わたしは、語彙が少ない。
 表現力に乏しい。

 役者の演技に関するナニかを感じたとき、それを表現する術を持たない。
 語彙が少ないのも、表現力に乏しいのも、わたしの本能の部分だと思う。
 あるスイッチが押されたとき、その作用をどう表現するか。
 ふつうの人ならさまざまに語られるのだろうが、わたしの本能はそれをせず、「このスイッチを押したら、ここにつながる」と単純な回路ができあがってしまっているようだ。
 そのスイッチを押したら、他になんの表現もなく、ただひとつの事柄につながる。

 ある感覚、ある感動があった。
 すると、わたしのアタマはソレがなにかを考えたり表現したりせず、直感的にケロに似ていると判断する。

 このスイッチが押されると、「ケロに似ている」パネルが点る。

 なんでそのスイッチが押されたの? そのスイッチはどういうときに押されるものなの?
 そもそも「ケロに似ている」って、ナニ? どういう状態を言うの?

 てなことに、すべて説明無し。
 スイッチ → ケロに似ている
 ……それだけ。

 『舞姫』において、またしてもこのスイッチが押された。
 豊太郎@みわっちを見ているときにだ。

「みわっちの演技って、ケロに似ているとこがある」

 と、大真面目に言い、

「似てない」

 と、ドリーさんに速攻叩き落とされた(笑)。

「『ハリラバ』のそのかもべつに、ケロに似てるとか思わなかったし」
 てなふーに、ツッコミキャラ・ドリーさんに容赦なく言い切られておりますが。

 さすがにねえ、みわっちを「ケロ」だと言い出したあたりで、いくらわたしでも気づくですよ。
 なんかオレの表現、まちがってねえ? と。

 「ケロ」ってのは、タカラヅカOG、栄光の77期・汐美真帆さんのことですが、わたしが言うところの「ケロに似ている」っつーのは、いわゆるケロちゃんのことではないのではないかと。

 ようするに、感覚の語彙の問題かと。

 言葉で説明できない、なにかすごくわたし好みの演技とか姿とか。そーゆーものを表現する方法として、わたしののーみそは「ケロ」を引っ張り出してくるらしい。

 冷静に見て、みわっちは、ケロには似ていない。
 や、冷静に見なくても、ふつーそうだろう。
 それでもわたしは、ある一瞬、「ケロだ!」と思ってしまった。

 スイッチが押されたの、みわっちを見ていて。「ケロに似ている」スイッチを。

 あー、つまり。

 わたしは、わたしの好きなものを「ケロ」と呼んでいる、つーだけのことですね。

 好きなものは全部「ケロに似ている」って。
 どんだけケロが好きやねん。や、好きだけど。

 こうなってしまうと、すでに生身の汐美真帆とは別。
 わたしの中だけにある表現として、独立して考えるべきだろう。
 なにかしらすごく好みのナニか……それを「ケロに似ている」とわたしは表現する。本物のケロとは無関係に。
 おそらくケロちゃんがそれを象徴するよーなナニかではあった、ケロがソレを具現していた、というのはあるにせよ。

 これはわたしだけの感覚で、本能で、理屈ではないらしい。
 なにをもって、どこに響いたのか。これをひとに伝えるためには、人間の言葉に置き換えなければならないのに、わたしののーみそはそれを怠り、わたしにだけわかる「ケロに似ている」というサインを出す。

 なんて短絡な……。

 そしてソレをそのまま口にしては、ひとにあきれられる日々。

 語彙が少ないから、他に表現する術を持たないから、そう言う。
 すべてを「ケロ」と言うことで済ませようとする。

 つまり、緑野が「ケロに似ている」と言い出したら、その人を相当好きだということです。
 ほんとにケロに似ているかどうかは別問題として。

 そーいや友人のBe-Puちゃんはピカチュウが大好きで、自分の好きなものを全部「ピカチュウに似ている」と表現していたっけな……。
「チャーちゃんはピカチュウにそっくり!」
 って言ってきかず、「ソレ、誉め言葉になってなから、他のチャー様@匠ひびきファンの前では言わない方がいいよ」とハラハラしたっけ。
 Be-Puちゃん自身は最大級の賛辞の言葉と信じていたが、客観的に見て彼女が「ピカチュウに似ている」と言い出すモノには、理解できないものが多かった……。

 そうか……Be-Puちゃんと同じことしてんだ、あたし……。

 まっつのことも、「ケロに似ている」と言ってnanaタンにあきれられたっけね……。
 ゆーひくんのことも、ケロのDNAとか、勝手に言ってたね……。

 ほんとに、好きな人はみんな「ケロ」なんだ。わたしの表現力の限界により。

 
「ケロに似ている」
 そう思う瞬間の胸の痛みは、とことん純度の高いヲトメ心のときめきだと思う。


 
 『舞姫』千秋楽。

 日にちの感覚が狂ったまま、とにかくバスに乗って駆けつける。
 みわさんって雨男だったの? 初日も楽も雨。……バウではそんなことなかったよなあ?

 朝バスで東京駅に着いて、そっから開演までヒマなので、わたしよりさらに早朝に「夜行列車」で着いていたという剛の者・木ノ実さんに拾ってもらう。
 「入り待ちしようね」って誘われていたのだけど、雨なので、ふたりともあっさり断念。ともにまっつファンのはずなんだが、なんて根性のない……(笑)。
 だって青年館ってよく知らないところだから、どこでギャラリーすればいいのか、わかんないし。楽屋口がどこかも知らないし。

 わたしは初日とその翌日と観劇したっきり、間の数日間は観ていない。
 地元以外の場所での1週間公演なんて、そこに滞在するのでもなければ一瞬で終わってしまうものなのだと実感した。
 自宅ですごしたのがたった2日であとは夜行バスか東京で過ごしていた1週間なんて、もーなにがなんやら。感覚どっかトんでいて、日常との境が妖しい感じ。

 でもって数日ぶりの『舞姫』。
 最後の、『舞姫』。

 たった数日間で、印象はかなり変わっていた。
 わたしは相沢くん@まっつ中心で観てしまうので、主に相沢くんが変わっていたことを全身で追う。
 相沢くんは温度が上がっていて、クールさは少なくなっていた。初日近辺の「固さ」よりも、バウで観ていたときに近く、そのバウ時代がさらにパワーアップした印象。
 わりと「知っている」ケンちゃんに近かったので、ほっとしたやらびっくりしたやら。
 それでも確実に「大人」になっている。なんていうんだろ、「規定演技」だとしても、そこに深みを持たせることに成功しているような?
 余白が感じられる芝居になっていたというか。
 あー、まっつ、地味に進化してるんだなー、とうれしく思う。

 『舞姫』は毎回泣けるところがチガウからおそろしい。
 「ここは絶対泣ける」というお馴染みポイントはあるにしろ、それ以外の場所で、予期しない感動がどーんと襲ってくる。
 よくできた作品なので、発見が多いのだと思う。また、出演者たちの「その世界に存在していること」が、生きたもの、今ここで流れ展開しているナマモノとして、そのときどきにチガウ感動を与えてくれるのだろう。

 千秋楽はみわさんもすみ花ちゃんも声がかなりヤバくなっていて、歌も台詞声も「うわっ」と思うことが何度もあった。
 過酷な公演だったんだなと思う。バウでは、このふたりがここまでキツそうになっていなかったと記憶しているから。
 持てるものを全部出し切っている。
 それが感じられる、ヤバさのある声だった。がんばれ、と心の中で拳を握ったよー。
 でもスカステの放送として残るのが、この楽だけだということが、ちょっと残念だったり。エリス@ののすみ、もっとかわいい声なのになー。ところどころ低くなってて残念だー。

 本日をもって退団するりおんちゃんには、総じてあたたかい拍手が。
 芝居は伝説なほどにアレだが、ほんとうに美しく、かわいらしい人だ。
 彼女がドレス姿で登場すると、ぱっとそこが「タカラヅカ」になる。得難い存在。

 
 豊太郎@みわっちを、ほんとーに好きだと思う。
 芝居巧者だとは、ごめん、今でもとくに思うわけじゃないんだが、それでもこの人の芝居が好きでしょうがない。
 時折クリティカルにすこーんとハマる。そのときのカタルシスが、快感がすごい。
 好み、としか言いようがない。これだけわたしをキモチ良くさせてくれるんだから。「好きだああぁぁぁああっっ」と大声で叫びたくなるんだから。
 みわさん自身を好きというより、彼の「芝居」が好きなんだよなあ。彼の「芝居」をもっともっと観たい。主役とか、主要な役が観たいよおおお。(次の大劇はどーなんだろう?)

 
 『舞姫』はたしかに作品ありきというか、景子先生の作品がまずよかったから、まさかの東上・再演がありえたのだとは思う。
 そして景子作品は「タカラヅカ・スターとしての一定スキルを持った人なら、誰でも演じられる」汎用性の高いものだと思っている。誰々へのアテ書きで、それ以外の人は演じられない、てなものではないと思っている。(一部例外はあるが)
 『舞姫』もまた、別キャストでの上演はアリだし、それでも成功はしただろうと思う。

 それでも、なお。
 『舞姫』が、今、このキャストの手によって上演されたことの意義を、強く信じている。

 低予算が透けて見えるバウホール単体公演で、たった20人、モブの男役が輝良まさとひとりしかいないよーな状態で幕を開けた、この小さな小さな作品。
 張り切って公演開始前にチケットを集めすぎたわたしはさばくのに大変で、なのに公演がはじまるとあれよあれよという間にチケ難で。
 白く美しい、手のひらの中でだけ輝く小さな星のような作品だった。

 それが今、再演というカタチでいろいろ大きくなって、ここにある。
 このキャスト、このスタッフが集結した奇跡。

 その意味を、意義を、噛みしめる。

 
 これから『舞姫』は、何度も再演されるだろう。
 何年後かは知らないが、きっと再演される。

 誰が豊太郎を、エリスを演じるのかわからないが、今、このメンバーで存在する『舞姫』を体験できたこと、この作品が産声を上げるところから見守れたことを、誇りに思う。

 そして、まっつ。
 ありがとう、まっつ。
 まっつが出演していなかったら、わたしはこんなにこの作品に耽溺していない。
 ケロがいたから『凍てついた明日』を観ることが出来たように、人との出会いが作品との出会いになる。

 まっつがいてくれて、よかった。
 まっつを好きでよかった。

 
 ……と言いつつ、寒くておなかがすいていたので、出待ちもせずにとっとと青年館をあとにする(笑)。
 終演後はどりーず東組と一緒。楽を観劇していたジュンタン、kineさん、パクちゃんに、ドリーさんが加わってみんなでごはん。わーいわーい。
 ジュンタンはなんだかんだで夜行バスの時間までつきあってくれたよ、ありがとう。

 
 『舞姫』が、終わってしまう。
 いや、終わってしまったんだ。

 カーテンコールで、すみ花ちゃんがみわっちに抱きついていた。
 微笑ましくてかわいくて。
 ……で、そのふたりの後ろで、まっつが順番待ちみたいになってるのが、愉快だった。
 バウではまっつが突然、抱きついたんだよね。
 あー、今回は正妻に先超されてるー(笑)。
 ひたすらかわいらしいみわすみの抱擁のあとで、野郎ふたりは予定調和っぽくしっかり抱き合ってました、観客の歓声をあびつつ。
 まっつ、みわさんになに話しかけてたのかなあ。

 出演者が下級生ばかりの公演で、みとさんが専科さんになってしまったため、みわっちひとりで長としての挨拶、ゲスト紹介、退団者紹介、次回公演案内までやり、そのうえで主演としての挨拶をしていた。感極まって声を震わせながら、それでも言うべきことを言い切り、オトコマエ度を上げていた。いやあ、みわさんすごい。
 見守るまっつの目線のやさしさも堪能しました。

 カテコで幕が上がり下がりするたびに、ひざまずいてりおんちゃんのドレスの裾をさばくマメのスタンドプレイっぷりにマメらしさを実感しつつ(笑)、出演者全部を見たいと思いつつもまっつから視線がはなれない、なんて正直なわたし。
 フロックコートに黒髪まっつ、ビジュアル好み過ぎ。大好きだ〜〜。

 終わってしまう。
 終わってしまった。

 マイネ・リーベ、わたしの『舞姫』。


 よっしー@みつるの、目の下のシワが、大層好みです。

 それでもまだ『舞姫』の話。

 
 わたしは「好きな男のタイプ」の中に、「目の下のシワ」つーのがあるようで。
 何故そうなのか自分でもわからんが、そんなところにときめくようだ(笑)。

 原芳次郎は、大人の男だと思う。

 夢に命懸けて、無鉄砲なことやって死んじゃうわけだから、「若者」であることも確かなんだけど……彼のいちばんの魅力は、大人であることだと思う。

 豊太郎@みわっちより先に渡独しており、外国でひとり暮らす辛酸を知っている……ということで「大人」だと言っているわけではなくて。や、もちろんソレもあるけど。

 彼も別に、最初からみじめな生活をしていたわけではなくて。

 お金持ちのぼんぼんとして成長したわけでしょう?
 明治時代に親の金で海外留学って、どんだけ富豪の令息だったんだ?
 しかも「絵」ですよ。商売のためとかじゃなくて、絵の勉強。親としては「物見遊山に金を出す」くらいの余裕がなきゃできんでしょー。息子を「天才」だと思っていたにしろ、「西洋画」なんつー日本でどうしようもないもののために大枚はたくんだから。
 若いウチは好きなだけ遊んでいらっしゃい……くらいの気概がなきゃ、絵の勉強のために留学はさせないでしょう。
 それくらいの、桁外れのぼんぼん。

 お金があり、美術学校にいたころは、ちゃんとその才能を評価されてもいた……らしい。

 よっしーが真の意味で「若者」だったのは、このあたりまで。
 実家が破産して仕送りがなくなり、学校に通えずベルリンの下町に落ちて来た今は、もう純粋キラキラなおぼっちゃまではなく。

 汚れることを知った、大人の男。

 アトリエにやってきた豊太郎がエリス@ののすみとの恋を語り、それまでの枠を超えて輝きだしたのを見て「お前は俺と同種の人間だ」とうれしそうに言っておきながら……言葉を、濁す。

