「タカラヅカ」として演じるのが正しいのか、「ミュージカル」として演じるのが正しいのか。

 よくわかんないまま、タカラヅカの『ME AND MY GIRL』観劇感想。

 あさこちゃんという人は、ほんとーに「タカラヅカ」な人だということが、よーっくわかった。
 彼が本領を発揮するのは紳士教育によってビルが変わりはじめた以降。
 いちばん素晴らしいのが、サリーの家の前、街灯下にたたずむあたり。……そして、ラストの伯爵家をあとにしようとするあたり。

 このへんはもう、「ミュージカル」というよりは、ふつーに「タカラヅカ」。
 あさこちゃんの「男役」としての美しさ、かっこよさがぎゅーーんっと発揮される。

 しかし。
 そこにたどりつくまではなかなかにバランス悪い……。

 
 わたしは、あさこちゃんとかなみちゃんの並びが好きだった。

 かなみちゃん単体でかなり好き、大抵かなみちゃんに感情移入して芝居を見るので、彼女のダーリンとして横に立つあさこちゃんは、そりゃーもースマートでかっこよくて、乙女ゲーのダーリン・キャラとして申し分ナシな男子だ。
 だからお似合いのふたりだと、なんの疑問もなく思い込んでいた。

 しかし、この期に及んで。

 あのぅ……。
 かなみちゃんとあさこちゃんって、芝居の質、チガウんじゃ……?

 サリー@かなみんは、ビル@あさこと絡まない、単体の見せ場がけっこうある。
 サリー単体だと、かなみちゃんは「ミュージカル」としてぱあぁぁっと輝き出す。
 豊かな表現、押し出しの良さ、存在感。
 力強い輝き、骨太でありながらかろやか。

 うわ、なんかすげえ?!
 と思っていたら、次にビルとふたりの場面になり……あ、あれ? 全開だったモノが薄くなり、小さくなり、別のなにかに変貌する。
 そして、ビルの芝居に寄り添う。

 ひとりになるとまた、ぱぁああっと輝く。

 あれえええ?

 タカラヅカは男役トップスターが世界の中心だから、彼の芝居に合わせるのが当然だ。
 あさこちゃんがトップなんだから、娘役トップはもちろん、他のすべての人が彼に合わせるべきだと思う。
 だから、かなみちゃんは正しい。
 あさこちゃんの作り出す「タカラヅカ」な美しさに寄り添う演技をする。これが正解、正しい姿。
 しかし……。
 あれほどの役者としての生命力を、べつの殻に押し込んでいたとしたら、それはなかなかに大変なことだったんだろうなあ。

 今までは「タカラヅカ」な芝居ばかりだったから、気にならなかった。
 今回は「ミュージカル」で、かなみちゃんだけでなく、きりやん、タキさんと主要キャストが「ミュージカル」な芝居をしている。
 おかげで、痛感した。
 あさこちゃんとかなみちゃんって……チガウ。根本的なことが。

 いやあ、今までナニ見てたんだろうねえ、あたし。
 芝居はいつもかなみちゃん視点(ヒロインになって、恋をする)だったし、ゆーひくんガン見ばっかしていたからなあ。

 美男美女だからお似合い、なんて単純に考えてたよ……。

 
 それでもここは「タカラヅカ」で。
 これは「タカラヅカ」な『ME AND MY GIRL』だから。

 あさこちゃんがひとり「タカラヅカ」を貫き、「ゆるがない美しいモノ」を体現してくれている。

 あさこちゃん演じるビルの、最初の粗野なあたりは相当わたし好みではないし、ジェラルド@あひくん同様、キツい部分もかなりあるんだけど。
 でもそれは、タカラヅカな彼がそーではないものを演じようと悪戦苦闘しているのであって、「ミュージカル」ができないからといって彼の価値が損なわれるわけじゃない。
 だってここ、タカラヅカだし。わたし、タカラヅカ観に来てるんだし。
 演じようとして結果として足りていないのだとしても、そこまで「タカラヅカ」である彼が、いっそ愛しい。
 「ミュージカル」な演出でも、「タカラヅカ」として演じてしまう彼だからこそ、街灯シーンやラストシーンがいっそう甘くせつなくなるのだから。

 「ミュージカル」としての本領を発揮するかなみちゃんを「すごい」と思う反面、「てもコレ、タカラヅカの娘役じゃないよ」とも思う。

 難しいなあ。

 あさこちゃんとかなみちゃんの芸風の不協和音は、そのまま「タカラヅカ」の『ME AND MY GIRL』を表しているように思った。
 あー、なんかバランス悪いっちゅーか、違和感がぬぐえないんだよなあ。

 や、こんなふうに思っちゃったのはわたしだけかもしんないし、んなこと考えずもっと熱中してたのしめばいいだけのことなんだけど。

 
 退団公演にしてはじめて、かなみちゃんは自身を解放しているんだなぁ。
 別の人と組んでいたら、彼女はどんな芝居をしていたのだろう?
 あすかちゃんがトウコちゃんと組んで密度の濃い、手加減無しな芝居世界を構築しているだけに、ちょっと考えてしまった。
 あさこちゃんもまた、別の人とだったらまた、チガウ芝居をしていたんだろうか……いや、彼の芝居自体は変わらないと思うけど、相手役の色ゆえに観客には、べつのカラーとして映っただろうな。

 「芝居」って、「役者」って、おもしろいなあ……。

 公演を重ねていくごとに、『ME AND MY GIRL』のいびつさは、なめらかになっていくのだろうか。
 石が波に洗われて丸くなるように。

 東宝楽になるころには、どんな芝居になってるんだろう。

 
 『ME AND MY GIRL』、よーやく観劇して。
 はじまってすぐに、あ、と思ったこと。

 ジャッキー、あいちゃんなんだ。
 ……役替わりのチェックもしてなかったっす。いや、どちらのジャッキーも観たいからいいのだけど。そっか新公日にみりおがジャッキーやってるわけないなー。

 それまでほんとーに自覚がなかったのだけど、わたしにとっての『ME AND MY GIRL』は、中日で観たのんちゃん主演バージョンだった。天海主演も観ていたのに、そっちはあまり記憶にない。その、天海の演技が腑に落ちなかったことはたしかだが、記憶がここまでのんちゃん主体になっているとは、自分でも気づいてなかった。

 が。
 ジャッキーだけは、天海版のマミさんが、わたしの原点であるらしい。
 衝撃だったからなあ、あまりに、オカマで。
 予備知識ナシの初見だったため、ジャッキーという人が女性なのか、それとも女装している男性なのか、観ていて混乱したんだわ……。や、観ているウチに「男に見えるけど、どうやら彼女は本物の女性らしい」とわかったんだけど。

 女性? それとも、女装している男性?
 と、混乱するところからはじまるのが、「ジャッキー」というキャラクタ。
 そーゆー刷り込みがあったらしいですよ、わたしの中に! 今まで気づかなかったけど。

 だからあいちゃんが登場しても、彼女がジャッキーだとぴんとこなかった。
 なんかふつーの女の人がいる。
 ところでジャッキーはいつ出てくるのかしら。

 ……あれ? あいちゃんってジャッキーだっけ? え、じゃああのふつーの人がジャッキー? ジャッキーってもっととんでもなく目立つ役じゃなかった??

 なんとも不思議な刷り込みですな……。

 あいちゃんの美貌と華に不足があるわけではまったくないのに、周囲に埋没して見えたのは、わたしにとってのジャッキーが「あそこに異生物がいる?!」と混乱させるほどの一風変わったド派手さを持つ役だったからなのですよ。

 なのでどうもジャッキーがふつーの人だったのに慣れなくて。
 そこにいるだけでおかしい人、じゃなかったんだ……知らなかった……。
 あのオカマよりオカマらしい(言動すべてが嘘くさいまでに「女」を強調したマンガめいたキャラ)マミさんに迫られたんじゃ、そりゃ天海は逃げるわな……と、笑いながら納得、というのがわたしのデフォルトだったんだよ。
 ふつーに「美女」に迫られる図、って、なんかあまりにふつー……。

 それでも冒頭部分であいちゃんが黒服を侍らせているところは、ごっつーかっこよかった。

 
 てゆーか冒頭の黒服たち。ナニ、あのイケメン揃い。

 ひたすらガン見しちゃったよ。
 登場したジェラルド@あひくんがえーらいこっちゃで痛々しくて見ていられなかったことももちろんあるが、それにしても黒服な彼らがかっこよすぎて視線が離れない。

 そのか、もりえ、マギー、まさき、るうで合ってる? 1回見ただけだしプログラム買ってないから記憶だけで書いてるんだけど。

 そのか、マギーがあーゆーのがかっこいいことはわかっていたけれど。

 もりえくんの美しさは、いったい?!

 ヒゲ! ヒゲ!!
 ヒゲにダークスーツ姿のもりえくんがかっこいいよーっ。美しいよーっ。
 たんにヒゲフェチなのかあたし? ごっつーときめいたんですが(笑)。

 もともとスタイルいいからさぁ。
 あのスタイルでヒゲの色男をやられたらたまりませんなぁ。

 そして意外なほどまさきが「大人の男」として、美しかった。
 なんだ、こーゆー無表情なビジネスマン系もハマるんじゃん。スーツ姿もきれいだ。

 みんなもうかっこよくて美しくて……『ME AND MY GIRL』ってこんな麗しい男たちの役があったのね、これからも出てくるのかしら!と無知ゆえにわくわくして。

 ……2度と出てこない、その場限りのモブにしか過ぎないと知って、悲しむ(笑)。

 だってこの面子が次に出てきたときって、サワヤカ・スポーツマンなんだもの……。チ・ガ〜〜ウ、わたしが見たい彼らはそんなんじゃない〜〜。
 なんか空々しいサワヤカさで、出番の水増し・苦労してるんですよ的使い方で、心が冷えた(笑)。いやその、仕方ないことはわかっているが。

 また、ヒゲでないもりえくんはそれほどかっこよくなかった……サワヤカさだとまさきがひとり勝ちしていたような。
 もりえは若者ぶりっこより、大人の男の方がより美しいのでは? とか、思う。

 話を戻して、ヘアフォード伯爵家親戚ご一同のみなさん。

 最初から一色瑠加氏が舞台にいることに、ひそかに喜ぶ。
 顔が好きなの、彼の顔。目の下のシワ。奥さんの憧花ゆりのちゃんの尻に引かれてる感じがかわいー。

 マリア@タキさんは想定内なのでおくとして。

 ジョン卿@きりやん、かっこいー。

 ヒゲ? ヒゲなの、あたし?
 相棒のnanaタンもすっかりヒゲ中年男スキーになって「きりやさん、きりやさん」ってハートマークとばしてるけど……nanaタンはほら、キャリエールとかフランツとか、偏ったキャラクタに入れ込む日々が続いたから、若い美形キラキラなにーちゃんにときめかなくなっているだけかもしんないけど……わたしは、べつに……。

 あ。ジオラモ効果?

