あの衣装の謎に、今ごろ気づく。@第96期宝塚音楽学校文化祭
2010年2月20日 タカラヅカ 『第96期宝塚音楽学校文化祭』にて、いちばん強く思ったことは。
ワイルドホーンすげえ。
……でした(笑)。
わざわざ大枚はたいて招致するわけだよなあ。曲がぜんぜんチガウわー。
と、そんなことに感心した。
文化祭は毎度、日舞、予科生コーラス、クラシック・ヴォーカル、ポピュラー・ヴォーカル、演劇、ダンス・コンサートという内容になっている。
そのなかのポピュラー・ヴォーカルっつーのが、タカラヅカ主題歌集なのな。
セット無しの素の舞台で、大した演出や振付もなく、全員同じ衣装で同じように経験と技術の足りないヒヨコたちがお馴染みの曲を歌い継いでいく。
そうなると、スター力だの物語だの構成だの演出だのという外側のモノとはなんの関係もなく、ただ「曲」としての善し悪しが俎上にのる。
曲は「ONE HEART」。
いい歌だと思ってはいたけど、なにしろわたし『NEVER SAY GOODBYE』自体、話がどうにも好きじゃなくてさー。音楽がどんだけ良くても物語がダメだと入り込めないままだった。
が、あのどーにも引っかかる小池オリジナル物語関係ナシに、曲だけ不意に聴くと、その良さに開眼しますわ……。
いやあ、盛り上がった、「ONE HEART」。
曲の力は大きい。ワイルドホーンすげえ。
歌っていた子も素直ないい声だったし。周囲で一斉にオペラグラスが上がったのが愉快だった。みんな顔をチェックするんだもん。
歌い出す前は観客的にはノーチェックの子だったらしい? コンサートはじまって半ばだから、客ももういちいちオペラ上げなくなっている頃だったからなー。
文化祭の選曲っていうのは、演出家指示なのかな。『エンカレッジコンサート』とは違い、出演者が自分で選べるわけじゃないよね? 当たる歌によって魅力を出せるかどうか、キャリア皆無の音校生には重要事項だな。
というのも、クラシック・ヴォーカルでソロを歌った男の子(たぶんいちばんの歌ウマ男子)は、よりによって「サザンクロス・レビュー」で歌唱力以外の部分で大変そうだった。や、素人にいきなりラテン曲でノリノリになれ、客をノリまくらせろ、なんて無理だから。
音階通りに歌う、ことと、「表現する」「客を愉しませる」はまた別問題。難しい曲を与えられているのは、歌ウマさんだからだとは思うけど、がんばれ、と思うくらいには大変そうだった、歌自体はうまいのに。
わたしはヅカファンでヅカ曲も愛しているけれど、やっぱ独特だよなあ。単純に「歌」として「曲」として聴くと、ワイルドホーン氏ひとり勝ち過ぎて、もお……。
ヅカ曲はあくまでも公演の中で魅力があれば、それでいいわけなんで、曲だけで善し悪しもないもんだと、わかっちゃいるんだが。
さて、その他にもひとつ気づいたことが。
そのポピュラー・ヴォーカルにおいて、娘役の衣装がダサいことは長年の疑問だった。
男女ともに衣装は毎年同じなんだが、それにしてもなんでこのドレスなんだろう?と思っていたんだ。ヅカ衣装だからそれなりにキラキラしているし、それなりにかわいいんだけど、首にある飾りがなんともダサい。
理由がわかった。
それは、その前にあるクラシック・ヴォーカルにおいて、だ。
クラシック・ヴォーカルでも娘役の衣装はほぼ決まっている。近年では92、94、95期と同じ赤いドレスだった。
例外もあるから絶対コレでなきゃ駄目ってわけでもないんだろう。……93期のりりこちゃんはあのドレスが入らなかったのかな、とか思われ……ゲフンゲフン。
この毎年ほぼ同じ、の赤いドレスもまた、もともと首周りに飾りがついている。
首に飾りの付いたドレスだと、派手なアクセサリーを用意しなくていいんだ!