 この、言葉を飲み込むよっしーが好きだ。

 エリスとの恋……新しい自分、真の自分の姿に気づき、希望にキラキラしている豊太郎になにか話しかけ、「いや、いい」と言葉を飲み込み、話を変える。

 言いたかったはずなんだ。
 豊太郎は、かつての自分。
 挫折を知る前の、幼い自分自身。

 自分ひとりで世の中を変えることが出来ると、世界を革命する力(笑)があると無邪気に信じている純粋な姿。

 それがどれほど危険なことであるか……高く舞い上がった分、地面に墜ちるときの痛みが、被害が、尋常ではないことを、忠告するべきだったのに。

 もしもそれを言ったところで激情が止まらないこと、心の中の獅子が治まらないことも全部全部見通した上で、言葉を飲み込む。

 それは彼が、大人だから。
 たしかにあったはずの翼を失い、傷ついたカラダを引きずり、2本の足で歩いているところだから。いつかまた、翼を広げ飛び立てる日を信じて。

 
 2幕での芳次郎の絶望が深いのは、彼が大人だから。

 子どもや青年の挫折なら、とっくに経験しているんだ、彼は。
 美術学校を辞め、芸術のためだけでなく「生活のため」に絵を描きはじめたときに、味わっている。

 それを乗り越えた、泥にまみれてなお絵を描くことにこだわった大人の男だからこそ……今度の絶望は、とことん深く、超えることが出来なかった……。

 
 世間知らずの若者が、勢いだけで吠えて、浅はかさから自滅するなら、そこまでかなしくない。
 悲劇は悲劇だけど、ありがちっていうか。
 だから原芳次郎は、小僧っこになってはいけないと思うの。

 若さゆえの獰猛さ、精神力、野生は必要だけど、子どもっぽくてはいけないの。
 だから。

 青年館でのよっしー@みつるは、バウより大人びていて。

 だからこそ、彼の最期が、かなしかった。

 1幕で大河内@しゅん様や丹波@らいらい相手に吠えているときからすでに、彼が小僧っこではない、ちゃんと挫折を、人生を知り、それでもなおあがいている男だと感じられて、せつなさが大きかった。

「野良犬の方が飼い犬より強いんじゃ!」
 と吠える彼の、経験から来る誇りが輝いて見えた。

 挫折を知る前の豊太郎の純な瞳を、マリィ@ゆまちゃんの肩を抱きながら見つめるまなざしが、ひたすらやさしくてせつなかった。

 この男だから、こんな男だからこそ、志を遂げて欲しかった。
 彼が絶望に苛まれ、崩れ落ちていく様を見るのはかなしかった。

 病床で「くやしいなあ、こんな死に方……」と絞り出す彼に、拳を握って同意した。
 くやしいよ。くやしい。

 やせ細ったライオン。
 百獣の王でいてほしかった。
 傷だらけでも毅然と顎を上げる姿を、見ていたかった。

 
 子どもの挫折ではなく、大人の男の絶望。
 純なものも汚れたものも、全部飲み込んだ上での破滅。

 だから、やるせない。

 よっしーはバウよりさらに、大人だった。
 みつるは成長していた。美貌も、演技も。あああもー、美しいってばー。

 そして、目の下の、シワ。

 や、だって、「大人の男」ですから。苦労してるわけですから。
 わたしの好み云々だけでなく、役としても良い感じにマッチしてるでしょ? でしょ?

 いやあ、いいなあ、華形みつる……。(芸名とあだ名の区別がつかなくなってます)


 時間がない。
 ……変だなあ、どうしてこんなに忙しいんだろう。

 と思ったけど、考えてみたら14日・15日と観劇して夜行バスで帰って、19日にはまた夜行バスの中だもんな。
 17日と18日の2日間しか、まともに家にいない。
 そしてもちろんその2日間は母親の病院行ったりなんだり、走り回っているうちに終わったし。

 ミニパソは壊れたままだし買い直す甲斐性はないし(笑)、日記の更新がぜんぜんできません。
 そしてさすがになに書くつもりだったか忘れていくしな……。
 『メランコリック・ジゴロ』は書くつもりだったことがついに海馬の奥深く埋まってしまった印象。『舞姫』はがんばって書かなきゃ〜〜。忘れたくないよー、まっつ〜〜。

 
 まっつまっつと言いつつ、まっつではなく全体感想。

 青年館になって大きく感じたのは、出演者の放出するパワーの大きさ。
 ハコがでかくなった分、演技で満たさなければならないのだから、さらに大きなオーラが必要だったことはわかる。

 ひとりずつがほんとうに、大きくなっていた。

 なにがどう、じゃないけれど。
 舞台って、芝居って、目に見えない「空気」って、こんなにチガウものなのかと思った。

 こう、前に向かって手を伸ばしている感じ?
 みんながみんな、一斉に前へ向かって両手を伸ばしている。
 もっと多くの、もっと大きな、目に見えないナニかを掻きながらそこに存在しているような。

 それが「青年館サイズの芝居」なのかはわからない。
 わたしは今回の公演、結局前方席でしか観なかった。最前列と2列目、あとは4列目と7列目。
 表情が肉眼で見えないような後方席で、この繊細な作品がどう見えるのか、感じられるのかは、結局わからず仕舞い。

 ただ、前方で観るとバウよりもみんな力強くなっていた。

 そのパワーに圧倒されはしたけれど、バウ時代の静謐な繊細さにも心が残る。
 こんなにぐわあああっと発散する芝居ぢゃなかったんだけどなあ……みたいな。

 
 とくに残念だったのが岩井くん@マメだ。
 ものすごーく大袈裟になっていて、笑わせるための滑稽な芝居というか、妙に前へ出ている感じがして、最初から最後まで違和感をぬぐえなかった。
 ひとりだけ演技の質がチガウような。世界観がチガウような。
 そりゃ滑稽なことをすれば客は笑うけれど……これは「笑わせたもん勝ち」みたいになっていた『メランコリック・ジゴロ』千秋楽じゃないんだけどなあ。大仰に、大袈裟に、目立つだけっつーのはどうかなあ。

 マメはうまい人だし、やればやっただけできちゃうから、特に目に付いちゃったんだと思う。
 にしてもやりすぎだよ、岩井くん……。

 それとも、後方席から観たらちょうどいい演技だったのかな。
 同じよーなとこばっかで観ちゃったからわかんないや。

 
 あとは下級生のひとりひとりまで成長していて、「自分がなにをすべきか」わかってここにいる、目の輝きがぞくぞくさせてくれた。
 自負のある姿、っていいね。
 モブのひとりひとりまでもが、作品に誇りを持って、それを担う自分自身に矜持を持って、そこにいるの。
 青年館から参加した子たちも。……や、くまくまちゃんに台詞がないのはすごい残念なんですが。それでも相変わらず顔芸すごいし(笑)。

 
 ところで「切っても切っても輝良まさと」って誰が言い出したんですか?(笑)
 バウのとき役がついていない男役が彼ひとりだったため、すべてのモブを彼ひとりで担当、まさに「切っても切っても」状態。
 ほんの下級生なのにヒゲまで付けて大活躍……だったわけだが、もちろん口を開けば「うわ、下級生」まんまだったのに……うまくなってますよ、輝良まさと!
 や、そんな芝居巧者とかじゃないけど、成長してます。すげー。

 今回男役が増えている分「切っても切っても」ぶりが多少緩和されていて、ちょっと残念(笑)。
 でも今の段階でも充分「切っても切っても」だとは思う。バウがすごすぎた。

 
 中日公演で「ネコちゃんがいない」と、友人たちと話していたんだ。

 ふつー、ネコちゃんは目に付く。舞台のいちばん隅でギラギラにキザってやりすぎて、スベっていたりする、花男らしい花男。
 だから放っておいても目に入ってくる。
 が、中日ではどこにいるのかわからなかった。
 わたしだけでなく、ドリーさんやnanaたんも、初見ではネコちゃんを見つけられず、「そーいやネコちゃん見てない」「いなかったよね?」「バウ組なんだよ」とか話していた。
 や、中日組だって。

 正塚せんせは役者の好き嫌いが激しいイメージがある。ネコちゃんは彼の好みではなかったということか。
 やりすぎることのできない位置に配置され、なんとも彼らしくなく地味に役目を終えていた。

 その反動だかなんだか。

 『舞姫』では、すっげーはじけっぷり。誰かこの子のにぎやかすぎるエンジン抑えて〜〜(笑)。

 はじけるポップコーンみたいだ。中の圧に押されて、ぽーんと爆発している。
 それがいいことなのかどうかはわからないが、やたら貪欲にあからさまな上昇志向を見せつけて舞台にいた。
 たのしそうだ。
 シリアスに表情を凍らせているときですら、今ここにいることを「愉しんで」いることが伝わってくる。

 わたしは正直なとこ彼の演技はあまり好みではないんだが……それでも、貪欲に輝いている姿を見るのは心地良い。

 
 ハコの大きさに真っ向から立ち向かうような、ある意味好戦的な(笑)『舞姫』だった。青年館版『舞姫』。
 なにもかもがクローズアップ、パワーアップ。

 微妙な時を置いての再演って、おもしろいな。


 寝ても覚めても「相沢くん相沢くん」ゆってるのもなんなので、『舞姫』感想の、別のキャラの話。
 

 黒沢中尉のヲトメ度が上がっていたことについて。

 初日の席が上手の2列目でした。ええ、手紙を読む相沢くん@まっつも目の前ですが、舞踏会の日本男子ズも目の前です。

 センターから下手で物語が進んでいることはわかってるんですが、ダメっすよ、黒沢中尉@ちゃー以下イケメン日本男子がずらりと並んで小芝居してるんですよ、目が離せませんよ!!

 その初日からすでに、黒沢中尉がバウと別人なことに驚愕しておりました。

 なんなの、あの典型的萌えキャラ?
 なんのプレイですか、ってくらいえらいことになってますがな。

 
 えー、わたくしバウ公演のとき、黒沢中尉のカップリングは岩井くん@マメとを希望しておりました。
 あのうざい便所水男を、とりまきのひとりとして容認している強面中尉に萌えだったんですが。

 今回は岩井くんなんか眼中にないっす。

 大河内@しゅん様でガチです。

 腐った話の中で語ってしまってなんですが、この新公学年の下級生だけで構成された「敵役トリオ」は、ものすげー成長してました。

 そりゃあどうしても学年的にみわっちの上官とか無理があるんだけど、それでもちゃーはバウのときのような「うわ、がんばってる」「いっぱいいっぱい」「それ以上そっくり返ったら、ひっくり返るよ?」てなハラハラ感がなくなってました。
 役者を育てるのは舞台だよね。本当に、そう思う。背伸びしなければできない役を与えられ、大きすぎる服を着せられ、それにほんとーに役を合わせカラダを合わせてしまうんだもの。

 ようやく「役」としての手応えや、呼吸をしている感じがした。

 そしてトリオである分、キャラが弱かったのに、他のふたりも性格が見えるようになっていた。

 文官・丹波@らいらいは、すげー嫌味な伊達男に。
 おしゃれで見栄っ張り。些細な動作にそれが顕れてる。いちいち気障なの、気に障る、と書いてキザと読む、な男なのよ。
 らいがまた、すっげー活き活きと厭さ満開にキザってるのよ。
 いちいち衿とか直すな、カフス気にするな、誰もアンタ見てないから! みたいな(笑)。
 自意識過剰ぶりが、ツボすぎる。

 そして武官・大河内@しゅん様は……融通の利かない、潔癖性気味の四角四面な男。そして、女嫌い。

 もちろん、女性とダンスはしない。踊れない、こともそりゃーあるだろうが、同じように踊れない岩井くんと丹波くんはそれでも踊っているからね。
 女とどうこうするより、黒沢中尉のお相手の方が大切、とばかりにそばにいる(笑)。

 原よっしー@みつるに対するときも、丹波くんは軽蔑ゆえにいじめを愉しむというか、「劣ったものを攻撃するのは優越感に浸れてたのしいなあ」モードなのに、大河内は本当に「けしからん!」と怒って責め立てている。

「女の裸で稼ぐ、それでも日本男児か」
 と言い捨てるときの嫌悪感。
 この男だからこそ、豊太郎@みわっちが「いやしい踊り子と親密な関係」ということを「スキャンダル」だと思って黒沢中尉に報告するんだわ。
 免官になった豊太郎がエリスの家で同棲していることを、吐き捨てるように言うんだわ。

 とにかく女について口にするとき、すげー厭そうなんだよ、大河内。
 男尊女卑の意識が強く、女は不浄なものとでも思っているんだろうさ。
 ガチガチにお堅い、体育会系なのーみその軍人さんなんだろう。

 
 はい、この硬派で女嫌いでガタイの良いいかにもな軍人さんは、自分より縦にも横にも小柄な上官に絶対服従、飲み物用意します、身の回りのお世話もしちゃってますかね、レストランではドアを開け、椅子を引いてさしあげるんですかね。……てな勢いで、なついてます(笑)。

 そして、黒沢中尉。
 演技に余裕が出てきたちゃーくんが、バウのときのような痛々しさはなく、より自然に大人の男を演じています。
 冷徹に。威厳を持って。傲慢に。だけど卑小さも忘れずに。

 作り込まれた苦い表情、嫌味な顔で「台詞」を言い、「演技」をします。
 これぞ「黒沢中尉」の顔、という顔で、そこにいます。

 が。
 「台詞」のないとき、物語の中心からはずれ、モブになっているとき。
 もちろんそのときも「黒沢中尉」として苦い顔をしているのですが。

 大河内に対してだけ、すっげーかわいく笑うの。 

 談笑してやがりますよ、黒沢中尉と大河内。
 黒沢中尉はやわらかい、くつろいだ表情で大河内を見ています。
 が、「あ、天方大臣が」とかゆーとぱきり、と顔がいつもの苦い顔になり、また大河内にだけにっこり笑いかけ、「あ、太田が」とかゆーとぱきり、と顔がこわばり……。

