まず外側から語ってみる。@第96期宝塚音楽学校文化祭
2010年2月21日 タカラヅカ で、『第96期宝塚音楽学校文化祭』の感想つれづれ。
プログラム売り場が変わっていた。
いつもバウホール下にテーブル出して売っているのに、ソレがない。
階段上のモギリのあるフロアでのみ販売。や、こちらの売り場は例年あったが、階段下と2箇所だったんだよ。今年から1箇所に?
プログラムは表紙デザインが変わっていた。何年ごとに変えるとかあるのかな? 前のデザインは2年で終了か。
中の生徒写真が大きくなっていてびびった(笑)。
そして思った。……人数、少なっ。
この期からまた募集人数減ったんだっけ?
93期までは50名だったのになあ。それが45人に減り、96期ではたった40人。なのにその上、2名の退学者を出しているもんだから、プログラムですでに雰囲気チガウ。
なんとも先細り感があって、寂しいわ、タカラヅカ。
で、たった38人なのに、相変わらずわたしには顔がおぼえられない(笑)。記憶力は衰える一方だ。
とりあえず、例年ほど強烈に印象に残る子はいなかった。
日舞はいつも目が慣れないうちにはじまり終わるので、個別認識がはじまるのはクラシック、ポピュラー・ヴォーカルになってからだ。
クラシック・ヴォーカルは男女1名ずつしか出演しない。つまりここに登場する子たちはこの期きっての歌ウマさんなんだろう。
また、女子は日舞の「清く正しく美しく」独唱という見せ場があるので、こちらも歌ウマさんのハレの場。
では男子の歌ウマさんはクラシック・ヴォーカルの1名しか見せ場がないのか。
近年わかってきた。
ソロで華々しく歌声を披露するのは上記の女子2名、男子1名しか、舞台が用意されていないよーに、プログラムを読むだけだと思える。
が、そーじゃない。男子の歌ウマ枠がもうひとつある。
ポピュラー・ヴォーカルの構成、だ。
出演者全員でヅカソングをメドレーするミニ・コンサート。
曲数15曲しかないのに、全員が出る。つまり、ソロを歌える人、そうでない人がいる。
歌がうまい人はソロなんだと思う。ふるわない人たちは、大勢で出てきてワンフレーズのみひとりで声を出し、あとはコーラス。
一見ただ出演者が羅列されているよーに見えるけど、いちおー「コンサート」形式なので、起承転結がある。
オープニングがあって中詰めがあってクライマックスがあって、フィナーレがあるの。
ポピュラー・ヴォーカルで、「クライマックス」に配された人。彼が、もうひとりの歌ウマ男子ポジション。
歌ウマさんポジは、男女共に2名ずつ枠を作ってあるのね。以前は気づいてなかったわ。
歌だけに突出しているわけではなく、バランス型ゆえに歌も良いポジションにいる、という場合もあるのだろうけど。
起承転結がわかってくると、曲目は毎年微妙に違うけれど、結局のところ同じ方程式で構成されているんだなと思える。
衣装が同じであるように、構成も同じ。……文化祭であって、劇団の公演ではないんだから、んなもんいちいち変えてられないってことか。
ワンパターンにはワンパターンの良さがある。年に一度の催しなら、毎年同じでも問題ない。ひな形が同じだから、どの位置の子がどうと判断しやすい。
ポピュラー・ヴォーカルで顔と名前をチェックし、それをさらに次の演劇で認識する。
演劇は、谷せんせの短編ストレートプレイ『CHRISTMAS EVE』。
O・ヘンリの『警官と賛美歌』『賢者の贈り物』『最後の一葉』を「12月24日」をキーにミックスしたもの。
谷せんせってこーゆーの好きなんだね。93期の演劇がやはり谷せんせで『ラ・ボエーム』と『レント』をミックスしたものだったよね。(そして著作権絡みでスカステ放送されなかった)
1から物語を作るのではなく、既製品をパッチワークするのは、作り手としてはたのしいかな。や、わたしは好きだけどな、そーゆーの。二次創作のノリで。
O・ヘンリの3つの作品を盛り込んでいるから、主人公も3人。ストーリーも3つあるから、登場人物も多くて文化祭向きだなー。
しかし、ほんとにただ3つを交代交代に展開させるだけで、クロスオーバーにはなっていない気が……ゲフンゲフン。
でも良いお話でした。もともとわたし、O・ヘンリは好きなの。短編集をわざわざハードカバーで買ったなあ、昔。
もう少し作り込んで仕掛けもして、実力のある人たちに演じてもらえたら、良い作品になったかも……って、それじゃ本末転倒か。
あくまでも文化祭用の、「みんなが主役」「全員に見せ場アリ」な作りの小品でした。はい。
文化祭の演劇は半分しか出演しない。出演者全員の芝居を見たかったら、文化祭を2回観なければならない。
わたしは未だに1回しか観たことナイので、いつも出会う確率は2分の1。
芝居で役が付いているところを見なくちゃ、個別認識に至らないのね。
演劇のどちらの組に出ているかが運命の分かれ道。や、わたしにとっての。
最後のダンス・コンサートは無理。わたしにダンスの善し悪しはさーっぱりわからないし、ずっと動いているわけだから顔の区別はつきにくいし。
また、わたしは「タカラヅカ」が好きなのであって、別カンパニーのダンス・ショーには興味がない。
男役がいて、娘役がいる。それが基本。
ヴォーカル・コンサートと演劇は、性別未分化なりに一生懸命、男役は男役であろうとし、娘役は娘役という別の性を演じようとしている。
それが、ダンスになると、その区別や意識が薄れるのね。
性別に関係なく、とにかく「踊る」ことに集中している。男子も女子も同じ衣装で同じバレエを踊ったりな。
ヅカじゃなくても、男性ダンサーのいないスクールで、仕方なく男子パートも女子がやっています、みたいな感じに見える。
なかにはとても「タカラヅカ」な場面もあるんで、そこはいいんだけどなー。
あ、そーいや途中、引き潮@『Red Hot Sea』に似すぎている場面があってびびった。つか、衣装同じ?! 曲調はまったくチガウのに、何故ああまで同じコンセプト?
個別認識しよう、と出会いを求めるのは演劇まで。最後のダンスは気を抜いてぼーっと眺めている(笑)。
そうやってぼーっと楽しんでいても、目に飛び込んでくる子は飛び込んでくる。ハートを掴んで離さなかったりする(笑)。過去の経験から。
とゆーことで、今年はあまり強烈に印象に残る子はいなかったのだわ。
芝居で気になった子たちが軒並み、ダンスになるとどこにいるのかわかんなかった……いやその、わたしの記憶力が低すぎるせいもあるんだろうけど。
顔、おぼえろよわたし。
プログラム売り場が変わっていた。
いつもバウホール下にテーブル出して売っているのに、ソレがない。
階段上のモギリのあるフロアでのみ販売。や、こちらの売り場は例年あったが、階段下と2箇所だったんだよ。今年から1箇所に?
プログラムは表紙デザインが変わっていた。何年ごとに変えるとかあるのかな? 前のデザインは2年で終了か。
中の生徒写真が大きくなっていてびびった(笑)。
そして思った。……人数、少なっ。
この期からまた募集人数減ったんだっけ?
93期までは50名だったのになあ。それが45人に減り、96期ではたった40人。なのにその上、2名の退学者を出しているもんだから、プログラムですでに雰囲気チガウ。
なんとも先細り感があって、寂しいわ、タカラヅカ。
で、たった38人なのに、相変わらずわたしには顔がおぼえられない(笑)。記憶力は衰える一方だ。
とりあえず、例年ほど強烈に印象に残る子はいなかった。
日舞はいつも目が慣れないうちにはじまり終わるので、個別認識がはじまるのはクラシック、ポピュラー・ヴォーカルになってからだ。
クラシック・ヴォーカルは男女1名ずつしか出演しない。つまりここに登場する子たちはこの期きっての歌ウマさんなんだろう。
また、女子は日舞の「清く正しく美しく」独唱という見せ場があるので、こちらも歌ウマさんのハレの場。
では男子の歌ウマさんはクラシック・ヴォーカルの1名しか見せ場がないのか。
近年わかってきた。
ソロで華々しく歌声を披露するのは上記の女子2名、男子1名しか、舞台が用意されていないよーに、プログラムを読むだけだと思える。
が、そーじゃない。男子の歌ウマ枠がもうひとつある。
ポピュラー・ヴォーカルの構成、だ。
出演者全員でヅカソングをメドレーするミニ・コンサート。
曲数15曲しかないのに、全員が出る。つまり、ソロを歌える人、そうでない人がいる。
歌がうまい人はソロなんだと思う。ふるわない人たちは、大勢で出てきてワンフレーズのみひとりで声を出し、あとはコーラス。
一見ただ出演者が羅列されているよーに見えるけど、いちおー「コンサート」形式なので、起承転結がある。
オープニングがあって中詰めがあってクライマックスがあって、フィナーレがあるの。
ポピュラー・ヴォーカルで、「クライマックス」に配された人。彼が、もうひとりの歌ウマ男子ポジション。
歌ウマさんポジは、男女共に2名ずつ枠を作ってあるのね。以前は気づいてなかったわ。
歌だけに突出しているわけではなく、バランス型ゆえに歌も良いポジションにいる、という場合もあるのだろうけど。
起承転結がわかってくると、曲目は毎年微妙に違うけれど、結局のところ同じ方程式で構成されているんだなと思える。
衣装が同じであるように、構成も同じ。……文化祭であって、劇団の公演ではないんだから、んなもんいちいち変えてられないってことか。
ワンパターンにはワンパターンの良さがある。年に一度の催しなら、毎年同じでも問題ない。ひな形が同じだから、どの位置の子がどうと判断しやすい。
ポピュラー・ヴォーカルで顔と名前をチェックし、それをさらに次の演劇で認識する。
演劇は、谷せんせの短編ストレートプレイ『CHRISTMAS EVE』。
O・ヘンリの『警官と賛美歌』『賢者の贈り物』『最後の一葉』を「12月24日」をキーにミックスしたもの。
谷せんせってこーゆーの好きなんだね。93期の演劇がやはり谷せんせで『ラ・ボエーム』と『レント』をミックスしたものだったよね。(そして著作権絡みでスカステ放送されなかった)
1から物語を作るのではなく、既製品をパッチワークするのは、作り手としてはたのしいかな。や、わたしは好きだけどな、そーゆーの。二次創作のノリで。
O・ヘンリの3つの作品を盛り込んでいるから、主人公も3人。ストーリーも3つあるから、登場人物も多くて文化祭向きだなー。
しかし、ほんとにただ3つを交代交代に展開させるだけで、クロスオーバーにはなっていない気が……ゲフンゲフン。
でも良いお話でした。もともとわたし、O・ヘンリは好きなの。短編集をわざわざハードカバーで買ったなあ、昔。
もう少し作り込んで仕掛けもして、実力のある人たちに演じてもらえたら、良い作品になったかも……って、それじゃ本末転倒か。
あくまでも文化祭用の、「みんなが主役」「全員に見せ場アリ」な作りの小品でした。はい。
文化祭の演劇は半分しか出演しない。出演者全員の芝居を見たかったら、文化祭を2回観なければならない。
わたしは未だに1回しか観たことナイので、いつも出会う確率は2分の1。
芝居で役が付いているところを見なくちゃ、個別認識に至らないのね。
演劇のどちらの組に出ているかが運命の分かれ道。や、わたしにとっての。
最後のダンス・コンサートは無理。わたしにダンスの善し悪しはさーっぱりわからないし、ずっと動いているわけだから顔の区別はつきにくいし。
また、わたしは「タカラヅカ」が好きなのであって、別カンパニーのダンス・ショーには興味がない。
男役がいて、娘役がいる。それが基本。
ヴォーカル・コンサートと演劇は、性別未分化なりに一生懸命、男役は男役であろうとし、娘役は娘役という別の性を演じようとしている。
それが、ダンスになると、その区別や意識が薄れるのね。
性別に関係なく、とにかく「踊る」ことに集中している。男子も女子も同じ衣装で同じバレエを踊ったりな。
ヅカじゃなくても、男性ダンサーのいないスクールで、仕方なく男子パートも女子がやっています、みたいな感じに見える。
なかにはとても「タカラヅカ」な場面もあるんで、そこはいいんだけどなー。
あ、そーいや途中、引き潮@『Red Hot Sea』に似すぎている場面があってびびった。つか、衣装同じ?! 曲調はまったくチガウのに、何故ああまで同じコンセプト?