 ちょびヒゲのチョイ悪オヤジに数ヶ月ハマっていた後遺症でしょうか。

 ジオラモ@まっつはなんとも居心地の悪い笑いのこみあげるオヤジっぷりでしたが、ジョン卿@きりやんはほんとにステキな英国紳士なのよ〜〜。
 素直に「かっこいー」と言えるって、なんて素晴らしいことでしょう……。

 
 サリーになって、ジョン卿に甘えたいなあ……。
 や、甘えさせてくれると思うの、ジョン卿。心配して会いに来てくれてさ。
 恋愛じゃなくて、大人の包容力で包み、支えてくれるって、「小娘感」を堪能できるよなー。自分がおばさんだからこそ、サリーとジョン卿のパワーバランスにときめくわ(笑)。
 てゆーか、そっから恋になってもいいのに……(話がちがってます)。

 わたしにとってのジョン卿は、中日公演の汝鳥伶サマなの。
 だから霧矢さんはどうにも分が悪い。汝鳥伶サマの包容力、男としての可愛らしさは追従を許さないからなー。

 だけどやっぱりここはタカラヅカで、ジョン卿が2番手の役認識ってのも、きりやんゆえによーっくわかった。
 汝鳥さんがのんちゃんといちゃいちゃしていても、萌えなかったもん。
 微笑ましいけど、ステキだけど、なんかチガウ。

 それが、ビル@あさこちゃんとジョン卿@きりやんがいちゃいちゃしていると、すごく、たのしい。
 2幕の図書室ダンスが、きゃーきゃーにたのしい。
 トップスターと2番手が、男ふたりでがっつり組んで踊ってるんだもん、そりゃときめくわー。
 片方ヒゲのおっさんだとか、どっちも酔ってべろんべろんだとかゆーことは、どーでもよくて。
 タカラヅカのトップと2番手、であることのきらめきですよ。映りの良さですよ。

 きりやんのジョン卿大好き〜〜。すてき〜〜。


 退院のめどがついていないときから、「『ミーマイ』新公は絶対行くからねーっ!」と意気をあげ、友人たちをあきれさせておりました。
 だって『ミーマイ』本公最前列、観られなかったんだよ? 新公だけは絶対行くー!!

 で、ちゃーんとそれまでに退院できたし(もぎ取った感はある・笑)、新公前に本公も観なきゃだし、新公日はWヘッダするぞぉーっ。
 ひさしぶりのムラだー、タカラヅカだー、と朝からわくわく用意をしていたら、nanaタンから電話。今日ひょっとしてWする気? と。

「病み上がりが心配だから、家まで車で迎えに行く」

 えー?
 新公観るわけだから、ムラでは会えるだろうと思ってたけど……nanaタンの方がムラの近くに住んでるから、オレんちに来るっつーのは、逆方向で……。

 えっと、オレ、愛されてる?(オレ女やめなさい)

 いい人だnanaタン。
 往復送り迎え付き、とってもお大尽な1日でした。ありがとうありがとう。
 もちろん車の中では『ミロワール』実況CDがエンドレス……(笑)。ゆみこちゃんはいっぱい歌ってるなあ。そして水しぇんはあんまり歌ってないんだなあ……CDだとよくわかる、この歌バランス。

 
 ひさしぶりのムラは、桜が終わりかけておりました。
 1年経つのって早い。

 んで、「最前列でミーマイ!ができなかった」としょぼくれていたわたし、当日券であっさり6列目センターGET。
 えええ、すげー席じゃんちょっと。いちまんえんの5列目より、びんぼなわたしにはお得だわ。

 『ミーマイ』に縁がない、なんてことを言わず、堪能しなさいってことなんだわ……神様ありがとう。

 
 そんなこんなで、あちこち感謝モード、しあわせいっぱいモードで『ME AND MY GIRL』観劇開始。タカラヅカが観られるシアワセ噛みしめて。

 
 たのしかった。

 
 すごーくたのしくて、とってもしあわせだった。

 わたしは笑いツボがひとよりかなり少ないので、笑うことはほとんどなかったけれど(海外ミュージカルのユーモアはわたしのツボとかけ離れている)、別に喜劇を求めてないのでどーでもいい。
 罪なく純粋にしあわせに浸っていれるのがいい。

 そして、二重三重映しになる、記憶。

 まったく自覚していなかったが、実際に『ME AND MY GIRL』を観劇すると、過去に観た『ミーマイ』がいろいろ思い出されてくるんだ。
 『エリザベート』のように台詞全部歌全部場面全部おぼえてるよね、なんて勢いで記憶しているわけじゃない、遠い昔に天海版1回、久世版1回観ただけなのに。

 舞台だけでなく、それを観ていたときの自分ごと。感情ごと。

 その郷愁も込めて、甘酸っぱい幸福感と、一抹の切なさになる。

 
 とってもたのしく拍手して手拍子して。
 6列目でもオペラ使ってきゃーきゃーミーハーして。

 それでも少し、気になったこと。

 なんか、バランス悪い?
 「タカラヅカ」と「ミュージカル」の。

 どっちを観ているのか、や、どっちでもいいし区別の必要もないものだとわかってはいるが……演技や存在にムラがあることが、気になった。
 あさこちゃん中心になると「タカラヅカ」になり、それ以外の人たちだと「ミュージカル」になる。
 微妙な差というか感覚なんだけど……この違和感が終始つきまとった。
 
 どちらかに統一しなければならない、というようなものでもないんだろうし、これはこれでよいのだろうけど。
 主役と主要人物たちの演技のカラーがチガウのは、『ミーマイ』だからなのか。ふつーに「タカラヅカ」な作品なら、こんな違和感は起こらないのか。
 よくわからない。

 んで、天海版よりのんちゃん版の方が強く記憶に残っているわたしはわかっていなかったんだが、この芝居、銀橋使わないんだね。
 のんちゃんは中日公演で銀橋のない舞台だったから、気づいてなかった。
 タカラヅカの特徴であるエプロン・ステージ、銀橋をほとんど使わない演出。

 海外ミュージカルをそのままスライドさせたとしても、ハコに合わせて演出を変更することは可能だと思う。決めになるソロとか、ちょっとした会話だけとかを、銀橋に出てきて演じさせることは、いくらでもできるだろう。
 でもそれを、あえてしていない。
 きっとこだわりがあるんだろうな。

 銀橋の存在なんかすっかり忘れて見入っていたので、ランベス・ウォークのとこでみんなが銀橋に出てきて、びっくりした。
 そうかこの劇場、エプロン・ステージあったんだ!! あるのに演出上、劇場の構造無視して「ない」ことになってたから、客席降りをする途中の場所として銀橋が使用されたときに、おどろいた。

 タカラヅカはトップスター中心が正しいと思っているので、あさこちゃんのカラーに合わせて、もう少し「タカラヅカ」寄りの演出にしてもよかったんじゃないかなあ、とは思う。
 「ミュージカル」寄りの演出はきりやんの博多座に任せて、大劇場では銀橋もばんばん使う、あさこのための演出に。
 そうしたらあさこと他出演者たちとの違和感も、薄れただろうし。
 過去作品をそのまま再現するのではなく、現在に合わせて、スターのカラーに合わせて再構築する……てのは、「名作サマ」でしてはいけないことなのかなぁ。版権とかあって、変更は一切ダメ、とかいう可能性もあるか。
 それに「変えない」ことを残念に思う人より、「変えた」ことで不満を言う人たちの方が圧倒的に多いもんだしなあ。『ミーマイ』に限らず、過去の記憶は美化される一方だし。ヘタに手を加えない方が無難で安全ってもんだし。

 たんに、こんな良席に坐れることなんてそうそうあり得ないのに、銀橋使用不可芝居だったことが残念だったなと(笑)。

 
 それでも短いフィナーレと、初舞台生ロケットに「これぞタカラヅカ!」なキモチを盛り上げられ、大階段と舞台、ものすげー人口密度っぷりに仰天する。
 ……こんなものすごい人数いたの? このハコでこの人数でやる芝居ぢゃないだろうに……ゲフンゲフン。
 いやその、このゼイタクっぷりが素晴らしいのよ。ほんとすげーや。
 役と呼べるほどの役がなくても、みんな作品を、世界を愛し、前を向いてきらきらしている。

 
 やっぱタカラヅカいいなあ。
 健康第一、元気にあと50年はヅカファンやるぞぉ! と新たに感激したのでした。


 知らなかった。

 わたしにとっての『ME AND MY GIRL』とは、久世星佳お披露目だった、月組中日公演であるらしい。

 最初に観たのが、天海祐希主演の大劇場版。
 だからとーぜん、最初に観た『ME AND MY GIRL』が、わたしにとっての『ME AND MY GIRL』だと思っていた。

 が。

 実際に今の再演『ミーマイ』を観ていて感じる違和感は、のんちゃんバージョンとの差異によって生じるモノだった。

 知らなかった。
 自分でも、カケラも自覚してなかった。

 わたしにとってのビルはのんちゃんで、サリーは優子姫なんだ。

 ちなみにジョン卿は汝鳥伶サマで、ジャッキーはじゅりぴょんだ。

 
 はじめての中日劇場。
 たしか観劇直前まで観光していて、ぎりぎりに駆け込んだため、劇場についての印象はまったくない。なにもおぼえてないぞ。終演後は名古屋名物を食べるのに必死だったし(笑)。

 大人の男……つーか、ぶっちゃけおっさんくさいのんちゃんが、天海があんなにかわいかっこいービジュアルで演じた若々しいビル役をやる、つーんで、興味津々。
 いやその、なんつーか、ポスターは、微妙だった。

 うわ、似合ってねー……。

 だってのんちゃんこの間までジョン卿やってたじゃん。ガイゲルン男爵だし、ダニエルだし、ミッシェル役は天海とWキャストと思えないくらいイメージ違ってたし……とにかくいつだって「大人」だったじゃん?
 それがビル役ってのは……無理があるんじゃあ? のんちゃんが芝居巧者なのは知ってるけど、外見の占めるパーセンテージは大きいよ?