 普段公に見せている硬い強い顔と、大河内にだけ見せるくつろいだ笑顔の、差。

 これはなんの釣り? 腐女子を釣り上げるのが目的? ってくらい完璧な姫ぶりでした。

 バウでは笑わなかったぞ、黒沢中尉。一貫してクールだった。脇の小芝居で談笑していてなお、あそこまで顔をくずさなかった。

 あー……。
 あんな素敵でかわいい上官がいたら、そりゃ大河内も女嫌いになるわ……。
 いや、そもそも女嫌いの大河内が黒沢中尉を落としたんだろうか?
 とにかく中尉と大河内が「物語」のフレームの外なのをいいことに、えんえんラヴラヴいちゃこらしていて、びびった。

 
 中尉にはフランス人の愛人がいるそーだが、あんなにかわいくなってしまった今の彼にはあまりそーゆーことをしているのがぴんと来ない。
 愛人とは名ばかりで恵まれない少女を保護していて「黒沢のおじちゃま」とか呼ばせていたら笑えるな、とか。あしながおじさんを気取っているけれど、いずれその少女のことは捨てなければならない、はじめからそのつもりだ……と思っているところへ、同じように貧しい少女と恋愛して「遊びではありません」とか言い切っちゃう太田には、そりゃキレるしかないわな、とか。

 いっぱいいっぱいで痛々しかったバウのときより、余裕ができて大人の男らしくなった今の方が、女を囲っているのがそぐわない、つーのもなんだかなー(笑)。

 
 なんにせよ、黒沢中尉@ちゃーが愛しくてなりません。
 なんなの、あの愛らしい生き物。
 2幕冒頭の黒のロングコート姿なんて、完璧にハァハァもんです。

 キャラが立ってきた大河内くんとのコントラストも素敵。
 しゅん様はほんと、あのガタイが魅力をさらに上げているわ。たとえ中身が「泣き虫さっちゃん」だとしても、『舞姫』ではいかつい攻男として、どーんと立っていてもらわなければ。

 黒沢中尉と大河内がすーぐ「ふたりだけの世界」していて、ひとりかっこつけている丹波がソレにまったく興味ない(彼の興味は自分自身のみ)という、この愉快なトリオっぷりがじつにツボです。ジャストミートです。

 たのしすぎるぞー、日本男児ズ!(笑)


 『舞姫』の特徴として、初見より2回目観劇時の方が泣ける、というのがある。
 2回目にはもうなにがどーなっているのかわかっているので、物語冒頭の夢と期待にきらきらした豊太郎@みわっち、エリス@ののすみとのひたすらラヴラヴな日々、芳次郎@みつるの威勢の良さとマリィ@ゆまちゃんとのラヴラヴっぷり、しあわせなものがすべて泣きツボに入る。

 が。
 今回の再演において。

 相沢さん、泣きツボ入りました。

「公の義務のためには個を殺さねばならない」だっけ。
 相沢が2幕で豊太郎相手に言う容赦ない言葉のひとつひとつに泣けて仕方なかった。

 今までわたしは豊太郎に感情移入して観ていたから、投げつけられる言葉は豊太郎として苦しい、痛いものだった。
 そして、「相手を傷つける・追いつめるとわかっていることを、相手のためにあえて悪役になって言うのはつらいだろうな」という意味で、相沢くんとしても苦しい、痛いものを感じていた。

 でも今回、はじめて相沢を見つめて。……や、「見る」だけならバウのときからずっと相沢しか見てないが(笑)、そーゆー意味じゃなく。

 豊太郎への言葉は全部、相沢自身への言葉でもある。
 親友にだけ過酷なことを求めているんじゃない。それを言うことで悪役になってつらいわけでもない。
 相沢が言っていることは全部、自分もそうするだけの覚悟があって言っているんだ。他人事じゃないんだ。

「己を殺し、心に背いても、為さねばならぬことがある」
 相沢もまた、己を殺し、心に背いて義に生きるサムライなんだ。だからこそ、豊太郎にそう言えるんだ。
 刃は同じ。
 なのにひとりは泣きわめき、ひとりは平然としている。
 刃の痛みは同じだろうに。

 豊太郎が追い詰められ、膝を折って苦悩する姿が、そのまま相沢の心の姿に見えて。
 なのに相沢は表面的には冷静そのものに立っていて。

 実際に泣いて発散している豊太郎の方が、ずっと楽に見えた。や、トヨさんを貶める意味ではなくて。あくまでもミクロな視点で語ると。

 相沢の苦悩は外には見えないし、今回のことに限らずすべての痛みを、傷を、彼も内側に押し殺してこれからも生きていくんだろう。戦い続けるんだろう。

 豊太郎を追いつめる天方大臣@星原先輩との野郎ふたりのデュエット(笑)で、相沢はことさら非人間的に描かれる。
 硬く、揺るがなく、表情はなく。
 真上からライト浴びて、「人間」としての表情消されちゃってるの。豊太郎にとって、その瞬間相沢も天方も「人間」ではなく、別の存在として、自己と見つめ合うための記号として存在しているわけだからね。
 そこまで「人間性」を消されてしまう……まごうことなき「人間」である相沢のかなしさに、号泣した。

 そこまで冷徹に……使命を口にするアンドロイドみたいな描かれ方した直後、エリスに対する「懇願」で感情全開にぶっ壊れる様にまた、号泣。

 そして、エリスが狂ったのち。

 病院のエリスと、彼女に面会する豊太郎を見つめる姿。
 目をそらさず、表情も変えず、ただ凝視して……そして、耐えかねたように視線を伏せる。

 再び視線を上げたときは、そこにはなんの表情もなく、豊太郎に静かに声を掛ける。

 泣きもせず、取り乱しもせず、すべてを飲み込んで。

「太田、私を恨んでいるか」
 のひとことが、彼の唯一の感情の吐露。……そして、確認。

 うん、確認。

 この人、後悔してない。

 再び同じ立場、同じことになったら、また同じことをする。
 何度でも、愛を殺す。
 それが、「必要」ならば。

 それがかなしい。
 罪を罪として、すべて背負い、戦い続け蹴る覚悟。

 
 号泣しながら(笑)、相沢くんの奥さんは大変だなあ、と、思った。

 彼がこのとき独身であるか、既婚であるかは描かれていない。
 時代から考えて、おそらく既婚だとは思う。出世のためや家柄の釣り合いで見合い結婚してそうだ。
 彼が妻を愛しているかどうかは知らないが、おそらく義務は果たすことを前提としているだろうから、ふつーレベルの家庭を築いているのではないかと思う。

 でもまちがいなく、「仕事優先」で家族は顧みられない。
 奥さんが熱を出して寝込んでいるからといって定時で帰宅したりは、しないだろう。
 危篤でも、ふつーに出張とかに出掛けそうだ。

 妻と相思相愛ならば、あの無邪気な愛情ダダ漏れな笑顔を見せているかもしれないが、ただの「契約」としての結婚ならば、外向きの仕事人としての顔しかみせていないかもしれない。

 そこに愛があってもなくても、結果は同じ。
 家庭より妻より、仕事優先。

 相沢がそういう人だと……そんな生き方しかできない人だとわかったうえで彼と共に生きて、有事の際見捨てられるか、ただの冷たい人だと思って有事の際見捨てられるか。
 どちらがより幸福で、より不幸なのか。
 愛があれば耐えられるのか、いっそなにもない方が楽なのか。

 奥さん、大変だあ……。
 と、わたしが彼の奥さんになるはずもないのに、真面目に考えて、さらにそのかなしさにスイッチ入って泣きました(笑)。
 松任谷由実の『VOYAGER〜日付のない墓標〜』がアタマの中をぐるぐる回る……(笑)。

 忘れない 自分のためだけに
 生きられなかった淋しいひと 

 願わくば。

 いつか、豊太郎が相沢の敵にならないことを、祈るばかりです。

 こんなに相沢くんは、豊太郎を愛してるのにね。会話にも出てこない奥さんより、絶対豊太郎の方を愛しているだろうにね。
 もしも、豊太郎が相沢の敵になる日が来れば、やはり戦うんだろうなと思えるから。
 愛のために信念を曲げたりは、しないんだろうなと。

 今、ふたりの目標もそこへ向かう道も重なっているから、戦友として信頼し合っていられているけれど。
 これから日本は激動の時代を迎える。
 20年、30年後にふたりが政敵になるかも?という可能性は、ゼロではない。

 豊太郎には、安心感がある。
 彼はきっと、これから先なんだかんだいってもしあわせな家庭を築きそうだなとか、人の道に外れたことはしないだろうなとか。
 冷徹な決断を必要とするときも、とても人間的につまずいたり悩んだりするんだろうなって。

 相沢は一歩まちがうと、えらいとこへ行っちゃいそうな人だなー……。

 ああもお、素直に豊太郎だけ愛しててくれ、ケンちゃん!
 近藤に惚れきってた土方みたいに、豊太郎のために生きて、戦って、死んでくれ(笑)。

 
 まああと、青年館観て軽くショックだったのが、相沢くんの受度が上がっていたことです……。
 相沢は攻、攻でなきゃやだっ。踏み止まってくれ、攻男でいてくれっ。頼む!(そんな、誰にもわかんないよーなことを……)

 
 あー。
 まっつとみわっちで、愛憎うずまく話が観たいなー。ドロドロに濃いぃやつが観たいなー。

 政敵となった相沢と豊太郎(ともに壮年、社会的立場かなり高し)とか、観てみたいなー。(結局観たいのか)


 相沢謙吉という人。

 『舞姫』をバウホールを観ていたとき、わたしは彼をどんな人だと思っていたんだろう。

 原作から受ける、原作を元にいちばんわかりやすく感じるイメージとしては、クールで正しい人。正論を正しく説き、正しい人生を送る人。
 それゆえにSなまっつを期待していたのに、実際の相沢くん@まっつはそーゆー「典型」としてわかりやすい人ではなく、とってもファジィにふつーの人だった。

 正論を説くのも、足元ではなく進む先を見据えてものを考えるのも、ふつーだから。
 正しいことを相手のためにしているのに、その相手が今傷ついていること、今傷つけていることに、傷つくこともまた、彼がふつーだから。
 偉人でもかっこいいSでもクールでもなく、あくまでもわたしたちと同じ、常識の範疇にいる、ふつーにハートフルに生きている青年。

 その彼のふつーぶりが好きだった。
 わたしたちとかけ離れた「強い、正しい人」「Sな人」「ヒーロー」……つまり、それがなんであれ「典型」を作るのは容易い。
 ふつーに学者な人を表現するより、マッド・サイエンティストの方が舞台の上で絵として描きやすいように。
 ふつうという「ファジィ」なものの方が、舞台でソレを「わかりやすく」表現するのは難しい。

 ハートフルでやさしい、ふつーの人、相沢くん。
 親友・豊太郎くん@みわっちがダイスキで、自慢で、素直に崇拝している純粋な男の子。
 や、ふつーつっても、わたしたちよりずっと強く誠実な人ではあるわけだけど。ぶっとんだ世界にいる豊太郎やエリス@ののすみよりは、わたしたち側っつーことで。

 ええっと、バウではこんな感じだったかな。
 そのふつーの青年ゆえに、彼の生き様が哀しくなったわけだ。

 
 それが。
 青年館ではなんか、手応えが違った。

 前半、日本にいるときの相沢くんは変わらない。
 相変わらず小市民的で、かわいくて、豊太郎が大好きで、ちょっとウブ(笑)で。
 かわいいケンちゃんのままだったので、再演という違和感なく、そのままのキモチで観ていた。

 だが後半。
 2幕、ドイツで豊太郎に再会してから。

 あれ?
 なんか……チガウ?

 政治家秘書として渡独して来た相沢くんは、1幕の「無邪気な青年」ではなくなっていた。

 固い。

 豊太郎を好きなことはわかる。
 ベルリンにて豊太郎に宛てた手紙、最初に豊太郎がホテルに現れた瞬間の笑顔、天方大臣@星原先輩に豊太郎とのデート早退(笑)を認めてもらったときのうれしそうな顔……豊太郎に関することには、無条件でうれしそうだ。

 でも。
 そのホテルでの再会時、久しぶりにナマの豊太郎を目の前にした一瞬だけとろけそーに笑うんだが、次の瞬間には「仕事」の顔に戻る。
 あんなことがあったあとの、ようやくの再会だ。日本にいたときに見せていた純な青年ならば、もっと他になにかありそうなものなのに……すぐに仕事の話に切り替わる。
 このことに象徴されている気がする。「相沢」という人。

 ベルリンの街を歩きながら豊太郎に対しエリスと別れるよう話す相沢の印象は、とても固かった。
 豊太郎が「情」という、心のやわらかい部分ですがろうとするのに、取り付く島もない。
 固い。どこにも緩さがない。
 どんなに叩いてもびくともしない鉄の壁のように。

 あ、あれ?
 相沢くん、こんな人だった?
 強く、固い。
 親友・豊太郎ですら掴むことができず、鉄の壁の前でとまどっている。

 「君にはわからない」てなことを豊太郎に言われたとき、バウではあれほど傷ついていたのに、今回は依然ぐらつくことがない。
 傷ついていないわけではなく、それよりもっと別の、強いものが奥にあって、表面的になにを言われても変わらない感じ。

 相沢くんの固さは揺るぐことなく、ロシア遠征後の「帰国宣告」にまでつながる。

 天方大臣とのデュエット(笑)である「為さねばならないことがある」が、容赦なく強い。厳しい。
 豊太郎に対し、正論をたたみかける。
 非人間的な容赦のなさで。

 相沢くん?
 1幕でのかわいらしさとあまりに別人で。
 うろたえているうちに、エリスへの説得場面になる。

 やはりここでも強く固い相沢くんのまま、エリスにお金を差し出す。
 エリスがソレを拒否し……。

 相沢が、崩壊する。

 鉄の壁が、壊れる。
 ダムが決壊するみたいに、激しいものがあふれだす。

 変わってない。
 彼は、変わってないんだ。1幕のやわらかい心を持った純粋な青年。
 それが「使命」のために鉄の固さをまとっていたんだ。
 その固さは、彼自身が口にする「己を殺し心に背いても、為さねばならぬことがある」そのままで。
 言動一致。

 エリスに対し、わかってくれと懇願する相沢。
 まさに、懇願。
 大の男が、泣き出さん勢いで言い募る。
 それまで冷酷なまでに固く、強かった男が、仮面をかなぐり捨て、ナマの感情で訴え続ける。

 どれほどのものを超えて、ここにいるのか。
 あの冷たく固い鉄の壁をまとっているのか。
 使命のため、大儀のために愛を捨てろと、豊太郎に冷酷に言い渡していた。あれは、相沢自身に向けた言葉でもあるんだ。

 相沢は、使命と愛をつきつけられたとき、使命を選ぶんだ。

 それは彼が愛を軽んじているからでも冷酷だからでもなくて。
 1幕で清さん@みほちゃん相手に可愛らしく「思春期」していたり、豊太郎を思うときに見せる愛情ダダ漏れの顔、そしてエリスを説得するための苦悶……それらから、彼が豊太郎に負けず劣らず愛に弱い……愛することを知っている人だとわかる。
 それでも彼は選ぶんだ。
 愛ではなく、使命を。

 泣いて苦悩する親友に「愛を殺せ」と言い渡す彼は、同じことができる、んだ。
 もしも国のため、使命のために愛する人を捨てなければならなくなったら、捨てるんだ。
 それだけの覚悟があるからこそ、豊太郎にも「愛を殺せ」と言えるんだ。

 相沢くんのクールさが上がっていたこと、そして、クライマックスの感情の爆発が大きくなっていたこと。

 コレだけだけど。
 コレだけで、バウのときと別人だよね?

