スター以外にも主要役を回す、星組プロデューサーはほんと商売がうまい。「絶対観なきゃ!」ってキモチになるじゃないか。

 そして初日。
 改めて、マーキューシオって難しい、と思った。

 歌が難しいのは周知のことだと思うけど。
 それ以外にも、なんつーんだ、「華」がより必要な役なんだ。

 マーキューシオがどこにいるのか、わかんない……。

 集団の中で、ほんとによく見失った。

 しーらんは美形だし、男役としてうまい人だし、欲と野生と芝居心のある人で、脇にいても目に入る人。「あそこに色男がいる!」と思うとしーらんだ、てな。
 脇にいると目立つ人だから、真ん中に置いても十分目立ってくれるだろうと思い込んでいたんだけど……真ん中だと、目立たない……。
 髪の色のせいかもしんないけどさー。小柄なせいかもしんないけどさー。
 あれ? こんな感じなんだ? と、びっくりした。

 そしてマーキューシオって、やっぱどうあがいても2番手の役ぢゃないよね……。
 こんだけ地味というか、脇寄りの役なんだなあ。
 彼ひとりを舞台に据えたソロもないし、2幕序盤で消えるし。
 この役で2番手として成り立っていたちぎくんのスター力を、改めて思った。
 脇属性の人がやると、こんだけ脇っぽい役になるんだ。
 良くも悪くもベニーは大暴れしてたんだなあ、ちゃんとスターの役に見えたなあ、と初演を遠く思う。

 そしてこちらでも、しーらんのベンヴォーリオを見てみたかったなあ、と思った。
 しーらんもまた、キャラとしてはマーさんの方が持ち味。だからこそ配役にテンション上がったんだけど……持ち味で出来る役より、作り込んだ抑えた役、ベン様の方が、しーらんの「格好良さ」「色男さ」が出たんじゃないかと思ったんだ。

 まだ初日だからってのも、あるだろう。
 しーらんならきっと、これから変化していくはず。あの野心家がこれで納得するはずナイ、もっともっと貪欲に「役を生きる」はず。
 それを期待して、初日の違和感を記しておく。
 4回目の『ロミジュリ』。
 初演星組、再演雪組、再々演月組。
 ここではじめて、ようやく、完成形を見た。

 そう思ったのが、乳母@美城れんだ。

 役の少ない海外ミュージカル。
 女性の役はとてつもなく少なく、女性の2番手格の役が、ふとっちょおばさんという、タカラヅカ的にかなりきびしい扱い。

 初演星組では、新公ヒロバウヒロと数多くこなしてきた路線スター、娘役2番手ポジションにいた、れみちゃんだ。美少女スターのやる役ではなかったけれど、他に役もないし、れみちゃんはその演技力と歌唱力で立派にこなしていた。実際、彼女のソロで大泣きしたさ! れみちゃんの乳母大好きだー!
 ……けど、「チガウ」感はぬぐえない。
 美少女スターが肉布団巻いてやるような役じゃない。

 再演雪組では、男役スターのコマくんが抜擢された。
 娘役では「汚れる」ことができない。タカラヅカの娘役、とくに路線スターは良くも悪くも「型」があって、そこからはずれると軌道修正できなくなるんだ。現にれみちゃんは、それまでは薄幸のヒロインなどを得意としていたのに、あばずれだーの年増だーのの脇の個性派スターにスライドしていった。
 娘役スターでは、乳母役は出来ない。でも、女性キャラでヒロインの次の大役だ。まったくの脇の別格女役さんには割り振れない。
 てことで、男役スターを起用。芝居力のある、歌えるスターのコマくん。
 男役だから、どんだけ「汚れる」こともOK、現に雪組初日、乳母はピエロのようなおてもやんメイクで登場した。徹底的に滑稽な役として作る予定だったんだろう。……不評だったのか、数日でふつうのメイクになったけれど。
 滑稽な姿も骨太な芝居と存在感も素晴らしいけれど、残念ながら、歌に無理があった。男役だから、ソプラノでは歌えない。地声で勝負していたけれど、なかなかどーして大変なことに。
 コマつんの乳母、大好きだったさ、毎回泣かされたさ!
 ……けど、「無理がある」感は残った。
 新公主演バウ主演した男役スターだもん、おでぶおばさん役でソプラノで歌えなくても、仕方ないって。

 雪組新公は、歌ウマ娘役、さらさちゃんだった。
 本役で歌えないソプラノを、美しく響かせてくれるはず。また、れみちゃんはヒロイン経験多数の路線ど真ん中スターさんだったけれど、さらさちゃんは別格歌姫系だもの、おでぶおばさん役も躊躇なく体当たりすることができるだろう。
 そう期待したけれど、んな半端な役ではなかったらしい、「娘役」としての歌ウマ程度じゃ、太刀打ち出来なかった。高音は出ても、低音はきびしい。
 また、外見は「かわいい女の子」のまま。それで、同世代の娘役たちと混ざって芝居をする難しさ。

 男役では歌いこなせない、娘役では汚れきれない。
 だから再々演月組の、専科の圭子ねーさま登場にわくわくした。
 専科さんなら「汚れる」ことが出来る。そしてもともと超歌ウマ女役さんだ、ソプラノ任せろ、どんな曲でも安心クオリティ。
 しかし、なんてこったい、こちらは芝居がダメだった。や、わたしには。
 乳母に対する違和感、疑問、拒否反応でいっぱいだった。
 どんだけ歌声が素晴らしくても、外見が乳母らしいおばさんぶりでも、この芝居には感情移入出来ない。
 なんなんだろ、この包容力なさ。この乳母は、エマさん演じる神父様と「神はまだお見捨てにならない」を歌ったりしない!!

 月組新公、乳母は芸達者な晴音アキちゃん。役幅の広い彼女はそれまでも「汚れる」役をやっているので、乳母役も問題ない。
 が、なにしろ難役過ぎて。歌える子なのに、歌に振り回されて芝居どころぢゃない。
 なんだろ、この役にはもっとどーんとした、とてつもなくでっかい器が必要なんだと思った。それは若手娘役には難しいものなんだろう。


 てな歴史を経て。
 ついに、完成形を見た。

 星組再演『ロミオとジュリエット』にて。

 路線娘役スターだと違った。
 路線男役スターだと歌えなかった。
 歌ウマ専科さんでも役的に違いすぎた。
 新公学年の娘役さんでは到底太刀打ち出来なかった。

 それが。

 別格で、男役で、外見をどんだけ汚してもよくて、歌ウマで、老け役任せろな芸風で、ハートフルな芝居を得意とする、美城くんの乳母が、素晴らしい。

 歴代乳母の足りなかった部分、残念だけど至らなかった部分、かゆいところに手が届かずじれじれした部分を、美城くんが見事に全部拾っていった。

 うっわ、マジすげえ。
 かゆいところをいちいちちゃんと、かいていってくれるの、手が届くの、その快感ときたら!

 や、まだちょっと「動いてない」部分がある気はするけど、それはこれから芝居を重ねることによって変わっていくと思うので無問題、むしろわくわくしている、さらなる進化を。

 一連の心の変化、ジュリエットへの愛情、見せ場のソロ、最後の変心の台詞、霊廟での歌声、それらがひっかかりなくしゅわ~~っと広がる。
 気持ちいい。
 欲しかったものを、「はい」と差し出される感じ。
 ……いやほんとわたし、圭子ねーさまの乳母がダメでさー……最後に見たのが月組版だからってこともあり、さらにさらに美城くんを、両手を振って持ち上げちゃいますの。
 や、圭子ねーさまは好きなんだけど、出演してくれるとうれしい人、その歌声を聴きたい人。でも、乳母は違ったの、わたしには。

 美城くんの乳母を見られたことが、星組再演『ロミジュリ』の意義のひとつだなあと思う。
 ……美城くん、役作りのためか、いつものにも増して景気よく太い、ジェンヌの域を飛び越えて太くなってるんだけど……汝鳥伶サマがあの横幅だからこそキュートであるように、美城くんも今回はアリなんだと思う。
 ……乳母役が終わったら、以前のサイズには戻ってくれるんだよ、ね? そこだけが心配。


 余談。
 「美城れん」で思い出すこと。

 あれは、博多の夜のことじゃった。
 『フットルース』観劇後、わたしと友人たちはきゃーきゃー興奮したまま、「博多と言えば屋台だー!」と、ラーメンを食べにとある屋台へ腰を落ち着けた。どーってことない、ふつーの屋台。
 ラーメンもふつーにおいしかったし、贔屓の話で盛り上がる時間はふつーにとっても楽しかった。
 そして、気がつくのだ。

「あ、凰稀かなめ」

 屋台の天井。わたしたちの坐っている、真上の庇部分。
 そこに、かなめくんの千社札が貼ってあった。

 花の道にあるお店みたいに、店の人とかファンとかが貼っている……?、わけない。
 よく見ると、千社札の横に、流麗なサイン。

「この屋台、かなめくん来たんだー!」
「それでサインしていったんだ」

 天井はサインだらけだった。よくわかんないけど、有名人が来るたびに残していくんだろう。たまたま上を見なかったら、見ても真下に坐ってなかったら、気づいてないよ、なんて幸運。

 そして、かなめくんの千社札とサインの横には、「美城れん」と書いてあった。

 書いて、あるの。縦書きで。
 その横にはたぶん、美城くんのサイン。

「かなめくんと美城れんかー。そっか、去年『ロミジュリ』で博多来てるもんね」
「つか、ふたりだけで来たんだ、屋台」
 他にジェンヌのサインはないから、そういうことなんだろう。

「でもなんで美城れん? サイン書くのはわかるけど、楷書で名前書くのってめずらしいんじゃ?」
「でも書いてないとわかんないし」
「千社札貼ればいいのに」
「持ってなかったんじゃ?」
 そーして、気がつくんだ。
 「美城れん」と縦書きされた名前は、同じ黒マジックで四角く囲ってある。

「これ……千社札のつもりなんぢゃ……?」

 名前を楷書で縦書きして、四角く囲む。
 かなめくんの千社札の横。

 いやあ。
 大ウケしました。

 名前書いて四角く囲って、エア千社札!!

 ふつーに名前書いてあるだけなら「へー」だけど、エア千社札!