 そう思いつつ、半信半疑のプレお披露目公演、張り切って初日観劇。

 
 違和感、なかった。

 か、かわいいっ。
 のんちゃんなのに、顔は変わってないはずなのに、のんちゃんがかわいい。フレッシュでキュート。

 愛すべき男、ビルがそこにいた。

 芝居が巧い、つーのは、こーゆーことをいうのか……。
 柄違いぢゃ? てな役も、ふつーにモノにしちゃうんだー。

 
 ちなみに、それまでわたしは風花舞ちゃんが相当苦手だったんだが、サリー役はふつーにかわいかった。
 え、いいじゃん? と、素直に見直した。(そのあとの大劇場お披露目公演『CAN-CAN』で惚れ込む)

 
 じゅりぴょんのこともそれまで知らなくて、「新公ジャッキーで、すばらしい評判だったから、中日公演でもジャッキーに抜擢された新進男役」と聞いていたので「どんな美形サマが美脚を引っ提げて登場なさるのかしらっ」とわくわくしていたさ……ええっと、たしかに美脚だったけど、そのう、想像していたタイプの美形サマではなく、味のあるお顔立ちに相当びっくりしたなあ……(笑)。

 
 でもって、ジョン卿@汝鳥伶サマと、マリア叔母@邦なつきさんが、かわいらしくもじれったい恋をしているの。

 汝鳥伶サマとのんちゃんが、図書室で酔っぱらってじゃれるの。

 なんかもー、すっごいシアワセな画面なんですが。

 あああ、汝鳥伶サマ、ステキだったなあああ。(ソコか)

 
 たしかに、タカラヅカらしいキラキラ感には欠けていたかもしれない。
 なんつーかこー、いぶし銀な配役だよなー。
 とくにアイドルだった天海が抜け、一気に地味度が増した感はある。

 だけどすごく、ミュージカルだった記憶がある。
 タカラヅカだけど、ミュージカル。
 ヅカのよいところを残しつつ、ぎりぎりミュージカルしていたような。

 中日劇場でコンパクトに演じていたのも、関係しているかもしれない。

 『ミーマイ』はふつーにたのしくてハッピーで、それほど大好きってわけでもないけれど、1回観る分には十分たのしめる作品。や、わたしにとって。
 ほんとにたのしんで、気持ちよく過ごした。

 
 それが、わたしにとっての『ME AND MY GIRL』。
 地味でコンパクトで、「ミュージカル」。
 のんちゃんが脚立の上で、脚立ごと倒れそうになってびびった記憶(初日ならでは・笑)ごと、刷り込まれていたらしい。

 今のあさこちゃん率いる『ME AND MY GIRL』を観ながら、なによりものんちゃんの『ME AND MY GIRL』を強く思い出していた。
 なつかしんでいた。
 ……自分でもそんなことをおぼえているなんて、すーっかり忘れていた、ささやかな感覚を。

 
 再演って、おもしろいよなー。
 いろんな感情が、二重三重に映し出される感覚。
 『エリザベート』ほど強烈に「おぼえてる」わけじゃなく、自分でも自覚していない記憶だから、なおさらおもしろいの。
 

 『ME AND MY GIRL』、たのしかった。

 
 わたしは「モノを貯め込む」型のヲタクである。

 マンガヲタクだったときはマンガを、アニヲタだったときはアニメビデオを貯め込んでいた。

 そして今、ヅカヲタになり、「スカイ・ステージ」などという専門番組のある時代に生きてしまったら……もう、ドツボ。
 溜め込む、溜め込む、DVDレコーダにえんえんヅカ番組を溜め込み続けている。

「残りの人生全部使っても、録画した番組を全部見ることは不可能だな……」

 と、遠い目をしながらも、アホのよーに録画し続け、溜め込み続けている。

 「舞台はナマでナンボ」の人間なので、舞台中継はほとんどスルー。
 わたしが溜め込んでいるのは、日々のニュースや「NOW ON」などの時事性のあるトーク番組だ。そのとき録画しないと取り返しが付かないタイプのもの。「NOW ON」は再放送があるけど「再放送です」ってテロップ入っちゃうからさー。ナシで保存しておきたいじゃん?

 いろいろあってスカステ・ニュースが溜まりまくっちゃってさぁ。
 1ヶ月分ものニュースを、必要なところだけ編集してメディアにダビングする作業に追われております。
 タイトル入力で親指が痛いっすよ……パナソニックのDVDレコーダを使用しているんだが、漢字変換機能とかショボ過ぎてストレス。
 第2水準漢字使えないしさー……。ジェンヌの芸名が入力できないっ。「花ふさまり」とか「新どんちょう披露」とか、すごいまぬけっす……。

 そして、使用頻度が半端でないせいか、レコーダはすぐに壊れる。
 ほんとすぐに。
 修理代が5万からかかるっつーんでびびって修理せず、だましだまし使っているので、ときどきデータが壊れる。
 今日は宙組ムラ稽古場映像が壊れていたのがショックだ……。

 物理的に「見る」ことは不可能だとわかっているのに録画し、不要部分を切り取りタイトル付けて整理してメディアに収納する。
 ものすごーく、無駄なことに心血を注いでいる。

 わかっている。
 わたしはそのこと自体が、たのしいんだ。

 溜める、という行為自体。
 整理する、という行為自体。

 そのことこそが、すでに「趣味」なんだ。

 木ノ実さんから旧『スターの小部屋』(つまり本放送当時のモノ)を全200話だか借りて、「うわー、なんつー膨大な量だ〜〜」と思いながらも嬉々として「整理」している。
 ああ、なんつーつまらん趣味だ。部屋が狭くなり、金がかかるだけでなにも有益なことはない、世界に貢献もしない。
 だけどわたしは、これがたのしいのだ。

 ……と、気づいてしまった、モノだらけの部屋で。

 
 最近ちょっくら入院したんだが(外で倒れて救急車で運ばれ、そのまま入院)、わたしがどーすることもできない間に、親がわたしの部屋に入り、着替えとか身の回りのモノとかを探したわけだ。
 いや、探せなかったのだ。あまりにモノが多すぎて。

「アンタの部屋、モノ多すぎ。捨てなさいっ」

 と、滔々と叱られました……いいトシして。

 ああ、だがしかし。
 整理すること、溜め込むことが、わたしの趣味なのよ、たのしみなのよ〜〜。

 「まっつ」と書いたDVDは増え続け(まっつがちょっとでも出ていたら録画)、ファイルだって増え続けているのよ。

 あー……。


 あのー、この「DiaryNote」のカウンタって、いつ7桁になったんですか?

 2006/06/17の時点で、「6桁しかない」と嘆いてます。
 (http://koalatta.blog48.fc2.com/blog-entry-194.html

 6桁しかない現状で、99万9999に達してしまったら、次はどうなるんだろう? やっぱ0から再スタート?
 ……てなことを書いている。

 んで、2006/06/17に実際に「999999」を超えてしまって。
 「000000」になるかと思いきや、何故か「100000」から再スタート。
 ほんとに「DiaryNote」のシステムってわからない……。

 と、日にちは忘却の彼方だったが、たしか「桁数が足りない」と書いていたことをおぼえていたので、過去ログを自分であさって、上記の記事を発掘した。

 つーことは、いつの間にか1桁増えてるんじゃん。
 「桁数増やして」って「DiaryNote」にメールしたの、叶えてくれてるんじゃん。

 知らなかった(笑)。

 や、たまたま昨日の夜「もーじき30万になるなー。たしか100万ヒットで桁数超えちゃって、何故か10万からやり直しになったんだよなー」と、ぼーっと眺めていたのよ。
 んで。
 なんか変だな、30万って、こんな桁数だっけ? と、改めて数え直した。
 1、2、3……7桁? 一、十、百……百万?
 あれええ??

 桁数増えてんじゃん。
 7桁だから、百万の位まで表示可能じゃん。

 つーと「もうじき30万」じゃなく、「もうじき300万」かー。

 ……へ?
 たしか、2006/06/17で100万ヒット達成だったのよ? あれから2年弱で、290万ヒットしたってこと?
 2006/06/17の時点で「10万」からスタートしたわけだから、「300万」になったら、「300万−10万=290万」だよねえ?

 なんか計算ちがってる……かな。わたし数字弱すぎて。

 そして昨夜ふと思いついてカウンタ数メモしたんだけど……あれからちょうど24時間で、3000以上回ってるっす……。
 なにしても回る、同じ人が何度でも回せるバカウンタだから、実際の訪問数ではまったくないわけだけど……今日は溜まっていたテキストを一気にUPしたりもしたけど……えらい数字だなヲイ。
 100万突破したときからカウンタ壊れたみたいだったから(しばらくまともに回らなくなっていた)、気にしたことなかったんだけど……ちゃんと回るようになっていたのか。そしてまた、バカウンタぶりに拍車が掛かってるのかな。
 「DiaryNote」は日々の訪問者数とか、なにもわかんないからなー。

 倉庫の方はカウンタも壊れてないし、日々の訪問者数をあとからでも眺められるからときどきヒマなときに、「わーい、今日は60人だぁ」とか、「『まっつ』で検索来てるわー、まっつファンの人かしら、わくわくっ」とか、平和に眺めてたのしんでいたんだが。
 はりきって8桁ものカウンタつけたのに、恥ずかしいわねー、心配しなくてもまだ5桁にようやく達したところよー、てな現状(笑)。

 やっぱこっちはバカウンタだからなぁ。数字なんかまったくわかんねえや。
 信頼できる数字ではないが、勝手に「すごーい、300万だってぇ」と思っておこう(笑)。
 継続は力なり、だねえ。ながながだらだら、が信条ですもの(笑)。


 世の中も、『どうぶつの森』のまっつ村も、桜満開です。
 「金のなる木」も桜になるんだね……知らなかったよ……。

 いろいろいろいろ出遅れているので、今ちょっと真面目にチケット探してるんですが、そこでちょっくら略語の話。

 全国ツアー、って、なんて略してる?

 
 たとえばわたしは、「キャトル・レーヴ」を「キャトレ」と略している。
 これは「“キャト”ル・“レ”ーヴ」つー意味だ。
 ふたつの単語のそれぞれ頭文字を取ってつなげている。キムタクみたいなもんだな。

 でもこーゆー略し方をしている人は少数派のようで、周囲はふつーに「キャトル」と言っている。「キャトル・レーヴ」の前半の単語だけ発音しているわけだ。

 べつにどっちがいいも悪いもないから、たんに「たくさんの人が使っている」方が使うのに便利だろうし、「よーするに意味がわかればいい」から、どっちでもいいってことになる。

 
 でもわたしはなんか、「キャトル・レーヴ」という、ふたつの単語でできている言葉を略すのだから、両方の単語から音を取りたいと思ってしまう。
 前半の単語だけで呼ぶんだったら、別の言葉と混同するかもしんないじゃん? 「キャトル・なんとか」という別の店があって、そこのお客もそこを「キャトル」と呼んでいるかもしれない。
 わたしが差しているのは「キャトル・以下別の言葉」のなにかではなく、「キャトル・レーヴ」なんだ、っつー意味で、「キャトレ」と呼ぶ。
 キムタクが木村拓哉であり、キムラだけだと誰のことかわかんないのと同じで。
 
 「マクド」で「ミスド」な大阪人だからかなー。
 「マック」でも「ミスター」でもないっすよ。

 
 んでもって、ゲームの『おいでよ どうぶつの森』だって、「おい森」とは略さない。
 本タイトル『どうぶつの森』その中のサブタイトル「〜おいでよ どうぶつの森〜」なんだから、略するときは「ぶつ森」。
 意味を考えて略す。

 ささやかで、ほんとどーでもいいことだが、わたしの言語感覚はこんなもん。

 
 でもって、「全国ツアー」。
 どう略す?