 より「大人」で、「戦士」で、かなしい人になっている……。

 
 相沢謙吉という人。
 なんて強く……かなしいひと。

 なんて、いとしいひと。


 相沢謙吉が好きです。

 
 青年館での『舞姫』がはじまりました。
 数日前に体調ぶっこわして寝込んだり(人生最大の高熱・笑)、未だ原因不明だったり、カラダ中痛いのが治ってくれてなかったり、旅行中に倒れた母がそのまま入院したり、緑野家がどったばったしているなか、それでも東京へ行く。

 『舞姫』はすばらしい作品です。

 それはわかっている。
 ダイスキだし、すごいとも思っている。

 ただ。
 口で絶賛するほど、1まっつファンとしてこの「作品」を好きか、「相沢謙吉」を好きかというと、それほどでもなかったり、したわけですね。

 作品を素晴らしいと思うことと、まっつファンとしてたのしいか、つーのは別問題で。

 初演時にいろいろいろいろ長々と書いていたように、ダイスキなのも感動したのも、全部本当なので、誤解されるのがこわいが。

 あまりにすばらしい作品だとなんつーんですか、「抜き」の部分がなくて、疲れるんです。
 ヘヴィ・リピート基本でご贔屓眺めてうっとりする場合、名作過ぎると疲労が激しくて。
 ここまで名作でなくても……という、おそろしく贅沢なキモチがわきあがっちゃったりするのよ。駄作だったら怒るくせに。

 楽をしたい、というと変だけど、毎回魂すり切れるくらい泣いて泣いて、終わったあとは死にそうになるよーな作品、うれしいけど、つらいですよ!

 あー、『スカウト』は作品アレだったけど、まっつは美しくてステキだったなあ。
 とか。
 海馬の帝王は客席で悶え死ぬかっつーくらい、笑ったなあ。
 とか。

 作品クオリティが低かろうとぶっちゃけ駄作だろうと、「ステキなまっつ」を眺めてどきどきする分には、作品で感動しないですむので楽だった。

 相沢役はいい役だし、ステキだけど、なにしろ作品も役の立場も重すぎて、手放しで「ステキ。どきどき」とやっていられなかった。
 アズの方が無責任にどきどきできた。ときめけた。海馬教授の方が気楽に笑ってきゃーきゃーいじることができた。

 だから『舞姫』再演はうれしいけれど、それほど手放しでよろこんでいたわけじゃない。

 またあの、つらいキモチを味わうのかー。ふー。
 ……みたいな。

 や、贅沢極まりない、ただのわがままですが。

 
 それでも9ヶ月ぶり?に『舞姫』と、相沢くんと再会して。

 
 『舞姫』は、奇跡だ。

 
 よくぞこんな作品が、存在することが出来た。

 よくできた脚本、演出。音楽、美術。そして、出演者。
 なにが欠けてもダメだ。

 奇跡だ。
 これは、奇跡の公演だ。

 バウで観ていたときは、なにしろヘヴィ・リピートで毎日疲労して、へとへとになっていた。
 毎日感動して、その感動がもう「あたりまえ」にまでなっていて、ある意味鈍感になっていた。

 冷却期間をおいて、改めて出会った『舞姫』の、素晴らしいこと。

 今のタカラヅカで、これほどのものを観ることが出来るなんて。

 今わたしは、「奇跡」を観ている。

 その事実にも、くらくらする。

 
 そして。

 「相沢謙吉」という人。
 バウで観ていたときと、微妙にチガウ人じゃないですか、あの人。
 わたしの感じ方が変わっただけ?

 初日を観て、おどろいた。

 相沢くんって、こんなにステキだっけ?

 知らない。
 こんなの、知らないよ?
 あんなに何度も何度も見ていた人なのに。

 冴えわたる歌声。
 満ちる。
 ……満ちるという言葉が、わかる。感覚として。

 
 『舞姫』再演……。
 うれしいから、というだけでなく、心のどこかに義務のようなキモチもたしかにあり、駆けつけた。
 まっつ好きだから、行かなきゃ、って。

 そんなものが、全部吹き飛んだ。

 すごい。
 『舞姫』って、すごい。

 こんなにすごい作品だから、再演されたんだ。

 
 なんてことを、改めて思い知らされた。


 なんとも途方に暮れる作品だった。
 星組DC公演『赤と黒』初日観劇。

 まず、脚本・演出がひどい。
 時代遅れもいいとこ。
 悪い意味での「タカラヅカ」の見本のようだった。
 素材はおもしろいのに、レシピが最悪。これじゃどんな腕利き料理人もおいしい料理は作れまい。
 この脚本と演出って、ヅカのパロディかなぁ。竹の塚みたいなテイストの演出を、かしこまって「シリアス作品」として観なければならない居心地の悪さ。
 センスの悪さと古さゆえに「お笑い作品」と成り果てているけれど、作者がコレをシリアス作品だと思って書いていることを知っているので、「笑ってはいけない」と心に言い聞かせて観ているのに、観客は容赦なく笑う。
 笑っちゃダメだよ、キモチはわかるけど我慢しなきゃダメだってば。演じている人たちに失礼だよ。
 一緒に笑うこともできず、笑いが起こるたびに「この笑い声で舞台に悪影響が出ませんように。トウコちゃんがんばって!!」と拳を握ってはらはらした。

 キャストの無駄な豪華さへの、居心地の悪さ。
 こんなに人、いらないじゃん、この話。
 主役3人以外は、脇を締めることのできる上級生と子役もできる下級生数人でよかったんじゃないの? スタークラスは不要じゃん。
 「出番を作ること」だけを目的とした、無意味な2役。おかげで作品の焦点がボケる。
 「この人たちだけで興行が打てる」スターたちが、ただのモブに甘んじていることへの、苦い思い。
 新生花組が中日と青年館とWSと3興行やったんだから、層の厚い星組なら余裕で3興行できるはずだ。何故、しない? もったいなさすぎる。

 笑われながらも少年の演技を続ける主役、繊細な演技をぶちこわすアホな脚本と演出、いっそコメディにしてくれと絶望する展開……。

 なんかもー、すべてにおいてトホホだった。
 どーしよコレ、と、途方に暮れた。

 
 別の脚本・演出で観たい。

 古典と時代遅れの違いを理解するセンスのある、生きたクリエイターに、一から作り直して欲しい。
 寿命の尽きた作品を、そのまま焼き直したものではなく、「生きた作品」を観たい。

 作品のどーしよーもなさが、くやしくてならない。
 主演のふたりは、すごーく興味深い演技をしているのに。
 作品のアレさを、力尽くでねじ伏せるべく、その才能を発揮しているんだ。
 これだけの役者を無駄遣いするのは、勘弁してくれよほんと。頼むよ……。

 教養ナッシングのため原作は未読ですが、じつに愉快なストーリーだと思いました。
 つか、好みだと思う。
 だからこそ、「なんでこんな料理をするんだ……」と、じれじれしっぱなし。
 いくらでもおもしろくできるだろうに、と。最低限、観客が失笑するよーなことには、ならないように。
 キャリア十分のトウコが少年役だ、つーことで観客が笑うのまでは止められないと思うけど(原作がそうなんだから仕方ないじゃん。つか、そこで笑うのはルール違反)、それ以外の古すぎることや現代との感覚の違いによる笑いは、起こらなく出来るはず。
 あーもー、くやしいなー。
 

 でもって。
 トウコちゃんの美少年プレイは、素晴らしいです。(プレイゆーな)

 ジュリアン・ソレル@トウコ。
 ほんとに、息づく若い魂が見える。
 若さゆえの野心や傲慢さ、浅はかさが愛しい。
 強く攻撃的なときでも、そこになにかしらの「もろさ」を感じさせるのは、彼女の最大の魅力だと思う。
 この若い獣を愛したい、と思わせる力。

 もちろん、その美しい姿も含め。

 相変わらずきれいだ……。
 あの濃さがいいのー。

 
 また、レナール夫人@あすかの大人の女ぶりが、匂い立つようだ。
 控えめに、抑えているのになお、静かな熱がにじんでいく、その魅力。
 このジュリアンだから、このレナール夫人なんだ。そう思わせる、絶妙のバランス。
 このふたりでこの題材で、なんでこんなつまらない脚本と演出をやらせるんだ。もったいない〜〜。うおー。
 

 星組デビューのマチルド@ねねちゃん、出てきた途端場が華やぐ輝きはさすが。
 しかし、難しい役だったね……。盛大に笑われてしまって気の毒。悪いのは脚本で、キミのせいじゃないよ……。

 うん。わたしにはマチルドが妄想少女セシリィ@『Ernest in Love』にしか見えなくて困った。
 「会いたい〜〜悪いヤツ〜〜♪」と歌ってぴょんぴょんしてくれた方がよかったわ……コメディで笑われるのは本望だろうけど、シリアスに同じことやって観客に爆笑されるのは可哀想だよ……。

 
 材木オタクのフーケ@れおんは、この役だけならよかったのにね……。
 2役のコラゾフ公爵もよくやっていたけれど、ひとつの作品で演じ分けが出来るほど器用な人じゃないことを露呈する結果に。
 どっちかひとつだけなら、いいデキだったのになあ。片方だけでは2番手スターには役不足だというなら、そもそも彼をこの芝居に出す必要はなかったんだ。

 モブで踊っているときの、さらさら前髪にうっかりときめいたことは秘密(笑)。
 フーケはあの前髪でやっちゃダメだったのかなあ。若くなりすぎる? やー、そんなことよりまず見栄え重視でいいじゃん。……ダメ?

 
 ジェラード・ペルー@『エル・アルコン−鷹−』で「しい様」だったのに、このレナール氏役ですっかりもとの「しいちゃん」に戻ってしまった、しいちゃん(笑)。
 ほんとにしいちゃんは演技の引き出し少ない人だなあ……。
 なんかすごーく浮いていた気が……。レナール夫人と「夫婦」に見えないのが大変だなー、と。だって会話成立してないじゃん……。
 いやまあ、そういう役作りなんだと思っておこう。しいちゃんには点数甘い……(笑)。

 
 すずみさん以下、もったいなさすぎ。
 コスプレ眺めるだけですか。

 
 なにしろ作品がアレ過ぎるので、いっそアレだからこそ、トウコとあすかがどこまでやってくれるか、それをたのしみにするのはアリだと思う。
 つーか、なんとかしてくれ。
 彼らの実力にわくわくしている者としては、ソレを期待してしまう。

 初日にこれだけ笑われた作品を、笑いの起こらない感動作品に作り替えてしまうことを、心から願う。

 舞台は役者のものだ。
 障害を乗り越え、栄光を掴んでくれ。


 ある人の話をしよう。

 その人は才能のあるクリエイターで、過去に素晴らしい作品をいくつもこの世に送り出した。
 彼の作品は名作と呼ばれ、多くの人々に愛された。

 ……が。
 時は流れ、彼は健康上の理由から、ひとりでは創作できなくなった。
 パートナーを募り、共同で仕事をする。
 そして。
 彼は駄作しか作れなくなった。新作もひどいものだし、過去の名作をリメイクしても、過去の輝きとは程遠いものしか作れない。

 昔の彼の作品を知っている人々は、口を揃えて言う。
 彼はすばらしいが、パートナーが無能だ。彼の才能を、彼の素晴らしい作品を、パートナーが台無しにしているのだ。

 たしかに彼のパートナーは無能だった。誰が見てもわかるほどに。

 しかし。

 その無能な人間をパートナーにしているのは、彼自身なのだ。

 健康上の理由からひとりでは仕事が出来なくなったときに、彼はいろんな人間と組んでいる。
 それぞれ才能のある人たちだった。彼の助手にならずとも、ひとりでやっていける能力のある人たちだった。
 その人たちと組んで作った作品は、ちゃんと名作だと評価されたり、新しさに注目されたりもしていた。

 だが。
 彼はその人たちをすべて切り、今の無能なパートナーを選んだのだ。
 彼の作品をアレンジしたり、独自の解釈をしたり、時代に合わせようとしたりしない、彼の意のままになる人間を。

 過去に称賛を浴びた古い古い作品を引っ張り出し、その無能なパートナーにリメイクさせる。
 もう新しいものを生み出す力はないので、ひたすら既存作品を持ち出しては、体裁だけ整える。

 たしかに彼が若かった頃は世間に喜ばれた作品だったが、現代ではただの時代遅れの駄作だ。
 今の時代にあったアレンジなど、彼が選んだ無能なパートナーは、しない。できない。する気もない。彼の作品をできるだけ手つかずに、古いものを古いまま差し出す。壊れたところは壊れたまま差し出す。

 彼は今も素晴らしい。
 彼の作品も、今も素晴らしい。
 なのにそれが駄作だとしたら、悪いのはすべて、彼のパートナーのせいだ。

 世間ではそーゆーことになっている。

 
 でも、わたしは。

 才能のあるあの人やあの人を切って、かわりにあの無能な人をパートナーにしている段階で、彼は、クリエイターとして終わったと思う。

 ふたりして時代遅れの駄作を作り続けず、美しく引退して、過去の名声を守って欲しいと、心から思う。

 『赤と黒』初日、ドラマシティにて。


 地上波放送の映りが悪くなり、とくにNHKがひどくなった。と、前日欄に書いた。
 つーことで、唯一NHKで見ていたドラマ『ちりとてちん』の映像も、そりゃーひどいことになったさ……。

 とゆー前振りから、妄想配役。
 花組で、『ちりとてちん』。

 何故、花組か。
 わたしが花担だということよりも、草々役が似合うトップスターは誰かとゆーところからスタートしたためだ。

 ヅカでやるなら草々主役でしょ? んで、徒然亭一門の話メインよね?