個別認識しよう、と出会いを求めるのは演劇まで。最後のダンスは気を抜いてぼーっと眺めている(笑)。
そうやってぼーっと楽しんでいても、目に飛び込んでくる子は飛び込んでくる。ハートを掴んで離さなかったりする(笑)。過去の経験から。
とゆーことで、今年はあまり強烈に印象に残る子はいなかったのだわ。
芝居で気になった子たちが軒並み、ダンスになるとどこにいるのかわかんなかった……いやその、わたしの記憶力が低すぎるせいもあるんだろうけど。
顔、おぼえろよわたし。
未来のために、今を記すわけだな。@第96期宝塚音楽学校文化祭
2010年2月22日 タカラヅカ 『第96期宝塚音楽学校文化祭』で、いちばん気になったのは、お芝居の主役のひとりだ。
わたしが観た回は、文化祭初日初回。
芝居は、O・ヘンリの『警官と賛美歌』『賢者の贈り物』『最後の一葉』をひとつの時間軸にぶち込んだ作品なので、主役は3人。
そのうちの『賢者の贈り物』の主役、夫へのプレゼントを買うために大切な髪を売ってしまう妻役の子だ。
夫役の子が素敵にヘタレっつーかぜんぜんうまくなかったんだが(笑)、それでも妻ひとりでいじらしい演技をしていた。
感情移入して胸が痛かったよ。思い詰めた表情が真摯で。
声もきれいだし、雄弁だし……ってこの子、幕開きで「清く正しく美しく」独唱した歌ウマさんなんだね。
芝居はどうしても、女の子たちが有利。
男の子たちはねえ……声も姿も大変なことに。衣装着るだけでも、あんなに難しいことなんだねええ。
わかっているけど、ほんと女子校の文化祭まんまになっちゃうんだよなあ。
うまいのかどうかはよくわかんなかったけれど、『警官と賛美歌』の脇役、主役の相棒みたいな浮浪者役の男の子は、かわいかった。
かわいいキャラで通せる役なので、男役スキルが足りていなくても気にならなかった。
プログラムの素顔写真でいちばん好みだったので(笑)、舞台でどんな顔になるのか注目していたんだが、思っていたよりずっとかわいこちゃんだった。爬虫類系になるかと思っていたのに。(そーゆー好みですか)
谷せんせGJ!と思うのは、芝居の配役表に役名の他、役柄名が添えてあること。ソーピー(浮浪者)とかね。そして、記載順序も役の比重が高い順番だった。
つまり、主役がいちばん上に来て、台詞も出番もろくにない端役は末尾に記載される。……え、当たり前って? いいえ、当たり前じゃないの、だってハリーは!!
正塚せんせだったら、役柄名はナシよ? ただの役名だけ羅列だよ? 作中で名前もほとんど出てこないから、どの役名がどんな役柄なのかプログラム見てもわかんないし、舞台見てもわかんないのよ?
そして、役の比重とは関係なく、生徒の名前のあいうえお順で記載されるのよ? 誰が主役なのかすら、プログラム見てもわかんないし、舞台見てもわかんないのよ?
それに比べて、谷せんせ優しいなあ(笑)。
おかげで、記憶力なくて人の顔がわかんないわたしですら、「あのいじらしい妻役の子は**さんね」「**くんって、舞台ではあんな顔になんのかー、ほー」とか思って見られたんだわ。
もっとも、芝居で注目した子たちも、次のダンス・コンサートになると見失っておりましたが。
ダメじゃん、わたしの海馬。
他に気になった子たちは。
日舞ソロの男の子が、ものすげー「昭和」っぷりだった。
どこのハマコさんが現れたのかと。はっきりした顔立ちにクドい芸風、そして体型。
歌はハマコぢゃなかったのが残念。芝居は見られなかった。
クラシック・ヴォーカルも務め、芝居では『最後の一葉』で主役を務めた女の子は、実に堂々たるスターっぷりでした。ポピュラー・ヴォーカルではフィナーレのオブリガートも務めるし。
芝居も安定した巧さだった。……でも、あまり好みの芝居ではなかったんだよなあ、うまいけど感情移入する系ではなかった、わたしには。
華やかな美形男子がいて、ポピュラー・ヴォーカルでトリオ登場したときから、なんか客席から注目されてるっぽかった。
歌も声も微妙っつーかヘタレていたんだが、なにしろほら、アイドル系だから(笑)。このタイプは歌がアレだとお約束でもあるんだろうか。ちなみに芝居もうまくなかったっす。
どうやらダンサーだったらしく、最後のタンス・コンサートでは特別ポジションで踊りまくっていた。……1回ぺたんとしりもちついてたけど。が、がんばれ(笑)。
ポピュラー・ヴォーカルのトリを務める歌ウマ男子くんは、個性的な顔立ちで、ポンコツ海馬のわたしでもおぼえられた。
芝居は悪くないけど、なにしろまだ性別分化してないっす。かろうじて少年かなあ、大人の医者には見えなかった。
歌声がわりと好みだったのは「かわらぬ思い」デュエットの片方の子。また、「ONE HEART」を歌った少年も素直な良い声だと思ったけれど……ふたりとも、芝居になるとふつーにオンナノコが喋ってる、って感じになっちゃうのは何故。
特に傘泥棒紳士くん、立ち姿からもー大変!な感じっすよ(笑)。画商くんは顔芸激しいな、アグレッシヴだなー(笑)。
「あの最後の一葉が落ちたとき、私も死ぬの……」のウザい妄想娘(笑)、そんな役なのに、ちゃんと儚げでかわいかった。きれいな子だわー。
最後の一葉を描いてやる画家くん、プログラム写真と顔がぜんぜんちがっていてびびった。わたしの目が悪いのか? 化粧するとあーゆー顔になるのか。芝居がなければマジわかんねー。
男子の中ではいちばん芝居が好みだった気がする。うまいというほど他の子と差別化されているわけじゃないと思うが……なんか、気になった。で、顔もおぼえられたらしく、ダンスでもどこにいるのかわかった。(が、ダンスの善し悪しはマジわからん・笑)
毎度のことだが、文化祭では注目できても、あの大きな大劇場に立つと見失ってしまう。
次に出会えるのは、新公やバウで役が付いたりするよーになってからだ。文化祭の記憶を引っ張り出して、あああのときの子か、と思う。
わたしの海馬では、個別認識は難しい。
いつかまた、魅力的な舞台人になって再会する、そのときを楽しみに文化祭を観ているようなものだ。
また、舞台に立ち続ければその人個人のキャラクタも出てくる。
舞台技術だけでなく内面も磨いて、良い舞台人になって欲しい。
わたしが観た回は、文化祭初日初回。
芝居は、O・ヘンリの『警官と賛美歌』『賢者の贈り物』『最後の一葉』をひとつの時間軸にぶち込んだ作品なので、主役は3人。
そのうちの『賢者の贈り物』の主役、夫へのプレゼントを買うために大切な髪を売ってしまう妻役の子だ。
夫役の子が素敵にヘタレっつーかぜんぜんうまくなかったんだが(笑)、それでも妻ひとりでいじらしい演技をしていた。
感情移入して胸が痛かったよ。思い詰めた表情が真摯で。
声もきれいだし、雄弁だし……ってこの子、幕開きで「清く正しく美しく」独唱した歌ウマさんなんだね。
芝居はどうしても、女の子たちが有利。
男の子たちはねえ……声も姿も大変なことに。衣装着るだけでも、あんなに難しいことなんだねええ。
わかっているけど、ほんと女子校の文化祭まんまになっちゃうんだよなあ。
うまいのかどうかはよくわかんなかったけれど、『警官と賛美歌』の脇役、主役の相棒みたいな浮浪者役の男の子は、かわいかった。
かわいいキャラで通せる役なので、男役スキルが足りていなくても気にならなかった。
プログラムの素顔写真でいちばん好みだったので(笑)、舞台でどんな顔になるのか注目していたんだが、思っていたよりずっとかわいこちゃんだった。爬虫類系になるかと思っていたのに。(そーゆー好みですか)
谷せんせGJ!と思うのは、芝居の配役表に役名の他、役柄名が添えてあること。ソーピー(浮浪者)とかね。そして、記載順序も役の比重が高い順番だった。
つまり、主役がいちばん上に来て、台詞も出番もろくにない端役は末尾に記載される。……え、当たり前って? いいえ、当たり前じゃないの、だってハリーは!!
正塚せんせだったら、役柄名はナシよ? ただの役名だけ羅列だよ? 作中で名前もほとんど出てこないから、どの役名がどんな役柄なのかプログラム見てもわかんないし、舞台見てもわかんないのよ?
そして、役の比重とは関係なく、生徒の名前のあいうえお順で記載されるのよ? 誰が主役なのかすら、プログラム見てもわかんないし、舞台見てもわかんないのよ?