 「全国」と「ツアー」というふたつの単語から出来た言葉なので、「キャトル・レーヴ」のときと同じ、それぞれの単語から1音ずつ取る。
 「全ツ」と呼ぶ。

 わたしの周囲もみんな、「全ツ」と呼んでいるかな。「宝塚ホテル」を「宝(タカ)ホ」と呼ぶように。

 しかし、ネットで時折見かける「全ツー」という表記。

 これって、どういう略し方なんだろう。
 「全国」「ツアー」という言葉を、飛び石で略しているってことよね?
 1文字目と3文字目と5文字目。
 「宝塚ホテル」なら、「宝ホル」? 「キャトル・レーヴ」なら、「キャルー」?
 不思議な略し方……。書くときはそれでもいいけど、発音するのめんどくさくないのかな。

 略し方は単語冒頭の1音ずつで、たんになまっているだけかしら。「全ツ」を「ゼンツウ」と発音しているため、表記するときもつい最後の音を伸ばしてしまう?
 話しているとき「ふいんき」と発音する癖が付いているから、書くときも「喋り言葉、生きた言葉で書く」という主張の元に「ふいんき」と書くよーなもん?
 わたしはそもそも「ふいんき」とは発音しないけれど、もししていたとしても、表記するときは「ふんいき」にする。話しているときに使う言葉と書くときの文字はチガウから。

 略し方の法則はよくわかんないけど、「全国ツアー」の略し方が「全ツー」であるというならば、その人からは「全ツ」と表記されているものはみんな田舎の茶店の手書きポスターの「コーヒあります」とかと同じに映ってるのかな。
 「コーヒーあります」だろうに、田舎の人って、「コーヒ」って書くのよねー、なんでかしらね〜〜、みたいな感じ?

 
 全国ツアー、どう略してる?

 あ。
 そーいやわたし、『メランコリック・ジゴロ』の略し方もわかんないや。
 いつもの法則でいくと「メラジゴ」? いやソレ、聞いたことないし。

 言葉を略すことなく、正しく発音・表記して生きるのが、いちぱん良いことだとわかってはいますがね。


 昭和58年7月1日に始動した壁掛け時計が、ついに使えなくなった。

 実に四半世紀動いていたことになる。
 わたしのヅカファン人生より長い。

 とゆーことで。

 新しい時計を求めているわけですよ。

 まずネットでいろいろ検索してみた。……いまいち。
 某ショッピング・エリアへ行き、実際にいろいろ探してみた。……いまいち。

 いざ探すとなると、ないもんだねえ……。

 直径25〜30cmくらいの壁掛け時計。
 実用性を考えるとなんとも無骨な「どこの事務所用?」てな面白みもナニもないものになるし、デザイン重視になると時間がわかりにくいし。
 第一、好きなデザイン、一目惚れして「コレだ、コレしかないっ」てものがまーーったくない。
 せいぜい、「まあ悪くないんじゃない?」レベル。

 つまんないなあ。

 いっそのこと、自分で作るか?
 たしか東急ハンズとかに、時計を自作するキットって売ってなかったか?
 時計の心臓部分と針と外枠がセットになっているやつ。枠の背景部分に好きな写真入れて、後ろから心臓部分、前から針を取り付けて、透明カバーつけて出来上がり、ての。見たことあるぞ。大きさもいろいろあって、箱の大きさからして、わたしの求めるサイズもあったんじゃあ?

 ハンズでなくても、ネットにも「好きな写真でオリジナル時計を!」ってサイト見かけたわ。
 選択肢はいろいろあるわ。

 よーし、それだ。
 ないなら作ろう、フェイバリットな時計。

 ええ、もちろんまっつ時計ですよ。

 まっつの写真使って、オリジナル時計作るの。
 どーせキャトレも歌劇団も、まっつのグッズ作ってくれませんよ、販売してくれませんよ、それなら自分で作るしかないじゃん。
 どーせわたしの部屋には他人は入れないんだし(客は1階の仏間までだ!)、2階はわたしの天下、わたしだけの空間、どんな恥ずかしいグッズで埋め尽くしても平気よ〜〜♪

 と、ここまで考えて。

 まっつの写真、どうする?
 という現実問題にぶちあたる。

 もちろんそれは公式グッズに頼るしかないので、キャトレで舞台スチールを購入することになる。や、ふつーに売っている2L版の舞台スチールは毎公演全種類買っているし。
 問題は、大きさだ。
 ちんまい目覚まし時計の文字盤ではなく、壁掛け時計の文字盤にするのだ、いつもの2Lサイズでは足りない。

 イメージ的に四つ切りだな。

 ……四つ切り?
 まっつの、四つ切り写真?

 そんなもの、売ってるのか?

 いえもちろん、知ってますよ。
 キャトレの舞台スチールは、注文さえすればどれでも四つ切りに焼いてくれるって。
 限られた店頭スペースに陳列してあるのは売れ筋だけ、その他は注文制だって。

 まっつの舞台スチールは、その「売れ筋商品ラインアップ」にまざってないよねえ?
 たとえばジオ様@『アデュー・マルセイユ』とか、クラブの男@『ラブ・シンフォニー』とか、相沢くん@『舞姫』とか。ふつーに店頭に並んでないよね?

 つーことはだ、キャトレのカウンターに行って、過去商品ファイル見せてもらって注文書に書かなきゃイカンわけだな。
 この写真を四つ切りに焼いて下さい、って。
 もちろん予約販売だから、連絡先とか名前とか書かされて。

「未涼亜希さんのこの写真を、四つ切りサイズで1枚ですね」

 とか、声に出して確認されたりとかな。

 そのうえ。
 いざ写真が出来上がって、引き取りに行ったら。

「こちらでお間違いありませんか」

 って、写真を見せられるわけよね。まっつの四つ切りに引き伸ばした写真を。

 
 ………………。
 ………………。
 ………………。

 無理っ。

 わたしには無理だっ、そんな羞恥プレイっっ。

 そ、想像するだけで恥ずかしい。
 うわああああ。

 
 つーことで、まっつ時計案は消え去りました。

 地道になんか時計探そう……。

 
 他のことは恥ずかしくないのに、まっつが絡むとなんでこんなに恥ずかしいんだろう……。
 あうあう。

 
 去年の今頃の日記ときたら、あちこちにオサ様退団におびえることばかり書いてある。
 エイプリルフールの日記はそのことだけだし。

 『アデュー・マルセイユ』というタイトルが前年末に発表になったときから、こわくてこわくてしょうがなかった。

 『TUXEDO JAZZ』のオサ様暴走っぷりに心酔し、心から日々をたのしんでいるのとうらはらに、確実におびえていた。

 
 ひとつのことしかできないので、普段のわたしの生活には「音楽を聴く」という習慣がない。
 音楽を流してしまったら、音楽を聴くことだけに集中して他のなにもできなくなるので日常生活からそれだけ時間が減ってしまうことになる。
 他のなにを置いても聴きたい場合でないと聴かない。CD1枚聴くと決めたら、50分時間を捻出しなければならないわけだから。(それくらいなら音楽ではなくDVDを観るなりして聴覚視覚両方でたのしむ……ために、ほんっとーに音楽だけ抽出してわざわざ聴かない)

 ところがまあ、ここんとこちょっと時間があって。
 やりくりして捻出しなくても、なにをしていてもいい時間、というのができた。

 つーことで『TUXEDO JAZZ』を聴いていた。『舞姫』もえんえんえんえん聴いていたけれど。

 堪えたのは、『TUXEDO JAZZ』だ。

 天才・春野寿美礼の才能が野放しになっていた、あの公演。
 音は自在に伸び、遊び、枠を超えて、未知の世界で自由に踊っていた。

 なんてすごいものを観たのかと思う。

 そして、今はもうこの歌声に「会えない」のだということに、たまらない喪失感を抱く。

 CDなんかじゃダメだよ。
 ナマでなきゃヤだ。

 会いたいよう、オサちゃん。

 カオスを支配する、あの音楽の帝王に会いたい。ひれ伏したい。

 『TUXEDO JAZZ』から、1年かぁ。
 2007年2月から5月。歌詞に歌われていたので、上演期間は忘れようもない(笑)。
 あのころ、不安だったけれど、幸福だった。
 春野寿美礼がいる、存在する幸福。

 タイムマシンがあるなら、1年戻りたい。
 『TUXEDO JAZZ』で、混沌の中で哄笑するあのひとに会いたい。あの歌声を聴きたい。


 海馬教授に会えるんですか?

 ふだんスカステの番組表なんかろくに見てないんですが、まあいろいろあって、真面目にチェックしてしまいました。

 5月のスカステはまとぶさんのお披露目特集。
 そーだよな、本拠地お披露目公演スタートだもんな。

 そーなると当然放映されるわな、まとぶんのDC主演作『MIND TRAVELLER』が。

 …………。
 …………。
 …………。

 えーと。

 まとぶんは、ものすげーいい男です。
 ビジュアルの美しさも、男役としての技術も、そして彼特有のアツさあたたかさ、それらを存分に発揮した作品です。
 ヒロインがちょっくらバービー人形ですが、それでもまとぶさんがハートフルさで押し切ってます。

 作品はアレです。
 小池修一郎のアホアホ・オリジナルです。5分置きにツッコミと爆笑・失笑が待ってます。
 今まで見た小池作品とまったく同じ、「何回焼き直ししたら気が済むんだろう(遠い目)」と思いつつ、そのワンパターンぶりを指折り数えるのもまた一興。

 そして。

 その、作品のいちばんのアホアホ部分、「人間の記憶をスキャンしちゃうぞ」「上書き自在だぞ」「電気ビリビリ機械造っちゃうぞ」とかゆー、とほほな部分を愛しのまっつが、一身に受けています。

 あー。
 ついにアレが、白日の下にさらされるのかぁ。

 なにしろ観た人が少ない作品だったから、アホな作品でアホな役だったけど、まだ救いがあったよーななかったよーな。

 まとぶさんはいいのよ、かっこよかったから、誰が見ても大丈夫。
 しかしまつださん……せっかく相沢くんで二枚目が上がった?のに、あのトホホな姿がさらされてるのか……。

 しかも『舞姫』バウホール版と同時に放送って……。

 おまけに、『TAKARAZUKA Cafe Break』再放送でもまつださんの名前がありますよ。コレってアレよね、『天使の季節』新人公演よね。あのびみょー過ぎるヅラ@キムタクがモデル、のアレよね……?