 木訥で融通が利かなくて、がむしゃらで鈍感で不器用な、今どき時代遅れな、しかし愛すべき男。
 男っぽさとやんちゃさ、天然の愛らしさといい意味での野暮さから、もー、彼がまとぶんだと萌えだなと。
 見たい……草々@まとぶんが見たいー。

 んで、草々の兄弟弟子たちとの確執を話の真ん中に持ってくる。

 クールでドライな色男・四草@ゆーひ。弟弟子だけど、草々より実は年上。
 お調子者の小草若@壮くん。草々とのライバル関係、複雑な愛憎と劣等感……を表現する力は壮くんにはないと思うが(笑)、大丈夫、トニーやモーリス系にスタンのテンションでいけばなんとかなる(笑)。

 草原兄さんはちょい物語から引いた感じでまりんさんあたりに演じてもらい、草若師匠は星原先輩以外の専科さんで(笑)。……立さんがよかったのになー。退団が惜しまれる。

 小次郎にーちゃん@みわっち(アロハ! アロハ!)で、まっつはアホボンこと友春あたり……?(笑)

 ヒロインの喜代美のキャラがいちばん彩音ちゃんに似合っておらず(つか、あのダメダメヒロインを演じられる路線娘役はいないだろう・笑)、正直彩音ちゃんで見たいとも思えないが。

 喜代美@彩音だと、草々@まとぶんのことを「兄さん」と呼ぶので、適役かと。

 え?
 彩音ちゃんがまとぶんを「兄」と呼ぶのは、新生花組のデフォルトでしょう?(笑顔)

 
 『ちりとてちん』はラストの展開以外は、ほんとーにたのしめた。
 わたしは、その人の人生と命はそのひとのものだけではない、社会生活をする以上、ひとがひとりで生きられない以上、義務と責任がある、と思う人間なので、ドラマにありがちな「自分の感情・都合だけで、それでまで積み重ねてきたモノ全部捨てる」主人公、というのに賛成できないのだわー。

 
 年度末になり、ドラマが次々終わっていく。
 ドラマヲタクでもあるので、地上波もそれなりに見ているのだが、なんか最近テレビの映りが悪い。
 とくにNHK。次いでフジテレビ系、日本テレビ系。

 みんなみんな、画面が二重映し。

 リサーチすると、近所一帯同じようなことになっているらしい。
 おそらく川向こうにできた高層マンションの影響だ。
 わたしたちの家からほんの少し離れた一画には、「高層マンション建設のためテレビの映りが悪くなります、ケーブル化をオススメ、費用は高層マンション側がすべて持ちます」てな話になっている。
 あそこの一画の住民だけ守られてウチの近所がダメなのか、理屈はわからないが、「テレビの映りが悪くなっていること」と「高層マンション」の因果関係を実証して交渉するだけの労力と「デジタル化すりゃあいいんじゃん」を秤に掛けると、後者の方が楽だから、近所の人たちも泣き寝入りしてテレビを買い換えるなりするんだと思う。

 しかしわたしには、テレビを買い換えるだけの余裕がない(笑)。
 そんな金があれば、その分チケットを買う(ヲイヲイ)。

 つーことで、今の環境のままで「Let’s デジタル!」。

 
 思い起こせば3年半前。
 ケロちゃん卒業のどたばたの最中、「ケロ映像を得るために、スカステに入ろう!」と決意した。

 自分がモノを溜め込む型のヲタクだとわかっているので、スカステには加入したくなかったんだ。
 入ったが最後、サルのよーに録画を続け、映像データを溜め込み続けるのがわかっていたからだ。
 だが、ケロ卒業関連映像は、自分で得なければならない。やさしい友人たちが「録画してあげるよ」と言ってくれていたけれど、甘えてばかりはいられない。
 加入する。

 えーとたしか、「スカステ加入キャンペーン、アンテナ+チューナ、セットで29800円」とかやってたよね、今年。去年は「19800円」だったけど、たしか値上げされていたはず。
 そう思ってもらったばかりのスカステのチラシを見ると。

 「スカステ加入キャンペーン、アンテナ+チューナセット64800円」とあった。

 ……え。
 ちょっと待って、なんかのまちがい? 今年たしか、29800円だったよ? 実際チラシ持ってるし。そっから半年後で、倍額以上?? とんな物価だそれは。

 通常のアンテナ+チューナの販売から、地上デジタル対応のものに、移行されていたんだ。
 地上デジタル放送なんか見ないのに! 関係ないのに! そりゃいつかはすべてデジタル放送になるんだとしても、そんな5年も6年もあとのことどーでもいいよ、今ケロ祭りでディナーショーコンプして週1以上で東京往復してチケット買いまくってて金がかかりまくってるんだってば、その上何年もあとのほんとーにそんな時代が来るかどうかすらぴんときていないわけわかんないもののために通常の倍以上出せってぇの??

 もちろん、自力でアンテナ等を購入すれば済むだけの話だったが、とにかく時間も体力もギリギリで生きていた頃だったので、ややこしいことに割いている時間はなかった。
 割り切れない思いを胸に、スカステサイトのキャンペーン・ネット通販を利用し、必要なモノをひとそろい購入した。

 キャンペーンには「ソニー製品」と書かれていたのに、届いたのは他社製品だった……が、それすらどーでもよくとにかく取り付け。

 そしてその商品は「メーカー問い合わせ窓口」が存在せず、「なんかあったときは購入店に言って下さい」としか説明書にも書かれていない商品だった。
 で、その「購入店」であった、スカステとタイアップしていたネット通販は、その後すぐに消滅した。
 チューナの調子が悪くなり、修理依頼をしたくて購入時に同封されていた書類の「なにかあったときはここに電話してね」番号は「現在使われておりません」、HPも消滅、メーカーには受付窓口ナシ、という、ずいぶんな目にあったのは、また別の話。

 
 ……という、経緯で機器を購入していたはず。
 たしかそのとき、「地上デジタル対応」チューナを問答無用で買わされていた……よな?
 チューナがあれば、テレビが古いままでもデジタル放送として、地上波放送を見られるはず……だよな?

 このへんのことがよくわかっていないわたしは、弟に丸投げ。
 チューナとテレビとDVDレコーダの説明書を渡して「なんとかして」。

 わたしの部屋はとても難解な構成に後天的になっているため(つまり散らかっているため)、弟が指示を出し、わたしがケーブルを付け替えることに。

「テレビアンテナを、チューナにつないで」
「テレビアンテナ……ブースター使ってるんだけど、どれ?」
「なんでそんなヲタクなものを……出力の方、引っこ抜いて」
「出力ふたつあるんですが……分配してるから」
「そんなもんも持ってるのか、テレビにつないでるのはどっち?」
「テレビのアンテナ入力端子、説明書のとチガウよ? 白い箱がついてて二股に分かれてる」
「そんな古いもん使ってんのか。前時代の端子だそりゃ。……んじゃ通常の端子ないわけ?」
「別のケーブル探す……こっち引っこ抜いて代用してみる」

 試行錯誤。

「映像溜め込むヲタクのくせに、なんでこんなチンケなAV機器使ってんだよ?! ヲタクならこだわりを持って高級品に買い換えろっ」

 うるさいっ。あたしがアニヲタなら買い換えてるかもしんないけど、スカステその他はあくまでも二次的なものよ、メインはあくまでもナマ舞台なのっ。二次的なモノに金かけてられるかぁー!

 わたわた。
 弟の指示通り、なんとかアリモノだけで接続完了。
 チャンネルのスキャニング完了、その他設定完了。

 地上デジタル放送、無事受信。

 しかし。

「画面に、黒枠ついてるよ……?」

 テレビ画面に一回り小さく画像が映る。遺影のように、周囲をぐるりと黒枠が囲んでいる。

「このチューナは出力サイズは固定しかできないみたいだな。D3・D4端子のある機器に出力する場合は変更できても、それ以外は解像度も固定されてる」

 わたしの古いテレビと、安いDVDレコーダには、D端子なぞついておりませんとも。レコーダには出力だけはかろうじてついてるけど、入力はない。

「そもそもこのチューナ、デジタルのはずなのにアナログ出力メインになってるぞ。マニュアルにそれしか書いてない。アンテナ出力端子があるのに、それについての記述はナシ」
 たしかに、赤白黄ケーブルでの出力にしか、書かれていない……。

「アンテナ出力についての説明はナシで、『テレビ側でなんとかしろ』と書かれてる」
「テレビは震災前に買ったもんで、デジタルはおろか、画面比率の概念すらない時代のだよ? どーやって画像入力サイズを変更するのよ?」
「テレビ側での調節は不可能、しかしチューナには『テレビでなんとかしろ』……」
「で、チューナには問い合わせ窓口なし、『不都合があれば販売店へ言え』の一点張り、販売店は消滅済み」

 スカステのキャンペーンなんかで、買うんぢゃなかったっ!!

 もっと考えて購入するべきだったわ……。
 メーカーに問い合わせ不可、販売店消滅、つーのはイタいよな……。スカステもその点については放置だしなー。現在のスカステは受信機器の斡旋販売はやってないんだもの。

 いやその、全部最新の機器に買い直すことが出来れば、スカステで買わされたアレなチューナに頼ることもないんですがね……。

 結論。

 びんぼーが悪い。


 隣の芝生は、いつだって青い。

 つーことで、妄想配役、新生花組!!

 新生花組で、『君を愛してる』。

 
 所詮キムシン好き、『君愛』ダイスキ人間なもので。
 その昔『暁のローマ』の花組妄想配役
http://koalatta.blog48.fc2.com/blog-entry-304.html)を考えてはよろこんでましたが、そーだ、あのとき書いたのって「トドロキ降臨前提」だったからなー。
 トド抜き書いてなかったっけ?

 トド様出演ナシでオサ様の花組で『暁のローマ』をやるなら、カエサルの比重をもう少し上げることを前提として。 

 天才カエサル@オサ様
 M男ブルータス@まとぶ

 で、見たいです。
 圧倒的なカリスマとして君臨するオサ様、彼を愛しながらも否定するよーになるブルータスの苦悩。
 まとぶさんに盛大に悩んで欲しい。苦しんで欲しい。

 アントニウス@壮くん。

 ……幕前の漫才が、想像するだけで鳥肌モンなんですが。
 バリバリの関西弁でたのみます。

 カシウス@みわっち。

 銀橋で釣りまくって下さい、地引き網漁業、大漁旗万歳。
 みわさんのあのキザりを堪能できる役。

 そして、順番で行くと、オクタビアヌス@まっつになります。
 歌があるのでまっつでもいいっちゃーいいかもしれんが、初代ローマ皇帝ってなんかチガウ気が……。
 とかゆっていると、わたしが妄想配役考えるときの相方nanaタンが言い出すわけですよ。

「壮くんとまっつの、幕前漫才!! ソレ見たい、見た過ぎる〜〜!!」

 そ、想像するだけで、悶絶……。

 なんかもー、どーしよーもなくグタグタなものしか浮かんできません……。まっつも関西弁で話すべき?
 痛々しくも爆笑するしかない、奇妙な空間になるのでは。

 てなことを、『アデュー・マルセイユ』に通いながら妄想しておりましたね、はい。

 
 そして年も変わり、新生花組スタートしたわけだから、新しい花組で、新しいキムシン作品で妄想配役(笑)。

 
 ジョルジュ@まとぶん。

 ……似合う。絶対、似合うよね。かわいいよね。酔っぱらい演技お手のもの。ハートフルで純粋、でもけっこー男っぽい。そして、基本M男。
 マルキーズ@彩音ちゃんにぶん殴られて、その快感が忘れられずにひざまずく……って、あれ、潤ちゃん?

 アルガン@ゆーひ。

 かっこいい……。
 変に善人にせず、とことんクールに美形悪役やっちゃって下さい。大人に、ダークに。
 若いジョルジュが太刀打ちできないよーな魅力とエロを全開に。

 フィラント@壮くん。

 お気楽ソング歌って〜〜っ!!
 壮くんが「悩むことはなっにっも・ない〜〜♪」って歌ってくれたら、とろける。あたし、客席で熔解する!!
 空気読まなくてイイ、いつもの壮くんらしくひとりで爆走してヨシ!
 その輝きが愛しい。

 アルセスト@みわっち。

 やりすぎなくらい、やっちゃってください。
 ええ、慟哭しまくってください。苦悩しまくってください。
 とことん美形に、でもクドくアツくヘタレてみせてください。わくわくわく。

 クレアント@まっつ。

 うわあああん、この役がまっつで見たい〜〜。
 アンジェリック@いちか希望の、おなかに耳あてて微笑んでるのー。
 妻を愛し、兄を愛し、仲間たちを愛し、人生を愛してるのー。だけど「芸術と会社経営は一緒に出来ないよ〜〜」と眉を八の字にして泣き声出すの。
 センターパーツで若ぶるのー。奥さんとラヴラヴなのー。

 と、ひとが大喜びで妄想しているのに。

「まっつがクレアントでもいいけど、まっつだったらあんな大きななにもないカンバスの作品とか、作らないね」
 って、言われちゃうんですけどっ?!
 巨大ななにも描いていないカンバスの中央に切れ込みがあって、そこからなにか見える……という、「予言」というタイトルの作品。
 たしかにアレは、ヲヅキの「大きさ」あってのものだと思う……カラダだけでなく。

 って、どーせまっつはちっこいわよ、まっつの描きそうな絵って、やっぱ点々のスーラ@『コンフィダント・絆』
(妄想配役して遊びました・http://koalatta.blog48.fc2.com/blog-entry-1368.html)?!

