謎と渾身のツッコミ。@彩吹真央お茶会『風の錦絵/ZORRO 仮面のメサイア』
2009年3月29日 タカラヅカ「谷先生のいちばんの失敗は、年表を作れないことだと思う」
と、友人たちが言ってましたが。
ええ、『ZORRO 仮面のメサイア』の謎についてです。
物語の中に異人種間での哀しい争乱が何度かあるようなのですが、それらがいつ起こったのか、そのとき主人公たちがいくつで、どこでどうしていたのか、誰もわからないのです。
観ている者にはわからない。
では、演じている人ならわかるんじゃね?
という期待もありました、彩吹真央お茶会『風の錦絵/ZORRO 仮面のメサイア』にて。
Q.メンドーサ大佐はいくつですか?
Q.メンドーサ大佐の両親がインディアンに殺されたのは、いくつの頃ですか?
Q.幼なじみだという、ロリータやディエゴとの関係はどんな風でしたか?
ネックは、「幼なじみ」。
一緒に育ったならば、メンドーサの両親のことはロリータもディエゴも知っているはず。
なのに彼らは、ナニも知らないようだ。
そんな幼なじみアリ?
また、事件を知りようもないほど幼い頃の、大昔のことだったというならば、それによってインディアンを憎んでいるメンドーサと、インディアンの血を引くディエゴが「幼なじみ」で仲良くしているのはおかしい。
このへんの謎は、舞台で表現されていないだけで、じつはきちんと設定があるのかしら。
と、思ったら。
A.メンドーサは27歳。ディエゴも同じくらい、ロリータは少し下。
A.メンドーサが思春期の頃、両親が殺された。
A.幼なじみと言っても、それほど仲が良かったわけではない。
「……んじゃないかなと、水さんと話しています」
公式設定ナシかよ?!!
キャラクタの年齢は淀みなく答えていたので、公式設定かもしれませんが、それ以外は「……と、思います」「……じゃないかなと思っています」って……演出家はナニも考えてないのか。
両親を殺されたことは、メンドーサの生き方・考え方を決める重要な事件だ。彼がいくつのときに起こったのかは、メンドーサというキャラを作った時点で設定しなければ、おかしい。年齢によって、受け止め方がチガウし、その後の人生の歪み方が変わるからな。
わたしが作家ならまずそこから決めるよ。
なのに、決まってないのか、谷正純。
ただなんとなく、「メンドーサは悪役。でも、最後に『ほんとは悪い人ぢゃないんです』をやりたい。そうだ、インディアンに両親を殺されたことにしよう」って思いついただけ?
また、主人公とヒロインと「幼なじみ」というのは、メンドーサだけでなく主人公たちのキャラクタや生い立ち・考え方を決める重要な事柄だ。敵味方に分かれる彼らがどんなつきあいをしていたかは、3人のキャラを作った時点で設定しなければ、おかしい。通常キャラクタとは単体では人格を表現できない、他者との関係、接し方で表現していくモノだ。
わたしが作家ならまずそこから決めるよ。
なのに、決まってないのか、谷正純。
ただなんとなく、「幼なじみが敵同士ってなんか良くね? んじゃ悪役と主人公は幼なじみで、ヒロインを愛していたことにしよう」って思いついただけ?
現在27歳のメンドーサくんが思春期の頃、両親は殺されたそうです。
当然ディエゴくんのスペイン留学前だから、そのことを彼が知っていても不思議はない。てゆーかふつー知ってるだろ、世間の狭い時代の地方都市での出来事だ。大事件じゃん。
別部族とはいえ、インディアンと馴れ合って暮らしている市長さん(ディエゴパパ)的には、見過ごせない政治的な出来事でもあるはず。
でも、ディエゴもロリータも、誰も知らないわけですよ、「あんまり仲良くなかったから」……いや、10歳以上なら知らないはずないって!!
おかしいんです、どー考えても。
演じている人たちすら、わかんないんです。
谷せんせ……。
ナニも考えなさすぎや……。
いやはや、タカラジェンヌは大変だな。
植爺の『ベルばら』に比べれば、この程度の「謎」は謎のウチに入らないので、かまわないっちゃーかまわないんですがね。
植爺作品を疑問を口にせず演じられるくらい、人間出来てなきゃジェンヌではいられないんだもんな。
ああ、やっぱジェンヌってすげえよ……!!