 なんかもお、一気に美城くんの株が上がりました。かわいい、愛しい。仲間内でもー、すっげーウケたよ、和んだよ。

 まあその、反対に、「かなめ姫、いつも千社札持ち歩いてるんだ……」「いつファンの人に『サインください!』って言われても大丈夫なように?」と、そっちでも盛り上がったけどな。さすが姫!!と。

 大ウケして写真も撮ったんだけど、なにしろわたし、PCクラッシュして写真1000枚ほど消失しましたからさー。博多の写真も全部失ったのさ。

 美城くんというと、あの幸せだった博多の夜、天井に書かれたエア千社札が浮かぶのさ……(笑)。
 『ロミジュリ』大好き。

 ってことで、わくわく星組『ロミオとジュリエット』初日に駆けつけました。
 役替わりは、実はよくわかってません。誰がなにをやるかはわかってるんたけど、その組み合わせが。
 ベニーがティボルトやるときって、マーキューシオ誰だっけ?
 どうせリピートするので予備知識不要、ただわくわくしした気持ちのまま客席へ。

 愛@どいちゃんの美しさと強さ、死@真風の「これだよな」感からはじまり、ナレーション@エマさんの安定ぶりに記憶をくすぐられ個人的にツボり、そうこうしているうちにカーテンが開き、オープニングが本格的にはじまる。

 いつも思うことだけど、『ロミジュリ』のオープニングは秀逸。曲も振り付けもビジュアルも、最初からテンションあがる。

 どの組の再演でも、いつも心の底から思う。
 『ロミジュリ』大好き。
 だからもちろん、今回の星組再演『ロミジュリ』も楽しんだ。

 いやあ、やっぱ『ロミジュリ』っていいなあ! 楽しいなあ!
 かなう限り、何度も観に行きたいなあ。

 と、思っていることは真実。
 その上で、再演初日の感想。


 星組が初演で成功を収め、そこからすべてがはじまった。
 梅芸初日、全編泣きっぱなしで感動しまくったこと、物語もキャラクタも愛しくて愛しくてしょうがなかった、あの興奮をよくおぼえている。
 同じ組、ほぼ同じメンバーでの再演はタカラヅカでもめずらしく、あの大成功した「初演を超える!」という意気込みをもって誰もが役割と向き合っていることが、びんびん伝わってくる。

 ……が、正直なとこ、初演を超えるのは難しいんだな、と思った。

 人数が増え、劇場も大きくなり、その点ではスケールアップしていたけれど。
 ……そーだよなあ、あのお花様だって、初演エリザベートを超えることはできなかったんだものな。

 とくに、ジュリエット@ねねちゃんは、ごめん、「なにも知らない16の乙女」には見えなかった……。
 初演から「16歳の処女」に見えたかというとたしかに首を傾げるところで、それなら今回だけ言及するのはおかしい、てなもんかもしれないが、それでも初演はアリだと思ったのよ、ちゃんとキラキラの美少女だったもの!
 でも今回はさらに貫禄があって、「バーーン!」「どーーん!!」(『ONE PIECE』的な書き文字イメージ)な感じに満ち満ちていて、「海外舞台の女優さんみたい」な肉厚感があった。や、太ってるとかいう意味じゃなくて。
 フランス招聘版『ロミジュリ』も観に行ったけどさ……数列前にしろたんとキムちぎがいたわ、なつかしい思い出……あの舞台のジュリエットさんくらいの迫力だわ……でもあのジュリエットさんは周囲の女優さんたちも同じ肉厚感だったし、なにより筋肉ばりばりの男優さんたちの間にいるからアリなわけでだな……タカラヅカの世界観ではねねちゃんのジュリエットはなんつーかこー、違和感が大きくて……。

 同じ「16歳の処女」でも、シルヴィア@『めぐり会いは再び』はねねちゃんの魅力を最大限に発揮する役だと思うけど、ジュリエットは……うーん。

 わたしの目にそう映っただけで、世の中の人がどう思うのかは知らない。
 ただほんと、今のねねちゃんが演じるジュリエットは、ジュリエットというキャラの「欠点」が浮き彫りになるなあと。なんつーんだ、「女」というイキモノのヤな部分っちゅーか。
 ジュリエットが「少女」だから許される部分が、「女」が見えることによっていやらしさに変わるというか。
 うーん、ねね様好きだけど、ちえねね好きだけど、今回はちょっとチガウ……わたし的に。

 そんなだったからもお、フィナーレで、大喝采した。

 大階段に現れた、セクシードレスのねね様!!
 きゃ~~っ、ねね様! ねね様!!
 そうなの、これこそねね様よ! アダルトでセクシー。そしてキュート!
 「16のコムスメ」なんてしょっぱいもんぢゃない、ゴージャスかつコケティッシュな美女!

 フィナーレのデュエンダンで、もやもやを吹き飛ばしてくれました。
 やっぱこれがねね姫の魅力だって、演出家もわかってるんだよなあ。それでもジュリエットをやらせるしかなかったんだよなあ。


 初演初日を観たとき、ねねちゃんの美少女ぶりはOKだったけど、男たちが「少年」役だということにびびり、違和感を持った。
 タカラヅカの性質として、「大人の男」の物語が基本だから。ヒロインがナニも知らない少女であることはあっても、10代の少年がガチで主役のことは、まずないから。
 「大人は汚い!」「あんな大人にはならないもんね!」と意気を上げる少年たちに、まずびびった。
 大人の男役たちが、「悪いのは大人だ!」とか、中学生みたいなことをわめく役をやっている、ということになにより衝撃を受けた。……『ロミジュリ』ってのがそもそもそーゆーもんだってのは、置いておいて。

 しかし……。
 慣れということなのか、時間の流れは男女平等ではないということなのか。

 ねねちゃんの「少女」には違和感があったのに、れおんくんの「少年」には疑問を持たなかった。

 ねねちゃんはたった3年ですっかり大人になり、れおんくんは時を止めたままだった。
 や、もちろんれおんくんも3年分経験を重ね、年を経ている。大人になっている。でも、舞台の上で「少年」を形作ることが出来る。
 もともとの少年性がどうこうより、「技術」だと思った。芝居の技術でもあるんだろうけど、なによりも「妖精」の技術だと思った。
 タカラヅカのトップスターであるということ。つまり、誰よりも卓越した「妖精力」を持たなければならないということ。
 れおんくんは、真のトップスターであり、真のタカラジェンヌだ。何故なら彼は、とてつもなく、妖精だ。

 ねねちゃんに妖精力が足りないのではなく、男女の差かなと思う。
 娘役は男役よりもさらに寿命が短い。猫が1年で大人になるみたいに、娘役は入団後数年で花開き、次のステップへ進む。新公学年であっても「女役」にジョブチェンジしたりすることが、めずらしくない。開花に10年以上かかる男役とはチガウ。

 初演のとき「そっか、少年役なんだ」と知っていたのに驚いた、そこからはじまっていくつもの再演を経て、「みんな中二病の少年たち」という認識から来る慣れで、男たちに関しては違和感がないのかもしんないけどさ。
 そうだとしてもやっぱ、れおんは少年で、ねねちゃんは少女ではなく「女」なんだよなあ。

 少年のままのれおんくんと、大人になってしまったねねちゃん。
 この特性を活かして、『ロミジュリ』でなく、別の物語を観たいなあ……。若く美しい青年のままのアンドロイドれおんと、少女のときに出会って愛し合い、今は大人になってしまった人間の女性ねねちゃんとの物語とかさ……。
 今回の『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』で、わたしがもっとも嫌いな台詞は、間違いなく「ガンジガラメ」だわ。

 この台詞を生み出したのは、植爺なんだろうか。それともスズキくんなんだろうか。
 この言語センスと使い方に、絶望する。

 カタカナ表記は「ル・サンク」にそう書いてあるから。カタカナで書かれているのを見て、ぞっとした。わたし、こういうカタカナ表記嫌い(笑)。
 これは個人の好みの問題だけど、カタカナにすることで一種のユーモアを醸し出そうとしている感じが、すごく嫌。や、好みの問題ですよ、くり返しますけど。目的を持ってあえてカタカナ表記することはわたしだってもちろん、手法として使うけれど、この文脈で使う、今回のカナっぷりは、ほんとに嫌。わたしは、嫌い。

第1幕
第6場 ベルサイユ宮殿

 幽霊の噂を口にする近衛兵たち。それは王妃と逢瀬を重ねるフェルゼンの姿が見とがめられているのではないか。
 という話の流れなのに、オスカルは登場するなりKYに、

オスカル「ジェローデル。ご苦労…」
ジェローデル「隊長」
オスカル「昼間は王宮の儀式や典礼にガンジガラメ。そして夜は夜で警護の役目…。まったく平民たちとの紛糾が各地で起こっているというのに…こんなことでいいのか?」
アンドレ「オスカル!」
オスカル「こうして王宮の守護をすることが果たしてフランスのためになっているのだろうか? 一握りの貴族のために役目を忠実に果たすことがフランスのためなのだろうか?最近疑間に感じているのだ」
アンドレ「オスカル! こんな場所でなんということを言うんだ」
オスカル「心配するな。分かっているよ」

という話をおっぱじめた。
 家族やアンドレの前で言うならともかく、ジェローデルの前で、仕事をそっちのけにして愚痴り出す……どんだけ無能なの、この隊長。
 2006年版では、王制批判と取れそうなことを他人(ジェローデル)がいる場では言っていない。

 しかも、ええ、最悪な単語「ガンジガラメ」ですよ。何故ここでオスカルがこの単語を口にするのかがわからない。
 ルイ16世が「しきたりにガンジガラメ」と言うのはわかる。使い方がおぞましいだけで、彼が使うのはありだと思う。
 しかしそれなら、何故オスカルごときに同じ単語を使わせる?
 国王陛下だけの「特別」な立場を表す単語のはずなのに、臣下のオスカルが使うことで単語の価値を落としている。
 ルイ16世だけが特別に不遇なのではなく、王宮にいる人は全員同じ、ルイ16世は臣下と同じ。

 すべての人がなにかしら思い通りにいかないものにガンジガラメになっている、という象徴的な使い方をしているわけでもない。
 ルイ16世もオスカルも、同じことを言っているだけ。「宮廷のしきたり」という、目に見える、とても安いものについて。

 だからオスカルがルイ16世と同じ単語を口にするのは、ルイ16世の立場や悩みを「安っぽい」ものと貶める効果になっている。
 脚本を書いた者がバカだとしか、思えない。
 ルイ16世にあの会話の流れで言わせて「ルイ16世は無能な卑怯者」と印象づけさせ、さらにオスカルに同じ台詞を言わせて「ルイ16世は特別でもなんでもない、みんなと同じ」と貶める。

 脚本家が、さもいいことを思いついたかのように、うれしげに何度も書き加えている、ように思える。
 無用で有害なだけの台詞を。
 その無能さ、無神経さが、わたしの逆ツボを直撃する。だから今回、「ガンジガラメ」という単語が大嫌い。いちばん嫌い。
 『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』脚本の嫌いなところを語る。
 嫌いなのは植爺作品であり脚本である。
 出演しているジェンヌさんに含みはナイ。むしろ、こんだけ嫌いなのにフタ桁観劇できるのは、ジェンヌさんが素晴らしいからだ。つくづくタカラジェンヌすげえと思う。
 作品はキライで、キャストは好き。
 だから「作品」の嫌いなところを記す。(台詞引用は「ル・サンク」から)


第1幕
第5場 王家の紋章

 今回、ルイ16世の人格破壊がひどいのだが、その原因のひとつは無用な加筆にあると思う。

 2006年の『フェルゼンとアントワネット編』
ルイ十六世「弟よ。なんだこんな夜中に。私にとっては貴重な時間なんだぞ。この錠前がもう少しで開けられる所だったのに…」
プロバンス伯爵「兄上、呑気なことを言っている場合ではありません。平民達が暴動を起こしました」
ルイ十六世「なに…またか…。やれやれ、私は平民の希望を入れて三部会まで開いてやった。こんなに私が譲歩してやっているのに、まだ不満があると云うのか」
プロバンス伯爵「兄上…」
ルイ十六世「軍隊があるではないか。フランスの誇る軍隊が…すぐに各地に派遣して不届者を鎮圧させろ」
プロバンス伯爵「兄上…」
ルイ十六世「もうよい、たかが百姓の暴動ではないか、なあメルシー伯爵」
ブイエ将軍「いいえ。暴動ではございません…革命でございます!」
ルイ十六世「… (持った宝石箱を取り落とす)」

 今回の『フェルゼン編』
ルイ十六世「なんだ。二人とも騒々しい。こんな夜中に。私にとっては貴重な時間なんだぞ。昼間は王室のしきたりにガンジガラメ。今夜はどうしてもこの錠前を開けなければならないのだ!」
プロバンス伯爵「兄上、そんな呑気なことを言っている場合ではございません。平民議員たちがフランスの各地で反乱を起こしました!」
ルイ十六世「ばかばかしい。そんなつまらぬことで騒いでいたのか。議員に選んでやった恩顧も忘れ、騒乱の先頭に立つとは許しがたい。軍隊があるではないか、フランスが誇る軍隊が。すぐに各地に派遣して不届き者を鎮圧させろ」
ブイエ将軍「は…!」
プロバンス伯爵「兄上!」
ルイ十六世「もうよい、たかが百姓の暴動ではないか」
プロバンス伯爵「いいえ! 暴動ではございません、革命でございます!」
ルイ十六世「な、なに… (持っていた宝石箱を取り落とす)」