 マルキーズ@彩音
 セリメーヌ@ののすみ
 エレーヌとレイチェル、みほちゃん、さあやで迷うなー。

 問題は、レオン神父がいないことだ。
 ハマコ先生のイメージがあるから悩むけれど、包容力とやさしさ、物語のキーマン、と考えればさおたさんはアリだと思う。この人、歌も歌えるしなー。
 はっち組長はドビルバン氏ね。

 
 あー、隣の芝生はどうしてこうも青く美しいのでしょう。
 新生花組お披露目公演の『愛と死のアラビア』って、どんなになっちゃうんでしょうねえ。


 こっそりとトドロキの話、その2。

 トドの舞台は、面白みがない。
 彼の舞台は、あまり変わらないんだ。初日からずっと。

「雪組って初日から出来上がってるのね!! ウチの組なんか初日は公開舞台稽古よ?!」
 とか、
「前半は観に来ないでね、ウチの組を観るときは千秋楽近辺にして。楽近辺でようやく8割出来上がって、東宝が本番だから」
 とか、他組ファンの人に言われ、雪組しかリピートしない(他組は1回観るだけ)のわたしは、ぴんと来なかったもんだ。

 なに言ってんの? 初日から仕上げてくるのが当然じゃん、プロなんだから。
 と、わたしもふつーに思っていた。あのころは(笑)。

 トドのファンをやっていたために、「ナマモノ」としての舞台の愉しみ方のひとつを、長い間知らなかったよーな気がする。や、よくも悪くも。
 もちろんトド様だって機械じゃないから、まったく同じであることはありえないんだけど、レベルっていうかトーンは揃えてくる人だったからさー。

 トップスターお披露目公演では、トップとも思えないひでー作品でひでー扱いを受け、次の作品では主要メンバー総入れ替えでわけわかんなくなっていて。
 トドは毛を逆立てて警戒して緊張して、すごい痛々しいことになっていたんだけど。

 変わっていくんだ。

 いつも同じ舞台を、四角四面に作ってくるトド。
 初日も楽も大した変化ナシ。
 そんな人だったけれど。

 アドリブでなにかするのが好きな人だけど、そーゆーことではなく、「舞台の空気」で「チガウ」こと、「ナマだということ」を感じさせてくれたときは、感動したなー。

 『再会』の1000days劇場公演で、「なんかトドちゃん変?」と首を傾げるほどテンションが高く、ラストシーンで相手役のぐんちゃん抱き上げてくるくる回り出したのを観た日にゃあ……ト、トドちゃんどーしたのっ?! と、目を疑ったさ……。
 

 トップ3作目『浅茅が宿』『ラヴィール』はとんでもない駄作で、ファンのわたしですら初日・新公・楽しか観なかった。
 やはり組の顔ぶれががらりと変わり、馴染みのない人たちが真ん中にずらりといることも、2作連続日本物ということもキツかった。

 『浅茅が宿』の入りが、あまりにものすごいことになっていたせいだろうか。

 千秋楽の日に、入口で急遽チラシが配られた。

「轟悠一人芝居『THE FICTION』」

 ……えーと。
 年間予定表に、こんな公演はありませんでした。
 『浅茅が宿』のあとにタータン主演の『凍てついた明日』の公演は決まっていて、ポスターも貼られていたけれど、トドのバウホール公演なんてものは、なかった。

 突然、決まったんだ。
 しかも日程がすごい。

 『浅茅が宿』大劇場公演千秋楽から、たった9日後。

 未だかつて、こんなタイトな日程の公演を見たことがない。
 告知が間に合わないから、大劇場でチラシ配りですよ、劇団の人。

 ひとり芝居?
 たったひとりでフタ桁もの役をやり、2時間弱演じ続けるのに、お稽古期間いったい何日あるの?

 ……トドロキの痛々しさは、ここで全開になっていた。
 求道者めいた芸風は、ここで極まったなと思う。

 期間は5日間。
 会に入っていないわたしは正攻法でチケ取りするしかなくて、全部は観られなかった。もちろん完売、サバキ待ちもしたけど手に入らなかったりしたし。初日と楽はなにがなんでも観たくて、バウ下のサバキ待ち場所で半泣きになっていたのもいい思い出(笑)。
 客席だけでなく舞台上にも客席が特設されており、ものすごく濃密な空間だった。
 とくに初日の、あの針が落ちてもわかるだろう緊張感。

 追いつめられて、追いつめられて。
 結局自身の実力で、技術で、這い上がってきたんだなと思う。

 この異様な日程のひとり芝居という、前代未聞の公演が意味するモノはなんだったのか。
 憶測・噂はいろいろ飛び交っていた。

 このひとり芝居のあと、中日『浅茅が宿』でケガをして演出変更、ダンス一切ナシ、階段降り羽ナシになったんだっけか。
 日程が合わなかったことと、なにより作品を嫌い過ぎて観には行ってないんだが。

 そのあとだ。
 4作目の『再会』『ノバ・ボサ・ノバ』。

 とにかく毎回顔ぶれが変わっていて。
 またしても主要メンバーに組替えがあり、ナルセ、コムのふたりが加わっていた……上に、ショーは彼らとトウコの役替わり付き。劇団もいろいろ考えるよな。

 まあそれはともかく、トドロキ氏。

 なんかすごく、たのしそうだった。

 ひとり芝居なんかしちゃうくらい、そしてそんなことを劇団がさせちゃうくらい「相手役いらず」に見えたトドロキが、ぐんちゃんのことを見ていた。たのしそうに。

 『再会』は、自分以外興味なさそうなトドロキが、異次元生物ぐんちゃん(笑)に心を開いていく過程、という意味ではすげー興味深かった……。

 えーと、ぐんちゃんと組んで3作目だよね? 今ごろですか、警戒心解くの?
 突然のひとり芝居やらケガやらで、なにかしら心境の変化があったのかなんなのか。
 舞台しか観てない者には、知りようもないが。

 彼女への愛情が高まっていく様が、日を追うごとにわかるのね。
 1000daysまで行くと、そのコワレっぷりに「いいパートナーができて、よかったね」と涙したもんだよ……。トドの浮かれっぷりが恥ずかしいやら微笑ましいやらで。
 孤高の人だったから余計に、「共に歩む相手」ができたことがうれしかった。

 それまでまともに恋愛する役をやったことがなく、「キスシーンをしたことがない」という男役トップスター轟悠。

 そんな硬派な彼が、政略結婚をさせられて。

 最初は警戒心むき出しだったのが、どんどん鎧がはがれていき。やがて。
 嫁にめろめろになってます。

 は、恥ずかしい。
 こんな人だったの、トド様って。

 ぐんちゃんに対する態度が、愛情ダダ漏れ。ソレが妻に対する男の愛情なのか、愉快なイキモノを愛でているだけなのかまではわかんないにしろ、とにかくぐんちゃんのことを好きなのは、よーっくわかった。
 ぐんちゃんのことがおもしろくてならないらしい。
 たのしくて、かまっていたい、見ていたい、と思っているようだ。

 トドって結構、バカップル属性だったんだー……。

 と、嫁にメロメロなのを隠しもしない姿に、長年のファンはあきれるやら恥ずかしいやら。

 なにをやっても同じテンション、同じ舞台を作るトド様ですら、こうやって変化をまんま舞台に上げてくることがあった。
 なつかしいなあ。

 ぐんちゃん抱き上げて(姫抱っこにあらず。トド様非力だからそんなことできっこない・笑)、ぐるぐるいつまでも回られて、ぐんちゃんがきゃーきゃー言って笑って、バカバカしいけどしあわせで。

 ……まあその、そのあとぐんちゃんとナニがあったのか知らないが、関係が冷えていったのは、やはり舞台から感じられたけれど。
 最初はラヴラヴだったのよ。
 蜜月は、たしかにあったのよ。

 トドが変わり、組自体がまとまって、加速していくのを肌で感じた。
 このあとの『バッカスと呼ばれた男』『華麗なる千拍子’99』と。
 客入りのことは置いておいて(笑)、組ファンとしてトップファンとして、組のベクトルが正しくまとまったときの快感は言いようもない。
 

 作品ごとで、トドの演技自体はあまり変化がない(除く『再会』)。
 面白みのない人だと思う。

 でも、彼のヒストリーはやはりおもしろい。
 これからどこへ行くのか、興味深い。

 トド様がどんな人かなんか、わたしみたいな末端ファンにわかるはずもないけれど。

 ファンやって20年。
 新しい轟悠を見たいと思う。

 「専科」として、脇で舞台を締める……それは、主演を務めるとはまた別の重責であり、価値のある舞台人の姿だと思うのだけど。
 トド様は、脇の姿はもう二度とファンに見せてくれないのかなあ。いぶし銀の魅力を見せてほしいんだがなあ。


 こっそりと、トド様の話。

 わたしは長い間トドファンだった。
 トドがいなければ、この世界に足を踏み入れていない。
 雪組に組替えしてきたばかりのころ、彼は不敵でやんちゃな男の子だった。技術が足りていないわりには堂々と舞台で「遊ぶ」ことを知っていたと思う。
 舞台で「遊ぶ」彼を見るのが好きだった。
 次はなにをしでかすんだろう? とわくわく見守っていた。

 「ジャニーズ系美少年」と言われ、「タカラヅカの光(光GENJI)」と言われ、真っ当に路線人生を歩いてきた人だと思う。
 途中組替えでやってきたタータンに抜かされかけ、ソロをもらうタータンの後ろで3人口あたりをふらふらしたりしながらも、また真ん中へ戻ってきた。
 『忠臣蔵』で歌を聴いたときは感動したなあ……1年間、歌わせてもらってなかったんだもん……歌はみんなタータンに持って行かれてて。で、ソロをもらっていなかったのに、ちゃんと1年分成長していることにも感動したさ。

 やんちゃに、イキイキと。やりすぎのアドリブに舞台が止まってしまっても気にしていない風。また、トップスターのいっちゃんが大らかな人で、それを許容してくれていた感じ。

 トド×一路の並びも好きだったし(男同士も、男女も)、高嶺くんとのコンビも好きだった(男同士も、男女も)。
 

 そんなトドだったのに、トップスターになってから、ころりと芸風が変わった。
 堅実一路。
 「遊び」のない、四角四面でおもしろみのない舞台。

 とまどった。
 すっげー、とまどった。

 アンタ誰?

 責任を取る立場になると、いきなり真面目になるの? いっちゃんが上にいたときは、あんなに暴れ回っていたくせに?

 ずるいのか小心なのか、たんに真面目な性格だったのか。

 や、責任ある立場の人間だから、堅実に生きるのはまちがってないんだけど……ううむ。
 

 トップになってからしばらくは、ずいぶん失速したと思う。
 お披露目公演は宙組発足のあおりを食ってめくちゃくちゃ。
 トップスターなのに相手役無し。娘役トップスターは一緒に宙組へ行く2番手とばかり組む。……芝居でも、ショーでも。誰のお披露目公演なんだか。
 ムラだけで東上無しと決まっている作品だったからって、思い切り手を抜かれていた。
 ひでーなー。こんな扱いされる程度の人なんだ、トドって?

 わたしは会にも入っていない、ただ出版物やテレビ、舞台を観ていただけの一般ファンなので、裏の事情など知りようもないが。

 今でも、『真夜中のゴースト』はタカネくん主演を想定されていたんじゃないかと思うよ。トドにはあまりにも似合わなさすぎた。
 もらいもののアンティーク・ペンダントを身につけたヒロインのテレビレポーターが、とある古城に仕事でやって来た。すると何百年前に悲恋の末死んだ男がゴーストとして現れ、「それは恋人に贈るつもりのペンダントだった、恋人の墓前に供えてくれ」とヒロインに頼む。
 ヒロインはゴーストに同情し、仕事仲間たちとゴーストの願いを叶える。そして、その過程でディレクターと愛し合うようになる。ハッピーエンド……って、ナニこの話? これじゃ主役はレポーターのヒロインと相手役のディレクターじゃん?

 主役のゴースト@タカネくん、その引き裂かれた恋人@花ちゃん、そして現代のテレビレポーター@花ちゃん2役、彼女はゴーストの恋人の生まれかわり。
 あくまでも、トップコンビの愛の物語。
 レポーター花ちゃんに片想いのディレクター@トド、以下役がズレていくこと。
 そうすれば辻褄は合う。
 ゴーストがわざわざ数百年ぶりに現れたのは、恋人の生まれかわりが、思い出のペンダントを身につけて城に現れたから。
 だけど過去は過去、ゴーストはゴースト。過去の恋を成就させて消えていき、現代のヒロインは現代の男と結ばれる。もしくは、現代でゴーストの生まれかわり男と出会ってもイイ。

 『真夜中のゴースト』は、主演のトドと娘トップの花ちゃん(宙組売約済)を組ませないためだけに、話がぶっ壊れた。
 ゴーストの恋人を、花ちゃんにさせなかった。なのに、ゴーストと関わるのが花ちゃんなんだ。
 ゴースト@トドは形見のペンダントを手にしただけの赤の他人@花ちゃんと疑似恋愛に落ちる、そしてカンチガイだから早々に身を翻すただの変な人になって終わった。
「あの人(ゴースト)、なにしに出てきたの?」
「俺たちの愛を成就させるためさ」
「いやん☆」
 と、花ちゃんとたかちゃんがいちゃついて終わる話になってしまった。

 こんなアホな話でトップお披露目をした人もめずらしいだろう。
 トップスターとしてまったく認められていないよーな、作りの作品だった。
 ショーもまた、トドが登場する場面、次にたかちゃん花ちゃんのラヴラヴ場面、トドひとりの場面、たか花の場面、と交互に続き、誰のお披露目公演かわからなかった。
 終演後もみんな口々に、「たかちゃん、花ちゃん、トップコンビお披露目おめでとう」と言った……。
 じゃあトドってなんなんだろ? ゲスト?