とまあ、謎は謎のまま終了したが、その他の話。
谷せんせといえば、突然はじまるヒューマニズム。
異人種に親を殺されたふたりの男が、やはり異人種の手によって命を落とす。
死んだふたりの手を、ディエゴくんが重ね合わせるわけだが。
そのときの、メンドーサくん(死人)の気持ち。
「ナニやってくれてんねん」
ベルナルドは「きれいだ……」つって、なんかとっても完結して亡くなってますが、メンドーサくんはそうではありません。
インディアンを憎み、なんの解放も昇華もないまま、ただ、殺されたんですよ。
憎いインディアンに抱かれて、インディアンと手を重ねられたら、たまったもんぢゃない。
いやあ、「彩吹真央は太陽」発言の次にウケました、「ナニやってくれてんねん」……メンドーサ大佐、渾身の大阪弁ツッコミ!!
生きるのヘタクソ過ぎなメンドーサくんなので、生前はとてもじゃないが優秀なツッコミではなかった。空気読めないツッコミ方ばかりするから、上司の美形総督様にはウザがられていた模様。
そんな彼が、死んではじめて、見事なツッコミを披露した!! や、もう死んでるけど!!
この答えが聞けて、よかった。
ゆみこちゃんって、まともな人だ、と安心した。
ディエゴが、死んだメンドーサとベルナルドの手を重ねるのって、偽善的自己満足行為でしかないんだよね。や、初見ではうっかり泣いちゃったけど(笑)。
なんの解決にもなっていないし、メンドーサはまったく救われていない。
死んだメンドーサが、ディエゴのこの行為を受け入れ、「人間はみな同じなんだ、憎んですまんかった」とかなんとか思っていた、とゆみこちゃんが答えていたら、かなりがっかりしていたと思う。
前日欄の日記で、ゆみこちゃんがアホっぽかったと書いたのは、ぽやぽやした話し方であって、話していること自体はすごくまともなんだよね。なにを言っているか、言おうとしているか、ちゃんとわかるし。文章組み立てて、主語述語ちゃんとして話せるし。
その、ちゃんと話しているのに、話し方が甘えっ子風でやたらかわいかった、と。
『マリポーサの花』お茶会のときより基本標準語で話しているので、時折飛び出してくる関西弁がすごく効いてる、というか(笑)。
脚本の歪みを理解した上で、「でもタカラヅカには夢とか理想とか必要だから」てな意味のことを言い、ふたりの手を重ねるクライマックスを説明していた。
うん。
ディエゴは確かにまちがってるけど、揚げ足を取ったりせずに、彼が語るキレイゴトに感動の涙を流すのが、「タカラヅカ」には必要なんだ。
ロジックがまちがっているだけで、スピリッツはまちがっていないのだから。
まあ、細かいことは置いておいて。
ここはひとつ。
救われないままのメンドーサ大佐萌え。
てことで(笑)。
と、友人たちが言ってましたが。
ええ、『ZORRO 仮面のメサイア』の謎についてです。
物語の中に異人種間での哀しい争乱が何度かあるようなのですが、それらがいつ起こったのか、そのとき主人公たちがいくつで、どこでどうしていたのか、誰もわからないのです。
観ている者にはわからない。
では、演じている人ならわかるんじゃね?
という期待もありました、彩吹真央お茶会『風の錦絵/ZORRO 仮面のメサイア』にて。
Q.メンドーサ大佐はいくつですか?
Q.メンドーサ大佐の両親がインディアンに殺されたのは、いくつの頃ですか?
Q.幼なじみだという、ロリータやディエゴとの関係はどんな風でしたか?
ネックは、「幼なじみ」。
一緒に育ったならば、メンドーサの両親のことはロリータもディエゴも知っているはず。
なのに彼らは、ナニも知らないようだ。
そんな幼なじみアリ?
また、事件を知りようもないほど幼い頃の、大昔のことだったというならば、それによってインディアンを憎んでいるメンドーサと、インディアンの血を引くディエゴが「幼なじみ」で仲良くしているのはおかしい。
このへんの謎は、舞台で表現されていないだけで、じつはきちんと設定があるのかしら。
と、思ったら。
A.メンドーサは27歳。ディエゴも同じくらい、ロリータは少し下。
A.メンドーサが思春期の頃、両親が殺された。
A.幼なじみと言っても、それほど仲が良かったわけではない。
「……んじゃないかなと、水さんと話しています」
公式設定ナシかよ?!!
キャラクタの年齢は淀みなく答えていたので、公式設定かもしれませんが、それ以外は「……と、思います」「……じゃないかなと思っています」って……演出家はナニも考えてないのか。
両親を殺されたことは、メンドーサの生き方・考え方を決める重要な事件だ。彼がいくつのときに起こったのかは、メンドーサというキャラを作った時点で設定しなければ、おかしい。年齢によって、受け止め方がチガウし、その後の人生の歪み方が変わるからな。
わたしが作家ならまずそこから決めるよ。
なのに、決まってないのか、谷正純。
ただなんとなく、「メンドーサは悪役。でも、最後に『ほんとは悪い人ぢゃないんです』をやりたい。そうだ、インディアンに両親を殺されたことにしよう」って思いついただけ?
