レビュー・シネマは諸手を挙げて賛成・肯定するけれど、ジェンヌで映画を撮って欲しいとか、映像だけあれば舞台はいらないとかいう意味じゃない。
 タカラヅカはナマ舞台。これ以上の物はない。
 その上で、別の媒体に展開してもいいじゃん、てこと。

 また、映画が最高だから、スカステやTCA発売のDVDが不要だと言っているわけでもない。映画版をDVD化すればいいじゃん、という意味でもない。

 劇団がファン用に作っている「記録映像」としてのスカステや販売DVDは絶対必要。ストーリーよりもジェンヌの顔を映す、ファン・ディスクとしての姿勢は必要不可欠。

 雪組、星組と自分の贔屓組以外で制作されたレビュー・シネマを見たわけだが、こんだけ楽しかったのは贔屓組ではないから、てのもあるかもしれない。
 それぞれの組に好きな人はいるけれど、過度の愛と執着(笑)のあるご贔屓が出演しているわけじゃないから、客観的に見ていられる。

 もしコレが花組本公演だったりしたら、物語を楽しむとか新たな視点を楽しむとかゆー話ではなく、ただひたすらご贔屓がどれくらい映ったか、どんな顔だったかとかだけに一喜一憂していそうだ(笑)。
 主要人物ならいつも顔をアップにしてカメラが追い続けてくれるからいいけど、それ以外の人はなー。スカステなら脇役も満遍なく、できるだけたくさんの人の顔を映してくれるけど、映画はそうはいかないもんな。台詞や歌があっても、映ってないかもしれん。

 さて、レビュー・シネマ第1弾『ソロモンの指輪』鑑賞時に、こんな感想を書いている。

> 『タカラヅカ・レビュー・シネマ』は第一弾と書いてあるのだから、これからも続けるのかもしれないが。
> ヅカを素材にして、ここまで「別作品」を作れるほどの、「素材」として深みのある作品が、今後どれほど出るのだろうか。
> 単に歌っている人をアップにして、ストーリーを脚本通りに追って終わり、の、劇団販売映像となんら変わらないものしか、出来ないんじゃないか?

 ごめん、レビュー・シネマをナメてたね。
 「歌っている人をアップにして」ではなく、テーマと主役だけを追いかけて、だった。歌っていても踊っていても、主軸に関係なかったらさくっと無視されていたわ(笑)。
 主役たちだけを丹念に追うのでも、劇団印の記録映像とはまったくチガウ……つまり、劇団販売映像がどれだけ「映画」とはかけ離れていたかが、反対にわかった。

 
 主役クラスの人たちを映すだけでも、「視点」のあるなしで物語は大きく変わる。
 やはり、「舞台」というのは面白い。
 どんな視点で見るかは、わたしたち観客にまるっと全部委ねられているわけだもの。
 わたしたちひとりひとりが、あの映画と同じくらいの映像作品を、脳内で作り上げているのよ。それを許してくれる媒体が、ナマの舞台ってやつなのよ。

 「映画」というカタチで差し出されることにより、「舞台」の魅力を再確認した。

 舞台観劇ってさあ、お金も時間も労力もかかって大変じゃん? テレビやネットのない時代ならともかく、お茶の間であらゆる娯楽をタダで愉しめるこの現代に、なんつー不便で効率の悪い文化なのかと思うよ。
 だから実際、観劇人口は減る一方なわけでしょ? テレビがない時代にあんなにたくさんあった芝居小屋は、今じゃ生き残っているのはわずかばりだよね?

 それでも今現在、少なくなろーがどうしよーが、舞台芝居というモノがずーーっとしぶとく生き残ってきているのは、理由があるんだよなあ。

 この魅力だけは、お茶の間娯楽には取って代わられない、なくなられちゃ困るもんだよな。

 しみじみと、出会えて良かったと思う、この文化に。娯楽に。

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