それに比べて、谷せんせ優しいなあ(笑)。
おかげで、記憶力なくて人の顔がわかんないわたしですら、「あのいじらしい妻役の子は**さんね」「**くんって、舞台ではあんな顔になんのかー、ほー」とか思って見られたんだわ。
もっとも、芝居で注目した子たちも、次のダンス・コンサートになると見失っておりましたが。
ダメじゃん、わたしの海馬。
他に気になった子たちは。
日舞ソロの男の子が、ものすげー「昭和」っぷりだった。
どこのハマコさんが現れたのかと。はっきりした顔立ちにクドい芸風、そして体型。
歌はハマコぢゃなかったのが残念。芝居は見られなかった。
クラシック・ヴォーカルも務め、芝居では『最後の一葉』で主役を務めた女の子は、実に堂々たるスターっぷりでした。ポピュラー・ヴォーカルではフィナーレのオブリガートも務めるし。
芝居も安定した巧さだった。……でも、あまり好みの芝居ではなかったんだよなあ、うまいけど感情移入する系ではなかった、わたしには。
華やかな美形男子がいて、ポピュラー・ヴォーカルでトリオ登場したときから、なんか客席から注目されてるっぽかった。
歌も声も微妙っつーかヘタレていたんだが、なにしろほら、アイドル系だから(笑)。このタイプは歌がアレだとお約束でもあるんだろうか。ちなみに芝居もうまくなかったっす。
どうやらダンサーだったらしく、最後のタンス・コンサートでは特別ポジションで踊りまくっていた。……1回ぺたんとしりもちついてたけど。が、がんばれ(笑)。
ポピュラー・ヴォーカルのトリを務める歌ウマ男子くんは、個性的な顔立ちで、ポンコツ海馬のわたしでもおぼえられた。
芝居は悪くないけど、なにしろまだ性別分化してないっす。かろうじて少年かなあ、大人の医者には見えなかった。
歌声がわりと好みだったのは「かわらぬ思い」デュエットの片方の子。また、「ONE HEART」を歌った少年も素直な良い声だと思ったけれど……ふたりとも、芝居になるとふつーにオンナノコが喋ってる、って感じになっちゃうのは何故。
特に傘泥棒紳士くん、立ち姿からもー大変!な感じっすよ(笑)。画商くんは顔芸激しいな、アグレッシヴだなー(笑)。
「あの最後の一葉が落ちたとき、私も死ぬの……」のウザい妄想娘(笑)、そんな役なのに、ちゃんと儚げでかわいかった。きれいな子だわー。
最後の一葉を描いてやる画家くん、プログラム写真と顔がぜんぜんちがっていてびびった。わたしの目が悪いのか? 化粧するとあーゆー顔になるのか。芝居がなければマジわかんねー。
男子の中ではいちばん芝居が好みだった気がする。うまいというほど他の子と差別化されているわけじゃないと思うが……なんか、気になった。で、顔もおぼえられたらしく、ダンスでもどこにいるのかわかった。(が、ダンスの善し悪しはマジわからん・笑)
毎度のことだが、文化祭では注目できても、あの大きな大劇場に立つと見失ってしまう。
次に出会えるのは、新公やバウで役が付いたりするよーになってからだ。文化祭の記憶を引っ張り出して、あああのときの子か、と思う。
わたしの海馬では、個別認識は難しい。
いつかまた、魅力的な舞台人になって再会する、そのときを楽しみに文化祭を観ているようなものだ。
また、舞台に立ち続ければその人個人のキャラクタも出てくる。
舞台技術だけでなく内面も磨いて、良い舞台人になって欲しい。
ヒゲ+白衣ですから!@新人公演『ソルフェリーノの夜明け』
2010年2月23日 タカラヅカ 本公演というか、その「作品」への興味が新人公演の客足を決める、面はあると思う。
『エリザベート』『スカーレット・ピンパーネル』など、大作の新公はチケ難になるもの。
「この作品を好きだから、別キャストだとどうなるのか知りたい」と思うのかな。
雪組新人公演『ソルフェリーノの夜明け』は、その点でとても分が悪かった、と思う。
初日に芝居を観たとき、「新公観る気がしない話だな」と溜息をついた。
それはわたしだけではないらしく、終演後合流した友人も同じことを言っていたし。
同じようにひどい作品でも、とりあえず『ベルばら』まで行くと、すでにアレは商標だから、作品の出来云々ではなく「オスカルはどうだろう」「アンドレはどうだろう」と客足も動くんだろうけど。
まったく無名の新作で、中身がコレだと、役者を好きでないとわざわざ観ないよなあ。
つまり本公演は、ほんとに水くんはじめキャストの力で支えてるんだよなあ。
これでキャストが無名の新人抜擢! とかならまた、話題にもなるかもしんないけど、初主演の咲奈くんは学年は若くても、すでに3番手、2番手と順調にこなしているもんで、シンデレラストーリー好きのライト層にもアピール弱いんだよなあ。
忙しかったり体調がイマイチだったりで、けっこー心くじかれていたんだが、それでも重い腰を上げてムラまではるばる行ってきた。
……当日券売り切れてなかった……ずらりと並んだサバキは叩き売り状態だった……近年めずらしい状況だ、新公でコレって。
植爺だとこんなところまで影響するんだなあ。溜息。
それでも、とにもかくにも。
あずりん眺めてました。
配役が発表になったとき、いちおー期待したんだ。
あずりんが、マヤさんの役!って。
マヤさんはどの作品に出ても、主役以外でいちばんオイシイ役だったりするじゃないですか。
さらに、専科さん偏愛気質の植爺だと、半端な路線役より専科さんの方がイイ役だったりするじゃないですか。
まあ実際、ハーベルマン先生@マヤさんは、やたら出番と台詞があり、いつものマヤさんらしい比重の役でした。
が、なにしろ植爺なので、出番と台詞が多い人ほどウザいという難点もあった(笑)。
台詞の行数が多いことでしか役の比重を上げられない植爺なので、ハーベルマン先生の台詞の無駄なこと。1行で済むことを10行くらいかけて、えんえん同じことを言うからなー。
それでもっ、あずりんだから!(笑)
ハーベルマン@あずりん、やたらオトコマエでした。
ビジュアルの話っす。
ヒゲっ、あずりんの、ヒゲっ。
ぶっといモミアゲ、ぐるりとアゴ一周ヒゲっ。
ワイルドなんですけど? セクスィなんですけど?(笑)←笑うのか。
ビジュアルからして、本役さんとまったくチガウのでウケました。
年齢設定いくつ? マヤさんだと「殺された娘」は成人した、アンリエットと同じくらいの年齢の女性のイメージだけど、あずりんだと娘はツインテールの幼女だなー。就学年齢前の幼子を目の前で殺されたんだったら、そりゃおとーさんコワレちゃうわな、てな。
あずりんは懸命にマヤさんをコピってました。
喋り方から、動き、立ち方まで。
てゆーかハーベルマンせんせーって、かなり不審者。
マヤさんだから気にならなかったけれど、あんなにゆらゆら変な動きと体勢で、芝居している人たちの画面に入り込んでいると、ウザいわー(笑)。←ウザいのか。
植爺芝居のアレな部分を、改めて見せつけられた気がしました。
マヤさんもやり過ぎていると思うし、そのマヤさんの芝居をまんまコピって生真面目に演じているあずりんも、それでいいのかどうかわかんないけれど、とりあえず、わたしが愉快だったので無問題。
ええ、わたしが(笑)。
あんなに喋ってるあずりん、はじめて見た。
彼、こんな声だった?
はじめて声聞くみたいな、新鮮さ。
がんばってマヤさん風の胡散臭さを出そうとしているんだけど、なにしろ見た目から違いすぎるので違和感バリバリ。
だってあずりん、ワイルドな若めのおじさん、トウの立ったにーちゃんなんだもん。
まだまだ人生現役で、そのへんの兵隊さんより強そうで、なのにナニを甘えたこと言ってんだ、て感じ。
じーさん寄りのおっさんが逃避して飲んだくれてるのとは、ワケがチガウわー。キリキリ働けっつの(笑)。
そして、マヤさんの老練さを感じさせる、死んだ娘の話をしたあとの退場シーン。
またおちゃらけた様子で歌いながら去るんだけど、そこに彼のかなしみが集約されていて、観客を背中で泣かせるところね。
……なんかふつーに退場しちゃいましたよ、あずりん!! あんまりふつーにすっと建物に入ってしまって、びびった。ええっ、ソレでいいの?!と。
マヤさんをコピるのなら、そここそをコピってほしかったっす……。
とまあ、気になるところ、拍子抜けしたところはあるにしろ。
ビジュアルが、好みすぎる。
顔を眺めているだけで、シアワセでした。
おかげでもお、彼の顔ばっか見てた(笑)。
ヒゲのおかけで、唇が強調されている気がした。
わたしの大好きな、あの厚めの唇~~。
横顔が美しいなあ。
やっぱヒゲが似合う男はいいっすよ。
最後の病人積んだ荷車の前で、片膝突いているのが大層かっこよかったっす。
でもってこの最後の場面はハーベルマンせんせ改心後、かつ命懸けだったりするから、すげーきりっとした強い表情しているのー。ちょっとびびっていたりもするんだけど、それでも「信念!」って引き締め直したりしてるのー。
美しいあずりんを、ごちそうさまでした。
新公観に行ってよかったっす。
『エリザベート』『スカーレット・ピンパーネル』など、大作の新公はチケ難になるもの。
「この作品を好きだから、別キャストだとどうなるのか知りたい」と思うのかな。
雪組新人公演『ソルフェリーノの夜明け』は、その点でとても分が悪かった、と思う。
初日に芝居を観たとき、「新公観る気がしない話だな」と溜息をついた。
それはわたしだけではないらしく、終演後合流した友人も同じことを言っていたし。
同じようにひどい作品でも、とりあえず『ベルばら』まで行くと、すでにアレは商標だから、作品の出来云々ではなく「オスカルはどうだろう」「アンドレはどうだろう」と客足も動くんだろうけど。
まったく無名の新作で、中身がコレだと、役者を好きでないとわざわざ観ないよなあ。
つまり本公演は、ほんとに水くんはじめキャストの力で支えてるんだよなあ。
これでキャストが無名の新人抜擢! とかならまた、話題にもなるかもしんないけど、初主演の咲奈くんは学年は若くても、すでに3番手、2番手と順調にこなしているもんで、シンデレラストーリー好きのライト層にもアピール弱いんだよなあ。
忙しかったり体調がイマイチだったりで、けっこー心くじかれていたんだが、それでも重い腰を上げてムラまではるばる行ってきた。
……当日券売り切れてなかった……ずらりと並んだサバキは叩き売り状態だった……近年めずらしい状況だ、新公でコレって。
植爺だとこんなところまで影響するんだなあ。溜息。
それでも、とにもかくにも。
あずりん眺めてました。
配役が発表になったとき、いちおー期待したんだ。
あずりんが、マヤさんの役!って。
マヤさんはどの作品に出ても、主役以外でいちばんオイシイ役だったりするじゃないですか。
さらに、専科さん偏愛気質の植爺だと、半端な路線役より専科さんの方がイイ役だったりするじゃないですか。
まあ実際、ハーベルマン先生@マヤさんは、やたら出番と台詞があり、いつものマヤさんらしい比重の役でした。
が、なにしろ植爺なので、出番と台詞が多い人ほどウザいという難点もあった(笑)。
台詞の行数が多いことでしか役の比重を上げられない植爺なので、ハーベルマン先生の台詞の無駄なこと。1行で済むことを10行くらいかけて、えんえん同じことを言うからなー。
それでもっ、あずりんだから!(笑)
ハーベルマン@あずりん、やたらオトコマエでした。
ビジュアルの話っす。
ヒゲっ、あずりんの、ヒゲっ。
ぶっといモミアゲ、ぐるりとアゴ一周ヒゲっ。
ワイルドなんですけど? セクスィなんですけど?(笑)←笑うのか。
ビジュアルからして、本役さんとまったくチガウのでウケました。
年齢設定いくつ? マヤさんだと「殺された娘」は成人した、アンリエットと同じくらいの年齢の女性のイメージだけど、あずりんだと娘はツインテールの幼女だなー。就学年齢前の幼子を目の前で殺されたんだったら、そりゃおとーさんコワレちゃうわな、てな。
あずりんは懸命にマヤさんをコピってました。
喋り方から、動き、立ち方まで。
てゆーかハーベルマンせんせーって、かなり不審者。
マヤさんだから気にならなかったけれど、あんなにゆらゆら変な動きと体勢で、芝居している人たちの画面に入り込んでいると、ウザいわー(笑)。←ウザいのか。
植爺芝居のアレな部分を、改めて見せつけられた気がしました。
マヤさんもやり過ぎていると思うし、そのマヤさんの芝居をまんまコピって生真面目に演じているあずりんも、それでいいのかどうかわかんないけれど、とりあえず、わたしが愉快だったので無問題。
ええ、わたしが(笑)。
あんなに喋ってるあずりん、はじめて見た。
彼、こんな声だった?
はじめて声聞くみたいな、新鮮さ。
がんばってマヤさん風の胡散臭さを出そうとしているんだけど、なにしろ見た目から違いすぎるので違和感バリバリ。
だってあずりん、ワイルドな若めのおじさん、トウの立ったにーちゃんなんだもん。
まだまだ人生現役で、そのへんの兵隊さんより強そうで、なのにナニを甘えたこと言ってんだ、て感じ。
じーさん寄りのおっさんが逃避して飲んだくれてるのとは、ワケがチガウわー。キリキリ働けっつの(笑)。
そして、マヤさんの老練さを感じさせる、死んだ娘の話をしたあとの退場シーン。
またおちゃらけた様子で歌いながら去るんだけど、そこに彼のかなしみが集約されていて、観客を背中で泣かせるところね。
……なんかふつーに退場しちゃいましたよ、あずりん!! あんまりふつーにすっと建物に入ってしまって、びびった。ええっ、ソレでいいの?!と。
マヤさんをコピるのなら、そここそをコピってほしかったっす……。
とまあ、気になるところ、拍子抜けしたところはあるにしろ。
ビジュアルが、好みすぎる。
顔を眺めているだけで、シアワセでした。
おかげでもお、彼の顔ばっか見てた(笑)。
ヒゲのおかけで、唇が強調されている気がした。
わたしの大好きな、あの厚めの唇~~。
横顔が美しいなあ。
やっぱヒゲが似合う男はいいっすよ。
最後の病人積んだ荷車の前で、片膝突いているのが大層かっこよかったっす。
でもってこの最後の場面はハーベルマンせんせ改心後、かつ命懸けだったりするから、すげーきりっとした強い表情しているのー。ちょっとびびっていたりもするんだけど、それでも「信念!」って引き締め直したりしてるのー。
美しいあずりんを、ごちそうさまでした。
新公観に行ってよかったっす。
ソルフェリーノの男たち。@新人公演『ソルフェリーノの夜明け』
2010年2月24日 タカラヅカ んで、改めて咲奈くん、新公初主演おめでとー!
雪組ではキム以来の下級生主演なんだね。
されどキムが抜擢されたときほどの話題性っつーか、注目感がないのはどうしてだろう?