また、主人公とヒロインと「幼なじみ」というのは、メンドーサだけでなく主人公たちのキャラクタや生い立ち・考え方を決める重要な事柄だ。敵味方に分かれる彼らがどんなつきあいをしていたかは、3人のキャラを作った時点で設定しなければ、おかしい。通常キャラクタとは単体では人格を表現できない、他者との関係、接し方で表現していくモノだ。
わたしが作家ならまずそこから決めるよ。
なのに、決まってないのか、谷正純。
ただなんとなく、「幼なじみが敵同士ってなんか良くね? んじゃ悪役と主人公は幼なじみで、ヒロインを愛していたことにしよう」って思いついただけ?
現在27歳のメンドーサくんが思春期の頃、両親は殺されたそうです。
当然ディエゴくんのスペイン留学前だから、そのことを彼が知っていても不思議はない。てゆーかふつー知ってるだろ、世間の狭い時代の地方都市での出来事だ。大事件じゃん。
別部族とはいえ、インディアンと馴れ合って暮らしている市長さん(ディエゴパパ)的には、見過ごせない政治的な出来事でもあるはず。
でも、ディエゴもロリータも、誰も知らないわけですよ、「あんまり仲良くなかったから」……いや、10歳以上なら知らないはずないって!!
おかしいんです、どー考えても。
演じている人たちすら、わかんないんです。
谷せんせ……。
ナニも考えなさすぎや……。
いやはや、タカラジェンヌは大変だな。
植爺の『ベルばら』に比べれば、この程度の「謎」は謎のウチに入らないので、かまわないっちゃーかまわないんですがね。
植爺作品を疑問を口にせず演じられるくらい、人間出来てなきゃジェンヌではいられないんだもんな。
ああ、やっぱジェンヌってすげえよ……!!
とまあ、謎は謎のまま終了したが、その他の話。
谷せんせといえば、突然はじまるヒューマニズム。
異人種に親を殺されたふたりの男が、やはり異人種の手によって命を落とす。
死んだふたりの手を、ディエゴくんが重ね合わせるわけだが。
そのときの、メンドーサくん(死人)の気持ち。
「ナニやってくれてんねん」
ベルナルドは「きれいだ……」つって、なんかとっても完結して亡くなってますが、メンドーサくんはそうではありません。
インディアンを憎み、なんの解放も昇華もないまま、ただ、殺されたんですよ。
憎いインディアンに抱かれて、インディアンと手を重ねられたら、たまったもんぢゃない。
いやあ、「彩吹真央は太陽」発言の次にウケました、「ナニやってくれてんねん」……メンドーサ大佐、渾身の大阪弁ツッコミ!!
生きるのヘタクソ過ぎなメンドーサくんなので、生前はとてもじゃないが優秀なツッコミではなかった。空気読めないツッコミ方ばかりするから、上司の美形総督様にはウザがられていた模様。
そんな彼が、死んではじめて、見事なツッコミを披露した!! や、もう死んでるけど!!
この答えが聞けて、よかった。
ゆみこちゃんって、まともな人だ、と安心した。
ディエゴが、死んだメンドーサとベルナルドの手を重ねるのって、偽善的自己満足行為でしかないんだよね。や、初見ではうっかり泣いちゃったけど(笑)。
なんの解決にもなっていないし、メンドーサはまったく救われていない。
死んだメンドーサが、ディエゴのこの行為を受け入れ、「人間はみな同じなんだ、憎んですまんかった」とかなんとか思っていた、とゆみこちゃんが答えていたら、かなりがっかりしていたと思う。
前日欄の日記で、ゆみこちゃんがアホっぽかったと書いたのは、ぽやぽやした話し方であって、話していること自体はすごくまともなんだよね。なにを言っているか、言おうとしているか、ちゃんとわかるし。文章組み立てて、主語述語ちゃんとして話せるし。
その、ちゃんと話しているのに、話し方が甘えっ子風でやたらかわいかった、と。
『マリポーサの花』お茶会のときより基本標準語で話しているので、時折飛び出してくる関西弁がすごく効いてる、というか(笑)。
脚本の歪みを理解した上で、「でもタカラヅカには夢とか理想とか必要だから」てな意味のことを言い、ふたりの手を重ねるクライマックスを説明していた。
うん。
ディエゴは確かにまちがってるけど、揚げ足を取ったりせずに、彼が語るキレイゴトに感動の涙を流すのが、「タカラヅカ」には必要なんだ。
ロジックがまちがっているだけで、スピリッツはまちがっていないのだから。
まあ、細かいことは置いておいて。
ここはひとつ。
救われないままのメンドーサ大佐萌え。
てことで(笑)。