ネックレスは不要だし、それゆえか他のアクセサリーも地味目でいいらしい。いつものドレス着用の娘役は、どの期もシンプルな装飾で歌っていた。
それが今年は、別のドレスだった。ドレスってのは大抵肩や首は露出している。従ってアクセサリー必須。
今年のクラシック・ヴォーカルの娘さんは、ネックレスにイヤリング、髪飾りとフル装備、キラキラキラキラとても華やかだった。
首周りにデフォルトの布飾りがあるかどうかで、こんだけ装飾品の比重が上がるのか。ネックレスはもちろんキラキラしてなきゃいけないし、首筋から肩がまるっと出ているとイヤリングも大振りになるし、そーなると髪飾りも派手目にしないとバランス悪いし。
そのことに思い至った……ことから、必然的にポピュラー・コンサートの衣装の意味もわかったんだ。
あのダサい首の布飾り、アレは学生たちにアクセサリーを用意させないですむようにという配慮だったんだ。
タカラジェンヌたちはみんなひとりひとり意匠を凝らしたステキなアクセサリーを身につけて舞台に立っているし、それを用意するために睡眠時間を削って自作したりすると聞く。
入団後は必要かもしれないが、まだ学生である彼女たちにそーいった部分での努力は求めていないんだろう。アクセサリー作りや購入よりも、まず純粋に芸を披露することに集中しなさいという意味なんだ。
なるほどー、それで毎年あのドレスなんだ。首の飾りに髪のリボンまでお揃いで用意されてるんだ。
と、感心する(笑)。
文化祭を観るようになって今年で何回目かな。それでも毎年なにかしら発見はあるものだ(笑)。
さて、なにかと話題の96期。今年ほどチケット・レートの低い年もなかった。
大体文化祭チケットってのは必要としている人にほぼ行き渡るか、若干足りなくてもオークション等定価よりちょっと上乗せあたりで手に入る。サバキは出ないし、一般発売はないし、コアなヅカファンや関係者の元にしかチケットは存在しないものだと思っている。
が、今年はなー。
サバキが出ているのを何回も見たし、チケット掲示板やオークションでも定価割れしていた。
はじめて見るよ、これほどの人気のなさ。
裁判云々はたしかに響いているのだと思うよ、ヅカファンの気持ちに。
表立って騒ぐことのない部分で、じわじわと広がるモノはある。
その目に見える結果のひとつが、叩き売られる文化祭チケット、なんだろう。
それでも、舞台人は舞台の上がすべて。
彼女らが舞台に立つ限り、評価は舞台の上の姿にわたし自身がどう感じるか。
表現者を彼らの表現する作品以外の要因で歪めて評価するのは、すべての表現者に失礼だ。
だからどうか、魅力的な舞台を作って欲しい。
や、頼むよほんと。
ワイルドホーンすげえ。
……でした(笑)。
わざわざ大枚はたいて招致するわけだよなあ。曲がぜんぜんチガウわー。
と、そんなことに感心した。
文化祭は毎度、日舞、予科生コーラス、クラシック・ヴォーカル、ポピュラー・ヴォーカル、演劇、ダンス・コンサートという内容になっている。
そのなかのポピュラー・ヴォーカルっつーのが、タカラヅカ主題歌集なのな。
セット無しの素の舞台で、大した演出や振付もなく、全員同じ衣装で同じように経験と技術の足りないヒヨコたちがお馴染みの曲を歌い継いでいく。
そうなると、スター力だの物語だの構成だの演出だのという外側のモノとはなんの関係もなく、ただ「曲」としての善し悪しが俎上にのる。
曲は「ONE HEART」。
いい歌だと思ってはいたけど、なにしろわたし『NEVER SAY GOODBYE』自体、話がどうにも好きじゃなくてさー。音楽がどんだけ良くても物語がダメだと入り込めないままだった。
が、あのどーにも引っかかる小池オリジナル物語関係ナシに、曲だけ不意に聴くと、その良さに開眼しますわ……。
いやあ、盛り上がった、「ONE HEART」。
曲の力は大きい。ワイルドホーンすげえ。
歌っていた子も素直ないい声だったし。周囲で一斉にオペラグラスが上がったのが愉快だった。みんな顔をチェックするんだもん。
歌い出す前は観客的にはノーチェックの子だったらしい? コンサートはじまって半ばだから、客ももういちいちオペラ上げなくなっている頃だったからなー。
文化祭の選曲っていうのは、演出家指示なのかな。『エンカレッジコンサート』とは違い、出演者が自分で選べるわけじゃないよね? 当たる歌によって魅力を出せるかどうか、キャリア皆無の音校生には重要事項だな。