 今回はなんつっても、この会話の前にえんえんプロバンス伯爵とブイエ将軍が60行も無意味な説明台詞を垂れ流したあとだ。
 2006年版では「私は平民の希望を入れて三部会まで開いてやった」の1行で済んでいることを、60行(「ル・サンク」の行数)かけて水増し。
 無駄に60行喋られたあとで、登場した国王は「ばかばかしい。そんなつまらぬこと」とばっさり。
 2006年版では暴動を嘆いているが、今回は「ばかばかしい」ですよ。見下してますよ。無能っぷりが突き抜けてますよ。暴動ではなく「反乱」と、さらにすごい単語になっているのに、その重みを理解してないし。
 嘆いて武力行使という流れと、バカにして武力行使という流れは、国王の人格がまったく別モノ。
 また、その前の台詞に加えられている「昼間は王室のしきたりにガンジガラメ」。この台詞がまた、国王の人格破壊を際立たせている。
 「貴重な時間」というだけなら、その言葉だけの意味だが、「しきたりにガンジガラメ」と加わることによって被害者意識による甘えが表現されている。
 なにか要求を通したいとき、愚痴を言いたいとき、まず他者を攻撃して自分を正当化する。そういうずるさがこの台詞にある。
 今回新たに加筆された部分がすべて、ルイ16世の人格を破壊している。

 それが生理的に許せないんだな。
 ルイ16世を「無能な悪人」として描きたいのなら、それでいい。原作の彼が良い人であっても、この作品ではそういうキャラクタ設定だというならば。
 でも、そうじゃない。
 ルイ16世は無能なだけでなく、人格も邪悪である。そうとしか思えないモノを見せつけておきながら「愛情あふれた聡明なお方、すぐれた王」という設定だと解説されると、世界観がよじれる。
 この世界では、無能な卑怯者が聡明で優しいそうですよ……。

 加えて、わからないのは、プロバンス伯爵と、ブイエ将軍の立ち位置。

ブイエ将軍「フランスの各地に暴動が起こり、それが燎原の火のごとくフランス全土に広がりつつあるとの緊急の報告が入りました」
プロバンス伯爵「原因はなんだね,三部会の解散か。(中略~平民議員について無用な固有名乱発無用な説明えんえん~)三部会の強行解散など荒療治が過ぎたな。国王さまは今ここにお出でになる。とにかくご報告を…」
(中略~平民の暴動について、無用な説明をくり返す~)
ブイエ将軍「そんな相手には日には目を! 力には力を! 我々には軍隊があります。奴らは所詮烏合の衆。今度こそ軍隊の力を見せてやりましょう。我々にはその準備が完了しております。(中略~国王に報告をとさっきと同じ話~)なにとぞ国王さまには伯爵からご進言を。この機会に一気に不平分子を壊減するのです
(中略~何故か八つ当たり的に王妃の浪費、フェルゼンとの不倫の話、唐突すぎておかしい~)
(王様登場、上記の会話)
ルイ十六世「すぐに各地に派遣して不届き者を鎮圧させろ」
ブイエ将軍「は…!
プロバンス伯爵「兄上!」
ルイ十六世「もうよい、たかが百姓の暴動ではないか」
プロバンス伯爵「いいえ! 暴動ではございません、革命でございます!」

 ブイエ将軍は「武力で暴徒を皆殺し」論でここにいる……のよね? 国王からの進軍命令を求めている。
 のわりに、せっかく王様が「逆らう者は皆殺しにしろ」と命令したのに、そのテンションの低さはナニ? 「ははーっ、ただちに!!」ぐらいの勢いで返してしかるべきよね? わざわざ夜中に国王のところへ来たのは、「すぐに」軍を動かしたいからよね? なのに、国王様が「すぐに」って言ってるのに動きもしないし。
 勇ましいこと言って進言に来たわりに、武力行使にとまどってるのか? てなはっきりしなさ具合。

 また、プロバンス伯爵はさらによくわかんない。三部会解散を批判・反省しているようなことを口にする(下線部)。……のに、「皆殺しだ」というブイエ将軍を止めもせずに会話を続ける。
 そしてやはり「皆殺しだ」という国王に「革命です」と言う。えーと? 革命だから、ナニ? 武力行使に反対なの? 賛成なの?
 会話の意図が、まったくわからない。

 ブイエ将軍もプロバンス伯爵も、この会話でナニをしたかったのかが、まったくわからない。
 大体、この時点でどのへんが「革命」なのか、わけわかんないんだけど。
 だって「革命」が起こっているわりに、王様も将軍も一緒になって、のんきにフェルゼンの吊し上げ会をやってるし。あのー、暴動は? 軍隊出撃はどうなったの?

 無意味すぎて、いや、意味がないだけならまだしも、害しかない。
 生理的に許せない、こんな無駄な場面。大嫌い。だから、全否定。
 不毛だとわかっているが、自分のために記す。
 『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』の脚本の嫌いなところ。

 どれだけ嫌いか、どこが嫌いか、ナニが嫌いか。
 きちんと考え、書き記したい。
 文章化しないことには、落ち着かない。
 ただ漠然と「嫌いだ。嫌いだ」と思って観劇しているのは。

 わたしは今回、自分史上最高回数『ベルばら』を観劇した。
 いつものわたしなら、1回でアウト、脱落している。役者が変わるたびに別モノと考えるから、役替わりを1回観るだけが精一杯、同じモノは2回観られない、わたしの精神が死ぬ。それくらいダメ。

 それでもリピートしたのは、贔屓がアンドレ役をやっているためだし、贔屓だけでなく、雪組キャストの熱演が素晴らしかったからだ。
 繰り返し観れば観るほど、作品への嫌悪感と、演じているキャストへの好意が、わきあがってくるんだ。

 この正反対の感情、嫌悪と好意。
 それを整理するためにも、「嫌い」なことを書き記す。

 「嫌い」語りなので、悪いことばかり、マイナスなことばかりになる。
 だから、そーゆーのが無理な人はどうか見なかったことにしてやってください。

 ただ。

 その場面に出ている生徒さん、役にはなんの含みもない。
 「**さんの出番、**さん役をdisってる! **さんを貶めたいのね!」という意図はまったくない。役者への愛情や敬意とはまったく別の話。

 それだけは、誤解しないで欲しい。



第1幕
第5場 王家の紋章

 地味なプロローグが終わったあと、さらに地味なカーテン前場面。しかも登場するのはおっさん3名。しかも無意味説明台詞をただ垂れ流し続ける。しかも、話の内容に整合性がない。
 無意味なのは、同じ会話を別の場面で別の者たちが語るからだ。同じ説明台詞はいらない。
 また、ここで登場する固有名詞は、この舞台に登場しない、不要な知識だ。無用な固有名詞乱発は、観客の理解を妨げるだけ。混乱させるだけ。説明になっていない。
 さらに、キャラクタの人格を破壊している。ルイ16世はここでわざわざKYで無能な人物として描かれる。その後たびたび語られる「思慮深く聡明」「立派な国王」という設定をぶち壊している。(ちなみに、ルイ16世の趣味は「錠前作り」であって「錠前を開けること」ではない)

 話の内容に「意味がある」か「簡潔でわかりやすい」か、あるいは、まーーったく意味もなくナニ言ってんのかすらわからない外国語を流しているのであったとしても、最低限「美しい」なら許されるが、この3つの要員をなにひとつ満たしていない。
 よってわたしは、この場面の存在を全否定する。


 それ以外に、直接的に引っかかること。
 2006年の『フェルゼンとアントワネット編』でもほぼ同じやりとりがあったのに、今回は不快感が増している。
 それはすべて、不要な台詞が加えられているためだ。
 モノカキにありがちな現象なんだけど、ひとつの作品をいつまでも自分の手の中に置いておくと、どんどん加筆してしまう。過去の自分に現在の自分からなにか言いたくなるんだ。加筆することでよくなる場合もあるが、客観的な目を持たないまま「出来上がった作品」に加筆を続けると、それは大抵「不要」なものを加えて自己満足に陥っているだけ。ただのオナニー。
 植爺作品が再演されるたびに改悪されているのは、ここに原因のひとつがあると思う。もともとあるモノに、チガウ時点から加筆するので、悪い方向にしか進まない。

 てことで、次項へ続く。
 実際に脚本を引用して説明する。

 引用している脚本は、「ル・サンク」からの抜粋。がんがん引用してますよー。文字数多いっすよー。
 そしてついに千秋楽。『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』

 時間がなくてろくに感想書けないままでいたけれど。
 ほんとにほんとに、よかったの。すごかったの。雪組のみんな。
 あんな脚本で、あんな演出で、それでも盛り上げて、やり遂げてくれたの。

 とくに、えりたん。

 ああ、えりたん。
 あれは幕が開いて1週間くらいしたころかな。
 感動に、打ち震えたよ。

 『外伝 ベルサイユのばら-アラン編-』を、思い出した。

 植爺駄作列伝、ワースト3以内に堂々ランキングすること間違いなしの、近親相姦+悪霊もの。
 アラン@まとぶん、アンドレ@えりたん、オスカル@みわっちというキャスティング。

 アランがオスカルに無理矢理チューをする、そのアランをアンドレが殴りつけ、アランが走り去ったあとアンドレが「アラン……お前もか」とつぷやく。

 原作でもあるエピソードだが、なにしろ植爺なので、めちゃくちゃな描き方になっており、初日はここで大爆笑だった。

 原作ではときめき場面であるはずなのに、捨て身のコント場面に成り下がっていた。ええ、すべて植爺が悪い。
 えりたんたちも、演じていてショックだったろう。ドシリアス場面なのに、大爆笑くらうなんて。マンガみたいに「どっ」と場内が同じタイミングで爆笑したんだもん。

 そのどーしよーもない植爺の最低演出を、えりたんは自力で立て直した。
 翌日には芝居を変え、笑われないようにしたんだ。

 すごいよえりたん!

 舞台は、役者のもの。
 どんだけ酷い脚本でも、どんだけ最低の演出でも、板の上に乗ったら役者自身が戦い、克服していくんだ。
 舞台の上は、役者だけの戦場なんだ。


 それを、思い出した。
 植爺のアホアホ脚本と、真っ向から舞台の上で戦う男、それが我らがソウカズホだ!!

 オスカル@ちぎを、逆ギレして罵るところの芝居が、変わっていた。

 オスカルを責めるというより、自分の中、哀しみにふけっているような感じになっていた。独白のようになっていた。
 言葉の上ではオスカルを責めながら、オスカルを見ていないようだった。
 ただひたすら、悲しそうだった。

 きゅんとしました。

 あんなフェルゼンなのに! 植爺脚本のキチガイフェルゼンなのに!!

 言葉に意味なんかない、そこにあるのは哀しみだけ。
 そんな芝居になっていた。

 うわああ、えりたんだ。あの「アラン、お前もか」を立て直したえりたんだよ!! 大爆笑されたアホアホ台詞を、シリアス芝居に立て直したえりたんだよ!!