 「海馬の帝王」と「俺だって彼を愛してる」と「90歳じじい」のトリプル・コンボに、くらくらしてます。

 まっつもほんと、地味にいろんな役やってるよね……。

 
 や、ぶっちゃけ、うれしいんですけどね。

 海馬の帝王に会えるぞぉーっ。
 リチャード教授、それでもスキだぁーっ。

 わたしがスキだったりうれしかったりするのと、世間様が「ナニあのアホな役」と笑うのはまた別の話。
 あの、ほんとアホアホなんです、『MIND TRAVELLER』って。でも、でもね、まっつ、かっこいいのよ?
 クール・ビューティなんですってば。
 初見で悶絶死しそーなほど笑い転げましたが、2回目以降は「……ステキ☆」と思い込んじゃうくらいには、かっこよかったんだってば。
 ほんとよ? あたしだけの思い込みじゃないはずよ? 世界共通認識よね? ね? ……そうよねっ?(キモチ涙目)

 
 もちろんDVDは買ってないので(まっつアングルがあったら買ってた)、青年館楽以来のリチャードとの再会になるわけっす。

 あー、たのしみだなー。
 「海馬に乗った征服者」とゆー、トンデモ・ソングが聴けるんだなー。


>宙組 梅田芸術劇場メインホール公演における 主演娘役 陽月 華の休演について
>
>宙組 梅田芸術劇場メインホール公演『雨に唄えば』(2008年7月5日〜7月21日)につきましても休演させていただくことになりましたので、お知らせさせていただきます。


 ウメちゃん、本公演に続いて梅芸の『雨に唄えば』も休演なのか……。

 あれは何年前、日生劇場で元気にタップを踏んでいた、はじけるよーな輝きの女の子の姿を思い出す。
 もう一度会える日を、たのしみにしていたのに。残念だ……。ただ、残念だ。

 健康第一、しっかり治して次の本公演には戻ってきて欲しい。

 いやもお、ほんと……。
 なんかすごい、かなしくなったよ……あたしが悲しんでも仕方ないんだけどさ……。つらいだろうなあ、ウメちゃん……。

 
 花WSの感想をupしたとこなんで余計に気になったんだが、ほんとWSのキャスティングってわからないねえ。
 現在大劇場や東宝で堂々とヒロインを務めている人が、今更「ワークショップ」のヒロインやってどうするんだろう。
 トップ娘役代役を務めるほどのキャリアのあるヒロインを相手に芝居をするのと、かろうじて台詞を発音しているだけの子を相手に芝居をするのでは、主役の背負うモノも得られるモノもちがいすぎると思うんだが……。

 タカラヅカは不思議なところだ。

 
 や、個人的に、たっちんとちぎのコンビは好きなので、観られることはうれしいぞっと。


 どうもわたしは、『ME AND MY GIRL』に縁がないらしい。

 人気絶頂を誇った天海祐希。
 ヅカに興味のない友人たちもが「天海祐希の舞台が観たいの、どうすればいい?」と言ってきた、驚異の人。

 初心者・一般人へのキャッチーさがずば抜けていた人だと思う。
 わたしも最初に月組の舞台を観たとき印象に残ったのは「トップスター」と「天海祐希」だけだった。2番手さん他誰も記憶になかったもの。
 ディープだなー、と思うヅカの友人たちは全員天海を好きではなかったが、ライトな人たちは口をそろえて好きだと言っていたのが印象的。
 かくいうわたしも、最初はいいなと思ったはずなのに、すぐに天海自体には興味が無くなった……好みではなかったらしい。顔は好きなんだけどなー。でもって、退団後、女優になってからは大好きなんだけどなー。

 その天海祐希が退団する、しかも自身が新公主演した伝説の作品……『ME AND MY GIRL』で。

 つーことで、なんかえらい騒ぎ。

 しかしわたしは、祭りに参加しそびれてました。
 チケット発売日に大阪にいなかったの。恒例の家族旅行に出かけていたんだったか。
 発売日の朝から並べなかったら、もう手に入らないんだろうなと思っていた。

 当時はネットもないし、会に入っていない一般人にはなんの情報もない。
 梅田の前売りで手に入らなかったら、もうどんな公演も観られない。

 ……結果、1回だけ、1階A席で観たのかな。
 発売日当日の夕方、旅行からの帰り道梅田をわざと通ったところ、ありえないほどの長蛇の列がうごめいていて。
 夕方5時くらいだったと思う。朝7時半からのチケット販売が、その時間になっても終わらず、ものすごい人数の人たちが梅田で並び続けていた。
 そこで友人に声掛けられたんだ。「並んだ人が多すぎて、販売が遅れに遅れてるの! まだ前の時間の人たちが買い終わってないって」……用事があるというその友人とバトンタッチして、そこから代わりに並んだんだ。で、1枚チケットを買うことができた。

 天海の『ミーマイ』は全公演チケット即日完売、超チケ難。
 テレビでは天海のCMが流れ、「天海は、レイスビーホール」というキャッチコピーでUCCの新商品が大々的に売り出されていた。
 この「レイスビーホール」という紅茶が死ぬほどまずかったんだが、シールを集めると抽選で『ミーマイ』にご招待、というんでまずいのを我慢して泣く泣く飲み続けた。
 一口飲んでそのまずさに感動、回し飲みして「こんなにまずいものがあるなんて!」とみんな口々にわめき、のちのちまで話題になる、素敵なドリンクだったなあ。遠い目。まずすぎるからふつーの人たちに「飲んで、シール集め協力して」とは言えなかったさ……。
 あ、もちろん公演が終わってすぐに発売中止になったよ。あんなもん、売れるわけない……罰ゲーム専用以外、使い道ない味だったもん。

 そうまでして応募した「ご招待」は、もちろんはずれたし。

 まあ、発売日に朝から並べなかった(夕方から交代しただけ)のに1回観られたんだから、それでよかったんだよなあ。

 しかし。

 チケ取りに苦労しすぎたせいか、席が悪かったせいか。レイスビーホールがまずすぎたせいか。
 前評判で「どれほど『ミーマイ』がすばらしいミュージカルか」を聞かされ続けていたせいか。

 ものごっつー期待に期待を重ね、わくわくと劇場に行ったたった1回の観劇で……。

 どうも肩すかしにあったんだ。

 えーと。
 こんなもん、なんだ、『ME AND MY GIRL』って?

 たのしかった。
 たしかに、とってもたのしかったし、ハッピーだった。
 でも、それだけだった。

 作品に古さとセンスのズレを感じ、首を傾げた。
 周囲との温度差に、とまどった。

 その後「初演は神!」論者に初演ビデオを見せてもらったり、のんちゃん主演版を名古屋まで観に行ったりしたけれど、「たのしい」ことはたしかだけれどそれ以上の感銘はなく。

 役がないからヅカファンとしてはたのしくないなあ、贔屓組にはやってほしくないなあ、という感想しか残らなかった。

 たんに好みの問題だろうとは思うけれど、周囲との温度差は埋まらないまま、現在に至る。2008年、同じく月組で再演。

 わたしの好み云々は置くとして。 
 せっかくの再演だ。かなみん最後だ。祭りは楽しんだものが勝ち、参加するからにはたのしむぞ。
 前向きに前向きに。

 いつも後方席で空気に乗り遅れている感があったのはたしかだから、ここはひとつ前方席でたーーっぷり堪能してみようじゃないか。
 それまでの『ミーマイ』よりずっとキャストに愛着も知識もある状態だから、否が応でも楽しめるはず。

 そう思って、たった1枚、タケノコ最前列チケットを握りしめ、たのしみにしていたんだ。

 最前列でミーマイ! 最前列でミーマイ!
 端からの観劇は観劇にあらずってひとは言うけどそんなの関係ない。あの巨大な劇場のいちばん後ろのセンター席より役者の表情が全部わかる、小芝居まで観られる前がいいもん。

 ……観られませんでした。

 たった1枚の『ミーマイ』チケット、諸事情により手放しました。
 
 ほんっとーにわたし、『ミーマイ』に縁がないんだなー。
 今度こそ、ずっぽり体験できると思ったのに。

 いつもなら初日にこだわって行くところだけど、『舞姫』があったので断念、初日を観られなかったらあとはもういつでもいいや、と、てきとーな日程で押さえていたのだけど。

 最前列なんて二度と手に入らないし、あとはおとなしく立ち見でもするかな。
 すごい差だな、いっちゃん前から後ろって(笑)。

 めそめそ。


 報告。

 ここ数日、携帯にメールが届いていません。
 携帯を替えてから海外からのスパムが1日に50通から届くのにキレて、受信設定をいろいろいじっていたのは事実。
 でもここ数日はいろいろあって、新たに設定をいじることはしていなかった。
 なのに突然、メールが届かなくなったのだわ。

 最後にメールがまともに届いたのが3/26かな。

 でもってわたしは、その翌日には「花組発売日の並びに行けない」ことがわかっていたので、何人かの友人に「お願いメール」を出したの。
 発売日、梅田に並んでほしいな。

 わたしは全組観劇することもあり、また浮き世の義理があったりなんだり(笑)で大抵の発売日には所定プレイガイドへ並んでいる。
 いちいち他人に予告しないし、わたしが大抵並んでいることを友人たちも知っているので、「並びに行けば緑野がいる」とわかってお茶しがてらやって来てくれたりもする。何人か集まったときは、当たった購入番号を分け合ってそれぞれチケットを買うし、誰も友だちがいないときは、ひとりで寡黙に並んで、ひとりで買って帰る。
 という、前もって拘束するわけではない、自由っちゅーかアバウトな並び参加っぷりなので。

 前もって「並んで(はぁと)」とお願いメールをすることは稀だった。

 なのに、誰からも返事が来ない。
 そっかあ、誰も花組やわたしのためには並んでくれないのかぁ。人望ないなあ、オレ……。と、しょんぼりしていた。

 そしたら今日、いきなり電話が来て。

「緑野どこにいるのよ? メール何回送っても返事来ないし」

 えええ? たしかにお願いメール出したけど、返事来なかったからダメなのかと。
 ……返信は、していたそうです、友人たち。
 そこではじめて、メールが届いていないことを知った。

 わたしが並べない事情を話したら無理をしてでも並んでくれるかもしんないから、理由も並べないこともメールには書かず、ただ軽く「お願い(はぁと)」とか、「並び行く?」とかのお伺いに留めていたの。簡単に断れる程度の。
 無理をしない程度で、並んでくれる人だけでいい。もともと並ぶ予定の人とかだけで。

 そしたらみんな、並んでくれたみたいで。
 結果的にわたし、「並んで」とか「並び行く?」とか短いメール送りつけただけで音信不通だったのに。

「緑野がわざわざ『並んで』とか言うから、まっつ○団(伏せ字!)するのかと思って、びっくりして公式確認しちゃったよ」

 ……いやその。普段ほんとわたし、並び依頼なんかしたことなかったね、そういや。
 だってひとさまの手を借りずとも自分で並んで、抽選にはずれたらぶーぶー文句言って嘆いて、それで終わりだったし。
 並びにすら参加できないなんて、ほんとめずらしいことだし。

 そんなわたしがわざわざメールしてくるから、友人たちは「なにごとっ?」と思ったらしい。
 びっくりさせてすまん……。たんに、いつものタケノコ席が欲しかっただけなの。ここでしか手に入らないんだもん。

 我が友人ズはわたし同様とってもくじ運が悪いので、みんないい番号は引けなかったようだが、いい番号を引き、かつ2枚までしか購入予定のない知人、とやらを見つけ、その人に頼み込んでわたしの希望するチケットを買ってくれたらしい。……感謝。マジありがとう。
 おかげで最前列でまっつを見ることができるっす。

 どりーずのみんなもネットや電話での協力を申し出てくれていたし。
 相変わらず敏腕のチェリさんが、その腕を披露してくれたし。

 あああ、みんなありがとおお。わがままでごめんよぉ。

 や、前方席を数枚押さえられたらあとはびんぼー人に相応しい席で、地道にリピート予定ですから。

 
 にしても、携帯メール未着は問題だ。
 わけわかんねえからとりあえず、設定全部白紙に戻した。
 これでメールが来るよーになるハズなんだけど……?