というのも、クラシック・ヴォーカルでソロを歌った男の子(たぶんいちばんの歌ウマ男子)は、よりによって「サザンクロス・レビュー」で歌唱力以外の部分で大変そうだった。や、素人にいきなりラテン曲でノリノリになれ、客をノリまくらせろ、なんて無理だから。
音階通りに歌う、ことと、「表現する」「客を愉しませる」はまた別問題。難しい曲を与えられているのは、歌ウマさんだからだとは思うけど、がんばれ、と思うくらいには大変そうだった、歌自体はうまいのに。
わたしはヅカファンでヅカ曲も愛しているけれど、やっぱ独特だよなあ。単純に「歌」として「曲」として聴くと、ワイルドホーン氏ひとり勝ち過ぎて、もお……。
ヅカ曲はあくまでも公演の中で魅力があれば、それでいいわけなんで、曲だけで善し悪しもないもんだと、わかっちゃいるんだが。
さて、その他にもひとつ気づいたことが。
そのポピュラー・ヴォーカルにおいて、娘役の衣装がダサいことは長年の疑問だった。
男女ともに衣装は毎年同じなんだが、それにしてもなんでこのドレスなんだろう?と思っていたんだ。ヅカ衣装だからそれなりにキラキラしているし、それなりにかわいいんだけど、首にある飾りがなんともダサい。
理由がわかった。
それは、その前にあるクラシック・ヴォーカルにおいて、だ。
クラシック・ヴォーカルでも娘役の衣装はほぼ決まっている。近年では92、94、95期と同じ赤いドレスだった。
例外もあるから絶対コレでなきゃ駄目ってわけでもないんだろう。……93期のりりこちゃんはあのドレスが入らなかったのかな、とか思われ……ゲフンゲフン。
この毎年ほぼ同じ、の赤いドレスもまた、もともと首周りに飾りがついている。
首に飾りの付いたドレスだと、派手なアクセサリーを用意しなくていいんだ!
ネックレスは不要だし、それゆえか他のアクセサリーも地味目でいいらしい。いつものドレス着用の娘役は、どの期もシンプルな装飾で歌っていた。
それが今年は、別のドレスだった。ドレスってのは大抵肩や首は露出している。従ってアクセサリー必須。
今年のクラシック・ヴォーカルの娘さんは、ネックレスにイヤリング、髪飾りとフル装備、キラキラキラキラとても華やかだった。
首周りにデフォルトの布飾りがあるかどうかで、こんだけ装飾品の比重が上がるのか。ネックレスはもちろんキラキラしてなきゃいけないし、首筋から肩がまるっと出ているとイヤリングも大振りになるし、そーなると髪飾りも派手目にしないとバランス悪いし。
そのことに思い至った……ことから、必然的にポピュラー・コンサートの衣装の意味もわかったんだ。
あのダサい首の布飾り、アレは学生たちにアクセサリーを用意させないですむようにという配慮だったんだ。
タカラジェンヌたちはみんなひとりひとり意匠を凝らしたステキなアクセサリーを身につけて舞台に立っているし、それを用意するために睡眠時間を削って自作したりすると聞く。
入団後は必要かもしれないが、まだ学生である彼女たちにそーいった部分での努力は求めていないんだろう。アクセサリー作りや購入よりも、まず純粋に芸を披露することに集中しなさいという意味なんだ。
なるほどー、それで毎年あのドレスなんだ。首の飾りに髪のリボンまでお揃いで用意されてるんだ。
と、感心する(笑)。
文化祭を観るようになって今年で何回目かな。それでも毎年なにかしら発見はあるものだ(笑)。
さて、なにかと話題の96期。今年ほどチケット・レートの低い年もなかった。
大体文化祭チケットってのは必要としている人にほぼ行き渡るか、若干足りなくてもオークション等定価よりちょっと上乗せあたりで手に入る。サバキは出ないし、一般発売はないし、コアなヅカファンや関係者の元にしかチケットは存在しないものだと思っている。
が、今年はなー。
サバキが出ているのを何回も見たし、チケット掲示板やオークションでも定価割れしていた。
はじめて見るよ、これほどの人気のなさ。
裁判云々はたしかに響いているのだと思うよ、ヅカファンの気持ちに。
表立って騒ぐことのない部分で、じわじわと広がるモノはある。
その目に見える結果のひとつが、叩き売られる文化祭チケット、なんだろう。
それでも、舞台人は舞台の上がすべて。
彼女らが舞台に立つ限り、評価は舞台の上の姿にわたし自身がどう感じるか。
表現者を彼らの表現する作品以外の要因で歪めて評価するのは、すべての表現者に失礼だ。
だからどうか、魅力的な舞台を作って欲しい。
や、頼むよほんと。