 ほんとに素晴らしかったです、ソウカズホ。


 また、『フェルゼン編』お約束のキチガイ場面、「メルシー伯爵のお説教」場面では、メルシー伯爵@汝鳥伶様が芝居を変えていた。
 初日付近はいつものメルシー伯爵、居丈高に説教かますだけだったのに、後半は哀願する様子になっていた。
 フェルゼンとメルシー伯爵、どっちも傲慢に「あなたは身勝手だ」「あなたこそ身勝手だ」と自分を正当化して互いを責めるだけという、醜い争いをえんえん見せられて辟易する場面(真に身勝手なのはフェルゼンだけどね)で、片方が下から出るようになったので、かなり見やすくなった。

 あの汝鳥さんですら、植爺脚本と演出のままだとまずいと思ってるんだね……。


 そうやって、みなが一丸となって、植爺と戦っていた。
 舞台は生き物。
 それをしみじみ、思い知らされた。


 まさおアンドレ特出時、女々しくなっていて危惧したオスカル@ちぎくんも、アンドレ@まっつだと凜々しさを幾分取り戻していた。といっても、やはり彼も、初日付近に比べると女の子度が上がっているのだけど。
 オスカルは凜々しい方が好きなので、ちぎカルに関しては、初日付近の方が好みかな。……まっつの「俺がダーリン」度が上がっていて、ちぎくんの女らしさはそのせいかもしれない、となるとまっつのせいか?と思ってもみたり。

 女の子度が増しているためか、アンドレを失ったあとの痛々しさも増していて。
 あとになるほどバスティーユのちぎカルには泣けてしょーがなかった。


 長かったような短かったような、祭り『ベルばら』が終わったわけだ。
 当分『ベルばら』はいいっす、おなかいっぱいっす。
 いやその、東宝も観に行きますけども(笑)。

 99期生のはじまったばかりのジェンヌ人生にエールを送り、卒業するソルーナさんの「ラプユー」に笑い泣きし、えりたんのえりたんらしい挨拶にほっこりする。
 タカラヅカ・フォーエバー。
 『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』、特出最終日にして、千秋楽の前の公演に、行ってきました。

 普段、ムラの前楽は行けない曜日だってこともあり、スルーなんだけど、今回だけはがんばって都合付けて行った。
 だって、ランベスク公爵の千秋楽なんだもん。
 ランベスク公爵ってのがどーゆー役なのかもわからない時点で、とりあえず日程表眺めて「はっ、東宝役替わりないから、ランベスク公爵は泣いても笑ってもこの日が最後じゃん!」と気がついたのね。
 どんな役でも、とにかくまっつの千秋楽なら、観納めなきゃ!と。
 ……まさか台詞3つだけ、出番数分の役だとは思ってなかったので(笑)。まあ、植爺だし、扱いについての覚悟はしてたけど、『外伝 ベルサイユのばら-アンドレ編-』のときよりさらに下があるとは、ほんとさすがだわ。

 ランベスク公爵はつくづく、まっつの得意分野。
 貴族得意、おっさん得意、傲慢得意、脇得意(えっ)。
 ファン的にも見慣れた視界でした。
 そうそう、まっつってこうだったよな、と。
 台詞も出番もろくになくて、モブにまざって小芝居しているのを、こうやってオペラグラスで追いかけてたっけ。
 まっつがアンドレやっている現実の方が信じられない(笑)。や、信じられない現実が、うれしくてならないわけだけど。

 ランベスク公爵の悪役感というか、影ボス感が日に日に上がっていくのが楽しくてならなかったっす。
 ナニその威厳、高貴さ。心から傲慢そうで、腹黒そうで、いいなあ(笑)。

 ちくわ付きの白カツラの似合いっぷりが、素晴らしい(笑)。
 あのカツラの似合う日本人ってマジすげえ。
 耳の上のちくわもチャームポイントだけど、わたしのいちばんの萌えは、ちろっと一筋のぞく黒いモミアゲ。
 ランベスク公爵って黒髪なんだ!! お貴族様白カツラ着用してるけど、実は黒髪なのね! プライベートな時間にカツラを取ると、そこから艶やかな黒髪が流れ落ちるわけですわよねっ。
 勝手にそう考えてはニラニラしてました。

 ランベスク公爵は、フェルゼン様のわけわかんねー大演説を聞いて、どう思っていたのかしらねええ。
 1幕最後の宮廷場面にて、「別れの挨拶をしに来た」というフェルゼンを、最初すげードSな顔で眺めている。せせら笑っているというか。
 それが、彼の大演説を聞いているウチに表情が消えていくのな。
 ナニか思うところがあるのか、植爺様の意図によって演説に感じ入っているのか。はたまた間近で見るフェルゼン様の美貌にふらついているのか(笑)、受け取り方は自由ですわな。

 わたしはフェルゼンがナニを言っているのか、脳みそが理解を拒否するので、ここはただ声と画面を眺めるのみ、言葉の意味はわかってません。なまじ言葉の意味を考えるとストレス溜まるし。
 なので勝手に、ランベスク公爵の美しい顔を見て夢想するのです。「真実の愛スゲー」バージョンとか、「負け犬が遠吠えしてるわ、嘲笑」バージョンとか、「フォーリンラブ」バージョンとか。

 なにしろランベスク公爵は情報量少なすぎるので、盛り放題っす。


 ところで、ランベスク公爵@まっつがラストってことは、アンドレ@まさおくんも特出ラストでした。や、世の中的にはこちらがメインでしょう。

 2日前、特出初日のまさおくんが抱腹絶倒だったため、千秋楽である今回は、さらにさらに期待していました。
 3日間5回分のパワーを乗算して、とてつもなく素敵アンドレになっているのでは?! と。

 ところがどっこい。

 パワーダウンしてました。

 ふつー寄りになっていた。
 初日よりずーーっと。
 えええ~~、なんで~~? つまんなーい。
 祭りなんだから、本能のまま走ってくれて良かったのに。

 なんだ、おとなしくなってんじゃん、とわたしはがっかりしたけれど、隣の席の人はまさドレ初見だったのかなあ、毒殺場面とか、「ぶはっ」とマジで吹き出していて、ちょっとびびった……そ、そうか、十分おもしろいのか。初日はもっとすごかったんだけど……今回も、吹き出すに値する素敵さなのか。

 とことんきれいで、しかも歌えるのに、やりすぎちゃって愉快になる芸風は、まさおくんの武器。
 好きな人にはたまらん味だろう。わたしは好きよ。彼の舞台はなんやかんやいって、楽しみだ。


 わたしは昔からまさおがけっこー好きだった。彼がまったくの脇の下級生だったころから、注目していた。
 なんでかっつーと、ひとえにそれは、彼が「好みの顔」をしているからだ。
 鼻以外は好みのパーツで出来上がっている。
 ぶっちゃけ、7~8年前は、「まっつに似ている顔」として、愛でていた。
 共にただのモブキャラだったので、映像なんかでボケた背景として映り込んでいるときとか、ほんとによく似てたんだわー。
 ただし、「キャラクタ」は正反対、という認識。
 当時のまっつは薄幸のヘタレキャラ、まさおは野心ギラギラキャラだと思っていた。

 同じ系統の顔、だけどキャラは正反対。
 それがなんか、ツボだった。

 時は流れ、まっつもまさおも、それぞれキャラを確立、顔立ちも違ってきた。
 今現在、ふたりが「似ている」なんて言っても、共感を得ることは出来ないだろう。

 でも昔、そんな風に見えていた時期があったんだよ。
 わたしと仲間内だけだったかもしんないけど。
 当時も別に同意してくれなかった人が、なにかのはずみに「あ、今のまさきか、まっつかと思った」とつぶやくことがあったり、やっぱ顔立ちは似てたんだよなー。

 その、「同じ系統の顔、だけどキャラは正反対」のふたりが、花組と月組でろくに役も付かない、モブだった彼らが、雪組でアンドレ役替わりやってるんだもんなあ。
 7~8年前のわたしに言っても、信じないだろうなあ。

 それがとても、感慨深かったっす。

 ふと思いついて検索してみた、昔の記事。
http://koalatta.blog48.fc2.com/blog-entry-113.html
「まっつに会って、まさきに会って。@スカウト/龍真咲トークショー」

 他にもまっつとまさおについて語ったことはあった気がするんだが、過去ログ膨大すぎてわからん……(笑)。
 まさドレがあんまり素敵過ぎて、友人ときゃーきゃー言っている間に、ラインアップ発表が出ていました。
 今年のラインアップで唯一未定のままだった晩秋の月組。
2013/05/24
全国ツアー
公演日程:2013年11月15日(金)~2013年12月8日(日)

全国ツアー
グランステージ
『JIN-仁-』
原作「JIN-仁-」村上もとか(集英社「ジャンプコミックスデラックス」刊行)
脚本・演出/齋藤吉正
グランド・レビュー
『Fantastic Energy!』
作・演出/中村一徳

*****

梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ
公演日程:2013年11月23日(土)~2013年12月1日(日)
日本青年館大ホール
公演日程:2013年12月6日(金)~2013年12月11日(水)

MUSICAL
『THE MERRY WIDOW』
~オペレッタ「メリー・ウィドウ」より~
原作/フランツ・レハール
脚本・演出/谷正純

 『JIN-仁-』再演?!

 たった数分のランベスク公爵の出番を観るためだけに北関東から駆けつけてきた友人と一緒だったわけですが、彼女の反応もわたしと同質でした。

 あんな駄作、再演してどうするの??

 『JIN-仁-』は、雪組ファンであるわたしにとって、大切な公演です。
 キムくんが好きで、未だにキムくんに未練ありまくり、キャトルレーヴでキムくんの主題歌を聴いては泣きかけ、「プチミュージアム」に入って軽く1周しただけで「無理!!」と逃げ出してきたくらい、まだ傷口が癒えてません。
 キムくんと、当時の雪組メンバーで作り上げた『JIN-仁-』という作品が大好きです。

 でも。

 それとはまったく別の話。
 『JIN-仁-』って、どーしよーもない作品っすよ?

 ストーリーは破綻しまくり、なにひとつ整合性がなく……つーか、そもそも一貫した物語になっていない。
 主人公の仁先生もダブスタのひでー男だし、医者としてナニもしてないし、活躍の場もないし、ヒロインの咲さんは完全否定されて、さいとーくんオリキャラの結命が正ヒロイン扱い。
 あとはえんえん、原作キャラの「顔見せ」だけ。

 ドラマファンのヅカ初心者をエスコートしたんだけど、ストーリー(なんつってもラストの落ちのつけ方、咲さんの扱い)の酷さを指摘され、ヅカ布教にはマイナスだった。
 また、原作にしか出ないキャラのことはわからないため、なんの意味もなく挿入される「顔見せ」だけのキャラに置いてけぼりをくらって、テンション下がったみたい。

 ドラマの知名度をアテにしての全ツ再演なんだろうけど、それならほんと、ドラマまんまにするべきだよ。ヘタなオリジナルはいらん。
 わたしの年齢的なものもあるんだろうけど、わたしの周囲では原作マンガを読んだことがある人はひとりもおらず、あくまでも「有名ドラマ」としてのみの認識だった。ばばあじゃけん、マンガ読む世代ぢゃないのよ……。

 さいとーくんの『JIN-仁-』が楽しかったのは、ひとえに、「ヅカヲタ」で「雪組ファン」だったから。
 タカラヅカの表現方法が好きだし、男役が好き、組子の顔と名前が個別認識できており、モブの隅々まで眺めるのが楽しい。こーゆー人間だから、楽しめた。
 とにかく組子たちの出番が多かったから。なにかしら小芝居している様を眺められたから。

 そんな、「ヅカヲタでないと楽しめない、ドラマファンほどぽかーんとなる」作品を、ヅカヲタよりも一般人、新規開拓向けの全ツに持って行かなくても……。


 退団公演がすぐに別箱で再演されるのはよくあること。
 しかしそれは、ショー限定。芝居をこんだけ期間をおかずに再演ってめずらしい。いっちゃんの『エリザベート』以来かな、わたしの思いつくところでは。
 ショーならサヨナラ仕様の場面だけ変更とか、歌詞だけ変更が利くけど、芝居はどうするつもりだろう。
 サヨナラ公演だからこそ、なんとか成り立っていたんだよ……あのどーしよーもない話。


 キムみみと当時の雪組への愛着と執着は自分でも半端ないなと自覚しているけれど、退団公演の「作品」自体には大して思い入れがないのだと、この再演の報を受けて再確認した。
 「キムみみと雪組の『JIN-仁-』を他の人たちで再演するなんて嫌!!」という生理的反応よりも、「あの駄作再演してどーすんだ?」の方が、先に立ったもの。
 いやでも、ほんと夢にも思ってなかったな……『JIN-仁-』再演。作品の出来があんまりだから、再演されるなんて想像だにしていなかったよ。だからタカラヅカの『JIN-仁-』といえばキムくんだって、キムくんだけの役だって、思い込んでいた。


 役だけは多いから、組ファンは楽しめるはず。
 だからきっと、月組ファンは楽しいだろう。
 ストーリーは気にせず、好きな組子の顔を眺めていればリピートできる、とゆー意味ではとっても素敵な作品。……全ツだとリピート大変だけど。

 一気にたまきち竜馬とかあり得るのかなー……。すでに「型」のある役だから、抜擢しやすいと思うんだな。


 もうひとつの月組公演は、専科のみっちゃん主演ですか。

 谷先生でオペレッタかー。みっちゃん、信頼されてるんだね。谷先生が筆を執るときって、大抵劇団推しのスターさん主演なんだもん。
 価格も専科さん価格だし、堂々たるものだわ。
 歌がいっぱい聴けるんだよね?