 昔から、いちばん欲しいものは手に入らないの。

 ……宝塚友の会に入って以来、ご贔屓の出る公演は当たらない、というのがわたしのジンクス。いや、宿命、カルマ。
 ケロがいたときは月組がまったく当たらなかったし、組替え後は星組が当たらなくなった。
 そしてもうひとり、ケロとは違うハートかもしんないが、たぶん彼の次に好きだよな、の水くんの出る公演も当たらなかった。宙組が当たらないのはいちばん人気だったから、とも言えるけれど、水くんが特出・組替えになるなり、それまでいくらでも当たっていた雪組がぴたりと当たらなくなり、たか花の宙組が当たり出したんだなこれが。

 そっかぁ。神様が見ているんだな。
 いちばん好きな人の公演は、簡単に手に入らない。努力して手に入れろ、ってことだな。わたしの愛の深さを試しているんだな。
 苦労して手に入れた方が、より愛情もありがたみも深まるってもの。それこそ人生ってもん。

 なんてべつに思いたいわけではないが、そうでも思わないと納得いかんくらい、ご贔屓の公演は当たらなかった。

 ケロが卒業したあとは、ずっと水くんチケットのみに見放されていた。

 でもわたし水くんの他に、オサ様にくらくらになってたよね? まっつにハマってたよね?

 されど花組チケットもまっつの出る公演も、友会でそれなりによく当たっていたのだわ。
 さすがにオサ様サヨナラショーとかは無理だけど、通常公演は千秋楽も平日の最前列とかも、ちらほら当たってくれていた。

 今の友会に入ってからずっと、いちばん好きな人の公演は当たらないものだと思っていたけれど、花組はふつーに当たるなあ。そしてやっぱり雪組は平日も入力してるのに全滅ばっかだなあ。
 わたしが意識していないだけで、わたしの真のご贔屓は実は水しぇんで、まっつのことはネタとしていじっているだけなのかしら。

 そう思っていたのに。
 なんかここ数回、水くんのチケットが立て続けに当たっている。
 梅芸も、友人に頼まれて入れた相模大野もふつーにチケット入手。
 あれえ? いつものわたしなら、絶対はずれているはずなのに?

 そしてぴたりと、まっつの出る公演チケットが当たらなくなった。
 中日はもちろん全滅したし、『舞姫』も同じく。そして今回の『生と死のアラビア』まで全滅した日にゃあ……。

 どーゆーことよ、「腐っても『ベルばら』」で大阪・首都圏はチケ難だと聞く雪組が当たって、「ガラガラ」だと前評判の高い花組大劇場公演がフルエントリーしたのに平日すら1枚も当たらないの?!

「神様が、緑野さんのご贔屓はまっつだって認めたんだよ」

 友人たちはそう言う。

 そっかあ、わたしのまっつへ愛が、神様に認められたのね。

 ……って、認められるまで2年もかかったんですかっ?
 つか、これからずっとはずれ続けるの、花組?

 明日が一般発売日。
 いつものよーに梅田に並ぶ気満々だったんだが、諸事情でかなわず、ますますまっつチケット運がなくなっている現実に途方に暮れる。

 神様、愛の試練はもっとお金のかからないとこにお願いします。


 思いがけないことでした。

>花組 退団者のお知らせ
>下記の生徒の退団発表がありましたのでお知らせいたします。
>
>(花組) 
>舞城のどか
>貴 怜良
>2008年8月17日(花組 東京宝塚劇場公演千秋楽)付で退団


 みほちゃんと、かりやん。

 ダンサーとして有名だけど、実は歌も歌えて、芝居も堅実なみほちゃん。
 『ハロー!ダンシング』で見事に長を務め、スカステではレポーターを務め、舞台人としての技量だけでなく、心からその将来を期待していたうちのひとり。
 『舞姫』でりおんちゃんとふたりして「癒し系」だった、かわいい清さんが……。

 『蒼いくちづけ』でいい感じに美形エロオヤジや、ダークサイドの男を演じてくれて、やっぱりどこでも輝くその美貌とダンスともども、改めて見直しているところだったかりやん。

 つか、まっつの同期ばっかじゃん!!

 花組84期がふたり同時に辞めるの?
 残るのって……まっつひとりじゃん。

 まっつがふたりを見送るの?

 
 えー、集合日が近づくと毎回「まっつは? まっつは?」と不安で不安でわたわたする緑野です。
 今回はちょっと落ち着いていたんだけど……まさか、こう来るとは。
 

 正直なとこ、まっつが見送る側だとは思ってなかった。
 具体的にどうこう考えていた訳じゃないけれど、まっつは「最後のひとり」にはならないだろうなと。
 「マイ・フェイバリット」だっけ、スカステのあすかちゃんの番組。
 あすかちゃんがホステスで、ゲストがまっつとそのか。坐り位置的に、まっつがあすかとそのかの間にいる感じ。
 同期のそのかとあすかが次々と組替えし、まっつだけが残された。その話をしている最中にまっつの顔がどんどん硬直して行き、両側から「大丈夫?」と突っ込まれていた。
 テレビ番組の収録だっつーに、ふたりの組替えはずっと以前のことで「今」の話じゃないのに、「今まで居た人がいなくなった」「ひとり残された」ことを話題にしているうちに、マジに泣きそうになって「大丈夫?」と言われてしまうような人。
 そんな人が、「最後のひとり」になるなんて。

 人生を決めるのは、そのひと自身。個人のこと。
 みほちゃんも、かりやんも、そしてまっつも、自分で退団すること、残ることを決めているのだから、わたしなんぞがどうこう言っても仕方ないが。

 みほちゃん、かりやんの、退団が惜しい。
 みほちゃんの娘役としての力も、きれーな兄ちゃんだけでなく大人の男も視野に入ったかりやんの可能性も、現在の彼らだけでなく彼らの持つ未来ごと、惜しい。

 そして。
 今回もまた、まっつがこの花園に残る決意をしてくれたことがうれしい。
 同期をふたり見送ってでも、残ってくれることが。

 や、「最後のひとりにはならないんじゃ?」って、わたしが勝手に思っていただけだけど。
 かりやんはわかんないけど、スカイ・レポーターズのみほちゃんは長くいてくれるってこれまた勝手に思い込んで、安心してたんだもん。

 みほちゃん、かりやんがよい退団公演を過ごせますように。

 
 それと。

>花組 天宮菜生 娘役転向について
>花組・天宮菜生が2008年3月26日付で娘役に転向いたします。

 ナニ気にショックです。
 そんな自分にもショックです。

 なんだかんだいって、花担途中転入のわたしが初期におぼえた男の子のひとりなんだもん。
 『蒼いくちづけ』よかったのにー。つか、女役きれーだったけど、ルナくんの方が似合ってた、って書いたとこなのにー。(この日記書いてる時点でまだ感想upしてないっつの)

 
 新公主演がまぁくんであることにも、実はショック受けてます。
 まぁくんには一度、ヒーロー以外をやらせて勉強してもらおうよお。その方が成長するってば。
 ひとりっこ政策は利よりリスクの方がかなり高いのに……。
 
 原作知らないので、配役についてはなんもわかってなくてコメントしようがないし。
 まっつの役はどーゆー役なんだろう? 端役であるにしろ、長く舞台の上にいてくれたらいいなあ……遠い目。


 『凍てついた明日』の友会入力を忘れていた、と言ったらチェリさんに「オギーファンじゃなかったんですか」と言われたけれど、や、入力期間中オレ入院してたわけだし。……って、点滴のスタンドをゴロゴロ引っ張って、病院内好きに歩き回っていたから入力も可能っちゃー可能だったんだがね。

 『舞姫』観に東京へ行っているとき、ドリーさんから「『舞姫』と日程調節して、『WILDe Beauty』も観ると思ってた」と言われ、ぎくりとした。「『舞姫』でいっぱいいっぱいだから」と答えたけれど……嘘ではないけれど……。

 『A-“R”ex』の後遺症で、ただいまオギー不信です。

 
 『A-“R”ex』の感想は、あまり書いていない。
 マジで書き出すとちょっとやばいなと思えて、自重。

 ただ、わたしはとてもつらかった。
 作品が重いとか救いがないとかはわたしの好みなのでいくらやってくれてもいいんだけど、出演者への残酷な扱いは見ていてつらい。

 たとえばオギー作品でのまとぶんの扱いは、総じていつもひどかった。
 彼に興味がないのが丸わかりの、番手を考えて出番を振っただけ、という。
 番手が低いうちはよかったけれど、花組2番手としてオギー作品に出演していたまとぶんのあがき方は、そりゃー痛々しかった。彼がものごっつー努力してそこにいることが感じられて。役目を果たそうと必死になっているのが見えて。……ああもー、いい人だー。真面目な人だー。

 脇役である分にはいいんだけど、番手が上がった人でオギーの興味の対象外な人は、ひどい扱いをされる。
 番手を考慮した「見せ場」だけ与えられ、作品のテーマからは遠ざけられる。
 やはり2番手としてオギー作品に出演した水くんは、「いてもいなくてもいい役」を与えられた。だけど2番手だから要所要所でストーリーとは無関係な「見せ場」だけはもらって、銀橋で歌っていたりする。

 2番手でコレだもんよ。
 もしオギー的にアレな人が「主役」になったら、どーなるの?
 はい。
 たしかに興味津々でしたよ。
 野次馬的好奇心はありましたよ。

 でもさ。
 『A-“R”ex』見て、ヘコんだってばよ。

 2番手でもあーゆーことをする人だった。ではトップスターだったら?
 ……『A-“R”ex』になるのか。こんなことをするのか。

 あさこちゃんファンでなくて良かった、と思った。
 自分のご贔屓がこんなことをされたら、わたしはつらくてつらくて泣き暮らしている。
 そして、痛々しい贔屓を無視できず、何度も観劇してはそのたび奈落に落ちて苦しみ続けるんだと思う。

 わたしはべつに、あさこちゃんファンではない。ファンでなくても、これだけつらいのに。
 これがご贔屓だったら……と、ぞっとして。

 や、まっつにしろケロにしろ、オギーにはなんか好意的に扱われていた人たちなんで、わたしのご贔屓はオギーの好みの中には入る人たちだと思う(「ミューズ」ではなくても)。
 だからソレはいいし、第一主演の心配はしなくていい人たちなんで、置くとして。

 
 今年、水くんがオギー作品に出演するじゃないか。主役として。

 『タランテラ!』であーんなひどい扱いを受けたのに、次は主役なんですよちょっと。

 オギーは水くんに、どんなことをする?