昔とちがって今はなにかと情報が氾濫しているせいかなあ。
雪組新人公演『ソルフェリーノの夜明け』にて、とてもさわやかなアンリー・デュナンでした。
咲奈くんの素直な持ち味が、涼やかな光になって暗い色調の舞台に灯っている。
灯って、広がって、やがて舞台全体を満たす。……そんな感じの主役っぷり。
カリスマ的に空気を掌握してガンガン行く、というわけではなくて。
長身小顔手足長っのスタイル良しさん、現代的な若者ゆえか、あちこちがんばって大芝居してた。あれくらいやらないと、この古典的な作品はやってらんないよなあ(笑)。
歌がうまいことは周知のことなんだが、今回はなにしろ「あの主題歌、1曲」だからなあ。歌唱力よりハッタリ力、気合いとパッションで押し切る力任せな曲しかないので、咲奈くん的にはあまりうまく聞こえなかったのが惜しい。
にしても、もりえくんに似ている……。
アップで見るとそうでもないし、スカステの旅番組で見る限りぜんぜん似ていないのはわかっているが、オペラ無しで見ているとそっくりだ。
無精髭が見事に似合わなかったのはご愛敬。
あれは相当男役スキル高くないと無理だな。つか水先輩がすごすぎるんだ(笑)。
雪組まるまるトリオ、と個人的に呼んでいるのが、りんきら、咲奈、ホタテ。
この3人に日本物なんぞされた日にゃあ、区別がつかなくてこまりました(笑)。
でも改めて見ると、ちゃんと個性あるよね、当然だよね、ごめんね。
エクトール@ホタテくんはトリオ比較で古典的に見えました。
やさしげな風情と恰幅の良さは、本役さんとは別の意味で役に合っていたかなと。木訥な感じがいいやね。
勝負服がとんでもねーカエル色ではなく、落ち着いたブルーだったので突拍子なさがなくなっていた。
しかし、銀橋の歌が大変……。
物語ともエクトール先生ともホタテくんともまったく無関係の歌を、あの流れで歌わなければならないってのは、難易度高すぎるよ。
植爺ってば……。
ファンティ@りんきらは、いい男だなー。あの肉厚な感じは、壮年の男としての説得力になるかと。ヒゲも似合ってますわ。
前回の新公、汝鳥サマの役もふつーにうまかったし、このまま味のあるおじさま役者になってくれるといいなあ。
芝居できるし、歌もまずまず歌える人だったよね。……だからその、悲劇の美青年@『雪景色』とかやらなければ、なんの問題もないんだと改めて思った。いやその、痩せてくれれば美青年役でもいいんだが……あああもったいないー、なんであんなにまるまるなんだー。
りんきらと共にいい仕事をしていたのが、ポルリノ@がおりくん。
いやあ、うまいなー。
あの安定感。すごく安心して見ていた。軍服も似合ってきれいだよね。
新公主演経験者が、下級生主演者をあたたかく見守り、後ろでがっつり支えてくれるのは、見ていてもうれしくなる。
前回の新公で美貌っぷりが素敵だった彩凪くんと久城くん。
やっぱきれいだなー、この子たち。
ハンデル@彩凪くんが、きれーだわかっこいいわで。
ヲヅキファンの友人が、がっつり食いついていた(笑)。や、本役のヲヅキさんも、この役をやっているときはマジ二枚目だと思いますが、新公ではさらにわかりやすい少女マンガキャラ風で、こんな美形さんに嘆かれたりした日ににゃ、ときめきますな(笑)。
カルドナ@久城くん、歌、うまい。
や、ぜんぜんノーマークだった、あんなにうまいの? 前回も歌っていたよーな気はするが、アメリカチームとしてみんなで一緒になってわーっとやっていたイメージしかなくて、ぜんっぜん知らなかった。
好みの顔立ちだし、今Myブーム中のコマくんの役なので最初から注目していたんだが、歌声でさらにときめき度アップ(笑)。
本役と比べすぎても意味はない。新公は新公で、独自の役作りをしてヨシ。
……とは思うんだが、なにしろコマのカルドナくんが独特の厚みクドみがあるもので。
久城くんのカルドナはなんつーかこう、きれいでした。すっときれいで、引っかかりがない。
そのため、彼が「下手な歌」と揶揄されるところで、何故か赤面してしまいました、わたし。
あの少女マンガっぽい久城くんカルドナがにこやかに美声を披露していた、そのことを攻撃されると、なんか恥ずかしかった。身につまされるというか。や、日常でもあるじゃん、ふつーに楽しんでいたことをあとから「バッカじゃね」と言われると傷つくってゆーか。
これがコマくんだと平気なんだよなー。コマドナくんは、わたしが身につまされるような次元のキャラぢゃないから(笑)。あんだけねっとり歌ってたら、そりゃ揚げ足取りたくなる人も出てくるわ、みたいな。
アヴェマリアによる改心場面も、久城くんだとわりと平坦だったような……いや、コマが濃すぎるのか。(そしてわたしが今、コマを好き過ぎるのだろう・笑)
久城くんの顔は好みなんですが、そして顔は十分小振りだと思うのですが、それに比べてアタマが大きくないですか、彼。横顔になるとアタマのカタチが特徴的でツボりました。そんなところもトド様に似ている(笑)。
これから楽しみだ~~。
で、美貌と言えばなんつってもモラルド@れのくん。
きれいだなー。
ひろみちゃんの役で、なにがどうではなく「美貌」ポジション。画面に花を添える役割を担う。
いやその、植爺芝居なので役はあってもキャラクタはナイ、いつも多人数で登場、同じことを順番に喋るだけ……なので、あとは美貌と華勝負。
れのくんがその美貌でイタリア負傷兵チームのリーダーっす!みたいな感じで登場してくれると、ぱっと華やいでイイ。
あー、他の男子みなさんもわいのわいのと同じ顔ぶれで登場されるので、ひとりずつキャラはあるんだろうけれどそこまではよくわからず。
ちぎくん役のレオくん、あの役はちぎくんだからまだどこにいるかわかったんだな、と思った。レオくんはお芝居好きな子だと以前思ったんだが、今回は油断するとモブにまぎれてしまってちゃんと芝居を見られなかったっす。
透真くんはますますみっさまに似ていた(笑)。まなはるは本役の方がいい役だよなあ。新公ではしどころがないというか、顔芸は激しかったけれども。
大澄れいくんがいつもなんか舞台にいる気がしたんが、気のせいか?(笑)
雪組ではキム以来の下級生主演なんだね。
されどキムが抜擢されたときほどの話題性っつーか、注目感がないのはどうしてだろう?
昔とちがって今はなにかと情報が氾濫しているせいかなあ。
雪組新人公演『ソルフェリーノの夜明け』にて、とてもさわやかなアンリー・デュナンでした。
咲奈くんの素直な持ち味が、涼やかな光になって暗い色調の舞台に灯っている。
灯って、広がって、やがて舞台全体を満たす。……そんな感じの主役っぷり。
カリスマ的に空気を掌握してガンガン行く、というわけではなくて。
長身小顔手足長っのスタイル良しさん、現代的な若者ゆえか、あちこちがんばって大芝居してた。あれくらいやらないと、この古典的な作品はやってらんないよなあ(笑)。
歌がうまいことは周知のことなんだが、今回はなにしろ「あの主題歌、1曲」だからなあ。歌唱力よりハッタリ力、気合いとパッションで押し切る力任せな曲しかないので、咲奈くん的にはあまりうまく聞こえなかったのが惜しい。
にしても、もりえくんに似ている……。
アップで見るとそうでもないし、スカステの旅番組で見る限りぜんぜん似ていないのはわかっているが、オペラ無しで見ているとそっくりだ。
無精髭が見事に似合わなかったのはご愛敬。
あれは相当男役スキル高くないと無理だな。つか水先輩がすごすぎるんだ(笑)。
雪組まるまるトリオ、と個人的に呼んでいるのが、りんきら、咲奈、ホタテ。
この3人に日本物なんぞされた日にゃあ、区別がつかなくてこまりました(笑)。
でも改めて見ると、ちゃんと個性あるよね、当然だよね、ごめんね。
エクトール@ホタテくんはトリオ比較で古典的に見えました。
やさしげな風情と恰幅の良さは、本役さんとは別の意味で役に合っていたかなと。木訥な感じがいいやね。
勝負服がとんでもねーカエル色ではなく、落ち着いたブルーだったので突拍子なさがなくなっていた。
しかし、銀橋の歌が大変……。
物語ともエクトール先生ともホタテくんともまったく無関係の歌を、あの流れで歌わなければならないってのは、難易度高すぎるよ。
植爺ってば……。
ファンティ@りんきらは、いい男だなー。あの肉厚な感じは、壮年の男としての説得力になるかと。ヒゲも似合ってますわ。
前回の新公、汝鳥サマの役もふつーにうまかったし、このまま味のあるおじさま役者になってくれるといいなあ。
芝居できるし、歌もまずまず歌える人だったよね。……だからその、悲劇の美青年@『雪景色』とかやらなければ、なんの問題もないんだと改めて思った。いやその、痩せてくれれば美青年役でもいいんだが……あああもったいないー、なんであんなにまるまるなんだー。
りんきらと共にいい仕事をしていたのが、ポルリノ@がおりくん。
いやあ、うまいなー。
あの安定感。すごく安心して見ていた。軍服も似合ってきれいだよね。
新公主演経験者が、下級生主演者をあたたかく見守り、後ろでがっつり支えてくれるのは、見ていてもうれしくなる。
前回の新公で美貌っぷりが素敵だった彩凪くんと久城くん。
やっぱきれいだなー、この子たち。
ハンデル@彩凪くんが、きれーだわかっこいいわで。
ヲヅキファンの友人が、がっつり食いついていた(笑)。や、本役のヲヅキさんも、この役をやっているときはマジ二枚目だと思いますが、新公ではさらにわかりやすい少女マンガキャラ風で、こんな美形さんに嘆かれたりした日ににゃ、ときめきますな(笑)。
カルドナ@久城くん、歌、うまい。
や、ぜんぜんノーマークだった、あんなにうまいの? 前回も歌っていたよーな気はするが、アメリカチームとしてみんなで一緒になってわーっとやっていたイメージしかなくて、ぜんっぜん知らなかった。
好みの顔立ちだし、今Myブーム中のコマくんの役なので最初から注目していたんだが、歌声でさらにときめき度アップ(笑)。
本役と比べすぎても意味はない。新公は新公で、独自の役作りをしてヨシ。
……とは思うんだが、なにしろコマのカルドナくんが独特の厚みクドみがあるもので。
久城くんのカルドナはなんつーかこう、きれいでした。すっときれいで、引っかかりがない。
そのため、彼が「下手な歌」と揶揄されるところで、何故か赤面してしまいました、わたし。
あの少女マンガっぽい久城くんカルドナがにこやかに美声を披露していた、そのことを攻撃されると、なんか恥ずかしかった。身につまされるというか。や、日常でもあるじゃん、ふつーに楽しんでいたことをあとから「バッカじゃね」と言われると傷つくってゆーか。
これがコマくんだと平気なんだよなー。コマドナくんは、わたしが身につまされるような次元のキャラぢゃないから(笑)。あんだけねっとり歌ってたら、そりゃ揚げ足取りたくなる人も出てくるわ、みたいな。
アヴェマリアによる改心場面も、久城くんだとわりと平坦だったような……いや、コマが濃すぎるのか。(そしてわたしが今、コマを好き過ぎるのだろう・笑)
久城くんの顔は好みなんですが、そして顔は十分小振りだと思うのですが、それに比べてアタマが大きくないですか、彼。横顔になるとアタマのカタチが特徴的でツボりました。そんなところもトド様に似ている(笑)。
これから楽しみだ~~。
で、美貌と言えばなんつってもモラルド@れのくん。
きれいだなー。
ひろみちゃんの役で、なにがどうではなく「美貌」ポジション。画面に花を添える役割を担う。
いやその、植爺芝居なので役はあってもキャラクタはナイ、いつも多人数で登場、同じことを順番に喋るだけ……なので、あとは美貌と華勝負。
れのくんがその美貌でイタリア負傷兵チームのリーダーっす!みたいな感じで登場してくれると、ぱっと華やいでイイ。
あー、他の男子みなさんもわいのわいのと同じ顔ぶれで登場されるので、ひとりずつキャラはあるんだろうけれどそこまではよくわからず。