 ヒロインが誰になるのか、見当も付かないニャ……。
 なんとなく、としくんはこっちかなと思う。彼、谷せんせのお気に入りだよね? 雪のがおりと同じく。
 やってきました、雪組『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』最後の特出祭り。
 月組トップスターまさおくんがアンドレ、我らが雪組2番手スターちぎくんがオスカル。
 ワクテカと3回目の初日に駆けつけました。

 そして。

 爆笑した。

 おもしろい。
 おもしろすぎるぞ、まさおアンドレ!!

 いやその、まさおだから、ちょっとは期待していたけど。
 その期待のはるか斜め上をぶっちぎる、すばらしいアンドレでした!

 途中から口元押さえてたよ。声殺すの必死。
 いやいや、祭りはこうでなきゃ!

 なんというか、空気読まない自己陶酔系アンドレ。植田歌舞伎とも違う、独特の節回しと溜め。
 オリジナル道まっしぐら。

 中でも愉快だったのは、まさおVSともみん!
 ナニこの夢のカード!

 大ちゃんVSきんぐのあはんあはんウインク合戦に心震えたのと同じカラーのわくわく感。

 まさおは人の話聞かずにぶっ飛ばしてるわ、ともみんはそんなまさおになんとか絡もうと、さらに高温高速回転してるわで、カーテン前の短い芝居が見事に別次元。
 おもしろすぎる。

 同期なんだよね、このふたり。
 不思議な魅力を増幅していたので、まさお&ともみんでまた別の芝居も見てみたい……どこかで機会があるといいな。

 もうひとりの同期、ちぎくんはというと……。
 えーと、こちらは正直なとこ、あまり、相性は良くなかったかと……。

 なんかしみじみ、ちぎくん、真面目だなあ、と思った。

 本能のみで疾走している野生のまさおくんに、ちぎくんが理性とか常識とかで懸命に追いすがっていた。そこはどんだけ勤勉さとか計算とかで立ち向かっても無理だよ、次元が違い過ぎるよ。

 前に読んだ新聞記事では、「同期だから大丈夫」的なことを語っていたけれど、……同期と言っても別人種過ぎる……(笑)。

 同期なら誰でも相性がいいってわけじゃないよね、当然。
 キムくんとまっつだって、最初はさほど合ってなかったし。
 長く一緒に芝居をすることで、変わってくるんだと思う。キムくん治世後半のキムまつの息の合い方はすごかった……『フットルース』は奇跡。

 まさちぎも、これからずっと一緒にやっていくなら、化学反応を起こしていくのだと思う。
 でもそんな時間はなく、たった3日間だけの公演なんだから、祭りでいいじゃん。
 息の合った神クオリティの芝居なんか期待してない、どかんと楽しければそれでいい。
 お稽古時間もろくになく、3日間だけの「お客様」出演で、同じ釜の飯を何年も一緒に、苦楽を共にした組子たちよりも神呼吸で芝居されたら、その方が問題ぢゃね?(笑)
 わかっているから今はただ「祭り」感に酔う。楽しむ。

 ひとりでぶっちぎってるまさおに、なんとかついて行こうとテンパりながらあがいている、ちぎくんが大変愛しい(笑)。

 ちぎくんにとっても、「毒殺シーン」ははじめて演じる場面、雪組通常版にはないからなー。
 3日間だけのお楽しみ、なんだけど……いやあ、しみじみ、大変そうだなと。
 まさおアンドレが不思議な節回しで絶叫したりグネグネしたりしている横で、ちぎオスカルはリアル路線で苦悩……。
 まさドレに向き直られたとき、ちぎカルがマジでびくっと震えたのが、なんとも迫真過ぎて。……そりゃこわいわな、あの変な人にロックオンされたら。

 「今宵一夜」はなんつっても、最後のキス!!
 まさドレは何故か、キスの前に「どおおおっ」て感じに上体を後ろへと反らし、そのあとで「ぐぁばああっ」って感じにちぎカルに覆い被さるの。
 後ろに反り返ったりしてるもんだから、余分に時間がかかって、キスする前に、カーテンが閉まった(笑)。

 も、ツボ直撃!! おもしろすぎておかしすぎて、膝を打ったわ。
 まさお、最高!!

 見た目はほんとーにきれいなんだけどなあ、まさちぎ。
 美しい人ふたりで眼福、しかし芸風の差があり過ぎて、なんとも破壊力のあるコンビに。

 雪組版にはない「小雨降る径」のダンスも、なんか調和していない。まさおってほんと、相手役見ないなあ(笑)。
 ちぎくんはあんなに美人さんなのに、何故か素敵にヲカマ風味だし。や、それでこそ男役、頼もしい。

 素敵にヲカマ……なんだけど、オスカルは女々しくなっていた。植爺オスカルは女々しいのが基本だけど、それでもちぎカルは比較的凛々しいオスカルだったのに。
 ドレス姿の小雨は男らしくて、軍服姿のオスカルは女々しい……不思議なまさお効果。


 2回目の他組トップスター特出ということになるんだが、いろいろと違うんだ。
 なにしろ前回の特出はトップスターふたりだったからなあ。
 ふたり分、組子が押し出されていたわけで。
 月組『オスカルとアンドレ編』のアンドレ特出も役替わりも全部観たけど、特出しているのがらんとむでもえりたんでも、特出版の月組子の役は変わってなかった。ひとつずれるだけ。
 それが雪組では、ちえテル時はふたりずれて、まさお特出時はひとりずれるだけとか、出番増える人がいるとか、なんともいびつ。

 特出版なのに、ベルナールが翔くんなんだ、アランが咲ちゃんなんだ、という画面の不思議さ。

 フィナーレの「愛の柩」ではともみんがえりたんの上手横で踊っているし。ナナメ後ろを見れば、あすくんがすげーいい笑顔で踊ってるし。
 特出による、2種類のずれがある、って、やっぱなんか、変。

 まさお特出版を観て、改めて思った。
 ちえテル特出って、なんだったんだろう、と。彼らが悪いわけではまったくないが、ほんと、乗っ取り感ハンパなかったなー。

 劇団のスターランクへのこだわりって、いろいろめんどくさい。
 特出トップスター様と一緒にはできんのだろうが、オープニングのセリ上がりは、ちぎカルも一緒に出してほしかったよ……。
 ちえドレ、テルカルが白い軍服姿で抱き合うようにして登場、は、すごくドラマチックでテンション上がったのに。次の特出時はちぎくんでコレが観られるんだと思ったのに。
 まさドレひとりせり上がり登場して、ますますちえテルが特異だったと思い知らされた。
 劇団事情優先、観客が二の次になっている感じが全面に出ていて、やだなあ。

 特出自体は『ベルばら』名物、お祭りとして良いことだと思ってるんだけどね。
 今さらだけど、『ME AND MY GIRL』の話。

 去年の『フットルース』が心に刻まれすぎていて、「梅芸でタカラヅカ」ってだけで心がヒリヒリする。
 なにかっちゃー去年を思い出して。
 しあわせの記憶は、振り返ると切ない。

 『フットルース』もプレゼント企画いろいろだったなあ。
 と、入口で手渡されたノベルティを見て、なつかしく思い出した。

 ええ。
 あのときもたしか、コマつんグッズばっかり、集まったんだっけ。

 今回も、コマくんグッズがダブりました……(笑)。
 わたし、どんだけコマつん運あんねん。
 コマくんカードどコマくん缶バッチ、ふたつずつget。
 まさか2年連続コマ尽くし(笑)。

、てことで、Bバージョンの話。

 お目当ては、コマくんです。


 パーチェスター@コマ。
 配役が発表になったときは正直「コマくんの得意分野、想像が付く」と思った。コマくんのコメディセンスは周知のことだったし。
 コマつんは少年役者でもあるけど、愉快なおっさんもふつーに得意だよね。

 勝手に「パーチェスターだから、こんなもん」と思っていただけに、登場した瞬間から、驚いた。
 ほら、ちょろっと上の方を横切るじゃん?
 あれだけで、「え?」と二度見した(笑)。

 パーチェスター……?

 パーチェスターって、おっさんぢゃなくてもいいのか!!

 まさかの若者。
 ヒゲなし、たよりなさそーなぼんぼん弁護士。
 絶対こいつ二代目だ、山野先生@『BJ』的立場だ!(笑)

 コマのパーちゃんが『ME AND MY GIRL』という作品に合っているかどうかは、わからない。いわゆる「『ミーマイ』のパーチェスター」ではなかったから。
 ただ、パーチェスターのキャラがチガウだけで、ずいぶん現代的というか、クラシック感が薄れたなと。
 そして、まさおくんの持ち味的に、こういうさらっとした感じの方が、作風としては合っているのかなとも思った。
 まさおの視界を妨げないパーチェスターだなー。つか、とても「タカラヅカ」の、パーチェスターという気がした。ミュージカルのキャラクタというより、タカラヅカの男役スターがやっているパーチェスター。
 強すぎない分、妄想をかき立てられる、よいにーちゃんでしたよ、コマパーちゃん(笑)。


 役替わりのヘザーセット@マギーはもお、もおっ、カッコイイ!!
 なにあのロマンスグレー!!
 「セバスチャン」「ギャリソン」と呼びたくなる、完璧な執事ぶりだわ!←なんとなく、執事というとセバスチャンかギャリソン……(笑)。マギーはギャリソンかなああ。


 ジャッキー@みやるりは、なんかもー、すごい良かった!!
 美女でありながら、微妙なうさんくささというかヲカマ臭がしていて、ナイスジャッキー!
 わたしにとってジャッキーはヲカマ風味でなくてはならないので、違和感ナイ美女では物足りないのだ(笑)。
 配役が発表されたとき、いちばん心配したのは、実は、脚。
 全ツですでに女装しているから、今さらみやるりが女装しても新鮮味はないし、なによりあの鶏ガラ脚を見せられてもなー、と肩を落とした。
 いやいやいや、んなこたぁない、素敵な脚線美じゃった。
 あの見ていて痛々しい、正視に耐えないゴボウ脚から、短期間でこれだけきれいな脚にするんだから、ジェンヌってマジすげえ。