 『A-“R”ex』みたいなことするかもしれない?
 と、思ったら、こわくてこわくて。

 アタシの水しぇんにそんなことしたら許さないわよおおお、というキモチになって(笑)、なんかその、オギー作品に対して盛り上がれないのですよ……。アホな話ですがね。

 
 全部全部、ただの痛いオギー信者のたわごとですが。
 彼の作品に勝手にあーだこーだ自分なりの解釈をして、勝手に「この役者には愛がない」とか決めつけて、勝手に憤慨しているだけのことです。
 わたし以外の人には「はあ? ナニ言ってんの? 言ってること自体わけわかんないんですけど?」なことを、わたしはひとりでえんえん言ってるんだと思う。
 てか『A-“R”ex』大好きなあさこちゃんファンにはごめんなさいです、ほんと。わたしにはそう見えた、というだけで事実でも真実でもございません。勝手にヘコんだり痛々しがったりしてすまん。余計なお世話も甚だしい。興味深い、クオリティの高い作品なのは確かなのに。

 ただまあ、こんな経緯で今、わたしはずっぽりオギー不信です。
 いちお、『A-“R”ex』観たあとも「『凍てついた明日』たのしみだねっ」とか言ってはいますが、そしてソレは嘘ではないですが、なんかちょっと、こわいです。
 ジェンヌに思い入れがあればあるほど、オギーは両刃の剣だと思う。

 
 あああ水くん〜〜。
 水くんがステキなショーになりますように。頼むよオギー。水くんにひどいことはしないでよ〜〜。

 同時上演の正塚芝居も不安だしなー。いやその、正塚も役者の好き嫌い激しいイメージがあるし、『Romance de Paris』『La Esperanza』『ホテル ステラマリス』と3作連続して水くんの扱いアレだったし。『銀の狼』が良かったんだから、水くんへのイメージを変えてくれるといいんだけど……。

 オギーも正塚も大好き作家なのに、新作がたのしみでならないのに、何故こんな心配を……ううう。


 『舞姫』は大好きだ。
 奇跡のような作品だと思っている。
 作品的にも、キャスト的にも、スタッフ的にも。
 この作品と出会えたことを、心から感謝し、愛している。

 つーことで、わたしのなかでこの作品ってどのあたりにランク付けされるんだろー。
 なんてことを考え、ドツボにハマってしまった(笑)。

 
 なにをもって「好き」とするか。

 これがもう、最高に難しい。

 タカラヅカの作品のなかで、もっとも「好き」なものはなにか?
 「順位」をつけるとしたら、ベスト5はなんになるか?

 ……こまった。
 わけわかんない。

 好きな作品、好きな順位、といっても、だ。
 ナニを持ってどこを取って「好き」とするかで、まったく変わってくる。

 「作品」としてハイクオリティだから好きなのか、キャラクタがツボだから好きなのか、ご贔屓がツボな役や重要な役をやっているから好きなのか、腐女子として萌えだから好きなのか。

 どこに重点を置いて選別するかで、順位は変わってくる。
 なんせ、わたしが「作品」としていちばん好きな作品は、主演男役がかなり苦手、という大きなマイナス点がある(笑)。作品は大好きだけで、こうやって心に描くだけで泣けてくるくらい、めちゃくちゃに好きだけど、主演さんのことを思うと心が冷える(笑)という、バランスの悪さ。
 えーとそれは、「いちばん好き」ではないような気がする……? や、作品はいちばんだけど、心が浮き立たないっつーか、えーと。
 たのしさでいけば、大して名作でも佳作でもないけど、キャラが良くてキャストみんな大好きで、ご贔屓がステキで萌えがあって、きゃーきゃーにたのしい方が、「好き」順位は上なんじゃないの?

 好きなジェンヌがツボな役を演じ、他のキャストとの相性も良く、作品のクオリティも高く、好みのテーマやストーリーで、しかも腐女子的に萌えがある。
 ……なんて神バランスな作品、あり得ませんて。
 クオリティのほか、ジェンヌへの好意の濃度、萌えやツボをすべて数値化して作品を評価した場合、「ただクオリティだけが高い」作品は、上位に残らない……。

 ジェンヌになんの思い入れもないなら、作品とか技術だけで語れるのになー。ヅカファンではない方が、純粋に「作品の品質のみ」で評価できるんだと思う。
 でもわたしは、ヅカファンでありたいと思う。ジェンヌをただの記号でなくキャラクタとして認識し、感情移入や好悪の対象にしたいと思う。でないとヅカ見てる醍醐味に欠ける。
「贔屓の**ちゃんが出ている公演はすべて名作、何十回観てもあきないけど、出てない公演は駄作ばかりで観る気がしないわ」と、本気で言うヅカファンをまちがっていないと思う。や、正しい作品の評価とは思わないが(笑)、ヅカファンとしてまちがってない。
 ジェンヌを愛するがゆえに、作品評価が変わるのは、ヅカファンとしてはふつーのことでしょう。

 
 でもって、『舞姫』。
 たしかに大好きで大好きで、宝物な作品なんだけど……。
 ほんとうの意味で、わたしの好みにジャストミートしているわけでも、ないんだよなあ。景子せんせの作品は好きだけど、わたしの真の好みからははずれているのよ……きれい過ぎてダメなの。
 まっつが出ていなかったらたぶん、総合評価はどーんと落ちるよな、わたしの中では(笑)。
 わたしの「総合評価」って作品クオリティなどの技術面より、別のものの項目が多すぎて。
 でもまっつはじめ好きジェンヌが勢揃いしている作品のため、評価のどの項目も平均して高いのだ。
 
 だけから結局、かなり好き作品、つーことでまちがいはない。

 でもいちばんか、と言われると悩むし、なにがいちばんか、と言われても悩む。

 やー、難しいね。
 自分のキモチに順位を付けるなんて。

 わたしはそのときどきにいろんな人を「大好き」と言ってはばからない人間だし、ほんと気が多くて「いちばん」がわからない人間なんだと思う。

 そんななかで、まっつを好きで、まっつをいちばんと思えるのは、奇跡のよーなことかもしれない。
 彼の足りない部分もいろいろ見えるけれど、それでも、いつでも、ご贔屓は彼である、と思えるのだから。

 と、最後はのろけになって終了。

 まっつまっつまっつ。


 豊太郎@みわっちと、黒沢@ちゃー。
 このふたりの関係が、すごく好きだ。

 はい、まだしつこく『舞姫』の話です。

 黒沢は確実に豊太郎に悪意を持っている。豊太郎の前に立ち塞がる障害として現れる。

 「舞台」をおもしろいなと思えるのは、こうやって対立する、異なる意見を、客観的に受け止めることが可能である、ということ。
 小説は文字だけだから、出来事の他に心情まで描写することによって主役寄りの視点を確立する。(神視点の小説はもちろん存在するが、まったくの客観ではないし、そんなもんはたとえあってもおもしろくないだけだろう)
 映画やドラマ、マンガといった視覚を必要とするジャンルでも、そこにはカメラワークという演出が加わる。
 ただ役者ふたりが立って話しているだけ、どちらを見るかは観客次第、受け取り方は、自由。
 オペラグラスを使わなくたって、そのときの舞台の流れと見ている者の感性次第で、登場人物の誰かがアップになっているかのように感じられたり、するもんな。

 わたしは黒沢が豊太郎を嫌うのがよーっくわかる。
 それは豊太郎が、黒沢の出来ないダンスが出来るとかドイツ人マンセーで日本人とのつきあいをないがしろにしているからとか、天方大臣に取り入っているとか、そのくせ黒沢のご機嫌伺いをしない、取り巻きに入らないとか、そーゆーことではなくて。や、もちろんソレもあるだろうけど。

 黒沢がいちばん豊太郎を嫌う理由は。

 豊太郎に帰国を言い渡すときのやりとりの中にある、

「貴様ひとりの力で社会を変えられると思ったのか」

 というひとことにある、と思う。

 うん。
 豊太郎は、思っていたんだよ。

 自分が、世界を変えられるって。

 だから黒沢に言われたとき、言葉に詰まるのね。無意識であろうとなかろうと、図星だから。思い上がりを、叩きのめされるわけだから。

 ベルリンにやってきた豊太郎は、希望に燃えている。与えられた立場以上のものを吸収し、また役立てたいと思っている。
 自分には無限の可能性があり、世界が自分に微笑みかけていると、無邪気に信じている。
 ……若いんだ。ほんとうに。
 ただ闇雲に、「自分には、なにかが出来る」と思い込んでいる。具体的なビジョンがあるわけではなく、ただわくわくしている。
 そして彼の夢はひたすら善意に満ちている。自分になにが出来るか、ではなく、よくわかんないけど世の中のためになにかするぞぉー、と意気をあげている。
 今は貪欲に知識を取り込んでいるところだから無軌道だけど、そのうち明確なビジョンが出来、「みんなの役に立つためには、まず世の中をこう変えなければならない。そのためにはこれをしないければならない」とか、わかってくるんだろう。そのころにはもう少し「現実」というものも見えてくる……かもしれない。
 だけど今の彼は、自分の善意と能力を信じてキラキラしているだけの若者だ。
 善意でしていることだから自分は正しい、となんの疑問もなく思い込んでいる。
 正しいことをしているのだから、といつも正々堂々としている。

 そりゃムカつくだろ、こんなヤツ。

 厨め、半年ROMれ、と言いたくもなるだろう。

 「正しい」と思っているのは豊太郎の価値観の中の話であり、先に存在しているルールの中では、思い上がりのカンチガイ者でしかない。
 そのルールが正しいかどうかではない。ルールはすでにある。そして黒沢はルールの管理者だ。新参者が空気を読まずにルール無視して暴れたら、処分しなければならないだろ。

 豊太郎が粛正されるのは、女関係のスキャンダルが理由ではない。
 「自分は正義だから、先にあるまちがったルールを破ってもかまわない」と心から思っていることだ。

 ルールがまちがっているというなら、まずそのルールを正すべく、外から働きかけなければならない。豊太郎自身そのルールの中で生かされている(国費留学生)のに、自分都合でルールを破って(領域侵犯・命令無視)正義漢を気取っていた。
 「自分は特別だから、世界を変えられる」と信じ、「まちがったルールなんか、気にしなくてもイイ」「私欲ではなく、みんなのためにやっているんだから、清廉潔白」と、したい放題。

 あー、黒沢が管理をしているBBSがあってだな、そこで彼と彼の仲間たちは機嫌良く会話しているんだ。
 そこへ豊太郎がやって来て、BBSのテーマも流れも関係なく「正しい私が考える、みんなのためのすばらしいこと」という熱の入った長文書き込みをはじめる。
 たしかに書いてある内容はすばらしいし、正しいことではある。
 しかしソレを、ココで言われても困る。どんなに正しくても、TPOをわきまえない発言はただのカンチガイでしかない。
 はじめは放置していたが、目に余るほど暴れ続けているので、理由をつけて出て行ってもらうことにした。
 「あなたはBBSの某ルールを破ったので、今後書き込みをしないで下さい」と言うと、「管理人だって某ルールを破っている、他のみんなだって同じことをしている、私だけを責めるのはおかしい」と言い返してきた。
 いや、他人がやっているからといって、君が今ルールを破っているのは事実だし、第一君が嫌われているのは某ルールのことだけじゃないし。
 うるさく反論してくるのを無視して、さくっと書き込み全削除、アクセス禁止処理。ふう、やれやれ。
 不服ならば、自分でサイト立ち上げるなりすればいいのに。それをするスキルがないので、すでにあるBBSにゲストとして書き込んでいるだけの子どものくせに、そのBBSの在り方を正義の名の下に批判するな。自分でなにかできるようになってから言えよ。あー、ムカつく。
 ……てなもんで。