ちぎくん役のレオくん、あの役はちぎくんだからまだどこにいるかわかったんだな、と思った。レオくんはお芝居好きな子だと以前思ったんだが、今回は油断するとモブにまぎれてしまってちゃんと芝居を見られなかったっす。
透真くんはますますみっさまに似ていた(笑)。まなはるは本役の方がいい役だよなあ。新公ではしどころがないというか、顔芸は激しかったけれども。
大澄れいくんがいつもなんか舞台にいる気がしたんが、気のせいか?(笑)
年度替わりの新人公演。@新人公演『ソルフェリーノの夜明け』
2010年2月25日 タカラヅカ かわいいと得だな。
と、思った新人公演『ソルフェリーノの夜明け』。
アンリエット@あゆちゃんは、ツンツンしていてもかわいい。言っていることはキツいのかもしんないけど、その丸いかわいい顔で言われても「アリだな」と思えるから不思議だ(笑)。
男子向けマンガのヒロインみたいだ。すごく自己中でキツイんだけど、顔がかわいいから許されてる、みたいな。同じことをブスが言ったらフルボッコだけど、美少女だから「世界」から許されている、みたいな。
そーゆー男子向けマンガは苦手なので読まないんだけど、あゆちゃんはかわいいから許す(笑)。←言っていることがめちゃくちゃです。
本役のみなこちゃんは外見も含めてキツい女の子に見えるし、そこから変わっていくのがドラマなわけだが、新公のあゆちゃんは最初から「ほんとはやさしい子なんだろうな」と思わせる「背伸び感」がある。
どっちもアリでしょー。
ほんとうは優しくしたいのに、それが出来ない、許せないことが苦しい……みたいに見えたから、デュナン@咲奈くんとの出会いで解き放たれて、戒めがとれてほっとしているように思える。またデュナンくんが癒やし系だから、余計に。
よかったねー。憎しみという呪いが解けて、本当の姿に戻れたんだね。ほろり。
他の女の子の役が、実はいまいちわかっていない……。
本役さゆちゃんの役とさらさちゃんの役ぐらいしか、区別ついてないんだもんよ。
どっちもやさしい女の子キャラらしい、ということしかわかっていないわたしは、他を見るので忙しかったんだろう。
ところでわたしは、「あなたなら歌えるわ」という台詞が苦手なんだが。これは新公だからではなく、本公も含め、脚本自体が。
他人に振ってんぢゃねーよ、自分でまず歌えよ、と突っ込んでしまいましたから(笑)。
誰だって集団の中で最初に反抗的な意思表示をするのは難しい。反対意見をたったひとりで述べるのは勇気がいる。……なのに、後輩に向かって「反対だって言いなさい」と命令する先輩ってどんなパワハラ……?! と、白目剥きましたから、初日に。
歌ウマ娘役ちゃんに見せ場があるのは良いことだが、何故こんな持って行き方をするんだと小一時間……。
自分で口火を切らずに後輩に難役を押し付けた看護婦、とゆーことで、さゆちゃん演ずる看護婦さんに対し、混乱が生じたという(笑)。や、植爺が植爺なだけで、やさしい女の子キャラなんだろうけどな。
悪いのは植爺、と納得して見ている新公は、同じ台詞に対しても耐性があり、「パワハラをするコワイ先輩」ではなく、善意の人だと思って観ることが出来た。
てゆーかさゆちゃん、新公出てないんだね。
89期が卒業し、90期が長になっている。年度変わりに差し掛かる公演なので、全組通して代替わりが行われた最初の新公なんだ。
なにしろがおりくんが長の挨拶するんだもんなあ。時の流れを感じるなあ。
と言いつつ、新公の舞台にいちばん違和感を持ったのは、みうとがいないことでした。
なにがどう、じゃないんだけどわたしは舞台上に探していた、みうとくんの姿を。なんとなく「みうとがいそうなポジション」を見回して、あれ、いない?! と思い、代わりに大澄れいくんを見つけていたりした。
何故だ……今までも特にこのブログでみうとに対して触れていたことはナイと思うんだが(顔が好みだとは書いたよーな?)、実はけっこー好きだったのか?! 自分でもおどろいた、何故こうまで彼を探すことがふつーになっているのか。目の端に「ああ、みうとだわ」と入れることがふつーで、いなくなってはじめて「あれ、いない?」とおどろく、そのこと自体におどろいたわ(笑)。
本公演で医者役もらってますますわたしの視界に入っているのは、新公卒業したからだったのか……学年が上がって本公演での扱いもナニ気に上がっていたのか……。
本公演も含めて目に入る人、つかけっこー好みなんですけど、という若手くん、グラン先生@朝風くん。
いつものよーに主役以外の配役を知らないまま見ていたので、朝風くんがそらくんの役でどーんと出てきたのにびびりました(笑)。そうか、役付いてたのか、わーい。
ああ、いそうだね、こんなお医者さん……というか、あの微妙な枯れっぷりが良くないですか彼。無力そうなとこがいいじゃないですか。
ゼンマイ巻いたら強く動き回りそうなんだけど、今は切れかけてますっていうか。
美形過ぎない、でもオトコマエなあたりがいいなー。
ベネディック将軍@央雅光希くんがいい感じでした。出てきた瞬間、若い子なんだろうなと頬のラインでわかったけれど、汝鳥さんの大きさを出そうと健闘。
えーと、まだ研5なのか。押さえの演技は大変だろうけど、この役の経験は将来に生かされるだろうな。
年配役といえば、おじさん@月城くんがうまかったっす。
ヒゲで顔とかぜんぜん判別ついていなんだけど、いい感じだなーと思ってあとでプログラム見て。ん? 95期って……研1? 次の『スカピン』で初舞台生入ってくるまで、95期が研1だよな? 研1でおじさん役? しかもうまいって……。
そして、どっかで見た名前だな、月城かなとって、と見直してみる。
あ、文化祭のマスター役の子だ、あのかっこいい子!
えええ、あのマスターがあのおじさん?!
びっくりだ。
研1抜擢といえば、ポポリーノ@桜路くん。こちらも配役知らないで見ていたので、あとから研1だと知った。だがこちらの彼は、文化祭での記憶はない。芝居を見ていないからだな(文化祭は芝居がWキャスト)。星組の凰津くんの役をやっていた子なんだね。
なによりハモニカ大変!(笑)と思った。本役のまなはるはうまかったんだなあ。や、ハモニカへたっぴでもジェンヌの価値とは関係ないからいいんだけど、それにしてもうまくなさ過ぎて、関係ないところで手に汗握った(笑)。加えて、見せ場であるアヴェマリアのソロも……た、大変(笑)。がんばれ。
や、声がぶるぶる震えてひっくり返って、てのが芝居的にリアルかもしれない。ポポリーノがオペラ歌手みたいに朗々と美声を披露したら変だろうし。
表情がずーーっと同じなのは、気になった。こわい、きつい顔で固まったまま。エリザベート役のときのさゆちゃんを思い出した。大役で大変だったんだろうな。
若い子に役がついているのは今後が楽しみっす。
研7抜きの下級生だけ、植爺だから役も見せ場も一部の人にしかありません状態だけど、熱意の伝わる舞台でした。
と、思った新人公演『ソルフェリーノの夜明け』。
アンリエット@あゆちゃんは、ツンツンしていてもかわいい。言っていることはキツいのかもしんないけど、その丸いかわいい顔で言われても「アリだな」と思えるから不思議だ(笑)。
男子向けマンガのヒロインみたいだ。すごく自己中でキツイんだけど、顔がかわいいから許されてる、みたいな。同じことをブスが言ったらフルボッコだけど、美少女だから「世界」から許されている、みたいな。
そーゆー男子向けマンガは苦手なので読まないんだけど、あゆちゃんはかわいいから許す(笑)。←言っていることがめちゃくちゃです。
本役のみなこちゃんは外見も含めてキツい女の子に見えるし、そこから変わっていくのがドラマなわけだが、新公のあゆちゃんは最初から「ほんとはやさしい子なんだろうな」と思わせる「背伸び感」がある。
どっちもアリでしょー。
ほんとうは優しくしたいのに、それが出来ない、許せないことが苦しい……みたいに見えたから、デュナン@咲奈くんとの出会いで解き放たれて、戒めがとれてほっとしているように思える。またデュナンくんが癒やし系だから、余計に。
よかったねー。憎しみという呪いが解けて、本当の姿に戻れたんだね。ほろり。
他の女の子の役が、実はいまいちわかっていない……。
本役さゆちゃんの役とさらさちゃんの役ぐらいしか、区別ついてないんだもんよ。
どっちもやさしい女の子キャラらしい、ということしかわかっていないわたしは、他を見るので忙しかったんだろう。
ところでわたしは、「あなたなら歌えるわ」という台詞が苦手なんだが。これは新公だからではなく、本公も含め、脚本自体が。
他人に振ってんぢゃねーよ、自分でまず歌えよ、と突っ込んでしまいましたから(笑)。
誰だって集団の中で最初に反抗的な意思表示をするのは難しい。反対意見をたったひとりで述べるのは勇気がいる。……なのに、後輩に向かって「反対だって言いなさい」と命令する先輩ってどんなパワハラ……?! と、白目剥きましたから、初日に。
歌ウマ娘役ちゃんに見せ場があるのは良いことだが、何故こんな持って行き方をするんだと小一時間……。
自分で口火を切らずに後輩に難役を押し付けた看護婦、とゆーことで、さゆちゃん演ずる看護婦さんに対し、混乱が生じたという(笑)。や、植爺が植爺なだけで、やさしい女の子キャラなんだろうけどな。
悪いのは植爺、と納得して見ている新公は、同じ台詞に対しても耐性があり、「パワハラをするコワイ先輩」ではなく、善意の人だと思って観ることが出来た。
てゆーかさゆちゃん、新公出てないんだね。
89期が卒業し、90期が長になっている。年度変わりに差し掛かる公演なので、全組通して代替わりが行われた最初の新公なんだ。
なにしろがおりくんが長の挨拶するんだもんなあ。時の流れを感じるなあ。
と言いつつ、新公の舞台にいちばん違和感を持ったのは、みうとがいないことでした。
なにがどう、じゃないんだけどわたしは舞台上に探していた、みうとくんの姿を。なんとなく「みうとがいそうなポジション」を見回して、あれ、いない?! と思い、代わりに大澄れいくんを見つけていたりした。
何故だ……今までも特にこのブログでみうとに対して触れていたことはナイと思うんだが(顔が好みだとは書いたよーな?)、実はけっこー好きだったのか?! 自分でもおどろいた、何故こうまで彼を探すことがふつーになっているのか。目の端に「ああ、みうとだわ」と入れることがふつーで、いなくなってはじめて「あれ、いない?」とおどろく、そのこと自体におどろいたわ(笑)。
本公演で医者役もらってますますわたしの視界に入っているのは、新公卒業したからだったのか……学年が上がって本公演での扱いもナニ気に上がっていたのか……。
本公演も含めて目に入る人、つかけっこー好みなんですけど、という若手くん、グラン先生@朝風くん。
いつものよーに主役以外の配役を知らないまま見ていたので、朝風くんがそらくんの役でどーんと出てきたのにびびりました(笑)。そうか、役付いてたのか、わーい。
ああ、いそうだね、こんなお医者さん……というか、あの微妙な枯れっぷりが良くないですか彼。無力そうなとこがいいじゃないですか。
ゼンマイ巻いたら強く動き回りそうなんだけど、今は切れかけてますっていうか。
美形過ぎない、でもオトコマエなあたりがいいなー。
ベネディック将軍@央雅光希くんがいい感じでした。出てきた瞬間、若い子なんだろうなと頬のラインでわかったけれど、汝鳥さんの大きさを出そうと健闘。
えーと、まだ研5なのか。押さえの演技は大変だろうけど、この役の経験は将来に生かされるだろうな。
年配役といえば、おじさん@月城くんがうまかったっす。
ヒゲで顔とかぜんぜん判別ついていなんだけど、いい感じだなーと思ってあとでプログラム見て。ん? 95期って……研1? 次の『スカピン』で初舞台生入ってくるまで、95期が研1だよな? 研1でおじさん役? しかもうまいって……。
そして、どっかで見た名前だな、月城かなとって、と見直してみる。
あ、文化祭のマスター役の子だ、あのかっこいい子!
えええ、あのマスターがあのおじさん?!