 ジェラルド@かちゃは、センターパーツかわいー。ヘタレ青年は得意分野だよなー。もともと見た目が幼いかわいこちゃんだからなー。
 しかし彼は、いろいろと難しいなと、また思った。
 隣に立つジャッキーがサイズ的にジェラルドと余り変わらないだけに、ジェラルドの小顔さが違和感。
 ふつー、女子より男子の方が顔は大きいじゃん。ジェラルドの顔が小さすぎて、みやるりがどうというわけではなく、他の女性キャラすべて合わせても、なんか不思議なバランスに見えた。
 かちゃを男役として違和感なく置くためには、周囲の娘役を全員彼より小顔にしなきゃいけないんだわ……それってなんつー難題。


 サリー@ちゃぴがますますかわいくて、どうしようかと。
 この子を見ているだけで泣ける。

 ビル@まさおくんは……わたしほんと、ビルって役、好きじゃないんだよなあ。
 おちゃらけているところは役として苦手、紳士になってからなら好き。
 まとぶんビルとどっちがより苦手か、見ながらしみじみ考えてしまった。……ええ、まとぶんピル苦手だったさ……Mr.YUも好きじゃなかったもんでなー。


 わたしは『ミーマイ』という作品自体が好きではないのだけど、もしも贔屓が出演するとなったら悲嘆に暮れていたと思うけど、今回ちょっと考え直した。

 もしも贔屓がビル役なら、たのしいのかもなと。
 『ベルばら』嫌いだけど、贔屓がアンドレだと楽しい、みたいなもんで。
 作品は好きじゃなくても、その役を演じる贔屓を眺める、というだけなら、愉しみ方はチガウ。
 だってタカラヅカは、所詮は「スター」を観に行くものだ。作品が良いに越したことはないけれど、どんな駄作でも、好みに合わなくても、ご贔屓が出ていればリピートするし、それなりに楽しめる。反対に、贔屓が出ていない作品は、作品力が大きくものを言う。駄作だとリピート出来ない。
 ビルはタカラヅカのスターが演じる必要のない役だと思うけれど、だからこそ、「タカラヅカのスター」だと到底することのない下品な動き、滑稽な表情、くだらないギャグをやる姿を見られる。
 他では見られない、はじめて見るご贔屓の姿、を見られるわけだから、その点において、たのしいのかも。
 ご贔屓なら、それがどんな姿であっても、ナニをしても、ひたすら楽しいんだもの。
 だから主演のファンにとって、『ミーマイ』もビルも、素晴らしいものなのかもしれない。

 かなしいかな、わたしはいつもトップスター様のファンにならないので、……つーか、好きになる人はトップになってくれないので(笑)、『ミーマイ』といえば「贔屓が出るとしたらモブ」「せいぜいバターズビー卿」という前提で考えちゃうから、「作品苦手。贔屓に出て欲しくない」になっちゃうんだよな。(花組『ミーマイ』演目発表時)

 ただ、わたしの好き嫌いは、「贔屓が出演するかどうか」によっても大きく変わる。
 なにしろ贔屓が出ていればフタ桁観劇前提だ。
 1回観て楽しい作品と、20回観て楽しい作品はチガウ。
 『ミーマイ』は1回観る分はちゃんと楽しい。役替わりも含めて2~3回までならまだ、大丈夫かな。

 ほんとに、贔屓中心脳なんだなあ、わたし。
 今の植爺『ベルばら』は大嫌い。
 誰か他の演出家に、1から作り直して欲しいと心から思っている。

 でも、植爺が生きている限り、『ベルばら』を正しく作り直すことはできないんだろう。
 いや、死んでも無理なのかもな。劇団は「今の『ベルばら』が狂っている」ことすら判断出来ないくらい、おかしくなっているのかもしれない。

 自分で1から作れるならこうするのに、と自己満足でいろいろ考えて楽しかったけれど、所詮素人の戯れ言。そんなの意味ナイ。
 わかっちゃいるけど、あれこれ考えてしまう『ベルサイユのばら』。だってそれだけ魅力があるんだもん、『ベルばら』にも、そして、「タカラヅカ」にも。

 植爺は決して利権を手放さない。
 ならば植爺の顔を潰さず、彼の懐に今まで通り大金が転がり込む、そのラインは壊さずに『ベルばら』を作り直す方法は、ひとつしかない!

 宝塚グランドレビュー『ベルサイユのばら』を上演する。

 えー、現在の植爺作『ベルサイユのばら』には「グランドロマン」と書かれています。
 提案しているのは、「グランドレビュー」です。

 つまり。

 『ベルばら』をミュージカルでも芝居でもなく、そのままレビューにする。

 台詞なし、歌とダンスだけの『ベルばら』。
 名曲と名場面を使って、豪華なレビューにする。

 演出はショー作家に任せる。でも元は植爺『ベルばら』なので、まず植爺の名前がどーんと来るの、それならいいでしょ?
 ちゃんと銀橋もセリも盆も使うのよ。だって「タカラヅカ」のレビューなんだもん。

 ストーリー仕立てのレビュー、ってことで、せいぜい『ノバ・ボサ・ノバ』くらいに内容がわかればいい。余分な解説は不要。

 オスカル、アンドレ、フェルゼン、アントワネットなど、主要キャラは通し役。
 場面ごとに色を変えるために、けっこー衣装はいろいろ着替えて。
 歌がほとんど、ところどころ台詞はアリ。

 「ごらんなさい♪」ではじまるプロローグ、巨大ケーキから大階段まで登場の派手派手オープニング、そのあとは過去の名場面を時系列順に、ひたすらショー仕立てに。
 少女時代のアントワネットがガラスの馬車でかわいく歌えば、おもちゃの兵隊さんとフランス人形が踊るメルヘンな場面に、「ああパリの夜♪」と仮面舞踏会、「オー、プランタン♪」「陽気な近衛兵♪」とベルサイユ生活満喫キラキラ場面、「ザマスザマスソング」の貴婦人たち。
 フェルゼンとアントワネットの小舟の場面を元にしたラブラブ場面、幻想的なダンス付きで。
 「まぬけな衛兵隊♪」も「おれたち衛兵隊♪」も両方やっちゃえよ、衛兵隊のダンス場面、コミカルなのと荒くれてるのと。
 毒殺場面をダークに耽美なダンス場面として再構成、闇に染まったアンドレの内面を表す影たちが踊り、アンドレを翻弄したり、オスカルを弄んだり。影とアンドレが入れ替わり、黒アンドレ全開になったり。そっから今宵一夜になだれ込んだり。
 アンドレの死をそこだけミュージカルっぽくやって、バスティーユはそのまま再現。やっぱオスカルの「シトワイヤン、行こう~~~っ!」はなくちゃね。
 その後ふたりの天国ダンスはさらにグレードアップして、ガラスの馬車も飛んでいいよ。
 「フランスの女王なのですから!」も『スカーレット・ピンパーネル』のギロチンダンス的な場面の〆として使って。
 「ゆけフェルゼン」も激しいダンスナンバーに。フェルゼンがえりたんなら鞭は必須だしな!(笑)


 よーするに植爺『ベルばら』の嫌なところって、植爺価値観によるキャラクタ破壊と、カーテンと暗転の連続、書き割りだけの粗末なセット、一列に並んでのひと言台詞と立ち話、だらだら無駄な説明台詞垂れ流し、眠いだけの場面だらけ、ってこと。
 ダンスなど動きのある場面はなく、歌というとストーリーと無関係に主要キャラが銀橋を渡りながら1曲ひとりで歌うだけ。
 盛り上がらないこと、この上ない。

 全編ショーにしてしまえば、植爺の原作レイプ台詞は出てこないし、専科さんがどーでもいいことを何十行も立ち話するだけのつまらない場面もなくなる。
 みんなが知ってる名曲、名場面をショーアップし、舞台機構をがんがん使って、ダンスも出番もふんだんに、「これぞタカラヅカの顔、『ベルばら』でござい!」というレビュー作品を作る。

 ソレで十分楽しい『ベルばら』になると思うんだけどなあ。
 植爺がいる以上、芝居としてはもう無理だよ、別ジャンルで作り直そうよ。
 フェルゼンを主人公に物語を構成するなら、どうするか。自己満足上等、頭の体操、楽しく『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』をいじくってみる。

 第2幕は革命。
 ここで描くのは、バージョンアップして「最終形態」になったフェルゼン。
 もうなにごとにも動じない、人生悟り済み。愛に生きる、アントワネットのそばを離れない。
 だから、革命勃発、誰もが国王一家を見捨てて逃げ出す中、フェルゼンだけは決して見捨てない。
 国王一家救出に奔走。
 しかし歴史の流れを止めることは出来ずに、アントワネットは処刑される。

 構成としては、最初に「最終形態へ変化」、フランスへ戻って「両思い」、革命勃発で引き裂かれ、危険を冒して再会、はじめて結ばれる「成就」、そしてアントワネットの死による「永遠の別れ」。

 流れとしては「別れ別れ」→「再会して愛爆発!」、「別れ別れ」→「再会して愛爆発!」、の繰り返し、上がって下がってのジグザググラフみたいな感じ?

 2幕オープニングは、なんと戦場から。
 幕開きはショーパートだからねー、派手に群舞が必要。
 アメリカ独立戦争です、ええ。そこでかっこよく戦うフェルゼン。
 ダンスの合間に「愛に生きるぜ俺は」的な歌を歌ったり?
 戦友との会話をちょろっと入れて、フェルゼンがいるのがアメリカ遠征軍だということを観客に伝え、かつ、「死亡フラグ」をわざと立てる。
「恋人がいるんだろ? 何故志願してきたんだ?」と、ナニも知らない戦友。
「天に問うためさ。生きて戻ることが出来たなら、この命、愛のためだけに捧げる……たとえ、それが罪であっても」
 「この戦闘が終わったら、結婚式だ!」が死亡フラグであるように、この思わせぶりな会話のあと、フェルゼンは仲間をかばうなりして凄絶に撃たれるのだ。
 フェルゼン、死んじゃうの?! と観客をびっくりさせつつ、場面転換。

 いつものベルサイユ。戦場とうってかわって、対照的に華やかに。
 そこで贅沢三昧、一部の取り巻き以外にはすっかり嫌われているアントワネット。オスカルはそんなアントワネットをたしなめるけれど、アントワネットには通じない。
 華やかに無神経に過ごしていながら、アントワネットが孤独であることを表現。
 そこへ、悟りを開いたフェルゼン登場。
「この命も心もすべて燃えつくすまで、アントワネット様におささげいたします」
 生と死の狭間で、ほんとうに大切なモノがナニかを知ったんだな。

 フェルゼンは、王妃としてアントワネットにどう生きるべきかを語る。教える。
 私欲で群がってくる貴族たちを遠ざけろ、ぜいたくをするな、公務を果たせ……王妃として当たり前のことをしろと説く。
 自分は影として、表には出ず、アントワネットを支える覚悟。
 だからその思いのまま、オスカルに会う。「わたしの分もアントワネット様をお守りしてくれ」
 フェルゼンを愛しているオスカルは苦しむけれど、なにしろ最終形態フェルゼンなので、その毅然とした姿に感じ入り、自ら恋に終止符を打つ。
 アンドレとの会話でそれを表現し、「1幕ラストで黒オスカル、黒アンドレに見えたけど、なんだ、ちゃんとふたりともいいキャラじゃん!」とフォローしつつ、オスカルにはアンドレがいるから大丈夫だよなと匂わせて。

 革命の説明は最小限に。
 アントワネットの今までの行いがツケになって、とんでもない状況になっているとだけわかればいい。
 フェルゼンに「アントワネットを頼む」と言われたオスカルだけど、民衆に対しての考え方はまったく逆、相容れないことを表現。アントワネットは平民たちを武力で押さえつけることを当然としている。
 ふたりの亀裂から、「革命」の派手な場面へ。
 オスカルと衛兵隊センターでの群舞でもなんでもいい、あーゆーノリで。しかし、あまり尺は取らないし、ここはメインではない。
 本舞台でドンパチやって「革命だーー!」とか騒いでいるときに、花道から銀橋へ、フェルゼンと従者のやりとり。
「フランスへ行くなんて、死にに行くようなものです!」と止めるのを振り切って。
 革命のダンスやコーラスの最中、愛に生きるフェルゼンの歌声が響く。