 そーして次の本公演、『春櫻賦』『LET’S JAZZ』では、雪組は、知らない人ばかりになっていた。

 はじめて見るトップ娘役。前に見た顔ではあるけどしばらくは雪組とは無関係だった2番手。知らない顔の3番手。
 なにこれ。
 どこの組?
 前回の本公演で3番手を堂々演じていた生え抜き男役は、芝居ではただの脇役やってます。
 中心にいるのは専科さんと知らない人たち。そしてたったひとりの、トドロキ。

 や、いちおー他の組もちょろちょろ見ていたので、まったく知らない人たちではないにしろ、気分的には「知らない人」だ。
 それがトップ娘役、男役2番手・3番手と主要ポジを占めてしまうんだよ?
 わけわかんねえ。

 舞台も手探り状態。
 トドはいきり立つ猫のように毛を立てているし、ぐんちゃんは必死になってトドについて行こうとしている。
 タータンはマイペースに見えた。コウちゃんは自分の存在価値を示すのに必死さが伺えた。

 トドの芸風が変わってしまったのは、この怒濤のトップ生活スタート事情にあったのかと思う。
 今まで仲間たちとゆー「ぬるま湯」の中、末っ子的に甘やかされてきて、突然世界が変わった。
 今までの続きにトップになれるはずが、彼が想像していた地続きではなく、別の場所に連れてこられてしまった。

 警戒する猫。
 神経質な猫。
 言質を取られないよう、弱みを見せないよう、武装する猫。

 『LET’S JAZZ』初日、トドロキは信じられないくらいの汗をかいていた。
「トドちゃん、汚い」
 と、「見えるところに汗をかかない矜持を持つ」スターさんファンの友人が、容赦なく切り捨てるほどの汗だ。
 トドはもともと汗かきだが、それにしたって尋常ではない汗の量だった。
 そして、公演が進むにつれやせ細っていった。
 この人、大丈夫か? と、不安になるほどに。

 ……それでも、初日挨拶はいつもの「トドロキ節」で、アホアホなポエムなんだけどね(笑)。

 
 トドロキはもう、舞台で「やんちゃ」をしなくなった。
 優等生になった。
 「遊ぶ」ことで加点を狙うより、油断なく過ごすことで減点されないことを目的とした舞台を作るようになった。

 
 なんか、さぁ。
 「歴史は繰り返す」っていうけどさぁ。

 今の宙組を、タニちゃんを観ていて、当時の雪組を、トドロキを思い出すよ。
 組の2〜3番手、娘トップ総入れ替えで生え抜きは番手の下や外へ押しやられ、組ファンは混乱の一途。トップスターはお披露目からトップ娘役と組ませてもらえなかったり、主演とは名ばかりの扱い受けたり。

 あのときのかなしさを、漠然と思い出す。

 ジェンヌに罪はない。今も、昔も。
 彼らはいつも、精一杯舞台を務めている。

 ただもう劇団に、「あまりひどいことはしないでくれ」と願うばかりだ。

 今回の宙組のトドの扱い、というか、タニちゃんをあまりに軽んじた構成は、やっぱり変だと思う。
 マッカーサーのタニちゃんはとてもステキだったけれど、それとは別に、「トップスター」をそして「組」を、もっと大切にして欲しいと思う。
 それが「宝塚歌劇団」というブランドを大切にすることだと思うから。


 グッズの話つながり。

 いつだったか、ムラのキャトレで女の子たちが話しているのが耳に入った。
「このしい様素敵」
「ほんとだー。しい様いいよねー」

 『エル・アルコン』の舞台スチールを見ながら、別にことさらしいちゃんファンってわけでもない、ふつーにトウコちゃんの写真とかにもきゃーきゃー言ってる女の子たちが、会話の中でかわしていただけの短いやり取り。

 しいちゃんが素敵であることは周知の事実ってやつで(笑)この際どーでもいいんだ。
 わたしがおどろいたのは。

 「しい様」なんだ。ってことにだ。

 
 ジェンヌの呼び方にはいろいろある。
 みんなそれぞれの呼び方で、ジェンヌを呼び、表記し、愛情を示していると思う。

 わたしは水くんを「水くん」とくん付けで呼んでいる。
 ……しかし周囲の人たちはみんな「水さん」なんだよなー。ときどき自分だけこんな呼び方じゃまずいかな、わたしもさん付けにしなきゃいけないかなとも思うんだけど、長年の癖はなかなか抜けず、どーしてもくん付けになってしまう。

 そう、長年。
 わたしが水夏希という人を知ったとき、彼は新人公演で2番手とかやっている若手の少年だった。
 まだ少年だから、あたりまえのように「くん付け」だった。
 今、研5や6以下の子たちを「くん付け」にしているのと同じ感覚で。

 あさこちゃんやトウコちゃんにしてもそうだ。まだ少年で、愛称がまんま女の子の名前だからくん付けが似あわず、そのまま「ちゃん付け」だった。 
 コムちゃんなんか、その美少年ぶりに魔性を感じ「コム姫」と姫呼ばわりだったしな。

 しかし時は流れ、彼らはもう子どもじゃない。大人の男たちだ。くん付け、ちゃん付けする人の方が少なくなってしまった。
 キャラが変われば、呼び方も変わる。

 もしも今、わたしが新たに彼らと出会っていたら、とてもじゃないが「くん付け」はしなかったろう。
 ふつうに大人として、「さん付け」で呼んでいたと思う。

 そして、「様付け」になる人も、違っていたと思う。
 様、とお呼びするのはやっぱ「別格」の人だと思う。
 ヅカの立場としての別格というより、もっとファジィな意味で「特別」な人。
 チャル様、トド様、オサ様、リュウ様など、「そのへんの若造にはない、道を極めた者が持つ魅力と色気」のある人につける。

 チャル様はわたしがヅカにハマった瞬間から「様付け」だけったけれど(北斗ひかる様、箙かおる様と、雪組2大色男として、そう呼んでいた)、他の男たちは「ちゃん付け」からはじまって「様」にまで昇格した人たちだが、呼び方がこう変化することは、ほんとーに稀。

 やはり自分がその人と出会ったとき、その人がどーゆーキャラだったか、学年や技術、持ち味全部含めて呼称が決まる。

 キャトレで「しい様」という呼び方を聞いて、改めて考える。

 今もしわたしが、今のしいちゃんと舞台で出会っていたなら。

 たしかに、しい様と、お呼びするかもしれない。

 長身であたたかな包容力を持つ、大人の男。
 どうやらトップ路線ではなさそうだが、組の重要な位置にいて、舞台を締める年長の色男。

 となると、「様」の対象だよな。

 そうか、しい様なんだ!!
 目からウロコ。

 いつまでたっても『ラヴィール』のロケット・ボーイの男の子のイメージで見てしまうから「しいちゃん」だけど、今のしいちゃんは「しい様」なんだ。
 ほえええ。
 時は流れたんだなあ。
 そうやって、少年は大人になるんだなあ。

 実際ジェラード役は「しい様」とお呼びするに相応しいいい男だった。
 『エル・アルコン』のムラお茶会にも参加したんだけど(サトリちゃんありがとう)、nanaタンとふたりしてきゃーきゃーに盛り上がった。しいちゃんがテーブルの近くに来るたび、ときめいて女子中学生のようになっていた(笑)。
 なんであんなに派手にかっこいいの、あの人。そしてナニ気にS属性なの。
 輝度の高い笑顔とあたたかさ、なのにどっかSな雰囲気、って……ハマったら泥沼な、危険な魅力ですよソレ……(なんで舞台では人畜無害にしか見えないんだろ)。

「『しい様』よねっ」
「今日は『しい様』とお呼びする!」
 って、女子中学生モードのわたしとnanaタンはふたりして言い合ったさ……。

 『赤と黒』では、やっぱり「しいちゃん」に戻っちゃったけどさー、わたし的に(笑)。

 
 「今」いろんな人と出会っていたら。
 しいちゃんが「しい様」であるように、いろんな人が「別の人」に見えるんだろうなあ。

 昔から、少年時代から眺めていたことはうれしいことだけど、純粋に「今」の、大人になった彼らにボーイ・ミーツ・ガールして、ときめきたかったな、なんて、ゼイタクなことも思うわけですよ。

 今、わたしがはじめてヅカにハマったとして。

 いったい誰にオチるんだろうなあ。


 またしても、「2008年ポケットカレンダー」の話。

 たしか最初にポケカレが発売になったときの謡い文句は「いちばん人気があった舞台スチールをミニ・サイズのカレンダーに」だったと思う。
 だから最初の絵柄はどれもすごーくキャッチーだったし、「なるほど、これがいちばん売れたんだ、そりゃそうだな」と納得できる写真ばかりだった。

 でも今年のポケカレにはそんな謡い文句、ないよねえ?
 去年のにもなかったような?

 ポケカレは、ポケカレ・オリジナルの絵柄になっちゃったの?
 だとしたら、いったい誰が選んでいるの?

 なんつーか、ファンのニーズとは微妙にズレているような気がするんだけど。

 ……てなふーに、誰も思ってないのかなあ?
 他の人には、「ド真中!!」な選択なのかな。

 たとえばわたしひとりが全員の写真を選ぶとしたら、ひとりずつのスターの「いちばんかっこいい・素敵な写真」は選ばない。

 ひとりのスターの写真を選ぶなら、「いちばんかっこいい・素敵な写真」を選ぶよ。
 なにしろ1年間眺めるわけだから、本気でいちばん好きなモノを選ぶさ。
 まず、日本物はパス。青天なんかもってのほか。
 髪型はシンプルで、奇をてらわない。もちろん地髪。ショーの1場面用にとんがらせたり、派手なヅラをかぶっていたりしない。
 原色ギラギラ、黄色に紫のツートンカラーとか、ありえない配色の衣装は論外。ラテンのビラビラとかも嫌。ターバンも却下。日本人でターバンが地髪以上に似合う人なんていない。
 ソフト帽もかっこいいけど、顔が隠れてしまったら意味がない。
 基本芝居の写真になるな。スーツ姿で、端正なもの。
 その人がシンプルにいちばん美しい姿を選ぶ。

 てなふーに、「いちばんかっこいい・素敵な写真」を選ぶと絶対、「派手派手、これぞタカラヅカ!」なものにはならない。

 ひとりだけなら、それでいい。
 しかし、その調子で全員の写真を選んだら?

 そうなると、約40人のほとんどの絵面が似かよってしまう。
 男役は芝居の写真がほとんどで、地髪ばっか。娘役はショーの衣装でもかわいいものがあるからそっちを選んでいるかもしれないけど、大半の男役が地味にスーツ。日本モノ、青天なんて絶対1枚もありえない。

 ……商売として、商品ラインナップとして、それはちょっとまずいかなと。

 だからわたしひとりが全員の写真を選ぶとしたら、ひとりずつのスターの「いちばんかっこいい・素敵な写真」は選ばない。
 かっこいいかどうかではなく、別の観点で選ぶ。

 全部を並べたときの視覚効果を第一に考える。

 一覧表を見た人が、「うわ、こんなにいろいろあるのね」と思うように、あえていろいろ混ぜなければ。
 派手派手ショー場面も、悪趣味な姿も、これはどうよ?なものも、適度に混ぜなきゃ。全部が全部シックにおしゃれになってしまっては、全体を俯瞰したときにくすんでしまう。

 ファン目線ではなく、「商品販売」を念頭においた選び方をすれば、そうなる。
 「タカラヅカってこんなにいろいろあるのよ」と言うために、わざといろんなものを混ぜる。もちろん日本モノの青天も。

 その人がいちばん美しい写真ではなく、ヅカファン以外のための選び方。……たとえば、ヅカに興味ない販売企画上層部のおじさん相手のため、とか。
「あのおっさんが一発でOK出すなら、こんなもんだろ。NG出されてもウザいし、おっさんのよろこびそーな絵を選んでおけばいいや」とか。
 ……「お客がよろこぶもの」を一生懸命企画しても、全部上に握りつぶされ、いつのまにか「お客のため」ではなく、「上がうんと言うもの」を企画していることになる、よくある大人の事情を想像してしまいました。ほほほ。

 みんなみんな、この1年間の「ベストショット」がちゃんとポケカレに採用されていたならいいね。

 まっつは……わたし的に「いちばん」の絵ではなかった。
 でも、それはそれでヨシ、程度の絵だったからいいや。

 
 緑野こあらは、またひとつ大人の階段を上ってしまいました。

 はい、グッズの話です、「2008年ポケットカレンダー」です。

 わたしは、グッズ大好きなくせに、贔屓のグッズを買うのは恥ずかしい人。
 去年のブクマ購入時に、うだうだ書いている通り。
 (http://koalatta.blog48.fc2.com/blog-entry-1457.html

 さあ、ポケカレの季節だ、この世に数少ない貴重なまっつの公式グッズだ、ポケカレ買うぞぉ〜〜。

 ポケカレが発売日に購入しに来店しなければ手に入りにくい、売り切れるまでの期間がやたら短いモノだと知っている。
 だが、発売日にあわててキャトレへ行くことはしなかった。せっかくの1日だもん、映画見てたよ。

 のんきにしていたのには、もちろん理由がある。

 まっつポケカレは売り切れっこないから、あわてなくてもいいや。

 人気スターのファンなら大変だけど、わたしはそのへん楽ちんさ〜〜。
 まっつ以外で欲しい人のは、数日で売り切れるような販売枚数ぢゃないことが想像つくし。発売日になにを捨てても駆けつけなければならない、ってもんでもない。

 とはいえ、発売から数日内には行っておくべきだよなー。まっつはともかく、水くんやゆーひくんが売り切れたらこまる。

 つーことで、観劇がてらはるばるムラまで。

 キャトレのポケカレ・コーナーにて、ぼーぜんとしました。

 未涼亜希さん、品切れです。

 ななななんで?
 そんなに発売枚数少なかったの?? いやそのそんな不吉な想像。

 答えは簡単、花組が今、ムラで公演中+お稽古中だからだ。
 公演してるし、本人お稽古してるわけだし、そりゃムラには花組ファンが大挙して来ているわけだよ。
 それならまっつポケカレが売り切れていても、不思議はない。

 不思議はない……ことに、何故早く気づかなかったんだ自分。
 それならムラじゃなくて梅田のキャトレに行ったのに! 梅田なら絶対まっつポケカレは絶賛発売中だろうに。

 あーあ、と自分の読みの浅さに肩を落としながらも「せっかく来たんだし」と、他のポケカレを購入する。
 申込用紙に枚数を記入して、カウンターへ。
 表に出てないだけで在庫ないのかなー、と往生際悪く「品切れしている人の入荷は決まってないんですか?」と聞いてみる。
「はい、まったく未定です」
 キャトレのおねーさんは言い切る。

 そっかあ、ダメかあ。仕方ない、梅田キャトレに寄って帰るか……DVDメディア買うつもりだったし、ヨドバシ寄るついでに。

 グッズを買うのは恥ずかしい。でも、いちばんのご贔屓以外は恥ずかしくない。
 複数スターのポケカレをぞろりと1枚ずつ買って、キャトレのハシゴだ、次は梅田店だ。

 ええ。
 だからわたしは、「贔屓のグッズだけは、恥ずかしくて買えない」人なんだってば。

 失敗に気づいたのは、グラビルのエレベータの中でだ。

 ちょっと待て。
 今までまっつグッズを買うのが恥ずかしくなかった……というか、なんとか乗り越えられていたのは、複数スターのグッズの中に、まっつもこっそり混ぜていたためだってば。
 まっつ単体でなんて買ってないってば。

 ポケカレだって、水くんやゆーひくんのポケカレと一緒にまっつも買うわけだから、自分的に言い訳が出来てぜんぜん大丈夫っていうか……もう他の人みんな買っちゃったじゃん!!
 あとまっつだけじゃん!