びっくりだ。
研1抜擢といえば、ポポリーノ@桜路くん。こちらも配役知らないで見ていたので、あとから研1だと知った。だがこちらの彼は、文化祭での記憶はない。芝居を見ていないからだな(文化祭は芝居がWキャスト)。星組の凰津くんの役をやっていた子なんだね。
なによりハモニカ大変!(笑)と思った。本役のまなはるはうまかったんだなあ。や、ハモニカへたっぴでもジェンヌの価値とは関係ないからいいんだけど、それにしてもうまくなさ過ぎて、関係ないところで手に汗握った(笑)。加えて、見せ場であるアヴェマリアのソロも……た、大変(笑)。がんばれ。
や、声がぶるぶる震えてひっくり返って、てのが芝居的にリアルかもしれない。ポポリーノがオペラ歌手みたいに朗々と美声を披露したら変だろうし。
表情がずーーっと同じなのは、気になった。こわい、きつい顔で固まったまま。エリザベート役のときのさゆちゃんを思い出した。大役で大変だったんだろうな。
若い子に役がついているのは今後が楽しみっす。
研7抜きの下級生だけ、植爺だから役も見せ場も一部の人にしかありません状態だけど、熱意の伝わる舞台でした。
れおんオチしたら、どーしてくれるんだよおおおっ。
タカラヅカ・レビュー・シネマ『太王四神記 Ver.II』見ました、見に行きましたとも。や、見るでしょそりゃ、第一弾の『ソロモンの指輪』がどんだけ楽しかったか知ってる人なら。
でもってもお、タムドク@れおんくんがステキ過ぎるんですがっ。
好み過ぎるんですがっ。
終始ときめいて大変でした(笑)。
はー……罪が深いわ、レビュー・シネマ。
すべてがまるっと観客に差し出されている舞台とちがい、映画は他者の作為が入る。今回の場合は「映像演出:橋本直樹」氏の手腕になるのかな?
どの人のどの表情をアップにし、ナニを切り捨てるか。ひとつの素材で別物語だって作成可能だ。
だからこそ、おもしろい。
いつも自分で好きなように見ている世界が、「視点」を持つこと。
ヅカの公式DVDやスカステ放送には「視点」がない。アレは映画ではない。ただの記録映像だ。舞台をできるだけ忠実に撮影してあるだけ。
所詮ヅカファンであるわたしは公式映像もジェンヌの顔が映っているというだけの理由で大好きだが、物語好きフィクション好きとしては、映画という「視点」のある映像は別腹で大好物だ。
実験作っぽかった『ソロモンの指輪』とちがい、今回の『太王四神記 Ver.II』は本気で映画だ。
ひとつの物語を、宝塚歌劇まんまをまるっとひとつの映像作品に再構築してある。
「物語」をより明確に演出する。
監督が「見せたい」と思うモノを見せることができる。
それゆえに、プルキル@すずみんの場面はよりおどろおどろしく、ダークに悪役的に。
ナナメになったフレーム、3D酔いしそうな揺れる画面。
主人公であるタムドク@れおん、ヒロイン・キハ@ねねちゃん、ライバル役ヨン・ホゲ@かなめくんの表情を追い、彼らの心情を明確に打ち出す。
ヒーロー物だからこそ、戦闘シーンはよりかっこよく効果を付けて。聖剣発動、蛍光灯光ります!のチュモ神剣の裏側を映さないよう苦労してみたり(笑)。
たのしいなあ。しみじみ。
反面、ミュージカルの魅力のひとつである「ダンス」は捨てにかかってる。
群舞の格好良さを映すのは、映画的ではないんだね。
戦闘シーンもだが、映すのは主役のみで全体に興味はない。全体がどれだけかっこいい動きをしているか、周囲で踊っている人たちが魅力的かは関係なく、真ん中のみに言及。音楽番組で歌い踊るミュージシャンと、そのバックダンサー的扱い。
潔いわな。
ホゲ軍の盾ダンスは戦闘シーン扱いだからまだかっこよく映していたけれど、アレもホゲ様しか興味のない画面構成だったしな。
トップ周辺のポジションではない出演者たちを見たいとか、舞台ならではの群舞を見たいというならスカステや劇団発売DVDを見ていればいいと思うが、『太王四神記 Ver.II』という「物語」を楽しみたいのならこのレビュー・シネマを見る価値がある。
「舞台中継」ではなく「映画」であること。
そこにこだわった作りが気持ちいい。
物語中、一度も拍手が入らないことに感心した。
現代の音響技術って、こんなことができるんだ?
……まあその、すばらしい技術ゆえなのか、歌と画像が合ってない場面もちらほら。ナマのままぢゃあかんかったんかい、加工しすぎですよ、ねえ(笑)。
そーやって物語に集中させ、舞台中継ではなく「映画」だと打ち立てたあとで。
フィナーレになるなり、拍手が入る!
この演出に膝を打った。うまい。
タカラヅカの持つ、ファンタジー性。別世界へつれていってくれる特殊性。
それを見事に表現しているなと。
ヅカの特徴のひとつだよね、どんな物語が展開されていようと、いったん幕が下りれば何事もなかったかのよーに華やかなフィナーレがはじまる、てのは。
どんな悲劇で涙涙に終わろうとも。主人公死んでいようとも。ソレはそれ、コレはこれ。悲劇も涙もこっちへ置いておいて、今は華やかに歌い踊る。敵も味方も悪人も善人も、びんぼー人も貴族も王様も、みんな同じようにキラキラ衣装で歌い踊る。
はじめてヅカを見た人が腰を抜かす、アレ(笑)。
余韻もナニもあったもんぢゃねええ! でもきれー! でもたのしー!
物語パートと、フィナーレの断絶感。
物語に集中していればいるほど、その直後からスタートするお気楽なショー・パートにアタマを殴られた気分になるはず。
その両極端なモノを、平気で内包するのがタカラヅカ。
初心者はまずびびる、他ではありえない「それは置いておいて」精神(笑)。
これぞ異世界。これぞファンタジー。
あの「タカラヅカ」特有のトンデモなさが、なんの解説もなく表現されている(笑)。
そして、そのトンデモなさにずっぽり浸りきったわたしは、こうやって外側から客観的に差し出された「トンデモなさ」に膝を打つ。
ああ、タカラヅカって素敵。タカラヅカって最高。
改めて、「タカラヅカ」を見せてくれた。
気づかせてくれた。
タカラヅカって、面白いよ。すごいよ。
タカラヅカ・レビュー・シネマ『太王四神記 Ver.II』見ました、見に行きましたとも。や、見るでしょそりゃ、第一弾の『ソロモンの指輪』がどんだけ楽しかったか知ってる人なら。
でもってもお、タムドク@れおんくんがステキ過ぎるんですがっ。
好み過ぎるんですがっ。
終始ときめいて大変でした(笑)。
はー……罪が深いわ、レビュー・シネマ。
【タカラヅカ レビュー シネマとは】
それは、宝塚歌劇〔TAKARAZUKA REVUE〕の華やかな舞台と、
映画的な演出〔CINEMA〕があざやかに融合した、幻想的な“映像美”にあふれるオリジナルな映像世界。
劇場でしか味わえなかった感動が、最新のデジタルシネマ技術を駆使して撮影・収録された高画質映像と臨場感溢れるサウンド、
そして情緒感あふれる人物描写とストーリー性が際立つ映像演出によって、新たな物語としてスクリーンの中によみがえります。
■脚本・演出:小池修一郎 ■映像演出:橋本直樹 ■映像制作プロダクション:ウィルコ ■配給:東宝映像事業部 ■映像製作・著作:宝塚クリエイティブアーツ
■チケット:当日¥2,500均一 ■上映時間:152分
■お問い合わせ/宝塚クリエイティブアーツ カスタマーセンター Tel.0797-83-6000(10:00~17:00水休)
以上公式より引用
すべてがまるっと観客に差し出されている舞台とちがい、映画は他者の作為が入る。今回の場合は「映像演出:橋本直樹」氏の手腕になるのかな?
どの人のどの表情をアップにし、ナニを切り捨てるか。ひとつの素材で別物語だって作成可能だ。
だからこそ、おもしろい。
いつも自分で好きなように見ている世界が、「視点」を持つこと。
ヅカの公式DVDやスカステ放送には「視点」がない。アレは映画ではない。ただの記録映像だ。舞台をできるだけ忠実に撮影してあるだけ。
所詮ヅカファンであるわたしは公式映像もジェンヌの顔が映っているというだけの理由で大好きだが、物語好きフィクション好きとしては、映画という「視点」のある映像は別腹で大好物だ。
実験作っぽかった『ソロモンの指輪』とちがい、今回の『太王四神記 Ver.II』は本気で映画だ。
ひとつの物語を、宝塚歌劇まんまをまるっとひとつの映像作品に再構築してある。
「物語」をより明確に演出する。
監督が「見せたい」と思うモノを見せることができる。
それゆえに、プルキル@すずみんの場面はよりおどろおどろしく、ダークに悪役的に。
ナナメになったフレーム、3D酔いしそうな揺れる画面。
主人公であるタムドク@れおん、ヒロイン・キハ@ねねちゃん、ライバル役ヨン・ホゲ@かなめくんの表情を追い、彼らの心情を明確に打ち出す。
ヒーロー物だからこそ、戦闘シーンはよりかっこよく効果を付けて。聖剣発動、蛍光灯光ります!のチュモ神剣の裏側を映さないよう苦労してみたり(笑)。
たのしいなあ。しみじみ。
反面、ミュージカルの魅力のひとつである「ダンス」は捨てにかかってる。
群舞の格好良さを映すのは、映画的ではないんだね。
戦闘シーンもだが、映すのは主役のみで全体に興味はない。全体がどれだけかっこいい動きをしているか、周囲で踊っている人たちが魅力的かは関係なく、真ん中のみに言及。音楽番組で歌い踊るミュージシャンと、そのバックダンサー的扱い。
潔いわな。
ホゲ軍の盾ダンスは戦闘シーン扱いだからまだかっこよく映していたけれど、アレもホゲ様しか興味のない画面構成だったしな。
トップ周辺のポジションではない出演者たちを見たいとか、舞台ならではの群舞を見たいというならスカステや劇団発売DVDを見ていればいいと思うが、『太王四神記 Ver.II』という「物語」を楽しみたいのならこのレビュー・シネマを見る価値がある。
「舞台中継」ではなく「映画」であること。
そこにこだわった作りが気持ちいい。
物語中、一度も拍手が入らないことに感心した。
現代の音響技術って、こんなことができるんだ?
……まあその、すばらしい技術ゆえなのか、歌と画像が合ってない場面もちらほら。ナマのままぢゃあかんかったんかい、加工しすぎですよ、ねえ(笑)。
そーやって物語に集中させ、舞台中継ではなく「映画」だと打ち立てたあとで。
フィナーレになるなり、拍手が入る!
この演出に膝を打った。うまい。
タカラヅカの持つ、ファンタジー性。別世界へつれていってくれる特殊性。
それを見事に表現しているなと。
ヅカの特徴のひとつだよね、どんな物語が展開されていようと、いったん幕が下りれば何事もなかったかのよーに華やかなフィナーレがはじまる、てのは。
どんな悲劇で涙涙に終わろうとも。主人公死んでいようとも。ソレはそれ、コレはこれ。悲劇も涙もこっちへ置いておいて、今は華やかに歌い踊る。敵も味方も悪人も善人も、びんぼー人も貴族も王様も、みんな同じようにキラキラ衣装で歌い踊る。
はじめてヅカを見た人が腰を抜かす、アレ(笑)。
余韻もナニもあったもんぢゃねええ! でもきれー! でもたのしー!
物語パートと、フィナーレの断絶感。
物語に集中していればいるほど、その直後からスタートするお気楽なショー・パートにアタマを殴られた気分になるはず。
その両極端なモノを、平気で内包するのがタカラヅカ。
初心者はまずびびる、他ではありえない「それは置いておいて」精神(笑)。
これぞ異世界。これぞファンタジー。
あの「タカラヅカ」特有のトンデモなさが、なんの解説もなく表現されている(笑)。
そして、そのトンデモなさにずっぽり浸りきったわたしは、こうやって外側から客観的に差し出された「トンデモなさ」に膝を打つ。
ああ、タカラヅカって素敵。タカラヅカって最高。
改めて、「タカラヅカ」を見せてくれた。
気づかせてくれた。
タカラヅカって、面白いよ。すごいよ。
何年か前、びんぼー人らしく水曜日に映画館へ行った。や、映画はレディースデーでしょう(笑)。予算は2000円、1日で2本見るのよ、るるる・ららら。
上演リストを見て、コレを見ると決めていた、『髑髏城の七人』。ええ、ゲキシネですよ。
そしてチケット売り場で知った。
「ゲキシネは割引対象外、いつでも定価2500円」。
……今日がレディースデーでなかったら、ふつーの映画は1800円、ゲキシネは2500円。700円差なら仕方ないなと思うかもしんないけれど、今日はチガウ。
ふつーの映画は1000円、なのにゲキシネは2500円。その差1500円!!
