大昔に読んだオースン・スコット・カードの小説で、最初の方にもったいつけて出てくる詩があった。
 それがちっとも良いと思えない、陳腐な詩で。なんでこんな詩をありがたがってもったいつけてんだ? と、当時ハタチそこそこだったわたしは思ったもんだった。
 ところが、その分厚い本を読み進み、主人公と共に数多の冒険を、別れと涙を繰り返したあと、クライマックスで再びその詩と出会ったとき……涙が、止まらなかった。
 なんの想いもなく、素の状態で読めばただの陳腐な文字の連なりでしかないのだけど、物語を読んだあとでなら、その言葉たちにどれほどの意味があったのかがわかる。愛があるのかが、わかる。

 立樹遥お茶会『My dear New Orleans/ア ビヤント』、ムラ最後のお茶会で、しいちゃんがわたしたちへのプレゼントとして選んだ曲は、「宝塚歌劇団団歌」だった。

「団歌を歌います」
 と、しいちゃんが言ったとき、客席はぴよ?となった。ダンカってのが、どんな字を書くのか、咄嗟にわからなかった。どこの言語? たとえばドイツ語とかで、別の意味のある曲なのかとか?
「団歌があったんですよー、みなさんご存じないでしょ?(笑)」 
 みたいなノリで、もちろんそんな内輪な曲のカラオケが用意できるわけもなく、しいちゃんは「アカペラで歌います」と宣言して、マイクを持って立ち上がった。

 たしかに、知らないよ、団歌なんて。
 校歌とか社歌とかは、あくまでも身内のみで歌い継ぐもので、お客様に聴かせるものではない。

 が。

「宝塚 我が宝塚 清く正しく美しく♪」

 歌い出した曲はまぎれもなく……。

 知ってる。まちがいなく、知っている。てゆーか、歌える。

 すげー耳馴染みあるんですけど。TCAとかで歌いまくってるだろコレ。

 これって、団歌だったのか!!(白目)

 校歌とか社歌とかはふつー身内だけで……客に聴かせるものでは……なのにああなのに宝塚歌劇団、金を取って客に聴かせていたのか。さすがだよ歌劇団。

 タカラヅカに五万とある自画自賛ソングのひとつでした、団歌。
 まあね、たしかに団歌なら、自画自賛していてもおかしくないんだけどね……ソレをふつーに客に聴かせるからアレなわけで。

 タカラヅカのナニが嫌って、あの自画自賛ソングですよね。私はフェアリーだとか、フォーエバーだとか、人は夢見る懐かしの宝塚だとか、自分で言うな! 謙虚の美徳を知らんのか! てなもんで。
 ヅカにハマった当初、ドン引きしましたもん、自画自賛とか自慢とかする人は恥ずかしいって言われて育ったので、そんなことするのはかっこわるいと思っていたので、ヅカの手放しの自慢タレぶりにはあきれてました。
 ……今はもう慣れたので、なんとも思わないけどな。
 わたしはもうなんとも思わないし、耳慣れた分ノリノリで歌えるけれど、一般人には聴かせたくない、ドン引きされる、というくらいの分別はある……まあそんなこんな。

 と、長々語るくらい、ヅカの自画自賛ソングは痛いと思っている。
 ドン引きした初心だって、忘れてないさ。

 なのに。
 ああなのに。

 しいちゃんの歌う「痛い自画自賛ソング」で、ダダ泣きした。

 歌だけ抜き出して聴いたら、ドン引きするよ。なにも知らない一般人に「自分素晴らしい、自分栄光!」なんて歌ってる歌、しかも昭和歌謡モロなメロディで歌われたら、大笑いされるか、マジで気持ち悪がられるかだって。

 歌だけ、歌詞だけならほんと、どーしよーもないんだって。
 それはわかってる。
 でも。

 歌だけじゃない。歌詞だけじゃない。
 そこにたどりつくまでに、どれほどの想いがあり、どれほどの時間があり、どれほどの物語があったのか。
 それがあるからこそ、わかるからこそ、どんな歌詞であろうと、心を揺さぶるんだ。

 宝塚 我が宝塚。1番は歌えるけれど、さすがにその先は3番までと言われてもわかんない。わかんないけどまあよーするに、最初から最後まで自画自賛。ただソレだけの歌。
 
 だけど。
 タカラヅカを卒業するにあたって。
 なにかを最後の記念に歌うってときに、よりによってこの歌を選ぶ、ということ。
 他に想い出の歌でも、かっこいい歌でも、流行りの歌でも、選択肢は山ほどある。
 それでもしいちゃんは、この歌を選んだ。

 タカラヅカへの誇りを、タカラヅカへの愛を、歌った。

 自分が生きた場所を誇れる人。愛せる人。
 自分自身の生きてきた道を、人生を、決断を、胸を張って肯定できる人。

 それらがまるっと、この歌にこめられていると思った。

 自画自賛でアホみたいな歌詞、アホみたいな歌。
 だけど、この歌でダダ泣きできる自分で良かったと思う。

 タカラヅカを愛し、立樹遥を愛してやまないからこそ、涙が止まらない。

 最初はのりのりで手拍子していたけど、途中からはそれどころじゃない。ハンカチカオに押し付けて、嗚咽堪えるので必死だ(笑)。

 しいちゃんが好きだ、しいちゃんが好きだ。
 しいちゃんがしいちゃんとして、わたしの前に在ってくれた、タカラヅカが好きだ。

 こんな自画自賛ソングを臆面もなく公演で金を取って客に聴かせる厚顔な劇団だけど、そんなとこも全部ひっくめるて、ダイスキだ。

 好きだから、こんなアホな歌で、こんなにこんなに感動する。
 気持ちがなければ、記憶がなければ、経験がなければ、こんなことにはならない。
 昔読んだ小説のように。

 
 最後に劇団への、そしてそこで生きた「男役・立樹遥」への、誇りと愛を歌ったしいちゃん。

 「本日の主役」という、これまたおバカなタスキを掛けたまま、それでもその姿はとてつもなくかっこよかった。
 涙で曇ってにじみながら、ただもう美しくて、切なかった。

 
 わたしはあまりジェンヌのお茶会へは行かないのだけど。
 しいちゃんのお茶会は、行くことが出来て、ほんとーによかった。

 ありがとね、サトリちゃん。サトちゃんがいなかったら、一度もナマのしいちゃん会うことなく終わっていたよ。
 「宝塚歌劇団団歌」なんてものすごい歌で、号泣することもなかった(笑)。

 ありがとう。

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