 でも「上からの圧力」というカタチで強制的に黙らせちゃったもんで、豊太郎は自分の過ちに気づかない。

 黒沢が鉄槌を下したのはエリスとのつきあい云々ではなく、黒沢にへつらわなかったからでもない。

 「世界を変えられる」という無邪気な驕りゆえだということが、わからない。

 もちろん黒沢は相応に小物なので、私怨的意味でやっているんだけど。
 でも、無意識であろうと彼は、豊太郎の犯す罪の、真髄を批判しているんだよね。

 その後豊太郎は、エリスを捨てる、という決断を自ら下すことで、自分の驕りを叩き潰されることになる。

 善意だから正義だから、未来が、可能性が……と、美しいものだけでキラキラしていられた若者は、自分ではどうあがいてもどうすることもできない現実に打ちのめされる。
 不当な圧力ゆえに免官になる、という逃げ道のある挫折ではなく、「自分の決断」で愛する人を捨てる、という絶望。

 できないことがある。
 愛とか夢とか、そんな美しいモノだけでは、どうしようもないことがある。

 世界は、変えられない。

 豊太郎は神ではないのだから。
 こんなにも無力な、ただの男だから。

 
 「自分は特別」という驕りを叩き潰されたあとの豊太郎は、黒沢にとって敵ではない。
 日本で再会したときは、ふたりはもう過去の確執を超えたところにいる。

 できることとできないことを知り、過信した正義がどれほどはた迷惑かも知り、己れの限界を知るからこそできることで力を振り絞る。

 「大人」になった豊太郎は、かつての自分に似た国費留学生・青木くん@ネコをまぶしいものを見る目で見つめる……。

 なにを得られるか、どれほど得られるかだけに胸を躍らせ、失うものがあるなんて夢にも思っていない……そんな無邪気な驕りにキラキラ輝く若者に、せつない愛情を向ける。
 いつか壊れることがわかっているガラス細工を愛でるように。

 
 有限の楽園、を愛する者にとって、豊太郎と黒沢の関係は大変好みです。
 豊太郎の純粋な幼さと、そこに立ち塞がる障害としての、黒沢の汚れた大人っぷりが。


 『舞姫』(再演)の舞台スチールって、出ないんですか?

 あると信じてキャトレへ行き、売り場はおろか、「発売予定」にすら載っていないことに愕然。

「プログラムのスチールは? 変わってた?」
 nanaタンに指摘され、はじめて「そーいや、プログラム買ったけど1ページもめくってない」ことに気づく。

 んで、改めて確認した。
 スチール、バウのまんまだ。撮り直してない。

 てことは、舞台スチールもナシ?!

 オーマイガッ。

 バウのあと10日後に青年館、だったなら写真を新しくする必要ないかもしんないけど、半年以上、2公演以上開いてるんだよ、その間みんな成長してるんだよ。
 リアルタイムの写真が欲しかったんだよ……。

 しくしくしく。

 それともFCなら写真売ってるのかなあ……オレ、一般人だからわかんねーよ……。

 あああ、相沢くん@まっつ〜〜。

            
 グッズ・ハートはさておき、しつこく『舞姫』の話。
 や、グッズ・ハートゆえの話かな。

 バウ公演版のスチール写真で、謎だったの。

 何故、相沢とドクトルのツーショット写真を販売する?

 http://kageki.hankyu.co.jp/goods/quatre/bro/flower/maihime.html
 ↑を参照して下さい、キャトル・レーヴの舞台スチール一覧表。

 主要人物のひとり写りスチールに加え、「名場面」的グループ・ショットが発売されている。
 豊太郎@みわっちとエリス@ののすみ、よっしー@みつるとマリィ@ゆまちゃんのラヴラヴ・ツーショットや、よっしーが息絶える場面。

 これらはいい。
 なにゆえに発売されたか、わかる。

 謎なのは、相沢@まっつと、ドクトル・ヴィーゼ@ふみかのツーショット。

 このふたりが「会話」するのはほぼこの1シーンだけで、ドクトルも相沢も所詮豊太郎ラヴなので、あとは目線すら合わせずトヨばっか見ている(笑)。

 なのに何故、このふたり?
 関係性もなければ、名場面ですらない。

 ふみか好きだからふみかの写真が多くなるのはうれしいし、まっつとふみかという、好きな男ふたりで写ってくれているのはコスト・パフォーマンスよくてありがたいけど。

 でも、謎だ。

 学年順で写真の数が必要、というなら、ドクトルはトヨとのツーショにしておけば問題なかったのに。
 関係性がある方が自然。

 相沢とドクトルって、「未涼単体3枚+複数写り1枚、紫峰単体1枚+複数写り1枚出さなきゃなんないけど、コストかけたくないから、この複数写りの分は、このふたりでまとめて1枚にすりゃいいべ?」という、大人の事情で出たのかと勘ぐってしまいましたよ……ふふふ。(自虐系)

 わたしは、「豊太郎と相沢のツーショット」が欲しかったのよ。

 いちおー、主役と2番手の友情も描かれている作品なのに、ツーショなしですかい……。

 清さん@みほちゃんとのツーショでもよかったけどさ……。
 関係性のある、ドラマのある舞台スチールが欲しかったのさ……。

 バウではかなわなかったけれど、再演では今度こそ、「ドラマ」を切り取った、豊太郎と相沢のツーショットが手に入るかと、わくわくしておりましたのよ……。

 単体の写真もそりゃいいけど、うれしいけど、それだけだと、何故この姿でこの表情をしているかわかんないじゃん?
 「物語」の中で、息づいているからこそ、その瞬間その姿をしているんだ。
 ただ「美しい」とか「かっこいい」とかなら、スタジオでポーズ取って撮影した方がいいものが撮れるだろう。
 そうではなく、多少歪みやブレや何故そのポーズ、何故その表情、とかその他イロイロ支障があるにせよ、わざわざ舞台で実際に演じている姿を写真として販売するのは、彼らが「役者」であり、「舞台の上が本来の場所」であるからでしょう。
 だからわたしは、ドラマティックな「場面」を切り取った舞台スチールこそを求めている。
 本公演とちがって写真集『ル・サンク』が発売されない特別公演はなおさら。

 『MIND TRAVELLER』のパメラ@きほちゃんの手にキスする海馬教授@まっつの写真がいちばん好きだ、近年のものでは。
 どーゆー話で、どーゆーキャラなのか、見事に表しているショットなんだもの。
 プロポーズで手にキス、なのに、教授はすごい冷たい眼をしているの。そしてパメラも、すげー厭そうなの(笑)。
 絶品です、はい。

 そーゆー「ドラマ」を求めたのよ、わたしは。
 たかがグッズ、されどグッズに。

 
 愛するがゆえに苦い助言をし、厳しい顔で豊太郎を見つめる相沢、そしてそんな相沢に背を向け苦悩する豊太郎、とか。
 再会したときの笑顔で見つめ合う相沢と豊太郎とか。
 いくらでも、ふたりの「関係性」を、「ドラマ」を切り取ることはできるだろうに。

 
 発売されないんだ……。くすん。


 腐った話は、こっそりと。

 うっかり入院していたもんで、『舞姫』千秋楽のスカステニュースを見ることが出来たのは、放送からずーっとあとだ。
 病院から「誰かニュース録って!!」と取り乱して某mixiに書いたりしていたのは、「このままじゃ『舞姫』楽映像が見られない」という焦りゆえだ。(友人諸姉、お騒がせしました)

 ぶっちゃけ、みわまつ抱擁シーンのためだけに、取り乱していたんだわ(笑)。

 千秋楽はスカステで全編放送されるとわかっているので、1年も待てば目にすることが出来る。
 1年も待つ気がさらさらないのは、ソコが見たいがゆえですよ、ええ。

 maさんがわざわざ「舞姫楽のニュースですが、抱き合うみわっち&まっつは通常のニュースだけで、総集編はカットでした。」と教えてくれ、わたしのために通常ニュース分を録画しておいてくれたりとかな。
 ああもお、なんの説明もしてないのに、ソコを理解して録画してくれるって、なんつーありがたいことだ……。ほろほろ。

 そうなの、ソコなのよ、みわまつ抱擁こそがポイントなのよ。
 ソレが見たくて騒いでたんだってば。
 つか、最近のスカステはカテコを全部映さなくなっているので、抱擁シーンがちゃんと放送されたか謎だったし。
 maさんのツボを押さえたメールで、ちゃんと見たいシーンが放送されたことを知ったのでした(笑)。

 
 んで、今ごろ(じつは4/7)になってわくわくと『舞姫』千秋楽ニュースを見た。

 見た。

 ええ。

 みわまつ抱擁シーンを。

 繰り返し、見た。
 ついでに、コマ送り再生もした。

 ……思い出すなぁ。
 『長い春の果てに』だっけ『長すぎた冬』だっけ、そんなタイトルの芝居で、悪党医者@ワタル兄貴が正義の記者@ケロを金で黙らせようとするシーンがあった。
 ガタイのいいスーツ姿の男が、ひとまわり小柄なスーツの男を抱き寄せ、服の中に手を突っ込んでまさぐるという、ものすごいことになっていた。
 ジャケットの内ポケットに金を入れる、という謎の演出ゆえ、ワタル兄貴はケロを抱き寄せ、服の中に手を入れることになったわけですな。
 これは初日とその近辺だけで、回数を重ねるごとに当人たちがこの行為に慣れ、抱き寄せなくても服の中で手をまさぐらなくても、ワタル兄貴はケロの内ポケットに金を入れることができるよーになっていったのですが。
 初日は、びびったなー。
 激しく抱き寄せるワタル、これまた簡単に腕の中に収まってしまうケロ。

 そしてこの初日の映像が、『スターの小部屋』で放送されたんだ。

 音声無しでここだけ見ると、どっから見てもリーマンものBLだった。
 うわー。ラヴシーンだー。激しー。恥ずかしー。

 それを、思い出した。
 みわまつ抱擁@コマ送り再生中。

 抱き合っているときより、その直後の方がラブシーンっぽい(笑)。
 まっつがナニ気に色っぽい顔をしている。

 しかし。
 如何せん、みわさん、笑いすぎ。

 みわさんが全開で笑っているため、まっつひとりがチュー前後のような顔をしていても、BLには見えません(笑)。

 惜しい。じつに惜しいっ。
 みわさん、口閉じて、口。歯、見せすぎ!!(笑)

 せっかくの豊太郎×相沢(受攻苦悩中。相沢攻切望)なのになー。
 残念だわー。

 や、実際にみわまつがどうとかいうわけではなく、あくまでも「豊太郎」と「相沢」の扮装をしている彼らが抱き合っていることに、需要があるのよ。
 豊太郎と相沢の関係が萌えなんだもん。みわまつが好きなのとは、また別に。

 もう二度と、彼らは豊太郎でも相沢でもなくなってしまうの。
 この関係性は、愛憎は、今だけのものなの。

 豊太郎とエリスであったみわっちとののすみが抱き合うことがかわいらしくて微笑ましいように、豊太郎と相沢であったみわっちとまっつが抱き合うことに、意味があるの。
 
 
 や、腐った心を置いておいても。

 いいものを見た……。

 じーん。


< 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 >

 

日記内を検索