だ、ダメだっ。
びんぼーかつびんぼー症のわたしには、レディースデーにゲキシネを見る勇気がないっ。
他の日なら700円だけど、今日は1500円なのおおっ。そんなもったいないことできなーーいっ!!
とゆーことで、ゲキシネあきらめて他の映画を2本見て帰りました。
結局わざわざ他日に出直すことはなく、『髑髏城の七人』は見られませんでした……。どっとはらい。
てな記憶があったので。つか、トラウマ(笑)があったので。
タカラヅカ・レビュー・シネマ『太王四神記 Ver.II』の価格を見たときも合点がいきました。
ああ、ゲキシネと同じ値段だ、と。
そして、とても安心感があった。
長くない上映期間のレディースデーをわざわざ目指して行く必要もなく、いつでも自分の都合の良い日に行けばいいんだ。
また、ポストカード目当てに前売りを買っていいんだ。他に割引はされないんだもの。
なにしろオレはびんぼーかつびんぼー症だ。仮に上映期間が1週間あるとして、そのうち1日だけが1000円で見られるというのなら、無理をしてでもその日に行くだろうし、1000円で見られるとわかっていたら、前売り券を買うはずもないからだ。
や、実は現在はゲキシネもレディースデーの割引対象になっていたり、タカラヅカ・レビュー・シネマもレディースデーなら1000円だったのかもしれないが、知らぬが仏、情報はシャットアウトして自分ひとりで納得。
いつでもいいから、余裕を持って見に行こう、だっていつ行っても同じ2500円だもん(笑)。
ちなみに、レビュー・シネマ第一弾の『ソロモンの指輪』はいつ行っても1000円でした。前売り割引も特典もナシ。
なにしろ30分こっきりのショート・フィルムだからなー。これ以上の値段は取れんやろ。
『太王四神記 Ver.II』は上映時間152分。
長っ。
いや、でも、仕方ないのか。映画だから途中で休憩入れるわけにもいかないし。
しかし、ノンストップで2時間半はキツイなあ。
実際、映画館って、めっちゃ寒いし。
わたしはいつも重装備で行くし、客席でもコートは脱がないしマフラーもしたままがデフォルトなんだが、それにしても映画館は寒い。
膝掛けを持っていかなかったことを後悔したね……あの寒さで2時間半はこたえた(笑)。
いつも自転車で行く某シネコンにて鑑賞。
公開から1週間、ガラガラかと思ったら、けっこうな混みっぷり。センターブロックはほぼ埋まっていて、サイドブロックにも縦1列のみ客がいる状態。人気洋画ならいざ知らず、マイナーな映画だったらこんなに混むことはないレベルの入りにびっくり。
わたしは映画を見るときいつも、迷わずサイドブロックの通路際を指定して取る。センターが空いていても、サイドを指定。や、他に客が皆無に近いとわかっているならセンターでもいいが、ふつーレベルの客入りならセンターはウザいと思う人間。
今のシネコンで、センター以外が見にくい作りなんかありえないもの。
それよりは前後左右に人がいない、真ん中に向かって脚を伸ばせる後方サイドブロック通路際がいちばん。
映画はいつもひとり鑑賞だし、予告編見ない(本数見ていると、同じ広告・予告ばかりで飽きる)から本編開始間際の暗い場内に遅れて入ることもあり、人の少ないブロックの通路際席がいいんだほんと。
だから今回も、ひとりでのびのび見るつもりで、いつものあたりを指定して取ったのに。
前後にもひとり客が坐っていて、びっくりだ。ふつーサイドブロックにはほとんど人がいないもんなのにー。
客層はもちろんヅカファンがほとんどだが、カップルらしい若い男女や、ひとりで見に来ている男子とかもいて、不思議な感じ。
本編上映前のCMは、アニメ映画のときは他のアニメやファンタジー映画の予告編を流したり、邦画のときは他の邦画の予告編を多く流したりと、関連づけられている。
タカラヅカ・レビュー・シネマだとどんな映画の予告編が流れるのかと思っていたら、企業CMも予告編もなしだった(笑)。
いきなりはじまりましたよ、本編。
初回でも最終でもない、ふつーの時間帯上映で予告なしって、落ち着かないわー(笑)。
なにしろノンストップで2時間半。
1幕と2幕のつなぎがどうなっているのか、映画ならではの演出を期待したんだが、なーんにもなかった。
ふつーに暗転。しかもわりと長い。
1幕ラストの盛り上がりは、そこで幕が下りてこそだなと思った。
ふつーにブラックアウトでつなげても、拍子抜けだ。
映画らしく、エンドロールの作りは凝っている……というか、恥ずかしかったが(笑)。
うおお、タムドク@れおん素敵~~!!
パンフレット欲しいなー、つか、必要だろ。
ヅカファン以外でちょっと興味持ってこの映画を見ちゃった人だって、皆無ではないと思うんだ。
そんな人に「映画版『太王四神記 Ver.II』」のパンフを用意する必要がある。
舞台用のプログラムではなく、あくまでも映画用の切り口で編集された、ビジュアル重視のヤツ。パンフのない映画なんて、ほとんどないもの。映画というなら、用意しなきゃ。
映画館のシアターブースを出てから、ロビーフロアの売店のパンフレット・コーナーに「『太王四神記 Ver.II』パンフレット完売。入荷予定はありません」と書かれていることに気づいた。
映画版のパンフレットって発売されてたの?
他映画のパンフレットと並んで、見本が置かれていたわけ?
それは見てみたかったなー。
売店で『アバター』グッズと並んで『太王四神記 Ver.II』クリアファイルとか販売されているのを見て、とまどったもの……なんてカオスな並び……(笑)。
初日に鑑賞済みのkineさんに聞いてみたところ、映画用パンフはなかったとのことなので、ふつーの公演プログラムを「映画版『太王四神記 Ver.II』プログラム」として販売していたのかな。
……他の映画パンフと並べて、アレを……? 想像すると軽く眩暈がしたっす(笑)。
いやはや、たのしいわ、レビュー・シネマ。
上演リストを見て、コレを見ると決めていた、『髑髏城の七人』。ええ、ゲキシネですよ。
そしてチケット売り場で知った。
「ゲキシネは割引対象外、いつでも定価2500円」。
……今日がレディースデーでなかったら、ふつーの映画は1800円、ゲキシネは2500円。700円差なら仕方ないなと思うかもしんないけれど、今日はチガウ。
ふつーの映画は1000円、なのにゲキシネは2500円。その差1500円!!
だ、ダメだっ。
びんぼーかつびんぼー症のわたしには、レディースデーにゲキシネを見る勇気がないっ。
他の日なら700円だけど、今日は1500円なのおおっ。そんなもったいないことできなーーいっ!!
とゆーことで、ゲキシネあきらめて他の映画を2本見て帰りました。
結局わざわざ他日に出直すことはなく、『髑髏城の七人』は見られませんでした……。どっとはらい。
てな記憶があったので。つか、トラウマ(笑)があったので。
タカラヅカ・レビュー・シネマ『太王四神記 Ver.II』の価格を見たときも合点がいきました。
ああ、ゲキシネと同じ値段だ、と。
そして、とても安心感があった。
長くない上映期間のレディースデーをわざわざ目指して行く必要もなく、いつでも自分の都合の良い日に行けばいいんだ。
また、ポストカード目当てに前売りを買っていいんだ。他に割引はされないんだもの。
なにしろオレはびんぼーかつびんぼー症だ。仮に上映期間が1週間あるとして、そのうち1日だけが1000円で見られるというのなら、無理をしてでもその日に行くだろうし、1000円で見られるとわかっていたら、前売り券を買うはずもないからだ。
や、実は現在はゲキシネもレディースデーの割引対象になっていたり、タカラヅカ・レビュー・シネマもレディースデーなら1000円だったのかもしれないが、知らぬが仏、情報はシャットアウトして自分ひとりで納得。
いつでもいいから、余裕を持って見に行こう、だっていつ行っても同じ2500円だもん(笑)。
ちなみに、レビュー・シネマ第一弾の『ソロモンの指輪』はいつ行っても1000円でした。前売り割引も特典もナシ。
なにしろ30分こっきりのショート・フィルムだからなー。これ以上の値段は取れんやろ。
『太王四神記 Ver.II』は上映時間152分。
長っ。
いや、でも、仕方ないのか。映画だから途中で休憩入れるわけにもいかないし。
しかし、ノンストップで2時間半はキツイなあ。
実際、映画館って、めっちゃ寒いし。
わたしはいつも重装備で行くし、客席でもコートは脱がないしマフラーもしたままがデフォルトなんだが、それにしても映画館は寒い。
膝掛けを持っていかなかったことを後悔したね……あの寒さで2時間半はこたえた(笑)。
いつも自転車で行く某シネコンにて鑑賞。
公開から1週間、ガラガラかと思ったら、けっこうな混みっぷり。センターブロックはほぼ埋まっていて、サイドブロックにも縦1列のみ客がいる状態。人気洋画ならいざ知らず、マイナーな映画だったらこんなに混むことはないレベルの入りにびっくり。
わたしは映画を見るときいつも、迷わずサイドブロックの通路際を指定して取る。センターが空いていても、サイドを指定。や、他に客が皆無に近いとわかっているならセンターでもいいが、ふつーレベルの客入りならセンターはウザいと思う人間。
今のシネコンで、センター以外が見にくい作りなんかありえないもの。
それよりは前後左右に人がいない、真ん中に向かって脚を伸ばせる後方サイドブロック通路際がいちばん。
映画はいつもひとり鑑賞だし、予告編見ない(本数見ていると、同じ広告・予告ばかりで飽きる)から本編開始間際の暗い場内に遅れて入ることもあり、人の少ないブロックの通路際席がいいんだほんと。
だから今回も、ひとりでのびのび見るつもりで、いつものあたりを指定して取ったのに。
前後にもひとり客が坐っていて、びっくりだ。ふつーサイドブロックにはほとんど人がいないもんなのにー。
客層はもちろんヅカファンがほとんどだが、カップルらしい若い男女や、ひとりで見に来ている男子とかもいて、不思議な感じ。
本編上映前のCMは、アニメ映画のときは他のアニメやファンタジー映画の予告編を流したり、邦画のときは他の邦画の予告編を多く流したりと、関連づけられている。
タカラヅカ・レビュー・シネマだとどんな映画の予告編が流れるのかと思っていたら、企業CMも予告編もなしだった(笑)。
いきなりはじまりましたよ、本編。
初回でも最終でもない、ふつーの時間帯上映で予告なしって、落ち着かないわー(笑)。
なにしろノンストップで2時間半。
1幕と2幕のつなぎがどうなっているのか、映画ならではの演出を期待したんだが、なーんにもなかった。
ふつーに暗転。しかもわりと長い。
1幕ラストの盛り上がりは、そこで幕が下りてこそだなと思った。
ふつーにブラックアウトでつなげても、拍子抜けだ。
映画らしく、エンドロールの作りは凝っている……というか、恥ずかしかったが(笑)。
うおお、タムドク@れおん素敵~~!!
パンフレット欲しいなー、つか、必要だろ。
ヅカファン以外でちょっと興味持ってこの映画を見ちゃった人だって、皆無ではないと思うんだ。
そんな人に「映画版『太王四神記 Ver.II』」のパンフを用意する必要がある。
舞台用のプログラムではなく、あくまでも映画用の切り口で編集された、ビジュアル重視のヤツ。パンフのない映画なんて、ほとんどないもの。映画というなら、用意しなきゃ。
映画館のシアターブースを出てから、ロビーフロアの売店のパンフレット・コーナーに「『太王四神記 Ver.II』パンフレット完売。入荷予定はありません」と書かれていることに気づいた。
映画版のパンフレットって発売されてたの?