 あたし……まっつだけ、買うの? たしか梅田キャトレって、レジカウンターで「だれそれさんのブクマを1枚下さい」ってやらなきゃブクマを売ってくれなかったところよね?
 そんな店であたし、まっつポケカレ買えるの?!!

 うおおうおお。

 悩みました(笑)。

 で、梅田キャトレ。
 案の定まっつは絶賛発売中。ムラで売り切れていた花メンたちも、ここではちゃんと売っている。

 いちお、注文用紙が置いてあり、自分で店のおねーさんに声を掛ける必要はなくなっていた。
 が、ポケカレ・コーナーはあちこちにあるのに、注文用紙があるのは1箇所だけ。……まだるっこしいことしないで、レジで名前を言え、って感じかしら……。

 でもわたしは用紙に飛びついた。たかが300円の商品1個買うために、注文用紙に記入した。

 「未涼」の欄に「1」と書いた。

 どきどきどき。
 や、用紙に記入するまで、これまた往生際悪く店内を2周くらいした。いろんな組のいろんな商品をこれみよがしに見て回った。

 カムフラージュに別の人の商品も一緒に買おうかとか、エロ本1冊ではレジに行けない男子中学生のようなことも考えた。

 でも、そんな自分を叱りつけた。
 ダメよこあら、大人にならなきゃ。これから先、まっつグッズを買うたびにこんなに逃げ腰になる気? 勇気を出して、現実と向き合うのよ……!

 つーことで、決行。
 注文用紙握りしめて、レジへ。

 この用紙があれば、なにも言わなくてもこれでまっつポケカレが買え……る……。

 レジのおねーさんはとても愛想よく、ストックからポケカレを1枚出し、カウンターの上でわたしに見せた。

「未涼亜希さんのポケットカレンダー、1枚でよろしいですね?」

 う・わーーっ。
 そーだった、商品確認、復唱があったんだったーーっ。

 ムラのキャトレでも購入した分全部、名前と枚数言われたじゃんよ。そっちは気にしてないから、すっかりスルーしていたよ。

 なんでだ。
 なんでまっつグッズだけ、こんなに恥ずかしいんだ。

 息も絶え絶えにブツを受け取り、店を出る。
 恥ずかしいよお。なんつーか、「松田くんのことが好き」って友だち内では言ってるけど、クラス全員の前で「緑野って松田のこと好きなんだってさー」と言われたような恥ずかしさ。
 松田くんのこと好きなのは事実で、友だちはみんな知ってるし、生徒手帳に写真とか入れちゃったりしてるけど、だからといってソレをクラス中に知られたいわけではぜんぜんなくてっ。
 クラスのみんなもヒマじゃないから「へー、そーなんだ」ぐらいで別に、わたしのことなんか興味も持たないだろーけどっ、でもでも、あたしは恥ずかしいのよーっ。
 ……みたいな。

 たんに自意識過剰なだけなんだがな。
 わたしが大事に思うほど、ひとさまはわたしのことなんかなんとも思ってないっつーに。

 
 なんにせよわたし、まっつポケカレ買いました。
 自分で買ったわ。まっつ1枚買いという、「まっつファンとして正しい姿」を披露したわ。
 やればできるのね。大人になったじゃない。

 ん?
 ファンならグッズはどーんと大人買いするべきなのか?? いやソレはやっぱ恥ずかしすぎるってば。


「花のWS、両方観たんでしょ? めおちゃんとまぁくん、どっちがよかった?」
 と聞かれても、答えることができない。

「えーと、きらりとだいもんがよかった」
 ……って、質問に答えてませんがな(笑)。

 『蒼いくちづけ』Bチームについては、語ることが難しい。
 重要な役割を担うヒロインがただ日本語を読み上げていただけだったので、必然的に「芝居」にならなかったんだ。
 他の人は芝居をしているのだけど、ヒロインが喋るたびに芝居が中断され、別物になってしまう。
 あまりにすごいので他のこと(物語とか芝居の流れとか空気とか、他のキャラがどうとか)全部真っ白になり、ヒロインの声に聞き入ってしまう。その繰り返しなので、Bチームを「芝居」として受けとめることが、わたしはできなかった。

 ある意味このヒロイン、すごい逸材かもしれない。
 作品も物語もふたつのチーム競演だということも他の出演者も、とにかく全部忘れさせるほどの力を持っている(笑)。

「誰に聞いても『姫花がすごい』としか言わないんだもの。まぁくんが、とか作品が、とかじゃなくて、誰も彼もが姫花の話しかしない。それもみんなものすごい勢いで話す。姫花って本当にすごい逸材なんじゃないの?」

 と、スカステのニュースを部屋のBGMに流していただけだったのに、ヒロインのものすごさに振り返ってしまったというドリーさんが言う通りなのかもしれない。
 鮮烈なデビューというなら、これほどのインパクトのあるデビューもないもんなー。
 わたしも含め、ほんとになにより姫花ちゃんだもんよー。
 友だちとも、たまたまムラで隣り合っただけの人とでも、『蒼いくちづけ』Bチームを観た、という人とはすごいシンパシーを持って語り合えるという……。

 将来、この芝居を生で観、この体験をしたことが財産になるかもしれないなー。
 や、姫花ちゃんがこのあとめきめき成長し、今回の公演が笑い話となることを、心から祈っている。
 

 こんな状態だからまぁくんの芝居がどうだったのか、さーーっぱりわからない。
 歌が大変だったこと、声がひっくり返りまくっていたことぐらいという、「表面的な」ことしかわからない。
 芝居を観たかったのになあ。

 よくわかんないけど、あのヒロイン相手にキモチをつないで演技を続けているまぁくんに、男気を感じたぞ。けっこうやるじゃん、と思った。

 
 だいもんはそれほどヒロインに絡まないし、見せ場が単独なので素直に「そこだけ切り取って観て」よかった。
 1幕のじじいがうまいことはわかっていたけれど、2幕の悪役を本気で作りこんで来ていて、おどろいた。
 キンキンのパツキンをぴったりオールバックに撫でつけ、これでもかと顔を描き込み、非人間的美貌を作っていた。
 そしてひたすらクールに、大仰に「悪役」をやる。

 あー、キモチいいなあ。そーだよ、小池のアホアホ・オリジナルの2番手は、これくらい潔く「アニメ的」であるべきなんだよ。
 収まりがいいの。
 作品がマンガ・アニメ系なんだから、キャラクタもソレ系で統一すべき。

 だいもんのはじけっぷりで、ずいぶん救われた気がした。
 
 あ、彼が「巧い」ことは最初からわかっているので、それについては特になにも。期待の範囲内。
 ……だがほんと、だいもんがいてくれてよかった……。
 

 はるくん、ルナくんの役替わりは、Aチームのときの方が好みだった。キャラの問題かな?
 ジョナサンとジョニーの2役をやった研3の鳳くんは……学年相応? 正しく「新人公演」のイメージ。しかしAチームのめぐむより違和感がなかったのは、何故だろう(笑)。
 パパ役のレネくん、ナニ気にうまい? このメンバーでは上級生グループなんだね、マメたちと同期。

 
 1幕の女の子の寝室と、立ち聞きしている男の子たちの場面が好き。
 すごいかわいいよね。どっちも。
 無表情なアーサーが、テンションあげてがんばっている姿にふるふるする(笑)。でもってアーサー@かずやくんのかっこかわいい二枚目ぶりにもふるふるする(笑)。

 あと個人的趣味で真輝いづみくんを意識的に見てみる。まだ声が高いけど、演技はちゃんとやってるよなー。
 せっかく顔が子どもっぽくないので、かっこいー渋い男に成長してほしーなー。

 
 1幕がクラシカル、2幕が力押しできる若者ごちゃごちゃコメディ、というのはほんとうに勉強になると思う。
 1幕はやっぱり難しいからか大変そうな子も、2幕の等身大の役なら粗が目立たなくなる分、やりやすそうだ(除く、めぐむとアーサー・笑)。

 でもやっぱ、1幕をまずきちんとできるように育って欲しいな。特性だけでなく「技術」を必要とする芝居だから。

 なんにせよたのしかったっす。


 さて。
 『蒼いくちづけ』の話の続き。
 栄えある92期の話をしたので、もうひとりの92期のことも、ここで書いてしまおう。

 真瀬くんと天真くん。92期、わずか研2でも「うまい」と思える芝居をする……できる、子たち。
 その彼らと同じ学年で。
 彼らと同じように本公演では声を出したこともないような扱いの……いや、彼らより多少は場も機会も与えられていた同期。

 ヒロイン、月野姫花ちゃん。

 いやあ、すごかった。

 『アデュー・マルセイユ』新公で演技がアレなことはわかっていたが。
 想像を絶する下手さだった(笑)。

 わたしのヅカファン人生の記録を塗り替えてくれた。

 下手、といえば、「伝説」の『ミケランジェロ』新人公演を、わたしはナマで観ている。花組の新公を観るのはそのときはじめてで、誰が誰だかそれほどわかっていなかったのに(このときまだまっつは目に入っていない)、「今の子、ものすごくなかった?」と堂目した。
 好みでない場合視界に入らないので、その彼女はわたしの記憶に残ることはなかったが、それでも花組を観るたびに「え、今、すごい子がいたぞ?」といちいち驚かせてくれる子がいた。あとになって、それが全部同じ女の子だと判明、花担になってからは「花組名物」として何年経っても破壊的な芝居をする彼女を愛でるよーにもなった。

 いやあ、その伝説の彼女を超える逸材に出会えるとは。

 伝説の彼女は新公2番手まで?だったのかな。その美貌ゆえ『ミケランジェロ』新公で2番手役に抜擢され、あまりのものすごさにそれ以上は芝居で目立つ役はつかなくなった……と思う。
 下手さでは似たようなものなのかもしれないが、伝説の彼女はあくまでも脇役、姫花ちゃんは2幕もの、2時間通してのヒロインだ。
 下手度が同じだとしても、破壊力がチガウ(笑)。

 本公演でその他大勢のひとりとして踊ったり歌ったりしている姫花ちゃんは、めちゃくちゃかわいい。
 目を奪う。
 それはたしか。
 だからこそ、彼女に期待したいと思う。思う……が。

 はー……。
 世の中うまくいかないもんだなー。

 『ニ都物語』のあやねちゃんも「日本語を喋ることができる」というだけのお人形さんだったのに、短期間でここまで成長したんだから、これから伸びるのかもしれない。
 まだ研2なんだから……と思いはしても、同じ研2の真瀬くん、天真くんはあれだけ芝居ができるわけだから、研2だから、はあまりいいわけに適さないよなあ。男役の方が芝居をするというだけでも難しく、娘役は早くから完成可能なのになあ。

 わたしはアニメ声自体はあまり気にならない。所詮アニヲタだしな(笑)。
 姫花ちゃんは声がどうのじゃなく、ただ演技というものができない人なんだろう。表情もずっと一定だし、見事な棒読みだし、歌はアレレだし。
 大劇場の隅にいるときはあんなにきれいだったのに、表情の乏しさ・美しくなさでせっかくの美貌も損なわれている。あああもったいない。

 これから姫花ちゃんはどうなるのかな。どこへ向かって進むのかな。
 美しさは天性のもので、こればっかは後天的にどうこうできるものじゃない。天から与えられたその才能を、タカラヅカは生かすにふさわしい場所だと思う。
 だけど、いくらタカラヅカがビジュアル第一とはいえ……ええっと、最低限のラインはある……あってほしい、と思う。
 だから姫花ちゃんにはがんばって、その最低限のラインをクリアしてほしい。ほんと、もったいないから。

 姫花ちゃんを見ながらひしひしと、宙組の大ちゃんとこの姫花ちゃんでコンビ組んでみてくんないかなー、と、思った。究極の「ビジュアル・コンビ」誕生だぞ?(笑)

 
 音楽学校文化祭、宙組新人公演、そしてこの『蒼いくちづけ』Bチームと立て続けに観て、いろいろいろいろ(笑)思うところがありました。

 タカラヅカってほんとうに特殊なところだね。
 一朝一夕でどうにかなるところじゃないね。

 だからこそ、価値のある花園なんだと思う。
 しみじみと。


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