 そして、オープニングへつながる。
 革命の大騒ぎ場面で、オスカルもアンドレも倒れた。
 しんと誰もいなくなった舞台にひとり立つアントワネット。
 そこへ登場したフェルゼン、オープニングと同じ台詞、

「ともに死ぬためにもどってまいりました…
あなたの忠実な騎士(ナイト)にどうぞお手を…」

 ここでふたりの愛は晴れて「両思い」になる。
 なにしろ、「いまこそ、あなたの盾となり、あなたをささえ、あなたを愛するのはこのわたくしなのだと…ハンス・アクセル・フォン・フェルゼンなのだと、フランス国民のまえに名のりでましょう!」だからなー。
 ここで2幕はひと区切り。

 2幕後半、まずは不穏な、なにかに追い立てられるような感じで、国王一家がパリに移され、ヴァレンヌ逃亡事件→失敗と出来事を早回しに。細かいことはいいから、あらすじだけをフェルゼンが語ればヨシ。
 場面としては、逃亡失敗でアントワネットたちが民衆に罵られるところだけでもいいかもなー。
 それによって国王一家の立場がさらにやばいものになった、追い詰められてさあ大変!な状況だとわかればいい。

 そんな国王一家を救おうと、必死になっているフェルゼン。
「プロシアもロシアもオーストリアさえ……ヨーロッパの王のだれひとりとして力をかしてくれる者はいなかった……」
 ということで、ひとりでテュイルリー宮へ忍び込むために、がんばる。忍び込むのはひとりだけど、協力者はいていいから、この「忍び込み」場面をサスペンス的に盛り上げる。侵入するために、フェルゼンは仮面着用。……んな姿だとますます怪しいってもんだけど、伏線なんで大目に見てくれ。

 そして苦労の末、フェルゼンはアントワネットと再会する。
 これが、最初で最後の夜。ふたりははじめて結ばれる。

「あなたのためにアントワネットは生まれてきました。この髪もこの胸も、血のさいごのひとしずくまで、すべて、すべてただあなただけのものです」……アントワネットのこの壮絶な台詞が好き。だからこの場面こそが、ふたりの愛の絶唱。

 ふたりを裁く者は、ただ神のみ。

 そーして結ばれたあと、「成就」したんだからハッピーエンドへ転がるかと思うとそうじゃない。
 せっかく命懸けでやってきたのに、ルイ16世もアントワネットも、脱出を拒む。
「国民との約束を破るわけにはいかない」……ふたりとも、国王として、王妃として、全うしようと覚悟を決めている。

 植爺版の「牢獄」場面に相当する「最期の別れ」だけど、アントワネットは突然「母なんです」と子どもを免罪符にしたりしない。
 王妃として務めを果たそうとする。

 フェルゼンを見送るアントワネット、ふたりの最期の別れには、あざとくふたりの出会い、仮面舞踏会が本舞台で再現される。
 テュイルリー宮侵入のためにフェルゼンが付けていた仮面は、あのときと同じ。
 アントワネットも何故かあのときの仮面を付け、時が戻ったかのように華やかな世界が展開される。

 そこには、死んだはずのオスカルもアンドレも、その他時代を彩った人々すべてが登場する。
 美しいベルサイユ。美しいパリ。
 華やかなテーマソング、わっかのドレスの貴婦人たち、宮廷服、軍服の貴公子たち、これぞタカラヅカ!!
 出会うべくして出会った、運命のふたり、フェルゼンとアントワネットが踊る。
 愛を歌う。

 そこからアントワネットひとり、後ろの階段を上っていく。
 貴族たちだけじゃない、舞台には民衆たちもいる。
 すべての登場人物たちが人形のように静止して見守る中、アントワネットは消え、取り残されたフェルゼンが永遠の愛を歌って幕。
 主人公にするにはエピソードが足りなさすぎて、脇一直線の原作フェルゼン。彼を主人公に、わたしならどうするか。
 『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』自己満足語り、続き。

 1幕は三角関係。
 恋愛はエンタメ、好いた惚れただけで十分ドラマになる。
 アンドレ→オスカル→フェルゼン→アントワネット。
 フェルゼンとアントワネットは両思いだけど、この中でアントワネットひとり人妻。誰ひとり手放しでハッピーにはならない布陣。
 アンドレまで書いている暇はないだろうからそこは投げっぱなし上等、ただ画面に入れておけば役者が勝手に芝居するし、観客も脳内補完するだろう。
 メインはフェルゼン、アントワネット、オスカルの3人、三角関係。

 「出会い」-仮面舞踏会、「恋が深まる過程」-落馬事件ときて、あと必要なのは「障害」と「別れ」。

 原作で、フェルゼンは二度フランスを去っている。
 まだ恋愛以前、淡い感情のうちに一度去り、次は本気で恋愛爆走したあと、戦争へ行くことで去っている。
 短い舞台で2回「別れ」をやるのはややこしいから、ここはひとつにまとめる。
 てことで、フェルゼンがフランスを去るのは戦争ネタのみにする。

 主人公はフェルゼンなので、彼の心や行動を中心に物語を組み立てなければならない。
 運命の人アントワネットと出会った、だけど問題山積み、自分ではどうしようもない、んじゃあとは天命を待つ。
 戦争に行き、命ぎりぎりのところで人生を考え直す。

 だから1幕ラスト場面は「出征するフェルゼン」。
 いろんなことに行き詰まり板挟みになり、こうする以外なかった……というところまで、彼が追い詰められる。
 と、このラストシーンを目標に、「障害」をぶち上げる。

 なんでフェルゼンとアントワネットの恋が禁忌なのかというと、不倫だからだ。まあ、身もフタもない(笑)。ただの不倫なら略奪愛もアリかもしれんが、アントワネットはフランス王妃だった。国がかかってきちゃーどーしよーもない。

 落馬事件のころは、アントワネットはまだ責任のない王太子妃だった。
 でもそのあとすぐに国王崩御、アントワネットの夫が国王になる。
 立場が変わったのだから、以前のように無邪気に青春していられない。

 障害としてフェルゼンの前に立ちふさがるのは身分、立場。世間の目。
 自分が悪く言われるだけならかまわないけど、より攻撃されるのはアントワネット。
 だから彼は、身を引くしかなくなる。

 この「障害」を「メルシー伯爵の何十行にも渡るお説教」で説明するのではなく、貴族の人々、平民の人々の歌やダンスで表現すればいいんじゃね?

 そんななか、落馬事件でそれぞれ愛やらとまどいやらを歌ったテンションの続き、同じ曲で、フェルゼンとアントワネットは「わすれてください今は、わたくしが王妃であることを!」「アントワネット様、お慕いしておりました……!」で盛り上がり。
 おいおい、落馬事件のころと立場チガウし、周囲の目も違ってるんだけど? と、ラヴラヴシーンの背景に不穏な空気を混入。

 その一方で、オスカルもアンドレを話し相手に苦悩中。
 オスカルには周囲の反応が見えている。このままではフェルゼンのためにもアントワネットのためにもならない。

 わかりやすくするために、アンドレに思考を導いてもらうとか。
「いちばん手っ取り早く、お前の立場的にも正しいのは、王妃の不倫を糺弾し、フェルゼン伯爵を追放すること」
 そんなことできるわけない、王家を守り、世間の溜飲を下げられるとしても、それじゃアントワネットもフェルゼンも傷ついてしまう。
「心がなにより大切ってことで、ふたりの恋を応援するか? 国も義務も関係ない、愛こそが至高だと」
 そんなことできない、他国から嫁いだ王妃の不倫、国内だけでなく、へたすりゃ国際問題、国家存亡まで言及する事件。
「じゃ、どうするんだよ。ま、このまま放置しておけば、いずれどちらかの結末にたどり着くだろうよ」
 不倫をやめさせ、フェルゼンに咎を負わせるか、不倫をこじらせ国際問題に発展し、フランス自体が傾くか。

 突きつけられる救いのない二択は、オスカルだけでなくフェルゼンにも届いている。(アントワネットにはまーーったく届いてない・笑)
 苦悩するフェルゼンとオスカル。
 フェルゼンの後ろではアントワネットが「愛してる~~、この愛ナシでは生きていけない~~♪」とか歌い踊り、さらにフェルゼンを追い詰める(笑)。
 苦悩するオスカルの後ろで、アンドレがぽつんと核心を突く。
「3つめの選択肢もあるんだけどな。国のため、ふたりのためだという顔をして別れさせ、傷心のフェルゼン伯爵の心をオスカルが捉える」
 ザ・魔性の女コース。

 1幕のテーマは三角関係、オスカル様にも恋愛要素をがっつり担ってもらいましょう。
 アンドレの「魔性の女」発言のあと、ぴたりと音楽やみ、オスカルは苦悩から突き抜けて、フェルゼンのもとへ。
 アントワネットとの不倫が問題になっていると忠告に行く。
 原作知らない人からすれば「え、オスカル、自分の恋大事で、ふたりを別れさせるの?!」と取れる行動、ミスリード。アンドレにしても「オスカルに卑怯な真似をたき付けるひどい男?」とミスリード。

 ただし、オスカルの忠告以前に、フェルゼンは心を決めていた。
「アメリカ遠征軍へ志願した」
 オスカルがーーん! 別れてくれとは言うつもりだったけど、戦場へ行けとは言ってない!! 「生きて帰れるかどうかさえわからない!!」
 後ろにいるアントワネットも遅れてがーーん!
 生きて二度と会えないかもしれないのに、アントワネットはフェルゼンのもとへ行けない、彼女の嘆きの歌声を遮るようにセリが上がり、盆は回り、アントワネットはフェルゼンから遠ざけられる。
 アントワネットを取り巻く壇上の貴族たち、登場してくる兵士たち、フェルゼンもまた銃を取り、兵士たちのセンターに立つ。
 わかりやすく台詞で言ってもいいかもね。
「これ以上アントワネット様のおそばにいれば、あの方の立場を危険なものにしてしまう。だが、あの方のおそばにいて、この燃え上がる情熱を押さえつけることは出来ない」……わざわざ「真実の愛? それはなんだ?」とどーでもいいことをだらだら演説したりしない、独白としてぴしっと終了。
 アントワネットは玉座を思わせる高台から涙ながらに、オスカルは本舞台で剣を抜いて捧げ、貴族たちはそれぞれダンスなり歌なり役目をこなし、イケコの1幕ラスト的に盛り上がりつつ、「この愛がゆるされないというならば、天がわたしを裁くだろう」……マント付きフェルゼンが銀橋で見得を切って、幕。
 『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』を楽しく遊ぼう!
 ってことで、わたしなら「フェルゼン」を主役にこう物語を作る、という自己満足ネタです。


 フェルゼンを主人公に1本書くなら、彼の「成長」を丁寧に追わなくてはならない。
 彼自身にアクションが少なくても、メンタル面で大きく変化してくれるなら、それは十分ドラマになる。

 てことでまず、1幕は三角関係、2幕を革命と位置づける。

 1幕はフェルゼン、アントワネット、オスカルのメロドラマ。華やかなフランス宮廷モノ。
 タカラヅカなんだから、エンタメなんだから、美しく華やかに、楽しいものでなければ。
 そして主人公は、カッコ良くなくては。
 フェルゼンはフランスでの人間関係を通して成長するのよ。自分の生き方を見つめ直すのよ。