他映画のパンフレットと並んで、見本が置かれていたわけ?
それは見てみたかったなー。
売店で『アバター』グッズと並んで『太王四神記 Ver.II』クリアファイルとか販売されているのを見て、とまどったもの……なんてカオスな並び……(笑)。
初日に鑑賞済みのkineさんに聞いてみたところ、映画用パンフはなかったとのことなので、ふつーの公演プログラムを「映画版『太王四神記 Ver.II』プログラム」として販売していたのかな。
……他の映画パンフと並べて、アレを……? 想像すると軽く眩暈がしたっす(笑)。
いやはや、たのしいわ、レビュー・シネマ。
「そーいやケロファンが最近、ちえちゃんに流れていってるらしいよ」
「えええ? ケロがいた頃は歯牙にも掛けてなかったじゃん、あんなお子ちゃま」
「でも知っているだけで何人も……」
「いや、わかるけど。ケロファンとして、今のれおんに惹かれる気持ちはわかるけどもっ(笑)」
てな話をケロメイトとしたのは、いつでしたっけね。
大人のエロ男スキーな、大人のおねーさま方が今注目するイケメン・ランキング、つーのがあれば、れおんくんの急上昇ぶりは目を見張るモノがあるのかもしれない。
つーことで、れおんオチしたら、どーしてくれるんだよおおおっ。の話。
もともと『太王四神記 Ver.II』のタムドク@れおんは好みド真ん中だった。
あの傲慢さと、王者としての風格。天才ゆえの無神経さ。あーゆー攻男は大好物だ。
だからこそ、タカラヅカ・レビュー・シネマ『太王四神記 Ver.II』もまた、ものすごーく楽しみにしていたんだ。あのタムドクにまた会える、と。
ところがどっこい。
スクリーンで見るタムドク@れおんは、舞台で観たタムドク@れおんと、微妙にチガウ人だった。
宝塚大劇場でしか観ていないので、東宝で変化した可能性もあるが、そーゆー意味での違いではないだろうなと思う。
「映画」としてスクリーンに切り取られた世界は、ナマの「舞台」とはチガウ特質を持っていた。
「華」や「存在感」、役者の発する「気」の部分が、映画には映らないんだ。
この大きな違いには、正直驚いた。
ここまで、明らかに違うモノなのか。
舞台役者とテレビ俳優の持つスキルは、こうまで別物なのか。
舞台では華がないと埋もれる。どんだけいい演技をしたところで、まず注目してもらわなければ演技すら見てもらえない。全員が同じ大きさで同じ舞台の上に立っているのだから、客席から誰を見るかは個人の勝手。
テレビや映画では、作品に必要な人しか映らない。華なんてなくても、主要キャラはアップで顔を映すから無問題。他の人は画面にも入らないから、そちらを見ることもない。
タムドクの「大きさ」が、スクリーンからは感じられなかった。
いや、彼が主役で強く賢い王子様だとはわかる。そうじゃない、脚本に描かれていない部分の「王者」としての大きさ。彼が泣こうが悩もうがまったく関係なく、終始感じていた「王者ゆえの傲慢さ」、それらが影を潜めている。
ふつうに脚本にある通りの、優しい王子様ですがな。
繊細で素直な若者……花組版のまとぶんタムタムに近い部分も見える。
舞台はやはりナマモノであり、お金や時間や労力が大変だけど、劇場に行くしかないんだな、と思い知った。
映像は役者の「気」を映さない。劇場でしか、本来の作品は受け取れないんだ。
劇場で感じた最大の魅力が、スクリーンからでは感じられない。
それはショックだったが、なにしろこちらは先に劇場でホンモノを見ている。このカラダに五感に、ホンモノの魅力は染みこんでいる。
その記憶が、スクリーンで展開される物語によって自動再生されるので、無問題。
二重映しの違和感と、快感。
記憶が舞台で見たれおんの大きさを脳内で再現し、そこにさらに、今目に映っているれおんの繊細な演技が二重に焼き付けられる。
萌え死ぬかと(笑)。
かっこいいのっ。
タムドクがっ、れおんがっ。
あの傲慢な王者が、神に選ばれし者が、こんな悲しげな瞳をするなんて。
彼の強さと大きさを知っているだけに、その強い強い英雄が見せる「弱さ」に胸キュン、ときめきまくりですよーーっ!!(笑)
いやもお、れおんオチしたらどーしてくれるんだ、こんなにこんなにときめかせやがって! 恋しちゃったらどーしてくれんだよお。
ケロファンが今れおん、ての、わかるわ……。
れおんくんの持つ暴力的なエロっぷりが、かつてのケロ兄貴に通ずるモノがある。背を向ける人妻を、後ろから腕を掴んで強引に抱き留める、系のエロが似合う感じっつーか。
でもって、その強引で男くさい瞳の奥に、やさしさとか弱さとかがちらりとのぞいたりしたら、もうノックアウトですわね(笑)。
舞台では、タムドクの王者っぷりに対し、あまりに無力で涙をそそったヨン・ホゲ@かなめくん。
「気」の映らない映画では、ふつーに顔アップだし、歌はかなり加工されて(ときどき口パクと合っていなかったり・笑)底上げされていたし、「もうひとりの主人公」としてフィーチャーされていたと思う。
彼個人は見事に、舞台との差がなかった(笑)。違和感なく眺められた。
や、美しさは全編通してNo.1だと思いますけど。
かなめくんのホゲがあんなにあんなにわたしのツボだったのは、「可哀想度が半端ナイ」からだったんだなと、再確認。
王者タムドクとの器の差が歴然で、ライオンとウサギくらいの差があるのに、ウサギさんが真っ赤な目をして必死になってキバをむいて「フーッフーッ」とライオンを威嚇している様が哀れで涙と萌えを誘ったんだわ。
ところが映画では、どっちもふつーに人間の男の子だったので、ホゲがそれほど哀れじゃない……。
もちろん、人間同士にしたってタムドクに勝てないことは一目瞭然なんだけど、「ライオンを威嚇するウサギ」の図ほど萌えない……。
あ、なんだ、こういうことなのか。
と、最初のあたりで気が付いたので、映画ではタムドクのみに集中。タムドク中心に楽しみました。そりゃ映画だからオペラでただひとりをガン見、てなことはできないけれど、気持ちの上でタムドク視点。
彼だけに感情移入して見切ったので、じつに気持ちよくときめきまくりました(笑)。
ああ、タムドクかっけー!
彼をもっと見たい、彼の物語を見たい。
素直に、そう思いました。
「えええ? ケロがいた頃は歯牙にも掛けてなかったじゃん、あんなお子ちゃま」
「でも知っているだけで何人も……」
「いや、わかるけど。ケロファンとして、今のれおんに惹かれる気持ちはわかるけどもっ(笑)」
てな話をケロメイトとしたのは、いつでしたっけね。
大人のエロ男スキーな、大人のおねーさま方が今注目するイケメン・ランキング、つーのがあれば、れおんくんの急上昇ぶりは目を見張るモノがあるのかもしれない。
つーことで、れおんオチしたら、どーしてくれるんだよおおおっ。の話。
もともと『太王四神記 Ver.II』のタムドク@れおんは好みド真ん中だった。
あの傲慢さと、王者としての風格。天才ゆえの無神経さ。あーゆー攻男は大好物だ。
だからこそ、タカラヅカ・レビュー・シネマ『太王四神記 Ver.II』もまた、ものすごーく楽しみにしていたんだ。あのタムドクにまた会える、と。
ところがどっこい。
スクリーンで見るタムドク@れおんは、舞台で観たタムドク@れおんと、微妙にチガウ人だった。
宝塚大劇場でしか観ていないので、東宝で変化した可能性もあるが、そーゆー意味での違いではないだろうなと思う。
「映画」としてスクリーンに切り取られた世界は、ナマの「舞台」とはチガウ特質を持っていた。
「華」や「存在感」、役者の発する「気」の部分が、映画には映らないんだ。
この大きな違いには、正直驚いた。
ここまで、明らかに違うモノなのか。
舞台役者とテレビ俳優の持つスキルは、こうまで別物なのか。
舞台では華がないと埋もれる。どんだけいい演技をしたところで、まず注目してもらわなければ演技すら見てもらえない。全員が同じ大きさで同じ舞台の上に立っているのだから、客席から誰を見るかは個人の勝手。
テレビや映画では、作品に必要な人しか映らない。華なんてなくても、主要キャラはアップで顔を映すから無問題。他の人は画面にも入らないから、そちらを見ることもない。
タムドクの「大きさ」が、スクリーンからは感じられなかった。
いや、彼が主役で強く賢い王子様だとはわかる。そうじゃない、脚本に描かれていない部分の「王者」としての大きさ。彼が泣こうが悩もうがまったく関係なく、終始感じていた「王者ゆえの傲慢さ」、それらが影を潜めている。
ふつうに脚本にある通りの、優しい王子様ですがな。
繊細で素直な若者……花組版のまとぶんタムタムに近い部分も見える。
舞台はやはりナマモノであり、お金や時間や労力が大変だけど、劇場に行くしかないんだな、と思い知った。
映像は役者の「気」を映さない。劇場でしか、本来の作品は受け取れないんだ。
劇場で感じた最大の魅力が、スクリーンからでは感じられない。
それはショックだったが、なにしろこちらは先に劇場でホンモノを見ている。このカラダに五感に、ホンモノの魅力は染みこんでいる。
その記憶が、スクリーンで展開される物語によって自動再生されるので、無問題。
二重映しの違和感と、快感。
記憶が舞台で見たれおんの大きさを脳内で再現し、そこにさらに、今目に映っているれおんの繊細な演技が二重に焼き付けられる。
萌え死ぬかと(笑)。
かっこいいのっ。
タムドクがっ、れおんがっ。
あの傲慢な王者が、神に選ばれし者が、こんな悲しげな瞳をするなんて。
彼の強さと大きさを知っているだけに、その強い強い英雄が見せる「弱さ」に胸キュン、ときめきまくりですよーーっ!!(笑)
いやもお、れおんオチしたらどーしてくれるんだ、こんなにこんなにときめかせやがって! 恋しちゃったらどーしてくれんだよお。
ケロファンが今れおん、ての、わかるわ……。
れおんくんの持つ暴力的なエロっぷりが、かつてのケロ兄貴に通ずるモノがある。背を向ける人妻を、後ろから腕を掴んで強引に抱き留める、系のエロが似合う感じっつーか。
でもって、その強引で男くさい瞳の奥に、やさしさとか弱さとかがちらりとのぞいたりしたら、もうノックアウトですわね(笑)。
舞台では、タムドクの王者っぷりに対し、あまりに無力で涙をそそったヨン・ホゲ@かなめくん。
「気」の映らない映画では、ふつーに顔アップだし、歌はかなり加工されて(ときどき口パクと合っていなかったり・笑)底上げされていたし、「もうひとりの主人公」としてフィーチャーされていたと思う。
彼個人は見事に、舞台との差がなかった(笑)。違和感なく眺められた。
や、美しさは全編通してNo.1だと思いますけど。
かなめくんのホゲがあんなにあんなにわたしのツボだったのは、「可哀想度が半端ナイ」からだったんだなと、再確認。
王者タムドクとの器の差が歴然で、ライオンとウサギくらいの差があるのに、ウサギさんが真っ赤な目をして必死になってキバをむいて「フーッフーッ」とライオンを威嚇している様が哀れで涙と萌えを誘ったんだわ。
ところが映画では、どっちもふつーに人間の男の子だったので、ホゲがそれほど哀れじゃない……。
もちろん、人間同士にしたってタムドクに勝てないことは一目瞭然なんだけど、「ライオンを威嚇するウサギ」の図ほど萌えない……。
あ、なんだ、こういうことなのか。
と、最初のあたりで気が付いたので、映画ではタムドクのみに集中。タムドク中心に楽しみました。そりゃ映画だからオペラでただひとりをガン見、てなことはできないけれど、気持ちの上でタムドク視点。
彼だけに感情移入して見切ったので、じつに気持ちよくときめきまくりました(笑)。
ああ、タムドクかっけー!
彼をもっと見たい、彼の物語を見たい。
素直に、そう思いました。
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