 で、覚悟の出来たフェルゼンが、2幕では革命と闘うのよ。
 誰もが沈む船から逃げ出してゆくのに、フェルゼンひとりアントワネットのもとへ行くのよ。
 愛する女性とその夫、その子どものために、命を懸けるのよ。

 『若き日の唄は忘れじ』でも思ったけど、男子のドリームだよねえ、「初恋の人(今は人妻)とその子どもを守って闘う」って。決して自分のモノにはならないひとのために、命を懸けるハードボイルド。

 もちろん悲劇エンド。断頭台へ上るアントワネット、遠い異国の地で自殺しようとするフェルゼン、それを止める従者。処刑の朝に牢獄にフェルゼンが現れるなんて無理のありすぎる設定にはしませんとも。
 アントワネット本舞台奥、フェルゼン銀橋で、別の場所でリンクさせりゃー済む。


 と、ストーリーラインは決まったので、あとはエピソード。

 1幕は三角関係、メロドラマ。
 だから必要なのは、「出会い」「恋が深まる過程」「障害」「別れ」ですな。
 「両思い」と「成就」は2幕でやるので、1幕は別れるまで。

 タカラヅカにおいて「出会い」って軽んじられがちだけど、1本物ならちゃんと描きたいよなー。
 てことで、ストーリーの最初は、仮面舞踏会。
 前述の派手派手オープニングのあと、一旦スクリーン下ろして、舞台左右にピンスポ。
 アントワネットとオスカル。
 ちょっとコミカルに、かわいらしく、「お忍びでパリへ仮面舞踏会へ行くの♪」「とんでもないことです!」「仮面を付ければ王太子妃だとわからないわ」
 アントワネットは無邪気な少女。

 スクリーン上がって、仮面舞踏会。オープニングの人々が仮面付けただけだったりしてなー。
 そこに、さっき銀橋を従者と歩いていたフェルゼンもやって来る。
 留学の一貫、パリで社交の勉強ですから。

 仮面舞踏会で出会い、共に踊って恋に落ちるフェルゼンとアントワネット。どこの『ロミジュリ』? みたいな感じで(笑)。

 そこへ割って入るオスカルのキメ台詞は原作まんまヨロシク。

 はい、運命のふたりフラグ、わかりやすくフェルゼンとアントワネットだけ舞台に残り、愛の予感を独白したり歌ったり。

 ふたりだけの場面の次は、にぎやかな宮廷シーン。
 ベルサイユ宮殿にて、フェルゼンは堂々とアントワネットのもとに行く。ふたりとも下心がないから「友人」として会う。
 モブの人々に、どんだけフェルゼンがステキかは語らせておいて、そのざわめきのなか、オスカルだけがフェルゼンとアントワネットの関係に危惧を抱く。

 で、このまま「恋が深まる過程」として、アントワネット落馬事件をやる。

 馬でなくてもいい。舞台で落馬は描くのが難しいというなら、舞台ならではの出来事に置き換える。テーマさえブレなければ、出来事自体は変更OKのはず。
 アントワネットが他愛ないわがままを言い、それによって不慮の事故が起こる。そしてオスカルがアントワネットを助けてケガをする。事故なんだけど、きっかけはアンドレだから、アンドレが死刑になる……ところを、オスカル、フェルゼン、アントワネットの嘆願で命拾い、事なきを得る。
 という流れさえ同じなら。
 たとえば、アントワネットがお気に入りの侍女たちとお芝居をすると言い出した。アンドレも裏方として借り出されるが、つまずいてセットを倒してしまう。
 それでアントワネットがあわや下敷きに……!というところを、オスカルが身を挺して救い、……で、あとは原作通りの流れ。

 アントワネット落馬事件は、大きな意味がある。
 第一に、アンドレがオスカルを愛するきっかけになった出来事。それまでは「気の置けない親友」だったのに、一気にメーターが動いた。
 そして、オスカルもフェルゼンに惹かれるようになった出来事として、展開させていいと思う。
 ここでフェルゼン、自分はまーったく無関係なのに「わたしも正義のために死ねるぞ」と命懸けでアンドレの嘆願に名乗り出ている。小さなコマでさらっと流されてるけど、すげー格好いいエピソードなんだよ、フェルゼン的に!

 「はじめて出会ったときから」連呼は植爺だけでいい。つかわたしは、植爺の「一目惚れ神話」が大嫌い。
 運命の恋=一目惚れ。
 理由はいらない、だって一目惚れだから、だって運命だから。
 それ、ただの手抜きじゃん?

 出会ったときはなんとも思ってなかった。
 でも、その人となりを知るに従って、惹かれていった。
 その過程だって、大切な「運命の恋」だ。何故否定するんだ、植爺。

 フェルゼンとアントワネットは「運命の恋=一目惚れ」でいい。
 ならば他はそれ以外であるべき。
 登場人物全員が「はじめて出会ったときから」と一目惚ればかり語る、植爺恋愛が嫌。
 はじめて会ったときに「種」はあったとしても、花開くのは先の話。
 それを否定する価値観が嫌。

 てことで、アンドレはここではじめてオスカルに、オスカルもまたここではじめてフェルゼンに惹かれる。
 アントワネットもまた、フェルゼンの男らしさに恋愛メーター上昇。

 で、ひそかに重要なこと。
 ケガをしたオスカルを手当てしようと駆け寄ったフェルゼンが、アンドレはじめ、他の者たちに阻まれる。
「男同士でもからだは見せられないというわけか、王族でもあるまいに!」
「オスカルは女だ!」

 そう、フェルゼンが、オスカルが女だということを、はじめて知る。

 オスカルはふつーに「男」。知らない人が見れば、美青年。なよなよしてない、内股で歩かない、膝を揃えて女子坐りしないっ。
 だからフェルゼンは、あったりまえにオスカルを男だと思っていた。

 はい、にぎやかなシーンのあとは少人数シーンです、それまで意識していなかった相手にときめくアンドレとオスカル。
 アンドレはここで「おまえが今日このおれのために命を懸けてくれたように、いつかおまえのためにアンドレはこの命をかけるぞ」のキー台詞。
 オスカルは原作にはんなもんないからてきとーに「フェルゼン、なんと高潔な男だ。あんな男にはじめて会った」とかつぶやいていて。
 アントワネットは定例の「フェルゼン素敵、ドキドキ」をやっていて。
 フェルゼンひとり、「あ、あいつ……女だったのか!」と愕然(笑)。
 いやいや、それだけではなく、フェルゼンはアントワネットの優しさ、宮廷人にあるまじき正直さ、素直さにめろめろなんだぜ、と独白。なんせ、平民のアンドレの命乞いのために、ルイ15世にひざまずいて懇願するんだもん。

 四人模様の心が揺れる。
 なにしろ1幕は三角関係メロドラマですから。掛け合いソングでもなんでも。


 「出会い」と「恋が深まる過程」はクリア、次は「障害」です、続きます。
 夏の雪組の振り分けが出ました。

 全ツ、バウ、DCの3つに分かれることがわかった。



 いやあ、アリエナイとわかってはいても、やっぱそうだよなと肩を落としました(笑)。
 まっつの立ち位置的に全ツしかあり得ないわけで、でも全ツの芝居は役がないし、ショーは岡田せんせだしで、あまり積極的に出て欲しい公演じゃなかったのな。

 ディナーショーだったらいいなあ……。

 BJの影メンバーを引き連れて。

 そんな夢を見ていました。
 や、ありえないっすよ。『BJ』主演したとこだもん。年に2回も主演とか、どこの大スター様なのよ、2年連続主演でも青天の霹靂なのに、これ以上の扱いがあるわけないじゃん!

 ま、そんなアリエナイ夢を見るほど、全ツが不安だったわけですね(笑)。

 『若き日の唄は忘れじ』だと、まっつはなんの役をやるんだろう。
 はっちさん出演ってことは、パパの役はまっつじゃないな。
 ……えりたんパパの役が回ってくるかもと、可能性があるとマジで思ったもん(笑)。
 つーと、あとありえそうなのは、ナガさんの役とか……?
 全ツ2番手出演、なのに、専科さんの役かもしれない、と考えてしまうあたり、因果な人に惚れたもんだ。
 持ち味的に逸平も与之助もチガウからさー。どっちかっつーとパパとか師匠とかだもんよー。
 今までもさんざん、専科さんっぽい役はやってきているので。

 今さら16歳のきゃぴるんした役をやるんだろうか……。
 脳筋子沢山男の役……? ちぎくんでも苦しかったのに? マリコさんの体格と持ち味あっての役だもんよ……小柄で華奢な人がハマる役じゃない。
 ドジっこメガネくん役……? オサ様時代のまっつならハマリ役だったろうけど、今のおっさんキャラ・ラスボスキャラになってからだと、なかなかプレイ感漂うな……。

 16歳が平気なえりたんは、ほんとフェアリー……。

 まつださん、16歳やるのかな……?
 キムくんですら、『フットルース』のとき「18歳の役!!」ってトピック的にくり返してたのに。キムくんより若い役って……。

 や、ほんとに16歳役来たら、心を改めて駆けつけますとも!!


 そしてショーが不安だ。
 過去に振り回されるべきではないのだろうけど、岡田ショーのまっつの扱いの酷さはトラウマレベルだからなー。
 初日の客席でプログラム開いて、真っ青になってまっつメイトにメール打ったなああ。
 あー……なつかしいわねえ……。

 『ナルシス・ノアールII』がどんなショーになるのかわかんないけど、たとえば「アンダルシア」があったとして、えりたんとガチで踊るのはまっつではないんじゃないかとか、悪いことばかり想像してへこむ(笑)。

 すーぐ悪い方へ想像してガクブルするのは、過去にいろいろあるからですわね。
 はじめての2番手全ツだー、ショーだー、と思ったら、センター場面皆無だった『ロック・オン!』や、はじめての3番手だー、本公演ショーだー、と思ったら、見せ場も出番もなく階段降りも3番手じゃなかった『RSF』とか。

 ナニが起こるかマジわからんので、ショックを最小限に抑えるために、勝手にガクブルしちゃうんだわー。防衛本能ってやつっすね。

 全部全部、杞憂でありますように。
 フタを開けてみたらすげー楽しい全ツで「なんでもっとチケット取ってなかったんだろう!」と自分を責めるような、まっつ充の出来る公演でありますように。

 や、ナニがあったって付いていくだけなんだけどなっ。


 翔くんバウのヒロインがせしこ、2番手が大ちゃん。
 なんとも麗しい並び!! 美形揃い。

 ……ただ、最初に思ったことが、歌はどうなるの?!でした(笑)。
 主要3役が全員歌が超苦手な人たちばかりというのも、最近ではけっこーめずらしい?
 と考えて、あ、去年『双曲線上のカルテ』やってたっけ、と思い直した(笑)。

 ヒロインも2番手も上級生、というとカチャバウを思い出します。劇団が「絶対失敗させない」という意気込みで配置している感じ。ああ、そーいや演出家も劇団推しの原田せんせか。
 他の出演者もがっつり固めてきたなという印象。

 ただ、原田作品はなああ。小劇場公演ですら、真ん中以外は全員モブだからなああ。
 あすくんまた、原田バウかぁ。全ツに出て欲しかったなあ。


 バウで総モブ状態でも、まなはる、あすくん、おーじくん、永久輝くんはDSがあるわけですな。
 ちぎくん初DS!
 いいなー、楽しそうだ。
 中村Bならおかしな演出もしないだろうし、正統派に楽しめるショーになりそう。

 まずはポスターが楽しみ。
 きっと美しいだろう。



 全ツのチケットは、もちろん1枚も持ってません。
 初日を観てから決めるかなあ……なにしろびびりなもんでなあ。いや、でも、『RSF』だって結局はリピートしてたわけだしなあ。

 仙台って、どうやって行くの? いくらかかるの?
 行ったことないからさっぱりわかんにゃい。
 

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